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第46回 神社と商店街の道~三条通西から東~その1

[三条通] ブログ村キーワード

今回から、また1本の道にこだわったブログになります。
その最初はその道のあらましを書く回になるので、
第17回ブログ以来写真のない回になります。

今回から紹介するのは、三条通です。

まぁ、いろいろ候補の道もあって(本町通や河原町通とか)
迷った末にこの道になったのには理由があります。

☆ 京都の端から端までを貫いている

☆ 多くの神社仏閣の近くを通る

☆ 一部太くなっているが、全体的には細い道

この辺が理由です。
松原通ほど東の方の観光地が多くないのですが、
その分、祇園祭の鉾町を貫いていますし、
京都で一番大きな繁華街も通ります。
そんな三条通を西から東に紹介します。


嵐山から車折神社
大堰川(桂川)北岸を東へ東へ進みます。
天龍寺と大堰川にはさまれた地域です。
この位置は、前回ブログでも紹介した天龍寺のかつての所領地です。
ですから、ずっと東に行っても地名に「天龍寺」が付きます。
また、この辺りにも天龍寺の末寺や末社が並んでいます。
大堰川が急に南に折れ三条通と別れると、急に三条通も細くなります。


太秦周辺
京福電車(嵐電)「帷子ノ辻」駅を越えると、
太秦(うずまさ)に入ります。
平安時代以前から勢力を誇った渡来人秦氏(はたし)の拠点です。
聖徳太子関連の広隆寺や(秦氏は、聖徳太子によって勢力を持った)
「蚕ノ社」木嶋神社などがあります。

また、この辺りで地下鉄から京福電車(嵐電)に乗り換えられます。
(祇園から嵐山へ行く近道です)


山ノ内周辺

天神川~西大路間の三条通は、京福電車(嵐電)が乗り上げます。
つまり、車道の中央に線路が走ります。
(駅周辺以外なら、自動車は線路上に乗っても構いません)
「山ノ内」駅は、三条通の車道上にあります。
(気を付けないと、駅にいて自動車にひかれそうになります)
実物を見ないと想像つかないかもしれませんが、
実は、「市電」廃止前の京都では当たり前の光景でした。


京都で一番賑やかな繁華街

西大路通を越え千本通より東は、
「三条商店街」と「三条名店街」の二つの商店街があります。
特に、「三条名店街」は京都屈指の繁華街で、
「新京極」や「寺町京極」などとも隣接しています。

また、「三条商店街」と「三条名店街」との間は、
祇園祭の鉾町です。
祇園祭の時期に合わせてここに行くつもりなので、
またご覧ください。


東海道の終点三条大橋

ですから、四条河原町と並んで三条河原町もかなり大きな繁華街です。
江戸時代にはすでにこの辺りは賑やかな土地でした。
特に幕末には勤王の志士や新撰組が横行しており、
池田屋事件もこの辺りでした
さらに、高瀬川を越えると、三条大橋に到達します。
鴨川にかかるこの橋が、東海道の終着地です。


東海道を東へ

三条大橋から東に進み、最終的に山科に行きます。
途中蹴上(けあげ)に寄り、南禅寺にも行きます。
九条山(東山の一つ)を越えて、山科に入ります。
最後は、名神高速道路京都東インターチェンジですか。
(ここまでが、三条通です)

とりあえず、次回は嵐亭(らんてい)の前からです。
ここから、大堰川(桂川)と三条通が分かれるところまで書きます。
車折神社は、その次ですね。
松原通より倍以上長いので、9月くらいまでは続くと思います。

今回は、ここまでです。

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第47回 大堰川から見た嵐山~三条通西から東~その2

47-1-a.jpg
約10日ぶりの嵐山「嵐亭」前です。三条通の最西端でもあります。
今回はここから出発し、
三条通と大堰川(桂川)が分岐するところまで進みます。
撮影日は、2012年5月23日木曜日午後1時50分。
観光シーズンが終わり、あまり混んでいませんでした。


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「嵐亭」前から北を向いています。
左(西)側は、手前から時雨殿(百人一首の殿堂)・宝厳院です。
はるか向こうに、天龍寺が見えます。
要するに、前々回ブログで歩いた地域です。
今回は、こちらへは向かいません。


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「嵐亭」から東を向きました。
右(南)側は、時計と公衆電話の向こうに大堰川があります。
左(北)側は、古くて高そうな飲食店などが続きます。
とりあえず、向こうに見える渡月橋の辺りに行きます。


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ここは、時計や公衆電話よりも南側です。
大堰川の岸辺を歩けるようになっています。
目の前に貸しボート屋さんがあり、
ここでボートを借りて、遊覧できます。


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「嵐亭」から東に約100mほど進みました。
左(北)側に、「嵐山吉兆」が見えてきました。
ここも、高級料亭です。
一生に一度、こういうところに入ってみたいものです。


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「嵐山吉兆」のほぼ向かいです。
この辺りで、大堰川の岸辺の道が三条通に合流します。
目の前に茶店があります。ここに、立ち寄ってみます。


47-7.jpg
茶店では、わらび餅と冷たいお茶のセットを頼みました。
これで、600円でした。
わらび餅には、黒蜜をかけて食べました。
(京都人は、黒蜜が好物なのです)


47-8.jpg
この茶店に立ち寄った最大の理由は、
ここから見た岩田山や嵐山が絶景だからです。
晴れた午後ということもあって、
屋形船がゆっくりと遊覧していました。
また、向こう岸に小さな鳥居が見えます。
なお、この写真をクリックすると拡大します。


47-9.jpg
実はこの茶店は岸から張り出しており、
茶店の床の下は大堰川になります。
時折、茶店の柱に何かがぶつかるのですが、
よく見ると大きな鯉が何尾もいました。
どうやら餌を欲しがっているようです。


47-10.jpg
茶店の前から東を向いています。
この辺りから大堰川とは
小さな堤防だけで区切られるようになっています。


47-11.jpg
この辺りの三条通から見た大堰川越しの岩田山・嵐山です。
個人的には、嵐山はこの辺りから見たものが一番好きです。
この写真もクリックすると、拡大されます。


47-12.jpg
先ほどの茶店から約100mほど東に来ました。
前回この辺りに来た時と比べて、
人通りはかなり減っています。
実は、5月中旬から6月いっぱいが
京都の観光客が一番少ない時期です。


47-13.jpg
大堰川に堰があります。
水面に浮かぶ小舟も、ここより下流には行けません。


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「嵐亭」の前から、約200m東に来ました。
だんだんと渡月橋が近づいてきました。
さすがにこの辺りは、少し賑やかになってきます。


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蕎麦の実「よしむら」です。
蕎麦もおいしいですが、ここは割烹もやっています。
自分は、五条烏丸の支店の常連です。
第18回ブログでは、清水寺支店を紹介しました。
ちなみに、ここが本店です。


47-16.jpg
先ほどの蕎麦屋から約10m東に進みました。
ここは、車折神社の嵐山頓宮です。
今は目立たないですが、
5月第3日曜日の三船祭では、
車折神社からの行列がこの辺りで舟遊びをした後、
ここまで来て祭事を行います。


47-17.jpg
車折神社の嵐山屯宮前から渡月橋を見ました。
渡月橋からあちこち見るよりも
本当はここから渡月橋を見たほうが絶景です。
この写真も、クリックすれば拡大できます。


47-18.jpg
そして、三条通が渡月橋と交差するところまで来ました。
先ほどよりも賑やかになってきましたが、
10日前ほどではありません。


47-19.jpg
渡月橋の交差点で、北を向きました。
第44回ブログでは、この道を進み天龍寺まで行きました。
いつもは、先ほどの嵐山屯宮のあたりにいる
人力車の客引きも、この辺りまで来ています。
桜餅の茶店が閉まっています。
残念ながら、今日も入れません。


47-20.jpg
北側から見た渡月橋です。
向こうの山中に、法輪寺があります。
第43回ブログでは法輪寺からこちらを見ましたが、
今回は逆にこちらから見ています。
では、ここから三条通をさらに東に向かいます。


47-21.jpg
渡月橋の前から、東へ進みました。
この辺りも、土産物屋や観光客目当てのレストランが続きます。
道幅が広くなり、自動車も増えてきました。


47-22.jpg
少し西の方を振り返り、渡月橋の方を見てみました。
こちらからの眺めもなかなかです。
この写真も、クリックすると拡大できます。


47-23.jpg
渡月橋の前から約50mほど進みました。
この辺りにも、レストランや駐車場があります。
団体さんは、この辺りでバスを停めていかれるようです。


47-24.jpg
この辺りから、大堰川の向こう側を見てみました。
中之島が公園になっていて、
そちらにも屋台や茶店が並んでいるようです。
(ここからは少し遠くて分かりにくいですが)


47-25.jpg
渡月橋の前から約150m東に進みました。
ここは、清滝道三条の交差点です。
嵯峨野嵐山の観光地はここまでで、
ここより東は
土産物屋やレストランがほとんどなくなります。


47-26.jpg
清滝道三条の交差点から、東に約50mほど進みました。
道幅などは同じなのですが、
お店もなく人通りも急に減ってきました。
向こうを見ると、大堰川が急に右(南)側に折れ
真っ直ぐ進む三条通と別れているのが分かります。
大堰川は松尾橋まで南下して、桂川に名前を変えます。


47-27.jpg
この辺りの道路標識をアップにしました。
これを見れば、先ほどの説明が分かると思います。


47-28.jpg
清滝道三条の交差点から、東に約150m進みました。
ここで三条通は分岐します。
大井川沿いに南に折れる道と
真っ直ぐ東に進む三条通とに分かれます。
このブログはこのまま真っ直ぐ三条通を進みますが、
それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、このまま東に進み車折神社に向かいます~、

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第48回 初夏の車折神社 前編~三条通西から東~その3

48-1.jpg
ここは、渡月橋から東に200mの地点です。
今回は大堰川沿いの右の道から外れ、
正面の三条通を直進し、車折神社を目指します。
撮影日は2012年5月27日日曜日午後3時。
ぽかぽか陽気いえば聞こえがいいですが、
とても暑い一日でした。


48-2.jpg
ここは道が分岐して、すぐのところです。
三条通を東に向かっています。
目の前に、「下嵯峨」バス停があります。
右(南)側に、先ほどの写真でも見えていた森があります。
その向こうが、大堰川になります。


48-3.jpg
先ほどの写真をよく見ると、
ずっと先で道が左に少しカーブしていることが分かります。
ここは、そのカーブを曲がりきったところです。
左(北)側に、嵯峨中山公園が見えます。
写真には写っていませんが、
日曜日ということもあり家族連れが多くいらっしゃいました。


48-4.jpg
嵯峨中山公園から、南側を撮りました。
三条通と平行して、小川が一本流れています。
この川は、「西高瀬川」です。
大堰川から分岐して京都盆地の西側を蛇行します。
そして、最終的に鴨川に合流します。
第29回ブログの最後の方に出てきたものと同じ川です。
少し寄り道して、この斉明橋を渡ります。


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ここは斉明橋を渡ったところです。5mほど先に鎮守の森が見えます。
とりあえず、そこに向かいます。


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ここは、斉明神社です。大きな木が茂る小さな神社です。
この中に入っていきます。


48-7.jpg
中に入って北を向きました。斉明神社の本殿です。
斉明神社は、天照大神を主神としています。
もともとここには天龍寺の末寺があって、
その寺院の末社だったようです。
(この寺院は応仁の乱で焼失して廃寺になりました)
それからしばらくはよく分かっていないのですが、
この本殿は、江戸時代中期に再建されたそうです。


48-8.jpg
神社の端に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
ここも撮らせていただきました。


48-9.jpg
斉明神社から出て、北を向きました。
また斉明橋の方に向かいます。


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斉明橋の上から、三条通の東の方を撮っています。
茶色い屋根の喫茶店の辺りに、北への道があります。
今度はそちらに向かいます。


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三条通から、北を向いています。
右(東)側に、先ほどの茶色い屋根の喫茶店が見えます。
今から、この道に寄り道します。


48-12.jpg
三条通の角から、5mほど北に来ました。
ここは、浄土宗徳林寺です。
今度は、この中に入っていきます。


48-13.jpg
ここは、徳林寺の本堂です。
いろいろ調べたのですが、ここの由来は分かりませんでした。
雰囲気としては、由緒がありそうなのですが……


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本堂の右側に、大きなお地蔵さんがいらっしゃいました。
衆生に救いの手を伸ばしているようにも見えます。
ではここを出て、また三条通に戻ります。


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三条通に戻ってきました。左(北)側に茶色い屋根の喫茶店が見えます。
ここを東に進んでいきます。


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先ほどの写真から、100mほど東に進みました。
マンションの1Fに、このようなお店がありました。
看板から察するに、おにぎりを売っているようです。


48-17.jpg
「おにぎり屋さん」の前から東を向いています。
(少し望遠ですが)
向こうに見える京都バスは、
嵐山経由で鈴虫寺に向かうようです。
京都信用金庫嵯峨支店の東隣りにある
大きな鳥居の辺りに行ってみます。


48-18.jpg
先ほどの写真から東に約30m進み、北を向きました。
右側に、市バスと京都バスの「車折神社前」バス停があります。
ここから、いよいよ車折神社に入っていきます。


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鳥居から北に約10mくらい一般道が続きます。
そして、ここから車折神社の境内になります。
とりあえず、ここから神社を通り抜けてみます。


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境内に約5mほど入ってみると、
大きなカエデの木が迎えてくれます。
この神社は紅葉で有名ですが、
この時期の青葉のカエデもなかなか絶景です。
この写真をクリックすると、拡大できます。
ちなみに、この右は駐車場です。
(そこのカエデも見事です)


48-21.jpg
さらに北に進んでいます。
この先に見えるのが本殿ですが、
その手前にある末社に寄ります。
(この神社には、末社が特に多いです)


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この祠には、清少納言が祀ってあります。
清少納言は、没年やお墓が分かっていません。
そのため、清原氏に縁の深いこの神社に祠が置かれています。


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清少納言の祠の向かいの末社です。ここは、芸能神社です。
主神は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)です。
天岩戸に隠れた天照大神の前で踊った女神様ですね。
歌や踊りの神様なので、日舞の関係者のほか
芸能人がよくヒット祈願に来ます。


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芸能神社は、最近修復しました。
その際に寄付金を出した方の名前が、
ここに貼り出されています。
自分の知っている方も、知らない方もいます。


48-25.jpg
右側に芸能神社の赤い柵が見えます。
正面の鳥居の先に車折神社の本殿があります。
ただ、ここは通行できません。
右側の道から回っていくことになります。


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先ほどの地点から、少し右に曲がってまた直進です。
左(西)に行けば本殿です。右(東)に行けば社務所です。
(パワーストーンとか売っています)
ただ、今回はいったん北に直進して末社参りを先にします。


48-27.jpg
ここは、末社の一つ「清めの社」です。
この円すい形の石が御神体です。
縁切り・縁結びの神様で、
この日も熱心に参拝されている方がいらっしゃいました。


48-28.jpg
「清めの社」から北を向いています。
細い道に、末社が並んでいます。
右の赤い社は弁財天を祀っています。
この先の石の鳥居は地主神社のものです。
一柱ずつお参りし、さらに北に向かいます。


48-29.jpg
右の鳥居は、地主神社のものです。
この末社を回り込むように
今度は参道が左にカーブします。
この先を進んでみます。


48-30.jpg
すると、神社を通り抜けてしまいました。
とりあえず、いったんそちらに向かいます。


48-31.jpg
ここは、車折神社の北側の入り口です。
カエデの枝越しに、京福電車(嵐電)の「車折神社」駅が見えます。
西に向かえば嵐山の天龍寺前に着きます。
東に向かえば、四条大宮か北野白梅町に向かいます。
京福電車(嵐電)の駅の大半には、切符売り場と改札がありません。
(電車の中で切符を買います)
そういうわけで、自分も切符を買わずに駅構内に入ります。


48-32.jpg
ちょうど四条大宮行の電車が到着しました。
ローカル線のように見えますが、
実は電車の本数自体はかなり多いのです。
(利用者も多いようです)
この電車に乗ると自分も帰れるのですが、
まだ本殿に行っていませんし、
今は電車に乗りません。
ただ、今回はここまでとします。

~次回は車折神社の本殿に寄った後、
さらに東に進んで帷子ノ辻まで行きます~

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第49回 初夏の車折神社 後編~三条通西から東~その4

49-1.jpg
ここは、京福電車(嵐電)「車折神社」駅のホームです。
今回は、ここから南に車折神社を抜け、
三条通を東に進み、
有栖川を通り抜けて帷子ノ辻まで行きます。
撮影日は、2012年5月27日日曜日午後4時。
だんだん日が傾いてきて、涼しくなってきました。


49-2.jpg
「車折神社」駅には、改札がありません。
駅のホームから神社に直接入ることができます。


49-3.jpg
「車折神社」駅から出ました。
前回に引き続き、車折神社の中に入っていきます。


49-4.jpg
先ほどの写真から南に進み、5m先で少し左にカーブしました。
(要するに、前回ブログで進んだ道を逆に進んでいます)
末社の一つ地主神社の前に立っています。
左(東)には、天満宮初め末社が3柱おられます。
(弁財天は、もっと手前です。フレームから外れています)
右(西)側の「清めの社」には、また熱心な方がお参りしておられます。
ここを南に直進します。


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北側の末社のある鎮守の森を抜けると、急に明るくなりました。
ようやく、右(西)側にある本殿にお参りします。


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では、本殿に行く前に手水所に行きます。
先ずは、ここで手を清めます。


49-7.jpg
手水所の柄杓に、寄付された方の名前が書かれていました。
「青ニプロ」って、確か声優の芸能プロダクションですよね。


49-8.jpg
では、この鳥居をくぐって車折神社の本殿に入っていきます。


49-9.jpg
車折神社の拝殿です。カエデの木が絡むように伸びています。
ここは、清原頼業(きよはらのよりなり)を祀っています。
平安時代の儒学者ですね。
後嵯峨天皇の牛車の車が、この辺りで裂けたことがありました。
これが、車折神社の由縁です。
本殿はこの向こうにありますが、ちょうど親子三人が
神主さんにお祓いを受けている最中だったので撮影は遠慮しました。
この写真をクリックすれば、拡大されます。


49-10.jpg
本殿の参拝を終えました。ここは、本殿の東側にある道です。
駅からずっと続く道ですね。
ここを南に進み、三条通に向かいます。
目の前の枝垂桜は、春になると見事な花を咲かせます。


49-11.jpg
さらに進みます。この後ろに、本殿の鳥居があります。
左(東)側に見える石碑は、「芸能神社」のものです。
ここを抜けて、車折神社を出ます。


49-12.jpg
車折神社を抜けました。
この先の突き当りにある三条通に向かいます。


49-13.jpg
三条通に戻って、東を向きました。
左に見えるのは、市バスの「車折神社前」バス停です。
とりあえず、この先に見える鎮守の森を目指します。
ただ、その前に……


49-14.jpg
「車折神社」バス停から5mほど東に行ったところにある
この寺院に寄ります。
ここは、浄土宗の正定院です。
室町時代の末期に、この近所の豪商によって建てられました。
門が閉まっているので、中には入れません。
手前にお地蔵さんが何体かいらっしゃったので、
こちらを参拝しました。


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「車折神社」バス停から東に約200mほど進みました。
目の前の鎮守の森に行く前に、この橋に近づきます。


49-16.jpg
この川は、有栖川(ありすがわ)で、今は南を向いています。
水源は、もっと北西の大沢池や鳥居本の方です。
そして南南東に流れていき、
最終的には上野橋付近で桂川に合流します。
今はこんな流れですが、
むかしは巫女がこの川で体を清めたそうなので、
もっと水もきれいだったのでしょう。


49-17.jpg
橋を渡って、鎮守の森に近づきます。
ここも小さな神社です。


49-18.jpg
ここは、斎宮神社です。主神は、天照大神です。
この神社は、もともと皇族の女性が斎王になるときに
有栖川で体を清めるための施設です。
(斎王とは、伊勢神宮の巫女の筆頭のことです)
平安時代はかなり大きい神社だったそうですが、
後醍醐天皇が有栖川で体を清めることを廃止したため、
室町時代以降はどんどん小さくなりました。
この神社のクスノキはそれはそれは見事なのですが、
大きすぎて上手く写真に撮れませんでした。
では、また三条通を東に進みます。


49-19.jpg
斉明神社から三条通を東に約100m進みました。
スーパー銭湯と「黒潮市場」が並んでいて、
さらにその向こうに「ユニクロ」が続きます。
「黒潮市場」とは大黒屋のことで、
京都中心に展開する高級スーパーマーケットです。
この辺りは大きな駐車場や飲食店も多く、
周辺住民が集まって来るところのようです。


49-20.jpg
「黒潮市場」の北向かいです。洋菓子店の「那伊斗」(ないと)です。
京都の洋菓子店の喫茶室はとても小さいところが多いのですが、
ここはテーブル2つにカウンター席までありました。
「キャラメル」という名前のクリームブリュレを食べてみました。
クリームの食感と底に敷かれたビターチョコのハーモニーが最高でした。
(6月4日訂正)


49-21.jpg
「黒潮市場」から、東に約100m進みました。
このファミリーレストランの駐車場に寄ります。


49-22.jpg
ファミリーレストランの駐車場に着きました。
北側に、鎮守の森が見えます。


49-23.jpg
ファミリーレストランの駐車場から北側にカメラを向けています。
京福電車(嵐電)の線路の向こうに、神ノ木弁財天が見えます。
この辺の土地神様で、毎年11月にお祭りがおこなわれています。
(由来はかなり面白いのですが、長くなるので省略します)
とても小さな神社ですが、
大きなクスノキが独特の世界を作っています。
本当は中に入りたいのですが、
ここから神社までの道がかなり複雑なのでここで済ませます。
(この位置で柏手を打たせていただきました)
実は自分のお気に入りに神社なので、写真は大きめにしました。
(クリックすると、拡大できます)


49-24.jpg
ファミリーレストランの南向かいに、
お地蔵さんがいらっしゃいました。
また、撮らせていただきました。


49-25.jpg
お地蔵さんの前から、三条通を東に見ています。
遠くを見ると、この先で左に緩やかにカーブしています。


49-26.jpg
カーブが終わると、三条通は緩やかな上り坂になります。
また飲食店が目立つようになり、
少しずつ賑やかになってきました。
理髪店の時計を見ると、午後五時が近づいています。
日が沈むまでに時間がありますが、
確実に日が西に傾いてきました。


49-27.jpg
先ほどの写真から、東に約50m進みました。
ここは、帷子ノ辻の交差点です。
(左側にある標識からもわかります)
右側の「大映通商店街」は、広隆寺への近道です。
ただ、このブログはあくまで三条通を進みます。


49-28.jpg
先ほどの写真から、北に3m移動しました。
ここは、京福電車(嵐電)の「帷子ノ辻」駅です。
この駅はターミナルで、
嵐山・北野白梅町・四条大宮行きの電車が出ています。
さすがに遅くなって来たので、今回はここから帰ります。

~次回は、太秦(うずまさ)に入り、広隆寺を目指します~

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第50回 太秦の広隆寺 前編~三条通西から東~その5

49-28.jpg
ここは、京福電車(嵐電)の「帷子ノ辻」(かたびらのつじ)駅前です。
右側の階段を上れば、駅のホームに行けます。
今回はここから京福電車(嵐電)の本線沿いに進み、
広隆寺の前まで行こうと思います。
撮影日は、2012年6月3日日曜日午後3時。
薄雲のせいか、前に来た時よりは涼しい日でした。


50-2.jpg
先ほどの写真の位置から、反対(南)を向きました。
左(東)側に有料の駐輪場があります。
右(北)側は、コンビニエンスストアですね。
約3m先に、三条通が見えます。また、こちらに向かいます。


50-3.jpg
三条通に出ました。
目の前に、「大映通り商店街」が見えます。
この通り沿いに、大映の撮影所があります。
また、ここをまっすぐ行くと広隆寺に出ます。
(三条通はこの後蛇行し、この道に合流します)
ただこのブログの趣旨から、
今回はあくまで三条通を左(東)に向かいます。


50-4.jpg
三条通を東に向きました。駅前なので、賑やかです。
目の前に、市バス・京都バスの「帷子ノ辻」バス停があります。
その先に、「太秦病院」があります。
この辺りから、地名も「右京区嵯峨」から
「右京区太秦(うずまさ)」に変わります。


50-5.jpg
三条通を約20mほど東に進みました。緩やかな上り坂です。
南側に、理髪店と和菓子屋が並んでいます。
雰囲気のあるいい店ですね。


50-6.jpg
さらに、10m進みました。
京福電車(嵐電)本線(嵐山~四条大宮間)の踏切が見えます。
厳密には、ここを越えたら「嵯峨」から「太秦」になります。


50-7.jpg
踏切を越えようとしたら、遮断機が下りました。
しばらくすると、「嵐山」行きの電車が駅に入ってきました。


50-8.jpg
先ほどの踏切から10mほど進み、左(ほぼ北)を向きました。
こちらにも踏切があります。
これは、京福電車(嵐電)北野線の線路です。
「帷子ノ辻」駅から分岐して「北野白梅町」駅に向かいます。
よく見ると、こちらは単線ですね。


50-9.jpg
先ほどの場所から、約10m東に進みました。
緩やかな上りは続き、道は少しずつ右にカーブします。


50-10.jpg
さらに20m進みました。
三条通の左(ほぼ北)側に、大きな祠が見えました。
中に、お地蔵さんが2体いらっしゃいます。
お賽銭を供えて、お参りしました。


50-11.jpg
祠から、約30mほど進みました。
この辺りで、上り坂が平らになります。
JR「太秦」駅の表札があります。
ここから北に、350m程行ったところです。


50-12.jpg
さらに三条通を50mほど東に進みました。
この辺りから、大きく右にカーブします。
この交差点に、市バスの「太秦開日町」バス停があります。
この辺りに飲食店が多く、
ここからでも「天下一品」のチェーン店が見えます。


50-13.jpg
先ほどの写真から50mほど進みました。
左(北)側に、広隆寺の駐車場があります。
じつは、ここからそのまま広隆寺に入れます。
ただ、今回は三条通をこのまま進みます。
広隆寺へは、もっと先から入ります。


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駐車場の東側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
また、撮らせていただきました。


50-15.jpg
お地蔵さんから、さらに50m進みました。
この辺りから直進しますが、急な下り坂になります。
目の前に右京警察署があります。
三条通の右側は、警察署の駐車場です。


50-16.jpg
右京警察署の右(南)側にある警察署の駐車場から、
東の方を向いています。
この辺りから京福電車(嵐電)の線路がカーブしてきて、
三条通に沿うように続いています。


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しばらく歩いていたら、
京福電車(嵐電)の車両が通り過ぎていきました。
東の方に進み、四条大宮に行くようです。
この辺りから、三条通も線路も左に大きくカーブします。


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……と思ったら、今度は嵐山行きの電車もやって来ました。
ちなみに、この左側に「広隆寺」バス停があります。


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右京警察署から約100m進みました。
この辺りから、
50mほど京福電車(嵐電)の線路が三条通に乗り上げます。
向こうに見える白い自動車が行こうとする道は、
先ほどの「大映通り商店街」です。
こちらに進むと、三条通の半分ほどの距離でした。


50-20.jpg
先ほどの写真の左側に、
このようなお地蔵さんがいらっしゃいました。
また、撮らせていただきました。


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お地蔵さんから、約5mほど進みました。ここは「太秦」交差点です。
この辺りで三条通はまた直進して、平らになります。
この向こうに、京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅が見えます。
この左の松は、広隆寺のものです。


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「太秦」交差点で信号を渡り、北を向いて
先ほどまでいたところを撮りました。
右側の石碑に、「太秦広隆寺」と書いてあります。
ここから広隆寺の中に入っていくのですが、
それは次回とします。

~今回は、ここまでです~

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第51回 太秦の広隆寺 後編~三条通西から東~その6

51-1.jpg
ここは、広隆寺の三条通側山門です。今回は、ここに入っていきます。
桜やカエデの青葉がきれいでした。
撮影日は、2012年6月3日日曜日午後3時半。
薄雲の心地よい日でした。


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山門には、仁王像がいらっしゃいます。
右側は、大きな口をあけて威嚇する「阿形」(あぎょう)です。


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左側には、「吽形」(うんぎょう)の仁王像です。
目を大きく見開き、口を閉じています。


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そして、2体の仁王像を見つつ境内に入っていきます。


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山門をくぐりました。この石畳の道を進んでいきます。
両脇に様々な樹木が並んでいます。


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山門の左(西)側に、大きなクスノキを植えていました。
この木は、今回のブログの最初の写真にも写っていました。
向こうに見えるのは、薬師堂と地蔵堂です。


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先ほどの石畳の右(東)側に、「忠魂碑」がありました。
先の大戦の戦没者を祭っているのでしょう。
この辺りは、カエデが鬱蒼としています。
青葉でも十分きれいですが、秋はさぞ絶景でしょう。


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「忠魂碑」左の講堂です。重要文化財です。
ここもカエデ越しに見るときれいです。


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石畳は、講堂の左(西)側を回り込み続いています。
ここもカエデが見事ですね。
この先に、上宮王院太子殿(本堂)が見えます。


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石畳を歩いていると、ハトが2羽現れました。
つがいのようですね。


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石畳の左(西)側に植わっていた枝垂桜です。
今は青葉ですが、春にはきれいな花を咲かせます。


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こちらはツツジです。
6月になっても、しっかり咲いています。


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だんだん上宮王院太子殿(本殿)に近づいてきました。
ここは、井戸舎(手水所)です。先ずは、ここで手を清めます。


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ここは井戸舎の北側の太秦殿です。
秦川勝(はたのかわかつ)を祀っています。
秦川氏は古墳時代に日本に渡来した豪族です。
養蚕を日本に伝えました。
そして秦川勝は聖徳太子を支持し、
聖徳太子の仏教信仰に多大な影響を与えました。


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上宮王院太子殿(本堂)です。聖徳太子像を本尊とします。
広隆寺は、現存する聖徳太子が建立した寺院のうちの一つです。
(他には、奈良県の法隆寺・大阪市の四天王寺などがあります)
ここ太秦は、京都に都が置かれた794年以前の京都盆地の中心地で、
渡来人系の豪族秦氏(はたし)の領地でした。
ですから、ここには平安時代より古い仏像もあります。


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上宮王院太子殿から左(西)にも石畳が伸びています。
こちらをずっと進むと、前回ブログで紹介した駐車場の方に出ます。


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上宮王院太子殿の西側から、北に向かう石畳が伸びています。
こちらを進むと、霊宝殿に行けます。


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右側の建物は、霊宝殿に入るためのチケット売り場です。
先ほどの写真で、
修学旅行生と思われる制服姿の三人の男子生徒がいたところです。
その左側の「広隆寺」の看板がかかっているところは庫裏で、
僧侶のプライベートスペースです。(拝観者は入れません)


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ここから先の霊宝殿は、撮影が禁止されていました。
ですから、パンフレットの写真だけになります。
霊宝殿は、広隆寺の仏像が陳列されている建物です。
中には、30数体の仏像が陳列されていました。
(ちなみに、すべて国宝か重要文化財です)
拝観者の大半は、この写真の弥勒菩薩像が目当てのようです。
聖徳太子が秦川勝に下賜された仏像で、
日本初の国宝でもあります。

お勧めは、西側壁面です。薬師如来(秘仏)を中央に、
両隣に日光月光菩薩がいらっしゃって、
その周囲を十二神将が固めていらっしゃいます。
(ちなみに、すべて国宝です)
あとは、弥勒菩薩の向かいにいらっしゃった
千手観音でしょうか。
迫力と荘厳さで圧倒されます。

ただここにいると、まるで仏様のいらっしゃる所に
自分たちがお邪魔しているような気になりました。
あまり失礼のないようにしないといけません。


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霊宝殿を出て、南に進んでいます。
右(西)側に、先ほどのチケット売り場があります。
ここをまっすぐ進んでいきます。


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先ほどの石畳の道を南にずっと進んできました。
目の前の横に、伸びる石畳があります。
右(西)に行けば、駐車場の方に行きます。
左(東)に行けば、上宮王院太子殿(本堂)です。
この先に、小さく三門が見えます。
そちらに進みます。


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山門まで戻ってきました。
向こうに、「太秦」交差点の標識が見えます。
ここから抜けて、広隆寺を出ます。


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広隆寺の山門を出ました。
右側に、今回ブログの最初の写真に写っていた
「太秦広隆寺」と書かれた石碑の裏が見えます。
左側の向こうに、京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅が見えます。
ちょうど四条大宮行の電車が入ってきたところですね。
では、広隆寺を一通り回ったので、今回はここまでとします。

~次回は、太秦周辺を回ります。
中には入りませんが、映画村の辺りに行ってみようと思います~

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第52回 太秦散策~三条通西から東~その7

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ここは、京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅です。
今回は、この辺りをウロウロします。
初めに映画村の近くに進み、後から「蚕ノ社」駅まで行きます。
季節がら、修学旅行生とよくすれ違いました。
撮影日は2012年6月10日日曜日午後3時。
梅雨の間の晴れた日でした。


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「太秦広隆寺」駅のホームから出て、西を向いています。
ここは前回ブログにも出てきた「太秦」の交差点です。
正面に前回訪れた広隆寺があります。
目の前の道をずっと進むと、
もとに戻って嵯峨野嵐山に着いてしまいます。
今回は、映画村に向かう右(北東)に伸びる道を進みます。


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「太秦」交差点から北東に進むと、急な上り坂になります。
左側に見えるのが、広隆寺です。
写真でもわかるように、大きく右にカーブしています。
さらにこの道を進んでいきます。


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「太秦」の交差点から50mほど進みました。
ここで広隆寺の土塀と別れます。
目の前のお店で、衛星放送のチューナーやアンテナを売っています。
そこから、道は東南東に真っ直ぐになります。


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先ほどのお店の前から、道の先を見ています。
この辺りは、おしゃれな雑貨屋やいろいろなお店が並びます。
とりあえず、この先の鎮守の森に向かいます。
また、晴れ間が大きくなりました。


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そのお店から、約50mほど進みました。
この森にある神社に入ります。
修学旅行生が、通り過ぎていきます。映画村が近いせいでしょう。


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ここは、太秦の「大酒神社」(おおさけ神社)です。
実は、この鳥居の柱は八角形です。
ここをくぐって、中に入ります。


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大酒神社の手水舎ですが、水は枯れています。
手を清めずに入ることにします。


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大酒神社の本殿です。この神社は、秦氏の氏神です。
主神は、秦の始皇帝(!)と弓月王(ゆみづきのきみ)、
さらに秦氏の始祖秦酒公(はたのさけきみ)です。
(渡来人系の秦氏は、始皇帝の子孫です)
毎年10月12日に「太秦牛祭り」という奇祭を行います。
もともとは広隆寺の中にあったのですが、
明治時代に現在の場所に移築されました。


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大酒神社の八角形の鳥居から、外を見ています。
少し先に、交差点が見えます。次は、そこに向かいます。


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この交差点を左に向きました。ほぼ北を向いています。
コンビニエンスストアの前を通り、ここを進みます。


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先ほどの交差点から、10mほど北に進みました。
向こうに、JR嵯峨野線の高架が見えます。「太秦」駅が近いようです。
左(西)側に、「東映太秦映画村」ののぼりがいくつも立っています。


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「東映太秦映画村」の入り口です。今回は中には入りません。
京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅から
約250mといったところでしょうか。
大酒神社に寄り道しても、徒歩15分かかりません。


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映画村の北側にある「パディオス」です。
映画の上映などをしているようです。
前の駐車場に、修学旅行生のための観光バスが並んでいます。
では、そろそろ「太秦広隆寺」駅に戻ります。


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「パディオス」の前から、南を向いています。
映画村の向かいは、民家が並んでいます。
(土産物屋さんなどは、ほとんどありません)
ただ、お好み焼き屋さんや飲食店がいくつか並んでいました。
ちなみに、目の前の和菓子屋は結構な名店です。


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先ほどの写真から、南に約100m進みました。
また、コンビニエンスストアがある交差点まで来ました。
ここを右折して、「太秦」交差点に戻ります。


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コンビニエンスストアの前から、「太秦」交差点の方を向いています。
右側の森は、大酒神社のものです。
神社の向かいに、また別のコンビニエンスストアがあります。
この道を進みます。


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先ほどは紹介していませんでしたが、
大酒神社と広隆寺の間に、このような橋がありました。
しかも、この下には川は流れていません。


52-19.jpg
橋には、「広隆寺橋」と書いてありました。
詳しくは調べていませんが、
もともとこの辺りに御室川(おむろがわ)が流れていました。
(仁和寺のある御室から桂川に流れ込んでいた川です)
たぶん、その名残でしょう。


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「広隆寺橋」を越えると、大きく左にカーブする下り坂になります。
右側は、広隆寺ですね。「太秦」交差点は、すぐそこです。


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大きなカーブの下り坂を進みます。
広隆寺から見えるのは、クスノキでしょうか。
この先に、「太秦」の交差点が見えます。


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「太秦」交差点に戻ってきました。
右(南)側に、京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅が見えます。
次は、左に見える「太秦三条商店街」を東に進みます。
ただその前にお昼がまだなので、駅に隣接するうどん屋に寄ります。
(駅構内から、直接入れます)


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駅に隣接する「京富」は、手打ちうどんがおいしいお店です。
いろいろ迷って、このセットメニューを頼みました。
天ぷらもおいしかったですが、うどんは打ち立てがいいですね。
ビールを付けて、1600円くらいでした。


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「太秦広隆寺」駅から東に約10m進みました。
三条太秦商店街に入ってきました。
自動車の量が多いので、写真を撮るにも一苦労です。
ただ、閉まっている商店が多かったですね。


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……で、その閉まっている商店のうちの一軒です。
やはり、日曜日だからでしょうか?


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先ほどの商店から、さらに東に100mほど進みました。
仕出し屋や肉屋に囲まれて、「右京簡易裁判所」がありました。
裁判所と肉屋の角を左折して北に約200m進むと、
実は先ほどの「太秦映画村」の前に出ます。


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商店街の中に、寺院がありました。浄土宗西山派「常楽寺」です。
沿革は、調べてもわかりませんでした。また、中には入れません。
ただ、浄土宗には「常楽寺」が全国にあって、
この名称に何か謂れがあるのでしょうね。


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常楽寺の向かいに、「萬為」という和菓子屋がありました。
店内には、先ほど紹介した大酒神社の
「太秦牛祭り」の様子が写された写真が飾ってありました。
紙の面をつけた男性が、牛に乗って練り歩く姿です。
表に、「みな月」の張り紙があります。
京都の夏の風物詩ですね。


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萬為で買った水無月(みなづき)を家に持ち帰ってから撮影しました。
京都では、毎年6月30日に食べるお菓子です。
ご覧のように、見た目と食感は名古屋の「ういろう」に似ています。
実は、製法もほぼ同じです。
違いは上部に小豆を並べることと、三角形に切って食べることです。
(氷に似せています)


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萬為から東に約20mほど進みました。
昔懐かしの駄菓子屋です。
日曜日でも開いていて、小学生のお客さんが来ていました。
ここのたこ焼きを買って帰ろうとも思ったのですが、
「水無月」の上に荷物が増えると重いので、あきらめました。


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市バスの「太秦東口」バス停前です。
左側の青いテントの焼肉屋さんは、営業中でした。
この少し先から、三条通は大きく南南東にカーブします。
東にまっすぐ進む道もあって、こちらは「太子道」と名前を変えます。
(ここの「太子」とは、聖徳太子が建立した広隆寺のことですね)


52-32.jpg
太子道の分岐点から少し進み、三条通は南南東にカーブしています。
この辺りから商店の数が大幅に減りました。
実は太子道をまっすぐ行った方が蚕ノ社に近いのですが、
このブログの趣旨から三条通の方を進みます。


52-33.jpg
瓦を焼いているお店にいらしたお地蔵さんです。
上部が、橋の欄干に似ています。


52-34.jpg
太子道の分岐点から約200m進みました。
この先に「三条太秦商店街」の看板がありますが、
ここで商店街は終わります。
ずっと先に電車が見えますが、
そのあたりから京福電車(嵐電)は三条通に乗り上げます。


52-35.jpg
ここは、京福電車(嵐電)の「蚕ノ社」駅の近くです。
三条通から北を向いています。
なんてことのない路地ですが、
794年平安京遷都の際にはここに御室川が流れていました。
(先ほどの「広隆寺橋」の下を流れていた川です)
今は跡形もありませんが、
御室川は都市計画で東の鴨川と対になる川だったようです。
詳しくは「地図から読む歴史」を参照してください。
(足利建亮著:講談社学術文庫)


52-36.jpg
ここで「三条太秦商店街」が終わります。
映画村の看板があり、
その左側に京福電車(嵐電)「蚕ノ社」駅があります。
ここから三条通は4車線の大通りになり、
京福電車(嵐電)が車道に乗り上げます。
(つまり、ここから路面電車になります)
ただ、だいぶ書いたので今回はここまでとします。

~次回は、「蚕ノ社」を参拝します~

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第53回 「蚕ノ社」木嶋神社~三条通西から東~その8

今回訪れる「蚕ノ社」木嶋神社は、正確な沿革が分かっていません。
この神社はとても古く、少なくとも飛鳥時代にはあったようです。
(日本で文字が書かれる以前からあった可能性もあります)
養蚕や機織り(はたおり)を伝えた渡来人系の秦氏との関連、
泉を守る正三角形の鳥居の存在、
下鴨神社と関係する「元糺の森」(もとただすのもり)の存在、
陰陽師マニア垂涎ものの謎の多い神社です。

この神社は、普通の市街地の中にあります。
それが鳥居をくぐると、「外」とは違う「神域」に入ります。
急に辺りが暗くなり、空気の重さが変わります。
「畏れ」(おそれ)というものがある世界です。
「神霊」の世界ですね。(「心霊」ではありません)


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京福電車(嵐電)「蚕ノ社」駅です。
三条通り沿いにあって、「三条太秦商店街」の南東端でもあります。
今回は、ここから近くの「蚕ノ社」木嶋神社に向かいます。
撮影日は、2012年6月10日日曜日午後4時25分。
梅雨ですが、この日は晴れていました。


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京福電車(嵐電)「蚕ノ社」駅のホームを出ました。
ここから、京福電車(嵐電)は三条通に乗り上げます。
では、三条通を南南東に向かいます。(写真の方向ですね)


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三条通を南南東に進んでいます。
日が傾いてきたのですが、まだまだ蒸し暑いです。
参拝帰りでしょうか、修学旅行生の集団に会いました。


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「蚕ノ社」駅から30mほど進みました。
標識によると、三条通は線路上に自動車が乗り上げてもいいようです。
向こうに市バスと京都バスの「蚕ノ社」バス停があります。


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バス停から真北に道が伸びています。
その道に石でできた大きな鳥居があります。
鳥居には、「蚕養(こかい)神社」と書いてありますが、
これは「蚕ノ社」の別称です。


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鳥居から北に50mほど進みました。
商店や飲食店が多いのですが、時間帯のせいか寂しい感じです。
ここをもう50mほど進みます。


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さらに50mほど進み、コンビニエンスストアの角に来ました。
前の東西の通りは、太子道です。
(ここをずっと西に行くと、前回ブログの三条通と合流します)
目の前に、大きな鎮守の森があります。
ここは、「元糺の森」(もとただすのもり)です。
東の方の下鴨神社にも「糺の森」(ただすのもり)があります。
下鴨神社の糺の森は、平安時代の初期にここから移転したものです。


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先ほどの写真の駐車場のところから撮っています。
ここから「蚕ノ社」木嶋神社に入っていきます。


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鳥居のもとに、ツツジが咲いていました。
今年のツツジは、開花時期が長いですね。
この写真をクリックすると、拡大されます。


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さらに、見事なカエデもありました。秋には紅葉して絶景でしょうね。
この写真もクリックすれば、拡大できます。



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ここから境内に入ると、急に空気が変わります。
森の中のせいか、少し暗い感じがします。


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境内の左(西)側に、「木嶋保育園」があります。
神社が経営しているのでしょうか?
日曜日なので、だれもいません。


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保育園の向かい側に、手水所がありました。
簾をめくって、水を使います。
ここのツツジやカエデもきれいですね。


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手水所の北側に、社務所があります。
いつ来ても人影がありません。おみくじは、自動販売機で求めます。


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社務所の前の地面に、このようなものが埋めてありました。
なんだか風水盤のようです。(陰陽師や風水師が使います)
こういうところが、この神社の特徴ですね。


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保育園の北側に、西に抜ける石畳の道がありました。
両側に、キツネ神の姿があります。ここは稲荷神社と考えられます。


53-17.jpg
キツネ神を通り過ぎると、小さな祠が2柱いらっしゃいました。
どちらも稲荷社と考えられますが、
実はよく分かっていないのだそうです。


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左は祠に見えますが、ここをくぐって岩屋の中に通じています。
(少し地下になっています)
白清社と呼ばれる稲荷社です。
多くのサイトには「末社」と書かれていましたが、
自分には独立した神社に見えます。
右に行くと、「白塚」という塚がありました。
ここが何なのかは、まったくわかりません。

~7月6日訂正~
「武富稲荷神社」を調べていたら、
この辺りのことが偶然わかりました。
この白清社は古墳の石室が外に露出したものです。
つまり、この中は古代人のお墓です。
(しかも、身分がかなり高い方のものです)
白清社自体は、菊理媛(キクリヒメ)を主神とします。
冥界(死後の世界)の神様ですね。
恐らく、その古墳のことを
昔は「白塚」と呼んだのではないのでしょうか?


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拝殿越しの木嶋神社本殿です。(蚕ノ社は、実は本殿が別です)
主神は、天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、
大国魂神(おおくにたまのかみ)を初め5柱が祭られています。
例祭は、毎年10月10日です。
前述のとおり、この神社がいつできたのかは分かっていません。
奈良時代の初めにはここは鬱蒼とした森の中で、
「木の海に浮かぶ島のような神社」というイメージだったそうです。
秦氏による神社と考えられていますが、
秦氏が日本に渡来する以前からここに神社があったようです。
(本当にこの神社は分からないことが多くて、
「ユダヤ神説」など珍説も様々です)
ただ、前々回ブログで紹介した広隆寺と
前回ブログで紹介した大酒神社(移転前の位置)は
この神社と同じ緯度上になり、その関連性も謎です。
(すべて秦氏に関連しますが)

ちなみに、本殿の右(東)側に「蚕ノ社」本殿があります。
ここの主神は、此花咲耶(このはなさくや)と雄略天皇です。


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本殿の左(西)側にある「元糺ノ池」(もとただすのいけ)です。
ここに泉があるのですが、今は枯れています。
土用の丑の日に、無病息災祈願でここに来られる人もいます。
柵が閉まっていて、この先には行けませんでした。
実は、この泉がここの象徴です。
(参拝者の大半は、ここが目当てです)
ここからでは分かりにくいですが、
この鳥居は正三角形です。
三本の柱があって、それぞれの面が鳥居になっています。
「京都三奇鳥居」の一つです。


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木嶋神社拝殿前から南を向いています。
では、ここ抜けて外に出ます。


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木嶋神社鳥居前から南を向いています。
太子道が目の前を東西に伸びています。
コンビニエンスストアの前を通り、
もと来た道を南に進みます。


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コンビニエンスストアの前から、南に約50m進みました。
左(東)側に、古いビルがあって商店が入っています。
何軒かは、営業しているようです。
ここをさらに進み、鳥居の所まで戻ります。


53-24.jpg
鳥居の所まで戻ってきました。この先に三条通が伸びています。
平安京遷都の頃、この道はもっと太く長かったようです。
「延喜式」によると、ここに木嶋大路が南北に伸びていて、
その西側に前回ブログで紹介した御室川が流れていたそうです。
木嶋大路は平安京の外の道だったこともあり、
平安時代末期にはもうなくなっていたようです。


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鳥居前から、三条通を南南東に向いています。次はこの道を進みます。
電車が、自動車と同じ道を並んで走っています。
1970年代に市電が廃止になるまでは、
京都駅前や祇園でも、これが普通の景色でした。


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少し先に、このような標識が出ていました。
この三条通が南南東に曲がっているために、
元来東西の道のはずの2本の道が交わって、交差点になっています。


53-27.jpg
三条御池の交差点付近に、
京福電車(嵐電)「嵐電天神川」駅があります。
三条通の車道の中央にあるので、自動車はここを避けて通ります。
実は、「蚕ノ社」駅から100mも離れていません。


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その理由は、
ここに地下鉄東西線の終点「太秦天神川」駅があるからです。
京都市街地の東側(祇園や清水寺など)から嵐山に行くときは、
ここで地下鉄から京福電車(嵐電)に乗り換えます。
この辺りから三条通は京福電車(嵐電)と重なっていくのですが、
それは次回に紹介します。

~今回は、ここまでです~

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第54回 山ノ内の路面電車 前編~三条通西から東~その9

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地下鉄東西線の西の終点「太秦天神川」駅4番出口です。
前回ブログの最後の場所ですね。
今回は、ここから京福電車(嵐電)「山ノ内」駅まで行きます。
撮影日は、2012年6月21日木曜日午後2時50分。
この辺りは、梅雨空がよく似合います。


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先ほどの場所から、反対側の南南東を向きました。
今から御池通を渡り、三条通を進みます。


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三条御池の交差点を渡り、南南東を向いています。
左にあるのは、地下鉄からの上り口です。(複数あります)
その向こうに見えるのは右京区役所で、
一階にはテナントが入っています。
三条通の中央には京福電車(嵐電)「嵐電天神川」駅があり、
地下鉄の上り口からすぐに、入ることができます。


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三条御池の交差点から、5mほど南南東に歩きました。
右京区役所の前に市バスの複数の停留所があり、
その横にタクシーが何台も停まっています。
ここは、京都の西の交通の拠点です。


54-5.jpg
右京区役所1階のテナントです。
カレーのおいしそうな香りがしてきたので、
「Arrows」にちょっと寄り道しました。


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自分は知らなかったのですが、
ここは近所では割と知られた名店のようでした。
たくさんの方が予約に来ていました。
いろいろ迷って、シーフードカレーと
コーヒーのセットを注文しました。
カレーは辛いものですが、ここのは他店より多少辛めです。
(イカやエビの甘さとマッチして味が深くなっていました)
実は、コーヒがかなりこくがあっておいしかったです。
今度来たときは、ケーキとコーヒを注文します。


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「arrows」は居心地がよく、30分もいてしまいました。
店を出て、三条通を南南東に進みます。
この辺りで、京福電車(嵐電)と三条通はいったん分かれます。


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三条通で咲いていたツツジです。
雨水の重みで、少し垂れ下がっています。
この写真をクリックすると、拡大されます。


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右京区役所から、約100m進みました。
天神川通との交差点が近づいてきました。


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三条天神川の交差点から、天神川通を南に向いています。
少し先の踏切に、電車が入ってきました。
左(東)側に天神川が並行しています。
ここをずっと南に行くと、第31回ブログの辺りに出ます。


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天神川を越えたあたりで、
地名が「右京区太秦」から「右京区山ノ内」になります。
天神川を越えてすぐに、今度は西高瀬川の橋があります。
西高瀬川は、第48回ブログの斉明神社近くの川です。
有栖川と天神川と交差して、ここに来ています。
橋のたもとに、「猿田彦神社」と書いています。
今から、そこに行きます。


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先ほどの写真から、三条通を10mほど進みました。
この猿田彦神社に入っていきます。


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先ずは、この手水社で手を清めます。


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本殿の北側の末社です。
右側は、岩自体が御神体です。
もともとは反対側にも同じような岩があって、
「男岩」「女岩」と呼ばれていたそうです。
左側は末社で、稲荷神社と秋葉神社です。
秋葉神社は東京の秋葉原の語源になった神社で、
火事から守ってくれる神様です。


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こちらは、本殿の南側です。
一見お地蔵さんに見えますが、
それぞれが神様で、末社になっています。


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ここも、本殿の南側です。
末社の一つで、大国主命を祭っています。


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猿田彦神社の本殿です。主神はもちろん猿田彦です。
古墳時代に大和朝廷と戦って敗死した
越前(福井県)にいた実在の豪族と考えられています。
「庚申」(こうしん)とも呼ばれ、
江戸時代以降は「旅の神様」となっています。
(「道祖神」は同じ神様と考えられます)
そういう訳で、このブログの無事をお祈りしてきました。


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猿田彦神社の鳥居の前から、三条通を見ています。
また、ここを進みます。


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猿田彦神社の鳥居の前から、約100m進みました。
この辺りの三条通は、また2車線くらいに細くなります。


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先ほどの写真の場所で、北を向きました。
市バスと京都バスの停留所です。
「庚申前」の庚申は、前述のとおり猿田彦のことです。


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そして、このバス停の辺りで
また京福電車(嵐電)が三条通に乗り上げます。
三条通も、ここから東に進路を変えます。
(この辺りから東は、ほぼ「碁盤の目」です)


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京福電車(嵐電)が三条通に乗り上げる所を
反対側から撮ると、こうなります。
右側の道が、今まで通ってきた三条通です。


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葛野大路三条の交差点です。
三条通は、この辺りから4車線のそこそこ太い道になります。


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三条通から、葛野大路を南に向きました。
ここをずっと行くと、
第31回ブログで出てきた光華学園の前に出ます。
この辺りを撮影していると可愛い泣き声がずっと響いていました。
この横に、乳児園があります。


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葛野大路から約100m東に進み、西を向きました。
京福電車(嵐電)が走っていて、その後ろを自動車が走っています。
よく見ると、その自動車は線路の上を走っています。
これが、この辺の常識です。


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山ノ内周辺の三条通の様子です。
古い商店と、アパートが並んでいます。
ガス器具販売店の時計が、午後4時10分を差しています。
「arrows」で、ちょっと休憩しすぎたようです。


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先ほどの写真の地点から、三条通を東に向きました。
この辺りは路面電車だけでなく、路線バスも走っています。
梅雨空に、古い建物が独特の空気を出しています。
ここは、自分の大好きな街並みの一つです。


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近くにお地蔵さんがいらっしゃいました。
ここのお地蔵さんは、京都では珍しく
顔の表情をはっきりと書いてあります。


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お地蔵さんは、この建物の敷地内にいらっしゃいました。
「山ノ内自治会連合会」と書いてあるのですが、
近所の方々が集まって、集会とかされるのでしょうか?


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葛野大路の交差点から東に約200m進みました。
この写真からは分かりにくいのですが、
だんだん「山ノ内」駅に近づいてきました。


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三条通の南側に「光縁寺」という寺院がありました。
ここの由来は分からなかったのですが、
第28回ブログにも、同じ名前の寺院がありました。
(新選組の山南敬助のお墓がある寺院です)
その寺院と関係があるのでしょうか?


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光縁寺の辺りから、西を向きました。
向こうから、四条大宮行の電車がやって来ました。
雨の日には、このデザインの車両が一番映えますね。


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そして、その電車が通り過ぎていきました。
車窓をのぞくと、そこそこ乗っていらっしゃいます。
京福電車(嵐電)はどちらの方面も、約10分おきに電車が来ます。
JRどころか、京阪電鉄よりも本数が多いかもしれません。


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三条通にコンクリート製の突起がありますが、
これが京福電車(嵐電)「山ノ内」駅です。
とても細いので、ここで電車を待っていたら
自動車にひかれそうになります。
それだけに、この駅にはローカルルールがあるのですが、
それは次回に紹介します。

~次回は、ここから西大路通まで行きます~

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第55回 山ノ内の路面電車 後編~三条通西から東~その10

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京福電車(嵐電)「山ノ内」駅から、電車が出発します。
路面電車には、雨がよく似合います。
今回は、ここから西大路の三条口まで行きます。
撮影日は2012年6月21日午後4時半。梅雨真っ盛りの夕方です。


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ここは、山ノ内郵便局の前です。
まだ営業時間なので、中に人の気配がします。
郵便局の前の横断歩道から、「山ノ内」駅のホームに行けます。
では、駅の方に移動します。


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駅のホームの端に、このような看板がありました。
駅名を記すものは、実はこれしかありません。


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今度は、反対(東)側を向きました。
この辺の三条通は、駅がある関係で事実上二車線になっています。
ただ、駅のホーム幅も50㎝くらいしかありません。
自動車が猛スピードで来たら、とても危険です。


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それだけに、この「山ノ内」駅にはローカルルールがあります。
そのルールは駅のホームのこの位置に書いてあったのですが、
一部が欠けていて読めません。


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では、そのローカルルールを説明します。
駅ではなく、歩道に傘を差いた女性がいます。
電車を待つ間は、ホームではなく歩道にいなければなりません。


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そして、電車が停まると程なく信号も「赤」になります。
それから乗客が電車に乗り込みます。
これだと、自動車にひかれる心配もありません。


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先ほどの嵐山行きの電車が「山ノ内」駅を出ると、
今度は四条大宮行の電車が入ってきました。


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四条大宮行の電車も「山ノ内」駅に入りました。
この電車からは、乗降者がいませんでした。


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その四条大宮行の電車が出た直後に、
またまた嵐山行きの電車が入ってきました。
本当に、京福電車(嵐電)は本数が多いです。


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嵐山行きの電車から、一人降りてこられました。
この車両は、白と黒が基調のパトカーのようです。
これは右京警察署によるデザインで、
「みんなでまもろう 右京のあんぜん」
そう書かれています。


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こうして電車はえんえん来るのですが、
いつまでもいるわけにもいかないので、
「山ノ内」駅から三条通を東に向かいます。


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「山ノ内」駅から、三条通を20mほど東に進みました。
今度は、「山ノ内」バス停が見えます。
こちらも、そこそこの乗降がありました。


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で、そのバス停をアップにしました。
市バスと京都バスのバス停を合体させています!
こんなバス停は、三条通周辺だけです。


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「山ノ内」バス停は、この念佛寺の前にあります。
ここは、天台宗の開祖最澄の母妙徳夫人の生誕の地です。
妙徳夫人の死後、最澄がこの寺院を建立したそうです。
今は水子供養の寺院として、参拝者を集めています。


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「山ノ内」バス停から、三条通を約30m進みました。
右側に見える橋は、西高瀬川のものです。
(この辺り、西高瀬川はあちこちに支流が流れています)
目の前の店は、ハンバーガーショップです。
おいしそうだったので、また寄りました。


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中は、小さくて客席はここだけでした。
大手チェーン店とは違う内装です。
アメリカの郊外にありそうな店の雰囲気でした。


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前回ブログでカレーを食べてから
まだ1時間くらいしかたっていないので、
ハンバーガーは小さめにしました。
フライドポテトとコーラのセットにしました。
(コーラなどの飲料は、缶から直接飲むスタイルです)
パテ(ハンバーグ)はお肉独特の甘みがよく出ていました。
そして、何よりパテの上に乗ったピクルス(たぶん自家製)は
歯ごたえと酸っぱさが絶妙でした。


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ハンバーガーショップ「MARUFUKU BURGER」の前に、
コーラの自動販売機がありました。
よく見ると、「ドクターペッパー」を売っていました!
京都では、通常輸入雑貨店でしか買えなかったので、
かなり希少です。


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ハンバーガーショップの辺りから、
三条通の北側が「中京区西ノ京」になります。
そのハンバーガーショップから約100m東に進みました。
ここは、西小路との交差点です。他の土地より少し高くなっています。
この辺りから、三条通の南側も「右京区西院」になります。


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三条通から西小路を南に見ています。
ここをずっと進むと、
第31回ブログ冒頭のショッピングモールに出ます。


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西小路を渡ろうとすると、
東の方から右京警察署デザインの京福電車(嵐電)の車両が来ました。
ここで、多少雨足がきつくなってきました。
写真では、霧雨のように見えます。


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三条西小路の交差点から、約100m進みました。
この辺りから、三条通の道幅が広くなりました。
三条通の北側に、街路樹が並んでいました。
歩道と街路樹の間は、自転車専用道路です。


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さらに、東に50mほど進みました。
三条通の北側に、漬物屋さんがありました。
近所の人よりも、観光客をターゲットにしているようです。


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その漬物屋さんの向かいは、菜園になっていました。
何かの畑でしょうか?


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その菜園の東隣りに、
右京税務署・市営住宅がありました。
また、電車が通り過ぎます。


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その市営住宅に、アジサイが咲いていました。
梅雨空には、よく似合います。
この写真は、クリックすると拡大できます。


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市営住宅の北側に、島津製作所の本社がありました。
島津製作所は、京都有数の地場産業です。
我らが京都サンガのスポンサーの一つでもあります。


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島津製作所と三条通の間に、西高瀬川が流れてきました。
ここからしばらく、三条通に北側を流れていきます。


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島津製作所本社入り口付近に、「三条春日」バス停があります。
このバス停も、「山ノ内」バス停同様
市バスと京都バスが合体しています。
三条通の天神川から西大路まで限定のバス停ですね。


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ここは、三条春日の交差点です。
春日通は、第30回ブログに出てきた佐井本通のことです。
向こうに児童公園がありますが、
雨が降っているので誰もいません。


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三条通の南側に、ツツジの花が咲いていました。
そろそろツツジの季節も終わりですね。


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三条春日の交差点から東に約100m進みました。
ようやく三条西大路の交差点にたどり着きました。
ご覧のように西高瀬川は、ここから地下に潜ります。
実は、ここから先も西高瀬川が地下を流れています。


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三条西大路の交差点の西側に、
京福電車(嵐電)「西大路三条」駅がありました。
ここは、最近まで「三条口」駅といっていました。
とりあえず、駅のホームに向かいます。


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「西大路三条」駅のホームです。
ここの幅は、2m以上あります。
「山ノ内」駅のようなローカルルールは必要ありません。


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「西大路三条」駅のホームに、看板があります。
この辺は、「山ノ内」駅と同じです。


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看板についている時刻表です。
本当に、10分おきに電車が来ています。かなり本数が多いです。
すべて普通電車なので、同じ色で表示してあります。


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京福電車(嵐電)「西大路三条」駅を東に向いています。
線路はここで大きく南に折れ、三条通とは別れます。
また、嵐山行きのホームがありません。
実は、少し離れたところにあります。


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嵐山行きのホームは、三条西大路の南東角にあります。
ここから、京福電車(嵐電)は路面電車ではなくなります。
ちなみに、この先は四条通まで南に折れ「西院」駅へ行き、
その後は東に進み、「四条大宮」駅で終点です。
つまり、もう三条通には京福電車(嵐電)は登場しません。
今回は、ここまでです。

~次回は、千本通まで進みます~

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第56回 壬生北辺を歩く~三条通西から東~その11

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6日ぶりの西大路三条です。あの日以来、雨が降っていません。
(梅雨なんですけどね)
今回は、京福電車(嵐電)と別れて、三条通を東に進みます。
撮影日は、2012年6月27日午後3時半。
空梅雨の方が蒸し暑いですね。


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三条通から西大路通を南に向いています。
ここから約500m行くと
阪急電車と京福電車(嵐電)の「西院」駅に行けます。
さらに約500m行くと、
第30回ブログの西大路松原の交差点に行けます。


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今度を西大路通を北に向きました。
ここを約2km進むと、「西ノ京円町」に出ます。
さらに約2km進むと、金閣に着きます。


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今回は、この三条通をさらに東に進みます。
ここで右京区とは別れて、「中京区壬生」に入ってきます。
目の前に歩道と自転車用道路がありますが、
歩道の地下に西高瀬川が流れています。


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三条通を西大路通から約10mほど進みました。
ここから京福電車(嵐電)の「三条西大路」駅が見えます。


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三条通をさらに50mほど東に進みました。
ここは、浄土宗の教宣寺です。
由来などは、また分かりませんでした。


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教宣寺の前から東を向いています。
約30mほど先に、京都両洋高校がありました。
ちょうど下校時間と重なり、
校門前からの撮影がはばかられたので、ここから撮りました。


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京都両洋高校の校門から三条通を東に約50m進みました。
ここは、天神通との交差点です。
この道を北に約3km行くと、北野天満宮に着きます。


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三条天神通の交差点の北東角に
このような神社のようなものがありました。
ここに入ってみます。


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ここは、北野天満宮の「ずいき祭」の御旅所です。
10月上旬に北野天満宮からここまで神輿が来て、
また北野天満宮に帰ります。
北野天満宮のサイトにある「西ノ京の御旅所」とはここのことです。


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北野天満宮の御旅所から東に約30mほど進みました。
ここは、駄菓子とか進物とかを売っているお店のようです。
今日は閉まっているのかと思いましたが、
よく見ると営業中でした。


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三条天神通の交差点から、東に約50m進みました。
ここは、三条御前の交差点です。
ここを南に行くと、第30回ブログの冒頭の
松原御前の交差点に出ます。
ずっと北に行くと、北野天満宮の前に出ます。
(これが「御前」(おんまえ)の語源です)


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三条御前交差点の南東角に、天狗堂海野製パン所があります。
大正時代から、ここで店を構えています。
ここは第26回ブログに出てくる「まるき製パン所」とともに、
自分が勝手に考えた「京都のパン屋さんベスト3」のうちの一軒です。
(残りの一軒は、寺町通夷川上るの「駸々堂」本店です)


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この写真は、家に帰ってから撮りました。
海野製パン所は、食パンに特化したパン屋です。
(ちなみに、まるき製パン所はサンドイッチ、
駸々堂はバケットや菓子パンに特化しています)
オーダーメイドで、4~10枚に食パンを切ってくれます。
この日も食パンを買うつもりだったのですが、
ついついブドウパンに手が出てしまいました。
ブドウパンは、バターを塗るとさらに甘くなりました。


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三条御前の交差点から約50m東に進みました。
ドラッグストアや100円ショップのチェーン店が見えます。


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100円ショップの前に来ました。
ここで三条通の道幅が細くなります。
よく見ると、自転車専用道路がなくなっています。


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三条通の南側に、西高瀬川が地下から姿を見せます。
それが、三条通の道幅が細くなった理由です。


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西高瀬川が姿を見せた辺りで北を向きました。
ちょっと凝った作りの自転車屋です。


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三条通をさらに50mほど東に進みました。
JR嵯峨野線の高架がよく見えるようになりました。
ちょうど電車が通り過ぎていきます。
ここを左(北)に行くと、JR「二条」駅への近道になります。
東宝シネマライズ二条の前にも出ます。
この辺りから、少しずつ繁華街独特の賑やかさが出てきます。


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JR嵯峨野線の高架下まで来ました。
ここは、「三条千本保管所」です。
撤去した自転車の一時預かり所です。


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「三条千本保管所」の辺りで、
西高瀬川は三条通と別れて大きく南に折れます。
西高瀬川は、このあと御前通の方に曲がっていって
第29回ブログの松原通にたどり着きます。


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JR嵯峨野線の高架をくぐり抜けました。
いよいよ三条千本の交差点にやって来ました。


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三条通から千本通を南の方に向きました。
第29回ブログでも書いたように、平安時代の朱雀大路です。
(平安京の中央の大通りでした)
ここを約2kmほど南に行くと、
第29回ブログで紹介した寿司屋と焼肉屋の前に出ます。


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三条通から北側に向くと、急に千本通が太くなります。
左(西)側の大きなビルは、立命館大学二条キャンパスです。
その北隣が佛教大学の二条キャンパス、
その向こうがJR嵯峨野線の「二条」駅です。
右(東)側は、駄菓子やおもちゃの問屋が続きます。


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そして、三条千本から南東に伸びるのが後院通です。
四条大宮の交差点まで直通になります。
大半の方が、ここが千本通と勘違いされているようです。


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一方、三条通はここから細くなります。
「三条会」というアーケードがあるのは、
ここから大きな商店街になるからです。
ここからいよいよ京都市の中心街に入っていくのですが、
それは次回とします。

~次回は、三条会商店街を進みます~

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第57回 三条会商店街 前編~三条通西から東その12

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前回「空梅雨」と書いたのですが、ここしばらく雨が続きました。
この日も、朝からずっと雨です。

今回は、ここ三条千本交差点から三条通を東に進みます。
撮影日は、2012年7月5日木曜日午後4時半。
近くにある東宝二条シネマライズで映画を見た帰りなので、
こんな時間からになってしまいました。


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千本通を渡りました。
ここから東の三条通は、アーケードがかかります。
ここ千本通から堀川通まで、三条通は「三条会商店街」になります。


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商店街の中に入ろうとしたら、
カツを揚げるおいしそうな香りがしてきました。
肉屋の揚げ物は、昔はよく食べました。
ここから30mほど東に、この肉屋直営の焼肉屋があります。


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「三条会商店街」アーケード内部に入ってきました。
ここは、JR「二条」駅や四条大宮交差点に近いこともあり、
かなり賑やかな商店街です。
七夕や祇園祭が近いせいか、提灯がぶら下がっています。


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アーケードの柱には、
我らが京都サンガの小旗が設置されていました。


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向かい側の柱には、
女子プロ野球の「京都アストドリームス」の小旗です。
京都の商店街には、
すべてこの2チームの小旗が飾られています。


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そして、アーケード中央にはこのような横断幕があります。


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千本通から100mほど東に進みました。
二輪車屋さんの東隣りに、タイ焼き屋さんがありました。
わずかな間にも、結構お客さんが来ていました。


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タイ焼き屋さんから、約30mほど東に進みました。
Tシャツのお店と紳士服店が並んでいます。
この先あまり写真には撮っていませんが、
この商店街は洋服店が一番多く並んでいました。


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次は、八百屋さんです。
八百屋さんも、この商店街に多くあります。


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八百屋さんの2軒東には、お茶屋さんです。
茶壺が、看板になっています。


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お茶屋さんから東に10mほど行くと、
米屋さん、和紙・水引販売店、酒屋さんと続きます。


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その酒屋さんの向かいに、「中島屋」という駄菓子屋がありました。
ゼリービーンズのようなものもありますが、
昔ながらのお菓子がメインです。


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「中島屋」で買ったお菓子を家に帰って撮影しました。
味噌せんべいと梅鉢です。どちらも自分の大好物です。
ここの味噌せんべいは、他店のものよりも固いのが特徴です。


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さらに約50m進みました。
坂本龍馬のイラストともに、
「武信稲荷神社」と書かれた垂れ幕が飾ってあります。


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先ほどの角を南に向きました。
商店街からそれ、この道を約30m進みます。


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商店街から約30m南にある「武信稲荷神社」です。
こちらの方に入っていきます。


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ここから神社の中に入っていきます。
石畳の道がゆがんでいますが、撮影上のミスではありません。
ところどころ陥没していて、道自体がゆがんでいます。


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この神社の手水舎です。
ここで手を清めたら、まずは末社参りです。


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こちらは、鳥居に「起上大明神」と書かれています。
どういう神様かは、自分は知りません。
左隣に「南無妙法蓮華経」と書かれた石碑がありました。


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白蛇大弁財天の祠の向こうに、社務所があります。
社務所には足場が組まれていますが、
現在この神社は大規模な修復中です。


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絵馬が大量にぶら下がっています。
ここは坂本龍馬関連施設なので、
絵馬には龍馬と妻のおりょうのイラストが付いています。


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ここは稲荷神社なのですが、
「稲荷社」の末社もありました。


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稲荷社の右隣に、「白清社」(しらきよさん)がいらしゃいます。
「蚕ノ社」木嶋神社にも同じような神様がいらっしゃいました。
白清神社は、もともとは広島市内の神社です。
1945年8月6日の原爆投下で完全消滅しましたが、
現在は再建されています。
主神は、菊理媛(キクリヒメ)です。冥界の神様ですね。
(第53回ブログも、この辺訂正しています)


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さらに、「七石社」と「太郎松社」が並んでいます。
どう考えても、人名なのですが……
冥界の神様と並んで合祀されていることに
何か意味があるんでしょうか?


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さらにその隣の「釘抜社」は、釘抜き自体が御神体です。
その隣は「常吉社」ですが、
こちらに至ってはお墓が御神体です。


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そして、末社の最後は「金比羅社」と「天満宮」です。
こちらは、立ち入り禁止になっていました。
実はこの撮影中も宮大工さんが修復されていたのですが、
あちらが遠慮されて上手くカメラから逃げていただいたので、
写真には写っていません。


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本殿の脇に、大きなクスノキが伸びていました。
この神社の南側に幕末のころは牢獄がありました。
おりょう(後の坂本龍馬の妻)が牢獄の父親に面会に行った間、
龍馬はこの木に登り、その様子を見ていたそうです。


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さらに、このクスノキは坂本龍馬とおりょうを再会させ、
結婚に至るきっかけになりました。
そのこともあって、このクスノキ自体が
「宮姫社」という縁結びの神様になっています。
(クスノキの前に祠があります)


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「武信稲荷神社」の本殿です。
平安時代に、藤原氏の学問所や医療施設の守護神として
藤原良相によって建てられました。
目の前の絵馬に願いごとを書いて、
先ほどの所にぶら下げるようになっています。


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では、「武富稲荷神社」を出ます。
向こうにある自動車は、宮大工さんのものです。


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神社の前から北を向きました。
こちらの道を北上して、三条通に戻ります。


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神社の脇にいらしたお地蔵さんです。
こちらも撮らせていただきました。


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こちらは、祇園祭の三条神輿中会所です。
平安時代はこの辺りまでが神泉苑の池で、
当時の祇園祭は神泉苑からこの辺りまでを
神輿で巡行するものでした。
安土桃山時代に祇園祭は今の形になりましたが、
今でも7月24日に三条会商店街内では
祇園祭の神輿巡行が行われます。
(山鉾巡行とは別物です)


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自動車が、銭湯の前に停まっています。
「トロン温泉」と書いてありますね。


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「三条会商店街」まで戻ってきました。
よく見ると、床屋さんの時計が止まっています。
この時点では、午後5時10分でした。

ここから右(東)に折れさらに三条会商店街を進みますが、
それは次回とします。

~次回は、商店街の東の端堀川通まで進みます~

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第58回 三条会商店街 後編~三条通西から東その13

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ここは、「三条会商店街」の真っただ中です。
千本通から東に約300mほど進んだところです。
この南に、「武信稲荷神社」があります。
今回は、ここから商店街の東端堀川通まで進みます。
撮影日は、2012年7月5日木曜日午後5時10分。
いくつかのお店は、そろそろ閉め始めていました。


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三条通と神泉苑通との北西角に、「西友」があります。
こういう大型小売店は商店街と対立しがちですが、
ここの「西友」は商店街と「共存共栄」しています。
商店街のイベントにも積極的に参加しているようですし。


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三条通から、神泉苑通を北に向いています。
ここから北に約300m進むと、御池通に神泉苑があります。
その先に、二条城があります。
目の前に、三寳寺と来迎寺が見えます。
どちらも非公開なので、そちらへは向かいません。


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神泉苑通から、三条通を東に向いています。
気のせいか、自転車がたくさん通り過ぎていきます。
このまま、こちらの方に向かいます。


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神泉苑通から東に約50m進みました。
ここは、日蓮宗の妙泉寺です。
昔はもっと大きかったのですが、
戦乱や大火で移転を繰り返し、この規模になりました。
ここは、境内だけでなく門の前のこのスペースも立ち入り禁止です。


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妙泉寺の横にいらしたお地蔵さんです。
こちらも撮らせていただきました。


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妙泉寺の東隣りは、児童公園です。
いつもは賑やかなところなのですが、雨の中では誰もいません。


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右(南)側の樹木の向こうに、先ほどの公園があります。
目の前に、大宮通が見えてきました。


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三条通から大宮通を北に向いています。
この辺の大宮通は、三条通と同じくらいの道幅です。
大宮通は北に約400mほど行ったところで、
二条城にぶつかります。


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今度は、南を向きました。
ここから約700m先が四条大宮の交差点で、
その辺りから急に大宮通は4車線と太くなります。

四条大宮は、第28回ブログにも出てきた
京福電車(嵐電)の終点です。


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大宮通から、三条通を東に向いています。
閉まっていくお店もありますが、まだまだ賑やかです。


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大宮通から、三条通を東に約50m進みました。
左(東)側に、婦人用の帽子屋さんがあります。
その少し先に、赤い鳥居が見えます。
次は、そちらに向かいます。


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三条通と黒門通りの北西角に、「八坂神社 御供社」がありました。
ここに入ってみます。


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前回ブログでも書きましたが、
平安時代はこの辺りまで神泉苑が広がっていました。
869年この辺りで天然痘という伝染病が流行したとき、
神泉苑の神木から御神輿を作り、
この地まで運びました。
そして、それを祭って天然痘を鎮めようとしました。
八坂神社の主神素戔嗚尊(すさのおのみこと)は
疫病の神様(というか祟り神)でもあります。
これが、祇園祭の起こりです。
つまり、ここは祇園祭発祥の地です。

八坂神社は、この後
第28回ブログの四条坊城にある梛神社に移った後、
今の祇園に移転しました。

ここのお祭りは、7月7日の七夕祭と
7月24日の祇園祭還幸祭です。


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「八坂神社 御供社」のある黒門通りから、
三条通を東に向いています。
右(南)側にマンションが見えますね。
だんだん堀川通が近づいてきました。


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マンションの脇にもお地蔵さんがいらっしゃいました。
また、撮らせていただきました。


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お地蔵さんの東隣りは、「京都模型」です。
自分が小学生の頃からあるプラモデル屋さんです。
もう午後五時を回っているので、閉まっています。


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さらに東に進み、猪熊通の角まで来ました。
ここは淡水魚の魚屋さんですね。
アユとかウナギとか売っています。


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猪熊通から、三条通を東に約5m進みました。
ここは「魏飯夷店」という点心中心の中華料理屋です。
ちょっとここに寄ってみます。


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この店は点心中心なのですが、「お茶」はメニューにありません。
(グラスに入った冷たいものはあるのですが……)
仕方がないので、「紹興酒」の熱燗を注文しました。
(もちろん、ザラメ砂糖を入れます)

前菜は、鱧(はも)の醤油煮ときゅうりと蒸し鶏です。
鱧は五香粉の香りがかぐわしく、
自分はこの店でこれが一番気に入りました。
きゅうりはニンニクなどで味が付いていました。
蒸し鶏は意外と蒸し時間が難しいのですが、
中まで火が通っているのに柔らかく、
鶏肉独特の甘みが引き立っていました。


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続いて、小龍包が来ました。
中には、カニ味噌やニラなどが入っていました。
薬味は髭生姜、黒酢を添えています。


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小龍包は黒酢に漬けた後、レンゲに乗っけます。
こうすると、中のスープがこぼれません。
最後に生姜を乗せて食べましょう。


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最後に水餃子が来ました。
白湯スープに餃子が浸かっています。
餃子としては皮が厚かったのですが、
スープが染み入ることを考えれば、
これくらいの厚さでちょうどよかったです。
酢醤油に漬けると、甘みが増します。

かなり気に入ったので、またここに来たいと思います。


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「魏飯夷店」から東に約30mほど進みました。
岩上通との角に来ました。
角の肉屋さんには、たくさんお客さんがいました。


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三条通を東に、岩上通から約10mほど進みました。
今度は、この「つるぎ食堂」に入ります。


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ここは、大衆食堂です。
実は鉄板もあって、お好み焼きも食べられます。
自分はここでは、いつも夏は「そうめん」を食べます。
薬味にわさびが付いていますが、
ここはそうめん汁を使わずに、
ザラメ砂糖を醤油で煮込んだ「返し」と
かつお出汁を使った普通のそばつゆを使っています。


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「つるぎ食堂」の前から東を向いています。
目の前の大通りは、堀川通です。
「三条会」の看板の裏は、京都府警の広報が流れていました。


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堀川通で、「三条会商店街」は終わります。
ここから東は祇園祭の鉾町が続き、
その先は、京都有数の繁華街になります。
ただ、そこに行くのは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、祇園祭の山鉾が立つ前の鉾町に行きます。
祇園祭に来られる方は、コースの参考にしてください~

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第59回 祇園祭直前の鉾町~三条通西から東その14

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ここは、三条堀川の交差点です。
この日はよく晴れていたので、
三条通が真っ直ぐに伸びているのが分かります。
今回も、この三条通をずっと東に進んでいきます。
撮影日は、2012年7月8日日曜日午後3時半。
祇園祭直前ですが、まだ山鉾は立っていません。


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堀川通を渡っている途中で、三条通から南を向きました。
堀川通は、京都では珍しい6車線の道です。
はるか先に見える歩道橋は、四条通のものです。
……しかし、この日はよく晴れていました。
今までとは、日差しの強さが全然違います。


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堀川通を渡り切って、今度は北を向きました。
少し先に、御池通があります。
その先の茂みは、二条城のものです。


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堀川通から三条通を東に向いています。
ここから先は、いよいよ祇園祭の鉾町です。


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堀川通から、三条通を東に約30mほど進みました。
ここは、香炉と「お香」のお店です。
撮影日が七夕の次の日だったので、笹が飾ってあります。


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その「お香」のお店の向かいの民家です。
紫陽花(あじさい)が見事ですね。
この写真をクリックすると、拡大されます。


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紫陽花のある民家の東隣りの家です。
細長い提灯で飾ってあります。
よく見ると、その東隣の文房具屋さんにも飾られています。
これは、「三条灯プロジェクト」の一環だそうです。
京都工芸繊維大学などの協力で、
このような提灯のオブジェが
堀川通~新町通の三条通沿いに飾られています。
祇園祭に来られた方は、近くなので寄られるといいです。


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先ほどの家から、東に約20m進みました。
ここに、縁台の椅子が置いてあります。
もしこの辺を歩いていて疲れたなら、
ここに自由に座ってもいいそうです。
京都市街地には、たまにこういうものがあります。


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堀川通から三条通を東に約100mほど進みました。
ここは三条油小路の角です。
左(北)に見える建物は、自分が子供のころからある本屋です。
今日は改装中で閉まっていました。


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油小路通を三条通から南に向きました。
油小路通には、この辺は山鉾が立ちません。
約1kmほど南に行ったところに、
油天神山や芦刈山・太子山などが立ちます。


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油小路通から三条通を東に向いています。
ずっと向こうで、三条通が急な上り坂になっています。
とりあえず、そこまで行きます。


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こちらの提灯も、「三条灯プロジェクト」の一環です。
よく見ると、魚の形をしています。


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油小路通から、三条通を東に約100m進みました。
西洞院通との角に来ました。北東角に、西洞院郵便局があります。
そこから急な上り坂が始まります。


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三条西洞院の南東角に、このような表札がありました。

「三条通西洞院東入」とありますが、
「西洞院通よりも東側の三条通り沿い」という意味です。
京都の住所は、通常このように町名の前に道順が入ります。
(だから、手紙に書くときは大変です)


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西洞院通を三条通から南に向いています。
この辺りの西洞院通は、このくらいの太さです。
ここから約500m先の蛸薬師通で、
西洞院通は急に太くなります。
そして、四条通まで行くと蟷螂山が立ちます。
では、こちらに少し寄り道をします。


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西洞院通を三条通から約20mほど南に来ました。
右側の民家は、イタリア料理屋さんです。
(この辺のお店は、一見すると普通の民家です)
左側は問屋ですが、そこから湧水が出ています。
この民家の奥にある泉は、千利休関連施設です。
(実は、京都市街地で昔はそこら中で水が湧いていました)
では、三条通に戻ります。


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三条通に戻って、また東に進みます。
西洞院通から約50mほど来ました。ここは上り坂の途中です。
左(北)側に、京都信用金庫の西洞院支店があります。


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京都信用金庫西洞院支店の向かいに、
お地蔵さんがいらっしゃいました。
お地蔵さんの脇にある建物は、茶釜の美術館だそうです。
約500年前に、この辺りに「釜座」があった名残です。

「座」とは、室町時代の商人による組合です。
各商品ごとにあって、それぞれ京都での経営権を独占していました。


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三条通の上り坂は、ここ新町通で平たんになります。
……それにしても、よく晴れています。
日差しがまぶしいですね。


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三条新町の北東角に洋菓子店「トゥレ・ドゥー」があります。
個人的には、ここが京都で一番おいしいお店と思います。
ここの店は、祇園祭期間中パティシエが飴細工の露店を開きます。


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新町通を三条通から南に向いています。
この新町通は、祇園祭のメインストリートです。
山鉾が集中する通りです。
この少し先に、「八幡山」が立ちます。


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新町通から三条通を東に向いています。
もう完全に鉾町に入っています。
ただ、三条通自体には山鉾は一つしかありません。
(しかも、その山鉾も休み山です)
とりあえず、その休み山が立つところに向かいます。


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三条通を新町通から約30m進みました。
ここに、「鷹山」が立ちます。ただし、「鷹山」は休み山です。
休み山とは、何らかの事情で巡行に参加しない山です。
「鷹山」は江戸時代の火災で焼失し、以降再建されませんでした。
今は、ご神体の人形が宵山の際に飾られるだけです。

~2012年7月15日訂正~
鷹山が立つのは、もう少し東の方でした。ここには何も立ちません。
詳しくは、次回ブログを見てください。


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新町通から約50m東に進み、
衣棚通を三条通から北に向きました。
この「衣棚」の地名は、室町時代この辺りに
「衣座」があったことから来ています。
(着物の「座」ですね)
現在も、新町通~室町通に呉服問屋が軒を並べていて、
この方々が祇園祭を運営していきます。


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衣棚通から東に約50m進みました。
左(北)側の建物は、京都医健専門学校付属鍼灸治療所です。
祇園祭の際は、ここが休憩所として開放されます。
目の前の角は、祇園祭のもう一つのメインストリート室町通です。
(一番山鉾が集中する道です)

~2012年7月15日訂正~
2012年現在、ここは休憩所として開放することをやめていました。


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三条通から室町通を北に向きました。
左(西)側が、先ほどの京都医健専門学校付属鍼灸治療所です。
祇園祭当日には、ここに役行者山が立ちます。
ちなみに、7月16日の宵山の午後2時から
役行者山前で聖護院の山伏が護摩焚き祈祷をします。
(道のど真ん中で行われるのは、かなり珍しいです)


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今度は室町通を南に向きました。
この少し先に「黒主山」が立ち、
さらにその南に「鯉山」が立ちます。
「鯉山」は、ギリシャ製のじゅうたんを
見送りに利用しています。
一見の価値ありなので、
ぜひ祇園祭に来た時には立ち寄ってください。


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三条室町の角の地面に、このようなものがありました。
この辺りの三条通は、両脇に石畳が敷かれています。


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室町通から三条通を東に向いています。
烏丸通が近くに見えるようになってきました。
日差しが強いせいでしょうか、
東山がはっきりと見えるようになってきました。
もうすでに京都盆地の東側に来ています。


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三井ガーデンホテルの1Fです。
ここは、「伊右衛門 サロン」です。
宇治茶販売店の伊右衛門が経営するカフェですね。
日曜日ということもあって、満員でした。


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三条烏丸の南西角で、三井ガーデンホテルの東隣りに
みずほ銀行が建っています。赤レンガがきれいですね。
三条烏丸周辺には、このような赤レンガの建物がたくさんあります。
重要文化財に指定されているものも、たくさんあります。


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三条烏丸の交差点です。
ここから東は、京都で一番の繁華街に入っていきます。
ちなみに、先に見える赤いレンガの建物は中京郵便局です。
(この建物全体が歴史的文化財です)
ただこれ以上東に行くのは、また別の機会とします。


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三条通から烏丸通を南に向きました。
右(西)側に、先ほどのみずほ銀行が建っています。
ここを延々行くと、突き当りに京都駅があります。
烏丸通は、京都随一のオフィスビル街です。
銀行などのビルが並んでいます。


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今度は烏丸通を北に向きました。
今から、ここを進みます。


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烏丸通を三条通から北に約5m進みました。
ここは、大垣書店です。
大きな書店なので、
近所の本屋にお目当てがないときはここを利用しています。


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烏丸通を三条通を北に約50m進みました。
ここは、地下鉄の「烏丸御池」駅への入り口です。
だいぶ進んだので、今回はここまでとします。

~次回は、ここから祇園祭の宵山を散策します。
今回と同じところを回りますが、全く違う風景になります~

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第66回 三条通の歴史的建造物~三条通西から東~その15

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約3週間ぶりの地下鉄「烏丸御池」駅6番出口です。
第59回ブログや前回ブログの最後の場所です。
今回からまた三条通編の続きを書きます。
撮影日は2012年8月4日土曜日午後4時。
暑いので、この時間からスタートです。


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地下鉄「烏丸御池」駅6番出口から烏丸通を見ています。
烏丸通の西側に、「新風館」が見えます。
(第60回ブログでも出てきました)
知る人ぞ知るファッションビルです。


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地下鉄「烏丸御池」6番出口から南を向きました。
約50m先に、三条通の横断歩道が見えます。
では、そこまで行ってみます。
(その前に「大垣書店」にまた寄りました)


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ここは、烏丸三条の交差点です。
この辺りの三条通は大通りではありませんが、
人も自動車もよく通ります。
では、烏丸通を渡って三条通を東に向かいます。


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烏丸通から三条通を東に向いています。
左(北)側に、NTT西日本京都支店が見えます。
とりあえず、向こうに見える中京郵便局に向かいます。
そろそろ夕方なのですが、
まだまだ日傘を差す方がいらっしゃいますね。


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烏丸通から三条通を東に約100m歩いてきました。
ここは、東洞院通との角です。
ここを右(南)に約1km移動すると、
第63回ブログで「保昌山」が立っていた所に出ます。


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三条東洞院の北東角にある中京郵便局です。
外側は明治時代の建物をそのまま使っていますが、
中は改装されて普通の郵便局です。
第59回ブログでも紹介したとおり、
この辺りの三条通は歴史的建造物が多く建ち並んでいます。
この写真をクリックすると、拡大されます。


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中京郵便局の前から、三条通を東を向いています。
中京郵便局の東隣りに河合塾があって、
その先にも赤レンガの建物があります。
今からそこまで行ってみます。


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三条高倉の角まで来ました。
その北西角に、京都文化博物館があります。
かつての日本銀行京都支店ですね。
(この建物は、確か重要文化財のはずです)
今は「ベネツィア展」を開催しています。
面白そうなのですが、
ちょっとお金が足りないので次回にします。


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三条高倉の北西角にこのような看板がありました。
先ほどから書いているように、
この辺りの三条通には古い建造物が多く建っています。
約25年前のバブル期にそれらを残そうという機運が高まり、
「三条通の歴史的建造物」としていくつかの建物が指定されました。


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ここは高倉通と堺町通の間の三条通り沿いです。
小間物屋さんのウィンドウです。夏は朝顔が映えますね。


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さらに東に移動して、三条堺町の角にまで来ました。
南西角に、居戸寿屋があります。カバンなどを売る小間物屋ですね。
店構えでも分かるように、ここもなかなかの老舗です。


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三条通から堺町通を南に約50m下がってきました。
こちらが、「イノダコーヒー」の本店です。
「イノダコーヒー」は、大正時代の雰囲気のある喫茶店です。
ウェイターの丁寧な接客もいいですが、
コーヒーがとてもおいしくて、自分もよく寄ります。


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堺町通を北上して、また三条通に戻ってきました。
三条堺町の北東角に、分銅屋がありました。
こちらは、足袋専門店ですね。
こちらも老舗なので、年輪を感じさせる店構えです。
この辺りは洋館だけでなく、こういう建物も多く残っています。


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堺町通から三条通を約30mほど進みました。
こちらは、「イノダコーヒー」三条店です。
自分は本店よりこちらによく寄ります。
その東隣りは、計量器の専門店です。
いろいろなサイズの計りが置いてあります。
さらに東隣りには、「におい袋」の専門店がありました。


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そして、その「におい袋」専門店のウィンドウです。
可愛らしいぬいぐるみに見えますが、これらは全てにおい袋です。
この中に、香を忍ばせるのですね。


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三条通を東に進み、三条柳馬場の交差点に来ました。
第59回ブログの三条室町の角にもありましたが、
この辺りの三条通の角には、このようなプレートが埋まっています。
これを見ると、いま東を向いていることが分かります。


66-18.jpg
三条柳馬場の北西角に、日本生命のビルがありました。
白い御影石の壁がきれいですね。
こちらも、「三条通の歴史的建造物」に指定されています。
この写真もクリックすると、拡大されます。


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柳馬場通から、三条通を東に10mほど進みました。
左(北)側に、森田屋という肉屋さんがあります。
こちらは、自分が生まれる前からあります。


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さらに30mほど東に移動しました。
ここは、三条富小路の北西角にあるSACRAビルです。
ここも、白い壁がきれいですね。
この写真も、クリックすると拡大できます。


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今度はそのビルの向かいの建物です。
こちらは「Miel Mie」(ミールミー)です。
江戸時代から続くはちみつ問屋でしたが、
最近は小売店としても有名です。(今は改装中です)


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富小路から、三条通を東に向いています。
向こうに「三条名店街」のアーケードが見えます。
あの辺りが京都随一の繁華街の一角です。


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富小路から三条通を東に約20m進みました。
右(南)側に、家邉徳時計店が見えます。
ここも赤レンガが印象的なお店です。
この写真も、クリックすれば拡大できます。


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こちらは、家邉徳時計店のウィンドウです。
中をのぞくと、「時計屋」というより
アンティークショップですね。
(ウィンドウのガラスに写っている物が、写ってしまっています)


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富小路から東に約50m進みました。ここは三条麩屋町の角です。
北東角のビル1Fに、「よーじやカフェ」があります。


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三条通から麩屋町通を北に見ています。
(右側に、「よーじや」の看板が見えます)
少し麩屋町通に寄り道します。


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三条通から麩屋町通を約100m北上しました。
ここは、「晦日庵 河道屋」です。京都随一の老舗蕎麦屋ですね。
ここの1F奥の座敷から見える坪庭は、絶景です。
特に紅葉の時期の夕方が素晴らしいです。
ただ、ここのところ懐が厳しいので、
こういう高級なお店は素通りします。
では、ここで三条通に戻ります。


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「晦日庵 河道屋」から南に約70m戻ってきました。
ここは、「浄泉寺」という寺院です。
ここから見るとなかなかいいお庭なのですが、
門は閉ざされて中には入れません。
諦めて先に進みます。


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三条麩屋町の角に戻ってきました。また、三条通を東に向いています。
再び三条通を東に進みます。


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麩屋町通から三条通を約50m東に進みました。
ここは、三条御幸町の角です。


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三条御幸町の南東角に、このようなビルがありました。
ここは、かつての毎日新聞京都支局です。
この写真もクリックすると、拡大できます。
ここも「三条通の歴史的建造物」の一つなのですが、
外壁が以前と違う色に塗り直されているような気が……


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こちらは、先ほどの建物の東隣りです。
「富田歯科医院」という看板が出ていますが、
今も開業しているようです。
こちらも「三条通の歴史的建造物」です。


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「富田歯科医院」の前から、三条通の北側に向いています。
こちらは今はコンビニエンスストアですが、
数年前までは中華料理の材料などを売るお店でした。
ここが閉店して、フカのひれやハスの葉、干しナマコなどが
京都市内で入手困難になっています。
物によっては神戸まで行かないといけないので、
実はかなり困っています。


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いよいよ三条寺町の角まで来ました。
ここは京都随一の繁華街の北西端になります。
(繁華街の南東端は、四条河原町)
豊臣秀吉による京都再建の際、この寺町通が東端でした。
(東隣りの河原町通は、江戸時代に成立)
そして、この辺りは安土桃山時代からすでに繁華街でした。
さらにこの辺りは「寺町」の名の通り寺院が多いのですが、
そちらには、次回の訪問とします。

今回は、ここまでです。

~次回は寺町通を北上し、本能寺を参拝します~

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第67回 残暑の本能寺 前編~三条通東から西~その16

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前回ブログの最後の場所三条寺町の角です。
ずっと東の方に、三条河原町の交差点が見えます。
今回はここから寺町通を北に移動し、本能寺に向かいます。
寺町通は繁華街の中にあって、その名の通り寺院が多い通りです。
撮影日は、2012年8月8日水曜日午後2時10分。
気温は、35℃くらいありました。


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三条通から、寺町通を南に向いています。
この三条通から四条通までが、「寺町京極商店街」になります。
「商店街」と言っても、飲食店やゲームセンターなどの遊戯施設、
土産物屋さんがメインで、普通の商店はありません。
まぁ、完全な繁華街ですね。


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三条寺町の南東角です。
「牛肉 すき焼き 三島亭」という大きな看板があります。
ここは1873年創業の日本初のすき焼き専門店です。
かなり高いお店なので、入ったことはありません。
左隣は、「西春」という古書浮世絵専門店です。
いい絵が多く飾られているので、自分はよく覗きに行きます。


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寺町通は、三条通でいったん突き当ります。
三条寺町の北側に、「かに道楽 京都本店」があります。
大阪にあるものより少し小さなカニの模型が付いています。
ただ、節電の必要性から今は動いていません。


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「かに道楽 京都本店」の東側から寺町通は再び北に伸びていきます。
ここから先は、「寺町専門店会商店街」になります。
(「寺町京極商店街」とは別の商店街です)
今回は、ここに寄り道をします。
……しかし、こうも日差しが強いと日影の部分がよく写りません。


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三条寺町の北東角に「三条寺町交番」があります。
その左隣(北隣)に、矢田寺(矢田地蔵)があります。
こちらに寄っていきます。


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矢田寺に入ってすぐの右(南)側に絵馬が吊ってありました。
僧侶が地獄から亡者を救い出す絵が描いてあります。


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絵馬の左(東)側に、お地蔵さんが何体もいらっしゃいました。
「矢田地蔵」の別名の通り、
こちらにはたくさんのお地蔵さんがいらっしゃいます。


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100円を納めて、ろうそくと線香をたてました。
こちらは、本堂です。本尊は大地蔵菩薩で、
「地獄の亡者を救い出す」と考えられ
「代受苦地蔵」とも言われています。
右側の梵鐘は「送りの鐘」と呼ばれており、
六道珍皇寺の「迎えの鐘」と対をなしています。
このことからも分かるように、
ここは「冥界」や「地獄」信仰の寺院です。

ただ、「矢田寺」という名称のとおり、
奈良県大和郡山市の「矢田寺」の別院でもあります。
(あじさいが有名な寺院ですよね)


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こちらは、本堂前の賽銭箱の右脇です。
絵馬やお守りが並んでいます。
こちらは、ここで買い求めることができます。
お地蔵さんのお守りがかわいらしいですね。


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そして、賽銭箱の左には、僧侶の像があります。
こちらの像の頭をなでると、ご利益があるそうです。


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さらに左に、水子地蔵がいらっしゃいました。
こちらは、水をかけてお祈りします。
右側に、先ほどのかわいらしいお地蔵さんのお守りが吊ってあります。


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先ほどの石仏地蔵の向かいに、大日如来がいらっしゃいます。
以前からこのブログで各町内のお地蔵さんを紹介してきましたが、
京都では大地蔵菩薩だけではなく
大日如来も「お地蔵さん」として祀られています。
どちらも毎年8月下旬に、「地蔵盆」を行います。
ちなみに、「地蔵盆」はこの矢田寺でも行われます。

では、矢田寺を出て寺町通を北上します。


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矢田寺を出て、寺町通を北に向いています。
もう「寺町専門店会商店街」の中です。
今からここを進みます。


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矢田寺から、寺町通を北に約30m進みました。
左(西)側に、「合掌堂」という仏具屋がありました。
豊臣秀吉が京都を再建した際、多くの寺院を寺町通に集中させました。
そのため、今でも寺町通には寺院が多く
そのこともあって、この通りでは時折仏具屋を見かけます。


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「合掌堂」の向かいです。(寺町通の東側です)
商業ビルとの間に、「天性寺」の山門が見えます。
今度は、この寺院に入ります。


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天性寺の山門をくぐりました。
繁華街のど真ん中の割には、結構な広さです。
では、中(東)の方に入っていきます。


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山門から、約30m中(東)に入ってきました。
「紅壽」さんとがどのような方か分かりませんが、
雰囲気のある句碑なので撮影しました。


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句碑の向かい(南側)に、梵鐘がありました。
矢田寺のものと、ほぼ同じ大きさです。


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さらに、約20m中(東)に入ってきました。ここは、天性寺の本堂です。
ここ天性寺は、浄土宗総本山知恩院の末寺です。
(知恩院は、第13回ブログを参照にしてください)
1577年創建ですが、わずか10年で
豊臣秀吉の命でこの位置に移転してきました。(前述の経緯の一環です)
本尊は阿弥陀如来像ですが、
十一面観音像や中将姫(藤原行成の娘)の像も安置されています。
そのため、ここは奈良県の当麻寺とも関連がある寺院です。


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本堂より、さらに中(東)に末社がありました。
……とはいえ、実はここに参拝するお目当ては
こちらの小さな社の方だったりします。
ここ天性寺は「木蓮のお寺」と呼ばれるほどで、
毎年4~5月には白い木蓮の花が咲き乱れ、
この社付近は「知る人ぞ知る」絶景ポイントになります。
(北側の墓地付近の方が、木の本数は多いのですが)
この日も、木蓮の木に白い花が咲いていました。
……って、この日は8月8日なのですが?
この写真はクリックすると、拡大できます。

~8月13日訂正~
実は8月13日に母と一緒にここに来ました。
母が言うには、
「これって、百日紅(サルスベリ)の木と違うの?
モクレンはもっと向こうの方にある木やで」
と言われてしまいました……
ですから、この木は百日紅ということです。
間違えていましたので、訂正とお詫びをします。
どうも、失礼しました。


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鳥居をくぐって、社の方に向かいます。
ここは、天川弁財天です。
「天川」の名の通り奈良県天川村の弁財天の分祀です。
百日紅の木から白い花が落花していて、
参拝の間中花の香りを楽しめました。


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天性寺の山門付近まで戻ってきました。
では、天性寺を出て寺町通に戻ります。


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天性寺の山門前から、寺町通を北に向いています。
また、こちらの方を進みます。


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こちらは、天性寺のほぼ向かい側寺町通の西側です。
先ほどの仏具屋「合掌堂」より北に2軒先になります。
額縁の店の隣に、画廊があります。(同じ経営者のようです)
この辺りは、絵画関連のお店が多くあります。
さらに北隣にスポーツ用品店がありますが、
こういうお店もこの辺りには何軒かあります。


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天性寺から北に約50m進みました。
右(東)側へ姉小路が伸びているT字路です。
その突き当り(西側)に「書林 其中堂」があります。
古本屋ですが、江戸時代以前の古書を売るのがメインのお店です。
寺町通は、全体を通じて古書を扱う古本屋が多くあります。


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寺町通をさらに北に20m進みました。
姉小路は、ここから西にも伸びています。
北西角に、「鳩居堂 本店」があります。
扇子や筆・便せんなどいろいろ小物を取り扱っているお店です。


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さらに鳩居堂の北隣に、「民族楽器 コイズミ」があります。
アフリカンドラムなど、さまざまな民族楽器が売られています。
実はかなり以前からある店で、「楽器教室」なども行っています。


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「民族楽器 コイズミ」の前から寺町通を北に向いています。
少し先でアーケードが切れていますが、
そこで「三条専門店会商店街」は終わります。
そこは御池通との交差点で、
地下鉄と地下街「ZEST」へ降りる階段が近くにあります。
さらにその先に、京都市役所があります。


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「民族楽器 コイズミ」から寺町通を北に約20m進みました。
こちらは、「書林 竹包書楼」です。古書を扱う古本屋ですね。
店頭に古書が積み上げられています。
ここは、江戸時代以前の美術書が多く売られています。


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「書林 竹包書楼」の向かいに、本能寺の山門がありました。
こちらも、繁華街のど真ん中の割に大きな寺院となっています。
(まぁ、歴史の教科書に普通に載っている寺院ですからね)
これからここに入っていくわけですが、それは次回とします。

~次回は、本能寺の中を参拝します~

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第68回 残暑の本能寺 後編~三条通西から東~その17

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前回ブログの最後の写真本能寺の山門です。
今からこの中に入っていきます。
繁華街の商業ビルや商店に囲まれながらも静かな寺院です。
撮影日は、2012年8月8日午後2時半。
日差しの強い暑い日でした。


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本能寺の山門の左(北)側に、この石碑が立っていました。
ここ本能寺は日蓮宗本門流の総本山であると同時に、
1582年の「本能寺の変」で織田信長が暗殺された場所でもあります。
(ただし、当時の本能寺は油小路三条下がるにありました。
第59回ブログで紹介した辺りです)


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本能寺の山門をくぐりました。
左(北)側に駐車場があり、
右(南)側には本能寺の「大寳殿宝物殿」があります。
こちらでは、本能寺を建立した日隆(日蓮の弟子)に関連する品々や
本能寺の変直前に織田信長が催した茶会で使われた茶器などを
500円支払って観覧することができます。


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「大寳殿宝物殿」の前から北を向いています。
駐車場と寺務所の間に道があって、そこから御池通に出られます。
向こうに見えるのは、京都市役所です。


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山門からまっすぐ東に進み、「大寳殿宝物殿」の前を通り過ぎました。
すると少し広い場所に出て、その向こうに本堂があります。
本能寺は、日蓮の弟子のひとり日隆によって建立されました。
日隆は日蓮宗の中でも本門流を開き、ここはその本山です。
本能寺は時代が進むにつれ、あちこちに信者を増やしました。
特に、種子島に絶大な勢力も持ちました。
そのため安土桃山時代には鉄砲の流通を握るようになり、
それが織田信長と親交を持つきっかけになりました。

本堂の中は撮影禁止なので、写真はありません。
この写真はクリックすると、拡大できます。
暑い日だったので、楠の下で休憩する参拝者もいらっしゃいました。


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本堂の前から南を向いています。広場の先に、末寺が並んでいます。
こちらに参拝される方もいらっしゃいました。


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本堂の前で右折して、南に進みました。
本堂の右(南)側に道があるので、そちらの方に向かいます。


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ここは、本堂の南側に伸びる道です。
今は東を向いており、左(北)側が本堂、右(南)側が末寺です。
とりあえず、向こうの施設に向かいます。



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こちらは、織田信長のお墓「信長公廟」です。
本能寺の変の後、本能寺を再建する条件として
ここが織田信長の菩提寺となることになりました。
(織田家と豊臣秀吉が出した条件です)
この写真もクリックすれば、拡大されます。

「信長公廟」の南側から制服姿の方々が来ていますが、
この裏が河原町通で、そちらからもここに入れるようになっています。


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「信長公廟」の右(北)側に、お墓が並んでいます。
こちらは、本能寺の変で戦死した織田信長の家臣のものです。


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さらにその右(北)側には、本能寺歴代住職のお墓がありました。
本堂の裏(東)側には、この寺院を建立したに日隆のお墓がありました。


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「信長公廟」の前にまで戻ってきました。
今は、西を向いています。(この写真の後ろに「信長公廟」があります)
ここを進み、もと来た道を戻ります。


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広場まで戻ってきました。右側の石燈籠の向こうが本堂です。
左(西)側に「大寳殿 宝物殿」が見え、正面(北)に寺務所が見えます。
では、山門の方に戻っていきます。


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大きな楠まで戻ってきました。
左(南)側に「大寳殿 宝物殿」が見え、
右(北)側に寺務所、その向こうに駐車場が見えます。
では、この先に見える山門をくぐり、本能寺を出ます。


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本能寺の山門の前から、寺町通を北に向いています。
すぐ先に、寺町御池の交差点が見えます。
ここからは見えませんが、
地下鉄「京都市役所前」駅や地下街「ZEST」に通じる
地下に下りる階段が交差点付近にあります。
その先に見えるのは、京都市役所ですね。


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今度は、南に向きました。
前回ブログで紹介した「書林 竹包書楼」があって、
ずっと先の突き当りは三条通です。
今から、こちらに向かいます。


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本能寺の山門前から、寺町通を南に約50m進みました。
ここは姉小路とのT字路です。
今度は、南西角を取りました。(北西角が、鳩居堂です)


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寺町通をさらに南に約50m進みました。
右(西)側に、「coffee smart」という喫茶店がありました。
何十年も前の古い雰囲気を持った知る人ぞ知る名店です。
少し、この店に寄っていきます。


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この店は、ホットケーキなどのスイーツ系がおいしいのですが、
今回はフレンチトーストのセットを注文しました。
メイプルシロップをたくさんかけて、いただきます。


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「coffee smart」の前から、寺町通を南に向いています。
右(西)側に、前回ブログで紹介した額縁屋と画廊が見えます。
左(東)側の少し先に天性寺の山門があるのですが、
この位置からは見えにくいですね。

正面に、矢田寺の「送り鐘」のバナーが出ています。
撮影日の8日後にある例祭ですね。


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「coffee smart」の前から、寺町通を約80m南に進みました。
ようやく三条寺町の角に戻ってきました。
ここから、左折して「三条名店街」から河原町三条に向かいますが、
それは次回とします。

~次回は、「三条名店街」から鴨川まで目指します~

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第69回 三条名店街と池田屋~三条通西から東~その18

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かれこれ今月4回目の三条寺町です。
今回ようやく「三条名店街」を抜け、河原町通、高瀬川を越え、
鴨川まで行こうと思います。
撮影日は、2012年8月14日火曜日午後2時10分。
この時点では曇り空でしたが、
3時間前まで大雨洪水警報が出ていました。


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三条寺町から、三条通を東に約5m進みました。
いよいよ「三条名店街」に入ってきました。
この商店街も、飲食店や土産物屋、楽器店などが中心で、
市民の生活を支えるお店は全然ありません。完全に繁華街ですね。


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先ほどの店から約20m東に進みました。
三条寺町より約50m東に新京極通があります。
ここは三条通から四条通までの短い通りなのですが、
人通りも店の数も寺町通よりもにぎやかです。
京都の繁華街といえば河原町通をイメージされる方が多いですが、
地元的には、この新京極が京都で一番の繁華街です。

ここから見ると、
三条通から約30m南のMOVIX京都(松竹系の映画館)まで
少々急な下り坂なのが分かります。
これは豊臣秀吉が京都を再建したとき、
ここに土塁があった名残です。
(豊臣秀吉は、京都を土塁で囲みました)
つまり、この辺りが京都市街地の最東端でした。


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ここは、三条新京極の南東角の店です。
この永楽屋は、凝ったデザインの手拭い屋さんです。
第60回ブログの役行者山の近くにもお店がありました。
手拭いの展示会をしていたところです。


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「三条名店街」を東に進んでいきます。
永楽屋の東隣りに、「JEUGIYA」(十字屋)三条本店があります。
1F~3Fでそれぞれのジャンル別にCDが売られています。
本当に何でも売っていて、ベンダビリリのCDを売っているのは
京都ではここだけです。


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「JEUGIYA」では、店内の撮影を厳しく制限しています。
この店は、「けいおん!」というアニメに出てくる
楽器店のモデルになっていました。
入り口付近とB1の楽器売り場がそのまま出てきます。
また、そのアニメで出てくる繁華街も
この「三条名店街」と「新京極」の風景をそのまま使っていました。
そのため一時期そのアニメのファンでこの辺りがあふれたのですが、
一方で深刻な迷惑行為が問題にもなっていました。

まぁ、そのアニメも数年前に終わりました。
一時期よりは、だいぶ落ち着いてきました。


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「JEUGIYA」の向かい(北側)にリプトンというレストランがあります。
紅茶メーカーのリプトンが経営しています。
その東隣りは、土産物屋の「サラセン」です。
どちらも、自分が生まれる前からここにあります。


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「サラセン」から東に数軒行ったところに
「大西京扇子堂」があります。金色の扇子は、金箔仕様ですね。
その東隣りには、ギターの専門店がありました。
実は、その向かいも楽器店です。
この辺に楽器店が増えたのも、「けいおん!」の影響でしょうか?


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三条寺町から東に約100mで、「三条名店街」は終わります。
目の前に見えるのは、三条河原町の交差点です。
四条河原町や第64回ブログで出てきた四条烏丸と並ぶ
京都でもっとも賑やかな場所です。


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三条河原町の交差点から、河原町通を北に向いています。
トラックで見えませんが、この先の御池通に
前回ブログで紹介した本能寺の入り口や
地下街「ZEST」さらに京都市役所があります。
三条河原町の北西角に、「廻る寿司 むさし」があります。
ここは息の長い回転寿司屋で、自分もたまに行きます。

ちなみに、「河原町三条」と看板には書いてありますが、
「三条河原町」と同じ場所のことです。
(「四条河原町」を「河原町四条」と呼ぶときもあります)


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河原町通の横断歩道を渡り、
三条河原町の交差点から今度は河原町通を南に向いています。
オフィスビル街の烏丸通と違って、
河原町通は飲食店やカラオケ屋・ゲームセンターなど
遊戯施設が集中しています。


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三条河原町から三条通を東に向いています。
道幅が、4車線になりました。
ずっと先に東山が見えますが、最終的にはあの山も越えていきます。
(三条通は、本当に長いです)


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三条河原町から東に約5m進みました。
こちらは、「進々堂」というパン屋の支店です。
ここの本店が、個人的に勝手に選んだ
「京都三大パン屋」のうちの1軒です。
後の2軒は、第25回ブログに出てきた「まるき製パン」と
第56回ブログに出てきた「天狗堂海野製パン」です。
また、ここの喫茶スペースは朝食がなかなか絶品です。


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「進々堂」の東隣りに、「MEIDI-YA」(明治屋)があります。
輸入食料品店ですね。(本店は東京)
中華料理食材は、ある程度ここで買い求めています。


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さらにその東隣は「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」という居酒屋です。
「池田屋」と聞いて、ピンときた人も多いでしょうが……


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ここは新撰組と長州藩士らが戦った「池田屋事件」跡地です。
(当時は、西隣の「MEIDI-YA」も池田屋の敷地でした)

「池田屋事件」は、1864年7月(江戸時代末期)に
祇園祭のどさくさで京都を焼き払おうとした長州藩士を
新撰組が急襲して壊滅させた事件です。
当時ここは、「池田屋」という旅館でした。


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はなの舞(池田屋)の向かい(南側)に、寛永堂があります。
丹波黒豆を使った和菓子屋です。
毎年盂蘭盆会と彼岸の際、ここで供え物を買うようにしています。
撮影日の翌日に墓参りをするので、買って帰りました。


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こちらは寛永堂で買って、仏壇に供えたほうの「おさがり」です。
丹波大納言(黒豆)のきんつばです。
あっさりした甘さが、ここの特徴です。
実は、お茶も寛永堂で買いました。「黒豆茶」といいます。
炒った黒豆を煎じて飲みます。
お茶を飲んだ後、器の中の黒豆も食べられます。


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はなの舞(池田屋)の前から、三条通を東に向きました。
すぐそこに、高瀬川が見えます。
池田屋事件の際、長州藩士桂小五郎は
池田屋の屋根から高瀬川に飛び込んで
新撰組から逃げ切ったのですが、
これを見ればその距離感が分かります。


69-20.jpg
三条通から高瀬川を北に向いています。
この辺りは、河岸を利用したお店が並びます。
ここはピッツァがおいしいイタリア料理店です。


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高瀬川を渡ったところに、記念碑が立っていました。
ここより約100m北で、
佐久間象山と大村益次郎が暗殺されています。
とはいっても、その年代はだいぶ違います。
(江戸時代末期と明治時代です)


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高瀬川の東岸に木屋町通があります。
三条通から四条通にかけて、居酒屋や飲み屋が集中します。
「京都で安くお酒を飲める場所」ですね。


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木屋町通から、三条通を東に約10m進みました。
南側に、「タカセビル」があります。


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こちらのビルの6Fに、「京はやしや」があります。
宇治茶や世界中のお茶を出す店ですが、
「抹茶スイーツ発祥の店」として有名です。
こちらの方に、寄っていきます。


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最初に書いたとおり、直前まで大雨洪水警報が発令されていました。
実は、近くを通る京阪電鉄が昼過ぎまで不通でした。
ですから、いつも満員のこの店にすぐに入ることができました。
いろいろ迷って、茶そばとお茶のご飯を注文しました。
ご飯はお茶で炊いています。
刻んだ生茶葉をふりかけに使っているのが面白いですね。


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次はいつ入れるかわからないので、(通常は超満員の店なので)
多少無理して追加注文しました。
馬拉糕(黒砂糖を使った中国カステラ)と白毫銀針を頼みました。
ここは、飲茶も出してくれます。


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白毫銀針のような白茶は、このような形で出てきます。
これは蓋椀(かいわん)という中国茶器で、
湯呑というより急須に近いものです。


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蓋椀の中は、このように茶葉にお湯が注がれた状態になっています。
白茶は、緑茶とは全く違う品種の木の葉です。
葉の形状がぜんぜん違います。(針のように細いですね)


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お茶を飲むときは、蓋椀のふたをずらしこのように別の器に注ぎます。
撮影用に片手ですが、両手でした方がいいです。


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では、いただきます。
白毫銀針は「白茶」の一種ですが、黄色いお茶です。
あっさりとしていて体温を下げる効果もあるので、
「夏のお茶」のイメージが強いです。
ただ、周囲は皆抹茶スイーツを注文していました。
自分のように中国茶を頼むのは、少数派になってしまいました。
(元常連としては寂しいです)


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「京はやしや」を出て、
タカセビルの前から三条通を東に向いています。
目の前を鴨川が流れていて、
その先に京阪電鉄の「三条」駅と駅ビルが見えます。


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タカセビルから三条通を東に約20m進みました。
北側に、「船はしや」という老舗の和菓子屋があります。
あられや京都名物の五色豆を売っています。
西隣は、ほうきと束子(たわし)の専門店です。


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「船はしや」の店頭に、ツバメの巣がありました。
ここから見る限り、雛は3羽でしょうか?


69-34.jpg
「船はしや」の前から南に向いています。
鴨川の西岸に南へ進む道があります。
この辺りから、鴨川の川原に降りることができます。
ただ、この時期に降りたらカップルがたくさんいらして、
移動することも難しい状況です。
この道をずっと進むと、最終的に先斗町(ぽんとちょう)に出ます。
祇園と宮川町に並ぶ「花街」の一つです。


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いよいよ「三条大橋」の西詰めに来ました。
鴨川を渡ると東山区に入り、繁華街も終わります。
ただ、そちらに行くのは次回とします。

~次回は、三条大橋を越えて東大路通を目指します~

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第70回 東海道の起点~三条通西から東~その19

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今回は、ここ三条大橋からスタートです。
江戸日本橋から始まる東海道は、この三条大橋で終わります。
つまり、ここが江戸時代の京都への入り口だったのです。
今でもこの辺りには、東海道の起点だった名残が多く残っています。
撮影日は、2012年8月23日木曜日午後3時。
このあと夕立が降ったのですが、撮影中はずっと晴れていました。


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三条大橋を5mほど渡り、北を向きました。
この辺りから、「中京区」から「東山区」になります。
200mほど先に、御池大橋が見えます。(御池通の橋ですね)
大きな川の左(西)側に細い川が流れています。
これは、「みそそぎ川」という厳密には鴨川とは別の川です。
この辺の名物である川床は、この川の上に建ち並びます。
(今は昼なので、骨組みしか見えません)


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今度は、三条大橋から南を向きました。
少し先に、川原に降りる橋が見えます。
その先は先斗町(ぽんとちょう)という花街なので、
また川床が続いています。
ずっと先に、四条大橋が見えます。
東詰めに、他と比べて高くなっているビルが見えます。
「レストラン菊水」のビルですね。


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鴨川の川幅は、100mほどです。
桂川の橋は1kmくらいの長さがあったので、かなり違います。
すぐに向こう岸に近づいてきました。
京阪電鉄と地下鉄東西線の「三条」駅に向かう階段が見えます。
どちらも地下鉄なので、ここから地下に降ります。


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三条大橋の東側も、川原に降りられるようになっています。
こちらは10年くらい前に整備されて、きれいになりました。


70-6.jpg
三条大橋の東側は、川端通との交差点になります。
ここに流れているはずの琵琶湖疏水は、
この通りの地下に流れています。
目の前の建物は駅のように見えますが、
駅ビルと考えてください。
(京阪電鉄は、この辺は地下鉄ですし)


70-7.jpg
三条通から、川端通を北に向いています。
このまま進むと、御池通を通り抜け
二条通や丸太町、さらに出町柳まで行けます。


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三条川端の交差点の北東角あった記念碑です。
1917年にここから東京まで日本初の駅伝が行われた
その記念だそうです。
(東海道を駅伝で通ったようです)


70-9.jpg
今度は、川端通を南に向いています。
ここをずっと進むと、500mほどで祇園に着きます。
さらに500mで、第20回ブログの辺りに出ます。


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三条川端から、東に20mほど進みました。
南側歩道に、高山彦九郎の銅像が立っています。
この人物は江戸時代末期の尊王思想に影響を与えた人物で、
住んでいた上野(今の群馬県)から京都に来たとき、
京都の入り口でもあるここで、
御所(当時天皇がいらした所)に対して必ず拝礼をしたそうです。
これは、その様子を表した像です。


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高山彦九郎像の南側は、このようになっています。
飲食店や美容院などのお店が並んでいます。
ここは、もともと京阪電鉄の「三条」駅でした。
京阪電鉄は、20年前まで地上を走っていました。


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高山彦九郎像から東側に、バス停がいくつも並んでいます。
ここは、京都駅や四条大宮などと並ぶ京都有数のバスターミナルです。


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三条通の北側も、バスターミナルになっています。
京阪電鉄の駅ビルの東側に、寺院があります。
今から、この浄土宗「壇王法林寺」に入っていきます。


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法林寺の入り口に、赤い花が咲いていました。
wikiで調べたのですが、(第67回ブログの失敗もありますし)
どうやら禊萩(ミソハギ)のようです。
この時期に咲くので、「盆花」と呼ばれています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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では、寺院の中に入っていきます。


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寺院の中に楼門がありました。
中には、「阿形」「吽形」の仁王様がいらっしゃいます。


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楼門の右(東)側に、このように石碑が並んでいました。
「鳥之供養塔」と書かれていますが、
どのようなものかは分かりません。


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法林寺の本堂です。中には入れません。
壇王法林寺は、江戸時代中期に袋中上人によって建てられました。
その後浄土宗三条派の寺院として隆盛を極めました。
ここはお地蔵さんも多く、8月下旬の「地蔵盆」も行われます。
(第67回ブログの矢田寺と同じですね)


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本堂の西側は、保育園になっていました。
実は、この周辺にはブランコなどの遊具が並んでいて、
この寺院は児童図書館も併設されています。
「子供のために寺院」というのが、この寺院のイメージです。


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では、門を抜けて外に出ます。向こうに、市バスが見えます。
この辺りは、大きなバスターミナルですし。


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「壇王法林寺」の入り口から、三条通を東に向いています。
今から、こちらを歩いていきます。


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三条川端の交差点から、三条通を東に約100m進みました。
三条通から南を向いています。
ここから、縄手通(大和大路)が伸びています。
このまま進むと、
第23回ブログのゑびす神社に着きます。
バスターミナルなどの施設は、ここまでです。
ちなみに、左(西)側のお肉屋さんは
自分が生まれる前からありました。


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さらに三条通を東に進みました。
この辺りは、もう繁華街ではありません。
このような居酒屋とかホテルとかもありますが、
急にさみしくなります。
ちょっと以前紹介した山ノ内に似ています。


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さらに150mほど進みました。
三条花見小路の交差点に着きました。
ここから南に500mほど進むと、祇園の中心に出ます。


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三条花見小路の北東角にあった竹細工のお店です。
後でも紹介しますが、この辺は竹細工のお店が多いです。


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三条花見小路から三条通を約20m東に進みました。
北側にお地蔵さんがいらっしゃいました。
最近あまり撮っていませんでしたので、写させていただきました。
隣はがまぐち財布のお店でしたが、お客さんがいっぱいでした。


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さらに三条通を東に30mほど進みました。
三条通の北側に、竹細工のお店が今度は二軒並んでいました。


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そのうちの一軒の店頭です。
こちらには、籠やすだれが並んでいました。
この辺りで、急に「酢」の匂いが漂っていたのですが……


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ここは竹細工のお店の向かいです。
酢の醸造蔵で、小売もやっているようです。
最近改装されましたが、かなりの老舗です。


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酢の醸造蔵の西側から南に伸びる道が伸びています。
ちょっと、こちらに寄っていきます。


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三条通から南に50mほど移動してきました。
こちらは、「大将軍神社」です。今から、ここを参拝します。


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先ずは、手水舎で手を清めます。
次は、末社周りです。


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末社の一つ「荒熊稲荷神社」です。
こちらも稲荷神社と名乗っていますが、
また別の神社と考えられます。


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こちらは、「白龍弁財天」です。
そう言えば、三条会商店街に「武信稲荷神社」があって
そこにも「白蛇弁財天」がいらっしゃいましたが、
関連があるのでしょうか?


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「天神社」と東三條殿の碑です。
東三條殿は、ここと関係の深い藤原兼家の建立です。
応仁の乱以前は、ここはかなり大きな神社でした。


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拝殿越しの大将軍神社本殿です。
大将軍神社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を主神とします。
八坂神社と同じですが、
もともとは一つの神社だという説もあります。
東海道敷設以前から、この辺りは京都の東側の玄関口でした。
そのため、そちらから来る「魔封じ」の神社として栄えました。
昔から藤原氏の庇護を受けていましたが、
応仁の乱以降はだいぶ寂びれました。


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では、神社を出ます。
今度は入ったときとは反対の東側から出ます。


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「大将軍神社」の東向かいに、城安寺があります。
なかなかきれいな寺院ですが、境内周辺しか入れません。


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ここは「大将軍神社」と「城安寺」との間にある道です。
今度はここを北に進み、三条通に戻ります。


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三条通に戻ってきました。
東を向くと、すぐ先が東山三条です。
東大路通との交差点です。
ここを越えると、少しずつ標高が高くなって
東山山中に入っていきます。
ただ、それは次回以降とします。

~次回は岡崎を越えて、蹴上に向かいます~


~2012年8月28日訂正~
以前紹介した祇園祭の記事で、
「昼間の宵山散策には、熱中症対策にきゅうりを食べよう」
と書いたのですが、
山町(祇園祭の山鉾を出す町内)の方にご指摘を受けました。
八坂神社の祭事中には
きゅうりを食べないようにしている

きゅうりの断面が、八坂神社の御紋章に似ているから
というのが理由だそうです。
自分はこの辺りよりもっと南に住んでいて、
(伏見稲荷大社の氏子です)
この辺りの風習は、京都以外に住まわれている方と
そう変わらない程度の知識しかありません。
ウチの母も、このことを知らなかったそうです。
(生まれたときから、今の家に住んでいます)
また、山町の方はこのような風習を大切にしていて、
そういうことがこの祇園祭を支えているわけですから、
自分も来年以降はきゅうりは遠慮しようと思います。

……ただそうなると、「熱中症対策」はどうしましょうか。
きゅうりの代わりに、スイカの露店とかないでしょうかね。
大きなスイカを16等分して、
一切れ200円で売ってもらえたらいいのですが。

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第71回 粟田口散策~三条通西から東~その20

古来より京都の東の玄関口を「粟田口」(あわたぐち)と言います。
東海道は江戸時代に完成しましたが、
飛鳥時代にはここから滋賀県の方に抜け
関東に向かう道がすでに敷設されていました。
現在の「粟田口」は、東山三条から東の三条通周辺を指します。
今回は東山三条から粟田山周辺を散策します。
実は第14回ブログのコース周辺です。
詳しくは、こちらをクリックしてください。


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前回ブログの最後の場所東山三条です。
東山が、だいぶ近くに見えるようになってきました。
撮影日は、2012年8月30日木曜日午後2時。
ここのところ撮影日は、いつも晴れています。


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三条通から東大路通を南に向いています。
東大路通は、相変わらず自動車で混み合っています。
ここをずっと進めば祇園に至り、知恩院や八坂神社の前に出ます。


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今度は三条通から東大路通を北に向いています。
ここをずっと進めば、岡崎公園(平安神宮)の近くを通って
百万遍(京都大学周辺)や高野(たかの)に出ます。
向こうに、鎮守の森が見えます。そちらに寄ってみます。


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三条通から東大路通を北に約100m進みました。
「東山仁王門」バス停前に、何人かバス待ちの方がいます。
その横にある「満足稲荷神社」に入ります。


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先ずは、末社にお参りです。
左から、猿田彦・大国主命・天照大神を祀っています。


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こちらも、末社と考えられます。
岩とモチの木がそれぞれご神体です。


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拝殿越しの「満足稲荷神社」本殿です。
ここは、豊臣秀吉の厚い信仰を受けた神社です。
「満足」の名前も、
秀吉が御神徳に「満足」したことが由来になっています。
もともと違う場所にあったのですが、
1693年に徳川綱吉の命でこの地に移転しました。
では、東山三条に戻ります。


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東山三条の交差点から、三条通を東に向いています。
今から、ここを進んでいきます。


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東山三条の交差点から東に約50m進みました。
目の前に、古川町通との交差点があります。


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三条通から古川町通を南に向いています。
ここから古川町通は、道幅が5mほどになってしまいます。
(屋根が付いているので、分かりにくいですが)
「古川町商店街」は、この先白川に当たるところまで続きます。
写真の左側に、地下鉄東西線の「東山」駅の階段が見えます。
前回ブログの辺りから山科まで
三条通は地下鉄東西線の沿線になります。


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今度は、三条通から古川町通を北に向いています。
200mほど北に行くと、京都文教短大の校門が見えます。
ここには付属の小学校や中学校、高校があって、
毎朝「東山」駅近辺は、通学ラッシュになります。


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三条古川町の交差点から、三条通を東に見ています。
この辺りから、緩やかな上り坂になって少しずつ蛇行します。
(もう碁盤の目ではなくなっています)
ずっと先に見える大きな建物は、ウェスティン都ホテルです。
そこを越えると京都市街地は終わり、
三条通(旧東海道)は東山山中に入っていきます。


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三条古川町の交差点から東に約5m進みました。
ここは、老舗の漆器屋さんです。
きれいなお椀やお盆が売られていました。


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さらに三条通を東に100mほど進みました。
今度は、江戸時代から続く紙屋さんです。
和紙だけでなく、はがきなども売られていました。


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紙屋さんの少し先にいらしたお地蔵さんです。
このブログの象徴なので、撮らせていただきました。
実は、この辺りにたくさんいらしたのですが、
編集の都合でこちらだけ採用となりました。


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三条古川町の交差点から東に約150m進みました。
こちらにも、地下鉄東西線の「東山」駅への階段があります。
もし岡崎公園に行くのなら、こちらの入り口の方が便利です。
その先に、白川の橋があります。そちらに向かいます。


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ここは、三条通の白川橋です。
今は南を向いていて、このまま進むと祇園の中心街に至ります。
(祇園の白川沿いは、なかなか絶景です)

白川は、京都府と滋賀県の境にある通称白川山を水源とします。
岡崎公園でいったん琵琶湖疏水と合流しますが、
岡崎公園の南端で再び分岐して、こちらに流れてきます。
最終的には、鴨川に合流します。


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白川橋から三条通を東に約30m進みました。
北側にマンションがあって、1Fにコンビニエンスストアと
焼肉屋があって、さらにお地蔵さんがいらっしゃいます。
ここから三条通の上り坂は、かなり急になります。
もし自転車でこの辺りに来られる方は、
この建物を目安に移動してください。


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そのマンションの向かい側(南側)に、
このような石碑が立っていました。
どうやらこの辺りに坂本龍馬が祝言(結婚式)を挙げた
寺院の跡地があります。
実は、明治時代はこの辺りまで青蓮院の境内だったようです。
(青蓮院は、第14回ブログで紹介)


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白川橋から、三条通を東に200mほど進みました。
第14回ブログで紹介した神宮道との交差点に来ました。


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三条通から、神宮道を北に向いています。
約300m先に、大きな鳥居が見えます。
そこから北が岡崎公園で、
鳥居から400mほど先に平安神宮があります。
第14回ブログで通った道です。


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今度は三条通から神宮道を南に向いています。
向こうに、大きな楠が見えます。
その辺りに、自分の大好きな青蓮院があります。
寄り道したいところですが、
第14回ブログでも寄っていますし、今回は泣く泣くパスします。


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神宮道を越え、三条通をさらに東に進みます。
右(南)側の建物を見ると、
ここがかなり急な上り坂であることが分かります。


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その右(南)側の建物です。
「京都市立白川小学校」と書いてあります。
この日は日曜日だったので、門は閉まっています。


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「京都市立白川小学校」の東隣りに、大きな鳥居が見えます。
いまから、ここ「粟田神社」を参拝します。


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「粟田神社」の鳥居をくぐり南に約5m進むと、また鳥居があります。
下の石畳を見るとここが参道であることは分かるのですが、
左(東)を見ると古いアパートがあったりします。
ここは、近所の方の生活道路としても機能しています。


71-27.jpg
この石畳の参道は、約70m続く緩やかな上り坂です。
左(東)側に古いアパートが続きますが、
右(西)側は塀の向こうに「京都市立白川小学校」があります。


71-28.jpg
三条通から南に約70m進みました。
石畳の参道が終わり、東西の道とまた交差します。
鳥居をくぐる前に……


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その道を右(西)に向いています。
右側の塀の向こうは、「京都市立白川小学校」です。
この道をずっと進むと、青蓮院に出ます。


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鳥居をくぐって南に進むと、急な石段を上ることになります。
辺りはカエデが鬱蒼と茂っていて、
秋にはかなりの絶景になるでしょう。


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8月の炎天下で、急な石段はキツイですね。
100mほどで、この石段は終わります。
やっと「粟田神社」に到着しました。先ずは、末社参りから始めます。


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石段の横に社務所があり、その先に舞台があります。
舞台の上には、「粟田大燈呂」のミニチュアが並んでいます。
「粟田大燈呂」は毎年体育の日の前日の夜に
大きな燈籠で作られた素戔嗚尊や八岐大蛇などが、
市中を練り歩くお祭りです。


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末社の一柱「出世恵美須(えびす)神社」です。
源義経が幼少時に、源氏再興を祈願した神様だそうです。
もともとはもっと東の蹴上におられたのですが、
500年ほど前の山崩れの後は、
夷町(三条神宮道交差点付近)に安置されていました。
今の位置には、明治時代に移ってきました。


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こちらも末社の「北向稲荷神社」と「太郎兵衛神社」です。
どちらもかなり面白い「いわくつき神社」ですが、
長くなるので省略します。
「太郎兵衛神社」の裏に階段があって、
そこを上ると「尊勝院」に行けるのですが、
そちらのルートは鉄門扉で閉ざされていました。


71-35.jpg
本当はもっと末社があるのですが、字数の関係でここまでです。
こちらは、拝殿越しの粟田神社本殿です。
主神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と妻子です。
(奇稲田姫や大己貴命などです)
平安時代初期の876年に清和天皇の命により建立されました。
交通の要所の粟田口にあるということで、
交通安全や旅行の安全を祈願する神社として栄えています。
自分も、このブログの安全祈願をしておきました。


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だいぶ山の上まで上ってきたので、
ここから京都市内が一望できます。
向こうに見える赤い鳥居は、先ほど見えた岡崎公園の最南端です。
その右(北)に見える大きな建物は、京都市美術館です。


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社務所と石段の間に、このような花が咲いていました。
wikiで調べたところ、「芙蓉」(ふよう)のようです。
この写真はクリックすると、拡大できます。


71-38.jpg
では、石段を下りて三条通に戻ります。
この石段は、下りもなかなか絶景ですね。
ただ、この続きは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、ここから蹴上に向かいます。
京都市街地もここで終わりですね~

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第72回 粟田口から蹴上へ~三条通西から東~その21

71-38.jpg
前回ブログの最後の写真「粟田神社」の下りの石段です。
今回はここから三条通に戻って、蹴上まで向かっていきます。
撮影日は、2012年8月30日木曜日午後3時。
とりあえず、この石段を北へ下りていきます。


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粟田神社の石段を半分ほど下ったところに、
赤い花が咲いていました。
これは、たぶん禊萩(みそはぎ)です。
第70回ブログに出てきた「壇王」法林寺でも咲いていました。
葉の形から、「萩」の一種なのは確実です。
花札の「猪」(「猪鹿蝶」のうちの一枚)の背景に咲いていますね。
この写真は、クリックすると拡大できます。


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さらに石段を下りてきました。
向こうに、京都市立白川小学校のグランドが見えます。
ちょうど野球の練習をされていました。
(明らかに、小学生より大人な方々でした)


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粟田神社の石段を下りました。
分かりにくいのですが、
この右(東)側に「鍛神社」という粟田神社の末社がありました。
ただ、ここを訪れたときは気づかずに素通りしてしまいました……
とりあえず、この先の石畳の道(緩やかな下り坂)を進みます。


72-5.jpg
石畳の緩やかな下り坂を北に進んでいます。
左(南)側に京都市立白川小学校、
右(北)側に古いアパートが続いているのですが、
この角度からだと茂みに見えます。


72-6.jpg
さらに石畳の下り坂を北に進みました。
向こうに見えるのは、三条通ですね。
自動車から車いすに乗った高齢者が介護者と降りてこられて、
右(北)側の古いアパートに帰って行かれました。


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三条通に戻ってきました。今は、東の方を向いています。
北側の歩道に、赤い小さな鳥居が見えます。
その先に、小さな郵便局が見え、その先に南北の道が見えます。
今度は車道を渡って、そちらに向かいます。


72-8.jpg
その小さな鳥居です。
今からこの「合槌稲荷神社」に向かいます。


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先ほどの写真の参道を北に進みました。
突き当りを左(西)に向くと、
細い路地になっていて、古い民家が密集しています。
家の中を写さないように、この角度で撮りました。
ここも突き当りまで行って、右(北)を向くと……


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少し開けたところに、神社があります。
民家がとても近く、ここに立っていても
テレビの音声や皿を洗う音が聞こえてきました。


72-11.jpg
合槌稲荷神社の本殿です。
ここは、平安時代中期の刀匠三条小鍛冶宗近の信仰を集めた神社です。
この人物は、今の青蓮院付近に住んでいたそうです。
この刀匠がこの神社の神助を受けて名刀「小狐丸」を打ったことは、
謡曲「小鍛冶」のもとになりました。
その際、稲荷山の土を使ったそうです。


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本殿の西側に、小さな末社の祠がありました。
周囲を見ると、本当に民家に囲まれています。
ここだけ、別世界ですね。
では三条通に戻って、また東の方に進んでいきます。


72-13.jpg
合槌稲荷神社の鳥居から、三条通を東に約20m進みました。
ここは、三条広道郵便局です。ここもかなり古い郵便局ですね。


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三条広道郵便局から、東に約30m進みました。
ここは南北に伸びる岡崎通との北東角です。
このような一里塚が立っていました。


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三条通から、岡崎通を北に向いて向いています。
ここを約300m進むと岡崎公園の東端に出ます。
ちょうど京都市立動物園の前ですね。
(一里塚の通りです)
さらに北に進むと、平安神宮の東端に出ます。


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岡崎通を通り過ぎると、三条通は大きく右に曲がります。
急な坂道が続きますが、ずっと先の青い標識の辺りで
京都市街地が終わります。


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岡崎通から三条通を約100m東に進みました。
南側に、仏光寺本廟が見えました。
浄土真宗仏光寺派の霊園ですね。


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ここは、仏光寺本廟の向かい(北側歩道)です。
骨董屋さんのウィンドウに、金の屏風が飾ってありました。


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さらに20mほど東に進みました。
北へ伸びる道との角に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらは、左脇に塚(もしかするとお墓)もあります。


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さらに三条通を20mほど東に進みました。
ここも、骨董屋さんでしょうか?
看板が出ていなかったので、分かりませんでした。


72-21.jpg
そのお店の向かい(南側歩道)です。
こちらは、ウェスティン都ホテル京都です。
かなり昔からあるホテルで、
地元民は「都ホテル」と呼んでいます。


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お地蔵さんから、約100m東に進みました。
上り坂は、さらに急になってきました。
右(南)側に、「都ホテル」が見えます。
左(北)側はコンクリート製の手すりがあって、
まるで陸橋のようになっています。
京都市街地の東端である青い看板も、もうすぐです。


72-23.jpg
この辺りで左(北)を向くと、こんな景色になります。
レンガ製の建物の屋根が見えています。


72-24.jpg
ここは、第2蹴上発電所です。(水力発電所です)
第1蹴上発電所は、明治時代初期に建てられた日本最古の発電所です。
そもそも琵琶湖疏水は、この発電所のために造営されました。


72-25.jpg
三条通から少し身を乗り出して、下の方を撮りました。
小さいですが、これは第2蹴上発電所のタービンです。
ここは1912年に完成し、昭和初期まで稼働していました。
(現在は、もう少し西にある第3蹴上発電所が稼働中)
ここは、京都の産業遺産に指定されています。


72-26.jpg
さらに東に進むと、「蹴上」(けあげ)交差点に出ます。
フレームから外れていますが、
この真上に先ほどから出て来ている青い標識があります。
ここが京都市街地の東端です。
この交差点はT字型で、三条通はここで終わるように見えます。
ところが、T字路の右側が三条通となって
まだまだ山科の方に続いています。
左側の道はここから「仁王門通」となって、
岡崎公園の南端を通っていきます。


72-27.jpg
「蹴上」交差点の横断歩道を渡り、右(南東)を向きました。
右側に、地下鉄東西線「蹴上」駅の2番出口があります。
その向こうが、「ウェスティン都ホテル京都」になります。
(さっきからこのホテルの周囲を回るコースを進んでいます)
左側は、インクラインと呼ばれる船を運ぶ施設で、
その上を琵琶湖疏水が流れています。


72-28.jpg
「蹴上」交差点から、南東に約100m進みました。
ここは、地下鉄東西線の「蹴上」駅1番出口前です。
ここから三条通は、東山山中に入っていきます。
このままそちらに進んでもいいのですが、
その前にこの蹴上周辺を散策しようと思います。
ただ、それは次回ということで。今回は、ここまでです。

~次回は、南禅寺や無鄰菴あたりを回ります~

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第73回 金地院の亀~蹴上散策~その1

三条通をずっと東に進み、とうとう蹴上まで来ました。
ここまで来たならと、南禅寺や無鄰菴に寄ることにしたのですが……
この辺は見所がありすぎて、とても一回では収まり切りません。
ですから、ここから数回は「蹴上散策」として
三条通編の番外編にしようと思います。
……何しろ、今回は駅から徒歩5分の
南禅寺の門までたどり着いていません。


73-1.jpg
地下鉄東西線の「蹴上」駅です。
東西線のホームはこのように線路と遮断されており、
まるで細長い部屋のようです。
撮影日は2012年9月9日日曜日午後1時。
取材中は、ずっと曇り空でした。(その後、夕立が降りました)


73-2.jpg
地下鉄がホームに停車すると、
前の写真の青い扉が地下鉄の扉と連動して開きます。
これで事故を防いでいます。


73-3.jpg
「蹴上」駅のホームから改札へと向かうエスカレーターです。
左側は普通のエスカレーターですが、
右側の下りエスカレーターは直接ホームに続いているため、
地面の奥底に向かうと思うほど、とても長くなります。


73-4.jpg
約10日ぶりの地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口です。
この日は日曜日ということもあって、
たくさんの方が乗降されていました。


73-5.jpg
地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、
三条通を北西に向きました。「蹴上」交差点方向です。
今からここを進みます。前回ブログの道を少し逆行します。


73-6.jpg
この辺りの三条通は、インクラインに沿うように進みます。
地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、約100m進みました。
まだ「蹴上」交差点には、たどり着いていません。
ここは、「ねじりんぼ」というレンガ製のトンネルです。
ここから、インクラインの下をくぐれるようになっています。

頭上には、「雄観奇想」と書かれた看板があります。
これは、琵琶湖疏水を企画した北垣国道京都府知事の言葉で
「優れた眺めと素晴らしい考え」という意味です。


73-7.jpg
ここは、「ねじりんぼ」の中です。
アーチ状のトンネルの中は、レンガが敷き詰められています。
ここから三条通を外れて、「ねじりんぼ」を通り抜けます。


73-8.jpg
「ねじりんぼ」の向こう側は、このようになっています。
ここで「東山区粟田口」から「左京区南禅寺」になります。
北東に自動車がやっと一台通れる道が続いています。
周囲は、明治時代初期から政財界の別荘地となっています。
今からこの道を進みます。


73-9-a.jpg
「ねじりんぼ」から60mほど進みました。
ここは、「智水庵」という別荘です。
ここには琵琶湖疏水から引いた水を利用した
近代を代表する日本庭園があるのですが、残念ながら非公開です。
まぁ、個人宅ですからねぇ。


73-10.jpg
「智水庵」の向かいにある別荘には、百日紅の大きな木がありました。
ちょうど白い花をつけていました。
この写真はクリックすると、拡大されます。


73-11.jpg
百日紅のある別荘は、生け垣の向こうからカエデの木も伸びています。
11月には、さぞかし絶景になるでしょう。
ただ、この辺りは9月上旬でも葉が染まっています。


73-12.jpg
「ねじりんぼ」から続く道の突き当りに、
百日紅やカエデの木がある別荘の入り口がありました。
ここは、「何有荘」(かいうそう)という別荘です。
個人宅なので、ここも非公開です。

実は、「智水庵」と「何有荘」はどちらも小川治兵衛の代表作です。
小川治兵衛は、近代以降屈指の庭師です。
平安神宮と円山公園の造営が有名です。
また琵琶湖疏水を利用して、この辺の別荘の多くを造営しました。
中でも、山県有朋の別荘である「無鄰菴」が最も有名です。


73-13.jpg
「何有荘」の入り口から、この道は真北に伸びています。
今度は、ここを進みます。


73-14.jpg
「何有荘」から北に約20m進みました。
ここも別荘の一つ「大寧軒」です。やはり、非公開です。


73-15.jpg
さらに20mほど北に進みました。
ここは、東照宮の山門です。金地院の末社の一つです。
(金地院自体、南禅寺の末寺なのですが)
ここにも寄る予定ですが、ここからは入れません。
金地院の方から回ります。
この写真はクリックすると、拡大されます。


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これは、金地院の土塀の上にある瓦です。
金地院は江戸時代初期に徳川氏の庇護を受け、
絶大な権力を握りました。
そのこともあって、一瞬徳川家の「三つ葉葵」に見えたのですが、
この家紋は微妙に違うようです。


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「何有荘」の角から、約100m北に進みました。
西側に、金地院の門が見えます。

もともと金地院は、足利義持の命で北山に建てられました。
(足利義持は室町幕府4代将軍で、足利義満の息子です)
安土桃山時代に南禅寺の末寺となり、ここに移ってきました。
江戸時代初期に、ここの住職の崇伝が幕府の参謀となり、
「寺大名」と呼ばれるほどの絶大な権力を握りました。
(金地院崇伝は、1615年に武家諸法度を作成した人物です)

では、今からここに入っていきます。


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門を入ったところで、パンフレットとチケットを買いました。
長谷川等伯の襖絵を見ると1100円しますが、
今回は庭園だけ見るので500円だけ払いました。


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では、こちらから庭園に入っていきます。
東照宮も、この庭園の端にあります。


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庭園に入ると、大きなハスの池がありました。
その周囲には、カエデの木々が並んでいます。
ただ、9月上旬はハスの花は終わっていて、
カエデに時期には早すぎます……
この写真は、クリックすると拡大されます。


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池を眺めていると、
大きな鯉と小さな亀が口を開けてやって来ました。
どうやら餌を欲しがっているようです。


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その様子を大きな亀が眺めています。
甲羅干しているようにも見えます。


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池の周りを東照宮の方に向かって歩いています。
池の周りには、カエデ以外にも松などが植えられています。
その下にスギゴケが生えています。
禅寺独特のこの雰囲気が好きです。


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金地院の庭の端まで来ました。
目の前に東照宮の門が見えてきました。
先ほどのちょうど裏側になります。先に、東照宮の方を回ります。


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門の横に、手水舎がありました。こちらで、手を清めます。


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ここを右折して(ほぼ西に向かいます)少し坂を上ります。
鳥居をくぐり、神社の中に入っていきます。


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いよいよ東照宮に入っていきます。
ここは小規模ですが、日光と同じ「権現造」です。


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東照宮の本殿です。徳川家康の遺髪と念持仏がご神体です。
ここは徳川家康の遺言によって、金地院崇伝が建立しました。
中に見えるのは、三十六歌仙の歌がかかれた絵ですね。
ここも、写真をクリックすれば拡大できます。


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本殿の脇にこのようなものがありました。
徳川家康が子孫にあてた遺言というか、家訓のようなものです。


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では、東照宮を出て金地院の庭園に戻ります。


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東照宮の参道に、白い花が咲いていました。
葉の形や大きさから萩だと思います。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


73-32.jpg
金地院の庭園に戻ってきました。
池の反対側は、このようになっています。
土塀の向こうは、先ほど歩いてきた道になります。


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金地院の庭園の入り口まで戻っていました。
ここを右に曲がれば、外に出られます。
その前にここを直進し、目の前の方丈に向かいます。


73-34.jpg
方丈の中には入れるのですが、撮影不可なので写真はありません。
(庫裏まで行くと、長谷川等伯の襖絵が見られます)
方丈の縁側に腰掛けて、枯山水の庭園を写しました。
右側の巨石は鶴島と呼ばれています。
本当は左側にも亀島があるのですが、フレームから外れています。
この写真もクリックすると、拡大できます。


73-35.jpg
また、庭園の入り口に戻ってきました。
このまま直進すると、東照宮にたどり着きます。
今度は左に曲がり、外に出ます。


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金地院から外に出ました。「何有荘」から続く北に伸びる道です。
金地院から北を向くと、三門が見えます。今からここをくぐります。


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山門をくぐり反対側を振り返りました。ここは金地院の三門でした。
三門の向こうの道を南から来たことになります。
ここで東を向くと……


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目の前に、南禅寺の通用門が見えます。
やっとここまで来ましたが、この先は次回とします。

~次回は南禅寺の山門に上った後、水路閣周辺に行きます~

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第74回 深緑の南禅寺 前編~蹴上散策~その2

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地下鉄東西線「蹴上」駅から徒歩5分の南禅寺通用門です。
ここまで来るのに、前回ブログ一回分を消費しました。
今回は、やっとここから南禅寺に入っていきます。
撮影日は、2012年9月9日日曜日午後2時。
この時点では、曇り空でした。


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通用門をくぐる前に、北側の勅使門に寄ります。
昔は、ここが正門でした。
ですから、多くの禅寺で勅使門→三門→法堂が一直線に並びます。


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通用門に戻って、くぐり抜けました。
このまま東に進むと、
右(南)側の末寺を見ながら方丈にたどり着きます。
ただ、今回はここから北を向きます。


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前の写真から、左(北)を向きました。
目の前に見えるのは、勅使門の裏側です。
ここをずっと進むと、
永観堂禅林寺や哲学の道を通って銀閣に至ります。
永観堂禅林寺の手前に、東山高校があります。
平日は「蹴上」駅からこの辺りまでが通学路になり、
朝夕は多くの生徒であふれます。


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勅使門から東を向きました。目の前に、三門が見えます。
(重要文化財です)
東福寺や建仁寺では、三門越しに法堂が見えて
これがなかなかの絶景なのですが、
南禅寺は山門が大きすぎて向こうが見えません。
目の前が一面のカエデなので、
11月になるとかなりの絶景になるでしょう。


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三門に近づいてきました。やはり大きいですね。
見上げると、迫力があります。
この写真もクリックすると、拡大されます。
上の方に昇っておられる方も多いようです。
自分も、そちらに向かいます。


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三門の南側に回って、チケットを買いました。
500円しましたが、それだけの値打ちはありました。


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かなり急な階段を上って、三門の上にまで来ました。
ここの裏側は楼上の内陣があり、仏様がたくさんいらっしゃいました。
楼上は周辺のカエデや松よりも高く、しかも標高も高いので
「楼上三五桐」の石川五右衛門のように
「絶景かな 絶景かな」
そう言いたい気分でした。
……絶景なのですが、実はここは平坦ではなく
外に向けて斜めに傾いています。
ですからこの写真を撮るときように下を向いて立っていると、
だんだん足が外へ外へと滑っていきます。
欄干がありますが、高所恐怖症の方はかなり厳しいでしょう。

この写真も、クリックすると拡大されます。


74-9.jpg
三門の楼上から、京都市街地を見ています。
中央の高いビルは、京都ホテルオークラです。
その左(南)側に、68回ブログの本能寺があります。
右(北)には、岡崎公園の南端にある平安神宮の大鳥居が見えます。
(第71回ブログの粟田神社からも見えましたね)


74-10.jpg
先ほどの写真から左(南)を向くと、
第72回ブログ以来のウェスティン都ホテル京都が見えます。
先ほどの写真と比べて建物全体が見えるのは、
それだけ都ホテルの標高が高いからです。
では、三門を下りて南禅寺参拝を続けます。


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三門をくぐり、カエデ並木の先にある法堂に向かいます。
やはり、ここは11月が絶景ですね。


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三門をくぐり抜けると、法堂までは少し上り坂になっています。
カエデの木のもとに、カマキリがいました。
本当は撮りたかったのですが、
左側のカップルが熱心に撮られていたので、
邪魔するのも悪いと思い、撮影をあきらめました。


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三門から約50m進むと、法堂に近づいてきました。
辺り一面カエデ並木ですね。


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南禅寺のカエデは、枝が横に伸びています。
木自体は低いのですが、葉が重なって色合いが濃くなります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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いよいよ南禅寺の法堂(本堂)に来ました。
お布施を払って、目の前の香炉に線香を奉げます。


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香炉越しの南禅寺法堂(本堂)です。
南禅寺は、鎌倉時代後期の1292年(元寇の直後)に
亀山上皇の命で建立された臨済宗の寺院です。
その後室町時代には、臨済宗の京都五山(東福寺や建仁寺など)・
鎌倉五山(円覚寺や建長寺など)を統括する総本山になりました。


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法堂を参拝した後は、右(南)側の道に移動します。
(通用門から伸びる道ですね)
この辺もカエデ並木が続きます。


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通用門から伸びる道に着くと、
さらに右(南)に赤レンガの建造物が見えます。
次は、そちらに行ってみます。


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これは、「水路閣」と呼ばれる明治時代に作られた水道橋です。
インクラインの手前から北に分岐した琵琶湖疏水の支流です。
南禅寺の境内の南端にあるため、
カエデ並木や寺院と西洋建築物が同居する独特の風景が生まれます。
この写真も、クリックすると拡大できます。


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水路閣の南に末寺の一つ南禅院へと続く石段があります。
今からそちらに向かいます。


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石段を上りました。ここから見ると、水路閣はこうなります。
このまま右(東)に進むと南禅院に行きます。
ただ、そちらには後から行くとして、今は左(西)へ行く道をとります。


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先ほどの写真から左(西)を向きました。
さらに上に行けるようになっています。
では、さらに上に向かいましょう。


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石段の途中に、このようなものがありました。
亀山天皇は、南禅寺を建立した人物ですね。


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石段を上り切りました。ちょうど水路閣の真上に出ます。
赤レンガの水道橋を上から見ると、このようになっています。
この水は、今も京都市民が水道水として利用しています。
琵琶湖疏水関連施設の大半は、
明治時代から100年以上たった今も現役です。


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水路閣の反対側は、このように上を歩けるようになっています。
先まで行ったことはありませんが、
たぶんインクラインより上流の三条通に出ると思います。


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水路閣から見上げると、大きな鐘楼が見えました。
鐘楼へと続く石段があったので、そちらに向かいます。


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水路閣からさらに上に昇り、鐘楼まで来ました。
位置関係から、南禅院のものと思われます。
この脇に細い道がありました。今度は、そちらに向かいます。


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細い脇道は、完全に山道です。
向こうに小さな鳥居が見え、そこでこの道は終わっています。


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脇道の突き当りから、望遠で撮りました。
こちらは、嵯峨天皇の皇后の御陵です。
実は、東山山中は天皇陵が数多くあります。


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では、脇道から南禅院の前まで戻ります。
……この写真、完全にブレていますね。
この辺りの写真はこれしかないので、これを掲載します。


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南禅院の辺りにまで戻ってきました。
この左側に、赤レンガの水路閣があります。
この道の先にある南禅院に入っていくわけですが、
それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、南禅院と南禅寺方丈の庭園を見に行きます。
抹茶を飲んで休憩して、南禅寺を出ます~

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第75回 深緑の南禅寺 後編~蹴上散策~その3

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前回ブログの最後の写真南禅寺の末寺の一つ南禅院の横です。
右(南)側の白い土塀が南禅院で、
左(北)側の5m先には水路閣の水道橋があります。
今回は、南禅院と南禅寺の方丈庭園を見ます。
あとは、あちこち寄って休憩します。
撮影日は2012年9月9日午後2時半。
曇り空ですが、雨が降るのはもう少し先でした。


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先ほどの写真から5mほど(東に)直進しました。
ここでチケットを買って、南禅院の庭園に入ります。


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こちらが、その南禅院の庭園のチケットです。
ここも500円しました。


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入り口から入って、西を向きました。
左(南)側の方丈に沿うように順路が続いています。


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南禅院の西側の方丈庭園です。
細長い池の向こうには、カエデの木が並んでいます。
やはり、ここも11月以降が絶景ですね。
右側の木々の隙間から、前回ブログで紹介した鐘楼が見えます。
そして、よく見ると上の方に
嵯峨天皇の皇后の御陵に続く山道もあります。
また、この写真をクリックすると、拡大されます。


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角を曲がって、方丈の正面と言える南側に進みます。
こちらからも、庭園を眺めます。


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そして、こちらが南禅院の方丈の南側庭園です。
(方丈庭園のメインですね)
小島の向こうに小さな泉があって、そのさらに向こうに
こちらから回って行けるようになっています。
今からそちらに行くために、左(東)に進みます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


75-8.jpg
先ほどの写真から東側から、
庭園の裏側に行ける細い道が伸びています。
その途中に、亀山天皇の墓所があります。
こちらは御陵ではなく、分骨されているだけのようです。


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その隣には、この寺院の関係者らしき方の墓所です。
ここを通って、さらに先に進みます。


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その先にあった泉です。
どうやら山の中から水が湧いているようです。

……実はこの辺りで突然蛇が一匹山の上から下りてきました。
その直後に小さなカエルが、かなり大きなジャンプをして
向こうの池の中に飛び込んでいきました。
ただ、カエルに逃げられた蛇は気が立っていて、
鎌首を上げて周囲を見回していました。
マムシだったら危険だったのですが、
そういう毒を持った蛇ではなさそうでした。

では、南禅院から出ていきます。


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南禅院の通用門を出たところです。
向こうに、前回ブログでも紹介した水路閣の水道橋が見えます。
では、左(西)に少し行ったところにある石段に向かいます。


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その石段です。
ここを下りて、向こうに見える道へと進みます。


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石段を下りて、10mほど進みました。
向こうに見えるのは、前回ブログで紹介した南禅寺の法堂です。
この先の道で右折し、南禅寺の方丈に向かいます。


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先の道で右(東)を向くと、カエデ並木で覆われます。
まるでカエデのドームです。
この写真も、クリックすれば拡大されます。
そして今から、この先の南禅寺本坊から方丈に入ります。


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これが、南禅寺方丈に入るチケットです。
中には、一休さんの逸話で有名なトラの襖絵や
さまざまの水墨画などが飾ってありました。
ただ、ここは屋内撮影禁止なので写していません。
その代わり、庭園を撮影しました。


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南禅寺の方丈庭園です。砂の海の向こうに、苔の島があります。
土塀の向こうの瓦屋根や東山が、借景に一役買っています。
(ここも、紅葉シーズンが最高でしょうね)
この写真もクリックすると、拡大されます。


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ここは、方状とその奥にある龍渕閣を結ぶ渡り廊下に囲まれて
六道庭という庭園です。
苔が敷き詰められた庭に石が並んでいます。
その中心で、百日紅(さるすべり)の花が満開でした。


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今度は、角度を変えて撮りました。
向こうの廊下から方丈の方に戻れます。
では、本坊に戻ってお茶をいただきます。


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本坊に戻って、お茶をいただきました。
本当は抹茶をいただいたのですが、本坊は撮影禁止でした。
本坊の中の茶房脇に庭があって、そこから湧水が出ていました。
その水が使われているのかは分かりませんでしたが、
なかなかおいしいお茶でした。
この写真は、干菓子だけ持って帰って撮影しました。
(お茶はウチの麦茶ですが)
よく見ると、この菓子には「南禅寺」の銘が書いてあります。


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では、本坊を出ます。このまま真っ直ぐ西に進み、
通用門から南禅寺を出ます。


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本坊の前から、約50m西に進みました。
法堂と三門の間に、百日紅が咲いていました。
百日紅も、そろそろ終わりですね。


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こちらは、南禅寺の末寺の一つ天授庵です。
ここに限らず、この辺りの寺院の庭園はなかなか見事なのですが、
時間がないので先に急ぎます。
(そろそろ他のところを回る時間がなくなってきました)


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そして、通用門まで来ました。
ここから南禅寺を出て、このまま西に進みます。


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南禅寺の通用門を抜けました。ここから真西に道が続いています。
右(北)側に駐車場があって、何台も自動車が停まっています。


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南禅寺の通用門から西に約50m進みました。
ここは、金地院の山門の前です。
ここを左(南)に進むと、第73回ブログの道に戻ります。
今回は、このまま西に進みます。


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金地院の山門の向かいに池があり、
ちょうどハスの花が咲いていました。
この写真も、クリックすれば拡大できます。


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池の中に小島があって、鳥居と祠がありました。
そこまでどう行ったらいいのか分からないので、
ここから参拝しました。


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金地院の山門とハスの池から、約100m西に進みました。
右(北)側に、湯豆腐の順正が見えてきました。
南禅寺名物は湯豆腐ですが、大体この辺りに店舗が集中しています。
順正では豆腐も販売していました。


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この道の途中に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
このブログの象徴なので、また撮らせていただきました。


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順正から西に約100m進みました。
湯豆腐屋さんの西隣に喫茶店があります。
そして、その西側に細い道が北に伸びています。


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その北に伸びる道です。
時間がないのですが、ちょっとこの道に立ち寄ります。


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この細い道は、約50mで突き当ります。
突き当りにある西福寺は、
自分の大好きな上田秋成(特に「春雨物語」)のお墓があるのですが、
非公開なのでそちらには行きません。
その中間に、「一休亭」という蕎麦屋さんがありました。
お昼ご飯を抜いてきたので、ここに寄ります。


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自分が初めて南禅寺に来た中学2年生のときから、
この辺に来たら必ずこの「一休亭」に寄ります。
いつも冬に来るので、ここでは「たぬきうどん」を頼みます。
この日はまだまだ残暑が厳しかったのですが、
悩んだ挙句「たぬきうどん」を頼みました。


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先の写真を見て腑に落ちない方も多いでしょうが、
京都では、「たぬきうどん」とは
「餡かけきつねうどん」のことです。
いつも通り、おいしくいただきました。


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今まで特に触れていませんでしたが、
実はこの日の取材はウチの母が同行していました。
そして、ウチの母はざるそばを頼みました。
そばつゆは、味りんの入った少し甘めだったと聞きました。
ウチの母は、気に入っていました。


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一休亭の店の前から北を向いています。
ここからまた元の道に戻ります。


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南禅寺参道の西の端に、大きなお地蔵さんがいらっしゃいました。
いつもはこのブログの逆のコースで回っているので、
よくこのお地蔵さんにお参りをしてから南禅寺を参拝していました。


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南禅寺の参道の西端まで来ました。ここは「南禅寺前」の交差点です。
目の前の東西の道は、仁王門通です。
このまま右(西)に行けば、動物園など岡崎公園になります。
仁王門通の南向かいに見える茂みは、無鄰菴のものです。
ここからそちらに向かいますが、それは次回とします。

~次回は、無鄰菴とインクラインなど琵琶湖疏水関連施設を回ります~

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第76回 無鄰菴とインクライン~蹴上散策~その4

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南禅寺にだいぶ長い間いたせいで、もう午後4時です。
今からこの先にある無鄰菴に行った後
インクラインなど琵琶湖疏水関連施設に行こうと思うのですが、
時間的に間に合うかどうか……
撮影日は、2012年9月9日日曜日。
とりあえず、無鄰菴に向かいます。


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南禅寺前交差点に来ました。
この道以外に、仁王門通が交差し白川通がここから伸びています。
今から仁王門通を西に折れますが、
その前に琵琶湖疏水の橋を渡ります。


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南禅寺前交差点の橋から琵琶湖疏水を見下ろしています。
……とはいっても、この辺りの琵琶湖疏水には水が流れておらず、
代わりにレールが敷いてあります。
桜並木が続いているので、春には絶景になります。
ここはインクラインの西の端なのですが、後からもう一度来ます。


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橋を渡ると、目の前に南禅寺交番が見えます。
今からここを右(西)に折れます。


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さらに5mほど進みました。
目の前の茂みが無鄰菴なのですが、
入り口に行くには、ここを半周しないといけません。


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仁王門通を西に進んでいます。
ここをずっと進むと、岡崎公園に着きます。
右(北)側は、琵琶湖疏水が流れています。
左(南)側は、無鄰菴の土塀が続きます。


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南禅寺交差点から仁王門通を西に約100m進みました。
無鄰菴の土塀にこのようなものが書いてありました。
この矢印の通りに進みます。


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先ほどの看板のあるところから南に向きました。
左(東)側は、無鄰菴の土塀です。
右(西)側は、瓢亭です。京都でも有数の料亭ですね。
では、ここを進みます。


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先ほどの場所から約10m南に移動しました。
いよいよ無鄰菴の入り口です。
ここ無鄰菴は、山県有朋元首相の別荘でした。
山県有朋の死後、遺族が京都市に寄贈し
現在は京都市が管理する庭園になっています。


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無鄰菴のチケットです。400円払って、中に入ります。


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無鄰菴の中に入ってきました。ここから左回りに見ていきます。


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入り口から左を向くと、母屋があります。
滞在時に、山県有朋はここで寝起きしたのでしょうか?
この写真をクリックすると、拡大されます。


76-13.jpg
母屋から、無鄰菴庭園を眺めています。
この庭園も、小川治兵衛の代表作です。
平安神宮や円山公園を造営した庭師で、
第73回ブログで出てきた智水庵や何有荘を造営した人物でもあります。
この庭園は、中を散策する道が続いています。
今から、そちらに向かいます。
なお、この写真もクリックすると拡大されます。


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無鄰菴の庭園の小道は、奥の茂みへと続いています。
ここから茂みの陰に入ります。
この奥は琵琶湖疏水からの水が湧き出ています。
そちらにも行ったのですが、
写真はここから左回りで元の場所に帰ります。


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無鄰菴の庭を母屋の方に戻っています。
同じ庭でも日向と日陰では景色が変わります。


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無鄰菴の庭の日影に、キノコが生えていました。
本当にこの庭は、いくつもの顔を持っています。


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キノコが生えていた辺りから、さらに西の方を見ています。
向こうに、茶室が見えます。
自分は山県有朋はもっと無骨な人と思っていたのですが、
茶道もたしなむ風流な方だったようです。


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茶室の前からさらに西に向いています。
茶室の向こうに、洋館が見えます。
日本史の教科書にもある「無鄰菴会議」が行われたところですね。


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洋館の中は、土足と撮影厳禁です。
ですから、この先の写真はありません。
ここの2Fで、無鄰菴会議が行われました。

無鄰菴会議は、1903年(日露戦争の前年)
山県有朋と伊藤博文(どちらも明治政府の中心人物)それに
当時の内閣総理大臣の桂太郎、外務大臣の小村寿太郎が、
日露戦争の在り方について話し合った会議です。
大日本帝国憲法や内閣、帝国議会を作り上げた伊藤博文に対して、
山県有朋は陸・海の大日本帝国軍を作り上げました。


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母屋の横にある出入り口です。これで、無鄰菴を一周してきました。
時間がないのでここを出て、次に行きます。


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無鄰菴を出ました。仁王門通の方を向いています。
こちらの方に、向かいます。


76-22.jpg
無鄰菴入口から約30m北に進み、仁王門通に出ました。
今は仁王門通を東に向いています。
右(南)側に見えるのは、無鄰菴の土塀です。
これから、この先の並木越しに見える白い建物に行こうと思います。


76-23.jpg
車道を渡って、北側歩道に着きました。
フェンスと桜の木の向こうは、琵琶湖疏水です。
左側の噴水の向こうは、京都市立動物園です。
岡崎公園最東端ですね。
左側の男の人が立っている辺りから
琵琶湖疏水の方に降りられます。
時間がないので、こちらから近道をします。


76-24.jpg
この写真は、後から南禅寺前交差点の橋の上から撮りました。
噴水の向こうに、京都市立動物園が見えます。
目的地の閉館時間が午後4時半で、
あと数分という状態でした。
(写真をゆっくり撮っている場合ではなかったのです)
ここはインクラインの西端で、
水が来ていないので歩いて渡れるようになっています。
ここを走って、左(南)から右(北)へと渡りました。


76-25.jpg
ここは、琵琶湖疏水記念館です。
左右に蹴上発電所で使われていたタービンが飾ってあります。
現時点で、午後4時28分。
ここに入ってすぐに、この入口が閉じてしまいました。

中は、琵琶湖疏水の歴史や遺構が飾ってありました。
(北垣国道知事の写真とかがありました)
特にお勧めは1Fの蹴上周辺の模型で、
琵琶湖疏水関連施設の位置や役割が分かりやすく解説してあります。

では、ここを出ます。この出入り口は閉ざされたので、
北側から出てまた南禅寺前交差点の方に向かいます。


76-26.jpg
また南禅寺前交差点に戻ってきました。
南東(地下鉄東西線「蹴上」駅方面)を向いています。
今から、駅へ戻る途中にある琵琶湖疏水関連施設を回ります。


76-27.jpg
南禅寺前交差点の南禅寺交番の東隣りに、
京都市国際交流会館があります。
時間が遅く、もう閉まっていました。
建物はもう少し右側にあって、
正面に見えるのはウェスティン都ホテル京都です。


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さらに京都市国際交流会館の東隣りに、蹴上発電所がありました。
琵琶湖疏水の水を利用した水力発電所です。
現在は関西電力が所有し、今も発電が行われています。


76-29.jpg
蹴上発電所は立ち入り禁止なので、仁王門通から撮影します。
左側の赤レンガの建物が第二発電所で、昭和初期まで動いていました。
右側のコンクリート製の建物は第三発電所で、今も動いています。
ちなみに、第一発電所は第三発電所建設のさいに取り壊されました。
(第三発電所の位置に、第一発電所がありました)


76-30.jpg
仁王門通の北側歩道に移動しました。
桜並木が続いていて、春には絶景になります。
ここから、地下鉄東西線「蹴上」駅に向かいます。


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仁王門通を南東に進んでいます。
柵の隙間から琵琶湖疏水が見えます。
ただ、この辺りの琵琶湖疏水は水が流れておらず、
代わりにレールが敷かれています。


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琵琶湖疏水のレールはだんだん高くなり、
ついに仁王門通より上に来ます。
その途中に、仁王門通からそちらに入れる場所があります。
では、そちらに入ってみます。


76-33.jpg
琵琶湖疏水のレールの上に立っています。
ここに立つと、かなり急な坂道であると分かります。
ここはインクラインと呼ばれる場所で、
明治時代はここをトロッコに乗った輸送船が通っていました。


76-34.jpg
今度は同じ場所から望遠で撮りました。
桜並木の向こうに、南禅寺前交差点の橋が見えます。
その向こうは、京都市立動物園がかすかに見えます。


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インクラインの北側の端に、小さな溝がありました。
この辺の琵琶湖疏水の水は、ここを流れています。


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仁王門通と接するような位置に、
一台だけ輸送船を乗せたトロッコが残っています。
(動かないように、柵で固定されています)

琵琶湖疏水は滋賀県から京都への水運にも利用されたのですが、
蹴上周辺は高低差があって、船で移動することができません。
そのため、急な坂道の部分は
このようにトロッコで船を運んでいました。
それを「インクライン」と呼んでいました。
明治時代はここも賑やかだったのですが、
鉄道が整備されると内陸の水運は廃れて、
1948年に完全に廃止されました。


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では、インクラインから再び仁王門通に降ります。
ここから南東に進んで、地下鉄東西線「蹴上」駅に向かいます。


76-38.jpg
先ほどの地点から約100m南東に進みました。
ここは、第72回ブログ以来の「蹴上」交差点です。
ここで仁王門通が終わり、三条通に合流します。
この辺りで、「左京区 南禅寺」から
「東山区 粟田口」に戻ってきました。


76-39.jpg
蹴上交差点から、約100m南東に進みました。
左側に、第73回ブログで出てきた
「ねじりんぼ」が見えてきました。
ここの通り抜けると、また金地院に行くことができますが、
もう遅いので地下鉄の駅に戻ります。


76-40.jpg
「ねじりんぼ」からさらに100m三条通を南東に進みました。
やっと地下鉄東西線「蹴上」駅に着きました。
もう午後5時半を回っています。
ここから家に帰って、蹴上散策を終わります。

~次回は、蹴上から東山を越えていきます。
三条通編はまだまだ続きます~

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第77回 九条山を越えて 前編~三条通西から東その22

前にも書きましたが、最近休日が減っておりまして、
しかもやっととれた休日に台風第17号が来たりして、
取材に行くのが極端に遅くなりました。
……まぁ、単なる言い訳なのですが……
そんな訳で無理やり時間を作って
京都市街地から九条山を越えて、山科に行きました。
撮影日は、2012年10月4日木曜日午後2時。
山の中とは言え、晴れたり雨が降ったりの日でした。


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約1ヶ月ぶりの地下鉄東西線「蹴上」駅です。
平日ですが、乗降者は多いです。
お目当ては、南禅寺か無鄰菴でしょうか?


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ただ、今回はそれとは逆の南東の方向を向いています。
今回は、ここから東山を越えて行きます。
先ずは、この急な上り坂を進みます。


77-3.jpg
この辺りの三条通には、街路樹の横に彼岸花が咲いていました。
場所によって色を変えているので、自生しているのではないようです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


77-4.jpg
地下鉄東西線「蹴上」駅から三条通は急にカーブして、
ほぼ南に進んでいます。
右側に、蹴上浄水場が見えます。
この浄水場も琵琶湖疏水関連施設ですが、
完成したのは、ここ20年というところです。
それ以前は(地下鉄東西線完成以前)
ここに京阪電鉄京津線が通っていて、
この辺りがちょうど「蹴上」駅でした。


77-5.jpg
三条通の右側(ほぼ西側)は蹴上浄水場ですが、
左側(ほぼ東側)は民家が続きます。
その中に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
この辺りで、一時的でしたが晴れてきました。


77-6.jpg
お地蔵さんの前で、三条通をほぼ南に向いています。
右は蹴上浄水場、左は民家が続くのはそのままです。
……それにしても、急な上り坂です。もう山道に入っています。


77-7.jpg
地下鉄東西線「蹴上」駅から、三条通をほぼ100m進みました。
今度は、鳥居をくぐってこの石段を上ってみます。


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石段は短く、すぐに石畳の上り坂になります。
右側は、古い民家が続きます。


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この上り坂は、30mほどで終わります。
その先に橋があります。


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安養寺はともかく、日向大神宮はここから約1km先になります。
(しかも、延々山を登ります)
それだけでこのブログ2回分ですし、何より気力と体力が厳しいので
ここから先はまた別の機会にします。


77-11.jpg
そんな訳で、この橋周辺だけ撮らせていただきました。
橋より山沿いから、琵琶湖疏水がトンネルから流れています。
山科から来た水が、ここから京都盆地に流れていきます。
手前の赤レンガの施設は、浄水場です。こちらは、昔からあります。


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琵琶湖疏水に、鴨が1羽泳いでいました。
本当はいろいろ渡り鳥がいたのですが、
写真を撮らせてくれたのは、この1羽だけでした。


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橋の上から、反対側を撮りました。
ちょっとこちらに向かいます。


77-14.jpg
こちらの石碑には、琵琶湖疏水の労働者について書いてあります。
慰霊碑か何かでしょうか?
大きなお地蔵さんは、大日如来です。
(京都のお地蔵さんの約半分が大日如来です)
「源義経」という銘があったのですが、関連はよく知りません。


77-15.jpg
石碑とお地蔵さんの右側です。
こちらは、インクラインの一番上です。
前回ブログの場所にここから直接歩いていけます。
この辺りまで、桜並木が続いています。


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水路閣の上を歩いてくると、おそらくこの辺りに出ます。
鉄柵があるので、ここから南禅寺には行けません。
では、三条通に戻ります。


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琵琶湖疏水の水運で使われた船がレプリカで置かれています。
昔はこの柵がなく、ここからトロッコに乗って
インクラインを下っていきました。


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山道の参道の辺りまで戻ってきました。
向こうに、三条通が見えます。


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三条通まで戻ってきました。目の前に、蹴上浄水場が見えます。
では、ここを左折して東山を越えていきます。


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参道の前から、三条通をほぼ南に向いています。
だんだん左側の民家が少なくなり、山の中に入っていきます。
この辺りから「東山区」から「山科区」に入っていきます。


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先ほどの場所から三条通を約100mほど進みました。
少しずつ蛇行していますが、ほぼ南を向いています。
相変わらず、急な上り坂です。
この辺りで、蹴上浄水場ともお別れです。


77-22.jpg
三条通を上っていくと、途中にこのような青い看板が出ています。
この辺りの三条通は、国道143号線で大津まで続いています。
(旧東海道でもあります)
ずっと先に名神高速道路のインターチェンジがありますが、
そこまでこのブログは続きます。


77-23.jpg
三条通の途中にお地蔵さんがいらっしゃいました。
たぶん昔東海道を通った方々も、ここでお参りをしていたのでしょう。


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お地蔵さんから、三条通を約50m進みました。
山の中なのですが、交差点があります。
右側に曲がると、蹴上浄水場の入り口に通じます。
左は少しずつ高くなり、東山ドライブウェイになります。


77-26.jpg
左側の道はこの三条通と並ぶように続いていますが、
その横に小さな脇道があります。
そこに「日向大神宮」という看板がありました。
先ほどあきらめた神社は、ここから行くと多少近くなります。
(今回は行きません)


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先ほども書きましたが、交差点から別れた道は
(東山ドライブウェイのことです)
このように三条通に沿うように続きます。
そちらの道が、さらに高くなってきています。


77-28.jpg
さらに約100m進みました。
左に沿うように続いていた道も、かなり高くなりました。
この先で、その道が陸橋になって右の方に流れていきます。
結局、この東山ドライブウェイは
青蓮院門跡の裏山「将軍塚」へ続きます。
そして三条通は陸橋の手前で頂点に達し、
ここから一転下り坂になります。


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陸橋を越えました。
目の前に、京阪バスの「九条山」バス停が見えます。
ちなみに、この辺りは市バスは通っていません。


77-30.jpg
バス停の前に大きなお地蔵さんがいらっしゃいました。
(写真の陰になっていますが、このお地蔵さんの脇には
たくさんの小さなお地蔵さんがいらっしゃいます)
このお地蔵さんを中心に、集落があります。


77-31.jpg
お地蔵さんから、道の向かいを見ています。
実は、約20年前まで(地下鉄東西線完成前まで)
ここに京阪電鉄京津線の「九条山」駅がありました。
当時は三条通も半分の道幅で、向こうの2車線が線路と駅でした。
この辺りが京都盆地と山科盆地のちょうど中間点で、
駅が廃止になるまでは、飲食店などが並ぶ割と賑やかなところでした。
東海道が通っていた江戸時代も、茶店などがあったのでしょうね。

後はここから山科盆地へと下るだけなのですが、
それは次回とします。

~次回は、ここから地下鉄東西線「御陵」駅まで進みます。

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第78回 九条山を越えて 後編~三条通西から東その23

77-31.jpg
前回ブログの最後の写真京阪電鉄「九条山」駅があったところです。
今回は、この九条山周辺を少し散策した後
東山を東に下って山科盆地に入っていきます。
撮影日は、2012年10月4日木曜日午後3時。
曇り空が、だんだん雨模様になってきました。


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前回紹介した京阪バス「九条山」バス停やお地蔵さんの辺りから
三条通の左(東)側に民家が集まっています。
約20年前は、この辺りは京阪電鉄「九条山」駅前で
いろいろお店がありました。
この空き地になっている場所にもお店があって、
隣のタバコ屋さんも営業していました。
その間に自動販売機があって、
自転車でここまで来たときはその自動販売機でジュースを買って
少し休んでから先に進んだものでした。
「九条山」駅がなくなると急にさびれて、
空き家も目立つようになりました。


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ただ、三条通を山科側に約30m進むと、
「山よし」というお店は今も営業していました。
ここは四条河原町や大石橋(南区)にも支店がある
カニ料理屋さんです。
ローカル局のKBSでよくCMしているので、
京都限定でよく知られたお店です。


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「山よし」より山科側に約10m進みました。
こちらの自動車修理工場も営業中です。
……では、九条山を通り過ぎ、山科盆地に向かいます。


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「九条山」周辺の集落から離れて、山科盆地を目指します。
自転車に注意を促す標識が見えます。
それだけここから急な下り坂になります。


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その山の斜面から白い花が咲いた木がはみ出していました。
何の花でしょうか?
この写真は、クリックすると拡大されます。


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そして車道近くには、彼岸花が咲いています。
この辺りは、白い花ですね。
この写真もクリックすれば拡大されます。


78-8.jpg
今回のブログの最初の地点から、山科盆地側に約300m進みました。
この辺りから、三条通は左にカーブしていきます。
カーブの途中に、小さな公園が見えました。
こちらの方に、寄り道します。


78-9.jpg
公園の中央に、荷車があります。
さらにその下に、車石が敷いてあります。
前述のように、もともとここには京阪電鉄京津線が通っていました。
地下鉄東西線開通とともにこの路線は廃止されましたが、
その名残として、ここに公園が作られました。
実はこの公園は、当時の線路の枕石でできています。


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そしてこの公園を抜けた辺りから、左側に民家が並びだします。
そう言えば、坂道もだいぶ緩やかになってきました。
ここからは、少しずつ山科区の市街地に入っていきます。


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その前に、公園の脇から北花山方向に上り坂があります。
ここを進むと、「花鳥霊園」に入っていきます。
そちらには向かわずに、三条通を進みます。


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公園を通り過ぎると、さらに左にカーブしていきます。
このブログの初めの方では三条通はほぼ南を向いていましたが、
この辺りで南東方向に進路を変えます。


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公園から約50m進みました。
三条通から細い脇道が伸びていました。


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この辺りに、このような表札が出ていました。
「北花山」とは、花山の北嶺を差します。
花山とは、東山の山の一つです。
(東山は、たくさんの山や丘の集合体です)


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脇道と三条通との間に、小さな祠がありました。
どういう神様か分からないのですが、とりあえず撮りました。


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先ほどの脇道との別れ目から、約100m進みました。
右側に、古い民家が続きます。
自分は味があって好きな風景ですが、人ぞれぞれでしょうか?


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その右側の風景です。向こうに先ほどの脇道が見え、
さらにその先に東山の稜線が見えます。


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その先に、このような民家がありました。
絡まる蔦が、とてもきれいです。
個人的には、こういう家が大好きです。


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さらに三条通を進みます。もうだいぶ下りてきました。
三条通は、蛇行しながら南東に進路をとります。
山科区の市街地も、もうすぐです。


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いよいよ左側も、民家が並ぶようになりました。
下り坂も、かなり緩やかになりました。
ここから、山科区の市街地です。


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山科区の市街地に入ってきました。
蛇行していた三条通も、南東方向に直進するようになりました。
まだ少し下り坂ですが、ほとんど平坦になってきました。


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京阪バスの「日ノ岡」バス停がある交差点まで来ました。
ここから、向こう側の歩道にわたります。


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その交差点付近に、このような石碑が立っていました。
この石碑は、もともと東山区の粟田口にありました。
(第71回ブログ参照)
実は、粟田口は鴨川河川敷と並ぶ平安京遷都以来の処刑場でした。
これは、そこで処刑された人々の供養塔でした。
ところが、明治時代に「廃仏毀釈」が行われました。
(神道を国教とするために、仏教施設を破壊する運動です。
当時京都では多くの寺院や関連施設が破壊されました)
その一環で、この供養塔は破壊され(あちこち亀裂が残っています)
道路や建築物の礎石に利用されていました。
それが、戦後掘り起こされて修復され、ここに安置されたのです。


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こちらも、先ほどの供養塔と同じ敷地あります。
こちらも、粟田口にあった日蓮宗の供養塔です。
ただ、この供養塔も破壊の跡があります。


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供養塔からさらに三条通をを南東に進みます。
もう完全に、市街地のただ中です。


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ただ、少し脇道にそれると山道が姿を見せます。
三条通とその周辺では、風景が一変します。


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山科区の市街地に入っても、やはりお地蔵さんはいらっしゃいます。
こちらも、撮らせていただきました。


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こちらは、お地蔵さんの向かいにある建物です。
ここミネルバ出版は、大学の研究書とかを出版している会社です。
学生時代には、ここの出版物にお世話になりました。


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「日ノ岡」交差点からJR「山科」駅前まで、
三条通にはたくさんの飲食店が並びます。
ここは、名前が面白いので撮りました。


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そして、日ノ岡」交差点にたどり着きました。
「大石街道」との交差します。
もう完全に平坦な道になりました。


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「日ノ岡」交差点近くに、このようなウィンドウがありました。
特にお店というわけではないので、何のための展示でしょうか?


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その隣も、このようなウィンドウがありました。
こちらは、看板からアンティークショップのようです。


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「日ノ岡」交差点から三条通を南東に約100m進みました。
左側歩道に、地下鉄東西線「御陵」駅4番出口が見えます。
実は下校時間と重なって、結構な数の小学生に会いました。
(写真に写っているのは、ここだけですが)


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先ほどの写真から、約50mほど進みました。
「通亭」(かよてい)という食堂が見えました。
ちょっとここに立ち寄ります。


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「湯葉餡かけうどん」という看板に誘われてこの店に入ったのですが、
それはもう売り切れていました。
そこで、ニシンそばと稲荷寿司を頼みました。
身欠き鰊は、京都人の大好物です。
ニシンは、そばつゆにとても合います。
稲荷寿司は、京風なので大きめの三角形です。


78-36.jpg
「通亭」から三条通を南東に約10m進みました。
こちらは、地下鉄東西線「御陵」駅です。
いい加減歩き疲れたので、ここから地下鉄に乗って帰ります。
今回は、ここまでです。
~次回は、御陵周辺の神社仏閣や天皇陵を散策します~

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第79回 御陵散策 前編~三条通西から東~その24

三条通をだいぶ来て東の端の山科まで来たのですが、
何も回らずに終わるのもつまらないので、
ここから周辺散策をします。
御陵から山科駅周辺は、琵琶湖疏水が絶景ポイントです。
京都人にはかなり有名なのですが、
他府県の方には意外と知られていません。


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約1週間ぶりの地下鉄東西線「御陵」駅3番出口です。
今回はここから三条通を少しそれて、琵琶湖疏水を目指します。
撮影日は、2012年10月11日木曜日午後2時。
曇り空がだんだん晴れてきました。


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地下鉄の出口から三条通を見ています。
向こうに、北に向かう道があります。
今回はこちらから琵琶湖疏水に向かいます。


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三条通から、先ほどの道を見ています。
今からこの急な上り坂を進みます。
ここから、琵琶湖疏水まで約1kmですね。


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道沿いにあった表札です。
「日ノ岡」は前回ブログで山科区の市街地に入った辺りから、
この辺りまでを指します。


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個人宅の庭に、南天の木がありました。
禅寺でよく見かける木ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


79-6.jpg
今度は、禊萩の木でしょうか?
もうこの木の花の盛りも終わりですね。
この写真も、クリックすれば拡大できます。


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三条通から北に約50m進みました。
駐車場の手前に、堤谷町の小さな児童公園がありました。


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堤谷の児童公園から、約30m北に進みました。
道が分岐していますが、このまま北上します。
(本圀寺には、後で行きます)


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本圀寺の看板の辺りにも、児童公園がありました。
こちらは、御陵封ジ山町の公園です。
実は、この道は二つの町の境です。


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児童公園から先は、さらに急な上り坂になります。
ここを北に進みます。


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途中のお屋敷にあった木の花です。
調べ足りないのか、何の花か分かりません。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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さらに北に伸びる急な上り坂を進みます。
すると、上り坂がだんだん左に曲がり出します。


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この上り坂は、結局左にカーブして西の方に向かいます。
その代わり、右(北)に進む細い路地が現れます。


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その北に伸びる路地です。こちらに向かうと、風景が一変します。
ここから少し下り坂になります。


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路地を約20mほど進むと、進路は右(東)に曲がります。
そして、柵の向こうに琵琶湖疏水が姿を見せます。


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この道は、目の前の端に向かっています。
今から、そちらに向かいます。


79-17.jpg
橋に向かう途中に咲いていました。恐らく、芙蓉だと思うのですが……
この写真も、クリックすれば拡大されます。


79-18.jpg
橋のたもとに、このような看板がありました。
山科区の琵琶湖疏水沿いは遊歩道になっていて、
多くの寺院が並んでいます。
今は近所の方が散歩するくらいですが、
春になると多くの人で賑わうようになります。


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では、今からこの橋を渡ります。


79-20.jpg
橋の上から、琵琶湖疏水を西に向いています。
両岸に桜並木が続いています。
ここは、京都市内有数の桜の名所です。
毎年多くの京都市民がここを訪れますが、
他の地方の方にはあまり知られていません。

先の方に、琵琶湖疏水第二トンネルが見えます。
ここから東山を越えて
最終的に第77回ブログの九条山浄水場の前に出ます。


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琵琶湖疏水第二トンネルの上に漢文が書かれています。
「仁(思いやりのある人)は山を以って悦び、
智(頭のよい人)は水の為に歓ぶ」
という井上馨元外務卿の言葉です。
(明治時代に鹿鳴館を建てた人物ですね)


79-22.jpg
橋の上から、北側の遊歩道を見ています。
この辺りの桜の木は、葉が残っていませんね。
北側に、細い道が見えます。


79-23.jpg
その細い道です。ここから見ると、先の方に寺院が見えます。
こちらの寺院に、寄り道してみましょう。


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細い道の突き当りに、観音様がいらっしゃいました。
比較的新しい年代にできたもののようです。


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観音様の右側から、寺院の方に行く石段が伸びています。
この石段を進みます。


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石段の先に、寺院の山門が見えます。
では、曹洞宗無量山永興寺(ようこうじ)に入ります。


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先ずは、手水舎で手を清めます。
こちらは、龍の口から水が出るようになっています。


79-28.jpg
永興寺の本堂です。(中は非公開のようです)
こちらは、曹洞宗の寺院です。
開祖の道元を荼毘に付した場所にこの寺院が建てられました。
二人の童子が可愛いですね。


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本堂の西側に豊川稲荷社がありました。
愛知県の豊川稲荷の分社です。
こちらにも、参拝しました。


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さらにその西側は、お地蔵さんと墓地です。


79-31.jpg
永興寺の本堂前に戻ってきました。
こちらに、小さい石庭がありました。
……かなり変わった作りですね。


79-32.jpg
では、永興寺から琵琶湖疏水の方に戻ります。


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琵琶湖疏水の方に戻ってきました。
ここから左(東)に曲がり、少し周辺散策をします。


79-34-a.jpg
琵琶湖疏水の遊歩道は、少し蛇行しながら東に伸びています。
大きな桜の木が、疎水の上にまで張り出しています。


79-35-a.jpg
辺りには、この看板がいくつかありました。
どうやらマムシが出るようです。
ただ、自分はここでは見たことがありません。


79-36-a.jpg
遊歩道には桜だけでなく、カエデもあります。
ベンチもあって、ゆったりと散策するのにちょうどいいところです。
ここからさらに東の方まで行ってみたのですが、
ここから先は、次回とします。

~次回も、もう少しこの遊歩道を散策します~

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第80回 御陵散策 後編~三条通西から東~その25

79-36-a.jpg
前回ブログの最後の写真
琵琶湖疏水の北側遊歩道を東に歩いています。
今回はこの遊歩道をもう少し散策した後、
地下鉄東西線「御陵」駅に戻ります。
撮影日は、2012年10月11日午後3時。
ここを抜けたら、日差しが強くなりました。


80-2.jpg
先ほどの木々の間を抜けると、急に明るくなってきました。
遊歩道沿いの民家に蔓が絡まり、花が咲いていました。
これは夕顔でしょうか?
この写真はクリックすると、拡大されます。


80-3.jpg
最初の写真から約50m東に進みました。
この辺りは木々にも十分に隙間があって、
周囲もだいぶ明るいですね。
この辺りも、桜並木が疏水沿いに続いています。


80-4.jpg
このブログの最初の写真から、約100m進みました。
(琵琶湖疏水第二トンネルからは約200mです)
目の前に橋がありますが、まだまだ東にこのまま進みます。


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前回ブログで地下鉄東西線「御陵」駅の前にいたときは、
雨が降りそうだったのですが、
ここに来てだいぶ日差しが出てきました。



80-6.jpg
この辺りで南の方を向いて、遠くを撮ってみました。
山科の市街地が一望できます。
それだけここは高いところということですね。


80-7.jpg
さらに少し東に進みました。
右側は桜並木が見えますが、左側はカエデ並木です。
この並木の向こうに、赤い橋が見えます。


80-8.jpg
ところが、この橋は琵琶湖疏水遊歩道の
北側(つまりこちら側)には通じていません。
ここから橋の上に行く道はありません。


80-9.jpg
仕方がないので、ここから橋の上に向かいます。
ここは道ではありません。ただの崖です。
ここからこの崖をよじ登りました。
途中蜘蛛の巣とかあって悲惨でした。


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崖を這い上がって、この道にたどり着きました……
ここからは、普通に歩いて本圀寺に向かいます。


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道中にいらした祠です。
お地蔵さんと思いきや、写真の仏像が祀られていました。


80-12.jpg
祠の前に、ハトが何羽かいました。
とりあえず、写真に撮りました。


80-13.jpg
赤い橋から、約20m進みました。
いよいよ本圀寺の山門です。
こちらは、加藤清正が寄進した門を近年修復したそうです。


80-14.jpg
門をくぐりました。
こちらは、本圀寺の境内です。


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山門をまっすぐに進むと、この人形塚の前に出ます。
ここは、人形供養のお寺として知られています。


80-16.jpg
本圀寺の本堂です。
もともと本圀寺は鎌倉にあって、日蓮の邸宅が寺院になったものです。
光厳天皇(足利尊氏が支持した北朝の天皇)の命で
京都の六条(現在の五条)堀川に移築されました。
(第25回ブログに出てきた堀川警察署周辺です)
その後、室町時代の末期に戦乱で焼失して
江戸時代にここに移転しました。

日蓮自筆の「立正安国論」を収蔵するなど、
国宝も結構あったりするのですが、
どうもこの金ピカは自分の好みではありません。
で、ここはこれくらいにして、もう出ます……


80-17.jpg
では、この赤い門から琵琶湖疏水に向かいます。


80-18.jpg
山門の真下から、写真を撮りました。
先ほどの祠とハトは、こういう配置でした。
(ハトは、ほぼ同じ位置で動きません)


80-19.jpg
先ほど這い上がってきた崖の上に来ました。
今度はこの赤い橋を渡ります。
(さすがに崖を進むのは、もう勘弁です)


80-20.jpg
赤い橋の上から、琵琶湖疏水を東に向きました。
ここを進むと、安祥寺毘沙門堂などがあって
最終的にJR「山科」駅方面に出ます。
(この遊歩道は安祥寺周辺がメインです。
実は、この辺りは遊歩道の端の方です)
そちらに行くのも面白いのですが、
今のところこのブログのメインは三条通です。
そちらに行くのは別の機会として、ここから引き返します。
(来年の春に、この遊歩道を特集します)


80-21.jpg
赤い橋は、渡りきると右(西)に曲がります。
今度は、遊歩道の南側を西に進みます。


80-22.jpg
橋を下りてきました。
琵琶湖疏水の遊歩道の南側を西に進み、
地下鉄東西線「御陵」駅に戻ります。


80-23.jpg
琵琶湖疏水の遊歩道の南側を西に進んでいます。
近所の方が何人か犬を連れて散歩されています。
向こうに、先ほど通り過ぎた橋が見えます。
とりあえず、そちらに向かいます。


80-24.jpg
橋の南詰に来ました。
左(南西)側に、細い道が見えます。
ここで琵琶湖疏水と別れて、この細い道を進みます。


80-25.jpg
こちらが、その細い道です。
では、ここで琵琶湖疏水から別れて
この道を南西に進みます。


80-26.jpg
細い道に入ると、このような看板がありました。
これに従い、三条通へと向かいます。


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先ほどの道をさらに約50m進みました。
右側の竹林は、琵琶湖疏水沿いから続いています。
この辺りから、古い民家が続く住宅街になります。


80-28.jpg
この道はクネクネしていますが、基本的には西へ直進しています。
こういう住宅街の道もいいですね。個人的には大好きです。


80-29.jpg
道の途中にいらしたお地蔵さんです。
「鏡山地蔵尊」という名前があります。
山科のお地蔵さんには、名前や由来がある方が多いのです。


80-30.jpg
「鏡山地蔵尊」の後ろには、小川が流れています。
こちらは旧安祥寺川で、山科川の支流です。
「鏡山地蔵尊」の周囲にカエデの木があります。
紅葉に染まると、絶景でしょうね。


80-31.jpg
「鏡山地蔵尊」から南に曲がりました。
ここは、住宅街のど真ん中です。
右側に大きな段差がありますが、それだけ下ってきました。
緩やかなので、気づきにくいのですが……


80-32.jpg
さらに南に進みました。
琵琶湖疏水から、もう500m位下ってきました。
向こうの高い建物は、三条通にあります。


80-33.jpg
さらに300m位南に進みました。
休耕田の向こうに車道が見えますが、
そこはもう三条通です。


80-34.jpg
さらに、南に約100m進みました。
ようやく三条通が見えてきました。


80-35.jpg
三条通に出て、西に向きました。
向こうに見える地下鉄東西線「御陵」駅の方に進みます。


80-36.jpg
地下鉄東西線「御陵」駅です。結構歩きました。
今回は、このままここから家に帰ります。
続きは、次回ですね……

~次回は、天皇陵に参拝してJR「山科」駅の方に向かいます~

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ジャンル : 地域情報

第81回 天智天皇陵に参拝~三条通西から東~その26

山科盆地の北西部「御陵」(みささぎ)は、
天智天皇陵が中心にある地区です。
本当は、前回ブログで出てきた琵琶湖疏水の遊歩道と
合わせて訪れる所なのですが、
前回は力尽きたので天皇陵は今回となりました。
では、今回は三条通を進みます。


81-1.jpg
このブログ三回目の地下鉄東西線「御陵」駅2番出口です。
今は、三条通を南東に向いています。
今回はこの方向に三条通を進み、天智天皇陵を目指します。
撮影日は、2012年10月20日土曜日午前11時半。
久しぶりの快晴です。


81-2.jpg
地下鉄東西線「御陵」駅2番出口付近に、
このような碑が立っていました。
明治時代に、この辺りから琵琶湖疏水にかけて
レンガ工場がありました。
そのレンガは、琵琶湖疏水の堤などに使われました。


81-3.jpg
では、三条通を南東に進みます。


81-4.jpg
地下鉄東西線「御陵」駅2番出口から、
南東に約50m進みました。
この北に向かう脇道は、前回ブログで通った道です。
左側に、小さな看板があって
ここから琵琶湖疏水の遊歩道に行けることが書いてあります。


81-5.jpg
さらに三条通を南東に約50m進みました。
こちらは、京都山科御陵郵便局です。
土曜日なので、今日は閉まっていました。


81-6.jpg
近くに、このような看板がありました。
だいたい地下鉄東西線「御陵」駅から
JR「山科」駅くらいの間が、「御陵」です。


81-7.jpg
さらに少し三条通を南東に進みました。
この辺りで三条通は少し右にカーブしますが、
基本的には南東の方向は変わりません。


81-8.jpg
郵便局から三条通を南東に約100m進みました。
ここは、「御陵」交差点です。
南側から遊歩道が続きますが、今回は三条通を進みます。


81-9.jpg
御陵交差点付近に、バス停がありました。
どちらも私鉄バスで、この辺りに市バスは通っていません。


81-10.jpg
御陵交差点を通り過ぎると、
JR琵琶湖線(東海道線)の高架が見えてきました。
さらに、三条通を南東に進みます。


81-11.jpg
御陵交差点から南東に約200m進みました。
左(北)側に、大きな緑地が見えてきました。
いよいよ天智天皇陵に近づいてきました。


81-12.jpg
先ほどの写真の地点から、北を向きました。
ここから小さな橋を渡って、参道を進みます。


81-13.jpg
その入り口付近にあった漏刻(日時計)です。
天智天皇が日本で初めて時計を作ったという
「日本書紀」の記述からレプリカが作られました。
この時点で正午だったので、針と影が重なって分かりにくいですね。


81-14.jpg
では、橋を渡って天智天皇陵の参道を進みます。
天皇陵なので、正確に真北に参道が伸びています。


81-15.jpg
この参道は、約200m続きます。
周囲の緑地には、杉が多いのですがカエデも何本かあります。
(紅葉シーズンはきれいでしょうが、春は花粉症が悲惨です)
散歩されている近所の方も多かったのですが、
土曜日ということもあり観光客もたくさんいらっしゃいました。


81-16.jpg
三条通から北に約200m進みました。
参道の右側に、このような看板が立っていました。
矢印に沿って約200m進むと、
前回ブログに出てきた琵琶湖疏水の遊歩道に出ることができます。


81-17.jpg
右側に、先ほどの看板が見えます。
その看板の少し先から、天智天皇陵内部に入れます。


81-18.jpg
天智天皇陵の入り口に、このような看板がありました。
ここから、宮内庁の管轄になるようです。


81-19.jpg
天智天皇陵に入ってすぐに、このような看板がありました。
この看板は緑地の中にあったのですが、
この中に入る人はいるのでしょうか?


81-20.jpg
天智天皇陵には行っても、真北に道は続きます。
ただ、天皇陵に入ると樹木の密度は高くなってきました。


81-21.jpg
この辺りは影が濃いのですが、
もう少し先を見ると日差しが強いところがあります。
いよいよこの道も突き当りになります。


81-22.jpg
北に伸びる道の突き当りは、樹木が途絶えて明るくなります。
では、天智天皇陵に参拝します。



81-23.jpg
天皇陵の片隅に、手水舎がありました。
こちらで、手を清めます。


81-24.jpg
手水舎近くに低木がありました。これは、榊ですね。
この写真はクリックすると、拡大されます。


81-25.jpg
榊の低木から、真北を向いています。これが天智天皇陵です。
形状から考えて、円墳でしょうか?
天智天皇がこの辺りに来た時に行方不明になって、
それを以って崩御されたと考えられているので、
この地に御陵を造営したそうです。
(飛鳥時代の天皇陵が京都市内にあるのはふつう不自然なのですが)


81-26.jpg
天皇陵の脇にこのような碑が立っていました。
地図上は、この碑の位置が天皇陵になります。


81-27.jpg
では、天皇陵への参拝も終わったので
三条通の方に戻ります。


81-28.jpg
樹木が生い茂る道を南に進んでいます。
何名か観光客がこちらにやって来ます。
空も晴れているので、観光日和ですね。


81-29.jpg
宮内庁管轄のところから、参道の方に出てきました。
こうして見ると、約200mにわたる真っ直ぐな道は見事です。
向こうに見える方は、
先ほどからずっとこの辺りをスケッチされていました。


81-30.jpg
天皇陵の参道を南に約200m進みました。
三条通は、すぐそこです。


81-31.jpg
では、この緑地を抜けて三条通の方に向かいます。


81-32.jpg
ようやく三条通に戻ってきました。
ここを左折して、三条通を南東に進みます。


81-33.jpg
天智天皇陵の緑地前から、三条通を南東に向いています。
左側に側溝が見えますが、
これは前回ブログに出てきた旧安祥寺川です。
向こうを見ると、
ちょうどJRの高架に列車がやって来ました。
これからこのまま三条通を南東に進みますが、
それは次回とします。

~次回は、ここからJR「山科」駅へと向かいます~

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
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京都観光に来られる前に、
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「きょうもいろいろ」
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「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
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この度、相互リンクさせて
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☆カテゴリ
これまでの記事を
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記事は順番通り
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「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
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さまざまなお店と
その商品を
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「未分類」
京都を書いては
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他の「道ブログ」とは
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「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
サイトやブログのリンク
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