
かれこれ今月4回目の三条寺町です。
今回ようやく「三条名店街」を抜け、河原町通、高瀬川を越え、
鴨川まで行こうと思います。
撮影日は、2012年8月14日火曜日午後2時10分。
この時点では曇り空でしたが、
3時間前まで大雨洪水警報が出ていました。

三条寺町から、三条通を東に約5m進みました。
いよいよ「三条名店街」に入ってきました。
この商店街も、飲食店や土産物屋、楽器店などが中心で、
市民の生活を支えるお店は全然ありません。完全に繁華街ですね。

先ほどの店から約20m東に進みました。
三条寺町より約50m東に新京極通があります。
ここは三条通から四条通までの短い通りなのですが、
人通りも店の数も寺町通よりもにぎやかです。
京都の繁華街といえば河原町通をイメージされる方が多いですが、
地元的には、この新京極が京都で一番の繁華街です。
ここから見ると、
三条通から約30m南のMOVIX京都(松竹系の映画館)まで
少々急な下り坂なのが分かります。
これは豊臣秀吉が京都を再建したとき、
ここに土塁があった名残です。
(豊臣秀吉は、京都を土塁で囲みました)
つまり、この辺りが京都市街地の最東端でした。

ここは、三条新京極の南東角の店です。
この永楽屋は、凝ったデザインの手拭い屋さんです。
第60回ブログの役行者山の近くにもお店がありました。
手拭いの展示会をしていたところです。

「三条名店街」を東に進んでいきます。
永楽屋の東隣りに、「JEUGIYA」(十字屋)三条本店があります。
1F~3Fでそれぞれのジャンル別にCDが売られています。
本当に何でも売っていて、ベンダビリリのCDを売っているのは
京都ではここだけです。

「JEUGIYA」では、店内の撮影を厳しく制限しています。
この店は、「けいおん!」というアニメに出てくる
楽器店のモデルになっていました。
入り口付近とB1の楽器売り場がそのまま出てきます。
また、そのアニメで出てくる繁華街も
この「三条名店街」と「新京極」の風景をそのまま使っていました。
そのため一時期そのアニメのファンでこの辺りがあふれたのですが、
一方で深刻な迷惑行為が問題にもなっていました。
まぁ、そのアニメも数年前に終わりました。
一時期よりは、だいぶ落ち着いてきました。

「JEUGIYA」の向かい(北側)にリプトンというレストランがあります。
紅茶メーカーのリプトンが経営しています。
その東隣りは、土産物屋の「サラセン」です。
どちらも、自分が生まれる前からここにあります。

「サラセン」から東に数軒行ったところに
「大西京扇子堂」があります。金色の扇子は、金箔仕様ですね。
その東隣りには、ギターの専門店がありました。
実は、その向かいも楽器店です。
この辺に楽器店が増えたのも、「けいおん!」の影響でしょうか?

三条寺町から東に約100mで、「三条名店街」は終わります。
目の前に見えるのは、三条河原町の交差点です。
四条河原町や
第64回ブログで出てきた四条烏丸と並ぶ
京都でもっとも賑やかな場所です。

三条河原町の交差点から、河原町通を北に向いています。
トラックで見えませんが、この先の御池通に
前回ブログで紹介した本能寺の入り口や
地下街「ZEST」さらに京都市役所があります。
三条河原町の北西角に、「廻る寿司 むさし」があります。
ここは息の長い回転寿司屋で、自分もたまに行きます。
ちなみに、「河原町三条」と看板には書いてありますが、
「三条河原町」と同じ場所のことです。
(「四条河原町」を「河原町四条」と呼ぶときもあります)

河原町通の横断歩道を渡り、
三条河原町の交差点から今度は河原町通を南に向いています。
オフィスビル街の烏丸通と違って、
河原町通は飲食店やカラオケ屋・ゲームセンターなど
遊戯施設が集中しています。

三条河原町から三条通を東に向いています。
道幅が、4車線になりました。
ずっと先に東山が見えますが、最終的にはあの山も越えていきます。
(三条通は、本当に長いです)

三条河原町から東に約5m進みました。
こちらは、「進々堂」というパン屋の支店です。
ここの本店が、個人的に勝手に選んだ
「京都三大パン屋」のうちの1軒です。
後の2軒は、第25回ブログに出てきた「まるき製パン」と
第56回ブログに出てきた「天狗堂海野製パン」です。
また、ここの喫茶スペースは朝食がなかなか絶品です。

「進々堂」の東隣りに、「MEIDI-YA」(明治屋)があります。
輸入食料品店ですね。(本店は東京)
中華料理食材は、ある程度ここで買い求めています。

さらにその東隣は「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」という居酒屋です。
「池田屋」と聞いて、ピンときた人も多いでしょうが……

ここは新撰組と長州藩士らが戦った「池田屋事件」跡地です。
(当時は、西隣の「MEIDI-YA」も池田屋の敷地でした)
「池田屋事件」は、1864年7月(江戸時代末期)に
祇園祭のどさくさで京都を焼き払おうとした長州藩士を
新撰組が急襲して壊滅させた事件です。
当時ここは、「池田屋」という旅館でした。

はなの舞(池田屋)の向かい(南側)に、寛永堂があります。
丹波黒豆を使った和菓子屋です。
毎年盂蘭盆会と彼岸の際、ここで供え物を買うようにしています。
撮影日の翌日に墓参りをするので、買って帰りました。

こちらは寛永堂で買って、仏壇に供えたほうの「おさがり」です。
丹波大納言(黒豆)のきんつばです。
あっさりした甘さが、ここの特徴です。
実は、お茶も寛永堂で買いました。「黒豆茶」といいます。
炒った黒豆を煎じて飲みます。
お茶を飲んだ後、器の中の黒豆も食べられます。

はなの舞(池田屋)の前から、三条通を東に向きました。
すぐそこに、高瀬川が見えます。
池田屋事件の際、長州藩士桂小五郎は
池田屋の屋根から高瀬川に飛び込んで
新撰組から逃げ切ったのですが、
これを見ればその距離感が分かります。

三条通から高瀬川を北に向いています。
この辺りは、河岸を利用したお店が並びます。
ここはピッツァがおいしいイタリア料理店です。

高瀬川を渡ったところに、記念碑が立っていました。
ここより約100m北で、
佐久間象山と大村益次郎が暗殺されています。
とはいっても、その年代はだいぶ違います。
(江戸時代末期と明治時代です)

高瀬川の東岸に木屋町通があります。
三条通から四条通にかけて、居酒屋や飲み屋が集中します。
「京都で安くお酒を飲める場所」ですね。

木屋町通から、三条通を東に約10m進みました。
南側に、「タカセビル」があります。

こちらのビルの6Fに、「京はやしや」があります。
宇治茶や世界中のお茶を出す店ですが、
「抹茶スイーツ発祥の店」として有名です。
こちらの方に、寄っていきます。

最初に書いたとおり、直前まで大雨洪水警報が発令されていました。
実は、近くを通る京阪電鉄が昼過ぎまで不通でした。
ですから、いつも満員のこの店にすぐに入ることができました。
いろいろ迷って、茶そばとお茶のご飯を注文しました。
ご飯はお茶で炊いています。
刻んだ生茶葉をふりかけに使っているのが面白いですね。

次はいつ入れるかわからないので、(通常は超満員の店なので)
多少無理して追加注文しました。
馬拉糕(黒砂糖を使った中国カステラ)と白毫銀針を頼みました。
ここは、飲茶も出してくれます。

白毫銀針のような白茶は、このような形で出てきます。
これは蓋椀(かいわん)という中国茶器で、
湯呑というより急須に近いものです。

蓋椀の中は、このように茶葉にお湯が注がれた状態になっています。
白茶は、緑茶とは全く違う品種の木の葉です。
葉の形状がぜんぜん違います。(針のように細いですね)

お茶を飲むときは、蓋椀のふたをずらしこのように別の器に注ぎます。
撮影用に片手ですが、両手でした方がいいです。

では、いただきます。
白毫銀針は「白茶」の一種ですが、黄色いお茶です。
あっさりとしていて体温を下げる効果もあるので、
「夏のお茶」のイメージが強いです。
ただ、周囲は皆抹茶スイーツを注文していました。
自分のように中国茶を頼むのは、少数派になってしまいました。
(元常連としては寂しいです)

「京はやしや」を出て、
タカセビルの前から三条通を東に向いています。
目の前を鴨川が流れていて、
その先に京阪電鉄の「三条」駅と駅ビルが見えます。

タカセビルから三条通を東に約20m進みました。
北側に、「船はしや」という老舗の和菓子屋があります。
あられや京都名物の五色豆を売っています。
西隣は、ほうきと束子(たわし)の専門店です。

「船はしや」の店頭に、ツバメの巣がありました。
ここから見る限り、雛は3羽でしょうか?

「船はしや」の前から南に向いています。
鴨川の西岸に南へ進む道があります。
この辺りから、鴨川の川原に降りることができます。
ただ、この時期に降りたらカップルがたくさんいらして、
移動することも難しい状況です。
この道をずっと進むと、最終的に先斗町(ぽんとちょう)に出ます。
祇園と宮川町に並ぶ「花街」の一つです。

いよいよ「三条大橋」の西詰めに来ました。
鴨川を渡ると東山区に入り、繁華街も終わります。
ただ、そちらに行くのは次回とします。
~次回は、三条大橋を越えて東大路通を目指します~
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