第653回 休日の二の丸庭園~GWの二条周辺~その1

前回ブログで2019年の桜散策も、一段落しました。
ただ、まだまだ平常運転に戻る前にあちこち散策します。
実はウチの母と毎年GW中はあちこち散策していたのですが、
こちらのブログには挙げていませんでした。
(智積院とか三十三間堂とか、ウチの近所中心です)
まぁ、2019年はちょっとそちらも掲載しようと思います。
2019年は神泉苑に行きたかったのですが、
どうせなら先に近くの二条城にお邪魔します。
撮影日は、2019年5月2日木曜日午後0時半。
今上天皇即位2日目は、京都盆地が快晴でした。

京都駅から地下鉄烏丸線に乗り北上して、
「烏丸御池」駅から東西線に乗り換えて1駅。
こちらは、京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅のホームです。
では、この階段から「二条城前」駅コンコース階に向かいます。

京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅で、
階段を上ってコンコース階に上がってきました。
では、この先の改札口から「二条城前」駅を出ます。

改札口を出て、東を向きました。
あちらに、京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅の
切符売場と周辺地図が並んでいます。
日本人以外にも多くの方々が、そちらを眺めていらっしゃいます。
では、約30m先のここの突き当りまで進みます。

こちらが、その突き当りです。
二条城に向かうなら1番出口が便利で、
堀川通より東に用があるなら2番出口が便利です。
(例えば、第567回ブログに出て来た御金神社はここからが便利)
今回は二条城が目当てなので、1番出口を利用します。

先程の位置で右(南)を向くと、1番出口に通じる階段があります。
では、こちらを上がります。

京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅1番出口から、外に出ました。
本当は入り口越しに写真を撮ったのですが、
地下と快晴の屋外とは明度が違いすぎて
白光して真っ白な1枚になってしまいました……
仕方がないので、押小路の歩道に出て1枚撮りました。
この押小路は、千本通~堀川通間は4車線の大通りです。
そして、千本通以西は御池通にいつの間にか吸収されます。
(その辺の境目が、はっきりしません)
その向こうに二条城の外堀があって、
さらに向こうに重要文化財の南東の物見櫓があります。

地下鉄「二条城前」駅1番出口から、押小路を東に向きました。
次は、堀川通の横断歩道に向かいます。

押小路から、二条城東側に伸びる堀川通を北を向きました。
では、この横断歩道を渡り二条城前に向かいます。

先程の横断歩道を渡り、二条城の大手門前に来ました。
この辺りの堀川通には観光バスの停留所があったり、
市バスのバス停やタクシー乗り場があったりしました。
自分たちが乗って来た地下鉄の駅を含めると、
相当の方々が同時に集まっています。

堀川通を北上していると、少々長い行列が伸びています。
こちらの行列は、切符売場から
この立札を持たれた方まで伸びています。
え~と、これって二条城に入る方々の行列でしょうか?
……いえいえ、二条城は有人切符売場が2ヶ所、
自動販売機が4ヶ所あって
修学旅行生が何組も同時に来られても対応可能のはずです。
立札を掲げられた方に尋ねたところ、
やはり二条城入場される方々の行列でした。
「地下鉄や市バスが来ると、一挙にたくさんの方々が来られて
この列が急に長くなっています」
夏休みや昨年6月でも、そこまでにはなっていません。
正直、自分には生まれて初めての事態です……

では自分たちもこの行列に参加して約10分後……
自分と母は自動販売機の前に来ました。
そこで、自分と母の分併せて2000円を納め
こちらの木戸から大手門前に移動します。

二条城切符売り場脇の木戸から、堀川通を南下しています。
約100m先に、二条城大手門がありますね。

二条城大手門前で、西を向きました。
では、こちらから二条城に入城します。

二条城大手門をくぐってすぐ右(北)側に、こちらが建っています。
江戸時代当時は「番屋」と呼ばれていた建物で、
入城してきた方々をこちらで審査していました。
(ただし、ここで働く役人と大名や大名行列参列者は審査対象外です)

二条城大手門をくぐり、二条城内で西を向いています。
左(南)側は現在の総合案内所で、右(北)側先程の「番屋」です。
次は、この突き当りの壁の前まで進みます。

先程の壁に突き当たり、南を向きました。
トイレや管理事務所に先に行くなら北へ進みますが、
ここは順路通り進みます。
(そう言えば、自分が想定する正式順路通り行くのは初めてです)

順路通り突き進むと、こちらが見えます。
この辺りが、二条城南東端ですね。
二条城の四隅に付いている重要文化財の物見櫓です。
駅から外に出た途端に見たものと、同じものです。

二条城南東端から、西を向きました。
2015年にこちらに来たときは、
向こうの道からこちらに戻ってきました。

先程の位置から約50m西に進み、北を向きました。
では、こちらの唐門から二条城二の丸に入っていきます。

先程の唐門をくぐり、北を向いています。
ここから、目の前の二の丸御殿に入っていきます。
ただし、こちらは撮影一切不可なので写真はありません。
国宝二の丸御殿には目の前の下足場から入って、
遠侍→式台→黒書院→白書院という棟に向かいます。
二条城二の丸御殿は、江戸幕府の政治が行われた場所です。
江戸幕府の政治は元来江戸(現在の東京)で行われましたが、
滅亡するまでの最後の10年間は(1860年前後)
長州(山口県)など江戸幕府に反抗的な西国の諸藩を抑えるため、
当時の将軍徳川家茂は政治機能を
江戸の江戸城からこの二条城に移転しました。
1867年の大政奉還は二条城二の丸御殿の式台で行われました。

二条城二の丸御殿は、出口・入口が同じ場所です。
約30分かけて、こちらを1周して同じ場所に戻ってきました。
現在2019年5月2日水曜日午後1時15分です。
先程の位置で、二条城内を西に向きました。
では、この先にある二条城二の丸庭園に向かいます。

先程の位置から、約50m西に向かいました。
こちらに、そこそこ大きな梵鐘が置かれています。
この梵鐘は、江戸時代に(17世紀~19世紀)
京都所司代が実際に使っていました。
こちらを鳴らすことで、庶民に変事を知らせていました。
ですから、伊藤若冲らが焼け出された天明の大火や
1864年の禁門の変直後のどんどん焼けでも鳴らされたのでしょうね。

その梵鐘の西側に、大きな塀があります。
そして、その脇にこちらの門があります。
こちらを通り抜けると、二の丸庭園に入っていきます。

二条城二の丸庭園に入ってきました。
二条城二の丸御殿の南西部に、こちらの庭園が設けられています。
目の前に、二の丸御殿の一部式台が見えます。
(大政奉還が行われた建造物ですね)

先程の位置で、南を向きました。
こちらが、二条城二の丸庭園の一部です。
池の周囲にさまざまな大きい石が置かれていますが、
二条城築城の際徳川家康の機嫌を取るため、
各大名がこちらに送り届けたものです。
ただ、幕末になるとこちらは相当荒廃しました。
徳川慶喜など幕末の権力者が
「日本庭園」に興味がなかったことが主要因です。
ちなみにこちらを修復したのは、主に最近の京都市の功績です。

二条城二の丸庭園で、式台の西側に来ました。
式台の先に、黒書院が南に伸びています。
二の丸は一つの建物なのではなく、幾つかの建物の集合体です。

二条城式台方面から南に、二条城二の丸庭園を眺めています。
江戸時代にはこの正面から本丸の天守閣が見えたので、
(現在は取り壊されています)
当時はこの角度からの眺望が、さらに絶景だったそうです。

式台の脇を西に進むと、今度は北に進路が曲がります。
こちらは、黒書院の脇です。

今度は黒書院の前で、東を向きました。
こういう庭園は、同じ場所でも見る角度で眺めが変わりますね。

黒書院の南東端で、西を向いています。
ここで、池のある日本庭園とはお別れします。
そして、塀の向こうの方に向かいます。

先程の塀を通り抜け、さらに西に来ました。
ここも、二の丸庭園の一部です。
この辺の松が立派なのですが、
いつも庭師さんが手入れされている印象がありますね。

同じ場所で、東を向きました。
こちらが、二条城二の丸御殿最深部の白書院です。
江戸幕府の歴代将軍が食事や就寝した場所です。
(将軍の政務は、黒書院で行いました)

先程の位置で、さらに西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。

こちらの道は、蛇行しながらも確実に西に向かっています。
では、あちらの門から二条城二の丸庭園を出ます。

その門から、西を向いています。
門の先に、二条城本丸への門が見えます。
本丸は歴代将軍のより日常生活をする場所で、
軍事拠点の役割もあります。
ここから二条城本丸散策が始まりますが、
そちらは次回に掲載します。
今回は、ここまでです。
~次回は、二条城本丸を散策します~
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