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第394回 城南宮 曲水の宴

[曲水の宴] ブログ村キーワード
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地下鉄烏丸線の終点「竹田」駅です。
「地下」鉄の駅なのに地上にあるのは、近鉄の駅でもあるからです。
今回は、ここから城南宮に向かいます。
撮影日は、2016年4月29日昭和の日の金曜日午後1時半。
午後4時から大阪でサッカー観戦の予定なので、急ぎます。


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「竹田」駅のホームで、北を向きました。
左(西)側2番ホームに地下鉄が乗り入れ、
右(東)側1番ホームに近鉄が乗り入れています。
取りあえず階段を上り、「竹田」駅改札に向かいます。


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改札を出たら西に向かい、階段を下りました。
この日(2016年4月29日)は時折太陽が見えるのに
なぜか雨が時々降っていました。
目の前に、市バスターミナルがあります。
ここは、京都市伏見区内の交通の要衝です。


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「竹田」駅前の市バスターミナルから、西を向きました。
左(南)側に、名神高速道路の高架が並走します。
先ずは、ここを進んでいきます。


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「竹田」駅前市バスターミナルから、西に約300m進みました。
ここで、阪神高速沿いに伸びる油小路と交差します。
このまま西に進むと、この道は右にカーブして北上し
最終的に大宮通になります。


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油小路と交差する名神高速道路の高架を南にくぐり、
その場で西を向きました。
城南宮へは、こちら側の道を進みます。


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油小路から、府道68号線を西南西に約400m進みました。
名神高速道路の高架の一部が
だんだん南に折れて低くなってきています。
この辺りが名神高速道路の「京都南インターチェンジ」です。


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「京都南インターチェンジ」を出た自動車は、
その辺りで南北を貫く国道1号線に辿り着きます。
そして、その地点で府道68号線も南に折れ曲がり、
この国道1号線に吸収されます。


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つまり府道68号線を進んでいくと、
いつの間にか国道1号線を歩いていくことになります。
名神高速道路「京都南インターチェンジ」の横から
国道1号線を南を向くと、城南宮の森林が見えます。


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先ほどの地点から、国道1号線をさらに南に進みました。
新城南宮道を越えると、すぐに城南宮の入り口です。
「竹田」駅前から、約1200mの距離でした。


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先ほどの地点から東を向きました。こちらが城南宮の一の鳥居です。
では、ここをくぐって城南宮の境内に進みます。
ここから城南宮の写真は、クリックすればすべて拡大されます。


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城南宮の境内を東に向かっています。
この辺りはカエデ並木で秋には絶景になるのでしょうが、
この時点で曲水の宴開始時間の午後2時を回っています。
散策はそこそこに、先を急ぎます。


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一の鳥居から城南宮境内を約100m東に進み、
鳥居の向こうに拝殿が見え、その奥が城南宮の本殿です。
この時間帯は晴れていましたが、傘を差している方がいますね。


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……ただ時間がおしているので、本殿は後回しです。
拝殿の西側から、城南宮の庭園に入ります。
普段は有料ですが、この日(2016年4月29日)は無料でした。


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城南宮の庭園は、本殿の北側を
西から東に回るように造られています。
「春」→「夏」→「秋」→」「冬」と
季節をテーマにした庭園を順に回るようにできていますが、
早く一番奥の池泉式庭園に向かわなければなりません。
「夏」をテーマにした見事な竹林は、また今度ゆっくり観ます。


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向こうの看板の辺りで右(南)に進むと、この庭園を出られます。
ただそちらに進まずに奥に進むと、
「曲水の宴」が行われる池泉式庭園に出られます。


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その池泉式庭園に進めるはずが、途中に人だかりができています。
どうも、これ以上進めません……


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こちら全て「京水の宴」を見に来た方々です……
全員で、100人位でしょうか?
「曲水の宴」は、この人混みのさらに向こうで行われます。
ただ、ちょっと開始が遅れています。
おかげで「曲水の宴」に間に合いましたが、
これでは全く見えません……


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ただ、そうこうしているうちに本殿の方から行列がやって来ました。
午後2時15分ごろ、いよいよ「曲水の宴」が始まります。


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先頭は、笙や篳篥(ひちりき)・竜笛といった楽器を持つ方々です。
雅楽を演奏しながら、こちらに向かってこられます。


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その後に、束帯姿の男性や十二単の女性が続きます。
こちらの方々が短歌を詠まれるようです。


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行列の最後は、白装束の神職さんたちです。
行列は別の神職さんたちがかき分けた人混みの脇を通り抜け、
向こうの池泉式庭園に消えていきました。


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まぁこの人混みですから雅楽の音色が聞こえてきても、
一体何が行われているのかが全く分かりません。

自分は、諦めきれずに人混みの最後尾で頭の上にカメラをかざして
位置や角度を変えて、いろいろ撮影に挑戦しました。
すると、面白いもので10分もすれば自分には見えなくても
だいたいの勘でまぁまぁの写真が撮れるようになりました!
紺白の垂れ幕の前に立たれた方々の演奏がもう終わります。
少し間をおいて、また演奏が始まると今度は白拍子が始まります。


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白拍子は、藤棚の前の舞台の上で行われました。
その舞台はかなりこちら側に近く、肉眼で自分も確認できました。
白拍子といえば、平清盛の愛妾だった祇王仏御前とか
源義経に嫁いだ静御前が有名ですね。


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白拍子はゆっくりと長く舞われていたので、結構写真が撮れました。
「曲水の宴」の手順は後鳥羽上皇がこの地で実際に行ったものを
再現したものです。
雅楽の演奏後に白拍子が入るのも、
後鳥羽上皇がこの白拍子というものを好きだったからでしょうね。


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白拍子が終わると、歌人の皆さんが所定の位置に就きました。
ここからでは分かりにくいですが、あちらには小川が流れていて
そこに約30㎝の鴛鴦(おしどり)型小舟を浮かべます。
小舟の上には盃が乗っていて、
短歌を詠み終えた方から順に盃のお酒が飲めます。


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ちょうど歌人のお一人が、小川から杯を取られています。
どうも全員が詠み終わって、盃が回るようにできているようです。
「曲水の宴」は平安時代から鎌倉時代にかけて、
貴族がよく行った遊びの一つです。
日本全国のあちこちで当時を再現したものが行われていますが、
城南宮のものは後鳥羽上皇が好んで行ったものを再現してます。


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歌人の皆さん全員が盃のお酒を飲まれたのを確認すると、
その短歌が書かれた短冊をお稚児さんが回収されます。


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回収された短冊をお稚児さんが、舞台の方に持っていきます。
こちらには、マイク片手に「曲水の宴」の実況解説を行っていた
白装束の神職さんの一人がその短冊を受け取られました。


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その神職さんは、短冊に短歌を全て読み上げられました。
どうも歌に優劣は付けられず、そのまま読み上げられました。
すると、他の神職さんが
同じ短歌をその場でメロディーを付けて歌われました。
(それが、和歌や短歌の元来の姿です)

短歌は、全部で10首ほど歌われました。
全て歌われるのに、20分以上かかっておられました。
途中で飽きて帰られる方々もいらして、
ここから撮影が急に楽になりました。
ただ、その分時間が掛かっています。
現在午後3時を回りました。
この後午後4時から始まる「J2関西ダービー」を観に、
大阪市の長居まで行くつもりですが、
もう前半の観戦は無理ですね。


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午後3時15分を回って、短歌を全て歌い終わられました。
すると、神職の方々が奥の方に去られていきました。


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神職の方々が立ち去られた次は、
束帯姿や十二単の歌人の皆さんが立ち去られました。


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この後は、「流し雛」に移行します。
このカウンターで300円ほど払えば、誰でも参加できるそうです。


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ただ、その「流し雛」に参加されない方はもう帰られます。
自分も、時間がないので同じ道を辿ります。


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先ほどの池泉式庭園の脇から、すぐに本殿前に出られます。
ここで、本殿にお参りします。


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本殿に背を向け、南を向きました。
では、この朱色の鳥居を抜けます。


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朱色の鳥居から、西に約200m進みました。
歌人の皆さんが、社務所に向かわれています。
参拝者の方々と、談笑されているようですね。
では、今度はここから城南宮を出ます。
クリックすると写真が拡大するのは、ここまでです。


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城南宮から、西を向いています。
ここから東に、城南宮道が伸びています。
次は、その城南宮道を進んでいきます。


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城南宮から、城南宮道を東に約600m進みました。
目の前に、近鉄の線路が見えます。
この踏切を渡らず、左(北)に向かいます。


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その踏切の前から、北に約400m進みました。
こちらは、「竹田」駅の南側の入り口です。
では、ここから大阪市の長居にある金鳥スタジアムを目指します。

今回は、ここまでです。

~次回から、新しい道を進んでいきます~

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第395回 京町屋と小寺院の通り~高倉通南から北~その1

[高倉通] ブログ村キーワード

今回は、約1年ぶりの写真のない回です。
桜の季節も終わったので、そろそろ新しい道を書いていきます。
長い長い「千本通編」も第387回ブログで終了して、
次はちょっと短い道にしようと思いました。

今回から書き始めるのは、高倉通です。
河原町通と烏丸通との中間に伸びる南北の道で、
いくつかの繁華街を通り抜ける5mほどの道幅の道です。
今回この道を選んだのは、次の理由からです。

☆ 市街地の中心を通っている。

☆ それほど広い道ではなく、京町屋が多い。

☆ 繁華街の近くも通り、ある意味典型的な「京都の小路」。

平安京遷都からある高倉小路
高倉通は、794年の平安京造営時からある道です。
位置も今と同じで、東洞院大路より1本東の道でした。
「高倉」の由来は、この道沿いに
「高倉殿」という藤原氏の邸宅があったことによります。
この「高倉殿」の正確な位置は分かっていませんが、
三条通との辻近くには貴族の邸宅が建ち並んでいたようで、
以仁王の邸宅もこの辺りにあったようです。
当時の京都市街地最東端の道は東京極大路(今の寺町通)ですが、
応仁の乱で京都市街地が荒廃した際には
一時期この高倉通が市街地最東端だったことありました。
そして豊臣秀吉が京都市街地を再興した後、
江戸時代初期に京都市街地の中心街が東に移ったときに、
(御土居の撤去・河原町通の造営・祇園など鴨川以東の発達)
今の高倉通となりました。

東九条の宇賀神社
現在の高倉通最南端は、十条通です。
こちらから北上すると、しばらく住宅街が続きます。
十条通と九条通との間に、札ノ辻通があります。
その辺りに、京都では珍しい宇賀神社がいらっしゃいます。
(京都市内では、たぶんここだけだと思います)
そして、その辺りから商店舗が立ち並びだします。
九条通と八条通の間にある東寺道沿いには、
個人的に京都でいちばんおいしい焼肉屋と思っている
「水月亭」があります。
そして八条通で、JRの線路に突き当たります。

「たかばし」のラーメン店
京都駅東側の「八条竹田街道」交差点から北に進むと、
すぐに東に折れてJRの線路に架かる陸橋が現れます。
この陸橋の手前から再び高倉通が北に伸びています。
そのためこの陸橋を「高倉跨線橋」(通称:「たかばし」)と呼び、
ここからJRの線路以北に進めます。
「たかばし」の北詰には桜並木が続き、
さらにこの陸橋から北に約100m進むと、
「第一旭総本店」と「新福菜館本店」という
京都を代表するラーメン店が並んでいます。

渉成園で突き当たり
ここからさらに北上すると、塩小路・七条通と大通りを通り抜け
七条通の1本北にある下珠数屋町通で突き当たります。
ここから北が、渉成園です。
渉成園の南北の幅は約200mで、
北側の上珠数屋町通から再び高倉通は北に伸びます。
この辺りから、京町屋が集中します。

佛光寺で突き当たり
五条通以北にも、京町屋が立ち並びます。
五条通から約400m北上すると、高辻通で突き当たります。
そこから仏光寺通まで、浄土宗佛光寺派本山佛光寺になります。
仏光寺通以北は繁華街が近くになり、飲食店の数が多くなります。

長刀鉾の脇を通り抜ける
四条通から三条通を通り抜け、御池通までは
京都有数の繁華街である「四条烏丸」「寺町京極」「四条河原町」
三条河原町」の近くを北上します。
大手百貨店の大丸京都店のある「四条高倉」交差点の西側に
祇園祭の際長刀鉾が立つ場所があります。
ここを中心に、高倉通は特に賑やかになります。
四条通の1本北が錦小路で、高倉通が錦市場の最西端です。

家具の街 夷川通
御池通を北上すると、また京町屋が建ち並びだします。
特に集中するのは夷川通で、ここには古い家具屋さんがたくさん建ち並んでいます。
そして、その夷川通から約250m先に丸太町通があって、
そこでこの高倉通は突き当たります。
丸太町通以北は、京都御苑ですね。
ここから北は、今の京都御苑が造営された際に削られました。
その削られた部分は、鴨川以東三条通以北に移設されました。
ですから、その辺りに「新」高倉通が現存します。

では、次回から高倉通を取材します。
……と言いたいところですが、2016年5月15日に
京都ではいろいろお祭りが満載です。
ですから、次回ブログ内容は現時点で未定です。

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第396回 札ノ辻の宇賀神社~高倉通南から北~その2

[宇賀神社] ブログ村キーワード
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ウチのブログでは、初登場の地下鉄烏丸線「十条」駅です。
今回は高倉通に移動してから北上し、宇賀神社に参拝します。
撮影日は、2016年5月14日木曜日午後2時。
京都では、GW以来の晴れた夏日でした。


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竹田行の地下鉄が、「十条」駅から出発します。
いつもこの時間帯の乗降者はそれ程多くないのですが、
この日(2016年5月14日)はたくさんの方々が降りられました。
では、エスカレーターからコンコース階に上がります。


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エスカレーターを上がると、すぐに改札口があります。
次は、ここを右(北)に進みます。


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地下鉄烏丸線「十条」駅改札口を出て、北を向きました。
今度は、ここを突き当りまで進みます。


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北向の地下通路は、約30mで突き当たります。
ここでは、右(東)側の1番出口に進みます。


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地下鉄烏丸線「十条」駅1番出口の前で、烏丸通を北に向きました。
約10m先に、第219回ブログ以来の「十条烏丸」交差点があります。
ずっと向こうに京都タワーが見えるので、烏丸通と分かります。
地下鉄に乗っておられたのは、大半がリクルートスーツ姿の方です。
この近くには交通関係の本社ビルが多いので、
多分就職活動なのでしょうね。
では、ここで烏丸通を北上して十条通を渡ります。


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「十条烏丸」交差点を渡り、烏丸通から十条通を東に向きました。
向こうに、「十条ビル」(京都信用金庫十条支店)が見えます。
この辺りは、京都でも屈指の「町工場」が集中している地区です。


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烏丸通から、十条通を東に約100m進みました。
目の前に、84系市バスの「十条竹田街道」バス停があります。
バス停から約50m先には、竹田街道との交差点があります。


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十条通から、竹田街道を南に向いています。
竹田街道は阪神高速の高架をくぐると、
すぐに勧進橋があって鴨川を渡ります。
そこからさらに南下すると、
最終的には第121回ブログで出てきた近鉄「伏見」駅前に出ます。


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今度は、十条通から竹田街道を北に向きました。
終戦(1945年)直後にはここから約150m先に映画館があって、
その周辺に小さな繁華街を形成していました。
それが、ここから北に今も飲食店が多い理由です。


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そうしているうちに、信号が青になりました。
では、竹田街道を東に渡って十条通を進みます。
右(南)に見える高架は、阪神高速のジャンクションです。


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竹田街道から、十条通を東に見ています。
約150m先から北に、河原町通が伸びています。
十条通は、河原町通より約500m東にある本町通で突き当ります。
ここから左(北)側に
赤茶色の鉄骨で骨組みをした白い建物が目に入りますが、
そちらは自分が高校生のころからあるパチンコ屋さんです。


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竹田街道から、十条通を約70m進みました。
向こうに見える「はやし」という焼肉屋さんは、
自分が大学生のころ(約30年前)は居酒屋さんでした。
(自分が元常連だったお店です)
十条通沿いのパチンコ屋さんの東側に、北に伸びる道があります。
こちらの道が、高倉通です。つまり、ここが高倉通最南端です。


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十条通から、高倉通を北に向いています。
左(西)に、先ほどのパチンコ屋さんが見えます。
(駐輪場がある建物ですね)
では、いよいよ高倉通を北上していきます。


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十条通から、高倉通を北に進んでいます。
左(西)側は、パチンコ屋さんの立体駐車場が見えます。
右(東)側には表具屋さんが見えますが、基本的には住宅街です。
ただ、この辺りには京町屋はありません。


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この辺りに京町屋はほとんどありませんが、
このような味のある古い民家はたくさん並んでいます。
民家の壁には京都市広報の掲示板があって、
その脇に町名が書いてある消火器が入った赤い箱と
だいぶ錆びていますが「京都市南区東九条柳下町」と書かれた
ブリキの表札もあります。
実はこの西側にお地蔵さんもいらして、
こういうところは、きちんと「京都の小路」らしいですね。


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その民家の前で、高倉通を北に向きました。
十条通からは、80mほど高倉通を北上したことになります。
パチンコ屋さんを通り過ぎ、左(西)側にも住宅が続きます。
ところで、左(西)側のコンクリート製の入れ物は何でしょうね?


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先ほどの民家から、高倉通を約30m北上しました。
高倉通から東に、路地が伸びています。
第317回ブログでも書きましたが、かつての京都市街地では
よく小路からさらに狭い路地が迷路状に伸びていて
その路地沿いにたくさんの小さな民家が建ち並んでいました。
それが、この辺りにはまだ残っていますね。


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その路地から、高倉通を約30m北に進みました。
高倉通の左(西)側に、地蔵院という寺院がありました。
浄土宗西山禅林派なので、京都市内で最も多い宗派ですね。
いろいろ調べましたが、こちらの沿革は不明です。
ただ、小野篁が彫ったとされる子育て地蔵尊をご本尊としています。
この写真は、クリックすると拡大されます。

この寺院の北側に、西側の竹田街道に抜ける道があります。
その道と竹田街道との角に、先述の映画館があったようです。
その映画館はその後公設市場になり、
さらに「餃子の王将 札ノ辻店」になった後、
現在は空きビルになったようです。


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その地蔵院の斜め向かいに、長谷川家邸宅があります。
長谷川家はこの東九条の郷士で、この辺り一帯の畑の所有者でした。
京野菜の一種「九条ネギ」などを栽培していたようです。
この邸宅は文化庁指定有形文化財に指定されていて、
土日は有料で拝観ができるようです。


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長谷川家邸宅の前で、高倉通を北に向きました。
約100m先に見える横断歩道の辺りで、札ノ辻通と交差します。


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高倉通から、札ノ辻通を東に向いています。
第219回ブログ烏丸通から見たときも感じたのですが、
札ノ辻通東端の河原町通にある「松ノ木団地」が
まるで壁のように見えます。


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高倉通から、札ノ辻通を東に約50m進みました。
近づくほどに、「松ノ木団地」が迫ってくる感じがします。
ただ、ここで札ノ辻通から北に伸びる道が見えます。


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札ノ辻通から、その道を北に向きました。
約20m先に石製鳥居があって、
右(東)側に「宇賀神社」という碑が立っています。
では、この神社に入っていきます。
ここから宇賀神社の写真は、全てクリックすると拡大されます。


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石製鳥居をくぐると、右(東)側に手水舎がありました。
ただ鍵付きの覆いがあるので、中の水は使えません。


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宇賀神社本殿前に、狛犬がいらっしゃいます。
こちらは、「阿」行ですね。


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その向かいには、「吽」行の狛犬です。
なかなか古くて立派な石造です。


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そして、こちらが拝殿越しの宇賀神社本殿です。
いろいろ調べたのですが、こちらは「宇賀神社」ですが
御祭神は宇迦御霊神(稲荷神)と天照大神で
蛇神でもある宇賀神ではありません。
いずれにしても、この東九条の産土神(土地神)です。

奈良時代の書物である「山城国風土記」にも、
この神社(当時は「宇賀塚」)の記録が出てきます。
ですから、松尾大社「蚕ノ社」木嶋神社藤森神社などと同様に、
京都市内でも最古の神社の1柱でもあります。


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宇賀神社本殿の北東に、こちらの椋木があります。
こちらは樹齢500年以上で、京都市の指定樹木でもあります。


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椋木の南側にも、こちらの大銀杏があります。
第354回ブログに出てきた慧光寺のものと同じくらい大きいですね。


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宇賀神社の境内の周囲には、桜の木々が植えられています。
約6週間前には、この辺も絶景でした。


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宇賀神社境内には、自分以外にもう一方男性がいらっしゃいました。
ただ社務所は閉まっていて、他には誰もいらっしゃいませんでした。
では、この宇賀神社から出ます。


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宇賀神社の鳥居から南を向くと、
約30m先の札ノ辻通に立派なお屋敷が見えます。
家屋の形から、元はこの辺の名主か土豪の家でしょうね。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


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宇賀神社から札ノ辻通に戻り、西を向きました。
ずっと向こうに竹田街道の信号が見えますが、
その手前の高倉通(赤いポストがあるところ)まで戻ります。


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札ノ辻通から、高倉通を北に向いています。
では、次はここを進んでいきます。


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札ノ辻通から高倉通を北に約50m進み、東を向きました。
向こうに、宇賀神社の境内が見えます。
こうしてみると、椋木と大銀杏は本当に大きいですね。


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札ノ辻通から、高倉通を北に約100m進みました。
もともとこの辺りには商店舗が並んでいたのですが、
そのうちの何軒かはもう閉店していました。
この辺でまだ開いているのは、目の前の美容院と
その角を左(西)に曲がったところにある花屋だけです。
年々確実に、こういう小売店舗が減っていますね。


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さらに約100m、高倉通を北に進みました。
こちらに正善寺という日蓮宗の寺院があります。
ただ、ここは「陶化幼稚園」でもあります。
小さな寺院が幼稚園を経営するのは、京都ではよくあります。


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さらに、高倉通を北に約100m進みました。
こちらは、京都市立陶化小学校の校門前です。


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京都市立陶化小学校校門前から、高倉通を北に約100m進みました。
ここで、高倉通は九条通と交差します。
一見高倉通は九条通で突き当たっているように見えますが、
目の前の歩道橋の先でまた北に伸びています。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けたので今回はここまでです。

~次回は、5月15日の春祭り取材です~

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第397回 葵祭の車争い

2016年5月15日日曜日は京都では一日快晴となったわけですが、
毎年5月15日に行われる葵祭に
毎年5月第3日曜日に行われるお祭りが加わり、
京都市内のあちこちで大小のお祭りが同時に行われました。

ですから、午前中に葵祭を見て午後は別の場所に向かいます。
(それでも、2ヶ所しか回れません)
先ずは、朝から京都御苑に向かいます。


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朝早くに起きて地下鉄に飛び乗り、
地下鉄烏丸線「丸太町」駅に着きました。
今回はこの横にある京都御苑に行き、
葵祭巡幸の出発の模様を取材します。
撮影日は、2016年5月15日日曜日午前10時。
朝から熱中症になりそうな日でした……


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地下鉄烏丸線「京都」駅付近からそうだったのですが、
午前9時からずっと時間が経っているのにこの人混みです。
しかも、その大半がこの「丸太町」駅で降ります。
……全員、目的は同じですね。


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人混みは、コンコースに上がっても変わりません。
ここから改札口が見えません……


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何とか改札口を出たのですが……地下道にこの行列です。
全く動かないので、最寄りの1番出口には向かえません。
そういう訳で、烏丸通西側歩道にある3番出口に向かいます。


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地下鉄烏丸線「丸太町」駅3番出口から、南を向きました。
向こうに、「丸太町烏丸」交差点が見えます。
では、向こうの横断歩道から烏丸通を東に渡ります。


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横断歩道を渡り、「丸太町烏丸」交差点北東角で東に向いています。
人混みを嫌って遠回りしましたが、
結局ここでその1番出口からで来られた大勢の方々と混じります。


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大勢の人混みの方々と一緒に、丸太町通を東に歩いています。
烏丸通から約100m東に、東洞院通の最北端がありました。
その向こうの信号が、間之町通の最北端です。
さらに東に、高倉通・堺町通と最北端が続きます。
ですから、この辺りが現在連載中の「高倉通編」の最終回地点です。


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さらに東に進み、間之町通の最北端に来ました。
こちらが「間之口門」で、間之町通の由来となった場所です。
では、この「間之口門」から京都御苑内部に入っていきます。


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間之口門から、京都御苑を北上しています。
この道は、約50m先の宗像神社で突き当たります。
(この辺りには、第201回ブログで一度訪れています)
ただ、ここに来られた方々は皆右(東)の方に折れていきます。


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宗像神社の前から、京都御苑を東北東に進んでいます。
宗像神社の前から約100m先に、たくさんの人混みが見えます。


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その人混みに向かう途中で、南を向きました。
この繁みの向こうに大きな池があって、
その中央に厳島神社がいらっしゃいます。
「蚕ノ社」木嶋神社と並ぶ「京都3珍鳥居」がある神社です。
(詳細は、第201回ブログで


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宗像神社の前から、京都御苑を東北東に約100m進みました。
ここから約500m先に、建礼門があります。
そこが京都御苑のメインストリートで、幅約50mの広い道です。
有料観覧席に就かないなら、この辺りで葵祭を見ることになります。
道の西側にテントが張ってあって、そこで露店が出ていました。
左(南)側が製茶メーカーの伊藤園で、
右(北)側が京都の老舗洋菓子店のマールブランシュです。
すでに気温が上がっていて、
伊藤園のペットボトルのお茶はもう売り切れていました。
(慌てて補充されていました)


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露店からさらに東に行き、そこで北を向きました。
ここから建礼門が見えるはずですが……
この人垣では何も見えません.。


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そこから、南を向きました。
九条邸へと続く橋の上に、たくさんの方々が集まっておられます。
太鼓橋ですので、少しでもよく見えると思われたのでしょうね。

葵祭でいい場所を取ろうとあちこち奔走するお話が、
1,000年以上前から様々な書物に載っています。
その大半が笑い話の説話ですが、
「源氏物語」の「車争い」のように悲惨な話がもあります。
(光源氏の愛妾六条御息所の下人と正妻の葵の上の下人が
葵祭の場所取りからケンカになって
勝利した葵の上の下人が
六条御息所に暴言を吐きながら牛車を壊しました。
六条御息所はそのことを思い悩むうちに生霊になり、
葵の上に憑依して殺してしまいます)
まぁそこまで激しいことはありませんが、
今も昔も葵祭では良い場所を狙って押し合いへし合いしています。


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取りあえず自分は人混みの後方から、
適当に手を挙げながら適当に写真を撮りました。
100枚以上写真は無駄になりますが、第394回ブログのように
たくさん撮ればそれなりにいいものも出てきます。

この時点で午前10時半ですが、まだ巡行は始まりません。
2騎だけこの辺りでうろうろしていました。
この写真以降、クリックすると拡大されます。


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最大望遠で、建礼門を撮っています。
巡行の開始とともに門が開くと思っていたのですが、
どうもそういうことはないようです。


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そうこうしているうちに、午前10時40分ごろ
建礼門がある北の方から、巡行の行列が始まりました。
先ずは2騎の束帯姿の男性が、こちらに来られました。

ちなみに行列の後ろから適当に手を挙げて撮っていますので、
これから暫く写真の下の方にいろいろな方の頭が写ります。


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さらにその後ろから、1騎の束帯姿の男性が来られました。
この人混みですから、徒歩の方を撮るのは
かなり困難になってきました……


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ただ、あれこれ挙げた手の角度を変えて頑張ってみると、
何とかこちらの方を撮ることができました。
馬上の方が数騎通り過ぎると、
弓を携えた束帯姿の男性が来られました。


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その次は、岡持ちを持たれた方が通り過ぎます。
この間何人かが徒歩で通り過ぎましたが、
上手く撮れませんでした。


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その後から、また馬上の束帯姿の方が来られました。
馬上の方は背が高くなるので、だいぶ撮りやすいです。


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そして、こちらの牛車が現れました。
藤とツツジの造花がすだれになっていて、とてもきれいですね。


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その牛車を何人もの方が押しています。
よく見ると、先頭に牛がつながれていません。
多分、堺町御門の辺りで牛が繋がれるのでしょうね。


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こちらの馬は手綱を馬上の方ではなく、
徒歩の方に引かれています。
どちらの方も、頭上に葵の葉を飾られています。


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ただ、こちらの馬には誰も乗っておられません。
乗り換え用の予備の馬なのでしょうか?


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そして、紅白の花を付けた笠がやって来ました。
花が揺れて綺麗なのも、昨年と同じですね。


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また、馬に乗った束帯姿の男性が通り過ぎます。
この辺りの馬上の方は、従者を連れています。


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従者を従えた馬上の束帯姿の男性が、また通り過ぎます。
こちらの方々も、頭に葵の葉を差しています。


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その後に、ツツジの造花を差した笠が通り過ぎます。
黄色い花が、この日差しによく映えますね。


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さらに、十二単姿の女性が通り過ぎます。
彼女らは皆、日傘を差した白装束の男性を従えています。


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そして、いよいよこちらの輿が登場です。
輿の上には、今年の斎王代が座っておられますね。


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斎王代の後は、馬上にいらっしゃる十二単の女性が通り過ぎました。
馬上でこの装束は晴れの日はいいのですが、雨の日は悲惨です。


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こちらも、馬上に十二単姿の女性ですね。
馬が白いので、よく目立ちます。


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さらに、紅白の花が付いた傘で日差しをよけている
十二単姿の女性が続きます。


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最後に、また牛車がやって来ました。
こちらも牛ではなく、人が押しています。


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厳密には牛車の後には、軽トラックが通り過ぎました。
よく見ると、牛が牛車の後ろから付いています。
葵祭の行列はこの後東側の堺町御門から丸太町通に出て、
下鴨神社に立ち寄ってさらに上賀茂神社に向かいます。

クリックすると写真が拡大できるのは、ここまでです。


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葵祭の巡航行列を見ていた一から、西を向きました。
今まで一緒に観覧していた人たちが、一斉に動き出します。
このまま下鴨神社に向かわれる方も多いようですが、
そうでない方も多いようです。
(自分は、他のところに行きます)


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先ほどの場所から、京都御苑を西南西に約100m進みました。
あちらに閑院宮邸の門が見えますね。


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閑院宮邸の前から(宗像神社の前でもあります)、
京都御苑で南を向きました。
目の前に、間之口門があります。
ここから丸太町通に出て西に向かい、
「丸太町烏丸」交差点から地下に潜って、地下鉄に乗りました。
では、この日(2016年5月15日)の午後のお祭りに向かいます。

今回は、ここまでです。

~次回は、嵐山に向かいます~

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第398回 三船祭の舟遊び

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葵祭巡行の始まり京都御苑最寄り駅地下鉄烏丸線「丸太町」駅から
「烏丸御池」駅で地下鉄東西線に乗り換え、
終点の「太秦天神川」駅から京福電車(嵐電)に再び乗り換えました。
こちらは、その終点「嵐山」駅です。
今回は、近くにある車折神社嵐山屯宮のお祭り三船祭を取材します。
撮影日は、2016年5月15日午後0時20分。
いろいろあって、ここで少しフラフラになりました……


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同じ場所で、反対(西)側を向きました。
ここは京福電車(嵐電)「嵐山」駅校内の駅ビルです。
1Fにテナントが入っていて、たくさんの方々がいらっしゃいます。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅を出て、長辻通を北に向きました。
目の前に、天龍寺の山門が見えます。
時期的にツツジが満開なのですが、(天龍寺に一番多い花です)
この日(2016年5月15日)は時間がありませんでしたので、
今回ブログでは天龍寺には寄っていません。
(天龍寺のツツジは、第44回ブログに詳しく載っています)


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今度は京福電車(嵐電)「嵐山」駅前から、長辻通を南に向きました。
この辺りから約150m南にある渡月橋まで、
清水寺門前と双璧を為す「土産物屋街」を形成しています。


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京福電車(嵐電)「嵐山」駅前から、長辻通を約150m南下しました。
ここで、三条通と交差する「渡月橋」交差点に出ます。


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「渡月橋」交差点で、三条通を南に渡りました。
次は、大堰川(桂川)に架かるこの渡月橋を南に渡ります。


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渡月橋を南に渡っています。
大堰川(桂川)は約150mの川幅で、
そこから南に中ノ島(要するに川の中州)があります。
その中ノ島にある嵐山公園に、赤い傘の行列が待機しています。
今は、そちらに向かって歩いています。


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渡月橋を南に歩きながら、西を向いています。
向こうに見える山が、「嵐山」です。
この橋は、西側の方が絶景ですね。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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渡月橋をだいぶ歩きてきました。
もうそろそろ渡月橋南詰に到着です。


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渡月橋を南に渡り、中ノ島にある嵐山公園に辿り着きました。
この中州の大半が嵐山公園で、
ここは東西に長い約400mほどの長さがあります。
嵐山公園にはベンチや桜並木があって飲食店もたくさんあります。


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長辻通から、嵐山公園を南に見ています。
青い幟旗の後に、
赤い傘と平安時代の貴族の装束をした行列が並んでいます。
現在2016年5月15日午後0時半。
そろそろこちらの三船祭の巡行行列が、出発します。
ここから、行列の写真はクリックすると全て拡大されます。


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そして、同日午後0時35分。
紙垂を持った車折神社の神職さんが先頭となり、
三船祭巡行行列が始まりました。


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神職さんの後には、雅楽演奏者が並びます。
歩きながら、笙や竜笛などを演奏されています。

後で知ったのですが、こちらは嵯峨野嵐山ではなく
市比売神社で活動されている方々だそうです。
市比売神社は、京都市街地の東側にいらっしゃいます。
ずいぶん遠くの神社とのつながりがあるのですね。


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雅楽奏者に続いて、こちらの輿が現れます。
前回ブログの葵祭なら斎王代と言ったところですが、このお祭りでは
車折神社に所縁のある清少納言に見立てられています。
そもそもこちらは、車折神社嵐山屯宮のお祭りですし……
(車折神社と清少納言の関係は第48回ブログ第49回ブログを参照)


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その後に、三船祭保存会会長さんと今様のお稚児さんが続きます。
こちらは、後で踊られます。


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最後に、白拍子と政治家・市や府の職員が歩いていきます。
皆さん、束帯などの平安時代の装束を着られています。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


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三船祭の巡行行列は、このまま渡月橋を北に進んでいきます。
自分が進んできた道の反対ですね。


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三船祭の巡行行列と一緒に、渡月橋を北に渡っています。
よく見ると交通規制などはなく、行列も歩道を進んでいます。
自分も、その後をついていっています。


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渡月橋で少し立ち止まって、巡行行列をここから撮ります。
巡行行列は「渡月橋」交差点で左折し、三条通を西に進みます。


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渡月橋の上から望遠で、三船祭巡行行列を撮っています。
三条通をどんどん西に進んでおられるのですが……
車折神社嵐山屯宮の前を通り過ぎていきます!
確かこのお祭りは、この神社の祭祀のはずなのですが……
この写真は、クリックすると拡大されます。


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三船祭の巡行行列が、さらに三条通を西に進みます。
そのまま三条通最西端までこの行列が進みました。
この写真も、クリックすると拡大されます。
では、自分も三条通最西端に進みます。


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自分も「渡月橋」交差点から三条通を西に進み、
嵐山吉兆の前で大堰川の土手側の道を進みました。
こちらに、船着き場があります。
ここから貸しボートに乗れるのですが、
この日(2016年5月15日)は、とても賑わっていました。


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大堰川土手の道をさらに西へ進むと、
人混みで行き止まりになりました。
たくさんの方々がいらっしゃいますが、
前回ブログの葵祭に比べれば、まだ多くありません。
では、自分もこの人混みに混じります。


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その人混みの中で、大堰川(南)側を向きました。
屋形船の船着き場に赤い絨毯が敷かれています。
屋形船もいろいろ「お化粧」をしています。
大堰川の川原には、車折神社の神職さんや
三船祭保存会の方々や「清少納言」役がいらっしゃいます。
現在2016年5月15日午後1時。
ここから約1時間かけて、船渡御前の神事を行いました。
車折神社の神主さんが祝詞を述べたり、
市会議員や役所の方々が挨拶をしたりと続いたのですが、
その辺は割愛しています。
これ以降、クリックすればすべての写真は拡大されます。


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舟の方をアップにしました。御座船と龍頭船が、並んでいますね。
フレームの外には、鷁頭船もあります。
龍頭船には、雅楽奏者がもう乗っています。


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午後1時50分となり、神事も終わりに近づきました。
車折神社の神主さんが、紙垂を持って舟を浄められています。


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龍頭船をアップにしています。
すると、先ほど出てきた貸しボートがこの周囲に集まりました。


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次は、清酒の鏡割りです。
車折神社神主さんや保存会会長さんや市会議員さんたちが
木槌片手に酒樽を割ります。

今から15年前(2001年)に京都サンガがJ1に昇格したときにも
西京極陸上競技場で鏡割りを見ましたが、
その時は周囲の人にもお酒が振る舞われました。
今回は、どうでしょうか?


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鏡割りが終わると、一斉に皆さんが船に乗り込みます。
すると、さらに貸しボートや屋形船が周囲から集まってきました。


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最後に、「清宗納言」役の方が乗り込まれます。
長い十二単の裾を持つ方を二人従えておられますね。


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そうこうして、「清少納言」役の方が御座船に乗り込まれました。
現在午後2時を回りました。
いよいよこちらの舟も、川原から大堰川の流れの中に進みます。


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御座船の船頭さんが櫂を操作して、岸から離れています。
ようやくここから「舟遊び」が始まります。


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御座船は、右(西)の方に向かいます。
三船祭の舟は、この辺りを反時計回りで進みます。


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その時点で樽の中のお酒がプラスチックのコップに注がれて、
周囲の方々に振る舞われました。


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一緒に見ていた方々が多かったので、
自分の分までお酒は無いと思っていましたが、
お酒を求める方が意外と少なくて、自分の分まで回ってきました。
こういう時のお酒は甘いものが多いのですが、
今回の「神聖」はだいぶ辛かったですね。
ただ、これはこれでなかなか美味です。

船渡御全体を撮りたいので、
ここから渡月橋へと急ぎました。
ただ炎天下で小1時間立っていたままで、お酒も飲んでいます。
多少フラフラだったこともあり、歩道の段差に足をとられて
道端で転倒してしましました!
その時のねん挫で、今も左足首が痛いです……


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渡月橋の上から、最大望遠で撮っています。
鷁頭船が、大堰川南岸沿いを進んでいます。
舟の上で白拍子が演じられていて、
その周囲にたくさんの貸しボートが付いていっています。


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その後から、御座船と龍頭船が続きます。
こちらには、屋形船とさらに多くの貸しボートが付いています。


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御座船が向きを変え、大堰川を北に横断しています。
こうして見ると、大堰川南岸にたくさんの方々がいらっしゃいます。


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大堰川の流れの中にいらっしゃる鷁頭船の白拍子がよく見えます。
ただ、鷁頭船と渡月橋の間に、大きな堰があります。
この堰のために、三船祭の舟は渡月橋近くには来られません。


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今回ブログは、40枚以上の写真を貼ります。
御座船や龍頭船・鷁頭船が反時計回りで周遊している周囲を
大小の舟が行き来しています。
平安時代の舟とは違う型ですが、
今も昔も「舟遊び」はこういう感じなのでしょうね。


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その様子を拡大せずに撮りました。
この角度でこうやって撮ると、嵐山や岩田山が借景になります。
これが撮りたくて、渡月橋に移動してきました。
これが、今回ブログ一番のお気に入りの写真です。


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渡月橋から三条通を西に戻り、三船祭斎場付近から撮っています。
龍頭船が、だんだんこちらに近づいています。
雅楽に合わせて、今様のお稚児さんたちが踊っておられますね。


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龍頭船のお稚児さんをアップで撮りました。
確か藤原頼道も夏になると、
宇治殿(今の平等院)の池の上で「舟遊び」をしたそうです。
ですから、当時頼通が見たものこんな感じだったのでしょうね。


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今度は、御座船が通り過ぎました。
舟の上部に、扇が取り付けてあります。
大堰川のあちこちで、この扇を撒かれます。
それを追従する大小の舟の上の人が拾っていきます。
これが、三船祭のメインイベントです。


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その御座船が、岸に着きました。
ここで一般参賀者も、この御座船に乗れるようになります。
「おいくら、かかりますか?」
そうおっしゃった方に、保存会の方がこうおっしゃいました。
「いえいえ、タダですよ」
それで何人かの方々が、御座船に乗り込まれました。
(先頭には、「清少納言」役の方がまだ乗っていらっしゃいます)


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鷁頭船の方も近づいてきました。
こちらには白拍子の踊り子さんが、数人乗っていらっしゃいます。
こちらは、歌いながら踊っていらっしゃいます。


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三船祭の舟遊びは、午後2時から始まって午後3時に終わりました。
この時間からではどのお祭りも間に合いませんが、
実はこの後もう1カ所取材をしたのですが、
そこへは電車を何台も乗り継いで、次回とします。

今回はここまでです……とその前に、ここにお参りします。
「渡月橋」交差点横にいらっしゃる車折神社嵐山屯宮ですね。
三船祭はここの祭祀なのですが、
この扉も閉まったまま開きませんでした。

~次回は、夕方から別のところを取材します~

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第399回 東九条の焼肉屋水月亭~高倉通南から北~その3

[水月亭] ブログ村キーワード
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高倉通から北を向き、九条通を見ています。
高倉通はここでいったん突き当たりますが、
脇に見える歩道橋を渡るとまた高倉通が北に伸びます。
今回はさらに北上し、焼肉屋の名店「水月亭」に立ち寄ります。
(個人的に選んだ「京都3大焼肉店」の筆頭です)
撮影日は、2016年5月15日日曜日午後4時半。
その前に、近くの神社に参拝します。


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高倉通から、九条通を東に向いています。
約80m先に河原町通との交差点があり、
その先から東の九条通は大きな橋になります。


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高倉通から九条通を東に約50m進み、南を向きました。
河原町通へ行く手前に、こちらの碑があります。
ここから九条通を南に進むと、新宮神社がいらっしゃいます。
先ずは、そちらに進みます。


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九条通から、南に約30m進みました。
小さな赤い鳥居に混まれた場所が、その新宮神社です。
この路地の中は、写真をクリックすると拡大されます。


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新宮神社は、路地の民家が密集している中にいらっしゃいます。
いくつも紹介してきましたが、典型的な京都市街地の神社ですね。
では、こちらの境内に入っていきます。


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本堂の右(北)側に、狛犬像がいらっしゃいます。
口から、「阿形」と分かります。


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そして、こちらが左(南)側の狛犬です。
口が閉じているので、「吽形」ですね。


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こちらが、新宮神社の本殿です。
写真には上手く写っていませんが、格子戸の向こうには狐の像と
「新宮神社」と書かれた提灯が飾ってあります。
そうなると、御祭神は宇迦御霊神ということになるのですが……
こちらは春日大明神・八幡大菩薩・稲荷大明神・速玉大明神が
合祀されています。
速玉大明神は和歌山県の熊野三山の1柱で、
九条兼実が平安時代末期に熊野神社をこの地に勧請したのが
この神社の始まりと言われています。
(必ずしも定説ではありません)
また、こちらは家出人が家に帰ってくるという御利益があり
その信仰は今も続いています。

旧東九条村には、この新宮神社以外にも
第396回ブログの宇賀神社と薬院神社がいらっしゃいました。
ところが、1879年(明治12年)当時の槇村京都府知事が
「一つの村に、神社は1柱のみ」
という条例を出したため、宇賀神社以外の2柱
つまり薬院神社と新宮神社の廃止が決まりました。
ただ、実際には廃されずに
薬院神社は第218回ブログに出てきた城興寺境内の
茶枳尼天堂と合祀されて薬院稲荷神社となりました。
新宮神社は、九条家邸宅跡のこの地に移転しました。
(元は、河原町通以東にいらっしゃいました)


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新宮神社の本殿に背を向け、東に向いています。
では、この新宮神社を出ます。


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新宮神社の向かい(東)に、こちらの京町屋が並んでいます。
京町屋は、この辺りから北に点在しだします。


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新宮神社から、北を向いています。
ここから、向こうに見える九条通に戻ります。


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新宮神社から約30m北に進み、九条通に戻ってきました。
クリック写真が拡大されるのは、ここまでです。


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その場で、九条通を西に向きました。
次は、高倉通の向こうにある歩道橋を渡り北上します。


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こちらが、その歩道橋です。
では、ここを渡り九条通の北側に移動します。


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歩道橋の階段を登り切りました。
ここから、九条通の北側に渡っていきます。


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その歩道橋の上から、九条通を東に向いています。
九条通は目の前の河原町通との交差点から上り坂になっていますが、
ここから約500mに渡る長い「九条橋」があります。
この橋は高瀬川→鴨川→師団街道→琵琶湖疎水→本町通に架かり、
東詰めの「東福寺」交差点で九条通が突き当たります。
そこから北に東大路が伸びており、
その東側から東福寺に入ることができます。
(詳細は、第2回ブログで
この写真も、クリックすると拡大されます。


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歩道橋の北端まで進み、西を向きました。
約100m先に、「大石橋」交差点が見えますね。
(九条通と竹田街道との交差点です)
歩道橋の階段を下りたところから、高倉通が北に伸びています。


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九条通から、高倉通を北に向いています。
では、ここを北上しています。


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九条通から、高倉通を北に約50m進みました。
分かりにくいですが、ここは筋違いの四辻です。


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筋違いの四辻で、東を向きました。
こちらに地元民用のカラオケバーがあって、
ハングルで「シゴル」と書いてあります。(「田舎」という意味)
第219回ブログでも書きましたが、
この辺りには結構ハングルで書かれた看板があります。
それが、京都市南区の特徴の一つですね。


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今度は、その辻の南西角です。
こちらは、九品寺(くぼんじ)という浄土宗の寺院です。
この規模でwikiに載っているのはかなり珍しいのですが、
元は後鳥羽上皇が居住していた鳥羽殿にあったようです。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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九品寺の右(北)側に、こちらの畠があります。
いろいろ野菜が栽培されていますが、九条ネギが一番多いようです。
九条ネギは京野菜の一種で、地面より上の青い部分を食べます。
(下仁田ネギなどに多い白い部分が、ほとんどありません)
その名の通り、今も九条通沿いで多く栽培されています。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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そのネギ畠の北隣も、また小さな寺院です。
こちらは、日蓮正宗の「九條住本寺」です。
京都には「住本寺」という日蓮宗寺院がとても多いのですが、
それぞれに関係があるのでしょうか?
この写真も、クリックすると拡大されます。


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その九條住本寺の北側にまた東西の道があって、
この高倉通との四辻になっています。
その位置で、高倉通からその道を西に向いています。
こちらは西洞院通~高瀬川間の約1㎞の短い道で、
この辺のメインストリートの割には特に名前がありません。
向こうに大きな建物が見えます。
元々はスーパーマーケットのジャスコ 九条店でしたが、
専門学校になった後今は廃ビルになりました。
そのジャスコを中心に喫茶店などの飲食店や
キムチ屋さんなどの商店舗が並んでいましたが、
大半がもう潰れてしまいました。
自分もよく来た場所だけに、とても寂しいですね。


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その辻で、高倉通で北を向きました。
では、またここを進んでいきます。


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高倉通を北上しています。
高倉通沿いに、こちらの京町屋が並んでいました。
家の前の鉢植えは、今が旬のようです。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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九条通から、高倉通を北に約250m進みました。
ここで、東寺道と交差します。


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高倉通から、東寺道を西に向いています。
東寺道はその名の通り、東寺まで続いています。
途中イオンモールや近鉄高架下の焼き肉屋「はやし」を経由します。
(自分が個人的に選んだ「京都3大焼肉屋」の1軒です)
その辺りの東寺道は結構広い道なのですが、
ここから竹田街道まではこのように狭い道です。
ただ、ここには銭湯や八百屋などいろいろなお店が並んでいます。


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今度は、高倉通から東寺道を東に向きました。
この辺りだけ、少し道幅が広くなります。
ここの左(北)側は大きなマンションですが、
右(南)側は手前から寿司屋さん・酒屋さん・キムチ屋さんです。
では、ここから東寺道を東に進みます。


399-30.jpg
高倉通から、東寺道を約60m進みました。
河原町通に行くまでに、こちらの焼肉屋さんがあります。
こちらが、今回のメイン「水月亭」です。
自分が個人的に選んだ「京都3大焼肉屋さん」の筆頭です。
(つまり、3軒の中でも一番おいしいお店)
現在2016年5月15日午後5時。
開店時間を回っていますので、中に入ります。


399-31.jpg
自分はここの30年来の常連なのですが、
改めてこの店のブログ取材許可を取りました。
ちなみに、ここは店内ブログ掲載禁止です。
ただお料理の撮影はOKで、
その際にテーブルが写ってしまうのも撮影OKです。

いろいろ注文したのですが、量が多いので順番に出てきます。
先ずは、蒸し豚とマッコリが出てきました。
蒸し豚はある程度ゆでた後に、蒸してあります。
「皮つき」なので、その部分がコリコリしていて面白いですね。
こちらは、このお店オリジナルのタレで食べます。
そうこうしているうちに、ハラミが鉄板の上に置かれました。
この店オリジナルの漬けタレで仕込んだものを
蒸し豚と同じタレで食べます。
ここから料理の写真は、クリックすると全て拡大されます。


399-32.jpg
うっかりしていたのですが、ハラミの焼けた写真を撮り忘れました。
ハラミは自分で焼くのですが、
ここのお肉は弱火で時間をかけると中の肉汁が残っておいしいです。

マッコリを飲みながら、蒸し豚とハラミを完食しました。
まだマッコリが残っていたので、こちらを頼みました。
「キムチ鍋」と書かれていますが、要するにキムチチゲです。
先ほどの蒸し豚を煮込んで、キムチなどで味付けています。
ポイントは玉ねぎが入っていて、そのことでスープに甘味が出ます。
また大きめの豆腐が入っていて、煮込みすぎる前に食べます。
個人的には、チゲ鍋は豆腐料理と思っています。


399-33.jpg
「キムチ鍋」を食べていると、マッコリを全部飲んでしまいました。
そこで、ご飯を1膳頼みました。次に鍋の中の具をすべて出します。


399-34.jpg
その後、そのご飯を鍋の中に入れます。
汁を飛ばすまで煮込んで、茶碗に戻して食べます。
こうすると、キムチ鍋のスープを余すところなく食べられます。
ちなみにここのキムチは自家製で、
単に辛いだけでなくしっかりと白菜本来の甘味もあります。
こういう料理は、辛味の中の甘味を味わうのが醍醐味です。
この店は一品一品丁寧に作られるので、
そう言う部分をしっかり味わえます。

ちなみに、これら全てでだいたい2,000円でした。
蒸し豚の代わりにネギチジミを頼むこともあるのですが、
それだとだいたい1,700円くらいになります。
クリックすると写真が拡大されるのは、ここまでです。


399-35.jpg
「水月亭」を出ると、午後6時を回っていました。
冬なら完全に夜ですが、5月末ならこの明るさですね。
「水月亭」から東寺道を高倉通に戻って、北を向きました。
では、この高倉通をまた北上します。


399-36.jpg
東寺道から、高倉通を北に約100m進みました。
こちらは、針小路との四辻です。


399-37.jpg
高倉通から、針小路を西に向いています。
左(南)側が2014年まで京都市立山王小学校でしたが、
現在は廃校されています。
右(北)側も、電柱より向こうは京都市水道局です。
ずっと先に白いビルが見えますが、その辺りが竹田街道です。
そして、その北側に京都駅前ビルのAVANTIがあります。


399-38.jpg
針小路から、高倉通を北上しています。
この辺は30年くらい前まで住宅地でしたが、
今はあちこちホテルができてきています。
高倉通は、針小路から約150m北の八条通で突き当たります。
突き当りにあるビルの脇に、新幹線が見えます。
つまりビルの裏手(北側)に、JRの線路が並びます。
京都市街地の通りの大半が、この線路で途切れます。


399-39.jpg
高倉通を北上し、八条通で突き当たりました。
八条通から北は、「京都市南区東九条」から
「京都市下京区」に変わります。
ここで西を向き、もう少しだけ進みます。


399-40.jpg
高倉通から、八条通を西に約150m進みました。
ここが「八条竹田街道」交差点で、ここより西が京都駅八条口です。
また、この交差点から北に進むとまた高倉通が復活します。
とは言え写真をだいぶ貼り付けたので、今回はここまでとします。

~次回は高倉跨線橋から北上し、
「たかばし」のラーメン店と猿寺正行院の前を通ります~

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生まれたときから50数年
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詳しく
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こちらは、
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連載されています。
こちらも、
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「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
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あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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