第603回 錦市場散策 後編~錦小路東から西~その5

富小路から、錦小路を西に向いています。
前回ブログで錦市場の東半分を散策しましたが、
今回は残りの西半分を散策します。
撮影日は、2018年9月23日秋分の日の日曜日午後4時半。
今年(2018年)は、秋になった途端涼しくなりました。

富小路から、錦市場を約5m西に進みました。
こちらは、田中鶏卵です。
「鶏卵」と屋号にあるので鶏の卵も売っているのでしょうが、
卵焼き(だし巻き卵)の専門店というイメージが強いです。
食べ歩き用の「卵焼きの串刺し」は、もう売り切れていました。
(錦市場は、午後5時に一斉閉店です)

その田中鶏卵の2軒西に、三木鶏卵があります。
こちらも、卵焼き(だし巻き卵)専門店ですね。

ですから、錦市場の富小路付近には
卵焼き(だし巻き卵)の名店が2軒並んでいます。
いろいろ悩んだのですが、今回は三木鶏卵でこちらを購入しました。
「だし巻き小」480円です。

家に帰ってから、ウチの母と2皿に分けてみました。
フワフワとした食感と、甘いお味が特徴ですね。

三木鶏卵から、錦市場を西に約30m進みました。
南側に、漬物屋さんの老舗舛俉があります。
こちらは、看板商品「瓜の奈良漬け」ですね。
お店の方が一つ一つこうやって丁寧にかき回していくのは、
何だか「ぬか床」を育ているのと同じですね。

奈良漬けの瓜が肉厚で歯ごたえがありそうだったので、
これで1,000円するのですが、迷わず買ってしまいました。
包丁で切り分けてみると相当量あったのですが、
あまりに美味しくて撮影日から2日後には食べ切ってしまいました。

取りあえず、当座食べる1皿です。
これで全体の5%ですが、食が進んで1日にこれを10皿戴きました。
おにぎりに添えたり、これだけで熱燗の肴にしたり、いろいろです。

漬物屋さん桝俉の向かい(北)側に、焼き魚屋の魚力があります。
タイとハモの照り焼きが、メインのお店ですね。
ただハモの照り焼きと言えば錦市場の象徴のような一品ですが、
この日にこれを売っていたのはこちらだけでした。

その魚力の西隣が、鮮魚店の津乃利です。
こちらには、生のハモがたくさん売られていました。

その生のハモを眺めていると、(元々買うつもりでした)
こちらの店主がこのホタテ貝の串刺しを差し出してこられました。
そこで、お金を払ってこちらを買いました。
こちらをこの場で食べた後、目的のハモを買いました。

そのハモは、こちらの吸い物の具材になりました。
照り焼きは家で作るのが面倒ですし、
これだったらお吸い物を作れば後は生のハモを放り込むだけですし、
十分美味しくいただけますし……
この日(2018年9月23日)は、結構豪華な晩御飯でした。

鮮魚店の津乃利の向かい(南)側に、もちつき屋があります。
この日は秋分の日(2018年9月23日)で彼岸の中日だったので、
おけそくさんを買おうと思ったのですが、売り切れていました。
(京都では、墓参りの際にお餅を捧げます。
墓前用に形成されたお餅を「おけそくさん」と言います)
この日は亡き父の墓参りの帰りでしたが、
次の日も休日だったので、亡き祖父母のお墓に行きました。

もちつき屋の3軒西に、先述の「のとよ」の支店があります。
川魚屋さんなので、子持ち鯉の煮つけを売っていました。
こちらはさすがに食べ歩き用ではなくて、
家で晩御飯のおかずにするためのものですね。
子持ち鯉の煮つけは京都ではどちらかというと「御馳走」ですが、
年に何度か戴くほどには日常的に食べられるものです。
京都ではコイは「洗い」(刺身の一種)か、この煮つけで食べます。

子持ち鯉の煮つけの右側にタニシの串焼きを売っていて、
そのさらに右側にこちらを売っていました。
ここは川魚屋なのですが、焼き鳥ですね。
自分はこのブログで特集を書く程度には焼き鳥が好物なのですが、
この日探していたのは、エビ豆やフナ寿司です。
どれも売り切れていたり、予算より高かったりと、
予想外のことで購入は諦めました。
(「エビ豆」とは川エビと大豆の煮付けのことです。
こちらも京都人がよく食べる惣菜です)

その「のとよ」の支店の前で、錦市場を西に向きました。
錦市場は普段は中国人やヨーロッパ人が多いのですが、
この日(2018年9月23日)は祝日でしたので、大半が日本人でした。

その辺りに、こちらのお店がありました。
和傘専門店は珍しいのですが、2年前には無かったお店ですね。

川魚屋さんの「のとよ」の支店から、錦市場を西に向きました。
この少し先で、錦小路は柳馬場通と交差します。
左(南)側に飲食店がありますが、
2年前にここに来たときはフナ寿司のお店がありました。
だんだん錦市場から、「京都人の庶民の味」が減っていっています。

錦小路から、柳馬場通を北に向いています。
この柳馬場通は、約1,300m先の京都地方裁判所や
京都御苑のある丸太町通で突き当たります。

柳馬場通から、錦市場を西に向いています。
では、こちらを進んでいきます。

柳馬場通から錦市場を西に進んですぐに、鮮魚木村があります。
こちらも、海水魚卸売の老舗ですね。

こちらの店頭に、牡蠣(カキ)と雲丹(ウニ)が大量に並んでいました。
しかも、こちらは食べ歩き用らしいです。

という訳で、450円の牡蠣と400円の雲丹を頂きました。
醤油とワサビが付いていますが、
しっかり塩味が付いていますので調味料は不要です。
牡蠣の汁まで、おいしく戴きました。
(溢れだす汁が、貝類の醍醐味ですね)

その木村から、約30m錦市場を西に進みました。
南側に、錦まつむらへと続く路地が伸びています。
こちらは、自分が知る限り京都最古参のイタリア料理店です。
ちなみに、こちらへは「柳馬場四条上がる」からも入店できます。

その路地の前で、錦市場を西に向いています。
この先で、錦小路は堺町通と交差しています。

錦小路から、堺町通を南に向きました。
錦小路から約20m南に、錦湯という銭湯があります。
かなり古くからある銭湯ですが、自分もたまに入ります。
約100m南に四条通が伸びていますが、
その辺りのオフィスビル街のサラリーマンが、
退社後こちらに多く立ち寄られています。

堺町通から、錦市場を西に向いています。
そろそろ錦市場最西端が見えてきました。

堺町通から、錦市場を西に約10m進みました。
こちらのお店は閉まっているのですが、
そのシャッターに絵が描いてあります。

こちらが、そのシャッターです。伊藤若冲の代表作の模写ですね。
その伊藤若冲は、この錦市場と深い縁で結ばれています。
伊藤若冲は日本画家として有名ですが、
この錦市場で八百屋を経営していました。
(しかも、代々続く老舗でした)
さらに、この錦市場の年寄(役員)の一人でもありました。
しかも、この伊藤若冲が錦市場の年寄だったとき
現在の「西洞院松原」交差点付近にあった市場から
賄賂をもらった京都町奉行により
「錦市場の廃止」を言い渡されてしまいました。
そのため伊藤若冲は日本画家を一時的に廃業し、
約10年間にわたってこの錦市場の存続運動をしました。
実はこの時の伊藤若冲の活躍が無ければ、
錦市場は現存していませんでした。

そのシャッターの前で、錦市場を西に向いています。
錦小路最西端の高倉通まで、もうすぐですね。
右(北)側の和菓子屋に興味があったのですが、
この時点で予算を越えていました……
(具体的には、ここで買い物をすると帰りの電車賃がありません)

錦市場最西端に、豆腐屋さんの「そや」があります。
江戸時代、先述の伊藤若冲はこちらで八百屋を営んでいました。
ちなみに伊藤家は江戸時代を通して八百屋を経営していましたが、
(しかも、錦市場有数の大店でした)
幕末に事業に失敗して破産して、その直後大阪に移住されました。

その「そや」の前で、錦市場を西に向いています。
この先に高倉通が見えますが、ここで錦市場が途切れます。
つまり、ここが錦市場最西端です。
とは言え錦市場が途切れても、錦小路はまだまだ西に伸びています。
ですから錦小路編はまだまだ続くのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。
~次回は、烏丸通まで錦小路を西に進みます~
スポンサーサイト