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第588回北観音山辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行2018~前編

[北観音山] ブログ村キーワード

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前回ブログの翌日、午前9時には自転車で家を出ました。
そして鴨川東岸沿いの川端通を北上し、御池通で西に折れました。
さらに川端通から御池通を約200m進むと、
「御池河原町」交差点南東角に出ます。
その辺りの駐輪場に自転車を停めて、
そのまま「御池河原町」交差点南東角に陣取ります。
前祭は反時計回りですが、
祇園祭後祭山鉾巡行は時計回りですので、この位置がベストです。
では、先ずは場所取りから始めます。
撮影日は、2018年7月24日火曜日午前10時。
もうちょっと、ゆっくり来ても良かったようでした……


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「御池河原町」交差点南東角に、
地下鉄東西線「京都市役所前」駅へ下る階段があります。
(地下街のZest御池への階段でもあります)
また、左側に現在は更地の京都信用金庫河原町支店跡があります。
(現在は改築中です。仮店舗が麩屋町通沿いにあります)


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現在2018年7月24日火曜日午前10時05分です。
まだ自動車は、河原町通を往来しています。
場所取りに勝つために、早い目に撮影ポイントに付きました。
「御池河原町」交差点南東角から対角線上の北西角を撮っています。
こちらの建物が、京都市役所です。
手前の交差点上に、テレビカメラのための鉄塔が作られていますね。
撮影は、地元TV局のKBS京都が行っているのでしょうか?


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自分が付いた撮影ポイントから、真北を向きました。
向こうに、「御池河原町」交差点北東角にある
京都ホテルオークラが見えます。
御池通は、午前10時前から自動車は通行止めになっていました。


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京都信用金庫河原町支店跡の前で、AEDを担がれた消防士と
夏服姿の男性が、話されています。
多分、山鉾巡行のこまごました話をされているのでしょうね。


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すると京都信用金庫河原町支店跡の鉄扉が開いて、
中から桶を片手に夏服姿の男性が、10人前後出て来られました。
彼らは、皆「御池河原町」交差点に集結されました。


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一方、その頃(午前10時15分頃)の「御池河原町」交差点です。
そろそろ自動車が通行止めのようです。
ただ、まだ歩行者は交差点をうろうろされていました。


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こちらが、自分の撮影ポイントの北東側です。
交通警官の後ろに、規制線が張られています。
多分その後方も撮影用の場所になるのでしょうが、
今はこの場所を動かないようにしています。


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先程の京都信用金庫河原町支店跡から、ホースが出てきました。
こちらは、このまま「御池河原町」交差点中央まで伸びます。


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京都信用金庫河原町支店の行員さんたちが、
ホースを「御池河原町」交差点まで引っ張っていかれます。
交差点で桶を持って待たれておられる行員さんに
こうして水を運ばれます。


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この時点(10時半)で、御池通を西に向きました。
寺町通付近でしょうか、北観音山が待機していますね。


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さらに10分後、撮影ポイントから背後(東側)を撮りました。
規制線の背後に、プロとアマチュアのカメラマンが集結しています。
だんだん山鉾巡行らしくなってきました。


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そして10時50分頃、交通警官が目の前に規制線を張られました。
実はこの辺りの方々が車道にはみ出て、再三警告を受けていました。
この辺りは山鉾の曳き手さんが通られるので、
車道にはみ出ていると山鉾巡行に巻き込まれてしまいます。


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そうこうして、2018年7月24日午前11時ごろ。
祇園祭後祭山鉾巡行先頭が「御池河原町」交差点に入ってきました。


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山鉾巡行の先頭は、「祇園会」と書かれた幟(のぼり)です。
祇園会(ぎおんえ)とは、祇園祭の別称です。


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ここまで東進した「祇園会」の幟が、交差点中央で南に折れます。
そして、このまま河原町通を四条通まで南下します。


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いよいよ後祭の山鉾が、入ってきました。
後祭山鉾巡行の先頭は、くじ取らずの橋弁慶山です。
武蔵坊弁慶牛若丸による五条橋の決闘を表しています。


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橋弁慶山が、「御池河原町」交差点中央まで来ました。
ここで、担ぎ手の方々が橋弁慶山を自分の頭まで掲げ上げました。


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橋弁慶山の担ぎ手さんは、掲げ揚げたまま90°南に折れました。
そして、その位置で橋弁慶山を下ろされました。
これが、担ぎ山の「辻回し」です。
鉾や曳山より小規模の担ぎ山の辻回しは、30秒ほどで終わります。


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そして、橋弁慶山が河原町通を南下していきます。
黒い肌の武蔵坊弁慶と牛若丸の雄姿が、よく分かりますね。
この橋弁慶山も、四条通まで南に進みます。


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橋弁慶山の後を山鉾町の町衆の方々が、続いて歩かれていかれます。
祇園祭山鉾巡行では、前祭でもよくある光景ですね。


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橋弁慶山の続いて、北観音山の登場です。
こちらもくじ取らずなので、最初から順番が決まっています。


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こちらが、北観音山です。
松が中央に立つ「山」ですが、
高くて大きいので鉾のように曳き手がいらっしゃいます。
山の底から竹を出し、町衆の方々が抱えておられますね。


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北観音山の曳き手の皆さんが、
その竹を交差点の路上に並べていかれます。
そして、京都信用金庫河原町支店の行員さんが用意された桶の水を
山の滑りをよくするためにその竹の上に撒かれます。


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一方、北観音山の曳き手の皆さんが
「御池河原町」交差点を通り過ぎても東に進まれて
自分の目の前を通り過ぎていかれます。
ですから、交差点前にいらしたプロのカメラマンが
慌ててその場から撤収されています。


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北観音山の曳き手の皆さんが、
自分の背後の規制線の手前まで来られました。
こうすることで、北観音山が交差点の中央までやって来ました。
ちょうど並べられた竹の前で、北観音山が停止しました。


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北観音山町衆の皆さんが、車輪の南側に竹を並べていかれます。
それが1本並べ終わる度に、車輪の滑りをよくするために
先程の桶の水をさらに大量に撒かれます。
桶の水がなくなるたびに、京都信用金庫河原町支店の行員さんが
新たに水を満たした桶を町衆の許へ運ばれていきます。


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辻回しのために竹を並べられるのは、1回に約10分掛かります。
その間、北観音山の囃手さんは勇壮な曲を演奏されます。
祇園囃は山鉾ごとに異なりますが、
このような辻回しの際にも別の曲を演奏されます。


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竹を並べ終わると、曳き手の皆さんが河原町通に移動されます。
さて、いよいよ辻回しが始まります。
扇を持たれた山の先頭に立たれた4人の町衆が掛け声を発します。


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同じ位置から、少し引いた写真です。
曳き手の皆さんが、90°南に折れた位置で引っ張ることで
強引な方向転換を図ります。
このことを祇園祭では「辻回し」と言います。


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扇を持たれた町衆が、扇を左側に傾けておられます。
ここで、辻回し独特の掛け声「エイヤラヤ~」と
その町衆が大声で叫ばれます。


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その町衆が掛け声とともに、扇を前に差し出しました。
それを合図に曳き手の皆さんが、北観音山を90°南から曳きました。
すると、北観音山がズルズルと南へ曲がりだしました。


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北観音山の車輪が、竹の上を滑っていきます。
北観音山は、そのまま南へ60°曲がったところで停止しました。
実は一気に90°曲がると転倒の危険があるので、
通常この辺りで停止します。


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北観音山が停止すると、町衆の皆さんが竹の位置を直されます。
もちろんまた大量の水が必要となるので、
京都信用金庫河原町支店の行員さんが忙しく桶を運ばれていました。
よく見ると、後方に次に巡行される黒主山が並んでいます。


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竹を再び並び終えると、扇片手の町衆が
「エイヤラヤ~」とまた大声で叫ばれました。
するとまた北観音山が回りだし、南を向いた時点で停止しました。


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これで、北観音山の辻回しが終了しました。
ここで使われた竹は、北観音山の底部に収められます。


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北観音山底部に竹が収められると、
祇園囃の曲調が落ち着いたものに変わります。
その直後に扇を持たれた町衆が「エイヤラヤ~」と声を掛けると、
北観音山が河原町通を南下し始めました。


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北観音山が、「御池河原町」交差点から去っていきます。
次は1番くじを引いた黒主山が入ってくるのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、後祭天鉾巡行の残りを紹介します~

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第589回鯉山も回ります~祇園祭後祭山鉾巡行2018~中編

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2018年祇園祭後祭山鉾巡行も、北観音山の辻回しが終わりました。
今までは「くじ取らず」の山ばかりでしたが、
ここからはくじを取った(毎年順番が変わる)山が並びます。
撮影日は、2018年7月24日火曜日午前11時半。
2018年は、7月いっぱい体温(37℃)以上の気温でした。


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前回ブログの北観音山に続いて、後祭山3番黒主山が
「御池河原町」交差点に入ってきました。
くじを引いた中では、こちらが1番です。
謡曲「志賀」に取材した桜を見上げる大友黒主がご神体です。


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黒主山が、「御池河原町」交差点に入ってきました。
中央まで来ると、担ぎ手の皆さんが黒主山を持ち上げました。


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そして、このまま黒主山を担ぎ手の皆さんが南に向かせます。
大きな曳山と異なり、小さな担ぎ山は派手な辻回しはありません。
と思っていたのですが……


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黒主山の担ぎ差の皆さんは、そのまま回りだしました。
この位置からでも、真後ろの見送りがよく見えます。


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そして、黒主山が1周回ります。
担ぎ山のいくつかは、このようにアドリブで回転します。


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黒主山はさらに回転して、真正面を向きました。
桜の造花と大友黒主像が、よく見えますね。


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さらに、黒主山が回り続けていきます。見送りがよく見えますね。
黒主山は、このまま合計3周回りました。


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そして、黒主山が3周回り南に向くと、
担ぎ手さんたちは黒主山を地面に下ろしました。
ここから黒主山は南進し、「御池河原町」交差点から去ります。


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続いて、鯉山が登場します。
登龍門(鯉が滝上りして、龍となる故事)が元になった山です。


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鯉山が、「御池河原町」交差点中央に入ってきました。
こちらも、担ぎ手さんたちが鯉山を持ち上げます。


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鯉山を担ぎ手さんたちが持ち上げて、南へと向きを変えました。
ここで鯉山を下ろすと思いきや、またも……


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黒主山に続いて、鯉山も回転し始めました!
イーリアス」を描いたベルギー製のタペストリーを
箟(のみ)で切り裂いて製作した見送り(山鉾後部の垂れ幕)は、
胴掛と共に重要文化財に指定されています。


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鯉山は、さらに回転し続けます。
この角度だと、ご神体の左甚五郎作鯉像がよく見えます。
こちらも、重要文化財に指定されています。
鯉山はこの二つの重要文化財見たさに、
宵山などにはたくさんの人だかりができています。


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鯉山は、まだまだ回り続けています。
ちょうど正面が、こちらを向いています。
鯉山の胴掛もその上に掛かる水引も、
「イーリアス」のタペストリーの残りの部分から作られています。
こちらも、先ほどの見送りとセットで重要文化財です。


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鯉山も、3周回りました。
その後鯉山が南に向いた際に、担ぎ手さんたちが下ろしました。
そして、鯉山はそのまま河原町通を南下していきました。


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鯉山の直後を荷茶屋(にないちゃや)が通り過ぎます。
要するに、鯉山の担ぎ手さんたちの道具などを運んでいます。
こちらのものは下に車が付いているので、持ち上げません。


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続いて、鈴鹿山の登場です。
ご神体は、戦女神の鈴鹿権現を祀っています。
滋賀県と三重県の県境にある鈴鹿山脈の所以でもあります。


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鈴鹿山が、「御池河原町」交差点の中央に入ってきました。
やはり担ぎの皆さんが、鈴鹿山を持ち上げます。


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鈴鹿山の担ぎ手さんたちは南に向くと、
回転することなくそのまま鈴鹿山を地面に下ろされました。
そして、そのまま河原町通を南下していきました。


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鈴鹿山の後を鈴鹿山の荷茶屋が続きます。
こちらも、大きくて車が付いています。


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そして、鈴鹿山の後ろから一際大きな曳山が現れました。
こちらは、山6番くじ取らずの南観音山ですね。


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南観音山が、「御池河原町」交差点に近づいてきました。
すると、先に町衆が竹を持って交差点に入って来られました。
辻回しの下準備が始まるようです。


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一方、南観音山は「御池河原町」交差点に入ってきました。
曳き手の皆さんが交差点を越えて、自分の前も越えていきます。


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そうして、南観音山が「御池河原町」交差点中央に来ました。
その位置で、南観音山が一旦停止します。


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その南観音山の車輪横に、竹が敷き詰められていきます。
また、南観音山の曳き手の皆さんは河原町通に移動されました。


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南観音山の辻回しの準備の間、その上部を撮りました。
囃手さんが、祇園囃を奏でていますね。
飛天を描いた紅い水引が、お昼前の日光に映えます。


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南観音山車輪脇の竹が敷き詰められたようです。
音頭取り(山の先頭に乗って、方向指示を行う方々)が
扇子を横に振り上げ、いよいよ辻回しが始まります。


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音頭取りの「エイヤラヤ~」という掛け声とともに、
南観音山が車輪脇の竹の上を滑っていきます。
約60°ほど南に曲がった地点で、1回目の辻回しが終わりました。


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南観音山車輪脇の竹が、また敷き詰め直されていきます。
京都信用金庫河原町支店の行員さんが汲み上げた桶の水が、
滑りをよくするために竹の上に何度も撒かれていきます。


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南観音山車輪脇の竹が敷き詰め直されて、
「御池河原町」交差点2回目の辻回しが始まります。
音頭取りが掛け声を掛ける前に、扇子を振り上げられます。


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南観音山の音頭取りが、扇子を構えられました。
そして、「エイヤラヤ~」と掛け声が響きます。


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掛け声と同時に、音頭取りが扇子を前に付きだされました。
それに合わせて、曳き手の皆さんが河原町通側から
南観音山を一斉に引っ張られました。


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南観音山は竹の上を滑り、河原町通に向いた時点で停止しました。
南観音山の辻回しは、2回で90°曲がり切りました。
御池通の西側を見ると、次の役行者山が順番待ちをしています。


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南観音山の裾幕に、竹が仕舞われていきます。
これを片付けたら、南観音山の辻回しは完全に終了です。


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辻回しが終わると、南観音山囃手が演奏される曲調が変わります。
音頭取りが山の前で、前後に揺れながら扇子を振り上げられます。


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「エイヤラヤ~」という掛け声とともに、
南観音山の音頭取りが扇子を前に付きだされました。
すると、南観音山がゆっくりと南下し始めました。


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南観音山が、「御池河原町」交差点を去っていきます。
もう次の役行者山が見えていますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ここから先は、次回とします。
……って、2回で山鉾巡行が書けませんでした!

~次回は、残りの山鉾全て載せます~

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第590回 人の波渡る大船鉾~祇園祭後祭山鉾巡行~後編

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祇園祭後祭山鉾巡行も、佳境に入ってきました。
山6番くじ取らずの南観音山が「御池河原町」交差点を去り、
代わりに次の役行者山の姿が見えます。
今回は、残りの後祭山鉾巡行全てを載せます。
撮影日は、2018年7月24日火曜日正午。
今回で、やっと2018年祇園祭の記事の全てが終了します。


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こちらが、山7番役行者山です。
ご神体は、葛城神・役小角・一言主です。
日本の密教や山岳信仰・修験道など神仏習合と関わりのある山です。


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役行者山の幟と山の間で聖護院の修験者が参列されています。
役行者山と聖護院の修験者の御縁は深く、
山鉾巡行の前日の宵山(7月23日)午後2時から、
毎年京都市中京区役行者山町で、
聖護院の修験者が祈祷されます。
その際、聖護院の修験者は般若心経の読経と共に
「南無 祇園牛頭天王」  「南無 神変大菩薩」
と唱えられます。(第139回ブログ参照)
牛頭天王は祇園祭の主神で、素戔嗚尊とよく同一視されます。
一方、神変大菩薩は役小角の仏としての名前です。
このような文言が残っていることからも、
祇園祭と聖護院の修験者の関わりの深さが窺い知れます。


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そして、役行者山が「御池河原町」交差点に入ってきました。
役行者山が交差点中央に入ってくると、
担ぎ手の皆さんは役行者山を持ち上げられました。


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役行者山が、南に向きました……
と思ったら、こちらに来られたいくつかの山同様に
交差点の中央でまたまた回転しだしました。


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役行者山が回転して、真後ろを向きました。
こちらから見ると、見送りがはっきり見えますね。


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さらに、役行者山が北を向きました。
役行者山は、まだまだ回転し続けます。


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役行者山が、こちらを正面に向きました。
この角度だと、役小角像初めご神体がよく見えます。


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そして、役行者山が南を向きました。
すると、担ぎ手の皆さんが役行者山を地面に下ろされました。


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「御池河原町」交差点から、役行者山が南下します。
その後から、荷茶屋(にないちゃや)が通り過ぎました。
要するに、荷物が入った容れ物ですね。
その後から、浄妙山が続きます。


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こちらは、浄妙山の上の方です。
浄妙山は、宇治川の戦いで一番名乗りをしようとした浄妙が
一来法師に頭を越されて、一番名乗りを逃した様子を表しています。
(かつて日本の戦では、最初に名乗りを上げた者は褒美が貰えました)
浄妙の頭の上に、一来法師が乗っかる変わったご神体です。


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浄妙山が、「御池河原町」交差点の中央に入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが浄妙山を担ぎ上げました。


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そして浄妙山が南を向くと、
担ぎ手の皆さんは浄妙山をそのまま地面に下ろされました。
どうやら、この山は回転されないみたいです。
……と言いますか、この山が回転したら
一来法師像の腕が折れてしまいそうな気がします。


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浄妙山の後は、山9番八幡山の登場です。
京都市中京区三条町に祀られる八幡神社の祠が、ご神体です。


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八幡山が、交差点の中央に入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが八幡山を持ち上げました。


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八幡山も南を向くと、そのまま地面に下ろされました。
大きな山鉾が辻回しする直前の小さな山は、
このように回転されない場合が多いですね。


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そして八幡山の後は、山10番くじ取らずの大船鉾です。
前祭の山鉾巡行の最後尾は船鉾なのですが、
この後祭の最後尾は大船鉾です。
どちらもアマノトリフネを表していますが、
大船鉾は日本への帰還を表しています。


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大船鉾の曳き手の皆さんが「御池河原町」交差点を通り過ぎ、
こちらの方に来られました。
大船鉾の船首は毎年交互に取り付けられるのですが、
今年は龍神のようです。
(昨年は、紙垂が取り付けられていました)


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「御池河原町」交差点に、大船鉾が入ってきました。
交差点の中央近くに入ってきて、大船鉾が停止しました。
京都市下京区四条町を表す「四」の紋が見えますね。


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大船鉾曳き手の皆さんが、御池通から河原町通に向かいました。
大船鉾の車輪脇に竹を敷き詰められ、辻回しの準備が終わりました。


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いよいよ大船鉾の辻回しが始まります。
音頭取りの方々が、扇を振り上げられます。


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音頭取りの方々が、「エイヤラヤ~」と声を掛けられます。
そして、扇を前に突き出されました。


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その掛け声を合図に、曳き手の皆さんが南側から大船鉾を曳きます。
すると大船鉾は竹の上を滑り、30°ほど南に曲がりました。


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大船鉾は、ここからまた辻回しの準備に入ります。
車輪脇に新たに竹が敷き詰められていきます。
そして、滑りをよくするために竹に水が撒かれています。


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再び音頭取りの方々が、「エイヤラヤ~」と叫ばれます。
すると、また曳き手の皆さんが南側から大船鉾を曳かれます。


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そして、大船鉾がさらに30°ほど南にズレました。
大船鉾はここで停止しました。あともう1回辻回しが必要ですね。


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更に大船鉾は、辻回しの準備に入ります。
車輪脇の竹が敷き詰め直されて、その上に水が撒かれます。


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そして3度「エイヤラヤ~」の掛け声が響きます。
すると、曳き手の皆さんが南側から大船鉾を曳かれました。


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そうして大船鉾が竹の上を滑っていき、真南で停止しました。
こうして、大船鉾が約90°曲がりました。


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大船鉾の辻回しが終わりました。
辻回しで使われた竹が裾幕内に仕舞われた後、前進するため
音頭取りの方々が、「エイヤラヤ~」と掛け声を発せられました。


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大船鉾が河原町通を南下し、「御池河原町」交差点を去ります。
これで2018年の祇園祭後祭山鉾巡行が
全て「御池河原町」交差点を通り過ぎました。
その後から御池通を一般車両がやって来ました。


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急いで「御池河原町」交差点が、撤収作業に入ります。
京都信用金庫河原町支店の行員さんが、
水の入った桶や長いホースを片付けていかれます。


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撮影ポイントから、御池通を東に向きました。
規制線が外されて、撮影されていた方々がもういません。
一般車両が、御池通を通行できるようになってきました。


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すると、「御池河原町」交差点の信号が復活しました。
先ずは歩行者が交差点を行き来します。


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一方、自分は「御池河原町」交差点の駐輪場に向かいます。
そして、寺町通経由で帰宅しました。

これで、2018年祇園祭後祭山鉾巡行の連載を終えます。

~次回から、夏休み中の京都市内散策を載せます。
2018年は京都駅前から島原に向かいました~

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第873回橋弁慶山巡行~2022年祇園祭後祭山鉾巡行~その1

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前回ブログで、祇園祭後祭宵山の連載が終了しました。
ただ祇園祭後祭の本番は、7月24日の巡行にあります。
午前中の山鉾巡行と夕方の神輿巡行ですね。
先ずは、ここから祇園祭後祭山鉾巡行を連載します。


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京都駅から国際会館行きの京都市営地下鉄に乗って、2駅。
「四条」駅から約100m北上して、阪急電車「烏丸」駅に移動します。
さらに「烏丸」駅から、阪急電車を1駅だけ乗りました。
こちらは、阪急電車京都線の終点「河原町」駅です。
今回はここから「四条河原町」交差点に進み、
祇園祭後祭山鉾巡行を見物します。
撮影日は2022年7月24日日曜日午前9時50分。
日差しの強い猛暑日でした。


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1駅だけですが、今まで乗っていた特急電車を降ります。
「河原町」駅ホームは、休日の午前中としては結構な人出でした。


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阪急電車「河原町」駅ホームを南下すると、
すぐにこちらのエスカレーターに辿り着きました。
では、ここから阪急電車「河原町」駅コンコース階に上がります。


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先程のエスカレーターに乗り、
阪急電車「河原町」駅コンコース階に上がってきました。
では、目の前の改札口から阪急電車「河原町」駅を出ます。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口を出て、
地下道を南に向いています。
目の前に5番出口があります。
こちらを進むと、京都高島屋地階の脇を通って
京都市街地随一の繁華街「四条河原町」交差点に出ます。
そのあたりが今回ブログの目的地なのですが、
ちょっと寄りたいところがあるので、ここを進みません。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口を出て、地下道を西に向いています。
この地下道は、1963年に阪急電車京都線が
地下鉄化した際に造られました。
高瀬川~室町通間の約1㎞伸びる長い地下道です。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口から地下道を約50m西に進み、
北を向いています。
では、こちらの6番出口から地上に出ます。


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その6番出口の階段を上がっています。
こちらを上がると、目の前に四条通が東西に伸びています。


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6番出口を上がり、四条通に出て南に向いています。
京都高島屋の最西端部分は、現在工事中ですね。
目の前のモスバーガーは、第861回ブログに出てきました。


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6番出口から、四条通を西に向いています。
祇園祭山鉾巡行は御池通で始まっていますが、
この辺りに来るまで1時間以上かかるようです。
ですから、まだ車両は通行可能でした。
2022年7月24日日曜日は、1日中快晴でした。


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6番出口から、四条通を西に約50m進みました。
「四条寺町」交差点の手前に、八坂神社御旅所があります。
2022年祇園祭前祭山鉾巡行を眺めていたのが、この辺りです。
(祇園祭前祭山鉾巡行の様子は、第857回ブログ参照)


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では「四条寺町」交差点の北東角から、横断歩道を南に渡ります。
この先が、八坂神社御旅所です。


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ここから、八坂神社御旅所を西から順に参拝します。
(八坂神社御旅所は、「四条寺町」交差点から
四条通沿いに東へ社や祠が並びます)
御旅所最西端は、冠者殿社です。
ご祭神は、素戔嗚尊の荒魂です。
創建はかなり古くてはっきりしませんが、
京都市街地をあちこち移転し続けて、
約150年前にこの地に鎮座されました。
その左(東)側は、八坂神社御旅所西御殿です。
こちらも八坂神社ですから、ご祭神は素戔嗚尊です。


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八坂神社御旅所西御殿の左(東)側は、
普段は土産物屋さんが建ち並ぶスペースです。
ただ八坂神社神幸祭と八坂神社還幸祭との間は、
このように八坂神社のお御輿が安置されています。
(要するに、7月17日~7月24日ですね)
お御輿は左から、八柱御子神を載せる西御座、
素戔嗚尊を載せる中御座、奇稲田姫を載せる東御座です。


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お御輿の東隣は、八坂神社御旅所西御殿です。
こちらのご祭神も、素戔嗚尊です。八坂神社の主神ですね。
こちらも参拝して、先に進みます。


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八坂神社御旅所から、四条通を東に向いています。
では、ここから四条通を東に進みます。


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八坂神社御旅所から、四条通を約100m東に進みました。
右(南)側にGUCCI(グッチ)のお店が見えますが、
その辺りから百貨店の京都高島屋です。


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その京都高島屋のショウウィンドウに、
洛中洛外図屏風が飾られています。
しかも、画題が一番多く描かれた祇園祭山鉾巡行の様子ですね。
「四条河原町」交差点付近には山鉾が立ちませんが、
この辺りも祇園祭山鉾町に相当します。
ですから老舗百貨店の高島屋も、このように屏風を展示します。
(もともと高島屋は、祇園祭山鉾町の呉服問屋でした)


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洛中洛外図屏風の祇園祭山鉾巡行の最後尾に、
白鷺の扮装をした方々が描かれています。
祇園祭で山鉾巡行が行われるようになったのは室町時代以降で、
平安時代の祇園祭ではこのような扮装をした方々が巡行されました。


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その京都高島屋は、「四条河原町」交差点北西角に建っています。
この辺りが、京都市街地でいちばん賑やかな場所です。
では京都高島屋に沿って、四条通から河原町通に進みます。


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四条通から、河原町通を南に向いています。
自分がうろうろ歩いているうちに、
河原町通は車両通行止めになってました。
ですから、ここから車道上に侵入できます。
……ということで、この辺りで山鉾巡行を撮影します。


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先程の写真から、約30分経ちました。
この時点で、2022年7月24日日曜日午前10時半です。
実は約30分間、京都高島屋店内で涼んでいました。
この日(2022年7月24日日曜日)は、朝から猛暑でした。
……ということで、ここから河原町通の車道に移ります。


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河原町通の車道から、「四条河原町」交差点を北に向いています。
ではこの位置で、祇園祭後祭山鉾巡行を待ちます。


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さらに10分後の2022年7月24日日曜日午前10時40分。
パトロールカーが河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に近づいてきました。
こちらは、祇園祭後祭山鉾巡行を先導しています。
つまり、ここから祇園祭後祭山鉾巡行が始まります。


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先導のパトロールカーが、「四条河原町」交差点に入ってきました。
葵祭など京都市街地を巡行するお祭り行列の先頭は、
警察車両が先導します。


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河原町通を南下していたパトロールカーが、
右折して四条通を西へ進んでいきます。
その直後から、幟を持つ方が河原町通を南下しておられます。


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パトロールカーが「四条河原町」交差点を去った後、
「四条河原町」交差点に侵入された方がいらっしゃいました。
その方が、「四条河原町」交差点上に水が入った桶を置かれました。


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そうこうしているうちに、幟を持った方が
「四条河原町」交差点に来られました。
ちなみに、祇園祭は厳密には「祇園会」と言います。
その後ろに、榊を持たれた方も近づいて来られました。


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幟を持たれた方と榊を持たれた方が、
他の方々共々「四条河原町」交差点を東に向かれています。
そちらの方(四条通最東端)に八坂神社がいらして、
こちらの方々は八坂神社に拝礼されています。


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その後幟を持たれた方は、この左(西)で待機されています。
そして榊を持たれた方が、桶の水に榊を浸されます。
さらに、水に漬かった榊を翳されました。


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榊を持たれた方が、「四条河原町」交差点を西に向かれました。
そして、また榊を桶の水に浸されます。


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そのまま榊を翳されて、西へ榊に付いた水を飛ばされます。
こうして山鉾巡行を先導して、通りを清められて行かれます。
……のですが、写真がブレておかしな角度で撮れてしまいました。


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榊を持たれた方が四条通を西へ去られた後、
清められた「四条河原町」交差点に祇園祭の山鉾が入ってきます。
先ずは、くじ取らず順番固定の「担ぎ山1番」橋弁慶山ですね。


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橋弁慶山が、「四条河原町」交差点の中央に入ってきました。
橋弁慶山は、謡曲の橋弁慶を題材にしています。
少年時代の源義経武蔵坊弁慶が、五条大橋で決闘したお話ですね。
この後負けた武蔵坊弁慶は、源義経の忠実な家臣となりました。
ですから、こちらは忠義を描いた山でもあります。


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「四条河原町」交差点の中央まで来ると、
橋弁慶山の担ぎ手の皆さんが力を溜め始められました。


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そして、そのまま橋弁慶山を担ぎ上げられました。
この時点まで、橋弁慶山は下に付いた小さな車輪で動いていました。


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橋弁慶山の担ぎ手の皆さんは
橋弁慶山を南向きから西向きに方向転換をされると、
そのまま橋弁慶山を下ろされました。
この角度だと、少年時代の源義経と武蔵坊弁慶がよく見えます。


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すると、橋弁慶山の担ぎ手の皆さんが
橋弁慶山を西へと押していかれました。
担ぎ山の下部には写真が付いていて、そのまま押すことができます。


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橋弁慶山が四条通を西へ去った後、
くじ取らず順番固定の「曳山1番」北観音山の登場です。
曳山は担ぎ山より大きく、担ぐことができないので大人数で曳きます。
ここから北観音山の「辻回し」が始まりますが、
だいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、この北観音山の辻回しを掲載します~

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第874回 北観音山辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その2

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前回ブログで四条通を西に去った橋弁慶山の町衆が、
「四条河原町」交差点を東に向かれて、
約900m先の八坂神社へ拝礼されています。
その直後から、くじ取らず順番固定の「曳山1番」北観音山が
河原町通を南下しています。
今回は、北観音山の辻回しを中心に掲載します。
撮影日は、2022年7月24日日曜日午前10時45分。
前祭同様、後祭も2022年の山鉾巡行は快晴の猛暑です。


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前回ブログに登場した橋弁慶山は数人で担げる大きさでしたが、
「鉾」と同じ大きさの北観音山は30人ほど囃子手さんが同乗します。
つまり北観音山が近づくにつれ、祇園囃子の音色が近づいてきます。
ですから「鉾」同様30人ほどの曳手さんによって曳かれますが、
あくまで「山」ですから天頂部は鉾ではなく松の木が立ちます。
このような形式を「曳山」と言います。


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「北観音山」と書かれた幟を掲げられる方が、
「四条河原町」交差点を左(西)に進まれます。
一方「四条河原町」交差点中央に数人の方々が集まり、
乾竹(竹を縦に割いて、細長い棒状にしたもの)が並べられています。
ここから、北観音山「辻回し」の準備が始まります。


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北観音山が「四条河原町」交差点の中央に達する前に、
乾竹がきれいに並べられていきます。
このから竹の上に北観音山の前輪を載せて、
曳き手さんたちの力で強引に北観音山を方向転換します。
この行為を「辻回し」と言います。
ちなみにこの日(2022年7月24日)のように乾燥していれば、
乾竹の上に水をかけて前輪を滑りやすくします。


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北観音山が、「四条河原町」交差点の中央にやって来ました。
すると北観音山の曳手さんたちが、自分たちの目の前に来られました。


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北観音山の曳手さんたちは自分たちの間の前から、
四条通の西の方に移動されました。
今から「辻回し」によって、南向きの北観音山を西向きに変えます。


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曳き手さんたちの準備が整うと、
北観音山中央下にいらっしゃる音頭取りの方々が
手に持たれた扇子を振りかざされます。


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「えいやらや~」という音頭取りの方々による掛け声で、
四条通にいらっしゃる曳手さんたちが一斉に山を曳かれます。
すると、北観音山が約40°西へと曲がりました。


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これで、北観音山の1度目の辻回しが終わりました。
北観音山は大きいので、大きな角度を回ると転倒します。
そのため、3度~4度これを繰り返します。
この段階では乾竹を追加されて、
北観音山がさらにこの先も曲がれるようにされています。
桶の中の水を乾竹にかけて、滑りやすくされています。


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その作業の様子を大写ししました。
手慣れた様子で、乾竹を並べておられますね。
両端の音頭取りの方々が、
前輪を固定されておられる様子も見て取れます。


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乾竹を並べ直されて、再び音頭取りの方々が扇子を振りかぶられます。
そして、音頭取りの方々が「えいやらや~」と声を掛けられます。


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すると、北観音山がさらに30°曲がりました。
これで、合計70°曲がりました。
次の辻回しで、90°曲がるでしょうね。


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また、乾竹を並び直される様子を大写ししました。
北観音山の囃子手さんたちは、この間も演奏を続けておられます。
「辻回し」の際には、リズムの早い激しい曲を演奏されていました。


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乾竹を並べる作業が、まだ続いています。
この時点で辻回しが始まって、10分以上経ちました。
いろいろ意見があるでしょうが、
これは結構早いペースで作業をされていると思います。


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乾竹を並べ終えて、最後の辻回しです。
音頭取りの方々が、「えいやらや~」と掛け声をかけられました。


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すると、北観音山がさらに20°回転しました。
これで、北観音山が90°曲がりました。
これで、北観音山の辻回しが無事終わりました。
この間、北観音山の辻回しは約15分かかっていました。


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とは言え、まだまだ後片付けが残っています。
北観音山で使われた乾竹は、北観音山の底に収納されます。
ちなみに北観音山には、楊柳観音が安置されています。
そのため、北観音山後部には柳の枝が付きます。


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乾竹を収納し終えると、北観音山の辻回しが完全に終わりました。
すると音頭取りの方々が扇子を前に振りかざし、
「えいやらや~」と掛け声を揚げられます。


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すると、北観音山が四条通を西に進まれます。
これで北観音山は、八坂神社御旅所方面に去って行かれました。


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北観音山が「四条河原町」交差点を去った後は、
2022年「担ぎ山2番」浄妙山が登場しました。
平安時代末期の宇治川の戦いを描いた山ですね。


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浄妙山の幟を持たれた方が、四条通を西に向いていかれます。
一方、浄妙山の町衆は「四条河原町」交差点を東に向いておられます。


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浄妙山の町衆が、「四条河原町」交差点で東へ一礼されました。
これは、約900m先の八坂神社に拝礼されています。


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浄妙山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
すると浄妙山の担ぎ手さんたちが、力を溜められます。


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そして担ぎ手さんたちは、浄妙山を持ち上げられました。
担ぎ山は大きな車輪も付いていないので、こうして方向転換します。


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浄妙山が、四条通を西に向いています。
曳山よりも小さな担ぎ山も小さな車輪がついているので、
ここからは担ぎ手さんたちが浄妙山を押していかれます。
浄妙山は宇治川の戦いで源義経側に立って戦った僧兵の
浄妙を表した山です。
浄妙が一番名乗り(戦で、最初に名乗ること。褒章が出ます)を
狙って味方の先頭に出た瞬間、
後方にいた僧兵の一来法師に頭上を飛び越されて、
一番名乗りを逃した物語を題材にしています。
「一生懸命頑張ったけれど、残念な結果で終わった」
そういうことを経験した人を讃えるちょっと変わった山です。


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浄妙山が、四条通を西に進みます。
浄妙山は、飛び越える一来法師を頭に載せた変わった山です。
ちなみに、史実の一来法師はこの直後に切り殺されました。


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浄妙山が四条通をに西に去った後、こちらの荷車が通り過ぎました。
この中には、熱中症対策の水などが入っておるのでしょうね。


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浄妙山の後は、鯉山、鈴鹿山と続きます。
ただこの辺りが切りがよいので、今回はここまでです。

~次回は、南観音山の辻回し中心に掲載します~

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第875回 鯉山 南観音山~祇園祭後祭山鉾巡行~その3

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前回ブログで辻回しをされた北観音山に続き、
2022年祇園祭後祭の「担ぎ山3番」鯉山が
「四条河原町」交差点に登場です。
今回は鯉山に続いて、鈴鹿山と南観音山の巡行を掲載します。
撮影日は、2022年7月24日午前11時15分。
炎天下の中、山鉾巡行が続きます。


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「鯉山」の幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点に入って来られました。
その方は、そのまま四条通を西へと進まれます。
そして、その後ろから、鯉山が
「四条河原町」交差点に入ってきました。


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その鯉山を正面から見ています。
左甚五郎が製作した重要文化財のご神体の鯉像が、よく見えます。

「登龍門」という言葉があります。
自力で滝を遡れた鯉は、龍に変化する言われています。
ちょっと古いですが、コイキングがギャラドスになるわけです。
それが立身出世の象徴で、鯉山はその立身出世のご利益があります。


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鯉山が、「四条河原町」交差点中央に入ってきました。
すると担ぎ手の皆さんが、力を溜められます。


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担ぎ手の皆さんが、鯉山を持ち上げられました。
そして、四条通を西に方向転換されました。


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ところが、鯉山はまだまだ回ります。
180°回転して、鯉山の見送りが見えますね。
こちらの見送りは、17世紀のベルギー製タペストリーです。
元々はホメロスの叙事詩イーリアスの一部を描いたものですが、
大きなタペストリーを切り刻んで使用されています。
こちらも、重要文化財です。


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鯉山が270°回転しました。すると右側の胴掛も見えます。
こちらにも、「イーリアス」のタペストリーの一部がありますね。
もちろん、この胴掛も重要文化財です。
このタペストリーは、鯉山以外にも鶏鉾にも使われています。
(鶏鉾巡行の様子は、第859回ブログ参照)


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鯉山がさらに180°回転しました。これで計450°回転しました。
すると担ぎ手の皆さんが、鯉山を下ろされました。


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そして鯉山の担ぎ手さんたちが、四条通を西に進まれます。
鯉山のような「担ぎ山」には小さな車輪がついていて、
直進する際は担ぎ手さんたちは鯉山を押しています。


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鯉山が「四条河原町」交差点を去った後、
鯉山の荷車が後に続いていました。
写真をよく見ると、後続の鈴鹿山が迫っていますね。


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鯉山に続いて、2022年「担ぎ山4番」鈴鹿山の登場です。
戦いの女神鈴鹿権現を祀る山です。


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「鈴鹿山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
その背後から、鈴鹿山も「四条河原町」交差点に入ってきました。


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そして鈴鹿山の担ぎ手さんたちも、鈴鹿山を持ち上げられました。
……のですが、ちょっと変な角度で撮れてしまいました。


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鈴鹿山が、四条通を西に向いています。
この状態で、担ぎ手さんたちが鈴鹿山を下ろされました。
この角度だと、ご神体の鈴鹿権現のお姿がよく見えますね。


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鈴鹿山が「四条河原町」交差点を去った後、
鈴鹿山の荷車が通過しました。
この後は、暫くどの山も「四条河原町」交差点に来ませんでした。


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鈴鹿山が「四条河原町」交差点を去ってから、約5分経ちました。
蛸薬師通の辺りから、くじ取らず順番固定の「曳山2番」
南観音山が河原町通を南下しています。
鯉山や鈴鹿山と比べて巨大な南観音山には大きな車輪が付いていて、
約30人で山を曳いています。
「担ぎ山」に対して、このような形式を「曳山」と言います。
曳山は前祭の「鉾」同様、「辻回し」を行います。


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南観音山が、「四条河原町」交差点に近づいてきました。
すると南観音山の町衆の方々が、
「四条河原町」交差点に乾竹片手に入って来られました。
ここから、南観音山の辻回しの準備が始まります。


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「南観音山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
山の上に載られた囃子手さんたちによる祇園囃子が
「四条河原町」交差点に響いています。
一方で、辻回しに使う乾竹がきれいに並べられていきます。


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南観音山の曳手の皆さんが、「四条河原町」交差点に入ってきました。
南観音山は、「四条河原町」交差点に並べられた乾竹へと進みます。


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南観音山の曳手の皆さんは「四条河原町」交差点から、
河原町通を南下されて自分の目の前まで来られました。
南観音山が「四条河原町」交差点中央に入ったことで、
曳き手の皆さんは四条通に移動されます。


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その直後の南観音山を大写ししました。
車輪が滑りやすいように、乾竹を並べられています。
さらに乾竹が滑りやすくなるように、
桶の中の水が乾竹に掛けられてます。
南観音山も北観音山同様、楊柳観音が祀られています。
そのため、南観音山も見送りの代わりに柳の木が付けられます。


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まだ乾竹は並べられてる途中ですが、
そろそろ南観音山の曳手さんたちが四条通に整列されました。
間もなく、南観音山の辻回しが行われます。


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乾竹が並べられたようで、南観音山の音頭取りの皆さんが
扇子を振りかざし掛け声をかけられます。
「えいやらや~」
すると、曳手さんたちが南観音山を西から引っ張られます。


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そして、南観音山が西に約40°滑りました。
これで、1度目の辻回しは成功です。
大きな鉾や曳山は、一気に曲げると転倒します。
そのため、この辻回しは通常3回行われて90°曲がります。


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南観音山を再び大写ししました。
町衆の方々が、乾竹を並び直されています。
そして音頭取りの皆さんが、前輪を固定されて
動かないようにされています。


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どうやら乾竹を並び直されて、辻回しの準備が整ったようです。
南観音山の音頭取りの皆さんが、再び掛け声をかけられます。


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「えいやらや~」の掛け声とともに、南観音山が約30°動きます。
これで、南観音山は計70°回転しました。


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そして、南観音山を大写しします。
乾竹を結構ハイペースで、並び直されています。
辻回しは下手をすると30分以上かかるのですが、
今回は15分くらいで終えそうですね。


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ほどなくして、乾竹が並び直されました。
今度は、南観音山による最後の辻回しでしょうね。


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準備が整い、南観音山の音頭取りの皆さんが扇子を振り翳されます。
「えいやらや~」と音頭取りの皆さんに声を掛けられ、
南観音山が西に引っ張られます。


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南観音山が、さらに約20°西に滑っていきます。
これで南観音山は、計90°西に曲がりました。
あとは、南観音山は四条通を西に進むだけですね。


875-31.jpg
……とはいえ、南観音山はすぐには動きません。
今まで辺りに並べていた乾竹を底部に収納しないといけません。
この乾竹は、「四条新町」交差点での辻回しでも再使用されます。


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乾竹を収納し終えると、南観音山の音頭取りの皆さんが
扇子を前方(西側)に扇子を翳して、掛け声を発せられます。
「えいやらや~」


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音頭取りの皆さんによる掛け声で、南観音山は西に進みます。
辻回しの間は祇園囃子はハイテンポの激しい曲が流れるのですが、
この時点で再び穏やかな曲を演奏され始められました。


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南観音山が、四条通を西に去っていかれます。
すると、後続の担ぎ山が「四条河原町」交差点に入ってきます。


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2022年の「担ぎ山5番」は、役行者山です。
聖護院門跡の修験者を伴う大集団での登場ですね。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、役行者山、黒主山、八幡山と続きます~

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第876回 役行者山 黒主山~祇園祭後祭山鉾巡行~その4

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前回ブログで「曳山2番」南観音山が通り過ぎ、
2022年「担ぎ山5番」役行者山が登場しました。
今回はこの役行者山の後、黒主山、八幡山が続きます。
いずれも、「担ぎ山」ですね。
撮影日は、2022年7月24日日曜日午前11時45分。
お昼近くになって、さらに気温が上がります。


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役行者山の行列の中から、法螺貝の音色が響きました。
役行者山の行列の中に、聖護院門跡の修験者が参加されています。
こちらの修験者さんたちは、前日の7月23日宵山に
役行者山の会所前で護摩焚きを行われます。
(その様子は、第138回ブログを参照してください)


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聖護院門跡の修験者さんたちを伴い、
役行者山の大集団が、河原町通を南下しています。
「役行者山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点で四条通を西に進まれました。


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続いて聖護院門跡の修験者さんたちも、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
一方同行されていた町衆の皆さんは、四条通を東に向かわれました。


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「四条河原町」交差点から約900m東が、八坂神社です。
役行者山の町衆さんたちは、そちらに向けて拝礼されました。



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役行者山が、だんだん「四条河原町」交差点に近づいています。
役行者山のご祭神は、修験道の開祖役小角(役行者)です。
こちらのご神体は、役小角像、葛城神像、一言主像です。
こちらは、役行者が一言主を調伏する様子を描いています。


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役行者山が、「四条河原町」交差点の中央に来ました。
役行者山の担ぎ手さんたちが、力を溜めておられます。


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そこから、担ぎ手さんたちが役行者山を持ち上げられました。
ここから、四条通を西に進むため方向転換をされます。


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役行者山を担ぎ手さんたちが持ち上げて、四条通を西に向けました。
ところが、これには続きがありました。


876-10.jpg
四条通を西に向いても、役行者山は方向転換を続けます。
役行者山は、とうとう180°回転しました。
見送りの龍図が、よく見えますね。


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さらに役行者山が、90°回転しました。
これで、270°回ったことになります。


876-12.jpg
役行者山が、南に向いています。
つまりこれで、360°回転しました。
もちろん役行者山は、まだまだ回り続けます。


876-13.jpg
さらにさらに、役行者山が90°回転しました。
これで、合計450°回り続けました。
ようやく担ぎ手さんたちが、役行者山を地面に下ろされます。


876-14.jpg
役行者山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
その後を役行者山の荷車が続きます。


876-15.jpg
役行者山が「四条河原町」交差点で回転されていた間、
こちらの担ぎ山はずっと待機されていました。
そして2022年の「担ぎ山6番」黒主山が、ようやく登場です。


876-16.jpg
黒主山町衆の皆さんが、「四条河原町」交差点を東に向かれています。
先述の通り、こちらには祇園祭のご祭神八坂神社がいらっしゃいます。
町衆の皆さんは、そちらに拝礼されています。


876-17.jpg
黒主山の町衆の皆さんが、四条通を西に進まれます。
すると黒主山が河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に入ってきました。
町衆の皆さんが黒い笠を持っておられますが、
「黒」主山を「黒」が象徴しています。
一方で黒主山で一番目立つのは桜の造花です。
この二色のコントラストが、鮮やかですね。


876-18.jpg
「黒主山」と書かれた幟を持たれた方が、四条通を西に進まれます。
一方で、黒主山が「四条河原町」交差点に入ってきました。


876-19.jpg
黒主山が「四条河原町」交差点中央に入ってくると、
担ぎ手さんたちは黒主山を持ち上げられました。
そして、交差点内で方向転換されます。


876-20.jpg
持ち上げられた黒主山が、右回りで回転しています。
桜の造花で分かりにくいですが、
山の中央にご神体の大友黒主像がいらっしゃいます。
黒主山は、歌人の大友黒主が桜の木を見上げる様子を描いています。
謡曲「志賀」の一節ですね。


876-21.jpg
黒主山は90°回転しても、まだ回り続けます。
見送りの牡丹鳳凰文様が、見事ですね。


876-22.jpg
黒主山は、合計270°回転し続けました。
この角度なら、ご神体の大友黒主像がよく見えますね。


876-23.jpg
前回ブログで紹介した鯉山も、先程の役行者山も、
合計450°回転して担ぎ手さんたちは地面に下ろされました。
ところが黒主山はまだまだ回り続けて、2周目に入られます。


876-24.jpg
さらに回転し続けて、黒主山はさらに360°回転しました。
これで黒主山は、2回転したわけですが……


876-25.jpg
さらにさらに、黒主山は回転し続けます。
とうとう黒主山は、3周目に突入です。


876-26.jpg
この日(2022年7月24日日曜日)いちばん回り続ける黒主山に、
沿道の方々は拍手喝采を挙げます。
見ていて面白いのですが、次の八幡山はその間じっと待機しています。


876-27.jpg
黒主山が、2周と270°回転しました。
河原町通をよく見ると、「曳山3番」鷹山が南下してきています。


876-28.jpg
黒主山が、遂に3回転しました。
ちょっと回転されるペースが落ちて来られたので、
そろそろこのパフォーマンスも終了です。


876-29.jpg
案の定黒主山は3周回転すると、
担ぎ手さんたちはさすがに黒主山を地面に下ろされました。
だいぶ担ぎ手さんたちもお疲れのようですが、
そちらに向かって沿道からまた拍手が起こりました。


876-30.jpg
地面に下ろされた黒主山が、四条通を西に進まれます。
「担ぎ山」にも下部に小さな車輪が付いていて、
交差点以外では担ぎ手さんたちは「担ぎ山」を押しています。


876-31.jpg
黒主山の後を荷車が続きます。
ほとんど見切れていますが、フレームの端に
河原町通を南下する鷹山が写っています。


876-32.jpg
その鷹山に先行して、2022年の「担ぎ山7番」
八幡山が河原町通を南下しています。
2022年は、この八幡山が「担ぎ山」の最後尾です。


876-32.jpg
八幡山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
八幡山は、中京区新町通三条下る三条町にいらっしゃる
小さな八幡社がご神体です。
祇園祭前祭でも霰天神山と油天神山があって、
町の小さな神社がそのまま担ぎ山になっています。
(霰天神山は第848回ブログを参照してください。
油天神山は第850回ブログを参照してください)


876-33.jpg
「八幡山」と書かれた幟を持った方が、四条通を西に進まれます。
その後を八幡山が続いていきます。


876-34.jpg
八幡山が、「四条河原町」交差点中央に入ってきました。
すると担ぎ手さんたちが、その位置で力を溜められました。


876-35.jpg
担ぎ手さんたちが、八幡山を持ち上げられます。
この位置だと、小さな八幡社がよく見えますね。


876-36.jpg
八幡山が四条通を西に向いた時点で、
担ぎ手さんたちが八幡山を下ろされました。
辻回しをする「曳山」や「鉾」の直前に巡行する「担ぎ山」は、
回転しないのがマナーのようです。
(保存会に確かめた訳ではありませんが、
そのような法則で山鉾巡行が毎年行われています)


876-37.jpg
八幡山が、地面に下ろされました。
今度は担ぎ手さんたちは八幡山を押して、四条通を西に進まれます。


876-38.jpg
八幡山の後を八幡山の町衆が、付いていかれます。
八幡山の町衆の皆さんは、笠を振って沿道の人々に応えられています。


876-39.jpg
さらにその後を八幡山の荷車が続きます。
ちなみに、「つがいの鳩」は八幡社の神使です。


876-40.jpg
八幡山に続いて、くじ取らず順番固定の「曳山3番」鷹山の登場です。
こちらも、「曳山」の最後尾ですね。
なお、鷹山は2022年度に復活した山鉾です。
つまり、こちらが「四条河原町」交差点で辻回しするのは史上初です。
(1963年まで、祇園祭山鉾巡行は河原町通を通りませんでした)
ただだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、史上初である鷹山の辻回しを掲載します~

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第877回 鷹山初めての辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その5

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876-40.jpg
前回ブログで、2022年祇園祭後祭に巡行した担ぎ山は
すべてこの「四条河原町」交差点を通過しました。
残るは「曳山」最後尾の鷹山と巡行最後尾の大船鉾です。
今回ブログでは、このうち鷹山の辻回しを掲載します。
今年(2022年)に復活した曳山ですね。
撮影日は、2022年7月24日日曜日正午。
実は、鷹山が河原町通を通過するのは史上初です。


877-1.jpg
「鷹山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点に入って来られました。
その後に、鷹山の町衆の方々が続きます。


877-2.jpg
「鷹山」と書かれた幟を持たれた方が、四条通を西に進まれます。
その後ろで、鷹山の町衆の方々が沿道に手を振られていますね。


877-3.jpg
そして、満を持して鷹山が河原町通を南下しています。
この時点で気付いたのですが、
他の山鉾と比べて曳き手の方々が多いですね。
通常は30人ほどで曳かれるのですが、
その倍くらいいらっしゃいます。


877-4.jpg
河原町通を南下して、鷹山が「四条河原町」交差点に入ってきます。
……のですが、ほかの曳山と比べてかなり大きいですね。
実は鷹山の高さは通常の曳山と同じくらいなのですが、
横幅が他の曳山より極端に広いです。
この鷹山は、祇園祭の曳山では前祭後祭通じて最大です。
(山鉾の最大は、前祭の月鉾です)


877-5.jpg
鷹山が、「四条河原町」交差点中央まで入ってきました。
こうして見ると、やはり曳手の方々が多いですね。
ただ、この時点でまだ交差点内に乾竹を並べられていません。
北観音山など、通常は曳山が交差点に入る前に乾竹を並べられます。
まぁ細かい手順は山鉾単位で違いますので、
これが鷹山町衆の流儀なのかもしれませんが、
もしかすると単なる「うっかり」かもしれません。
何しろ、鷹山の山鉾巡行は約200年ぶりのことです。
鷹山自体はほぼ最古の曳山なのですが、
1826年の大雨で装飾品が汚損してしまいました。
それ以降、昨年(2021年)まで宵山だけの参加となりました。
それが骨組みの木材と装飾品を新調して、
今年(2022年)約200年ぶりに鷹山が巡行に復活しました。


877-6.jpg
その時点で、鷹山の前輪近くを大写ししました。
前輪を車止めで、固定されていますね。
その前輪を滑らす乾竹が、まだ設置されていません。
ここから、慌てて鷹山の辻回しの準備が始まります。


877-7.jpg
鷹山の町衆の皆さんが辻回しの準備をされている間、
鷹山の真木の一部を大写ししました。
松の木の枝に、木造の鷹が留まっています。
鷹山は、在原行平鷹狩をする様子を描いています。

~2022年10月6日木曜日訂正~
今回ブログのコメント欄にある通り、
どうやらこちらの木造は鷹ではなく、雉のようです。
お詫びして、訂正します。


877-8.jpg
さて、だいぶ乾竹が敷き詰められてきました。
鷹山の町衆は乾竹を敷き詰める作業が、
他の曳山や鉾より早い気がします。

鷹山の上に数十人の囃子手さんたちが同乗されています。
こちらの方々が祇園囃子を演奏されているのですが、
ここまでゆっくりした曲調だったのが、
この辺りから早いテンポの激しい曲調に変わりました。


877-9.jpg
交差点に乾竹が敷き詰められる間、
曳手の皆さんはちょっと手持無沙汰です。

よく考えたら、鷹山が河原町通を南下したのは史上初です。
1962年まで祇園祭山鉾巡行は河原町通ではなく、
寺町通を通っていました。
ですから、今回(2022年)「四条河原町」交差点で
鷹山が辻回しを行うのは、史上初です。


877-10.jpg
どうやら、乾竹を敷き詰め終わったようです。
鷹山の曳手の皆さんが、河原町通から四条通に移動されました。


877-11.jpg
四条通に移動された鷹山の曳手の皆さんが、
「四条河原町」交差点の西側に回られました。
この位置から曳くことで、鷹山を南向きから
西向きに方向転換されます。
このことを「辻回し」と言います。


877-12.jpg
鷹山の手前に乗る音頭取りの方々が、掛け声を挙げられます。
「えいやらや~」
すると声に合わせて、曳点の皆さんが左(西)側から鷹山を曳きます。


877-13.jpg
そして、鷹山が西に40°曲がりました。
これで、1回目の鷹山の辻回しが終了しました。
辻回しを急激に行うと、曳山は転倒してしまいます。
そこで通常辻回しは、3回にわたって行います。


877-14.jpg
1回目の辻回しが終わった直後に、鷹山正面を大写ししました。
再び辻回しを行うために、乾竹が敷き詰め直されています。
さらにその乾竹を滑りやすくするために、
その乾竹に水を撒いておられます。
今度は音頭取りの方々が、鷹山の前輪を固定されていますね。


877-15.jpg
鷹山前輪の周囲で、乾竹が敷き詰め直されました。
間もなく、2回目の辻回しが始まります。


877-16.jpg
そして鷹山の音頭取りの方々が、扇子を振り翳し声を掛けられます。
「えいやらや~」
すると曳手の皆さんが右(西)側から鷹山を曳かれ、
さらに鷹山が西に傾きます。


877-17.jpg
すると、鷹山がさらに20°西に曲がりました。
これで鷹山は、合計70°西に曲がりました。
「四条河原町」交差点での鷹山の辻回しは、あと1回です。


877-18.jpg
鷹山の町衆の皆さんは乾竹を並べるのが早くて、
今度は自分が大写しする前に乾竹を並べ終えられたようです。
この時点で、もう音頭取りの方々が扇子を振り被っておられます。


877-19.jpg
「えいやらや~」
音頭取りの掛け声で、曳手の皆さんが
一斉に鷹山を交差点の右(西)側から曳かれます。
すると、鷹山は20°西に傾きました。
これで鷹山は合計90°西に曲がり、完全に西に向きました。
これで、鷹山の「四条河原町」交差点での辻回しは終わりです。
初め手間取られましたが、乾竹を並べる作業が早いため
結局ほかの曳山と同じ約15分で辻回しを終えられました。


877-20.jpg
とは言え、このまま鷹山がすぐに
「四条河原町」交差点を去ることはできません。
今まで敷き詰めていた乾竹を放置できませんし、
「四条新町」交差点でまた辻回しをしなければなりません。
ですから、今まで使っていた乾竹を鷹山下部にある
収納スペースに収めます。


877-21.jpg
それから数分後、乾竹を鷹山下部に収納し終えました。
ここで、町衆の皆さんが「四条新町」交差点から
四条通を西に移動されていきます。


877-22.jpg
鷹山の後片付けも、終わりました。
この辺りから、祇園囃子がテンポの速い曲調から
通常のゆっくりとした曲調に変わりました。
あとは、四条通を西に進むだけですね。


877-23.jpg
「えいやらや~」
鷹山の音頭取りの方々が、その掛け声とともに
扇子を前方に差し出されました。
すると、鷹山は四条通を西に進みました。


877-24.jpg
鷹山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に去っていきます。
一方、河原町通の北側から祇園祭後祭山鉾巡行の最後尾
大船鉾が姿を現します。


877-25.jpg
2022年祇園祭後祭山鉾巡行の最後を飾るのは、大船鉾です。
こちらも、くじ取らすの順番固定です。
ただこの辺りで切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、大船鉾辻回しを掲載します。
次回で、2022年祇園祭山鉾巡行の掲載が終わります~

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第878回 最後は大船鉾~祇園祭後祭山鉾巡行2022~その6

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877-25.jpg
第873回ブログから続いた「2022年祇園祭後祭山鉾巡行編」も、
いよいよ今回ブログの大船鉾で終了です。
「勝利の凱旋」を表す大船鉾が、
くじとらずの順番固定で最後尾で巡行します。
今回は、大船鉾の辻回しを取材した後帰宅します。
撮影日は、2022年7月24日日曜日正午。
午後からは、さらに暑くなりました。


878-1.jpg
くじ取らずで順番固定の最後尾「大船鉾」が、
河原町通を南下してきました。
大船鉾は前祭の船鉾同様に、天鳥船を模った鉾です。
また、それは神功皇后が朝鮮半島に攻め込んだときの船と
同一視されています。
もともと祇園祭は「疫病退散」の願いから始まったので、
「疫病との戦いに勝利した」ことを象徴する鉾でもあります。


878-2.jpg
「大船鉾」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
その後から大船鉾の町衆も、「四条河原町」交差点を通過されます。


878-3.jpg
大船鉾が、「四条河原町」交差点に近づいてきました。
すると大船鉾の町衆の方々が、交差点に乾竹を敷き詰められます。
ここから、大船鉾の辻回しの準備が始まります。


878-4.jpg
「鶴翼の陣」と言いますかU字型に敷き詰められた乾竹に向かって、
大船鉾が河原町通を南下してきます。
大船鉾の舳は金箔が貼られた龍神ですが、
こちらは瀧尾神社の龍神を掘られた方の子孫が製作されました。
また、大船鉾の舳は1年おきに紙垂型と交代します。


878-5.jpg
大船鉾が、「四条河原町」交差点の中央に入ってきました。
大船鉾の上では囃子手さんたちが祇園囃子を演奏されていますが、
この辺りでゆっくりした曲調から
早いテンポの激しい曲調に変わりました。
また大船鉾の曳手んさんたちの法被に「四」と書かれていますが、
大船鉾は下京区新町通四条下る四条町の方々が町衆です。
この法被には、その四条町の紋章が入っています。


878-6.jpg
大船鉾が、「四条河原町」交差点の中央にはいてきました。
その位置で、大船鉾が固定されています。
そこで大船鉾の曳手さんたちが、河原町通から四条通へと移ります。


878-7.jpg
大船鉾の曳手の皆さんが、四条通の西側に集結されています。
これから、大船鉾を曳手さんたちが南側から西側に方向転換させます。


878-8.jpg
乾竹を敷き詰め終えて、大船鉾の辻回しの準備ができたようです。
すると、大船鉾の音頭取りさんたちが
扇子を大きく振りかぶられました。


878-9.jpg
「えいやらや~」の掛け声とともに、
大船鉾が西に40°曲がります。
一気に西に曲がると大船鉾が転倒しますので、
数回に分けて少しずつ西に傾けます。


878-10.jpg
1回目の辻回し直後の大船鉾を大写ししています。
敷き詰められた乾竹の位置を修正されて、
さらに西に曲げられるようにされています。
こうすると大船鉾の音頭取りの方々が3人に見えますが、
中央の方の背後にもう1人いらっしゃいます。


878-11.jpg
大船鉾前輪の周囲で、乾竹を並べ直されています。
この間曳手さんたちは、ちょっと手持無沙汰です。
「大」船鉾ではありますが、実は船鉾より一回り小さな鉾です。


878-12.jpg
大船鉾の辻回しの準備がまた終わりました。
大船鉾の音頭取りの方々が、再び扇子を振りかざされました。



878-13.jpg
「えいやらや~」の掛け声とともに、大船鉾が30°西に曲がります。
これで、大船鉾は70°傾きました。
辻回しは、あと1回あるようです。


878-14.jpg
そして、また乾竹を並び直されます。
最後の辻回しの準備が、もうすぐ完成します。


878-15.jpg
辻回しの準備が整うと、音頭取りの方々が扇子を翳されます。
「えいやらや~」の掛け声とともに、
大船鉾が西側から曳かれます。


878-16.jpg
そして、大船鉾が20°西に回転しました。
大船鉾は、合わせて90°曲がりました。
これで、大船鉾の辻回しが終了しました。


878-17.jpg
とは言え、大船鉾はすぐに出立しません。
大船鉾の下部に、乾竹を収納されています。
これが終わるまでは、大船鉾は動けません。


878-18.jpg
大船鉾の乾竹を収納する時間が続いています。
この辺りで祇園囃子のテンポが遅くなり、
通常の曲調に変わりました。


878-19.jpg
乾竹を収納し終えると、大船鉾の音頭取りの方々が
扇子を手前に翳されました。
すると、大船鉾が四条通をゆっくり西へと進みます。


878-20.jpg
大船鉾が、四条通を西へと進みます。
大船鉾が最後尾ですから、
大船鉾の後ろには山鉾が存在しません。


878-21.jpg
大船鉾が、四条通を西へと去っていきます。
写真では、最後尾の神功皇后がいらっしゃる祠が見えます。
大船鉾の背後にはもう山鉾が存在しませんが、
代わりにパトロールカーが続いています。


878-22.jpg
大船鉾の背後のパトロールカーが、
「四条河原町」交差点に入ってきます。
京都市街地のお祭り行列には、
先頭と最後尾に警察車両が続きます。
(葵祭の場合は、騎乗警察ですが)
パトロールカーの背後には、黄色い大型車両が続きます。
その車両は、信号機を元の状態に戻しています。
(祇園祭山鉾巡行中は、信号機は歩道の上に収納されます)


878-24.jpg
そろそろ交通規制が解除されるので、
自分たちは河原町通の車道上にいられなくなります。
そこで、「四条河原町」交差点南西角に移動します。


878-25.jpg
取りえず、「四条河原町」交差点南西角に移動しました。
車道にいらした方々が一斉に移動したので、
歩道が相当混み合っています。
車道を見ると、黄色いクレーン車量が通過した後は
普通に自動車が通っていました。
この時点で、2022年7月24日日曜日午後0時15分でした。


878-26.jpg
こちらは、「四条河原町」交差点南西角に建つ京都高島屋です。
こちらから地下に移動して、阪急電車と地下鉄を乗り継いで
いったん自宅に帰りました。
……という設定で、本当はこのまま高島屋で涼んでから
(この日の最高気温は、35℃を超えました)
「四条寺町」交差点の八坂神社御旅所の
祇園祭神輿巡行の取材し入りました。

~今回で、2022年祇園祭後祭山鉾巡行が終了です~

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プロフィール

ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
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☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
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うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
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京都サンガの 試合観戦や
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記事にしました

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一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
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「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
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京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
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松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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