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第440回 紅葉の開山堂~月輪紅葉散策2016~その3

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東福寺日下門から北に進み、通天橋の北側に来ました。
(通天橋自体は、まだ渡っていないのですが……)
今回はこちらの東福寺開山堂を拝観して、通天橋を渡ります。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後11時半。
今回も、クリックすればすべての写真が拡大されます。


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先程の場所から北上し、東福寺開山堂の境内に入ってきました。
普段と異なり紅葉シーズンは人が多いので、
境内は時計回りの一方通行です。


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では、先に左(西)側の普門院の脇を通って開山堂方面に向かいます。
普門院は東福寺の僧侶が日常的に座禅などの修行をする場で、
開山堂は2Fの回廊がある建物です。
その周囲に白い砂が敷き詰められている部分には、誰も入りません。
そちらはここの石庭の一部で、立ち入り禁止です。


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普門院の前で、開山堂を見ています。
開山堂の前から、南向きの石畳の道が伸びています。
その道が、開山堂庭園を縦断しているのが面白いですね。


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普門院の前で、向かい(東)側を見ています。
こちらの庭園は、ここから見るように造られています。
普段東福寺の僧侶が、座禅中に見ている風景ですね。
ただ、この紅葉シーズンは人が多くてまた違う眺めになります。


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普門院は中には入れませんが、
縁側にもたれて庭園を眺めることができます。
ただ、このシーズンではそれも難しいですね。
そのまま普門院の前を歩いていって、開山堂の前に到達します。


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普門院の前を通り過ぎ、開山堂の前に来ました。
開山堂の中には入れませんが、
格子の前から釈迦三尊像を拝むことはできます。
自分も順番が来たら、格子の前で手を合わせました。


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開山堂の格子の前で、南を向きました。
ここから通天橋経由で、
法堂(本堂)の前まで続く石畳の道が続いています。
東福寺で修業されている僧侶は、
毎朝この道を通って開山堂と法堂でお祈りをしています。
では、その道を今から辿ります。


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前述のように、この開山堂から伸びる石畳の道は
開山堂庭園を縦断しています。
この道の左(東)側は築山の周囲に池と苔の庭園です。
右(西)の石庭と対照的で面白いですね。


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その道から、普門院を見ています。
あちらの縁側に座って、修行僧が早朝に座禅を組まれます。


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東福寺開山堂庭園の築山の前で、南を向きました。
ここを進むと、楼閣の付いた開山堂の門をくぐれます。
(今回ブログ最初の地点ですね)


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開山堂庭園の南端に、こちらの手水鉢がありました。
落葉がだいぶ進んでいるので、
水底にカエデの葉がだいぶ溜まっていますね。
ちょっと第93回ブログの常寂光寺を思い出しました。


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では、東福寺開山堂の門をくぐります。
ここが、今回ブログ最初の地点です。


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東福寺開山堂の門をくぐりました。ここから急な石段が続きます。
ここから南に、屋根の付いた回廊が東福寺法堂まで続いています。
では、今度はその途中にある通天橋に向かいます。


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この下り階段の回廊は、約10m南に進んだ後右(西)に折れます。
その曲がり角にたくさんの方が立ち止まっておられました。
この角度からなら、通天橋とその周囲が見えます。


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こちらが、その角度から撮った写真です。
右(西)側の小屋根が通天橋のもので、正面が東福寺方丈です。
こうしてみると、方丈は紅葉の海に浮かぶ船ですね。


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西に向かう回廊の階段は約10mで南に折れ曲がります。
もしこのまま西に向かえば、
前回ブログで散策した通天橋の周辺に出ます。


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先程の地点から、西に約10m石段を下りました。
ここで南を向くと、回廊が一直線に続いています。
ここからは平坦になるので、本当に真っすぐな道ですね。


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では、この回廊を南へと進んでいきます。
ここを進んでいくうちに、通天橋の上に到達します。


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南へと続く回廊から、東に向いています。
この辺りの紅葉はまだまだ濃密なので、
たくさんの方々が携帯電話やデジタルカメラを
差し出しておられました。
その先に東福寺方丈が見えますが、
ここと方丈との間には三ノ瀬川があって、
あちらに行くには通天橋を渡る必要があります。


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その回廊を歩いていると
いつの間にか通天橋を渡ることになります。
この辺りは特に道に起伏がないので、
ぼんやり歩いていたら通天橋に気づかずに
歩いてここを出てしまいます。

……で、この瞬間に通天橋を渡っています。
とてもゆっくり写真を撮っている状況ではないので、
歩きながらそっと通天橋の西側を撮りました。
(前回ブログで散策した場所ですね)


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今度は、通天橋上で東を向きました。
三ノ瀬川の崖の上に、東福寺方丈が見えます。
次回ブログでは、あちら側からこちらの通天橋を眺めます。


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回廊をそのまま南へ進んでいくと、通天橋を渡り切りました。
ただ、回廊内の様子には変わりありません。
では、このまま南に進み拝観チケットの対象範囲から出ます。


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その辺りで、回廊の西側に向きました。
向こうに見えるのが、前回ブログで散策した地域です。
(「紅い絨毯」が、ここからでもよく見えますね)


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さらに回廊を南へと進みます。
右(西)側を見ると、正午になって参拝者がますます増えていきます。
まぁ、これでも例年よりは人出が少ないです。
(逆に考えれば、「例年」の人出の多さが物凄いのですが)


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さらにさらに回廊を歩いていって、木戸を越えました。
これで、有料拝観の地域を出ることになります。


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有料拝観の地域を出ても、回廊はまだまだ南に伸びています。
この先の法堂で、回廊は突き当たります。
そして、ここで東福寺日下門から東に伸びる道と交差します。


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回廊から、東を向きました。
普段とは違い、紅葉シーズンにはこの辺りに
土産物屋さんが建ち並びます。
(元々、東福寺周辺には土産物屋さんがほとんどありません)
次はその先に見える東福寺方丈に向かいます。

……ただ、今回もだいぶ写真を貼り付けましたので
ここから先に次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、東福寺方丈を散策した後
偃月橋の先にある即宗院と龍源庵を散策します~

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第441回 東福寺方丈庭園~月輪紅葉散策2016~その4

[東福寺] ブログ村キーワード
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東福寺通天橋を南に渡り、日下門の前で東に向きました。
普段はこの辺りには何もないのですが、
紅葉シーズンになると様々な土産物屋さんが並びます。
今回はここを素通りして、向こう(東)に見える方丈に向かいます。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日の正午。
今回もクリックした写真は、全て拡大されます。


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実は、先ほどの建物は正確には方丈ではなく庫裏です。
方丈とはその寺院の最高位の僧侶が住んだ方状(正方形)の建物で、
庫裏とはその手前にあるその寺院の雑務を行うところです。
(寺務所を兼ねる寺院も多いですね)

庫裏でまた拝観料を払い、(通天橋とは別料金)
廊下を抜けると、方丈へと続く渡り廊下に出ます。
暗いところから明るいところに出てきてすぐに写真を撮ったので、
だいぶボケてしまいました……
ただ他にここを撮っていなので、こちらを載せます。


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その渡り廊下の東側を撮りました。
廊下の下に広がる石庭が波間を表し、
海の上を歩いているようにも見えますね。


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同じ場所で、西を向きました。こちらが、方丈です。
この辺りは庫裏と方丈内部が撮影できませんが、
周囲の廊下と方丈庭園の撮影は可能です。


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では、東福寺の方丈庭園を見て回ります。
通常方丈庭園は、南側庭園から時計回りに進みます。
こちらは、方丈南側庭園の東端部分です。
背後に、先ほど出てきた東福寺の庫裏が見えますね。
手前の石は、砂の波に浮かぶ船を表しています。


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今度は方丈南側庭園の西側を見ています。
石でできた船が砂の海を漂った末に
西方浄土に辿り着いた様子を描いています。
考え方次第では「迷った末に悟りを開く」ということでしょうか?


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では庭園の縁側に座って、ちょっと休憩です。
こういう石庭は、修行僧が座禅を組み瞑想する為に作られました。
とは言え、修行僧ではない自分たちにとって石庭は
座禅を組む代わりにちょっとおしゃべりをするのに向いています。
もちろん禅寺で大声ではしゃいではいけませんが、
そこそこの大きさの声で暫くくつろぐのが、ここの醍醐味です。
ちなみに、ここは梅雨時にはまた味のある景色に変わります。


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ウチの母と暫くお話した後、その場で西を向きました。
では、向こうの庭園を眺めに行きます。


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先程の扉を抜けて、方丈の縁側を西に歩いていきます。
こちらは、方丈西側庭園です。
その先に、前回ブログに出てきた通天橋が見えますね。


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方丈の北西角から、通天橋の方を見ています。
この場所で写真を撮られる方も多いですが……


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こちらは、先ほどの西側です。
東福寺方丈の北西角に、このような展望台があります。
ここは、通天橋を眺めるための場所です。


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方丈北西角の展望台から、南西を向いています。
こちらから、通天橋を眺めています。
通天橋が、紅葉の海の上に浮かんでいます。
本当は通天橋はそれ自体から周囲を見るよりも、、
周辺からこの橋を眺める方が絶景です。


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この位置から、方丈の床下を見ています。
棘の形状から柚子の木と分かりますが、
落ちている実はまだまだ小さいですね。


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そして、方丈北側庭園に進みます。
こちらの格子状の苔と石庭が、方丈庭園のもう一つの象徴ですね。


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ここの格子状の置石は、南西角が濃密で、北東角がまばらです。
石がない部分には、苔が敷き詰められています。
その先にカエデ並木があり、その先には三ノ瀬川の崖があります。


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方丈の東側に、回ってきました。
こちらの庭園は、先程写真に撮りました。


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東福寺方丈庭園の北東角を見ています。
カエデ並木の先に、偃月橋(えんげつきょう)が見えますね。


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東福寺方丈庭園をこれで1周しました。
では渡り廊下から庫裏に戻り、ここを出ます。


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庫裏を出て、東福寺境内で南を向きました。
目の前に、法堂(本堂)があります。
その西側の回廊を進むと、前回ブログの通天橋に出ます。


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同じ場所で、また東に振り返りました。
庫裏の南側に、抜け道があります。
こちらを通ると、前回ブログに出てきた開山堂の北側に行けます。


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次は、その抜け道を通ります。ここから看板が2枚見えます。
ここから東福寺の塔頭寺院2寺に着けます。


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東福寺庫裏の南東端で、北を向きました。
ここから庫裏の東側壁面を北上します。


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カエデ並木を北上すると、目の前に白壁が現れます。
その壁の向こうに、三ノ瀬川が流れています。
その先に、小さな橋が架かっていますね。


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こちらが、その小さな橋です。
「偃月(えんげつ)」と書かれた扁額が掛かっています。
「臥雲橋」「通天橋」と並ぶ東福寺3橋の一つ「偃月橋」ですね。
では、こちらを北に渡り三ノ瀬川北岸に再び行きます。


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偃月橋から、東を向きました。こちらが、三ノ瀬川の上流です。
三ノ瀬川は御山(稲荷山)の薬力の滝などの湧き水が集まって、
ここまで流れてきました。(第371回ブログ参照)


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今度は偃月橋から三ノ瀬川の下流側を向きました。
この先に、通天橋と臥雲橋が架かっています。
ほんとは左(南西)側に先ほどの方丈庭園があるのですが、
カエデ並木のせいで見えませんね。


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では、偃月共を渡り三ノ瀬川北岸に向かいます。
向こう側には、東福寺建中寺院が並んでいます。


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偃月橋を渡り、北を向いています。
目の前に、塔頭寺院の一つ龍吟庵があります。
こちらの方丈は、国宝に指定されています。
西郷隆盛は京都にいたころ、この寺院で暮らしたことがありました。


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同じ場所で、東を向きました。
こちらにも、塔頭寺院の一つ即宗院があります。
こちらの紅葉はこの辺りでも屈指の絶景なのですが、
普段は管理する方がいらっしゃらないので、閉まっています。
紅葉シーズンにここが公開されるのは、2011年以来5年ぶりです。
次はここにお邪魔するのですが、
今回ももうだいぶ写真を貼り付けました。
これ以降は、次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、即宗院と龍吟庵に訪れます~

続きを読む

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第442回 5年ぶりの即宗院~月輪紅葉散策2016~その5

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臥雲橋や通天橋といった「東福寺3橋」のうち、
いちばん上流側にある偃月橋(えんげつきょう)を北に渡りました。
こちら側には、東福寺の塔頭が2寺あります。
そのうち、こちらは東側の即宗院です。
東福寺塔頭のうち最も紅葉が美しい寺院ですが、
普段は非公開で今年(2016年)は5年ぶり公開です。
今回はこの寺院と、ここの北側の龍吟庵にお邪魔します。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後0時半。
今回もクリックした写真は、全て拡大されます。


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では先ほどの写真に写っていた石段を上り、
臨時のチケット売り場に拝観料300円を支払いました。
チケット売り場の脇に門があって、
その脇には門番の仁王門像が立っています。
こちらは、「阿形」ですね。


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そして、こちらが「吽形」の仁王像です。
これらは、門と同じ慶長年間(豊臣秀吉の治世)に作られました。


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即宗院の門をくぐり、東に向いています。
ここでY字路になりますが、時計回りの順路なので左に向かいます。


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再び門をくぐり、即宗院の境内に入っていきます。
臨済宗東福寺派臥雲山即宗院は、
南北朝時代に建立された島津氏の菩提寺です。
その後も薩摩藩(島津藩)と関係が深く、
幕末に西郷隆盛が一時期この辺に住んでいました。
また、東福寺が立っている辺りは
平安時代には法性寺が建っていましたが、
当時の庭園が現在もここに残っています。


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門をくぐり、即宗院境内に入ってきました。
こちらは本堂などの建造物内部に入ったり
撮影したりすることが禁止されていますが、
境内での撮影は苔を破壊する三脚などを使わない限り撮影可能です。


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先程の写真にも写っていましたが、
即宗院の本堂には白いカーテンが掛かっており
中を見ることができません。
本堂の前に椅子が並んでいて、
そちらに座ってこちらの庭園を眺めることができます。


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母と二人でその椅子に座り、こちらを眺めていました。
即宗院の庭園は、カエデと杉苔で構成されています。
前回ブログの東福寺方丈庭園でも休憩しているので、
割と短時間で立ち上がりました。
では、ここから本格的に即宗院庭園を散策します。


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その椅子のある即宗院本堂から、南東へ道が伸びています。
では、こちらの庭園の絶景ポイントの南東端に向かいます。


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即宗院庭園南東端を起点に、
庭園の東側と南側に偃月(三日月)型の池があります。
こちらは、即宗院南東端から西に向いた写真です。
カエデの落葉が池に浮かび、
池と樹上に重なる紅葉がここを別世界に変えます。
残念なのは、今年(2016年)は紅葉が進みすぎて
カエデの葉が池に落ちていた時間が長く、
大半の葉が池の底に沈んでいまっていることです。
5年前に公開されていたときは、こんな感じでした。


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同じ場所でちょっとだけ北に向けて、偃月の池を撮りました。
池沿いに道があって、そこから多くの方が写真を撮られていました。
では、西に進みここを出て行きます。


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偃月の池の西端まで来て、東に振り返りました。
これはこれで……結構いい眺めです。
ここから見ると、細長い池が
途中左(北)に曲がっているのが分かりますね。


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偃月の池の最西端のさらに西側は、こうなっています。
杉苔の上に、マンリョウの小さな木々が並んでいますね。


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偃月の池の最西端から、さらに西を向いています。
では、ここを進んで即宗院を出ます。


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即宗院庭園を出ました。
この先はT字路で、南東と北西の道に分かれます。


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そのT字路で、南東を向きました。
こちらを進むと、西郷隆盛が立てた「東征戦亡の碑」があります。
ただ紆余曲折の後裏山(稲荷山)に入り、さらにその先にあります。
自分一人なら無理しますが、
母は3年前宝塔寺山山頂に登ったときにだいぶバテていました。
ですから、今回はここより先には行きません。


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そういう訳で、北西の方の道を進みます。
目の前のY字路は、先ほどに通った場所です。


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そのY字路から、西に向きました。
では、あちらの即宗臣山門に向かいます。


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即宗院山門から、西を向いています。
この石段の下が、今回ブログ最初の地点です。
左(南)側が前回ブログで渡った偃月橋で、
右(北)側が今から訪れる龍吟庵です。


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いったん即宗院前の石段を下りて、北を向きました。
次は、向こうの龍吟庵に向かいます。


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先程の石段を上って、テントで拝観料500円を払いました。
そして、こちらの門から龍吟庵に入っていきます。


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龍吟庵の門をくぐると、すぐに二手に道が割れます。
では、左手の方丈へと向かいます。
(右側は、龍吟庵の僧侶のプライベートスペースで非公開です)

臨済宗東福寺派筆頭塔頭龍吟庵は、
元々東福寺第3代住持無関普門の住宅でした。
こちらの方丈は室町時代初期に建立されたもので、
応仁の乱の戦乱でも焼け残った数少ない京都市街地の文化財です。
そのため、こちらの方丈は国宝に指定されています。


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先述の通り龍吟庵の方丈は国宝なので、撮影不可です。
さらに手前の手すりも含めて、
方丈内のものに触れることも禁止されています。
(うっかり触ったウチの母は、学芸員さんに叱られていました)
ただし、建物内部を撮らない限り撮影は可能です。

こちらは普段は非公開なのですが、毎年11月のみ公開されます。
その際、学芸員さんがここで解説もされます。
方状正面の南側に学芸員さんが陣取られるので、
(たくさんの人に邪魔になるといけないので)
方丈南側庭園の写真は撮影していません。
こちらは、ここの象徴である方丈西側庭園です。
いくつかの石が並ぶ石庭なのですが、
こちらの石が龍頭の形に並んでいます。


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こちらは、同じ方丈西側庭園の北側です。
大きなカエデからの落葉が、ここの自分のお気に入りです。


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龍吟庵方状の北側には、庭園がありません。
代わりに、こちらが建っています。
先述の無関普門の霊廟ですね。(要するに、お墓です)


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その霊廟の前で、東を向きました。
どこの方丈庭園も、通常時計回りで進みます。
この扉から方丈内部を覗けますが、写真撮影は不可です。


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こちらが、龍吟庵方状東側庭園です。
多少小さな坪庭ですが、砂が赤いのが面白いですね。


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では、こちらから方丈を出ます。
入るときに脱いだ靴をここでまた履きます。


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龍吟庵方状を出ました。
ここをまっすぐ進んで石段を下りれば、今回ブログ最初の地点です。


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その石段を下り南を向きました。ここが今回ブログ最初の地点です。
この左(東)側に、先にお邪魔した即宗院があります。
次は、目の前の三ノ瀬川に架かる偃月橋を渡ります。


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先程の場所から南進し、偃月橋を渡りました。
左(東)側は山側で、右(西)側の石垣は東福寺の庫裏のものです。
(前回ブログで訪れましたね)


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先程の道を南に着突き当たり、右(西)に向きました。
右(北)側に、東福寺の庫裏が見えます。
ではここを進み、東福寺境内に戻っていきます。


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先程の場所からさらに西に約20m進み、
東福寺庫裏入口前に戻ってきました。
(前回ブログ最初の地点ですね)
次はここから南に進み、東福寺境内を1周します。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けたので、後は次回です。

今回は、ここまでです。

~次回は東福寺塔頭の最勝金剛院と東福寺山門・法堂に向かいます~

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第443回 東福寺三門と法堂~月輪紅葉散策2016~その6

[東福寺] ブログ村キーワード
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三ノ瀬川に架かる「東福寺3橋」の一つ偃月橋を南に渡り、
東福寺の方状(正確には庫裏)の前で西を向いています。
目の前の回廊を右(北)に進むと、
第440回ブログ以来の通天橋に通じています。
今回は東福寺境内の南側を散策した後、
残りの「東福寺3橋」臥雲橋を渡ります。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後1時。
今回もクリックされた写真は、全て拡大されます。


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先程の写真と同じ場所で、南を向きました。
では、ここから東福寺境内の東側を南下していきます。


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東福寺方丈(庫裏)から、東福寺境内を南進しています。
東福寺庫裏の南隣に宗務本院があるのですが、
その手前に普段は使われてない建物があります。
そちらが、紅葉シーズンは茶店に変わります。
(この南側が、便所です)


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その茶店は、超満員でした。
大半の方々が入りきれないので、その西側に縁台が並びます。
(東福寺法堂の東側です)
こちらも、お客さんでいっぱいですね。


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フレームから外れていますが、茶店(法堂)の前で南を向いています。
ずっと先に、東福寺山門が見えますね。
ただ、その前に左(東)に伸びる手前の道に立ち寄ります。


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その道の前で、東を向きました。
この緩やかな上り坂の先にも、寺院があるようです。
右(南)側の石碑には、「月輪殿下兼実公本墓」とあります。
「月輪殿下兼実」とは、九条兼実の別名です。
(平安時代や鎌倉時代の貴族は、住所で呼ばれていました)
つまり、この先に九条兼実のお墓がいらっしゃいます。
では、ちょっとこちらにお邪魔します。


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先程の地点から、東に約100m進みました。
では、この日下門をくぐって最勝金剛院に入ります。
ちなみに、この門より東は「京都市東山区月輪」から
「京都市伏見区深草」に変わります。


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最勝金剛院の日下門をくぐり、東に向いています。
境内は一本道で、その周囲が墓地です。
この寺院は東福寺の墓地という側面があるので、
ここの境内の大半がお墓です。
左(北)側の枯れ枝は桜と思っていたのですが、よく見れば梅でした。


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墓地を抜けても、まだ境内は東に伸びています。
この先に、最勝金剛院の本堂があります。


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その辺りで、南を向きました。
分別ごみ箱(京都市は割と細かく指示が出ます)の先に、
白い寒椿が咲いていました。


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その向かい(北)側に、最勝金剛院の本堂が建っています。
手前の枝垂桜は、皇族からの下賜品です。

鎌倉時代に東福寺が建立される前まで、
この辺りには法性寺が建っていました。
ですから、この辺りはその法性寺の東端に当たりました。
この寺院は元は藤原忠通の正室藤原宗子の発願で
1148年に建てられたお堂から始まっています。
その後、1205年に法性寺の塔頭寺院になりました。
その約50年後にこの地が法性寺から東福寺の寺領となったとき、
この最勝金剛院はそのまま東福寺の塔頭寺院になりました。
また、九条(藤原)兼実も一時期この辺りに住んでおり、
そのためこの寺院は九条氏の菩提寺でもあります。


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こちらが、最勝金剛院の最東端です。
こちらの霊廟が九条兼実のお墓でしょうか?
(確か、藤原宗子の霊廟もいらしたはずですし)


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その霊廟の前で振り返り、西を向いています。
では、今来た道を戻ります。


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最勝金剛院の日下門をくぐり、西を向いています。
ここでまた、「京都市東山区月輪」に戻ってきました。
次は、この坂道を下ります。


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先程の地点から西に約100m進み、東福寺境内に戻ってきました。
右(北)側の繁みの向こうに、東福寺法堂があります。
真正面には、東福寺僧堂が見えますね。


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東福寺境内の東側に戻り、南を向きました。
向こうに、東福寺三門が見えますね。


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先程の場所から約50m南下し、東を向きました。
この鳥居の先に、五社大明神がいらっしゃいます。
(第86回ブログを参照してください)
ただ、今回は時間の都合で素通りします。


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その南隣は、鎌倉時代の浴室です。
鎌倉時代からあるので、サウナ風呂ですね。
(現在のお風呂は、江戸時代以降にできました)
手前のカエデの紅葉が、きれいですね。


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その浴室は、東福寺境内の南東端にあります。
次は、そこから西を向きました。
ですから、左(南)側の塀の向こうはもう東福寺ではありません。
東福寺境内の南西端の勅使門へ向かう途中、
最南端中央に柵が付いています。
次は、そちらに向かいます。


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その柵の前で北を向きました。池越しに東福寺山門が見えます。
勅使門の先に大きな三門→法堂と続くのは、
南禅寺建仁寺大徳寺など臨済宗の各派本山に共通しています。
そしてここが絶景ポイントなのも、共通していますね。


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その場所から、西を向きました。あちらが、東福寺の勅使門です。
皇族などの貴賓が来られたときのみ、開かれます。
まぁ通常勅使門は、どの寺院も閉じられたままです。


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その勅使門の西側に、こちらの小さな門があります。
もし京阪電鉄「鳥羽街道」駅から東福寺北大門経由で来るなら、
こちらの門をくぐることになります。
ちなみに、自分が高校生の頃はこの門から境内に入っていました。


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その門から、東福寺境内を北に向いています。
右(東)側に東福寺三門が見えていますね。
そう言えば、いつの間にか晴れています。


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先程の地点から、東福寺境内を約100m北上しました。
東福寺法堂を南西角から見ています。
建仁寺同様こちらは特に撮影を禁じていませんが、
自分は本堂のご本尊は撮らないようにしています。
こちらのご本尊は釈迦三尊像で、天井画は堂本印象筆です。
この裏(北)から真っすぐ回廊が伸びており、
通天橋経由で開山堂に向かっています。
この回廊は、開山堂~法堂間の「朝のお務め」に利用されます。


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東福寺法堂の西側を北上しています。
向こうに通天橋へのチケット売り場が見えますが、
これでブログ5回使って東福寺を一周したことになります。


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東福寺法堂の北側まで進み、そこから西に向きました。
では向こうに見える日下門から、東福寺を出ます。


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東福寺日下門を出て、北を向きました。
この左(西)側の下り坂を進めば、
第438回ブログに出てきた芬陀院東福寺中大門があります。
とは言え、本当は今向いている道の方が
東福寺の通常観光ルートです。
(第3回ブログ第15回ブログ参照)
では、今度はこの道から「御寺」泉涌寺を目指します。


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東福寺日下門から、東福寺の土塀沿いに北上しています。
この辺りも、紅葉が濃いですね。
右(東)側の東福寺に対して、左(西)側は塔頭寺院の天得院です。
(入り口が、第438回ブログに出てきました)
天得院の前の大きな門は、マイクロバスの出入りが可能です。
といいますのも、ここは「東福寺保育園」を経営しており、
そのバスが平日ならここから出入りします。
そして、今年(2016年)もその門の前で
ヨモギの焼麩まんじゅうの屋台が出ています。
自分は、これ目当てで毎年ここに来ています。
だんだん東福寺といいますか、天得院の名物となってきましたね。


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もちろん今年(2016年)も2個買いました。(自分と母の分です)
そう言えば、ここ5年ほどお値段据え置きですね。
ちなみに、平日は保育園バスの邪魔にならないように
芬陀院の前で売っています。


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そのまんじゅうを半分に割りました。
中には粒あんが、ぎっしり詰まっています。


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紅葉の下で焼麩まんじゅうを立ち食いしながら、北側を向きました。
この先に、重要文化財の臥雲橋が見えます。


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いよいよこの東福寺最高の絶景ポイント臥雲橋に来ました。
ところが、今年(2016年)から橋の上での撮影が厳禁になりました。


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まぁ自分の場合以前から撮った写真のストックがありますので、
撮影が禁止されても昔の分を掲載できます。
(こちらは、第15回ブログ取材時の2011年11月24日撮影分です。
ちなみに、このブログで使用している自分のアバターです)
この橋の上から見た通天橋が京都で一番の絶景なのですが、
実はこの橋はとても狭くてここで誰かが立ち止まったら
あとから来た人に圧されて橋の下(崖の下)に転落の危険があります。
その意味で、ここの撮影禁止は致し方ないと思っています。
(自分も、何年か前に落ちそうになりましたし……)
ここは東福寺の外ですから、東福寺の開門時間に縛られません。
ですから、もしここの撮影をしたいなら早朝に来るといいでしょう。


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「東福寺3橋」の一つ臥雲橋を北側に渡ってきました。
ここからは道の両側に東福寺の塔頭寺院が並びます。
ではここから北にこの道を突き当り、東に折れて
京都市立日吉ヶ丘高校経由で「御寺」泉涌寺に向かいます。
ただ、今回はだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、東福寺の塔頭寺院勝林寺に向かいます~

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第444回 紅葉の勝林寺毘沙門堂~月輪紅葉散策~その7

[勝林寺] ブログ村キーワード
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東福寺日下門前から北上し、臥雲橋を渡りました。
この辺りは道の両側に東福寺の塔頭寺院が並びます。
今回は、その東福寺塔頭北側の勝林寺に向かいます。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後1時半。
今回もクリックした写真は、全て拡大されます。


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臥雲橋の北詰に、臨済宗東福寺派一華院があります。
こちらは紅葉シーズン中に、有料で抹茶と茶菓子を出します。
この辺りに飲食店はほぼありませんので、
こういう塔頭寺院がそういうお店になります。


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その一華院の北側で、土産物屋さんの屋台が出ています。
飲食店以外も、この辺りには店舗がありません。
ですから、塔頭寺院が土産物屋さんにもなります。


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一華院の前では、こちらが売られていました。
美味しそうなので、ついつい買ってしましました。
ただし、こちらは一華院が製造してるのではなく
別の土産物屋さんのものを売っています。
京都人は魚の乾物が大好物です。(縮緬雑魚とか身欠き鰊とか)
しかも、そこに山椒が入っていれば絶対おいしいですね。


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で、ご飯に乗っけてみました。
山椒の香りと乾物独特の食感がおいしですね。
本当はおにぎりがいいのですが、ちょっと面倒なので……


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一華院の前で、北を向きました。
右(東)側の石段を上がると、臨済宗東福寺派大機院です。
こちらも、精進料理を提供します。


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一華院から、北に約50m進みました。
こちらも、東福寺の塔頭寺院同聚院です。
やはり、精進料理を提供しているようです。


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臨済宗東福寺派同聚院の前で、北を向きました。
もう少し先でこの道は突き当たり、T字路になります。


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その同聚院のほぼ向かい(東)側に、明暗寺があります。
ただしこちらは臨済宗ではなく、普化宗の本山です。
普化宗とは禅宗の一派で、
尺八を演奏しながら旅をする虚無僧が特徴的です。
そのせいか、こちらは店舗にはなりません。


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明暗寺の前で、北を向いています。
この先は突き当りで、そこにある海蔵院は東福寺の塔頭です。
こちらは老人ホームも運営していますが、
紅葉シーズンになると門前で土産物を売るようになります。


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T字路の南東角に、こちらの看板があります。
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、
こちらがこのブログの自分のアバターです。
2011年8月31日に撮ったものを使っていますので、
そちらには百合の花が咲いています。
(第3回ブログ参照)


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そのT字路で、西を向きました。
この下り坂を進むと、本町通で北大門の前に出ます。
(第438回ブログの途中に通りました)


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今度は、同じ場所で東を向きました。まだ少し上り坂が続きます。
観光ルートからは外れるので、こちらに回る方は少なくなります。


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T字路から東に進み、坂を上っています。
思えば、この道は自分の高校時代の通学路です。
先程のT字路から約70m先に、今度は北にT字路が伸びています。


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そのT字路で、北を向きました。
この狭い道の突き当りに、寺院が見えます。


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その道を約50m北上しました。
こちらは、臨済宗東福寺派勝林寺です。
紅葉シーズンは堂内が特別公開されるので、
向こうのテントで拝観料を支払います。


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勝林寺の門を入り、西を向きました。
この辺りに、こちらの庭園が広がります。
勝林寺のカエデは密集せずに、点在します。
実は、こういう並び方の方が紅葉は鮮やかになります。


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ですから、勝林寺のカエデはそれほど多くはありません。
ただ、その1本1本の紅葉が鮮やかですね。


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先程のテントの西側一帯に勝林寺の庭園が広がっていますが、
北側に石畳の道が続いています。


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その石畳の道を西に進み、突き当りまで進みました。
その先には……便所がありました。


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ちなみにここの庭園には苔が生えていて、
その関係で庭園内を歩き回ることができません。
(歩くと、苔を踏み荒らしてしまいます)
庭園の中央にこちらの塚があるのですが、
それが何かはここからでは分かりません。
何となく、第162回ブログに出てきた加茂大明神に似ています。


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勝林寺の毘沙門堂(本堂)の脇に、カエデの木があります。
こちらは日陰なので、まだ碧い部分もありますね。


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門から真北に進むと、勝林寺の毘沙門堂(本堂)があります。
普段は中に入れず外から参拝するのですが、
紅葉シーズン限定で堂内での参拝が可能です。


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堂内の撮影が不可なので、パンフレットを写しました。
臨済宗東福寺派勝林寺は、東福寺の北側に位置します。
ですから、こちらのご本尊は毘沙門天です。
(北を守護する神将ですね)
毘沙門堂の外から見ると、小さな毘沙門天像がいらっしゃって
元々はこちらがご本尊でした。
ところが東福寺法堂を修復した際、(1933年)
法堂内から大きな毘沙門天像が発見されて、
そちらが現在のここのご本尊です。
(体長が約2mの像です)
拝観料を払って中に入れば、
こちらを初め堂内の様々な仏さんにお参りできます。


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一通りお参りして、毘沙門堂を出ました。
では、勝林寺から出ます。


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勝林寺から南に約50m進み、元の道で東を向きました。
では、この緩やかな坂を上っていきます。


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その辺りで、南を向きました。
東福寺にはこちらからも入れます。
ただし、こちらは東福寺の僧侶専門の入り口で
一般の参拝者は立ち入り禁止です。


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東福寺僧堂の前で、東を向いています。
ここから、ほぼ平坦な道になりますね。


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その辺りに、こちらのお店があります。
自分が高校生のころからある窯元ですが、
いつの間にか喫茶店も経営しています。
ちなみに、ここより北側は清水焼の窯元が並んでいます。
実は清水焼は、清水寺近辺とこの辺りで製造されていました。


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そのお店の前で東を向くと、この道はすぐに突き当たります。
その先には、自分の母校京都市立日吉ヶ丘高校の校門があります。
次はこの高校の裏側に回って泉涌寺に向かうのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので今回はここまでとします。

~次回は、日吉ヶ丘高校の東側にある悲田院に向かいます~

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第445回 悲田院の展望台~月輪紅葉散策2016~その8

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東福寺北大門から東に続く道を突き当りまで進みました。
(東福寺最北端の道でもあります)
その突き当りに、わが母校京都市立日吉ヶ丘高校の校門があります。
今回は日吉ヶ丘高校の裏道(山道)を登って、
泉涌寺の塔頭寺院悲田院に向かいます。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後1時25分。
前回ブログから急に晴れてきました。


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京都市立日吉ヶ丘高校校門の北側に、東に伸びる上り坂があります。
その坂の先に石段があってそこにたこ焼き屋があったのですが、
かつて自分も通ったその店は今もあるのでしょうか?
また、この道のずっと先に今回ブログのメイン悲田院があります。
ただ、今回は別のルートを通ります。


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その場所で、西に向きました。
こちらの下り坂はだんだん北に曲がっていき、
京都第一日赤病院の裏(東)側の道になります。
向こうに自動販売機が見えますが、
その辺りに自分が高校生の頃に駄菓子屋がありました。
当時は、よく通ってお店です。


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京都市立日吉ヶ丘高校の校門前で、南を向きました。
では、この道をこのまま登っていきます。


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京都市立日吉ヶ丘高校校門前から、南に坂を上っています。
左(東)側は、日吉ヶ丘高校の校門から続く沿道です。
その道は急な上り坂で、校舎もその沿道の先に並びます。


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京都市立日吉ヶ丘高校の沿道は約50m南下して、南東に曲がります。
この道は、日吉ヶ丘高校の運動場沿いに回り込みます。


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京都市立日吉ヶ丘高校の南東側を蛇行しながら、
校門から約250m進み北を向きました。
ここで、日吉ヶ丘高校の運動場と同じ標高まで来ました。
こちらの門をくぐると、日吉ヶ丘高校の運動場に入れます。
(もちろん、一般人は入れません)
その右(北東)の石段の先に、狭い路地があります。
高校の私有地にも見えますが、
こちらは地域住民が普段から利用しています。
次は、この路地を進みます。


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短い石段を上ると、日吉ヶ丘高校の体育館と崖下との間に
この路地が続きます。
この体育館の1Fは剣道場で、この時間帯も練習していました。
そのため、そちら側は写していません。


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路地に入って、体育館脇を北東に進みました。
体育館の通り過ぎると、左(西)側は運動場が見えます。
少しづつ道に落葉が積もりだしました。


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この路地も南東に約150m進むと、北北東に進路を変えます。
そして、ここから石段を上ります。


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石段を上りつつ、日吉ヶ丘高校の方を向きました。
この真下が、25mプールがあります。
その向こうが運動場ですが、この日は休日なので誰もいません。、
(休日で活動していたのは、剣道部くらいでしょうか)


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さらに石段を上がっていきます。
この辺りは落葉が敷き詰められて、結構絶景になります。
(自分の高校生時代のお気に入りの場所でした)


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石段の途中でさらに進路を変え、真北に向かています。
石段の頂上に登ると、右(東)側に土手が見えます。
その向こう側には、東山泉中学東学舎の運動場があります。


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石段を上り切ってから、北に約50m進みました。
ここで突き当たり、東西の道とのT字路に出ます。


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そのT字路で突き当たり、左(西)を向きました。
約30m先に、赤い門が見えます。
あちらが、今回ブログのメイン真言宗泉涌寺派悲田院です。
では、ここから北上してあちらの赤門をくぐります。
ここから暫く、クリックすれば写真が拡大されます。


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悲田院の赤門をくぐり、西を向いています。
ここから真っすぐ西に伸びる石畳の道があって、
その先に悲田院の本堂があります。


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先程の写真で写っていた銅像の西側に、
こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
手前の手水舎で手を浄めて、先に進みます。


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石畳の道を西に約50m進むと、このようなお堂があります。
こちらは真言宗泉涌寺派悲田院本堂で、
この向こうにご本尊の阿弥陀仏がいらっしゃいます。

「悲田院」とは、元々聖徳太子が隋の制度を参考に設立した
貧しい人々や孤児のための宿泊施設のことです。
ただし、こちらの寺院とその悲田院との関連は不明です。
こちらは室町時代に御花園天皇が誓願寺としました。
戦乱でいったん衰退しましたが、
江戸時代に入って今の大阪府の高槻藩が資金を出して再興しました。


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悲田院本殿の前から、北西を向きました。
あちらに崖が見えますが、その場所が展望台になっています。


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先程の写真の先に屋根があって、その下のベンチに座ると
この風景が目に入ります。
京都タワーがはっきりと見えますが、
その先の山岳は第92回ブログに出てきた常寂光寺付近です。
(反対側からこちらを見たのがこの写真です)


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悲田院の展望台の脇で、東を向きました。
では、元来たこの道を戻ります。


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石畳の道を東に戻り、悲田院の赤い門まで戻ってきました。
では、ここから悲田院を出ます。


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悲田院の北側に、駐車場がありました。
その辺りに、この寺院唯一のカエデがあります。
この木の向こうが崖になっていて、
その下が日吉ヶ丘高校校門北側の道に通じています。


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悲田院の赤い門をくぐり、東に進んでいます。
目の前にT字路がありますが、
今度は東の方にまっすぐ進みます。


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そのT字路から、ずっと東に進みます。
左(南)側の向こうには東山泉中学校東学舎があって、
右(北)側にはその学校の運動場があります。


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この道は、先程のT字路から
東に約100m先の泉涌寺道で突き当たります。


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こちらがその泉涌寺道とのT字路です。
泉涌寺道とは本町通~泉涌寺間の参道です。


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T字路から、泉涌寺道を北に向いています。
この急な坂道を下れば、約500m先に「泉涌寺」交差点です。


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今度は泉涌寺道を南を向き、急な坂を上ります。
あと約100mで、この泉涌寺道が突き当たります。


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こちらは、泉涌寺道の突き当りです。
この辺り一帯が大きな駐車場です。
紅葉シーズンにはここに観光バスが1日に何台も来ました。


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その駐車場の東側に、こちらの真言宗泉涌寺派
「御寺」泉涌寺があります。皇族の菩提寺です。
ここから泉涌寺の境内に入れます。

ただ今回もだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。

~次回は、「御寺」泉涌寺を散策します~

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第446回 「御寺」泉涌寺~月輪紅葉散策2016~その9

[泉涌寺] ブログ村キーワード
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泉涌寺道の東の突き当り、東山の一つ日吉ヶ丘の中腹に
真言宗泉涌寺派本山泉涌寺があります。
鎌倉時代に月輪大師(がちりんだいし)が建立した
歴代天皇のお墓がある寺院です。
そのため、天皇陛下による京都ご訪問の際には
必ず立ち寄られる寺院でもあります。
今回は、こちらの寺院の紅葉庭園を散策します。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後1時45分。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。


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では、拝観料500円を払って泉涌寺境内に入っていきます。
山門をくぐり、左(北)を向きました。
こちらには、楊貴妃観音がいらっしゃいます。


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先程の場所から、北に約50m進みました。
こちらにお堂があって、その中に楊貴妃観音がいらっしゃいます。
重要文化財ですが、中を撮っていません。


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楊貴妃観音堂の脇に、こちらがらっしゃいました。
お地蔵さんというよりは、石仏でしょうね。
こちらにも、お参りしていきます。


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楊貴妃観音に背を向け、南を向きました。大門が見えますね。
大門の南側に雲龍院があり、そちらも結構きれいな紅葉寺院です。
ただ、だいぶ時間がおしているので先に進みます。


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泉涌寺の大門から、東を向いています。
すると、一転落葉が敷き詰められた急な下り坂が現れます。
向こうに見える大きな建物が、重要文化財泉涌寺仏殿(本堂)です。
では、そちらに向かいます。


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その坂道の途中に、こちらがありました。
立札には「浴室」と書いてあったので、昔のサウナ風呂でしょうね。


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堂内は撮影が一切不可なので、こちらは仏殿を東に抜けて
南を向いたときの様子です。
仏殿にはご本尊の釈迦三尊像がいらっしゃりますが、
日本最大の涅槃図は普段は岡持に収納されています。
この東側が舎利殿ですが、その前に南側を覗きます。


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仏殿の南側に、こちらの泉があります。
つまり、こちらがこの寺院由来の「水が涌く泉」です。


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仏殿の東側には、重要文化財舎利殿が建っています。
……左端に移っているものは、ご愛嬌ということで。

「舎利殿」とは、仏教の開祖お釈迦様の遺灰を収めた建物です。
まぁ全世界に広まる仏教寺院のすべてに、
お釈迦さんの遺灰があるとは思えません。
実際はお釈迦さんのお墓のある祇園精舎の土が
遺骨として収められていることが多いです。
謡曲に「舎利殿」という演目がありますが、
こちらはそのモデルとなった建物です。


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舎利殿の裏(東)側に、いくつかの門が並んでいます。
そのうち最南端の門が、こちらです。


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こちらが、その門です。
こちらの唐門の奥には、霊明殿があります。
四条天皇像と明治天皇・大正天皇のご位牌が安置されています。
(明治天皇・大正天皇の御陵(お墓)は、ここにはいらっしゃいません)
こちらは非公開で、皇族の法要のときに関係者のみ入れます。


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霊明殿唐門の北隣に、こちらの門があります。
こちらが、御座所の勅使門です。
天皇陛下・皇族がこちらに来られたときには、ここから入られます。


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その勅使門の小屋根に、こちらの「菊花紋」が付いています。
こういうところからも、「御寺」(皇族の菩提寺)と分かりますね。


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御座所勅使門の前で、北を向きました。
左(西)側が先ほどの舎利殿で、右(東)側が御座所の白壁です。
では、向こうに見える御座所の一般人用の門に向かいます。


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こちらが、その門です。
この奥に庫裏があって、そこから御座所内部に入れます。


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……とその前に、「そば 500円」の看板が気になります。
母と二人分で、1,000円ですね。
御座所やそちらの庭園を回る前に、ちょっと寄り道します。


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庫裏の手前に小さな建物「御茶所」があり、そこで蕎麦が頂けます。
この日は「朝マクド」以外食べていなかったので、
これが昼食ということになります。
背後の紙かばんは、第444回ブログで買ったちりめん山椒です。


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こちらが、その蕎麦です。こちらは、この一択しかありません。
揚げが入っているので「きつねそば」にも見えますが、
小松菜も入っているので「しっぽく」(おかめ)でしょうか?
もちろんここは寺院なので、精進のお蕎麦です。


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では、こちらから御座所に入ります。
この庫裏で300円支払い、さらに中に入ります。


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泉涌寺の御座所に入っていきますが、屋内は一切撮影不可です。
こちらは、天皇陛下や皇族がこちらに来られたとき
ご休憩のために使われる施設です。
天皇陛下のための「玉座の間」や
随行された方々の控室が並んでいます。
そしてその部屋の襖を開けると、
南側の庭園を眺められるようになっています。
もちろん一般人である自分や母はそちらには入れず、
廊下から泉涌寺庭園に回り込みます。

この写真は、庭園西端のお手洗いの手水鉢です。
ここより東に、泉涌寺庭園が広がります。


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その手水鉢の東側は、こうなっています。
左(北)側は屋内で、撮影不可です。(「玉座の間」などがあります)
では、ここから泉涌寺の紅葉庭園を眺めていきます。


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その「玉座の間」の前で、南を向きました。
おそらく「玉座の間」からご覧なられた風景も、同じでしょう。
この日は2016年11月23日でしたが、もう落葉が進んでいます。
ただ、苔の上に敷き詰められた「紅い絨毯」が見事ですね。


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さらに、「女官の間」の前から見た風景がこちらです。
泉涌寺庭園の最東端が、見えています。
ちょっとここで縁側に座り、母と休憩しました。
ちなみに、向こうの白壁のさらに東が霊明殿です。


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泉涌寺御座所は、ほかの場所は全て撮影不可です。
屋内を一通り拝観して、出てきました。


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泉涌寺御座所を出て、今度は舎利殿や仏殿の南側を西進します。
仏殿の南側にテントがありますが、臨時の土産物屋さんですね。


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土産物屋さんのテントの西側にも、テントが続いています。
こちらには、様々な菊の花が並んでいます。
どうやら品評会が行われたようで、いくつか表彰されていました。


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泉涌寺仏殿の前で、西を向きました。
次は、この急な上り坂を進みます。


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泉涌寺仏殿の前から、西に約50m進みました。
では、この大門から泉涌寺を出ます。


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泉涌寺の大門を抜けました。
今回ブログの最初の場所で、反対(西)を向いています。
向こうの駐車場には、季節柄観光バスがたくさん停まっています。


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駐車場の脇に、いつの間にかネコが来ていました。
カメラを向けても逃げないので、撮り放題です。


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泉涌寺の前で、泉涌寺道を北に向きました。
ここから、泉涌寺の参道でもある「泉涌寺道」が始まります。
この道をずっと進むと、やがて西に折れ
JRや京阪電鉄の「東福寺」駅の近くに行けます。
普通に考えれば「帰り道」なのですが、
実はまだまだ見て回るところがあります。
ですからここからそちらに回りますが、
もうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。

~次回は、今熊野観音寺の紅葉祭りに行きます~

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第447回 観音寺の紅葉祭り~月輪紅葉散策2016~その10

[今熊野観音寺] ブログ村キーワード
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「御寺」泉涌寺の前で、泉涌寺道を北に向いています。
今回はここからこの急な坂道を下り、今熊野観音寺に向かいます。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後2時半。
今回も、クリックした写真は全て拡大できます。


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前回ブログでも泉涌寺駐車場前で寝そべっていた三毛猫です。
普段はカメラを向けるだけでネコには逃げられていたのですが、
よく眠っているせいか本当に撮り放題でした。


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泉涌寺から、泉涌寺道を北に約100m進みました。
こちらから左(西)側に、脇道が伸びています。
こちらを進むと、第445回ブログの悲田院に戻ります。


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そのT字路から、泉涌寺道をさらに約30m北上しました。
観光バスが停まっている辺りで、今度は東に脇道が伸びています。


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その東に伸びる脇道も、南に伸びる道と東に伸びる道に分岐します。
そのうち、こちらは南に分岐する道です。
こちらの山道を登ると、月輪陵に辿り着きます。
そちらには、後堀川天皇陵や孝明天皇陵がいらっしゃいます。


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東側の道は、一転して下り坂です。
こちらには、今回ブログのメイン今熊野観音寺の看板が出ています。


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泉涌寺道から、東に約50m進みました。
ここで、道が放射状にいくつも分岐します。
これらの道のうち、真っすぐそのまま東に進むと
今熊野観音寺に辿り着きます。


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放射状に広がる道のうち、1本がこちらです。
このまま進むと、来迎寺に向かいます。
ただ、今回はそちらには向かいません。


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カエデ並木をそのまま東に向かっています。
この辺りは、この日(2016年11月23日)が見ごろでした。
その先に朱塗りの橋が見えますね。


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こちらが、その朱塗りの橋です。
この橋の下は川ではなく、放射状に伸びた道の1本が通ります。
そこを進めば、この北にある泉涌寺霊園に向かえます。


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その朱塗りの橋を渡っています。
こちらの周囲にはカエデがドーム状に並んでいるので、
この季節になるとそれはそれは絶景になります。


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朱塗りの橋を渡りました。
その先に、今熊野観音寺の入り口が見えますね。


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朱塗りの橋から、東に約50m進みました。
では、ここから今熊野観音寺に入っていきます。


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今熊野観音寺の入り口を入ると、すぐに駐車場がります。
そして、その先に今度は北向の石段があります。
こちらの本堂へ行くには、延々石段を上ります。
まぁ山の中のお寺なので、こういう感じになります。


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石段を上っても、すぐに石段があります。
とは言え、一つ一つは短いので
70代のウチの母も軽々上っていました。


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石段を北に約20m登ったところで、少し広いところに出ます。
こちらには、「子まもり大師」がいらっしゃいます。
先ずは、こちらにお参りです。


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「子まもり大師」の脇に、手水舎があります。
こちらは、この寺院で湧いている泉の水ではありません。


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「子まもり大師」の北側に、最後の石段が伸びています。
この辺りから、紅葉が濃くなってきます。


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先程の石段を約10m上れば、こちらに出ます。
目の前が今熊野観音寺の庫裏で、お守りなどはこちらで求めます。
縁台が周囲にあるのは、この脇に茶店があるからです。


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今熊野観音寺の庫裏の前で、西を向きました。
石段の北側に茶所があって、
その辺りの紅葉がここ最大の絶景ポイントです。


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茶所は参拝者用の休憩所ですが、普段は閉まっています。
ただ、その前から朱塗りの欄干越しに遠景を見ることができます。
この辺りの東山の斜面からの一面のカエデが、絶景ですね。


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同じ場所から、西を向きました。
朱塗りの欄干の向こうは崖で、その下が先ほどまでいた場所です。


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同じ場所で、東を向きました。
向こうに見える紅白の垂れ幕が、茶店です。
では、庫裏の方に戻っていよいよ今熊野観音寺本堂に向かいます。


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こちらが、今熊野観音寺の本堂です。
脇に多宝塔が見えるこの角度が、撮影ポイントです。


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今熊野観音寺の本堂内も、撮影不可です。
そこで、代わりにこちらの拝観チケットを載せます。
本堂内は無料拝観ですが、有料でご本尊の近くまで寄れます。
今熊野「観音」寺だけに、こちらのご本尊は十一面観音です。

こちらは、800年ごろに空海が
熊野権現の夢のお告げによって建立したと寺伝にあります。
前回ブログ登場の「御寺」泉涌寺が鎌倉時代に建立されているので、
こちらの方が古い寺院ということになります。
ですから同じ真言宗寺院ですが、泉涌寺の塔頭ではありません。


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今熊野観音寺の本堂を出て、北東を向いています。
この脇から急な山道を登ると、あちらの多宝塔に向かえます。
ここから100mもない距離ですが、
何しろ急な上り坂なので今回はここから眺めるだけにします。


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本堂の前で、東を向きました。
向こうに、こちらの開基でもある空海を祀った太子堂があります。
その手前が、ボケ封じ観音です。
今熊野観音寺は「頭」にご利益がある寺院で、
頭痛・痴呆・合格祈願のお守りが売られていました。


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こちらが、ボケ封じ観音です。
ブロンズ製で、それほど古いものではありません。


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本堂の西側に、こちらの井戸があります。
こちらはなかなかの名水だそうで、(つまり、おいしい水)
さらに頭がよくなるご利益もあるそうです。
これで境内を一通りお参りしましたので、こちらから出ます。


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どんどん石段を下りています。
「子まもり地蔵」周辺のカエデが濃いので、
この辺もなかなか絶景ですね。


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朱塗りの橋まで、戻ってきました。
気のせいか、往きよりも帰りの方が紅葉が鮮やかに見えます。


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さらに西に進み、泉涌寺道まで戻ってきました。
向こうの祠は自分が生まれる前からあるのですが、
どちらを祀っているのか分かりません。


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今熊野観音寺への参道と交差したT字路で、
泉涌寺道を北西に向いています。
(泉涌寺道はここで少し折れ曲がります)
この道を進んでJR・京阪電鉄「東福寺」駅へ向かいますが、
ここからはその途中にある泉涌寺の塔頭寺院に立ち寄ります。
ただ、今回ももうだいぶ写真を貼り付けましたので
今回はここまでです。

~次回は、泉涌寺道沿いの寺院を回ります~

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第448回 泉涌寺道の寺院~月輪紅葉散策2016~その11

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前回ブログで訪れた今熊野観音寺から約100m西進し、
泉涌寺道を北西に向いています。
今回は、ここから市街地へ向かう途中にある泉涌寺の塔頭寺院
新善光寺・丈六戒光寺・法音院を訪れます。
撮影日は、2016年11月23日午後3時。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。


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そのT字路から、泉涌寺道を北西に約70m進みました。
すると、今度は右手に伸びるT字路が現れました。


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そのT字路で、泉涌寺道から北東を向きました。
この道は約20mほどで突き当たり、そちらに新善光寺があります。


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T字路から北西に、新善光寺へ向けて歩いています。
すると、左(北)側にこちらの建物が見えてきました。
こちらは泉山幼稚園です。
普段は幼児の大声などが聞こえてくるのですが、
この日(2016年11月23日)は祝日なので、誰もいません。


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泉涌寺道から、北西への脇道を約20m進みました。
ここから、新善光寺に入っていきます。


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新善光寺に入ってきました。目の前は、たぶん庫裏です。
こちらは境内は自由に撮影できますが、屋内は入れません。

真言宗泉涌寺派新善光寺は、1243年に値願念西が
後嵯峨天皇の勅命で開基しました。
寺号は、ここのご本尊阿弥陀如来が善光寺のものと
全く同じ作りだったのが、由来です。
(第109回ブログに出てきた富小路沿いの新善光寺と同じ由来です)
ただ、創建当時は「一条大宮」交差点付近に建っていました。
それが1467年の応仁の乱で全焼し、江戸時代初期に再興した際
泉涌寺の塔頭となりこちらに移転してきました。


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新善光寺の庫裏の南側に、こちらの門があります。
では、こちらをくぐり新善光寺の庭園に向かいます。


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その門をくぐり東を向くと、こちらが広がります。
この新善光寺には、知る人ぞ知る紅葉庭園があります。


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その庭園の東端にお堂があり、愛染明王がいらっしゃいます。
毎年1月第2月曜日(成人の日)の8時~午後4時に
泉涌寺の塔頭で泉山七福神巡りが行われます。
愛染明王は御仏の1体で七福神ではありませんが、
「番外」として七福神にカウントされています。
その横に、石塔が建っています。
一時期、こちらに良純親王が居住されていたので
多分そのお墓と思います。


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石塔の脇にベンチがあって、そこから南を向くと紅葉が絶景です。
そのベンチに座り、暫し休憩です。


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先程の写真に写っていた朱色のお堂の前から、北を向いています。
(先ほどの写真と反対を向いています)
こちらからの眺めも、なかなかですね。


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こちらは、庭園中央の池です。
カエデの木と相まってこの庭園を絶景に変えていますが、
水面を見ると錦鯉の数が相当ですね。


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では、こちらの門を出ます。
とは言え、庫裏の脇にもこの寺院の見どころがあります。


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先程の門をくぐり、庫裏の前に戻ってきました。
そこから南を向くと、こちらの枝垂桜があります。
この寺院は、泉山七福神めぐり以外にもこの桜で有名です。


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その枝垂桜の前で、南西を向きました。
向こうから何人か来られていますが、
自分の周囲にも数人いらっしゃいました。


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新善光寺の前で、南西を向きました。
右側の塀の向こうは、先ほどの泉山幼稚園です。
では、この坂を上り泉涌寺道に戻ります。


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新善光寺から南西に約20m進み、泉涌寺道を北西に向きました。
では、この坂道を下っていきます。


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先程の地点から、泉涌寺道を北西に約50m進みました。
こちらは、京都東山泉中学校の校門です。
数年前まで京都市立月輪中学校だったのですが、統廃合されました。


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京都東山泉中学校校門前から、泉涌寺道を北西に約10m進みました。
こちらの脇道を進むと、第445回ブログの悲田院の前に出ます。


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先程のY字路から、泉涌寺道を北西に約30m進みました。
こちらにも、小さな寺院が見えますね。


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泉涌寺道から北東に短い石段を上ると、丈六戒光寺に入れます。
こちらが、次の訪問先です。


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門をくぐると、丈六戒光寺境内の最南端でした。
境内のあちこちにテントや縁台が並んでいて、
どうやらこちらでバザーを開いていたようでした。


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丈六戒光寺境内の最北端に、朱塗りの鳥居があります。
向こうに小さな池があり、橋を渡ると弁財天がいらっしゃいます。


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もちろんこちらの弁財天は、
新善光寺でも紹介した「泉山七福神めぐり」の1柱です。
祠脇の提灯を横から撮りました。
こちらは、弁財天の神文ですね。
弁財天は女神さまですが、蛇神で水神でもあります。


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弁財天の祠の前で、南を向きました。
向こうに見えるのが、丈六戒光寺の本堂です。


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バザーのテントの向こう側には、庫裏があります。
そちらに、この生け花が飾ってありました。
ちょっと、そちらを撮ってみました。


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いよいよ、本堂を拝観します。
……ただ、ここも撮影不可です。

真言宗泉涌寺派丈六戒光寺は、新善行寺建立と同時期に
後堀川天皇の勅命で建立されました。
こちらも初めは「八条猪熊」交差点にありましたが、
応仁の乱などで今の京阪電鉄「三条」駅などに次々移転し、
最終的に泉涌寺の塔頭となってここに移転しました。

こちらのご本尊は重要文化財釈迦如来立像ですが、
「丈六」(約4.85m)の高さがあります。
とにかく、とても大きいですね。
そう言えば、以前大阪の毎日放送というTV局で
こちらのご本尊を特集されていました。
(「ちちんぷいぷい」という番組だったと思います)


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では、こちらの門から丈六戒光寺を出ます。
ここからさらに、市街地に向けて進みます。


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丈六戒光寺の前で、泉涌寺道を北西に向きました。
約20m先に、また寺院の門が見えます。
次は、こちらを訪れます。


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こちらが、その寺院です。
では、真言宗泉涌寺派法音院に訪れます。


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法音院境内に入ってすぐに、庫裏があります。
ただ、この時点で庫裏が閉まっていました。
実は、こちらで自分の脇に
写経希望の日本人カップルがいたのですが、
自分が境内を撮影している間にあきらめて帰られました……

その庫裏の北側に、こちらのお堂があります。
中には、寿老人がいらっしゃいます。
こちらも、「泉山七福神めぐり」の1柱です。


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報恩寺の裏手(北側)に回ると、小さな祠と本堂があります。
うまく写っていませんが、この辺りの紅葉も結構きれいでした。


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こちらの朱い祠には、牡鹿がいらっしゃいます。
牡鹿は、寿老人の眷属です。


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こちらは、真言宗泉涌寺派法音院の本堂です。
ご本尊は、不空羂索観音です。

こちらは、1326年に無人如導によって建立されました。
創建当初は泉涌寺境内に立っていたのですが、
こちらも応仁の乱で焼失後1665年にこの地に再建されました。
まぁ、もともと泉涌寺境内にあったくらいですから、
初めから泉涌寺の塔頭寺院でした。


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では、本音院本堂前から庫裏の前に戻ります。
この辺りが、この寺院一番の紅葉ポイントです。


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法音院の庫裏の前で、北東を向いています。
では、ここから法音院を出て泉涌寺道に戻ります。


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法音院の前で、泉涌寺道を北西に向きました。
ここから、またこの緩やかな坂道を下って京都市街地に向かいます。
約50m先でさらに左にカーブして、だんだん真西に進路を変えます。


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そのカーブから、真西に進路を変えてすぐにこちらの門が見えます。
こちらは、泉涌寺の一の門です。
ここを抜けた途端、京都市街地に変わります。


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泉涌寺の山門を抜けたすぐ先に、こちらの寺院があります。
那須与一のお墓と、極楽浄土を現した本堂が有名ですね。
ここからこの浄土宗即成院にお邪魔するのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回は、ここまでです。

~次回はこの即成院を訪れた後、
京阪電鉄「東福寺」駅に戻ります~

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第449回 極楽浄土の寺院~月輪紅葉散策2016~その12

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泉涌寺の総門から、泉涌寺道を西に向いています。
泉涌寺への参道から京都市街地に入ったところに
こちらの真言宗泉涌寺派即成院があります。
今回はこちらに参拝した後、JR京阪電鉄「東福寺」駅に戻ります。
撮影日は、2016年11月23日勤労感謝の日の水曜日午後3時半。
今回で、2016年の紅葉散策が終わります。


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即成院の山門をくぐりました。
こちらは、東西に伸びる細長い境内です。
山門のある最西端に、こちらの地蔵堂があります。
毎年10月に、本堂からこちらまで花道が作られ
「二十五菩薩供養」が行われます。
即成院境内の写真は、クリックすれば全て拡大されます。


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地蔵堂の前で、東を向きました。
このずっと先に、即成院の本堂が見えますね。


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本堂の北側に、こちらの花が生けてありました。
そう言えば、前回ブログの丈六戒光寺でも生けてありましたね。


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靴を脱いで、即成院の本堂に入ってきました。
この左(東)側に、ご本尊がいらっしゃいます。
こちらは、ご本尊以外は撮影可能です。
(「防犯上の理由」とここの寺院の方がおっしゃっていました)


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即成院のご本尊は撮影不可なので、拝観チケットを撮りました。
阿弥陀仏と25体の菩薩像が、「極楽浄土」を表しています。
このうち11体が平安時代後期に定朝が彫ったもので、
残りが江戸時代に焼失分を定朝の作風で復元したものです。
(如来像と菩薩像のすべてが、重要文化財です)
1体1体がとても大きく、極楽浄土が「復元」されたかのようです。

真言宗泉涌寺派即成院(そくじょういん)の創建には諸説ありますが、
定説では11世紀後半に橘俊綱が建立したとされています。
もともとは伏見(現京都市伏見区南部)の方にあったようですが、
豊臣秀吉が伏見城の築城のために大亀谷に移転しました。
(京阪電鉄「墨染」駅前。第122回ブログの散策地点です)
ところが、明治時代の1868年に廃仏毀釈の影響で廃寺になりました。
その際阿弥陀仏と菩薩像は、泉涌寺預かりとなりました。
それが、この寺院がこの地で復活した最大の理由です。


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即成院の阿弥陀仏を参拝した後、本堂の北側を向いています。
ここから、本堂のさらに裏(東)側に行くことができます。


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先程の写真の脇に扉があって、そこからこちらに進めます。
頭上にある通り、この先に那須与一のお墓があります。
右(南)側に石仏が並んでおり、その塀の向こうが泉涌寺道です。


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先程の上り坂を約50m進みました。こちらが那須与一のお墓です。
では、こちらにもお参りします。


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では、即成院本堂に戻ります。
手前に小さな小屋が見えますが、あちらは便所です。


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即成院の本堂に戻ってきました。
この背後に、ご本尊がいらっしゃいます。
では、このまま左側から即成院本堂を出ます。


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境内を一通り回り、即成院の山門まで戻ってきました。
ではここを出て、泉涌寺道に戻ります。


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……とその前に、山門の屋根の上に注目します。
こちらの天頂に、鳳凰が模られています。
こちらも、「極楽浄土」の象徴ですね。


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即成院を出て、泉涌寺道を東に向きました。
こちらが、泉涌寺の総門です。前回ブログでも出てきましたね。
クリックすれば拡大されるのは、この写真までです。


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泉涌寺総門の前で、西を向きました。
ではこの坂道を下り、東大路を目指します。


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即成院のすぐ脇に、北に伸びる石段があります。
ここを下りしばらくして右(東)に曲がると、
第447回ブログに出てきた朱塗りの橋の下をくぐります。
ちなみに、この辺りは自分が高校生の頃の
体育の授業中のマラソンコースの一つでした。
(他には、「お山」稲荷山の四辻まで行って帰るコースでした)


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下りの石段の向かい(南)側には、こちらのお店があります。
こちらで、清水焼の陶磁器が売られています。
実は、第444回ブログの勝林寺がある辺りとこの辺りは
直線距離ではかなり近く、
この一帯に清水焼の陶工さんがたくさんおられます。
その関係で、この近くに陶器屋さんや窯元も多くなります。


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その陶器屋さんの前で、泉涌寺道を西に向いています。
もう完全に、京都市街地のただ中です。
そして、向こうに信号が見えているのが、
東大路と交差する「泉涌寺道」交差点です。


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その辺りに、こちらの交番があります。
そして、この辺りで坂道が終わり道は平坦になります。


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即成院の前から、泉涌寺道を西に約300m進みました。
こちらが、「泉涌寺道」交差点です。
向こうに京都タワーが見えるのは、
この泉涌寺道が正確には北北西を向いているからです。
泉涌寺道は、西に約250m先の本町通で突き当たります。
(第144回ブログ参照)


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「泉涌寺道」交差点で、東大路を北に向いています。
約200m先に大きな薮が見えますが、
あちらが新熊野神社(いまぐまのじんじゃ)ですね。
もしさらに約200m進むと、塩小路と交差します。
この写真は、クリックすると拡大されます。


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今度は、「泉涌寺道」交差点で東大路を南西に向きました。
このまま泉涌寺道を進んでも駅まで行けるのですが、
今回も第88回ブログ同様、東大路を南下します。


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「泉涌寺道」交差点南西角に、「泉涌寺道」バス停があります。
この日(2016年11月23日)も、バス待ちの方々がいらっしゃいます。
向こうに、「コロッケ京亭」の看板が見えます。
自分が高校生の頃はここでコロッケを買ったものですが、
この日は祝日なので閉まっていました。
(こちらでは、こんなコロッケを売っています。
味もおいしいのですが、とにかく安いのが魅力です)


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「泉涌寺道」から、東大路を南西に約150m進みました。
こちらは、京都第一日赤病院です。
向こうに信号が見えますが、あちらが「東福寺」交差点です。


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第一日赤病院の前から東大路を南西に約50m進み、
「東福寺」交差点まで来ました。
この交差点から大通りは真西に曲がり、陸橋となります。
東福寺の駐車場がに入りきれない観光バスが、
陸橋付近に停まっていますね。
東大路はこの交差点までで、陸橋から九条通に変わります。


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「東福寺」交差点の北西角に、臨済宗東福寺派万寿寺があります。
今は東福寺の塔頭寺院ですが、
1434年の大火以前は東福寺と同格の「京都五山」の1寺でした。
(第406回ブログ参照)
この写真は、クリックすると拡大されます。


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万寿寺から、九条通を西に進んでいます。
陸橋の上が九条通ですが、その外側のこの狭い道も九条通です。
向こう(西)に京阪電鉄の特急車両が見えますが、
「東福寺」交差点から西に約100m先に踏切があります。


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その途中で、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
この裏手(北)は、万寿寺の境内です。
この写真も、クリックすると拡大されます。


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「東福寺」交差点から九条通を西に約80m進むと、
九条通は本町通と交差します。
ここで南に進むと、第438回ブログと同じルートになります。


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今度は九条通から、本町通を北に向いています。
この日(2016年11月23日)は祝日なので、
レコード屋さんのナカバヤシが閉まっています。
向こうに見える電車のマークの看板がJR京阪電鉄「東福寺」駅で、
そこから帰宅します。

……ただその手前に、京寿司屋さんの「いず松」の看板も見えます。
現時点で2016年11月23日午後4時です。
晩御飯には早いですが、母と相談して寄り道することにしました。


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「いず松」さんのお許しを得て、店内を撮影しました。
屋内に坪庭があって、
壁には祇園や先斗町の芸妓さんの団扇が並んでいます。
「いず松」店内とお寿司の写真は、クリックすると拡大されます。


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こちらは頼めば握りずしも作ってくれますが、
何といってもこちらの名物は京寿司です。
大阪寿司同様、木箱で押し固めたものや海苔巻きが中心です。
自分が強く勧めたので、母も京寿司のセットにしました。
他に赤だしと熱燗も頼みました。いつも通りのメニューです。


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赤だしには、湯葉と紅葉麩・なめこが入っていました。
そうそう、ここでお寿司を食べたのは晩秋でした。
ブログ更新が撮影日から1ケ月ずれているので、感慨深いですね。


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そして、こちらが京寿司セットです。
手前が左からバッテラ(鯖寿司)・キュウリの巻き寿司・
とろろ昆布の巻き寿司・海苔の巻きずしが並んでします。
どれも、京都ではよく食べられているものです。


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京寿司セットの後ろ半分は、木箱で押し固めた箱寿司が並びます。
左から、ハモ箱(鱧のそぼろ煮が載っています)、エビと卵の箱寿司・
鯛の酢締・鮭の昆布締の箱寿司です。
一番右は稲荷寿司なので、箱寿司ではありません。
もちろん、中には芥子の実がきちんと入っています。
写真をクリックすると拡大されるのは、ここまでです。


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「いず松」を出て、本町通を北に向いています。
JR京阪電鉄「東福寺」駅は目の前ですね。


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帆奈mり通から、JR京阪電鉄「東福寺」駅を見ています。
この路地の左奥に進むとJRの駅へ進む陸橋の下に出ます。
京阪電鉄へは、目の前の改札口をくぐります。
では、今回は京阪電鉄に乗って家に帰ります。
家には、午後5時ごろ着きました。
よく考えたら徒歩で帰っても似た時間なのですが、
まぁそれはご愛嬌ということで……

これで、「月輪紅葉散策2,016年編」の連載を終了します。

~次回から、初詣を連載します。また、伏見稲荷大社を訪れます~

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
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このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
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サイドバーの説明をします。
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新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
サイトやブログのリンク
シリーズごと読むなら、こちらから
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