第287回 三十三間堂の庭園~塩小路東から西~その4

5日ぶりの三十三間堂です。
前回ブログでは午後4時を回っていて閉まっていましたが、
今回はこのようにしっかり開いています。
このブログではもう3回目の三十三間堂なので、
今回はお堂の中よりもその周辺の境内を中心に散策します。
撮影日は、2015年2月3日火曜日節分の午前10時半。
「塩小路編」なのに、今回は塩小路が出てきません。

三十三間堂に入ろうとしたところ、
法螺貝の音色と共に修験者と鬼の行進が始まりました。
こちらは、前回ブログでも出てきた法住寺の節分行事です。

鬼のうちの一人が、だいぶ遅れてこられました。
どうも草鞋が上手く履けていないようです。

修験者と鬼の行進は、七条通まで北上して
そこから西に曲がっていかれました。

三十三間堂門前から、北を向きました。
すぐ先に七条通があって、その北側は京都国立博物館です。

三十三間堂の門をくぐりました。
目の前が大きな駐車場になっていて、
修学旅行生を乗せた観光バスが何台も停まっています。

外側から見えるお堂で、ペンキが塗られていました。
どうも、三十三間堂も修復中のようです。
そう言えば、七条通側の土塀も青いシートが掛かっていました。

では、600円払って、三十三間堂の境内に入っていきます。
いつもならこの看板の通り右(西)に向かいお堂の中に入るのですが、
今回は反対(東)側に向かい三十三間堂の庭園を散策します。

では、今回は、この石畳の道に沿ってここから南進します。
この辺りは、後白河上皇が法住寺を広げた際の庭園跡です。
(元々、三十三間堂は法住寺の一部でした)

その石畳の道を歩き出してすぐに、小さな池が見えます。
ちょっとこちらに寄ってみます。

こちらが、その池です。
第285回ブログの智積院「利休好みの庭」ほど大きくありませんが、
それでも築山を背景にしたこの池はなかなかに見事です。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

では、この石畳の道を南に進みます。
ここは、三十三間堂の東側に沿って進むことになります。

小さな池の南隣に、大きな供養塔があります。
こちらは、妙法院門跡の写経供養塔です。
現在この三十三間堂は、
北東に約300mにある妙法院門跡の管理下にあります。
また、その右(南)にお墓のようなものがありますが、
こちらは法然による念仏の「記念碑」です。
後白河上皇13回忌に、
この地(厳密には法住寺)で法然が念仏を唱えたのを記念しています。

さらに南には、こちらの手水舎とお地蔵さんがいらっしゃいます。
たくさんの方が、このお地蔵さんにお参りされていました。

手水舎の南側に、三十三間堂の勅使門があります。
つまり、この向こう側に前回ブログに出てきた養源院があります。

その勅使門から、西を向きました。
目の前に見える障子の向こうに、
湛慶作国宝千手観音像がいらっしゃいます。
(偶然ですが、wikiの記事で最初に掲載されている写真の仏像です)
障子の前がテラスになっていて、
第146回ブログで写っているように、
夏の暑い日はそこで涼めるようになっています。
ただ、この後確認したのですが、、冬の間は障子は施錠されていて
テラスに出られないようになっています。
この写真は、クリックすると拡大されます。

勅使門の南側も、また池があります。
こちらの池にも、立ち寄りました。

こちらが、その南側の池です。
北側の池と違い築山がない代わりに、枝垂桜に囲まれています。
実は三十三間堂は桜の名所で、春にはこの辺りは絶景になります。
この写真も、クリックすると拡大されます。

その池の南側のお堂は、シートで覆われて中に入れません。
第285回ブログの智積院「利休好みの庭」同様、
春の観光シーズンに向けて絶賛修理中ですね。

お堂の南側は、三十三間堂庭園の最南端です。
ここから、前回ブログでくぐった三十三間堂南大門が見えますね。
この写真も、クリックすると拡大されます。

こちらが、三十三間堂南側の土塀です。
この向こうが、今回シリーズの主役塩小路になります。
この南側の土塀は「太閤塀」と呼ばれていて、
他の土塀と比べて極端に古いものです。
元々、先ほどの南大門とこの土塀は
安土桃山時代の豊臣秀吉による大仏殿のためのものでした。
この辺りは、平安時代は法住寺、安土桃山時代は大仏殿でした。
(三十三間堂は、所属寺院が何回も変わっていきました)

では、「太閤塀」沿いに三十三間堂南側を西に進みます。
この辺りは、桜などの木々に囲まれています。

その南側から北を向き、三十三間堂を見ています。
三十三間堂は南北に細長い建物で、こう撮るとそれが分かりますね。
この写真も、クリックすると拡大されます。

そして、この三十三間堂西側で毎年1月の「通し矢」が行われます。
こうして見ると、本当に遠く見えますね。

では、三十三間堂西側庭園を北上します。
先ずは、この稲荷神社にお参りです。
そう言えば、この辺りから石畳はアスファルトに代わります。

三十三間堂西側庭園を北上しています。
この辺りも、結構の方が歩いていらっしゃいました。

三十三間堂西側庭園の西側は藪になっていて、
土塀の向こうが大和大路になります。
その藪の中に、こちらのテーブルとベンチが並んでいました。
どうやら陶製のようです。

その北側に……これは供養塔でしょうか?お墓でしょうか?
碑文が削れていて、読めませんでした。

その供養塔(?)の前で、北を向きました。
ここで、三十三間堂庭園の遊歩道が終わります。
この先の鉄門扉の手前で右(東)に向かえば、
そこから三十三間堂の内部に入れます。

鉄門扉の前で左(西)を向くと、山門がありました。
ちょっと、こちらに寄ってみます。

とは言え、やはりここから外には出られません。
ベンチが置いてあるということは、ここで休憩がとれるようです。
ちなみに、この先は大和大路になります。

では、この門をくぐって元の位置に戻ります。
その先に修学旅行生が見えますが、
三十三間堂の建物内部にはあの地点から入ることになります。
つまり、これで三十三間堂の周囲を1周したことになります。
三十三間堂内部は、相変わらずと言いますか……
大きさに圧倒され、写実主義が横行する独特な様子は、
正に慶派の世界でした。
湛慶作国宝千手観音像の迫力、28部衆の写実的な造形は
この三十三間堂でしか味わえません。
自分のお気に入り、婆素仙人もしっかりお参りしてきました。

三十三間堂内部も参拝したので、(写真はありません)
ここから外に出ていきます。

三十三間堂の駐車場の前に戻ってきました。
先程ならんでいた修学旅行生を乗せた観光バスは、
先に出発しています。
たぶん、自分がゆっくり過ぎるのでしょうね。

三十三間堂の門から出て、三十三間堂回りを南に向いています。
(この背後に、七条通があります)
ずっと向こうに、三十三間堂南大門が見えますね。
ここから塩小路に向かう前に節分行事中の法住寺に寄りますが、
そろそろ写真をだいぶ貼り付けたので、今回はここまでとします。
~次回は、節分の法住寺に寄ります~
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