前回ブログで、2019年の「10日ゑびす」も終わりました。
今のところ特にどこかの道を特集しておらず、
2019年の節分までちょっと日が空いています。
そこで「困ったときの『京都冬の旅』」ということで、
JRの駅に設置されたパフレットを眺めつつ、
次の取材先を決めました。
今回訪れた寺院は普段非公開なのですが、
実は前から中に入りたかったところでした。

こちらは、地下鉄烏丸線「今出川」駅です。
今回はこちらから烏丸通を北上して、慈照院に向かいます。
撮影日は、2019年1月24日木曜日午後2時半。
今回は、
第193回ブログのルートを逆行します。

今まで乗っていた地下鉄の車両が、北大路方面に去っていきます。
よく見ると、私鉄の近鉄電車の車両ですね。
(近鉄は、京都市営地下鉄に乗り入れています)
では駅ホームを向こう(北)側に進み、エレベーターに乗ります。

駅ホームから、コンコース階に上ってきました。
この先(北側)に、地下鉄烏丸線「今出川」駅改札口があります。
さらにその先(北側)に、コンビニエンスストアがあります。
地下鉄烏丸線「今出川」駅には、南北に改札口があります。
南側改札口は「今出川烏丸」交差点地下にあって、
京都御苑に行かれる方々が多く利用されています。
一方こちらの北側改札口は南側より約200m北にあって、
同志社大学の学生などが利用しています。
ですから、こちら側は学生向けにこういうお店があるのでしょうね。

そのコンビニエンスストアの前で、東に向きました。
目の前に、同志社大学今出川キャンパスの入り口があります。
同志社大学の学生や職員は、こちらを利用されているようです。
ただ、さらに手前に右(南)側に上る階段があります。
同志社大学の学生ではない自分は、ここを上り地上に向かいます。

その石段は結構長くて、約50m南へ上り続けます。
その石段を上りきったところで、右(西)を向きました。
こちらは、地下鉄烏丸線「今出川」駅1番出口です。
向こう(西)側の烏丸通越しに、
第195回ブログで訪れた臨済宗相国寺派大聖寺が見えます。
では、こちらから目の前の烏丸通に出ます。

地下鉄「今出川」駅1番出口から、烏丸通を南に向いています。
左(西)側に、同志社大学今出川キャンパスの正門が見えます。
この辺りは、江戸時代は薩摩藩の藩邸でした。
約150m南に「今出川烏丸」交差点があり、
さらにその南側が京都御苑です。
(薩摩藩邸と京都御苑が隣接しているのが、ポイントです)

今度は同じ位置で、烏丸通を北に向きました。
烏丸通の両側に、赤茶色のレンガでできた建物が並びます。
これらは全て、同志社大学の校舎です。
赤茶色のレンガは、建築家
ヴォーリーズの影響でしょう。
(ヴォーリーズはキリスト教系の大学建築を行っており、
同志社大学構内に多くの遺構があります)
では、こちらを北上します。

地下鉄烏丸線「今出川」駅1番出口から、
烏丸通を約100m北上しました。
ここで烏丸通は、上立売通と交差します。

烏丸通から、上立売通を東に向いています。
約50m先に臨済宗相国寺派本山相国寺西門が見えますが、
上立売通はこの相国寺境内を貫いています。
(上立売通の詳細は、
第471回ブログ参照)
今回の目的地慈照院は相国寺の塔頭寺院ですが、
相国寺境内にはありません。
ですから、ここから相国寺には入りません。

烏丸通から、上立売通を東に約30m進みました。
こちらに、Papa Jon'sがあります。
京都随一のチーズケーキ専門店ですね。
慈照院に行く前に、ちょっと寄り道します。

入店後に約10分待って、こちらが来ました。
自分は、チーズケーキにはコーヒーを頼みます。
(昔戴いたとき、この組み合わせが美味しかったからです)
いつもはスタンダードなチーズケーキを頼みますが、
今回は「日替わりケーキ」と書かれたこちらを注文しました。

こちらがその「日替わりケーキ」のマーブルチーズケーキです。
ケーキの白い部分が濃厚なチーズケーキで、
黒い部分は濃いめの少し苦いコーヒー味がしました。
「チーズケーキにコーヒーが一番合う」という持論の自分には、
この味わいは極上の取り合わせでした。
これからは、ここでチーズケーキを頼むときは
こちらに宗旨替えしようと思います。

Papa Jon'sには、約30分いました。
「上立売烏丸」交差点に戻り、烏丸通を北に向いています。
右(東)側に
ヤオイソの支店があります。
その先に、「なか卯」と中華料理店が並びます。
こちらの「なか卯」は、自分が学生時代からありました。

その中華料理店の前で、烏丸通を北に向きました。
ここから北は、暫く住宅街が続きます。
次は、約200m先に見える歩道橋の辺りまで進みます。

「上立売烏丸」交差点から、烏丸通を約200m北上しました。
右(東)側に同志社大学烏丸キャンパスが見えますが、
歩道の左(西)側に銀杏、右(東)側に桜並木が続きます。
そして歩道橋の近くで、左(西)に寺之内通が伸びています。

「寺之内烏丸」交差点南西角に、京都市立室町小学校があります。
下校時間が近いので、校門を撮らないようにしました。
こちらは普通の公立小学校なのですが、
やたらと校舎が立派なのでいつも見惚れています。

歩道橋の真下から、烏丸通を北に向いています。
この先で、烏丸通は寺之内通と交差します。

烏丸通(烏丸寺之内交番前)から、寺之内通を西に向きました。
この真裏(東)の交番で訊いたことがあるのですが、
この寺之内通が鞍馬口通と今出川通とのちょうど中間地点です。
烏丸通~堀川通間の寺之内通沿いには日蓮宗の本山が建ち並び、
そのどれもが「桜の名所」として知られています。

寺之内通から、烏丸通を北に向いています。
また、この辺りの烏丸通は住宅地に戻ります。
次は、向こう(北)に見える藪に向かいます。

寺之内通から、烏丸通を約50m北上しました。
右(東)側に、京都市立烏丸中学校が見えますね。
さらに約50m先に交差点がありますが、
たった400mの長さなので、この道に名前はありません。

こちらが、その交差点です。
その交差点の向こう(北)側には、白壁が見えます。
そちらが、今回目的地の慈照院です。
では、そちらに向かっていきます。

烏丸通から、その道を東に向いています。
左(北)側は、慈照院の白壁です。
では、こちらに沿ってここを進みます。

烏丸通からその道を東に約60m進み、北を向きました。
右手の立て札から、この北に慈照院があることが分かりますね。

先程の位置から約20m北上し、左(西)を向きました。
こちらは、慈照院の墓地です。
とは言え慈照院の墓地に納骨されるのは、
天皇家との血縁でもある桂宮家の方々のみです。
江戸時代初めに慈照院は桂宮家と縁を結び、
以来慈照院は桂宮家の菩提寺になりました。

同じ位置で、東に向きました。
こちらは、慈雲院にある桂宮家の墓地です。
(ここからでも、墓石が見えています)

それらの墓地の前で、北を向きました。
左(西)側に、臨済宗相国寺派慈照院の入り口が見えます。
そして、正面(北側)院に臨済宗相国寺派慈雲院があります。

先程の位置から、そのまま北上しました。
では、先に慈雲院の方から入っていきます。

慈雲院に入ってすぐ右(東)側に、こちらの保育園があります。
慈雲院には保育園や養護老人ホームなどの福祉施設に、
積極的なイメージがあります。

こちらが、慈雲院の庫裏です。
慈雲院は非公開寺院のため、ここから先には入れません。
ただ、こちらの桜並木はなかなかの絶景です。
臨済宗相国寺派慈雲院は、1450年ごろ
瑞渓周鳳が建立しました。
また、江戸時代にこちらからも多くの
碩学を輩出しております。

慈雲院を出て、西を向きました。
今度は、こちらの慈照院に入ります。
通常は非公開寺院なのですが、今回は特別公開中です。

慈照院に入ってきました。石庭が、見事ですね。
目の前の庫裏自体には入れませんが、
左(南)側の臨時の受付から中に入れます。

受付の方にブログ掲載の許可を撮った後、
写真撮影の限界について尋ねました。
仏像などはもちろん屋内の全てが撮影不可なのですが、
屋内から外を見た様子(庭園など)は撮影可能だそうです。
では、こちらから慈照院内部に入ります。

こちらは慈照院に入ってすぐ、本堂前の庭園です。
本堂には、足利義政と歴代桂宮家の位牌がおられます。
臨済宗相国寺派慈照院は、1405年に在中中淹が建立しました。
元々は大徳院という寺院でしたが、
1490年に
足利義政が死去した際この寺院に葬られました。
足利義政の法号(戒名)が「慈照院」だったため、
その際こちらの寺院も「慈照院」と改称されました。
また、相国寺や「花の御所」などこの辺りの室町幕府主要施設は
応仁の乱で焼失し、その後この辺りは荒廃しました。
ですからこちらは江戸時代に尾張徳川家や桂宮家の援助で再興し、
その関連施設が境内のあちこちに残ります。

本堂前の庭園を角度を変えて撮りました。
目の前に大きな松が植えてありますが、
こちらは大きな船に見立てて「陸船の松」と呼ばれております。
本堂のご本尊(千手観音菩薩像)の脇に、2幅の屏風がありました。
1幅は古代中国の伝説の皇帝
堯が舜に禅譲した場面でしたが、
もう1幅は皇帝が学問所に訪れた場面が描かれていました。
江戸時代に学問所でもあったこちらが
このような絵を残すことは政治的意図を感じたのですが……

本堂の北側に、さらにお堂があります。
こちらは、そのお堂の前の坪庭です。
そのお堂には、
朝鮮通信使関連の資料が展示されていました。
江戸時代の京都五山には独自の学問所があり、
そちらで学んだ方々が
碩学と呼ばれました。
そして、相国寺の碩学の多くがこの慈照院の僧侶でした。
また碩学は江戸幕府の要請で、朝鮮通信使との仲介を行いました。
かつては慈照院の僧侶も、多くが対馬に出張されたりしていました。
そのため朝鮮国からの贈り物がこちらには多く残されており、
そういったものがこちらに展示されていました。

慈照院散策中にトイレに行きたくなりまして、
こちらはそのトイレ前の坪庭です。
なかなか品のある庭ですね。
このトイレの北側に、慈照院の宝物殿があります。
こちらには歴代住持の肖像画と
その住持に朝鮮国から送られた手紙が残されていました。
当時の日本人はハングルが読めないので、
漢文で書かれていました。

先程のトイレの脇に、茶室がありました。
周囲の学芸員に尋ねたところ撮影可能だそうで、
それでこちらを撮影しました。

慈照院の庫裏前に戻ってきました。
受付に戻ると、もう閉まっていました。
午後4時で受付が終了します。

これで、一通り慈照院を参拝しました。
では、こちらを出ます。

慈照院を出て南を向きました。向こうに先程の道が見えます。
ここから帰るわけですが、そちらでもだいぶ写真を撮りました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、相国寺経由で帰宅します~
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テーマ : 京都道案内
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