
泉涌寺の総門から、泉涌寺道を西に向いています。
泉涌寺への参道から京都市街地に入ったところに
こちらの真言宗泉涌寺派即成院があります。
今回はこちらに参拝した後、JR京阪電鉄「東福寺」駅に戻ります。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後3時半。
今回で、2016年の
紅葉散策が終わります。

即成院の山門をくぐりました。
こちらは、東西に伸びる細長い境内です。
山門のある最西端に、こちらの地蔵堂があります。
毎年10月に、本堂からこちらまで花道が作られ
「二十五菩薩供養」が行われます。
即成院境内の写真は、クリックすれば全て拡大されます。

地蔵堂の前で、東を向きました。
このずっと先に、即成院の本堂が見えますね。

本堂の北側に、こちらの花が生けてありました。
そう言えば、
前回ブログの丈六戒光寺でも生けてありましたね。

靴を脱いで、即成院の本堂に入ってきました。
この左(東)側に、ご本尊がいらっしゃいます。
こちらは、ご本尊以外は撮影可能です。
(「防犯上の理由」とここの寺院の方がおっしゃっていました)

即成院のご本尊は撮影不可なので、拝観チケットを撮りました。
阿弥陀仏と25体の菩薩像が、「極楽浄土」を表しています。
このうち11体が平安時代後期に
定朝が彫ったもので、
残りが江戸時代に焼失分を定朝の作風で復元したものです。
(如来像と菩薩像のすべてが、重要文化財です)
1体1体がとても大きく、極楽浄土が「復元」されたかのようです。
真言宗泉涌寺派即成院(そくじょういん)の創建には諸説ありますが、
定説では11世紀後半に
橘俊綱が建立したとされています。
もともとは伏見(現京都市伏見区南部)の方にあったようですが、
豊臣秀吉が伏見城の築城のために大亀谷に移転しました。
(京阪電鉄「墨染」駅前。
第122回ブログの散策地点です)
ところが、明治時代の1868年に廃仏毀釈の影響で廃寺になりました。
その際阿弥陀仏と菩薩像は、泉涌寺預かりとなりました。
それが、この寺院がこの地で復活した最大の理由です。

即成院の阿弥陀仏を参拝した後、本堂の北側を向いています。
ここから、本堂のさらに裏(東)側に行くことができます。

先程の写真の脇に扉があって、そこからこちらに進めます。
頭上にある通り、この先に
那須与一のお墓があります。
右(南)側に石仏が並んでおり、その塀の向こうが泉涌寺道です。

先程の上り坂を約50m進みました。こちらが那須与一のお墓です。
では、こちらにもお参りします。

では、即成院本堂に戻ります。
手前に小さな小屋が見えますが、あちらは便所です。

即成院の本堂に戻ってきました。
この背後に、ご本尊がいらっしゃいます。
では、このまま左側から即成院本堂を出ます。

境内を一通り回り、即成院の山門まで戻ってきました。
ではここを出て、泉涌寺道に戻ります。

……とその前に、山門の屋根の上に注目します。
こちらの天頂に、鳳凰が模られています。
こちらも、「極楽浄土」の象徴ですね。

即成院を出て、泉涌寺道を東に向きました。
こちらが、泉涌寺の総門です。
前回ブログでも出てきましたね。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。

泉涌寺総門の前で、西を向きました。
ではこの坂道を下り、東大路を目指します。

即成院のすぐ脇に、北に伸びる石段があります。
ここを下りしばらくして右(東)に曲がると、
第447回ブログに出てきた
朱塗りの橋の下をくぐります。
ちなみに、この辺りは自分が高校生の頃の
体育の授業中のマラソンコースの一つでした。
(他には、「お山」稲荷山の四辻まで行って帰るコースでした)

下りの石段の向かい(南)側には、こちらのお店があります。
こちらで、清水焼の陶磁器が売られています。
実は、
第444回ブログの勝林寺がある辺りとこの辺りは
直線距離ではかなり近く、
この一帯に清水焼の陶工さんがたくさんおられます。
その関係で、この近くに陶器屋さんや窯元も多くなります。

その陶器屋さんの前で、泉涌寺道を西に向いています。
もう完全に、京都市街地のただ中です。
そして、向こうに信号が見えているのが、
東大路と交差する「泉涌寺道」交差点です。

その辺りに、こちらの交番があります。
そして、この辺りで坂道が終わり道は平坦になります。

即成院の前から、泉涌寺道を西に約300m進みました。
こちらが、「泉涌寺道」交差点です。
向こうに京都タワーが見えるのは、
この泉涌寺道が正確には北北西を向いているからです。
泉涌寺道は、西に約250m先の本町通で突き当たります。
(
第144回ブログ参照)

「泉涌寺道」交差点で、東大路を北に向いています。
約200m先に大きな薮が見えますが、
あちらが
新熊野神社(いまぐまのじんじゃ)ですね。
もしさらに約200m進むと、
塩小路と交差します。
この写真は、クリックすると拡大されます。

今度は、「泉涌寺道」交差点で東大路を南西に向きました。
このまま泉涌寺道を進んでも駅まで行けるのですが、
今回も
第88回ブログ同様、東大路を南下します。

「泉涌寺道」交差点南西角に、「泉涌寺道」バス停があります。
この日(2016年11月23日)も、バス待ちの方々がいらっしゃいます。
向こうに、「コロッケ京亭」の看板が見えます。
自分が高校生の頃はここでコロッケを買ったものですが、
この日は祝日なので閉まっていました。
(こちらでは、
こんなコロッケを売っています。
味もおいしいのですが、とにかく安いのが魅力です)

「泉涌寺道」から、東大路を南西に約150m進みました。
こちらは、京都第一日赤病院です。
向こうに信号が見えますが、あちらが「東福寺」交差点です。

第一日赤病院の前から東大路を南西に約50m進み、
「東福寺」交差点まで来ました。
この交差点から大通りは真西に曲がり、陸橋となります。
東福寺の駐車場がに入りきれない観光バスが、
陸橋付近に停まっていますね。
東大路はこの交差点までで、陸橋から九条通に変わります。

「東福寺」交差点の北西角に、臨済宗東福寺派万寿寺があります。
今は東福寺の塔頭寺院ですが、
1434年の大火以前は東福寺と同格の「京都五山」の1寺でした。
(
第406回ブログ参照)
この写真は、クリックすると拡大されます。

万寿寺から、九条通を西に進んでいます。
陸橋の上が九条通ですが、その外側のこの狭い道も九条通です。
向こう(西)に京阪電鉄の特急車両が見えますが、
「東福寺」交差点から西に約100m先に踏切があります。

その途中で、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
この裏手(北)は、万寿寺の境内です。
この写真も、クリックすると拡大されます。

「東福寺」交差点から九条通を西に約80m進むと、
九条通は本町通と交差します。
ここで南に進むと、
第438回ブログと同じルートになります。

今度は九条通から、本町通を北に向いています。
この日(2016年11月23日)は祝日なので、
レコード屋さんのナカバヤシが閉まっています。
向こうに見える電車のマークの看板がJR京阪電鉄「東福寺」駅で、
そこから帰宅します。
……ただその手前に、京寿司屋さんの「いず松」の看板も見えます。
現時点で2016年11月23日午後4時です。
晩御飯には早いですが、母と相談して寄り道することにしました。

「いず松」さんのお許しを得て、店内を撮影しました。
屋内に坪庭があって、
壁には祇園や先斗町の芸妓さんの団扇が並んでいます。
「いず松」店内とお寿司の写真は、クリックすると拡大されます。

こちらは頼めば握りずしも作ってくれますが、
何といってもこちらの名物は京寿司です。
大阪寿司同様、木箱で押し固めたものや海苔巻きが中心です。
自分が強く勧めたので、母も京寿司のセットにしました。
他に赤だしと熱燗も頼みました。いつも通りのメニューです。

赤だしには、湯葉と
紅葉麩・なめこが入っていました。
そうそう、ここでお寿司を食べたのは晩秋でした。
ブログ更新が撮影日から1ケ月ずれているので、感慨深いですね。

そして、こちらが京寿司セットです。
手前が左からバッテラ(鯖寿司)・キュウリの巻き寿司・
とろろ昆布の巻き寿司・海苔の巻きずしが並んでします。
どれも、京都ではよく食べられているものです。

京寿司セットの後ろ半分は、木箱で押し固めた箱寿司が並びます。
左から、ハモ箱(鱧のそぼろ煮が載っています)、エビと卵の箱寿司・
鯛の酢締・鮭の昆布締の箱寿司です。
一番右は稲荷寿司なので、箱寿司ではありません。
もちろん、中には芥子の実がきちんと入っています。
写真をクリックすると拡大されるのは、ここまでです。

「いず松」を出て、本町通を北に向いています。
JR京阪電鉄「東福寺」駅は目の前ですね。

帆奈mり通から、JR京阪電鉄「東福寺」駅を見ています。
この路地の左奥に進むとJRの駅へ進む陸橋の下に出ます。
京阪電鉄へは、目の前の改札口をくぐります。
では、今回は京阪電鉄に乗って家に帰ります。
家には、午後5時ごろ着きました。
よく考えたら徒歩で帰っても似た時間なのですが、
まぁそれはご愛嬌ということで……
これで、「月輪
紅葉散策2,016年編」の連載を終了します。
~次回から、初詣を連載します。また、伏見稲荷大社を訪れます~
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