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第540回 法住寺の厄払い行列~法住寺の節分会~その1

[法住寺] ブログ村キーワード
10日ゑびすの連載も終わり、2018年も2月に入ってきました。
2月のはじめと言えば、節分ですね。
まぁ日本全国的な行事ではありますが、
京都では各神社仏閣で「節分会」と言う大きな例祭が行われます。
この「京の道 今日の道」も毎年この節分会に参拝に向かい、
壬生寺千本釈迦堂釘抜き地蔵千本ゑんま堂八坂神社などで
節分会を参拝しました。
そこで、2018年ではこのブログ2度目の法住寺に向かいます。
2015年に一度こちらの節分会にお邪魔したのですが、
その時は仕事の都合で途中で帰ってしまいました。


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わざわざ京都駅までいったん行って、206系市バスに乗りました。
そちらから七条通沿いに鴨川を東に渡り、
「博物館・三十三間堂」バス停で降りました。
法住寺は、この周辺の「三十三間堂回り」にあります。
今回は法住寺からこの近所を巡る「厄払い行列」を見て、
その後三十三間堂内の「法住持殿」を散策します。
撮影日は、2018年2月3日節分の土曜日午前11時。
寒いながらも、快晴でした。


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「博物館・三十三間堂」バス停前から、七条通を東に向いています。
先程まで乗っていた206系市バスが、さらに東に去っていきます。
この206系市バスは、約150m先の智積院で七条通を突き当り、
そこから東大路を北上して祇園岡崎に向かいます。


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市バスが去っても、同じ位置で七条通を東に向いています。
七条通の左(北)側は、京都国立博物館です。
パリのルーブル美術館を模しているので、赤レンガが特徴です。
一方、右(南)側は三十三間堂です。


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こちらが、京都国立博物館の入り口です。
この中には旧館と新館が建っていますが、
その周囲の庭園も「公園」としてなかなか寛げます。
2月ではまだまだ寒いですが、
GWの連休には毎年こちらで日がな1日休憩しています。


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京都国立博物館入り口前から、七条通を渡る横断歩道があります。
次はこちらを渡り、七条通南側歩道に向かいます。


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七条通から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
こちらは約200mほどの4車線の道で、
この道の左右に様々な寺院が建ち並んでいます。
この道より右(西)側が三十三間堂で、
目の前の入り口からその三十三間堂に入れます。


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その位置で、七条通を東に向いています。
横断歩道の先に、赤十字血液センターがあります。
そして、その脇に法住寺節分会の看板が出ています。
京都の神社仏閣のすべてが節分会を行う訳ではなく、
この辺で一番規模が大きいのがこの法住寺の節分会です。


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「三十三間堂廻り」の東側に渡り、南を向いています。
赤十字血液センター前にも立派な大桜が見えますが、
この辺りは京都でも屈指の桜の名所です。
この道の西半分は三十三間堂ですが、
東半分は赤十字血液センターやハイアットリージェンシー京都以外に
養源院後白河天皇陵・法住寺が並んでいます。


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その位置で、暫し立ち止まって待っていました。
そして、2018年2月3日午前11時5分ごろ。
法住寺から、「厄払い」のご一行が
「三十三間堂廻り」を北上してきました。


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では、三十三間堂の入り口を背景に
法住寺による「厄払い」ご一行を順に撮っていきます。

仙頭は紋付き袴の小父さんですが、この方が多分世話役です。
その後ろを法螺貝を奏でる修験者がいらして、
さらに後ろの紫衣姿の僧侶は法住寺の住職です。


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法住寺住職の真後ろに、天狗の扮装をされた方が通りました。
さらに後ろから、赤鬼、青鬼、黒鬼が通り過ぎます。
天狗は錫杖、赤鬼は宝剣、青鬼は斧、黒鬼は槌を持っています。


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さらに最後尾には、背広姿の男性が太鼓を叩いておられました。
こちらの太鼓は先程の法螺貝と合わせて、曲を演奏されていました。


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法住寺の「厄払い」ご一行は、三十三間堂の入り口を通り過ぎ
七条通の方に向かっていきました。
その周囲にマスコミ関係者や野次馬(おもにヨーロッパ系の白人)が
このご一行について回ります。


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……という訳で、自分はこのご一行の後を
「三十三間堂廻り」限定で付いていきます。
このご一行は七条通に出た後西に進み、
この辺りの各商店を回り厄払いを行います。
確か最初は、「七条大和大路」交差点にある薬局のはずです。
(法住寺のHPを参照にしています)


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その「厄払い」ご一行があたりを回られている間に、
自分はこちらに戻ってきました。
法住寺の節分会で次の行事が行われる前に、
先に三十三間堂を回ります。


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先程の入り口から西に進み、三十三間堂駐車場に来ました。
では、こちらで600円納めて三十三間堂境内に入っていきます。


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先程の建物内に、こちらの通路があります。
ここを南下すると、三十三間堂境内に入ります。


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先程の通路から、三十三間堂境内に入ってきました。
そこから西を向くと、参進閣に入れます。
三十三間堂内には、こちらから入ります。


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ただ、今回ブログ取材では三十三間堂境内の庭園が中心です。
同じ位置で南を向き、先にこちらの庭園を散策します。


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南北に長い三十三間堂の東側境内は、
こちらも南北に長い庭園です。
そちらには石畳の道があって、
車いすでも進めるよう配慮されています。


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その三十三間堂庭園に関する看板が、
庭園の北端に立っています。
こちらの庭園は、「法住寺殿」と呼ばれています。
三十三間堂の庭園が、東隣の寺院の名称で呼ばれるのは
この辺り一帯が元々法住寺の境内だったからです。

平安時代末期、この辺りに後白河上皇の邸宅がありました。
(その北側の六波羅には、平清盛の邸宅がありました)
後白河上皇崩御の後、この辺りは法住寺となりました。
三十三間堂は、その法住寺のお堂の一つでした。
それが戦災の度に法住寺は小さくなって、
遂に三十三間堂は独立した「蓮華法院」と言う寺院になりました。


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では、その石畳の道を南下していきます。
こうして見ると、この道の東半分が様々な植物が植えてある
庭園であることが分かります。
この庭園は、後白河上皇がご存命中にあったものと
同じ位置に造営されています。


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その辺りで、石畳の道を東に向きました。
こちらが、法住寺殿にある二つの池のうちの北側です。
この辺りは桜の木々が並び、京都屈指の桜の名所でもあります。
(第300回ブログを参照)


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その池の前で、法住寺殿を南に向きています。
法住寺殿はこのまま約150mほど南に伸びています。
ただ次回ブログとのバランスの関係で、今回はここまでです。

~次回は法住寺殿の残りを回り、三十三間堂の中に入ります~

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第541回 三十三間堂 法住寺殿~法住寺節分会~その2

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三十三間堂境内の東側庭園に、
細長い石畳の道が南北に伸びています。
この石畳の道は、車いすで移動される方に配慮されたものです。
この道より東側が法住寺殿址庭園で、
かつての後白河上皇の邸宅にあった法住寺殿の名残を持っています。
蓮華法院(三十三間堂)境内に東隣の「法住寺」の名前があるのは、
鎌倉時代~室町時代の三十三間堂が法住寺の一部だった名残です。
このブログでは、その庭園を「法住寺殿」と表記します。

その「法住寺殿」で、南を向いています。
前回ブログに登場した「厄払い」ご一行は
まだこの三十三間堂の周辺を回られていて、
そちらが法住寺に戻るまでに今回は三十三間堂を回りきります。
撮影日は、2018年2月3日節分の水曜日午前11時15分。
寒いですが、穏やかな晴れの日でした。


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同じ位置で、少し西を向きました。
「法住寺殿」は南北に細長く東西はとても短いので、
目の前に三十三間堂が伸びています。
そのお堂沿いに桜並木が続き、春には絶景に変わります。


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その位置から少し南下すると、石畳の道が東に折れます。
すると三十三間堂の朱い塀の手前に、こちらが見えます。
左(北)側の大きい方が納経塔で、古いお経が納められています。
右(南)側が、後白河上皇の供養用です。
上皇の13回忌が行われた際、
法要を行った法然がこちらに建立しました。
(法要自体は、第109回ブログ最後に出て来た長講堂で行われました)
この辺りも、春になると絶景に変わります。
(第300回ブログを参照)


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その供養塔の前で、また南を向きました。
この辺りの寒椿が満開でした。京都の冬と言えばこちらの花ですね。
では、その向こうに見える手水舎に進みます。


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こちらが、三十三間堂の手水舎です。
その奥に、お地蔵さんが並んでいますね。
こちらは「夜泣き地蔵」で、夜鳴き止めのご利益があるそうです。
(第482回ブログに出て来た本隆寺の夜泣き止めの松と同じですね)


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三十三間堂の手水舎前で、南を向きました。
左(東)側に、三十三間堂の勅使門が見えますね。


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その寺院もそうですが、この三十三間堂も勅使門は閉まっています。
その三十三間堂勅使門の前で、「法住寺殿」を西に向きました。
こちらが、三十三間堂のちょうど中間点です。
この石段の向こうを越えて堂内に入ると、
目の前にご本尊の湛慶作千十観音像がいらっしゃいます。
修学旅行生が記念撮影するのが、だいたいこの位置です。


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同じ位置で、「法住寺殿」を南に向いています。
では、石畳の道に沿ってここを南下します。


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三十三間堂の前と「法住寺殿」との境目に、桜並木が続きます。
その桜の枝を大きく写してみました。
現在2月初旬なのですが、まだまだつぼみが固いですね。


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「法住寺殿」の石畳の道をさらに南下しています。
「法住寺殿」は南側の方が桜の濃さが目立つのですが、
節分のころはただの枯れ枝並木です。
その位置で、石畳の道がT字路になっています。
ちょっとそちらを眺めてみます。


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こちらが、そのT字路から東を向いた様子です。
池の向かい(東)側に、枝垂桜が並んでいます。
春になると、ここは三十三間堂境内でいちばんの絶景に変わります。


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三十三間堂境内の「法住寺殿」をさらに南下しています。
そろそろ三十三間堂境内最南端の「太閤塀」が見えてきました。
では、桜の枯れ枝の先に見える朱い建物に向かいます。


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こちらが、その「朱い建物」です。鐘が下がっているので鐘楼です。
こちらは第287回ブログでは修復中でしたが、
第300回ブログでは完成していました。


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三十三間堂鐘楼の前で、南を向きました。
「法住寺殿」は南北に約150mあるのですが、
そろそろ最南端に達しようとしています。


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石畳の道を南下して、「法住寺殿」南端まで来ました。
三十三間堂の塀は、こちらの南側だけ特別古いものです。
こちらは「太閤塀」と呼ばれており、塀自体が重要文化財です。

室町時代半ばの応仁の乱以降、権勢を誇った法住寺も
度重なる戦災でみるみる衰退していきました。
そして安土桃山時代に入った16世紀末に、
鴨川以東のこの辺りから五条通にかけての場所に
豊臣秀吉が建てた豊国廟や大仏殿がありました。
この塀や脇の南大門は、元々その大仏殿のものでした。
三十三間堂はその際にその大仏殿の一部とされましたが、
江戸時代に入り徳川家康がその大仏殿を解体すると、
三十三間堂は蓮華法院と言う独立した寺院となりました。


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「法住寺殿」を突き当り、西を向きました。
ここからは「法住寺殿」ではありませんが、
三十三間堂境内の石畳の道は続きます。


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太閤塀に沿って、石畳の道を西に歩いています。
こちらは……チューリップですね。
まぁ、花が咲くのはもう少し先でしょうね。


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その石畳の道から、北を向きました。
こちらが、三十三間堂の西側庭園です。
先程の「法住寺殿」より寂しい感じがしますが、
毎年1月の「通し矢」は、ここから向こうに矢を射ます。


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三十三間堂境内南西端に、こちらの稲荷社がいらっしゃいます。
次は、こちらにお参りして先に進みます。


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その稲荷社の前で、三十三間堂西側庭園を北に向きました。
では、こちらを北上します。


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三十三間堂西側庭園を約150m北上しました。
この左(西)側は墓石や供養塔が並ぶのですが、割愛しています。
(その辺は、287回ブログに掲載しています)
目の前に、前回ブログに出て来た参進閣が迫ってきます。
こうして見ると、三十三間堂の北側を参進閣が覆っていますね。


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さらに北上して、参進閣の西側にまで来ました。
この先(北側)が三十三間堂の駐車場で、さらに北が七条通です。
ちょうどこの辺りに近づいたとき、周囲の塀の向こうから
法螺貝と太鼓の音色が響いてきました。
おそらく、この塀の向こうに前回ブログ
「厄払い」ご一行が練り歩いていらっしゃいます。
そちらが戻る前に、法住寺に行かないといけません。


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その位置で、西を向きました。
目の前の門を出ても、外には行けません。
この辺りが休憩所になっていて、春になると絶景になります。
(第300回ブログを参照)


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同じ位置で、東を向きました。
では、こちらから参進閣経由で三十三間堂内に入っていきます。

三十三間堂内は、一切の撮影が禁止されています。
ですから、堂内の写真はありません。
数千体の千手観音像の数と湛慶作千手観音像の巨大さが、
こちらのお堂を極楽浄土の世界に変えます。
また、その前に並ばれる二十八分衆のお姿も、見事ですね。
(個人的にお気に入りの婆素仙人像を堪能しました)


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三十三間堂の事実上玄関の参進閣から出て、
三十三間堂の出入り口を出ました。
この辺りが、三十三間堂の駐車場です。


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三十三間堂の駐車場では、自動車や観光バスなどは
西側の大和大路から出入りします。
そして自転車や歩行者は、こちらの東側から出ます。


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三十三間堂の東側の門を出ると、「三十三間堂廻り」に出ます。
そこから、北を向いています。
「三十三間堂廻り」は、約30m先の七条通で突き当たります。
(京都国立博物館が建っています)


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その位置で、「三十三間堂廻り」を南に向きました。
三十三間堂の敷地内に、京都市が管理するトイレがあります。
実はこの辺には、飲食店に入らないとトイレがありません。
三十三間堂内にはトイレがあるのですが、
養源院や法住寺にいるときはこちらの存在がかなり助かります。


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先程の位置から、「三十三間堂廻り」を約70m南下しました。
右(西)側に、三十三間堂の勅使門が見えますね。


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三十三間堂勅使門の前で、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
約70m先に、重要文化財の三十三間堂南大門が見えます。
左(西)側には、第299回ブログに出て来た養源院の門があります。
その南側に後白河天皇陵・法住寺と続きます。
ここから見ると、既に法住寺が賑わっています。
これは……例年よりもはるかに多い人出ですね。
ここからそちらに向かう訳ですが、
もう今回はだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は法住寺節分会で、いろいろご馳走になります~

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第542回 法住寺の餅つき~法住寺節分会~その3

[法住寺] ブログ村キーワード
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京都市東山区の東大路より1本西にある「三十三間堂廻り」は、
七条通~塩小路間の2車線の道です。
その中間点三十三間堂勅使門の前で、南を向いています。
(約70m先に、重要文化財三十三間堂南大門が見えます)
今回は、その「三十三間堂廻り」最南端の法住寺に向かいます。
撮影日は、2018年2月3日節分の土曜日午後0時15分。
今回から、法住寺の節分行事が続きます。


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その位置で、「三十三間堂廻り」を東に向きました。
三十三間堂の向かい(東)側に、養源院が建っています。
こちらはお江の方が建立した浅井長政の菩提寺です。
杉戸絵など俵屋宗達の絵画所持数が日本一でもあります。
またこちらは血天井で有名で、
鳥居元忠の死に顔が天井に残っています。
(第299回ブログを参照)


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養源院の南隣に、こちらの通路があります。
しかしこの日は節分である前に週末なので、閉まっています。
(宮内庁の管轄なので、土日や祝日は閉鎖されます)
こちらの通路の奥に、後白河天皇陵があります。
この辺りは三十三間堂はもちろん養源院法住寺も桜の名所ですが、
こちらも桜の季節は絶景になります。


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さらに、南隣が天台宗の法住寺です。
こちらの節分会が、今回ブログのメインです。


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法住寺境内に入ってきました。
こちらも、南北に細長い境内ですね。
2年前と比べて、参拝者は3倍増しですね。週末だからでしょうか?
枝垂桜の向こうに見える一番奥の建物が、本堂です。


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法住寺の最南端に、こちらのお堂があります。
陀枳尼尊天と弁財天と言う2柱の女神様がいらっしゃいますね。
先ずは、こちらにお参りです。


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同じ位置で、北を向きました。
法住寺境内の西側にカウンターが並び、奥に炉が並びます。
炉の上には、釜が置かれてその中に甘酒が入っています。


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毎年節分の日には、法住寺が午前10時から開いています。
その時点から、こちらでは甘酒が振る舞われます。
それが結構な量なので、約2時間後のこの時点でも
このように並べばその甘酒を頂けます。


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自分も数分並んで、こちらの甘酒を頂きました。
第374回ブログでも書いた通り、京都の甘酒はノンアルコールです。
米麹を発酵させたものなので、酒粕が一切入っていません。
ですから、木匙で掬って米麹を食べます。
(韓国のシッケに近いものです)


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甘酒を飲み湯呑を返却後、法住寺境内中央の枝垂桜の許に来ました。
その桜より北側に、縄で結界が張られています。
その中央に正方形の砂場があり、その上に護摩壇が作られています。
法住寺の節分行事が始まる前に、
自分は結界の先(南)にある法住寺本堂に向かい、
ご本尊の身代不動明王像にお参りしました。

天台宗の法住寺は、平安時代の半ば藤原為光が建立しました。
ただこちらが隆盛を極めたのは
後白河上皇の治世である平安時代末期で、
その上皇は北は今の五条通、南は九条通に至る
広大な「法住寺殿」と言う外御所を造営しました。
要するに、今の豊国神社智積院・三十三間堂・新熊野神社などが
この「法住寺殿」の敷地内でした。
(平清盛がこちらの北隣である六原に拠点を置いたのも、
決して偶然ではありません)
ところが、その後白河上皇の治世に源義仲が
この「法住寺殿」を焼き討ちし寺域が縮小し始めました。
鎌倉時代以降は後白河天皇陵を守る「宮寺」として
機能していたのですが、
応仁の乱以降さらに勢力を弱め、
安土桃山時代には豊臣秀吉によって大仏殿の一部となりました。
(先述の太閤塀や三十三間堂南大門は、その時に建てられました)
江戸時代に入り先述の大仏殿が解体される過程で
また「法住寺」と言う独立した寺院に戻ったのですが、
寺域の北半分を養源院に取られ、
三十三間堂も「蓮華法院」と言う別の独立した寺院となりました。
さらに明治時代初期に神仏分離令により
後白河天皇陵からも分離して、現在に至ります。


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それから数分経ち、2018年2月3日午後0時半となりました。
自分が先ほど入って北門から、
第540回ブログの厄払い行列が戻ってきました。
法螺貝を持った修験者やこちらのご住職が、
自分の前を通り過ぎていかれました。


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その後を赤鬼・青鬼・黒鬼が通り過ぎ、
最後に赤い天狗が通り過ぎていかれました。


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その厄払いのご一行は、こちらの阿弥陀堂に入っていかれました。
こちらの阿弥陀堂には親鸞由来の阿弥陀像がいらっしゃいます。
また、この節分限定でこちらで有料で弁当を頂けます。
この阿弥陀堂の真裏(東側)が、後白河天皇陵です。


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阿弥陀堂から、修験者とご住職が本堂に移動されました。
いよいよ節分会の行事が、本格的に始まろうとしています。


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第540回ブログの厄払いご一行で先頭を歩かれていた方が、
木箱を持って現れました。
こちらは、完成した丸餅を後から入れるためのものです。


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法住寺本堂脇に置かれた臼や杵を第288回ブログでもおられた女性が
準備しておられます。
ちょうど、ご住職が電動ポットで熱したお湯を持ってこられました。
すると、この女性が臼と杵をそのお湯で湿らせていかれます。


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その時、振り袖姿の舞妓さんが
阿弥陀堂から本堂に入っていかれました。
こちらは毎年島原から太夫さんを呼ばれるのですが、
今年(2018年)は先斗町から舞妓さんを連れてこられました。


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その後を先斗町の芸妓さんが付いてこられます。
こちらも、阿弥陀堂から本堂に入っていかれました。


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先程の女性とご住職、さらには浅葱色の法被姿の男性が
餅つきの準備をされています。
すると本堂から舞妓さんが現れて、本堂の東脇に向かわれました。


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その舞妓さんは、本堂の東脇に置かれた木箱の前に座られました。
こちらで、舞妓さんはお餅を丸めるという仕事があります。


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舞妓さんに続いて、芸妓さんも入って来られました。
後述しますが、餅を丸める作業は重労働です。
そのため、舞妓さん2名だけでは絶対に無理があります。


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すると先ほどの炉で作業されていた女性の一人が
蒸し上がったもち米を持ってきて、湿らせた臼に入れました。
いよいよ餅つきが始まるようです。


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浅葱色の法被姿の男性が杵を持ち、女性が餅つきの補助のようです。
よく見ると、2015年と同じ方々ですね。


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浅葱色の法被姿の男性は小さく杵を動かしておられたのですが、
突然大きく杵を振り上げられました。


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そして、その杵を臼に叩きつけました。
こうして餅つきが、本格的に始まりました。


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また、すぐに杵を振り上げられます。
今度は、先ほどよりもさらに大きく振りかぶられていますね。


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また臼に杵を叩きつけます。
これを繰り返して、どんどん餅が搗かれていきます。
すると、こちらのご住職がマイクを手にされました。
「餅つきの際は、『よいしょ』と掛け声をお願いします」
などと、半ばMCのようなこともされています。
一人で、何役もこなされておられるようです。


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搗き終わったお餅は、先斗町の舞妓さんの許に運ばれます。
そして、こちらで丸められて成形されます。
(京都のお餅は一つ一つ丸めます。「切り餅」の習慣はありません)
これがなかなか重労働なのですが、
左端の芸妓さんの作業量とペースが正確で早いですね。
ですから、例年よりは早く済みそうです。


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舞妓さんが作業を始めると、即席の撮影会になりました。
ところが、今年(2018年)は参拝者が多いこともあってか
例年になく参拝者のマナーが悪かったですね。
注連縄が張られた結界内に入ったり、
祭壇を崩しかけたり、世話役の制止を無視される方もいました。
安全面もありますが、節分は宗教行事です。
その辺の節度は、参拝者に求められるべきでしょうね。


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ともかく、丸められたお餅は炉の前に持ってこられます。
そして、こちらのお椀に一つずつ入れられます。


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炉にかけられた鍋で、小豆が煮込まれています。
そしてこちらを先程の椀に張ると、「汁粉」の出来上がりです。
この「汁粉」は、こちらの参拝者に振る舞われます。


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……で、自分もそのお汁粉をもらうべく行列に並びました。
ところがこの行列がとても長く、通常の3倍以上ありました。
法住寺境内の西側で並びきれずに、本堂まで伸びています。
これを見てお汁粉を諦めた方も多いのですが、
自分は暢気なのでこの最後尾に並びゆっくり待ちます。


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法住寺本堂から石段を下りて、境内の南西端まで来るのに
約10分の時間を要しました。
この最後尾までお餅があることは分かっていたので、
自分は暢気に順番を待ってました。


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さらに5分経ちました。
ようやく法住寺の唐門前まで来ました。
この門の東をずっと進むと、後白河天皇陵がいらっしゃいます。


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法住寺の唐門近くには、こちらの福寿観音様以外にも
様々な祠に神仏がいらっしゃいます。
行列に並んでいる間に、こちらにもお参りしておきました。


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その辺りから、法住寺本堂の東脇を撮りました。
餅は搗き終わったのですが、まだまだ餅を丸める作業は続きます。
まぁこれだけの量ですから、なかなか終わりません。


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そこからさらに10分経って、やっと炉の前に辿り着きました。
自分がお餅をもらえる番が回ってきました。


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ようやく炉の前に来ました。
向こうのお膳の上に賽銭を置き、お汁粉を頂きます。


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こちらが、自分が頂いたお汁粉です。
小豆を砂糖で煮込んだものに、お餅が1個入っています。
この日も含めて2018年の冬は大寒波中で、
とにかく寒かったので、このお汁粉には助けられました。
京都では、このように搗いたお餅は固くなる前に
丸めて食べ切ってしまう習慣があります。
(要するに、大晦日のうちに食べ切ります)
ですから、雑煮でもお汁粉でも京都では餅を焼きません。


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お汁粉を食べ切ったので、椀を返却しました。
ここからさらに法住寺の節分会は続くのですが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、法住寺の豆まきの様子を載せます~

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第543回 護摩壇前で鬼が舞う~法住寺節分会~その4

[節分会] ブログ村キーワード

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尾籠な話で申し訳ないのですが、
前回ブログ甘酒やらお汁粉やら頂いたせいで、
急にトイレに行きたくなりました。
そこで第541回ブログの最後の方に出て来た公衆トイレに向かい、
約15分掛かって法住寺境内に戻ってきました。
すると……枝垂桜前の「特等席」が取られていました。
ですから、ここからは参拝者の後頭部付きの写真です。
今回から3回分に渡って、法住寺の節分法要を連載します。
撮影日は、2018年2月3日節分の水曜日午後2時。
載せる写真が多すぎて、「豆まき」まで辿り着きませんでした……


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2018年2月3日午後2時を回りました。
すると、修験者が結界内に入って来られました。
これは「豆まき」の準備というよりは
その後の「護摩焚き」の準備のようです。


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法住寺阿弥陀堂の脇から、赤鬼・青鬼・黒鬼が出てきました。
それぞれ右手に宝剣・斧・槌を持っているのですが、
赤鬼は左手にも松明を持っています。


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後ろの黒鬼の後を先程の修験者が付いていきます。
皆さんは北の門の方に向かっていますが、
そのまま外には出ずに北の門の脇に待機されます。


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この行列の最後尾は、錫杖を右手に持った天狗でした。
赤い袈裟姿の天狗は、行列によって先頭に来たり
最後尾に来たりします。
この後の行事でもそうなのですが、
こちらの天狗は他の鬼などとは一線を画す位置付けなのでしょうね。


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このタイミングで、法住寺の住職が本堂から出て来られました。
今度は、きちんと袈裟姿のようです。


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すると、先ほど法住寺境内を北側に抜けていかれた修験者が
境内の西側を回り込まれて、南端の本堂前に来られていました。


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修験者が一人本堂脇の石段を下りていかれると、
法螺貝を演奏されたいる方や弓矢を持たれている方も
その後を付いていかれます。


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さらに、その後を赤鬼・青鬼・黒鬼が続きます。
(自分は後ろで撮っているため、他の方々の後頭部が写り込みます)


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こちらの行列はいったん法住寺境内南側の唐門を出た後、
北側の門から再び南下して来てこちらに向かって来ました。


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こちらが、その行列の様子です。
世話役の男性の後を檜扇を持たれた修験者が続きます。


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修験者の後をご住職が付いていかれます。
その後を天狗が続きます。


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天狗の後は、赤鬼・青鬼・黒鬼が続きます。
第540回ブログ厄払い行列と同じ順番ですね。


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修験者の皆さんと法住寺の住職は、本堂に入っていかれました。
ここから暫く、読経が続きます。


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ところが後続の赤鬼・青鬼・黒鬼は、本堂に入られません。
祭壇の後ろで、待機されています。


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住職による読経が終わりました。
すると、皆さん本堂の石段を下りられます。


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修験者に続いて、赤鬼・青鬼・黒鬼も並んでいます。
皆さん、順番に下りて来られますね。


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その行列の最後尾は、住職と天狗です。
やはり、天狗の順番がコロコロ変わります。


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修験者と鬼たちは、自分たち参拝者の脇を通り過ぎていかれます。
修験者の皆さんの写真が変に光ってしまったので、
赤鬼の写真しかありません。


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修験者の皆さんはいったん法住寺境内の北側に向かわれた後、
境内西側を通ってまた護摩壇前(南側)に戻って来られました。
そして、またあちこち準備を始められます。


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法螺貝を演奏される修験者の後に、
弓と矢を持たれる修験者が結界内に入って来られました。


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さらに、法住寺の住職が後に続かれます。
修験者と住職は護摩壇を半周して、本堂の方に向かわれます。


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住職に続いて、赤い袈裟姿の天狗が入ってきました。
右手の錫杖が、七色の紙片で飾られています。


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朱い袈裟姿の天狗は、法螺貝の演奏合わせて錫杖を振り回します。
どうやら振り付けの決まった舞踊のようですね。
こちらは護摩壇前を半周しても外には出ずに、
周囲を時計回りし続けていきます。


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天狗が舞踊を舞われている間、住職はいったん本堂に戻られました。
一方で、修験者は護摩壇と本堂の間で待機です。
天狗が舞われている際の法螺貝も、ここから演奏されています。


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天狗が護摩壇前で舞われていると、今度は赤鬼が現れました。
右手の宝剣を振り上げておられますが、
左手の松明には火が付いています。


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赤鬼が、護摩壇の周囲を時計回りで踊っています。
法螺貝の音色に合わせて、松明と宝剣を天に向けられています。
背後に、先斗町の舞妓さんが姿を見せておられました。
この舞の直後に行われる「豆まき」の準備ですね。


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赤鬼の後ろから、青鬼も護摩壇前に表れました。
法螺貝の音色に合わせて、斧を振り上げます。


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そして、その法螺貝に合わせて青鬼の斧が振り下ろされます。
こちらも護摩壇前から出ずに、時計回りで踊り続けられます。


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さらにその後を黒鬼が付いていきます。
こちらも法螺貝に合わせて、槌を振います。
二人の鬼に合わせて、3人の鬼の舞が続きました。


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3人の鬼による護摩壇前の舞が終わりました。
3人の鬼が退場した後、祭壇脇に舞妓さんが移動されました。
これから法住寺の豆まきが始まるのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
まだ豆まきも始まっていませんが、今回はここまでです。

~次回こそ、法住寺の豆まきを載せます~

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第544回 法住寺の豆まき~法住寺節分会~その5

[法住寺] ブログ村キーワード
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前回ブログで護摩壇の周囲を回っていた赤鬼・青鬼・黒鬼が退場し、
今度は先斗町の舞妓さんが登場しました。
いよいよこの位置で、節分の豆まきが始まります。
撮影日は、2018年2月3日節分の土曜日午後2時15分。
快晴の中、少しだけ温暖になりました。


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そこから少し遅れて、住職も登場されます。
こちらの方々と修験者によって、豆まきが行われます。


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舞妓さんが、豆の入った桝を持たれています。
ところが実際に豆を撒かれておられるのが、手前の方です。
舞妓さんは、豆を撒かれていません。


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今度は別の方が桝の中に手を突っ込んでいます。
袋に入ったものではなく、豆粒を握りしめて撒かれています。


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舞妓さんの豆は、参拝者がいる範囲まで届きません。
その一方で、住職と修験者は
護摩壇の前で撒く用の豆を用意されていました。


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護摩壇前に、参拝者に撒く用の豆が届いたようです。
修験者が、そちらの方に集まっておられます。


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修験者と住職が、枝垂桜の前にいらっしゃいました。
いよいよこちら側に豆まきが始まるのですが……
豆の入った木箱に、「みささ菓舗」と商標が入っています。
「七条須原」交差点で30年位前まで営業していた和菓子屋さんで、
自分も昔よく買いに行きました。


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やはり護摩壇の北側が正面なので、
こちらに撒かれる豆の割合が多いようです。
住職も、こちら側にいらっしゃいますし……


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住職が、本堂の前に戻られました。
すると住職と参拝者で、「鬼は外」の声が掛かります。


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ちょうど自分がいる辺りに、豆が撒かれました。
すると、このように自分の周囲が腕で隠れてしまいました。
ちなみに自分はカメラを持っているので、
豆を掴み取ることができません。


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どうしても豆を撒く場所は遠くの方になるので、
最前列の方々には豆が届きません。
そのことに気づかれた修験者が最前列に豆を撒かれます。
……豆がしっかりと写っていますが、
手のひらに数袋収まる小さなものですね。
白人の若い男性がたくさん取られていましたが、
後で高齢者や小さな子供に配られていました。


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そうこうしているうち、自分の目の前にも豆の袋が飛んできました。
もし自分が両手を広げていたら手に入れられたのでしょうが、
両手にカメラを持っていたので取れませんでした。
その代わり、豆の袋はしっかり撮れました。


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こうして、法住寺の豆まきが終わりました。
ただし、修験者はこの場に残ります。
この後の護摩焚きの準備に入ります。


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こうして護摩壇前を大写しすると、
本堂脇に舞妓さんが残られています。
このままの位置で、護摩焚きを見物されるようです。


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修験者によって、護摩焚きに必要なものが並べられます。
手前に、座布団代わりの松葉と護摩木がありますね。


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護摩壇の正面(北)に御座が敷かれて、
その上に松葉が乗っかります。
多分修験者の最高位の方が、こちらにお座りになります。


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修験者による護摩焚きの準備が進んでいます。
その隙に、こちらの折り紙を撮りました。
こちらは「北」を表しているので本当は黒のはずなのですが、
そうすると見えにくいからでしょうか、
なぜが紫紺の折り紙です。
ちなみに左(東)側は緑(青)で、右(西)側は白い折り紙です。
そして、向こう(南)側は朱い折り紙です。
要するに道教思想の四神獣ですね。
(それぞれ、玄武・青龍・白虎・朱雀のことです)


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本堂から、背広姿の男性が現れました。
こちらの方は、両手に護摩木を抱えていらっしゃいますね。


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こちらは、護摩壇の東側です。(折り紙の色で分かります)
結界と参拝者の間のテーブルの上に、護摩木が積まれていきます。


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すると、修験者が立ち当たり、法螺貝の演奏が始まりました。
ここから、修験者の護摩焚きが本格的に始まります。
ただちょうど切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、法住寺の護摩焚きを載せます。
法住寺の節分の連載も、そろそろ終わろうとしています~

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第545回 法住寺の護摩焚き~法住寺節分会~その6

[法住寺] ブログ村キーワード
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法住寺護摩壇前で、修験者が立ち上がり法螺貝を吹いています。
いよいよ節分会の最後の行事「護摩焚き」が始まります。
撮影日は、2018年2月3日節分の土曜日午後2時半。
今回で節分行事も終わりますが、50枚以上写真を貼り付けました。


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護摩壇の脇に、水を張ったバケツが置かれています。
こちらは消火用水でもあるのですが、
護摩焚きの際の煙の方向を定めるのにも使われます。


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護摩壇前に、弓と矢を持った修験者が現れました。
先ずは、祭壇(または本堂?)に向かって一礼されました。


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弓を持たれた方の修験者が、護摩壇前で文を広げ読み上げます。
その文言から読経されているのではなく神道の祝詞に近いもので、
中国語やサンスクリット語ではなく日本語で奏上されていました。


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奏上が終わると、修験者がこちら(北)を向かれました。
護摩焚きの前に弓を撃たれますが、
第413回ブログの祇園祭後祭役行者山の護摩焚きも
第187回ブログの壬生寺節分会の護摩焚きも
同じように初めに矢を放たれました。



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修験者は先ず東に向かれました。
鏃が緑色なのは、東の守護神青龍を表しています。
弓弦を引き絞り、天に矢を放ちます。


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修験者が緑の矢を天に放たれました。
……のですが、弓弦が緩くてゆっくり飛びます。
この矢は地面にゆっくり落ちてくるので、
参拝者の一人が手で受け取られました。
まぁ普通に放てば、誰かに刺さって大惨事です。
ですから、祇園祭の役行者山や節分の壬生寺では
故意に矢を放つのを失敗されて、地面に落とされます。


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次は、南に向かって朱い矢を放たれます。
こちらは、南の守護神朱雀を表してます。


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さらに、西に向かって白い矢を放たれます。
こちらは、西の守護神白虎を表します。


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そして、修験者はこちら(北)を向かれました。
そこで、結界の折り紙と同じ色である紫紺の矢を放たれました。
紫紺はおそらく黒を表していて、北の守護神玄武を意味します。


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最後に北東の遥か彼方に、黄色い矢を放たれました。
矢は、いくつかある法住寺のお堂の一つの
屋根の上に突き刺さりました。(これは、普通に強く放たれました)
黄色は四神獣と関係ありませんが、不動明王を象徴します。
この法住寺のご本尊ですね。
(修験者の一人に、この後教えて頂きました)


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全ての矢を放たれた修験者は、祭壇に一礼されました。
そうして、護摩焚きは次の段階に入ります。


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今度は別の修験者が、来られました。
こちらは、護摩壇に立て掛けてあった松明を手にされます。
そう言えば、護摩壇に黄色い折り紙の付いた結界が敷かれています。


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修験者は、松明を護摩壇前で交差させてその位置を維持されます。
こうして見ると、本堂奥にいらした先斗町の舞妓さんは
この段階でもう堂内に入られたようです。


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代わって袈裟姿の住職が護摩壇前に立たれ、読経されました。
文言と読経時間の短さから、般若心経と分かります。


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住職の読経の後、修験者は松明を本堂脇に持って行かれます。
いよいよ松明の点火ですね。


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法住寺本堂内から、燭台とろうそくを持って来られました。
この火が結構風に強くて、時間をかけて松明に点火できます。


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松明の点火が終わりました。
火が付いた松明を護摩壇前に持ってきます。


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そして、火の点いた松明を護摩壇に突き刺します。
この辺の流れは、他の護摩焚きと同じです。
(第139回ブログ第187回ブログ参照)


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このままの状態で、約1分経ちました。
護摩壇内部の木が燃え出して、だんだん煙が立ち始めました。


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ところが護摩壇表面の松葉に火が付くと、
法住寺境内中に白い煙が立ち始めます。
この隙に、松明は本堂脇に片づけられます。


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その煙で、法住寺境内が満たされます。
もう何が何やら分かりません……
ただ、護摩焚きではどこでもこうなります。


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すると、修験者が護摩壇に水をかけられます。
これは消火のためではなく、煙の方向を限定しています。
その証拠に、護摩壇の煙が真上のみに上がるようになりました。


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煙が落ち着くのが、他の護摩焚きよりも早いですね。
それだけこちらの修験者の手際が良いようです。
他の修験者も、こちらに座ってそれぞれの役割を果たされます。
おりんや法螺貝を時折楽器として鳴らしておられます。


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こちらは、護摩壇正面に座られた修験者です。
数珠の珠を数えながら、般若心経を唱えておられました。


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先ほどおりんを鳴らされていた修験者が、
今度は鉄輪が付いた独鈷を振られていました。
こちらは独鈷鈴という仏具で、楽器の一種とも考えられます。


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法住寺の護摩焚きも、佳境に入ってきました。
こちらの修験者が、境内西側に置かれた護摩木を抱えられました。


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その修験者が、護摩木を護摩壇の火にくべられました。
これらの護摩木は、二人掛かりで次々と放り込まれます。


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こうして山と積まれていた境内西側の護摩木は、
約2分で全て護摩壇の火の中へと消えていきました。


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今度は、4人掛かりで境内東側の護摩木も火にくべられます。
そろそろ法住寺本堂の南側に控えられていた消防士さんが、
護摩壇前に姿を見せました。


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法住寺境内東側の護摩木も、すぐに護摩壇の火の中に消えました。
次は、祭壇脇の紙袋の許に修験者が集まられます。


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こちらの紙袋には、参拝者が持ってきた
旧年中のお札やお守りが入っています。
それらも、修験者は護摩壇の火の中に放り込まれました。


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その間、こちらの修験者は
ずっとこの位置で般若心経を唱えられておられました。
時折、こちらの棒状のものを手前で振られていました。


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すると、こちらの修験者が護摩木を一束手にされました。
右手に小刀を持ち、護摩木を包む紙束の封を切られます。


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そして、封を切った護摩木を手にされて
それらの束をまとめて護摩壇の火の中に放り込まれます。


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法住寺の護摩焚きも、だんだん終わりに近づいています。
今まで座られていた修験者が立ち上がり、法螺貝を演奏されました。


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そして、般若心経の読経も終わりました。
その場で合唱される方や、手印を結ばれる方がいらっしゃいます。


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そして、修験者の皆さんが一礼されました。
これで法住寺の護摩焚きが終了しました。


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御座に座られていらした修験者が、立ち上がられました。
こうして、護摩焚きの後片付けが始まります。


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護摩焚きが終わったことで、結界内に入ることができます。
松葉や石が、地面にまだ置かれています。

今回貼り付けた写真が40枚を越えますが、
久しぶりにまだまだブログは続きます。


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そして、自分はこちらの紫紺の折り紙を頂きました。
こちらは、現在自分の財布の中に収められています。
このように護摩焚き終了後は、
結界内に入ってこのような小物を持って帰ることができます。


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修験者総出で、後片付けが進みます。
こちらの松葉は、周囲にいらした参拝者に配られました。
(遠慮して結界内に入って来られない方が、割といました)


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とは言え、さすがに石を持って帰られる方はいらっしゃいません。
ですから、この位置に戻されていきます。


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続いて、結界内に消防士の皆さんが入って来られました。
いよいよ護摩壇の消火が、本格的に始まります。


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消防士の鉤棒によって、護摩壇が崩されていきます。
護摩壇の周囲を結んでいた黄色い折り紙が、(不動明王の象徴)
修験者によって参拝者に配られます。


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そして、護摩壇の周囲の結界も崩されます。
これで、主だった後片付けが終わりました。


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同じ位置で、法住寺境内を北に向きました。
ここまで残られていた参拝者が、家路に就きます。
この段階までおられる方々は、基本的に自分も含めた地元民です。


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法住寺節分会の行事は、まだ一つ残っています。
法住寺境内北側の寺務所前に、天狗がいらっしゃいます。
そちらに、多くの方々が並ばれています。


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天狗は節を取った竹を持っておられます。
こちらに日本酒が入っていて、笹酒を頂くことができます。


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こちらが、天狗に注がれていた笹酒です。
盃に入っているので少量なのですが、自分はこの後仕事です。
まぁこの量なら大丈夫と思い、こっそり飲んでから先に進みます。


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法住寺節分会のすべての行事が、済みました。
では、この北側の門からこの法住寺を出ます。


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法住寺を出て、三十三間堂廻りを南に向きました。
重要文化財の三十三間堂南大門越しに、
第288回ブログに出て来た喫茶店「舞阪」が見えますね。


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同じ位置で、今度は北を向きました。
三十三間堂廻りの左(西)側に三十三間堂の勅使門が、
右(東)側に養源院が見えますね。


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法住寺門前から三十三間堂廻りを約150m北上し、西を向きました。
こちらは、三十三間堂の門です。
第540回ブログに出て来たときと様子が変わっていません。
平日でも節分でも、ここはたくさんの参拝者がいらっしゃいますね。


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その三十三間堂の門前から、三十三間堂廻りを北に向きました。
この三十三間堂廻りは、目の前の七条通で突き当たります。


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三十三間堂廻りから、七条通を西に向きました。
約100mほど西に進み坂道を下ると、
その位置に「博物館・三十三間堂」バス停があります。
そちらから206系市バスに乗って京都駅に向かい、
勤務地に出社します。

これで、2018年の節分の連載を終了します。

~次回は、若宮通最北端から裏道を通って四条通を目指します。
「若宮通編」と「釜座通編」とのつなぎを連載し始めます~

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第719回 厄払い行列巡行~法住寺節分会2020~その1

いよいよ2020年の節分の季節になりました。
そもそも節分は旧暦の大晦日のことで、
1877年以降は日本ではいくつかの大晦日の行事が
12月31日に移行しましたが、
京都では今なお「旧暦の大晦日」として
各神社仏閣で盛大にお祭りします。
ウチのブログでは上千本壬生祇園など取材しましたが、
2020年はこの日に夜から仕事が入りまして、
個人的な事情でウチの近所を取材しました。


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取りあえずお金がなかったので、
取材前に「七条本町」交差点のコンビニエンスストアで
銀行預金の一部を下ろしました。
今月前半の生活費を手にコンビニエンスストアを出て、
本町通から七条通を東に向いています。
銅鑼と法螺貝の音色によく見ると、
七条通北側歩道を東にもう法住寺の厄払い行列が
どんどん歩いて行かれます。
そこで、急いでこの巡行に付いていきます。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前10時半。
巡行行列は、約30分後だと思っていました。


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「七条本町」交差点から、大写しで写真を撮っています。
法住寺の厄払い巡行行列がココ一番屋の前を通り過ぎ、
大黒通の最南端も通り過ぎていかれます。
天狗と鬼の扮装をした方々とご住職・修験者の行列ですね。


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巡行行列は、大黒通の東七条通沿いのわらじやで立ち止まります。
この辺でいちばん老舗の飲食店ですね。
すると、わらじやの店内から店主や従業員らしき方々が
七条通沿いに出て来られました。


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ところが、ここで法住寺の方々が暫し手持ち無沙汰になられます。
背広姿の世話役の方が、青(緑)鬼の着ぐるみに手を掛けられます。
「鬼のパンツ」どころか青鬼の着ぐるみがずり落ちそうになり、
慌てて世話役の方が着ぐるみを摺り上げておられます。


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まぁいろいろありましたが、厄払いの準備が整いました。
やがて法住寺ご住職が、わらじやの方々に一礼をされました。
いよいよ法住寺の方々による厄払いが始まります。


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黒鬼・青(緑)鬼・赤鬼が腰を振って、一舞い踊られます。
それに合わせて、修験者が銅鑼と法螺貝を演奏されます。


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続いて、ご住職と天狗に扮する方が店主の前に立たれます。
ご住職の御祈りが、自分がいる位置まで聞こえてきます。


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わらじやの店主の前にいらして天狗の扮装をされた方が、
突然錫杖を振り回されます。
すると錫杖に付いた金具から、鈴のような音が響きます。


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さらに天狗姿の方が、わらじやの店先をあちこち移動されます。
錫杖に付いた金具や飾りが風にたなびき、とてもきれいですね。


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やがて天狗姿の方は、錫杖を手許に収められました。
これで、わらじやへの厄払いが終了です。


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次に法住寺のご住職が一礼されると、
鬼や天狗の扮装をされた方々も一礼されます。
すると、また銅鑼と法螺貝の演奏が再開されます。


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法住寺厄払いの方々が、次の目的に移動されます。
取りあえず、七条通をさらに東に進まれます。


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そして、法住寺の厄払い行列はわらじ家の東隣に向かいます。
こちらの七条甘春堂は、正面通の甘春堂とは別の和菓子屋さんです。
(甘春堂については、第684回ブログ参照)


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七条甘春堂からも店主と従業員が出て来られると、
すぐに鬼たちの舞いが始まります。


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鬼たちが腰を振って踊られた後、斧や小槌を振り下ろされます。
ただ上手く振り下ろされた場面が撮れず、
はっきりしない写真になりました。


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鬼たちの斧や槌を振り下ろされる動作が終わると、
鬼たちの舞いが一段落されたようです。
ここで、ちょっとだけ次の動作まで静止されています。


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すると背広姿の世話役が、やはり青鬼に取り付かれます。
また青鬼の着ぐるみが、ずり落ちたようです。


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青鬼の方が落ち着かれると、次の舞いが始まります。
また天狗が、店主の前で錫杖を掲げられます。


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法住寺のご住職がお祈りを奉げられる中、
天狗の舞いはだんだん大きくなります。
振り上げられた錫杖から鈴の音が響き、
金具や飾りも大きくたなびきます。


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やがて法住寺のご住職の御祈りが終わると、
天狗に扮された方の舞いも終わります。
そして一礼の後、厄払い巡行行列はさらに東に移動されます。


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着ぐるみを気にされてか、青鬼の方がゆっくり歩かれています。
法住寺のご住職は順番待ちのため、暫し待たれています。


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そうこうしているうちに、法住寺の厄払い巡行行列が
大和大路の横断歩道を東に渡られました。
この辺りの赤レンガは、京都国立博物館のものです。


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法住寺の厄払い巡行行列が、京都国立博物館南側を東に進みます。
この辺の塀は京都国立博物館開業当初のものですが、
赤レンガの塀と西側の正門が重要文化財に指定されています。


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法住寺の厄払い巡行行列が大和大路から七条通を約100m東に進み、
「三十三間堂前」交差点に差し掛かりました。
第681回ブログの冒頭ですね。


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法住寺の厄払い巡行行列が、
「三十三間堂前」交差点で待機されています。
要するに、信号待ちですね。


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信号が、変わりました。
法住寺の厄払い巡行行列が、七条通の南側歩道
つまり、自分が今いる方に渡って来られました。


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法住寺の厄払い巡行行列の後ろ半分も、横断歩道を渡られました。
そして、巡行行列は東を向いきました。


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法住寺の厄払い巡行行列は、三十三間堂廻りを東に進まれます。
七条通から南に伸びる三十三間堂廻りという道を南下すると、
三十三間堂や法住寺があるのですが、
巡行行列はそちらには進まれません。


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法住寺の厄払い巡行行列が、
三十三間堂廻りからさらに七条通を東に進みます。
巡行行列はこの先のハイアットリージェンシーホテルに進み、
そこでも厄払いが行われます。
そういえば、突き当りの「東山七条」交差点に
智積院の勅使門が見えますね。
その後「東山七条」交差点を南下して、
塩小路経由で法住寺に戻られます。
ただ自分はそちらには向かわずに、
この周辺の寺院を参拝した後法住寺に向かいます。
とは言えだいぶ写真を貼り付けましたので、
今夏はここまでです。

~次回は、三十三間堂に寄り道します~

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第720回 三十三間堂参拝~法住寺節分会2020~その2

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前回ブログで法住寺節分会の厄払い巡行行列が、
「三十三間堂前」交差点から七条通を東に去っていかれました。
その交差点に、法住寺節分会の看板が毎年立て掛けてあります。
この後は「三十三間堂廻り」という道を南下して、
節分会が開催される法住寺に向かうわけですが、
厄払い巡行行列が法住寺に戻るまで、まだ何時間かあります。
そこで今回ブログと次回ブログに、周辺寺院を参拝します。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前11時。
まだまだ時間があると、この時点では思っていたのですが……


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七条通から、三十三間堂廻りを南に向いています。
三十三間堂廻りは三十三間堂の東側を貫く七条通~塩小路間の道で、
元々は豊臣秀吉が建立した大仏殿(現在の方広寺)の一部でしたが、
現在は東大路と川端通の間の幹線道路です。
(方広寺大仏殿は、第616回ブログ参照)
向こうに大桜の木が見えますが、春には早いので枯れ枝ですね。
東七条(鴨川以東の七条通~塩小路間)は、
京都市街地でも屈指の桜の名所です。


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先程の大桜の木の前で、三十三間堂廻りを西に向きました。
2018年は、この位置で法住寺の厄払い巡行行列を見ました。
ではここを進み、三十三間堂境内に入っていきます。


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三十三間堂境内に入ってきました。
境内の北側は観光バスが何台も停まれる大きな駐車場で、
(「七条大和大路」交差点から、バスは駐車場に入れます)
その南側に切符売場と入り口があります。
ではここで600円支払い、中に入ります。


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こちらが、三十三間堂の入り口です。
ここから先が、有料の地域です。


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先程の通路を南下して西を向くと、参進殿があります。
ここに入ってさらに南下すると、
三十三間堂の仏像が安置される場所に出ます。
ただウチのブログでは中を撮影できませんので、
先に三十三間堂の庭園を回ってからこちらに入ります。


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先程の写真と同じ場所で、三十三間堂境内を東に向きました。
では、こちらを時計回りに1周します。


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三十三間堂東側庭園には、車いす用の石畳の道が設けられています。
では、この石畳の道沿いに三十三間堂東側庭園を南下します。


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三十三間堂東側庭園を南下しています。
左(東)側の枯れ枝並木は、約2カ月後に桜並木に変わります。
(三十三間堂の桜並木は、第300回ブログ参照)
右(西)側に三十三間堂本堂が見えますが、その長さは約120mです。


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同じ位置で、三十三間堂東庭園を東に向きました。
池と築島のある見ごたえのある眺めが広がりますが、
この三十三間堂東側庭園を特に「法住寺殿」と呼びます。
といいますのも、この三十三間堂は元々法住寺の一部です。
(この後、節分会の行事のために訪れる寺院です)
元々法住寺の境内は、鴨川より東の東七条地区一帯でした。
そもそも法住寺は、院政を極めた後白河上皇の住居でした。
その後この辺りは豊臣秀吉によって大仏殿の一部となり、
その際三十三間堂と法住寺は分離されました。
そして江戸時代になって大仏殿関連施設群が分解されても
三十三間堂は法住寺に戻ることはなく、
そのまま蓮華法院として独立した寺院となりました。
(現在は智積院北側の妙法院の塔頭寺院です)
ですから、ここは元々法住寺の庭園でした。


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さらにその位置から、法住寺殿を南に向いています。
この辺の枯れ枝は全て桜ですので、
もう2カ月もすればここは絶景です。


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もう少し法住寺殿を南下して、東を向きました。
左(北)側の大きな塔は、古いお経を収めた納経塔です。
右(南)側の小さな塔は、法然が後白河上皇の葬式の際に
こちらで念仏を唱えたことを表す供養塔です。


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その供養塔の前で、法住寺殿を南に向いています。
この先に、三十三間堂の手水舎が見えます。


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三十三間堂の勅使門の前(本堂の正門の前)に、
こちらの手水舎があります。
脇のお地蔵さんには、手を合わせます。


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手水舎の脇に、こちらの立て札が立っています。
手水舎は「夜泣泉」の名の通り、
夜泣きに対してご利益がある井戸ですね。


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その位置で、三十三間堂境内を西に向きました。
この背後(東)に三十三間堂勅使門があって、
この位置が三十三間堂本堂の正面です。
こちらの障子の向こう(西)に、この度国宝になられた
湛慶の最高傑作「千手観音」像がいらっしゃいます。
(Wikiでは妙法院蔵と書かれていますが、
実際にはその塔頭寺院である三十三間堂にいらっしゃいます)
そういえば、修学旅行生はこの位置で写真をよく撮られていますね。


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さらに同じ位置で、法住寺殿を南に向いています。
ここからも、さらに南下する石畳の道が伸びています。
よく見ると、三十三間堂南半分に修復中のシートが掛かっています。


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先程の位置から、法住寺殿を南下しています。
あと70mほどで、法住寺殿は突き当たりますね。


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その辺りで、法住寺殿を東に向いています。
池の周囲は枯れ枝並木ですが、
毎年春になるとここは絶景に変わります。


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法住寺殿の石畳の道は、蛇行しながら南下していきます。
このちょっと先に、三十三間堂の鐘楼が建っています。


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こちらが、三十三間堂の鐘楼です。
結構真新しいのは、最近改築されたからです。


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三十三間堂の鐘楼の前で、法住寺殿を南を向きました。
この辺りが、法住寺殿の最南端です。
塀越しに、三十三間堂南大門が見えますね。
そして南大門周辺の塀が、他の部分より飛びぬけて古いですね。


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その塀の前まで来ました。
こちらは重要文化財の「太閤塀」です。
元々は豊臣秀吉が建てた大仏殿の塀でした。
そして、こちらは現存する日本最古の土塀です。


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三十三間堂境内の太閤塀から、西を向いています。
「法住寺殿」は三十三間堂東側庭園のことですから、
ここから先はもう「法住寺殿」ではありません。


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三十三間堂境内の南側を西に進み、北を向きました。
三十三間堂では毎年1月に「通し矢」という
遠距離の矢を射る行事が行われます。
それが、この位置から三十三間堂の北端に向けて行われます。
(約120mの距離です)


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三十三間堂境内の南端から、西に進んでいます。
こちらはこちらで観光客がたくさんいらっしゃいますね。


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三十三間堂境内の南西端に、こちらの神社がいらっしゃいます。
では、こちらの稲荷社にお参りします。


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稲荷社の石製鳥居の許に、木賊(とくさ)が映えています。
その向こうには桜並木が続きますが、冬なので枯れ枝並木です。


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その稲荷社の前で、三十三間堂西側庭園を北に向きました。
では、こちらをこのまま北上します。


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この辺りの桜並木の枝を大写ししました。
少しずつつぼみが膨らんでいるのが、分かりますね。
ただ2020年2月10日月曜日に南禅寺を訪れたのですが、
そちらはまだまだつぼみが固かったですね。


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稲荷社から、三十三間堂西側庭園を約120m北上しました。
目の前の比較的新しい建物は、三十三間堂参進殿の一部です。
三十三間堂に入って最初に見た建物ですね。


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こちらは、三十三間堂参進殿西側入り口です。
では、こちらから三十三間堂本殿に入っていきます。


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三十三間堂参進殿に入って、南を向きました。
こちらの下駄箱の前で靴を脱ぎ、
参進殿経由で三十三間堂本殿に入っていきます。
ですから、この地点が三十三間堂の施設内で撮影可能な限界です。


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三十三間堂本堂の写真撮影が禁止されているので、
パンフレットで代用します。
こちらは1001体の観音様で有名ですが、
ご本尊の千手観音像を含めて大半が湛慶の作品です。
三十三間堂は法住寺が建立された平安時代から存在して、
後白河上皇が居住した平安時代末期に栄えましたが、
戦火などで破損された観音像を修復したのが、湛慶でした。
ですから、こちらの寺院の仏像の多くが鎌倉時代の作です。
観音像の手前に二十八分衆と呼ばれる様々な仏像が並びますが、
それらも鎌倉時代以降による慶派の作品が大半です。
そういえば、そのいくつかが千手観音像近くにいらっしゃいました。
なぜでしょうか。


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三十三間堂参進殿経由で本堂を参拝し、ご本尊の千手観音像や
1001体の観音像・二十八分衆を拝観しました。
では、こちらの通路から三十三間堂を出ます。


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通路を抜けて、三十三間堂境内北側の駐車場前に戻ってきました。
さらにこちらから、三十三間堂の門を出ます。


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三十三間堂の門の前から、三十三間堂廻りを南に向いています。
法住寺ご本尊の身代わり地蔵の幟が立っている通り、
この先に節分会が行われる法住寺が建っています。
ではこちらから法住寺に向かいますが、
その前にさらにもう1寺回ります。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、ここまでとします。

~次回は、養源院に寄り道します~

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第721回 節分の養源院~法住寺節分会2020~その3

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前回ブログで参拝した三十三間堂参拝入口の前から、
三十三間堂廻りという道を南に向いています。
(七条通から、約50m南下した地点です)
このまま目的地の法住寺の節分会に行けば良いのですが、
2020年はまだちょっと時間がありましたので、
その中間地点の養源院にも立ち寄ろうと思います。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前11時45分。
この時点では、法住寺節分会に余裕で間に合うと思っていました。


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三十三間堂参拝入口から、三十三間堂廻りを約100m南下しました。
先程の写真の右(西)側に一見すると土塀が見えますが、
あちらがこの辺で唯一の公衆トイレです。
養源院と法住寺にはトイレがないので、
知っておかないと後々困ります。
では左(東)側に見える養源院の前まで、
さらに三十三間堂廻りを南下します。


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先程の位置より、三十三間堂廻りを約30m南下しました。
この位置なら、養源院の南隣に法住寺が建っているのが分かります。
では、このまま養源院の門前に向かいます。


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三十三間堂を背に三十三間堂廻りで東を向くと、
浄土真宗遣迎院派養源院の門があります。
ちなみに浄土真宗遣迎院派は鷹峯遣迎院が本山なのですが、
いずれも元々天台宗から分派した寺院です。


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養源院の門をくぐり、すぐに南に向きました。
こちらは、養源院の末社白衣弁財天社がいらっしゃいます。
末社の背後が池なのですが、
水神でもある弁財天はよく池の周りにいらっしゃいます。


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白衣弁財天の向かい(北)側には、毘沙門天社がいらっしゃいます。
北の守護神毘沙門天ですから、この方角も納得です。


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同じ位置で、養源院境内を東に向きました。
養源院本堂は、この坂道の先にあります。
では、こちらを進んでいきます。


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養源院境内をそのまま東に進んでいます。
養源院本堂は境内のほぼ東端に位置しますが、
境内の中央にはこの大桜が1本立っています。
東七条でいちばん大きな桜の木ですから、
毎年春には絶景になります。(第299回ブログ参照)


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養源院境内の石畳の道の東の上り坂を進んでいます。
この辺りは日吉ヶ丘(阿弥陀ヶ峰)のふもとで、
東に行くほど高くなります。
では、養源院境内をさらに東に進みます。


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養源院境内の石畳の道の東端に、養源院本堂があります。
この塀を越えると、また風景が一変します。


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先程の塀の中に入り、すぐに南に向きました。
こちらは手水舎というよりも、かつての井戸ですね。
様子から、今は使われていないようですね。


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その井戸の北側を撮っています。
この先にもう一つの門があるのですが、現在は修復中のようです。
目の前の鳥居は、大木に掲げられている祠のものです。
この周囲には枝垂桜並木があるのですが、
こちらの春になると絶景になります。


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養源院本堂の縁側に、こちらがいらっしゃいました。
おそらく養源院の飼い猫ですね。
思わず目と目があった瞬間に、写真を撮りました。


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さらに、こちらのネコを撮り続けています。
だんだん目を合わせるのが辛くなったらしく、
ちょっと目を逸らすようになりました。


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そのうち、完全に横を向いてしまいました。
ただこの後は全く動かず、やがてすやすや眠ってしまいました。


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いろいろありましたが、こちらから養源院本堂に入っていきます。
徳川家を表す三つ葉葵の家紋が掲げられていますが、
こちらは最終的に徳川秀忠の継室江が建てました。


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養源院本堂内は一切撮影禁止なので、写真はこちらで代用します。
左の絵はがきは俵屋宗達筆の杉戸絵で、
こちらに保存されている絵画の過半数が彼の作品です。
(余談ですが、この寺院は俵屋宗達の作品展示数日本一です)

浄土真宗遣迎院派養源院は、1945年ごろまで天台宗寺院でした。
前回ブログでも紹介した通り、安土桃山時代は東七条一帯が
豊臣秀吉が建立した大仏殿とその関連宗教施設でした。
「養源院」という名称は、もともと浅井長政の戒名です。
浅井長政の娘淀殿が豊臣秀吉にお願いして、
浅井長政の21回忌(1594年)にこの寺院を建立しました。
ただ豊臣秀吉の死後淀殿も1615年に自害されたので、
淀殿の妹で徳川秀忠の継室江の方がその事業を引き継ぎました。
ですから、こちらは豊臣家と徳川家の両方が建立に関わっています。
またこちらを徳川家が建てる際、
伏見城の戦いの戦場であった
伏見城の廊下を天井に使用しています。
そこは鳥居忠元らが切腹した場所だったので、
30名ほどの返り血や彼らの死体の跡が完全に残っています。
これを「血天井」と呼び、こちらの説明が結構長いです。

こちらの文化財などの説明は
カセットデッキに録音された音声で行われます。
つまりその場で内容を変更できませんので、
テープのつなぎ目までは多少は時間待ちとなります。
この日(2020年2月3日)はタイミングが悪くて、
約15分待ってからそのカセットテープを聞きました。
法住寺の節分会の餅つきは午後0時半からですが、
そのテープの流れる時間は約30分で、今回ブログの最初から
法住寺節分会の餅つきまで約45分ありました。
余裕で間に合うの思っていたのですが、
どうも雲行きが怪しくなってきました。
午後0時20分を回ったころから、
自分の周囲にいらした参拝者が徐々に立ち上がり、
途中退席されました。
(どうやら、法住寺節分会が目的の方々です)
自分は最後まで聞いていたのですが、
そのうち南隣の寺院(要するに、法住寺)から
「よいしょ、よいしょ」と声が聞こえてきました。
これで、2020年法住寺節分会には遅刻確定です。


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養源院本堂を出ました。
では目の前の石畳の道を西に向かい、法住寺へ急ぎます。


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養源院境内の石畳の道を西に急いでいます。
南側から「よいしょ、よいしょ」の声とともに、
杵が餅を搗く音も聞こえます。
では、この先から浄土真宗遣迎院派養源院を出ます。


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養源院の門前で、三十三間堂廻りを南に向いています。
では、南隣の法住寺に急ぎます。


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既に遅刻なので実際にはここからすぐに法住寺に向かいましたが、
ブログ上では、先に養源院と法住寺の間にいらっしゃる
後白河天皇陵にお参りします。
ただちょうど区切りが良いので、今回はここまでです。

~次回は、法住寺の餅つきを掲載します~

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第722回 法住寺のお汁粉~法住寺節分会2020~その4

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前回ブログで訪れた養源院と今回ブログで訪れる法住寺の間に、
こちらの細長い小径が東に伸びています。
本当は遅刻しているので養源院から即法住寺に向かったのですが、
今回ブログはちょっと考えがありまして、
こちらを先に紹介いたします。
その後、法住寺の餅つき以降の行事を掲載します。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午後0時半。
本当はお汁粉を食べた後に、こちらに立ち寄りました。


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三十三間堂廻りという道から、先程の小径を約50m東に進みました。
その位置で、南を向いています。
こちらの小径は、約20m先で突き当たります。


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先程の位置から南下する途中に、こちらの手水舎がありました。
法住寺の銘が、入っていますね。
この小径の先は現在宮内庁の管理ですが、
神仏分離令以前は法住寺の管理でした。


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その小径を約20m南下しました。
小径の突き当りが、ちょっとした広場になっています。


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その広場で、東を向きました。
この辺りは、法住寺境内のちょうど裏(東)側に位置します。
こちらが、後白河天皇の法住寺陵です。
もともと後白河上皇は鴨川以東の東七条一帯に広がっていた
法住寺殿に居住し、院政を行っていました。
そして白河上皇の死後この地に後白河天皇陵が造営されて、
明治初期の神仏分離令まで法住寺がこの御陵を管理していました。
(現在は、宮内庁が管理しています)


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後白河天皇法住寺陵を背に、西を向きました。
この塀の向こうは、今回ブログの目的地法住寺です。
手前に桜の木が立っていますが、
この辺りも桜並木が、ここを絶景に変えます。


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さらに後白河天皇法住寺陵の前で、北を向きました。
では、こちらの小径を北上します。


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後白河天皇法住寺陵から小径を約20m北上して、西に向きました。
左(南)側がこれから訪れる天台宗法住寺で、
右(北)側が前回ブログに訪れた浄土真宗遣迎院派養源院です。
では、こちらを西進して約50m先の三十三間堂廻りに向かいます。


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先程の地点から約50m西に進み、三十三間堂廻りを南に向きました。
左(東)側が三十三間堂廻り最南端の天台宗法住寺で、
右(西)側が第720回ブログで参拝した三十三間堂です。
また約100m先に、三十三間堂南大門が見えます。
では、こちらから法住寺境内へ急ぎます。


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先程の位置から三十三間堂廻りを約10m南下し、東に向きました。
こちらに、天台宗法住寺の法住寺門(正門)があります。
天台宗法住寺は、988年当時の太政大臣藤原為光が建立しました。
ただ、こちらの全盛期は後白河上皇の院政期です。
ここを中心とした「法住寺殿」つまりここで院政が行われましたが、
平安時代末期の法住寺合戦で法住寺殿は焼失しました。
こちらは、その後鎌倉時代に再建されたものです。
左脇(北側)に、節分会の看板が出ていますね。
では、こちらの門から法住寺境内に入っていきます。


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法住寺門をくぐり、法住寺境内最南端を向いています。
門前にはこの日(2020年2月3日節分)限定で臨時寺務所が設けられ、
東側の本来の寺務所はさまざまな行事に使われます。
北側には、陀枳尼尊天弁財天が合祀された祠が祀られています。


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その祠の前で、法住寺境内を南に向いています。
右(西)側に長いテーブルが並び、さらに西に竈が並びます。
法住寺は、こちらで調理されたものを参拝者に振る舞っています。


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そのテーブルの前で、節分会開催中は甘酒が振る舞われます。
京都の甘酒ですから酒粕由来のものではなく、
米麹由来のノンアルコール飲料です。
こちらの中に入っている米麹を食べながら飲んでいます。
料金は志納制なのですが、相場としては100円です。
自分は小銭を持っておらず、
法住寺の方と相談してお釣りを頂きました。


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法住寺境内の中央に、この寺院の象徴でもある枝垂桜があります。
その木越しに、境内の北側に建っている法住寺本堂に向きました。
法住寺の本堂と枝垂桜の間に砂場があるのですが、
この日(毎年節分)はその砂場の上に護摩壇が置かれています。
節分会最後の行事である護摩焚きのためですね。
そして法住寺本堂前に石臼が置かれており、その周囲に
法住寺節分会世話役の男女がいらっしゃいいます。
男性の方が杵を持ち上げ、女性の方がもち米を濡らしておられます。
1回目の餅つきは既に終わっており、
この餅つきは、もう2度目に入っておられます。
(要するに、自分は餅つきに遅刻しています)


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法住寺節分会世話役の女性の左(東)側に、
和服姿の女性がお二人いらっしゃいます。
2018年同様先斗町の舞妓さんが
また餅を千切って丸めるために来られています。


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先斗町の舞妓さんを大写しにしています。
この時点で、また搗きたてのお餅を丸められています。
2020年は2018年より手慣れておられて、
あっという間に丸め終わられました。
周囲の方々はスマートフォンを掲げられるのに一生懸命で、
ここは臨時の舞妓さん撮影会と化しています。
近年舞妓さんに過剰に近づかれて強引に撮影されるのが
京都市内で割と大きな問題になっていますが、
ここならそういうことを気にせず何枚も撮影が可能です。
実はこの撮影を目的に来られている方も多く、
中には明らかにプロのカメラマンがいらっしゃいました。


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先斗町の舞妓さんのさらに左(東)側に、
舞妓さんより明らかに年少の方々がいらっしゃいます。
おそらくこちらは、舞妓さんの見習いでしょうね。
こちらの方々も、お餅を丸められています。


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レンズの倍率を変えて、法住寺本堂の全体を写しています。
さらに左(東)に、ご住職がマイク片手にいらっしゃいます。
2020年のご住職はいわゆるMCもされていて、
餅つきの様子を実況されるだけでなく、
全体の指揮や礼儀知らずのカメラマンへの注意など、
本当に多岐にわたって活躍されていました。


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そろそろ法住寺本堂の西側に、人が並びだしています。
ご住職のMCによれば餅入りのお汁粉がだんだん出来上がっており、
その順番待ちの方々が並んでおられます。


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法住寺本殿の西側に回り込んできました。
2018年はご住職のお知らせから10分後に並んだのですが、
2020年はお知らせ直後に並んだのに、
自分より前にほぼ同じ人数が順番待ちされています。


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並びだして、約2分経ちました。
2018年より、列が動くスピードがだいぶ早いですね。
2020年は結局2018年の2倍の方々が並ばれましたが、
舞妓さんの餅を丸めるスピードが速いのと
搗かれる餅の量も2018年の2倍以上ということで、
十分に対応される体制を取られているようですね。


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先程の位置から、さらに2分経ちました。
もう福寿観音様の祠の前に来ました。
2018年より速いスピードで、列がさばけています。


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こちらが、福寿観音様の石像です。
列に並びながら、こちらにお参りしました。


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その福寿観音様の前で、法住寺境内を北に向いています。
その北側に、法住寺のもう一つの門である竜宮門があります。


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さらにお汁粉待ちの行列が、どんどんさばけています。
お汁粉を温めている竈まで、あと数分です。


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その行列に並んでいる途中で、法住寺本堂前を撮りました。
ご住職が本堂前に来られていますが、
餅つきと舞妓さんらの餅を丸められる作業は、延々続きます。


722-27.jpg
法住寺境内中央の枝垂桜も通り過ぎ、
お汁粉の竈まですぐそこです。
列の周囲では、先に並ばれておられた方々が
お汁粉を堪能されています。


722-28.jpg
いよいよお汁粉の行列も、自分の番となりました。
目の前の高坏に志納金を収めて、
お汁粉の入ったお椀を頂きます。
こちらのお汁粉も、志納金は100円が相場です。


722-29.jpg
こちらが、先斗町の舞妓さんらが丸められた餅入りのお汁粉です。
2015年に来たときは今より参拝者が少なかったので、
実は2度並んで2杯頂きました。
2018年に来たときは参拝者数が急増していて、
並ばれた方の約半数の方々しか頂けませんでした。
(まぁ、それでも自分はしっかり頂きましたが……)
2020年に並ばれた参拝者数は2018年の約2倍ですが、
用意された餅も2倍以上ですので全員頂けました。
ただ、さすがに2杯目は不可能でした。


722-30.jpg
お汁粉のお餅を浮かばせて、もう一度撮影しました。
餅自体はとても小さいのですが、
小豆がしっかり入っていて、これで十分満腹になります。
まぁこちらがこの日の自分の昼食です。


722-31.jpg
餅を丸める作業が一段落して、
先斗町の舞妓さんと見習いさんが談笑されています。
実は餅を丸める作業はまだ続くのですが、
もう山は越えられているので、時折手すきになられるようです。


722-32.jpg
自分はお汁粉を食べ終わりましたが、
境内の中央ではまだまだたくさんの方々が
お汁粉を立ち食いされています。
(イスがないので、自分も立ち食いでした)
写真の右(西)側に行列がまだ続きますが、
この直後に全員がお汁粉を頂きました。


722-33.jpg
お汁粉の行列は、2020年2月3日午後2時10分に途切れました。
次の行事まで、あと約20分あります。
ここで、法住寺本堂にいらっしゃる
ご本尊の代受不動明王に参拝するために本堂に向かいました。
(本堂内は撮影不可なので、写真はありません)
さらにちょっとこの隙にお手洗いにも行って、
今回ブログ最初の後白河天皇陵へお参りしました。

この後の行事は、午後2時半から始まりました。
ただ今回はもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
続きは次回とします。

~次回から、法住寺の護摩焚きが少しずつ始まります~

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第723回 一気に豆まきまで~法住寺節分会2020~その5

722-33.jpg
前回ブログで、昼食として法住寺でお汁粉を頂きました。
まだまだお汁粉の振る舞いは続いていますが、
お汁粉を食べ終わった自分は本堂のご本尊にお参りして、
三十三間堂横の公衆トイレと後白河天皇陵に行きました。
今回は、この後の行事節分の豆まきを取材しました。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午後1時。
ある意味、今回がメインイベントですね。


723-2.jpg
前回ブログ以来、指定席にしている護摩壇前に戻ってきました。
お餅を丸める作業を終えた先斗町の舞妓さんが、
席を立たれる用意をされていました。


723-3.jpg
とは言え、舞妓さんは振り袖姿です。
そうそう簡単に立つことはできません。
先ずは振り袖の袖を抑えながら、ゆっくりと立たれました。


723-4.jpg
舞妓さんたちはお互いに立ち上がったことを確認すると、
そのまま演壇を下りられて、こちらの方に歩いてこられました。


723-5.jpg
自分が陣取った護摩壇前から、北側に見える竈の前を撮りました。
舞妓さん2名は、そちらに移動されていかれました。
目的は……前回ブログに出て来たお汁粉です。
考えてみれば舞妓さんもここまで働き詰めですから、
ようやく昼食にありつけたわけですね。
ここでも舞妓さんの撮影会が始まりましたが、
その辺の方々と舞妓さんたちは歓談しながら、
お汁粉を堪能されていました。


723-6.jpg
さらに時間が経過して、2020年2月3日節分の月曜日
午後1時半を過ぎました。
寺院の奥から、ご住職がゆっくりと現れました。
いよいよ次の行事が始まります。


723-7.jpg
ちょっと時間は立って、後ろ(北側)を見ました。
いったん三十三間堂廻りに出た厄払い行列のご一行が、
法住寺の正門から法住寺境内に入って来られました。
青い法被姿の世話役を先頭に、自分たちの許に南下してこられます。


723-8.jpg
世話役の方に続いて、修験者さんたちが更新されます。
こちらの法螺貝の音色に合わせて、行列が南下しています。


723-9.jpg
修験者さんに続いては、ご住職の登場です。
その後に、錫杖片手の天狗が並ばれています。


723-10.jpg
錫杖片手の天狗に続いて、赤鬼と青鬼が現れました。
第719回ブログの巡行行列と同じ順番ですね。


723-11.jpg
赤鬼・青鬼の後ろから、黒鬼の登場です。
まさに、厄払い巡行行列の順に登場されます。


723-12.jpg
黒鬼の後ろは、さらに修験者さんの列となります。
これで、厄払い巡行行列一行が法住寺境内にそろい踏みです。


723-13.jpg
ご住職が、護摩壇の北側の本堂前におられます。
厄払い巡行行列は、護摩壇の左(西)側を南下されました。


723-14.jpg
ご住職が、法住寺本堂に入っていかれました。
続いて天狗や鬼の皆さんが、本堂に入っていかれます。
ここから本堂内で、ご住職への読経が始まりました。
こちらの行事は非公開なので、写真はありません。


723-15.jpg
ご住職の読経が終わると、
先斗町の舞妓さんが本堂前にいらっしゃいました。
だんだん豆まきの準備が整ってきます。


723-16.jpg
護摩壇の右(西)側に、修験者が現れました。
黙壇の結界内に入る前に、九字祈祷を唱えられました。


723-17.jpg
その九字祈祷を終えられた後、
この後の行事に参加される修験者の皆さんが、
次々と護摩壇前に入って来られました。


723-18.jpg
その修験者の皆さんの中に、ご住職もいらっしゃいました。
その後ろには、天狗が控えておられます。


723-19.jpg
そして修験者の皆さんとご住職が、所定の位置に就かれました。
いよいよ豆まき行事の始まりです。


723-20.jpg
修験者の皆さんによる銅鑼と法螺貝の演奏が始まると、
天狗が護摩壇前に登場しました。
錫杖を振りかざし、護摩壇の前で踊りだされていました。


723-21.jpg
天狗が、護摩壇の周囲を時計回りに踊られます。
ちょっといろいろ写っていますが、右上に天狗がいらっしゃいます。


723-22.jpg
天狗の踊りが、2周目に入られました。
すると、後ろから赤鬼も登場しました。
赤鬼は左手に松明、右手に剣を持たれています。


723-23.jpg
続いて、青鬼の登場です。青鬼は、両手の斧を
銅鑼と法螺貝の音に合わせて振り上げておられます。


723-24.jpg
さらに、黒鬼が槌を持たれての登場です。
天狗を含めて4者が護摩壇の前で踊られて、
この周囲を浄められておられます。


723-25.jpg
黒鬼が護摩壇を1周されて、護摩壇の結界から出て行かれます。
天狗・赤鬼・青鬼は、先に結界の外におられます。


723-26.jpg
そして、ご住職が本堂前に立たれます。
先斗町の舞妓さんも、その両側に立たれます。
そちらも、手に豆の入った桝を持たれています。
いよいよ、法住寺の豆まきが始まります。


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すると、そちらの方へ赤鬼、青鬼・黒鬼が迫ります。
これは、2018年に行われなかったことです。


723-28.jpg
「鬼は外」
鬼たちが本堂前の方々の至近距離に近づいたとき、
その掛け声とともにご住職と舞妓さんが豆を撒かれます。


723-29.jpg
豆を投げつけられた鬼たちが、慌てて逃げだしました。
要するに、豆を撒かれて鬼たちが退散します。


723-30.jpg
ところが、鬼たちが再度臨戦態勢です。
どうやら、もう一度本堂前に迫るようです。


723-31.jpg
するとやはり「鬼は外」の掛け声とともに、
ご住職と舞妓さんが豆を撒かれます。
その豆に再び鬼たちが退散します。


723-32.jpg
豆を撒かれた鬼たちが、護摩壇前から退散されます。
自分は一度幼児の前で鬼の仮面(紙製です)を付けて
同じようなことをした経験があるのですが、
煎った大豆って、投げつけられると相当痛いですね。
鬼の皆さんは、大丈夫なのでしょうか?


723-33.jpg
続いては、豆の入った紙製の袋の入れた木箱の登場です。
これからご住職や舞妓さんだけでなく、
修験者の皆さんも加えた皆さんで、自分たちに豆を撒かれます。


723-34.jpg
こちらは、護摩壇の左(東)側です。
修験者のウチの数名と舞妓さんのウチのお一人が、
こちらにはいらっしゃいます。


723-35.jpg
「鬼は外 福は内」
掛け声とともに、豆の入った紙製袋が撒かれます。
参拝者が両手を差し出し、その袋を取り合われます。


723-36.jpg
修験者のお一人が、こちら(正面)側に来られました。
そして、木箱片手に、豆を撒かれています。
背後では、舞妓さんが周囲に豆の入った袋を撒かれています。


723-37.jpg
さらに世話役の方々も参加されて、豆まきが続きます。
木箱には「七条大橋東詰 みささ菓舗」と書かれています。
1990年前後のバブル期まで
「七条須原」交差点で経営されていた和菓子屋さんで、
自分の小学校の卒業式でこちらの紅白まんじゅうを頂きました。


723-38.jpg
そして世話役の方が、自分の目の前に来られました。
この方は豆まきをされず、こう叫ばれておりました。
「子供、おるか? 小さい子、おるか?」
どうやら取り合いになったために、
豆の入った袋が手に入らなかった参拝者たちに
その袋を配ろうとされているようです。


723-39.jpg
まぁこの日(2020年2月3日節分)は平日(月曜日)なので、
学齢期の子供はほとんどいらっしゃいません。
すぐに対象者に豆を配り終えると、
今度は高齢者に豆の入った袋を配られ始めました。
この方の配布が終わると、法住寺の豆まきが終わりました。


723-40.jpg
豆まきを一通り終えると、先斗町の舞妓さんが一礼されました。
これで、鬼たちと先斗町の舞妓さんはお役御免です。
ただ2020年は舞妓さんはすぐには帰られず、
この後の護摩焚き行事は参拝者として、
護摩壇脇にずっと立っておられました。

この後は節分会最後の行事の護摩焚きですが、
今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、ここまでとします。

~次回は、法住寺の護摩焚きを取材します~

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第724回 最後は護摩焚き~法住寺の節分会2020~その6

724-1.jpg
前回ブログで、法住寺節分会のメイン豆まきが終わりました。
その直後、護摩壇の周囲に
修験者の皆さんが所定の位置に就かれました。
そして、その修験者の代表と思しき方が、正面に座られます。
今回は、法住寺節分会の最後の行事護摩焚きを取材します。
撮影日は、2020年3月3日節分の月曜日午後2時半。
今回は、40枚以上の写真を貼り付けます。


724-2.jpg
その代表者の右(西)脇に、ご住職が座られます。
その後、修験者が本格的に護摩焚きの手順が始まります。


724-3.jpg
周囲の修験者の方々が、九字を切られました。
また、こちらの法螺貝で護摩焚き法要が始まります。


724-4.jpg
すると、修験者のうち2名が祭壇の前に立たれました。
そして、その祭壇に一礼されます。


724-5.jpg
その2名が、こちらに来られました。
そして、修験者の代表者とご住職に一礼されました。
2名の方々は、それぞれ弓と矢筒を持たれています。


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そのうち弓を持たれていた修験者が、文言を唱えられます。
古文ではありますが、日本語を唱えられていました。
ですから経文ではなく、祝詞の類でしょうね。


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その様子を、先斗町の舞妓さんがご覧になっています。
2018年は護摩焚きまで残られなかったはずですが、
2020年は護摩焚きの最後までいらっしゃいました。


724-8.jpg
そして弓を持たれた修験者が、東に青緑の鏃の矢を射ます。
こちらの色は、東を守護する四神獣青龍を表します。


724-9.jpg
次は護摩壇に向かって、朱い鏃の矢を放たれます。
こちらの色も、南を守護する四神獣朱雀を表します。
こちらの弓を強く射ると、もちろん大惨事が起こります。
そのため弦は相当緩く、矢もふわりと浮かんですぐに落ちます。
それを参拝者が、取り合ってもらい受けます。


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さらに西に向かって、白い鏃の矢を飛ばされます。
こちらの色も、西を守護する四神獣白虎を表します。


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そして自分たちがいる北に向かって、紫紺の家を打たれます。
紫紺は黒の代用で、北を守護する四神獣玄武を表します。


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その後、黄色い矢を祭壇に向けられています。
黄色は、四神獣に対して中央を表しています。
2018年に修験者のお一人が、こうおっしゃっていました。
「黄色は、ご本尊の不動明王を表しています」


724-13.jpg
最後に北西(鬼門?)へ、四神獣すべての色の矢を飛ばされます。
これで、全ての矢を放たれました。


724-14.jpg
続いてまた別の修験者が2名出て来られて、
火の点いていない松明を交差させています。
すると、ご住職が立ち上がられました。


724-15.jpg
そして、ご住職が祝詞を唱えられました。
その後のご住職はこちらを発たれて、護摩壇の隅に移動されます。


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世話役のお一人が、祭壇から護摩壇前へ蝋燭を持ってこられました。
こちらを使って、修験者2名の松明に火を点けられます。


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修験者2名が、火の点いた松明を護摩壇前に持ってこられます。
いよいよ護摩壇に、火がくべられます。


724-18.jpg
次に、修験者2名が松明を護摩壇に突き刺されます。
こうして、護摩壇が点火されました。


724-19.jpg
ようやく護摩壇に火が点き、護摩焚きが本格的に始まります。
すると、その2名の修験者が護摩壇に水をかけられます。
そうやって、護摩壇の火(煙)を管理します。


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すると代表の修験者が、お経を唱えだされました。
文言から、般若心経でしょうか?


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その直後、護摩壇の煙が急に倍増しました。
辺りが、煙一色となりました。
とは言え、これは異常事態ではありません。
護摩焚きはいったん煙が充満して、
その後水撒きによって落ち着いてきます。


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例年通り、数分で護摩壇の火が落ち着いてきました。
すると代表の修験者が左手に護摩木を右手に小刀を持ち、
般若心経とは別のものを唱えだされました。


724-23.jpg
この小刀は、模造刀ではありません。
自分は真後ろにいるので小刀を振り回されると正直怖いのですが、
その辺はこちらの方が後ろを見ながら振り回されておられるので、
それ程危険はありませんでした。
代表の修験者は、手順通り護摩木の封を小刀で切られています。


724-24.jpg
封を切られてばらけた護摩木を
代表の修験者が、護摩壇の火の中へ放り込まれます。
護摩木には、参拝者の願いが書かれています。
この一連の動作が、厳密な意味での「護摩焚き」です。


724-25.jpg
その間、他の修験者の皆さんはこちらに詰めておられます。
厳密には楽器の一種である独鈷鈴を振りながら、
時折おりんも楽器として鳴らされています。
六根清浄と唱えながら時折般若心経も織り交ぜておられます。


724-26.jpg
こちらの修験者2名が、ずっと水を護摩壇にかけておられます。
そのことで段々煙が落ち着いてはきたのですが、
その代わり煙に煤が混じりだしました。


724-27.jpg
こちらは、先程矢を射られた修験者です。
護摩焚きの進行を管理されているようです。
こちらの法衣や髪にも、煤が付き始めています。
よく見ると机の上にも煤が溜まりだし、
お経や段取り表が煤まみれですね。


724-28.jpg
煤まみれの煙越しにおられる先斗町の舞妓さんです。
平然としておられますが、そちらの方には煙はやって来ません。
代わりに、自分は結構な煤まみれになりました……


724-29.jpg
一通り護摩木を掘り込まれると、
代表の修験者はこちらの棒状の法具を持たれて、
目の前の石を叩かれています。
こちらも、祈祷の過程のようです。


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そして、その工程の後は九字祈祷を唱えられます。
ここまでが、代表の修験者が祈祷される護摩焚きでの所作です。


724-31.jpg
そして、また護摩木を護摩壇に放り込まれます。
この所作から、九字祈祷までを何度も繰り返されていました。


724-32.jpg
護摩焚きも半ばが過ぎ、いったん護摩壇への水かけが中断されます。
そして護摩壇に水を掛けておられた修験者が、
周囲に置かれていた残りの護摩木を一気に護摩壇にくべられます。


724-33.jpg
右(西)側に続いて、左(東)側の護摩木も次々放り込まれます。
すると、護摩木がみるみる減っていきます。


724-34.jpg
護摩木が、護摩壇に次々放り込まれています。
慌てて放り込まれるので、修験者の一人の裾に
火が燃え移っていましたが、落ち着いて消火されていました。
(特に火傷など、されていない様子でした)


724-35.jpg
左(東)側の護摩木が全て護摩壇に放り込まれましたので、
そちらにいらした修験者も右(西)側に回り込んでこられました。
すると、こちらの護摩木もすぐになくなりました。


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すると、今度は本堂脇の紙袋に手を付けられます。
こちらには、昨年使われて2020年にこちらに納められた
破魔矢やお守りが入っています。


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そして、その紙袋を護摩壇に放り込まれます。
これで火にくべるべきものは、全て放り込まれています。


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そして、修験者の一人がマイク片手に一言おっしゃいました。
「これで、護摩焚きは終了です。2020年の節分会は以上です」


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すると長い間座っておられた代表の修験者が、立ち上がられました。
これで、2020年の法住寺の護摩焚きが終了しました。


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その後、他の修験者が一斉に立ち上がられてました。
ここから、こちらの後片付けが始まります。


724-41.jpg
すると代表の修験者さんが、自分にこちらを手渡されました。
護摩壇に付けられていた、黄色い護符です。
「普通は燃えるのだけれど、残るのは珍しい」
そうおっしゃっていました。
ちなみに、こちらは現在自分の財布に入っています。


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その直後に、護摩壇周囲の結界が取り払われました。
さらに、机と椅子が撤去されます。


724-43.jpg
そうこうしているうちに、
消防署員の方々が護摩壇周囲に入って来られました。
この段階ではまだ護摩壇は燃え盛っていますが、
この直後に消防署員の手で消火されました。


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同じ位置で、北を向きました。
甘酒お汁粉を提供されていた竈も、徐々に片付けられています。
ただ2020年法住寺節分会の行事は、まだ残っています。


724-45.jpg
法壽寺境内の北側に、寺務所があります。
そちらで、天狗が笹の幹を持たれています。


724-46.jpg
天狗が、参拝者の朱塗りの盃に日本酒を注いでいます。
こちらは、健康長寿祈願の酒です。


724-47.jpg
自分も、そのお酒を頂きました。
自分は半年前に脳卒中を患いそもそもこの後出勤ですが、
まぁこの分量なら大丈夫でしょう。


724-48.jpg
では、こちらから法住寺を出ます。
この後は目の前の通りである三十三間堂廻りを約50m南下し、
三十三間堂南大門を抜けて塩小路に達し、
そこから延々西へ約20分歩いて京都駅から出勤しました。
(この日は夜勤で、午後5時半に勤務先に着く予定です)

これで、2020年の法住寺節分会を終了します。

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第806回 コロナ禍での法住寺節分会 その1

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「節分」は、元々旧暦の大晦日に当たります。
中国などの国では太陽暦の大晦日以上に祝賀ムードになりますが、
日本でも祝賀ムードになる地域もあって、
特に京都では様々な神社仏閣が節分会を開催します。

ところがコロナウィルスの変異種のオミクロン株が蔓延する中、
2021年同様、2022年も各神社仏閣が節分会を中止したり、
神官や僧侶のみで行う「居祭」にしたりしたところが大半です。
そういう状況の中ウチの近所の法住寺の様子を見に行ったのですが、
かなり規模を縮小して節分会を開催されていました。
その様子を短期連載します。


806-1.jpg
京都駅から206系や208系など
七条通を東に進む市バスに乗って、約12分。
こちらは、「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回は、三十三間堂の東隣の法住寺に向かいます。
撮影日は、2022年2月3日節分の木曜日午後1時。
観光客は皆無でしたが、地元民が30人ほど来ていました。


806-2.jpg
カメラの用意をもたもたしていたら、自分が乗っていた206系市バスが
「東山七条」交差点を左折してしまいました。
現在「博物館・三十三間堂」バス停から、七条通を東に向いています。
約300m先の智積院勅使門前で、七条通は突き当たります。
ここから、目の前の横断歩道に進みます。


806-3.jpg
その横断歩道を渡らずに、七条通から北を向いています。
こちらから、京都国立博物館に入れます。


806-4.jpg
京都国立博物館に背を向け、七条通から南に向きました。
七条通から南に、2車線の道路が伸びています。
こちらの道を「三十三間堂廻り」と呼びます。
豊臣秀吉はこの辺一帯を
「大仏殿」を中心にした一大宗教施設にしましたが、
「三十三間堂廻り」は、当時から残っている道です。


806-5.jpg
七条通から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
右(西)側の塀の向こうが、その三十三間堂です。


806-6.jpg
七条通から「三十三間堂廻り」を約50m南下して、西を向きました。
三十三間堂には、こちらから入れます。
まぁ、ウチにいちばん近い国宝です。
三十三間堂は現在天台宗蓮華法院と呼ばれて妙法院の一部ですが、
元々鴨川以東の五条通~塩小路間は
今回ブログのメインの天台宗法住寺でした。
つまり、この三十三間堂は元々法住寺境内のお堂でした。
三十三間堂の庭園を「法住寺殿址」と呼ぶのは、
三十三間堂が法住寺の一部だった名残です。
(三十三間堂の様子は、第720回ブログ参照)


806-7.jpg
三十三間堂の門前から、「三十三間堂廻り」を南に向いています。
目の前に、この辺りに数少ない公衆トイレがありますね。
ずっと先に、「三十三間堂廻り」最南端の
三十三間堂南大門が見えます。
その門をくぐると、塩小路に突き当たります。
こちらは、元々豊臣秀吉が建立した大仏殿の南大門でした。
ちなみに南大門近くの土塀は安土桃山時代のものなので、
「太閤塀」と呼ばれて重要文化財に指定されています。


806-8.jpg
七条通から、「三十三間堂廻り」をずっと南下しています。
この道を境に右(西)側は三十三間堂ですが、
左(東)側にも様々な寺院が建っています。


806-9.jpg
七条通から、「三十三間堂廻り」を約180m南下しました。
「三十三間堂廻り」より東側が、浄土真宗遣迎院派養源院です。
「浄土真宗遣迎院派」は天台宗からの分派で、
実は浄土真宗とはあまり関係がありません。
浅井長政の菩提を弔うためにお江の方が建立した寺院ですが、
淀殿の遺志を引き継ぐ形で江戸時代に入ってから完成しました。
俵屋宗達の絵画を日本一収蔵している寺院ですが、
伏見城の切腹現場の床をそのまま天井にした「血天井」でも有名です。
ただコロナウィルス蔓延防止特別措置発令により、
コロナウィルス蔓延が治まるまで拝観停止です。
(2022年1月から拝観停止です)


806-10.jpg
浄土真宗遣迎院派養源院の南側に、東に伸びる通路があります。
こちらを進むと、後白河天皇陵がいらっしゃいます。
今回ブログのメインの法住寺は平安時代末期に「法住寺殿」と呼ばれ、
後白河上皇が居住する「外御所」でした。
ですから、後白河上皇はこの法住寺で院政を行っていました。
その後法住寺は明治時代の「神仏分離令」まで、
法住寺は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能していました。


806-11.jpg
後白河天皇陵へ通じる通路の間に隣に、
今回ブログのメイン天台宗法住寺が建っています。
「三十三間堂廻り」最南端の寺院なので、ここからでも
三十三間堂南大門より南の塩小路の様子が見えます。
バス停からゆっくり歩いていると、修験者装束の方々が
法住寺の南側の唐門から出て来られました。
サイトに中止と書いてありませんでしたので半信半疑でしたが、
予定とだいぶ異なるタイミングで節分会の行事が行われていました。
ここから慌てて、この行列の後を追います。


806-12.jpg
修験者の行列から、法螺貝の音が大きく鳴り響きます。
その修験者たちやご住職の後から、
天狗と鬼の姿をした方々が北上されています。


806-13.jpg
その行列は法住寺の北側の門から、境内に入られました。
自分も、このままこの門をくぐります。

天台宗法住寺は、平安時代中期の988年藤原為光が建立しました。
この寺院の全盛は、平安時代末期1180年ごろです。
後白河上皇はこの地を気に入り、ここを「外御所」としました。
つまり、この寺院に後白河上皇が居住して政治を行いました。
ただ法住寺合戦の後は徐々に衰退して、
境内のお堂であった三十三間堂も同じ場所にありながら、
年代ごとに所属寺院を変えることになりました。
鎌倉時代以降は後白河天皇陵を守る「宮寺」として機能しましたが、
明治時代以降の「神仏分離令」によって
後白河天皇陵とこの寺院も塀によって分離されてしまいました。


806-14.jpg
先程の門から、法住寺境内に入ってきました。
鬼装束の方々が、境内最南端の本堂に入っていかれます。
ここから暫く本堂での祈祷ですから、参拝者はその場で待機です。
右(西)側を見ると、甘酒の屋台が並んでいます。
釜の数から、餅搗き後のお汁粉は中止されていると分かります。


806-15.jpg
その甘酒を提供する屋台を大写しにしました。
毎年湯呑みで甘酒を提供されているのですが、
コロナ禍の2022年は紙コップで提供されていました。
また、その紙コップを触る前に屋台におられる方々が
アルコールジェルで手指消毒されていました。
ただ法住寺節分会の行事が継続中でしたので、
今年(2022年)は甘酒を戴きませんでした。


806-16.jpg
甘酒の屋台の前を南下して、護摩壇の北側で立ち止まりました。
護摩壇の南側に法住寺本堂があって、
中でご住職と修験者が祈祷されています。
本堂の外には、鬼装束の方々が待機されていました。
周囲を見ると、参拝者は約30人ですね。
全盛期の2020年はもちろんのこと、2015年の半分以下ですね。
「餅つき」やお汁粉を振る舞うなどの行事が中止されているため、
前倒しで例年よりも進行が早くなっていました。


806-17.jpg
お汁粉用のお餅を丸めるのに、
例年花街から舞妓さんを呼ばれています。
今年(2022年)はその作業は無いようでしたが、
一応花街の舞妓さんを呼ばれてはいたようです。
確かサイトでは島原の太夫さんを呼ばれると書かれていましたが、
どう見てもこちらは、舞妓さんです。
祇園か先斗町か、宮川町上七軒かまでは分かりませんが……


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修験者とご住職の祈祷が、終わりました。
すると法螺貝を鳴らしながら、修験者が境内に出て来られました。


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修験者たちは護摩壇や自分たち参拝者の脇を通り過ぎ、
甘酒の屋台前に移動されます。
その後ろから錫杖を持たれた天狗装束の方が付いて行かれます。


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天狗装束の方の後からは、赤鬼装束の方が付いてこられます。
赤鬼は、宝剣と松明を両腕に持たれていました。
赤鬼の後から、青鬼が付いてこられます。
青鬼は黒い斧を両手で持たれています。


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青鬼装束の方の後には、修験者と黒鬼が付いてこられます。
黒鬼装束の方は、黒い小槌を持たれています。


806-22.jpg
黒鬼の後、最後列はご住職がいらっしゃいました。
ご住職も、参拝者の北側に回り込まれて、
そこから境内西側へ移動されます。


806-23.jpg
この行列は、境内北側から護摩壇の西側に回り込まれました。
そして、その護摩壇西側から
護摩壇の前に修験者たちが入って来られます。


806-24.jpg
修験者たちとご住職が全員護摩壇前に入って来られると、
護摩壇南側で法螺貝、銅鑼、独鈷の鈴で演奏を始められました。
すると、天狗装束の方が錫杖を振りながら護摩壇前に現れます。


806-25.jpg
天狗装束の方が、楽曲に合わせて錫杖を振い舞い踊られます。
そして、そのまま時計回りに護摩壇の周囲を移動されます。


806-26.jpg
天狗装束の方が、本堂前に移動されました。
そして、本堂や参拝者に対して錫杖を振り回されます。
たぶん、この辺りの厄を払っておられるのでしょう。


806-27.jpg
天狗装束の方が護摩壇を1周されて、2周目に入られます。
すると、赤鬼装束の方が持たれていた松明に、火が灯されました。


806-28.jpg
左手に松明、右手に宝剣を持たれた赤鬼は、
銅鑼や鈴のリズムに合わせて、足踏みをされます。
続いて、赤鬼も舞い踊られます。


806-29.jpg
松明と宝剣を掲げて、赤鬼がリズムに合わせて
足を踏みしめてゆっくり歩かれています。
こちらも、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。


806-30.jpg
赤鬼に続いて、青鬼の登場です。
青鬼は、両手で斧を振り翳されています。


806-31.jpg
銅鑼や鈴のリズムに合わせて、青鬼は斧を振り下ろされます。
こちらも演奏に合わせて、舞い踊られながら時計回りをされます。


806-32.jpg
そして、最後は黒鬼の登場です。
黒鬼は、右手に小槌を持たれています。


806-33.jpg
黒鬼も銅鑼や鈴に合わせて、小槌を振われます。
……のですが、他の方よりも振りが小さいですね。
「小槌」という性質からでしょうか?


806-34.jpg
天狗と鬼たちが、護摩壇の周囲を時計回りに周回されます。
ただ黒鬼が登場した直後に、天狗が周回を終えました。


806-35.jpg
周回を終えた天狗装束の方が、護摩壇から去られます。
この方は、今年(2022年)はここでお役御免です。


806-36.jpg
ただ鬼の皆さんは、この位置で引き止められました。
実は次回ブログまで、鬼の皆さんは登場します。


806-37.jpg
すると修験者の皆さんとご住職が、本堂前に集結されました。
代わりに、鬼の皆さんが護摩壇の北側に集結されます。


806-38.jpg
本堂前で、ご住職が桝を片手にMCをされています。
ご住職は、今後の予定を話されていました。
どうも参拝者に向けの豆まきが今年(2022年)は中止で、
境内に関係者が捲く豆まきだけを行われるそうです。
その後護摩壇で加持祈祷を行って、節分会が終了だそうです。
例年より、行事が半分になっていました。
そのため、かなりハイペースで行事が進んでいます。
ただ、だいぶ写真を貼り付けたので
今回はここまでです。

~次回は法住寺節分会の豆まきを取材します~

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第807回 コロナ禍での法住寺節分会 その2

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806-38.jpg
国宝の三十三間堂の東向かい天台宗法住寺境内にいます。
前回ブログで鬼装束の方々が奉納舞を行い、
その直後にご住職がこの後の予定を説明されています。
今回は、豆まきとその後取り仕切られた破魔矢の斉射を取材します。
撮影日は、2022年2月4日節分の木曜日午後1時半。
今年(2022年)は、かなり進行が早いです。


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今年(2022年)はコロナ禍の「第6波」の最中、
参拝者への豆まきが中止されています。
ご住職、修験者、舞妓さんが豆まきの準備を終えると、
護摩壇より北側にいらした鬼装束の方々が本堂前に向かわれます。


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「鬼は外」
ご住職の一言を合図に、本堂前に集結された皆さんが
鬼装束の方々に豆を投げつけられます。


807-3.jpg
豆を投げつけられた鬼装束の方々は、護摩壇前から退散されます。
これで鬼装束の方々も、今年(2022年)の出番が終わりました。


807-4.jpg
豆まきが終わって、舞妓さんが護摩壇前を退出されました。
そして、ご住職と修験者の皆さんが護摩炊きの定位置に就かれました。
ここから、護摩焚き前の厄払いが始まります。


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右側の修験者さんが、護摩壇の前にマイクを設置されました。
こちらの方が、護摩焚き中のMCをされます。
ご住職は、他の重要な役目を果たされます。


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先ずは、修験者の皆さんで九字祈祷を始められます。
しかも略式ではなく、正式な作法によるものです。


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その間、本堂脇の窓から舞妓さんが護摩壇を覗かれています。
ここ数年、舞妓さんたちは最後までいらっしゃいます。


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修験者のうち2名が、弓と破魔矢を手に祭壇前にいらっしゃいました。
そこで、本堂前の祭壇に向かってお参りです。


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そして、弓を持たれた修験者を先頭に時計回りに護摩壇を回られます。
ここから、破魔矢による厄払いが始まります。


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……と思いきや、先に護摩壇前でお祈りです。
般若心経などのお経ではなく、祝詞のように日本語で唱えられます。


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お祈りを終えた修験者さんが、再び弓を握られます。
東に向かって、緑(青)色の矢をつがえられます。
緑(青)は、東の守護獣青龍を表します。
修験者さんは、この矢を遠くに向かって斉射されました。
(近くに斉射されたら、参拝者に当たって大惨事です)


807-12.jpg
続いて、本堂(南)に向かって朱い矢をつがえます。
朱は、南の守護獣朱雀を表します。
修験者さんは、こちらを高く天に斉射されました。


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さらに、参拝者の多い西に向かって白い矢をつがえられます。
白は、西の守護獣白虎を表します。
こちらは弓を緩く絞って、斉射されました。
すると白い矢は勢いなく真上に上がって、すぐに落下しました。
落ちた破魔矢は、早い者勝ちで参拝者のものになります。


807-14.jpg
さらにさらに、こちら側(北側)に向かって黒い矢をつがえられます。
黒(玄)は、北の守護獣玄武を表します。
こちらも弓を緩く絞られて、斉射されました。
こちらの黒い矢も、自分の周囲で取り合いが始まりました。
ただ自分はカメラ片手なので、争いには不参加でした。


807-15.jpg
そして、護摩壇(中央)に向かって、黄色い矢をつがえられます。
2018年に修験者さんに教えて戴いたのですが、
黄色は、不動明王さらには護摩壇自体を表しているそうです。
この直後に修験者さんは弓を下に構えられて、
護摩壇そのものに黄色い矢を斉射されました。


807-16.jpg
最後に、全ての色が混じった矢を北東に向かってつがえられます。
北東は、鬼門にあたります。
要するに、これで完全な厄払いが済みました。


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全ての矢を射終えた修験者さんは、ご住職に黙礼されました。
すると、ご住職も一礼を返されました。


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弓と矢を持たれていらした修験者さんが、
火の付いていない松明を持ってこられました。
このまま引火されれば、マイクも燃えてしまいますが……


807-19.jpg
さすがに松明をこちらに持ってこられただけで、
松明に火は灯りません。
護摩焚き直前の行事も、もうこれで最終です。


807-20.jpg
この状態でご住職が立ち上がり、お祈りを始められました。
ご住職もお経ではなく、祝詞のように日本語で唱えられます。
法住寺の寺史や不動明王の教え、
今日(2022年2月4日)の日付と護摩焚き成功への祈願などですね。


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ご住職のお祈りが終わると、修験者さんが松明片手に
ランタンの方に向かっていかれました。
さらに、松明に半紙を取り付けておられます。
これは松明が燃えやすくなるように、されたことです。
つまり、護摩焚き点火の下準備が整われたようです。
ここから本格的に護摩焚きが始まりますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は護摩焚きを取材して、法住寺節分会が終了します~

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第808回 コロナ禍での法住寺節分会 その3

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807-21.jpg
国宝三十三間堂の東隣りの天台宗法住寺の節分会を連載しています。
前回ブログで護摩壇への厄払いが終わり、
いよいよ松明にランタンから点火されようとされています。
今回はここから護摩焚き祈祷を取材して、帰宅します。
撮影日は、2022年2月3日木曜日午後2時半。
久しぶりに、貼り付ける写真が40枚を越えました。


808-2.jpg
松明に点火されようとされていた修験者さんが、
半紙に火を点けてその半紙を床に放り投げられました。
その火が消える前に、松明に取り付けた半紙に引火されました。


808-3.jpg
松明に取り付けた半紙が燃え上がり、そのまま松明に引火しています。
松明への引火を確認され、修験者さんはその松明を掲げられました。


808-4.jpg
松明を掲げられた修験者さんが、護摩壇の前に移動されました。
そしてご住職や他の修験者さんの前で、
2本の火の点いた松明を交差されます。


808-5.jpg
さらに松明の交差を解かれると、
護摩壇に松明を槍のように突き刺されました。
写真では見えませんが、護摩壇の右側にも松明が刺さっています。


808-6.jpg
護摩壇に松明が突き刺さって暫くすると、
護摩壇から白い煙が上り始めました。
どうやら、護摩壇への着火に成功されたようです。


808-7.jpg
この白い煙は、松葉が燃えていることを示しています。
護摩壇は材木で組まれていますが、
その中には松葉がびっしり敷き詰めてあります。
松葉が次第に燃え上がると、
濛々と白い煙が立ち込めてきました。
すると、ご住職が護摩壇前から立ち去られました。
ご住職は、この後の仕事に備えられます。


808-8.jpg
そして、その白い煙で急に視界がなくなりました。
ただ、これはいつものことです。
祇園祭の役行者山のときも壬生寺の護摩焚きもこんな感じでした。


808-9.jpg
とは言え、他の修験者さんも煙まみれです。
よく見ると、髪の毛に煤が付き出しています。
そんな中でも、この状態でお祈りを始められています。
鈴の付いた独鈷を楽器のように用いて、お鈴も鳴らして
「六根清浄 疫病退散 交通安全 家内安全」
と繰り返しておられました。


808-10.jpg
さらに白い煙が、視界を遮ります。
修験者さんの一人が護摩壇に向かって祈祷されておられるのですが、
もう何が何やら全然わかりません。


808-11.jpg
そこで先程松明を持たれていた修験者さんが、
柄杓に入った水を護摩壇に撒かれます。
すると護摩壇の白い煙が治まって、こんな状態になります。
これで落ち着いて祈祷を続けられますが、
ここまでの流れも例年通りです。


808-12.jpg
煙が落ち着いてくると、護摩焚き祈祷も本格化します。
左の修験者さんが、中央の修験者さんに
護摩木を差し出しておられます。


808-13.jpg
中央の修験者さんが護摩木の封を小刀で切られると、
直後に護摩木を護摩壇に投じられました。


808-14.jpg
そして、それが終わると修験者さんが
また新たな護摩木を護摩壇に投じられていきます。
この護摩木には、予め参拝者がお祈りの言葉を書かれています。


808-15.jpg
すると他の修験者さんが独鈷やお鈴を手放して、
全員で九字祈祷を唱えられました。
中央の修験者さんは、まだ火に投じていない護摩木を
大きな枝で打ち付けておられます。


808-16.jpg
そして中央の修験者さんは、護摩壇にもその枝を打ち付けられます。
祈祷はこのように続けられているのですが、
例年よりも煙が黒いようにも思います。
あとで分かったのですが、護摩壇には
松葉以外にも小枝なども入っていました。


808-17.jpg
ここで修験者さんのうちの2人が、法螺貝を吹かれました。
ここから修験者さんたちは九字祈祷を止められて、
般若心経を唱え出されました。


808-18.jpg
すると中央の修験者さんは長い数珠を取り出されました。
そして、他の修験者さんと一緒に般若心経を唱え出されました。


808-19.jpg
とは言え、般若心経はいちばん短いお経です。
すぐに唱え終わられると、また独鈷とお鈴を持ち出されました。
そして、また楽器のようにリズムを取って
「六根清浄 疫病退散 交通安全 家内安全」
とお祈りの言葉を唱え出されました。


808-20.jpg
ここで暫くは、同じ状態が続きます。
例年なら人混みで移動は無理なのですが、
2022年は参拝者が少ないので、西側に回り込んでみました。
角度を変えると、こんな感じで祈祷されています。


808-21.jpg
その後、他の修験者さんの後ろにも回り込んでみました。
修験者さんが祈りながら、楽器のように法具を扱われています。
左右の修験者さんが、鈴の付いた独鈷を上下に振られています。
すると、独鈷の先の鈴がお祈りのリズムに合わせて
高らかな音色を出します。
中央の修験者さんは、お鈴をリズムに合わせて鳴らされていました。


808-22.jpg
その直後に独鈷を振られていた修験者さんのお一人が、
席を立たれて護摩木が積まれていたところに移動されました。


808-23.jpg
さらに数人の修験者さんが護摩壇前に集結されると、
護摩壇の周囲に積まれた護摩木を次々護摩壇に投じられました。
先程の修験者さんは1本1本祈祷しながら投じられておられましたが、
こちらは大量の護摩木を一気に投じられています。
……そうしないと、全ての護摩木を投じるのに
あまりにも時間がかかります。


808-24.jpg
そのうち、修験者さんのお一人が法螺貝を吹かれました。
すると修験者さんのお祈りが終了して、
修験者さん全員で護摩木を護摩壇に投じられます。


808-25.jpg
護摩木を投じられる修験者さんの人数が増えたので、
護摩壇の周囲に積まれていた護摩木がどんどんなくなっていきます。
その間、中央の修験者さんは休憩ですね。


808-26.jpg
そして、護摩壇周囲の護摩木は全て護摩壇に投じられました。
ただ、まだまだ護摩焚きは続きます。


808-27.jpg
護摩木を護摩壇に投じられた修験者さんたちが、
また元の席に就かれました。
そして、再び独鈷とお鈴で演奏されながらのお祈りが始まります。


808-28.jpg
するとMCを兼ねておられる修験者さんが、本殿脇に移動されます。
向かわれた先は一見するとゴミの山ですが、
旧年中にここで発行されたお守りやお札、破魔矢が入っています。


808-29.jpg
その直後に、修験者さんがそこで九字祈祷を始められました。
指を立てた右腕を振り回されておられるので、
略式だと分かりますね。


808-30.jpg
九字祈祷が終わると、修験者さんがこちらを持ち運ばれました。
そして、そのまま護摩壇に向かわれます。


808-31.jpg
さらに、その修験者さんは護摩壇の前に来られました。
そして、持たれていた紙かばんを護摩壇に投じられていきます。
先述の通り、紙かばんの中には旧年中のお守りお札、破魔矢などです。
この節分会は、収めたものを護摩壇で浄化する側面もあります。


808-32.jpg
その直後に、修験者さんのうちの2人が法螺貝を吹かれました。
その合図でお守りやお札などを護摩壇に投じられていた修験者さんが、
他の修験者さんがいらっしゃる場所に移動されてきました。


808-33.jpg
護摩壇前から戻って来られた修験者さんが、マイクを持たれました。
「以上を持ちまして、法住寺の節分会の護摩焚きは終了します」
そうおっしゃると、マイクを机の上に置かれました。


808-34.jpg
すると、今まで護摩壇の火加減を調節するため水を掛けられていた
修験者さんが一礼されました。
これで、2022年度の法住寺節分会はほぼ終了です。


808-35.jpg
その直後に修験者さんは、全員席を立たれました。
そして、護摩壇前に集結されました。
ここから、護摩焚きの後片付けが始まります。
先ずは、護摩壇を取り囲む結界を外されていますが……


808-36.jpg
さて、こちらは黒に見立てた濃紺の護符です。
黒(玄)は、北の守護神玄武を表しています。
後片付け中に使われなかった松葉やこのような護符など、
この後廃棄される呪術道具は
参拝者が持って帰ってもいいことになっています。
厄払いに財布に入れたり、かばんに収めたり、
燃え残った護摩壇に投げ込んだり、いろいろ用途があります。
自分もこの護符を持って帰ろうとしたのですが……
自分の脇にいらしたお年を召したご婦人が
修験者さんに、こうおっしゃいました。
「護符を持ち帰りたいのですが、残っていませんか?」
修験者さんたちが辺りを見回されたのですが、
もう護符は残っていません。
こういうものは、早い者勝ちが公然のルールです。
修験者さんたちが頭を下げて、
「もう残っていません。残念ですが……」
そう返事されました。
そうなると、一瞬の差で護符を手に入れた
自分にプレッシャーが掛かります。
まぁ毎年護符を持って帰っている自分は、今年は諦めます。
「こちらを差し上げます」
そう言って、こちらをこの直後に差し出しました。


808-37.jpg
修験者さんたちが後片付けをされている中、
ご住職と舞妓さんが本堂前に戻って来られました。
そして、MCがご住職に戻ります。
ご住職は、この後の動きを説明されました。
この時点で、法住寺の節分会はほぼ終了しています。
ただ2022年は、法住寺側がお汁粉や豆を振る舞っておられません。
2022年2月上旬はコロナ禍の「第6波」のただ中でしたから、
これは当然の処置なのですが、
袋に詰めた丸餅と煎り豆が人数分用意されているそうです。
帰る前に、こちらを戴けるとのことでした。


808-38.jpg
その直後に境内南側の唐門から、こちらの方々が姿を現されました。
制服から消防署員ではなく、この地区の消防団員と分かります。


808-39.jpg
消防団員の方々は法住寺境内に入って来られて、
そのまま護摩壇を解体されました。
護摩壇を解体された後、組木と燃えている部分を分けておられます。
ここから、護摩壇の消火に入られるのでしょうね。


808-40.jpg
護摩壇の前から、法住寺境内を北に向いています。
この先に、舞妓さんや修験者さんたちが向かわれています。
そちらに、たくさんの参拝者が集結されていますね。

なお今回ブログは、久しぶりに写真を40枚以上掲載します。


808-41.jpg
法住寺境内の北側に、参拝者の皆さんが並んでおられます。
先述の袋入りお餅と煎り豆を求められる方々の行列ですね。


808-42.jpg
法住寺正門前に法住寺の方丈があって、
そちらの前にテーブルを置かれて、お餅と煎り豆が載っています。
さらにご住職以外に、舞妓さん天狗装束の方が一緒におられます。
そして、舞妓さんが袋詰めの丸餅と煎り豆を参拝者に手渡されます。


808-43.jpg
そのテーブルを大写ししました。
丸餅と煎り豆以外に、鏡餅やお酒、醤油もありますね。
実は袋の中に福引も入っていて、
(全員分ではありません。入っていない方もあります)
そちらで鏡餅やお酒、醤油などが景品として当たります。


808-44.jpg
袋詰めの丸餅と煎り豆を受け取った参拝者が、次々帰られます。
という訳で、自分も正門から法住寺を出ます。


808-45.jpg
天台宗法住寺の前で、三十三間堂廻りを北に向いています。
では、この三十三間堂廻りを北上します。


808-46.jpg
法住寺の前から、三十三間堂廻りを約200m北上しました。
この左(西)側から三十三間堂に入れますが、
今回はこのまま三十三間堂廻りを北上して、七条通に出ます。


808-47.jpg
三十三間堂廻りから、七条通を西に向いています。
左(南)側の塀の先が三十三間堂で、右(北)側が京都国立博物館です。
ここからは、この七条通をそのまま西に進みます。


808-48.jpg
三十三間堂廻りから、七条通を約100m西に進みました。
こちらが、西向きの「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回は、こちらから206系市バスに乗って京都駅に向かいます。

~これで、「2022年の法住寺節分会取材」を終えます~

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
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本当に京都に来たような
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京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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