第382回 芳春院 特別公開~千本通南から北~その39

大徳寺塔頭龍源院境内から、外を見ています。
前回ブログ散策中に、閉山時間が来たので、
1週間置いてまた散策を再開します。
今回はこの広い大徳寺境内の北側に戻り、
芳春院などの塔頭を回ります。
撮影日は、2016年2月25日木曜日午後3時。
今回も、全ての写真をクリックすると拡大されます。

龍源院の前から、大徳寺境内を南に向いています。
道の両側に、大徳寺の塔頭が約150m先の北大路まで並びます。
(その辺りに、「大徳寺前」バス停があります)
大徳寺塔頭は大半が非公開ですが、
その塔頭を含めた大徳寺境内の広さは京都で一番です。

今度は、龍源院の前で北を向きました。
この道は、約30m先で交差する東西の道で突き当ります。

こちらが、その突き当りです。
松並木の背後には、朱塗りの大徳寺山門が見えますね。

同じ場所で東を向きました。こちらに大徳寺の門があります。
その門を出たところで、大徳寺通に出ます。
この道は大徳寺東端を走り、
そのまま北に進むと新興住宅地の西賀茂まで行けます。

今度は、同じ場所で西を向きました。
この先に、勅使門が見えますね。

前回ブログに続いての大徳寺勅使門です。
気のせいか、1週間前(2016年2月18日)より参拝者が多いですね。

大徳寺勅使門から、西を向ています。
左(南)に見えるのは、平康頼の塚です。
ご遺体がこの下にいらっしゃるかは、分かりません。

大徳寺勅使門の北側に、朱塗りの大きな門が見えます。
こちらが、大徳寺山門です。
応仁の乱で焼失後、16世紀末に再建されました。
この辺りの大半は豊臣秀吉とその家臣の庇護で再建されましたが、
特に千利休の援助を受けました。
このことから、この山門の上階に利休の木像があります。
ところが、そのために秀吉がここに訪れる際に
利休の木像の下をくぐることとなり
それを屈辱と感じた秀吉が利休に切腹を命じたという説があります。
(千利休切腹の理由は、実はよく分かっていません)

平康頼の塚の北側に、北に伸びる道があります。
この左(西)側に、前回ブログで訪れた瑞峯院と
精進料理を頂いた「泉仙」大慈院店があります。
ここをまっすぐ進むと、勅使門や山門、法堂の脇を通り抜けます。

しばらく、北に伸びる道を進みます。
左(西)側に、こちらのポスターが貼ってありました。
2016年度の「京都冬の旅」特別公開には
大徳寺本坊と芳春院が対象になっています。
(大徳寺本坊には、第380回ブログで訪れました)

平康頼の塚の北側から、北に約50m進みました。
目の前に、十字路があります。
左(西)に進めば大徳寺塔頭の正受院で、
右(東)に行くと大徳寺法堂です。

こちらは、その臨済宗大徳寺派本山大徳寺法堂(本堂)です。
こちらのご本尊は、釈迦如来像です。
大徳寺は、鎌倉時代の半ばに建立された臨済宗の寺院です。
ただ、室町時代は後醍醐天皇支持派に回ったため冷遇され、
「京都五山」からも外されました。
(臨済宗の大寺院。建仁寺・天龍寺・東福寺・万寿寺・相国寺。
南禅寺は別格で、京都五山と鎌倉五山の筆頭)
それから応仁の乱の戦災後に、一休が復興しました。
今の大徳寺は豊臣秀吉が16世紀末に本坊や法堂を復興した後に、
大名がこぞって周囲に塔頭を建立したことに始まります。
おかげで、京都最大の境内を誇ります。
また千利休との縁が特に深く、
山門の木像を初め遺構もたくさん残っています。

大徳寺法堂に参拝した後、また北に伸びる道に戻ってきました。
では、ここをまた北上します。

その道の途中に、大徳寺塔頭の三玄院があります。
建立した石田三成のお墓もありますが、非公開です。

平康頼の塚の北側から伸びる道は、約150mで突き当たります。
そこには、大徳寺の本坊があります。
普段は非公開なのですが、2016年3月18日まで
京都市観光局主催の京の冬の旅の企画で特別公開されています。
(第380回ブログで拝観しています)

大徳寺本坊と第380回ブログで紹介した聚光院との間に
細く北に伸びる道があります。
次は、ここを突き当りの門まで進みます。

先ほどの場所から、約70m北に進みました。
ここから東に進めば、大徳寺塔頭の大仙院です。
東福寺塔頭の龍吟庵と並ぶ現存する日本最古の方丈があります。
常時公開寺院なのですが、時間が無くなって行けませんでした。
(その理由は、のちほど)
では、ここをまっすぐ北上して芳春院に向かいます。

北に伸びる道の突き当りで、芳春院の山門をくぐりました。
さらに、この北上する桜並木の道を進みます。

桜並木の道は、約100m続きます。
この芳春院は普段は非公開なのですが、
この時期限定で方丈庭園を拝観できます。
その先の門から、拝観料600円を払って芳春院に入ります。

その門をくぐると、こちらの庭に出ます。
紅白の梅が見事でした。
料金を払うとき、ここにブログ取材で来たことと
どこまで写真撮影が可能かを聞きました。
この庭園の向こうに見える唐門より先が見えない範囲のみ
撮影の許可を頂きました。
(つまり、ここが許可を頂いた撮影の限界です)
向こうの唐門を越えると、方丈南側庭園が見えます。
白砂の波がきれいな石庭で、
岩山と白砂の海が対照的で見事です。
方丈には、ご本尊の釈迦三尊像の脇に前田利家の正室まつの木像や
加賀(石川県)前田家の歴代大名や住職の位牌が並んでいました。
こちらは、江戸時代最大の領土を誇った
加賀前田家の菩提寺です。
そもそも「芳春院」とはまつの法名で、
こちらはそのまつが建立しました。
一方、方丈北側庭園は池泉式のまた別の趣のある庭園です。
錦鯉が泳ぐ大きな池には橋が架かっており、
その先に「呑湖閣」という大きな楼閣が建っていました。
さらに、ここは近衛家とも縁が深く
元首相の近衛文麿が学生時代にここに下宿していました。

芳春院には、1時間弱いました。
学芸員さんの話が面白くてついつい長居してしまい、
気付いたらもう午後4時です。
急がないと、他の寺院がまた閉まってしまいます。
芳春院から出て、急いで南下しています。

芳春院の前から南に伸びる道を南下しています。
この左(東)に、先ほど紹介した大仙院があります。
ただ、今ここに入ると
楽しみにしてた高桐院の閉山時間が過ぎてしまいます。
ですから、泣く泣く大仙院は諦めました。

芳春院から南に伸びる道は、約70mで突き当ります。
その突き当りから、西を向きました。
この右(北)側には聚光院があって、
その東側に大徳寺本坊があります。
では、この道を西に進んでいきます。

先ほどの地点から、西に約100m進みました。
こちらの総見院の鐘楼は、第380回ブログにも出てきましたね。

この大徳寺境内の道は、蛇行しながら西に進みます。
急がないと、高桐院が閉まってしまいます。

総見院の鐘楼から、大徳寺境内を約50m西に進みました。
この道は、ここで船岡東通と交差します。

船岡東通との辻で、南に向きました。
この船岡東通を南に約200m下ると、前回ブログに出てきた
「泉仙」大寺院店の前に出ます。
さらに150m南に進むと北大路と交差し、
さらにさらに400mほど南に下がると
鞍馬口通と交差します。
(第250回ブログと第251回ブログの冒頭に出ます)

先ほどの辻から、船岡東通を南に約50m進みました。
こちらが、臨済宗大徳寺派高桐院です。

高桐院の山門前に来ました。まだ開門時間です。
今からここに入るわけですが、もうだいぶ写真を貼りつけたので、
ここから先は次回とします。
今回は、ここまでです。
~次回は、この高桐院を散策します~
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