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第588回北観音山辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行2018~前編

[北観音山] ブログ村キーワード

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前回ブログの翌日、午前9時には自転車で家を出ました。
そして鴨川東岸沿いの川端通を北上し、御池通で西に折れました。
さらに川端通から御池通を約200m進むと、
「御池河原町」交差点南東角に出ます。
その辺りの駐輪場に自転車を停めて、
そのまま「御池河原町」交差点南東角に陣取ります。
前祭は反時計回りですが、
祇園祭後祭山鉾巡行は時計回りですので、この位置がベストです。
では、先ずは場所取りから始めます。
撮影日は、2018年7月24日火曜日午前10時。
もうちょっと、ゆっくり来ても良かったようでした……


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「御池河原町」交差点南東角に、
地下鉄東西線「京都市役所前」駅へ下る階段があります。
(地下街のZest御池への階段でもあります)
また、左側に現在は更地の京都信用金庫河原町支店跡があります。
(現在は改築中です。仮店舗が麩屋町通沿いにあります)


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現在2018年7月24日火曜日午前10時05分です。
まだ自動車は、河原町通を往来しています。
場所取りに勝つために、早い目に撮影ポイントに付きました。
「御池河原町」交差点南東角から対角線上の北西角を撮っています。
こちらの建物が、京都市役所です。
手前の交差点上に、テレビカメラのための鉄塔が作られていますね。
撮影は、地元TV局のKBS京都が行っているのでしょうか?


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自分が付いた撮影ポイントから、真北を向きました。
向こうに、「御池河原町」交差点北東角にある
京都ホテルオークラが見えます。
御池通は、午前10時前から自動車は通行止めになっていました。


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京都信用金庫河原町支店跡の前で、AEDを担がれた消防士と
夏服姿の男性が、話されています。
多分、山鉾巡行のこまごました話をされているのでしょうね。


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すると京都信用金庫河原町支店跡の鉄扉が開いて、
中から桶を片手に夏服姿の男性が、10人前後出て来られました。
彼らは、皆「御池河原町」交差点に集結されました。


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一方、その頃(午前10時15分頃)の「御池河原町」交差点です。
そろそろ自動車が通行止めのようです。
ただ、まだ歩行者は交差点をうろうろされていました。


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こちらが、自分の撮影ポイントの北東側です。
交通警官の後ろに、規制線が張られています。
多分その後方も撮影用の場所になるのでしょうが、
今はこの場所を動かないようにしています。


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先程の京都信用金庫河原町支店跡から、ホースが出てきました。
こちらは、このまま「御池河原町」交差点中央まで伸びます。


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京都信用金庫河原町支店の行員さんたちが、
ホースを「御池河原町」交差点まで引っ張っていかれます。
交差点で桶を持って待たれておられる行員さんに
こうして水を運ばれます。


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この時点(10時半)で、御池通を西に向きました。
寺町通付近でしょうか、北観音山が待機していますね。


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さらに10分後、撮影ポイントから背後(東側)を撮りました。
規制線の背後に、プロとアマチュアのカメラマンが集結しています。
だんだん山鉾巡行らしくなってきました。


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そして10時50分頃、交通警官が目の前に規制線を張られました。
実はこの辺りの方々が車道にはみ出て、再三警告を受けていました。
この辺りは山鉾の曳き手さんが通られるので、
車道にはみ出ていると山鉾巡行に巻き込まれてしまいます。


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そうこうして、2018年7月24日午前11時ごろ。
祇園祭後祭山鉾巡行先頭が「御池河原町」交差点に入ってきました。


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山鉾巡行の先頭は、「祇園会」と書かれた幟(のぼり)です。
祇園会(ぎおんえ)とは、祇園祭の別称です。


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ここまで東進した「祇園会」の幟が、交差点中央で南に折れます。
そして、このまま河原町通を四条通まで南下します。


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いよいよ後祭の山鉾が、入ってきました。
後祭山鉾巡行の先頭は、くじ取らずの橋弁慶山です。
武蔵坊弁慶牛若丸による五条橋の決闘を表しています。


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橋弁慶山が、「御池河原町」交差点中央まで来ました。
ここで、担ぎ手の方々が橋弁慶山を自分の頭まで掲げ上げました。


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橋弁慶山の担ぎ手さんは、掲げ揚げたまま90°南に折れました。
そして、その位置で橋弁慶山を下ろされました。
これが、担ぎ山の「辻回し」です。
鉾や曳山より小規模の担ぎ山の辻回しは、30秒ほどで終わります。


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そして、橋弁慶山が河原町通を南下していきます。
黒い肌の武蔵坊弁慶と牛若丸の雄姿が、よく分かりますね。
この橋弁慶山も、四条通まで南に進みます。


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橋弁慶山の後を山鉾町の町衆の方々が、続いて歩かれていかれます。
祇園祭山鉾巡行では、前祭でもよくある光景ですね。


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橋弁慶山の続いて、北観音山の登場です。
こちらもくじ取らずなので、最初から順番が決まっています。


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こちらが、北観音山です。
松が中央に立つ「山」ですが、
高くて大きいので鉾のように曳き手がいらっしゃいます。
山の底から竹を出し、町衆の方々が抱えておられますね。


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北観音山の曳き手の皆さんが、
その竹を交差点の路上に並べていかれます。
そして、京都信用金庫河原町支店の行員さんが用意された桶の水を
山の滑りをよくするためにその竹の上に撒かれます。


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一方、北観音山の曳き手の皆さんが
「御池河原町」交差点を通り過ぎても東に進まれて
自分の目の前を通り過ぎていかれます。
ですから、交差点前にいらしたプロのカメラマンが
慌ててその場から撤収されています。


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北観音山の曳き手の皆さんが、
自分の背後の規制線の手前まで来られました。
こうすることで、北観音山が交差点の中央までやって来ました。
ちょうど並べられた竹の前で、北観音山が停止しました。


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北観音山町衆の皆さんが、車輪の南側に竹を並べていかれます。
それが1本並べ終わる度に、車輪の滑りをよくするために
先程の桶の水をさらに大量に撒かれます。
桶の水がなくなるたびに、京都信用金庫河原町支店の行員さんが
新たに水を満たした桶を町衆の許へ運ばれていきます。


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辻回しのために竹を並べられるのは、1回に約10分掛かります。
その間、北観音山の囃手さんは勇壮な曲を演奏されます。
祇園囃は山鉾ごとに異なりますが、
このような辻回しの際にも別の曲を演奏されます。


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竹を並べ終わると、曳き手の皆さんが河原町通に移動されます。
さて、いよいよ辻回しが始まります。
扇を持たれた山の先頭に立たれた4人の町衆が掛け声を発します。


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同じ位置から、少し引いた写真です。
曳き手の皆さんが、90°南に折れた位置で引っ張ることで
強引な方向転換を図ります。
このことを祇園祭では「辻回し」と言います。


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扇を持たれた町衆が、扇を左側に傾けておられます。
ここで、辻回し独特の掛け声「エイヤラヤ~」と
その町衆が大声で叫ばれます。


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その町衆が掛け声とともに、扇を前に差し出しました。
それを合図に曳き手の皆さんが、北観音山を90°南から曳きました。
すると、北観音山がズルズルと南へ曲がりだしました。


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北観音山の車輪が、竹の上を滑っていきます。
北観音山は、そのまま南へ60°曲がったところで停止しました。
実は一気に90°曲がると転倒の危険があるので、
通常この辺りで停止します。


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北観音山が停止すると、町衆の皆さんが竹の位置を直されます。
もちろんまた大量の水が必要となるので、
京都信用金庫河原町支店の行員さんが忙しく桶を運ばれていました。
よく見ると、後方に次に巡行される黒主山が並んでいます。


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竹を再び並び終えると、扇片手の町衆が
「エイヤラヤ~」とまた大声で叫ばれました。
するとまた北観音山が回りだし、南を向いた時点で停止しました。


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これで、北観音山の辻回しが終了しました。
ここで使われた竹は、北観音山の底部に収められます。


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北観音山底部に竹が収められると、
祇園囃の曲調が落ち着いたものに変わります。
その直後に扇を持たれた町衆が「エイヤラヤ~」と声を掛けると、
北観音山が河原町通を南下し始めました。


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北観音山が、「御池河原町」交差点から去っていきます。
次は1番くじを引いた黒主山が入ってくるのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、後祭天鉾巡行の残りを紹介します~

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第589回鯉山も回ります~祇園祭後祭山鉾巡行2018~中編

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2018年祇園祭後祭山鉾巡行も、北観音山の辻回しが終わりました。
今までは「くじ取らず」の山ばかりでしたが、
ここからはくじを取った(毎年順番が変わる)山が並びます。
撮影日は、2018年7月24日火曜日午前11時半。
2018年は、7月いっぱい体温(37℃)以上の気温でした。


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前回ブログの北観音山に続いて、後祭山3番黒主山が
「御池河原町」交差点に入ってきました。
くじを引いた中では、こちらが1番です。
謡曲「志賀」に取材した桜を見上げる大友黒主がご神体です。


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黒主山が、「御池河原町」交差点に入ってきました。
中央まで来ると、担ぎ手の皆さんが黒主山を持ち上げました。


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そして、このまま黒主山を担ぎ手の皆さんが南に向かせます。
大きな曳山と異なり、小さな担ぎ山は派手な辻回しはありません。
と思っていたのですが……


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黒主山の担ぎ差の皆さんは、そのまま回りだしました。
この位置からでも、真後ろの見送りがよく見えます。


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そして、黒主山が1周回ります。
担ぎ山のいくつかは、このようにアドリブで回転します。


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黒主山はさらに回転して、真正面を向きました。
桜の造花と大友黒主像が、よく見えますね。


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さらに、黒主山が回り続けていきます。見送りがよく見えますね。
黒主山は、このまま合計3周回りました。


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そして、黒主山が3周回り南に向くと、
担ぎ手さんたちは黒主山を地面に下ろしました。
ここから黒主山は南進し、「御池河原町」交差点から去ります。


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続いて、鯉山が登場します。
登龍門(鯉が滝上りして、龍となる故事)が元になった山です。


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鯉山が、「御池河原町」交差点中央に入ってきました。
こちらも、担ぎ手さんたちが鯉山を持ち上げます。


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鯉山を担ぎ手さんたちが持ち上げて、南へと向きを変えました。
ここで鯉山を下ろすと思いきや、またも……


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黒主山に続いて、鯉山も回転し始めました!
イーリアス」を描いたベルギー製のタペストリーを
箟(のみ)で切り裂いて製作した見送り(山鉾後部の垂れ幕)は、
胴掛と共に重要文化財に指定されています。


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鯉山は、さらに回転し続けます。
この角度だと、ご神体の左甚五郎作鯉像がよく見えます。
こちらも、重要文化財に指定されています。
鯉山はこの二つの重要文化財見たさに、
宵山などにはたくさんの人だかりができています。


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鯉山は、まだまだ回り続けています。
ちょうど正面が、こちらを向いています。
鯉山の胴掛もその上に掛かる水引も、
「イーリアス」のタペストリーの残りの部分から作られています。
こちらも、先ほどの見送りとセットで重要文化財です。


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鯉山も、3周回りました。
その後鯉山が南に向いた際に、担ぎ手さんたちが下ろしました。
そして、鯉山はそのまま河原町通を南下していきました。


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鯉山の直後を荷茶屋(にないちゃや)が通り過ぎます。
要するに、鯉山の担ぎ手さんたちの道具などを運んでいます。
こちらのものは下に車が付いているので、持ち上げません。


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続いて、鈴鹿山の登場です。
ご神体は、戦女神の鈴鹿権現を祀っています。
滋賀県と三重県の県境にある鈴鹿山脈の所以でもあります。


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鈴鹿山が、「御池河原町」交差点の中央に入ってきました。
やはり担ぎの皆さんが、鈴鹿山を持ち上げます。


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鈴鹿山の担ぎ手さんたちは南に向くと、
回転することなくそのまま鈴鹿山を地面に下ろされました。
そして、そのまま河原町通を南下していきました。


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鈴鹿山の後を鈴鹿山の荷茶屋が続きます。
こちらも、大きくて車が付いています。


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そして、鈴鹿山の後ろから一際大きな曳山が現れました。
こちらは、山6番くじ取らずの南観音山ですね。


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南観音山が、「御池河原町」交差点に近づいてきました。
すると、先に町衆が竹を持って交差点に入って来られました。
辻回しの下準備が始まるようです。


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一方、南観音山は「御池河原町」交差点に入ってきました。
曳き手の皆さんが交差点を越えて、自分の前も越えていきます。


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そうして、南観音山が「御池河原町」交差点中央に来ました。
その位置で、南観音山が一旦停止します。


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その南観音山の車輪横に、竹が敷き詰められていきます。
また、南観音山の曳き手の皆さんは河原町通に移動されました。


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南観音山の辻回しの準備の間、その上部を撮りました。
囃手さんが、祇園囃を奏でていますね。
飛天を描いた紅い水引が、お昼前の日光に映えます。


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南観音山車輪脇の竹が敷き詰められたようです。
音頭取り(山の先頭に乗って、方向指示を行う方々)が
扇子を横に振り上げ、いよいよ辻回しが始まります。


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音頭取りの「エイヤラヤ~」という掛け声とともに、
南観音山が車輪脇の竹の上を滑っていきます。
約60°ほど南に曲がった地点で、1回目の辻回しが終わりました。


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南観音山車輪脇の竹が、また敷き詰め直されていきます。
京都信用金庫河原町支店の行員さんが汲み上げた桶の水が、
滑りをよくするために竹の上に何度も撒かれていきます。


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南観音山車輪脇の竹が敷き詰め直されて、
「御池河原町」交差点2回目の辻回しが始まります。
音頭取りが掛け声を掛ける前に、扇子を振り上げられます。


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南観音山の音頭取りが、扇子を構えられました。
そして、「エイヤラヤ~」と掛け声が響きます。


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掛け声と同時に、音頭取りが扇子を前に付きだされました。
それに合わせて、曳き手の皆さんが河原町通側から
南観音山を一斉に引っ張られました。


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南観音山は竹の上を滑り、河原町通に向いた時点で停止しました。
南観音山の辻回しは、2回で90°曲がり切りました。
御池通の西側を見ると、次の役行者山が順番待ちをしています。


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南観音山の裾幕に、竹が仕舞われていきます。
これを片付けたら、南観音山の辻回しは完全に終了です。


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辻回しが終わると、南観音山囃手が演奏される曲調が変わります。
音頭取りが山の前で、前後に揺れながら扇子を振り上げられます。


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「エイヤラヤ~」という掛け声とともに、
南観音山の音頭取りが扇子を前に付きだされました。
すると、南観音山がゆっくりと南下し始めました。


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南観音山が、「御池河原町」交差点を去っていきます。
もう次の役行者山が見えていますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ここから先は、次回とします。
……って、2回で山鉾巡行が書けませんでした!

~次回は、残りの山鉾全て載せます~

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第590回 人の波渡る大船鉾~祇園祭後祭山鉾巡行~後編

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祇園祭後祭山鉾巡行も、佳境に入ってきました。
山6番くじ取らずの南観音山が「御池河原町」交差点を去り、
代わりに次の役行者山の姿が見えます。
今回は、残りの後祭山鉾巡行全てを載せます。
撮影日は、2018年7月24日火曜日正午。
今回で、やっと2018年祇園祭の記事の全てが終了します。


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こちらが、山7番役行者山です。
ご神体は、葛城神・役小角・一言主です。
日本の密教や山岳信仰・修験道など神仏習合と関わりのある山です。


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役行者山の幟と山の間で聖護院の修験者が参列されています。
役行者山と聖護院の修験者の御縁は深く、
山鉾巡行の前日の宵山(7月23日)午後2時から、
毎年京都市中京区役行者山町で、
聖護院の修験者が祈祷されます。
その際、聖護院の修験者は般若心経の読経と共に
「南無 祇園牛頭天王」  「南無 神変大菩薩」
と唱えられます。(第139回ブログ参照)
牛頭天王は祇園祭の主神で、素戔嗚尊とよく同一視されます。
一方、神変大菩薩は役小角の仏としての名前です。
このような文言が残っていることからも、
祇園祭と聖護院の修験者の関わりの深さが窺い知れます。


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そして、役行者山が「御池河原町」交差点に入ってきました。
役行者山が交差点中央に入ってくると、
担ぎ手の皆さんは役行者山を持ち上げられました。


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役行者山が、南に向きました……
と思ったら、こちらに来られたいくつかの山同様に
交差点の中央でまたまた回転しだしました。


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役行者山が回転して、真後ろを向きました。
こちらから見ると、見送りがはっきり見えますね。


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さらに、役行者山が北を向きました。
役行者山は、まだまだ回転し続けます。


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役行者山が、こちらを正面に向きました。
この角度だと、役小角像初めご神体がよく見えます。


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そして、役行者山が南を向きました。
すると、担ぎ手の皆さんが役行者山を地面に下ろされました。


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「御池河原町」交差点から、役行者山が南下します。
その後から、荷茶屋(にないちゃや)が通り過ぎました。
要するに、荷物が入った容れ物ですね。
その後から、浄妙山が続きます。


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こちらは、浄妙山の上の方です。
浄妙山は、宇治川の戦いで一番名乗りをしようとした浄妙が
一来法師に頭を越されて、一番名乗りを逃した様子を表しています。
(かつて日本の戦では、最初に名乗りを上げた者は褒美が貰えました)
浄妙の頭の上に、一来法師が乗っかる変わったご神体です。


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浄妙山が、「御池河原町」交差点の中央に入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが浄妙山を担ぎ上げました。


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そして浄妙山が南を向くと、
担ぎ手の皆さんは浄妙山をそのまま地面に下ろされました。
どうやら、この山は回転されないみたいです。
……と言いますか、この山が回転したら
一来法師像の腕が折れてしまいそうな気がします。


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浄妙山の後は、山9番八幡山の登場です。
京都市中京区三条町に祀られる八幡神社の祠が、ご神体です。


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八幡山が、交差点の中央に入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが八幡山を持ち上げました。


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八幡山も南を向くと、そのまま地面に下ろされました。
大きな山鉾が辻回しする直前の小さな山は、
このように回転されない場合が多いですね。


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そして八幡山の後は、山10番くじ取らずの大船鉾です。
前祭の山鉾巡行の最後尾は船鉾なのですが、
この後祭の最後尾は大船鉾です。
どちらもアマノトリフネを表していますが、
大船鉾は日本への帰還を表しています。


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大船鉾の曳き手の皆さんが「御池河原町」交差点を通り過ぎ、
こちらの方に来られました。
大船鉾の船首は毎年交互に取り付けられるのですが、
今年は龍神のようです。
(昨年は、紙垂が取り付けられていました)


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「御池河原町」交差点に、大船鉾が入ってきました。
交差点の中央近くに入ってきて、大船鉾が停止しました。
京都市下京区四条町を表す「四」の紋が見えますね。


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大船鉾曳き手の皆さんが、御池通から河原町通に向かいました。
大船鉾の車輪脇に竹を敷き詰められ、辻回しの準備が終わりました。


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いよいよ大船鉾の辻回しが始まります。
音頭取りの方々が、扇を振り上げられます。


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音頭取りの方々が、「エイヤラヤ~」と声を掛けられます。
そして、扇を前に突き出されました。


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その掛け声を合図に、曳き手の皆さんが南側から大船鉾を曳きます。
すると大船鉾は竹の上を滑り、30°ほど南に曲がりました。


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大船鉾は、ここからまた辻回しの準備に入ります。
車輪脇に新たに竹が敷き詰められていきます。
そして、滑りをよくするために竹に水が撒かれています。


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再び音頭取りの方々が、「エイヤラヤ~」と叫ばれます。
すると、また曳き手の皆さんが南側から大船鉾を曳かれます。


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そして、大船鉾がさらに30°ほど南にズレました。
大船鉾はここで停止しました。あともう1回辻回しが必要ですね。


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更に大船鉾は、辻回しの準備に入ります。
車輪脇の竹が敷き詰め直されて、その上に水が撒かれます。


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そして3度「エイヤラヤ~」の掛け声が響きます。
すると、曳き手の皆さんが南側から大船鉾を曳かれました。


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そうして大船鉾が竹の上を滑っていき、真南で停止しました。
こうして、大船鉾が約90°曲がりました。


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大船鉾の辻回しが終わりました。
辻回しで使われた竹が裾幕内に仕舞われた後、前進するため
音頭取りの方々が、「エイヤラヤ~」と掛け声を発せられました。


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大船鉾が河原町通を南下し、「御池河原町」交差点を去ります。
これで2018年の祇園祭後祭山鉾巡行が
全て「御池河原町」交差点を通り過ぎました。
その後から御池通を一般車両がやって来ました。


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急いで「御池河原町」交差点が、撤収作業に入ります。
京都信用金庫河原町支店の行員さんが、
水の入った桶や長いホースを片付けていかれます。


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撮影ポイントから、御池通を東に向きました。
規制線が外されて、撮影されていた方々がもういません。
一般車両が、御池通を通行できるようになってきました。


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すると、「御池河原町」交差点の信号が復活しました。
先ずは歩行者が交差点を行き来します。


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一方、自分は「御池河原町」交差点の駐輪場に向かいます。
そして、寺町通経由で帰宅しました。

これで、2018年祇園祭後祭山鉾巡行の連載を終えます。

~次回から、夏休み中の京都市内散策を載せます。
2018年は京都駅前から島原に向かいました~

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第873回橋弁慶山巡行~2022年祇園祭後祭山鉾巡行~その1

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前回ブログで、祇園祭後祭宵山の連載が終了しました。
ただ祇園祭後祭の本番は、7月24日の巡行にあります。
午前中の山鉾巡行と夕方の神輿巡行ですね。
先ずは、ここから祇園祭後祭山鉾巡行を連載します。


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京都駅から国際会館行きの京都市営地下鉄に乗って、2駅。
「四条」駅から約100m北上して、阪急電車「烏丸」駅に移動します。
さらに「烏丸」駅から、阪急電車を1駅だけ乗りました。
こちらは、阪急電車京都線の終点「河原町」駅です。
今回はここから「四条河原町」交差点に進み、
祇園祭後祭山鉾巡行を見物します。
撮影日は2022年7月24日日曜日午前9時50分。
日差しの強い猛暑日でした。


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1駅だけですが、今まで乗っていた特急電車を降ります。
「河原町」駅ホームは、休日の午前中としては結構な人出でした。


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阪急電車「河原町」駅ホームを南下すると、
すぐにこちらのエスカレーターに辿り着きました。
では、ここから阪急電車「河原町」駅コンコース階に上がります。


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先程のエスカレーターに乗り、
阪急電車「河原町」駅コンコース階に上がってきました。
では、目の前の改札口から阪急電車「河原町」駅を出ます。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口を出て、
地下道を南に向いています。
目の前に5番出口があります。
こちらを進むと、京都高島屋地階の脇を通って
京都市街地随一の繁華街「四条河原町」交差点に出ます。
そのあたりが今回ブログの目的地なのですが、
ちょっと寄りたいところがあるので、ここを進みません。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口を出て、地下道を西に向いています。
この地下道は、1963年に阪急電車京都線が
地下鉄化した際に造られました。
高瀬川~室町通間の約1㎞伸びる長い地下道です。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口から地下道を約50m西に進み、
北を向いています。
では、こちらの6番出口から地上に出ます。


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その6番出口の階段を上がっています。
こちらを上がると、目の前に四条通が東西に伸びています。


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6番出口を上がり、四条通に出て南に向いています。
京都高島屋の最西端部分は、現在工事中ですね。
目の前のモスバーガーは、第861回ブログに出てきました。


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6番出口から、四条通を西に向いています。
祇園祭山鉾巡行は御池通で始まっていますが、
この辺りに来るまで1時間以上かかるようです。
ですから、まだ車両は通行可能でした。
2022年7月24日日曜日は、1日中快晴でした。


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6番出口から、四条通を西に約50m進みました。
「四条寺町」交差点の手前に、八坂神社御旅所があります。
2022年祇園祭前祭山鉾巡行を眺めていたのが、この辺りです。
(祇園祭前祭山鉾巡行の様子は、第857回ブログ参照)


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では「四条寺町」交差点の北東角から、横断歩道を南に渡ります。
この先が、八坂神社御旅所です。


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ここから、八坂神社御旅所を西から順に参拝します。
(八坂神社御旅所は、「四条寺町」交差点から
四条通沿いに東へ社や祠が並びます)
御旅所最西端は、冠者殿社です。
ご祭神は、素戔嗚尊の荒魂です。
創建はかなり古くてはっきりしませんが、
京都市街地をあちこち移転し続けて、
約150年前にこの地に鎮座されました。
その左(東)側は、八坂神社御旅所西御殿です。
こちらも八坂神社ですから、ご祭神は素戔嗚尊です。


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八坂神社御旅所西御殿の左(東)側は、
普段は土産物屋さんが建ち並ぶスペースです。
ただ八坂神社神幸祭と八坂神社還幸祭との間は、
このように八坂神社のお御輿が安置されています。
(要するに、7月17日~7月24日ですね)
お御輿は左から、八柱御子神を載せる西御座、
素戔嗚尊を載せる中御座、奇稲田姫を載せる東御座です。


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お御輿の東隣は、八坂神社御旅所西御殿です。
こちらのご祭神も、素戔嗚尊です。八坂神社の主神ですね。
こちらも参拝して、先に進みます。


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八坂神社御旅所から、四条通を東に向いています。
では、ここから四条通を東に進みます。


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八坂神社御旅所から、四条通を約100m東に進みました。
右(南)側にGUCCI(グッチ)のお店が見えますが、
その辺りから百貨店の京都高島屋です。


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その京都高島屋のショウウィンドウに、
洛中洛外図屏風が飾られています。
しかも、画題が一番多く描かれた祇園祭山鉾巡行の様子ですね。
「四条河原町」交差点付近には山鉾が立ちませんが、
この辺りも祇園祭山鉾町に相当します。
ですから老舗百貨店の高島屋も、このように屏風を展示します。
(もともと高島屋は、祇園祭山鉾町の呉服問屋でした)


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洛中洛外図屏風の祇園祭山鉾巡行の最後尾に、
白鷺の扮装をした方々が描かれています。
祇園祭で山鉾巡行が行われるようになったのは室町時代以降で、
平安時代の祇園祭ではこのような扮装をした方々が巡行されました。


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その京都高島屋は、「四条河原町」交差点北西角に建っています。
この辺りが、京都市街地でいちばん賑やかな場所です。
では京都高島屋に沿って、四条通から河原町通に進みます。


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四条通から、河原町通を南に向いています。
自分がうろうろ歩いているうちに、
河原町通は車両通行止めになってました。
ですから、ここから車道上に侵入できます。
……ということで、この辺りで山鉾巡行を撮影します。


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先程の写真から、約30分経ちました。
この時点で、2022年7月24日日曜日午前10時半です。
実は約30分間、京都高島屋店内で涼んでいました。
この日(2022年7月24日日曜日)は、朝から猛暑でした。
……ということで、ここから河原町通の車道に移ります。


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河原町通の車道から、「四条河原町」交差点を北に向いています。
ではこの位置で、祇園祭後祭山鉾巡行を待ちます。


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さらに10分後の2022年7月24日日曜日午前10時40分。
パトロールカーが河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に近づいてきました。
こちらは、祇園祭後祭山鉾巡行を先導しています。
つまり、ここから祇園祭後祭山鉾巡行が始まります。


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先導のパトロールカーが、「四条河原町」交差点に入ってきました。
葵祭など京都市街地を巡行するお祭り行列の先頭は、
警察車両が先導します。


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河原町通を南下していたパトロールカーが、
右折して四条通を西へ進んでいきます。
その直後から、幟を持つ方が河原町通を南下しておられます。


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パトロールカーが「四条河原町」交差点を去った後、
「四条河原町」交差点に侵入された方がいらっしゃいました。
その方が、「四条河原町」交差点上に水が入った桶を置かれました。


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そうこうしているうちに、幟を持った方が
「四条河原町」交差点に来られました。
ちなみに、祇園祭は厳密には「祇園会」と言います。
その後ろに、榊を持たれた方も近づいて来られました。


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幟を持たれた方と榊を持たれた方が、
他の方々共々「四条河原町」交差点を東に向かれています。
そちらの方(四条通最東端)に八坂神社がいらして、
こちらの方々は八坂神社に拝礼されています。


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その後幟を持たれた方は、この左(西)で待機されています。
そして榊を持たれた方が、桶の水に榊を浸されます。
さらに、水に漬かった榊を翳されました。


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榊を持たれた方が、「四条河原町」交差点を西に向かれました。
そして、また榊を桶の水に浸されます。


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そのまま榊を翳されて、西へ榊に付いた水を飛ばされます。
こうして山鉾巡行を先導して、通りを清められて行かれます。
……のですが、写真がブレておかしな角度で撮れてしまいました。


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榊を持たれた方が四条通を西へ去られた後、
清められた「四条河原町」交差点に祇園祭の山鉾が入ってきます。
先ずは、くじ取らず順番固定の「担ぎ山1番」橋弁慶山ですね。


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橋弁慶山が、「四条河原町」交差点の中央に入ってきました。
橋弁慶山は、謡曲の橋弁慶を題材にしています。
少年時代の源義経武蔵坊弁慶が、五条大橋で決闘したお話ですね。
この後負けた武蔵坊弁慶は、源義経の忠実な家臣となりました。
ですから、こちらは忠義を描いた山でもあります。


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「四条河原町」交差点の中央まで来ると、
橋弁慶山の担ぎ手の皆さんが力を溜め始められました。


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そして、そのまま橋弁慶山を担ぎ上げられました。
この時点まで、橋弁慶山は下に付いた小さな車輪で動いていました。


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橋弁慶山の担ぎ手の皆さんは
橋弁慶山を南向きから西向きに方向転換をされると、
そのまま橋弁慶山を下ろされました。
この角度だと、少年時代の源義経と武蔵坊弁慶がよく見えます。


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すると、橋弁慶山の担ぎ手の皆さんが
橋弁慶山を西へと押していかれました。
担ぎ山の下部には写真が付いていて、そのまま押すことができます。


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橋弁慶山が四条通を西へ去った後、
くじ取らず順番固定の「曳山1番」北観音山の登場です。
曳山は担ぎ山より大きく、担ぐことができないので大人数で曳きます。
ここから北観音山の「辻回し」が始まりますが、
だいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、この北観音山の辻回しを掲載します~

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第874回 北観音山辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その2

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前回ブログで四条通を西に去った橋弁慶山の町衆が、
「四条河原町」交差点を東に向かれて、
約900m先の八坂神社へ拝礼されています。
その直後から、くじ取らず順番固定の「曳山1番」北観音山が
河原町通を南下しています。
今回は、北観音山の辻回しを中心に掲載します。
撮影日は、2022年7月24日日曜日午前10時45分。
前祭同様、後祭も2022年の山鉾巡行は快晴の猛暑です。


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前回ブログに登場した橋弁慶山は数人で担げる大きさでしたが、
「鉾」と同じ大きさの北観音山は30人ほど囃子手さんが同乗します。
つまり北観音山が近づくにつれ、祇園囃子の音色が近づいてきます。
ですから「鉾」同様30人ほどの曳手さんによって曳かれますが、
あくまで「山」ですから天頂部は鉾ではなく松の木が立ちます。
このような形式を「曳山」と言います。


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「北観音山」と書かれた幟を掲げられる方が、
「四条河原町」交差点を左(西)に進まれます。
一方「四条河原町」交差点中央に数人の方々が集まり、
乾竹(竹を縦に割いて、細長い棒状にしたもの)が並べられています。
ここから、北観音山「辻回し」の準備が始まります。


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北観音山が「四条河原町」交差点の中央に達する前に、
乾竹がきれいに並べられていきます。
このから竹の上に北観音山の前輪を載せて、
曳き手さんたちの力で強引に北観音山を方向転換します。
この行為を「辻回し」と言います。
ちなみにこの日(2022年7月24日)のように乾燥していれば、
乾竹の上に水をかけて前輪を滑りやすくします。


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北観音山が、「四条河原町」交差点の中央にやって来ました。
すると北観音山の曳手さんたちが、自分たちの目の前に来られました。


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北観音山の曳手さんたちは自分たちの間の前から、
四条通の西の方に移動されました。
今から「辻回し」によって、南向きの北観音山を西向きに変えます。


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曳き手さんたちの準備が整うと、
北観音山中央下にいらっしゃる音頭取りの方々が
手に持たれた扇子を振りかざされます。


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「えいやらや~」という音頭取りの方々による掛け声で、
四条通にいらっしゃる曳手さんたちが一斉に山を曳かれます。
すると、北観音山が約40°西へと曲がりました。


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これで、北観音山の1度目の辻回しが終わりました。
北観音山は大きいので、大きな角度を回ると転倒します。
そのため、3度~4度これを繰り返します。
この段階では乾竹を追加されて、
北観音山がさらにこの先も曲がれるようにされています。
桶の中の水を乾竹にかけて、滑りやすくされています。


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その作業の様子を大写ししました。
手慣れた様子で、乾竹を並べておられますね。
両端の音頭取りの方々が、
前輪を固定されておられる様子も見て取れます。


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乾竹を並べ直されて、再び音頭取りの方々が扇子を振りかぶられます。
そして、音頭取りの方々が「えいやらや~」と声を掛けられます。


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すると、北観音山がさらに30°曲がりました。
これで、合計70°曲がりました。
次の辻回しで、90°曲がるでしょうね。


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また、乾竹を並び直される様子を大写ししました。
北観音山の囃子手さんたちは、この間も演奏を続けておられます。
「辻回し」の際には、リズムの早い激しい曲を演奏されていました。


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乾竹を並べる作業が、まだ続いています。
この時点で辻回しが始まって、10分以上経ちました。
いろいろ意見があるでしょうが、
これは結構早いペースで作業をされていると思います。


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乾竹を並べ終えて、最後の辻回しです。
音頭取りの方々が、「えいやらや~」と掛け声をかけられました。


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すると、北観音山がさらに20°回転しました。
これで、北観音山が90°曲がりました。
これで、北観音山の辻回しが無事終わりました。
この間、北観音山の辻回しは約15分かかっていました。


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とは言え、まだまだ後片付けが残っています。
北観音山で使われた乾竹は、北観音山の底に収納されます。
ちなみに北観音山には、楊柳観音が安置されています。
そのため、北観音山後部には柳の枝が付きます。


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乾竹を収納し終えると、北観音山の辻回しが完全に終わりました。
すると音頭取りの方々が扇子を前に振りかざし、
「えいやらや~」と掛け声を揚げられます。


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すると、北観音山が四条通を西に進まれます。
これで北観音山は、八坂神社御旅所方面に去って行かれました。


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北観音山が「四条河原町」交差点を去った後は、
2022年「担ぎ山2番」浄妙山が登場しました。
平安時代末期の宇治川の戦いを描いた山ですね。


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浄妙山の幟を持たれた方が、四条通を西に向いていかれます。
一方、浄妙山の町衆は「四条河原町」交差点を東に向いておられます。


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浄妙山の町衆が、「四条河原町」交差点で東へ一礼されました。
これは、約900m先の八坂神社に拝礼されています。


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浄妙山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
すると浄妙山の担ぎ手さんたちが、力を溜められます。


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そして担ぎ手さんたちは、浄妙山を持ち上げられました。
担ぎ山は大きな車輪も付いていないので、こうして方向転換します。


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浄妙山が、四条通を西に向いています。
曳山よりも小さな担ぎ山も小さな車輪がついているので、
ここからは担ぎ手さんたちが浄妙山を押していかれます。
浄妙山は宇治川の戦いで源義経側に立って戦った僧兵の
浄妙を表した山です。
浄妙が一番名乗り(戦で、最初に名乗ること。褒章が出ます)を
狙って味方の先頭に出た瞬間、
後方にいた僧兵の一来法師に頭上を飛び越されて、
一番名乗りを逃した物語を題材にしています。
「一生懸命頑張ったけれど、残念な結果で終わった」
そういうことを経験した人を讃えるちょっと変わった山です。


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浄妙山が、四条通を西に進みます。
浄妙山は、飛び越える一来法師を頭に載せた変わった山です。
ちなみに、史実の一来法師はこの直後に切り殺されました。


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浄妙山が四条通をに西に去った後、こちらの荷車が通り過ぎました。
この中には、熱中症対策の水などが入っておるのでしょうね。


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浄妙山の後は、鯉山、鈴鹿山と続きます。
ただこの辺りが切りがよいので、今回はここまでです。

~次回は、南観音山の辻回し中心に掲載します~

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第875回 鯉山 南観音山~祇園祭後祭山鉾巡行~その3

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前回ブログで辻回しをされた北観音山に続き、
2022年祇園祭後祭の「担ぎ山3番」鯉山が
「四条河原町」交差点に登場です。
今回は鯉山に続いて、鈴鹿山と南観音山の巡行を掲載します。
撮影日は、2022年7月24日午前11時15分。
炎天下の中、山鉾巡行が続きます。


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「鯉山」の幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点に入って来られました。
その方は、そのまま四条通を西へと進まれます。
そして、その後ろから、鯉山が
「四条河原町」交差点に入ってきました。


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その鯉山を正面から見ています。
左甚五郎が製作した重要文化財のご神体の鯉像が、よく見えます。

「登龍門」という言葉があります。
自力で滝を遡れた鯉は、龍に変化する言われています。
ちょっと古いですが、コイキングがギャラドスになるわけです。
それが立身出世の象徴で、鯉山はその立身出世のご利益があります。


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鯉山が、「四条河原町」交差点中央に入ってきました。
すると担ぎ手の皆さんが、力を溜められます。


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担ぎ手の皆さんが、鯉山を持ち上げられました。
そして、四条通を西に方向転換されました。


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ところが、鯉山はまだまだ回ります。
180°回転して、鯉山の見送りが見えますね。
こちらの見送りは、17世紀のベルギー製タペストリーです。
元々はホメロスの叙事詩イーリアスの一部を描いたものですが、
大きなタペストリーを切り刻んで使用されています。
こちらも、重要文化財です。


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鯉山が270°回転しました。すると右側の胴掛も見えます。
こちらにも、「イーリアス」のタペストリーの一部がありますね。
もちろん、この胴掛も重要文化財です。
このタペストリーは、鯉山以外にも鶏鉾にも使われています。
(鶏鉾巡行の様子は、第859回ブログ参照)


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鯉山がさらに180°回転しました。これで計450°回転しました。
すると担ぎ手の皆さんが、鯉山を下ろされました。


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そして鯉山の担ぎ手さんたちが、四条通を西に進まれます。
鯉山のような「担ぎ山」には小さな車輪がついていて、
直進する際は担ぎ手さんたちは鯉山を押しています。


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鯉山が「四条河原町」交差点を去った後、
鯉山の荷車が後に続いていました。
写真をよく見ると、後続の鈴鹿山が迫っていますね。


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鯉山に続いて、2022年「担ぎ山4番」鈴鹿山の登場です。
戦いの女神鈴鹿権現を祀る山です。


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「鈴鹿山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
その背後から、鈴鹿山も「四条河原町」交差点に入ってきました。


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そして鈴鹿山の担ぎ手さんたちも、鈴鹿山を持ち上げられました。
……のですが、ちょっと変な角度で撮れてしまいました。


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鈴鹿山が、四条通を西に向いています。
この状態で、担ぎ手さんたちが鈴鹿山を下ろされました。
この角度だと、ご神体の鈴鹿権現のお姿がよく見えますね。


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鈴鹿山が「四条河原町」交差点を去った後、
鈴鹿山の荷車が通過しました。
この後は、暫くどの山も「四条河原町」交差点に来ませんでした。


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鈴鹿山が「四条河原町」交差点を去ってから、約5分経ちました。
蛸薬師通の辺りから、くじ取らず順番固定の「曳山2番」
南観音山が河原町通を南下しています。
鯉山や鈴鹿山と比べて巨大な南観音山には大きな車輪が付いていて、
約30人で山を曳いています。
「担ぎ山」に対して、このような形式を「曳山」と言います。
曳山は前祭の「鉾」同様、「辻回し」を行います。


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南観音山が、「四条河原町」交差点に近づいてきました。
すると南観音山の町衆の方々が、
「四条河原町」交差点に乾竹片手に入って来られました。
ここから、南観音山の辻回しの準備が始まります。


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「南観音山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
山の上に載られた囃子手さんたちによる祇園囃子が
「四条河原町」交差点に響いています。
一方で、辻回しに使う乾竹がきれいに並べられていきます。


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南観音山の曳手の皆さんが、「四条河原町」交差点に入ってきました。
南観音山は、「四条河原町」交差点に並べられた乾竹へと進みます。


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南観音山の曳手の皆さんは「四条河原町」交差点から、
河原町通を南下されて自分の目の前まで来られました。
南観音山が「四条河原町」交差点中央に入ったことで、
曳き手の皆さんは四条通に移動されます。


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その直後の南観音山を大写ししました。
車輪が滑りやすいように、乾竹を並べられています。
さらに乾竹が滑りやすくなるように、
桶の中の水が乾竹に掛けられてます。
南観音山も北観音山同様、楊柳観音が祀られています。
そのため、南観音山も見送りの代わりに柳の木が付けられます。


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まだ乾竹は並べられてる途中ですが、
そろそろ南観音山の曳手さんたちが四条通に整列されました。
間もなく、南観音山の辻回しが行われます。


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乾竹が並べられたようで、南観音山の音頭取りの皆さんが
扇子を振りかざし掛け声をかけられます。
「えいやらや~」
すると、曳手さんたちが南観音山を西から引っ張られます。


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そして、南観音山が西に約40°滑りました。
これで、1度目の辻回しは成功です。
大きな鉾や曳山は、一気に曲げると転倒します。
そのため、この辻回しは通常3回行われて90°曲がります。


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南観音山を再び大写ししました。
町衆の方々が、乾竹を並び直されています。
そして音頭取りの皆さんが、前輪を固定されて
動かないようにされています。


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どうやら乾竹を並び直されて、辻回しの準備が整ったようです。
南観音山の音頭取りの皆さんが、再び掛け声をかけられます。


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「えいやらや~」の掛け声とともに、南観音山が約30°動きます。
これで、南観音山は計70°回転しました。


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そして、南観音山を大写しします。
乾竹を結構ハイペースで、並び直されています。
辻回しは下手をすると30分以上かかるのですが、
今回は15分くらいで終えそうですね。


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ほどなくして、乾竹が並び直されました。
今度は、南観音山による最後の辻回しでしょうね。


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準備が整い、南観音山の音頭取りの皆さんが扇子を振り翳されます。
「えいやらや~」と音頭取りの皆さんに声を掛けられ、
南観音山が西に引っ張られます。


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南観音山が、さらに約20°西に滑っていきます。
これで南観音山は、計90°西に曲がりました。
あとは、南観音山は四条通を西に進むだけですね。


875-31.jpg
……とはいえ、南観音山はすぐには動きません。
今まで辺りに並べていた乾竹を底部に収納しないといけません。
この乾竹は、「四条新町」交差点での辻回しでも再使用されます。


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乾竹を収納し終えると、南観音山の音頭取りの皆さんが
扇子を前方(西側)に扇子を翳して、掛け声を発せられます。
「えいやらや~」


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音頭取りの皆さんによる掛け声で、南観音山は西に進みます。
辻回しの間は祇園囃子はハイテンポの激しい曲が流れるのですが、
この時点で再び穏やかな曲を演奏され始められました。


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南観音山が、四条通を西に去っていかれます。
すると、後続の担ぎ山が「四条河原町」交差点に入ってきます。


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2022年の「担ぎ山5番」は、役行者山です。
聖護院門跡の修験者を伴う大集団での登場ですね。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、役行者山、黒主山、八幡山と続きます~

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第876回 役行者山 黒主山~祇園祭後祭山鉾巡行~その4

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前回ブログで「曳山2番」南観音山が通り過ぎ、
2022年「担ぎ山5番」役行者山が登場しました。
今回はこの役行者山の後、黒主山、八幡山が続きます。
いずれも、「担ぎ山」ですね。
撮影日は、2022年7月24日日曜日午前11時45分。
お昼近くになって、さらに気温が上がります。


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役行者山の行列の中から、法螺貝の音色が響きました。
役行者山の行列の中に、聖護院門跡の修験者が参加されています。
こちらの修験者さんたちは、前日の7月23日宵山に
役行者山の会所前で護摩焚きを行われます。
(その様子は、第138回ブログを参照してください)


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聖護院門跡の修験者さんたちを伴い、
役行者山の大集団が、河原町通を南下しています。
「役行者山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点で四条通を西に進まれました。


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続いて聖護院門跡の修験者さんたちも、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
一方同行されていた町衆の皆さんは、四条通を東に向かわれました。


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「四条河原町」交差点から約900m東が、八坂神社です。
役行者山の町衆さんたちは、そちらに向けて拝礼されました。



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役行者山が、だんだん「四条河原町」交差点に近づいています。
役行者山のご祭神は、修験道の開祖役小角(役行者)です。
こちらのご神体は、役小角像、葛城神像、一言主像です。
こちらは、役行者が一言主を調伏する様子を描いています。


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役行者山が、「四条河原町」交差点の中央に来ました。
役行者山の担ぎ手さんたちが、力を溜めておられます。


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そこから、担ぎ手さんたちが役行者山を持ち上げられました。
ここから、四条通を西に進むため方向転換をされます。


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役行者山を担ぎ手さんたちが持ち上げて、四条通を西に向けました。
ところが、これには続きがありました。


876-10.jpg
四条通を西に向いても、役行者山は方向転換を続けます。
役行者山は、とうとう180°回転しました。
見送りの龍図が、よく見えますね。


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さらに役行者山が、90°回転しました。
これで、270°回ったことになります。


876-12.jpg
役行者山が、南に向いています。
つまりこれで、360°回転しました。
もちろん役行者山は、まだまだ回り続けます。


876-13.jpg
さらにさらに、役行者山が90°回転しました。
これで、合計450°回り続けました。
ようやく担ぎ手さんたちが、役行者山を地面に下ろされます。


876-14.jpg
役行者山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
その後を役行者山の荷車が続きます。


876-15.jpg
役行者山が「四条河原町」交差点で回転されていた間、
こちらの担ぎ山はずっと待機されていました。
そして2022年の「担ぎ山6番」黒主山が、ようやく登場です。


876-16.jpg
黒主山町衆の皆さんが、「四条河原町」交差点を東に向かれています。
先述の通り、こちらには祇園祭のご祭神八坂神社がいらっしゃいます。
町衆の皆さんは、そちらに拝礼されています。


876-17.jpg
黒主山の町衆の皆さんが、四条通を西に進まれます。
すると黒主山が河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に入ってきました。
町衆の皆さんが黒い笠を持っておられますが、
「黒」主山を「黒」が象徴しています。
一方で黒主山で一番目立つのは桜の造花です。
この二色のコントラストが、鮮やかですね。


876-18.jpg
「黒主山」と書かれた幟を持たれた方が、四条通を西に進まれます。
一方で、黒主山が「四条河原町」交差点に入ってきました。


876-19.jpg
黒主山が「四条河原町」交差点中央に入ってくると、
担ぎ手さんたちは黒主山を持ち上げられました。
そして、交差点内で方向転換されます。


876-20.jpg
持ち上げられた黒主山が、右回りで回転しています。
桜の造花で分かりにくいですが、
山の中央にご神体の大友黒主像がいらっしゃいます。
黒主山は、歌人の大友黒主が桜の木を見上げる様子を描いています。
謡曲「志賀」の一節ですね。


876-21.jpg
黒主山は90°回転しても、まだ回り続けます。
見送りの牡丹鳳凰文様が、見事ですね。


876-22.jpg
黒主山は、合計270°回転し続けました。
この角度なら、ご神体の大友黒主像がよく見えますね。


876-23.jpg
前回ブログで紹介した鯉山も、先程の役行者山も、
合計450°回転して担ぎ手さんたちは地面に下ろされました。
ところが黒主山はまだまだ回り続けて、2周目に入られます。


876-24.jpg
さらに回転し続けて、黒主山はさらに360°回転しました。
これで黒主山は、2回転したわけですが……


876-25.jpg
さらにさらに、黒主山は回転し続けます。
とうとう黒主山は、3周目に突入です。


876-26.jpg
この日(2022年7月24日日曜日)いちばん回り続ける黒主山に、
沿道の方々は拍手喝采を挙げます。
見ていて面白いのですが、次の八幡山はその間じっと待機しています。


876-27.jpg
黒主山が、2周と270°回転しました。
河原町通をよく見ると、「曳山3番」鷹山が南下してきています。


876-28.jpg
黒主山が、遂に3回転しました。
ちょっと回転されるペースが落ちて来られたので、
そろそろこのパフォーマンスも終了です。


876-29.jpg
案の定黒主山は3周回転すると、
担ぎ手さんたちはさすがに黒主山を地面に下ろされました。
だいぶ担ぎ手さんたちもお疲れのようですが、
そちらに向かって沿道からまた拍手が起こりました。


876-30.jpg
地面に下ろされた黒主山が、四条通を西に進まれます。
「担ぎ山」にも下部に小さな車輪が付いていて、
交差点以外では担ぎ手さんたちは「担ぎ山」を押しています。


876-31.jpg
黒主山の後を荷車が続きます。
ほとんど見切れていますが、フレームの端に
河原町通を南下する鷹山が写っています。


876-32.jpg
その鷹山に先行して、2022年の「担ぎ山7番」
八幡山が河原町通を南下しています。
2022年は、この八幡山が「担ぎ山」の最後尾です。


876-32.jpg
八幡山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
八幡山は、中京区新町通三条下る三条町にいらっしゃる
小さな八幡社がご神体です。
祇園祭前祭でも霰天神山と油天神山があって、
町の小さな神社がそのまま担ぎ山になっています。
(霰天神山は第848回ブログを参照してください。
油天神山は第850回ブログを参照してください)


876-33.jpg
「八幡山」と書かれた幟を持った方が、四条通を西に進まれます。
その後を八幡山が続いていきます。


876-34.jpg
八幡山が、「四条河原町」交差点中央に入ってきました。
すると担ぎ手さんたちが、その位置で力を溜められました。


876-35.jpg
担ぎ手さんたちが、八幡山を持ち上げられます。
この位置だと、小さな八幡社がよく見えますね。


876-36.jpg
八幡山が四条通を西に向いた時点で、
担ぎ手さんたちが八幡山を下ろされました。
辻回しをする「曳山」や「鉾」の直前に巡行する「担ぎ山」は、
回転しないのがマナーのようです。
(保存会に確かめた訳ではありませんが、
そのような法則で山鉾巡行が毎年行われています)


876-37.jpg
八幡山が、地面に下ろされました。
今度は担ぎ手さんたちは八幡山を押して、四条通を西に進まれます。


876-38.jpg
八幡山の後を八幡山の町衆が、付いていかれます。
八幡山の町衆の皆さんは、笠を振って沿道の人々に応えられています。


876-39.jpg
さらにその後を八幡山の荷車が続きます。
ちなみに、「つがいの鳩」は八幡社の神使です。


876-40.jpg
八幡山に続いて、くじ取らず順番固定の「曳山3番」鷹山の登場です。
こちらも、「曳山」の最後尾ですね。
なお、鷹山は2022年度に復活した山鉾です。
つまり、こちらが「四条河原町」交差点で辻回しするのは史上初です。
(1963年まで、祇園祭山鉾巡行は河原町通を通りませんでした)
ただだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、史上初である鷹山の辻回しを掲載します~

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第877回 鷹山初めての辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その5

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876-40.jpg
前回ブログで、2022年祇園祭後祭に巡行した担ぎ山は
すべてこの「四条河原町」交差点を通過しました。
残るは「曳山」最後尾の鷹山と巡行最後尾の大船鉾です。
今回ブログでは、このうち鷹山の辻回しを掲載します。
今年(2022年)に復活した曳山ですね。
撮影日は、2022年7月24日日曜日正午。
実は、鷹山が河原町通を通過するのは史上初です。


877-1.jpg
「鷹山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点に入って来られました。
その後に、鷹山の町衆の方々が続きます。


877-2.jpg
「鷹山」と書かれた幟を持たれた方が、四条通を西に進まれます。
その後ろで、鷹山の町衆の方々が沿道に手を振られていますね。


877-3.jpg
そして、満を持して鷹山が河原町通を南下しています。
この時点で気付いたのですが、
他の山鉾と比べて曳き手の方々が多いですね。
通常は30人ほどで曳かれるのですが、
その倍くらいいらっしゃいます。


877-4.jpg
河原町通を南下して、鷹山が「四条河原町」交差点に入ってきます。
……のですが、ほかの曳山と比べてかなり大きいですね。
実は鷹山の高さは通常の曳山と同じくらいなのですが、
横幅が他の曳山より極端に広いです。
この鷹山は、祇園祭の曳山では前祭後祭通じて最大です。
(山鉾の最大は、前祭の月鉾です)


877-5.jpg
鷹山が、「四条河原町」交差点中央まで入ってきました。
こうして見ると、やはり曳手の方々が多いですね。
ただ、この時点でまだ交差点内に乾竹を並べられていません。
北観音山など、通常は曳山が交差点に入る前に乾竹を並べられます。
まぁ細かい手順は山鉾単位で違いますので、
これが鷹山町衆の流儀なのかもしれませんが、
もしかすると単なる「うっかり」かもしれません。
何しろ、鷹山の山鉾巡行は約200年ぶりのことです。
鷹山自体はほぼ最古の曳山なのですが、
1826年の大雨で装飾品が汚損してしまいました。
それ以降、昨年(2021年)まで宵山だけの参加となりました。
それが骨組みの木材と装飾品を新調して、
今年(2022年)約200年ぶりに鷹山が巡行に復活しました。


877-6.jpg
その時点で、鷹山の前輪近くを大写ししました。
前輪を車止めで、固定されていますね。
その前輪を滑らす乾竹が、まだ設置されていません。
ここから、慌てて鷹山の辻回しの準備が始まります。


877-7.jpg
鷹山の町衆の皆さんが辻回しの準備をされている間、
鷹山の真木の一部を大写ししました。
松の木の枝に、木造の鷹が留まっています。
鷹山は、在原行平鷹狩をする様子を描いています。

~2022年10月6日木曜日訂正~
今回ブログのコメント欄にある通り、
どうやらこちらの木造は鷹ではなく、雉のようです。
お詫びして、訂正します。


877-8.jpg
さて、だいぶ乾竹が敷き詰められてきました。
鷹山の町衆は乾竹を敷き詰める作業が、
他の曳山や鉾より早い気がします。

鷹山の上に数十人の囃子手さんたちが同乗されています。
こちらの方々が祇園囃子を演奏されているのですが、
ここまでゆっくりした曲調だったのが、
この辺りから早いテンポの激しい曲調に変わりました。


877-9.jpg
交差点に乾竹が敷き詰められる間、
曳手の皆さんはちょっと手持無沙汰です。

よく考えたら、鷹山が河原町通を南下したのは史上初です。
1962年まで祇園祭山鉾巡行は河原町通ではなく、
寺町通を通っていました。
ですから、今回(2022年)「四条河原町」交差点で
鷹山が辻回しを行うのは、史上初です。


877-10.jpg
どうやら、乾竹を敷き詰め終わったようです。
鷹山の曳手の皆さんが、河原町通から四条通に移動されました。


877-11.jpg
四条通に移動された鷹山の曳手の皆さんが、
「四条河原町」交差点の西側に回られました。
この位置から曳くことで、鷹山を南向きから
西向きに方向転換されます。
このことを「辻回し」と言います。


877-12.jpg
鷹山の手前に乗る音頭取りの方々が、掛け声を挙げられます。
「えいやらや~」
すると声に合わせて、曳点の皆さんが左(西)側から鷹山を曳きます。


877-13.jpg
そして、鷹山が西に40°曲がりました。
これで、1回目の鷹山の辻回しが終了しました。
辻回しを急激に行うと、曳山は転倒してしまいます。
そこで通常辻回しは、3回にわたって行います。


877-14.jpg
1回目の辻回しが終わった直後に、鷹山正面を大写ししました。
再び辻回しを行うために、乾竹が敷き詰め直されています。
さらにその乾竹を滑りやすくするために、
その乾竹に水を撒いておられます。
今度は音頭取りの方々が、鷹山の前輪を固定されていますね。


877-15.jpg
鷹山前輪の周囲で、乾竹が敷き詰め直されました。
間もなく、2回目の辻回しが始まります。


877-16.jpg
そして鷹山の音頭取りの方々が、扇子を振り翳し声を掛けられます。
「えいやらや~」
すると曳手の皆さんが右(西)側から鷹山を曳かれ、
さらに鷹山が西に傾きます。


877-17.jpg
すると、鷹山がさらに20°西に曲がりました。
これで鷹山は、合計70°西に曲がりました。
「四条河原町」交差点での鷹山の辻回しは、あと1回です。


877-18.jpg
鷹山の町衆の皆さんは乾竹を並べるのが早くて、
今度は自分が大写しする前に乾竹を並べ終えられたようです。
この時点で、もう音頭取りの方々が扇子を振り被っておられます。


877-19.jpg
「えいやらや~」
音頭取りの掛け声で、曳手の皆さんが
一斉に鷹山を交差点の右(西)側から曳かれます。
すると、鷹山は20°西に傾きました。
これで鷹山は合計90°西に曲がり、完全に西に向きました。
これで、鷹山の「四条河原町」交差点での辻回しは終わりです。
初め手間取られましたが、乾竹を並べる作業が早いため
結局ほかの曳山と同じ約15分で辻回しを終えられました。


877-20.jpg
とは言え、このまま鷹山がすぐに
「四条河原町」交差点を去ることはできません。
今まで敷き詰めていた乾竹を放置できませんし、
「四条新町」交差点でまた辻回しをしなければなりません。
ですから、今まで使っていた乾竹を鷹山下部にある
収納スペースに収めます。


877-21.jpg
それから数分後、乾竹を鷹山下部に収納し終えました。
ここで、町衆の皆さんが「四条新町」交差点から
四条通を西に移動されていきます。


877-22.jpg
鷹山の後片付けも、終わりました。
この辺りから、祇園囃子がテンポの速い曲調から
通常のゆっくりとした曲調に変わりました。
あとは、四条通を西に進むだけですね。


877-23.jpg
「えいやらや~」
鷹山の音頭取りの方々が、その掛け声とともに
扇子を前方に差し出されました。
すると、鷹山は四条通を西に進みました。


877-24.jpg
鷹山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に去っていきます。
一方、河原町通の北側から祇園祭後祭山鉾巡行の最後尾
大船鉾が姿を現します。


877-25.jpg
2022年祇園祭後祭山鉾巡行の最後を飾るのは、大船鉾です。
こちらも、くじ取らすの順番固定です。
ただこの辺りで切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、大船鉾辻回しを掲載します。
次回で、2022年祇園祭山鉾巡行の掲載が終わります~

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第878回 最後は大船鉾~祇園祭後祭山鉾巡行2022~その6

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877-25.jpg
第873回ブログから続いた「2022年祇園祭後祭山鉾巡行編」も、
いよいよ今回ブログの大船鉾で終了です。
「勝利の凱旋」を表す大船鉾が、
くじとらずの順番固定で最後尾で巡行します。
今回は、大船鉾の辻回しを取材した後帰宅します。
撮影日は、2022年7月24日日曜日正午。
午後からは、さらに暑くなりました。


878-1.jpg
くじ取らずで順番固定の最後尾「大船鉾」が、
河原町通を南下してきました。
大船鉾は前祭の船鉾同様に、天鳥船を模った鉾です。
また、それは神功皇后が朝鮮半島に攻め込んだときの船と
同一視されています。
もともと祇園祭は「疫病退散」の願いから始まったので、
「疫病との戦いに勝利した」ことを象徴する鉾でもあります。


878-2.jpg
「大船鉾」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
その後から大船鉾の町衆も、「四条河原町」交差点を通過されます。


878-3.jpg
大船鉾が、「四条河原町」交差点に近づいてきました。
すると大船鉾の町衆の方々が、交差点に乾竹を敷き詰められます。
ここから、大船鉾の辻回しの準備が始まります。


878-4.jpg
「鶴翼の陣」と言いますかU字型に敷き詰められた乾竹に向かって、
大船鉾が河原町通を南下してきます。
大船鉾の舳は金箔が貼られた龍神ですが、
こちらは瀧尾神社の龍神を掘られた方の子孫が製作されました。
また、大船鉾の舳は1年おきに紙垂型と交代します。


878-5.jpg
大船鉾が、「四条河原町」交差点の中央に入ってきました。
大船鉾の上では囃子手さんたちが祇園囃子を演奏されていますが、
この辺りでゆっくりした曲調から
早いテンポの激しい曲調に変わりました。
また大船鉾の曳手んさんたちの法被に「四」と書かれていますが、
大船鉾は下京区新町通四条下る四条町の方々が町衆です。
この法被には、その四条町の紋章が入っています。


878-6.jpg
大船鉾が、「四条河原町」交差点の中央にはいてきました。
その位置で、大船鉾が固定されています。
そこで大船鉾の曳手さんたちが、河原町通から四条通へと移ります。


878-7.jpg
大船鉾の曳手の皆さんが、四条通の西側に集結されています。
これから、大船鉾を曳手さんたちが南側から西側に方向転換させます。


878-8.jpg
乾竹を敷き詰め終えて、大船鉾の辻回しの準備ができたようです。
すると、大船鉾の音頭取りさんたちが
扇子を大きく振りかぶられました。


878-9.jpg
「えいやらや~」の掛け声とともに、
大船鉾が西に40°曲がります。
一気に西に曲がると大船鉾が転倒しますので、
数回に分けて少しずつ西に傾けます。


878-10.jpg
1回目の辻回し直後の大船鉾を大写ししています。
敷き詰められた乾竹の位置を修正されて、
さらに西に曲げられるようにされています。
こうすると大船鉾の音頭取りの方々が3人に見えますが、
中央の方の背後にもう1人いらっしゃいます。


878-11.jpg
大船鉾前輪の周囲で、乾竹を並べ直されています。
この間曳手さんたちは、ちょっと手持無沙汰です。
「大」船鉾ではありますが、実は船鉾より一回り小さな鉾です。


878-12.jpg
大船鉾の辻回しの準備がまた終わりました。
大船鉾の音頭取りの方々が、再び扇子を振りかざされました。



878-13.jpg
「えいやらや~」の掛け声とともに、大船鉾が30°西に曲がります。
これで、大船鉾は70°傾きました。
辻回しは、あと1回あるようです。


878-14.jpg
そして、また乾竹を並び直されます。
最後の辻回しの準備が、もうすぐ完成します。


878-15.jpg
辻回しの準備が整うと、音頭取りの方々が扇子を翳されます。
「えいやらや~」の掛け声とともに、
大船鉾が西側から曳かれます。


878-16.jpg
そして、大船鉾が20°西に回転しました。
大船鉾は、合わせて90°曲がりました。
これで、大船鉾の辻回しが終了しました。


878-17.jpg
とは言え、大船鉾はすぐに出立しません。
大船鉾の下部に、乾竹を収納されています。
これが終わるまでは、大船鉾は動けません。


878-18.jpg
大船鉾の乾竹を収納する時間が続いています。
この辺りで祇園囃子のテンポが遅くなり、
通常の曲調に変わりました。


878-19.jpg
乾竹を収納し終えると、大船鉾の音頭取りの方々が
扇子を手前に翳されました。
すると、大船鉾が四条通をゆっくり西へと進みます。


878-20.jpg
大船鉾が、四条通を西へと進みます。
大船鉾が最後尾ですから、
大船鉾の後ろには山鉾が存在しません。


878-21.jpg
大船鉾が、四条通を西へと去っていきます。
写真では、最後尾の神功皇后がいらっしゃる祠が見えます。
大船鉾の背後にはもう山鉾が存在しませんが、
代わりにパトロールカーが続いています。


878-22.jpg
大船鉾の背後のパトロールカーが、
「四条河原町」交差点に入ってきます。
京都市街地のお祭り行列には、
先頭と最後尾に警察車両が続きます。
(葵祭の場合は、騎乗警察ですが)
パトロールカーの背後には、黄色い大型車両が続きます。
その車両は、信号機を元の状態に戻しています。
(祇園祭山鉾巡行中は、信号機は歩道の上に収納されます)


878-24.jpg
そろそろ交通規制が解除されるので、
自分たちは河原町通の車道上にいられなくなります。
そこで、「四条河原町」交差点南西角に移動します。


878-25.jpg
取りえず、「四条河原町」交差点南西角に移動しました。
車道にいらした方々が一斉に移動したので、
歩道が相当混み合っています。
車道を見ると、黄色いクレーン車量が通過した後は
普通に自動車が通っていました。
この時点で、2022年7月24日日曜日午後0時15分でした。


878-26.jpg
こちらは、「四条河原町」交差点南西角に建つ京都高島屋です。
こちらから地下に移動して、阪急電車と地下鉄を乗り継いで
いったん自宅に帰りました。
……という設定で、本当はこのまま高島屋で涼んでから
(この日の最高気温は、35℃を超えました)
「四条寺町」交差点の八坂神社御旅所の
祇園祭神輿巡行の取材し入りました。

~今回で、2022年祇園祭後祭山鉾巡行が終了です~

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第983回「四条河原町」交差点~祇園祭後祭山鉾巡行~その1

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祇園祭前祭から、1週間経ちました。
今度は、祇園祭後祭が始まります。

7月21日~7月23日の間が宵山で、
7月24日が山鉾巡行と還幸祭です。
2023年は自分が遅刻して取材できなかった還幸祭は書けませんが、
山鉾巡行は丁寧に書いていきたいと思っています。

983-1.jpg
京都駅からJR奈良線に乗って、1駅。
「東福寺」駅から京阪電鉄出町柳行きに乗り換え、3駅。
こちらは、京阪電鉄「祇園四条」駅です。
……という設定ですが、本当はウチの最寄りの
京阪電鉄「七条」駅から出町柳行きに乗って、2駅でした。
1週間前とは違い、寝坊ではなく単なる手抜きです。
今回は、こちらから祇園祭後祭山鉾巡行の撮影ポイントである
「四条河原町」交差点を目指します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時。
撮影ポイントが山鉾巡行の終わりの方なので、
かなりゆっくりの行動です。


983-2.jpg
自分が乗っていた京阪電車の特急車両が、
「三条」駅に向けて出発しました。
ちなみに、京都市内では「七条」駅以北に
京阪電鉄の特急停車駅が多いです。


983-3.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅ホームには、何カ所か上り階段があります。
次はそのうちの一つから、上の階に上がります。


983-4.jpg
先ほどの上り階段で、京阪電鉄「祇園四条」駅ホームから
コンコース階に移動しました。
こちらからは、取り敢えずこの階を北上します。


983-5.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅コンコース階最北端に、
この駅の改札口があります。
京阪電鉄「祇園四条」駅は結構大きい駅ですが、
改札口はここしかありません。
では、このまま改札口から
京阪電鉄「祇園四条」駅を出ます。


983-7.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅を出て、
そのままの位置で北を向いています。
この場所の真上が、「四条川端」交差点です。
また切符売り場や観光案内所の周囲に、
様々なお店がテナントで入っています。
ですから、この辺りはちょっとした地下街です。


983-6.jpg
同じ位置で、東に向いています。
こちらを進めば、東山区祇園地区の中心街に出ます。
第977回ブログでは、こちらを進みました。


983-8.jpg
今度は同じ位置で、北西を向きました。
この先に、「四条河原町」交差点北西角に出る階段があります。
第969回ブログでは、こちらを進みました。


983-9.jpg
さらに同じ位置で、西に向いています。
この先に、上り階段があります。
今回ブログでは、こちらを進みます。


983-10.jpg
先ほどの階段を上っていくと、南北に分岐します。
今回ブログでは、北行きの2番出口を目指します。
あと数mで、地上です。


983-11.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅番出口を出て、
四条通から川端通を南に向いています。
川端通と言いますか鴨川東岸に桜並木が続き、
春には「祇園の桜並木」として多くの人々が訪れます。
(川端通の桜並木は、第780回ブログを参照してください)


983-12.jpg
今度は京阪電鉄「祇園四条」駅2番出口を出た位置から、
川端通から四条通を東に向きました。
川端通の向かい(東)側に、芝居小屋の南座が見えます。
その角に「にしんそば」という看板が見えますが、
その位置が松葉というお蕎麦屋さんです。


983-13.jpg
さらに京阪電鉄「祇園四条」駅2番出口を出た位置で、
川端通から四条通を西に向いています。
鴨川に架かる四条大橋を渡ると、
東山区祇園地区から下京区先斗町地区に移動します。


983-14.jpg
鴨川に架かる四条大橋を西に渡って、南を向きました。
左(東)側が東山区祇園地区で、右(西)側が下京区先斗町地区です。
約150m先に、団栗橋が伸びていますね。
団栗橋以南の左(東)側が、東山区宮川町地区です。


983-15.jpg
四条大橋を渡り、鴨川西岸に移動しました。
下京区先斗町地区には、川岸に飲食店が川床を出しています。
こちらは中華料理店の東華菜館です。
建築家で近江兄弟社の設立者ヴォーリーズの設計による建物です。
鴨川の川床の中でも、代表的なお店です。


983-16.jpg
四条大橋を渡り、四条通を西に向いています。
東華菜館の先で、四条通は先斗町通と交差します。


983-17.jpg
四条通から、先斗町通を北に向いています。
鴨川以西の四条通は、中京区と下京区の境目です。
つまり花街の一つ先斗町は、区跨りで存在します。


983-18.jpg
先斗町通から、四条通を西に向いています。
約50m先で、四条通は木屋町通と交差します。


983-19.jpg
四条通から、木屋町通を南に向いています。
高瀬川沿いの伸びる木屋町通も、桜の名所として有名です。
こちらの様子は、第645回ブログを参照してください。


983-20.jpg
木屋町通から、四条通を西に向いています。
この辺りから、四条通は車両通行止めでした。


983-21.jpg
木屋町通から、四条通を約50m西に進みました。
ここで四条通は、河原町通と交差します。
京都随一の繁華街「四条河原町」交差点ですね。
「四条河原町」交差点は、結構な人出で混み合っていました。
これくらいの人人出は普段通りなのですが、
平日の午前中としてはかなりの人混みです。
こちらの皆さんは、ほぼ全員自分と同じ目的です。


983-22.jpg
「四条河原町」交差点北西角を大写ししました。
繁華街のアーケード上に、
交通警察官が信号を収納されています。
これは巡行中の山鉾が信号機に当たらないようにする措置で、
この辺の信号機は、すべて
このように簡単に収納できるようになっています。


983-23.jpg
四条通から、河原町通を南に向いています。
昨年(2022年)は河原町通の車道上で撮影可能でしたが、
今年(2023年)は車道上には進めません。


983-24.jpg
となると現在いる「四条河原町」交差点南東角は、
山鉾巡行のベストポジションではありません。
2023年現在「四条河原町」交差点南東角には、
家電量販店の「エディオン」が入っているのですが、
そこから地下道に続く階段があります。


983-25.jpg
こちらが、その階段です。
ここから地下道経由で、「四条河原町」交差点南西角に移動します。


983-26.jpg
地下道経由で、「四条河原町」交差点北西角に移動しました。
この辺りには、百貨店の京都高島屋が建っています。


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こちらは、「四条河原町」交差点南西角です。
京都高島屋の店頭でもあります。
こちらの方が、人手が多いですね。


983-28.jpg
「四条河原町」交差点北西角には撮影スペースがあって、
そこに入って撮影をすることになります。
今回はだいぶ遅くに来たため、だいぶ後ろの方で撮影します。
うっかりすると、カメラを撮影することになります。


983-29.jpg
それでも撮影者の腕と腕の間から撮ると、
結構上手く撮れます。
そうこうしているうちに、「祇園祭」と書かれた幟が行進します。
ただこちらは、祇園祭後祭山鉾巡行のものではありません。
そもそも行進される方向が違います。
その説明が必要ですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

その説明は、次回ブログでします。

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第984回 祇園祭花笠巡行~祇園祭後祭山鉾巡行~その2

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山鉾や大きなお神輿が出てこない祇園祭があります
1963年~2013年の間、祇園祭後祭は
神輿渡御以外廃止されていました。
そのため毎年7月24日の午前中に、
1963年以降新たな巡行行列が始まりました。
それが、祇園祭花笠巡行です。
とは言え、2014年以降祇園祭後祭が復活しました。
そのため祇園祭後祭山鉾巡行とコースが重ならないようにしつつ、
花笠巡行は山鉾巡行と同時に行われています。


983-29.jpg
前回ブログで、京阪電鉄「祇園四条」駅から、
「四条河原町」交差点南西角に移動しました。
2023年は、こちらから祇園祭後祭山鉾巡行を撮ります。
ただその山鉾巡行の直前に、別の巡行行列がやって来ました。
後祭山鉾巡行は目の前の河原町通を南下してくるので、
明らかに違う方向からの巡行です。
今回は、四条通を西から東に進む祇園祭花笠巡行を取材します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時15分。
自分は、祇園祭笠巡行を生まれて初めて見ます。


984-1.jpg
「祇園祭」と書かれた幟の直後に、
小中学生に担がれた小さなお神輿が登場しました。
この子供神輿は、東御座の脇を巡行する子供神輿と
同じものかどうかはよくわかりません。


984-2.jpg
子供神輿が、河原町通から四条通を東に向かいます。
祇園祭花傘巡行はこのまま四条通を進み、
最終的には八坂神社に向かっています。


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ここで暫く、祇園祭花傘巡行が途切れます。
「四条河原町」交差点北西角を見ると、
たくさんの桶が並び、その桶を管理される方々がいらっしゃいます。
こちらの桶は、次回ブログ以降の山鉾巡行で辻回しに使用します。


984-4.jpg
その直後に、花笠を被った女性隊列が
「四条河原町」交差点に現れました。
「花笠巡行」の名称の元になった隊列です。


984-5.jpg
花笠を被った女性隊列が、「四条河原町」交差点を東に向かいます。
ただこちの女性がどのような集まりなのか、
自分はよくわかっていません。


984-6.jpg
花笠を被った女性隊列が、河原町通から四条通を東に進みます。
こちらの隊列も、八坂神社に向かいます。


984-7.jpg
花笠を被った女性隊列が通過した後、こちらの隊列が続きます。
様々な方々が混じり合った状態なのですが、
こちらがどういう隊列なのかは分かりません。


984-8.jpg
その隊列の中に、こちらが混じっておりました。
装飾された荷車の上に駕籠が置かれ、
その駕籠の中に様々な花々が飾っていました。


984-9.jpg
花車の周囲にも様々な方々が行進されており、
その中でも様々なものが運ばれていました。
こちらの隊列は、かなり長かったですね。


984-10.jpg
その隊列の中に、獅子舞が混じっておられます。
その後も、赤い衣装の方々が続きます。


984-11.jpg
続いて、小学生児童が騎乗する馬が続きます。
こちらが、おそらく馬長稚児(うまおさちご)でしょうね。
こちらも、河原町通から四条通を東に進みます。


984-12.jpg
馬長稚児に続いて、さらに騎乗された方々が行進します。
こちらは、もう少し年長者が騎乗されていますね。


984-13.jpg
続いて、この幟が河原町通から四条通を東に進みます。
幟の文字を読もうとすると風で幟が翻り、
はっきり読めませんでした。


984-14.jpg
その後をこの男性陣が続くのですが、
先ほどの幟が読めなかったため、どんな方々かよくわかりません。
ぱっと見は、祇園祭の雑務をこなされる清々講社の方々ですね。


984-15.jpg
その男性隊列は、割と長く続きました。
青い笠を被られておられるんですが、
やはりどんな方が行進されておられるのか、
よくわかっていません。


984-16.jpg
さらに後続に、こちらの幟が東に進みます。
その後から、山車のようなものも続きます。


984-17.jpg
幟には、「久世六歳念仏」と書かれています。
おそらく南区久世地区の蔵王堂光福寺で催される
六歳念仏のことだと思います。
ということは、後続の山車や花傘は蔵王堂興福寺のものでしょうか?


984-18.jpg
さらに赤い幟とともに、別の隊列が続きます。
祇園祭花笠巡行は様々な遍歴を持つ巡行行列で、
様々な団体が協力しています。
その分自分が把握していない団体も多く、
目の前を巡行されていても、
何の隊列かよくわからないことが多いです。


984-19.jpg
その後も、様々な隊列が続きます。
和服姿の女性が、かなり長い隊列を組まれております。
たぶん八坂神社関係者が内々で結成された団体の隊列と思います。


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続いては、祇園祭の「山」と同じ形式の山車が登場です。
担ぎ手さんが曳き、前掛け、胴掛、水引、見送りで装飾ですが、
上に乗っておられるのが生きた人間ということだけが違います。
こちらに若い女性が乗られていましたが、
花街の舞妓さんや芸妓さんなら所属地区が山車に書かれるはずです。
(祇園甲部とか、祇園北部とか)


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さらに、こちらの花傘と若い女性を乗せた屋台が続きます。
若い女性は、装束から花街の舞妓さんと分かりますね。


984-22.jpg
舞妓さんが乗られた屋台には、提灯が下がっています。
そちらに、「祇園東」と書かれています。
「祇園東」とは、今から約50年前に祇園甲部から独立した地域です。
ですから、こちらは祇園東地区に所属される舞妓さんです。


984-23.jpg
さらに、花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
こちらの提灯には、「先斗町」(ぽんとちょう)と書かれています。
「先斗町」は鴨川西岸一帯を示す地区で、
「東山区祇園地区」と同様に、芸妓さんと舞妓さんを擁します。
前回ブログで、通過した地域ですね)


984-24.jpg
先斗町の舞妓さんを乗せた屋台が、
花傘とともに河原町通から四条通を東に進みます。
舞妓さんを乗せた屋台は、いずれも日本舞踊が踊れそうな
小唄がスピーカー越しに流れていました。


984-25.jpg
さらに花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
他の屋台と比べて、舞妓さんの人数が多いようです。


984-26.jpg
こちらの提灯には、「祇園甲部」と書かれていました。
「祇園甲部」は、四条通以南の花見小路沿いの地区です。
(第982回ブログで取材した地域です)
ですから、こちらは「祇園甲部」に所属される舞妓さんの屋台です。


984-27.jpg
続いてまた花笠と、舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
東山区祇園地区の舞妓さんだけでなく、
その祇園周辺の花街の舞妓さんも屋台に乗られるので、
このような屋台がいくつも続きます。
(花街祇園は広大ですので、幾つかの地区に分かれますし)


984-28.jpg
こちらの提灯には、「宮川町」と書かれていますね。
東山区宮川町地区は、東山区祇園地区の最南端団栗通から
五条通間に伸びる宮川町筋という道沿いに広がる花街です。
(周辺の様子は、第717回ブログ参照)


984-29.jpg
続いては、こちらの幟が現れました。
幟には、「祇園万灯会」と書かれています。


984-30.jpg
幟に続いて、花傘が行進します。
こちらの提灯にも、「祇園万灯会」と書かれています。


984-31.jpg
幟の後には、笠を被った男性が続きます。
こちらは、おそらく「祇園万灯会」の関係者でしょうね。


984-33.jpg
そして、この花傘が続きます。
こちらは山車には乗らず、人間が運んでいます。


984-34.jpg
そして、こちらの方々が花笠巡行のほぼ最後尾です。
束帯姿の方々は、雅楽の演奏家です。
まぁ雅楽を演奏しながらの行進ですから、わかりやすいです。
こちらは、第979回ブログでも巡行行列に加わっておられました。


984-35.jpg
その後は、こちらの自動車が続きます。
おそらくこちらには、巡行行列の関係者が乗っておられます。


984-36.jpg
そして最後尾は、このトラックです。
こちらで、祇園祭花笠巡行は終了です。
実は祇園祭後祭山鉾巡行の先頭は、
既にこの「四条河原町」交差点の間近に迫っています。
……と言いますか、山鉾巡行の先頭が
祇園祭花笠巡行が終わるのを待っていらしたようです。

ですから次の写真から山鉾巡行行列が見えてくるのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、橋弁慶山から山鉾巡行が続きます~

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第985回 橋弁慶山 南観音山~祇園祭後祭山鉾巡行~その3

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985-2.jpg
現在「四条河原町」交差点南西角の京都高島屋前にいます。
前回ブログで祇園祭花笠巡行も終え、
暫しの静寂が流れています。
今回から、祇園祭後祭の山鉾が順々に登場します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時半。
前回ブログの花笠巡行から5分後です。


985-3.jpg
ちょっとした隙に、「四条河原町」交差点北西角を見ています。
こちらに大量の桶が並んでいますが、
これらはこれから始まる「辻回し」の必需品です。
雨の日は別ですが、辻回しに使う道具の一部は
常に濡れていないといけません。
こちらは、山鉾巡行に協力的な企業が用意しています。
ただ、各交差点で協力する企業が異なります。
ちなみに「四条河原町」交差点にいらっしゃる方は、
月桂冠と書かれた法被をお召しです。


985-4.jpg
祇園祭花笠巡行最後尾が「四条河原町」交差点を通過して5分後、
警察車両が河原町通を南下してきました。
祇園祭山鉾巡行や葵祭の先頭は、必ず警察車両です。
前祭と後祭の山鉾巡行では、巡行する方向が真逆です。
ここでは河原町通を南下して、四条通を西に進みます。


985-5.jpg
警察車両に続き、河原町通を様々な方々が南下しておられます。
幟を持たれる方もいらっしゃいますが、
祇園祭の「山」を担がれる方々もいらっしゃいます。


985-6.jpg
警察車両に続いて、こちらの幟が続きます。
「祇園会」とは、祇園祭のことです。


985-7.jpg
「祇園会」と書かれた幟が、「四条河原町」交差点にやって来ました。
よく見ると、幟を運ばれる方の後ろに随行者がいらっしゃいます。


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その随行者は「四条河原町」交差点に現れると、
月桂冠の法被姿の方々の前に立たたれました。
そして、榊を振るわれます。


985-9.jpg
一方「祇園会」の幟を持たれた方は、
「四条河原町」交差点からは四条通を西に進まれます。
ここまで一緒におられた随行者は、
「四条河原町」交差点に留まれます。


985-10.jpg
「祇園会」の幟に続いて、
ここから祇園祭の山鉾が順々に巡行していきます。
先頭の「山1番」は、橋弁慶山です。
こちらはくじ引きを引かず、毎年後祭山鉾巡行の先頭です。


985-11.jpg
祇園祭の山鉾は、何種類かに分類されます。
橋弁慶山は「担ぎ山」に分類されます。
様々な装飾が施されたお神輿に近い形状です。
ただし下には車輪がついており、
厳密には担ぎ手は荷車を押す感覚で山を動かします。
「山」の上には祇園祭が現在の形になったころ(室町時代)、
京都の町衆がなじんでいた物語を題材にした
一場面が再現されています。


985-12.jpg
橋弁慶山には、2体のご神体となる人形がおられます。
(ちなみに、祇園祭の山鉾はそれぞれ独立した神社です)
こちらは、現在も語り継がれている「橋弁慶」に取材しています。
源義経(幼名:牛若丸)と比叡山の僧兵武蔵坊弁慶との決闘を表します。
この決闘に敗れた弁解は、源義経の家臣になりました。


985-13.jpg
「橋弁慶山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点を西に進まれます。
そして、橋弁慶山自体も「四条河原町」交差点に入ってきました。


985-14.jpg
橋弁慶山の担ぎ手さんたちは、
「四条河原町」交差点にはいてこられると、
橋弁慶山を持ち上げられました。
そして、その状態で方向転換されます。


985-15.jpg
橋弁慶山の担ぎ手さんたちは西に向かれると、
そのまま橋弁慶山を地面に下ろされました。
これが、担ぎ手の辻回しです。
ちなみに「辻回し」とは、山鉾が方向転換することです。
先ほどの桶の水を一切使いませんでしたが、
派手な辻回しを行うのは、「鉾」や「曳山」だけです。


985-16.jpg
橋弁慶山が、河原町通から四条通を西に進みます。
この角度から見ると、山の上に黒漆の橋が架かっていて
(五条大橋を表しています)
牛若丸(源義経)は、橋の欄干に乗っています。
力任せに長刀を振る武蔵坊弁慶に対して、
身軽な少年だった牛若丸は飛び跳ねて攻撃をかわし、
最後は牛若丸が弁慶の急所を横笛で叩いたと伝説にあります。


985-17.jpg
橋弁慶山が、「四条河原町」交差点を去ります。
祇園祭前祭山鉾巡行では「四条河原町」交差点は初めの方でしたが、
巡行コースが逆転する祇園祭後祭山鉾巡行では
「四条河原町」交差点は山鉾巡行のほぼ終盤です。
河原町通から四条通を西に進んだ後、
後祭で巡行した各山鉾は約700m先の烏丸通まで巡行して
そこから各町内に帰り、解体されます。
(解体された山鉾は、来年まで八坂神社に収納されます)


985-18.jpg
橋弁慶山に続いて、次の山鉾が河原町通を南下しています。
こちらは、橋弁慶山より倍以上大きいですね。
次の山は、「曳山」に分類されます。
この大きさだと、お神輿のように担ぐことはできません。
ですから、約30人の曳手が大きな山を引きずります。


985-19.jpg
その曳山の前に、「南観音山」と書かれた幟が行進します。
そして、その背後から南観音山の町衆の皆さんが随行されます。
さらに少し離れて、南観音山が河原町通を南下しています。
南観音山の基部には、楊柳観音ががいらっしゃいます。
山の背後に付いている柳の木は、楊柳観音の象徴です。
南観音山の山町は蛸薬師通より南の前祭の区域ですが、
北隣の北観音山と親交が深いので、
例外的に後祭に属しています。


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だんだん南観音山が近づいてきました。
南観音山の前方で扇子を振っておられるのが、音頭取りです。
音頭取りは前進や停止、辻回しによる方向転換など、
曳山の巡行を指揮します。
音頭取りが扇子を手前に差し出されておられているので、
南観音山は前進しています。


985-21.jpg
南観音山が、だんだん「四条河原町」交差点に近付いています。
すると南観音山の町衆数名が南観音山の下の方から竹竿を取り出し、
その竹竿を「四条河原町」交差点に並べ始めました。
この竹竿は縦に割れており、薄く作られています。
並べられたこの竹竿が、この後の辻回しの重要アイテムです。


985-22.jpg
南観音山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
約30人の曳手に曳かれた南観音山には、
横笛や太鼓、銅鑼を演奏されている囃子手が乗っておられます。
その囃子手は山鉾巡行の間、祇園囃子を演奏されています。


985-23.jpg
南観音山の曳手の皆さんは「四条河原町」交差点に到達しても、
まだ河原町通を南下し続けられます。
南観音山が交差点の中央に到達するまでは、
曳手の皆さんは河原町通を南下し続けます。


985-24.jpg
南観音山は、「四条河原町」交差点の中央まで南下して停止しました。
すると南観音山の曳手の皆さんは、四条通の西側へ移動されます。


985-25.jpg
南観音山の曳手の皆さんは四条通の西側に整列されて、
一斉に引くことで南観音山を方向転換されようとしています。
これを「辻回し」と言います。
祇園祭の山鉾は、車輪の構造上曲がることができません。
ですから、このように力づくで方向転換します。
その際曲がり易いように車輪の下に竹竿をかませ、
竹竿の上で曳山の車輪を滑らせます。
さらに滑りやすいように、竹竿の上に大量の水を撒きます。


985-26.jpg
その間曳山の上の方におられる囃子手の皆さんは、
すっと祇園囃子を演奏され続けます。
屋根の上にも数名いらっしゃいますが、
こちらは重しの役割を果たしておられて、
状況次第で自分の位置を変えることで、
曳山全体の重心を移動させておられます。


985-27.jpg
南観音山の辻回しの下準備が、まだまだ続きます。
竹竿の配置を確認して、曳手が曳く綱を車輪に括り付けます。
そして、準備万端となって音頭取りが4人に増えます。


985-28.jpg
南観音山の辻回しの下準備が、整いました。
すると音頭取りの皆さんが、掛け声をかけられます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


985-29.jpg
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から綱を引かれます。
すると南観音山が、西に約30°方向転換しました。
これで、1回目の辻回しが終了です。


985-30.jpg
祇園祭の辻回しは一気に90度曲がると、山全体が倒れてしまいます。
大体30°ずつ3回で90°回転します。
通常辻回しは、90°曲がるのに約20分かかります。
まぁ上手くいかなかったときは、30分以上かかります。
今回は手際が良いので、15分くらいで90°曲がれそうです。


985-31.jpg
約30°方向転換した南観音山の町衆の皆さんは、
次の辻回しに向けて大忙しです。
南観音山をさらに西に曲がるように、竹竿を並べ直しておられます。
しかも、結構手早くしないと次の山鉾が渋滞してしまいます。
こういうもののコツは、各山鉾町に代々継承されています。


985-32.jpg
南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並べ直されました。
音頭取りの皆さんが南観音山の前に立たれ、
掛け声とともに扇子を横に振られます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


985-33.jpg
南観音山の音頭取りの皆さんの掛け声で、
四条通の西側にいらっしゃる曳手の皆さんが
南観音山を一斉に引かれます。
すると南観音山は、西にさらに30°方向転換しました。


985-34.jpg
南観音山はさらに30°方向転換して、約60°曲がりました。
南観音山の辻回しは、あと1回で90°転換できそうです。


985-35.jpg
南観音山の町衆の皆さんが、竹竿を並び直されています。
そして、新たに水を撒き直しておられます。
まさに熟練の手さばきで、手早く作業されていますね。


985-36.jpg
南観音山の音頭取りの皆さんが掛け声をかけると、
四条通の西側にいらした曳手の皆さんが一斉に引かれます。
すると南観音山が、西に方向転換します。


985-37.jpg
すると南観音山は、さらに30°西に方向転換します。
これで南観音山は、完全に四条通を西に進めるようになりました。


985-38.jpg
とは言え、すぐに南観音山は出発できません。
竹竿をすべて収納しないと、後から来る山鉾が進めません。
竹竿は各山鉾が用意していて、共用されることはありません。


985-39.jpg
南観音山の底を大写ししました。
南観音山の底には布が張ってあって、
その布の上に、竹竿が収納されています。
これは、このような辻回しを行う山鉾に共通します。


985-40.jpg
その竹竿を収納し終えると、音頭取りは2名に戻ります。
「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、南観音山は四条通を西に進みます。
これで、南観音山の辻回しは終了です。
大体15分くらいで辻回しを終えています。
ここからは次の山鉾が「四条河原町」交差点に登場しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、浄妙山、八幡山、鯉山が登場します~

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第986回 浄妙山八幡山鯉山~祇園祭後祭山鉾巡行~その4

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986-1.jpg
前回ブログで辻回しを終えた南観音山が、
楊柳観音を象徴する柳の木を靡かせて四条通を西に進みます。
今回は、この後に続く担ぎ山3基を紹介します。
いずれもくじ引きで順番を決めるので、
毎年異なる順番で巡行します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時45分。
猛暑の中、そろそろ熱中症が心配です。


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南観音山が、四条通を西に去っていきます。
続いて、新たな担ぎ山が河原町通を南下してきました。


986-3.jpg
その担ぎ山の手前に、こちらの幟が先行します。
その幟には、「浄妙山」と書かれていました。
2023年の後祭山朴巡行「山2番」は、浄妙山です。


986-4.jpg
幟を持たれた方と浄妙山の間をこちらの男性たちが行進されます。
彼らは、浄妙山の町衆の皆さんです。
浄妙山の山町の住民で、浄妙山を管理運営されています。
祇園祭は八坂神社と京都市内の当該町内で運営されており、
日本政府はもちろん京都府や京都市も運営に関わりません。


986-5.jpg
浄妙山の町衆の皆さんが「四条河原町」交差点で右(東)を向きました。
そして、その方向に向かって一礼されます。
ちなみに四条通最東端に、八坂神社がいらっしゃいます。
祇園祭を主宰する神社ですね。


986-6.jpg
そして、だんだん浄妙山が河原町通を南下してきます。
ご神体の人形の上に人形が乗る変わった山ですね。
浄妙山は、宇治川の戦いの一場面を表します。
源頼朝側で戦った僧兵の浄妙が一番で名乗りを行おうとしたのですが、
(一番名乗りには、後で主君から報奨が出ます)
同じく僧兵の一来法師に頭を飛び越えられ、
浄妙がその一番名乗りの報奨を貰えなかった話に取材されます。
ちなみにその一来法師もこの直後に斬り殺されたため、
報奨を貰っていません。


986-7.jpg
浄妙山が、「四条河原町」交差点中央に到達しました。
すると、担ぎ手さんが一斉に浄妙山を持ち上げられました。


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今まで南に向かれていた浄妙山の担ぎ手さんは、
浄妙山を持ち上げて西に向かれました。
これが、担ぎ山の方向転換の方法です。
これも、辻回しですね。


986-9.jpg
再び地面に下ろされた浄妙山は、今度は四条通を西に進みます。
この角度から見ると、僧兵の浄妙の頭を
一来法師が飛び越えていく様子がよくわかりますね。


986-10.jpg
「四条河原町」交差点から、浄妙山が四条通を西に去ります。
するとすぐに次の担ぎ山が、「四条河原町」交差点に現れました。


986-11.jpg
こちらの幟が、河原町通を南下します。
2023年後祭山鉾巡行の「山2番」は、八幡山」です。


986-12.jpg
「八幡山」と書かれた幟の背後にも、
数名の男性が随行されます。
こちらは、八幡山が立つ中京区三条町の町衆です。


986-13.jpg
八幡山の幟と町衆の皆さんが四条通を西に進んでおられる途中に、
八幡山が「四条河原町」交差点に近付いてきました。
お気づきでしょうか、山の中心に神社の祠と鳥居があります。
こちらは中京区三条町にいらっしゃる小さな八幡社が
そのまま山に乗られています。


986-14.jpg
八幡山が、「四条河原町」交差点中央に差し掛かりました。
祇園祭の担ぎ山の中には、町内の神社をそのまま乗せたものが
前祭にも後祭にも数基存在します。
前祭では、油天神山と霰天神山がいらっしゃいます。
(どちらも、第973回ブログに登場します)
また後祭の宵山は、新町通の「屏風祭」がお楽しみです。
この辺りの町衆は見事な屏風を有する呉服問屋が多く、
特に中京区三条町の屏風が見事です。
要するに、八幡山の山町ですね。
(屏風祭の詳細は、第870回ブログを参照してください)


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八幡山が、「四条河原町」交差点中央にいらっしゃいます。
ここで担ぎ手さんたちが力を合わせて、八幡山を持ち上げられます。


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担ぎ手さんたちが、八幡山を持ち上げたまま西に方向転換されました。
担ぎ山は時間をかけずに、これで辻回しを済ませることが多いです。


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八幡山が西を向くと、担ぎ手さんたちは八幡山を地面に下ろされます。
今まで河原町通を南下していましたが、
ここからは四条通を西に進みます。


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八幡山が、「四条河原町」交差点を西に去ります。
すると次の担ぎ山が河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に近付いてきました。


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こちらの幟が、河原町通を南下してきました。
こちらには、「鯉山」と書いてあります。
2023年後祭山鉾巡行の「山4番」は、鯉山です。
祇園祭後祭の中でも、特に人気のある担ぎ山ですね。


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「四条河原町」交差点の中央で、
「鯉山」と書かれた幟が西に転換されます。
その背後から、また複数の男性が随行されています。
こちらも、鯉山を運営・管理される町衆の皆さんです。


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その町衆の皆さんの後から、鯉山が河原町通を南下します。
朱い鳥居の背後にご神体の大きなコイの像がいらっしゃいます。
こちらは左甚五郎の作品で、重要文化財です。

「鯉(コイ)の滝登り」という格言があります。
コイは努力して滝を上ることを繰り返すことで、
いずれは巨大な龍に変化するという伝説があります。
つまり「立身出世」のたとえ話なのですが、
鯉山はこれを表した山です。
鯉山の手ぬぐいには「登竜門」と書かれていますが、
これは「鯉の滝登り」と同じ意味です。


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鯉山が、「四条河原町」交差点の中央に到達されました。
ここで担ぎ手の皆さんが、鯉山を持ち上げられます。


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担ぎ手の皆さんに持ち上げられた鯉山が、
南から西へ方向転換されます。
鯉山も担ぎ山の一種ですから、この方法で辻回しを行います。


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鯉山が、西に向きました。
通常はこれで担ぎ手の皆さんが地面に下ろして
辻回しは終了なのですが、
鯉山はここで辻回しが止まりません。
これから、鯉山は「四条河原町」交差点で回転し始めます。
後祭の担ぎ山の中でも随一の人気を誇るのが鯉山ですが、
その理由の一つに「辻回しで回転する」というものがあります。
その証拠に、沿道の方々は拍手喝采を送り続けました。
(特に、外国人観光客が喜んでおられました)


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鯉山がさらに回って、北を向いています。
鯉山の背後に、大きな布が張られています。
これを「見送り」と言って、祇園祭の多くの山鉾にある装飾です。
長刀鉾や月鉾など、多くの山鉾が
見送りにインドやペルシャの絨毯を使いますが、
(鎖国中の江戸時代に、長崎経由で輸入したものです)
鯉山の見送りには他のものと雰囲気が異なる西洋画が掲げられます。
もともとは17世紀のベルギー製タペストリーで、
ギリシャの叙事詩イーリアスの一場面を描いています。
実はもっと大きなものでしたが、鉋(かんな)で江戸時代の大工が切り取り
4等分されたものの1枚です。
同じタペストリーから、前祭の鶏鉾の見送りも作られています。
ちなみに、鯉山も鶏山も見送りが重要文化財に指定されています。
つまり鯉山は複数の重要文化財を有しており、
それを誇示するのも辻回しで回転する理由の一つです。


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さらに、鯉山が東に向きました。
祇園祭の山鉾の側面に張られる布を「胴掛」と呼びます。
鯉山は胴掛にもイーリアスのタペストリーの一部が使われています。
そして、その両脇に昇龍が描かれています。
こちらは、コイが出世して龍に変化した姿を表しています。


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そして、鯉山が西を向いています。
これで鯉山は、450°回転しました。


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この状態で、担ぎ手の皆さんは鯉山を地面に下ろされました。
例年は3周くらい回転されるのですが、
2023年は異例の猛暑です。
しかも、この日(7月24日月曜日)は快晴で午前10時で30℃です。
あまり無理をされない方が、賢明です。


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鯉山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
そして、「四条河原町」交差点を鯉山が去っていきます。


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鯉山が「四条河原町」交差点を去った後、
鯉山の長持(荷物入れ)が続きました。
ところが鯉山の長持がまだ「四条河原町」交差点におられるのに、
次の山の町衆が「四条河原町」交差点に入って来られています。
竹竿を持たれていることから、次は曳山であることが分かります。
ただだいぶ大写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、北観音山の辻回しを掲載します~

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第987回 北観音山の辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その5

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前回ブログで「四条河原町」交差点で辻回しを展開して
四条通を西に進んだ鯉山の後に、
その鯉山の町衆が運ぶ長持(荷物入れ)が続きます。
ところがその鯉山の長持が「四条河原町」交差点を通過する前に、
次の山の町衆がもう「四条河原町」交差点に進入しています。
その町衆が竹竿を担がれているので、
この直後に大規模な辻回しが始まることが分かります。
後祭の山鉾巡行には通常型の「鉾」は巡行しませんので、
次は曳山であることが分かります。
今回は、この曳山の辻回しを中心に掲載します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時。
2023年の祇園祭は、日々快晴でした。


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町衆の皆さんが竹竿を鶴翼と言いますか、
コの字型に並べられる間に、
「北観音山」と書かれた幟を掲げられた方が行進します。
この方は竹竿を並べられる方々の脇をすり抜けて、
そのまま四条通を西に向かわれました。


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「四条河原町」交差点では、北観音山の町衆の皆さんが
竹竿を並べ続けておられます。
手際が良いのは熟練の技なのですが、
的確に指示される方がいらして、さらに手早く作業が進みます。
曳山はこの竹竿の上に停止するので、
その曳山が交差点に入る前に竹竿を並べ終えると、
辻回しを手早く進めます。


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そうこうしているうちに、白い法被姿の方々が
河原町通を南下して「四条河原町」交差点に進入されました。
こちらの方々は、北観音山の曳手の皆さんです。
約30人でここまで
北観音山に取り付けられた綱を引っ張って来られました。


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そして、北観音山が河原町通を南下して
「四条河原町」交差点に登場です。
通常の鉾は天頂部に槍の一種である「鉾」が付きますが、
こちらは「山」ですから松の木が1本立ちます。
さらに北観音山には、山の背後に柳の木が付随しています。
南観音山同様に基部に楊柳観音がいらして、
柳の木は楊柳観音の象徴です。
北観音山は南観音山ととても似ていますが、
その山町も蛸薬師通を挟んで隣同士です。
北観音山と南観音山の町衆はとても仲が良く、
そのため南観音山は前祭の区域に属しているにも拘わらず、
北観音山同様後祭に参加しています。


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北観音山が、「四条河原町」交差点の中央で停止します。
その際、北観音山の車輪が竹竿に乗っかっているのがポイントです。
北観音山に乗られた音頭取りの皆さんが持つ
横笛、太鼓、銅鑼が、この間も祇園囃子を演奏され続けます。


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とは言え、これですぐには北観音山の辻回しは始まりません。
竹竿に大量の水を撒いて滑りをよくする必要がありますし、
曳手の皆さんが移動する必要もあります。


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「四条河原町」交差点より南側の河原町通にいらした
北観音山の曳手の皆さんが、
綱を担がれた状態で「四条河原町」交差点に戻られます。
北観音山は、「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。


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北観音山の曳手の皆さんが、四条通の西側に移動されました。
北観音山は曳手の皆さんから西側へ引っ張られることで、
北観音山は方向転換されます。
これを「辻回し」と言いますが、
手際が良いと20分くらいで終わります。


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続いて曳手の皆さんの綱が北観音山の車輪に巻き付けられ、
曳山の巡行を指揮される音頭取りが4人に増えます。
これで、北観音山の辻回しの準備が完了です。


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4人の音頭取りの皆さんが、扇を下にされます。
そして、掛け声が変わります。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


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北観音山の曳手の皆さんが、北観音山を西側から引っ張られます。
すると北観音山が竹竿の上を滑り、西へと方向転換します。


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とは言え、一気に90°方向転換はしません。
大きく方向転換すると、曳山は転倒します。
ですから、30°ずつ3回に分けて辻回しを行います。


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ですからここで北観音山の周囲に広がる竹竿を並び直されて、
また水を撒き直される必要があります。
ただ町衆の皆さんの手際が良くて、
それらの作業もすぐに終わってしまいます。


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すぐに作業が終わったことで、すぐに次の辻回しが始まります。
ここでまた、音頭取りの皆さんが扇を下にして掛け声を出されます。


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「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
北観音山の曳手の皆さんが四条通の西側から
いた観音山を引っ張られました。
すると、北観音山がまた西側に方向転換します。


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北観音山が竹竿の上を滑り、さらに西に30°方向転換されます。
これで約60°北観音山が方向転換しました。


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ここで、また竹竿を並べ直されます。
今度は1回目の辻回しより場所が遠いので、
竹竿の位置も遠くなります。
そのため、今回の竹竿並べはちょっと時間がかかります。


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北観音山の底部を大写ししました。
2回目の辻回しを終え、さらに西へと竹竿を足されています。
また竹竿の一部は、北観音山の底部に戻されています。
よく見ると、水を撒かれた跡が路上に残っています。


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それでも、数分で竹竿を並び直されました。
ここからまた音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
辻回しが始まります。


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「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
北観音山が竹竿の上を滑ります。
これで北観音山は、さらに30°西に方向転換しました。


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北観音山が、完全に西に向いています。
これで北観音山の「辻回し」は終了ですが、
すぐに出発できるわけではありません。
周囲の竹竿を曳山の底部に収納しないといけません。
この竹竿は各曳山が用意して、
各曳山が持って帰ります。
他の鉾や曳山と、共用されることはありません。


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北観音山の底部を大写ししました。
そこには布が張ってあって、木製の部分とその布のたるみの間に
数十本の竹竿を収納できるスペースがあります。
北観音山の町衆の皆さんは、そちらに竹竿を収納されています。
これは、竹竿を使って辻回しを行うすべての山鉾に共通します。


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町衆の皆さんが、北観音山に竹座を収納し終えたられたようです。
通常通り音頭取りが2人となり、
大きく扇子を手前に振りかざされます。
「え~いやらや~」


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音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
北観音山の曳手の皆さんが「四条河原町」交差点から、
綱で北観音山を西に引っ張られます。
すると、北観音山が四条通を西に進みました。


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北観音山が四条通を西に進み、
「四条河原町」交差点から去っていきます。
ここから残りの担ぎ山3期と、鷹山、大船鉾と続きますが、
ここでちょうど切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、黒主山、役行者山と続きます~

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第988回 黒主山 役行者山~祇園祭後祭山鉾巡行~その6

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前回ブログで辻回しを終えた北観音山が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
ここから担ぎ山が連続するのですが……
南観音山と北観音山の辻回しが手早かったので、
少しだけですが時間的余裕が出てきました。
ですからここから担ぎ山も辻回しではただの方向転換ではなく、
いろいろパフォーマンスを駆使します。
撮影日は、2023年7月24日午前11時15分。
今回登場する担ぎ山の町内は、三条通を境に隣同士です。


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北観音山が「四条河原町」交差点から去った後、
こちらの男性の集団が河原町通を南下してきました。
服装から、各山鉾の管理運営をされる町衆と判断できます。


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その町衆の皆さんが「四条河原町」交差点に入って来られると、
四条通を東に向かれました。
そちらの方に、祇園祭を催す八坂神社がいらっしゃいます。
町衆の皆さんは、その八坂神社に向けて一礼されました。
この時気づいたのですが、河原町通の東側は
車道まで観覧者で溢れていますね。


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町衆の皆さんから遅れて、幟と山が姿を現します。
幟には、「黒主山」と書かれています。
2023年の「山5番」黒主山が河原町通を南下し、
「四条河原町」交差点に登場です。
黒主山は、三十六歌仙の一人大友黒主に取材した山です。


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黒主山を大写ししました。
「春雨の 降るは涙か 櫻花 散るを惜しまぬ 人しなければ」
古今和歌集に掲載されたこの歌に取材した謡曲「志賀」から、
この山が作られました。
ですから、年老いた大友黒主が桜を仰ぎ見る様子を表しています。


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黒主山が、河原町通を南下して「四条河原町」交差点に到達しました。
すると黒主山の担ぎ手さんたちが、
両足をしっかり地面につけ踏ん張られます。


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担ぎ手さんたちが黒主山を持ち上げられ、
そのまま方向転換されています。
前回ブログの北観音山よりも小さな黒主山ような担ぎ山は、
約20人の担ぎ手さんたちがそのまま持ち上げて
辻回し(方向転換)されます。


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黒主山が「四条河原町交差点」で、西を向きました。
これでこのまま四条通を西に進むと思いきや……


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黒主山は、そのまま方向転換し続けます。
とうとう黒主山は、北を向いてしまいました。
担ぎ山の背後に垂れ下がる見送りが、よく見えますね。


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黒主山が、東に向いています。
この角度だと、桜の造花を仰ぎ見る大友黒主がよく見えます。


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遂に黒主山は、1周しました。
黒主山は、さらに回転し続けています。


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黒主山が、四条通を西に向きました。
これで室主山の「辻回し」が終了と思いきや、
この辻回しは、そのまま2周目に入ります。


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黒主山が、「四条河原町」交差点」で東を向きました。
この角度だと、桜色と松の翠が対比できて綺麗ですね。


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黒主山が回転し続けて、南から西に向いています。
2023年の「四条河原町」交差点には結構外国人がいらして、
その方々も大喜びされています。
ちなみに日本人観光客は途中で大半の方々が帰られるのですが、
外国人はそのようなことなく最後まで観覧されます。
毎年のように観覧する近所の方々と、
一生に一度高い旅費を払って来られる方々の違いでしょうか?


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黒主山が、「四条河原町」交差点」で四条通を西に向きました。
さすがにこれで担ぎ手の皆さんが
黒主山を地面に下ろされると思ったのですが、
このまま黒主山の「辻回し」は3周目に突入です。
交差点周辺の方々から、歓声が上がります。
多くの外国人の皆さんは大声を上げながら拍手喝采です。


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黒主山が、「四条河原町」交差点で3度四条通を東に向きました。
黒主山は、この角度が一番きれいですね。
担ぎ山が辻回しで回転するのはパフォーマンスの一面もありますが、
文化財や装飾品の集合体である担ぎ山を
周囲の方々によく見てもらう側面も大きいです。


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黒主山が「四条河原町」交差点で、南から西に向いています。
第986回ブログの鯉山の辻回しは1周だけでしたが、
黒主山はその3倍回転されます。


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黒主山が「四条河原町」交差点で四条通を西に向いた時点で、
担ぎ手の皆さんが黒主山を地面に下ろされました。
結局黒主山は、「四条河原町」交差点で3周されました。
まぁこれ以上回ると、担ぎ手の皆さんの体力も限界でしょうね。


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担ぎ手の皆さんが下ろされた黒主山が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
こちらの「山」は、町衆の皆さんと一緒に西に進まれます。
(通常は町衆の皆さんが、「山」より先行されます)


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黒主山に続いて、黒主山の長持(荷物入れ)が登場します。
「黒」主山は、黒を基調にしたデザインのものが多くあります。
ここでは長持と長持を運ばれる方の笠が黒いですが、
宵山期間中の会所はほぼ黒一色です。
ですから、会所で販売される手ぬぐいや土産物も黒一色です。
(黒主山の会所の様子は、第329回ブログ参照)


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黒主山に続いて、今度は「役行者山」と書かれた幟が
河原町通を南下してきました。
2023年の「山6番」は、役行者山です。


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「役行者山」と書かれた幟に続いて、
聖護院門跡の修験者さんが河原町通を南下してきました。
役行者をご本尊とされる聖護院門跡は、
この役行者山と深い関係にあります。


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聖護院の修験者の皆さんが、「四条河原町」交差点に到達されました。
後続に、役行者山の町衆の皆さんが河原町通を南下します。
役行者山では毎年7月23日(祇園祭後祭宵山)に、
聖護院門跡の修験者の皆さんが加持祈祷をされます。
(その詳細は、第138回ブログ参照。
ちなみに、2013年までは毎年7月16日に行われました)


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町衆の皆さんに続いて、役行者山が「四条河原町」交差点に登場です。
奈良県の葛城山にいらっしゃる葛城神が
役行者に頼み込んで暴れまわる一言主を鎮めてもらいました。
これは室町時代の京都に住む町衆には、とても有名な物語でした。
役行者山は、その物語に取材しています。


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役行者山を大写ししました。
確かご神体の人形は、左から一言主、役行者、葛城神です。
ただ一言主の神像が前に立っておられるので、
役行者の神像がよく見えません。


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役行者山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
すると担ぎ手さんたちがしっかり地面に足を付け、
その場で踏ん張られました。


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さらに担ぎ手さんたちが役行者山を持ち上げられて、
南から西へ方向転換されました。
まぁこれが担ぎ山の辻回しなのですが、
黒主山同様役行者山もこれでは終わりません。


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黒主山に続ていて、役行者山もこのまま回転し続けます。
役行者山も西から北に方向転換して、
背後の見送りをこちら側に向けています。


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さらに役行者山が回転し、東から南に向いています。
よく見ると、役行者山の担ぎ手の皆さんは
白法被姿の方と縦縞法被の方の両方がいらっしゃいます。


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役行者山が「四条河原町」交差点で、四条通を西に向きました。
すると、ここで担ぎ手の皆さんが役行者山を下ろされました。


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役行者山が、「四条河原町」交差点で四条通を西に向いています。
そして、このままの状態で役行者山が西に進まれます。


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先ほどの同じ状態で、少し引いて撮りました。
こちらの役行者山も、町衆や修験者の皆さんが
先行されずにそのまま随行されます。


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役行者山が「四条河原町」交差点から、四条通を西に去ります。
これで残るは担ぎ山1基、曳山1基、船鉾1基です。


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役行者に続いて、「鈴鹿山」と書かれた幟が登場です。
くじを引て順番を決める「山」の2023年の最後尾ですね。
(残りの2基は、くじを取らない順番固定です)
戦女神の鈴鹿権現をご神体とする山ですね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回は、ここまでです。

~次回は、鈴鹿山と鷹山の登場です~

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第989回 鈴鹿山 鷹山~祇園祭後祭山鉾巡行~その7

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祇園祭後祭山鉾巡行もだいぶ進行して、
残すは担ぎ山、曳山、船鉾各1基となりました。
今回は、そのうち担ぎ山の鈴鹿山と曳山の鷹山が登場します。
先ずは「鈴鹿山」と書かれた幟が、河原町通を南下します。
2023年の「山7番」(担ぎ山最後尾)は、鈴鹿山です。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時半。
2023年の後祭山鉾巡行は、ペースが早いです。


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「鈴鹿山」と書かれた幟に続いて、
鈴鹿山を管理運営されておられる町衆の皆さんと
鈴鹿山が河原町通を南下されてきました。

鈴鹿山は三重県鈴鹿山脈にいらっしゃったとされる
「鈴鹿権現」と呼ばれた戦女神を祀っています。
鈴鹿権現の出自は今も諸説あるのですが、
鈴鹿山の会所には瀬織津姫と書かれた額が飾ってありましたので、
こちらではその説を採用されているのでしょうね。
(その説が、定説です)
鈴鹿山会所の様子は、第413回ブログを参照してください。


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鈴鹿山が、「四条河原町」交差点中央に差し掛かりました。
すると担ぎ手の皆さんが鈴鹿山を持ち上げて、
南から西へと方向転換されます。


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鈴鹿山が「四条河原町」交差点中央で西を向かれると、
担ぎ手の皆さんが鈴鹿山を地面に下ろされました。
前祭の占出山など女神様を掲げる担ぎ山は、
あまり辻回しでくるくる回転されません。


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鈴鹿山にいらっしゃる鈴鹿権現を大写ししました。
祇園祭の女神像は、すべて仮面を付けておられます。
ちなみに祇園祭で山鉾に祀られる他の女神様はすべて神功皇后で、
前祭の占出山と船鉾、後祭の大船鉾にいらっしゃいます。
ちなみに、どちらの女神様も仮面を付けておられます。


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「四条河原町」交差点から、鈴鹿山が四条通を西に進んでいます。
これでくじ引きで順番を決めた山鉾は、すべて巡行を終えました。
残りの鷹山と大船鉾は、くじ取らずの順番固定です。


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鈴鹿山に続いて、鈴鹿山の長持が「四条河原町」交差点に登場です。
例年よりも大きいのですが、
他の山鉾同様に熱中症対策で水や塩飴が入っているのでしょうね。


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続いては、「鷹山」と書かれた幟が登場です。
2023年の「曳山3番」は、くじ取らずで順番固定の鷹山です。
コロナ禍の2021年に復活した真新しいや曳山ですが、
祇園祭最大の曳山でもあります。


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「四条河原町」交差点中央で、「鷹山」と書かれた幟が西に折れます。
その後から、町衆の皆さんが随行されていますね。


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そして、鷹山が河原町通を南下してきました。
昨年 (2022年)新調されていますので、
真新しい木材が目にも鮮やかですね。


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鷹山が、「四条河原町」交差点中央に差し掛かりました。
約30人いらっしゃる曳手の皆さんは、
鷹山が「四条河原町」交差点中央で固定されるまで、
河原町通を南下し続けられます。
……のですが、他の曳山のように
先行して竹竿を並べる動作をされていません。
曳山が辻回し(方向転換)するには、
車輪の下に縦に割られた竹竿を並べなければなりません。
このままいけば、鷹山が「四条河原町」交差点中央に来られてから
竹竿を並べられることになりそうです。


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という訳で鷹山は「四条河原町」交差点中より北側で、
いったん停止されました。
その後から、鷹山の町衆の皆さんが「四条河原町」交差点中央に
竹竿を並び直されました。


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鷹山の曳手の皆さんが、四条通をさらに南下されます。
その先で、町衆の皆さんが竹竿を並べておられます。
曳手の皆さんは、竹座をが並べられるのを待っておられます。


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鷹山の上部を撮りました。
こちらでは囃子手の皆さんが、祇園囃子を演奏されています。


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町衆の皆さんが竹竿を急いで並べられると、
曳手の皆さんが「四条河原町」交差点中央まで南下されました。
そして竹竿の真上に鷹山の車輪が乗っかると、
その位置で鷹山が停止されました。


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とは言え、鷹山の辻回しの準備はまだまだ掛かります。
そもそも竹竿を並び終えていませんし、
その後には水を撒いて竹竿を滑りやすくしなければなりません。
昨年(2022年)は手早くされていましたが、
今年(2023年)はちょっと時間がかかりそうです。
まぁ時間がかかるのも、祇園祭の醍醐味です。


989-17.jpg
町衆の皆さんが竹竿を並べておられている間、
曳手の皆さんは特に指示もなく所在無げにしておられましたが、
やがて指示を受けて「四条河原町」交差点に戻られました。
そこから四条通を西に移動されます。


989-18.jpg
竹竿が並べられ、溝を撒かれて、曳手の綱が車輪に結ばれました。
全体指示を出される音頭取りが4人に増えると、
鷹山の辻回しが準備完了です。


989-19.jpg
鷹山の音頭取りの皆さんが、扇子を横に振られます。
そして、掛け声をかけられました。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


989-20.jpg
すると四条通の西側に移動された曳手の皆さんが、
四条通の西側から鷹山を引かれます。
そうすると、鷹山が竹竿の上を滑り約30°西に向きました。


989-21.jpg
これまでも書きましたが、曳山が一気に90°方向転換すると
そのまま転倒して大惨事になります。
ですから、通常は30°ずつ3回に分けて辻回しを行います。
偶然ですが、この角度になると鷹山の奥がよく見えます。
太鼓を演奏される囃子手さんの奥に、
ご神体の在原行平の像がいらっしゃいます。
鷹山は、文字通り在原行平が鷹狩をする様子を描いています。
祇園祭が現在の形式になるのは室町時代半ばですが、
(今から約600年前)
鷹山はその頃から存在していました。
ところが江戸時代末期の1823年に風雨にさらされ、
装飾品の大半が汚損してしまいました。
多くの装飾品を失った鷹山は、
それ以降山鉾巡行には参加しませんでした。
それが昨年(2022年)約200年ぶりに鷹山の巡行が復活しました。


989-22.jpg
鷹山も「山」ですから、天頂部分には松の木が立ちます。
その松の木に、鳥の木像が設置されています。
鷹山だけに「鷹」と思いきや、「雉」の像でした。


989-23.jpg
自分があちこち撮影している間に、
町衆の皆さんが竹竿を並べ終えられました。
すると、音頭取りの皆さんがまた掛け声を上げられます。
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」


989-24.jpg
すると、また曳手の皆さんが四条通の西側から鷹山を引かれます。
鷹山の車輪が竹竿の上を滑り、さらに西へと30°傾きます。


989-25.jpg
これで鷹山は、約60°南から西へ方向転換しました。
鷹山はあと1回の辻回しで、四条通を進めます。


989-26.jpg
鷹山の底部に布が張られ、その弛みに竹竿が収納されます。
そこから新しい竹竿を取り出されて、先ほどの竹竿を収納します。
その作業で、少し時間がかかっておられます。


989-27.jpg
その直後に、竹竿を並べ終えられました。
すると、ここから鷹山の最後の辻回しが始まります。


989-28.jpg
「よ~い、よ~いよな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんが掛け声を上げられると、
四条通の西側から鷹山を引かれます。
すると、鷹山はさらに西に傾きます。


989-29.jpg
鷹山が、さらに30°西に傾きました。
これで鷹山は、完全に西に向いています。
とは言え、このまま鷹山は西に進むことはしません。


989-30.jpg
町衆の皆さんが、鷹山の底部に竹竿を収納されます。
この竹竿は各山鉾が管理しており、
他の山鉾と共有されることはありません。


989-31.jpg
町衆の皆さんが竹竿を収納し終えられると、
鷹山の音頭取りがまた2人に戻ります。
そして、その音頭取りが扇子を前に差し出されます。


990-2.jpg
「えいやらや~」音頭取りの掛け声とともに、
鷹山が四条通を西へ進みました。
これで祇園祭後祭山鉾巡行は、大船鉾のみとなりました。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
大船鉾は次回ブログに掲載します。
今回は、ここまでです。

~次回で、2023年祇園祭の連載を終了します~

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第990回 大船鉾の辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その8

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

990-3.jpg
第983回ブログから連載してきた2023年祇園祭後祭山鉾巡行も、
後は大船鉾ただ1基となりました。
先ずは「大船鉾」と書かれた幟が先行して、
その後を大船鉾を管理運営される
下京区四条町の町衆が随行されます。
今回はこの直後に現れる大船鉾の辻回しを取材して、
京都高島屋に立寄ってから帰宅します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前11時45分。
今回で、2023年祇園祭の連載を終えます。


990-4.jpg
四条町の町衆に続き、約30人の曳手の皆さんによって
「船鉾」の大船鉾が河原町通を南下してきました。
「船鉾」は他の山鉾とは異なる独特の形状で、
前祭の船鉾同様最後尾を巡行します。
(先祭の船鉾の様子は、第976回ブログを参照してください)

大船鉾は、神功皇后新羅との戦に勝って凱旋した船を表しています。
ですから船鉾同様、神功皇后が内部にいらっしゃいます。
ちなみに「大」船鉾ですが、
実際は船鉾よりも一回り小さな鉾です。



990-5.jpg
大船鉾と一緒に歩かれていた町衆の何名かが、
竹竿片手に「四条河原町」交差点に先行されました。
そして、その竹竿を鶴翼(「コ」の字型)に
急いで並べておられます。
大船鉾が「四条河原町」交差点に入る前に、
先に辻回しの準備が始まっています。


990-6.jpg
河原町通を南下して、大船鉾が「四条河原町」交差点に登場です。
大船鉾は、「四条河原町」交差点中央に並ぶ竹竿の上で停止しました。


990-7.jpg
すると大船鉾の曳手の皆さんが、「四条河原町」交差点南側から
四条通の西側に移動されていかれます。
今度は、四条通の西側から大船鉾を引かれます。
祇園祭の山鉾には、方向転換する機能が付いていません。

技術的には江戸時代(今から約200年前)に
方向転換できる機能も取り付け可能になりましたが、
便利で楽な方向転換は京都の町衆の評判も悪く、
結局室町時代(約500年前)の形式を現在も残しています。



990-8.jpg
曳手の皆さんが四条通の西側に移動された後、
竹竿に水が撒かれて車輪に綱が巻かれました。
辻回し(方向転換)の準備が整うと、
4人に増えた音頭取り(山鉾の指揮担当)が
扇子を横に振り声をかけられます。


990-9.jpg
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、
曳手の皆さんが四条通の西側から大船鉾を引っ張られます。
すると大船鉾の車輪が、竹竿の上を滑っていきます。


990-10.jpg
大船鉾が、西に30°方向転換しました。
構造上祇園祭の山鉾は一気に90°転換すると、転倒します。
それを防ぐために、辻回し(方向転換)は3回に分けて行います。

この角度なら、大船鉾の舳先がよく見えます。
前祭の船鉾は鷁(げき)と呼ばれた水鳥を模っていますが、
大船鉾は巨大な紙垂(しで)を模っています。
実は、昨年(2022年)の舳先は龍神でした。
大船鉾の舳先は、交互に使い分けられます。
(2022年の大船鉾は、第878回ブログ参照)


990-11.jpg
1回目の辻回しが終わっても、すぐに次の辻回しを始められません。
竹竿をさらに西に継ぎ足さないといけませんし、
新たに並べた竹竿に水を撒かなければなりません。
その間曳手の皆さんは手持無沙汰ですが、
大船鉾の上に乗っておられる囃子手の皆さんは、
横笛・太鼓・銅鑼で祇園囃子を演奏され続けておられました。


990-12.jpg
そうは言っても、大船鉾の町衆の皆さんも手早く竹竿を並べられます。
5分足らずで竹竿を並べられると、2回目の辻回しが始まります。


990-13.jpg
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声で、
曳手の皆さんが四条通の西側からさらに引っ張られます。
すると大船鉾は、さらに30°西に方向転換しました。


990-14.jpg
ここで、また町衆の皆さんが竹竿を並び直しておられます。
今度はさらに竹竿を西に並べ直されるので、
最初に並べられた竹竿が不要になります。
そこで大船鉾底部にある竹竿の収納スペースに
竹竿を納め直されます。
さらに、そこから新しい竹竿を出されていました。
その後には、新しく並び直された竹竿に水を撒かれました。


990-15.jpg
準備が整うと、大船鉾の下から町衆の皆さんが移動されました。
そして音頭取りの皆さんが、掛け声を発せられます。


990-16.jpg
「よ~い、よ~いとな、よ~いとせ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳手の皆さんが大船鉾を西に引っ張れました。
すると、大船鉾がさらに30°方向転換します。


990-17.jpg
これで、大船鉾は合計90°方向転換しました。
南から西へ向きを変えたことで、ここからは四条通を進めます。


990-18.jpg
大船鉾の底部に布が貼ってあり、その弛みに竹竿が収納されています。
町衆の皆さんが、そこに竹竿をすべて収納されています。
この後からやって来る山鉾はありませんし、
この直後から、この辺りは通常通り自動車が往来します。

話は変わりますが、ここからだと大船鉾の側面がよく見えます。
船鉾とは違い胴掛は縦縞で、舵は朱塗りです。
ちなみに舵の上の小部屋に、神功皇后がいらっしゃいます。


990-19.jpg
竹竿を収納が終わると、音頭取りが2人に減ります。
(音頭取りは、通常は2人です)
すると、音頭取りの皆さんは扇子を手前に突き出されます。


990-20.jpg
「え~いやらや~」
音頭取りの掛け声で、大船鉾は四条通を西に進みます。
大船鉾は「四条河原町」交差点から、四条通を西に進みます。


990-21.jpg
大船鉾はこのまま四条通を西進み、
約700m先の「四条烏丸」交差点を通過して、
さらに約200m西の新町通で南下して、
下京区四条町で停止した後その場で解体されます。
そして、翌年まで八坂神社に納められます。


990-22.jpg
これで、祇園祭後祭の山鉾はすべて巡行しました。
すると、その後からこちらの警察車両が河原町通を南下してきました。
葵祭同様京都市内の巡行行列は、警察車両が最後尾で随行します。


990-23.jpg
さらに、トラックが「四条河原町」交差点に現れました。
こちらは、山鉾巡行に随行しているわけではありません。
「四条河原町」交差点に並べられた桶などの備品を片付け、
交通警察が用意された様々な備品も片付けなけれればなりません。
そのために一つの交差点で、これくらいのトラックが必要です。


990-24.jpg
すると「四条河原町」交差点より南側から、
多数の車両が河原町通を北上してきました。
この時点で、2023年7月24日月曜日正午です。
あと10分ほどで、通常通り普通車両がここを行き交います。


990-25.jpg
月桂冠と書かれた法被を身につけられた方々が、
桶などの備品をトラックに積載されています。
交通警察の皆さんも、忙しく作業をされています。


990-26.jpg
よく見ると、この時点でトラックがもう1台やって来ています。
交通警察の皆さんが、規制線などの備品を積載されていました。


990-27.jpg
交通警察の皆さんが、様々な備品をトラックに収納されています。
5分前まで自分の周囲にいらした方々も、徐々に解散されています。


990-28.jpg
また、小型のクレーン車には交通警察官がお一人で乗っておられます。
そちらの警官は、手動で信号機を元の位置に戻されていました。
この辺の信号機は、祇園祭の山鉾巡行に邪魔になります。
一つの交差点で4台のクレーン車が作業しており、
チームを組んで河原町通を北上する班と
四条通を西に進む班に分かれて行動されています。
効率が良いので、ものの10分足らずで辺りの車道は元に戻りました。


990-29.jpg
とは言え横断歩道前の規制線は、すぐに解かれることはありません。
何より安全確認が大切ですし、多少は慎重になる必要があります。
ちなみにこの約5分後、この規制線が解かれ
一般車両が往来しました。


990-30.jpg
という訳で、自分もこの位置から移動します。
ただ結構炎天下で疲れましたので、まずは京都高島屋で休憩です。
時間も時間ですから、最上階で昼食ですね。
その後いったん帰宅して、そこから夕方の還幸祭に向かいます……
というはずでしたが、その還幸祭に遅刻してしまいました。
還幸祭も祇園祭の一部で、
「四条寺町」交差点の八坂神社御旅所から、
八坂神社まで3基のお神輿が巡行する行事です。
「祇園祭のハイライトの山鉾巡行」
これは報道番組での常套句ですが、
祇園祭のメインはこの後のお神輿で、
山鉾巡行はあくまで「露払い」です。
ところがこの還幸祭に自分は遅刻してしまい、
結局2023年は取材できませんでした。
ですから、2023年の祇園祭の取材はここまでです。

~次回からは、「花屋町通編」の連載を再開します~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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