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第306回 松尾祭 神輿巡行

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西京極でのJリーグ観戦直後、七条通まで南下して東に進みました。
こちらは、「七条御前」交差点で東を向いた写真です。
商店街に、「松尾祭」の幟(のぼり)が立っていますね。
今回は、この近くにある松尾大社西七条御旅所まで進む
神輿巡行を取材しました。
撮影日は、2015年4月26日日曜日午後5時。
今月一番の快晴でした。


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七条通から、御前通を南に向きました。
前回ブログとは違い、道沿いに露店が並んでいますね。


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七条通から、御前通を南に約50m進みました。
こちらは、時宗松尾山西蓮寺です。
京都で時宗の寺院は珍しく、このブログでも2軒目です。
こちらは、浄土信仰の空也上人が開祖の寺院です。


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その南隣は、武御前神社です。
前回ブログとは、また違った雰囲気になっています。


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さらにその南隣に、松尾大社西七条御旅所がいらっしゃいます。
普段は閑静な神社ですが、この日は賑やかですね。


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一の鳥居から、西に約20m進んだところが本殿です。
先ずはここにお参りですが、この日は扉が開いていました。
(理由は、この後でわかります)


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本殿前に灯籠が2本立っていますが、そのうち1本がこちらです。
「正徳二年」と言えば、江戸時代の新井白石が政治をした頃ですね。


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本殿の前で、北を向きました。
今露店が並んでいる方から、外に出られます。


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松尾大社西七条御旅所から北に出て、東を向きました。
実は露店が出ているのはかなり狭い範囲だけなのですが、
地元民中心にたくさんの方々で賑わっていました。


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先ほどの道を東に進み、御前通で北を向きました。
では、ここからまた「七条御前」交差点に戻ります。


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西京極で屋台の弁当やたこ焼きを食べたので、結構満腹でした。
ただ何か1品くらいはと思い、みたらし団子を露店で買いました。
団子のしっかりしたモチモチ感は、
下鴨神社の「賀茂みたらし茶屋」とはまた違った食感です。


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再び「七条御前」交差点まで来ました。
左(西)側のテントは、「肉の大川」というお肉屋さんです。
こちらの「揚げ物」も、この辺の名物です。


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七条通に出て、お肉屋さんの西隣はお酒屋さんです。
立ち飲みのお店でもあって、
半被を着た氏子さんがたくさん飲んでおられました。
(……ということは、もう少し時間がかかりそうです)


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予定より40分遅れて午後5時40分ごろ。
ようやくお祭りの行列が、「七条御前」交差点にやって来ました。


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銭湯は、軽トラックに乗った榊(さかき)です。
旗には、「下嵯峨」と書かれていますね。


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その次は、お稚児さんです。
伴を引き連れていますが、徒歩なのですね。


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さらに、「月読神社」と書かれた旗と唐櫃がやって来ました。
この中に、ご神体がいらっしゃるのでしょうね。


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そして、ここから御神輿の登場です。
先ずは、「四之社」と書かれた旗が現れます。
そして神輿の登場ですが、ここでいったん休憩です。


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この日(2015年4月26日)は晴れているせいか気温も高く、
担ぎ手の氏子さんもだいぶ疲れておられました。
そのため小刻みに休憩が入るのですが、
その間に市バスが何台も通過していきました。


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市バスが通り過ぎた後、担ぎの方々が神輿の下に入られます。
そして掛け声の下、一斉に全身を始めました。


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「ほいっと、ほいっと」の掛け声の中、
神輿が「七条御前」交差点に入ってきました。


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「七条御前」交差点で、神輿が静止しました。
すると、担ぎ手全員で神輿を持ち上げられました。


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そして神輿を元の高さまで戻すと、
今度は御前通を南下し松尾大社西七条御旅所に向かいます。


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七条通から、御前通を南下中です。
たくさんの方が、神輿を追いかけていきます。


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神輿は休憩することなく、御前通を約100m南下し続けています。
お疲れなのか、だんだん神輿の左側が下がってきましたね。


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とは言え、その神輿も御旅所の中に入っていきました。
自分も、その後をついていきます。


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御旅所境内に、お神輿が入ってきました。
神輿巡行も、もう少しですね。


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境内北側に、神輿を普段入れてある倉庫があります。
神輿は、ここで下されます。


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神輿が下ろされると、本殿の方から神官二人が来られました。
神事が行われる間、担ぎ手の氏子さんは頭を垂れています。


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神官の一人が神輿の中に手を入れ、中から箱を取り出しました。
こちらに、ご神体がいらっしゃいます。


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ご神体を取り出した神官が振り返りました。
そして、ご神体をもう一人の神官に手渡します。


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ご神体を抱えた二人の神官は、無言で走り出しました。
そして、本殿の中へ消えていかれました。
(これが、本殿が開いていた理由ですね)


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ご神体が本殿にいらした後、
残った氏子さんが手拍子と「ほいっと」の掛け声をあげて、
この場は解散となりました。

一見すると、これで終わりなのですが……


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……こちらは、午後6時を回った「七条御前」交差点です。
実は、松尾大社から来られる神輿は計4基です。
残りの3基が、ようやく到着しました。


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先頭(正確には2基目)の「宗像社」の神輿は、
こちら(南)側歩道の前で、巡行していきます。
目の前で進まれると、結構迫力がありますね。


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宗像社の神輿の後ろから、櫟谷社の神輿が迫ってきます。
こちらは、一回り小さな御輿ですね。
北側歩道の前を通過しますので、ほぼ並行して進みます。
宗像社の後ろには、大宮社の神輿が迫ってきました。
3基同時に動くと、なかなか壮観ですね。


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ただ、さすがに「七条御前」交差点には1基づつ入っていきます。
宗像社の神輿は高く持ち上げられてから、御前通を南下しました。


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一回り小さな櫟谷社の神輿は、
いったん東の方(七本松通付近)に移動してから
再び「七条御前」交差点に入ってきました。
そして、御前通を南下していきます。


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ところが、ここでまた30分以上の中断がありました。
1基づつ御旅所で神事を終えてから次の神輿が進むのですが、
ようやく最後の大宮社動き出したのですが、
この時点で午後7時を回ってしまいました。
もう完全に日が暮れて、ウチのカメラではこれが限界です。
(フラッシュが弱いのです)
ですから、御旅所の様子は写していません。

では、これで2015年松尾大社神幸祭を終えます。

今回は、ここまでです。

~次回は、この御旅所から西塩小路を突き当ります~

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第308回 藤森祭の藤森太鼓

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京都駅からJR奈良線を3駅進み、「JR藤森」駅に着きました。
毎年5月3日~5月5日は近くの藤森神社で藤森祭が行われます。
今回は、そのお祭りの神事の一つ藤森太鼓の奉納を見に行きます。
撮影日は、2015年5月3日憲法記念の日の日曜日午後2時半。
天気予報は雨でしたが、蒸し暑い晴れの日でした。


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エスカレーターでホームに上がり、駅の改札口まで来ました。
「JR藤森」駅のホームは、この真下になります。
そのため駅ホームはとても暗く、
そこでの写真も暗くなってしまいました。
ですから、駅ホームの写真はありません。


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「JR藤森」駅を出て、右(西)を向きました。
この道を約600m進んだところに、本町通とのT字路があって、
その手前の京都市立藤森小学校の向いから
藤森神社に入っていきます。


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「JR藤森」駅から、西に約100m進みました。
向こうの茂みは、京都教育大学です。
ただその前に、手前の大きなスペースに立ち寄ります。


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その大きなスペースは、浄土宗西福寺です。
結構大きな寺院で、境内の一部が幼稚園になっています。
(浄土宗には、西福寺という寺院が多くありますね)
こちらは14世紀半ば(南北朝時代)に、
北朝の光厳天皇が建立しました。
元々はもっと南にありましたが、
伏見城築城の際に豊臣秀吉がこの地に移転させました。
(要するに、元々伏見城の辺りにありました)
大正時代から昭和時代に活躍した歌人田中常憲の菩提寺でもあり、
境内には常憲の歌碑も立っています。


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西福寺の西隣に、京都教育大学のキャンパスがあります。
遠くから見ると茂みに見えましたが、
ここにはたくさんの植物が植えてあって、
今の時期はツツジが満開です。


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京都教育大学の前から、西を向いています。
急な下り坂がまだまだ続きますが、ここを進んでいきます。
大学の向い(南)側にパン屋さんがありますが、
日曜日なので閉まっていました。


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この辺りは、古くて大きな民家が並んでいます。
(京都市街地ではないので、京町家とは別の建築様式です)
この土蔵はかなり立派なので、一枚撮りました。


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京都教育大学の前から、西に約150m進みました。
(あと150mで、本町通とのT字路です)
北(京都市立藤森小学校の向かい)側を向くと、
藤森神社の一の鳥居が見えます。
では、ここから北上して藤森神社の拝殿に向かいます。


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鳥居をくぐり、藤森神社の境内を北上しています。
この辺りは4車線くらいの幅が続きます。
実は、この位置で毎年5月5日の駆馬神事が行われています。


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藤森神社一の鳥居から拝殿までの道は、約300m続いています。
その周囲に、たくさんの露店が並んでいました。


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その道の途中(東側)に、宝物館があります。
ここ藤森神社は軍神ですが、軍馬や競馬の神様でもあります。
ですから、ここには古い武具や馬具が収められています。
また競馬の神様ということで、
武豊ほか多くのジョッキーのサイン色紙なども展示されています。
(さらに、古地図が多く展示されていました)


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その向かい(南)側には、絵馬殿があります。
結構立派なのですが、この日は参拝者の休憩所になっていました。


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藤森神社一の鳥居から約300m北上して、拝殿の前に来ました。
ここで午後3時から「藤森太鼓」の奉納が行われますが、
まだ10分ほど時間があります。
先に本殿などに参拝します。


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拝殿の裏(北)側に、藤森神社本殿があります。
ここの御祭神や沿革は、第124回ブログを参考にしてください。
実は藤森神社は元々伏見稲荷大社の位置にいらして、
伏見稲荷大社はこの神社の末社のうちの1柱でした。
それが中世に入って稲荷信仰がさかんになるにつれ、
伏見稲荷大社に追い出される形でここに移転しました。
この辺にも、「諸行無常の響き」がありますね。


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こちらは、藤森神社本殿から北東の位置になります。
この辺り一面に、アジサイが植えてあります。
藤森神社は藤やアジサイで有名な神社で、
毎年6月になると、ここが絶景仁あります。


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藤森神社本殿の裏(北)側に、たくさんの末社が並んでいます。
そちらを東から西へと拝んでいきます。
先ず八幡社です。室町時代の建立で重要文化財です。
(松でよく見えませんが……)


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その西隣は、祖霊社です。
歴代神主さんの霊を御祭神とします。


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その西側には、小さな祠が並んでいます。
住吉社や厳島社など、日本全国の神様が勧進されています。


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さらに西側に、重要文化財の大将軍社がいらっしゃいます。
こちらは、室町幕府6代将軍足利義教が建立しました。


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こちらは、一番西の天満宮です。末社参りは一通り済ませました。
そろそろ午後3時なので、拝殿の南側に向かいます。


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藤森神社拝殿南側に戻ってきました。(つまり、今北を向いています)
10分前と異なり、こちらに太鼓が並んでいます。
いよいよ「藤森太鼓」の演奏が始まるようです。


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ちょうど午後3時になって、太鼓の奏者が並びました。
(こういう神事で、時間通りは珍しいですね)
奏者の皆さんがバチを構えて、藤森太鼓の演奏が始まりました。


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最初の曲は、大小の和太鼓によるものです。
何度か和太鼓の演奏を聞いたことがあるのですが、
この藤森太鼓も同じ系譜なのだろうと思います。

演奏中に、拝殿に目が行きました。
「深草郷」とは、伏見区北部一帯を指します。
伏見稲荷大社が今いらっしゃる地域にこの神社がいらしたため、
伏見稲荷大社周辺は今も藤森神社の氏子地域になります。


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拝殿の左(西)側の神輿は、瀧尾神社東福寺の幟が立っています。
藤森神社の氏子地域は本町通沿いに細長く続き、
JRの高架辺りまで伸びています。
(その北側が、伏見稲荷大社や豊国神社の氏子地域です)


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そうこうしているうちに、1曲目が終わりました。
ここで、奏者や太鼓が入れ替わります。
その間、横笛の奏者が乱入してきて独りで一曲披露してくれました。


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太鼓が並んでも、さらに横笛の演奏は続きます。
そのうち横笛奏者が4人となり、
端にはパーカッションの奏者まで増えました。


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横笛の演奏が終わると、太鼓の演奏が始まります。
今度の太鼓奏者は、全員女性です。
横笛奏者は最初後ろで座っているだけでしたが、
そのうち演奏に加わってきました。


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そして、2曲目も演奏が終わりました。
この時点で、午後3時15分です。
この後の予定を考えるなら、
午後3時半にはここを出ないといけません。
だんだん時間がなくなってきています。


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2曲目が終わると、
女性太鼓奏者のうちの一人がMCを始められました。
どうやらあと2曲あるのですが、
時間的にあと1曲しか聞けないようです。


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背後から一人の男性奏者が法螺貝を吹かれて登場されました。
修験者が号令や合図で吹かれているのを見たことがあるのですが、
このように楽器として演奏されるのをほぼ見たことがありません。


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法螺貝奏者が、拝殿の方にまで来られました。
その間に、太鼓と奏者がまた入れ替わります。


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そして、3曲目が始まりました。
衣装が替わっていますが、奏者は先ほど2曲と同じ方々です。
MCされていた女性奏者も、演奏に加わっておられました。


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3曲目が終わりました。この時点で午後3時半です。
もう1曲あるのですが、
午後4時には伏見稲荷大社にいないといけません。
ですから、残念ではあるのですがここで藤森神社から離れます。


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4曲目が始まる中、拝殿から背後(南)を向きました。
いろいろ名残惜しいのですが、ここでもと来た道を進みます。
続きは、また今度ということで……


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藤森神社の拝殿から、南に進んでいます。
この辺りの土がほんのり濡れていましたが、
氏子さんが丁寧に水をまかれていました。
2日後の駆馬の馬場を整えているのでしょうね。


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藤森神社一の鳥居に戻ってきました。
では、ここから藤森神社を出ます。


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藤森神社の前から、東を向きました。
次は、ここを進んでいきます。


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藤森神社から、東に約500m進みました。
ようやく「JR藤森」駅に戻ってきました。


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では、「JR藤森」駅から次の目的地に向かいます。
実は、この日(5月3日)は伏見稲荷大社の例祭の日でもあります。
次は、そちらに向かいます。
ただ、それが次回ということで……

今回は、ここまでです。

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第309回 稲荷祭の神輿巡行

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前回ブログに出てきた「JR藤森」駅から一駅京都方面に戻り、
「稲荷」駅にやって来ました。
GW半ばということで結構の人出なのですが、
この日が伏見稲荷大社の年に一度の例祭であることを
大半の方はご存じないようです。
今回は、こちらの神輿巡行を見に来ました。
撮影日は、2015年5月3日憲法記念の日の日曜日午後3時50分。
神輿巡行には、何とか間に合いました……


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こちらが、自分が乗ってきた「JR藤森」駅15:46発
京都行JR奈良線の車両です。
JR奈良線は伏見稲荷大社以外にも東福寺や宇治間を
京都駅と直接結んでいるので、
観光シーズンになるといつも満員になります。


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陸橋を渡って、東側のホームにやって来ました。
では、こちらから改札口を出ます。


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JR奈良線「稲荷」駅から、東を向きました。
本町通を渡ると、伏見稲荷大社の一の鳥居です。


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伏見稲荷大社一の鳥居から、東を向きました。
ここ表参道を進むと、楼門の先に拝殿と本殿があります。
本日は例祭なので、ここに露店は並びません。


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伏見稲荷大社一の鳥居から、表参道を東に約100m進みました。
北を向くと、末社が3柱いらっしゃいます。
左(西)から、熊野社・藤尾社・霊祖社です。
先に、こちらをお参りします。


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末社の前で、表参道を東に向きました。
楼門の辺りが通行止めされていて、
そこに神官や観光客が並んでいます。


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午後4時になって、神輿行列が戻ってきました。
(こちらも、時間通りですね)
先頭の車両が、表参道を通ります。


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先頭は軽トラックで、後続以降は大型トラックです。
「稲荷祭の神輿巡行」は、基本的に「トラック巡行」です。


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「稲荷祭」のために垂れ幕で着飾った大型トラックが、
何台も通り過ぎていきます。


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大型トラックの荷台には、稲荷祭の神事で使うものが並んでいます。
また、行列に参加された方々もトラックの荷台に乗っておられます。


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こちらの荷台では、雅楽が演奏されていました。
時速30㎞で通り抜けるので、聞こえたのは一瞬でした。


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その次は、斎王さんでしょうか?
葵祭では、牛車に乗られていましたね。


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その後には、唐櫃が載せられていました。
どこからの末社がいらっしゃるのでしょうか?
ウチの近所も含めて、伏見稲荷大社の氏子地域はここから遠いので、
大半は近くに境外末社ががいらっしゃいます。
各末社のご神体が、神輿などに乗ってこの日に巡行しました。


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巡行を終えたトラックは、右(南)側の駐車場に向かいます。
そして、そこから降りられた方々はその足で本殿に向かわれます。


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少し途切れていたトラックの行列が、また再開しました。
今度は、神輿を載せたトラックが通り過ぎます。


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神輿を載せた先頭車両が入ってきました。
先頭は、「田中社」のようです。


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こちらが、田中社の神輿です。
田中社自体は、第140回ブログに出てきた
十条本町交差点近くの神社です。


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その次は、上之社の神輿です。
こちらも、時速30㎞で通り過ぎました。


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さらに、下之社の神輿が続きます。
沿道の方々も、神輿が通るときが一番盛り上がります。


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その後に、中之社の神輿が通り過ぎます。
こちらが、一番大きな御輿ですね。


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そして、四之社の神輿がやって来ました。
これで、神輿自体の巡行は最後です。


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神輿の後は、木造の馬の像が通り過ぎました。
こちらは、第179回ブログに出てきた馬殿にいらっしゃる像ですね。


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その後から、「稚児」とかかれたトラックが通り過ぎます。
荷台に、小学生男子と思われる方々が10名ほど乗っておられました。


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そして、こちらが稲荷祭神輿巡行の最後尾車両です。
表参道も、通行止めが取り払われます。


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こちらが、通行止めの規制が解除になった瞬間です。
表参道が、たくさんの方々で再びごった返します。
最後尾車両も、右(南)側の駐車場に向かっています。


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ちょっと駐車場を覗いてみました。
既に垂れ幕は取り払われ、普通の大型トラックになっていますね。


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表参道から、楼門を見ています。
普通ならこのまま石段を上がるのですが、
この日はここから規制線が張られてここからは進めません。


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そこで、楼門の北側から拝殿の方に回りました。
こちらに、先ほど神輿が順番待ちをしています。
本当なら「春旅」の企画で向こうの荷田春満邸に入れるのですが、
この状態では無理ですね。


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拝殿の東側本殿では、稲荷祭の神事が続いています。
田中社の神輿から、ご神体が本殿に向かわれます。


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本殿前を拡大して、撮影しました。
次は、上之社のご神体が本殿に向かわれます。


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上之社のご神体が、本殿奥に向かわれます。
神官は全て、拝礼されておられます。


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そして、役割を終えた大型トラックが去っていきます。
この後も、下之社・中之社・四之社と同じことが続きます。
ところが、ここで警備員に叱られました。
「これ以上撮らないように」
そう言われたので、ここで退散します。


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同じ場所で。北西を向きました。
向こうに見える鳥居をくぐって、御幸通(裏参道)から帰ります。


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では、御幸通を北西に進みます。
この日は祝日ですが、平日でも最近はこのくらいの人出です。
(ここ2年で、伏見稲荷大社の参拝者が急増しています)


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御幸通は、石製の鳥居をくぐると西に進路を変えます。
本町通の手前に、「紅ずわいがに」と書かれた露店があります。
ちょっとここに寄ってみます。


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そして、こちらがその「紅ずわいがに」です。
まぁ「カニかまぼこ」なのですが、
しっかりずわいがにのカニ身も入っています。
カニの濃厚な甘さが、クセになりそうです。


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「紅ずわいがに」の露店の前から、御幸通を西に向きました。
では、目の前の鳥居をくぐって本町通に出ます。


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本町通から、御幸通を西に向いています。
交差点の南西角に、いつも寄っている「ねざめ家」があります。
この日も、寄り道しました。


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この時期の「ねざめ家」は午後5時がラストオーダーで、
午後5時半に閉店です。
この時点で、午後4時50分です。そこで急いで注文しました。

同行していたウチの母は親子どんぶりを注文し、
自分はきつねうどんと鯖寿司を食べました。
ここはスズメの焼き鳥で有名ですが、
この時期はウズラしかなくて食べられませんでした。
他には、ウナギや京寿司(箱寿司や稲荷寿司)が名物です。


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ねざめ家」の西側に、ここの持ち帰り専門の寿司屋があります。
毎年5月3日はウチの風習で自家製ちらしずしを食べるのですが、
そこを曲げてここのお寿司を食べることにしました。
(まぁ、同じ「お寿司」なので風習は守ったということで……)
自家製ちらしずしは、翌日5月4日に食べました。


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こちらが、「ねざめ家」の持ち帰り用の「京寿司」です。
稲荷寿司と鯖寿司を持ち帰れます。
(店では「巻き寿司」も食べられるのですが……)


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こちらが、「ねざめ家」の稲荷寿司です。
薄揚げはきちんと出汁で煮てあり、
寿司飯には芥子の実が入っています。
(個人的には、芥子の実は稲荷寿司の必需品と思っています)


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そして、こちらが鯖寿司です。
鯖は青身の部分しかないのが、特徴ですね。
青身は適度に脂がのっていて、それが独特の甘みを出しています。


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ねざめ家」を出て、御幸通を西を向いています。
先ほどの大型トラックが、JR奈良線の線路を越えて行きます。
京阪電鉄の線路も越えて、師団街道に向かっているのでしょう。


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今度は「ねざめ家」の前で、東を向きました。
大型トラックが、次々通り過ぎていきます。


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御幸通から、本町通を南に向いています。
大型トラックがたくさん通り過ぎた余波で、渋滞になっています。
よく見ると周囲には「藤森祭」の幟が立っていて、
「稲荷祭」のものはありません。
前回ブログでも書きましたが、この辺りは藤森神社の氏子地域で
伏見稲荷大社のものはもっと北になります。
(下京区や南区・東山区の辺りです)
そのため、この辺りも「藤森祭」の神輿巡行のコースになります。


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初詣の際にはここで唐揚げを売っていましたが、実は肉屋さんです。
(地域住民と観光客の両方が買いに来ます)
ただ、この日(5月3日)は例祭なのでお休みでした。


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御幸通から、本町通を南に約100m進みました。
東側に、伏見稲荷大社一の鳥居が見えます。
これで、ここを一周したことになります。


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伏見稲荷大社一の鳥居の前から、南を向きました。
こちらに、コンビニストアがあります。
(「トラック巡行」の際に、時々見えていました)
ここに寄ったのですが、この時間でも豆大福が売れ残っていました。
(いつもなら、お昼過ぎには売り切れてしまします)


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こちらが、その豆大福です。白餅とヨモギ餅です。
こちらはここの主人のお手製で、伏見稲荷大社の隠れた名物です。


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ここで本町通を渡ると、JR奈良線「稲荷」駅に着きます。
では、ここから家に帰ります。

今回は、ここまでです。

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第310回 新日吉神宮 神幸祭

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京都駅北側市バスターミナルから、206系市バスに乗って約10分。
こちらは、「東山七条」バス停です。
(智積院に訪れたときの208系市バスとは違う位置にあります)
今回はこの位置から新日吉神宮の神輿巡行を見た後、
その新日吉神宮(いまひえじんぐう)自体に向かいます。
撮影日は、2015年5月10日日曜日午後0時50分。
GW以降は、ずっと快晴の夏日です。


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バス停から、南を向きました。
右(西)側の鉄柵の向こうは、京都国立博物館です。
このバス停は、「東山七条」交差点から約50m北にあります。


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その「東山七条」交差点で、東を向きました。
(七条通は、もう50m先から西に伸びています)
ここからこの山道を上ろうとしたのですが、
新日吉神宮神輿巡行の行列がもうここまで来ています。
(巡行開始予定の午後1時には、まだ5分以上あるのですが)
という訳で、ここから神輿巡行を見ようと思います。
(まぁ、予定していた場所よりここの方が良い写真が撮れます)


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約3分して、巡行の行列が交差点にかかってきました。
先頭に、獅子舞がいらっしゃいます。
こちらも、噛まれると無病息災のご利益があります。


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警官が交通規制を終えると、いよいよ交差点を渡ります。
この太鼓の音が、巡行の目印になります。


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次は、神輿が登場します。
こちらは担ぐのではなく、曳いていきます。


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その後に、唐櫃が通り過ぎます。
神輿の方が先なのは、ちょっと変わっています。


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さらに、榊の枝に細く切った紙がくくりつけてある山車が通ります。
上手く方向転換できないのか、
他のものより引手がたくさんいらっしゃいます。


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その後からお稚児さん(保護者同伴)が現れて、
歩道まで入ってきて粽を配っておられました。
自分の脇にいらした白人男性は粽が何か分からず、
「What is this?」
を周囲の方に連発されておられました。


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行列の最後尾は武具を持った若武者と
笠の付いた籠(たぶん中に御神体)、人力車が続きます。


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神輿巡行の行列は、東大路を北上していきます。
第7回ブログで訪れた馬町交差点の方に向かいます。


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神輿巡行が通り過ぎ、また静かになった「東山七条」交差点です。
右(南)側の白壁が智積院のもので、
左(北)側の土塀は妙法院門跡のものです。
では、こちらから東に進み新日吉神宮に向かいます。


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「東山七条」交差点から、東に約50m進みました。
ここは、東山の一つ阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)山中です。
智積院北門の東隣に、
イルパッパラルドというイタリア料理屋さんがあります。
「京都で一番おいしい」
と言われている石窯ピッツァが名物で、
ランチタイムでもこのように行列ができます。
(ディナーは、予約しないと満員で入れません)


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イルパッパラルドの前から、山道を上っています。
向こうの方にある喫茶「坂」の傾き加減で、
ここがどれだけ急な坂道かが分かりますね。


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さらに山道を上ります。沿道のカエデの青葉がきれいですね。
この赤いバスは、京都駅と京都女子学園を往復するものです。
この日(2015年5月10日)は日曜日でしたが、
いつもならこの坂道は京都女子学園に通う
女子学生(小学生~大学生)であふれていて、
「乙女坂」とか「女坂」とか呼ばれています。


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東大路から、この山道を東に約200m進みました。
こちらが、新日吉神宮一の鳥居です。
東大路から見上げるとここで突き当りのようでしたが、
実際には少し北にずれて道は続いています。
ちなみに、この道は「豊国廟」(豊臣秀吉のお墓)まで続きます。


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さらに約50m進みました。ここは、京都女子高校の校門前です。
この日は休日でしたが、「母の日」でもありました。
そこで京都女子小学校は保護者参観日だったようで、
親子連れがあちこちいらっしゃいました。
……とは言え、学校の方にはカメラを向けられません。
(警備員が飛んできます)
実は、平日ならこの辺りでカメラを持っているだけで
自分のような「オヤジ」は職務質問を受けてしまします。
(それくらい、この辺はガードが固いです)


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その校門前で南を向きました。
新日吉神宮は一の鳥居前が封鎖されていたので、
こちらの駐車場経由で境内に向かいます。


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新日吉神宮駐車場で、さらに南を向いています。
ここを抜けると、すぐに神社の楼門があります。


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ただ、駐車場を抜けるとすぐにこちらの前に出ます。
こちらは、山口稲荷神社です。
ここにお参りをして、先に進みます。


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山口稲荷神社の脇から南を向いています。
ここから、新日吉神宮の楼門が見えてきました。


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そして、こちらが新日吉神宮の楼門です。
では、ここをくぐって境内に入っていきます。


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楼門をくぐり、すぐ左(北)側に手水舎があります。
(「バイト募集」の貼り紙がありますね)
その右(東)側に見えるのは、時砲台の跡です。
ウチの母が小学生のころまでは、(約60年前?)
毎日正午になるとここで空砲が発射されて
その音で京都市民は時間を知ったそうです。
(昔そんな話を聞いたことがありました)
その向こうは倉庫ですが、この日は開いていますね。
(神輿などの神具が収められていました)


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左近の桜、右近の橘の向こうに、新日吉神宮の拝殿があります。
この日は例祭なので、装飾がしてあってお神酒が供えられています。


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こちらが、新日吉神宮の本殿です。
御祭神は、大山咋命(オオヤマクイノミコト)など日吉山王七神です。
元々は法住寺殿(現在の三十三間堂回り)の鎮守社でした。
ですから、後白河上皇による建立です。
あちこちに引っ越しを続けて、
今の位置に落ち着いたのは明治時代に入ってからです。
よく考えたらこの瞬間は神輿巡行中のため
ご神体がここにいらっしゃらないのですが、
一応お参りは済ませます。


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本殿の左(北)側に、末社の天満宮がいらっしゃいました。
次は、こちらにお参りです。


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本殿の右(南)側にも、こちらの末社がいらっしゃいます。
左(北)側が豊国社で、豊臣秀吉が御祭神です。
右(南)側は、秋葉社と愛宕社が合祀されています。
(どちらも、「火災除けの神様」ですね)


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本殿の周りを一通りお参りして、拝殿に戻ってきました。
先程と反対側に回ると、このような提灯が下がっていました。
それぞれ京都市下京区と東山区の小学校の学区です。
旧崇仁小学校は第298回ブログの「桜の小径」の横にあります。
旧菊浜小学校(現在の「ひとまち館」)は、
第114回ブログに出てきた正面児童公園の近くにあります。
同じく第114回ブログの最初の方に旧貞教小学校が出てきますし、
旧修道小学校は第7回ブログの馬町交差点付近にありました。
ただ、これらの学区の一部は伏見稲荷大社の氏子だったりと
かなり入り組んだ状態になっています。


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拝殿を通り過ぎて、楼門の前に出ました。
では、ここから新日吉神宮を出ます。


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新日吉神宮楼門をくぐり、西を向いています。
目の前の石製鳥居を抜けたら、先ほどの山道に戻ります。
この周囲に、京都女子大学の施設が並んでいます。
この神社は、京都女子学園の施設に囲まれる形になっています。


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先ほどの山道に戻り、西を向きました。
ここから、京都市街地が一望できますね。
まぁ、それだけ標高が高いところに来ています。
では、ここを突き当りの京都国立博物館まで進みます。


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先ほどの場所から約200m西に進み、南を向きました。
右(西)側の鉄柵は京都国立博物館のものです。
ではここから約50m南に進み、七条通に出ます。


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先ほどの地点から、南へ約50m進みました。
この智積院勅使門前から東に、七条通が伸びています。


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東大路から、七条通を西に向いています。
まだまだ急な下り坂が続きます。次は、ここを進んでいきます。


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東大路から、七条通を西に約100m進みました。
こちらは、京都国立博物館の駐車場です。
京都のこういう施設としては珍しく、広大な駐車場を持っています。


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さらに七条通を西に約100m進みました。
こちらは、「三十三間堂前」交差点です。


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同じ地点で北を向きました。
京都国立博物館へは、こちらから入ります。
2015年5月17日まで、「狩野派展」が開かれています。


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さらに今度は南を向きました。
三十三間堂へは、こちらから入ります。
ずっと向こうには、三十三間堂の南大門が見えていますね。


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さらにさらに七条通を西に進んでいます。
最近改装されましたが、京都国立博物館と言えば
自分はずっと赤レンガだと思っていました。


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「三十三間堂前」交差点から、西に約100m進みました。
こちらは、「七条大和大路」交差点です。
今度は大和大路を北上して豊国神社に向かうのですが、
その理由は次回に書きます。

今回は、ここでまでです。

~次回は、豊国神社の周辺散策です~

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第311回 「豊国さん」の縁日と神輿巡行

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「七条大和大路」交差点北東角にある道標を見ています。
石垣の上にある「大仏前交番」の脇には、ツツジが咲いていますね。
今回は、道標の←(北)へ進み、豊国神社に向かいます。
撮影日は、2015年5月10日日曜日午後2時。
午後になって、さらに気温が上がってきました。


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七条通から、大和大路を北に向いています。
ここは、京都国立博物館の西側の通りになります。
では、こちらを進みます。


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七条通から、大和大路を北に約100m進みました。
こちらは、京都国立博物館の出口です。
以前は閉まっていましたが、昨年(2014年)に改装されたときから
この門も利用されるようになりました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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その出口の前から、大和大路を北に向いています。
目の前にそびえる巨大な石垣は、
かつて豊臣秀吉がここに建立した「大仏殿」の跡です。
ここから北が、豊国神社ですね。
では、さらに北に進みます。


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その辺りで、西側歩道を見ています。
豊国神社周辺は百日紅(さるすべり)で有名ですが、
この時期は木に葉も付いていません。
代わりに、ツツジが満開でした。


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京都国立博物館の出口から、大和大路を北に約150m進みました。
東に向くと、(京都国立博物館の北隣)豊国神社がいらっしゃいます。
先ほどの石垣は、現在はこの神社の基礎部分になっています。


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豊国神社の前で、西を向きました。
ここから西に正面通が伸びており、
鴨川を越えて正面児童公園渉成園で突き当り、
さらにその西側から伸びて東本願寺まで続きます。
ただ、この日(2015年5月10日)は
この豊国神社前が歩行者天国になり露店が道沿いに並びます。
ここだけ見ると、まるで豊国神社の例祭みたいなのですが……


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とりあえず、東を向いて豊国神社入っていきます。
ただ、こちらは全然「お祭り仕様」ではありません。


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「正面大和大路」交差点から石段を上ると、手水舎があります。
なぜか、「米を洗わないでください」と書かれていました。


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こちらが、豊国神社(とよくにじんじゃ)の本殿です。
御祭神は、豊國大明神(豊臣秀吉)です。
……とは言え、やはりこの辺りは「お祭仕様」ではありません。
神社の中と外で、テンションが違うのが面白いです。


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豊国神社本殿から、南を向きました。
松林の向こうに、社務所があります。
ここで、宮司さんにお話を聞きました。
境外の露店は、前回ブログの新日吉神宮の例祭のものです。
つまり、この日は豊国神社は「通常モード」です。


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豊国神社社務所前から、北を向きました。
では、ここから豊国神社の北側に向かいます。


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こちらは、豊国神社北側です。
末社の稲荷大明神の北側に、方広寺があります。
ここから見えるのが、国家安康の鐘です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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次は方広寺に向かおうとしたのですが、
「ドンドン」と太鼓の音がしてきました。
急いで鳥居を抜けて、「正面大和大路」交差点に向かいます。


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鳥居を抜けて、「正面大和大路」交差点に戻ってきました。
すると周囲に氏子さんがいらして、
大和大路の北側から新日吉神宮の神輿巡行が南下してきました。


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豊国神社の鳥居前に、新日吉神宮の神輿巡行がやって来ました。
前回ブログの「東山七条」交差点から、
「馬町」交差点経由でここに来ました。


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行列の先頭にいらした二人が、長い矛を立てられました。
この矛が揺れると、とてもきれいな音色が響きます。


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矛先を拡大してみました。
柄を揺らされると、矛先が大きく曲がります。
ただ、この音源は矛先に付いている鈴です。


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矛の演舞が終わると、豊国神社鳥居前に神輿が入ってきました。
こうして見ると、まるで豊国神社のお祭りですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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神輿巡行に加わった獅子舞が、周囲の子供の頭を齧ります。
昔は正月によく見られた光景でしたが、
今はほとんど見かけなくなりました。
ただ、子供の大半は怖がって大声で泣き叫んでいました。
……これも、「お約束」ですね。


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獅子舞に多くの方々が群がっているのでお気づきでしょうが、
ここの神輿巡行は沿道の方々が行列に触れるくらい近づけます。
山車に細い紙を括り付けた榊が乗っているのですが、
これを氏子さんがハサミで切り刻んで沿道に配り始めました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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そして、神輿が耳塚公園の前を通り過ぎます。
この距離で撮れるのも、このお祭り独特ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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そして、神輿巡行の最後尾が通り過ぎていきました。
沿道の方の中には、
そのまま行列についていかれる方もいらっしゃいました。


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神輿巡行の行列は本町通まで西に進むと、右(北)に曲がりました。
後述しますが、この行列はあちこちうろちょろします。


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「正面大和大路」交差点南西角の耳塚公園から、
沿道の露店を撮っています。
近所の子供は露店でお小遣いを使った後、
公園に集まって遊んでいました。
自分が小学生だった40年くらい前と同じ風景です。
(ただし、昔はもっと露店も多く賑やかでしたが)


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耳塚公園の西隣耳塚を撮りました。
こちらの周囲にも、露店が並びます。


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甘春堂東店の前も、露店が並んでいます。
和菓子の老舗の前にチョコバナナの露店というのも、
なかなかシュールですね。


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専定寺(烏寺)の前にも、タコ焼きの露店が並んでいます。
もう昼過ぎなので、ちょっとここに寄ります。


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こちらが、その露店のタコ焼きとラムネです。
(これで、700円です)
外はカリカリですが、中は半生なのがおいしいです。

実は、自分が生まれて初めて訪れた露店が
この新日吉神社の縁日でした。(今から45年くらい前のことです)
ただ、自分はこれを豊国神社の例祭と思い込んでいて、
「豊国さん」と呼んでいました。
とは言え、ここの氏子さんもその言葉を否定されませんでしたし、
ウチの母や祖父も(つまり、何世代にもわたって)
これを豊国神社の例祭と思っていました。
まぁ「隣の氏神様の祭り」なんて、そんなものです。


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タコ焼きを食べていたら、目の前をまた神輿巡行が通り過ぎました。
また大和大路から南下してきて、正面通を西に進んできました。
慌てて写真を構えようとしたのですが、
どんどん通り過ぎてしましました。


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耳塚の前を神輿が通り過ぎていきます。
結構絵になるので、一枚撮りました。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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そして、行列の後ろの方の武器を持った若武者が通り過ぎました。
こちらも、耳塚近くで撮りました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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また、神輿巡行の行列が正面通を西に進みます。
今度は鴨川を越えて、下京区に入っていきます。


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正面通から、大黒町通を北に向いています。
左(西)に専定寺、右(東)にタコ焼きの露店があります。
ここを進むと、第153回ブログの日蓮宗寿延寺に着きます。
(ここの大黒天が、この道の由来です)


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今度は正面通から大黒町通を南に向きました。
では、耳塚の脇からここを進みかえります。


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正面通から、大黒町通を南に進んでいます。
この辺は、京町家と新しい建物が混在しています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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正面通から大黒町通を南に約250m進みました。
この大黒通は、七条通で突き当ります。


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大黒町通から、七条通を西に向いています。
ちょうど「ココイチ」の前になります。
では、ここを進んでいきます。


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大黒通から七条通を西に約50m進み、南を向いています。
こちらは、本町通との交差点です。
次は、ここを渡ります。


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本町通から、七条通南側歩道を西に向いています。
ここから約50m先にあるコンビニエンスストアの前から、
206系市バスに乗れます。
では、そこから京都駅に向かいます。

今回は、ここまでです。

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第312回 橋を見上げる葵祭

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今年(2015年)も5月半ばになり、葵祭の季節になりました。
今回は、ここ京阪電鉄「出町柳」駅から巡行の見物に向かいます。
撮影日は、2015年5月15日金曜日午前11時30分。
今年は晴れましたが、熱中症になりそうな夏日でした。


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では、駅ホームから地上を目指します。
この日はいつもよりもたくさんの方々がいらっしゃいます。


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京阪電鉄「出町柳」駅から改札を通り、4番出口で地上に出ました。
ここは、出町通沿いの川端通と高野川との間になります。
(叡山電鉄「出町柳」駅斜め向かいです)


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その4番出口を出て、川端通を北に向いています。
この左(西)側が河合橋で
通常はそこから下鴨神社に向かうのですが、
この日は葵祭巡行のために通行止めになっていました。


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先ほどの写真と同じ間じ場所で、南を向きました。
約150m先に、今出川通に架かる「賀茂大橋」が見えます。
その手前の高野川の川面に、石が直線状に並んでいますね。
そこを何人かの方が歩いておられます。


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4番出口から、川端通を南に約10m進みました。
どうやらここから高野川の川原に下りられそうです。


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高野川の川原に下りてきました。
向こうに見える直線状の石は「亀石」と呼ばれており、
よく見ると亀の形に彫られているものもあります。
この石の上を歩いて渡れるようになっていり、
「けいおん!」をはじめ多くのアニメの舞台になりました。
では、その石の上を歩いて「鴨川デルタ」に進みます。


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その石の上を歩いて、「鴨川デルタ」まで来ました。
「鴨川デルタ」とは、出町通から賀茂川と高野川の合流点までの
「三角形」の公園のことです。
この後ろ下流(南)で、2本の川は合流して鴨川になります。
ここにはたくさんの方がいらっしゃいますが、
大半の方は葵祭の巡行がお目当てです。
葵祭の巡行は、目の前の出町橋を渡った後
第242回ブログのコースを辿り、下鴨神社に向かいます。


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自分がこの位置に着いたのは、午前11時50分でした。
ちょうどそのとき、葵祭巡行の先頭が出町橋を渡り始めました。


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続いて、束帯と烏帽子姿の方が騎乗されて歩いてきます。
昨年(2014年)の葵祭は大雨の中でしたが、今年は一転炎天下でした。


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その後も、騎乗した貴族装束の方が続きます。
出町橋の欄干が邪魔で徒歩の方が上手く写らないので、
今年(2015年)は馬上の方中心に写していきます。


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その直後に、笠を持たれた方が通り過ぎました。
基本的に、昨年と同じ順番で行進されています。


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出町橋をズームせずに撮りました。
端を見上げる自分の周囲は、こんな感じです。
こちらの方々は日本人が一番多いのですが、
3割くらいは中国語を話されておりました。
他には、ロシア語・ドイツ語・英語もちらほら聞こえてきました。


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さらに、巡行の行列は続きます。
こちらの騎乗の方は、青い束帯の背に矢筒を携帯されていますね。


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さらに、藤が垂れ下がった御所車が牛に曳かれて現れました。
このような牛車が、行列の中に何台か混じっています。


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牛に曳かれた御所車が、目の前を通り過ぎます。
藤の花が、なかなか華やかですね。
こちらに斎王代が乗られていると思われた方も多かったのですが、
斎王代は、もっと後ろの輿に乗っておられます。


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御所車の後に、予備の牛が曳かれていきます。
周囲におられた中国人のうち、日本語が分からない方々を中心に
相当数の方がこれで満足して帰られてしまいました。
せっかく日本にまで来てこれで帰るのは、勿体ないことです。
徒然草の「仁和寺にある法師」を思い出します。


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案の定、その後からも行列は続きます。
ズームして撮ると、頭に葵の葉を付けておられるのが見えます。


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そして、ここでいったん行列が途切れます。
出町橋の向こう(西)を見ると、
河原町通沿いに出町枡形商店街のアーケードが見えます。
(第175回ブログにも登場しましたね)


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5分ほどして、行列は再開です。
紅白の花が付いた笠が現れました。


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紅白の笠が、こちらの方まで来ました。
笠を持たれた方が1歩1歩歩かれるたび、
笠が上下に揺れるのが見ていてきれいでした。


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その後ろにも、騎乗の貴族装束の方がいらっしゃいました。
この方も、頭に葵の葉をつけておられました。


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すると、次は黄色い花が付いた笠の登場です。
この花の形状は、ツツジでしょうか?
紅白のものよりも軽いようで、
先ほどよりも早いテンポで歩かれていました。


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ここで再び行列が途切れました。
周囲を見ると、先ほどより人数が減っています。
日本人の中には、飽きてしまわれた方もいらっしゃるようです。
(周囲の方々の会話から判断しています)
先ほどの中国人よりも、もっと勿体ないことです。


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さらに5分して、また行列が見えてきました。
こちらは「笠」というよりは「傘」ですね。
(昨年は、本当に雨傘になっていました)
その下には、女房装束の女性がいらっしゃいます。


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女房装束の方が、こちらに近づいてこられました。
「傘」の上の花が、こちらも華やかです。


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そして、その後ろから斎王代の輿が現れました。
実はそれほど大きくないのですが、こちらがこの巡行のメインです。


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だんだん出町橋を渡って、斎王代の輿が近付いてきました。
こうして見ると、牛ではなく人が曳いているのが分かりますね。


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斎王代の後ろから、騎乗の女房装束の女性が現れました。
こちらは、昨年と同じ順番ですね。


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「昨年と」ということは、あの大雨の中
この状態で行列に加わっておられました。
「雨に濡れたので、十二単を廃棄した」
報道で、そんな記事が載っていました。


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その後も、女房装束の女性が続きます。
今年(2015年)は晴れましたが、風が強いですね。


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そして、また藤の花をつけた御所車の登場です。
こちらが、巡行の最後尾になります。


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その御所車が、こちらに近づいてきました。
これで今年の葵祭巡行も、無事下鴨神社に到着しました。


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出町通も巡行が終わり、自動車が行き来し始めました。
この辺りに座り込んでいた方々も、一斉に立ち上がりました。


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京都御所を出発した葵祭巡行は、正午前後に下鴨神社に到着します。
そして、午後2時ごろから再び巡行が始まり、
今度は下鴨本通から出て、上賀茂神社に向きます。
相当数の方々がこの辺で休憩した後そちらに向かいますが、
これで帰られる方も相当数いらっしゃいます。
今出川通に架かる賀茂大橋も、人であふれています。
自分も仕事があるので、これで帰ります。


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高野川を渡る「亀石」は、この鴨川沿いにも並んでいます。
賀茂大橋が人でいっぱいのせいか、
こちらを渡る方も相当数になります。


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ですから、鴨川を渡る「亀石」の方もこのような渋滞になります。
両方に向かう方々がいらっしゃるので、
その部分でつっかえてしまうようです。
まぁ、右側通行とか左側通行とか決まっていませんですし……


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高野川を渡る「亀石」は、さらに渋滞していました。
白人のカップルと中国人の若い女性が面白がって、
「亀石」の上で写真を撮られていました。
(自分は、それを遠くから撮っています)


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とは言え、午後0時半くらいになると人も少なくなりました。
自分も「亀石」の上を渡ります。
そこから見上げると、加茂大橋の東詰めに
京阪電鉄「出町柳」駅がある地下に向かう階段がありました。
では、そこから職場に向かいます。

今回は、ここまでです。

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第394回 城南宮 曲水の宴

[曲水の宴] ブログ村キーワード
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地下鉄烏丸線の終点「竹田」駅です。
「地下」鉄の駅なのに地上にあるのは、近鉄の駅でもあるからです。
今回は、ここから城南宮に向かいます。
撮影日は、2016年4月29日昭和の日の金曜日午後1時半。
午後4時から大阪でサッカー観戦の予定なので、急ぎます。


394-2.jpg
「竹田」駅のホームで、北を向きました。
左(西)側2番ホームに地下鉄が乗り入れ、
右(東)側1番ホームに近鉄が乗り入れています。
取りあえず階段を上り、「竹田」駅改札に向かいます。


394-3.jpg
改札を出たら西に向かい、階段を下りました。
この日(2016年4月29日)は時折太陽が見えるのに
なぜか雨が時々降っていました。
目の前に、市バスターミナルがあります。
ここは、京都市伏見区内の交通の要衝です。


394-4.jpg
「竹田」駅前の市バスターミナルから、西を向きました。
左(南)側に、名神高速道路の高架が並走します。
先ずは、ここを進んでいきます。


394-5.jpg
「竹田」駅前市バスターミナルから、西に約300m進みました。
ここで、阪神高速沿いに伸びる油小路と交差します。
このまま西に進むと、この道は右にカーブして北上し
最終的に大宮通になります。


394-6.jpg
油小路と交差する名神高速道路の高架を南にくぐり、
その場で西を向きました。
城南宮へは、こちら側の道を進みます。


394-7.jpg
油小路から、府道68号線を西南西に約400m進みました。
名神高速道路の高架の一部が
だんだん南に折れて低くなってきています。
この辺りが名神高速道路の「京都南インターチェンジ」です。


394-8.jpg
「京都南インターチェンジ」を出た自動車は、
その辺りで南北を貫く国道1号線に辿り着きます。
そして、その地点で府道68号線も南に折れ曲がり、
この国道1号線に吸収されます。


394-9.jpg
つまり府道68号線を進んでいくと、
いつの間にか国道1号線を歩いていくことになります。
名神高速道路「京都南インターチェンジ」の横から
国道1号線を南を向くと、城南宮の森林が見えます。


394-10.jpg
先ほどの地点から、国道1号線をさらに南に進みました。
新城南宮道を越えると、すぐに城南宮の入り口です。
「竹田」駅前から、約1200mの距離でした。


394-11.jpg
先ほどの地点から東を向きました。こちらが城南宮の一の鳥居です。
では、ここをくぐって城南宮の境内に進みます。
ここから城南宮の写真は、クリックすればすべて拡大されます。


394-12.jpg
城南宮の境内を東に向かっています。
この辺りはカエデ並木で秋には絶景になるのでしょうが、
この時点で曲水の宴開始時間の午後2時を回っています。
散策はそこそこに、先を急ぎます。


394-13.jpg
一の鳥居から城南宮境内を約100m東に進み、
鳥居の向こうに拝殿が見え、その奥が城南宮の本殿です。
この時間帯は晴れていましたが、傘を差している方がいますね。


394-14.jpg
……ただ時間がおしているので、本殿は後回しです。
拝殿の西側から、城南宮の庭園に入ります。
普段は有料ですが、この日(2016年4月29日)は無料でした。


394-15.jpg
城南宮の庭園は、本殿の北側を
西から東に回るように造られています。
「春」→「夏」→「秋」→」「冬」と
季節をテーマにした庭園を順に回るようにできていますが、
早く一番奥の池泉式庭園に向かわなければなりません。
「夏」をテーマにした見事な竹林は、また今度ゆっくり観ます。


394-16.jpg
向こうの看板の辺りで右(南)に進むと、この庭園を出られます。
ただそちらに進まずに奥に進むと、
「曲水の宴」が行われる池泉式庭園に出られます。


394-17.jpg
その池泉式庭園に進めるはずが、途中に人だかりができています。
どうも、これ以上進めません……


394-18.jpg
こちら全て「京水の宴」を見に来た方々です……
全員で、100人位でしょうか?
「曲水の宴」は、この人混みのさらに向こうで行われます。
ただ、ちょっと開始が遅れています。
おかげで「曲水の宴」に間に合いましたが、
これでは全く見えません……


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ただ、そうこうしているうちに本殿の方から行列がやって来ました。
午後2時15分ごろ、いよいよ「曲水の宴」が始まります。


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先頭は、笙や篳篥(ひちりき)・竜笛といった楽器を持つ方々です。
雅楽を演奏しながら、こちらに向かってこられます。


394-21.jpg
その後に、束帯姿の男性や十二単の女性が続きます。
こちらの方々が短歌を詠まれるようです。


394-22.jpg
行列の最後は、白装束の神職さんたちです。
行列は別の神職さんたちがかき分けた人混みの脇を通り抜け、
向こうの池泉式庭園に消えていきました。


394-23.jpg
まぁこの人混みですから雅楽の音色が聞こえてきても、
一体何が行われているのかが全く分かりません。

自分は、諦めきれずに人混みの最後尾で頭の上にカメラをかざして
位置や角度を変えて、いろいろ撮影に挑戦しました。
すると、面白いもので10分もすれば自分には見えなくても
だいたいの勘でまぁまぁの写真が撮れるようになりました!
紺白の垂れ幕の前に立たれた方々の演奏がもう終わります。
少し間をおいて、また演奏が始まると今度は白拍子が始まります。


394-24.jpg
白拍子は、藤棚の前の舞台の上で行われました。
その舞台はかなりこちら側に近く、肉眼で自分も確認できました。
白拍子といえば、平清盛の愛妾だった祇王仏御前とか
源義経に嫁いだ静御前が有名ですね。


394-25.jpg
白拍子はゆっくりと長く舞われていたので、結構写真が撮れました。
「曲水の宴」の手順は後鳥羽上皇がこの地で実際に行ったものを
再現したものです。
雅楽の演奏後に白拍子が入るのも、
後鳥羽上皇がこの白拍子というものを好きだったからでしょうね。


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白拍子が終わると、歌人の皆さんが所定の位置に就きました。
ここからでは分かりにくいですが、あちらには小川が流れていて
そこに約30㎝の鴛鴦(おしどり)型小舟を浮かべます。
小舟の上には盃が乗っていて、
短歌を詠み終えた方から順に盃のお酒が飲めます。


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ちょうど歌人のお一人が、小川から杯を取られています。
どうも全員が詠み終わって、盃が回るようにできているようです。
「曲水の宴」は平安時代から鎌倉時代にかけて、
貴族がよく行った遊びの一つです。
日本全国のあちこちで当時を再現したものが行われていますが、
城南宮のものは後鳥羽上皇が好んで行ったものを再現してます。


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歌人の皆さん全員が盃のお酒を飲まれたのを確認すると、
その短歌が書かれた短冊をお稚児さんが回収されます。


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回収された短冊をお稚児さんが、舞台の方に持っていきます。
こちらには、マイク片手に「曲水の宴」の実況解説を行っていた
白装束の神職さんの一人がその短冊を受け取られました。


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その神職さんは、短冊に短歌を全て読み上げられました。
どうも歌に優劣は付けられず、そのまま読み上げられました。
すると、他の神職さんが
同じ短歌をその場でメロディーを付けて歌われました。
(それが、和歌や短歌の元来の姿です)

短歌は、全部で10首ほど歌われました。
全て歌われるのに、20分以上かかっておられました。
途中で飽きて帰られる方々もいらして、
ここから撮影が急に楽になりました。
ただ、その分時間が掛かっています。
現在午後3時を回りました。
この後午後4時から始まる「J2関西ダービー」を観に、
大阪市の長居まで行くつもりですが、
もう前半の観戦は無理ですね。


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午後3時15分を回って、短歌を全て歌い終わられました。
すると、神職の方々が奥の方に去られていきました。


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神職の方々が立ち去られた次は、
束帯姿や十二単の歌人の皆さんが立ち去られました。


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この後は、「流し雛」に移行します。
このカウンターで300円ほど払えば、誰でも参加できるそうです。


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ただ、その「流し雛」に参加されない方はもう帰られます。
自分も、時間がないので同じ道を辿ります。


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先ほどの池泉式庭園の脇から、すぐに本殿前に出られます。
ここで、本殿にお参りします。


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本殿に背を向け、南を向きました。
では、この朱色の鳥居を抜けます。


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朱色の鳥居から、西に約200m進みました。
歌人の皆さんが、社務所に向かわれています。
参拝者の方々と、談笑されているようですね。
では、今度はここから城南宮を出ます。
クリックすると写真が拡大するのは、ここまでです。


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城南宮から、西を向いています。
ここから東に、城南宮道が伸びています。
次は、その城南宮道を進んでいきます。


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城南宮から、城南宮道を東に約600m進みました。
目の前に、近鉄の線路が見えます。
この踏切を渡らず、左(北)に向かいます。


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その踏切の前から、北に約400m進みました。
こちらは、「竹田」駅の南側の入り口です。
では、ここから大阪市の長居にある金鳥スタジアムを目指します。

今回は、ここまでです。

~次回から、新しい道を進んでいきます~

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第397回 葵祭の車争い

2016年5月15日日曜日は京都では一日快晴となったわけですが、
毎年5月15日に行われる葵祭に
毎年5月第3日曜日に行われるお祭りが加わり、
京都市内のあちこちで大小のお祭りが同時に行われました。

ですから、午前中に葵祭を見て午後は別の場所に向かいます。
(それでも、2ヶ所しか回れません)
先ずは、朝から京都御苑に向かいます。


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朝早くに起きて地下鉄に飛び乗り、
地下鉄烏丸線「丸太町」駅に着きました。
今回はこの横にある京都御苑に行き、
葵祭巡幸の出発の模様を取材します。
撮影日は、2016年5月15日日曜日午前10時。
朝から熱中症になりそうな日でした……


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地下鉄烏丸線「京都」駅付近からそうだったのですが、
午前9時からずっと時間が経っているのにこの人混みです。
しかも、その大半がこの「丸太町」駅で降ります。
……全員、目的は同じですね。


397-3.jpg
人混みは、コンコースに上がっても変わりません。
ここから改札口が見えません……


397-4.jpg
何とか改札口を出たのですが……地下道にこの行列です。
全く動かないので、最寄りの1番出口には向かえません。
そういう訳で、烏丸通西側歩道にある3番出口に向かいます。


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地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口から、南を向きました。
向こうに、「丸太町烏丸」交差点が見えます。
では、向こうの横断歩道から烏丸通を東に渡ります。


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横断歩道を渡り、「丸太町烏丸」交差点北東角で東に向いています。
人混みを嫌って遠回りしましたが、
結局ここでその1番出口からで来られた大勢の方々と混じります。


397-7.jpg
大勢の人混みの方々と一緒に、丸太町通を東に歩いています。
烏丸通から約100m東に、東洞院通の最北端がありました。
その向こうの信号が、間之町通の最北端です。
さらに東に、高倉通・堺町通と最北端が続きます。
ですから、この辺りが現在連載中の「高倉通編」の最終回地点です。


397-8.jpg
さらに東に進み、間之町通の最北端に来ました。
こちらが「間之口門」で、間之町通の由来となった場所です。
では、この「間之口門」から京都御苑内部に入っていきます。


397-9.jpg
間之口門から、京都御苑を北上しています。
この道は、約50m先の宗像神社で突き当たります。
(この辺りには、第201回ブログで一度訪れています)
ただ、ここに来られた方々は皆右(東)の方に折れていきます。


397-10.jpg
宗像神社の前から、京都御苑を東北東に進んでいます。
宗像神社の前から約100m先に、たくさんの人混みが見えます。


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その人混みに向かう途中で、南を向きました。
この繁みの向こうに大きな池があって、
その中央に厳島神社がいらっしゃいます。
「蚕ノ社」木嶋神社と並ぶ「京都3珍鳥居」がある神社です。
(詳細は、第201回ブログで


397-12.jpg
宗像神社の前から、京都御苑を東北東に約100m進みました。
ここから約500m先に、建礼門があります。
そこが京都御苑のメインストリートで、幅約50mの広い道です。
有料観覧席に就かないなら、この辺りで葵祭を見ることになります。
道の西側にテントが張ってあって、そこで露店が出ていました。
左(南)側が製茶メーカーの伊藤園で、
右(北)側が京都の老舗洋菓子店のマールブランシュです。
すでに気温が上がっていて、
伊藤園のペットボトルのお茶はもう売り切れていました。
(慌てて補充されていました)


397-13.jpg
露店からさらに東に行き、そこで北を向きました。
ここから建礼門が見えるはずですが……
この人垣では何も見えません.。


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そこから、南を向きました。
九条邸へと続く橋の上に、たくさんの方々が集まっておられます。
太鼓橋ですので、少しでもよく見えると思われたのでしょうね。

葵祭でいい場所を取ろうとあちこち奔走するお話が、
1,000年以上前から様々な書物に載っています。
その大半が笑い話の説話ですが、
「源氏物語」の「車争い」のように悲惨な話がもあります。
(光源氏の愛妾六条御息所の下人と正妻の葵の上の下人が
葵祭の場所取りからケンカになって
勝利した葵の上の下人が
六条御息所に暴言を吐きながら牛車を壊しました。
六条御息所はそのことを思い悩むうちに生霊になり、
葵の上に憑依して殺してしまいます)
まぁそこまで激しいことはありませんが、
今も昔も葵祭では良い場所を狙って押し合いへし合いしています。


397-15.jpg
取りあえず自分は人混みの後方から、
適当に手を挙げながら適当に写真を撮りました。
100枚以上写真は無駄になりますが、第394回ブログのように
たくさん撮ればそれなりにいいものも出てきます。

この時点で午前10時半ですが、まだ巡行は始まりません。
2騎だけこの辺りでうろうろしていました。
この写真以降、クリックすると拡大されます。


397-16.jpg
最大望遠で、建礼門を撮っています。
巡行の開始とともに門が開くと思っていたのですが、
どうもそういうことはないようです。


397-17.jpg
そうこうしているうちに、午前10時40分ごろ
建礼門がある北の方から、巡行の行列が始まりました。
先ずは2騎の束帯姿の男性が、こちらに来られました。

ちなみに行列の後ろから適当に手を挙げて撮っていますので、
これから暫く写真の下の方にいろいろな方の頭が写ります。


397-18.jpg
さらにその後ろから、1騎の束帯姿の男性が来られました。
この人混みですから、徒歩の方を撮るのは
かなり困難になってきました……


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ただ、あれこれ挙げた手の角度を変えて頑張ってみると、
何とかこちらの方を撮ることができました。
馬上の方が数騎通り過ぎると、
弓を携えた束帯姿の男性が来られました。


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その次は、岡持ちを持たれた方が通り過ぎます。
この間何人かが徒歩で通り過ぎましたが、
上手く撮れませんでした。


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その後から、また馬上の束帯姿の方が来られました。
馬上の方は背が高くなるので、だいぶ撮りやすいです。


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そして、こちらの牛車が現れました。
藤とツツジの造花がすだれになっていて、とてもきれいですね。


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その牛車を何人もの方が押しています。
よく見ると、先頭に牛がつながれていません。
多分、堺町御門の辺りで牛が繋がれるのでしょうね。


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こちらの馬は手綱を馬上の方ではなく、
徒歩の方に引かれています。
どちらの方も、頭上に葵の葉を飾られています。


397-25.jpg
ただ、こちらの馬には誰も乗っておられません。
乗り換え用の予備の馬なのでしょうか?


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そして、紅白の花を付けた笠がやって来ました。
花が揺れて綺麗なのも、昨年と同じですね。


397-27.jpg
また、馬に乗った束帯姿の男性が通り過ぎます。
この辺りの馬上の方は、従者を連れています。


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従者を従えた馬上の束帯姿の男性が、また通り過ぎます。
こちらの方々も、頭に葵の葉を差しています。


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その後に、ツツジの造花を差した笠が通り過ぎます。
黄色い花が、この日差しによく映えますね。


397-30.jpg
さらに、十二単姿の女性が通り過ぎます。
彼女らは皆、日傘を差した白装束の男性を従えています。


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そして、いよいよこちらの輿が登場です。
輿の上には、今年の斎王代が座っておられますね。


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斎王代の後は、馬上にいらっしゃる十二単の女性が通り過ぎました。
馬上でこの装束は晴れの日はいいのですが、雨の日は悲惨です。


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こちらも、馬上に十二単姿の女性ですね。
馬が白いので、よく目立ちます。


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さらに、紅白の花が付いた傘で日差しをよけている
十二単姿の女性が続きます。


397-35.jpg
最後に、また牛車がやって来ました。
こちらも牛ではなく、人が押しています。


397-36.jpg
厳密には牛車の後には、軽トラックが通り過ぎました。
よく見ると、牛が牛車の後ろから付いています。
葵祭の行列はこの後東側の堺町御門から丸太町通に出て、
下鴨神社に立ち寄ってさらに上賀茂神社に向かいます。

クリックすると写真が拡大できるのは、ここまでです。


397-37.jpg
葵祭の巡航行列を見ていた一から、西を向きました。
今まで一緒に観覧していた人たちが、一斉に動き出します。
このまま下鴨神社に向かわれる方も多いようですが、
そうでない方も多いようです。
(自分は、他のところに行きます)


397-38.jpg
先ほどの場所から、京都御苑を西南西に約100m進みました。
あちらに閑院宮邸の門が見えますね。


397-39.jpg
閑院宮邸の前から(宗像神社の前でもあります)、
京都御苑で南を向きました。
目の前に、間之口門があります。
ここから丸太町通に出て西に向かい、
「丸太町烏丸」交差点から地下に潜って、地下鉄に乗りました。
では、この日(2016年5月15日)の午後のお祭りに向かいます。

今回は、ここまでです。

~次回は、嵐山に向かいます~

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第398回 三船祭の舟遊び

398-1.jpg
葵祭巡行の始まり京都御苑最寄り駅地下鉄烏丸線「丸太町」駅から
「烏丸御池」駅で地下鉄東西線に乗り換え、
終点の「太秦天神川」駅から京福電車(嵐電)に再び乗り換えました。
こちらは、その終点「嵐山」駅です。
今回は、近くにある車折神社嵐山屯宮のお祭り三船祭を取材します。
撮影日は、2016年5月15日午後0時20分。
いろいろあって、ここで少しフラフラになりました……


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同じ場所で、反対(西)側を向きました。
ここは京福電車(嵐電)「嵐山」駅校内の駅ビルです。
1Fにテナントが入っていて、たくさんの方々がいらっしゃいます。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅を出て、長辻通を北に向きました。
目の前に、天龍寺の山門が見えます。
時期的にツツジが満開なのですが、(天龍寺に一番多い花です)
この日(2016年5月15日)は時間がありませんでしたので、
今回ブログでは天龍寺には寄っていません。
(天龍寺のツツジは、第44回ブログに詳しく載っています)


398-5.jpg
今度は京福電車(嵐電)「嵐山」駅前から、長辻通を南に向きました。
この辺りから約150m南にある渡月橋まで、
清水寺門前と双璧を為す「土産物屋街」を形成しています。


398-6.jpg
京福電車(嵐電)「嵐山」駅前から、長辻通を約150m南下しました。
ここで、三条通と交差する「渡月橋」交差点に出ます。


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「渡月橋」交差点で、三条通を南に渡りました。
次は、大堰川(桂川)に架かるこの渡月橋を南に渡ります。


398-8.jpg
渡月橋を南に渡っています。
大堰川(桂川)は約150mの川幅で、
そこから南に中ノ島(要するに川の中州)があります。
その中ノ島にある嵐山公園に、赤い傘の行列が待機しています。
今は、そちらに向かって歩いています。


398-9.jpg
渡月橋を南に歩きながら、西を向いています。
向こうに見える山が、「嵐山」です。
この橋は、西側の方が絶景ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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渡月橋をだいぶ歩きてきました。
もうそろそろ渡月橋南詰に到着です。


398-11.jpg
渡月橋を南に渡り、中ノ島にある嵐山公園に辿り着きました。
この中州の大半が嵐山公園で、
ここは東西に長い約400mほどの長さがあります。
嵐山公園にはベンチや桜並木があって飲食店もたくさんあります。


398-12.jpg
長辻通から、嵐山公園を南に見ています。
青い幟旗の後に、
赤い傘と平安時代の貴族の装束をした行列が並んでいます。
現在2016年5月15日午後0時半。
そろそろこちらの三船祭の巡行行列が、出発します。
ここから、行列の写真はクリックすると全て拡大されます。


398-13.jpg
そして、同日午後0時35分。
紙垂を持った車折神社の神職さんが先頭となり、
三船祭巡行行列が始まりました。


398-14.jpg
神職さんの後には、雅楽演奏者が並びます。
歩きながら、笙や竜笛などを演奏されています。

後で知ったのですが、こちらは嵯峨野嵐山ではなく
市比売神社で活動されている方々だそうです。
市比売神社は、京都市街地の東側にいらっしゃいます。
ずいぶん遠くの神社とのつながりがあるのですね。


398-15.jpg
雅楽奏者に続いて、こちらの輿が現れます。
前回ブログの葵祭なら斎王代と言ったところですが、このお祭りでは
車折神社に所縁のある清少納言に見立てられています。
そもそもこちらは、車折神社嵐山屯宮のお祭りですし……
(車折神社と清少納言の関係は第48回ブログ第49回ブログを参照)


398-16.jpg
その後に、三船祭保存会会長さんと今様のお稚児さんが続きます。
こちらは、後で踊られます。


398-17.jpg
最後に、白拍子と政治家・市や府の職員が歩いていきます。
皆さん、束帯などの平安時代の装束を着られています。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


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三船祭の巡行行列は、このまま渡月橋を北に進んでいきます。
自分が進んできた道の反対ですね。


398-19.jpg
三船祭の巡行行列と一緒に、渡月橋を北に渡っています。
よく見ると交通規制などはなく、行列も歩道を進んでいます。
自分も、その後をついていっています。


398-20.jpg
渡月橋で少し立ち止まって、巡行行列をここから撮ります。
巡行行列は「渡月橋」交差点で左折し、三条通を西に進みます。


398-21.jpg
渡月橋の上から望遠で、三船祭巡行行列を撮っています。
三条通をどんどん西に進んでおられるのですが……
車折神社嵐山屯宮の前を通り過ぎていきます!
確かこのお祭りは、この神社の祭祀のはずなのですが……
この写真は、クリックすると拡大されます。


398-22.jpg
三船祭の巡行行列が、さらに三条通を西に進みます。
そのまま三条通最西端までこの行列が進みました。
この写真も、クリックすると拡大されます。
では、自分も三条通最西端に進みます。


398-23.jpg
自分も「渡月橋」交差点から三条通を西に進み、
嵐山吉兆の前で大堰川の土手側の道を進みました。
こちらに、船着き場があります。
ここから貸しボートに乗れるのですが、
この日(2016年5月15日)は、とても賑わっていました。


398-24.jpg
大堰川土手の道をさらに西へ進むと、
人混みで行き止まりになりました。
たくさんの方々がいらっしゃいますが、
前回ブログの葵祭に比べれば、まだ多くありません。
では、自分もこの人混みに混じります。


398-25.jpg
その人混みの中で、大堰川(南)側を向きました。
屋形船の船着き場に赤い絨毯が敷かれています。
屋形船もいろいろ「お化粧」をしています。
大堰川の川原には、車折神社の神職さんや
三船祭保存会の方々や「清少納言」役がいらっしゃいます。
現在2016年5月15日午後1時。
ここから約1時間かけて、船渡御前の神事を行いました。
車折神社の神主さんが祝詞を述べたり、
市会議員や役所の方々が挨拶をしたりと続いたのですが、
その辺は割愛しています。
これ以降、クリックすればすべての写真は拡大されます。


398-26.jpg
舟の方をアップにしました。御座船と龍頭船が、並んでいますね。
フレームの外には、鷁頭船もあります。
龍頭船には、雅楽奏者がもう乗っています。


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午後1時50分となり、神事も終わりに近づきました。
車折神社の神主さんが、紙垂を持って舟を浄められています。


398-28.jpg
龍頭船をアップにしています。
すると、先ほど出てきた貸しボートがこの周囲に集まりました。


398-29.jpg
次は、清酒の鏡割りです。
車折神社神主さんや保存会会長さんや市会議員さんたちが
木槌片手に酒樽を割ります。

今から15年前(2001年)に京都サンガがJ1に昇格したときにも
西京極陸上競技場で鏡割りを見ましたが、
その時は周囲の人にもお酒が振る舞われました。
今回は、どうでしょうか?


398-30.jpg
鏡割りが終わると、一斉に皆さんが船に乗り込みます。
すると、さらに貸しボートや屋形船が周囲から集まってきました。


398-31.jpg
最後に、「清宗納言」役の方が乗り込まれます。
長い十二単の裾を持つ方を二人従えておられますね。


398-32.jpg
そうこうして、「清少納言」役の方が御座船に乗り込まれました。
現在午後2時を回りました。
いよいよこちらの舟も、川原から大堰川の流れの中に進みます。


398-33.jpg
御座船の船頭さんが櫂を操作して、岸から離れています。
ようやくここから「舟遊び」が始まります。


398-34.jpg
御座船は、右(西)の方に向かいます。
三船祭の舟は、この辺りを反時計回りで進みます。


398-35.jpg
その時点で樽の中のお酒がプラスチックのコップに注がれて、
周囲の方々に振る舞われました。


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一緒に見ていた方々が多かったので、
自分の分までお酒は無いと思っていましたが、
お酒を求める方が意外と少なくて、自分の分まで回ってきました。
こういう時のお酒は甘いものが多いのですが、
今回の「神聖」はだいぶ辛かったですね。
ただ、これはこれでなかなか美味です。

船渡御全体を撮りたいので、
ここから渡月橋へと急ぎました。
ただ炎天下で小1時間立っていたままで、お酒も飲んでいます。
多少フラフラだったこともあり、歩道の段差に足をとられて
道端で転倒してしましました!
その時のねん挫で、今も左足首が痛いです……


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渡月橋の上から、最大望遠で撮っています。
鷁頭船が、大堰川南岸沿いを進んでいます。
舟の上で白拍子が演じられていて、
その周囲にたくさんの貸しボートが付いていっています。


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その後から、御座船と龍頭船が続きます。
こちらには、屋形船とさらに多くの貸しボートが付いています。


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御座船が向きを変え、大堰川を北に横断しています。
こうして見ると、大堰川南岸にたくさんの方々がいらっしゃいます。


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大堰川の流れの中にいらっしゃる鷁頭船の白拍子がよく見えます。
ただ、鷁頭船と渡月橋の間に、大きな堰があります。
この堰のために、三船祭の舟は渡月橋近くには来られません。


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今回ブログは、40枚以上の写真を貼ります。
御座船や龍頭船・鷁頭船が反時計回りで周遊している周囲を
大小の舟が行き来しています。
平安時代の舟とは違う型ですが、
今も昔も「舟遊び」はこういう感じなのでしょうね。


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その様子を拡大せずに撮りました。
この角度でこうやって撮ると、嵐山や岩田山が借景になります。
これが撮りたくて、渡月橋に移動してきました。
これが、今回ブログ一番のお気に入りの写真です。


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渡月橋から三条通を西に戻り、三船祭斎場付近から撮っています。
龍頭船が、だんだんこちらに近づいています。
雅楽に合わせて、今様のお稚児さんたちが踊っておられますね。


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龍頭船のお稚児さんをアップで撮りました。
確か藤原頼道も夏になると、
宇治殿(今の平等院)の池の上で「舟遊び」をしたそうです。
ですから、当時頼通が見たものこんな感じだったのでしょうね。


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今度は、御座船が通り過ぎました。
舟の上部に、扇が取り付けてあります。
大堰川のあちこちで、この扇を撒かれます。
それを追従する大小の舟の上の人が拾っていきます。
これが、三船祭のメインイベントです。


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その御座船が、岸に着きました。
ここで一般参賀者も、この御座船に乗れるようになります。
「おいくら、かかりますか?」
そうおっしゃった方に、保存会の方がこうおっしゃいました。
「いえいえ、タダですよ」
それで何人かの方々が、御座船に乗り込まれました。
(先頭には、「清少納言」役の方がまだ乗っていらっしゃいます)


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鷁頭船の方も近づいてきました。
こちらには白拍子の踊り子さんが、数人乗っていらっしゃいます。
こちらは、歌いながら踊っていらっしゃいます。


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三船祭の舟遊びは、午後2時から始まって午後3時に終わりました。
この時間からではどのお祭りも間に合いませんが、
実はこの後もう1カ所取材をしたのですが、
そこへは電車を何台も乗り継いで、次回とします。

今回はここまでです……とその前に、ここにお参りします。
「渡月橋」交差点横にいらっしゃる車折神社嵐山屯宮ですね。
三船祭はここの祭祀なのですが、
この扉も閉まったまま開きませんでした。

~次回は、夕方から別のところを取材します~

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第412回 下鴨神社 御手洗祭

[御手洗祭] ブログ村キーワード

7月23日と言えば祇園祭後祭宵山なのですが、
2016年7月23日土曜日はそちらに行く前に
下鴨神社にも寄らせていただきました。
この日はちょうど土用の入りの日で、
この日前後にこの下鴨神社では夏越のお祭りが営まれました。


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また七条通から、自転車で川端通まで出て北上しました。
叡山電鉄「出町柳」駅前で出町通を西に折れ、
高野川を渡り賀茂川を渡る直前で下鴨西通を北北西に進みました。
「葵橋東詰」交差点で下鴨本通に道をとり、約200m進みました。
こちらは、下鴨本通が御蔭通と交差している地点です。
今回はここから糺の森経由で下鴨神社に入り、
御手洗祭に参加していきます。
今回ブログは全てクリックすると写真が拡大されます。
撮影日は、2016年7月23日土曜日土用の入りの日の午前11時半。
猛暑の快晴で、熱中症との戦いの一日でした。


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下鴨本通から、御蔭通を東に向いています。
御蔭通は下鴨本通が最西端で、
ここから約2㎞先の志賀街道で突き当たります。
(志賀街道は、比叡山を越えて琵琶湖に至る道です)


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下鴨本通より東、御蔭通より北に糺の森が広がります。
ただ、その下鴨本通から糺の森に入る場所に赤い鳥居が見えます。
ここから、河合神社に入れます。


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河合神社の赤い鳥居に近づいてきました。
周囲に、いつも以上に警備員の方々がいらっしゃいます。
祭事のため、いつも以上に来られる方々が多いからだそうです。
(警備員の方々に、直接尋ねました)


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赤い鳥居をくぐると、すぐに河合神社の手水舎があります。
ちょっと洒落た形をしています。


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手水舎の奥に、重要文化財「三井社」がいらっしゃいます。
文字通り3柱の祠が並んでいます。
御祭神は、左から玉依姫、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
伊賀古夜比売(いがこやひめ)です。
玉依姫とその両親ですね。
ちなみに、賀茂建角身命は下鴨神社の御祭神です。


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三井社に背を向け、北に向きました。
では、ここから河合神社に入って行きます。


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こちらは、拝殿越しの国宝河合神社本殿です。
御祭神は、神武天皇(日本の初代天皇)の母玉依姫です。
下鴨神社同様に、相当古くからこちらにいらっしゃいます。
(弥生時代にこの神社の原形が存在したという説もあります)
鴨長明が、一時期ここの神主をしていました。
玉依姫が「神道で最も美しい女神」とされており、
そのためそういう関連グッズが社務所で売られています。
(まぁ「木之花開耶比売のほうが美しい」とか、
どの女神がいちばん美しいかは諸説いろいろです)


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河合神社から出て、東を向きました。
次はここを出て、糺の森に入って行きます。


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河合神社の東側から、糺の森を見ています。
糺の森の西側に駐車場があって、
そちらの交通整理に警備員の方々がいらっしゃいます。
では、さらに東に進み「瀬見の小川」に架かる橋を渡ります。


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「瀬見の小川」を渡ると、すぐにこの道は突き当たります。
ここは、糺の森のほぼ最南端です。


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同じ位置で、北を向きました。
では、ここから糺の森を抜けて下鴨神社に向かいます。


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先程の位置から、約300m北に進みました。
だんだんと下鴨神社の赤い鳥居が見えてきました。
糺の森は結構楽しく散策できたのですが、
写真の枚数の関係で割愛しています。
糺の森の様子は、こちらをご覧ください。
2014年の8月に糺の森を散策した様子です。


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赤い鳥居をくぐると、こちらのテントが並んでいます。
こちらで、周辺の商店舗の蚤の市が行われていました。
いちばん手前の「加茂みたらし茶屋」のみたらし団子と、
奥の酒造メーカー「丹山」がよく売れていました。


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その北側に、下鴨神社の楼門があります。
では、ここをくぐり下鴨神社境内に入って行きます。


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楼門をくぐり、下鴨神社境内に入ってきました。
御手洗祭のため、規制線が張ってあります。
では、指示された順路に従ってここを進んでいきます。


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本殿近くの方にテントが張ってあり、工事中のようです。
現在、本殿の周辺が修復中です。


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とは言え、先に本殿の参拝を済ませます。
ただ現在(2016年7月23日)「夏の京の旅」の企画のため、
中の撮影が一切不可になっています。


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下鴨神社境内の最東端に来ました。
ここで受付をして、祈祷とろうそく代300円を支払います。
中のテントで靴の靴下を脱ぎ、ズボンをめくり上げます。
ろうそくを受付でもらって、先に進みます。


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テントを出ると、御手洗川に架かる太鼓橋の袂に進みます。
(尾形光琳の「洛中紅白梅図屏風」が描かれた場所です)
ここから、御手洗川の中に入って行きます。
(太鼓橋が、まるでトンネルのようです)


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太鼓橋をくぐると、そのまま御手洗川の中を歩いていきます。
御手洗川(みたらしがわ)は、そこそこ水深があります。
限界までズボンをめくり上げましたが、膝より上に水面が来ます。
まぁこの猛暑ですから、ここから出たらすぐに乾くでしょう。


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御手洗川の太鼓橋の上流(東)側に、小さな祠があります。
その中に、大きなろうそくがあります。
こちらが、各自のろうそくの種火になります。


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分かりにくいですが、ろうそくに火が付いています。
これを川の向かい岸に持っていきます。
……のはずが、途中で火が消えてしまいます。
何度か繰り返しましたが、結局ダメでした……


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最終的に、ろうそくはこちらに並べます。
自分のろうそくも火が付いていますが、
それは隣の方のろうそくから火を拝借しました。
(たぶん、自分のものは無効ですね)
こうすることで、1年の無病息災することを祈願します。


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御手洗川の斎場を大写ししました。
御手洗川の上流(東)に、小さな社がいらっしゃいます。
こちらが御手洗社で、御手洗川水源の泉をご神体としています。
その御手洗の泉の上に、御手洗社が建っています。
この日(2016年7月23日)は、梅雨明け直後の猛暑日でした。
熱中症が心配なくらいでしたが、
御手洗川の水はとても冷たく体温を下げるのに役立ちました。
親子連れが多いこともあって、
神事というよりもまるで水遊びのようでした。


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御手洗川には、約15分浸かっていました。
神事も一通り済ませたので、ここから上がります。


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上がった先にもテントがあって、そこで靴を履きました。
ただ足がびしょびしょなので、靴下は30分ほど履きませんでした。
その奥で、足形のお札が売られていました。


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そして、ここで水が参拝者全員に配られていました。
御手洗の泉から湧き出た天然水ですね。盃1杯分を頂きます。


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その脇に、こちらが掲示されていました。
この水が、売られていました。
そう言えば、清水寺でも音羽の滝の水が売られていました。


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では、ここから御手洗社の方に向かいます。
ただ、この人数ではなかなか進めません。


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御手洗社の脇に、こちらがありました。
先ほど出てきた足形のお札は、ここで水に浸けます。


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こちらが、御手洗社です。
多くの方々が、お参りされています。


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御手洗社の前を通り抜け、御手洗社の南側に来ました。
では、こちらからいったん糺の森に入って
また下鴨神社楼門から再び境内に戻ります。


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また、下鴨神社本殿がいらっしゃる中門前に戻って来られました。
実は、ここから鞍馬口通が始まります。
では、その鞍馬口通を西に進みます。


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先程の場所から、鞍馬口通を西に約50m進みました。
この赤い鳥居をくぐると、下鴨神社境内を出ます。


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その鳥居から、鞍馬口通を西に約50m進みました。
向こうで、糺の森から京都市街地に入ります。


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京都市街地に入ると、すぐに鞍馬口通は下鴨本通と交差します。
では、ここから次の目的地役行者町に向かいます。
ただ、現在2016年7月23日午後1時です。
河合神社前に停めた自転車を取りに行く時間を考慮すると、
急がないと午後2時に役行者町に間に合いません。
とにかく急ぎます。

今回は、ここまでです。

~次回は、役行者山の護摩焚きを取材します~

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第479回 堺町御門前の葵祭巡幸 前編

[葵祭り] ブログ村キーワード
前回ブログまでかけて上立売通を進んできましたが、
毎年5月15日は葵祭巡幸の日です。
そこでいったん「上立売通」編は休載して、
2017年も葵祭巡幸の様子を掲載します。
また今回は写真が多く撮れましたので、2回にわたり連載します。
なお、今回の写真はクリックすると全て拡大されます。


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電車を乗り継ぎ地下鉄東西線「京都市役所前」駅で降り、
地下街ZEST経由で京都市役所の玄関前で地上に出ました。
京都市役所前から寺町通を約500m北上して、
そこから竹屋町通を西に約300m進みました。
京都市立御所南小学校と京都地方裁判所との間の
葉桜並木を通り過ぎ、柳馬場通で北を向きました。
右(東)側に、京都地裁の枝垂れ葉桜並木が続いていますね。
今回は、この少し先の今出川通で葵祭巡幸を眺めます。
撮影日は、2017年5月15日月曜日午前10時。
自宅を出たときは曇っていましたが、だんだん晴れてきました。


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竹屋町通から約100m北上すると、
柳馬場通は丸太町通(京都御苑)で突き当たります。
「丸太町柳馬場」交差点で、丸太町通を西に向いています。
この辺りの丸太町通が、規制線により南北に分かれています。
左(南)側は通行用なのですが、右(北)側は葵祭巡幸の見物客用です。
葵祭巡幸見物は京都御苑鴨川デルタ下鴨神社前が有名ですが、
巡行路であればどこでも見物することができます。
その中でも丸太町通沿いは、比較的多くの方々が見物されます。


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柳馬場通から、丸太町通を西に約50m進みました。
堺町通との交差点近くで、こちらのツツジが真っ盛りでした。
では、こちらのツツジの左(西)側に立ちます。


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その位置から、北を向いています。
こちらが、京都御苑堺町御門ですね。
1864年の禁門の変直後の大火どんどん焼けの火元です。
(おかげで祇園祭の山鉾の大半が焼失し、
大船鉾に至っては復興に約150年掛かりました)
そして、葵祭巡幸の行列はここから京都市街地に出ます。
ですから、この御門を背景にすれば絶景になるのではと思い、
2017年はここに陣取ることにしました。


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先程と同じ場所で、西に向いています。
そちらの方では巡行行列が見えないので、見物客はいません。
この辺りの丸太町通沿いは、歩道にツツジが並びます。
約50m先の高倉通も、ここで突き当たります。
(第434回ブログを参照)


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午前10時20分になり、再び堺町御門前を撮りました。
先程は青い先導車だけでしたが、
それ以外に京都府警のパトカーと市役所の公用車が並びます。


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葵祭巡幸の行列が京都御所の建礼門を出るのが午前10時半の予定で、
建礼門前からこの堺御門までが、徒歩で5分少々です。
ところが、午前10時半段階で丸太町通の交通規制はまだでした。
「予定通り」ちょっと遅れていますね。
それが午前10時35分になると、京都府警の警官の皆さんが
丸太町通の車道上にコーンを立てていかれました。


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堺町御門より西側の丸太町通を写しました。
この辺りに、葵祭の巡行行列は通りませんので、
自分がいる堺町通以西に見物人は誰もいません。
赤いコーンより向こう(北)側の烏丸通以東が、通行止めです。
そして、青いコーンには「中央線」と書かれています。
つまり、葵祭の巡行中は丸太町通などの車道が2車線になります。
お祭りの巡行中も、幹線道路を通行止めにしない工夫でしょうね。
(祇園祭の巡行中は、河原町通も御池通も完全に封鎖されます)


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午前10時42分ごろの堺町御門前です。
先程まで門前に並んでいたパトカーも寺町通方面に移動し、
先導の騎馬2騎も堺町御門の向こうに待機しています。
いよいよ巡行がこちらを通るようです。
10分未満の遅れは、こういう祭事では「時間通り」の範疇です。
ところが、この時点で堺町御門を横切る通行人がいらっしゃいます。
その方のお仕事の都合とかもあるでしょうが、
結構ギリギリまで通行が認められていました。


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「葵祭巡幸が、この辺りを通過します」
そういうことをアナウンスしながら、青い先導車が出発しました。
すると、束帯姿の方が騎乗する2騎の騎馬がその後に続きます。
ただ今5月15日午前10時45分。
2017年の葵祭巡幸の行列が、いよいよ堺町御門を通り過ぎます。


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束帯姿の騎馬の後を市役所の公用車が続きます。
その後に赤橙の束帯姿の騎馬が続き、
いよいよ本格的に葵祭巡幸の行列が始まります。


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さらにその後から、騎馬が数騎続きます。
騎馬の方々は堺町御門を過ぎても南進し、
丸太町通の中央分離帯の手前で直角に左折されます。
巡行行列は、そのまま右(東)の方に進んでいかれます。


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騎馬の間を白装束の方々が歩いていかれます。
こちらの方々は馬の轡を握っておられたり、
様々なものをも運ばれたり、いろいろな仕事をされています。


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騎馬の後は、徒歩の束帯姿の方々が続きます。
白装束の方々が、堺町通以東に規制線を張られました。
ただ、京都府警の方々がすでに規制されているので
改めてこちらを張るのは無駄のように思います。


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規制線は、白装束の方々3人が張られています。
徒歩姿の束帯姿と騎馬が、交互に通り過ぎて行かれますね。


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徒歩の束帯姿の方が、竹製の長い棒きれを持たれています。
初めは弓と思っていたのですが、よく見ると形状が違います。


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その方が、丸太町通まで出てこられて東へ進まれています。
こうして見ると釣り竿のようですが、う~ん何でしょうね。


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続いて白装束の方々が運ばれておられるのは、槍ですね。
その脇に、座椅子を運ばれておられる方もいらっしゃいます。
今年(2017年)は、人が邪魔にならない場所で撮影ができました。
(ほどんど見えなかった第397回ブログ参照)
そのため、巡行行列のかなり細かい部分まで写せました。
それが、2017年度はブログが前後編に分かれた理由です。


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さらに徒歩の束帯姿の方々が続きます。
今度の方も、変わった棒きれを持たれています。


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その方をアップで撮りました。
七支刀に形状が似ていますが、おそらく武器を模した神具でしょう。


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その後を槍や岡持ちを持たれた徒歩の白装束の方々が、
続いていかれますね。


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槍や岡持ちを持って歩かれる白装束の方々の後に、
また束帯姿の騎馬が続きます。


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ただよく見ると、徒歩の束帯姿の方々が
白装束と騎馬の間にいらっしゃいます。
こちらの方々が持たれているのは、楽器でしょうか?


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騎馬の後に、徒歩の方々が続きます。
ここで、大きな傘が見えてきました。


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その傘をアップにしました。
平安時代に貴族の女性が歩くとき、従者が後ろから差したものです。
その脇には、お稚児さんと虎の皮を持たれた方が並んでおられます。


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その後から、白装束の方々が神具を持って続きます。
手前の葛籠は、形状から……ご神体でしょうか?


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その後から、また葛籠を持たれた白装束の方々が続きます。
葛籠には、注連縄(しめなわ)と葵の葉が付いています。


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さらに葛籠を持たれた方々が続きます。
その後を神具を持たれた白装束の方々が続きます。
下鴨神社の2柱のご祭神と(賀茂建角身命と玉依姫)
上賀茂神社のご祭神加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で
葛籠とご祭神の数が一致しますね。


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その後を束帯姿の騎馬が続きます。
こちらの馬は誰も乗られていませんが、結構荒れています。
大きく体を揺すったり大きく鳴いたりしています。
人が多いので、興奮しているようですね。


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その後を徒歩の束帯姿の方々やお稚児さんが続きます。
こちらの束帯姿の方は、弓を持たれています。
多分検非違使なのでしょうね。


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そして、その後から牛と牛車が現れました。
庇に付けた藤の造花が、煌びやかですね。
「(巡行行列が)男ばっかりで、楽しくないぞ」
という言葉を吐かれていた自分と同年代の男性見物人も、
この時ばかりは息を呑まれていました。


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……ところがその時ちょうど市バスの乗降に時間がかかり、
(この西側に、「裁判所前」バス停があります)
丸太町通は結構長い渋滞になりました。
……まぁ別に京都ハンナリーズは悪くないのですが、
たまたま牛車の前にこの自動車が塞ぐ形になったので、
見物人からハンナリーズの車両がブーイングを受けていました。


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約2分して市バスが出発すると、渋滞は解消されました。
ただ、そうなると牛車はもう堺町御門を通り過ぎています。
取りあえず、この位置から牛車をアップで撮りました。


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堺町御門では、槍や岡持ちを持った白装束の方々や
束帯姿の騎馬が続きます。


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ところが、巡行行列の方々が急に立ち止まられました。
どうやら、巡行行列も渋滞になったようです。


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……ならばと、東を向いてみると
やはりまだ牛車が見える範囲にいらっしゃいました。
そこで、またこちらを撮りました。


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渋滞は、約5分で解消されました。
すると、この辺りで白装束の方々が規制線を撤収され始めました。
巡行行列は、まだ半分も終わていないのですが……


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もちろん、巡行行列はまだまだ続きます。
こちらの馬は少し興奮していて、
騎乗の束帯姿の方も一苦労されていました。
「馬が興奮します。カメラのフラッシュは遠慮してください」
京都府警の警官が、何度かそう叫ばれておられました。


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その後にこちらの騎馬が続きます。
束帯の模様が深い紫色で、馬も額に金細工を付けています。
一際豪奢なお姿ですね。


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その後に、徒歩の束帯姿の方々がしばらく続きます。
これで、巡行行列の4割が通り過ぎました。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けましたので
今回はここまでです。

~次回は葵祭巡幸の続きを掲載します~

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第480回 堺町御門前の葵祭巡幸 後編

[葵祭り] ブログ村キーワード
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京都地方裁判所脇の「丸太町柳馬場」交差点から約50m西の
京都御苑堺町御門の前で葵祭の巡行行列を見ています。
前回ブログまでで、葵祭の巡行行列の約4割が通り過ぎました。
今回は、残りの巡行行列の様子を掲載します。
撮影日は、2017年5月15日午前11時15分。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。


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黄浅緑色と浅葱色の束帯姿の方々が、
交互に通り過ぎて行かれます。
黄浅緑色の束帯姿の方が持っておられるのは、ヒョウの毛皮ですね。


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お稚児さんの後に、浅緋色の束帯姿の方が続きます。
前回ブログでも書きましたが、ここまで巡行は全員男性ですね。


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浅緋色の束帯の方が、また毛皮を持って登場です。
その模様から、シカでしょうか?
その後から、また大きな傘が現れました。
こちらの上部には、ツツジの造花があしらわれています。


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その後は槍や岡持ちを持った白装束の方々が続き、
その後に騎馬が続きます。


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そして、その後をまた白装束の方々が通り過ぎます。
やはり、槍や岡持ちを持たれていますね。


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さらにその後を、束帯姿の方を騎乗させた白馬が通り過ぎます。
……と言いたいところですが、
この馬だけ丸太町通を西に向かおうとしています。


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……と言いますか、白馬がむずがって荒れています。
御者がさらに一人加わり轡を引きますが、
言うことを全然聞きません。
また、京都府警からのアナウンスが聞こえてきました。
「カメラのフラッシュを焚かないでください。
馬が興奮してしまいます」


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何とか白馬が寺町通方面に通り過ぎた後、
白装束の方々や騎乗の束帯姿の方も通り過ぎて行かれます。


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さらにその後を黄浅緑色の束帯姿の方が通り過ぎます。
手に持たれているのは……シカの毛皮ですね。


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そして、またまた大きな傘が登場です。
この黄色は……山吹の造花ですね。
そう言えば、松尾神社ではまだ山吹が咲いているのでしょうか?


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ここで、葵祭の巡行行列がいったん途切れます。
これで、半分が終わりました。


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葵祭の巡行行列が途切れていたのは、約5分です。
ここから、いよいよ巡行行列の後半ですね。


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後半の最初に、十二単姿の女房が花傘を伴い現れました。
前半と打って変わって、後半の列は女性が中心になります。


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また十二単姿の女房が、通り過ぎて行かれます。
そう言えば、平安時代の貴族は傘を持つ従者をよく伴いましたが、
その傘にもこのように花が添えられていたのでしょうか?
それとも、この花は普段と違う「お祭り仕様」なのでしょうか?
ちょっと、気になります。


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十二単姿の女房は、まだまだ続かれます。
ただ、よく見ると女房の間に束帯姿の方がいらっしゃいます。


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その直後に、こちらの輿が現れました。
葵祭巡幸のメイン斎王代の登場です。


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斎王代をアップで撮りました。
輿をも担がれている方々の烏帽子に葵の葉が付いていますね。


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斎王代の輿が、寺町通方面に去っていきます。
よく見ると、こちらの輿は担がれているのではなく
輿の下に車が付いているので「押して」おられるようですね。


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さらにその後にも、女房が続きます。
こちらは、騎乗されておられます。


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騎乗姿の女房をアップで撮りました。
確か2014年は大雨で十二単が全部だめになって、
2015年に全て新調したと聞きました。


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そして、槍や岡持ちを持った白装束の方々や
騎乗姿の女房が交互に通り過ぎて行かれました。


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さらに騎乗姿の女房が通り過ぎて行かれた後、
ちょっと間が空いて誰も通られない瞬間がありました。


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暫くして、槍や岡持ちを持った白装束の方々が
堺町御門の前を通り過ぎて行かれました。
その後、また少し間が空きます。


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だんだん行列の間隔が空いて来ているのは、
この行列が終わりに近づいているからです。
ここで花傘を伴い、十二単姿の方が現れました。
その後の女房は傘を差されておられないので、
午後からは(下鴨神社~上賀茂神社の巡行)相当暑かったでしょうね。


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そして、その後を白装束の方が通り過ぎて行かれます。
……のですが、こちらはキャリーバッグを曳かれています。
時代考証が、グダグダですね、
こちらには、ビニールの雨傘が入っているようです。
突然雨が降ったら、こちらを差されるのでしょうね。


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さらにその後を、花傘を伴い十二単姿の方が続かれます。
その後の女房は、こちらの方のお伴なのでしょうね。


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その女房の後は……白拍子でしょうか?
舞踊を舞われたり、歌われたりする方々の衣装ですね。


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短冊を手にされている方もいらっしゃいますが、
その後に続かれる臙脂色の束帯姿の方々の大半は、
太鼓や笙などの楽器を持たれています。


480-30.jpg
臙脂色の束帯姿の方々の最後尾は、こちらの大太鼓です。
これらの楽器を合わせると、雅楽を演奏できますね。


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さらにその後から、牛車が登場しました。
こちらも前回ブログ同様に、庇を藤の造花で飾ってありますね。


480-32.jpg
その牛車をアップで撮りました。
今度は通過車両に邪魔されずに、確実に写せました。
(何のことだか分からない方は、前回ブログ参照)


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牛車の後を別の牛が続きます。
こちらは、途中で交代するのでしょうね。


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そして、その後を軽トラックと小型の消防車が続きます。
こちらが、葵祭巡行行列の最後尾です。


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今まで立っていた「丸太町堺町」交差点南西角から、
丸太町通を東に向いています。
先程の牛車は、柳馬場通から寺町通へと向かっています。
葵祭の巡行行列は寺町通を東に通り過ぎた後河原町通で北上し、
今出川通より1本北の出町通で東に曲がります。
出町橋で鴨川を渡り、(第312回ブログ参照)
下鴨東通からまた北上して糺の森を抜けて下鴨神社に至ります。


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巡行行列が去った後の京都御苑堺町御門です。
だんだんとこちらから出てこられる方々で、
丸太町通がいっぱいになってきました。


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先程の写真から、約1分後です。
堺町御門から出てこられる方々が多くて、
丸太町通の車道にまで溢れてきています。
前回ブログの追記にも書きましたが、
この日(毎年5月15日)はなるべく堺町御門よりも
西側の間之口門か東側の富小路口のどちらかを利用すべきです。


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こちら側の丸太町通南側歩道も、だいぶ三々五々散り始めています。
では、自分も地下鉄「京都市役所前」駅目指して歩いていきます。

これで、2017年の葵祭巡行行列の取材を終えます。

~次回は、また上立売通に戻ります~

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第563回 今年は「今出川河原町」で~葵祭2018~その1

[葵祭] ブログ村キーワード
ここ数年、毎年5月15日は
葵祭巡幸をウチのブログで取り上げてきました。
もちろん、今年(2018年)も葵祭巡行行列を取材しました。
ただ今年は撮影しやすい場所を訪れたため、
合計200枚弱も写真が撮れてしまいました。
まぁ実際に載せる写真は半分以下なのですが、それでも相当数です。
そのため、2018年は葵祭巡幸を連載記事とします。

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3年ぶりの京阪電鉄終点「出町柳」駅です。
(「七条」駅以北の京阪電鉄は、地下鉄です)
その時も葵祭巡幸を見に来ましたが、
今回はその時と別の場所に向かいます。
おかげで、今年(2018年)がいちばんよく見えました。
撮影日は、2018年5月15日火曜日午前10時50分。
夏と思えるくらいの炎天下でした。


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電車を降りると、たくさんの方々が車両から出て来られました。
こちらの方々ほぼ全員、自分と同じ葵祭見物が目的です。
そして、目の前の階段を上がられていかれました。
こちらの大半は、5番出口から
高野川に架かる河合橋を渡り下鴨神社近くまで進まれるか、
第312回ブログのように加茂川の川岸から
出町橋を渡る巡行行列を眺められるかでしょう。
今回はなるべく空いた場所に行きたいので、
そのどちらにも向かいません。
ですから、自分はこの階段を上りません。


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そこから、京阪電鉄「出町柳」駅ホームを約100m南下しました。
ホーム最南端に、上りのエスカレーターがあります。
次は、そちらからコンコース階に上がります。


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そのエスカレーターを上りきると、目の前に改札口がありました。
では、ここから京阪電鉄「出町柳」駅を出ます。


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京阪電鉄「出町柳」駅の改札口を抜けて、右(西)を向きました。
目の前に1番出口に向かう階段がありますが、
そちらから地上に向かいます。


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京阪電鉄「出町柳」駅5番出口から、地上に出ました。
快晴の上に、5月と思えない炎天下です……
標識からわかるように、こちらは今出川通と川端通との交差点です。
(川端通は、鴨川東岸沿いの通りです)


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川端通から、今出川通を西に向いています。
ここからの今出川通は、鴨川に架かる賀茂大橋を渡ります。


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賀茂大橋上から鴨川を南に向いています。
約800m先に、荒神口橋が見えますね。
(荒神口は、第163回ブログで出てきます)


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賀茂大橋を西へ渡ってます。
この辺りには、葵祭目的の方々はほぼいらっしゃらないようです。


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今度は、賀茂大橋で北を向きました。
向こうに、加茂川に架かる出町橋が見えます。
この川は、賀茂大橋を境に加茂川と鴨川に分かれます。
(発音がどちらも「かもがわ」なので、ややこしいです)
その右(東)側が、加茂川と高野川との合流点「鴨川デルタ」です。
(京都を舞台にした多くのアニメ作品に出てきます)
その北側から下鴨東通が伸びており、
その先が葵祭を行う下鴨神社です。
さらにその東が高野川に架かる河合橋で、
さらにさらにその東が叡山電鉄「出町柳」駅です。
賀茂大橋と異なり、あちらはたくさんの方々がいらっしゃいます。
葵祭巡行行列は出町橋を東に進み、下鴨東通を北上します。


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賀茂大橋をもうすぐ渡りきります。
今出川通沿いに大きな藪が見えますが、
そちらは浄土真宗大谷派了徳寺です。
鳴滝にある大根炊きで有名な寺院と同じ名前ですが、別の寺院です。


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賀茂大橋を渡り、今出川通を西に進んでいます。
この辺りには高瀬川が流れていないので、
賀茂大橋から約100m進むと「河原町今出川」交差点です。


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今出川通から、河原町通を北に向いています。
では、ここから「河原町今出川」交差点北東角に渡ります。
自動車があまり通っていませんが、通行規制が始まったようです。


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その「河原町今出川」交差点北東角です。
何人か大きなカメラを持たれた方々がいらっしゃいますが、
ここは、葵祭巡行行列を撮影するベストポイントの一つです。
ただ、もうたくさんの方々がいらっしゃるので移動します。


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河原町通から、今出川通を西に向いています。
ではここを渡り、「河原町今出川」交差点北西角に移動します。


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横断歩道を渡りながら、河原町通を北に向いています。
約100m先に、「出町河原町」交差点が見えます。
葵祭巡行行列は京都御苑から丸太町通に出て、
(第479回ブログを参照)
「河原町丸太町」交差点で河原町通を北上します。
「河原町今出川」交差点通過後「出町河原町」交差点で右折し、
そのままで町通を東進して先程の出町橋に至ります。
そのため、こちらにもたくさんの方々がいらっしゃいます。
ただ、毎年葵祭見物をしていた際の人数よりは少ないですね。


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「河原町今出川」交差点北西角に来て、東を向きました。
何人かの後頭部が写るものの、結構よい場所です。
今年(2018年)は、ここで葵祭巡行行列を撮影します。


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その撮影ポイントから、「河原町今出川」交差点を見ています。
交差点中央に警官が2人いらして、通行規制が本格化しました。
ここから暫く、この交差点は歩行者が渡れなくなりました。


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やがて、1台の警察車両が河原町通を北上してきました。
沿道の最前列の方々の話から、
葵祭巡行行列がもうそこまで来ていることが分かりました。


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警察官のサインで「河原町今出川」交差点は
自家用車など一般車両も通行止めになりました。
2018年5月15日火曜日午前11時20分。
予定より早く葵祭巡行行列が「河原町今出川」交差点を通過します。


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警察車両に続いて、青い自動車が通り過ぎました。
第479回ブログにも出てきましたが、こちらは京都市広報車です。
これから葵祭巡行行列が来ることと、
この辺の交通封鎖が始まることをスピーカーで知らせていました。


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その後ろに、騎馬隊が続きます。
束帯姿ではあるのですが、こちらは京都府警の警察官です。
よく見ると、鞍付近に「POLICE」と書かれています。


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そのとき「河原町今出川」交差点を見ると、
臙脂色の束帯姿の騎馬の方々が北上されていました。
今までは京都府警や京都市役所の方々が通り過ぎていかれたので、
こちらが葵祭巡行行列の氏子衆の先頭ですね。

その後方で、京都市バスが通行しています。
ここは完全な道路封鎖ではなく、公共の交通機関は通常運転です。
(さすがに、一般車両は止めています)


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その臙脂色の束帯姿の方々が、自分の目の前に来られました。
騎馬が、自分の約2m手前を通り過ぎていかれます。
これは、自分にとって今までの葵祭巡行行列の中でも最接近です。
この距離なら、臙脂色の束帯姿の方々の前に
白装束の方々が歩いておられるのが分かります。
どちらの方々も、烏帽子に葵の葉を取り付けておられます。
こちらは、約1,200年前からの伝統です。
(葵祭は、祇園祭や時代祭よりも古いお祭りです)


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先導の騎馬の後にも、さらに騎馬が続きます。
こちらの方々は、全員帯刀(武装)されています。
従者を率いられていることからも、
検非違使志(平安時代の警察官僚)の扮装なのでしょうね。


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こちらは、先の騎馬集団の最後尾の方です。
検非違使志は、このように従者が手綱を持ち行進されます。


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そして、ここからは束帯姿の方々が徒歩で続かれます。
この辺りは検非違使の扮装なので大半の方々が武装されていますが、
こちらの2人は一切武装されていません。


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ですから、その後続の方々は帯刀されています。
徒歩の方々は、どちらも弓を片手に矢筒を担がれています。


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さらに浅葱色の束帯姿の方が、通り過ぎていかれました。
陰に隠れていますが、この方も帯刀されていました。


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さらに徒歩の検非違使隊列が続きます。
……しかし、検非違使に扮装されておられる方々の
束帯の色合いがどちらも華やかですね。


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その弓を持たれた検非違使隊列が、
自分の前を通り過ぎていかれました。
これで葵祭巡行行列の約2割が通り過ぎていかれました。
まだまだ行列は続きますが、今回はここまでとします。

~次回は、本列(男性隊列)の残りを載せます~

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第564回 葵祭本列巡行~葵祭2018~その2

[葵祭 本列] ブログ村キーワード
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「今出川河原町」交差点北西角から、葵祭巡行行列を見ています。
前回ブログからから読んでお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、
ここまで巡行行列に参加されておられるのは全員男性です。
葵祭では、最初の2/3を「本列」と呼び男性のみで構成します。
そして、後の1/3を「斎王代列」と呼び女性中心で構成します。
今回は、「本列」を最後まで載せます。
撮影日は、2018年5月15日火曜日午前11時半。
この時点で相当暑くなってきていました。


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先程の検非違使の後に、こちらの方が通り過ぎていかれました。
ただ、今までの検非違使(平安時代の警察官)と異なる扮装です。
束帯(平安時代の男子正装)の色も布の質感も上等で、
何より馬を引く方も、束帯姿です。
おそらく、こちらが検非違使尉(長官)でしょう。


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その後も、検非違使隊列が続きます。
今までは上手く撮れませんでしたが、
騎乗されている検非違使の前に白丁(従者)がいらっしゃいます。
そのうちの一人は、細長い布でくるまったものを担がれています。
こちらは「矛持ち」と呼ばれており、
騎乗される検非違使の矛(短めの槍)を持ち運ばれています。

平安時代は葵祭の警備が、相当厳重だったようですね。
まぁ、当時は天皇や皇族も参列していましたし……


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また、このように岡持(おかもち)を持った白丁も伴われています。
平安時代は、こちらに騎乗されている方の私物が入っていました。


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その直後をお稚児さんが通り過ぎます。
また、向こう(東)側の方が持たれているのは竹製の刀でしょうか?


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その後ろ方は……束帯が虎柄です。
枝分かれした木刀を手にされています。(まるで七支刀みたいですね)
虎柄の束帯姿の方は毎年この順で巡行されていますが、
何か宗教的な意味があるのでしょうか?


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さらに、検非違使装束の方が行進されます。
沿道に手を振られていましたが、知己がいらしたのでしょうか?


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その後ろから「鉾持ち」と岡持ちの白丁が来れてましたが、
その脇に漆製木器を手に行進される白丁がいらっしゃいます。
多分何かの楽器を置く台と思います。


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さらにその後から、漆黒の束帯姿の方が来られました。
おそらく、この直後の方を先導されています。


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そして、少し立派な束帯を着こなされている方が
騎乗で通り過ぎていかれます。
こちらも、束帯姿の方に手綱を引いてもらっています。
この物々しさから、山城の使(やましろのつかい)と考えられます。
こちらは山城守(国司)の次官を表しており、
平安時代は葵祭警護の最高責任者でした。
五位相当ですから、天皇に自分の意見を上奏できる
かなり身分の高い貴族ということになります。


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山城の使の後は、しばらく葵祭巡行行列が途切れました。
その間に、通行規制が一時的に解除されます。
これで、「本列」の半分が終わりました。


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約5分後、再び葵祭巡行行列が通り過ぎました。
先ずは、漆黒の束帯姿の方々が先導されます。


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ここからは、武装されていない方々が続きます。
こちらは、黒漆で塗られた木箱を持たれています。


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さらに、こちらは……虎の毛皮でしょうか?
誇らしげに持ち運ばれるので、平安時代は宝物だったのでしょうね。


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次に、傘が1本通り過ぎました。
西洋由来の雨傘とは異なり、祇園祭で出てくる綾傘鉾や
四条傘鉾に近い形状ですね。
元来は平安時代の貴族の女性が歩く際、
供の者が雨や日差しを避けるために差し掛けるものです。
ただ、こちらは本列(男性隊列)です。
傘の下を含めて、周囲に女性はいません。


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その後に、様々なものを持ち運ばれる白丁が
河原町通を北上されていかれます。
さらにその後に、大きな櫃を4人で担がれる白丁の登場です。


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その櫃を中心に撮りました。
松尾祭で巡行される月読神社ご神体が、こんな感じでした。


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その後をさらに櫃を担がれた白丁が続きます。
これが3箱なら上社1座に下社2座と数が合うので、
取材時にはこちらがご神体と思っていました。
(本来ご神体は御神輿で運ばれますが、
葵祭巡行行列にはその御神輿が存在しません)


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やはり、こちらの櫃は3箱いらっしゃいました。
……ということで、こちらがご神体と確信したのですが
後で葵祭のサイトで調べたところ、
こちらは御幣櫃と言い、中はご神体そのものではなく
ご神体へのお供え物ということでした。


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その後に、こちらの騎乗の束帯姿の方が通り過ぎていかれます。
烏帽子から、こちらも身分の高い貴族の扮装と分かります。
おそらく、こちらが内蔵寮史生(くらりょうのししょう)です。
前を行く御幣櫃の管理者で、七位のそこそこ身分の高い貴族です。


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その直後をこちらの空馬が通り過ぎていきます。
おそらく、先ほどの内蔵寮史生の替え馬でしょう。


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その後をこちらの騎乗の束帯姿の方が続かれました。
こちらは、馬寮使(めりょうつかい)と思われます。
……のですが、こちらの白馬が愚図りだしました。
まっすぐ歩かずに、横歩きしています。


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とうとう、その白馬が後ろを向いてしまいました……
ちょうど巡行行列が渋滞していて全員立ち止まったところなので、
ほぼ支障がなかったのですが……


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その時「今出川河原町」交差点を見ると、
ちょうど交差点の中央で牛車が立ち止まっていました。


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こちらが、その牛車の先頭部分です。
お稚児さんに先導されて、白丁に手綱を引かれた和牛が
ゆっくりと歩いていきます。
そして、束帯姿の方々が両脇を固めています。


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和牛に引かれて、牛車が進んでいきます。
藤やツツジの造花がきれいですね。
ただ牛1頭だけではこの大きな車を引くのが大変なので、
後方から白丁が何人か押しておられるようですね。

本来はこちらに勅使(天皇の代理)が乗られるのですが、
現在は誰も乗らない状態で行進します。


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その後を1頭の和牛が続きます。
こちらは「替え牛」で、先の和牛が疲労したときの交代要員ですね。


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その後に、こちらの束帯姿の方々が続きます。
何か細長い木箱を持たれていますね。


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その直後に、騎乗の臙脂色の束帯姿の方が通り過ぎていかれます。
武装されているので、検非違使でしょうか?


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その後ろの方はも、おそらく検非違使です。
こちらも、鉾持ちと岡持ちの先導により行進します。


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その後ろを替え馬が続きます。
……ただ鞍が重いらしく、馬がだいぶ愚図っています。


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さらに、風流傘が続きます。こちらも男性のみで運びます。
紅白の牡丹の造花が、見事ですね。


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さらに続く騎乗も、検非違使でしょうか?
武装されているのですが、手綱を引かれる方は束帯姿です。


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その後ろの束帯姿の方は、武装されていません。
おそらく内蔵使(くらづかい)と考えられます。
五位相当の身分の高い貴族で、勅使の上奏文を所持されています。


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その後を空の馬が続きますが、
この前後にかなり身分の高いか貴族役の方が行進されますので、
その替え馬なのでしょうね。


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その後から、勅使役の方が通り過ぎていかれました。
葵祭の勅使は天皇の代理で、平安時代は近衛中納言が務めました。
中納言は左大臣→右大臣→大納言に続く最高位の貴族の一人で、
これに少納言を含む貴族が平安時代は天皇と閣議を行っていました。


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その後をこちらの束帯姿の方が、北上していきます。
こちらも、虎柄の毛皮を掲げておられます。


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そして、黄色いツツジの造花を飾る風流傘が行進します。
こちらは、葵祭「本列」の最後尾の目印でもあります。


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これで、葵祭「本列」巡行の全てが、
「今出川河原町」交差点を北上していかれました。
女性を中心とした「斎王代列」まで、少し時間が空きます。
そのため、その間交通規制が解除されます。

今回は、ここまでです。

~次回は葵祭「斎王代列」を取材ます~

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第565回 葵祭 斎王代列巡行~葵祭2018~その3

[斎王代] ブログ村キーワード
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「河原町今出川」交差点からの葵祭巡行行列も、2/3が過ぎました。
男性のみの葵祭「本列巡行」の後は、
女性中心の「斎王代列」が「河原町今出川」交差点に入ってきます。
……とは言え最初は検非違使が行進しますので、
斎王代列も先頭は男性です。
今回は斎王代列を見物した後、帰宅します。
撮影日は、2018年5月15日火曜日正午。
暑くて、熱中症になりそうです。


565-2.jpg
とは言え、先程の2名で検非違使から女房に変わります。
この場合の「女房」は「既婚女子」という意味ではなく、
「上級貴族の邸宅で働く女官」(本人は下級貴族)という意味です。
白丁(従者)に花飾り付きの和傘を立て掛けてもらっています。
屋外では裾の長い十二単ではなく、
裾は短く活動的な采女装束を着用されています。
ただし、足許は足袋に草履のようですが……


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女房隊列は、約10名続きます。
……のですが、その周囲でたくさんの男性が走っておられます。
所持されている機材から、カメラマンとその助手と分かります。
男性のみの「本列」には誰も付いていらっしゃいませんでしたが、
女性が大半の「斎王代列」はこんな感じでした。


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その女房隊列の後ろに、山吹色の束帯姿の男性が現れました。
その後ろに、お稚児さんが続きます。
斎王代列は、お稚児さんも女の子ですね。


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お稚児さんの直後から、上だけ束帯を身に着けた白丁が
輿を担いで登場されました。
その輿の上に、葵祭の今年(2018年)の斎王代が載られています。


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こちらが、輿に載られた斎王代です。
「輿」と言いましてもその下にキャスターが付いていますので、
白丁の皆さんもそこまで大変ではないのでしょうか?
(自分が実際に担いでいないので、本当のところは分かりません)
今も昔も、この斎王代の輿が葵祭巡行行列のメインです。
(葵祭では神輿など、ご神体は巡行しません)


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斎王代を載せた輿が、「河原町今出川」交差点を通り過ぎました。
輿の後から、また女の子のお稚児さんが通り過ぎていかれます。


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その後から、采女装束の女房姿の方が通り過ぎていかれます。
ただよく見ると、最後の2人は明らかに白拍子の扮装ですね。
その後に山吹色の束帯姿の男性がおられて、
さらにその後を騎乗された女房が続かれます。


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先程の写真と同じ方々が、自分の前に来られました。
よく見ると、山吹色の束帯姿の男性の周囲に
白丁もいらっしゃいますね。


565-10.jpg
その後を騎乗姿の女房が、3騎ほど通り過ぎていかれました。
その前に白丁がいらして、それぞれ矛と岡持ちを持たれています。

ところで、この矛はどちらのものなのでしょうか?
もしかして、騎乗の女房のものなのでしょうか?


565-11.jpg
さらに、その後も騎乗された女房が続きます。
こちらは、束帯姿の方が手綱を引かれています。


565-12.jpg
騎乗された女房は、まだまだ続かれます。
2014年は大雨が降りましたので、
傘を差せない騎乗の方はかなり悲惨でした。


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その後に風流傘を白丁に差し掛けられた女房姿の方が登場され、
さらに数人の女房姿の方々が続かれます。


565-14.jpg
さらに、その後を臙脂色の束帯姿の男性が通り過ぎていかれます。
こちらの方々は、全て笙や竜笛を持たれています。
おそらく、下鴨神社や上賀茂神社で雅楽を演奏されるのでしょうね。
そう言えば、祇園祭神輿巡行の八坂神社で雅楽を演奏された方々も
臙脂色の束帯姿の男性でした。


565-15.jpg
その後を和太鼓などの打楽器が続きます。
こちらも、下にキャスターが付いています。


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雅楽演奏者の直後に、また牛車が登場します。
斎王代列ですから、先頭のお稚児さんも女の子ですね。


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こちらが、その牛車です。枝垂桜の造花で飾ってありますね。
こちらは元々斎王代が乗ることになっていましたが、
現在は巡行行列中誰も乗ることはありません。


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その後を和牛が1頭続きます。
こちらは先程の牛車を引く和牛が付かれたときの予備です。


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さらにその後を弓を持ち矢筒を担いだ検非違使が通過されます。
こちらが、葵祭巡行行列氏子衆の最後尾です。


565-20.jpg
その後をこの軽トラックが通り過ぎます。
荷台の黒い袋には、途中で拾った馬糞が詰まっています。
さすがに、馬糞の放置はマズいようです。


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さらに、京都市の広報車が通り過ぎます。
こちらは、交通規制解除を告げておられました。


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最後に警察車両が通り過ぎると、交通規制が完全に解除されました。
これで、「河原町今出川」交差点も平日モードに戻ります。


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今出川通から、河原町通を北に向いています。
ちょうど葵祭巡行行列最後尾の牛車が、
約50m先の「河原町出町」交差点を右折しようとしています。
この後巡行行列は出町通を東進し、加茂川に架かる出町橋を渡り
下鴨東通で北上して糺の森経由で下鴨神社へ向かいます。


565-24.jpg
では自分も帰ろうと思うのですが、今回は出町通経由で進みます。
ですから、先ず河原町通を北上したのですが……
いつも以上に歩行者でごった返しています。
どうやら、出町橋付近で見物されていた方々も混じっています。


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今出川通から、河原町通を約50m北上しました。
こちらは、和菓子屋さんの「出町ふたば」です。
第468回ブログ同様に、今回もこの混み具合です。
今から並んでも、自分の順番の前に売り切れるでしょうね。
また今回も、豆大福が買えませんでした……


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その北側に、こちらのアーケード街が西に伸びています。
こちらは、第469回ブログ以来の出町升形商店街ですね。
ただ、今回はこちらへは向かいません。


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その位置で、今度は東を向きました。
ここは、河原町通と出町通との交差点です。
出町通は、寺町通~東大路間の短い道です。
では、横断歩道を渡り出町通を東に進んでいきます。


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河原町通から、出町通を東に向いています。
この日は快晴だったので、長閑な風景が見受けられます。
ただ、この後仕事なので先を急ぎます。


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河原町通から、出町通を東に約50m進みました。
ここから、加茂川に架かる出町橋を渡ります。


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出町橋を東に渡りながら、加茂川の北東側を眺めています。
向かい岸の繁みは、糺の森ではありません。
(糺の森は、もっと北にあります)
上流方向に、葵橋が見えますね。
この橋を境に、河原町通と下鴨本通とに分かれます。


565-31.jpg
出町橋を西に渡り切りました。
この先の横断歩道の位置で北に左折すると、
下鴨本通から糺の森に向かいます。(第242回ブログ参照)
出町通をさらに東に進むと、高野川に架かる河合橋があります。
さらにその先が、京阪電鉄と叡山電鉄の「出町柳」駅です。


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本当は河合橋を渡って駅に行きたいのですが、
葵祭巡行行列の見物人が多数いらして、
ここから先には進めそうにありません。
そこで横断歩道で出町通の南側歩道に向かい、
そこからさらに南に向かいます。


565-33.jpg
出町通南側歩道から、さらに南に進みました。
ここから約50mほど、芝生の公園のようになっています。
右(西)側に加茂川が流れていますが、
左(東)側の土手を越えたらすぐに高野川が流れています。
では、こちらを南下していきます。


565-34.jpg
さらにその位置から、南下していきます。
すると、地面が芝生から石畳に変わります。
ここから約50m先で、加茂川と高野川が合流しています。
ここがアニメなどの舞台によく使われる「鴨川デルタ」で、
この合流点から南が鴨川となります。


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「鴨川デルタ」最南端まで来ました。
この辺りの方々は、葵祭の見物人よりも
この「鴨川デルタ」自体を目的に来られているようです。
まぁこの日(2018年5月15日)はとても暑かったので、
皆さんここで涼んでおられるようでした。


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その「鴨川デルタ」最南端から、
加茂川と高野川へとそれぞれ飛び石で渡れるようになっています。
では、ここを利用して高野川を渡ります。
……のですが、第312回ブログのときより、水嵩があります。
これでは靴が濡れてしまいますが……他に選択肢がありません。


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靴を濡らしながら、飛び石を渡っています。
どうも、この飛び石を渡ること自体を楽しみにして
京都に来られている方々も多いようです。
周囲の大半が外国人で、中国などアジアの方々が多いですね。

飛び石を渡っている途中で、河合橋を見上げました。
すると、だいぶ人が減って普通に渡れています。
もしかして、じっと待っていた方が正解だったかもしれません。


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とは言え、もうここまで渡っているので
このまま飛び石を西へ進み高野川を渡り切ります。
高野川の川岸では、たくさんの方々が涼んでおられますね。
そのくらい、この日(2018年5月15日)は暑かったですね。


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飛び石を渡り切り、高野川東岸にまで来ました。
右(南)側に、第563回ブログに出て来た賀茂大橋が見えます。
(今出川通沿いです)
では、この石段を上り川端通に出ます。


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石段を上りきると、川端通に出ます。
その脇に、地下に向かう京阪電鉄「出町柳」駅3番入口があります。
では、ここから地下に下りて帰宅します。

今回は、ここまでです。

~次回から、また「釜座通編」が復活します~

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第614回 菊浜高瀬川せせらぎナイト

[菊浜高瀬川せせらぎナイト] ブログ村キーワード

今回は、「2018年紅葉散策」をお休みします。
2018年11月23日金曜日に近所の銭湯に行ったところ、
旧菊浜学区でライトアップする旨の広告が出ていました。
そこで、2018年11月25日日曜日にそちらに出かけてみました。


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京阪電鉄「七条」駅を出て七条通を西に進み、
鴨川を東山区から下京区側に渡っています……
という「設定」で書いていますが、
本当は自宅から七条通まで歩いてその後西に数分歩きました。
まぁ七条大橋を西に渡っているのは、間違いありません。
今回はここから高瀬川沿いに進み、そこから北上します。
撮影日は、2018年11月25日日曜日午後5時05分。
暗くても、意外と写るものですね。


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七条大橋を渡り、七条通の南側歩道を見ています。
向こうに、松明殿稲荷神社がいらっしゃいます。
こちらの沿革は、第115回ブログを参照してください。


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七条大橋から、七条通北側歩道を西に進んでいます。
この日(2018年11月25日)の日没は、午後5時10分ごろでした。
日が沈んだら、一気に辺りが暗くなってきました。


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七条大橋から、七条通を西に約50m進みました。
こちらに、少し大きな交差点があります。

目の前の提灯は、焼肉屋さんです。
高瀬川~鴨川間の七条通の飲食店には
あまり流行らないジンクスがありますが、
こちらと鴨川沿いのタイ料理屋はいつも賑わっています。


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七条通から、その交差点を南に向いています。
ここから南に、須原通が伸びていますね。

交差点の南西角に、11月28日水曜日から
コンビニエンスストアが開店するそうです。
何かいかにも開店準備中の店構えですね。


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今度は七条通から、その交差点を北に向きました。
七条通以北のこの道は、三ノ宮通です。
須原通ではないので、ちょっとややこしいです。


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その交差点から、七条通を西に向いています。
すぐ先に高瀬川が南北に流れているのですが、
その橋の上にたくさんの方々がいらっしゃいます。


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その高瀬川に架かる七条小橋の上から、高瀬川を北に向きました。
水底の浅い高瀬川上に、燈籠が並んでいます。
こちらは2018年11月23日金曜日~11月25日日曜日の間、
京都市下京区の菊屋町~米浜間の高瀬川に、燈籠が並びました。
この周囲の散策が、今回ブログのメインです。


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七条通から、高瀬川東岸の木屋町通を北に向いています。
では高瀬川沿いに北上し、この燈籠を眺めつつ散策します。


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木屋町通を北上しつつ、高瀬川の燈籠を大写ししました。
鮮やかな赤が印象的ですね。
実はこちらの燈籠は、一つ一つ違う絵が描かれています。


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その燈籠の横側には、菊浜高瀬川せせらぎナイトと書かれています。
こちらは、京都美術工芸大学と
菊浜地区住民とのコラボ企画となっています。
「菊浜」とは、五条通以南の高瀬川沿いの菊屋町と
正面通付近の高瀬川沿いの米浜(よねはま)を合体させた地名で、
1867年に京都市立菊浜小学校が開校された際に付けられました。
上ノ口通~七条通間の高瀬川沿いに、
このように燈籠を並べてライトアップするのが、今回の企画です。


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日没後は暗く写るのですが、街灯が明るいとよく写ります。
向こうは即現寺という寺院ですが、保育園でもあります。


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七条通から、木屋町通を約100m北上しました。
ここで、高瀬川に昭和橋が架かります。


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昭和橋から高瀬川を北に向いています。燈籠が綺麗に並んでいます。
ではこのまま橋を西に渡って、高瀬川西岸の西木屋町通に移ります。


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西木屋町通から、高瀬川越しに木屋町通沿いの旅館を撮りました。
この辺りは街灯が明るいので、しっかり撮れます。


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昭和橋から、西木屋町通を約100m北上しました。
ここで西木屋町通は、正面通と交差します。

「正面西木屋町」交差点南西角に、
「灰孝」というセメント屋さんがあります。
その1Fに「Mur mur cafe」というカフェがあります。
普段は午後5時で閉店のお店ですが、
この期間中だけ午後5時以降も開いていました。
……ということで、ちょっとお邪魔します。


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Mur mur cafeが開店時間延長しているのは、
この「菊浜高瀬川せせらぎナイト」の企画に乗っているためです。
2018年11月23日金曜日には、ここで演奏会が行われたようです。

取りあえず、ここに入りこちらを注文しました。
ハニートーストのスープ&コーヒーセットで、1,000円しました。


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セットの珈琲は「菊浜ブレンド」を注文しました。
この店は、ブレンドコーヒーしかありません。
ただお客さんのお好みに合わせて、3種類から選べます。
こちらは、深煎りの苦味重視のものです。
ブレンドコーヒーはどれも、こだわりの逸品のようです。


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そして、セットの残りです。
スープはコーンポタージュで、
サニーレタスとミニトマトのサラダが付きます。
スープは、トウモロコシの甘味が前面に出ていました。
ハニートーストなのでパンには蜂蜜が塗られていて、
その上の糸状のものはバターですね。
蜂蜜が塗られているので、相当甘かったですね。

ちょっと気に入ったので、
また来たときもこれを注文しようと思います。


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西木屋町通から、正面通を東を向いています。
約100m先に前回ブログでお邪魔した渉成園の塀が見えます。
その塀が見える河原町通が、前回ブログの最後の地点です。
ですから、次回ブログは向こうからここを通り過ぎ
正面通最東端に向かいます。


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正面通から、西木屋町通を北に向いています。
正面通以北の西木屋町通は、約100mに渡って大通りになります。
そして「正面西木屋町」交差点北西角に、正面児童公園があります。


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正面児童公園に入ってきました。
こちらは、京都市街地でも屈指の桜の名所です。
桜並木が、遊具を取り囲んでいますね。
(第114回ブログを参照)


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今度は西木屋町通から、正面通を西に向きました。
こちらから、高瀬川に架かる正面小橋が見えます。
欄干の上にも、燈籠が見えますね。


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正面小橋から、高瀬川を北に向いています。
こちらからでも、燈籠がずっと続いているのが分かりますね。


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正面小橋を東に渡り、木屋町通を北に向きました。
では、こちらを北上します。


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正面通から木屋町通を北上しつつ、西に向きました。
こちらから正面児童公園を見ると、こんな感じになります。


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さらに、木屋町通上を北上しています。
向こうに信号が見えますが、「上珠数屋町河原町」交差点ですね。
間はずっと駐車場なので、こんな風にしっかり見えます。


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正面通から、木屋町通を約100m北上しました。
木屋町通は、ここで上ノ口通と交差します。


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木屋町通と上ノ口通との辻に、こちらの銭湯があります。
この梅湯はいったん潰れたのですが、近年再開されました。
深夜まで営業されているので、会社での勤務後によく入ります。
実は最近ウチの近所の桜湯が潰れまして、
京阪電鉄「七条」駅近くの大黒湯も閉店時間が早くて困っていたら、
その大黒湯の主人にここを紹介されました。
最近の自分は、大黒湯とこの梅湯をメインの銭湯にしています。
ちなみに、先程の「近所の銭湯」とはこの梅湯のことです。


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梅湯の前から、上ノ口通を西に向いています。
梅湯の前は桜並木が続いて、そこそこの絶景になります。
これが春になると、お風呂帰りにその桜の花を見られます。
木屋町通も西木屋町通も、高瀬川沿いは桜の名所ですね。


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上ノ口通の高瀬川に架かる橋を西に渡りました。
上ノ口通と西木屋町通との辻に、「キコク食堂」があります。
「キコク」は渉成園の別称「枳殻邸」(きこくてい)に由来します。
この辺の地名によく使われていますね。

こちらは洋食店と言いますか大衆食堂ですが、
京都のそういうお店にはいろいろ名物がある場合が多いですね。
(例えば、ますやのハンバーグのことです)
こちらは串カツなどのフライ物が名物で、
「食事」よりもお酒の飲むのに特化した店でもあります。


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上ノ口通から、西木屋町通を北に向いています。
左(西)側に、ひと・まち交流館があります。
かつての京都市立菊浜小学校ですね。
河原町通同様に、この辺りから西木屋町通も高瀬川も
北北東に曲がっています。


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上ノ口通から、西木屋町通を約30m北上しました。
高瀬川に向けて、石碑が立っています。
この辺りに、高瀬舟の船着き場がありました。
その名残を偲ぶため、この石碑が立ちました。


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ひと・まち交流館の最北端の塀を撮りました。
ただ、元々は菊浜小学校の校門がここにありました。


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その真横を撮っています。
こちらに鉄製の橋が架かっています。
では、またここを渡っています。


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その橋の上で、高瀬川を北北東に向きました。
この先に、燈籠がありません。
つまり、この位置が燈籠の最北端です。
では木屋町通に進み、梅湯に入ってから帰宅します。

~次回は、また「2018年紅葉散策」に戻ります。
河原町通から、正面通最東端まで進みます~

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第653回 休日の二の丸庭園~GWの二条周辺~その1

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前回ブログで2019年の桜散策も、一段落しました。
ただ、まだまだ平常運転に戻る前にあちこち散策します。
実はウチの母と毎年GW中はあちこち散策していたのですが、
こちらのブログには挙げていませんでした。
(智積院とか三十三間堂とか、ウチの近所中心です)
まぁ、2019年はちょっとそちらも掲載しようと思います。
2019年は神泉苑に行きたかったのですが、
どうせなら先に近くの二条城にお邪魔します。
撮影日は、2019年5月2日木曜日午後0時半。
今上天皇即位2日目は、京都盆地が快晴でした。


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京都駅から地下鉄烏丸線に乗り北上して、
「烏丸御池」駅から東西線に乗り換えて1駅。
こちらは、京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅のホームです。
では、この階段から「二条城前」駅コンコース階に向かいます。


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京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅で、
階段を上ってコンコース階に上がってきました。
では、この先の改札口から「二条城前」駅を出ます。


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改札口を出て、東を向きました。
あちらに、京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅の
切符売場と周辺地図が並んでいます。
日本人以外にも多くの方々が、そちらを眺めていらっしゃいます。
では、約30m先のここの突き当りまで進みます。


653-5.jpg
こちらが、その突き当りです。
二条城に向かうなら1番出口が便利で、
堀川通より東に用があるなら2番出口が便利です。
(例えば、第567回ブログに出て来た御金神社はここからが便利)
今回は二条城が目当てなので、1番出口を利用します。


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先程の位置で右(南)を向くと、1番出口に通じる階段があります。
では、こちらを上がります。


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京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅1番出口から、外に出ました。
本当は入り口越しに写真を撮ったのですが、
地下と快晴の屋外とは明度が違いすぎて
白光して真っ白な1枚になってしまいました……
仕方がないので、押小路の歩道に出て1枚撮りました。

この押小路は、千本通~堀川通間は4車線の大通りです。
そして、千本通以西は御池通にいつの間にか吸収されます。
(その辺の境目が、はっきりしません)
その向こうに二条城の外堀があって、
さらに向こうに重要文化財の南東の物見櫓があります。


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地下鉄「二条城前」駅1番出口から、押小路を東に向きました。
次は、堀川通の横断歩道に向かいます。


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押小路から、二条城東側に伸びる堀川通を北を向きました。
では、この横断歩道を渡り二条城前に向かいます。


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先程の横断歩道を渡り、二条城の大手門前に来ました。
この辺りの堀川通には観光バスの停留所があったり、
市バスのバス停やタクシー乗り場があったりしました。
自分たちが乗って来た地下鉄の駅を含めると、
相当の方々が同時に集まっています。


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堀川通を北上していると、少々長い行列が伸びています。
こちらの行列は、切符売場から
この立札を持たれた方まで伸びています。

え~と、これって二条城に入る方々の行列でしょうか?
……いえいえ、二条城は有人切符売場が2ヶ所、
自動販売機が4ヶ所あって
修学旅行生が何組も同時に来られても対応可能のはずです。

立札を掲げられた方に尋ねたところ、
やはり二条城入場される方々の行列でした。
「地下鉄や市バスが来ると、一挙にたくさんの方々が来られて
この列が急に長くなっています」
夏休み昨年6月でも、そこまでにはなっていません。
正直、自分には生まれて初めての事態です……


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では自分たちもこの行列に参加して約10分後……
自分と母は自動販売機の前に来ました。
そこで、自分と母の分併せて2000円を納め
こちらの木戸から大手門前に移動します。


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二条城切符売り場脇の木戸から、堀川通を南下しています。
約100m先に、二条城大手門がありますね。


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二条城大手門前で、西を向きました。
では、こちらから二条城に入城します。


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二条城大手門をくぐってすぐ右(北)側に、こちらが建っています。
江戸時代当時は「番屋」と呼ばれていた建物で、
入城してきた方々をこちらで審査していました。
(ただし、ここで働く役人と大名や大名行列参列者は審査対象外です)


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二条城大手門をくぐり、二条城内で西を向いています。
左(南)側は現在の総合案内所で、右(北)側先程の「番屋」です。
次は、この突き当りの壁の前まで進みます。


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先程の壁に突き当たり、南を向きました。
トイレや管理事務所に先に行くなら北へ進みますが、
ここは順路通り進みます。
(そう言えば、自分が想定する正式順路通り行くのは初めてです)


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順路通り突き進むと、こちらが見えます。
この辺りが、二条城南東端ですね。
二条城の四隅に付いている重要文化財の物見櫓です。
駅から外に出た途端に見たものと、同じものです。


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二条城南東端から、西を向きました。
2015年にこちらに来たときは、
向こうの道からこちらに戻ってきました。


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先程の位置から約50m西に進み、北を向きました。
では、こちらの唐門から二条城二の丸に入っていきます。


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先程の唐門をくぐり、北を向いています。
ここから、目の前の二の丸御殿に入っていきます。
ただし、こちらは撮影一切不可なので写真はありません。
国宝二の丸御殿には目の前の下足場から入って、
遠侍→式台→黒書院→白書院という棟に向かいます。

二条城二の丸御殿は、江戸幕府の政治が行われた場所です。
江戸幕府の政治は元来江戸(現在の東京)で行われましたが、
滅亡するまでの最後の10年間は(1860年前後)
長州(山口県)など江戸幕府に反抗的な西国の諸藩を抑えるため、
当時の将軍徳川家茂は政治機能を
江戸の江戸城からこの二条城に移転しました。
1867年の大政奉還は二条城二の丸御殿の式台で行われました。


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二条城二の丸御殿は、出口・入口が同じ場所です。
約30分かけて、こちらを1周して同じ場所に戻ってきました。
現在2019年5月2日水曜日午後1時15分です。

先程の位置で、二条城内を西に向きました。
では、この先にある二条城二の丸庭園に向かいます。


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先程の位置から、約50m西に向かいました。
こちらに、そこそこ大きな梵鐘が置かれています。
この梵鐘は、江戸時代に(17世紀~19世紀)
京都所司代が実際に使っていました。
こちらを鳴らすことで、庶民に変事を知らせていました。
ですから、伊藤若冲らが焼け出された天明の大火
1864年の禁門の変直後のどんどん焼けでも鳴らされたのでしょうね。


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その梵鐘の西側に、大きな塀があります。
そして、その脇にこちらの門があります。
こちらを通り抜けると、二の丸庭園に入っていきます。


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二条城二の丸庭園に入ってきました。
二条城二の丸御殿の南西部に、こちらの庭園が設けられています。
目の前に、二の丸御殿の一部式台が見えます。
(大政奉還が行われた建造物ですね)


653-26.jpg
先程の位置で、南を向きました。
こちらが、二条城二の丸庭園の一部です。
池の周囲にさまざまな大きい石が置かれていますが、
二条城築城の際徳川家康の機嫌を取るため、
各大名がこちらに送り届けたものです。

ただ、幕末になるとこちらは相当荒廃しました。
徳川慶喜など幕末の権力者が
「日本庭園」に興味がなかったことが主要因です。
ちなみにこちらを修復したのは、主に最近の京都市の功績です。


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二条城二の丸庭園で、式台の西側に来ました。
式台の先に、黒書院が南に伸びています。
二の丸は一つの建物なのではなく、幾つかの建物の集合体です。


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二条城式台方面から南に、二条城二の丸庭園を眺めています。
江戸時代にはこの正面から本丸の天守閣が見えたので、
(現在は取り壊されています)
当時はこの角度からの眺望が、さらに絶景だったそうです。


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式台の脇を西に進むと、今度は北に進路が曲がります。
こちらは、黒書院の脇です。


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今度は黒書院の前で、東を向きました。
こういう庭園は、同じ場所でも見る角度で眺めが変わりますね。


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黒書院の南東端で、西を向いています。
ここで、池のある日本庭園とはお別れします。
そして、塀の向こうの方に向かいます。


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先程の塀を通り抜け、さらに西に来ました。
ここも、二の丸庭園の一部です。
この辺の松が立派なのですが、
いつも庭師さんが手入れされている印象がありますね。


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同じ場所で、東を向きました。
こちらが、二条城二の丸御殿最深部の白書院です。
江戸幕府の歴代将軍が食事や就寝した場所です。
(将軍の政務は、黒書院で行いました)


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先程の位置で、さらに西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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こちらの道は、蛇行しながらも確実に西に向かっています。
では、あちらの門から二条城二の丸庭園を出ます。


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その門から、西を向いています。
門の先に、二条城本丸への門が見えます。
本丸は歴代将軍のより日常生活をする場所で、
軍事拠点の役割もあります。
ここから二条城本丸散策が始まりますが、
そちらは次回に掲載します。

今回は、ここまでです。

~次回は、二条城本丸を散策します~

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第654回 本丸はツツジが満開~GWの二条周辺~その2

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二条城二の丸庭園最西端の扉から、
さらに西の二条城本丸を見ています。
今回は、こちらの二条城本丸を散策します。
撮影日は、2019年5月2日木曜日午後2時。
ポカポカ陽気の散策日和でした。


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二条城内で、二の丸庭園からさらに西の道に出ました。
こちらの道は、二条城内を南北に貫いています。
その道で、北を向いています。
左(西)は堤防の先が堀で、たくさんの水を湛えています。
右(東)は、二の丸庭園ですね。(前回ブログで訪れました)
向こう(北)側の門の先が、次回ブログで訪れる清流園庭園です。


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同じ場所で、南を向きました。
こちらに、「コイのエサ」の自動販売機がありました。
お金を入れると、ここから固形のコイのエサが出てきます。


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本丸を取り囲むように、二条城内堀が掘られています。
こちらは滔々と水を湛えており、たくさんのコイが泳いでいます。


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二条城内堀の上に人影が見えると、コイがたくさん寄ってきます。
多分、先程の「コイのエサ」目当てでしょうね。
実際、多くの方々が先程のエサを放り投げておられます。
……しかし、ここのコイは本当に太くて大きいですね。


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そうこうしていると、こんな錦鯉が現れました。
背中の模様が、きれいですね。ちなみに、体長は50㎝位です。


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二条城二の丸庭園と本丸の間の道の上で、西を向きました。
では内堀に架かる橋を渡り、こちらから二条城本丸に入ります。

本丸の門の上が不自然に大きいですが、
こちらは彦根城などにもある「隠し狭間」(かくしさま)です。
江戸時代などにここまで攻め込まれたなら、
目の前の鉄門扉を閉め、門の上から鉄砲で撃ち返します。
そのため、門の上の壁は鉄砲が配置される位置だけ
すぐに削れるように薄くなっています。


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鉄門扉をくぐり、本丸に入ってきました。
こちらは、その門の裏側です。
「隠し狭間」に行ける梯子が用意されていますね。
先程の写真には、よく見ると石垣に穴が開いています。
実はこちらも「狭間」で、鉄砲を撃つことができます。
……ここの防備が、一番厚いですね。


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先程の鉄門扉をくぐり、二条城本丸を西に進みます。
石垣で囲まれた場所を進んでいきます。


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鉄門扉から本丸の道は、蛇行しながら西に向かいます。
そしてこちらの急な石段を上ります。


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石段を上り東を向き、本丸内から鉄門扉を撮りました。
鉄門扉を何とか突破した二条城を攻める軍勢がいたとして、
勢いよく攻め込むと曲がり切れずにこの真下で渋滞してしまいます。
すると、二条城の守備隊がここで相手の軍勢を囲み
そちらに向けて一斉射撃ができます。
例え後続の部隊が無傷でも、
前衛の部隊の死体が邪魔で前進できません。
そうして渋滞した後続部隊も、
先程の狭間から一斉射撃で倒すことができます。

……このような城の普請は、二条城に限らず
日本の多くの城の標準装備です。
ですから、本丸の城攻めは正面から攻めないのが鉄則です。


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同じ位置で、南西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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本丸内の庭園を南西に進みながら、南を向きました。
こちらの公園では、ツツジが満開ですね。


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本丸庭園を南西に歩いています。
右(北)側に見える本丸御殿は、現在修復中です。


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本末庭園をさらに南西に歩いています。
周囲の芝生は、通常立ち入り禁止です。


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本丸庭園の南西への道は、この三叉路で終わります。
では、ここから左(南)へ続く道を進みます。


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その道を進むと、すぐに二条城本丸庭園南西端に着きます。
そこからは、急な石段ですね。


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その石段を上っています。
とても急なので、滑り落ちたら大変ですね。
石段で、約10m上に登ります。


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急な石段を上りきりました。
すると10㎡ほどの空間が広がり、中央にベンチがあります。
こちらに、元々二条城天守閣が建っていました。
(明治維新で取り壊されました)
今では、こちらは公園になっています。


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二条城天守閣址から、北を向いています。
ここは二条城の中でもいちばん高いところで、
京都タワーが無かったころは、ここが京都市街地で
いちばん高いところの一つです。
(尤も京都盆地は平らではなく、東寺の五重塔の天頂部と
北大路の地面は同じ高さですが……)
ですから、こちらは展望台としての役割もあります。


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では、こちらから二条城本丸庭園に戻ります。
また、この急な石段を利用します。


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二条城天守閣址地から、急な石段で下りています。
気のせいか、上りよりも下りの方が石段を急に感じますね。
滑落しないように気を付けながら、こちらを下ります。


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急な石段を下り切りました。
こちらにも、満開のツツジが見えますね。
ここから、修復中の二条城本丸御殿がよく見えますね。


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すると、目の前に先程の三叉路が現れます。
先程は右側から来ましたので、今度は左側に進みます。


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その三叉路で、左(西)を向きました。
向こうの塀を越えると、本丸庭園を出ます。


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二条城本丸御殿を出て、その塀より西側の様子です。
すると、二条城本丸御殿が鉄壁と足場に囲まれており、
まるで工事現場でした。(ある意味、工事現場なのですが……)


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こちらが、二条城本丸御殿です……完全に工事現場ですが。
普段の二条城本丸御殿の様子は、こんな感じです。
(第569回ブログを参照)


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まぁ二条城本丸御殿は非公開なので、普段も素通りです。
では、他の方々と一緒に順路通り本丸を出ます。


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二条城本丸御殿から、蛇行しながら西に進んでいます。
石垣から見る高さやこの蛇行する様子も、先程の正面と同じですね。
やはり、軍事的な理由でこうなっているのでしょうね。


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二条城本丸御殿から、蛇行しながらも西に向いています。
では、この内堀に架かる橋を渡ります。

ここも内堀なのですから、先程のコイが大量にいるはずです。
ただ、こちらにはコイの姿はありませんでした。
餌をあげる方々の数が、そのままコイの数なのでしょうね。


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二条城本丸御殿前から内堀に架かる橋を渡り、
そのまま西を向いています。
目の前の枝垂桜は、GW中になると完全な葉桜ですね。
二条城の南西部は、京都屈指の桜の名所です。
このまま西に進むと、大きな休憩所とトイレがあります。
ちょうどこの辺りが、二条城散策の中間点です。


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先程の場所から、北を向きました。
桜並木は完全に葉桜ですが、植え込みのツツジは満開です。
二条城には何種類もの花々が植えてありますが、
GW中はツツジが見ごろですね。
ということは、嵐山の天龍寺辺りも綺麗でしょうね。


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こちらは、道端に咲く満開のツツジとその周辺です。
桜並木の間は芝生ですが、よく見るとタンポポも満開ですね。
こちらは意図して植えられたのではなく、自生しているものです。
二条城は、こういう花々も見ていて飽きません。


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ツツジやタンポポを堪能しつつ、二条城内堀の脇道を北上します。
内堀とこちらの道との間に、細長い土蔵が建っています。
こちらは重要文化財の米蔵です。この周辺には土蔵が多いですね。


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そうこうしているうちに、二条城内の北西端まで来ました。
こちらから北西は立ち入り禁止ですが、
この先に重要文化財の物見櫓が建っています。
ここからは見えませんが、「竹屋町美福」交差点ならよく見えます。


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二条城北西端から、東を向いています。
ここから二条城の周囲を北側から大手門を目指しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、二条城の休憩所でまた抹茶パフェを戴きます~

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第655回 二条城抹茶パフェ再び~GWの二条周辺~その3

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二条城の北西端から、東を向いています。
今回はこのまま東に進みつつ、清流園庭園や休憩所に寄ります。
昨年(2018年)以来の抹茶パフェを頂きました。
撮影日は、2019年5月2日GW木曜日の午後2時半。
日差しが強い散策日和の昼下がりです。


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二条城北西端から、約30m東に向かいました。
こちらで、なぜかカエデが紅葉に染まっていました。
初夏に紅葉は珍しいからか、多くの方々が撮影されていました。


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そのカエデの前で、二条城内で東を向きました。
左(北)側には様々な木々が生い茂っていますが、
右(南)側は松並木がずっと続いていて……
そのさらに右(南)には内堀→石垣→本丸が見えます。


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二条城北西端から、二条城北側の道を約100m東に進みました。
すると、道が石垣で隔てられます。


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こちらは、需要文化財二条城北仕切門です。
ちょうど南側にも、需要文化財二条城南仕切門があります。
もちろん軍事上の事情で作られた門です。
昔から日本では築城などの際に、長距離の直進を避けます。
(都市部の通りで、筋違いなどを作る理由でもあります)
こちらも、その直進を避けるためのものです。
(北仕切門は第570回ブログ、南仕切門は第338回ブログ参照)


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重要文化財二条城北仕切門をくぐり、東を向きました。
すると、左(北)側にせまい竹林の脇に細長い石庭が伸びています。
右(南)側は、相変わらず二条城本丸を囲む内堀です。


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こちらが、その石庭です。
道沿いに、そこそこの大きさの石が並んでいます。
こちらは、ここ数十年に造られたものでしょうね。


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その石庭の東端で、北を向きました。
こちらから、この北に大きな庭園があります。
そちらが、前回ブログでも触れた清流園という日本庭園です。
では、こちらにお邪魔します。


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清流園庭園に入り、すぐに西を向きました。
こちらに東西に長い池があって、
その西端に「和楽庵」という茶室があります。
そちらに前田珈琲のテナントが入っていまが、
この日(2019年5月2日)は開いていません。
この日の午前中に清流園で茶会があったようなので、
多分その影響でしょうね。


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今度は、同じ位置で北を向きました。
細長い池の先に、清流園のもう一つの茶室「香雲亭」があります。
こちらも閉まっているので、素通りします。


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さらに同じ位置で、南を向きました。
約10m先に、先程まで歩いていた道が見えますね。
その先の内堀ですが、ここから南へと折れ曲がっています。
この辺りが、二条城二の丸庭園と本丸との境目ですね。


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そして、同じ位置で東を向きました。
いろいろ枝分かれしていますが、ここから小径が伸びています。
では、こちらの小径で東を向かいます。


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辺りを散策していると、こちらでもツツジが満開でした。
右側に大きな岩が並んでいますが、
自分には海豹(アザラシ)のように見えます。



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海豹の岩付近で、さらに東を向きました。
では、この東に進む小径をさらに進んでいきます。


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先程の小径は、だんだん南南東に進路を変えます。
やがてこの道は清流園を出て、今回ブログ最初の道に合流します。
多分、ここでこの日の茶会の受付をしていたのでしょうね。


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清流園を出て先程の道に戻り、東を向いています。
桜並木(二条城は京都屈指の桜の名所)は、完全に葉桜ですね。
左(北)側は先程の清流園がまだ続いており、
右(南)側は塀の向こうに二の丸御殿が建っています。
ポカポカ陽気の昼下がりですから、完全にお散歩日和ですね。


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清流園を出て、こちらの道を約100m東に進みました。
ここで、左(北)に脇道ができます。


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二条城北側の道(ここまで歩いてきた道から、北を向きました。
向こうに二条城北門があって、その先が竹屋町通です。
こちらは一般観光客は立ち入り禁止ですが、
二条城の職員や庭師などの業者はここを出入りします。


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先程と同じ位置で、東を向きました。
では、こちらを二条城北東端まで進みます。


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その道を東に進みながら、北を向きました。
こちらに公園のような場所があるのですが、立ち入り禁止です。
何の施設か、よく分かりません。


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二条城北東端まで北ました。ここでこの道は南へ折れます。
ここより左(北)に折れると、公衆トイレがあります。


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二条城北東端から南を向くと、こちらの建物があります。
二条城の宝物の収蔵館です。
二条城内の文化財は、保存の観点でこちらに収納されています。
(二の丸などには、レプリカが展示されています)
そして、こちらの展示室でその中から幾つか公開されています。
入城料とは別料金になりますが、(大人一人100円)
こちらは全て「本物」が展示されています。


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二条城展示収蔵館の南隣に、こちらの休憩所があります。
こちらは「無料」休憩所なので無料で休憩ですが、
土産物屋さんや飲食店がテナントが入っているので、
こちらも利用できます。


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こちらが、その無料休憩所の内部です。
この日(2019年5月2日)はGW真っ最中なので、
日本人の家族連れがいちばん多かったですね。
ただ、やはり中国人(大半が家族連れ)
アメリカ人もたくさんいらっしゃいました。


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こちらは、昨年(2018年)以来の抹茶パフェです。
ここ1年でメニュー設定が変わっており、
550円のアイスクリームに(茶色いのがほうじ茶アイス)
別料金のトッピングを載せるかたちです。
昨年通りにトッピングすると1,500円くらいかかりそうですが、
ちょっと省略したら800円くらいで食べられます。
ウチの母がほうじ茶アイスベースで、
自分が抹茶アイスベースを戴きました。
アイスクリーム以外は甘い蜜に漬かった白玉、
小豆餡・黒豆甘納豆・栗・八つ橋が入っています。
やはり、焼いた八つ橋は外せませんね。


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抹茶パフェを食べ終わり、無料休憩所を出ました。
休憩所の向かい(西)側は第653回ブログにの二条城二の丸ですが、
こちらから入るとハローキティーによる催し物に行けます。
ただ、時間がないので素通りします。


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無料休憩所の前で、二条城内を南に向きました。
展示収蔵館→無料休憩所→公衆トイレ→管理事務所と、
左(東)側は並んでいますが、
右(西)側は二の丸の土塀が続きます。
では、こちらを南下します。


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こちらが、京都市が運営する二条城管理事務所です。
(近年、二条城の管理は宮内庁から京都市に移転しています)
昨年(2018年)こちらにお邪魔した際、二の丸・本丸などの施設や
抹茶パフェの掲載許可をとるために
こちらにお邪魔したのですが、
そのときは二つ返事で許可を頂きました。
今回は休日で忙しそうなので、(昨年お許しが出ているので)
こちらに立ち寄らずに二条城をブログ掲載しています。


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二条城管理事務所の前で、南を向きました。
目の前の方々と一緒にこちらの門をくぐると、
第353回ブログ以来の二条城散策を一周したことになります。


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先程の門をくぐり、南を向いています。
こちらをまっすぐ進むと、二条城二の丸の唐門に辿り着きます。
(第653回ブログを参照)


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同じ場所で、東を向きました。
左(北)側は江戸時代に利用した番屋で、
右(南)側は現在利用されている総合案内所です。
では、ずっと先の大手門から二条城を出ます。


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二条城大手門脇に、案内のパンフレットがありました。
日本語以外にも、英語・中国語・韓国語・スペイン語以外にも
アラビア文字で書かれたものもありました。
日本語以外にも英語・中国語・韓国語版を手に取りましたが、
結局日本語版と同じことが書いてありました。


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二条城大手門をくぐり、東を向いています。
青空と堀川通の向こう(東)側に、大きな建物が見えます。
あちらは、全日空が経営するホテルですね。
その右(北)側にも、新しいホテルが建設中ですね。
(第571回ブログを参照)


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先程と同じ位置で、南を向きました。
では、目の前の木戸をくぐり堀川通に出ます。


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二条城の木戸をくぐり、堀川通を南下しています。
現在2019年5月2日GW中の午後3時ちょっと前です。
ここに来た2時間半前よりも、
明らかに入城待ちの行列が倍以上伸びています。
もう押小路近くまで、その行列が伸びていました。


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「押小路堀川」交差点で、南を向いています。
では、この横断歩道を渡り押小路南側歩道に移ります。


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堀川通から、押小路を西に向いています。
この左(南)側に、第653回ブログ最初の
地下鉄「二条城前」駅の入り口があります。
ただ今回のGW散策はのメインはあくまで神泉苑なので、
ここから押小路を西に向かいます。


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堀川通から、押小路を約50m西に進みました。
右(北)側は二条城の外堀が続きますが、
左(南)側に猪熊通が伸びています。


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押小路から、猪熊通を南に向いています。
約400m南に、三条会商店街が続いていますね。
(第58回ブログ参照)


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岩上通から、押小路を西に向いています。
ここから200mほどで神泉苑なのですが、
もう今回もだいぶ写真を貼り付けました。

今回は、ここまでです。

~次回は、神泉苑の例祭を取材します~

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第656回 神泉苑祭のツツジ~GWの二条周辺~その4

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前回ブログで二条城を出て、
堀川通から押小路を50m西に進み、黒門通脇まで来ました。
今回は、近隣の神泉苑の例祭にお邪魔します。
時節柄、ツツジが満開でした。
撮影日は、2019年5月2日GWの木曜日午後3時過ぎ。
相変わらず、ポカポカ陽気の昼下がりです。


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押小路から、黒門通を南に向いています。
この少し南に「ミズノ」というキムチ屋さんがあったのですが、
壬生に引っ越しました。(詳細は、こちらをクリックしてください)


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今度は、押小路から黒門通を北に向きました。
二条城外堀の先に、二条城「黒門」があります。
この道は、この門が名称の由来です。
ただ、残念ながら舟が無いと中にはここから入れません。


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黒門通から、押小路を西に向いています。
約50m先に信号が見えますが、その辺りが大宮通です。


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押小路から、大宮通を南に向いています。
大宮通は二条城でいったん途切れますが、
二条城北端の竹屋町通から、また北に伸びています。

押小路から10m南に中二階で古い京町家が建っています。
こちらは、京都でも特によく知られた駄菓子屋さんの格子屋です。
では、こちらにちょっとお邪魔します。


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こちらの格子屋では、この4品を買いました。
左の煎餅には砂糖がかけてあります。
「どろぼう」や「かりんとう」など黒糖ベースのお菓子が
自分の好物なのですが、
抹茶などで味付けした「梅鉢」もおいしいですね。


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駄菓子屋の格子屋から、大宮通を約30m南下しました。
京町家の1軒が、自動車の修理工場です。
京町家の工場は、西陣などに時々ありますね。


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押小路から、大宮通を約100m南下しました。
ここで大宮通は、御池通と交差します。


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大宮通から、御池通を西に向きました。
では、ここからはこの御池通を西進します。
約50m先に、「神泉苑祭」の紅い幟が建っていますね。


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大宮通から御池通を約50m西に進み、北を向きました。
確かこの辺りの建物が、神泉苑狂言の舞台です。
自分は何度かGW中にこちらで狂言を見ましたが、
近年の例祭期間中に狂言は行われないようですね。


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先程の位置から御池通をさらに20m西に進み、北を向きました。
ではこの鳥居をくぐり、神泉苑に入ります。


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先程の鳥居をくぐり、北を向いています。
この日(2019年5月2日)から5月4日まで、
神泉苑では例祭が行われておりました。


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先程と同じ位置で、北東を向いています。
神泉苑は、境内の半分以上がこのように大きな池です。
ですから、この神泉苑南側の「御池」通の名称の由来は
この神泉苑の池だったりします。

794年この京都に平安京(要するに首都)が造営された際、
風水(地理による縁起担ぎ)上の理由で、
鞍馬山→船岡山→城南宮と結ぶライン上に池が作られました。
これが、この神泉苑の縁起です。
ちなみに、京都には「レイ=ライン」と呼ばれる
不思議な「直線状に並ぶ施設群」がたくさんありますが、
それらは全て人工的に測量したうえで並べたものです。
(つまり、オカルト的な要素はまったく存在しません)


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先程の位置から、約10m北上しました。
こちらは、神泉苑境内の池に上に浮かぶ小島です。
東側に、台の上に祠がいらっしゃいます。
祠が台の上にいらっしゃるのは年に1回方位を変えるためで、
(こちらの台は、回転できます)
こちらは方位としての干支をご祭神とする恵方神社です。
では、今年(2019年)の方位を向いてお参りします。


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先程の鳥居から北上すると、こちらの善女竜王社に辿り着きます。
ご祭神は、善女竜王です。
龍神で水神ですが、そもそも神泉苑は
「平安京に恵みをもたらす龍神の休憩所」
という役割ですから、この池そのものがご神体とも言えます。
例祭期間中ですから、社の周囲に供え物が並んでいますね。


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善女竜王の脇に、こちらの神輿が飾ってありました。
善女竜王社の社が毎年5月4日にここに乗り、町内を練り歩きます。
とても重くなるので、担ぐのではなく滑車を転がし進みます。


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善女竜王社の西側から、法成橋が伸びています。
次は、こちらを渡り小島を出ます。


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先程の位置から西を向き、法成橋を渡ります。
この日(2019年5月2日)は例祭期間中で
境内のツツジがちょうど見ごろだったので、
たくさんの参拝者がいらっしゃいました。


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法成橋を渡る途中で、北を向きました。
神泉苑の池を眺めています。
神泉苑境内には枝垂桜が多いのですが、
ツツジも多くてそちらがちょうど見頃ですね。


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法成橋を渡ると、神泉苑境内西側に辿り着きます。
さらに西に、神泉苑本堂があります。ご本尊は、聖観音です。
神泉苑は神道系の神社と思われがちですが、
実は密教系の(真言宗)仏教寺院です。
この時間帯に(午後3時半)例祭の一環で
大般若経の読経が行われておりました。
1枚写真を撮ろうと思ったのですが、
「撮影禁止」の札が貼ってありました。
ちなみに、こちらの僧侶は本堂の後
善女竜王社でも読経されておりました。
(そちらも、写真はありません)


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善女竜王社の大般若経読経が、終わりました。
自分と母は法成橋の西詰にいて、北を向いています。
この左(西)側が、神泉苑本堂です。
では、この細長い参道を北上します。


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先程の位置から、神泉苑の細長い参道を北上しています。
この辺りがいちばんツツジの密度が濃く、
そのためたくさんの方々が、写真を撮るのに熱心です。
おかげで、人口密度が高いですね。


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その細長い参道の途中で、左(西)側を向きました。
看板には「平安殿」と書かれていますが、
こちらは祇園に本店がある平八の支店です。
中は大きいので、修学旅行生など団体も受け入れています。


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神泉苑平八の店頭で、北を向いています。
ここに、橋が架かってますね。


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その橋の上で、左(西)を向きました。
こちらは一見すると家鴨(アヒル)なのですが、
よく見ると白鳥ですね。
……って、ロシアには帰っていないのですね。
(日本の白鳥は、春から夏はロシアで暮らす渡り鳥です)


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今度は橋の上で、右(東)を向きました。
こちら側だけでなく、向こう岸もツツジが満開ですね。
こちらの舟は、有料で乗ることができます。
先程の平八の所有で、舟上で食事を摂ることもできます。


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さらにこの橋の上で、北を向きました。
では、向こうに見える神泉苑北門から神泉苑を出ます。


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神泉苑北門を出て、北を向きました。
目の前の大通りは先程登場の押小路で、
この先に二条城外堀とその石垣が見えますね。
このように、二条城と神泉苑は隣接しています。

徳川家康は神泉苑を取り壊して二条城を築城した
これはある意味京都人の常識ですが、
二条城外堀の修復工事前の発掘調査で、
神泉苑の池は平安時代から位置と大きさが同じと分かりました。
(とはいえ、徳川家康は神泉苑の原生林をすべて伐採し、
池の水の一部を二条城外堀に引いたのは事実です)


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神泉苑北門前で、押小路を西に向いています。
では、約50m先の神泉苑通まで進みます。
押小路は約400m先で千本通と交差しますが、
その千本通より西は「御池通」と名を変えます。


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押小路から、神泉苑通を南に向いています。
次に、こちらを南下します。


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押小路から、神泉苑通を約100m南下しました。
ここで神泉苑通は、御池通と交差します。

神泉苑通はここで突き当たっているように見えますが、
筋違いでさらに南下し約250m先の三条会商店街に辿り着きます。


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こちらの交差点の南西角近くが、京漬物の赤尾屋本店です。
今回は、ちょっとお邪魔します。


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まぁ時節柄千枚漬けは、全くありませんでした。
(千枚漬けは、晩秋~冬の食べ物)
今は(月初旬)は初夏なので、夏野菜が旬ですね。
ですから、こちらの水ナスの漬物を買いました。
水ナス独特のエグミと塩加減が絶妙でした。
もう1品は店主お勧めの「ぴり辛白菜」です。
こちらは、小エビなど動物性調味料やニンニクは使われていません。
京都の伝統的な手法で漬物を製造しています。
(漬ける直前で、唐辛子を入れています)
ですから、こちらはキムチではありません。
ただ京都の漬物も発酵していますので、独特の風味を味わえます。
……実は自分が食べようとする前に母が全部食べたので、
味の詳細は分かりません……


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赤尾屋の前で、御池通を西に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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御池通を西に進んでいます。
こちらに刀剣を販売するお店がありましたが、
江戸時代ここには小浜藩の藩邸がありました。


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その辺りの御池通で、西を向いています。
もう観光地ではないので、あまり人がいらっしゃいません。


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その辺りで、御池通は美福通と交差します。
ここを北上すると、二条城西端に到達します。


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神泉苑通から、御池通を約400m西に進みました。
ここで御池通は、千本通と交差します。


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御池通で、千本通を西に渡りました。
この辺りの生垣は大半がツツジですが、ちょうど満開でした。


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その辺りで、西を向きました。
この先にJR「二条」駅が見えます。
ではここから京都駅に向かい、帰宅します。

これで、2019年GW散策を終了します。

~次回は、葵祭を観覧します~

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第657回 丸太町から河原町へ~葵祭 2019~その1

今年も、また葵祭の時期がやって来ました。
毎年巡行行列を観覧する場所を変えていきますが、
今年は、「丸太町河原町」交差点に行きます。
葵祭の巡行行列は、御所内部堺町御門と丸太町通を東進します。
今回は、直後の「丸太町河原町」交差点で葵祭巡行を取材します。
その後この葵祭巡行は、「今出川河原町」交差点出町橋
下鴨神社へと向かいます。
葵祭巡行は、午後になると
さらに北にいらっしゃる上賀茂神社に向かいます。
ただ、そちらは自分の仕事の関係で取材できません……
では、2019年の葵祭を観覧していきます


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約1カ月半ぶりの京阪電鉄「神宮丸太町」駅です。
今回はここから西に進み「丸太町河原町」交差点に向かい、
その位置で葵祭巡行行列を観覧します。
撮影日は2019年5月15日水曜日午後10時10分。
……って、予定より大幅に遅れています。


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通常ならこの「京の道 今日の道」では、
駅のホーム→コンコース階→出口へと向かい、
そこからこの辺りの写真を載せるのですが、
何しろ遅刻していますので、省略しています。
京阪電鉄「神宮丸太町」駅3番出口から出て、
(第644回ブログでは2番出口を利用)
「丸太町川端」交差点北英角から、さらに西を向いています。
では、ここからさらに西に進み
鴨川に架かる丸太町橋を渡ります。


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丸太町橋から、鴨川の北西を見ています。
この草むらの中でタンポポが満開だったのですが、
こうして写真にするとよく分かりませんね。


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丸太町橋を渡り、丸太町通をさらに西に向いています。
この辺りで「京都左京区」から「京都市上京区」に移ります。
そして、さらに西に進みます。


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丸太町橋から、丸太町通を西に約200m西に進みました。
こちらが、今回ブログの目的地「丸太町河原町」交差点です。


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「丸太町河原町」交差点北東角に陣取りました。
街路樹の間に、タンポポが咲いていました。
カメラをちょっと下に向けると、こんな構図になります。


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「丸太町河原町」交差点北東角から、西を向いています。
この250m先に、京都御所堺町御門があります。
現在2019年5月15日午前10時半。
行き交う自動車の様子を見ていると、
すぐに巡行行列がやってくる気配がありません。
自分はここに来るのに遅刻しましたが、
巡行行列の方も少々遅れ気味のようです。


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2019年5月15日午前10時40分になりました。
河原町通の北行き車道に、変化がありました。
北上する直進ルートの車道に、コーンが立てられます。
ここから河原町通は、丸太町通以北直進が禁止です。


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この時点で、2019年5月15日午前10時45分です。
「丸太町河原町」交差点北西角にも、コーンが立てられました。
この交差点の交通規制が、この時点で本格化します。


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2019年5月15日午前10時50分。
京都御所堺町御門から、京都府警のパトカーが来ました。
では、いよいよ2019年の葵祭巡行行列が
この「丸太町河原町」交差点にやって来ました。


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京都府警のパトカーがこの交差点で進路を変え、
河原町通を北上します。
その後に、京都市役所広報の青い自動車が続きます。


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京都市広報の青い自動車の後、先導者が騎馬で現れます。
2014年には2名の女性制服警官が先導されていましたが、
今年(2019年)は検非違使装束の2名の男性が、
騎馬姿で葵祭巡行行列を先導されます。


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先導の検非違使による騎馬の後も、
束帯姿の検非違使が馬に乗って行進されます。
検非違使(けびいし)とは平安時代の警察官のことで、
この巡行行列を警備する近衛兵として随行しております。

その周囲に、徒歩の白装束姿の方々がいらっしゃいます。
こちらは騎乗の検非違使の従者役をされています。
検非違使所有の槍や弓矢などの武器、
日用品を入れた葛籠を持ち、検非違使の周囲に帯同されます。


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その後に、臙脂色や群青色の徒歩の束帯姿の方々が通過されます。
こちらは従者ではなく、検非違使の方々です。
こちらの方々は、帯刀以外に弓矢などで武装されています。


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そして、さらに騎馬や徒歩の検非違使隊列が続きます。
実はこの検非違使隊列が行列全体の60%ほどなのですが、
この時点で相当数の検非違使がこの交差点を通過されています。
昨年(2018年)は葵祭巡行行列をほぼ全員撮ることができたのですが、
今年(2019年)の「丸太町河原町」交差点では
対向車線の自動車が邪魔になって半分くらいしか撮れません……
ですから、今年は写せていない方がたくさんいらっしゃいます。


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槍持ち・葛籠持ちの後方に、騎馬の検非違使がいらっしゃいます。
馬がかなり車道の中央に寄って来られたのは、
馬が興奮して愚図ったからです。
「馬が興奮するので、警笛を鳴らさないで」
馬の轡を持たれた方が、交通警官に叫んでおられました。


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検非違使の中に、お稚児さんが随行されます。
ヒョウ柄(!)の束帯姿の方は、七支刀のように
枝が付いた槍を持たれています。
その後ろに、山城の使(やましろのつかい)が
騎乗にいらっしゃいますね。
平安時代は、検非違使の上司に当たる方でした。


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葵祭巡行行列が、立ち止まっています。
市バスなど相変わらず運行されているので、
時々巡行が中断されます。
市バスが通行中のときは、写真を撮っていません。


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その後から、お稚児さんが歩いてこられました。
さらにその後から、虎柄の毛皮と大きな傘が続きます。
どちらも、葵祭巡行行列に何度か随行されるものです。


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さらに、群青色の束帯姿の方々が通過されます。
こちらは検非違使ではないようですが、
自動車や市バスの通過で何人か見逃したので、
実は状況が詰めていません……


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その後を白丁に担がれた櫃が運ばれていきます。
こちらはご神体そのものではなく、
上賀茂神社や下鴨神社にいらっしゃる神様への貢ぎ物です。


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御幣櫃(供え物が入った櫃)の後から、騎乗の
内蔵寮史生(くらりょうのししょう)が続きます。
御幣櫃の管理者で7位に位置する貴族です。


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内蔵寮史生の後から、さらに空馬が続きます。
こちらは、おそらく内蔵寮史生の乗り換え用の馬ですね。
……毎年、白馬は愚図るものが多いですね。
その後から、馬寮使(めりょうのつかい)が続きます。
こちらは馬を管理する役人で、下級貴族でもあります。


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その直後に、牛車が通過します。
庇に飾ってある藤の造花が、きれいですね。


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牛車が、「丸太町河原町」交差点を左折します。
臙脂色の束帯姿のお稚児さんが、牛の轡を引かれています。
本来こちらには勅使が乗られるのですが、
近年は空(だれも乗らない)のまま運行されます。


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牛車の後を別の牛が通過します。
こちらは、牛車の乗り換え用の牛です。


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その長い木箱を持った白丁の後、
また騎乗の検非違使が続きます。


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検非違使が、その後に続かれます。
またしばらく、武装された束帯姿の方々が並んでおられます。


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騎乗の検非違使が、数人通過されました。
ここから、徒歩の検非違使が続きます。


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この直後に、こちらの方が通過されました。
馬が、まっすぐ歩いていません。


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どうやらこちらの白馬が、愚図っています。
どうも自動車が動く音と、交通警官の警笛の音が
馬を興奮させる要因のようです。


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勅使役の方の後を徒歩の検非違使が続きます。
そろそろ本列も、終わりに近づいています。


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その直後に、空馬とお稚児さんが続きます。
その周囲を様々な色の束帯姿の方が続きます。


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続いて、紅白のボタンの造花が付いた傘が通過します。
とてもきれいな色合いですね。


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さらに、身分の高い貴族の束帯を身に付けた方が通過されます。
こちらは、5位の内蔵使(くらつかい)でしょうね。


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さらにその後から、勅使役の方が通過されます。
天皇の代理と考えられる上級貴族で、
平安時代は左大臣や右大臣、大納言に次ぐ地位の
近衛中納言が務めておりました。
(御前会議で意見を述べることができる最高権力者の一人です)


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さらに勅使役の方の後に、日用品や武具を持たれた白丁と
検非違使の方々が続きます。


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こちらの方々で、本列の検非違使が全員通過されました。
その後から、黄色い傘が見えてきました。


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黄色いツツジの造花が付いた傘で、葵祭本列巡行行列が終わります。
お気づきでしょうか?ここまで全員男性で構成されていました。
平安時代に葵祭が始まって以来、
「本列巡行行列」は全員男性で構成されています。
実際、葵祭巡行行列は1960年ごろまでこれで終わっていました。
1960年ごろ以降は、(つまり現在は)
ここから女性中心の隊列が続きます。
それを「斎王代列」と呼ぶのですが、それはここから始まります。
つまり、ここからは大半が女性の巡行行列です。

ただ今回はだいぶ写真を貼り付けましたので、
ここから先は次回とします。
今回は、ここまでです。

~次回は、その「斎王代列」を取材します~

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第658回 斎王代列北上~葵祭 2019~その2

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黄色いツツジの造花が付いた傘が、
ここ「丸太町河原町」交差点を通過します。
現在「丸太町河原町」交差点北東角で、
北西角の辺りに向いています。

葵祭巡行行列本列はこの黄色いツツジの傘で終了しました。
平安時代ならこれで終わりなのですが、
1960年ごろから、女性を中心にした「斎王代列」が
「本列」の後から続きます。
今回は、葵祭巡行行列後半の「斎王代列」を取材します。
撮影日は、2019年5月15日水曜日午前11時半。
お祭り日和の快晴でした。


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葵祭本列と斎王代列の間が毎年大分空いている印象があるのですが、
2019年はその間が約100mもないようです。

斎王代列の先頭は、弓矢で武装された検非違使隊列です。
検非違使は平安時代の警察官で、近衛兵でもあります。
つまり、斎王代列の先頭も男性による隊列です。
その後に、白丁(従者役の方々)が
傘持ちをされている隊列が続きます。


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その白丁が傘を差しかけているのは、
平安時代の采女の扮装をされた女性です。
ですから、衣裳も十二単ではなく采女衣裳です。


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その後を傘持ちを伴わない女房(女官)姿の女性が、
徒歩で通過されていかれます。
葵祭巡行の男性は烏帽子に葵の葉を付けていらっしゃいますが、
女性は誰も葵の葉を身に付けていらっしゃいません。

……だんだんと後方の斎王代が載られた輿が
「丸太町河原町」交差点に近づいてまいりました。


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さらに、斎王代を載せた輿が近づいてこられました。
その手前に徒歩で行進される女房(女官)がいらっしゃいますが、
白い小袖を着こなされておられるのは白拍子でしょうか?


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こうして見ると、女房(女官)一人に
複数の男性が付いているのが分かりますね。
葵祭斎王代は、「丸太町河原町」交差点目前にいらっしゃいます。


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いよいよ葵祭巡行行列のメイン斎王代の輿が、
「丸太町河原町」交差点に入ってきました。
斎王代が載っておられる輿の周囲を
小学校高学年くらいの方々が取り囲まれています。


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丸太町通を東進されてきた斎王代を載せた輿が、
この交差点で河原町通を北上されていきます。
輿を担がれておられる方々は、そのまま方向転換されます。
祇園祭のように、交差点で輿を持ち上げて
クルクル回転されることはありません。
(第408回ブログを参照)
まぁそんなことをされては、斎王代が目を回されてしまいますが……


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斎王代を載せた輿が、河原町通を北上していきます。
こちらの輿は祇園祭の「山」より小さいので、
担がれる人数も少なめです。


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斎王代を載せた輿の後から、こちらが続かれます。
多分小学校低学年のお稚児さんです。


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斎王代を載せた輿の後は、こちらの女房(女官)が徒歩で来られます。
こちらの女房は、先程よりも采女装束の色合いが派手ですね。


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まだ少し徒歩の女房が続かれます。
その中心に、白拍子姿の方々が2名いらっしゃいます。


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さらに、その後ろを騎乗姿の采女装束の方々が通過されます。
馬に乗った采女衣裳はかなり映えるのですが、
2014年のように大雨が降ると目も当てられないことになります……
(総額数千万円分もの衣裳が、全廃棄になりました)


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騎乗の女房の脇を岡持ちを担いだ白丁が随行されます。
槍を持った白丁もいらっしゃいますが、
それも騎乗の女房のものという設定でしょうか?
(巴御前のような女性の侍は、当時は例外中の例外です)


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その後を徒歩の女房が、通過されます。
写真中央の槍は、前を歩く検非違使のものという設定なのでしょう。


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采女衣裳の女房が、集団で
「丸太町河原町」交差点に徒歩で入ってきました。
その集団の中心に、白拍子がいらっしゃいます。
……ただ、これで女性の隊列は終了です。
斎王代列もあと少しですが、残りは全員男性で占められています。


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先程の白拍子装束の女性の後から、
臙脂色の束帯姿の男性の集団が通過します。
彼らは、皆手に楽器を持っております。
多分下鴨神社や上賀茂神社で、雅楽を演奏されるのでしょうね。


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さらに、臙脂色の束帯装束を身に付けた方々が通過されます。
手にされているのは……分かりにくいですがでしょうか?


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臙脂色の束帯姿の集団の最後尾に、大きな太鼓があります。
この後ろの牛車が、葵祭巡行行列の最後尾です。


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いよいよ斎王代列最後尾、と言いますか
葵祭巡行行列最後尾の牛車が「丸太町河原町交差点」に現れました。


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「丸太町河原町」交差点で、牛車が方向転換しています。
前回ブログ同様、藤の造花がきれいですね。
また、牛の轡はお稚児さんが引かれているところも同じですね。


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牛車の後を、また別の牛が通過します。
こちらは、先程の牛が疲れたときの予備の牛です。


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さらに、その後を束帯姿の検非違使が追いかけます。
これで葵祭巡行行列が、一通り終わりました。
その後を様々な自動車が続きます。


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自動車の先頭は、こちらの軽トラックです。
路上でたれ流された牛や馬の糞をスコップで掬い、
それを荷台の袋に詰めます。
やはり、糞の放置はいけません。


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軽トラックの後は、こちらの2台が通過しました。
葵祭の氏子衆の役員やお祭り関係者が乗る自動車と
信号などを管理する消防署の自動車ですね。


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その後の青い自動車は、京都市役所の広報のものです。
「Do you Kyoto? 」は、京都市観光局PRのためのコピーです。


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最後に、警察のパトロールカーが通過します。
こちらが通過した直後、この交差点は徐々に通常に戻っていきます。


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徐々にコーンなどが取り除かれますが、すぐには通常に戻れません。
河原町通北行き車道も直進できるのですが、
つい先ほどまで直進禁止だったこともあり、右折車両ばかりです。


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「丸太町河原町」交差点で、東を向きました。
では、自分もそろそろ帰宅します。


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「丸太町河原町」交差点から、丸太町通を約50m東に進みました。
いつもはもっと交差点寄りの市バスバス停です。
葵祭関係で、多少遅れています。ただ、バスの中は満員ですね。
葵祭巡行行列を1日追いかけられる方も、相当いらっしゃいます。


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バス停の前で、丸太町通を東に向いています。
右(南)側の洋館は、地域スーパーのフレスコですね。
では、ここを東に進みます。


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「丸太町河原町」交差点から、丸太町通を東に約150m進みました。
こちらから、鴨川を渡ります。
この辺りから、「京都市上京区」から「京都市左京区」に移ります。


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鴨川に架かる丸太町橋を東に渡っています。
すると、丸太町橋の中央にテラスが見えます。
おそらく、観光客が鴨川を眺めるためのものでしょう。


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そのテラスの先端に立ちました。鴨川の上流側を見ています。
毎年8月16日の晩に、ここから「大」と「妙法」の文字が見えます。


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もうすぐ鴨川に架かる丸太町橋を渡り切ます。
その先に、京阪電鉄「神宮丸太町」駅に続く
地下道への入り口が見えます。
ではそちらから京阪電鉄に乗り、帰宅します。

これで、2019年の葵祭巡行行列の観覧を終了します。

~次回から、また別の道の連載を始めます~

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第746回 2020年6月30日の祇園

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約3カ月ぶりに、祇園に戻ってきました。
(祇園散策は、第730回ブログ以来ですね)
今回はここ京阪電鉄「祇園四条」駅から八坂神社まで、
四条通を東に進みます。
撮影日は、2020年6月30日火曜日午後1時半。
梅雨のただ中であるだけに、なかなかの豪雨でした。


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自分が今まで乗っていた出町柳行きの準急が出発します。
JR京都駅から1駅先の奈良線「東福寺」駅で京阪電鉄に乗り換え、
(同じホームから移れます。ただし、改札口で切符を買い直します)
そのまま3駅先の「祇園四条」駅で降りることができます。


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それでは、京阪電鉄「祇園四条」駅ホームから階段を上ります。
途中駅職員が、階段を掃除されていました。


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駅職員に挨拶して階段を上り、
京阪電鉄「祇園四条」駅ホームからコンコースに移りました。
次は、目の前の改札口から京阪電鉄「祇園四条」駅を出ます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅改札口を出て、北を向いています。
(京阪電鉄は、「出町柳」駅~「七条」駅間が地下鉄です)
ちょうど真上に、「四条川端」交差点が位置します。
この辺はただの地下通路でなく、様々なテナントが入っています。
飲食店や薬局などが軒を並べており普段は結構賑やかなのですが、
「コロナ騒動」の影響でしょうか、半年前の半分以下の人出です。


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「四条川端」交差点の地下で、東を向きました。
約20m先のStarbucksにはお客さんが入っていますが、
その手前の京阪電鉄の観光案内所にも
相当数の方々がいらっしゃいました。
ではStarbucksの右(南)側の階段から地上へと上ります。


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Starbucks脇の階段を上っている途中に、
このような看板がありました。
厳密には、この階段は南座の敷地内にあります。


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さらにこの階段を上ります。この先で地上に出られるようです。
ここからでも、地上にある南座の大きな提灯が見えますね。


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階段を上り、地上に出ました。
四条通沿いの南座正面よりやや西の位置ですね。
その位置より西に、南座のざまざまなテナントが入っています。
ちょうどこの位置が、「四条川端」交差点南東角です。
川端通は鴨川東岸の道ですが、その鴨川からこちら(東)側に
京都市東山区祇園地区が広がります。


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その南座のテナントの最西端(つまり、祇園最先端)に、
にしんそば発祥の店である蕎麦屋さん「松葉」があります。
ここから祇園を散策する前に、こちらでちょっと休憩します。


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発祥の地とあって、ここではいつもにしんそばを頂きます。
にしんそばは、自分にとってはソウルフードのようなものです。
最近は少し事情が変わっていますが、
やはり魚の乾物全般が京料理の基本ですね。
(身欠きにしんとか、ちりめん雑魚とか)
松葉のにしんそばは単品で1,250円ですが、
ご飯付きで1,500円のセットメニューとなります。
この日(2020年6月30日)は鮭のフレークが載っていました。


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そして、こちらが松葉のにしんそばです。
お気づきでしょうが、身欠きにしんの上に蕎麦が載っています。
(他店とは逆ですね)
九条ネギが脇に添えられていますが、
自分はそばを口に入れる直前に生の葱を食べるようにしています。

また、おいしく戴くなら先に汁を一口呑むべきです。
その後そばを半分くらい頂いた後、身欠きにしんをほぐします。
実は身欠きにしんの身をほぐすと、汁の味が変わります。
ほぐす前は割と澄んだカツオ出汁が前面に出ますが、
身欠きにしんをほぐすと甘辛く煮た魚の味が前面に来ます。
(そもそも汁の色が変わります)


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蕎麦屋さんの松葉を出て、四条通を東に向いています。
緊急事態宣言解除から約1ヵ月が経ち、
徐々に祇園も人出が戻っています。
ただ、目の前の南座はまだまだ休業中です。


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南座から、四条通を東に向いています。
通りに誰もいらっしゃいませんが、
これは写真を撮ったタイミングの関係です。
とは言え、昨年(2019年)の半分も人出はいらっしゃいませんが……


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南座から、四条通を約50m東に進みました。
ここで四条通は、大和大路と交差します。


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四条通から、大和大路を南に向いています。
四条通以南の大和大路は安い飲み屋さんが続くのですが、
午後2時頃なので、まだどこも閉まっています。
約30m先の唐辛子屋さんは開店されていました。
(第228回ブログを参照)


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今度は四条通から、大和大路を北に向きました。
目の前の一銭食堂は、通常通り営業されていました。
(一銭食堂の様子は、第229回ブログを参照してください)


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さらに大和大路から、四条通を東に向きました。
では、さらに四条通を東に進みます。


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「四条大和大路」交差点南東角の店から、
さらに1軒東隣に浄土宗仲源寺が建っています。
ご本尊の千手観音像が重要文化財ですが、
定朝作「目疾地蔵」(めやみじぞう)で有名な寺院です。


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浄土宗仲源寺の前から、四条通を東を向いています。
仲源寺以東の四条通沿いには、観光客を当て込んだ
飲食店や土産物屋さんが建ち並びます。
大通りでもある四条通はこの状況下でも人通りがあるため、
四条通沿いの祇園の店舗もそこそこのお客さんの入りがあります。


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大和大路から、四条通を約70m東に進みました。
四条通沿いに、老舗漬物屋さんの西利祇園店があります。
漬物販売だけでなく、漬物を使ったお食事や
デザートを出す飲食店も併設されていますね。
どうやら、通常通り営業されているようです。


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さらに四条通を約50m東に進むと、茶舗祇園辻利が建っています。
宇治茶販売よりも、抹茶スイーツの方がイメージにある店です。
観光シーズンになると何時間も待つ行列を作っていましたが、
この日(2020年6月30日)は行列無しで入れそうでした。
(店内には、ある程度のお客さんはいらっしゃいました)


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茶舗祇園辻利の前で、四条通を東に向きました。
目の前で、四条通は花見小路と交差します。


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四条通から、花見小路を南に向いています。
昨年(2019年)にこの地域辺りの様子から
「観光公害」という言葉が生まれましたが、
もうその名残すらない人通りです。
2020年6月30日は平日で豪雨で観光シーズンではないのですが、
それでも昨年の半分くらいの賑わいですね。


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花見小路から、四条通を東に向いています。
右(南)側に、花見小路最大の料亭一力の朱い壁が続きます。
では、このまま四条通を東に進みます。


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花見小路から、四条通を約100m東に進みました。
この辺りの四条通には、比較的古くて小さな店舗が並びます。
目の前の道が四条通とT字路を形成しますが、
約50mほどで突き当たる短い道なので、名称がありません。
ここでアーケードが途切れるので、また傘を差さないといけません。


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先程の位置から、四条通を約30m東に進みました。
市バスが何台か連なってますが、こちらは「祇園」バス停です。
西行きのこのバス停はここが起点となる市バス路線も多く、
特に、この位置の「祇園」バス停によく市バスが溜まっています。


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西行きの「祇園」バス停の南脇に、漢字ミュージアムがあります。
祇園祭ミュージアムも、併設されています。
かつての京都市立弥栄(やさか)中学校ですね。
ただ、こちらは2020年6月30日現在休館中です。
緊急事態宣言解除後も、京都市内の博物館の多くは休館しています。


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漢字ミュージアムの東隣が派出所でその東隣がドラッグストアです。
そしてそのドラッグストアが四条通と東大路が交差する
「祇園」交差点南西角で、四条通最東端でもあります。
次はこの横断歩道を東に渡って、四条通を突き当ります。


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四条通最東端に、八坂神社がいらっしゃいます。
ですからここが「祇園」交差点で、世にいう「祇園石段下」です。
今回散策の主目的こそこの八坂神社参拝ですが、
今回ブログももうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、毎年6月30日に催される神事を取材します。
その神事取材のため、一時的にこのブログを通常盤に戻しています~

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第747回 八坂神社 大祓式神事

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前回ブログで京阪電鉄「祇園四条」駅から四条通を東へ進み、
「祇園」交差点にいらっしゃる八坂神社の石段下に来ました。
今回はこの八坂神社にお邪魔して
6月30日に催された神事を取材しました。
撮影日は、2020年6月30日火曜日午後2時半。
さらに豪雨が、激しくなりました。


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その「祇園」交差点の八坂神社西楼門の柱に、
「6月30日午後3時大祓式」と書かれています。
毎年6月30日の大祓自体は京都限定の節句ではないのですが、
こちらを行事として取り仕切るのは現在では京都くらいです。
大祓は「厄落とし」として知られていますが、
元々は疫病や伝染病の平癒を願った神事でした。
そしてその大祓の大本が、こちらの八坂神社です。


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八坂神社西楼門をくぐり、境内に入ってきました。
門の左手(北側)に、八坂神社手水舎があります。
先ずは、こちらで手を浄めます。


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こちらが、八坂神社西楼門脇の手水舎です。
柄杓がありませんが、これはコロナウィルス対策の一環です。
石甕の中には一切水を溜めず、全て下水に流します。
水道の要領で、零れる水で手を浄めます。


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八坂神社西楼門脇の手水舎の許に、小さな鉢が置いてありました。
こちらは朝顔ですが、鉢植えの形状が江戸時代みたいですね。


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八坂神社西楼門を入ってすぐに、末社の疫神社がいらっしゃいます。
疫病の神様ですが、疫病平癒を司る神様でもあります。
疫神社の祠の前に、茅の輪が取り付けられています。
疫神社の茅の輪は毎年6月30日と7月31日に取り付けられて、
厄払いや疫病平癒を願い、こちらをくぐります。
自分も「我、蘇民将来之子孫也」と唱えながら、
こちらの茅の輪をくぐります。


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疫神社の前で、八坂神社境内を右(南)に向きました。
約3ヵ月前の第730回ブログでも多少は露店が残っていましたが、
現在は1軒も露店が立っていません。
では、突き当りまでここを南下します。


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疫神社から八坂神社参道を最南端まで進み、左(東)に向きました。
やはり、こちらにも露店が見えませんね。
では、あちらの石段を上ります。


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先程の位置から東に進み、八坂神社境内の石段を上りました。
石段の上で左(北)を向くと、末社の大国主社がいらっしゃいます。
ちょっと、こちらに寄り道しますね。


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大国主社には、こちらの扁額が付いていらっしゃいました。
左に事代主命、右に少彦名命の名が書かれています。
いずれも、国津神ですね。


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その大国主社の手前に、こちらの石像がいらっしゃいます。
「古事記」に記された因幡の白兎を模っていますが、
白ウサギも大国主命も、どちらもマスク着用です。
これも、ご時世ですね。


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その石造の東側に、こちらが飾ってありました。
大国主命は、出雲大社のご祭神です。
ですから、こちらも縁結びのご利益があるとされます。
また、その下にはウサギのお守りが置かれています。



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さらにその東側に、こちらの掲示板が立て掛けてありました。
今年(2020年度)の祇園祭の日程表です。
宵山や山鉾巡行・神輿巡行などは中止ですが、
八坂神社本殿内の神事などは今年も取り仕切られます。


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大国主社の向かい(南)側に、八坂神社社務所があります。
この日(2020年6月30日)の神事のため、
多くの方々がこちらに訪れておられました。


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その位置で、八坂神社境内を東に向いています。
目の前に、八坂神社舞殿が建っています。
祇園祭神輿巡行の前に、神輿が置かれた場所ですね。
節分の際にはここで豆まきが行われました。


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八坂神社舞殿の北側に、八坂神社本殿がいらっしゃいます。
ご祭神は一応素戔嗚尊(すさのおのみこと)ですが、
廃仏毀釈以前のご祭神は牛頭天王(ごずてんのう)です。
いずれにしても、疫病平癒のご利益を持つ神様ですね。
この時(2020年6月30日午後2時半)八坂神社境内にいらした方々は、
先に本殿参拝を済まされており、こちらは無人のように見えます。


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大国主社と八坂神社本殿の間に、茅の輪が作られていました。
今回ブログの大祓神事の後、
参拝者がこちらの茅の輪をくぐります。
毎年6月30日の大祓神事と茅の輪くぐりを合わせて、
「夏越の祓い」(なごしのはらい)と言います。

夏越の祓いの発祥はこの八坂神社ですが、
昨年(2019年)は北野天満宮で茅の輪をくぐりました。
夏越の祓いは、元梛神社など京都市内の多くの神社で行われます。


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茅の輪の脇の看板に、茅の輪くぐりの由来が書かれていました。
先述の元梛神社を初め多くの神社の社殿では
「素戔嗚尊は、中国では牛頭天王と呼ばれた」
そう書かれていますが、
八坂神社の現在の社伝には牛頭天王はそもそも存在しません。
また素戔嗚命が厄払いのため、蘇民将来に
茅の輪を授けたことになっていますが、
他の神社の社伝には
蘇民将来の親族にだけ茅で作った腕輪を付けさせ、
その周辺に住む他の者たちは全て病死に追いやったと
そういうものもあります。


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2020年6月30日午後2時35分ごろに、
八坂神社の神職さんたちが舞殿での神事の準備を終えられました。
30脚ほど椅子が並んでいますが、
午後2時40分ごろから八坂神社の神職さんや氏子が集まり、
八坂神社の大祓神事が始まりました。

京都に限らず、こういうガチの神事は
神社側が写真撮影することを忌避されます。
そういう訳で、大祓神事そのものの写真は撮っていません。
(まぁ神社側の記録係の方が、ずっと写真を撮られていましたが……)
八坂神社の大祓神事は、先ず神主の祝詞から始まりました。
ただこの頃から特に雨音が激しくなり、
神主が何とおっしゃっているのか、ほぼ分かりませんでした。
(実はマイクとスピーカーを用意されていたのですが、
それでも全く聞こえませんでした)
その後榊の枝で氏子さんたちの頭を祓われた後、
午後3時直前に大祓神事は無事終了しました。


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大祓神事を終えた神職さんが、八坂神社斎館に戻られます。
雨が相当厳しくなって、傘を差されても濡れそうです。


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すると八坂神社社務所前のテントの下にいらした方々が、
次々と先程の茅の輪の前に並ばれます。
この時点で、2020年6月30日午後3時。
いよいよ、八坂神社の茅の輪くぐりが始まります。
ただちょうど切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、八坂神社の茅の輪くぐりと
また祇園周辺の散策を取材します~

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第748回 八坂神社で茅の輪くぐり

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前回ブログで八坂神社舞殿で催された大祓式神事も終え、豪雨の中
神職さんたちが斎館に戻っていかれます。
さて八坂神社の夏越の祓いも、残すは後半の茅の輪くぐりです。
今回は茅の輪くぐりの後、少し祇園をうろうろします。
撮影日は、2020年6月30日火曜日午後3時。
雨足が、強くなったり弱くなったりします。


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ちなみに、斎館に戻られた神職さんは全体の半数です。
残りの神職さんのうち、半数が舞殿で後片付けをされて
残りがこちらの方に来られました。
八坂神社本殿の西側に設置された茅の輪へと
ここに来られた参拝者を誘導されています。


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この時点で、八坂神社境内は結構な雨量でした。
自分を含めた参拝者は社務所前に
設営されたテントに避難しておりましたが、
神職さんたちの指示で一斉に茅の輪の周りに集まりました。


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まぁ自分は何よりここを撮影する目的で来たわけですし、
急がれる方々に順番はお譲りして、自分は最後尾に就きました。


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数えてみたのですが、自分より前に約40人いらっしゃいました。
自分は最後尾だったはずなのですが……
午後3時を回っても次々新たな参拝者がいらっしゃいます。
並びだして約10分後……自分の後ろに約20人並ばれておりました。


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茅の輪くぐり行列の途中に、この看板が置かれていました。
お千度札と絵馬の宣伝に、茅の輪くぐりの作法が書かれていますね。
元梛神社のものより、簡素に回ります。
まぁ集まる人数が八坂神社の方が多いので、
何周も茅の輪の周りを回っていられないですね。
(何より、「3蜜」の防止です)


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茅の輪くぐり行列の自分より前の方々が、
やっと残り約10人となりました。
初めに茅の輪をくぐられた方々は傘を仕舞ってから
茅の輪をくぐっておられましたが、
雨足が強くなるにつれ傘を差されたまま
茅の輪をくぐられるようになりました。


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茅の輪くぐり行列に並びながら、八坂神社舞殿を見ています。
2、3人の神職さんがパイプ椅子を担がれて、
斎館に運んでおられます。
大祓式神事の後片付けの真っ最中ですね。
この数分後に、舞殿上には何も無くなりました。


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いよいよ自分の番まで、あと3人です。
目の前の方々が茅の輪くぐりを終えられると、
自分の番が回ってきます。
この時点で後ろを振り返ると、さらに長い行列ができていました。
自分より後に、さらに約40人並ばれています。


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いよいよ自分の番がやって来ました……
って、暢気に写真を撮っている場合ではありません。
自分の後ろには、40人以上の方々が順番待ちされています。
さっさとカメラを収納して、急いで茅の輪をくぐります。
そうそう、「我、蘇民将来之子孫也」の一言も
しっかり念じてかなければなりませんね。


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茅の輪をくぐった人から、三々五々参拝者は解散です。
自分もいつまでも八坂神社境内にとどまっては邪魔になりますし、
急いで八坂神社から出ようと思います。
こちらは、八坂神社舞殿より南にある手水舎です。
こちらにも、朝顔の鉢が置かれていますね。


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その手水舎の脇に、八坂神社南楼門があります。
八坂神社の門は四条通最東端にある西楼門の方が有名ですが、
本当はこちらの南楼門が八坂神社の正門です。
では、こちらから八坂神社を出ます。


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八坂神社南楼門をくぐり、南を向いています。
向こうに見える八坂神社一の鳥居までは、八坂神社の境内です。


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同じ位置で、八坂神社境内を東に向いています。
左(北)側の茶店はまだまだ閉まっていますが、
右(南)側の料亭から食事を終えた方々が出て来られます。
茶店も料亭も、どちらも中村楼ですね。
江戸時代初期にこの位置で始められた茶店が、
後に祇園を代表する料亭となりました。


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料亭 中村楼の前で、八坂神社境内を南に向きました。
では、目の前に聳える石製の八坂神社一の鳥居をくぐります。


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八坂神社一の鳥居を南にくぐると、八坂神社を出ます。
そして、ここから南に下川原通が伸びています。
下河原通は、約450m先の八坂通で突き当たります。
(八坂通の様子は、第103回ブログを参照してください。
下河原通は、八坂庚申堂 金剛寺で突き当たります)


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八坂神社南楼門から下川通を約10m南下して、東を向きました。
ここから、大谷祖廟の参道が続きます。
大谷祖廟とは、東本願寺が所有する墓地のことです。
(西本願寺所有の大谷本廟は、第8回ブログ参照です)
ちょうどこの位置で、人力車の車夫さんが客引きをされていました。
緊急事態宣言後暫く休業されていたのですが、
2020年6月1日から営業を再開されたそうです。
この日(2020年6月30日)は平日で豪雨ですから、
お客さん確保にはだいぶ苦労されていらっしゃいました。
(人通りも、ほとんどいらっしゃいません)


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大谷祖廟参道の前で、下河原通を南に向いています。
では、ここから暫く南下します。


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大谷祖廟参道から、下河原通を約50m南下しました。
ちょっと写真がボケましたが、この角に和菓子の材料を使う洋菓子店
ジュバンセル本店が建っています。
店内の電灯が点いていることからも、2020年6月30日段階で
通常通り営業中であることが分かりますね。
ただ、この日は立ち寄らず先に進みます。


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ジュバンセル本店の辺りで、下河原通から北西に道が伸びます。
次は、この急な下り坂を進みます。


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下河原通から、先程の下り坂を北西に進んでいます。
その途中、京町家を改装したカフェがありました。
以前から存在は知っていたのですが、
ついついいつもジュバンセルに立ち寄っていたので、
こちらには入ったことがありませんでした。


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たまにはこちらの方に寄ってみようと思ったのですが、
入り口にこの張り紙が貼り付けてありました。
どうやら、もう潰れてしまったようです。
第746回ブログのように祇園でも大通り沿いは開いていますが、
このような小路や路地沿いのお店の何軒かは閉めています。


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下河原通から、この下り坂を約100m北西に進みました。
ここでその下り坂は、東大路で突き当たります。


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その下り坂から、東大路を北に向いています。
さらにここから、東大路を北上します。


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先程の下り坂から、東大路を蛇行しつつも約20m北上しました。
目の前のお店は閉じられていますが、
東大路沿いの飲食店は大半が開いていました。


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蛇行しつつも、先程の地点から約100m東大路を北上しました。
右(東)側の餃子の王将祇園八坂店は、通常通り開いています。
お客さんも、そこそこ入っていました。
目の前に、南行きの206系市バスに乗れる
「祇園」バス停が立っています。
ではこちらから京都駅まで206系市バスに乗って、
そこから帰宅しました……
という設定ですが、本当はウチの最寄りでもある
「京阪七条」バス停まで206系市バスに乗りました。

……いずれにしても、「祇園」バス停から帰宅しました。

~これで、2020年夏越の祓いの連載を終えます~

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第784回 文子天満宮で夏越の祓い

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毎年6月30日は、夏越の祓い(なごしのはらい)ですね。
各神社の鳥居に設置された茅の輪をくぐり、
疫病退散をお祈りする真夏の祭典です。
かち割り氷に似せた和菓子「水無月」を戴く日でもあります。
夏越の祓い発祥の地八坂神社にへ向かうのが筋なのですが、
今年(2021年)はコロナウィルス退散を祈りつつ、
コロナウィルス感染を防ぐ意味で
比較的人出が少ない神社を目指しました。


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京都駅北側中央改札口を出て、その場で北を向いています。
塩小路沿いの京都タワーが、聳え立っていますね。
京都タワーは、2021年6月25日金曜日以降全館営業しております。
今回は、ここから文子天満宮を目指します。
撮影日は、2021年6月30日水曜日夏越の祓いの午後0時半。
梅雨の最中、この日はずっと快晴でした。


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京都駅の駅舎を出て、西を向いています。
こちらを進むと、お好み焼き屋さんの京茶花 七条新町店
コーヒーショップのKURASUへ行けます。


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今度は、京都駅舎北側正面口から東を向きました。
今回は、こちらを進みます。


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京都駅舎北側正面口からから約50m東に進み、北を向きました。
手前にタクシー乗り場があって、その向こう(北)側の塩小路から
烏丸通が北に伸びています。
(詳細は、第215回ブログ参照)


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その地点から、東を向いています。
この位置より右(南)は、京都駅舎で突き当たります。
では、このまま京都駅前北側ロータリーを東端まで進みます。


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京都駅舎正面口から京都駅北側ロータリー東端に進み、
ルネッサンスビルの前で北東に向きました。
目の前に、先日京都駅前散策で使った階段が見えます。
こちらを下りると、京都駅前地下街PORTAに行けます。


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先程の位置から、北東に約100m進みました。
京都駅北側ロータリー北東端は、「塩小路東洞院」交差点です。


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東洞院通から、塩小路を東に向いています。
先日の京都駅前散策では、約1㎞先の鞘町通から
塩小路沿いにこちらへ来ました。


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今度は塩小路から、東洞院通を北に向きました。
京都駅前の交差点の多くは、このようにスクランブル交差点です。
元々この辺りは交通事故が多発していましたが、
スクランブル交差点になって交通事故が激減しました。


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スクランブル交差点を渡り、塩小路から東洞院通を北に向きました。
右(東)側に見える喫茶店は、午前6時開店です。
京都駅前のお店の大半が午前8時開店なので、
こちらのお店は便利ですね。
塩小路から約50m先で、東洞院通は木津屋橋通と交差します。


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東洞院通から、木津屋橋通を東に向いています。
ただ、こちらの真上を家屋が覆っています。
ですから、遠くから見ていると道ではなく
家屋に併設された駐車場に見えてしまいます。
この約50m先に京都ホワイトホテルが建っているのですが、
そのホテルからこの東洞院通沿いの飲食店に寄った後、
ここが道路に見えずに道に迷われる方が、結構いらっしゃいます。


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ちょっとボケましたが、東洞院通から木津屋橋通を西に向きました。
約30m先ら-めん恵比朱も、この日(2021年6月30日)健在でした。


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さらに木津屋橋通から、東洞院通を北に向きました。
では、こちらを北上します。


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木津屋橋通から、東洞院通を約100m北上しました。
ここで東洞院通は、七条通と交差します。


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東洞院通から、七条通を西に向いています。
以前からこの辺りには飲食店が多かったのですが、
インバウンド需要華やかな頃からだいぶお店が変わりました。
(中には昔からあるお店も、数軒ありますが……)
右(北)側にも本格的な釜焼きピッツァ屋さんがあったのですが、
そちらは約半年前に撤退されました。


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今度は東洞院通から、七条通を東に向きました。
約50m先で、七条通は間之町通と交差しています。
次は、こちらを進みます。


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間之町通から、七条通を東に向いています。
約50m先で、七条通は高倉通と交差します。
じつは、その交差点角に「七条河原町」バス停があります。
また、交差点の南東角に町屋カフェのaotakeがあります。


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今度は七条通から、間之町通を南に向きました。
自分が子供のころは間之町通は木津屋橋通まで伸びていたのですが、
1990年前後から七条通以南には進めなくなりました。


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さらに七条通から、間之町通を北に向きました。
かつてのヤマハピアノ教室が入っていたビルが、目の前に見えます。
今もビルの所有者はピアノメーカーのヤマハですが、
1Fは居酒屋、2Fより上は美術大学への予備校が入っています。
次は、こちらの横断歩道を渡り七条通北側歩道に向かいます。


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横断歩道を渡り、七条通北側歩道から間之町通を北に向きました。
右(東)側のヤマハビルの向こう(北側)は、京都市立渉成小学校です。
ここからは、この間之町通を北上します。
(今回ブログのメイン文子天満宮も、間之町通沿いです)


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七条通から、間之町通を約100m北上しました。
ここで間之町通は、下珠数屋町通と交差します。


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間之町通から、下珠数屋町通を東に向いています。
左(北)側に渉成園の塀と門が見えて、
右(南)には京都市立渉成小学校が建っています。
下珠数屋町通は渉成園最南端の道ですが、
間之町通との交差点付近は別のビルが建っています。


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今度は下珠数屋町通から、間之町通を北に向きました。
さらに、こちらを北上します。


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下珠数屋町通から、間之町通を約100m北上しました。
ここで間之町通は、正面通と交差します。


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間之町通から、正面通を西に向いています。
約150m先の烏丸通で、正面通は東本願寺御影門に突き当たります。
(詳細は、第688回ブログ参照)


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同じ位置で、間之町通から東を向きました。
渉成園へはこちらから入れます。
2021年6月30日現在、渉成園は通常通り開いています。
まぁ京都市内の観光客が激減している現状、
それほど多くの拝観者はいらっしゃいません。


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渉成園の正門から、間之町通を北に向いています。
右(東)側に、渉成園の塀が伸びていますね。
さらにさらに、ここから間之町通を北上します。


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正面通から、間之町通を約100m北上しました。
ここで間之町通は、上珠数屋町通と交差します。


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間之町通から、上珠数屋町通を東に向いています。
上珠数屋町通は、渉成園最北端の道です。
第686回ブログでは、河原町通からこちらに進んできました。


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上珠数屋町通から、間之町通を北に向いています。
約30m先に、「文子天満宮」と書かれた看板が見えますね。
あちらが今回ブログのメイン文子天満宮です。


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上珠数屋町通を約30m北上すると、文子天満宮がいらっしゃいます。
2021年6月30日は完全に「夏越の祓い」仕様になっていて、
通常営業とはだいぶ異なります。
(通常営業使用は、第110回ブログ参照)
ただ、「夏越大祓」の幟が裏向きになっています……
では鳥居に設置された茅の輪をくぐり、疫病退散を祈ります。


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そして茅の輪をくぐると、アルコールジェルが置かれていました。
こちらで両手を除菌して、文子天満宮境内に入ります。


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その代わり手水舎の柄杓が取り払われ、水も涸れていました。
こちらも、まぁコロナ対策ということで……


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こちらは、文子天満宮境内の北側です。
文子天満宮の末社が、並んでおられますね。
左(西)から白太夫社、福部社、老松社、白滝稲荷社ですね。
さらに写真中央に、オガタマノキが立っています。


784-35.jpg
その右(西)側には、多治比文子像が立っています。
この土地は、元々多治比文子の自宅跡です。
その多治比文子がこちらに菅原道真の怨霊を鎮める祠を祀ったのが、
日本全国の天神信仰の始まりとされています。
(奈良時代以前の天神信仰とは異なります)
ただ、これまでの「京の道 京の道」で書いているように
この多治比文子が何者かが現在のところはっきりしません。
菅原道真の乳母説とこの土地に住んでいた巫女説が、
現状では有力です。


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そして、こちらが文子天満宮本殿です。
では、こちらにお参りします。
こちらのご祭神は、菅原道真です。多治比文子ではありません。
正確には、平安時代に多治比文子がお守りしていた
菅原道真の祠がそのままこちらで祀られています。
こちらと北野天満宮とは密接に関係していますが、
詳細は第113回ブログを参照してください。


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文子天満宮本殿の右側に、社務所と文子殿があります。
またこの日(2021年6月30日)の神事のために、
境内中央には椅子がたくさん並んでいました。


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続いて、こちらの文子殿にもお参りします。
こちらのご祭神は、多治比文子です。


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文子天満宮では、毎年6月30日午後4時から
夏越の祓いの神事が行われます。
神主による祝詞の後、茅の輪をくぐり
こちらの人形(ひとがた)にお願いを書いて奉納します。
ただ、自分はこの日は午後3時半には職場に戻らないといけません。
そのため神事の準備だけ見て、こちらを出ます。


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文子天満宮本殿を背に、東を向きました。
では、文子天満宮を出て次の神社に向かいます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、市比売神社の夏越の祓いを参拝します~

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第785回 市比売神社で夏越の祓い

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前回ブログで夏越の祓いのお参りをした文子天満宮境内から、
間之町通の方を向いています。
今回は間之町通をさらに北上して、
夏越の祓いのためにもう1柱の神社へ向かいます。
撮影日は、2021年6月30日水曜日午後1時。
梅雨の間のよく晴れた日の午後でした。


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文子天満宮の前で、間之町通を北に向いています。
先ずは、こちらを北上します。


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文子天満宮の前から、間之町通を約100m北上しました。
ここで間之町通は、花屋町通と交差します。


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間之町通から、花屋町通を西に向いています。
約150m先で花屋町通は烏丸通と交差しますが、
その位置から西は東本願寺最北端になります。
(詳細は、第513回ブログ参照)


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今度は間之町通から、花屋町通を東に向きました。
ここからは、こちらに進みます。


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間之町通から、花屋町通を東に向いて歩いています。
第110回ブログ取材時にこの辺り京町家が並んでいましたが、
だいぶ取り壊されて2021年には半減してしまいました。


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間之町通から、花屋町通を約50m東に進みました。
ここで花屋町通は、高倉通と交差します。


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花屋町通から、高倉通を北に向いています。
こちらを北上すると、第404回ブログ後半のルートですね。


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今度は高倉通から、花屋町通を東に向きました。
では、このまま花屋町通を突き当りまで進みます。


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高倉通から花屋町通を東に進み、南を向きました。
こちらは、雅松(わかまつ)児童公園です。
元々この南に、京都市立雅松小学校が建っていました。
そちらの児童中心に、今から約50年前は
こちらの児童公園にはたくさんの子供で溢れていました。
そして、そちらを目当てに向かい(北)側に
さまざまなお店が並んでいました。
駄菓子屋とか、自転車屋さんとかですね。
現在はカフェなどが並んでいますが、自転車屋さんは健在です。


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高倉通から、花屋町通を東に約50m進みました。
花屋町通は、富小路で突き当たります


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花屋町通から、富小路を北に向いています。
ここからは、富小路を北上します。


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花屋町通から、富小路を約100m北上しました。
こちらは、西山浄土宗の万年寺です。
実は以前、住職さんにこちらの沿革を聞いたことがあります。
と言いますか、この辺は天明の大火で全焼しています。
こちらは相当昔からある寺院なのですが、
それ以前の関係書類はその大火で焼けてしまい、
現在となっては不明なのだそうです。


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西山浄土宗万年寺の前で、富小路を北に向いています。
富小路は目の前の六条通で突き当たっているように見えますが……


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北東に角度度を変えると、
六条通以北も富小路が伸びていることが分かります。


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富小路から、六条通を東に向いています。
約30m先の赤レンガの建物は、「六條洋酒館 タキモト」です。
創業100年以上の老舗酒屋さんで、
ビンテージワインから缶ビールまでいろいろお酒を売っています。


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六条通から、富小路を北東に向いています。
ここからは、富小路を北東に進みます。


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「六條富小路」交差点北東角に、浄土宗長講堂があります。
後白河上皇の外御所でしたので、瓦に「菊の御紋」が入ります。
通常は非公開ですので、中には入れません。


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浄土宗長講堂の北隣には、同じく浄土宗の連光寺があります。
こちらには長曾我部守親の首塚がありますが、原則非公開寺院です。


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浄土宗連光寺の前で、富小路を北に向きました。
右(東)側に青テントの付いた家屋が見えますが、
こちらは2016年まで「仙月堂」という和菓子匠でした。
その「仙月堂」だった家屋の角で、富小路は六条小路と交差します。
(六条通と六条小路は、別の通りです)


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富小路から、六条小路を東に向いています。
実は最近、この左(北)側にドッグカフェができました。
ここ3年ほどで、この辺りにカフェが急に増えてきていますね。
ここからは、六条小路を東に進みます。
(今回ブログのメイン市比売神社は、六条小路沿いです)


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富小路から、六条小路を東に約50m進みました。
六条小路から六条通まで、麩屋町通が伸びています。
麩屋町通は丸太町通~五条通間の道ですが、
この辺りだけ残っています。
またこの辺りは、古い民家と小さな寺院が点在しています。
左(北)側のジュンカ美容院は通常閉められていますが、
予約が入ったときは開いているそうです。
(経営者がウチの知己です)


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麩屋町通から、六条小路を東に向きました。
約10m先に、「市比売神社」と書かれた看板が見えます。
では、そちらに向かいます。


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麩屋町通から六条小路を約10m東に進み、南を向きました。
目の前に、市比売神社がいらっしゃいます。
一の鳥居に茅の輪が付いているので、完全に夏越の祓いモードです。
人気がある神社のせいか、参拝者が結構いらっしゃいました。


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茅の輪は、一の鳥居から吊るされていました。
前回ブログ文子天満宮とは異なり、茅の輪の脇に隙間があります。


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ですから、このように茅の輪の周りを回りながらお参りします。
この作法は、元梛神社八坂神社とは異なります。
どうも、神社ごとに独特の作法があるようです。


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市比売神社一の鳥居の脇に、こちらが置かれていました。
続いて、こちらで両手を浄めます。


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その代わり、こちらの手水舎は使用不可です。
そちらも、コロナ対策ということで……


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手水舎の南側に、市比売神社二の鳥居が建っています。
さらに、こちらをくぐります。


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市比売神社二の鳥居をくぐると、市比売神社本殿です。
ガラス張りなので、ご神体も見えてしまっています。
こちらのご祭神は、市比売など5柱が合祀されています。
いずれも、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妻ですね。
5柱全員が女神ですので、女人守護の加護があります。
また「市」比売の名前から市の守護神とされ、
京都中央卸売市場の守護神としても信仰を集めています。


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市比売神社本殿の東側に、市比売神社三の鳥居が立っています。
ここからはこちらの鳥居をくぐり、市比売神社の末社を巡ります。


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市比売神社三の鳥居をくぐると、正面に稲荷社がいらっしゃいます。
提灯には、三徳稲荷大明神・市助稲荷大明神・植松稲荷大明神と
3柱の銘が書かれてありました。


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稲荷社の右(西)側に、天眞名井(あまのまない)があります。
こちらは、洛中七名水と呼ばれる井戸の一つです。


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赤い小さな達磨人形には、元々おみくじが入っていました。
おみくじを引いた後、天眞名井の上に人形を並べて奉納します。


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これで、一通り市比売神社をお参りしました。
では、市比売神社から六条小路に戻ります。


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市比売神社の前で、六条小路を東に向いています。
六条小路は、目の前で河原町通を交差します。


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六条小路から、河原町通を北東に向いています。
右(東)側にハンバーガーショップ67DINERが建っていますが、
白い自動車の陰でこの写真ではよく見えません。


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その位置で六条小路を東に向くと、
河原町通を渡る横断歩道があります。
ここからは、こちらの横断歩道を渡ります。


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河原町通から、六条小路を東に向いています。
目の前に、老舗茶筒屋の「開化堂」が建っていますね。
(女将さんが、kaikado cafeを経営されています)
六条小路は、約30m先の高瀬川で突き当たります。


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六条小路から、河原町通を南西に向いています。
約50m先に、南行きの「河原町正面」バス停が立っています。
では、こちらから京都駅に戻ります。


785-41.jpg
夏越の祓い参拝を終えて京都駅から出勤し、
仕事を終えて帰宅しました。
すると、ウチの母がこちらを買っておいてくれました。
夏越の祓いに戴く和菓子「水無月」ですね。
下半分は外郎(ういろう)とまったく同じですが、
小豆の粒を上に並べて葛を流したうえで蒸しています。
また元は勝ち割氷を戴いていた名残で、
直角二等辺三角形に切って、氷の破片に似せます。
京都の夏越の祓いの風物詩ですから、
毎年夏になるとどこの和菓子匠でも売っています。
さらに、この時期はスーパーやコンビニでも
京都市内ならどこでも売られています。
こちらも、地域スーパーのエビスクで買ったものです。

これで、2021年の夏越の祓いを終えます。

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第840回 炎天下の八坂神社~祇園で夏越の祓い~その1

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6月30日は、夏越の祓いです。
元旦から半年経ったこの日、半年分の厄を払う儀式を行います。
この場合の「厄払い」とは、「疫病退散」を指します。
日本全国にある風習ですが、特に京都で盛んな行事です。
「京の道 今日の道」では毎年夏越の祓いに参加していますが、
2022年は2年ぶりに八坂神社に向かいます。
さらに、その後「東山区祇園地区」を練り歩きます。

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京都駅北側市バスターミナルから26系市バスに乗って、約25分。
こちらは、「祇園」バス停です。
今回はこちらから八坂神社に向かい、夏越の祓いに参加します。
撮影日は、2022年6月30日木曜日の午後2時25分。
6月なのに梅雨が明けていて、炎天下の大祓でした。


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「祇園」バス停から、東大路を206系市バスが北上します。
206系市バスは岡崎公園に近い「岡崎公園口・東山二条」バス停を
さらに北上して、北大路との交差点「高野」バス停で
北大路を西に曲がります。


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「祇園」バス停は、「よしもと祇園花月」の前に立ちます。
こちらは、京都市内にある吉本興業の寄席です。
また、北部祇園の歌舞練場「祇園会館」でもあります。
春になると、芸妓さんや舞妓さんの舞踊を見られます。
(厳密には、花街祇園は四条通を境に「北部祇園」と
「甲部祇園」に分かれます。
つまり、花見小路周辺が「甲部祇園」です)


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今度は「祇園」バス停から、東大路を南に向きました。
左(東)側に見える鎮守の森が、八坂神社です。
次は、ここから南下します。


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「祇園」バス停から、東大路を約100m南下しました。
ここで東大路は四条通と交差して、「祇園」交差点となります。


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「祇園」交差点の北側に、米屋さんの八代目儀兵衛があります。
京都駅前地下街PORTA玄米 ぎへえも、経営しています。


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「祇園」交差点北西角に、立っています。
この辺りは飲食店が多いのですが、どちらも賑わっていますね。


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「祇園」交差点で、東大路から四条通を西に向いています。
約700m先の京阪電鉄「祇園四条」駅近くに、
老舗蕎麦屋総本家 松葉レスラン 菊水など
京都を代表する飲食店が建ち並びます。


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「祇園」交差点で、東大路から四条通を東に向きました……
と言いますか、四条通はこの交差点で突き当たります。
その突き当りが、八坂神社西楼門です。(正門ではありません)
そのため、「祇園」交差点を「祇園石段下」とも呼びます。


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「祇園」交差点北西角で、東を向いています。
では目の前の横断歩道を渡って、八坂神社の前に進みます。


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その横断歩道を東に渡って、東大路を南を向きました。
目の前に、八坂神社西楼門が見えますね。


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八坂神社西楼門の辺りに、こちらの幟が立っていました。
こちらによると、この度八坂神社本殿が国宝に指定されたそうです。


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その位置から、八坂神社西楼門を見上げます。
では、この石段を登って八坂神社西楼門に向かいます。


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神社の楼門前には、狛犬が並んでいます。
右側の口を開けてるのは、「阿形」の狛犬です。


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そして対になるのが、「吽形」の狛犬です。
上御霊神社同様、角が生えた「吽形の狛犬」です。


840-16.jpg
八坂神社西楼門の石段を上り切りました。
あと約30分で、大祓が始まりますね。
では、この西楼門をくぐって八坂神社境内に入ります。


840-17.jpg八坂神社西楼門をくぐり、境内を東に向いています。
ここからは、末社を回りつつ少しずつ本殿に向かいます。


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八坂神社西楼門の左(北)側に、手水舎があります。
まずは、そちらに向かいます。


840-19.jpg
その手水舎に、近づいてみました。
コロナ禍の関係で、柄杓が置かれていません。
ぞこで、流れ出る水に直接手を漬けました。


840-20.jpg
さらに手水舎の周囲に、風鈴が下がっていました。
……のですが、風に吹かれて揺れる風鈴がブレて写ってしまいました。


840-21.jpg
その手水舎の前で、八坂神社境内を北に向きました。
この先に、八坂神社絵馬殿が見えますね。
そこで、この小径は東に折れます。
こちらは円山公園への近道ですが、本殿に向かうのは不向きです。
(第13回ブログ参照)


840-22.jpg
八坂神社西楼門をくぐると、正面(東側)に疫神社がいらっしゃいます。
八坂神社の末社で、疫病をばら撒く神様がご祭神です。
逆に、人々を疫病から守る神様でもあります。
2020年はこちらにも茅の輪が付いていましたが、
今年(2022年)は付いていませんね。
(第747回ブログ参照)


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疫神社の右(南)側には、白髭神社と太田神社が合祀されています。
こちらにも、お参りして先へと進みます。


840-24.jpg
白髭神社と太田神社の前で、八坂神社境内を南に向きました。
こちらだけでしたが、八坂神社境内に露店が戻っていました。
チョコバナナとかき氷の屋台ですが、
どうも同じ方がお店を経営されていました。
まぁこの炎天下ですから、かき氷は相当売れていました。
ここからは、こちらのルートを進みます。


840-25.jpg
八坂神社西楼門から境内を約10m南下して、東を向きました。
ずっと先に、八坂神社拝殿が見えますね。
次は、ここを東に進みます。


840-26.jpg
その八坂神社拝殿に進む前にも、末社が並びます。
こちらは、北向恵比寿社です。ご祭神は、恵比寿神ですね。
ただ、こちらは修復中です。
写真には写っていませんが、
この辺りで宮大工さんが作業されていました。


840-27.jpg
北向恵比寿社の前で、八坂神社境内を東に向きました。
八坂神社拝殿が、だんだん近づいてきました。


840-28.jpg
八坂神社境内の石段を上がったところに、
大国社がいらっしゃいます。
ご祭神は大国主命だけでなく、事代主少彦名も祀られています。


840-29.jpg
大国社の前に、こちらが置かれています。
大国主命のご利益に、縁結びがあります。
諸説ありますが、大国主命はネズミが神使と考えられています。
ですから、こちらはネズミを模した縁結びのおみくじです。
全体を撮ろうとして、ネズミ型のおみくじが小さく写りました。
実は、結構可愛いおみくじです。


840-30.jpg
また、大国主社の前にこちらが置かれていました。
因幡の白兎を描いた石造ですね。
ただ、ご時世からどちらもマスクをしています。


840-31.jpg
さらに、ご時世から鈴の緒は手をかざすだけで音が鳴ります。
……ということでしたが、実は近づくだけで鈴の音がします。
手をかざす必要は、ありません。
では、こちらにお参りして八坂神社拝殿に向かいます。
とはいえ、だいぶ写真を張り付けたので今回はここまでです。

~次回は、八坂神社大祓に参加します~

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第841回 八坂神社 大祓~祇園で夏越の祓い~その2

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840-27.jpg
前回ブログで「祇園」バス停から、
八坂神社西楼門を経由して舞殿近くまで来ました。
今回は茅の枠くぐりの後八坂神社本殿に参拝して、
八坂神社大祓に参加します。
撮影日は、2022年6月30日木曜日午後2時40分。
炎天下で立ちっ放しは、相当きつかったです。


840-28.jpg
先程の位置から東に進み石段を上がり、南を向きました。
こちらに、末社の大国社がいらっしゃいます。
こちらの詳細は、前回ブログを参照してください。


841-3.jpg
その大国社の前で、八坂神社境内を南に向きました。
大国社の向かい(南)側に、八坂神社社務所があります。
破魔矢やおみくじ、お札は、ここで買い求めます。
また夏越の祓いごろから祇園祭の各粽(ちまき)も、
この社務所で買い求められるようになりました。


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八坂神社社務所の前で、境内を東に向きました。
目の前のテントはちょっとした日除けで、
こちらでおみくじなども買い求められます。
この東側に、八坂神社舞殿が立っています。


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八坂神社社務所の東側で、この水が売られていました。
神社で普段から飲まれているお水というわけではなく、
八坂神社のご祭神素戔嗚尊を「海神」と定め、
海洋深層水を「神様の水」として売り出されています。
価格も安いので、自分もたまに買います。


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八坂神社社務所の前で、境内を北に向きました。
八坂神社本殿の西側にも、末社の祠がいらっしゃいますね。


841-7.jpg
さらに八坂神社社務所の前で、境内を東を向いています。
八坂神社舞殿の南側に、大きな茅の輪を立たせてあります。
その南側に、人が並んでいます。
おそらく、茅の輪くぐりの行列ですね。


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八坂神社舞殿前から南に伸びている茅の輪くぐりの行列は、
八坂神社南楼門(実は、こちらが正門)を出てさらに外に続いています。
ですから、いったんこの南楼門を出てこの行列の最後尾に並びます。


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八坂神社南楼門をくぐって、境内をさらに南に向いています。
向こうに見える石製鳥居の先(南側)は下河原通で、
もう八坂神社境内ではありません。
……とは言え、この写真で見える位置までは
茅の輪くぐりの行列が並んでいません。


841-10.jpg
先程撮影した位置で、八坂神社境内を北に振り返りました。
茅の輪くぐりの行列の最後尾は、
八坂神社南楼門の真下にいらっしゃいます。
では、八坂神社南楼門の真下当たりの
茅の輪くぐりの行列の最後尾に並びます。


841-11.jpg
……と言う訳で、八坂神社南楼門から北を向ています。
そこそこ長い行列ですが、当初はもっと長いと思っていました。


841-12.jpg
八坂神社南楼門の石段を下りたところに、こちらの看板がありました。
この時点で、2022年6月30日午後2時45分です。
自分の前には、あと20人ほどいらっしゃいます。
たぶん、自分は午後3時前に茅の輪をくぐれます。



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八坂神社の神職さんが、順番待ち一人一人に話しかけられました。
「心を込めてくぐれば、1回だけでもご利益があります。
時間がないので、ご協力ください」
確かに自分は間に合うのですが、自分の後ろにも次々人が並ばれて
先程と行列の長さが変わっていません。
これは、自分も急がないと間に合わない方々が出てきます。
作法どおり、ゆっくりくぐっている時間はありませんね。


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先程の茅の輪の脇に、こちらの看板が立っていました。
大祓の神事や茅の輪くぐりの由来が、ここに書いてありますね。
まぁ「蘇民将来の神話」はもっと残虐で身の蓋もない話なのですが、
(特に、蘇民将来に茅の輪を授ける由来の辺りが……)
八坂神社の伝承ではその辺は簡略化されています。
(詳細は、今回ブログの「追記」に書きました)


841-15.jpg
とうとう自分の茅の輪をくぐる順番が、回ってきました。
この時点で、2022年6月30日午後2時50分です。
自分の後方には、八坂神社南楼門まで長い行列です。
元梛神社の作法では何回か回るのですが、(第321回ブログ参照)
先程の神職さんの言葉通り1回だけくぐりました。
そうそう「我、蘇民将来の子孫也」を忘れてはいけません。


841-16.jpg
八坂神社境内の茅の輪をくぐり、一礼をして頭を上げました。
八坂神社舞殿越しに、八坂神社本殿が見えます。
2020年の夏越の祓いでは、舞殿上で大祓が行われました。
神事10分前でこの状態ということは、
2022年は舞殿で大祓が行われないことは確定的です。
取り敢えず、その10分で先に本殿へお参りします。


841-17.jpg
八坂神社間殿の北側に回り込み、八坂神社本殿に来ました。
大祓まで時間があるので、先に参拝を済ませます。

八坂神社のご祭神は……一応「素戔嗚命」(すさのおのみこと)です。
「一応」が付くのは、幕末の神仏分離令で
もともとのご祭神から素戔嗚命へ変更されたからです。
(八坂神社自体の見解では、初めから素戔嗚命がご祭神となります。
その辺は様々な方の立場や政治思想が絡むので、
深入りしないのが無難です)
江戸時代以前のご祭神は牛頭天王(ごずてんのう)で、
仏教由来の神様説や疫病をばら撒く疫病神など、
様々な側面がある神様です。
「疫病神」は「疫病を防ぎ治療する神様」と同一視されるので、
天然痘など伝染病が大きく流行り、
多数の死者を出すと信仰される神様です。
もともとは平安時代の初期に天然痘が大流行して、
多数の死者を出したときに創建された神社です。
祇園祭を取り仕切る神社で、
2020年にこの本殿が国宝に指定されました。


841-18.jpg
京都市内の多くの神社では鈴の緒が取り外されているのですが、
八坂神社ではまだきちんと鈴の緒が取り付けてあります。
その代わり、こちらは抗菌コートを施しているそうです。


841-19.jpg
八坂神社本殿前で、境内を東に向きました。
この先の朱い鳥居をくぐれば、円山公園です。
ですから、あの鳥居の先はもう八坂神社ではありません。

……と言いますか、時計を見るとそろそろ午後3時です。
いよいよ2022年の八坂神社大祓が始まります。


841-20.jpg
八坂神社御南楼門の東側に能舞台があって、
そちらで2022年の八坂神社大祓が行われます。
さらに東隣の斎館から、来賓の参加者が出て来られました。
斎館には、神事の際に来られる方が待機される貴賓室があります。


841-21.jpg
取り敢えず、自分も八坂神社能舞台に近づきます。
来賓の方々が着席されると、一般の参加者の受付が始まりました。


841-22.jpg
すると八坂神社社務所前や本殿前にいらした方々が、
一斉に八坂神社の能舞台前に集結されました。
その一人一人に、小さな紙袋を神職さんが配られておられます。
近所に住む自分は遠方から来られた観光客に先を譲りましたが、
それでも相当数の紙袋が余っていました。
ですから観光客の後に続いて、自分も行列に加わりました。


841-23.jpg
こちらが、その小さな紙袋です。
厳密には、1枚の紙を袋状に折ったものです。
こちらを戴いたとき、神職さんにこう尋ねました。
「神事中に、写真撮影はOKですか?」
すると、神職さんは苦笑いでお茶を濁されました。
「まぁ、常識では写真撮影はダメなんですけどね」
自分がそう水を向けると、神職さんはこう答えられました。
「はい、そういうことで」
……と言うことで、ここから大祓の神事は撮影していません。

そうそうウチのブログを訪問された方のブログに、
「夏越の祓いって、以前はそこまで盛んではなかった」
というようなことが書いてありました。
「追記」に、その辺の事情を書いています。
「追記」へは、今回ブログの巻末の
「続きを読む」をクリックしてください。


841-24.jpg
神事の撮影がダメなことは最初から分かっていたので、
神事の前に(神職さんに尋ねる前に)能舞台を撮影しました。
結局大祓の一般の参加者は、この2倍ほどです。

自分たちが所定の位置に就くと、午後3時となりました。
すぐに神主さんが来られて、大祓の神事が始まりました。
一通りの挨拶が終わると、神主さんが祝詞(のりと)を唱えられました。
「高天原にかんずりまするカムロギ・カムロミ……」
と続く定型文の後、天岩戸伝説と
その後に素戔嗚命が高天原を追放される伝説を語られました。
八坂神社ご祭神に関する伝説ですが、
その後に蘇民将来が茅の輪を授かる伝説まで続きます。

まぁ自分はこういうお話が好きなのですが、
何しろ炎天下のお昼下がりです。
この間参拝者は一礼の格好を維持しなければならず、
これがかなり辛かったです。
後頭部と背中に当たる強い日差しがきつくなってきました。


841-25.jpg
祝詞が終わると、参拝者は小さな紙袋を開けます。
中には1㎠位の小さな紙片とオガクズ、紙製人形が入っていました。
小さな紙片とオガクズは、3回に分けて自分に振りかけます。
そのあと紙製人形に自分の息を大きく吹きかけます。
これで自分の厄が、紙製人形に憑りつきました。
最後に残った紙製人形は神職さんに手渡し、
八坂神社できちんと厄を払って戴きます。


841-26.jpg
こちらは、大祓が終了した後の八坂神社能舞台です。
写真中央の椅子に、神主さんが座っておられました。
左(東)側のパイプ椅子には、来賓が座っておられました。
一般の参拝者(自分も含む)は、さらに東側で立ち見でした。
八坂神社の会計者や来賓は斎館に戻られましたが、
自分は能舞台から移動します。


841-27.jpg
大祓の神事の間、中断していた茅の輪くぐりが再開されました。
大祓の神事に参加されていた来賓の方々も加わったので、
相当長い行列になっています。
実は大祓の神事の後に茅の輪をくぐるのが、正式な作法です。


841-28.jpg
その茅の輪から、八坂神社境内を南に向きました。
先程の約2倍もの長さの行列ができています。


841-29.jpg
八坂神社南楼門の真下から、境内を北に向きました。
この後ろに、まだまだ順番待ちの行列が続きます。


841-30.jpg
茅の輪くぐりの行列の最後尾を背後に、
八坂神社境内を南に向いています。
先に1回茅の輪をくぐっていますし、
だんだん自分の体温が上がってきましたので、
もう茅の輪くぐりはやめて先に進みます。


841-31.jpg
八坂神社南楼門の南側で、境内を東を向きました。
八坂神社境内に、中村楼が建っています。
中央の茶店も、右(南)隣の最高級料亭も、閉まっています。
たぶん今自分が参加した八坂神社大祓の来賓に、
このお店の方々もいらっしゃたのでしょうね。

今回は、ここまでです。

~次回は、東山区祇園地区の南東部を散策します。
ただ、このままだと熱中症になるので近くのお店で休憩しました~

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第842回 ジュバンセルに避難~祇園で夏越の祓い~その3

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

841-30.jpg
前回ブログで八坂神社の大祓に参加して、
八坂神社南楼門からさらに南に向いています。
石鳥居の向こう(南)側に下川原通が伸びており、
そこから先は八坂神社境内ではありません。
今回は東山区祇園地区南東部を散策します……
と言いたいところですが、この炎天下です。
まずはエアコンの効いたカフェに避難します。
撮影日は、2022年6月30日木曜日午後3時半。
この時間帯が、いちばん暑かったですね。


842-2.jpg
八坂神社南楼門から見えた八坂神社石鳥居に移動して、
その真下から南を向いています。
ここから南に、下河原通が伸びていますね。


842-3.jpg
八坂神社の石鳥居から、西を向いています。
約100mこの坂道を下ると、東大路と交差します。


842-4.jpg
今度は八坂神社石鳥居から、東を向きました。
こちらの坂道を約100m上ると、円山公園です。


842-5.jpg
八坂神社石鳥居から、下河原通を南下しています。
この写真の中央で、人力車の車夫さんが客引きをされています。
この後自分にも勧誘されたのですが、
逆にいろいろ質問してみました。
2020年辺りと比べると、現在の売り上げは約2倍だそうです。
ただ、インバウンド需要只中と比べてまだ半分くらいだそうです。


842-6.jpg
その辺りで、下河原通から東を向きました。
もう東山の中ですので、ここから先は山道です。
この山道を東に約30m登ると、大谷祖廟に辿り着きます。
(東本願寺の墓地ですね)


842-7.jpg
八坂神社南楼門前の石鳥居から、下河原通を南下しています。
この辺りは完全に花街祇園の一部なので、
下河原通沿いの両側に、料亭や料理旅館が並びます。


842-8.jpg
八坂神社南楼門前の石鳥居から、約80m東に進みました。
左(東)側に、秋葉大権現を祀る尼寺東景寺が建っています。
ただし、こちらは非公開寺院です。


842-9.jpg
一方、東景寺の向かい(西)側に、緑色の暖簾が見えます。
こちらが、京洋菓子司ジュバンセル 祇園店です。
ジュバンセルは大半が持ち帰り専門店なのですが、
こちらは店内飲食が可能なお店です。


842-10.jpg
前回ブログで八坂神社の大祓神事に参加した際、
自分は体温がどんどん上がってちょっと体調が悪くなりました。
ですから、ちょっとジュバンセルで休憩します。
京のお店 今日のお品で紹介したとおり、
ジュバンセルへはテナントビル内のエレベーターを利用します。
こちらは、そのエレベーターに貼られたチラシです。
この日は2022年6月30日なので、6月メニューが出ます。
今回ブログ掲載時期の2022年7月はレモン三昧のようですね。


842-11.jpg
そのエレベーターの扉が開くと、エアコンの冷風が入ってきました。
熱中症寸前の自分には、極楽に到達した気分です。
先ずは、足踏み式のアルコールジェルで手指消毒します。


842-12.jpg
「京のお店 今日のお品」取材以来のジュバンセル祇園店です。
店内には全盛期ほどではありませんが、お客さんがいらっしゃいます。
まぁ、大半はテイクアウト目的の方々でした。
自分と同じ八坂神社大祓の神事に参加直後の方も、
テイクアウトのお客さんの中に見掛けました。
ですから、そちらは一切撮影していません。
こちらは、自分が就いた席の近くです。


842-13.jpg
店内の窓から、南側を見ています。
先程自分がいた八坂神社南楼門が、向こうに見えますね。


842-14.jpg
結局自分は、その窓が見える席に就きました。
メニューを見ると、夏用に変わっていますね。


842-15.jpg
さらにメニューをめくると、6月用のものが出てきました。
新茶の季節ですから、抹茶中心ですね。


842-16.jpg
注文から、約10分経ちました。
すると、注文していた抹茶パフェセット(950円)が来ました。


842-17.jpg
抹茶パフェを注文したのですが、
セットということで紅茶も付きます。
ちょうどいい温度でしっかり淹れているので、
深みのあるおいしい紅茶です。
ですから、何も入れなくても甘味と旨味が強いですね。


842-18.jpg
そして、こちらが抹茶パフェです。
ホイップクリームの上に、抹茶の入った
ババロアとムースが載っています。
いちばん上には、甘く煮た栗とホイップクリーム、
ゼラチンで固めた小豆餡がトッピングされています。


842-19.jpg
こちらを約30分かけて戴きました。
ただ長い間炎天下にいたので、
この時の自分はだいぶ消耗していました。
そのため、さらに約30分ジュバンセルで待機しました。


842-20.jpg
自分が京洋菓子司ジュバンセル祇園店を出たのは、
2022年6月30日木曜日午後4時半でした。
現在ジュバンセル祇園店の前で、下河原通を南に向いています。
では、ここから下河原通を南下します。


842-21.jpg
ジュバンセル祇園店から、下河原通を南下しています。
右(西)側に、こちらのお店が見えます。
確か骨董店だったと思うのですが、
GOOGLEの地図上では飲食店に登録されています。


842-22.jpg
そのお店の向かい(東)側は和菓子匠の若菜屋なのですが、
こちらは閉まっていました。
どうも、2022年1月からずっと休業のようです。
(扉に貼ってある紙に書いてありました)


842-23.jpg
その和菓子匠の栗阿彌の右(南)側から、
東へ伸びる小径があります。
登りの山道ですが、市街地の一部ですので
周囲には飲食店を初めとする京町屋が建ち並びます。
それらの飲食店はお酒を提供するお店なので、
午後5時前の時間帯ではすべて閉まっています。


842-24.jpg
さらに、下河原通を南下しています。
こちらは確かホテルだったはずですが、
もう潰れてしまっています。
東山区祇園地区は、新京極と並び
京都市街地でも特に不景気だった地区ですが、
まだまだ倒産件数が多いままです。
……と言いますか、むしろ今の方が倒産が多いように思います。
(統計を正確に取っていませんので、はっきりと言えませんが)


842-25.jpg
そうはいっても、その分新しいお店も増えています。
こちらのフランス料理店は、ここ最近できました。
今は午後4時半ですから閉まっていますが、
午後5時になると開店されるようです。


842-26.jpg
フランス料理店の向かい(西)側にはこの老舗骨董店があります。
こういうお店の大半は、不景気に強いですね。


842-27.jpg
ジュバンセル祇園店から、下河原通を約150m南下しました。
右(東)側にも京町屋のようなものが見えますが、
そちらから東に石塀小路が伸びています。
ちなみに下河原通は、約200m南に建つ
八坂の塔(法輪寺)で突き当たります。
(八坂の塔は、第103回ブログ参照)
また、ここで下河原通は安井通と交差します。


842-28.jpg
下河原通から、安井通を西に向いています。
ちなみに、この位置が安井通最東端です。
この辺りの安井通沿いにも飲食店や
ホテルが多いのですが、そのどちらも健在でした。
さらに、うちのネコがお世話になっている獣医さんも健在です。


842-29.jpg
下河原通から、安井通を約100m西に進みました。
ここで安井通は、東大路と交差します。


842-30.jpg
安井通から、東大路を南に向いています。
ここを約100m進むと、「東山安井」バス停です。
建仁寺への最寄りバス停ですね。
では、そちらから206系市バスに乗って帰宅します……
という設定で、もうちょっと東山区祇園地区を散策します。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、東大路より西の祇園を散策します~

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生まれたときから50数年
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松尾大社や法輪寺など
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「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
サイトやブログのリンク
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