第73回 金地院の亀~蹴上散策~その1
三条通をずっと東に進み、とうとう蹴上まで来ました。
ここまで来たならと、南禅寺や無鄰菴に寄ることにしたのですが……
この辺は見所がありすぎて、とても一回では収まり切りません。
ですから、ここから数回は「蹴上散策」として
三条通編の番外編にしようと思います。
……何しろ、今回は駅から徒歩5分の
南禅寺の門までたどり着いていません。

地下鉄東西線の「蹴上」駅です。
東西線のホームはこのように線路と遮断されており、
まるで細長い部屋のようです。
撮影日は2012年9月9日日曜日午後1時。
取材中は、ずっと曇り空でした。(その後、夕立が降りました)

地下鉄がホームに停車すると、
前の写真の青い扉が地下鉄の扉と連動して開きます。
これで事故を防いでいます。

「蹴上」駅のホームから改札へと向かうエスカレーターです。
左側は普通のエスカレーターですが、
右側の下りエスカレーターは直接ホームに続いているため、
地面の奥底に向かうと思うほど、とても長くなります。

約10日ぶりの地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口です。
この日は日曜日ということもあって、
たくさんの方が乗降されていました。

地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、
三条通を北西に向きました。「蹴上」交差点方向です。
今からここを進みます。前回ブログの道を少し逆行します。

この辺りの三条通は、インクラインに沿うように進みます。
地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、約100m進みました。
まだ「蹴上」交差点には、たどり着いていません。
ここは、「ねじりんぼ」というレンガ製のトンネルです。
ここから、インクラインの下をくぐれるようになっています。
頭上には、「雄観奇想」と書かれた看板があります。
これは、琵琶湖疏水を企画した北垣国道京都府知事の言葉で
「優れた眺めと素晴らしい考え」という意味です。

ここは、「ねじりんぼ」の中です。
アーチ状のトンネルの中は、レンガが敷き詰められています。
ここから三条通を外れて、「ねじりんぼ」を通り抜けます。

「ねじりんぼ」の向こう側は、このようになっています。
ここで「東山区粟田口」から「左京区南禅寺」になります。
北東に自動車がやっと一台通れる道が続いています。
周囲は、明治時代初期から政財界の別荘地となっています。
今からこの道を進みます。

「ねじりんぼ」から60mほど進みました。
ここは、「智水庵」という別荘です。
ここには琵琶湖疏水から引いた水を利用した
近代を代表する日本庭園があるのですが、残念ながら非公開です。
まぁ、個人宅ですからねぇ。

「智水庵」の向かいにある別荘には、百日紅の大きな木がありました。
ちょうど白い花をつけていました。
この写真はクリックすると、拡大されます。

百日紅のある別荘は、生け垣の向こうからカエデの木も伸びています。
11月には、さぞかし絶景になるでしょう。
ただ、この辺りは9月上旬でも葉が染まっています。

「ねじりんぼ」から続く道の突き当りに、
百日紅やカエデの木がある別荘の入り口がありました。
ここは、「何有荘」(かいうそう)という別荘です。
個人宅なので、ここも非公開です。
実は、「智水庵」と「何有荘」はどちらも小川治兵衛の代表作です。
小川治兵衛は、近代以降屈指の庭師です。
平安神宮と円山公園の造営が有名です。
また琵琶湖疏水を利用して、この辺の別荘の多くを造営しました。
中でも、山県有朋の別荘である「無鄰菴」が最も有名です。

「何有荘」の入り口から、この道は真北に伸びています。
今度は、ここを進みます。

「何有荘」から北に約20m進みました。
ここも別荘の一つ「大寧軒」です。やはり、非公開です。

さらに20mほど北に進みました。
ここは、東照宮の山門です。金地院の末社の一つです。
(金地院自体、南禅寺の末寺なのですが)
ここにも寄る予定ですが、ここからは入れません。
金地院の方から回ります。
この写真はクリックすると、拡大されます。

これは、金地院の土塀の上にある瓦です。
金地院は江戸時代初期に徳川氏の庇護を受け、
絶大な権力を握りました。
そのこともあって、一瞬徳川家の「三つ葉葵」に見えたのですが、
この家紋は微妙に違うようです。

「何有荘」の角から、約100m北に進みました。
西側に、金地院の門が見えます。
もともと金地院は、足利義持の命で北山に建てられました。
(足利義持は室町幕府4代将軍で、足利義満の息子です)
安土桃山時代に南禅寺の末寺となり、ここに移ってきました。
江戸時代初期に、ここの住職の崇伝が幕府の参謀となり、
「寺大名」と呼ばれるほどの絶大な権力を握りました。
(金地院崇伝は、1615年に武家諸法度を作成した人物です)
では、今からここに入っていきます。

門を入ったところで、パンフレットとチケットを買いました。
長谷川等伯の襖絵を見ると1100円しますが、
今回は庭園だけ見るので500円だけ払いました。

では、こちらから庭園に入っていきます。
東照宮も、この庭園の端にあります。

庭園に入ると、大きなハスの池がありました。
その周囲には、カエデの木々が並んでいます。
ただ、9月上旬はハスの花は終わっていて、
カエデに時期には早すぎます……
この写真は、クリックすると拡大されます。

池を眺めていると、
大きな鯉と小さな亀が口を開けてやって来ました。
どうやら餌を欲しがっているようです。

その様子を大きな亀が眺めています。
甲羅干しているようにも見えます。

池の周りを東照宮の方に向かって歩いています。
池の周りには、カエデ以外にも松などが植えられています。
その下にスギゴケが生えています。
禅寺独特のこの雰囲気が好きです。

金地院の庭の端まで来ました。
目の前に東照宮の門が見えてきました。
先ほどのちょうど裏側になります。先に、東照宮の方を回ります。

門の横に、手水舎がありました。こちらで、手を清めます。

ここを右折して(ほぼ西に向かいます)少し坂を上ります。
鳥居をくぐり、神社の中に入っていきます。

いよいよ東照宮に入っていきます。
ここは小規模ですが、日光と同じ「権現造」です。

東照宮の本殿です。徳川家康の遺髪と念持仏がご神体です。
ここは徳川家康の遺言によって、金地院崇伝が建立しました。
中に見えるのは、三十六歌仙の歌がかかれた絵ですね。
ここも、写真をクリックすれば拡大できます。

本殿の脇にこのようなものがありました。
徳川家康が子孫にあてた遺言というか、家訓のようなものです。

では、東照宮を出て金地院の庭園に戻ります。

東照宮の参道に、白い花が咲いていました。
葉の形や大きさから萩だと思います。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

金地院の庭園に戻ってきました。
池の反対側は、このようになっています。
土塀の向こうは、先ほど歩いてきた道になります。

金地院の庭園の入り口まで戻っていました。
ここを右に曲がれば、外に出られます。
その前にここを直進し、目の前の方丈に向かいます。

方丈の中には入れるのですが、撮影不可なので写真はありません。
(庫裏まで行くと、長谷川等伯の襖絵が見られます)
方丈の縁側に腰掛けて、枯山水の庭園を写しました。
右側の巨石は鶴島と呼ばれています。
本当は左側にも亀島があるのですが、フレームから外れています。
この写真もクリックすると、拡大できます。

また、庭園の入り口に戻ってきました。
このまま直進すると、東照宮にたどり着きます。
今度は左に曲がり、外に出ます。

金地院から外に出ました。「何有荘」から続く北に伸びる道です。
金地院から北を向くと、三門が見えます。今からここをくぐります。

山門をくぐり反対側を振り返りました。ここは金地院の三門でした。
三門の向こうの道を南から来たことになります。
ここで東を向くと……

目の前に、南禅寺の通用門が見えます。
やっとここまで来ましたが、この先は次回とします。
~次回は南禅寺の山門に上った後、水路閣周辺に行きます~
ここまで来たならと、南禅寺や無鄰菴に寄ることにしたのですが……
この辺は見所がありすぎて、とても一回では収まり切りません。
ですから、ここから数回は「蹴上散策」として
三条通編の番外編にしようと思います。
……何しろ、今回は駅から徒歩5分の
南禅寺の門までたどり着いていません。

地下鉄東西線の「蹴上」駅です。
東西線のホームはこのように線路と遮断されており、
まるで細長い部屋のようです。
撮影日は2012年9月9日日曜日午後1時。
取材中は、ずっと曇り空でした。(その後、夕立が降りました)

地下鉄がホームに停車すると、
前の写真の青い扉が地下鉄の扉と連動して開きます。
これで事故を防いでいます。

「蹴上」駅のホームから改札へと向かうエスカレーターです。
左側は普通のエスカレーターですが、
右側の下りエスカレーターは直接ホームに続いているため、
地面の奥底に向かうと思うほど、とても長くなります。

約10日ぶりの地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口です。
この日は日曜日ということもあって、
たくさんの方が乗降されていました。

地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、
三条通を北西に向きました。「蹴上」交差点方向です。
今からここを進みます。前回ブログの道を少し逆行します。

この辺りの三条通は、インクラインに沿うように進みます。
地下鉄東西線「蹴上」駅1番出口から、約100m進みました。
まだ「蹴上」交差点には、たどり着いていません。
ここは、「ねじりんぼ」というレンガ製のトンネルです。
ここから、インクラインの下をくぐれるようになっています。
頭上には、「雄観奇想」と書かれた看板があります。
これは、琵琶湖疏水を企画した北垣国道京都府知事の言葉で
「優れた眺めと素晴らしい考え」という意味です。

ここは、「ねじりんぼ」の中です。
アーチ状のトンネルの中は、レンガが敷き詰められています。
ここから三条通を外れて、「ねじりんぼ」を通り抜けます。

「ねじりんぼ」の向こう側は、このようになっています。
ここで「東山区粟田口」から「左京区南禅寺」になります。
北東に自動車がやっと一台通れる道が続いています。
周囲は、明治時代初期から政財界の別荘地となっています。
今からこの道を進みます。

「ねじりんぼ」から60mほど進みました。
ここは、「智水庵」という別荘です。
ここには琵琶湖疏水から引いた水を利用した
近代を代表する日本庭園があるのですが、残念ながら非公開です。
まぁ、個人宅ですからねぇ。

「智水庵」の向かいにある別荘には、百日紅の大きな木がありました。
ちょうど白い花をつけていました。
この写真はクリックすると、拡大されます。

百日紅のある別荘は、生け垣の向こうからカエデの木も伸びています。
11月には、さぞかし絶景になるでしょう。
ただ、この辺りは9月上旬でも葉が染まっています。

「ねじりんぼ」から続く道の突き当りに、
百日紅やカエデの木がある別荘の入り口がありました。
ここは、「何有荘」(かいうそう)という別荘です。
個人宅なので、ここも非公開です。
実は、「智水庵」と「何有荘」はどちらも小川治兵衛の代表作です。
小川治兵衛は、近代以降屈指の庭師です。
平安神宮と円山公園の造営が有名です。
また琵琶湖疏水を利用して、この辺の別荘の多くを造営しました。
中でも、山県有朋の別荘である「無鄰菴」が最も有名です。

「何有荘」の入り口から、この道は真北に伸びています。
今度は、ここを進みます。

「何有荘」から北に約20m進みました。
ここも別荘の一つ「大寧軒」です。やはり、非公開です。

さらに20mほど北に進みました。
ここは、東照宮の山門です。金地院の末社の一つです。
(金地院自体、南禅寺の末寺なのですが)
ここにも寄る予定ですが、ここからは入れません。
金地院の方から回ります。
この写真はクリックすると、拡大されます。

これは、金地院の土塀の上にある瓦です。
金地院は江戸時代初期に徳川氏の庇護を受け、
絶大な権力を握りました。
そのこともあって、一瞬徳川家の「三つ葉葵」に見えたのですが、
この家紋は微妙に違うようです。

「何有荘」の角から、約100m北に進みました。
西側に、金地院の門が見えます。
もともと金地院は、足利義持の命で北山に建てられました。
(足利義持は室町幕府4代将軍で、足利義満の息子です)
安土桃山時代に南禅寺の末寺となり、ここに移ってきました。
江戸時代初期に、ここの住職の崇伝が幕府の参謀となり、
「寺大名」と呼ばれるほどの絶大な権力を握りました。
(金地院崇伝は、1615年に武家諸法度を作成した人物です)
では、今からここに入っていきます。

門を入ったところで、パンフレットとチケットを買いました。
長谷川等伯の襖絵を見ると1100円しますが、
今回は庭園だけ見るので500円だけ払いました。

では、こちらから庭園に入っていきます。
東照宮も、この庭園の端にあります。

庭園に入ると、大きなハスの池がありました。
その周囲には、カエデの木々が並んでいます。
ただ、9月上旬はハスの花は終わっていて、
カエデに時期には早すぎます……
この写真は、クリックすると拡大されます。

池を眺めていると、
大きな鯉と小さな亀が口を開けてやって来ました。
どうやら餌を欲しがっているようです。

その様子を大きな亀が眺めています。
甲羅干しているようにも見えます。

池の周りを東照宮の方に向かって歩いています。
池の周りには、カエデ以外にも松などが植えられています。
その下にスギゴケが生えています。
禅寺独特のこの雰囲気が好きです。

金地院の庭の端まで来ました。
目の前に東照宮の門が見えてきました。
先ほどのちょうど裏側になります。先に、東照宮の方を回ります。

門の横に、手水舎がありました。こちらで、手を清めます。

ここを右折して(ほぼ西に向かいます)少し坂を上ります。
鳥居をくぐり、神社の中に入っていきます。

いよいよ東照宮に入っていきます。
ここは小規模ですが、日光と同じ「権現造」です。

東照宮の本殿です。徳川家康の遺髪と念持仏がご神体です。
ここは徳川家康の遺言によって、金地院崇伝が建立しました。
中に見えるのは、三十六歌仙の歌がかかれた絵ですね。
ここも、写真をクリックすれば拡大できます。

本殿の脇にこのようなものがありました。
徳川家康が子孫にあてた遺言というか、家訓のようなものです。

では、東照宮を出て金地院の庭園に戻ります。

東照宮の参道に、白い花が咲いていました。
葉の形や大きさから萩だと思います。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

金地院の庭園に戻ってきました。
池の反対側は、このようになっています。
土塀の向こうは、先ほど歩いてきた道になります。

金地院の庭園の入り口まで戻っていました。
ここを右に曲がれば、外に出られます。
その前にここを直進し、目の前の方丈に向かいます。

方丈の中には入れるのですが、撮影不可なので写真はありません。
(庫裏まで行くと、長谷川等伯の襖絵が見られます)
方丈の縁側に腰掛けて、枯山水の庭園を写しました。
右側の巨石は鶴島と呼ばれています。
本当は左側にも亀島があるのですが、フレームから外れています。
この写真もクリックすると、拡大できます。

また、庭園の入り口に戻ってきました。
このまま直進すると、東照宮にたどり着きます。
今度は左に曲がり、外に出ます。

金地院から外に出ました。「何有荘」から続く北に伸びる道です。
金地院から北を向くと、三門が見えます。今からここをくぐります。

山門をくぐり反対側を振り返りました。ここは金地院の三門でした。
三門の向こうの道を南から来たことになります。
ここで東を向くと……

目の前に、南禅寺の通用門が見えます。
やっとここまで来ましたが、この先は次回とします。
~次回は南禅寺の山門に上った後、水路閣周辺に行きます~
スポンサーサイト