第321回 元梛神社で夏越の祓い~千本通南から北~その9

仏光寺通から、千本通を北に向いています。
右(東)の家屋の向こうが、第318回ブログで取材した壬生寺です。
ただ、今回はそちらへは向かわず千本通を北上し
「壬生寺道」交差点「(四条坊城」交差点)にいらっしゃる
元祇園梛神社で茅の輪くぐりをします。
撮影日は、2015年6月30日夏越の火曜日午後1時。
取材直後に、大雨が降りました。

千本通を北上しようとしたところ、
仏光寺通にある「丸福」がこの日は開いていました。
(前回ブログ取材時は閉まっていました)
という訳で、予定を変更してここで昼食を摂ります。

こちらが、店内の様子です。無人なので、撮りました。
午後1時を回ったところで自分が入ったので、
他の方々は自分と入れ替わりに全員帰っていきました。
壁のメニューが、なかなか味のあるお店ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。

ものの10分で、こちらが出てきました。
第318回ブログのコメントで
ぽんさんが勧められていた700円の冷麺です。
(関西では、「冷やし中華」とは呼ばずに「冷麺」と呼びます)
素のラーメンに酢醤油ダレが掛かっています。
トッピングにゆで卵、蒸したエビ、キュウリ、焼豚、クラゲです。
トッピングの量が多く、別々に味が付いている丁寧な作りです。
この写真は、クリックすると拡大されます。

「丸福」には、約30分いました。
女将さんに撮影とブログ掲載の許可を取ったところ、
結構話込んでしまいこの時間になりました。
では、仏光寺通を少しだけ西に進み千本通に戻ります。

再び仏光寺通から、千本通を北に向いています。
こちらのアジサイは、第318回ブログにも出てきましたね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

仏光寺通から、千本通を北に5mだけ進みました。
こちらはお寿司屋さんで、この時間も営業していました。
この自動車も、お客さんのものです。

そのお寿司屋さんの前から、千本通を北に向きました。
では、ここを進んでいきます。

仏光寺通から、千本通を北に約100m進みました。
千本通の左(西)側に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
その向こう、住宅の上にJR嵯峨野線の高架が見えます。

その向かい(東)側に、壬生寺が経営する
老人ホームへの入り口があります。
ここからでも壬生寺に入れるのですが、
一見するとそうは見えませんね。

さらに、千本通を北に約30m進みました。
ここで、千本通は綾小路と交差します。

千本通から、綾小路を東に向いています。
右(南)側の土塀は、壬生寺のものです。
壬生寺の北東角に、「壬生寺」と書かれた表札があります。
そう言えば、南東角にも同じものがありました。

千本通から、綾小路を東に約50m進みました。
こちらは、壬生寺の北門です。
この門をくぐると、壬生狂言の舞台近くに出ます。

この辺りの綾小路は、南側が壬生寺の土塀で
北側は京町家が続きます。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

千本通から、綾小路を東に約150m進みました。
綾小路は、目の前の坊城通でいったん突き当ります。
和菓子屋さんの「鶴屋」が右(南)側にあるのですが、
どうやら改装中です。(八木邸を含めて開いていました)
突き当りに見えるのは、第319回ブログで取材した旧前川邸です。

綾小路から、坊城通を南に向いています。
右(西)側に「鶴屋」がありますが、八木邸にはここから入ります。
そのさらに南側が、壬生寺です。
左(東)側が旧前川邸で、さらに南が新徳禅寺です。
(新撰組発祥の地ですね)
全て第319回ブログで散策した場所です。

綾小路から、坊城通を北に向きました。
フレームから外れていますが、左(西)は「幸福堂」のお店です。
次は、ここを進んでいきます。

綾小路から、坊城通を北に約50m進みました。
こちらは、京福電車(嵐電)の踏切です。
ウチのブログの常連で、サイドバーにサイトを貼り付けています。
さらに50m先に四条通との交差点が見えます。

京福電車(嵐電)の踏切を越えて、北上しました。
四条通に出る前に、神社の石製鳥居が見えます。
では、そちらに向かいます。

こちらが、元祇園梛神社(もとぎおんなぎじんじゃ)です。
鳥居の向こうに、くぐるための茅の輪が見えますね。
こちらが、今回ブログのメインです。
この写真は、クリックすると拡大されます。

茅の輪の横に、このような解説が書いてありました。
色の付いた矢印の通りに、ここをくぐり抜けました。
その下には、この神社の主神の祇園神(牛頭天王または素戔嗚尊)と
茅の輪くぐりとの関連性が書いてあります。
このままでは文字が読みにくいので、
もし読まれる場合は写真をクリックして拡大してください。

こちらが、元梛神社の茅の輪です。
先ほどの写真の矢印のように、くるくる回って通り抜けました。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

くぐり抜けた茅の輪の先に、元梛神社の本殿がいらっしゃいます。
元梛神社は、この「夏越の祓い」の日(毎年6月30日)と
節分会が一番賑やかになります。
特に節分には、ここと壬生寺で聖護院の修験者が祈祷されます。
(第186回ブログ参照)
御祭神は牛頭天王(天然痘をまき散らす厄病神)ですが、
多くの「八坂神社」「祇園社」の例にもれず
素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一視されています。
祇園祭は、863年に当時流行していた天然痘を鎮まるために、
神泉苑の神木を1本切り倒し
現在の三条黒門まで神輿を運んだのが始まりです。
その後、八坂神社はこの地を経由して
16世紀には現在の地に移動していきました。
この神社の「元祇園」とは、
元々ここに八坂神社があったことの名残です。

元梛神社の脇に、ろうそくを灯すところがあります。
左上の1本は、自分が奉げたものです。

元梛神社の隣に、式内隼神社の本殿がいらっしゃいます。
御祭神は、建甕鎚神(タケミカヅチノカミ)です。
この場所は、二つの神社が同居しています。
こちらは元々蛸薬師坊城付近にいらしたのですが、
1918年にここに移転してきました。

隼神社本殿の前から、北を向きました。
ここから、四条通に出られます。
目の前に27系市バスが停まっていますが、
その辺りに「壬生寺道」バス停がある場所があります。

こちらは末社の1柱ですが、お祭りしている神様が分かりません。
節分会の際はこの前で護摩が焚かれるので、
この辺りには入れません。

その脇にも、末社がいらっしゃいます。
こちらは、形式から稲荷社でしょうね。

社務所前に、このように茅の草が並んでいます。
多くの方々が社務所の縁側に座り込んで、
茅の輪を編んでいました。
自分も挑戦してみましたが……上手く結べません。
結局、古い茅の輪が納められるところに
自分の失敗作も入れておきました。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

社務所に、こちらの茅の輪が売られていました。
(つまり、上手く作ればこうなるようです)
自分の小手先では、絶対無理です……
この写真も、クリックすれば拡大されます。

社務所脇に、アジサイが咲いていました。
この辺りは座れるようになっていて、
この花を見ながら休憩できます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

こちらは、初めにくぐった鳥居です。
では、ここから元梛神社から出ていきます。

元梛神社の前から、坊城通を北に向きました。
目の前に、四条通が見えます。
ただあくまで「千本通編」の連載中なので、
綾小路経由で千本通から四条通を越えていきます。

今度は、同じ地点で坊城通を南に向きました。
では嵐電の踏切を越え、ここから綾小路に戻っていきます。

元梛神社の前から、坊城通を約70m進みました。
こちらが、「綾小路坊城」の辻です。
「幸福堂」と旧前川邸が見えますね。

坊城通から、綾小路を東に向いています。
目の前に旧前川邸があって、ずっと進めば光縁寺に至ります。
この辺は、全て第319回ブログのルートですね。

こちらは、「幸福堂」という和菓子屋さんです。
(先ほどから見える「誠」の幟が立っているお店です)
昨年の節分では、ここで名物の金つばを買いました。

ただ、今回は6月30日ですし「水無月」を買いました。
白蜜と黒蜜それぞれ一つ140円でした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

今度は、「水無月」自体をアップで撮りました。
こちらも、クリックすれば拡大されます。
旧暦6月30日は季節の変わり目で、体調を崩しやすい時期でした。
ですから、京都では無病息災を願って「夏越の祓い」を行いました。
具体的には、茅の輪をくぐったり氷を食べたりしました。
ただ、夏に氷を食べられるのは一部の有力者だけした。
そのため、庶民は氷に似せた和菓子を食べるようになりました。
それが、水無月の始まりです。
水無月は、製法も味も名古屋のういろうに似ています。
違いは唯一で、上部に蒸した小豆がトッピングされているだけです。
直角二等辺三角形なのは、氷に似せようとした名残です。
ですから「夏越の祓い」のために、
茅の輪くぐりの帰りにはこの水無月を買って帰りました。

坊城通から、綾小路を西に向いています。
ここは、「幸福堂」「鶴屋」という
2軒の和菓子屋さんに囲まれています。
「鶴屋」さんの北側は改装中で、
大工さんがこの細い道をずっと往復されていました。
ではここから千本通に向かい三条通を目指すのですが、
それは次回以降とします。
~次回は、千本通から三条通を目指します~
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