前回ブログで散策した千本釈迦堂を出て、五辻通に戻ってきました。
今回はいったん今出川通まで南下して、上七軒の花街を回ります。
撮影日は2019年4月4日日曜日午後1時半。
穏やかな晴れの日でした。

千本釈迦堂の前で、五辻通を西に向いています。
第473回ブログでは、こちらを進みました。
花街上七軒の最北端を掠める道で、
旧京都市立翔鸞小学校前の桜の木が、なかなか見事です。

千本釈迦堂の前で、五辻通から南を向いています。
ここをずっと南下すると、今出川通で七本松通になります。
七本松通は今出川通と交差する「上七軒」交差点で北西に折れ、
五辻通以北はまたまっすぐ北上します。
おそらく、千本釈迦堂前のこの道は昔の七本松通だと考えられます。
ですから、この道をこのブログでは「旧七本松通」と書きます。

五辻通から、旧七本松通を約120m南下しました。
旧七本松通には、西陣織の織機の音と古い京町家が続きます。
ここで、旧七本松通は今出川通と交差します。

旧七本松通から、今出川通を南に向いています。
こちらは「上七軒」交差点で、
この交差点より南には七本松通が伸びています。
(約300m南で、一条通と交差します。
第350回ブログの京都北野商店街中央付近です)

「上七軒」交差点で、西を向きました。
左(西)に伸びるのは今出川通で、
目の前(北西)に七本松通が伸びています。
その間に、西北西に伸びる小路が見えますね。

こちらが、その間の西北西に伸びる小路です。
「
北野をどり」と書かれたオレンジ色の支柱が2本立っています。
では、西北西に伸びるこの石畳の道を進みます。

そのオレンジ色の支柱の脇に、こちらの道標が立っていました。
それによるとこの道は「北野天満宮東参道」で、
(つまり北野天満宮へ続く道)
この道こそが花街上七軒の中心道路ということが分かります。
ですから、今回ブログはこの道の散策がメインです。

その道標の脇に、こちらの家屋が建っていました。
屋根の上に、様々な鬼瓦や
鍾馗様が並んでいます。
何かのお店とも思いましたが、
誰もいらっしゃらなかったのでよく分かりませんでした。
その左側に団子模様の赤提灯が見えますが、
この団子模様こそが上七軒の象徴です。

その家屋の前で、西北西を向きました。
石畳の道が続きますが、周囲の家屋は新しい住宅です。
この辺りは、ただの住宅地の上り坂です。

「上七軒」交差点から、
北野天満宮東参道を西北西に約50m進みました。
この辺りで、この上り坂は北西に進路が変わります。
そして、この辺りから
京町家の割合が増えてきます。
……という訳で、目の前の「ふた葉」という蕎麦屋に入ります。

「ふた葉」の店内の様子です。
天井付近に、団扇と札がたくさん貼り付けられています。
どちらにも上七軒の舞妓さんや芸妓さんの名前が書いてありますが、
皆さんこの店に来られたのでしょうね。

そうこうしていると、ウチの母が注文した「ざるそば」が来ました。
蕎麦が緑色ですが、こちらはお茶が練り込んであります。
要するに、「茶そば」ですね。

そして、自分が頼んだ「にしんそば」も来ました。
身欠きにしんの煮つけは、砕くと鰊から味が染みてきます。
ですから先ずこのまま汁を飲み、その後そばを少し頂いた後に
少しずつ身欠きにしんの身を解し、いろいろな味を楽しみましょう。

「ふた葉」を出て、北野天満宮東参道を北西に向きました。
この辺り、伸びり坂が少し急になってきました。
まだまだ新しい住宅やマンションが建っていましが、
上七軒の象徴「団子模様」の赤提灯が吊るされた
京町家がだんだん目立ち始めました。

「ふた葉」から10mほど北西に、北野天満宮東参道を進みました。
こちらの京町家は、雑貨屋さんです。
実は、結構お客さんがいらっしゃいました。
(人を撮らないように撮影していますので、
周囲には誰もいないように見えます)

その向かい(南西)側に、こちらの京都北郵便局があります。
上七軒の中にあるので、このような外観を持っています。

その辺りで、北野天満宮東参道を北西に向いています。
上り坂が緩やかになりましたが、京町家一色に変わってきました。
この辺くらいから、花街上七軒の中心街に入っていきます。

その辺りで、北野天満宮東参道を北東に向きました。
この道から、何本か路地が伸びています。
この路地は複雑に曲がりくねって、この道に戻ってきます。
この奥は、たくさんの飲食店が並びます。
ただし、その大半はお酒を出すお店なので今は閉まっています。

その路地から、北野天満宮東参道を約50m北西に進みました。
左(南西)側に、なかなか雰囲気のある喫茶店があります。
実はこちらも名店なのですが、(紅茶とケーキが美味しいようです)
さっき蕎麦屋に入ったところなのでここは素通りします。

そのお店から、北野天満宮東参道を北西に約50m進みました。
ここで北野天満宮東参道は、こちらの小路と交差します。

北野天満宮東参道から、その小路を南西に向きました。
左側の高い塀は、お茶屋さんのものです。
舞妓さんや芸妓さんを上げて、遊んだり飲食したりする場所です。
右側は西方尼寺で、その名前から尼寺と分かります。
女性が仏教の修行をする寺院ですね。

この小路は北野天満宮東参道からすぐに真南に進路を変え、
こちらの門の前に出ます。
西方尼寺には、こちらから入れます。
ただしこちらは非公開寺院なので、これ以上進めません。

西方尼寺の門前から、小路を南に向きました。
ここを約150m南下したら、今出川通に出ます。

同じ場所で、この小路を北に向きました。
左側の土塀は西方尼寺のものですが、
右側の建物は先程のものとは別のお茶屋さんのようです。
では、こちらを北上します。

西方尼寺の門前から、こちらの小路を約50m北上しました。
こちらで、また北野天満宮東参道に戻ってきました。

北野天満宮東参道に戻ってきて、北西を向きました。
左(南西)側に、西方尼寺のお堂が見えますね。
では、こちらをまた進んでいきます。

この十字路の北東角に、こちらの料亭がありました。
こちらは昼食も営業されているようで、開店中でした。
目の前にメニューが置かれていましたが、
そこまで高価ではありませんでした。

西方尼寺の北西側にも、こちらの小路が伸びています。
では、ちょっとこちらにも寄り道します。

北野天満宮東参道から、約40m南西に進みました。
こちらの桜並木は、西方尼寺の庭園から伸びています。
この辺りで、T字路となります。

そのT字路で、西を向きました。
この背後(東)側が、西方尼寺の塀です。
左(南)側が、
上七軒歌舞練場の塀です。
こちらは裏手なので、この先の入り口からは入れません。
では、この先(西)にある木蓮の木まで進みます。

先程のT字路から、西に約20m進みました。
こちらが、先程記した木蓮の木です。花が満開ですね。

その木蓮の許に、こちらの祠がいらっしゃいます。
「光盛大明神」という名前は分かるのですが、
沿革がこれを書いている時点で分かりません。
鳥居や祠の形状から、小さめの稲荷社だとは思います。
おそらく「光盛」という方を神格化して祀ってあるのだと、
そういうことまでは分かります。
問題は、その光盛とはだれのことかということです。
歴史上の武将などの可能性は低いと思います。
(もしそうなら、敢えてこの位置に建てられた根拠が不明です)
この上七軒か上七軒歌舞練場に多大な貢献をされた方なのでしょう。
その辺は上七軒歌舞練場の関係者で
詳しい方がいらっしゃるのでしょうが、
自分の知り合いではないので詳細は不明です。

木蓮の木と光盛大明神の前で、南を向きました。
約30m先に、上七軒歌舞練場の入り口があります。
舞妓さんらしき方々が、入り口付近で
通りすがりの方々に呼び込みらしきことをされています。
(声は聞こえないので、想像ですが)
この日(2019年4月4日)は平日ですが、
桜のシーズンということもあって
結構な方々が上七軒に来られていました。
(大半の方々を撮らないように、このブログは工夫しています)

先程のT字路に戻って、北東を向きました。
T字路付近の写真はこの先にいらっしゃる方の顔が写っており、
不採用にしました。
そのため、写真がちょっと飛んでいます。
あちらの方の帯がだらりと垂れ下がっているので、
まだ舞妓さんでいらっしゃることが分かります。

北野天満宮東参道に戻って、北西に向いています。
昼下がりのこの時間帯になって、自動車が増えてきました。
その大半が、タクシーとお酒を積んだトラックです。
その辺が、いかにも花街ですね。

この辺りに、お漬物屋さんがありました。
この「もり」という店は京都市街地で最大手なのですが、
本社は
第55回ブログに出てきます。

こちらは、その「もり」の向かい(南西)です。
多分お茶屋さんの店先ですが、
これらの粽やお札はこの辺のものではありません。
ただ、京都市街地の飲食店にはよく貼られています。
(
島原の角屋門前とちょっと似ています。
第596回ブログ参照)

その茶店の2軒北西に、
老松が建っています。
京都を代表する和菓子屋さんです。
こちらを写そうとしたときに男性客2名がおられて、
そちらをフレームから外したため、こんな写真になりました。

その老松の前で、北野天満宮東参道を北西に向きました。
約100m先に北野天満宮東門が見え、そちらが上七軒の北西端です。
上七軒終了まであと100mですが、
今回ももう相当写真を貼り付けました。
ですから、今回もここまでです。
~次回は、北野天満宮を通り抜けます~
続きを読む
テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報