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第680回 さて、どこの正面?~正面通東から西~その1

今回は本編に写真はありません。(その分「追記」に写真があります)
前回ブログで自分のリハリビの取材を終えました。
ですから、今回からようやく新しい道を進んでいきます。
今回から、正面通を紹介します。
敢えてこの道を選んだ理由は、いくつかあります。

1.ウチの近所の道のため

2.とても短い道のため

3.狭い道の割に、観光名所が多いため

理由の1と2は、自分が患った脳出血が原因です。
いま自分で運転する乗り物をお医者さんより禁止されているので、
(自転車や自動車など、自分で判断して運転する乗り物は厳禁です)
徒歩しか移動手段はありません。
(電車やバスなどの移動は可能ですが、
どの道も公共の交通機関から外れてしまう箇所があります)
その点、正面通はウチの近所で
端から端までウチからは徒歩圏内です。
もちろん他の道でその条件に当てはまるものもあるのですが、
その中でもこの正面通は極端に観光地に恵まれています。
しかも商店街も何ヵ所かあり、なかなか変化に富んだ道です。

大通りの中間点
正面通は、京都市東山区から京都市下京区にかけての道です。
6車線の五条通と4車線の七条通の中間に位置するため、
南北の道を進む市バスの停留所の目安になっています。
(「河原町正面」バス停など)
ちなみに正面通の約100m北に六条通も存在しますが、
そちらはとても短いので、正面通の方が基準の道になります。

豊臣秀吉による大仏殿の正面
正面通は、豊臣秀吉による京都再区画の際に誕生した道です。
つまり794年の平安京遷都の際には、存在しなかった道です。
1467年の応仁の乱で京都市街地はいったん荒廃しました。
その後京都市街地は豊臣秀吉の再開発を経て
その後徳川家康によって京都市街地東部がさらに開発されました。
(河原町通や五条通以南の木屋町通、祇園は、その際できました)
それが、現在の京都市街地の原型です。
(要するに、数百年京都市街地は大きくは変わっていません)
豊臣秀吉は戦国時代に焼け落ちた奈良の東大寺に代わる
新しい大仏殿を京都に建てようとしました。
そしてその大仏殿と豊国廟(豊臣秀吉のお墓)の正門の正面に、
1本の参道を新たに敷設しました。
それが、現在の正面通の原型です。

豊国神社の正面
豊臣秀吉が建設した大仏殿は南は現在の三十三間堂、
北は現在の方広寺ととても広いものでした。
そして当時の正門から真西に伸びた道が、正面通です。
この正門の位置に、現在の豊国神社の鳥居が立っています。
ですから、正面通は豊国神社の正面から西に伸びた道です。
その周辺は正面通沿いに百日紅(さるすべり)並木が続き、
「耳塚」や専定寺など豊国神社に関わる施設が建っています。
正面通は初め4車線ですが、本町通以西は商店街が続き
道幅も自動車がやっと1台通れる道幅に変わります。

高瀬川周辺は桜の名所
やがて鴨川に架かる正面橋を越えると、
京都市東山区から京都下京区に移ります。
そこからも小規模な商店街が続きますが、
高瀬川に架かる正面小橋周辺が京都市街地屈指の桜の名所です。
(第647回ブログなどウチのブログでも何度も紹介しました)
特に、正面児童公園の大桜が素晴らしいですね。
正面通は、正面児童公園より約50m西の河原町通で
いったん突き当たります。

渉成園と東本願寺正面の道
河原町通で正面通が突き当たるのは、渉成園の塀があるためです。
渉成園の西側に回り込みますと、
その渉成園の正門の正面から、また正面通が西に伸びています。
その辺りの正面通は東本願寺の門前町を形成していて、
東本願寺の御影門前で再び正面通は突き当たります。

ご縁まちと西本願寺
東本願寺でまた突き当たった正面通は、
東本願寺の西端より少し西の新町通でさらに西に伸びています。
その辺りからの正面通は元々は西本願寺の寺領(寺院の領地)で、
仏具店が多い門前町を形成しています。
こちらを特に「ご縁まち」と呼んでいます。
要するに、仏具店が多く並ぶ商店街ですね。
さらに正面通は、西本願寺御影門で突き当たります。


そして、島原へ
西本願寺の西側の大宮通沿いで、
正面通はまたまた復活します。
そこからは、元花街の島原を通ります。
このブログでは何度も島原を紹介したのですが、
いづれも花屋町通沿いでした。
正面通は島原の最南端に位置し、
この正面通より北の道に島原地区を表す石畳が敷かれます。
そして、そのまま西に進んだ後千本通で最終的に突き当たります。

では、次回から正面通近くを取材していきます。

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テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第681回京都国立博物館 前編~正面通東から西~その2

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こちらは、七条通北側歩道の「博物館 三十三間堂前」バス停です。
はっきり言ってウチの近所ですが、京都駅北側市バスターミナルから
わざわざ208系市バスに乗ってここまで来ました。
今回は、京都国立博物館内を散策します。
博物館内の催し物は取材できないので、その分周囲の散策をします。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後1時45分。
結構豪雨で、傘があって助かりました。


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「博物館 三十三間堂前」バス停前で、七条通を東に向きました。
写真の中央に、先程まで乗っていた208系市バスが見えます。
この少し先で七条通が突き当たりますが、
左折して北上し清水寺や祇園に向かうのが206系市バスで、
右折して南下し今熊野神社や東福寺に向かうのが208系市バスです。


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その辺りで南を向くと、七条通から三十三間堂廻りを
南に向いたことになります。
安土桃山時代(16世紀末)のこの辺り一帯は、
豊臣秀吉が建立した大仏殿とその関連神社仏閣でした。
この目の前に建っている三十三間堂は平安時代の建物ですが、
安土桃山時代当時はその関連神社仏閣として存在していました。
ですから現在の三十三間堂廻り南端の三十三間堂南大門は、
元々大仏殿や豊国廟(豊臣秀吉のお墓)の南大門でした。


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同じ位置で、七条通を東に向きました。
七条通の突き当りは、真言宗智山派本山智積院です。
こちらは元々豊臣鶴松の菩提寺臨済宗妙心寺派祥雲寺でしたが、
豊臣氏滅亡後徳川家康が廃寺にして智積院を建立しました。
(徳川家康によって、豊臣秀吉の影響力がない場所になっています)


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さらに同じ場所で、北を向きました。
この辺りは七条通より北側に、京都国立博物館が建っています。
安土桃山時代に(16世紀末)、先述の大仏殿はこちらにありました。
徳川家康は豊臣秀吉が建てた建造物を破壊したりしませんでしたが、
大仏殿は放置されてやがて落雷などが原因で焼失しました。
大仏殿の焼け跡は江戸時代を通じて放置され続けましたが、
明治時代に入って大仏殿址の再開発が進み、
北半分が豊国神社に、南半分が京都国立博物館になりました。


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七条通側にある京都国立博物館入り口の西隣に、
こちらのグッズショップが建っています。
こちらは、2014年に改装されたときに建設されました。


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同じ位置で、東を向きました。
こちらに、チケット売り場があります。
取りあえず520円支払って、この先に進みます。


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こちらが、そのチケットです。
現在、京都国立博物館は平成知新館のみ公開で
旧館の明治古都館は修復中のため入れません。
まぁ今回ブログのメインはその周辺の散策ですので、
目的は果たせそうです。


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本当はチケット売り場の西側にある受付に向かうのですが、
今回はその場で東を向きました。
トイレの先に、前田珈琲の支店があります。
では、先にこちらに立ち寄ります。


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中は、そこそこ混んでいました。
暫く待ってから、こちらの席に座りました。
さらに約5分後、こちらがテーブルにやって来ました。


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前田珈琲はその名の通りコーヒー屋さんなので、
いろいろ考えてエスプレッソを頼みました。
その名の通り、こちらはすぐ来ました。
昼食代わりに頼んだので、この日は砂糖を入れて頂きます。


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そして、こちらはオレンジタルトです。
ピール付きのオレンジの薄切りがトッピングされていて、
多分その下にもオレンジの果汁が入っています。
タルト生地が、とてもクリスピーでした。


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前田珈琲を出て、西を向いています。
では、こちらから京都国立博物館に入ります。


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京都国立博物館入り口を通過すると、進路は北に変わります。
この瞬間小雨が降っていたのですが、
雨傘を差す差さないは人それぞれですね。


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京都国立博物館入り口から、約50m北上しました。
ここで、東西の小径が伸びていますね。
その脇の石板に、京都国立博物館の周辺地図がありました。


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先ほどの地図の前から、約50m北上しました。
目の前の東西の小径辺りが、この広場の中央です。
あと約100m北上すると、先述の平成知新館に入れます。
しかし先に周辺散策をしたいので、今はそちらに向かいません。
(平成知新館には、次回ブログでお邪魔します)


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その広場中央の小径上で、東を向きました。
こちらは、京都国立博物館の明治古都館です。
2014年の改装以前は、こちらが本館でした。
(現在は修復中で、閉鎖されています)
ちなみに、こちらの建物自体が重要文化財です。
ですから、今の平成知新館よりもこちらの方が
京都市民には京都国立博物館のイメージがあります。
こちらが建立されたのは明治時代の1897年ですが、
確かこのような形式の建物になったのは、
フランスのパリのルーブル美術館を意識したものだと聞いています。


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明治古都館正面口の前で、南を向きました。
約100m先に、先述の前田珈琲が建っています。
オープンカフェテラスもあるのですが、
この雨の中ではそちらは本日休止のようです。
では、あの辺りまで南下します。


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その前田珈琲京博支店の脇で、東を向きました。
では、明治古都館の南側の道を東に進んでいきます。


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先ほどの位置から、明治古都館の南側を約50m東に進みました。
その辺りに、こちらの自動販売機があります。
2014年以前は、明治古都館に入り切れず長い行列がよくできました。
それが先程の広場を越えて、この自動販売機まで伸びていました。
この日(2019年8月27日)は雨が降っていましたが、
GWなどは快晴が多く、熱中症の予防でこの自動販売機で
ジュースを買って、頭を冷やしてから中身を飲んでいました。


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その自動販売機の前で、東を向いています。
ここで道が分岐していますが、目的地には右側が最適です。
今回ブログの後半はこの右側を進み、
1周回ってこの左側からこの場所に帰ってきます。


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先ほどの写真に写る右側の小径をさらに東に進んでいます。
左(北)側は松や桜並木ですが、右(南)側は博物館の駐車場ですね。
ちょっと雨足が強くなってきましたので、雨傘を差します。
(写真に写り込んでしまいました)


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先ほどの小径をさらに東に進んでいます。
ここまでも十分に上り坂でしたが、
この辺りでさらに急な上り坂に変わります。


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その小径の左(北)側に、こちらが建っています。
多分こちらの職員の方々の仕事場です。
明治古都館は重要文化財でしたが、
こちらは文化庁指定の有形登録文化財です。
(第251回ブログの船岡温泉と同じですね)


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上り坂を約50m、上りの石段を約50m東に進みました。
こちらで、ようやく上りが終わります。


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石段の上に、このような石造が何基も並んでいました。
こちらの石像は、李氏朝鮮王国の墳墓に安置されていたものですが、
様々な縁により日本人の手に渡り
その方の子孫の手によってこちらに寄贈されたものです。


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同じ位置で、南東を向きました。
奥の紅い花は、百日紅(さるすべり)です。
その脇に藤棚があって、手前は桜並木です。
近くにベンチがあるので晴れていれば休憩したいのですが、
雨足が先ほどから徐々に強くなってきました。

またこの藤棚の辺りが京都国理知博物館南東端で、
藤棚の裏にある鉄柵の向こうは「東山七条」交差点です。


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さらに同じ位置で、北を向きました。
では、向こうの柵のある位置まで進みます。


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先ほどの位置から、約50m北上しました。
ではこの道標の通り、もう少し北上します。


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先ほどの位置から、約10m北上しました。
ここから、京都国立博物館の茶室堪庵(たんあん)に入ります。
ただこの辺りから雨が強くなって、遂に雨粒が写り込んできました。


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門をくぐり、堪庵の玄関に入ってきました。
堪庵は公開中なのですが、室内に上がるのは禁止されています。


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ですから、堪庵の裏手に回り込みました。
こちらから、躙り口や手水鉢が見えます。
ただ雨足が強くなってきましたので、こちらの縁側で休憩しました。


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堪庵の室内に上がるのは禁止なので、縁側に腰掛けて雨宿りです。
その間、こちらを見ていました。
苔生した庭に、カエデの木が並んでいますね。
あまり観に来る人はいませんが、丁寧に整備された庭です。


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雨足はますます強くなりますが、もう10分以上こちらにいます。
ですから、こちらを出て先を進みます。


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堪庵を出て、南を向きました。
ではこちらを進み、先ほどの道を戻ります。


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堪庵の出口から、約50m南下しました。
先ほどの小径を戻る途中で、西を向きました。
その位置に、下りの石段がありますね。
先ほどの小径から逸れますが、こちら側を進みます。


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先ほどの位置から西に進み石段を下ると、こちらの下り坂に出ます。
この道の先に、先程の明治古都館が見えますね。
さらにこの先に、北に下りる石段が見えます。
では、こちらを下りていきます。


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その石段を下り切って、西を向きました。
こちらは、明治古都館の南側の道です。
ずっと向こうに、先程の自動販売機が見えますね。
では、こちらを進んでいきます。


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明治古都館の南側の道を、西に約50m進みました。
自動販売機の手前で、先程の小径と合流していますね。
では、この先の自動販売機の辺りまで戻ります。


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先ほどの小径と合流し、自動販売機の前で西を向きました。
ずっと先(西)に、前田珈琲の支店が見えていますね。
さらに先(西)に、京都国立博物館の七条通側の入り口があります。
(今回ブログの冒頭に近い部分ですね)
ではこの博物館の入り口付近に戻って、
今度は京都国立博物館の南半分に向かいます。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、京都国立博物館の南半分を散策します~

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第682回 京都国立博物館 後編~正面通東から西~その3

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前回ブログで、京都国立博物館の北半分を散策し、
最終的に入り口付近に戻ってきて北を向いています。
今回は目の前の平成知新館(現本館)に立ち寄った後、
京都国立博物館の南半分を散策します。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後2時半。
豪雨が続きますが、この日は最後まで警報が出ませんでした。


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七条通側の京都国立博物館入り口から、約50m北上しました。
ではさらに約50m北上し、目の前の平成知新館に入ります。


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この日(2019年8月27日)は大雨でしたので、床が雨粒でぬれていて
それを気にされた博物館の職員の方々が多くいらっしゃいました。
……で、その中の一人に写真撮影の限界をお聞きしました。
以外にも、館内の一部が撮影可能でした。
基本的に撮影可能なのは1Fの一部だけで、展示物が無い場所です。


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先ほどの位置から、平成知新館内部を西に向きました。
はっきり言って何もないスペースなので、撮影可能です。
ですが、こちらは意外と休憩に最適です。
広いスペースにベンチがあるだけですので、
とても静かで落ち着くことができます。


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今度は、同じ場所で東を向きました。
手前はグッズショップなのですが、奥はレストランです。
だんだん雨足が強くなっていく中で、
多くの方々がこちらに集まっています。


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先ほどの部屋の北隣は、東西に伸びる長い廊下です。
その位置で、東を向いています。
手前からトイレ、視聴覚室、イベントホールが並んでいます。


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その廊下を約50m東に進み、南を向きました。
この辺りはガラス張りなので、外の様子がよく見えます。
先ほどのレストランにオープンカフェが設置されているのですが、
この大雨の中ではそちらには誰もいません。
この位置ですと、明治古都館の全景がよく見えますね。


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一方、こちらの西側は長い廊下がない代わりに展示会場があって
そこから先が撮影不可の場所となります。
順路としては最初に目の前に行くのではなく、
手前の左(南)側にエレベーターがあって、
そちらから3Fに移動します。
そして、3Fから徐々に下りっていって
最終的に目の前の場所から出て行きます。
(こちらは、どの催し物でも同じ順路です)


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この日(2019年8月27日)は、こちらでは
この催し物が行われていました。
2019年9月1日から9月7日まで、
ICOM(国際博物館会議)の京都大会が行われます。
そのことを受けて、こちらの京都国立博物館や京都文化博物館
海外の方々に日本文化を紹介する催し物が開かれています。

こちらに書かれている「寄託」とは、
各箇所の所有権はそのままにして
現物の文化財を保存するために京都国立博物館などの
公共施設に保管してもらうことです。
臨済宗建仁寺派本山建仁寺などが典型例ですね。

今回の催し物では3Fは小物類(土器や金属製の道具)、
2Fは掛け軸や屏風、障壁画などの絵画、
1Fは仏像や書簡、衣類・織物が展示されていました。
その多くが国宝・重要文化財で、
日本人が見ていても迫力があるのですが、
海外から来られた方々に日本文化を誇るような
そんな目的があるような気がしました。
個人的には3Fの金属製の経箱(お経を入れる箱)が
素晴らしいと思いましたが、
閲覧されていた方々の多くは2Fの建仁寺所蔵の
「風神雷神図屏風」(俵屋宗達作)「雲竜図」(海北友松作)に
特に注目されていました。
まぁ建仁寺常時展示のものはコピーですが、
こちらのものは本物ですから、迫力が違います。


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こちらの催し物は約30分くらいで回ろうと思っていましたが、
特に3Fで時間がかかってしまい1時間くらい眺めていました。
現時点で、2019年8月27日火曜日午後3時半。
ようやく1F催し物会場から出て、元の位置に戻ってきました。


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催し物会場で、南を向きました。
ではこちらを移動し、京都国立博物館の平成知新館を出ます。


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平成知新館を出て、京都国立博物館の敷地内にいます。
傘立ての都合で、真南を向くことが出しません。
南東に向くと、この位置から明治古都館がよく見えますね。
そう言えば、自分が平成知新館を閲覧している間に
豪雨がすっかり止んでました。


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同じ位置で、真西を向きました。
こちら側の池と噴水は、屋内から見ると結構きれいに見えます。
池の水面を見ると、噴水によるもの以外に波紋がありません。
そう言うことからも、雨が止んだことが分かりますね。


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平成知新館の前で、京都国立博物館の広場を南に向いています。
目の前の小径を約100m進むと、七条通側入り口に辿り着きます。
取りあえず、こちらを約50m南下します。


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平成知新館から京都国立博物館の広場を約50m南下し、
東を向きました。
こちらは、重要文化財の明治古都館(旧本館)です。
現在は修復中のため、中には入れません。
前回ブログでは全体を写したので、
今回は入り口付近をアップにしました。


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同じ位置で、今度は西に向きました。
ずっと奥に見えるのは、大和大路側の京都国立博物館正門です。
その手前に大きな噴水があって、
さらに手前に大きな彫刻の背中とお尻が見えます。


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その大きな彫刻の正面に回り込んできました。
土台と男性像合わせて、約4mといったところでしょうか?
こちらは「考える人」(ロダン作)です。
コピーではなく本物ではありますが、
ロダンは自分でいくつも同じ作品を作っています。
こちらは、そのうちの1品であります。


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その「考える人」の前で、西を向きました。
ここから、噴水と正門がよく見えます。
時間的に、ちょうど噴水が吹き上がるタイミングでした。


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噴水の周囲を時計回りに移動しています。
実は、京都国立博物館広場の南側にも散策ルートがあります。


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噴水の周囲を時計回りにほぼ半周して、西を向いています。
京都国立博物館正門脇に、左(南)に進む小径が伸びています。


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噴水と正門の間で、南を向きました。
では、この桜並木が続く小径を南へ移動します。


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その小径を南下しつつ、西を向きました。
こちらに石灯籠が、並んでいますね。


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この辺りが、京都国立博物館の南西端です。
小径が、ゆっくりと左(東)へ曲がっていきます。
この辺りの比較的高い木々は桜ですが、
低木はツツジが多いですね。
どちらも開花時期になりますと、なかなかの絶景になります。


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小径は曲がり角から、蛇行しながら東に進みます。
目の前の百日紅(さるすべり)が、満開ですね。
雨上がりなので、花の香りが強くなります。


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小径を東に移動し続けると、こちらに出ます。
手前に雨除け付きのベンチがあり、その奥が公衆トイレです。
この左(東)側に、七条通側の入り口があります。
(今回ブログの冒頭場面ですね)


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公衆トイレの前で、小径を北に向きました。
左(西)側に金属製燈籠があっていますが、
こちらは元々奈良市内の東大寺にありました。
右(東)側のベンチでゆっくり眺められます。


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金属製燈籠の前で、小径を北に向きました。
ずっと向こう(北側)に、先程の平成知新館が見えますね。
よく見ると、突き当りの植え込みの先に
先述の「考える人」が立っています。


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京都国立博物館南西側の散策用小径を抜け、西を向いています。
次は、噴水の西端まで歩いて行きます。


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京都国立博物館の噴水西端から、さらに西を向いています。
すぐ先に、京都国立博物館正門が見えます。
こちらも、重要文化財に指定されています。
では、こちらから京都国立博物館を出ます。


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正門から京都国立博物館を出て、東に振り返りました。
正門から噴水越しに明治古都館(旧本館)を見るこの構図が、
京都国立博物館のベストショットです。
ただし正門とは言え周囲でチケット販売が行われていませんので、
こちらは出口専用です。(つまり、ここから博物館には入れません)

京都国立博物館正門は、1897年この博物館創業以来ここにあります。
明治古都館同様、片山東熊による設計でともに重要文化財です。
この赤レンガ製フランス式建造物は、
ルーブル美術館を意識したものと聞いたことがあります。


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京都国立博物館正門を背にして、西を向いています。
この先の大和大路に続く百日紅並木が、ちょうど満開です。
ここから北上して正面通を目指すのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、北隣の豊国神社にお邪魔します~

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第683回 豊国神社散策~正面通東から西~その4

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第681回ブログから2回分を使って京都国立博物館を散策し、
正門を出たところで西を向いています。
目の前で、4車線の大和大路が南北に伸びています。
今回は、博物館の北隣にいらっしゃる豊国神社にお邪魔します。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後3時45分。
今シリーズのメイン正面通がやっと登場します。


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京都国立博物館正門の前で、大和大路を南に向いています。
約100m先で、七条通と交差しています。
七条通沿いをたくさんの方々が散策されていますね。


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その辺りの大和大路の向かい(西)側を見ています。
この辺りの大和大路と正面通には百日紅並木が、続きます。
時節柄、百日紅(さるすべり)がちょうど満開ですね。
手前の百日紅が白い花を付けていますが、
紅い花が多いので珍しいですね。


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同じ位置で、さらに北を向きました。
こちらにも、百日紅並木が続いていますね。
右(東)側に石垣が並んでいますが、
こちらは元々大仏殿のために築かれたものです。
この石垣は北半分は豊国神社のものですが、
南側は京都国立博物館のものです。


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京都国立博物館正門から、大和大路を約100m北上しました。
ここで大和大路は、正面通と交差します。


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大和大路から、正面通を東に向いています。
正面通はここが最東端で、この辺りでT字路を形成しています。
そして正面通より東に、豊国神社がいらっしゃいます。
こちらには約9ヵ月ぶりで、このブログ5回目の訪問です。


683-7.jpg
前述の写真中央の石段を上り豊国神社一の鳥居をくぐり、
豊国神社境内で東を向いています。
では、この先に見える豊国神社唐門(重要文化財)に向かいます。


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豊国神社唐門に向かう前に、先ほどの写真にも写っていた
手水舎に向かい、自分の手を浄めます。
第149回ブログに掲載した手水舎と様子が違いますね。


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豊国神社手水舎には、こちらの紙が貼られていました。
第149回ブログに写した張り紙といつの間にか入れ替わっています。


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ようやく豊国神社の手水鉢で、自分の手を浄めます。
こちらの周囲は変わりましたが、
手水舎に設置された手水鉢は自分が幼いころと同じですね。


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豊国神社手水舎の前で、東を向きました。
では、こちらから豊国神社唐門に向かいます。


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豊国神社唐門の手前(西側)に、こちらの像がいらっしゃいました。
豊国神社のご祭神豊国大明神と言いますか豊臣秀吉の銅像ですが、
前回訪問した9カ月前には明らかにいらっしゃいませんでした。


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豊国神社唐門の袂に、こちらの木製「千成瓢箪」が飾られています。
豊臣秀吉が戦で勝つたびに飾った馬印ですね。


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豊国神社唐門の真下から、境内を東に向いています。
向こうに拝殿が見えて、さらに約50m先に本殿がいらっしゃいます。
こちらの本殿より東に約100m先に、
安土桃山時代の16世紀末大仏殿が建っていました。
(詳細は、第616回ブログ参照)
さらにそちらより1500m東南東の阿弥陀ヶ峰(日吉ヶ丘)山中に、
豊国廟(豊臣秀吉のお墓)がいらっしゃいます。
ちなみに阿弥陀ヶ峰とは、中世の鳥辺山のことです。

豊国神社は、明治時代に建立されました。
ご祭神は、豊国大明神(豊臣秀吉のこと)です。
16世紀末正面通より北に伸びる渋谷街道から塩小路にかけて、
豊臣秀吉はこの辺り一帯を自分のための一大宗教施設にしました。
この位置は中でも中心施設であった大仏殿境内だったのですが、
17世紀初頭に権力を奪った徳川家康は
京都をさらに開発する過程でこれら施設の解体を図りました。
三十三間堂は独立した寺院となり、(以後、蓮華法院と称します)
周辺地域に新たに智積院などの寺院を建立しました。
この大仏殿周辺は江戸時代を通して完全に放置され、
その間火災などに合いこの辺りは荒廃の一途を辿りました。
それが明治時代に入るとこの辺の再開発が繰り返され、
北から順に天台宗方広寺(この後に立ち寄ります)、
豊国神社、京都国立博物館、三十三間堂と生まれ変わりました。


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豊国神社唐門前から、境内を南に向きました。
手前に豊国神社宝物殿への入り口がありますが、
時間の関係でそちらは割愛させていただきます。
(宝物殿の詳細は、第149回ブログ参照)
さらにその右(西)側には、こちらの社務所があります。
そして社務所とこちらとの間にある砂利が敷き詰められた場所が、
月極の駐車場です。
自分は自動車を所有していませんが、
今は亡き父がここの駐車場を利用していて、
その関係で自分は幼いころこの辺りでよく遊んでいました。


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今度は豊国神社唐門の前で、境内を北を向きました。
次は、そちらに向かいます。
つい約30分前まで豪雨でしたので、(前回ブログ参照)
雨が止んでも石畳の道の周囲の砂利が水浸しですね。


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豊国神社本殿北側に、こちらの神社が隣接しています。
朱い鳥居が並んでいるので、こちらが稲荷社と分かります。
ただ本殿を参拝させて頂くと、「槇村大明神」と書かれていました。
もしかすると、「槇村さん」のお墓の址なのでしょうか?
(小さな稲荷社の大半は、元々お墓か死体発見現場です)


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朱い鳥居の前で、北を向きました。
目の前の車止めを越えて北上すると、
豊国神社から天台宗の方広寺に移り変わります。


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先ほどの位置から北上し、車止めを越えて時点で東を向きました。
ここを東に進むと、方広寺の駐車場の脇を抜ける小径に出ます。
さらにその駐車場を東に抜けると、
先述の大仏殿址公園や馬町に抜ける路地に出ます。
(第616回ブログを参照)


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同じ位置で、方広寺境内で北を向いています。
では、目の前の「国家安康の鐘」の鐘楼に向かいます。


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こちらが、1614年~1615年の大坂の陣の端緒となった
「方広寺鍾銘事件」の原因となった「国家安康の鐘」の現物です。
(コピーなどではありません。当時鋳造された現物です)
現在の方広寺の僧侶が、
こちらの文字に白墨で印を付けられています。
こちらは、臨済宗大徳寺の塔頭総見院の僧侶古渓宗陳作です。
とても長い漢詩が描かれているのですが、
その中に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれていました。
(右下が「国家安康」、左上が「君臣豊楽」)
「国家安康」のうち「家」と「康」を切り離すことで
徳川家康の首を刎ねる呪いをかけたなどと主張して、
方広寺を建立した豊臣氏に対して疑念を持った徳川家康が、
大坂の陣で豊臣氏を滅亡させました。
酷い言い掛かりのようですが、
作者の古渓宗陳が反徳川家康の急先鋒だったことや、
(古渓宗陳はこちらを書いた直後に処刑)
そのような呪いは当時なら日常的に行われていたことから、
あながち冤罪とは言い切れません。


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こちらは、「国家安康の鐘」が安置されている鐘楼の天井部です。
少し擦れていますが、飛天を描いた天井画が見事ですね。


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飛天を描いた天井画を大写しにしました。
自分は幼いころからこの天井画が大好きで、
何やかんや理由を付けてよくこちらを見に来ていました。


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方広寺の「国家安康」の鐘楼から、東を向きました。
この先に、大きな駐車場が見えます。
江戸時代後期、有志の寄付金でここに大仏が再建されていました。
かつてのものよりだいぶ小規模でしたが、
こちらも1973年に漏電が原因で焼失してしまいました。
当時幼稚園児だった自分が、亡き祖父に連れられて
ここまで野次馬で火災の様子を眺めていた記憶があります。


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鐘楼の北側に、天台宗方広寺本殿が建っています。
ご本尊は廬舎那仏ですが、(奈良の大仏と同一です)
大仏殿焼失のため足首より下だけになっておられます。
(尤も、別に廬舎那仏がご本尊としていらっしゃいますが……)

こちらは豊臣秀吉による大仏殿の後継寺院で、
江戸幕府は放置し続けましたが、
京都市街の庶民の信仰は集めており、
そのため公式記録では存在しないものの
こちらの寺院自体は小規模ながら存在し続けました。
ただ、いつから大仏殿から方広寺に名称変更になったかは不明です。


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その場所で、方広寺境内を西に向きました。
この先に、大和大路が見えますね。
この時点で、また雨が降り出しました。
(先程の写真にも、雨粒が写っていましたね)
ここからでも外に出られますが、(第149回ブログと同じルートです)
あくまで「正面通編」ですので、元の位置に戻ります。


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今度は同じ位置で、方広寺境内を北に向きました。
では、方広寺から豊国神社に戻ります。


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方広寺から豊国神社に戻ってきて、南に向いています。
ずっと向こうに、豊国神社の社務所が見えますね。
雨が降り出して僅か数分でしたが、もう止んでいますね。


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豊国神社手水舎脇まで南下して、西を向きました。
目の前に、先程の豊国神社一の鳥居が建っていますね。


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豊国神社一の鳥居の真下で、西を向いています。
こうして見ると、豊国神社から西に
正面通が伸びているのが分かりますね。


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豊国神社一の鳥居の真下から石段を下りて、
大和大路から正面通を西に向いています。
つまり、この位置が正面通の最東端です。
では、ここからようやく正面通を西に進むのですが
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、この地点から正面通を西に進む、予定です~

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第684回 正面通の百日紅~正面通東から西~その5

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前回ブログで参拝した豊国神社を背にして、
大和大路から正面通を西に向いています。
こちらが、正面通最東端です。
今回はここから正面通を西に進み、鴨川を目指します。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後4時15分。
豪雨直後の分厚い曇り空が広がります。


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横断歩道を渡り、正面通を西に進みました。
「正面大和大路」交差点南西角に、「耳塚公園」があります。
遊具付近は撮影できませんので、周囲だけ撮影します。
(小学生児童が数人、遊んでいらっしゃいました)


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先ほどの地点から約5m北上して、正面通を西に向いています。
耳塚公園内の白い花は、百日紅(さるすべり)です。
百日紅は通常紅い花を咲かせますが、
この辺りは約半分が白い百日紅です。
右(北)側に見える正面通の中央分離帯に、
百日紅並木が続いています。
毎年7月~9月になると、
この辺りは百日紅の紅白の花が咲き乱れますね。


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先ほどの位置から、正面通を西に約20m進みました。
ちょうど耳塚公園の中間点ですので、この辺りからでも入れます。
目の前の樹木は薄紫の花を付けていますが、
あちらは槿(むくげ)でしょうか?芙蓉(ふよう)でしょうか?
その陰に藤棚があって、その下の遊具で
たくさんの児童が遊んでいらっしゃいます。


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その辺りで、正面通を北に向きました。
百日紅の咲く中央分離帯の向こうに、町家が建っています。
こちらは、甘春堂東店です。
第150回ブログ葛切りを注文したのと、
第615回ブログ抹茶と茶菓子を注文しました。
今回は、諸事情で素通りします。


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さらに正面通を約10m西に進みました。
あちらの出入り口の先で、耳塚公園の最西端となります。
右(北)側の週央分離帯には、相変わらず百日紅並木が続きます。


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耳塚公園の北西端に、こちらの石碑が立っています。
実は、耳塚公園の歴史が文語体で書かれています。
明治時代初期、まだ明治天皇が京都に住まわれていた頃です。
明治天皇とこの辺りまで馬車で来られた昭憲皇太后が
「疲れたので、休憩したい」
そうおっしゃられたので、この場所で休憩されました。
その後このご休憩跡地に小学校が建てられたりしたのですが、
その小学校移転後にこちらは児童公園になりました。
(意外なことに、「耳塚」とは直接関係ありませんでした)


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耳塚公園の西隣に、耳塚が建っています。
こちらは、この辺りが大仏殿関連施設だった名残です。
(大仏殿については、前回ブログ参照)
文禄の役の際、日本の武将の中には朝鮮軍兵士の死体から
耳や鼻をそぎ落として持ち帰った者がいました。
その数を自分の手柄として、褒章を求めたからです。
そういう耳や鼻(塩漬けにしてあります)を豊臣秀吉は
こちらに埋葬してお墓を建てました。
それが、こちらの耳塚です。
日本側にとって耳塚は戦勝記念碑ですが、
韓国側にとっては耳塚は戦没者への慰霊碑であり、お墓です。
ですから金大中氏など訪日された韓国大統領には、
こちらに参拝された方もいます。


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耳塚の前で、正面通の北側に向きました。
満開の百日紅越しに京町家が建っていますが、
軽トラックが邪魔ではっきり見えません。
こちらは扇屋さんの老舗ですが、今回は素通りします。


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耳塚の前で、正面通を西に向いています。
目の前で、正面通は大黒町通と交差しています。


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正面通から、大黒町通を南に向いています。
耳塚の形に蛇行しているのが、面白いですね。


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今度は正面通から、大黒町通を北に向きました。
五条通付近は東山郵便局の西側の道なのですが、
そのまま北上すると、日蓮宗壽延寺沿いの道となります。
(壽延寺には大黒天がいらっしゃり、それがこの道の由来です。
詳細は、第153回ブログを参照)


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「正面大黒町」交差点北西角に、
浄土宗西山壇林派専定寺(烏寺)が建っています。
天台宗方広寺とは宗派が異なりますが、近くに位置するため
「大仏殿」(方広寺)関連寺院と考えられています。
もっとも、「烏寺」の由来は鎌倉時代の話です。
ご本尊は阿弥陀如来像ですが、
それ以外にもこちらには蕎麦喰い地蔵がいらして、
こちらが江戸時代の「大仏殿7不思議」の
一つに数えられています。
(詳細は、第149回ブログ参照)


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大黒町通から、正面通を西に向いています。
この辺りは、緩やかな下り坂ですね。
この辺の百日紅並木は、特に高い木が多いですね。


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その辺りの正面通に、こちらに地図がありました。
こちらは正面通の南側歩道に貼られていますが、
実は左右真逆に描かれています。
(北側歩道だと、問題ないのですが……)
実際の正面通の進行方向は左から右ですが、
地図上は右から左に移動することになります。


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その地図の前で、正面通を西に向いています。
向こうで、正面通は本町通と交差します。
その本町通で百日紅並木が終わり、
正面通は道幅が半分くらいになります。


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正面通から、本町通を南に向いています。
本町通はとても長い道ですが、
七条通以北は京町家が多くなります。
(第149回ブログを参照)


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今度は正面通から、本町通を北に向きました。
ここをまっすぐ北上すると、第150回ブログ後半のルートです)


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本町通から、正面通を西に向いています。
ここから西の正面通には歩道が無くなり、道幅も半分になります。


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本町通から、正面通を約10m西に進みました。
こちらに川魚屋さんがあるのですが……
この日(2019年8月27日)は火曜日ですが、
シャッターが閉められています。
定休日なのでしょうか?


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川魚屋さんの前で、正面通を西に向いています。
この辺りは「正面通商店街」に属しており、
たくさんの商店舖が並んでいます。
全盛期の8割くらいに商店舗も減っていますが、
京都市街地の商店街でも元気な方に属しています。


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本町通から、正面通を西に約50m進みました。
ここで正面通は、鞘町通と交差します。


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「正面鞘町」の辻の南東角に、道楽という料亭があります。
ポツンとあるお店ですが、結構な老舗です。
鴨川が近いこともあって、川魚中心のお店です。
(ウナギとか、アユとか、コイとか)


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正面通から、鞘町通を南に向いています。
左(東)側は先程の料亭「道楽」で、
右(西)側はかつての京都市立貞教小学校で、
現在の京都芸術工芸大学です。


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その「道楽」の壁に、小さな祠がいらっしゃいます。
よく見ると、全て稲荷社ですね。
こちらは、さすがに「商売繁盛」の意味合いでしょうね。


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今度は正面通から、鞘町通を北に向きました。
こちら側は、両脇とも小店舗を閉じられています。
特に右(東)側のタバコ屋さんだったところは、完全に廃墟ですね。


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鞘町通から、正面通を西に向いています。
右(北)側に見える「正面湯」という銭湯は、
2010年ごろに閉められてしまいました。
実は、かつて自分が常連だった銭湯でした。
まるで今も開いているように見えるのは、
今も中に人が住まわれているからでしょうか?


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とは言え、「正面湯」の西隣の家電の店は開店していました。
自分の印象では、結構流行っています。
(ウチもお世話になっています)
さらに西隣は一見工場ですが、自転車のお店です。
しかも、自転車を部品単位で売ってくれます。
自分も、自転車の籠やベル、ハンドル、
さらにペダルを単品で買ったこともあります。
(しかも頼めば、その部品を取り付けてもらえます)
また店頭には、50円硬貨1枚で3分自転車のタイヤに
空気を入れられるチューブが置かれています。
(自動的に空気が出るので、とても楽です)
ちなみに、さらに西隣のオレンジ色のテントも
この自転車屋さんの一部です。


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その家電屋さんと自転車屋さんの向かい(南)に、
手作りパン屋さんの「チロル」があります。
ウチの母が取りあえずの食事を食べるときは、
相当お世話になっています。
個人的には、魚のフライが入ったサンドイッチが好物です。


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その「チロル」の前で、正面通を西に向いています。
すぐ前に、右(北)に伸びる道が見えますね。
ここで正面通は問屋町通とT字路を形成します。


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正面通から、問屋町通を北に向いています。
この位置が、問屋町通最南端です。


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正面通から、問屋町通を約10m北上しました。
こちらの地域スーパーはだいぶ前に閉店したのですが、
こちらの掲示板は近隣住民がよく見に来ます。
この掲示板から問屋町通を約400m北上すれば、
半兵衛麩本店が建っています。


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問屋町通から、正面通を西に向いています。
「正面川端」交差点の信号機が、そろそろはっきり見えてきました。


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問屋町通から、正面通を約30m西に進みました。
「正面川端」交差点南東角に、
和菓子屋さんの甘春堂本店が建っていますね。
この先の鴨川に架かる正面大橋からでも、よく見えます。


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甘春堂本店は、先程の東店と異なり茶店がありません。
ですから、店頭でお菓子を買って持って帰る専門のお店です。
自分は、ここでは必ずこちらの有平糖を買っています。
こちらは帰宅後、普洱茶(プーアル茶)とともに頂きました。


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こちらが、有平糖です。
安土桃山時代に、南蛮から渡来した砂糖菓子です。
通常は茶会などで、抹茶と共に戴きます。
優しい甘さと季節ごとの精緻な細工が、特徴ですね。


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甘春堂本店の入り口から、そのまま北向いています。
目の前に小路が伸びているように見えますが、こちらも川端通です。
と言いますか、1990年くらいまでは
4車線の川端通が琵琶湖疎水の川面で
この小路のみを川端通と呼んでいました。
(今の琵琶湖疎水は暗渠化しています)
左(西)側には、その1990年ごろまで「正面公設市場」がありました。
(1990年ごろとは、バブル景気を指します)


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今度は同じ位置で、川端通で南を向きました。
こちらの歩道の幅が広くなっていますが、
歩道部分が昔からの川端通で、車道がかつての琵琶湖疎水でした。
左(東)側に、京都芸術工芸大学が見えます。


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正面通から、川端通の車道を北に向いています。
(かつての琵琶湖疎水跡です)
約450m先で五条通と交差するので時折渋滞しますが、
今は自動車が全然見えません。


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では横断歩道を渡り、川端通から正面通を西に進みます。
ただ、今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、これ以降は次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、木屋町通の正面児童公園付近を散策します~

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第685回 高瀬川沿いの商店街~正面通東から西~その6

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川端通を背に、正面通を西に向いています。
こちらは、鴨川に架かる正面大橋の東詰めです。
今回はこちらを渡って、下京区側の正面通を西に進みます。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後4時半。
ここに来て、また雨が降り出しました。


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正面大橋を西に渡りながら、南を向いています。
東西両岸に見える繁みは、全て桜並木です。
ですから毎年春になると、この辺は絶景ですね。
ずっと向こうに、七条大橋が見えます。
(第614回ブログの冒頭と第647回ブログの最後に出てきました)


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今度は、正面大橋で鴨川を北に向きました。
こちら側から見ても、桜並木が続いています。
ずっと向こうに、五条大橋が見えますね。(第155回ブログを参照)


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その辺りで、正面大橋を振り返り東側を見ています。
右(南)側に、前回ブログに出てきた甘春堂本店が見えますね。
第114回ブログではこの橋から清水寺多宝塔が見えたのですが、
これだけ曇って雨まで降ると全然見えません……


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今度は鴨川に架かる正面大橋の上で、西を向きました。
ではこちらの橋を西に渡り切り、
「京都市東山区」から「京都市下京区」に移ります。


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正面大橋を渡り、橋の西詰まで来ました。
その位置で、正面通から北を向いています。
ここから約5m先で、2019年の大文字を眺めました。


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こちらは、2019年9月8日日曜日に撮った写真です。
(晴れの日に再訪しました)
先程の位置から約5m北上し、鴨川を眺めています。
いちばん左(北)の山が比叡山で、その右(南)隣が大文字山です。


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大文字山を大写しにしました。
北に向けての「大」の文字の一部が、見えますね。
全ての大文字を制覇するなら出町柳に行くべきですが、
1文字だけでいいなら京都市街地の川や大通り沿いなら
どれかが見えてきます。
(自分は、こんな感じで大文字を眺めています)
2019年9月8日の写真は、ここまでです。


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ここから、2019年8月27日分の写真に戻ります。
正面橋西詰から、正面通を西に向いています。
ここから京都市下京区ですが、
東山区側とは別に商店街を形成しています。
こちらは全盛期の半分くらいの商店舗しか残っていませんが、
左(南)側の仏具店とあられ屋さんはこの瞬間も開店しています。
また、その奥(西)の看板が見える時計屋さんと洋品店も開店中です。
右(北)側も美容院が開いています。
(電柱で隠れて、この写真には写っていません)


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正面大橋西詰から、正面通を西に約30m進みました。
先程触れた美容院から左(南)に、二ノ宮通が伸びています。
二ノ宮通は正面通をさらに西に約5m進むと、
筋違いで正面通から北にも伸びています。


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正面通から、二ノ宮通を南に向ています。
約50m先の庇が広い部分は、1990年ごろまで銭湯でした。
その北隣には、当時理髪店がありました。
どちらも、正面通の商店街に属していたはずです。
ですから、この辺は当時は結構賑やかな場所でした。


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「正面二ノ宮」の辻北西角に、こちらの大きな洋館があります。
南北に細長い建物で、二ノ宮通はこの洋館北端で突き当たります。


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その大きな洋館の入り口を撮りました。
こちらに、ブロンズ製の看板が付いています。
「トランプ・かるた・山内任天堂」は、
ファミコンを初めTVゲーム最大手のニンテンドーと同一企業です。
ですから、この地がそのニンテンドーの発祥地ではあるのですが、
こちらではカードゲームのみ製造されています。
元々任天堂はカードゲームのみ製造していた会社で、
1960年頃からゲームセンター用の筐体製作に参画してきました。
1985年頃にファミコンを開発して、家庭用ゲーム機を世界中に販売し
やがて世界一のTVゲーム会社となりました。
ちなみに、ウチのトランプはもちろん花札小倉百人一首は、
自分が幼少時より任天堂のものを使っていましたし、
中学生時にゲームセンターに行ったときも
筐体の約半分が任天堂のものでした。


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山内任天堂の前で、正面通を西に向いています。
1975年頃は、この辺に商店街が立てた「大売出し」の
朱い幟がたくさん並んでいたのですが、
今は(2019年)ほとんどありませんね。
ちょっと雨足が強くなってきて、
カメラのレンズに雨粒が付いてきました。


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山内任天堂の向かい(南)に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
祠の下に、お賽銭の投入口があるのが面白いですね。
では、こちらにお賽銭を収めてお参りします。


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そのお地蔵さんの西隣の洋品店の向かい(北)側と言いますか、
山内任天堂の西隣に、眼科・外科医療器具歴史博物館があります。
こちらは元々「奥澤眼科」だった場所で、
江戸時代からこの位置で開業されていました。
自分も幼稚園児だったころから、こちらで治療してもらいました。
おそらく受付とか待合室とか治療室とかは、当時のままでしょうね。
「奥澤眼科」は現在代替わりされて、
京都市東山区本町七条下るで開業されています。
(第145回ブログを参照)


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眼科・外科・医療器具歴史博物館の前で、
正面通を西に向いています。
ここで正面通は、三ノ宮通と交差します。


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正面通から、三ノ宮通を南に向いています。
左(東)側に、京都米浜郵便局が見えますね。
三ノ宮通は約230m南下すると七条通と交差し、
そこより南は須原通と名称が変わります。


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今度は、正面通から三ノ宮通を北に向きました。
眼科・外科医療器具歴史博物館の西側の塀が見えますね。
実は、この道がウチからサウナの梅湯に向かう近道です。


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三ノ宮通から、正面通を西に向いています。
左(南)側の青いテントの下はシャッターが閉まっていますが、
文房具店と言いますか、紙屋さんがこの瞬間も開いています。
右(北)側に赤い自動販売機がありますが、
その辺りにあった米屋さんは現在は閉められています。
三ノ宮通から約30m西に高瀬川が流れており、
その川沿いに木屋町通が伸びています。


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正面通から、木屋町通を南に向いています。
約230m先の七条通まで、この周囲には桜を中心に
さまざまな樹木が植えられており、なかなかの絶景になります。


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今度は、正面通から木屋町通を北に向きました。
雨のせいで、高瀬川の流れが速いですね。
約150m先に、サウナの梅湯があります。


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高瀬川を渡り、正面通から西木屋町通を南に向きました。
こちらに「mur mur coffee」があります。
ウチのブログでも何度か紹介しています。
今回もここにお邪魔したかったのですが、
こちらは午後5時で閉店なのでこちらには入れませんでした……
ちなみに第614回ブログでは、蜂蜜のトーストを頼みました。


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高瀬川に架かる正面小橋の上で、正面通を北西に向きました。
この先に、正面児童公園が見えますね。
この辺りは、高瀬川沿いでも屈指の桜の名所です。
(第647回ブログを参照)


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正面通から、西木屋町通を北に向いています。
正面児童公園と高瀬川の間の道ですね。
この辺りの道幅が広いのは、かつての定期市の名残です。
1980年ごろまで、正面児童公園の周囲と西木屋町通、土手町通に
毎月5日と10日と26日に定期市が開かれていました。
確かこの公園の前でたこ焼きが売られていて、
それがとても美味しくて定期市のたびに買っていました。


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2019年9月8日日曜日晴れの日に、
この辺りの西木屋町通を撮りました。
正面児童公園の北側の高瀬川沿いの百日紅がきれいですね。


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こちらが、正面児童公園です。
こちらは京都市街地でも屈指の桜の名所ですが、
8月ともなればその桜も青葉の木で、
しかも結構強い雨足なので誰もいませんでした。


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こちらも、2019年9月8日日曜日の写真です。
正面児童公園を晴れの日に撮り直しました。
夕方だったのですが、誰もいらっしゃいません。
普段は結構賑やかなので、たまたまでしょうか?


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ここから、2019年8月27日火曜日の写真に戻ります。
正面児童公園の南側の正面通沿いに、
公衆電話と赤い郵便ポストが立っています。
先ほど出てきた京都米浜郵便局は、
元々正面児童公園の南向かいの正面通沿いに建っていました。
おそらくこのポストは、その名残です。


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正面児童公園の南側から、正面通を西に向いています。
約70m先で、正面通突き当たっているのが分かりますね。


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正面児童公園の前から、正面通を西に約40m進みました。
ここで正面通は、土手町通と交差します。
左(南)側の薬局は1990年ごろ閉じられて、
以来ずっとシャッターは開きません。


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「正面土手町」の辻に、こちらの石が置かれています。
この「車石」はまだ自動車が普及していなかった昭和時代初期に、
荷車の方向転換のために使われていました。
こちらの石に荷車の車輪を押し当て、
「てこ」の応用で荷車を回転させます。
自動車が今のように普及した後はほとんどが撤去されましたので、
こちらのもの以外は京都市街地にはあと数個しか残っていません。


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正面通から、土手町通を南に向いています。
約230m先の七条通で、この道は突き当たります。
自分が生まれたころは京町家が建ち並んでいましたが、
現在も残っている京町家はわずかに数軒のみしか残っていません。
豊臣秀吉の都市計画では河原町通上に御土居が伸びており、
その東側の土手町通には高瀬川が流れていました。
(五条通以南の当時の高瀬川は、現在よりも西に流れていました)


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今度は正面通から、土手町通を北に見きました。
こちら側も土手町通は、約100m先の上ノ口通で突き当たります。
突き当りの洋館は自分の生まれたころより建っていますが、
中身はだいぶ違います。
1990年ごろまでこちらは熱帯魚屋さんでしたが、
現在は飲食店に変わっています。


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さらに、土手町通から正面通を西に向いています。
約30m先で、正面通は渉成園の塀で突き当たります。


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土手町通から、正面通を西に約30m進みました。
正面通は、ここで渉成園の塀で突き当たります。
ただ、ここが正面通最西端という訳ではありません。
渉成園の西側から、さらに西に正面通が伸びています。
とは言え、今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回がここまでです。

~次回は渉成園の西側に回り込み、途中文子天満宮に立ち寄ります~

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第686回 文子天満宮に寄り道~正面通東から西~その7

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正面通を背に、河原町通から西に向いています。
前回ブログで正面通の突き当りまで進みましたが、
目の前にある渉成園の塀を回り込めば、正面通はまだまだ続きます。
今回は渉成園の塀の西側に回り込み、西側の所正面通を目指します。
途中、文子天満宮にも立ち寄りました。
撮影日は、2019年9月19日木曜日午後3時。
快晴だったので、変更してこの日に撮影しました。


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正面通から、河原町通を南に向いています。
右(西)側に渉成園の塀が約130m続いていますね。
さらに約100m南下すると、七条通と交差します。


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今度は、正面通から河原町通を北に向きました。
では、ここを北上していきます。


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正面通から、河原町通を約50m北上しました。
ここで河原町通は、上珠数屋町通と交差します。
よく見ると上珠数屋町通以北の河原町通は、
北北東に曲がっています。
ですから、その辺りのマンションがショートケーキ状ですね。
(南側が尖った三角形の建物ですね)


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河原町通から、上珠数屋町通を西に向いています。
上珠数屋町通は、渉成園北端の道でもあります。
続いて、横断歩道を渡って上珠数屋町通を西に進みます。


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横断歩道を渡り、河原町通から上珠数屋町通を西に向いています。
4車線の広い道幅なのは、約120年前一時的に
この辺りに路面電車が通っていた名残です。
では、こちらを西に進んでいきます。


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河原町通から、上珠数屋町通を西に約70m進みました。
ここで上珠数屋町通は、富小路と交差します。


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渉成園の塀を背に、上珠数屋町通から富小路を北に向いています。
約80m先が、花屋町通最東端地点です。
(第110回ブログを参照)


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富小路から、上珠数屋町通を西に向いています。
左(南)側は相変わらず渉成園の塀ですが、
右(北)側は工事中の鉄板が張り巡らされています。


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その鉄板の隙間にカメラを向けています。
こちらは数年前まで京都市立六条院小学校で、
それ以前は京都市立雅松小学校でした。
確か手前のスペースは、元々プールでした。
この辺りの小学校は京都市立渉成園小学校に統廃合されたので、
どうやら取り壊されるみたいですね。


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富小路から、上珠数屋町通を西に約50m進みました。
ここで、上珠数屋町通は高倉通と交差します。
よく見ると、この高倉通で工事中の鉄板が終わります。


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上珠数屋町通から、高倉通を北に向いています。
このまま進めば、第404回ブログ後半のルートを辿ります。
高倉通は渉成園で突き当たりますが、
渉成園より南は十条通まで伸びています。
(第401回ブログを参照)


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高倉通から、上珠数屋町通を西に向いています。
この少し先で、渉成園の塀が途切れます。
約50m先で、上珠数屋町通は間之町通と交差します。


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上珠数屋町通から、間之町通を南に向いています。
約100m先に渉成園入口と正面通が見えますが、
ちょっと寄り道するので別の方角に向きます。


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間之町通から、上珠数屋町通を西に向いています。
この辺りは、昔ながらの京町家が建ち並びます。
こちらの約150m先に、烏丸通が伸びています。


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そして上珠数屋町通から、間之町通を北に向きました。
すぐ先に、「文子天満宮」の看板が見えますね。
では渉成園に向かう前に、先にこちらに向かいます。


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「上珠数屋町間之町」交差点北西角に、
浄土真宗大谷派光久寺が建っています。
距離の関係で、この辺りには東本願寺の塔頭寺院が多いですね。


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光久寺の北斜め向かいに、浄土真宗大谷派西宗寺が建っています。
こちらも、東本願寺の塔頭寺院でしょうね。
ただ、この辺りの寺院の多くは非公開です。


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西宗寺の向かい(西)側に、文子天満宮が建っています。
では、こちらに向かって参拝します。


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文子天満宮の境内に、入ってきました。
入り口脇の右(南)側に、こちらの手水舎があります。
壁面に、菅原道真の家紋「梅鉢」が付いていますね。


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手水舎を背に、文子天満宮境内で北を向きました。
こちらは、末社の白瀧稲荷社です。
脇には、小賀玉の木が伸びています。
1円硬貨に描かれた木ですね。


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白瀧稲荷社の左(西)側に、さらにこちらの祠がいらっしゃいます。
左から順に、文子像、老松社、福部社、白太夫社です。
どちらも、菅原道真の家臣が神格化されたものです。
では、こちらを順にお参りします。


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文子天満宮の入り口正面(西側)に、本殿がいらっしゃいます。
ご祭神は、菅原道真です。
こちらの沿革は、第110回ブログを参照してください。
では、こちらにお参りします。


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こちらは、文子天満宮境内南西角です。
左(南)側が社務所で、右(西)側が文子殿です。
こちらは、多治比文子(たじひのあやこ)がご祭神です。

さて、その多治比文子とは誰でしょう?
多くの資料では菅原道真の乳母と書かれていますが、
中にはここに居住していたものの生前の菅原道真とは全くの他人で、
10歳くらいの頃菅原道真の亡霊から神託を受けて
この地に祠を建てた巫女と書かれたものもあります。
乳母説が今のところ有力ですが、
巫女説もあながち否定できないようです。


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これで一通り文子天満宮境内を回りました。
ではこちらを出て、間之町通に戻ります。
……日差しが強いので、撮影中細かいところが分かりません。
ですから、写真がちょっと傾いてしまいました……


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文子天満宮を出て、間之町通を南を向いています。
では、こちらを約50m南下して上珠数屋町通に戻ります。


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間之町通から、上珠数屋町通を東に向いています。
こちらが、今回ブログ前半のルートです。


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上珠数屋町通から、間之町通を南に向きました。
では、こちらを南下して渉成園や正面通を目指します。


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上珠数屋町通から、約100m南下しました。
左(東)側に渉成園の入り口が見えますが、
右(西)側からまた正面通が伸びています。


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正面通を背に、間之町通から東を向いています。
目の前に、東本願寺庭園である渉成園が見えます。
正面通を西に進む前に渉成園を散策しますが……
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、こちらの渉成園を散策します~

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第687回 渉成園は修復済み~正面通東から西~その8

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正面通を背に(東に)、東本願寺庭園の渉成園入口に向きました。
今回は、こちらの渉成園を散策します。
撮影日は、2019年9月19日木曜日午後3時半。
そう言えば、約1年ぶりの渉成園です。


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渉成園の入り口をくぐり、受付で500円納めました。
その後受付に背を向け、北を向きました。
ちょっと先に、休憩所が見えます。
先ずは、そちらに向かいます。


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先程の位置から、渉成園境内を約10m北上しました。
こちらが、休憩所です。
紅い敷布に包まれた縁台と、自動販売機が並んでいます。


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こちらが、渉成園の自動販売機です。
「東本願寺のお茶」が、売られています。
実際に東本願寺の僧侶が日常的に飲まれているお茶を
ペットボトルに詰めたものです。


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縁台に座って、「東本願寺のお茶」を頂きました。
お味は……まぁお茶ですね。
この後東本願寺に参拝しますので、
自動販売機で何か購入する必要がありました。
(その釣り銭をお賽銭にします)


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渉成園の休憩所から、南を向きました。
お茶を飲み終えて、受付の前に戻ります。


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渉成園受付の前で、東を向きました。
こちらが、渉成園の象徴とも言える枝垂桜です。
満開時は相当絶景になりますが、
園内の他の桜の木よりも遅咲きになります。


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枝垂桜周辺の生け垣は、全て枳殻(カラタチ)の木です。
枳殻は、音読みでキコクと読みます。
渉成園の周囲はこの枳殻に囲まれているので、
渉成園自体を地元民は枳殻邸(きこくてい)と呼んでいます。
渉成園周辺の旅館や飲食店に「キコク」という屋号が多いのは、
こういう事情があるからです。


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枝垂桜と枳殻の生け垣との間の道で、北を向きました。
では、こちらを進み渉成園の内部に入っていきます。


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先程の道を約50m北上して、東に向きました。
次はこの棕櫚(しゅろ)の木と大桜の木の脇を通り過ぎ、
渉成園の庭内に入っていきます。


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先程の位置から、渉成園内を左(北)に進みました。
すると、すぐに渉成園北西端の臨池亭(りんちてい)が建っています。
第349回ブログではこの茶室で抹茶と茶菓子を戴きましたが、
通常はこのように閉鎖されています。


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臨池亭から、渉成園北西部を東に向かっています。
目の前の小川は、左(北)の臨池亭前の池から
右(南)側の大きな印月池へと流れています。
また、渉成園北西部は桜並木が続いていきます。


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渉成園内の先程の小川を渡り、進路を南に切りました。
この辺りは、印月池の手前まで桜並木が続きます。


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印月池畔まで南下して、東を向きました。
印月池畔は、一転してカエデ並木が続きます。
こちらは、あと2カ月すれば紅葉に染まります。


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暫く印月池畔を東に歩いて行きますと、
カエデ並木の間に小川が流れています。
この小川は石橋の下を通って、印月地に流れます。


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その先に、こちらの句碑が並んでいます。
左(西)から、高浜虚子・さらには大谷句碑(東本願寺元管主)
川東碧梧桐の句ですね。


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印月池ほぼ東端に、こちらの橋が架かっています。
この回棹廊(かいとうろう)は、昨年(2018年)に来襲した台風により
大きな被害を受けました。(第612回ブログを参照)
それが、約1年経って修復が完了しています。


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修復された回棹廊を南に渡り、東に向きました。
すぐ先に塀があって、その向こうが河原町通です。
(ちょうど前回ブログの最初の写真の位置です)
その手前の藤棚も、昨年の台風の被害を受けました。


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渉成園内の印月池に架かる回棹廊を南下しています。
回棹廊を渡ると、印月地の南岸に出ます。
こちらは、印月地に浮かぶ小島ですね。


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印月地に浮かぶ4つの島のうち人が入れるのは、
こちらの築島だけです。
こちらの築島の頂上には茶室がありますが、普段は非公開です。
その下にある穴は井戸です。(現在は、ほぼ涸れています)
こちらで水を汲み、上の茶室で頂きます。


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その井戸の前で、南を向きました。
昼下がりなので、少しずつ日が右(西)に傾くのが分かります。
正面に、京都タワーが見えますね。


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先程の井戸から、渉成園内を約10m南下しました。
右(西)側に印月地に架かる侵雪橋が架かっていますが、
そちらに向かわずもう少し南下します。


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さらにその小島を南下して、少し左(東)に折れました。
すると、この先にある小島の突き当りに行き当たります。


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この小島の最南端から、印月池を南に向いています。
すぐ右(西)側に別の小島が見えますが、
そちらはこの小島より小さくて人は渡れません。
その先(南)に、さらに小さな小島が浮かんでいますね。
池に浮かぶのは、蓮(はす)の葉です。
よく見ると池水に波紋が全くなく、まるで鏡のようですね。


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では、小島を北上して印月池に架かる侵雪橋の袂まで戻ります。
今度は、左(西)側のこの侵雪橋を渡ります。


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印月池に架かる侵雪橋を西に渡り、南を向きました。
印月池の遙か向こう(南西)に、ビル群と京都タワーが見えますね。
「都会の中の閑静な日本庭園」が、渉成園の特徴ですね。


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侵雪橋を西に渡り切りました。
では、こちらからさらに渉成園内を西に進みます。


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侵雪橋から、さらに小径を西に進んでいます。
目の前に、先程も渡った臨池亭脇の池から流れ出た小川が見えます。
こちらはその池から南進し、先程の印月池に流れ込みます。
ではこちらの小川を渡り、さらに西に進みます。


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小川を渡り、さらに渉成園内の小径を西に進みます。
夕方に真西に進んでいるので、ちょっとまぶしいですね。
この先に、渉成園最大の建物である閬風亭と広場があります。


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さらにさらに渉成園内のこの小径を西に進むと、
芝生が敷き詰められた広場に出ます。
さらに西に、閬風亭(ろうふうてい)の縁側があります。


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その閬風亭の縁側の前で、東に振り返りました。
芝生が敷き詰められた広場の先に印月地が見えますが、
そちらに浮かぶ小島がよく見えますね。
第613回ブログ取材時の2018年11月23日には、
この広場で野点が行われていました。

印月池に浮かぶ小島は、全てかつての御土居の跡です。
豊臣秀吉の都市計画では寺町通が京都市街地再東端で、
現在の河原町通には代わりに御土居が伸びていて、
その東側に伸びる現在の土手町通に高瀬川が流れていました。
(第685回ブログを参照)
それを今の形の京都市街地に変えたのが、徳川家康です。
御土居を撤去して河原町通を造営した徳川家康は、
寺町通以東に一大繁華街を形成させました。
それが「四条河原町」であり、「祇園」です。


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印月池の水面に、1羽の白鷺が浮かんでいます。
池の水が澄んでいるので、白鷺が水面に写っていますね。


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閬風亭縁側の前で少し休憩したのですが、
また南に向いて歩きだします。
芝生が敷き詰められた広場の南側に、小径が続きます。


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先程の小径を南下すると、渉成園の南東端に出ます。
その位置で、西を向きました。
ではこちらの門をくぐり、さらに西に進みます。


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先程の門を西にくぐり、すぐ左(南)に向きました。
こちらは厩舎で、150年以上昔は馬で渉成園に来られた方々は
こちらに自分の馬を繋げたのでしょうね。
この裏(南)の塀の向こうは、下珠数屋町通です。
(第401回ブログを参照)


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その厩舎の向かい(北)側に、閬風亭の入り口があります。
普段は閉鎖されていますが、
第349回ブログではこちらから特別に内部に入れました。
実は厩舎の脇にも下珠数屋町通から入れる門があって、
1990年頃まではそちらが正門でした。
(第401回ブログを参照)


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閬風亭の西隣に、小さな建物があります。
普段は閉鎖されていますが、
桜や紅葉の観光シーズンにはこちらに売店が開きます。
(第613回ブログを参照)


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その建物の西側で、順路が北に曲がります。
では、こちらを北上します。


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先程の地点から、こちらを北上しています。
すぐ先に、枳殻の生け垣が見えますね。
これで、渉成園を1周しました。


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枳殻の生け垣の前で、西を向きました。
枝垂桜も、こちらの門も、先程通り過ぎた場所です。
あちらの門から渉成園を出て正面通をさらに西に進ますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、ここまでとします。

~次回は正面通を西に進み、東本願寺を参拝します~

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第688回 夕方の東本願寺~正面通東から西~その9

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前回ブログで散策した渉成園を背に、
間之町通から正面通を西に向いています。
(前回ブログ最初の写真の位置で、反対を向いています)
今回はこの正面通をまた西に突き当たり、東本願寺に参拝します。
撮影日は、2019年9月19日木曜日午後4時半。
そろそろ夕方近くになってきました。


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正面通から、間之町通を北に向いています。
第686回ブログでは、あちらからこちらに南下してきました。


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今度は、正面通から間之町通を南に向きました。
こちらから約130m先で七条通と交差しますが、
その辺りに京都市立渉成園小学校が建っています。
先程の写真に小学生の後ろ姿が写っていたのは、それが原因ですね。


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間之町通から、正面通を西に歩いています。
左(南)側に東本願寺職員(全員僧侶)の集合住宅があって、
右(北)側には各仏具店が並んでいます。
完全に東本願寺の門前町を形成していますね。


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間之町通から、正面通を約50m西に進みました。
ここで正面通は、東洞院通と交差します。


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正面通から、東洞院通を南を向いています。
すっと先の約300m南に、京都駅の駅舎が見えますね。


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東洞院通から、正面通を西に向いています。
左(南)側の法蔵館は、仏教書専門の本屋さんです。
右(北)側には、様々な仏具店が並んでいます。


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東洞院通から、正面通を西に約50m進みました。
ここで正面通は、東本願寺御影門前と言いますか、
烏丸通で再び突き当たります。


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「正面烏丸」交差点南東角にある仏具店の2Fに、
こちらにブリキ製の看板が貼ってあります。
ただこちらには、「下京区正面通不明門東入ル」と書かれています。
不明門通(あけずどおり)は烏丸通とは別の道です。
(烏丸通より1本東の通りです)
実はこの辺りの烏丸通は道路拡張されており、
上珠数屋町通~下珠数屋町通間は(約300mあります)
不明門通の位置まで烏丸通が東に広がっています。


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その位置から、烏丸通を南に向きました。
目の前に、横断歩道があります。
次は、こちらを渡っていきます。


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先程の横断歩道を渡り、「正面烏丸」交差点で西を向きました。
西日が眩しくてよく見えませんが、正面通の突き当りに
浄土真宗大谷派本山東本願寺の御影門が聳え立っています。
正面通は豊国神社の正面であると同時に(第683回ブログ参照)
渉成園(前回ブログを参照)や東本願寺の正面でもあります。
他にもあるのですが、それが第680回ブログ表題の理由です。
では、こちらの横断歩道を渡って西に進みます。


688-12.jpg
先程の横断歩道を西に渡って、
烏丸通上の中央分離帯まで辿り着き南を向きました。
こちらは、1977年に廃止された京都市電烏丸線の停留所でした。
(烏丸線は、市電完全廃止の1年前に先行して廃止されました)
かつて東本願寺に日本全国から毎日相当数の門徒が参拝されて、
あまりの人数に停留所から人が溢れてとても危険な状態でした。
そのため烏丸通を1本東の不明門通まで道幅を拡張し、
この大きな停留所を作りました。
ちなみに京都駅周辺に旅館が多いのは元々観光客目当てではなく、
東本願寺へ参拝された方々のために作られた宿泊施設の名残です。
(そういう施設を「御坊」とか「宿坊」とか呼んでいました)
市電廃止後、こちらは公園となりました。
結構多くの方々が、こちらに散策に来られています。
目の前の噴水は、市電の停留所だったころからあります。


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その中央分離帯で西を向き、東本願寺御影門を眺めています。
こちら側の烏丸通は観光バスやタクシーの駐車場と化しているので、
交通量はそれ程多くはありません。
では、こちらの横断歩道も渡ります。


688-14.jpg
その横断歩道を西に渡りながら、南に向きました。
個人的には、この辺りが京都タワー撮影のベストポイントです。
左(東)側の中央分離帯は現在桜並木が名物で、
春にはこの辺りが絶景に変わります。
(自分がたまに紹介している「東本願寺の桜並木」のことです)


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横断歩道を西に渡り切り、烏丸通西側歩道に移ってきました。
では、こちらの東本願寺御影門から東本願寺境内に入ります。


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東本願寺御影門をくぐり、東本願寺境内に入ってきました。
こちらは、その北側を見ています。
約100m向こうに、参拝接待所が見えますね。
その左(西)側に、泰山木の樹木が2本立っています。
毎年6月ごろに、直径約1mの巨大な花を咲かせます。


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東本願寺境内の砂利道を約100m北上し、
参拝接待所まで上がってきました。
もう午後4時を回っていますので、中には入れません。
(通常なら、ちょっと休憩ができます)
それでもここで靴を脱ぎ、周囲の廊下を西に進みます。
自分は、こちらから東本願寺のお堂を巡るようにしています。


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東本願寺参拝接待所の西の端まで廊下を歩き、北を向きました。
「本日は終了しました。こちらは、午後4時に閉まります」
正面口に、そう書かれた立札が立っています。
(現在午後4時半過ぎです)
次は、ここから左(西)に伸びる渡り廊下に移動します。


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参拝接待所を背に、渡り廊下を西に向いています。
廊下の左(南)側が先程の泰山木並木で、
右(北)側に視聴覚ホールへの入り口が見えます。


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こちらが、視聴覚ホールへの入り口です。
ただし午後4時を回っているので、現時点では入れません。


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東本願寺の視聴覚ホールの前で、渡り廊下を西に向いています。
では、こちらの曲がり角に進みます。


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その渡り廊下の曲がり角で、南に向きました。
この辺りから、渡り廊下がスロープ状の上り坂となります。
ですからこの辺りは車いすでも移動可能なのですが、
天井部に書かれた通り見た目以上に天井が低くなります。
では、こちらを次の曲がり角まで進みます。


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今度は、その曲がり角で西を向きました。
この渡り廊下のスロープは、ここからさらに急になります。
向こうの突き当りで、普通の建物の2Fくらいの高さに変わります。
また渡り廊下の右(北)側に、
浄土真宗大谷派門徒による書画が飾られています。
結構高名な僧侶の作品もあれば、幼稚園児の作品も飾られています。


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先程の渡り廊下を突き当りまで進み、南に向きました。
さすがにもう上には上らないので、ここから先は平坦ですね。
向こうに御影堂が見えますが、堂内は撮影禁止です。


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渡り廊下を南下して、東本願寺御影堂に入って東に向きました。
では、御影堂の周囲に伸びるこの廊下を東に進みます。
本当はもっと明るいのですが、夕方は日陰が暗く写りますね。


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東本願寺御影堂の廊下を東端まで進み、南を向きました。
では、こちから右(西)側の御影堂の中に入っていきます。
東本願寺御影堂は撮影禁止なので、写真はありません。

東本願寺御影堂は、開祖親鸞の像がいらっしゃいます。
ただしこの時点で午後4時を回っているので、
御簾が掛かっていて像を直接見ることはできません。
また親鸞の大師号である「見真」と書かれた巨大な扁額が、
親鸞像の真上に掲げられています。


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東本願寺御影堂の参拝を終え、障子を開けて東を向きました。
砂利道の先に、東本願寺御影門が見えます。
つまり、御影門から直接こちらに来られます。
……と言いますか、通常はこの砂利道を進みます。


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先程の写真と同じ位置で、南を向きました。
では、東本願寺御影堂の廊下を南端まで歩きます。


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東本願寺御影堂南東端の廊下から、さらに南を見ています。
東本願寺阿弥陀堂越しに、京都タワーが見えますね。
結構絶景なので、撮影しました。


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東本願寺御影堂南東端から、西を向いています。
約30m先に、左(南)の阿弥陀堂と繋がっている渡り廊下があります。
次は、そちらに向かいます。


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こちらが、その東本願寺阿弥陀堂に通じる渡り廊下です。
この辺りに何人かの方々が立ち止まっているのは、
1895年に東本願寺が再建された際の資料が並んでいるからです。


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1864年のどんどん焼けは京都市街地を焼け野原にし、
この東本願寺をも全焼させました。
そのため、こちらは1895年に再建されたものです。
(さらに、2014年頃修復されました)
1895年の再建の際にたくさんの木材が日本全国から運ばれましたが、
その際現在の愛知県で雪崩事故に巻き込まれて
たくさんの方々がお亡くなりになったそうです。
そのことを悼んで、こちらの模型が作られたようです。


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その模型の脇に、こちらも展示されていました。
こちらは、木材を運搬する際に使われたそりです。
この他、この周囲には縄なども展示されていました。


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渡り廊下を南に渡り切り、東本願寺阿弥陀堂で東を向きました。
では、阿弥陀堂の北東端に移ります。


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東本願寺阿弥陀堂北東端で、南を向きました。
では、右(西)側の扉から阿弥陀堂内部に入ります。
東本願寺阿弥陀堂には、ご本尊の阿弥陀如来がいらっしゃいます。
考えようによっては、浄土真宗の各本山は本堂は二つあります。
午後4時を回りましたので、ご本尊の前には御簾が掛っていました。
(こちらも、堂内撮影は禁止です)


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東本願寺阿弥陀堂でも参拝を終え、お堂を出てきました。
これ以上南には進みませんので、
こちらから砂利道の方に移動します。
ここまで靴袋に入れた靴を持ち運んでいたのですが、
ここで靴袋を収納口に入れて靴を履きます。


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東本願寺阿弥陀堂の前で、北東を向きました。
手水舎越しに、東本願寺御影門が見えます。
東本願寺へは、この門から入ってきました。


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今度は東本願寺阿弥陀堂の前で、東を向きました。
砂利道の先に、東本願寺阿弥陀門が見えます。
東本願寺御影堂の正面に東本願寺御影門があって、
東本願寺阿弥陀堂の正面に東本願寺阿弥陀門があります。
では、こちらの門から東本願寺を出ます。


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東本願寺阿弥陀門を出て、烏丸通から東を向いています。
中央分離帯の桜並木の向こう(東)に、
前回ブログで出てきた渉成園の最南端下珠数屋町通が伸びています。
ここから烏丸通を北上し東本願寺最北端の花屋町通を西に進んだ後、
新町通を南下してまた正面通を西に進みますが、
それはまた次回ブログとします。

今回は、ここまでです。

~次回は、東本願寺最北端の花屋町通を西に進みます~

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第689回 東本願寺の北側~正面通東から西~その10

689-1.jpg
前回ブログで訪れた東本願寺阿弥陀門を背に、
烏丸通から東に向いています。
曇り空が靄のように写っていて分かりにくいですが、
桜並木が並ぶ烏丸通の中央分離帯越しに下数珠屋町通が見えます。
第687回ブログで訪れた渉成園最南端の道ですね。
今回は東本願寺北側から、東本願寺西側を目指します。
撮影日は、2019年10月3日木曜日午後0時半。
台風18号の影響か、全体的に曇り空でした。


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先程と同じ位置で、反対(西)側を振り返りました。
こちらが、東本願寺阿弥陀門ですね。
前回ブログで訪れた東本願寺阿弥陀堂が、門越しに見えます。


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今度は、同じ位置で南を向きました。
個人的には、この辺りが京都タワーのベストポイントです。
特に、春に(桜の季節に)絶景になります。


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さらに同じ位置で、北を向いています。
左(西)側に、東本願寺御影門が見えます。
では、次はこちらを北上します。


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烏丸通を北上しながら、東本願寺のお堀を眺めています。
こちらのお堀は滔々と水を湛えていて、
体長約1mの白い錦鯉が泳いでいますね。
そう言えば、自分が幼いころここでザリガニ釣りをして
東本願寺の職員にお説教をされたことがあります。
(無闇に殺生をすることを叱られました)


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東本願寺阿弥陀門から、烏丸通を約50m北上しました。
目の前に、東本願寺のもう一つの正門である御影門の許に来ました。


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こちらが、東本願寺御影門です。東本願寺のもう一つの正門ですね。
門越しに、東本願寺御影堂が見えます。(前回ブログ参照)


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東本願寺御影門から、東を向いています。
少し筋違いになりますが、
烏丸通から東に正面通が伸びています。
ここ最近のメインストリートですが、
今回ブログではここだけしか出てきません。
正面通は、西側の新町通からまた西に伸びています。


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東本願寺御影門から、と言いますか正面通から、
烏丸通を北上しています。
左(西)側に、太陽電池による照明が立ていますね。


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さらに、烏丸通を北上しています。
この辺りの中央分離帯より西の烏丸通には、
観光バスが何台も停まっています。
大半の自動車は烏丸通の東側を通るようになっていて、
この辺りは有料の駐車場として利用されています。


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その辺りで、烏丸通の東の方を向いています。
こちらに、上珠数屋町通が伸びています。
第686回ブログで通った渉成園最北端の道ですね。


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この辺りで、烏丸通を北に向きました。
東本願寺のお堀は、まだまだ北に続いています。
目の前に、「烏丸六条」バス停が見えますね。
六条通は、約150m北にあります……


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さらに少し北上して、烏丸通の東側を向いています。
こちらには確か東本願寺の相会所が建っていたのですが、
いつの間にかコインパーキングになっています。


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東本願寺御影門と言いますか、
正面通から烏丸通を約200m北上しました。
ここで東本願寺のお堀は途切れて、
烏丸通は花屋町通と交差しています。


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烏丸通から、花屋町通を東に向いています。
花屋町通は烏丸通以東は非常に狭い道で、
第110回ブログでも出てきた旧京都市立雅松小学校跡が、
この道の最東端です。


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烏丸通から、花屋町通を西に向きました。
では、ここから東本願寺の北側を西に進みます。


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烏丸通から、花屋町通を西に約50m進みました。
ここから右(北)に、諏訪町通(すわんちょうどおり)が伸びています。


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花屋町通から、諏訪町通を北に向いています。
諏訪町通は、ここから約800m先の高辻通まで伸びています。


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「花屋町諏訪町」交差点北西角に、こちらのレストランがあります。
こちらは、第513回ブログ以来の再訪です。
ただ今はお昼時(だいたい0時半ごろ)なので、店内は満員でした。
こちらは結構本格的なフランス料理も出す割には安価で、
最近かなりの人気店になってきています。
……で、諦めて先に進みます。


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レストランがテナントに入っている建物が、さらに西に続きます。
こちらは、「しんらん交流館」という東本願寺所有の施設です。
かつての大谷会館ですね。
このうち1F部分の西側がイベントホールで、
東側が先程のレストランです。


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こちらが、そのイベントホールへの入り口です。
この日(2019年10月3日)は東本願寺僧侶による
パレスチナのガザ地区の写真展が行われていました。
写真展を撮るのは著作権とかの問題もあって、
中の写真は撮っていません。


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花屋町通から、諏訪町通を南に向いています。
この位置です諏訪町通は突き当たり、
その先に東本願寺の通用門が見えますね。
この門をくぐると駐輪場があって、
自転車で来られた参拝者はここで駐輪します。


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花屋町通の南側歩道に渡り、
諏訪町通から花屋町通を西に向いています。
東本願寺の北側にも、滔々と水を湛えたお堀が続きます。
右(北)側には、先程のしんらん交流館が続きますね。


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諏訪町通から、花屋町通を約80m西に進みました。
ここで花屋町通は、室町通と交差します。


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花屋町通から、室町通を北に向いています。
左(西)側が東本願寺職員のための役宅で、
右(東)側が先程のしんらん会館です。
室町通はとても変わった通りで、
四条通付近は祇園祭の鉾町で
さらに北上すると室町幕府の花の御所址に辿り着きます。
さらに東本願寺の南側にも、室町通が続きます。
ヨドバシカメラ京都や京都タワーの西側の道となり、
京都駅のさらに南にまで続きます。
京都駅を南北に貫く陸橋も厳密には室町通です。
近々室町通も特集したいですね。


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室町通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側にまだまだ東本願寺のお堀が続きますが、
右(北)側は東本願寺の室町役宅(東本願寺職員の社宅)です。


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その辺りの東本願寺のお堀を覗いてみますと、
1尾の大きな鯉が泳いでいました。
それ自体は珍しくないのですが、
よく見るとその鯉は横向きになって泳いでいます。
(写真では、ちょっと分かりにくいですね)
よくよく観察してみますと、
その鯉はお堀の縁に生えている水草を食べていました。


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室町通から、花屋町通を西に約100m進みました。
向こうに見える公衆トイレの辺りで、東本願寺のお堀が終わります。


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東本願寺のお堀の最西端から、花屋町通を西に向いています。
この辺りから、道の両側に古い民家や旅館、飲食店が並びます。


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さらに少し花屋町通を西に進むと、1軒の京町家が見えます。
こちらは、染工房「遊」(ゆう)ですね。
以前こちらにお邪魔したときは、ハンカチとネクタイを買いました。
(第511回ブログを参照)


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その染工房「遊」の前で、花屋町通を西に向きました。
ここで花屋町通は、新町通と交差します。
花屋町通はさらにさらに西に伸びていて、
島原で突き当たりますがさらに西の京都中央卸売市場で復活し、
最終的に阪急「西京極」駅で突き当たります。


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花屋町通から、新町通を北に向いています。
約100m先の六条通付近に銭湯と蕎麦屋があって、
そこから西に六条会商店街が続き賑やかな場所です。
(第514回ブログを参照)


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今度は、花屋町通から新町通を南に向きました。
約200m南下すると正面通がまた復活して、
西本願寺御影門まで続いています。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は正面通を西に進み、「ご縁まち」を目指します~

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第690回 「ご縁まち」散策~正面通東から西~その11

「ご縁まち」とは、西本願寺東側の正面通沿いを指します。
かつての西本願寺の寺領(寺院の領地)ですが、
現在は数珠屋さんや線香屋さんなどが並んでいます。
まぁ仏具屋さんの商店街ですね。

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前回ブログの続きで花屋町通から、新町通を南に向いています。
今回は新町通を南下して正面通に至り、
そこから正面通をまた西へ向かいます。
撮影日は、2019年10月3日木曜日午後1時。
またすぐに、正面通が突き当たります。


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花屋町通から、新町通を約50m南下しました。
周囲には意外に仏具屋さんが多いですが、
この辺りはまだ「ご縁まち」ではありません。
ここで新町通は、旧花屋町通のT字路に出ます。


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新町通から、旧花屋町通を西に向いています。
ここを進むと、約400m先で西本願寺に突き当たります。


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旧花屋町通から、新町通を南を向きました。
この辺りから、京町家の割合が増えてきます。


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旧花屋町通から、新町通を約50m南下しました。
こちらの家屋に絡まっているのは、朝顔です。
花も満開で、見事ですね。


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その辺の新町通で、東を向きました。
この辺は路地が、結構複雑に伸びています。
取りあえず、こちらのお地蔵さんにお参りまします。


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さらに、新町通を約80m南下しました。
こちらに仏具店の南約10mから、西に正面通が伸びています。


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先程の写真の自動車の裏に、こちらの寺院があります。
浄土真宗本願寺派金寳寺ですね。
東本願寺と裏(東)側で接していますが、
本願寺派ということは西本願寺の塔頭寺院です。
こちらの沿革は、第592回ブログを参照してください。


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その金寳寺を背に、新町通から正面通を西に向いています。
突き当りに、西本願寺の総門が見えますね。
では、こちらを進んでいきます。


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新町通から、正面通を西に約20m進みました。
こちらに、「ブルームコーヒー」というお店が見えていますね。
店構えが良さそうなので前から気になっていたのですが、
ちょうどいい機会なのでこちらに寄り道します。


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では店内のカウンターに腰掛けてブログ掲載の許可を頂き、
注文したものが揃ってから写真撮影しました。
予想通り、こちらはコーヒーの専門店です。
ただ、注文すればケーキ類も出して頂きます。
自分は手作りのようだったので、チーズケーキを注文しました。
そしてこういう濃厚なチーズケーキには、
深煎りの苦めのコーヒーがよく合います。
……という訳で、グァテマラ産の濃いめのコーヒーも頂きました。
こちらのコーヒーを店長が淹れられるとき、
コーヒーカップをしっかり温められて、
さらにコーヒー自体の温度管理も徹底されていました。
そういう小さな心遣いが、大きな味の違いになっています。
久しぶりに見つけた大当たりのお店です。


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「ブルームコーヒー」には、約30分いました。
こちらを出て、お店の前で正面通を西に向きました。
正面通は、約30m先で若宮通と交差しています。


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正面通から、若宮通を南に向いています。
若宮通は、約250m先の七条通を起点としています。
(第508回ブログを参照)


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今度は、正面通から若宮通を北に向いています。
ここを北上すると、第511回ブログのルートになります。


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若宮通から、正面通を西に向いています。
西本願寺が、だんだん近づいてきていますね。


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若宮通から、正面通を約30m西に進みました。
こちらに、小さな神社が建っています。
表札には、蛭子(ゑびす)神社と書かれています。
「蛭子」の文字を記す場合は、海や川、池など
水辺の畔に建てられることが多いのですが、
この近くにそのようなものはありません。
まぁこのすぐ西の西洞院通は、元々川だったのですが……
取りあえず、こちらに参拝します。


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こちらは、蛭子神社の向かい(南)側です。
石仏などを製作されている工房のようですね。
この辺りが、東本願寺と西本願寺のちょうど中間点ですね。


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蛭子神社と工房の前で、正面通を西に向いています。
目の前で、正面通は西洞院通と交差します。


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正面通から、西洞院通を北に向いています。
こちらは1978年まで市電が通っていて、
その影響でそこそこ広い道幅となっています。
まぁ今でも、この辺りは市バスが通っていますが……
(第598回ブログを参照)


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西洞院通から、正面通を西に向きました。
この両側は、元々京都市立植柳小学校でした。
左(南)側がプールで、右(北)側は校舎ですね。


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そのプールの西隣に、植柳児童公園があります。
まぁ時間帯が時間帯なので、誰も遊んでいません。
(この時点で、2019年10月3日木曜日午後1時半です)


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……という訳で、植柳児童公園を撮り放題です。
遊具付近に遊んでいる子供がいらっしゃったら、
児童公園内部の写真を公開できませんし。


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こちらは植柳児童公園の向かい(北)側に、
旧京都市立植柳小学校の校門があります。
現在京都市下京区の小学校の多くが統廃合されましたが、
こちらもだいぶ前に廃校になりました。
ただ、こちらの運動場を眺めていますと
近所の方々がゲートボールをされていました。


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旧京都市立植柳小学校校門の前で、
正面通を西に向きました。
植柳児童公園と旧京都市立植柳小学校の西側に、
東中筋が伸びています。


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東中筋から、正面通を西に向きました。
左(南)側に西本願寺伝道館が建っていて、
右(北)側には仏具屋が並んでいます。
西本願寺の門が、かなり近くなってきましたね。


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東中筋から、正面通を西に歩いています。
左(南)側の西本願寺伝道館の車止めに、
こちらの石製の塑像が並んでいます。
目の前のものはガーゴイルを模っていますが、
中にはアフリカゾウをモデルにしたものもあります。
こういうものもあって、こちらは重要文化財なのでしょうね。
右(北)側の仏具店は、本日(木曜日)が定休日のようです。
実は、この辺りの仏具店の約半分がこの日お休みでした。


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東中筋から、正面通を西に約50m進みました。
ここで、正面通は油小路と交差します。



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「正面油小路」の辻南東角に、西本願寺伝道館が建っています。
先述の通り、こちらは重要文化財です。
元々は、西本願寺門徒のための生命保険会社でした。
明治時代に建設された伊東忠太設計の洋館です。
(第590回ブログを参照)


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正面通から、油小路を北に向いています。
この辺は仏具店が多く並ぶのですが、
約半分が定休日なのでそこまで賑やかではありません。


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今度は正面通から、油小路を南に向いています。
左(東)側が先ほどの西本願寺伝道院で、
右(西)側には仏具店が並びます。

ここから約250m先で油小路は七条通と交差しており、
油小路事件の最終局面の現場です。
なお、伊東甲子太郎は「木津屋橋油小路」の辻で暗殺されました。


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油小路から、正面通を西に向きました。
この辻の周囲から堀川通までが、今回のメイン「ご縁まち」です。
元は西本願寺の寺領で、今は仏具屋さんの商店街です。


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先述の通りこの辺りの約半分が定休日でしたが、
「正面油小路」の辻北西角の店は開いていました。
こちらももちろん仏具屋さんなのですが、
何故かこちらを売っていました。
週遅れのサッカー雑誌と菓子パンですね。
ちなみに、店内には数珠などが売られていました。


690-33.jpg
その仏具店の斜め向かい(南西)に、数珠屋さんがありました。
雰囲気のある老舗のようなのですが、中には入っていません。
ただ両隣の仏具屋さんは、定休日で閉まっていました。


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こちらは、その数珠屋さんの向かい(北)側です。
目の前の京町家とその左(西)側のビルは、どちらも仏具店です。
こちらは、いずれも開店中でした。
ちなみに左(西)側のビルは、堀川通にも面しています。


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油小路から、正面通を西に約30m進みました。
ここで、正面通は堀川通と交差します。


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西本願寺の総門から、西を向いています。
門をくぐった先に堀川通の6車線の車道が伸びていて、
その先(西)に西本願寺御影門が立っています。

実は、元々西本願寺はこの総門の辺りまで所有していました。
昭和時代も1960年代になると、日本全国で自動車が普及し
京都市街地でも一気に道幅が広がりだします。
堀川通は京都市街地でも屈指の広い道となりましたが、
そのため西本願寺の寺領の一部が6車線の車道となりました。

次はこの6車線の堀川通を渡って西本願寺御影門をくぐりますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、西本願寺に参拝します~

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第691回 西本願寺はお掃除中 ~正面通東から西~その12

690-36.jpg
前回ブログで正面通を西に進み、「ご縁まち」最西端まで来ました。
西本願寺総門をくぐり堀川通6車線を渡ると、
その先が西本願寺御影門です。
今回は、その西本願寺に参拝します。
撮影日は、2019年10月3日午後2時。
また、雨が降り出してきましたね。


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正面通から、堀川通東側歩道を北に向きました。
左(西)側に西本願寺総門の塀が見えて、
右(東)側に「ご縁まち」の仏具店が並んでいます。
その幅が、5mくらいでしょうか?
自動車が普及して道路が拡張される以前は、
堀川通はこのくらいの道幅でした。


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今度は正面通から、堀川通を南に向きました。
視聴覚障害者のための点字ブロック沿いに歩くと、
堀川通を渡る横断歩道に辿り着きます。


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堀川通東側歩道から、正面通を西に向いています。
西本願寺総門は自動車だけがくぐることができ、
歩行者はその両脇から横断歩道に向かいます。
では、6車線の車道を渡ります。


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堀川通東側歩道から横断歩道を渡りつつ、
正面通を西に進みながら南を向いています。
西本願寺はこの位置から約200mまでで、
その位置より南は浄土真宗興正寺という別の寺院です。
その南側が、七条通ですね。
すっと先に、第292回ブログに出てきた
「塩小路堀川」交差点の歩道橋が見えますね。


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横断歩道を渡り、堀川通から正面通を東に振り返りました。
こうして見ると、「ご縁まち」の全景が見えますね。


691-7.jpg
同じ位置で、堀川通から正面通を西に向きました。
正面通は、今度は西本願寺の御影門で突き当たります。
第680回ブログで紹介した通り正面通は豊国神社だけにとどまらず、
渉成園東本願寺でも突き当たっています。
つまり「正面通」は、その名の通り
様々な神社仏閣の「正面」で突き当たる通りです。

では西本願寺御影門をくぐり、西本願寺境内に入っていきます。


691-8.jpg
西本願寺御影門をくぐり、西本願寺境内を南西に向きました。
塀の向こうに、龍虎殿と御影堂が見えます。


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西本願寺御影門をくぐった地点で、境内を北に向きました。
では、こちらの西本願寺総合案内所に入っていきます。


691-10.jpg
こちらは、西本願寺総合案内所の屋内です。
つまり、こちらは他の寺院の茶所に相当します。
要するに案内所であり、休憩所です。
時計によると、今午後2時10分ですね。
またこちらで休んでいると、午後3時ごろになると
西本願寺僧侶による境内観光ツアーが組まれたりもします。
(第510回ブログを参照)
午後2時10分ごろ出ようとしたら、急に大雨が降ってきました。
こちらで、雨宿りがてら休憩ですね。


691-11.jpg
その大雨は、5分くらいで止みました。
そこで、今のうちに西本願寺の阿弥陀堂や御影堂に向かいます。
その前に、こちらに立ち寄ります。
総合案内所の西側にあった手水舎ですね。
(先程の写真にも、写っていました)


691-12.jpg
手水舎の南西に、こちらの銀杏の大木が立っています。
こちらは、樹齢400年以上の「逆さ銀杏」です。
さまざまな戦火に耐えた大木ですね。


691-13.jpg
今度は、手水舎から西本願寺境内を北東に向きました。
総合案内所の先に、西本願寺阿弥陀門が見えますね。
別に西本願寺から出て行くわけではありませんが、
こちらの門に向かいます。


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では、西本願寺阿弥陀門を背に西本願寺境内を西に向きます。
石畳のずっと先に、西本願寺阿弥陀堂が建っています。
次はこちらの道を進み、西本願寺阿弥陀堂に向かいます。


691-15.jpg
西本願寺阿弥陀堂は撮影禁止なので、
参拝後の阿弥陀堂から阿弥陀門に向いた写真を貼り付けます。
手水舎と総合案内所と京都タワーも写っています。

……と書いていますが、2019年10月段階で
西本願寺阿弥陀堂の西半分は修復中です。
畳張りの参拝者が座る場所はそのままなのですが、
ご本尊の阿弥陀如来がいらっしゃいません。
仏壇の前からシートが下りていて、その先(西)が見えません。


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西本願寺阿弥陀堂の東側の廊下で、南を向きました。
では、こちらを移動していきます。


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西本願寺阿弥陀堂の東側の廊下を30mほど南下しました。
こちらは、その廊下の南東端ですね。
こちらで南を向くと、さらに南に建っている
西本願寺御影堂へと続く渡り廊下が見えます。


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その辺りで、廊下の床を見ました。
よく見ると、ヒョウタンや木の葉形の木片が埋め込まれていますね。
こちらは「埋木」と呼ばれる細工で、
こちらを建てた大工さんの一種のお遊びです。
板の木目など木材の腐り易い部分を削り取り、
別の木材から木片を作ってこちらにはめ込んでいます。
ヒョウタンなどの形は、その大工さんの遊び心が作らせたものです。


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「埋木」がはめ込んであった地点から、南を向いています。
では、こちらの渡り廊下を移動していきます。


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こちらが、その渡り廊下なのですが……
シートの上にたくさんの靴が並んでいます。
どうやら西本願寺御影堂の方で、何かが行われているようです。
取りあえず、そちらに向かいます。


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渡り廊下を約50m南下して、西本願寺御影堂に着きました。
では、こちらから御影堂の正面(東側)に回り込みます。


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西本願寺御影堂北東端から、東側のの廊下を南に向きました。
西本願寺御影堂内部から、たくさんの方々が出て来られました。
よく見ると、御影堂内部にもたくさんの方々が残っておられます。
どうやらこの日は、数カ月に一度の門徒の方々による
西本願寺のお掃除の日のようです。
とは言え相当多くの方々が来られているので、
一人一人の担当区域は結構狭いようです。


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その辺りの床を撮っています。
こちらにも、「埋木が」添えられています。

さすがに掃除中の門徒の方々を追いやって中に入りにくいので、
御影堂へのお参りは廊下で済ませました。


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西本願寺御影堂最南端から、西本願寺境内をさらに南に向きました。
西本願寺は手前の建物までで、その先(南)は北小路が伸びており
さらにその先(南)は浄土真宗興正寺派本山興正寺です。


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西本願寺御影堂の廊下から、西本願寺境内を東に向いています。
先程の雨はもう完全に止みましたので、屋外に出ます。


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西本願寺御影堂から、階段を下りて屋外に出てきました。
では、西本願寺境内を東に歩いて行きます。


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西本願寺境内を東端まで戻り、西に振り返りました。
西本願寺御影堂内部から、
たくさんの門徒の方々が溢れ出しておられます。
おそらく西本願寺御影内部の掃除を終えた方々が、
続いて廊下などを掃除されているようです。


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西本願寺境内東端から、南に向いています。
次はあちらの大きな銀杏の木付近に、立ち寄ります。


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その大きな銀杏の付近まで近づいてきました。
西本願寺境内の南東端に当たる場所です。
こちらに、背の高い鐘楼が聳え立っていますね。


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こちらが、その鐘楼の上部です。
権現造の木工細工が、とても見事ですね。


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その鐘楼の奥(南)を見ています。
こちらに、西本願寺飛雲閣が見えます。
屋内には、茶室などがあります。
なかなか見事の庭園もありますが、修復中のため現在非公開です。


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西本願寺境内南東端から、北を向いています。
では、向こうの大銀杏の木の付近まで砂利道を歩きます。
……西本願寺は大銀杏(いちょう)の木が多いですね。


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先程の位置から、西本願寺境内を北上しました。
その大銀杏の木の許に、西本願寺御影門が建っています。
これで、西本願寺境内をちょうど1周したことになりますね。
この後は西側の大宮通に回り込んで
さらに西の正面通を進むのですが、
今回ももうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、大宮通以西の正面通を目指します~

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ジャンル : 地域情報

第692回 聞法会館に寄り道~正面通東から西~その13

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前回ブログにお邪魔した西本願寺御影門を背に、
堀川通から正面通を東に向いています。
第690回ブログでお邪魔した「ご縁まち」の全景が見えますね。
今回は西本願寺を北側から西側に回り込み、
正面通最西端へと近づいていきます。
撮影日は、2019年10月10日木曜日午後2時。
今回も曇り空で撮影です。


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先程と同じ位置で、今度は西に向きました。
こちらが、西本願寺御影門です。
門の先に、西本願寺御影堂が見えていますね。
前回ブログ冒頭と同じ写真です。


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今度は同じ位置で、正面通から堀川通を向きました。
東本願寺のお堀は水を滔々と湛えていますが、
西本願寺は全く水がない空堀です。
約100m先に空堀に架かる橋が見えますが、
そちらは北小路という道路で、そちらよりも南は
浄土真宗興正寺派本山興正寺という別の寺院です。


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さらに同じ位置で、正面通から堀川通を北に向きました。
次は、こちらを進んでいきます。


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正面通から、堀川通を約50m北上しました。
空堀の上に橋が架かり、その先に西本願寺阿弥陀門が見えます。


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その西本願寺阿弥陀門を真正面から見ています。
門の先(西)に、西本願寺阿弥陀堂が見えますね。(前回ブログ参照)


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西本願寺阿弥陀門前から、堀川通を北に向いています。
約50m先で、堀川通が西本願寺最北端の花屋町通と交差します。
花屋町通は西本願寺だけではなく、
東本願寺最北端の道でもあります。


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西本願寺北東端に、太鼓楼が建っています。
時刻を知らせるために、2時間毎に太鼓を鳴らす施設でした。
新撰組は元々壬生に駐在していましたが、
隊士の人数があまりにも増えすぎて
壬生近隣でもあるこちらの西本願寺にも駐留しました。
西本願寺の新撰組関係施設はほぼ焼失しましたが、
唯一の例外がこの太鼓楼です。
こちらの屋内には、新撰組隊士が残した刀傷が残っています。
そのこともあって、こちらは重要文化財です。


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その辺りで、堀川通を東に向きました。
分かりにくいですが、堀川通より東に花屋町通が伸びています。
堀川通は京都市街地屈指の広い道幅なのでそう見えませんが、
実は花屋町通も京都市街地としてはそこそこ広い道幅です。


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花屋町通から、堀川通を北に向いています。
ここで堀川通の道幅がさらに広くなりますが、
自動車の車線が増えたわけではなく、
中央分離帯に並木ができた分だけ広くなりました。


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堀川通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側の塀は西本願寺のもので、
右(北)側には西本願寺関連の施設が並びます。
次はこの花屋町通を西に進み、西本願寺の西側に回り込みます。


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堀川通から、花屋町通を西に約50m進みました。
ここで花屋町通に、横断歩道が掛かります。


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その花屋町度尾以上の横断歩道の辺りで、南を向きました。
こちらに西本願寺通用門があって、
その先に浄土真宗本願寺派伝道本部が建っています。
また西本願寺へ自動車やバスで来られた方々は、
ここを左折して(南に進み)西本願寺阿弥陀堂に向かえます。


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同じ位置で、北を向いています。
横断歩道の先に、西本願寺の駐車場が広がっています。
そして、その右(東)側に聞法会館が建っています。


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こちらが、聞法会館です。
もちろんこちらも、西本願寺の施設です。
自分は京都市以外の事情はよく知らないのですが、
京都市街地に点在する大きな宗教施設の大半は、
近隣に宿泊施設を所持しています。
この聞法会館も、そういう宿泊施設の一つです。
ちなみに、東本願寺にはそのような宿泊施設がない代わりに
近くの東洞院通を中心に旅館街を形成しています。
(「御坊」とか「宿坊」とかのことです)


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では、聞法会館に入っていきます。
中では、ちょうど何かの法要が行われていました。
また1Fのフロントに当たる場所の近くには売店があって、
その近くに職員がいらしたのですが、
一般の方々も多くちょっと撮影ができない雰囲気でした。
正直地下の食堂が目的でこちらにお邪魔したのですが、
この時点で午後2時半です。
お昼時が終了していて、夕方午後5時まで閉鎖されていました。


~2019年10月22日午後2時追記~
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2019年10月21日月曜日午後1時頃に、聞法会館に再訪しました。
11日前の撮影日2019年10月10日には閉まっていた「矢尾定」に、
何とか間に合いました。(平日は、午後1時半でいったん閉店)
こちらは丼ものとか麺類とかカレーも出す所謂食堂なのですが、
夜は懐石料理も出す「京料理屋」の側面もあります。
いろいろ悩みましたが、せっかくなので昼食としてはちょっと高めの
ほぼ2,000円した「ふじ御前」という弁当を頼みました。
(最近収入が減っているので、だいぶ家計が痛いのですが……)


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それぞれの蓋を取ると、「ふじ御前」はこのようになります。
弁当には、白飯とお吸い物が付きます。
お吸い物には生湯葉・生麩・三つ葉が入っていて、
柚子皮も入っていたので、柑橘系の味と香りがしました。


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「ふじ御前」の弁当の中身は、このようになっています。
左側は手前に茄子の田楽・奥に煮物が並びます。
その煮物は、手前より生湯葉・生麩、椎茸、
その奥が……群青色のものがちょっと思い出せないのですが、
(物忘れが、だんだん激しくなっています)
その右は細切りの根菜を揚げで巻いた含め煮でした。
右下は左から香の物(漬物)、鰆の西京漬け、蒲鉾、だし巻きが並び、
右端がエビ・舞茸の天ぷらが並んでいました。
右上はレンコンの酢漬けと卯の花(おから)、
ウドの紅酢漬けの酢味噌添えが並び、
右端は生麩饅頭とサツマイモの甘露煮でした。
こちらを約30分かけて、ゆっくりと頂きました。

~2019年10月22日追記は、以上です~


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聞法会館の前で、南を向きました。
では西本願寺駐車場を南に横切り、花屋町通に戻ります。


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聞法会館から南下し、花屋町通に戻ってきました。
ではこの横断歩道を渡ります。


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その横断歩道の前で、花屋町通を西に向きました。
次は、このまま花屋町通を西に向かいます。


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その横断歩道から、さらに花屋町通を西に進みました。
ここで花屋町通は、猪熊通とのT字路に出ます。


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花屋町通から、猪熊通を北に向いています。
左(西)側は旧京都市立淳風小学校で、
右(右)側は先程の西本願寺駐車場です。
ここが猪熊通最南端に見えますが、西本願寺最南端
約300m南の北小路からさらに南に伸びています。
ちなみにこのまま来た向かうと、
猪熊通は最終的に御薗橋付近まで伸びています。
上賀茂神社付近の橋ですね。


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猪熊通から、花屋町通を西に向いています。
左(南)側の塀の先が西本願寺で、
右(北)側の塀の先は旧京都市立淳風小学校です。
では、こちらをさらに西に進みます。


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猪熊通から、花屋町通を西に約50m進みました。
目の前に横断歩道がありますが、
北側に旧京都市立淳風小学校の裏門があり、こちらの
運動場を利用される方々はこの横断歩道を利用されています。


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その横断歩道上から、花屋町通を西に向いています。
50m先で、花屋町通が大宮通に突き当たっているように見えますね。


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先程の横断歩道から、花屋町通を西に約50m進みました。
こちらで、花屋町通は大宮通と交差します。
西本願寺最西端の道ですね。


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花屋町通から、大宮通を北に向いています。
このすぐ先に、約30年前まで京都市下京図書館がありました。
現在の京都市下京図書館は、新町通万寿寺上るにあります。
その北隣に、旧京都市立淳風小学校の校門があります。


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今度は花屋町通から、大宮通を南を向きました。
約50m先に、「島原口」バス停が見えますね。
京都市バスの中でも「ドル箱路線」の京都駅行き206系市バスが、
ちょうどバス停に停まっていますね。


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先程の写真にも写っていましたが、
「島原口」交差点南西角にこちらの標識が立っています。
このまま花屋町通を西に進めば、
約400m先にかつての花街「島原」地区に入ります。
またこのまま南下すると約350m先が「七条大宮」交差点で、
さらに約100m南下した木津屋橋通沿いに、
梅小路公園内の京都水族館が建っています。


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大宮通から、花屋町通を西に向いています。
ここから西は、「嶋原商店街」ですね。
実はここまでは、第594回ブログと同じルートでした。
その回のブログ記事では「嶋原商店街」を進みましたが、
今回はあくまでも正面通を西に進んでいます。


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先程の横断歩道を西に渡り、花屋町通から大宮通を南に向きました。
では、こちらを正面通目指して南下します。


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花屋町通から大宮通を約50m南下し、
大宮通の東側歩道を見ています。
先程の「島原口」バス停がよく見えますが、
その脇に西本願寺大宮門が見えます。
こちらを見ると、大宮通が西本願寺の最西端と分かりますね。


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その位置で、大宮通の西側歩道を見ています。
こちらに、浄土真宗本願寺派光隆寺が建っています。
西本願寺の塔頭寺院ということ以外は、
沿革などよく分かりません……


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光隆寺の前から、大宮通西側歩道を南に向いています。
左(東)側に塀の向こうの土蔵が見えますが、
あちらは西本願寺の書庫で、確か龍谷大学図書館と繋がっています。
その土蔵脇に表札が立っていますが、
その辺りから右(西)に正面通が伸びています。


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光隆寺の前から、大宮通西側歩道を約80m南下してきました。
先程の土蔵の脇に、「大宮正面」と書かれた表札が見えますね。
ここから西に、正面通が伸びています。


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正面通から、大宮通西側歩道を南に向いています。
約220m先に、七条通との交差点が見えますね。


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大宮通から、正面通を西に向いています。
では、こちらから正面通最西端の千本通まで向かいます。


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大宮通から、正面通を約50m西に進みました。
この辺りの正面通の南側は龍谷大学平安高校なのですが、
そのグランドの鉄柵越しに、こちらの掲示板が見えます。
こちらにも、きちんと「正面通」と書かれていますね。


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その掲示板の前から、正面通を西に向いています。
左(南)側は、龍谷大学平安高校グランドですね。


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大宮通から、正面通を約130m西に進みました。
ここで正面通は、櫛笥通と交差します。
正面通はまだあと約400mほど続きますが、
今回ブログももうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回もここまでです。

~次回は、島原を最南端から散策します~

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第693回 諏訪大社分社にお参り~正面通東から西~その14

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前回ブログ最後と同様「正面櫛笥」交差点で、西を向いています。
前回ブログ最後の写真と違い、朱い幟(のぼり)が立っています。
今回は、その幟の大本に向かいます。
撮影日は、2019年10月21日月曜日午後2時。
ここずっと、曇りの日が多いですね。


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正面通から、櫛笥通(くしげどおり)を北に向いています。
約100m先の花屋町通沿いに「嶋原商店街」があって、
そちらはかなり賑やかなのですが、
この辺りはそういう雰囲気がありませんね。
(嶋原商店街の様子は、第594回ブログ参照)


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今度は正面通から、櫛笥通を南に向きました。
左(東)側は、先週も登場した龍谷大学平安高校の運動場です。
右(西)側は様々な工場などが並んでいますが、
約100m先(南)に2Fほどの高さの連絡通路が見えます。
自分は幼少のころから南側の七条通から見ていて、
この通路が一体何か気になっていたのですが、
どうやら龍谷大学平安高校の校舎と体育館を結ぶ通路のようです。


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さらに櫛笥通から、正面通を西に向いています。
この辺りの正面通は、ウチの近所の東側よりも道幅が広いですね。
では、ここを西に進みます。


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櫛笥通から正面通を西に約30m進み、
道幅のせまい路地の前で南を向きました。
近くで見ると先程から度々登場の朱い幟には、
「奉納 諏訪神社」と書かれており、
その左脇には実際に奉納された個人名が書かれています。
幟の本数が相当多いことから、こちらの「諏訪神社」は
地域住民には相当厚く信仰されていることが分かります。
では、このまま路地を南下していきます。


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こちらの路地は、約70m南に伸びています。
初めのうちは京町家を中心とした民家が多かったのですが、
だんだん様子が変わって遂には東西両側にブロック塀が続きます。
突き当りは一見民家に見えますが、ちょっと違うようです。
その裏(南)には、さらに大きな建物が建っています。
こちらは……多分龍谷大学平安高校の体育館でしょうね。


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その路地の突き当りで、右(西)を向きました。
こちらに、さらに西に進む路地が続きます。
次は、こちらを進んでいきます。


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先程の辻から路地を西に約10m進みました。
先程の写真にも写っていました2本の朱い幟の間に
数段だけ石段があって、こちらから諏訪大社分社に入れます。
こちらの神社こそが紅い幟に書かれた「諏訪神社」の正体で、
今回ブログのメインの神社です。


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その石段を上り石製鳥居をくぐって、境内を西に向きました。
こちらに、諏訪大社分社の末社が並んでおられます。
そのうち右(北)端には、稲荷大神がおられます。
左(南)側には祓戸大神と書かれた鳥居(?)の先に、
幾柱もの祠がいらっしゃいます。


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その「祓戸大神」と書かれた鳥居(?)の向こう(南)は、
このような光景が広がっています。
神社の規模からは考えられないほど何柱もの祠がいらっしゃいます。
ちょっと雨が降りそうだったのですぐ帰ってしまい、
1柱1柱祠を確認しておりません。
ただ、中央の祠はよく目立っていて確認しました。
こちらの祠は「カエルさん」と呼ばれていて、
周囲にも蛙の陶製置物が並んでおられました。
おそらく長野県諏訪大社の神事と関係があるのでしょうね。
その他多くの神々がいらっしゃるのですが、
元々は今以上に大きな神社だったことの証のように思います。
(戦災などでかつて大きな神社だった場所が、
その後再建されるものの小規模化することは、京都ではよくあります)


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神社入ってすぐの石製鳥居の先に、
諏訪大社分社の本殿がいらっしゃいます。
ご祭神は、長野県にいらっしゃる諏訪大社と同じ
健御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)、
さらに大国主命が祀られております。
沿革ははっきり分かりませんが、名称から長野県の諏訪大社が
数百年前(千年前?)に平安京へ勧請したものなのでしょうね。
末社の多さと氏子地域の広さから、(氏子地域は後述します)
以前は相当大きな神社と想像できます。
また、こちらのことを書いたブログが多数ありました。
何となくですが、「知る人ぞ知る」神社という感じです。


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諏訪大社分社を出て、路地で東を向きました。
こちらから、10m先の辻まで進みます。
ここから見ると、辻の先は
まだまだ東に伸びる路地が続いていることが分かります。
その路地は、今回ブログ冒頭の櫛笥通まで続いています。


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その辻で、北を向きました。
続いてこちらを北上して、正面通に戻ります。


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その路地を約40m北上すると、こちらの方がいらっしゃいました。
毛並みが綺麗なので、おそらく飼い猫でしょうね。


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自分が近づくと、三毛猫さんが逃げ出されました。
やがてこちらの家に近づかれれると、
そのまま家の中に入っていかれました。
おそらく、この家で飼われているのでしょうね。


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先程の辻から路地を約80m北上して正面通に戻り、
そのまま西に向きました。
次は、左(南)側に見える朱い幟まで進みます。


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その幟付近で、正面通を南に向きました。
鉄門扉の先に、先程の諏訪大社分社が見えますね。


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その鉄門扉の向かい(北)側に、材木店が建っています。
その窓に、こちらの紙が貼られていました。
どうやら2019年10月26日日曜日に、
諏訪大社分社の例祭が行われるようです。
ご興味がございましたら、ご参加してみてください。


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その材木店の西に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
では、こちらにお参りして先に進みます。


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諏訪大社分社に続く路地から、正面通を西に進みました。
正面通は、ここで壬生川通と交差します。


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正面通から、壬生川通を南に向いています。
こちらにも、諏訪大社分社の朱い幟が並んでいますね。
約200m先の七条通まで幟が並んでいるということは、
諏訪大社分社の氏子地域は割と広いですね。
ちなみに、この壬生川通は七条通の約100m先の
京都水族館で突き当たります。


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今度は正面通から、壬生川通を北に向きました。
こちらにも、諏訪大社分社の朱い幟が並びます。


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正面通から、壬生川通を約50m北上しました。
こちらに、お好み焼き屋さんの「やすい」が建っています。
約30年前は、自分は常連でした。
そこで立ち寄ろうとしたのですが……


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そのお好み焼き屋さんに、こちらが張り出されていました。
本日(2019年10月21日月曜日は、やすいさんは臨時休業でした……
という訳で、仕方なくここには入りません。


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そのお好み焼き屋さんの前で、壬生川通を東を向きました。
西(南)側が、そのお好み焼き屋の「やすい」さんですが、
そのお好み焼き屋さんの先(東)は
約30年前まで「島原湯」という銭湯でした。
独特の彫刻が湯船付近に飾ってあって、
サウナ風呂付近には等身大の水槽が置かれていて、
錦鯉泳ぐその水槽の迷路を抜けて銭湯内を移動するような
花街「島原」の近隣だけあってちょっと変わった銭湯でした。
まぁ今は取り壊されて、駐車場なのですが……
実は自分が先程のお好み焼き屋さんの常連だったのも、
こちらの銭湯に入った後の寄り道のためでした。
そう言えば「七条大宮」交差点付近の銭湯は、
約20年前にほぼ全滅しました。(当初は、ここを含めて3軒でした)


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お好み焼き屋「やすい」さんの前で、壬生川通を北に向いています。
約50m先の花屋町通沿いに嶋原商店街が建ち並び、
あちらはこの辺でも相当賑やかな通りです。
(第594回ブログを参照)


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今度はお好み焼き屋「やすい」の前で、壬生川通を南に向きました。
では、約50m先の正面通に戻ります。


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正面通に戻り、壬生川通から正面通を西に向きました。
諏訪大社分社の朱い幟は、まだまだ西に続きます。
つまり、この辺りはずっとその神社の氏子地域です。
この後はこの正面通を約250m進んで正面通最西端を目指しますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、最南端から元花街「島原」を散策します~

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第694回 島原散策南から北へ~正面通東から西~その15

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壬生川通から、正面通を西に向いています。
前回ブログで上がっていた諏訪大社分社の朱い幟が
この先にも立っていますね。
今回はこのまま西に進み、正面通のほぼ最西端から
元花街の島原を北上します。
撮影日は、2019年10月21日月曜日午後2時半。
「正面通編」は、あと2回続きます。


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壬生川通から正面通を西に約30m進み、南に向きました。
お地蔵さんがいらして、その脇に商店舖があります。
シャッターが閉まっていますが、この瞬間も開店していました。


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壬生川通から、正面通を約50m西に進みました。
ここで正面通は、大門通と交差します。


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正面通から、大門通を北に向いています。
約100m北に花屋町通が東西に貫いていますが、
その「花屋町大門」の辻に、元花街島原の大門が立っています。
(第595回ブログを参照)
つまり、ここより西が元花街の島原です。


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大門通から、正面通を西に向いています。
大門通以西に、朱い幟は立っていません。
恐らくですが、この大門通が諏訪大社分社の氏子地域の最西端です。
約30m先で、正面通は坊城通と交差します。


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正面通から、坊城通を南に向きました。
すぐ先で突き当たっていますが、筋違いで七条通まで続きます。
正面通以南の坊城通には小さな祠がいらしたり、
「豆の子地蔵」がいらしたりします。


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今度は正面通から、坊城通を北に向いています。
正面通以北の坊城通が石畳の道に変わるのは、
こちらから先が元花街の島原だからです。
つまり、正面通が島原の最南端となります。
七条通~三条通間の坊城通は、
島原や壬生などの中心部を貫いており、
そのうちウチのブログでも特集を組もうと思っています。


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坊城通から、正面通を西に向いています。
この辺りは元花街島原の最南端ですが、
マンションと工場が建ち並び、そんな雰囲気ではありません。


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坊城通から、正面通を西に約50m進みました。
ここで交差する南北の道は、おそらく名称がありません。


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ただ、その南北の道は元花街島原のメインストリートです。
次回ブログでは、その道を島原最北端から南下します。

その南北の道から、正面通を西に向いています。
だんだん正面通の突き当りが、はっきり見えてきました。
では、さらに西に進んでいきます。


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先程の道から正面通を西に進んでいると、
こちらの京町家が建っていました。
どうやら町家の内装を改築した宿泊施設のようです。
さらに右(西)隣に建つ虫籠窓の町家も、宿泊施設のようです。
最近は、こういう「泊まれる京町家」が増えてきましたね。


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その京町家の宿泊施設の前で、正面通を西に向きました。
目の前の「西新屋敷児童公園」で正面通は突き当たりますが、
正面通は筋違いでもう約50mだけ続きます。
(西新屋敷児童公園と正面通最西端には、次回ブログで進みます)


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西新屋敷児童公園の前で、正面通を北に向きました。
こちらの道にも、おそらく名称がありません。
ただ、正面通以北がアスファルトの道から石畳の道に変わります。
つまり先述どおり、ここが元々花街島原だった地域の最南端です。
では正面通最西端に進む前に、
こちらから島原地域に入っていきます。
……と言いましても、「島原」南部は普通の住宅街です。


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正面通から島原に入り、約30m北上しました。
この辺は住宅街と言いますか、だんだん更地も増えていますが、
このように京町家も残っています。
おそらくこの京町家は、かつての置屋だったのでしょうね。
お茶屋というには、落ち着いた建物ですし……


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その京町家の前で、北を向きました。
この両脇は普通の住宅ですが、その北隣から京町家が続きます。
その辺りより北から、散策される観光客がちらほら見受けられます。


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先程の京町家から、この道を約20m北上しました。
こちらは、お茶屋の角屋です。
島原では、最高級のお茶屋さんでした。
ただ、ここで江戸時代末期に芹沢鴨が大暴れして、
(角屋の主人を殺害寸前まで殴り続けました)
そのことが一因で近藤勇らに暗殺されました。
まぁ、当時この辺りは新撰組が闊歩した場所です。
(この辺りは、新撰組が駐屯した壬生の南隣です)
現在の角屋さんはお茶屋を廃業して、
「もてなしの文化美術館」として機能しています。
普段は有料で中に入れるのですが、
撮影日は、2019年10月21日の月曜日です。
毎週月曜日はこちらの定休日なので、今回は中に入れません……
(中の様子は、第596回ブログ参照です)
そして、この辺りで小雨が降ってきました。
おかげで、このカメラのレンズにも雨粒が貼り付いています。


694-17.jpg
角屋さんの向かい(東)側に、振り向きました。
実はこちら側の京町家も、角屋さんの敷地です。
こちらに、このような表札が貼り付けてあります。
左が北で、右が南です。
この少し北が、島原の中心を滞在に貫く花屋町通です。
ですから、島原の観光地は左側に集中します。


694-18.jpg
角屋の前で、北を向きました。
この辺りで、他の地方からいらした日本人観光客に出会いました。
せっかく京都に来られたのですが角屋さんがお休みで、
他の島原の観光地が分からず、戸惑われていました。
そこで適当な場所を案内しましたが、
この辺りの観光地をまとめたものは意外にありません。
(それこそ、このブログくらい?)
島原の観光ガイドは、意外と需要があるかもしれません。


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角屋さんの門前から、約50m北上しました。
こちらで、この道は花屋町通と交差します。
(東本願寺西本願寺の最北端の道ですね)
そして今まで北上してきた道から、花屋町通を西に向きました。
こちらを進むと島原住吉神社や島原西門跡に出ますが、
「正面通編」ではそちらには進みません。
(島原住吉神社の詳細は、第597回ブログ参照)


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同じ場所で、花屋町通を東に向きました。
ずっと先に、島原大門が小さく見えますね。
では、こちらを進んでいきます。


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先程の道から、花屋町通を東に約50m戻りました。
ここで交差する道との辻の南西角に、大きな京町家が建っています。
こちらは元々お茶屋さんの「錦清」ですが、
現在はきんせ旅館として1Fはカフェ、2Fは旅館です。
(カフェは、夜間はバーになります)
ちなみにこちらは普段からあまり照明が強くなくて、
ひょっとしたら開いていないように思うかもしれせんが、
大声を出してそのまま奥に入ると、
たいていは開いていて店主が出て来られます。
そして、こちらにお邪魔されたらシフォンケーキがお勧めです。
ただし洋酒がたっぷり入っていますので、未成年は不可です。
大正時代のカフェのような内装が、とてもお洒落なお店です。


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きんせ旅館の向かい(北)は、製本工場が建っています。
そちらの店頭で、和紙の栞が売られています。
こちらも、この辺の名物ですね。


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きんせ旅館と製本所の前で、花屋町通を東に向いています。
ここで花屋町通は南北に貫く道と交差しますが、
こちらは正面通でも交差した名称のない道です。
次回ブログは、この道を北から南へ進みます。


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その辺の事情から、この南北の道の写真はありません。
(次回ブログで、掲載します)
その南北の道から、花屋町通を東に向いています。
では、こちらをさらに東に進んでいきます。


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先程の道から、花屋町通を東に進んでいます。
誠の湯というスーパー銭湯で、
「松栄」という旅館でもある建物の向かい(北)に、
こちらの京町家が建っています。(周囲は、更地ですね)
陶磁器のお皿や壺がショウウィンドウに並んでいますが、
それらはこの小売店舗の商品です。
こちらにちょっとお邪魔しようとも思ったのですが、
2019年10月21日月曜日(要するに毎週月曜日)は定休日でした。


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先程のお店から、花屋町通を東に向いています。
島原の大門が、さらにさらに近付いてきました。
目の前で、花屋町通は先程の坊城通と交差します。


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坊城通から、花屋町通を東に向いています。
約20m先に、島原最東端の島原大門が見えますね。
その門をくぐった先で、花屋町通は大門通と交差します。


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花屋町通から、坊城通を南に向いています。
この辺りは、京都町屋が多いですね。
約100m先で、先程の正面通と交差しています。


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今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
島原の「いろいろ」がいちばん詰まっているのは、
ここから北への坊城通ですね。


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「花屋町坊城」の辻北西角に、こちらの掲示板が掛かっています。
ちなみに「島原」は、行政的には「下京区西新屋敷」と呼称します。


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先程の掲示板の北隣に、置屋の輪違屋さんです。
島原の太夫さんの所属プロダクションのようなものですね。
島原の太夫さんは現状数人いらっしゃいますが、
どちらもこの輪違屋さんに所属されています。
現在島原には置屋はここ1軒だけで、
お茶屋さんは全滅しています。
そのため、こちらは置屋だけでなく
お茶屋さんとしての役目も果たしています。
そんな場所ですから、通常はこちらは非公開です。
まぁこちらを公開すると、
太夫さんのプライバシーの問題が発生します。
(まぁ、数年に1回こちらは公開されますが……)


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輪違屋さんの前で、坊城通を北に向いています。
では、こちらを北上します。


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輪違屋さんから、坊城通を約80m北上しました。
坊城通西側に、日蓮宗の法華寺があります。


694-35.jpg
法華寺の境内に入ってきました。
法華寺境内北東に、妙見宮が建っています。
三十番神もそうですが、日蓮宗寺院には
他の宗派には見られない末社が多くみられますね。


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境内の西側に、日蓮宗成就山法華寺の本殿がいらっしゃいます。
ご本尊は、釈迦如来像です。
元は平安時代前期の813年、東寺の境内に
真言宗寺院として建てられました。
ところが鎌倉時代中期の1282年、こちらの住職が
日蓮の弟子になったことから日蓮宗に転向されました。
その後も「八条大宮」交差点付近に鎮座したのですが、
1963年東海道新幹線敷設のために
この地に移転してまいりました。
ですから、元々「島原関連寺院」だったわけではありません。


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日蓮宗成就山法華寺の向かい(東)側に、
こちらの石碑が立っています。
そちらによると、この位置に元々島原歌舞練場が建っていました。
つまり、こちらには舞台などがあって
島原の太夫さんの踊りなどを見ることができました。
現在島原歌舞練場は廃されて、高齢者施設になっています。


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その元島原歌舞練場の南側に、大銀杏の大木が立っています。
歌舞練場が立っていたころは、象徴的な木でした。


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法華寺と高齢者施設の前で、坊城通を北に向いています。
ここで坊城通は、石畳の道からアスファルトに戻ります。
つまり、ここが元花街島原の最北端です。
ここで坊城通は東西の道と交差しますが、
おそらくこちらの道に名称はありません。


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坊城通から、島原最北端の道を西に向きました。
この辺りは、「島原」というより
京都中央卸売市場関連施設が多くなっています。
ただここから南下すると、また花街の雰囲気に戻ります。
ここからまた南下していくのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回で、「正面通編」が終わります~

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第695回 島原散策北から南~正面通東から西~その16

695-1.jpg
前回ブログで正面通を約200m北上し、
坊城通から元花街島原最北端の道を西に向いています。
目の前に坊城通から1本西の道が南に伸びていますが、
今回はその道を正面通まで南下し、正面通最西端を目指します。
撮影日は、2019年10月21日月曜日午後3時。
「正面通編」は、今回で終了します。


695-2.jpg
坊城通から、島原最北端の道を約50m西に進みました。
先述の坊城通から1本西の道からさらに西を向いています。
左(南)側に大銀杏の木が立っていますが、
そちらの許に太白弁財天女の祠がいらっしゃいます。
元は島原住吉神社の境内にいらしたのですが、
その境内地が大幅に縮小されたため、あの位置が境外地となり
今では島原住吉神社とは独立した別の神社となりました。
(詳細は、第597回ブログを参照)
ただ今回ブログでは、そちらへはこれ以上近付きません。
そして、この道の突き当りの千本通以西と右(北)側は、
京都市中央卸売市場の施設です。
元花街島原の周辺は、卸売市場関連施設が多いですね。


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島原最北端の道から、坊城通より1本西の道を南に向いています。
こんな複雑の言い方をするのは、これらの道に名称がないためです。
では、こちらの正面通まで約200m南下します。
ここから石畳の道になるのは、元花街島原に戻るからです。


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先程の位置から、約50m南下しました。
こちらにも京町家が建ってます。
この辺りのものは、なかなか上品な建物が多いです。


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その民家の前で、南を向きました。
実は、この辺が自分がいちばんよく出入りする「島原」です。
では、さらに南下していきます。


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先程の京町家から、約30m南下しました。
こちらに、「島原温泉」が建っています。
船岡温泉のように、普通の「銭湯」のことを
関西では「温泉」と呼ぶときがあります。
花街に近い銭湯ですから、中は大甕を持った子供の像など
いろいろ趣のある彫刻や飾りが施されています。
またこちらは午前0時半まで開いていますので、
以前は仕事帰りによく立ち寄ったのですが、
現在自分はお医者さんから自転車の運転を禁じられているので、
ここ暫くこちらに入っていません。
この日(2019年10月21日月曜日)も急いでいたので、
こちらには入りませんでした。
(この後、職場に戻らないといけません)


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島原温泉の前で、南に向いています。
花屋町通に出る前に、右(西)側に京町家が建っていますね。


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こちらが、その京町家です。
自分がよく通っていて、このブログ常連の
町家カフェ「Hygge」です。
2019年7月21日日曜日に自分が脳卒中になって以来、
暫く立ち寄っていませんでしたので、
その辺を説明するついでにこちらに立ち寄ります。


695-9.jpg
そのHyggeの店内に入ってきました。
いつもは自分は手前の土間に席を取るのですが、
(第595回ブログを参照)
今回は奥の座敷に入りました。


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ちなみにHyggeの坪庭に伸びるカエデは、まだ青紅葉でした。
さらに、金箔張りの床の間は、こんな感じです。
裸電球が独特の雰囲気を醸し出す中、
注文したお茶を暢気に待っていました。


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暫くして、注文していた凍頂烏龍茶がやって来ました。
最近京都でも中国茶や台湾茶を出す店がだいぶ減ったので、
この店は本当に貴重です。(もちろん、珈琲、紅茶も出す店です)
こちらを店主が持ってこられたなったとき、
自分が脳卒中を患ったことを話しました。
すると、とても心配されまして……
お気を遣わさせて、どうもすみませんでした。


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凍頂烏龍茶を湯呑に注ぎました。
台湾茶の凍頂烏龍茶は、烏龍茶にしては薄い緑色をしています。
味も香りも爽やかで、どちらかといえば緑茶近いですね。
こちらをゆっけり戴いた後、挨拶をしてこちらを出ました。


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町屋カフェのHyggeの前で、南を向いています。
次は、目の前の東西に伸びる花屋町通に出ます。


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今まで南下してきた道から、花屋町通を東に向きました。
左(北)側の陶磁器を売る商店舖・右(南)側のスーパー銭湯の誠の湯、
すっと向こうの島原の大門は、前回ブログで散策しましたね。


695-15.jpg
同じ位置で、今まで南下してきた道から花屋町通を西に向きました。
左(南)側はきんせ旅館、右(北)側には製本所が建っています。
その先の角を曲がったところに建っている角屋を含めて、
前回ブログで出てきましたね。


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花屋町通から、今まで南下してきた道を南に向いています。
左(東)はスーパー銭湯誠の湯を経営していらっしゃる旅館の松栄で、
右(西)側は先程のきんせ旅館です。
では、続けてこちらを南下します。


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花屋町通から、今まで南下してきた道をさらに約50m南下しました。
旅館の松栄正門脇に、こちらの石板が安置されていました。
その石板には、「南無妙法蓮華経」と彫られていました。
おそらく仏像の代用ですが、
碑銘からお地蔵さんの代わりではないようです。
さらにこちらにお参りして、先を進みます。


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石板の前で、今まで南下してきた道を南に向きました。
では、さらにさらにこちらを南下します。


695-19.jpg
石板の前で、今まで南下してきた道を約50m南下してきました。
ここでこの道は、正面通と交差します。
路上の石畳がここで終了しているのは、
目の前の正面通が元花街島原の最南端だからです。


695-20.jpg
今まで南下してきた道から、正面通を東に向いています。
ずっと向こうに、壬生川通との交差点に立つ信号が見えますね。
前回ブログは、こちらから始めました。


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今度はその道から、正面通を西に向きました。
ここから先は前回ブログと重複しますが、
向こうに見える正面通の突き当りまで進みます。


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先程の位置から、正面通を西に約50m進みました。
この児童公園の前で、正面通はいったん突き当たります。
前回ブログではここを北に向いて元花街島原を散策しましたが、
今回ブログでは目の前の「西新屋敷児童公園」に入ります。


695-23.jpg
前回ブログでも書きましたが、
「西新屋敷」とは元花街島原の行政上の名称です。
「西新屋敷児童公園」とは、事実上「島原児童公園」のことです。
この公園の大半は、広場になっています。
公園の西端のカエデは、まだまだ紅葉には遠いですね。
(2019年10月21日月曜日段階です)


695-24.jpg
「西新屋敷児童公園」で、北を向いています。
lこちらの藤棚は、4年前より新しくなっていますね。
よく見ると、この公園は北西部が細長く伸びています。
そちらに、ブランコなど遊具が置かれていますね。


695-25.jpg
「西新屋敷児童公園」内で、東に向いています。
ではこちらの公園を出て、正面通に戻ります。


695-26.jpg
「西新屋敷児童公園」の入り口から、南を向きました。
取りあえず、約10m先の角まで進みます。


695-27.jpg
その角でまた西を向きました。ここも正面通と考えられます。
左(南)側に京都中央卸売市場の関連会社が並び、
右(北)側は先程の「西新屋敷児童公園」です。
約50m先の千本通で、この道は突き当たっています。
つまり、向こうが正面通最西端です。


695-28.jpg
正面通から、千本通を北に向いています。
左(西)側はJR嵯峨野線の高架が伸びており、
その下は京都中央卸売市場関連の倉庫です。
右(東)側は先程の「西新屋敷児童公園」ですが、
その北隣は前回ブログの元お茶屋さんの角屋です。
ここをそのまま進むと、第314回ブログ後半のルートと同じです。


695-29.jpg
今度は正面通から、千本通を南に向きました。
道の脇にフォークリフトが駐車されていますが、
これはJR嵯峨野線の高架より西は、
京都市中央卸売市場だからというのがその理由でしょう。
正面通の最先端まで来た後は、この千本通を南下していきます。


695-30.jpg
正面通から、千本通を約120m南下しました。
左(東)側には古い民家が建ち並び、
右(西)側はJR嵯峨野線の高架が続きます。
そして、ここで千本通は北小路と交差します。


695-31.jpg
千本通から、北小路を東に向いています。
第314回ブログでここを散策したときは、
この辺りで三味線の音色が聞こえてきました。
多分、元花街の島原が近いせいでしょうね。


695-32.jpg
北小路から、千本通を南に向きました。
約120m先に、「七条千本」の交差点が見えますね。


695-33.jpg
北小路から、千本通を約120m南下しました。
「七条千本」交差点北東角に、「京果ビル」が建っています。
元々は、京都中央卸売場の青果市場があったところです。
現在は梅小路公園が近いこともあって、
飲食店のテナントがたくさん入っているビルです。
第314回ブログではこちらのビルの
1Fに入っているハンバーガー&ステーキ 听に立ち寄りました。
千本通は、七条通で突き当たります。


695-34.jpg
千本通から、七条通を東に向いています。
京果ビルの1Fは南西角に「ハンバーガー&ステーキ听」で、
その東隣が写真にも写っているパン屋「SIZAYA」が並びます。


695-35.jpg
今度は、千本通から七条通を西に向きました。
ではこちらを進み、JR嵯峨野線の高架をくぐります。


695-36.jpg
千本通から七条通を西に進み、JR嵯峨野線の高架くぐりました。
こちらの階段を上がると、
JR嵯峨野線「梅小路京都西」駅へ続く陸橋があります。
ではこちらを通って、京都駅経由で帰宅します。

これで、「正面通編」を終了します。

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
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いい加減複雑になったので、
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「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
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今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
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少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
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路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
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「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
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いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
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こちらも
許可をいただいて
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「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
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いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
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こちらも、
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「幼児連れで
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「京都パワースポット
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連載されています。
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京都市街地で
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頑張っておられる
さまざまなお店と
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他の「道ブログ」とは
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何のブログなの?」
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こうなりました。
京都サンガの応援に、
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「京都」
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Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
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記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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