第151回 路地裏の六波羅蜜寺~六原散策~その1

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3日ぶりの森下町通(本町通)最北端です。
せっかくこの六原に来たので、
今回から数回にわたってこの辺りの「お寺巡り」をします。
先ずは、ここのすぐ東にある六波羅蜜寺に向かいます。
撮影日は、2013年9月5日木曜日午後2時。
ここ数日雨模様でしたが、この日だけは晴れました。


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森下町通(本町通)最北端から、六波羅裏門通を西に向きました。
ここは2車線の通りですが、すぐ先の川端通で突き当ります。
そのため、川端通から自動車がたくさん流れてきます。


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今度は、六波羅裏門通を東に向きました。
車道上ではちょうど下水道工事をしていました。
角にある八百屋さんは、スイカなどいろいろな果物が並んでいました。


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森下町通から、六波羅裏門通を東に約50m進みました。
大黒町通との角に、銭湯がありました。
ただ、この時間帯ではまだ開いていません。


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大黒町通との南東角に、近所の時計屋さんの古い看板がります。
その横に、住所を表す細長い看板もあります。
だいぶ読みにくくなっていますが、
「東山区 大黒町通松原1丁下る大黒町」
と書いてあります。


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大黒町通から、六波羅裏門通を東に向いています。
すぐ先に見えるのは、大和大路通です。
豊国神社や方広寺・建仁寺・ゑびす神社などがあった通りです。


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大和大路通へ行く途中に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらには、「天道大日如来」と書いてあります。


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大和大路との北西角に、このような標識が出ていました。
六波羅蜜寺まで、もうすぐです。


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大和大路通から、六波羅裏門通を東に向いています。
この辺りから、この道は蛇行し上り坂になります。
石垣の上の建設中の施設は、六波羅蜜寺の南隣になります。


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その石垣の下まで来ました。
こちらは、その辺りの民家の植木です。
小さいながらも、見事なカエデです。
秋になると、きれいな紅葉になるのでしょうね。


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その植木とは、道路を挟んで南向かいになります。
こちらは、近くにあった京都市立六原小学校の
補導委員会による標語です。
下半分が、近所の商店の宣伝になっているのが面白いですね。


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その標語の辺りで、六波羅裏門通はまた真東に伸びていきます。
すぐ先で、六波羅裏門通が突き当たっているように見えますが、
実は道幅が半分になってまだまだ続いています。
とりあえず、その突き当りに見える辺りまで進みます。


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一見突き当りに見える辺りまで来ました。
ここで細い南北の道と交差しているのですが、
その左(北)側に、六波羅蜜寺の看板が見えます。


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六波羅裏門通は、このように細くなってまだまだ東に伸びています。
右(南)側に見えるのは、京都市立開睛中学校です。
元は、京都市立洛東中学校と言いました。
(元広島東洋カープの衣笠祥雄氏の出身校です)


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先ほどの地点で、南を向きました。
こちらが、京都市立開睛中学校の校舎です。
まだ授業中のようでだれも出てきません。
実は、近年京都市立六原小学校がなくなって
ここに併合されています。


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また同じ地点で、今度は北を向きました。
すぐ先にのぼりが見えますが、その辺りから六波羅蜜寺です。


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先ほどの地点から北に30mほど進んで、西に向きました。
ここから六波羅蜜寺に入っていきます。
先ずは、目の前の弁財天の祠にお参りです。


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弁財天の祠の南側に寺務所があって、600円払って中に入ります。
宝物殿に入らない限り、拝観料は発生しません。
ただ、ここの宝物殿は三十三間堂と並ぶ
木製彫刻のまさに「宝庫」です。
自分は、知人にお勧め寺院を聞かれた際は
いつでも三十三間堂とここを推薦しています。


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では、六波羅蜜寺境内に入っていきます。
その前に、十一面観世音の横にあるマニ車を3回回しましょう。


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こちらは、マニ車の横にある手水舎です。
左側の白い石はカエルの石像で、
拝むと「無事帰る」功徳があるそうです。
鉄柵の向こうは、先ほどの道です。
ここは、外からでもよく見えます。


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手水舎のすぐ北側に、このような碑が立っていました。
この辺りは、平安時代末期には平氏の邸宅がたくさんありました。
鎌倉時代にそれらは取り壊され、
跡地には鎌倉幕府が「六波羅探題」を建て朝廷を監視しました。


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さらに北にずれていきます。本堂とは反対の方を向いています。
松が見事ですね。ここは小さいながらも庭園です。


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六波羅蜜寺の最北端に、小さなお堂があります。
(これ以上近づくと、撮影不可になります)
中には水掛不動や水掛地蔵、水掛観音などがいらっしゃいます。


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こちらが、六波羅蜜寺の本堂です。
30円払うと、ここに線香を立てられます。

六波羅蜜寺は、現在は真言宗智山派の寺院です。
(本山は、智積院です)
本尊は、十一面観世音です。(ちなみに、国宝です)
ただ、開山当初の951年は浄土教の寺院でした。
(浄土宗とは別宗派です。平等院などが有名です)
最も栄えたのは平安時代で、空也上人がいたころです。
その後何度か焼失しましたが、
中の仏像などはここの僧侶が身を挺して守り続けたため、
大半が現存します。


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本堂の裏手に、宝物殿があります。
撮影不可なので、表にあるパネルを撮りました。
宝物殿自体は10畳ほどしかないのですが、
そこに仏像や木像が所狭しと並んでいます。
特に人物彫刻が秀逸で、この寺院所縁の空也上人のほか
平清盛・運慶・湛慶(三十三間堂千体観音像復興の責任者)は、
中学校や高校の教科者にそのまま載っています。
これらの像は、全て寄木造で水晶による「玉眼」という
まさに「慶派の世界」です。(運慶・快慶・湛慶などの流派)
特に平清盛像はまるで本物の人間と思うような精巧な作りで、
個人的にはこれが木像の世界最高傑作と思っています。


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では本堂を出て、マニ車の横を通り抜けます。
外に出る前に、本堂と弁財天の祠の間に行きます。


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こちらは、阿古屋と平重盛の塚です。
阿古屋は源頼朝暗殺計画を企てた悪七郎景清の愛人ですが、
幕府の責めを受けた後、何も知らないことが証明されて
無罪放免になった方です。
平重盛の塚があるのは、この辺りが平氏関連の地だからでしょう。


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こちらは、塚の脇にいらしたお地蔵さんです。
このほかにも、信者さんだけが入れる施設には
歓喜天がいらしたりします。


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では、六波羅蜜寺を出ます。
この日は平日でしたが、たくさんの方がいらしていました。


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六波羅蜜寺を出て、南を向きました。
また、六波羅裏門通に向かいます。


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また六波羅裏門通に戻ってきました。
今度はさらに東に向かおうとしましたが、
ちょうど小学校の方が下校時間になりました。
また、児童をあまり写さないように苦労します。


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六波羅裏門通を、さらに東に進んでいきます。
右(南)に見えるのは、京都市立開睛中学校です。
左(北)側はいろいろ飲食店が建ち並んでいます。


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六波羅蜜寺の前の通りから、六波羅裏門通を東に約100m進みました。
このパン屋さんはスルーしましたが、結構売れていたようです。
実はここは結構自動車が通ってきて、撮影がたびたび中断されました。
自動車が通り過ぎてからシャッターを押すので、
まるで自動車が通っていないように見えますが……


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更に50mほど東に進みました。
そろそろ京都市立開睛中学校ともお別れです。
左(北)側に、お地蔵さんと古い町家があります。
ここは昔ながらの旅館です。


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六波羅裏門通を、さらにさらに東に進みました。
すぐ先に突き当りになっているように見えますが、
六波羅裏門通はもっと細くなり石段の先の東大路通で突き当たります。
(東山区役所の辺りに出ます)


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その突き当りに見えるあたりで、南を向きました。
この道は、蛇行しながら五条坂交差点の前に出ます。
(大谷本廟の前に出ます)


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今度は、同じ場所で北を向きました。
ここは少し道が太くなります。
自動車は、大半がここから流れてきました。


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六条裏門通から、北に約50mほど進みました。
こちらの民家は、鍼灸院のようです。
植木がきれいですね。


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鍼灸院から北に約50mで、この道も突き当ります。
ここは、松原通とのT字路です。
ここに来るのは、一昨年の12月に取材した第19回ブログ以来です。
あの時は冬の日曜日だったので、今とは全然風景が違います。
小さな地域スーパーの西隣に、赤い色の建物があります。


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こちらはその「赤い建物」六道珍皇寺です。
六波羅蜜寺と並ぶ六原を代表する寺院ですね。
次はこちらに参拝しますが、それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は六道珍皇寺から「六道の辻」辺りを散策します~

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第152回 六道珍皇寺から六道の辻へ~六原散策~その2

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ここは、東大路通より少し西に行った松原通沿いです。
目の前にある赤い建物は、臨済宗大椿山六道珍皇寺です。
2年前に来たときは、境内しか拝観できませんでしたが、
2013年9月末まで特別に中を見ることができます。
今回は、ここから始まり「六道の辻」まで進みます。
撮影日は、2013年9月5日木曜日午後3時。
写真が傾いているのは、ここか急な坂道だからです。


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門の右(東)側に、このような歌碑がありました。
謡曲「熊野」の一節で、「六道の辻」について歌ったものです。


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そして、門の左(西)側には「六道の辻」の石碑があります。

「六道の辻」とは、要するに「冥界への入り口」のことです。
この六道珍皇寺を指すことが多いのですが、
地名としての「六道の辻」はもう少し西に行ったところになります。


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門を入っていすぐ左(西)側のテントで600円払って
六道珍皇寺に入ります。
普段は無料ですが、その代わり本堂の中には入れません。


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門をくぐり、六道珍皇寺の境内に入っていきます。
普段はほとんど人影が見えないのですが、
この日はかなりの参拝者がいらっしゃいました。


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境内の西側にいらしたお岩大明神と水子祠堂です。
お岩大明神に関しては、
特別拝観期間中にいらした学芸員の方に聞いても
ご存知ありませんでした。
(「東海道四谷怪談」と何らかの関連があるのでしょう)
殺人事件の被害者や非業の死を遂げた方は、よく神格化されます。
(要するに、怨霊が神様になるわけです)
ただ、そのような場合(特に女性は)
稲荷神社になるのが普通なのですが……


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水子祠堂の右(北)側には、
たくさんのお地蔵さん(石仏)がいらっしゃいます。
古いものは、室町時代までさかのぼるそうです。

こちらは、元々墓石だったと考えられます。
江戸時代以前には、庶民の遺体を墓に埋める風習がありませんでした。
ですから、石仏の下に御遺体があるわけではありません。


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さらに北側は、こちらの住職のプライベートスペースです。
その前の木々が立派だったので、撮らせていただきました。


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六道珍皇寺の門から石畳に従ってまっすぐ北に進むと、
この「三界供養の塔」があります。
ここが宗教上の「六道の辻」の中心になります。
ここで盂蘭盆会(お盆)などに法要などが行われます。
その奥が薬師堂(本堂)で普段は非公開ですが、
今月(2013年9月)末まで特別公開になっています。

六道珍皇寺の建立年代は諸説あって、はっきりとしません。
平安時代初期(9世紀初め)には存在していて、
当時は愛宕寺(あたぎでら)と呼ばれる天台宗の寺院でした。
嵯峨天皇の家臣小野篁(おののたかむら)が帰依したこともあり、
第105回ブログで取材した引接寺(千本ゑんま堂)同様
京都の地獄信仰の中心的な寺院となっています。
(地獄の恐ろしさを学ぶことで、善行に励もうという宗派です)
14世紀の南北朝の騒乱で戦災に合い廃寺になりましたが、
室町時代に入ると建仁寺の僧侶によって再興されました。
(そのため、今は臨済宗建仁寺派の寺院です)


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薬師堂(本堂)は、その名の通り薬師如来を本尊とします。
ただ、本尊や小野篁像などはすべて撮影不可でした。
また、本堂いっぱいに掛塾が掛けられていました。
大半が地獄絵図で、悪行を行うと死後どのようなことが待っているかを
絵解きしていました。
(残酷な描写を一切排除した「子供用」があるのは面白かったです)
まさに、「地獄信仰」の世界です。

こちらは、撮影が許された「縁側から見た庭園」です。
(縁側から降りない限り、庭園の撮影は許されていました)
左側に、この寺院で一番有名な「冥土通いの井戸」が見えます。


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本堂から離れに移り、さらにその北側から庭に降ります。
実は自分の周囲には、平日にもかかわらず
このようにたくさんの方々が常にいらっしゃいました。
ただ、大半が関東や九州など遠方の方々で
京都市民はもしかすると自分だけだったかもしれません。


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こちらは、庭に降りる前に望遠で撮りました。
この祠は、「冥土通いの井戸」の左(西)にあります。
神格化された小野篁が祀られている祠です。


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だれもいなくなったタイミングで、「冥土通いの井戸」を撮りました。
毎晩地獄の閻魔大王の下で働いていた小野篁が
朝に帰ってくる際に通ったとされる井戸です。

実は、このさらに北側に「黄泉帰りの井戸」もあります。
(こちらは、完全に撮影不可です)
小野篁が地獄に行くときに通ったとされる井戸ですね。
他の方は、そちらに向かっていました。


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離れと薬師堂の間に、このような坪庭がありました。
先ほどの井戸のある庭もそうですが、
ここの庭園は木々の枝ぶりがかなりきれいです。
(そういう方向でここが紹介されることはあまりありませんが……)


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先ほどの坪庭を通り過ぎると、再び薬師堂に入っていきます。
そちらには、大昌院(だいしょういん)の遺品が展示されていました。
この寺院は、現在は廃寺となり六道珍皇寺に吸収されています。

一通り薬師堂周辺を回って、境内に出てきました。
ここを出ていく前に、向こうに見えるお堂に向かいます。


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こちらは、六道珍皇寺の鐘楼です。
「迎えの鐘」と呼ばれ、盂蘭盆会(お盆)に死者を迎える鐘です。
三条寺町にある矢田寺の「送りの鐘」と対になります。
「迎える」だけに、ここの鐘はこの綱を引いて鳴らします。


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「迎えの鐘」の南隣にあるお堂には、
閻魔大王(伝小野篁作)と小野篁の木像があります。
普段はここも閉まっているのですが、
特別公開期間中だけ見ることができます。
見事なカエデの木の向こうのお堂も、期間中のみの公開です。
(伝最澄作の薬師如来像がいらっしゃいます)


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閻魔大王像が撮影できなかったので、代わりにポスターを撮りました。
京都で閻魔大王像は、ここと引接寺が有名ですが
どちらも小野篁作と伝えられています。
(引接寺の方は、応仁の乱で焼失後作り直されました)


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では、六道珍皇寺を出ます。
ちなみに、右側のテントが臨時の寺務所です。
(ここで拝観料を払います)


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六道珍皇寺の前から松原通を東に向きました。
ここは急な上り坂です。
ここをずっと進むと、東大路通を越えて清水寺で突き当ります。
(第18回ブログ参照)


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今度は、松原通を西に向きました。
こちらは、急な下り坂ですね。
前回ブログにも書きましたが、
この日は日曜日に来た二年前と違い、
平日だったので商店の大半は開いており、とても賑やかでした。


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六道珍皇寺から、松原通を約80m進みました。
二年前には閉まっていたお肉屋さんも、この日は開いています。
その西側の角に「ハッピー六原」と看板が出ていました。


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お肉屋さんの角から、南の方を向きました。
アーケードの左(東)側は、ハッピー六原という地域スーパーです。
その向かい(西)側は、パン屋や惣菜屋、理髪店などが並んでいます。


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こちらはハッピー六原の入り口です。
2年前と違い、今回はここに寄りました。
この日の晩御飯は「エビチリソース」の予定だったので、
とりあえず冷凍エビを買いました。
(チリソースの消費期限が近づいているので)


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ハッピー六原を出ると、商店舗にはさまれて
このような小さな神社がありました。
この辺りの商売繁盛を願って、近年建てられたそうです。


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お肉屋さんの角まで戻って、松原通を西に向きました。
まだまだ下り坂は続きます。
人がいない瞬間を狙って撮っていますが、
実はこの日はそこそこの人出がありました。
六道珍皇寺特別拝観のせいか、
明らかに観光客のような方も多くいらっしゃいました。


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お肉屋さんの角から、松原通を西に約100m進みました。
ここは一見T字路に見えますが、実は筋違いの四辻です。
手前の道を右(北)に行くと、
第103回ブログで取介した建仁寺の前に出ます。
向こうの道を左(南)に進むと、
前回ブログで紹介した六波羅蜜寺に到着します。
ここが地名上の「六道の辻」です。
どうやら平安時代~江戸時代初期に、
「野辺送り」(要するにお葬式)がここで行われていたようです。


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「六道の辻」には、寄るところがいっぱいあるのですが、
先ずはここに寄ります。(閉店準備が始まっていいたので)
ここはお茶屋さんなのですが、
それよりも「幽霊子育て飴」で有名です。


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こちらが、その「幽霊子育て飴」です。
(家に帰ってから、撮影しました)
この飴の謂れについては、第19回ブログを参考にしてください。


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「幽霊子育て飴」は、包装紙を取るとこうなっています。
麦芽糖と粗目砂糖を煮込んで作ってあるので、
白砂糖を煮込んだ時のエグ味などがありません。
滑らかで優しい甘さですね。
謂れや名前からこの飴を買う人が多いようですが、
自分は味が大好きなのでよくここに買いに来ます。


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「幽霊子育て飴」の店の前から、西向かいを見ています。
こちらに西福寺があります。

ただ、この辺りの取材はとても長くなるので、
以降は次回にしようと思います。
今回は、ここまでです。

~次回は、「六道の辻」から寿延寺経由で
京阪電鉄「清水五条」駅まで行きます~

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第153回 六道の辻から寿延寺へ~六原散策~その3

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ここは松原通の「六道の辻」にある「幽霊子育て飴」屋さんの前です。
(厳密には、お茶屋さんですが)
今回は西福寺などこの辺を見て回った後、
寿延寺経由で京阪電鉄「清水五条」駅に向かいます。
撮影日は2013年9月5日木曜日午後4時。
そろそろ日が西に傾いてきました。


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「六道の辻」の南西角に、小さな寺院があります。
先ずは、こちら西福寺から入っていきます。


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西福寺に入ると、すぐ前にこちら水掛不動尊の祠がいらっしゃいます。
柄杓で水をかけつつ、こちらにお参りしました。


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水掛不動尊の左(東)側に水子地蔵尊・子育地蔵尊がいらっしゃいます。
ちなみに、子育て地蔵尊は空海作と伝えられています。
周囲にたくさんの石仏やお地蔵さんがいらっしゃいます。
多分、大半が昔の墓石だと思うのですが……
とりあえず、皆さんにお参りしました。


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水子地蔵尊や子育て地蔵尊の向かい(西)側に、
空海の祈祷によって
後の仁明天皇を懐妊した壇林皇后(嵯峨天皇の皇后)の物語が
パネルで紹介されていました。
そのこともあって、
ここは子宝と子供の安全のご利益があると言われています。

ちなみに、壇林皇后の菩提寺は第94回ブログ後半に出てくる檀林寺で
嵯峨天皇に所縁のある嵯峨野にあります。


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こちらは、浄土宗桂光山西福寺の本堂です。
本尊は阿弥陀仏ですが、(浄土宗なので)
伝空海作の「子育て地蔵尊」で有名です。

寺院としては江戸時代初期に建立されましたが、
伝空海の「地蔵堂」は、平安時代初期からありました。
(壇林皇后が熱心にお参りしていたようです)
元々ここは「六道の辻」としての墓所で
(つまり、江戸時代以前はこの辺一帯に石仏が並んでいました)
死体を遺棄しに行く(江戸時代以前の日本の風習です)
鳥辺野への入り口でした。
この寺院の寺宝もそういう関連のものが多く、
六道珍皇寺同様、ここでも盂蘭盆会(お盆)に
「六道参り」が行われます。


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西福寺を出て、「六道の辻」から南を向きました。
2年前にここに来たときは、西福寺の南隣に
京都市立六原小学校がありました。
今はもうなくなっているので、第151回ブログで紹介した六波羅蜜寺が
西福寺の南隣になってしまっています。


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こちらは、「六道の辻」の南東角です。(つまり、西福寺の向かい)
この「六波羅飯店」には、学生時代によく通いました。
今回も、この中華料理屋さんに入ってみます。


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ここは「六波羅飯店」の店内です。
昔はカウンター席しかなかったように思うのですが、
それ以外に、テーブル席が4つあります。
結局学生時代と同じ焼き飯と酢豚を頼みました。
当時と違うのは、紹興酒の燗が付いていることです。


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こちらは、焼き飯です。
炒めるときにご飯を直接火で炙っているのでしょうか、
とても香ばしい味がしました。


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今度は、酢豚です。
実は玉ねぎ・にんじん以外にも長葱・筍・白菜なども入っていました。


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「六波羅飯店」を出ました。(約30分いました)
「六道の辻」から、松原通を西に向いています。
ここからは、緩やかな下り坂になります。
こちらの方に進んでいきます。


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「六道の辻」から、松原通を西に約50m進みました。
ここは、「愛宕念佛寺」(おたぎねんぶつじ)の跡地です。
今は、化野(嵯峨野の北隣)にありますね。
念佛寺は、移転しても石仏で有名な寺院です。


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さらに松原通を約30m進みました。
「千歳湯」は小さいながらも今も健在ですね。
2年前には建っていた「松原警察署」は、跡形もありません。


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「千歳湯」の前から、松原通を西に向いています。
向こうに見えるのが、大和大路松原の交差点です。


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松原通から、大和大路通を南に向いています。
ここをまっすぐ行けば、第7回ブログ第149回ブログに出てきた
豊国神社や方広寺の前に出ます。


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今度は、大和大路通を北に向きました。
約80m先に、禅居庵の塀が見えます。
さらに50m北に進むと、ゑびす神社があります。
毎年1月10日の「十日ゑびす」になると、このような様子です。


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大和大路通から、松原通を西に約20m進みました。
ここから南に、大黒町通が伸びています。
今から、こちらの道を進みます。


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松原通から大黒町通を南に約30m進みました。
この辺りは、飲食店と商店舗が並んでいます。
家具屋さんの北側に、屋根瓦が見えます。


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その屋根瓦は、この日蓮宗寿延寺の軒先でした。
ここは、京都の町家のようなウナギの寝床ですね。
提灯には、「浄行大菩薩」とあります。


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門をくぐってすぐの所にある祠です。
先ずは、こちらにお参りです。


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祠の前から、西を向いています。
本堂に行くために、ここをまっすぐ進んでいきます。


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先ほどの写真から西に約3m進むと、
こちらの浄行大菩薩(洗い地蔵)さんの祠の前です。
実は、このお地蔵さん目当てに多くの方がここにお参りに来られます。
こちらに水をかけて洗うことで、諸病のご利益があるそうです。


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浄行大菩薩の西隣には、蛇形弁財天の祠がいらっしゃいます。
こちらにも、お参りします。


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蛇形弁財天の祠の前から、西を向きました。
こちらが、寿延寺の本堂です。
近所の方が、熱心にお参りされていました。


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本堂の右(北)側に、妙見大菩薩の祠がいらっしゃいました。
こちらにも、お参りします。


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本堂は、ご本尊以外にもお祭りしている方がいらっしゃいます。
右(北)側は、伝最澄作の開運大黒天がいらっしゃいます。
目の前の通り「大黒町通」は、こちらが語源となっておられます。


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さらに本堂の左(南)側には、鬼子母神が祀られています。
三十三間堂では、「ハーリーティー」と呼ばれていました。


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そして本堂中央に、ご本尊の釈尊像と多宝如来像がいらっしゃいます。
寿延寺は、江戸時代初期の1616年建立されました。
(1655年に現在地に移転。元は富小路高辻にありました)
開基は摂津国三島(今の大阪府高槻市)の商人興福院寿延で、
日蓮宗の僧侶日柔のために建てました。
今でも、洗い地蔵尊や開運大黒天へお参りされる方が後を絶ちません。


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寿延寺本堂に背を向け、東を向いています。
では、ここを出て大黒町通に戻ります。


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寿延寺の前で、大黒町通を南に向いています。
さっきから、軽トラックがよく通ります。
どうやら、ここの家具屋さんに用があるようです。
ここから、さらに南に進んでいきます。


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さらに大黒町通を南に進んでいます。
寿延寺より約50m南に進むと、
だんだん商店舗よりも古い民家が目立つようになってきました。


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大黒町通をさらに50mほど南に進みました。
第151回ブログに出てきた六波羅裏門通に出ました。


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その北西角には、大黒湯があります。
第151回ブログの取材でここを通ったときは閉まっていましたが、
午後5時を回ったこの時点では開いていました。


153-35.jpg
六波羅裏門通から、大黒町通を南に向いています。
ずっと向こう(約200m先)に、五条通が見えます。


153-36.jpg
大黒町通をずっと南に進んできて、五条通まで来ました。
南東角に見えるのは、東山郵便局です。
(京都市東山区の中央郵便局ですね)
ここをさらに南に進むと、
第149回ブログで出てきた専称寺(烏寺)の前に出ます。
ただ横断歩道がないので、これ以上南には直進することができません。


153-37.jpg
大黒町通が五条通と交差した時点で、西を向きました。
今度は、この五条通を西に向かいます。


153-38.jpg
大黒町通から、五条通を西へ約100m進みました。
ここで五条通は、森下町通(本町通)と交差します。
第150回ブログ以来ですね。


153-39.jpg
森下町通(本町通)から、五条通を西へ約50m進みました。
今度は鞘町通と交差します。
ここで、左(南)に進むと、最終的に第149回ブログででてきた
喫茶店「AMAZON」の前に出ます。


153-40.jpg
鞘町通から五条通を西に約80m進みました。
川端五条の交差点(鴨川東岸)に、
京阪電鉄「清水五条」駅へ下りていくエスカレーターがあります。
今回は、ここから電車に乗って帰ります。

今回は、ここまでです。

~次回から、また新しい道の特集が始まります~

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テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

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「京の天気」
京都市内の今の天気と
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「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
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少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
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「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
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「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
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こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
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これから始まる
京都のお祭りや
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情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
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「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。
サイトやブログのリンク
シリーズごと読むなら、こちらから
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