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第312回 橋を見上げる葵祭

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今年(2015年)も5月半ばになり、葵祭の季節になりました。
今回は、ここ京阪電鉄「出町柳」駅から巡行の見物に向かいます。
撮影日は、2015年5月15日金曜日午前11時30分。
今年は晴れましたが、熱中症になりそうな夏日でした。


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では、駅ホームから地上を目指します。
この日はいつもよりもたくさんの方々がいらっしゃいます。


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京阪電鉄「出町柳」駅から改札を通り、4番出口で地上に出ました。
ここは、出町通沿いの川端通と高野川との間になります。
(叡山電鉄「出町柳」駅斜め向かいです)


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その4番出口を出て、川端通を北に向いています。
この左(西)側が河合橋で
通常はそこから下鴨神社に向かうのですが、
この日は葵祭巡行のために通行止めになっていました。


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先ほどの写真と同じ間じ場所で、南を向きました。
約150m先に、今出川通に架かる「賀茂大橋」が見えます。
その手前の高野川の川面に、石が直線状に並んでいますね。
そこを何人かの方が歩いておられます。


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4番出口から、川端通を南に約10m進みました。
どうやらここから高野川の川原に下りられそうです。


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高野川の川原に下りてきました。
向こうに見える直線状の石は「亀石」と呼ばれており、
よく見ると亀の形に彫られているものもあります。
この石の上を歩いて渡れるようになっていり、
「けいおん!」をはじめ多くのアニメの舞台になりました。
では、その石の上を歩いて「鴨川デルタ」に進みます。


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その石の上を歩いて、「鴨川デルタ」まで来ました。
「鴨川デルタ」とは、出町通から賀茂川と高野川の合流点までの
「三角形」の公園のことです。
この後ろ下流(南)で、2本の川は合流して鴨川になります。
ここにはたくさんの方がいらっしゃいますが、
大半の方は葵祭の巡行がお目当てです。
葵祭の巡行は、目の前の出町橋を渡った後
第242回ブログのコースを辿り、下鴨神社に向かいます。


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自分がこの位置に着いたのは、午前11時50分でした。
ちょうどそのとき、葵祭巡行の先頭が出町橋を渡り始めました。


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続いて、束帯と烏帽子姿の方が騎乗されて歩いてきます。
昨年(2014年)の葵祭は大雨の中でしたが、今年は一転炎天下でした。


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その後も、騎乗した貴族装束の方が続きます。
出町橋の欄干が邪魔で徒歩の方が上手く写らないので、
今年(2015年)は馬上の方中心に写していきます。


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その直後に、笠を持たれた方が通り過ぎました。
基本的に、昨年と同じ順番で行進されています。


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出町橋をズームせずに撮りました。
端を見上げる自分の周囲は、こんな感じです。
こちらの方々は日本人が一番多いのですが、
3割くらいは中国語を話されておりました。
他には、ロシア語・ドイツ語・英語もちらほら聞こえてきました。


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さらに、巡行の行列は続きます。
こちらの騎乗の方は、青い束帯の背に矢筒を携帯されていますね。


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さらに、藤が垂れ下がった御所車が牛に曳かれて現れました。
このような牛車が、行列の中に何台か混じっています。


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牛に曳かれた御所車が、目の前を通り過ぎます。
藤の花が、なかなか華やかですね。
こちらに斎王代が乗られていると思われた方も多かったのですが、
斎王代は、もっと後ろの輿に乗っておられます。


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御所車の後に、予備の牛が曳かれていきます。
周囲におられた中国人のうち、日本語が分からない方々を中心に
相当数の方がこれで満足して帰られてしまいました。
せっかく日本にまで来てこれで帰るのは、勿体ないことです。
徒然草の「仁和寺にある法師」を思い出します。


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案の定、その後からも行列は続きます。
ズームして撮ると、頭に葵の葉を付けておられるのが見えます。


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そして、ここでいったん行列が途切れます。
出町橋の向こう(西)を見ると、
河原町通沿いに出町枡形商店街のアーケードが見えます。
(第175回ブログにも登場しましたね)


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5分ほどして、行列は再開です。
紅白の花が付いた笠が現れました。


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紅白の笠が、こちらの方まで来ました。
笠を持たれた方が1歩1歩歩かれるたび、
笠が上下に揺れるのが見ていてきれいでした。


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その後ろにも、騎乗の貴族装束の方がいらっしゃいました。
この方も、頭に葵の葉をつけておられました。


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すると、次は黄色い花が付いた笠の登場です。
この花の形状は、ツツジでしょうか?
紅白のものよりも軽いようで、
先ほどよりも早いテンポで歩かれていました。


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ここで再び行列が途切れました。
周囲を見ると、先ほどより人数が減っています。
日本人の中には、飽きてしまわれた方もいらっしゃるようです。
(周囲の方々の会話から判断しています)
先ほどの中国人よりも、もっと勿体ないことです。


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さらに5分して、また行列が見えてきました。
こちらは「笠」というよりは「傘」ですね。
(昨年は、本当に雨傘になっていました)
その下には、女房装束の女性がいらっしゃいます。


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女房装束の方が、こちらに近づいてこられました。
「傘」の上の花が、こちらも華やかです。


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そして、その後ろから斎王代の輿が現れました。
実はそれほど大きくないのですが、こちらがこの巡行のメインです。


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だんだん出町橋を渡って、斎王代の輿が近付いてきました。
こうして見ると、牛ではなく人が曳いているのが分かりますね。


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斎王代の後ろから、騎乗の女房装束の女性が現れました。
こちらは、昨年と同じ順番ですね。


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「昨年と」ということは、あの大雨の中
この状態で行列に加わっておられました。
「雨に濡れたので、十二単を廃棄した」
報道で、そんな記事が載っていました。


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その後も、女房装束の女性が続きます。
今年(2015年)は晴れましたが、風が強いですね。


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そして、また藤の花をつけた御所車の登場です。
こちらが、巡行の最後尾になります。


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その御所車が、こちらに近づいてきました。
これで今年の葵祭巡行も、無事下鴨神社に到着しました。


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出町通も巡行が終わり、自動車が行き来し始めました。
この辺りに座り込んでいた方々も、一斉に立ち上がりました。


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京都御所を出発した葵祭巡行は、正午前後に下鴨神社に到着します。
そして、午後2時ごろから再び巡行が始まり、
今度は下鴨本通から出て、上賀茂神社に向きます。
相当数の方々がこの辺で休憩した後そちらに向かいますが、
これで帰られる方も相当数いらっしゃいます。
今出川通に架かる賀茂大橋も、人であふれています。
自分も仕事があるので、これで帰ります。


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高野川を渡る「亀石」は、この鴨川沿いにも並んでいます。
賀茂大橋が人でいっぱいのせいか、
こちらを渡る方も相当数になります。


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ですから、鴨川を渡る「亀石」の方もこのような渋滞になります。
両方に向かう方々がいらっしゃるので、
その部分でつっかえてしまうようです。
まぁ、右側通行とか左側通行とか決まっていませんですし……


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高野川を渡る「亀石」は、さらに渋滞していました。
白人のカップルと中国人の若い女性が面白がって、
「亀石」の上で写真を撮られていました。
(自分は、それを遠くから撮っています)


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とは言え、午後0時半くらいになると人も少なくなりました。
自分も「亀石」の上を渡ります。
そこから見上げると、加茂大橋の東詰めに
京阪電鉄「出町柳」駅がある地下に向かう階段がありました。
では、そこから職場に向かいます。

今回は、ここまでです。

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第397回 葵祭の車争い

2016年5月15日日曜日は京都では一日快晴となったわけですが、
毎年5月15日に行われる葵祭に
毎年5月第3日曜日に行われるお祭りが加わり、
京都市内のあちこちで大小のお祭りが同時に行われました。

ですから、午前中に葵祭を見て午後は別の場所に向かいます。
(それでも、2ヶ所しか回れません)
先ずは、朝から京都御苑に向かいます。


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朝早くに起きて地下鉄に飛び乗り、
地下鉄烏丸線「丸太町」駅に着きました。
今回はこの横にある京都御苑に行き、
葵祭巡幸の出発の模様を取材します。
撮影日は、2016年5月15日日曜日午前10時。
朝から熱中症になりそうな日でした……


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地下鉄烏丸線「京都」駅付近からそうだったのですが、
午前9時からずっと時間が経っているのにこの人混みです。
しかも、その大半がこの「丸太町」駅で降ります。
……全員、目的は同じですね。


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人混みは、コンコースに上がっても変わりません。
ここから改札口が見えません……


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何とか改札口を出たのですが……地下道にこの行列です。
全く動かないので、最寄りの1番出口には向かえません。
そういう訳で、烏丸通西側歩道にある3番出口に向かいます。


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地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口から、南を向きました。
向こうに、「丸太町烏丸」交差点が見えます。
では、向こうの横断歩道から烏丸通を東に渡ります。


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横断歩道を渡り、「丸太町烏丸」交差点北東角で東に向いています。
人混みを嫌って遠回りしましたが、
結局ここでその1番出口からで来られた大勢の方々と混じります。


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大勢の人混みの方々と一緒に、丸太町通を東に歩いています。
烏丸通から約100m東に、東洞院通の最北端がありました。
その向こうの信号が、間之町通の最北端です。
さらに東に、高倉通・堺町通と最北端が続きます。
ですから、この辺りが現在連載中の「高倉通編」の最終回地点です。


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さらに東に進み、間之町通の最北端に来ました。
こちらが「間之口門」で、間之町通の由来となった場所です。
では、この「間之口門」から京都御苑内部に入っていきます。


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間之口門から、京都御苑を北上しています。
この道は、約50m先の宗像神社で突き当たります。
(この辺りには、第201回ブログで一度訪れています)
ただ、ここに来られた方々は皆右(東)の方に折れていきます。


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宗像神社の前から、京都御苑を東北東に進んでいます。
宗像神社の前から約100m先に、たくさんの人混みが見えます。


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その人混みに向かう途中で、南を向きました。
この繁みの向こうに大きな池があって、
その中央に厳島神社がいらっしゃいます。
「蚕ノ社」木嶋神社と並ぶ「京都3珍鳥居」がある神社です。
(詳細は、第201回ブログで


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宗像神社の前から、京都御苑を東北東に約100m進みました。
ここから約500m先に、建礼門があります。
そこが京都御苑のメインストリートで、幅約50mの広い道です。
有料観覧席に就かないなら、この辺りで葵祭を見ることになります。
道の西側にテントが張ってあって、そこで露店が出ていました。
左(南)側が製茶メーカーの伊藤園で、
右(北)側が京都の老舗洋菓子店のマールブランシュです。
すでに気温が上がっていて、
伊藤園のペットボトルのお茶はもう売り切れていました。
(慌てて補充されていました)


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露店からさらに東に行き、そこで北を向きました。
ここから建礼門が見えるはずですが……
この人垣では何も見えません.。


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そこから、南を向きました。
九条邸へと続く橋の上に、たくさんの方々が集まっておられます。
太鼓橋ですので、少しでもよく見えると思われたのでしょうね。

葵祭でいい場所を取ろうとあちこち奔走するお話が、
1,000年以上前から様々な書物に載っています。
その大半が笑い話の説話ですが、
「源氏物語」の「車争い」のように悲惨な話がもあります。
(光源氏の愛妾六条御息所の下人と正妻の葵の上の下人が
葵祭の場所取りからケンカになって
勝利した葵の上の下人が
六条御息所に暴言を吐きながら牛車を壊しました。
六条御息所はそのことを思い悩むうちに生霊になり、
葵の上に憑依して殺してしまいます)
まぁそこまで激しいことはありませんが、
今も昔も葵祭では良い場所を狙って押し合いへし合いしています。


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取りあえず自分は人混みの後方から、
適当に手を挙げながら適当に写真を撮りました。
100枚以上写真は無駄になりますが、第394回ブログのように
たくさん撮ればそれなりにいいものも出てきます。

この時点で午前10時半ですが、まだ巡行は始まりません。
2騎だけこの辺りでうろうろしていました。
この写真以降、クリックすると拡大されます。


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最大望遠で、建礼門を撮っています。
巡行の開始とともに門が開くと思っていたのですが、
どうもそういうことはないようです。


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そうこうしているうちに、午前10時40分ごろ
建礼門がある北の方から、巡行の行列が始まりました。
先ずは2騎の束帯姿の男性が、こちらに来られました。

ちなみに行列の後ろから適当に手を挙げて撮っていますので、
これから暫く写真の下の方にいろいろな方の頭が写ります。


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さらにその後ろから、1騎の束帯姿の男性が来られました。
この人混みですから、徒歩の方を撮るのは
かなり困難になってきました……


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ただ、あれこれ挙げた手の角度を変えて頑張ってみると、
何とかこちらの方を撮ることができました。
馬上の方が数騎通り過ぎると、
弓を携えた束帯姿の男性が来られました。


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その次は、岡持ちを持たれた方が通り過ぎます。
この間何人かが徒歩で通り過ぎましたが、
上手く撮れませんでした。


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その後から、また馬上の束帯姿の方が来られました。
馬上の方は背が高くなるので、だいぶ撮りやすいです。


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そして、こちらの牛車が現れました。
藤とツツジの造花がすだれになっていて、とてもきれいですね。


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その牛車を何人もの方が押しています。
よく見ると、先頭に牛がつながれていません。
多分、堺町御門の辺りで牛が繋がれるのでしょうね。


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こちらの馬は手綱を馬上の方ではなく、
徒歩の方に引かれています。
どちらの方も、頭上に葵の葉を飾られています。


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ただ、こちらの馬には誰も乗っておられません。
乗り換え用の予備の馬なのでしょうか?


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そして、紅白の花を付けた笠がやって来ました。
花が揺れて綺麗なのも、昨年と同じですね。


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また、馬に乗った束帯姿の男性が通り過ぎます。
この辺りの馬上の方は、従者を連れています。


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従者を従えた馬上の束帯姿の男性が、また通り過ぎます。
こちらの方々も、頭に葵の葉を差しています。


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その後に、ツツジの造花を差した笠が通り過ぎます。
黄色い花が、この日差しによく映えますね。


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さらに、十二単姿の女性が通り過ぎます。
彼女らは皆、日傘を差した白装束の男性を従えています。


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そして、いよいよこちらの輿が登場です。
輿の上には、今年の斎王代が座っておられますね。


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斎王代の後は、馬上にいらっしゃる十二単の女性が通り過ぎました。
馬上でこの装束は晴れの日はいいのですが、雨の日は悲惨です。


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こちらも、馬上に十二単姿の女性ですね。
馬が白いので、よく目立ちます。


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さらに、紅白の花が付いた傘で日差しをよけている
十二単姿の女性が続きます。


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最後に、また牛車がやって来ました。
こちらも牛ではなく、人が押しています。


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厳密には牛車の後には、軽トラックが通り過ぎました。
よく見ると、牛が牛車の後ろから付いています。
葵祭の行列はこの後東側の堺町御門から丸太町通に出て、
下鴨神社に立ち寄ってさらに上賀茂神社に向かいます。

クリックすると写真が拡大できるのは、ここまでです。


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葵祭の巡航行列を見ていた一から、西を向きました。
今まで一緒に観覧していた人たちが、一斉に動き出します。
このまま下鴨神社に向かわれる方も多いようですが、
そうでない方も多いようです。
(自分は、他のところに行きます)


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先ほどの場所から、京都御苑を西南西に約100m進みました。
あちらに閑院宮邸の門が見えますね。


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閑院宮邸の前から(宗像神社の前でもあります)、
京都御苑で南を向きました。
目の前に、間之口門があります。
ここから丸太町通に出て西に向かい、
「丸太町烏丸」交差点から地下に潜って、地下鉄に乗りました。
では、この日(2016年5月15日)の午後のお祭りに向かいます。

今回は、ここまでです。

~次回は、嵐山に向かいます~

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第479回 堺町御門前の葵祭巡幸 前編

[葵祭り] ブログ村キーワード
前回ブログまでかけて上立売通を進んできましたが、
毎年5月15日は葵祭巡幸の日です。
そこでいったん「上立売通」編は休載して、
2017年も葵祭巡幸の様子を掲載します。
また今回は写真が多く撮れましたので、2回にわたり連載します。
なお、今回の写真はクリックすると全て拡大されます。


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電車を乗り継ぎ地下鉄東西線「京都市役所前」駅で降り、
地下街ZEST経由で京都市役所の玄関前で地上に出ました。
京都市役所前から寺町通を約500m北上して、
そこから竹屋町通を西に約300m進みました。
京都市立御所南小学校と京都地方裁判所との間の
葉桜並木を通り過ぎ、柳馬場通で北を向きました。
右(東)側に、京都地裁の枝垂れ葉桜並木が続いていますね。
今回は、この少し先の今出川通で葵祭巡幸を眺めます。
撮影日は、2017年5月15日月曜日午前10時。
自宅を出たときは曇っていましたが、だんだん晴れてきました。


479-2.jpg
竹屋町通から約100m北上すると、
柳馬場通は丸太町通(京都御苑)で突き当たります。
「丸太町柳馬場」交差点で、丸太町通を西に向いています。
この辺りの丸太町通が、規制線により南北に分かれています。
左(南)側は通行用なのですが、右(北)側は葵祭巡幸の見物客用です。
葵祭巡幸見物は京都御苑鴨川デルタ下鴨神社前が有名ですが、
巡行路であればどこでも見物することができます。
その中でも丸太町通沿いは、比較的多くの方々が見物されます。


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柳馬場通から、丸太町通を西に約50m進みました。
堺町通との交差点近くで、こちらのツツジが真っ盛りでした。
では、こちらのツツジの左(西)側に立ちます。


479-4.jpg
その位置から、北を向いています。
こちらが、京都御苑堺町御門ですね。
1864年の禁門の変直後の大火どんどん焼けの火元です。
(おかげで祇園祭の山鉾の大半が焼失し、
大船鉾に至っては復興に約150年掛かりました)
そして、葵祭巡幸の行列はここから京都市街地に出ます。
ですから、この御門を背景にすれば絶景になるのではと思い、
2017年はここに陣取ることにしました。


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先程と同じ場所で、西に向いています。
そちらの方では巡行行列が見えないので、見物客はいません。
この辺りの丸太町通沿いは、歩道にツツジが並びます。
約50m先の高倉通も、ここで突き当たります。
(第434回ブログを参照)


479-6.jpg
午前10時20分になり、再び堺町御門前を撮りました。
先程は青い先導車だけでしたが、
それ以外に京都府警のパトカーと市役所の公用車が並びます。


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葵祭巡幸の行列が京都御所の建礼門を出るのが午前10時半の予定で、
建礼門前からこの堺御門までが、徒歩で5分少々です。
ところが、午前10時半段階で丸太町通の交通規制はまだでした。
「予定通り」ちょっと遅れていますね。
それが午前10時35分になると、京都府警の警官の皆さんが
丸太町通の車道上にコーンを立てていかれました。


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堺町御門より西側の丸太町通を写しました。
この辺りに、葵祭の巡行行列は通りませんので、
自分がいる堺町通以西に見物人は誰もいません。
赤いコーンより向こう(北)側の烏丸通以東が、通行止めです。
そして、青いコーンには「中央線」と書かれています。
つまり、葵祭の巡行中は丸太町通などの車道が2車線になります。
お祭りの巡行中も、幹線道路を通行止めにしない工夫でしょうね。
(祇園祭の巡行中は、河原町通も御池通も完全に封鎖されます)


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午前10時42分ごろの堺町御門前です。
先程まで門前に並んでいたパトカーも寺町通方面に移動し、
先導の騎馬2騎も堺町御門の向こうに待機しています。
いよいよ巡行がこちらを通るようです。
10分未満の遅れは、こういう祭事では「時間通り」の範疇です。
ところが、この時点で堺町御門を横切る通行人がいらっしゃいます。
その方のお仕事の都合とかもあるでしょうが、
結構ギリギリまで通行が認められていました。


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「葵祭巡幸が、この辺りを通過します」
そういうことをアナウンスしながら、青い先導車が出発しました。
すると、束帯姿の方が騎乗する2騎の騎馬がその後に続きます。
ただ今5月15日午前10時45分。
2017年の葵祭巡幸の行列が、いよいよ堺町御門を通り過ぎます。


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束帯姿の騎馬の後を市役所の公用車が続きます。
その後に赤橙の束帯姿の騎馬が続き、
いよいよ本格的に葵祭巡幸の行列が始まります。


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さらにその後から、騎馬が数騎続きます。
騎馬の方々は堺町御門を過ぎても南進し、
丸太町通の中央分離帯の手前で直角に左折されます。
巡行行列は、そのまま右(東)の方に進んでいかれます。


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騎馬の間を白装束の方々が歩いていかれます。
こちらの方々は馬の轡を握っておられたり、
様々なものをも運ばれたり、いろいろな仕事をされています。


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騎馬の後は、徒歩の束帯姿の方々が続きます。
白装束の方々が、堺町通以東に規制線を張られました。
ただ、京都府警の方々がすでに規制されているので
改めてこちらを張るのは無駄のように思います。


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規制線は、白装束の方々3人が張られています。
徒歩姿の束帯姿と騎馬が、交互に通り過ぎて行かれますね。


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徒歩の束帯姿の方が、竹製の長い棒きれを持たれています。
初めは弓と思っていたのですが、よく見ると形状が違います。


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その方が、丸太町通まで出てこられて東へ進まれています。
こうして見ると釣り竿のようですが、う~ん何でしょうね。


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続いて白装束の方々が運ばれておられるのは、槍ですね。
その脇に、座椅子を運ばれておられる方もいらっしゃいます。
今年(2017年)は、人が邪魔にならない場所で撮影ができました。
(ほどんど見えなかった第397回ブログ参照)
そのため、巡行行列のかなり細かい部分まで写せました。
それが、2017年度はブログが前後編に分かれた理由です。


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さらに徒歩の束帯姿の方々が続きます。
今度の方も、変わった棒きれを持たれています。


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その方をアップで撮りました。
七支刀に形状が似ていますが、おそらく武器を模した神具でしょう。


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その後を槍や岡持ちを持たれた徒歩の白装束の方々が、
続いていかれますね。


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槍や岡持ちを持って歩かれる白装束の方々の後に、
また束帯姿の騎馬が続きます。


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ただよく見ると、徒歩の束帯姿の方々が
白装束と騎馬の間にいらっしゃいます。
こちらの方々が持たれているのは、楽器でしょうか?


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騎馬の後に、徒歩の方々が続きます。
ここで、大きな傘が見えてきました。


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その傘をアップにしました。
平安時代に貴族の女性が歩くとき、従者が後ろから差したものです。
その脇には、お稚児さんと虎の皮を持たれた方が並んでおられます。


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その後から、白装束の方々が神具を持って続きます。
手前の葛籠は、形状から……ご神体でしょうか?


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その後から、また葛籠を持たれた白装束の方々が続きます。
葛籠には、注連縄(しめなわ)と葵の葉が付いています。


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さらに葛籠を持たれた方々が続きます。
その後を神具を持たれた白装束の方々が続きます。
下鴨神社の2柱のご祭神と(賀茂建角身命と玉依姫)
上賀茂神社のご祭神加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で
葛籠とご祭神の数が一致しますね。


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その後を束帯姿の騎馬が続きます。
こちらの馬は誰も乗られていませんが、結構荒れています。
大きく体を揺すったり大きく鳴いたりしています。
人が多いので、興奮しているようですね。


479-30.jpg
その後を徒歩の束帯姿の方々やお稚児さんが続きます。
こちらの束帯姿の方は、弓を持たれています。
多分検非違使なのでしょうね。


479-31.jpg
そして、その後から牛と牛車が現れました。
庇に付けた藤の造花が、煌びやかですね。
「(巡行行列が)男ばっかりで、楽しくないぞ」
という言葉を吐かれていた自分と同年代の男性見物人も、
この時ばかりは息を呑まれていました。


479-32.jpg
……ところがその時ちょうど市バスの乗降に時間がかかり、
(この西側に、「裁判所前」バス停があります)
丸太町通は結構長い渋滞になりました。
……まぁ別に京都ハンナリーズは悪くないのですが、
たまたま牛車の前にこの自動車が塞ぐ形になったので、
見物人からハンナリーズの車両がブーイングを受けていました。


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約2分して市バスが出発すると、渋滞は解消されました。
ただ、そうなると牛車はもう堺町御門を通り過ぎています。
取りあえず、この位置から牛車をアップで撮りました。


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堺町御門では、槍や岡持ちを持った白装束の方々や
束帯姿の騎馬が続きます。


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ところが、巡行行列の方々が急に立ち止まられました。
どうやら、巡行行列も渋滞になったようです。


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……ならばと、東を向いてみると
やはりまだ牛車が見える範囲にいらっしゃいました。
そこで、またこちらを撮りました。


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渋滞は、約5分で解消されました。
すると、この辺りで白装束の方々が規制線を撤収され始めました。
巡行行列は、まだ半分も終わていないのですが……


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もちろん、巡行行列はまだまだ続きます。
こちらの馬は少し興奮していて、
騎乗の束帯姿の方も一苦労されていました。
「馬が興奮します。カメラのフラッシュは遠慮してください」
京都府警の警官が、何度かそう叫ばれておられました。


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その後にこちらの騎馬が続きます。
束帯の模様が深い紫色で、馬も額に金細工を付けています。
一際豪奢なお姿ですね。


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その後に、徒歩の束帯姿の方々がしばらく続きます。
これで、巡行行列の4割が通り過ぎました。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けましたので
今回はここまでです。

~次回は葵祭巡幸の続きを掲載します~

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第480回 堺町御門前の葵祭巡幸 後編

[葵祭り] ブログ村キーワード
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京都地方裁判所脇の「丸太町柳馬場」交差点から約50m西の
京都御苑堺町御門の前で葵祭の巡行行列を見ています。
前回ブログまでで、葵祭の巡行行列の約4割が通り過ぎました。
今回は、残りの巡行行列の様子を掲載します。
撮影日は、2017年5月15日午前11時15分。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。


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黄浅緑色と浅葱色の束帯姿の方々が、
交互に通り過ぎて行かれます。
黄浅緑色の束帯姿の方が持っておられるのは、ヒョウの毛皮ですね。


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お稚児さんの後に、浅緋色の束帯姿の方が続きます。
前回ブログでも書きましたが、ここまで巡行は全員男性ですね。


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浅緋色の束帯の方が、また毛皮を持って登場です。
その模様から、シカでしょうか?
その後から、また大きな傘が現れました。
こちらの上部には、ツツジの造花があしらわれています。


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その後は槍や岡持ちを持った白装束の方々が続き、
その後に騎馬が続きます。


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そして、その後をまた白装束の方々が通り過ぎます。
やはり、槍や岡持ちを持たれていますね。


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さらにその後を、束帯姿の方を騎乗させた白馬が通り過ぎます。
……と言いたいところですが、
この馬だけ丸太町通を西に向かおうとしています。


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……と言いますか、白馬がむずがって荒れています。
御者がさらに一人加わり轡を引きますが、
言うことを全然聞きません。
また、京都府警からのアナウンスが聞こえてきました。
「カメラのフラッシュを焚かないでください。
馬が興奮してしまいます」


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何とか白馬が寺町通方面に通り過ぎた後、
白装束の方々や騎乗の束帯姿の方も通り過ぎて行かれます。


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さらにその後を黄浅緑色の束帯姿の方が通り過ぎます。
手に持たれているのは……シカの毛皮ですね。


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そして、またまた大きな傘が登場です。
この黄色は……山吹の造花ですね。
そう言えば、松尾神社ではまだ山吹が咲いているのでしょうか?


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ここで、葵祭の巡行行列がいったん途切れます。
これで、半分が終わりました。


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葵祭の巡行行列が途切れていたのは、約5分です。
ここから、いよいよ巡行行列の後半ですね。


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後半の最初に、十二単姿の女房が花傘を伴い現れました。
前半と打って変わって、後半の列は女性が中心になります。


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また十二単姿の女房が、通り過ぎて行かれます。
そう言えば、平安時代の貴族は傘を持つ従者をよく伴いましたが、
その傘にもこのように花が添えられていたのでしょうか?
それとも、この花は普段と違う「お祭り仕様」なのでしょうか?
ちょっと、気になります。


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十二単姿の女房は、まだまだ続かれます。
ただ、よく見ると女房の間に束帯姿の方がいらっしゃいます。


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その直後に、こちらの輿が現れました。
葵祭巡幸のメイン斎王代の登場です。


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斎王代をアップで撮りました。
輿をも担がれている方々の烏帽子に葵の葉が付いていますね。


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斎王代の輿が、寺町通方面に去っていきます。
よく見ると、こちらの輿は担がれているのではなく
輿の下に車が付いているので「押して」おられるようですね。


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さらにその後にも、女房が続きます。
こちらは、騎乗されておられます。


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騎乗姿の女房をアップで撮りました。
確か2014年は大雨で十二単が全部だめになって、
2015年に全て新調したと聞きました。


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そして、槍や岡持ちを持った白装束の方々や
騎乗姿の女房が交互に通り過ぎて行かれました。


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さらに騎乗姿の女房が通り過ぎて行かれた後、
ちょっと間が空いて誰も通られない瞬間がありました。


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暫くして、槍や岡持ちを持った白装束の方々が
堺町御門の前を通り過ぎて行かれました。
その後、また少し間が空きます。


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だんだん行列の間隔が空いて来ているのは、
この行列が終わりに近づいているからです。
ここで花傘を伴い、十二単姿の方が現れました。
その後の女房は傘を差されておられないので、
午後からは(下鴨神社~上賀茂神社の巡行)相当暑かったでしょうね。


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そして、その後を白装束の方が通り過ぎて行かれます。
……のですが、こちらはキャリーバッグを曳かれています。
時代考証が、グダグダですね、
こちらには、ビニールの雨傘が入っているようです。
突然雨が降ったら、こちらを差されるのでしょうね。


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さらにその後を、花傘を伴い十二単姿の方が続かれます。
その後の女房は、こちらの方のお伴なのでしょうね。


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その女房の後は……白拍子でしょうか?
舞踊を舞われたり、歌われたりする方々の衣装ですね。


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短冊を手にされている方もいらっしゃいますが、
その後に続かれる臙脂色の束帯姿の方々の大半は、
太鼓や笙などの楽器を持たれています。


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臙脂色の束帯姿の方々の最後尾は、こちらの大太鼓です。
これらの楽器を合わせると、雅楽を演奏できますね。


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さらにその後から、牛車が登場しました。
こちらも前回ブログ同様に、庇を藤の造花で飾ってありますね。


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その牛車をアップで撮りました。
今度は通過車両に邪魔されずに、確実に写せました。
(何のことだか分からない方は、前回ブログ参照)


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牛車の後を別の牛が続きます。
こちらは、途中で交代するのでしょうね。


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そして、その後を軽トラックと小型の消防車が続きます。
こちらが、葵祭巡行行列の最後尾です。


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今まで立っていた「丸太町堺町」交差点南西角から、
丸太町通を東に向いています。
先程の牛車は、柳馬場通から寺町通へと向かっています。
葵祭の巡行行列は寺町通を東に通り過ぎた後河原町通で北上し、
今出川通より1本北の出町通で東に曲がります。
出町橋で鴨川を渡り、(第312回ブログ参照)
下鴨東通からまた北上して糺の森を抜けて下鴨神社に至ります。


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巡行行列が去った後の京都御苑堺町御門です。
だんだんとこちらから出てこられる方々で、
丸太町通がいっぱいになってきました。


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先程の写真から、約1分後です。
堺町御門から出てこられる方々が多くて、
丸太町通の車道にまで溢れてきています。
前回ブログの追記にも書きましたが、
この日(毎年5月15日)はなるべく堺町御門よりも
西側の間之口門か東側の富小路口のどちらかを利用すべきです。


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こちら側の丸太町通南側歩道も、だいぶ三々五々散り始めています。
では、自分も地下鉄「京都市役所前」駅目指して歩いていきます。

これで、2017年の葵祭巡行行列の取材を終えます。

~次回は、また上立売通に戻ります~

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第563回 今年は「今出川河原町」で~葵祭2018~その1

[葵祭] ブログ村キーワード
ここ数年、毎年5月15日は
葵祭巡幸をウチのブログで取り上げてきました。
もちろん、今年(2018年)も葵祭巡行行列を取材しました。
ただ今年は撮影しやすい場所を訪れたため、
合計200枚弱も写真が撮れてしまいました。
まぁ実際に載せる写真は半分以下なのですが、それでも相当数です。
そのため、2018年は葵祭巡幸を連載記事とします。

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3年ぶりの京阪電鉄終点「出町柳」駅です。
(「七条」駅以北の京阪電鉄は、地下鉄です)
その時も葵祭巡幸を見に来ましたが、
今回はその時と別の場所に向かいます。
おかげで、今年(2018年)がいちばんよく見えました。
撮影日は、2018年5月15日火曜日午前10時50分。
夏と思えるくらいの炎天下でした。


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電車を降りると、たくさんの方々が車両から出て来られました。
こちらの方々ほぼ全員、自分と同じ葵祭見物が目的です。
そして、目の前の階段を上がられていかれました。
こちらの大半は、5番出口から
高野川に架かる河合橋を渡り下鴨神社近くまで進まれるか、
第312回ブログのように加茂川の川岸から
出町橋を渡る巡行行列を眺められるかでしょう。
今回はなるべく空いた場所に行きたいので、
そのどちらにも向かいません。
ですから、自分はこの階段を上りません。


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そこから、京阪電鉄「出町柳」駅ホームを約100m南下しました。
ホーム最南端に、上りのエスカレーターがあります。
次は、そちらからコンコース階に上がります。


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そのエスカレーターを上りきると、目の前に改札口がありました。
では、ここから京阪電鉄「出町柳」駅を出ます。


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京阪電鉄「出町柳」駅の改札口を抜けて、右(西)を向きました。
目の前に1番出口に向かう階段がありますが、
そちらから地上に向かいます。


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京阪電鉄「出町柳」駅5番出口から、地上に出ました。
快晴の上に、5月と思えない炎天下です……
標識からわかるように、こちらは今出川通と川端通との交差点です。
(川端通は、鴨川東岸沿いの通りです)


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川端通から、今出川通を西に向いています。
ここからの今出川通は、鴨川に架かる賀茂大橋を渡ります。


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賀茂大橋上から鴨川を南に向いています。
約800m先に、荒神口橋が見えますね。
(荒神口は、第163回ブログで出てきます)


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賀茂大橋を西へ渡ってます。
この辺りには、葵祭目的の方々はほぼいらっしゃらないようです。


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今度は、賀茂大橋で北を向きました。
向こうに、加茂川に架かる出町橋が見えます。
この川は、賀茂大橋を境に加茂川と鴨川に分かれます。
(発音がどちらも「かもがわ」なので、ややこしいです)
その右(東)側が、加茂川と高野川との合流点「鴨川デルタ」です。
(京都を舞台にした多くのアニメ作品に出てきます)
その北側から下鴨東通が伸びており、
その先が葵祭を行う下鴨神社です。
さらにその東が高野川に架かる河合橋で、
さらにさらにその東が叡山電鉄「出町柳」駅です。
賀茂大橋と異なり、あちらはたくさんの方々がいらっしゃいます。
葵祭巡行行列は出町橋を東に進み、下鴨東通を北上します。


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賀茂大橋をもうすぐ渡りきります。
今出川通沿いに大きな藪が見えますが、
そちらは浄土真宗大谷派了徳寺です。
鳴滝にある大根炊きで有名な寺院と同じ名前ですが、別の寺院です。


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賀茂大橋を渡り、今出川通を西に進んでいます。
この辺りには高瀬川が流れていないので、
賀茂大橋から約100m進むと「河原町今出川」交差点です。


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今出川通から、河原町通を北に向いています。
では、ここから「河原町今出川」交差点北東角に渡ります。
自動車があまり通っていませんが、通行規制が始まったようです。


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その「河原町今出川」交差点北東角です。
何人か大きなカメラを持たれた方々がいらっしゃいますが、
ここは、葵祭巡行行列を撮影するベストポイントの一つです。
ただ、もうたくさんの方々がいらっしゃるので移動します。


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河原町通から、今出川通を西に向いています。
ではここを渡り、「河原町今出川」交差点北西角に移動します。


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横断歩道を渡りながら、河原町通を北に向いています。
約100m先に、「出町河原町」交差点が見えます。
葵祭巡行行列は京都御苑から丸太町通に出て、
(第479回ブログを参照)
「河原町丸太町」交差点で河原町通を北上します。
「河原町今出川」交差点通過後「出町河原町」交差点で右折し、
そのままで町通を東進して先程の出町橋に至ります。
そのため、こちらにもたくさんの方々がいらっしゃいます。
ただ、毎年葵祭見物をしていた際の人数よりは少ないですね。


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「河原町今出川」交差点北西角に来て、東を向きました。
何人かの後頭部が写るものの、結構よい場所です。
今年(2018年)は、ここで葵祭巡行行列を撮影します。


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その撮影ポイントから、「河原町今出川」交差点を見ています。
交差点中央に警官が2人いらして、通行規制が本格化しました。
ここから暫く、この交差点は歩行者が渡れなくなりました。


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やがて、1台の警察車両が河原町通を北上してきました。
沿道の最前列の方々の話から、
葵祭巡行行列がもうそこまで来ていることが分かりました。


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警察官のサインで「河原町今出川」交差点は
自家用車など一般車両も通行止めになりました。
2018年5月15日火曜日午前11時20分。
予定より早く葵祭巡行行列が「河原町今出川」交差点を通過します。


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警察車両に続いて、青い自動車が通り過ぎました。
第479回ブログにも出てきましたが、こちらは京都市広報車です。
これから葵祭巡行行列が来ることと、
この辺の交通封鎖が始まることをスピーカーで知らせていました。


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その後ろに、騎馬隊が続きます。
束帯姿ではあるのですが、こちらは京都府警の警察官です。
よく見ると、鞍付近に「POLICE」と書かれています。


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そのとき「河原町今出川」交差点を見ると、
臙脂色の束帯姿の騎馬の方々が北上されていました。
今までは京都府警や京都市役所の方々が通り過ぎていかれたので、
こちらが葵祭巡行行列の氏子衆の先頭ですね。

その後方で、京都市バスが通行しています。
ここは完全な道路封鎖ではなく、公共の交通機関は通常運転です。
(さすがに、一般車両は止めています)


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その臙脂色の束帯姿の方々が、自分の目の前に来られました。
騎馬が、自分の約2m手前を通り過ぎていかれます。
これは、自分にとって今までの葵祭巡行行列の中でも最接近です。
この距離なら、臙脂色の束帯姿の方々の前に
白装束の方々が歩いておられるのが分かります。
どちらの方々も、烏帽子に葵の葉を取り付けておられます。
こちらは、約1,200年前からの伝統です。
(葵祭は、祇園祭や時代祭よりも古いお祭りです)


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先導の騎馬の後にも、さらに騎馬が続きます。
こちらの方々は、全員帯刀(武装)されています。
従者を率いられていることからも、
検非違使志(平安時代の警察官僚)の扮装なのでしょうね。


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こちらは、先の騎馬集団の最後尾の方です。
検非違使志は、このように従者が手綱を持ち行進されます。


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そして、ここからは束帯姿の方々が徒歩で続かれます。
この辺りは検非違使の扮装なので大半の方々が武装されていますが、
こちらの2人は一切武装されていません。


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ですから、その後続の方々は帯刀されています。
徒歩の方々は、どちらも弓を片手に矢筒を担がれています。


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さらに浅葱色の束帯姿の方が、通り過ぎていかれました。
陰に隠れていますが、この方も帯刀されていました。


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さらに徒歩の検非違使隊列が続きます。
……しかし、検非違使に扮装されておられる方々の
束帯の色合いがどちらも華やかですね。


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その弓を持たれた検非違使隊列が、
自分の前を通り過ぎていかれました。
これで葵祭巡行行列の約2割が通り過ぎていかれました。
まだまだ行列は続きますが、今回はここまでとします。

~次回は、本列(男性隊列)の残りを載せます~

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第564回 葵祭本列巡行~葵祭2018~その2

[葵祭 本列] ブログ村キーワード
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「今出川河原町」交差点北西角から、葵祭巡行行列を見ています。
前回ブログからから読んでお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、
ここまで巡行行列に参加されておられるのは全員男性です。
葵祭では、最初の2/3を「本列」と呼び男性のみで構成します。
そして、後の1/3を「斎王代列」と呼び女性中心で構成します。
今回は、「本列」を最後まで載せます。
撮影日は、2018年5月15日火曜日午前11時半。
この時点で相当暑くなってきていました。


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先程の検非違使の後に、こちらの方が通り過ぎていかれました。
ただ、今までの検非違使(平安時代の警察官)と異なる扮装です。
束帯(平安時代の男子正装)の色も布の質感も上等で、
何より馬を引く方も、束帯姿です。
おそらく、こちらが検非違使尉(長官)でしょう。


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その後も、検非違使隊列が続きます。
今までは上手く撮れませんでしたが、
騎乗されている検非違使の前に白丁(従者)がいらっしゃいます。
そのうちの一人は、細長い布でくるまったものを担がれています。
こちらは「矛持ち」と呼ばれており、
騎乗される検非違使の矛(短めの槍)を持ち運ばれています。

平安時代は葵祭の警備が、相当厳重だったようですね。
まぁ、当時は天皇や皇族も参列していましたし……


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また、このように岡持(おかもち)を持った白丁も伴われています。
平安時代は、こちらに騎乗されている方の私物が入っていました。


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その直後をお稚児さんが通り過ぎます。
また、向こう(東)側の方が持たれているのは竹製の刀でしょうか?


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その後ろ方は……束帯が虎柄です。
枝分かれした木刀を手にされています。(まるで七支刀みたいですね)
虎柄の束帯姿の方は毎年この順で巡行されていますが、
何か宗教的な意味があるのでしょうか?


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さらに、検非違使装束の方が行進されます。
沿道に手を振られていましたが、知己がいらしたのでしょうか?


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その後ろから「鉾持ち」と岡持ちの白丁が来れてましたが、
その脇に漆製木器を手に行進される白丁がいらっしゃいます。
多分何かの楽器を置く台と思います。


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さらにその後から、漆黒の束帯姿の方が来られました。
おそらく、この直後の方を先導されています。


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そして、少し立派な束帯を着こなされている方が
騎乗で通り過ぎていかれます。
こちらも、束帯姿の方に手綱を引いてもらっています。
この物々しさから、山城の使(やましろのつかい)と考えられます。
こちらは山城守(国司)の次官を表しており、
平安時代は葵祭警護の最高責任者でした。
五位相当ですから、天皇に自分の意見を上奏できる
かなり身分の高い貴族ということになります。


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山城の使の後は、しばらく葵祭巡行行列が途切れました。
その間に、通行規制が一時的に解除されます。
これで、「本列」の半分が終わりました。


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約5分後、再び葵祭巡行行列が通り過ぎました。
先ずは、漆黒の束帯姿の方々が先導されます。


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ここからは、武装されていない方々が続きます。
こちらは、黒漆で塗られた木箱を持たれています。


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さらに、こちらは……虎の毛皮でしょうか?
誇らしげに持ち運ばれるので、平安時代は宝物だったのでしょうね。


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次に、傘が1本通り過ぎました。
西洋由来の雨傘とは異なり、祇園祭で出てくる綾傘鉾や
四条傘鉾に近い形状ですね。
元来は平安時代の貴族の女性が歩く際、
供の者が雨や日差しを避けるために差し掛けるものです。
ただ、こちらは本列(男性隊列)です。
傘の下を含めて、周囲に女性はいません。


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その後に、様々なものを持ち運ばれる白丁が
河原町通を北上されていかれます。
さらにその後に、大きな櫃を4人で担がれる白丁の登場です。


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その櫃を中心に撮りました。
松尾祭で巡行される月読神社ご神体が、こんな感じでした。


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その後をさらに櫃を担がれた白丁が続きます。
これが3箱なら上社1座に下社2座と数が合うので、
取材時にはこちらがご神体と思っていました。
(本来ご神体は御神輿で運ばれますが、
葵祭巡行行列にはその御神輿が存在しません)


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やはり、こちらの櫃は3箱いらっしゃいました。
……ということで、こちらがご神体と確信したのですが
後で葵祭のサイトで調べたところ、
こちらは御幣櫃と言い、中はご神体そのものではなく
ご神体へのお供え物ということでした。


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その後に、こちらの騎乗の束帯姿の方が通り過ぎていかれます。
烏帽子から、こちらも身分の高い貴族の扮装と分かります。
おそらく、こちらが内蔵寮史生(くらりょうのししょう)です。
前を行く御幣櫃の管理者で、七位のそこそこ身分の高い貴族です。


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その直後をこちらの空馬が通り過ぎていきます。
おそらく、先ほどの内蔵寮史生の替え馬でしょう。


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その後をこちらの騎乗の束帯姿の方が続かれました。
こちらは、馬寮使(めりょうつかい)と思われます。
……のですが、こちらの白馬が愚図りだしました。
まっすぐ歩かずに、横歩きしています。


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とうとう、その白馬が後ろを向いてしまいました……
ちょうど巡行行列が渋滞していて全員立ち止まったところなので、
ほぼ支障がなかったのですが……


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その時「今出川河原町」交差点を見ると、
ちょうど交差点の中央で牛車が立ち止まっていました。


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こちらが、その牛車の先頭部分です。
お稚児さんに先導されて、白丁に手綱を引かれた和牛が
ゆっくりと歩いていきます。
そして、束帯姿の方々が両脇を固めています。


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和牛に引かれて、牛車が進んでいきます。
藤やツツジの造花がきれいですね。
ただ牛1頭だけではこの大きな車を引くのが大変なので、
後方から白丁が何人か押しておられるようですね。

本来はこちらに勅使(天皇の代理)が乗られるのですが、
現在は誰も乗らない状態で行進します。


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その後を1頭の和牛が続きます。
こちらは「替え牛」で、先の和牛が疲労したときの交代要員ですね。


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その後に、こちらの束帯姿の方々が続きます。
何か細長い木箱を持たれていますね。


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その直後に、騎乗の臙脂色の束帯姿の方が通り過ぎていかれます。
武装されているので、検非違使でしょうか?


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その後ろの方はも、おそらく検非違使です。
こちらも、鉾持ちと岡持ちの先導により行進します。


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その後ろを替え馬が続きます。
……ただ鞍が重いらしく、馬がだいぶ愚図っています。


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さらに、風流傘が続きます。こちらも男性のみで運びます。
紅白の牡丹の造花が、見事ですね。


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さらに続く騎乗も、検非違使でしょうか?
武装されているのですが、手綱を引かれる方は束帯姿です。


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その後ろの束帯姿の方は、武装されていません。
おそらく内蔵使(くらづかい)と考えられます。
五位相当の身分の高い貴族で、勅使の上奏文を所持されています。


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その後を空の馬が続きますが、
この前後にかなり身分の高いか貴族役の方が行進されますので、
その替え馬なのでしょうね。


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その後から、勅使役の方が通り過ぎていかれました。
葵祭の勅使は天皇の代理で、平安時代は近衛中納言が務めました。
中納言は左大臣→右大臣→大納言に続く最高位の貴族の一人で、
これに少納言を含む貴族が平安時代は天皇と閣議を行っていました。


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その後をこちらの束帯姿の方が、北上していきます。
こちらも、虎柄の毛皮を掲げておられます。


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そして、黄色いツツジの造花を飾る風流傘が行進します。
こちらは、葵祭「本列」の最後尾の目印でもあります。


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これで、葵祭「本列」巡行の全てが、
「今出川河原町」交差点を北上していかれました。
女性を中心とした「斎王代列」まで、少し時間が空きます。
そのため、その間交通規制が解除されます。

今回は、ここまでです。

~次回は葵祭「斎王代列」を取材ます~

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第565回 葵祭 斎王代列巡行~葵祭2018~その3

[斎王代] ブログ村キーワード
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「河原町今出川」交差点からの葵祭巡行行列も、2/3が過ぎました。
男性のみの葵祭「本列巡行」の後は、
女性中心の「斎王代列」が「河原町今出川」交差点に入ってきます。
……とは言え最初は検非違使が行進しますので、
斎王代列も先頭は男性です。
今回は斎王代列を見物した後、帰宅します。
撮影日は、2018年5月15日火曜日正午。
暑くて、熱中症になりそうです。


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とは言え、先程の2名で検非違使から女房に変わります。
この場合の「女房」は「既婚女子」という意味ではなく、
「上級貴族の邸宅で働く女官」(本人は下級貴族)という意味です。
白丁(従者)に花飾り付きの和傘を立て掛けてもらっています。
屋外では裾の長い十二単ではなく、
裾は短く活動的な采女装束を着用されています。
ただし、足許は足袋に草履のようですが……


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女房隊列は、約10名続きます。
……のですが、その周囲でたくさんの男性が走っておられます。
所持されている機材から、カメラマンとその助手と分かります。
男性のみの「本列」には誰も付いていらっしゃいませんでしたが、
女性が大半の「斎王代列」はこんな感じでした。


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その女房隊列の後ろに、山吹色の束帯姿の男性が現れました。
その後ろに、お稚児さんが続きます。
斎王代列は、お稚児さんも女の子ですね。


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お稚児さんの直後から、上だけ束帯を身に着けた白丁が
輿を担いで登場されました。
その輿の上に、葵祭の今年(2018年)の斎王代が載られています。


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こちらが、輿に載られた斎王代です。
「輿」と言いましてもその下にキャスターが付いていますので、
白丁の皆さんもそこまで大変ではないのでしょうか?
(自分が実際に担いでいないので、本当のところは分かりません)
今も昔も、この斎王代の輿が葵祭巡行行列のメインです。
(葵祭では神輿など、ご神体は巡行しません)


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斎王代を載せた輿が、「河原町今出川」交差点を通り過ぎました。
輿の後から、また女の子のお稚児さんが通り過ぎていかれます。


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その後から、采女装束の女房姿の方が通り過ぎていかれます。
ただよく見ると、最後の2人は明らかに白拍子の扮装ですね。
その後に山吹色の束帯姿の男性がおられて、
さらにその後を騎乗された女房が続かれます。


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先程の写真と同じ方々が、自分の前に来られました。
よく見ると、山吹色の束帯姿の男性の周囲に
白丁もいらっしゃいますね。


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その後を騎乗姿の女房が、3騎ほど通り過ぎていかれました。
その前に白丁がいらして、それぞれ矛と岡持ちを持たれています。

ところで、この矛はどちらのものなのでしょうか?
もしかして、騎乗の女房のものなのでしょうか?


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さらに、その後も騎乗された女房が続きます。
こちらは、束帯姿の方が手綱を引かれています。


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騎乗された女房は、まだまだ続かれます。
2014年は大雨が降りましたので、
傘を差せない騎乗の方はかなり悲惨でした。


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その後に風流傘を白丁に差し掛けられた女房姿の方が登場され、
さらに数人の女房姿の方々が続かれます。


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さらに、その後を臙脂色の束帯姿の男性が通り過ぎていかれます。
こちらの方々は、全て笙や竜笛を持たれています。
おそらく、下鴨神社や上賀茂神社で雅楽を演奏されるのでしょうね。
そう言えば、祇園祭神輿巡行の八坂神社で雅楽を演奏された方々も
臙脂色の束帯姿の男性でした。


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その後を和太鼓などの打楽器が続きます。
こちらも、下にキャスターが付いています。


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雅楽演奏者の直後に、また牛車が登場します。
斎王代列ですから、先頭のお稚児さんも女の子ですね。


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こちらが、その牛車です。枝垂桜の造花で飾ってありますね。
こちらは元々斎王代が乗ることになっていましたが、
現在は巡行行列中誰も乗ることはありません。


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その後を和牛が1頭続きます。
こちらは先程の牛車を引く和牛が付かれたときの予備です。


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さらにその後を弓を持ち矢筒を担いだ検非違使が通過されます。
こちらが、葵祭巡行行列氏子衆の最後尾です。


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その後をこの軽トラックが通り過ぎます。
荷台の黒い袋には、途中で拾った馬糞が詰まっています。
さすがに、馬糞の放置はマズいようです。


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さらに、京都市の広報車が通り過ぎます。
こちらは、交通規制解除を告げておられました。


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最後に警察車両が通り過ぎると、交通規制が完全に解除されました。
これで、「河原町今出川」交差点も平日モードに戻ります。


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今出川通から、河原町通を北に向いています。
ちょうど葵祭巡行行列最後尾の牛車が、
約50m先の「河原町出町」交差点を右折しようとしています。
この後巡行行列は出町通を東進し、加茂川に架かる出町橋を渡り
下鴨東通で北上して糺の森経由で下鴨神社へ向かいます。


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では自分も帰ろうと思うのですが、今回は出町通経由で進みます。
ですから、先ず河原町通を北上したのですが……
いつも以上に歩行者でごった返しています。
どうやら、出町橋付近で見物されていた方々も混じっています。


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今出川通から、河原町通を約50m北上しました。
こちらは、和菓子屋さんの「出町ふたば」です。
第468回ブログ同様に、今回もこの混み具合です。
今から並んでも、自分の順番の前に売り切れるでしょうね。
また今回も、豆大福が買えませんでした……


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その北側に、こちらのアーケード街が西に伸びています。
こちらは、第469回ブログ以来の出町升形商店街ですね。
ただ、今回はこちらへは向かいません。


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その位置で、今度は東を向きました。
ここは、河原町通と出町通との交差点です。
出町通は、寺町通~東大路間の短い道です。
では、横断歩道を渡り出町通を東に進んでいきます。


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河原町通から、出町通を東に向いています。
この日は快晴だったので、長閑な風景が見受けられます。
ただ、この後仕事なので先を急ぎます。


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河原町通から、出町通を東に約50m進みました。
ここから、加茂川に架かる出町橋を渡ります。


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出町橋を東に渡りながら、加茂川の北東側を眺めています。
向かい岸の繁みは、糺の森ではありません。
(糺の森は、もっと北にあります)
上流方向に、葵橋が見えますね。
この橋を境に、河原町通と下鴨本通とに分かれます。


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出町橋を西に渡り切りました。
この先の横断歩道の位置で北に左折すると、
下鴨本通から糺の森に向かいます。(第242回ブログ参照)
出町通をさらに東に進むと、高野川に架かる河合橋があります。
さらにその先が、京阪電鉄と叡山電鉄の「出町柳」駅です。


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本当は河合橋を渡って駅に行きたいのですが、
葵祭巡行行列の見物人が多数いらして、
ここから先には進めそうにありません。
そこで横断歩道で出町通の南側歩道に向かい、
そこからさらに南に向かいます。


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出町通南側歩道から、さらに南に進みました。
ここから約50mほど、芝生の公園のようになっています。
右(西)側に加茂川が流れていますが、
左(東)側の土手を越えたらすぐに高野川が流れています。
では、こちらを南下していきます。


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さらにその位置から、南下していきます。
すると、地面が芝生から石畳に変わります。
ここから約50m先で、加茂川と高野川が合流しています。
ここがアニメなどの舞台によく使われる「鴨川デルタ」で、
この合流点から南が鴨川となります。


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「鴨川デルタ」最南端まで来ました。
この辺りの方々は、葵祭の見物人よりも
この「鴨川デルタ」自体を目的に来られているようです。
まぁこの日(2018年5月15日)はとても暑かったので、
皆さんここで涼んでおられるようでした。


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その「鴨川デルタ」最南端から、
加茂川と高野川へとそれぞれ飛び石で渡れるようになっています。
では、ここを利用して高野川を渡ります。
……のですが、第312回ブログのときより、水嵩があります。
これでは靴が濡れてしまいますが……他に選択肢がありません。


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靴を濡らしながら、飛び石を渡っています。
どうも、この飛び石を渡ること自体を楽しみにして
京都に来られている方々も多いようです。
周囲の大半が外国人で、中国などアジアの方々が多いですね。

飛び石を渡っている途中で、河合橋を見上げました。
すると、だいぶ人が減って普通に渡れています。
もしかして、じっと待っていた方が正解だったかもしれません。


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とは言え、もうここまで渡っているので
このまま飛び石を西へ進み高野川を渡り切ります。
高野川の川岸では、たくさんの方々が涼んでおられますね。
そのくらい、この日(2018年5月15日)は暑かったですね。


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飛び石を渡り切り、高野川東岸にまで来ました。
右(南)側に、第563回ブログに出て来た賀茂大橋が見えます。
(今出川通沿いです)
では、この石段を上り川端通に出ます。


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石段を上りきると、川端通に出ます。
その脇に、地下に向かう京阪電鉄「出町柳」駅3番入口があります。
では、ここから地下に下りて帰宅します。

今回は、ここまでです。

~次回から、また「釜座通編」が復活します~

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第657回 丸太町から河原町へ~葵祭 2019~その1

今年も、また葵祭の時期がやって来ました。
毎年巡行行列を観覧する場所を変えていきますが、
今年は、「丸太町河原町」交差点に行きます。
葵祭の巡行行列は、御所内部堺町御門と丸太町通を東進します。
今回は、直後の「丸太町河原町」交差点で葵祭巡行を取材します。
その後この葵祭巡行は、「今出川河原町」交差点出町橋
下鴨神社へと向かいます。
葵祭巡行は、午後になると
さらに北にいらっしゃる上賀茂神社に向かいます。
ただ、そちらは自分の仕事の関係で取材できません……
では、2019年の葵祭を観覧していきます


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約1カ月半ぶりの京阪電鉄「神宮丸太町」駅です。
今回はここから西に進み「丸太町河原町」交差点に向かい、
その位置で葵祭巡行行列を観覧します。
撮影日は2019年5月15日水曜日午後10時10分。
……って、予定より大幅に遅れています。


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通常ならこの「京の道 今日の道」では、
駅のホーム→コンコース階→出口へと向かい、
そこからこの辺りの写真を載せるのですが、
何しろ遅刻していますので、省略しています。
京阪電鉄「神宮丸太町」駅3番出口から出て、
(第644回ブログでは2番出口を利用)
「丸太町川端」交差点北英角から、さらに西を向いています。
では、ここからさらに西に進み
鴨川に架かる丸太町橋を渡ります。


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丸太町橋から、鴨川の北西を見ています。
この草むらの中でタンポポが満開だったのですが、
こうして写真にするとよく分かりませんね。


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丸太町橋を渡り、丸太町通をさらに西に向いています。
この辺りで「京都左京区」から「京都市上京区」に移ります。
そして、さらに西に進みます。


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丸太町橋から、丸太町通を西に約200m西に進みました。
こちらが、今回ブログの目的地「丸太町河原町」交差点です。


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「丸太町河原町」交差点北東角に陣取りました。
街路樹の間に、タンポポが咲いていました。
カメラをちょっと下に向けると、こんな構図になります。


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「丸太町河原町」交差点北東角から、西を向いています。
この250m先に、京都御所堺町御門があります。
現在2019年5月15日午前10時半。
行き交う自動車の様子を見ていると、
すぐに巡行行列がやってくる気配がありません。
自分はここに来るのに遅刻しましたが、
巡行行列の方も少々遅れ気味のようです。


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2019年5月15日午前10時40分になりました。
河原町通の北行き車道に、変化がありました。
北上する直進ルートの車道に、コーンが立てられます。
ここから河原町通は、丸太町通以北直進が禁止です。


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この時点で、2019年5月15日午前10時45分です。
「丸太町河原町」交差点北西角にも、コーンが立てられました。
この交差点の交通規制が、この時点で本格化します。


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2019年5月15日午前10時50分。
京都御所堺町御門から、京都府警のパトカーが来ました。
では、いよいよ2019年の葵祭巡行行列が
この「丸太町河原町」交差点にやって来ました。


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京都府警のパトカーがこの交差点で進路を変え、
河原町通を北上します。
その後に、京都市役所広報の青い自動車が続きます。


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京都市広報の青い自動車の後、先導者が騎馬で現れます。
2014年には2名の女性制服警官が先導されていましたが、
今年(2019年)は検非違使装束の2名の男性が、
騎馬姿で葵祭巡行行列を先導されます。


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先導の検非違使による騎馬の後も、
束帯姿の検非違使が馬に乗って行進されます。
検非違使(けびいし)とは平安時代の警察官のことで、
この巡行行列を警備する近衛兵として随行しております。

その周囲に、徒歩の白装束姿の方々がいらっしゃいます。
こちらは騎乗の検非違使の従者役をされています。
検非違使所有の槍や弓矢などの武器、
日用品を入れた葛籠を持ち、検非違使の周囲に帯同されます。


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その後に、臙脂色や群青色の徒歩の束帯姿の方々が通過されます。
こちらは従者ではなく、検非違使の方々です。
こちらの方々は、帯刀以外に弓矢などで武装されています。


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そして、さらに騎馬や徒歩の検非違使隊列が続きます。
実はこの検非違使隊列が行列全体の60%ほどなのですが、
この時点で相当数の検非違使がこの交差点を通過されています。
昨年(2018年)は葵祭巡行行列をほぼ全員撮ることができたのですが、
今年(2019年)の「丸太町河原町」交差点では
対向車線の自動車が邪魔になって半分くらいしか撮れません……
ですから、今年は写せていない方がたくさんいらっしゃいます。


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槍持ち・葛籠持ちの後方に、騎馬の検非違使がいらっしゃいます。
馬がかなり車道の中央に寄って来られたのは、
馬が興奮して愚図ったからです。
「馬が興奮するので、警笛を鳴らさないで」
馬の轡を持たれた方が、交通警官に叫んでおられました。


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検非違使の中に、お稚児さんが随行されます。
ヒョウ柄(!)の束帯姿の方は、七支刀のように
枝が付いた槍を持たれています。
その後ろに、山城の使(やましろのつかい)が
騎乗にいらっしゃいますね。
平安時代は、検非違使の上司に当たる方でした。


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葵祭巡行行列が、立ち止まっています。
市バスなど相変わらず運行されているので、
時々巡行が中断されます。
市バスが通行中のときは、写真を撮っていません。


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その後から、お稚児さんが歩いてこられました。
さらにその後から、虎柄の毛皮と大きな傘が続きます。
どちらも、葵祭巡行行列に何度か随行されるものです。


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さらに、群青色の束帯姿の方々が通過されます。
こちらは検非違使ではないようですが、
自動車や市バスの通過で何人か見逃したので、
実は状況が詰めていません……


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その後を白丁に担がれた櫃が運ばれていきます。
こちらはご神体そのものではなく、
上賀茂神社や下鴨神社にいらっしゃる神様への貢ぎ物です。


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御幣櫃(供え物が入った櫃)の後から、騎乗の
内蔵寮史生(くらりょうのししょう)が続きます。
御幣櫃の管理者で7位に位置する貴族です。


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内蔵寮史生の後から、さらに空馬が続きます。
こちらは、おそらく内蔵寮史生の乗り換え用の馬ですね。
……毎年、白馬は愚図るものが多いですね。
その後から、馬寮使(めりょうのつかい)が続きます。
こちらは馬を管理する役人で、下級貴族でもあります。


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その直後に、牛車が通過します。
庇に飾ってある藤の造花が、きれいですね。


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牛車が、「丸太町河原町」交差点を左折します。
臙脂色の束帯姿のお稚児さんが、牛の轡を引かれています。
本来こちらには勅使が乗られるのですが、
近年は空(だれも乗らない)のまま運行されます。


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牛車の後を別の牛が通過します。
こちらは、牛車の乗り換え用の牛です。


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その長い木箱を持った白丁の後、
また騎乗の検非違使が続きます。


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検非違使が、その後に続かれます。
またしばらく、武装された束帯姿の方々が並んでおられます。


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騎乗の検非違使が、数人通過されました。
ここから、徒歩の検非違使が続きます。


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この直後に、こちらの方が通過されました。
馬が、まっすぐ歩いていません。


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どうやらこちらの白馬が、愚図っています。
どうも自動車が動く音と、交通警官の警笛の音が
馬を興奮させる要因のようです。


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勅使役の方の後を徒歩の検非違使が続きます。
そろそろ本列も、終わりに近づいています。


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その直後に、空馬とお稚児さんが続きます。
その周囲を様々な色の束帯姿の方が続きます。


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続いて、紅白のボタンの造花が付いた傘が通過します。
とてもきれいな色合いですね。


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さらに、身分の高い貴族の束帯を身に付けた方が通過されます。
こちらは、5位の内蔵使(くらつかい)でしょうね。


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さらにその後から、勅使役の方が通過されます。
天皇の代理と考えられる上級貴族で、
平安時代は左大臣や右大臣、大納言に次ぐ地位の
近衛中納言が務めておりました。
(御前会議で意見を述べることができる最高権力者の一人です)


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さらに勅使役の方の後に、日用品や武具を持たれた白丁と
検非違使の方々が続きます。


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こちらの方々で、本列の検非違使が全員通過されました。
その後から、黄色い傘が見えてきました。


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黄色いツツジの造花が付いた傘で、葵祭本列巡行行列が終わります。
お気づきでしょうか?ここまで全員男性で構成されていました。
平安時代に葵祭が始まって以来、
「本列巡行行列」は全員男性で構成されています。
実際、葵祭巡行行列は1960年ごろまでこれで終わっていました。
1960年ごろ以降は、(つまり現在は)
ここから女性中心の隊列が続きます。
それを「斎王代列」と呼ぶのですが、それはここから始まります。
つまり、ここからは大半が女性の巡行行列です。

ただ今回はだいぶ写真を貼り付けましたので、
ここから先は次回とします。
今回は、ここまでです。

~次回は、その「斎王代列」を取材します~

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第658回 斎王代列北上~葵祭 2019~その2

658-1.jpg
黄色いツツジの造花が付いた傘が、
ここ「丸太町河原町」交差点を通過します。
現在「丸太町河原町」交差点北東角で、
北西角の辺りに向いています。

葵祭巡行行列本列はこの黄色いツツジの傘で終了しました。
平安時代ならこれで終わりなのですが、
1960年ごろから、女性を中心にした「斎王代列」が
「本列」の後から続きます。
今回は、葵祭巡行行列後半の「斎王代列」を取材します。
撮影日は、2019年5月15日水曜日午前11時半。
お祭り日和の快晴でした。


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葵祭本列と斎王代列の間が毎年大分空いている印象があるのですが、
2019年はその間が約100mもないようです。

斎王代列の先頭は、弓矢で武装された検非違使隊列です。
検非違使は平安時代の警察官で、近衛兵でもあります。
つまり、斎王代列の先頭も男性による隊列です。
その後に、白丁(従者役の方々)が
傘持ちをされている隊列が続きます。


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その白丁が傘を差しかけているのは、
平安時代の采女の扮装をされた女性です。
ですから、衣裳も十二単ではなく采女衣裳です。


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その後を傘持ちを伴わない女房(女官)姿の女性が、
徒歩で通過されていかれます。
葵祭巡行の男性は烏帽子に葵の葉を付けていらっしゃいますが、
女性は誰も葵の葉を身に付けていらっしゃいません。

……だんだんと後方の斎王代が載られた輿が
「丸太町河原町」交差点に近づいてまいりました。


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さらに、斎王代を載せた輿が近づいてこられました。
その手前に徒歩で行進される女房(女官)がいらっしゃいますが、
白い小袖を着こなされておられるのは白拍子でしょうか?


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こうして見ると、女房(女官)一人に
複数の男性が付いているのが分かりますね。
葵祭斎王代は、「丸太町河原町」交差点目前にいらっしゃいます。


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いよいよ葵祭巡行行列のメイン斎王代の輿が、
「丸太町河原町」交差点に入ってきました。
斎王代が載っておられる輿の周囲を
小学校高学年くらいの方々が取り囲まれています。


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丸太町通を東進されてきた斎王代を載せた輿が、
この交差点で河原町通を北上されていきます。
輿を担がれておられる方々は、そのまま方向転換されます。
祇園祭のように、交差点で輿を持ち上げて
クルクル回転されることはありません。
(第408回ブログを参照)
まぁそんなことをされては、斎王代が目を回されてしまいますが……


658-9.jpg
斎王代を載せた輿が、河原町通を北上していきます。
こちらの輿は祇園祭の「山」より小さいので、
担がれる人数も少なめです。


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斎王代を載せた輿の後から、こちらが続かれます。
多分小学校低学年のお稚児さんです。


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斎王代を載せた輿の後は、こちらの女房(女官)が徒歩で来られます。
こちらの女房は、先程よりも采女装束の色合いが派手ですね。


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まだ少し徒歩の女房が続かれます。
その中心に、白拍子姿の方々が2名いらっしゃいます。


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さらに、その後ろを騎乗姿の采女装束の方々が通過されます。
馬に乗った采女衣裳はかなり映えるのですが、
2014年のように大雨が降ると目も当てられないことになります……
(総額数千万円分もの衣裳が、全廃棄になりました)


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騎乗の女房の脇を岡持ちを担いだ白丁が随行されます。
槍を持った白丁もいらっしゃいますが、
それも騎乗の女房のものという設定でしょうか?
(巴御前のような女性の侍は、当時は例外中の例外です)


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その後を徒歩の女房が、通過されます。
写真中央の槍は、前を歩く検非違使のものという設定なのでしょう。


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采女衣裳の女房が、集団で
「丸太町河原町」交差点に徒歩で入ってきました。
その集団の中心に、白拍子がいらっしゃいます。
……ただ、これで女性の隊列は終了です。
斎王代列もあと少しですが、残りは全員男性で占められています。


658-17.jpg
先程の白拍子装束の女性の後から、
臙脂色の束帯姿の男性の集団が通過します。
彼らは、皆手に楽器を持っております。
多分下鴨神社や上賀茂神社で、雅楽を演奏されるのでしょうね。


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さらに、臙脂色の束帯装束を身に付けた方々が通過されます。
手にされているのは……分かりにくいですがでしょうか?


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臙脂色の束帯姿の集団の最後尾に、大きな太鼓があります。
この後ろの牛車が、葵祭巡行行列の最後尾です。


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いよいよ斎王代列最後尾、と言いますか
葵祭巡行行列最後尾の牛車が「丸太町河原町交差点」に現れました。


658-21.jpg
「丸太町河原町」交差点で、牛車が方向転換しています。
前回ブログ同様、藤の造花がきれいですね。
また、牛の轡はお稚児さんが引かれているところも同じですね。


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牛車の後を、また別の牛が通過します。
こちらは、先程の牛が疲れたときの予備の牛です。


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さらに、その後を束帯姿の検非違使が追いかけます。
これで葵祭巡行行列が、一通り終わりました。
その後を様々な自動車が続きます。


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自動車の先頭は、こちらの軽トラックです。
路上でたれ流された牛や馬の糞をスコップで掬い、
それを荷台の袋に詰めます。
やはり、糞の放置はいけません。


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軽トラックの後は、こちらの2台が通過しました。
葵祭の氏子衆の役員やお祭り関係者が乗る自動車と
信号などを管理する消防署の自動車ですね。


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その後の青い自動車は、京都市役所の広報のものです。
「Do you Kyoto? 」は、京都市観光局PRのためのコピーです。


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最後に、警察のパトロールカーが通過します。
こちらが通過した直後、この交差点は徐々に通常に戻っていきます。


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徐々にコーンなどが取り除かれますが、すぐには通常に戻れません。
河原町通北行き車道も直進できるのですが、
つい先ほどまで直進禁止だったこともあり、右折車両ばかりです。


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「丸太町河原町」交差点で、東を向きました。
では、自分もそろそろ帰宅します。


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「丸太町河原町」交差点から、丸太町通を約50m東に進みました。
いつもはもっと交差点寄りの市バスバス停です。
葵祭関係で、多少遅れています。ただ、バスの中は満員ですね。
葵祭巡行行列を1日追いかけられる方も、相当いらっしゃいます。


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バス停の前で、丸太町通を東に向いています。
右(南)側の洋館は、地域スーパーのフレスコですね。
では、ここを東に進みます。


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「丸太町河原町」交差点から、丸太町通を東に約150m進みました。
こちらから、鴨川を渡ります。
この辺りから、「京都市上京区」から「京都市左京区」に移ります。


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鴨川に架かる丸太町橋を東に渡っています。
すると、丸太町橋の中央にテラスが見えます。
おそらく、観光客が鴨川を眺めるためのものでしょう。


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そのテラスの先端に立ちました。鴨川の上流側を見ています。
毎年8月16日の晩に、ここから「大」と「妙法」の文字が見えます。


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もうすぐ鴨川に架かる丸太町橋を渡り切ます。
その先に、京阪電鉄「神宮丸太町」駅に続く
地下道への入り口が見えます。
ではそちらから京阪電鉄に乗り、帰宅します。

これで、2019年の葵祭巡行行列の観覧を終了します。

~次回から、また別の道の連載を始めます~

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第945回 賑わいの堺町御門へ~葵祭2023~その1

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2023年は、葵祭露頭の儀が開催されました

2020年にコロナウィルスが大流行する中、
2020年~2022年の3年間葵祭は「居祭り」でした。
「居祭り」とは神社内で行われる非公開のお祭りで、
神輿などの巡幸が行われないのが通例です。
まぁ葵祭に限らず京都のお祭りの大半が、
この間「居祭り」となりました。
それが、今年(2023年)は葵祭の全日程が通常開催となりました。
さらに2023年5月15日月曜日は自分は休日だったので、
例年足を運んでいない上賀茂神社に向かうつもりでしたが……
2023年5月15日は雨天順延となりました。
翌2023年5月16日は一日快晴でしたので、
この日に2023年の葵祭露頭の儀が行われました。
本当は夕方の牧歌的な上賀茂神社を取材したかったのですが、
2023年も観光用の午前中の葵祭を取材します。


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京都駅から国際会館行き市営地下鉄烏丸線に乗って、4駅。
こちらは、市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅です。
今回は、京都御苑から葵祭巡行行列が市街地に出る
京都御苑堺町御門を訪れます。
撮影日は、2023年5月16日火曜日午前10時10分。
前日とは打て変わって、快晴でした。


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市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅で、ホームに降りました。
もともとこちらの駅は乗降者が多いのですが、
この日(2023年5月16日)は格別に多いですね。


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市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅北側エスカレーターは、
あまりの人出になかなか乗り込めません。
そこで、さらに北側の上り階段を目指します。


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市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅
ホーム最北端に、上り階段があります。
ここからは、こちらを上ります。


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市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅ホーム最北端から階段を上り、
市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅コンコース階に立っています。
ここからは、他の方同様にこのまま北上します。


945-6.jpg
先ほどの階段から、市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅の
コンコース階を約5m北上しました。
人込みでよく見えませんが、目の前が改札口です。
では、ここから市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅を出ます。


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市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅北側改札口から、
地下道を北に向いています。
目の前にコンビニエンスストアがありますが、
その周辺に地上に上がる階段があります。


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そのコンビニエンスストアの右(東)側に、
地下道から地上に上がる「1番出口」があります。
京都御苑に進むにはいちばん近いのですが、
10分以上1mも動きません。
実は例年葵祭でこの出口を利用すると、
確実に葵祭巡行行列に間に合いません。


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今度はそのコンビニエンスストアの左(西)側に、
地下道をさらに北側に進む地下道があります。
この先に、市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅2番出口があります。
第397回ブログなど葵祭期間中に京都御苑に入るなら、
こちらに進むのがいちばん有効です。
ただ今回は京都御苑内に入りませんので、
こちらには進みません。


945-10-1.jpg
今度は同じ位置で、地下道を南に向きました。
この左(東)に、市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅北側改札口があります。
ここからは、目の前の地下道を南下します。



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先ほどの位置から、地下道を約30m南下しました。
左(東)側の人込みは、こちらにトイレがあるためです。
市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅周辺は、
さらに南に地下道が続いています。


945-11.jpg
そのトイレの南側で、地下道はT字路になります。
地下道を南下すると地下道は竹屋町通や夷川通沿いまで続きますが、
ここからは左(東)側に地下道を折れます。


945-12.jpg
そのT字路で、地下道を東に向いています。
表示にあるように、市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅「3番出口」は
「丸太町烏丸」交差点南東角に出ます。
ここからは、こちらを進みます。


945-13.jpg
地下道から先ほどの階段を上り、こちらに出ました。
こちらが、市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口です。
では、ここから地上に出ます。


945-14.jpg
市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口で、
烏丸通を南に向いています。
丸太町通以南の烏丸通沿いはオフィスビル街が続き、
京都市内でも大きな会社がここに建ち並びます。
(この辺りの様子は、第202回ブログ参照)


945-15.jpg
今度は市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口から、
烏丸通を北に向いています。
約30m先で烏丸通は、丸太町通と交差します。
ここからは、そちらに向かいます。


945-16.jpg
市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口から、約30m北上しました。
ここで烏丸通は、丸太町通と交差します。
丸太町通以北で藪に見える場所が、京都御苑です。


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先ほどのほぼ同じ位置で、北北東を向いています。
丸太町通北側歩道には、たくさんの方々がいらっしゃいます。
市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅1番出口を進むと、
あの位置で地上に上がれます。
あちらの方々はそのまま東に進み、京都御苑に入られます。
ちなみに目の前の警官は、交通整理をされていました。
(もうすぐ、丸太町通に通行規制が入ります)


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烏丸通から、丸太町通を東に向いています。
目の前で、車屋通が南に伸びています。
ここからは、丸太町通を東に進みます。


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車屋通から、丸太町通を東に向いています。
丸太町通の左(北)側は、京都御苑が広がります。
ですから烏丸通~寺町通間の南北の通りは、
全てこの丸太町通で突き当たります。


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車屋通から、丸太町通を約50m東に進みました。
ここで丸太町通は、東洞院通と交差します。


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丸太町通から、東洞院通を南に向いています。
烏丸通に近いこともあって、東洞院通には飲食店が多いですね。
それは、京都駅前の塩小路沿いまで変わりません。
ちなみに約3㎞南下すると、豆腐屋さんの並河商店があります。


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東洞院通から、丸太町通を東に向いています。
右(南)側に結構な趣のある喫茶店がありますが、
この辺りは人気のある飲食店が多いですね。
では、このまま丸太町通を東に進みます。


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東洞院通から、丸太町通を約30m東に進みました。
この位置から約20m東で、丸太町通は間之町通と交差します。


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その位置で、丸太町通を北に向きました。
こちらが、京都御苑の間之町口(間之口門)です。
間之町通の語源となった場所ですね。
市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅1番出口から来られた方は、
ここから京都御苑に入っていかれます。
こちらは中央に立っている百日紅(さるすべり)が、
毎年8月になると満開になります。
満開の百日紅の様子は、第679回ブログ参照)


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丸太町通から、間之町通を南に向いています。
間之町通は約4㎞先の七条通まで伸びていますが、
途中何度も途切れています。
約100m南下するとこどもみらい館が建っていて、
約3㎞先に渉成園が広がります。


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間之町通から、丸太町通を東に向いています。
いつもより歩道を歩かれる方が多いですが、
おそらく自分と同じ目的の方々が大半でしょう。
では、このまま丸太町通を東に進みます。


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間之町通から、丸太町通を約50m東に進みました。
ここで、丸太町通は高倉通と交差します。


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丸太町通から、高倉通を南に向いています。
第434回ブログでは、高倉通を北上してここまで来ました。
ちなみに京都御苑内にも高倉通を延長した位置に道があって、
それが京都御所の健礼門に至る健礼門前通です。
健礼門前通りの詳細は、第435回ブログを参照してください。


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高倉通から、丸太町通を東に向いています。
この先の歩道上が混みあっていますが、
そちらが今回ブログの目的地です。


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高倉通から丸太町通を約50m東に進むと堺町と交差しますが、
その堺町と丸太町通が交差する地点で、
かなりの人だかりができています。
自分もこの中に入りますが、その前にちょっとうろうろします。


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目の前で丸太町通が、堺町通と交差します。
丸太町通歩道の車道側に多く人が集まり、
右(南)側は通り抜けできるようになっていますね。


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今度は丸太町通から、堺町通を南に向いています。
こちらにも、数名の見物人がいらっしゃいます。
テレビカメラを持った方もいらっしゃいますが、
おそらくNHKから来られたのだと思います。
ちなみに丸太町通沿いには、
大阪ローカル局のよみうりTVが来ていました。


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今度は丸太町通から、堺町通を北に向きました。
こちらに、京都御苑の堺町御門があります。
堺町御門より大きな中立売御門を正門と考える方も多いですが、
歴史的に考えて堺町御門が京都御苑の正門と考えられます。
1864年に京都市中が火の海になったどんどん焼けの火元です。
葵祭露頭の儀の際は健礼門前通を南下した巡行行列が、
この堺町御門から京都市街地に登場します。
実は葵祭露頭の儀で、最も写真映えする場所の一つです。


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では、葵祭露頭の儀撮影のための場所取りを始めます。
よみうりTVのカメラ脇がこの辺りのベストポジションですが、
どうも割込みができないようになっています。


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そこでたまたま近くを歩いておられた警官に、詳細を質問しました。
その方は、以下のルールを説明されました。
① テープを張った規制線を跨いで中に入ってはいけない。
② 車道上に身体の一部が出てはいけない。
③ 規制線より北に入りたい場合は、高倉通側から回り込む。


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そこで高倉通側から、規制線の車道(北)側に入ってきました。
他の方が既に相当数いらっしゃったので、堺町御門が
ギリギリ見えるかどうかの位置取りになってしまいました。
まぁ葵祭の巡行行列は丸太町通上まで南下しますので、
この位置からでも十分に撮影可能ですが……
この時点で、2023年5月16日火曜日午後10時20分です。
ここから、この場所で葵祭の巡行行列を待ちます。


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丸太町南側歩道から、京都御苑の堺町御門を撮っています。
この写真のように、丸太町通には自動車が行き来しています。
さすがに堺町御門の前は通行止めですが、
丸太町通車道は行列が巡行していても、
完全には通行止めになりません。


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葵祭露頭の儀で巡行行列が通り過ぎるまでは、
交通整理の警官が慌ただしくうろうろされていました。
特に丸太町通北側歩道は、交通整理が大変だったようです。
堺町御門は通行止めですが、通り抜けもある程度認めています。
また堺町御門に直接タクシーや自家用車で乗り付ける方もいらして、
(さすがに堺町御門前に駐車したり、
堺町御門を自動車で通り抜けようとされたりされる方は、
いらっしゃいませんでしたが……)
その対応にかなり追われておられました。


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2023年5月16日火曜日午前10時半になりました。
京都御所の清涼殿では神事が終了して、
健礼門が開かれて巡行行列が南下し始めるころです。
この時点で京都府警のパトロールカーが、姿を現しました。
京都のお祭りで京都市街地を巡行される場合は、
京都府警のパトロールカーが先導して、
京都市役所の青い自動車が後に続きます。
この青い自動車は他の自動車が
巡行行列の妨害にならないように、指示や警告を発します。
丸太町通以降の京都府警側の準備は万端です。
もうすぐ葵祭露頭の儀の巡行行列がここを通りますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回から葵祭露頭の儀の巡行行列が、
堺町御門から丸太町通に出てきます~

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第946回 葵祭露頭の儀本列 前編~葵祭2023~その2

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前回ブログで市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅から丸太町通を東に進み、
京都御苑の堺町御門前まで来ました。
葵祭露頭の儀の巡行行列は健礼門から京都御所を出て、
健礼門前通経由で、この堺町御門から京都市街地に出ます。
今回は、葵祭巡行行列を堺町御門前で見物します。
撮影日は、2023年5月16日火曜日午前10時半。
この写真中央にいらっしゃる警察官によると、
この瞬間巡行行列の先頭が健礼門を通過したそうです。


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そういえば上皇さまが京都御所におられて、
京都御所の清涼殿内で葵祭の神事をご覧になられたそうです。
今上天皇陛下のご父君がいらっしゃるので、
例年以上に警察官の警備は厳重です。
その警察官の皆さんが、午前10時半になると同時に
カラーコーンを丸太町通の車道上に並べられました。
赤いコーンの左(北)側は、これ以降車両通行止めです。


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そして、青いコーンがここから中央分離帯になります。
例年葵祭露頭の儀の巡行行列は半分の車線に自動車を通して、
祇園祭山鉾巡行のように全面的な通行止めにはなりません。


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先ほど堺町御門の前でスピーカーから警察官が放送されていましたが、
ちょっと距離があったので聞き取れていない方々も多かったようです。
そのため、こちらの警察官がもう一度放送されています。
現在京都御苑内の健礼門前通を巡行行列が南下していることと、
この場所で巡行行列を拝観する際の注意事項を繰り返されました。
「カメラを持たれる方がフラッシュを焚かれると、
お馬さんがびっくりしちゃいますよ」
ちょっとふざけた言い方をされるのが、
先ほどの警察官との違いでした。


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この時点で、2023年5月16日火曜日午前10時45分です。
葵祭露頭の儀の巡行行列は、数分後に堺町御門を通過されます。
上皇さまがいらっしゃるためか、
2023年の葵祭露頭の儀の巡行行列は例年以上に時間に正確です。


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2023年5月16日火曜日午前10時50分になりました。
すると、パトロールカーが動き出しました。
京都市街地のお祭りでお神輿などが巡行される際は、
必ずパトロールカーが先導します。


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続いて、京都市役所の青い自動車が動きます。
こちらは、周辺の道路上の歩行者や自動車に指示・注意を出します。


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その直後に、騎乗の制服警察官が堺町御門から現れました。
実際に警備も行っておられる騎乗警察官は、葵祭の名物ですね。
自分の脇におられた台湾(たぶんです。自信ありません)の方が、
騎乗警察官を見るなり大声を出されました。


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パトロ-ルカー・京都市の自動車・騎乗警察官が、
堺町御門から丸太町通を東に進んでおられます。
葵祭露頭の儀の午前のコースはこの堺町御門から始まり、
丸太町通を東に進んだ後河原町通で北に折れます。
そして出町通で東に折れて下鴨神社に向かいます。


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続いて、この黒い自動車が動き出します。
こちらには、葵祭を運営されていおられる方々が乗られます。
……と言いましても、葵祭を運営されるのは役所ではなく、
下鴨神社や上賀茂神社の氏子(神社近くの住民)です。
特に下鴨神社の氏子衆は、左京区下鴨地区の住民です。
京都市街地の中でも、「政界人」「財界人」が集中する地域ですね。


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そして、ここから本来の葵祭露頭の儀の巡行行列が続きます。
ちなみに葵祭露頭の儀の巡行は、初めは男性のみの隊列です。
こちらを「本列」と呼んでいます。
本列の先頭は、「乗尻」(のりじり)と呼ばれています。
元々は衛士(平安時代の近衛兵)が務めていました。
巡行行列を警護するのが役割でしたが、
毎年5月5日に下鴨神社で催される流鏑馬神事で
実際に流鏑馬をされた方々でもあります。


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「乗尻」の後は、こちらの方々が歩かれていました。
束帯姿に腰に刀を帯びて、手には弓を持たれています。
こちらは、平安時代の一般的な武士の姿ですね。
たぶん下級の検非違使(平安時代の警察官)に扮装されています。
よく見ると、束帯姿の男性は全員葵の葉を髪に飾っています。
この扮装から、「葵祭」の名が付きました。


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実は暫く徒歩の検非違使の扮装をされた方々が続いたのですが、
通行する自動車が邪魔で撮影できなかったりして、
ほとんど飛ばしてしまいました。
こちらは検非違使の中でも特に立派な紛争をされています。
おそらく検非違使の尉(平安時代の警察の長官)に扮装されています。


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その直後に、白い束帯姿の方々が堺町御門をくぐられました。
弓などの武具をお持ちですが、こちらは白丁と呼ばれる方々です。
騎乗された方々の武具などを持ち運ぶ役割を持ちます。


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さらに白い束帯姿の方が、長い武具を持ち運ばれています。
こちらは、槍か何かでしょうか?


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こちらも、検非違使(けびいし)の上官に扮装されています。
そのため、周囲に白丁の皆さんが随行されます。


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その後から、お稚児さんが続きます。
お稚児さんには、検非違使が徒歩で随行されます。


946-18.jpg
その直後に現れた方の束帯は……ちょっと変わっています。
高烏帽子に黄色い生地に黒い線……要するにトラ柄ですね。
七支刀のような木の枝を持たれていますが、
何か宗教的な意味があるでしょうか?


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その後には、徒歩の検非違使が行進されます。
両名とも、大きな弓を持たれています。


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本当はこちらの方には、先触の従者がいらっしゃいます。
他の方々より立派な束帯を身に着けていらっしゃいますが、
こちらは山城の使(やましろのつかい)に扮装されています。
「山城の使」は、山城国(京都府南部)の国司の次官で、
平安時代では葵祭警護の最高責任者でした。
五位の位を持っているので、
天皇に直接会って具申する権利を持っていました。


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その直後は暫く白丁が続かれましたが、
その後はちょっと派手な色の束帯を身に着けた方が続きます。


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その直後には、こちらの方々が通り過ぎました。
左から、虎皮と鹿皮を持ち運ばれています。
きっと平安時代には、高級品だったのでしょうね。


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続いて、傘が1本登場です。
平安時代の傘ですから、畳むことはできません。
祇園祭の四条傘鉾綾傘鉾に近い形状ですね。


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さらにその後から、牛車が続きます。
御所車が、牛に曳かれています。


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その牛車を大写ししました。
牛に曳かれた御所車が、藤の造花で装飾されています。
もともとこちらは葵祭の勅使が乗られていましたが、
現在は勅使役の方も騎乗されるので、中には誰もいらっしゃいません。


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牛車の後には、必ず牛がもう1頭随行します。
先ほどの牛が牛車を曳き疲れた際、
こちらの牛が後を引き継ぎます。


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その直後には、御幣櫃(ごへいひつ)を担がれた白丁が続きます。
松尾祭では御幣櫃にご神体が運ばれていましたが、
こちらは下鴨神社や上賀茂神社に奉げられる供物が入っています。


946-28.jpg
その直後にも、御幣櫃が続きます。
運ばれているのが供物ですから、
多ければ多いほどいいのでしょうね。


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さらに、御幣櫃が続きます。
白木の櫃に、しめ縄が巻かれていますね。


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御幣櫃の直後に、内蔵寮史生(くらりょうのししょう)が来られます。
平安時代の財政を預かる高官で、七位に相当します。
前を進む御幣櫃の管理者でもあります。

葵祭露頭の儀は男性隊列の「本列」と、
女性隊列の「斎王代列」に分類できます。
「本列」が全体の2/3を占めますが、
ここまでで「本列」の約半分が通り過ぎました。
この辺りが切りがよいので、今回はここまでです。

~次回は、葵祭露頭の儀の後半を掲載します~

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第947回 葵祭露頭の儀本列 後編~葵祭2023~その3

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葵祭露頭の儀本列の巡行行列も、半分を終えました。
こちらは前回ブログにも出てこられた
内蔵寮の史生(くらりょうのししょう)です。
今回は、葵祭露頭の儀本列の巡行行列の後半を取材します。
撮影日は、2023年5月16日火曜日午前11時。
平安時代以来続く「本列」には、女性隊列が存在しません。


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内蔵寮の史生の後に、誰も乗っていない馬が続きます。
おそらく騎乗中の馬が疲れたら、交代するのでしょうね。


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その後にも、立派な束帯を身につけた方が続きます。
おそらく葵祭に登場する馬を管理する
馬寮使(めりょうのつかい)に扮されているのでしょう。


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その後をお稚児さんが続きます。
こちらも、検非違使(平安時代の警察官)に扮された方が随行します。


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さらに白い束帯姿の白丁に扮された方々が、後に続きます。
こちらの方々も、岡持ちなどの荷物を運ばれます。


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その後ろの方々は、白丁とは異なる扮装をされています。
そして手にされているのは、箏などの楽器です。


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その後から、こちらの扮装をされる方が続きます。
おそらく騎乗された検非違使に扮装されているのでしょうが、
白丁に扮された方が徒歩で手綱を曳いておられます。


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その後ろからも、同じ扮装をされた方が続きます。
武装されているので、おそらく検非違使に扮されています。


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さらに別の方が続きますが、同じ扮装ですね。
騎乗される馬の毛並みで、別の方とはわかりますが……


947-10.jpg
その後ろも、さらに同じ扮装をされています。
よく見ると、周囲の方々も武装されています。


947-11.jpg
同じ扮装をされた方は、全部で5騎連続されました。
服装だけでなく、武装も同じでした。


946-12.jpg
その後の方は、徒歩で紺色の束帯を身に着けておられます。
葵祭の隊列で、紺色は珍しいですね。


946-13.jpg
その後の方は、異なる色の束帯を身に着けておられます。
武装されておらず、馬の手綱を曳く白丁が随行されています。
おそらく葵祭勅使の上層分を所持される内蔵使(内蔵使)です。
五位ですから、平安時代では相当高い身分の高い貴族です。
ただし2018年と本列の順番と束帯の色が違うので、
多少扮装されている方が違うかもしれません。


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続いては、派手な色の束帯を身に着けた方々が行進されます。
大きな鈴のようにも見えるものを持たれていますが、
こちらは神具か何かでしょうか。


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そして、その直後に黒漆の箱を持たれた方が続きます。
おそらくですが、手前の方々と対になっておられるのでしょう。


947-16.jpg
さらに、こちらの方々が続きます。
右(東)側の方がもたれる布はよく分かりませんが、
左(西)側の方が持たれる布は、豹(ひょう)の毛皮です。
ここまでもトラなど日本にはいない動物の毛皮が登場しましたが、
おそらく平安時代にはこれらは富と権力の象徴だったのでしょう。


947-17.jpg
その後から、こちらの傘が登場しました。
こちらも平安時代の傘ですから、現代のものと形状が違います。
(骨がなくて、折りたためません)
紅白の牡丹の造花が、傘を着飾ります。


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その後を白丁に扮装された方々が続きます。
武具だけでなく、様々なものが入った岡持ちなども運ばれます。


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その後に続かれる騎乗の方は、束帯姿ですが武装されていません。
ですから検非違使に扮されておられるわけではないのでしょうが、
自分には詳細が分かりません。


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その後にも、同じ扮装をされておられる方が続きます。
もしかすると舞人かもしれませんが、よく分かりません。


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さらに同じ扮装をされた方が続きます。
舞人は下鴨神社や上賀茂神社の神事で、舞を舞われる方々です。


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さらにさらに、同じ扮装をされた方が続きます。
ただ、舞人は五位の近衛兵です。
舞が上手な上級貴族とは言え武官ですから、
普通に考えて武装しているはずです。
もしかすると、ちょっと前に通り過ぎた同じ扮装の方々が
舞人だったのかもしれません。


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5人連続で、同じ扮装の方々が続きます。
実は2023年の露頭の儀の本列は、
2018年と比べて順番と束帯の色が異なります。
そのため、自分が個人的に混乱しています。


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いずれにしろ、その隊列が堺町御門から丸太町通を東進されます。
直後に岡持ちを持つ白丁に扮された方々が、後に続かれます。


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葵祭露頭の儀本列の騎馬では、こちらが最後尾です。
他の方よりも立派な束帯を身に着けておられるこの方が、
2023年葵祭の勅使に扮されています。
天皇の代理で葵祭に参加して、平安時代は近衛中納言が務めました。
摂政・関白や臨時の役職だった太政大臣を除いて、
貴族で最も高い役職は左大臣で、次に右大臣が続きます。
さらにその下が大納言で、中納言、少納言と続きます。
大納言以下は複数いらしたので、ここまでで総勢約30人です。
そしてこの約30人を特に「殿上人」(てんじょうびと)と呼び、
天皇出席の御前会議で自由に自分の意見を述べられました。
つまり葵祭の勅使は、かなり高い身分の貴族が務めました。


947-26.jpg
葵祭勅使の後には、こちらの方々が続きます。
白丁の扮装ではありませんが、
いろいろなものを持ち運ばれています。


947-27.jpg
その後にお稚児さんが続きます。
そしてその後に、鹿皮、トラ皮を持たれた白丁が続きます。


947-28.jpg
さらにその後に、こちらの傘が続きます。
季節柄こちらはツツジの造花だと今まで思っていたのですが、
サイトで調べたところ、杜若(かきつばた)の造花だと分かりました。


947-29.jpg
杜若の造花で着飾った傘が通り過ぎると、
その後からは巡行行列が途絶えてしまいました。
これで葵祭露頭の儀本列が、すべて堺町御門を通過しました。


947-30.jpg
「あれ?斎王代は行列に参加しないの?」
そう思った方もいらっしゃるかもしれませんが、
葵祭露頭の儀の巡行行列は、もう少し続きます。
ここから数分後に、斎王代列が続きます
男性ばかりの「本列」と異なり、
「斎王代列」は女性が中心になります。
そして斎王代は、この「斎王代列」の中心に配列されています。
そのため堺町御門にこられた方々は、まだ誰も帰ろうとしません。
ここからその斎王代列を取材しますが、だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、葵祭露頭の儀斎王代列を取材します~

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第948回 葵祭露頭の儀斎王代列~葵祭2023~その4

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進みたい方は、ここをクリックしてください。

948-1.jpg
前回ブログで葵祭露頭の儀本列が京都御苑堺町御門を通過し、
丸太町通を東に去っていきました。
現在のところ誰も通過していませんが、
まもなく斎王代列が京都御苑堺町御門を通過します。
男性ばかりが参列される「本列」に対して、
女性が中心に参列される「斎王代列」はまた違った趣があります。
撮影日は、2023年5月16日火曜日午前11時半。
「2023年の葵祭巡行行列観覧編」は、今回で終了です。


948-2.jpg
葵祭露頭の儀の巡行行列のうち、
本列と斎王代列は5分ほどの時間差がありました。
女性中心とはいえ、「斎王代列」の先頭は束帯姿の男性です。
武装されているので、検非違使に扮されているのでしょう。


948-3.jpg
その直後から、小桂(こうちき)を身につけられた女性が参列します。
花傘をさし掛けてもらっているのは、命婦と呼ばれています。
平安時代の高級女官を表しています。


948-4.jpg
その後からは、花傘を差し掛けてもらわない女性が登場します。
こちらは、女儒(にょじゅ)と呼ばれた女官の扮装です。
貴族の身の回りを世話する女官を表しています。


948-5.jpg
命婦に花傘をさし掛けているのは、白い束帯姿の男性です。
こちらも貴族の身の回りを世話する白丁に扮装されています。


948-6.jpg
その後は、また女儒に扮された方々が続きます。
「斎王代列」の前半は、命婦と女儒が交互に現れます。


948-7.jpg
その後は束帯姿の検非違使に、警護される方が登場されます。
その方は、お稚児さんに前後を囲まれておられます。
……とは言え、「斎王代列」のお稚児さんは女の子ですね。


948-8.jpg
女の子のお稚児さんに囲まれたのは、こちらの輿です。
束帯姿の男性に担がれるのは、2023年度の斎王代です。
ある意味、2023年度の葵祭の主役ですね。


948-9.jpg
2023年の斎王代が輿に担がれ堺町御門を通過して、
そのまま丸太町通を東に進んでいかれます。
河原町通を北上して、出町通経由で下鴨神社に向かわれます。


948-10.jpg
斎王代が担がれた輿の後をこちらのお稚児さんが続きます。
お稚児さんも、丸太町通を東に進まれます。


948-11.jpg
その後からは、また命婦が続きます。
ただ、こちらの小桂は華やかですね。


948-12.jpg
さらに、その後を女儒が続きます。
また交互に命婦と女儒が姿を見せられますが、
それはそう長く続きません。


948-13.jpg
ここで今までと異なる衣装を身につけられた女性が、
堺町御門から丸太町通に姿をお見せになりました。
こちらは平安時代に流行った「白拍子」の扮装ですね。
この姿で、舞ながら歌われる方々ですね。


948-14.jpg
続いては、小桂を身につけられた騎乗の女性が現れます。
こちらは駒女(むねのりおんな)と呼ばれています。
斎王代付きの巫女とのことですが、
こちらの方々がしばらく続きます。


948-15.jpg
駒女の隊列は、ここから数騎続きます。
本当はもっとたくさんいらっしゃるのですが、
丸太町通南側車道の自動車が多く通過したり、
後述のトラブルがあったりで、うまく撮れませんでした。


948-16.jpg
さらに、命婦と女儒が交互に現れます。
こちらも、続々と堺町御門を通過されていきます。


948-17.jpg
その後も、命婦と女儒の行列は続きます。
色鮮やかな小桂姿の女性が多いせいか、
「本列」よりも「斎王代列」の方が華がありますが、
雨天ですとこちらの衣装が濡れて駄目になります。
2014年はすべて小桂が着られない状態になって、
億単位の損害が出ました。
そのためその後は5月15日が雨天なら
翌日の5月16日に順延となり、
それでも雨天なら中止となりました。


948-18.jpg
今度は束帯姿の男性が、こちらに来られました。
こちらは、蔵人陪従(くろうどのべいじゅう)です。
財政を預かる文官ですが、祭祀の際は雅楽を演奏されます。
ですから、葵祭では楽器を持ち運ばれます。


948-19.jpg
蔵人陪従が担がれる楽器は、最初が太鼓でこちらが銅鑼です。
篳篥(ひちりき)や竜笛などは小さくてこの場では目立たないので、
たぶんそのまま見過ごしてしまったと思います。


948-20.jpg
蔵人陪従に続いて、こちらの牛車がやって来ました。
少し周りがバタバタしていますが、
実は参列者の中に何人か熱中症を発症されました。
そのため救急搬送が相次いでいて、
丸太町通南側車道が時折通行止めになっていました。
「京の道 今日の道」としましては、
救急車や搬送される患者さんなどは一切撮影していません。


948-21.jpg
こちらの牛車は斎王代のために用意されたものですが、
通常斎王代は輿に乗られるので、
斎王代が牛車に乗られたことはありません。
ですから、この中には誰もいらっしゃいません。
後続に牛が随行されますが、
こちらは御所車を曳く牛が疲労したとき用の予備の牛です。


948-22.jpg
牛車が、丸太町通を東に進んでいきます。
そしてこの牛車で、葵祭露頭の儀斎王代列は終了です。
つまり、これで葵祭巡行行列はすべて通過しました。


948-23.jpg
葵祭露頭の儀巡行行列の後から、こちらが続きます。
こちらの軽トラックは、巡行行列が通過した後を確認していきます。
具体的には、通過した馬や牛の糞の回収です。


948-24.jpg
さらにその後をこちらの自動車が通過します。
ワンボックスカーの中には、葵祭の氏子衆が乗っておられます。
赤い消防局の自動車は市街地の道路の確認をし、
最後のパトロールカーの後ろから、丸太町通が公道に戻ります。
つまり、パトロールカーより後ろは自由に自動車が通行できます。


948-25.jpg
この時点で、2023年5月16日火曜日正午ごろです。
ここで、堺町御門前の規制線が解かれました。
すると、たくさんの方々が丸太町通北側歩道を行き来されました。


948-26.jpg
丸太町通北側歩道の方々の多くが、西に向かて進まれていきます。
その先の烏丸通沿いに、地下鉄烏丸線「丸太町」駅があります。
その駅から「今出川」駅に進み
さらに東にずっと進めば、下鴨神社に辿り着けます。
「北大路駅」か「北山」駅からバスに乗れば、
いろいろルートがありますが上賀茂神社に辿り着けます。
さらに京都駅などに向かい、このまま帰宅する方法もあります。


948-27.jpg
さて自分がいる丸太町南側歩道の方々も、
一斉に丸太町通を西に向かっています。
……で、自分もこのまま丸太町通を西に進みます。


948-28.jpg
京都御苑堺町御門がある堺町通から、
丸太町通を約100m西に進みました。
ここで丸太町通は、間之町通と交差します。
丸太町通の両側の歩道を歩く人々が、
一斉に西に向いていますね。
自動車は通っていませんが、既に交通規制は解除されています。


948-29.jpg
ところが信号が切り替わると、丸太町通を歩かれている方々が
一斉に横断歩道を渡って来られます。
間之町通の西側に、京都御苑の間之町口があります。
葵祭を京都御苑内で観覧された方々が南西に向かうと、
最初にこの門に出会います。
つまり京都御苑から出られた方々も丸太町通の歩行者と合流し、
歩行者が車道に完全に溢れ出しています。
この人数ですから信号が変わっても歩道には戻り切れず、
歩行者が何人かは車道に溢れていました。


948-30.jpg
間之町通から、丸太町通を西に向いています。
丸太町通の交通規制は解かれましたが、
丸太町通には自動車が全く通っていません。
後で知ったのですが、ちょっと前に京都御苑にいらした上皇さまが
烏丸通を南下されて京都駅に向かわれたそうです。
そのため、烏丸通の車道が封鎖されていたそうです。


948-31.jpg
間之町通から丸太町通を西に約50m進み、
丸太町通から東洞院通を南に向いています。
かなり多くの方々が、こちらに抜けていかれます。
たぶんですが、丸太町通があまりに人で溢れていて
それを避けてこちらを通過されていると思われます。
約100m南に伸びる竹屋町通を利用しても、
地下鉄烏丸線「丸太町」駅へは支障がありません。


948-32.jpg
東洞院通から、丸太町通を西に向いています。
この脇に「烏丸丸太町」バス停があり、
そちらの乗降者がいらして、さらにこの辺りを混沌にしています。
取り敢えず自分は、このまま丸太町通を西に進みます。


948-33.jpg
東洞院通から、丸太町通を約100m西に進みました。
ここで丸太町通は、烏丸通と交差します。


948-34.jpg
丸太町通から、烏丸通を南に向いています。
約30m先に、地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口が見えます。


948-35.jpg
こちらが、地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口です。
2023年5月15日月曜日は仕事先から休みをもらって、
午後から上賀茂神社に向かう予定だったのですが、
雨で順延して葵祭露頭の儀は
翌2023年5月16日火曜日に決行されました。
午後から仕事があるため、2023年はそちらを諦めました。
ですから2023年は京都駅に向かって、このまま帰宅します。

~これで、「2023年葵祭露頭の儀編」は終了です~

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「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
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ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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