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第324回 長刀鉾 辻回し~暴風雨の山鉾巡行~その1

2015年7月16日夜に高知県に上陸した台風11号は、
7月17日午前の段階で中国山地に中心があって、
その東側に位置する近畿地方はその間暴風雨が吹き荒れました。
しかし、台風が来ようが警報が発令されようが
祇園祭山鉾巡行は強行されます。
極端な話、1864年のどんどん焼けの2年後には再開されています。
(例え祇園祭の山鉾の大半が焼失しても、再開したのです)
まぁ京都人にとっては、それくらい大切なお祭りということです。


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地下鉄東西線「京都市役所前」駅のホームにいます。
山鉾巡行見物には何か所か撮影ポイントがあるのですが、
自分の好みは「京都市役所前」(「御池河原町」交差点)です。
辻回しを見るには交差点である必要がありますが、
「四条河原町」交差点はあちこち移動しながらの撮影が無理です。
すると、選択肢が一つだけになるのです。
では、ここから地上に出て交差点に向かいます。
撮影日は2015年7月17日金曜日午前9時50分。
夜に入って、JR京都駅線が全面運休になりました!


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地下鉄「京都市役所前」駅のホームを上がり、改札の前に出ました。
では、ここを通って目的地に向かいます。


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地下鉄「京都市役所」駅を出て、西を向きました。
向こうの広場が、「御池河原町」交差点の真下に当たります。


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地下鉄「京都市役所前」駅の改札から、西に約10m進みました。
ここから西が、ZEST 御池という地下街です。
(第161回ブログでも出てきましたね)
ここは、午前6時から開いています。
「御池河原町」交差点下の広場ではよくイベントが開かれますが、
この日は「京都物産展」が開かれていました。
たぶん、地方からの観光客ねらいですね。


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その広場で、右(北)を向きました。
ここから京都ホテルオークラに入れますが、
地下鉄の3番出口もこちらにあります。


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京都ホテルオークラの地下入口の手前に階段があり、
そこを上って地上に出ました。
ここが、地下鉄「京都市役所前」駅3番出口です。


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さらに車道に向かって前に出ました。
この辺りが、「京都市役所前」(「御池河原町」交差点)北東角です。


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御池通から、河原町通を南に向いています。
ずっと向こうに、「三条河原町」交差点が見えますね。
(第69回ブログにも、出てきましたね)
現在2015年7月17日午前10時ですが、
その三条通以南にも巡行の先頭が見えません。


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今度は、河原町通の北側を見ました。
左(西)側に京都市役所が見えて、その北隣に島津製作所も見えます。
「御池河原町」交差点北約100mに、規制線が張られました。


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規制線が完成すると、報道関係者がそちらに向かいました。
「こちらの方が、撮影には向いていますよ」
京都府警警察官の一言で、さらに多くの方々が移動しました。
確かに「辻回し」はそこがベストポジションですが、
撮影位置が固定されて他の場所に移動できなくなります。
ですから、もう暫らくここで撮影します。


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10時を回りましたが、巡行の行列はまだまだ来ません。
「御池河原町」交差点北西角に電光掲示板があって、
そこには「現在京都府南部 大雨警報」と書かれていました。


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午前10時10分になると、突然交差点の信号が消えました。
いよいよ巡行の行列が近付いてきたようですね。


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そして、京都府警警察官も騒がしくなってきました。
昨年の葵祭のときとは違い、みなさん合羽を着られていますね。
山鉾巡行の行列も、もうすぐですね。


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その直後に、三条通近辺に先導のパトカーが現れました。
午前10時15分になって、
「御池河原町」交差点でも山鉾巡行が始まりました。


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パトカーの背後から、幟を持った男性が行進されています。
「祇園会」という文字が見えますね。


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そして、その後ろから祇園祭「鉾1番」長刀鉾が姿を現しました。
すると、先頭の氏子さんが
竹の切れ端を何本か持って先を急ぎました。


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そして、その竹の切れ端を交差点の中央に並べ始めました。
これが、「辻回し」の下準備です。


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そうこうしているうちに、長刀鉾が交差点内に入ってきました。
すると、「祇園囃」のテンポが急に速くなりました。


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長刀鉾はそのまま北上し続けますので、
自分が撮影している目の前まで、曳き手が来られました。
交差点の中央で長刀鉾を止めた途端、
「さぁ、次は『辻回し』や」
曳き手の先頭の氏子さんはそうおっしゃれて、
交差点の西側へと走り去られました。


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竹の切れ端を並べている間、長刀鉾は全く動きません。
その間に、長刀鉾をアップにしました。
こちらは、祇園祭唯一の「生き稚児」さんが活躍します。
この写真以降、他の写真もすべてクリックすれば拡大されます。


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曳き手の皆さんは、御池通の方に移動されました。
(鉾に対して、約90°の位置ですね)
この時点で、先ほどの竹の切れ端が鉾の車の下に噛ませてあります。
この辺りの写真は、全てクリックすると拡大されます。
(以降は書きませんが、すべでの写真が拡大可能です)


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こうして、「辻回し」の準備ができました。
すると、鉾の前に立たれた4人が団扇を掲げて
掛け声を挙げられました。


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「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
曳き手の皆さんが真横から鉾を曳かれます。
すると竹の上の車輪が横滑りして、長刀鉾は左折しました。
これが、「辻回し」の手順です。


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長刀鉾は、約60°西に傾きました。
そこで、また最初から同じ手順を繰り返します。
1回の「辻回し」に約5分かかるので、
交差点を抜けるのに約15分~20分かかります。
これが、山鉾巡行に時間がかかる最大の理由です。

もちろん車輪を工夫すれば、
「辻回し」無しですぐに左折できます。
ただ、それでは面白味がありません。
敢えて「辻回し」で曲がることに意義があるのです。


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そうこうしているうちに、後続の山鉾が来ました。
こちらは、「山1番」の孟宗山ですね。


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ようやくこの交差点での2度目の「辻回し」の準備が整いました。
先導の4人が、また団扇を掲げて掛け声を挙げます。


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再び「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
横から鉾が曳かれ30°ほど西に左折しました。
これで、合計90°に左折しました。
普段ならもっと「辻回し」を繰り返すのですが、(4回くらい)
竹が濡れているので今年(2015年)は滑りがいいですね。
(普段は、水をまいてわざわざ竹を濡らします)


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長刀鉾の下の方をアップで撮りました。
「辻回し」が終わり、
ここに竹の切れ端などの用具を入れていきます。


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交差点に散らかっていた「辻回し」のための用具を
すべて鉾の下に収めると、
いよいよ御池通に向かって長刀鉾が進みます。
先導の4人が団扇を掲げて、前進の合図を送ります。


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「エイヤラヤ~」の掛け声で、長刀鉾は御池通を西に進みます。
すると、長刀鉾の「祇園囃」がまたゆっくりとした曲に戻りました。
今年の長刀鉾の「辻回し」は、約15分でした。
たぶん、これは例年よりもずっと早いと思います。
先述の通り、雨天(暴風雨)は車輪の滑りがいいようです。


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長刀鉾が御池通を西に進み、京都市役所前を通り過ぎます。
次は、孟宗山の「辻回し」ですね。
これで、前祭23基のうち1基だけが「辻回し」を終えました。
これからまだまだ山鉾巡行は続くのですが、
写真をだいぶ貼り付けたので
続きは次回以降とします。

今回は、ここまでです。

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第325回 函谷鉾 月鉾辻回し~暴風雨の山鉾巡行~その2

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「鉾1番」長刀鉾が辻回しを終え、御池通を西に進んでいきます。
祇園祭前祭参加の23基の山鉾のうち、
一つだけが辻回しを終えました。
ここから、どんどん山鉾が「京都市役所前」交差点にやって来ます。
今回は、そのうち「鉾4番」月鉾までの様子を書いていきます。
(まぁ、全体の1/3ですね)
撮影日は、2015年7月17日金曜日午前10時半。
この日京都を襲った台風11号の影響は、数日続きました。


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長刀鉾が御池通を西に去った後、
次々と後続の山鉾が河原町通を北上してきます。
こちらは、今年(2015年)の「山1番」孟宗山ですね。

孟宗が母親のために筍を取りに雪山を彷徨う姿を描きます。
まぁ、中国で孟宗と言えば「親孝行の鑑」ですからね。
ちなみに、孟宗は陸遜などに仕えた「三国志」呉の文官です。


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孟宗山が、「京都市役所前」交差点に入ってきました。
すると、担ぎ手の方々が立ち止まり両手に力を込められます。


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そして、担ぎ手の方々が孟宗山自体を持ち上げます。
車輪が宙に浮くので、これで方向転換ができます。


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孟宗山が西に90°左折すると、担ぎ手は山を下します。
この間、15秒でした。(前回ブログの長刀鉾は、約15分かかりました)


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孟宗山が御池通に去っていくと、
今度は「山2番」芦刈山が続きます。
「親孝行」の次は、「夫婦円満」を描いた山です。


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芦刈山も、「京都市役所前」交差点に入ると
担ぎ手が山を持ち上げられて方向転換しました。
この写真は、クリックすると拡大されます。
ここまでは、先ほどと同じなのですが……


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そのまま着地することなく、
担ぎ手の方々が芦刈山をくるくると回転させました。
突然のパフォーマンスに、沿道の方々は拍手喝采です。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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回転は、約30秒続きました。
そして、芦刈山が着地すると御池通へと去っていきました。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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芦刈山の直後に、荷茶屋(にないじゃや)の担ぎ手が現れました。
こちらも、くるくると回転されていました。
もちろん、沿道の方々は拍手喝采です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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その次に現れたのは、「山3番」伯牙山です。
中国の箏の名手伯牙が、
友人の死を悼み愛用の箏を斧で叩き割る姿を描いています。
また、こちらの会所は市指定文化財「杉本家」ですね。


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伯牙山の「辻回し」は派手なパフォーマンスもなく、
約15秒で左折しました。


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伯牙山が、御池通に消えていきます。
こちらの見送りは見事なのですが、
ズームが間に合わず中途半端になりました。


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こちらは、御池通を約100m北上した河原町通です。
長刀鉾が行ってしまうと、
規制線付近のカメラマンもだいぶ数が減ります。
山鉾巡行はまだまだ続きますが、
ここで自分も規制線を回り込んで御池通西側に向かいます。


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河原町通西側歩道に移動した辺りで、南を向きました。
次の「鉾2番」くじ取らず(順番が固定されています)の
「函谷鉾」が見えてきました。


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河原町通から、御池通を西に進んでいます。
市役所南側広場で、熱中症予防キャンペーンが行われていました。
まぁ、この豪雨で熱中症と言われても……


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そうこうしているうちに、函谷鉾の辻回しが始まりました。
まだ次の所定位置には着いていなかったので、
中途半端な写真になります。


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函谷鉾の囃手をアップで撮りました。
こうして撮ると、雨粒がはっきり見えます。
この日(2015年7月17日)は、
台風11号襲来でこの時点で大雨警報発令中です。


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函谷鉾の1度目の「辻回し」が終わりました。
人混みで、なかなか目的地に着けません。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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河原町通から、御池通を西へ約100m進み寺町通に来ました。
この辺りが、次の撮影ポイントです。


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寺町通から、御池通を西に向いています。
函谷鉾が、2回目の「辻回し」を終えました。
個人的には、東山を背景にしたこの角度が
一番鉾がきれいに見えると思います。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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御池通の桟敷席前に、函谷鉾の隊列が入ってきました。
函谷鉾は、中国の長安と洛陽の中間にある
「函谷関」という関所に由来します。
「史記」にここを強行突破する劉邦軍の話があります。


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函谷鉾が、御池通の桟敷席前を通り過ぎます。
左右に揺れながら勇壮な姿を見せますね。


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今度は、反対側の囃手をアップにしました。
函谷鉾の囃手は宵山になると四条通や烏丸通を練り歩かれるので、
祇園囃の中では一番耳に残っています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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函谷鉾も、御池通を西に進んでいきました。
この函谷鉾の辻回しも、約15分かかりました。


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その次は、「山4番」の油天神山です。
油小路綾小路下るの火尊天神の祠を乗せた山です。


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こちらが、油天神山です。
黒塗の胴掛が雨に映えますが、
豪雨の中では祠も黒い布に巻かれた状態でした。


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さらに、「傘鉾1番」の四条傘鉾が続きます。
この辺りに来たのは、こちらが目当ての一つでした。


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こちらが、四条傘鉾です。
「鉾」と言いながら、実は「山」よりも小さいです。
ただ最近は寄付もだいぶ集まってきましたので、
この部分を乗せて、大きな鉾にする計画が上がっています。
(応仁の乱以前の姿に戻るわけですね)


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四条傘鉾には、こちらの「棒振り踊り」の小学生が随行します。
こちらは「くじ改め」の際行われる踊りで、
以前はこちらの桟敷席前でも行われていたのですが、
今年(2015年)は特に何もなく素通りでした。


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さらに、「山5番」の占出山が続きます。
昨年(2014年)の「山1番」です。
「山1番」は縁起がいいので、どの山も狙っています。
(順番は、くじで毎年変わります)
この山は、神功皇后が朝鮮出兵の戦果を鮎で占ったことを描きます。


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占出山の水引は小倉百人一首が書かれていて、
宵山の際にはそれが人気を呼んでいます。
見送りも鮮やかなのですが、
この豪雨ではビニールシートの中ですね。


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その後ろから、「鉾3番」月鉾が姿を現しました。
「辻回し」を撮ろうとしたのですが、
なぜか周囲の方々が傘を高く掲げられて
上手く写真が撮れません……


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残念ですが、月鉾の辻回しの写真はこれ以上ありません……
月鉾の隊列が、御池通に入ってきました。
月鉾は、文字通り月の神様である月読命を祀っています。


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月鉾が、「辻回し」を終えました。
個人的には、一番美しい鉾だと思います。


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月鉾の天頂部分を撮りました。
鉾先が、三日月の形状をしています。


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「辻回し」の後始末も終え、曳き手の方々も所定位置に就きました。
先導役による扇子の合図と「エイヤラヤ~」の掛け声と共に、
月鉾が御池通を西に進み始めました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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勇壮な月鉾が、御池通を西に進んでいます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

これで、約1/3くらいの山鉾巡行が終わりました。
まだまだ続くのですが、
だいぶ写真を貼りつけたので続きは次回にします。

今回は、ここまでです。

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第326回 雨傘の海を渡る船鉾~暴風雨の山鉾巡行~その3

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御池通での祇園祭山鉾巡行見物も、半ばに差し掛かってきました。
月鉾の後から現れたのは、「山6番」蟷螂山です。
大きなカマキリのからくり人形が人気の山ですね。
今回は、この蟷螂山から最後の船鉾まで一気に紹介します。
撮影日は、2015年7月17日金曜日午前11時15分。
台風の影響は、むしろ夕方から夜にかけてが大きかったですね。


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こちらが、蟷螂山です。
いつもなら山に乗る牛車の上に
大きなカマキリがいらっしゃるのですが……
この日(2015年7月17日)の巡行には、いらっしゃいません!
まぁ、大雨警報発令中ですしね。
頭・前足・両羽が動くかなり精巧なからくり人形ですから、
この暴風雨では壊れてしまいますし……


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その次は、「山7番」木賊山です。
子供をさらわれた木賊刈りの老人を描いた山ですね。
木賊(とくさ)とは漢方薬にも使うシダ類ですが、
実は京都市街地のあちこちに生えています。
自生しているのではなく、ビルなどの緑地に植えられています。


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さらに、「山8番」山伏山が続きます。
平安時代に有名だった修験者(山伏)浄蔵貴所を祀っています。
法観寺の八坂の塔が傾いたのを法力で直すなど、
いろいろな伝説が残っています。


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山伏山の胴掛と見送りをアップで撮りました。
ただビニールシートで覆ってあるので、
本来の鮮やかさは分かりません。


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その後に、辻回しを終えた「鉾4番」菊水鉾がやって来ました。
町内にある「菊水の井戸」がその名前の由来です。


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菊水鉾の見送りを撮りました。立派な鯉の滝登りですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その後は、「山9番」郭巨山が来ました、
2年前、3年前「山1番」くじを引いた山ですね。
毎年、ウチで粽を買っている山でもあります。


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こちらが、郭巨山です。
貧困が原因で郭巨という中国人が自分の子を捨てようとしたところ、
そこから金が出てきたという故事に基づいています。
「金運」と「親孝行」を描いた山ですね。


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続いては、「傘鉾2番」綾傘鉾です。
綾小路沿いに会所があるほうの傘鉾ですね。
(会所は、普段は大原神社の京都出張所です)


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幟に続いて、綾傘鉾の登場です。
手前に、「棒振り踊り」の囃子手と踊り手が随行します。
暴風雨のせいか、こちらの傘鉾も
御池通では「棒振り踊り」をしません。
(今回の巡行の楽しみの一つでしたので、残念です)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


326-12.jpg
さらに「山10番」太子山が続きます。
通常、山の天頂部は松の木が立てられるのですが、
こちらは杉の木を立てます。
山鉾の中では数少ない「受験の神様」で、
会所前には合格祈願の絵馬が林立します。


326-13.jpg
そして河原町通の方角(東)を振り返れば、
「鉾5番」鶏鉾が辻回しを終えたところでした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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鶏鉾が、御池通を西に進みます。
そう言えば、この鶏鉾だけは名称の由来がよく分かりません。
ご神体は、「住吉さん」ですし……
この写真も、クリックすれば拡大されます。


326-15.jpg
鶏鉾が、寺町通の向こう(西)に、去っていきます。
胴掛や見送りに付けられた絨毯が見事ですが、
こちらもビニールシートの中です。
(まぁ、それだけ豪雨の中での巡行だったのです)
この写真も、クリックすれば拡大されます。


326-16.jpg
その後を「山11番」白楽天山が続きます。
白楽天とは、唐の3大詩人の一人白居易のことです。
(後の2人は、杜甫と李白)
そう言えば、この白楽天は文官としても有能でしたが、
明らかに後世の創作であるものも含めて
様々な伝説が付いて回る人です。
ある意味、中国版の小野篁ですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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続いては、「山12番」保昌山の登場です。
藤原保昌が恋人の和泉式部のために紫宸殿の梅を折ろうとした
そのエピソードをモチーフにしています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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保昌山が、御池通を西に進んでいきます。
恋愛成就が御利益なので、会所はいつもたくさんの方で賑わいます。
背を向けているのは藤原保昌の人形ですが、
こちら側から撮ると、ほとんど裏側になってしまいます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


326-19.jpg
さらに、「山13番」霰天神山(あられてんじんやま)の登場です。
町内の天神さんの祠がご神体です。
そう言えば、ここの会所の西隣にある中華料理屋の
浸みだれ肉まんがおいしいですね。
自分の祇園祭の楽しみの一つです。


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霰天神山が、御池通を西に進んでいきます。
こちらは「天神さん」なのに、「火災除け」のご利益があります。
前回ブログ紹介の油天神山と同じですね。


326-21.jpg
いよいよ巡行する山鉾も、あと3基となりました。
ここからは、全て「くじ取らず」(順番が固定)です。
「鉾6番」放下鉾が、辻回しを終えました。
室町時代の芸能集団「放下僧」が、名称の由来です。
(僧の姿をして、大道芸を行った人々です)
この写真から船鉾までは、全てクリックすれば拡大されます。


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放下鉾が、御池通を西に進んでいます。
元来は稚児姿のからくり人形三光丸が同乗しているのですが、
この暴風雨では姿も見えません。
こうして見ると、からくり人形は1体も巡行しませんでした。
他にも装飾品の簡略化が多かったように思います。


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放下鉾が、寺町通よりも西に去っていきます。
随行する氏子さんも、この日ばかりは合羽姿ですね。
(写真ではわかりにくいですが、さらに大雨になってきました)


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その次は、「山14番」岩戸山が辻回しをしています。
こちらは「鉾」と同じくらい大きいのですが、
あくまで「山」ですので、天頂部は矛ではなくて松の木です。
このような「曳山」は、北観音山・南観音山など
後祭のほうに多く見られます。
そう言えば、いつの間にか東山の稜線が見えなくなりました。
(それくらい、雨が強くなってきました)


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辻回しを終えた岩戸山が、御池通を西に進んでいます。
「曳山」は天頂部以外は「鉾」と同じなので、
辻回しには「鉾」同様に時間がかかります。
その背後(河原町通付近)をよく見ると、
最後尾の船鉾が辻回しに入ろうとしていますね。


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岩戸山が、御池通の桟敷席前を通り過ぎます。
この山は、もちろん「記紀」の岩戸山伝説を題材にしています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴を恐れた
姉で伊勢神宮の御祭神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が
天岩戸(あまのいわと)の中に逃げ隠れたお話ですね。
天宇受売(あめのうずめ)の機転と田力男(たじからお)の怪力で
天照大神を天岩戸から出した後
天照大神は素戔嗚尊を出雲(島根県)に追放しました。

つまり、これは天然痘など疫病の神である素戔嗚尊(牛頭天王)を
追放するお話です。
天然痘を鎮めるためのお祭りに、このような山があること自体
とても呪術的な意味を感じます。


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いよいよ最後尾の船鉾が、辻回しを終えました。
神功皇后が朝鮮半島に出兵した際に乗った
天鳥船(あまのとりふね)をモデルにしています。
前祭の最後尾「船鉾」は、出発を表しています。
(後祭の最後尾「大船鉾」は、帰還を表しています)


326-28.jpg
船鉾が、御池通を西に進んでいます。
この豪雨の中では、雨傘が欠かせません。
ですから、今回の巡行を撮影する際には
この雨傘が必ず写り込んでしまします。
「雨傘が、フレームに入ってくる」「もう、雨傘が邪魔」
自分の周囲にいらした方々も(ついでに自分も)
その雨傘をかなり面倒に感じていました。
ただ、こうして見るとたくさんの雨傘が暴風雨の荒波にも見えます。
その雨傘の波間を船鉾が通り過ぎていくのも、
かなり幻想的な光景です。
こういう時は、「大雨でよかった」と思ってしまします。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。


326-29.jpg
船鉾の後を、パトカーが続きます。
桟敷席の方々も、一斉に帰り始めました。


326-30.jpg
パトカーが通り過ぎると、
「京都市役所前」(「御池河原町」)交差点に信号が灯りました。
すると、その背後から一般車両が入ってきました。
もう日常に戻りつつあります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


326-31.jpg
撮影位置から、北を向きました。
京都市役所の前に、
地下鉄東西線「京都市役所前」駅の14番出口がありました。
では、ここから京都駅を目指して職場に戻ります。

今回は、ここまでです。

~次回から、後祭の宵山散策を始めます。
祇園祭は、まだまだ続きます~

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第408回 祇園祭前祭山鉾巡行 2016 前編

[山鉾巡行] ブログ村キーワード

408-1.jpg
2016年は、7月17日が久しぶりに日曜日でした。
ですから、余裕をもって祇園祭前祭山鉾巡行に向かえます。
午前9時15分に家を出て、自転車で七条通から川端通に出て
京阪電鉄「七条」駅前のマクドナルドに寄りました。
この写真は、その2Fから撮りました。
(個人的に、全国のマクドナルド屈指のロケーションと思っています)
ここを午前9時45分に出て、川端通を北上しました。


408-2.jpg
川端通を七条通から自転車で御池通に向かい、
そこから御池通を西に進みました。
川端通から御池通を西に約200m進むと、
駐輪場のある「御池河原町」交差点に辿り着きました。
ここに自転車を停めて、この交差点で山鉾巡行を見ます。


408-3.jpg
「御池河原町」交差点南東角から、北東角を見ています。
向こうが自分が選ぶベストポイントなのですが、
昨年(2015年)よりゆっくり来たので、
(マクドに行っている場合じゃなかった?)
もう撮影ポイントが他の方に占拠されています。


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人混みに紛れて、何とか撮影ポイントに着きました。
この時点で、午前10時でした。
ですから、もう「御池河原町」交差点の信号も消えています。


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「御池河原町」交差点から約100m北に、規制線が張られました。
昨年(2015年)はここから北側が報道カメラマンのスペースで、
自分たちのような一般人もそこに入れました。
今年(2016年)は単に規制線を張るだけで、
一般人だけでなく報道カメラマンも車道に入ることは禁止です。


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こちらは、「御池河原町交差点」近くの本能寺会館の屋上です。
見物人が、鈴なり状態ですね。


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そうこうしているうちに、もう「祇園会」の幟がやって来ています。
ちなみに交差点南西角に「スギ薬局」の看板が見えますが、
あちらに焦点を合わせていくと辻回しが上手く撮れます。


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その直後に、長刀鉾が河原町通からやって来ました。
よく考えたら、昨年(2015年)よりも約10m北側で撮っています。
この辺りは車道が膨らんで、歩道がその分狭くなっています。
ですから、街路樹の銀杏が邪魔で上手く撮れません。
この辺りから暫く、クリックした写真は拡大されます。


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長刀鉾の櫓の部分をアップにしました。
生稚児さん3人が、写っています。
ただ、カメラは手前の銀杏の葉に焦点が合ってしまいます……


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長刀鉾が、「御池河原町」交差点に入ってきました。
曳き手の皆さんはこちらに向かわず、御池通の西側に並ばれました。
長刀鉾の車輪に竹を噛ませます。いよいよ辻回しが始まります。


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ものの数分で車輪に竹を噛ませると、
先導の方々が両手の扇子を振り上げます。
何となく、年々辻回しの要領が良くなっている気がします。


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「エイヤラヤ~」との先導の掛け声で、長刀鉾が約60°回りました。
そして、これをもう一度繰り返します。


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今度も、すぐに車輪に竹を噛ませました。
「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、長刀鉾が約30°回りました。


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これで、合計ほぼ90°回転しました。
すると、祇園囃の曲調がまた緩やかなものに変わりました。


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長刀鉾の曳き手の皆さんが再び整列すると、
先導の方々が「エイヤラヤ~」と声を掛けました。


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これで、長刀鉾の辻回しが終わりました。
すると、長刀鉾は御池通を西に進み交差点を立ち去りました。


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次に、今年(2016年)「山1番」のくじを引き当てた山伏山が
「御池河原町」交差点に入ってきました。
浄蔵貴所という平安時代の山伏を模した山で、
いつの間にか「天災除け」があるとされています。
そのため、東日本大震災や熊本大地震の被災地とも
こちらの山町がつながりを持つようになりました。


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こういう山は小さいので、辻回しの必要はありません。
担ぎ手の方々がそのまま持ち上げて、
方向転換すれば良いだけのはずなのですが……


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突然、山伏山が右回りに回転し始めました。
本来はものの数秒で交差点を通り抜けるのですが、
いくつかの山は、沿道にこういうサービスをします。


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山伏山は3回転した後、御池通を西に向けて去りました。
とは言え、この間2分もありませんでした。


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次は、「山2番」の白楽天山です。
白居易(白楽天)は、杜甫・李白と並ぶ「中国3大詩人」の一人です。
その一方、白楽天は中国では巫覡(中国版陰陽道)の使い手として
多くの物語や伝説に出てきます。
要するに、日本の小野篁(おののたかむら)と似た人物像ですね。
この山は、その白居易が道林禅師と禅問答をした故事にちなみます。


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白楽天山も、「御池河原町」交差点でくるくる回ります。
沿道からは、また拍手が沸き起こりました。


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「山3番」孟宗山が、「御池河原町」交差点に入ってきました。
昨年(2015年)は、こちらが「山1番」でした。
孟宗は、「三国志演義」で呉の陸遜に使える文官として出てきます。
とても親孝行で、病気の母親の死後
皇帝の孫権の法令に逆らって母親の喪に服し続けました。
普通なら死罪ですが、陸遜の仲介で無罪となり
孟宗は後に呉の重臣になります。
中国では、「親孝行と言えば孟宗」と言われるくらいの方です。


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孟宗山は特にくるくる回ることなく、そのまま西に向かいました。
そう言えば、孟宗山は昨年(2015年)もここを素通りしました。


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次は、くじ取らずの「鉾2番」函谷鉾です。
こちらも、中国の洛陽と長安の間にある函谷関を模しています。
ただし「三国志演義」ではなく、「史記」を模しています。
写真をクリックすれば拡大されるのは、ここまでです。


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函谷鉾の辻回しのうちに、場所を移動します。
辻回しがよく見えるのは「御池河原町」交差点北東角ですが、
山鉾そのものを見るには「御池寺町」交差点です。
横断歩道は「二条河原町」交差点までないので、
「御池河原町」交差点の下にある地下道に向かいます。


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この辺りの地下は、ZEST御池という地下街です。
交差点の真下(地下)にコンビニエンスストアがあって、
そこでスポーツドリンクを買いました。
(曇っていましたが、暑くて熱中症になりそうです)
そして、さらに西に進み地上に上がりました。


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京都市役所の西端、「御池寺町」交差点に来ました。
そこから東の河原町通付近を見ました。
函谷鉾は、まだ辻回しの途中です。
……と言いますか、テントが邪魔で上手く撮れません。
個人的には、ここから東山を借景に撮ると
山鉾がいちばん美しく見えると思うのですが、
テントが昨年(2015年)と向きが違うのが残念です。
ここから最後まで、クリックすれば写真が拡大されます。


408-29.jpg
御池通から、寺町通を南に向いています。
繁華街のアーケードの手前に、孟宗山が止まっています。
函谷鉾の辻回しが終わるまで、待っているようです。


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函谷鉾が辻回しを終えて、ようやく寺町通の方にやって来ました。
長刀鉾の辻回しは10分と少々でしたが、
函谷鉾は20分弱かかったようです。


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函谷鉾が、寺町通に入ってきました。
こちらも、立派な鉾が付いています。


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函谷鉾の櫓では、町衆の方々が祇園囃を演奏中です。
函谷鉾の囃手は宵山の深夜に四条通を練り歩いて演奏されるので、
自分の耳には、こちらの祇園囃が一番印象に残っています。


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函谷鉾が、去っています。
こちらの見送りは、真新しいですね。


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その次は、「山4番」太子山です。
台風直撃だった昨年(2015年)と、何もかも違いますね。


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続いて、「傘鉾1番」四条傘鉾です。
先ずは、アスファルトの道に鉄杖を引きずった先導の登場です。


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その後ろに、木製の棒を持ち踊る少年が現れます。
さらに後ろの囃手も、小学生の男の子たちですね。
その囃手の演奏に合わせて、「棒振り踊り」が始まります。


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こちらが、四条傘鉾です。
本来はこの下に櫓と車輪が付くのですが、現在復元中です。


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四条傘鉾の最後列は、こちらの荷車が続きます。
この中には粽が入っていいて、沿道の方々に配られていました。


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さらに、「山5番」(一昨年の山1番)占出山が続きます。
古墳時代に朝鮮半島に攻め込む前に、
アユ釣りで占いをした神功皇后を模しています。
神功皇后を模した山鉾は3基あるのですが、
こちらはそのうちの1基です。

ここで、約半分が終わりました。
続きは、次回とします。
今回はここまでです。

~次回は、月鉾~船鉾の巡行を取材します~

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第409回 祇園祭前祭山鉾巡行 2016 後編

[山鉾巡行] ブログ村キーワード
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2016年の祇園祭前祭山鉾巡行も、半分が過ぎました。
前回ブログの占出山の次は、「鉾3番」月鉾です。
今回は、ここから最後の船鉾まで一気に掲載します。
また今回の写真は、クリックすると全て拡大されます。
撮影日は、2016年7月17日日曜日午前11時半。
この辺りから、少しずつ小雨がぱらつきました。


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月鉾が、「寺町御池」交差点に近づいてきました。
櫓から、囃手さんが演奏される祇園囃が聞こえてきます。


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ここで、空を見上げました。
曇り空に、三日月形の鉾先が映えますね。


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月鉾が、寺町通を通り過ぎていきます。
鉾の中でも、長刀鉾と並び大きいですね。


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続いては、「山6番」芦刈山です。
こちらの山の詳細は、第62回ブログに掲載されています。
一度離縁した夫婦が、年老いてから復縁するお話ですね。
第407回ブログに出てきた獅子の前掛けが立派です。


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続いて、「山7番」蟷螂山です。
こちらは人気の山なので、沿道からも拍手が起こります。
台風が直撃した昨年(2015年)とは異なり、
牛車の上に蟷螂が載っています。


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蟷螂山は、牛車の上に蟷螂(かまきり)を載せた山です。
カマキリの鎌は、「魔(縁起の悪いもの)を絶つ」とされ
とても縁起の良い山でもあります。
このカマキリはからくり人形で今は羽を広げていますが、
他にも頭と前足の鎌が動きます。
その証拠に、自分の後ろにいらした小父さんが
突然大きな声でこうおっしゃったときです。
「いよっ。カマキリ、格好いいね」


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突然カマキリの頭がこちらを向き、右の前足が左右に揺れました。
まるで、こちらに手を振っているようです。
「こういう風に声を掛けると、こんなことしてくれはるで」
先程の小父さんが、そんなことをおっしゃいました。


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さらに、「山8番」保昌山が続きます。
平井保昌が折ろうとした内裏内の梅の木がありますね。
とは言え、ここまでしたにも拘らず
平井保昌は和泉式部とは結婚できなかったのですよね。


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その後は、「鉾4番」鶏鉾です。
「鶏」という名前ですが、特にその絵柄があるわけではありません。
(鶏の胴掛は、函谷鉾ですね)


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鶏鉾が、近づいてきました。
それと同時に、こちらの祇園囃の音色が大きくなってきました。


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鶏鉾が、さらに近づいてきました。
櫓には囃手さん以外にも、稚児さんがいらっしゃいます。
ただし、こちらの稚児さんは人形です。
(人間が稚児をする「生稚児」は、長刀鉾のみ)


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鶏鉾が、寺町通を通り過ぎていきます。
見送りは、鯉山と同じ18世紀ベルギー製のタペストリーです。


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続いて、「山9番」の伯牙山です。
中国の箏の名手伯牙を題材にしています。
第235回ブログでも紹介したように、
こちらの会所は重要文化財の京町家杉本家邸宅です。


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そして、「傘鉾2番」綾傘鉾が続きます。
暴風雨だった昨年(2015年)とは異なり、
今年(2016年)は仮面を付けた踊り手が
「棒振り踊り」を披露してくれました。


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その後に、綾傘鉾が2基続きます。(綾小路の傘鉾ですね)
こちらも四条傘鉾同様、櫓と車輪を復元しようとしています。
こちらの会所は、大原神社の境内にあります。
こちらの本社は、京都府福知山市にいらっしゃるのですが、
江戸時代に京都市内に出張所を作られました。
そのため、綾傘鉾の「棒振り踊り」が
福知山の大原神社に出向くこともあります。


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さらに、「山10番」霰天神山(あられてんじんやま)が続きます。
確か天明の大火のときだったと思うのですが、(違ったらすみません)
こちらの天神さんの境内周辺だけ霰が降ったために
焼失を免れたことがありました。
そのため、こちらは天神さんでも「火除け」の神様です。


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そして、こちらが霰天神山の見送りです。
第407回ブログにも出てきましたね。
2014年に修復したところなので、まだまだ真新しいですね。


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続いて、「鉾5番」菊水鉾です。前掛けと胴掛が鮮やかですね。
こちらの町衆は、水色の法被を身に着けておられます。


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ここで空を見上げると、菊水鉾の鉾先が見えます。
「菊水」だけに、菊花の形をしています。


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こちらは、菊水鉾の櫓です。屋根の裏も、色鮮やかです。
櫓の中は、囃手の皆さんで溢れていますね。


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その後は、「山11番」木賊山(とくさやま)です。
薬草の木賊を採る老人の人形がご神体ですね。


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こちらが、その木賊山です。
こちらも、前掛け・胴掛・見送りを2014年に修復しました。


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続いて、郭巨山が「寺町御池」交差点に入ってきました。
自分が、毎年粽を買っている山ですね。


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郭巨山をアップにしました。
中国人の郭巨とその子供の像がご神体です。
この後ここから金を掘り当てる故事なので、
こちらの山は金運のご利益があります。
粽には、紙製の小判が付いています。


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そして、担ぎ山の最後を飾る油天神山です。
ご神体は、火尊天満宮の祠です。
今は天神さんですが、元々こちらには愛宕神社がいらしたので
こちらも天神さんなのに「火除け」のご利益があります。


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油天神山が、寺町通を通り過ぎていきます。
見送りの富士山が、とても鮮やかです。


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ここから後は曳山と鉾だけなので、全て辻回しがあります。
そのため、ここからちょっとだけ停滞しました。
おまけに雨脚が少し強くなったので、帰られる方も出てきました。
(まだ傘無しでも、大丈夫なのですが)
その間隙に、油天神山の町衆さんが
小さな子供に粽を配っておられました。
ウチの母が、こんな話をしてくれました。
「昔は粽は買わずに、山鉾巡行でばら撒かれたものを拾っていた。
ただ、そうすると山鉾の隙間に沿道の方々が割り込んで危険なので、
今はこのように配ったり、会所で売ったりするようになった」


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ようやく、くじ取らずの「鉾6番」放下鉾がやって来ました。
「南京玉すだれ」などの芸をする放下僧の像がご神体です。


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放下鉾の稚児さんも、人形です。
こちらの人形の後ろに立つ町衆が、手を取って舞を舞わせています。


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放下鉾が、寺町通を通り過ぎます。
見送りのミミズクの絵が、勇壮ですね。


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次も、くじ取らずの岩戸山です。祇園祭前祭唯一の曳山ですね。
鉾のように大きいですが、「山」なので松の木が立っています。


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岩戸山の屋根の上に、神像が安置されています。
こちらは岩戸山ですから、田力男(たぢからお)でしょうか?


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こちらは、岩戸山の屋根の後部です。
見事な彫物ですが、日光東照宮のような「権現造」にも見えます。


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岩戸山が、寺町通を通り過ぎていきます。
こちらの見送りは2種類あるのですが、
ベネチアを描いた方は使われませんでした。


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そして、最後の船鉾が「御池寺町」交差点に入ってきました。
こちらは神功皇后がアマノトリフネに乗って、
朝鮮半島に攻め込む様子を描いています。


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こちらが、船鉾の櫓です。
他の鉾と異なり鉾先は付いていませんが、
祇園囃を演奏する囃手さんたちが乗られております。


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船鉾が、寺町通を通り過ぎます。
背後についている漆黒の舵が、この鉾の象徴ですね。


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これで、山鉾のすべてが寺町通を通り過ぎました。
その後にパトロールカーと信号機器を直すクレーン車が続きます。


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その直後に、信号が付いて規制線が取り除かれました。
自分も「御池河原町」交差点に戻り、
自転車に乗っていったん帰宅します。
その前に、マクドナルドに忘れた雨傘を取りにいかないと……

今回は、ここまでです。

~次回も、まだ祇園祭前祭の取材が続きます~

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第673回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その1

2019年も、いよいよ祇園祭が始まりました!
2019年の「京の道 今日の道」では、
宵山は2016年以来の後祭を取材します。
そういう年は、必ず前祭の山鉾巡行も取材するのですが……
2019年も朝から「河原町御池」交差点で取材しました。
梅雨とは思えない炎天下で、しっかり熱中症になりました……


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自宅から七条通に出て、(ちょっとマクドナルドに寄って)
川端通を鴨川沿いに北上して御池通で西に曲がりました。
こちらは、「河原町御池」交差点南東角の駐輪場です。
(京都市街地では、大きな交差点ごとに駐輪場があります)
ここに自転車を駐輪して、2019年祇園祭山鉾巡行取材を始めます。
撮影日は、2019年7月17日午前9時半。
場所取りのために、ちょっと早い目に来たのですが……


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駐輪場から、西を向きました。
向こう(西側)に「河原町御池」交差点が見えますが、
既にそこそこ混み合っています。
左(南)側の塀の向こうは改築中の京都信用金庫河原町支店ですが、
2018年後祭同様大量の水道水を提供されています。
(辻回しには、多量の水が必要です)
横断歩道の信号がなかなか変わりませんので、
目の前の階段を利用してZEST御池経由で北側に移ります。


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その階段を下りて、ZEST御池にやって来ました。
毎年祇園祭山鉾巡行期間中に、
「河原町御池」交差点の真下で「京都物産展」が開催されます。


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せっかく地下に寄ったので、交差点近くの地下にある
コンビニエンスストアに立ち寄りました。
取りあえず、こちらを購入しました。
何となく、熱中症対策の必要性を感じたからです。


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「河原町御池」交差点の地下から、交差点の北東角に向かって
こちらからZEST御池を出ます。
「東山茶寮」の暖簾が気になりますが、
今回は山鉾巡行がメインなので素通りします。


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先程の扉を北に出ると、この地下街は
京都ホテルオークラの地下とつながっています。
地下と言いましても、地上からの吹き抜けで明るいですね。
次は、こちらの階段で地上に上がります。


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先程の階段を上がり、地上に上がってきました。
この階段を上りきると、「河原町御池」交差点北東角です。


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御池通から、河原町通を北に向いています。
河原町通の左(西)側に、京都市役所が見えますね。
河原町通の右(東)側は、京都ホテルオークラです。
目の前の歩道が、いつも自分が山鉾巡行の取材をしている場所です。


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その歩道で、南を向きました。
ここからカメラを向けると、「河原町御池」交差点がよく撮れます。
この時点で、2019年7月17日水曜日午前9時40分です。


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ところが午前9時50分になると、
(車両通行止めが開始された時間です)
たくさんの方々が割り込まれてきました。
何か、早く来た意味がなくなってきました……


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さらに午前10時を回ると、2019年は
河原町通の車道に出る許可が下りました。
(毎年許可が下りるわけではありません)
このまま先程の位置にいても、人の頭で写真が撮れません。
自分も、車道に出ることにしました。
そして、2019年午前10時10分ごろ。
長刀鉾が、「三条河原町」交差点上に見えてきました。

これは、例年より約30分早いです。
もし例年通りの時間に来ていたら、
長刀鉾の辻回しは見逃していました……
(例年の午前10時40分ごろの光景です)


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たくさんの交通警察官が「河原町御池」交差点を取り締まる中、
祇園祭前祭山鉾巡行を先導されるパトカーが現れます。
その後ろに「祇園会」の幟、長刀鉾と続きます。


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河原町通を北上してきた先導パトカーが、御池通で西へ折れます。
祇園祭前祭の全ての山鉾が、この交差点をこのように曲がります。


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続いて、「祇園会」の幟が「河原町御池」交差点に入ってきました。
背後に、長刀鉾を引き連れていますね。


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「祇園会」の幟が御池通に去った後、
長刀鉾が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
少しずつ祇園囃の音色が、はっきり聞こえてきました。


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すると長刀鉾の下層部から竹の板を取り出された町衆が、
長刀鉾に先行して交差点中央に竹の板を並べだされました。
いつもは鉾が交差点に入ってから行われるのですが、
なぜか2019年は何事も手際がいいですね。


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長刀鉾が、敷かれた竹の板の辺りまでやって来ました。
曳き手の方々が、自分たちのいる場所辺りまで来られました。
この辺りから、祇園囃が激しいものに変わります。


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長刀鉾の上部を撮りました。
鉾に、生稚児さんが3人並んでいらっしゃいます。
各鉾のお稚児さんは、長刀鉾以外はいずれも人形です。


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だんだん長刀鉾の竹の板並べが、完成に近づいていきます。
それと同時に、曳き手の方々が御池通の方に移動されました。


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鉾の前で扇子片手に立たれている方々は、方向指示を行います。
長刀鉾の前に大きな扇子を持たれた方が立たれて、
方向指示をされる方々の音頭を取ります。
いよいよ長刀鉾の「辻回し」が始まります。


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大きな扇子を持たれた方の音頭に合わせて、
長刀鉾前面に乗られた方向指示をされる方々が、
独特の扇子の振り上げと共に掛け声を掛けられます。


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「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
独特の掛け声と直後に、曳き手の方々が御池通の西の方から
長刀鉾を一斉に引っ張ります。
これで長刀鉾が約30°回転しました。
このような祇園祭山鉾の方向転換を「辻回し」と言います。
これが、山鉾巡行の最大の見どころです。

祇園祭の山鉾は一気に90°曲がると倒壊してしまいます。
そのため、一度の辻回しに通常3回~6回同じことを繰り返します。
江戸時代の発明家平賀源内は祇園祭山鉾の修復を依頼された際、
板ばねなどを利用して「辻回し不要」の山鉾を製作したところ、
「これでは、つまらない」と京都の町衆から批判されて、
わざわざ辻回しが必要な山鉾に修理し直したたそうです。
「辻回し」は面倒ですが、この山鉾巡行の醍醐味でもあります。


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先ずは30°長刀鉾が曲がった後、車輪が滑りやすいように
竹の板を並べ直して大量の水を掛けます。
こういう晴れの日は車輪の滑りを増すように、
先程の京都信用金庫河原町支店から大量の水を運びます。


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大きな扇子を持たれた方の音頭で、また掛け声が掛かります。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」


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その掛け声とともに、曳き手の方々が長刀鉾を引っ張ります。
すると、さらに30°長刀鉾が曲がりました。
あと一回で、長刀鉾が90°曲がります。
2019年の辻回しは、例年以上に手際がいいですね。


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そして3度大きな扇子を持たれた方が、音頭を取られます。
長刀鉾の最後の辻回しが始まります。


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「河原町御池」交差点の長刀鉾の辻回しが、これで終わりました。
「辻回しは、3回がいちばん美しい」
と言われますが、ちょうど3回で回りました。


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「河原町御池」交差点の長刀鉾の辻回しは、約10分掛かりました。
長い年は30分以上かかる中で、これはとても早い方です。
扇子を持たれた方々が、「エイヤラヤ~」と掛け声をされます。
すると、長刀鉾の祇園囃が通常のものに変わります。


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辻回しを終えた長刀鉾が、御池通を西に進みます。
長刀鉾が「河原町御池」交差点から去り、
次の山が交差点に入ってきます。


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くじ取らす鉾1番の長刀鉾が去った後に、
2年連続で山1番くじを引いた蟷螂山が
「河原町御池」交差点に入ってきました。
そう言えば郭巨山や占出山など、
1番くじは2年連続で務める例が増えています。


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蟷螂山が、だんだん近づいてきます。
蟷螂山は牛車の上に蟷螂(かまきり)が乗った山で、
しかもこの蟷螂はからくり人形で、
この瞬間も4枚の羽根が動いていました。


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「河原町御池」交差点まで来た蟷螂山を
担ぎ手の皆さんが持ち上げられます。
いよいよ蟷螂山の辻回しです。


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蟷螂山の担ぎ手の皆さんは、西に向くと蟷螂山を降ろされます。
そして、そのまま御池通を西に去っていかれました。
まぁ小規模な担ぎ山は、辻回しもこんな感じです。


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山1番蟷螂山の次は、山2番の芦刈山です。
貧しさが理由で離婚した芦刈の翁が、
年を取ってから元妻と再会して、
大恋愛の末に再婚する歌謡「芦刈」から取材しています。
夫婦円満のご利益があるとされる山ですね。


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左手に刈り取った芦右手に釜を持つ翁像が、芦刈山のご神体です。
担ぎ手の皆さんが、「河原町御池」交差点の中心で
芦刈山を持ち上げられました。


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担ぎ手に持ち上げられた芦刈山が、約90°回転しました。
これで、御池通を西に進むと思いきや……
何とさらに回転されて、180°反対(南)側に向かわれました。
鉾や曳山と異なり多少辻回しが地味な担ぎ山の中には、
このようにくるくる回られる山もあります。
まぁ絡繰りのために相当重い蟷螂山には、絶対無理です。
(精密機械は、壊れないようにしないといけません)


673-38.jpg
そして芦刈山の担ぎ手の方々は360°回転した後、
さらに2周目の回転を始めました。
「河原町御池」交差点で山鉾巡行を眺めておられる方々は、
やんややんやの拍手喝采です。


673-39.jpg
さらに芦刈山の担ぎ手の方々は、3周目の回転に入られました。
沿道からは、さらに大きな拍手喝采です。


673-40.jpg
さすがに、4周目の回転はありません。
芦刈山は西を向く状態で地に着くと、御池通を西に去りました。
すぐ後ろに、山3番木賊(とくさ)山が待機しています。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回は、ここまでです。

~次回は、木賊山以降の函谷鉾や鶏鉾の辻回しを取材します~

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第674回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その2

674-1.jpg
京都市中京区にある「河原町御池」交差点で、
祇園祭前祭山鉾巡行を見物しています。
前回ブログでは山2番芦刈山まで取材しました。
今回ブログは、こちらの山3番木賊山以降を掲載します。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午前10時半。
例年よりも、ずっと早いペースで進みます。


674-2.jpg
木賊山は、天然の木賊(とくさ)を刈り
生計を立てる老人を描いています。
(謡曲「木賊」が元になっています)
ちなみに木賊はシダ科の植物で、漢方薬の材料です。

木賊山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
担ぎ手の皆さんが、力を合わせて木賊山を持ち上げられました。


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持ち上げられた木賊山が、西を向きました。
こちらの山は約90°回転した後、そのまま着地しました。
クルクル回るなどの即興は、無しです。
そして、そのまま「河原町御池」交差点を去ります。
その理由は、後述します。


674-5.jpg
続いて、くじ取らず(順番固定)の鉾2番函谷鉾の登場です。
「函谷」とは古代中国の洛陽長安との間にあった関所のことです。
……と書くと三国志が元と思われがちですが、史記が元ネタです。


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函谷鉾が、河原町通を北上しています。
鉾1番の長刀鉾同様、鉾が交差点に入る前から竹を並べています。
つまり、交差点に鉾が入る前から辻回しの準備に入ります。
ですから手前の担ぎ山は、「空気を読んで」
派手なパフォーマンスを行いません。
それが、先程の木賊山が淡々と辻回しを行った理由です。


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函谷鉾の正面を大写しにしました。
鉾なのでお稚児さんが乗っていらっしゃいますが、
こちらは「嘉多丸」という名の人形です。
函谷鉾は天明の大火でいったん焼失しましたが、
1833年に再興した際、それまでの生稚児(生身の人間)から
人形にお稚児さんを変更しました。
ちなみに、モデルは明治天皇皇后の兄一条実良の幼少時です。
お稚児さんを人形にしたのはこの函谷鉾が最初でしたが、
今では長刀鉾以外のお稚児さんは全て人形です。


674-8.jpg
函谷鉾が、「河原町御池」交差点中央に入ってきました。
「函」の紋が入った法被を着られた曳き手の方々が、
河原町通から御池通に移動されます。
いよいよ函谷鉾の辻回しの始まりです。


674-9.jpg
曳き手の皆さんが御池通に移動されたら、
鉾の前にいらっしゃる「音頭取り」の方々が掛け声を発せられます。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
そして、その「音頭取り」の方々が扇子を左に振り下ろされます。
すると曳き手の方々が、御池通から西側から函谷鉾を曳きます。


674-10.jpg
その結果、函谷鉾は約30°左折しました。
すると、さらに竹の位置を修正して先程と同じ作業を繰り返します。
辻回しではこれを何度も繰り返し、約90度まで左折させていきます。
わずか2分後、音頭取りの方々がまた掛け声を発せられます。


674-11.jpg
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々がまた扇を左に振ると、
曳き手の方々が御池通側から鉾を引っ張ります。
曳き手の方々は、「綱引き」をされているみたいです。


674-12.jpg
函谷鉾が、さらに約30°左折しました。
もう1回辻回しが、必要ですね。


674-13.jpg
辻回し用の竹は、約2分で敷き詰められました。
ここ10年、町衆の方々は手際がよくなられている気がします。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々はそう掛け声を掛けられて、扇を左に振られます。


674-14.jpg
その掛け声とともに曳き手の皆さんが、御池通側から曳かれます。
さらに30°、これで合わせて90°函谷鉾が左折しました。
この函谷鉾の辻回しも、長刀鉾同様約10分で終了しました。
以前の辻回しは、下手したら約30分掛かっておられたので、
全体的に辻回しの手際がよくなられているのでしょうか?


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辻回しの使用される竹をすべて鉾の下層部に収納して、
音頭取りの方々の「エイヤラヤ~」の掛け声がかかり、
函谷鉾が御池通を西に進みます。


674-16.jpg
そして、函谷鉾が「河原町御池」交差点を去ります。
毎年自分はこの函谷鉾の辻回し中に、
「寺町御池」交差点へ移動して撮影していたのですが、
(「寺町御池」交差点の方が、山鉾がよく見えます)
2019年は辻回しに拘るので「河原町御池」交差点から移動しません。


674-17.jpg
函谷鉾の後は、山4番の郭巨山です。
2012年と2013年の山1番ですね。
自分が毎年粽を求めている山でもあります。

「郭巨」とは昔ばなしに出てくる中国の農民のことで、
謡曲「郭巨」の主人公です。
息子と山奥へ向かった郭巨は、黄金入りの釜を地中から堀出します。
ですから、別名「釜堀山」(かまほりやま)です。
息子の機転で黄金を郭巨が見つけたので、
親孝行・金運・商売繁盛を司る山です。
その関係で、毎年ウチの母の店先にこちらの粽を吊るしています。


674-18.jpg
郭巨山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
ご神体の郭巨と息子の人形が、しっかり見えますね。
いよいよ郭巨山の担ぎ手の皆さんが、山を持ち上げられました。


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郭巨山も約90°左折して、そのまま地面に下ろされます。
実はもう次の鉾が「河原町御池」交差点に迫っておりまして、
この渋滞では派手なパフォーマンスも難しいですね。
2019年前祭の山鉾巡行は、例年になく急いでおります。


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続いて、傘鉾1番の綾傘鉾の登場です。
2つある傘鉾のうち、綾小路沿いの大原神社を会所とする方ですね。
(大原神社の詳細は、第579回ブログ参照)
傘鉾はどちらも曳き手をあまり必要としないのですが、
その分随行者の数が相当多いのが特徴ですね。


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綾傘鉾の随行者の方々が御池通に去られて後、
束帯姿に仮面を付けた男性が、
「河原町御池」交差点中央に進み出られました。


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その男性の片手には、長い木の棒があります。
こちらの方が、その棒を振り回されました。
背後に囃手の方々がいらして、
祇園囃の曲調に合わせてこちらの方が棒を振り回されます。
こちらは「棒振り踊り」と言われるもので、
毎年山鉾巡行の際に各交差点で1曲踊られます。

四条傘鉾も棒振り踊りは存在するのですが、
棒の形や踊りの振り付けが綾傘鉾と全く違います。


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1曲終わるとこのポーズのまま、
こちらの仮面の方が御池通に去っていかれました。
すると、囃手の方々も御池通に去っていかれました。


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綾傘鉾には踊り手と同じ扮装をされている方がいらっしゃいますが、
こちらはそのまま「河原町御池」交差点を左折されます。
相当ハードな踊りなので、交差点ごとに交互に踊られるのでしょう。


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さて、綾傘鉾の辻回しですが……
傘鉾の下には多少大きめのタイやが付いていまして、
担ぎ手の皆さんが担ぐ必要すらありません。
綾傘鉾を押したまま、御池通に去っていかれます。


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ただ綾傘鉾は約35年前に復活された際に、2基製作されました。
ですから1基目が御池通に去った後、
もう1基が御池通に去っていかれます。

当初はもっと長く続けようと思っていたのですが、
諸事情で短めの記事を何回かに分けて連載することにしました。
よって、今回はここまでです。

~次回は、山5番伯牙山以降を記事にします~

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第675回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その3

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「河原町御池」交差点に、山5番伯牙山が入ってきました。
古代中国で箏の名人だった伯牙が、
彼の箏のいちばんの理解者だった友人の死に際し、
その悲しみから愛用の箏を斧で叩き割った故事に取材しています。
別名が、「箏挽き山」です。
また、会所が重要文化財の杉本家です。
今回は、この伯牙山以降の山鉾巡行を取材しました。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午前10時45分。
そろそろ熱中症が、気になりだします。


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伯牙山の担ぎの皆さんが、伯牙山を持ち上げられます。
友人の死による悲しみを表しているので、
ご神体の伯牙像の表情が苦悶で歪んでいますね。


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伯牙山も約90度左折した時点で、地面に下ろされました。
そして、伯牙山は御池通に消えていきます。
そう言えば、第673回ブログの芦刈山以来
派手なパフォーマンスをする担ぎ山はありません。


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そして、鉾4番菊水鉾が「河原町御池」交差点に入ってきます。
京都市中京区室町通四条上がるこちらが立ちますが、
元々この地にあった井戸「菊水の井」が、名称の由来です。
中国の故事や日本の昔ばなしからの取材ではありません。


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「河原町御池」交差点に、菊水鉾に先行して竹が並べられます。
そう言えば、菊水鉾の音頭取りは扇ではなく
独特の形状の団扇を持たれていますね。


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菊水鉾の曳き手の皆さんが、自分たちの目の前まで来られました。
菊水鉾が交差点の中央まで来ましたので、
曳き手の皆さんは御池通に回られます。
背中の「菊水」の文字が、粋ですね。


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曳き手の皆さんが御池通に移動されて、すぐに辻回しが始まります。
音頭取りの扇に合わせて、曳き手の皆さんが菊水鉾を引っ張ります。

この角度なら菊水鉾の中がよく見えますが、
前には少年で不老不死となった菊慈童の人形がいらっしゃいます。


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菊水鉾の1回目の辻回しが終わり、
町衆の皆さんがまた竹を地面に敷き詰め直されています。


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「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
菊水鉾の2回目の辻回しが始まります。
その掛け声に合わせて、曳き手の皆さんも力が入ります。


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辻回しで、菊水鉾がさらに約30°左折しました。
早速、町衆の皆さんが竹の並べ直されています。
あと1回で、菊水鉾の辻回しも完了するでしょうね。


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竹を並べるのに、約2分で完成しました。
すると、音頭取りの方々が扇を振ります。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳き手の皆さんが菊水鉾を引っ張ります。


675-12.jpg
すると、菊水鉾がさらに約30°左折しました。
これで、菊水鉾が約90°の左折が完了しました。
地面の上に並べられた竹が、鉾の下層に収納されます。


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菊水鉾の竹の収納が、終了しました。
すると、音頭取りの皆さんが先程の異なる掛け声をされます。


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「エイヤラヤ~」の音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
菊水鉾が御池通を西に進み始めました。
やがて、菊水鉾は「河原町御池」交差点から姿を消しました。


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続いては、山6番の油天神山の登場です。
油小路沿いの風早町にいらっしゃる火尊天満宮が、ご神体です。
祇園祭の山鉾の中には、町内にいらっしゃる小さな神社を
ご神体とするケースがいくつか見受けられます。
こちらも、そのケースのうちの1体です。


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油天神山が、「河原町御池」交差点中央に差し掛かります。
すると、担ぎ手の皆さんが油天神山を持ち上げられます。


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約90°左折して、担ぎ手の皆さんが油天神山を下ろされます。
そして油天神山は御池通を西に進み、交差点から立ち去ります。


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さらに、山7番太子山がやって来ました。
「太子」とは聖徳太子のことで、こちらのご神体も聖徳太子像です。
「学力向上」のご利益があるとされる山なので、
受験祈願の絵馬が会所にたくさん飾られます。
祇園祭の「山」には通常松の木が使用されますが、
太子山のみ杉の木が使われています。


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「河原町御池」交差点に、太子山が入って来ました。
すると、担ぎ手の皆さんが太子山を持ち上げられて
そのまま交差点を左折されます。


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太子山の後から、荷茶屋(にないじゃや)が続きます。
いつも太子山の会所の前に、二つ並べて置かれていますね。
(第582回ブログを参照)
太子山が巡行する際に必要なものが、中に入っています。


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続いて、山8番保昌山の登場です。
激しい求婚の末、絶世の美女と呼ばれた和泉式部と結婚した
平安時代の武将平井保昌がご神体です。
そのため、恋愛成就のご利益があるとされています。


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保昌山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
すると担ぎ手の皆さんが、保昌山を持ち上げられました。


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約90°左折されて、保昌山が地面に下ろされました。
保昌山も御池通を西進して、「河原町御池」交差点を立ち去ります。


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続いては、鉾5番鶏鉾が「河原町御池」交差点に登場しました。
祇園祭山鉾の中で、自分が唯一由来を知らない鉾です。
確か沿革は諸説あって、定説はありません。


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鶏鉾の前部を大写しにしました。
鶏鉾にも稚児人形がいらっしゃいますが、
こちらには特に名前が無いようです。
ただ、口許が笑っているのが印象的ですね。


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鶏鉾が、「河原町御池」交差点中央まで入ってきました。
「鶏」の法被を着こなされている曳き手の皆さんが、
西側の御池通の方に移動されます。


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その直後に、鶏鉾の竹が交差点の地面に敷き詰められました。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、鶏鉾の辻回しが始まります。


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鶏鉾の曳き手の皆さんが御池通から引っ張ると、
鶏鉾が約30°左折しました。
2019年の辻回しは、どの鉾も上手に回されます。


675-29.jpg
鶏鉾の竹は地面に敷き詰める作業はとても早くて、
自分がカメラを下ろしてすぐに2回目の辻回しが始まります。
音頭取りの方々が、掛け声とともに扇を振られます。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」


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2回目の辻回しで鶏鉾が約90°左折したように見えますが、
本当はこの写真は3回目の辻回し終了直後のものです。
結構辻回しの間隔が短いので、撮り損ねてしまいました……


675-31.jpg
そして、「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、鶏鉾が西進します。
これで鶏鉾まで辻回しが終了してしまいましたが、
まだまだ辻回しを終えていない山鉾がたくさんあります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、山9番白楽天山以降の辻回しの様子を載せます。
祇園祭の辻回しは、あと何回か掲載します~

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第676回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その4

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相変わらず「河原町御池」交差点から、
祇園祭前祭山鉾巡行の様子を撮り続けています。
山鉾巡行も、ようやく後半に入ってきました。
鉾5番鶏鉾の後ろに、山9番白楽天山が控えております。
今回は、この白楽天山以降の山鉾巡行を掲載します。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午前11時45分。
強い日差しの中、熱中症になりそうです。


676-2.jpg
こちらが、山9番の白楽天山です。
「白楽天」とは、中国3大詩人の一人白居易のことです。
代表作「長怨歌」は漢詩としても見事ですが、
死後の楊貴妃を表記した面もあるので、
小野篁のように「死後の世界に自由に行けた」との伝説もあります。
こちらの山は、その白居易と道林との禅問答を表しています。


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白楽天山が、担ぎ手の皆さんによって持ち上げられました。
そして約90°左折した後、白楽天山が地面に下ろされる……
……こともなく、そのまま回転し続けます。
実はこの白楽天山の辻回しは、毎年必ずクルクル回ります。
私見ですが、白楽天山はとてもお茶目です。
まぁこの後の放下鉾以降がだいぶ遅れ気味だそうで、
ちょっと時間に余裕があるそうなのですが……


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白楽天山が、ほぼ360°回転しました。
この角度なら、ご神体の白楽天像と道林像がはっきり見えますね。


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白楽天山がさらに約90°回転しました。
御池通を西に向いたのですが……白楽天山の回転は止まりません。
白楽天山の回転は、2周目に入ります。


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白楽天山が、さらに約180°回転しました。
毎年のようにこういうことをされているせいか、
白楽天山の担ぎ手の皆さんの足腰はまだしっかりされています。


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そのこともあってか、白楽天山は2周目が終わっても回り続けます。
白楽天山の回転は、いよいよ3周目に入ります。


676-8.jpg
そしてさらに1周回ったところで、白楽天山の担ぎ手の皆さんは
この白楽天山を地面に下ろされました。
2019年の白楽天山は、合計3周しました。
実は、白楽天山は毎年この交差点で3周回られます。


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続いては、傘鉾2番四条傘鉾の登場です。
「四条」の名の通り、会所は四条通西洞院西入にあります。


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第674回ブログ同様多くの随行者が去られた後、
囃手の皆さんが祇園囃を演奏されています。
囃手さんの真後ろから2人組の棒を持たれた方々が、
2本の棒を交差させて絡ませながら踊られています。
四条傘鉾の棒振り踊りは、いったんは廃れました。
そこで「四条傘鉾の棒振り踊りを元にしている」と伝えられていた
滋賀県甲賀市土山にいらっしゃる神社に残された踊りを参考に
近年(約40年前?)復興されたそうです。


676-11.jpg
綾傘鉾同様に、四条傘鉾の辻回しも一瞬で終わります。
車輪と言いますか、タイヤが付いてますので
むしろ持ち上げて辻回しをする必要がありません。


676-12.jpg
さらに、山10番孟宗山です。
孟宗三国志にも登場する呉末期の文官ですが、
母親思いの「孝行息子」として日本・中国・韓国で有名ですね。
孟宗が母のために深雪の中で筍を採りに行く故事を元にしています。


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孟宗山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが孟宗山を持ち上げられます。


676-14.jpg
孟宗山は約90°左折して、そのまま地面に下ろされます。
平山郁夫画伯による「月夜の砂漠とラクダ」を描いた胴掛が
鮮やかで見事でありますね。


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そして、鉾6番月鉾の登場です。
月を司る月読命を祀る鉾で、祇園祭の山鉾としては最大です。


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こちらは、月鉾の先端部分月型です。
見事な三日月を模っていますね。


676-17.jpg
月鉾が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
鉾の中央に、於兎麿(おとまろ)と言う名の人形が
お稚児さんとして乗っておられますね。


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月鉾が、「河原町御池」交差点の中央で停止しました。
すると、月鉾の曳き手の皆さんが御池通に移動されます。


676-19.jpg
曳き手の皆さんが御池通に向かわれた直後に、
月鉾の辻回しが始まります。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
の音頭取りの方々の掛け声の後、
御池通側から、曳き手の皆さんが月鉾を引っ張られます。


676-20.jpg
月鉾の初めの辻回しの際、ちょっと嫌な音がしました。
多分竹の何本かが、裂けたり折れたりしました。
まぁ鉾が転倒したわけではないですし、
竹を入れ替えてこの直後に2回目の辻回しが始まります。


676-21.jpg
月鉾の2回目3回目の辻回しはとても早く、
自分が写真撮影の準備をしている間に終わってしまいました……
(その分の写真がありません)
やがて辻回しを終えた月鉾は「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
音頭取りの方々の合図で御池通を西に進みます。


676-22.jpg
続いては、山11番山伏山の登場です。
平安時代前期の山伏浄蔵貴所をモデルにした山です。
八坂の塔の傾きを念力で直したという伝説がある方ですね。


676-23.jpg
山伏山が、「河原町御池」交差点の中央に入ってきました。
すると担ぎ手の皆さんが、山伏山を持ち上げられました。


676-24.jpg
山伏が、約90°左折しました。
……ところが、山伏山はさらに回り続けます。
山9番白楽天山に続いて、山伏山もクルクル回転し始めました。


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山伏山がクルクル回転しております。
こういうパフォーマンスはただ派手なだけでなく、
胴掛や見送りなどが見えますし、ご神体の全体像もよく見えます。


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山伏山は御池通を西に向くと、地面に下ろされ御池通を進みました。
さすがに、2周目には入られませんでした。


676-27.jpg
さらに、山11番占出山がやって来ました。
2014年と2015年の山1番ですね。
神功皇后新羅に攻め込む際、鮎釣で戦勝祈願と占いを行いました。
日本ではアユを釣って戦争の結果を占ったので、
「鮎」と書いて「アユ」を意味します。
ちなみに、中国語では鮎は「ナマズ」を差します。
ですから、妙心寺塔頭の退蔵院所蔵「瓢鮎図」とは
「ヒョウタンナマズ」を描いた絵のことです。


676-28.jpg
「河原町御池の」交差点の中央に、占出山が入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが占出山を持ち上げられました。
神功皇后をご神体とするのは次回ブログに出てくる船鉾と
後祭の大船鉾がありますが、
外から神功皇后のお姿を拝見できるのは占出山のみです。


676-29.jpg
占出山は約90°左折すると、そのまま地面に下ろされました。
そして、そのまま御池通を西進されました。


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そして、山12番霰天神山の登場です。
こちらが、2019年前祭山鉾巡行の担ぎ山の最後尾です。
こちらも油天神山同様町内の小さな神社がご神体ですが、
天明の大火の際、突然降った霰(あられ)のせいで
神社周辺のみ焼け残ったことから、火事除けのご利益があります。
京都の町家では「火事除け」に愛宕神社のお札を台所に貼りますが、
ウチの台所のように霰天神山のお札を貼る町家もあります。


676-31.jpg
霰天神山も交差点中央で担ぎ手の皆さんが持ち上げられると、
約90°左折して地面に下ろされました。
直後に、「遅れ気味」と言われた放下鉾が続いていますね。
ちなみに後続の山鉾は、放下鉾も合わせて残り3基です。
しかも、全て「くじ引き取らず」(順番が固定)です。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回で、2019年前祭山鉾巡行取材を終えます~

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第677回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その5

676-31.jpg
「河原町御池」交差点からの祇園祭前祭山鉾巡行取材も、
もう5回目の記事となりました。
山12番霰天神山の後は、残り3基ですね。
どれも「くじ引き取らず」(順番固定)の大型の鉾と曳山ばかりです。
今回残りの3基の取材をして、2019年山鉾巡行の連載を終えます。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午後0時15分。
もうだいぶ暑くなってきました。


677-2.jpg
霰天神山の直後は、鉾6番「くじ引き取らず」の放下鉾です。
「放下」とは大道芸をしながら全国行脚した放下僧のことで、
こちらはそちらをモデルにした鉾です。


677-3.jpg
放下鉾が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
曳き手の皆さんが、交差点北側にいる
自分の目の前に迫って来られました。


677-4.jpg
放下鉾の前面を大写しにしました。
こちらのお稚児さんも人形で、「三光丸」という名前です。
三光丸は浄瑠璃の人形のように、数人の方々に支えられています。



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後ろで支える方々の手によって、三光丸はずっと動かされています。
三光丸は絶えず舞い続ける稚児人形で、
ある意味稚児人形の中ではもっともよく知られています。


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「河原町御池」交差点上に竹が敷き詰められ、
曳き手の皆さんも、御池通に移動されました。
すると、音頭取りの皆さんが掛け声を掛けられます。


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「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々の掛け声と同時に、放下鉾が約30°左折しました。
1度目の辻回しが終わると、すぐに竹の位置が直されます。
そして、程なく2回目の辻回しが始まります。


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2回目の辻回しで、放下鉾はさらに約30°左折しました。
すると、竹が敷き詰められ直して3回目の辻回しが始まります。
交差点の地面が水浸しですが、辻回しの際
滑りをよくするために竹の上に大量の水が掛けられます。
乾いた空気の中ある程度は蒸発していますが、
その水の残りが地面を濡らしています。


677-9.jpg
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
放下鉾はさらに約30°左折しました。
これで合わせて、放下鉾は約90°左折しました。


677-10.jpg
こちらは、放下鉾の下層部です。
袋状になっていて、こちらに辻回しに使用された竹を収納します。


677-11.jpg
「エイヤラヤ~」との音頭取りの方々の掛け声とともに、
放下鉾が西に進みます。
そして、その直後に曳山の岩戸山が見えますね。


677-12.jpg
祇園祭前祭唯一の曳山で、くじ引き取らず(順番固定)の
岩戸山が「河原町御池」交差点に入ってきました。
「曳山」なので「担ぎ山」より大きくて辻回しが必要ですが、
あくまで「山」なので尖塔部分が鉾ではなく松の木です。

岩戸山は、天岩戸伝説を元にしています。
祇園祭を主催する八坂神社の主神は素戔嗚尊であったり、
牛頭天王であったりします。
(素戔嗚尊が八坂神社のご祭神になったのは、明治時代以降)
どちらも厄病神で、疫病をまき散らし多くの人を殺す神様です。
天岩戸伝説は結局のところ、悪行の限りを尽くした素戔嗚尊を
高天原から追放する話です。
平安時代初期に流行した天然痘を鎮める目的で始まった祇園祭で、
厄病神を追放する神話を取材した岩戸山を
最後から2番目に順番を固定して巡行させるのは、
毎年見ていて何か呪術的な意味を想像します。


677-13.jpg
岩戸山の上部を写しています。
屋根方の方々と一緒に、天手力男像がいらっしゃいます。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れられた天岩戸を
強引にこじ開けた力自慢の神様ですね。


677-14.jpg
「河原町御池」交差点の地面に、竹が敷き詰められました。
岩戸山の曳き手の皆さんも、御池通に移動されました。
すると、音頭取りの皆さんの掛け声とともに
岩戸山の辻回しが始まります。


677-15.jpg
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」の掛け声の後、
御池通にらっしゃる曳き手の皆さんが、岩戸山を引っ張ります。
すると、岩戸山が約30°左折しました。
これが、1回目の岩戸山の辻回しです。


677-16.jpg
敷き詰められた竹の位置を直して、
すぐに岩戸山の2回目の辻回しが始まります。
音頭取りの皆さんが扇を振り回し、掛け声を掛けられます。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」


677-17.jpg
2回目の辻回しで、岩戸山はさらに約30°左折しました。
岩戸山は、もう1回辻回しが必要ですね。


677-18.jpg
「河原間御池」交差点上の竹が、再び敷き詰められ直しました。
音頭取りの皆さんが扇を振り上げられ、三度辻回しが始まります。


677-19.jpg
岩戸山が3度目の辻回しを行い、さらに約30°左折しました。
これで、合わせて約90°岩戸山が左折したことになります。


677-20.jpg
こちらは、岩戸山の下部です。
袋状になっていて、こちらに辻回しで使われた竹を収納します。


677-21.jpg
岩戸山の町衆の皆さんが、交差点に残る竹を回収しました。
音頭取りの皆さんの「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
岩戸山が御池通を西に去っていきました。
そして、祇園祭前祭山鉾巡行最後尾の船鉾が登場です。
(もちろんくじ引き取らずの順番固定です)


677-22.jpg
船鉾がまだ「河原町御池」交差点に入る前から、
辻回しのための竹が並べられていきます。
2019年の辻回しは、どちらも手際がいいですね。


677-23.jpg
船鉾が「河原町御池」交差点中央に来ると、
音頭取りの方々の合図で停止ました。
そして、曳き手の皆さんが御池通に移動されます。

船鉾は、神功皇后新羅に攻め込んだ際、
乗っていた船天鳥船神を表しています。
(ちなみに新羅に向かう船が「船鉾」で、
新羅から帰還した船が後祭の「大船鉾」です)
ですから船の形の鉾なのですが、きちんと鉾の形式も残しています。
舳(船の先頭部分)には、鷁(げき)という
架空の水鳥を付けています。


677-24.jpg
準備が良かったこともあって、「河原町御池」交差点の竹は
数分もしないうちにきちんと並べられました。
そして、音頭取りの方々の扇が振り上げられます。


677-25.jpg
「よ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、
御池通に回られた曳き手の皆さんが一斉に船鉾を引っ張ります。
すると、竹の上を滑った船鉾は約30°左折しました。


677-26.jpg
船鉾の1回目の辻回しが終わり、すぐに竹が並べ直されます。
その際手前に見える桶を使って大量の水が運ばれますが、
その水は「河原町御池」交差点南東角の
改築工事中の京都信用金庫河原町支店から運ばれます。


677-27.jpg
そして、その直後に竹が敷き詰め直されました。
2回目の船鉾辻回しが始まります。


677-28.jpg
2回目の船鉾の辻回しでも、約30°左折しました。
さらにすぐに交差点上の竹が並び直され、
3回目の船鉾の辻回しが始まります。


677-29.jpg
3回の辻回しを経て、船鉾は約90°左折しました。
これで辻回しが終了したので、
船鉾下層部に、今まで使っていた竹を収納します。

……この角度なら、横縞の船鉾胴掛が見えますね。
(後祭の大船鉾なら、縦縞の胴掛)
さらに大船鉾と異なるのは、舵が黒漆で塗られていることです。
(大船鉾は、赤漆で塗られています)
ちなみ、船尾の部分にご神体の神功皇后像がいらっしゃいます。


677-30.jpg
音頭取りの方々の「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
船鉾が御池通を西に進みます。


677-31.jpg
祇園祭前祭の全ての山鉾巡行が、これで終了しました。
最後にもう1枚船鉾を撮ろうとしたら、
手前にいらしたおそらくプロのカメラマンが
突然自分たち後方の人々をかき分けて帰られたので、
こんな1枚しか撮れませんでした。
取りあえず、船鉾が「河原町御池」交差点から去っていきます。


677-32.jpg
船鉾が「河原町御池」交差点を去った後、
1台の警察車両が通り過ぎます。
船鉾の後方から、交通整理を行っています。


677-33.jpg
その直後、河原町通の車道に引かれた規制線が解除されます。
この瞬間、自分たちは車道から歩道へ移動を強いられました。
(もうすぐここに、普通車両やバスが通過します)


677-34.jpg
そして、祇園祭前祭山鉾巡行の最後尾が通過します。
こちらの特殊車両は信号機の位置を直したり、
信号機を点灯させたりするためのものです。
事実この車両の直後から、交通規制が解除されました。


677-35.jpg
「河原町御池」交差点の信号機が再点灯されて、
交差点が通常運転に戻りました。
……と思ったのですが、
船鉾はまだまだ寺町通付近でうろうろされています。
とは言え、自分は横断歩道を渡って自転車置き場に戻り
そこから自転車で帰宅しました。

これで、2019年祇園祭前祭山鉾巡行の連載を終えます。

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第856回 長刀鉾の注連縄切り~祇園祭前祭山鉾巡行~その1

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前回ブログで11回続いた祇園祭前祭宵山散策も終えましたが、
2022年は祇園祭の他の行事も掲載予定です。
そこで今回から、2022年祇園祭前祭山鉾巡行の模様を連載します。


856-1.jpg
京都駅から市営地下鉄烏丸線に乗って、2駅。
「四条」駅で降りて、そのまま地下道を約100m北上します。
そして「四条烏丸」交差点地下の「烏丸」駅から、
阪急電車を1駅だけ乗りました。
こちらは、阪急電車京都線の終点「河原町」駅です。
今回はこのまま地上に上がり、四条通沿いで山鉾巡行を見物します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前8時半。
自分の2代目デジタルカメラが、写り込んでいますね。


856-2.jpg
阪急電車の特急から降りて、「河原町」駅のホームに出ました。
日曜日の朝にしては乗降者が多いのですが、
たぶん自分と同じ目的なのでしょうね。


856-3.jpg
先程のエスカレーターに乗って、
阪急電車「河原町」駅のコンコース階に上がってきました。
では、目の前の改札口から阪急電車「河原町」駅を出ます。


856-4.jpg
阪急電車「河原町」駅を出て、地下道を南に向いています。
5番出口は、「四条河原町」交差点南西角に建つ京都高島屋
地下でつながっています。
開店まで1時間以上ありますので、
まだそこまで賑やかではありません。


856-5.jpg
京都高島屋の前で、地下道を西に向いています。
この地下道は、四条通の地下を約1㎞先の室町通まで続きます。


856-6.jpg
京都高島屋から、四条通の地下を50m西に進みました。
目の前に、「6番出口」の看板があります。


856-7.jpg
先程の位置で、地下道を北に向きました。
では、こちらの階段から地上を目指します。


856-8.jpg
先程の階段を上って、地上に上がってきました。
地上に出ると、京都随一の繁華街「四条河原町」交差点の西側です。
普段なら、人と自動車でかなり賑やかになるのですが……


856-9.jpg
四条通はすでに車両通行止めで、自動車は1台も通っていません。
また京都を挙げての祭事ですから、車道に垂れ幕が張られます。


856-10.jpg
6番出口から、四条通を東に向いています。
約100m先が、京都随一の繁華街「四条河原町」交差点です。
普段はとても賑やかな場所ですが、この瞬間はとても静かでした。
(普段の「四条河原町」交差点は、第600回ブログ参照)


856-11.jpg
今度は6番出口から、四条通を西に向きました。
今回は、こちらを進みます。


856-12.jpg
6番出口から、約20m四条通を西に進みました。
四条通の南側に、八坂神社のお旅所がいらっしゃいます。
山鉾巡行の後八坂神社のご神体がお神輿に乗り、
こちらの社まで来られます。
山鉾巡行中は、各山鉾町の氏子衆が参拝に来られます。


856-13.jpg
この脇の「四条寺町」交差点の信号が、撤去されていました。
……と言いましても、信号を支える鉄柱を
アーケードの上に曲げるだけです。
実は四条通の信号は、元々そのように曲がる仕様です。


856-14.jpg
その時プロペラ音がしたので、四条通から空を見上げました。
ヘリコプターが、1台飛んでいました。
地元民放局のKBS京都が山鉾巡行を生放送していますし、
それをBS11などが全国に流していました。


856-15.jpg
八坂神社お旅所前から約20m西に移動し、
「四条寺町」交差点上にいます。
今回の山鉾巡行はお旅所前で取材する予定ですが、
今から始まる祭事がその位置から視えませんので、
もう少し四条通を西に移動します。


856-16.jpg
「四条寺町」交差点から西に約50m移動し、
「四条御幸町」交差点から四条通を西に向いています。
今回ブログでは、この位置から神事を取材します。


856-17.jpg
では今回ブログでは「四条御幸町」交差点から四条通を西に向き、
「四条麩屋町」交差点付近を撮ります。
「四条麩屋町」交差点の少し東側に、
これから始まる神事のための注連縄が張られました。



856-18.jpg
さらに注連縄が、高い位置に張られていきます。
そうこうしているうちに、だんだんと長刀鉾が近づいてきます。
2022年7月17日日曜日午前9時。
いよいよ祇園祭前祭山鉾巡行が始まります。


856-19.jpg
前祭も後祭も、祇園祭山鉾巡行の先頭は警察車両です。
こちらのパトロールカーが東に進み、
自分が立つ御幸町通を通り過ぎていきます。


856-20.jpg
長刀鉾が、だんだん「四条麩屋町」交差点に近づいてきます。
すると自分の前にいらした方々が突然脚立を立てて、
何人かがその上に乗り出されました。
自分にとっては大きな障壁が急に立ちはだかったのですが、
今更ここから移動することはできません。


856-21.jpg
そこで自分はカメラを構える角度を上げて、ズームします。
上手くいけば、目の前の方々の頭の隙間から撮れます。
まぁ10年以上祇園祭の取材をしていれば、
こういうことにも慣れてきますので……


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長刀鉾は、「四条麩屋町」交差点上で停止されます。
すると注連縄が、長刀鉾の前に掛かります。


856-23.jpg
長刀鉾の上には、囃子方(祇園囃子の演奏者)約30人と
生稚児3人が同乗されています。
長刀鉾による祇園囃子の演奏が続く中、
中央の生稚児さんが立ち上がられました。


856-24.jpg
そして、いったん生稚児さんが長刀鉾の奥に引き籠られます。
すると、長刀鉾の氏子衆がこれから始まる神事に準備を始められます。


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長刀鉾の上にまな板が置かれ、生稚児さんが再登場されます。
ここから、長刀鉾による「注連縄切り」神事が始まります。


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……と思ったら、まだ準備が残っていたようです。
注連縄とまな板の間に、氏子衆が半紙を挟まれました。


856-27.jpg
生稚児さんがまたまた登場されて、今度こそ神事が始まります。
ここからは生稚児さんの後ろに氏子衆の一人が立たれ、
浄瑠璃人形のように生稚児さんが操られる程を取られます。


856-28.jpg
まずは、生稚児さんが日本刀を頭上に翳されます。
サイズが子供用ではありますが、立派に反りあがった刀ですね。


856-29.jpg
そして生稚児さんが、刀の束を右手に鞘を左手に持たれます。
氏子衆が操る程ですが、あくまで生稚児さん自身が動かれています。


856-30.jpg
そのまま生稚児さんは左手を動かして、刀から鞘を引き抜かれます。
腰に帯刀されていませんので、鞘から刀を抜かれていません。


856-31.jpg
自分はこのまま注連縄を切られると思っていたのですが、
実はここから抜身の刀を持ち、そのまま舞を舞われます。


856-32.jpg
つまり祇園囃子に合わせて、生稚児さんの身体が左右に揺れます。
ゆっくりですが、これも剣舞ですね。


856-33.jpg
そして生稚児さんが右手に日本刀を持ち、大きく構えられました。
さらに、ここで軽く見栄を切られました。


856-34.jpg
生稚児さんが、日本刀を両手で持たれます。
そして、日本刀を振り下ろされました。


856-35.jpg
「トン」と音を立てて、注連縄が切られました。
すると、切れた注連縄が両端に落ちていきます。
厳密にはこの「注連縄切り」の神事で、
祇園祭前祭山鉾巡行が始まります。


856-36.jpg
すると、氏子衆が背後から刀の鞘を手渡されます。
生稚児さんは抜身の刀身を鞘に宛がわれます。


856-37.jpg
そして生稚児さんが、日本刀の刀身を鞘に戻されました。
さらに、また軽く見栄を切られました。


856-38.jpg
これで、長刀鉾の「注連縄切り」の神事が終わりました。
長刀鉾は、再び東に向けて動き出します。
そして長刀鉾に続き、様々な山鉾が順番にやって来ます。


856-39.jpg
「四条御幸町」交差点で、四条通を東に向いています。
長刀鉾が通るので、車道にいらっしゃる方々は
この後すぐに歩道に上がらなければなりません。


856-40.jpg
「四条御幸町」交差点から、四条通を東に約70m戻りました。
要するに、八坂神社お旅所の前ですね。
ここからは、この位置から山鉾巡行を見物します。
とは言えだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は長刀鉾が八坂神社お旅所の前を再び通り過ぎ、
その後次々山鉾が巡行していきます~

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 第857回 山1番は孟宗山~祇園祭前祭山鉾巡行~その2

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856-40.jpg
前回ブログで長刀鉾の「注連縄切り」の神事も終わり、
祇園祭前祭山鉾巡行もゆっくり四条通を東に進みます。
今回はここ「四条寺町」交差点東の八坂神社お旅所前で、
その山鉾巡行を見物します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前9時15分。
この日は、なかなかの炎天下でした。


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先程と同じ位置で、四条通沿いを見ています。
「祇園会」と書かれた幟が、四条通を東に進みます。
祇園祭山鉾巡行など京都市街地を練り歩く祭事の場合、
最初に先導のパトロールカーが通り過ぎ、
(パトロールカーはー、前回ブログで通過)
次に祭事名を書いた幟が通過するのが通常です。


857-2.jpg
「祇園会」と書かれた幟に続いて、今度は手荷物が通過します。
こちらの中身は想像できますが、実際のところは分かりません。


857-3.jpg
八坂神社お旅所の前で、四条通を西に向いています。
だんだん長刀鉾が、「四条寺町」交差点に近づいてきました。
写真の枚数はそこそこ費やしたのですが、
前回ブログの注連縄切り神事からまだ1分くらいしか経っていません。
「四条御幸町」交差点から小走りで約50m移動して、
長刀鉾を追い抜いて撮影しています。
(通常山鉾は、人が歩く速さで移動します)


857-4.jpg
……という訳で、前回ブログに引き続き長刀鉾の再登場です。
注連縄切り神事の関係もあって、
長刀鉾は必ず前祭山鉾巡行の先頭を進みます。


857-5.jpg
長刀鉾が八坂神社お旅所の前を通過する間、
長刀鉾に随行される鉾町の町衆が、お旅所に参拝されます。
その中心に、伊吹文明前衆議院議長がいらっしゃいます。
衆議院議員引退後は、長刀鉾保存会に属しておられるようです。


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長刀鉾に随行される町衆が、八坂神社お旅所の前に立つ
テントの前で拝礼されています。
テントの中には八坂神社の宮司さんがいらして、
町衆に紙垂を振るっておられます。
巡行する山鉾は、八坂神社お旅所で厄払いして
この後河原町通経由で御池通まで進みます。


857-7.jpg
そうこうしているうちに、長刀鉾がお旅所前に到着しました。
よく考えたら、前回ブログでは長刀鉾全体をあまり撮っていません。


857-8.jpg
そして、こちらが長刀鉾の全体像です。
生稚児さんは、巡行する間
氏子衆に操られるように舞い踊っています。


857-9.jpg
長刀鉾が、再び近づいてきます。
音頭取りの扇子が前に振られているので、
長刀鉾はゆっくり前進し続けます。


857-10.jpg
今度は、長刀鉾の左側が見えます。
鉾には、生稚児さんと祇園囃子を演奏される囃子方が同乗されます。
胴掛の辺りで揺れているのは、楽器の小型の銅鑼です。
祇園囃子は、横笛と太鼓と小型の銅鑼で構成されます。


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長刀鉾が、ゆっくりと八坂神社お旅所前を通過します。
鉾の後部には細長い見送りがかかるので、中の様子は見えません。


857-12.jpg
そこで四条通を西に振り返ると、
「四条寺町」交差点に孟宗山がやって来ました。
ここからはくじ引きで決められた順番で登場するので、
2022年度の「山1番」は孟宗山です。


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孟宗山に随行される町衆が、八坂神社お旅所前に整列されました。
そして八坂神社の宮司さんが、こちらにもお祓いされます。


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孟宗山が、八坂神社お旅所前までやって来ました。
孟宗山は担ぎ山なので、鉾頭の代わりに真松が立ちます。


857-15.jpg
孟宗山の上部は、このようになっています。
雪が降り積もる真冬の竹林で、病に臥せる母親のために
孟宗がタケノコを探す姿を模っています。
孟宗は「三国志演義」にも出てくる呉の名将ですが、
日本でも親孝行の代名詞ですね。


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孟宗山の左側を見ています。
由来と装飾品を合わせている山鉾もありますが、
孟宗山はその由来とあまり関係がありません。


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こちらが、孟宗山の胴掛です。
日本人画家の平山郁夫のが、「砂漠を進むラクダ」を描いています。
個人的には孟宗山と言えば、「平山郁夫」です。


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孟宗山が八坂神社お旅所を通り過ぎ、後姿を見ています。
孟宗山の見送りは、竹内栖鳳による竹林図です。
たぶん、孟宗竹を描いているのでしょうね。


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続いて2022年前祭山鉾巡行の「山2番」は、保昌山です。
2022年の前祭宵山散策で、最後に回った山ですね。


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2022年「山2番」保昌山が、八坂神社お旅所前にやって来ました。
ご神体の平井保昌像が、梅の造花を掲げています。
歌人で絶世の美女と言われた和泉式部と結ばれた物語から、
恋愛成就のご利益があるとされる山ですね。


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保昌山の町衆も、お旅所でお祓いを受けます。
八坂神社宮司さんの前で、全員拝礼されていますね。


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保昌山も、お旅所の前を通過します。
こちらの見送りは、比較的新しいものですね。


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さらに2022年度「山3番」は、郭巨山です。
ここ10年で、3回「山1番」を引いた縁起の山ですね。


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郭巨山が、だんだん近づいてきました。
郭巨が一獲千金を手に入れた物語を取材した山ですね。
その黄金が釜に入っていたので、「釜掘り山」とも言います。


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郭巨山のご神体は、郭巨親子の神像です。
厳密には金塊を見つけたのは郭巨の息子で、
その息子が郭巨に金塊を在り処を教えました。


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こちらが、ウチに吊るされた2022年度の郭巨山の粽です。
ウチは、10年ほどこちらの粽を吊るしています。
祇園祭の粽(ちまき)は通常袋を取るのですが、
郭巨山の粽には紙製大判が付きます。
袋を取るとこの大判が付かないので、
ウチは袋に入れたままにして吊るしています。


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郭巨山に随行される町衆が、八坂神社お旅所前に集結されました。
やはり八坂神社の宮司さんから、お祓いを受けていました。


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郭巨山が通過する際、鈴の音が聞こえてきました。
よく見ると、担ぎ山の真木に鈴が取り付けられています。


857-28.jpg
郭巨山が八坂神社お旅所の前を通り、左側を見せています。
こちらは、日本画家の上村松篁による胴掛です。
前掛けと合わせて、冬春秋を表す雪や花が描かれています。


857-29.jpg
そして、郭巨山が四条通を東へ通過していきます。
郭巨山の見送りは、約200年前のビロードを修復しています。


857-30.jpg
郭巨山に続いて、「鉾2番」の函谷鉾が登場です。
長刀鉾同様、こちらもくじ引きをせずに順番が固定されています。


857-31.jpg
函谷鉾に随行される町衆が、八坂神社お旅所の前に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


857-32.jpg
そのうち、函谷鉾が「四条寺町」交差点に入ってきました。
函谷鉾の「函谷」とは、中国の長安と洛陽の間の函谷関のことです。
そこ函谷関を鶏の鳴き真似で突破した「史記」のエピソードから、
函谷鉾が取材されています。


857-33.jpg
函谷鉾の上部を大写ししました。
祇園囃子を演奏される囃子方に混じって、
「嘉多丸」という稚児が同乗しています。
長刀鉾と異なり、函谷鉾の稚児は人間ではありません。
ただ祇園祭の稚児は名前の付いた人形が通常で、
生きた人間が同乗する長刀鉾はむしろ例外に属します。


857-34.jpg
函谷鉾が、八坂神社お旅所に近づいてきました。
囃子方が、祇園祭をゆっくり演奏されています。
16世紀にヨーロッパで製作されたタペストリーから、
この前掛が仕立てられています。
こちらは復元新調されたものですが、元の前掛は重要文化財です。



857-35.jpg
函谷鉾が近づいてきて、函谷鉾の左側を見ています。
胴掛は、李氏朝鮮、ムガル帝国(インド)、清(中国)製の絨毯を
約200年前の大工さんが上手く繋ぎ合わせたものです。


857-36.jpg
函谷鉾が、お旅所を通過して四条通を東に進みます。
……と思ったら、函谷鉾が突然停止しました。


857-37.jpg
突然函谷鉾が停止したので、函谷鉾の町衆も手持無沙汰です。
実はこの先にある「四条河原町」交差点で、
長刀鉾の辻回しが不調でした。
例年よりも、ずっと長い時間を掛けておられます。
そのため、山鉾巡行が渋滞してしまいました。


857-38.jpg
この時点で、2022年7月17日日曜日午前9時45分くらいです。
もう15分近く、この状態が続いています。
函谷鉾の町衆も、見物客も手持ち無沙汰ですね。


857-39.jpg
とうとう函谷鉾の祇園囃子が、中断されてしまいました。
函谷鉾の囃子方は、暫く座って待機されます。


857-40.jpg
すると函谷鉾の岡持ちから、町衆がペットボトルに入った
ミネラルウォーターや塩飴を
函谷鉾の引手の皆さんに配布されました。
この日は結構な炎天下で、熱中症がだいぶ気になっていました。
函谷鉾は停止から約30分で動き出しましたが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
ここからは次回ブログに掲載します。

~次回は、四条傘鉾の棒振り踊り中心に取材します~

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第858回 四条傘鉾棒振踊り~祇園祭前祭山鉾巡行~その3

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858-1.jpg
前回ブログから、「四条寺町」交差点の東側にいらっしゃる
八坂神社御旅所の前で、祇園祭山鉾巡行を見物しています。
取り敢えず「鉾2番」函谷鉾まで通り過ぎましたが、
「四条河原町」交差点での長刀鉾の辻回しの時間が掛かり、
山鉾巡行が渋滞しています。
今回は、山鉾巡行中に八坂神社御旅所へ奉納された
四条傘鉾の棒振り踊りを中心に掲載します。
撮影日は、2022年7月17日午前9時45分。
ようやく函谷鉾が、動き出しました。


858-2.jpg
八坂神社御旅所の前で、四条通を東に向いています。
実は、つい先ほどまで少しずつ北に進路を変える長刀鉾が
「四条河原町」交差点から見えていました。
ようやく長刀鉾の「辻回し」が終わり、
前回ブログで登場した各山鉾が「四条河原町」交差点へ向かいます。


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函谷鉾が「四条河原町」交差点に向かうと、
後続の山鉾が次々と八坂神社御旅所の前にやって来ます。
まずは2022年度「山4番」の白楽天山ですね。


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白楽天山が、近づいてきました。
白楽天山には、唐の3大詩人白楽天道林禅師の神像が並びます。
こちらは、白楽天と道林禅師による仏教教義への論戦を描いています。
結局この論戦は道林禅師が勝利したので、
個人的には「道林山」と呼んだ方がいいような気がしています。


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白楽天山が八坂神社御旅所の前を通過する際、
山の左側を見せています。
白楽天山の胴掛と水引は、1978年購入のフランス製絨毯です。
確か古代ギリシャのトロイ戦争を描いています。


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白楽天山に随行する町衆が、お旅所前に集結しています。
そして、こちらで八坂神社の宮司さんにお祓いをしてもらいます。


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そして、こちらが白楽天山の見送りです。
中国は北京の万寿山を描いていますが、
日本人画家山鹿精華の作品です。


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続いて、「傘鉾1番」の四条傘鉾の登場です。
傘鉾は他の鉾と形状が異なるので、別枠で数えます。


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四条傘鉾に随行される町衆が、八坂神社御旅所に集結されます。
やはり、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


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四条傘鉾はその形状の関係で、囃子方は歩いて随行されます。
さらに四条傘鉾には、他に踊り手が随行します。
踊り手は、八坂神社御旅所に棒振り踊りを奉納されます。
つまりここから、四条傘鉾による棒振り踊りが始まります。
2022年度にこの位置で取材するのは、
この踊りを撮影するのも目的の一つです。


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四条通車道の北側に囃子方が並ばれて、
八坂神社御旅所の前には踊り手が整列されます。
目の前の囃子方が太鼓を叩かれると、
四条傘鉾による棒振り踊りの奉納が始まります。


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囃子方が太鼓を叩かれると、続いて横笛が奏でられます。
すると先頭の踊り手がそれぞれの棒を交差させて、
そのまま棒を回転させながら東へ進まれます。
後続の踊り手は田楽装束で腰太鼓を叩きながら東へ進みます。
なお四条傘鉾の踊り手は、全員小学生男子で構成されます。


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囃子方の祇園囃子が続く中で、
踊り手がさらに河原町通方面(東)へ進まれます。
もちろんただ歩行されるのではなく、
先頭は棒を回しながら、後続は太鼓を叩きながら
リズムを取って踊っています。


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八坂神社御旅所の前を通り過ぎると、
四条傘鉾の踊り手は今度は西へと方向転換されます。
四条傘鉾の囃子方には、小型の銅鑼がありません。
ですから、他の祇園囃子と比べても牧歌的な曲調です。
つまり踊りのための楽曲であっても、テンポは遅いです。


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四条傘鉾の踊り手は停止している四条傘鉾の前まで進むと、
また八坂神社御旅所の前を東に進まれます。
ここまでは、同じテンポで同じ振りが続きます。


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先頭の踊り手が八坂神社御旅所の前に来られると、
背中合わせに並ばれました。
すると、囃子方が演奏される曲調が変わりました。


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囃子方の曲調がだんだん速くなる中、
先頭の踊り手が持っていた棒を振り回されます。
この部分だけ、次々回ブログに出てくる
綾傘鉾の棒振り囃子に似ています。


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続いて先頭の踊り手が西側に、後続の踊り手が東側に位置されます。
そして先頭の踊り手が棒を振り回される中、
後続の田楽装束の踊り手がその場でステップを踏まれます。


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さらに先頭の踊り手が、八坂神社御旅所の中央に移動されました。
後続の踊り手は、同じ場所でステップを踏み続けます。
このステップの踏み方、太鼓を叩く動きは、「田楽」と似ています。
もしかすると、こちらの原型は田楽なのかもしれません。


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先頭の踊り手が東へ移動して、八坂神社御旅所の東端で棒を振ります。
後続の踊り手は、その間も同じ場所でステップを踏まれます。


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さらに後続の踊り手のステップが、激しくなります。
あちこちの方角に回転されていますが、
立ち位置は変わっていません。


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囃子方の笛が響き終わると、祇園囃子が終了しました。
これで四条傘鉾による棒振り踊りは、奉納終了です。


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棒振り踊りが終了すると、踊り手は四条通を東に進まれます。
すると四条傘鉾自体も、八坂神社御旅所前を通過します。


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その後に、四条傘鉾の手荷物が続きます。
多分ですが、熱中症対策の飲み物などが入っています。
この日は昼頃雨が降りましたが、
午前中はかなりの炎天下でした。


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四条傘鉾の棒振り踊りを見ているうちに、
次の「山5番」油天神山が「四条寺町」交差点に入ってきました。
下京区油小路綾小路下るにいらっしゃる火尊天満宮の社が、
そのまま「山」に祀られています。


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油天神山に随行される町衆が、御旅所前に集結されました。
こちらも八坂神社の宮司さんが、お祓いをされます。


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油天神山が八坂神社御旅所の前を通過し、
山の左側を見せています。
こちらの胴掛の紅梅図は、前田青頓が描いたものを
約20年前に修理復元したものです。


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油天神山が、八坂神社御旅所の前を通過していきます。
油天神山の見送りは、梅原龍三郎の「朝陽図」です。
祇園祭の山鉾町で生まれ育った日本画家ですね。


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続いて、「鉾3番」の月鉾が登場します。
こちらも、くじ引きを引かない順番が固定された鉾です。
そして、この月鉾までが前祭山鉾巡行の前半です。


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月鉾に随行されていた町衆が、八坂神社御旅所の前に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けています。


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こちらは、月鉾の上部を大写ししています。
屋根正面の破風は、左甚五郎の作品です。
月鉾は、祇園祭でも特に有名な山鉾です。
ですから、こちらは装飾品は特に豪華ですね。


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先程の函谷鉾の「辻回し」の関係で、再び山鉾巡行が渋滞しています。
約15分の停止後、音頭方の扇子が前に差し出されました。
これで月鉾も、動き始めます。


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再び、月鉾の上部を大写しします。
月鉾の稚児も、人形です。
こちらは、於菟麿(おとまろ)という名前です。
於菟麿と同乗するのは、約30人の囃子方です。


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月鉾が、八坂神社御旅所の前にやって来ました。
月鉾の前掛、胴掛は、約300年前に
インドやトルコから輸入された絨毯を日本で仕立て直したものです。
ただ古くなって傷んだので、2000年~2011年に修理されました。


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月鉾が八坂神社御旅所の前を通過して、左側を見せます。
胴掛のトルコ製絨毯の上に、円山応震による水引が伸びています。


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また渋滞が起きていて、月鉾が停止しました。
約10分後に、音頭方が扇子を掲げて月鉾が前進します。


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月鉾が、四条通を東に進みます。
月鉾の見送りは、染色家で画家の皆川月華の作品です。


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月鉾に続いて、月鉾の手荷物が付いていきます。
この中には、やはり熱中症対策の飲み物が入っています。
渋滞で停止した間、月鉾の曳き手に飲み物が配布されました。


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月鉾が通り過ぎた直後に、八坂神社御旅所の前から
四条通を西に向いています。
月鉾の通過で、山鉾巡行の前半が終了しました。
ここから、今までとほぼ同じ数の山鉾が巡行されます。
……ちょっと渋滞を起こしているので、
四条通の西側も巡行予定の山鉾が列を為しています。
ここから残り半分の山鉾巡行が続くのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、蟷螂山のからくりが動きます~

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第859回 蟷螂山のからくり~祇園祭前祭山鉾巡行~その4

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前回ブログの月鉾が通過した時点で、
2022年の祇園祭前祭山鉾巡行も、前半が終了しました。
ここから後半をブログ3回分使って連載します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前10時半。
3年前より、巡行に時間がかかっています。


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ここで、「山6番」蟷螂山の登場です。
山の上部に牛車が乗っていて、さらにその上にかまきりが乗ります。
祇園祭前祭の中でも、特に人気のある山ですね。


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蟷螂山の「蟷螂」を訓読みすると、「かまきり」です。
蟷螂山は、四条隆資の戦死後25年目(1376年)に
御所車にかまきりの人形を載せて市中を練り歩いたことが始まりです。
故事や物語でもなく、歴史的事件が由来なのは珍しいですね。


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八坂神社御旅所の前に、蟷螂山が来ました。
するとかまきりが、八坂神社御旅所の方に向きました。
蟷螂山のかまきりはからくり人形で、
山の脇で町衆の一人が操っています。


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突然、自分の脇にいらした50歳前後の女性が声を上げました。
「かまきりさ~ん、こっち向いて!」
かまきりの頭部がこちらを向いて、その女性に前足を振りました。
先述の通りかまきりを操る町衆が横にいらっしゃるので、
沿道の方々の呼び声に応えて、かまきりが動きます。


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蟷螂山に随行されていた町衆が、御旅所前に集結されます。
八坂神社の宮司さんから、お祓いを受けています。


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蟷螂山が、八坂神社御旅所の前まで来ました。
蟷螂山の前掛と胴掛は、羽田登喜の作品です。


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蟷螂山が御旅所の前を通過する際、
かまきりの頭部と前足がずっと動いていました。
写真ではわかりにくいですが……


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蟷螂山が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
すると、かまきりの背中の羽が広がりました。
かまきりのからくりは、頭と前足、羽が動きます。


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そのとき「四条寺町」交差点に、山伏山が登場しました。
こちらは、2022年の「山7番」です。


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……と思ったら、ここでまた渋滞です。
山伏山の町衆も、ちょっと休憩ですね。


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山伏山に随行されている町衆が、御旅所に集結されます。
ここでも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けています。


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山伏山が、八坂神社御旅所前に近づいてきました。
山伏山は、八坂の塔を念力で直した
浄蔵貴所という名の山伏をご神体とします。


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御旅所の前に近づいた山伏山が、左側を見せています。
古くから山伏山の前掛、胴掛は、絹織物に刺繍したものを使用します。


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山伏山が、八坂神社御旅所の前を通り過ぎました。
山伏山も、「四条河原町」交差点へと向かいます。


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さらに「四条寺町」交差点を振り返ると、
2022年「山8番」霰天神山(あられてじんやま)の登場です。
霰天神山は、中京区錦小路室町西入天神町にいらっしゃる
霰天神の小さな社をそのまま上に載せた山です。
(霰天神の様子は、第848回ブログ参照)
前回ブログの油天神山など、そういう山が祇園祭には多いですね。


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霰天神山が、八坂神社御旅所にやって来ました。
霰天神は古くからいらした町内の神社でしたが、
宝永の大火天明の大火だったと思うのですが、
近所まで火の手が迫ったとき
突然あられが降り出して鎮火したため
こちらの神社一帯は火災を免れました。
それ以来こちらは「霰天神」と改名されて、
天神社でありながら火災除けのご利益も追加されました。


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こちらは、ウチのガスコンロ脇の壁です。
通常京都の台所の壁には愛宕神社のお札を貼るのですが、
ウチはここ数年霰天神のお札を貼り付けます。
こちらは、祇園祭前祭宵山中に霰天神山会所で手に入ります。


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霰天神山に随行されていた町衆が、御旅所前に集結されます。
やはり八坂神社の宮司さんに、お祓いを受けます。


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霰天神山が、自分の前を通過して山の左側を見せています。
こちらの胴掛は、上村松篁上村淳之親子の作品です。



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霰天神山が御旅所を通過して、「四条河原町」交差点に向かいます。
霰天神山は前掛け胴掛も見事なのですが、
個人的には見送りの龍神図のイメージが強いですね。


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続いては、「鉾5番」の鶏鉾です。
今までの鉾はくじを取らずに順番が初めから決まっていましたが、
この鶏鉾と菊水鉾は順番が決まっていないので、
毎年くじを引いています。


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鶏鉾に随行される町衆が、御旅所の前に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


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たくさんの曳き手を伴い、鶏鉾が近づいてきました。
実は、鶏鉾の由来を自分は知りません。
「古事記」に取材したという資料も多いのですが、
古代中国の故事に取材した説もあって、はっきりしません。


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鶏鉾が、近づいてきました。
鉾の上がる稚児の人形には必ず名前があるのですが、
自分は鶏鉾の稚児の名前を知りません。
実は鶏鉾は、自分がいちばん詳しくない鉾です。


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鶏鉾が、御旅所の前を通過します。
こちらの前掛、胴掛は近年新調されたものなので、
自分はどういったものかよく知りません。


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鶏鉾が東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
鶏鉾の見送りは、17世紀のベルギー製タペストリーです。
元は、鯉山の見送りと同一のタペストリーでした。
ちなみに、どちらも重要文化財です。


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八坂神社御旅所の前で、四条通を西に向いています。
続いて、2022年の「山9番」木賊山(とくさやま)の登場です。


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八坂神社御旅所の前に、木賊山がやって来ました
……のですが、他の担ぎ山と比べて木賊山は位置が高い気がします。


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こちらは、木賊山の上部です。
謡曲「木賊」を題材にしたご神体の翁ですね。
薬草でもある木賊を刈る翁が、さらわれた息子を探し続ける話です。
周囲には、本物の木賊が植えてありますね。
木賊は一見アスパラガスですが、シダ類の植物です。
古来から漢方薬の原料ですが、最近は観葉植物としてよく見ます。


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木賊山の下部を見ています。
こちらは、木賊が模様になっていますね。


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木賊山に随行されていた町衆が、御旅所前に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けます。


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そこで「四条寺町」交差点に目を転じると、
もう次の山鉾がやって来ています。
こちらは、「傘鉾2番」の綾傘鉾ですね。
「綾小路沿いに立つ傘鉾」という意味です。
ここから綾傘鉾の「棒振り囃子」が始まりますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、綾笠鉾の「棒振り囃子」を取材します~

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第860回 綾傘鉾の棒振囃子~祇園祭前祭山鉾巡行~その5

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「四条寺町」交差点に、「傘鉾2番」綾傘鉾がやって来ました。
「四条」傘鉾に対して、綾小路沿いに立つ傘鉾ですね。
今回はこちらの棒振囃子が、
八坂神社御旅所に奉納されたのを取材します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前11時。
この時間帯は、炎天下の猛暑日でした。


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綾笠鉾に随行されていた町衆が、御旅所前に来られました。
よく見ると、何人か小学生が連れられていますね。


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綾傘鉾の町衆が、八坂神社御旅所で
八坂神社の宮司さんにお祓いを受けています。
町衆の皆さんが、拝礼されていますね。


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「傘鉾」の形状の関係で、綾傘鉾の囃子手は歩いて移動されます。
綾笠鉾の囃子手さんは、小型の銅鑼、横笛、
太鼓と踊り手で構成されています。
では、ここから綾傘鉾による「棒振り囃子」が始まります。
祇園祭山鉾巡行中に八坂神社御旅所へ奉納するための踊りですが、
京都府福知山市にいらっしゃる大原神社に出張されるなど、
あちこちで公演されるほどの人気のある舞踏です。


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綾傘鉾の囃子手さんたちが、八坂神社御旅所に登場されました。
そして、棒振囃子を始めるために配置に就かれます。


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綾笠鉾の囃子手さんが、配置に就かれました。
頭の天頂部に仮面を着けられた方が、
2人1組で太鼓を叩かれます。
この太鼓で、棒振囃子が始まります。


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棒振囃子演奏中に、八坂神社御旅所東側を撮りました。
こちらに、小型の銅鑼を演奏する囃子手さんが並ばれます。
写真はありませんが、西側には
横笛を演奏する囃子手さんが並ばれます。
後述しますが、この棒振囃子はかなり激しい踊りです。
ですから、綾傘鉾の祇園囃子は
通常の祇園囃子よりも速いテンポで、激しい踊りを支えています。


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だんだんと踊り手さんが、長い棒を手で回し始められます。
仮面を着けられた2人組は、
太鼓を上下に振りながら太鼓を叩かれます。
こちらは、囃子手さんというより踊り手さんです。


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写真では止まっていてそう見えますが、
棒を持つ踊り手さんが激しく棒を振り回されます。
仮面を着けた踊り手さんが頭の上に太鼓を固定されて、
速いテンポでバチを叩きつけておられます。
ちなみに、手前の踊り手さんは参加されておられません。
こちらは激しい踊りですので、
この後場所を移されて御池通で棒振囃子を再演されるとき、
棒を持つ踊り手さんが交代されます。


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今度は太鼓を下に置かれて、激しく演奏されています。
棒を持つ踊り手さんが、見栄を切られていますね。


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棒を持つ踊り手さんが、再び長い棒を振り回し始めます。
棒振囃子では、この棒回しがいちばん特徴的です。


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先程の踊り手さんが、さらに激しく棒を振り回されています。
ただ、手前の太鼓を叩かれる2人組も激しく踊ります。
そのため、棒を持つ踊り手さんがだんだん写真に写らなくなりました。


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とは言え、すぐに2人組の太鼓奏者が座られます。
すると、棒を持つ踊り手さんをまた写せるようになりました。
その棒を持つ踊り手さんは、こちらを向いて棒を振り回されます。


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さらに棒振囃子は、激しくなります。
太鼓を叩かれる2人組は、太鼓を上下に振りながら演奏を続けます。
棒を待つ踊り手さんも、棒を振り回す速度をさらに上げられます。


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そして、突然祇園囃子が鳴り止みました。
太鼓を叩かれていた2人組も、棒を持つ踊り手さんも、
急に動きを止められました。
これで、綾傘鉾の棒振囃子は終了です。
この直後囃子手さんたちと踊り手さんは、
「四条河原町」交差点へと歩いていかれました。


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すると、綾傘鉾も東に進みます。
綾傘鉾は、祇園祭初期(約1000年前)の状態を残す鉾です。
祇園祭に本格的に山鉾が参加するのは室町時代以降で、
それ以前は鷺の装束の踊り手や花笠を手に持つ踊り手が主力でした。
さらに、このような大きな傘が市街地を練り歩かれました。
大きな傘自体が「傘鉾」の全体で、こちらを曳き手さんが曳かれます。
ちなみに綾傘鉾が2基並ぶのは、
こちらを再興した際に寄付金が多く集まったのが理由です。


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その時点で「四条寺町」交差点を見ると、
2022年の「山10番」占出山がやって来ました。
こちらも、人気の山ですね。


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こちらが、占出山の上部です。
ご神体の神功皇后像の左脇には、三条宗近作の小太刀を差します。
三条宗近は平安時代の刀鍛冶で、時代が古い分作品が残っていません。
ですから、この小太刀は国宝です。


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占出山は朝鮮半島にあった新羅との戦争前に、
神功皇后がアユ釣りで戦争を占った故事にちなんで「山」にしました。
ですから、「鮎」と「神功皇后」がこの山の象徴です。
この山の水引には三十六歌仙が描かれており、
前掛と胴掛には日本三景が描かれています。
前掛が宮島、左の胴掛が松島ですね。


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占出山に随行される町衆が、八坂神社お旅所前に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けます。


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占出山が、御旅所から「四条河原町」交差点へ向かいます。
占出山の見送りは近年修復新調されたものなので、
結構新しいですね。


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その時点で「四条寺町」交差点へと向くと、
2022年の「鉾5番」菊水鉾が現れました。
鉾の大半はくじ引きを引かない固定した順番ですが、
前祭では前回ブログに登場した鶏鉾と
この菊水鉾は順番を決めるくじを引きます。


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菊水鉾に随行されていた町衆が、御旅所に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


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菊水鉾が、自分の目の前で急に停止しました。
また渋滞が起きているようです。
今回は、約10分停止していました。


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先程の写真から、約10分経ちました。
ここで、菊水鉾が動き始めます。

かつて中京区室町通四条上がる菊水鉾町に、
「菊水井」と呼ばれた井戸がありました。
今はもう涸れているのですが、
この「菊水井」をモチーフにこの菊水鉾が作られました。
ただこの井戸は1864年のどんどん焼けで焼失したのですが、
1952年に再興されました。
とは言え、祇園祭の山鉾はどんどん焼けで焼失して
その後再興されたものが多いですね。
ですから装飾品は江戸時代以前のものが多いですが、
それ以外は明治時代以降に再建されたものが多いです。


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菊水鉾が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点を目指します。
菊水鉾の装飾品は、大半が1955年~1975年に新調されたものです。
ですから、比較的新しいものが多いですね。


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続いて、2022年の「山11番」芦刈山の登場です。
一度離縁した夫婦が年老いてから再婚する
一種の恋愛譚から取材しています。
ちなみに、主人公の老人が芦刈を職業にしていました。


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こちらが、芦刈山です。
ご神体の老人の周囲に、芦の造花が差されています。
自分の芦刈山へのイメージは、
山口華陽が描いた獅子の前掛けです。


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芦刈山が、自分の目の前に現れて左側を見せています。
芦刈山の胴掛は、尾形光琳の燕子花図を原画にしています。


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芦刈山がさらに東に向かい、去っていきます。
芦刈山の見送りの「鶴図」も、山口華陽の作品です。


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芦刈山に随行された町衆が、八坂神社御旅所に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


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続いて、2022年「山12番」伯牙山の登場です。
重要文化財杉本家邸宅が、この伯牙山の会所です。
(杉本家邸宅の詳細は、第853回ブログ参照)


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伯牙山が、八坂神社御旅所前にやって来ました。
伯牙山の装飾品は国産が多いのですが、
すべて中国をイメージしたものに統一されています。
(中には中国製のものもあります)


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伯牙山が、自分の目の前にやって来ました。
伯牙山は、古代中国の箏の名手伯牙が
親友の死を悲しみ愛用の箏を斧で叩き割る話
歌謡の「伯牙」から取材されています。
苦悶の表情を浮かべた伯牙が、
愛用の箏を前に斧を持つ姿で山の上に立っています。


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伯牙山が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かわれます。
ご神体の伯牙像を写すのに気を取られて、
伯牙山に随行される町衆を撮れませんでした。
ですから、参拝されている姿はブログには載りません。


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すると、その直後に2022年「山13番」太子山が登場しました。
この太子山が、祇園祭前祭山鉾巡行で最後尾の担ぎ山です。


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太子山に随行されていた町衆が、八坂神社御旅所に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


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……と、ここでまた渋滞による山鉾の停止です。
今回も、約10分立ち止まっておられました。
こちらは、太子山の荷茶屋(にないちゃや)です。
この角度なら、荷茶屋の中が見えますね。
ちなみに、この瞬間祇園祭のボランティアが
各山鉾の町衆や曳き手に冷水と塩飴を配布されていました。
この時点で、地面の影が色濃くなってきました。
気温、日差しとも、だんだん厳しくなっています。


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太子山が、御旅所の前を通過します。
こちらは、少年時代の聖徳太子を取材した山です。
元々こちらの装飾品はインド製の絨毯を使用されていましたが、
2018年にベトナムに特注してこちらの装飾品を新調しました。
(太子山の詳細は、第582回ブログ参照)


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太子山が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
これで残るは、くじを取らない順番が固定された山鉾が3基です。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回で、2022年祇園祭前祭山鉾巡行の連載が終了です~

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第861回 そして、船鉾巡行~祇園祭前祭山鉾巡行~その6

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第856回ブログから続いた2022年祇園祭前祭山鉾巡行も、
残すはくじを取らない順番固定の3基のみです。
今回はこの3基を見物した後、帰宅します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前11時半。
この日は、この時間帯がいちばん猛暑でした。


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今回ブログ最初の山鉾は、「鉾6番」の放下鉾です。
くじを取らない順番固定の鉾で、この形状の鉾の最後尾です。
稚児人形の三光丸が派手に踊っていますが、
こちらは芸事全般のご利益がある鉾です。


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放下鉾が、「四条寺町」交差点に近づいてきました。
放下鉾自体は曳き始めてすぐなのですが、
曳き手の皆さんがだいぶお疲れのようです。
2022年7月17日の京都市街地は、
この時点で35度を超えていました。
(最高気温は、人間の体温を超えました)
御池通経由で鉾町まで曳く上に、
放下鉾はあと3回辻回しがあります。
曳き手の皆さんは、本当に大変です。


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放下鉾が、八坂神社御旅所前にやって来ました。
放下鉾の「放下」とは、大道芸の一種です。
鎌倉時代以降は、この放下を主に旅の僧侶が行いました。
そちらを「放下僧」というのですが、
放下鉾のご神体は、その放下僧の神像です。


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……と思ったら、ここでまたまた山鉾の渋滞です。
放下鉾はいったん停止しますが、
約5分後音頭方の扇子が前進を指し示しました。


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放下鉾が、八坂神社御旅所の前を通過します。
こちらの胴掛は、ペルシャ絨毯ですね。


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放下鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点を目指します。
放下鉾の見送りは、イスラム寺院と白いフクロウですね。
ある意味、こちらが放下鉾の象徴です。

……と暢気に書いていたら、放下鉾の町衆が
八坂神社御旅所に参拝された写真を撮り忘れたことに、
たった今気づきました。


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続いては、岩戸山の登場です。
くじを取らない順番固定の山で、
祇園祭前祭山鉾巡行唯一の曳山です。


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岩戸山に随行された町衆が、八坂神社御旅所の前に集結されます。
八坂神社の宮司さんから、お祓いを受けていますね。


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先述の通り、岩戸山は祇園祭前祭唯一の曳山です。
槍の一種である鉾が天頂部に付かず、
「山」であることを表す松の神木が立ちますが、
車輪がついており「辻回し」をすることが可能です。


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岩戸山は、古事記や日本書紀の「天岩戸」伝説に取材した山です。
素戔嗚尊の暴虐に耐えかねた天照大神が、
天岩戸に逃れて隠れられたお話です。
結局他の神々の説得で天岩戸から外に出た天照大神は、
素戔嗚尊を高天原から追放しました。
素戔嗚尊は、この「天岩戸」伝説までは死神で疫病神です。
(この直後から、一転英雄となるのですが……)
疫病をばら撒く疫病神に勝利する伝説に取材したこの山を
山鉾巡行のこの位置に置いたことは、呪術的意味があると思います。


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岩戸山が、八坂神社御旅所の前を通過します。
こちらの胴掛は、インド産の絨毯です。
この角度なら、今尾景年が描いた庇の絵もよく見えます。


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この時点で、岩戸山の見送りを撮ってないことに気付きました。
そこで、2016年7月17日の写真を貼り付けます。
この時は御池通で撮影していたので、西へ進んでいます。
岩戸山の見送りは他にイタリアのベネチア市街を描いたものがあり、
そちらと交互に取り付けられます。
2022年は、たぶんこちらの方だったと思います。
(2016年前祭山鉾巡行の詳細は、第409回ブログ参照)


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そして2022年祇園祭前祭山鉾巡行の殿(しんがり)は、
くじ引きを引かない順番固定の船鉾です。
独特の形状なので、「船鉾」という種類に分類されます。


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船鉾に随行された町衆が、八坂神社御旅所に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


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船鉾が、「四条寺町」交差点から、四条通を東に向かいます。
船鉾というだけに、完全に船の形をした鉾ですね。


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船鉾が、八坂神社御旅所にやって来ました。
舳先(完全に船形ですので、そう呼びます)の鷁が、勇壮ですね。
鷁(げき)とは、中国にいるとされた空想上の水鳥です。


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さらにまた山鉾巡行が渋滞して、船鉾が自分の目の前で停止しました。
そこで、船鉾の左側を撮影しました。

船鉾は、神功皇后が朝鮮半島に攻め込んだ船を模りました。
さらにこの船自体も神格化されて、天鳥船とも呼ばれています。
「疫病退散」を象徴する岩戸山に続いて、
「勝利」を象徴する船鉾で前祭山鉾巡行を終わらせるのは、
疫病に打ち克つ願いが込められているからでしょうね。


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今回の渋滞も、約5分で解消されました。
船鉾の音頭方が扇子を前に差し出すと、船鉾が再び前進しました。


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船鉾が前進したので、後半分を撮影しました。
横縞の胴掛、黒漆塗りの舵が、船鉾の象徴ですね。
黒漆塗りの舵の真上に祠がありますが、
そちらにご神体の神功皇后の神像がいらっしゃいます。


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船鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
これで、祇園祭前祭のすべての山鉾が自分の前を通過しました。


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……と言いたいところでしたが、ここで何度目かの渋滞です。
祇園祭前祭山鉾巡行の最後の3基は、すべて辻回しを行います。
この辻回しは、どんなに急いでも約20分は掛かります。
しかもこの日は数年ぶりの辻回しのせいか、
どの鉾も平均で30分くらい掛かってしまいました。
この時点で放下鉾が辻回しをしていますが、
ここから河原町通を北上するまで約20分掛かりました。


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「四条寺町」交差点付近に、八坂神社の神職さんと
制服姿の警察官が集まってます。
この時点から、四条通に一般車両が通れるように準備が始まります。


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とは言え「四条河原町」交差点ではまだ放下鉾の辻回しが続いており、
岩戸山と船鉾はその様子を見物している段階です。
それでも、「四条寺町」交差点以西の四条通と
八坂神社御旅所は後片付けを始めます。


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まずは、この紅白の横断幕を八坂神社の神職さんが取り外されます。
手際よく、素早く作業されていました。


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その脇を警察車両と祇園祭の関係者を載せた自動車が通過します。
その後ろは、交通警察の車両です。


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警察車両が八坂神社御旅所の前を通過するころには、
紅白の横断幕は片付けられていました。
次の段階のテントの撤去に入っておられますね。
なみにその横断幕を支えてたポールですが、
すべて簡単に四条通の歩道に収納できる仕組みです。


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四条通のアーケードの上に収納された信号機を
交通警察の車両が元の位置に戻しています。
四条通の信号機はもともとこういう仕様なので、
信号機1基にかかる時間は5分未満です。
通常なら毎年祇園祭の山鉾巡行が行われるので、
四条通には準備と後片付けを簡素化できるよう
様々な仕掛けがあります。


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では、そろそろ自分も八坂神社御旅所前を移動します。
取り敢えずは、四条通を東に進みます。
この時点でも放下鉾の辻回しの途中で、
岩戸山と船鉾が停止しています。


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八坂神社御旅所前から、四条通を約50m東に進みました。
この時点で、2022年7月17日日曜日午前11時53分です。
多分ですが、通常より約1時間遅れています。
ではこちらの6番口から阪急電車に乗って、
地下鉄に乗り換えて帰宅します。

……と言う設定で、本当は四条通南側歩道沿いの
モスバーガーで昼食を摂ってから帰宅しました。
自分がモスバーガーを出た時点で、
まだ船鉾は「四条河原町」交差点に入れませんでした。
いずれにしても、これで2022年祇園祭前祭山鉾巡行編は終了です。

~次回から、祇園祭前祭神輿巡行編が始まります~

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第969回 八坂神社お旅所へ~祇園祭前祭山鉾巡行~その1

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2023年も、祇園祭の連載を開始します。
ただし、個人的な仕事の都合上
自分は宵山には行けませんでした。
(おそらく、後祭の方も宵山散策は難しいです)
そこで、2023年は山鉾巡行や神輿巡行をメインに
「京の道 今日の道」での連載を書いていきます。


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通常は京都駅から阪急電車に乗り換えるのですが、
2023年は少し寝坊してしまいました。
そこでウチから京都駅へあると遅刻しそうなので、
ウチの目の前にある京阪電鉄「七条」駅から、
2駅先の「祇園四条」駅で降りました。
実は、これで約30分短縮できました。
(ちなみに京都駅からなら「東福寺」駅で、
JR奈良線から京阪電鉄に乗り換えます)
今回は、取り敢えず八坂神社お旅所に向かいます。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前8時。
なかなかの炎天下の一日でした。


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今まで乗っていた京阪電鉄特急が、「三条」駅に向かいます。
京阪電鉄特急は、「日本で屈指の美しい車両」
と呼ばれることもあるデザインです。


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京阪電鉄「祇園四条」駅ホームの中央に、こちらの階段があります。
ではこちらを上り、コンコース階に向かいます。


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先ほどの階段をのぼり、
京阪電鉄「祇園四条」駅コンコース階に進みました。
次は、このコンコース階を北上します。


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そのコンコース階の最北端に、
京阪電鉄「祇園四条」駅の改札があります。
では、この改札から京阪電鉄「祇園四条」駅を出ます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅を出て、地下道で北を向いています。
こちらは、「四条川端」交差点の真下です。
周囲にテナントの店舗が多く入っていて、
ちょっとした地下街が形成されています。


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同じ位置で、地下道を東に向いています。
八坂神社など東山区祇園地区へは、こちらへ進みます。


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この辺りの地下道には柱にTVが内蔵されていますが、
山箱巡行の通過点にある大丸京都店
祇園祭関連の催しものがあるようです。


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京阪電鉄「祇園四条」駅前の地下道を北西に進みました。
そして、こちらの階段から地上へ進みます。


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ただこの階段は、途中で分岐します。
その際、4番出口へ向かう階段を進みました。


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階段を上り切り、地上に上がってきました。
京阪電鉄「祇園四条」駅4番出口を出ると、
「四条川端」交差点の北西角に出ます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅4番出口で、
四条通から川端通を南に向いています。
川端通の右(西)側に、鴨川が流れています。
そしてこの鴨川が、「東山区祇園地区」と
「中京区先斗町地区」との境目です。


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今度は京阪電鉄「祇園四条」駅4番出口で、
川端通から四条通を西に向きました。
ここからは、鴨川に架かる四条大橋を西に渡ります。


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四条大橋を西に進みながら、北を向いています。
ずっと先に、三条大橋が見えますね。


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さらに四条大橋を渡りながら、鴨川西岸を見ています。
この辺りは先斗町の川床が有名ですが、
さすがに午前中は何も建っていません。


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鴨川に架かる四条大橋を渡りながら、
四条通を西に進んでいます。
この先に、京都市指定文化財の東華菜館が建っています。


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約100mの幅がある鴨川を渡りました。
ここからは、「中京区先斗町地区」です。


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四条大橋を渡り切り、四条通を約10m西に進んで北を向きました。
こちらに書いてある通り、こちらが花街の先斗町です。
この道の両脇に飲食店などが並び、
芸妓さんや舞妓さんを呼ぶこともできます。
厳密には先斗町はこの道の名前で、
右(東)側のお店は、鴨川にも面しています。
ですから、そちらのお店が川床を出しています。


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先斗町から、四条通を西に向いています。
では、さらに四条通を西に進みます。


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先斗町から、四条通を約30m西に進みました。
ここで四条通は、木屋町通と交差します。


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信号が変わりましたので、
木屋町通を西に渡り高瀬川も渡ります。
とは言え、木屋町通より西の四条通は
車止めによって自動車が通行できなくなっています。


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木屋町通から、さらに四条通を西に進んでいます。
河原町通の手前に、カメラを持つ方々が集まっておられます。
「四条河原町」交差点で山鉾巡行の「辻回し」を撮るなら、
ここがベストポジションです。
(自分は敢えてお旅所前で撮影します)


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さらに四条通を西に進み、「四条河原町」交差点に到達しました。
午前8時段階では、河原町通はまだ自動車が通行していました。


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ただ木屋町通以西の四条通は、すでに自動車は通れません。
たくさんの交通警官が出動しておられ、
交通整理も本格化しています。


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「四条河原町」交差点には多くの方々がいらっしゃいましたが、
「通行」されるのは僅かの方々です。
大半の方々は、祇園祭前祭山鉾巡行が目的のようです。


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四条通から、河原町通を北に向いています。
祇園祭前祭の山鉾巡行は、この河原町通を通ります。
この時点で、片側車線はすでに通行止めです。


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今度は四条通から、河原町通を南に向きました。
交通警官が多数いらして、交通整理をされています。
この日(毎年7月17日)は、一日中
京都市街の中心地は交通規制を受けます。


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河原町通から、四条通を西に向いています。
この時点(2023年7月17日月曜日午前8時)で、
河原町通~烏丸通間の四条通は完全に車両通行止めです。


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河原町通から四条通を約10m西に進み、北を向きました。
ここから、通称「裏寺町通」が北に伸びています。
お酒を提供する飲食店を中心に、様々なお店建ち並んでいます。


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裏寺町通から、四条通を西に向いています。
この辺りが京都市内最大の繁華街ですが、
この時期は祇園祭モードで、いつもと様子が違います。


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裏寺町通から、四条通を約30m西に進みました。
こちらに、コンビニエンスストアが見えます。


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そのコンビニエンスストアでは、こちらを買いました。
まぁこの日は結構炎天下でしたから、
こういうものは必須でした。


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そのコンビニエンスストアの2軒西に、
阪急電車「河原町」駅6番出口があります。
もし京都駅から来たなら、ここから地上に上がります。


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その阪急電車「河原町」駅6番出口から地上に出ると、
最初にこの風景が見えます。
昨年(20222年)より早い時間にここに来ましたので、
まだこちらに横断幕は張られていません。


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阪急電車「河原町」駅6番出口から、四条通を西に向いています。
自分が山鉾巡行を観覧する場所は、もう少し西の方です。


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阪急電車「河原町」駅6番出口から、四条通を西に約20m進みました。
四条通の向かい(南)側歩道に、八坂神社お旅所が建っています。
夕方の祇園祭神輿巡行で、最終的にこちらに向かって
3基のお神輿が京都市街地を練り歩きます。
2023年の祇園祭前祭神輿巡行の模様は、
すでに取材をし終えていますので、
山鉾巡行の連載が終了次第このブログで連載をします。
ただ午前中の山鉾巡行では、
その八坂神社お旅所の前に横断幕が張られます。
2023年は、こちらに有料観覧席が設けられます。
(話題になった40万円の観覧席は、
「御池河原町」交差点にあります。
こちらは、もっと安い席です)


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八坂神社お旅所前の四条通から、新京極通が伸びてます。
京都市内最大の繁華街を「京極」と言いますが、
狭い意味ではこの新京極通と西隣の寺町京極を差します。
通常は人で人でごった返していますが、
まだ朝早い段階では閑散としています。
(コロナ禍中の新京極は、ここをクリックしてください)


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新京極通から、四条通を西に向いています。
約20m先で、四条通は寺町通と交差します。
四条通以北の寺町通は、「寺町京極」です。
こちらも、京都市最大の繁華街ですね。


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四条通から、寺町通を北に向いています。
こちらが、先ほどの「寺町京極」です。
「新京極」とこの「寺町京極」を合わせて、
京都市最大の繁華街「京極」です。
一見すると「シャッター商店街」ですが、
もう2時間もすればこれらのお店がすべて開店します。
(「寺町京極」の様子は、第158回ブログを参照してください)


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寺町通から、四条通を西に向いています。
2023年祇園祭前祭山鉾巡行でも、
新京極通と寺町通の間の四条通北側歩道で取材しますが、
最初の方だけ寺町通より西に伸びる御幸町通との角で取材します。
2023年は昨年(2022年)より上手く撮ってやろうとしたのですが、
逆になかなかない大失敗をしました。
まぁもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
詳細は次回に掲載します。
今回は、ここまでです。

~次回から、やっと祇園祭の山鉾が動きます~

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第970回 長刀鉾注連縄切りで~祇園祭前祭山鉾巡行~その2

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前回ブログで京阪電鉄「祇園四条」駅から四条通を西に進み、
寺町通から四条通を西に向いています。
寺町通の約50m西で、四条通は
御幸町通(ごこまちどおり)と交差します。
今回は、「四条御幸町」交差点の西側で行われる
長刀鉾の注連縄切神事を取材します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前8時30分。
人混みの多さで、上手く写真が撮れませんでした。


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寺町通から四条通を約50m西に進み、
御幸町通との交差点に辿り着きました。
車道を覗き込み、四条通を西に向いています。
約400m先に、長刀鉾が立っています。
ただその手前に様々な車両が並んでいて、
この位置からでは長刀鉾が見えません。


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御幸町通の約50m西に、麩屋町通が伸びています。
こちらは、御幸町通と麩屋町通の中間の四条通です。
2023年は、ここで長刀鉾を撮影します。
昨年(2022年)の際は前列の方々が手を挙げられたため、
(多くの方々がカメラを高く構えられたため)
生き稚児さんが刀を振り下ろす瞬間を撮れませんでした。
その対策で、カメラを構える方々と少し距離を置いたのですが……
後述しますが、あまり意味はありませんでした。


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すると、長刀鉾の手前に並んでいた車両がこちらに来ました。
どちらも、人が乗れるクレーンが付いています。


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停車したクレーン車が「四条麩屋町」交差点で停車して、
人を乗せたクレーンが信号機へと伸びていきます。
祇園祭の曳山や鉾は信号機より高いので、
通行の妨げにならないように、一時的に信号機を撤去します。


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とは言え、別に信号機を持ち去るわけではありません。
クレーン車に乗った方が信号機を後ろから押すと、
どんどん歩道側に曲がっていきます。
実はもともと四条通沿いの信号機は、
こうなるように作られています。


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さらに、信号機が曲がります。
これらの信号機は、アーケードの上に収納できるようになっています。


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信号機を曲げると、作業されている方が信号機を固定されます。
1つの交差点に4つの信号機がありますから、
4台のクレーン車で同時に処理されていかれます。


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そして、すぐに「四条御幸町」交差点の信号機も処理されます。
1か所の交差点で、大体3分くらいで作業を終えておられます。


970-9.jpg
「四条御幸町」交差点の信号機を収納されたクレーン車が、
さらに東の「四条寺町」交差点に向かわれます。
午前8時40分には、「四条河原町」交差点まで
信号機をアーケード上に収納されました。
そこからは、河原町通の信号機を同じように処理されていきます。


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すると、車道上にいらした交通警官の皆さんが動き始められます。
規制線を張って、横断できないようにされています。
この時点から午前中いっぱい四条通は歩行者横断禁止です。
(どうしても渡りたいときは、地下道を利用できます)


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2023年7月17日月曜日午前8時40分になって、
御幸町通から四条通を西に向いています。
四条通の車道上に、カメラマンの集団が控えておられます。
こちらTV局は報道関係者の皆さんで、
この位置で長刀鉾を撮影されます。


970-12.jpg
こちらは、「四条麩屋町」交差点のアーケード上です。
町衆が一人おられて、注連縄を引き上げておられます。


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その時、自分の周囲を撮りました。
先ほどのスペースに、たくさんの方々がおられます。
まぁ路上は自分のものではないので、
故意に空けていれば割り込まれますよね。
結局たくさんの方々の後ろから、撮影することになりました。


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その間も、「四条麩屋町」交差点の注連縄が引き上げられ続けます。
2023年7月17日月曜日午前8時50分時点で、
注連縄がこの高さまできました。


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そして、2023年7月17日月曜日午前9時。
会所がある位置から、長刀鉾が動き出しました。
長刀鉾は、くじ取らずの鉾1番です。
つまり、必ず先頭を進む山鉾です。


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長刀鉾会所は、御幸町通よりから約400m西にある
「四条東洞院」交差点付近に建っています。
注連縄が張られている「四条麩屋町」交差点までに、
長刀鉾が約5分で到着されました。


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「四条麩屋町」交差点に、長刀鉾が停止されています。
祇園祭の鉾には、祇園馬橋を演奏される囃子方以外にも
生き稚児さんや鉾内を仕切られる町衆などがいらっしゃいます。
町衆さんのお一人が竹の棒を持たれて、
長刀鉾の先頭に来られました。


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長刀鉾内の竹棒を持たれた方が、
棒の先の鉤で注連縄を持ち上げられました。
こうして注連縄切神事の準備が、粛々と進められます。


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長刀鉾注連縄切神事の準備が完了しました。
すると、生き稚児さんが日本刀を持ち上げられました。
通常長刀鉾の生き稚児さんは、
背後に立たれる町衆さんの指示通り、
まるで浄瑠璃人形のような動きをされます。
この時も背後の町衆さんに合わせて、
生き稚児さんが日本刀を振り回されます。


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鞘から刀身を抜き、大きく振りかぶられました。
祇園囃が演奏される中、生き稚児さんの動きは踊りのようです。


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生き稚児さんが、日本刀を優雅に振り回されます。
そして、日本刀を真上に振り上げられます。


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すると、周囲の方々も一斉に腕を振り上げられました。
スマートフォンや腕に遮られて、生き稚児さんを写せません。
ただこの時「トン」という音がして、
注連縄が長刀鉾の左右に落ちました。
長刀鉾の注連縄切神事は無事終了しましたが、
2023年はこんな写真になってしまいました。
次の機会には、もう少し対策を考えようと思います。


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数秒後同じ場所で、拡大せずに撮影しました。
注連縄切神事直後には、これだけの方々がいらっしゃいました。


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その場で振り返り、御幸町通から四条通を東に向きました。
ここから祇園祭前祭の山鉾が順々にやって来ますが、
それはもっと東で撮影します。
そのため、御幸町通から四条通を東に移動します。


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御幸町通から、四条通を約50m東に移動しました。
ここで四条通は、寺町通と交差します。
この人混みで走ると危険なので、早歩きで移動しています。
山鉾はそこまで速くないので、これで十分間に合います。


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寺町通から四条通を約30m東に移動して、南を向きました。
八坂神社お旅所の前に横断幕が張られて、
さらにその前に観覧席が設けられます。
その観覧席の向かい(北)側で、ここから撮影します。


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京都市内のお祭りで巡行される際、
警察車両が必ず先導します。
祇園祭前祭山鉾巡行でも同じなのですが、
長刀鉾の注連縄切神事の後片付けの関係で、
いったん停車されて後続を待っておられます。


970-28.jpg
先ほどの時間から約3分後、警察車両が出発されました。
続いて、「祇園会」(ぎおんえ)と書かれた幟が行進します。
こちらも、例年通りの巡行です。


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さらに、この長持が続きます。
多分熱中症対策の飲料水などが入っているのでしょう。


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続いて、長刀鉾の幟の登場です。
ここから祇園祭前祭の山鉾が順々に登場しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回から、祇園祭前祭の山鉾が順々に登場します~

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第971回 長刀鉾の後は山伏山~祇園祭前祭山鉾巡行~その3

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前回ブログで長刀鉾の注連縄切神事も終え、
いよいよ順々に祇園祭前祭の山鉾が登場します。
今回は先頭の長刀鉾、山1番の山伏山、白楽天山、芦刈山に続き、
鉾2番の函谷鉾までを掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前9時15分。
2年連続で、炎天下の山鉾巡行です。


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長刀鉾の幟の後は、長刀鉾町の町衆の皆さんが行進されます。
祇園祭は氏子地域の各町内の住民が、運営しておられます。
祇園祭は「観光イベント」ではないので、
山鉾の装飾品はすべて町衆の自己負担で、
曳き手以外の山鉾の操作や祇園囃の演奏も町衆によるものです。
長刀鉾町の町衆さんの中心に、
伊吹文明前衆議院議長がいらっしゃいます。


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麩屋町通で注連縄切神事を行った長刀鉾が、
東へ進み寺町通までやって来ました。
鉾や曳山は、30人ほどの曳手が人力で曳くことで
人が歩くほどの速さで移動します。


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さらに、長刀鉾が近づいてきました。
鉾の先頭で扇を掲げられているのが、音頭方のお二人です。
この扇の振り方で鉾が前進したり、停止したりします。
このように扇を前に突き出すのは、「前進」を表します。
その上に、生き稚児さんや町衆の皆さんがいらっしゃいます。


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すると、長刀鉾は八坂神社お旅所の前で停止しました。
理由は、よくわかりません。
祇園囃の演奏も中断されて、町衆の皆さんも休憩されます。


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それから約5分後、長刀鉾がまた前進されるようです。
音頭方のお二人が、扇を振り上げて掛け声を発されます。
「えいやらや~」


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そして音頭方のお二人が、扇を前に掲げられます。
すると、長刀鉾が前進しました。


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長刀鉾が、自分の前を通り過ぎていきます。
長刀鉾の側面が、よく見えますね。
長刀鉾の側面に、祇園囃子を演奏される囃子方がいらっしゃいます。
その下の布は、「胴掛」と呼ばれています。
元々は中国やインドから輸入するなどして手に入れた絨毯です。


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長刀鉾を背後から見ています。
鉾の背後には、「見送り」と呼ばれる大きな布が掛かります。
長刀鉾の見送りは雲龍波濤文様綴織ですが、
2005年に復元新調されました。


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長刀鉾が、八坂神社お旅所前を通過しました。
長刀鉾の背後から、こちらの長持が通過しました。
長刀鉾の町衆の方々や曳手の方々が使用される
様々なものが入っています。
こんな気候ですから、水や塩飴も入っているかもしれません。


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続いて、2023年の「山1番」山伏山が
「四条寺町」交差点に入ってきました。
ここから暫く担ぎ手さんたちが担ぎ上げる形式の
「担ぎ山」が登場します。
ここからの順番は、毎年7月2日に
京都市議会議場で行われる「くじ引き」で決めます。


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山伏山の上部を大写ししました。
「担ぎ山」は、室町時代の京都人なら誰でも知っている
当時は有名な物語を題材にして作られています。
こちらの人形は、平安時代に実在した山伏の
浄蔵貴所を模しています。
東山区祇園地区の八坂通沿いの「八坂の塔」が傾いたとき、
浄蔵貴所の祈祷で元に戻したという伝説があります。


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山伏山の前掛けと胴掛を写しています。
前掛けや胴掛の上に、細長い水引が巻かれています。


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山伏山を初め担ぎ山の背後にも、見送りが付きます。
形状や大きさは違いますが、
鉾も担ぎ山も装飾品の形式は同じです。


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続いて、山2番の登場です。
2023年の山2番は、白楽天山です。
山の名前が書いてある幟の後に、町衆の集団が並ばれます。


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こちらが、白楽天山の前掛けと胴掛、水引です。
胴掛に西洋の方々が描かれていますが、
古代ギリシャのトロイ陥落を描いています。
おそらく元々はヨーロッパ製のタペストリーが
この形状に仕立て直されたものと考えられます。
祇園祭の山鉾の装飾品は、
当時の京都の商人が私財を投じて製作されました。


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白楽天山の上部を大写ししました。
左側は、中国を代表する詩人白楽天を表しています。
右側は、同時代の中国の僧侶道林禅師を表しています。
この山は、二人の禅問答を描いています。
結局道林禅師が白楽天に打ち勝って、
白楽天が道林禅師を称賛する物語です。


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白楽天山が、八坂神社お旅所前を通過します。
白楽天山の見送りは、山鹿精華によるものです。


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そして、白楽天山も長持が続きます。
2023年は、どの山鉾も荷物が多いですね。


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続いて、山3番は芦刈山です。
実は、自分のお気に入りの山のうちの1基です。


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芦刈山が、近づいてきました。
芦刈山の前掛けは、山口華楊作「凝視」です。
獅子がこちらを睨みつける日本画ですね。


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芦刈山の上部を大写ししました。
こちらは、湖の浅瀬や沼地に生えている芦を刈る老人の物語です。
この老人は若いころ、貧しくて養うことができない妻と離縁しました。
ただそのことをこの老人は日々後悔していて、
妻のことを思いながら芦を刈っています。
この山は、そういう老人を描いています。
この直後に、この老人は年老いた妻と再会します。
そしてお互い話し合い、また結婚して夫婦となります。
ちなみに、この老人像は元々は康運の作品でした。


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芦刈山が、自分がいる八坂神社お旅所の前に来ました。
芦刈山の胴掛は、尾形光琳の燕子花屏風図の模写です。


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芦刈山が、八坂神社お旅所を通り過ぎます。
芦刈山の見送りは、先ほどの山口華楊の「鶴図」です。


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続いては、「鉾2番」函谷鉾の登場です。
こちらも、「くじ取らず」です。
要するに順番が固定されていて、くじを引きません。


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ところが、肝心の函谷鉾がなかなかやって来ません。
「四条寺町」交差点に来る直前で、停止されています。
2023年は結構早い段階で各山鉾が立ち止まってました。


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こちらは、函谷鉾の天頂部です。
鉾とは、要するに槍のような形状の細長い武器です。
厳密にはこの天頂部分が武器になっているので、
こういう山車を祇園祭では「鉾」と呼んでいます。
この鉾は空間に漂う悪いもの、良くないものを切り裂き、
この空間を清浄化しています。
これは、夕方の神輿渡御に必要なことです。


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函谷鉾の上部を大写ししました。
こちらにもお稚児さんがいらっしゃいますが、
人間ではなく人形です。
人間のお稚児さんが同乗するのは、長刀鉾だけです。

函谷鉾は、中国の函谷関を描いています。
長安と洛陽の間にある関所のことですね。
こちらは、鶏鳴狗盗の故事を表しています。
孟嘗君が函谷関を抜け出して、生き延びるお話です。


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函谷鉾の音頭取りの方々が、手前に扇を突き出しています。
すると、函谷鉾がゆっくり前進します。


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函谷鉾が、八坂神社お旅所を通過します。
函谷鉾の胴掛は、李氏朝鮮やインドの絨毯を貼り付けています。
水引は、山鹿精華の日本画です。


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函谷鉾が東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
函谷鉾の見送りは、皆川泰三の「エジプト天空図」です。


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函谷鉾の後に、函谷鉾の長持が続きます。
各山鉾の荷物が例年になく多いのは、
熱中症対策の水や塩飴のためでしょうね。

この後も祇園祭前祭山鉾巡行は続きますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、郭巨山以降の山鉾巡行を掲載します~

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第972回 郭巨山 四条傘鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その4

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前回ブログで取材した函谷鉾が八坂神社お旅所をを通過してから、
約10分が経ちました。
函谷鉾は、まだ京都高島屋百貨店の店頭で停止しています。
「四条河原町」交差点での辻回しの準備すら、まだできていません。
その手前の芦刈山も、まだ四条通にいらっしゃるからです。
どうやら、かなり渋滞しているようです。
祇園祭山鉾巡行の渋滞は
大半が辻回しに時間がかかっているのが原因ですが、
今回はどうも違うようです。
今回ブログで紹介する山は、この渋滞の解消後に登場します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時。
山鉾巡行の序盤は、例年になく遅いペースでした。


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先ほどの写真から、さらに約10分経ちました。
現時点で、2023年7月17日月曜日午前10時10分です。
ようやく2023年の山4番郭巨山の登場です。


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たぶん郭巨山の方々は覚えていらっしゃらないと思うのですが、
2012年に郭巨山の会所にお邪魔した際とても親切にしていただいて、
その時粽を買わせて戴きました。
それ以来、毎年郭巨山の粽を買っています。
通常粽を玄関先に吊るすときは粽のみを吊るしますが、
この郭巨山の粽は紙製の小判が付くので、
袋ごと吊るしています。
こちらは会社を早めに退社して、
(この日はそういうシフトで働いていました)
2023年7月14日に郭巨山で買い求めました。


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郭巨山が、八坂神社お旅所の前に辿り着きました。
郭巨山の上部には、鍬を持つ男性と子供の人形が立っています。
こちらは、室町時代にあった謡曲(物語)が元になっています。
郭巨という中国人男性が子供と山奥に向かった際、
その子供の指示通り郭巨が鍬で穴を掘ると、
金塊が入った釜が出てきたという物語です。
一攫千金のストーリーですから、
郭巨山には金運上昇のご利益があります。
また、郭巨山の前掛けが新調されています。
ただこれがどのようなものかは、自分は知りません。


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郭巨山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
郭巨山の胴掛は、上村松篁による日本画です。


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郭巨山が、四条通を東に向かいます。
郭巨山の見送りが新調されていますが、文字だけの刺繍です。
こちらも、自分はよくわかっていません。
2023年の祇園祭前祭宵山は郭巨山の粽だけ買って即帰ったので、
会所を見学しませんでした。
ですから、来年(2024年)は会所をしっかり見学します。


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続いて、傘鉾1番の四条傘鉾が登場します。
「傘鉾」は平安時代からの形状を残す山鉾で、
(他の山鉾は、室町時代以降に成立しました)
他の「山」や「鉾」と別にカウントします。


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四条傘鉾の幟の後に、町内の町衆が行進されます。
すべての山鉾の直後には各町内の町衆が行進されますが、
ここまでは町衆を上手く撮れませんでした。


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町衆が行進された後に、浴衣姿の町衆と小学生児童が続きます。
平安時代の祇園祭には各山鉾に舞手が随行されましたが、
現在は各傘鉾のみに舞手が随行されます。


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四条傘鉾が、「四条寺町」交差点で停止されます。
すると八坂神社お旅所の前に、浴衣姿の町衆が並びます。
小学生児童は、八坂神社お旅所の前の西側に待機されます。


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浴衣姿の町衆は、笛や太鼓などの楽器を持たれています。
ですから浴衣姿の町衆の皆さんは、四条傘鉾の囃子手です。
八坂神社お旅所の西側で控えておられる小学生児童が、
四条傘鉾の舞手ということになります。


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八坂神社お旅所の前に、四条傘鉾の舞手が立たれます。
先頭の男子児童が、長い棒を交差されています。
ここから、四条傘鉾の棒振り踊りが始まります。


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四条傘鉾の囃子手さんが、演奏を始められます。
先頭の男子児童は棒を交差させたままゆっくり棒を振り回し、
そのままの格好で東へ前進されます。
後続の年少の児童はステップを踏みながら太鼓を鳴らして、
男子児童の後に続きます。


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舞手の集団が、八坂神社お旅所の東端に達しました。
そこで、四条傘鉾の舞手は今度は西へと反転されます。
四条傘鉾の舞手の集団は、同じふりで踊り続けます。


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四条傘鉾の舞手の皆さんが八坂神社お旅所の西端に達されると、
また東に振り返られます。
そして、また同じ振りの踊りが続きます。
舞手さんの衣装から、この踊りは元々は田楽だったのでしょうね。
田楽とは、田植えの際の歌や踊りです。
田植えは単純作業なのですが、続けていくとミスが起こります。
それを防ぐために、その脇で歌や踊りを行うことで
作業する農民のリズムが良くなり、ミスが減ります。
元々は歌や踊りが上手な農民が行いましたが、
やがてそれを専門の職業にする者が現れました。
それが、日本の芸能の起こりです。


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四条傘鉾の舞手の男子児童が、交差させた棒を回転させて
また八坂神社お旅所前を西に進まれます。
この際囃子手が演奏される楽器はほかの山鉾と同じものですが、
祇園囃子よりテンポが速い反面牧歌的な曲です。
こういうところも、田楽を想像させますね。


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後続の年少の小学生児童も、
リズムよく太鼓を叩きながら西に進まれます。
ステップを踏みながら、一歩ずつ前進されます。


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すると年少の小学生児童が、太鼓をたたきながら立ち止まります。
一方その脇を男子児童が、棒を振り回しながら東に進まれます。


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棒を回転させたまま男子児童が、
八坂神社お旅所最西端に辿り着かれました。
そして、そのまま年少の小学生児童の先頭に立たれます。


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すると、年少の小学生児童が太鼓を叩きながら回り始めました。
その間も、囃子手が演奏される曲調は変化しません。


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男子児童は、八坂神社お旅所の西側で棒を交差させて踊っています。
そして男子児童は、八坂神社お旅所の西端まで進まれます。


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八坂神社お旅所の西端まで達した男子児童は、
棒を振り上げて今度は東へ走っていかれます。
その間、年少の小学生児童は男子児童の後をついていかれます。


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もう一度先頭の男子児童が棒を交差させながら回転させ、
八坂神社お旅所前を西に進まれます。
年少の小学生児童は、男子児童の後をついていかれます。


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そして八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は東に向けて進まれます。
男子児童が棒を交差させて回転させ、
年少の小学生児童がステップを踏んで太鼓を叩きながら進むのは、
基本的には変わりません。


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ところが、ここから踊りの振りが変わります。
年少の小学生児童がその場で立ち止まり、その場でステップを踏まれます。


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すると先頭だった男子児童が棒を肩に背負い、
年少の小学生児童の背後を西へ進まれます。


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そして男子児童が八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は棒を掲げられます。


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年少の小学生児童も、八坂神社お旅所最西端まで進まれます。
そして、その位置からまた隊列を組み直されます。


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そして、また男子児童が棒を交差させて回転させます。
その後ろを年少の小学生児童が、
ステップを踏んで太鼓を叩きながら前進されます。
要するに、最初の振りに戻りました。


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自分の目の前を四条傘鉾の舞手が東に進まれます。
また初めから繰り返しのようにも見えますが、
この直後に囃子手の皆さんは演奏を終了させました。
要するに、四条傘鉾の棒振り踊りが終了しました。
所要時間は、約20分でしょうか。


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演奏終了直後は、囃子手さんは
笛太鼓をそのままの格好で停止されます。
舞手さんは男子児童も年少の小学生児童も、
八坂神社お旅所最東端まで進まれると、
そのまま「四条河原町」交差点へ進まれました。


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すると、囃子手さんたちも「四条河原町」交差点に向かわれます。
四条傘鉾の棒振り踊りは、八坂神社お旅所前と
京都市役所前の2か所で行われます。
どちらも、有料の観覧席が設けられていますね。


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四条傘鉾の囃子手さんは、相当数いらっしゃいます。
囃子手さんが一斉に「四条河原町」交差点に向かわれた直後、
四条傘鉾が八坂神社お旅所前に登場します。


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こちらが、四条傘鉾です。
だいぶ大きめですが、平安時代の傘と同じ形状です。
元々平安時代の祇園祭では、こういう形状の山鉾が主流でした。
そしてその周囲で囃子手さんと舞手さんが
演奏されたり踊られたりしたのが、元々の祇園祭の形式でした。
祇園祭が現在のような形式になったのは、室町時代のことです。


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四条傘鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
四条傘鉾は通常の山鉾とは異なるため、
前掛け、胴掛、水引、見送りといった装飾品の区分がありません。


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四条傘鉾が、「四条河原町」交差点へ向かわれます。
よく考えれば、四条傘鉾の町衆は結構な大人数でした。


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四条傘鉾に続いて、山5番の「木賊山」(とくさやま)の登場です。
ちょっと物悲しい謡曲を題材にした山ですね。
ただ今回も、だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、木賊山、鶏鉾、油天神山と続いていきます~

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第973回 山鉾が順々に巡行~祇園祭前祭山鉾巡行~その5

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前回ブログで四条傘鉾の棒振り踊りを取材しましたが、
その直後に2023年祇園祭前祭山鉾巡行山5番木賊山の登場です。
木賊(とくさ)とはシダ類の植物で、
かつて漢方薬の原料として採取されていました。
今回はこの木賊山以降も含む後続の山鉾を順々に掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時半。
なかなかの炎天下でした。


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木賊山の幟に続き、町衆さんたちが行進されます。
その後から、木賊山がゆっくり八坂神社お旅所に登場です。
木賊山は「山」なので、通常の神輿サイズで杉の木が1本立ちます。
そして、室町時代の人々が慣れ親しんだ物語でもある
謡曲から取材した一場面を題材に作られています。

木賊山は、木賊の採取で生計を立てる老人が題材です。
この老人が若いころ、息子が誘拐されて数十年会っていません。
この場面では、息子のことを思いながら
木賊を採取する老人を描いています。
確かこの老人は、息子に会わないまま一生を終えます。


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木賊山が、八坂神社お旅所を通過します。
木賊山の前掛け、胴掛、見送りは
むかしの中国の風景を描いたものが多いですが、
これは西暦2000年ごろに新調されています。
以前は、むかしの西アジアの風景を描いたものでした。


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木賊山に続いて、鉾3番鶏鉾の登場です。
長刀鉾や函谷鉾は最初から順番が決まっているので、
順番を決めるくじを引きません。
ところが、鶏鉾は鉾としては数少ない順番が決まっていない鉾です。
菊水鉾とくじを引いて、順番を決めます。


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鶏鉾が「四条寺町」交差点を通過して、八坂神社お旅所前に登場です。
第971回ブログ終了時点で、撮影されていた多くの方々が
この場を離れていかれました。
おかげで自分は、割と前の方で撮影が可能になっています。
ただ四条通を散策されていた多くの外国人が
この山鉾巡行に気づき、またこちらに集まってこられました。
後述しますが、鶏鉾の装飾は山鉾の中でも特に美しいですからね。


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ところがその直後に、鶏鉾が「四条寺町」交差点上で停止しました。
どうやら、また先を進む山鉾が渋滞しているようです。
写真には写っていませんが、
鶏鉾の曳手の皆さんはここで休憩です。
水を飲んだり、塩飴を舐めたりされていました。


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その渋滞も、約5分後に解消です。
「えいやらや~」という音頭取りの皆さんの掛け声で、
鶏鉾が動き出します。
鶏鉾は古事記から取材されているといわれていますが、
正直はっきりと確定してはいません。
前掛けや胴掛の上に巻かれている水引が、
四条派による江戸時代の作品です。


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鶏鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
鉾の上には囃手の皆さんがいらっしゃって、
祇園囃子を演奏されています。
見送りは立派な洋画ですが、17世紀にベルギーから輸入した
イーリアスを描いたタペストリーです。
元は後祭の鯉山の胴掛や見送りと合わせて、
1枚のタペストリーでした。
そして鶏鉾の見送りと鯉山の前掛けと胴掛は、
重油文化財に指定されています。


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続いて2023年の山6番は、油天神山です。
油小路沿いにいらっしゃる天満宮が、「山」に載られています。
謡曲や物語から取材せず、町内の小さな神社の社を
そのままご神体として載せられた「山」が、数基存在します。
こちらも、そのうちの1基です。


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油天神山の幟の後に、油天神山の町衆の皆さんが行進されます。
この油天神山の町衆の皆さんには、2017年にお世話になりました。
ウチの母と宵山散策していたとき、突然夕立に会いました。
どうしようもなくなって路上で呆然としていたのですが、
油天神山の町衆の皆さんが雨傘を配っておられて、
自分と母にもそれぞれ雨傘を貸して戴きました。
ちょうど先代のデジタルカメラが壊れた瞬間で、
結構落ち込んでいた自分はそのことで慰められました。
その辺りの詳細は、第499回ブログを参照してください。


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こちらが、油天神山です。
小さな鳥居の先の社内に、油天神のご神体がいらっしゃいます。
油天神山の装飾品は近年新調されたものも多く、
真新しいイメージがあります。
油天神山の胴掛は、前田青邨による「紅白梅図」です。


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油天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
油天神山の見送りは、立派な赤富士です。


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そして、その後から2023年の山7番妄想山の登場です。
「妄想山」と書かれた幟の後、町衆の皆さんが行進されます。


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町衆の皆さんが通過された後、孟宗山が登場します。
孟宗山の上部には孟宗(もうそう)像がいらして、
その脇の杉の木には雪に見立てた綿が置かれています。

孟宗は、三国志演義に登場される呉の文官です。
孟宗は、親孝行で有名な人物です。
まだ雪が残る時期に、孟宗の母が重い病気に罹りました。
どんどん弱っていく孟宗の母は、「タケノコを食べたい」と
うわごとを繰り返すようになりました。
そこで孟宗は夜中の雪山に飛び出し、タケノコを探しました。
そして苦労の末、タケノコを発見して自分の母親に食べさせました。
すると短期間とはいえ、孟宗の母は回復したそうです。
その時孟宗が発見したタケノコの品種を
のちの人々は「孟宗竹」(もうそうだけ)と呼びました。
この「山」は、タケノコを探す孟宗を描いています。
ちなみに、この数か月後に孟宗の母は病死しました。
その時孟宗は主君の孫権の命令に逆らい、
母親の喪に服して戦場に赴きませんでした。
それを「敵前逃亡」と考えた孫権は孟宗に死罪を言い渡しましたが、
陸遜に助命されて孫権は孟宗の処刑を中止しました。
晩年の孟宗は、滅亡寸前の呉を救った名宰相となりました。


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孟宗山が、八坂神社お旅所前を通過します。
孟宗山の胴掛は、平山郁夫による「砂漠を進むラクダ」です。


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孟宗山が四条通を東へ進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
孟宗山の見送りは、竹内栖鳳による水墨画の孟宗竹です。


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続いて、孟宗山の手荷物が通過します。
2023年は、例年になく大きいですね。
おそらくですが、こちらには真水や塩飴など
熱中症対策がメインなのでしょうね。


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さらに2023年の山8番霰天神山(あられてんじんやま)の登場です。
先ほどに続いて、町内の小さな神社をそのまま載せた山です。


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霰天神山が、「四条寺町」交差点から東に進みます。
こちらも天満宮なのですが、火災除けのご利益があります。
室町時代後期の1520年ごろ町内で火災が起きたのですが、
突然空から霰が降って、その火災が鎮火したそうです。
宵山には、こちらの会所で火災除けのお札を買い求められます。


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霰天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
霰天神山の胴掛は、上村松篁上村淳史父子による原画を基にした
花鳥褸織を使用しています。


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霰天神山が、四条通を東へと進みます。
霰天神山の見送りは、数年前に復元新調された龍図です。


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霰天神山に続いて、長持が行進します。
霰天神山も、例年になく大荷物ですね。


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その後から、鉾4番菊水鉾の登場です。
幟の後から、町衆の皆さんが四条通を行進されます。
町衆の皆さんの中に、山田啓二京都府前知事
いらっしゃるような気がするのですが……


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約30人の曳手の皆さんによって、菊水鉾の登場です。
中京区菊水鉾町の町内にある「菊水の井」という井戸を祀る鉾です。
「四条室町」交差点脇の鉾ですから、
宵山の際にはかなりの観光客に囲まれます。


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菊水鉾の上部を大写ししました。
長刀鉾以外の鉾には、人形の稚児が置かれます。
人形の周囲には囃子手さんたちがいらして、
鉾の縁側に腰かけて祇園囃子を演奏されています。


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菊水鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
菊水鉾の胴掛は、皆川月華の唐獅子図です。


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菊水鉾が、四条通を東に進みます。
ちょっと変な角度になりましたが、
菊水鉾の見送りも皆川月華の作品です。


973-29.jpg
菊水鉾の後から、岡持ちを持った方が続きます。
通常の山鉾巡行ではこれくらいの手荷物を運んでいますが、
他の山鉾は2023年限定でこの数倍の荷物を運びます。


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続いて、山9番役昌山の登場です。
恋愛運の上昇のご利益がある山ですね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、保昌山から綾傘鉾へと続きます~

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第974回 保昌山綾傘鉾太子山~祇園祭前祭山鉾巡行~その6

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第971回ブログ以来ブログ3回分の山鉾が、
八坂神社お旅所前を通過しました。
今回は、目の前の保昌山と綾傘鉾を掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前11時。
綾傘鉾には、舞手と囃子手による棒振囃子があります。


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保昌山と書かれた幟の後から、町衆の方々が続きます。
さらにその後方から、保昌山が姿を現します。


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保昌山の上部を大写ししました。
平井保昌の像が、梅の枝を捧げています。
平氏保昌が梅の枝を捧げる相手は、
当時の絶世の美女で歌人でもある和泉式部です。
「紫宸殿の梅園から梅を取ってきたら結婚してあげる」
和泉式部の平井保昌への言葉は、
平井保昌からの求婚を断るために発せられたものでした。
ところが平井保昌は本当に紫宸殿に侵入して、
一条天皇がお気に入りの梅の枝を折って、
天皇の衛兵である侍たちと斬りあいながら、
和泉式部の邸宅を訪れました。
翌日一条天皇は平井保昌と和泉式部を召喚して、
事情を問いただした上、二人が結婚するように命じました。
望みの薄い恋愛でも、頑張れば叶うこともあるという逸話です。
ですから、こちらの保昌山は恋愛運上昇のご利益があります。
宵山の際には、会所に絵馬を奉納することができます。


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保昌山が、八坂神社お旅所前を通過します。
保昌山の胴掛は、円山応挙の絵画を基にしています。
(もともとの絵画は、屏風になりました)


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保昌山が「四条河原町」交差点に向かい、東に進みます。
福禄寿と弁財天、唐子(中国人の子供)が描かれた見送りも、
円山応挙の下絵を基にしています。


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続いて、傘鉾2番綾傘鉾の幟が「四条寺町」交差点に入ってきました。
平安時代の形式を残す「傘鉾」は、現在2基現存します。
(もう1基は、第972回ブログ登場の四条傘鉾です)


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綾傘鉾の幟の後は、町衆の集団が行進します。
四条傘鉾同様、「傘鉾」は町衆が多いですね。


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羽織袴姿の町衆の皆さんが通り過ぎると、
浴衣姿の楽器を持たれた囃子手の皆さんと、
頭上に仮面を付けた舞手の皆さんが姿を見せます。
四条傘鉾同様、平安時代の形式を残す各「傘鉾」には
楽曲と踊りが伝わっています。
綾傘鉾の舞踊は、「棒振囃子」と呼ばれています。


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綾傘鉾の舞手は、4人いらっしゃいます。
ただ、ここで踊られるのは3人です。
棒を持たれた舞手の踊りはかなり激しいので、交代で演じられます。
四条傘鉾の棒振り踊り同様、綾傘鉾の棒振囃子も
八坂神社お旅所前と京都市役所前の2カ所で演じられます。
(どちらも、有料観覧席がある場所ですね)


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綾傘鉾の囃子手さんたちが、
自分たちがいる四条通北側歩道に並ばれます。
棒を持たれた舞手さんは、寺町通南側歩道を向かれます。
(観覧席のあるあちら側が、正面です)
その中間に太鼓を叩かれる舞手さんたちが並ばれます。
これで、棒振囃子の配置が完了しました。


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寺町通北側歩道前に並ばれた囃子手さんたちが、
横笛や銅鑼を鳴らして、演奏が始まります。
舞手さんの太鼓を含めて、
綾傘鉾の楽器は通常の祇園囃子と同じものです。
綾傘鉾の棒振囃子は四条傘鉾の棒振り踊り以上に激しい踊りですので、
通常の祇園囃子とはまったく異なる曲調です。


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曲が始まると、すぐに太鼓を持たれた舞手さんが飛び跳ねました。
そして太鼓を持たれた舞手さんが着地すると、
バチを持たれた舞手さんが太鼓を叩かれます。
太鼓を演奏しているというよりは、
完全に舞踊を舞っていますね。


974-13.jpg
今度は太鼓を持たれた舞手さんが、立ち上がられます。
すると、この格好で太鼓を叩かれました。
だんだんリズムが速くなって、横笛の曲調も激しくなります。


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太鼓のリズムが、さらに速くなります。
すると、太鼓を持たれた舞手さんがその場に座り込まれます。
たぶんこの格好が、いちばん太鼓を叩きやすいのでしょうね。


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一方棒を持たれた舞手さんは、初めはゆっくりと棒を回転させます。
綾傘鉾は、この棒を持たれた舞手さんがメインになります。
ですから観覧席から見て、一番目立つ位置に立たれます。


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棒を持たれた舞手さんは、片手で持たれた棒を振り回されています。
太鼓を叩くリズムが速くなるうちに、回転する棒の速さを変わります。


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遂に舞手さんの棒が、高速回転し始めます。
すると、観覧席から大きな拍手が起きました。
綾傘鉾の会所は、京都府福知山市にいらっしゃる
大原神社が勧請された場所です。
そのご縁で、京都府福知山市の大原神社にも
この棒振囃子が奉納されたこともあります。


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綾傘鉾の棒振囃子はそこまで移動しないため、
八坂神社お旅所の東側に
銅鑼を持たれた囃子手さんたちが並ばれます。
銅鑼や太鼓のテンポが速くなるにつれ、
囃子手さんの横笛や舞手さんが持たれる棒も速くなります。


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すると太鼓を持たれた舞手さんが立ち上がり、
さらに速いテンポで太鼓を叩かれます。
数秒ごとに太鼓を持たれた舞手さんが座ったり立ったりして、
踊り自体もだんだん激しくなります。


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棒を持たれた舞手さんも、棒を回転させる速さが数倍になります。
とは言え、写真では舞手さんが静止しておられるように見ます。


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棒を持たれた舞手さんは、腰をひねりさらに大きく棒を回転させます。
その動きもだんだん速くなり、棒が大きく高速回転します。
観覧席からも、再び拍手喝采が起きました。


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太鼓を持たれた舞手さんは、
立ち上がったまま太鼓を叩き続けられます。
だんだん棒振囃子の終わりが近づいて、
舞手さんたちの動きも激しさが増します。


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だんだん囃子手さんの演奏が速くなると、
棒を持たれた舞手さんもさらに速く棒を回転させます。
そしてこのまま囃子手さんの演奏が終わり、
綾傘鉾の棒振囃子が終わりました。


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囃子手さんたちの演奏が終わると、
棒を持たれた舞手さんはこの格好で静止されます。
そしてすぐに上半身はこのままにして、
四条通を東へ走り去られました。


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棒を持たれた舞手さんが四条通を東に走り去られると、
綾傘鉾の囃子手さんたち初め町衆の皆さんも、
四条通を東に立ち去れました。
四条傘鉾同様、綾傘鉾の町衆さんたちも大集団です。


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そして、綾傘鉾の登場です。
平安時代以来の形状を残す綾傘鉾には、
通常の山鉾のような前掛けと胴掛、見送りなどの区別はありません。
一時期この部分の下に「鉾」の部分があったこともありましたが、
ここ数百年はこの形状です。


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綾傘鉾の後に、もう一つの綾傘鉾が八坂神社お旅所前を通過します。
祇園祭の山鉾は1864年のどんどん焼けでほぼ全滅しますが、
100年以上かけて徐々に復活していきました。
綾傘鉾もそのような過程があったのですが、
その際寄付金が望外に多く集まり、
結局綾傘鉾は2基作られました。


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綾傘鉾に続いて、2023年の山10番太子山の登場です。
「学問の神様」としての側面のある聖徳太子を祀る山ですね。
会所脇には、受験の合格祈願の絵馬が多く貼り付けられています。


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太子山の上部が大写ししました。
まだ少年の聖徳太子が大阪に四天王寺を建てるため、
日本各地を旅をした故事に則っています。
また通常祇園祭の「山」は松の木を立てるのですが、
こちらはその故事に則り杉の木を立てます。


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太子山が、八坂神社お旅所前を通過します。
太子山の胴掛は極彩色の織物で、水引がレース状です。
こちらは、ベトナム製の絨毯を使用しています。


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太子山が、四条通を東に進んでいきます。
太子山の見送りも結構極彩色ですが、
こちらも、元はベトナム製の絨毯です。
2018年に太子山の装飾は新調され、
その際太子山全体の装飾がベトナム製の絨毯に変わりました。
その詳細は、第582回ブログを参照してください。


974-33.jpg
太子山の後から、岡持ちを持たれた方が続きます。
写真の角度から、少しだけ中が見えます。
岡持ちの中身を数年気にしていたのですが、
これで判明しました。

このつぎは祇園祭山鉾最大の月鉾の登場ですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、月鉾、伯牙山、蟷螂山、占出山と続きます~

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第975回 月鉾から放下鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その7

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前回ブログで棒振囃子を取材した綾傘鉾に続いて、
くじ取らずの鉾5番月鉾の幟が「四条寺町」交差点に登場です。
月鉾は祇園祭最大の山鉾で、形状も美しいですね。
今回は月鉾の後、伯牙山、蟷螂山、占出山、放下鉾と続きます。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前11時半。
この辺りから、山鉾巡行のペースが上がります。


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月鉾の最先端を撮りました。
そもそも「鉾」とは槍の一種ですが、
それぞれの鉾には長い棒の先端に金属製の刃先が付きます。
これら鉾は、巡行することで
周囲に蔓延る悪いもの・良くないものを切り裂きます。
祇園祭では山鉾巡行で周囲を清浄化した後、
八坂神社のご神体がお神輿に乗って、
東山区祇園地区などの氏子地域を巡ります。
つまりこの山鉾巡行は、夕方からの神輿渡御の準備です。


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月鉾が、「四条寺町」交差点に登場しました。
祇園祭の鉾は、約30人の曳手が人力で
人が歩く速さで移動させています。


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月鉾の上部を大写ししました。
長刀鉾以外の鉾には、人形の稚児が同乗します。
(長刀鉾には、人間の稚児が同乗します)
月鉾には、月を司る月読命が祀られています。


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ところが、月鉾はこの地点で停止しました。
また、山鉾が渋滞しています。


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月鉾の停止は、約5分でした。
だんだん渋滞の間隔と回数が減ってきました。
渋滞が終わると、月鉾の音頭取りが合図を送ります。


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「えいやらや~」音頭取りの掛け声とともに、
月鉾が前進します。
暫く休憩されていた曳手の皆さんが、
月鉾を四条通を東へと曳いています。


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月鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
月鉾の脇では、囃子手さんたちが祇園囃子を演奏されています。
月鉾の胴掛はインド製の絨毯ですが、
その上に巻かれている水引は円山応挙の日本画です。


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月鉾が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点を目指します。
月鉾の見送りは近年新調されていますが、
詳細を自分は知りません。


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月鉾の後は、2023年の山11番伯牙山が登場します。
重要文化財の杉本家邸宅が、会所として使われています。


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こちらが、伯牙山です。
古代中国の物語を基にしていますので、
装飾品はほとんどが中国製です。


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伯牙山が、八坂神社お旅所前を通過します。
伯牙は、周(約3000年前の中国)に実在した箏の名手です。
ところが親友で同じく箏の名手であった鍾期子が死亡すると、
その悲しみのあまり愛用の箏を斧で叩き割り、
二度と箏を弾かなくなりました。
この山では、年老いた伯牙が
斧で箏を叩き割る瞬間を表現しています。


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山鉾巡行中の伯牙像を大写ししました。
その表情が、親友の死で悲しみに歪んでいます。


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伯牙山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点へ移動します。
先述の通り、この見送りも数百年前の中国製です。


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続いては、2023年の山12番蟷螂山です。
蟷螂(とうろう)とは、カマキリのことです。
祇園祭の山鉾の中でも、特に人気のある山です。


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こちらが、蟷螂山です。
御所車の上に、カマキリが乗っています。
こちらは、南北朝時代の1352年に戦死した四条隆資の戦い方が
カマキリが前足を振りまわる様子に似ていました。
その後四条隆資を偲んで、四条家の御所車にカマキリを乗せたことが
この山の由来です。


975-20.jpg
蟷螂山のカマキリを大写ししました。
先ほどの写真とカマキリの姿が異なるのをお気づきでしょうか?
こちらのカマキリは、羽根を広げています。
このカマキリはからくり人形で、頭・前足の鎌・羽根が動きます。


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蟷螂山が、八坂神社お旅所前に登場しました。
人気のある山だけに、観覧席からも歓声が上がります。
すると蟷螂山のカマキリの頭や前足、羽根が激しく動き始めました。


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蟷螂山が、八坂神社お旅所前を通過します。
御所車の上のカマキリ像は、体調1mくらいでしょうか。


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蟷螂山の胴掛を大写ししました。
祇園祭の山鉾の大半は1864年のどんどん焼けで焼失しましたが、
その後徐々に復活しました。
蟷螂山は1982年に復活したのですが、
比較的最近に復活した山ですから、
装飾品がどれも真新しいですね。


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蟷螂山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点に移動します。
観覧席から去っていく蟷螂山のカマキリ像が、
前足の鎌を振って、別れを告げています。


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そして2023年の山13番は、占出山です。
この後はくじ取らずの山鉾ばかりで、曳山か鉾しか残っていません。
ですから、占出山が2023年の担ぎ山の最後尾です。
ここ10年で3回「山1番」を引いていた山が、
最後尾なのは「くじの妙」ですね。


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占出山が、八坂神社お旅所前に登場しました。
占出山は、神功皇后が新羅との戦争直前に
アユを釣り戦争の結果を占う場面を山にしています。
ですから神功皇后像は、釣竿を持っています。


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占出山の神功皇后像を大写ししています。
よく見ないと分かりにくいですが、
神功皇后像は左脇に太刀を帯びています。
この刀は平安時代の刀匠三条宗近によるものです。
今から1,000年以上前の方なので、
三条宗近が製作した刀はほとんど現存していません。
ですから、現存する三条宗近の刀はすべて国宝です。
ということは、この太刀も国宝ということになります。


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占出山が、八坂神社お旅所前を通過します。
この角度の方が、神功皇后が帯びる国宝の太刀がよく見えます。
占出山の胴掛は、日本三景を描いています。
こちらは、天橋立を描いていますね。
その上部には、三十六歌仙を描いた水引を巻いています。


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占出山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点へ移動します。
占出山の見送りは花鳥龍文様の綴織ですが、
こちらは近年復元新調されたものです。


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以上で2023年の担ぎ山は、すべて八坂神社お旅所前を通過しました。
続いては、くじ取らずの鉾6番の放下鉾です。
こちらは、通常形態の鉾の最後尾でもあります。
(残りの2基は、かなり特殊な山が登場します)


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約30人の曳手に曳かれて、放下鉾の登場です。
もう担ぎ山はすべて通過しているので、
残りの山鉾はどちらも曳手に曳かれています。


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放下鉾の「放下」とは、放下僧を差します。
「僧」ではあるのですが、大道芸をしながら旅をする人々のことです。
外からは見えませんが、鉾の中心に放下僧の像が置かれていて
そのことからこの名前が付きました。


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放下鉾を大写ししました。
放下鉾の稚児人形は「三光丸」と名付けられていて、
町衆さんが操ることで人間のような動きをします。


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八坂神社お旅所の手前で、放下鉾が停止しました。
また山鉾が渋滞しています。
ただ、今回はすぐに動き出しました。
放下鉾の音頭取りが、扇子を振り始めます。


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「えいやらや~」
掛け声とともに、音頭取りが扇子を前に突き出します。
すると、放下鉾が再び前進しました。


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放下鉾が八坂神社お旅所の前を通過します。
放下鉾も「鉾」なので両脇に囃子方が乗り込んでいて、
祇園囃子を演奏されています。
放下鉾の胴掛は、おそらくインド製の絨毯です。
江戸時代の祇園祭の町衆は、京都でも有力な商人でした。
ですから豊富な資金を背景に、
世界中の絨毯やタペストリーを買い求めて、
それを山鉾に貼り付けています。


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放下鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に移動します。
見送りのモスクの前をフクロウが飛ぶ図案は、
ここ最近(2010年)新調されたものです。


975-38.jpg
……と、ここでまた渋滞から放下鉾が停止しました。
すると、放下鉾の長持から水と塩飴が曳手の皆さんに配布されました。
炎天下のこの日、油断をすると簡単に熱中症になってしまいます。


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放下鉾に続いて、曳山の岩戸山が登場します。
ただ岩戸山はこれまでの担ぎ山と形状も構成も異なるので、
これまでの山とは別枠でカウントします。
岩戸山の後は最後尾の船鉾で前祭山鉾巡行が終わります。
残り2基ですが、だいぶ写真を貼り付けましたので
今回はここまでです。

~次回は岩戸山と船鉾を観覧した後、帰宅します~

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第976回 岩戸山 船鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その8

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第971回ブログ以来次々と山鉾を掲載してきましたが、
残るは特殊な山鉾2基となりました。
どちらも特殊な形状で、くじ取らずで順番が固定されます。
先ずは曳山の岩戸山ですね。
撮影日は、2023年7月17日月曜日正午。
2023年の祇園祭前祭山鉾巡行の連載は、今回で終了します。


975-40.jpg
先述の通り、岩戸山は曳山です。
曳山は「山」と「鉾」の中間で、
祇園祭前祭にはこの岩戸山しかありません。
(祇園祭後祭には、3基あります)
「山」なので天頂に松の木が立ちますが、
「鉾」並みの大きさなので
約30人の曳手が人の歩く速さで山を曳きます。

岩戸山の「岩戸」とは、天岩戸のことです。
八坂神社の主神でもある素戔嗚尊は
疫病をばらまく「死神」としての側面もあります。
(「日本書紀」では、「根の国の神」と表記)
その素戔嗚尊が悪行の限りを尽くして、
天照大神を岩戸の内部に追い込んだ神話です。


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岩戸山の屋根の上に、何名かが乗られています。
他の「鉾」にも何名かが乗られていますが、
岩戸山にはさらに田力男の像がおられます。
田力男(あめのたぢからお)が力づくで天岩戸をこじ開け、
天照大神を外に出して、
その後素戔嗚尊を高天原から追放することで、
天照大神は高天原の治世を取り戻しました。
そもそも祇園祭は、天然痘など疫病除けのお祭りです。
疫病をばらまく側面のある素戔嗚尊を追放する岩戸山を
特別の位置で山鉾巡行させることは、
疫病を避ける呪術的な意味が想起されます。


976-2.jpg
岩戸山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
曳山は「鉾」と同じ大きさですから、
脇に囃子手さんたちが乗っておられて、
祇園囃子を演奏されています。
岩戸山の胴掛は、インド製の絨毯を使用しています。


976-3.jpg
今度は岩戸山の底の部分を撮りました。
竹竿が並んでいますが、こちらは辻回しの際に使われます。
つまり岩戸山はこの大きさですから、
交差点ではこの竹竿を前輪の下に置いて、
竹竿の上で前輪を滑られることで回転します。


976-4.jpg
岩戸山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点に移動します。
岩戸山の見送りは「日月龍唐子喜遊図」ですが、
1年おきに皆川泰蔵による「ヴェネツィア図」に交換されます。


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そして船鉾の幟が、「四条寺町」交差点に登場です。
こちらが、祇園祭前祭山鉾巡行の最後尾です。



976-6.jpg
町衆の皆さんを引き連れて、、「四条寺町」交差点に船鉾が登場です。
船の形をした特殊な「鉾」ですが、
よく見ると天頂の刃先が付いた鉾がないこと以外は、
通常の「鉾」と同じ部位に分かれます。


976-7.jpg
船鉾の舳先に、黄金の鳥が付いています。
こちらは、鷁(げき)という中国の伝説上の水鳥です。


976-8.jpg
船鉾が、八坂神社お旅所の前を通過します。
船鉾は「鉾」なので、上部で囃子手さんたちが
祇園囃子を演奏されています。
船鉾の胴掛は、横縞なのが特徴です。
祇園祭後祭山鉾巡行の最後尾は
「大船鉾」と言う似た形状の鉾です。
ただ、大船鉾は胴掛の模様と舵の色が大きく異なります。
(大船鉾の詳細は、第878回ブログを参照してください)


976-9.jpg
船鉾は、神功皇后新羅に船で攻め込む様子を表しています。
現代なら覇権主義の象徴という説もあり得ますが、
当時の日本は貿易もそれほど積極的ではなく、
日本人も外国に目が向いていませんでした。
そんな当時の日本が侵略を賛美しても、無意味です。
おそらくですが、こちらは「勝利」の象徴だったのでしょうね。
手前の岩戸山が疫病神との戦いを表し、
この船鉾が「勝利」を象徴するとなると、
「疫病に勝利する」という当時の人々の願いが見えてきます。


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船鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点へと向かいます。
船鉾の最後尾に神棚があり、
そちらに神功皇后像がいらっしゃいます。
その下の舵が黒漆塗りなのが、船鉾の特徴です。
(大船鉾の場合は、赤漆塗りの舵です)


976-11.jpg
船鉾が通り過ぎて、祇園祭前祭の山鉾がすべて通過しました。
すると、船鉾の後から警察車両が続きます。
京都市内のお祭り巡行には
必ず最初と最後に警察車両が同行します。
おそらく道路交通法の関係ですが、
そうなると他の地域のお祭りでも
同じことになっているのでしょうか?


976-12.jpg
警察車両に続いて、ワゴン車とトラックが登場です。
祇園祭の関係者と荷物を積んでいます。


976-13.jpg
さらに、その後から交通警察のクレーン車が登場します。
クレーン車は、一斉に「四条寺町」交差点の信号機に向かいます。


976-14.jpg
「四条寺町」交差点の4つの信号機に、クレーン車が向かいます。
四条通を西から東へ、
交差点ごとに付いた信号機を元に戻していきます。
「四条麩屋町」交差点など、「四条寺町」交差点以西の信号機は
すでに通常モードに戻っています。


976-15.jpg
信号機に、交通警察官が近づかれます。
よく見ると信号機だけでなく、道路標識にも触れておられます。


976-16.jpg
信号機や道路標識は可動式で、
手で触れただけで簡単に元の位置に戻せます。
交通警察官が近づかれてから、
10秒ほどで信号機や道路標識は元に戻りました。


976-17.jpg
クレーン車が元の高さに戻り、そのまま移動します。
とは言え、船鉾はまだ「四条河原町」交差点に近付いていません。
ですから船鉾の後続で、クレーン車は待機されます。


976-18.jpg
この時点で八坂神社お旅所の前では、
横断幕と観覧席は撤去され始めています。
夕方からの神輿渡御が終わると、
こちらに祇園祭のお神輿が納められます。


976-19.jpg
八坂神社お旅所の前から、四条通を東に向いています。
四条通は、約400m先の八坂神社で突き当たります。
「四条河原町」交差点を見ると、
前回ブログの放下鉾は辻回しを終えましたが、
船鉾どころか岩戸山もまだ辻回しを終えていません。
船鉾が「四条河原町」交差点の辻回しを終えるのは、
この時点から約30分以上経ってからでした。


976-20.jpg
八坂神社お旅所の前で北を向くと、
四条通から北に新京極通が伸びています。
第969回ブログではほぼ無人だった新京極も、正午を回り超満員です。
ではその脇にある地下へ通じる階段を下りて、
阪急電車京都線「河原町」駅から帰宅します。
これで、2023年祇園祭前祭山鉾巡行の連載は終了です。

~次回は、写真のない短い記事を掲載します。
その記事の次に、この日の午後に催された神幸祭を連載します~

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テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

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プロフィール

ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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