第71回 粟田口散策~三条通西から東~その20
古来より京都の東の玄関口を「粟田口」(あわたぐち)と言います。
東海道は江戸時代に完成しましたが、
飛鳥時代にはここから滋賀県の方に抜け
関東に向かう道がすでに敷設されていました。
現在の「粟田口」は、東山三条から東の三条通周辺を指します。
今回は東山三条から粟田山周辺を散策します。
実は第14回ブログのコース周辺です。
詳しくは、こちらをクリックしてください。

前回ブログの最後の場所東山三条です。
東山が、だいぶ近くに見えるようになってきました。
撮影日は、2012年8月30日木曜日午後2時。
ここのところ撮影日は、いつも晴れています。

三条通から東大路通を南に向いています。
東大路通は、相変わらず自動車で混み合っています。
ここをずっと進めば祇園に至り、知恩院や八坂神社の前に出ます。

今度は三条通から東大路通を北に向いています。
ここをずっと進めば、岡崎公園(平安神宮)の近くを通って
百万遍(京都大学周辺)や高野(たかの)に出ます。
向こうに、鎮守の森が見えます。そちらに寄ってみます。

三条通から東大路通を北に約100m進みました。
「東山仁王門」バス停前に、何人かバス待ちの方がいます。
その横にある「満足稲荷神社」に入ります。

先ずは、末社にお参りです。
左から、猿田彦・大国主命・天照大神を祀っています。

こちらも、末社と考えられます。
岩とモチの木がそれぞれご神体です。

拝殿越しの「満足稲荷神社」本殿です。
ここは、豊臣秀吉の厚い信仰を受けた神社です。
「満足」の名前も、
秀吉が御神徳に「満足」したことが由来になっています。
もともと違う場所にあったのですが、
1693年に徳川綱吉の命でこの地に移転しました。
では、東山三条に戻ります。

東山三条の交差点から、三条通を東に向いています。
今から、ここを進んでいきます。

東山三条の交差点から東に約50m進みました。
目の前に、古川町通との交差点があります。

三条通から古川町通を南に向いています。
ここから古川町通は、道幅が5mほどになってしまいます。
(屋根が付いているので、分かりにくいですが)
「古川町商店街」は、この先白川に当たるところまで続きます。
写真の左側に、地下鉄東西線の「東山」駅の階段が見えます。
前回ブログの辺りから山科まで
三条通は地下鉄東西線の沿線になります。

今度は、三条通から古川町通を北に向いています。
200mほど北に行くと、京都文教短大の校門が見えます。
ここには付属の小学校や中学校、高校があって、
毎朝「東山」駅近辺は、通学ラッシュになります。

三条古川町の交差点から、三条通を東に見ています。
この辺りから、緩やかな上り坂になって少しずつ蛇行します。
(もう碁盤の目ではなくなっています)
ずっと先に見える大きな建物は、ウェスティン都ホテルです。
そこを越えると京都市街地は終わり、
三条通(旧東海道)は東山山中に入っていきます。

三条古川町の交差点から東に約5m進みました。
ここは、老舗の漆器屋さんです。
きれいなお椀やお盆が売られていました。

さらに三条通を東に100mほど進みました。
今度は、江戸時代から続く紙屋さんです。
和紙だけでなく、はがきなども売られていました。

紙屋さんの少し先にいらしたお地蔵さんです。
このブログの象徴なので、撮らせていただきました。
実は、この辺りにたくさんいらしたのですが、
編集の都合でこちらだけ採用となりました。

三条古川町の交差点から東に約150m進みました。
こちらにも、地下鉄東西線の「東山」駅への階段があります。
もし岡崎公園に行くのなら、こちらの入り口の方が便利です。
その先に、白川の橋があります。そちらに向かいます。

ここは、三条通の白川橋です。
今は南を向いていて、このまま進むと祇園の中心街に至ります。
(祇園の白川沿いは、なかなか絶景です)
白川は、京都府と滋賀県の境にある通称白川山を水源とします。
岡崎公園でいったん琵琶湖疏水と合流しますが、
岡崎公園の南端で再び分岐して、こちらに流れてきます。
最終的には、鴨川に合流します。

白川橋から三条通を東に約30m進みました。
北側にマンションがあって、1Fにコンビニエンスストアと
焼肉屋があって、さらにお地蔵さんがいらっしゃいます。
ここから三条通の上り坂は、かなり急になります。
もし自転車でこの辺りに来られる方は、
この建物を目安に移動してください。

そのマンションの向かい側(南側)に、
このような石碑が立っていました。
どうやらこの辺りに坂本龍馬が祝言(結婚式)を挙げた
寺院の跡地があります。
実は、明治時代はこの辺りまで青蓮院の境内だったようです。
(青蓮院は、第14回ブログで紹介)

白川橋から、三条通を東に200mほど進みました。
第14回ブログで紹介した神宮道との交差点に来ました。

三条通から、神宮道を北に向いています。
約300m先に、大きな鳥居が見えます。
そこから北が岡崎公園で、
鳥居から400mほど先に平安神宮があります。
第14回ブログで通った道です。

今度は三条通から神宮道を南に向いています。
向こうに、大きな楠が見えます。
その辺りに、自分の大好きな青蓮院があります。
寄り道したいところですが、
第14回ブログでも寄っていますし、今回は泣く泣くパスします。

神宮道を越え、三条通をさらに東に進みます。
右(南)側の建物を見ると、
ここがかなり急な上り坂であることが分かります。

その右(南)側の建物です。
「京都市立白川小学校」と書いてあります。
この日は日曜日だったので、門は閉まっています。

「京都市立白川小学校」の東隣りに、大きな鳥居が見えます。
いまから、ここ「粟田神社」を参拝します。

「粟田神社」の鳥居をくぐり南に約5m進むと、また鳥居があります。
下の石畳を見るとここが参道であることは分かるのですが、
左(東)を見ると古いアパートがあったりします。
ここは、近所の方の生活道路としても機能しています。

この石畳の参道は、約70m続く緩やかな上り坂です。
左(東)側に古いアパートが続きますが、
右(西)側は塀の向こうに「京都市立白川小学校」があります。

三条通から南に約70m進みました。
石畳の参道が終わり、東西の道とまた交差します。
鳥居をくぐる前に……

その道を右(西)に向いています。
右側の塀の向こうは、「京都市立白川小学校」です。
この道をずっと進むと、青蓮院に出ます。

鳥居をくぐって南に進むと、急な石段を上ることになります。
辺りはカエデが鬱蒼と茂っていて、
秋にはかなりの絶景になるでしょう。

8月の炎天下で、急な石段はキツイですね。
100mほどで、この石段は終わります。
やっと「粟田神社」に到着しました。先ずは、末社参りから始めます。

石段の横に社務所があり、その先に舞台があります。
舞台の上には、「粟田大燈呂」のミニチュアが並んでいます。
「粟田大燈呂」は毎年体育の日の前日の夜に
大きな燈籠で作られた素戔嗚尊や八岐大蛇などが、
市中を練り歩くお祭りです。

末社の一柱「出世恵美須(えびす)神社」です。
源義経が幼少時に、源氏再興を祈願した神様だそうです。
もともとはもっと東の蹴上におられたのですが、
500年ほど前の山崩れの後は、
夷町(三条神宮道交差点付近)に安置されていました。
今の位置には、明治時代に移ってきました。

こちらも末社の「北向稲荷神社」と「太郎兵衛神社」です。
どちらもかなり面白い「いわくつき神社」ですが、
長くなるので省略します。
「太郎兵衛神社」の裏に階段があって、
そこを上ると「尊勝院」に行けるのですが、
そちらのルートは鉄門扉で閉ざされていました。

本当はもっと末社があるのですが、字数の関係でここまでです。
こちらは、拝殿越しの粟田神社本殿です。
主神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と妻子です。
(奇稲田姫や大己貴命などです)
平安時代初期の876年に清和天皇の命により建立されました。
交通の要所の粟田口にあるということで、
交通安全や旅行の安全を祈願する神社として栄えています。
自分も、このブログの安全祈願をしておきました。

だいぶ山の上まで上ってきたので、
ここから京都市内が一望できます。
向こうに見える赤い鳥居は、先ほど見えた岡崎公園の最南端です。
その右(北)に見える大きな建物は、京都市美術館です。

社務所と石段の間に、このような花が咲いていました。
wikiで調べたところ、「芙蓉」(ふよう)のようです。
この写真はクリックすると、拡大できます。

では、石段を下りて三条通に戻ります。
この石段は、下りもなかなか絶景ですね。
ただ、この続きは次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、ここから蹴上に向かいます。
京都市街地もここで終わりですね~
東海道は江戸時代に完成しましたが、
飛鳥時代にはここから滋賀県の方に抜け
関東に向かう道がすでに敷設されていました。
現在の「粟田口」は、東山三条から東の三条通周辺を指します。
今回は東山三条から粟田山周辺を散策します。
実は第14回ブログのコース周辺です。
詳しくは、こちらをクリックしてください。

前回ブログの最後の場所東山三条です。
東山が、だいぶ近くに見えるようになってきました。
撮影日は、2012年8月30日木曜日午後2時。
ここのところ撮影日は、いつも晴れています。

三条通から東大路通を南に向いています。
東大路通は、相変わらず自動車で混み合っています。
ここをずっと進めば祇園に至り、知恩院や八坂神社の前に出ます。

今度は三条通から東大路通を北に向いています。
ここをずっと進めば、岡崎公園(平安神宮)の近くを通って
百万遍(京都大学周辺)や高野(たかの)に出ます。
向こうに、鎮守の森が見えます。そちらに寄ってみます。

三条通から東大路通を北に約100m進みました。
「東山仁王門」バス停前に、何人かバス待ちの方がいます。
その横にある「満足稲荷神社」に入ります。

先ずは、末社にお参りです。
左から、猿田彦・大国主命・天照大神を祀っています。

こちらも、末社と考えられます。
岩とモチの木がそれぞれご神体です。

拝殿越しの「満足稲荷神社」本殿です。
ここは、豊臣秀吉の厚い信仰を受けた神社です。
「満足」の名前も、
秀吉が御神徳に「満足」したことが由来になっています。
もともと違う場所にあったのですが、
1693年に徳川綱吉の命でこの地に移転しました。
では、東山三条に戻ります。

東山三条の交差点から、三条通を東に向いています。
今から、ここを進んでいきます。

東山三条の交差点から東に約50m進みました。
目の前に、古川町通との交差点があります。

三条通から古川町通を南に向いています。
ここから古川町通は、道幅が5mほどになってしまいます。
(屋根が付いているので、分かりにくいですが)
「古川町商店街」は、この先白川に当たるところまで続きます。
写真の左側に、地下鉄東西線の「東山」駅の階段が見えます。
前回ブログの辺りから山科まで
三条通は地下鉄東西線の沿線になります。

今度は、三条通から古川町通を北に向いています。
200mほど北に行くと、京都文教短大の校門が見えます。
ここには付属の小学校や中学校、高校があって、
毎朝「東山」駅近辺は、通学ラッシュになります。

三条古川町の交差点から、三条通を東に見ています。
この辺りから、緩やかな上り坂になって少しずつ蛇行します。
(もう碁盤の目ではなくなっています)
ずっと先に見える大きな建物は、ウェスティン都ホテルです。
そこを越えると京都市街地は終わり、
三条通(旧東海道)は東山山中に入っていきます。

三条古川町の交差点から東に約5m進みました。
ここは、老舗の漆器屋さんです。
きれいなお椀やお盆が売られていました。

さらに三条通を東に100mほど進みました。
今度は、江戸時代から続く紙屋さんです。
和紙だけでなく、はがきなども売られていました。

紙屋さんの少し先にいらしたお地蔵さんです。
このブログの象徴なので、撮らせていただきました。
実は、この辺りにたくさんいらしたのですが、
編集の都合でこちらだけ採用となりました。

三条古川町の交差点から東に約150m進みました。
こちらにも、地下鉄東西線の「東山」駅への階段があります。
もし岡崎公園に行くのなら、こちらの入り口の方が便利です。
その先に、白川の橋があります。そちらに向かいます。

ここは、三条通の白川橋です。
今は南を向いていて、このまま進むと祇園の中心街に至ります。
(祇園の白川沿いは、なかなか絶景です)
白川は、京都府と滋賀県の境にある通称白川山を水源とします。
岡崎公園でいったん琵琶湖疏水と合流しますが、
岡崎公園の南端で再び分岐して、こちらに流れてきます。
最終的には、鴨川に合流します。

白川橋から三条通を東に約30m進みました。
北側にマンションがあって、1Fにコンビニエンスストアと
焼肉屋があって、さらにお地蔵さんがいらっしゃいます。
ここから三条通の上り坂は、かなり急になります。
もし自転車でこの辺りに来られる方は、
この建物を目安に移動してください。

そのマンションの向かい側(南側)に、
このような石碑が立っていました。
どうやらこの辺りに坂本龍馬が祝言(結婚式)を挙げた
寺院の跡地があります。
実は、明治時代はこの辺りまで青蓮院の境内だったようです。
(青蓮院は、第14回ブログで紹介)

白川橋から、三条通を東に200mほど進みました。
第14回ブログで紹介した神宮道との交差点に来ました。

三条通から、神宮道を北に向いています。
約300m先に、大きな鳥居が見えます。
そこから北が岡崎公園で、
鳥居から400mほど先に平安神宮があります。
第14回ブログで通った道です。

今度は三条通から神宮道を南に向いています。
向こうに、大きな楠が見えます。
その辺りに、自分の大好きな青蓮院があります。
寄り道したいところですが、
第14回ブログでも寄っていますし、今回は泣く泣くパスします。

神宮道を越え、三条通をさらに東に進みます。
右(南)側の建物を見ると、
ここがかなり急な上り坂であることが分かります。

その右(南)側の建物です。
「京都市立白川小学校」と書いてあります。
この日は日曜日だったので、門は閉まっています。

「京都市立白川小学校」の東隣りに、大きな鳥居が見えます。
いまから、ここ「粟田神社」を参拝します。

「粟田神社」の鳥居をくぐり南に約5m進むと、また鳥居があります。
下の石畳を見るとここが参道であることは分かるのですが、
左(東)を見ると古いアパートがあったりします。
ここは、近所の方の生活道路としても機能しています。

この石畳の参道は、約70m続く緩やかな上り坂です。
左(東)側に古いアパートが続きますが、
右(西)側は塀の向こうに「京都市立白川小学校」があります。

三条通から南に約70m進みました。
石畳の参道が終わり、東西の道とまた交差します。
鳥居をくぐる前に……

その道を右(西)に向いています。
右側の塀の向こうは、「京都市立白川小学校」です。
この道をずっと進むと、青蓮院に出ます。

鳥居をくぐって南に進むと、急な石段を上ることになります。
辺りはカエデが鬱蒼と茂っていて、
秋にはかなりの絶景になるでしょう。

8月の炎天下で、急な石段はキツイですね。
100mほどで、この石段は終わります。
やっと「粟田神社」に到着しました。先ずは、末社参りから始めます。

石段の横に社務所があり、その先に舞台があります。
舞台の上には、「粟田大燈呂」のミニチュアが並んでいます。
「粟田大燈呂」は毎年体育の日の前日の夜に
大きな燈籠で作られた素戔嗚尊や八岐大蛇などが、
市中を練り歩くお祭りです。

末社の一柱「出世恵美須(えびす)神社」です。
源義経が幼少時に、源氏再興を祈願した神様だそうです。
もともとはもっと東の蹴上におられたのですが、
500年ほど前の山崩れの後は、
夷町(三条神宮道交差点付近)に安置されていました。
今の位置には、明治時代に移ってきました。

こちらも末社の「北向稲荷神社」と「太郎兵衛神社」です。
どちらもかなり面白い「いわくつき神社」ですが、
長くなるので省略します。
「太郎兵衛神社」の裏に階段があって、
そこを上ると「尊勝院」に行けるのですが、
そちらのルートは鉄門扉で閉ざされていました。

本当はもっと末社があるのですが、字数の関係でここまでです。
こちらは、拝殿越しの粟田神社本殿です。
主神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と妻子です。
(奇稲田姫や大己貴命などです)
平安時代初期の876年に清和天皇の命により建立されました。
交通の要所の粟田口にあるということで、
交通安全や旅行の安全を祈願する神社として栄えています。
自分も、このブログの安全祈願をしておきました。

だいぶ山の上まで上ってきたので、
ここから京都市内が一望できます。
向こうに見える赤い鳥居は、先ほど見えた岡崎公園の最南端です。
その右(北)に見える大きな建物は、京都市美術館です。

社務所と石段の間に、このような花が咲いていました。
wikiで調べたところ、「芙蓉」(ふよう)のようです。
この写真はクリックすると、拡大できます。

では、石段を下りて三条通に戻ります。
この石段は、下りもなかなか絶景ですね。
ただ、この続きは次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、ここから蹴上に向かいます。
京都市街地もここで終わりですね~
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