第490回 北野天満宮 夏越祓~上立売通東から西~その19
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京都駅北側市バスターミナルから101系市バスに乗ったのですが、
早朝からの大雨でスピードが出ないせいか烏丸通は大渋滞で、
四条通に出るまでに約1時間もかかりました……
そこから堀川通を北上して今出川通で西に折れて、さらに約40分。
ここ「北野天満宮前」バス停に辿り着いたときは、ヘロヘロでした。
では、今回はここから北の天満宮の夏越の祓いに向かいます。
撮影日は、2017年6月30日金曜日の夏越の日午後0時半。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。

早朝の大雨がだんだんと小雨になって、昼過ぎには止みました。
まぁ市バスも雨粒が小さくなるほど速くなって、
最後は普通の速さで進んでいました。
「北野天満宮前」バス停から、今出川通を西南西に向いています。
今まで自分が載っていた101系市バスが、
北野白梅町経由で金閣寺に向かいます。
その走行中の101系市バスの左(南)側に、
「あわもち」と書かれた提灯がぶら下がっています。
北野天満宮にお参りする前に、そちらに向かいます。

こちらは、粟餅専門店の「澤屋」です。
(第112回ブログでも、立ち寄りました)
メニューは、粟餅の一択です!(餡餅ときな粉餅があります)
ただし、300円上乗せすると抹茶とのセットになります。

粟餅をアップで撮りました。
手前のきな粉餅は、細長いものが2個あります。
いつも自分はそちらを先に食べて、
後から餡餅に残ったきな粉を付けて頂きます。
(そういう意地汚い食べ方が好きです)

市バスに長時間乗車したせいか体調がよくなかったのですが、
粟餅を食べて約30分休憩しますとだいぶ元気になりました。
「澤屋」を出て、今出川通を東北東に向いています。
では、「北野天満宮前」バス停方面に戻ります。

その辺りで、今出川通の向かい(北)側を向きました。
たくさんの方々が、市バスを待っています。
おそらく大半が、京都駅方面に向かわれるのでしょうね。

今出川通南側歩道の「北野天満宮前」バス停の傍に、
こちらがいらっしゃいます。(今回ブログ最初の地点です)
この「お別れ地蔵尊」の沿革は、第112回ブログに載っています。

その「北野天満宮前」バス停から、東北東に向いています。
とようけ茶屋の向い(東北東)側に、
「北野天満宮前」交差点が見えます。

「北野天満宮前」交差点で、北を向いています。
こちらで今出川通と御前通が交差していますが、
少しずつ北に折れた中立売通も突き当たるので、五叉路です。
では、ここから信号を渡って北野天満宮一の鳥居をくぐります。
……のですが、全然茅の輪が見当たりません!
確か、この大きな鳥居いっぱいに茅の輪が付くはずでは?

北野天満宮一の鳥居をくぐり、蛇行しながら北上しています。
すぐに、二の鳥居が見えてきました。

その辺りで、西を向きました。
細い松の枝に、たくさんのハトが停まっています。
その向こうに、北野天満宮の宮寺東向観音寺が見えます。
今回は時間がないので、そのまま素通りります。
(境内の様子は、第112回ブログ参照)

北野天満宮二の鳥居をくぐりました。
その先に、もう三の鳥居が見えますね。
では、どんどん鳥居をくぐって北上します。

三の鳥居をくぐると、すぐに四の鳥居が見えます。
ただ、その鳥居の脇に、小さな神社が見えます。

こちらが、その伴氏社です。
ご祭神は、菅原道真の母伴氏です。
前回ブログ同様、今回もお参りします。

その伴氏社の鳥居の上部をアップにしました。
中央の直方体の石(額束)が、
その上の棒状の石(島木)にめり込んでいます。
ちょっと地味ですが、この形状の鳥居は相当に珍しく
「京都三珍鳥居」に数えられています。
(残りは、京都御苑内の厳島神社の唐破風の鳥居と
「蚕ノ社」木嶋神社の三柱鳥居です)

北野天満宮四の鳥居の真下から、参道を北に向いています。
目の前に、北野天満宮楼門が見えます。
つまり、あちらより先が北野天満宮境内です。

北野天満宮楼門前が工事中なのですが、
どうやら大きな建物を建設中のようです。
最近、こちらの神社は改築ラッシュです。

では北野天満宮楼門をくぐり、境内に入ります……
と言いたいのですが、やはりこちらも茅の輪がありません。
先程の大雨のせいでしょうか?

京都の神社でも特に古くから続くものは、
門の左右に狛犬ではなく武人の木像を置きます。
こちらは、そのうちの左大臣像です。

そして、その向かいには右大臣像です。
そういえば、両大臣が守護する神社には
それ程鳥居が多くありませんね。
(上御霊神社には、境内社の福寿稲荷以外に鳥居が少ないですし)

北野天満宮楼門をくぐり東を向きました。こちらは手水舎ですね。
中央に牛の像が飾られているのが、「天神さん」らしいです。

北野天満宮楼門から北に向かうと社務所や宝物殿がありますが、
そちらには向かいません。
今回は、楼門から西に向かいます。
そちらに進むと、すぐに大きな絵馬殿に行き当たります。
中に自動販売機があったりして、休憩所として利用されています。
そこより西は、以前からの修復が終わっているようです。
(第352回ブログを参照)

北野天満宮絵馬殿の前で、北を向きました。
では、目の前の北野天満宮本殿に向かいます。
この日(2017年6月30日)は、参拝者の大半が修学旅行生でした。

北天満宮本殿と絵馬殿の間には、境内末社が並んでいます。
こちらは、その1柱福部社です。

福部社の向かい(東)側には、白太夫社がいらっしゃいます。
どちらも、「天神さん」には必ずいらっしゃいますね。
(第25回ブログの五条天神宮は例外)

福部社の北隣には、老松社がいらっしゃいます。
これらの境内末社のご祭神は、菅原道真の家臣です。

ただし老松社の向かい(東)にいらっしゃる火之御子社は例外で、
北野天満宮創建以前からこちらにいらっしゃいました。
(創建から、だいたい1200年くらいです)
ご祭神は火雷神(要するに、「雷神」)で、
平安京遷都(794年)直後には多くの信仰を集めていたそうです。

目の前に、北野天満宮本殿がいらっしゃいます。
その前に、こちらの唐門をくぐります。
よく見ると、茅の輪が無い代わりに笹が飾ってあります。
夏越の祓いの後の「七夕」の用意ですね。

北野天満宮唐門の脇に、茅の輪が置いてありました。
サイズ的に、この唐門に取り付けられるのでしょうね。
祭事が行われる午後4時にならないとくぐれないのでしょうが、
自分はこの後仕事なのでその時間までここにいられません……

こちらが、北野天満宮本殿です。ウチのブログでは2回連続です。
こちらの沿革は、第113回ブログを参照してください。
本殿脇の松と梅の脇には、七夕用の笹が飾ってあります。
こうして見ると、「夏越の祓い」の雰囲気が全くありません。

北野天満宮本殿の東側にも、社務所があります。
こちらは「受験の神様」ということで、
修学旅行生がお札やお守りなどを購入されていました。
全然「夏越の祓い」の雰囲気ではないので、
こちらの巫女さんに質問してみました。
すると、こう答えが返ってきました。
「夏越の祓いの神事は午後4時からで、それまではこんな感じです。
一の鳥居の大きな茅の輪くぐりは、
毎年6月25日に行われます。
ですから、今年(2017年)の大茅の輪くぐりはもう終わりました」

社務所の巫女さんに声を掛けてそのままという訳にもいかないので、
こちらを購入しました。小さな茅の輪です。
こちらは、夏の疫病除けに自宅の門に飾ります。
(まぁ、それが「夏越の祓い」の主目的ですし)
本当は、こちらは神社から持って帰った茅を
自分で編んで作るのですが、
以前元祇園 梛神社で大失敗して以来購入して済ませています。

北野天満宮本殿前から、東を向きました。
午後4時までいられないので、今回はここを出て次に向かいます。

北野天満宮本殿を東に抜けて、北を向きました。
この道は、先ほどの楼門からずっと北上した先に当たります。

先程の場所で、東を向きました。この先が五辻通の突き当りです。
第473回ブログで通った道ですね。

北野天満宮本殿の東側の道をずっと北上すると、こちらに出ます。
前回ブログ同様、右(東)側の文子天満宮にお参りしてから
左(西)側の道をさらに北上します。

その道の先に、北野天満宮北門があります。
ここをくぐると、北野天満宮を出ます。

北野天満宮北門から、北を向いています。
目の前の道が、今までずっと西に進んできた上立売通です。
あちらに見える石碑は、明治時代に西陣織の発展に尽力を尽くした
5世伊達弥助を讃えたものです。

北野天満宮北門前で、上立売通を東に向いています。
前回ブログまでかけて、向こうからこちらにやって来ました。

今度は同じ場所で、上立売通を西に向きました。
この道の突き当りに見える繁みが、平野神社です。
次はここから平野神社に向かいますが、
今回ブログももうだいぶ写真を貼り付けてきました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、平野神社で茅の輪くぐりをします~

京都駅北側市バスターミナルから101系市バスに乗ったのですが、
早朝からの大雨でスピードが出ないせいか烏丸通は大渋滞で、
四条通に出るまでに約1時間もかかりました……
そこから堀川通を北上して今出川通で西に折れて、さらに約40分。
ここ「北野天満宮前」バス停に辿り着いたときは、ヘロヘロでした。
では、今回はここから北の天満宮の夏越の祓いに向かいます。
撮影日は、2017年6月30日金曜日の夏越の日午後0時半。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。

早朝の大雨がだんだんと小雨になって、昼過ぎには止みました。
まぁ市バスも雨粒が小さくなるほど速くなって、
最後は普通の速さで進んでいました。
「北野天満宮前」バス停から、今出川通を西南西に向いています。
今まで自分が載っていた101系市バスが、
北野白梅町経由で金閣寺に向かいます。
その走行中の101系市バスの左(南)側に、
「あわもち」と書かれた提灯がぶら下がっています。
北野天満宮にお参りする前に、そちらに向かいます。

こちらは、粟餅専門店の「澤屋」です。
(第112回ブログでも、立ち寄りました)
メニューは、粟餅の一択です!(餡餅ときな粉餅があります)
ただし、300円上乗せすると抹茶とのセットになります。

粟餅をアップで撮りました。
手前のきな粉餅は、細長いものが2個あります。
いつも自分はそちらを先に食べて、
後から餡餅に残ったきな粉を付けて頂きます。
(そういう意地汚い食べ方が好きです)

市バスに長時間乗車したせいか体調がよくなかったのですが、
粟餅を食べて約30分休憩しますとだいぶ元気になりました。
「澤屋」を出て、今出川通を東北東に向いています。
では、「北野天満宮前」バス停方面に戻ります。

その辺りで、今出川通の向かい(北)側を向きました。
たくさんの方々が、市バスを待っています。
おそらく大半が、京都駅方面に向かわれるのでしょうね。

今出川通南側歩道の「北野天満宮前」バス停の傍に、
こちらがいらっしゃいます。(今回ブログ最初の地点です)
この「お別れ地蔵尊」の沿革は、第112回ブログに載っています。

その「北野天満宮前」バス停から、東北東に向いています。
とようけ茶屋の向い(東北東)側に、
「北野天満宮前」交差点が見えます。

「北野天満宮前」交差点で、北を向いています。
こちらで今出川通と御前通が交差していますが、
少しずつ北に折れた中立売通も突き当たるので、五叉路です。
では、ここから信号を渡って北野天満宮一の鳥居をくぐります。
……のですが、全然茅の輪が見当たりません!
確か、この大きな鳥居いっぱいに茅の輪が付くはずでは?

北野天満宮一の鳥居をくぐり、蛇行しながら北上しています。
すぐに、二の鳥居が見えてきました。

その辺りで、西を向きました。
細い松の枝に、たくさんのハトが停まっています。
その向こうに、北野天満宮の宮寺東向観音寺が見えます。
今回は時間がないので、そのまま素通りります。
(境内の様子は、第112回ブログ参照)

北野天満宮二の鳥居をくぐりました。
その先に、もう三の鳥居が見えますね。
では、どんどん鳥居をくぐって北上します。

三の鳥居をくぐると、すぐに四の鳥居が見えます。
ただ、その鳥居の脇に、小さな神社が見えます。

こちらが、その伴氏社です。
ご祭神は、菅原道真の母伴氏です。
前回ブログ同様、今回もお参りします。

その伴氏社の鳥居の上部をアップにしました。
中央の直方体の石(額束)が、
その上の棒状の石(島木)にめり込んでいます。
ちょっと地味ですが、この形状の鳥居は相当に珍しく
「京都三珍鳥居」に数えられています。
(残りは、京都御苑内の厳島神社の唐破風の鳥居と
「蚕ノ社」木嶋神社の三柱鳥居です)

北野天満宮四の鳥居の真下から、参道を北に向いています。
目の前に、北野天満宮楼門が見えます。
つまり、あちらより先が北野天満宮境内です。

北野天満宮楼門前が工事中なのですが、
どうやら大きな建物を建設中のようです。
最近、こちらの神社は改築ラッシュです。

では北野天満宮楼門をくぐり、境内に入ります……
と言いたいのですが、やはりこちらも茅の輪がありません。
先程の大雨のせいでしょうか?

京都の神社でも特に古くから続くものは、
門の左右に狛犬ではなく武人の木像を置きます。
こちらは、そのうちの左大臣像です。

そして、その向かいには右大臣像です。
そういえば、両大臣が守護する神社には
それ程鳥居が多くありませんね。
(上御霊神社には、境内社の福寿稲荷以外に鳥居が少ないですし)

北野天満宮楼門をくぐり東を向きました。こちらは手水舎ですね。
中央に牛の像が飾られているのが、「天神さん」らしいです。

北野天満宮楼門から北に向かうと社務所や宝物殿がありますが、
そちらには向かいません。
今回は、楼門から西に向かいます。
そちらに進むと、すぐに大きな絵馬殿に行き当たります。
中に自動販売機があったりして、休憩所として利用されています。
そこより西は、以前からの修復が終わっているようです。
(第352回ブログを参照)

北野天満宮絵馬殿の前で、北を向きました。
では、目の前の北野天満宮本殿に向かいます。
この日(2017年6月30日)は、参拝者の大半が修学旅行生でした。

北天満宮本殿と絵馬殿の間には、境内末社が並んでいます。
こちらは、その1柱福部社です。

福部社の向かい(東)側には、白太夫社がいらっしゃいます。
どちらも、「天神さん」には必ずいらっしゃいますね。
(第25回ブログの五条天神宮は例外)

福部社の北隣には、老松社がいらっしゃいます。
これらの境内末社のご祭神は、菅原道真の家臣です。

ただし老松社の向かい(東)にいらっしゃる火之御子社は例外で、
北野天満宮創建以前からこちらにいらっしゃいました。
(創建から、だいたい1200年くらいです)
ご祭神は火雷神(要するに、「雷神」)で、
平安京遷都(794年)直後には多くの信仰を集めていたそうです。

目の前に、北野天満宮本殿がいらっしゃいます。
その前に、こちらの唐門をくぐります。
よく見ると、茅の輪が無い代わりに笹が飾ってあります。
夏越の祓いの後の「七夕」の用意ですね。

北野天満宮唐門の脇に、茅の輪が置いてありました。
サイズ的に、この唐門に取り付けられるのでしょうね。
祭事が行われる午後4時にならないとくぐれないのでしょうが、
自分はこの後仕事なのでその時間までここにいられません……

こちらが、北野天満宮本殿です。ウチのブログでは2回連続です。
こちらの沿革は、第113回ブログを参照してください。
本殿脇の松と梅の脇には、七夕用の笹が飾ってあります。
こうして見ると、「夏越の祓い」の雰囲気が全くありません。

北野天満宮本殿の東側にも、社務所があります。
こちらは「受験の神様」ということで、
修学旅行生がお札やお守りなどを購入されていました。
全然「夏越の祓い」の雰囲気ではないので、
こちらの巫女さんに質問してみました。
すると、こう答えが返ってきました。
「夏越の祓いの神事は午後4時からで、それまではこんな感じです。
一の鳥居の大きな茅の輪くぐりは、
毎年6月25日に行われます。
ですから、今年(2017年)の大茅の輪くぐりはもう終わりました」

社務所の巫女さんに声を掛けてそのままという訳にもいかないので、
こちらを購入しました。小さな茅の輪です。
こちらは、夏の疫病除けに自宅の門に飾ります。
(まぁ、それが「夏越の祓い」の主目的ですし)
本当は、こちらは神社から持って帰った茅を
自分で編んで作るのですが、
以前元祇園 梛神社で大失敗して以来購入して済ませています。

北野天満宮本殿前から、東を向きました。
午後4時までいられないので、今回はここを出て次に向かいます。

北野天満宮本殿を東に抜けて、北を向きました。
この道は、先ほどの楼門からずっと北上した先に当たります。

先程の場所で、東を向きました。この先が五辻通の突き当りです。
第473回ブログで通った道ですね。

北野天満宮本殿の東側の道をずっと北上すると、こちらに出ます。
前回ブログ同様、右(東)側の文子天満宮にお参りしてから
左(西)側の道をさらに北上します。

その道の先に、北野天満宮北門があります。
ここをくぐると、北野天満宮を出ます。

北野天満宮北門から、北を向いています。
目の前の道が、今までずっと西に進んできた上立売通です。
あちらに見える石碑は、明治時代に西陣織の発展に尽力を尽くした
5世伊達弥助を讃えたものです。

北野天満宮北門前で、上立売通を東に向いています。
前回ブログまでかけて、向こうからこちらにやって来ました。

今度は同じ場所で、上立売通を西に向きました。
この道の突き当りに見える繁みが、平野神社です。
次はここから平野神社に向かいますが、
今回ブログももうだいぶ写真を貼り付けてきました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、平野神社で茅の輪くぐりをします~
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