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第499回 油天神山で…… ~前祭宵山散策2017~その6

[油天神山] ブログ村キーワード
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仏光寺通から、油小路を北に向いています。
この先に、油天神山が立っていますね。
この辺りは祇園祭の山鉾町で一番牧歌的で
自分の一番のお気に入りの地帯なのですが、
雨粒が大きくなってきたので、先を急いでいます。
それが、そもそもの間違いだったのですが……
撮影日は、2017年7月16日宵山の日曜日午後3時。
今回もクリックした写真は、全て拡大されます。


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仏光寺通から、油小路を少し北上しました。
こちらに、油天神山が立ちます。
後述の理由で、「天神さん」でも火災除けの御利益があります。
雨粒がだいぶ大きくなってきているので、
胴掛や水引が片付けられています。
この北側に天神社が祀られているのですが、
そちらがそのまま祇園祭の「山」になりました。


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油天神山化の前で、油小路を北に向きました。
では、向こうに見える油天神山の会所に向かいます。


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こちらが、油天神山の会所です。
ご神体の祠は前祭期間中神社からこちらに移されており、
その周囲には前掛や見送りも展示されています。
また、こちらで売られている手拭いがなかなか格好いいので
昨年(2016年)買いました。

ただ、こちらがキャノン製Power shot 500というデジカメで撮った
最後の写真となりました……


油天神山の会所前から、油小路を北にカメラを向けたときです。
突然ふらついて、そのデジタルカメラが手から零れ落ちました。
朝から第496回ブログアユを食べた以外
この日(2017年7月16日)は何も飲食していませんでした。
さらに雨宿り先を探して慌てていましたし、
そういうことが重なってこのような事態になりました。

カメラのレンズがカメラ内部に戻らなくなり、
カメラが全く作動しなくなりました。
取りあえず油天神山の会所の向かいで雨宿りをしました。
(約30分の豪雨でした)
すると、その様子をご覧になられた会所にいらした町衆の一人が
こちらにやって来られて、傘を1本貸して頂けました。
それでその場を動けるようになり、カメラの修理先を探しました。
ところが、カメラ屋さん(家電量販店)はこの辺になく、
いったん四条通に出てそのまま寺町通まで歩いていきました。
結局寺町通から四条通を南に折れ、
その先のエディオンまで行きました。

そこでカメラを見てもらったところ
どうも重篤な故障らしくすぐには直らないことが分かりました。
そこでその場でカメラを新しく買って、元に戻りました。


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ですから、これ以降は同じくキャノン製のIXY650で
撮った写真を掲載します。

寺町通から四条通を油小路まで歩いて、さらに南に100m。
(油天神山の会所から、約50m北の地点です)
こちらが「綾小路油小路」の辻にいらっしゃる火尊天満宮です。
この時点で、2017年7月16日宵山の日曜日午後4時45分。
本来なら傘を油天神山会所に返すべきですが、
まだ雨が降っているのでもう少し借りていきます。
何事もなければもう撮影が終わっている時間ですが、
ここからブログ取材を再開します。

元々、こちらには火災除けの神様愛宕権現が祀られていました。
ところが、江戸時代にこの辺りの大地主である風早氏が
菅原道真の木像を持ち込み、こちらを天満宮に変えました。
それが、この神社の沿革です。

また、こちらの祠が油天神山のご神体です。
小さな神社がそのまま山鉾になるのは、
後祭八幡山、次回ブログで出てくる霰天神山
合計3基いらっしゃいます。


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綾小路から油小路を北に向いています。
豪雨のあった約2時間で、道の様子は一変しています。
目の前のレンガ造りの建物は、「美髪館」という理髪店です。
予約しないといけないほどの人気店ですが、
この京都市下京区風早町と隣の木賊山町には
たくさんの理髪店が集中しています。


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油小路から、綾小路を東に向いています。
向こうに、芦刈山が見えますね。次は、そちらに向かいます。


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油小路から、綾小路を東に約50m進みました。
こちらに、芦刈山の会所があります。


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芦刈山会所内部の様子を撮りました。
御簾の向こうに、ご神体の芦刈の老人がいらっしゃいます。
貧乏が原因で離縁した芦刈を営む老人が、
再会した元妻と由りを戻して再婚した話が題材です。
そのため、こちらは「夫婦円満」「縁結び」のご利益があります。


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芦刈山会所の東側に、芦刈山が立っています。
こちらの前掛はとても立派なのですが、
この雨では全て片付けられています。


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芦刈山の前から、綾小路を東に約50m進みました。
ここで、綾小路は西洞院通と交差しています。
向こう(東)に見えるのは、第496回ブログに出てきた伯牙山です。
本当はこの辺りに檜扇と屏風を出す町家があったのですが、
今回は事情により素通りしています。

この写真を撮っているIXY560は買って間もないので、
バッテリーに残る電流量が僅かです。
おそらく、最後の長刀鉾までもちそうにもありません。
少しでも先まで写真を撮りたいので、
ここから先は周囲の様子などをなるべく撮りません。


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綾小路から、西洞院通を南に向いています。
向こうに見える薮が、前回ブログに出てきた菅大臣神社です。
(本当は藪ではなく、葉桜並木です)


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今度は綾小路から、西洞院通を北に向きました。
では、ここから約100m先にある四条通を目指します。


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綾小路から、西洞院通を約100m北上しました。
こちらは、「四条西洞院」交差点です。


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西洞院通から、四条通を西に向いています。
「四条西洞院」交差点から約20m先に、四条傘鉾が立っています。


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「四条西洞院」交差点から横断歩道を渡り、
四条通北側歩道に来ました。
では、西洞院通から、四条通北側歩道を西に向かいます。


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西洞院通から、四条通を約50m西に進みました。
こちらに、四条傘鉾が立っています。
第495回ブログに出てきた綾傘鉾よりも小振りですね。
祇園祭で山鉾巡行が行われ始めたのは室町時代中期ですが、
このような「傘鉾」はそれ以前の平安時代にあったようです。
(そもそも最初は、神輿渡御だけ行われていました)
こちらも山鉾巡行の際に棒振り踊りが行われますが、
綾傘鉾とは由来も踊りも異なります。


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四条傘鉾の前で、四条通を東に向いています。
右側に提灯の付いた細長い台車がありますが、
夜になるとこちらに打楽器を取り付けて、
こちらの町衆が祇園囃を演奏しながら
四条通を練り歩かれます。
では、「四条西洞院」交差点に戻ります。


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四条通から、西洞院通を北に向いています。
四条通以北の西洞院通は、ずっと自動車が通るものの
約100m先の錦小路まで露店が立ちます。
それは、こちらに山鉾の中で特に人気のある蟷螂山が立つからです。


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四条通から、西洞院通を約30m北上しました。
こちらに、2014年には無かった蟷螂山会所が復活していました。


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マンションの集会所が、蟷螂山の会所になっています。
胴掛・水引の奥に「祇園三社」と書かれたのが、ご神体です。


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蟷螂山会所の前で、西洞院通を北に向いています。
あちらに、蟷螂山が見えますね。では、そちらに向かいます。


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こちらが、蟷螂山(かまきりやま)です。
担ぎ山の上に、カマキリが載った牛車があります。


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牛車に乗ったカマキリをアップで撮りました。
こちらは繊細なからくり人形なので、
雨水に濡れないように厳重に雨除けシートが張られています。
この時点で宵山(2017年7月16日)の夕方なので、
もし晴れていれば祇園囃に合わせて
こちらのカマキリが踊っていたはずです。
カマキリのからくり人形は、前足・頭・羽が動きます。
こちらが動く様子は、昨年(2016年)の山鉾巡行を取材した
第409回ブログを参考にしてください。


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蟷螂山の北側に、長蛇の列ができていました。
よく見ると、カップルと子連れのお母さんが大半です。


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西洞院通の反対(東)側に回り込んで、
長蛇の列の先頭を撮影しました。
こちらにも、小さなカマキリのからくり人形がいます。


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こちらは、2014年から行われている「カマキリみくじ」です。
400円支払うと、手前のハンドルを回すことができます。
するとカマキリのからくり人形が動き出し、
向こうの赤い箱から落ちてくるカラーボールを受け取り、
こちらに戻ってきます。
そのカマキリが持つカラーボールを開けると、
中からおみくじが出てくる仕掛けです。
初回の2014年の時点で相当人気があったのですが、
今年(2017年)はさらに行列が長くなっていました。


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その「カマキリみくじ」の東側に、
蟷螂山の前掛けと見送りが展示されていました。
本当はこの下に金細工の小さなカマキリ像もあったのですが、
格子が邪魔で上手く撮れませんでした。
こちらも、蟷螂山の会所があったマンションの一角です。
この辺りはマンションを新築しても、
このような施設を作ることが前提になっているのが面白いですね。


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蟷螂山から、西洞院通を南に向いています。
では、またまた「四条西洞院」」交差点に戻ります。


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「四条西洞院」交差点北東角から、南を向いています。
では、この横断法堂を渡り交差点の南東角に移動します。
ちなみに、向こうに見える「若菜屋」さんは老舗の和菓子店です。
祇園祭前祭期間中はこの時期限定で、
みたらし団子やわらび餅を販売しています。


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西洞院通から、四条通を東に向いています。
では、こちらを進んでいきます。


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西洞院通から、四条通を約50m東に進みました。
こちらに、郭巨山の会所がありました。


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郭巨山会所に昨年(2016年)に買った粽を返し、
今年(2017年)もまた粽を買いました。
この取材を始めた2012年以来、毎年ここで粽を買っています。


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こちらが、その郭巨山の粽です。
こちらの御利益である金運を表す小判が添えられてあるのが、
この山の粽の特徴です。
ウチの母が経営するお店に、今年(2017年)も飾りました。


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四条通の北側歩道に、郭巨山が立っています。
こちらも、郭巨という中国人がご神体になっています。
こちらはビニールシートをしっかり巻いてあるので、
豪雨の中でも胴掛と水引はそのままですね。


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郭巨山会所の前で、四条通を東に向いています。
では、向こうに見える信号の辺りまで歩いていきます。


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郭巨山会所から四条通を東に約50m進みました。
第496回ブログ以来の「四条新町」交差点に戻ってきました。
その回では向こう(東)側に見える月鉾経由で、
新町通を右(南)に折れ伯牙山を訪れました。
これで、祇園祭前祭の山鉾は約8割制覇しました。


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四条通から、新町通を北に向いています。
向こうに、放下鉾の提灯が見えますね。
あとは錦小路周辺と長刀鉾を訪れたら、
祇園祭前祭全山鉾制覇です。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は放下鉾脇でハモバーガーを頂き、
霰天神山の粽を買いに行くのですが……
実はここからまたトラブルが発生しました~

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第500回 霰天神山の粽~前祭宵山散策2017~その7

[霰天神山] ブログ村キーワード
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四条通から、新町通を北に向いています。
まだ午後5時前なので四条通も自動車が通っていますが、
正午ごろよりも参拝者が倍以上になってきました。
今回は放下鉾脇でハモバーガーを頂いた後、
霰天神山で隣の小母さんに頼まれていた粽を買います。
撮影日は、2017年7月16日宵山の日曜日午後4時55分。
とにかく、カメラのバッテリーの残量との戦いです。


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四条通から、新町通を北上しています。
この辺りで、「京都市下京区」から「京都市中京区」になります。
だんだん雨が止んできて、傘を差す人が減ってきます。
そうこうしていいるうちに、目の前に放下鉾が現れました。


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四条通から、新町通を約50m北上しました。
こちらに、放下鉾が立ちます。
「放下」とは要するに芸能をする修行僧のことですが、
(南京玉すだれなどを行っていたようです)
どのような謂れでこの鉾ができたのか、詳細は知りません。
確かご神体は、その放下僧の木像です。


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先程の写真に伏見の銘酒黄桜の露店が出ていましたが、
その北隣に「いち」という割烹料理屋さんがあります。
その割烹料理屋さんは、祇園祭になると店頭に露店を出します。
こういうお店の大半は前祭か後祭のどちらかに店を出しますが、
こちらはその両方に露店を出します。
昨年(2016年)は後祭中にこちらにお邪魔しました。
こちらの女将さんがそのことを覚えていらして、
「あら、1年ぶり」と言っていただけました。


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こちらの「いち」さんでは、このハモバーガーを売っています。
バンズ(パン)の間に、レタス、トマト、鱧カツが入っています。
鱧カツには、梅肉が入ったタルタルソースが掛かっています。
このタルタルソースがお気に入りなので、
こちらには毎年お邪魔しています。


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放下鉾の前で、新町池通を北に向いています。
では、このまま新町通を北上します。


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四条通から新町通を約100m北上すると、錦小路と交差します。
後祭には錦小路以北の新町通沿いに南観音山が立ちますが、
前祭のこの時期は完全な平常運転です。
つまり、現時点で新町通以西の全ての山鉾を回ったことになります。


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新町通から、錦小路を東に向いています。
では、こちらから霰天神山を目指します。


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新町通から、錦小路を東に進んでいます。
もう完全に雨が止んで、少しずつ日差しが戻ってきました。
だんだんと夕方になるにつれ、人が増えてきました。
この辺りはイタリア料理や中華料理の露店が多く、
それを目当てにこの辺りに来られる方々も多いようです。


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特に霰天神山会所の西隣にある中華料理屋さんの露店は、
最早この祇園祭自体の名物になりつつあります。
こちらでは浸みだれ肉まんが売られるのですが、
人気がありすぎて行列が蜷局を巻いています。
おそらく、1時間は待たないといけないでしょうね。
結局今年(2017年)も買えませんでした……


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浸みだれ肉まんの露店の東隣に、霰天神山会所への路地があります。
……しかし、浸みだれ肉まんの行列がここまで伸びていますね。


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霰天神山会所に続く路地も、行列ができていました。
ただ、この列は御朱印を求めるもので、
もしそれを求めないなら真っすぐ会所まで行けます。


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路地の先が広くなっていて、そちらに霰天神山の会所があります。
前回ブログ油天神山と同様、小さな神社の祠がご神体です。

実はウチを出るとき隣の小母さんと偶然会いまして、
その方は今年(2017年)は用事があってこちらに来られず、
毎年買われていた霰天神山の粽を諦めておられました。
そこで、代わりにこちらの粽を買って帰ることを約束しました。
……のですが、こちらの粽はとても人気があって
販売開始直後に売り切れてしまいます。
この時点で、もちろん売り切れていました。

ところが、よくよく予定表を見ると午後6時から
再びこちらで粽が売られることが書いてあります。
そこで、ここから約45分待つことにしました。

そのことを同行していたウチの母に伝えたところ、
「もう疲れたし、帰る」
そう言ってきたので、ここで別れました。
ちなみに、ウチの母はこの後油天神山会所に戻って
借りていた雨傘を返したそうです。
(詳細は、前回ブログで


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こちらが、霰天神山(あられてんじんやま)の粽とお札です。
この辺りが大火で焼け出されたとき、
こちらにいらしたこの「天神さん」の周囲に季節外れの霰が降り、
火事が沈下したという言い伝えが残っています。
ですから、こちらは「天神さん」でも火災除けのご利益があります。
ちなみに、ウチやウチの近所ではこちらの霰天神か
愛宕神社のお札を台所に貼る風習があります。
こちらのお札は2枚買って、うち1枚は今もウチに貼ってあります。

帰宅後(2017年7月16日午後9時)ウチの隣に行くと、
「今年も、火除けの粽とお札が手に入った」
と小母さんも喜んでおられました。


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霰天神山会所に続く路地の前で、錦小路を東に向いています。
錦小路は目の前で室町通と交差しているのですが、
人間で交通渋滞が起きていました。


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こちらが、その「錦室町」の辻です。はっきり言って、大渋滞です。
室町通を左(北)に行くと山伏山で、右(南)なら菊水鉾です。
正面の占出山には、次回ブログでお邪魔します。


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錦小路から、室町通を南に向いています。
向こうに、菊水鉾が見えますね。
この近くにあった「菊水の井」という井戸が、こちらの由来です。
ただ、この時間帯から四条通~錦小路間の室町通は
北行き一方通行に変わります。
ですから、これ以上向こうには行けません。
(菊水鉾には、諸事情により次回ブログで再接近します)


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今度は、錦小路から室町通を北に向きました。
では、向こうに見える山伏山に向かいます。


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錦小路から室町通を北上し、山伏山に近づいています。
露店も人も、道いっぱいに広がっています。
正午ごろと比べて、夕方になって「祭りらしく」なってきました。


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先程の写真の先に、こちらの山伏山が立っていました。
ちなみに、こちらが祇園祭前祭最北端の山鉾です。
つまり、ここから北の室町通にもう山鉾はありません。
(後祭なら、この先に鯉山が立ちます)


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山伏山の北側に、山伏山の会所があります。
この会所では1Fで粽などを販売し、2Fにご神体が安置されます。
(第494回ブログに出てきた保昌山会所と同じ構造ですね)
こちらのご神体は、平安時代に活躍された
浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)という山伏の木造です。
傾いた八坂の塔を念力で直したという伝説のある方ですが、
そのことから「天災除け」のご利益があるとされています。
そのせいか、こちらの町衆は
近年東日本大震災などの被災地とつながりを持たれています。


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山伏山の前で、室町通を南に向いています。
今から、また「錦室町」の辻に戻って……
と思っていたら、ここでカメラのバッテリーが限界を迎えました。
要するに、またカメラが作動しなくなりました……
ここからコンセントがある場所を探し、
(新品なので、備品のすべてをこの時点で持っています)
充電後にまた続きを再開します。

今回は、ここまでです。

~次回で、まだ回っていないすべての山鉾を回ります。
つまり、次回が2017年祇園祭前祭宵山散策の最終回です~

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第501回 そして長刀鉾へ~前祭宵山散策2017~その8

前回ブログ終了時点の山伏山付近で、
デジタルカメラのバッテリーが空になり
もう写真が撮れない状態でした。
そこでいったん占出山の脇を通り抜け、烏丸通に出て
「四条烏丸」交差点北側でファーストフード店など
客席にコンセントが付いている店を探しました。

ところが、どのお店もそのようなものが付いておらず、
半ばあきらめて「四条烏丸」交差点に出て
函谷鉾近くを見上げると……ありました!
「四条烏丸」交差点北西角のLAQUEの2Fに
「スターバック」があって、客席でコンセントを発見しました!
先ずコンセントが付いている客席を確保して、
(そこが空くまで、ひたすら立って待っていました)
バッテリーを入れた充電器をコンセントに差し込んで、
注文の行列に並びました。
実は生まれて初めての「スターバック」でしたが、
柚子風味の炭酸飲料がおいしそうだったのでそれを頼み、
それを飲みつつさらに約30分充電し続けました。
さて、ここから「錦室町」の辻に戻り占出山に向かいます。

この時点で、2017年7月16日宵山の日曜日午後7時。
もうすぐ日暮れですので、慌てて残りの撮影を開始します。


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LAQUEを出て、「四条烏丸」交差点を南に渡りました。
この時間帯(午後5時~翌0時)の四条通と烏丸通は、
人も自動車と同じ左側通行です。
烏丸通から四条通を西に歩いています。
北側を見ると、ちょうど目の前に
第495回ブログの終盤に出てきた函谷鉾が立っています。
(詳しい沿革も、そちらを参照してください)
もう夕方ということで、囃し方の皆さんが鉾に登り
「祇園囃」を演奏されていました。
実は各山鉾で「祇園囃」の調べが異なるのですが、
([担ぎ山」には、元々囃手がいらっしゃいません)
個人的にはこの函谷鉾の調べが一番お気に入りです。


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烏丸通から四条通を西に約100m進み、
室町通で北を向きました。
前回ブログで近づくのを諦めていた菊水鉾が目の前に立っています。

菊水鉾は、この周辺にあった「菊水の井」という井戸が由来です。
祇園祭の他の多くの山鉾同様どんどん焼けで焼失し、
1952年に約88年ぶりに再興されました。
確かその辺りから、多くの山鉾が復活していった記憶があります。


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菊水鉾に最接近したのですが、大きすぎて全体像が撮れません。
結局菊水鉾の車軸だけを撮りました……
「菊水」だけに、きちんと菊花紋ですね。
そういえば、こちらの鉾先も菊花の形をしていました。


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菊水鉾の前を通り過ぎ、四条通から室町通を約100m北上しました。
こちらの「錦室町」の辻南西角にある呉服屋さんが、
この時期限定の大安売りをしていました。
祇園祭を支える氏子(町衆)の多くが呉服関係の会社なのですが、
これらのお店が祇園祭期間中に大安売りを行います。
これも、祇園祭の名物の一つです。


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四条通から室町通を北上して「錦室町」の辻まで来ましたが、
通行規制のためこれ以上の北上ができません。
まぁ、もう前回ブログで山伏山を訪れたので
今回ブログの取材には支障はありません。
(面白いことに、錦小路から来た方々は北上してもよいそうです)


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室町通から、錦小路を東に向いています。
では、この先に見える占出山に向かいます。


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室町通から、錦小路を東に約70m進みました。
こちらに、占出山が立っています。
その西側で、こちらの和菓子が売られていました。


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こちらが、その「吉兆あゆ」という和菓子です。
祇園祭前祭の期間限定で、この場所だけで販売されます。

戦の前に占って「戦勝祈願」するのは世界中よくあるのですが、
(たとえば、古代ローマは鶏が餌を食べる量で占いました)
古代の日本ではアユが釣れた量で占いました。
ですから、アユを漢字で「鮎」と書きます。
(これは、日本独自の習慣です。
ですから、中国語ではアユは「香魚」と書き
「鮎」という文字は鯰(ナマズ)を意味します)
この占出山は神功皇后が朝鮮半島の新羅に攻め込む前に行った
アユ釣りの占いを題材にしています。
ですから、こちらでアユを模った和菓子が売られています。


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先程の竹皮をめくると、中からこちらが出てきました。
こちらは、個包装で6袋入りです。
袋から、製造元が大極殿本舗であることが分かります。


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そして、個包装の袋から中を取り出しました。
こちらは、京菓子の一種「若鮎」(「鮎」とも言います)ですね。
カステラ生地をアユの型に入れて焼いたものです。
中に白餡が入っているものが多いのですが、
こちらには牛皮が入っていました。


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では、占出山の南側から占出山の会所に入っていきます。
こちらは、元々神功皇后を祀った小さな神社です。
(ただし、普段は閉まっています)


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その会所の柱に、こちらが貼り付けてありました。
2017年の前祭山一番は、この占出山でした。
そういえば、2014年もこちらが「山一番」でした。


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先程の輝度を通り抜けると、急に中が広くなります。
では、こちらの占出山会所を巡ります。


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こちらは、占出山を飾る胴掛と水引です。
水引に描かれた三十六歌仙が見事ですね。


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その手前には、占出山の装飾品が並んでいます。
神具のアユの木像が、面白いですね。
その奥の手拭いは、こちらの会所で売られています。


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占出山会所の一番奥に、見送りとこちらが展示されていました。
国宝三条宗近作「御太刀」です。
ほとんど現存しない三条宗近の作品のうちの一振りですね。
こちらは占出山が所有していますが、
さすがに山鉾巡行には帯同しません。


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占出山会所で「御太刀」に背を向け、北を向きました。
道(東)側の社で、粽や手拭い、御朱印を求められます。
もう夕方なので、町内の小学生が集まって
「粽どうですかぁ~」のわらべ歌が始まっています。
社の奥に、こちらのご神体でいらっしゃる
神功皇后の木像が立っておられます。
船鉾大船鉾同様に、皇后は仮面を付けておられます。
こちらで特にご神体の撮影を咎められたことはないのですが、
ご神体は撮影が難しい角度にいらっしゃるので、
こちらも神功皇后の木像の撮影は事実上不可能です。
(祇園祭では、神功皇后像の撮影がどこも禁じられています)


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占出山会所から錦小路に戻り、東を向きました。
では、ここから約30m先の烏丸通に出ます。


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錦小路を東に進み、烏丸通に出ました。
……のですが、この人出です。
この2時間前(午後5時過ぎ)から、
自動車を通行止めにして車道に歩行者が溢れています。
祇園祭前祭では、この状態になって以降は左側一方通行です。
(自動車と同じ感覚ですね)
このままでは、この右(南)約20m先に立つ孟宗山には行けません。
とは言え、孟宗山以降の山鉾に行かない選択肢はありません。

そこで、目の前の警察官に質問しました。
「ここを突っ切って、錦小路の東側に行くことは可能ですか?」
すると、こちらの警察官が振り返ってこうおっしゃいました。
「可能は可能やけど……大変やで」
一応は許可(?)が下りたということで、
先ずは烏丸通を東側に横断します。


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錦小路で烏丸通を東側に渡り、南を向きました。
やはり、結構もみくちゃになりました……
ここから約20m南下して、再び烏丸通の西側歩道へと戻ります。


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人混みを突っ切って進むと、いろいろボロボロになります。
烏丸通を再び横断して、ようやく孟宗山の前に辿り着きました。
では、ウチのブログで初めて孟宗山会所に入っていきます。


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とは言え、こちらには撮影抜きなら10回以上訪れたことがあります。
「孟宗」山だけに、会所の周囲は孟宗竹に囲まれてます。


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こちらが、孟宗山会所の様子です。
胴掛や見送りの前で、粽や手拭いが売られています。
この右手の奥にこちらのご神体がいらっしゃるのですが、
参拝者が多くて近付けませんでした。

こちらのご神体は、3世紀の中国にあった
呉という国で文官を務めた孟宗の木像です。
「三国志演義」で有名な陸遜の部下でした。
文官ということもあって、
その「三国志演義」では孟宗はほとんど登場しませんが、
「親孝行な人物」として中国を初め日本や韓国でも昔は有名でした。
この「孟宗山」は、その孟宗が一人で雪山に入り
母親の大好物の筍を採ったという故事にちなんでいます。
(これが日本に多く生えている「孟宗竹」という竹の名前の由来)
ちなみに、この孟宗は君主の孫権の命令に逆らい
母親の死後喪に服して戦に参戦しなかったそうです。
孫権は孟宗を処刑しようとしたのですが、
陸遜が身を挺して庇ったために
孟宗は謹慎処分だけで済みました。
ただ孫権と陸遜の死後、孟宗は呉の政治の中心となり
「乱世の能臣」として末期の呉を支えました。


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最近の祇園祭各会所で売られている手拭いは
実に格好いいデザインが多いのですが、
こちらの孟宗山は特に「傑作ぞろい」です。
その中でも、この孟宗竹を模ったこちらに一目惚れして
即決で買ってしまいました。


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こちらが、その手拭いの下半分です。
竹の脇の筍が、程よいバランスで描かれています。
手拭いは通常タオルとして使われますが、
自分は一種のタペストリーとして家の壁に貼り付けています。


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孟宗山の会所から出て、またまた人波をかき分けて
烏丸通の西側から東側に渡り、南を向きました。
実は約2時間前の第499回ブログの途中で雨は止んでいるのですが、
雨傘を差されておられる方々が結構いらっしゃいます。
次は、ここを南下します。


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先程の写真から、烏丸通を約80m南下しました。
ようやく「四条烏丸」交差点に辿り着きました。
普段は車窓からでしか見られないこの角度を
歩いて眺めるのは、祇園祭限定ですね。


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烏丸通から、四条通を東に向きました。
向こうに、2017年祇園祭前祭宵山散策の最後の山鉾である
長刀鉾の雄姿が見えてきました。
ちなみに、こちらの鉾先に備え付けられている長刀の作者が
先程登場した三条宗近です。
こちらは、山鉾巡行中でも絶対に八坂神社に刃先が向かないように
考えて取り付けられています。


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烏丸通から四条通を東に進み、だんだん長刀鉾に近づいています。
もう午後7時半を回りだいぶ薄暗くなってきて、
(たぶん日が沈んだ直後です)
こちらの長刀鉾からも祇園囃の調べが聞こえてきました。
さすがに山鉾巡行でないと生稚児さんは登っておられませんが、
それ以外は山鉾巡行の際と同じ状態のようですね。
こちらは、山鉾巡行の先頭を進む鉾です。
(第324回ブログを参照)
ですから、「魔」を切り裂く刃物が付いています。
元々山鉾巡行は神輿巡行の「露払い」の役割があるのですが、
特に先頭の長刀鉾は、さらに山鉾巡行の「露払い」という
役割が大きいのでしょうね。


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長刀鉾の前を東へ通り過ぎ、
これで2017年の祇園祭前祭に立った全ての山鉾を取材しました。
あとは帰るだけなのですが……これだけの人混みでは
反対側の「四条烏丸」交差点には向かえません。
(そもそもこの辺は、歩行者一方通行です)
そろそろ東洞院通を通り過ぎますが、東進するしかありません。


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そこで、「四条東洞院」交差点で歩道に上がりました。
そして、ここから高倉通近くを目指します。


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すると、すぐに大丸百貨店が姿を現します。
こちらにいったん入って、ちょっと買い物をして
地下道経由で地下鉄烏丸線「四条」駅に辿り着きました。
そしてそこから京都駅に向かい、その後帰宅しました。

これで、2017年の祇園祭の連載記事を終わります。

~次回から、妙心寺や等持院など花園地区を散策します~

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第502回 花園駅から妙心寺へ~夏休み花園散策~その1

[花園駅] ブログ村キーワード
前回ブログで2017年の祇園祭散策が終わりました。
そこで、今回以降は今年(2017年)も夏休み観光企画を連載します。
(2012年は蹴上、2013年の東七条六原、2014年の五条坂
2015年の二条城近辺、2016年の太秦がこれに相当します)
今年(2017年)は、JR「花園」駅から妙心寺に向かいます。
本当はその先の等持院と龍安寺にも行こうとしたのですが、
龍安寺は時間的に間に合わず、
等持院は寺院側から取材許可をもらえませんでした。
そこで、撮影が可能だった部分限定でブログを書いていきます。
たぶんですが、今年の紅葉企画もこの辺りになる可能性が高いです。


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ウチの家から塩小路をひたすら西に進み、
地下から京都駅東口の改札をくぐり、0番ホームをさらに西へ。
約300m西進すると、目の前の34番ホームに駆け込み
そこから嵯峨野線の普通電車に乗りました。
さらにそこから、電車に揺られて約20分。
そこでようやくJR「花園」駅に着きました。
自分が電車から降りると、
写真の通り電車が亀岡に向けて出発しました。
撮影日は、2017年8月13日日曜日午後1時。
この時点では雨が降りそうなのに、この後むしろ晴れていきました。
そうそう、今回もクリックすればすべての写真が拡大されます。


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京都市内の嵯峨野線の駅ホームは、
「太秦」駅を除いて2Fの高さにあります。
この「花園」駅も例外ではなく、ホームから遠景が見えます。
駅の北側に丸太町通が伸びていて、
遙か右(東)側には今回ブログで訪れる妙心寺の南総門が見えます。


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今度は「花園」駅のホームから、西側を見ています。
向こうに見える稜線は、双ヶ岡のものです。
この双ヶ岡の北側に、御室仁和寺があります。
つまり、その仁和寺へのJRの最寄り駅がこの「花園」駅です。
(ここから約1㎞、徒歩10分少々の距離です)


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では、こちらの階段を使って「花園」駅ホームから下りていきます。
ちなみに、エスカレーターも「下り」なので
そちらを利用しても下りられます。


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JR「花園」駅のホームから、こちらに下りてきました。
この日(2017年8月13日)は夏休みの日曜日でしたが、
この辺りはそれ程メジャーな観光地ではないので、
あまり乗降者はいらっしゃません。


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先程の写真の場所で、北を向きました。
こちらに、JR[花園」駅の改札口が見えます。
ではこちらから出て、駅前の丸太町通に出ます。


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駅舎内に、こちらの地図がありました。
実はウチに地図を忘れてきて、
今回ブログはかなり勘に頼って徘徊しました。


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JR「花園」駅前で、丸太町通を見ています。
目の前に、市バスの「花園駅」バス停が立っています。
こちらの方は、たくさんの方が待っておられますね。


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JR[花園」駅前で、丸太町通を西南西を向いています。
ここから約100m先に法金剛院があって、
その角を北に曲がると御室仁和寺への近道です。
また、ここから西に約200m先に「双ヶ岡」交差点で南下すると、
約300m先に蚕ノ社「木嶋神社」がいらっしゃいます。


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では、このJR「花園」駅から妙心寺に向かいます。
……ただ、その前に駅舎内のコンビニエンスストアに入ります。


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こちらのお店では、こちらを買いました。
いつもの熱中症対策のソルティーライチです。


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JR「花園」駅前の東端に、「花園駅前」交差点があります。
では、ここで丸太町通の北側歩道に渡ります。


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「花園駅前」交差点で、丸太町通を北東に向いています。
この辺りは駅前なので小売店舗も多かったのですが、
日曜日だったせいかその大半が閉まっていました。
(まぁ、「お盆休み」というのもあったでしょうね)


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JR[花園」駅前から、丸太町通を北東に歩いています。
JR「花園」駅はいろいろな観光地に近いのですが、
大半の方が他のルートを選ばれるので、
周りに通行者はほとんどいらっしゃいません。


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その道沿いに、餃子の王将花園店がありました。
今は妙心寺に向かう途中ですが、
自分はこの辺の地理に詳しくありません。
実はこの先にも飲食店はあったのですが、
この時点ではそれがよく分からなかったので、
取りあえずここで昼食を摂りました。
(写真は、ありません)


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王将では、レバニラ炒めと焼きめしを頂きました。
(とてもこれから寺院に行く食事ではありません……)
この店を出た時点で、午後2時でした。
王将の目の前で、丸太町通を北東に向いています。
目の前に、「妙心寺前」交差点が見えますね。
ここから約900m先に、「円町」交差点があります。
(そこから約2km北上すると、金閣寺があります)


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「妙心寺前」交差点で、南を向きました。
実は、この道の名前がよく分かりません。
緯度的には、葛野大路に相当します。
JR嵯峨野線の高架を通り抜けると、
蛇行した後その葛野大路に辿り着きます。


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さらに「妙心寺前」交差点で、北東に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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「妙心寺前」交差点から北東に約50m進むと、
こちらの道は真北に伸びていきます。
松並木が、大きな寺院が近いことを教えてくれます。


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そしてその道の約50m先に、
臨済宗妙心寺派本山妙心寺の南総門が見えますね。
いよいよこちらの寺院にお邪魔します。


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妙心寺南総門の前で、妙心寺道を西に向いています。
この先で妙心寺道は分岐しますが、
どちらの道も約350m先の京都府道130号線に吸収されます。
ちなみに、この先に見えるのは双ヶ岡の稜線です。


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今度は、妙心寺の南総門前で妙心寺道を東に向きました。
この道は、約1㎞先で御前通に突き当たります。


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妙心寺南総門の西側に、妙心寺の勅使門があります。
他の臨済宗寺院本山と同様に、
この勅使門から真北へ山門、法堂と続いています。


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再び妙心寺南総門の前に戻ってきました。
では、小さな橋を渡り臨済宗妙心寺派本山妙心寺に入っていきます。


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南総門をくぐり、妙心寺境内に入ってきました。
門の右(東)側に、こちらの地図がありました。
最北端に龍安寺も書いてあるのは、妙心寺の塔頭寺院だからです。
後から知ったのですが、妙心寺は境内面積が京都で最大で
所属する塔頭寺院数も日本で最多だそうです。
(つまり、大徳寺よりも大きいということですね)


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妙心寺南総門から、境内を北に向いています。
地図の手前の官舎にいらっしゃる守衛さんに、
境内の詳しい話を聞いて妙心寺境内の散策を始めます。


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先程の地点から、少し西に移動しました。
勅使門の裏側に回り、北を向いています。
放生池の北側に、赤い大きな三門が見えます。
ちなみにこの池の水はこのまま南に流れて東に折れ、
南総門の前を通り過ぎ、妙心寺の東側で
等持院から流れてきた小川と合流します。
その川はそのまま南下し、御室川と合流して
最終的には紙屋川とも合流し、天神川になります。
また三門の近くには行けるのですが、その中には入れません。
(三門の中に入れるのは、南禅寺くらいでしょうか)


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その辺りで、妙心寺境内を西に向きました。
すると、そちらに退蔵院という塔頭寺院の看板が出ていました。


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その看板の北側に、臨済宗妙心寺派退蔵院の門があります。
今からこちらを訪れるのですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、その退蔵院の庭園を散策します。
こちらは妙心寺の塔頭ですが、相当大きな寺院です~

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第503回 退蔵院で庭園散策~夏休み花園散策~その2

[退蔵院] ブログ村キーワード
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妙心寺の南総門から約50m北上し、三門の西側に進むと
臨済宗妙心寺派退蔵院が建っています。
今回は、最初から最後までこの退蔵院の境内です。
枝垂桜とカエデが、なかなか見事な庭園がありました。
撮影日は、2017年8月13日日曜日午後2時。
今回も、クリックした写真は全て拡大されます。


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退蔵院の前で西を向き、退蔵院境内に入ってきました。
ここから庫裏まで、石畳の道が真っすぐ続いています。
右(北)側の生垣の上に、なぜか招き猫がいます。


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こちらが、退蔵院庫裏の入り口です。
こちらは戸を閉じており、中には入れません。
実はこの庫裏の北側(写真の背後)に受付があって、
そちらで500円を支払って左(南)側に進みます。


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退蔵院庫裏の前から、約5m南下しました。
このまま進むと退蔵院の墓地に行けるのですが、
ここで順路は右(西)に曲がります。


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先程の写真にあったT字路で、西を向きました。
(この左側が、墓地です)
このカエデ並木は約20mで途切れて、右(北)に折れます。


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そのカエデ並木の先に、こちらの門がありました。
では、ここから退蔵院方丈に入ります。


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門をくぐり、退蔵院方丈に入ってきました。
ここで靴を脱いで、向こうの縁側に向かいます。


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退蔵院方丈を囲む廊下は、杉戸で仕切られています。
通常こういう杉戸に描かれた絵画は古いものが多いですが、
こちらの棕櫚と山羊はかなり新しいですね。


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もう一方の杉戸にはつがいの鶴が描かれていました。
こちらも、相当に新しいものです。


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こちらは、方丈の中心仏間です。
ただし、こちらに入ることができませんので
縁側からお賽銭を入れて手を合わせます。

手前の絵は、国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)のコピーです。
第501回ブログで書いたとおり、
中国語で「鮎」はアユではなくナマズのことです。
つまり、こちらは「瓢箪ナマズ」のことですね。
なお、本物は京都国立博物館で保存されています。
(所有権は、この退蔵院にあります)


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こちらは、退蔵院方丈の西側庭園です。
枯山水の見事な石庭で、狩野光信が作庭したと考えられることから
「光信の庭」と呼ばれています。


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こちらが、退蔵院方丈の南側庭園です。
おそらく、ここの方丈庭園といえばこちらのことです。
黒いプラスチック製の鉢には、蓮が植えてあります。
その奥の苔は……季節柄だいぶ枯れていました。

臨済宗妙心寺派退蔵院は、室町時代3代将軍足利義満の治世の
1404年に波多野重通により建立されました。
元々は「松原千本」にありましたが、(第317回ブログ参照)
直後に縁の深かった妙心寺境内に移ってきました。
(退蔵院は、「松原千本」にあったころから、妙心寺の塔頭でした)


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ここで靴を履き、方丈庭園に下りてきました。
次は、東側の白壁に沿って進みます。


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方丈庭園東側の白壁に沿って南下した後、
今度は今度はその壁沿いに東に進みます。
このまま突き当りにいらっしゃる観音像まで行けば、
退蔵院の墓地に向かいます。
ただ、今回はその手前のT字路で右(南)に向きます。
では、次はこちらの池泉式回遊庭園「余香苑」に向かいます。


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観音像の手前のT字路で、南を向きました。
では、この生垣の道を南下します。


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その生垣の道を突き当りまで進み、右(西)を向きました。
では、この門から余香園に入っていきます。


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余香園に入ったところに、大きな枝垂桜の木が立っています。
その木をはさむように、二つの小さな石庭が並んでいます。
こちらは西側の「陽の庭」ですね。


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枝垂桜の幹の前に立ち、桜の枝越しに「陰の庭」を眺めています。
こちらの庭は、こうして覗く方がきれいに見えます。


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枝垂桜の木から、南を向いています。
向こうの生垣の切れ目から、この庭の全体像が見えそうです。


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その生垣の切れ目から南に向き、余香園の全体を眺めています。
この余香苑は北から南に大きく傾斜していて、
庭園の東側では北から南へ小川が流れています。
一方庭園の西側には枝垂桜やカエデが植えてあり、
中央の南北に伸びる道がそれらを眺められるように
蛇行しながら約200mほど伸びています。


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その生垣の切れ目から、西側に先程からの道が続きます。
この道は約10mで突き当たり、さらに南へと続いています。
この辺りから、斜面が急になります。


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その南へ向かう下りの斜面の途中に、こちらの休憩所がありました。
中央の生け花が見事ですが、柵があってこちらには入れません。


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先程からの道をさらに南下すると、やがて下り坂が平坦になります。
そして、この道の突き当りに茶店があります。


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その茶店の手前で、右(西)を向きました。
カエデ並木の中に、こちらがありました。
脇の立て札によれば、水琴窟のようです。


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この南へ続く道は、茶店の前で東に折れます。
茶店には小学生の男の子とその父親らしき方がいらして、
かき氷を食べておられました。
そのため、その辺りは撮影していません。
茶店の東側は売店で、寺務所も兼ねているようです。
(たぶん、御朱印などはここで求めます)


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売店の向こう(東)には藤棚があって、その先には休憩所があります。
この辺りは左(北)側が開けていて、
この余香苑の全景が見られるようになっています。
(おそらく、ここからの眺めがこの庭園のベストショットです)


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藤棚の前から、北を向きました。
こちらが、退蔵院の池泉式回遊庭園「余香園」の全景です。
向こう(北)側からこちら(南)側へ小川が流れていますね。

こちらは、足立美術館庭園などを作庭した中根金作の代表作です。
左(西)側の繁みは、春は枝垂れ桜、秋は紅葉で染まります。
歩きながら見る位置が変わることで風景が大きく変わっていくのは、
自分が大ファンの小川治兵衛の代表作である
無鄰菴庭園平安ホテル庭園と同様
池泉式回遊庭園の最大の魅力ですね。
(石庭など屋内から座って見るのを前提とした庭園に対して、
周囲を散策することを前提とした庭園を池泉式回遊庭園と言います。
イングリッシュ庭園など西洋の影響を受けて
明治時代の末期に成立しました)


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藤棚の前で、西を向きました。
向こうに、先ほどの売店(寺務所)が見えますね。
その手前に石段があって、
そこを上がった辺りにさらに南へ進む道があります。


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その石段の辺りで、南を向きました。
左(東)側に茶室が、右(西)側に大きな枝垂桜が見えますね。


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こちらが、その茶室です。
売店(事務所)で500円払えば、中で抹茶が飲めます。


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先程の売店(寺務所)で500円を払い、茶室内部に入ってきました。
この日(2017年8月13日)はそこそこ暑い「夏日」でしたが、
ここは冷房がとても効いていました。
上に掛かっている額には、「余香苑」と書いてあるのでしょうか?
自分には、「舘点苑」と読めます。


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自分は、あちらの赤い絨毯の奥に座りました。
向こうの茶碗は前に来られたお客さんのもので、
自分が座る前にはお寺の方が片付けられました。


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その位置に座ると、このような眺めになります。
障子越しに、余香苑の小川が見えますね。


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10分ほど待っていたら、こちらがやって来ました。
茶菓子と抹茶ですね。


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茶菓子を開けると、中から落雁が出てきました。
それぞれ色が違うのは、白砂糖と黒砂糖によるものです。


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お茶を堪能した後、茶室を出て売店(寺務所)前に戻ってきました。
こちらにいらっしゃる抹茶を給仕して頂いた方に一礼し、
退蔵院余香苑から出て行きます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。

~次回は、妙心寺法堂に向かいます~

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第504回 妙心寺法堂に参拝~夏休み花園散策~その3

[妙心寺] ブログ村キーワード
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前回ブログで散策した退蔵院庭園の
余香苑最南端にある売店(寺務所)の前で、西を向いています。
売店の向こう(西)側が茶店で、
さらにその先に水琴窟の立て札が見えます。
今回はここから退蔵院を出て、妙心寺境内を散策します。
撮影日は、2017年8月13日日曜日午後3時。
ここ数年で、夏にしてはいちばん穏やかな昼下がりでした。


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先程の写真に写っていた水琴窟の立て札の辺りから
蛇行しながら北に向かう上り坂が伸びています。
そこを北上し始めると、程なくこちらの休憩所が見えます。
ここから向こうの小川を見ればさぞかし絶景でしょうが、
こちらは立ち入り禁止です。


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その休憩所の前で、北を向いています。
この辺りのカエデ並木を北上すると、程なくして突き当たります。
こちらは、前回ブログにも出てきた石庭「陰の庭」ですね。


504-4.jpg
こちらの「陰の庭」「陽の庭」は、
このように枝垂桜越しに見るとまた違った趣があります。
では、向こうの門から退蔵院庭園「余香苑」を出ます。


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余香苑の門の前で、北を向いています。
次は、突き当りの「順路→」の前まで進みます。


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先程の位置から北上し、突き当たって東を向きました。
左(北)側に見える白壁が、退蔵院方丈のものです。
では、この先のお地蔵さんにお参りします。


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そのお地蔵さんの前で、南を向きました。
こちらは、退蔵院の墓地です。
自分はこのブログ取材日の翌日に、お墓参りをしました。


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今度は、同じ位置で北を向きました。
では、向こうに見える退蔵院の庫裏の方に向かいます。


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退蔵院の庫裏の前で、東を向きました。
この先に、退蔵院の門が見えます。
向こうに見える赤い建物は、妙心寺の三門ですね。


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臨済宗妙心寺派退蔵院の門の前で、北を向いています。
こちらは、妙心寺の境内です。
禅寺の本山なので、勅使門や三門の北側に
妙心寺の仏殿や法堂が並んでいます。


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こちらが、重要文化財妙心寺の仏殿です。
他の臨済宗の本山同様、ご本尊は釈迦如来です。

臨済宗妙心寺派本山妙心寺は、
鎌倉時代前期の1342年に、花園天皇が建立しました。
室町時代に臨済宗は隆盛しましたが、
この妙心寺は大徳寺同様
幕府の庇護を受けない林下として栄えました。
応仁の乱で境内が焼失した後すぐに復興し、
様々な戦国大名の庇護を受けその頃から寺域が拡大しました。
これも、大徳寺と似た経緯をたどります。


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その妙心寺仏殿の周囲に、こちらの燈籠が吊るされていました。
こちらは、極細の角材で作った直方体を半紙で覆っています。
その半紙に様々な絵が描いてあるのですが、
1枚1枚がとても上手いので多分プロの方の絵ですね。

自分が子供のころ、地蔵盆で中学生以下の子供に
このような燈籠が配られて自分たちで絵を描きました。
こちらは、それによく似ていますね。


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妙心寺仏殿の西側に、妙心寺の鐘楼が建っています。
こちらには現役の梵鐘がありますが、
国宝に指定されている日本最古のものとは別のものです。


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妙心寺仏殿の北隣に、妙心寺法堂(本堂)が建っています。
次は、そちらに向かいます。


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妙心寺法堂の西側をゆっくり北上してます。
この松並木を散策していますと、近所の方々によく出会います。
(大半が、子連れです)
どうも、こちらの燈籠を眺めに来られているようです。


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ゆっくりと妙心寺境内をさらに北上しました。
妙心寺法堂北西角まで来ました。
この先は、北総門のある一条通へと抜けます。
(後でそちらに向かいます)


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その位置で、東を向きました。
実は法堂のさらに北に妙心寺大方丈があって,
その間の渡り廊下をくぐることができます。


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その渡り廊下をくぐり、さらに妙心寺境内を東に向かいます。
すると、こちらから妙心寺大方丈や大庫裏に入ることができます。


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先程の門をくぐると、すぐにこちらが見えてきます。
妙心寺大方丈と南側庭園ですね。


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先程の位置で、真北を向きました。
この長い廊下の左(西)側が大庫裏で、右(東)が大方丈です。
大庫裏の手前に寺務所があって、いろいろ申し込めます。
(写経とか、拝観とか)


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妙心寺大方丈の仏間は、さすがに写真を撮れません。
そこでそこをに背を向けて、方丈庭園を眺めています。


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では、大方丈から土間の廊下に戻ります。
こちらの欄間の作りが丁寧ですね。

この先で何人か待機されていますが、あちらは
この直後に定期的に行われる「法堂ツアー」の参加者の方々です。
せっかくなので、自分もこちらに参加しました。


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午後3時20分になって、「法堂ツアー」が始まりました。
結局約30人ほどで、回ることになりました。
法堂はご本尊の釈迦如来参拝よりも、
こちらの法堂の天井画を見るのが中心でした。
この写真は、パンフレットの写真を撮影してものです。
(法堂内は、基本撮影不可です)
こちらは、狩野探幽の代表作です。
個人的には、こちらの雲龍図は堂本印象作「蒼龍」と共に
自分の一番のお気に入りになりました。
また、「日本最古の梵鐘」もこちらに安置されていました。

実は、このツアーはその後も続き
明智光秀の浴室」も見学しました。
要するに、明智光秀が最後の戦いに赴くとき親族に
託した遺言書に従い、
光秀の遺産の一部で建設された浴室です。
当時の風呂は基本「サウナ風呂」で、
それとは別に体を洗う部屋や入浴後に寛ぐ部屋までありました。
このツアーは、全部でだいたい30分くらいかかりました。


504-24.jpg
このツアーは、「明智光秀の浴室」の前で解散になります。
その後、そのまま大方丈の前に戻ってきました。
そして、大方丈の前に戻って西を向いています。
ではこの渡り廊下をくぐり、先程の道に戻ります。


504-25.jpg
という訳で、妙心寺法堂の北西角に戻ってきました。
では、ここを北上して妙心寺北総門を目指します。


504-26.jpg
先程の位置から、約100m北上しました。
この辺りの白壁は一つ一つ妙心寺の塔頭ですが、
その大半が、非公開寺院です。
ここでこの道は突き当たりますが、さらに東に抜けられます。


504-27.jpg
先程の写真の地点で、東を向きました。
約10m先で、また北上できるようです。


504-28.jpg
その東で突き当たって、また北を向きました。
ずっと向こうに衣笠山が見えますね。
では、この道を進んでいきます。


504-29.jpg
その辺りで、東を向きました。
こちらは、妙心寺の塔頭寺院の一つ大通院です。
ただ、こちらも非公開寺院です。
本当は妙心寺塔頭は大心院と桂春院が公開寺院なのですが、
時間の事情でその辺には行っていません。
(2017年秋予定の「紅葉散策編」では立ち寄ります)


504-30.jpg
さらに妙心寺境内を北上しています。
こちらにも、ブリキの表札が貼ってありました。
如何にも、「妙心寺境内」の町名ですね。
向こうに、妙心寺北総門が見えてきました。


504-31.jpg
さらに、妙心寺境内を北上しています。
北総門まで、もうすぐですね。


504-32.jpg
その辺りで、東を向きました。
こちらも非公開塔頭の隣華院です。
白壁の上から巨大な墓石が見えたので、
思わず撮ってしまいました。


504-33.jpg
こちらが、妙心寺北総門です。
では、こちらをくぐり一条通に出ます。
この後はこの東側に建っている等持院に向かいますが、
こちらは「手続きのない撮影」が禁止されているので、
寺院の周辺の写真が全廃棄になりました……
ただ、そちらに向かった道の様子は
次回ブログで詳しく載せます。

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
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「蹴上・鹿ヶ谷散策」
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「太秦散策」
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映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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