
本能寺の前から、寺町通を北に向いています。
目の前にあるのが御池通で、
東西の道では
第155回ブログに出てきた五条通に次ぐ広い道です。
寺町通は御池通以南がアーケードのある繁華街で、
ここより北は街路樹の銀杏並木が続き様々なお店が並びます。
今回は、このまま寺町通を北上して二条通や夷川通に向かいます。
撮影日は、2013年10月28日月曜日午前10時半。
久しぶりの快晴でした。

寺町通から、御池通を西に向きました。
この辺の御池通は、車道だけではなく歩道も広いですね。
また、この辺りはオフィスビルが建ち並び烏丸通と似た印象です。
ちなみにここをそのまま進むと、
約3km先に神泉苑という大きな池に出ます。
(それが「御池通」の由来です)
さらにこの道は、「祇園祭山鉾巡行北側の道」として知られています。
その際の桟敷席は、通常この道沿いに作られます。

今度は、寺町通から御池通を東に向きました。
すぐ東に見えるのは、「本能寺会館」です。
本能寺が運営する建物で、
宿泊施設やテナントのお店などが入ってます。
歩道に地下へと入る階段がありますが、
御池通の地下は、地下鉄東西線「京都市役所前」駅と
地下街
「ZEST」があります。
ここの本屋は京都で一番広いので、
本を探すときはここに来るようにしています。

では、信号が変わりましたので御池通を北に渡ります。
右(東)側に見えるのは、京都市役所です。

今度は御池通の北側歩道で、東を向きました。
この辺りは京都市役所の正面玄関前で
またすぐ先に河原町通があるので、とても賑わっています。
向こうに、御池河原町交差点にある京都ホテルが見えます。
京都で一番高い高層ビルですね。
また、御池通と交わる通りの名称と由来が書かれた看板があります。
御池通を歩くときの楽しみの一つですね。

御池寺町の交差点から、京都市役所庁舎を望遠で撮っています。
庁舎の西側にある桜の葉が、色づいてきました。
ただ京都のカエデが色づくのは、あと1か月くらいかかりそうです。
(今年は例年より遅いです。10月半ばまで最高気温が30℃でしたし)
この写真は、クリックすると拡大されます。

市庁舎の前は様々な植物が植えられており、
ちょっとした公園のようになっています。
この日も写生に来られた方が、何人かいらっしゃいました。
寺町通は、京都市役所最西端の道になります。
では、その道を北に進んでいきます。

御池寺町交差点から、寺町通を北に約50m進みました。
市役所庁舎に蔦が絡まって、いい味を出しています。
西側は雑居ビルが多いのですが、実は老舗の店舗でもあります。
(銀杏並木はここより200m北から始まります)

さらに寺町通を北に進んでいきます。
左(西)側に、「上海人人飯店」という中華料理屋があります。
今は午前中なので閉まっていますが、
以前(20年以上前です)一度だけ入って
かなりおいしかったのを覚えています。

もう少しだけ寺町通を北に進みました。
目の前に現れたのは、押小路通です。

寺町通から、押小路通を西に向きました。
ここをずっと進むと、二条城南端の道になります。
目の前に、京都屈指の「出石そば」専門店がありますが、
先の食事を済ませているのでここには寄りません。
(詳細は、次回ブログで)

今度は寺町通から、押小路通を東に向きました。
この押小路通は京都市役所最北端の道ですが、
河原町通を越えると京都ホテル最北端の道にもなります。
ちなみに、この押小路通は約300m先の木屋町通で突き当ります。

さらに、押小路通から寺町通を北に向きました。
右(東)側の鉄格子の向こうは、市営の駐輪場です。
24時間停めていても、150円なのはうれしいですね。
(この日は自分の自転車も停まっています)
ちなみに、この駐輪場は
間部詮勝の邸宅跡でもあります。
幕末の老中で福井鯖江藩主でもあり、
安政の大獄では「井伊の赤鬼 間部の青鬼」と恐れられましたが、
井伊直弼ほどは虐殺の限りを尽くしたわけではないそうです。

その旧間部詮勝宅でもある駐輪場の向かい(西側)に、
このような骨董屋が建ていました。
この辺の街並みに、よく似合っています。

こちらは、骨董屋さんの2階にかかっていた表札です。
「中京区寺町通押小路上る 妙満寺前町」と書いてあります。
つまり「押小路通より北側の寺町通沿い」という意味ですね。

そして、こちらは先ほどの骨董屋さんの北側の竹細工のお店です。
中では、筆や箸などを売っていました。

さらに寺町通を北に進むと、「清課堂」という店が見えてきます。
こちらは錫製品の店で、茶筒や食器などを売っています。

「清課堂」の向かい(東側)に、ブリキ製の豚さんがいます。
なかなか可愛いですが、ここは「岡田商会」という肉屋さんです。
ここから寺町通を北に向くと、約50m先に青葉の銀杏並木が見えます。
あの辺りが、二条通との交差点になります。

二条寺町交差点の南東角に、「八百卯」という八百屋がありました。
梶井基次郎の小説に「檸檬」がありますが、
小説の中でレモンを買った店がここになります。
(梶井基次郎は、学生時代この辺に住んでいたようです)
ただ、この店は2009年に閉店してしまいました。

寺町通から、二条通を東に向いています。
(二条通は、いったん寺町通で突き当ります)
約1km先の岡崎公園(平安神宮周辺)までこの銀杏並木は続き、
周辺は多少高級な飲食店が並んでいます。
……しかし、銀杏の葉はまだまだ青々しています。
今年の
紅葉は、例年より遅れています。

今度は二条通から寺町通を北に向きました。
二条通の4車線の道は、ここで90°折れて寺町通に吸収されます。
二条通はここから約50m先でまた西に伸びていますが、
4車線の道も銀杏並木も、この寺町通が引き継ぎます。

二条寺町交差点の北東角に、「石田ミシン店」があります。
ここは裁縫用のミシンの販売だけでなく、修理もします。
こういう「昔ながらの店」も、この界隈にたくさんあります。

先ほどの地点から、寺町通を約50m北に進みました。
今度は西に伸びる二条通との交差点です。

寺町通から、二条通を西に向きました。
ここから二条通はこのくらいの道幅になります。
商店街があったり「白みそラーメン」の店があったりしますが、
当面ここの取材予定はありません。
このまま二条通を進むと、約2km先で二条城で突き当ります。

二条寺町交差点から、少しずつ北に移動しています。
「石田ミシン店」の北隣に喫茶店があって、
その隣が「山中履物店」、さらに北隣が「二条若狭屋」です。
こちらもなかなかの名店なのですが、
他にもいろいろ回ったので今回は入りません。

「二条若狭屋」から、約20m北に進みました。
右(南)側は骨董屋さんで、その北隣が「村上開新堂」です。
外見からは分かりにくいですが、西洋菓子店です。
と言っても、ケーキなどの「生菓子」ではなく
クッキーや「ロシアケーキ」の「焼き菓子」専門店です。

「村上開新堂」の店内も、外見同様まるで明治時代のお店でした。
クッキーの缶入りが一つ5000円でしたが、
「ロシアケーキ」はバラ売りもありました。(一つ200円前後)
そして、これがその「ロシアケーキ」です。
要するに、レーズンなどを練り込んだクッキーや
ジャムやマーマレードをクッキーでサンドしたものの総称のようです。
(自分は、今までこういうものをランドグシャと言っていました)

こちらは、「村上開新堂」の向かい(西側)です。
左(南)側の店が、
「船はしや」です。五色豆のお店ですね。
YAHOO知恵袋などで、自分がよく勧めているお店の1軒です。
右(北)側の店は本屋ですが、古書は扱っていません。

村上開新堂から、2軒北に西洋アンティーク店があります。
その北隣が昔ながらの牛乳屋さんです。
目の前の自動車が、面白い絵柄だったのでちょっと撮ってみました。

牛乳屋さんの向かい(西側歩道)に、このような碑が立っていました。
「藤原定家京極邸跡」と書いてあります。
鎌倉時代初期に、ここに
藤原定家邸があったようです。

牛乳屋さんから、寺町通を約50m北に進みました。
夷川通との南東角に、
「一保堂」があります。宇治茶の老舗ですね。
久しぶりに来たので、店内に入ってみます。

「一保堂」の一番の魅力は、対面販売です。
自分の好みや用途に応じて、店員さんに相談できます。
この日は、「雲露」という煎茶を買い求めました。
店内で水出し冷茶にされていたので、
そのコツとかを店員さんに教えていただきました。

それで家に帰ってからその「雲露」を
村上開新堂の「ロシアケーキ」と一緒にいただこうと思ったのですが、
家に以前買った「正池の尾」という煎茶が残っていました。
そのため、ここに写っているのは「正池の尾」の方です。
茶菓子が強い味なので、湯の温度を上げて濃くしました。
母と一緒にいただいたので、2人分です。

「一保堂」の北側は、夷川通が東に伸びています。
二条通など他の道同様、寺町通で筋違いになっています。
(この西側は、突き当りです)
ちなみに、この夷川通は河原町通を越え鴨川で突き当ります。

これは、「一保堂」の2階にあった表札です。
「上京区 寺町通夷川下ル 常盤木町」と書いてあります。
元々京都市は、四条通以北はすべて「上京区」でした。
(当時は、「下京区」と2区しかありませんでした)
今は、丸太町通~四条通間は「中京区」に分かれています。

「一保堂」から、寺町通を約30m北に進みました。
今度は、ここから西に夷川通が伸びています。
京都人にとっての「夷川」は、「家具専門店街」です。
1864年の
禁門の変で京都市街地がほぼ全焼した後、
京都を復興していく過程で大量の家具が必要になりました。
そのための家具屋さんが、
明治時代の初期頃からここに集中したのです。
家電量販店同様、家具屋さんも郊外型量販店が勢力を伸ばしています。
ただ、この「夷川」はまだまだ京都市内で幅を利かせています。

夷川通から、寺町通を北に向いています。
あと約250mで丸太町通なのですが、
そろそろ写真も40枚近くになりました。
この続きは次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回はこのまま寺町通を北上し、行願寺や下御霊神社を訪れます~
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テーマ : 京都道案内
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