第57回 三条会商店街 前編~三条通西から東その12

前回「空梅雨」と書いたのですが、ここしばらく雨が続きました。
この日も、朝からずっと雨です。
今回は、ここ三条千本交差点から三条通を東に進みます。
撮影日は、2012年7月5日木曜日午後4時半。
近くにある東宝二条シネマライズで映画を見た帰りなので、
こんな時間からになってしまいました。

千本通を渡りました。
ここから東の三条通は、アーケードがかかります。
ここ千本通から堀川通まで、三条通は「三条会商店街」になります。

商店街の中に入ろうとしたら、
カツを揚げるおいしそうな香りがしてきました。
肉屋の揚げ物は、昔はよく食べました。
ここから30mほど東に、この肉屋直営の焼肉屋があります。

「三条会商店街」アーケード内部に入ってきました。
ここは、JR「二条」駅や四条大宮交差点に近いこともあり、
かなり賑やかな商店街です。
七夕や祇園祭が近いせいか、提灯がぶら下がっています。

アーケードの柱には、
我らが京都サンガの小旗が設置されていました。

向かい側の柱には、
女子プロ野球の「京都アストドリームス」の小旗です。
京都の商店街には、
すべてこの2チームの小旗が飾られています。

そして、アーケード中央にはこのような横断幕があります。

千本通から100mほど東に進みました。
二輪車屋さんの東隣りに、タイ焼き屋さんがありました。
わずかな間にも、結構お客さんが来ていました。

タイ焼き屋さんから、約30mほど東に進みました。
Tシャツのお店と紳士服店が並んでいます。
この先あまり写真には撮っていませんが、
この商店街は洋服店が一番多く並んでいました。

次は、八百屋さんです。
八百屋さんも、この商店街に多くあります。

八百屋さんの2軒東には、お茶屋さんです。
茶壺が、看板になっています。

お茶屋さんから東に10mほど行くと、
米屋さん、和紙・水引販売店、酒屋さんと続きます。

その酒屋さんの向かいに、「中島屋」という駄菓子屋がありました。
ゼリービーンズのようなものもありますが、
昔ながらのお菓子がメインです。

「中島屋」で買ったお菓子を家に帰って撮影しました。
味噌せんべいと梅鉢です。どちらも自分の大好物です。
ここの味噌せんべいは、他店のものよりも固いのが特徴です。

さらに約50m進みました。
坂本龍馬のイラストともに、
「武信稲荷神社」と書かれた垂れ幕が飾ってあります。

先ほどの角を南に向きました。
商店街からそれ、この道を約30m進みます。

商店街から約30m南にある「武信稲荷神社」です。
こちらの方に入っていきます。

ここから神社の中に入っていきます。
石畳の道がゆがんでいますが、撮影上のミスではありません。
ところどころ陥没していて、道自体がゆがんでいます。

この神社の手水舎です。
ここで手を清めたら、まずは末社参りです。

こちらは、鳥居に「起上大明神」と書かれています。
どういう神様かは、自分は知りません。
左隣に「南無妙法蓮華経」と書かれた石碑がありました。

白蛇大弁財天の祠の向こうに、社務所があります。
社務所には足場が組まれていますが、
現在この神社は大規模な修復中です。

絵馬が大量にぶら下がっています。
ここは坂本龍馬関連施設なので、
絵馬には龍馬と妻のおりょうのイラストが付いています。

ここは稲荷神社なのですが、
「稲荷社」の末社もありました。

稲荷社の右隣に、「白清社」(しらきよさん)がいらしゃいます。
「蚕ノ社」木嶋神社にも同じような神様がいらっしゃいました。
白清神社は、もともとは広島市内の神社です。
1945年8月6日の原爆投下で完全消滅しましたが、
現在は再建されています。
主神は、菊理媛(キクリヒメ)です。冥界の神様ですね。
(第53回ブログも、この辺訂正しています)

さらに、「七石社」と「太郎松社」が並んでいます。
どう考えても、人名なのですが……
冥界の神様と並んで合祀されていることに
何か意味があるんでしょうか?

さらにその隣の「釘抜社」は、釘抜き自体が御神体です。
その隣は「常吉社」ですが、
こちらに至ってはお墓が御神体です。

そして、末社の最後は「金比羅社」と「天満宮」です。
こちらは、立ち入り禁止になっていました。
実はこの撮影中も宮大工さんが修復されていたのですが、
あちらが遠慮されて上手くカメラから逃げていただいたので、
写真には写っていません。

本殿の脇に、大きなクスノキが伸びていました。
この神社の南側に幕末のころは牢獄がありました。
おりょう(後の坂本龍馬の妻)が牢獄の父親に面会に行った間、
龍馬はこの木に登り、その様子を見ていたそうです。

さらに、このクスノキは坂本龍馬とおりょうを再会させ、
結婚に至るきっかけになりました。
そのこともあって、このクスノキ自体が
「宮姫社」という縁結びの神様になっています。
(クスノキの前に祠があります)

「武信稲荷神社」の本殿です。
平安時代に、藤原氏の学問所や医療施設の守護神として
藤原良相によって建てられました。
目の前の絵馬に願いごとを書いて、
先ほどの所にぶら下げるようになっています。

では、「武富稲荷神社」を出ます。
向こうにある自動車は、宮大工さんのものです。

神社の前から北を向きました。
こちらの道を北上して、三条通に戻ります。

神社の脇にいらしたお地蔵さんです。
こちらも撮らせていただきました。

こちらは、祇園祭の三条神輿中会所です。
平安時代はこの辺りまでが神泉苑の池で、
当時の祇園祭は神泉苑からこの辺りまでを
神輿で巡行するものでした。
安土桃山時代に祇園祭は今の形になりましたが、
今でも7月24日に三条会商店街内では
祇園祭の神輿巡行が行われます。
(山鉾巡行とは別物です)

自動車が、銭湯の前に停まっています。
「トロン温泉」と書いてありますね。

「三条会商店街」まで戻ってきました。
よく見ると、床屋さんの時計が止まっています。
この時点では、午後5時10分でした。
ここから右(東)に折れさらに三条会商店街を進みますが、
それは次回とします。
~次回は、商店街の東の端堀川通まで進みます~
スポンサーサイト