第343回 大宮姫稲荷大神~千本通南から北~その21

「本家八つ橋」の前で、千本通を北に向いています。
今回はここを北上し、大宮姫稲荷神社に寄って
丸太町通を目指します。
撮影日は、2015年9月17日木曜日午後4時半。
……そういえば、今年は木曜日は雨模様です。

先ほどと同じ場所で、西を向きました。
千本通の西側歩道を見ています。
商業ビルの隙間から、JR嵯峨野線の高架が見えますね。

先ほどの商業ビルの脇に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
ちょっと遠いですが、ここからお参りします。

「本家八つ橋」の前から千本通を約100m進み、東を向きました。
ここは位置的には夷川通なのですが、たぶん名前のない通りです。
約200m先に、二条城の外堀が見えますね、
ここから千本通東側歩道は、
「京都市中京区西ノ京」から「京都市上京区聚楽町」になります。

先ほどの写真の位置から、千本通を北に約70m進みました。
ここは、千本通と太子道との交差点です。
この「千本旧二条」バス停前に以前は出世稲荷がいらしたのですが、
今はこのようにマンションになっています。
(現在は、大原にいらっしゃいます)

千本通から、太子道を西に向いています。
向こうに、JR嵯峨野線の高架が見えますね。
ただ、よく見るとこれまでよりも少し遠くに見えます。
JR嵯峨野線の高架はここで大きく西にカーブし、
丸太町通の南側を通り千本通とは別れを告げます。
そして、そのまま円町→太秦→嵯峨野へ進み
小倉山のトンネルから京都府亀岡市に向かいます。

太子道から、千本通を北に向いています。
「太子」道は、京都市市街地から
聖徳「太子」が建立した広隆寺への参道です。
途中「蚕ノ社」木嶋神社にも寄ったりするので、
来年あたりにこの道の特集も考えています。

太子道から、千本通を北上しています。
この辺りから、さらに雨脚が強くなりました。
また、周囲には飲食店などが増えてきています。

この辺りの雑居ビルに、こちらの碑が立っていました。
1914年に高野山・大峰山登山パーティの方々32人が遭難し
亡くなった慰霊碑のようです。

太子道から、千本通を約50m進みました。
ここで、千本通は竹屋町通と交差します。

千本通から、竹屋町通を東に向きました。
この辺りの竹屋町通は道幅が広いですね。
約100m先に、大きな木が見えます。
この写真は、クリックすれば拡大されます。

千本通から竹屋町通を約100m進みました。
その大きな木の下に、石製の鳥居があります。
こちらが、今回ブログのメイン大宮姫稲荷大神です。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

鳥居をくぐる前に、神社の北側(竹屋町通沿い)に回りました。
こちらに、お地蔵さんがいらっしゃいました。
小さな神社には、お地蔵さんが近くによくいらっしゃいますね。

鳥居の下で、東を向きました。
ここが大宮姫稲荷大神の境内のはずなのですが……
どう見ても駐車場ですね。

大宮姫稲荷大神境内を南側に回り、北を向きました。
これが、大宮姫稲荷神社の境内全図です。
境内の南半分が駐車場で、
北半分が本殿の祠と末社の稲荷社です。
北半分は第49回ブログに出てきた神ノ木弁財天に似ていて
なかなか雰囲気があるのですが……

境内北側の東側に、小さな祠がいらっしゃいます。
キツネの陶製人形があることから、稲荷社であることが分かります。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

こちらの祠が、大宮姫稲荷大神の本殿です。
前述の通り、自分の特にお気に入りの神ノ木弁財天と似ています。
御祭神は、大宮姫命です。
あまり馴染みのない神様ですが、
太玉命(ふとだまのみこと)の子で、「稲荷三座」の1柱です。
通常は宇迦御霊大神や猿田彦大神と合祀されるのですが、
こちらでは単独で祀られています。
ここには平安時代からいらっしゃいました。
つまり創建当初は平安宮の太政官脇にいらっしゃいました。
初めからこのくらいの大きさの境内だったようで、
「貧乏稲荷」という別名もあります。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

大宮姫稲荷神社本殿をお参りしました。
とても小さい神社なのですが、
最近こちらの写真をアップしたツイッターをよく見ます。
大半が英語なので、アメリカ人かオーストラリア人が
書いているのでしょうね。
(イギリス人かもしれませんが……)
では、この大宮姫稲荷大神から北に出ます。

大宮姫稲荷大神境内からは、北側からも出られます。
そちら側から出ると、目の前に京都市児童福祉センターがあります。

京都市児童福祉センターの前から、竹屋町通を東に向いています。
約100m先に桜並木が見えますが、あちらは「二条公園」です。
その北側に鵺神社もいらっしゃるのですが、
今回はここから千本通に引き返します。

今度は京都市児童福祉センターの前から、
竹屋町通を西に向きました。
では、ここから千本通に戻ります。

その京都市児童福祉センターの前に、
このような看板が出ていました。
平安時代、朱雀門から大極殿にかけて
朱雀大路(千本通)の東側には太政官の役所がありました。
つまり、この辺りから東側が太政官でした。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

先ほどの地点から、竹屋町通を西に約100m進みました。
また、千本通に戻ってきました。

千本通から、竹屋町通を西にアップで撮りました。
(そうすると、雨粒が鮮明になりました)
竹屋町通は、千本通から西に約30mの地点で突き当たります。
ただ、よく見ると上の方にJR嵯峨野線の高架がありません。
「千本通編」では、もうJR嵯峨野線の高架は出てきません。

竹屋町通から、千本通を北に向いています。
では、ここから再び千本通を北上します。

竹屋町通から、千本通を北に約30m進みました。
こちらは、京都聚楽郵便局です。
「聚楽」と言いますと「聚楽第」を想像しますが、
それはもっと北の方にありました。
(「中立売千本」交差点付近です)

その京都聚楽郵便局の前から、千本通を北に向いています。
そろそろ丸太町通が、視界に入ってきました。

京都聚楽郵便局から、千本通を北に約150m進みました。
こちらが「丸太町千本」交差点です。平安時代の一条大路ですね。
つまり、平安時代はここから北に大極殿がありました。
ここから北に平安宮の意向が続きますが、
それはまた次回以降とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、「丸太町千本」交差点付近を散策します~
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