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第129回 小雨降る瑞光寺~本町通南から北~その10

伏見稲荷大社から南に抜けたこの辺りは、
カエデのきれいな寺院が多くあります。
今回訪れた瑞光寺は、茅葺屋根の庵のような小さな寺院です。
(滝口寺や祇王寺に雰囲気が似ています)
秋の紅葉もいいですが、小雨の青葉もなかなかですね。


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前回最後の写真と同じ構図です。
京阪電鉄「藤森」駅と「深草」駅との中間地点
直違橋6丁目のT字路から本町通を北に向いています。
今回は約200m先で東にそれ、瑞光寺を目指します。
撮影日は2013年5月30日木曜日午後2時。
この前の日に、梅雨入りしました。


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先ほどのT字路から約10m北に進みました。
ここは道澄寺という寺院です。
917年に藤原道明と橘澄明が建立したため
二人の名前をとって「道澄寺」(どうちょうじ)といいます。
当時はかなり大きかったそうですが、
応仁の乱などで衰退して今はこの大きさになりました。
本堂になっているここも、当時は地蔵堂だったそうです。
(つまり、寺院の一部しか現存していません)


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道澄寺の天井に、燕の巣がありました。
ここからは、雛が3羽見えます。
この辺りには、何か所かこのような巣があります。
(多くは、古い民家の軒先です)
そう言えば、天龍寺にも燕の巣がありましたね。


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道澄寺の前から、本町通を北に向きました。
本町通は北向き一方通行の細い道ですが、
この辺りの幹線道路なので交通量が多いです。


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直違橋6丁目のT字路から、本町通を北に約50m進みました。
西側に、またこのような路地がありました。
右(北)側に、「深草直違橋七丁目」の看板があります。


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さらに、50m本町通を北に進みました。
左(西)側に、またお地蔵さんがいらっしゃいます。
(ここもお参りしました)
小林歯科医院の向かいに、雰囲気の良い民家が並んでいます。


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こちらがその民家です。典型的な京町家ですね。
その北隣に、「大鶴」という食堂があります。
小さいころから前は通るのですが、
中に入ったことがありませんでした。
そう言えば朝から何も食べていなかったので、
試しにちょっと入ってみます。


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中に入ると、老夫婦が二人で切り盛りしておられました。
うどん・そば・丼物がメインですが、
京都独自の昔ながらのうどんメニューがありました。
(餡かけたぬきうどんや、しっぽくうどんです)
自分は、衣笠うどんを頼みました。
お揚げの入った卵とじうどんです。


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うどんを箸で持ち上げてみました。
刻んだお揚げが入っている「衣笠うどん」は少し珍しいです。
(普通は大きな一枚のお揚げが入っています)


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「大鶴」食堂から出ました。
(結局、約30分いました。この時点で、午後2時半です)
北西斜め向かいにお米屋さんがあります。
お米屋さんから約50m先に、また東に抜けるT字路が姿を表します。


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「大鶴」食堂から、本町通を北に約50m進みました。
ここは直違橋7丁目のT字路を東に向いています。
今からこちらに向かい、瑞光寺を目指します。


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直違橋7丁目T字路から本町通を東にそれ、約50m進みました。
本町通より少し太い道が、蛇行しながら続いています。
住宅地にも見えますが、結構飲食店なども並んでいます。


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先ほどの写真から、さらに50mほど進みました。
古い民家の1Fに、いろいろ食べ物を売っているお店があります。
その約10m東に「京料理」と書いた飲食店があるのですが、
なぜかそこは「カラオケハウス」とも書いてありました……


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先ほどのお店から、さらに50m東に進みました。
このずっと先に見える看板は、
この右(南)側に「雀食堂」という小さな飲食店です。
では、ここから東に約100m先に停まっている
トラックの辺りに向かいます。


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そのトラックの辺りに来ました。
どうやら生協か何かの集配のようです。
その先に黄色いタイヤが入口にある児童公園があります。
次は、そちらに向かいます。


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黄色いタイヤにまたがって、児童公園で東を向いています。
ブロック塀の向こうに、JR奈良線の線路があります。
ジャングルジムの向こうに、
「元政上人廟→」と書かれた看板があります。
ブロック塀沿いに右(南)に進むと、
約10m先に瑞光寺の墓地があり、
そこに元政上人のお墓があります。
(竹が3本生えているのが、お墓です)
ただ、「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあるので、
入るのは諦めました。
看板の左(北)側に、線路の東側に向かう地下道があります。
今から、そこを通っていきます。


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地下道をくぐり、線路の東側に出ました。
目の前の自動車は、道端に駐車してありました。
この自動車の向こう側に進みます。


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自動車を迂回すると、約30m先に十字路があります。
そして、その十字路の南西角に……


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茅葺屋根の門が見えます。ここが日蓮宗瑞光寺です。
今から、ここに入っていきます。


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石段を上りました。
茅葺屋根の下に、「瑞光寺」と書かれた看板がかかっています。
こういう寺院は、日差しの強い晴れよりも
この日のような小雨が似合いますね。


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門をくぐると、中には誰もいらっしゃいませんでした。
(一人占めして、何か得した気分でした)
門の右(西)側に、帝釈天の小さな祠がありました。
先ずはここからお参りです。


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帝釈天の西隣には、末社の小さな祠は並んでいました。
少し暗かったので、写真がぼけてしましました……
左(南)側は「白龍弁財天」でしたが、
右(北)側は、どちらか分かりません……
(メモを取っていないので、忘れてしまいました)


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「白龍弁財天」の祠の前で、左(西)を向きました。
本堂に向かう途中に、鐘楼がありました。


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鐘楼の角で、左(東)に曲がりました。
すると、ここから本堂前までカエデ並木が続きます。
なかなかの枝ぶりで、秋の紅葉もいいですが
小雨に濡れた青葉も情緒があります。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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カエデ並木を本堂に向かって歩いています。
途中に池があって、水面に大きな鯉が何匹も姿を表していました。


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池を越えると、両脇にツツジが咲いていました。
少しずつ散り始めています。もう今年はツツジも終わりですね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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この茅葺屋根の庵が、瑞光寺の本堂です。
瑞光寺が建っているこの辺りは、
もともと藤原基経が平安時代に建立した極楽寺がありました。

~2013年6月8日訂正~
藤原基経の死後、極楽寺は衰退の一途をたどりました。
寺領もだいぶ小さくなりましたが、
この瑞光寺の北側にある「宝塔寺」がその後継寺院です。
瑞光寺自体は、江戸時代初期に歌人としても有名だった
日蓮宗の僧侶元政が極楽寺の地蔵堂跡に庵を建てたのが始まりです。
ですから、別名「元政庵」とも言います。

大般若経などの重要文化財が安置されていますが、
残念ながら本堂の中には入れません。


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瑞光寺の本堂を背に西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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突き当り(鐘楼のある角)で、北を向きました。
次に、この瑞光寺を出ます。


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瑞光寺の茅葺屋根の門をくぐりました。
今から、この石段を降ります。
ここから見ると、右(東)側が墓地であることが分かります。


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瑞光寺の石段を降り、十字路に出ました。
南を向くと、そこに小さな道標があります。


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その道標をアップで撮りました。
左(南)に行くと、「嘉祥寺」と書いてあります。
実は、この道を約200m南へ進むと前回ブログの
「嘉祥寺」や「真宗院」の前に出ます。



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今度は十字路で、北を向きました。
右(東)側に「霊光寺」と書いてありますが、
残念ながらここには入れません。
今から、ここを進みます。


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十字路から、北に約100m進みました。
この辺は住宅地ですが、向こうに茂みが見えます。
では、そちらに向かいます。


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さらに100m進み、その茂みの辺りに来ました。
ここはなかなか大きな寺院です。
正面(東)を向くと……


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重要文化財宝塔寺の四脚門の前になります。
これからここに入っていくのですが、
それは次回にします。

今回は、ここまでです。

~次回は、宝塔寺の石段を上り京都市内を一望します~

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第130回 梅雨空の宝塔寺~本町通南から北~その11

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ここは、日蓮宗深草山宝塔寺の四脚門前です。
(重要文化財です)
今回はこの宝塔寺を回った後、
本町通の直違橋7丁目T字路に戻ります。
撮影日は、2013年5月30日木曜日午後2時50分。
小雨は止みましたが、曇り空は続きます。


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四脚門を入ってすぐにコンクリート製の大きな鉢があり、
ハスの花が浮かんでいました。
よく見ると、鯉や金魚が泳いでいます。


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四脚門をくぐり、東に向いています。
石段と仁王門へと続く道の途中に、
たくさんの末寺が並んでいます。
その一つ円妙院から女性が出てこられて、
この辺りの掃除を始められました。


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では、末寺を一つ一つ回っていきます。
先ずは大雲寺から回ります。


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こちらは、門を入ってところにある祠です。
「深草七面山」とは、この宝塔寺がある山です。
この山の頂上に、七福神の神社があります。
こちらは、そちらの分社です。


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では、この奥に進み大雲寺の境内に入ります。


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ここが大雲寺の境内です。
元々は、宝塔寺の仮本堂でした。
日蓮の孫弟子日像が菩薩として祀られています。
石燈籠の前にはカエデの木が並んでいて、
秋には紅葉が見事でしょうね。


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こちらは、「三十番神」の祠です。
「三十番神」とは、日本全国の主な神社の主神30柱を
神仏習合にて30体の仏とした神様です。
日像が日蓮宗を京都に布教するための方便として広めたものです。


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では、大雲寺を出ます。次は、向いの円妙院です。
先ほど女性が出てこられた寺院ですね。


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円妙院の門をくぐると、中央に石塔がある庭があります。
なかなか見事な庭ですが、この寺院の沿革は分かりませんでした。


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円妙院を出ました。
次は、大雲寺の東隣り直勝寺です。


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直勝寺は、中に入ることができませんでした。
ただ、ここの庭園はツツジなどいろいろな花が咲き誇っていました。
ここからでも、十分に堪能できますね。
この写真は、クリックすれば拡大できます。


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四脚門から、石畳の道を東に約50m進みました。
ここからは仁王門まで急な石段を上ることになります。


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石段の途中に、日像の荼毘所がありました。
日像は、日蓮の弟子日郎の弟子にあたります。
(つまり、日蓮の孫弟子ですね)
鎌倉時代後期から、日蓮の遺言に従い
京都に日蓮宗を広めることに一生を捧げましたが、
たびたび他宗派から攻撃を受け、
遂に京都市街地から追放されてしましました。
その後、日像は乙訓(今の向日市・長岡京市など)や
この深草で布教活動をした後、
朝廷に許され京都市上京区に妙顕寺を建立しました。


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日像の荼毘所の向かいに、霊光寺があります。
この名前は、前回ブログにも出てきました。
(瑞光寺の斜め向かいの寺院です)
実は、この二つは同じ寺院です。
(つまり、前回は霊光寺の裏側でした)
ここには、江戸時代の日蓮宗の僧侶日審のお墓があります。


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石段を上り、朱色の宝塔寺仁王門に着きました。
こちらも、重要文化財です。手前のカエデの木が見事ですね。


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仁王門の右側「阿形」の仁王さんです。
普通は、門の中央を向いているのですが、(つまり、斜め左)
こちらは、正面を向いています。
こういう仁王像は、ここくらいです。


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そして、こちらは「吽形」の仁王像です。
やはり、正面を向いています。


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では、仁王門をくぐり宝塔寺境内に入ります。
先ずは、正面の本堂に行きます。


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こちらが、重要文化財宝塔寺本堂です。
この宝塔寺は、平安時代初期に藤原基経が建立した
極楽寺の後継寺院に当たります。
鎌倉時代後期に、ここの住持が
京都に日蓮宗を布教しに来た日像に帰依し、
ここを日蓮宗に改宗させました。(もともとは、真言宗)
先ほど紹介した日像の荼毘所に
日蓮・日郎・日像を祀った宝塔を建てたことから、
後に宝塔寺に改名しました。
本堂の中には、本尊の釈迦如来像の両脇に
日蓮・日像の木像が並んでいます。


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こちらは、本堂の右(南)側です。
大きな木の下に、宝塔寺歴代住持のお墓があります。


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その左(東)側に、多宝塔がありました。
こちらも、重要文化財です。


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宝塔寺本堂前から、西を向きました。
七面山をだいぶ上ってきたので、
仁王門の脇から京都市街地が一望できます。


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宝塔寺仁王門の東側で、右(北)を向きました。
ここを進むとさらに東に進む道があって、
宝塔寺のさらに奥や七面山頂上の「七面宮」に行けます。
ただしそちらに向かうと、さらにあと数回分のブログを消費し、
もはや「本町通編」とは言えなくなってしまいます。
そこで宝塔寺はこのくらいにして、ここを後にします。
(秋に再訪しますので、続きはその時にします)


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そういう訳で、宝塔寺仁王門をくぐり外に出ます。
門の外には、大きな桜の木があります。
(春ごろも、ここは絶景になります)


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仁王門から石段を降り、霊光寺の前あたりで西を向いています。
この辺りからでも、京都市街地が一望できます。
晴れていればもっとよく見えるのでしょうが、
梅雨空ではこれが限界です。
それでも西山の稜線くらいは、はっきり見えます。


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石段を降り、石畳の道を約50m進みました。
では、四脚門をくぐり宝塔寺を出ます。
ちなみに、向こうに走っているのは奈良方面行きのJR奈良線です。


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宝塔寺四脚門をくぐりました。
このまま西に進み、JR奈良線の踏切を越えると
約200mほどで京阪電鉄「深草」駅です。
(JR奈良線「稲荷」駅は北北西に約500m)
ただ、今回は本町通の元の所に帰りたいため、
ここを左(南)に進みます。


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宝塔寺四脚門の斜め向かいに、このような看板が出ていました。
「極楽寺」は、今ではこのように町名でしか残っていません。


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宝塔寺四脚門の前から、南を向きました。
ずっと向こうに見える茂みは、前回ブログで紹介した瑞光寺ですね。
では、そちらの方に向かいます。


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宝塔寺四脚門から、南に約100m進みました。
ここからでも、瑞光寺本堂の茅葺屋根が見えます。
左(東)側に、先ほども出てきた霊光寺の裏側が見えます。


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瑞光寺と霊光寺のある十字路で、西を向いています。
ちょうど、JR奈良線の電車が通っています。
突き当りに、線路の向こう(西)側に行ける地下通路があります。
今から、そこを通ります。


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地下通路を通って、JR奈良線の西側に出てきました。
目の前に、前回ブログでも紹介した児童公園があります。


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その児童公園の真ん中に立っています。
ここから蛇行しながら西に進む緩やかな下り坂が続きます。
ここを通って、本町通まで向かいます。


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児童公園から西に、約100m進みました。
ここは前回ブログでも少しだけ紹介した雀食堂です。
ここから、さらに西に向かいます。


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雀食堂から、さらに西に100mほど進みました。
こちらは、前回ブログでも出てきた京料理のお店です。
なぜか同じ店にカラオケハウスという看板もあります。


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こちらは、その京料理のお店の向かいの民家です。
なかなか味のある家ですが、
玄関先に祇園祭の(長刀鉾の)粽が貼り付いています。
YAHOO知恵袋でよく「粽はどうしたらいいのか」
という質問を受けますが、このようにすればいい訳です。


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さらに50mほど西に進みました。
だんだんと本町通とのT字路が見えてきました。


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ようやく、直違橋7丁目のT字路に行き着きました。
前回ブログでは、ここから瑞光寺に向かいました。


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直違橋7丁目T字路から、本町通を北に向いています。
ここを北に少し進むと京阪電鉄「深草」駅近くに出るのですが、
それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、またもや本町通から東にそれ石峰寺に向かいます~

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第131回 花盛りの石峯寺 前編~本町通南から北~その12

伏見稲荷大社の南側に並ぶ寺院のうち、
最北端が今回の黄檗宗石峯寺になります。
伊藤若冲の菩提寺でもあり、若冲が製作した石仏群で有名な寺院です。
というわけで、また本町通を東にそれて山の方に入って行きます。


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こちらは、前回最後の写真と同じで
直違橋7丁目T字路から、本町通を北に向いています。
今回はここを北に進んだ後、京阪電鉄「深草」駅前で東にそれ、
黄檗宗石峯寺まで行きます。
撮影日は、2013年6月6日木曜日午後2時。
今年も、6月に入って晴れの日が続きます。


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こちらは、直違橋7丁目T字路にある
「栄泉堂」という和菓子屋さんです。
その辺にある普通の和菓子屋のような店構えですが、
実は京都でも屈指の名店です。


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「栄泉堂」の店先をアップにします。
花が飾ってありますが、
これらはすべて小豆餡など和菓子の材料で作られています。
こちらの主人は、こういうもののコンクールで
よく表彰されているそうです。


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「栄泉堂」では、季節がら水無月を買って帰りました。
(本当は、6月30日の大祓に食べるお菓子です)
簡単に言うと、上に小豆の粒が乗った「ういろう」です。
三角形なのは、氷を模しているからです。
写真のように白砂糖から作ったものと
黒砂糖から作ったものがありますが、
自分は黒砂糖で作ったものの方が好きです。
こちらは、黒砂糖の味がかなり前面に押し出されていました。
個人的には、水無月はここが一番おいしいと思っています。


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直違橋7丁目T字路から、本町通を北に約100m進みました。
西川歯科医院の向かいに、お地蔵さんがいらっしゃいました。
祠の下に、「八丁目」と書いてあります。
つまり、ここはもう直違橋8丁目です。
脇に家庭ごみが積み上げてありますが、
こちらは撮影と同時に収集車が持っていきました。


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西川歯科医院から、本町通を北に約40m進みました。
こちらは、近善というスッポンや川魚をメインにした料亭です。
いつも近くは通るのですが、高価で中には入れません。


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直違橋7丁目T字路から、本町通を北に約200m進みました。
いよいよ第1軍道との交差点にやって来ました。


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本町通と第1軍道との交差点に、「西垣菓子舗」があります。
40年くらい前までよくあったパン屋も兼ねた駄菓子屋さんです。


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西垣菓子舗では、こちらを買いました。
普通の袋菓子もたくさん売っています。
あとは、パンやインスタントラーメンなどを売っています。


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本町通から、第1軍道を西に向いています。
目の前の橋は、琵琶湖疏水と京阪電鉄の線路を越えます。
日本陸軍第16師団の練兵に京阪電鉄の線路が邪魔になる」
という理由で、ここが高架になりました。
第1軍道はこのまま西に進むと、龍谷大学や竹田久保町交差点を過ぎ、
地下鉄「くいな橋」駅や鴨川を越え、最終的には油小路まで続きます。
本町通から師団街道までの第2軍道や第3軍道よりも、長い道です。


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本町通から第1軍道が高架になる辺りに、
こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
こちらには「9丁目」と書いてあるものの、祠がありません。
ちょうど南向かいに、祠の中の9丁目のお地蔵さんが
別にいらっしゃいます。
恐らく、こちらは事故や行き倒れで亡くなった方の墓石なのでしょう。


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今度は東を向きました。
標識にあるように、前回ブログに出てきた宝塔寺への参道です。
つまり、京阪電鉄やJRで宝塔寺に向かうなら、
ここを通ることになります。
また、ここは立命館高校への通学路でもあります。


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第1軍道から、本町通を北に向いています。
理髪店の時計が、午後2時10分を差しています。
撮影を始めて、約10分がたちました。


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理髪店から3軒北隣に、この八百屋さんがありました。
また京阪電鉄「深草」駅やJR奈良線「稲荷」駅が近づいてきて、
商店の割合が高くなってきました。


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八百屋の斜め向かいに、北野豆腐店があります。
平日の午後に閉まっていると潰れたように見えますが、
いつもはこの時間帯は普通に開いています。
普段自分が食べている店はもっと北にあるので、
ここの豆腐の味は分かりません。


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こちらは、北野豆腐店の斜め向かいです。
普通の民家にこのようなスペースがありました。
「250」と書かれた籠の中の物は、
250円払うと持って帰ることができます。


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そして、これがその籠の中身です。
梅干しの新作は毎年7月上旬くらいでしょうから、
これは昨年漬けたものでしょうね。
これは、毎日おにぎりに入れています。


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さらに約20m本町通を北に進みました。
はんこ屋さんと、杉ノ下医院が並んでいます。
その向こうにも、いろいろな商店が隣接し始めました。


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こちらは、杉ノ下医院の向かいにある森田米穀店です。
この辺の米屋さんは、大きな京町家を伴うことが多いようです。


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森田米穀店の2軒北隣に、このような花が咲いていました。
多分、アジサイでしょう。(葉の形状から)
別の植物のつるも混じって、判別しにくいですが……
この写真は、クリックすると拡大されます。


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第1軍道から、本町通を北に約150m進みました。
直違橋10丁目の十字路に来ました。


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直違橋10丁目の十字路から、西を向きました。
ここから約50m先に、琵琶湖疏水を渡る橋が架かっています。
その先の突き当りが、京阪電鉄「深草」駅です。


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今度は東を向きました。少し先に、JR奈良線の踏切があります。
ここから本町通をそれて、石峯寺に向かいます。


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直違橋10丁目の十字路から、約50m東に進みました。
ここで、もうJR奈良線の踏切です。


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JR奈良線の踏切を渡ったところに、
このような標識がありました。
どの神社仏閣も、ここ最近のブログで紹介したところです。


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JR奈良線の踏切付近で、東を向きました。
Y字路で左に進むと、200mで石峯寺に着きます。
右の道は程なく右(南)に大きくカーブして、
宝塔寺や瑞光寺、真宗院・嘉祥寺の前を通る道になります。


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Y字路から約10mで、またY字路に当たります。
今度は右(東)の道を進みます。


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二つ目のY字路で右を向きました。
ここから細い路地が真東に伸びています。
この突き当りが、石峯寺になります。
そして、真正面に見える山が「石峰寺山」です。
(東山36峰の中で、稲荷山の南隣に当たります)


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先ほどのY字路から、東に約50m進みました。
古い錆びた表札には、「伏見区 深草野手町」と書いてあります。
その下はだいぶ消えかけていますが、
四条寺町の百貨店「藤井大丸」のロゴが広告で入っています。
(地下の食品売り場が、京都一の品ぞろえの百貨店ですね)
左(東)側の民家には、木製の牛乳受けがあります。
ウチも、約30年前まではあったのですが……


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Y字路から、東に約100m進みました。
だんだんと石峰寺山の輪郭がはっきりしてきました。
ここに駐車場があるのですが、
こんな細い道を自動車が行き来しているのでしょうか?


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さらに、50m東に進みました。
今度は、石峯寺へ向かう石段がはっきり見えてきました。
ここで道が広くなったのですが、
左(北)側で住宅を建築されていて、
クレーンで持ち上げた鉄骨が揺れていたので、結構怖かったです。


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建築中の住宅の東隣りに、道1本隔てて児童公園がありました。
まだ小学校が終わっていない時刻のせいか、公園は無人でした。
(この辺なら、深草小学区と稲荷小学区の間くらいです)
建築中の住宅と公園の間にある道を北に約150m進むと、
古い墓地の中に「ぬりこべ地蔵」がいらっしゃいます。


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児童公園の前で、東を向きました。石峯寺の石段まで、もうすぐです。
左(北)に行く道を進むと、「深草墓園」という墓地に出ます。
稲荷山を含めて、この辺は古代の共同墓地でした。


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Y字路から約200mで、この東に伸びる直線の細い道は終わります。
ここから石段を上って、石峯寺の境内に入ります。
左側に、「石像五百羅漢」と書いた石碑があります。
これは、石峰寺山中にいらっしゃる
伊藤若冲が製作した500体の石仏のことを指しています。


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10mほど石段を上ると、少し南にずれて
今度は少し長くて急な石段が続きます。
この石段の先に、石峯寺の山門があります。


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長い石段を半分くらい上りました。
この辺りから、カエデの低木が並び始めます。
以前も書きましたが、自分はカエデは青葉が好きなので
思わず撮影してしまいました。
この写真も、クリックすれば拡大できます。


131-37.jpg
さらに、10mほど石段を上りました。
実は、石段の途中にかなり立派な構えの民家が並んでいます。
同じ石段を上るにしても、
前回ブログで紹介した宝塔寺とはだいぶ違います。


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石段を上り、ようやく石峯寺山門に着きました。
黄檗宗だけあって、本山の京都府宇治市にある万福寺同様
中国の寺院と見間違えるような朱い土塀の門です。
これから中に入っていくわけですが、
もうだいぶ写真を張り付けたのでここからは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、石峯寺境内から京都市内を一望します~

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第132回 花盛りの石峯寺  後編~本町通南から北~13

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こちらは、石峯寺の山門です。伊藤若冲の菩提寺ですね。
黄檗宗の寺院なので、中国の寺院と間違えるような朱い門です。
今回はこの境内を散策した後、本町通に戻ります。
撮影日は、2013年6月6日木曜日午後2時半。
雲一つない快晴でした。


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石峯寺の山門をくぐりました。中は鬱蒼とした森のようです。
正面の本堂に行く前に、周囲を散策します。


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山門の左(南)側は、アジサイが咲いていました。
実は、ここから左一面に咲いていました。
撮影日の2013年6月6日段階では、つぼみも多かったですが
6月半ばに入って、満開になってきています。


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こちらは、アジサイの東側です。
桜の木の下に、このような句碑がありました。
この石峯寺を歌ったもののようですが、
「鈴鹿野風呂」という俳人を自分はよく知りません。


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鈴鹿野風呂の句碑から、北側を向きました。
こちらは開けていて、いろいろな花が咲いています。
黄色いのは、ブタナでしょうか?
白いのは、白花と思うのですが……
野草関係は、よく分かりません……


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少し北にずれました。ここに、藤棚があります。
ただこちらは藤ではなく、ヘチマのようです。
左隅に赤い花が咲いていますが、
これも何の花かよく分かりませんでした。


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藤棚の北隣に、亀石と石碑がありました。
亀石は甲羅の部分がくり抜かれていて、
中に水を入れられます。


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さらに北側は急に開けて、墓地になっています。
その先が崖になっていて、京都市街地を一望できます。


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墓地の端まで来て、西を向きました。
ここから、京都市街地が一望できました。
横一直線に、阪神高速の高架が走っています。
ただこの辺は京都市の南端なので、
主な観光地はここからは見えません。
この写真はクリックすると、拡大されます。


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今度は北北西に向いて、限界までアップにしました。
右(北)側に、教王護国寺(東寺)の五重塔が写っています。
ただ、この東寺周辺が「北北西」に当たるというのが、
石峯寺が京都市街地でもかなり南にあることを証明しています。


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今度は、反対(南)側を向きました。
では、墓地を出て参道を石峯寺の参道を進みます。


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墓地を出ようとしたら、
ブタナのめしべにモンシロチョウが止まっていました。
可愛いので、思わず撮りました。


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今度は参道の砂利道に出ようとしたところに、
こんな虫と出会いました。
これから進もうとする場所に必ず現れるので
一瞬ハンミョウと思ったのですが、
よく見るとこれはコオロギでしょうか。


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参道に戻っていきました。今は、東を向いています。
白花が咲いている辺りを通り過ぎ、
本堂手前で右(南)に曲がると宝塔寺の石仏群(五百羅漢)に向かいます。
ただ、その前に左(北)側の事務所で拝観料を支払います。


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では、拝観料300円を払って石仏群を見に行きます。
拝観料を払うと、この団扇を貸してもらえます。
(あとで返却しなければなりません)
途中やぶ蚊がひどいので、虫よけに使います。
(虫の羽音がしたら、団扇で仰ぎます)
また、帰って来たらここでキンカンが塗り放題でした。


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ここから先は、撮影不可になります。
よって、こちらは寺務所周辺にあった写真をかき集めました。
(この写真は、寺院の方に許可を取って撮りました)
ここからも分かるように、五百羅漢は石峰寺山中に点在しています。
それをすべて見るためには、この石峰寺山を登山することになります。
(ほとんど稲荷山登山と変わりません)
途中に墓地があったのですが、
そこでこの五百羅漢を製作した伊藤若冲のお墓にお参りしました。

伊藤若冲は、江戸時代中期の「天明の大火」で
京都市街地にあった家を焼かれた後、
晩年をこの寺院で過ごしました。
その間に、この石仏群を製作したようです。


132-17.jpg
一通り回った後、本堂前に戻ってきました。
江戸時代中期に、黄檗宗万福寺の千呆(せんがい)が
禅堂として建立しましたが、
明治時代に入って廃仏毀釈や放火などで破壊の限りをつくしました。
元々は、伊藤若冲の天井画などもあったのですが、
今はすべて他の場所に移されてしましました。
現在の本堂は、1985年に再建されたものです。
本尊は、釈迦如来像です。


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本堂を背に、西を向きました。
こうして見ると、白花が満開なのが分かります。
では、石峯寺を出ていきます。


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左側のアジサイを見ながら、石峯寺の赤い門を出ます。
ここからでも、京都市街地がよく見えます。


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石峯寺の門を出ました。
石段を降りながら、京都市街地が眺めることができます。
向こうに見える赤い建物は、龍谷大学深草学舎ですね。
この写真はクリックすると、拡大されます。


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石峯寺の石段を降りている途中です。
この周辺にはカエデの木が多いので、
秋もかなりの絶景になるでしょうね。


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石峯寺の石段を降りてきました。
向こうの住宅建築は、まだ続いています。
今から、目の前の西に向かう直進道路を進みます。


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石峯寺の石段から、西に約50m進みました。
前回ブログで紹介したクレーン車と道の関係は、
このようになっていました。


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石峯寺石段から、西に約200m進みました。
この突き当りを、左に曲がります。


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分岐点から約5mで、また分岐点が現れます。
今度は、JR奈良線踏切の方に向かいます。


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こちらが、JR奈良線踏切です。
ここを渡って、この先に見える本町通へと向かいます。


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JR奈良線踏切から、西に約50m進みました。
ここはT字路に見えますが、実は変則十字路です。


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直違橋10丁目十字路で、本町通を北に向きました。
この左(西)に、京阪電鉄「深草」駅があります。
ここから本町通を北上し、
JR奈良線「稲荷」駅に向かうわけですが、
それは次回とさせていただきます。

今回は、ここまでです。

~次回は、ぬりこべ地蔵を参拝します~

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第133回 ぬりこべ地蔵 前編~本町通南から北~その14

本町通をだいぶ北上してきて、もう200mで伏見稲荷大社です。
ただ、今回も途中で東に曲がるので
伏見稲荷大社へはまだまだ先の回になります……
今回紹介するぬりこべ地蔵は、古い墓地の中にポツンとあります。
実は、このお地蔵さん自体が元々墓石だったりするのですが、
地元民の厚い信仰の対象になっています。


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前回最後の写真、伏見区深草直違橋10丁目の十字路なのですが……
1週間たって、風景が一変しました!
強い日差しのために、影が色濃く出ています。
今回も約100m先で東にそれ、ぬりこべ地蔵へと向かいます。
撮影日は、2013年6月13日木曜日午後1時半。
まるで、8月半ばです。


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直違橋10丁目の十字路で西を向きました。
このまま琵琶湖疏水を渡ると、
その先に京阪電鉄「深草」駅があります。


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今度は、東を向きました。
前回は、ここを通って石峯寺に向かいました。
ただ、その道に「ぬりこべ地蔵↑」という道標があります。
まぁ、ここからでも行けますが、
今回ブログの道順が一番わかりやすいはずです。


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直違橋10丁目十字路から、本町通を北に約10m進みました。
こちらは、京都で展開している24時間営業のスーパーです。
ただ、こちらの支店は夜中は閉まっていしまします。


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こちらは、スーパーの向かいです。
この仏具屋さんをはさんで、診療所や薬局が軒を並べています。


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その薬局の看板の裏側です。
日陰のせいか、満開のアジサイも元気いっぱいです。


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直違橋10丁目十字路から、本町通を北に約100m進みました。
京町家が並んでいる一角から、魚が焼けた良い香りがしてきました。
こちらは仕出し屋さんで、惣菜を売っています。
特に焼き魚が多く並んでいて、鰆の西京焼きがおいしそうでした。


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その仕出し屋さんの前で、本町通を北を向きました。
約50m先に、JR奈良線の踏切が見えます。


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本町通を横断するJR奈良線の踏切に来ました。
右(東)側に、小さな寺院があります。


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JR奈良線の踏切から、西を向きました。
ここを進むと、琵琶湖疏水を渡って
京阪電鉄「深草」駅と「伏見稲荷」駅の中間になります。


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JR奈良線の踏切から、北北西に向きました。
向こうに見えるのは、JR奈良線「稲荷」駅のホームです。
伏見稲荷大社まで、あとほんの少しです。


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JR奈良線の踏切で、東を向きました。
こちらは、光明山攝取院(せっしゅいん)です。
では、ここにお参りします。


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攝取院の本堂脇に祀られているお地蔵さんです。
先ずは、こちらにお参りです。


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そして、こちらが攝取院本尊の腹帯地蔵尊です。
ここは、屋外からお参りできるようになっています。
寺伝によれば、このお地蔵さんは比叡山の雲母坂(きららざか)付近で
地中から掘り出されたそうです。
夢のお告げで掘り出したのが伏見稲荷大社付近に住む僧侶だったので、
この地にお地蔵さんを持ち帰り、攝取院を建立したそうです。
(明治時代、JR奈良線敷設の際に多少移動しました)

「腹帯」地蔵尊というだけあって、こちらは子宝にご利益があります。
江戸時代には大名家や将軍家さらには天皇家が帰依して、
子宝が授かるたびに寄進を受けて繁栄しました。
今でも、そのご利益を授かろうとお参りに来られる方が多いそうです。


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攝取院の北側に、本町通から東に伸びる脇道があります。
また、ここから本町通を東にそれていきます。


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本町通から、攝取院北側の道を約10m進みました。
かなり細い道ですが、たまに自動車が通ります。
こちらにも、お米屋さんがあります。
ただ、こちらのお米屋さんはいろいろなものを売っている
雑貨屋さんでもあるようです。


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先ほどのお米屋さんから、東に約100m進みました。
少しずつ緩やかな上り坂になってきました。
細い道の周囲には、昔ながらの民家が並んでいます。
こちらはツツジが咲いています。
日差しが強いと、赤い色が鮮やかに見えます。


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ツツジが咲いていた民家から、さらに30m東に進みました。
攝取院からずっと真っ直ぐに東に進んでいます。
実は、この辺はかなりの迷路です。
たくさん脇道がありますが、
土地勘がない人がそちらにそれると道に迷ってしまいます。

向こうから、自動車がやって来ました。
何とかよけて、先に進みます。


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先ほどの写真から、さらに50mほど東に進みました。
カーブミラーがあるのは、ここが十字路だからです。


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十字路で右(南)を向きました。
左側の石碑に、「豊光大神」など3柱の銘があります。
稲荷山山中の荷田社に合祀されている方ですね。
ただ、こちらの方を探したのですが、
神社や祠のようなものはありませんでした。

ちなみに、こちらの脇道の方に進むと
土地勘のない方は絶対に道に迷いますので
気を付けてください。


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今度は左(北)を向きました。
伏見稲荷大社本殿脇の東丸神社と神楽殿の間の道を南に進むと、
この十字路に出ます。
ちなみに、右側のブロック塀の向こうは伏見稲荷大社の敷地です。
そして、左側に見える屋根は東丸神社のものです。


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十字路から、約20m東に進みました。
攝取院からずっと真っ直ぐ進んでいます。
この道の突き当りが見えてきました。
その先に見えるのが、稲荷山です。


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伏見稲荷大社のブロック塀の上に、
「ぬりこべ地蔵 石峯寺 →」と書かれた標識がありました。
ぬりこべ地蔵を通り抜けると、そのまま石峯寺の前に出ます。
もし本町通にこだっわっていなかったら、
ここから十二帝陵までは、800mほどしか離れていません。


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攝取院から続いていた道も約300mで突き当り、
ここでT字路になります。


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T字路で左(北)を向きました。
ここから伏見稲荷大社へ道が伸びていますが、
途中に鉄門扉があるので、ここからは入れません。


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今度は、右(南)を向きました。
住宅地に囲まれて、古い墓地があります。
今回の目的地でもあります。


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いよいよ墓地の中に入っていきます。
古い墓石の向こう側は小山になっていて、
その上も墓地になっています。
この写真は、クリックすれば拡大できます。


133-29.jpg
古い墓石の中に、お地蔵さんなどの石仏が並んでいます。
こうして見ると、大昔はお地蔵さんが
墓石として使われていたことが分かります。


133-30.jpg
先ほどのT字路から、そのまま南に進んで
墓地の中を進んでいきます。
ここは「墓地」と言っても、住宅地に近いので
寂しい雰囲気はありません。
実際、この道は近隣住民の生活道路でもあります。


133-31.jpg
墓地の中に、このような看板がありました。
これを見ると、ここが攝取院のお墓であることが分かります。
残念なのは、不法投棄される方がいるから
このような看板が必要になっているということです。


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T字路から、南に約50m進みました。
小屋の向こう側に、お地蔵さんの祠が見えてきました。


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こちらが、「ぬりこべ地蔵」の祠です。
元々はここから約1km西の
伏見区深草西浦町の京都警察学校敷地内にありました。
明治時代に、日本陸軍第16師団練兵所を作る際に、
こちらに移転してきました。
ですから、ぬりこべ地蔵は元々攝取院関連施設ではありませんでした。
それどころか、このお地蔵さんの出自や名称の由来は不明です。
(名称の由来は、大きく二説あります)
虫歯や歯の健康にご利益があるとされ、
江戸時代には多くの信者を集めましたが、
その時点で既に出自は分からなくなっていました。
江戸時代の古地図には、「ぬりこべ墓」と書かれています。
ですから、元々は誰かのお墓であったことだけは確かです。


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お地蔵さんの脇にあった小屋に管理人のおばあさんがいらして、
その方に500円払ってお札を買いました。
これを痛いところに貼ると、ご利益があるそうです。


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そして、500円払ってシキビを買いました。
さらに100円払って、蝋燭と線香を買いました。
それぞれお供えして、ぬりこべ地蔵さんにお参りしました。


133-36.jpg
今度は南側から北に向かって、ぬりこべ地蔵を撮りました。
ここから見ると、
本当に墓地の中にいらっしゃることが分かります。
屋外にいらっしゃるので24時間参拝が可能ですが、
小屋の中に管理人さんがいらっしゃるのは、午後3時までです。
もう少しここの墓地を散策しますが、それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、この墓地で荷田春満のお墓を参ります~

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第134回 ぬりこべ地蔵 後編~本町通南から北~その15

134-1.jpg
ここは、攝取院の外部墓地のほぼ中心です。
ぬりこべ地蔵尊の前で、南を向いています。
今回は同じ墓地内にある荷田春満のお墓参りをした後、
JR奈良線「稲荷」駅まで進みます。
(お墓の位置は、ぬりこべ地蔵尊の管理人さんが教えてくれました)
撮影日は、2013年6月13日木曜日午後2時。
この時点で、すでに熱中症一歩手前でした……


134-2.jpg
ぬりこべ地蔵尊から、南に約15m進みました。
ここは、攝取院外部墓地の南端になります。
このままこの道を南に進むと、
約150mで第131回ブログで紹介した石峯寺前の公園に出ます。
今回は、管理人さんの指示通りここを左(東)に曲がります。


134-3.jpg
墓地の最南端で東を向きました。
次は、ここを住宅地の手前まで進みます。


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墓地の南側入口にいらっしゃるお地蔵さんです。
全部で6体いらっしゃいます。
よく見ると、皆さん表情が違います。


134-5.jpg
では、墓地の南端を東に進みます。
右(南)側は、丘陵地になっています。
左(北)側は、まだまだ墓地ですね。
この辺りから急な上り坂になって、完全に山道になります。
ちなみに、この道はやがて分岐して
稲荷山か石峯寺山の中に入っていきます。


134-6.jpg
墓地南端のお地蔵さんの前から、約50m東に進みました。
ここで墓地が終わり、ここより東は住宅地になります。
この向こうに、
赤い百日紅(サルスベリ)の花がもう咲いています。
お盆前後に咲くイメージがあるのですが、
それだけ今年の6月は暑いのでしょうか?


134-7.jpg
先ほどの写真の地点で、左(北)を向きました。
ここは、攝取院外部墓地の最東端になります。
向こうに、唯一「銘」のない墓石があります。
それが、荷田春満(かだのあずままろ)のお墓です。
(伏見稲荷大社本殿脇の東丸神社のご祭神です)

荷田春満は、江戸時代の国学者で賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤と並ぶ
「国学の四大人」の一人です。(賀茂真淵の師匠でもあります)
まぁ、自分は「連歌師」としてのイメージが強いのですが……


134-8.jpg
荷田春満のお墓の手前に、このような墓碑がありました。
荷田氏自体は、おそらく弥生時代くらいから
この深草一帯を支配していた豪族でした。
(文字のない時代なので、推測の部分もありますが。
ただ、鴨川から深草ススハキ町~深草西浦町一帯に、
「深草遺跡」という広大な弥生遺跡があります)
時代が下ると、荷田氏は伏見稲荷大社の神官職となり、
都の神祇官の要職を任されるようにもなりました。
荷田春満の邸宅が伏見稲荷大社の敷地内にあったのも、
そのような事情からです。


134-9.jpg
荷田春満のお墓参りを済ませて、墓地南端の道に戻ってきました。
今度は西を向いているので、右に墓地が見えます。
(この背後に住宅があります)
ここからでも、京都市街地が一望できますね。
では、この急な坂道を下って西に進みます。


134-10.jpg
住宅地から約50m西に進み、十字路に戻ってきました。
ここを左(南)に進めば石峯寺に、
右(北)に進めばぬりこべ地蔵尊に着きます。
(真っ直ぐ進むと迷路状になっていて、
土地勘のない方は道に迷います)


134-11.jpg
十字路で北に向きました。
右側に、先ほどのお地蔵さんがいらっしゃいます。
では、向こうに見えるぬりこべ地蔵尊を通り抜け、
この墓地から本町通に戻ります。


134-12.jpg
先ほどの十字路から、北に約15m進みました。
ここは、今回ブログ最初の地点です。
(向いている方向は、逆ですが……)
ちなみに、この左(西)にぬりこべ地蔵尊の祠があります。
次はここをまっすぐ進み、また細い道に入っていきます。


134-13.jpg
攝取院外部墓地の最北端に来ました。
さらに北に進むと、前回ブログにも出てきたT字路があります。
またそちらに向かいます。


134-14.jpg
T字路で、西を向きました。
この少し緩やかな下り坂を直進し、本町通へと向かいます。


134-15.jpg
T字路から、この細い道を約100m進みました。
ここで十字路になります。
右(北)に進むと伏見稲荷大社本殿前に出ますが、
ここは本町通を目指し、直進します。
(左に進むと、土地勘のない人は道に迷います)


134-16.jpg
先ほどの十字路から、約100m西に進みました。
この細い道はまだ続きますが、だいぶ坂を下ってきました。


134-17.jpg
下り坂の細い道の途中で、民家が野菜を売っていました。
玉ねぎとかおいしそうですが、
この日は暑くて重いものを持つ木になられず結局買いませんでした。


134-18.jpg
さらに約10mほど西に進みました。
この道は自動車がやっと一台通れるほどなのですが、
それでもここに駐車場があります。
向こうに見えるのは、伏見稲荷大社の宿泊施設です。
確か格安で泊めてくれます。


134-19.jpg
攝取院外部墓地脇のT字路から西に約300m進むと、
この細い下り坂も本町通で突き当ります。
踏切の所に、ちょうどJR奈良線の電車が入ってきました。


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ここでようやく本町通とのT字路です。
左(南)側は、前回ブログで訪問した攝取院とその駐車場です。
右(北)に進めば、程なく伏見稲荷大社です。


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攝取院の前のT字路で、本町通を北に向いています。
左(西)側は、JR奈良線の線路になっています。


134-22.jpg
攝取院から、本町通を北に約10m進みました。
少し先に、JR奈良線「稲荷」駅が見えます。
線路側にアジサイが咲いていましたが、
この暑さで干からびていました……


134-23.jpg
こちらは、アジサイの向かい側にあった画材屋さんです。
ここは結構な老舗で、アクリル絵の具などもきちんとそろっています。


134-24.jpg
さらに10mほど、本町通を北に向かいました。
ここは、JR「稲荷」駅のランプ小屋です。
1879年に旧東海道線開通時に作られたランプを納める小屋です。
旧国鉄の現存する最古の施設で、準鉄道記念物です。


134-26.jpg
ランプ小屋の北隣はJR奈良線「稲荷」駅なのですが、
さらに北側にあるこのコンビニエンスストアに寄ります。
実は、この店はこの辺の名物店だったりします。


134-27.jpg
コンビニエンスストア入り口付近にガチャの機械が並んでいますが、
そのいちばん左端がおみくじだったりします。
おみくじのガチャは、いくら京都でもそんなにはありません。


134-28.jpg
そして、もう一つの名物がこの豆大福です。
この大福は外部発注ではなく、
この店の経営者が自分で作っているそうです。
(ですから、この支店のオリジナルです)
12個限定品なので、午後3時で3個買えたのは
かなりラッキーでした。
(通常は、2日前に予約したりします)


134-29.jpg
そのコンビニエンスストアから、南を向きました。
目の前に、JR奈良線「稲荷」駅が見えます。
(この左が伏見稲荷大社です)
では、今回はここまでとします。

~次回は、またまた伏見稲荷大社境内を散策します~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
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実際に回るときの
参考にしてください。

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京都市交通局発行の
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バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
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「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
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京都観光のブログです。
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One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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