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第44回 天龍寺のツツジ~前編~

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10日ぶりの渡月小橋です。今からここを渡り、天龍寺に向かいます。
5月半ばに入り、ツツジの花が満開でした。
撮影日は、2012年5月13日日曜日の正午。
ぽかぽか陽気の初夏の日です。


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先ほどの写真から、北に向かって大堰川(桂川)を渡っています。
渡月「小橋」というだけあって、
ここはすぐに渡りきってしまいます。
ちなみに、この辺りで「西京区嵐山」から
「右京区嵯峨野」に入ってきます。
その先は中州になっていて、茶店が立ち並んでいます。


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今度は、反対側(東側)の中洲を見ています。
松林より向こうは中洲が約1kmほど長細くなっていて、
桜やカエデが並ぶ公園になっています。
この日もここでくつろいでいる方が、多くいらっしゃいました。


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中洲の真ん中から、渡月橋の方を見ています。
平たんなので、ここから見ているとどこから橋なのかわかりませんね。


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では、中州からいよいよ渡月橋を渡ります。


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渡月橋を渡っています。
桂川(大堰川)に架かる橋は、普通は渋滞がひどいのですが、
ここはそれほど渋滞しません。
その代わり、観光客がたくさんいらっしゃいます。


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渡月橋から上流の方を見ています。嵐山や岩田山が向こうに見えます。
ボートや小舟がたくさん出ていて、
遊覧を楽しんでいらっしゃるようですね。
この写真をクリックすると、拡大されます。


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渡月橋もだいぶ渡ってきました。
もうすぐ向こう岸に着きます。


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渡月橋を渡り切りました。
この渡月橋から北に向かう道が、
この辺りのメインストリートです。
東西に交差する道は、三条通です。
この三条通にも、いろいろ土産物屋さんが並んでいます。


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三条通との交差点の信号を渡り、北に進みました。
交差点の北西角に、茶店がありました。
ここは桜餅が有名なのですが、
この日も満員で、入るのをあきらめました。


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その茶店の所に、このような看板がありました。
前回ブログで出てきた阪急電車以外にも
この辺りにはいろいろ電車の路線があります。
(それだけここは、京都市街地から遠いのです)


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三条通から別れて、まだまだ北上します。
この辺りも、土産物屋さんや飲食店が軒を並べます。
(しかも、結構名店が多いです)
11系の市バスが、北上しています。
この辺りのバスは京都駅からの路線ではなく、
四条烏丸あたりから出ているものですね。


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交差点から100mほど北に進みました。
ここは、美空ひばり記念館です。
結構人気があるようで、たくさんの方が入っていきました。


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美空ひばり記念館の北側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
その隣に、京都市の掲示板があります。
こういう観光地に掲示板があるのは珍しいです。


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さらに50mほど北に進みました。
右(東)側に京福電車(嵐電)の「嵐山」駅が見えてきました。


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駅ビルの中に、「嵐山」駅の改札口が見えます。
ここから、北野白梅町方面と四条大宮方面に
電車が出ています。


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京福電車「嵐山」駅の向かいに
天龍寺の入り口が見えてきました。


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天龍寺は、さまざまな花が植えられており、
それぞれの季節にきれいに咲いています。
今は、境内一面にツツジが咲いていました。


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ツツジはずっと駐車場の方まで咲いていました。
ただここからではなく、
もう少し北の門から天龍寺に入ります。


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先ほどの場所から20mほど北に
天龍寺の総門がありました。
ここから天龍寺の中に入ります。


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天龍寺の総門をくぐり、西を向いています。
この先の中門から中に入りますが、その前に……


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駐車場の中に入ります。ここに勅使門がありました。
かつての正門ですね。


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勅使門の反対側です。
こちらの方も、一面のツツジが咲き誇っています。


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では、いよいよ中門をくぐり
天龍寺の法堂や方丈がある西の方に向かいます。
ただし、その前に末寺巡りが先です。


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中門をくぐりました。この石畳沿いに西に進みます。
辺りにはカエデや松の低木があり、左(南)側は前庭になっています。
向こうに見える岩田山や嵐山が借景になっています。
絶景ではあるのですが……周辺の自動車で台無しです。


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天龍寺前庭の池です。ツツジはきれいなのですが、
池の中のハスが枯れていて、いろいろ残念です。
では、東から順に末寺参りです。


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最初の末寺は、弘源寺です。
門を入ったところに、毘沙門天像を安置したお堂があります。
その奥の本堂へは500円払うと入れますが、
900円払えば宝厳院にも入れます。
さらに500円払うと、抹茶が飲めます。
ここには枯山水の見事な庭があります。
普通は正面から見るのが最高なのですが、
この寺院の場合は、端のトイレの前から見るのが絶景です。
向こうに見える岩田山とか嵐山の風景と一緒に見るがいいのです。


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弘源寺の西隣には、弁財天を祭った神社がありました。
ここも参拝しました。


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その西隣の末寺は、土塀がきれいでした。
この辺りの低木は、ほとんどがカエデです。
春のツツジもいいですが、
秋にもここは紅葉に染まって絶景になるでしょう。


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さらに西隣の末寺です。ここは、松嚴寺です。
この中に入ってみます。


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松厳寺の境内です。一面のカエデです。
まだ青葉ですが、これでも十分絶景です。
写真をクリックすると、拡大されます。


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その西隣に、末社の一つ護国神社がありました。
こちらも、カエデに囲まれています。



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護国神社の東隣に、
第二次世界大戦直後にロシアに抑留された
日本兵の慰霊碑があります。


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護国神社から出てきました。
いよいよ天龍寺の法堂と方丈に向かいます。
ただ紙面もなくなってきたため、
ここからは次回とします。

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第45回 天龍寺のツツジ~後編~

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天龍寺の境内も、だいぶ奥に入ってきました。
法堂が目の前にあり、その奥に庫裏や方丈があります。
手前のツツジがきれいですね。
今回は、天龍寺の方丈庭園を中心に進めます。
(世界遺産ですよ)
撮影日は、2012年5月13日日曜日午後1時半。
晴れているせいか、遠くまでよく見えます。


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総門、中門と石畳の道を西に進み、突き当りまで来ました。
ここは、天龍寺の庫裏です。
ここでお金を払って、中や庭園に入ります。


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これが、拝観のためのチケットです。
上の白いのが庭園の参拝券(¥500)で、
下の黄色いのが本堂の参拝券(¥100)です。

実は、ここ以降本堂から見た風景と庭園から見た風景が混在します。
本当は本堂を見てから庭園を見たのですが、
そうすると内容が重複してしまいます。
(本堂の外側が庭園なので、同じ風景を二回見ています)
ですから、同じ方向に行って撮った写真を
わざと混ぜることにしました。


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庫裏の南側に、方丈があります。
東側から西を向いたここが、方状の正面になります。
普通はこの縁側から見た庭がメインの庭園になるのですが、
天龍寺はこの裏側がメインの世界遺産の庭園です。
拝観された方も、大半がここをさっさと通過されます。


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右側に、方状が見えます。ここは方丈の南側です。
ここより南に蒒月(天龍寺の食堂)があり、
お金を払えば、精進料理が食べられます。
ここを通り過ぎ、向こうの庭園に行きます。


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方丈の反対側に、ツバメの巣がありました。
柱の上の方に板を打ち付けてあり、
寺院側が故意に巣を作りやすいようにしているようです。


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天龍寺方丈の裏側の曹源池です。ここが世界遺産に登録されています。
小島やカエデの配置が見事ですね。
写真をクリックすると、拡大されます。
ただ、ここはこうやって見るよりも……


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少し北にずれてみてみましょう。
そうすれば、岩田山や嵐山が借景になってこの庭が際立ちます。
つまり、後の山もこの庭の風景の一部なんですね。
ここも写真をクリックすれば、拡大します。


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今度は、書院から南に向いて曹源池に臨んでいます。
個人的には、方状からよりもこちらから見たほうが好きです。
この庭でも、ツツジが咲いています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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次は、書院前の松越しに曹源池に臨んでいます。
これはこれで面白い風景です。
ここもクリックすれば、写真が拡大されます。


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先ほどの写真と同じところから撮りました。
日曜日ということもあって、
この日はツアーの方で(修学旅行も含む)賑やかでした。
人通りが途絶えた瞬間の写真ばかり載せていましたが、
本当はこうだったという意味で、これも撮りました。


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では、この書院からさらに奥(北)に向かいます。
本堂からは、茣蓙(ござ)が敷かれた渡り廊下を進みます。
庭園からは、渡り廊下の脇を歩いていきます。


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書院の北側から、水が湧いていました。
この水が小川になって渡り廊下の下をくぐり、
先ほどの曹源池に流れ込んでいます。


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書院から続く渡り廊下です。
書院から、ほぼ一直線に北に伸びています。
途中に休憩所があったりして、歩きやすいところでした。


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庭園から続く渡り廊下沿いの道です。どちらも多宝殿に続いています。
とりあえず、多宝殿に向かいます。


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渡り廊下の途中にこのような石碑が立っていました。
「これより川下 殺生(虫などを殺すこと)を禁じる」
そう書かれています。
寺院の境内は聖域なので、殺生はふつうダメでしょう。


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渡り廊下は100mほど進んだ後、ここで左折します。
多宝殿は、この先です。


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庭園からの道も、渡り廊下沿いなので
渡り廊下と同じように左折します。


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左折して少し石段を上った後、また右折します。
そして、この茂みを越えれば多宝殿です。
ここを越えていきます。


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天龍寺庭園のだいぶ北の方に来ました。
この多宝殿は、後醍醐天皇の霊廟です。
(つまりここに、後醍醐天皇の遺灰があります)
もともと天龍寺は、後醍醐天皇の霊を弔うために
北朝の光厳天皇が建立しました。
(事実上、室町幕府を開いた足利尊氏が建立したのですが)
本堂から歩いてきた場合、ここが一番奥になります。
(ここで引き返します)
庭園から来れば、もう少し奥(北)に進みます。
(先に進みました)


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多宝殿の奥(北)に来ました。
この辺にいろいろな植物が植わってあります。
百日紅(さるすべり)などもありましたが、
今花が咲いているのは、ツツジだけでした。
(ただ、常に何かが咲いているようになっています)


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ここは、天龍寺庭園の一番北側です。
もう少し先に北門があり、そこから野宮神社などに行けます。
(今回はそちらには向かいません)
これは、硯石(すずりいし)と呼ばれています。
偶然でもなんでもなく、これは大きな硯(すずり)です。

1864年の蛤御門の変の際、
この辺りに長州藩が藩士を布陣させました。
その長州藩に勝利した幕府軍(事実上薩摩藩・会津藩)は
天龍寺を跡形もなく焼き払いました。
現在の天龍寺は、明治時代に再建されたものです。
その際に法堂の天井絵を描くために、この硯は作られました。
使用後はここに立てられました。
なんでも、絵が上手になる御利益があるそうです。

では、ここから引き返して天龍寺の庭園から出ます。


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天龍寺の庫裏から出て、
今回のブログの最初の所に戻ってきました。
今は、東を向いています。
ここをまっすぐ石畳の道を進むと、中門・総門に出ます。
今はそちらに進めずに、南の法堂に向かいます。


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天龍寺の法堂です。龍の天井画が有名です。
600円払うと入れたのですが、
ここでお金が尽きて今回はあきらめました。


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右側に、法堂が見えます。ここは、法堂の東側です。
少し広くなっているのですが、
自家用車の駐車場になっています。


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先ほどの写真より少し南に進みました。
曹源池の看板があり、今咲いている花が書いてあります。
法堂より南に行くと、外に出られる道があります。
ここを通り、天龍寺を出ます。


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天龍寺から出て、南へ歩いています。
二車線ほどの道ですが、自動車はほとんど通りません。
岩田山・嵐山が近くに見えますが、
これらの山は大堰川(桂川)の向こうにあります。


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先ほどの写真から、100mほど南に来ました。
左(東)側に、たくさんの石像が並んでいました。
よく見ると、お釈迦さんと仏弟子(お釈迦さんの弟子)の像です。
「嵐山羅漢」と書かれていました。


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「嵐山羅漢」から20mほど南に進みました。
右(西)側に、宝嚴院が見えてきました。
前回ブログに出てきた弘源寺と
拝観チケットのセットになっていた寺院です。
ここの庭も、カエデの青葉がきれいでした。
半年後にも、ここに来ようと思います。


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先ほどの写真から少し南に進みました。
右(西)に法嚴院の土塀が見えます。
この道を突き当りまで進みます。


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さらに南に進みました。
宝嚴院の南隣に、このような建物がありました。
ここは、「時雨殿」といい、百人一首の殿堂です。


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いよいよこの南へ向かい道も、突き当りました。
ここは、大堰川(桂川)の北岸です。
ここからでも、川の水面が見えます。
また、ここから東に伸びる道があります。


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先ほどの突き当りで、西を向きました。
ここは京都でも代表的な高級料亭の一つ「嵐亭」です。
高級すぎて、自分にはあまり縁がありません……


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今度は、東を向きました。
ここから東に向けて道が続いています。
実は、ここは三条通です。
ここをずっと東へ進むと、太秦や祇園祭の鉾町を通過して、
東海道の終点三条大橋に行けます。
ただ、そちらに向かうのはまた別の機会にします。

今回は、ここまでとします。

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第89回 法輪寺から渡月橋へ~紅葉の嵯峨野嵐山~その1

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ここは、阪急電車「嵐山」駅です。
阪急電車嵐山線の各駅は桜や紅葉の並木が綺麗で、
いつも楽しませていただいています。
今回から紅葉の嵯峨野嵐山を特集します。
ここから天龍寺へ向かい、
その後は北へ行ける所まで行くという企画になります。
目標は大覚寺か化野念佛寺ですが、かなり厳しいでしょうね。
たぶん10回前後のシリーズになるので、
紅葉は終わってしまいますが、年内いっぱい続けます。
撮影日は、2012年11月23日金曜日の勤労感謝の日で午前11時。
今にも雨が降り出しそうです。


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阪急電車「嵐山」駅の改札口です。では、ここを出て先に進みます。


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阪急電車「嵐山」駅前は、このように広場になっています。
先ほど自分が乗っていた電車も「すし詰め」状態で、
そこに乗っていた方々やその前の電車に乗ってられた方々で、
この広場はかなりの人混みになっています。
その大半の方は、このまままっすぐに北上されるようです。
この先は大堰川の中之島公園の東端で、
渡月橋への近道になります。


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その広場で左(西)を向きました。
大半の方々とは異なり、自分はこのコースを進みます。


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阪急電車「嵐山」駅前の広場から、西へ100mほど進みました。
ここはT字路で、ここから南に物集女街道が伸びています。


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T字路から物集女街道を南に向いています。
そのままここを南下すると、松尾周辺に出ます。
(松尾大社や月読神社・鈴虫寺・地蔵院がある辺りです)
さらに南下すると、下桂(桂離宮周辺)にまで行けます。
今回は、このまま西に進みます。


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物集女街道を通り過ぎ、さらに西へと進みます。
この辺りも、いろいろ飲食店が並んでいます。


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この道は、阪急電車「嵐山」駅から約200mで突き当ります。
理髪店前の時計が、11時7分を指しています。
半年ぶりにこの辺りに来ました。
この前同様、ここを右(北)に進みます。


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突き当りで、北西を向きました。あまり人がいらっしゃいません。
個人的には、渡月橋にはこちらから行くのがお勧めなのですが……


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先ほどの曲がり角から、北西に約150m進みました。
「嵐山」駅前で自転車を貸し出していましたが、
ここでもよく自転車を見かけます。
渡月橋まであと200mですが、その前にここで左(西)を向きます。


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先ほどの地点で、左(西)を向きました。
半年ぶりに、法輪寺に入っていきます。


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小さな橋を渡って、約5mで右(北)を向きました。
駐車場の向こうにある山門をくぐって、中に入ります。


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では、半年ぶりにこの門をくぐって、
石段を上っていきたいと思います。


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ここの石段はカエデの木々が覆いかぶさるようになっていて、
まるで紅葉のドームになります。
ただ日影なので、まだまだ完全には染まっていません。
この写真はクリックすると、拡大されます。


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石段を上りきると、本堂が見えます。
「十三参り」で有名な寺院だけに、
中学生連れが多く参拝されていました。


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石段横の手水舎です。
背景の木々も、紅葉に染まっています。


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本堂前の香炉に奉げる線香代を入れる所です。
自分は、20円入れました。
先は長いので、お賽銭は入れすぎないようにしないといけません。


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いよいよ法輪寺本堂に参拝です。
法輪寺の詳しい沿革は、半年前の第43回を参照してください。
とりあえず、ご本尊は虚空蔵菩薩でここは真言宗の寺院です。
半年前は気づかなかったのですが、
こちらにも「べんつるさん」がいらっしゃいます。
三条寺町の矢田寺同様、ここでも撫でさせていただきました。


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では、今回も本堂東側にある展望台に行きます。


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こちらは、本堂東側の展望台です。
家族連れが集中するのは、展望台の北側です。


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その北側からの眺めです。
この真下から、渡月橋が伸びています。
この写真も、クリックすると拡大できます。


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展望台を出ます。その向こうに、多宝塔が見えます。
紅葉を背景に、赤い塔が映えますね。


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今から、石段を下りていきます。
この紅葉のドームを再びくぐります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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では、法輪寺を出ていきます。
元の道を北に進み、渡月橋に向かいます。


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法輪寺の前で、北西を向きました。渡月橋までもうすぐです。
左(西)側に、湯豆腐や鶏すきのおいしいお店が並んでいます。


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法輪寺の前から北西に約200m進みました。
この辺りは、京料理屋さんや旅館が並んでいます。
この先に、「渡月橋」の標識が見えます。


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北西に進み、「渡月橋」の標識の真下に来ました。
ここも、約半年ぶりです。(第44回ブログ参照)
北に曲がり、今からここ渡月小橋を渡ります。


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渡月小橋は、約20mほどで終わります。
この橋を渡ると、
「西京区嵐山」から「右京区嵯峨野」に入ります。
ここは、中ノ島公園です。
大堰川の中洲が、そのまま公園になりました。
通常言われている「渡月橋」は、この先になります。


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約50mほどで、中ノ島公園の北端に来ました。
ここから渡月橋を渡るのですが……
ここから急に人口密度が上がります。
(要するに、阪急電車の駅から直接渡月橋に来た方々と
ここで合流したわけです)
急に雨が降り出して、傘を差す方が目立つようになりました。


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渡月橋から見た嵐山です。もうだいぶ色も濃くなってきました。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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渡月橋を正面に向くと、こうなります……
「観光」というより、「行列」ですね。


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また、渡月橋から上流(西)の方を見ています。
ずっと先まで、紅葉に染まっています。
堰の向こう側では、屋形船やボートで遊べるようになっています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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看板にあるように、ここは左側通行です。
整然と並ばないと、あちこちぶつかってしまいます。


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渡月橋から見た大堰川の北岸です。
嵐亭の向こう側は公園になっていて、そこの紅葉もきれいですね。


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渡月橋の行列もノロノロしていますが、
そろそろ北の端にたどり着くようです。


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渡月橋を渡り切りました。
ここで、三条通との交差点になります。
第46回ブログから始まった「三条通編」の初めの方になります。
ただ、その時よりもはるかに人混みがすごいことになっています。
(その前の桜の季節よりも混んでいます)
目の前の桜餅の茶店にも、また入れませんでした。
ここから三条通を西に曲がって天龍寺に向かいますが、
それは次回とします。

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第90回 天龍寺の紅葉~紅葉の嵯峨野嵐山~その2

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前回最後の写真で、渡月橋を渡り切りました。
ものすごい人出で、目の前の桜餅の茶店も入るのをあきらめました。
今回はここから西に左折して、天龍寺の方に向かいます。
撮影日は、2012年11月23日勤労感謝の日で金曜日の正午。
雨が降ったりやんだりの日でした。



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渡月橋の北詰で、西を向きました。
この大堰川北側の道が、三条通になります。
この辺りは、第47回ブログとは反対の道順になります。


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渡月橋から三条通を西に約10m進みました。
半年ぶりの車折神社嵐山屯宮です。
ここは、5月以外はこんな感じです。
毎年5月のお祭りの際には、この前で舟遊びが行われます。


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渡月橋から三条通を約50m進んでから、渡月橋を見ました。
山の上に、前回ブログで行った法輪寺が見えます。
やっぱり、橋の上は行列ですね。
実は、渡月橋は橋の上からではなく
傍から橋を見たほうが絶景です。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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今度は、三条通の方に向きました。
だんだん人出がものすごいことになってきました。
実は、この「蕎麦の実」よしむらに入る予定だったのですが、
30人以上の順番待ちになっていました……
仕方なく諦めたのですが、
この辺りから奥はしばらく飲食店がないので、どうしましょうか?


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とりあえずは、嵐山や岩田山の紅葉を眺めながら
三条通をさらに西へと進みます。


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三条通を西に進み、大堰川の堰があるところまで来ました。
ここより上流で、ボート遊びや屋形船を楽しむことができます。
渡り鳥のサギが、何羽か飛んでいます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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サギが、杭の上で羽を休めています。
この辺りにも、いろいろな魚がいるのでしょうね。


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さらに三条通を西に進みます。道沿いに小さな瀬があります。
これは、アユが遡上しやすいように作られたものです。


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さらに三条通を西に進みました。
大堰川越しに、嵐山や岩田山が紅葉に染まっています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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渡月橋から三条通を約200m進みました。
もう一つの昼食候補の川沿いの茶店です。
しかし、ここも満員で入れませんでした。
さて、昼食をどうしましょうか?


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茶店の西側で三条通から分岐して、
大堰川の川原を歩ける道が伸びています。
そちらの方に、屋台が何軒かありました。


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その屋台で、たこ焼きと焼きそばを買いました。
これで、とりあえずの昼食です。


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たこ焼と焼きそばを食べていたら、雨が降ってきました。
この時計は、第47回ブログにも出てきました。
傘を差しながら食べ終えた後、
こちらの階段から三条通に戻ります。


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三条通に戻りました。
目の前に、料理旅館の「嵐亭」があります。
ここが三条通の西端になります。


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三条通の西端から、北を向きました。
ここで、大堰川ともお別れです。
左(西)側は、時雨殿です。小倉百人一首の記念館です。
(何回か後で、小倉池や小倉山に行きます)


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時雨殿の北隣は、宝厳院です。
半年前にも来たのですが、今回はこの人出です。


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まぁ、半年前に来た時も、秋にはさぞかしきれいだろうと
当たりをつけていたのですが、行列は100m以上続いています……
後で知ったのですが、京福電車(嵐電)が大々的に宣伝していました。
時間もないですし、ここは諦めます……


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仕方がないので、外から宝厳院を撮りました。
ここの紅葉は、この日(11月23日)が盛りでした。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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宝厳院の紅葉が、外の道に落葉していました。
ライトアップ用の電気灯籠も撮りました。


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宝厳院から、さらに北に向かいます。
目の前に見えているのが、もう天龍寺です。


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宝厳院から天龍寺に向かっています。
左側が、天龍寺です。右側は、天龍寺の末寺が並んでいます。


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この辺りから、天龍寺の境内になります。
右(東)側から、さらにたくさんの方が来られます。
京福電車(嵐電)に乗ってこられた方々でしょうか?


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ここは、天龍寺の法堂です。
天龍寺は、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立しました。
(高校の日本史で「天龍寺船」を習いますね)
尊氏自身が帰依した臨時宗の寺院で、京都五山の一つです。
ここの天井画の雲竜図が有名なのですが、
今回は時間がないので、ここから見るだけです。


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天龍寺境内に入り、西に向きました。
周囲に末寺が並んでおり、それぞれ紅葉がきれいです。
残念ながら時間がないので、ここで見るだけにします。


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今回は、天龍寺の庭園だけ拝観します。
ものすごい人出なのですが、天龍寺は全然待ちません。
中が広いからでしょうね。


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入ってすぐに、方丈東側庭園です。
普通はここが方丈庭園のメインなのですが、
天龍寺は、西側の方が立派なものになります。


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こちらは、天龍寺の方丈南側庭園です。
さらに南側に、「蒒月」(しげつ)という精進料理のお店があります。
天龍寺の庫裏がそのまま料理店になっています。


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そして、ここが方丈西側庭園です。世界遺産の「曹源の池」です。
大半の方も、ここが目当てです。


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人を写さないように「曹源の池」を撮りました。
方丈正面から見ると、このようになります。
ところどころの紅葉が、よいアクセントになっています。

この写真も、クリックすれば拡大されます。


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今度は「曹源の池」を少し北にずれて撮りました。
そうすると、嵐山と岩田山の紅葉が借景になります。
この辺りの庭園は、嵐山を遠景に見るとさらに見事になります。
個人的には、こちらの方がお勧めです。
こちらもクリックすると、拡大されます。


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「曹源の池」の鯉が、こちら側に近づいています。
かなりの数ですが、えさを求めているのでしょうか?


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手水鉢の横に、南天の実がなっています。
だいぶ寒くなってきたようです。


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紅葉の前に、百日紅の木があります。
その横にも、花が咲いています。
天龍寺には様々な木々が植わっており、
いつ来ても何かの花が盛りを迎えています。


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では、天龍寺庭園をさらに北に移動していきます。


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「曹源の池」から北に50mほど進みました。
石段を上り切り、道は平坦になります。
向こうにお堂があるので、そこに向かいます。


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このお堂は、多宝殿です。後醍醐天皇の霊廟です。
足利尊氏は後醍醐天皇を京都から追い出して室町幕府をたてましたが、
後醍醐天皇が崩御した後は、この寺院建立に尽力を尽くしました。


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多宝殿から、さらに北に移動しました。
こちらは、硯石です。
幕末の蛤御門の変で、長州藩士の拠点となったこの辺りは、
薩摩藩・会津藩連合軍に完膚なきまでに倒されました。
その際、この天龍寺も全焼しました。
明治時代に入ってここを再建したときに、
法堂の雲竜図を書くために用意された硯が
ここに立てられています。
(半年前も、ここに来ました)


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硯石より、さらに北に向かいます。
カエデ並木の中を歩いていきます。


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カエデ並木から左(西)を向くと、
竹林が近づいてきたことが分かります。
さらに北に向かうと、天龍寺の北門があります。
今からここを出ていきますが、それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、嵯峨野の竹林を散策します~

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第91回 嵯峨竹を越えて~紅葉の嵯峨野嵐山~その3

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前回最後の写真天龍寺の北門前です。
紅葉の横に、竹林が待ち構えています。
今回は、天龍寺北門から外に出て嵯峨野竹林を散策します。
撮影日は、2012年11月23日金曜日の勤労感謝の日午後0時半。
少しずつ雨が上がってきました。


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天龍寺の北門です。今からここを通り抜けます。


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先ほどまでの場所を反対側から見ると、こうなります。
観光コースとしては右(西)側の北に抜ける道を進むのですが、
その前に左(東)に進みたいと思います。


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天龍寺北門から東を向きました。この辺も、結構な人出です。
左の屋台は京漬物を売っていたのですが、
雨の間は閉めていて、晴れてきたので慌てて開けていました。
今からここを東に進みます。


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天龍寺北門から50mほど東に進みました。
この辺りから急な下り坂になります。
ここは、開けていて明るいですね。


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さらに50mほど東に進みました。まだ急な下り坂は続きます。
この辺りから、道の左右に竹林が目立ち始めます。
この辺りから竹が生い茂ってきて、少しずつ暗くなっていきます。
道の両脇の下の方に、電気燈籠が設置されてあります。
「花灯路」ももうすぐですね。


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さらに、東に50m進みました。この辺りで道が平坦になります。
実際はもっと暗かったのですが、写真では明るく写っています。
この辺りの竹林は一人で歩くと結構寂しいのですが、
この日はかなりの人出でそういうことはありませんでした。


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天龍寺北門から東に約200m進みました。
この道が突き当りになり、T字路になります。
実はこの写真はフラッシュをたいているのですが、
(それくらいここは暗かったのですが)
こうやって載せると、明るく写っています。
「野宮←」という看板があります。
この矢印のように、左(北)に曲がります。


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T字路で、北を向きました。
今までもかなりの人出だったのですが、それを上回る人出です。
約70m先にJRの踏切があって、
知る人ぞ知る心霊スポットだったりするのですが、
もうそんな雰囲気ではないです。
(普段のこの辺りは、かなりそういう雰囲気があるところです)
ここに来たのもこの人たちと同じ目的なので、
今からこの人混みの一員になります。


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先ほどの地点から30mほど北に向かい、今度は西を向きました。
ここは、野宮神社です。
もともとは、皇女が伊勢神宮の斎王になる際に潔斎を行った場所です。
(三条通の車折神社近くにあった斎宮神社と同じですね)
後醍醐天皇が斎王を廃止した後、神社になりました。
「源氏物語」にも出て来る縁結びの神社です。
本当は中に入りたいのですが、この人出では境内には入れません。
時間もないので、ここから参拝し先に進みます。


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先ほどの場所から今度は西を向きました。
今からもと来た道を戻って、天龍寺の北門に向かいます。


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またT字路に戻ってきました。フラッシュをたいて撮影しています。
シャッターを押してから露出時間が長いので、
目の前に人が横切るとブレた写真が出来上がってします。
これは4回撮り直しました。
ただ、こうやって載せてみると明るく写っています。
では、ここの真っ直ぐ西に進み天龍寺北門に戻ります。


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先ほどとは反対に、急な上り坂を西に進んでいます。
この辺りの薄暗い竹林は、寂しい反面独特の情緒があります。


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先ほどのT字路から約100m西に進みました。
この写真はそこそこ暗く写っていますが、
この場にいた感覚では、ずっとこんな感じでした。


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さらに50mほど西に進みました。
この辺りは開けていて、実際も明るいところでした。
この辺りには、あまり竹が生えていません。
左(南)側の竹垣の向こうは天龍寺で、右(北)側は墓地です。


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T字路から西に約200m進みました。天龍寺北門まで戻ってきました。
目の前の人混みは、天龍寺から出てきた方々です。
右(北)側の京漬物の屋台は、もう営業を再開させていました。
今からこのまま西に進み、この竹林を散策します。


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天龍寺北門から今度は西に約20m進みました。
先ほどの写真では竹林の辺りは暗く写っていましたが、
ここも写真に載せると、だいぶ明るく写ります。
竹林はこの辺りが特に美しいので、
多くの方々がここで写真撮影をしていました。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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天龍寺北門から竹林の中を100mほど進みました。
この辺りの竹林も、なかなか情緒があります。
少し蛇行しますが、西に進みます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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天龍寺北門から西に約200m進みました。
竹林沿いの道は急に細くなり、北を向きます。
この辺りの竹林は密度が濃いので、自分のお気に入りです。
このまま北に向かいます。


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先ほどの角から、北に約50m進みました。
ここで道は広くなり、二手に分かれます。
右(北)側の道は、このまま竹林を抜けます。
左(北北西)側の道は、
鉄門扉があってその向こうが大河内山荘になります。
大河内山荘に向かう方々も多かったのですが、
今回は右側の道を進みます。


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大河内山荘の三叉路から、北に約20m進みました。
ここは、小倉山の斜面になっています。
左(西)側に山があって、
右(東)側は数本の竹の向こうが崖になっています。


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東側の崖の下をのぞいています。
下の方に線路が敷いてあり、駅のホームがあります。
この線路は観光用トロッコ列車のもので、
駅のホームは「トロッコ嵐山」駅です。
実は、ここはトンネルの真上に当たります。


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トンネルの上の部分はちょうど陸橋のようになっており、
そこを越えると今度は右(東)に大きくカーブします。
今は東に進んでいます。
右(南)側のフェンスの向こうが、トロッコ列車の線路です。
そして、ここから急な下り坂になります。
この辺りも、竹林が続きます。


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さらに東に約10m進みました。下り坂はかなり急になります。
駅が近づくにつれ、竹林から紅葉に変わっています。


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東に約50mほど下ると、この道は平坦になります。
この辺りで、また人混みができます。
先ほどまでの竹林は姿を消し、辺りはまた紅葉に包まれます。


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さらに、東に約5m進みました。ここは「トロッコ嵐山」駅です。
今回は列車には乗らないので、ここから離れます。


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「トロッコ嵐山」駅から西に5m戻り、今度は北を向きました。
(実は、ここは四つ辻です)
目の前の池は小倉池です。平安時代から歌の題材にされてきました。
手前に、「御髪神社」の看板が出ています。
野宮神社に行けなかった分、こちらには行きたいと思います。


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御髪神社は、小倉池の西岸にあります。
右手に小倉池を見ながら、御髪神社に向かいます。


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池には、たくさんの渡り鳥が羽を休めていました。
こちらにも、鴨が数羽泳いでいました。


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御髪神社の本殿です。
藤原采女政之いう最古の髪結い職人が、主神として祀られています。
ここは、かなり珍しい頭髪のご利益のある神社です。
薄毛など、頭髪祈願の方や
かつらや育毛の会社が熱心に寄進しています。
小さな神社ですが、参拝者が多い神社です。


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本殿に、大きな猫が二匹居眠りをしていました。
毛並みが似ているので、親子か兄弟でしょう。
寒いのか、ハトのように毛を膨らませています。
何か可愛いので、撮りました。


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では、本殿を出て元の道に戻ります。


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御髪神社の前で、「トロッコ嵐山」駅の方を向きました。
左側に小倉池を見ながら、元の四辻に戻ります。


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御髪神社から「トロッコ嵐山」駅前の四辻まで戻ってきました。
この辺りは、たくさんの人混みができています。
今度は、小倉池を左に見ながらここを北に進もうと思うのですが、
それは次回にします。

~次回は、常寂光寺に行きます~

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第92回 落葉の常寂光寺 前編~紅葉の嵯峨野嵐山~その4

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この写真は、御髪神社から「トロッコ嵐山」駅前に出た所です。
ここを右(南)に約50mで「トロッコ嵐山」駅で、
小倉池沿いに左(北)に進めば、常寂光寺にたどり着きます。
今回は、常寂光寺に向かい小倉山の少し上の方に登ります。
(この辺りは、「小倉百人一首」の語源になった地です)
常寂光寺の紅葉はこの日が見ごろで、
たくさん写真を撮ってしまい今回だけで収まり切りませんでした。
撮影日は、2012年11月23日金曜日の勤労感謝の日午後1時半。
先ずは、小倉池の東岸を北に進みます。


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「トロッコ嵐山」駅から常寂光寺に向かう方々と一緒に
小倉池の東岸を北に向かっています。
もう少し時間があったら、この辺をゆっくり見て回るのですが……


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時間がないので、小倉池の写真はこの一枚だけです。
周囲が紅葉に染まり出していて、なかなかきれいでした。
この写真はクリックすると、拡大されます。


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池の反対側は、こうなっています。
畑の間の木々が、紅葉に染まり出しています。


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南北に長い小倉池ですが、約100mほどで終わります。
そこから北は、古くて立派な民家が続きます。
その民家の庭に、枝垂桜の木がありました。
葉はすべて落ちています。
周囲の紅葉と対極的で、これはこれで自分のお気に入りです。
この写真もクリックすれば、拡大されます。


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さらに小倉池北端から約100m北に進みました。
この先に、T字路があります。
そこに、たくさんの人だかりができています。


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そのT字路で西(突き当り)を向きました。
ここは、常寂光寺の山門です。
人だかりの方々同様、自分もこの中に入っていきます。


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常寂光寺の山門をくぐり抜けました。
この先の小屋で、拝観料を払って中に入ります。
ただこの人数なので小屋の前に何人か人がいて、
その方々も受け付けを行っていました。
(そのため、ここは時間待ちがありません)


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受付を通ってすぐに、仁王門があります。
もとは本圀寺(第80回ブログに登場)の客殿の南門でした。
常寂光寺は、日蓮宗本圀寺から分かれた寺院です。


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仁王門の仁王さんです。右側は、「阿形」(あぎょう)ですね。


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こちらは、左側の「吽形」(うんぎょう)の仁王さんです。


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常寂光寺の仁王門を越えると、急な石段が現れます。
もうすでに、小倉山の斜面に入っています。
ここは、常寂光寺の絶景ポイントの一つです。
ここも、クリックすれば拡大されます。

実は約20年前に脳性まひの方と一緒にここに来たのですが、
ここから先は車いすでは進めず、
諦めて引き返したことを思い出しました。
スロープなどを付けて景観を壊すのは反対ですが、
いろいろな方が参拝できてこその「寺院」とも思います。
(個人的には、徹底した人海戦術が最適と思います)


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石段の周りには、このように落ち葉が重なって層をなしていました。
ここはまだ枝に付いた紅葉もきれいですが、
やはり落葉して山の斜面にある苔や低木の上にある紅葉が見事です。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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石段を上りきったところに、常寂光寺の本堂があります。
日蓮宗常寂光寺は、安土桃山時代の後期に日栖(にっせい)上人という
本圀寺第15代住職が晩年隠棲した時に開山しました。
日栖上人は豊臣秀吉の家族に支持され、
角倉了以(東南アジアと貿易した商人で、京都復興に尽力しました)から
この小倉山の土地を譲り受けて、ここに常寂光寺を建立しました。


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常寂光寺本堂を参拝後、南側に向きました。
今から本堂の西側(裏手)に回って小倉山のもう少し上の方に登ります。


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ここは、常寂光寺境内の最南端です。
そこから東を向くと、京都市内を一望できます。
今は、京都駅方面を向いています。
小さくて分かりにくいですが、この先に京都タワーが見えます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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同じ位置から、今度は西を向きました。
山椒の佃煮のお店の先に、妙見宮があります。
安土桃山時代末期に保津川(桂川・大堰川の上流)洪水の際、
この辺りに妙見菩薩が流れ着いたのが、ここの始まりです。
初めは近所の集会所に祀られていたのですが、
江戸時代半ばに常寂光寺に祀られるようになりました。


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妙見宮の西側(裏手)に、また急な石段が見えてきました。
ここから、さらに小倉山の上の方に登ることができます。


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先ほど見えていた急な石段を西に向かって登っています。
紅葉並木の間に、ここにも竹林が見えます。
実は、かつてはこの辺り一帯が竹林でした。
(厳密には、この辺りから大阪府高槻市まで広大な竹林でした)


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さらに石段を西に登っています。斜面に落ちる紅葉がきれいです。
途中に多宝塔が見えますが、もっと上の方に登ってから寄ります。


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さらに石段を上っています。
この辺りは紅葉がドーム状に並んでいます。
そこから落ちる赤い葉が、苔の緑を別の色に変えています。


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ここは、歌仙祇です。小倉百人一首の選者藤原定家の霊廟です。
藤原定家は、鎌倉時代初期に
ここと二尊院の中間の小倉山山中に邸宅を構えていました。
もともとこの霊廟もそのあたりにあったのですが、
常寂光寺建立の際にここに移設されました。
ちなみに、この祠は今から15年くらい前に改築されたものです。


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歌仙祠の脇に、「時雨亭」跡の石碑がありました。
「時雨亭」は、藤原定家の山荘です。
この石碑自体は、後世の人が推測によって立てたものです。
今は、その山荘はここではなく
ここと二尊院の間の小倉山山中と分かっています。


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小倉山をだいぶ登ってきました。多宝塔よりもだいぶ上に来ました。
その向こうに、京都市街地が見えます。
この上があるので、さらに登っていきます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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先ほどの写真の位置から山の方を向きました。
ここに古いお墓があります。
この辺りには、山道のあちこちにこのようなお墓が並んでいます。


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小倉山をだいぶ上の方に登ってきました。
まだまだ上があるのですが、これ以上先には紅葉もなくなるので、
ここからは下に降りようと思います。


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登る道よりも、降りる道は少し北側にあります。
また多宝塔越しに京都市街地が一望できる位置にまで戻ってきました。
ちょうど丸太町通と御池通の間くらいが見えます。
二条城とかがある辺りです。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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多宝塔まで降りてきました。この塔は、重要文化財です。
この多宝塔は、本堂同様に常寂光寺建立以降に
京都の町衆の寄進によって建てられました。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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多宝塔の北側は、墓地になっていました。
この緩やかな石段から、この下に降りていきます。


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墓地の向こうに、開山堂がありました。
もともと常寂光寺は、ここから始まったのですね。


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緩やかな石段は、南に折れて急な石段と合流します。
その間にも、たくさんの古いお墓が並んでいました。


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緩やかな石段は、急な石段と合流して妙見宮の辺りに続きます。
紅葉並木の向こうに、また竹林が見えますね。


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石段を降りて、妙見宮の前にまで戻ってきました。
今度は、常寂光寺の庭園と本堂北側に行きますが、
それは次回にします。

~次回は常寂光寺をしばらく拝観した後、落柿舎に向かいます~

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第93回 落葉の常寂光寺 後編~紅葉の嵯峨野嵐山~その5

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常寂光寺境内から小倉山に少し登った後、
また妙見宮の横に戻ってきました。
今回は常寂光寺の本堂脇を散策した後、落柿舎まで行きます。
撮影日は2012年11月23日金曜日の勤労感謝の日午後2時半。
結局常寂光寺には、1時間以上いました。


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石段を降り切ると、生け垣にこのような看板が見えました。
小倉山の上にある多宝塔は、前回ブログで行きました。
今回は、本堂西側の庭園に向かいます。


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ここは、本堂の西側の庭園です。ちょうど本堂の裏手になります。
ここは禅寺ではないので、石庭ではありません。
小倉山の斜面を利用した自然な庭園です。


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その庭園をアップで撮りました。
カエデの落葉が、まるで赤いじゅうたんです。
やはり、常寂光寺の醍醐味は一面の落ち葉ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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そして、さらにアップにしました。
カエデの赤い落ち葉は、
低木の青葉や細長い池の水底にも敷き詰められています。
ここも、常寂光寺の絶景ポイントの一つです。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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では庭園を出て、本殿と妙見宮の間を東に抜けます。
ちょうど本殿を回り込む形になります。


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今まで東に進んできた道は、
前回ブログで京都市街地を一望した位置で終わります。
そこから北を向きました。
右(東)側から西に向かっていく方々は、
仁王門からの石段を上りきった集団です。
今度は目の前の方々をかき分けて、本堂の北側を散策します。


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常寂光寺の本堂の前から、今度は北側を向きました。
地面に生える苔の上だけでなく、
手水鉢も赤い落葉で敷き詰められています。
水にぬれると、落葉の色が深くなりますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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今度は近くの生け垣の上の落葉です。
赤と緑は正反対の色なので、どちらも映えますね。


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常寂光寺の北側の道を10mほど歩いています。
こちらのカエデの木は、人の高さほどの低さです。
葉の一枚一枚がよく見えます。


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本堂から北に移動して、50mほどで広場に出ます。
ここで突き当りになります。
南側に盆栽が飾ってあって、北側はトイレです。
(ちょっとここでトイレ休憩です)
さらに北側は墓地で、夫婦らしきカップルがお参りされていました。
では、いよいよ常寂光寺を出ます。


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広場の前から南を向きました。向こうに常寂光寺の本堂が見えます。
降りるときは最初に来た石段ではなく、
もう少し手前の石段を使います。


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東側の斜面に、紅葉に混じって柿が実っていました。
おいしそうですが、本当に食べたら渋いのかもしれません……
こうしてみると、花が咲いているみたいです。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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広場から約20m南に移動しました。
本堂前の石段は上り専用で、下る時はこちらの石段を使います。


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本堂の高さから石段を降りて、仁王門付近に戻ってきました。
帰りは仁王門より北側の道をたどります。


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帰りの道は、仁王門付近で大きく北にカーブします。
仁王門と同じ高さまで、もう少し石段を降ります。


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石段を降りると、このような石碑がありました。
これは独身夫人連盟が中心となって立てた「女の碑」で、
市川房江が書いた文字が彫られています。
独身夫人連盟は、昭和時代に太平洋戦争で
男性が多く戦死したために
独身で自立していった女性による連帯組織です。
(反戦平和団体の一つですね)
「女一人生き ここに平和を希(ねが)う」
と書かれています。


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「女の碑」から道は少し南にカーブして、すぐに出口が見えます。
入り口とは、別のところになります。


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では、常寂光寺を出ます。せまい出口なので、次々人が通ります。


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常寂光寺を出て、南を向きました。
向こうの人混みは、常寂光寺の山門です。一旦、そちらに向かいます。


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常寂光寺山門前のT字路まで戻ってきました。
今度は東を向いています。こちらも、すごい人出です。
今度はこちらに進みます。


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常寂光寺の前から、西に約20m進みました。
両脇には、古くて立派な民家が並んでいます。
自動車が二台くらい通れる道幅ですが、
こんなに人がいればここを自動車で通るのは無理でしょうね。


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さらに50mほど東に進みました。
この辺りの民家の庭木も、見事な紅葉です。


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常寂光寺から東に約100m進みました。今度は北を向いています。
四辻の北東角が畑なので、急に開けて見えます。
ずっと先に人が集まっているところがありますが、
そこが落柿舎です。
突然近所の方の自家用車が入ってきました。
クラクションを連発しますが、なかなか動けないようです。


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四辻から、畑沿いに北に約50m進みました。
道端に電気灯籠が並んでいます。
この辺りも、「嵯峨嵐山花灯籠」のコース上です。


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四辻から北に約100m進みました。
今度は、ここから東に進みます。
ちょうど畑の周囲を回るコースになります。


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先ほどの角から、東に約10m進みました。
ここは、有智子内親王(嵯峨天皇第8皇女)墓です。
有智子内親王は女性としては珍しい漢詩の天才で、
初代加茂斎院(上賀茂神社・下鴨神社の斎王)となった人物でした。


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有智子内親王墓の生け垣に、このような木札がありました。
この札に従い、さらに東に進みます。


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こちらは、落柿舎です。江戸時代の俳人向井去来の庵です。
文字通り、柿の木が目印です。
自分の嵯峨野で一番のお気に入りなので、今から入ります。


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門を入ってすぐに、かやぶきの家屋があります。
ここに向井去来が住んでいました。
一時期、松尾芭蕉も滞在していました。
赤い南天の実が、初冬の到来を示しています。


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かやぶきの家屋の縁側に腰掛けて、南側庭園を眺めています。
カエデや南天の赤が、周囲の木々の緑と対比できてきれいです。
畑の南側にある民家の屋根や、
さらに向こうの小倉山や嵐山が、借景となって見事です。
この写真も、クリックすると拡大できます。


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向井去来のお墓と思って撮ったのですが、
それはもっと北の方にあったそうです。
これは、平澤興元京大総長による「俳人塔」です。
古今東西の俳人のための供養塔だそうです。


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落柿舎北側の庭園には、様々な句碑があります。
一つ一つめぐると、なかなか面白いです。


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では落柿舎を出て、先を進みます。


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落柿舎の前で、西を向きました。
この道は、先ほど北上した畑の西側の道で突き当ります。
また、そこまで戻ります。


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落柿舎の前から西に進み、有喜子内親王墓を越え
突き当りで北を向きました。
ここから道はまた細くなります。
あと100mほど北に行くと二尊院に着くのですが、
それは次回とします。

~次回は、二尊院の茶室でお茶をいただきます~

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第94回 二尊院の茶室~紅葉の嵯峨野嵐山~その6

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前回の写真の落柿舎横の細い道です。今は北を向いています。
今回は、ここから約200m北にある二尊院に向かいます。
その後壇林寺にも行きました。
二尊院では、庭園を眺めなら抹茶を楽しみました。
撮影日は、2012年11月23日午後3時。
雨は、完全に上がりました。


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これは、道の側溝の上にあった模様です。
この辺の象徴のカエデが描かれています。


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先ほどのT字路から50mほど北に進みました。
右(東)側に、公衆便所がありました。
ここの紅葉がきれいだったので撮りましたが、
実はこの辺りから東に折れると向井去来の墓に行けました。
ただ、ここにいたときには気づきませんでした。


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さらに100mほど北に進みました。
この辺はスギ林で、少し薄暗いです。
この先に赤いのぼりが見えます。そこまで進みます。


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赤いのぼりの辺りまで来ました。
右(東)側に、茶店がありました。
タコ焼きから3時間たっていたので、ここにも寄りました。


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……というわけで、みたらし団子です。
ここで急いで食べて、次に向かいます。


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茶店から約50m北に二尊院の山門があります。
(実は茶店の屋号も「二尊院」でした)
中に入ろうと思ったのですが……


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ずっとえんえん行列でした……
ただ、光厳院とは違って列は流れていました。


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まぁ、そのうち入れそうだったので並んでみました。
予想通り10分くらいで山門をくぐれました。


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では、山門をくぐって中に入ります。


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枝垂桜の前の向こうの受付に行き、拝観料を支払いました。
いよいよ中に入ります。


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平安時代後期の歌人西行法師の庵跡です。
元武士で、なかなか気性の激しい人だったそうです。
「雨月物語」の一節『白峰』の主人公になっています。


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受付から西に向かっています。
二尊院はこの辺りが一番紅葉がきれいですね。
ここのカエデはとても低く、
歩いていると枝が顔に当たってしまします。
それだけに、葉の一枚一枚がはっきり見えます。
この写真はクリックすると拡大されます。


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この「紅葉の馬場」と呼ばれている所は、石段で終わります。
この先は、少し南に折れて中に入ります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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そして、ここが黒門です。ここをくぐって中に入ります。


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黒門をくぐるとすぐに、二尊院本堂があります。
この写真も、クリックすると拡大されます。

天台宗「小倉山二尊院華台寺」は、
釈迦如来と阿弥陀如来の2体を本尊にしています。
平安時代前期嵯峨天皇の勅命により、慈覚大師が建立しました。
もともとは浄土信仰の寺院で、
鎌倉時代は法然上人の浄土宗の寺院でした。
応仁の乱で焼失した後、江戸時代に再建されました。
天台宗には、明治時代になりました。
古来より皇族の信仰を集め、摂関家とも深い関係があります。
京都随一の豪商角倉家の菩提寺でもあります。


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では、ここから本堂に上がります。靴を脱いで入ります。
中には、「二尊院」の名称のもとになった2体の本尊、
法然上人の肖像などがありました。
さらに奥に入ると、庭園があります。
その奥に、「御薗亭」という茶室がありました。


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追加で500円払うと、この茶室でこれをいただけます。
茶菓子は一見羊羹に見えますが、黒砂糖を固めたものでした。
黒砂糖の香りとまろやかさで、個人的にはかなり好物です。
この時点で午後3時20分でした。
自分が抹茶をいただいた最後の人間でした。


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抹茶を飲みながら、見た風景です。
二尊院の庭園は、こちらが表のようです。
ここはもともと皇族の部屋で、
ここから見るようにこの庭園は造られているようです。
この写真もクリックすると拡大されます。


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本堂を出て、北隣に来ています。こちらは、「九頭竜弁財天」です。
こちらにも、参拝しました。


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九頭竜弁財天の北隣に、鐘楼がありました。
ここも常寂光寺同様小倉山に登れるのですが、
時間が無くなってきたので先に進みます。


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さらに北隣は、角倉了以の銅像です。
角倉了以は京都を代表する商人で、
豊臣秀吉の命で高瀬川や大堰川の治水を行いました。
また、江戸時代の朱印船貿易をリードしました。


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では、二尊院の黒門を出ます。東へもと来た道を進みます。


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石段を降りて、「紅葉の馬場」を東に進みます。
実は、こちらから見たほうが紅葉がきれいです。
この写真をクリックすれば、拡大できます。


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二尊院の総門まで戻ってきました。
では、二尊院を出ます。


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二尊院の総門を出た所です。今は東を向いています。
次は左(北)に向かい、先に進みます。


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二尊院の総門前から北を向きました。
まだまだ長い行列が続いています。


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ここは二尊院の北隣の妙祐久遠寺です。
ひっそりとしていますが、こちらは完全に非公開です。
(写真からも、そのように書いてある看板が見えます)
名称から日蓮宗の寺院と分かりますが、
それ以上のことは分かりませんでした。
(枝垂桜がきれいな寺院のようですが……)


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妙祐久遠寺との角を少し西に折れ、さらに20m先を北に折れました。
この道をずっと進むと、鳥居本や化野(あだしの)に行けるのですが
やはり時間的に厳しくなってきました。
とりあえず、近所の祇王寺を目指します。


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妙祐久遠寺から約100mで、道は少しずつ西にカーブしていきます。
さらに100mほど進むと、蕎麦屋さんがある角に出ました。
今は西に進んでいるので、
ここを右(北)に曲がると鳥居本や化野に通じます。
ここをまっすぐ西に進むと、約150mで祇王寺です。
では、ここから祇王寺に向かいます。


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蕎麦屋から西に向かう道は、急に細くなります。
この辺りは真新しい民家が続くのですが、
そのうちの何軒かがガレージセールを開いていました。
アンティークなどが、結構売れていました。


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ガレージセールを通り過ぎると、急に上り坂になります。
民家もまばらになっていきます。
だんだん小倉山の中に入っていきます。


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蕎麦屋の角から、約50m進みました。
右(北)側に寺院の小さな門があります。
ここから見える紅葉がきれいなので、ちょっと寄ってみます。


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拝観料を払って、壇林寺の中に入っていきます。
拝観者が少なくて、ずっと向こうまで紅葉並木が見通せます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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道の途中にあった瓢箪池です。
ここも赤い落葉がじゅうたんのようです。
壇林寺も、この11月23日が見ごろでした。


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紅葉の道は、水子地蔵さんの前で終わります。
ここは尼寺なので、いらっしゃるのでしょうか?
とりあえず、参拝します。


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水子地蔵さんの奥に、本堂がありました。
壇林寺は、嵯峨天皇皇后橘嘉智子が建立しました。
以降、皇族によって運営されてきました。
まぁ、そういう寺院ですから中の仏像は結構豪華でした。
(絢爛豪華という意味ではありません。
種類や数が多いという意味です)


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本堂を出て、西側の出口に向かいます。
入ったときとは、別の出口ですね。


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ここから、壇林寺を出ます。
ちょうど祇王寺の門の前に出るのですが、
ここから先は、次回とします。

~次回は、滝口寺と祇王寺を回ります~

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第95回 滝口寺、祇王寺~紅葉の嵯峨野嵐山散策~その7

トラブル発生!
滝口寺や祇王寺の辺りでカメラのバッテリー切れのサインが出ました!
この日は曇り空で薄暗く、昼間でもフラッシュを大量に炊きましたし、
しかも、この辺りは木陰の中にありますし、
だんだん日も傾いてきましたし……
ここからは、残り枚数との戦いになってきました。


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壇林寺の門の前で、西を向いています。
ここから急に道が細くなって、ますます山道になります。
今回は、この先の滝口寺と祇王寺に向かいます。
撮影日は、2012年11月23日金曜日勤労感謝の日午後4時。
そろそろ日が傾いてきました。


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山道は、約50mで突き当ります。
この石碑は、その突き当りにあります。
ひらがなの草書で、「ぎおうじ」と書いてあります。
カエデの木が生い茂ってだいぶ暗いので、
かなり読みにくいですが……


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石碑の位置から西を向きました。
行列ができているのは、祇王寺の門です。
バッテリー切れ間近なのですが、
こう暗いとフラッシュを焚かずにはいられません。


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祇王寺の門から、さらに西に約10mでこの山道は終わります。
この先には滝口寺があるのですが、先ずはそちらに向かいます。


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では、滝口寺の門から中に入ります。
こちらは、祇王寺ほど混んでいません。


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門の左側に、新田義貞の首塚があります。
新田義貞は後醍醐天皇の命で鎌倉に攻め込み、
鎌倉幕府を直接滅ぼした人物です。
後に、足利尊氏と戦って戦死しました。
その後新田義貞は首をはねられ
京都市街でその首をさらされたのですが、
妻の勾当内侍(こうとうないし)がその首を持ち去り、
ここに墓をたてたそうです。


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新田義貞の首塚の脇に、勾当内侍の供養塔があります。
これはお墓ではないので、遺骨はここにはありません。
勾当内侍は、新田義貞の首塚をたてた直後に
琵琶湖で投身自殺しています。
お墓は琵琶湖畔の滋賀県大津市堅田にあります。


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新田義貞の首塚の前から反対側を見ています。
右側が、先ほど入った門です。
正面の山道を上り、滝口寺の本堂へ続きます。


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この山道は、蛇行しながら20mほど続きます。
山道の一番上に、滝口寺の本堂があります。
寺院の本堂というよりは、小倉山にある山荘ですね。
(こういうところに住みたいものです)

滝口寺は、もともと往生院三宝寺といいました。
平家物語にも出てくる平清盛の家臣滝口入道所縁の寺院です。
(「入道」とは出家した人という意味です)
横笛と呼ばれた女官との悲恋で有名な方です。
明治時代の廃仏毀釈で一旦廃寺になりますが、
その後再興され「滝口寺」と改名しました。
ご本尊のような仏像が見えませんが、
正面奥に滝口入道と横笛の木像が並んでいます。


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少しこの辺りを散策します。
小倉山の大半が竹藪なので、ここも竹林が見えます。
この石塔は滝口入道と平氏一門の供養塔です。


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滝口寺の一番奥に来ました。
ここは、小松堂です。平清盛の子の平重盛を祀っています。
滝口入道が平清盛の家臣であったせいか、
ここには平氏関連施設が多くあります。


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ここ滝口寺は、小倉山の斜面にあります。
細い坂道をあちこち移動しながら
山の風景を楽しむことが、ここの醍醐味ですね。


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一通り回ったので、山道を降りていきます。
向こうに見えるのは、門と拝観料を払うところです。
よく見ると、その先に新田義貞の首塚の一部が見えます。
では、滝口寺を出ます。


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滝口寺の門を出ました。
目の前に、祇王寺に入ろうとする方々の行列が並んでいます。
まぁ光厳院や二尊院と比べたら短いので、今からここに並びます。


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門を入ったところで、拝観料を払います。
では、いよいよ祇王寺の中に入っていきます。


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拝観料を払ったところに、白い猫がいました。
細くて小さくて、まるでイタチですね。
実はかなり速く移動するので、何枚も失敗してしましました。
(あぁ、写真の残量が……)


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祇王寺の境内に入ってきました。
この辺りは日陰なので、それほど紅葉が濃くありません。
寺院の中なのですが、ここは小倉山の中でもあります。
滝口寺同様、寺院というよりは「山荘」にいる気がします。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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祇王寺の境内を約半周しました。
この辺りの紅葉は、多少色濃いですね。
向こうに見える茅葺家屋が本堂です。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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今度は本堂側から先ほどいた場所を撮りました。
もう初冬と言っていいのですが、日が差さないと
この時期でもカエデが深緑のところもあります。
それが山深くにいる気分にさせてくれます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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さらに、本堂側に振り返って撮りました。
本堂の吉野窓から、中が見えます。
窓の下に、先ほどの猫が走ってきました。
その時、大根を煮込む香りがしてきました。
中の方が夕餉の調理を始められたのでしょうか?
たぶんこの猫は、ここで飼われているのでしょうね。


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この手水鉢の脇に、本堂の玄関がありました。
ここから中に入り、仏間の本尊を参拝しました。
本尊の大日如来以外にも、平清盛・祇王・祇女・刀自・仏御前の
木像が安置されています。

ここ祇王寺は滝口寺同様、もとは三宝院の境内の一部でした。
明治時代の廃仏毀釈でいったん廃寺になりますが、
大覚寺の住職らの尽力で、この地に再興されました。

祇王寺の由来の「祇王」は白拍子(踊り子)で、平清盛の愛人でした。
ところが、平清盛の心が仏御前という別の白拍子に移った途端
祇王は母刀自と妹祇女とともに邸宅から追い出されてしまいました。
その後、祇王は家族とともにここに移り住み出家します。
さらに、なぜか仏御前とも親しくなり
みんなで尼僧になって仲良く余生を過ごされたそうです。


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ここは、本堂の前になります。
左の宝篋印塔は、祇王・刀自・祇女の墓です。
右は平清盛の供養塔です。(お墓ではないので、遺骨は入っていません)


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では、祇王寺を出ます。
もう午後4時を大きく回りましたが、まだまだ参拝者はいるようです。


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祇王寺の門の前から東を向きました。
この細い道を下って、とりあえず壇林寺の前に向かいます。
(前回ブログで、拝観した寺院です)


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祇王寺の門から、東に約50m下ってきました。
壇林寺の前で、自動車が通れるほどの道幅になりました。
この辺りにはいろいろ小さな塚があったりするのですが、
写真残り枚数が気になるので撮りません……


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さらに約50m東に下ってきました。左の石垣は、壇林寺の端です。
小倉山から市街地に戻ってきて、日が差してきました。
また、新しい民家がちらほら姿を表しました。


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さらに東に約50m進み、蕎麦屋さんのT字路に戻ってきました。
(左側が、蕎麦屋です)
午後4時半近くになって、ガレージセールは閉店になっていました。
左(北)に進むと鳥居本や化野(あだしの)なのですが、
もう時間切れのようです。
念佛寺と大覚寺をあきらめて、このまま東に進みます。


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東へと進んでいたこの道は、約50mで南にカーブします。
この辺りはおいしそうな茶店や洋菓子店が並んでいるのですが、
時間がないので全部あきらめて先に進みます。


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さらに100m南で妙祐久遠寺に突き当たります。
そこでこの道は、また左(東)にカーブします。
すぐ先のT字路を南に曲がると、
前回ブログで行った二尊院の総門前になります。


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そのT字路で東を向いています。
ここで右(南)を進むと、二尊院・落柿舎・常寂光寺へと行けます。
(今まで通ってきた道ですね)
今回は、このままこの道を東に進みます。
あと400mほどで、清凉寺に到着します。


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さらに東に約50m進みました。
この辺りは古い民家が並び、独特の雰囲気があります。
この先100m進むと、道は東北東に曲がります。


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東北東に進路をとってから、約50m進みました。
この辺りは、古くて大きな民家が続きます。
たぶん何代も住み続けていらっしゃるのでしょうね。
いつもは静かな道なのですが、
この時期はたくさんの人でにぎやかです。


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さらに東北東に約50m進みました。
左(北)側に、慈眼道が見えます。
ここには、藤原定家の念持仏中院観音像が安置されています。
定家の子藤原為家がこの辺りの人々に渡したそうです。
以来、この念持仏はここに祀られています。


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東北東に曲がってから、約150m進みました。
いよいよ清凉寺の門が見えてきました。
ただ、ここからは入りません。
その前に、寄りたいところがあります。


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清凉寺の門の前から、南を向きました。左(東)側は清凉寺です。
この辺りは、自転車や人力車が多く走っています。


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この南へ進む道は、約100mで突き当ります。
そこで、西側に宝筺院の門が見えます。
ここには、楠正成の子楠正行と
室町幕府第2代将軍足利義詮の墓があります。
もうすぐ閉まるので急いで入りますが、
それは次回にします。

~次回は、宝筺院と清凉寺などに寄った後、
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅から帰ります~

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第96回 絶景の宝筺院~紅葉の嵯峨野嵐山~その8

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前回ブログ最後の写真宝筺院の前になります。
今回はここに入った後、向いの清凉寺も訪れます。
撮影日は11月23日金曜日勤労感謝の日午後4時半過ぎ。
そろそろカメラのバッテリーが切れようとしています……


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拝観料を払って中に入ると、いきなりこんな風景が見えます。
ここは、入り口から本堂に通じる道です。
正直今回いろいろ回って、ここが一番見事でした。
そして、これがこの宝筺院のベストポジションです。
本当は30人くらいの人がいるのですが、
みんな遠慮してこの道を通りませんでした。
(帰り用の順路を逆に回っていました)
この写真は、クリックすると拡大されます。


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先ほどの場所から逆に道順をたどろうとしたのですが、
この写真を撮影した途端カメラのバッテリーが切れました。
これで、この日の撮影は終わりです。


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ここからは後日に嵯峨野嵐山を再訪して、改めて撮り直しました。
撮影日は、2012年11月29日木曜日午後3時半。
この日も曇り空でしたが、紅葉の盛りでした。

ここは、入り口から少し進んだところです。
この少し先に本堂があります。


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本堂に入って、西側の庭園を見ています。
この脇に、本尊の十一面千手観音像がいらっしゃいます。

ここ宝筺院は平安時代に白河上皇が建立しましたが、
南北朝時代に黙庵によって隆盛しました。
室町幕府2代将軍足利義詮や楠正行の菩提寺になっています。
応仁の乱後に衰退して廃寺になりましたが、
明治時代に当時の京都府知事北垣国道が再興しました。
(琵琶湖疏水を造営した人物です)


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では、ここを出て西側の庭園を散策します。


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外に出た所に、桜が咲いていました。
紅葉と桜が同時に見られました。
聞いた話では、葉が落ちて一定期間が過ぎると
例え秋でも桜は花が咲くそうです。


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先ほど本堂から見た角度で西側庭園を見ています。
まだこの奥があるので、しばらく散策しまます。


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西側庭園の一番奥に、「天使の像」がありました。
何か場違いのようですが……


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この辺りの紅葉は、こんな感じです。
葉が綺麗に染まり、落葉がじゅうたんのようです。
ここも、自分のお気に入りの一つとなりました。
この写真もクリックしたら、拡大されます。


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この辺りで道は南に折れ、また東に行って元に戻ります。
あまり写っていませんが、
本当はこの辺りにはたくさんの人がいました。


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ここは、本堂から見た地点のちょうど反対側です。
ここから本堂を見ると、たくさんの人がいらっしゃるのが分かります。


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さらに南に進むと、十字路に出ました。
ここを左に進むと、元来た入口に出ます。
今回は、右に曲がります。


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ここに、楠正行の首塚があります。
楠正成の子で、湊川の戦で足利尊氏に討たれた人物です。
実は、その隣に足利尊氏の子の足利義詮の墓があります。
敵同士が仲良く「草葉の陰」ですね。


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小楠公(楠正行)の首塚を出ました。
ここをまっすぐ行くと出口ですが、順路を進みます。


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行きとは別の道で、東に向かっています。
こちらも紅葉が盛りです。


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こちら側から、最初に通った道を写しています。
カエデが鬱蒼としていて、向こうが見えません。


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少し上を向くと、道は見えない代わりに本堂が見えました。
この構図も、個人的には好きです。


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80mほど進んで、この道も突き当りまで来ました。


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分かりにくいですが、この竹垣は動きます。
そこを通り抜けて、外に出ます。


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宝筺院を出ました。今は東を向いています。
目の前に、清凉寺の土塀が見えます。
左(北)の道から、ここに来ました。
ですから、今からこの道を東に進みます。


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宝筺院の前から、約30m東に進みました。
「炙り餅」の幟が見え、ここからも清凉寺の中に入れます。
ただ、やはり山門を撮りたいので先を進みます。
茶店は後からよります。


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さらに東に約20mほど進み、清凉寺の山門に着きました。
京都では「嵯峨釈迦堂」の名前の方が有名ですね。


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山門の上の方に、このような看板がありました。
前々回ブログで行った二尊院や
時間の都合で行けなかった念佛寺・大覚寺も書いてあります。


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山門の脇にも、同じような内容の標識が立っています。
「小楠公首塚」とは、先ほどの宝筺院のことです。


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清凉寺山門の仁王さんです。赤く体を染められています。
こちらは「阿形」です。


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そして、「吽形」の仁王さんです。こちらも、赤いですね。


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山門をくぐると、桜の木がありました。
もう葉が落ちていますね。
その先に本堂がありますが、その前にあちこち散策します。


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こちらは、三門の東脇にいらした末寺の神社です。
表札の文字が完全に消えていて、何の神社か分かりませんでした。
とりあえず賽銭を本殿脇に置いて、お参りしました。


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本殿の西側には、多宝塔がありました。
こちらも撮影しました。


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浄土宗清凉寺の本堂です。
京都では、「嵯峨釈迦堂」の名称の方が有名です。

浄土宗の開祖法然が24歳のとき、
ここに籠って本尊の釈迦如来像の前で修行をしました。
以来、ここは浄土宗の寺院として信仰を集めています。


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本堂前に、線香とろうそくが売られていました。
自分も線香を求めて、お参りをしました。


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線香は七輪で火をつけ、そこに立てます。
向こうの階段を上がってもよかったのですが、
時間の都合でここでお参りを済ませます。


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本堂の東側に、お堂があります。
今度はこちらに向かいます。


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こちらは、阿弥陀堂です。
阿弥陀三尊像が中央に安置されています。
こちらは上に上がってお参りしました。


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阿弥陀堂から本堂の方を見ています。
この辺りは、紅葉がすっかり赤く染まっています。


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仁王門脇の法然上人像付近に、茶店がありました。
先ほどの道から行けるお店です。ここに寄ってみます。


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注文したあぶり餅とお茶です。
せっかくなので、紅葉の下でいただきました。


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炙り餅を食べていたら、カエデの木の下に黒猫が現れました。
だいぶ小さいので、子猫ですね。
カメラを向けた途端、あっちを向いてしましました……


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では、清凉寺を出ます。
ここをずっとまっすぐ進むと、約1km先に渡月橋があります。
ただし、ここから先は、また次回とします。

~次回は、オルゴール博物館、法然院に寄った後、
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅に向かいます~

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第97回 法然寺から嵯峨嵐山駅へ~紅葉の嵯峨嵐山~その9

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ここは、清凉寺の仁王門から南を向いています。
右(西)の道からここに来ました。
ここを南にまっすぐ進むと、約1km先に渡月橋があります。
今回はここを真っ直ぐ進み、
JR嵯峨野線の「嵯峨嵐山」駅を目指します。
撮影日は、2012年11月29日木曜日午後4時。
2012年最後の更新です。


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清凉寺の仁王門から南に約80m進みました。
古い民家や土産物屋さんが並んでいます。
この辺りは、自動車一台分の細い道です。


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清凉寺の仁王門から南に約100m進みました。
右(西)側に、愛宕神社の御旅所が見えてきました。
こちらは、嵯峨祭の際に神輿が立ち寄るところです。


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愛宕神社御旅所から南に約10m進みました。
この辺りは、和菓子屋やいろいろな土産物屋さんが並んでいます。
こちらは、老舗の螺鈿職人のお店です。
見事な螺鈿細工が店頭に並んでいます。


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さらに南に進みます。閑静な住宅街が続いています。
観光されているのでしょうか、たくさんの方が同じ道を歩いています。


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さらに南に進むと、西側にこのような看板が出ていました。
ここを西に進むと、第93回ブログの落柿舎に行けるようです。


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愛宕神社御旅所から南に約50m進みました。
こちらは、京都市立嵯峨小学校です。
こういうところは中を撮りにくいのですが、
実は紅葉が絶景でした。
(ちなみに、春は桜が絶景になります)
さすがは、嵯峨野の小学校です。


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京都市立嵯峨小学校の校門から、南に約200m進みました。
この先に横断歩道が見えます。丸太町通との交差点ですね。


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丸太町通との交差点まで来ました。
こちらは、かなり太い道になります。



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丸太町通との交差点に来ました。今は、丸太町通を東に向いています。
左(北)側には京都市立嵯峨小学校の運動場が見えます。
(たくさんの児童が遊んでいました)
ここをずっと進むと、京都御苑にたどり着きます。


97-11.jpg
交差点の東南角に、このような看板がありました。
これで大体の位置関係が分かります。


97-12.jpg
交差点の南西角に、稲荷社がありました。
こちらに、寄らせていただきます。

目の前の方は、日本人と中国人の混成集団です。
別に知り合いというわけではなく、
全員JR「嵯峨嵐山」駅までの道のりが分からなくなって
あれこれ話し合っていました。
……結局自分が道案内して、一件落着だったようです。


97-13.jpg
鳥居に「赤崎稲荷」と書いてあります。
京丹後市の「赤崎稲荷」の分社でしょうか?
とりあえず、参拝します。


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その横に、本殿とお地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらの方にも、参拝します。


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丸太町通との交差点から、南に約100m進みました。
JR嵯峨野線の踏切が見えてきました。


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JRの踏切を渡って西を向いています。
向こうに竹林が見えますが、
自分が小さなころはこの辺一帯が竹林でした。


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JRの踏切を渡ったところにおしゃれな洋菓子店があり、
そこの2Fに「オルゴール博物館」がありました。
自分はこういうのが大好きで、
倉敷に遊びに行ったときも寄りました。
もちろん、ここも寄ります。


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1000円払って、「オルゴール博物館」を見学しました。
オルゴールや機械仕掛けの人形が飾ってあり、
学芸員が細かく案内してくれました。
結局一時間以上楽しんだ結果、日が暮れてしましました。
ウチのカメラはフラッシュが遠距離に届かず、
ここから先は、写真が真っ黒になってしまいました。
仕方がないので、また別の日に撮影し直します。


97-19.jpg
少し角度は違いますが、
オルゴール博物館の前から道の方に向いています。
今から、南に進んでいきます。
撮影日は、2012年12月6日木曜日午後3時。
最初の日から、だいぶ寒くなりました。


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ここは、オルゴール博物館の南隣です。
今から、ここに寄ってみます。


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約50mほど西に路地を進み、法然寺の前に来ました。
こちらの方に、参拝します。


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法然寺の境内に、保育園がありました。
時間帯のせいか、小さな子供の歓声がよく聞こえていました。


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さらに西に進み、法然寺の本堂の方に向かいます。


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境内には、枝垂桜が何本かありました。
春には絶景になるでしょうね。
この奥の本堂でお参りをしました。
ここは弥陀如来像が本尊で、
他にも法然上人像などもいらっしゃいました。


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今度は、本堂から枝垂桜を見ています。
ちょうど団体さんがやって来ました。
邪魔になってもよくないので、そろそろここから出ます。


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法然寺を出て、突き当りの道に戻ります。
向こうの女子高生は自転車に乗っていて、
どうも修学旅行生がレンタルサイクルを利用しているようです。


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もとの道に戻ってきました。
JRの踏切が近い関係で、自動車がよく渋滞します。
ここをさらに南に進んでいきます。


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法然寺からの道から南に約50m進みました。
頭上に、このような看板がかかっていました。
これに従って、左(東)に進路を変えます。


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先ほどの道から、東に向きました。今からここを進みます。


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先ほどの地点から、東に約10m進みました。
生け垣に白い花が咲いていました。


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東に約100m進みました。向こうに、清滝道の高架が見えます。
目の前のお店は、米屋です。[京都米のお店ですね]
白人女性が、珍しそうに中をのぞいていました。


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清滝道の高架下に、平成院という寺院がありました。
この近くの大覚寺の末寺なので、真言宗の寺院ですね。


97-33.jpg
清滝道の高架を越えて、さらに東に進んでいます。
この辺は普通の住宅街なのですが、
観光客などの人通りはかなり多いです。


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清滝道の高架を越えて約100m東に進みました。
小川を渡る橋が見えます。ここをさらに東に進みます。


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橋を渡り、さらに東に進みます。
人通りが多いことをのぞけば、この辺はただの住宅街です。
さらに約50m先の突き当りまで行きます。


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突き当りに見えていた所には、脇から細い路地が伸びていました。
この看板に従い、この路地を進みます。


97-37.jpg
ここがその路地です。とても細い道です。
この周囲はレンタル自転車がたくさん置かれています。
それらを見ながら、ここを進みます。


97-38.jpg
この細い路地は約150m続きます。
南側はレンタルサイクル店ですが、
北側は鉄道模型やアンティークなどの博物館です。


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細い路地を抜け、北を向きました。
ロータリーの向こうに、JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅があります。
ちょうど嵯峨野線の列車が駅のホームに入ってきています。

今回は、ここから家に帰ろうと思います。
ここから、JR京都駅まで直通です。
長いシリーズも、ようやく終わりです。

~次回は、初詣です。
ウチの氏神様伏見稲荷大社に行こうと思います~

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第267回 紅葉の嵯峨釈迦堂~北嵯峨紅葉散策~その1

今年(2014年)も、いよいよ紅葉の季節がやって来ました。
前回ブログで「嵯峨釈迦堂」清凉寺や宝筺院まで進んだので、
今年は嵯峨野北部を中心に回っていきたいと思います。
祇王寺辺りから北上し化野・鳥居本に進み、
そこから東に進んで大覚寺に向かいます。
また、毎年11月23日に紅葉散策していましたが、
今年は仕事の関係で11月16日に訪れました。


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京都駅33番ホームから、JR嵯峨野線に乗って約20分。
こちらは、6駅先の「嵯峨嵐山」駅です。
今回はここから丸太町通・清滝道を進み、
「嵯峨釈迦堂」清凉寺を目指します。
撮影日は、2014年11月16日日曜日午前10時半。
紅葉は、7割方進んでいました。


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JR「嵯峨嵐山」駅のホームにいます。
京都の紅葉シーズンのピークは11月23日ごろからなのですが、
(この日は、その1週間前)
それでもこれだけの方々がいらっしゃいます。
まぁ、昨年の11月23日は京都駅が人だらけで、
改札口を通るのにかなりの時間を要しました。


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一通り人混みが去ってから、
JR「嵯峨野嵐山」駅のホームからコンコースに上がりました。
この先に、駅改札口があります。


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JR「嵯峨嵐山」駅改札口を出て、そのまま西に向きました。
ここは嵐山(南)方面と北嵯峨(北)方面に降りられる陸橋の上です。
その陸橋の西側は、まるまるガラス張りで遠景を楽しめます。
手前がこの駅のホームで、
左(北)側に「トロッコ嵯峨」駅のホームです。
この線路はずっと先の小倉山にあるトンネルに消えますが、
その小倉山はまだまだ緑の部分が残っていますね。


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先程と同じ場所で、北を向きました。
では、こちらの階段を下りて先に進みます。


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階段を下りて、JR「嵯峨嵐山」駅北口に出ました。
目の前の看板に「北口」と書いてあったのですが、
光の加減で真っ黒になってしまいました。


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JR「嵯峨嵐山」駅北口の前はロータリーになっていますが、
こちらは南口と比べて下りてこられる方がだいぶ少ないですね。
その駅北側のロータリーから、北に伸びる道があります。


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JR「嵯峨嵐山」駅北側ロータリーから、北を向いています。
ここから約100m先に、丸太町通との交差点が見えます。


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JR「嵯峨嵐山」駅北側ロータリーから、北に約150m進みました。
ここは、丸太町通との交差点です。


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その地点で、丸太町通を東に向きました。
ここから約6km先に烏丸通、
そこからさらに約500m先に寺町通があります。


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今度は丸太町通を西に向きました。ずっと向こうに小倉山が見えます。
このまま進むと、約400m先で
第97回ブログの京都市立嵯峨野小学校の南側に出ます。
さらにその脇の細い道を西に進むと、第92回ブログの初めに出てきた
「トロッコ嵐山」駅前(小倉池周辺)に出ます。


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JR「嵯峨嵐山」駅前の通りから、丸太町通を約100m進みました。
こちらにもお地蔵さんがいらしたので、お参りします。


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そのお地蔵さんから、丸太町通を西に約200m進みました。
ここは、丸太町清滝道の交差点です。
目の前に歩道橋がありますので、ここから渡ります。


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歩道橋の上から、清滝道を南に向いています。
この清滝道は丸太町通~三条通間は高架になっていて、
JR嵯峨野線の線路をまたぎます。
そして、この清滝道は三条通で突き当ります。
(第47回ブログ参照)


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横断歩道を下りて、丸太町清滝道交差点北西角から北を向いています。
次はここを北上し前回ブログで訪れた一条清滝道交差点を目指します。


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丸太町通から、清滝道を約100m北上しました。
東側に、京都愛宕郵便局があります。
ただこの日は日曜日ですから、中には誰もいらっしゃいません。


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さらに清滝道を約100m北上します。
この辺りから、少しずつ北西にカーブしていきます。


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さらにさらに、清滝道を約100m北上しました。
この先に、一条清滝道交差点が見えてきました。


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一条通から、清滝道を見ています。
ここから清滝道は蛇行して、愛宕念佛寺の方に向かっていきます。
左(西)側に茂みが見えますが、あの辺りが「嵯峨釈迦堂」清凉寺です。


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今度は清滝道から、一条通を東に向きました。
前回ブログで写した桜の木のある公園も左(北)側に写っていますね。


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清滝道で一条通を西に向きました。ここから西が嵯峨野の観光地です。
では前回ブログ同様、ここを西に進みます。


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先ほどの地点からすぐ目の前に、こちらの野菜即売所があります。
まぁここは観光地ですが、北嵯峨北東部一帯は田畑が続きます。


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清滝道から、一条通を西に約50m進みました。
こちらに、嵯峨豆腐の店「森嘉」があります。
ここで買っても荷物になりますので、
夕方の帰りにまた厚揚げと飛龍頭を買いました。
(また豆腐自体は売り切れでした)


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「森嘉」の前から、一条通を西に約50m進みました。
こちらが、「嵯峨釈迦堂」清凉寺です。
嵐山の渡月橋をそのまま北上すれば、約1kmでここに突き当ります。


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では、浄土宗五台山清凉寺に入ります。
先ずは、こちらの仁王門に向かいます。


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門の右(東)側に、仁王様がいらっしゃいました。
こちらは、阿形ですね。


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そして、左(西)側は吽形の仁王様です。
どちらも朱塗りで、背が高いですね。


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清凉寺の境内に入ってきました。
この日(2014年11月16日)は、日なた中心に紅葉に染まっていました。


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門に入ってすぐに右(東)を向きました。
こちらは第96回ブログでは「不明の神社」と書きましたが、
調べたところこちらは愛宕社のようです。


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愛宕社の前から、北を向いています。
桜の木の向こうに、清凉寺の本堂が見えますね。


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そして、こちらが浄土宗五台山清凉寺の本堂です。
「嵯峨釈迦堂」の名前の通り、ご本尊は釈迦如来像です。
ここの詳しい沿革は、第96回ブログを参照してください。
中に入ると拝観料が掛かるので、ここは外だけお参りしました。


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清凉寺本堂の東側に、阿弥陀堂があります。
次は、こちらにお参りしました。


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阿弥陀堂にお参りして、西に振り向きました。
この阿弥陀堂付近が、清凉寺境内でいちばん紅葉がきれいです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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本当はこの奥に霊宝殿などがあるのですが、
時間があまりないのでここから引き返し南を向きました。
右(西)側に多宝塔が見えますが、
その奥の屋根瓦の家屋は茶店です。


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茶店に向かい、そこにある席に座り周囲を見渡しました。
紅葉は日に当たる部分は赤く染まっていますが、
そうでないところはまだまだ青いままです。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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その茶店では、こちらの「炙り餅」を頂きました。
二人前あるのは、この日はウチの母が同行しているからです。
こちらは西京味噌に砂糖が入っていました。
あくまで発酵した麹にこだわる今宮神社のものとは、
全くの別物ですね。


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実は朝食を抜いてきたので、炙り餅をゆっくり頂きました。
では、ここから清凉寺を出ます。


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清凉寺仁王門から、南を向いています。
ここを真っ直ぐ進むと、約1km先に嵐山の渡月橋があります。
右(西)側に見える茂みは、愛宕神社御旅所のようですね。


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今度は清凉寺の前から、西を向きました。
この先に幟(のぼり)が立っていますが、
そこから清凉寺の茶店に入れます。


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清凉寺の仁王門の前から、西に約50m進みました。
右(北)側の土塀は、清凉寺のものです。
いよいよ一条通の突き当り宝筺院が近付いてきました。
個人的には、ここが嵯峨野嵐山で一番の絶景と思っています。
ここからそこに入るわけですが、
今回はだいぶ写真を貼りつけたので、今回はここまでとします。

~次回は宝筺院を散策した後、さらに北西に向かいます~

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第268回 紅葉の宝筺院~北嵯峨紅葉散策~その2

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こちらは、一条通の西端にある宝筺院の門です。
つまり、金閣寺黒門から南西に伸びるきぬかけの路をずっと進むと
ここに至ります。
今回はここを散策した後、北西に進み小倉山の東側まで進みます。
撮影日は、2014年11月16日日曜日午前11時半。
ここの紅葉も、見頃まで少しありました。


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先ほどの門をくぐると、こちらの券売機がありました。
2年前にここを訪れたときには、こちらはありませんでした。
大人と子供、それぞれ10人分まで買えるのですが、
ここには団体さんがそれくらい来られるのでしょうね。


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券売機の前を通り抜けると、いきなりこのような光景になります。
ここが、個人的に選ぶ嵯峨野嵐山一の紅葉の絶景ポイントです。
……とは言え、まだまだ7割くらいしか染まっていません。
2年前に来たときと比べて、青いところも多いですね。
この写真はクリックすれば、拡大されます。


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さらに目の前の石畳の道を西に進みました。
ここは、辺り一面カエデに囲まれます。
ここも、クリックすれば拡大されます。


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カエデの根元を撮りました。苔の上に何枚かの落葉が見られます。
紅葉は、落ち葉になってもきれいですね。


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さらに石畳の道を西に進みました。
こちらの庭園は、東西に細長くなっています。


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宝筺院の入り口から石畳の道を西に約50m進みました。
北への脇道があるT字路にやって来ました。


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そのT字路で、北を向きました。こちらは、宝筺院の本堂です。
ご本尊は、十一面観音像です。
ここの寺院はかなり不思議な沿革をたどっているのですが、
それは第96回ブログに載っています。


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宝筺院の本堂は、畳の上なのでついついゆっくりしてしまいました。
再び靴を履いて外に出ると、最初にこちらが目に入ります。


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今度は、本堂の前から西を向きました。
ここからT字路には戻らずに、こちらに進みます。


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本堂の西側は、このようになっています。
枯山水の石庭があって、その周囲を回れるようになっています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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石庭の周囲を回って、宝筺院庭園の最西端まで来ました。
こちらに、このようなものがありました。
岩を組んで、枯山水の滝に見立てています。


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その滝周辺の道です。
せまい道に、カエデの木々が迫ってきていますね。


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石庭の周囲を半周しました。
本堂前の石畳前の道の最西端とここで合流します。
その地点に、こちらがありました。


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こちらは、楠正行(くすのきまさつら)の墓です。
清凉寺周辺に「小楠公首塚」と書かれたのは、ここのことです。
実は、その隣に足利義詮(あしかがよしあきら)の墓もあります。
殺し合った仇敵同士が、仲良く草葉の陰ですね。


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「小楠公首塚」の前で、東を向きました。
目の前の石畳の道を直進すると程なく先程の本堂に出て、
さらに進むと、出発地点に戻ります。


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「小楠公首塚」の前で、今度は南を向きました。
こちらにも、先ほどの入り口まで続く脇道があります。
こちらのカエデも見事でした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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先ほどの道はすぐに東に向かい、石畳の道と平行して並びます。
道の途中に、白い花が咲いていました。
こちらは寒椿(かんつばき)でしょうか?山茶花(さざんか)でしょうか?
同行していたウチの母と話し合ったのですが、結論が出ませんでした。


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「小楠公首塚」の前から約70mで、この道も突き当ります。
その横にある最初にここに入った入り口から、ここを出ます。


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入り口付近の鉢植えに、こちらの菊が咲いていました。
きれいなので、一枚撮らせていただきました


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底の入り繰りの奥が、たぶん庫裏になっています。
そこに、拝観券を渡すところがあります。
そして、そこを抜けると宝筺院の外に出ることができます。


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宝筺院を出て、北を向いています。
この右側が一条通で、そちらからここに来ました。
目の前の土塀は右(東)が「嵯峨釈迦堂」清凉寺で、
左(西)側が今までいた宝筺院です。
では、ここを北に進みます。


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宝筺院の前から北に約70m進み、南西を向いています。
この背後の清凉寺境内に薬師寺があるのですが、今回は寄りません。
ずっと先に小倉山が見えますが、今からその山中に向かいます。


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薬師寺の前から、南西に約100m進みました。
観光地なので飲食店が軒を並べますが、普通の民家も多くあります。


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その辺りで、地面を見ました。
この辺の排水溝は、このようなデザインになっています。
2年前に訪れた二尊院付近も、似たような感じでしたね。


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その排水溝付近で、南西を向きました。
この辺りは緩やかな上り坂で、徒歩なら気にならないのですが
2014年10月末に自転車で下見に来たときは結構厳しかったですね。
手前の赤い郵便ポストがある辺りに、小さなお堂があります。


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こちらが、その小さなお堂「慈眼堂」です。
こちらの来歴は、第95回ブログに書かれています。


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「慈眼堂」の西側に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらもお参りして、先を進みます。


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「慈眼堂」の前で、西を向きました。
ここから約100m先で、この道は真西に進路を変えます。


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約100m南西に進み、進路が真西に変わりました。
寒椿の生け垣付近にたくさんの方がいらっしゃいますが、
あちらは特に観光地という訳ではなく可愛い柴犬がいました。
では、ここを西に進みます。


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先ほどの地点から、西に約100m進みました。
ここはT字路になっていて、北への分かれ道があります。


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そのT字路で、北を向きました。ここは、100mほどの短い道です。
では、ここを30mほど上がります。


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T字路から、約30m北に進みました。
左(西)側に、見事なカエデが1本伸びているところがあります。
こちらは一軒民家ですが、観音院という寺院です。
ただし、こちら側は中に入れません。


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その向かい(東)側も寺院には見えないのですが、
こちらも観音院の施設です。
こちらは、誰でも入れるようになっています。
真言宗御室派観音院は、白石慈恵尼が住職の尼寺です。
この白石慈恵尼は書道家でもあって、
こちらで彼女の作品が展示されています。


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観音院の前で南を向いています。
では、こちらを進み先ほどのT字路に戻ります。


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そのT字路に戻ってきて、西を向きました。
約50m西でこの道は突き当り、南北に伸びる道と交差して
そこもT字路になります。


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「嵯峨釈迦堂」清凉寺境内の薬師寺の前からほぼ西に約450m進み、
その道の突き当りまで来ました。
ここから南を向くと、目の前に日蓮宗久遠寺が見えます。
(ここは非公開の寺院です)
さらにその南隣が2年前にも訪れた二尊院なのですが、
今回は時間がないのでそちらには向かいません。


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同じ地点で、今度は北に向きました。
西に向かっていた道が、ゆっくりと北に向けてカーブしています。
ここを進み次の四辻でさらに西に進めば
程なく小倉山中の祇王寺や滝口寺に辿り着けます。
ただ写真をだいぶ貼り付けたので、今回はここまでとします。

~次回は、その小倉山中の檀林寺・滝口寺・祇王寺に向かいます~

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第269回 小倉山中の小さな寺院~北嵯峨紅葉散策~その3

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「嵯峨釈迦堂」清凉寺境内の薬師寺から、西に約400m進みました。
二尊院から北に約100mの地点で北を向いています。
今回は、ここから北西にある小倉山中の檀林寺と滝口寺に向かいます。
(2つの寺院の間にある祇王寺は、次回ブログになります)
撮影日は、2014年11月16日日曜日の正午。
こちらは、カエデもそこそこ色付いていました。


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薬師寺から続く道はこの辺りで右にカーブして、北を向きます。
そして、この辺りは清凉寺方面から来られた方々と
常寂光寺や二尊院方面から来られた方々が合流して、
そこそこの人混みになります。
右(東)側に、竹細工の土産物屋さんがあります。
扇子や工芸品のほか、箸などの日用品もありました。


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その土産物屋さんの向い(西)側に、こちらの施設がありました。
紅葉がきれいな場所ですが、こちらは嵯峨村雲別院の墓地です。
ここを上がって(小倉山の中になります)お墓の周囲も絶景ですが、
まぁお墓ですからその辺は遠慮しました。


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村雲別院墓地から少し北に進みました。
この辺りからこの道は左にカーブして、西に進むことになります。
左(西)側に茶店が見えますが、右(東)側も喫茶店になっています。
この辺りは、特に飲食店が集中していますね。


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この辺りで完全に西に向きました。左側に先ほどの茶店があります。
ここを真っ直ぐ進むと、小倉山中のお目当ての寺院群に突き当ります。


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今回ブログ最初の地点から約100m北上し、西に約50m進みました。
こちらの蕎麦屋さんの前から左(北)に進めば、
嵯峨野北部の鳥居本や化野(あだしの)に向かいます。
今回はそちらに向かう前に西に直進し、小倉山中に入っていきます。


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先ほどの蕎麦屋さんの前を通り過ぎると緩やかな上り坂となり、
だんだん道が狭くなっていきます。
この辺りは真新しい住宅地なのですが、
2年前に来たときは左(南)側にガレージセールが並んでいました。


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お蕎麦屋さんの前から、西に約100m進みました。
道がさらに狭くなっていき、右(北)側に小さな寺院があります。
こちらが、今回ブログ最初の目的地松森山法寳閣檀林寺東門です。
紅葉のシーズンのみ、400円払えば中に入れます。


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東門から入ってすぐに、このような感じになります。
観光ガイドにもあまり載っていない小さな寺院ですが、
こちらの紅葉はなかなか見事です。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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檀林寺の庭園は、先ほどの道の沿うように東西に細長くできています。
ですから、西に進めば少しずつ上り坂になります。
(この辺りは、もう小倉山の中です)


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小さな石段を上りきった辺りから、カエデ並木が続いていきます。
この日(2014年11月16日)は多少深緑の葉も混じっていますが、
これでも十分に紅葉を楽しめました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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檀林寺庭園の中央にある「ひょうたん池」です。
写真では切れていますが、
この右(西)側にも小さな池がくっついています。


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「ひょうたん池」の前で、西を向きました。
カエデが密集して陰になっているところは、紅葉が遅れていますね。
まぁ、個人的にはこれくらいの染まり具合が一番好きなのですが……
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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檀林寺庭園を貫く道の最西端に来ました。
ここでカエデ並木を抜けて、急に明るくなります。


269-15.jpg
その場所から、北を向きました。
こちらが、松森山法寳閣檀林寺の本堂法寳閣です。
ご本尊は壇林皇后を模った准胝菩薩ですが、宗派は分かりません。
壇林皇后関連寺院なのは、六原の西福寺と同じですね。


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法寳閣の南側に、壇林皇后の供養塔があります。
(お墓は、こちらにはありません)
壇林皇后は嵯峨天皇の皇后ですが、
嵯峨天皇はその名の通り晩年この嵯峨野に住んでいました。
ですから、嵯峨野には嵯峨天皇自身や家族の関連施設が多くなります。


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その辺りから、南を向きました。
では、こちらの西門から松森山法寳閣檀林寺を出ます。


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檀林寺の西門を出ると、道の中央に藤棚が現れます。
この藤棚がロータリーで、よく見ると周囲に石仏が並んでいます。
この南側に駐車場があります。


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その藤棚の前から、西を向きました。
ここから、道がさらにさらに狭くなり完全な山道になります。


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こちらが、その山道です。(小倉山中に入っていきます)
とは言え、この道は目の前の売店までです。


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先ほどの地点から山道を上がり、
祇王寺の拝観チケット売店の前に来ました。
ここで道が分岐し、左に滝口寺、右に祇王寺があります。


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先ほどの場所からもう少し上り、滝口寺の入り口まで来ました。
ここは、中に入ってから拝観料を払います。


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中で拝観料を払って、滝口寺境内に入りました。
詰所の脇に、こちらのお墓があります。
こちらは、新田義貞の首塚です。
新田義貞は処刑されてさらし首になったのですが、
妻の勾当内侍(こうとうないし)はその首を盗んでここに埋めました。
(足利氏は事実上黙認したようです)


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そして、首塚の脇に勾当内侍の供養塔が立っています。
新田義貞の首塚を立てた直後に、
勾当内侍は琵琶湖(現在の滋賀県大津市堅田)で投身自殺しました。
ですから、勾当内侍のお墓は今も堅田に立っています。


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新田義貞の首塚を振り返りました。
この先の石段を上って、本堂に向かいます。


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急でせまい土の上り坂を約50m上りました。
ここで上り坂が終わり、少し開けたところに出ます。
滝口寺の本堂は、この辺りにあります。


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その開けたところにある萱葺の家が、滝口寺の本堂です。
第95回ブログでも書きましたが、こういう家に住みたいものです。
ここのご本尊は、滝口入道と横笛の木像です。
小倉山の北東部は平安時代、往生院という大きな寺院でした。
「平家物語」に出てくる滝口入道は、その往生院で出家しました。
実は、次回ブログに出てくる祇王寺も往生院の一部でした。
往生院は明治時代の廃仏毀釈の一環で廃寺になったのですが、
戦後に大覚寺の僧侶によって滝口寺と祇王寺として再興されました。


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滝口寺本郷の横に、こちらの石塔が立っています。
こちらは、平家一門の供養塔です。
滝口入道は平氏に仕えていましたから、
このようなものがあるのでしょうね。


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滝口寺本堂の前から、東の方を見ています。
では、ここを進みこの山道を下りていきます。


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山道を下りていく途中で、下の方を見ました。
ここから、滝口寺入り口付近が見えますね。


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さらに山道を下っています。
こうして見るとかなり急で、雨の日に転んだら大怪我しそうですね。


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山道を下る途中で、塀の向こうを覗きました。あちらが祇王寺ですね。
ここから見ると紅葉が見事ですが、
実はこの日(2014年11月16日)の祇王寺は大半が深緑のカエデでした。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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ようやく山道を下りてきました。では、滝口寺を出ます。
次は、祇王寺ですね。


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滝口寺の門をくぐり、石段を約10m下りました。
ここを左に向けば、すぐに祇王寺に入れます。
ただ、もうだいぶ写真を貼りつけたので、今回はここまでです。

~次回は、祇王寺を散策します~

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第270回 深緑の祇王寺~北嵯峨紅葉散策~その4

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今から訪問する祇王寺は、
2014年11月16日午後0時半に撮影したものです。
このブログの「紅葉特集」は、毎年一日で撮り溜めして
それを年末近くまで何日かに分けて更新しています。
いつもより1週間早い撮影だったせいか、
あちこちまだまだ紅葉には早いところもあります。
特に、この祇王寺は「深緑」と言ってもいい状態でした。


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こちらは、前回ブログにも出てきた祇王寺の売店です。
正確にはここでは祇王寺のみの拝観チケットは売っておらず、
祇王寺と大覚寺とセットの拝観チケットを売っています。
この後に大覚寺に行く予定なので、こちらで買いました。


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ですから、祇王寺のチケットそのものはありません。
このパンフレットがチケットの代用になりました。
2枚あるのは、この日はウチの母が同行しているからです。


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売店の横に、ここから大覚寺までの地図が貼ってありました。
干し柿が吊ってあるので、昨年立ち寄った石峯寺を思い出します。


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では、祇王寺に入っていきます。
こちらも前回ブログの滝口寺同様、茅葺屋根の素朴な寺院です。


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祇王寺の門をくぐり、境内に入ってきました。
すると、約10m先にまた門があります。
門の脇に、嵯峨菊の鉢植えが並んでいます。


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祇王寺の庭園は中央にカエデ並木があり、
その周囲を散策できるようになっています。
ただ、先述の通りこの日(2014年11月16日)は、
まだまだカエデの葉は深緑でした。
この写真はクリックすると拡大されます。


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カエデの下は、このように苔が生しています。
日がそれほど差さないのは、この寺院の特徴ですね。


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暫らく境内を散策していると、
カエデ並木越しに茅葺の祇王寺本堂が見えました。
隣の滝口寺本堂も茅葺ですが、自分の知る限り
寺院の茅葺の本堂は他には瑞光寺くらいです。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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そして、祇王寺の外側はこのように竹林になります。
そう言えば、昔はこの辺り一帯が竹林でした。
(清凉寺や宝筺院周辺も竹林でした)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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祇王寺境内の道で、前を向きました。
沿道をはさんで、外側に竹林が内側にカエデ並木があります。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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沿道を端まで歩くと、左に曲がり、法堂の方に向かいます。
垣根の向こうは、前回ブログの滝口寺です。


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垣根の前の道を歩いて、だんだん本堂に近づいています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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さらに角を曲がって、本堂のある通りに来ました。
では、ここをこのまま進み祇王寺本堂に向かいます。


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いよいよ祇王寺本堂に入ります。……ただ、中は撮影禁止です。
こちらも、滝口寺同様茅葺屋根の本堂内でゆっくり休めます。
ここのご本尊は大日如来ですが、
周囲を囲む祇王や仏御前などの木像も参拝の対象になります。
こちらの詳しい沿革は、第95回ブログを参照してください。
そう言えば、滋賀県野洲市にも祇王寺がありますが、
そちらは祇王さんを慕った野洲の人々が建てた寺院です。
(祇王さんは野洲に用水路を寄贈し、日本有数の穀倉地になりました)


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本堂から出てすぐに、こちらが鉢植えに植えられていました。
先ほどの登場した嵯峨菊です。
今から約160年前に作られたこの辺で栽培されている観賞用の菊です。
この後に出てくる大覚寺で、嵯峨菊の品評会が行われていました。


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その嵯峨菊の脇に、こちらの鉢がありました。
時折涼しげな音を奏でるので、多分こちらは水琴窟です。


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では、境内を1周したので祇王寺を出ます。
目の前の木札に書いてある順路通りに進みます。


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では、こちらの入り口から祇王寺を出ます。
木札通りに進むと、2年前とは違い入り口と出口が異なるようです。


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先ほどの道から右(東)に反れるとコンクリートで固めてあるものの、
完全に小倉山の中に入ります。
そこから約30mで、こちらに出ます。
この垣根の向こうは、駐車場になっています。


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先ほどの道を進むと、こちらの藤棚の前に出ます。
前回ブログに出てきた檀林寺西門前の藤棚です。
こちらからなら、石仏がよく見えますね。


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檀林寺に西門の前から、東に向いています。
左(北)側に見えるのが、檀林寺の石垣と土塀です。
では、この急な下り坂を進んでいきます。


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その下り坂を東に約50m進みました。こちらは檀林寺の東門の前です。
この辺りから、少しずつ坂道は緩やかになっていきます。


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先ほどの地点から、さらに50mほど東に進みました。
右(南)側の住宅で、2年前はガレージセルが開かれていました。


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さらにさらに50mほど東に進みました。
このT字路を真っ直ぐ(東に)進むと、
二尊院や常寂光寺へ行く道と宝筺院や清凉寺に行く道に分岐します。
目の前に和服の方がいらっしゃいますが、
その右(南)側に露店が出ています。


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その露店では、干し柿とこちらの竹トンボが売られていました。
この竹トンボはやじろべえの一種で、回しても飛びません。


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ただ、この竹トンボは指でもどこでもバランスよく止まります。
さらに裏返しても、このように自力で元に戻ります。
3種類あったのですが、1,500円のものを買いました。
とりあえず、ウチの店に飾ってあります。


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そのT字路で、北を向きました。約30m先に證安院があります。
そして、ここをずっと進むと鳥居本や化野(あだしの)に至ります。
2年前に嵯峨野嵐山を散策したときは、
時間がなくてここで引き返しました。
ですから、ここから先はこのブログで初登場となります。
とは言え、もう写真をだいぶ貼り付けたので今回はここまでとします。

~次回はここから鳥居本保存地区に入り、化野念仏寺にお参りします~

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第271回 鳥居本景観保存区~北嵯峨紅葉散策~その5

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祇王寺から約200m東に進み、北に向いています。
嵐山から散策される方の大半が大体この辺りで引き返されるので、
実はここから北に行くとだんだん空いてきます。
今回はここから北西に進み、化野(あだしの)念仏寺を目指します。
撮影日は、2014年11月16日日曜日午後0時45分。
初冬のぽかぽか陽気の一日でした。


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先ほどの地点から、北に約50m進みました、
右(東)側に、こちらの小さな寺院が見えてきました。
では、この浄土宗證安院(しょうあんいん)に入っていきます。


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……と、その前にこちらに注目です。
こちらは小さな紙に様々なことが書かれています。
1枚200円なのですが、料金はどこで払うのでしょうか?


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門をくぐると、この風景になります。
右側の石碑は、誓阿上人による「南無阿弥陀仏」の文字です。
誓阿上人は知恩院の第12代で、後光厳天皇の帰依を受けました。
かつてこの辺りにあった往生院を開山した方でもあります。
(今の滝口寺や祇王寺の前身ですね)


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こちらが浄土宗證安院の本堂で、このサッシの向こうに
ご本尊の来迎阿弥陀如来像がいらっしゃいます。


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本堂より東は、このようになっています。
基本的には墓地なのですが、カエデの紅葉が見事ですね。
ちなみに、ここはさつきの木で有名なのですが
今はその季節ではありません。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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今度は、本堂から西を向きました。では、この證安院から出ます。
……その前に、手前のお稲荷さんにお参りです。


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證安院前から北を向いています。右(東)側に證安院の土塀が見えます。
約20m先に茅葺屋根の門があります。次はそちらの方に向かいます。


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その茅葺屋根の門付近で、西を向きました。
この辺りまで山の斜面が張り出していたのですが、
そこに突然神社が現れました。
鳥居の形や並び方から稲荷神社とは思うのですが……


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鳥居を抜けた先は、お狐様の石像とこの洞穴です。
思った通り、ここは古墳ですね。
恐らくこの横穴に入ると、すぐに玄室(遺体や財宝の部屋)があります。
失礼にあたるので、ここから先の写真はありません。


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……とは言え、実は玄室には入っていません。
代わりに、こちらの石碑を撮りました。
「水清大神」と書かれていて、「稲荷」の名称はありません。
これは、第53回ブログの「蚕ノ社」木嶋神社境内の白清社
第264回ブログの円墳の上にいらした富岡大明神と同じですね。


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ただ、いろいろ調べたのですが
「水清大神」の資料は見つかりませんでした。
まぁ、古墳が稲荷社になっている例はかなり多いので、
こちらもその1柱でしょう。
では、こちらの「水清大神」を出ます。


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水清大神の向いは、先ほどから出てきている茅葺屋根の門です。
こちらは、さがの人形の家という人形専門の博物館です。
元々はこちらに寄る予定だったのですが、
少し時間が押しているのと拝観料(800円!)の関係で
今回の拝観を見送ります……


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「水清大神」と「さがの人形の家」の前から、北を向きました。
ここから北北西に進路が変わります。
右(東)側は人形の博物館ですが、
左(西)側はこの辺りから土産物屋さんや飲食店などが並びます。


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先ほどの地点から、北北西に約150m進みました。
石畳の道の脇に、土産物屋さんや飲食店が軒を並べます。
なかなか雰囲気のいいところですが、
観光客はあまりいらっしゃいません。
嵯峨野嵐山で一番混むのは渡月橋付近で、北に行くほど空いてきます。
あちらでは紅葉シーズンはどの飲食店も満員で入れませんが、
こちらはそれを気にする必要はありません。


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こちらは、その飲食店の間にいらしたお地蔵さんです。
鞍馬口通編ではたくさんいらっしゃいましたが、
京都市街地を離れるとだいぶ少なくなってきています。


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「水清大神」「さがの人形の家」前から北北西に約200m進みました。
ここから道が北西にカーブしているように見えますが、
実は東の方に進む道もあってここはY字路です。


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先程から続いていた道は、ここで突き当ります。
ここに立札があって、右(東)に進めば大覚寺が
左(北西)に進めば鳥居本景観保存区に入ることが分かります。


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その立札の前で、左(北西)を向きました。
ここからは鉄筋コンクリートの建物は消滅し、
全て古い木造の家屋に囲まれた道になります。
いよいよ鳥居本の景観保存区に入っていきます。


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Y字路から北西に約50m進みました。北側は泉仙 嵯峨野店です。
仕出しの本店は、第108回ブログに出てきました。
お薦めは、精進の鉄鉢料理です。
本当ならここで昼食でもいいのですが、(ウチの母も大好きですし)
この上にある平野屋が今回のお目当てなので、ここは我慢です……


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泉仙 嵯峨野店の前から、北西に約50m進みました。
この辺の民家は、京町家とは異なり独特の雰囲気を持っています。
2014年10月に下見に来たとき、修学旅行生と思しき男子中学生数人が
「ほぅ」と声を上げた後暫らく周囲を見入っていました。


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鳥居本景観保存区を、さらに蛇行しながら北西に向かっています。
この辺りで上り坂が急になってきます。山道に完全に入ってきました。
標高が高くなるほどに、紅葉もしっかり色付いていますね。


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山道に入るとさらに道幅が狭くなり、土産物屋さんが多くなります。
左(南)側に、「まゆ村」という店がありますね。


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こちらが、「まゆ村」の店頭です。
この店は、繭で作った工芸品を売っています。
こちらは、来年の干支「羊」ですね。
ちょっと買おうかとも思ったのですが、
前回ブログ竹トンボを買ったので、今回は諦めました。


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「まゆ村」の前から、北西を向きました。
「鳥居本」の独特の世界が辺りを覆っていますね。
ただ、よく見ると向こうに風変わりな達磨さんがいらっしゃいます。


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こちらがその達磨さんです。眉が異様に長いですね。
脇にある看板によると、縁起物でこうなっているそうです。


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その達磨さんから、さらに上り坂を北西に約50m進みました。
ここから、左に上る石段が見えてきました。
次は、この石段を上っていきます。


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では、その石段を上っていきます。
石段は、左に曲がりながらかなり続いています。
こちらの石塚に、「あだしのねんぶつじ」と書かれていますね。


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この石段は、カエデ並木に囲まれています。
この日(2014年11月16日)はまだ青葉のところも、
更新日(2014年12月5日)には充分に染まっているでしょうね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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石段の先には、こちらの化野念仏寺があります。
紅葉に囲まれた石仏群で有名ですね。
ここから境内に入っていくのですが、それは次回にします。

今回は、ここまでです。

~次回は、この化野念仏寺を参拝します~

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第272回 紅葉の化野念仏寺~北嵯峨散策~その6

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石段を上り切り、化野(あだしの)念仏寺の前まで来ました。
今回はこの化野念仏寺に参拝した後、
鳥居本の景観保存区を「平野屋」まで進みます。
撮影日は、2014年11月16日日曜日午後1時。
カエデも、この辺りはふもとよりも紅葉に染まっていました。


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化野念仏寺の境内に入ってきました。
紅葉の向こうに石塔が見えますが、
その向こうが「西院(さい)の河原」となります。
ただ、順路は先に左(南)の方に向かうようになっています。


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先ほどの地点で、南を向きました。
右(西)に見えるのが、先ほどの「西院の河原」です。
では、この紅葉並木を通り抜けていきます。


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化野念仏寺の門から、南へ約50mほど紅葉並木は続きます。
ここは「西院の河原」の石仏群で有名ですが、
京都屈指の紅葉の名所でもあります。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その紅葉並木の一角に、こちらの方々がいらっしゃいます。
こちらは、お地蔵さんではなく石仏(つまり、墓石)ですね。
ただ、この寺院の象徴である石仏群はこちらではありません。


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その石仏の向いには、こちらの「虫塚」が立っています。
恐らく、そこらじゅうの虫の供養塔ですね。


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念仏寺の入り口から南に約50m進みました。
紅葉並木の出口に、小さな石を組み合わせた建造物が現れます。


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こちらが、その建造物です。東南アジアのパゴタを連想します。
このようなものは第187回ブログ壬生寺や、
第258回ブログ龍安寺にもありましたね。


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順路は、そのパゴタを回るように続いています。
その外側は、なかなか見事な紅葉が続きます。


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そして、パゴタの裏側にこのようなものがありました。
これは鳥居のようにも見えますが、トラナと言います。
東南アジアでは、パゴタの周囲によくあるものです。


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パゴタを3/4周しました。
パゴタの北西端から、北側に抜けていきます。


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パゴタを囲む生け垣を出ると、その北側に墓地が広がります。
ここ化野(あだしの)は、平安時代以来の埋葬地です。
その辺は、以前紹介した六原と同じですね。


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墓地を北に約100m進みました。
突き当りが本堂で、阿弥陀如来がご本尊です。
寺伝では湛慶作です。三十三間堂の千手観音を掘られた方ですね。


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本堂の左(西)側には水子地蔵さんがいらっしゃるのですが、
そこから先は紅葉並木の先に竹林が広がっています。
結構な絶景なのですが、撮影不可なので写真はありません。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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本堂の右(東)側は枝垂桜があって、その周辺で休憩できます。
左側の建物は庫裏でしょうか?この中に僧侶がいらっしゃる気配です。


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先ほどの写真に写っていた縁台に座ってその建物を覗くと、
このような竹の1本刺しが見られます。
太い竹を1本だけ生けるのは、初めて見ました。


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その竹の生け花(?)の向かい側から、
「西院の河原」石仏群へと入っていきます。
ただし写真にもあるように、ここから先は撮影不可です。


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ここでは、先に撮った外から見た「西院の河原」石仏群を載せます。
「西院の河原」石仏群は、紅葉に染まると絶景になります。
この写真は、クリックすると拡大されます。

浄土宗華西山化野念仏寺は、元々平安時代初期に
空海が建立した真言宗五智山如来寺を前身とします。
先述の通り、この辺一帯の化野は京都の死者を弔う場所でした。
(六原~鳥辺野や、蓮台野と同じです)
空海は、野ざらし(放置された)死体をここに集めて葬りました。
鎌倉時代に入って法然がこの辺で教化していく過程で、
ここは浄土宗の寺院となりそれが今の念仏寺の原型となりました。


272-19.jpg
別の角度から、「西院の河原」石仏群を写しました。
こちらの石仏は元々この辺一帯に散在していましたが、
空海以降の僧侶が数百年かけてここに集めてきました。
(現存する石仏の大半が、室町時代以降のものですが……)
石仏群の間に道ができていますが、
毎年お盆になるとこちらにろうそくを灯す「千灯供養」が行われます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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「西院の河原」石仏群を抜けて、また写真を撮れる場所に出ました。
この先に鳥居がありますが、その先に、稲荷社がいらっしゃいます。


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その稲荷社にお参りした後、左を向きました。
祠の中に、石仏の不動明王がいらっしゃいます。


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その脇にあるのは、賽銭箱でしょうか?
ともかく、稲荷社のものと分かります。


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では、この稲荷社から出ます。
ちなみに、紅葉の向こうにある石仏群からこちらに来ました。


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鳥居の前で左(南東)を向きました。
右側が先ほどの「西院の河原」石仏群になります。
この辺りが紅葉が一番きれいに染まっているので、人が集中します。
この先に、今回ブログ最初の地点が見えてきました。
これで化野念仏寺をちょうど一周したことになります。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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化野念仏寺の入り口に戻ってきました。
では、ここから化野念仏寺を出ます。


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化野念仏寺の境内から出ました。
この坂道を下ると、前回ブログのコースを逆行することになります。
今回は、左に見える石段を下ります。


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石段は、前回ブログで通った鳥居本景観保存区沿いの道と平行して
北西に伸びています。
この写真は石段を下りる途中で、北東を向いたものです。
ずっと向こうにこの道と並行するように走る道が見えますが、
あちらが第267回ブログに出てきた鳴滝道です。


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この石段は、約20mで鳥居本景観保存区沿いの道と合流します。
先ほどの坂道よりも短いのは、
それだけこの道の標高が高くなっているということです。
目の前に「頭上注意」の札があります。
確かにこのまま進むと、頭を枝でぶつけそうです。


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化野念仏寺石段の前から、
鳥居本景観保存区沿いの道で北西に向きました。
この辺りは、茅葺の民家が軒を並べます。
それが、この地区独特の風景になっていますね。


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化野念仏寺石段の前から、北西に約100m進みました。
頭上に高架が走っていますが、
こちらは鳴滝道から分岐した嵐山高雄パークウェイです。
ここから、右京区梅ヶ畑まで続いています。


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高架の下まで来ました。左側に、赤い祠が見えます。
ちょっとこちらにも寄ってみます。


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こちらは、将軍大地蔵菩薩です。
要するに、愛宕権現の仏教化した御姿です。
実は、この道は古来より愛宕神社への参詣道でした。


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高架下をくぐって、北西に向いています。
本当にこの辺りは、茅葺屋根の家が多いですね。


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この道は、蛇行しながら北西に向かています。
先ほどの場所から、約50m進みました。
左(南西)側に見える瓦屋根の家が、「平野屋別館」です。
右側(北東)側に見える石垣の上に、鳴滝道が迫っています。


272-35.jpg
「平野屋別館」の前で、北西を向いています。
カエデの木の向こうに見えるのが、愛宕神社一の鳥居です。
先述の通り、ここはもう愛宕神社への参道です。
鳥居の前に、左(南西)にそれる道があります。
そちらに進めば、保津峡へ行くことができます。
(小学生のころ、よく遠足で行きました)


272-37.jpg
愛宕神社一の鳥居の真下に来ました。(本当に「鳥居本」ですね)
鳥居の向こうに、茅葺屋根の茶店が見えます。
こちらが、次の目的地「平野屋」です。
よく京都を紹介するTVで出てきますね。


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こちらが、鮎司 平野屋です。
ある意味、今回の北嵯峨散策のメインです。
休日でも、渡月橋付近とは違い予約なしでも何とか入れました。
(奥の座敷とかは満員でしたが……)
この時点で、午後1時半でした。
少し遅い昼食をここで摂るのですが、それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は平野屋で食事をした後、愛宕念佛寺に向かいます~

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第273回 平野屋で大根炊き~北嵯峨紅葉散策~その7

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鳥居本の景観保存区にある愛宕神社「一の鳥居」の下にまで来ました。
こちらは、鮎司 平野屋という茶店です。(高級料亭でもあります)
今回は、ここから少し登ったところにある愛宕念仏寺まで進みます。
ただ、その前にこの平野屋で昼食を頂きます。
撮影日は、2014年11月16日日曜日午後1時半。
ここが、今回の北嵯峨散策のある意味メインです。


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平野屋の表に並んでいた縁台に座ると、こちらの景色を堪能できます。
石垣の上でカエデが紅葉に染まり、その向こうが清滝道です。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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そして、その縁台の前にこちらの石が置いてありました。
注連縄(しめなわ)が巻きついていますね。


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縁台では、志ん子などの茶菓子と抹茶がいただけます。
奥の座敷などでは懐石など料亭メニューがいただけるのですが、
今回のお目当て「大根炊きセット」は、
その中間の中奥(土間から上がった最初の部屋)でいただきます。
ここは畳に上がると、囲炉裏の前に神棚がいらっしゃいました。
「お店」だけに、ゑびす神が祀ってあります。


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では、その「大根炊きセット」(1970円)の料理を紹介します。
先ずは、こちらが出てきました。
花が浮かんでいることから、「桜湯」と分かりますね。
適度な塩味が、桜の香りを引き立てますね。


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桜湯を飲んでいるうちに、
囲炉裏に金網が置かれその上に餅が乗りました。
餅が2個なのは、自分と母の分です。


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餅は、炭火でゆっくりと焼かれます。
桜湯を飲みきるころに、こちらの大きな椀と番茶が来ました。


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椀を開けると、中から揚げが1枚と大根が3切れが出てきました。
「聖護院」でしょうか、まるくて大きな大根です。
ウチでは大根は脂身の多い濃い出汁にするのですが、
こちらは正反対の薄味の洒落た風味の出汁です。
天盛りの柚皮の香りで、温まります。


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大根が大きいので、これだけで満腹になりそうです。
何とか大根を食べ終わったころに、餅が焼けてきました。


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ようやく餅が焼けたようです。こちらは、砂糖醤油で頂きます。
まるでデザ-トですが、まだまだ終わりではありません。


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最後は、こちらの志ん子を頂きます。
志ん子は小麦粉を練ったお菓子ですが、
味も食感も京都の水無月よりも名古屋の「ういろう」に近いです。
それをきな粉と粉末黒砂糖をかけて食べます。
抹茶も、自分が立てるよりも香り高くおいしかったですね。


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これで「大根炊き」セットは全部ですが、
ここでこのマッチを紹介します。
これは、2014年10月下旬にここに下見に来たときに頂いたものです。
そのときはここの女将さんが相談に乗ってくださって、
ウチの母に「大根炊き」セットを勧めていただきました。


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さて、このマッチの使い方です。
先ずは、中にあるこの紙を抜き取ります。


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次にこのマッチ箱をよく振って、ここからマッチを取り出します。
こちらの穴からは、1本しか出ないようになっています。


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そして、マッチの先の色を見ます。ここがおみくじになっています。
紺色ですから、自分は「中吉」ということで……


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結局、この「鮎司 平野屋」には1時間以上いました。
結構くつろいでしまい、後の予定が大変になってきました。
(なんとしても、大覚寺には行くつもりです)

店先にはたくさんの方がいらして、撮影会のようになっていました。
まぁ、この店自体が観光スポットですから……
では、この坂道をさらに上っていきます。


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先ほどの地点から、約50m北上しました。
左(西)側の垣根の向こうが『鮎司 平野屋」で、
右(東)側の石垣の上が鳴滝道です。
ただ、この上り坂はこの辺りから急になって
約100m先で鳴滝道と同じ高さになります。


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先ほどの地点から、約100m北に登りました。
蛇行しながら、鳴滝道と同じ高さになってきました。


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その辺りで、左(西)側を向きました。
石垣の上にお地蔵さんがいらっしゃいました。
たぶん、この辺りで昔亡くなられた方のお墓を兼ねていると思います。


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そのお地蔵さん周辺は、このように杉林です。
この辺りの杉は「北山杉」と言い、細長いのが特徴です。
(もちろん、人工的に加工してこの太さになっています)
これだけの杉を見ると、今が春でなくてよかったと思います。
(スギ花粉症なもので……)


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さらに、急な上り坂を約100m北に進みました。
この辺りで、この道は平坦になります。
左(西)側が渋滞しているようですが、実は1列だけの駐車場です。


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その細長い駐車場は、道沿いに約100m続きました。
この駐車場は、鳥居本や化野の観光に便利です。
第271回ブログから続く鳥居本景観保存区沿いのこの道をたどるか、
鳴滝道から回り込むと、この駐車場に入れます。


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さらに蛇行しつつ、この道を約50m進みました。
向こうに人がたくさん集まっている場所がありますが、
あの辺りでこの道と右(東)側の鳴滝道が合流します。


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その合流利点で、さらに北を見ました。
このトンネルは「清滝トンネル」で、
抜けた先に蛍で有名な清滝川が流れています。
上の道は、愛宕神社への参詣道ですね。
ただ、今回はこの周辺の紅葉散策がメインなので、
これ以上は登山をしません。


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その地点で、左(西)を向きました。
こちらは、天台宗愛宕寺(おたぎでら)~通称:愛宕念仏寺~です。
先ほどの集団は、こちらの寺院に入っていかれました。
では、この愛宕念仏寺仁王門をくぐります。


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仁王門をくぐる前に、こちらを見ます。
こちらは、寄木造の「阿形」の仁王様ですね。


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そして、こちらが「吽形」の仁王様です。
まだ赤い色が残っていらっしゃるので、
300年前か400年前くらいのものでしょうか?


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仁王門をくぐったところで300円払いました。
こちらは、様々な石仏で有名な寺院です。


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では、この石段を上り愛宕念仏寺境内に入ります。
こちらの仁王様も、石仏ですね。


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石段は、いったん北上します。
向こうに「三法の鐘」がありますが、石段は途中で南進します。
(つまり、そちらには後で参ります)


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その辺りで周囲を見渡すと、あちこちにカエデが見受けられます。
この愛宕念仏寺の紅葉も、この辺りでは有名ですね。


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では、この辺りで南に進路を変えます。
石仏群の向こうに、地蔵堂が見えていますね。


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こちらが、その石仏です。
こうして見ると、1体1体お姿が違うことが分かります。


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さらに石仏が、沿道にずっと並んでいらっしゃいます。
こちらの石仏は、近年彫られたものです。
元々中世の墓石だった化野念仏寺「西院の河原」とは、
そこが全然違います。
まぁ、ここはここで味があるのですが。


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参道が地蔵堂の真下で突き当り、また北上していきます。
もうすぐ、愛宕念仏寺の境内に入っていきます。


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ようやく上り坂も終わり、愛宕念仏寺境内に入ってきました。
手前が「ふれ愛観音堂」で、奥が本堂です。
ここから愛宕念仏寺境内散策が始まるのですが、
もうだいぶ写真を貼りつけたので、ここから先は次回とします。

今回はここまでです。

~次回は、この愛宕念仏寺を散策します~

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第274回 紅葉の愛宕念仏寺~北嵯峨紅葉散策~その8

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仁王門から細い参道を上って、愛宕念仏寺境内に入ってきました。
個性的な石仏群で有名な寺院ですね。
今回はここを散策した後、鳥居本景観保存区を下りていきます。
撮影日は2014年11月11日日曜日午後3時。
大覚寺の拝観時間を気にしつつ、ちょっとだけ急いでいます。


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先ほどの地点で、反対(南)を向きました。
先ずはこちらの地蔵堂にお参りします。
こちらには延命地蔵尊がいらっしゃり、
「愛宕本地仏火除地蔵」として古くからの信仰を集めています。


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延命地蔵尊の写真は、ありません。
地蔵堂から、愛宕念仏寺境内を北に向いています。
では、向こうに見える本堂の方に向かいます。


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地蔵堂の両脇に、石仏が並んでいます。
こちらは、ここ30年ほどの間にできたものです。
ここの信者さんたちが彫られたもので、1体1体お姿が違います。


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今回ブログ最初の地点の北側に、こちらのお堂があります。
こちらは「ふれ愛観音堂」で、中の観世音菩薩像は直接触れられます。


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さらにその北側に、天台宗愛宕(おたぎ)念仏寺本堂があります。
ご本尊の千手観音共々重要文化財です。

元々愛宕(おたぎ)郡とは、京都盆地の東半分を指しました。
(祇園の辺りから、深草・伏見・宇治にかけて)
この愛宕寺(愛宕念仏寺)も、奈良時代中期に
六原の「六道の辻」から約50m西に建てられました。
それが平安時代に入って、
鴨川の氾濫に流されていったん廃寺になりました。
鎌倉時代に入ってこの地に再興されたのですが、
再び荒廃して近代に入ってからは廃寺寸前にまでなっていました。
それが1981年から石仏群の製作が始まると、
だんだん参拝者が増えていき
今では北嵯峨を代表する寺院となりました。


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では、本堂の脇を回ります。
ただ、西側には石段があってその上にも宝塔があります。


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こちらが、その多宝塔です。
周囲の石仏は、他の場所よりも大きめに作られていますね。


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その多宝塔の北側に、虚空蔵菩薩層がいらっしゃいます。
……ただ、金色の仏像が趣味ではないのでそちらには向かいません。


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虚空菩薩像の東側に、石仏群が一番集中しています。
1981年以降、信者さんが集まって1500体もの石仏を彫られました。
ですから、1体1体個性があってそれが面白いですね。


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本堂の裏側は、こうなっています。
山の斜面一面に、石仏がずっと並んでします。


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こちらは、その石仏群の一部です。
猫の御姿をしている方もいらっしゃいますね。


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本堂の真裏に、こちらの祠がいらっしゃいます。
こちらは、末社の「天川大明神」です。


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そして、こちらは西村公朝のお墓です。
荒廃したこちらの寺院を復興させた方ですね。


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愛宕念仏寺本堂の東側に回ってきました。
石仏群の脇に、カエデが紅葉に染まっています。
こちらは、石仏群と紅葉で有名な寺院ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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本堂の脇に、下に下りる石段があります。
(今回ブログ最初の地点ではありません)
今度はこちらから下りていきます。


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石段を下りると、こちらの「三宝の鐘」があります。
3つの鐘に「仏」「法」僧」と書かれており、
これらの鐘を同時に鳴らすことができます。


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「三宝の鐘」から、下に下りていきます。
紅葉と石仏源の向こうに、清滝道が見えますね。


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「三宝の鐘」から、下に下りてきました。
湧水の許に、お地蔵さんや祠がいらっしゃいますね。


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その周辺にも、石仏群がいらっしゃいます。
こちらにも、様々なお姿の方々がいらっしゃいます。


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さらに少し下り羅漢堂に入っていきます。(厳密にはその下層部です)
実はこちらにトイレがあります。
この周辺には一切公衆トイレがないので、
用を足すならここでしないといけません。


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愛宕念仏寺を出て、南を向いています。
ここで鳴滝道と鳥居本の景観保存区沿いの道に分岐します。
ここからは、前回ブログ同様に鳥居本への道を進みます。


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愛宕念仏寺の前から、南に約100m進みました。
左(東)に見えるガードレールの先に、清滝道があります。
右(西)側は、愛宕念仏寺の細長い駐車場ですね。
前回ブログにも出てきましたね)


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さらに、この道を南に約100m進みました。
この辺りから急な下り坂になります。
その先に、愛宕神社の一の鳥居が見えますね。


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さらにさらに、南に約100m進みました。
愛宕神社の一の鳥居の元に戻ってきました。
手前に、前回ブログで昼食を摂った鮎司 平野屋が見えますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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愛宕神社の一の鳥居の前から、南を向いています。
ここは三叉路で、西から伸びた道と合流し南東に進路を変えます。
では、南東に進み山を下りていきましょう。


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その三叉路から、南東に約150m進みました。
こちらの高架は、清滝道から伸びる嵐山高雄パークウェイです。


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その高架下に、こちらの祠がいらっしゃいます。
こちらは第272回ブログにも出てきた将軍大地蔵菩薩ですね。


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この辺りは鳥居本の景観保存区で、
京町家とまた違う独特の古い民家が立ち並びます。
高架から約100m進むと、化野念仏寺に続く石段が見えます。


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その石段から、さらに南東に進んでいます。
この辺りは山の中ですが、少しずつ坂を下っています。
先ほどの石段の辺りからだんだんと土産物屋さんも増えてきて、
鳥居本独特の街並みになっていきました。


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化野念仏寺の石段から、
南東に約50m鳥居本の景観保存区の坂道を下ってきました。
土産物屋さんの向い(南)側に
また化野念仏寺に進む上り坂が見えてkました。
第271回ブログでは、ここから化野念仏寺に向かいました。


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その地点から南東にさらに100mほど進むと、
下り坂の山道も終わって、だんだん平坦な道になってきます。


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そして、この辺りが一番土産物屋さんが集中しています。
左(北)側に、眉の長い達磨さんがいらっしゃるお店が見えますね。
(第271回ブログにも出てきました)


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その達磨さんがいらっしゃるお店の隣に、竹細工屋さんがありました。
この辺りから南に進み、松尾・桂・向日市や長岡京市、
さらには大阪府高槻市辺りが、日本有数の竹(筍)の産地です。
(チャート質の粘土でできた地層地帯が続きます)


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その竹細工のお店の向いが、第271回ブログにも出てきた
「まゆ村」です。(繭細工のお店です)
そして、この辺りで完全に道は平坦になります。


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そして、この辺りから土産物屋さんに混じって飲食店も増えてきます。
右(南)側は、和カフェの店の前に何軒か露店が並んでいました。
すると、ウチの母が突然立ち止まってこの露店に向かっていきました。
こちらで売られていた焼き栗に興味があったそうです。
ここのご主人に聞いたところ、自宅に生えていたクリの木から
今朝採ってきたそうです。
肥料とか全然与えていらっしゃらないそうですが、
そうは思えないくらい甘くて香ばしい味がしました。
(自分も、後からつまみ食いしました)


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そして、さらに約50m南東に進むと泉仙 嵯峨野店があります。
もし平野屋で食事がいただけなかった場合、
このタイミングでここで昼食にする予定でした。


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泉仙の前から、南東を見ています。ここで、また三叉路になります。
鳥居本の景観保存区は、ここまでです。
右(南)の道を進めば祇王寺に向かいます。
左(東)に進めば大覚寺に向かいます。


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その三叉路で、東を向きました。ここから大覚寺に向かいます。
この時点で午後3時半です。何とか間に合わそうと思います。
ただ写真をだいぶ貼りつけたので、今回はここまでとします。

~次回は、大覚寺に向かう北嵯峨の風景を散策します~

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第275回 北嵯峨のコスモス畑~北嵯峨紅葉散策~その9

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鳥居本の景観保存区を通り抜け、三叉路に来ました。
右(南)へ進むと祇王寺二尊院宝筺院「嵯峨釈迦堂」清凉寺に
行くことできますが、今回はこのまま進み大覚寺へと向かいます。
撮影日は、2014年11月16日日曜日午後3時半。
まだ11月だったので、コスモスも盛りでした。


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三叉路の南東角に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
京都市街地と異なり、祠の中に入っていらっしゃいません。


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その三叉路で、東を向きました。
右側に「大覚寺・直指庵」と書かれた看板があります。
では、こちらに進みます。


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三叉路から、東に約30m進みました。
この辺りから、住宅に混じって田畑が現れます。


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その辺りで、左(北)を向きました。
稲刈りが終わった水田の向こうに、紅葉と茅葺屋根の農家があります。
嵯峨野の北側は、観光地から少しでもずれると
このような長閑な里山の風景に変わります。
最近は、むしろこの景色を眺めに来られる方も多いようです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その茅葺屋根の家の向かい(南)側に、寂庵があります。
こちらは、瀬戸内寂聴さんが庵主を勤めておられる寺院です。
ただ、普段は公開されておりません。


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そして、寂庵はこの瀬戸川沿いにあります。
この橋は最近整備されたものですが、茅葺屋根の家と合いますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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瀬戸川の下流(南)側を見ています。
この川は、清凉寺の北側や東側を流れていき
JR嵯峨嵐山駅の西側を経由し三条清滝道の東側で
大堰川(桂川)と合流します。


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瀬戸川の橋の上から、東を見ています。
ここから、大きな民家がずっと続いていきます。


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瀬戸川の橋の上から、東に約100m進みました。
この辺りの民家には、立派なカエデや桜の木が植えてあります。
とても個人宅とは思えませんね。
また、この辺りから住宅地の間に田畑がまた混じり出します。


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その田畑で、黒い猫がお食事をしていました。
自分が近付いても気付かずに、食事に集中していました。


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その畑から、さらに東に約150m進みました。
蕎麦屋さんがある角に、信号機が見えます。
こちらは、清滝道との交差点です。


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その辺りの玄関先に、菊の鉢植えがありました。
この辺は嵯峨菊が有名ですが、また違う品種のようです。


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同じ地点で、南を向きました。
畑と民家の向こう約200m先に、清凉寺の屋根瓦が見えます。


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この道から、清滝道を北に向いています。
ここから約1km先の愛宕念仏寺の前で、
この鳥居本景観保存区に通じる道と再び合流します。


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今度は、清滝道を南に向きました。
ここから約200m先で、一条通(きぬかけの路)と交差し
さらに南へ進み丸太町通を東に向かうと、JR嵯峨嵐山駅前に出ます。


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そして、この交差点に京都バスの「大覚寺道」バス停があります。
ここまで来れば、バスよりも歩いたほうが大覚寺に早く着きます。


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清滝道の横断歩道を渡りました。
ここからさらに、東に向かいます。


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清滝道との交差点から、東に約30m進みました。
この辺りも、立派な民家が並んでいます。


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先ほどの地点から、さらに東に約30m進みました。
この辺りから右(南)側に建売住宅が並び、
左(北)側は田畑が広々としています。


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その道沿いで北を向きました。山の手前に民家と田畑が続いています。
ここはまるで麦畑のように見えますが、
実は田んぼと道との間に生えているだけです。
この写真は、クリックすると拡大できます。


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その田んぼの西隣には、恐らく白菜が植えられています。
その向こうは、何かの作物が芽を出しています。
さらにその向こうは、コスモス畑と茅葺屋根の民家です。
撮影日は11月の半ばだったので、まだまだ盛りのようでした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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先程から、東へ道を真っ直ぐ進めています。
とは言え、正確には南東に蛇行しています。
ここから約200m、このような状態で進みます。


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そして、北側はこのようにコスモス畑が続いていきます。
第265回ブログ第266回ブログでも出てきましたが、
嵯峨野北部では稲刈りの後の田んぼがコスモス畑になります。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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コスモス畑沿いに約200m進むと、この四つ辻に出ます。
とは言え、正面の道がかなり狭いのでT字路に見えます。


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その四辻で北を向きました。
大覚寺を目指しているので、表札通りにこの道を進みます。


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四辻から、北へ進んでいます。
この道は大覚寺の西側と一条通を結んでおり、
この道幅にもかかわらず自動車の交通量がかなり多くなります。
道の両側は、まだまだ長閑な田園風景が続きます。


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その道を歩きながら、左(西)を向きました。
稲刈りが終わった田んぼの向こうに、またコスモス畑が広がります。
とは言え、こちらは先ほどのものと同じコスモス畑なのですが……
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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四辻から、北に約100m進みました。
こちらは、道端までコスモスが迫ってきています。
(こちらは、別のコスモス畑です)
北嵯峨のコスモス畑はこの辺り一帯に点在して、
この辺りから直指庵に至る道沿いでコスモスが楽しめます。


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さらに北に約50m進みました。ここで、この道は突き当ります。
大覚寺は、もう目の前です。


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突き当たった場所で、東を向きました。
ずっと先に見える紅葉の辺りが大覚寺です。


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T字路から東へ進むと、すぐにこちらの祠に出会います。
では、このお地蔵さんにお参りして先に進みます。


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お地蔵さんの祠から、東に向かって歩いています。
両側に大覚寺の施設が並んでいます。
この辺りに北へ進む道が何本かありますが、
その道は全て直指庵に通じています。


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T字路から東に約200m歩いてきました。ここで道幅が広がります。
もう大覚寺の前なので、観光バスの駐車場や
市バスや京都バスのバス停があります。
1,2軒だけですが、飲食店も見えますね。


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さらに約50m進み北を向きました。ここから大覚寺に入っていきます。
この時点で、2014年11月16日午後4時です。
何とか拝観時間に間に合いました。
……ところが、ここでデジタルカメラがバッテリー切れです。
ここからは、撮影せずに大覚寺と大沢の池を母と回りました。
その後、覚勝院と六道院を参拝して一条通を西に進み、
森嘉に寄ってからJR嵯峨嵐山駅から帰りました。
ですから、次回以降の大覚寺は別の日にここに再訪した分です。

今回は、ここまでです。

~次回は、大覚寺境内を散策します~

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第276回 大覚寺の嵯峨菊~北嵯峨紅葉散策~その10

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また真言宗大覚寺派本山大覚寺の前に来ました。
2014年11月16日撮影時にデジタルカメラのバッテリーが切れたので,
4日後に今度は一人で再訪しました。
ここは庭園の紅葉も見事ですが、境内一面に嵯峨菊が咲いていました。
撮影日は、2014年11月20日木曜日午後3時。
この日も、秋晴れの一日でした。


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先ほどの地点から、北に移動していきました。
この辺りは、松林が続くようになっています。


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その辺りで、左(西)を向きました。
記念碑らしきものの向こうには、信徒会館の屋根が見えますね。


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今回ブログ最初の地点から北に約20mほど進むと、
今度は左(西)に進むようになります。


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その西へ進む道は、10mほどで終わります。
では、こちらの玄関門から大覚寺境内に入っていきます。


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玄関門をくぐり、大覚寺境内に入って来ました。
目の前に式内玄関があるのですが、
こちらはかつての大名や将軍、公家や皇族用の入り口です。

その手前に、花弁が細長い独特の形状の菊が何本も並んでいます。
こちらは嵯峨菊と言って、
今から150年ほど前にここ嵯峨野で品種改良された菊です。


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こちらは、式内玄関の左(西)脇です。
一般の参拝者は、こちらから入っていくことになります。


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大覚寺のチケットは、この入口から入ったところで買い求めます。
ただ、こちらは第270回ブログの祇王寺で買い求めたチケットです。
600円で、大覚寺と祇王寺の両方を拝観できます。
(ただし、有効期限は当日のみです)
2014年11月16日は料金を払わずにこれを提示して中に入りました。
(2014年11月20日は、ここで拝観料500円を払いました)


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大覚寺の屋内に入ってきました。
ここは、仏様がいらっしゃる場所以外は屋内も撮影可です。
この背後に式内玄関があって、右(東)側は売店です。
では、いよいよ天台宗大覚寺派大覚寺の散策となります。


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明智陣屋の中を少しだけ北に進みました。
左(西)側にこのような空間があって、そこが坪庭になっていました。
大覚寺は菊と紅葉の寺院ですが、こういう庭もいいですね。


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さらに明智陣屋を北に進みます。
晴れの日が日差しが強くて、その分屋内の写真が暗くなります。
(まぁ、自分の技量の問題もあるのですが)
ここで東に進み、宸殿に向かいます。


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宸殿は中には入れませんが、鴬張りの廊下を歩くことができます。
大覚寺境内周辺は、カエデが紅葉に染まって絶景でした。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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宸殿の廊下を左(北)に折れると、
廊下の周囲にまた嵯峨菊が建ち並びます。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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宸殿の南側に、このようなスペースがありました。
こちらで、嵯峨菊の品評会が行われていました。
この大覚寺や祇王寺の僧侶のほか、
個人参加の園芸家が菊の優劣を競い合われていました。


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その場所で東を向きました。
向こうに本堂でもある五大堂が見えますが、
そちらに向かうまでに他のお堂にもお参りします。


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宸殿の廊下を東に進み、次は北に折れ曲がりました。
五大堂に向かうには渡り廊下を進む必要がありますが、
その脇にずっと嵯峨菊が並んでいます。


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各お堂を結ぶ渡り廊下は、「村雨の廊下」と呼ばれています。
この鴬張りの廊下を北に進んだ後、東の御影堂に向かいます。


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「村様の廊下」から、東を見ています。
目の前の御影堂は、元々は大正天皇の即位式の際
饗応のために使われた建物でしたが、
即位式後大覚寺に下賜されてここに移築されました。
今は、勅封心経殿の南側におかれた「前殿」として使われています。
(ただし、この中は撮影不可です)


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勅封心経殿とこの御影堂は、大覚寺の中央にあります。
そのため、南側を向くと白砂の庭の向こうに勅使門が見えます。
その手前の祭壇も、嵯峨菊が囲んでいますね。


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大覚寺の御影堂の南側から、東を向きました。
次は、向こうに見える安井堂に向かいます。


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安井堂の中も、撮影不可です。
こちらは、大覚寺で焚かれた護摩木の灰です。
この安井堂の中でお布施を払えば、誰でももらえます。
自分は、この灰をカバンの中に入れてお守り代わりにしています。
安井堂は、元々安井(祇園の南側)にあった蓮華光院の御影堂でした。
それが、明治時代初期にこちらに移築されました。


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安井堂入口の前で、南を向きました。
鴬張りの廊下をそのまま進めば、本堂でもある五大堂に辿り着きます。


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五大堂西側の鴬張りの廊下を南に歩いています。
この先を左(東)に曲がれば、ここに入れます。


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大覚寺本堂の五大堂は、この南側から入れます。
この五大堂は大覚寺南東端になるので、その先に大沢池が見えますね。


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こちらが、真言宗大覚寺派本山大覚寺本堂五大堂です。
ご本尊は、不動明王他「五大明王像」です。

真言宗大覚寺派本山大覚寺は、嵯峨天皇壇林皇后と成婚後建てられた
「嵯峨御所」が後に寺院化したものです。
そのため、ここは皇族が住職を務める「門跡寺院」でした。
(第260回ブログに出てきた御室仁和寺と同じです)


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五大堂の入り口から、東を向きました。
ここから先は「観月台」という濡れ縁になっていて、
大沢池を眺められる絶景ポイントになっています。


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観月台から、大沢池を東に眺めています。
ここは春は桜、秋は紅葉を楽しめる京都屈指の絶景ポイントです。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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大沢池周辺は、このように散策できるようになっています。
普段は無料で散策できますが、紅葉ジーズンは有料になります。
(大覚寺の拝観料を払った方は、無料になります)


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こちらは、大沢池の遠景です。
この大沢池は、「嵯峨御所」を造営する際に
嵯峨天皇の命令で作られた人工の池です。
当時は、ここで嵯峨天皇ご一家が池の上で連日遊ばれたようです。
今は当時よりだいぶ小さくなりましたが、(少しずつ枯れています)
それでも春と秋の観光シーズンには多くの人を楽しませてくれます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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観月台の北側は、安井堂の東側の廊下と通じています。
(先ほど通った廊下とは別です)
今度は、ここを北上してまた御影堂に戻ります。


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ここが安井堂の東側です。どう見ても、ここからは中に入れません。
では、この先を西に向かい御影堂に戻ります。


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ここは、安井堂の北側になります。向こうに、御影堂が見えますね。
右(北)側の壁は便所です。
大覚寺は面積の割に便所の数が多くないので、
位置を覚えておく必要があります。


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御影堂の東側の廊下を北上しています。
この先の渡り廊下を北上すると、
霊宝館があって寺宝が収められています。
実はこの日(2014年11月20日)は霊宝館が公開されていたのですが、
別料金になることと、(祇王寺との共通券では入れません)
母と一緒に来たときは見ていないので、今回は中に入りませんでした。
(11月20日の拝観は、11月16日と同じ順路で回るつもりです)


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御影堂の北側を西に進みました。
目の前に賽銭箱がありますが、その北側にもお堂があります。


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こちらが、そのお堂です。
この六角形のお堂は勅封心経殿と言って、
中には嵯峨天皇を初めとする歴代天皇直筆の
勅封心経が収められています。
ここは五大堂と並び、この大覚寺の中心と言えます。


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こちらは、御影堂の西側にある「村雨の廊下」です。
この左(南)側にある宸殿から御影堂に来ました。
ですから、次はここを真正面(西)に進みます。


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「村雨の廊下」の西端に、正寝殿があります。
ただ、そちらには入らずに東側の廊下を北上します。


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正寝殿の東側廊下を北に進んでいます。
ここにも、嵯峨菊が並んでいます。
その向こうに、朱塗りのお堂が見えますね。


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正寝殿の北側は、このような庭園になっています。
紅葉と寒椿がきれいですね。
実はこの先に小さな池がるのですが、その辺りもなかなか絶景です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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正寝殿の北側に続く渡り廊下の先には、朱塗りのお堂があります。
こちらは霊明殿と言って、
元々は斉藤実が東京に建てた日仏寺の御影堂でした。
それが、1958年にここに移築されました。
ここを参拝した後、この大覚寺を出て大沢池を散策しました。

ただ今回もだいぶ写真を貼りつけたので、続きは次回となります。

今回は、ここまでです。

~次回は、大沢池を散策します~

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第277回 紅葉の大沢池~北嵯峨紅葉散策~その11

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こちらは、真言宗大覚寺派大覚寺の霊明殿です。
前回ブログで紹介した東京の日仏寺から移設した朱塗りのお堂です。
前回ブログで大覚寺を一通り散策したので、
今回は東側の大沢池畔を一回りします。
撮影日は、2014年11月20日木曜日午後4時。
秋晴れの格好の散策日和でした。


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こちらは、霊明殿の西側です。
寒椿とカエデに囲まれたなかなか趣のある庭園ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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こちらも、同じ庭園のカエデです。
このように京都で黄色く染まるのは、珍しいですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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霊明殿から、渡り廊下を南下しています。
この辺りが、一番カエデの密度が濃いですね。
この写真も、クリックすれば拡大します。


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霊明殿から渡り廊下を南下して、正寝殿の前まで戻りました。
では、ここを通って大覚寺を出ていきます。
ここも、嵯峨菊で囲まれていますね。


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正寝殿の前からさらに南に進み、明智陣屋に戻ってきました。
この突き当りを右折して、大覚寺から出ます。


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大覚寺の入り口から出ました。向こうに、玄関門が見えますね。
では、ここからそちらに進みます。


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玄関門の脇に、生け花が展示されていました。
こちらは、嵯峨菊以外にも様々な花が生けてあります。


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では、大覚寺の玄関門をくぐります。
ここから東の方にある大沢池を目指します。


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大覚寺玄関門の前から東に約10m進み、南を向いています。
この道は約1km南下すると、第266回ブログの一条通に出ます。


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先ほどの地点から南に約20m進み、東に向きました。
この右(南)側に、市バスや京都バスのターミナルがあります。
まだまだ午後4時です。
ここでは帰路には就かず、このまま東に進みます。


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この道は、東に約100mほどで突き当ります。
ここに小さな橋がありますが、
大沢池から流れ出した有栖川が流れています。
(有栖川は、第266回ブログ第49回ブログにに出てきましたね)
カエデの木の脇に受付があって、ここから大沢池畔に入れます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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自分は大覚寺の拝観料を払っているので、ここの拝観料は無料です。
とは言え、観光シーズンからずれると立ち入り自由になるのですが……
この先のテントは、露店です。
土産物のほか、おでんやお酒、団子などが売られています。


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そのテントで注文すると、こちらの縁台で食事ができます。
実は、ここからの眺望がこの辺りの絶景ポイントの一つになります。


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その縁台に座って、大沢池の様子を眺めています。
すると、たくさんの鴨がやって来ました。
たぶん、ここからエサを投げ入れる方がいらっしゃるのでしょうね。


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そのまま遠景にすると、このようになります。
向い岸に紅葉に染まる山が見える様子は、
第264回ブログに出てきた広沢池に似ていますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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では、縁台から北側に向かいます。
この先にも、大覚寺の施設がります。


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先ほどの写真の門をくぐり、さらに北に進みました。
左(西)側に、前回ブログに出てきた大覚寺五大堂の観月台が見えます。
目の前の鳥居は、五社明神のものです。
「五社」とは伊勢神宮内宮・外宮、八幡社、春日社、住吉社のことで、
それぞれの分社が大覚寺の末社になっています。


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五社明神にそれぞれお参りして、さらに北側に進みます。
こちらを通り抜けると、朱色の宝塔が見えてきました。


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大沢池の北西岸に、この朱色の宝塔があります。
こちらは1967年に完成した新しいもので、朱色が鮮やかに見えます。


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宝塔から南を向くと、護摩堂の向こうに放生池が見えます。
大沢池の北西部にある少し小さな池です。


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その護摩堂の東側に、朱色の橋が架かっています。
ここは、時代劇のドラマ撮影でよく使われています。
自分の一番印象に残るのが、「暴れん坊将軍」で
徳川吉宗役の松平健さんがこの橋の上を歩いている場面です。


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先ほどの朱色の橋を渡ると行き止まりなので、
その北側からさらに東に進みます。


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護摩堂から、東に伸びる道を歩いています。
左(北)側に一面の梅林が続きます。
2月や3月は絶景ですが、今は花も葉もついていません。


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護摩堂から、大沢池の北側を東に歩いています。
この辺は11月16日に通ったときよりも、
この日(2014年11月20日)の方が紅葉に染まっていました。
まぁ、当たり前なのですが……


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朱色の橋から大沢池北岸を東に約100m進みました。
こちらは大沢池のほぼ北東端なのですが、
ここから北に芝生が広がっています。
平安時代初期にはこの辺り一帯に嵯峨天皇の邸宅があって、
ここは「嵯峨御所」と呼ばれていました。


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先ほどの地点から、芝生の上を約100m北に進みました。
芝生の最北端に、こちらの涸れた滝があります。
こちらが、様々な和歌の題材にもなった名古曽の滝跡です。
嵯峨天皇在任時はここから大量の水が流れており、
この芝生も当時は大沢池の一部でした。
藤原公任の歌にある「名こそ流れて」は、この滝を掛詞にしています。


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名古曽の滝を背に、南を向いています。
ここから川のような跡が南に伸びていますが、
名古曽の滝はもう数百年水が涸れたままです。
では、次は左(東)側に伸びた大沢池沿いの道を進みます。


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名古曽の滝から南に約100m進み、大沢池畔まで戻ってきました。
この辺りは浮島が並んでいて、それが独特の味を出しています。


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では、大沢池東岸を南下します。大沢池はこの辺りが一番絶景です。
秋はカエデがきれいですが、春は桜が見ごろになります。


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この道の左(西)側は、鉄柵の向こうにいろいろなものが見えます。
だいぶ望遠にして撮ったのですが、たぶん円町付近と思います。


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さらに大沢池東岸を南下します。
桜の木がありますが、その周囲にはさらに濃いカエデ並木が並びます。
やはり、大覚寺付近はこの辺りが一番の紅葉ポイントです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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この辺りで、大沢池の西岸の方を見ています。
向こうに見えるのは、先ほど通った護摩堂ですね。


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こちらは、大沢池からの取水口です。
ここから今通っている道の東側に流れる川に流れていきます。
その川は、この先で有栖川になります。


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また、東側の方を見ました。ずっと先に小さく案山子が見えます。
(第266回ブログの畑に並んでいた「仮装案山子」です)


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さらに南下して東側を見ると、
はるか先に第265回ブログに出てきた広沢池が見えます。


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大沢池東岸の道を進んでいます。
だいぶ南に進んできましたが、この辺りで南西に進路を変えます。


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さらに大沢池東岸を南西に進みました。
紅葉越しに、向こう岸の大覚寺五大堂が見えますね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その辺りで、東を向きました。
向こうに見えるのは、第266回ブログにも出てきた
京都府立北嵯峨高校ですね。


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その辺りで大沢池畔を見ています。向こうに見えるのは望雲邸ですね。
もうすぐこの大沢池を一周するのですが、
だいぶ写真を貼りつけたので、今回はここまでとします。

~次回は、六道院経由でJR「嵯峨野嵐山」駅を目指します~

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第278回 西の六道の辻~北嵯峨紅葉散策~その12

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大沢池南東岸から、南西側にある望雲邸を見ています。
今回は大沢池から南に下がり、JR「嵯峨嵐山」駅を目指します。
途中「嵯峨聖天」や「六道院」にも寄ります。
撮影日は、2014年11月20日木曜日午後4時半。
今回が、今年最後のブログです。


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先ほどの地点から、西を向きました。
ここに歌碑があるのですが、よく読めません。
寒椿が落ちて、きれいですね。


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歌碑と寒椿の左(南)側に、抜け道がありました。
ここを通って、ここを出ます。


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大沢池脇の抜け道から、西へ進んでいます。
この右(南)側で、大沢池から流れた水が川を作っています。
こちらはこの辺一帯をくねくね曲がって、有栖川になります。
(第266回ブログ第49回ブログにも出てきました)


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この細い道をまだまだ進みます。
川の脇には桜並木があって、春になるとここは絶景になります。
実は、この辺り(大覚寺や大沢池)一帯は
秋の紅葉シーズンよりも春の桜の方が有名です。


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有栖川沿いの桜並木は、約200mで終わります。
ここから目の前の鉄門扉を越えて外に出ます。


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鉄門扉を抜けて、西を向きました。
こちらは、前回ブログで大覚寺からここ大沢池まで来た道です。
要するに、これで大沢池を一周したことになります。


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大沢池沿いの公園に入る地点で北を向きました。
この川の水は、大覚寺の庭園から流れ出たものです。
この流れと先ほどの川が合流して、有栖川になります。


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先ほどの地点から、西へ約150m進み北を向きました。
こちらは、第276回ブログで訪問した大覚寺です。


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この辺りは、交差点になっています。
その南西角に市バスターミナルがあって、
28系市バスや91系市バスの終点「大覚寺前」バス停があります。


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大覚寺前から、南を向いています。
では、この道を真っ直ぐ進みJR「嵯峨野嵐山」駅に向かいます。


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大覚寺前から、南に約10m進みました。
こちらは「嵯峨聖天」真言宗覚勝院です。
次は、こちらに向かいます。


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覚勝院境内に入ってきました。すると、先ずはこちらに目が行きます。
多分大根炊きのためのものと思うのですが、周囲には誰もいません。


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南を向くと、石製の鳥居があります。
ただ、そちらには社も祠もいらっしゃいません。
そちらは、単なる駐車場のようです。


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こちらが、真言宗覚勝院の本堂です。
ご本尊は、聖天(歓喜天)です、要するに、ガネーシャですね。
確認はしていませんが、おそらく秘仏と思います。
(聖天の共通点です)
立地でも分かるように、大覚寺の末寺でもあります。


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では、この覚勝院を出ます。
向こうに見える紅葉は、市バスターミナルのものです。


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覚勝院の前から南を向きました。
では、ここをどんどん進んでいきます。


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覚勝院の前から、南に約400m進みました。
市バスは、この道を通っているようですね。


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先ほどの地点で、左(東)を向きました。
紅葉がきれいですが、こちらは民家です。
この辺は、その民家の木々が見事ですね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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大覚寺前から、南に約400m進みました。
一条通と交差する「大覚寺門前」交差点で、この道は突き当ります。
ここには、平安時代に大覚寺の山門がありました。
(第266回ブログにも出てきましたね)


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「大覚寺門前」交差点の北角に、こちらの寺院があります。
まだ新しいようで、壁なども真っ白です。


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その寺院に、入ってきました。
ここは、YAHOOの地図などには「六道院」と書かれていました。
「大覚寺門前」交差点が五叉路なので、
この寺院の敷地もかなり尖った奇妙な形です。
こちらは「観音堂」と書かれていますが、多分本堂です。
ただ、宗派などはよく分かりませんでした。


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「六道院」の観音堂をお参りしました。
では、ここからもとの位置に出ていきます。


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「大覚寺門前」交差点に戻り、西を向きました。
左がここから西に進む一条通です。
右も清滝道へ抜けますが一条通より広い道なので、
市バスはこちらを進みます。


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では、ここからは第266回ブログで進んだ道を100mほど進みます。
「大覚寺門前」交差点北西角に、こちらの施設がありました。
ここは、おそらく先ほどの寺院の一部です。
第266回ブログ「写真缶」のna-ohさんが書かれていましたが、
こちらは数年前までガソリンスタンドだったそうです。
「六道の辻」と言えば、京都では六原を連想しますね。


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その施設の北側に、こちらの井戸があります。
ここは「黄泉がえりの井戸」と言って、
平安時代に小野篁が地獄からこの世に帰るために
この井戸を使ったとされています。
……とは言え、この「黄泉がえりの井戸」には諸説あります。
小野篁がこの世から地獄に向かったとされる
東山の六原にある六道珍皇寺の「冥土通いの井戸」の北側で、
数年前に発見された井戸が「黄泉がえりの井戸」とする説もあります。


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「黄泉がえりの井戸」の左側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
延命地蔵尊ということは、やはり「地獄信仰」ということでしょうか?
まぁ、とりあえずお参りを済ませます。


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「黄泉がえりの井戸」と延命地蔵尊を背に南を向きました。
白砂の庭園になっているのですが、
枯山水というよりは「三途の川」を描いているようですね。


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「大覚寺門前」交差点から、一条通を西に向いています。
(先ほどの「六道の辻」の碑が見えますね)
では、ここから西に進みJR「嵯峨嵐山」駅に向かいます。


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「大覚寺門前」交差点から、一条通を西に約100m進みました、
2014年11月16日に母と来たときは、ここをこのまま進み
清滝道経由で丸太町通に出ました。
(嵯峨豆腐の森嘉に寄るためです)
今回は、この先の自動販売機の辺りで南に折れます。
この方が、JR「嵯峨野嵐山」駅には近道になります。


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一条通から、その自動販売機の前で南を向きました。
では、ここから第266回ブログのルートを外れて南下していきます。


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一条通から南を進み、住宅街を通り抜けています。
……しかし、この嵯峨野周辺は京町家とは異なるのですが、
一軒一軒が豪邸ですね。


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……と思っていたら、このような施設もありました。
こちらは、ビニールハウスですね。
青いシートが被せてあるので、何を栽培されているかは分かりません。


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こちらは、そのビニールハウスで買われていた柴犬です。
おとなしくて、こちらがカメラを向けても吠えませんでした。


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ビニールハウスから南は一転し、道の両側に畑が広がっています。
(手前は、ススキで覆われています)
一条通から南へ伸びたこの道も、約200mで突き当ります。
そこからはY字路になっていて、左(南東)に進んでみます。


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Y字路から10mほど南東に進んで、北を向きました。
畑の向こうの山が、そろそろ夕焼けに染まり出しています。
(もう午後5時に近いです)
あの山のふもとに直指庵があって、大沢池や大覚寺はその中間です。


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南東へ進む道は、Y字路から約100mで南に折れます。
そこからさらに約100m進むと、丸太町通に出ます。


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丸太町通に出て、東を向きました。
約100m先に、「嵯峨嵐山駅」と書かれた看板が見えます。


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その看板があった交差点まで進み、南に向きました。
約100m先にJR「嵯峨嵐山」駅が見えますね。


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先ほどの交差点で横断歩道を渡り、南に約100m進みました。
こちらが、第267回ブログの出発点JR「嵯峨嵐山」駅です。
午前10時半から、約6時間の行程でした。
(途中、鳥居本にある平野屋で1時間以上寛いだのが大きいのですが)
こうして見ると、第97回ブログに出てきたこの駅の北側とは
また趣が違いますね。
2014年11月中旬から約1月半連載してきましたが、
この北嵯峨紅葉編もこれで終了です。
嵯峨嵐山紅葉散策編と比べてまだまだ観光客も多くないので、
個人的には結構狙い目と思って書いてみました。
来年以降、お時間がある方は一度試してみてください。

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第828回 長辻通から天龍寺へ~嵐山ツツジ散策~その1

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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京都駅から国際会館行き地下鉄烏丸線で3駅進み、
「烏丸御池」駅で地下鉄東西線に乗り換えます。
その東西線も終点の「太秦天神川」駅で降りて、
地上から京福電車(嵐電)に乗り換えます。
こちらは、京福電車(嵐電)終点「嵐山」駅です。
今回は、この駅周辺のツツジを見物に行きます。
撮影日は、2022年5月5日こどもの日の木曜日午後2時半。
久しぶりに、取材日が快晴でした。


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京福電車(嵐電)の駅は、大半が無人駅です。
無人駅では車両内で改札を行いますが、
有人駅でも車両を出たところで改札を行います。
ここで、自分と母の分の運賃計440円支払いました。
ですから、たとえ終点の駅でも「改札口」はありません。


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こちらが、自分とウチの母が乗ってきた京福電車(嵐電)の車両です。
自分たちが下りた直後に、四条大宮行きのお客さんが乗ります。
そういえば、この車両も広告が貼り付けてありません。
以前は京福電車(嵐電)の車両には大きな広告が貼り付いていました。
コロナ禍以降、ラッピング電車(広告が貼り付いた電車)は
京福電車(嵐電)ではほとんど見られなくなりました。


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その京福電車(嵐電)の車両の向かい(北)側に、
こちらのテナントが入っていました。
ちょっと洒落た居酒屋ですが、飲食スペースはこの奥です。
(割と知られた有名店だったりします)
京福電車(嵐電)「嵐山」駅は、このようなテナントで囲まれています。


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その居酒屋さんの前で、「嵐山」駅ホームを西に向きました。
京福電車(嵐電)「嵐山」駅のホームはここで突き当たりますが、
このまま左(南)側に駅ホームは続きます。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅ホームを西に進み、
突き当たってから南を向いています。
この駅を出る前に、ちょっと寄ってみたいところがあります。


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京福電車(嵐電)駅ホームで先ほどの位置から南下して、
中央のホームで東を向いています。
ここから、このホームの東端まで移動します。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅中央ホームの東端に移動しました。
こちらに、「嵐山温泉」と書かれた表札が立っています。


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中を覗くと、本当に温泉です。
まぁ駅ホームで全裸になるわけにはいかないので、
足首まで浸かる「足湯」ですが……
とは言え、ご時世からか開店休業状態でした。
(足湯には、第398回ブログで入りました)


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「嵐山」温泉」の前で、中央ホームを西に向いています。
では、ここから京福電車(嵐電)「嵐山」駅ホームを西に進みます。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅中央ホームを西に進みました。
時刻表を見ると、10分おきに電車が出ています。
京福電車(嵐電)「嵐山」は全線普通電車しか走っていませんが、
その分本数がとても多いのが特徴です。
次は京福電車(嵐電)「嵐山」駅ホームから、
西に隣接する「嵐山」駅の駅ビルを通り抜けます。


828-12.jpg
京福電車(嵐電)「嵐山」駅の駅ビルを通り抜け、
そのまま西に向いています。
GW中の快晴ということもあって、嵐山周辺はかなりの人出でした。
ここからは、目の前の長辻通に出ます。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅ビルの前で、長辻通を南に向きました。
約100m先で、長辻通は三条通と交差します。
そして三条通以南は、大堰川(桂川)に架かる渡月橋です。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅ビルの前に、
長辻通を西側に渡る横断歩道があります。
ここからはこの横断歩道を渡り、長辻通西側歩道に向かいます。


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その横断歩道を渡り、長辻通西側歩道を北に向いています。
では、ここから長辻通を北上します。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅ビルから、長辻通を約30m北上しました。
こちらは、「嵐山天龍寺前」バス停です。
この日は利用者数が多いので、こちらは臨時便ですね。


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「嵐山天龍寺前」バス停から、長辻通を約30m北上しました。
こちらは、今回ブログのメイン臨済宗天龍寺派本山天龍寺です。
ただしこちらは自動車用の入り口で、歩行者は入れません。


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天龍寺の門前に、ツツジが咲いていました。
天龍寺庭園には様々な花が咲いていますが、
特にツツジが多く植えられています。


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天龍寺門前のツツジは、西側の方が多くなります。
ただ、この日(2022年5月5日)のツツジは咲き初めですね。
第44回ブログほどは、まだまだ咲いていません。


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天龍寺の門前から、長辻通を北に向いています。
歩行者は、約20m北の天竜寺総門から入ります。


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こちらが、臨済宗天龍寺派本山天龍寺総門です。
では、こちらから天龍寺境内に入ります。


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臨済宗天龍寺派天龍寺総門をくぐり、
天龍寺境内を西に向いています。
ここから天龍寺境内は、まっすぐ西に伸びています。
では、ここからは天龍寺境内をこのまま西に進みます。


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臨済宗天龍寺派本山天龍寺総門から、境内を西に約50m進みました。
ここでまた、臨済宗天龍寺派本山天龍寺中門をくぐります。


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臨済宗天龍寺派本山天龍寺中門をくぐり、境内を西に向いています。
ここから庫裏へと続く石畳の道は、右(北)側に塔頭寺院が並びます。


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一方、石畳の道の左(南)側には放生池があります。
第44回ブログではかなり汚い池でしたが、
今回2022年はかなり整備されてきれいな池に変わっていました。


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その放生池を大写しにしました。
池の中州に、ツツジの群生地があります。
こちらも、そろそろ満開に近づいています。


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その放生池を背に、天龍寺境内を北に向きました。
こちらに、臨済宗天龍寺派弘源寺が建っています。
天龍寺中門より西は、境内の北側に天龍寺の塔頭寺院が並びます。


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臨済宗天龍寺派弘源寺は、2022年5月15日まで有料で公開されます。
こちらの寺院は、禁門の変直前に長州藩士の拠点でした。
この天龍寺自体が当時長州藩の拠点で、
そのため禁門の変直後に天龍寺は
江戸幕府により焼き討ちされるのですが、
塔頭寺院である弘源寺は焼失を免れました。
そのため、この寺院に宿泊した長州藩士による刀傷が
庭園を望む縁側の柱に残されています。
ただ、個人的にはこの寺院の庭園がお気に入りです。
嵐山や岩田山を借景にして眺めると、かなり絶景です。


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臨済宗天龍寺派弘源寺の前から、天龍寺境内を西に向きました。
次は、弘源寺の西隣の塔頭寺院を訪れます。


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臨済宗天龍寺派弘源寺の西隣に、
弁財天を祀るこちらの神社がいらっしゃいます。
こちらは臨済宗天龍寺派慈済院の境内の一部です。
慈済院自体は非公開寺院なのですが、
この弁財天を祀る神社は公開されています。


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臨済宗天龍寺派慈済院の唐門をくぐると、
約20m先に弁財天を祀る社がいらっしゃいます。
御覧のように、慈済院境内は青紅葉で囲まれています。
こちらも秋になると、相当の絶景に変わります。
天龍寺の塔頭寺院は、どこも紅葉がきれいです。
しかも、その大半が公開寺院です。


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臨済宗天龍寺派慈済院の弁財天社の前で、
天龍寺境内を西に向いています。
目の前に、慈済院本堂に通じる石畳も見えますね。
ただ、そちらは非公開寺院のため立ち入り禁止です。


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臨済宗天龍寺派慈済院の弁財天社前から、
天龍寺境内を西に約100m進みました。
この間右(北)側に見える塔頭寺院は、非公開寺院が増えます。
左(南)側に広がっていた放生池の西側は、
臨済宗天龍寺派天龍寺の法堂(本堂)です。
だんだん石畳の道の突き当りにある
臨済宗天龍寺派天龍寺の庫裏がはっきり見えてきました。


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先程と同じ位置で、天龍寺境内を北に向いています。
こちらは塔頭寺院ではなく、青紅葉に囲まれた八幡社です。
この八幡社周辺も、紅葉の絶景ポイントとして知られています。


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では、この八幡社にもお参りします。
「八幡社」のご祭神は応神天皇で、通常は軍神と考えられます。
こちらは太平洋戦争の戦没者慰霊のため、
1970年ごろに創建されました。


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八幡社から石畳の道に戻り、天龍寺境内を西に向きました。
左(南)側に絵馬殿が見えて、その西側にある石段を上ると
臨済宗天龍寺派天龍寺の庫裏に到達します。


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臨済宗天龍寺派天龍寺境内をさらに西に進み、
石段の許まで到達しました。
この石段を上ると、天龍寺の庫裏が建っています。
「庫裏」とは禅宗僧侶の生活スペースの一部のことで、
お料理を調理する厨房や金銭を納める寺務所が内蔵されます。
(各寺院の拝観料を納めるのも、庫裏であることが多いですね)
他の禅宗の本山同様、ここの庫裏も方丈と隣接します。
ただ今回の散策では、庫裏と方丈の中には入りません。


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天龍寺の庫裏の前に、こちらの標識が立っています。
矢印のまま進むと、天龍寺の法堂(本堂)が建っています。
先ずは、そちらに寄り道します。

ただだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、天龍寺の方丈庭園を散策します~

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第829回 世界遺産曹源池庭園~嵐山ツツジ散策~その2

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前回ブログで京福電車(嵐電)「嵐山」駅から、
臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏の前まで西に進みました。
今回は法堂(本堂)にお参りした後、世界遺産の庭園を散策します。
撮影日は、2022年5月5日こどもの日の木曜日午後3時半。
快晴の中の庭園散策です。


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臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏前から、天龍寺境内を約10m南下しました。
では、こちらから臨済宗天龍寺派天龍寺法堂(本堂)に入ります。


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自分とウチの母の2名分の拝観料1,000円を納めて、
法堂(本堂)に入りました。
ただ他の臨済宗本山と同様、屋内の撮影は禁止されています。
そのため、堂内の代わりにパンフレットを撮影しました。

臨済宗天龍寺派天龍寺は崩御された後醍醐天皇の菩提寺として、
1345年夢窓疎石の請願を受けた足利尊氏が創建しました。
(前身の寺院が平安時代からあって、その寺院の創建は820年ごろです)
その際寺院建設費を捻出するため天龍寺船を明へ派遣したことは、
高校の日本史の教科書にも載っています。
ご本尊は、釈迦牟尼(お釈迦さん)です。
南北朝時代(室町時代)以来の禅宗寺院ですが、
この天龍寺は8回にわたって焼失しています。
特に禁門の変の際には、天龍寺は長州藩の拠点でしたので、
江戸幕府軍がこの辺を焼け野原にしました。
現在の天龍寺の伽藍の大半は、明治時代半ばの1899年に造営です。

ですから、この法堂(本堂)も1899年に建造されました。
天井画の雲竜図は1900年に鈴木松年が描いたものでしたが、
破損したために1997年加山又造が新たに描きました。


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法堂(本堂)を背に、天龍寺境内で北を向いています。
ここからは、法堂(本堂)から先程の石畳の道に戻ります。


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臨済宗天龍寺派天龍寺法堂(本堂)から、庫裏前に戻って来ました。
次はこの石段を上がって、天龍寺方丈の方に向かいます。


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臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏の右(南)に、方丈が隣接しています。
方丈の中に入るなら、庫裏の中で300円を納めて
渡り廊下から方丈に入ります。
ただ、今回は方丈庭園だけを散策します。
(両方散策するなら、800円納めます)
その場合は、庫裏の右(南)にある切符売り場で500円納めて
この先の入り口から庭園内に侵入します。


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天龍寺方丈前の切符売り場で500円納めると、
このチケットとパンフレットをもらえます。
パンフレットには、方丈庭園の地図が描いてあります。
こちらの方丈庭園は方丈周辺だけでなく、
境内北側の亀山(小倉山)山中も含めます。
実はこの北側に伸びる竹林の道への近道として、
この方丈散策を利用することができます。


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チケットを購入して、こちらの門をくぐります。
では、ここから先の天龍寺方丈庭園に入ります。


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先程の門をくぐり、天龍寺境内を南に向いています。
右(西)側に、天龍寺方丈が見えますね。
こちらは、天龍寺方丈の東側庭園です。


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その入り口から、天龍寺方丈の前に移動しました。
「方丈」とは、住職や管主などの生活スペースのことです。
元来は、「正方形一部屋の住居」という意味です。
天龍寺方丈内にも、たくさんの方々がおられました。


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈を背に、天龍寺境内を東に向きました。
こちらが、天龍寺の方丈東側庭園です。


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先程の写真を撮った位置で、南を向いています。
では、このまま南下して天龍寺方丈の南側に回り込みます。


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈の南側に回り込んで、西を向きました。
こちら側は庭園ではなく、通路ですね。


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈の南側で、さらに南を向きました。
生垣の向こう(南)側が、天龍寺直営精進料理店の篩月です。
ランチタイムのみの営業ですので、今は閉まっています。
(この時点で、2022年5月5日の午後3時40分ごろでした)


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈の南側を西を進みます。
では、このまま西進して天龍寺方丈庭園の西側に出ます。


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈の西南側を西進して、
天龍寺方丈北側庭園まで来ました。
こちら側は、方丈南側庭園の数倍の大きさです。
目の前に、曹源池が広がってますね。
この曹源池周辺を、UNESCOが世界遺産に指定しています。


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その曹源池の畔を覗いてみました。
こちらには、たくさんの鯉が泳いでいました。
1匹1匹が大きいので、方丈からでも鯉が見えますね。


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天龍寺方丈南西角から、天龍寺境内を北に向きました。
天龍寺方丈の先に、天龍寺庫裏も見えますね。


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その天龍寺方丈の梁の一部を大写ししました。
こちらに、梁と垂直に板が取り付けられています。
こちらは、ツバメが巣を作れるように工夫されています。
10年前にこちらに訪れた第45回ブログでは、
こちらに親鳥と雛がいました。


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈を背に、曹源池を見ています。
正確には、この曹源池が見える方丈庭園が世界遺産です。
この庭園を作庭したのは、夢窓疎石です。
先述の通り天龍寺は何度か火災にあっていて、
創建当時の面影は天龍寺庭園のこの部分しか残っていません。
とは言え、この曹源池庭園には池泉式回遊庭園を得意とした
夢窓疎石の神髄が詰まった見事な景観が、そのまま残っています。
それが、ここが世界遺産に指定された最大の理由です。


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈の西側を北上して、庫裏の前に来ました。
庭園散策だけでなく、庫裏内部にも多くの参拝者がいらっしゃいます。
庫裏の前にベンチが置いてありますが、
そちらに座ると、庫裏の内部と同じ光景を目にすることができます。


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臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏の前のベンチに座り、
曹源の池庭園を南に向いています。
こちらから眺めると、大堰川(桂川)より南の
嵐山や岩田山が借景になります。
こういう角度も、おそらく夢窓疎石の構想内でしょうね。
こちらは秋になるとこれらの山も紅葉に染まり、
また格別の絶景になります。
(詳しくは、第90回ブログ参照)


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臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏の前で、西を向きました。
この先は、徐々に北に蛇行する道が続きます。


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臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏から西に進み、
北へ曲がる直前で南を向いています。
この時期は、この角度から見ると
ツツジ越しに曹源池庭園を眺めることができます。
実は、この角度が曹源池庭園で自分の一番のお気に入りです。
ただ、GW中はツツジの咲き初めで花が付いていない株もありました。
ツツジが満開となってこの辺りがさらに絶景に変わるのは、
おそらく2022年5月下旬でしょうね。


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曹源池を背に、先ほどの写真と同じ位置で北を向きました。
右(東)側に見える庫裏の北側に、渡り廊下が見えます。
ここからは、その渡り廊下沿いにこの庭園を散策します。


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曹源池から臨済宗天龍寺派天龍寺境内を西に約10m進み、
その位置で西に向いています。
ここから、上りの石段が続いています。
実は、右(北)隣の渡り廊下も上り坂です。
ここから、亀山(小倉山)の稜線に入っていきます。


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先程の写真から天龍寺境内を西に進み、石段を上っています。
この辺はカエデ並木が続くので秋には絶景になりますが、
この時期の青紅葉もなかなかですね。


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この上りの石段は、約50m続きます。
石段を上る詰めると、ここで三叉路に出ます。


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その三叉路で、北を見ています。
ここから天龍寺境内は、平坦な道になります。
ここからは、こちらを北上します。


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三叉路から、天龍寺境内を北上しています。
程なく青葉の枝垂桜越しに、お堂が見えてきます。
次は、そのお堂に向かいます。


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こちらは、臨済宗天龍寺派天龍寺多宝殿です。
庫裏からの渡り廊下は、こちらに繋がっていました。
多宝殿の地下には、後醍醐天皇の遺骨が祀られています。
つまり、こちらは後醍醐天皇の霊廟(お墓)です。
敵将だった足利尊氏が、夢窓疎石の勧めで建立しました。
こちらは天皇家関連の施設なので、
天龍寺境内ですが宮内庁(つまり日本国政府)が管理しています。


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臨済宗天龍寺派天龍寺多宝殿の前で、西を向きました。
このままさらに西に進む道と、北に折れる道がありますね。
今回ブログでは、北に折れる道を進みます。


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その三叉路に立ち、天龍寺境内で北を向きました。
天龍寺多宝殿を右(東)に見ながら、境内を北上します。


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三叉路から北上すると、青葉の枝垂桜越しに小さなお堂が見えます。
では、次はこちらに参拝します。


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その小さなお堂には、こちらの仏像が祀られていました。
菩薩像っぽいのですが、どちら様かよくわかりません。
(着衣や髪型から、弁財天など神様の像ではないようです)
目前の小さな池には、蛙像も数体祀られていました。

~2022年5月9日追記~
GOOGLEマップには、こちらを「平和観音と愛の泉」と書いています。
まぁ地図上の位置と実際の位置は、ズレていますが……


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小さなお堂の北側に、「百花苑」と書かれた表札が立っていました。
ここから先は、天龍寺境内の最北端部分です。


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「百花苑」と書かれた表札の前で、天龍寺境内を東に向きました。
では、向こうに見える赤い花の辺りまで東に進みます。


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その赤い花の辺りから、さらに北上しています。
ここからは、この北西の道に沿って進みます。
また、ここからだんだん急な上り坂に変わります。


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その北西に進む道は、徐々に蛇行しながらさらに北に進みます。
上り坂は、さらに急になってきます。
もうすぐ、天龍寺境内の北端ですね。


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天龍寺境内をさらに蛇行しつつ、徐々に北上しています。
この辺りはカエデ並木が続き、GW中は青紅葉ですね。


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徐々に北上していた天龍寺境内の道が、
この辺から徐々に西に曲がりだします。
その先が、臨済宗天龍寺派天龍寺の北門です。
その門を出ると嵯峨野の竹林の道ですが、
今回ブログではそちらには進みません。
ここからは天龍寺方丈前に戻るのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回も、天龍寺庭園散策が続きます~

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第830回 曹源池庭園の青紅葉~嵐山ツツジ散策~その3

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前回ブログで臨済宗天龍寺派天龍寺の庭園を北上し、
天龍寺北門まで来ました。
このまま天龍寺北門を出ると、嵯峨野の竹林に出ます。
(その様子は、第91回ブログ参照)
今回はここからこの庭園の西側を南下し、
天龍寺方丈前から臨済宗天龍寺派天龍寺を出ます。
撮影日は、2022年5月5日こどもの日の木曜日午後3時50分。
ポカポカした散策日和でした。


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臨済宗天龍寺派天龍寺北門を背に、境内を南に向きました。
前回ブログではこちらより東寄りの道を北上しましたが、
今回は曹源池より西側の亀山(小倉山)山中のルートを通ります。


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臨済宗天龍寺派天龍寺北門から、約50m南下しました。
右(西)に見える東屋の先に、石碑のようなものが見えますね。


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その石碑のようなものに回り込んで、天龍寺境内で北を向きました。
一見石碑に見えますが、こちらは墨を擦るための巨大な硯です。
1899年に鈴木松年が天龍寺法堂(本堂)の雲竜図を描いたとき、
こちらの硯を使用しました。
雲竜図完成後、鈴木松年はこちらにこの硯を置いて帰りました。
絵画の上達を願って、こちらに参拝される方もいらっしゃいます。


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その硯を背に、天龍寺境内で南を向きました。
この辺りから、だんだん急な下り坂になります。
まぁ、亀山(小倉山)を下っていますので……


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その下り坂の途中で、こちらの碑がありました。
「復元の流れ」と書いてありますが、
「百花苑」のようにこの辺りを表す名称でしょうか?


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その「復元の流れ」と書かれた碑から、約10m南下しました。
ここで天龍寺の庭園は、三叉路にぶつかります。
右(東)の道を進めば、すぐに前回ブログのルートに辿り着きます。


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その三叉路で、天龍寺庭園で南を向きました。
次は、あちらの石段の許まで南下します。


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先程の三叉路から、この石段の許まで南下しました。
ここも、三叉路ですね。
右(西)側の石段を上ると、さらに亀山(小倉山)を登ります。


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その三叉路で、南東を向きました。
枝垂桜越しに、前回ブログに出てきた「平和観音と愛の泉」と
天龍寺多宝殿が見えますね。


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その「愛の泉」の前で、南東を向いています。
この瞬間、前回ブログと同じルート上にいます。


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「平和観音と愛の泉」を背に、天龍寺庭園で南を向いています。
この天龍寺多宝殿西側は、前回ブログでは北上しました。
今回は、ここを南下します。


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天龍寺多宝殿南西角で、また三叉路に出会いました。
ここから右(東)の道を進むと、すぐに曹源池にたどり着けます。
前回ブログでは、そのルートからこちらに来ました。


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今度はその三叉路で、南西を向きました。
ここを進むと、曹源池より西の亀山(小倉山)山中を南下します。
今回ブログは、このルートを進みます。


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先程の三叉路から南西に進むと、蛇行しながらゆっくり南下します。
また、この辺りから緩やかな下り坂ですね。
左(東)側に、青葉の枝垂桜が見えます。
4月頃には、さぞかし見事に咲いていたのでしょうね。


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先程の道をさらに南下しています。
この左(東)側はすぐに崖になっていて、その下に曹源池があります。
ここは、完全に亀山(小倉山)山中でもあります。
この辺りに、ベンチが並んでいます。
陽気がいいので、ここに座ると快適でしょうね。
またこの辺りは青紅葉並木ですが、秋には絶景になります。


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先程と同じ道をさらに南下しています。
右(西)側に小川が流れていて、この先で左(東)に流れていきます。
そしてこの小川の水は、曹源池に流れ込みます。


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さらに同じ道を南下しています。
先程の小川が、この辺りで細長い池に変わっています。
その池のほとりで、紫色の花が咲いています。
スミレ科の花なのは間違いないのですが、
詳しい品種はよくわかりません。


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さらにさらに、同じ道を南下しています。
この辺りで、下り坂が急になりました。
ただ、よく見ると路上に何かいますね。


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その「何か」を大写ししました。
こちらは……スズメですね。
取り敢えず、こちらが立ち去るまでちょっと待っています。


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スズメが通り過ぎたので、この道を南下します。
この辺りも、青紅葉がきれいですね。


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さらに、この道を進みます。
すると、だんだんと下り坂が急になってきました。
さらに、この道が徐々に東へと曲がります。


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そして生け垣のある辺りまで来ると、
この道は完全に東に伸びています。
さらに、下り坂から石段に変わります。


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その生け垣が途切れたところに、こちらがありました。
「東司」とは、トイレのことです。


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そのトイレの前で、この道を東に向きました。
この辺りから、この道は平坦になります。


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その道をさらに東に進んでいます。
左(北)側に、たくさんの方々がいらっしゃるところが見えました。


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そのあたりに、北へ進む小径が伸びていました。
そちらを進むと、前回ブログの曹源池庭園があります。
ここからでも、曹源池が見えますね。


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曹源池へ北上する道から、東を向きました。
約10m先に、天龍寺の建物が見えます。


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こちらが、その建物です。
よく見ると、天龍寺直営の精進料理店篩月ですね。
……ということは、既に天龍寺方丈の南側に回り込んでいます。


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その「篩月」を背に、天龍寺境内で北を向いています。
ここからは、臨済宗天龍寺派天龍寺方丈の東側庭園を北上します。


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臨済宗天龍寺派天龍寺方丈東側庭園を北上しました。
東側庭園より北側に、庭園への出入り口があります。
左(西)側が出口で、右(東)側が入り口です。


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こちらが、臨済宗天龍寺派天龍寺方丈庭園の出口です。
では、ここをくぐって天龍寺方丈庭園を出ます。


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天龍寺方丈庭園の出口をくぐると、
目の前に臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏が見えます。
その前に、東へ延びる石畳の道が見えます。
そちらは、第828回ブログで通った道です。


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臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏を背に、石畳の道を東に向きました。
次は、ここから東に少しだけ進みます。


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臨済宗天龍寺派天龍寺庫裏の前から、
石畳の道を約10m東に進みました。
ここから、この石段を下ります。


830-36.jpg
その石段を下りた地点で、右(南)側に絵馬殿が見えます。
その絵馬殿の右(西)側に、南に伸びる小径が伸びています。


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石畳の道から南を向いて、その小径を見ています。
この先に、臨済宗天龍寺派天龍寺法堂(本堂)が建っています。
そちらには前回ブログで参拝しましたので、
今回は、目の前の渡り廊下をくぐりぬけていきます。


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その渡り廊下をくぐり、小径を南に向いています。
向こうの土塀の辺りから南に天龍寺塔頭寺院が続きますが、
そのあたりは天龍寺境内ではありません。


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先程の小径を約10m南下して、東を向きました。
左(北)側に、臨済宗天龍寺派天龍寺法堂(本堂)が建っています。
次は、天龍寺法堂(本堂)の南側を東に進みます。


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臨済宗天龍寺派天龍寺法堂(本堂)の南側を東に約10m進みました。
天龍寺法堂(本堂)を通り過ぎた辺りで、さらに南に道が伸びます。
先述の通り、ここから南は天龍寺境内ではありません。
この後はこの道を南下して大堰川(桂川)畔まで進みますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、宝厳院の青紅葉を散策します~

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第831回 新緑の宝厳院散策~嵐山のツツジ~その4

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臨済宗天龍寺派天龍寺法堂(本堂)を背に、南を向いています。
この位置から南は、もう天龍寺境内ではありません。
今回は目の前の道を南下して、大堰川(桂川)に至ります。
途中、天龍寺塔頭寺院の宝厳院庭園に立ち寄ります。
撮影日は、2022年5月5日午後4時。
だいぶ日が長くなって、まだまだ夕方ではありません。


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臨済宗天龍寺派天龍寺法堂(本堂)から、この道を50m南下しました。
右(西)側の土塀の向こうは、天龍寺境内です。
蛇行していますが、こちらをさらに南下します。


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先程の位置から約10m南下すると、生け垣で囲まれます。
この先に、天龍寺の塔頭寺院の門が見えますね。
次は、そちらに向かいます。


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その門の前に来ました。
こちらは、臨済宗天龍寺派宝厳院です。
きれいな庭園で有名な寺院ですが、ここからは入れません。
ですから、もう少し南下します。


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臨済宗天龍寺派宝厳院の門から、南を向いています。
右(西)側の生け垣の向こうが、宝厳院境内です。


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その位置で南下する前に、東に向いています。
右(南)側の見ると、十六羅漢像が並んでおられます。
こちらの小径から、人力車がやって来ました。
どうやら、この辺りは人力車の観光コースのようです。


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その位置から、この道を南下しています。
この日は快晴のGWなので、散策される方も結構いらっしゃいます。


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臨済宗天龍寺派宝厳院の門から、約100m南下しました。
どうやら、2022年6月末日まで有料公開されています。
そして、こちらから臨済宗天龍寺派宝厳院に入れます。


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先程の受付で500円納めると、宝厳院庭園に入れます。
ただ自分と母は、第828回ブログで訪れた臨済宗天龍寺派弘源寺で
宝厳院庭園の拝観料も一緒に納めています。
(2寺合わせて、800円です)
ですから、ここでは拝観料を納めずに入れました。
ただ、さらに500円納めたなら中で抹茶を戴けたようです。


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宝厳院庭園の受付で弘源寺との共通拝観券を提示して、
宝厳院庭園に入ります。
すると、青紅葉のカエデ並木が出迎えてくれました。


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入り口から入って、まずは宝厳院庭園を西に進みます。
こちらは、一面のカエデ並木で有名な庭園です。
GWの時期なら、青紅葉で囲まれた庭園に変わります。
ただ、こちらは秋には相当人気のある紅葉庭園になります。
第90回ブログでは拝観待ちの行列の長さに、拝観を諦めました。


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先程の位置から、順路を進む道が北へ折れます。
左(西)側に、枯山水の池が見えてきます。


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「枯山水」ということは、池には水が一切ありません。
その代わり、黒くて丸い石が敷き詰めてあります。
こちらの石には、表札に「舟石」と書かれていました。


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その「舟石」の前で、宝厳院庭園を北に向いています。
この辺りは、順路の道は蛇行しながら北上します。


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「舟石」から、宝厳院庭園を北上しています。
宝厳院庭園の順路は、この道を時計回りします。


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先程から、宝厳院庭園を北上しています。
この辺りから、右(東)側に開けた場所かあります。


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そのあたりで、東を向きました。
開けた場所一面に、苔が生えています。
その上に、青紅葉がきれいですね。


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さらに、宝厳院庭園を北上します。
この辺りから、蛇行しながら北東に道が変わります。


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宝厳院庭園を北東に進んでいます。
この辺りで、さらに東に進路を変えます。


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宝厳院庭園の北東端に、こちらの看板がありました。
希望すれば、この先の庵で抹茶を戴けます。
ただし、そのためには事前に500円納める必要があります。


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その庵の前で、南を向きました。
宝厳院庭園の順路は、ここから蛇行しながら南下していきます。


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先程の庵から、宝厳院庭園の順路を南下しています。
道の両側は、一面苔が生えています。
その上に、青紅葉の青葉が続きます。
「青」一色の世界ですね。


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その辺りで、右(西)を向きました。
なかなか見事な「青の世界」ですが、
先程この反対側から、こちらを眺めていました。
つまり、そろそろ宝厳院庭園も一周です。


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さらに宝厳院庭園を南下しています。
よく見ると、向こうにまた別の建物が見えます。
ここから左(東)側に、宝厳院のお堂などが並びます。


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その辺りに、こちらの池がありました。
黄色い花は、杜若(かきつばた)でしょうね。
GWが満開の時期ですし……


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その池からも南下しているのですが……
自分は宝厳院の本堂に入ったことがありません。
この辺りに本堂があると思うのですが、
実はどれが本堂かすらも知りません。
何回か庭園を散策していても、
施設内には入ったことがないので……


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その施設を通り過ぎて、さらに南下しています。
先程から続く青紅葉と緑のコケが、この時期の宝厳院ですね。


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すると、途中に小川が流れていました。
ここで、その上に架かる石橋を渡ります。


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石橋の上から、小川を見ています。
こちらにも、杜若(かきつばた)が咲いていますね。


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その石橋の上で、順路の道を南に向いています。
だんだん先程の受付が近づいてきました。


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さらに、この道を南下しています。
右(西)側の垣根は、宝厳院独特の「穂垣」ですね。
その穂垣を通り過ぎて、さらに南下します。


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その穂垣を通り過ぎてさらに進むと、
その向こうで南下する道は終わりです。
そこで右(西)に進むと、さらに庭園を1周することになります。


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その突き当りで、東を向きました。
この先が、初めに来た宝厳院の入り口です。
では、その入り口から臨済宗天龍寺派宝厳院を出ます。


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臨済宗天龍寺派宝厳院の前で、南を向いています。
では、またここを南下します。


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臨済宗天龍寺派宝厳院の前から、約50m南下しました。
宝厳院の南隣に、嵯峨嵐山文華館(通称:時雨殿)が建っています。
小倉百人一首に関する資料を集めた博物館です。
確か、「競技かるた」の全国大会も行われています。
嵯峨野の西にそびえる小倉山で、小倉百人一首が発祥しました。


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その嵯峨嵐山文華館の南隣に、最近できた高級ホテルが建っています。
そして、この位置から三条通が始まります。
(詳しくは、第47回ブログ参照)


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三条通東端から、さらに南に向いています。
こちらの坂道を下れば、大堰川畔に出ます。
京都盆地の西側を流れる桂川は、
松尾大社より上流を大堰川(おおいがわ)、
保津峡より上流を保津川と呼びます。
ですから、嵐山付近は大堰川と呼びます。


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こちらが、大堰川畔です。
快晴のGW中とあって、かなりの人出ですね。
……と言いますか、貸しボート屋さんがかなり繁盛されています。
あとは渡月橋経由で駅に戻るわけですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、大堰川を散策して帰宅します~

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第832回 賑わいの大堰川~嵐山ツツジ散策~その5

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前回ブログで臨済宗天龍寺派本山天龍寺法堂(本堂)から
約200m南下して、大堰川(桂川)畔に出ました。
快晴のGW中でしたので、川面は観光客で溢れています。
今回は渡月橋まで大堰川沿いを散策した後、
長辻通を北上して京福電車(嵐電)「嵐山」駅から帰宅します。
撮影日は、2022年5月5日こどもの日の木曜日午後4時半。
今回で、「嵐山ツツジ散策編」が最終回です。


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その位置で、東を向きました。
この北側に三条通最西端があって、
そちらの様子は第47回ブログを参照してください。
今回は、このまま大堰川(桂川)畔を東に進みます。


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先程の位置から、大堰川(桂川)畔を約80m東に進みました。
あちらに、小屋が1軒建っています。


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その小屋の前に、こちらの看板がありました。
大堰川(桂川)畔で手漕ぎボートを借りたいなら、
この小屋で申し込むことになります。
そういえば、第90回ブログたこ焼きと焼きそばを戴いたのが
この小屋が建っていた辺りでした。


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その辺りで南を向き、大堰川(桂川)を見ています。
一面の手漕ぎボートですが、そのすべてがこちらのものでしょうね。
快晴のGWですから、観光客もたくさんいらっしゃいます。
その向こう(南)側の嵐山(らんざん)は、山肌一面の新緑です。


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その小屋から、東を向いています。
ここで、今までの大堰川(桂川)畔の道と三条通が合流しました。
ですから、ここからは三条通を東に進みます。


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先程の位置から、三条通を東に進んでいます。
左(北)側に旅館や高級料亭が並んでいて、
右(南)側は大堰川(桂川)の川原です。
先程の川面同様、この辺りの歩道も観光客でいっぱいです。


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さらに、三条通を東に進んでいます。
左(北)側の生け垣は、豆腐専門の料理店のものです。
その生け垣から、ツツジの花々が咲き誇っていますね。


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その辺りで、三条通から大堰川(桂川)を撮りました。
今回ブログ最初の写真から約200m東に進みましたが、
あと200mさらに東に進むと渡月橋に至ります。


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さらにその辺りで南に向いて、大堰川(桂川)を撮りました。
左側に柵が川についていますが、
手漕ぎボートはそれ以上下流(東)に行けないようになっています。


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大堰川(桂川)沿いの三条通をさらに東に進んでいます。
この日(2022年5月5日)は、本当に観光客で混み合っていました。
これは、コロナ禍以降では多分初めてですね。


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その辺りで、三条通を北に向きました。
こちらは、「アラビカ」という 福田美術館の南隣にあるカフェです。
確かにこちらは近年かなり人気があるのですが、
順番待ちの長蛇の列が出来上がっていました。


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「アラビカ」というカフェの前で、三条通を東に向いています。
先程から、人力車が行き交っています。
実はこの先(東側)に、観光用人力車の発着場があります。


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カフェ「アラビカ」から、三条通を約50m東に進みました。
左(北)側に、「よしむら」と書かれた電灯が付いた建物があります。


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こちらは、蕎麦屋さんの「よしむら嵐山本店」です。
要するに、そばの実 よしむらの本店です。
この嵐山本店には2013年2018年の集中豪雨の取材の際、
店舗状況をお見せするためもあって、こちらにお邪魔しました。


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「よしむら 嵐山本店」の前で、三条通を東に向いています。
渡月橋のある長辻通まで、もうすぐですね。


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「よしむら 嵐山本店」の東隣は、車崎神社嵐山頓宮です。
車折神社が、この地に勧請されています。
以前取材した三船祭は、こちらの神社の例祭です。


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車折神社嵐山頓宮を背に、大堰川(桂川)を南に向きました。
この角度が渡月橋のベストショットなのですが、ちょっと違います。
帰宅後写真を見直して、もう少し大写しにすべきと気づきました。


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車折神社嵐山頓宮の前で、三条通を東に向きました。
このすぐ先で、三条通は長辻通と交差します。
大堰川(桂川)に架かる渡月橋も間の前ですね。
この辺りが観光用人力車の発着場なのですが、
人力車がフル稼働で1台も待っていません。
逆に観光客の方々が、人力車待ちされていました。


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三条通から、長辻通を南に向いています。
このまま長辻通を南下すると、渡月橋を渡ります。


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今度は、三条通から長辻通を北に向いています。
桜餅専門店「琴きき茶屋」の大きな赤提灯が見えますね。


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先程の横断歩道を渡り、「三条長辻」交差点で北を向きました。
三条通以北の長辻通沿いが、京都最大規模の土産物店街を形成します。
(嵐山と清水寺が、京都の2大土産物店街です)


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ちなみに、「琴きき茶屋」は長辻通沿いの南北に2店舗並びます。
南側はお食事も出す食堂でもあるのですが、
北側はより桜餅に特化した茶店です。
また、北側の茶店ではお土産用の桜餅も販売しています。


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「琴きき茶屋」のお土産用カウンター下のショウケースです。
よく見ると、桜餅一択ですね。


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……と思ったら、こちらも売られていました。
「桜湯」用の桜の花びらの塩漬けですね。
白湯に浮かべると、「桜湯」という飲み物になります。


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ウチの母と相談して、こちらをウチに持ち帰りました。
こちらは、持ち帰り用桜餅です。


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紙箱を開けると、こうなります。桜餅6個入セット(1,040円)です。
餡に包んだ餅には、桜の葉は付いていません。
箱に書かれた由緒書きには、こちらが桜餅発祥のお店とあります。
もともとは車折神社境内にこのお店があったそうですが、
後に嵐山頓宮に引っ越されたそうです。


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こちらが、自分の分の桜餅です。
帰宅後、自分と母で桜餅を3個ずつ戴きました。
京都サンガのマグカップには、プーアル茶が入っています。


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自分の分の桜餅を大写ししました。餡堤1個と桜の葉包み2個です。
「琴きき茶屋」の名物は、桜の葉包みの方です。


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その桜餅の桜の葉をめくり上げました。
餅1個を桜の葉で上下から挟んでいます。
最大の特徴は、小豆餡が使用されていないことです。
確かにあまり甘くないですが、この方が桜の葉の香りが強くなります。


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「琴きき茶屋」の前で、長辻通を北に向きました。
先述の通り、ここから北側が土産物店街です。
ここから、暫く長辻通を北上します。


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「琴きき茶屋」の北隣は、ゆばチーズのお店があります。
こちらも開店中で、長い行列待ちですね。


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ゆばチーズの北隣は、嵯峨野コロッケの露店です。
こちらも、結構流行っていました。


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嵯峨野コロッケの北隣に土産物店があるのですが、
そちらに、こちらのネコのぬいぐるみがありました。
「うちのネコに見せたら、どう反応するのだろう」
ウチの母が、そんなことを言っていました。


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三条通から、長辻通を約100m北上しました。
左(西)側の建物は、かつて「美空ひばり記念館」でした。
現在は、テナントビルですね。


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そのテナントビルから、長辻通を北に向いています。
快晴のGWということで、コロナ禍以来いちばんの賑わいです。


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さらに長辻通を北上しています。
人通りが賑やかだったこともありますが、
土産物店など多くの店舗が賑わっていたのが印象的でした。


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三条通から、長辻通を約200m北上しました。
ここで、長辻通に横断歩道が架かります。
第828回ブログで、この横断歩道を渡りました。
つまりブログ5回かけて、この辺りを1周しました。


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その横断歩道を渡った先に、京福電車(嵐電)「嵐山」駅があります。
では、こちらから帰宅します。
これで、「嵐山ツツジ散策編」は終了です。

~次回から、ようやく「哲学の道桜散策編」を始めます~

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第885回 紅葉の蚕の社~下嵯峨紅葉散策~その1

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2022年も、紅葉シーズンとなりました
今回(2022年)は、2020年に企画していたコースを散策します。
その2020年はコロナ禍で「蜜」を防ぐ意味で梅小路公園を散策し、
翌2021年も人混みが少ない伏見区深草地区を訪れました。

今回の紅葉散策は、歴代10か所と異なる回り方をしています。
今回は嵐電(京福電車)を利用して、各観光地を移動しました。
京都駅前地下の市バス・地下鉄案内所で、こちらを購入しました。
地下鉄・嵐電1デイチケット(1200円)ですね。
こちらを使えば、地下鉄と嵐電(京福電車)が一日乗り放題です。
地下鉄で京都駅から「太秦天神川」駅まで進み、
そこから嵐電(京福電車)に乗って3か所以上利用すれば、
あとはこちらの方がお得になります。
今回はこちらを利用して、下嵯峨地区中心に回りました。
ちなみに右京区下嵯峨地区は、
右京区太秦地区と右京区嵯峨野嵐山地区との間にあります。
という訳で、先ずは右京区太秦地区から回ります。


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京都駅から国際会館行きの市営地下鉄烏丸線に乗って、3駅。
「烏丸御池」駅で市営地下鉄東西線に乗り換え、
終点の「太秦天神川」駅まで来ました。
今回は、この駅から蚕の社木嶋神社に向かいます。
撮影日は、2022年11月23日勤労感謝の日の水曜日午前11時。
TV報道とは異なり、まだ結構青紅葉でした。


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地下鉄東西線「太秦天神川」駅ホームを移動し、
こちらの階段の前まで来ました。
では、こちらを上がります。


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先程の階段から、「太秦店川」駅コンコース階まで上がりました。
次は目の前の改札口から、地下鉄東西線「太秦天神川」駅を出ます。


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市営地下鉄東西線「太秦天神川」駅を出ると、
真正面にエスカレーターがあります。
では、このエスカレーターに乗って地上に上がります。


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地下鉄東西線「太秦天神川」駅から。地上に出ました。
この日(2022年11月23日)は、結構雨が激しい時間帯がありました。
目の前が広場になっていて、その先(南)側はサンサ右京です。
右京区役所や保健所、右京中央図書館などの複合施設ですが、
一部はマンションや商業施設にもなっています。
その右(西)側は、三条通が伸びていますね。
この辺りの様子は、第54回ブログを参照してください。


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地下鉄東西線「太秦天神川」駅の前で、三条通を南東に向きました。
この辺りの三条通は、北西~南東に伸びています。
約30m先の横断歩道を渡って、
多くの方々が三条通上の中央分離帯に向かっています。
こちらが、嵐電(京福電車)「嵐電天神川」駅です。
ただ直後にこの近所の「蚕の社木嶋神社」に向かいますので、
今回はこの先から嵐電(京福電鉄)に乗ります。
そうそう、「嵐電天神川」駅向かいのarrows
この日(20022年11月23日)も営業中でした。


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その位置で、三条通を北西に向いています。
今回は、こちらを進みます。


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地下鉄東西線「太秦天神川」駅から、
三条通を約100m北西に進みした。
ここで三条通は、御池通と交差します。
つまり、ここはある意味奇妙な「三条御池」交差点です。
(三条通と御池通はどちらも通常東西に伸びる通りですが、
それがこの辺り限定で三条通が曲がっているので、
このような交差点が存在します)


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「三条御池」交差点南東角から、
「三条御池」交差点北東角への横断歩道に向いています。
では青信号に変わりましたので、こちらを渡ります。


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横断歩道を渡り、三条通から、御池通を東に向いています。
右(南)側に、先程のサンサ右京が見えますね。
こちらをずっと進むと、精肉店のやまむらやに辿り着きます。


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御池通から、三条通を北西に向いています。
この先のマンションに、しまむらがテナントで入っています。
ここからは、三条通をそのまま北西に進みます。


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御池通から、三条通を北西に約50m進みました。
この位置で、三条通から真北に木島大路が伸びています。
このまま約50m三条通を進むと、
嵐電(京福電車)「蚕の社」駅があります。


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三条通から、木島大路を真北に向いています。
ここからは、この木島大路を北上します。


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三条通から、木島大路を約250m北上しました。
ここで木島大路は、太子道と交差します。


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木島大路から、太子道を東に向いています。
右(南)側に見えるコンビニエンスストアは、10年前にもありました。


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今度は太子道から木島大路を北に向いています。
約700m北上すると、JR嵯峨野線「花園」駅に出ます。


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さらに木島大路から太子道を西に向いています。
では、この先の鳥居の脇のカエデ並木に向かいます。


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こちらは、木島坐天照御霊神社です。
自分は、通常「蚕の社」木嶋神社と呼んでします。
実は、古すぎて創建時代が不明の神社です。
弥生時代まで遡る説があるほどです。
こちらにはこのブログで何度も訪れていますが、
そのたびにカエデの木が多いことに気付いていました。
ですから紅葉シーズンに訪れれば絶景になると思ったのですが、
予想通り結構な状態になっていました。


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木製の鳥居をくぐり、「蚕の社」木嶋神社境内に入ります。
左(西)側の紅葉は、約半分紅く染まっています。
2022年の京都は11月半ばから「紅葉見頃」と報道されていましたが、
少なくともこの神社は見頃がもう少し先のようです。


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木製鳥居をくぐると境内は南北に細長く、
石畳の道を約100m北上した先に本殿がいらっしゃいます。
木製鳥居から「蚕の社」木嶋神社境内を約10m北上すると、
この神社の社務所があります。
自分と母の周囲には参拝者が数人いらしたのですが、
社務所内には誰もいらっしゃいませんでした。
実はこの神社の周囲に「このしま保育園」があるので、
(「蚕の社」木嶋神社が経営する保育園です)
園児たちの声でかなり賑やかなのですが、
日曜日や祝日はかなり静かな場所になります。


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その社務所脇に「かいこの社」と書かれた
石碑のようなものがありますが、
こちらがこの神社の手水舎です。
また、その脇に風水版のような形の石像があります。
こちらの神社は何かと謎めいた神社かのように紹介されますが、
こういう石盤があるからでしょうね。


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「蚕の社」木嶋神社社務所の前で、境内を向いています。
この先に「蚕の社」木嶋神社拝殿がありますが、
その周囲もカエデが密集しています。
またこちらと拝殿との中間点に、
左(西)に伸びる石畳の道があります。

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その石畳の道のT字路で、境内を西に向きました。
こちらに石製鳥居があり、両脇にキツネ像が並びます。
明らかに、稲荷社がいらっしゃる印ですね。
「蚕の社」木嶋神社は大きな森に囲まれていますが、
こちらは「元糺の森」と呼ばれています。
下鴨神社南側に広がる糺の森と似た名称ですが、
この糺の森が平安京遷都(794年)直後はこちらにありました。
元糺の森は19世紀後半の明治時代に削られて
だいぶ宅地化されてしまいましたが、
今でもそこそこの面積が残されています。
では、その今も残る元糺の森の最南端にいらっしゃる
こちらの稲荷社に向かいます。


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石製鳥居をくぐり境内に流れていた小川跡に架かる橋を渡って、
その稲荷社に入ってきました。
こちらは、複数の社と祠が点在されています。
そちらを1柱ずつお参りします。


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では、祠の稲荷社にお参りします。
木々に隠れていますが、左(西)側にもう1柱いらっしゃいます。
6年前に訪れたときと異なり、祠が立派な囲いに覆われていました。


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その祠の前で、左(西)を向きました。
目の前に洞穴があってその奥に社がいらっしゃいますが、
先に右(北)側をお参りします。


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その北側の道の先は、この辺りです。
先ずは、右(東)側の稲荷社にお参りします。
こちらも、だいぶ立派になっていました。


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その稲荷社の脇に、こちらの石碑が立っています。
「白塚」と書かれていますが、
おそらく後述の洞穴の社のもともとの名称でしょう。


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石を組み上げた小山に奥へ通じる洞穴があって、
その奥に白清社がいらっしゃいます。
中にはキツネが描かれた板が釘で打ち付けてあり、
そちらがこちらのご神体です。
賽銭箱の真下が少し掘られていて、
状況からもともとこちらに石棺があったと思われます。
要するに、こちらはもともと古墳(古代のお墓)です。
ご神体が「キツネ」ですから稲荷社の一種ですが、
どちらを稲荷神と考えても「死霊神」の側面があります。
(人を殺す「死神」ではありません。
死者の魂を鎮める神様です)
ですから古いお墓の周囲に稲荷社が多いですね。

初めてこちらを訪れた際にこちらが気になり、
相当調べてこちらの出自を知りました。
元糺の森が宅地化されていく明治時代以前は、
この辺は鬱蒼とした森でこの古墳の存在は忘れられていました。
こちらが見つかって考古学者が発掘して、
さらに破壊することになっていたのですが、
近所の右翼団体の方々がこれに抗議して
近くの蛇塚古墳の賽銭箱を持ち込み、
「ここは神社だ。発掘と破壊は許さん」
そうおっしゃって、こちらを守られたようです。
以来こちらは白清社となりました。


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白清社に背を向き、境内を東に向きました。
では石製鳥居をくぐり橋を渡って、T字路まで戻ります。


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「蚕の社」木嶋神社境内のT字路に戻り、約50m北上しました。
こちらが、この神社の拝殿です。
この先(北側)に、木嶋神社と蚕養神社の本殿がいらっしゃいます。


885-34.jpg
「蚕の社」木嶋神社拝殿の前で、左(西)を向きました。
この先に休憩所があって、この辺りが紅葉の絶景ポイントです。
……のですが、2022年11月23日段階ではまだ5分の染まりです。
ここが絶景になるのは、11月末日くらいでしょうね。


885-35.jpg
「蚕の社」木嶋神社拝殿の西側を北側に向いています。
本殿のさらに西側に赤く染まった木々が並びます。
本殿にお参りする前に、そちらに向かいます。


885-36.jpg
そちらは、竹垣で囲まれています。
その先にはもう涸れてしまった泉があって、
その水源部分に三角鳥居があります。
こちらは京都御苑内の厳島神社(旧九条邸)の破風鳥居、
北野天満宮の末社「伴氏社」の鳥居と並ぶ「京都三珍鳥居」です。


885-37.jpg
その三角鳥居を竹垣の隙間から撮りました。
あちこちの本に「三角鳥居は、ここにしかない」と書かれていますが、
実はそこそこ三角鳥居は日本全国に点在します。
三角鳥居の中心に紙垂が立っていますが、
かつて紙垂の位置から地下水が湧いていました。
「謎の三角鳥居」と呼ばれていますが、
湧水を神様として信仰する場所に、こちらが置かれるようです。


885-38.jpg
三角鳥居の前から、境内を北東に向きました。
この先に、「蚕の社」木嶋神社本殿がいらっしゃいます。


885-39.jpg
こちらが、木嶋坐天照御霊神社(「蚕の社」木島神社)本殿です。
主神の天之御中主神他、5柱がご祭神です。
右京区太秦地区の始まりは、秦酒公
雄略天皇に「うず高く」献上した絹織物に対する返礼として、
この地を賜ったことによるものです。
(「うず高く」→「うじまさ」→「うずまさ」と訛っていきました)
もともとこちらには別の豪族がいたのですが、
天皇家に反乱を起こし一族皆殺しにされて、
その直後に秦酒公がこの地を賜りました。
そして太秦に秦酒公が入植した際に、
この地にこの神社を創建したのが定説です。
ちなみに、ここは元々滅亡した豪族の宗教施設でした。
ただ元の宗教施設も遡ってみると、
こちらの創建はさらに古いと考えられます。
ちなみに、こちらの東隣にも「蚕養神社」がいらっしゃいます。
こちらは末社ではなく、
「蚕の社」木嶋神社と対等な関係です。

ここから嵐電(京福電車)「蚕の社」駅に向かい、
さらに別の神社仏閣に参りますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、太秦広隆寺に向かいます~

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テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第886回紅葉の広隆寺~下嵯峨紅葉散策~その2

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

885-39.jpg
前回ブログで紅葉シーズンの木嶋坐天照御霊神社本殿にお参りました。
要するに、「蚕の社」木嶋神社ですね。
今回はこちらから嵐電(京福電車)「蚕の社」駅に向かい、
「太秦広隆寺」駅まで進んで、広隆寺を散策します。
撮影日は、2022年11月23日勤労感謝の日の水曜日午前11時半。
今回の散策では、広隆寺がいちばん見頃でした。


886-1.jpg
木嶋坐天照御霊神社本殿の脇に、こちらが置かれていました。
小さな石がくっついて、大きな石になっています。
要するに、細石(さざれいし)ですね。
「君が代」にも、歌い込まれています。


886-2.jpg
さらに本殿脇に、こちらが貼られていました。
こういうことをする方が、いらっしゃるのですね。
何か怪しい儀式のようですが、多分神社の木材が傷みます。


886-4.jpg
木嶋坐天照御霊神社拝殿まで南下して、
この神社の境内を南に向きました。
では、このまま鳥居の方に南下します。


886-5.jpg
木嶋坐天照御霊神社拝殿から、約50m南下しました。
鳥居の向こう(南側)に、「このしま保育園」が見えます。
ではこの鳥居をくぐり、太子道を出ます。


886-6.jpg
木嶋坐天照御霊神社の前で、太子道を西に向いています。
こちらを約500m進むと、太秦広隆寺に辿り着きます。
そちらは、第420回ブログと同じコースになります。
ただ今回は嵐電(京福電車)を利用するので、
南側にある「蚕の社」駅を目指します。


886-7.jpg
今度は同じ位置で、太子道を東に向きました。
この先で、太子道は木島大路と交差します。


886-8.jpg
太子道から、木島大路を南に向いています。
ここからは、木島大路を南下します。


886-9.jpg
太子道から、木島大路を約250m南下しました。
石製鳥居をくぐると、木島大路は三条通と交差します。


886-10.jpg
木島大路から、三条通を北西に向いています。
ここからは、三条通を北西に進みます。


886-11.jpg
木島大路から、三条通を南西に約50m進みました。
目の前の横断歩道から先の三条通は、
約500m先の広隆寺前まで「三条太秦繁栄会商店街」です。


886-12.jpg
この横断歩道の先に、嵐電(京福電車)「蚕の社」駅があります。
ではこの横断歩道を渡り、「蚕の社」駅に向かいます。


886-13.jpg
その横断歩道を渡りました。
こちら側は、四条大宮行き(嵐電天神川行き)のホームです。
ですからこちらの踏切を渡り、あちら側のホームに進みます。


886-14.jpg
踏切を渡り、北西に向いています。
嵐電(京福電車)の各駅は、ほぼ無人駅で構成されています。
また、現在(2022年11月23日)は「蚕の社」駅は拡張工事中です。
ですから、このような鉄パイプ製の階段でホームに上がります。


886-15.jpg
こちらが、嵐電(京福電車)「蚕の社」駅ホームです。
手前の「嵐電天神川」駅とは、約300mしか離れていません。
ちなみに、「太秦広隆寺」駅とは約500m離れています。


886-16.jpg
嵐電(京福電車)各駅には、最寄りの観光地の写真が貼られています。
「蚕の社」駅には、木嶋坐天照御霊神社の三角鳥居ですね。
この写真にあるように、約10年前まで三角鳥居の中心から
滔々と水が湧いていました。


886-17.jpg
自分と母がこちらに来て、約3分経ちました。
すると、嵐山行の車両がやって来ました。
嵐電(京福電車)には急行がなく、すべて各駅電車ですが
その分発射する間隔が短く、約10分おきに電車が来ます。


886-18.jpg
嵐山行の嵐電(京福電車)の車両が停車しました。
こちらは、2両編成ですね。
自分が子供のころは1両編成が多かったのですが、
最近は2両編成が多いです。
多分乗客が増えているのでしょうね。


886-19.jpg
自分と母が嵐電(京福電車)に乗り込むと、電車が動き出しました。
嵐電(京福電車)は各駅が無人なので、
降車時に車内で運賃を払います。
ほとんど京都市バスと同じシステムですので、
自分が降りたい駅が近づくと、このボタンを押す必要があります。


886-20.jpg
次の目的地「太秦広隆寺」駅は1駅先なので、約2分で到着しました。
通常はこちらに運賃を入れるのですが、
自分と母は先に1デイパスを購入しているので、
機械の上の方にそのパスを入れます。
するとパスに日付が記録されて、
このパスはその日だけどこまでも使用できるようになります。


886-21.jpg
「蚕の社」駅から、1駅先の「太秦広隆寺」駅に着きました。
嵐電(京福電車)の駅は通常無人で改札口がないのですが、
「太秦広隆寺」駅のホームは民家に直結しています。
不動産屋さん風に言えば、「駅まで徒歩0分」の物件です。


886-22.jpg
自分と母が今まで乗っていた嵐電(京福電車)の電車が、
次の駅の「帷子の辻」駅に向かっています。
先述の通り、こちらの駅には改札口がありません。
ですから、電車内で運賃を支払います。
(自分と母は、1デイパスを使いました)
この先に、今回ブログの目的地広隆寺が見えますね。


886-23.jpg
嵐電(京福電車)「太秦広隆寺」駅ホームで、反対(北)側を向きました。
「太秦広隆寺」駅ホームに、うどん 京冨がテナントに入っています。
一見すると安価な立ち食いそば屋ですが、
個人的には鴨川製麺所と双璧の京都随一のうどんの名店です。
ただ先がありますので、今回は素通りです。


886-24.jpg
嵐電(京福電車)「太秦広隆寺」駅を出て、三条通を西に向きました。
目の前に、「太秦」交差点があります。
ここからは、そのまま三条通を西に進みます。


886-25.jpg
「太秦」交差点で、三条通を西に向いています。
三条通はこのまま右に反れていきますが、
左にも分かれ道ができます。
この辺りにかつて大映の撮影所があったため、この通りは
嵐電(京福電車)「帷子の辻」駅前まで大映通商店街を形成します。


886-26.jpg
「太秦」交差点南西角で、北を向いています。
では横断歩道を渡り、太秦広隆寺に入っていきます。


886-27.jpg
太秦広隆寺の山門をくぐり、境内を北に向いています。
2022年11月23日は太秦も下嵯峨も
大半の神社仏閣の紅葉が5分染めでしたが、
広隆寺の紅葉だけは7分染めでした。


886-28.jpg
広隆寺三門から、石畳の道を北に向いています。
こちらでは、この石畳の道を順路に北上します。


886-29.jpg
石畳の道から、この辺りの紅葉を写しました。
もう完全に赤く染まっていますね。
その紅葉並木の裏(北側)には、重要文化財の講堂が建っています。
ただ2022年11月23日現在、こちらは修復工事中です。


886-30.jpg
とは言え広隆寺講堂脇から伸びているカエデは、
下半分がまだまだ青紅葉です。
紅葉に染まるのは、気温の降下と日差しの強さです。


886-31.jpg
広隆寺講堂の西側から、広隆寺境内を北に向いています。
この先(北側)に、重要文化財広隆寺太子殿があります。
広隆寺の事実上の本殿です。
堂内には、こちらのご本尊聖徳太子像がいらっしゃいます。
そして広隆寺太子堂の手前(南側)で、石畳が四つ辻になっています。


886-32.jpg
その四つ辻で、東を向きました。
こちらに手水舎がありますが、ご時世からか涸れていました。


886-33.jpg
手水舎の奥(東側)に、太秦殿の祠がいらっしゃいます。
こちらのご祭神は、秦河勝です。
聖徳太子に仕えた渡来人で、
右京区太秦地区一帯を支配した豪族でもあります。


886-34.jpg
広隆寺太子堂にお参りして、その四つ辻に戻り西を向きました。
このずっと先に、太秦広隆寺の駐車場があります。
修学旅行など観光バスでこちらに来ると、
こちらから広隆寺境内に入ります。


886-35.jpg
広隆寺境内で先程の四つ辻を西に約10m進み、北を向きました。
広隆寺講堂周辺とともに広隆寺境内最北端の霊宝殿周辺が、
2022年11月23日段階ではいちばん紅葉に染まっていました。


886-36.jpg
またこの辺りは、広隆寺太子殿の西側でもあります。
石畳の道の左(西)側の白壁と太子殿の辺りにも、
しっかり紅く染まったカエデ並木が続きます。


886-37.jpg
その白壁は、太秦広隆寺庫裏のものです。
ここから先は広隆寺の僧侶のプライベートスペースですので、
広隆寺庫裏には観光客は入れません。


886-38.jpg
広隆寺庫裏の脇に、広隆寺霊宝殿の拝観料を納める場所があります。
その場所から、広隆寺境内の石畳の道を北に向きました。
この先に広隆寺霊宝殿が建っていますが、
中の仏像の何体かが国宝です。
ですから、ここから北はまた撮影不可の地域になります。


886-39.jpg
広隆寺霊宝殿が撮影禁止地域なので、
こちらのパンフレットの写真で代行します。
こちらは、自分の分と母の分を重ねて掲載しています。
広隆寺霊宝殿には、こちらにいらっしゃる仏像のうち
重要文化財と国宝を納められてます。
全部で、50体ほどでしょうか。
太秦広隆寺と言えば、この弥勒菩薩像が有名です。
こちらは、中学校や高校の歴史の教科書に載っていますね。
ちなみに広隆寺霊宝殿収蔵の弥勒菩薩像が、国内の国宝第1号です。
ただ霊宝殿内の仏像では、弥勒菩薩像の向かいにいらっしゃる
巨大な千手観音像(重要文化財)が自分のお気に入りです。

では一通り広隆寺を散策しましたので、
次は嵐電(京福電車)「太秦広隆寺」駅経由で車折神社に向かいます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、車折神社を散策します~

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
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YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
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路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
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市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
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情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
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布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
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「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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