第17回 京の五条は六条通?~松原通東から西~その1

今回は、久しぶりに写真がない回です。
(第1回以来です)

観光地巡りのようなことをここ数回してきましたが、
ここは初心に帰って「京の道」を書こうと思います。

それで、今回から数回にわたって
松原通を取り上げていこうと思います。

これまでも神社仏閣よりも道に比重を置いてきましたが、
しばらくは道そのものにこだわったものを書こうかなぁと
いうわけです。
ある目的地に行くための道というより
同じ道でも進んでいくうちに変わっていく
風景や様子が面白いので、
その辺を大切にしていこうかなぁと考えています。

まぁ、これからしばらく一本の道にこだわって書くわけですが、
写真でつづる紀行文に入る前に
こういう文章と地図などでその道を紹介する回を
最初に設けたかったのです。


松原通の面白いところ

そういう風に描く道を
最初はどこにしようかと考えました。
京都を輪切りにするという意味で
東西の道にしようとは決めていたのですが、
他にも条件がありまして……

☆2車線以内のあまり太くない道
☆観光地とそうでないところ両方を通る道
☆商店街など、京都市民の生活が見える道

これらを最も満たしているのが、
松原通なのです。

松原通は東は清水寺から発し、
西は住宅街の中で終わります。
その間、問屋街や商店街を通り抜け、
葛野大路まで行く途中で
ぷっつりと途切れてしまいます。

工場街にも通っていれば、いうことないのですが
その間の風景や様子の変わり方が様々で、
ある意味「京都の縮図」になっているのです。


松原通の位置

先ずは、リンク先の京都市街地図をご覧ください。
(「京都市街地図」をクリックしてください)
ちょうど鴨川から烏丸通の辺りを貼り付けておきました。
この地図をもう少し縮小するとよく分かるのですが、
松原通は、四条通と五条通の中間にあります。
ですから、松原通り自体には市バスは通っていませんが、
「〇〇松原」というバス停を
南北の大通りで、よく見かけることになります。

四条通は、地下に阪急電車が通ってたりして、
交通機関の要所だったり、繁華街だったりします。

五条通は、南北の烏丸通と並んでオフィスビルが多い通りです。
また、東は東京~大阪を結ぶ国道1号線だったり、
西は山陰地方へ抜ける国道9号線にも通じていて
京都で最も自動車の交通量が多い通りでもあります。
(京都では珍しい6車線です)

松原通はその中間に位置し、
祇園祭の「鉾町」の最南端であったり、
新撰組関連の施設がある壬生の近くも通ります。
さらに、問屋やオフィスビルが並んでいるところもあります。


松原通の歴史

実は、794年に遷都された平安京には
松原通はありませんでした。

ただ、松原通はその後に作られた通りだったわけではありません。
もともと松原通は五条通りだったのです。

「京の五条の橋の上」で牛若丸が弁慶と戦ったのは、
今の「五条大橋」の上ではなく、「松原橋」の上だったのです!

当時の五条大路であった松原通は、
清水寺への参道として、
平氏の拠点であった六波羅(現在の六原)へと続く道として
「京都のメインストリート」でした。

応仁の乱(1467年~1477年)で一旦荒廃した京都を
豊臣秀吉が再興しました。
その際、秀吉自身を神格化した「豊国神社」に近い
六条通を「五条通」と名称変更しました。
(豊国神社と五条通りの位置関係は、第7回ブログ参照)

そして五条通だったこの道は、「松原通」と名称変更しました。
ちなみに、現在「六条通」と呼ばれる道が何本かありますが、
どれも細くて短い道になっています。

wikiで調べたら、近くに松の生えた原っぱがあったことが
道の名称の語源らしいのですが、
壬生近くの「松原町」が語源だと思っていました。
(近くに京都市立松原中学校がありますし)

ちなみに、この一帯には幕末に松原氏が住んでいて、
新撰組の班長の一人松原忠治はこの辺りの出身です。


松原通の見どころ

一番は、風景が多種多様なところです。

東の方(鴨川以東)は、観光地です。
清水寺があったり、六原・宮川町を通り抜け、
祇園にも近いところです。

中央は、問屋街や商店街が続きます。
千本通付近には、大きなマンションが建っています。
また、壬生の辺りには新撰組関連のものが残っています。

西部には、住宅地が続きます。
そしてだんだんと途切れるように
最西端にたどり着きます。

とりあえず、次回は清水寺の参道から始めます。
来年の一月以降も続けますが、
たぶん正月は初詣を書くので、
その間だけ中断します。

では、今回はここまでです。
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第18回 清水道を行く~松原通東から西~その2

18-1.jpg
清水寺の仁王門です。
清水寺は、このブログには3回目の登場です。
ここが松原通の最東端です。
では、ここから数回にわたって
松原通を踏破していきます。
撮影日は、12月11日の日曜日午後4時ごろ。
紅葉シーズンの終盤で、観光客でいっぱいでした。
今回は、清水寺への参道を逆行します。
(前半は、第10回ブログと同じ道をたどります)


18-2.jpg
仁王門の前から西を向きました。
ここから松原通を歩いていきます。
夕方近いので、西日が差しています。
今からここを西へ西へと進みます。


18-3.jpg
先ほどの写真の左側に写っていた平屋の小さな建物です。
今は閉まっていますが、
もともとはここが交番でした。


18-4.jpg
休日なので、今日も観光客でいっぱいです。
約1カ月前の第10回ブログ撮影日と
その辺は同じです。


18-5.jpg
清水寺の参道をどんどん下っていきます。
清水寺は山の中にあります。
この辺はだいぶ高いところにあるので、
道の向こうを見ると、京都市街地が一望できます。


18-6.jpg
第10回ブログではカットした宝徳寺です。
とても小さなお寺ですが、
ここからご本尊を拝めます。
ちなみに、ここの西隣がマールブランシュです。


18-7.jpg
清水寺の参道も、だいぶ下りてきました。
気のせいか、土産物屋で買った物を
歩きながら食べている方が多くいらっしゃいます。


18-8.jpg
ここも清水寺参道にある小さなお寺です。
この辺りから参道が分岐します。


18-9.jpg
産寧坂です。
ちなみに、右側に見える石塀が先ほどの小さなお寺です。
第10回ブログではここを進みましたが、
今回はさらに西に向かいます。


18-10.jpg
右側の七味家のお店で分かるように、
先ほどのところからちょうど西を向いたところです。
ここは、清水寺に向かう二つの参道の合流点です。
(自分がよく投稿しているYAHOO知恵袋で書いている
「合流点」がここです)


18-11.jpg
先ず、左の道は「五条坂」です。
ここから西南西にのびていて、
このまま下りていくと東山五条に着きます。
(第8回ブログの冒頭です)
4車線と比較的広いので、
観光バスやタクシーはこの道を通っていきます。


18-12.jpg
そして、右側の道は「清水道」(松原通)です。
ここは、自動車がやっと一台通れるくらいの道幅です。
ここからほぼ西にのびていて、
このまま下りていくと「清水道」バス停前に着きます。
今回は、この道を進みます。


18-13.jpg
分岐点から少し下りたところにある
「蕎麦の実 よしむら」という蕎麦屋です。
五条烏丸にある本店にはよく通っています。
じぶんは、
「蕎麦で一献」というセットメニューをよく頼みます。
ここの蕎麦は、「よく立って」います。


18-14.jpg
さらに下っていきます。
左側(南側)に観光バスのための駐車場が見えます。
(駐車場の入り口は、五条坂側にあります)
そしてこの辺りで土産物屋が途絶えて
住宅地へと入っていきます。


18-16.jpg
さらに下っています。
左に見える石垣の上に先ほどの駐車場があります。
つまり、この石垣の分だけ下っています。
ここで左にカーブして真西に進路をとります。


18-17.jpg
だいぶ下ってきたはずなのですが、
まだまだ京都市街地を一望できる高さです。
住宅地には入ってきましたが、
京都市バスで来られた方の帰り道とあって
たくさんの観光客がいらっしゃいました。


18-18.jpg
道の途中にポツンとあった竹細工の土産物屋さんです。
なかなかいい雰囲気のお店だったので、
思わず写真に撮ってしまいました。


18-19.jpg
先ほどのお店の西側にお地蔵さんがいらっしゃいました。
このブログの象徴なので、また撮らせていただきました。


18-20.jpg
左側に見える小さな屋根が、
先ほどのお地蔵さんの祠です。
そして、お地蔵さんの西隣にある喫茶店は「マミ」です。
少なくとも30年前には開業されていました。
ここはコーヒーぜんざい発祥の店です。

そういえば、20年くらい前は京都のどの喫茶店にも
コーヒーぜんざいがおいてありました。
いまは、この店くらいにしかありません。


18-21.jpg
さらに西に行ったところにあったお店です。
ここには、清水焼の陶器人形が売られていました。


18-22.jpg
だいぶ下りてきました。
さすがに京都市街地一望とはいかなくなりました。
ここを右(北)に向くと……


18-23.jpg
北に抜ける細い道があります。
先に見えるのは、法輪寺の「八坂の塔」です。


18-24.jpg
先ほどのところから、10mほど西に進みました。
こんな地図がありました。
今回のブログの全行程が書いてあります。
参考までに、ご覧下さい。


18-25.jpg
もうここまで下ってくると完全に住宅地の中なのですが、
右側には日體寺が見えます。
こういう住宅地の中にお寺がポツンとあるのが、
京都独特の風景です。


18-26.jpg
さらに西に進むと、またお地蔵さんがいらっしゃいました。
また、写真を撮らせていただきました。
上にお札が貼ってあるのが、少し変わっています。


18-27.jpg
向こうに見える信号機のあるあたりが、東大路通です。
もう完全に京都市街地の中に入ってきました。


18-28.jpg
東大路松原の交差点です。
交差点には、「清水道」と看板が出ています。
ここに、「清水道」バス停があります。

今回は、ここまでとします。


~次回は、ここからさらに西に進んで六原を散策します~

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第19回 六原散策 前編~松原通東から西~その3

19-1.jpg
「清水道」バス停が、京都銀行の前にあります。
ちょうど北の方にある祇園に向かう市バスが、二台止まっています。
このバス停を利用する方の大半が、
前回ブログの道を逆にたどって東の清水寺を目指します。
しかし、今回は反対側の松原通を西の方に向かいます。
実は、こちらの方にも見所は満載です。

撮影日は、12月18日の日曜日。
午後2時から午後4時にかけてです。
見どころ満載過ぎて、
たった500mほどを撮っただけで50枚前後の写真となりました。
よって、急きょ前後編に分けることになりました。


19-2.jpg
東大路通から松原通を西に向いて撮影しました。
この辺りから西を「六原」(六波羅)といいます。


19-3.jpg
10mほど西に進みました。
この辺りも、前回ブログ同様急な下り坂です。
東大路通を境にして、
こちら側は清水寺参道よりも観光客の姿が少なくなります。


19-4.jpg
今度は、東側を向いてみました。
向こうに見えるのが、東大路通です。
ここは、小さな駐車場になっています。
最近、町屋や店舗をつぶして
このような駐車場にしてしまうことが多くなっています。
駐車場自体に問題はないのですが、
少し景観が変わってしまうのが残念です。


19-5.jpg
またここにもお地蔵さんがいらっしゃいました。
思わず撮ってしまいました。


19-6.jpg
さらに西に進みます。
本当に、人通りがあまりありません。


19-7.jpg
東大路通から、50mほど西に進んだ所から左(南)を向きました。
この細い道はこの先で少しずつカーブしていきます。
清水焼の工房が何軒かあります。
そして、最終的に「五条坂」バス停前に出ます。


19-8.jpg
先ほどの南へ抜ける道の向かい側です。
斜めになっているので、
これで坂道の急な加減がよく分かります。
ここに、このような寺院がありました。
小野篁にゆかりのある寺院です。
この「六道珍皇寺」に入ってみます。


19-9.jpg
境内にあった閻魔堂です。
この中に、閻魔像や小野篁像などが安置されています。


19-10.jpg
塚の向こうに本堂である薬師堂があります。
この日は公開されておりませんでした。

ここより南東部はもともと鳥辺野と呼ばれ、
死者を弔うところでした。
(清水寺より少し山を登った所に現在も火葬場があります)
そして、六道珍皇寺があるこの辺りで
鳥辺野に行く前にここで野辺送りを(要するに葬式)行いました。
そこで、そういう関連のものがこの辺りに多いのです。
六道珍皇寺の縁起は不明ですが、
(記録が残っていません)
現在は建仁寺の末寺なので臨済宗です。


19-11.jpg
このお寺の中にもお地蔵さんがいらっしゃいました。
また、撮らせていただきました。


19-12.jpg
その向かい側にもこんなにいらっしゃいます。
もともとこういうお地蔵さんは
お墓の役割も果たしていました。


19-13.jpg
その左(南)側には、このように水子地蔵さんがいらっしゃいました。
やはりこちらも、この辺の由来と関係があるのでしょう。

では、そろそろここを出て、
松原通を西へと向かいます。


19-14.jpg
やはり日曜日なので、大半の商店が閉まっています。
実は、平日のこの辺はもっとにぎわっています。
六原は住宅地と観光地が混在しているので、
(伏見稲荷大社周辺の本町通と似ています)
どちらの顔も持っています。


19-15.jpg
先ほどの場所から10mほど進みました。
左(南)側に「ハッピー六原」がありました。
自分も、ここに来たときは買い物をします。
この日は日曜日でしたが、
ここはさすがに開いていました。


19-16.jpg
「ハッピー六原」は、地域密着のスーパーマーケットです。
実は松原通にはこういう店が何軒かありますが、
ここが一番大きな店です。


19-17.jpg
松原通から「ハッピー六原」とは反対側(北側)を向いたところです。
ここは細い道ですが、
平日は人通りが意外と多いのです。
この先に、建仁寺があります。


19-18.jpg
さらに、30mほど西に進みました。
ここは以前は何かの問屋だったように覚えているのですが、
今はレストランに模様替えしています。
(ここは入ったことがないので、よく分かりません)


19-19.jpg
東大路通から200mほど西に進んできました。
ここは六道の辻と呼ばれています。
この辺りから、道は平坦になります。
ここはT字路に見えますが、
実は少し筋違いの四辻です。


19-21.jpg
その辻にある小さな中華料理屋です。
実は、学生時代はこの店によく通いました。
ここの酢豚と焼き飯が自分の好物です。


19-22.jpg
先ほどの中華料理屋の向かいにあるお店です。
ここで、「幽霊子育て飴」を買いました。


19-23.jpg
これが、その「幽霊子育て飴」です。
要するに、安土桃山時代にこの飴を買い求める女性がいて、
近くで土の中から生きている赤ん坊が発見されてから
その女性が現れなくなったそうです。
「この女性は幽霊で、自分の子供をこの飴で育てていた」
といううわさが流れて、この飴が以後よく売れるようになった
こんな由来だそうです。

ちなみに、今この飴をなめながらこれを書いています。
原料が麦芽糖だそうなので、
砂糖とは違うやわらかい甘さがあります。


19-20.jpg
飴屋さんのところに、このような看板がありました。
少し寄り道をして左(南)にそれます。
その前に角のお寺にも寄ります。


19-24.jpg
その「角のお寺」西福寺です。
こちらは、嵯峨天皇の皇后に所縁のお寺です。
子宝のご利益があるそうです。
中には、たくさんの仏様がいらっしゃいます。
ただ、このような小さなお寺はご住職の住居でもあるので、
節度をもった参拝をしなければなりませんね。


19-25.jpg
辻のところにこのような看板が出ていました。
京都市内には、このような住所を書いたものが
あちこちに書いてあります。
(道に迷った時は、これを頼りにします)
この辺りは、髑髏町(どくろちょう)です。
まぁ、野辺送りをしていた名残でしょうね。


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西福寺の南隣には、
「京都市立六原小学校」があります。
この日は日曜日なので、閉まってます。


19-27.jpg
さらに、その六原小学校の南隣に六波羅蜜寺があります。
六原は、平安時代の末期には平氏の邸宅が数多くありました。
弁財天をまつっていたり、平清盛像がおさめられたりと、
平氏関連のものが多くあります。
また、運慶などの木造彫刻が多くあります。
平清盛像と空也上人像がここでのお勧めです。
(歴史の教科書に載っているものと同じものです)

では、そろそろ松原通に戻ります。


19-28.jpg
松原通に戻ってきました。
ここからさらに西に進みますが、
それは次回とします。

~次回は、ここから宮川町を通り過ぎ、
鴨川の橋を渡ります~

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第20回 六原散策 後編~松原通東から西~その4

19-28.jpg
轆轤町を通り過ぎ、松原通をさらに西へ進みます。
今回は、ここから六原を通り過ぎ、宮川町、松原橋まで行きます。
撮影日は、12月18日日曜日。
そろそろ午後4時になろうとしています。
これが2011年最後のブログです。


20-2.jpg
先ほどの所から、50m以上西へと歩きました。
千歳湯という銭湯が見えます。
隣のフェンスの中は、最近まで松原署があったところです。
この銭湯には、最近まで刑事さんがよく入っておられました。
(時々中で会いました)


20-3.jpg
さらに、50mほど西に進みました。
大和大路との交差点です。
この日は日曜日なので、
辺りのお店は閉まっています。


20-4.jpg
大和大路を南に向いたところです。
向こうに小さく五条通が見えます。
そこからさらに約500m南に下がると、
第7回ブログの冒頭の豊国神社に行くことができます。


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今度は、大和大路を北に向きました。
こちらの方には、近くにいろいろ神社仏閣があります。
また、こちらの方に寄り道をします。
とりあえず、この先に見える
京都市立新道小学校の前まで行ってみます。


20-6.jpg
松原通から大和大路を100mほど北に移動しました。
京都市立新道小学校の前から東を向きました。
ここから東に八坂通が伸びます。
この道をたどると、八坂の塔の法輪寺を通り過ぎ
第11回ブログの冒頭二年坂に至ります。
また、ここから100mほど東に行くと建仁寺の山門に出ます。


20-7.jpg
先ほどの地点から、少し北に移動しました。
建仁寺の末寺の一つ禅居庵です。
鎌倉時代末期に建立以来何度か焼失ののち、
今の形になっています。
境内には、摩利支天の眷属のイノシシが多くみられます。


20-8.jpg
さらに北に移動しました。ゑびす神社です。
普段はとても静かな神社ですが、
毎年1月10日の「十日ゑびす」の時には、
京都市立新道小学校の前から四条通にかけて
露店が並び、にぎやかになります。
そこは、他の恵比寿神社と同じです。

ではそろそろ松原通に戻ります。


20-9.jpg
大和大路を南に移動し、もとの松原通に戻ってきました。
ここから、また西へと歩いていきます。


20-10.jpg
松原通を大和大路より西に行ったところに、
またお地蔵さんがいらっしゃいました。
また、撮らせていただきました。


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この辺りから宮川町に近くなり、
このように割烹料理屋や魚屋が目立つようになりました。
宮川町は、祇園・先斗町などと並ぶ花街です。
芸妓さんや舞妓さんがいらっしゃいます。


20-12.jpg
この駐車場は、約10年前まで「ゑびす湯」という銭湯でした。
宮川町に近いので、芸妓さんや舞妓さんも入りに来ていたようで、
芸妓さんや舞妓さんのお名前が書いてある札が張ってあったり、
料理屋や舞妓さんの名前入り団扇があったりしました。


20-13.jpg
その駐車場の隣にいらっしゃったお地蔵さんです。
こちらは、ずっと昔からここにいらっしゃいます。
ちなみに、西隣の自分が学生時代よく行った
「ポパイ」というラーメン屋は健在でした。


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さらに西に行ったところにあった洋菓子屋さんです。
いつもおいしそうなので寄ってみたいのですが、
なかなかその機会がありません。


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宮川町筋です。こちらは、南を向いています。
割烹屋や高級料亭が何軒か見えます。


20-16.jpg
こちらは、宮川町筋の北側です。
こちらを進めば、祇園の方にも行けます。


20-17.jpg
いよいよ松原橋が見えてきました。
もう夕方なので、
少しずつ日が傾いています。


20-18.jpg
自分が小学生の頃
この辺りに品数の多いプラモデル屋があって、
よく友人と自転車で連れ立ってきました。
今はその店はもうないのですが、
その近所にあった食堂や蕎麦屋は
このようにまだ残っています。
それがうれしくて、つい撮ってしまいました。


20-19.jpg
その食堂や蕎麦屋の向かいの児童公園です。
京都市街地の児童公園は
もう子供が立ち寄らなくなっているところも多いのですが、
ここはまだ「遊び場」になっています。


20-20.jpg
さらに西側に向かいました。
旧川端通の交差点で、南を向いています。
左側のフェンスは、先ほどの児童公園です。
ここも宮川町の一部です。
ここから五条通りにかけて、
芸妓さんや舞妓さんの置屋さんが並んでいます。


20-21.jpg
旧川端通りの西側は、琵琶湖疏水が流れています。
ここは岡崎公園周辺と違って、
あまり太くありませんし、水量も多くありません。


20-22.jpg
琵琶湖疏水と鴨川との間に川端通りがあります。
今は幹線道路ですが、
20年くらい前まではここに琵琶湖疏水が流れていました。


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いよいよ松原橋です。
かつての「京の五条の橋の上」です。
定説によれば、ここで牛若丸と弁慶が決闘したことになります。
今は自動車がよく通る幹線度往路への抜け道です。


20-24.jpg
松原橋を渡っています。
東側の川原は、近年整備されて散歩などに最適になりました。
西側の河川敷には、様々な料理屋が並びます。
これらの店は、夏になるとここに「川床」を出します。


20-25.jpg
松原橋を中央まで来ました。
そこから、北側を向きました。
この辺りの鴨川は、故意に瀬を作るなどして虫や魚が豊富にいます。
実は、全国の政令指定都市で唯一アユが獲れる地域です。
初夏になると、この辺りにも漁師さんが現れます。
(ちなみに、この辺りは無断の釣りなどを禁止しています)


20-26.jpg
松原橋を渡り、さらに西に向かえば京都市の中心街に入ります。
鴨川を越えると、景色はさらに一変します。

今回は、ここまでです。


~次回は、たぶん初詣の様子を撮ります。
松原通の様子は、その次から再開する予定です~

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第24回 京都の問屋街 ~松原通東から西~その5

24-1.jpg
約1カ月前と同じ松原橋の上です。
今回も松原通を西へ進み、河原町通を越え烏丸通まで進みます。

撮影日は、2012年1月26日午後3時半。
新年を終え、ここもやっと通常営業です。


24-2.jpg
松原橋の上から松原通の西の方を撮りました。
先の方に高瀬川や木屋町通りが見えます。
鴨川とは、ここでお別れです。


24-3.jpg
松原橋を渡ったところにあるあられ屋さんです。
老舗でいつもおいしそうなのですが、
ついついいつも買いそびれています。


24-4.jpg
松原通りの橋の上から撮った高瀬川と木屋町通りです。
北を向いているので、このまま500m進むと四条通に出ます。
川沿いに桜の木々が並んでいます。
もう二月もすれば、ここも見ごろになるでしょう。
その向こうには、川床をする様々な料理屋が並んでいます。


24-5.jpg
高瀬川の西側には、西木屋町通りが伸びています。
昼間は静かですが、夜には飲み屋さんが開いて雰囲気が変わります。


24-6.jpg
高瀬川を渡ると、急に道幅が広くなります。
高瀬川から50m先に河原町通との交差点があります。


24-7.jpg
河原町通を北に向いて撮りました。
ここから約500m先に四条河原町の交差点があります。
もう100m北の高辻通りくらいから繁華街になっていきます。


24-8.jpg
松原河原町の交差点にある和菓子屋です。
ここは、四十七士の大石内蔵助と所縁のある店で、
「義士まんじゅう」がここの名物です。
自分はここには「おけそくさん」を買いによく来ます。

「おけそくさん」とは、
お盆に仏壇にささげるためのお餅のことです。
最近は、あまり売られていないので、ここは自分には貴重なお店です。


24-9.jpg
河原町通を越えると、松原通はまたこの太さになります。
そして、この辺りから松原通は問屋が続くようになります。


24-10.jpg
河原町通から少し西に行ったところにありました。
老舗のろうそく屋さんです。
京都でもろうそく屋さんはあまり多くありません。


24-11.jpg
河原町通から30mほど西に寺町通があります。
ここから100mほど北の高辻通りより四条通の間が
俗にいう「電気屋街」の寺町になります。
角は駐車場になっていますが、
10年くらい前までここは結構おいしいパン屋さんでした。
わざわざ家からここまでよく買いに来ました。


24-12.jpg
角に、「京都寺町松原郵便局」があります。
会社に勤めていらっしゃる方々が
仕事でここによくいらっしゃいます。


24-13.jpg
郵便局の西隣に、焼き芋屋さんと文房具店があります。
京都で焼き芋屋さんは、ここと蛸薬師河原町西入ルの二軒だけです。
また、隣の文房具屋さんは立地条件の割には大きなお店で、
事務用品はたいてい置いてあります。
やはり、そこは問屋街だからでしょうか。


24-14.jpg
御幸町通と麩屋町通の間から西を向いて撮りました。
道の両側に様々な問屋をはじめとする会社が並んでいます。
そのせいか道幅の割には交通量が多く、
とくに大型トラックが通ると歩行者は歩きにくくなります。


24-15.jpg
麩屋町通との交差点です。
南東角にある明王院不動寺に入ってみます。


24-16.jpg
ここのご本尊は、石仏の不動明王です。
平安京遷都の頃からここにあったそうですが、
現在のものは応仁の乱で荒廃したものを
豊臣秀吉が再興したものだそうです。

ちなみに、今の京都は応仁の乱で荒廃した後
1590年ごろに豊臣秀吉が再興した区画をそのまま使用しています。


24-17.jpg
本堂脇にいらっしゃるお地蔵さんです。
こちらにもお参りしておきました。
では、ここを出てさらに西に進みます。


24-18.jpg
麩屋町通と富小路通の中間です。
ちょっとこの辺を象徴している風景だと思って撮りました。
つぶれた床屋の隣に京扇子の問屋があり、
さらにその横に新しいマンションが建っています。
最近の不景気で、この辺りでも商店や問屋が倒産し始めています。
その跡地が、駐車場やマンションになっています。
見慣れた風景が変わっていくのは、さみしいですね。


24-19.jpg
富小路との交差点にある畳屋さんです。
京都にも畳屋はまだ何軒か残っています。

そういえば、京都と他の地方で
畳のサイズが違うのはご存知でしょうか?
京都のほうが少し大きいのです。


24-20.jpg
富小路と柳馬場通との間にある和菓子原料の問屋さんです。
この辺りに何軒かあったのですが、
今はこの一軒だけになりました。
自分も、よく買いに来ます。
水あめとか、浮粉とかスーパーとかで売っていないものも
ここでは手に入ります。


24-21.jpg
柳馬場通から西に向かって一枚撮りました。
この辺りから少しずつ商店の割合が増えてきます。


24-22.jpg
堺町通の角から少し南にいらっしゃったお地蔵さんです。
また、撮らせていただきました。


24-23.jpg
高倉通との交差点付近にある小さなスーパーです。
松原高倉にあるので、かつては「マツコー」といったのですが、
今は屋号が変わっています。
松原通には、このような小さなスーパーが何軒かあります。
(第19回ブログで紹介した「ハッピー六原」とかです)


24-24.jpg
この町家は、東洞院との交差点にありました。
さて、ここは何のお店でしょうか?
1.京風スイーツのお店
2.美容院
3.イタリアンレストラン

正解は、次回ブログで紹介します。


24-25.jpg
東洞院通から松原通を少し下がったところにも
お地蔵さんがいらっしゃいました。
ここも撮らせていただきました。


24-26.jpg
松原通から東洞院通を北に向けて撮りました。
ここも問屋が続きますが、
ここは祇園祭の鉾町の一つ「保昌山」町です。
毎年7月半ばになると、ここにも山鉾が立ちます。


24-27.jpg
東洞院通と烏丸通の中間に、このような寺院があります。
この「平等寺」にも、少し立ち寄ります。


24-28.jpg
ここはもともとは因幡の国司橘行平の邸宅だったそうですが、
行平自身がここに因幡から持ち帰った薬師如来像を安置するために
平安時代の半ばにこの寺院を建立したそうです。
ご本尊の一木造りの薬師如来は「因幡薬師」とも呼ばれ、
重要文化財だそうです。
この日は拝観受付が既に終わっていたので、
ここを立ち去ります。


24-29.jpg
平等寺を出て西を向いたら、
もう烏丸通との交差点になります。
この烏丸通を越えたらまた風景は一変するのですが、
それはまた次回とします。
今回は、ここまでです。

~次回は烏丸通を越え、大宮通との交差点まで行きます~

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第25回 京都の商店街 ~松原通東から西~その6

25-1.jpg
前回のブログの最後の写真と同じ烏丸通との交差点です。
今回は、ここから大宮通りまでを書きます。
問屋街が少しずつ商店街に変わっていきます。
自動車で通ると気づかない小さな神社にも行きました。
撮影日は1月30日午後1時半。
小雪の中、撮影を決行しました。


25-2.jpg
烏丸通を北の方に向いて撮りました。
あと500mで四条烏丸の交差点です。
向こうの信号は、高辻通の交差点です。


25-3.jpg
烏丸通から、松原通を西に向いて撮りました。
まだしばらくは問屋街が続きますが、
この辺りからレストランや料理屋が混じりだします。


25-4.jpg
烏丸通から少し西に行ったところです。
右(西)側の店は、海鮮のイタリア料理店です。
一度だけ行きましたが、なかなかおいしかったです。
左(東)側に小さな神社がありました。
ここに寄ってみます。


25-5.jpg
ここ「新玉津島神社」は、もとは藤原定家の父藤原俊成の邸宅でした。
俊成自身が建立し、歌道の神様である衣通郎姫を祭っています。
「うなぎの寝床」らしい奥まで細長く続く先に本殿があります。
短歌や俳句の上達を願って、時折参拝者が訪れるそうです。


25-6.jpg
さらに松原通を西に進みます。まだまだ辺りは問屋街です。
特にこの辺は、繊維関係の問屋が続きます。
(呉服などの和装の問屋が多いです)


25-7.jpg
室町通との交差点です。
ちなみに足利義満は、この通り沿いに幕府を開きました。
つまりこの通りが、「室町時代」の語源です。


25-8.jpg
室町通を北に向いて撮りました。
この通り沿いに特に呉服問屋が集中します。
そしてこれらの商人が、祇園祭を支える町衆です。
毎年7月になると、ここに山鉾が集中します。
(祇園祭は祇園ではなく、この辺りの祭りです)


25-9.jpg
室町通と新町通の間にある亀山稲荷神社です。
ここも、細い参道の先に本殿があります。
ここは丹波の国亀山藩(現亀岡)京屋敷跡で、
ここの藩主が祭っていた神社を
今はここの町内の住民が祭っているそうです。
自分が参拝している間にも
近所の方が何人かお参りに来ていました。


25-10.jpg
新町通との交差点です。
この道より西は、問屋はほとんどなくなって
代わりに商店街になっていきます。


25-11.jpg
新町通を北の方を向いて撮りました。
ここも室町通同様に、呉服問屋が集中します。
ここにも、7月にはたくさんの山鉾が立ちます。
ですから、祇園祭はこの新町通と室町通を巡るのが基本です。


25-12.jpg
新町通松原下がるにある道祖神神社です。
新町通に接するような感じで小さな本殿が見えます。
ここの由来はよく知りません。
道祖神ですから、猿田彦がらみとは思うのですが……


25-13.jpg
新町通を通り過ぎると、急に道が細くなります。
そして、ここから「松原京極商店街」が始まります。
ちなみに、黄色い幕が張ってある建物も肉屋が営業中でした。


25-14.jpg
商店街にこのような小旗が、あちこちに立てられていました。
黄色い小旗には、松原通(旧五条通)の象徴
「橋弁慶」が描かれています。
もう一つの小旗は、我らが「京都サンガ」の応援旗です。
京都の商店街には、この京都サンガか
女子プロ野球の「京都アストドリームス」の応援旗が掲げられます。
そういえば、bjリーグの「京都ハンナリーズ」のものは見かけません。
京都商店街連合会とは関係が薄いのでしょうか?


25-15.jpg
手前に洋品店があり、その向こうにお好み焼き屋が見えます。
このお好み焼き屋は、店頭の椅子に座って食事もできます。
そういえば、最近このお好み焼き屋にも寄っていませんでした。


25-16.jpg
そのお好み焼き屋のほぼ向かいにある光圓寺です。
親鸞が流罪になる前の住居だったそうです。
のちに九条兼実が住んだ後、再び親鸞が崩御するまで住んだそうです。


25-17.jpg
光圓寺壁面にあった京都市の掲示板です。
市街地の寺院の多くにこのような掲示板があります。
本当は、第19回で紹介した西福寺にもあったのですが、
その時は写真を省略してしまいました。


25-18.jpg
光圓寺の横は、もう西洞院通です。
西洞院通はそこそこ太いので、信号のある交差点になります。


25-19.jpg
西洞院松原の南西角にある「五条天神」です。
(しつこいようですが、松原通は旧五条通です)
ここは、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命・
天照大神を祭っています。
桓武天皇が平安京遷都をした際、奈良から移築した神社です。
もとはもっと大きかったのですが、
戦乱などのたびに焼けて小さくなったそうです。


25-20.jpg
西洞院通の越えると、道幅は元に戻ります。
そしてこの辺りから商店の密度が濃くなり
賑やかになってきます。


25-21.jpg
お茶屋さんの店先にいらっしゃったお地蔵さんです。
ここも、撮らせていただきました。
西隣は喫茶店で、ここのコーヒーがなかなかおいしいので
よく寄ります。


25-22.jpg
ここにも、小さなスーパーがあります。
果物の店頭販売をよくやっていて、
12月頃に自分はここに完熟した富有柿を買いに来ます。


25-23.jpg
文具屋の向こうにある和菓子屋は、
知る人ぞ知る名店です。
京都ではお汁粉のことをよく「亀山」といいますが、
その名前の由来になったお店です。
名物は、あんころ餅です。


25-24.jpg
左(南)側のシャッターは、夜になると居酒屋やバーになります。
目の前に信号は、堀川通の交差点です。
商店街は、もう少し続きます。


25-25.jpg
堀川通を南に向いて撮りました。
堀川通は、五条通と並ぶ京都では珍しい6車線の道です。
その五条通との交差点が、向こうに見えます。
(歩道橋がある辺りです)
右側の建物は、堀川警察署です。


25-26.jpg
堀川通を越えても商店街は続きます。
ただ、商店も絶対数は減少します。


25-27.jpg
昔ながらの卵屋さんです。
だし巻き卵がおいしそうだったので、
思わず撮ってしまいました。


25-28.jpg
卵屋より少し西に行ったところの
「まるき製パン所」です。
自分の知る限り、京都でも屈指のおいしいパン屋さんです。
この日も、いくつかパンを買わせてもらいました。
(ここは、食パンよりも菓子パンやサンドイッチがメイン)


25-29.jpg
さらに猪熊通との角のところにある
小さなスーパーです。
自分は、ここでもたまに買い物をします。


25-30.jpg
大宮通りとの交差点です。
目の前のネオンサインは、ラーメン屋のものです。
その先に喫茶店があります。
この大宮通りの交差点で、商店街は終わります。
この先は、いよいよ壬生に入ってきます。
今回は、ここまでです。

~次回は、節分の壬生寺を訪れます~

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第26回 節分の壬生寺 前編~松原通東から西~その7

25-30.jpg
先日とはうって変わっての晴天の大宮松原です。
ここをさらに西に進み、壬生に入っていきます。
撮影日は、2月3日午後1時半。
今日は節分なので、壬生寺に寄ります。
(途中、松原通をそれます)


26-2.jpg
大宮通りを北向きに撮りました。
向こうの方に、四条大宮の交差点があります。
四条大宮は、
いくつかの路線バスや私鉄のターミナルになっています。


26-3.jpg
大宮通りを超えると、松原通の道幅は2倍になります。
商店は姿を消し、小さな工場と古い民家が目立つようになります。


26-4.jpg
「京都市立松原中学校」の裏門です。
校名は松原中学校なのですが、正門は北側の高辻通にあります。
まぁ、「松原町」が高辻通沿いだからでしょうが。


26-5.jpg
「keep out」の黄色いテープが張ってあるお寺です。
たぶんだれも住んでいないのでしょう。
入り口と石製の仏塔が(写真のフレームの外にあります)
とても変わっているので撮りました。


26-6.jpg
写真の左にお地蔵さんがいらっしゃいます。
せっかくなので撮らせていただきました。
ここから左(南)側は小さな寺院がいくつか続きます。
右(北)側は、古い民家と工場が続きます。


26-7.jpg
その小さな寺院の中の一つです。
浄土宗の延命山長円寺です。江戸時代中期に建立されました。
中の観音堂に安置されている観音様は、恵心僧都の作だそうです。


26-8.jpg
左側の土塀は、長円寺のものです。
壬生川通との交差点が近づいてきました。
ちなみに、左(南)に折れてずっと行くと
京都の花街の一つ「島原」に着きます。


26-9.jpg
松原壬生川の交差点の南東角にこのようなものがありました。
「ごんりゅういん」は、近隣の寺院でしょう。
その方向が指示されています。
上部に小さなお地蔵さんがいらっしゃいますね。


26-10.jpg
壬生川通を北に向いています。
このまま進めば、京福電車の踏切を越えて四条通に行きます。


26-11.jpg
壬生川通を越えました。
右(北)側の風景はそのままですが、
左(南)側の風景は、一変します。
巨大な空き地に見えるのは新しく建設中の
京都産業大学の校舎です。


26-12.jpg
目の前に横断歩道があり、
右側の電柱に「一方通行」の標識があります。
この標識の方向を進むと、「坊城通」に進めます。
壬生寺に行くため、ここで松原通からそれ、
ここから右(北)に折れます。


26-13.jpg
松原通から北を向き、坊城通を見ています。
ここを北に直進します。


26-14.jpg
坊城通を北に20mほど進みました。
左(西)側にマンションが見えます。
この辺りは、このような大きなマンションが多くあります。


26-15.jpg
さらに北に進み、高辻通との交差点に出ました。
左側には、先ほどのマンションがあります。
壬生寺に近づいたため、
この辺りから坊城通は、自家用車通行禁止になります。


26-16.jpg
高辻通を越えて、坊城通がさらに細くなりました。
ここをさらに北に進みます。


26-17.jpg
仏光寺通との四辻に来ました。
壬生寺に近くなり、露店が目立つようになりました。


26-18.jpg
仏光寺坊城の北西角にこのようなものがありました。
いよいよ壬生寺が近づいてきました。


26-19.jpg
仏光寺通を越え、30mほど進みました。
壬生寺の山門が見えます。


26-20.jpg
露店の横に残っていた雪です。
この日は快晴でしたが、
数日前まで雪が降っていました。


26-21.jpg
山門の前で、炮烙焼の皿を売っていました。
これにいろいろなことを書いて、お寺に奉納します。
奉納されたお皿は、狂言の舞台などで割られます。


26-22.jpg
いよいよ壬生寺に入ります。
……と言いたいところですが、今回はここまでです。
実は、この後写真をたくさん撮りすぎて
一回で収められなくなりました。

~次回は、壬生寺内部に移動します。
節分のお祭りの様子や「新撰組」関連施設を回ったりします~

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第27回 節分の壬生寺 後編~松原通東から西~その8

26-22.jpg
前回と同じ壬生寺の山門前です。
今回は、いよいよ壬生寺に入り
節分の様子や「新選組」関連施設を巡ります。
撮影日は2月4日午後2時。
毎年節分はこの賑わいです。


27-2.jpg
山門の横にも炮烙焼の露店が出ていました。
こちらには、皿に文字を書く形式が書いてある紙が貼ってあったり、
皿に文字を書く場所があったりしました。


27-3.jpg
山門をくぐりました。
周囲に露店が並び、参拝者でにぎわっています。
正面奥に本堂があります。
先ずは、そちらに向かいます。


27-4.jpg
壬生寺の本堂です。ご本尊は、延命地蔵尊です。
中では僧侶が祈祷中でした。
さすがに撮影ははばかられたので、ここでご容赦ください。


27-5.jpg
本堂の右(北)で、お守りや護摩木が売られていました。
こちらで、おみくじも引けたようです。


27-6.jpg
本堂の前で、線香が売られていました。
自分も、数本求めました。
お代は寸志なので、決まっていません。


27-7.jpg
購入した線香は、ここで火をつけます。
火力が強かったので、
簡単に火が付きました。


27-8.jpg
そして、ここに線香を並べます。
しっかり刺さないと線香が倒れるのですが、
ゆっくりしてると手が熱いのでコツが要りました。


27-9.jpg
本堂の左(南)隣にある「千体仏塔」です。
東南アジアに多くみられる形式の仏塔の周囲に
お地蔵さんなどの石仏が千体ならんでおられます。
壬生寺の象徴と言える施設です。


27-10.jpg
本堂の右(北)側の端にある施設です。
ここで壬生狂言が上演されていました。
壬生狂言は、近隣住民が行う仮面劇で
音楽のみで進行していく無言劇です。
(神泉苑狂言と出自が同じものです)

この日の演目は「節分」で、毎年この時期はこれを上演します。
侍の妻が一人で留守番をしていると、
夫に化けた鬼が家に侵入してきます。
妻は鬼の正体を見破ると、豆を投げつけ鬼を退散させます。
まぁ、こんなストーリーでした。
この際に、炮烙焼の皿が割られます。
(厄除けになります)


27-11.jpg
本堂から山門に戻ります。
その途中にあるいくつかの施設を回ります。
先ずは、こちらに入っていきます。


27-12.jpg
弁財天の祠です。
こちらにもお参りしました。


27-13.jpg
弁財天の祠の左隣は、水かけ地蔵さんの祠です。
こちらには多くの参拝者がいました。
二つの祠の間にろうそくを立てる台がありました。
寸志を払って、自分も立てました。


27-14.jpg
二つの祠の右側(山門側)にある阿弥陀如来像が納めてある施設です。
「新選組」関連施設(壬生塚)は、ここを抜けていきます。
そちらに行くには拝観料100円だったのですが、
小銭がなかったので、こちらでお守りを買いました。


27-15.jpg
拝観料を払って中に入ると、左手に池がありました。
その中央に銅製の竜の像がありました。
ちょっと周囲から浮いていますか?


27-16.jpg
壬生官務家のお墓です。
壬生官務家は、太政官の書記官を歴任しました。


27-17.jpg
「人丸塚」です。柿本人麻呂のお墓だそうです。
(ホンマかいなと突っ込んでしまいます)
人丸→火止まる  から
火除けのご利益があるそうです。


27-18.jpg
左側は、芹沢鴨と平山五郎のお墓です。
(内部抗争で殺された人たちですね)
右側はいろいろな新撰組隊士のお墓です。
好きな人は分かるのでしょうが、
自分は知らない人たちでした。


27-19.jpg
こちらにも新撰組隊士のお墓がありました。
ただ、こちらも自分はよく知らない方のものです。
(新選組の隊士の名前は、10人くらいしか知りません)


27-20.jpg
左側も隊士のお墓でしょうか?
右側は、比較的新しい慰霊碑ですね。


27-21.jpg
新撰組の顕彰碑です。
ここ壬生は、新撰組が池田屋事件の頃に屯所を置いていた所です。
特に壬生寺は、北隣の八木邸に新撰組屯所があったことから、
数多くの史跡が残っています。


27-22.jpg
新撰組総長近藤勇の胸像です。
この左隣に遺髪を納めた石塔があります。

ちなみに、自分がここで撮影中
ずっと若い女性が何人もお参りに来ていました。
「薄桜記」とかの影響でしょうか?
では、そろそろ壬生塚を出ます。


27-23.jpg
壬生塚を出て左を向いたところです。
ここから山門を出ます。
今回は、ここまでとします。

~次回は、せっかくなので壬生周辺を散策します。
「新撰組」関連施設を中心にうろうろします~

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第28回 壬生散策~松原通東から西~その9

28-1-1.jpg

前回ブログの最後の写真と同じ位置から撮った壬生寺の山門です。
今回は、壬生寺を出て壬生周辺を散策します。
せっかくなので新撰組関連施設を中心に回ります。
撮影日は、2月9日午後3時。
もう節分のにぎやかさはありません。
ちょっとこの写真が傾いているのは、ご愛嬌ということで。


28-2.jpg
壬生寺山門を出て、坊城通を北に向きました。
とりあえず、ここを進みます。


28-3.jpg
壬生寺から北に5mほど行ったところにある
(ほぼ向かいの)「新徳禅寺」です。
14代将軍徳川家茂が江戸から京都に移ったとき、
警護のために招聘された浪士がここに集まりました。
その際、提案者の清川八郎が
「尊王攘夷」(天皇をたて、欧米を倒す)を訴えたのですが、
水戸の芹沢鴨と江戸試衛館の近藤勇らが反発し離反しました。
その離反した彼らが結成したのが、
「新撰組」のもととなる「浪士組」でした。
(ある意味、ここは「新撰組」発祥の地です)
ただ、残念ながらここは公開されていません。


28-4.jpg
さらに5mほど北に進みます。
壬生寺の北隣にある「鶴屋」という和菓子屋です。
ここを経営しているのが八木家で、
安土桃山時代から続く郷士でした。
(出自は京都府北部の八木町だそうです)
そして、この八木家の邸宅に新撰組の屯所がありました。

1000円払うと、八木家の邸宅を見学できます。
自分も見学させていただきました。
(抹茶とお菓子つきです)


28-5.jpg
八木邸の表玄関です。新撰組隊士はここに住んでいました。
ここを入ってすぐのところが、芹沢鴨暗殺現場です。
その際の刀傷も残っていました。(近藤勇らが、主犯です)
中にはガイドさんがいて、丁寧に説明してもらえます。


28-6.jpg
鶴屋(八木邸)の前の通りを北に向きました。
北隣は陶器屋なのですが、新撰組関連グッズを売っています。
目の前の通りは、綾小路です。
ここは四つ辻なのですが、
綾小路は写真でもわかるように少しずれています。
次は、この綾小路を右(東)に曲がります。


28-7.jpg
坊城綾小路の北西角にこのような一里塚がありました。
「左 壬生寺」は、すぐそこですが、
「右 二条城」は、徒歩一時間以上ですね。


28-8.jpg
坊城通から綾小路を東に向きました。
古い民家が並ぶ細い道は、この辺りの典型的な家並みです。
ここを進みます。


28-9.jpg
こちらのお地蔵さんは、
小さな民家の敷地内にいらっしゃいます。
珍しいので、また撮らせていただきました。


28-10.jpg
お地蔵さんのほぼ向かいにあった酒屋です。
ここの日本酒の銘柄が
「近藤勇 土方歳三 沖田総司」などでした。


28-11.jpg
また、壬生川通です。(現在、東へ逆進しているので)
ここを越えて、さらに綾小路を東に進みます。


28-12.jpg
壬生川通より東は、綾小路はさらに細くなります。
なぜかこの辺りは、飲食店が多いですね。


28-13.jpg
上宮王院聖徳寺です。現在は、浄土宗のお寺です。
開祖は聖徳太子だそうで、太子像も安置されているそうです。
ただ、ここも一般公開はしていないそうです。


28-14.jpg
さらに綾小路を東に行くと、「光縁寺」があります。
ここには、山南敬助ほか新撰組隊士の墓が多くあります。
お寺の拝観はできませんが、
100円払えば、隊士のお墓参りは可能です。


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綾小路を東に進み、大宮通が近づいてきました。
この辺りには、小さな寺院が軒を並べています。


28-16.jpg
そしてついに、大宮通まで戻ってきました。
左のお店は四川風担担麺を出す中華料理店で、
知る人ぞ知る名店です。
向かいの「cocoイチ」は、もう30年くらい前からある店です。
次は左(北)に曲がり、大宮通を進みます。


28-17.jpg
綾小路通から、大宮通を北に向きました。
四条通まで、100mもありません。


28-18.jpg
四条大宮の交差点にまで来ました。
正面の建物は一見すると駅のようですが、ただの駅ビルです。
(阪急電車は、この辺りは地下鉄になっています)
右には、バスターミナルが見えます。
四条大宮は、京都でも屈指の交通の起点です。


28-19.jpg
四条大宮交差点の南西角から西を見ています。
左(南)側の建物は、嵐電(京福電車)の「四条大宮」駅です。
京福電車は、「四条大宮」~「嵐山」間をつなぎます。
(途中の「帷子ノ辻」駅で、「北野白梅町」駅への乗り換えもできます)
今度は四条通の南側歩道を西へと進みます。


28-20.jpg
四条通を西に進んでいます。
四条通といえば「繁華街」というイメージがありますが、
大宮通を境に、西に行くとだいぶさみしくなります。


28-21.jpg
またもや、壬生川通との交差点です。
今度は、この四条通をそのまま西に進みます。


28-22.jpg
四条通から壬生川通を南に向きました。
京福電車の踏切を越えたら、
綾小路・松原通との交差点があり、
その先には、京都の花街の一つ「島原」に着きます。


28-23.jpg
壬生川通を越えて、四条通をさらに西に進みます。
雑居ビルが続いています。
目の前の高架は、JR嵯峨野線の線路です。


28-24.jpg
坊城通との交差点です。
壬生寺に行く方向の標識も出ています。
ただ、そちらに行く前に……


28-25.jpg
交差点の南西角にあるこの神社に向かいます。
こちらは「梛神社」(なぎじんじゃ)「隼神社」で、
実は二つの神社が合祀されています。


28-26.jpg
本殿は、このように二つ並んでいます。
「梛神社」は「元祇園社」ともいい、
「八坂神社」はもともとこちらにありました。
その後小さな祠だけがこの地に残ったそうですが、
明治以降に今の大きさになったそうです。

「隼神社」はもともとは坊城蛸薬師にあったそうですが、
1918年に今の場所に移ったそうです。

どちらも厄除け・病除けの神様で、
本当は節分の時には壬生寺同様かなり大きなお祭りをします。


28-27.jpg
四条通から南を向いて坊城通を見ています。
右(西)に先ほどの神社が見えます。
今度はこの道を進み、
もとの坊城松原に戻っていきます。

28-28.jpg
10mほど南に進みました。
右(西)側にまだ先ほどの神社が見えます。
目の前の京福電車の踏切を越え、
先ほど通った坊城綾小路の辻も越えます。


28-29.jpg
坊城綾小路の辻です。
これで壬生をちょうど一周したことになります。
右(西)側に、先ほどの「新撰組グッズ」も売っている陶器屋と
「鶴屋」(八木邸)の木製看板が見えます。
さらに、南に進みます。


28-30.jpg
30mほど南に移動しました。
この横断歩道の右(西)側に今回の出発点壬生寺があります。
左(東)側は、新徳禅寺です。
このまま南に進み仏光寺通を越え、高辻通に向かいます。


28-31.jpg
100mほど南に進み、高辻通との交差点です。
先に見えるのは、建設中の京都産業大学の新校舎です。
とりあえず、その校舎がある松原通まで南に進みます。


28-32.jpg
建設中の京都産業大学新校舎で、坊城通は突き当りになります。
(坊城通は、五条通り辺りで復活します)
ここから、また松原通をさらに西に進んでいきます。


28-33.jpg
第26回ブログでは、ここで坊城通にそれました。
元に戻ってきたので、
ここからまた松原通を西に進むようにします。
ただ、それは次回以降ということで……。

今回は、ここまでということで。

~次回は西大路通を目指し、さらに松原通の端まで行こうと思います~

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第29回 壬生から西院へ 前編~松原通東から西~その10

29-1.jpg
二週間ぶりの松原坊城です。
今回もさらに松原通を西に進みます。
京都は、観光地が原則周辺部に集中します。
よって、今回はこのブログで初めて神社仏閣が登場しません。
好みが分かれるでしょうが、これも京都の一面なのです。
撮影日は、2月26日日曜日。1936年同様に雪の日です。


29-2.jpg
北側に坊城通からも見えた大きなマンションが見えます。
第26回ブログでも紹介しました。
最近、この辺りの人口が増えてきているようで、
この辺りで様々な公共の施設が整ってきています。


29-3.jpg
最初の写真から約100mほど西に向かいました。
左(南)側に「光徳公園」が見えます。
ここは少し大きな児童公園です。
次は、向こうの小さく見える信号の所まで行きます。


29-4.jpg
左(南)側の茂みは、光徳公園です。
向こうに、JR嵯峨野線の高架が見えます。
目の前の信号は、千本通との交差点です。

千本通は、平安時代は「朱雀大路」と呼ばれていました。
つまりここが、平安京のほぼ中央に当たります。


29-5.jpg
千本通を南に向きました。この先500m行くと五条通に出て、
そこにJR嵯峨野線の「丹波口」駅があります。
左(東)側には光徳公園が見え、その中に交番が見えます。

右(西)側の「大香園」は、老舗の焼肉屋です。
(個人的には,「京都三大焼肉屋」の一軒です。
あとは、東九条の「水月亭」東寺の「はやし」)
焼肉屋ですが、チュオタン(どじょう汁)が名物です。
ちなみに、ここのマッコリは度数が高いので注意しましょう。


29-6.jpg
千本通を北に向くと、急に細くなります。
ここの寿司屋は入ったことはないので、よく分かりません。
(とても安い店です)

ちなみに、千本通は三条通を越えると急に4車線になります。


29-7.jpg
千本通を少し西へ行きました。
JR嵯峨野線の高架の手前に、スーパー銭湯があります。
京都市街地はスーパー銭湯が少ないこともあって、
ここはいつもにぎわっています。


29-8.jpg
ここは、JRの高架下です。
このように児童館になっています。
この日は日曜日だったので、閉館していました。


29-9.jpg
上の黒い部分は、JRの高架です。
高架下から、松原通を西に向いています。
ここからは、民家と商店が並ぶようになります。
多くの人のイメージとは違うかもしれませんが、
これも京都の一面です。


29-10.jpg
JRの高架から20mほど進みました。
ちなみに、「壬生松原町」は大体この辺りです。
新千本通という細い道と交差しています。

実は、千本通から新千本通までの約100mが、
平安時代の「朱雀大路」の道幅でした。
つまり、もともと朱雀大路は道幅約100mもあったわけです。


29-11.jpg
新千本通を南に向いています。ここは細いですが、
500mほど先の五条通より南は4車線になり、
「京都中央卸売市場」の真ん中を貫く通りになります。


29-12.jpg
新千本松原の辻の北西角にいらっしゃったお地蔵さんです。
小さな飲食店の軒下にいらっしゃいました。


29-13.jpg
新千本通から約100m進みました。
目の前のそこそこ太い通りは、特に名前がありません。
(実は、短い通りです)
その先の運動場は、「京都市立朱雀第3小学校」です。


29-14.jpg
さらに50mほど西に進みました。
左(南)側の生け垣は、「京都市立朱雀第3小学校」です。
右(北)側は、食品関係の企業が並んでいます。


29-15.jpg
さらに50mほど進み、「京都市立朱雀第3小学校」の端まで来ました。
その先にある通りは、七本松通です。


29-16.jpg
松原通から南に向き、七本松通を見ています。
ここから七条通までは4車線なのですが……


29-17.jpg
同じ七本松通でも、松原通より北は
このくらい細い道になっています。


29-18.jpg
松原七本松の北西角近くにある八百屋です。
京都でもスーパーなどに圧されて、こういう店も減ってきました。
自分は、たまにここで買い物をします。


29-19.jpg
七本松通から50mほど進みました。
左(南)側には、病院があります。
右(北)側の商店は、
この日が日曜日ということもあって閉まっていました。


29-20.jpg
その近くの民家です。町名を書いた表札が出ています。
この表札通り、ここはまだ「壬生」になります。


29-21.jpg
さらに100mほど進むと、今度は米屋がありました。
ウチの近所もそうですが、
京都市街地には、米屋はまだまだ残っています。


29-22.jpg
そしてその先に、橋がかかっていました。
とても細い川で、「第二高瀬川」と呼ばれています。


29-23.jpg
松原通から南を向いて、第二高瀬川を見ています。
今はこんな「どぶ川」みたいですが、
平安京遷都以前は、ここに鴨川が流れていました。
市街地に大きな川が流れていると危険なので、
平安京遷都の際の治水工事で、
今の位置に鴨川の流れを移動させました。
つまり、これはかつての鴨川の名残です。


29-24.jpg
第二高瀬川の橋の上から、松原通を西を向いています。
この先の信号は、御前通との交差点です。
さらにこの先へ進みますが、それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は松原通をさらに西に進み、
この通りの西の端まで行きます~

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第30回 壬生から西院へ 後編~松原通東から西へその11

29-24.jpg
前回の最後の写真松原御前の交差点です。
今回はこの御前通から松原通の西の果てまで行きたいと思います。
撮影日は、前回同様二・二六の雪の日です。
やっと長いシリーズも一区切りです。


30-2.jpg
松原通から御前通を南に向きました。
右(西)側に見える建物は
マンションに見えますが、京都市立病院です。
左(東)側にはさまざまな飲食店が並んでいます。
実は、この辺りは美味しいお店が多くあります。


30-3.jpg
松原御前の北西角にいらっしゃったお地蔵さんです。
歯科医院の隣にいらっしゃいました。


30-4.jpg
御前通から少し西に進みました。
左(南)側には、京都市立病院の北側入り口が見えます。
気のせいか、また少し道幅が太くなりました。


30-5.jpg
ただその太くなった道幅も、
西土居通より西に行くと、また1車線の細い道になります。
向こうに小さく見える信号は、
西大路通との交差点のものです。
そしてこの辺りから中京区壬生に別れを告げ、
右京区西院に入っていきます。


30-6.jpg
いよいよ西大路との交差点まで来ました。
京都中心街の東の端が東大路通なら、
西の端は西大路通となります。

ちなみに、東大路通より東を「洛東」
西大路通よりも西を「洛西」といいます。
(中心街は「洛中」といいます)


30-7.jpg
松原通から西大路通を南に向きました。
実は、先ほどの御前通とこの西大路通に
隠れたおいしいお店が数多くあります。
ここからもう少し南に行くと工場が多く、
そこの従業員目当ての店が多いのです。
(ですから、安いお店ばかりです)
ただ、店が多すぎて競争が激しくなり
淘汰されておいしい店だけが残ったというわけです。
しかもこの辺りは絶対に観光ガイドに載らないので、
(観光地から遠く離れていますので)
どこも穴場中の穴場になっています。


30-8.jpg
今度は、北を向きました。
ちょうど「西大路松原」バス停に
205系市バスが止まろうとしています。
ここから約500m先に「西大路四条」バス停があり、
その近くに阪急電車「西院」駅もあります。


30-9.jpg
西大路通を越えました。
ここからは最後までこの道幅になります。


30-10.jpg
西大路通から20mほど西に進みました。
目の前で交差している通りは、佐井東通です。


30-11.jpg
佐井東通から10mほど進みました。
レンガ造りのお店は、洋菓子店です。
実はこの辺に個人経営の洋菓子店が何軒かあります。
ここに入ったことはありませんが、
実はかなりおいしいお店もあります。
(京都は和菓子だけでなく、洋菓子も名店が多いのです)

~2012年3月4日訂正~
次回のブログ撮影の帰りに、この店に寄りました。
中はフィナンシェやマカロンなどの焼き菓子と
プリンなどの生菓子を売っていました。
お客さんの大半は、近所の人です。
丁寧に作られたおいしいお店です。
京都は、何気ないところに名店が並んでいます。


30-12.jpg
さらに50mほど西に進みました。
佐井通との交差点に来ました。


30-13.jpg
松原通から南に向いて、佐井通を見ています。
五条通よりも向こうに、たくさんの工場があります。

佐井も西院も「さい」と読みます。
要するに、語源は同じです。
さて、ここで久しぶりに問題です。
この「さい」の語源は、この場所のかつての姿によります。
では、もともとこの辺りはどういう場所だったのでしょうか?
次から選んでください。
1.賭博場(要するにサイコロばくちの場所)
2.神祇官の役所
3.葬儀場と死体置き場(埋葬せずに放置します)
正解は、次回ブログで発表します。


30-14.jpg
松原佐井の南西角に、このようなお店がありました。
ここはファミコンショップですね。
約20年まえは京都にもたくさんあったのですが、
今では数軒しかありません。
(その多くが寺町にあります)


30-15.jpg
松原通をさらに西に進みます。
ずっと向こうに、突き当りが見えてきました。
松原通のいよいよ端が近づいてきました。
この辺りは、古い商店が軒を並べます。


30-16.jpg
さらに50mほど西に進みました。
佐井西通との辻です。
周辺には、何軒かマンションがあります。


30-17.jpg
松原通から佐井西通を南に向いています。
細い道ですが、七条通くらいまで続きます。

wikiには、「松原通の西の端は、佐井西通」と書いてあります。
ただ、実際にはここからもう少しだけ西に続きます。


30-18.jpg
佐井西通から20mほど進みました。
左(南)側に、このような建物が見えました。
この建物は、イオンモール京都HANAというショッピングモールです。
もともとここには、大きな工場がありました。


30-19.jpg
HANAの向かい(松原通の北側)には、保育園があります。
「西院保育園」と書いてあります。


30-20.jpg
HANAの北西端に来ました。
ちょうどHANAの駐車場の入口前なので、
警備員が交通整理をされていました。

ここが松原通の西の端です。
目の前の路地は私有地なので入れません。
(しかも、すぐに行き止まり)
よって、このシリーズもここまでです。

第18回の清水寺の前からずっとつなげてきました。
連続で見ていくと、京都の街並みの変化が大体わかります。
今回は、ここまでです。

~次回は、ここから万寿寺通にずれて
桂川を越えていこうと思います~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

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ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
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「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
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こちらも、
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京都周辺の写真と
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こちらも、
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「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
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いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
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「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
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こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
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一番よく行きます。

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「ゑびす神社」
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「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
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参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
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「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。
サイトやブログのリンク
シリーズごと読むなら、こちらから
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