第885回 紅葉の蚕の社~下嵯峨紅葉散策~その1
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2022年も、紅葉シーズンとなりました
今回(2022年)は、2020年に企画していたコースを散策します。
その2020年はコロナ禍で「蜜」を防ぐ意味で梅小路公園を散策し、
翌2021年も人混みが少ない伏見区深草地区を訪れました。
今回の紅葉散策は、歴代10か所と異なる回り方をしています。
今回は嵐電(京福電車)を利用して、各観光地を移動しました。
京都駅前地下の市バス・地下鉄案内所で、こちらを購入しました。
地下鉄・嵐電1デイチケット(1200円)ですね。
こちらを使えば、地下鉄と嵐電(京福電車)が一日乗り放題です。
地下鉄で京都駅から「太秦天神川」駅まで進み、
そこから嵐電(京福電車)に乗って3か所以上利用すれば、
あとはこちらの方がお得になります。
今回はこちらを利用して、下嵯峨地区中心に回りました。
ちなみに右京区下嵯峨地区は、
右京区太秦地区と右京区嵯峨野嵐山地区との間にあります。
という訳で、先ずは右京区太秦地区から回ります。

京都駅から国際会館行きの市営地下鉄烏丸線に乗って、3駅。
「烏丸御池」駅で市営地下鉄東西線に乗り換え、
終点の「太秦天神川」駅まで来ました。
今回は、この駅から蚕の社木嶋神社に向かいます。
撮影日は、2022年11月23日勤労感謝の日の水曜日午前11時。
TV報道とは異なり、まだ結構青紅葉でした。

地下鉄東西線「太秦天神川」駅ホームを移動し、
こちらの階段の前まで来ました。
では、こちらを上がります。

先程の階段から、「太秦店川」駅コンコース階まで上がりました。
次は目の前の改札口から、地下鉄東西線「太秦天神川」駅を出ます。

市営地下鉄東西線「太秦天神川」駅を出ると、
真正面にエスカレーターがあります。
では、このエスカレーターに乗って地上に上がります。

地下鉄東西線「太秦天神川」駅から。地上に出ました。
この日(2022年11月23日)は、結構雨が激しい時間帯がありました。
目の前が広場になっていて、その先(南)側はサンサ右京です。
右京区役所や保健所、右京中央図書館などの複合施設ですが、
一部はマンションや商業施設にもなっています。
その右(西)側は、三条通が伸びていますね。
この辺りの様子は、第54回ブログを参照してください。

地下鉄東西線「太秦天神川」駅の前で、三条通を南東に向きました。
この辺りの三条通は、北西~南東に伸びています。
約30m先の横断歩道を渡って、
多くの方々が三条通上の中央分離帯に向かっています。
こちらが、嵐電(京福電車)「嵐電天神川」駅です。
ただ直後にこの近所の「蚕の社木嶋神社」に向かいますので、
今回はこの先から嵐電(京福電鉄)に乗ります。
そうそう、「嵐電天神川」駅向かいのarrowsは
この日(20022年11月23日)も営業中でした。

その位置で、三条通を北西に向いています。
今回は、こちらを進みます。

地下鉄東西線「太秦天神川」駅から、
三条通を約100m北西に進みした。
ここで三条通は、御池通と交差します。
つまり、ここはある意味奇妙な「三条御池」交差点です。
(三条通と御池通はどちらも通常東西に伸びる通りですが、
それがこの辺り限定で三条通が曲がっているので、
このような交差点が存在します)

「三条御池」交差点南東角から、
「三条御池」交差点北東角への横断歩道に向いています。
では青信号に変わりましたので、こちらを渡ります。

横断歩道を渡り、三条通から、御池通を東に向いています。
右(南)側に、先程のサンサ右京が見えますね。
こちらをずっと進むと、精肉店のやまむらやに辿り着きます。

御池通から、三条通を北西に向いています。
この先のマンションに、しまむらがテナントで入っています。
ここからは、三条通をそのまま北西に進みます。

御池通から、三条通を北西に約50m進みました。
この位置で、三条通から真北に木島大路が伸びています。
このまま約50m三条通を進むと、
嵐電(京福電車)「蚕の社」駅があります。

三条通から、木島大路を真北に向いています。
ここからは、この木島大路を北上します。

三条通から、木島大路を約250m北上しました。
ここで木島大路は、太子道と交差します。

木島大路から、太子道を東に向いています。
右(南)側に見えるコンビニエンスストアは、10年前にもありました。

今度は太子道から木島大路を北に向いています。
約700m北上すると、JR嵯峨野線「花園」駅に出ます。

さらに木島大路から太子道を西に向いています。
では、この先の鳥居の脇のカエデ並木に向かいます。

こちらは、木島坐天照御霊神社です。
自分は、通常「蚕の社」木嶋神社と呼んでします。
実は、古すぎて創建時代が不明の神社です。
弥生時代まで遡る説があるほどです。
こちらにはこのブログで何度も訪れていますが、
そのたびにカエデの木が多いことに気付いていました。
ですから紅葉シーズンに訪れれば絶景になると思ったのですが、
予想通り結構な状態になっていました。

木製の鳥居をくぐり、「蚕の社」木嶋神社境内に入ります。
左(西)側の紅葉は、約半分紅く染まっています。
2022年の京都は11月半ばから「紅葉見頃」と報道されていましたが、
少なくともこの神社は見頃がもう少し先のようです。

木製鳥居をくぐると境内は南北に細長く、
石畳の道を約100m北上した先に本殿がいらっしゃいます。
木製鳥居から「蚕の社」木嶋神社境内を約10m北上すると、
この神社の社務所があります。
自分と母の周囲には参拝者が数人いらしたのですが、
社務所内には誰もいらっしゃいませんでした。
実はこの神社の周囲に「このしま保育園」があるので、
(「蚕の社」木嶋神社が経営する保育園です)
園児たちの声でかなり賑やかなのですが、
日曜日や祝日はかなり静かな場所になります。

その社務所脇に「かいこの社」と書かれた
石碑のようなものがありますが、
こちらがこの神社の手水舎です。
また、その脇に風水版のような形の石像があります。
こちらの神社は何かと謎めいた神社かのように紹介されますが、
こういう石盤があるからでしょうね。

「蚕の社」木嶋神社社務所の前で、境内を向いています。
この先に「蚕の社」木嶋神社拝殿がありますが、
その周囲もカエデが密集しています。
またこちらと拝殿との中間点に、
左(西)に伸びる石畳の道があります。

その石畳の道のT字路で、境内を西に向きました。
こちらに石製鳥居があり、両脇にキツネ像が並びます。
明らかに、稲荷社がいらっしゃる印ですね。
「蚕の社」木嶋神社は大きな森に囲まれていますが、
こちらは「元糺の森」と呼ばれています。
下鴨神社南側に広がる糺の森と似た名称ですが、
この糺の森が平安京遷都(794年)直後はこちらにありました。
元糺の森は19世紀後半の明治時代に削られて
だいぶ宅地化されてしまいましたが、
今でもそこそこの面積が残されています。
では、その今も残る元糺の森の最南端にいらっしゃる
こちらの稲荷社に向かいます。

石製鳥居をくぐり境内に流れていた小川跡に架かる橋を渡って、
その稲荷社に入ってきました。
こちらは、複数の社と祠が点在されています。
そちらを1柱ずつお参りします。

では、祠の稲荷社にお参りします。
木々に隠れていますが、左(西)側にもう1柱いらっしゃいます。
6年前に訪れたときと異なり、祠が立派な囲いに覆われていました。

その祠の前で、左(西)を向きました。
目の前に洞穴があってその奥に社がいらっしゃいますが、
先に右(北)側をお参りします。

その北側の道の先は、この辺りです。
先ずは、右(東)側の稲荷社にお参りします。
こちらも、だいぶ立派になっていました。

その稲荷社の脇に、こちらの石碑が立っています。
「白塚」と書かれていますが、
おそらく後述の洞穴の社のもともとの名称でしょう。

石を組み上げた小山に奥へ通じる洞穴があって、
その奥に白清社がいらっしゃいます。
中にはキツネが描かれた板が釘で打ち付けてあり、
そちらがこちらのご神体です。
賽銭箱の真下が少し掘られていて、
状況からもともとこちらに石棺があったと思われます。
要するに、こちらはもともと古墳(古代のお墓)です。
ご神体が「キツネ」ですから稲荷社の一種ですが、
どちらを稲荷神と考えても「死霊神」の側面があります。
(人を殺す「死神」ではありません。
死者の魂を鎮める神様です)
ですから古いお墓の周囲に稲荷社が多いですね。
初めてこちらを訪れた際にこちらが気になり、
相当調べてこちらの出自を知りました。
元糺の森が宅地化されていく明治時代以前は、
この辺は鬱蒼とした森でこの古墳の存在は忘れられていました。
こちらが見つかって考古学者が発掘して、
さらに破壊することになっていたのですが、
近所の右翼団体の方々がこれに抗議して
近くの蛇塚古墳の賽銭箱を持ち込み、
「ここは神社だ。発掘と破壊は許さん」
そうおっしゃって、こちらを守られたようです。
以来こちらは白清社となりました。

白清社に背を向き、境内を東に向きました。
では石製鳥居をくぐり橋を渡って、T字路まで戻ります。

「蚕の社」木嶋神社境内のT字路に戻り、約50m北上しました。
こちらが、この神社の拝殿です。
この先(北側)に、木嶋神社と蚕養神社の本殿がいらっしゃいます。

「蚕の社」木嶋神社拝殿の前で、左(西)を向きました。
この先に休憩所があって、この辺りが紅葉の絶景ポイントです。
……のですが、2022年11月23日段階ではまだ5分の染まりです。
ここが絶景になるのは、11月末日くらいでしょうね。

「蚕の社」木嶋神社拝殿の西側を北側に向いています。
本殿のさらに西側に赤く染まった木々が並びます。
本殿にお参りする前に、そちらに向かいます。

そちらは、竹垣で囲まれています。
その先にはもう涸れてしまった泉があって、
その水源部分に三角鳥居があります。
こちらは京都御苑内の厳島神社(旧九条邸)の破風鳥居、
北野天満宮の末社「伴氏社」の鳥居と並ぶ「京都三珍鳥居」です。

その三角鳥居を竹垣の隙間から撮りました。
あちこちの本に「三角鳥居は、ここにしかない」と書かれていますが、
実はそこそこ三角鳥居は日本全国に点在します。
三角鳥居の中心に紙垂が立っていますが、
かつて紙垂の位置から地下水が湧いていました。
「謎の三角鳥居」と呼ばれていますが、
湧水を神様として信仰する場所に、こちらが置かれるようです。

三角鳥居の前から、境内を北東に向きました。
この先に、「蚕の社」木嶋神社本殿がいらっしゃいます。

こちらが、木嶋坐天照御霊神社(「蚕の社」木島神社)本殿です。
主神の天之御中主神他、5柱がご祭神です。
右京区太秦地区の始まりは、秦酒公が
雄略天皇に「うず高く」献上した絹織物に対する返礼として、
この地を賜ったことによるものです。
(「うず高く」→「うじまさ」→「うずまさ」と訛っていきました)
もともとこちらには別の豪族がいたのですが、
天皇家に反乱を起こし一族皆殺しにされて、
その直後に秦酒公がこの地を賜りました。
そして太秦に秦酒公が入植した際に、
この地にこの神社を創建したのが定説です。
ちなみに、ここは元々滅亡した豪族の宗教施設でした。
ただ元の宗教施設も遡ってみると、
こちらの創建はさらに古いと考えられます。
ちなみに、こちらの東隣にも「蚕養神社」がいらっしゃいます。
こちらは末社ではなく、
「蚕の社」木嶋神社と対等な関係です。
ここから嵐電(京福電車)「蚕の社」駅に向かい、
さらに別の神社仏閣に参りますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、太秦広隆寺に向かいます~