第461回 4度目の上御霊神社~続高倉通南から北~その3
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臨済宗相国寺派本山相国寺境内最西端の道を北上しています。
今回はこのまま北上して、「高倉通」を上御霊神社まで進みます。
撮影日は2017年2月16日木曜日午後4時。
まだまだ肌寒い日でした。

こちらは、相国寺方丈の前まで続いた「高倉通」より
約50m西で南北に伸びた道です。
この道も両脇に相国寺の塔頭寺院が続きます。
相国寺方状の前から約100m北上すると
こちらの道が突き当り、相国寺の外に出ます。
この写真まで、クリックすると拡大されます。

先程の道を北上して、突き当たりました。
その突き当りで、西を向いています。
第193回ブログでは、約200m先の烏丸通からここまで来ました。
この位置から約100m西に、
相国寺塔頭寺院の慈照院と慈雲院があります。
皇族のお墓などがいらして結構見どころが多いのですが、
時間がないのでそちらには向かいません。

同じ場所で、東を向きました。
こちらに、京都府立鴨沂高校があります。
元々第163回ブログの京都御苑寺町御門前にあったのですが、
そちらの校舎が改築されている間こちらに移転しています。

相国寺から北上して突き当たった場所から、東に歩いています。
右(南)側が、京都府立鴨沂高校です。
先程の地点から約50m東にその鴨沂高校の校門がありますが、
そこから北にまた「高倉通」が北に伸びています。

京都府立鴨沂高校は下校時間だったようで、
たくさんの生徒が校門を通っていきました。
そのため校門前には、男性教師が立っていらっしゃいました。
さすがにこの状態で、高校の校門は撮れません……
こちらはその校門に背を向け、北を向いた写真です。
(高校と反対側を撮る分には、先生方も気にされないようでした)
こちらから、また「高倉通」が北に伸びます。

京都府立鴨沂高校校門前から、「高倉通」を約30m北上しました。
こちらで交差する東西の道は、特に名前はありません。
こちらの辻の北西角に大衆食堂があったのですが、
準備中か開店中かよくわからなかったので中を覗きませんでした。

その辻で、また北を向いています。
約100m先に、また突き当りが見えますね。

先程の辻から、「高倉通」を約100m北上しました。
ここで「高倉通」は、上御霊前通と交差します。
この辺りの上御霊前通は、4車線の道幅です。
上御霊前通は約100m東で寺町通と交差し、
さらに約200m東の加茂街道で突き当たります。

今度は同じ場所で、西を向きました。
上御霊前通はその名前のように、上御霊神社の前を通ります。
向こうに見れる薮が、その上御霊神社です。
では、ここからその神社に向かいます。
この写真は、クリックすると拡大されます。

「高倉通」から、上御霊前通を約100m西に進みました。
こちらに、上御霊前通を北に渡る横断歩道があります。

その横断歩道の位置で、北を向きました。
こちらが、上御霊神社の南門です。
では、横断歩道を渡って境内に入っていきます。
ここから、上御霊神社境内はクリックすれば写真が拡大されます。

上御霊神社に入ってすぐに、こちらの手水舎があります。
先ずは、ここで手を浄めます。

上御霊神社南門から北西の方に、絵馬殿があります。
こちらにはベンチとテーブルがあるので、
第192回ブログではここでお昼ご飯を食べました。

今度は南門から、東の方を向いています。
向こうに見えるのは、第177回ブログで訪れた福寿稲荷ですね。
小さな丘(塚?)の上に、祠がいらっしゃいます。
江戸時代以降ここにいらっしゃいますが、
実は御祭神とかよくわかっていません。

上御霊神社南門から真っ直ぐ北に進むと、
こちらの拝殿に辿り着きます。
こちらが、この神社のちょうど中央に建っています。
酒樽と生け花が、いつも飾ってありますね。

その拝殿の東側に、上御霊神社本殿がいらっしゃいます。
早良親王や橘逸勢といった政争に巻き込まれて不遇の死を遂げた
八所御霊を御祭神とします。
また1467年にここから相国寺にかけての地域で御霊合戦が起こり、
それを契機に応仁の乱が起こりました。

上御霊神社本殿を背に、拝殿のある西を向いています。
先述の通り、拝殿の東端と西端に生け花が置いてあります。

上御霊神社拝殿の東側から、境内を西に向いています。
では、目の前の楼門からこの神社を出ます。

上御霊神社楼門の前から、上御霊前通を西に向いています。
目の前の「からいた」の看板は、和菓子店のものです。
「からいた」は第192回ブログの最後に出てきます。
ただ、店先に「しばらく休業します」と書いてありました。
本当は「からいた煎餅」を買って帰ろうと思ったのですが、
仕方がないのでこのまま帰ります……
クリックすれば写真が拡大するのは、ここまでです。

その和菓子店の前で、上御霊前通を西に向いています。
では、こちらを進んでいきます。

上御霊神社楼門から、上御霊前通を西に約70m進みました。
こちらに、猿田彦神社がいらっしゃいます。
よく見ると、こちらの鳥居は神明式ですね。

こちらが、猿田彦神社本殿です。
もう何度も、お参りに来ていますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

猿田彦神社の前から、上御霊前通を西に向いています。
この道は目の前の烏丸通で突き当たっているように見えますが、
烏丸通の約30m南に、さらに西に進む道があります。
ちなみに、上御霊前通は堀川通との交差点周辺に日蓮宗寺院が多く、
その辺りに桜の名所が集中しています。

上御霊前通から、烏丸通を北に向いています。
では、ここを北上します。

上御霊前通から、烏丸通を約50m北上しました。
こちらに、地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅への階段があります。
では、ここから地下に下りて地下鉄に乗って帰宅します。
今回はここまでです。
~次回は、上御霊神社から「高倉通」をさらに北上します~

臨済宗相国寺派本山相国寺境内最西端の道を北上しています。
今回はこのまま北上して、「高倉通」を上御霊神社まで進みます。
撮影日は2017年2月16日木曜日午後4時。
まだまだ肌寒い日でした。

こちらは、相国寺方丈の前まで続いた「高倉通」より
約50m西で南北に伸びた道です。
この道も両脇に相国寺の塔頭寺院が続きます。
相国寺方状の前から約100m北上すると
こちらの道が突き当り、相国寺の外に出ます。
この写真まで、クリックすると拡大されます。

先程の道を北上して、突き当たりました。
その突き当りで、西を向いています。
第193回ブログでは、約200m先の烏丸通からここまで来ました。
この位置から約100m西に、
相国寺塔頭寺院の慈照院と慈雲院があります。
皇族のお墓などがいらして結構見どころが多いのですが、
時間がないのでそちらには向かいません。

同じ場所で、東を向きました。
こちらに、京都府立鴨沂高校があります。
元々第163回ブログの京都御苑寺町御門前にあったのですが、
そちらの校舎が改築されている間こちらに移転しています。

相国寺から北上して突き当たった場所から、東に歩いています。
右(南)側が、京都府立鴨沂高校です。
先程の地点から約50m東にその鴨沂高校の校門がありますが、
そこから北にまた「高倉通」が北に伸びています。

京都府立鴨沂高校は下校時間だったようで、
たくさんの生徒が校門を通っていきました。
そのため校門前には、男性教師が立っていらっしゃいました。
さすがにこの状態で、高校の校門は撮れません……
こちらはその校門に背を向け、北を向いた写真です。
(高校と反対側を撮る分には、先生方も気にされないようでした)
こちらから、また「高倉通」が北に伸びます。

京都府立鴨沂高校校門前から、「高倉通」を約30m北上しました。
こちらで交差する東西の道は、特に名前はありません。
こちらの辻の北西角に大衆食堂があったのですが、
準備中か開店中かよくわからなかったので中を覗きませんでした。

その辻で、また北を向いています。
約100m先に、また突き当りが見えますね。

先程の辻から、「高倉通」を約100m北上しました。
ここで「高倉通」は、上御霊前通と交差します。
この辺りの上御霊前通は、4車線の道幅です。
上御霊前通は約100m東で寺町通と交差し、
さらに約200m東の加茂街道で突き当たります。

今度は同じ場所で、西を向きました。
上御霊前通はその名前のように、上御霊神社の前を通ります。
向こうに見れる薮が、その上御霊神社です。
では、ここからその神社に向かいます。
この写真は、クリックすると拡大されます。

「高倉通」から、上御霊前通を約100m西に進みました。
こちらに、上御霊前通を北に渡る横断歩道があります。

その横断歩道の位置で、北を向きました。
こちらが、上御霊神社の南門です。
では、横断歩道を渡って境内に入っていきます。
ここから、上御霊神社境内はクリックすれば写真が拡大されます。

上御霊神社に入ってすぐに、こちらの手水舎があります。
先ずは、ここで手を浄めます。

上御霊神社南門から北西の方に、絵馬殿があります。
こちらにはベンチとテーブルがあるので、
第192回ブログではここでお昼ご飯を食べました。

今度は南門から、東の方を向いています。
向こうに見えるのは、第177回ブログで訪れた福寿稲荷ですね。
小さな丘(塚?)の上に、祠がいらっしゃいます。
江戸時代以降ここにいらっしゃいますが、
実は御祭神とかよくわかっていません。

上御霊神社南門から真っ直ぐ北に進むと、
こちらの拝殿に辿り着きます。
こちらが、この神社のちょうど中央に建っています。
酒樽と生け花が、いつも飾ってありますね。

その拝殿の東側に、上御霊神社本殿がいらっしゃいます。
早良親王や橘逸勢といった政争に巻き込まれて不遇の死を遂げた
八所御霊を御祭神とします。
また1467年にここから相国寺にかけての地域で御霊合戦が起こり、
それを契機に応仁の乱が起こりました。

上御霊神社本殿を背に、拝殿のある西を向いています。
先述の通り、拝殿の東端と西端に生け花が置いてあります。

上御霊神社拝殿の東側から、境内を西に向いています。
では、目の前の楼門からこの神社を出ます。

上御霊神社楼門の前から、上御霊前通を西に向いています。
目の前の「からいた」の看板は、和菓子店のものです。
「からいた」は第192回ブログの最後に出てきます。
ただ、店先に「しばらく休業します」と書いてありました。
本当は「からいた煎餅」を買って帰ろうと思ったのですが、
仕方がないのでこのまま帰ります……
クリックすれば写真が拡大するのは、ここまでです。

その和菓子店の前で、上御霊前通を西に向いています。
では、こちらを進んでいきます。

上御霊神社楼門から、上御霊前通を西に約70m進みました。
こちらに、猿田彦神社がいらっしゃいます。
よく見ると、こちらの鳥居は神明式ですね。

こちらが、猿田彦神社本殿です。
もう何度も、お参りに来ていますね。
この写真も、クリックすれば拡大されます。

猿田彦神社の前から、上御霊前通を西に向いています。
この道は目の前の烏丸通で突き当たっているように見えますが、
烏丸通の約30m南に、さらに西に進む道があります。
ちなみに、上御霊前通は堀川通との交差点周辺に日蓮宗寺院が多く、
その辺りに桜の名所が集中しています。

上御霊前通から、烏丸通を北に向いています。
では、ここを北上します。

上御霊前通から、烏丸通を約50m北上しました。
こちらに、地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅への階段があります。
では、ここから地下に下りて地下鉄に乗って帰宅します。
今回はここまでです。
~次回は、上御霊神社から「高倉通」をさらに北上します~
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