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第197回 平安ホテルの日本庭園~烏丸通北から南~その9

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中立売烏丸交差点を南に向いています。
目の前の看板にもあるように、ここから京都御苑に入れます。
今回はこの門から京都御苑に入った後、
少し南にある平安ホテルの日本庭園を見に行きます。
(そのホテルは、この写真にも写っています)
こちらは、自分の大好きな小川治兵衛による造営です。
(「円山公園」「平安神宮」「無鄰菴」などが代表作)
撮影日は、2014年3月29日土曜日午後3時。
天気予報は雨でしたが、この時点では晴れていました。


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烏丸通から、中立売通を東を向きました。
こちらが、京都御苑で一番大きな門中立売御門です。
京都御苑に来る観光バスは、大半がここから入っていきます。
門から向こうを見ると、大文字山の「大文字」がはっきりと見えます。


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中立売御門から、京都御苑に入ってきました。
ここの方が、「大文字」がさらによく見えます。
ここに入った自動車は、右(南)の方に曲がっていきます。


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先ほどの地点で、南を向きました。
こちらが、京都御苑で一番大きな駐車場になります。
観光バスなどは、基本的にここに停車します。


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中立売御門から、京都御苑を東に約50m進みました。
案内用の地図の横に、こちらの木の花が満開でした。
こちらは……木瓜(ボケ)ですね。
きれいに咲いていたので、臨時の撮影会になっていました。
この日は週末ということもあってかなりの人出でした。
(前回ブログで予想した通りです)
この写真はクリックすれば拡大されます。


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案内用の地図の向こうには、桜並木が続いています。
ただ、この日の段階ではまだまだ開花していません……
この辺りはベンチがたくさんあって、
いろいろな方が休憩されていました。


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木瓜の木からさらに50mほど東に進むと、この道は突き当ります。
この塀の向こうが、京都御所になります。


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その突き当りで、左(北)を向きました。
北西角にあるのは、「御所車返しの桜」です。
江戸時代初期に、後水尾天皇がこの桜のあまりの美しさに
御所車を引き返させて、暫らく魅入られたそうです。
ただ、まだまだ開花には時間がかかるようです。
その向こう約200m先に、前回ブログで紹介した公園があります。
(こちらの桜の開花は、だいぶ進んでいます)


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今度は、同じ地点で南を向きました。
この道をはずっと先の丸太町通まで続きます。
東側の門は閉まっていますが、こちらを通れば御所内部に入れます。


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さらに同じ地点で、西を向きました。
では、ずっと先に見える中立売御門へと戻ります。


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先ほどの地点から、中立売御門の前まで戻ってきました。
御門の北側に、このような施設がありました。
松の木に隠れて見えませんが、
「うどん」というのぼりも立っていました。
どうやらここで、軽食なども食べられるようです。


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では、中立売御門から外に出ます。
ここから、また烏丸通を南に進みます。


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中立売烏丸交差点で横断歩道を渡り、西側歩道に来ました。
そして、烏丸通から中立売通を西に向いています。
ここをずっと西に進むと千本通で「大将軍商店街」に出て、
最終的にくねくね曲がって北野天満宮で突き当ります。


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今度は、中立売通から烏丸通を南に向きました。
この日は、烏丸通まで人出があふれていました。
次は、こちらに向かっていきます。


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中立売烏丸交差点南西角にあった「上京教会」から2軒南に、
こちらの「京都平安ホテル」があります。
自分がこの「烏丸編」を書こうと思った一番の理由が、
実はこのホテルに寄りたいからでした。


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こちらが、京都平安ホテルの入り口です。
フロントでお話をして許可をとった後、ここを撮影します。


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1Fフロント前に「アルボア」というカフェがあるのですが、
その脇のガラス戸から外に出られます。
そしてここが、小川治兵衛作「池泉回遊式日本庭園」になります。


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ガラス戸を開け、日本庭園の中に入ってきました。
元々江戸時代以前から、ここには公家屋敷が建っていました。
この庭園も、その時にはありました。
今の形になったのは、1923年に小川治兵衛が大改修をしたときです。
その後もここの所有者が転々とし、今のホテルに至りました。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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入り口付近の枝をアップで撮りました。こちらは、ヤマモミジです。
もうこれだけ葉が付いています。


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先ほどの地点から、さらに西に進みました。
ここから石の道が続いていて、
川の先にいらっしゃる稲荷神社に続いています。


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稲荷神社に向かう途中の川の上で、こちらを撮りました。
庭園の中央に池があって、その脇に水屋があります。
ここはほんの少し角度を変えただけで、風景が一変します。


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日本庭園の西の端に、この稲荷神社がいらっしゃいます。
先ずは、こちらにお参りしました。


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こちらは、稲荷神社の鳥居です。
「大正九庚申年 十月 健之」(1921年10月建立)とあります。
小川治兵衛による改修は1923年なので、
この神社はそれ以前からこちらにいらっしゃるようです。


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稲荷神社の前から、南を向いています。
次は、こちらの水屋の方に進みます。


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水屋の前の池は、こちらの石の上を通っていきます。
池は、水屋の縁の下にまで入ってきています。


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池の上の石に乗って、こちらを撮っています。
(水屋の手前です)
左(北)に見えるのは、先ほどのヤマモミジです。
向かい(民味)側のヤマモミジは、
まだ全然葉が付いていませんね。
向こうに見えるのは、カフェ「アルボア」です。
そちらからも、ここの景色を見られます。


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池の中を覗くと、比較的大きな錦鯉がいました。
まだ寒いのでしょうか、ちょっと泳ぎがゆっくりです。


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池の石を渡り切り、次はこの水屋に向かいます。
この角度だと、茶室にも見えます。


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水屋に入ったところに、やはり竃(かまど)がありました。
こちらは、昔は茶室としても使われていたのでしょうね。


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水屋の中はこのように土間が半分、
テラス状になっているところが半分の広さです。
扁額の「龍鱗」は、龍のうろこ状の木の皮(松など)を指します。


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水屋のテラスに座って、池を眺めています。
ヤマモミジの枝が上下に見えるので、
秋にはかなりの絶景になるでしょうね。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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水屋を出ると、こちらの手水が目の前に現れます。
端に椿が置いてあるのが風流ですが、
もしかして偶然そうなっているのでしょうか?


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周囲を見ると、手水の上あたりに椿の木がありました。
さっきの花も、どうやらここから落ちたようです。


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水屋から、そのまま東の方に向かいます。
(池の先ほどの向かい側に当たります)
見えにくいですが、この右(南)に「雄滝」があります。
この日は水が少なくて、滝の方は枯れていました。


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「雄滝」を通り過ぎて、左(北)を向きました。
この橋を渡ればこの庭を一周したことになるのですが、
ここは通れなくなっています。
仕方がないので、来た道を戻ります。


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庭園を出て、カフェ「アルボア」に入りました。
こちらからも、先ほどの庭園が見えます。
ただそちらの席は人気があって、自分は座れませんでした。


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いろいろ考えて、こちらを注文しました。
右側は、伊予かんのシャーベットです。
果肉がしっかり入っていて、伊予かんの香りが強調されていました。
お茶は、カモミールにしました。
葉が上手に開かれていて、とても良い香りがしました。


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では、京都平安ホテルから出ます。
いつの間にか、空が曇り出していました。


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京都平安ホテル前から、烏丸通を南に向いています。
午後4時を回って急に曇り出し、この数時間後に雨が降りました。


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京都平安ホテルの南側は、上長者町通に面しています。
この道をはさんで民放局KBS京都がありますが、
ここから南は、次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は蛤御門から京都御苑に入った後、護王神社に向かいます~

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第198回 蛤御門の桜~烏丸通北から南~その10

前回ブログにも書きましたが、
今年(2014年)は別の場所に花見に行く代わりに
今取材している京都御苑を中心に桜を見に行きます。
そこで早速4月6日に京都御苑を散策したのですが……
今年は数日前の強風で、満開前にだいぶ散ってしまいました。
まぁ、それでもまだまだきれいに咲いているところもありましたし、
ここ数回にわたって2014年の桜散策を書いていきます。


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前回ブログ最後の場所上長者町通から、烏丸通を南に向いています。
今回は蛤御門から京都御苑に入り、京都御所南側を散策します。
撮影日は、2014年4月6日日曜日午後3時。
そう言えば、この日は京都府知事選投票日でした。
(この後、投票所に寄って帰りました)


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烏丸通から、上長者町通を西に向いています。
左(南)側に見える建物は、京都の地方民放局KBS京都本社です。

ちなみに画面では見えませんが、この辺りでまた雨が降ってきました。
この日は雨が降ったり晴れたり忙しい日でした。
そう言えば、2012年祇園に桜を見に行ったときもこんな天候でした。
この時期に、よくこうなります。


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KBS京都本社の前から、烏丸通を南に向いています。
目の前に、京都御苑の入り口がまた現れました。
次は、こちらに向かいます。


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こちらがその入り口、蛤御門(はまぐりごもん)です。
禁門の変は、「蛤御門の変」とも言われ、ここから勃発しました。


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蛤御門の一部をアップで撮りました。
この門には長州藩による銃痕が残っているのでここを撮りましたが、
後で調べたらこれではないようです。
実は、1467年の応仁の乱よりもむしろこの1864年の禁門の変のほうが
京都市街地への被害が大きかったようです。
1980年ごろにだいぶ復活しましたが、
祇園祭の山鉾もこの戦で大半が焼けましたし……
(明治時代から1960年くらいまで、
祇園祭の山鉾巡行は長刀鉾と月鉾くらいしかありませんでした)


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蛤御門をくぐり、京都御苑を東に向いています。
この時点で雨はやみましたが、水溜まりができていますね。


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先ほどと同じ地点で、北を向きました。
こちらは、前回ブログでも出てきた中立売御門駐車場の南端です。
この日も、駐車場はいっぱいですね。


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蛤御門から、約50m東に進みました。
こちらの桜は、もう何割かが葉桜になっています。
どうやら数日前の強風で、満開にならずにこうなったようです。
この写真は、クリックすれば拡大できます。


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その桜の木付近で、東を向きました。
左(北)側の土塀は、京都御所のものです。
つまり、ここは京都御所の南端に位置します。
1864年の禁門の変で長州藩が敢えて蛤御門を襲撃したのは、
この立地条件にあるのでしょうね。


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先ほどの地点で北を向きました。
こちらの桜は、ちょうど満開で見頃でした。
この日の京都御苑の桜は、「葉桜混じり」と「見頃」が半々でした。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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蛤御門から続く道に戻って、東を向きました。
ずっと向こうに見えるのは、仙洞御所の土塀です。
この位置だと、大文字山の「大文字」がはっきり見えます。


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先ほどの地点で、南を向きました。
この辺りから南に、桃林が続いています。
まだ花が残っているので、たくさんの方が散策されていますね。


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桃林を散策しています。
ここは公園のようになっていて、
途中のベンチでくつろいでおられる方もいらっしゃいました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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桃林は南に約100m続きます。その南端で東を向きました。
次は、こちらの方に向かいます。


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その道の途中に、また桜の木がありました。
多少散っていますが、まだまだ見頃ですね。
この辺りには、桜の木が本当にたくさん並んでいます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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桃林南端から、東に約100m進みました。
すると、こちらの大きな四つ辻に行き当たります。


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その四辻で、南を向きました。
この道は、九条家邸跡で突き当ります。
そちらには大きな池と厳島神社がいらっしゃるのですが、
そちらにはこの後の回で行きます。


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今度は四つ辻で、東を向きました。
この先にあるのは、仙洞御所の正門です。
この仙洞御所の東側は、第163回ブログで紹介しました。


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さらに、その四辻で北を向きました。
約100m先に、京都御所の建礼門要するに正門が見えます。


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四辻の北東角に、有栖川宮邸跡があります。
有栖川宮家は幕末に活躍した皇族で、孝明天皇に仕えました。
この辺りに限らず、京都御苑に「空地」が多いですね。
元々この辺りには公家のお屋敷があったのですが、
明治天皇が東京に移られて際に
公家の大半も東京に移ったためこのようになりました。


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先ほどの写真に写っていた桜の木の許に来ました。
この桜が、今回ブログで一番きれいでした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

この辺りで、突然晴れてきました。
今までの曇り空から、日が差して多少まぶしくなりました。


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その桜の北側は、こちらの京都御所建礼門です。
後ろに見えているのが、紫宸殿ですね。


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建礼門の前で、西を向きました。
約200m先に、今回ブログの初めに通った蛤御門が見えます。
では、そちらの方に向かいます。


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先ほどの位置から、西に約100m進みました。
この地点が、京都御所の南西角になります。


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先ほどの地点に、この椋の木があります。
こちらは、京都御苑で一番大きな木です。
また、1864年の禁門の変で来島又兵衛はここで戦死しました。
(討死、自害両方の説あり)
この写真も、クリックすれば、拡大されます


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蛤御門まで戻ってきました。
では、こちらから京都御苑を出て烏丸通を進みます。


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蛤御門から、烏丸通を南に向きました。
向こうの方に、桜の木と神社が見えますね。
次は、そちらに向かいます。


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蛤御門から、烏丸通を南へ約50m進みました。
こちらの桜は、京都ガーデンパレスホテルのものです。
下長者町通の南側に、護王神社が見えます。


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烏丸通から、下長者町通を西に向いています。
左(南)側は、護王神社の境内ですね。


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下長者町通から、烏丸通を南に向いています。
いよいよ目の前の護王神社に入っていくのですが、
だいぶ写真を貼りつけたので、ここから先は次回にします。

今回は、ここまでです。

~次回は、護王神社の神輿神事を取材します~

続きを読む

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第199回 護王神社の神輿神事~烏丸通北から南~その11

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下長者町通から、烏丸通を北に向いています。
下長者町烏丸交差点南西角に、
こちらの護王神社がいらっしゃいます。
今回はこの護王神社に寄った後、
出水通からまた京都御苑に入っていきます。
撮影日は、2014年4月6日日曜日午後3時半。
晴れたり雨が降ったり、忙しい日でした。


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下長者町通から、烏丸通を南に向いています。
護王神社の板塀に、こちらの絵が飾られています。
こちらは、御祭神の和気清麻呂が
大分県の宇佐神宮に「神託」を取りに行き、
僧侶の道鏡を奈良の都から追放する物語が書いてあります。


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下長者町通から、烏丸通を南に約30m進みました。
では、こちらから護王神社に入っていきます。


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こちらが手水舎になります。猪の口から水が出ています。
ここは井戸水のようですが、飲んでいないので味の方は分かりません。


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手水舎の左(北)側は、こちらの歌碑です。
その右側は、楡の木ですね。


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さらに左、この神社の北東角に伊勢神宮遥拝所があります。
やはり鳥居は、神明式ですね。


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遥拝所の左(西)側に、こちらの祠がいらっしゃいます。
この辺は、この神社の末社が並んでいます。


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こちらは、さらにその左(西)側です。
奥に細石(さざれいし)、手前に和気清麻呂像です。


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拝殿の脇に、こちらの猪がいらっしゃいました。
元来なら、狛犬がいらっしゃる位置ですね。
後ろには、先ほどの手水舎が写っています。


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その猪の隣に、こちらの猪がいらっしゃいます。
口の形から先ほどが阿形(あぎょう)、
こちら側が吽形(うんぎょう)と分かります。
後ろに束帯姿の方々が写っていますが、
それはこちらの写真だけだいぶ後で撮ったからです。


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拝殿越しの護王神社本殿です。
先述のように、こちらの御祭神は和気清麻呂です。
奈良時代~平安時代に活躍された貴族で、
僧侶道鏡が天皇位に就こうとしたのを阻止したり、
長岡京から平安京への遷都を進言したり、
いろいろ活躍されました。


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本殿へのお参りも済んだので護王神社を出ようとしたのですが、
その時ちょうど小学生くらいの男の子の掛け声が近づいてきました。
北側を見ると下長者町通側の入り口が開いていて、
そちら側からこちらの一団が入ってきました。


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神主さんと思しき方の後、こちらの旗を持たれた方々が続きます。
一団は拝殿の前を通って、本殿に向かわれました。


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旗の後は、こちらの子供神輿です。
先ほどから聞こえてくる掛け声は、この方々のようです。


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一段の最後尾は、こちらの束帯姿の方々による御輿です。
こちらの集団は、特に掛け声もなく静かに歩いておられます。


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拝殿を半周された神輿は、神社本殿前で止まりました。
そして、ここから神主さんが祝詞を唱えられ、
本格的に神事が始まりました。
では、ここから先の神事を邪魔してはいけないので、
そろそろここから出ていきます。


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では、護王神社を出ていきます。
その先に見えるのは烏丸通で、その向こうは京都御苑の生け垣です。


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護王神社の鳥居の前から、烏丸通を南に向いています。
ここを進み、先を急ぎます。


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護王神社の鳥居の前から、烏丸通を南に約10m進みました。
ここを入ると護王神社の社務所に出るのですが、
その前のスペースが茶店になっています。


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護王神社から、烏丸通を南に約100m進みました。
こちらは、出水通との交差点です。


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烏丸通から、出水通を西を向きました。
この先に見える大きな建物は、京都府庁です。
京都御苑に隣接するような形で、建てられています。


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こちらは、出水烏丸交差点です。
南東方向に、京都御苑の入り口が見えますね。


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出水烏丸交差点を東側に渡りました。
では、こちらから京都御苑に入っていきます。


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こちらが、その京都御苑への入り口です。
ここには「御門」がありません。
京都御苑には何か所かこういうところもあります。


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出水通の入り口から、京都御苑に入ってきました。
この辺の桜は、この日(4月6日)段階ではまだまだ見頃ですね。


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桜の木の向かい(南)側に、梅の木が並んでいます。
紅梅と白梅が交互に並んでいて、先週(3月29日)に
平安ホテルに訪問した帰りに寄ったときは満開でしたが、
今はもう完全に散っていしまっています……


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梅の木の南隣には、出水広場があります。
ここでは、小学生高学年か中学生くらいの女子チームが
ソフトボールの練習をしていました。


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梅の木並木のそばに、こちらのベンチが並んでいました。
ちょっとこちらに座って休憩です。


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こちらは、自作の「桜餅タルト」です。
昨年の山科散策でも紹介しました。
「追記」に、今回は作り方を載せました。
後ろは、護王神社の自動販売機で買ったペットボトルです。


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「桜餅タルト」を食べている間、こちらの桜を見ていました。
特に有名な木というわけではありませんが、ここも十分に絶景です。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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「桜餅タルト」を食べ終わって、ベンチから東を見ています。
ずっと向こうに、仙洞御所が見えます。
タルトを食べていて、急に空が曇ってきました。
ここから白雲神社に向かうのですが、それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、白雲神社と菅神社に向かいます~

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第200回 京都御苑周辺の神社~烏丸通北から南~その12

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烏丸通沿いの出水通から京都御苑に入って、約50m進みました。
ずっと先(東)に、仙洞御所の入り口が見えますね。
今回はこのまま京都御苑の奥にある白雲神社に寄った後、
烏丸下立売下がるにある菅原院天満宮に寄ります。
撮影日は2014年4月6日日曜日午後4時。
急に曇り空になってきました。


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この地点は、大きな道との四辻になっています。
その四辻の南東角に、こちらの桜がありました。
まだ葉桜にはなっていませんが、花びらはほぼ散っています。


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その角で、北を向きました。ここは、京都御所西端へ続く道です。
この角から約40m先に、「白雲神社」と書かれた赤い旗が見えます。


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旗と旗の間に、小さな鳥居が見えます。
では、ここをくぐって白雲神社に向かいます。


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鳥居をくぐると、東西に細長い境内が広がります。
鳥居の東側に絵馬殿があります。


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絵馬殿の東側には、手水舎と末社の祠があります。
左(北)側の建物は、この神社の本殿です。


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こちらが、手水舎です。水面に、桜と椿が浮かんでいます。
昨年花見に行った山科の毘沙門堂にも同じものがありました。


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そしてこちらが、奥の末社です。
「福寿稲荷社」と書かれています。上御霊神社と同じ末社ですね。


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そして、こちらが白雲神社の本殿です。
御祭神は、妙音弁財天と言いますか、
市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)です。
市杵島比売命は琵琶の神様で、西園寺家の楽神でもあります。
(実は、かつてこの辺に西園寺家の邸宅がありました)
ですから、ここは西園寺家ゆかりの神社ですし、
元々は今の金閣辺りの衣笠にありました。

本殿の北側に社務所があって、
そちらには神主さんが住んでいらっしゃいます。
実は、他にも京都御苑内に何人かが住んでいらっしゃいます。


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では、白雲神社を出ます。
ただ、道に戻る前に左(南)側の茂みに入っていきます。


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白雲神社の南側には、こちらの椿の茂みがあります。
満開からちょっと時間が経っていて、だいぶ地面に落ちています。


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今回ブログ最初の四辻に戻ってきました。
この辻の南西角にも桜の木がありました。
こちらはちょうど満開で、とてもきれいでした。


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その地点で、東を向きました。
当然ですが、今回ブログの最初の写真と同じ構図になります。


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同じ地点で、西を向きました。約50m先に、烏丸通が見えますね。
次は、そちらに向かいます。


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京都御苑を出て、出水通から烏丸通を南に向いています。
では、ここを進んでいきます。


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出水通から、烏丸通を約50m進みました。
烏丸通の西側に、塀の上から見事な枝垂桜が見えます。
3月31日段階では満開でしたが、今は完全に散っています。
こちらは、平安女学院の施設です。


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先ほどの写真と同じ地点で、南を向きました。
ここから西に、下立売通が伸びています。


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烏丸通から、下立売通を西に向いています。
今出川通~丸太町通間では一番広い道ですね。
ここを約300m進むと、京都府庁の正面に出ます。


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下立売烏丸交差点の南西角に、赤レンガの建物があります。
こちらは「聖アグネス教会」と言いますか、
要するに平安女学院の施設です。
キリスト教系の学校(特に女子校)は、
学校の施設内に一般に公開された教会がよくありますね。
(第127回の聖母女学院などのことです)


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「聖アグネス教会」の南隣に、小さな神社があります。
次は下立売烏丸の交差点を渡って、こちらの神社に向かいます。


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烏丸通西側歩道に渡ってきました。こちらは、この菅原院天満宮です。
菅原道真公の生誕の地ですね。


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鳥居の右(南)側に、こちらの梅の木がありました。
京都御苑内の梅はすべて散っていましたが、
こちらはまだまだきれいな花が咲いています。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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鳥居をくぐって左(南)側に、こちらの手水舎があります。
天神さんだけに、牛の像が模られていますね。


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手水舎の西側に、小さな石段があります。
こちらから、この神社の本殿に向かいます。


200-25.jpg
境内の西端に、末社が並んでいます。
こちらには、「戸隠大社」と書いてあります。


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その右(北)側には、こちらの合祀された祠がいらっしゃいます。
左(南)側は、正一位の梅丸大明神です。
看板に「ガン・腫物封じ」と書いてあります。
こちらには、多くの方がお参りされているようです。
右(北)側は、こちらも末社の稲荷社です。


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境内一番右(北)は、こちらのお地蔵さんです。
「天道大日如来」は、町内のお地蔵さんでもよく見かけます。


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境内の北側に、菅原院天満宮の本殿があります。
こちらは「天神さん」ですが、梅ではなく見頃の桜に挟まれています。
(しかも、ちょうど満開でした)
元々こちらには、菅原道真の曽祖父の邸宅がありました。
ですから、ここが菅原道真の生誕地になります。
この写真は、クリックすれば拡大されます。


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本殿前から石段を下りて、こちらの社務所に向かいます。
いろいろグッズが置かれていますが、
中には誰もいらっしゃいませんでした。


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社務所の脇に、こちらの井戸がありました。
菅原道真が生誕されたとき、この水が産湯になったそうです。
そのため、この水には安産のご利益があるそうです。
実はこの脇に蛇口があって、そこから汲み出せるようになっています。


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では、菅原院天満宮から出ます。
向こうに、烏丸通越しにまた京都御苑の門が見えます。
次はそちらに向かいます。


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下立売の交差点から烏丸通東側歩道に渡って、
先ほどの写真に写っていた「下立売御門」をくぐり
またもや京都御苑に入ってきました。
今度は、右(南)側の白い花が目立ちます。


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下立売御門をくぐってすぐに左(北)を向くと、
前回ブログにも出てきた出水広場が見えます。
前回ブログにいらしたソフトボールの方々は、帰られたみたいですね。


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その向かい(南)側に、この白い花が植えられています。
たぶんツツジ科の馬酔木(アシビ)と思うのですが、
イマイチ自信ありません……
この写真も、クリックすれば拡大されます。

~2014年4月26日訂正~
よく調べたら、この白い花はユキヤナギでした……
訂正しておきます。


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出水広場の東側に、こちらの小川が流れています。
ここは京都御苑屈指の憩スポットで、「出水の小川」と言います。
桜が満開だったこともあり、たくさんの方が散策されていました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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道をはさんで、小川の向かい(南)側にこちらの枝垂桜がありました。
見事な枝ぶりなのですが、花は完全に散っています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。


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枝垂桜から京都御苑を東に向いています。
右(南)側に馬酔木が見えますが、
そこより南側は職員などの居住区になっています。
ですから、ここは一般人は立ち入り禁止になっています。


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今度は枝垂桜の前で、西を向きました。
約50m先に下立売御門が見え、その先に菅原院神社の鳥居が見えます。
では、そちらへ戻りまた烏丸通を南下します。


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下立売御門から、烏丸通を南に向いています。
だんだんと、丸太町通との交差点が視界に入ってきました。
さらに、ここから南へ進んでいきます。


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下立売御門から、烏丸通を南へ約60m進みました。
こちらは、丸太町通より1本北にある椹木通との交差点です。
ここからも、京都御苑に入れるようになっています。
この後京都御苑に入り旧九条家邸内の厳島神社に向かいますが、
それは次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、京都御苑内の宗像神社と厳島神社を訪れます。
いよいよ京都御苑散策も、次回で終わります~

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第201回 閑院宮邸と九条邸~烏丸通北から南~その13

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丸太町通より1本南の椹木町通から、烏丸通を南に向いています。
今回はここから京都御苑に入り、南側を散策します。
この辺りはかつての公家邸跡が残っており、
そちらにもきれいな桜が咲いていました。
撮影日は、2014年4月6日日曜日午後4時半。
そろそろ西日が傾いてきました。


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烏丸通から、椹木町通を西に向きました。
椹木町通は、ここから西に伸びています。
ずっと向こうに赤十字の建物が見えます。あちらが第二日赤病院です。
(第一日赤病院は、第2回ブログなど東福寺の近くにあります)


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今度は烏丸通から椹木町通を東に向きました。
椹木町通からも京都御苑に入れますが、こちらには御門はありません。


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椹木町通から京都御苑に入っていきました。
すぐ南を向くと、黒い塀の上から桜の木が覗いています。
こちらは、閑院宮邸です。
この写真は、クリックすると拡大されます。


201-5.jpg
先ほどの写真と同じ位置で、東を向きました。
左(北)側には京都御苑の居住区(立ち入り禁止区域)があり、
右(南)側は閑院宮邸が見え、突き当り(東側)に宗像神社が見えます。


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先ほどの地点から、東に約100m進みました。
南側に、閑院宮邸(かんいんのみやてい)への入り口が見えます。
閑院宮家は四親王家の一つで、
有栖川宮家などとともに幕末に活躍しました。
明治天皇の東京御幸の際に閑院宮家の方々も東京に移られ、
ここは裁判所、華族会館を経て、宮内省京都支所になりました。
そして、戦後京都御苑が環境省の管轄になって、
一般に公開されるようになりました。
(東側の環境省の事務所は非公開です)
本当ならここに入るのですが、午後4時を回ると閉館だそうです。


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このように詳しく書けるのは、ここの職員に詳しく聞いたからです。
閉館作業をされている方と、邪魔にならない程度にお話をしました。
(いろいろ聞けて、自分は楽しかったです)
構図が面白いのでこの写真を撮ったのですが、
赤レンガの建物は単なる物置だそうです。
それでも、土塀と赤レンガの建物と満開の桜のコラボは、
それなりに気に入っています。


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閑院宮邸入り口から、さらに東に20m進みました。
では、ここから宗像神社(むなかたじんじゃ)に入っていきます。


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宗像神社の東側鳥居をくぐると、すぐにこの桜に出会います。
この桜は、この日がちょうど満開でした。
実は、この宗像神社は京都御苑屈指の桜の名所です。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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その桜を通り過ぎると、こちらのT字路に当たります。
ここの南西角に、手水舎があります。


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そして、こちらがその手水舎です。
先ずは、こちらで手を清めます。


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手水舎から、北を向きました。こちらは、拝殿ですね。
ただ、端にあるのでこれでは拝殿越しに本殿を撮ることができません。


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拝殿から、北を見ています。
この先に本殿があるのですが、こちらは満開の桜が見事ですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。



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桜並木を抜けると、宗像神社の本殿が見えてきます。
宗像神社の御祭神は、宗像三女神ほか2柱です。
福岡県の宗像神社を勧進したもので、
京都御苑の裏鬼門(南西)を守護しています。
また、平安時代に藤原氏(特に冬嗣と時平)と関係した神社でした。


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本殿から、南を向きました。
ずっと先にマレー系の方がいらして、
恐らくモデルさんと思われる女性を
恐らくプロのカメラマンが写真撮影されていました。
自分はその辺の末社にお参りしたかったのですが、
その際は向こうが気を利かせて移動されました。


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ここを撮影しようとしたとき、モデルさんが、
「すいません。向こうに行きます」(日本語です)
とおっしゃり、カメラマン共々東の方に去って行かれました。

こちらは、宗像神社末社の一柱「京都観光神社」です。
御利益は京都観光の安全なのですが、
よくよく調べるとこちらは道祖神のようです。
ですから、御祭神は猿田彦と天宇受売の夫婦神です。


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京都観光神社の東隣りには、花山稲荷社がいらっしゃいます。
こちらにも、お参りしました。


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こちらは、宗像神社の南側の鳥居です。
来たときとは違う場所ですが、今回はここから出ます。


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宗像神社の南側の茂みの向こうは、こうなっています。
ずっと向こうに見えるのは、丸太町通ですね。


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宗像神社南側鳥居の前から、東を向いています。
今度は、こちらへ進みます。


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宗像神社南側鳥居の前から、東に約80m進みました。
右(南)を向くと、こちらの池に架かる橋が見えます。
こちらは幕末までは九条邸でしたが、
今は池の築山に厳島神社がいらっしゃいます。


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橋を渡り、池に浮かぶ築山に来ました。
南側まで来ると、様々な鳥がいました。
中でも、こちらのようにスズメが一番多くいました。


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他には、ハトも何羽かいました。
こちらは、たくさん撮った中で一番上手く撮れたものです。


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築山から、池の南西を見ています。
九条邸の邸宅自体はもうないので、
残っている建物は向こうに見える拾翠亭くらいです。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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そして、こちらは南東に向いてものです。
こちらに見えている大橋も、かつては九条邸の一部でした。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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その築山の南端で、北を向きました。
こちらが、厳島神社の本殿です。
もちろん本社は、広島の宮島にいらっしゃいます。

こちらの石製鳥居は、独特の形をしています。
この唐破風の鳥居は、第53回ブログで紹介した
「蚕ノ社」木嶋神社の正三角形の鳥居などと並ぶ
「京都三大珍鳥居」の一つです。


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では、この橋を渡って元の場所に戻ります。
もう少しだけ、京都御苑を散策します。


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橋を渡って、東を向きました。
ここから少しだけこちらに進みます。


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先ほどの場所から、東に約50m進みました。
約20m先の角で南に進むと丸太町通と接する「堺町御門」があり、
東に進むと富小路広場の向こうに
第163回ブログで紹介した寺町通と接する寺町御門があります。


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先ほどの写真の地点で、北を向きました。
ずっと先に、第198回ブログで紹介した京都御所の建礼門があります。
つまり、ここが京都御苑のメインストリートです。
(葵祭や、時代祭ではここから巡行します)


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同じ地点(堺町御門より約20m西)で、南に向きました。
では、ここから九条邸の池に架かるこの大橋を渡ります。


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九条邸の池に架かる大橋の上から、拾翠亭の方を撮りました。
(時間帯の関係で、西日が入ってしまいました)

九条氏は、以前紹介した西園寺氏や一条氏、近衛氏などとともに
鎌倉時代に藤原氏から分かれた公家です。
幕末までは、この辺一帯がその九条氏の邸宅でした。
孝明天皇が日米修好通商条約締結に反対したとき、
ここにあった邸宅で説得工作をしたそうです。
(九条尚忠は、その直後に職権を失う)


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大橋の上から、北を向きました。
(ずっと向こうに、京都御所の建礼門が見えます)
では、北側に橋を渡ります。


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大橋の北詰で、西を向きました。
では、ここから来た道を戻ります。


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九条邸の池に架かる大橋から、西に約120m進みました。
この右(北)側に、先ほどの宗像神社の南側鳥居があります。
正面に見えるのは、閑院宮邸の正門ですね。
(その脇の桜が、満開で見事です)


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閑院宮邸正門の前まで来て、北を向きました。
右(東)に見える土塀は、宗像神社のものです。
この道が、第196回ブログ以降出てきた京都御所西端の道です。


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先ほどの地点から約50m北に進み宗像神社西側鳥居の前に来た後、
西に約100m進みました。
こちらは、このブログ最初の地点椹木町烏丸の交差点です。
では、ここから京都御苑を出ます。


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椹木町通から、烏丸通を南に向きました。
右(西)側に見える桜の木は、大丸百貨店の職員用保養地にあります。
では、ここを南に進み丸太町通を目指します。


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丸太町烏丸交差点にまで来ました。
丸太町通は京都御苑最南端の通りで、
京都市上京区と京都市中京区との境目です。


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烏丸通から、丸太町通を東へ約50m進みました。
こちらは、地下鉄「丸太町」駅1番出口です。
それでは、2014年度の桜見物はここまでにして帰ろうと思います。
丸太町通以南の烏丸通はオフィスビル街になりますが、
その様子は次回以降に書きます。

今回は、ここまでです。

~次回からは、多くの方がイメージする「烏丸通」になります~

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第202回 家具の街 夷川~烏丸通北から南~その14

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地下鉄烏丸線「丸太町」駅に来ました。
「北大路」駅から、都合3駅分歩いてきたことになりますね。
京都御苑を通り過ぎたここから先はオフィスビル街になりますが、
烏丸通から脇道に外れるとまた風景が一変します。
その中でも今回紹介する夷川通は、古い家具屋さんが軒を並べ
町屋にありそうな座敷机や火鉢、表具とかが売られています。
撮影日は、2014年4月22日火曜日午後2時。
この写真が傾いているのは、ご愛嬌ということで……


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自分が乗っていた国際会館行きの地下鉄が去っていきます。
平日の午後ということもあって、思ったよりも閑散としていますね。
では、北側からコンコースに向かいます。


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ホームを北に進みエスカレーターを上ると、北側の改札口があります。
目の前に京都御所への矢印がありますが、この道順で地上に出ます。


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では、地下鉄「丸太町」駅1番出口から地上に出ます。
目の前の茂みは、京都御苑のものですね。


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地下鉄「丸太町」駅1番出口から西に向きました。
こちらは、丸太町烏丸交差点です。
北西角にある大きな建物はファーストフード屋さんに見えますが、
2F以上が青木屋書店の本店です。

ちなみに、このまま丸太町通を西へ進むと
最終的にJR「嵯峨嵐山」駅の辺りに出ます。
(第97回ブログ参照)


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今度は烏丸通から、丸太町通を東に向きました。
丸太町通は京都御苑最南端の道であると同時に、
京都市上京区と京都市中京区の境目です。
また、平安京遷都時の一条通でもあります。
(ですから、童歌の道の名前はこの丸太町通から始まります)

ここを約500m進むと、京都地方裁判所があります。
ですから、ここから東にいろいろ法曹関連施設が集中します。
また、この道をずっと東に進むと鹿ケ谷の「哲学の道」に至ります。


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丸太町通から、烏丸通を南に向きました。
烏丸通は前回ブログの風景から一変して、
京都としては高かいビルが並ぶようになります。
この辺りの象徴ともいえる京都新聞本社と
京都商工会議所のビルも見えますね。
ここから南は、京都屈指のオフィスビル街になります。


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丸太町烏丸交差点の南東角に、このお店がありました。
今ちょうど手拭いが干してありますね。
店先をよく見ると、
和菓子屋さんであると同時に甘味屋さんでもあると分かります。


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丸太町通から烏丸通を南に約100m進みました。
ここで、竹屋町通と交差します。
ここから「丸竹夷二押御池(まるたけえびすにおしおいけ)」の順に
東西に伸びる道が登場します。


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烏丸通から、竹屋町通を東を向いています。
これを「路地」と思われる方もいらっしゃいますが、
京都ではこのくらいの道幅で
「メインストリート」になっているとこも多くあります。
ここから約700m先に寺町通があり、
行願寺(革堂)の前でいったん突き当ります。
(その後、筋違いで河原町通まで伸びます)


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竹屋町通より南の烏丸通沿いに、
このようなオレンジ色の花が植わっていました。
ナスタチウムでしょうか?はっきりとは分かりません……


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竹屋町通から、烏丸通を南に約100m進みました。
ここに、地下鉄「丸太町」駅最南端の7番出口があります。
そして、こちらが京都新聞の本社ビルです。


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その京都新聞本社の脇に、新聞が展示してありました。
枚数から考えて、たぶんこの日の夕刊でしょうね。


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京都新聞本社の向かいに、京都商工会議所のビルがあります。
いろいろなカルチャースクールの会場でもあるので、
そういうことで訪れる方もいらっしゃるようです。


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京都新聞本社ビルの南側は、京都新聞の配送センターになっています。
ちょうど夕刊発送の時間帯で、だいぶ忙しそうでした。
(そこは意図的に写していません)
配送センターの南側は、夷川通(えびすがわどおり)になっています。
「家具の夷川」という看板がよく目立ちます。
烏丸通から寺町通までの夷川通は、富小路と並ぶ「家具屋街」です。


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烏丸通から、夷川通を西に向きました。
(「家具屋街」とは、ちょうど反対になります)
昔ながらの米屋さんがあったりと、なかなか面白そうな場所ですが
今回はこちらには寄りません。


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今度は、烏丸通から夷川通を東に向いています。
左(北)側に、京都新聞の配送センターが見えます。
ここから寺町通までの約700mが、「家具屋街」になります。
では、先ずは約30m先の車屋町通との角に進みます。


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夷川通から車屋町通を北に向きました。向こうに京都御苑が見えます。
この辺りの通りは、京都御苑で突き当たります。


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夷川車屋町の南東角に、こちらの建具屋さんがあります。
この辺りは、禁門の変で焼失した京都を復興させる過程で
「家具屋街」を形成していきました。
ですから、この辺りの店の大半が
江戸時代末期から明治時代初期に創業しました。


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車屋町通から、夷川通を東へ約50m進みました。
ここは、東洞院通との四辻です。
南東角に座敷机などの小型家具のお店がありますが、
この辺りから特に家具屋さんが集中しだします。


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さらに夷川通を東に約50m進みました。
夷川間之町の南東角に「家具の川上」という大型家具店があります。
(夷川には、こういう家具店もたくさんあります)
ただ毎週火曜日は定休日で、この日は閉まっていました……
その店先に、「間之町夷川」と書かれた小さな看板がありました。
こちらは、道ごとに立てられています。


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「家具の川上」の向かい(北)側に、こちらのお店が並んでいました。
お茶碗やお皿などが売られています。
夷川には、このような生活用品のお店もたくさんありますね。


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「家具の川上」の前で、夷川通を東に向いています。
両脇にまた大きな家具屋さんが軒を並べます。
その先には、高倉通との四辻があります。


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夷川高倉の北東角に、こちらのお店がありました。
こちらは、「昔ながらの」生活用品のお店「万市」です。
なかなか雰囲気のあるお店なので、観光客も多く訪れます。


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ちょっと店頭を覗いてみます。
茣蓙(ござ)や大きめの花瓶もありますが、
火鉢が何段も重ねて並んでいるのは壮観ですね。


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こちらは、「万市」さんの2Fにあった古い表札です。
中京区ができるまでは、三条通より北は「上京区」でした。


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「万市」の東隣りは、一転して現代風のインテリア家具のお店です。
その先に、堺町通が見えますね。


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そのインテリア家具のお店の向かい南)側は、
こちらの建設中の建物になります。
ここは階下が先ほどのインテリア家具のお店の本社で、
そこより上がマンションになります。
しかし、マンションの名称が「夷川」ではなく
「堺町御門」なのですね。


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夷川通から、堺町通を北に向いています。
約300m先にある京都御苑の「堺町御門」が見えます。
まぁ、これが先ほどのマンションの名称の由来なのでしょうが……


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夷川堺町の南東角にある表具屋さんに、こちらの表札があります。
こちらは新しいものだからか、「中京区」と記載されています。
(光って見えにくいですが……)


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そして、こちらがその表具屋さんです。
現代人の生活になかなか縁がありませんが、
中を覗いてみるだけでも結構楽しいです。


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堺町通から、夷川通を東に約50m進みました。
こちらは柳馬場通との四辻です。北西角が駐車場になっています。
たぶんここも、以前は家具屋さんだったのでしょうね。


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柳馬場通から、夷川通を東に約50m進みました。
北側に、こちらのお店がありました。
店頭に、カラーボックスとかが見えますね。


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さらに約50m東に進みました。ここは富小路との四辻です。
(つまり、ここをずっと南に進むともう一つの家具屋街に着きます)
だんだんと突き当りの寺町通がはっきり見えてきました。


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富小路から、夷川通を東に向いています。
右(南)側は、「唐木」と呼ばれる小型家具が売られているお店です。
(座敷机とかが売られていました)
その先には、箪笥(たんす)などを売っているお店が続いていますね。


202-37.jpg
富小路から、夷川通を東に約70m進みました。
こちらは、麩屋町通との四辻です。
この辺りにも家具屋さんが数軒並んでいますが、
そこを過ぎると家具屋さんが一気に減ります。


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麩屋町通から、夷川通を約50m進みました。
今度は、御幸町通(ごこまちどおり)との四辻です。
寺町通との突き当りまで、もうすぐですね。


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そして、寺町通との突き当りまで来ました。
「家具の夷川」も、ここで終わります。
(夷川通自体は、筋違いでさらに河原町通まで続きます)
ここから先は、第161回ブログの最後の部分とつながります。
ここからはまた烏丸通に戻るだけですが、
それはまた次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、夷川の家具屋以外の部分を紹介しつつ
御池にある「京都マンガミュージアム」を目指します~

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第203回 休日の夷川~烏丸通北から南~その15

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5日ぶりの夷川寺町交差点で、夷川通を西に向いています。
今回はここから夷川通を西に進み、その後烏丸通を南下します。
第161回ブログの最後で夷川通から西に向かっていたら、
ちょうどこのコースになります。
撮影日は、2014年4月27日日曜日午後2時。
この日は一転して、快晴になりました。


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寺町通から、夷川通を西に向いています。
観光地化されている寺町通の人通りが多いのと対照的に、
こちらの夷川通は人通りがほとんどありません。
実は家具屋の大半が日祝日を定休日にしているので、
前回ブログと同じ道と思えないくらい閑散としています。


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寺町通から、夷川通を西に約20m進みました。
こちらの民家が、雑貨屋さんになっています。
ちなみに、ここは先日は閉まっていました。


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その雑貨屋さんの2Fに、この表札がありました。
やはり古いものだと、「上京区」と表記されています。
(現在は、この辺りは「中京区」です)


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さらに夷川通を西に30mほど進むと、
御幸町通(ごこまちどおり)との辻に出ます。
北西角にあるのは喫茶店で、この時間帯は満員のようでした。


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その喫茶店の壁にも、このように表札がありました。
こちらはプラスチック製の新しいものなので、
「中京区」と表記されています。


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その喫茶店から西に2軒分進むと、こちらの理髪店になります。
こちらも、何人かお客さんがいらっしゃるみたいです。


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さらに2軒西に進むと肉屋さんがあり、
コロッケの香ばしい香りがこちらにも漂ってきました。
そこから西にインテリア家具の店と表具屋さんと続き、
麩屋町通(ふやちょうどおり)との辻になります。


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こちらは、夷川麩屋町の南東角にあった唐木指物家具の店です。
ガラスの扉にステッカーが貼ってありますが、
こちらは経済産業省が「伝統工芸」に認定したことを表すものです。
(「伝」の文字と日の丸を表しています)


203-10.jpg
麩屋町通から、夷川通を西に向いています。
大半のお店が閉まっていて、前回ブログとは違った印象があります。


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麩屋町通から、夷川通を西に約10m進みました。
こちらは漢方薬専門店ですが、この日はお休みです。
その代わり、西隣の家具屋さんは開いていました。


203-12.jpg
漢方薬専門店から、さらに夷川通を西に約30m進みました。
中国古書専門店とお惣菜屋さんが並んでいて、
その先が富小路(とみのこうじ)との辻になります。


203-13.jpg
その富小路から、夷川通を西に向いています。
北西角にあるお店は、喫茶店です。
(実は、この通りと二条通には飲食店が多くあります)
こちらも、繁盛しているようです。


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富小路から、夷川通を西に約30m進みました。
前回ブログにも出てきた「家具のトミタ」の前で、
夷川通を西に向いています。
左(南)側に雑居ビルとマンションが数棟並んでおり、
右(北)側にも寿司屋のテナントが入った雑居ビルがあります。
前回ブログでは家具屋さんを中心に撮ってきましたが、
夷川通はだんだんこのような建物に占領されつつあります。
まぁ、それでも寺町の電気屋街とは違い
まだまだ「家具屋街」としてここは機能していますが……


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富小路から夷川通を約100m西に進み、
柳馬場通(やなぎのばんばどおり)との辻に出ました。
南東角にあるのは、西洋アンティークのお店です。
ここは家具屋街ですが、このようなお店は夷川ではここだけです。
ここも閉まっていますが、家具の引き取り依頼があっただけで
別に「お休み」というわけではないようです。
(入口にそのように書いてありました)


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そのお店をはさんで柳馬場通の西側に、こちらのお店があります。
ここは、豆政の本店です。五色豆のお店ですね。
(そう言えば、看板も五色の豆です)
今は京都のお土産と言えば生八つ橋とか茶の果だったりしますが、
昔は八つ橋(焼いてある方)とこの五色豆でした。
ただ残念なことに、この日はお休みでした。


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豆政の向かい(北)側に、こちらの板ガラスのお店がありました。
窓ガラスと鏡を売っています。


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柳馬場通から、夷川通を西に約50m進みました。
堺町通をはさんで手前(東側)が昔ながらの表具屋さんで、
奥(西側)が宮崎屋の建築中の本社兼マンションです。
(どちらも、前回ブログで紹介しました)


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その宮崎屋の前から、夷川通を西に向きました。
宮崎屋の東隣りにある大きな火鉢が並んでいた万市も、
この日は格子を下ろして閉まっていました。
その向こうは、高倉通ですね。


203-20.jpg
高倉通から、夷川通を西に約30m進みました。
こちらは、ワインとかを出すイタリア料理店です。
この時間帯(午後2時半)でも開いていました。
実は、この夷川通には他にも
スペイン料理屋さんやフランス料理屋さんもたくさんありましたが、
時間帯的に閉まっていたのでそちらは撮っていません。
その先の陶磁器店は、前回ブログにも出てきました。
その先が、間之町通(あいのまちどおり)との辻です。


203-21.jpg
間之町通から夷川通を東に約50m進み、
東洞院通(ひがしのとういんどおり)まで来ました。
その東洞院通から、夷川通を東に向いています。
だんだんと烏丸通がはっきり見えるようになってきました。


203-22.jpg
東洞院通から、夷川通を西に約50m進みました。
車屋町通との北東角に、こちらのパン屋さんがありました。


203-23.jpg
いろいろな菓子パンとかもあったのですが、
初めてのお店では、とりあえず山食パンを買うようにしています。
どちらかと言えば、もっちりした食感ですね。


203-24.jpg
で、中はこのようにしました。
帰りに近所の肉屋さんで買ったハムと卵をはさんでいます。


203-25.jpg
ようやく夷川烏丸の交差点にまで辿り着きました。
夷川通の家具屋街は、ここまでです。


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夷川通から、烏丸通を南に向いています。
この辺はオフィスビル街なので、休日は却って閑散とします。


203-27.jpg
同じ場所を最大望遠で撮ると、このようになります。
突き当りに見えるのは、京都駅ビルですね。
京都タワーは、ビルが邪魔で見えなくなってしまいました……


203-28.jpg
そのまま烏丸通の西側歩道へ渡り切り、夷川通を西に向きました。
こちらの表札は新しいものなので、「中京区」の表記ですね。


203-29.jpg
同じ町屋の2Fには、こちらの古いブリキ製の表札があります。
同じ家屋に「中京区」と「上京区」の表札があるのが、面白いですね。


203-30.jpg
夷川通から、烏丸通西側歩道を南に向いています。
休日は、平日の半分も人通りがありません。
では、ここから烏丸通を南下します。


203-31.jpg
夷川通から、烏丸通を南に約50m進みました。
この辺りは比較的高いビルが並んでいるのですが、
このような民家もあります。
と言っても、ここ3軒だけなのですが……


203-32.jpg
その民家の向かい(東)側に、松栄堂という和菓子屋さんがあります。
その南隣に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
お地蔵さんはこのブログの象徴でもあるのですが、
最近撮っていなかったのでここで載せます。


203-33.jpg
その民家から、さらに烏丸通を南に約70m進みました。
こちらは、二条通との交差点です。


203-34.jpg
烏丸通から、二条通を東に向きました。角に漢方薬専門店があります。
昔は二条通と言えば「薬屋さん」のイメージがありましたが、
今はそんなことないですね。


203-35.jpg
二条通から、烏丸通を約150m南に進みました。
こちらは、押小路(おしこうじ)との交差点です。


203-37.jpg
烏丸通から、押小路を東に向いています。
ここを約1km進むと、第161回ブログの京都市役所北側に出ます。


203-38.jpg
今度は、烏丸通から押小路を西に向きました。
ここもオフィスビルが多いので、休日は閑散とします。


203-39.jpg
同じ構図で、最大望遠にしました。
約1km先に見えるのは、二条城の城壁です。
押小路通は、二条城の南端にあたります。


203-40.jpg
押小路から、烏丸通を南に向いています。
約30m先に、「京都国際マンガミュージアム」が見えます。
ただ、そろそろ結構な枚数の写真を貼り付けているので、
ここから先は次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、「京都国際マンガミュージアム」に寄ります~

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生まれたときから50数年
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「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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