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第594回 嶋原商店街散策~京都駅から島原へ~その4~

[嶋原商店街] ブログ村キーワード
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前回ブログの最後の写真と同じ、「西本願寺前」バス停前です。
前回より6日経って、すっかり快晴ですね。
今回は、ここから島原に入っていきます。
江戸時代末期に、新撰組の隊士が闊歩した場所ですね。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後2時半。
7月ほどではありませんが、まだまだ暑い日が続きます。


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そのバス停の前で、南西に向きました。
向こうに、西本願寺阿弥陀門が聳え立っています。
前回ブログでそちらにお邪魔しました。


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さらに同じ位置で、北を向きました。
西本願寺の東側は、堀川通に接しています。
その堀川通の向かい(東)側は、西本願寺関連で仏具店が並びます。
(第592回ブログを参照)
では、こちらを北上します。


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「西本願寺前」バス停前から、堀川通を約50m北上しました。
西本願寺北東端に、重要文化財の太鼓楼があります。
新撰組が闊歩したころには、
時報のための太鼓が2時間に1度鳴らされていました。
新撰組が西本願寺にいた跡は
全て焼失や破壊されていて何も残っていないのですが、
唯一の例外がこちらの太鼓楼です。
こちらにも新撰組隊士が生活していたらしく、
当時の刀傷などが今もきちんと残っています。


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その太鼓楼の前で、堀川通を北に向きました。
ここで堀川通は、花屋町通と交差します。
ここから北に伸びる堀川通は6車線となり、
五条通と並ぶ京都市街地最大の道となります。


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堀川通から、花屋町通を東に向いています……
と言いたいところですが、ここからではよく分かりません。
向こうに見えるローソン付近が堀川通以東の花屋町通です。
歩道の付いた2車線の道なのですが……
(第513回ブログを参照)


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堀川通から、花屋町通を西に向いています。
横断歩道が斜めなのは、花屋町通以北の堀川通が
4車線から6車線になった影響です。
では、西本願寺の最北端の道を西に進んでいきます。


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堀川通から、花屋町通を西に約100m進みました。
ここに横断歩道があって、西本願寺から人が出入りしていますね。


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その横断歩道で、南を向きました。
こちらは西本願寺の伝道本部で、他の寺院の寺務所に当たります。
この南隣が西本願寺阿弥陀堂で、自動車で参拝に来られた方々は
横断歩道からこちらの脇を通って境内に入っていかれます。


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今度は、横断歩道の北側を見ています。
この先に見える広場が、西本願寺の駐車場です。
さらに見える(東)側に見えるのが、
聞法会館という西本願寺の施設です。
中には結構おいしい飲食店が入っているのですが、
時間がないので素通りします。


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その横断歩道の前で、花屋町通を西に向きました。
左(南)の白壁の向こうは西本願寺ですが、
右(北)側の白壁の向こうは西本願寺の駐車場です。
では、またここを進んでいきます。


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その横断歩道から、花屋町通を約100m西に進みました。
ここで花屋町通は、猪熊通と交差します。


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花屋町通から、猪熊通を北に向いています。
ここから約2㎞先が三条会商店街の中に出て、
三条通との辻に魏飯夷店が建っています。
個人的に、京都市街で一番おいしいと思っている中華料理店です。


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猪熊通から、花屋町通を西に向いています。
では、またここを西に進んでいきます。


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猪熊通から、花屋町通を西に約50m進みました。
左(南)側に見える高い石垣は、西本願寺の塀です。
右(北)側は、約30年前まで京都市立淳風小学校でした。
今はこの地域の方々が体育館を利用されています。
季節柄、百日紅(さるすべり)の花が盛りですね。


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猪熊通から、花屋町通を西に約100m進みました。
ここで花屋町通は、大宮通と交差します。


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花屋町通から、大宮通を北に向いています。
大宮通は、歩道の付いた4車線の道です。
約900m先に「四条大宮」交差点があって、
その交差点の地下に阪急電車「大宮」駅があります。


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同じ場所で、大宮通を南に向きました。
左(東)側の塀の向こうは、西本願寺です。
ここをずっと南下すると約500m先に京都水族館があって、
さらに500m南下するとここからは見えませんが東寺があります。
約10m先に筋違いの横断歩道があって、
その先に「島原口」バス停が見えます。
つまり、この大宮通より西がかつての京都の花街「島原」です。


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その横断歩道の袂に、こちらの標識が立っていました。
七条通や五条通といった大通りとの位置関係が、よく分かりますね。


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では、信号が変わりましたので大宮通の横断歩道を渡ります。
ここから西の花屋町通が、今回ブログのメイン嶋原商店街です。


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大宮通から、花屋町通を西に向いています。
こちらが嶋原商店街です……と言いたいのですがどこも休業です。
左(南)側の牛乳販売所は開いていますが、
その奥(西)側の京町家の商店は、どこも休業のようです。
まぁ、日曜日ですからね。


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こちらが、その京町家の商店です。
普段は畳屋さんとかですが、どこも閉まっています。
それは、向かい(北)側の店舗も同じです。


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大宮通から、花屋町通を西に約20m進みました。
ここで花屋町通は、南北の道と交差します。


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花屋町通から、その道を北に向いています。
おそらくこの道には、名前がありません。
ちなみに、この道は約600m先の松原通で突き当たります。
(第26回ブログに出て来た「keep out」と書かれた
黄色いテープが張られた寺院の脇の道のことです)


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今度はその道から、花屋町通を西に向いています。
手前にいつもは安い八百屋があるのですが、
やはりこの日は休業でした。


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先程の道から、花屋町通を約50m西に進みました。
櫛笥通との辻に、こちらのお店がありました。
琵琶湖が商標のようですが、近江牛の販売店です。
しかも、ホルモンが一通り全部あるようです。
これは、いい店を見つけました。
この日は日曜日で休業でしたが、
別の日に買いに来て、ホルモン鍋の具材にします。


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櫛笥通から、花屋町通を西に向きました。
う~ん、どの店も閉まっていますね。
仕方がないので、このまま西に進みます。


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櫛笥通から、花屋町通を西に約10m進みました。
こちらに、和菓子屋の伊藤軒老舗があります。


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こちらが、伊藤軒老舗の店内の様子です。
こちらは、和菓子販売以外にも茶店もやっているようです。
この日(2018年8月19日日曜日)は暑かったので、
かき氷や冷やしあめをこちらで頂けるようでした。


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とは言え、こちらの名物はずっと太夫最中です。
ここで買った後、家に帰ってからこちらを撮影しました。
緑茶を切らしているので、紅茶を日本茶風にして飲みました。


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こちらが、その太夫最中です。
最中の皮の中は、とても粘り気のある漉し餡です。
その餡が、パリパリした最中の皮に合いますね。


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伊藤軒老舗の前で、花屋町通を西に向きました。
この商店街は観光客目当てのお店も多いのですが、
この辺りは化粧品店など地域住民が利用するお店も多いですね。


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櫛笥通から、花屋町通を西に約120m進みました。
右(北)側の洋品店は、日曜日でも開いていました。
そして、ここで花屋町通は壬生川通と交差します。


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花屋町通から、壬生川通を北に向いています。
この辺りの壬生川通沿いはマンションも多いですが、
島原地区内に当たるため、飲食店も多いですね。
ここから約400m北に五条通があって、
そこより北が壬生になります。
こうして見ると、新撰組が闊歩した
壬生―島原―西本願寺が隣接していることが分かります。


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今度は花屋町通から、壬生川通を南に向きました。
約200m先になかなかおいしいお好み焼き屋があるのですが、
その東側にかつて「島原湯」という銭湯がありました。
サウナ風呂に行く途中に金魚が泳ぐ水槽があったり、
熱帯魚が泳ぐ水槽を湯船に浸かりながら眺められたり、
かなり変わった珍な作りの銭湯でした。
(今は、駐車場ですが……)


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壬生川通から、花屋町通を西に向いています。
そう言えば、この先の児童公園で地蔵盆が行われていました。
ウチの町内は、この次の週の2018年8月26日日曜日に
地蔵盆をしました。
多分どちらも延命地蔵尊を祀っているはずですが、
なぜ日が違うのでしょうね?
次は、こちらを進んでいきます。


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まさかその地蔵盆で遊ぶ子供を撮るわけにもいかないので、
この辺りの写真がちょっと飛んでいます。

その児童公園の前から花屋町通を撮っています。
こちらにも、まだまだ商店舖が続きますね。


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壬生川通から花屋町通を約50m進んだところに、
こちらのあられ屋さんがあります。
いろいろ魅かれますが先程買った最中片手ですし、
ここは素通りします。


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そのあられ屋さんの向かい(北)側に、また和菓子店があります。
正直心が魅かれますが、さっき太夫最中を買ったばかりです。
ですから、ここも素通りします。


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壬生川通から西約50m進むと、花屋町通は突き当たります。
ただしそこから南に島原大門があって、
そこをくぐりさらに西に進むと、そこはかつての花街島原です。
特別公開の輪違屋も、あと約50mです。
ここから輪違屋まで行きたいのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、輪違屋の特別公開を見に行きます~

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第595回 島原輪違屋特別公開~京都駅から島原へ~その5

[輪違屋] ブログ村キーワード

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壬生川通から、花屋町通を約50m西に進みました。
道のど真ん中に大きな門がありますが、
あちらが島原大門で江戸時代からこの位置にありました。
つまり、門をくぐったあちら側が花街の島原です。
今回は、「京の夏の旅」企画の一環で行われている
花街島原の置屋「輪違屋」(わちがいや)の特別公開を見に行きます。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後3時。
やはり島原は、炎天下が似合います。


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島原大門をくぐり、花屋町通を西に向いています。
ここから西は、江戸時代の花街だった場所です。
そのような地域は道路がアスファルトではなく、
石畳で敷き詰められています。
現在は太夫の詰め所である置屋は1軒だけで、
お客さんが太夫と出会える揚屋は残っていません。
ただ元々そういうお店だった京町家が数多く残っており、
それらの家屋が独特の街並みを作っています。


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島原大門から約30m西に進むと、花屋町通は坊城通と交差します。
こちらは、その辻の南西角の京町家です。
以前こちらを訪れた第315回ブログでは改装中でしたが、
3年経った現在はそれももう完成していました。


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その京町家の前で、花屋町通を西に向いています。
目の前で、花屋町通は坊城通と交差しています。


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花屋町通から、坊城通を南に向いています。
かつての花街島原だった地域は、花屋町通でなくても石畳の道です。
この坊城通は約100m南の正面通でいったん途切れますが、
その辺りまで石畳の道は続きます。
(坊城通最南端は、約400m先の七条通です)


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今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
約30m先に、たくさんの方々が出入りしている京町家があります。
灯りに付いた二つの輪がズレて重なっている家紋から、
こちらが置屋の「輪違屋」(わちがいや)だと分かります。


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花屋町通から、坊城通を約30m北上しました。
入口からここに入り、土間で入場料を支払いました。
そして、靴を脱いでここから屋内に入りました。
祇園や先斗町・上七軒にしてもそうですが、京都の花街には
お客さんがいらっしゃる揚屋(またはお茶屋)と、
料理を調理してその揚屋に持ってくる仕出し屋と、
舞妓や芸妓(島原では太夫)の詰め所である置屋があります。
このうち、こちらの輪違屋さんは置屋に分類されます。
京都市指定文化財ではあるのですが、
考えようによっては「太夫さんの生活の場」でもあるので、
普段は公開していません。


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こちらに詰めていらっしゃる学芸員さんに訊いたのですが、
輪違屋では1Fの撮影は自由にできるそうです。
(2Fの写真撮影は、全面的に不可です。
そちらにはより重要な文化財があります)
そこで1F限定ですが、写真を何枚か撮りました。

障子と木戸の間がガラス戸になっていて、
ガラスの部分にこの輪違屋の家紋が彫られています。
こちらの家屋が今の形になったのは江戸時代末期なので、
一部が洋風に改装されています。


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こちらは玄関奥の少し広くなった部屋の奥の床の間です。
この左(西)に階段があって、そこから2Fに行けます。
ただし、そちらは前述のように撮影不可で
しかも一度に上がれる人数が限られるので、
(無理に上がると、重さで2Fの床が抜けるそうです)
先に1Fの方を回ります。


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その階段の脇に、廊下がありました。
では、こちらの奥に進みます。


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この廊下は、約5m続きます。
その先に中庭があって、この廊下はそのまま縁側になります。


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廊下から、その縁側に移ってきました。
拝観者は、この中庭に入ることができません。
ですから、ここからお稲荷さんにお参りします。


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縁側から、天井を見ています。
家屋の中心から外に向けて、梁が等間隔に並んでいます。
こちらはデザインではなく、この梁が家屋全体を支えています。
ですから、あまり大人数が2Fに上ると
床が抜けて家屋が倒壊してしまいます。
(この家屋が古いからではなく、元々そういう構造です)
では、障子を開けてこちらのお座敷に入っていきます。


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そのお座敷に入ってきました。
元々は、輪違屋所属の太夫さんたちはここで生活されていました。
(今は、別の部屋を使われているそうです)
鷹峯常照寺を建立した学者としても有名な吉野太夫
江戸時代末期に活躍した桜木太夫は共に輪違屋所属でしたので、
おそらくこの部屋で生活していたのでしょうね。


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その部屋の襖を写真に撮りました。
文字が書かれた和紙が何枚も貼られていますが、
こちらは全て、代々の輪違屋所属の太夫さんが書かれたものです。
このように残されると何か特別なものに見えますが、
実はこれらは全て手紙の失敗作です。
ただ高価な紙を使っていて、捨てるには惜しいものだそうです。
それでも、こうして見ると立派な文化財ですね。


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障子の隅には、こちらの屏風がありました。
こちらは元々は手紙で、筆者は新撰組局長近藤勇です。
どうやら近藤勇は「筆まめ」だったらしく輪違屋所属の太夫さんに
何通も熱心に手紙を書いていたようです。
明治時代に入って、新撰組は京都では賊軍として扱われ
近藤勇の手紙も島原の太夫さん自身が処分してしまったものが多く、
このように残っているものは例外中の例外だそうです。
(こちらの学芸員さんに、教えて頂きました)
ただ、この文を読んでみますと……
「婦人好色」(女性は、いやらしい人が多く)
から始まるように、とんでもない「下ネタ」です。


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こちらは、その向かい側の床の間です。
こちらにも掛け軸が掛かっています。
その右(東)側に、坪庭があるようです。


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こちらが、その坪庭です。
この日(2018年8月19日)は快晴で、この時点で33℃くらいでした。
ところがこの部屋で両方の障子を開けておくと、
エアコンがない輪違屋屋内でも涼しく感じました。
町家造の面目躍如ですね。


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これで、輪違屋1Fを一通り見て回りました。
次は階段から2Fに上がりますが、そちらは撮影不可です。


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輪違屋2Fは撮影不可なので、ここからはパフレットで紹介します。
都合により、次回ブログで訪れる角屋の地下っとも写っています。
和傘が二つ並んで貼られた襖がある部屋が、2Fで最大でした。
(この写真の左下のチケットに写った部屋です)
ただその先は太夫さんが生活されている部屋もあって、
撮影だけでなくそちらに行くこと自体不可でした。


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一通り見て回ったので、輪違屋の外に出てきました。
輪違屋の店先で撮影されている方々も多かったですが、
輪違屋に来られた大半の方々はこのまま帰られたようです。
ただ、島原の観光ポイントはこの周囲にもあります。
取りあえず、輪違屋前の坊城通をこのまま北上します。


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輪違屋の前から、坊城通を約50m北上しました。
坊城通は約500m先の京都産業大学付属高校で突き当たりますが、
約100m北の松原通で復活し、その約300m北に壬生寺があります。
つまり新撰組屯所があった壬生と、この島原は隣接しています。
(第26回ブログ参照)

写真中央の京町家の北隣が、京都市島原地域包括支援センターです。
(写真左側の平屋の建物のことです)
元々、こちらに島原の歌舞練場がありました。
(歌舞練場は、祇園や先斗町・宮川町・上七軒には現存します)
確かこちらの桜は立派だそうですが、確認したことはありません。
次回ブログに出てくる幸天満宮も、
元々はこちらにいらっしゃいました。


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京都島原地域包括センターの向かい(西)側に、
日蓮宗成就山法華寺があります。
では、こちらにお参りします。


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法華寺境内の北側に、妙見宮があります。
妙見宮は妙見菩薩を祀っていますが、
本満寺など日蓮宗寺院に、妙見宮は多いですね。


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こちらが、日蓮宗成就山法華寺の本堂です。
釈迦如来像が、ご本尊です。

こちらは、813年に真言宗東寺の塔頭として建立されました。
それが鎌倉時代の1281年当時の住職の真広法印が
日蓮の弟子となってこちらは日蓮宗になりました。
京都の日蓮宗は延暦寺の僧兵などに度々攻撃を受けましたが、
それはこちらも例外ではありませんでした。
ただ一貫して東寺の北側に位置していたのですが、
現在の位置に移ったのは1963年の東海道新幹線線路建設のためです。


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京都市島原地域包括センターと法華寺前で坊城通を南に向きました。
では、こちらから花屋町通に戻ります。


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法華寺から、坊城通を南下しています。
輪違屋の北側は更地ですが、
そこから輪違屋の西側に煙突が見えます。
あの辺りに銭湯があるのですが、今からそこに向かいます。


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輪違屋の前で、坊城通を南に向いています。
この先で坊城通は、花屋町通と交差します。


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坊城通から、花屋町通を西に向いています。
ちなみに京都の島原は、行政的には「西新屋敷」です。
次は、こちらを西に向かいます。


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坊城通通から、花屋町通を西に歩いています。
左(南)側に「松栄」という旅館があって、
修学旅行生などがよく宿泊しておられるようです。
また、こちらの浴室は料金を支払えば
宿泊客でなくても入浴でき、事実上スーパー銭湯です。
とは言え、先ほどの煙突はこちらのものではありません。


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その「松栄」の向かい(北)側に、こちらの町家があります。
この辺りの京町家は民家が大半ですが、
こちらは陶磁器やガラス器を販売するお店です。
この時間帯でも営業されていましたが、
時間帯が無くなっているので先を急ぎます。


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末裔とその陶磁器店の前で、花屋町通を西に向いています。
ここでまた花屋町通は、南北の道と交差します。


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花屋町通から、南北に伸びる道を南に向いています。
左(東)側は、駐車場の先に旅館「松栄」の本館が見えます。
(松栄には、こちらから入ります)
右(西)側は百日紅(さるすべり)がきれいですが、
こちらは第二次世界大戦のころまで揚屋でしたが、
現在は旅館兼カフェです。(詳細は、次回ブログで)


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今度は同じ位置で、北を向きました。
左(西)側の家屋は民家に見えますが、実は製本所です。
では、こちらの道を少し北上します。


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花屋町通から、この南北に伸びる道を約30m北上しました。
すると、「島原温泉」という銭湯があります。
(関西では、時折「温泉」と名の付く銭湯があります)
こちらは京都市街地としては割と遅くまで営業されているので、
仕事帰りにここまで自転車で来ることがあります。
実は次回ブログの角屋での取材の後、ここで入浴しました。
(ここからは、時間軸が実際と異なります)


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その島原温泉の前に、このような張り紙がありました。
やはり、この日(2018年8月19日)に地蔵盆があるようです。
ウチの町内より1週間早いです。
ウチの母に聞いたところ、どうもウチの町内会長さんが
仕事の都合で地蔵盆を1週間ずらしていたようです。
ですからこの日に地蔵盆をすることが通常で、
ウチの町内が特殊だったようです。
ただもともと地蔵盆は毎年8月21日に固定されていたもので、
その感覚から8月19日は早いようにも思います。


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島原温泉の前で、石畳の道を南に向いています。
花屋町通に戻るまでに、右(西)側に京町家が見えます。
こちらが第315回ブログ以来時折自分が通い詰めているhyggeです。
島原の花街内では2軒ある町屋カフェのうちの1軒です。
こちらにも、入浴の帰りに立ち寄りました。


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こちらが、hyggeの店内の様子です。
こちらの土間の先に座敷があって、さらに先には坪庭があります。
典型的な京町家の作りですね。
自分がこの店に入ったとき、ちょうど満員で
入るのを諦めようとしていました。
ところが、その時カウンターにいらした小父さんが
「ほな、帰りますわ」
そう言い残されて席を立たれました。
和服姿がちょっとかっこいいなと思っていたのですが、
こちらの店主曰く、その方が先述の輪違屋の主人だったそうです。


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いつもはここで凍頂烏龍茶など中国茶を頼むのですが、
この日は宇治金時のかき氷を頼みました。
輪違屋のパンフレットと一緒に写してみました。


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こちらが、注文した宇治金時です。
かき氷に掛かっているのは、純然たる抹茶です。
シロップではないので、甘味は強くありません。
その代わり、器の下に小豆餡と甘味の付いた白玉が入っています。
それをかき氷に混ぜて食べると、ちょうどいい甘さになります。
自分は、これを約30分かけて食べました。
とてもゆっくりですが、まぁ本を読みながらでしたから……

こちらを食べ終わった後、こちらを出ました。
あと残っているのは角屋の拝観だけですが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ここから先は、次回とします。

~次回は、角屋に拝観して帰宅します~

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第596回 島原角屋特別公開~京都駅から島原~その6

[角屋] ブログ村キーワード

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前回ブログで訪れた町屋カフェhyggeの前で南を向きました。
目の前を花屋町通が通っていますね。
今回は、もう一つの島原の「京の夏の旅」企画角屋に訪れます。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後3時半。
貼り付けた写真が多すぎて、今回以降も「島原編」は続きます。


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hygge前の通りから、花屋町通を西に向いています。
島原は、東側より西側の方が京町家の密度が濃くなります。
では、こちらを進んでいきます。


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その辻の北西角に製本所があって、
その店先で、和紙のメモ帳を売っています。
第315回ブログでも登場しましたが、
今回は夏場なので日除けのすだれが掛かっています。


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こちらは、その製本所の向かい(南)側です。
今回ブログ最初に写っていた百日紅が立っていた場所です。
三つ巴の家紋の付いた暖簾には、錦清と書かれています。
こちらは「きんせ旅館」で、元々はここ島原の揚屋でした。
今は旅館ですが、昼間はカフェで夜はバーでもあります。
引き戸を開けて中に入り、少し薄暗い場所を左手に向かうと
その奥がカフェ兼バーになっています。
自分はカフェしか行ったことがないのですが、
こちらのシフォンケーキはなかなかの美味です。
ただし、洋酒がたっぷりかかっているので
20歳未満ならその旨を店主に言わなければなりません。
こちらは元々揚屋ということで、
内装は和洋折衷で、大正時代くらいの雰囲気です。
店内の正面に閑院宮載仁親王による一筆が、額に飾ってありました。


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きんせ旅館の前で、花屋町通を西に向いています。
ここから島原の西半分ですが、
だんだん旅館をはじめとした店舗の割合が増えてきます。


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先程の写真に写っていた旅館の屋根に、鍾馗さんが飾られています。
京都では、鬼瓦の代わりに屋根によくいらっしゃいます。


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その旅館の前で、花屋町通を西に向きました。
目の前の南北に伸びる道は、特に名前がありません。
北小路から北へこの辻を通って、約350mの短い道です。


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花屋町通から、その道を南に向きました。
両側の京町家は、どちらも角屋の所有地です。
今回ブログのメインに近付いてきました。


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先程の辻から、南北に伸びる道を約20m南下しました。
右(東)に、角屋の特別公開の看板が立っていますね。


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先ほどの写真に写っている門をくぐると、
すぐにこちらの玄関が見えます。
元来はこちらから入っていくのですが、
現在はこの左手(南側)の勝手口から入るようになっています。


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角屋の勝手口に入ると、その周囲は厨房でした。
こちらは、石製の流し台ですね。
ここで野菜を洗ったり、切ったりしたのでしょうね。
……ただ角屋は揚屋なので、
お客さん用の料理は作っていなかったはずです。
(お客さんの分は、仕出し屋さんに頼んでいました)
たぶん、奉公人(従業員)の分でしょうね。


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その向かい(西)側には、竈とその上の釜が並んでいました。
ただ、こんなに並んでいるということは
余程の大人数を想定していたと思われます。
やはりこちらのお店は、
お客さんにも食事を調理していたのでしょうか?


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土間のいちばん奥(南)側に、板の間があります。
こちらで靴を脱いで、その先に進んでいきます。


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板の間で靴を脱ぎ、西を向きました。
では、この先の畳の部屋に進みます。


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こちらが、その畳の間です。
先程の玄関は、このずっと奥の階段の辺りに続いています。
その手前であるこちらは、奉公人や店主が働く場所です。


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お客さんが通る廊下と奉公人が詰めたこちら側との間に、
この台所(帳場)があります。
この時代の台所とは調理の場ではなく、
店の売り上げを載せた帳簿や金銭が置いてある場所のことです。

新撰組局長の一人芹沢鴨は角屋の帳場で店主に乱暴狼藉を働き、
そのことを知った松平容保の逆鱗に触れ、
命令を受けた近藤勇らによって暗殺されてしまったようです。
この場にいらした学芸員さんが
「角屋開店以来、帳場の位置は変わっていない」
そうおっしゃっていたので、ここが角屋の主が芹沢鴨から暴行を受け
瀕死の重傷を負った現場で間違いありません。


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帳場の向かい(南)側に、刀箪笥が置かれていました。
玄関から入って来たお客さんは、ここで自分の刀を店に預けました。
……と言いますか、ここに来るお客さんは帯刀が前提なのですね。


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先程の部屋を出て、玄関から続く廊下に移ってきました。
ここからは、奉公人目線からお客さん目線で店内を移動します。
刀箪笥の辺りで廊下を西に折れ、その突き当りに来ました。
中庭の脇に、大きな部屋があります。



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こちらが、その中庭です。
灯りと涼をとるための庭ですが、縁側に座って寛ぎたくなります。


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中庭から大きな部屋に入ってきました。こちらはその天井部分です。
前回ブログに出て来た輪違屋と同じ構造ですね。
ですから、おそらくここも大人数で2Fに上がったら
大変なことになるのでしょうね。


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こちらが、その部屋の床の間です。
なかなか落ち着いた書画が掛かっていますね。


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こちらが、この部屋の襖絵です。
長谷川等伯の系譜を受け継ぐ長谷川等雲の作品ですが、
だいぶ煤けています。
角屋では夜間にだいぶ行燈を使用してきたので、
蝋燭の火から出た煤がこちらに溜まってようです。


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その部屋を出て、角屋店内をあちこち散策しました。
一部写真不可の場所もあったので、
それほど詳しい写真は撮っていません。


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それでは閉館時間の午後4時半になりましたので、角屋から出ます。
こちらは、角屋の入り口の裏側です。
紙製の白い仮面が貼り付けてありました。
こちらの学芸員さんに質問したところ、
やはり大酒神社(広隆寺)の牛祭りの際に被る仮面のようです。
とにかく縁起のいいものを手あたり次第ここに貼り付けてあって、
牛祭りの仮面はその一環で貼られているとのことです。


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角屋を出て、北を向いています。
この両側とも角屋の敷地ですが、自分は左(西)側から出てきました。
では、こちらを北上していきます。


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角屋を出て約20m北上して、花屋町通で西に向きました。
この先で花屋町通は突き当たりますが、
約100m西の新千本通よりまた西に伸びています。
この辺りは花街島原の西端に位置しますが、
まだまだあちこち観光地があります。
これからそちらに向かおうとしていますが、
それはまた次回にします。

今回は、ここまでです。

~次回は、島原西端部分を散策して帰宅します~

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第597回 島原住吉神社~京都駅から島原~その7

[島原住吉神社] ブログ村キーワード

596-26.jpg
前回ブログ角屋から北上し、花屋町通に戻って西に向きました。
こちらは、京都の花街島原のほぼ西端に当たります。
今回はここから島原西門跡から島原を出て、
JR嵯峨野線「丹波口」駅から帰宅します。
撮影日は、2018年8月19日日曜日午後5時半。
前回ブログ撮影後、第595回ブログの島原温泉と
町屋カフェのHyggeに寄り道したので、ここまで遅くなりました。


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先程の辻から、花屋町通を西に約30m進みました。
ここで、花屋町通はいったん突き当たります。
ただ、花屋町通はJR嵯峨野線の高架や京都中央市場の西
ここから約100m先からまた西に伸びています。
最終的に、花屋町通は阪急電車「西京極」駅付近で突き当たります。

さて、花屋町通がいったん突き当たっている場所に
こちらの石碑が立っています。
かつての島原(行政的には、「京都市下京区西新屋敷」)周辺は、
平安時代に鴻臚館(こうろかん)がありました。
要するに、外国向けの大使館ですね。
とは言え当時の中国は唐が滅んで宋が建国される前の混乱期で、
外交ができる状態ではありませんでした。
また朝鮮半島にはたびたび日本と戦争をしていた新羅があって、
こちらとも「友好」外交ができる状態ではありませんでした。
(この直後に建国された「高麗」とは、日本は友好関係にありました)
ですから、この頃国交があった外国とは渤海のことでした。


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その鴻臚館跡の石碑がある地点で、北を向きました。
ここの地面が石畳であるように、この辺りも江戸時代は島原でした。
では、こちらを北上していきます。


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鴻臚館跡の石碑から、石畳の道を北上しています。
途中に、こちらの飲食店がありました。
時間帯の関係で閉店していますが、店先によく行列ができています。
この近くに京都中央市場があるので、
そちらから鮮魚などを仕入れておいしいものを提供してくれます。


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鴻臚館前から、石畳の道を約50m北上しました。
ここで、その石畳の道も突き当たります。
ただ、その突き当りにあるマンションの脇に
小さな神社がいらっしゃいます。
ちょっとそちらに立ち寄ってみます。


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こちらが、その脇の小さな神社です。
では、今回ブログのメイン島原住吉神社にお参りします。
(第314回ブログ以来ですね)


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先程の鳥居をくぐってすぐに、手水舎があります。
先ずはこちらで、手を浄めます。
そう言えば、神社の周囲の石柱に人名が彫られてあります。
おそらく、こちらの再建に尽力された方々の名前なのでしょうね。


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その手水舎の前で、西を向きました。
拝殿越しに、島原住吉神社本殿を見ています。
こちらのご祭神は、おそらく住吉三神です。
元々は島原の商人住吉屋太兵衛宅の鎮守社でしたが、
江戸時代半ばに太兵衛自身の手によって、
この地に移ってきました。
当時はこの辺1区画を有するかなり大きな神社だったようで、
いくつか末社も擁していたようです。
ただ、明治時代に入った1868年に太政官より発せられた
神仏分離令によりいったん廃社に追い込まれました。
(神仏分離令では、社格が低い神社を一斉に廃社しています。
もっとも、その大半は数十年かけて再興しています)
その後、この辺地域の方々の尽力によって
明治時代後半の1903年に島原住吉神社は再興されました。
ただその敷地は、往時の半分以下になりました。


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島原住吉神社境内の西側に、こちらがいらっしゃいます。
幸天満宮(さいわいてんまんぐう)という名称ですので、
ご祭神はおそらく菅原道真です。
こちらは元々第595回ブログ島原歌舞練場にいらっしゃいましたが、
島原住吉神社がこの地に移った際にこちらも移ってきて、
島原住吉神社の末社となりました。
ただそのために1868年の神仏分離令では
この島原住吉神社と運命を共にしました。
ですから1903年の島原住吉神社再興の際に、
こちらの幸天満宮も再興されました。


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その島原住吉神社から出て、石畳の道を西に向きました。
島原住吉神社の西側は千本通と接していて、
その千本通の手前で道路が石畳からアスファルトに戻ります。
江戸時代まではこの境目付近に島原西大門がありました。
つまり、この千本通はかつての花街島原の外ということになります。


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石畳の道を出て、千本通を南に向いています。
左(東)側に京都中央信用金庫丹波口出張所があります。
おそらく島原は、京都中央卸売市場と隣接しているからでしょうね。
右(西)側にはJR嵯峨野線の高架が続いています。
この千本通は、約400m先の七条通まで続いています。
(第314回ブログを参照)


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今度は同じ位置で、千本通を北に向きました。
左(西)側のJR嵯峨野線の高架下が、
そのまま京都中央卸売市場の施設になっています。
(たくさんの大型トラックが停まっていますね)
右(東)側は先程の島原住吉神社で、
そのまま島原最西端沿いに歩くことになります。
では、この千本通を北上していきます。


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先程の位置から、千本通を約50m北上しました。
第315回ブログでは、この交差点の南東角に
ちゃんこ屋さんがありました。
それが今は更地になって、駐車場です。


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その交差点で、千本通から東を向きました。
駐車場の先に、朱い鳥居が並んでいる場所があります。
では、ちょっとこちらに立ち寄ります。


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一見稲荷神社に見えますが、こちらは歳白弁財天女です。
もちろんご祭神は弁財天ですが、
ご神体は背後の大きな銀杏の木です。

元々こちらは先述の島原住吉神社の境内で、
こちらの歳白弁財天女もその末社でした。
1868年の神仏分離令で島原住吉神社は廃社になりましたが、
こちらの銀杏は御神木なのでそのまま維持され、
その際こちらの歳白弁財天女も
島原住吉神社から独立して現在に至ります。


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そして、こちらがその御神木の銀杏です。
西本願寺など京都市下京区には、見事な銀杏が多いですね。
そう言えば、京都市下京区の象徴も銀杏でした。


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かつてちゃんこ屋だった駐車場の前で、千本通から北を向きました。
ここから北は右(東)側も花街の島原ではなく、
京都中央卸売市場の施設が並びだします。


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その辺りで、千本通から位から西を向きました。
JR嵯峨野線の高架下に京都中央卸売市場の施設が並びます。
とは言え、この時間帯は事実上空洞になっているので
向こう側(新千本通付近)が丸見えです。
ここに深夜や早朝に、一面に魚とかが並ぶのでしょうね。


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先程の駐車場の前から、千本通を北に向きました。
京都中央卸売市場の施設に囲まれていますが、
時間帯の関係で今は静かですね。
では、ここを北上します。


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先程の位置から、千本通を約200m北上しました。
この先で、千本通は中堂寺通と交差します。


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千本通から、中堂寺通を東に向いています。
この先に繁みが見えますが、
あちらが「中堂寺児童公園」という大きな公園です。
こちらから遊んでいる小学生が見えましたので、
これ以上先は撮りませんでした。


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中堂寺通から、千本通を北に向きました。
JR嵯峨野線の高架の上に電車が止まっていますが、
この辺りはJR嵯峨野線「丹波口」駅のホームです。
今電車が止まっているということは、
自分はこの電車には乗れないということですね。


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中堂寺通から、千本通を約70m北上しました。
「五条千本」交差点南西角に、
JR嵯峨野線「丹波口」駅があります。
では、こちらから京都駅経由で帰宅します。

これで、「京都駅から島原」編を終了します。

~次回は、若宮祭を取材します~

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第598回 若宮祭2018~若宮通北から南~番外1

前回ブログでようやく「島原編」も終わり、
また新しい記事を書いていきます……
と言いたいところですが、実は少し前に撮った写真がありまして……
毎年9月第1日曜日に若宮通若宮八幡宮で例祭が行われます。
昨年(2017年)にお邪魔したかったのですが、
うっかり日を間違えまして……
この日も仕事があったのですが、休憩中にお祭りに行きました。


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京都駅前北側市バスターミナルから50系市バスに乗り、
「西洞院六条」バス停で降りました。
かつて市電が通っていた影響で、
西洞院通は歩道付きの2車線の道です。
(京都市街地では、大通りに分類されます)
今回はこの近所の若宮八幡宮で、若宮祭にお邪魔します。
撮影日は、2018年9月2日日曜日午後1時。
早く職場に戻らないのといけないので、大急ぎで回ります。


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「西洞院六条」バス停から、西洞院通を北に向いています。
右(東)側に、緑風荘という旅館の壁が見えますね。
ここから約200m先で五条通と交差し、
さらに約1km北上すると祇園祭に蟷螂山が立ちます。


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今度は「西洞院六条」バス停で、西洞院通を南に向きました。
この西洞院通は、約30m先で六条通と交差します。


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西洞院通から、六条通を西に向いています。
この辺りの六条通は「六条会商店街」で、
ここを進むと第514回ブログと同じ道を辿ります。


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同じ位置で西を向きました。そろそろ信号が青になりました。
では、西洞院通を東に渡ります。


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西洞院通から、六条通を東に向いています。
こちらも約100先の新町通まで「六条会商店街」が続きます。
この商店街は、新町通~堀川通間の約270m続いています。
ただ日曜日で例祭の日ですので、どのお店も閉まっています。
(第514回ブログを参照)


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西洞院通から、六条通を約20m東に進みました。
商店街の一角に、和菓子屋さんの「梅月」があります。
第514回ブログでは時間と資金の問題で素通りしましたが、
今回は先にこちらで買い物をしました。


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こちらが、そのとき買った和菓子です。
紅白の上用まんじゅうと豆大福です。
こういうお店のお饅頭は皮の肌理(きめ) が細かく、
薄くてその分餡が詰まっています。
もちろん、こちらも例外ではありません。


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その梅月の前から、六条通を東に向いています。
約30m先で、若宮通と交差しています。
この先に、若宮八幡宮の例祭である「若宮まつり」の幟が見えます。


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若宮通から、六条通を東に向いています。
ここから約50m先の新町通沿いに「白山湯」という銭湯があって、
「六条会商店街」はそこまで続いています。
この辺りは生麩屋さん・豆腐屋さん・化粧品店などが並ぶのですが、
この日(2018年9月2日)は日曜日で例祭の日なので、
どのお店も閉まっていました。
(普段は、こんな感じです)


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続いて六条通から、若宮通を北に向きました。
「六条若宮」の辻の北西角の家の北隣に、小さな神社があります。
ちょっとこちらに、立ち寄ってみます。


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こちらがその小さな神社第515回ブログ以来の稲荷福若大明神です。
こちらに参拝しようとしたとき、近所の小母さんが来られまして、
いろいろ職務質問されていました。
(まぁ、近隣の写真を撮る人は普通に考えて不審人物です)
そこで自分の身分や目的を明かすと、逆に親しく話しかけられて、
いろいろこの神社のことを教えて頂いました。
(このパターンで今までだいぶ取材してきました)
実は、こちらにはご神体がいらっしゃらないのだそうです。
この町内はご高齢の方が多く、
将来的にこちらの神社をお守りできないようならないように、
町内の町衆で相談してそのように決めたそうです。
(ご神体は、別の神社の方にお邪魔されているそうです)
まぁ、最近お地蔵さんを返納して
地蔵盆を廃止した町内も出てきていますので、
そう言うことの延長上のことでしょうか?


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今度は六条通から、若宮通を南に向きました。
若宮まつり期間中は、このように若宮通に燈籠が立ちます。
こちらの中に蝋燭が入っており、夜間になると火が灯されます。
ではこちらの燈籠をくぐり、若宮通を南下します。


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六条通から、若宮通を約30m南下しました。
こちらはロマン館という旅館ですが、中で食事もできます。
(第514回ブログを参照)


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そのロマン館の前で、若宮通を南に向いています。
誰もいないように見えますが、
住宅内に法被姿の方がいらっしゃいます。
そちらの方々のお顔を写すわけにもいかず、
フレームから外れるように撮ると、このような構図になりました。
ただ、この時間帯はお昼休みらしく
誰も神社にはいらっしゃりませんでした。
神輿巡行はこのずっと後の時間帯なのですが、
仕事の都合で自分はその時間にここにいられません。
ですから、誰もいないような奇妙な写真を撮っています。


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旅館のロマン館から、若宮通を約20m南下しました。
こちらに、今回ブログのメイン若宮八幡宮がいらっしゃいます。
10年くらい前(2010年前後)にこちらに来たときは、
周囲に露店が2店舗だけ出ていましたが、
ここ数年はそういうものはまったくありません。
神社の境内に誰もいらっしゃらないので、
何だか普段の若宮八幡宮とあまり変わりありません。


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誰もいらっしゃいませんが、とりあえず境内に入っていきます。
先ずは、手水舎で手を浄めます。


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そして、こちらは末社の若宮稲荷社です。
こちらにお賽銭を奉げて、お参りします。


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さらに、こちらが若宮八幡宮本殿です。
八幡宮ですから、ご祭神は応神天皇なのでしょう。
現在五条坂にいらっしゃる若宮八幡宮は
元々こちらにいらっしゃいました。
往時には五重塔を擁するような巨大な神社でしたが、
火災などを何度か繰り返し、今の大きさになりました。

しかし、こうしてお参りしていると
普段の若宮八幡宮と変わりありません。
何だか、例祭という気がしませんね。


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それでは、若宮八幡宮を出ます。
……と言いますかこれでは全然例祭という気がしませんが、
神輿巡行などの行事まで自分がここに残ると
仕事に差し障るので、もう帰路に就きます。


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若宮八幡宮の前で、若宮通を南に向きました。
例祭を飾る燈籠は、若宮通沿いにずっと続いていきます。
若宮通は、約20m南で花屋町通と交差します。


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花屋町通から、若宮通を南に向いています。
この燈籠は、約150m先の正面通まで続いていますね。


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若宮通から、花屋町通を東に向いています。
こちらから約400m先に烏丸通があって、
その辺りに東本願寺があります。


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今度は若宮通から、花屋町通を西に向きました。
こちらにも、若宮まつりの幟が立っていますね。
ここから約700m先が、前回ブログまで散策していた島原です。
では、こちらを進んでいきます。


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若宮通から、花屋町通を西に約50m進みました。
ここで花屋町通は、西洞院通と交差します。


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花屋町通から、西洞院通を北に向きました。
では、次はこの西洞院通を北上します。


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花屋町通から、西洞院通を約50m北上しました。
目の前に、南行きの「西洞院六条」バス停が見えます。
その先の信号は、六条通のものです。
これで、このブロックを1周したことになります。


598-28.jpg
そうこうしているうちに、西洞院通を50系市バスが南下してきます。
では、あちらに乗って京都駅経由で職場に戻ります。
今回は、ここまでです。

~次回から、また新しい道の連載を開始します~

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第599回 綾小路と対の道~錦小路西から東~その1

[錦小路] ブログ村キーワード

今まで溜めていた写真をすべて掲載し、
今回ブログからまた新し道を連載していきます。

今回から、錦小路を取り上げます

この道を連載しようと考えた理由は、次の3点です。

☆ このブログは、東西の道をあまり取り上げていない

☆ 大路(広い道)よりも小路(せまい道)の方が取材しやすい

☆ 連載を2018年11月下旬には終われる程度に短い道

……実は3点目が、いちばん重要だったりします。
毎年11月23日前後に紅葉取材をします。
それで年末まで記事を連載するわけですが、
その時期を越える連載をこの時期から始めると、
途中で今の連載を中断して紅葉記事を連載することになります。
それがとてもややこしいので、避けたいのです。

まぁ自分がもらう給与は毎年9月がいちばん高くて、
錦市場のような散財が前提の取材ができるのが
この9月限定という切実な事情も、
本当は大きいのですが……

四条通の北隣の通り
♬丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦 四綾仏高松万五条……
(まるたけえびすにおしおいけ あねさんろっかくたこにしき
しあやぶったかまつまんごじょう……)
京都のわらべ歌の一部です。
丸太町通から十条通まで順に北から南へ、
京都市街地の東西の道を歌ったものです。
(道の名称から、明治時代半ばから大正時代に作られたのでしょうね)
それによると、この錦小路は四条通の北隣に歌われています。
「四条大宮」交差点から、四条通の東端「祇園」交差点までが
京都で最も繁華街が集中する場所です。
そこから北に100mほどしか離れていない錦小路は、
その通りの大半が繁華街に属していることが分かります。

平安京遷都以来、位置が変わっていません
錦小路は、京都の原型である平安京が造営された794年以来、
ずっとこの位置に存在し続けています。
ただ当時は、「具足通」(ぐそくどおり)と呼ばれていました。
具足とは武士たちが身に付けた武装の総称ですが、
そう呼ばれるようになったのは鎌倉時代以降です。
平安時代では、単に「道具」という意味で使われていました。
ですから、平安時代のこの道は道具屋が多かったのでしょうね。
ところが庶民の中には下品な方々がいらして、
この「具足通」を「糞通」(くそどおり)と呼ぶ方が出てきました。
それで、当時の政府もすぐに「錦小路」と
勅命(天皇の国民に対する命令)で名称変更をしました。
錦小路の1本南が四条通ですが、
さらにその1本南が綾小路です。
綾小路の「綾」とは、綾織という布の織り方に由来します。
そこで、四条通をはさんで対になる位置の通りの名に
絹織物の総称である「錦」の名を付けたという訳です。

新京極の錦天神
京都にも繁華街がいくつかありますが、
代表的なものは新寺町通にある「新京極」です。
祇園祭山鉾巡行で立ち寄る八坂神社お旅所の辺りですね。
(第158回ブログを参照)
四条通からその新京極を約100m北上すると、
錦天満宮がいらっしゃいます。
こちらの手水舎の水が地下水を利用していて、
しかもなかなかの名水です。
それを利用して、ここから西に錦市場が発展しました。
今も錦市場の何軒かがこの水を利用していますので、
こちらの湧水は定期的に京都市水道局による
水質検査が行われています。
そして、その錦天満宮から西に錦小路が伸びています。

東西に伸びる錦市場
錦天満宮から錦小路を西に約30m進むと、寺町通と交差します。
そして、その寺町通から約350m先の高倉通まで
錦市場が続きます。
錦市場は観光用の飲食店街と思われる方も多いようですが、
こちらは魚や野菜を中心に卸売市場としても機能しています。
ですから、こちらのお店の大半は午後5時で閉店します。
(朝がとても早いのです)
またこちらは祇園祭の山鉾町ではありませんが、
錦市場全体で祇園祭の神輿担ぎを担当しています。
(第410回ブログを参照)

祇園祭の山鉾町
烏丸通を越えてさらに西に進むと、
祇園祭でいつも通る道に出ます。
錦小路自体に立つ山鉾は、
いずれも前祭の占出山・霰天神山だけですが、
錦小路に隣接するようにさらに6基立ちます。
ただ蟷螂山の立つ西洞院通を越えると、
ここからは静かな住宅街に変わっていきます。

壬生で突き当たりなのですが……
堀川通を西に越えると、大宮通や後院通と通り過ぎ
約400m先の壬生川通にある京都市交通局で突き当たります。
「壬生」川通の名の通り、この辺りは壬生の東端に位置します。
ただ、この辺りは新撰組が駐屯していた場所よりも
多少北にズレた場所です。
ですから、今回の連載で新撰組関連施設には寄りません。

まぁ、考えようによっては阪急電車「大宮」駅~「河原町」駅の
錦小路は阪急電車2駅分の道です。
錦小路は、今まで自分が取材した道でも最も短い部類に入ります。

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第600回 新京極の染殿院~錦小路東から西~その2

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京都駅から地下鉄烏丸線を北上して「四条」駅で降り、
地下道を少し歩いて阪急電車に乗り換えました。
阪急電車「烏丸」駅(地下鉄「四条」駅と同じ位置にあります)から、
一駅乗ると阪急電車京都線終点の「河原町」駅に辿り着きます。
今回は「四条河原町」交差点経由で四条通を西に進んだ後、
新京極を北上して錦小路最東端まで進みます。
撮影日は、2018年9月23日秋分の日の日曜日午後3時10分。
お彼岸なので、この直前までお墓参りをしていました。


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阪急電車京都線「河原町」駅ホームで、西を向いています。
左(南)側に自分がこの駅まで乗っていた準急が停まっていますが、
右(北)側にも特急列車が停まっています。
こちらは京都線の終点なので、
よくどちらのホームにも電車が停まっていますね。
実は、さらに別に普通電車用のホームがこの西側にあります。
では、向こう(西)側のエスカレーターでコンコース階に上がります。


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先程のエレベーターを上がると、
その先に阪急電車「河原町」駅の改札があります。
この駅の改札は東西に3つ並んでいるのですが、
こちらのものは一番利用者が多い真ん中です。
(「四条河原町」交差点に、いちばん近い改札です)


600-4.jpg
阪急電車「河原町」駅中央改札を出て、南を向きました。
目の前に、百貨店の高島屋京都店への入り口があります。
と言うことは、この真上が「四条河原町」交差点南西角ですね。


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その位置から、地下道を東に向きました。
この地下道は西は烏丸通、
東は河原町通を通り過ぎ木屋町通まで続きます。
ただ、「四条河原町」交差点中央の真下にはこのように入れません。


600-6.jpg
「四条河原町」交差点の真下に来ました。
このように、ここより東に行くには階段を降ります。
ただ降りた途端すぐに上り階段に変わり、
結局河原町通以東の地下道はこの高さになります。
単に不思議なだけでなく、これでは車いすが通れません……
(まぁ、地上を通ればよいのですが……)


600-7.jpg
「四条河原町」交差点の真下から、
高島屋京都店の地下入口に戻ってきました。
ではこの4番出口から、地上に出ます。


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5番出口とは異なり、この4番出口は
高島屋京都店には通じていません。
高島屋京都店の脇を回転しながら、階段を上っていきます。


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その階段を上りきりました。地上の高さまで来ています。
左(西)側の壁の向こうは、高島屋京都店です。
次は、右(東)手の方からここを出て行きます。


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阪急電車「河原町」駅4番出口から、外に出ました。
こちらは、「四条河原町」交差点南西角です。
京都市街地で一番賑やかなところですが、
第600回にしてこのブログ初登場ですね。


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河原町通から、四条通を東に向いています。
「四条河原町」交差点南東角に、京都マルイがあります。
このまま四条通を東に進むと、約200m先に鴨川が流れています。
鴨川より東が祇園で、この写真の端にも祇園の名店菊水が見えます。


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今度は四条通から、河原町通を南に向きました。
京都マルイの南隣に京都交通のバスターミナルがあり、
その横が京都市バスのバス停なので、この辺りは賑やかです。


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信号が青に変わりましたので、「四条河原町」交差点南西角から
「四条河原町」交差点北西角へと移動していきます。
みずほ銀行の左(西)側に隙間が見えますが、
ここからそのままMOVIX京都まで北に400mほど小路が続きます。
こちらは裏寺町通で、京都でも飲食店が特に集まる場所です。


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四条通から、河原町通を北に向いています。
ここから約500m先の「三条河原町」交差点までが、
京都市街地で最も娯楽施設が集中している場所です。
(第69回ブログを参照)


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河原町通(正確には裏寺町通)で、四条通北側歩道を西に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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河原町通(裏寺町通)から、四条通を約100m西に進みました。
この辺りの四条通は歩道の幅が広く、
その分車道は2車線ほどしかありません。
ですから、歩行者には優しい道と言えます。
正面(西側)に「河原町四条」バス停がありますが、
右(北)側に、KAMOと書かれた店があります。
サッカーショップ加茂はサッカー用品専門店で、
下手をしたらJ3リーグ降格かもしれない京都サンガの関連グッズを
全品並べているという素晴らしいお店です。
(京都市内でも、日本代表やセレッソ大阪!関連グッズのみ
置いてあって、京都サンガのものは無いお店も多いです。
「J2リーグの京都サンガは、ウチの店の対象外」
そうおっしゃる許し難い店もあります)


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サッカーショップ加茂より2軒西に、靴屋さんがあります。
ただ、その店に花遊小路商店街という看板が出ています。
実はこの店の奥は通り抜けられて、そのまま路地になっています。
そして、その路地周辺に様々なお店が並んでいます。
この写真をよく見ると、その奥からこちらに人が歩いています。


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花遊小路商店街の前で、四条通を西に向いています。
この辺りの歩道が結構広いので、散策にちょうどいいですね。
そう言えば、祇園祭のときはバス停にたくさんの方々が
バス停に集まっておられました。
まぁあのときはバス停の庇からミストが出ていて、
それで涼んでおられたようでしたが……
(第586回ブログを参照)
2018年は7月がずっと「体温越え」の猛暑でしたが、
9月に入った途端最高気温30度を下回る日々が続いています。
この分では、2018年の紅葉は早いでしょうね。


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その辺りで、四条通の向かい(南)側歩道を撮りました。
土産物屋さんを囲む形状の神社が見えますが、
あちらが八坂神社のお旅所です。
前祭も後祭も、祇園祭山鉾巡行ご一行はここで立ち止まり
必ず参拝されてから先に進まれます。
また、山鉾巡行の後の祇園祭神輿巡行の終点でもあります。


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その場で、四条通を西に向きました。
八坂神社お旅所の辺りからこちらへ横断歩道が伸びています。
この辺りは「四条寺町」交差点で、
その南西角に百貨店の藤井大丸が見えますね。
四条通以北の寺町通は、「寺町京極」という繁華街を形成します。
(第158回ブログを参照)


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ただ、今回は「寺町京極」より約30m手前(東)に用があります。
三条通~四条通間約500mのこの短い道は、新寺町通です。
そしてこの新寺町通沿いの全てが「新京極」で、
豊臣秀吉の治世からあった京都最古の繁華街です。
では、ここからはその新京極を北上します。


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新京極最南端のお店は、こちらの漢方薬のお店です。
京都では、この看板とCM(30年ほど流れていませんが)で有名です。
ちなみに、こちらの本店は千本通沿いにあります。
(第375回ブログを参照)


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坂本漢方堂の向かい(西)側に、小さな寺院があります。
一遍が京都に入洛して初めて念佛賦算をここで行ったのですが、
こちらは時宗四条派金蓮寺の塔頭です。
では、この染殿院に参拝します。


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先程の門から、染殿院境内を西に進んでいます。
こちらは、大地蔵菩薩で有名な寺院です。
そのせいか、境内にはたくさんのお地蔵さんが
並んでいらっしゃいますね。


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染殿院境内をいちばん西まで来て、南を向きました。
参道の南側にも参道があって、その先には四条通が見えます。
つまり染殿院は、四条通からも入ることができます。


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こちらが、染殿院の地蔵堂です。
安産のご利益があるとされる染殿地蔵がいらっしゃいます。
元々「染殿」という呼称は、文徳天皇の皇后である
染殿皇后から名付けられたものです。
子に恵まれなかった染殿皇后がこちらに参拝したところ、
直後に懐妊されて清和天皇を出産されました。
この言い伝えから、こちらは安産のご利益があるとされています。


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地蔵堂の脇に、時宗四条派染殿院の本堂があります。
ご本尊の木彫裸形の大地蔵菩薩立像は秘仏なので、
ここから見ることはできません。
その秘仏を彫られたのは、808年にこちらを建立した空海です。
ですから、元々こちらは真言宗寺院でした。
それが鎌倉時代(13世紀)にはどこの宗派にも属さなくなりました。
ですから、一遍がこの地に来られたときも無宗派の寺院でした。
しかし室町時代初期の1388年に、
足利義満の命令で時宗に属するようになり、現在に至ります。
当時の伽藍は今よりもだいぶ大きかったのですが、
どんどん焼けで焼失後現在の姿になりました。


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染殿院を出て、新京極を北に向いています。
では、こちらを北上します。


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染殿院から約10m北上し、東に向きました。
先程の「花遊小路」は、ここへと通じています。
ちなみに花遊小路の南北の道と東西の道の角に、
「よ~じや」の本店があります。


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花遊小路西端から、新京極を北に向いています。
この先で、ロンドン焼が売られていますね。
自分も、小さい頃はよく食べました。
その北隣は、寿司屋の乙羽です。
「寿司屋」と言っても、京寿司と蒸し寿司のお店です。
普通の握り寿司もこちらで頂けますが、
自分は押し寿司(京寿司の一種)か蒸し寿司ばかり注文します。
今回は、諸事情で立ち寄らずに通過します。


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染殿院から、新京極を約50m北上しました。
左(北)側に、スタンドというお店があります。
こちらは、京都市街地でも最古の洋食屋さんの1軒です。
全席カウンター(スタンド)なのが、この店の特徴です。
まぁ観光ガイドに書かれた新京極の飲食店なら、
よく筆頭にあげられていますね。
その右(南)側は、「たごと」という蕎麦屋です。
ここも支店ですが、PORTA店もガイドブックに載っていますね。


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洋食屋さん「スタンド」の前で、新京極を北に向いています。
ここからでは見難いですが、10mほど先で東西の道と交差します。


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新京極から、その東西の道を西に向いています。
この道はとても短いので、特に名前はありません。
約30m先の寺町通で、この道は突き当たります。


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今度は、新京極からその道を東に向きました。
この突き当りに白壁が見えるのですが、
その辺りが先述の裏寺町通です。
この少し先に、老夫婦が経営する食堂があって
それがこの辺の名物だったのですが、
現在はハンバーガーショップに変わっていました。
またこの先に映画館が数件並んでいたのですが、
いずれも他の施設に変わっています。


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その東西の道から、新京極を北に向いています。
約20m先に錦天満宮が見え、
その辺りから西に錦小路が伸びています。


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錦天満宮の南隣に、こちらのお店があります。
はんこや印象のお店なのですが、
確かうちの実印はこちらで作ってもらいました。


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その印象店の北隣に、提灯がたくさん並んだ施設があります。
こちらが錦天満宮で、その神社から西に錦小路が伸びています。
つまり、こちらが、錦小路最東端です。


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錦天満宮から、新京極を北に向いています。
新京極(新寺町通)は、約400m先の三条通で突き当たります。
錦天満宮の3軒北に、ダイヤモンド靴店があります。
売り場面積が、京都市街地最大の靴屋さんですね。
実はこちらは、約35年前まで京都花月でした。
「花月」とは吉本興業所有の劇場のことです。
こちらでは、落語や漫才などの演芸以外に
吉本新喜劇の芝居も演じられていました。


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新京極と錦小路とのT字路で、東を向きました。
ではここからこの錦天満宮を参拝しますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は錦天満宮を参拝した後、錦市場に行きます~

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第601回 錦天満宮から錦市場へ~錦小路東から西~その3

[錦天満宮] ブログ村キーワード
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四条通から新京極を約100m北上すると、
錦小路最東端の錦天満宮がいらっしゃいます。
今回はこちらに参拝した後、
錦小路を西に進み錦卸売市場に入っていきます。
撮影日は、2018年9月23日秋分の日の日曜日午後3時半。
最近は25度前後の涼しい日々が続きます。


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錦天満宮の境内に入ってきました。
境内の手前の左右に、1対の狛犬がいらっしゃいます。
そのうち右(南)側が、阿形のものです。


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そして、左(北)側の吽形の狛犬です。
頭に角が付いているように見えますが、
よく見るとこれは鬣(たてがみ)ですね。


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先程の阿形の狛犬のすぐ東に、真鍮製の牛の像がいらっしゃいます。
背中の鞍には、菅原家の家紋「梅鉢」がありますね。
頭を撫でるとその人の頭が良くなるご利益があるので、
頭部の鍍金が剥げています。


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その牛の像のさらに東には、手水舎があります。
こちらの「錦の水」は、ここから湧き出す地下水です。
この水を利用した豆腐屋さんや魚屋さんが、
この西側で江戸時代初期に錦卸売市場を形成していきました。
現在も錦市場のうちの何軒かはこの水を利用しているので、
京都市水道局がたびたび水質検査をしています。


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手水舎のさらに東に、錦天満宮本殿がいらっしゃいます。
こちらは「天満宮」ですから、ご祭神は菅原道真です。
こちらの沿革は、第158回ブログを参照してください。


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錦天満宮本殿前から、左(北)を向きました。
こちら側に、錦天満宮の末社が並んでいます。
次は、そちらに参拝します。


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では、並んでいる末社を左(西)から順にお参りします。
先ずは、いちばん左の塩竃社です。


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次は、その右(東)隣の稲荷社です。
朱い鳥居と朱い祠が、とても特徴的ですね。


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さらに右(東)隣には、白太夫社がいらっしゃいます。
どちらの天満宮でも、必ず末社にいらっしゃいますね。


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そしていちばん奥には、こちらの社がいらっしゃいます。
こちらは、日本全国の様々な神様が勧進されています。
(名古屋の熱田神宮とか、広島の厳島神社とか)
最後に、こちらにお参りします。


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そちらの末社にお参りした後、右(南)側の小径に出ました。
そしてその道で、西を向いています。
この道の左(南)側が錦天満宮本殿で、
右(北)側に先程の末社が並んでいます。
その道沿いに、植木が並んでいますね。


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その植木を大写ししました。
一見すると果実が生っているように見えますが、木製の模型です。
厳密にはこちらは、錦天満宮で売られているお守りです。
願掛けで、こちらに吊るしてあります。


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その辺りで、本殿の方(南側)を向きました。
こちらに、大きな絵馬が奉納されています。
額に書かれた文字によると、1898年に
「四条寺町」交差点付近に住まわれていた方が奉納されたようです。
この馬の彫り方は、第144回ブログに出て来た
瀧尾神社拝殿天井を飾る雲龍と同じ手法です。
ということは、作者は江戸時代後期の九山新太郎の一派でしょうか?
(ちなみに九山新太郎の子孫は、祇園祭後祭の大船鉾の
舳に取り付けられた龍神像の作者です)


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錦天満宮境内北側の末社へのお参りは、一通り済ませました。
この位置は、錦天満宮本殿の北側です。
では、今回ブログ最初の位置である錦天満宮入り口に戻ります。


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錦天満宮の入り口付近まで来ました。
向こうに白人の男女がいらして、こちらを撮影されて行かれます。
ただ抵抗があるのか、境内には入って来られません。
中国人や韓国人は結構気にせず入って来られますが、
宗教上の関係でしょうか?


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錦天満宮を出て、新京極から錦小路を西に向いています。
今回ブログ最初の写真から、ちょうど振り返った位置になります。
この左(南)側から、前回ブログでは新京極を北上してきました。
そして、この位置がこれから連載する錦小路最東端です。
では、この新京極から錦小路を西に向かいます。


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新京極から約30m西で、錦小路は寺町通と交差します。
ただ、その手前に大きな石製鳥居が立っています。
こちらは、錦天満宮一の鳥居です。


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その石製鳥居の上部を撮影しています。
笠木(鳥居の天頂部)の端が、家屋の中にめり込んでいます。
よく見るとその下の貫も、めり込んでいます。
鳥居は神社の一部ですから、それを削ることはあり得ません。
鳥居の先は、こちらのアニメグッズ屋さんの
店内にそのまま突き出ています。



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錦天満宮一の鳥居の真下で、錦小路を西に向きました。
ここで錦小路は、寺町通と交差します。


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錦小路から、寺町通を北に向いています。
こちらは、新京極とは別の「寺町京極」という繁華街です。
この道をずっと進むと、第158回ブログの後半と同じ道です。


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今度は錦小路から、寺町通を南に向きました。
約100m先が、寺町京極の最南端「四条寺町」交差点です。
(第158回ブログの冒頭ですね)


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その辺りで、下を向きました。
寺町通には、各辻ごとにこのようなプレートが埋まっています。


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寺町通から、錦小路を西に向いています。
ここから、高倉通までの約350mが錦市場です。
この日(9月23日)は祝日なので、日の丸が掲げられています。


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錦市場では、こちらのタペストリーも吊るされていました。
江戸時代中期に、日本画家の伊藤若冲が
この錦市場の町年寄を務めていました。
このタペストリーは、その関連と思います。


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寺町通から、錦小路を西に進んでいます。
こちらにある扇のお店は、割と老舗です。
ただ、ここ数年錦市場の卸売り屋さんは減ってきています。


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こちらは、その扇屋さんの向かい(北)側です。
では、立ち食い寿司屋さんの「英」(ひで)に立ち寄ります。
(第428回ブログ以来ですね)


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こちらは立ち食い寿司屋さんなので、
全席カウンターで椅子は1脚もありません。
自分は東京で何軒かこのような店を見ましたが、
京都ではここを含めて数軒しかありません。
取りあえず、こちらの寿司がやって来ました。
「まつもと」という伏見のお酒と共に、戴きます。
このセットのお寿司とお酒で、2,000円くらいです。


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そのお寿司を大写しにしました。
手前左から、ウナギの蒲焼・バッテラ(鯖寿司)です。
奥は左から、中トロ・タイの昆布〆・鱧(ハモ)です。
自分は、その順番で食べました。


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お酒がまだ残っているので、追加注文しました。
こちらは、この店の中で自分が一番好きなハモですね。
梅肉が載っているので、醤油には漬けません。


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さらに、追加注文をしました。こちらは漬けマグロですね。
追加注文のため、さらに1,200円ほど掛りました。(合計3,200円)
この店は江戸前寿司がベースなのですが、
鯖寿司やハモなど京都独特のものも数多くあります。


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立ち食い寿司屋の「英」を出て、錦市場を西に向いています。
目の前で、錦小路は御幸町通と交差します。
これからこの錦市場を散策するのですが、
今回ブログももうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回はここより西の錦市場を散策し、更にお買い物もします~

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第602回 錦市場散策 前編~錦小路東から西~その4

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前回ブログで訪れた立ち食い寿司屋英の前で、
錦小路を西に向いています。
ここは錦小路を寺町通から30mほど西に進んだ場所で、
錦市場のほぼ最東端に位置します。
目の前で、錦小路は御幸町通と交差します。
今回はここから錦市場を西へと散策し、
錦市場ほぼ中央の富小路との辻まで進みます。
撮影日は、2018年9月23日秋分の日の日曜日午後4時。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、
この数日前から一気に涼しくなりました。


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錦小路から、御幸町通(ごこまちどおり)を南に向いています。
約120m先で、御幸町通は四条通と交差します。
約20m先にネパールの国旗が見えますが、
あちらはネパール料理専門の飲食店です。
以前行かせていただいたとき、最近京都に増えた
インド人が経営するカレー屋さんの味と、とても似ていました。


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御幸町通から、錦市場を西に向いています。
御幸町通と錦小路との辻に、八百屋の四寅があります。
京野菜なら、こちらで一通り揃います。
また、それ以外の野菜や果物もいろいろ揃っています。


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その四寅では、こちらを買いました。
「キムチチゲするから、白菜買っといて」
そう母に言われていたのですが……
9月に半玉320円は相当高価です。
(茨城県がこの時期が旬なので、この時期白菜は最安値のはずです)
南瓜は後で「かぼちゃ餡」にして、中国タルトを作ります。
(そのうちこのブログでも、追記でレシピ載せます)
万願寺唐辛子は四寅のご主人お勧めで、つい買ってしましました。
(自分は焼き肉の際、よく万願寺唐辛子を鉄板で焼きます)


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その四寅の西隣が、こちらの雑貨店です。
……と言いますか、一時期流行ったファンシーショップでしょうか?
結構流行っていましたが、最近の錦市場は
このように卸売業ではない店が増えてきました。


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その雑貨店の向かい(西)側は、川魚屋の「のとよ」です。
京都の魚屋さんは、海水魚専門の「鮮魚店」と
淡水魚専門の「川魚屋」に大別されます。
川魚屋では、ウナギやドジョウ・コイ・フナ・
川エビ・モロコ・アユなどが売られています。
内陸部に住む京都人は、淡水魚をよく食べます。


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川魚屋「のとよ」の店先の足許で、こちらが売られていました。
スッポンとドジョウですが、どちらも生きています。
店員さんに頼めば、こちらは調理してもらえます。
実は撮影中ドジョウがよく跳ねていたのですが、
写真で見るとそのようには写っていません。


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そしてその脇に、ウナギとナマズが泳いでいました。
ナマズ1匹1,500円は安いですが、それほど大きくありません。


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「のとよ」の店頭では、こちらが売られていました。
奥のタニシの串焼きとウナギの蒲焼は淡水魚ですが、
手前のウズラ・スズメ・カモは「魚」ではなく、焼き鳥ですね。
ただ、ここを通り過ぎていかれた日本人観光客の一人が
スズメの焼き鳥を見て「ゲテモノ」とおっしゃっていました。
伏見稲荷大社の門前で売られているスズメの焼き鳥は、
今は亡くなった祖父が自分が幼いころに
たまに買ってきてくれた「御馳走」でした。
京都人の中には、住んでいる場所によりますが、
スズメの焼き鳥がソウルフードの方もいます。
(と言いますか、自分がそうです)
この一言が自分のそういう部分を否定された気がして、
ちょっと寂しく思いました。


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「のとよ」の前で、錦市場を西に向きました。
この日(2018年9月23日)は祝日だったので、
特に日本人観光客が多かったですね。
では、さらに西に進んでいきます。


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「のとよ」から、錦市場を西に約10m進みました。
こちらは抹茶スイーツを出す「一葉」です。
第428回ブログでは「のとよ」でタニシの串焼きを買った後、
こちらで冷えた抹茶を1杯戴きました。
そのときは立ち食い寿司屋で飲んだ酒に酔っていたので、
ここのお茶が格別においしかったのを覚えています。
(いい酔い覚ましになりました)
今回は全然酔っていないので、ここを素通りしました。


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その「一葉」の西隣に、こちらのお店があります。
丹波黒豆製品の専門と思いきや、
ドライフルーツなども販売しています。
こちらは黒豆茶を無料で振る舞っておられたのですが、
お茶を飲んだ方々を店内に誘導する手段として、
そのお茶を振る舞われておられていました。
(黒豆茶を飲むと、店の奥に茶器を返す都合上
店内を見て回らないといけないようになっています)
まぁそのお茶がとてもおいしく
中の商品も相当厳選されたものでしたが、
「食べ歩き」を旨とする錦市場で
その営業スタイルは合わないとも思います。


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その丹波黒豆屋さんの前で、錦市場を西に向いています。
左(南)側の鮮魚店(海水魚を売る店)の先で、
錦小路は麩屋町通と交差しています。


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錦小路から、麩屋町通を北に向いています。
約600m先に、第431回ブログで訪れた晦日庵河道屋があります。


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麩屋町通から、錦市場を西に向いています。
では、こちらを進んでいきます。


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こちらは、乾物屋さんの不二食品ですね。
内陸部の京都では、川魚以外にも海水魚の乾物もよく食べます。
身欠きニシンやニシンを入れた昆布巻きなどが売られています。


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不二食品の前で、錦市場を西に向いています。
右(北)側に、川魚屋さんの山元馬場商店があります。
第428回ブログではこちらでう巻きを買いました。


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さらに数軒西に、豆腐屋さんの近喜商店があります。
湯葉や麩以外に、おでん種になりそうなものも売られていました。


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近喜商店の前で、錦市場を西に向きました。
左(南)側に、「川」政という屋号の「海鮮魚」店があります。
ちょっと変わっていますね。
その店の西側で、錦小路は富小路と交差します。


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錦小路から、富小路を南に向いています。
約120m先で、富小路は四条通と交差しています。


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富小路から、錦小路を西に向いています。
ここから錦市場散策の後半が始まりますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ここから先は、次回にします。

~次回は富小路から高倉通まで、錦市場を散策します~

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プロフィール

ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

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いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
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京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
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こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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