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第949回 西京極への道~花屋町通東から西~その1

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今回から、約3か月ぶりに新しい道の取材を始めます。
「京の道 今日の道」では新しい道を連載するときは、
最初にその道を紹介する記事を書きます。
そして、この回は写真を貼り付けません。
……ということは、前回ブログと並び2回連続で写真を掲載しません。
実は2回連続で写真を掲載しないのは、
約11年このブログを連載していて初めてです。

今回から連載するのは、花屋町通です。
五条通と七条通の中間に位置する通りで、
幾つかのバス停には「花屋町」の名称が付いています。
(「西大路花屋町」バス停など)
下京区西新屋敷地区(元花街島原)周辺と東端以外は
歩道の付いた2車線の道で
京都市街地では自動車の交通量が比較的多い通りです。
自分は脳卒中を患う前は自転車で花屋町通をよく通りました。
花屋町通最西端は西京極で、
我らが京都サンガのかつてのホームスタジアムがあります。

本当に花屋さんが多い通りでした
花屋町通は、「はなやちょうどおり」と読みます。
794年の平安京遷都当時からこの位置に道は存在していましたが、
別の名称で呼ばれていました。
京都の中心街は応仁の乱で荒廃し、豊臣秀吉が復興しました。
今回紹介する道が花屋町通と呼ばれるようになるのは、
豊臣秀吉の後に続く江戸時代からでした。
こちらの道の南側に東本願寺と西本願寺が並んでおり、
両寺院で必要な生花を販売するお店が建ち並んだことが由来です。
安土桃山時代には大宮通~元花街島原間だけでしたが、
明治時代に新町通以東の万年寺通と繋がって、
その万年寺通も花屋町通に吸収されました。
さらに新千本通以西は、高度経済成長期以降に伸びました。

典型的な京都の小路
花屋町通最東端は、富小路です。
富小路は、河原町通と烏丸通の間に伸びるそこそこ狭い道です。
かつての平安京の最東端は、寺町通です。
ただ豊臣秀吉の再開発以降は、
五条通以南の京都市街地最東端が富小路でした。
ですから五条通以南の富小路には寺町通同様に、
たくさんの寺院が林立していました。
富小路と花屋町通と交差する辺りには、
雅松(わかまつ)児童公園があります。
その南側には、約20年前まで京都市立雅松小学校がありました。
つまりこの公園の周辺にはかつて小学生が多く集まり、
その児童目当てのお店が多く建ち並んでいました。
(文房具店とか、駄菓子屋さんとか)
現在はWALDEN WOOWDS KYOTOが建っています。
高倉通以西の花屋町通には多くの京町屋が建ち並びましたが、
だんだん現代風の建物に取って変わられています。

東本願寺の北端
烏丸通以西の花屋町通は、歩道付きの2車線通りになります。
その辺りの花屋町通の南側に、東本願寺が広がります。
そしてその向かい(北)側に、東本願寺の関連施設が建ち並びます。
その中でも「しんらん交流館」には立ち寄ろうと思います。

西本願寺の北端
花屋町通も新町通を越えると、
飲食店などが建ち並び、小さな繁華街が形成されています。
そして堀川通から西は、西本願寺北端を貫きます。
西本願寺の向かい(北)側は、聞法会館という宿坊です。
「宿坊」とは、宗教施設に付属している宿泊施設です。
智積院茶寮 桔梗のように飲食店が入っている場合があって、
この聞法会館の精進料理もなかなかおいしいです。

元花街島原の中心
花屋町通は大宮通を越えると、島原地区に突入します。
大宮通沿いは島原口商店街で、大門を越えると元花街島原です。
島原はいったん花街としての機能を終えていますが、
輪違屋など置屋は現存しており、現在も大夫さんは営業されています。
その西側はJR嵯峨野線の高架で、
さらに西側は京都市中央卸売市場です。
ですからその辺りで、花屋町通はいったん途切れます。

西京極への抜け道
京都市中央卸売市場より西にも、花屋町通は続きます。
この辺りの花屋町通は観光地の近くには通っていません。
基本的に住宅街なのですが自動車の交通量が多いので、
飲食店が数多く建ち並びます。
そして西大路より西はもう少し道幅が広がります。
さらに葛野大路より西には、阪急電車「西京極」駅があります。
その西側に天神川通と天神川が伸びており、
そこで花屋町通の突き当ります。
この位置から北西に向かうと、
すぐに西京極陸上競技場(たけびしスタジアム)です。

では、次回から花屋町通を取材した記事を掲載します。
もう写真は撮り終えています。
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第950回 白いカフェで休憩~花屋町通東から西~その2

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京都駅北側市バスターミナルから4系や205系など、
河原町通を北上する路線の市バスに乗って約10分。
こちらは、「河原町正面」バス停です。
今回はこちらのバス停から河原町通を北上して、
花屋町通東端のカフェに向かいます。
撮影日は、2023年5月25日木曜日午後3時。
晴れていたのが、だんだん雲行きが怪しくなりました。


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自分がここまで乗っていた205系市バスが、
河原町通を北上していきます。
205系市バスは京都駅から河原町通へ直通する路線と
いったん九条通まで南下する路線があります。
間違うと、九条通を経由して1時間くらいロスします。


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「河原町正面」バス停から、河原町通を南に向いています。
左(東)側が河原町通の車道で、右(西)側が渉成園の土塀です。
ちなみに渉成園へは、河原町通からは入れません。


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「河原町正面」バス停から河原町通を約20m南下して、
河原町通で東を向いています。
河原町通から東に、正面通が伸びています。
約70m先に高瀬川が流れていて桜並木が見事ですが、
今回はそちらには向かいません。
(この辺りの正面通は、第685回ブログを参照してください。
高瀬川の桜並木は、第647回ブログを参照してください)


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正面通から、河原町通を北に向いています。
では、いったん「河原町正面」バス停に戻ります。


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「河原町正面」バス停に戻って、
今度は河原町通から北に向いています。
今回は、バス停から河原町通を北上します。


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「河原町正面」バス停から、河原町通を約50m北上しました。
ここで河原町通は、上珠数屋町通と交差します。


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河原町通から、上珠数屋町通を西に向いています。
左(南)側が、渉成園の土塀です。
上珠数屋町通は歩道付きの2車線という
京都市街地では幅の広い道ですが、
明治時代後半にここに市電が通っていた名残です。


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上珠数屋町通に架かる横断歩道を北に渡りながら、
河原町通から上珠数屋町通を東に向きました。
上珠数屋町通は、約30m先の土手町通で突き当たります。
土手町通は上ノ口通(後で出てきます)から、
七条通までの約400mの小路ですが、
元々はここに高瀬川が流れていました。
現在の高瀬川は、土手町通より約50m東に流れています。


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上珠数屋町北側歩道から、河原町通を北に向いています。
この辺りから河原町通は、北北東に曲がります。
さらに、真北に伸びる小路とで分岐点を形成しています。
ですから、目の前のビルが三角形です。
左(西)側の小路の突き当りに見える上ノ口通にこの後向かうので
本当はこの小路を北上した方が近道なのですが、
今回は河原町通を北北東に進みます。


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上珠数屋町通から、河原町通を北北東に約50m進みました。
ここで、河原町通は上ノ口通と交差します。


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河原町通から、上ノ口通を東に向いています。
上ノ口通は、約200m先の鴨川で突き当たります。
高瀬川以東の上ノ口通は、かつての五条楽園のほぼ最南端でした。
遊郭の機能はだいぶ昔に無くなっていましたが、
近年は昔の立派な建物を利用して
新たな観光地として脚光を浴びています。
ちなみに、写真中央の柳の木の裏にサウナの梅湯がが建っています。
よく見ると、柳の木の上から煙突が覗いています。


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今度は上ノ口通から、河原町通を北北東に向いています。
右(東)側に、ひと・まち交流館京都が建っています。
また約100m先を左(西)に曲がると、市比売神社がいらっしゃいます。


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さらに河原町通から、上ノ口通を西に向いています。
今回は、この上ノ口通を西に進みます。


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河原町通から、上ノ口通を約30m西に進みました。
ここで、上ノ口通から南に小路が伸びています。


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そのT字路で、上ノ口通から小路を南に向いています。
約50m先で、河原町通や上珠数屋町通と交差しています。
河原町通が北北東に折れ曲がった地点から小路を北上していれば、
すぐにこちらに到達していました。
この周辺の様子を撮りたいために、ちょっと寄り道しました。


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そのT字路から、上ノ口通を西に向いています。
目の前にたばこの自動販売機がありますが、
その西側のたばこ店も営業中でした。
では、このまま上ノ口通を西に進みます。


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先ほどのT字路から、上ノ口通を約20m西に進みました。
今度は上ノ口通から、北に小路が伸びています。


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上ノ口通から、その小路を北に向きました。
位置的に考えて、こちらは麩屋町通と考えられます。
この「麩屋町通」を北上すると、小さな寺院がたくさん建ち並びます。
(その辺の様子は、第109回ブログ参照)


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「麩屋町通」から、上ノ口通を西に向いています。
この先で上ノ口通が突き当たっていますが、
その突き当りまでこのまま進みます。


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「麩屋町通」から、上ノ口通を西に歩いていると、
こちらの洋菓子店がありました。
店頭を覗くと「焼き菓子の店『クローバー』」は美味しそうですが、
この後立ち寄る予定のお店があるので、今回は素通りです。


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「麩屋町通」から、上ノ口通を約50m西に進みました。
ここで上ノ口通は、富小路で突き当たります。
今回ブログのメイン花屋町通は富小路から西に伸びているので、
上ノ口通と花屋町通は「筋違いの同じ道」に見えますが、
歴史的にも考えて別の道と考えるべきです。


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上ノ口通から、富小路を南に向いています。
右(西)側の塀の向こうは、かつての京都市立雅松小学校です。
現在は改築されて、雅松(わかまつ)保育園です。


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今度は上ノ口通から、富小路を北に向きました。
現在の京都市街地は、豊臣秀吉の再開発をそのまま流用しています。
豊臣秀吉は京都市街地の最東端を寺町通と定めましたが、
五条通以南はこの富小路が京都市街地最東端でした。
ですから、五条通以南の富小路にも小さな寺院が集中します。


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富小路の左(西)側に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらに参拝して、この先を進みます。


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そのお地蔵さんの北側に、児童公園への入り口があります。
こちらは、雅松(わかまつ)児童公園です。
このブログにも、何回か登場しています。
一部が見切れているのは、その辺りにご婦人がいらっしゃるからです。
(その方を写さないように、撮りました)


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雅松児童公園の中央に入り込み、北を向いています。
雅松児童公園の北側が、今回ブログのメイン花屋町通です。
まだ小学校が終わっていないため児童がおらず、
このように児童公園が撮り放題です。


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今度は雅松児童公園中央から、西を向きました。
この公園の西側に高倉通が伸びていますが、
その辺りで電線の工事が行われています。


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さらに雅松児童公園の中央から、南を向いています。
金網の向こう(南)側はかつての京都市立雅松小学校で、
現在は雅松保育園です。
ただ、この時間はお年寄りがゲートボールを楽しまれておられます。


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そして雅松児童公園の中央から、東を向いています。
では、あちらに見える出入り口に戻ります。


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雅松児童公園の東側出入り口から、富小路を北を向きました。
では、ここから富小路を北上します。


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上ノ口通から、富小路を約30m北上しました。
この位置から左(西)に、花屋町通が伸びています。
つまり、こちらが花屋町通最東端です。
富小路をこのまま北に向かうと、
約10m先に浄土宗萬年寺が建っています。
花屋町通の東側はかつて「萬年寺通」と呼ばれていましたが、
おそらくその由来となった寺院です。
たぶん昔は大きな寺院だったのでしょうが、
ずっと以前に確かこの寺院の方が、こうおっしゃっていました。
「江戸時代の大火で、縁起が消失してしまった。
そのため、それ以前の沿革が分からない」


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富小路から、花屋町通を西に向いています。
京都市立雅松小学校があったころは、(約40年前)
小学生が現在以上にこの辺りに集まっていました。
花屋町通沿いには文房具店があって、
萬年寺の南側には駄菓子屋さんがありました。
つまりちょっとした「子どもの商店街」で、
そちらのお店に中学生のころの自分もたまに来ていました。


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かつて文房具店があった位置に、現在はカフェが建っています。
それが、WALDEN WOOWDS KYOTOです。
先ほどのサウナの梅湯に自分が入った際、
帰りにこちらへよく立ち寄っています。


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こちらは他のお客さんや店員さんを撮影しない限り、
店内撮影が可能です。
店頭を大きく占めているのは、コーヒー豆の焙煎機です。
この香りで、自分はよくこちらに立ち寄ります。


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コーヒー以外にも、こちらにはいろいろスイーツがあります。
左から、各種カヌレとクッキーが並びます。
店頭に並んでいませんが、アイスクリーム類のメニューもあります。


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1Fで注文したものを受け取り、2Fに上がります。
こちらが箱階段という様式の階段なのは、
この建物が元は京町屋だとわかる証拠です。


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こちらが、WALDEN WOOWDS KYOTOの2Fです。
真っ白な部屋が1室のみで、壁際の階段状の部分に腰掛けて
先ほど注文した品物を飲食する形式のお店です。
部屋の右側が見切れていますが、
そちらの方に何人かお客さんがいらっしゃいました。


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では壁際に腰掛けて、こちらを戴きます。
自分はいつも、こちらではWALDEN WOOWDS BLENDと
洋菓子を1品を戴いています。
WALDEN WOOWDS BLEND(500円)とは、
深煎りローストのブラックコーヒーです。
自分は香りが強くてガツンと苦いコーヒーが大好きなので、
このお店ではこのコーヒーを飲んでいます。
今回の洋菓子は、バニラカヌレ(300円)です。
コーヒーの味を邪魔しないように、
あまり濃くない味の洋菓子を頼みました。


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窓の外を眺めながら、ゆっくり休憩しました。
窓からは、先程の雅松児童公園が見えます。
実は公園の中央には桜の木があって、
シーズンになると結構絶景になります。

ここから花屋町通をさらに西に進みますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、近くの綾子天満宮に参拝します~

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第951回 文子天満宮に参拝~花屋町通東から西~その3

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前回ブログで訪れたWALDEN WOOWDS KYOTOで、
コーヒーとカヌレを戴きました。
その間、窓から雅松児童公園を眺めていました。
10分くらいで飲食を終えるはずが、30分以上ここにいました。
今回はこのカフェを出た後、文子天満宮へ向かいます。
撮影日は、2023年5月25日木曜日午後4時。
本当はもっと先まで撮影するはずでしたが、
こんな時間ではもう少ししかすすめません。


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WALDEN WOOWDS KYOTO
2Fが飲食スペースでしたが、店員さんはいらっしゃいません。
ただ、常時かなりの数のお客さんがいらっしゃいます。
コーヒーとカヌレを戴いた後、下り階段付近に向かいます。
この角度でお客さんが写らない一瞬を利用して、こちらを撮りました。


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この回には店員さんがいらっしゃらないので、
飲食後の食器は階段の上り口に置きます。
また、この脇に飲む用のお水も置かれています。


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コーヒーカップを置いて、階段を見ています。
ここを下りて、WALDEN WOOWDS KYOTOを出ます。


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WALDEN WOOWDS KYOTOを出て、
花屋町通を西に向いています。
ここからは、この花屋町通を西に進みます。


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WALDEN WOOWDS KYOTOの前で、
花屋町通の向かい(南)側を向いています。
鉄柵の向こう(南)側が、雅松(わかまつ)児童公園です。
午後4時ともなれば、角度を変えると児童が遊びに来ていました。
ただ、誰も写らないように撮影しました。


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WALDEN WOOWDS KYOTOから、
花屋町通を2軒西に進みました。
こちらの自転車屋さんは、自分が子供のころにはありました。
文房具店や駄菓子屋さんと共に、
こちらのお店も「子どもの商店街」を形成していました。
自分が幼稚園児や小学生のころは、
子供にとって派手にデコレーションした自転車は
なくてもならないものでした。
(当時自転車をTVに出てくるキャラクターで装飾するのが、
とても流行っていました)


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WALDEN WOOWDS KYOTOから、
花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、高倉通と交差します。


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花屋町通から、高倉通を北に向いています。
この高倉通を北上すれば、第404回ブログのルートです。


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今度は高倉通から、花屋町通を西に向きました。
2013年ごろはこの辺り全て京町屋でしたが、
そのほとんどが壊されて別の家屋に変わっています。
(2013年当時の様子は、第110回ブログ参照)


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高倉通から、花屋町通を西に進んでいます。
この辺りで残っている京町屋は、こちらだけです。
ばったん床机も、健在ですね。


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高倉通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、間之町通と交差します。
第948回ブログに出てきた京都御苑間之町口に通じる道ですね。


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花屋町通から、間之町通を南に向いています。
ここからはブログ数回を使って、
花屋町通以南の間之町通を取材します。


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花屋町通から、間之町通を約50m南下しました。
間之町通の右(西)側に、文子天満宮がいらっしゃいます。


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こちらが、文子天満宮(あやこてんまんぐう)です。
京都市街地には、住宅地の1区画に小さな神社が
このようにいらっしゃることが結構あります。
こちらもそんな神社の1柱です。
菅原道真をご祭神とする天神社発祥の地でもあります。
奈良時代以前の天神社も幾柱か存在しますが、
そちらは、大己貴命(おおなむちのみこと)がご祭神です。
こちらの神社の縁起の詳細は、後述します。


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文子天満宮境内に入り、左(南)側に手水舎があります。
先ずは、こちらに向かいます。


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こちらが、文子天満宮の手水舎です。
手水舎に花を浮かべるのは近年多いのですが、
バラの花が置かれているのは珍しいですね。


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その手水舎と文子殿との間に、文子天満宮社務所があります。
お守りの購入とか御朱印を戴くとか、そういうところですね。


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一方文子天満宮境内の右(北)側には、
文子天満宮の末社が並びます。
こちらは、白瀧稲荷社ですね。
脇には、オガタマノキが立っています。


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オガタマノキの左(西)側にも、文子天満宮の末社が並びます。
右から順に、白太夫社、福部社、老松社です。
どちらも、菅原道真の家臣を神格化したものです。
日本全国の天満宮には、必ずいらっしゃいますね。


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そして文子天満宮境内の中央に、本殿がいらっしゃいます。
こちらのご祭神は、菅原道真です。
再建を繰り返して形式が変わっていますが、
こちらに平安時代に菅原道真を祀る祠を建てたのが、
文子天満宮の縁起です。
大宰府に追放された菅原道真が903年に崩御すると、
直後に天然痘が大流行して、
京都では多くの方々が亡くなられました。
菅原道真を追放した藤原時平と藤原忠平親子も
その天然痘で崩御されました。
「天然痘を流行させたのは、菅原道真の怨霊である」
すると、平安京(京都)で多くの人々に
このような話が流布しました。
そのころ多治比文子という女性が神託を受け、
自宅に菅原道真を祀る祠を設けたところ、
天然痘の流行が治まりました。
そして、多くの方々がこちらへお参りに来られました。
これが、現在まで続く「天神信仰」の始まりです。
(北野天満宮は、その直後に建立されました)


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文子天満宮本殿の右(南)側に、文子殿がいらっしゃいます。
こちらのご祭神は、多治比文子です。
……と言いますか、ここで問題があります。
それは多治比文子とは何者か、ということです。
女性であることは確定ですが、
実は何者かであるかは諸説いろいろあります。
有力なのは菅原道真の乳母説ですが、
生前の菅原道真とは見識の無かった巫女だった説も有力です。
まぁ約1,000年前、ここに多治比文子が居住していたのは事実です。


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文子天満宮の境内を一通り回りました。
では文子天満宮を出て、間之町通に戻ります。


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文子天満宮の前で、間之町通を南に向いています。
では、このまま間之町通を南下します。


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文子天満宮の2軒南隣に、浄土真宗大谷派光久寺があります。
この辺りには、近くの東本願寺の塔頭寺院が多いです。


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文子天満宮から、間之町通を約30m南下しました。
ここで間之町通は、上珠数屋町通と交差します。


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間之町通から、上珠数屋町通を西に向いています。
この辺りには、まだだいぶ京町屋が残っていますね。
約150m先で上珠数屋町通は、東本願寺に突き当たります。
そのため、この辺りには観光客が多いですね。


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今度は間之町通から、上珠数屋町通を東に向きました。
上珠数屋町通は渉成園最北端の道で、
約200m先で交差する河原町通付近が、前回ブログ最初の地点です。


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さらに上珠数屋町通から、間之町通を南に向いています。
ここから、間之町通は歩道付きの2車線の道路となります。
上珠数屋町通同様、間之町通にも明治時代市電が走っていました。


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上珠数屋町通から、間之町通を南下しています。
そろそろ2023年5月25日木曜日午後4時半です。
現在この先の渉成園に向かっていますが、
そちらは午後5時に門が閉じられます。
急いでも、中には入れなさそうです。


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上珠数屋町通から、間之町通を約50m南下しました。
こちらは、浄土真宗大谷派仏願寺です。
「六条道場」と書かれているのは、
江戸時代にこちらに佛教の研究機関があったからです。


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浄土真宗大谷派仏願寺の前で、間之町通を南に向いています。
では、このまま間之町通を南下します。


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浄土真宗大谷派仏願寺から、間之町通を約50m南下しました。
ここで間之町通は、正面通と交差します。


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間之町通から、正面通を西に向いています。
正面通を約150m西に進むと東本願寺御影門があるため、
この辺りには仏具店など東本願寺関連の施設が多いです。
右(南)側の団地も、東本願寺職員のための住宅です。
(東本願寺の職員ということは、大半が僧侶です)
正面通の詳細は、第688回ブログ参照です。


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その位置で東を向くと正面通は伸びておらず、
代わりに渉成園の門があります。
東本願寺の別荘である渉成園にはこちらから入れますが、
この時点で2023年5月25日木曜日午後4時半を回っています。
中に入っても、10分くらいで出ていかないといけません。
この渉成園の中には、別の日に取材し直します。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、渉成園を数年ぶりに散策します~

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第952回 渉成園の紫陽花~花屋町通東から西~その4

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間之町通から東を向き、渉成園の正門前に来ました。
渉成園は東本願寺の別荘で、東本願寺の約200m東に建っています。
今回から、この渉成園を散策します。
撮影日は、2023年6月1日木曜日午後2時。
この翌日に、大雨が降りました。


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渉成園正門をくぐり右(南)を向くと、渉成園の受付があります。
実は自分がここに入ったとき、
修学旅行生の中学生が10名ほど受付に並ばれました。
そちらを写すのを避けるため、
暫く守衛さんと雑談をさせて戴きました。
その直後に成人男性の集団が来られたのですが、
まぁこちらは大丈夫だろうと撮影を再開しました。


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受付で500円を納めて、渉成園に入っていきます。
通常はパフレットをもらうのですが、
同じものを何冊も持っているので、今回は遠慮しました。
(ブログ取材以外でも、自分は年に10回くらいここに来ます)
通常はこのまま奥に進むものなのですが、
自分は左(北)に向き直りました。
そちらに、ちょっと寄り道します。


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渉成園受付から、約10m北上しました。
こちらに、渉成園の休憩所があります。
厳密には、自動販売機と縁台が並んでいます。


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その休憩所の南隣に、藤棚があります。
まぁ藤の季節はもう終わっていますが、脇の青い紫陽花が満開でした。


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休憩所の脇にも、紫陽花が咲き乱れていました。
と言いますか、渉成園の紫陽花は青色が多いですね。


952-7.jpg
休憩所には、縁台の周囲に自動販売機が2機ありました。
一方はジュースを売る普通の自動販売機でしたが、
こちらには水が売られていました。
ただし普通の水ではなく、「東本願寺の水」です。
東本願寺境内の井戸水ということではなく、
東本願寺が通常使用している水ということですね。


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取り敢えず東本願寺の水を飲んで、休憩しました。
そちらを飲み終わったら、ここから南下して受付前に戻ります。


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渉成園受付前に戻り、その位置で東を向きました。
正面に、大きな枝垂桜があります。
先ほどの守衛さんとの雑談の大半が、この木の話でした。
2023年は、割と早くから咲いていたそうです。
……と言いましても、こちらはソメイヨシノよりも遅咲きの桜です。
2023年は、4月上旬ごろが満開だったそうです。


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枝垂桜の裏(東)に、順路が指し示してあります。
ではこの順路通りに、左(北)に進みます。


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渉成園の枝垂桜の裏(東)側で、北を向いています。
では、ここからは順路通り進んでいきます。


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先ほどの位置から、渉成園内を約100m北上しました。
このまま北上すると、すぐに渉成園の駐車場に達します。
要するに、渉成園の北端ですね。
ですから、この辺りから順路は右(東)に曲がります。


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そこで、渉成園内で東に向きました。
ここからは、ここを直進します。


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先ほどの位置から渉成園内を東に進むと、
すぐにこの桜の木にぶつかります。
よく見ると、脇にさらに東に進む道があります。
渉成園にはもう少し東に桜並木が続いていますが、
この桜の木も、渉成園の象徴です。


952-15.jpg
その桜の木の裏(東)側から、渉成園内をさらに東に向いています。
この先から渉成園の庭園に入っていきます。
目の前に塀と門のようなものが見えていますが、
厳密には渡り廊下とその切れ目です。


952-16.jpg
一見門に見える渡り廊下の切れ目を通過すると、
渉成園内を東に向いています。
この位置から東が、渉成園の庭園です。
右(南)側の道を進むと、渉成園の中央部分に出ます。
ただ、今回は画面でも見切れている
いちばん左(北)に曲がります。


952-17.jpg
先ほどの位置から渉成園内を5mほど北上すると、
小さな池が広がります。
その池の周囲に、臨池亭と滴翆軒という茶室が並びます。
臨池亭の左(西)側が、先程の駐車場です。
これらの内部は、通常は非公開です。
(たまに特別公開があります)


952-18.jpg
その池の東側に、このような道が伸びています。
この辺りは、桜並木が続きます。
今回は、このまま渉成園内を直進(東に進む)します。


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先ほどの池から渉成園内を約5m東に進むと、
こちらの小川に出会います。
こちらは先程の池から、渉成園中央の印月池に流れ込みます。
この日(2023年6月1日)は渉成園全体に
宮大工さんや植木屋さんが入っていて
大規模な修復作業が行われていました。


952-20.jpg
その小川を渡り、渉成園内を東に向いています。
今回ブログでは、蛇行しつつも東へと移動します。


952-21.jpg
その東へ進む道の途中で、北を向きました。
石で囲まれた窪みがありますが、こちらは涸れた井戸です。
形が似ていることから、「亀の甲の井戸」と呼ばれています。


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「亀の甲の井戸」の前で、渉成園内を東に向いています。
ここで東に伸びる道は、南東に曲がります。


952-23.jpg
そして、このまま渉成園内を南東に進むと、
渉成園庭園の中央部に辿り着きます。
桜並木を越えると、侵雪橋越しに印月池が見えます。


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侵雪橋よりこちら(北)側も印月池の一部なのですが、
近くに築島が迫っているので、まるで川のように見えます。
ここから東に進むと、その「川」沿いを進むことになります。


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こちらが、その「川」沿いの道です。
この辺りで、桜並木からカエデ並木に変わります。


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先ほどの位置から、カエデ並木を東に進んでいます。
紅葉シーズンになるとこの辺りは絶景に変わりますが、
このような「青もみじ」もなかなかですね。


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「青もみじ」の小径を東へ進んでいると、
カモが1羽だけ泳いでいました。
自分には「カモはつがい」という意識が強く、ちょっと意外でした。


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そのカモの脇をさらに東に進みます。
青もみじが鬱蒼と生い茂っていて、結構自分のお気に入りの場所です。


952-29.jpg
そして時折脇から、小川が流れてきます。
その小川は、このような石橋で渡ります。


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先ほどの石橋を渡り東を向くと、すぐにこちらの石橋も渡ります。
その渡った先に、歌碑が並んでいます。
渉成園の所有者である東本願寺の先々代管主が
結構有名な歌人でしたので、その先々代管主の歌碑と並んで
仲の良かった高浜虚子の和歌もあります。


952-31.jpg
その歌碑が位置より東に、石段があります。
この石段を上ると、回棹廊という橋に辿り着きます。
その辺りが、渉成園最東端です。
その先の塀を越えると、河原町通です。
第950回ブログの冒頭部分ですね。
ここからは渉成園内を蛇行しつつ南下するのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、渉成園の印月池周辺を散策します~

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第953回 侵月橋から見る風景~花屋町通東から西~その5

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952-31.jpg
前回ブログから渉成園に入り、その庭園の南東端に来ました。
この石段を上ると、「回棹廊(かいとうろう)」という橋に達します。
今回は渉成園内を南下して、こちらを出ます。
撮影日は、2023年6月1日木曜日午後2時半。
この日は夕方から雨が降りましたが、この時点は曇り空です。


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先ほどの石段を上がると、回棹廊の上に達します。
回棹廊は、屋根の付いた木造の橋です。
そして、回棹廊の中央に少し広くなった場所があります。
では渉成園南東端から、回棹廊を南に渡ります。


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その回棹廊の中央で、左(東)を向いています。
この塀の向こうは河原町通で、
おそらく正面通と交差する辺りでしょう。
目の前の藤棚が満開のころは、ここはなかなかの絶景になります。
この写真の角度が南にズレているのは、
フレームの左側にたくさんの植木職人がいらっしゃるからです。
この辺りの池の水が汚れていますが、
その清掃をされておられました。


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今度は回棹廊上で、西を向きました。
こちらは池の水がきれいで、桜の木が水面に写っています。
ちなみに、桜のシーズンにこちらも絶景に変わります。


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回棹廊の中央から、南を向いています。
では回棹廊を渡り、渉成園内の築島に移動します。


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回棹廊を南に渡り、渉成園築島を西に向いています。
ここからは左(南)側の築島の高い部分に沿うように、
目の前の小径を進みます。


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回棹廊から、渉成園築島を西に進んでいます。
右(北)側の印月池が、細長くて川のように見えます。
向かい岸の桜並木は、前回ブログで散策しました。


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その辺りの築島の脇に、こちらがありました。
築島の頂上部分に茶室があって、
そちらでお茶を嗜むために、こちらに井戸があります。


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その井戸の前で、渉成園築島を西に向いています。
とは言え築島は渉成園庭園のほんの一部ですから、
すぐに印月池に突き当たります。
そして、左(南)へと小径が折れ曲がります。


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その辺りで、渉成園築島を左(東)に向いて見上げました。
この石段を上れば、頂上部分の茶室に向かえます。


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その築島の頂上に、縮遠亭という茶室があります。
おそらく左側が待庵で、右側が茶室です。
ただ、ここ数年こちらは使われておりません。


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縮遠亭の前で、渉成園内を南に向きました。
こちらの石段を利用して、築島の南側に回り込みます。


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石段を下りて、渉成園築島の南側に到達しました。
この辺りも印月池なのですが……水面が赤や緑に染まっています。
養分の多い池が長い間日照し続けて、
植物プランクトンが大量発生してしまいました。
ですから植木職人さんが池の水を漉されてきましたが、
この辺りはまだこのような感じです。
たぶんですが数日経てば、この辺りもきれいになります。


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その位置で、渉成園内を東に向いています。
この辺りの印月池の水は清掃前なので、なかなか汚れています。
塀の向こうは河原町通なので、自動車の走行音が聞こえてきます。


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今度は先程の位置から、渉成園内を南西に向きました。
この築島の南側に、さらに築島があります。
そして2つの築島の間に堰を設けて、印月池の水を分離しています。
こちら側の池の水はとても汚れていますが、
向こう側の池の水はとても澄んでいます。


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先ほどの位置から、渉成園の築島を西に向いています。
この辺りの池の水は、とても澄んでいます。
ではこの石橋を渡り、築島を西に進みます。


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その石橋を歩いている途中で、印月池の水面を撮りました。
水紋がたくさんあるように見えましたが、
どうやらアメンボの大量発生のようです。


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石橋を渡って、渉成園の築島をさらに西に向いています。
この築島はそこまで大きくないので、突き当りまで西に進みます。


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この辺りが、渉成園の築島の南西端です。
こちらから、印月池に架かる侵雪橋が伸びています。
この侵雪橋が、渉成園庭園の中央です。
ではこの侵雪橋を渡り、向こう岸に移動します。


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侵雪橋の上で、渉成園内を南西に向いています。
渉成園が近景として見えますが、
その先に京都タワーを含む京都駅前の高層建築物が目に入ります。
京都駅から、この渉成園は徒歩約10分の距離です。
都市部に近い名勝庭園というのが、渉成園の醍醐味です。
実際バブル期にはここを更地にして、
高層ビル群を建てる計画もあったのですが、
様々な方々の尽力によりそれは中止になりました。


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侵雪橋を渡り切り、渉成園内を南西に向いています。
右(北)に進むと、前回ブログの臨池亭に辿り着きます。
今回はこのまま南西に向かい、順路を進めます。


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侵月橋を渡り、渉成園内を南西に進んでいます。
目の前に小川が流れていますが、
こちらは前回ブログの臨池亭前の池から印月池に流れ込んでいます。
ではこのまま石橋を渡って、小径を南西に進みます。


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さらに、渉成園内の小径を南西に進んでいます。
この辺りより北側に桜並木が広がりますが、
この時期は芝生の上にタンポポが咲いていました。


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こちらが、そのタンポポの群生地です。
すでに半分くらいが、綿帽子になっていますね。


953-25.jpg
先ほどの小径の先には、芝生が広がります。
その芝生の先に、閬風亭(ろうふうてい)が建っています。
大きな仏間を有する施設ですので、
ある意味渉成園の本堂に当たります。
通常こちら側から中に入ることができませんが、
敷石がかなり大きいので、そちらに腰掛けてちょっと休憩です。


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渉成園内の閬風亭縁側下の敷石に腰掛け、
渉成園庭園を東に向いています。
こちらも、渉成園では代表的な風景です。
手前の芝生上では、コロナ禍以前にはよくイベントがありました。
縁台が設けられて、そこで茶会が行われていました。
もしかすると、今年(2023年)の秋にもあるかもしれません。
またこの位置から印月池を見ていると、
築島が直線状に並んでいます。
そのうち左(北)側の築島に、縮遠亭があります。
こちらの築島がこのような並びをしているのは、
それなりに理由があります。
この築島は、もともと豊臣秀吉が策定したお土居でした。
第950回ブログで河原町通が折れ曲がっていることを紹介しましたが、
上珠数屋町通以南もお土居は南西に伸びていました。
徳川家康が権力を握るとお土居を壊し、河原町通を造営しました。
ですからこの渉成園を造営する際に、
そのお土居の跡を取り込み、そのまま築島にしました。


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閬風亭と印月池の間に広がる芝生の上で、南に向いています。
ここからは見えにくいですが、このまま南下すると先に進めます。


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先ほどの芝生の上から、渉成園内を約50m南下しました。
すると芝生が途切れて、小径に変わります。
そして、この小径を突き当りまで南下します。


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その辺りで、小径から東を向いています。
この辺りが印月池最南端ですが、
目の前に漱枕居(そうちんきょ)という茶室が見えます。
ただし、こちらは現在修復工事中で様子は伺えません。


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漱枕居からこの小径をさらに約50m南下すると、
この先に見える塀に突き当たります。
この塀が渉成園の最南端で、その塀の向こうが下珠数屋町通です。
要するに、この辺りが渉成園庭園の南東端です。


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渉成園の南端部分は、いくつかの塀で仕切られた広場です。
その広場と広場は、このような門で往来できます。
ではあちらの門をくぐり、もう一つ西側の広場に写ります。


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渉成園南東端の広場から、一つ西の広場に移りました。
この辺りに何台か自動車が停まっていましたが、
庭園を整備される植木職人か漱枕居を修復される宮大工が、
乗車して来られたのかもしれません。


953-34.jpg
この広場には、渉成園の大玄関があります。
この大玄関から渡り廊下を通って、
閬風亭などの室内に入ることができます。
つまり、ここが渉成園の正面です。
浄土真宗大谷派は徳川家康から土地を賜り、
烏丸通に東本願寺を建立し、そこを総本山としました。
そして徳川家光から賜ったこの土地に、
東本願寺飛び地境内として渉成園を造営しました。
こちらは東本願寺から約200m離れていますが、
渉成園も東本願寺の一部です。
ですからこちらは、浄土真宗大谷派が管理しています。


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渉成園大玄関を背後に、渉成園内で南を向いています。
こちらの門は閉じられていますが、
自分が子供だった頃はこの門から渉成園内に入れました。
まぁ大玄関前に近い門から入る方が、屋内に用があるなら便利です。
さらに自分が子供だった頃はここは拝観料無料でしたから、
こちらの門はよく利用しました。
当時は結構荒れていて、よく友人と一緒に探検ごっこをしました。


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その門の脇に、こちらが立っています。
こちらは、馬留ですね。
要するに馬で渉成園に来られた方は、ここに馬を繋ぎ停めるわけです。
自動車がまだ普及していなかった時代のものが残っているのは、
この渉成園が古くから存在した名残なのでしょうね。


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渉成園大玄関の前で、渉成園内を西に向いています。
このまま西に進むと公衆トイレ、受付と建ち並んでいますが、
こちらの順路は手前の小径を北上します。


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渉成園大玄関の前から約5m西に進み、北を向きました。
右(東)側の建物は、渉成園の職員詰め所です。
ただ、コロナ禍以前は売店も兼ねていました。
屋内で飲み物やアイスクリームを戴けるようになっていました。
また拝観者数が回復すれば、売店に戻るかもしれません。


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先ほどの位置から、渉成園内の小径を約100m北上しました。
ここから左(西)に、通路が伸びています。


953-39.jpg
その位置で、渉成園内を西に向きました。
前回ブログで、この先に見える門から渉成園内に入ってきました。
つまり、これで渉成園内を1周しました。
そういえば、あちらにいらっしゃる警備員さんと
右(北)側に見える枝垂桜の話をしたのでした。


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では、この門から渉成園を出ます。
目の前で西に伸びる正面通をそのまま進むと、
約200mで東本願寺御影門に辿り着きます。
(正面通を西に進む様子は、第688回ブログを参照してください)
ただ今回はあくまで「花屋町通編」なので、
間之町通を北上して花屋町通に進んでから、
花屋町通を西に進みます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、六条通の玉姫稲荷社を参拝します~

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第954回 六条通の菊姫稲荷社~花屋町通東から西~その6

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953-40.jpg
こちらは、渉成園の門前です。
前回ブログまでかけて、渉成園を散策しました。
今回は渉成園を出て、花屋町通に戻ります。
撮影日は、2023年6月1日木曜日午後3時。
この時点では、まだ雨が降っていませんでした。


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渉成園の門を出て、間之町通から正面通を西に向いています。
このまま正面通を約200m西に進むと、東本願寺御影門です。
その間の正面通は、仏具屋さんや東本願寺関連施設が並びます。
その様子は、第688回ブログを参照してください。


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今度は正面通から、間之町通を南に向きました。
間之町通は、渉成園正門から約200m先の七条通で突き当たります。
渉成園から京都駅に向かうには先ず間之町通を南下して、
七条通を右(西)に進み、東洞院通か烏丸通で約200m南下します。


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今度は正面通(渉成園正門前)から、間之町通を北に向きました。
今回はこちらを進み、花屋町通に戻ります。


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正面通(渉成園正門)から、間之町通を約50m北上しました。
こちらに、浄土真宗大谷派仏願寺が建っています。
この辺りは東本願寺や東本願寺の飛び地境内の
渉成園が近いので、浄土真宗大谷派の寺院が多いです。
こちらに「六条道場」と書かれていますが、
江戸時代にこちらの寺院に仏教の研究機関がありました。


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浄土真宗大谷派仏願寺の前で、間之町通を北を向いています。
花屋町通に辿り着くまでは、間之町通を北上します。


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浄土真宗大谷派仏願寺の前から、間之町通を約50m北上しました。
ここで間之町通は、上珠数屋町通と交差します。


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間之町通から、上珠数屋町通を東に向いています。
この辺の上珠数屋町通は、渉成園北端の道です。
歩道付きの2車線の道は、京都市街地では幅広い道です。
これは、かつて市電が通っていた名残です。
(この間之町通の道幅が広いのも、同じ理由です)


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上珠数屋町通がそこそこ広い道なので、
こちらに横断歩道があります。
ではその横断歩道を渡って、上珠数屋町通北側歩道に移ります。


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その辺りに、こちらのブリキ製の表札がありました。
この表札では、上珠数屋町通を「上枳殻馬場通」と表示しています。
実は、地元民は渉成園を「枳殻邸」(きこくてい)と呼んでいます。
つまり、「渉成園の北側の道」という意味ですね。


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今度は間之町通から、上珠数屋町通を西に向きました。
こちらを約200m進むと、東本願寺の前に出ます。


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さらに上珠数屋町通から、間之町通を北に向いています。
では、間之町通をこのまま北上します。


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上珠数屋町通から、間之町通を約30m北上しました。
左(西)側に、文子天満宮がいらっしゃいます。
ただ第951回ブログで既に参拝していますので、
今回ブログでは素通りします。


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文子天満宮から、間之町通を北に向いています。
さらに、ここからもう少し間之町通を北上します。


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文子天満宮から、間之町通を約50m北上しました。
ここで間之町通は、今回ブログのメイン花屋町通と交差します。


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間之町通から、花屋町通を東に向いています。
約150m先に見えるのが、花屋町通の突き当りです。
これで、花屋町通全体の約5%くらいです。
ブログ5回使って、まだ全然進んでいません。


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今度は花屋町通から、間之町通を北に向きました。
間之町通はこのまま北上すると、何度か途切れた後
最終的には京都御苑の間之町口に到達します。
(間之町口は、第948回ブログに出てきました)


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さらに間之町通から、花屋町通を西に向いています。
ではここから、ようやく花屋町通を西に進みます。


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間之町通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、東洞院通と交差します。


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花屋町通から、東洞院通を南に向いています。
この辺りの東洞院通には、小さな旅館が多くあります。
さらには、100年以上続いた老舗旅館も多くあります。
京都市街地の神社仏閣には、遠方から来られた参拝者のための
宿泊施設が数多くあります。
そういう施設を「宿坊」と言って、大半は神社仏閣の境内にあります。
(智積院会館が典型例)
ところが、東本願寺にはもともと「宿坊」が存在しません。
その代わり、東本願寺周辺には「旅館街」が広がります。
ですから目の前の旅館も老舗ですが、
初めは東本願寺の門徒のための宿泊施設でした。


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今度は花屋町通から、間之町通を北に向きました。
六条通も越えて花屋町通から約150m北上すると、
泉仙本店が建っています。
ただし、こちらは仕出し専門店です。
「仕出し」とは京都独自の風習で、通常家庭で作る御馳走を
代わりに調理するお店です。
法事や葬式の際に親戚に出す料理やおせち料理、花見弁当は
京都では家庭では作らず、仕出し屋に頼むのが通例です。
ウチもおせち料理は、泉仙本店に頼んでいます。
(2人前で、10,000円します)
ですから泉仙本店には飲食スペースがなく、
テイクアウトかデリバリーしか頼めません。


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さらに東洞院通から、花屋町通を西に向いています。
ここからはさらに道幅が狭くなり、
とうとう自動車が通れない道幅になりました。
では、ここからも花屋町通を西に進みます。


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東洞院通から、花屋町通を西に約50m進みました。
ここで花屋町通は、不明門通(あけずどおり)と交差します。


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花屋町通から、不明門通を北に向いています。
ではちょっと寄り道をして、不明門通を北上します。


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花屋町通から、不明門通を約30m北上しました。
こちらに、お地蔵さんがいらっしゃいました。
取り敢えずこちらにお参りして、先を進みます。


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そのお地蔵さんから、不明門通を約20m北上しました。
ここで不明門通は、六条通と交差します。
烏丸通以東の六条通は、歩道付き2車線の道です。
先述の通り、これは京都市街地では広い道幅です。
ところが烏丸通より西の六条通は、
自動車がやっと通れる道幅です。
烏丸通より東の花屋町通は自動車が通れない狭い道幅ですが、
烏丸通より西の花屋町通は歩道付き2車線の広い道になります。
烏丸通を境に、六条通と花屋町通の道幅が逆転しています。
ですから、京都市民でも六条通と花屋町通が混乱する方が多いです。


954-27.jpg
「六条不明門」交差点南東角に、菊姫稲荷社がいらっしゃいます。
京都市街地には、こういう規模の神社が数多くいらっしゃいます。
(堺町通松原下がるの命婦稲荷社が典型例)
厳密には、この場所は福田人形店という老舗京人形店の土地です。
六条通の道路拡張工事で一時期移転されたのですが、
後にこの福田人形店が土地を提供して現在に至ります。


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菊姫稲荷社から、不明門通を南に向きました。
では、ここからは花屋町通へと南下します。


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菊姫稲荷社から、不明門通を約50m南下しました。
ここで不明門通は、花屋町通と交差します。
このまま不明門通を南下すると、
約80m先で上珠数屋町通と交差します。
(桜並木が見えるあたりです)
ただその辺りから不明門通は、
道幅が広がった烏丸通に吸収されて消滅します。


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今度は不明門通から、花屋町通を西に向いています。
では、ここから花屋町通を西に進みます。


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不明門通から、花屋町通を西に約50m進みました。
ここで花屋町通は、烏丸通と交差します。
烏丸通より西の花屋町通は、歩道付き2車線の道になります。
ただここからは烏丸通を南下して東本願寺に向かうのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、東本願寺御影門に向かいます~

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第955回 東本願寺の泰山木~花屋町通東から西~その7

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花屋町通最東端の富小路から約600m西に進み、
前回ブログで花屋町通と烏丸通との交差点まで来ました。
今回は花屋町通から烏丸通を南下して、
御影門から東本願寺に訪れます。
撮影日は、2023年6月1日木曜日午後3時半。
コロナ禍期間中に、今回ブログの地域は大幅改修されています。


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花屋町通から、烏丸通を北に向いています。
約80m先で、烏丸通は六条通と交差します。
その六条通~丸太町通間の烏丸通が、
京都市街地のオフィスビル街を形成しています。
(「丸太町烏丸」交差点の様子は、第202回ブログ参照)


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今度は花屋町通から、烏丸通を南に向きました。
この辺りから烏丸通は、左(東)にカーブします。
そして約80m先の上珠数屋町通と交差する辺りで、
1本東の不明門通を吸収します。
さらに上珠数屋町通から約50m南下すると、
東本願寺御影門が建っています。
さらにさらに約200m南下すると、烏丸通は七条通と交差します。
そこから南が「京都駅前」で、
七条通から約150m烏丸通を南下すると京都タワーです。
(東本願寺から京都タワーの様子は、第215回ブログ参照)


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さらに烏丸通から、花屋町通を西に向いています。
では横断歩道を渡り、烏丸通西側歩道に移ります。


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烏丸通西側歩道から、花屋町通を西に向いています。
烏丸通以西の花屋町通は、歩道付きの2車線の道です。
京都市街地としては、幅の広い道に入ります。
約80m北に伸びる六条通が烏丸通以東も同じ道幅なので、
京都市民でもこの道が「筋違いの六条通」と
間違っておられる方がいらっしゃるくらいややこしいです。
烏丸通以西の花屋町通は東本願寺の北端ですが、
その右(北)側も東本願寺関連施設が建ち並びます。


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今度は花屋町通から、烏丸通を南に向いています。
右(西)側の塀の先が、浄土真宗大谷派本山東本願寺です。
ただこの位置から東本願寺に入れませんので、
花屋町通から烏丸通を南下します。


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花屋町通から、烏丸通を南下しています。
烏丸通の東本願寺の敷地内に太陽光発電の街灯があったりしますが、
その前後に東本願寺の僧侶が唱えられた説法の一部が、
ポップとなって書かれていました。
こちらの言葉が印象に残ったので、写真を貼り付けました。
「人生塞翁が馬」の荘子元来の主張と似ています。
老子や荘子の思想は、日本の仏教にも影響を与えていますし……


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そのポップの裏(西)側の生け垣は、
東本願寺の塀との間に堀が廻らされています。
西本願寺の堀は水の無い空堀ですが、
東本願寺の堀には水が張り巡らされており、
様々な水生生物が生息しています。
自分が小学生のころ、ここでザリガニ取りをしたことがあります。
それを東本願寺の僧侶に見つかって、叱られました。
「ザリガニを殺すつもりではなく、ペットとして飼うつもりだった」
と言い訳したら、東本願寺の阿弥陀堂まで連れていかれて
説法(単に叱られている状態ではありません)を受けました。
「採取してペットとするのは、人間の都合。
ザリガニは、それを望んではいない。
自分の都合をザリガニに押し付けてはいけない」
確かそのような内容だったと覚えています。
今から思えば、結構な高僧だったのかもしれません。
以来、自分はザリガニを含めた水生生物を採るのを止めました。


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花屋町通から、烏丸通を約50m南下しました。
この先に、北行きの「烏丸六条」バス停が立っています。


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こちらが、北行きの「烏丸六条」バス停です。
今回ブログの冒頭が花屋町通で、その約80m北が六条通です。
つまり、このバス停は六条通より約130m南に立っています。
ですから、こちらは六条通よりも
東本願寺目当ての方のためのバス停ですね。


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その「烏丸六条」バス停に立って、烏丸通を南に向いています。
烏丸通の右(西)側に杭が並んでいますが、
コロナ禍以前はこちらが車道と歩道との境目でした。
そして、左(東)側の緑地が烏丸通の中央分離帯でした。
つまり目の前の石畳の部分は、
コロナ禍以前は烏丸通の車道でした。
(以前のこの辺りは、第689回ブログ参照)
ではこの先に見える東本願寺御影門前まで、烏丸通を南下します。


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「烏丸六条」バス停から烏丸通を約50m南下して、東を向きました。
この辺りから東に、上珠数屋町通が伸びています。
前回ブログでも出てきた渉成園最北端の道ですね。
カーブしてきた烏丸通は、この辺りで不明門通を吸収します。
また右(南)に見える桜並木は、東本願寺の象徴ですね。


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上珠数屋町通から、烏丸通を南に向いています。
だんだん東本願寺御影門が、近づいてきました。
しかしつい最近まで車道だった部分の中央をゆっくり歩くのも、
なんだか変な気分ですね。


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もう少し烏丸通を南下して、左(東)に向きました。
こちらは、この辺りの公衆トイレです。
烏丸通の中央分離帯だったところは大幅に改修されて
現在は緑地公園になっています。


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その公衆トイレの脇で、烏丸通を南に向いています。
東本願寺御影門が、さらに近づいてきました。


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先ほどの位置から烏丸通を約50m南下して、
東本願寺御影門前に辿り着きました。
約200m南に七条通が伸びていて、そこより南が「京都駅前」です。
さらに約200m先の京都タワーや京都駅が、はっきり見えますね。


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東本願寺御影門を背後に、烏丸通から東に向いています。
烏丸通から東に、正面通が伸びています。
正面通は約200m先で、渉成園に突き当たります。


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さらに、東本願寺御影門の前に、大きな噴水があります。
こちらがいつできたのか知りませんが、
少なくとも自分が生まれる前には存在しました。
実はこちらは、もともと市電の停留所でした。
かつて東本願寺に日本全国から数多くの門徒が参拝に来られて、
その門徒の皆さんが停留所からはみ出す危険な状態でした。
そのため停留所を巨大化して、
烏丸通を拡張するために不明門通を烏丸通に吸収させました。
1976年に烏丸通の京都市電は廃止されましたが、
その巨大な停留所が公園として残っています。


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その噴水から、緑地公園を南に向いています。
この先に見える樹木の大半は、桜並木です。
「七条烏丸」交差点から東本願寺を見ると
東本願寺が桜に囲まれているように見えるのは、
この桜並木のためです。
またその桜並木と京都タワーの両方が写り込むこの構図が、
桜シーズンには絶景に変わります。


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こちらが、正面から見た東本願寺御影門です。
東本願寺に限らず浄土真宗の本山の正門は、
御影門と阿弥陀門の2種類あります。
東本願寺御影門は2階建てですが、
5階建てのビルに相当する高さです。


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では東本願寺御影門をくぐり、東本願寺境内に入ります。
なお東本願寺御影門の内部は、通常非公開です。


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東本願寺御影門をくぐり、東本願寺境内に入ってきました。
東本願寺御影門の正面に、東本願寺御影堂が建っています。
御影堂は、東本願寺本堂のうちの一つですね。
もう一つの本堂は左(南)隣の東本願寺阿弥陀堂です。
こちらも、東本願寺阿弥陀門の正面に建っています。


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東本願寺御影門をくぐり、境内を南西に向いています。
先ずは、この先の手水舎に向かいます。


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こちらが、重要文化財の東本願寺手水舎です。
龍の像の口から、水が流れています。
もともとこちらに柄杓があったのですが、
コロナ禍以降は取り払われています。


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東本願寺御影門前に戻り、境内を北に向いています。
約200m先に東本願寺参拝接待所があります。
その左(西)側に樹木が立っていて、そこに白い点が見えます。
こちらは泰山木という樹木で、毎年6月上旬に花が満開になります。
ただ約200m離れていて花がはっきり見えるというのは、
この花1輪が相当大きい証拠です。


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東本願寺御影門から、境内を約200m北上しました。
こちらが、東本願寺参拝接待所です。
自分が東本願寺に参拝する際、
参拝接待所から高廊下経由で御影堂、阿弥陀堂に参拝します。
ただ、その前に……


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参拝接待所の西側、高廊下を背景に泰山木が3本立っています。
いつも参拝の際はほぼスルーしていますが、
毎年6月はこの泰山木の満開の時期ですから、
こちらには足を延ばすようにしています。


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その泰山木の花を大写しにしました。
こちらの白い花は、満開時には直径が約1mになることもあります。
(この時点では、まだ満開ではありません)
とにかく樹木に咲く花としては、最大級です。


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泰山木から東本願寺境内を東に進み、参拝接待所に戻りました。
では、ここから東本願寺参拝接待所に入ります。


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東本願寺参拝接待所に入るには、注意事項がります。
一つは、ここから先は土足厳禁ということです。
目の前の箱から靴袋を取り出し、
ここからは自分の靴を持参して屋内を歩いていきます。
もう一つは、この参拝接待所内は撮影厳禁ということです。
こちらの屋内には仏間もありますし、
門徒もたくさんいらっしゃいます。
ここからは靴を脱いで東本願寺屋内を散策します。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、東本願寺御影堂や阿弥陀堂に参拝します~

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第956回 東本願寺に参拝~花屋町通東から西~その8

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前回ブログで東本願寺御影門をくぐり、
境内の北東端参拝接待所まで来ました。
参拝接待所には浄土真宗大谷派の門徒への受付があって、
中で休憩ができたり、仏間でお祈りができたりします。
また東本願寺全体を参拝するなら、
この参拝接待所から、阿弥陀堂へ向かうのが効率的です。
今回は、東本願寺屋内を巡ります。
撮影日は、2023年6月1日木曜日午後3時半。
この辺りから、だんだん曇行きが怪しくなります。


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参拝接待所の縁側から先は、土足厳禁なので靴を脱ぎます。
そして、ここからは靴が入った靴袋を持って先を進みます。
本当は参拝接待所の中に入ってきたのですが、
参拝接待所屋内は撮影禁止なので、
出てきたところを西を向きました。
先ずは、参拝接待所の縁側を西に進みます。


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先ほどの位置から東本願寺参拝接待所正面の縁側で西を向き、
そのまま端まで西に進みました。
こちらに、前回ブログでで紹介した泰山木が立っています。
こちらから見ても、満開間近の花が咲いていました。


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東本願寺参拝接待所正面から縁側の南西端まで進み、
その位置で北を向いています。
右(東)側が参拝接待所ですが、
約5m先にも左(西)に伸びる廊下があります。


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先ほどの位置から約5m北上して、
左(西)側に廊下が伸びる場所まで来ました。
ここから西に進むのが順路ですが、今回はもう少しここを北上します。


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先ほどの位置から、参拝接待所脇の縁側を約5m北上しました。
こちらに、飲料水の自動販売機が置いてあります。
左側には、「東本願寺のお水」が売られています。
第952回ブログの渉成園の休憩所でも、
「東本願寺のお水」が販売されていました。
ただ、今回は右側の自動販売機からレモンスカッシュを買いました。
以前何回も「東本願寺のお水」を購入していたので、
まぁ今回は別のものにしました。


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レモンスカッシュのペットボトルを飲み干して、
参拝接待所脇の縁側を約5m南に戻りました。
そして参拝接待所を背後に、西を向いています。
東本願寺参拝接待所から南西に、蛇行する廊下があります。
しかもスロープになっているので、徐々に高くなります。
こちらを東本願寺側は、「高廊下」と呼んでいます。
では参拝接待所から、こちらの高廊下を西に進みます。


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参拝接待所から高廊下を約10m西に向かい、北を向きました。
このまま廊下を北上すると、東本願寺のギャラリーがあります。
中では、浄土真宗大谷派の門徒でもある文化人を
パネル展示で紹介していました。
ただ、こちらも撮影禁止なので写真はありません。
ちなみに屋内の階段から多目的ホールにも向かえますが、
北隣の白書院は一般の門徒は立ち入り禁止です。


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東本願寺ギャラリー脇から、高廊下を西に向いています。
スロープ状になった廊下が、徐々に高くなっているのが分かります。
取り敢えず、このまま突き当りまで西に進みます。


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突き当りまで高廊下を西に進み、南に向きました。
ここから高廊下は、南に進みます。
ただここから上り坂が急になりますので、
気を付けないと頭を天井にぶつけてしまいます。


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さらに高廊下を突き当りまで南下して、西に向きました。
ここから高廊下の壁面にパネルや書画が飾られます。
なお展示物は、時折変更されています。


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そして高廊下を突き当りまで約30m西に進むと、
東本願寺御影堂の床と同じ高さになります。
ここからは目の前の渡り廊下を南下して、
東本願寺御影堂の廊下へと移ります。


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渡り廊下を南へ渡り切り、東本願寺御影堂の廊下へと来ました。
南を向くと撮影禁止区域も撮ってしまうので、
その位置で東を向いています。
結構厳粛な感じがするので、この廊下はお気に入りの場所です。
次は、こちらを歩いて突き当りまで進みます。


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先ほどの位置から東本願寺御影堂の廊下を突き当りまで東に進み、
南に向いています。
ここからは、このまま東本願寺御影堂の廊下を南下します。


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先ほどの位置から廊下を約10m南下すると、白い看板が立っています。
ではこの看板の位置から、東本願寺御影堂に入ります。
こちらの屋内は撮影禁止ですので、正面に向いた写真はありません。
東本願寺御影堂は、東本願寺の本堂の一つです。
こちらのご本尊は、浄土真宗の開祖親鸞の像です。
像の真上に「見真」と書かれた扁額がありますが、
これは親鸞が死後「見真大師」と号されたことに由来します。
この御影堂は900畳以上の広大な建築物ですが、
周囲が何もかも巨大なので、中にいてもその実感はありません。
ちなみに先程の扁額も、6畳ほどの大きさがあります。


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東本願寺御影堂でのお参りを終えて、御影堂を出ました。
東側を向くと、向こう(東)側に東本願寺御影門が建っています。
御影堂に相対する御影門、阿弥陀堂に相対する阿弥陀門が、
浄土真宗の総本山でよく見られる建築形式ですね。


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東本願寺御影堂を正面から出て、廊下を南に向いています。
ここからは、この廊下を突き当りまで南下します。


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東本願寺御影堂の周囲を巡る廊下を最南端まで来ました。
その位置から南を見ると、これから進む東本願寺阿弥陀堂と
京都タワーが並んで見えます。
東本願寺境内の最南端から約10m先に七条通が伸びており、
七条通以南が「京都駅前」なので、この位置からでも
京都タワーやヨドバシカメラ京都のビルがよく見えます。


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先ほどと同じ位置で、東本願寺御影堂を巡る廊下を西に向きました。
約50m先で、この廊下が突き当たっています。
ここからは、そちらに向かいます。


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東本願寺御影堂を巡る廊下を突き当りまで西に進み、
その位置で南を向いています。
こちらに、東本願寺御影堂から
東本願寺阿弥陀堂へ伸びる渡り廊下があります。
そしてその渡り廊下上に、様々な展示物があります。
1895年(明治28年)に東本願寺の建造物が現在のものになりましたが、
そのことに関連した展示物が並びます。


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こちらが、その渡り廊下に展示されたものです。
「尾神嶽」は、長野県と新潟県の境にある山です。
1895年に御影堂や阿弥陀堂を建築したとき、
日本全国から多くの木材が運び込まれました。
その際その「尾神嶽」で雪崩が起き、
多くの方々が亡くなられました。
こちらはそのことを悔やんで「尾神嶽」の模型が展示されています。
また右側の毛綱は、当時木材をそりに縛り付けていたものです。


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そしてその右側に、当時木材を運ぶのに
使われていたそりが展示されています。
この上に木材を並べて、雪の上を滑らせたのでしょうね。


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展示物の脇で、渡り廊下を南に向いています。
では、この先の東本願寺阿弥陀堂に向かいます。


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渡り廊下を南下して、東本願寺阿弥陀堂に辿り着きました。
そのまま南を向くと東本願寺阿弥陀堂の内部を写してしまますので、
その位置で東を向いています。
では、ここからは東本願寺阿弥陀堂を巡る廊下を東に進みます。


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東本願寺阿弥陀堂を巡る廊下を突き当りまで東に進み、
東本願寺阿弥陀堂を巡る廊下を南に向いています。
では、ここからは、こちらから東本願寺阿弥陀堂に参拝します。

東本願寺阿弥陀堂は東本願寺のもう一つの本堂で、
浄土真宗なので阿弥陀如来がご本尊です。
阿弥陀如来は、念仏系宗派(他に浄土宗と時宗)のご本尊です。
世にいう「南無阿弥陀仏」ですね。


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東本願寺阿弥陀堂を参拝して、出てきました。
そして、その位置で廊下を南に向いています。
通常はこのまま西に進み階段を下りて靴を履くのですが、
今回はもう少しこの廊下を南下します。


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東本願寺阿弥陀堂のめぐる廊下を最南端まで進みました。
そして、さらに南側を眺めています。
目の前の塀の約10m先が七条通で、さらにその先が「京都駅前」です。
七条通から約200先に京都駅があって、
その周囲に京都タワーが立っています。


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同じ位置で、東本願寺阿弥陀堂を巡る廊下を北に向きました。
では、ここで少しだけ北上して阿弥陀堂の正面に戻ります。


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先ほどの位置から北上し、東本願寺阿弥陀堂正面で東を向きました。
東本願寺阿弥陀堂に相対する形で、東本願寺阿弥陀門が見えますね。


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東本願寺阿弥陀堂前にある階段を下りてきました。
地面と同じ高さまで下りると、下足場があります。
ここまで靴袋を持って歩いていましたが、
ここで靴を履いて砂利道を進みます。


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東本願寺阿弥陀堂から、境内を南西に進みました。
こちらに、東本願寺鐘楼があります。
除夜の鐘などで活躍しています。


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東本願寺鐘楼を南東に進むと、東本願寺阿弥陀門があります。
東本願寺阿弥陀堂の真西に、阿弥陀門が立っています。
京都駅から歩いてこられた方は、
大半はこの東本願寺阿弥陀門から入って来られます。


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東本願寺阿弥陀門をくぐらずに、境内を北に向きました。
目の前の梵鐘は、もともとは先程の鐘楼にありました。
古くなったのですが重要文化財ですので、
こちらに保存されています。
さらにその奥(北側)には、東本願寺の売店があります。
記念品やお土産物などが売られていますが、
浄土真宗大谷派による出版物なども売られていました。
サブレなどのお菓子も売られていますが、
飲食スペースはありません。


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東本願寺売店を西側の出口から出て、北を向きました。
右(西)側に、前回ブログに出てきた手水舎があります。
では、ここを北上します。


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東本願寺の売店の北隣が、東本願寺御影門です。
これで、東本願寺境内を一周しました。
では、こちらから、東本願寺を出ます。


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東本願寺御影門をくぐり、東を向いています。
ここは烏丸通上で、目の前を東に正面通に伸びています。
ここから烏丸通を北上し花屋町通を戻りますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
この辺りから雨も降りだしてきたので、今回はここまでです。

~次回は、東本願寺の北側に伸びる花屋町通を散策します~

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第957回FIKA花屋町で柚子茶~花屋町通東から西~その9

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前回ブログで東本願寺に参拝して、
東本願寺御影門から出て、烏丸通から正面通を東に向いています。
このまま正面通を東に進むと、約200mで渉成園に達します。
ただ今回は花屋町通まで北上して、花屋町通を西に進みます。
その辺りの花屋町通は東本願寺の北端で、
東本願寺の関連施設が多く建ち並びます。
撮影日は、2023年6月15日木曜日正午。
この日も、たまに雨が降る曇りの日でした。
まぁ、梅雨ですからね。


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東本願寺御影堂前から、烏丸通を南に向いています。
約200m先の七条通から南が、京都駅前です。
ここからでも、北からヨドバシカメラ京都、京都タワー、
京都駅の駅ビルが見えますね。
(その辺りの様子は、第215回ブログを参照してください)


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東本願寺御影門の東に噴水があって、
その東側に横断歩道があります。
そちらを渡ると、その先の正面通をさらに東に進めます。
ただ、そちらに進むと元来た場所に戻ってしまいます。


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さらに東本願寺御影門前から、烏丸通を北に向いています。
左(西)側が歩道で右(東)側が車道に見えますが、
烏丸通の車道はもっと東の方にあります。


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その車道に見える部分のさらに東側は、緑地公園です。
烏丸通の車道は、さらにその東側です。
目の前の車道に見える部分は、その公園の一部です。


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東本願寺御影門前から、烏丸通西側歩道を北上しています。
東本願寺の塀と烏丸通との間に堀があって、
時折小さな橋が架かっています。


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その小さな橋の先には、東本願寺の小さな門があります。
菊の御門が付いていますが、東本願寺歴代管主の中には
皇女が嫁いだケースも多いので、この家紋が付いたのでしょうか。


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こちらが、東本願寺の堀です。
水面に波紋が多いのは、小雨が降っているからです。


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その辺りに、このような看板が立っていました。
しんらん交流館は、今から進む目的地です。
こちらに併設されているカフェに、これから向かいます。


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東本願寺御影門から、約200m北上しました。
こちらから東に、上珠数屋町通が伸びています。
そしてこの辺りから烏丸通は左(西)にカーブして、
緑地公園も烏丸通の車道の一部に変わります。
またこの辺りから烏丸通が西に移動するので、
その位置から不明門通(あけずどおり)が北に伸びます。
さらに、この辺りの桜並木は東本願寺の象徴ですね。


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上珠数屋町通から、烏丸通を北に向いています。
目の前に「烏丸六条」バス停がありますが、
六条通は約130m北に伸びています。


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「烏丸六条」バス停付近に、こちらが立っていました。
だんだんとしんらん交流館に近付いています。


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上珠数屋町通から、烏丸通を約80m北上しました。
ここで烏丸通は、花屋町通と交差します。
ちなみに烏丸通や約80m北上すると、六条通に交差します。
そこから烏丸通は、丸太町通までオフィスビル街を形成します。
(丸太町通以南の烏丸通は、第202回ブログを参照してください)


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烏丸通から、花屋町通を東に向いています。
烏丸通以東の花屋町通は、この道幅です。
第950回ブログからブログ6回を掛けて、
この烏丸通まで来ました。


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今度は烏丸通から、花屋町通を西に向きました。
烏丸通以西の花屋町通は道幅が広くなりますが、
ここから花屋町通の大半がこの道幅です。
烏丸通以西の花屋町通の左(南)側は東本願寺ですが、
右(北)側は東本願寺と言いますか
浄土真宗大谷派の関連施設が並びます。


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烏丸通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここから右(北)に、諏訪町通(すわんちょうどおり)が伸びています。


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諏訪町通は花屋町通で突き当たっていますが、
その南側から、東本願寺の境内に入れます。
もし自転車で東本願寺に来た場合は、ここから入ります。
この奥に、駐輪場があります。
もちろん駐輪するには、こちらの守衛さんからの許可が必要です。


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花屋町通から、諏訪町通を北に向いています。
左(西)側は今回ブログのメインのオープンカフェで、
右(東)側は奥(北)に進むと小さな旅館に行き当たります。
諏訪町通沿いには、もともと東本願寺への参拝者のための
宿泊施設が多く存在しました。
現在は浄土真宗の門徒に限らず、誰でも泊まれる旅館が点在します。


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今度は諏訪町通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側にも、滔々と水を湛えた東本願寺の堀がありますね。


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ここからはこのまま花屋町通を西に進まず、
目の前の横断歩道を右(北)へ移動します。
その先が、今回ブログのメインFIKA花屋町です。


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こちらが、今回ブログのメイン
オープンカフェのFIKA花屋町です。
第513回ブログでお邪魔したときは、
ホテルニューオークラの直営レストランがありましたが、
そちらはコロナ禍で無くなってしまいました。
代わりに、このオープンカフェが開業しています。


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FIKA花屋町の店頭に、メニューが置かれていました。
コーヒーなどもありますが、ソフトクリームやフロート類など
季節柄冷たいスイーツが主流です。
ただ、この時間帯は(正午近く)カレーなど軽食が多く頼まれます。
また、抹茶ビールなどもあるようです。
さらに、持ち帰り用の弁当もあります。


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では、店内奥のレジに向かいます。
このお店は客席からではなく、ここでいったん注文します。
その後、客席まで店員さんに持ってきて戴きます。
このお店のブログ取材を伺ったところ、
こちらはブログウェルカムのお店でした。
とは言え、他のお客さんや店員さんは写らないように撮ります。
実は1枚店員さんがはっきり写ったものがあったので、
そちらは採用しませんでした。


957-24.jpg
店内は、お客さんでいっぱいでした。
聞こえてくる会話から、どうも東本願寺の職員さんが多いようです。
そこで、自分はお店の外に出ました。
こちらにもテーブルが4つあって、(屋内は10くらい)
ここでも飲食が可能です。


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結局、自分は入り口にいちばん近いこの席に就きました。
南側に、先程の東本願寺の門がありますね。
このお店で飲食された方が、次々とその入り口を通過されます。


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テーブルに置かれたマグカップを大写しにしました。
先ほど自分がしたように、このお店は
いったんレジに行かなければなりません。


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マグカップには、こちらが付いていました。
QRコードからアクセスすると、コーヒーがもらえるようです。


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暫く待っていると、こちらがやってきました。
冷たく冷やした柚子茶ですね。
元来の柚子茶は柚子マーマレードをお湯で溶いたものなのですが、
今回は水で溶いて氷を浮かべています。
韓国では、喉を守るためによく飲まれています。


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冷たい柚子茶を大写しにしました。
柚子マーマレードが原料なので、甘くて柚子の香りがします。
家庭では暑くして飲むのが普通ですが、
夏場は冷やして戴くのもいいですね。


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ちょっと時間をかけて、柚子茶を飲み干しました。
この時点で、2023年6月15日木曜日午後0時半です。
予定外に時間が経ちましたので、ここからちょっと急ぎます。


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ではFIKA花屋町を出て、花屋町通を西に向いています。
よく見ると、FIKA花屋町は大きな建物の一部ですね。


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FIKA花屋町の西側には、
「しんらん交流館」と書かれた看板があります。
こちらは撮影許可が下りなかったので、
屋内の写真はありません。
(撮影禁止ではなく、たまたま責任者がいらっしゃらなかったので)
「しんらん交流館」は浄土真宗大谷派の様々な施設の集合体です。
1Fはギャラリーと図書室で、
他に大谷ホールと呼ばれるコンサートホールや
茶室などの小さな部屋もあります。
先ほどまでいたFIKA花屋町も、
この「しんらん交流館」に入っているテナントです。


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写真撮影はしていませんが、
しんらん交流館の1Fに入ってきました。
この日(2023年6月15日木曜日)のギャラリーは、
かつての東本願寺周辺の様子や修復工事の様子を
記録写真をパネル展示されていました。
自分は子供のころにまだ存在した市電も写っていました。
また図書室の南側は、絵本が並んでいました。
東本願寺と言いますか、浄土真宗大谷派の施設ですから
宗教関連の絵本ばかりが並んでいると思っていたのですが、
宗教色の薄い絵本も数多く並んでいました。

しんらん交流館を出て、花屋町通を西に向いています。
ここから、花屋町通を西に進みます。


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諏訪町通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、室町通と交差します。


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花屋町通から、室町通を北に向いています。
約2㎞先の四条通周辺の室町通沿いに、
毎年7月に祇園祭の山鉾が並びます。
(詳細は、第495回ブログ参照)


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今度は室町通から、花屋町通を西に向いています。
では、ここから花屋町通を西に進みます。


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室町通から花屋町通を約20m西に進み、南に向きました。
こちらに、東本願寺の大きな門があります。
ただ、こちらからは中には入れません。


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その辺りで、花屋町通を西に向いています。
目の前の公衆トイレの西側で、東本願寺の敷地が終わります。


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その公衆トイレの西側を写しました。
左(東)側が東本願寺で、右(西)側が通常の家屋です。
「花町通編」で東本願寺関連施設が出てくるのは、ここまでです。
またもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回ブログもここまでです。

~次回は、若宮八幡宮に立ち寄ります~

続きを読む

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ジャンル : 地域情報

第958回 若宮八幡宮の門前町~花屋町通東から西~その10

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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前回ブログで烏丸通から花屋町通を西に約150m進み、
その位置で南を向いています。
左(東)側までが東本願寺の敷地で、右(西)側は別の民家です。
今回は花屋町通をさらに西に進み、
若宮八幡宮周辺にお邪魔します。
撮影日は、2023年6月15日木曜日午後0時40分。
曇り空でしたが、この瞬間は雨が降りませんでした。


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その位置で、花屋町通を西に向いています。
目の前の京町屋は、「遊」という友禅染の工房です。
また、その友禅染の製品も売られています。
第511回ブログでは、自分はネクタイとハンカチを買いました。


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今回ブログの冒頭から、花屋町通を約10m西に進みました。
ここで花屋町通は、新町通と交差します。


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花屋町通から、新町通を南に向いています。
約550m先の塩小路で、新町通は突き当たります。
(詳細は、第291回ブログ参照)
そしてさらに南の八条通から、新町通はまた南に伸びています。
また花屋町通から約280m南下すると、
「七条新町」交差点周辺が京都屈指の「呑み屋街」です。


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今度は花屋町通から、新町通を北に向きました。
今回ブログでは、ちょっとだけ新町通を北上します。


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花屋町通から、新町通を約5m北上しました。
こちらに、お地蔵さんがいらっしゃいます。
取り敢えず参拝して、さらに新町通を北上します。


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そのお地蔵さんの前で、新町通を北に向いています。
さらに、このまま新町通を北上します。


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花屋町通から、新町通を約50m北上しました。
分かり難いですが、電柱の脇から右(東)に六条通が伸びています。


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新町通から、六条通を東に向いています。
烏丸通以西の六条通は、この道幅に変わります。
第954回ブログの六条通と、見比べてみてください。
六条通はこの新町通でいったん突き当たりますが、
筋違いでさらに西へと伸びています。


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六条通から、新町通を北に向いています。
左(西)側に蕎麦屋の招福亭が建っていて、
右(東)側に「だし巻き卵」が名物の喫茶店が建っています。
さらにその北側に、白山湯六条店という公衆浴場が建っています。
六条通以北の新町通は飲食店で賑わっていますが、
この公衆浴場が小さな繁華街を形成しているようです。


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そしてその招福亭で昼食を摂ろうとしたのですが、
ちょっと様子がおかしいです。
この時間ならいつも賑わっているのですが、
お客さんが誰もいらっしゃいません。


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招福亭の入り口に、こちらが貼りだされていました。
どうやら、取材日が臨時休業だったようです。


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このまま招福亭を立ち去るのもちょっと寂しいので、
2020年9月18日に招福亭を取材した写真を掲載します。
この日は、「天ざる」(1,600円)を戴きました。


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先ずは、こちらの天ぷらです。
竹輪にレンコン、しし唐・ヤングコーン・生麩・アスパラガスです。


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さらに奥にも、天ぷらが並びます。
左から、生シイタケ・ミョウガ・かぼちゃ・海老2尾ですね。
招福亭は庶民的な蕎麦屋ですから、
そこまで高級な食材を使っていませんが、
季節ごとのおいしい野菜を丁寧に調理されておられて、
お味の方も高級料理店にも劣りません。


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また、こちらは通常緑色の茶蕎麦を使用されます。
のど越しの良い茶蕎麦をカツオ節の効いた汁で戴きます。
そして、最後は蕎麦湯ですね。
そちらを戴いて、こちらを出ました。

~2020年9月18日取材写真は、ここまでです~


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この写真から、2023年6月15日取材分に戻ります。
蕎麦屋の招福亭の前で、新町通を北に向いています。
右(東)側に、公衆浴場の白山湯六条店があります。
ちなみに本店は、北北西約1㎞にあります。
この白山湯の階上は、駐車場です。
京都市内で駐車場がある公衆浴場はとても珍しいので、
白山湯はとてもお客さんの多い銭湯です。
その関係もあって、白山湯の周囲には多くの飲食店があります。
とは言えまだ白山湯六条店の開店時間ではありませんので、
この辺りはそこまで賑やかではありません。
この北側にも多くの飲食店が建ち並びますが、
今回は、これ以上新町通を北上しません。
また、目の前で筋違いの六条通が左(西)に伸びています。


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新町通から、六条通を西に向いています。
ここから西の六条通が、六条会商店街です。
以前より閉めてしまわれたお店もだいぶ増えましたが、
まだまだ商店街として機能されています。


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六条通から、新町通を南に向いています。
ではここから新町通を南下して、花屋町通に戻ります。


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六条通から、新町通を約20m南下しました。
ここで、また六条通が左(東)に伸びています。


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東に伸びる六条通から、新町通を約50m南下しました。
ここで新町通は、花屋町通と交差します。


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新町通から、花屋町通を西に向いています。
この辺りも飲食店が多かったのですが、
コロナ禍を過ぎてだいぶお店も減りました。
ただ目の前の赤い看板の食堂は、結構賑やかに営業されていました。


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新町通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、若宮通と交差します。


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花屋町通から、若宮通を南に向いています。
若宮通は、約280m南の七条通で突き当たります。
花屋町通以南の若宮通は、第511回ブログを参照してください。


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今度は花屋町通から、若宮通を北に向きました。
ここから、若宮通も北上します。


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花屋町通から、若宮通を約10m北上しました。
こちらに、今回ブログのメイン若宮八幡宮がいらっしゃいます。


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石製鳥居をくぐり、若宮八幡宮境内に入ってきました。
手前に、手水舎があります。
先ずは、こちらで手を清めます。


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手水舎の向かい(北)側に、若宮稲荷社がいらっしゃいます。
次に、こちらに参拝します。


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そして境内の一番奥(東側)に、若宮八幡宮本殿がいらっしゃいます。
こちらも八幡宮ですから、ご祭神は応神天皇です。
名前からピンときた方もいらっしゃると思いますが、
こちらは神奈川県鎌倉市の若宮八幡宮が勧請されたものです。
一時期はかなり大きな境内を有していましたが、
江戸時代に五条坂の西側に移転してしまいました。
ですから、こちらは正確には若宮八幡宮「跡」です。
ところが移転以降もこの地域の住民が整備して、
神社の体裁を守り続けてまいりました。
そして、現在に至ります。
こちらは毎年9月の第一日曜日に例祭が催されますが、
ここ数年はだいぶ規模が縮小されています。
(若宮神社の例祭は、第598回ブログを参照してください)


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若宮八幡宮の前で、若宮通を北に向いています。
約10m先の京町屋は、旅館軒飲食店の京宿ロマン館です。
コロナ禍を乗り越えてこの日も営業中でした。
ここの料理はかなりおいしいのですが、サイトを見返すと
どうも最近飲食店の方は営業されていないようです。
そのため、今回は素通りします。


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若宮八幡宮から、若宮通を約60m北上しました。
ここで若宮通は、六条通と交差します。


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若宮通から、六条通を東に向いています。
やはりコロナ禍の影響は凄まじく、
六条会商店街の様々なお店が閉店に追い込まれています。
とは言え、2018年当時営業されていたお店の過半数は
取材日の2023年6月15日も元気に営業中でした。
生麩製造販売の麩藤や向かい(北)側の化粧品店も、営業中でした。
約50m先に白山湯六条店があって、
そこで六条通は突き当たっています。


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今度は若宮通から、六条通を西に向いています。
こちら側の商店もだいぶなくなりましたが、
2018年当時の過半数のお店がまだまだ残っています。
和菓子匠の和菓子司 梅月も、元気に営業中でした。


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六条通から、若宮通を南に向いています。
今回はこれ以上北上しませんので、
ここからは若宮通を南下します。


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六条通から、若宮通を約60m南下しました。
ここで再び若宮八幡宮の前に出ますが、
さすがにここでは素通りします。
ここから花屋町通に戻ってまた西にへと進みますが、
その辺りから花屋町通は西本願寺の門前町となります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、西本願寺周辺の商店街などを散策します~

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第959回 西本願寺の門前町~花屋町通東から西~その11

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前回ブログで参拝した若宮八幡宮の前で、若宮通を南に向いています。
今回は、若宮八幡宮の約10m南に伸びる花屋町通を西に進みます。
撮影日は、2023年6月15日木曜日午後1時。
この辺りから、浄土真宗本願寺派西本願寺の門前町に入ります。


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若宮八幡宮の前から、若宮通を約10m南下しました。
ここで若宮通は、今回ブログのメイン花屋町通と交差します。


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若宮通から、花屋町通を西に向いています。
ここからは、この花屋町通を西に進みます。


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花屋町通を西に歩いていると、こちらの花に出会いました。
毎年ここを通るとよくこの花を見掛けますが、
実はこの花の品種をよく分かっていません。


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若宮通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、西洞院通と交差します。
西洞院通はもともと川でしたので、
谷のように他の土地より低いのですが、
この辺りの西洞院通はそこまで低くありません。


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花屋町通から、西洞院通を北に向いています。
西洞院通には、以前京都市電堀川線が走っていました。
それが、京都駅前~蛸薬師通間の西洞院通の道幅が広い理由です。
約80m北に「西洞院六条」バス停がありますが、
市電当時も、同じ場所に同じ名前の停留所がありました。
現在も市電当時も、六条会商店街への最寄りです。


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今度は花屋町通から、西洞院通を南に向きました。
約280m先で、西洞院通は七条通と交差します。
「七条新町」交差点~「七条西洞院」交差点間の約100mに、
お酒を提供する飲食店が集中します。


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さらに西洞院通から、花屋町通を西に向いています。
今回ブログは、こちらを進みます。


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西洞院通から、花屋町通を西に歩いています。
右側に小さな寺院の屋根が見えてきましたが、
この辺りから徐々に
浄土真宗本願寺派本山西本願寺関連施設が姿を現します。


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西洞院通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、東中筋と交差します。


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「花屋町東中筋」交差点北東角に、
本願寺国際センターが建っています。
西本願寺を本山とする浄土宗本願寺派を
世界中に布教するための施設です。
建物の前に、巨大な親鸞像が置かれています。
日蓮宗系寺院の多くで日蓮像が安置されますが、
親鸞像を立てる浄土真宗の施設は相当珍しいです。


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花屋町通から、東中筋を北に向いています。
左(西)側に、浄土真宗本願寺派光照寺が建っています。
右(東)側が、先述の本願寺国際センターです。
この辺りから、徐々に浄土真宗本願寺派の末寺が建ち並び出します。
ちなみにこのまま約1㎞北上すると、高辻通~仏光寺通間に
京町屋が建ち並ぶ雰囲気の良い路地が伸びています。



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今度は花屋町通から、東中筋を南に向きました。
左(東)側の浄土真宗本願寺派連光寺の屋根が、先程見えていました。
この辺りには西本願寺の末寺が建ち並びますが、
もう130m南下すると、仏具店が建ち並びます。
まぁいずれにしても、西本願寺関連の建物が増えてきました。


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東中筋から、花屋町通を約50m西に向いています。
先述の通り周囲に西本願寺関連施設が増えてきましたが、
目の前は自動車修理工場です。


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東中筋から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、油小路と交差します。
そろそろ大通りの堀川通が、見えてきました。


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花屋町通から、油小路を北に向いています。
左(西)側に浄土真宗本願寺派名声寺が見えるように、
この辺り一帯に西本願寺の塔頭寺院が建ち並びます。
その状態は、約80m先の六条通沿いまで続きます。
(要するに、六条会商店街沿いに寺院が並びます)


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今度は花屋町通から、油小路を南に向きました。
では、ちょっとだけ油小路を南下します。


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花屋町通から、油小路を約10m南下しました。
自動車修理工場の南隣が、浄土真宗本願寺派京都教区教務所です。
西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派寺院を統括しています。
築約100年のコンクリート造の建物が、荘厳ですね。


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浄土真宗本願寺派京都教区教務所の前で、油小路を南に向いています。
約80m南に正面通が伸びていて、そこに仏具店が並びます。
仏具店だけの商店街というのは、なかなか壮観です。
(「ご縁まち」の様子は、第690回ブログ参照)


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今度は浄土真宗本願寺派京都教区教務所の前で、
油小路を北に向きました。
では、ここから花屋町通に戻ります。


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浄土真宗本願寺派京都教区教務所から油小路を約10m北上して、
油小路から花屋町通を西に向いています。
ここからは、この花屋町通を西に進みます。


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油小路から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は堀川通と交差しているのですが……
花屋町通と交差する堀川通が、北西に歪んでいます。
実は堀川通は北西にカーブしているのではなく、
花屋町通以北の堀川通の道幅が、狭くなっています。
そのため、花屋町通から北に別の道が伸びています。
堀川通西側歩道に大きな寺院の施設が見えますが、
あちらは西本願寺の太鼓楼です。
堀川通より西、花屋町通より南に、西本願寺があります。


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先ほどの位置から、北を向いています。
花屋町通より北に、西中筋が伸びています。
西中筋は、花屋町通~六条通間約80mの短い道です。


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さらに同じ位置で、南を向きました。
花屋町通より南に西中筋は存在せず、
そのまま堀川通が伸びています。
よく見ると、堀川通の歩道が西中筋の幅と同じことが分かります。
要するに堀川通拡張の際に、花屋町通以南は
西中筋が堀川通に吸収され堀川通東側歩道になりました。


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花屋町通から、堀川通を約50m南下しました。
ここに、堀川通を渡る横断歩道があります。
花屋町通から割とズレていますが、これには訳があります。


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この位置で真西を向くと、堀川通以西の花屋町通が続きます。
堀川通には中央分離帯があり、花屋町通を遮断しています。
ですから、花屋町通は自動車で堀川通を越えられません。
(徒歩や自転車なら、花屋町通から堀川通を越えることが可能です)


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また先程の横断歩道の前で堀川通を南に向くと、
目の前に左(西)へ伸びる道が現れます。
こちらは、旧花屋町通です。
第849回ブログで書いたように、
花屋町通は明治時代に萬年寺通と合併しています。
その際堀川通~新町通間で二つの道がズレていたので、
堀川通より東の萬年寺通を花屋町通と呼称変更をして、
堀川通より東の花屋町通を旧花屋町通と呼びました。
「花屋町通編」は最西端の阪急電車「西京極」駅まで取材した後、
この旧花屋町通も取材する予定です。


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堀川通から、旧花屋町通を東に向いています。
今は仏具屋さんに囲まれていますが、
もともとはこの辺りに花屋さんが建ち並び、
それが「花屋町通」という名称の起源です。


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旧花屋町通から、堀川通東側歩道を南に向いています。
今回は、このまま堀川通を南下します。


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旧花屋町通から、堀川通を約50m南下しました。
すると、堀川通沿いに「西本願寺前」バス停が姿を現します。
ちなみにその先に見えるのは、西本願寺阿弥陀門です。


959-31.jpg
「西本願寺前」バス停から、堀川通を南に向いています。
約30m先に、西本願寺の山門が見えます。
堀川通上に立っているのは、
門より右(西)の堀川通は昔は存在していなかった名残です。
ここからはその門の脇の横断歩道を渡り、
西本願寺を散策しますが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、西本願寺を参拝します~

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第960回 親鸞聖人月忌法要~花屋町通東から西~その12

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前回ブログで花屋町通から堀川通を南下して、
正面通近くまで進みました。
堀川通の歩道と車道の間に、西本願寺総門があります。
1960年ごろの道路拡張工事までは、
堀川通の車道以西は西本願寺の境内でした。
今回は西本願寺総門の真西にある御影門から、
西本願寺境内に入り込みそのまま西本願寺を参拝します。
撮影日は、2023年6月15日木曜日午後2時。
前回ブログよりだいぶ時間が経っているのは、
その間昼食を摂ったからです。


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正面通より約30m北の堀川通沿いに、
こちらのブリキ製の表札が立っていました。
そこではこの道を堀川通ではなく、「西中筋」と表記しています。
西中筋は、花屋町通~六条通間の約80mの短い道です。
もともとは堀川通より1本東の道でしたが、
道路拡張工事によって堀川通に吸収されています。
おそらくこの表札は、1960年ごろの
道路拡張工事以前に作られたのでしょう。


960-3.jpg
花屋町通から、堀川通を約130m南下しました。
ここで堀川通は、正面通と交差します。
正面通の詳細は、第680回ブログを参照してください。


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堀川通から、正面通を東に向いています。
堀川通から油小路まで、正面通は約50mほど「ご縁まち」です。
「ご縁まち」とは、仏具屋さん中心の仏具商店街です。
もともとはこの辺りは、西本願寺の寺領でした。
ですからこの辺りに浄土真宗本願寺派の門徒が住み着き、
その方々がこの地で仏具屋さんを経営し始めたのが、
この町の起こりです。
(「ご縁まち」の詳細は、第690回ブログを参照してください)


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正面通を通行した自動車は西本願寺総門をくぐり、
堀川通の車道に移動します。
これは、元は堀川通東側歩道より西は西本願寺境内だった名残です。


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西本願寺総門脇の塀は、約5mで途切れます。
その切れ目に、堀川通を渡る横断歩道が見えます。
ではその横断歩道を渡り、西本願寺御影門へと向かいます。


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西本願寺総門脇から堀川通の横断歩道を渡り、
堀川通西側歩道に移動しました。
では、こちらから西本願寺御影門をくぐります。


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東本願寺同様、西本願寺も周囲を堀に囲まれています。
西本願寺の堀は通常空堀(水のない堀)なのですが、
この時点で雨が降っていたので、堀に少々水が溜まっていました。


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堀に架かる橋を渡り、西本願寺御影門の袂まで来ました。
ではこの御影門をくぐり、西本願寺境内に入ってみます。


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西本願寺御影門をくぐると、アルコールジェルが置いてありました。
せっかくなので、こちらで手指消毒をします。


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西本願寺御影門をくぐり、境内に入ってきました。
西本願寺境内の中央に、こちらの銀杏の木が立っています。
もともと東本願寺と西本願寺の象徴は、銀杏でした。
ちなみに、銀杏は京都市下京区の象徴でもあります。
こちらは、樹齢約400年の銀杏です。
上下が逆に見えることから、「逆さ銀杏」と呼ばれています。


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西本願寺御影門をくぐり、境内を北に向いています。
左(北)側に手水舎、右(南)側に総合案内所が見えますね。


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こちらが、西本願寺の手水舎です。
よく見ると、小さな柄杓が置いてあrます。
そちらを利用して、手指を清めました。


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西本願寺総合案内所は撮影不可エリアですので、
屋内の写真は一切撮っていません。
屋内には職員(おそらく僧侶)がいらして、
いろいろ西本願寺の質問に答えて戴けます。
また行事がない日などで「境内ツアー」を実施されていたこともあり、
その際はこの総合案内所内で受付を済ませます。
またこの中にはベンチや自動販売機もあって、
休憩所として利用することも可能です。
結構エアコンが効いているので、熱中症対策に最適です。
その西本願寺総合案内所の北側に、
西本願寺阿弥陀門が立っています。
浄土真宗各派の本山には、御影門と阿弥陀門という
正門が二つ並んでいます。


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西本願寺阿弥陀門から、外を眺めています。
門の外側は、堀川通ですね。


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西本願寺阿弥陀門から、境内を北に向いています。
手前の小さな建物が公衆トイレで、その奥が経堂です。
お経など貴重な書物が保管されている場所です。
さらにその奥が、太鼓楼です。
一定の時刻になると、太鼓で時間を知らせていた施設です。
こちらは、江戸時代まで使用されていました。
また、太鼓楼は現在ほぼ残っていない新撰組の遺構が残ります。
(新撰組は、巨大化したため壬生から西本願寺に屯所を移しました)


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西本願寺阿弥陀門から、西を向くと西本願寺阿弥陀堂が建っています。
御影堂と並ぶ西本願寺の本堂ですね。
本堂が二つあるのも、東本願寺佛光寺など
浄土真宗各派の本山共通の特徴ですね。
では西本願寺阿弥陀門から西に進み、
西本願寺阿弥陀堂に向かいます。


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西本願寺阿弥陀門から、西本願寺阿弥陀堂に辿り着きました。
次は、ここで靴を脱いで目の前の階段を上がります。


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ところが、西本願寺は靴袋を廃止しています。
これで、靴を持ち歩くことが困難になりました。
結局先に西本願寺御影堂に入って靴を置いて、
西本願寺阿弥陀堂下まで戻って、撮影を再開しました。


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靴を脱いでから階段を上り、西本願寺阿弥陀堂に上がってきました。
目の前の障子の先に、ご本尊の阿弥陀如来がいらっしゃいます。
ただし、ここから先は撮影不可エリアです。
西本願寺阿弥陀堂内はご本尊や仏壇だけでなく、
欄間にも金細工が施されています。
これは「大阿弥陀経」に書かれた阿弥陀如来を忠実に再現しています。


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西本願寺阿弥陀堂への参拝を終えて、
西本願寺阿弥陀堂の廊下から境内を西を向いています。
阿弥陀堂の真東に、阿弥陀門が見えます。
浄土真宗各派の本山は、
このように本堂に対して二つの正門があります。


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西本願寺阿弥陀堂の廊下で、南を向いています。
阿弥陀堂の南隣に、西本願寺御影堂が見えます。
ここからは、廊下を歩いて御影堂に向かいます。


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西本願寺阿弥陀堂の廊下の床を撮りました。
よく見ると、あちこちにヒョウタン型の木片が埋め込められています。
木材の節は、色が変わり固くなってやがて腐っていきます。
そこで宮大工さんたちが木材の節をくりぬいて、
その部分に別の木片を埋め込んでいます。
ヒョウタン型なのは、宮大工さんたちの遊び心だそうです。
ちなみによく調べると、ほかの形の木片もあります。


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西本願寺阿弥陀堂の廊下を最南端まで進みました。
その位置で、今度は西を向いています。
ここも突き当りまで進みます。


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西本願寺阿弥陀堂の廊下を突き当りまで歩いて、
そのまま南を向いています。
ここからは、この渡り廊下を通って西本願寺御影堂に向かいます。


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渡り廊下から、西本願寺御影堂に到達しました。
ただそのまま南を向くと、西本願寺御影堂内を写してしまいます。
(この西本願寺御影堂も、写真撮影が禁止です)
そのため渡り廊下を渡りきったところで、
西本願寺御影堂の廊下を東に向いています。
取り敢えず、この廊下を突き当りまで進みます。


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西本願寺御影堂化の廊下をいったん最東端まで進み、
その位置で南を向きました。
この位置が、西本願寺御影堂の正面です。
ヨーロッパ系の男女数名が、遠巻きに御影堂内を眺めています。
おそらく仏教徒ではないので、堂内でお参りは控えておられます。
堂内での様子を何かのパフォーマンスと
思ってらっしゃるのでしょうか?


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では、西本願寺御影堂に正面から入ります。
西本願寺御影堂は、阿弥陀堂と並ぶ
西本願寺のもう一つの本堂です。
こちらのご本尊(?)は、親鸞です。浄土真宗の開祖ですね。
京都市内で一番面積が広い建造物ですが、
何もかもが巨大すぎて、堂内ではそこまで広く感じません。

ちなみに今回ブログ撮影日は、親鸞の月命日でした。
そのため、午後2時ごろから法要が始まっていました。
実は自分が西本願寺総合案内所にいたあたりから、
100名近い方々のお祈りの声が響いていたので、
ちょっと急いで写真撮影をしていました。
では約15分遅れで、自分も法要に加わります。


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親鸞聖人の月忌法要は、午後2時半に終えました。
浄土真宗本願寺派の門徒の皆さんはすぐに立たれましたが、
自分はしびれを切らして数分畳の上でのたうち回っていました。
この時点で、2023年6月15日木曜日午後2時35分です。
西本願寺御影堂を出て、目の前の階段を下りました。
そちらには、予め自分の靴を置いておきました。
ここで靴を履いて、西本願寺境内に出ます。
石畳の道を進むと西本願寺御影門から外に出られますが、
今回はもう少し西本願寺境内を散策します。


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靴を履いて、西本願寺御影堂の前で南を向いています。
ここからは、西本願寺境内内南端まで砂利道を歩きます。


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西本願寺御影堂の前から、約80m南下しました。
目の前の白い塀より南には、この日が進めませんでした。
こちらに西本願寺飛雲閣が建っていますが、通常は非公開施設です。
修復中に公開されたことがあったので、
第510回ブログで取材しています。


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西本願寺飛雲閣入り口の前で、境内を東に向いています。
次は、西本願寺境内の南東端に向かいます。


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西本願寺境内の南東端で、さらに南を向きました。
こちらに、西本願寺鐘楼が建っています。
鐘楼にこの細工は、珍しいですね。
西本願寺鐘楼は重要文化財ですが、
西本願寺の建造物は基本的に大半が重要文化財です。
(さすがに、公衆トイレは例外ですが)


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西本願寺鐘楼の前で、境内を北に向いています。
目の前の大銀杏は、10m以上の高さですね。
個人的な西本願寺のイメージは、大銀杏です。
撮影していないものも合わせて、数本境内に立っています。


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その大銀杏の木から、西本願寺境内を北に向いています。
目の前の西本願寺総合案内所で、境内を1周回りました。


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先ほどと同じ位置で、西本願寺境内を東に向きました。
目の前に、西本願寺御影門が建っています。
自分が、西本願寺境内に入ってきたもんですね。
では、この門から西本願寺を出ます。


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西本願寺御影門をくぐり、すぐに北を向きました。
先ほどより堀の水が増えているのは、
それだけ降水量が増えているからです。


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西本願寺御影門前の橋を渡り、
堀川通から正面通を東に向いています。
西本願寺総門の先に、「ご縁まち」が見えますね。


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西本願寺御影門の前で、堀川通を南に向いています。
約200m先で堀川通は七条通と交差しますが、
その辺りに浄土真宗興正寺派本山興正寺が建っています。


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今度は西本願寺御影門の前で、堀川通を北に向きました。
ここからは堀川通を花屋町通まで北上して、
そこから花屋町通を西に進みます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、西本願寺宿坊地下にある
がんこ寿司西本願寺別邸に立ち寄ります~

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第961回 がんこ西本願寺別邸~花屋町通東から西~その13

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前回ブログで、浄土真宗本願寺派本山西本願寺に参拝しました。
現在は西本願寺御影門の前で、正面通から堀川通を北に向いています。
今回は堀川通を北上し、また花屋町通に到達してから西に進みます。
撮影日は、2023年6月15日月曜日午後3時。
途中昼食を摂る場面は、2023年6月15日月曜日午後1時半でした。


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「堀川正面」交差点脇に、木賊(とくさ)が植えられていました。
祇園祭前祭で巡行する山鉾にも「木賊山」がありますが、
それは木賊を刈り取る男を描いたものでした。
(木賊山の詳細は、第850回ブログを参照してください)
大昔は、木賊から漢方薬が採取されました。


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正面通から、堀川通を約10m北上しました。
こちらにも、西本願寺御影門とは異なる西本願寺の正門があります。


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こちらは、西本願寺阿弥陀門です。
門から境内を覗くと、前回ブログで参拝した
西本願寺阿弥陀堂が見えます。


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西本願寺阿弥陀門の前で、堀川通を北に向いています。
ここからも、堀川通を北上し続けます。


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西本願寺阿弥陀門を背後に、堀川通で東を向きました。
目の前に、京都市バスの「西本願寺前」バス停が立っています。
京都駅北側市バスターミナルから9系市バスに乗ると、
約10分でこのバス停に着きます。
そしてこのバス停で降りると、目の前が西本願寺阿弥陀門です。


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西本願寺阿弥陀門の前から、堀川通を約40m北上しました。
堀川通から東を向くと、旧花屋町通が東に伸びています。
こちらは「花屋町通編」を西京極まで掲載した後、
この旧花屋町通も、このブログに掲載させます。


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旧花屋町通から堀川通を約10m北上して、東を向きました。
西本願寺境内北東端に、太鼓楼があります。
江戸時代まで、一定時刻になると太鼓を鳴らしました。
また新撰組の屯所としても、利用されてきました。
新撰組はもともと中京区壬生地区に屯所を置いていましたが、
池田屋事件以降知名度が上がったために隊士が急増して、
壬生の屯所が手狭になったことで、
新撰組は西本願寺を新たな屯所にしました。
明治時代以降西本願寺の新撰組が暮らしていた施設は、
ほとんどが解体されて別の建築物に変わっています。
ただこの太鼓楼だけは残されていて、
新撰組隊士が残した柱への刀傷などが残っています。
なお西本願寺太鼓楼は非公開施設なので、
一般の参拝者は中に入れません。


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西本願寺太鼓楼の前で、堀川通を北に向いています。
目の前に横断歩道が見えますが、
ここを右(東)に渡ると、堀川通以東の花屋町通に行けます。
(堀川通以東の花屋町通の詳細は、第959回ブログ参照)


961-10.jpg
通常ならこの位置で真東を撮るのですが、
西本願寺太鼓楼の前で、北東を向いています。
横断歩道から約50m北上した位置に、
堀川通以東の花屋町通が伸びています。
しかも堀川通の中央にガードレールが設置されているため、
花屋町通は自動車で堀川通を越えることができません。


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西本願寺太鼓楼の前で、堀川通を北に向いています。
この辺りで、堀川通は緩やかに北西にカーブします。


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とは言え堀川通は、約50m北でまた真北に伸びます。
その辺りに、西本願寺の宿坊である聞法会館が見えます。
今回ブログのメインでもあるのですが、
花屋町通から聞法会館に向かう予定ですので、
堀川通側からは聞法会館に向かいません。
(正確には今回ブログのメインは「がんこ西本願寺別邸」ですが、
そちらは聞法会館のテナントです)


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西本願寺太鼓楼の北側で、堀川通から西を向いています。
この位置で堀川通から西へ花屋町通が伸びています。
花屋町通は東本願寺だけでなく、西本願寺最北端の道です。
では、今回も花屋町通を西に進みます。


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先ほどの写真に写っていた3F建て家屋に
貼り付けられた看板を大写ししました。
聞法会館の正面は堀川通沿いですので、
堀川通を北上するように案内されています。
また今回ブログのメイン「がんこ西本願寺別邸」も、
この看板に表示されています。


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堀川通から、花屋町通を西に歩いています。
左(西)側の塀の向こうは浄土真宗本願寺派本山西本願寺で、
右(北)側には雑居ビルが並びます。
とは言え、雑居ビルには西本願寺関連の子会社が入っています。
(西本願寺が刊行する出版物を発行する出版社など)


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堀川通から、花屋町通を約100m西に進みました。
目の前に横断歩道がありますが、
この辺りからは左(南)側だけでなく、右(北)側も西本願寺の敷地です。


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その横断歩道の位置で、花屋町通から北を向いています。
こちらは、西本願寺の駐車場です。
実はかなり広大な駐車場で、聞法会館の裏側でもあります。


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花屋町通から、西本願寺駐車場に入ってきました。
こちらは、南北に約200mあります。
さらに東西は、約100mの広さです。
西本願寺への参拝者は連日相当数いらっしゃるので、
この広さが必要なのでしょうね。


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花屋町通から、西本願寺駐車場を約100m北上しました。
その位置で東を向くと、西本願寺宿坊の聞法会館の裏口があります。
「宿坊」とは、各神社仏閣が所有する宿泊施設です。
もともとは京都市以外から訪れた参拝者用の宿泊施設でしたが、
考えようによっては安価な宿泊施設です。
1Fがフロントと売店で、2F以上に宿泊可能な部屋が並びます。


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この写真から、しばらく2023年6月15日木曜日午後1時20分です。
聞法会館フロント脇から、地階に降りてみました。
大浴場もあるらしいですが、宿泊していない自分には無関係です。
さらに地階の南西端に、「がんこ西本願寺別邸」があります。
京都市内を中心に展開する「がんこ寿司」のチェーン店ですが、
寺院内のテナントだけにお寿司だけでなく、
和食全般を提供する飲食店です。
ただ、こちらの昼食タイムは午前11時~午後2時までです。
ラストオーダーは午後1時半までなので、
前期ブログよりこちらを先に取材しました。


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そういうわけで、がんこ西本願寺別邸に入ってきました。
先述の通りこちらは地階にあるのですが、
店舗の端に日本庭園があります。
しかも、しっかりと陽光が差し込んでいます。
この庭園は吹き抜けになっていて、
日本庭園の分地上には穴が開いています。
ですから、こちらは地階でも真上は青空です。
まぁ雨天のこの日は、雲が見えたのですが……


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入店から約10分後に、こちらがやって来ました。
すでに1時半を回っているので、
先にラストオーダーを店員さんに尋ねられました。
ちなみに、その後からも西本願寺の職員さんが
「まだ間に合いますか?」と質問されながら入店されました。
「すみません、もうラストオーダーを聞き終えましたので……」
店員さんの答えに、皆さん残念そうに戻っていかれました。

自分が今回注文したのは、湯豆腐定食(1,680円)です。
寺院内のレストランですから、
なるべく生臭(動物性の食材)は避けようと思いました。


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湯豆腐定食のうち、味付け海苔と赤だしの味噌汁です。
後述しますがご飯は結構多いので、
湯豆腐以外にも付いていたほうが嬉しいですね。


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その後ろに、小鉢が並びます。
下段左から、春雨メインの中華サラダと千切りした沢庵です。
上段左から、モズクと出汁巻き卵焼きです。
湯豆腐が出来上がるまで、先にこちらでご飯を戴きます。


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さらに、こちらが白米のご飯です。
しかも、小型ですが釜に入れて炊いたご飯です。
やはり炊飯器では出せない香りと、味の深みがいいですね。
小さくても、こちらの釜は茶わん3杯分入っていました。


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そして、こちらがメインの湯豆腐です。
紙鍋の中に入っていますが、
真下に鉄鍋が入っているので火で燃えることはありません。
湯豆腐は通常豆腐だけ入れて戴くものなのですが、
こちらには生湯葉と壬生菜も入っていました。
また鍋に張ってある出汁も、昆布以外にも調味料が入っていました。
昆布の旨味以外にも、多少甘みも感じました。
もちろん昆布やしょうゆの塩加減が、前面に来ますが……
2023年6月15日木曜日午後1時半の写真は、ここまでです。


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ここから、2023年6月15日木曜日午後3時に戻ります。
(つまり、先ほどの写真から約90分経っています。
その間、前回ブログが入ってきます)
昼食を摂ってがんこ西本願寺別邸を出て、
聞法会館を裏口(西側)から出て、
西本願寺駐車場で南を向いています。
では、こちらを南下します。


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聞法会館の裏口から、西本願寺駐車場を約100m南下しました。
ここで西本願寺駐車場を出て、花屋町通に戻ります。


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西本願寺駐車場を背後に、花屋町通から南を向いています。
目の前に、西本願寺の門があります。
自動車やバスで西本願寺に来られた方は、
駐車場からこの門をくぐり西本願寺境内に入っていきます。
そして境内を左(東)に進むと、すぐに西本願寺阿弥陀堂です。
ちなみに目の前の建物は、西本願寺宗務総合庁舎です。


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先ほどの横断歩道を渡り、
西本願寺駐車場の前から花屋町通を西に向いています。
ここからは、このまま花屋町通を西に進みます。
手前の方が雨傘を差されていますが、
この辺りから雨足がだいぶ強くなりました。


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西本願寺駐車場の南門から、花屋町通を西に約100m進みました。
ここで花屋町通から右(北)側に猪熊通が伸びています。
この写真では左(南)側にも道があるように見えますが、
そちらに進むと西本願寺境内に入ってしまいます。


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花屋町通から、猪熊通を北に向いています。
猪熊通は、堀川通と大宮通との中間に伸びる道です。
途中二条城で突き当たったり蛇行した堀川通に吸収されたりますが、
その北側でまた復活して、最終的には賀茂川の河岸に突き当たります。
さらに西本願寺の南側である七条通の南にも、
この猪熊通が伸びています。
こちらもかなり長くて、京都市伏見区を南北に貫いています。


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今度は猪熊通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側は西本願寺境内が続きますが、
右(北)側は旧京都市立淳風小学校跡が続きます。


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猪熊通から、花屋町通を約100m西に進みました。
目の前の横断歩道から、旧京都市立淳風小学校跡に入れます。
そして、その位置から校舎に入らずにグラウンドに向かえます。
小学校自体は廃校されているのですが、
グラウンドや体育館が、地域スポーツに現在も使用されています。


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猪熊通から、花屋町通を約200m西に進みました。
ここで花屋町通は、大宮通と交差します。


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花屋町通から、大宮通を北に向いています。
大宮通は、4車線の京都市街地としては大通りになります。
通り沿いに繁華街や商店街がいくつもあるのですが、
だんだん「シャッター商店街」も増えてきました。


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今度は花屋町通から、大宮通を南に向きました。
横断歩道の脇に、「島原口」バス停が立っています。
約400m先の七条通沿いの左(東)側は龍谷大学大宮学舎で、
右(西)側は龍谷大学付属平安中高です。
どちらも、西本願寺が経営する学校ですね。


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さらに大宮通から、花屋町通を西に向きました。
大宮通以西の花屋町通は「島原商店街」で、
さらにその西が元加害の島原です。
ただだいぶ雨足が強くなってきたので、
この日(2023年6月15日)はこれ以上写真を撮っていません。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、島原商店街を散策します~

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第962回 島原商店街~花屋町通東から西~その14

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大宮通から、花屋町通を西に向いています。
前回ブログまで花屋町通は東本願寺や西本願寺の最北端の道でしたが、
大宮通以西の花屋町通は元花街島原のメインストリートです。
厳密には元花街島原は大門通~千本通間の花屋町通沿いですが、
大宮通~大門通間の花屋町通は「島原商店街」です。
今回は、その島原商店街を東から西へ通り抜けます。
撮影日は、2023年6月26日月曜日午後2時半。
この日も、雨が降ったり止んだりでした。


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花屋町通から、大宮通を南に向いています。
約50m先に、「島原口」バス停が見えますね。
京都駅北側市バスターミナルからは、
206系市バスに乗って約10分です。


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その辺りで、信号が変わりました。
では横断歩道を渡って、大宮通西側歩道に移ります。


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横断歩道を渡って、花屋町通から大宮通西側歩道を北に向いています。
右(東)側の時計が付いているビルが、かつての下京区図書館です。
現在は移転して、下京区図書館は新町通松原下がるにあります。


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大宮通西側歩道から、花屋町通を西に向いています。
ここから花屋町通は、島原商店街です。
近年徐々に閉めるお店が増えてきていましたが、
コロナ禍を経過してさらにお店が閉まっていました。


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島原商店街の最東端に、「かなまる」という飲食店がありました。
以前自分が訪れた第594回ブログ(2018年)には、存在しませんでした。
「からあげ」という幟もありますが、
テイクアウトに特化したお好み焼き屋さんのようです。
ただ別のお好み焼き屋さんに立ち寄るので、今回は素通りです。


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「かなまる」の店頭から、花屋町通を西に向いています。
島原商店街は元花街島原に近い西の方が飲食店が多く、
西に進むほど賑やかになる半面、
東に進むほどだんだんシャッター商店街になります。
つまり、この辺りの大半のお店はもう閉められてしまっています。


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大宮通から、花屋町通を約50m西に進みました。
左(南)側に呉服屋さんの看板がありますが、
もうだいぶ前に閉じられています。
その脇で花屋町通は、下松屋町通と交差します。


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花屋町通から、下松屋町通を南を向いています。
下松屋町通は正面通で突き当たりますが、
その辺りが龍谷大学平安中高のグラウンドです。


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下松屋町通から、花屋町通を西に向いています。
この辺りも大半のお店が閉まっていますが、
実はこの辺りから徐々にまだ開いているお店も増えていきます。
とは言え、この商店街の多くは毎週月曜日が定休日です。
要するに、撮影日はこの商店街の多くが定休日でした。
ですから、この写真ではシャッター商店街に見えます。


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下松屋町通から、花屋町通を西に進んでいます。
こちらは、八百屋さんです。
店頭に並ぶ段ボールの中に、野菜や果実が入っています。


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下松屋町通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、櫛笥通(くしげどおり)と交差します。
左(南)側の食堂は、この瞬間も営業中でした。
実は自分も時折立ち寄るお店ですが、
ブログ掲載不可のお店なので、
このブログでは触れたことがありません。
右(北)側ののお店もシャッターが閉まっていますが、
店内で近江牛のホルモンを購入することができます。
ただホルモンでも近江牛ですので、結構価格も高級です。


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花屋町通から、櫛笥通を南に向いています。
約100m先の正面通付近に諏訪大社分社がいらっしゃいます。
長野県の諏訪大社が、京都に勧請された神社です。
この神社の詳細は、第693回ブログを参照してください。


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今度は櫛笥通から、花屋町通を西に向きました。
こうしてみると完全にシャッター商店街ですが、
実はこの並びはすべて月曜日が定休日でした。


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同じアングルの写真を2023年6月29日木曜日に撮りました。
すべてのお店が開いているわけではありませんが、
この辺りから半分以上のお店が開いていました。


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2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
櫛笥通から花屋町通を約10m西に進むと、
老舗和菓子匠の伊藤軒老舗が建っています。
シャッターが固く閉じられていますが、
こちらは毎週月曜日(つまり、撮影日)が定休日です。


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2023年6月29日木曜日に、伊藤軒老舗に再訪しました。
近隣の方々にかなり支持されているお店ですから、
実は順番待ちで買い物をしました。
また店内に、テーブル1台とイスが4脚が復活しています。
かき氷を中心に、茶店としても利用できます。


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この写真は2023年6月29日木曜日の帰宅後に撮りました。
今回は、伊藤軒老舗でこちらを買いました。


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この日は、水無月(1個180円)を買いました。
外郎(ういろう)に似た形状ですが、米粉で作るので
水無月と外郎は実は原材料が異なります。
(外郎は、小麦粉が原材料)
これで1つに見えますが、水無月は直角に等辺三角形です。
つまり、これで2つです。
水無月は6月30日の夏越の払いで戴く京菓子ですが、
京都では夏の間ならずっと戴けます。
伊藤軒老舗では7月末までは製造されるようです。
(その後は、専用の小豆がなくなるまで製造されるそうです)


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そして2023年6月30日金曜日に、水無月を戴いました。
水無月は氷塊を模した夏の京菓子ですから、冷たい麦茶が合います。


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ここから、また2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
和菓子匠の伊藤軒老舗から、花屋町通を西に向いています。
写真は撮っていませんが、右(北)側の畳屋さんも
2023年6月29日木曜日は営業されていました。


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櫛笥通から、花屋町通沿いの島原商店街を西に歩いています。
こちらのお地蔵さんの脇に、皇紀2600年を祝う席にが立っています。
皇紀2600年とは西暦の1940年のことです。
「日本が建国されて2600年目が1940年だ」
と考えられていたので、1940年は国を挙げて祝祭が催されました。
こちらの石碑は、1940年に日本中で作られていきました。


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そのお地蔵さんから、花屋町通を西に向いています。
左(南)側に美容院があるのですが、
月曜日ですから美容院は定休日でした。


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その美容院の約10m西に、海鮮魚店の魚正があります。
生の魚ももちろん売られていますが、
調理済みの魚もたくさん売られています。
要するに、京料理のお総菜屋さんです。


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こちらは、2023年6月29日木曜日の写真です。
帰宅後の夕食前に撮りました。
魚正で売られていた総菜のうち、今回はこちらを買いました。


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今回は、こちらを購入しました。
マナガツオとナスの炊き合わせ(350円)ですね。
魚の乾物とナスの炊き合わせが、京都の夏の定番です。
(京料理の基本は、魚の乾物と京野菜の炊き合わせです)
通常ナスは身欠きニシンで炊き合わせますが、
今回は刺身としても使えるマナガツオの切り身との炊き合わせです。


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マナガツオとナスの炊き合わせを盛りつけました。
これが2023年6月29日木曜日の夕飯のおかずの1品です。
ウチの母は特にマナガツオがおいしかったらしいのですが、
自分は出汁の取り方が気に入りました。
出汁を取った縮緬雑魚の香りと味がしますが、
この中には縮緬雑魚の姿は残っていません。
どうやらかなり丁寧に作られています。


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また2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
櫛笥通から、花屋町通を約100m西に進みました。
この先で、花屋町通は壬生川通と交差します。
手前の洋品店のシャッターが閉じていますが、
こちらも月曜日が定休日でした。


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こちらも、2023年6月29日木曜日に撮影しました。
洋品店の営業中は、こんな感じです。


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またまた2023年6月26日月曜日に戻ります。
洋品店の向かいのお酒を提供する飲食店は、営業中でした。
京都市内の花街周辺部は「呑み屋街」を形成することが多いのですが、
それは元花街の島原も同じです。
「花屋町壬生川」交差点を中心に、「呑み屋街」が形成されます。


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こちらが、花屋町通と壬生川通が交差する
「花屋町壬生川」交差点です。
右(北西角)には、お酒を提供する飲食店が3軒並びます。


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花屋町通から、壬生川通を北に向いています。
目の前の児童公園以北は住宅街ですが、
五条通が近づくとまた小さな繁華街を形成します。


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今度は花屋町通から、壬生川通を南に向きました。
今回ブログでは、こちらを南下します。


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花屋町通から、壬生川通を約50m南下しました。
こちらに、「やすい」というお好み焼き屋さんがあります。
臨時休業だったために、第693回ブログでは入れなかったお店です。
今回は営業中でしたので、こちらに入店します。


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お好み焼き屋さんの「やすい」に入店しました。
こちらは、鉄板が置かれたカウンター席が10ありますね。
さらに店内奥に8人分の座敷席もあります。
30年以上前に、自分はこのお店の常連でした。
当時はビール片手に鉄板焼きをよく注文していました。


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現在は経済的にも身体的にも、自分はだいぶおとなしくなりました。
ですから、今回はそば玉入り豚玉のお好み焼きです。
確か950円くらいでした。


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こちらのソースは、自分の好みで付けていきます。
左が甘口ソースで、右が辛口ソースです。
ただこのお店のソースはそこまで濃くないので、
普段辛口ソースを使わない方も
少量でも辛口ソースを使うことをお勧めます。


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こちらが、そば玉入り豚玉のお好み焼きです。
ウチの近所では、「豚玉モダン」と呼んでいます。
お好み焼きに入る卵は別に焼いて、途中で合わせます。
これは、まだ卵が高級品だったころの名残です。


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さて、こちらで小さな小手と小皿の登場です。
では、こちらを使って戴きます。


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ところが、自分は小皿と箸を使いません。
小さな小手でお好み焼きを切った後、
その小手でスプーンのように掬って口の中に運びます。
以前同席したヨーロッパ系男性に
「barbarian」(野蛮人)と呼ばれた食べ方ですが、
小さなころから自分はこうして戴いていました。


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約30分かけて、自分は豚玉モダンを戴きました。
勘定を払う際にブログ取材の許可を取り、
お好み焼き屋の「やすい」を出ました。
そして、その「やすい」の店頭で壬生川通を南に向いています。
約100m先で壬生川通は正面通と交差していて、
第693回ブログでは正面通からこちらに訪れました。


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今度はお好み焼き屋さんの「やすい」の店頭で、
壬生川通を北に向きました。
よく見ると、「やすい」の店頭から右(東)へ路地が伸びています。


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壬生川通から、その路地を東に向いています。
少し先に駐車場が見えますが、あの位置がかつて公衆浴場でした。
確か「島原湯」という屋号で、元花街の銭湯らしく
浴槽の脇に大きな水槽のあるちょっと変わったつくりでした。
多分、現存していたら相当流行ったでしょうね。
約30年以上前に自分はその公衆浴場に入った後、
帰り道にお好み焼き屋さんの「やすい」に立ち寄っていました。


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今度はその路地から、壬生川通を北に向きました。
ここから約50m先の花屋町通に戻りまた西に進むわけですが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は大門をくぐり、元花街島原を散策します~

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第963回 島原大門でかき氷~花屋町通東から西~その15

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進みたい方は、ここをクリックしてください。

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前回ブログで昼食を摂ったお好み焼き屋さんの「やすい」の前で、
壬生川通を北に向いています。
今回は花屋町通を西に進み、元花街の島原に入っていきます。
撮影日は、2023年6月26日午後3時。
今回は、島原大門脇のかき氷屋さんにも立ち寄ります。


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お好み焼き屋さんの「やすい」から、壬生川通を約50m北上しました。
ここで壬生川通は、花屋町通と交差します。


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花屋町通から、壬生川通を北に向いています。
小坂児童公園の向かい(東)側に、たこ松という居酒屋があります。
文字通り「赤提灯」の呑み屋さんですね。
「花屋町壬生川」交差点は、元花街島原の延長線上で
小さいながらも「呑み屋街」を形成しています。
思えば前回ブログで昼食を摂ったお好み焼き屋さんの「やすい」も、
この「呑み屋街」の一部です。


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今度は壬生川通から、花屋町通を西に向いています。
右(北)側に見えるお店は焼き鳥屋さんで、
さらに右(北)隣がお寿司屋さんです。
どちらも、お酒を提供する飲食店ですね。
ちなみに焼き鳥屋さんの上に「誠」と書かれていますが、
こちらは元花街島原の中にある旅館松栄内にある
「誠の湯」というスーパー銭湯の看板です。
では、ここからは花屋町通を西に進みます。


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横断歩道を渡り、壬生川通から花屋町通を西に向きました。
約50m先の花屋町通の突き当りまで、島原商店街が続きます。
右(北)側の酒屋さんは、営業中でした。
入り口付近に太夫のイラストが貼られていたのですが、
お店の方を一緒に写しそうだったので、写真はありません。
島原の大夫は、歴史上遊女ではありませんでした。
感覚としては、ほかの花街の「芸妓さん」に近いです。
後述しますが、現在も島原には太夫さんが複数名いらっしゃいます。


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お酒屋さんの向かい(南)側は、島原乙文という仕出し屋さんです。
「仕出し屋さん」とは宅配専門の飲食店で、
京都では昔から馴染みのあるお店です。
第954回ブログに出てきた泉仙本店も、同業種です。
京都の花街では元々料亭では調理せずに、
この仕出し屋さんの料理を提供していました。
こちらの写真は、その島原乙文の西隣のお店です。
見た目通りのあられ屋さんですが、創業は100年以上前です。
つまり、こちらも京都府知事に認定された「老舗」です。
そうは言っても、元々こちらは庶民的なお店です。
ですから売られているあられは、そこまで高い商品ではありません。


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壬生川通から、花屋町通を約50m西に進みました。
こちらに、老舗の和菓子匠があります。
前回ブログ伊藤軒老舗で水無月を買いましたが、
よく考えればこちらで買ってもよかったですね。
こちらも、店内飲食ができるようになりました。


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その和菓子匠の前で、花屋町通を西に向いています。
ここで花屋町通は、大門通と交差します。
一見すると、大門通で突き当たっているように見えますが……


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花屋町通から、大門通を南西に向いています。
約10m先に京都市指定文化財の島原大門があって、
その門から西に花屋町通が続いています。


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こちらは島原大門の向かい側、大門通の東側です。
この塀の向こう(東)側は、駐車場です。


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先ほどの位置から大門通を約10m南下して、
島原大門前から大門通を南に向いています。
約300m先で大門通は七条通と交差していて、
その辺りに高級精肉店のイマムラ総業があります。


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同じ位置で、大門通から花屋町通を西に向いています。
こちらが、京都市指定文化財の島原大門です。
17世紀前半(江戸時代初期)に花街の島原が創建されて以来、
この位置にこの大門が立っています。
当時の島原は塀で囲まれており、島原からの出入りはこの大門と
花屋町通沿いの西門の2か所からしかできませんでした。
島原西門はすでに取り壊されていますが、
こちらの島原大門は現在も保存されています。


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大門通から、花屋町通に立つ島原大門を覗いています。
この門より西側が、元花街の島原です。
この門を自動車が通ることに規制はありませんが、
そこまで大きな門ではありませんので、
通常サイズの乗用車しか通行はできません。
(ワンボックスカーでも、厳しいです)
ですから、島原大門から西の花屋町通は
壬生川通~千本通間の抜け道としては利用できません。


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島原大門を西へとくぐり、すぐに南へ向きました。
こちらに、かき氷専門店の「鹿の子」があります。
第914回ブログを取材した半年前には無かったお店です。
では、ちょっとこのお店に寄り道します。


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実は、ここから先の写真は2023年6月29日木曜日午後2時に
元花街島原に再訪した際のものです。
この日は快晴で、かなり暑い日でした。
正直熱中症も覚悟したほどで、
涼んで冷たいものを戴こうと思い、ここに立ち寄りました。
元花街島原への観光は夏場がお勧めなので、
このお店もここから結構流行るでしょうね。


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こちらが、かき氷専門店「鹿の子」のレジです。
こちらは、先に会計を済ませてからかき氷を戴くシステムです。
レジの真下に、果物が入った限定メニューが並びます。
予算的には、1,000円~2,000円ですね。
また左側の柱には、通常メニューが並びます。
こちらは、1,000円前後の商品です。


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こちらは、レジの向かい側です。
給水機があって、真下にある紙コップでお水を戴きます。
要するに、セルフサービスですね。
かき氷を戴くと口の中がどうしてもキンキンになります。
それを鎮めるためにも、こういう真水が必要です。
ちなみに、同じ給水機から白湯も出ます。


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カウンター席の入り口付近に別のお客さんがいらしたので、
いろいろ迷って一番奥の席に就きました。
先ほどの写真にアルコールジェルが写っていましたが、
1席ごとにパーテーションで区切られています。


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注文してから、約10分経ちました。
こちらが、この日頼んだ「柚子茶氷」です。
これで小サイズですので、850円です。


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「柚子茶氷」を大写ししました。
かき氷が膨らんでいて、下皿が写りません。
第957回ブログで戴いた柚子茶をかき氷にかけています。
氷内部の顆粒とトッピングが同じもので、
柚子茶の主成分の柚子の皮のマーマレードです。
ですから感覚としては、氷状の柚子茶を戴いているようです。


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ちょっと迷ったのですが、戴いている途中のかき氷を写しました。
柚子茶氷の中心に、クロテッドクリームが入っています。
クロテッドクリームとは硬めに泡立てたホイップクリームで、
スコーンに付けてよく戴きます。
さらにその下は、紅茶のかき氷です。
その紅茶にも、シロップが少々かかっていました。
ですから甘いことは甘いのですが、
シロップがそこまで多くないので、
甘味よりも紅茶の香りを強く感じられます。


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約30分かけて、柚子茶氷を戴きました。
つみき同様こちらのかき氷も
フワフワに仕上げているので結構一気に戴けますが、
それでも多少は口の中がキンキンになります。
そういう時は真水を飲めば、口の中はかなり鎮まります。
会計は先に済ませているので、
店主にぼログ掲載の許可を取り、「鹿の子」を出ました。


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こちらから、2023年6月24日月曜日午後3時半に戻ります。
かき氷専門店の「鹿の子」の店頭で、花屋町通を西に向きました。
この背後(東側)が、京都市指定文化財の島原大門です。
島原大門から西の花屋町通が、元花街島原のメインストリートです。
「元」花街島原ではお茶屋さんが現在営業されておらす、
住宅地に転換しつつあります。
とは言え江戸時代から続く様々な施設がいくつかは残っており、
現在営業中の置き屋さんも存在しており、
現役の大夫さんも何名もいらっしゃいます。
さらに京町屋が数多く残っていることから、
だんだんと飲食店も増加してきています。
(先ほどのかき氷専門店「鹿の子」も、その一例です)


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島原大門から、花屋町通を約30m西に進みました。
ここで花屋町通は、坊城通と交差します。


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花屋町通から、坊城通を南に向いています。
第914回ブログではこの坊城通を北上して、元花街島原に来ました。
約100m先に正面通が東西に伸びていて、
その正面通以北が元花街島原です。
ちなみに花屋町通から約150m南下すると、
豆之子稲荷がいらっしゃいます。


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今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
花屋町以北の坊城通沿いが、
元花街島原で京町屋がいちばん残っている場所です。
ここからは、この坊城通を北上します。


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花屋町通から、坊城通を約30m北上しました。
この京町屋が、京都指定文化財の輪違屋(わちがいや)です。
ただこちらは単なる文化財ではなく、
現在も営業されている元花街島原で唯一の置き屋さんです。
また現在元花街島原に営業中のお茶屋さんが無いので、
輪違屋の店内にお客さんを入れて食事したり、
大夫さんの妓芸を見たりすることもできます。
まぁ考えようによっては、島原におられる
大夫さんの所属事務所であるとともに住居でもあります。
ですから、こちらには主人とその家族とともに
数名の大夫さんも現時点で暮らしておられます。
その方々のプライベートスペースが屋内の大半を占めるため、
原則輪違屋は非公開施設です。
とは言え、数年に一度こちらは公開されています。
その時の様子は、第595回ブログを参照してください。


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置き屋さんの「輪違屋」の前で、坊城通を北に向いています。
コンクリート製の住宅もありますが、
この辺りには京町屋もだいぶ残っています。


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置き屋さんの「輪違屋」の前から、坊城通を北上しています。
この辺りの京町屋は、元々は島原の置き屋さんやお茶屋さんでした。
この北側に、かつての島原の歌舞練場がありました。
ただ、そちらへは次回ブログで訪れます。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、元花街島原の町家カフェhyggeにお邪魔します~

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第964回 町家カフェhygge~花屋町通東から西~その16

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元花街島原の置き屋さん「輪違屋」(わちがいや)の前で、
坊城通を北に向いています。
「置き屋さん」とは太夫さんや芸妓さん舞妓さんなど
花街で妓芸を披露される方々の所属事務所で、
通常は大夫さんなども屋内で生活されています。
(島原には大夫さん、ほかの花街には芸妓さん
舞妓さんがいらっしゃいます)
そのため京都市指定文化財でも、輪違屋は非公開です。
ただ数年に一度の割合で、輪違屋の屋内が公開されます。
(その様子は、第595回ブログ参照)
また近年輪違屋はお客さんが屋内で食事したり、
大夫さんの妓芸を眺めたりするお茶屋さんとしても機能しています。
今回は輪違屋より約50m北に建つ法華寺を参拝した後、
輪違屋より西側にある町家カフェまで進みます。
撮影日は、2023年6月24日月曜日午後3時40分。
町家カフェhyggeは、内装を模様替えされていました。


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輪違屋さんから、坊城通をを約50m北上しました。
こちらに、日蓮宗成就山法華寺が建っています。
では、こちらの境内に入っていきます。


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法華寺の門をくぐり、すぐに北を向きました。
こちらは、妙見宮ですね。
こちらの本尊は、妙見菩薩です。
妙見菩薩は、京都の日蓮宗寺院には特に多くいらっしゃいます。


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その妙見宮の前に、こちらが置かれていました。
過去のブログを改めて閲覧すると同じ位置に置いてあるのですが、
こちらは何でしょうね。
一見すると手水鉢ですが、よく分かりません。


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境内の西側に、日蓮宗成就山法華寺の本堂があります。
ご本尊は、釈迦如来です。
創建は平安時代初期の813年ですが、
もともとは東寺境内に建っていました。
要するに、元々は東寺の塔頭寺院でした。
ですから、初めは真言宗の寺院でした。
鎌倉時代の1381年に当時の住職真広法印が日蓮に帰依したため、
こちらが日蓮宗に改宗されました。
その後はたびたび焼失しながらも存続し続けたのですが、
1963年に東寺の北側つまり法華寺境内に
東海道新幹線の線路が敷設されることになり、
この位置に移転されました。


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この時期に法華寺に参拝したことがなかったので
自分は今まで気づきませんでしたが、
法華寺境内のあちこちに紫陽花が群生していました。
この日(2023年6月26日)がちょうど満開で、
暫く法華寺境内をあちこち散策していました。


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法華寺本堂を背後に、境内を東に向いています。
一通り参拝しましたので、日蓮宗成就山法華寺を出ます。


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日蓮宗成就山法華寺の前で、坊城通を北に向いています。
元花街島原は、あと約20m先まで続きます。
ちなみに、元花街島原以北の坊城通の様子は
第915回ブログを参照してください。


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日蓮宗成就山法華寺の向かい(東)側が、
元花街島原の北東端でした。
こちらに島原歌舞練場がありましたが、
島原が花街を名乗らなくなる過程で、
島原歌舞練場は取り壊されました。
現在こちらは、京都市島原老人デイサービスセンターです。


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京都島原老人デイサービスセンターと日蓮宗成就山法華寺の前から、
坊城通を南に向いています。
では、ここからは坊城通を南下します。


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日蓮宗成就山法華寺から、坊城通を約50m南下しました。
この写真の左側に、先ほどの置き屋さんの輪違屋が見えます。
写真の右側に煙突が見えますが、近くに公衆浴場があります。


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置き屋さんの輪違屋の前で、坊城通を南に向いています。
約30m先で、坊城通は花屋町通と交差します。


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坊城通から、花屋町通を西に向いています。
この写真を一見するとこの辺りは住宅街ですが、
ゆっくり散策するとこの先にいろいろあります。


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坊城通から花屋町通を約30m西に進み、南を向きました。
こちらに、湯の宿「松栄」の正面口があります。
修学旅行生が多く泊まる旅館ですが、
こちらの風呂場を「誠の湯」という
スーパー銭湯として開放されています。
また2Fに上がると、食堂といいますか飲食店もあります。
つい最近まで元花街島原には飲食店が少なかったのですが、
コロナ禍が明けたあたりから、この辺りに飲食店が増えてきています。
(そういえば、前回ブログ掲載のかき氷専門店「鹿の子」も
ここ半年でできたお店です)
まぁこちらがスーパー銭湯として開放されているのは、
30年以上前からですが……


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坊城通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、東側通と交差します。
右(北)側に見える京町家は骨董屋さんですが、
つい最近こちらもカフェを始められたようです。
今回の目的地も町家カフェですが、
元花街島原は上手く運営すれば
町家カフェが建ち並ぶ地域になる可能性が高いです。


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花屋町通から、東側通を北に向いています。
この東側通沿いに、今回ブログのメインの町家カフェがあります。


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花屋町通から、東側通を約20m北上しました。
左(西)側に、今回ブログのメインhyggeが建っています。
後でこちらに入りますが、先に東側通をもう少し散策します。


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町家カフェのhyggeの前で、東側通を北に向いています。
この辺りには京町屋が多いのですが、
その大半が元々は置き屋さんかお茶屋さんでした。
要するに、かつて花街を形成したお店でした。


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hyggeの前から、東側通を約20m北上しました。
こちらに公衆浴場の「島原温泉」があるのですが、
お客さんの気配がありません。


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島原温泉の入り口に、こちらが貼られていました。
今年(2023年)の1月に訪れたときと、同じ紙ですね。
(第914回ブログ参照)
約半年続いているわけですから、かなりの長期休業ですね。
何とか再開してほしいのですが……


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東側通を南下して、町家カフェhyggeに入店しました。
第914回ブログでは入店していないので気づきませんでしたが、
土間が完全に塗り直されています。
さらに照明が増えて、以前よりちょっと明るい店内です。


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ただ入り口付近を取ると、逆光で暗い写真になります。
さらに周囲を見渡すと、多くの備品が撤去されて
すっきりした印象です。


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店主に話をお聞きしたところ、
昨年(2022年)に日数をかけて改装されたそうです。
とは言え、店の間取りや天井部分は以前のままです。
まぁそこを改装すれば、「町家カフェ」ではなくなるので……
また、メニューも以前のままです。


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hyggeの土間の西側に、座敷部屋があります。
こちらは、改装前と同じですね。
hyggeでは輪違屋に所属されている桜木大夫が、
舞踊や茶会などのイベントを時折催されています。
おそらく桜木大夫の舞踊は、この座敷で行われているのでしょうね。
普段は、こちらの座敷も客席として利用されます。


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その座敷部屋のさらに西側に、坪庭があります。
京町屋には、畳部屋の奥に1坪の面積の庭があります。
これを「坪庭」といいます。
そして、その坪庭の脇にトイレがあります。
これも、京町屋にはよくある形式ですね。


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店主に一言言ってトイレを借りて、土間に戻ってきました。
自分はいつも、この壁際の席に就きます。


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自分が入店してから、約10分経ちました。
あちこち撮影を始める前に注文をしていたので、
こちらが自分の席に運ばれてきました。
京のお店 今日のお品では自分はカレーライスを注文しましたが、
通常は自分はここで凍頂烏龍茶を頼んでいます。
最近は、烏龍茶が飲めるカフェが減りましたね。


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茶船から、湯呑に凍頂烏龍茶を注ぎました。
こちらの中に茶葉が入っていませんから、
こちらは急須というより茶船ですね。
茶船には、湯呑に4杯分入っています。


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湯呑に入った凍頂烏龍茶を大写ししました。
こういうお茶は最初に湯気の香りを楽しみ、
続いて茶の色を眺めます。
その後、ゆっくりと飲みます。
店主の煎れ方が上手なので、
旨味が前面に出て苦くありません。
むしろほんの僅かですが、甘みもあります。
いつもは島原温泉からの帰り道にこちらに寄って、
凍頂烏龍茶を飲みながら読書するのですが、
今回はずっと店主と雑談してしまいました。
その店主が自分が帰る直前に、こうおっしゃいました。
「激しい雨が降ってきましたが、大丈夫ですか?」


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hyggeを出て、東側通を南に向いています。
2023年6月26日月曜日は午後4時半を回り、
夕立レベルの激しい雨が降っていました。
「雨傘を持ってきているので、大丈夫です」
そう店主に告げると、自分は会計を済ませhyggeを出ました。
雨傘を持っているので濡れることはありませんが、
こうも雨が激しいとあまりあちこち移動できませんし、
次の目的地のお茶屋さんの「角屋」ももう閉まっています。
ですから、2023年6月26日はこれ以上取材しません。
ここから先は、日を改めて取材します。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、角屋おもてなしの文化美術館にお邪魔します~

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第965回 角屋屋内を観覧~花屋町通東から西~その17

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前回ブログで訪れた町家カフェhyggeの前で、
東側通を南に向いています。
目の前で、東側通は花屋町通と交差します。
その先に、湯の宿「松栄」という旅館も見えます。
前回ブログでは最後は大雨が降っていましたが、
3日後の今回ブログでは強い日差しの中の撮影です。
今回は、角屋おもてなしの文化美術館を観覧します。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後2時。
やはり島原は、青空が似合います。


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東側通から、花屋町通を西に向いています。
こうも日差しが強いと熱中症になりそうですが、
その分空の青が鮮やかですね。
花屋町通の左(南)側がきんせ旅館で、
右(北)側には製本所があります。


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こちらが、きんせ旅館です。
島原が花街だったころは、こちらはお茶屋さんでした。
お茶屋さんはお客さんが食事と摂られる飲食店ですが、
料理は仕出し屋に注文してお店自身は調理をしません。
まぁ島原の大夫さんに会うのが、主目的のお店です。
こちらはいったんお茶屋さんを廃業された後、
現店主が旅館として再開されました。
お茶屋さんだった当時の部屋をそのまま利用しており、
結構人気のある旅館ですから予約などは必須です。
このブログ取材時の2015年5月21日では
宿泊施設は2F部分で1Fはバーでした。
さらに1Fのバーは、昼間はカフェにもなりました。
当時は、洋酒を浸したシフォンケーキと紅茶を戴きました。
確証はないですが、おそらく現在もバーとカフェは開店しています。


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きんせ旅館から、花屋町通を西に向いています。
この辺りから西に進むほど、京町屋の割合が増えます。


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その京町屋の1軒に、こちらが貼り付けてありました。
「下京区西新屋敷中堂寺町」とありますが、
行政的には現在「島原」という地名は使っておらず、
この辺りは「下京区西新屋敷地区」と呼ばれています。


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東側通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、西側通と交差します。
後述の角屋おもてなしの文化美術館の方々は、
西側通を「揚屋通」(あげやどおり)と呼んでいらっしゃいました。
このブログでは、便宜上西側通と呼びます。


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西側通から、花屋町通を西に向いています。
約50m先で花屋町通は突き当たっているように見えますが、
その辺りから花屋町通は蛇行し始めます。
木製の塀がある一帯がかつての揚屋角屋ですが、
塀の上に見える白いコンクリート製の建造物は、
JR嵯峨野線の高架です。
角に立つ道標にも、花屋町通の先に
JR嵯峨野線「丹波口」駅があることを示しています。
さらにその左(南)側に石碑が立っていて、
久坂玄瑞がこの角屋で密会を繰り返してことを書いています。


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花屋町通から、西側通を北に向いています。
約200m先で西側通が突き当たっていますが、
その辺りが元花街島原の最北端です。


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さらに花屋町通から、西側通を南に向きました。
右(西)側にに見える京町屋が、かつての揚屋の角屋です。
今回ブログの目的地ですね。
では、ここから西側通を南下します。


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花屋町通から、西側通を南下しています。
右(西)側は、ずっと角屋の敷地が続きます。
幕末の角屋は、島原随一の高級揚屋でした。
その分価格も高く、新撰組隊士個人が
日常的に通える場所ではありませんでした。


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花屋町通から、西側通を約50m南下しました。
こちらに、角屋の入り口があります。
ただこちらは角屋の勝手口で、
約20m北にある正面口は通常は閉鎖されています。
また現在角屋は揚屋を廃業していて、
「角屋おもてなし文化の美術館」として再生しています。


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勝手口から、角屋おもてなし文化美術館に入ってきました。
現在の角屋は、かつて揚屋だった当時に残されていた
屋内の施設や美術品を当時のままの状態で拝観できます。
ここからこの先にある建物の中に入り角屋の内部を拝観しますが、
ここから暫く写真撮影禁止区域に入ります。


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その手前に、周辺地図が掛かっていました。
置き屋さんの輪違屋は書いてありますが、
元花街島原の他の施設はこの角屋以外は載っていません。

先ほどの建物に入ると、先に拝観料を納めます。
1F部分だけを拝観するならその際に1,000円納めます。
さらに2F部分も拝観するなら追加で800円納めます。
せっかく角屋に来たのですから、
1,800円納めて1Fと2F両方を拝観することにしました。
またこちらの拝観には、学芸員さんが随行されます。
そのため自分のタイミングで出発できず、
決まった時間で出発します。
自分も、屋内で約30分待ちました。
この建物の内部で、呉春を中心に四条派の展覧会が催されていました。
時間まで、そちらを拝観していました。

平日の角屋おもてなし文化美術館では、
最初に2Fを拝観して、そのあとで1Fを拝観します。
また1Fは大半が写真撮影可能ですが、
2Fはすべての場所で撮影が禁止です。


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2023年6月29日木曜日午後2時半ごろから
角屋おもてなし文化美術館の2Fを拝観し始めて、約30分経ちました。
つまり、この時点で2023年6月29日木曜日午後3時です。
角屋の2Fから箱階段を降りると、一番奥の部屋に出ました。
こちらからは1Fなので、写真撮影が可能です。
角屋最大の部屋で、「松の間」といいます。
ここまで大きいと、通常は宴会場として利用されていました。
左(北)側が床の間で、主賓の席ですね。


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こちらも、先ほどと同じ「松の間」です。
この部屋で芹沢鴨が主賓で新撰組が宴会を開き、
その日の深夜に芹沢鴨が暗殺されました。
後述しますが芹沢鴨はこの島原でたびたび暴力事件を起こしていて、
この角屋でも何度か問題を起こしています。


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松の間で床の間を背後に、角屋の庭園を眺めています。
この下がり松が角屋の象徴で、この部屋の名前の由来です。
床の間から眺めると、このような景色になります。
下がり松の背後に茶室が立っているのは、
こちらが創建された当時の流行りの建築様式です。
現在は下がり松の上にJR嵯峨野線の高架が見えますが、
新撰組が活躍していたころはここより西は田畑でした。
ですから、角度によっては嵐山が小さく見えたそうです。
またこの庭の縁側や脇の畳の上で、
大夫さんが日本舞踊をよく舞っておられたようです。
床の間か見ると、太夫さんの舞踏が
下がり松を背景に見物できます。


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松の間から南へ、廊下が続いています。
この先に、また別の部屋があります。
角屋には合わせて10部屋ほどあって、
当時は毎晩これらの部屋で宴会が饗されていました。


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その廊下の突き当りに、こちらの部屋があります。
中庭があるこの部屋は、2018年8月19日にも訪れました。


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こちらが、この部屋の床の間です。
先ほどの部屋はなかなか華やかでしたが、
こちらの部屋は落ち着いた感じですね。


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床の間の向かい側には、長谷川等伯の襖絵です。
ただ残念ながら、こちらは煤で黒ずんでいます。
揚屋だった角屋は、毎晩宴会が催されていました。
その際ずっとロウソクを灯し続けていて、
そのうち角屋の屋内中煤で黒ずんできたそうです。
この角屋が重要文化財に指定された際煤は掃除されましたが、
こういう絵画は煤が付いたまま保存されています。


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今度はその廊下から、南に廊下が伸びています。
その先が玄関で、角屋に来られたお客さんはこの廊下を通ります。
つまりこちらの部屋は、玄関先から見えます。


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角屋の玄関から、南を向いています。
この突き当りを左(東)に曲がると、角屋の正面口です。
ですから、この位置でお客さんは奉公人に歓待されます。


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角屋に来られたお客さんは商人もいらっしゃいましたが、
その多くが武士でした。
もちろん部屋の中に刀を持ち込むことは、禁止されています。
ですからこの玄関先で奉公人が刀を預かり、
この棚に並べられていました。


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とは言え、身分の高い武士の場合には刀自体が高級で
下手をすると盗難の危険性も発生します。
そういう場合は、奉公人がこちらで管理されておられたようです。


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角屋の玄関の脇に、帳場があります。
江戸時代は、ここを「台所」と呼んでいました。
1863年に水戸藩士が「新撰組は乱暴者だ」と
京都市街地に広めたことがありました。
それを抗議した芹沢鴨をなだめるため、
水戸藩士がこの角屋で芹沢鴨を主賓に宴会を開きました。
その際酒に酔った芹沢鴨はこの帳場で
角屋の店主に殴りかかり大怪我をさせました。
新撰組を管理する会津藩主松平容保は
その事件を聞き芹沢鴨に対し叱責しましたが、
芹沢鴨は松平容保に対して無礼な態度を取りました。
そのことに怒った松平容保が命じて、
芹沢鴨が殺されたという説が、近年有力になっているそうです。


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先ほどの帳場より南は、奉公人が働く場所です。
半分が畳で、半分が土間です。
要するにこの辺りは、厨房(今で言う台所)です。
薩摩藩主に従い角屋に来た西郷隆盛の労をねぎらうために、
角屋の奉公人がこのたらいに水をためて、
西郷隆盛の足をたらいに漬けて疲れを取ったそうです。
1938年の国家総動員法でこの角屋の取り壊しが決まったのですが、
その通達に来た当時の役人がこのたらいを発見し、
「維新の英雄である西郷隆盛の遺品がある店は、取り壊せない」
と言い出して、現在も角屋の家屋は残ったそうです。


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土間のいちばん奥に、井戸があります。
開業当時は、こちらの水で調理をしていたようです。


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土間には、竈(かまど)が並んでます。
こちらではご飯を炊くだけでなく、様々な煮物もできます。


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そして勝手口の近くに大きな竈がありましたが、
こちらは象徴的なものなのでしょうか、
釜の上に榊が飾ってあって、壁には愛宕神社の札が貼ってあります。
京都では、火災除けによく愛宕神社のお札を貼り付けます。


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先ほどの竈の北側で東を向くと、角屋さんの正門です。
この日は勝手口だけ開いており、こちらは閉まっています。
門の裏側に様々なお札が貼られていますが、
京都の古い飲食店では、このように門のあちこちに
様々なお札をよく貼り付けています。


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角屋正門から、南を向いています。
この先が厨房で、自分はこちらからここに来ました。


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今度は角屋正門から、北を向きました。
こちらはお客さんが進む道です。
この先に玄関があって、その先に先ほどの庭園が見えます。


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そして角屋正門脇に、冷蔵所があります。
用途は現在の冷蔵庫の同じですが、
別に電気で冷やしているわけではありません。
深く穴が掘られており、その穴が高い位置より気温が低い訳です。


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その冷蔵所の脇に、駕籠が置かれていました。
宴会中に酔いつぶれて帰れなくなる人は結構いらしたようで、
その方々のために、初めから駕籠が置かれていたそうです。


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これで、角屋おもてなし文化美術館を一通り拝観しました。
では、こちらから角屋おもてなし文化美術館を出ます。
ここから花屋町通をさらに市に進み、元花街島原を出ます。
その間に、あちこちの神社に参拝します。
ただちょうど切りがよいので、今回はここまでです。

~次回は、島原住吉神社に参拝します~

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第966回 島原住吉神社~花屋町通東から西~その18

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前回ブログでお邪魔した角屋おもてなし文化美術館の中から、
東側通に向いています。
今回も北側に伸びる花屋町通を西に進み、
千本通を北上してJR嵯峨野線「丹波口」駅まで進みます。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後3時半。
元花街島原への取材は今回までですが、
「花屋町通編」は今後さらに西へと続きます。


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角屋おもてなし文化美術館を出ると、
目の前に町内の掲示板がありました。
ここの町名が、「下京区西新屋敷揚屋町」と書かれていました。
現在行政的には京都市内に「花街島原」の地名は存在せず、
代わりに「下京区西新屋敷地区」と呼んでいます。
また揚屋さんの角屋があった住所が、まるまる揚屋町です。


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角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を南に向いています。
約100m先で、東側通は正面通と交差します。
その辺りが、元花街島原の最南端です。
(詳細は、第694回ブログ参照)


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今度は角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を北に向きました。
今回は、ここから東側通を北上します。


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角屋おもてなし文化美術館の前から、東側通を約50m北上しました。
ここで東側通は、花屋町通と交差します。


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東側通から、花屋町通を東に向いています。
約200m先の島原大門より西が、元花街島原です。
……と言いますか、花屋町通を約200m進むのに
ブログ3回も使っています。


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今度は東側通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側の塀は、すべて角屋の敷地です。
約50m先で花屋町通は突き当たりますが、
花屋町通はここから蛇行し始めます。


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東側通から花屋町通を約50m西に進むと、
この花屋町通が突き当たります。
その辺りに、こちらの石碑が立っています。
平安時代、この辺りは東鴻臚館でした。
「鴻臚館」とは、現在の大使館に当たります。
とは言え、当時の中国である唐は鎖国していて
外交は一切しておりませんでした。
また当時の韓国である新羅とも、
663年の白村江の戦以来国交を断絶していました。
(新羅滅亡後、建国された高麗とは友好国でした)
このころ日本と国交が結ばれていたのは、唯一渤海だけでした。
ですから、当時の東鴻臚館は事実上渤海大使館でした。


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東鴻臚館跡の石碑の前で、北を向いています。
ここから約50m花屋町通は北に伸びています。
ここからは、50mだけ花屋町通を「北上」します。


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東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約30m北上して東を向きました。
こちらに、海鮮料理に特化した飲食店魚河岸宮武があります。
後述しますが、この辺りは京都中央卸売市場の近隣です。
ですから、海鮮料理のお店がこの辺りに点在しています。
ランチタイムには行列ができる人気店ですが、
午後4時前ですので、この時点では閉店しています。


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東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約50m北上しました。
花屋町通は、ここから西に伸びています。


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花屋町通を北に突き当たった住宅の西隣に、
今回ブログのメイン島原住吉神社がいらっしゃいます。
その脇の石碑は、その位置に島原西門があったことを書いています。


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こちらが、島原住吉神社です。
元々は、江戸時代の豪商住吉太郎兵衛宅の鎮守社でした。
その住吉太郎兵衛自身が資材を投じて、
この地にこの神社を創建しました。
槇村正直第2代京都府知事は
京都府の財政再建に尽力されましたが、
宗教関係にとても厳しい方で、この島原住吉神社を初め
多くの小さな神社を次々廃絶させました。
(ほかに「大文字焼」をいったん廃止しました。
ただ槇村府政の多くは、槇村知事退任後元に戻されました)
島原住吉神社もいったん廃絶させられたのですが、
その後復興に成功しました。


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島原住吉神社の鳥居をくぐり、境内に入ってきました。
鳥居の脇に、手水舎がありました。
こちらで手を清め、先へ進みます。


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島原住吉神社境内に入ってすぐが拝殿なのですが、
先に境内の北西に回り込みます。
島原住吉神社境内の北西端に、末社がいらっしゃいます。


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拝殿の北側に島原住吉神社本殿がいらして、
その西側に末社の幸天満宮がいらっしゃいます。
もともと島原住吉神社は、この2倍以上の境内がありました。
復興後も同じ場所に鎮座されていますが、
敷地面積は半減しています。


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こちらが、島原住吉神社の末社幸天満宮です。
元々は島原歌舞練場にいらした鎮守社でした。
島原住吉神社の廃絶と同時にこちらも廃絶させられましたが、
島原住吉神社復興とともにこちらも復興できました。


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幸天満宮を背後に、島原住吉神社境内を南に向いています。
拝殿と本殿の隙間がとても狭いので、拝殿前に戻ります。


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こちらが、島原住吉神社拝殿越しの本殿です。
ご祭神は、おそらく住吉三神です。
では、こちらにお参りして先へ進みます。


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島原住吉神社拝殿を背後に、境内を南に向いています。
では島原住吉神社を出て、花屋町通に戻ります。


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島原住吉神社の前で、花屋町通を西に向いています。
江戸時代には、目の前に島原西門がありました。
(現在は、取り壊されています)
約10m先で、花屋町通は千本通で突き当たります。
その辺りで道路が石畳からアスファルトに変わっているのは、
そこを境に元花街島原ではなくなるからです。
さらにその西側は、JR嵯峨野線の高架と京都中央卸売市場です。
花屋町通は、それらのさらに西側で復活します。


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花屋町通から、千本通を南に向いています。
約100m先で正面通と交差しますが、
約300m先では七条通と交差します。


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今度は花屋町通から、千本通を北に向きました。
右(東)側に、島原住吉神社の境内が見えます。
今回ブログでは、五条通まで千本通を北上します。


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花屋町通から、千本通を約50m北上しました。
ここで千本通から東へ伸びる道があります。
ただ自分は、この道の名前を知りません……


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千本通から、その道を東に向いています。
ちなみに、この道が元花街島原の北端です。
目の前に大きな銀杏の木が立っていますが、
かつて島原住吉神社境内は、この道までありました。
ですからこの木が島原住吉神社の象徴だったのですが、
現在はその島原住吉神社と切り離されてします。


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その大銀杏の許まで、近づいてみました。
大銀杏の許に、弁財天が祭られています。
ただ周囲を鉄パイプ囲われて、
境内に入れなくなっています。


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駐車場から、先ほどの弁財天社の正面に回り込みました。
島原住吉神社が廃絶させられた時期でも、
末社であるこちらは存続してきました。
ですから、今となっては島原住吉神社から独立した
別の神社として存在しています。


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弁財天社の正面から、北西を向いています。
ではこちらから、千本通に戻ります。


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先ほどの位置に戻って、千本通を北に向いています。
この辺りはJR嵯峨野線の高架下や
千本通の右(東)側も、京都中央卸売市場です。


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その辺りに、この標識が立っていました。
この周囲は、大半が青果市場です。
つまり、野菜や果物を取り扱う卸売市場です。


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その辺りで、千本通を左(西)に向いています。
JR嵯峨野線の高架を越えて
千本通の約100m先の新千本通まで、
この辺りはずっと京都中央卸売市場です。
ただこの辺りは関係者立ち入り禁止なので、
この中には入れません。


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その位置から、千本通を北に向いています。
この辺りは、千本通の両側が京都中央卸売市場です。


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先ほどの弁財天社の前から、千本通を約200m北上しました。
ここで千本通は、中堂寺通と交差します。


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千本通から、中堂寺通を東に向いています。
木々で分かりにくいですが、このすぐ先から
中堂寺児童公園が東西に伸びています。
東西に細長い児童公園で、東端は約200先の坊城通です。
その辺の様子は、第915回ブログを参照してください。


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今度は中堂寺通から、千本通を北に向いています。
この辺りで、「下京区西新屋敷地区」から
「下京区中堂寺地区」に移ります。


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中堂寺通から、千本通を約100m北上しました。
ここで千本通は、五条通と交差します。


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千本通から、五条通を東に向いています。
この周囲は近年人口が急増していて、
飲食店をはじめ様々な店舗が増えています。
第915回ブログでは、この辺りが大雪でした。


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今度は千本通から、五条通を西に向きました。
JR嵯峨野線の高架下に、「丹波口」駅の改札があります。
では、ここからJR嵯峨野線に乗って帰宅します……
という設定ですが、本当はこのまま五条通を西に進み
花屋町通まで南下して、さらに花屋町通を西に進みました。
取り敢えず、今回はここまでです。

~次回は、京都中央卸売市場より西側を散策します~

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第967回 中央卸売市場の西側~花屋町通東から西~その19

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京都駅からJR嵯峨野線に乗って、2駅。
こちらは、「丹波口」駅です。
元花街島原と、京都中央卸売市場の最寄り駅です。
今回は「丹波口」駅から西に進み、花屋町通を目指します。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後1時。
この辺りは、第965回ブログより先に撮っています。


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自分が乗っていた亀岡行きの普通電車が、出発しました。
3駅先に花園駅、さらに2駅先に嵯峨嵐山駅があります。
どちらも、観光客で賑わいますね。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅は、高架の上にあります。
ですから、こちらのホームから階段を下ります。
ゆっくり写真撮影していたら、反対側ホームに電車が入ってきました。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅ホームから階段を降りると、
中2階の広いスペースがあります。
多くの方が、こちらに留まっておられます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅中2階には、
イスが並べられて自動販売機が置かれています。
こちらは、休憩所として機能しています。
この駅は観光客以外にも、京都中央卸売市場の関係者や
京都産業大学付属中高の生徒も多く利用します。
さらに、この周囲は京都市内でも屈指の人口増加地帯です。
「丹波口」駅のホームは狭いので、
電車が来るまで多くの方々がここで休憩されます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅の休憩所に、
京都サンガのポスターが貼ってありました。
JR嵯峨野線「亀岡」駅前にサンガスタジアムが建っているため、
JR嵯峨野線各駅では京都サンガの宣伝が強調されます。
京都サンガのポスターの左(北)側に、階段があります。
次は、そちらに進みます。


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その階段を降りると、地上階に到達します。
では改札を通り抜け、JR嵯峨野線「丹波口」駅を出ます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅の改札を出て、北を向いています。
こちらにも休憩所があり、イスや自動販売機が並びます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅を北に出ると、
左右(東西)に五条通が伸びています。
JR嵯峨野線の高架下に横断歩道が伸びているのは、
この右(東)側で五条通が千本通と交差しているからです。
ちなみにこのまま千本通を北上するのは、
第316回ブログを参照してください。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅を出て、五条通を左(東)に向いています。
目の前で五条通は千本通と交差しているので、
この辺りは「五条千本」交差点です。
ちなみに、前回ブログではこちらの方からやって来ました。


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今度JR嵯峨野線「丹波口」駅から、五条通を西に向きました。
目の前の横断歩道には、「新千本五条」と書かれた看板があります。
新千本通は千本通の約100m西に伸びる道で、
約1,200年前(平安時代初期)に
当時の朱雀大路は千本通~新千本通間の約100mの道幅でした。
(その辺の詳細は、第313回ブログを参照してください)

なお、この写真から撮影日が
2023年6月29日木曜日午後4時に変わります。
つまり、写真1枚で約3時間経過しました。
その間第962回ブログ以降の再取材と
前回ブログまでの取材をしています。
島原商店街で水無月や総菜を買って、かき氷を戴き
角屋おもてなし文化美術館を観覧していました。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅から、五条通を約100m西に進みました。
ここで五条通は、先ほど説明した新千本通と交差します。


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五条通から、新千本通を北に向いています。
新千本通は、約300m先の松原通で突き当たります。
新千本通の右(東)側は2012年ごろは倉庫街だったのですが、
現在はすべて取り壊されて駐車場です。
(その辺の詳細は、第29回ブログを参照してください)


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今度は五条通から、新千本通を南に向きました。
千本通~新千本通は、JR嵯峨野線の高架下を含めて
京都中央卸売市場です。
精肉や魚介類、青果が実際に競りにかけられ、
各小売店舗がそれらを仕入れていく場所です。
当初は新千本通を南下して花屋町通をを目指す予定でしたが……
いやぁこの先にいらした警備員さんにこっぴどく叱られました。
五条通以南の新千本通は京都中央卸売市場の施設内で、
無許可の立ち入りや写真撮影は禁止されているそうです。
自分はそのことを知らず、写真撮影をしながら歩いていました。
(その分の写真は、全廃棄しました)
結局その警備員さんに道案内されて、
もう1本西の通りから南下して花屋町通を目指すことにしました。


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再び新千本通から、五条通を西に向いています。
この辺の五条通は閑散としたイメージでしたが、
近年は飲食店や新しい小店舗が増えて、
徐々に繁華街化されてきています。
やはり、この辺の人口が急増しているせいでしょう。


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新千本通から五条通を約50mほど西に進むと、
こちらのバス停があります。
京都市バスの路線のサイトが次々廃止されていて図説できませんが、
五条通沿いは大通りの割には市バス路線が少ないです。
こちらのバス停には「京都リサーチパーク前」と書かれています。
「京都リサーチパーク」とは何かは、後述します。


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「京都リサーチパーク前」バス停の前で、五条通を西に向いています。
ラーメン屋さんの角に、五条通から南に折れる道があります。
こちらが、先ほどの警備員さんに教えて戴いた道です。


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その通りから、五条通を西に向いています。
約150m先で、五条通は七本松通と交差しています。
その「五条七本松」交差点付近が、徐々に繁華街化しています。


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先ほどのラーメン店の前で、五条通からその通りを南に向きました。
左(東)側は京都中央卸売市場ですが、右(西)側はマンションです。
もしかすると名称があるかもしれませんが、
自分にはこの道の名称が分かりません。
千本通以西の京都市街地には、名称がない道が急増します。
取り敢えず、この道を五条通から南下します。


967-20.jpg
五条通から、その道を約50m南下しました。
この位置で、この道から西に道が伸びています。


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五条通から南下してきた道から、西に伸びる道を見ています。
左(南)側が、京都リサーチパークのうちの1棟です。
京都リサーチパークは、「五条七本松」交差点を中心に
建てられた広大なビル群です。
その多くが、オフィスビルを目的に建造されています。
同時に商業施設も入っていて、それがこの辺りの繁華街化の一因です。


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今度は西に伸びる道から、南北に伸びる道を南に向きました。
京都リサーチパーク最東端に、駐輪場が広がります。
また左(東)側には、京都中央卸売市場の駐車場が広がります。
ただ今回はこのまま南下して、花屋町通へと急ぎます。


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先ほどの位置から、そのまま南下しています。
左(東)側は住宅街に見えますが、
大半の建造物に食べ物に関連する企業が入っています。
京都中央卸売市場に隣接しているのが、その理由です。
右(西)側は、京都リサーチパークがずっと続いています。


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京都リサーチパーク最東端に、アジサイが群生していました。
この日(2023年6月29日)は大半がつぼみでしたから、
今回ブログ更新日くらいで満開でしょうね。


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そのアジサイの群生地から、南を向いています。
これで、五条通から約250m南下しました。
向こうに見える壁の位置からは、京都リサーチパークではありません。
つまりこの位置が、京都リサーチパーク南東端です。


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こちらが、京都リサーチパーク南西端にいらっしゃるお地蔵さんです。
こちらにお参りして、先に進みます。


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そのお地蔵さんの前で、南を向いています。
ここからこの道は、蛇行しながらも南下を続けます。


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とは言え、その蛇行も約50mで終えます。
この辺りから、左(東)側は京都中央卸売市場です。
フォークリフトでは荷物を運ぶ木製の土台が、
道端にいくつも積んでありました。
よく見ると、フォークリフト自身も路上駐車してあります。


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蛇行し終えた位置から、さらに約50m南下してきました。
この辺りから、右(西)側も京都中央卸売市場の敷地です。


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その辺りにも、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにもお参りして、先を進みます。


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これで五条通から、新千本通1本西の通りを約350m南下しました。
ここでこの道が突き当たっているように見えますが、
実は筋違いで七条通まで続いています。
ただこの突き当りに見える位置が、花屋町通です。
ここからはこの道を南下せずに、
花屋町通を突き当りの阪急電車「西京極」駅まで進みます。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、石ヶ坪の行者さんにお参りします~

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第968回 石ヶ坪の行者さん~花屋町通東から西~その20

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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前回ブログでJR嵯峨野線「丹波口」駅から五条通を西に進み、
新千本通の1本西の通りを五条通から約350m南下しました。
この通りは目の前で突き当たっているように見えますが、
筋違いでさらに南下しています。
ただ目の前で花屋町通と交差しており、
今回はこの花屋町通を西大路まで西に進みます。
撮影日は2023年6月29日木曜日午後4時半。
梅雨の合間の炎天下の一日でした。


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先ほどの通りから、花屋町通を東に向いています。
約50m先が、京都中央卸売市場です。
京都中央卸売市場はJR嵯峨野線高架下まで続き、
その東が元花街島原です。
(第966回ブログの周辺です)


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今度はその道から、花屋町通を西に向いています。
この辺りの花屋町通は、6車線とかなり広い道幅です。
京都中卸売市場を出入りする大型トラックは、
この辺りの花屋町通を通ります。
今回は、このまま花屋町通を西に進みます。


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先ほどの道から、花屋町通を約150m西に進みました。
ここで花屋町通は、七本松通と交差します。


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花屋町通から、七本松通を南に向いています。
一見すると閑散としていますが、実は七条通までの約400mに
様々な飲食店が建ち並んでいます。


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そのうち信号が変わりましたので、
七本松通の横断歩道を西へ渡ります。
松原通以南の七本松通は4車線の大通りで、
松原通以北は1車線の一方通行の道です。
花屋町通から約5㎞北上すると、七本松通は花街の上七軒に至ります。


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その横断歩道を渡って、花屋町通から七本松通を北を向いています。
約350先の「五条七本松」交差点には、前回ブログに出てきた
京都リサーチパークが広がり、繁華街化しています。


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今度は七本松通から、花屋町通を西に向いています。
京都中央卸売市場を出入りする大型トラックは、
花屋町通から七本松通を北上して五条通に向かいます。
そのため七本松通以西の花屋町通は、歩道付き2車線の道幅で
最西端の阪急電車「西京極」駅まで伸びています。
では、七本松通から花屋町通を西に進みます。


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七本松通から、花屋町通を西に進んでいます。
北を向くと、五条通のあたりに大きなガスタンクが並んでいます。
かつて「五条七本松」交差点は、都市ガスの集積所でした。
今もこの2基だけガスタンクが残っていますが、
取り壊されたガスタンクの空きスペースが、
先述の京都リサーチパークに変わりました。


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その辺りで、花屋町通を眺めています。
この辺りは、完全な住宅街ですね。
マンションと個人宅が多いですが、よく見るとほかの建物もあります。


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一方、北を向くとガスタンクの周囲にビジネスビルが見えます。
約350m北の京都リサーチパーク周辺とは、だいぶ雰囲気が違います。


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さらに花屋町通を西に進んでいます。
左(南)側の建物はすべてマンションですが、
右(北)側の建物は時折工場が混じります。


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こちらが、その工場のうちの1軒です。
午後5時が近く、この瞬間は稼働されていませんでした。


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その工場の前から、花屋町通を西に向いています。
この辺りに約30年前自分が通っていた公衆浴場があったのですが、
かなり建物が様変わりしていて、最早どこだったか分かりません。


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七本丸通から、花屋町通を約250m西に進みました。
ここで花屋町通は、御前通と交差します。


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花屋町通から、御前通を南に向いています。
約400m先の七条通付近が、松尾祭ではお神輿が集結して
お祭りの「メイン会場」になります。
松尾祭の詳細は、第306回ブログを参照してください。


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そうこうしているうちに、信号が変わりました。
そこで、目の前の横断歩道を西に渡ります。


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今度は花屋町通から、御前通を北に向きました。
角にあるラーメン店は、約30年前によく通っていました。


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さらに御前通から、花屋町通を西に向いています。
では、こちらの道を進みます。


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御前通から、花屋町通を西に約150m進みました。
ここで花屋町通は、西土居通と交差します。


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花屋町通から、西土居通を南に向いています。
自分の西土居通のイメージは、飲食店と公衆浴場です。
先ほどの写真に飲食店が建っていますが、
約400m先に伸びる七条通の手前に公衆浴場があります。


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今度は花屋町通から、西土居通を北に向きました。
西土居通は、その名の通りお土居があった位置に伸びる道です。
かつての京都市街地の端にあったせいか、
様々な神社仏閣が並びその周囲に様々なお店がある通りです。
その中でも、平野神社がいちばん有名です。


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さらに西土居通から、花屋町通を西に向いています。
ここを西に進むと、この写真では分かりにくいですが
小さな神社のような場所があります。


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西土居通から花屋町通を約10m西に進み、南を向きました。
こちらは「石ヶ坪の行者さん」と呼ばれる場所です。
ご本尊の石仏がいらっしゃるので寺院と言えますが、
形式は完全に神社です。
こういうのを神仏習合と言います。


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花屋町通から境内を南下すると、すぐに手水舎があります。
まずは、こちらで手を清めます。


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手水舎から、境内を南西に向いています。
次は、こちらの方に進みます。


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そちらには、水神を祀った祭壇があります。
「水神」ということは、蛭子神か弁財天でしょうね。
その奥には、お地蔵さんが数体いらっしゃいます。
そしてその手前に霊石が安置されていて、
そこから霊水が湧いています。


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その東側に、不動明王の石像がいらっしゃいます。
こちらは江戸時代末期に安置されたもので、
もともとの信仰の対象は境内の南側にある霊石だったそうです。
(そのことを知ったのは、帰宅後でした)
その霊石から水が湧き出ていて、
多くの方々が霊石から湧き出る霊水を求められました。
と言うのも、昔から大峯山の修験者さんの影響下にありました。
ですから、この辺りを昔から「行者さん」と呼んでいました。


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不動明王の石造の前で、境内を北に向きました。
では境内を出て、花屋町通に戻ります。


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石ヶ坪の行者さんの前で、花屋町通を西に向いています。
では、ここから花屋町通を西に進みます。


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石ヶ坪の行者さんから花屋町通を約20m西に進み、北を向きました。
目の前に、花屋町派出所があります。
「花屋町」とはこの道のことであって、町名ではありません。
ちなみに、この位置は「下京区西七条石ヶ坪町」です。


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花屋町派出所の西隣が、京都市立七条第三小学校です。
もう午後4時半ですから、完全下校が近づいています。
保護者に連れられた児童が校門から出て行かれるので、
一瞬の隙を狙って敢えて誰もいない瞬間に撮影しました。
さすがに小学生児童を撮るのは、よくないので……


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西土居通から、花屋町通を約200m西に進みました。
ここで花屋町通は、西大路と交差します。


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花屋町通から、西大路を北に向いています。
「花屋町西大路」交差点の周辺には、
小さいながらもおいしい飲食店が数多く建ち並びます。
実はこの周囲には工場が多く、
そこの労働者が近くの飲食店に訪れます。
そのためこの辺りには飲食店が濫立しているのですが、
徐々に「自然淘汰」されて、
おいしい店ばかりが建ち並ぶようになりました。
実は京都屈指の名店が、この辺りにも多いです。


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今度は花屋町通から、西大路を南に向きました。
今回は、こちらを南下します。


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花屋町通から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、「西大路花屋町」バス停が立っています。
もう夕方ですので、今回はこちらから
205系市バスに乗って京都駅へ向かい、その後帰宅しました。
今回は、ここまでです。

~次回から、しばらく「花屋町通編」」を休載します。
次回は、「2023年祇園祭先祭山鉾巡行」を掲載予定です~

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第991回 Shagarでランチ~花屋町通東から西~その21

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第969回ブログ以降約2か月に渡って
2023年の祇園祭を連載してきましたが、
今回からまた「花屋町通編」の連載を再開します。
第968回ブログでは「西大路花屋町」バス停まで進みましたので、
今回もそのバス停から始めるべきなのですが、
今回は1停留所北の「西大路五条」バス停から始めます。
この辺りの西大路周辺には「おいしい飲食店」が多いのですが、
その辺の事情が今回ブログのメインです。


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京都駅前北側市バスターミナルから
西ノ京円町・金閣寺行きの205系市バスに乗って約20分。
こちらは、「西大路五条」バス停です。
今回は、創業約30年のインド料理店に訪れます。

……と書くと京のお店 今日のお品と同じですが、
今回はそのインド料理店を訪れた後、
花屋町通まで西大路を南下します。
撮影日は、2023年9月14日木曜日午後1時。
多くの企業のランチタイムから、時間をずらしました。


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自分はここまで乗ってきた205系市バスが、西大路を北上します。
205系市バスは京都駅北側に伸びる七条通を西に進み、
西大路で北に折れて、北大路で東に進みます。
平野神社わら天神金閣寺へは、このバスが便利です。


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「西大路五条」バス停から、西大路を南に向いています。
約50m先で、西大路は五条通と交差しています。


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西大路から、五条通を西に向いています。
ここを約100m西に進むと、おいしいラーメン店があります。
またずっと先に林が見えますが、あの辺りがローム株式会社です。
実は西大路の西側には、京都を代表する企業が点在しています。
(第55回ブログに出てきた島津製作所など)
そちらで働いておられる方や周辺の中小工場労働者を目当てに、
西大路周辺には以前から多くの飲食店が林立していました。
その状態が数十年続く中で自然淘汰されて、
この辺りには「おいしい飲食店」が数多く残りました。
まぁそれでも、コロナ禍でだいぶ減少したのですが……


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それでは信号が変わりましたので、
五条通に架かる横断歩道で西大路を南下します。
「五条西大路」交差点南西角に、
マクドナルド 西大路五条店があります。
自分が脳出血に罹る以前は、よく自転車で
西京極へ京都サンガを応援しに行きました。
その際ここに寄り道してハンバーガーを買って、
そちらを京都サンガの試合を観ながら戴いていました。


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横断歩道を渡って、西大路から五条通を東に向きました。
五条通の南側歩道が白い鉄板で囲まれていますが、
現在この辺りは道路拡張工事中です。
そのため、餃子の王将も約20m南に移動しています。


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さらに五条通から、西大路を南に向いています。
右(西)側は、マクドナルドの駐輪場です。
では、今回はこのまま西大路を南下します。


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五条通から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、ろぐ 鉄板焼きお好み焼きがあります。
自分は入ったことがないのですが、
店頭を見ているといつも満員のイメージがあります。


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ろぐ 鉄板焼きお好み焼きの南隣は会員制のバーですが、
さらにその南隣がインド料理店のShagar(シャーガル)です。
インド人調理師による創業30年ほどのお店です。
インドは料理は地方ごとに個性があるのですが、
こちらは首都ニューデリー付近の北インド料理店です。
こちらのお店ができるまでの京都では、
インド料理は高級料理のイメージ強かったです。
それこそ、1人前10,000円は覚悟するイメージです。
ところがShagarは創業当時は600円でランチが戴けて、
ディナーでも3,000円で満腹になりました。
現在はもう少し価格が上昇していますが、
「お手頃インド料理」は自分には相当衝撃的で、
社会人になりたての自分はこちらによく通いました。


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Shagarに入ると、こちらの女将さん(日本人です)は
数年ぶりの自分のことを覚えていらっしゃいました。
自分が脳出血に罹ったために自転車に乗れなくなり、
そのためにこの辺りに滅多に来られなくなったことをお話しすると、
とても驚いていらっしゃいました。

こちらのランチメニューは、創業当時とあまり変わりません。
カレーの種類とナンとご飯が選べること、
その後にドリンクがサービスされることが同じです。
創業当時との違いはサラダなどのサイドメニューが選べることと、
価格が一律200円上がっていることです。


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テーブルに、こちらのメニューが並んでいました。
ランチのドリンクにラッシが無くなっていると思っていたのですが、
ちゃんと残っていました。
しかも、種類が増えています。
注文した後にこちらに気づいたので、今回は頼んでいません。


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ラッシが書かれたメニューに、アイスクリームも書かれています。
こちらは、新しいメニューです。
ラムレーズンがおいしそうなので、
ディナーで訪れたときに注文しようと思います。


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こちらは、以前から自分がよく就いていた席です。
では、注文したものが来るまで待ちます。


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お店の奥の方にはお客さんがいらっしゃらなかったので、
写真を撮りました。
(午後1時以降に来店したのは、
ランチタイムは満員になり、こういう撮影が困難だからです)
インドを連想する絵画が飾ってあるのは、
ajantaと共通します。


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こちらには通常女将さんが待機されておられるのですが、
席を外されたタイミングで撮影しました。
このボードの裏が厨房で、3人のインド人男性が調理されています。
ナンを窯で焼くところを、自分はここで生まれて初めて見ました。
(約30年前ですが……)
ボード見ると、創業当時と比べてサイドメニューが充実してきました。


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注文してから約10分が経ち、こちらがやって来ました。
他より200円高いエビのカレー(1,000円)です。
自分はこちらではナンでカレーを戴きます。


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こちらが、このお店のナンです。
ナンは生地を窯の内側に貼り付けて焼かれています。
そのため焼きあがる間に釜の下の方に垂れてきて、
このような形状になります。
こちらは、左右に約50㎝の長さです。


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そして、こちらがエビのカレーです。
自分が、こちらでいつも戴いているカレーです。
中に、エビが4尾ほど入っています。
それ以外は、ペースト状のスープです。
野菜や香辛料がペースト状で、複雑な香りと味を編み出しています。
こちらにちぎったナンを漬けて、そのままナンを戴きます。
ナンは外がカリカリしていますが、中はパンのように柔らかいです。
カリカリした部分にカレーを浸して、
少し柔らかくしてからいただくのが、自分の好みです。
カレーですから辛いですが、インドカレーはそこまで辛くありません。
また辛みと同時に味わえる野菜などの甘みも、
こちらのお店の魅力です。


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約30分かけて、こちらを戴きました。
この時点でそこそこ満腹ですが、
ランチメニューにはまだ続きがあります。


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最後にホットコーヒーが付きます。
お好みで、アイスコーヒーにもできます。
(または、アイスティーにもできます)
自分は何も入れずに、ストレートで戴きました。


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そのコーヒーも、戴きました。
久しぶりなので女将さんと少し雑談して、
(いつの間にか、他のお客さんもいらっしゃりません。
実は、もうすぐライチタイムが終了します)
会計を済ませて、こちらを出ました。


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Shagarを出て、西大路を南に向いています。
Shagarの南隣は、京都東中水郵便局です。
そしてその南隣で、西大路は中堂寺通と交差します。


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西大路から、中堂寺通を西に向いています。
約30年前はこの辺りにさまざまな商店が並んでいましたが、
現在は駐車場に変わりました。
ちなみに約150m先の佐井通に見える林が、株式会社ロームです。


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中堂寺通から、西大路を南に向いています。
右(西)側に緑地が続きますが、
以前は家具屋さんなど様々な商店が並んでいました。
ウチのカラーボックスは、この辺で買ったものです。


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この辺りの西大路で、中央分離帯を撮りました。
この時期は、百日紅(さるすべり)が満開です。
豊国神社など京都にも百日紅がきれいな観光地も多いですが、
街路樹としても百日紅はきれいですね。


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中堂寺通から、西大路を約50m南下しました。
ここで西大路は、中堂寺南通と交差します。


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西大路から、中堂寺南通を西に向いています。
この街路樹は、約150m先の株式会社ロームへと通へ続きます。
この辺の街路樹は、クリスマスのイルミねーそんが名物です。


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中堂寺南通から、西大路を南に向いています。
では、また西大路を南下します。


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中堂寺南通から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、Starbucks京都西大路店が建っています。


991-30.jpg
西大路から、Starbucks京都西大路店に向いています。
京都市街地のこういうお店は駐車場を持たないことが多いのですが、
(旧市街地を再開発することを忌避するためです)
こちらはかなり大きな駐車場を有しています。
ちなみに、こちらはドライブスルーも行っています。


991-31.jpg
Starbucks京都西大路店から、西大路を南に向いています。
この辺りから、急に西大路が上り坂になります。
この位置では分かりにくいですが、
この先で西高瀬川が東西に流れています。


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西大路から、西高瀬川を西に向いています。
以前はこの辺りに飲食店が建ち並んでいたのですが、
だいぶ少なくなってきています。
あちらに見えるステーキハウスも名店ですが、
この時点では開いていませんでした。
定休日かもしれませんが、
ランチタイムが終わっただけかもしれません。


991-33.jpg
今度は西大路から、西高瀬川を東に向きました。
西高瀬川は桂川から分岐して三条通を西に進んだ後、
御前通沿いで南下します。
そして、この辺りで西に折れてこちらに流れてきました。


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西高瀬川から、西大路を南に向いています。
では、もう少しだけ西大路を南下します。


991-35.jpg
西高瀬川から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、「西大路花屋町」バス停が見えます。
第968回ブログでは、このバス停まで花屋町通を西に進みました。


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「西大路花屋町」バス停から、西大路を南に向いています。
目の前で西大路は、花屋町と交差しています。


991-37.jpg
その辺りに、営業中のタバコ屋さんがありました。
結構珍しいですが、第950回ブログでも
タバコ屋さんが営業中でした。


991-39.jpg
花屋町通から、西大路を南に向いています。
目の前のビルに約30年前はパチンコ屋が入っていましたが、
現在は全然違う施設になっています。
ブログではこのまま花屋国府通を西に進んでいますが、
本当はこのまま「四条西大路」まで南下して、
交差点内の銀行で用事を済ませてきました。
これ以降の写真は、その用事を済ませた後に撮りました。


991-40.jpg
西大路から、花屋町通を西に向いています。
これで、やっと今回ブログのメインの通りが出てきました。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、小川珈琲本店に向かいます~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
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このブログで,
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YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
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実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
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「京都市バス検索」
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各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
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「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
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許可をいただいて
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「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
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「写真缶」
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「子連れ京都旅行」
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「幼児連れで
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書かれています。
こちらは、
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京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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