第560回 かつての茶釜の「座」~釜座通南から北~その1
[釜座通] ブログ村キーワード
今回は、約8カ月ぶりの写真のない回です。
前回ブログで桜散策が終わり、また通常モードに戻ります。
今回から、釜座通を連載します。
昨年(2017年)以来連載していた若宮通の真北にある道です。
ですから、「若宮通編」の続きを書いている感覚で
こちらを書いています。
「かまんざどおり」と読みます。
釜座通は、上記の通り「かまんざどおり」と読みます。
西洞院通と新町通というウチのブログでもよく出てくる道に挟まれ、
京都市街地のほぼ中心に位置しますが、
京都市南区南端から京都市北区まで続く新町通に対して、
その西に位置する釜座通は、三条通~椹木通間の
ほぼ京都市中京区だけで完結するとても短い道です。
楽市楽座後も続いた釜座
釜座通の名称の由来は、とても単純です。
平安時代以降こちらに茶釜の座があったことに起因しています。
まぁ、実際には茶釜に限らず鉄製品を鋳造する座でした。
このような座の大半は、楽市楽座という政策の中で
安土桃山時代に消滅していくわけですが、
織田信長はこの釜座だけは例外として
京都市中京区釜座町にあった工房のみ茶釜などの鋳造を認めました。
釜座通沿いで茶釜の鋳造が廃れたのは、明治時代以降です。
明治天皇の東京御幸と市民の生活スタイルの変化で、
茶釜の需要が激減したのが主要因でした。
かつて釜座があったところ
釜座通最南端は、三条通沿いです。
(第549回ブログの最後の地点です)
この辻の周辺に、かつて茶釜職人の工房が並んでいました。
現在も、唯一大西清右衛門という京釜師が製作されておられます。
こちらの美術館にもお邪魔します。
京町家とマンションが混在
釜座通は「烏丸御池」交差点や二条城が近いので、
繁華街や観光地に囲まれた道と言えます。
ですから道幅自体は狭いのですが、
京都市内では人口密度が高い地域の一つです。
そのせいか昔ながらの京町家が続く街並みだったのが、
近年はマンションが建ち並ぶようになってきています。
これも、最近の京都市街地の流れです。
最北端は京都府庁
釜座通はほとんど1車線の一方通行の道なのですが、
(京都市街地では、むしろそれが一般的な道幅です)
丸太町通以北だけ4車線の広い道幅になります。
そして、その約100m先の京都府庁で突き当たります。
ですから京都市民の大半は、この釜座通を
「京都府庁がある通り」
そう認識しています。
では、次回から釜座通を北上していきます。
途中、葵祭やあちこちのお花を見物に行ったりもしますが
まぁ短い連載なので、祇園祭までには書き上がると思います。
今回は、ここまでです。
~次回は、大西清右衛門美術館にお邪魔します~
今回は、約8カ月ぶりの写真のない回です。
前回ブログで桜散策が終わり、また通常モードに戻ります。
今回から、釜座通を連載します。
昨年(2017年)以来連載していた若宮通の真北にある道です。
ですから、「若宮通編」の続きを書いている感覚で
こちらを書いています。
「かまんざどおり」と読みます。
釜座通は、上記の通り「かまんざどおり」と読みます。
西洞院通と新町通というウチのブログでもよく出てくる道に挟まれ、
京都市街地のほぼ中心に位置しますが、
京都市南区南端から京都市北区まで続く新町通に対して、
その西に位置する釜座通は、三条通~椹木通間の
ほぼ京都市中京区だけで完結するとても短い道です。
楽市楽座後も続いた釜座
釜座通の名称の由来は、とても単純です。
平安時代以降こちらに茶釜の座があったことに起因しています。
まぁ、実際には茶釜に限らず鉄製品を鋳造する座でした。
このような座の大半は、楽市楽座という政策の中で
安土桃山時代に消滅していくわけですが、
織田信長はこの釜座だけは例外として
京都市中京区釜座町にあった工房のみ茶釜などの鋳造を認めました。
釜座通沿いで茶釜の鋳造が廃れたのは、明治時代以降です。
明治天皇の東京御幸と市民の生活スタイルの変化で、
茶釜の需要が激減したのが主要因でした。
かつて釜座があったところ
釜座通最南端は、三条通沿いです。
(第549回ブログの最後の地点です)
この辻の周辺に、かつて茶釜職人の工房が並んでいました。
現在も、唯一大西清右衛門という京釜師が製作されておられます。
こちらの美術館にもお邪魔します。
京町家とマンションが混在
釜座通は「烏丸御池」交差点や二条城が近いので、
繁華街や観光地に囲まれた道と言えます。
ですから道幅自体は狭いのですが、
京都市内では人口密度が高い地域の一つです。
そのせいか昔ながらの京町家が続く街並みだったのが、
近年はマンションが建ち並ぶようになってきています。
これも、最近の京都市街地の流れです。
最北端は京都府庁
釜座通はほとんど1車線の一方通行の道なのですが、
(京都市街地では、むしろそれが一般的な道幅です)
丸太町通以北だけ4車線の広い道幅になります。
そして、その約100m先の京都府庁で突き当たります。
ですから京都市民の大半は、この釜座通を
「京都府庁がある通り」
そう認識しています。
では、次回から釜座通を北上していきます。
途中、葵祭やあちこちのお花を見物に行ったりもしますが
まぁ短い連載なので、祇園祭までには書き上がると思います。
今回は、ここまでです。
~次回は、大西清右衛門美術館にお邪魔します~
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