第151回 路地裏の六波羅蜜寺~六原散策~その1

3日ぶりの森下町通(本町通)最北端です。
せっかくこの六原に来たので、
今回から数回にわたってこの辺りの「お寺巡り」をします。
先ずは、ここのすぐ東にある六波羅蜜寺に向かいます。
撮影日は、2013年9月5日木曜日午後2時。
ここ数日雨模様でしたが、この日だけは晴れました。

森下町通(本町通)最北端から、六波羅裏門通を西に向きました。
ここは2車線の通りですが、すぐ先の川端通で突き当ります。
そのため、川端通から自動車がたくさん流れてきます。

今度は、六波羅裏門通を東に向きました。
車道上ではちょうど下水道工事をしていました。
角にある八百屋さんは、スイカなどいろいろな果物が並んでいました。

森下町通から、六波羅裏門通を東に約50m進みました。
大黒町通との角に、銭湯がありました。
ただ、この時間帯ではまだ開いていません。

大黒町通との南東角に、近所の時計屋さんの古い看板がります。
その横に、住所を表す細長い看板もあります。
だいぶ読みにくくなっていますが、
「東山区 大黒町通松原1丁下る大黒町」
と書いてあります。

大黒町通から、六波羅裏門通を東に向いています。
すぐ先に見えるのは、大和大路通です。
豊国神社や方広寺・建仁寺・ゑびす神社などがあった通りです。

大和大路通へ行く途中に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらには、「天道大日如来」と書いてあります。

大和大路との北西角に、このような標識が出ていました。
六波羅蜜寺まで、もうすぐです。

大和大路通から、六波羅裏門通を東に向いています。
この辺りから、この道は蛇行し上り坂になります。
石垣の上の建設中の施設は、六波羅蜜寺の南隣になります。

その石垣の下まで来ました。
こちらは、その辺りの民家の植木です。
小さいながらも、見事なカエデです。
秋になると、きれいな紅葉になるのでしょうね。

その植木とは、道路を挟んで南向かいになります。
こちらは、近くにあった京都市立六原小学校の
補導委員会による標語です。
下半分が、近所の商店の宣伝になっているのが面白いですね。

その標語の辺りで、六波羅裏門通はまた真東に伸びていきます。
すぐ先で、六波羅裏門通が突き当たっているように見えますが、
実は道幅が半分になってまだまだ続いています。
とりあえず、その突き当りに見える辺りまで進みます。

一見突き当りに見える辺りまで来ました。
ここで細い南北の道と交差しているのですが、
その左(北)側に、六波羅蜜寺の看板が見えます。

六波羅裏門通は、このように細くなってまだまだ東に伸びています。
右(南)側に見えるのは、京都市立開睛中学校です。
元は、京都市立洛東中学校と言いました。
(元広島東洋カープの衣笠祥雄氏の出身校です)

先ほどの地点で、南を向きました。
こちらが、京都市立開睛中学校の校舎です。
まだ授業中のようでだれも出てきません。
実は、近年京都市立六原小学校がなくなって
ここに併合されています。

また同じ地点で、今度は北を向きました。
すぐ先にのぼりが見えますが、その辺りから六波羅蜜寺です。

先ほどの地点から北に30mほど進んで、西に向きました。
ここから六波羅蜜寺に入っていきます。
先ずは、目の前の弁財天の祠にお参りです。

弁財天の祠の南側に寺務所があって、600円払って中に入ります。
宝物殿に入らない限り、拝観料は発生しません。
ただ、ここの宝物殿は三十三間堂と並ぶ
木製彫刻のまさに「宝庫」です。
自分は、知人にお勧め寺院を聞かれた際は
いつでも三十三間堂とここを推薦しています。

では、六波羅蜜寺境内に入っていきます。
その前に、十一面観世音の横にあるマニ車を3回回しましょう。

こちらは、マニ車の横にある手水舎です。
左側の白い石はカエルの石像で、
拝むと「無事帰る」功徳があるそうです。
鉄柵の向こうは、先ほどの道です。
ここは、外からでもよく見えます。

手水舎のすぐ北側に、このような碑が立っていました。
この辺りは、平安時代末期には平氏の邸宅がたくさんありました。
鎌倉時代にそれらは取り壊され、
跡地には鎌倉幕府が「六波羅探題」を建て朝廷を監視しました。

さらに北にずれていきます。本堂とは反対の方を向いています。
松が見事ですね。ここは小さいながらも庭園です。

六波羅蜜寺の最北端に、小さなお堂があります。
(これ以上近づくと、撮影不可になります)
中には水掛不動や水掛地蔵、水掛観音などがいらっしゃいます。

こちらが、六波羅蜜寺の本堂です。
30円払うと、ここに線香を立てられます。
六波羅蜜寺は、現在は真言宗智山派の寺院です。
(本山は、智積院です)
本尊は、十一面観世音です。(ちなみに、国宝です)
ただ、開山当初の951年は浄土教の寺院でした。
(浄土宗とは別宗派です。平等院などが有名です)
最も栄えたのは平安時代で、空也上人がいたころです。
その後何度か焼失しましたが、
中の仏像などはここの僧侶が身を挺して守り続けたため、
大半が現存します。

本堂の裏手に、宝物殿があります。
撮影不可なので、表にあるパネルを撮りました。
宝物殿自体は10畳ほどしかないのですが、
そこに仏像や木像が所狭しと並んでいます。
特に人物彫刻が秀逸で、この寺院所縁の空也上人のほか
平清盛・運慶・湛慶(三十三間堂千体観音像復興の責任者)は、
中学校や高校の教科者にそのまま載っています。
これらの像は、全て寄木造で水晶による「玉眼」という
まさに「慶派の世界」です。(運慶・快慶・湛慶などの流派)
特に平清盛像はまるで本物の人間と思うような精巧な作りで、
個人的にはこれが木像の世界最高傑作と思っています。

では本堂を出て、マニ車の横を通り抜けます。
外に出る前に、本堂と弁財天の祠の間に行きます。

こちらは、阿古屋と平重盛の塚です。
阿古屋は源頼朝暗殺計画を企てた悪七郎景清の愛人ですが、
幕府の責めを受けた後、何も知らないことが証明されて
無罪放免になった方です。
平重盛の塚があるのは、この辺りが平氏関連の地だからでしょう。

こちらは、塚の脇にいらしたお地蔵さんです。
このほかにも、信者さんだけが入れる施設には
歓喜天がいらしたりします。

では、六波羅蜜寺を出ます。
この日は平日でしたが、たくさんの方がいらしていました。

六波羅蜜寺を出て、南を向きました。
また、六波羅裏門通に向かいます。

また六波羅裏門通に戻ってきました。
今度はさらに東に向かおうとしましたが、
ちょうど小学校の方が下校時間になりました。
また、児童をあまり写さないように苦労します。

六波羅裏門通を、さらに東に進んでいきます。
右(南)に見えるのは、京都市立開睛中学校です。
左(北)側はいろいろ飲食店が建ち並んでいます。

六波羅蜜寺の前の通りから、六波羅裏門通を東に約100m進みました。
このパン屋さんはスルーしましたが、結構売れていたようです。
実はここは結構自動車が通ってきて、撮影がたびたび中断されました。
自動車が通り過ぎてからシャッターを押すので、
まるで自動車が通っていないように見えますが……

更に50mほど東に進みました。
そろそろ京都市立開睛中学校ともお別れです。
左(北)側に、お地蔵さんと古い町家があります。
ここは昔ながらの旅館です。

六波羅裏門通を、さらにさらに東に進みました。
すぐ先に突き当りになっているように見えますが、
六波羅裏門通はもっと細くなり石段の先の東大路通で突き当たります。
(東山区役所の辺りに出ます)

その突き当りに見えるあたりで、南を向きました。
この道は、蛇行しながら五条坂交差点の前に出ます。
(大谷本廟の前に出ます)

今度は、同じ場所で北を向きました。
ここは少し道が太くなります。
自動車は、大半がここから流れてきました。

六条裏門通から、北に約50mほど進みました。
こちらの民家は、鍼灸院のようです。
植木がきれいですね。

鍼灸院から北に約50mで、この道も突き当ります。
ここは、松原通とのT字路です。
ここに来るのは、一昨年の12月に取材した第19回ブログ以来です。
あの時は冬の日曜日だったので、今とは全然風景が違います。
小さな地域スーパーの西隣に、赤い色の建物があります。

こちらはその「赤い建物」六道珍皇寺です。
六波羅蜜寺と並ぶ六原を代表する寺院ですね。
次はこちらに参拝しますが、それは次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は六道珍皇寺から「六道の辻」辺りを散策します~
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