第129回 小雨降る瑞光寺~本町通南から北~その10
伏見稲荷大社から南に抜けたこの辺りは、
カエデのきれいな寺院が多くあります。
今回訪れた瑞光寺は、茅葺屋根の庵のような小さな寺院です。
(滝口寺や祇王寺に雰囲気が似ています)
秋の紅葉もいいですが、小雨の青葉もなかなかですね。

前回最後の写真と同じ構図です。
京阪電鉄「藤森」駅と「深草」駅との中間地点
直違橋6丁目のT字路から本町通を北に向いています。
今回は約200m先で東にそれ、瑞光寺を目指します。
撮影日は2013年5月30日木曜日午後2時。
この前の日に、梅雨入りしました。

先ほどのT字路から約10m北に進みました。
ここは道澄寺という寺院です。
917年に藤原道明と橘澄明が建立したため
二人の名前をとって「道澄寺」(どうちょうじ)といいます。
当時はかなり大きかったそうですが、
応仁の乱などで衰退して今はこの大きさになりました。
本堂になっているここも、当時は地蔵堂だったそうです。
(つまり、寺院の一部しか現存していません)

道澄寺の天井に、燕の巣がありました。
ここからは、雛が3羽見えます。
この辺りには、何か所かこのような巣があります。
(多くは、古い民家の軒先です)
そう言えば、天龍寺にも燕の巣がありましたね。

道澄寺の前から、本町通を北に向きました。
本町通は北向き一方通行の細い道ですが、
この辺りの幹線道路なので交通量が多いです。

直違橋6丁目のT字路から、本町通を北に約50m進みました。
西側に、またこのような路地がありました。
右(北)側に、「深草直違橋七丁目」の看板があります。

さらに、50m本町通を北に進みました。
左(西)側に、またお地蔵さんがいらっしゃいます。
(ここもお参りしました)
小林歯科医院の向かいに、雰囲気の良い民家が並んでいます。

こちらがその民家です。典型的な京町家ですね。
その北隣に、「大鶴」という食堂があります。
小さいころから前は通るのですが、
中に入ったことがありませんでした。
そう言えば朝から何も食べていなかったので、
試しにちょっと入ってみます。

中に入ると、老夫婦が二人で切り盛りしておられました。
うどん・そば・丼物がメインですが、
京都独自の昔ながらのうどんメニューがありました。
(餡かけたぬきうどんや、しっぽくうどんです)
自分は、衣笠うどんを頼みました。
お揚げの入った卵とじうどんです。

うどんを箸で持ち上げてみました。
刻んだお揚げが入っている「衣笠うどん」は少し珍しいです。
(普通は大きな一枚のお揚げが入っています)

「大鶴」食堂から出ました。
(結局、約30分いました。この時点で、午後2時半です)
北西斜め向かいにお米屋さんがあります。
お米屋さんから約50m先に、また東に抜けるT字路が姿を表します。

「大鶴」食堂から、本町通を北に約50m進みました。
ここは直違橋7丁目のT字路を東に向いています。
今からこちらに向かい、瑞光寺を目指します。

直違橋7丁目T字路から本町通を東にそれ、約50m進みました。
本町通より少し太い道が、蛇行しながら続いています。
住宅地にも見えますが、結構飲食店なども並んでいます。

先ほどの写真から、さらに50mほど進みました。
古い民家の1Fに、いろいろ食べ物を売っているお店があります。
その約10m東に「京料理」と書いた飲食店があるのですが、
なぜかそこは「カラオケハウス」とも書いてありました……

先ほどのお店から、さらに50m東に進みました。
このずっと先に見える看板は、
この右(南)側に「雀食堂」という小さな飲食店です。
では、ここから東に約100m先に停まっている
トラックの辺りに向かいます。

そのトラックの辺りに来ました。
どうやら生協か何かの集配のようです。
その先に黄色いタイヤが入口にある児童公園があります。
次は、そちらに向かいます。

黄色いタイヤにまたがって、児童公園で東を向いています。
ブロック塀の向こうに、JR奈良線の線路があります。
ジャングルジムの向こうに、
「元政上人廟→」と書かれた看板があります。
ブロック塀沿いに右(南)に進むと、
約10m先に瑞光寺の墓地があり、
そこに元政上人のお墓があります。
(竹が3本生えているのが、お墓です)
ただ、「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあるので、
入るのは諦めました。
看板の左(北)側に、線路の東側に向かう地下道があります。
今から、そこを通っていきます。

地下道をくぐり、線路の東側に出ました。
目の前の自動車は、道端に駐車してありました。
この自動車の向こう側に進みます。

自動車を迂回すると、約30m先に十字路があります。
そして、その十字路の南西角に……

茅葺屋根の門が見えます。ここが日蓮宗瑞光寺です。
今から、ここに入っていきます。

石段を上りました。
茅葺屋根の下に、「瑞光寺」と書かれた看板がかかっています。
こういう寺院は、日差しの強い晴れよりも
この日のような小雨が似合いますね。

門をくぐると、中には誰もいらっしゃいませんでした。
(一人占めして、何か得した気分でした)
門の右(西)側に、帝釈天の小さな祠がありました。
先ずはここからお参りです。

帝釈天の西隣には、末社の小さな祠は並んでいました。
少し暗かったので、写真がぼけてしましました……
左(南)側は「白龍弁財天」でしたが、
右(北)側は、どちらか分かりません……
(メモを取っていないので、忘れてしまいました)

「白龍弁財天」の祠の前で、左(西)を向きました。
本堂に向かう途中に、鐘楼がありました。

鐘楼の角で、左(東)に曲がりました。
すると、ここから本堂前までカエデ並木が続きます。
なかなかの枝ぶりで、秋の紅葉もいいですが
小雨に濡れた青葉も情緒があります。
この写真は、クリックすると拡大されます。

カエデ並木を本堂に向かって歩いています。
途中に池があって、水面に大きな鯉が何匹も姿を表していました。

池を越えると、両脇にツツジが咲いていました。
少しずつ散り始めています。もう今年はツツジも終わりですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

この茅葺屋根の庵が、瑞光寺の本堂です。
瑞光寺が建っているこの辺りは、
もともと藤原基経が平安時代に建立した極楽寺がありました。
~2013年6月8日訂正~
藤原基経の死後、極楽寺は衰退の一途をたどりました。
寺領もだいぶ小さくなりましたが、
この瑞光寺の北側にある「宝塔寺」がその後継寺院です。
瑞光寺自体は、江戸時代初期に歌人としても有名だった
日蓮宗の僧侶元政が極楽寺の地蔵堂跡に庵を建てたのが始まりです。
ですから、別名「元政庵」とも言います。
大般若経などの重要文化財が安置されていますが、
残念ながら本堂の中には入れません。

瑞光寺の本堂を背に西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。

突き当り(鐘楼のある角)で、北を向きました。
次に、この瑞光寺を出ます。

瑞光寺の茅葺屋根の門をくぐりました。
今から、この石段を降ります。
ここから見ると、右(東)側が墓地であることが分かります。

瑞光寺の石段を降り、十字路に出ました。
南を向くと、そこに小さな道標があります。

その道標をアップで撮りました。
左(南)に行くと、「嘉祥寺」と書いてあります。
実は、この道を約200m南へ進むと前回ブログの
「嘉祥寺」や「真宗院」の前に出ます。

今度は十字路で、北を向きました。
右(東)側に「霊光寺」と書いてありますが、
残念ながらここには入れません。
今から、ここを進みます。

十字路から、北に約100m進みました。
この辺は住宅地ですが、向こうに茂みが見えます。
では、そちらに向かいます。

さらに100m進み、その茂みの辺りに来ました。
ここはなかなか大きな寺院です。
正面(東)を向くと……

重要文化財宝塔寺の四脚門の前になります。
これからここに入っていくのですが、
それは次回にします。
今回は、ここまでです。
~次回は、宝塔寺の石段を上り京都市内を一望します~
カエデのきれいな寺院が多くあります。
今回訪れた瑞光寺は、茅葺屋根の庵のような小さな寺院です。
(滝口寺や祇王寺に雰囲気が似ています)
秋の紅葉もいいですが、小雨の青葉もなかなかですね。

前回最後の写真と同じ構図です。
京阪電鉄「藤森」駅と「深草」駅との中間地点
直違橋6丁目のT字路から本町通を北に向いています。
今回は約200m先で東にそれ、瑞光寺を目指します。
撮影日は2013年5月30日木曜日午後2時。
この前の日に、梅雨入りしました。

先ほどのT字路から約10m北に進みました。
ここは道澄寺という寺院です。
917年に藤原道明と橘澄明が建立したため
二人の名前をとって「道澄寺」(どうちょうじ)といいます。
当時はかなり大きかったそうですが、
応仁の乱などで衰退して今はこの大きさになりました。
本堂になっているここも、当時は地蔵堂だったそうです。
(つまり、寺院の一部しか現存していません)

道澄寺の天井に、燕の巣がありました。
ここからは、雛が3羽見えます。
この辺りには、何か所かこのような巣があります。
(多くは、古い民家の軒先です)
そう言えば、天龍寺にも燕の巣がありましたね。

道澄寺の前から、本町通を北に向きました。
本町通は北向き一方通行の細い道ですが、
この辺りの幹線道路なので交通量が多いです。

直違橋6丁目のT字路から、本町通を北に約50m進みました。
西側に、またこのような路地がありました。
右(北)側に、「深草直違橋七丁目」の看板があります。

さらに、50m本町通を北に進みました。
左(西)側に、またお地蔵さんがいらっしゃいます。
(ここもお参りしました)
小林歯科医院の向かいに、雰囲気の良い民家が並んでいます。

こちらがその民家です。典型的な京町家ですね。
その北隣に、「大鶴」という食堂があります。
小さいころから前は通るのですが、
中に入ったことがありませんでした。
そう言えば朝から何も食べていなかったので、
試しにちょっと入ってみます。

中に入ると、老夫婦が二人で切り盛りしておられました。
うどん・そば・丼物がメインですが、
京都独自の昔ながらのうどんメニューがありました。
(餡かけたぬきうどんや、しっぽくうどんです)
自分は、衣笠うどんを頼みました。
お揚げの入った卵とじうどんです。

うどんを箸で持ち上げてみました。
刻んだお揚げが入っている「衣笠うどん」は少し珍しいです。
(普通は大きな一枚のお揚げが入っています)

「大鶴」食堂から出ました。
(結局、約30分いました。この時点で、午後2時半です)
北西斜め向かいにお米屋さんがあります。
お米屋さんから約50m先に、また東に抜けるT字路が姿を表します。

「大鶴」食堂から、本町通を北に約50m進みました。
ここは直違橋7丁目のT字路を東に向いています。
今からこちらに向かい、瑞光寺を目指します。

直違橋7丁目T字路から本町通を東にそれ、約50m進みました。
本町通より少し太い道が、蛇行しながら続いています。
住宅地にも見えますが、結構飲食店なども並んでいます。

先ほどの写真から、さらに50mほど進みました。
古い民家の1Fに、いろいろ食べ物を売っているお店があります。
その約10m東に「京料理」と書いた飲食店があるのですが、
なぜかそこは「カラオケハウス」とも書いてありました……

先ほどのお店から、さらに50m東に進みました。
このずっと先に見える看板は、
この右(南)側に「雀食堂」という小さな飲食店です。
では、ここから東に約100m先に停まっている
トラックの辺りに向かいます。

そのトラックの辺りに来ました。
どうやら生協か何かの集配のようです。
その先に黄色いタイヤが入口にある児童公園があります。
次は、そちらに向かいます。

黄色いタイヤにまたがって、児童公園で東を向いています。
ブロック塀の向こうに、JR奈良線の線路があります。
ジャングルジムの向こうに、
「元政上人廟→」と書かれた看板があります。
ブロック塀沿いに右(南)に進むと、
約10m先に瑞光寺の墓地があり、
そこに元政上人のお墓があります。
(竹が3本生えているのが、お墓です)
ただ、「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあるので、
入るのは諦めました。
看板の左(北)側に、線路の東側に向かう地下道があります。
今から、そこを通っていきます。

地下道をくぐり、線路の東側に出ました。
目の前の自動車は、道端に駐車してありました。
この自動車の向こう側に進みます。

自動車を迂回すると、約30m先に十字路があります。
そして、その十字路の南西角に……

茅葺屋根の門が見えます。ここが日蓮宗瑞光寺です。
今から、ここに入っていきます。

石段を上りました。
茅葺屋根の下に、「瑞光寺」と書かれた看板がかかっています。
こういう寺院は、日差しの強い晴れよりも
この日のような小雨が似合いますね。

門をくぐると、中には誰もいらっしゃいませんでした。
(一人占めして、何か得した気分でした)
門の右(西)側に、帝釈天の小さな祠がありました。
先ずはここからお参りです。

帝釈天の西隣には、末社の小さな祠は並んでいました。
少し暗かったので、写真がぼけてしましました……
左(南)側は「白龍弁財天」でしたが、
右(北)側は、どちらか分かりません……
(メモを取っていないので、忘れてしまいました)

「白龍弁財天」の祠の前で、左(西)を向きました。
本堂に向かう途中に、鐘楼がありました。

鐘楼の角で、左(東)に曲がりました。
すると、ここから本堂前までカエデ並木が続きます。
なかなかの枝ぶりで、秋の紅葉もいいですが
小雨に濡れた青葉も情緒があります。
この写真は、クリックすると拡大されます。

カエデ並木を本堂に向かって歩いています。
途中に池があって、水面に大きな鯉が何匹も姿を表していました。

池を越えると、両脇にツツジが咲いていました。
少しずつ散り始めています。もう今年はツツジも終わりですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

この茅葺屋根の庵が、瑞光寺の本堂です。
瑞光寺が建っているこの辺りは、
もともと藤原基経が平安時代に建立した極楽寺がありました。
~2013年6月8日訂正~
藤原基経の死後、極楽寺は衰退の一途をたどりました。
寺領もだいぶ小さくなりましたが、
この瑞光寺の北側にある「宝塔寺」がその後継寺院です。
瑞光寺自体は、江戸時代初期に歌人としても有名だった
日蓮宗の僧侶元政が極楽寺の地蔵堂跡に庵を建てたのが始まりです。
ですから、別名「元政庵」とも言います。
大般若経などの重要文化財が安置されていますが、
残念ながら本堂の中には入れません。

瑞光寺の本堂を背に西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。

突き当り(鐘楼のある角)で、北を向きました。
次に、この瑞光寺を出ます。

瑞光寺の茅葺屋根の門をくぐりました。
今から、この石段を降ります。
ここから見ると、右(東)側が墓地であることが分かります。

瑞光寺の石段を降り、十字路に出ました。
南を向くと、そこに小さな道標があります。

その道標をアップで撮りました。
左(南)に行くと、「嘉祥寺」と書いてあります。
実は、この道を約200m南へ進むと前回ブログの
「嘉祥寺」や「真宗院」の前に出ます。

今度は十字路で、北を向きました。
右(東)側に「霊光寺」と書いてありますが、
残念ながらここには入れません。
今から、ここを進みます。

十字路から、北に約100m進みました。
この辺は住宅地ですが、向こうに茂みが見えます。
では、そちらに向かいます。

さらに100m進み、その茂みの辺りに来ました。
ここはなかなか大きな寺院です。
正面(東)を向くと……

重要文化財宝塔寺の四脚門の前になります。
これからここに入っていくのですが、
それは次回にします。
今回は、ここまでです。
~次回は、宝塔寺の石段を上り京都市内を一望します~
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