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第102回 禅居庵から建仁寺~八坂通西から東~その1

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ここは、四条大路と五条大路との中間点
八坂通と大和大路とのT字路です。
目の前に建仁寺の末寺禅居庵があります。
「十日ゑびす」のときとずいぶん違いますね。
(十日ゑびすのときの写真です)
ここが八坂通の最西端になります。
今回から3回くらいでここから産寧坂を目指します。
撮影日は2013年1月24日木曜日午後3時。
今から、右(東)側の道を進みます。


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大和大路にある京都市立新道小学校の前から
八坂通を東に向いています。
八坂通は二年坂までなのですが、
まだまだ道は続きますので、産寧坂まで行きます。


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大和大路八坂通のT字路の南東角にある雑貨店です。
「十日ゑびす」の日は賑わっていましたが、
この日はお休みでした。


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八坂通を大和大路から東に約20m進みました。
「十日ゑびす」の日にも立ち寄った禅居庵にまた寄ります。


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禅居庵の中に入ってきました。
1月10日にも咲いていた寒椿が、この日も咲いています。


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禅居庵東側にある手水舎です。
摩利支天の象徴である猪をかたどっています。


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こちらが、禅居庵の摩利支天堂です。
この日は人も少ないので、中でゆっくり参拝できました。


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境内の塀に、「えべっさん」の熊手が立てかけてありました。
「十日ゑびす」直後だからでしょうね。


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「十日ゑびす」のときにも参拝しているので、
この日はこのくらいにして外に出ます。


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禅居庵摩利支天堂の前から、八坂通を東に向いています。
では、こちらの方を進みます。


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禅居庵の前から、東に約60m進みました。
ここは、市村一房堂です。
錦絵(色つきの浮世絵)の摺師市村守氏の作業場です。
中に入ることもできるので、入らせていただきました。


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中に入ると、市村守氏からこの紙をいただきました。
ここは市村氏の工房であると同時に、
浮世絵の作業工程の解説が聞けたり、
実際に版木や出来立ての浮世絵が見られたりする
博物館にもなっています。
実は浮世絵も自分の趣味で、
生まれて初めて版木に触れたのはかなりの感動でした。
(しかも、「富嶽三十六景」の「相州沖浪浦」でした)


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こちらは、市村一房堂の北向かいです。
建仁寺の勅使門になっています。


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建仁寺の勅使門の左(西)側にこのようなものがありました。
苔の上に大きな岩があって、まるで庭園です。


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では、その庭園と勅使門との間にあるここから
建仁寺に入っていきます。


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たいていの禅寺がそうであるように、
建仁寺も勅使門を越えると一直線上に山門と法堂が見えます。
禅寺の絶景ポイントの一つですね。
ここは松と桜が並んでいるのですが、
今桜の葉は落ちています。
(桜の季節はこんな感じです)
この写真はクリックすると、拡大されます。


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勅使門から左(西)を向きました。
こちら側には、建仁寺の末寺が延々並んでいます。
一番南側は、禅居庵です。
ここから摩利支天堂には行けますが、
本堂は完全非公開です。


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禅居庵の前から建仁寺境内を北に向いています。
ここを端まで北に向かいます。


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建仁寺の北の端まで来ました。
この辺りは工事中で、たくさんの方が作業をしていました。


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先ほどの地点から左(西)を向きました。
この先に門が見えますが、
ここを出るとゑびす神社前の大和大路に出ます。


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今度は、右(東)に向きました。
今からここを進み、建仁寺の本坊に向かいます。


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建仁寺の方丈と本坊の前に来ました。
今から、この中に入っていきます。


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大半の寺院と異なり、ここ建仁寺は
カメラで撮影し放題になります。
とは言え、やはり節度あるようにしないといけません。
とりあえずは、ここを撮ります。
これは、俵屋宗達画「風神雷神図」のコピーです。
本物は国宝ですが、今は国立博物館にあります。


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次は、方状の襖絵です。
こちらは、海北友松画雲竜図です。
こちらも本物は重要文化財ですが、これも複製です。
(保存のため、本物は非公開です)
こちらも、クリックすれば拡大できます。


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さらに方丈南側庭園です。(メインの庭園ですね)
昨年の4月は、工事中でしたがもう完成しました。


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今度は、方状北側の庭園です。こちらは、中央に祠があります。
次は、右(東)側に見える本坊に戻ります。


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こちらは、本坊の中庭「潮音亭」です。
ここは庭石と桜のバランスが絶妙です。
4月に来ると、ここは絶景になります。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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では、方丈南側にある法堂に向かいます。
法堂には、こちらからスリッパを履いて向かいます。


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スリッパを履いて、方状の南端に来ました。
ここから、木戸の鍵を開けて向こうに進みます。


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方丈の北側まで来ました。
ここから石段を上がって、中に入ります。


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法堂の中に入ってきました。
さすがに、ご本尊は撮影しません。
こちらは、天井画の小泉淳作画「雲竜図」です。
臨済宗の法堂にはどこも雲竜図の天井画がありますが、
ここが一番有名ですね。確かに迫力がある双龍です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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では、法堂を出て方丈に戻ります。


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法堂から戻って、方丈南側庭園を南から北に見ています。
個人的には、ここの庭園はこの角度が一番好きです。


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方丈の東側に併設されている本坊から外に出ます。
もうだいぶ日が傾いてきました。


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建仁寺の本坊から境内に出ました。
桜並木が続きますが、今はまだ花も葉も付いていません。
今度は、本堂の東側から南に進みます。


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先ほどの写真から左(東)の方を向きました。
こちらの門は、祇園の花見小路に通じています。
第35回ブログは、こちらから出入りしました。


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先ほどの写真から、約100m南に進みました。
左(東)側に、「茶碑」が見えます。
鎌倉時代に栄西がここを開いた時に
日本で初めてお茶の木を植えました。
今はその木は枯れていますが、石碑だけが残っています。


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「茶碑」の南側に、「楽神廟」がいらっしゃいます。
吉備津神社の末社「楽神社」の分社です。
ご神体は、虚空蔵菩薩です。(神仏習合ですね)


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「楽神廟」脇の絵馬です。こちらは、風神の図案ですね。


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「楽神廟」の南側に浴室があって
そこの枝垂桜の向こうから外に出られます。
こちらも、出入り口です。
ここから出ていきますが、それは次回とします。

~次回は、八坂通をさらに東に向かいます~

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第103回 八坂の塔を目指して~八坂通西から東~その2

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建仁寺の南東端の出口から南を向いています。
この先に見えるのが、八坂通です。
今回はここから東に進み、八坂の塔のある法観寺へ向かいます。
撮影日は、2013年1月27日日曜日午後3時。
画面ではわかりにくいですが、小雪が舞っています。


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先ほどの写真から、約30m進みました。
砂利道は、NTT西日本祇園支局の前で突き当ります。
ここは、八坂通です。
建仁寺勅使門からは、50mほど東になります。
今から左(東)の方を目指します。


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先ほどの写真から西を向きました。
人力車が停まっているところは、建仁寺の勅使門の前です。
その向かいも、前回紹介した市村一房堂です。
(浮世絵の博物館ですね)
突き当りに京都市立新道小学校が見えますが、
前回ブログからこれだけ移動したことになります。


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今度は同じ地点から東を向きました。
ここから、かなり急な上り坂になります。
ずっと向こうに、法観寺の「八坂の塔」が見えます。
この八坂通は、八坂の塔に続く通りになります。


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先ほどの地点から、東に約10m移動しました。
ここから南の方に道が伸びています。
(ここはT字路です)
突き当りに見えるのは、松原通です。
(第19回ブログで紹介した辺りです)
実はこの道は松原通よりさらに南にずれた後、
五条大路まで続いていて、途中に六波羅蜜寺があります。


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先ほどの写真の地点から、八坂通を東を向きました。
またこの急な坂道を上ります。


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先ほどのT字路から八坂通を東に約20m進みました。
この辺りはぎりぎり祇園なのですが、
高級な飲食店が何軒か並んでいます。
枝垂桜が下がっているこの店も、その中の一軒です。


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先ほどのT字路から、東に約80m進みました。
このタバコ屋の脇から、また南に道が伸びています。
(ここも、T字路です)
この道を南へ松原通へ進むと、
ハッピー六原」という地元スーパーの前に出ます。
(詳しくは、第19回ブログ参照)


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タバコ屋のT字路から、八坂通を東に向きました。
両脇には、てんぷら「圓堂」という看板が出ています。
高級な飲食店がずっと並んでいます。


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その南側の「圓堂」の脇に、寺院の裏門があります。
ここは、六道珍皇寺です。
この門は閉じているので、松原通から入らないといけません。
(第19回ブログで詳しく説明しています)


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さらに、その向かいにはおでん屋さんがあります。
ただ、この辺りはおでん屋でも高いのでしょうね。


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この辺りで、また八坂通を東に向きました。
八坂の塔が、だいぶ近づいてきました。
ただ、急な上り坂はまだまだ続きます。


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八坂通を東にだいぶ進んできました。
東大路通も、もうすぐです。
北側に建仁寺の末寺大統院があります。
ただ、境内よりも駐車場の方が大きいようです。


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八坂通をさらに東に進み、東大路通との交差点まで来ました。
この辺りで、上り坂が少し緩やかになっています。


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八坂通から、東大路通を北に向いています。
向こうに見える信号の地点から右(東)に進むと、
高台寺や霊山観音の前に出ます。


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今度は東大路通を南に向きました。
相変わらずの渋滞で、松原通がよく見えません。
京都銀行の前に、「清水道」バス停があります。


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東大路通から、八坂通を東に向いています。
道幅が急に細くなり、両脇に土産物屋さんが並んでいます。
この辺りから急に、観光地らしくなってきます。


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東大路通から、八坂通を東に約100m進みました。
八坂の塔まで、もうすぐです。
ここまでは平坦だったのですが、また急な上り坂になります。


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急な上り坂は、約50m先のタバコ屋で終わります。
タバコ屋さんの左(北)から道が伸びているので、
ここもT字路です。


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タバコ屋の前から北を向きました。
ここをずっと進むと、八坂神社に出ます。
途中に「ジュバンセル」があります。
(和菓子の材料を使った洋菓子店です)


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今度はタバコ屋の角で、南を向きました。
こちらの寺院に立ち寄ります。


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八坂庚申堂 金剛寺」というのが、ここの名前です。
東大路通から東側にこのようなものがよく吊り下げられていますが、
これは「くくり猿」といいます。
これは願い事を書いて絵馬のように使ったり、
お守りとして所持したりするものです。
(猿のぬいぐるみみたいで、可愛いですね)
ここで一つ500円で売っています。


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金剛寺の中に入ってきました。
南天の木の脇に、お墓があります。
とりあえず、お参りしました。


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境内の中央に、「べんつるさん」がいらっしゃいました。
[京都の矢田寺・法輪寺にもいらっしゃいましたね]
こちらの方は、「くくり猿」に囲まれています。


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一番奥に、本堂があります。
その脇にろうそくが置いてあったので、
お金を払って灯明を上げさせていただきました。


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金剛寺の本堂です。
ここにも「くくり猿」がたくさんいます。
下の方にも、「見ざる・聞かざる・言わざる」がいます。
庚申信仰の寺院だけに、「猿」関係のものが多いです。


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境内の東側に、寺務所がありました。
こちらでたくさんの方が、「くくり猿」を求めておられました。


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境内の西側には、お地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらにも、お参りしました。


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では外に出て、先に進みます。


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八坂通に戻ってきました。
では、いよいよ法観寺の八坂の塔に向かいます。


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八坂の塔のある突き当りまで来ました。
ただ、ここからは法観寺の中には入れません。



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同じ地点から、南を向きました。
この法観寺を回り込むように、八坂通が続きます。
そちらの方に、回ってみます。


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法観寺の南側に来ました。
もう少し、八坂通が続いています。


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ここは普通の塀に見えますが、実はここが法観寺の入り口です。
(ガラガラと曳いて開けます)
ただ、この日は(日曜日だったのですが)
カギがかかっていて入れませんでした。
どうやら、終日閉山のようです。
仕方がないので、ここで入るのは諦めます……

法観寺は今は建仁寺の末寺ですが、
もともとは聖徳太子関連の寺院で、
この辺一帯を境内とする巨大寺院でした。
(9世紀の頃です)
それがたびたびの戦乱で焼失して、
だんだんと小規模化していきました。


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法観寺の八坂の塔を通り過ぎましたが、
八坂通はもう少し続きます。
この辺りは、ドラマなどで
「京都の風景」として一番撮られているところです。


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先ほどの曲がり角から、八坂通を東に約100m進みました。
ここに、「文の助茶屋」があります。ちょっと寄ってみます。


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店の入り口を入ったところに、お多福さんが祀ってありました。
とりあえず、賽銭を入れてお参りしました。


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小雪がちらついていたのですが、
撮影のことを考えて明るい外でいただきました。
さすがに寒かったので、甘酒を注文しました。
水分より酒粕の方が多くて、
「飲んでいる」というより「食べている」感覚でした。
(それはそれでおいしいのですが)

ここ「文の助茶屋」は、1960年代に藤山寛美氏が松竹新喜劇で
「文の助茶屋」というお芝居を発表して有名になりました。
ただ最近の方は知らないらしく、
ここの店員さんもご存じありませんでした。


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甘酒をいただいて、店の外に出ました。
ここ文の助茶屋にも、八坂庚申堂の「くくり猿」がいました。


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文の助茶屋から八坂通を東に向いています。
この上り坂をあと100mほど進めば、
二年坂に着いて八坂通も終わりです。
ただ、ここから先は次回とします。

~次回は、二年坂から産寧坂を目指します~

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第104回 二年坂から産寧坂へ~八坂通西から東~その3

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八坂通を文の助茶屋から東へ約20m進んで、西を振り返りました。
八坂の塔を見下ろすこの辺りが、
京都のドラマで一番よく使われています。
今回は、ここから二年坂を過ぎ、産寧坂まで進みます。
撮影日は、2013年1月27日日曜日午後4時。
そろそろ日が傾いてきました。


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先ほどの地点で、今度は東を向きました。
この辺りから、上り坂は少しずつ蛇行していきます。


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だいぶ錆びていますが、この辺りを表した表札です。
「東山区 八坂通下河原東入 八坂上町」
と書いてあります。



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先ほどの地点から、約50m進みました。
いつの間にか雪は止んで、日差しが出てきました。


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さらに約150m進みました。
そろそろ二年坂が見えてきました。


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二年坂まで来ました。たくさんの方が下っていきます。
道自体は続いていますが、八坂通はここで終わります。


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八坂通の東端から、二年坂を見下ろしています。
観光シーズンではありませんが、
日曜日なのでたくさんの方がいらっしゃいます。


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せっかく二年坂まで来たので、またここに寄ります。
毎度登場の「かさぎ屋」です。


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店先のショウウィンドウです。お品書きが書いてあります。
京都で「亀山」というと、こし餡のお汁粉のことです。
松原西洞院の和菓子屋さんの屋号がもとになっています。


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ここにはよく来ているので、
とうとう女将さんに顔を覚えられてしまいました。
ここはぜんざいもいいのですが、名物はこの「萩乃餅」です。


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今度は、「萩乃餅」をアップにします。
店の雰囲気とか女将さんの人柄が好きで
ここに来る方が多いのですが、
自分はこの小豆もお目当ての一つです。
豆の皮を破らずにつやを出す技術は、絶品ですね。

「小豆の品質がいいだけ」
女将さんはそうおっしゃるだけなのですが、
この技術はなかなか真似できません。


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二年坂を上って、八坂通の東端まで戻って来ました。
(湯豆腐の「奥丹」の前です)
だんだんこの道は右にカーブして、北を向きます。
八坂通は終わりましたが道は続いているので、
突き当りの産寧坂まで行きます。


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二年坂辺り化のカーブが収まると、この道は完全に北向きになります。
石畳の道をはさんで、両側にお土産物屋さんや茶店が並びます。
まぁ、この辺が京都で一番観光地化されているので、
人通りがかなり多いですね。


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道の途中でお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらは、第10回ブログにも掲載されています。


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お地蔵さんの向かいに、有喜屋吉晴庵がありました。
「有喜屋」といえば、先斗町に本店がある老舗の蕎麦屋さんです。
第10回ブログのときは、満員で入れなかったので、
今回は入ってみます。


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ここは天ざるもおいしいのですが、
いろいろ考えて「にしんそば」を頼みました。
ここは、ネギはお好みで入れます。
(自分は、中に入れずに別に食べます)


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今度はニシンそばのアップです。
他の地方の方は意外に思われるようですが、
身欠き鰊は京都人のソウルフードで、
蕎麦に入れる以外にも、茄子やエビイモと一緒に炊いたりします。


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「有喜屋吉晴庵」の前から、北を向いています。
産寧坂までは、もうすぐです。


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ここは、「有喜屋吉晴庵」の北隣です。
(その向こうには、「よ~じ屋」もあります)
お香のお店だったので、冷やかし半分で入ってみました。
中に入ると聞香のお香もありましたが、
仏壇に供える線香もありました。
今度は買い物に来ようと思います。


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そのさらに北側には、イノダコーヒーの清水支店があります。
実は、「有喜屋吉晴庵」からこの「イノダコーヒー」までが
もともとは「阪口」という料亭でした。
それが今では、様々なお店が入るテナントのようになっています。


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さらに、20mくらい北に向かっています。
興正寺本廟の南端の向かいに
あられ屋さんと清水焼のお店があります。
ここは自分が生まれる前からお店を開いています。


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その先にある石段が、産寧坂です。
ここを上がったところで、この道は突き当ります。


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産寧坂を上っています。石垣の上に、来迎院が見えます。
産寧坂は、30mほどで終わります。


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産寧坂を上り切りました。
右(北)側は来迎院で、左(南)側は七味家です。
「七味家」は文字通り七味のお店で、
その場で七味の配分を変えてくれたりします。
今、山椒を切らしているのですが、
ここまで飲食費を使いすぎてもう手持ちがありません。
今回は立ち寄るのを見送ります。


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七味家の前で、左(東)を向きました。
遠くに清水寺の宝塔が見えます。
ここをあと200m進めば、清水寺の仁王門に出ます。


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今度は右(西)を向きました。
だいぶ上ってきたので、京都市街地が一望できます。
ここは松原通で第18回ブログと同じ道を進むことになります。

八坂通編は、ここまでとします。
~次回は、節分に千本通をウロウロします~

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第717回 宮川町の西側~宮川町散策~その1

前回ブログで「宵えびす」散策を終えましたが、
第714回ブログで通過させていただいた花街宮川町の全体像を
まだ散策していないことに気づきました。
まぁ以前10日ゑびす直後に
近隣の八坂通編を短期連載したこともありましたが、
今回もゑびす神社近隣の花街宮川町を散策します。


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約2週間ぶりの京阪電鉄「清水五条」駅です。
途中までは第714回ブログと全く同じルートです。
今回は京都五大花街の一つ宮川町を東端から徐々に西へ蛇行します。
撮影日は、2020年1月23日木曜日午後2時10分。
雨上がりの曇り空でした。


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そうこうしている間に、自分が乗っていた京阪電鉄の準急電車が
「清水四条」駅から「祇園四条」駅に向かいます。
「清水五条」駅は、急行や特急が停まりません。


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こちらは、京阪電鉄「清水五条」駅ホームのエスカレーターです。
では、こちらからコンコース階に上がります。


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京阪電鉄「清水五条」駅のコンコース階に、上がってきました。
こちらは、駅の休憩所です。
木製のテーブルとイスの脇に、自動販売機が並んでいます。
中央部分に何人か座っておられるので、そちらは写していません。


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その休憩所を背に、東を向きました。
では、こちらの改札口から経変電鉄「清水五条」駅を出ます。


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京阪電鉄「清水五条」駅の改札を出て、北を向いています。
この真上が、「五条川端」交差点です。
第714回ブログでは北側の地下通路を突き当りまで進みましたが、
今回は、切符売場の右(東)側の方に向かいます。


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京阪電鉄「清水五条」駅改札の前で、東を向きました。
では、こちらから地上に出ます。


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先程の通路のすぐ先に、地上に上がる階段があります。
そちらを上ると、すぐに地上に通じています。


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京阪電鉄「清水五条」駅4番出口から、五条通を東に向いています。
先程までの雨の影響で、地面が濡れていますね。
第238回ブログではこちらから「五条坂」交差点まで、
陶器祭を散策しました。


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その位置で西に向きました。こちらは「五条川端」交差点です。
横断歩道を渡った先が、鴨川の東岸です。
ですから、川端通周辺を「鴨東」(おうとう)とも呼びます。
(ここをまっすぐ進むと、第155回ブログのコースを進みます)


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五条通から、川端通を北に向いています。
この交差点が、花街宮川町の南西端です。
では、こちらから川端通を北上します。


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五条通から、川端通を北上しています。
今から約30年前には、ここから松原通までずっと
置屋が並んでいましたが、(芸妓さん・舞妓さんの詰め所ですね)
今は大半が空き家か住宅です。(こちらは、マンションですが)


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五条通から、川端通を約50m北上しました。
左(西)側に、京阪電鉄「清水五条」駅5番出口が見えます。
第714回ブログでは、こちらから地上に上がっていました。


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京阪電鉄「清水五条」駅5番出口から川端通東側歩道に移り、
川端通を北に向いています。
これらの京町家は約30年前は置屋だったのですが、
(芸妓さんや舞妓さんの源氏名が、表札に書かれていました)
表札を見る限り、大半が普通の住宅として機能されているようです。


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先程の位置から、川端通を約50mほど北上しました。
こちらは第714回ブログでは和装雑貨屋さんと紹介しましたが、
通常はどうやら店舗ではないようです。


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その位置で、さらに川端通を北に向いています。
この辺の家屋は一見最近の建物ですが、
よく見ると犬矢来や格子窓が付けられていた跡があります。
ですから、この辺りの建物は京町家の看板建築と分かります。


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川端通沿いに、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
では、お参りして先を進みます。


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京阪電鉄「喜四図五条」駅5番出口から、約100m北上しました。
こちらで、川端通は六波羅裏門通と交差します。


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「六波羅裏門川端」交差点南東角に、漬物屋さんが建っています。
店構えからかなりおいしそうですが、
現在自分は塩気の多い漬物を食べることを禁じられています。
ですから、ここは泣く泣く素通りです。


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川端通から、六波羅裏門通を東に向いています。
ここは花街宮川町ですが、約150m先から「六原」地区に入ります。
かつて京都で墓所だった場所ですね。
(鳥辺野蓮台野化野と同様です)


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六原裏門通から、川端通を北上しています。
左(西)側に桜並木が続きますが、こちらは鴨川沿いの桜並木の一部で
毎年春になるとここ宮川町も絶景になります。


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六波羅裏門通から、川端通を約150m北上しました。
ここで川端通は、松原通と交差します。


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川端通から、松原通を西に向いています。
松原通は、ここから鴨川に架かる松原橋(旧五条大橋)を渡ります。
(第24回ブログで進んだルートです)


717-24.jpg
今度は川端通から、松原通を西に向きました。
左(北)側には飲食店が並びますが、
右(南)側には児童公園があります。
いつもはたくさんの幼児や児童がいらっしゃるのですが、
先程まで結構強い雨が降っていたので誰もいません。
第714回ブログとコースが重なるのは、ここまでです。


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川端通から松原通を約20m進み、南を向きました。
先程の児童公園の東側に、松原通から南に小径が伸びています。
こちらは、第684回ブログの最後の方にも出て来た問屋町通です。
つまり問屋町通は、松原通~正面通間の道です。
松原通以南は、地面がアスファルトから石畳に変わります。
次は、こちらを南下します。


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松原通から、石畳の問屋町通を南下しています。
辺りには京町家が建ち並び、その大半が飲食店やお茶屋です。
まだ日中の営業時間でないせいもあって閑散としていますが、
夕方6時も回れば様相は一変します。
(ウチのデジタルカメラは夜間撮影不可なので、
この時間帯に撮影しています)


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さらに、問屋町通を南下しています。
この辺りに、京町家が数軒並んでいますね。
それほど大きくないので自分は置屋だと思っていたのですが、
1軒1軒表札を見ると全てお茶屋でした。


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その辺りに、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
消火器の鉄箱に「宮六」と書かれていますが、
これはこの辺りの町内「宮川筋6丁目」を表しています。
京都市街地では町内に1体お地蔵さんがいらっしゃいますので、
こちらは宮川筋6丁目のお地蔵さんです。
(地蔵盆には大活躍されるのでしょうね)
では、こちらにお参りして先に進みます。


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松原通から、問屋町通を約150m南下しました。
ここで問屋町通は、六波羅裏門通と交差します。


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問屋町通から、六波羅裏門通を東を向いています。
六波羅裏門通は約20m先で突き当たっていますが、
あの辺りで六波羅裏門通は、川端通と交差しています。
つまり、あちらが先程通過した地点です。


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今度は六波羅裏門通から、問屋町通を南に向きました。
ここからまた、石畳だった道がアスファルトに戻ります。
では、さらに問屋町通を南下します。


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六波羅裏門通から、問屋町通を南下しています。
こちらにタバコ屋さんのカウンターがありますが、
店の様子と商品が置かれていないことから、
もうだいぶ前に閉められているのでしょうね。
また奥に飲料水用の冷蔵庫もあることから、
多分ここは元々お好み焼き屋さんなのでしょう。


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また六波羅裏門通以南の問屋町通には
お茶屋さんなど花街独特の店舗が姿を消します。
代わりに、古い京町家が並ぶようになります。
門の形状や格子窓の形式から、京町家と思われます。


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その家屋の小屋根の上に、こちらがいらっしゃいました。
縁起物の鍾馗像ですが、こちらも京町家によくおられます。


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さらに、問屋町通を南下しています。
お茶屋さんなど花街独特の様子ではなくなっており、
完全に古い京町家の住宅街に見えます。


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さらにさらに、問屋町通を南下しています。
古い京町家があちこち並んでいますが、
時折飲食店も点在しています。


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さらに問屋町通を南下していると、
お地蔵さんの脇に、酒樽が積まれていました。
どうやらお酒を出すのがメインの飲食店のようですが、
時間帯の関係でこの辺りの飲食店はほぼ閉まっています。


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そのお店の前で、問屋町通を南に向きました。
この先で、問屋町通は五条通と交差します。


717-39.jpg
五条通から、問屋町通を南に向いています。
この先に、半兵衛麩本店の看板が小さく見えますね。
問屋町通は、約400m先の正面通で突き当たります。


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問屋町通から、五条通を西に向いています。
この先に、京阪電鉄「清水」駅4番出口が見えますね。
つまり、これでこの辺を1周したことになります。
これで、花街宮川町のおよそ西半分を回りました。
後の花街宮川町東半分はこの後に回りますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、ここまでとします。

~次回は、宮川筋を北上します~

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第718回 宮川筋散策~宮川町散策~その2

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鴨川沿いの川端通から1本東の問屋町通から、
五条通を東に向いています。
前回ブログで花街宮川町の西半分を散策しましたが、
今回は東半分の宮川筋を北上します。
撮影日は2020年1月23日木曜日午後2時半。
雨上がりなので、地面が濡れています。


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問屋町通から、五条通を約50m東に進みました。
ここで五条通は、鞘町通と交差します。
第149回ブログで七条通沿いの喫茶店AMAZONに入った通りです。
なお、ウチのブログでは五条通以北の鞘町通を
特に「宮川筋」と呼称します。
要するに、花街宮川町の中心です。


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宮川筋から、五条通を東に向いています。
毎年8月上旬に、この辺りで陶器祭が開催されます。
また約800m先に大谷本廟が建っており、
さらに約1㎞先に清水寺が建っています。


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五条通から、宮川筋を北に向いています。
左(西)側は京都中央信用金庫の支店で、
右(東)側は八百屋さんと言いますか地域スーパーの横側です。
では、こちらから宮川筋を散策目的で北上します。


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五条通から、宮川筋を北上しています。
左(西)側の住居は犬矢来や格子窓の跡から、京町家だと分かります。
右(東)側は漬物屋さんの老舗ですが、
基本的にはこの辺りは住宅街です。


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漬物屋さんの老舗の北側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらをお参りして、先を進みます。


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そのお地蔵さんの前で、宮川筋を北へ向いています。
この辺りはだんだんマンションが増えていますが、
売家もいくつかあります。
宮川筋は五条通から約180m北で、六波羅裏門通と交差します。


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宮川筋はこの六原裏門通で突き当たっているように見えますが、
近づいてみると筋違いでまだまだ北に伸びていることが分かります。
宮川筋は、六波羅裏門通以北が花街宮川町です。


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宮川筋から、六波羅裏門通を西に向いています。
六波羅裏門通は、約70m先の川端通で突き当たります。
(前回ブログ参照)


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今度は宮川筋から、六波羅裏門通を東に向きました。
約50m先が森下通(本町通)最北端で、
そこから東は第151回ブログを参照してください。


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六波羅裏門通から、宮川筋を北に向いています。
ここから宮川筋の地面が、アスファルトから石畳に変わります。
つまりここ以北が、花街宮川町です。


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六波羅裏門通から、宮川筋を北上しています。
その六波羅裏門通から約10m北に、お豆腐屋さんがあります。
こちらの「千代豆腐」は、京都でも屈指の老舗豆腐屋です。


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千代豆腐の店内に入ると、ちょうど木綿豆腐を揚げておられました。
そこで、その油から上げた直後のものをその場で買いました。
約30年前、祇園の南座の南隣に(川端通沿いです)
「道楽」というおでん屋さんがありました。
当時自分はその店の常連だったのですが、その「道楽」の
おでん種のうち豆腐由来のものはここで仕入れられていました。


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まぁ厚揚げですからおでんが普通なのですが、
何しろ「揚げたて」ですので、揚げ出汁豆腐にしてみました。
(店を出てから、約2時間後の調理です)


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さらに千代豆腐で汲み上げ湯葉も買いました。
その祇園のおでん屋「道楽」で、出されたものそのものです。


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汲み上げ湯葉は、このように刺身状にして食べます。
「刺身状」ですので通常はワサビ醤油で頂くのですが、
その「道楽」の常連だった金子信夫氏
「ワサビ醤油で食べると、湯葉から漂う大豆の香りが消えてしまう」
そうおっしゃって以来、
その店では醤油数滴だけで出されていたそうです。
自分は何も掛けないほうが、大豆の甘さが前面に出て好きです。


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千代豆腐の前で、宮川筋を北に向いています。
この辺りは完全に花街ですので、お茶屋さんが建ち並んでいます。


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千代豆腐から約50m北に、こちらの京町家が建っています。
店頭からは分かりにくいですが、こちらは和菓子店です。


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宮川町の和菓子店名月堂で、こちらを買いました。
約20年前に、花びら餅を買い求めて以来の入店でした。



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包装紙を外して、皿に並べました。
四角形ですが、求肥の饅頭です。
中は味噌餡ですね。(味噌が入った小豆餡のことです)
緑色は草餅で、焦げ茶色は黒糖風味です。


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名月堂の前で、宮川筋を北に向きました。
相変わらず、お茶屋さんが並んでいます。
この先で、宮川筋は松原通と交差します。


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宮川筋から、松原通を西に向いています。
約50m先に、鴨川東岸の川端通が見えますね。
あの辺りが、花街宮川町最西端です。(前回ブログ参照)


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今度は宮川筋から、松原通を東に向きました。
第714回ブログではここから松原通を約150m進んで、
大和大路を北上しました。(「10日ゑびす」の参道です)


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そして松原通から、宮川筋を北に向いています。
またお茶屋が建ち並びますが、ここから道幅が狭くなり
この辺りがいちばん花街らしい町並みになります。

辻の北東角の京町家は、チョコレート専門店です。
喫茶スペースもありイートインもできますが、
ウィンドウショッピングや「冷やかし」は厳禁です。
(表の張り紙に、そう書かれていました)
価格はスマートフォンで分かるそうですが、
自分は携帯電話を一切使用していません。
中に入って買えない価格だと困るので、
ここは泣く泣く素通りします。


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松原通から、宮川筋を北上しています。
両脇の京町家は、全てお茶屋などの飲食店です。
まぁこの辺りが、宮川町でいちばん花街らしい町並みですね。


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宮川筋を北上していますと、こちらの路地が見えてきました。
この奥に、フレンチレストランがあるようです。
(まだ開店時間ではないので、閉まっていました)


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その路地から、宮川筋を北に向いています。
左(西)側のお酒屋さんはこの時は開いていませんでしたが、
この宮川町各店のお酒を卸しているのでしょうね。
では、右(東)側の広場状になっている場所に向かいます。


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こちらが、その広場状になっていた宮川町の歌舞練場です。
宮川町の舞妓さんが、こちらで日本舞踊などの練習をしています。
また毎年4月に京おどりがここで開催されていて、
舞妓さんたちが1年の修練の成果を見せる日本舞踊を舞われます。

宵ゑびす参拝直後の第715回ブログでは、
最後の写真でこの歌舞練場の裏側が写っていますが、
歌舞練場の中に入るにはこちらが椀回り込まないといけません。


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その宮川町歌舞練場の前で、西を向きました。
ここに約50m先の川端通まで伸びる道があって、
自動車がこの近くまで入れるようになっています。
(この辺りの宮川町筋は道幅が狭いので、
自動車が一切入れないようになっています)


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宮川町歌舞練場の前で、宮川町筋を北に向いています。
左(西)側に蕎麦屋さんが見えますが、
まだまだ午後3時を回ったところなので開いていません。

目の前に和装の集団がいらっしゃいますが、
多分観光客が貸衣装を着こまれたものです。
実は途中で舞妓さんや芸妓さんらしき集団に何度か出会いましたが、
ウチのブログでは舞妓さんや芸妓さんの日常は
なるべく写さないようにしています。
まぁ、一種のマナーですね。


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さらに宮川町筋を北上しています。
宮川町歌舞練場から約50m北に、改築中の建物が見えます。
その北側に、右(東)に伸びる路地が見えます。


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宮川町筋から、その路地を東に向いています。
この路地は、約50m先の新道通で突き当たります。
よく見ると、そこにゑびす神社の裏門が見えますね。
(第716回ブログの冒頭ですね)


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その路地から、宮川町筋を約50m北上しました。
この先で、宮川町筋は宮川町東西通と交差します。


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宮川町筋から、宮川町東西通を西に向いています。
この道は、約30m先の川端通で突き当たります。
この辺の道は少し斜めなので、
道と道の距離が場所によって大きく違います。


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今度は宮川町筋から、宮川町東西通を東に向きました。
こちら側は、約100m先の大和大路で突き当たります。
(第716回ブログでは露店が並んでいた通りです)


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さらに宮川町東西通から、宮川筋を北に向いています。
では、こちらを北上します。


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宮川町東西通から、宮川筋を北上しています。
右(東)側にはまだまだ飲食店が続きますが、
左(西)側にはマンションが建ち並びます。
おそらくですが、このマンションは宮川筋というよりも
さらに西側の川端通(鴨川東岸)に建てたのでしょうね。


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宮川町東西通から、宮川筋を約120m北上しました。
ここで宮川筋は、団栗通で突き当たります。
団栗通は、花街宮川町の最北端です。


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宮川筋から、団栗通を東に向いています。
この辺りは花街宮川町と花街祇園の境目で、
ちょっと安めの飲食店や呑み屋さんが建ち並びます。
約50m東の新道通との角に、
ジンギスカン屋の「錦キムラ」が建っています。
(第282回ブログでこちらに立ち寄りました)


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今度は宮川筋から、団栗通を西に向きました。
目の前で、団栗通は川端通と交差しています。
さらにその先の団栗橋で鴨川を渡って、
団栗通は高瀬川沿いの木屋町通まで続きます。


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その団栗通と川端通との交差点に、
京阪電鉄「祇園四条」駅への地下通路があります。
では、こちらから京阪電鉄「七条」駅経由で帰宅しました。

~次回は、いよいよ節分ですね~

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第809回 七條甘春堂の竹の子~大黒町通南から北~その1

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。


今回からは、約2年ぶりに「道ブログ」を連載します。
本来なら「道ブログ」の~その1~は写真を掲載しないのですが、
今回紹介する大黒町通はとても短い道で、(七条通~松原通間です)
そういう時は~その1~でも写真を掲載する記事を載せます。


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京都駅北側市バスターミナルから、206系や208系など
七条通を東へ進む市バスに乗って、約12分。
こちらは、「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回はここから七条通を西に進み、その後大黒町通を北上します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日午後3時。
1936年に東京で大きな事件があった日でありますが、
三浦知良選手の誕生日でもあります。


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「博物館・三十三間堂」バス停の前で、七条通を東に向いています。
目の前に、「三十三間堂前」交差点がありますね。
右(南)側に208系市バスが停まっていますが、
こちらは自分が乗ってきた市バスではありません。
自分が乗っていた206系市バスは、数分前に出発しています。


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「三十三間堂前」交差点で、七条通を北に向きました。
こちらは、京都国立博物館です。
ただこの日はコロナウィルス蔓延防止特別措置が発動中なので、
特別展は催されていません。
代わりに、前田珈琲 京博店のイーゼルが目立ちますね。


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「三十三間堂前」交差点で、七条通から南に向きました。
七条通以南に、塩小路まで「三十三間堂廻り」という道が伸びます。
この辺りには、安土桃山時代に豊臣秀吉が作り上げた
大仏殿を中心とした一大宗教施設が並んでいました。
この「三十三間堂廻り」も、その当時からある道です。
ですから、この道の周辺には三十三間堂だけでなく
2022年の節分会を取材した法住寺もあります。
(詳細は、第806回ブログ参照)


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「三十三間堂前」交差点で、七条通を西に向いています。
では、ここから「博物館・三十三間堂」バス停に戻ります。


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「博物館・三十三間堂」バス停に戻って、
その位置で七条通を西に向いています。
左(南)側の塀の向こうは、三十三間堂です。
右(北)側の赤煉瓦の向こうは、京都国立博物館です。
既に東山の阿弥陀ヶ峰(日吉ヶ丘)の稜線に入っているので、
西に向かうと相当急な下り坂ですね。


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「博物館・三十三間堂」バス停から、
七条通を西に約100m進みました。
ここで七条通は、大和大路と交差します。


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七条通から、大和大路を南に向いています。
大和大路が、三十三間堂境内の最西端です。
その向かい(西)側の病院が、工事中ですね。


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さらに七条通から、大和大路を北に向きました。
こちらも、京都国立博物館の最西端ですね。
京都国立博物館の北隣は豊国神社ですが、
そちらへは次回ブログで参拝します。
(大和大路の詳細は、第223回ブログ参照)


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今度は大和大路から、七条通を西に向いています。
では、大和大路の横断歩道を西側に渡ります。


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大和大路の横断歩道を渡って、七条通を西に向いています。
北が五条通、東が東大路、南が塩小路に囲まれた地域で
鴨川より東なので、この辺りを東山区鴨東(おうとう)地区と呼びます。
平安時代は後白河上皇が院政を行った地域で、
安土桃山時代は豊臣秀吉が宗教施設群を建てた場所です。
大和大路~鴨川間の七条通は「七条鴨東商店街」を形成しています。
観光地なので、飲食店が多い商店街ですね。
「大和大路七条」交差点北西角に、七條甘春堂本店があります。
甘春堂とは、また別の和菓子匠です。
(たぶん暖簾分けされたのでしょう)


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七條甘春堂の店頭を覗いています。
こちらのショウウィンドウに食べられる茶器が置かれています。
甘春堂の名物商品ですが、七條甘春堂でも昔から作られています。
多分大昔は同じ店だったので、どちらも権利を有しているのでしょう。


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自分も東山区鴨東地区の住人ですが、こちらのお店は初来店でした。
特に他意はないのですが、いつも正面通の甘春堂を利用していました。
七條甘春堂よりも、ウチとの距離が近いからでしょう。
今回は熟考の末、こちらを購入しました。
上から、和菓子の「桜はんなり」と「竹の子」です。
こちらは、抹茶を点てて戴きました。


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では包装を取って、中を出します。
上から、「桜はんなり」と「竹の子」です。


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その「桜はんなり」を大写ししました。
饅頭の皮には、おそらく卵黄が入っています。
「おそらく」というのは、自分がこちらを戴いていないからです。
(こちらは、ウチの母が戴きました)
ウチの母は、「おいしいけど、いつもの饅頭とは違う」
と言うだけで、具体的なことは聞けませんでした。
ですから、お味はよく分かりません。


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そして、こちらが「竹の子」です。
白餡を白餡で包んでいるのですが、練り切りではありません。
外は、しっかりと焼かれています。
上の部分が黄色いのは、焼く前に卵黄が塗られていたからです。
しかも中の白餡に、筍のみじん切りが入っています。
形だけでなく、お味も「竹の子」を感じます。
まぁ和菓子ですので、しっかり甘いですが……


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七條甘春堂の入り口は、西隣にもあります。
こちらは、同じ七条甘春堂でも「喫茶室」に行けます。
コーヒー、抹茶、お汁粉などもありますが、
注文すれば「釜揚げうどん」も戴けます。


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七條甘春堂本店の前で、七条通を西に向いています。
では、このまま七条通を西に進みます。


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駐車場を挟んで七條甘春堂本店の西隣は、
ウナギ専門の本格的京料理屋さん「わらじや」です。
「う雑炊」(ウナギ入りの雑炊)が名物ですが、
自分の財布ではちょっと手が届かないお店です。
まぁ、本格的京料理の料亭ですからね。


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その「わらじや」さんの前で、七条通を西に向いています。
目の前で右(北)に伸びる小路が、大黒町通です。


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大黒町通から、七条通を西に向いています。
この先の店先にテントが張ってあるお店は、八つ橋屋さんです。
自分は焼いた八つ橋が好物なので、ここの常連です。
ただ、京のお店 今日のお品掲載を断られてしまいました。
ですから、屋号は書きません。
そして、その西隣はココ一番館です。
約40年前は、ここは8番らーめんでした。


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今度は、その位置で南を向きました。
七条通の向かい(南)側に、つるき餅本舗 七条店が見えますね。


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そして七条通から、大黒町通を北に向いています。
では、ここからは大黒町通を北上します。


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七条通から、大黒町通を北上しています。
多少建物の移り変わりはありますが、
この辺りの雰囲気は約40年前と大きくは変わりません。
新しい住宅も建っていますが、京町家もかなり残っています。


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七条通から、大黒町通を約100m北上しました。
左(西)側には新しい住宅が並びますが、
右(東)側には京町家が建ち並びます。


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京町家の壁に、京都市の広報からの掲示板があります。
また、右(南)側のブリキ製の表札には
「東山区大黒町通正面下がる下蛭子町」そう書かれていました。


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先の程の京町家から、大黒町通を約50m北上しました。
右(東)側の京町家の東隣の家屋も、
その形状から元々は京町家と分かります。


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こちらは、先程の京町家から斜め向かいに位置します。
この京町家は、看板から酒屋さんと分かります。
この日(2022年2月26日)は、お店を閉められていました。


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その酒屋さんから、約50m大黒町通を北上しました。
こちらの数珠屋さんは、この時間帯は開いていました。
店内でお店の方が数珠を製造されていましたが、
さすがに中を覗き込んでの撮影は、やめました。


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その数珠屋さんの前で、大黒町通を北に向いています。
大黒町通が耳塚に道幅を狭められていますが、
その先で大黒町通は正面通と交差します。
ここからはこの正面通周辺を散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、豊国神社を参拝します~

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第810回 豊国神社に参拝~大黒町通南から北~その2

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前回ブログで、七条通から大黒町通を約200m北上しました。
目の前の耳塚を通り過ぎると、大黒町通は正面通と交差します。
今回は正面通を東に進み、豊国神社に参拝します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日午後3時15分。
この日は、ずっと快晴でした。


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正面通から、大黒町通を北に向いています。
この辺りの正面通は、中央分離帯のある4車線の道幅です。
一方正面通以北の大黒町通は、むしろ道幅が狭くなります。
交差点の北西角に建つ浄土宗西山檀林派熊谷山専定寺は、
次回ブログで取材します。


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今度は大黒町通から、正面通を西に向きました。
正面通は約50m先の本町通で、道幅が狭くなります。
本町通から正面通をさらに西に進むと、
川魚店の大国甘春堂本店に辿り着けます。


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さらに大黒町通から、正面通を東に向いています。
今回ブログはこちらを進み、正面通東端の豊国神社にお邪魔します。


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大黒町通から、正面通を東に進んでいます。
こちらが、正面から見た耳塚です。
ここ東山区鴨東地区には、安土桃山時代に豊臣秀吉によって
大仏殿や豊国廟(豊臣秀吉のお墓)を中心に、
一大宗教施設群が建造されました。
この耳塚もその宗教施設群の一部で、
1592年・1597年の文禄・慶長の役での韓国人戦死者の耳を
こちらに葬った一種のお墓です。
豊臣秀吉がこちらを建立した理由は不明ですが、
考えようによってはこちらは韓国人戦死者の戦没碑でもあります。
ですから、現在は日本・韓国両国政府がこちらを整備しています。


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耳塚から、正面通を東に向いています。
ここから、正面通の突き当りに向かいます。


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耳塚の東隣に、こちらの耳塚児童公園があります。
午後3時半を回り近くの小学生で溢れていたので、
この石碑周辺しか写せません。

こちらは明治時代初期には空き地だったようで、
明治天皇夫妻がこちらまで行幸された際、
昭憲皇后がお疲れになったので休憩された跡です。
その後こちらは京都市立第27区尋常小学校となり、
大正時代になって児童公園となりました。


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耳塚児童公園の前で、正面通の向かい(北)側を見ています。
この辺りの正面通には中央分離帯があって、
そこに百日紅(さるすべり)並木が続いています。
ですから、この辺りは毎年8月になると絶景になります。
(第149回ブログ参照)
そのさらに北側に、甘春堂 東店が建っています。
こちらには、次回ブログで立ち寄ります。


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大黒町通から、正面通を約50m東に進みました。
ここで、正面通は大和大路で突き当たります。


810-11.jpg
正面通から、大和大路を北に向いています。
4車線の道ですが、約100m先で1車線一方通行の道になります。
(詳しくは、第224回ブログ参照)


810-12.jpg
今度は正面通から、大和大路を南に向きました。
約200m先に、前回ブログの「七条大和大路」交差点があります。
この辺の詳細は、第223回ブログ参照)


810-13.jpg
さらに、大和大路から正面通を東に向きました。
横断歩道の先に、豊国神社がいらっしゃいます。


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先程の横断歩道を渡り、東を向いています。
では目の前の石段を上り、豊国神社境内に入ります。


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先程の石段を上り豊国神社一の鳥居をくぐり、
豊国神社境内を東に向いています。
ここから、ゆっくり目の前の本殿に向かいます。


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一の鳥居前から、豊国神社境内を東に進んでいます。
先ずは、こちらの手水舎に向かいます。


810-17.jpg
その手水舎を大写しします。
コロナ禍のご時世から、柄杓は取り除かれてます。
金色の瓢箪から出る水で、直接手を清めるようになっています。


810-18.jpg
豊国神社手水舎の前で、境内を東に向いています。
ここからは、あちらの豊国神社本殿に向かいます。


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こちらが、豊国神社本殿です。
ご祭神は、豊国大明神つまり豊臣秀吉です。
東山区鴨東地区は平安時代末期は法住寺殿でしたが、
(後白河上皇の院政が取り仕切られた場所です)
安土桃山時代は「大仏殿」・豊国廟を中心とした
豊臣秀吉による一大宗教施設群でした。
そしてこの豊国神社本殿の位置に、その大仏殿の本堂がありました。
(厳密には、本殿東隣の緑地公園付近)
この神社は、明治時代に「大仏殿」跡に建立された神社です。
ただし、安土桃山時代からその「大仏殿」の鎮守社として
豊国神社という神社はこの辺りにいらっしゃいました。
(ただし江戸時代は、ほぼ廃社状態でした)


810-20.jpg
その豊国神社本殿の袂に、こちらがいらっしゃいます。
「招福白虎」と書かれていましたが、この近所の
京都芸術工芸大学の学生さんの作品のようです。


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豊国神社本殿前から、境内を南に向いています。
駐車場の奥(南側)に、こちらの社務所があります。
左(東)側が宝物殿の入り口ですが、
今回は時間の都合で宝物殿には立ち寄りません。
(宝物殿の詳細は、第149回ブログ参照)


810-22.jpg
今度は豊国神社本殿前で、境内を北に向きました。
今回は、こちらの方に向かいます。


810-23.jpg
豊国神社本殿前から、境内を北上しています。
すると、そちらに稲荷社の朱い鳥居が見えてきました。


810-24.jpg
こちらが、その末社の稲荷社です。
赤い鳥居が続く様子は、稲荷社にはよくある形式ですね。
ただ、社には「槙島大明神」と書かれていました。


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その稲荷社の前で、北を向きました。
ただ目の前の車止めを越えると、
豊国神社を出て天台宗方広寺境内に入ります。


810-26.jpg
先程の車止めを越えて、すぐに右(東)に向いています。
左(北)側は方広寺の鐘楼で、右(南)側が先程の稲荷社です。
このまま東に進むとそのまま路地となって、住宅街に辿り着けます。
そして、その辺りに「大仏殿址緑地公園」があります。
(詳しくは、第616回ブログ参照)


810-27.jpg
その路地の北側には、方広寺が経営する駐車場があります。
ただ、こちらには江戸時代中期に造営された
廬舎那仏がいらっしゃいました。
それが、1973年に失火により焼失しました。
(自分も野次馬のの一人だったので、よく覚えています)


810-28.jpg
その駐車場の西側に、天台宗方広寺の本堂があります。
安土桃山時代に豊臣秀吉がこの辺りに建立した大仏殿の後継寺院です。
大仏と言えば奈良市の華厳宗東大寺にいらっしゃる大仏が有名ですが、
安土桃山時代に織田信長によって東大寺は焼失していました。
(その後江戸時代初期に、東大寺は再建)
そのため、豊臣秀吉が京都に廬舎那仏(大仏)を再建しました。
それがこの東山区鴨東地区に広がる一大宗教施設群なのですが、
権力者が変わった江戸時代になると、暫くこの辺りは放置されました。
そのうち肝心の大仏も様々な理由で焼失しました。
その後大仏殿の後継寺院として、
江戸時代半ばにこの方広寺が再建されました。
江戸時代にこの辺りの住民が何度か大仏を再建したのですが、
何度も焼失して現在方広寺に大仏は現存しません。
ですから本殿には決して大きくない廬舎那仏がご本尊としていらして、
さらに焼失した初代の大仏の足の甲だけ残っています。


810-29.jpg
方広寺本殿の南側に、重要文化財の鐘楼があります。
次は、こちらに向かいます。


810-30.jpg
こちらが、方広寺鐘楼の鐘です。
現在のご住職が、鐘の一部を白墨で強調されています。
そちらには、「国家安康」「君臣豊楽」と書かれています。
「徳川家康の首を刎ねようと呪いをかけた」と徳川家康が主張し、
それが1614年~1615年の大坂の陣の一因となりました。
(豊臣氏が滅亡した一因ですね)
この鐘は江戸時代はその辺に放置されていましたが、
明治時代に入って豊国神社境内からこちらに置かれました。


810-31.jpg
方広寺鐘楼の天井部分を撮りました。
天井の板には、このように飛天が描かれています。


810-32.jpg
さらに、方広寺鐘楼天井に描かれた飛天を写しました。
豊国神社や方広寺境内は、自分が子供のころの遊び場でした。
自分が小学生低学年のころまでは、方広寺の鐘は
50円(子供のお小遣いの金額)を支払えば誰でも鐘を衝けました。
どうもいたずらで鐘が壊れそうな衝き方をした大人がいたようで、
それ以降鐘楼内は立ち入り禁止になっています。
(ここの僧侶ではなく、子供のころ近所の小父さんに聞きました)


810-33.jpg
方広寺鐘楼を背に、方広寺境内で西を向いています。
では、こちらの石段を下ります。


810-34.jpg
方広寺本堂前で、境内で西を向きました。
では、こちらの坂道から方広寺を出ます。
目の前は、大和大路ですね。


810-35.jpg
方広寺の前で、大和大路を北に向いています。
この先で、急に道幅が狭くなっていますね。
右(東)側の石垣は、安土桃山時代のものをそのまま使用されています。
この石垣は、現在京都市指定文化財に指定されています。


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今度は、方広寺の前で大和大路を南に向きました。
今回は、このままこちらを南下します。


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方広寺の前から大和大路を約100m南下して、
豊国神社を背に西に向きました。
では、ここからは正面通の北側歩道を西に進みます。


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大和大路を西に渡り、その位置で正面通北側歩道を西に向きました。
では、ここから大黒町通を目指して西に進みます。


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大和大路から、正面通北側歩道を約50m西に進みました。
こちらに、甘春堂東店が建ってあります。
大黒町通に戻る前にこちらに寄り道しましたが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は甘春堂東店で休憩した後、大黒町通を北上します~

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第811回 甘春堂で栗ぜんざい~大黒町通南から北~その3

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前回ブログで豊国神社に参拝し、正面通を西に進みました。
こちらは、甘春堂 東店です。
今回はこちらに立ち寄った後、大黒町通を北上します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日の午後3時半。
この日は、一日快晴でした。


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甘春堂東店に入店し、ブログ取材の許可を取りました。
こちらは第809回ブログで取材した七條甘春堂とは、
経営者が異なる別企業です。
(たぶん元々は同じお店だったものが、暖簾分けしています)

この日(2022年2月26日)は1Fにはお客が自分ひとりでしたが、
2Fからたくさんの方々の話し声がしました。
どうやら、「和菓子教室」が開講中でした。


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1Fは自分一人なので、遠慮なくいつもの坪庭前の席に就きました。
よく来るお店なので、「勝手知ったる他人の家」状態です。
店員さんに注文をして、ここで暫し待ちます。


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注文してから、約10分経ちました。
すると、こちらがやって来ました。


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お椀の蓋を取りました。
撮影日が早春ということもあり、温かいぜんざいを頼みました。


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そのぜんざいを大写ししました。
これだけ煮込んでも小豆の粒が潰れていないのは、
このお店の職人の為せる業です。
白玉粉で作られたお餅以外にも、
色の付いた最中の皮が入っています。
小豆か何かを挟むためのものかもしれませんが、
自分はそのまま戴きました。


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最中の皮だけ戴いた後、再びぜんざいを撮りました。
すると、ぜんざいの中に栗が入っていました。
つまり、こちらは栗ぜんざいです。
生の状態のときに、栗の皮と渋皮を包丁で向いていますね。
和菓子に限らず、和食や中華料理の調理時の下ごしらえです。
確か、フランス料理でも同様の下ごしらえをします。
生の栗を小豆同様時間をかけて煮込んでいるので、
ホクホクして甘い栗に仕上がっています。


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栗ぜんざいを戴き、甘春堂 東店を出ました。
その甘春堂 東店の前で、正面通を西に向いています。
ここからは、このまま西に進みます。


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甘春堂 東店から、正面通を西に約50m進みました。
ここで正面通は、大黒町通と交差します。
このまま正面通を東に進むと、
炭火焼うなぎ 川魚 大国甘春堂 本店があります。
(詳しくは、第684回ブログ参照)


811-9.jpg
今度は正面通から、大黒町通を南に向きました。
目の前に、耳塚が立っています。
第809回ブログでは、七条通から正面通まで北上しました。


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そして正面通から、大黒町通を北に向きました。
北西角に、浄土宗西山檀林寺派熊谷山専定寺(烏寺)が建っています。
平安時代後期の建立ですから、豊臣秀吉関連寺院ではなく
後白河上皇関連寺院なのですが、
「方広寺七不思議」として結構有名な寺院です。
ご本尊は阿弥陀如来ですが、非公開寺院です。

平安時代後期に専定という僧侶がいらして、
知人の熊谷漣生坊の見舞いに向かう途中、ここを通過しました。
そのとき2羽の烏が現れて、
「熊谷漣生坊が、たった今亡くなられました」
そう専定に知らせました。
慌てて専定が熊谷漣生坊宅を訪れたところ、
ちょうどその時刻に熊谷漣生坊が病死されていたそうです。
そこで専定がこの位置に寺院を建立したのが、
この専定寺の沿革です。


811-11.jpg
さらに正面通から、大黒町通を北に向いています。
左(西)側が、先程の専定寺ですね。
ここからは、この大黒町通を北上します。


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正面通から、大黒町通を約50m北上しました。
専定寺の北東角に、お地蔵さんがいらっしゃました。
ではこちらにお参りして、先に進みます。


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そのお地蔵さんの前で、大黒町通を北を向いています。
ここからは、さらに大黒町通を北上します。


811-14.jpg
先程の位置から、大黒町通を約100m北上しました。
この辺りから、また古い家屋が建ち並びます。
左(西)側のカメラ店は、だいぶ前に閉店されています。


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そのカメラ店の北側に、路地が西へと続きます。
ここからでも、その先に小さな京町家が並んでいることが分かります。


811-16.jpg
その路地の前で、大黒町通を北に向いています。
約30m先で、大黒町通が突き当たっているように見えますが……


811-17.jpg
その「突き当り」まで、近づいてみました。
すると、この大黒町通が東に筋違いになっていることが分かります。


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その筋違いで大黒町通を東にずれ、北を向いています。
ここからは、このまま大黒町通を北上します。


811-19.jpg
先程の筋違いから、大黒町通を約10m北上しました。
すると、右(東)側にまたお地蔵さんがいらっしゃいます。
大黒町通も、ほかの道同様お地蔵さんがたくさんいらっしゃいます。
ではこちらのお地蔵さんにもお参りして、先に進みます。


811-20.jpg
そのお地蔵さんの向かい側(西側)に、天台宗の稍名寺が建っています。
ここからは、こちらの寺院に訪問します。


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門をくぐり、浄土宗稍名寺境内に入ってきました。
稍名寺の境内は、「うなぎの寝床」上に西に伸びています。
では、このまま西に進みます。


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稍名寺境内最西端に、こちらの方丈が建っています。
その手前に、きれいな花が咲いていました。
こちらは……白梅ですね。
撮影日(2022年2月26日)は、白梅の盛りでした。


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稍名寺境内に咲く白梅の西側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
先ずは、こちらにお参りします。


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方丈とお地蔵さんの間に、稍名寺の鐘楼があります。
ただ……日が傾いたため、写真は暗くなってしまいました。


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稍名寺方丈を正面から撮りました。
ブザーや郵便受けがあることから、
こちらの僧侶の生活スペースであることが分かります。


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稍名寺方丈の右(北)側でお地蔵さんの向かいに、
浄土宗稍名寺の本堂があります。
ご本尊は、たぶん阿弥陀如来像です。

こちらは江戸時代初期の建立で、もとは天台宗寺院でもありました。
開基の誠誉白竜は浄土宗の僧侶ですが、
元々この寺院を建立しようとしたのは天台宗妙法院の座主でした。


811-27.jpg
本堂脇に、こちらの立て札が立っています。
「弁慶石」は、源義経が武蔵坊弁慶と主従の盃を交わしたとされる
場所にあった石らしいです。(あくまで、伝説です)


811-28.jpg
こちらが、その「弁慶石」の実物です。
元々は鞍馬寺にあったそうですが、あちこち変遷を繰り返し
最終的にこの稍名寺にやって来ました。


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その「弁慶石」の前で、稍名寺境内を東に向きました。
では、ここを進み稍名寺を出ます。


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浄土宗稍名寺の前で、大黒町通を北に向いています。
だんだん五条通が視界に入ってきましたが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、大黒町通を五条通まで進みます~

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第812回 ラーメン藤で唐揚げ~大黒町通南から北~その4

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811-30.jpg
ブログ3回分を使い、大黒町通を北上しました。
この段階で、浄土宗稍名寺の前で大黒町通を北に向いています。
今回は、ここから五条通まで北上します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日午後4時。
この日の取材は、今回までです。


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浄土宗稍名寺の前で、大黒町通から東を向きました。
こちらの路地の奥に、小さな祠がいらっしゃいます。
先ずは、そちらに向かいます。


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こちらが、その小さな祠です。形状から、稲荷社でしょう。
では、こちらにお参りします。
ただ、祠の背後(東側)の大きな石が気になります。
一瞬石碑とも思ったのですが、文字がよく読めません。
……と言いますか、写真で改めて見返すとお墓のような気がします。
稲荷神がどちらかは諸説ありますが、
(宇迦御霊神陀枳尼尊天、菊姫大神など)
どちらもお墓や古墳を神格化する際に祀られることが多いです。
こちらも、その例かどうかは分かりませんが……


812-3.jpg
小さな稲荷社を背後に、西を向いています。
では、大黒町通に戻ります。


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稲荷社がいらっしゃる路地から、大黒町通を北に向きました。
ここからは、また大黒町通を北上します。


812-5.jpg
稲荷社がいらっしゃる路地から、大黒町通を約50m北上しました。
ここで大黒町通は、渋谷街道と交差します。


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大黒町通から、渋谷街道を西に向いています。
渋谷街道は、約100m先の本町通で突き当たります。


812-7.jpg
今度は大黒町通から、渋谷街道を東に向きました。
渋谷街道は京都盆地から山科に抜ける街道で、
平安時代から結構盛んに使われていました。
(現在の国道1号線と、東山山中で混ざります)
ですから、約70m先の大和大路との交差点や
東大路と交差する「馬町」交差点で、商店街を形成します。


812-8.jpg
渋谷街道から、大黒町通を北に向いています。
さらに、ここを北上します。


812-9.jpg
渋谷街道から、大黒町通を約50m北上しました。
こちらは、浄土真宗大谷派常徳寺です。
非公開寺院で、自分も沿革をよく知りません。


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浄土真宗大谷派常徳寺の前で、大黒町通を北に向いています。
あと約50mで、大黒町通は五条通と交差します。


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浄土真宗大谷派常徳寺の北隣に、こちらの洋菓子店がありました。
こちらのお店は自分は立ち寄ったことがないのですが、
近日中に「京のお店 今日のお品」に掲載予定です。

~2022年6月8日水曜日追記~
こちらは、Famille de Tchie Hariseです。
お店紹介の記事も既に書き上げ、
京のお店 今日のお品へのリンクも終えています。
詳しくは、ここをクリックしてください。


812-12.jpg
その洋菓子店の前で、大黒町通を北に向きました。
洋菓子店の北隣は老舗料亭の「はり清」で、
その向かい(東)側は京都東山郵便局ですね。
京都市東山区の郵便物を統括しています。


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先程の洋菓子店から、大黒町通を約30m北上しました。
ここで大黒町通は、五条通と交差します。


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大黒町通から、五条通を西に向いています。
五条通は京都市街地屈指のオフィスビル街ですが、
この辺りは清水寺への参道ということもあって、
特に北側歩道沿いには飲食店が多いですね。


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今度は大黒町通から、五条通を東に向きました。
右(南)側の京都東山郵便局は、京都中央郵便局並みに大きいですね。
大黒町通には五条通を渡る横断歩道がありませんので、
ここからはこちらを進みます。


812-16.jpg
大黒町通から、五条通を約70m東に進みました。
京都東山郵便局へは、ここから入ります。
そして、ここで五条通は大和大路と交差します。


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大和大路から、五条通を東に向いています。
約700m先で五条通は東大路と交差して、
その東側に大谷本廟があって、
そのまま東山に登ると清水寺に辿り着きます。


812-18.jpg
五条通から、大和大路を北に向いています。
この五条通を境に、南側が東山区鴨東地区で
北側が東山区六波羅(六原)地区です。
では横断歩道を渡り、大和大路を北上します。


812-19.jpg
大和大路を北上している途中で、五条通の横断歩道で西を向きました。
五条通は、京都市街地屈指の幅が広い大路です。
6車線の中央に公園にできるくらいの幅の中央分離帯があります。


812-20.jpg
では大和大路を北上し、五条通の横断歩道を渡り切ります。
これで東山区鴨東地区から、東山区六波羅地区に移ります。


812-21.jpg
大和大路から、五条通を西に向いています。
では、取り敢えず大黒町通を目指します。


812-22.jpg
大和大路から、五条通を約70m西に進みました。
ここで五条通は、大黒町通と交差します。


812-23.jpg
「五条大黒町」交差点北西角に、五健ういろ本店があります。
こちらには、次回ブログでお邪魔します。


812-24.jpg
五建ういろ本社から、五条通を西に3軒進みました。
こちらに、ラーメン藤五条店があります。
今回は、こちらに寄り道をします。


812-25.jpg
ラーメン藤五条店に、学生時代以来久しぶりに入店しました。
ただ、今回は学生時代に注文していたものと同じものを注文しました。
先ずは、この唐揚げです。
外見はらーめんの坊歩のものと似ていますが、
味付けが全然違います。
こちらは鶏肉にショウガ、ニンニク、醤油で味付けて、
片栗粉だけ付けて油で揚げています。
味噌などは入っていませんが、その分醤油に長時間漬け込んでいます。


812-26.jpg
そして、このラーメンも戴きました。
叉焼麺でなくても葱と叉焼の量が多くて、
結構ボリュームがありました。
また見た目以上に、スープが濃いですね。
ですから、これで満腹になってこれ以上の取材が厳しくなりました。
ですから、このお店を以って
この日(2022年2月26日)の取材を終えました。
今回は、ここまでです。

~次回は、日蓮宗寿延寺にお邪魔します~

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第813回 五建ういろの喫茶室~大黒町通南から北~その5

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先ずは京都駅からJR奈良線を1駅乗って、「東福寺」駅で降ります。
そこから京阪電鉄に乗り換えて2駅。
こちらは、京阪電鉄「清水五条」駅です。
今回はここから五条通を西に進み、大黒町通で北上します。
撮影日は、2022年3月3日桃の節句の木曜日午後2時。
予定の日蓮宗寿延寺には、今回ブログでは辿り着けませんでした。


813-2.jpg
京阪電鉄「清水五条」駅改札前で、南を向きました。
京阪電鉄は、「七条」駅以北が地下鉄です。
こちらを進むと、「五条川端」交差点の南側に出ます。


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今度は京阪電鉄「清水五条」駅改札口で、北を向きました。
切符売り場の先に、長い地下道が伸びています。
こちらを北上すると、花街宮川町ゑびす神社へ辿り着けます。


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さらに京阪電鉄「清水五条」駅改札口で、東を向いています。
目の前に、4番出口がありますね。
今回は、こちらから地上に上がります。


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京阪電鉄「清水五条」駅改札口から、階段を上っています。
では、この4番出口から地上に出ます。


813-6.jpg
京阪電鉄「清水五条」駅4番出口から地上に出て、
五条通を西に向いています。
目の前が「五条川端」交差点で、さらに西に鴨川が流れています。
その鴨川が、東山区と下京区との区境です。
(詳しくは、第155回ブログ参照)


813-7.jpg
京阪電鉄「清水五条」駅4番出口から、五条通を東を向きました。
京都市街地でいちばん道幅が広い五条通は
元々オフィスビル街なのですが、
京阪電鉄「清水五条」駅4番出口以東は清水寺への参道です。
ですから、ここから先の五条通北側歩道は
飲食店や小売店舗が建ち並びます。
目の前に、海鮮魚店の近幸が建っています。
ブログ取材当時は中断されていたイートインが、
この日(2022年3月3日)は再開されていました。
その東隣は、鳥さく京都清水五条店ですね。
唐揚げ・親子丼など鶏肉や鶏卵を使ったお店ですが、
イートインだけでなくテイクアウトも人気があります。
さらに東に、問屋町通が南北に伸びています。


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五条通から、問屋町通を南に向いています。
こちらを南下すると、すぐに半兵衛麩本店に辿り着きます。


813-9.jpg
今度は、問屋町通から五条通を東に向いています。
ここからは、こちらを東に進みます。
この辺りを散策するのは、第238回ブログ以来ですね。


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問屋町通から、五条通を約50m東に進みました。
ここで五条通は、鞘町通と交差します。
鞘町通は、五条通より北を宮川町筋と呼びます。
つまり、花街の宮川町を貫く小路です。


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五条通から、宮川町筋を北に向いています。
ここを北上すると、千代とうふ店和菓子匠 名月堂に辿り着きます。
いずれも、花街宮川町内のお店ですね。


813-12.jpg
宮川町筋から、約50m東に進みました。
ここで、五条通は本町通と交差します。
本町通は、五条通以北を「森下通」と呼びます。
(本町通の詳細は、第150回ブログ参照)


813-13.jpg
五条通から、森下通を北に向いています。
森下通は、約200m先で六波羅裏門通で突き当たります。


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本町通(森下通)から、五条通を東に向いています。
では、さらに五条通を東に進みます。


813-15.jpg
本町通(森下通)から、五条通を約100m東に進みました。
フレームから切れていますが、赤いテントの左(西)隣に
前回ブログでお邪魔したラーメン藤五条店があります。
そこよりさらに20m東で、五条通は大黒町通と交差します。


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「五条大黒町」交差点北西角に、五建ういろ本店ビルが建っています。
今回は、こちらに立ち寄ります。


813-17.jpg
五建ういろ本店に、入店しました。
1Fは和菓子を売る店舗なのですが、
店員さんを写せないために写真はありません。
2Fは喫茶室で、コーヒーや紅茶も頼めます。
さらに、カレーライスなどの軽食も注文可能です。
ただ、せっかく和菓子匠に来たわけですから
ここは抹茶と外郎(ういろう)を頼みました。
そもそも五建ういろは、外郎専門店なので……

抹茶は、注文したらこちらで点てて貰えます。
少々苦いですが、しっかり甘みも感じます。
茶菓子の方は一見「水無月」ですが、
戴いてみると完全に外郎の味でした。
外郎の方が、水無月よりも甘みを感じます。
また水無月には砕いた餅米の食感が少しだけ残るのですが、
こちらの外郎にはそのようなものはありませんでした。


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2Fの喫茶室で暫く移ろいだ後、1Fでこちらを購入しました。
得用の外郎セットですね。真空パックに入っています。


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その得用外郎を盛りつけました。
包丁で切ったわけではなく、
こちらは最初からこのようにカットされていました。
自分は水無月戸の味の違いを楽しんでいましたが、
ウチの母は「以前名古屋土産で戴いたものと違う」
そう主張していました。
もしかすると、この店オリジナルの製法なのかもしれません。


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五建ういろ本店を出て、五条通から大黒町通を南に向きました。
京都東山郵便局の右(西)に、大黒町通が伸びています。
第809回ブログから前回ブログまでかけて、
七条通から五条通まで大黒町通を北上しました。


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五条通から、大黒町通を北に向いています。
ここからは、この大黒町通を北上します。


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五条通から、大黒町通を北上しています。
オフィスビルやマンション・普通の住宅が建ち並ぶ中、
京町家がまだまだ残っているのが、京都市街地の他の道と同じです。


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五条通から、大黒町通を約150m北上しました。
古い黒檀の京町家の北隣に、新築の京町家が建っています。


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その新築の京町家を中心に撮りました。
中央の路地の先に、また何軒か京町家が建っているようです。
大黒町通は路地が多く、その先に小さな京町家が建ち並びます。


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その京町家の前で、大黒町通を北に向いています。
では、またここから北上します。


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五条通から、大黒町通を約200m北上しました。
右(西)側の時計屋さんの北側で、
大黒町通は六波羅裏門通(柿町通)と交差します。
あと約100mで大黒町通最北端なのですが、
だいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回こそ、日蓮宗寿延寺に参拝します~

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第814回 寿延寺に参拝~大黒町通南から北~その6

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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第809回ブログから大黒町通をずっと北上して、
六波羅裏門通(柿町通)との交差点まで来ました。
この辺りは、東山区六波羅(六原)地区です。
今回は、さらに北上して大黒町通最北端に達します。
撮影日は、2022年3月3日木曜日午後3時。
この日も、一日快晴でした。


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大黒町通から、六波羅裏門通を東に向いています。
こちら側はすぐに東南東に蛇行して、
約200m先に六波羅蜜寺が建っています。
(詳細は、第151回ブログ参照)


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今度は大黒町通から、六波羅裏門通を西に見きました。
六波羅裏門通は、約20m先の川端通で突き当たります。
この道はYAHOOの地図には「六波羅裏門通」と表記され、
GOOGLEマップには「柿町通」と表記されています。
ちなみに川端通より西は琵琶湖疎水と鴨川が流れていて、
さらに西で万寿寺通へとつながります。
実は万寿寺通には江戸時代半ばまで鴨川に橋が架かっていて、
この道もその万寿寺通の一部でした。
それが天明の大火によって焼失した後は橋が再建されず、
その後鴨川を境に別々の道となりました。


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さらに六波羅裏門通から、大黒町通を北に向いています。
目の前に、公衆浴場が開いていますね。


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こちらが、その公衆浴場です。
京のお店 今日のお品にウチの近所の大黒湯が掲載されていますが、
表題に「七条通」と添えてあるのは、ここと区別するためです。
こちらは七条通の「大黒湯」よりも大きくて、
肢体不自由者の介護入浴のボランティア活動も盛んです。
(以前サウナの梅湯でボランティア募集の広告を出されていました)
そのうち、こちらも「京のお店 今日のお品」に載せるつもりです。


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その大黒湯の北側に、大黒町通から西に伸びる路地があります。
路地がまだだいぶ残っているのが大黒町通の特徴ですが、
六波羅裏門通以北は特に路地が多いです。
そして、この辺りの路地には1本ずつ名前があります。
こちらは、「あじき路地」ですね。
若手の芸術家さんたちが多く暮らしていらして、
その方々の工房やお店がこの奥に建ち並んでします。
実は、近年観光地として割と知られています。
(詳しくは、ここをクリックしてください)


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あじき路地から、大黒町通を北に向いています。
この辺りから、大黒町通は北北東に進路を変えます。
では、ここを進みます。


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あじき路地から、大黒町通を北北東に進んでいます。
左(西)側の家屋は、京町家の看板建築ですね。
屋根や窓の形状からの推察ですが……
その北側に「茶」と書かれた看板がありますが、
こちらはお茶を販売されているというより、
お茶を提供される飲食店のようです。
ただ、自分が来るときはいつも閉まっています。


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その京町家の看板建築の南側に、また路地があります。
やはり、この路地の奥に小さな京町家が建ち並びます。
ちなみに、こちらの路地は「やましろの路地」と呼ばれています。


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「やましろの路地」で、大黒町通を北北東に向きました。
この辺りは、京町家の割合がさらに増えますね。


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「やましろの路地」から、大黒町通を北北東に約50m進みました。
右(東)側に建つ酒屋さんは、だいぶ昔からあります。


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その酒屋さんから、大黒町通を北北東に約30m進みました。
この先にあるお好み焼き屋さんは、閉まっていました。
さらにその先に、「山田家具」と書かれたお店があります。


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その「山田家具」の前で、大黒町通を北北東に向いています。
向こうの突き当りが、大黒町通の最北端です。
その前に、左(西)側の停まっている小型トラックの前に進みます。


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その小型トラックの前で、大黒町通の西側に向きました。
こちらに、小さな寺院が建っています。


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その寺院の門には、なぜか鉄製の表札が付いています。
では、ここから日蓮宗寿延寺にお邪魔します。
今回ブログのメインですね。


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日蓮宗寿延寺の門をくぐり、境内を西に向いています。
手前が狭く、奥が広い「うなぎの寝床」状の寺院ですね。


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寿延寺境内の最東端に、こちらの祠がいらっしゃいます。
一見お地蔵さんですが、こちらは大黒天が祀られています。


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その祠の前で、寿延寺境内を西に向いています。
この先の屋根のある部分が洗心殿で、
そちらに洗い地蔵と蛇型弁才天が祀られています。


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洗心殿の手前(東側)に、お墓と石碑が立っています。
多分こちらの歴代住職のお墓と思います。


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洗心殿から、寿延寺境内を西に向いています。
こちらの本堂は、この奥(西側)にあります。


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本堂の右(北側)には、妙見大菩薩が祀られています。
妙見宮は、日蓮宗寺院に多く祀られていますね。


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寿延寺境内の南西端に、ご住職のプライベートスペースがあります。
(寿延寺は、一般の方は建物の中に入れません)


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そして、日蓮宗寿延寺本堂と左右の諸堂です。
左(南)側のお堂には、鬼子母神が祀られています。
右(北)側のお堂には、開運大黒天が祀られています。
最澄がこの大黒天を掘られたと伝わっており、
おそらくこちらが「大黒町通」の由来でしょう。
そして中央の本堂に、ご本尊の釈迦如来と多聞如来が祀られています。

日蓮宗寿延寺は、1616年に建立されました。
ただし、もともとは富小路高辻にいらして
1655年にこちらに移転されました。
(いずれも、江戸時代です)
今の大阪府高槻市の商人興福院寿延の出資で、
日柔上人のために建てられました。


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日蓮宗寿延寺本堂に背を向け、境内を東に向きました。
では、洗心殿の方に戻ります。


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洗心殿から寿延寺境内を東に進み、門前まで戻りました。
ではここをくぐり、日蓮宗寿延寺を出ます。


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日蓮宗寿延寺の前で、大黒町通を北北東に向きました。
目の前の松原通で、大黒町通は突き当たります。
つまりこれで大黒町通を踏破したのですが、
「大黒町通編」はもう少し続きます。
自分の「道ブログ」は、最寄りのバス停か駅まで続けます。
ですから、ここから松原通を東に進みます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、東山区六原地区の観光名所を回ります~

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第815回 西福寺と六波羅蜜寺~大黒町通南から北~その7

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第814回ブログで、大黒町通最北端に到達しました。
これで大黒町通を踏破したわけですが、
今回からは目の前で大黒町通と交差する松原通を東に進み、
「清水道」バス停まで連載します。
要するに、東山区六波羅地区(六原地区)をあちこち巡ります。
撮影日は、2022年3月3日木曜日午後3時半。
この辺りは、観光地に囲まれていますね。


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大黒町通から、松原通を西に向いています。
目の前に川魚店の「のと正」がありますが、
松原通を約100m西に進むと花街の宮川町で
精肉店や豆腐屋さんなど高級食材店がここに建ち並びます。


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今度は大黒町通から、松原通を東に向きました。
すると、目の前で大和大路と交差しています。
第814回ブログの途中から大黒町通が北北東に曲がったため、
大黒町通と大和大路の距離が縮んでいます。
ここからは、このまま松原通を東に進みます。


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松原通から、大和大路を南に向いています。
約500m先に豊国神社がいらっしゃいます。
第224回ブログでは、豊国神社からここまで大和大路を北上しました。


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今度は松原通から、大和大路を北に向きました。
約80m先から、右(東)に八坂通が伸びています。
(詳細は、第102回ブログ参照)
ちなみに、その八坂通以北が東山区祇園地区です。


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そして大和大路から、松原通を東に向いています。
この辺りは小売店舗と有名な神社仏閣が混在し、
観光客と地元民が入り混じる地域です。
では、松原通をさらに東に進みます。


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大和大路から松原通を東に進むと、少しずつ東南東に進路を変えます。
左(北)側に松原交番が見えますが、
もともとは東山区祇園地区を所轄に持つ松原警察署でした。
確か、現在は堀川警察署の所轄ですね。
第20回ブログでは松原署の脇にあった
千歳湯という公衆浴場が更地になっています。


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ただ、千歳湯の東隣の京町家はまだ残っています。
とは言え売り家になっているので、暫くしたらここも更地でしょうね。


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千歳湯跡の前で、松原通を東南東に向いています。
この辺りの住宅は、京町家の看板建築が建ち並んでいます。
では、ここを進みます。


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大和大路から松原通を東北東に約100m進み、北を向きました。
こちらの路地周辺が、愛宕念仏寺跡です。
愛宕念仏寺は奈良時代にここに建立されたのですが、
平安時代に鴨川の氾濫で流されて、いったん廃寺になりました。
そして、鎌倉時代に現在の位置に移転しました。

「愛宕」を「あたご」と読むと京都盆地の北西部を指しますが、
「おたぎ」と読むと現在の京都市東半分と宇治市などを指します。


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愛宕念仏寺跡の向かい(南)側に、こちらの路地が伸びています。
どうやら、「弓矢薬師路地」と言うらしいです。
そういえば、大和大路との交差点からこの辺りは「弓矢町」ですね。
この奥にお地蔵さんがいらっしゃるのですが、
軽トラックもいらっしゃるのでちょっと中には入れません。


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「弓矢薬師路地」の前で、松原通を東北東に向きました。
東山区六原地区の観光名所は、この先に集中します。


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「弓矢薬師路地」の前から、松原通を東北東に約50m進みました。
ここで、松原通は「六道の辻」と言う交差点に出ます。


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さらに松原通を東北東に進み、「六道の辻」に到達しました。
清水寺の西側に広がる鳥辺野地区は、古代からの埋葬地でした。
そして、さらに西側のこの辺りまで埋葬地が広がりました。
「六道の辻」とはこの世とあの世の境目で、
鳥辺野や六原で埋葬する際はこの「六道の辻」で
野辺送り(要するに、お葬式)をしてその後埋葬されたようです。
ちなみに、「六道の辻」は六道珍皇寺境内にもあります。
そちらには、次回ブログで立ち寄ります。


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「六道の辻」南西角に、浄土宗桂光山西福寺があります。
埋葬地としての「六道の辻」関連寺院ですね。
では、こちらにお邪魔します。


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西福寺境内に入ってきました。
境内左(東)側にお地蔵さんや石仏が並び、
右(西)側に西福寺本堂があります。



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続いて、西福寺境内東側の末広不動尊にお参りました。
こちらには、お地蔵さんや石仏が多く祀られています。


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末広不動尊の北側に、子育て地蔵が祀られています。
空海が製作されたと伝わるお地蔵さんですね
その周囲に、お地蔵さんや石仏が数多く並びます。
ちなみに、石仏は大昔のお墓です。
先述の通りこの辺りは古代から中世の埋葬地で、
このような石仏が今でもたくさん残っています。


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こちらが、浄土宗桂光山西福寺本堂です。
ご本尊は、浄土宗ですから阿弥陀如来です。
ただ平安時代初期から、この位置には
空海が制作された子育て地蔵の祠がいらっしゃいました。
そのお地蔵さんを壇林皇后が熱心に信仰されたこともあって、
祠しかなかったのが次第に大きな寺院へと変わりました。
それが、こちらの沿革です。
元々この辺に捨て置かれたご遺体が多く、
空海がそれを悼んで子育て地蔵を制作されました。
ですから、こちらの寺院は
死後の世界に通じる「六道の辻」近くにあります。
そのため、毎年お盆には「六道参り」が盛大に行われます。


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浄土宗桂光山西福寺を出て、「六道の辻」を東に向きました。
西福寺の左(北)側は子育て飴本舗で、
東側は中華料理店の六波羅飯店です。
どちらも自分の馴染みのお店ですが、次回ブログで立ち寄ります。


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「六道の辻」で、松原通から南を向きました。
ここからは、こちらの道を南下します。


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浄土宗桂光山西福寺の東側に回り込んで、撮影しました。
ちょうど紅梅が、見ごろでした。


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その辺りの塀に、こちらの表札が掛かっていました。
今まで知らなかったのですが、「六原本通」と言うらしいです。
ですから、これ以降この道をそう呼びます。


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再び松原通から、六原本通を南に向いています。
西福寺の南隣に、長い間建設中だった建物が完成していました。


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それが、こちらの京都市立開晴小学校六原分校です。
その開晴小学校自体は、約100m南下した場所にあります。
もともとこちらは、京都市立六原小学校でした。


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京都市立開晴小学校六原分校の南隣は、真言宗智山派六波羅蜜寺です。
本山は、ウチの近所の智積院です。
次は、そちらに向かいます。


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六原本通をさらに約50m南下しました。
では、ここから真言宗智山派六波羅蜜寺に入ります。


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六波羅蜜寺と言えば、宝物館の木像群が素晴らしいですね。
慶派の仏師らによる空也上人像平清盛像など、
学校の教科書に載る木像が数多く展示されていました。
ただ2022年のGW明け(2022年5月8日日曜日)まで、
東京国立博物館でこちらの木像が展示されています。
つまり、この日(2022年3月3日)はここにいらっしゃいません。
さらに再び展示される予定の2022年5月22日日曜日まで、
その宝物殿の新装工事がこちらで行われています。
ですから六波羅蜜寺境内のあちこちが、現在立ち入り禁止です。

六波羅蜜寺の門をくぐり、右(北)側を向きました。
では、目の前のマニ車を回して奥に進みます。


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六波羅蜜寺境内に、こちらの石碑が立っていました。
「この付近六波羅第跡 六波羅探題跡」と書かれています。
六波羅第とは平清盛が政治を取り仕切る場所のことで、
平氏一門の邸宅がこちらに集中していました。
以前も書きましたが、後白河上皇法住寺殿の北隣に
平清盛が政務の中心を造営したのは意図的なのでしょうね。
またこの付近に鎌倉時代の六波羅探題が設置されたのも、
平氏がいなくなった六波羅第を利用してのことでした。


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六波羅蜜寺境内最北端に、水掛不動尊の祠があります。
さすがに仏像そのものは撮影禁止ですので、この辺りから撮影します。


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その位置で、六波羅蜜寺境内を西を向きました。
こちらに、真言宗智山派六波羅蜜寺本堂が建っています。
ご本尊は、十一面観音(国宝)です。
六波羅蜜寺は、平安時代前半の951年空也上人が建立しました。
空也上人は浄土教布教に尽力して、
平安時代中期に浄土教は国風文化で花開きました。
1567年~1577年の応仁の乱で六波羅蜜寺は焼失しましたが、
こちらの僧侶らが持ち運んだため木像の大半は無事でした。
ただ、その際もこの本堂だけは焼失を免れています。


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六波羅蜜寺を出て、六原本通を南に向いています。
約30m先で、六原本通は六波羅裏門通と交差しています。
(六波羅裏門通の詳細は、第814回ブログ参照)
さらに南に、京都市立開晴小学校が建っていますね。


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真言宗智山派六波羅蜜寺の門前で、六原本通を北に向きました。
ここから松原通に戻ってさらに松原通を東に進みますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、六道珍皇寺にお邪魔します~

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第816回 六道珍皇寺~大黒町通南から北~その8

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
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前回ブログで参拝した真言宗智山派六波羅蜜寺の門前で、
六原本通を北に向きました。
今回はこの六原本通を松原通まで北上し、
そこから松原通を東に進み、「清水道」バス停から帰宅します。
撮影日は、2022年3月3日午後4時。
今回で、「大黒町通編」が終了です。


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真言宗智山派六波羅蜜寺の前から、六原本通を約80m北上しました。
ここで六原本通は、松原通で突き当たります。
こちらが、前回ブログで出てきた「六道の辻」という交差点です。
左(西)側に、前回ブログでお邪魔した浄土宗桂光山西福寺が見えます。
かつての霊場「六原」の中心地ですね。
六原本通の突き当りに、「子育て飴本舗」という
日本茶販売店があります。


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「子育て飴本舗」は日本茶を売るお店ですが、
この東山区六原地区名物「幽霊子育て飴」を販売されています。
1袋500円ですね。
こちらは、霊場「六原」独特の伝説があります。

安土桃山時代のころなのですが、
近くの埋葬地から女性のご遺体の脇で、乳児が発見されたそうです。
発見時乳児は全く弱っておらず、この飴をずっと口に含んでいました。
実は、その数日前から何回か
こちらの飴を買いに通われた女性がおられたそうです。
そこで、女性の幽霊が自分の子供を育てるために
こちらの飴を買い求めたという伝説が生まれました。
……と言うことは、こちらのお店は遅くとも
安土桃山時代には存在したということになります。
(京都では、特別古いお店という訳ではないのですが……)


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こちらの不定形の飴が、幽霊子育て飴です。
実は人工甘味料どころか砂糖も入っていません。
100%麦芽糖でできてます。
要するに、日本に砂糖が伝来する以前の飴の製法を
現在でも守っています。
ですから、優しい甘さで様々な栄養が含まれています。


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「六道の辻」の南東角に、六波羅飯店と言う町中華があります。
自分は、学生時代からの常連です。次は、こちらに立ち寄ります。


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六波羅飯店に、入店しました。
ウチのブログでも何回目かの登場ですが、
今回は「六原丼」と餃子を頼みました。
ご飯の上に、ほぼ古老肉(酢豚)が載っています。
お味は……完全に古老肉(酢豚)です。
ここの古老肉(酢豚)は絶品なので、結構お得な料理です。


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六波羅飯店を出て、「六道の辻」を東南東に向いています。
ここから松原通を東に進む前に、左(北)へ伸びる道に向きます。
六原本通が、筋違いで北にさらに伸びているようです。


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松原通から、六原本通を北に向きました。
六原本通は、北に約150m先で八坂通で突き当たります。
その辺りが、臨済宗建仁寺派本山建仁寺の門前です。
第103回ブログの最初の場面ですね。


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「六道の辻」から、松原通を東南東に約150m進みました。
この辺りで、松原通は路地と交差します。


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松原通から、その路地を北に向いています。
こちらは、約150m先で八坂通で突き当たります。
臨済宗建仁寺派霊源寺の近くですね。
(第643回ブログの冒頭ですね)


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今度は松原通から、その路地を南に向きました。
左(東)側は地域スーパーのハッピー六原で、
右(南)側には様々な小売店舗が並びます。
この辺りは、ハッピー六原と周辺の店舗で商店街を形成しています。


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その商店街の中に、こちらの稲荷社がいらっしゃいます。
とは言え、こちらは1960年代にこの商店街ができた直後に
商売繁盛を願って商店街の方々が祀られました。


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その稲荷社の前で、路地をさらに南に向きました。
右(西)側は、さらに商店が続いていますね。
この路地は、約100m先の六波羅裏門通で突き当たります。
(第151回ブログの後半参照)


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そして稲荷社の向かい(東)側から、ハッピー六原に入れます。
今回は、ここから店内にお邪魔しました。


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ハッピー六原では、こちらを買い求めました。
スプラウト(98円)は、この時期によく買います。
ゴマメ(294円)と金平糖(300円)は、自分の好物です。
残りは……ツバスの刺身(480円)含めて同じ料理の材料です。


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……という訳で、この日(2022年3月3日)の晩御飯は
ツバスがメインのピビンバです。
お刺身にはワサビ・コチュジャン・卵黄で味付けています。


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ハッピー六原の店頭で、路地を北に向きました。
ここからはこの路地を北上して、松原通に戻ります。


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ハッピー六原のある路地から、松原通を東南東に向きました。
この辺りは観光地ではありますが、地元民のお店も混在します。
約50m先で、松原通は東南東から真東に進路が変わります。


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ハッピー六原のある路地から、松原通を東南東に進んでいます。
その途中に、こちらの立ち飲み屋さんがありました。
ここ数年、この辺りに飲食店が急増しています。


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その立ち飲み屋さんのほぼ向かい(南)側に、
ギャラリーとして使用されている京町家が建っています。
その脇には、路地が伸びていますね。


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ハッピー六原のある路地から、松原通を東南東に約50m進みました。
この辺りで、松原通の進路が真東に変わります。
T字路の手前に、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺が建っています。


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こちらが、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺の門前です。
写真が斜めなのは、それだけ急な斜面だからです。
(実は、今まで急な上り坂を進んでいました)
左(西)側に「六道の辻」と書かれた石碑がありますが、
先述の「松原六原本通」交差点も
「六道の辻」と呼ばれています。
実は、「六道の辻」は松原通に2ヶ所あります。
どちらも、大昔は衆生と冥界との境目と考えられていました。
ですから、毎年お盆の「六道まいり」は両方で開催されます。


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門をくぐり、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺境内に入りました。
こちらの境内も、南北に長い形状ですね。


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六道珍皇寺境内の西側に、お岩大明神と水子祠堂が並びます。
お岩大明神は「四谷怪談」のお岩稲荷関連だと思うのですが、
様々な方々に尋ねても詳細は分かりません。


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水子祠堂の北隣に、お地蔵さんや石仏が並びます。
前回ブログでも書きましたが、東山区六原地区は大昔は埋葬地でした。
当時は一人一人にお墓を作るのは金銭的に難しく、
置いてある石仏の下にご遺体を埋めたり、
その費用すら無い方々は事実上の風葬でした。
こちらの石仏群は室町時代以前のものすが、
元々の位置からは移動しています。
ですから、その下には誰のご遺体も埋まっていません。

ちなみに、京都市街地周辺にはそのような石仏群が
あちこちにいらっしゃいます。
蓮台野西向寺化野念仏寺などが有名ですね。


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お地蔵さんや石仏群の向かい(東)側は、諸堂が並びます。
手前のお堂には、伝最澄作の薬師如来像がいらっしゃいます。
その奥のお堂には小野篁作の閻魔像と小野篁像がいらっしゃいます。
さらに奥は鐘楼で、珍しく引いて撞く「迎えの鐘」があります。
ただ、こちらは通常は非公開です。

この六道珍皇寺は、江戸時代に流行った「地獄信仰」の中心地です。
「悪いことをすると、地獄に落ちる」という考えを広め、
一種の道徳観念をこちらの僧侶が形成していきました。


816-26.jpg
六道珍皇寺境内の北側に、こちらの石柱が立っています。
こちらが、「三界供養の塔」です。
毎年お盆に開催される六道珍皇寺の「六道まいり」は、
この石柱の周辺で行われます。
(西福寺の「六道まいり」は、六原本通の六道の辻で行われます)
その奥(北側)が、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺本堂です。
ただ、この奥は通常非公開です。
(公開時の詳細は、第152回ブログ参照)

六道珍皇寺の建立は、記録の焼失などでよくわかっていません。
ただ、この位置に平安時代に愛宕寺(おたぎでら)と言う寺院があって
そちらがこの寺院の前身でした。
当時は天台宗寺院で、最澄作と伝えられる薬師如来像は
その関係でこちらに残っています。
小野篁伝説で有名な寺院で、小野篁が地獄へと毎夜通っていたとされる
「冥途通いの井戸」がよく知られています。
鎌倉時代の絵画に、こちらの「六道まいり」の様子が描かれています。
ただ応仁の乱で焼失後は、いったん廃寺になります。
江戸時代に入り近隣の建仁寺の僧侶が再興したことから、
現在は臨済宗建仁寺派の塔頭寺院となりました。


816-27.jpg
臨済宗建仁寺派六道珍皇寺の前で、松原通を東に向いています。
目の前で、松原通はT字路で交差します。


816-28.jpg
そのT字路で、南を向きました。
この道は約150m先で六波羅裏門通と交差します。
第151回ブログでは、この道を北上して松原通に辿り着きました。


816-29.jpg
さらにそのT字路で、松原通を東に向いています。
では、この坂道を上って東に進みます。


816-30.jpg
先程のT字路から、松原通を東に進んでいます。
こちらは、力餅食堂ですね。
京都市街地にも、結構あちこちにあります。


816-31.jpg
先程のT字路から、約50m東に進みました。
ここで、松原通は東大路と交差します。


816-32.jpg
東大路から、松原通を東に向いています。
こちらは、松原通が東大路と交差する「清水道」交差点です。
このまま松原通を東に進むと、そのまま清水寺への参道となります。
第18回ブログでは、清水寺からこの交差点まで進みました。


816-33.jpg
「清水道」交差点で東大路の横断歩道を渡り、
松原通から東大路を北に向きました。
ここからは、この東大路の歩道を進みます。


816-34.jpg
松原通から、東大路を約30m北上しました。
こちらは、「清水道」バス停です。
では、こちらから206系市バスに乗って帰宅します。

~これで、「大黒町通編」が終了です~

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生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
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京都観光に来られる前に、
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許可をいただいたので、
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「京都のお祭り」
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松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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