第326回 雨傘の海を渡る船鉾~暴風雨の山鉾巡行~その3

御池通での祇園祭山鉾巡行見物も、半ばに差し掛かってきました。
月鉾の後から現れたのは、「山6番」蟷螂山です。
大きなカマキリのからくり人形が人気の山ですね。
今回は、この蟷螂山から最後の船鉾まで一気に紹介します。
撮影日は、2015年7月17日金曜日午前11時15分。
台風の影響は、むしろ夕方から夜にかけてが大きかったですね。

こちらが、蟷螂山です。
いつもなら山に乗る牛車の上に
大きなカマキリがいらっしゃるのですが……
この日(2015年7月17日)の巡行には、いらっしゃいません!
まぁ、大雨警報発令中ですしね。
頭・前足・両羽が動くかなり精巧なからくり人形ですから、
この暴風雨では壊れてしまいますし……

その次は、「山7番」木賊山です。
子供をさらわれた木賊刈りの老人を描いた山ですね。
木賊(とくさ)とは漢方薬にも使うシダ類ですが、
実は京都市街地のあちこちに生えています。
自生しているのではなく、ビルなどの緑地に植えられています。

さらに、「山8番」山伏山が続きます。
平安時代に有名だった修験者(山伏)浄蔵貴所を祀っています。
法観寺の八坂の塔が傾いたのを法力で直すなど、
いろいろな伝説が残っています。

山伏山の胴掛と見送りをアップで撮りました。
ただビニールシートで覆ってあるので、
本来の鮮やかさは分かりません。

その後に、辻回しを終えた「鉾4番」菊水鉾がやって来ました。
町内にある「菊水の井戸」がその名前の由来です。

菊水鉾の見送りを撮りました。立派な鯉の滝登りですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。

その後は、「山9番」郭巨山が来ました、
2年前、3年前「山1番」くじを引いた山ですね。
毎年、ウチで粽を買っている山でもあります。

こちらが、郭巨山です。
貧困が原因で郭巨という中国人が自分の子を捨てようとしたところ、
そこから金が出てきたという故事に基づいています。
「金運」と「親孝行」を描いた山ですね。

続いては、「傘鉾2番」綾傘鉾です。
綾小路沿いに会所があるほうの傘鉾ですね。
(会所は、普段は大原神社の京都出張所です)

幟に続いて、綾傘鉾の登場です。
手前に、「棒振り踊り」の囃子手と踊り手が随行します。
暴風雨のせいか、こちらの傘鉾も
御池通では「棒振り踊り」をしません。
(今回の巡行の楽しみの一つでしたので、残念です)
この写真も、クリックすれば拡大されます。

さらに「山10番」太子山が続きます。
通常、山の天頂部は松の木が立てられるのですが、
こちらは杉の木を立てます。
山鉾の中では数少ない「受験の神様」で、
会所前には合格祈願の絵馬が林立します。

そして河原町通の方角(東)を振り返れば、
「鉾5番」鶏鉾が辻回しを終えたところでした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

鶏鉾が、御池通を西に進みます。
そう言えば、この鶏鉾だけは名称の由来がよく分かりません。
ご神体は、「住吉さん」ですし……
この写真も、クリックすれば拡大されます。

鶏鉾が、寺町通の向こう(西)に、去っていきます。
胴掛や見送りに付けられた絨毯が見事ですが、
こちらもビニールシートの中です。
(まぁ、それだけ豪雨の中での巡行だったのです)
この写真も、クリックすれば拡大されます。

その後を「山11番」白楽天山が続きます。
白楽天とは、唐の3大詩人の一人白居易のことです。
(後の2人は、杜甫と李白)
そう言えば、この白楽天は文官としても有能でしたが、
明らかに後世の創作であるものも含めて
様々な伝説が付いて回る人です。
ある意味、中国版の小野篁ですね。
この写真も、クリックすると拡大されます。

続いては、「山12番」保昌山の登場です。
藤原保昌が恋人の和泉式部のために紫宸殿の梅を折ろうとした
そのエピソードをモチーフにしています。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

保昌山が、御池通を西に進んでいきます。
恋愛成就が御利益なので、会所はいつもたくさんの方で賑わいます。
背を向けているのは藤原保昌の人形ですが、
こちら側から撮ると、ほとんど裏側になってしまいます。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

さらに、「山13番」霰天神山(あられてんじんやま)の登場です。
町内の天神さんの祠がご神体です。
そう言えば、ここの会所の西隣にある中華料理屋の
浸みだれ肉まんがおいしいですね。
自分の祇園祭の楽しみの一つです。

霰天神山が、御池通を西に進んでいきます。
こちらは「天神さん」なのに、「火災除け」のご利益があります。
前回ブログ紹介の油天神山と同じですね。

いよいよ巡行する山鉾も、あと3基となりました。
ここからは、全て「くじ取らず」(順番が固定)です。
「鉾6番」放下鉾が、辻回しを終えました。
室町時代の芸能集団「放下僧」が、名称の由来です。
(僧の姿をして、大道芸を行った人々です)
この写真から船鉾までは、全てクリックすれば拡大されます。

放下鉾が、御池通を西に進んでいます。
元来は稚児姿のからくり人形三光丸が同乗しているのですが、
この暴風雨では姿も見えません。
こうして見ると、からくり人形は1体も巡行しませんでした。
他にも装飾品の簡略化が多かったように思います。

放下鉾が、寺町通よりも西に去っていきます。
随行する氏子さんも、この日ばかりは合羽姿ですね。
(写真ではわかりにくいですが、さらに大雨になってきました)

その次は、「山14番」岩戸山が辻回しをしています。
こちらは「鉾」と同じくらい大きいのですが、
あくまで「山」ですので、天頂部は矛ではなくて松の木です。
このような「曳山」は、北観音山・南観音山など
後祭のほうに多く見られます。
そう言えば、いつの間にか東山の稜線が見えなくなりました。
(それくらい、雨が強くなってきました)

辻回しを終えた岩戸山が、御池通を西に進んでいます。
「曳山」は天頂部以外は「鉾」と同じなので、
辻回しには「鉾」同様に時間がかかります。
その背後(河原町通付近)をよく見ると、
最後尾の船鉾が辻回しに入ろうとしていますね。

岩戸山が、御池通の桟敷席前を通り過ぎます。
この山は、もちろん「記紀」の岩戸山伝説を題材にしています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴を恐れた
姉で伊勢神宮の御祭神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が
天岩戸(あまのいわと)の中に逃げ隠れたお話ですね。
天宇受売(あめのうずめ)の機転と田力男(たじからお)の怪力で
天照大神を天岩戸から出した後
天照大神は素戔嗚尊を出雲(島根県)に追放しました。
つまり、これは天然痘など疫病の神である素戔嗚尊(牛頭天王)を
追放するお話です。
天然痘を鎮めるためのお祭りに、このような山があること自体
とても呪術的な意味を感じます。

いよいよ最後尾の船鉾が、辻回しを終えました。
神功皇后が朝鮮半島に出兵した際に乗った
天鳥船(あまのとりふね)をモデルにしています。
前祭の最後尾「船鉾」は、出発を表しています。
(後祭の最後尾「大船鉾」は、帰還を表しています)

船鉾が、御池通を西に進んでいます。
この豪雨の中では、雨傘が欠かせません。
ですから、今回の巡行を撮影する際には
この雨傘が必ず写り込んでしまします。
「雨傘が、フレームに入ってくる」「もう、雨傘が邪魔」
自分の周囲にいらした方々も(ついでに自分も)
その雨傘をかなり面倒に感じていました。
ただ、こうして見るとたくさんの雨傘が暴風雨の荒波にも見えます。
その雨傘の波間を船鉾が通り過ぎていくのも、
かなり幻想的な光景です。
こういう時は、「大雨でよかった」と思ってしまします。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。

船鉾の後を、パトカーが続きます。
桟敷席の方々も、一斉に帰り始めました。

パトカーが通り過ぎると、
「京都市役所前」(「御池河原町」)交差点に信号が灯りました。
すると、その背後から一般車両が入ってきました。
もう日常に戻りつつあります。
この写真も、クリックすると拡大されます。

撮影位置から、北を向きました。
京都市役所の前に、
地下鉄東西線「京都市役所前」駅の14番出口がありました。
では、ここから京都駅を目指して職場に戻ります。
今回は、ここまでです。
~次回から、後祭の宵山散策を始めます。
祇園祭は、まだまだ続きます~
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