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第634回 元梛神社 節分祭~壬生節分散策2019~その1

2019年も節分の季節になりました。旧暦の大晦日ですね。
中国や韓国では旧暦の正月も祝いますが、
京都では節分の方を祝い、(割と昔の風習が残っています)
各神社仏閣でさまざまな行事を行います。
「京の道 今日の道」でも毎年節分になるとあちこち取材しますが、
2019年は上千本(千本釈迦堂千本ゑんま堂など)と共に
このブログでもよく行く「壬生」をまた散策します。


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京都駅前北側市バスターミナルから26系市バスに乗り、
烏丸通を北上した後四条通を西に進み、
「壬生寺道」バス停で下りました。
元々このバス停は「四条坊城」交差点にありましたが、
今はそちらより西に約50mずれています。

こちらは、そのバス停辺りで四条通を西に向いています。
バス停前にたくさんの方々がいらして、
その前で京都市交通局の職員さんが整理されています。
ずっと向こうに(千本通付近に)、JR嵯峨野線の高架が見えます。
(第322回ブログを参照)
今回は、バス停近くの「元祇園 梛神社」に向かいます。
撮影日は、2019年2月3日日曜日午後1時10分。
曇り空から雨が降りそうでした。


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「壬生寺道」バス停前で、四条通を西に向きました。
バス停から約50m先で、四条通は坊城通と交差します。
この坊城通沿いが壬生で一番賑やかな場所で、
節分散策もこの坊城通がメインストリートです。
ただその坊城通を南下する前に、
先に手前(西側)の神社に参拝します。


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こちらが、その神社です。
石製鳥居の両脇に碑が2本立ってますが、
こちらに「元祇園 梛神社」「式台 隼神社」が合祀されています。


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四条通沿いに、こちらのチラシが貼り付けてありました。
この表題通り、こちらの元梛神社で毎年節分祭が行われています。
壬生の節分散策には、最初にこちらを訪れます。


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四条通から石製鳥居をくぐり、こちらの境内に入ってきました。
こちらは元梛神社の社務所なのですが、平日は閉まっています。
その社務所で、巫女さんが神楽を舞われていますね。
以前こちらでは聖護院から来られた修験者が祈祷されていました。
(修験者による祈祷は、第186回ブログ参照)


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その境内の北東端で、お焚き上げが行われています。
こちらで、旧年中各家庭で使用されたお札などが焼却されています。
火が点いていて暖かく、周囲で暖を摂られる方もいらっしゃいます。
ただ、煙や煤が顔に掛かるとそこそこ煙たいですね。


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境内の北西端に、「式台 隼神社」の本殿がいらっしゃいます。
節分期間中は多くの参拝者が来られるので、
賽銭箱が取り払われて、代わりに白い布が敷かれています。
その布の上に、お賽銭を納めます。

隼神社は式台社ですので、元は相当大きな神社でした。
延喜式に記載が見られ、日本三代実録という歴史書にも
隼神社の様子が記載されています。

ご祭神は建甕槌命(タケミカヅチノミコト)ですが、
経津主神(フツヌシノカミ)も祀られております。
「隼」は「ハヤクサ」とも読まれ、
瘡(くさ)という皮膚病平癒のご利益があるとされます。
ここから約350m北の「蛸薬師坊城」の辻付近に
元々はいらっしゃいましたが、
1918年にこちらに移されました。
ちなみに毎年11月17日の例祭では、
こちらからその「蛸薬師坊城」の辻間を
氏子衆が新撰組の扮装で往復されます。
(第323回ブログでの聞き取り内容です)


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隼神社の南隣に、「元祇園 梛神社」本殿がいらっしゃいます。
こちらも賽銭箱が取り払われ、白い布が敷かれています。

こちらは平安時代初期(869年)に京都で天然痘が流行した際、
兵庫県の神社から牛頭天王の魂を勧請したのがその興りです。
そして、その魂の分霊を今の祇園に遷し八坂神社を創建しました。
(祇園祭の発祥は、元梛神社説と
第58回ブログの八坂御供社説があります)
ですからこちらが元々の祇園(牛頭天王を祀る場所)ですので、
それが「元祇園社」という名称の謂れです。
八坂神社創建後、跡地には祠が立ちましたが
その一連の場所はこの位置ではなく
「京都市下京区万寿寺通烏丸西入ル御供石町」で、
こちらには1932年に移転してきました。
祠がこのように神社化されたのは、その後です。
そのような訳でこちらのご祭神は素戔嗚尊ですが、
中国に渡った際に牛頭天王と名乗ったと社伝に載っています。


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元梛神社本殿前から、境内を東に向いています。
社務所前(神楽の前)で、お守りやお札が売られていました。
では、その先の境内東側鳥居からこちらを出ます。


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こちらの境内を出ると、すぐに坊城通に出ます。
先程の石製鳥居をくぐり、坊城通を北に向いています。
約10m先で、坊城通は四条通と交差します。


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今度は、同じ位置から坊城通を南に向きました。
節分の際の坊城通は人通りが多いので、ずっと露店が立ちます。
そちらには、後で寄ります。


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坊城通の露店は、四条通から約30m南下するといったん途切れます。
それは、こちらに踏切があるからです。


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約1分待っていると、西から東へ京福電車(嵐電)の車両が来ました。
生八つ橋の一種「夕子」の広告のラップ電車ですね。


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京福電車(嵐電)の車両は2連結しかありませんが、線路は複線です。
ちょうど10分ごとに電車が出ていてとても便利なので、
見た目以上に利用者が多いのが特徴です。
こちらは東に約400m進み、終点の「四条大宮」駅に至ります。


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その踏切の上で、坊城通を南を向きました。
約10m先から、また露店が並びだしていますね。


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こちらは、先程の写真にも写っていました。
民家の前と家の中で、雑貨を販売されています。
散策されている多くの方々が、こちらで買われていかれました。
10日ゑびすでは小売店舗が露店を出した例もありましたが、
民家がこのような露店を出すのは珍しいですね。


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その民家より南は、また露店が立たないスペースが続きます。
左(東)側駐車場の南側が綾小路で、その辻に「幸福堂」があります。
きんつばの専門店ですが、夏季には水無月が売られます。
(きんつばは第188回ブログ、水無月は第321回ブログ参照)


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坊城通から、綾小路を東に向いています。
こちらの辻に、旧前川邸があります。
元々は豪農の前川氏の邸宅だったのですが、
江戸時代末期新撰組に接収されてしまいました。
こちらには、帰り道に立ち寄ります。


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今度は坊城通から、綾小路を西に向きました。
「幸福堂」の行列が、こちら側まで続いていますね。


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さらに綾小路から、坊城通を南に向きました。
左(東)側が旧前川邸で、右(西)側が鶴屋という和菓子屋さんです。
その鶴屋の駐車場の前にシートが張ってあり、
その前に七味唐辛子の露店が立っていますね。


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その南側に、虫籠窓の付いた町家が建っています。
こちらが、和菓子屋さんの鶴屋です。
この鶴屋を経営しておられるのが八木家の方々で、
その八木家邸宅に江戸時代末期新撰組がいました。
つまり、こちらが江戸時代末期の新撰組屯所跡です。
奥の京町家が京都市指定文化財で、
学芸員の解説付きでそちらを拝観することができます。
そちらにも、帰り道に立ち寄ります。


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和菓子屋さんの鶴屋の前で、坊城通を南に向いています。
左(東)側が後述の新徳禅寺で、右(西)側が壬生寺です。
この辺りから、また露店が濃密に並びだします。


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綾小路から、坊城通を約50m南下しました。
こちらで、新徳禅寺の門前に出ます。


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こちらが、正面から見た新徳禅寺です。
1863年に14代将軍徳川家茂上洛の際、浪士組を結成した清川八郎が
その家茂の護衛名目でこの新徳禅寺で寝泊まりしました。
その際清川八郎は倒幕を主張し、それに反発した
近藤勇や芹沢鴨らが浪士組を脱退し、後の新撰組を結成しました。
ですから、ある意味こちらが新撰組発祥の地です。


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その新徳禅寺の門前に、(先程写っていた唐揚げの露店の南隣)
タイ焼きの露店が出ていました。
お客さんが多くて、露店そのものの写真は撮れませんでした。
小豆餡以外にカスタードクリームなどの種類がありましたが、
自分はタイ焼きは小豆餡と決めています。
こちらは、尾までしっかり餡が入っていました。
では120円支払って、こちらを頂きます。


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新徳禅寺の門前で、坊城通を南に向きました。
この辺りが一番露店が立て込んでいて、参拝者が多いですね。
次は、左(東)側に見えるブルーシートの露店に向かいます。


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こちらが、そのブルーシートの露店です。
こちらでは素焼きの皿が売られていて、
その皿に購入者がいろいろ文字を書かれていました。


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こちらが、その素焼きの皿です。
正確には焙烙(ほうらく)と呼ばれる調理器具です。
壬生寺ではこの裏側に自分の願い事を記して、
その後叩き割ることでその願いが叶うとされています。


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そのブルーシートの露店の前で、坊城通を南に向いています。
左(東)側に京町家の武家屋敷跡が建っていますが、
こちらが京都清宗根付館です。
第319回ブログでこちらに訪れました。
また、こちらは元は武家の神先家邸宅で
最も保存状態が良い京町家の武家邸宅です。
ですから、こちらは京都市指定文化財に指定されています。


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さらにブルーシートの露店前で、坊城通を西に向きました。
こちらから、壬生寺に入れます。
ここから壬生寺に参拝しますが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、この壬生寺に参拝します~

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第635回 壬生寺に参拝~壬生節分散策2019~その2

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壬生寺東側の正門から壬生寺境内を見ています。
今回は、節分会の壬生寺を参拝します。
撮影日は、2019年2月3日日曜日午後1時45分。
この時点では、まだ雨は降っていません。


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壬生寺の門をくぐる前に……
こちらは、先程写っていたたこ焼きの露店です。
たこ焼き5個300円!
給料日前で、金欠気味の自分にはかなりの朗報です。
(京都市内の相場なら、5個500円です)
……という訳で、こちらに立ち寄ります。


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それで、こちらがそのたこ焼きです。
あまりに安いので、下手したら
蛸が入っていないかとも思ったのですが、
そんなことはありませんでした。
しかも「粉」はしっかり出汁で溶いていましたし、
キャベツも入っていましたし、
決して「手抜き料理」ではありませんでした。
これで、採算が取れるのでしょうか?
そんな心配もしてしまいました。


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たこ焼きは中がトロトロだったので、
口内に火傷しないためにゆっくり頂きました。
先程の写真から約10分経って、再び壬生寺門前です。
いよいよ壬生寺境内に入っていきます。


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壬生寺の門の北脇に、一夜天神堂がいらっしゃいます。
この辺りの壬生寺境内に末社や塔頭寺院が多いのですが、
この日(節分)には境内に露店が多く立つので、
夜泣き地蔵などには参拝に行けませんでした。
(普段の壬生寺は、第318回ブログ参照)


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その一夜天神堂の向かい(南)側に
壬生寺経営の老人ホームがありますが、
この日(節分)はその手前に屋台村ができていました。
沿道側には広島風お好み焼きと焼きそばの露店があり、
(京都人は、通常大阪風のお好み焼きを食べます)
その奥のベンチとテーブルで食事できます。


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一夜天神堂と屋台村の前で、壬生寺境内を西に向いています。
先程の門からこの参道をまっすぐ西に進むと、
律宗壬生寺の本堂の正面に突き当たります。
ですから、おそらく先程の門が壬生寺の正門でしょう。


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先程の位置から、壬生寺参道を西に約50m進みました。
この左(南)側に塔頭寺院の中院があり、
そちらから老人ホームに回れます、
また表札にある通り、こちらでも「厄除けほうらく」を買えます。


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その中院前で、なぜか恵方巻が売られていました。
自分は恵方巻を近所の寿司屋の出前で済ませましたが、
(前回ブログの追記参照)
こちらも結構売れていました。


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そして、こちらが中院です。(恵方巻販売所の裏です)
ご本尊の観音様が、開帳されていますね。


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中院の西側に、薬師如来がいらっしゃいます。
こちらは、京都十二薬師霊場の一体です。
京都には江戸時代ごろから京都市街地を巡り、
特定の仏様を参拝し続ける風習がありました。
「京の道 今日の道」では、このうち平等寺(因幡堂とも言います)
水薬師(第307回ブログの初めに出て来た保育園です)
福勝寺(第346回ブログの「出水七不思議」の1寺です)
地福寺(第347回ブログの追記の「出水七不思議」の1寺です)
薬師院(第573回ブログの「こぬか薬師」のことです)
永福寺(第158回ブログ最後の「蛸薬師」のことです)
さらにこの壬生寺と計7寺に訪れています。


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中院西側の薬師堂のさらに西隣に、壬生寺の手水舎があります。
ただ、節分期間中はプラスチック製の塀に囲まれています。


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その手水舎の向かい(北)側に、仏様が何体かいらっしゃいます。
次は、そちらに向かいます。


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先程の写真のテントで、蝋燭と線香が売られていました。
それぞれそちらで購入して、蝋燭はこちらに並べました。


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そして、線香はこちらに立てました。
端の方ばかり残っていたので中央に立てたのですが、
その際、手首付近がちょっと火傷しました。


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その北側に、水掛地蔵がいらっしゃいます。
その名の通りこちらは大きな水桶の中にいらして、
柄杓でお地蔵さんに水を掛けながらお祈りします。
大阪の法善寺では勢いよく掛けていきますが、
こちらはおとなしくゆっくりと水を掛けます。


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水掛地蔵の東隣に、弁財天がいらっしゃいます。
こちらは通常秘仏なのですが、節分期間中は御開帳されます。
そのため、こちらに参拝された方々は
最後にいちいち中の弁財天を覗いていかれます。
この右(東)隣には阿弥陀堂があってそこから壬生塚に行けますが、
(新撰組関連施設があります)
そちらへは、次回ブログで回ります。


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壬生寺参道に戻ってきました。
この先(西側)が、壬生寺の本堂です。


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壬生寺本堂参拝前に、先に本堂南側を散策します。
本堂脇に、「千体仏塔」がいらっしゃいます。
いろいろ調べたのですが、こちらは比較的新しく
壬生寺に持ち込まれた石仏(多くは祀られなくなったお地蔵さん)を
東南アジアのパゴダ状に並べた仏塔です。
こちらはとても大きいので、JR嵯峨野線の電車の中から見えます。


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その「千体仏塔」の前で、さらに南を向きました。
こちらは壬生寺の南門で、その先が仏光寺通です。
第318回ブログでは、こちらから壬生寺に入りました。


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「千体仏塔」の手前に、焙烙焼の奉納所があります。
あちこちで願い事を書いた焙烙はこちらで集められて、
壬生狂言の際に演者によって叩き割られます。


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では、いよいよ壬生寺本堂に参拝です。
……ただ、その前に目の前のプレハブで線香を求めます。


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「線香は通常3本くらい持っていかれます」
そうおっしゃるので、自分も線香を3本頂きました。
そちらを西側の火に近づけました。


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目の前の炉の上に線香を置くと、ゆっくりと火が点いてきました。
これを持って、本堂に向かいます。


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先程の線香は、こちらに並べます。
何人もの方々がここに線香を並べるので、
すぐに辺りが煙だらけになります。
こちらの煙を浴びると無病息災のご利益があるのですが、
まぁ煙ですからここにいるだけで咳が止まりません。
それでも全身にこの煙をかけて、本堂に向かいます。


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では煙まみれになりながら、壬生寺本堂に向かいます。
いよいよ本堂に参拝します。

壬生寺は、京都では珍しい律宗寺院です。
(律宗の総本山は、奈良県の唐招提寺です)
ご本尊は大地蔵菩薩なのですが、
1962年の火災の際にいったん焼失しました。
現在のご本尊は、総本山の唐招提寺から移設したものです。
壬生寺は平安時代初期の991年に創建されましたが、
鎌倉時代に始まった壬生狂言と幕末の新撰組との関連で有名です。
壬生寺の境内で新撰組の練兵が行われたり、
大阪相撲の興行を新撰組主催で壬生寺で行ったりしました。


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壬生寺本堂前で、境内を北に向きました。
目の前でおでんや土手焼きの露店が、「屋台村」を形成しています。
壬生寺境内の露店は、この辺りがいちばん混み合います。
では、壬生寺境内の北側を散策します。


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壬生寺本堂の北側には、桜並木が続きます。
(実は、こちらは隠れた桜の名所です)
そのさらに北側に、壬生寺の寺務所があります。
御朱印を求める方々が、行列を作られています。


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壬生寺事務所の前で、境内を北に向いています。
この辺りは、露店が多いですね。
左(西)側に高齢者向けのマンションがあって、
右(東)側に壬生寺が経営する保育園があります。
このまま北上すると壬生寺北門があって、
そこから出ると綾小路に達します。


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同じ場所で、壬生寺境内を南に向きました。
では、ここから壬生寺本堂前に戻ります。


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先程の位置から、壬生寺本堂前に戻ってきました。
これで、壬生寺散策の約8割を終えました。
ここから残りを回りますが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、壬生の新撰組関連施設を回ります~

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第636回 壬生塚と八木邸~壬生節分散策2019~その3

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前回ブログで、壬生寺北門から本堂前に戻ってきました。
(本堂へは、既に参拝し終わっています)
今回は壬生寺境内の壬生塚から、壬生寺北隣の八木邸に向かいます。
どちらも、新撰組関連施設ですね。
撮影日は、2019年2月3日節分の日曜日午後2時半。
だんだん雨雲が厚くなってきました。


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壬生寺北門から本堂への参道の東側で、北を向きました。
すると、このような長い行列ができていました。
この列の先に壬生寺保育園があり、その2Fが壬生寺会館です。
壬生寺会館には座席の先に舞台が用意されていて、
そちらで節分など特定の時期に壬生狂言が行われています。
自分は約20年前に、こちらで「節分」「焙烙割」などを見ました。
(壬生寺に奉納された焙烙焼は、この狂言の際に割られます)
ただ、それ以降いつも満員で節分に見るのを諦めています。
今年(2019年)も観覧は難しそうです。最後尾は2時間以上待ちです。
仕方なく、先に進みます。


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その行列の最後尾辺りから、東を向きました。
この周囲に、前回ブログで参拝した
水掛地蔵・弁財天・歯薬師がいらっしゃいます。


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その東側に、こちらの露店が立っていました。
「モツァレラチーズホットドック」は前々から気になっていたので、
こちらに立ち寄ります。


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こちらが、そのモツァレラチーズホットドックです。
1本500円です。ここまでの食費合計420円より高かったですね。
(第634回ブログタイ焼き120円と
前回ブログたこ焼き300円です)
お好みでいろいろトッピング可能ですが、
自分はチーズパウダーを振りかけました。


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モツァレラチーズホットドックの中は、こんな感じです。
完璧に溶けたモツァレラチーズですね。
当たり前ですが、口の中いっぱいにチーズが来ます。
香りも、味の方も、とても濃厚です。
まぁ自分は生チーズが相当好物で、
(白カビのカマンベールとか、青カビのゴルゴンゾーラとか)
結構至福でしたが……
トッピングをチーズパウダー一択にしたのは、正解でした。
(ケチャップ・マスタードなら、チーズ臭が消えてしまいます)


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そのモツァレラホットドックの露店の東から、
壬生寺の阿弥陀堂に入れます。(中は撮影不可)
こちらの阿弥陀仏にお参りした後、200円納めて裏庭に出ます。


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こちらが、その裏庭です。(こちらは、撮影可)
太鼓橋を渡った先の小島が、壬生塚です。
こちらに、新撰組隊士などのお墓が並びます。


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その太鼓橋の上で、西を向きました。
金属製の龍像がいらっしゃいますが、
前回ブログの水掛地蔵周辺に溜まった水は、こちらに流れてきます。
壬生塚は枯れ枝に囲まれていますが、こちらは桜並木です。
他にもたくさん見どころが多い壬生寺ですが、
こちらは知る人ぞ知る桜の名所です。


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「あゝ新撰組」の歌碑の脇に、お墓が並んでいます。
こちらは、壬生官務家の方々が眠っておられます。
要するに、古代や中世に太政官の書記官をされた方々です。
壬生寺は元々「官寺」なので、役人のお墓が多数並びます。


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さらにその東側に、歴代住職のお墓が立っています。
その右(南)側に「壬生塚」と書かれた立札がありますが、
新撰組関連施設はこの奥からです。



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その立て札から、そのまま壬生塚を東に進みました。
突き当りに、近藤勇の胸像が立っています。



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近藤勇の胸像の手前に、人丸塚がおられます。
こちらは柿本人麻呂のお墓と言われていますが、
柿本人麻呂終焉の地は現在の島根県が有力です。
墓石の形状から、ずっと後世に製作されたものでしょうね。
ただ、柿本人麻呂は火災除けのご利益がある
神社のご神体となられることが多く、
こちらもそういう関係なのでしょうね。
その証拠に、こちらにお参りしても火災除けのご利益があります。
(「人丸→火止まる」という掛詞です)


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そのまま東に進み、壬生塚の東端まで来ました。
こちらが、新撰組顕影碑と近藤勇の胸像です。
ちなみに近藤勇のお墓は他府県にあって、こちらにはありません。
こちらは、映画関係者が集団で資金を出し合って立てました。


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壬生塚の東端に、新撰組隊士の墓が並びます。
右側は、新撰組隊士合同のお墓で、特定の墓碑銘はありません。
左側は、新撰組勘定方の河合耆三郎のお墓です。
こちらは内規に触れて切腹させられた方ですが、
その内規違反が何かは分かっていません。
(そのため、いろいろ俗説が生まれています)
ただある程度お金を払えば切腹が不問になったのですが、
そのお金を支払うのに家庭内騒動で遅れてしまい、
そのため父親が資金を用意したにも拘らず
切腹させられてしまいました。
この件に関して河合耆三郎の父は相当立腹し、
半分当てつけの意味を込めて、
この壬生寺で河合耆三郎の葬式を執り行い、
その後こちらに他の隊士よりも立派なお墓を立てました。


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壬生塚の北東端(いちばん奥)に、こちらのお墓が立っています。
右側が共同のお墓のようですが、野口健司の墓碑銘があります。
一方左側は芹沢鴨平山五郎のお墓です。
2人は八木邸で暗殺された後、この壬生寺で
盛大に葬式が執り行われたようです。
(近藤勇が喪主となり、八木家の方々も出席されたそうです)
この暗殺事件に関しては後述しますが、
こちらのお墓は一度破壊されたため建て直され、
(第27回ブログの墓がその建て直されたものです)
さらに近年元の形に戻されました。
(この辺の経緯は、第188回ブログの追記に載っています)


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これで、壬生塚を一通り回りました。
ですから、太鼓橋の前まで戻ります


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壬生塚で、太鼓橋まで戻ってきました。
このまま橋を渡ると、向かい側の阿弥陀堂に入って
そのまま壬生寺参道に戻ることになりますが……


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阿弥陀堂の東側に、地下に降りられる階段があります。
そちらに宝物殿があって、様々な資料や
壬生狂言のブルーレイ上映が行われていました。
そちらも撮影不可なので、阿弥陀堂全景を貼り付けます。


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先程の写真をよく見ると……阿弥陀堂の屋根に鷺が1羽います。
あまり動かないので、自分でも撮れました。


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壬生塚から阿弥陀堂経由で、壬生寺参道に戻りました。
阿弥陀堂の宝物殿には10分くらいいましたが、
その間に雨が降ってきました。
自分は傘を持っておらず、近くには売っていません。
(壬生川通まで行かないと、コンビニエンスストアはありません)
仕方ないので、そのまま歩きます。


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先程の位置から門をくぐって、壬生寺境内を出ました。
左(北)側に、前回ブログ冒頭の格安たこ焼きの露店が立っています。
では、目の前の坊城通に出ます。



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壬生寺の門前から、坊城通を南に向きました。
この先が、第319回ブログでお邪魔した京都清宗根付館です。
坊城通の露店は、南には約100m先の高辻通まで続きます。


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今度は、同じ位置で坊城通を北に向きました。
こちらも、露店で賑わっています。
では、こちらを進んでいます。


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壬生寺の門前から、坊城通を約20m北上しました。
右(東)側に新徳禅寺の門前が見えますが、
左(西)側にタイ焼きの露店が出ています。
こちらには、第634回ブログでお邪魔しました。


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新徳禅寺の北側に、ブルーテントの施設があります。
毎年こちらで焙烙焼を売っていたのですが、
今年(2019年)には別のものを売っていました。


636-27.jpg
それが、こちらです。(帰宅後に、撮影しました)
甘納豆が3袋で、500円でした。こちらも、安いですね。
何より大好物なので、買ってしまいました。


636-28.jpg
さらに、坊城通を北上しました。
壬生寺の北隣に、テントが設営されています。
こちらは和菓子屋さんですが、こちらでチケットを買えば
店内でお汁粉や甘酒を頂けます。


636-29.jpg
そのテントで自分がチケットを買うと、こちらを頂きました。
この鶴屋という和菓子屋さんは、八木家の方々が経営されています。
つまりこの和菓子屋さんが新撰組屯所があった八木家で、
1,000円支払えば、抹茶付きで屯所を拝観できます。


636-30.jpg
鶴屋さんの奥に、こちらの八木家邸宅が立っています。
かつての新撰組屯所ですね。
こちらには常時学芸員がいらして、
先述の芹沢鴨・平山五郎暗殺の解説をされています。
(ここが、暗殺現場です)
学芸員は5名ほどいらっしゃるのですが、
自分は10回以上拝観しているので、
今回解説されておられる方は3回目のお話でした。
(おそらく、向こうは覚えていらっしゃらないでしょうが)

実はこの学芸員の方々によって、
ここでのお話の事実関係が多少違います。
(10回近く通わないと、気付かないことです)
いちばん異なるのは、島原の芸妓吉栄さんのその後です。
wikiなどでは事件の最中にたまたま便所に行っていたため、
殺されずに済んだとされていますが、
この日開設されていた学芸員は
「部屋にいた方々ともども、一緒に殺された」
そう解説されていました。
この方はとても細かく分かりやすいお話で、
いろいろ資料を見せつつそう解説されておられているので、
「単なる勘違い」とも思えません。
こちらの方は吉栄死亡を確信されておられるので、
何かそういう資料を発見されておられるのでしょうか?
(ただ、ここの仏壇の位牌はお梅さんの分も合わせて3本ですが)


636-31.jpg
八木邸の暗殺現場の解説は、だいたい30分くらいでした。
う~ん、雨がどんどん激しくなっていますね。
この先のテントで、和菓子や抹茶を頂けます。
雨宿りがてら、ちょっとこちらに立ち寄ります。


636-32.jpg
八木邸から抹茶を求められた方々とほかに注文された方々で、
店内は超満員でした。
すぐに注文が来ないと確信して、暫くただ座って雨宿りしました。
約30分経ってだいぶお客さんが減ってきたので、
お店の方にこちらの引換券を渡しました。


636-33.jpg
八木邸を拝観されたら、こちらを頂けます。
抹茶以外に、和菓子も付いています。


636-34.jpg
こちらが、茶請けの和菓子です。
粒餡を求肥で包んだお餅です。
こちらは、抹茶を頂いた後に戴きました。


636-35.jpg
抹茶を頂きつつ、坊城通を眺めています。
2019年2月3日午後4時を回り、雨は小降りになりました。
まだ傘を差される方々も多いですが、壬生散策を続けます。


636-36.jpg
八木邸を出て、坊城通を北に向いています。
まだまだ壬生散策は続きますが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
後は、次回とします。

~次回は光縁寺で、新撰組隊士の墓参りをします~

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第637回 旧前川邸に訪問~壬生節分散策2019~その4

636-36.jpg
前回ブログでお邪魔した八木邸(和菓子匠「鶴屋」)を出て、
坊城通を北に向いています。
左(西)側がその和菓子匠「鶴屋」で、
右(東)側が旧前川邸です。
どちらも、かつて新撰組が駐在した場所ですね。
今回は、この旧前川邸にお邪魔します。
撮影日は、2019年2月3日節分の日曜日午後4時15分。
ここから、徐々に晴れ間が出てきました。


637-2.jpg
先程の位置から、坊城通を約10m北上しました。
ここで、坊城通は綾小路と交差します。


637-3.jpg
坊城通から、綾小路を西を向いています。
第634回ブログでは角の「幸福堂」のお客さんが
とても長い行列を作っていましたが、
雨が降ったせいかそういう方々はこの時点ではいらっしゃいません。


637-4.jpg
次に、綾小路から坊城通を北に向きました。
目の前に、和菓子屋の「幸福堂」があります。
さすがに店頭には、たくさんの方々が並ばれていました。
この道を北上すると、第634回ブログのルートを逆行します。


637-5.jpg
さらに坊城通から、綾小路を東に向きました。
目の前に、旧前川邸の入り口が見えます。


637-6.jpg
坊城通から綾小路を約10m東に進み、
旧前川邸入り口の前で南を向きました。
こちらは、現在「田野製袋所」という
封筒や紙袋を製造している会社の工場兼住居です。
ですから平日は非公開なのですが、
土日と祝日限定で公開されています。
(この日は、2019年2月3日節分の日曜日でした)


637-7.jpg
旧前川邸の入り口をくぐると、中庭が広がります。
平日には自動車が停まっていますが、
公開日は広々としています。
こちらが小さな庭園になっていますが、
右側の家屋はおそらく野口健司が切腹した現場です。
(山南敬助が切腹の前夜明里に別れを告げたのが史実なら、
この部屋でそれが行われたと推定されます)


637-8.jpg
では、旧前川邸の母屋に入ります。
こちらは、かつての壬生村の郷士前川家の邸宅でした。
八木邸に屯所を構えていた新撰組は、
池田谷事件以降隊士が増えすぎたため、
八木邸の東向かいのこの旧前川邸にも住みだしました。
八木家の方々は八木邸が新撰組屯所になっても住み続けましたが、
前川家の方々は屯所になって以降は他所に移転されました。
さらにその後前川家の方々はこちらを手放されたため、
「旧」前川邸とこちらを呼んでいます。


637-9.jpg
旧前川邸の母屋に入ってきました。
典型的な京町家なので、ここが走り庭と分かります。
(この奥が厨房で、右が玄関)
現在公開されているのはこの辺りだけで、
奥は居住者のプライベートスペースです。
ただ、その奥にいろいろありまして……
このまま奥に進むと古高俊太郎を拷問した部屋で、
玄関奥が山南敬助が切腹した部屋です。
現在はここで新撰組関連グッズが売られています。


637-10.jpg
これ以上奥には入れませんので、母屋を出ました。
すると、母屋の入り口付近にこちらがありました。
旧前川邸の見取り図ですね。
先程の位置関係は、全てこちらを参考にしています。


637-11.jpg
これで、旧前川邸を一通り見て回りました。
では、ここから旧前川邸を出て綾小路に戻ります。


637-12.jpg
旧前川邸の入り口の前で、綾小路を東に向いています。
右(南)側に、旧前川邸の塀が続きますね。
では、こちらを進んでいきます。


637-13.jpg
旧前川邸入口の前から、綾小路を東に約50m進みました。
南側に真新しい京町家が姿を見せますが、
2015年に訪れたときは建っていませんでした。
おそらくここ数年で、新築されたのでしょうね。


637-14.jpg
さらに綾小路を東に約10m進むと、こちらが建っていました。
お米屋さんのようですが、平日なら営業されていたでしょうね。


637-15.jpg
さらに綾小路を約10m東に進むと、
普通の民家で甘酒を出しておられました。
(「普通」と言いましても、美術品の展示や
「ダンス教室」を開いておられましたが……)
こちらの小母さんと目と目が合ってしまい、
100円支払って何となく甘酒を頂きました。
(民家なので、写真は撮っていません)
まぁ「京都の甘酒」ですから、ノンアルコールの米麹製です。
(酒粕などは一切使いません)
その小母さんとゆっくり世間話をしながら時間が経って、
もう午後4時半近いです。


637-16.jpg
腕時計の時間を見て、甘酒の小母さんに別れを告げ、
綾小路を急いで東に向かいました。
目の前の酒屋さんは、節分で大忙しです。
こちらは、かつて近藤勇・沖田総司というお酒を売っていました。


637-17.jpg
その酒屋さんの向かい(北)側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
確かこの辺にウチの祖母が幼少時に住んでいたらしいと、
ウチの母が以前行っていました。
(正確な場所は、はっきりしません)


637-18.jpg
そのお地蔵さんと酒屋さんの前で、綾小路を東に向きました。
ここで綾小路は、壬生川通と交差します。


637-19.jpg
綾小路から、壬生川通を北に向きました。
ちょうど嵐電(京福電車)が通過していますね。
ずっと先の突き当りに見えるビルの辺りは、
第609回ブログで訪れた錦小路最西端です。


637-20.jpg
今度は、綾小路から壬生川通を南に向きました。
約1㎞南下すると、島原商店街に辿り着きます。
(第594回ブログを参照)


637-21.jpg
さらに、壬生川通から綾小路を東を向きました。
取りあえずここを東に進んで大宮通まで進むのですが、
切りがいいので今回はここまでとします。

~次回こそ、光縁寺で新撰組隊士の墓参りをします~

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第638回 光縁寺で墓参り~壬生節分散策2019~その5

637-21.jpg
前回ブログで訪れた旧前川邸から綾小路を東に約100m進み、
壬生川通から綾小路を東に向いています。
今回は光縁寺の墓地を訪れ、新撰組隊士のお墓にお参りします。
撮影日は、2019年2月3日節分の日曜日午後4時半。
実はこの瞬間、雨は止んでいます。


638-2.jpg
以前何回か書いたことですが、
個人的にはこの辺りの綾小路の町並みがいちばん好きです。
狭い道に、京町家を初めとする古い家並みが続きます。
こちらのお地蔵さんは、先程の写真にも写っていましたね。


638-3.jpg
そのお地蔵さんの東側に、こちらの京町家が建っています。
商売をやめた京町家を仕舞屋(しもたや)と言いますが、
ショウウィンドウなどが残っているので、それには該当しません。
商品の代わりに、小物を並べられているのが洒落ています。


638-4.jpg
その京町家の前で、綾小路を東に向きました。
右(南)側看板建築の京町家の先に、土塀が続きます。
四条通以南の綾小路・仏光寺通松原通は、壬生川通~大宮通間に
小さな寺院がいくつも建ち並びます。


638-5.jpg
では、その寺院の門前に立ちました。
この浄土宗上宮院聖徳寺は、元は天台宗寺院でした。
「上宮聖徳」とは聖徳太子の別名ですが、
こちらのご本尊阿弥陀如来像が、その聖徳太子作と伝わっています。
(詳細は、第319回ブログを参照)


638-6.jpg
その聖徳寺の門の東側に、庚申堂が建っています。
京都の庚申堂は、金剛寺が有名ですね。(第103回ブログを参照)


638-7.jpg
庄徳児の前で、綾小路を東に向いています。
壬生近辺には、このような小さな寺院がたくさん並んでいますが、
行政区域的には聖徳寺以東は「京都市中京区壬生」ではなく、
「京都市下京区」に属します。


638-8.jpg
聖徳寺の前から、綾小路を約30m東に進みました。
こちらは、浄土宗知恩院派満月山普照院光縁寺です。
1600年前後の創建ですが、正確には分かっていません。
1860年ごろの住職が新撰組隊士の山南敬助と親交があり、
そのためこちらの墓地に新撰組隊士のお墓があります。


638-9.jpg
光縁寺の境内に入ってきました。
こちらは、本堂と東隣の寺院との隙間です。
午後5時までに寺務所に200円を納めると、
この奥(北)側の墓地にお参りができます。
ただ最近は参拝の態度が悪い方が多いらしく、
周囲の家屋に迷惑を掛けたり、乱暴な態度をしたりするのを
禁止する旨を伝えられました。
(ということは、新撰組隊士の墓前で
無礼な態度をされる方がいらっしゃるということですね)


638-10.jpg
先程の路地を北上して、広間に抜けました。
こちらが、光縁寺の墓地です。
向こう(北)側の塀の向こうは、嵐電(京福電車)の線路です。


638-11.jpg
光縁寺墓地の西側に、こちらの墓石が立っています。
こちらは新撰組隊士のお墓ではありませんので、ご注意ください。


638-12.jpg
その墓石の北側の3基が、新撰組隊士のお墓です。
さらにお地蔵さんを挟んで、その北側に1基墓石が立っています。
こちらに、沖田総司の縁者が眠られています。
では、こちらにお参りをします。


638-14.jpg
こちらに参拝すると、このパンフレットがもらえます。
それによると、こちらには山南敬助以外に
野口健司松原忠治河合耆三郎伊東甲子太郎藤堂平助など
切腹したり新撰組に粛清された方が多いですね。
合計28名なのですが、これだけの方々を
これらのお墓の下に葬るわけにはいきません。(物理的に入りません)
ですから、この下にはこれらの方々のご遺体は眠ってはいません。


638-13.jpg
こちらが、墓地の北西端です。
この塀の向こうは先述の通り嵐電(京福電車)の線路ですが、
実はこの下に新撰組隊士が眠っておられます。


638-15.jpg
光縁寺墓地で、南を向きました。
この突き当りが、光縁寺本堂です。


638-16.jpg
光縁寺墓地の南側に、こちらの鬼瓦がいらっしゃいます。
よく墓地で見かけますので、たぶん魔除けでしょうね。


638-17.jpg
その鬼瓦の東側に来ました。
では、この路地を通って光縁寺を出ます。
そうそう、その前に光縁寺のご住職に一声掛けていきます。


638-18.jpg
光縁寺を出て、綾小路を東を向いています。
この時点で、2019年2月3日日曜日午後5時。
急がないと、そろそろ日が暮れます。


638-19.jpg
光縁寺の斜め向かいに、浄土宗の光林寺が建っています。
こちらは幼稚園でもあるので、平日は結構賑やかです。


638-20.jpg
光林寺の門前に、こちらの碑が立っています。
おそらくこちらの方々のお墓や塚が、
この寺院の墓地に眠っているのでしょうね。


638-21.jpg
こちらは、光縁寺東隣の浄土宗法善寺です。
境内の庭園がなかなかきれいなのですが、
沿革などが全然分かりません。


638-22.jpg
さらに法善寺の東隣に、浄土宗の西方寺があります。
こちらも、沿革などは不明です。


638-23.jpg
そして、西方寺の向かい(南)側に浄土宗成道院があります。
こちらも、沿革が不明です。


638-24.jpg
その成道院の前で、綾小路を東に向きました。
この先で、綾小路は大宮通と交差します。


638-25.jpg
大宮通から、綾小路を東に向いています。
このまま進むと、約300m先に祇園祭中に油天神山が立ちます。
(第583回ブログを参照)


638-26.jpg
「綾小路大宮」交差点北西角に、こちらの中華料理屋があります。
確か四川の方々が経営されていて、本格的な四川料理が頂けます。


638-27.jpg
今度は綾小路から、大宮通を南に向きました。
では、ここを通って帰宅していきます。


638-28.jpg
綾小路から、大宮通を約10m南下しました。
右(東)側の京都市立洛友中学校から、
たくさんの方々が出て来られました。
どうも、何かイベントがあったようですね。


638-29.jpg
綾小路から、大宮通を約100m南下しました。
ここで、大宮通は仏光寺通と交差します。


638-30.jpg
大宮通から、仏光寺通を西に向いています。
駐車場の先に、帰命院が見えますね。
こちらを進むと、第319回ブログのルートになります。


638-31.jpg
大宮通から、仏光寺通を東に向いています。
では、ここで横断歩道を渡って反対車線に向かいます。


638-32.jpg
大宮通を東側歩道に渡り、仏光寺通から南に向いています。
続いて、ここを南下します。


638-33.jpg
仏光寺通から、大宮通を約100m南下しました。
ここで大宮通は、高辻通と交差します。


638-34.jpg
高辻通から、大宮通を南に向いています。
この先に、「大宮松原」バス停が見えます。
では、このバス停から206系市バスに乗って帰ります。
これで、2019年の節分散策を終えます。

~次回は京都市を出て、亀岡の京都サンガ壮行会に出ます~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

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いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
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「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
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こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
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これから始まる
京都のお祭りや
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こちらからお願いして、
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「春夏秋冬 京のくらし」
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この度、相互リンクさせて
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「京都」
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「東福寺と泉涌寺」
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一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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