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第419回 深緑の蚕ノ社~太秦の夏休み~その1

[蚕ノ社] ブログ村キーワード

2016年も祇園祭の取材が終わり、ようやく「通常版」に戻ります……
と言いたいところですが、今年(2016年)はまだまだ変則的です。
全ては、7月半ばKBS京都のCMを見ていた母の一言でした。
「そう言えば、『東映太秦映画村』に行ったことないわ」
「へぇ~広隆寺の北隣なんや。広隆寺にも暫く行ってないなぁ~」
で、その場で観光コースを頭の中で組み上げて
「じゃぁ、盆休みに行ってみる?
お墓参りに行かない13日とか、まる1日空くし」
という自分の言葉で、今回ブログの記事を書くことになりました。


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京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、「烏丸御池」駅で降ります。
そして、地下鉄東西線に乗り換えて、
終点の「太秦天神川」駅まで来ました。
今回は、ここから「蚕ノ社」木嶋神社を目指します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時。
この日も京都は、炎天下の猛暑でした……


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「太秦天神川」駅は、地下鉄東西線の終点です。
すぐに電車が出たりしないので、他の乗客がいなくなってから
ゆっくりと駅のホームを撮影しています。
では、こちらの階段を上りコンコース階に向かいます。


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その階段を上がり、コンコース階に来ました。
では、「太秦天神川」駅の改札を抜けて
向こうに見えるエスカレーターでさらに地上を目指します。


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そのエスカレーターは、途中からこのように吹き抜けになります。
このエスカレーターの先は右京区総合庁舎で、
その脇にかなり大きな市バスターミナルがあるので、
この辺りが京都市右京区で一番の交通の要所と言えます。


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「太秦天神川」駅から、地上に上がってきました。
目の前が右京区総合庁舎で、フレームから外れてしまいますが
左(東)側に京都市バスの大きなターミナルがあります。
右(西)側に三条通が走っていて、
その路上に京福電車(嵐電)の「嵐電天神川」駅があります。
(第54回ブログ参照)


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ほぼ同じ場所で、振り返りました。
この辺りの三条通は、北西ー南東方向に伸びています。
地下鉄東西線の「太秦天神川」駅から地上に出て、
僅か5mほどで、三条通上の「嵐電天神川」駅に辿り着きます。
ですから、ここからすぐに嵐山に向かうことができます。
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅が渡月橋から離れているため、
京都駅から大堰川沿岸の渡月橋や天龍寺に向かうには
地下鉄→嵐電の方が早く着きます。
(第398回ブログでも、このルートで進みました)


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「太秦天神川」駅のエスカレーターから、北西に約50m進みました。
ここで三条通は、御池通と交差します。
京都中心街ではどちらも東西に平行に伸びている道ですが、
この辺りの三条通は北西-南東方向に曲がっているので、
「三条御池」交差点という
京都市民には違和感のある場所になっています。
では、ここを渡り「太秦天神川」駅前から離れていきます。


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御池通から、三条通を北西に向いています。
4年前に訪れた第53回ブログには無かった建物に、
洋服屋さんの「しまむら」のテナントが入っています。
では、この三条通を進んでいきます。


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御池通から、三条通を北西に約100m進みました。
今回の道順は、第53回ブログとはちょうど逆ルートになります。
目の前に、真北に伸びる木嶋大路が見えてきました。


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三条通から、木嶋大路を北に向きました。
ここに、「蚕養神社」(こかいじんじゃ)と書かれた扁額の付いた
大きな石製の鳥居が現れます。
「蚕養神社」とは、「蚕ノ社」のことです。
つまり、ここが「蚕ノ社」木嶋神社の一の鳥居です。


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その鳥居をくぐり、木嶋大路を北に向いています。
こちらは、平安京造営の際に造られた最西端の道です。
(足立建亮著/講談社学術文庫「地図から読む歴史」参照)
2車線の道が、ほぼ真北に伸びています。
では、ここを進んでいきます。


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この間ここに来たのは約4年前ですが、
その頃と比べて新しい住宅がどんどん増えています。
ただこの辺りだけ、4年前と同じ建物が残っています。
では、向こうに見える森の辺りまで進みます。


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三条通から、木嶋大路を北に約200m進みました。
ここで、東西に伸びる太子道と交差します。
(京都市街地から、聖徳太子を祀る広隆寺への参道ですね)
「蚕ノ社」木嶋神社の鎮守の森「元糺の森」で
木嶋大路が突き当たるように見えますが、
本当はこの東側に狭い道がまだ伸びています。


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木嶋大路と太子道との交差点南東角に、こちらの建物があります。
4年前は、ここはコンビニエンスストアでした。
潰れたのかと思いましたが、「バイト募集」の看板が出ています。
どうやら、単に改装中みたいです。


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木嶋大路から、太子道を東に向いています。
太子道は、千本通から何度も筋を替えてここを通って
最後は三条通と合流して広隆寺に向かいます。


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木嶋大路から、太子道を西に向いています。
元糺の森の向こうに、鳥居が見えますね。
ちなみに、下鴨神社南側の糺の森は
平安京遷都以前はこちらにありました。
ですから、ここを「元糺の森」と呼びます。


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木嶋大路から太子道を西に約30m進み、北を向きました。
こちらから、木嶋坐天照御霊神社・蚕ノ社に入ります。
普段自分が「蚕ノ社」木嶋神社と呼んでいる神社です。
……しかし、ここの鳥居は伊勢神宮と同じ神明式なのですね。
この写真以降、クリックすれば全て拡大されます。


419-18.jpg
神明式の鳥居をくぐりました。
さらに北を向くと、「蚕ノ社」木嶋神社の境内がよく見えます。
この小さな橋を渡ると、もう周囲は一変して神様の世界ですね。


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境内に入り、すぐに西に向きました。
4年前はこの神社が経営する「このしま保育園」があったのですが、
更地になっていました。
これは閉鎖されたのではなく、現在改築中のためです。


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境内の東側には社務所がありますが、誰もいらっしゃいません。
それは、4年前と同じです。

ここで、ウチの母が突然自動販売機のおみくじを引きました。
広げると「大吉」だったそうで、そのまま持って帰っていました。


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社務所の南側に、「かいこのやしろ」と書かれた手水舎があります。
その脇には風水羅盤もあって、
陰陽道マニア垂涎の様相を呈しています。


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このしま保育園の北側には、こちらの大きな蔵があります。
多分、神輿とか入っているのでしょうね。
その北側に、西に向かって小さな橋があります。


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こちらが、その小さな橋です。
有名な「正三角形の鳥居」から流れ出した川に架かります。
(まぁ、その水は今涸れていますが)
橋の両脇に、狛狐がいらっしゃいます。
この先は、「蚕ノ社」木嶋神社から独立した稲荷社です。
では、先にこの橋を渡ります。


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では、その小さな川を渡ってそちらの稲荷社に向かいます。
先ずは、この石製鳥居をくぐります。


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川を渡ると、この辺りは元糺の森になります。
まずは、こちらの小さな稲荷社の祠にお参りします。


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その西隣にも、祠がいらっしゃいます。
小さな狛狐がいらっしゃるので、稲荷社でしょうね。


419-27.jpg
さらに西隣にも、小さな狛狐がいらっしゃる祠がいらっしゃいます。
こちらも稲荷社でしょうが、
小さな鳥居がまるでこちらの祠を封じているようにも見えます。


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この稲荷社は約50㎡の広さで、その周囲が元糺の森です。
その一番奥に、こちらの石碑が立っています。
この「白塚」というのが、こちらの元々の名前なのでしょう。


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その石碑の南隣に、こちらの塚がいらっしゃいます。
こちらは古墳の横穴石室が崩れて玄室が露出したものです。
4年前と比べて、盛り土がさらに崩れている気がするのですが、
本当のところは分かりません。


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こちらが、その塚が神社化した「白清稲荷社」です。
「白清さん」と「お稲荷さん」は全然違う神様です。
(それぞれ主神は、菊理媛宇迦御霊神などです)
4年前と異なり、中は神棚や祠が置かれていました。
4年前のブログでは、「分からない」を連発しましたが
いろいろ調べて一応全貌が分かりました。

実は、こちらの古墳は明治時代半ばまで元糺の森に囲まれて
存在が知られていませんでした。
盗掘などされていて玄室内の石棺などは喪失しており、
そのことで誰の墓なのかは今も不明です。
ここが神社となったのは、その明治時代半ばのことです。
ここの発掘(とその後の破壊や解体)を防ぐため、
太秦の近隣に拠点を持っていた右翼団体が
こちらに賽銭箱を置いて
「ここは神社だ」と主張したのがその起こりです。
そういう感じでできた神社のせいか、ここの沿革は
あまりあちこちのサイトや書物には記載されていないようです。
自分も、数年間いろいろサイトを探して偶然見つけました。


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では、こちらの鳥居からここを出て行きます。
向こうに見える橋を渡ると、「蚕ノ社」木嶋神社拝殿前です。


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稲荷社から橋を渡り、こちらに来ました。
北を向くと、大きな拝殿があります。


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拝殿の西側、本殿より手前に別の鳥居があります。
次は、そちらに寄ります。


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鳥居をくぐると涸れた小川があって、
その奥に格子で囲まれた場所があります。


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格子の先に泉があるのですが、数年前に涸れてしまいました。
元々の泉に、紙垂が突き刺さっていますね。
そこを囲むように、鳥居が正三角形状にくっ付いています。
こちらが「京都三珍鳥居」の一つで、
その中でもいちばん有名な「三柱鳥居」です。

この鳥居が結構「謎」とされて、様々な本のネタになっています。
(極端なものは、ユダヤ教起源説や宇宙人作製説)
とは言え、この鳥居はここだけではなく
京都でも大寧軒などにもあります。
要するに、こちらは泉を神格化した場所に建てられるもので
そう言った場所には普通に建てられているようです。


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そして、拝殿の北側に木嶋神社の本殿がいらっしゃいます。
木嶋坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は
604年創建説が有力視されているものの、さらに古い説もあります。
つまり、こちらに秦氏がこの神社を創建したのがその頃ですが、
こちらには太秦に秦氏が渡来する以前から集落遺跡や古墳があり、
それを考えると弥生時代起源の可能性もあります。
御祭神は天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)など5柱ですが、
創建時の御祭神は不明です。
(来歴がはっきりしないくらい、古い神社です)
平安時代末期にはかなり大きな勢力を誇りましたが、
承久の乱で焼失後は一気に衰退しました。
それがここ数年、どんどん参拝者数を伸ばしています。

また、こちらの東隣にもう一つ社がいらっしゃいます。
こちらが「蚕養神社」(こかいじんじゃ)で、通称「蚕ノ社」です。


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木嶋神社本殿を背を向け、南を向いています。
では、目の前の拝殿より南に進みます。


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拝殿の前から、南に向いています。
ここからさらに南に進み鳥居をくぐり、この神社を出ます。
クリックすすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


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神明式の鳥居の下で、南を向いています。
太子道の向かい(南)に、このしま保育園のプレハブが見えます。
改築中は、こちらが仮の保育園のようです。


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太子道に出て、このしま保育園の西側を撮りました。
この涸れた小川は、三柱鳥居から流れていた場所です。
先述の「地図から読む歴史」に出てくる御室川は、
この川ではないかという気がします。
現在の御室川(天神川)はもっと東を通っていますし、
昔はこの川はもっと水量が豊かだったっでしょうし、
それを考えればそうだろうと思います。

では、ここ太子道を西に進み
ここから広隆寺を目指すのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、広隆寺を訪れます~

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第420回 広隆寺の葉桜~太秦の夏休み~その2

[広隆寺] ブログ村キーワード420-1.jpg
「蚕ノ社」木嶋神社の前で、太子道を西に向いています。
右(北)側の工事現場は、改装中の「このしま保育園」です。
今回はここを西に進み、「太秦」交差点の広隆寺を散策します。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午前11時半。
猛暑の中の炎天下でした。


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「蚕ノ社」木嶋神社の前から、太子道を西に進んでいます。
右(北)側の民家の庭先で、百日紅が満開ですね。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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「蚕ノ社」木嶋神社から、太子道を西に約200m進みました。
ここで太子道は、少しだけ南に折れます。


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太子道は南に折れると、すぐに左(南)側の道に吸収されます。
こちらが三条通で、ここから西は太子道であり三条通でもあります。


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太子道と三条通との合流点で、三条通を東に向いています。
このすぐ先で、三条通は南東に大きくカーブします。


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さらに同じ場所で、三条通を西に向きました。
ここは、「三条太秦繁栄会」という商店街のただ中です。
では、ここを進んでいきます。4年前を逆行するルートですね。


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先程の合流点から、三条通を西に約10m進みました。
こちらは、駄菓子屋さんの富士屋さんです。
第52回ブログで初めて訪問して以降、たびたびお邪魔しています。
ただ約1年ぶりに訪れたところ、
たこ焼きの販売をやめておられました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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代わりに、富士屋さんではこれを買いました。
本当はソルティーライチがほしかったのですが、
無かったので代わりにスポーツドリンクを買いました。


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富士屋さんから、三条通を西に約50m進みました。
こちらは、浄土宗の常楽寺です。
第52回ブログ同様、こちらの沿革は分かりませんが、
門前の百日紅は見事ですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


420-10.jpg
常楽寺の前から、三条通を西に向いています。
約70m先に、交差点の信号が見えますね。


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三条通を約70m進み、その交差点で北を向きました。
ずっと向こうに高架が見えますが、
あちらにJR嵯峨野線が走っています。
そして、その高架付近に東映太秦映画村があります。
ただそちらには次回ブログで向かいますので、
今回は三条通を西に進みます。


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同じ場所で、三条通を西に向いています。
目の前に、「右京簡易裁判所」が見えますね。
では、この道を進んでいきます。


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「右京簡易裁判所」の前から、三条通を西に約120m進みました。
この辺りが、「三条太秦繁栄会」の最西端です。
こちらは、「太秦」交差点です。複雑な五叉路です。
北西角には、広隆寺の仁王門が見えますね。
ここから暫く、クリックすれば拡大されます。


420-14.jpg
「太秦」交差点で、三条通を南に渡りました。
こう撮ると、広隆寺の仁王門がよく見えますね。
この交差点は五叉路の上に線路が走っています。
京福電車(嵐電)は、この「太秦」交差点上だけ路面電車になります。
(嵐電は、他に三条通も路面電車です)


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さらに、「太秦」交差点の西側を見ています。
嵐電の線路を境に、左が大映通で右が三条通です。


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同じ場所で北を向きました。こちらが太秦広隆寺の仁王門です。
では横断歩道を渡って、広隆寺の仁王門をくぐります。


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広隆寺の仁王門をくぐりました。松と桜の木々が並んでいますね。
広隆寺は、南北に細長い境内を持っています。
では、北の方に伸びる石畳の道を進んでいきます。


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広隆寺境内の石畳の道を北上しています。
炎天下の中、木陰を選んで歩いていきます。


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石畳を北上し、それぞれをお堂を回ります。
先ずは、桜に囲まれた講堂です。
広隆寺は、京都屈指の桜の名所でもあります。


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講堂の裏(北)側に、こちらの手水舎があります。
こちらで、手を浄めます。


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その北隣には、秦氏の祖霊神を祀った祠がいらっしゃいます。
秦河勝を祀った太秦社と言います。


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太秦社の前で、北を向きました。
こちらは「上宮王院太子殿」で、事実上広隆寺の本堂です。

真言宗蜂岡山広隆寺は、
飛鳥時代7世紀初めに建てられた京都最古の寺院です。
ちなみに、真言宗には平安時代に改宗されました。
近年多くの文献から794年の平安京遷都以前は
平野神社付近に建っていたという説が有力視されています。
もしそうなら、前回ブログに出てきた「蚕ノ社」木嶋神社とで
形成しているとされているレイラインやらパワースポットなども
非常に疑わしいものになってきますね。


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「上宮王院太子堂」には入れませんが、手前までは上がれます。
こちらにはご本尊は安置されておらず、
代わりに聖徳太子像がいらっしゃいます。
(こちらの寺院は聖徳太子から下賜された弥勒菩薩像を祀るため、
秦河勝が建立したという説もあります)

こちらの周囲には、多くの絵馬が奉納されています。
ただし描かれているのは馬の絵ではなく、
「聖徳」や「一心」などの文字です。


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「上宮王院太子殿」の前で、西に向きました。
ここから石畳の道が続いていて、その先に駐車場があります。
その向こうが三条通り沿いで、
第50回ブログで出てきた「太秦開日町」交差点に辿り着きます。


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「上宮王院太子殿」の西側に、南北を貫く石畳の道があります。
こちらは、広隆寺の仁王門から続く道でもあります。
この少し先で、西側に広隆寺の庫裏があります。
そこで拝観料を払えば、広隆寺最北端の霊宝殿に入れます。


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700円を払って、第51回ブログ以来の広隆寺霊宝殿に入りました。
ここから先は撮影不可なので、パンフレットを掲載します。

先程の石畳の道の最北端に、霊宝殿が建っています。
蓮の花咲く池を通り過ぎた辺りに建っているので、
「御仏の世界に、苦界の者がお邪魔する」という気がします。
霊宝殿内には30数体の仏像がいらして、
その全てが国宝か重要文化財です。
実は「国宝」という制度自体、この寺院のために作られたものです。
中でも有名なのはパンフレットにも載っておられる弥勒菩薩像で、
こちらが日本の「国宝第1号」です。
ただ、自分のお気に入りはその向かいにいらっしゃる
大きな木造千手観音像です。
長い年月の中、多くを欠損されて「十手観音」になられていますが、
それが却って重厚さと荘厳さを醸し出される要因になっています。


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広隆寺霊宝殿を出て、石畳の道を南へ進んでいます。
では、ここからに仁王門へと向かいます。


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石畳の道を南下しています。
約200m進むと、広隆寺仁王門が見えてきました。


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広隆寺仁王門をくぐり、「太秦」交差点に出ました。
東西に細長い「太秦」交差点の南東角に、
京福電車(嵐電)の「太秦広隆寺」駅があります。


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こちらが、京福電車(嵐電)「太秦広隆寺」駅です。
いろいろと変わった駅なので電車で移動するわけではないのですが、
ちょっとこちらに寄り道します。

……と言いたいところですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
これ以降は、次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回はこの辺で昼食を摂った後、大酒神社経由で
東映太秦映画村に向かいます~

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第421回 八角鳥居の大酒神社~太秦の夏休み~その3~

[大酒神社] ブログ村キーワード
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広隆寺門前の「太秦」交差点前から東を向いて、
京福電車(嵐電)「太秦広隆寺」駅ホームを見ています。
(ここから暫く、クリックすると写真が拡大されます)
今ちょうど四条大宮行の電車が、駅から出発します。
今回はこの駅を少し覗いてみた後、
ここから北東にいらっしゃる大酒神社に立ち寄ります。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午後0時半。
そろそろお腹が、空いてきましたね。


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京福電車(嵐電)は切符の購入や改札業務を全て車内で行いますので、
(京都市の市バスなどと同じシステムです)
終点の「四条大宮」駅・「嵐山」駅・「北野白梅町」駅(北野線)と
本線と北野線を乗り換える「帷子ノ辻」駅を除けば、
基本的に無人の駅です。(「御室仁和寺」駅も無人駅でした)
駅ホームに入って、向かい側の嵐山行のホームを撮っています。
駅ホームの奥に薬局が見えますが、
こちらは駅構内のテナントではありません。
つまり、駅ホームと公道との境界がいい加減になっています。


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ですから、こちらの民家は玄関先が「太秦広隆寺」駅ホームです。
(「駅まで徒歩0分」の物件です!)
さらによく見ると、駅ホーム自体が路地の一部になっています。
無人駅でなければ、この駅の構造は無理ですね。


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今度は、「太秦広隆寺」駅の四条大宮行ホームを撮っています。
向こうに、三条通が見えますね。
駅ホームから、直接「うどん・そば」と書かれたお店に入れます。
こういう構造なら「立ち食いそば」を想像するのですが、
こちらは京都市内でも屈指の手打ちうどんの名店です。
では、第52回ブログ以来の「京富」に入店します。
(撮影許可も、お店の主人にもらいました)


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こちらには久しぶりの入店だったのですが、
お昼時とも相まって超満員でした。
(第52回ブログ取材時は、お客は自分一人だけしかいませんでした)
うどんを注文して暫くして追加でビールを注文したのですが、
だんだん泡がなくなってきました……
元々こちらは最低でも10分くらいは待つのですが、
(手抜きなしの手打ちうどんは、時間がかかります)
店の外に立って待っておられる方が数人いらしたので、
予想よりはだいぶかかりそうです。


421-6.jpg
どんどん泡が消えていくので、
仕方なくうどんが来る前にビールを飲んでいます。
店内は家族連れでいっぱいでした。
その大半が、観光客です。
そちらを写すわけにはいかないので、こちらを写します。
「茶ノ木人形」とありますが、
どうやら本当にお茶の木で作った細工のようです。


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約30分待って、こちらが来ました。
ビールは、全て飲み干してしまいました。
これが、この日(2016年8月13日)の日替わりランチです。
ウチの母も、同じものを注文しました。これで一人950円でした。


421-8.jpg
こちらは、漬け(マグロの醤油漬け)の丼です。
母は上から順に食べていましたが、
自分は搔き混ぜてから頂きました。
ワサビが効いていますが、ご飯は白米で酢飯ではありません。


421-9.jpg
こちらが、本日のメイン生湯葉と温泉卵のぶっ掛けうどんです。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、
こちらは食感やのど越しが讃岐うどんに近いです。
とにかく、コシが強いですね。
他のどの店よりも、母の反応が良かったのが印象的でした。
個人的には、ここが京都で一番おいしいうどん屋だと思っています。
クリックすると写真が拡大するのは、ここまでです。


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「京富」を出て、「太秦」交差点で北を向いています。
目の間を三条通が横切り、左(西)に前回ブログで訪問した広隆寺
右(東)に右京消防署が見えます。
では、この北に向かう府道131号線を進みます。


421-11.jpg
「太秦」交差点の北西角に渡り、府道131号線を北上しています。
左に見えるのは、広隆寺の白壁です。
「太秦」交差点を北に進んでいくと、
府道131号線は東にカーブし始めて急な上り坂になります。


421-12.jpg
「太秦」交差点から、府道131号線を約100m進みました。
この辺りで、進路は真北から東北東に変わっています。
広隆寺の最東端を通り過ぎた辺りで、上り坂が平坦になります。
右側が端の欄干のようになっていますが、
こちら側には「広隆寺橋」という表札があります。
おそらく数十年前まで、広隆寺東端に川が流れていたと思われます。


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「広隆寺橋」から、府道131号線を東北東に約100m進みました。
左(北)側に、森が見えてきます。
こちらが、大酒神社の鎮守の森です。


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鎮守の森の最東端に、こちらの石製鳥居が立っています。
では、こちらから大酒神社に入って行きます。
また大酒神社境内の写真は、クリックすると拡大されます。


421-15.jpg
大酒神社境内に入って行く前に、石製鳥居の根元を撮りました。
この鳥居の柱は、正八角柱です。(通常は、円柱です)
おそらく、この形状は日本で唯一です。
こちらの方が「京都三珍鳥居」よりも珍しいと思うのですが……

~2016年9月5日訂正~
今回ブログの猫舌さんのコメントで知ったのですが、
八角柱の鳥居は、大阪府などを中心にいくつかあるそうです。
ですから、大酒神社の鳥居が「日本唯一」ではないそうです。
ご指摘いただいたので、訂正します。


421-16.jpg
鳥居をくぐると、すぐにこちらが見えてきます。
確かこちらは摂社や末社ではなく記念碑だったはずなのですが、
何の記念碑だったかは覚えていません。
(その場には書いてあったのですが、書き写し忘れです)


421-17.jpg
こちらが、大酒神社の本殿の祠です。
御祭神は、秦氏の開祖秦酒公(はたのさけきみ)です。
また、秦氏が朝鮮半島から渡来した際の主の弓月君と
中国にいたころの始祖秦始皇帝も祀ってあります。
江戸時代以前は摂社が4柱もいらした大きな神社だったのですが、
明治時代初期の神仏分離令以後はとても小さな神社となりました。
(もともとは、今の広隆寺駐車場にいらっしゃいました)

飛鳥時代、太秦一帯を支配していたのは秦氏でした。
ですから、「蚕ノ社」木嶋神社や広隆寺といった
秦氏が建立した神社仏閣がこの辺に集中します。
……と言いたいところですが、
前回ブログでも紹介した広隆寺はもっと東の方にあったわけですし、
松尾大社伏見稲荷大社も秦氏が建立した神社です。
ですから、本当は必ずしも太秦=秦氏ではありません……


421-18.jpg
大酒神社本殿の祠前から、東を向きました。
現在この神社はとても小さいので、
ここから先程の鳥居と府道131号線が見えます。
では、ここから出て先を進みます。
クリックすれば写真が拡大されるのは、ここまでです。


421-19.jpg
大酒神社の前から、府道131号線を東に向いています。
目の前が交差点で、
北東角と南西角にコンビニエンスストアが並んでいます。
この府道131号線は、このまま進むと
JR嵯峨野線「花園」駅(妙心寺の前)まで続いています。


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その交差点で南を向きました。約100m先の信号が三条通です。
前回ブログでは、三条通からこちらを見ていました。


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今度は、同じ交差点で北を向きました。
約300m先に、JR嵯峨野線の高架が見えます。
その高架の先は、丸太町通を越えた後は蛇行し始め
最終的には天神川通に吸収されます。
また、あちらの高架付近に東映太秦映画村があります。
次はそちらに向かうわけですが、今回はここまでです。

~次回は、東映太秦映画村に向かいます~

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第422回 東映太秦映画村 前編~太秦の夏休み~その4

[東映太秦映画村] ブログ村キーワード
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嵐電「太秦広隆寺」駅から府道131号線を北北東に約200m進み、
前回ブログでお邪魔した大酒神社の前の交差点で北を向きました。
約250m先のJR嵯峨野線の高架の手前が、東映太秦映画村です。
今回は、ここからその映画村の中に入って行きます。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午後2時。
炎天下でしたが、映画村内部をだいぶウロウロしました。


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先程の写真に写っていた小路を左(西)に向きました。
向こうに見える白壁の建物も、映画村の一部でしょうね。


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先程の交差点から、約150m北上しました。
JR嵯峨野線の高架が、だいぶ近づいてきました。
この左(西)が駐車場で、修学旅行シーズンには
観光バスが何台も並ぶことになります。


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その辺りで、西を向きました。
駐車場の向こうに、東映太秦映画村の団体入口があります。
自分と母の2名では「団体」とは呼べないので、
別の場所から映画村内に入ります。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その団体入口から、さらに北に約100m進みました。
自分たちのような個人客は、この順路に従って進みます。


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こちらは、東映太秦映画村北東端のパディオスです。
映画館やイベント会場やテナントが入った屋内施設です。
自分たちのような個人客は、この施設前でチケットを買って
パディオス経由でこの中に入れます。
では、ここで一人2,200円支払って(!)中に入ります。


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入場口から、まずはパディオス内部に入ります。
その入り口付近で、こちらが出迎えてくれました。
「あ~っ、プリキュアだ!」
そう言いながら、幼稚園児や小学校低学年の女の子が集まります。
(それに加えて、保護者のお父さんとお母さん)
本当に、人気があるのですね。
この上の階で、このアニメのイベントが開かれていました。
おかげで、誰もいないタイミングで撮影するのが大変でした。
これ以降、最後までクリックした写真は全て拡大されます。


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そのプリキュア人形の前で、パディオスの奥(西)を見ています。
自分たちのお目当てのオープンセットはこのまま直進なのですが、
屋内施設の冷房がとても心地よくなってきました。
「そうだ、この上も見て行こう」
そう自分が提案したのは、少しでも涼みたいからです。
(この日も、最高気温は35℃前後でした)


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先程のエスカレーターを上がった途端、こんな状態でした。
仮面ライダーやら、戦隊ヒーローものやら、プリキュアやらで、
幼稚園児や小学生、さらにその保護者が立錐の余地もありません。
どれも東映が作ったキャラクターですが、人気がありますね。
これがここの常態なのか、夏休み仕様なのかはよく分かりません。


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エスカレーターの脇で、さらに大きな人混みがありました。
角度的に写っていませんが、プリキュアに扮装した方々が
数人出てこられて何やらイベントが始まりました。
「全然見えへん」と泣き声で言う幼児や児童に対して、
保護者が抱きかかえたり肩車をされていました。
自分と母は、人酔いしそうなので1Fへと戻ります。


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パディオス内のエスカレーターに乗って、
1Fに下りてきて西を向いています。
ここの右(東)側に、フードコート形式のレストランと
水戸黄門関連グッズの売店がありました。
では、ここから西に直進してオープンセットに向かいます。
(要するにパディオスから、外に出ます)


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パディオスから西に出ると、巨大なオープンセットが並びます。
ここは元々東映映画の撮影所でしたが、規模が縮小されるときに
その一部がこのようにテーマパークになりました。
(映画村の西側は、今も東映映画の撮影所として稼働しています)
ここ太秦には映画会社の撮影所が多く、1960年代の映画全盛期には
「時代劇の太秦」と呼ばれていたこともありました。
今でも第420回ブログに出てきた大映通沿いに大映の撮影所が、
さらにその東の方にも松竹の撮影所があります。


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この時点(2016年8月13日午後2時半)で35℃を越えています。
ただパディオスで結構涼んだので、あまり暑さは感じません。
パディオスの西側は「明治通」と呼ばれ、
文明開化のころのセットが中心です。
こちらの郵便ポストも古い形ですね。
とは言え、よく見るときちんと郵便局に登録されているようです。
ということは、ここに葉書を入れても届けてもらえるのでしょうね。


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先程写っていた路面電車の西側に、こちらの建物があります。
撮影用のセットと思っていたら、本当にレストランでした。
ここオープンセットには、膨大な数の飲食店があります。


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明治通の南側に、小川が流れています。
その川の向こうに、遊郭のセットがあります。
ちょっと、向こうに行ってみましょう。


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遊郭の門をくぐると、このようなお店が何軒も並んでいました。
これら全て遊郭の場面で使われるセットです。
中もよくできていて、女郎さんが座られる場所も作られていました。


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郭の格子に、女郎さんが座られる場所があります。
そこには花魁の書き割りがあって、一般のお客さんが顔を出して
写真撮影できるようになっています。


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同じ場所で、南を向きました。
この遊郭の周囲が桜並木に囲まれているので、
春になればここは絶景でしょうね。
目の前にベビーカーがありますが、
6人くらいの家族連れが先ほどの書き割りで赤ちゃんともども
撮影会に興じられておられました。
ではここを南に抜け、遊郭を出ます。


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遊郭の南側から、長屋が続きます。
後日この辺りに銭形平次の家があったと知ったのですが、
(どのシリーズの「銭形平次」のセットかは分かりません)
この時点では知らなかったので入っていません。


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長屋の中は、1部屋だけの平屋が続きます。
その中央が広場になっていて、その中心に井戸があります。
この辺は第405回ブログで出てきた命婦稲荷社周辺と同じ構造です。


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長屋を南に抜けました。
桜並木に囲まれて、水車小屋がありますね。


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その水車小屋の南側で、この道は突き当たります。
向こうのテントは、自分で清水焼を作るお店です。


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その突き当りで、左(東)を向きました。
この先が中央広場で、この周辺に最も売店が集中しています。


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こちらは、その中央広場の入り口付近です。
左(北)側の「美空ひばり座」の前に、夜鳴き蕎麦の屋台があります。
こちらはセットなので、ここで実際に蕎麦は売っていません。
ここで本当に売ったら、面白そうなのですが……
向こうに、今回ブログの最初に出てきた「団体入口」が見えますね。


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その南側に、立体迷路のアトラクションがありました。
お城のような迷路の上に、忍者のお人形がいらっしゃいます。


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そのマイロの向かい(東)側に、別の建物がありました。
多分、こちらが今回ブログで最初に見えた建物でしょうね。
向こうの建物からこちらへ、忍者の人形が綱渡りをしています。
黙々と移動しているのですが、誰も気にしていません……


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こちらが、その向かい側の建物です。
こちらは、遊技場です。当たり矢などができるようになっています。


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せっかくなので、その当たり矢に挑戦してみました。
確か5本で300円でした。
自分の左隣の学生さんが、全て的に当てていました。
一方自分は……見事に0本的に当たりました。
(言い換えると、全て外れました)
一応、参加賞の竹トンボを頂きました。
こちらは母が甥っ子(自分の妹の息子)にプレゼントしましたが、
先日早速プロペラの上半分を紛失したそうです。


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中央広場から、西を向いています。
夜鳴き蕎麦の屋台を、先ほどと反対側から見ています。
右(北)側に見えるレンガ造りの建物が、「美空ひばり館」です。


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「美空ひばり館」(夜鳴き蕎麦の屋台)の前で、西を向きました。
この辺りが、オープンセットで一番賑やかでした。
清水焼製作実体験のテントの向こうに、太鼓橋が見えます。
さらに塀の向こうは、第420回ブログの広隆寺霊宝堂付近です。
向こうに鎧武者の姿が見えますが、
お客さんが有料でそう言う扮装をされているようです。


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中央広場から西に進み、太鼓橋の袂まで来ました。
欄干の向こうは土蔵が並んでいますが、
川に水は流れていません。
確かここは江戸の日本橋を模していて、
今でも日本橋が出てくる場面を撮影するときは
ここを使っているそうです。
東映太秦映画村はテーマパークではありますが、
オープンセットをそのまま使ってお客さんの目の前で
映画やドラマの撮影が行われることもあります。


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日本橋は東半分が太鼓橋ですが、西半分は階段でできています。
(その辺が、映画のセットぽくて面白いですね)
その階段を下りていくと、向こうに人だかりができていました。
その中心にいるのは、白馬(!)のようです。
ちょっと寄ってみます。


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日本橋を下り、その馬の許に来ました。
なかなか立派な白馬ですね。
料金を払うとこの白馬に乗れるそうですが、
この時間帯はこの白馬も休憩中でニンジンを食べていました。


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その白馬がいた辺りに、お地蔵さんがいらっしゃいました。
その脇には、鍛冶屋など職人さんの家屋が並んでいます。
(もちろん、これらすべて映画のセットです)


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さらにその北側には、稲荷社がいらっしゃいました。
元々は映画のセットかもしれませんが、
しっかり掃除も行き届いていてきちんとお祀りされているようです。


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白馬が休憩している場所から、北を向きました。
大通りの先に、「中村座」という芝居小屋があります。


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その大通りの1本東に、髪結い屋さんがありました。
ちょっと中を覗いてみます。


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髪結い屋さんの中に、入ってみました。
まるで江戸時代に迷い込んだみたいですね。
全てではないのですが、いくつかのセットは
中がこのように細かく作り込まれています。


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大通りに戻り、北上しています。
この辺りは、大店の商家が軒を並べます。


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その商家の一角に、火消しの「め組」がありました。
ドラマの暴れん坊将軍では、ここが実際に使われていたそうです。
その前を、先ほどの鎧武者姿の方々が通り過ぎていきます。


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「め組」のある大通りを北に突き当たると、
芝居小屋の「中村座」があります。
その前で西を向くと、外に出られる門があります。
そこから約5mの道を西に渡ると、
さらに東映太秦映画村の施設が並びます。
(ちょうど広隆寺の北隣の位置ですね))

ここから西側に移っていきますが、だいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでとします。

~次回は映画村の残りを回って、
地下鉄「太秦天神川」駅経由で帰ります~

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第423回 東映太秦映画村 後編~太秦の夏休み~その5

[東映太秦映画村] ブログ村キーワード
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前回ブログに続いて、東映太秦映画村の中にいます。
日本橋の西詰から北上して、
突き当りの芝居小屋「中村座」の前で西を向いています。
この先でいったん公道に出ると、
その公道の西側にも映画村の施設が並んでいます。
では、今からそちらに向かいます。
撮影日は、2016年8月13日土曜日午後2時15分。
この時点で、まだまだ35℃を越えていました。


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そのまま西に進み、公道に出た後西側の施設に入ってきました。
東側の「時代劇オープンセット」に対して、
西側は「アトラクション広場」と呼ばれています。
こちらには映画の撮影に使うセットはなく、
代わりに別料金の遊戯施設や売店・飲食店が並んでいます。
ここ以降、映画村内の写真はクリックすると全て拡大されます。


423-3.jpg
さらに西に進み、先程の写真で
突き当りに見える場所から北を向きました。
次は、ここを進んでいきます。


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その道の最北端に、お化け屋敷がありました。
中に入るには、別に一人500円かかります。
料金的なことよりも、行列の長さから(時間的な問題です)
ここに入るのは諦めました。


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先程よりも、1本西の道を南下しています。
その途中に、「からくり忍者屋敷」という施設がありました。
こちらも一人500円が必要なのですが、
先程以上の行列だったのでこちらも入れませんでした。


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そのアトラクションの前をさらに南に進み、西を向きました。
ここを進むとすぐに出入り口があって、
そこからJR嵯峨野線「太秦」駅や
京福電車(嵐電)「撮影所前」駅に行けます。
映画村の西隣に体育館のような大きな建物が見えます。
こちらには「東映京都第13撮影所」と英語で書かれています。
あちらは現役の映画撮影所ですが、一般公開されていません。


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その場所から、東へと進んでいます。
季節柄(2016年8月13日撮影)、百日紅の花がきれいですね。
ここを出て、公道を渡って向かいの門をくぐれば
今回ブログ最初の地点に戻れます。


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「アトラクション広場」から「オープンセット」に戻りました。
今回ブログと同じ場所にいますが、ここでは北東に向いています。
向こうに、芝居小屋の中村座が見えます。
この日(2016年8月13日)の午後2時半から
「ちゃんばら辻指南」という催し物があるそうです。
では、ちょっとここに寄ってみます。


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こちらが、その中村座の内部です。
本当に、昔ながらの芝居小屋ですね。
もうだいぶお客さんが入っていて、自分も母も立ち見でした。


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「ちゃんばら辻指南」は、全て舞台手前で行われます。
舞台には次の催し物(忍者ショー「サスケ」)の大道具があって、
この催し物では使えないようです。
午後2時半になると、二人組の侍姿の男性が登場して
寸劇(小芝居)が始まりました。
どうやら二人は長州藩士で、後から登場する新撰組と戦うそうです。


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……で、なぜか沖田総司と岡田以蔵のチャンバラです。
(「人斬り以蔵」は本当は長州藩士ではなく、土佐藩士です)
沖田総司役(なぜか女性です)も、岡田以蔵役(こちらは、おっさん)も
普段からチャンバラをしているプロの役者なので、
ただの寸劇でもかなり迫力があります。
客席で怖がって、号泣している幼児がいました。


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その後は、3人仲良く登場してチャンバラごっこのやり方を
観客の中から希望者(主に小学生)を募って教えていきます。
そう言えば、ウチの甥っ子を含めて
最近の小学生はチャンバラをほとんど見たことがありません。
時代劇人気の再興のために、こういうことをされているのでしょう。
……にしても、長州藩士役の方の進行があまりに上手なので
それが一番印象に残りました。(写真の左端の方です)
チャンバラを怖がる幼児をなだめたり、
お客さんを退屈させないように巧みな話術を駆使したりと
最初はお笑い芸人さんかと思ったほどでした。
(お話の内容から、俳優が本業らしいのですが……)


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「ちゃんばら辻指南」が終わって、中村座を出ました。
(次のお芝居を見ては、帰るのが遅くなってしまいます)
またまた炎天下のオープンセットを歩いていきます。


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中村座沿いに、オープンセット内を北上します。
すると、すぐに大通りに出ます。


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その大通りを東に向いています。
この大通りが明治通で、
これでオープンセットを一周したことになります。
では、向こうに見える「明治」駅舎に入ります。
(最初にオープンセットに出てきた場所です)
こちらから見ると「明治」駅ですが、
あの建物が、前回ブログに出てきたパディオスです。


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パディオスからは、外に出られません。
前回ブログに出てきたプリキュア像の前で右(南)に折れて、
隣の施設にいったん入ります。
こちらには土産物屋さんが何軒か並んでいます。
京都のお土産の定番が、一通りありますね。


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そして、この土産物屋さんのある施設から東側の公道に出ます。
(前回ブログの最初に出てきた道です)
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


423-18.jpg
東映太秦映画村の正門の前で、北を向きました。
向こうに見えるJR嵯峨野線の高架を越えて左(西)に折れると、
約1㎞先にJR嵯峨野線「太秦」駅があります。
(約700m先に、京福電車(嵐電)「撮影所前」駅があります)
本当は、そちらへは映画村の西側出入り口から出たほうが便利です。


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今度は同じ場所で、南を向きました。
京福電車(嵐電)「太秦広隆寺」駅や
地下鉄東西線「太秦天神川」駅へは、こちらが便利です。
では、そちらの方に向かいます。


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東映太秦映画村の正門前から、南に約250m進みました。
ここで、府道131号線と交差します。
(前回ブログの最初の地点で、反対を向いています)


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その通りから、府道131号線を南西に向いています。
すぐ目の前が、第421回ブログで出てきた大酒神社です。


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大酒神社のいらっしゃる交差点で、南を向きました。
では、こちらの地下鉄東西線「太秦天神川」駅への近道を進みます。


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東映太秦映画村前の道を府道131号線を越えても南下しています。
この道は、先程の交差点から約100mで三条通と交差します。


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さらに南下して、三条通に出て東を向きました。
この辺りは、第420回ブログで通った道です。
目の前で咲き誇る百日紅も、
その回に出てきた浄土宗常楽寺のものです。
その向こうに、和菓子屋さんの「萬為」があります。
第52回ブログでも、立ち寄ったお店です。


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この「萬為」さんには、約4年前の取材でも立ち寄りました。
そのときは水無月を買いましたが、今回はわらび餅を買いました。


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こちらが、そのわらび餅の中身です。
こちらのわらび餅は水分が少ないので、
初めからきな粉が入った状態でした。
しっかりした固さと、きな粉の甘味が美味しいですね。


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「萬為」さんの前で、三条通を東に向きました。
向こうに、第420回ブログに出てきた駄菓子屋さんの
富士屋さんが見えますね。
では、ここを進んでいきます。(第420回の道を逆行します)


423-28.jpg
富士屋さんの向かい(南)側には、「太秦東口」バス停があります。
向こうのY字路で左を進めば、
第419回ブログの「蚕ノ社」木嶋神社に辿り着きます。
今回は右側の三条通を進みます。
(第52回ブログと同じルートですね)


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先程のY字路から、三条通を見ています。
ここから三条通は、南南東に折れ曲がります。


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そのY字路から、三条通を南南東に約200m進みました。
ここは、「三条太秦商店街」の東端です。
ここから道幅が急に広くなり、
道路の真ん中に京福電車(嵐電)の線路が進入します。


423-31.jpg
その場所で、右(西)を向きました。
向こうに、京福電鉄(嵐電)「蚕ノ社」駅が見えますね。
ここから南南東は、西大路まで線路が三条通上を通ります。
(第54回ブログ第55回ブログ参照。
自分のお気に入りの「山ノ内」周辺です)


423-32.jpg
京福電車(嵐電)「蚕ノ社」駅前から三条通を南南東に歩いています。
向こうの信号の先は、線路上に自動車は入っても構わなくなります。
向こうに見える第419回ブログでも出てきた時計の辺りに、
木嶋大路が南北に伸びています。


423-33.jpg
三条通から、木嶋大路を北に向きました。
この先に、「蚕ノ社」木嶋神社がいらっしゃいます。
(ここを進めば、第419回ブログのルートです)


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木嶋大路から、三条通を南南東に向いています。
左(東)側に、「しまむら」が見えますね。


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京福電車(嵐電)「蚕ノ社」駅から、
三条通を南南東に約150m進みました。
ここで三条通は、御池通と交差します。
ここから、地下鉄東西線「太秦天神川」駅前です。


423-36.jpg
「三条御池」交差点から、三条通を南南東に約100m進みました。
本当はもう駅から帰宅するだけなのですが、
ちょっとこちらにも寄っていきます。
こちらは、京福電車(嵐電)「嵐電天神川」駅前のカレー屋さん
「arrows」です。(第54回ブログでも立ち寄りました)
右京区総合庁舎の南端ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


423-37.jpg
以前ブログ取材して以来、こちらにはよく来ます。
個人的には、第421回ブログの「京富」と並んで
太秦ではお気に入りの飲食店です。
こちらは団体の予約とかが入って満員のときもあるのですが、
この日(2016年8月13日)は割と空いていました。

自分はまたカレーを注文したのですが、母はこちらを注文しました。
アイスミルクに抹茶アイスクリームが載っています。
こちらはカレーライス専門店ですが、
実はスイーツ類もかなり充実しています。
(こちらは、三条富小路角のミールミーと提携しています)


423-38.jpg
そして、自分はまた名物のシーフードカレーを食べました。
多分ですが、欧風カレーライス店では
ここが京都で一番おいしいですね。
(鞍馬口寺町角のフェルメールと似た味です)


423-39.jpg
そのシーフードカレーをアップで撮りました。
こちらのカレーはインド風とは違い、ストレートに辛いです。
(インド風カレーも辛いことは辛いのですが、
他に甘みや酸っぱさが混じります)
それに海産物の甘味が上手く混じって、独特の旨味を出しています。


423-40.jpg
「arrows」を出ると、すぐ目の前に、地下鉄へ降りる階段です。
では、ここから地下鉄に乗って帰宅します。
家に帰ったら午後4時半を少し回っていました。
ちょうど6時間の夏休みの太秦散策でした。

今回は、ここまでです。

~次回から、「高倉通編」が復活します!
先ずは、佛光寺へと向かいます~

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プロフィール

ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
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「京都桜100景」
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新たに撮ったものを加え
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少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
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いただきました。

「ひまわりパパの
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ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
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「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
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「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
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「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
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ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
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こちらからお願いして、
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この度、相互リンクさせて
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頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
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「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
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うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
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京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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