第483回 雨宝院は桜の森~上立売通東から西~その14
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本隆寺東門の前で、智恵光院通を北に向いています。
今回はこの本隆寺に沿って進み、
本隆寺北隣の雨宝院にお邪魔します。
葉桜ではありましたが、こちらは桜の木でできた森でした。
撮影日は、2017年6月1日午後2時半。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。

本隆寺東門の前から、智恵光院通を北上しています。
左(西)側が、白壁から渉成園のような瓦と赤土の壁になりました。
(第401回ブログを参照)
こちらは、本隆寺の信徒会館ですね。
本隆寺境内の北東端に当たる施設です。

同じ場所で、智恵光院通の向かい(東)側を向いています。
その位置に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
またお参りして、さらに北上します。

本隆寺最北端の道が、上立売通です。
そして今、智恵光院通から上立売通を西に向いています。
次は、ここを進んでいきます。

智恵光院通から、上立売通を西に約10m進みました。
右(北)側の建物が、アパートから白壁に変わります。
その壁に、「聖天宮 雨宝院」と書かれています。

智恵光院通から、上立売通を西に約50m進みました。
すると、左(南)側に本隆寺の門が見えます。
この門は閉ざされていて、こちら側からは中に入れません。

その門の脇に、こちらが埋め込まれていました。
1960年に当時の管主日卲が、本隆寺を改修したと書かれています。

その門の前で北に向きました。こちらは真言宗北向山雨宝院です。
「西陣聖天宮」とも呼ばれている寺院ですね。
こちらが、今回ブログのメインです。

先程の門をくぐり、雨宝院境内を北に向いています。
こちらの寺院は、一定以上の高さの木は全て桜です。

雨宝院の南門をくぐり、右(東)を向きました。
こちらに、手水舎がありますね。
こちらは「染殿の井」という湧き水で、
第478回ブログに出てきた白峯神宮の飛鳥井とともに、
「西陣五名水」に数えられています。
手水舎の上に、弁財天の祠がいらっしゃいます。
やはり、水神ということでしょうか?

手水舎の前から、雨宝院境内を西に向いています。
右(北)側にツツジが見えますが、
雨宝院境内はいつも何かの花が咲いてます。
境内の南西端に、末社の祠が並んでいますね。

こちらが、その末社の祠です。
左(南)から弁財天・十二天・瘡神が祀られています。
「瘡神」とは「疱瘡(天然痘)の神様」という意味なので、
八坂神社ご祭神牛頭天王(素戔嗚尊)のことでしょうね。

では、少しずつ北上して雨宝院境内を散策していきます。
こちらの寺院は、本当に桜の森を歩いているようです。

先程の祠の北側に、観音堂があります。
こちらには、腕が十本ほどの千手観音像が安置されています。
ただ像自体は大きなもので、太秦広隆寺の霊宝殿にいらっしゃる
千手観音像に雰囲気が似ています。
なかなか立派な仏様ですが、こちらはご本尊ではありません。

観音堂の前で、雨宝院境内を北に向いています。
この辺りの木々のすべてが、桜です。
あちらのベンチが、雨宝院境内のほぼ中央です。

こちらが、そのベンチです。
背後に、いろいろな掲示物が貼られています。
これを見ると、ここは撮影不可のように思えます。
そこで不安になって、寺務所で尋ねてみました。
すると、こうおっしゃられました。
「堂内の仏像を写さないようにすれば、撮影は自由です。
ただ商業目的の場合は許可を受けてからでないと撮影不可です。
特にモデルを連れて本格的な機材を使って撮影するのは、
桜の根が傷むのでやめてほしいです」
後半がとても具体的なのでさらに質問すると、
どうやら本当にそんな撮影をされた方がいらしたようです。

そのベンチの裏(東)側に、こちらが咲いていました。
キキョウ科の花なのは間違いないのですが、
たぶん蛍袋(ホタルブクロ)だと思います。

蛍袋の花の脇に、こちらの石塔が立っていました。
「千度石」と書かれていますが、
この石の周囲はその蛍袋やカエデで囲まれていて、
人が入れそうにはありません。

今度はそのベンチの前で、西を向きました。
この先に、雨宝院の西門が見えますね。
ちょうど真上が藤棚のようですが、
こちらは細くて強くない桜の枝を支えています。

さらに、同じ場所で雨宝院境内を北に向きました。
そちらに、この寺院の寺務所があります。

先程の位置から、雨宝院境内を約10m北上しました。
この左手の先に、この寺院の寺務所があります。
(御朱印は、そちらで頂きます)
このまままっすぐ進むと、寺務所と隣接する小さなお堂があります。
そちらには、空海(弘法大師)像が祀られています。

その大師堂付近が、この雨宝院境内の北東端です。
そして、境内の東側に、たくさんのお堂が並んでいます。
大師堂の東側が十一面観音が祀られているお堂で、
その右(南)が庚申堂です。

さらに、その南側がこの雨宝院のご本尊聖天が祀られる聖天堂です。
聖天は、大歓喜天、長鼻天、象鼻天とも呼ばれています。
要するに、インドの神様ガネーシャのことですね。
こちらも他の聖天像同様に、秘仏です。
元々この辺りに、この聖天像をご本尊とする大歓喜寺がありました。
大歓喜寺は空海が建立したとても大きな寺院で、
最盛期には前回ブログの本隆寺を含むとても大きな寺院でしたが、
応仁の乱でこの辺りは激戦地となり
この辺り一帯は完全な焦土となりました。
その際、その大歓喜寺がそのまま廃寺となりました。
雨宝院は元々その寺院の塔頭だったのですが、
安土桃山時代にこの地に再興されました。
いったんは禅宗寺院だったこともあったようですが、
江戸時代に入り元の真言宗となり、現在に至ります。

聖天堂の上に、こちらの額が掛けられていました。
どうやら、聖天をご本尊とする京都の寺院が書かれているようです。
ただ、上の段一番右に書いてあるここ雨宝院と、
上の段右から5番目の嘉祥寺、7番目の神泉院(おそらく神泉苑)は
このブログでも訪れましたが、
他の寺院にはまだ訪れたことがありません。
ただ、第117回ブログで訪れた雙林寺や
第151回で訪れた六波羅蜜寺は(ご本尊は、聖天ではありません)
こちらに書いてありません。

雨宝院境内で、聖天堂から南を向きました。
手前から不動明王堂、大黒天堂、寶稲荷大明神堂が並びます。

不動明王堂の南側に、こちらの護摩木が置かれていました。
自分もちょっと書いてみようとしたのですが、
お賽銭の300円を納めるところが針金で閉ざされています。
お金を納められずそのまま立ち去りました。

その南隣(お堂の南端)に、寶(宝)稲荷大明神がいらっしゃいます。
朱塗りの鳥居があるものの、どう見ても仏式のお堂です。
個人的な見解ですが、密教寺院は
他の寺院よりも神仏が習合している気がします。

稲荷堂の前で、西を向きました。
目の前に、先ほどの「染殿の井」があります。
これで、雨宝院境内を1周しました。

雨宝院の南門から、南を向いています。
では、ここから雨宝院を出て行きます。

雨宝院南門の前で、上立売通を西に向いています。
左(南)が本隆寺で、右(北)が雨宝院ですね。
では、こちらを進んでいきます。

雨宝院南門の前から、上立売通を西に約10m進みました。
こちらから北に、智恵光院通が伸びています。
この道から約60m東にも智恵光院通がありますが、
新町通同様上立売通近辺で重複しています。

上立売通から、西側の智恵光院通を北に向いています。
この道は、約1㎞北にある大徳寺で突き当たります。

上立売通から西側の智恵光院通を約20m北上し、
東を向きました。
こちらは、雨宝院の西門です。
もし自転車で来たら、この脇に駐輪します。
ここから正面に、ご本尊の聖天堂が見えますね。

雨宝院西門の前で、西側の智恵光院通を南に向いています。
この道は、約20m先に見える本隆寺で突き当たります。
瓦と赤土性の塀の遙か向こうに、
前回ブログに出てきた修復中の本隆寺本堂の足場が見えますね。
では、突き当りの上立売通に戻ります。

先程の位置から約20m南下し、上立売通に戻ってきました。
ここからでも、本隆寺の塔頭寺院玉峯寺に立つ
黄金のストゥーパが目立ちますね。

西側の智恵光院通から、上立売通を西に向いています。
左(南)側は本隆寺の塀が続いていますが、
右(北)側はいろいろな民家が並ぶように変わります。
約50m先に浄福寺通が伸びていますが、
上立売通と浄福寺通が交差する辻の辺りが
また独特な街並みに変わります。
次はそちらに向かいますが、今回はだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、上立売通~寺之内通間の浄福寺通を散策します~

本隆寺東門の前で、智恵光院通を北に向いています。
今回はこの本隆寺に沿って進み、
本隆寺北隣の雨宝院にお邪魔します。
葉桜ではありましたが、こちらは桜の木でできた森でした。
撮影日は、2017年6月1日午後2時半。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。

本隆寺東門の前から、智恵光院通を北上しています。
左(西)側が、白壁から渉成園のような瓦と赤土の壁になりました。
(第401回ブログを参照)
こちらは、本隆寺の信徒会館ですね。
本隆寺境内の北東端に当たる施設です。

同じ場所で、智恵光院通の向かい(東)側を向いています。
その位置に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
またお参りして、さらに北上します。

本隆寺最北端の道が、上立売通です。
そして今、智恵光院通から上立売通を西に向いています。
次は、ここを進んでいきます。

智恵光院通から、上立売通を西に約10m進みました。
右(北)側の建物が、アパートから白壁に変わります。
その壁に、「聖天宮 雨宝院」と書かれています。

智恵光院通から、上立売通を西に約50m進みました。
すると、左(南)側に本隆寺の門が見えます。
この門は閉ざされていて、こちら側からは中に入れません。

その門の脇に、こちらが埋め込まれていました。
1960年に当時の管主日卲が、本隆寺を改修したと書かれています。

その門の前で北に向きました。こちらは真言宗北向山雨宝院です。
「西陣聖天宮」とも呼ばれている寺院ですね。
こちらが、今回ブログのメインです。

先程の門をくぐり、雨宝院境内を北に向いています。
こちらの寺院は、一定以上の高さの木は全て桜です。

雨宝院の南門をくぐり、右(東)を向きました。
こちらに、手水舎がありますね。
こちらは「染殿の井」という湧き水で、
第478回ブログに出てきた白峯神宮の飛鳥井とともに、
「西陣五名水」に数えられています。
手水舎の上に、弁財天の祠がいらっしゃいます。
やはり、水神ということでしょうか?

手水舎の前から、雨宝院境内を西に向いています。
右(北)側にツツジが見えますが、
雨宝院境内はいつも何かの花が咲いてます。
境内の南西端に、末社の祠が並んでいますね。

こちらが、その末社の祠です。
左(南)から弁財天・十二天・瘡神が祀られています。
「瘡神」とは「疱瘡(天然痘)の神様」という意味なので、
八坂神社ご祭神牛頭天王(素戔嗚尊)のことでしょうね。

では、少しずつ北上して雨宝院境内を散策していきます。
こちらの寺院は、本当に桜の森を歩いているようです。

先程の祠の北側に、観音堂があります。
こちらには、腕が十本ほどの千手観音像が安置されています。
ただ像自体は大きなもので、太秦広隆寺の霊宝殿にいらっしゃる
千手観音像に雰囲気が似ています。
なかなか立派な仏様ですが、こちらはご本尊ではありません。

観音堂の前で、雨宝院境内を北に向いています。
この辺りの木々のすべてが、桜です。
あちらのベンチが、雨宝院境内のほぼ中央です。

こちらが、そのベンチです。
背後に、いろいろな掲示物が貼られています。
これを見ると、ここは撮影不可のように思えます。
そこで不安になって、寺務所で尋ねてみました。
すると、こうおっしゃられました。
「堂内の仏像を写さないようにすれば、撮影は自由です。
ただ商業目的の場合は許可を受けてからでないと撮影不可です。
特にモデルを連れて本格的な機材を使って撮影するのは、
桜の根が傷むのでやめてほしいです」
後半がとても具体的なのでさらに質問すると、
どうやら本当にそんな撮影をされた方がいらしたようです。

そのベンチの裏(東)側に、こちらが咲いていました。
キキョウ科の花なのは間違いないのですが、
たぶん蛍袋(ホタルブクロ)だと思います。

蛍袋の花の脇に、こちらの石塔が立っていました。
「千度石」と書かれていますが、
この石の周囲はその蛍袋やカエデで囲まれていて、
人が入れそうにはありません。

今度はそのベンチの前で、西を向きました。
この先に、雨宝院の西門が見えますね。
ちょうど真上が藤棚のようですが、
こちらは細くて強くない桜の枝を支えています。

さらに、同じ場所で雨宝院境内を北に向きました。
そちらに、この寺院の寺務所があります。

先程の位置から、雨宝院境内を約10m北上しました。
この左手の先に、この寺院の寺務所があります。
(御朱印は、そちらで頂きます)
このまままっすぐ進むと、寺務所と隣接する小さなお堂があります。
そちらには、空海(弘法大師)像が祀られています。

その大師堂付近が、この雨宝院境内の北東端です。
そして、境内の東側に、たくさんのお堂が並んでいます。
大師堂の東側が十一面観音が祀られているお堂で、
その右(南)が庚申堂です。

さらに、その南側がこの雨宝院のご本尊聖天が祀られる聖天堂です。
聖天は、大歓喜天、長鼻天、象鼻天とも呼ばれています。
要するに、インドの神様ガネーシャのことですね。
こちらも他の聖天像同様に、秘仏です。
元々この辺りに、この聖天像をご本尊とする大歓喜寺がありました。
大歓喜寺は空海が建立したとても大きな寺院で、
最盛期には前回ブログの本隆寺を含むとても大きな寺院でしたが、
応仁の乱でこの辺りは激戦地となり
この辺り一帯は完全な焦土となりました。
その際、その大歓喜寺がそのまま廃寺となりました。
雨宝院は元々その寺院の塔頭だったのですが、
安土桃山時代にこの地に再興されました。
いったんは禅宗寺院だったこともあったようですが、
江戸時代に入り元の真言宗となり、現在に至ります。

聖天堂の上に、こちらの額が掛けられていました。
どうやら、聖天をご本尊とする京都の寺院が書かれているようです。
ただ、上の段一番右に書いてあるここ雨宝院と、
上の段右から5番目の嘉祥寺、7番目の神泉院(おそらく神泉苑)は
このブログでも訪れましたが、
他の寺院にはまだ訪れたことがありません。
ただ、第117回ブログで訪れた雙林寺や
第151回で訪れた六波羅蜜寺は(ご本尊は、聖天ではありません)
こちらに書いてありません。

雨宝院境内で、聖天堂から南を向きました。
手前から不動明王堂、大黒天堂、寶稲荷大明神堂が並びます。

不動明王堂の南側に、こちらの護摩木が置かれていました。
自分もちょっと書いてみようとしたのですが、
お賽銭の300円を納めるところが針金で閉ざされています。
お金を納められずそのまま立ち去りました。

その南隣(お堂の南端)に、寶(宝)稲荷大明神がいらっしゃいます。
朱塗りの鳥居があるものの、どう見ても仏式のお堂です。
個人的な見解ですが、密教寺院は
他の寺院よりも神仏が習合している気がします。

稲荷堂の前で、西を向きました。
目の前に、先ほどの「染殿の井」があります。
これで、雨宝院境内を1周しました。

雨宝院の南門から、南を向いています。
では、ここから雨宝院を出て行きます。

雨宝院南門の前で、上立売通を西に向いています。
左(南)が本隆寺で、右(北)が雨宝院ですね。
では、こちらを進んでいきます。

雨宝院南門の前から、上立売通を西に約10m進みました。
こちらから北に、智恵光院通が伸びています。
この道から約60m東にも智恵光院通がありますが、
新町通同様上立売通近辺で重複しています。

上立売通から、西側の智恵光院通を北に向いています。
この道は、約1㎞北にある大徳寺で突き当たります。

上立売通から西側の智恵光院通を約20m北上し、
東を向きました。
こちらは、雨宝院の西門です。
もし自転車で来たら、この脇に駐輪します。
ここから正面に、ご本尊の聖天堂が見えますね。

雨宝院西門の前で、西側の智恵光院通を南に向いています。
この道は、約20m先に見える本隆寺で突き当たります。
瓦と赤土性の塀の遙か向こうに、
前回ブログに出てきた修復中の本隆寺本堂の足場が見えますね。
では、突き当りの上立売通に戻ります。

先程の位置から約20m南下し、上立売通に戻ってきました。
ここからでも、本隆寺の塔頭寺院玉峯寺に立つ
黄金のストゥーパが目立ちますね。

西側の智恵光院通から、上立売通を西に向いています。
左(南)側は本隆寺の塀が続いていますが、
右(北)側はいろいろな民家が並ぶように変わります。
約50m先に浄福寺通が伸びていますが、
上立売通と浄福寺通が交差する辻の辺りが
また独特な街並みに変わります。
次はそちらに向かいますが、今回はだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、上立売通~寺之内通間の浄福寺通を散策します~
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