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前回ブログでJR嵯峨野線「丹波口」駅から坊城通を北上し、
仏光寺通の手前までやって来ました。
今回はこの先の壬生寺にお邪魔して、節分の行事に参加します。
撮影日は、2023年2月2日木曜日節分前日午後1時半。
壬生寺に着いたら、既に行事が始まっていました。

坊城通から、仏光寺通を西に向いています。
約100m先にJR嵯峨野線の高架が伸びていますが、
この位置からは見えません。
右(北)側の土塀は、壬生寺のものです。

今度は仏光寺通から、坊城通を北に向きました。
左(西)側の土塀が壬生寺で、右(東)側の土塀が旧神先家です。
仏光寺通以北の坊城通は、住宅街から風景が一変されます。
この辺りが中京区壬生地区の中心で、
新撰組が闊歩したのが大体この辺りです。

仏光寺通から坊城通を約30m北上して、右(東)を向いています。
こちらが、旧神先家邸宅です。
武家造の
京町家では最古の邸宅で、
京都でいちばん保存状態の良い武士の邸宅でもあります。
こちらは、現在
根付の博物館として機能しています。
(こちらの詳細は、
第319回ブログ参照。
根付の博物館のサイトは、
ここをクリックしてください。
旧神先家邸宅の前で、坊城通を北に向いています。
約20m先から、律宗壬生寺に入れます。
壬生寺の節分会は神社の例祭並みに賑やかになりますので、
壬生寺の周囲には何基も屋台が立ち並びます。

旧神先家邸宅から坊城通を約20m北上して、西を向きました。
こちらが、律宗壬生寺の山門です。
本当ならここから壬生寺をゆっくり散策したいのですが、
ちょっと先に巡りたい場所があって急いで門をくぐります。

壬生寺山門をくぐり、境内に入ってきました。
その山門に入ってすぐに、壬生寺境内を北に向きました。
こちらに壬生寺の末社一夜天神がいらっしゃるのですが、
その前に
聖護院の修験者さんたちがいらっしゃいます。
実は今回ブログの冒頭時点で法螺貝の音色が聞こえており、
この数分前から一夜天神さんの前で祈祷が始まっていました。

聖護院の修験者さんたちの祈祷は、さらに数分続きました。
修験者さんたちが発せられる文言を聞いていると、
どうやら般若心経の経文のようです。
般若心経は最短のお経ですぐ唱え終わるのですが、
修験者さんたちはそれを何度も繰り返されていました。

聖護院の修験者さんたちの中に、
「壬生寺」と書かれた法被を身に着けられた方々がいらっしゃいます。
こちらは後で分かったのですが、
壬生寺の法被を身に着けられた方は壬生寺の僧侶ではなく、
壬生寺の檀家の方のようです。
(護摩焚き祈祷の際に、紹介されていました)

さらに数分経って、聖護院の修験者さんたちの祈祷が終わりました。
すると修験者さんの一人が、幟を手に先頭を歩かれました。

続いて錫杖を持たれた修験者さん、朱い幟を持たれた修験者さん、
法螺貝を演奏されていた修験者さんが後をついて行かれます。
修験者さんたちは、本堂方面(境内西側)に進まれます。

壬生寺山門の真下で、境内を西に向いています。
法螺貝を吹きながら、こちらの修験者さんも西に進まれます。
そちらには壬生寺本堂があって、
目的地は本堂の北東前です。

法螺貝を演奏される修験者さんたちの後続は、
紅い傘を持たれた修験者さんと
その傘の陰にいらっしゃる修験者さんです。
たぶん、こちらが聖護院の修験者のうち代表される方でしょう。

そして「壬生寺」の法被を身に着けられた方々が、
修験者さんの行列の最後尾です。
行列参加者全員が、壬生寺本堂がある西へ向かって歩かれます。
行列の周囲には塔頭寺院や露店が並ぶのですが、
先に修験者さんが催される加持祈祷を優先します。
(節分の壬生寺の模様は、護摩焚き祈祷を取材した後に
いったん外に出て、再び壬生寺を訪問して取材します)

律宗壬生寺山門から、境内を約50m西に進みました。
この先に、壬生寺本堂が建っています。
ただ聖護院の修験者さんたちは、本堂には向かわれません。
本堂の右(北)側の広場に向かわれました。

その広場には、縄で結界が敷かれています。
その結界の南西角に門があって、
そこから修験者さんたちは結界内に入っていかれました。

次々と修験者さんたちが、結界内に入っていかれます。
……ところが、修験者さん数名が結界外に留まられます。

すると結界内にいらした方が、
外にいらっしゃる修験者さんと問答を始められました。
形式上はこちらの方々が本物の聖護院の修験者かの審査なのですが、
実際はその問答を通して「修験道とは何か」ということを
壬生寺の参拝者に説法されるのが目的のようです。
「修験道の発祥は?」「修験道とは?」「修験者の装備の謂れは?」
などが質問され、それにすべて答えられると
「汝は本物の修験者のようだ。ここを通って良し」
と返事が返ってきて、全員が結界内に入っていかれました。
(ここ壬生寺以外にも、
祇園祭などでも同様の問答があります)

結界の東側に回り込み、壬生寺境内を西に向いています。
結界内中央に、護摩壇が用意されています。
こちらが、護摩壇の正面です。

聖護院の修験者さんたちの後続の数名も、
この結界内に入って来られました。
ここから、修験者の皆さんが護摩焚きの準備に入られます。

結界内で修験者さんたちが、再び法螺貝を演奏されます。
その曲(?)に合わせて、修験者さんたちが所定の位置に移動されます。

そして修験者の代表者は、護摩壇の正面に腰を下ろされます。
これで修験者の皆さんは、全員所定の位置に就かれました。

すると、修験者さんのうちの一人が弓を片手に登場されます。
ここから、護摩壇と周囲を破魔矢で清められます。

その修験者さんの背後を撮影しました。
矢筒に、色取り取りの破魔矢が刺さっています。
こちらの色にはすべて謂れがあるのですが、
それはこの後で順に紹介します。

先ずは、修験者さんがこちら(東)側を向かれます。
右手には、青(緑)の矢がつがえられます。
青(緑)は東の守護獣「青龍」を表します。
こちらを放つことで、東方を清められます。
……とはいえ、そのまま発射すれば大惨事です。
実は弓は緩く結んであり、そこまで矢は速度が出ません。
それを上空に打たれます。

続いて、修験者さんは左(南)に向かわれました。
こちらには、朱い破魔矢を射られます。
朱は南の守護獣「朱雀」を表します。
こちらを放つことで、南方を清められました。
とは言え、破魔矢は真上にゆっくり上がった後地面に落ちてきました。
落下した破魔矢は、参拝者の取り合いになります。
破魔矢に限らず、使用済みの護摩焚き祈祷の諸道具は
すべて参拝者が持ち帰ることができます。
それらはすべて、縁起物として参拝者に重宝されます。

さらに、修験者さんは向こう(西)側に向かわれました。
そちらには、白い矢を射られます。
白は、西の守護獣「白虎」を表します。
こちらを放つことで、西方が清められました。

そして、修験者さんは北側に向かわれました。
そちらには、黒い矢を打たれます。
玄(黒)は、北の守護獣「玄武」を表します。
こちらを放つことで、北方が清められました。

これで、結界外の四方が清められました。
続いて、修験者さんは護摩壇に向けて黄色い矢を放たれました。
黄は、修験道のご本尊
不動明王を象徴しています。
つまり、破魔矢で護摩壇が清められます。

そして、修験者さんは艮(うしとら)の方に向かわれました。
艮とは北東のことで、要するに
鬼門です。修験者さんは最後に青(緑)と玄(黒)の破魔矢を放つことで、
鬼門封じを行われました。

ここで、修験者さんが一礼をされました。
これで、破魔矢による儀式は終わりです。

続いて、別の修験者さんが護摩壇前に登場されました。
実は、こちらの修験者さんは上手く撮れませんでした。
この時点で修験者さんは小刀を抜いておられます。
そして、その小刀を使って
九字を切られました。

修験者さんが、小刀で中空に格子状に九字を切られます。
「臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前」と唱えられて、
小刀を仕舞われました。

さらに、別の修験者さんが護摩壇前に登場です。
こちらは、小さな斧を持って来られました。

その修験者さんは、護摩壇の正面に向かわれました。
そして、短い祈祷を奉げられました。

短い祈祷を終えられた修験者さんは、手にした斧を振り上げられます。
そして、そのまま3回にわたって斧を振り下ろされました。

さらに、その修験者さんは艮(北東)の方角に回り込まれました。
そして、鬼門から3回斧を振り下ろされました。

これで、一通り護摩壇と周囲が清められました。
ここから、いよいよ護摩焚きが始まります。
するとさらに別の修験者さんが護摩壇正面に回り込まれ、
そのまま竹製の松明を持ち去られました。

実は、護摩壇前に現れた修験者さんはもう一人いらっしゃいます。
二人の修験者さんは護摩壇の向こう(西)側の祭壇前に移動し、
祭壇のロウソクを使って、松明に点火されました。

松明に点火すると、二人の修験者さんが松明を掲げられます。
この松明が、護摩焚きの種火となります。

点火した松明が、護摩壇正面に戻されます。
ここから、この火を使って護摩壇に着火します。
ただその前にも儀式があって、
その後から護摩焚き祈祷が始まります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。
~次回は、壬生寺の護摩焚きを掲載します~
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