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第653回 休日の二の丸庭園~GWの二条周辺~その1

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前回ブログで2019年の桜散策も、一段落しました。
ただ、まだまだ平常運転に戻る前にあちこち散策します。
実はウチの母と毎年GW中はあちこち散策していたのですが、
こちらのブログには挙げていませんでした。
(智積院とか三十三間堂とか、ウチの近所中心です)
まぁ、2019年はちょっとそちらも掲載しようと思います。
2019年は神泉苑に行きたかったのですが、
どうせなら先に近くの二条城にお邪魔します。
撮影日は、2019年5月2日木曜日午後0時半。
今上天皇即位2日目は、京都盆地が快晴でした。


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京都駅から地下鉄烏丸線に乗り北上して、
「烏丸御池」駅から東西線に乗り換えて1駅。
こちらは、京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅のホームです。
では、この階段から「二条城前」駅コンコース階に向かいます。


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京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅で、
階段を上ってコンコース階に上がってきました。
では、この先の改札口から「二条城前」駅を出ます。


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改札口を出て、東を向きました。
あちらに、京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅の
切符売場と周辺地図が並んでいます。
日本人以外にも多くの方々が、そちらを眺めていらっしゃいます。
では、約30m先のここの突き当りまで進みます。


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こちらが、その突き当りです。
二条城に向かうなら1番出口が便利で、
堀川通より東に用があるなら2番出口が便利です。
(例えば、第567回ブログに出て来た御金神社はここからが便利)
今回は二条城が目当てなので、1番出口を利用します。


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先程の位置で右(南)を向くと、1番出口に通じる階段があります。
では、こちらを上がります。


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京都市営地下鉄東西線「二条城前」駅1番出口から、外に出ました。
本当は入り口越しに写真を撮ったのですが、
地下と快晴の屋外とは明度が違いすぎて
白光して真っ白な1枚になってしまいました……
仕方がないので、押小路の歩道に出て1枚撮りました。

この押小路は、千本通~堀川通間は4車線の大通りです。
そして、千本通以西は御池通にいつの間にか吸収されます。
(その辺の境目が、はっきりしません)
その向こうに二条城の外堀があって、
さらに向こうに重要文化財の南東の物見櫓があります。


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地下鉄「二条城前」駅1番出口から、押小路を東に向きました。
次は、堀川通の横断歩道に向かいます。


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押小路から、二条城東側に伸びる堀川通を北を向きました。
では、この横断歩道を渡り二条城前に向かいます。


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先程の横断歩道を渡り、二条城の大手門前に来ました。
この辺りの堀川通には観光バスの停留所があったり、
市バスのバス停やタクシー乗り場があったりしました。
自分たちが乗って来た地下鉄の駅を含めると、
相当の方々が同時に集まっています。


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堀川通を北上していると、少々長い行列が伸びています。
こちらの行列は、切符売場から
この立札を持たれた方まで伸びています。

え~と、これって二条城に入る方々の行列でしょうか?
……いえいえ、二条城は有人切符売場が2ヶ所、
自動販売機が4ヶ所あって
修学旅行生が何組も同時に来られても対応可能のはずです。

立札を掲げられた方に尋ねたところ、
やはり二条城入場される方々の行列でした。
「地下鉄や市バスが来ると、一挙にたくさんの方々が来られて
この列が急に長くなっています」
夏休み昨年6月でも、そこまでにはなっていません。
正直、自分には生まれて初めての事態です……


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では自分たちもこの行列に参加して約10分後……
自分と母は自動販売機の前に来ました。
そこで、自分と母の分併せて2000円を納め
こちらの木戸から大手門前に移動します。


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二条城切符売り場脇の木戸から、堀川通を南下しています。
約100m先に、二条城大手門がありますね。


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二条城大手門前で、西を向きました。
では、こちらから二条城に入城します。


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二条城大手門をくぐってすぐ右(北)側に、こちらが建っています。
江戸時代当時は「番屋」と呼ばれていた建物で、
入城してきた方々をこちらで審査していました。
(ただし、ここで働く役人と大名や大名行列参列者は審査対象外です)


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二条城大手門をくぐり、二条城内で西を向いています。
左(南)側は現在の総合案内所で、右(北)側先程の「番屋」です。
次は、この突き当りの壁の前まで進みます。


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先程の壁に突き当たり、南を向きました。
トイレや管理事務所に先に行くなら北へ進みますが、
ここは順路通り進みます。
(そう言えば、自分が想定する正式順路通り行くのは初めてです)


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順路通り突き進むと、こちらが見えます。
この辺りが、二条城南東端ですね。
二条城の四隅に付いている重要文化財の物見櫓です。
駅から外に出た途端に見たものと、同じものです。


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二条城南東端から、西を向きました。
2015年にこちらに来たときは、
向こうの道からこちらに戻ってきました。


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先程の位置から約50m西に進み、北を向きました。
では、こちらの唐門から二条城二の丸に入っていきます。


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先程の唐門をくぐり、北を向いています。
ここから、目の前の二の丸御殿に入っていきます。
ただし、こちらは撮影一切不可なので写真はありません。
国宝二の丸御殿には目の前の下足場から入って、
遠侍→式台→黒書院→白書院という棟に向かいます。

二条城二の丸御殿は、江戸幕府の政治が行われた場所です。
江戸幕府の政治は元来江戸(現在の東京)で行われましたが、
滅亡するまでの最後の10年間は(1860年前後)
長州(山口県)など江戸幕府に反抗的な西国の諸藩を抑えるため、
当時の将軍徳川家茂は政治機能を
江戸の江戸城からこの二条城に移転しました。
1867年の大政奉還は二条城二の丸御殿の式台で行われました。


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二条城二の丸御殿は、出口・入口が同じ場所です。
約30分かけて、こちらを1周して同じ場所に戻ってきました。
現在2019年5月2日水曜日午後1時15分です。

先程の位置で、二条城内を西に向きました。
では、この先にある二条城二の丸庭園に向かいます。


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先程の位置から、約50m西に向かいました。
こちらに、そこそこ大きな梵鐘が置かれています。
この梵鐘は、江戸時代に(17世紀~19世紀)
京都所司代が実際に使っていました。
こちらを鳴らすことで、庶民に変事を知らせていました。
ですから、伊藤若冲らが焼け出された天明の大火
1864年の禁門の変直後のどんどん焼けでも鳴らされたのでしょうね。


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その梵鐘の西側に、大きな塀があります。
そして、その脇にこちらの門があります。
こちらを通り抜けると、二の丸庭園に入っていきます。


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二条城二の丸庭園に入ってきました。
二条城二の丸御殿の南西部に、こちらの庭園が設けられています。
目の前に、二の丸御殿の一部式台が見えます。
(大政奉還が行われた建造物ですね)


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先程の位置で、南を向きました。
こちらが、二条城二の丸庭園の一部です。
池の周囲にさまざまな大きい石が置かれていますが、
二条城築城の際徳川家康の機嫌を取るため、
各大名がこちらに送り届けたものです。

ただ、幕末になるとこちらは相当荒廃しました。
徳川慶喜など幕末の権力者が
「日本庭園」に興味がなかったことが主要因です。
ちなみにこちらを修復したのは、主に最近の京都市の功績です。


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二条城二の丸庭園で、式台の西側に来ました。
式台の先に、黒書院が南に伸びています。
二の丸は一つの建物なのではなく、幾つかの建物の集合体です。


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二条城式台方面から南に、二条城二の丸庭園を眺めています。
江戸時代にはこの正面から本丸の天守閣が見えたので、
(現在は取り壊されています)
当時はこの角度からの眺望が、さらに絶景だったそうです。


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式台の脇を西に進むと、今度は北に進路が曲がります。
こちらは、黒書院の脇です。


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今度は黒書院の前で、東を向きました。
こういう庭園は、同じ場所でも見る角度で眺めが変わりますね。


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黒書院の南東端で、西を向いています。
ここで、池のある日本庭園とはお別れします。
そして、塀の向こうの方に向かいます。


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先程の塀を通り抜け、さらに西に来ました。
ここも、二の丸庭園の一部です。
この辺の松が立派なのですが、
いつも庭師さんが手入れされている印象がありますね。


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同じ場所で、東を向きました。
こちらが、二条城二の丸御殿最深部の白書院です。
江戸幕府の歴代将軍が食事や就寝した場所です。
(将軍の政務は、黒書院で行いました)


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先程の位置で、さらに西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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こちらの道は、蛇行しながらも確実に西に向かっています。
では、あちらの門から二条城二の丸庭園を出ます。


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その門から、西を向いています。
門の先に、二条城本丸への門が見えます。
本丸は歴代将軍のより日常生活をする場所で、
軍事拠点の役割もあります。
ここから二条城本丸散策が始まりますが、
そちらは次回に掲載します。

今回は、ここまでです。

~次回は、二条城本丸を散策します~

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第654回 本丸はツツジが満開~GWの二条周辺~その2

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二条城二の丸庭園最西端の扉から、
さらに西の二条城本丸を見ています。
今回は、こちらの二条城本丸を散策します。
撮影日は、2019年5月2日木曜日午後2時。
ポカポカ陽気の散策日和でした。


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二条城内で、二の丸庭園からさらに西の道に出ました。
こちらの道は、二条城内を南北に貫いています。
その道で、北を向いています。
左(西)は堤防の先が堀で、たくさんの水を湛えています。
右(東)は、二の丸庭園ですね。(前回ブログで訪れました)
向こう(北)側の門の先が、次回ブログで訪れる清流園庭園です。


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同じ場所で、南を向きました。
こちらに、「コイのエサ」の自動販売機がありました。
お金を入れると、ここから固形のコイのエサが出てきます。


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本丸を取り囲むように、二条城内堀が掘られています。
こちらは滔々と水を湛えており、たくさんのコイが泳いでいます。


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二条城内堀の上に人影が見えると、コイがたくさん寄ってきます。
多分、先程の「コイのエサ」目当てでしょうね。
実際、多くの方々が先程のエサを放り投げておられます。
……しかし、ここのコイは本当に太くて大きいですね。


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そうこうしていると、こんな錦鯉が現れました。
背中の模様が、きれいですね。ちなみに、体長は50㎝位です。


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二条城二の丸庭園と本丸の間の道の上で、西を向きました。
では内堀に架かる橋を渡り、こちらから二条城本丸に入ります。

本丸の門の上が不自然に大きいですが、
こちらは彦根城などにもある「隠し狭間」(かくしさま)です。
江戸時代などにここまで攻め込まれたなら、
目の前の鉄門扉を閉め、門の上から鉄砲で撃ち返します。
そのため、門の上の壁は鉄砲が配置される位置だけ
すぐに削れるように薄くなっています。


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鉄門扉をくぐり、本丸に入ってきました。
こちらは、その門の裏側です。
「隠し狭間」に行ける梯子が用意されていますね。
先程の写真には、よく見ると石垣に穴が開いています。
実はこちらも「狭間」で、鉄砲を撃つことができます。
……ここの防備が、一番厚いですね。


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先程の鉄門扉をくぐり、二条城本丸を西に進みます。
石垣で囲まれた場所を進んでいきます。


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鉄門扉から本丸の道は、蛇行しながら西に向かいます。
そしてこちらの急な石段を上ります。


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石段を上り東を向き、本丸内から鉄門扉を撮りました。
鉄門扉を何とか突破した二条城を攻める軍勢がいたとして、
勢いよく攻め込むと曲がり切れずにこの真下で渋滞してしまいます。
すると、二条城の守備隊がここで相手の軍勢を囲み
そちらに向けて一斉射撃ができます。
例え後続の部隊が無傷でも、
前衛の部隊の死体が邪魔で前進できません。
そうして渋滞した後続部隊も、
先程の狭間から一斉射撃で倒すことができます。

……このような城の普請は、二条城に限らず
日本の多くの城の標準装備です。
ですから、本丸の城攻めは正面から攻めないのが鉄則です。


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同じ位置で、南西を向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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本丸内の庭園を南西に進みながら、南を向きました。
こちらの公園では、ツツジが満開ですね。


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本丸庭園を南西に歩いています。
右(北)側に見える本丸御殿は、現在修復中です。


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本末庭園をさらに南西に歩いています。
周囲の芝生は、通常立ち入り禁止です。


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本丸庭園の南西への道は、この三叉路で終わります。
では、ここから左(南)へ続く道を進みます。


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その道を進むと、すぐに二条城本丸庭園南西端に着きます。
そこからは、急な石段ですね。


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その石段を上っています。
とても急なので、滑り落ちたら大変ですね。
石段で、約10m上に登ります。


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急な石段を上りきりました。
すると10㎡ほどの空間が広がり、中央にベンチがあります。
こちらに、元々二条城天守閣が建っていました。
(明治維新で取り壊されました)
今では、こちらは公園になっています。


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二条城天守閣址から、北を向いています。
ここは二条城の中でもいちばん高いところで、
京都タワーが無かったころは、ここが京都市街地で
いちばん高いところの一つです。
(尤も京都盆地は平らではなく、東寺の五重塔の天頂部と
北大路の地面は同じ高さですが……)
ですから、こちらは展望台としての役割もあります。


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では、こちらから二条城本丸庭園に戻ります。
また、この急な石段を利用します。


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二条城天守閣址地から、急な石段で下りています。
気のせいか、上りよりも下りの方が石段を急に感じますね。
滑落しないように気を付けながら、こちらを下ります。


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急な石段を下り切りました。
こちらにも、満開のツツジが見えますね。
ここから、修復中の二条城本丸御殿がよく見えますね。


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すると、目の前に先程の三叉路が現れます。
先程は右側から来ましたので、今度は左側に進みます。


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その三叉路で、左(西)を向きました。
向こうの塀を越えると、本丸庭園を出ます。


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二条城本丸御殿を出て、その塀より西側の様子です。
すると、二条城本丸御殿が鉄壁と足場に囲まれており、
まるで工事現場でした。(ある意味、工事現場なのですが……)


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こちらが、二条城本丸御殿です……完全に工事現場ですが。
普段の二条城本丸御殿の様子は、こんな感じです。
(第569回ブログを参照)


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まぁ二条城本丸御殿は非公開なので、普段も素通りです。
では、他の方々と一緒に順路通り本丸を出ます。


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二条城本丸御殿から、蛇行しながら西に進んでいます。
石垣から見る高さやこの蛇行する様子も、先程の正面と同じですね。
やはり、軍事的な理由でこうなっているのでしょうね。


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二条城本丸御殿から、蛇行しながらも西に向いています。
では、この内堀に架かる橋を渡ります。

ここも内堀なのですから、先程のコイが大量にいるはずです。
ただ、こちらにはコイの姿はありませんでした。
餌をあげる方々の数が、そのままコイの数なのでしょうね。


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二条城本丸御殿前から内堀に架かる橋を渡り、
そのまま西を向いています。
目の前の枝垂桜は、GW中になると完全な葉桜ですね。
二条城の南西部は、京都屈指の桜の名所です。
このまま西に進むと、大きな休憩所とトイレがあります。
ちょうどこの辺りが、二条城散策の中間点です。


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先程の場所から、北を向きました。
桜並木は完全に葉桜ですが、植え込みのツツジは満開です。
二条城には何種類もの花々が植えてありますが、
GW中はツツジが見ごろですね。
ということは、嵐山の天龍寺辺りも綺麗でしょうね。


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こちらは、道端に咲く満開のツツジとその周辺です。
桜並木の間は芝生ですが、よく見るとタンポポも満開ですね。
こちらは意図して植えられたのではなく、自生しているものです。
二条城は、こういう花々も見ていて飽きません。


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ツツジやタンポポを堪能しつつ、二条城内堀の脇道を北上します。
内堀とこちらの道との間に、細長い土蔵が建っています。
こちらは重要文化財の米蔵です。この周辺には土蔵が多いですね。


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そうこうしているうちに、二条城内の北西端まで来ました。
こちらから北西は立ち入り禁止ですが、
この先に重要文化財の物見櫓が建っています。
ここからは見えませんが、「竹屋町美福」交差点ならよく見えます。


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二条城北西端から、東を向いています。
ここから二条城の周囲を北側から大手門を目指しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、二条城の休憩所でまた抹茶パフェを戴きます~

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第655回 二条城抹茶パフェ再び~GWの二条周辺~その3

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二条城の北西端から、東を向いています。
今回はこのまま東に進みつつ、清流園庭園や休憩所に寄ります。
昨年(2018年)以来の抹茶パフェを頂きました。
撮影日は、2019年5月2日GW木曜日の午後2時半。
日差しが強い散策日和の昼下がりです。


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二条城北西端から、約30m東に向かいました。
こちらで、なぜかカエデが紅葉に染まっていました。
初夏に紅葉は珍しいからか、多くの方々が撮影されていました。


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そのカエデの前で、二条城内で東を向きました。
左(北)側には様々な木々が生い茂っていますが、
右(南)側は松並木がずっと続いていて……
そのさらに右(南)には内堀→石垣→本丸が見えます。


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二条城北西端から、二条城北側の道を約100m東に進みました。
すると、道が石垣で隔てられます。


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こちらは、需要文化財二条城北仕切門です。
ちょうど南側にも、需要文化財二条城南仕切門があります。
もちろん軍事上の事情で作られた門です。
昔から日本では築城などの際に、長距離の直進を避けます。
(都市部の通りで、筋違いなどを作る理由でもあります)
こちらも、その直進を避けるためのものです。
(北仕切門は第570回ブログ、南仕切門は第338回ブログ参照)


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重要文化財二条城北仕切門をくぐり、東を向きました。
すると、左(北)側にせまい竹林の脇に細長い石庭が伸びています。
右(南)側は、相変わらず二条城本丸を囲む内堀です。


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こちらが、その石庭です。
道沿いに、そこそこの大きさの石が並んでいます。
こちらは、ここ数十年に造られたものでしょうね。


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その石庭の東端で、北を向きました。
こちらから、この北に大きな庭園があります。
そちらが、前回ブログでも触れた清流園という日本庭園です。
では、こちらにお邪魔します。


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清流園庭園に入り、すぐに西を向きました。
こちらに東西に長い池があって、
その西端に「和楽庵」という茶室があります。
そちらに前田珈琲のテナントが入っていまが、
この日(2019年5月2日)は開いていません。
この日の午前中に清流園で茶会があったようなので、
多分その影響でしょうね。


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今度は、同じ位置で北を向きました。
細長い池の先に、清流園のもう一つの茶室「香雲亭」があります。
こちらも閉まっているので、素通りします。


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さらに同じ位置で、南を向きました。
約10m先に、先程まで歩いていた道が見えますね。
その先の内堀ですが、ここから南へと折れ曲がっています。
この辺りが、二条城二の丸庭園と本丸との境目ですね。


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そして、同じ位置で東を向きました。
いろいろ枝分かれしていますが、ここから小径が伸びています。
では、こちらの小径で東を向かいます。


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辺りを散策していると、こちらでもツツジが満開でした。
右側に大きな岩が並んでいますが、
自分には海豹(アザラシ)のように見えます。



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海豹の岩付近で、さらに東を向きました。
では、この東に進む小径をさらに進んでいきます。


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先程の小径は、だんだん南南東に進路を変えます。
やがてこの道は清流園を出て、今回ブログ最初の道に合流します。
多分、ここでこの日の茶会の受付をしていたのでしょうね。


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清流園を出て先程の道に戻り、東を向いています。
桜並木(二条城は京都屈指の桜の名所)は、完全に葉桜ですね。
左(北)側は先程の清流園がまだ続いており、
右(南)側は塀の向こうに二の丸御殿が建っています。
ポカポカ陽気の昼下がりですから、完全にお散歩日和ですね。


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清流園を出て、こちらの道を約100m東に進みました。
ここで、左(北)に脇道ができます。


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二条城北側の道(ここまで歩いてきた道から、北を向きました。
向こうに二条城北門があって、その先が竹屋町通です。
こちらは一般観光客は立ち入り禁止ですが、
二条城の職員や庭師などの業者はここを出入りします。


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先程と同じ位置で、東を向きました。
では、こちらを二条城北東端まで進みます。


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その道を東に進みながら、北を向きました。
こちらに公園のような場所があるのですが、立ち入り禁止です。
何の施設か、よく分かりません。


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二条城北東端まで北ました。ここでこの道は南へ折れます。
ここより左(北)に折れると、公衆トイレがあります。


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二条城北東端から南を向くと、こちらの建物があります。
二条城の宝物の収蔵館です。
二条城内の文化財は、保存の観点でこちらに収納されています。
(二の丸などには、レプリカが展示されています)
そして、こちらの展示室でその中から幾つか公開されています。
入城料とは別料金になりますが、(大人一人100円)
こちらは全て「本物」が展示されています。


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二条城展示収蔵館の南隣に、こちらの休憩所があります。
こちらは「無料」休憩所なので無料で休憩ですが、
土産物屋さんや飲食店がテナントが入っているので、
こちらも利用できます。


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こちらが、その無料休憩所の内部です。
この日(2019年5月2日)はGW真っ最中なので、
日本人の家族連れがいちばん多かったですね。
ただ、やはり中国人(大半が家族連れ)
アメリカ人もたくさんいらっしゃいました。


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こちらは、昨年(2018年)以来の抹茶パフェです。
ここ1年でメニュー設定が変わっており、
550円のアイスクリームに(茶色いのがほうじ茶アイス)
別料金のトッピングを載せるかたちです。
昨年通りにトッピングすると1,500円くらいかかりそうですが、
ちょっと省略したら800円くらいで食べられます。
ウチの母がほうじ茶アイスベースで、
自分が抹茶アイスベースを戴きました。
アイスクリーム以外は甘い蜜に漬かった白玉、
小豆餡・黒豆甘納豆・栗・八つ橋が入っています。
やはり、焼いた八つ橋は外せませんね。


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抹茶パフェを食べ終わり、無料休憩所を出ました。
休憩所の向かい(西)側は第653回ブログにの二条城二の丸ですが、
こちらから入るとハローキティーによる催し物に行けます。
ただ、時間がないので素通りします。


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無料休憩所の前で、二条城内を南に向きました。
展示収蔵館→無料休憩所→公衆トイレ→管理事務所と、
左(東)側は並んでいますが、
右(西)側は二の丸の土塀が続きます。
では、こちらを南下します。


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こちらが、京都市が運営する二条城管理事務所です。
(近年、二条城の管理は宮内庁から京都市に移転しています)
昨年(2018年)こちらにお邪魔した際、二の丸・本丸などの施設や
抹茶パフェの掲載許可をとるために
こちらにお邪魔したのですが、
そのときは二つ返事で許可を頂きました。
今回は休日で忙しそうなので、(昨年お許しが出ているので)
こちらに立ち寄らずに二条城をブログ掲載しています。


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二条城管理事務所の前で、南を向きました。
目の前の方々と一緒にこちらの門をくぐると、
第353回ブログ以来の二条城散策を一周したことになります。


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先程の門をくぐり、南を向いています。
こちらをまっすぐ進むと、二条城二の丸の唐門に辿り着きます。
(第653回ブログを参照)


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同じ場所で、東を向きました。
左(北)側は江戸時代に利用した番屋で、
右(南)側は現在利用されている総合案内所です。
では、ずっと先の大手門から二条城を出ます。


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二条城大手門脇に、案内のパンフレットがありました。
日本語以外にも、英語・中国語・韓国語・スペイン語以外にも
アラビア文字で書かれたものもありました。
日本語以外にも英語・中国語・韓国語版を手に取りましたが、
結局日本語版と同じことが書いてありました。


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二条城大手門をくぐり、東を向いています。
青空と堀川通の向こう(東)側に、大きな建物が見えます。
あちらは、全日空が経営するホテルですね。
その右(北)側にも、新しいホテルが建設中ですね。
(第571回ブログを参照)


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先程と同じ位置で、南を向きました。
では、目の前の木戸をくぐり堀川通に出ます。


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二条城の木戸をくぐり、堀川通を南下しています。
現在2019年5月2日GW中の午後3時ちょっと前です。
ここに来た2時間半前よりも、
明らかに入城待ちの行列が倍以上伸びています。
もう押小路近くまで、その行列が伸びていました。


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「押小路堀川」交差点で、南を向いています。
では、この横断歩道を渡り押小路南側歩道に移ります。


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堀川通から、押小路を西に向いています。
この左(南)側に、第653回ブログ最初の
地下鉄「二条城前」駅の入り口があります。
ただ今回のGW散策はのメインはあくまで神泉苑なので、
ここから押小路を西に向かいます。


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堀川通から、押小路を約50m西に進みました。
右(北)側は二条城の外堀が続きますが、
左(南)側に猪熊通が伸びています。


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押小路から、猪熊通を南に向いています。
約400m南に、三条会商店街が続いていますね。
(第58回ブログ参照)


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岩上通から、押小路を西に向いています。
ここから200mほどで神泉苑なのですが、
もう今回もだいぶ写真を貼り付けました。

今回は、ここまでです。

~次回は、神泉苑の例祭を取材します~

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第656回 神泉苑祭のツツジ~GWの二条周辺~その4

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前回ブログで二条城を出て、
堀川通から押小路を50m西に進み、黒門通脇まで来ました。
今回は、近隣の神泉苑の例祭にお邪魔します。
時節柄、ツツジが満開でした。
撮影日は、2019年5月2日GWの木曜日午後3時過ぎ。
相変わらず、ポカポカ陽気の昼下がりです。


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押小路から、黒門通を南に向いています。
この少し南に「ミズノ」というキムチ屋さんがあったのですが、
壬生に引っ越しました。(詳細は、こちらをクリックしてください)


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今度は、押小路から黒門通を北に向きました。
二条城外堀の先に、二条城「黒門」があります。
この道は、この門が名称の由来です。
ただ、残念ながら舟が無いと中にはここから入れません。


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黒門通から、押小路を西に向いています。
約50m先に信号が見えますが、その辺りが大宮通です。


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押小路から、大宮通を南に向いています。
大宮通は二条城でいったん途切れますが、
二条城北端の竹屋町通から、また北に伸びています。

押小路から10m南に中二階で古い京町家が建っています。
こちらは、京都でも特によく知られた駄菓子屋さんの格子屋です。
では、こちらにちょっとお邪魔します。


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こちらの格子屋では、この4品を買いました。
左の煎餅には砂糖がかけてあります。
「どろぼう」や「かりんとう」など黒糖ベースのお菓子が
自分の好物なのですが、
抹茶などで味付けした「梅鉢」もおいしいですね。


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駄菓子屋の格子屋から、大宮通を約30m南下しました。
京町家の1軒が、自動車の修理工場です。
京町家の工場は、西陣などに時々ありますね。


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押小路から、大宮通を約100m南下しました。
ここで大宮通は、御池通と交差します。


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大宮通から、御池通を西に向きました。
では、ここからはこの御池通を西進します。
約50m先に、「神泉苑祭」の紅い幟が建っていますね。


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大宮通から御池通を約50m西に進み、北を向きました。
確かこの辺りの建物が、神泉苑狂言の舞台です。
自分は何度かGW中にこちらで狂言を見ましたが、
近年の例祭期間中に狂言は行われないようですね。


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先程の位置から御池通をさらに20m西に進み、北を向きました。
ではこの鳥居をくぐり、神泉苑に入ります。


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先程の鳥居をくぐり、北を向いています。
この日(2019年5月2日)から5月4日まで、
神泉苑では例祭が行われておりました。


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先程と同じ位置で、北東を向いています。
神泉苑は、境内の半分以上がこのように大きな池です。
ですから、この神泉苑南側の「御池」通の名称の由来は
この神泉苑の池だったりします。

794年この京都に平安京(要するに首都)が造営された際、
風水(地理による縁起担ぎ)上の理由で、
鞍馬山→船岡山→城南宮と結ぶライン上に池が作られました。
これが、この神泉苑の縁起です。
ちなみに、京都には「レイ=ライン」と呼ばれる
不思議な「直線状に並ぶ施設群」がたくさんありますが、
それらは全て人工的に測量したうえで並べたものです。
(つまり、オカルト的な要素はまったく存在しません)


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先程の位置から、約10m北上しました。
こちらは、神泉苑境内の池に上に浮かぶ小島です。
東側に、台の上に祠がいらっしゃいます。
祠が台の上にいらっしゃるのは年に1回方位を変えるためで、
(こちらの台は、回転できます)
こちらは方位としての干支をご祭神とする恵方神社です。
では、今年(2019年)の方位を向いてお参りします。


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先程の鳥居から北上すると、こちらの善女竜王社に辿り着きます。
ご祭神は、善女竜王です。
龍神で水神ですが、そもそも神泉苑は
「平安京に恵みをもたらす龍神の休憩所」
という役割ですから、この池そのものがご神体とも言えます。
例祭期間中ですから、社の周囲に供え物が並んでいますね。


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善女竜王の脇に、こちらの神輿が飾ってありました。
善女竜王社の社が毎年5月4日にここに乗り、町内を練り歩きます。
とても重くなるので、担ぐのではなく滑車を転がし進みます。


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善女竜王社の西側から、法成橋が伸びています。
次は、こちらを渡り小島を出ます。


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先程の位置から西を向き、法成橋を渡ります。
この日(2019年5月2日)は例祭期間中で
境内のツツジがちょうど見ごろだったので、
たくさんの参拝者がいらっしゃいました。


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法成橋を渡る途中で、北を向きました。
神泉苑の池を眺めています。
神泉苑境内には枝垂桜が多いのですが、
ツツジも多くてそちらがちょうど見頃ですね。


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法成橋を渡ると、神泉苑境内西側に辿り着きます。
さらに西に、神泉苑本堂があります。ご本尊は、聖観音です。
神泉苑は神道系の神社と思われがちですが、
実は密教系の(真言宗)仏教寺院です。
この時間帯に(午後3時半)例祭の一環で
大般若経の読経が行われておりました。
1枚写真を撮ろうと思ったのですが、
「撮影禁止」の札が貼ってありました。
ちなみに、こちらの僧侶は本堂の後
善女竜王社でも読経されておりました。
(そちらも、写真はありません)


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善女竜王社の大般若経読経が、終わりました。
自分と母は法成橋の西詰にいて、北を向いています。
この左(西)側が、神泉苑本堂です。
では、この細長い参道を北上します。


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先程の位置から、神泉苑の細長い参道を北上しています。
この辺りがいちばんツツジの密度が濃く、
そのためたくさんの方々が、写真を撮るのに熱心です。
おかげで、人口密度が高いですね。


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その細長い参道の途中で、左(西)側を向きました。
看板には「平安殿」と書かれていますが、
こちらは祇園に本店がある平八の支店です。
中は大きいので、修学旅行生など団体も受け入れています。


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神泉苑平八の店頭で、北を向いています。
ここに、橋が架かってますね。


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その橋の上で、左(西)を向きました。
こちらは一見すると家鴨(アヒル)なのですが、
よく見ると白鳥ですね。
……って、ロシアには帰っていないのですね。
(日本の白鳥は、春から夏はロシアで暮らす渡り鳥です)


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今度は橋の上で、右(東)を向きました。
こちら側だけでなく、向こう岸もツツジが満開ですね。
こちらの舟は、有料で乗ることができます。
先程の平八の所有で、舟上で食事を摂ることもできます。


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さらにこの橋の上で、北を向きました。
では、向こうに見える神泉苑北門から神泉苑を出ます。


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神泉苑北門を出て、北を向きました。
目の前の大通りは先程登場の押小路で、
この先に二条城外堀とその石垣が見えますね。
このように、二条城と神泉苑は隣接しています。

徳川家康は神泉苑を取り壊して二条城を築城した
これはある意味京都人の常識ですが、
二条城外堀の修復工事前の発掘調査で、
神泉苑の池は平安時代から位置と大きさが同じと分かりました。
(とはいえ、徳川家康は神泉苑の原生林をすべて伐採し、
池の水の一部を二条城外堀に引いたのは事実です)


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神泉苑北門前で、押小路を西に向いています。
では、約50m先の神泉苑通まで進みます。
押小路は約400m先で千本通と交差しますが、
その千本通より西は「御池通」と名を変えます。


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押小路から、神泉苑通を南に向いています。
次に、こちらを南下します。


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押小路から、神泉苑通を約100m南下しました。
ここで神泉苑通は、御池通と交差します。

神泉苑通はここで突き当たっているように見えますが、
筋違いでさらに南下し約250m先の三条会商店街に辿り着きます。


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こちらの交差点の南西角近くが、京漬物の赤尾屋本店です。
今回は、ちょっとお邪魔します。


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まぁ時節柄千枚漬けは、全くありませんでした。
(千枚漬けは、晩秋~冬の食べ物)
今は(月初旬)は初夏なので、夏野菜が旬ですね。
ですから、こちらの水ナスの漬物を買いました。
水ナス独特のエグミと塩加減が絶妙でした。
もう1品は店主お勧めの「ぴり辛白菜」です。
こちらは、小エビなど動物性調味料やニンニクは使われていません。
京都の伝統的な手法で漬物を製造しています。
(漬ける直前で、唐辛子を入れています)
ですから、こちらはキムチではありません。
ただ京都の漬物も発酵していますので、独特の風味を味わえます。
……実は自分が食べようとする前に母が全部食べたので、
味の詳細は分かりません……


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赤尾屋の前で、御池通を西に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


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御池通を西に進んでいます。
こちらに刀剣を販売するお店がありましたが、
江戸時代ここには小浜藩の藩邸がありました。


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その辺りの御池通で、西を向いています。
もう観光地ではないので、あまり人がいらっしゃいません。


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その辺りで、御池通は美福通と交差します。
ここを北上すると、二条城西端に到達します。


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神泉苑通から、御池通を約400m西に進みました。
ここで御池通は、千本通と交差します。


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御池通で、千本通を西に渡りました。
この辺りの生垣は大半がツツジですが、ちょうど満開でした。


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その辺りで、西を向きました。
この先にJR「二条」駅が見えます。
ではここから京都駅に向かい、帰宅します。

これで、2019年GW散策を終了します。

~次回は、葵祭を観覧します~

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第657回 丸太町から河原町へ~葵祭 2019~その1

今年も、また葵祭の時期がやって来ました。
毎年巡行行列を観覧する場所を変えていきますが、
今年は、「丸太町河原町」交差点に行きます。
葵祭の巡行行列は、御所内部堺町御門と丸太町通を東進します。
今回は、直後の「丸太町河原町」交差点で葵祭巡行を取材します。
その後この葵祭巡行は、「今出川河原町」交差点出町橋
下鴨神社へと向かいます。
葵祭巡行は、午後になると
さらに北にいらっしゃる上賀茂神社に向かいます。
ただ、そちらは自分の仕事の関係で取材できません……
では、2019年の葵祭を観覧していきます


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約1カ月半ぶりの京阪電鉄「神宮丸太町」駅です。
今回はここから西に進み「丸太町河原町」交差点に向かい、
その位置で葵祭巡行行列を観覧します。
撮影日は2019年5月15日水曜日午後10時10分。
……って、予定より大幅に遅れています。


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通常ならこの「京の道 今日の道」では、
駅のホーム→コンコース階→出口へと向かい、
そこからこの辺りの写真を載せるのですが、
何しろ遅刻していますので、省略しています。
京阪電鉄「神宮丸太町」駅3番出口から出て、
(第644回ブログでは2番出口を利用)
「丸太町川端」交差点北英角から、さらに西を向いています。
では、ここからさらに西に進み
鴨川に架かる丸太町橋を渡ります。


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丸太町橋から、鴨川の北西を見ています。
この草むらの中でタンポポが満開だったのですが、
こうして写真にするとよく分かりませんね。


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丸太町橋を渡り、丸太町通をさらに西に向いています。
この辺りで「京都左京区」から「京都市上京区」に移ります。
そして、さらに西に進みます。


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丸太町橋から、丸太町通を西に約200m西に進みました。
こちらが、今回ブログの目的地「丸太町河原町」交差点です。


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「丸太町河原町」交差点北東角に陣取りました。
街路樹の間に、タンポポが咲いていました。
カメラをちょっと下に向けると、こんな構図になります。


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「丸太町河原町」交差点北東角から、西を向いています。
この250m先に、京都御所堺町御門があります。
現在2019年5月15日午前10時半。
行き交う自動車の様子を見ていると、
すぐに巡行行列がやってくる気配がありません。
自分はここに来るのに遅刻しましたが、
巡行行列の方も少々遅れ気味のようです。


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2019年5月15日午前10時40分になりました。
河原町通の北行き車道に、変化がありました。
北上する直進ルートの車道に、コーンが立てられます。
ここから河原町通は、丸太町通以北直進が禁止です。


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この時点で、2019年5月15日午前10時45分です。
「丸太町河原町」交差点北西角にも、コーンが立てられました。
この交差点の交通規制が、この時点で本格化します。


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2019年5月15日午前10時50分。
京都御所堺町御門から、京都府警のパトカーが来ました。
では、いよいよ2019年の葵祭巡行行列が
この「丸太町河原町」交差点にやって来ました。


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京都府警のパトカーがこの交差点で進路を変え、
河原町通を北上します。
その後に、京都市役所広報の青い自動車が続きます。


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京都市広報の青い自動車の後、先導者が騎馬で現れます。
2014年には2名の女性制服警官が先導されていましたが、
今年(2019年)は検非違使装束の2名の男性が、
騎馬姿で葵祭巡行行列を先導されます。


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先導の検非違使による騎馬の後も、
束帯姿の検非違使が馬に乗って行進されます。
検非違使(けびいし)とは平安時代の警察官のことで、
この巡行行列を警備する近衛兵として随行しております。

その周囲に、徒歩の白装束姿の方々がいらっしゃいます。
こちらは騎乗の検非違使の従者役をされています。
検非違使所有の槍や弓矢などの武器、
日用品を入れた葛籠を持ち、検非違使の周囲に帯同されます。


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その後に、臙脂色や群青色の徒歩の束帯姿の方々が通過されます。
こちらは従者ではなく、検非違使の方々です。
こちらの方々は、帯刀以外に弓矢などで武装されています。


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そして、さらに騎馬や徒歩の検非違使隊列が続きます。
実はこの検非違使隊列が行列全体の60%ほどなのですが、
この時点で相当数の検非違使がこの交差点を通過されています。
昨年(2018年)は葵祭巡行行列をほぼ全員撮ることができたのですが、
今年(2019年)の「丸太町河原町」交差点では
対向車線の自動車が邪魔になって半分くらいしか撮れません……
ですから、今年は写せていない方がたくさんいらっしゃいます。


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槍持ち・葛籠持ちの後方に、騎馬の検非違使がいらっしゃいます。
馬がかなり車道の中央に寄って来られたのは、
馬が興奮して愚図ったからです。
「馬が興奮するので、警笛を鳴らさないで」
馬の轡を持たれた方が、交通警官に叫んでおられました。


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検非違使の中に、お稚児さんが随行されます。
ヒョウ柄(!)の束帯姿の方は、七支刀のように
枝が付いた槍を持たれています。
その後ろに、山城の使(やましろのつかい)が
騎乗にいらっしゃいますね。
平安時代は、検非違使の上司に当たる方でした。


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葵祭巡行行列が、立ち止まっています。
市バスなど相変わらず運行されているので、
時々巡行が中断されます。
市バスが通行中のときは、写真を撮っていません。


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その後から、お稚児さんが歩いてこられました。
さらにその後から、虎柄の毛皮と大きな傘が続きます。
どちらも、葵祭巡行行列に何度か随行されるものです。


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さらに、群青色の束帯姿の方々が通過されます。
こちらは検非違使ではないようですが、
自動車や市バスの通過で何人か見逃したので、
実は状況が詰めていません……


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その後を白丁に担がれた櫃が運ばれていきます。
こちらはご神体そのものではなく、
上賀茂神社や下鴨神社にいらっしゃる神様への貢ぎ物です。


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御幣櫃(供え物が入った櫃)の後から、騎乗の
内蔵寮史生(くらりょうのししょう)が続きます。
御幣櫃の管理者で7位に位置する貴族です。


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内蔵寮史生の後から、さらに空馬が続きます。
こちらは、おそらく内蔵寮史生の乗り換え用の馬ですね。
……毎年、白馬は愚図るものが多いですね。
その後から、馬寮使(めりょうのつかい)が続きます。
こちらは馬を管理する役人で、下級貴族でもあります。


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その直後に、牛車が通過します。
庇に飾ってある藤の造花が、きれいですね。


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牛車が、「丸太町河原町」交差点を左折します。
臙脂色の束帯姿のお稚児さんが、牛の轡を引かれています。
本来こちらには勅使が乗られるのですが、
近年は空(だれも乗らない)のまま運行されます。


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牛車の後を別の牛が通過します。
こちらは、牛車の乗り換え用の牛です。


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その長い木箱を持った白丁の後、
また騎乗の検非違使が続きます。


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検非違使が、その後に続かれます。
またしばらく、武装された束帯姿の方々が並んでおられます。


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騎乗の検非違使が、数人通過されました。
ここから、徒歩の検非違使が続きます。


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この直後に、こちらの方が通過されました。
馬が、まっすぐ歩いていません。


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どうやらこちらの白馬が、愚図っています。
どうも自動車が動く音と、交通警官の警笛の音が
馬を興奮させる要因のようです。


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勅使役の方の後を徒歩の検非違使が続きます。
そろそろ本列も、終わりに近づいています。


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その直後に、空馬とお稚児さんが続きます。
その周囲を様々な色の束帯姿の方が続きます。


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続いて、紅白のボタンの造花が付いた傘が通過します。
とてもきれいな色合いですね。


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さらに、身分の高い貴族の束帯を身に付けた方が通過されます。
こちらは、5位の内蔵使(くらつかい)でしょうね。


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さらにその後から、勅使役の方が通過されます。
天皇の代理と考えられる上級貴族で、
平安時代は左大臣や右大臣、大納言に次ぐ地位の
近衛中納言が務めておりました。
(御前会議で意見を述べることができる最高権力者の一人です)


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さらに勅使役の方の後に、日用品や武具を持たれた白丁と
検非違使の方々が続きます。


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こちらの方々で、本列の検非違使が全員通過されました。
その後から、黄色い傘が見えてきました。


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黄色いツツジの造花が付いた傘で、葵祭本列巡行行列が終わります。
お気づきでしょうか?ここまで全員男性で構成されていました。
平安時代に葵祭が始まって以来、
「本列巡行行列」は全員男性で構成されています。
実際、葵祭巡行行列は1960年ごろまでこれで終わっていました。
1960年ごろ以降は、(つまり現在は)
ここから女性中心の隊列が続きます。
それを「斎王代列」と呼ぶのですが、それはここから始まります。
つまり、ここからは大半が女性の巡行行列です。

ただ今回はだいぶ写真を貼り付けましたので、
ここから先は次回とします。
今回は、ここまでです。

~次回は、その「斎王代列」を取材します~

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第658回 斎王代列北上~葵祭 2019~その2

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黄色いツツジの造花が付いた傘が、
ここ「丸太町河原町」交差点を通過します。
現在「丸太町河原町」交差点北東角で、
北西角の辺りに向いています。

葵祭巡行行列本列はこの黄色いツツジの傘で終了しました。
平安時代ならこれで終わりなのですが、
1960年ごろから、女性を中心にした「斎王代列」が
「本列」の後から続きます。
今回は、葵祭巡行行列後半の「斎王代列」を取材します。
撮影日は、2019年5月15日水曜日午前11時半。
お祭り日和の快晴でした。


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葵祭本列と斎王代列の間が毎年大分空いている印象があるのですが、
2019年はその間が約100mもないようです。

斎王代列の先頭は、弓矢で武装された検非違使隊列です。
検非違使は平安時代の警察官で、近衛兵でもあります。
つまり、斎王代列の先頭も男性による隊列です。
その後に、白丁(従者役の方々)が
傘持ちをされている隊列が続きます。


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その白丁が傘を差しかけているのは、
平安時代の采女の扮装をされた女性です。
ですから、衣裳も十二単ではなく采女衣裳です。


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その後を傘持ちを伴わない女房(女官)姿の女性が、
徒歩で通過されていかれます。
葵祭巡行の男性は烏帽子に葵の葉を付けていらっしゃいますが、
女性は誰も葵の葉を身に付けていらっしゃいません。

……だんだんと後方の斎王代が載られた輿が
「丸太町河原町」交差点に近づいてまいりました。


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さらに、斎王代を載せた輿が近づいてこられました。
その手前に徒歩で行進される女房(女官)がいらっしゃいますが、
白い小袖を着こなされておられるのは白拍子でしょうか?


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こうして見ると、女房(女官)一人に
複数の男性が付いているのが分かりますね。
葵祭斎王代は、「丸太町河原町」交差点目前にいらっしゃいます。


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いよいよ葵祭巡行行列のメイン斎王代の輿が、
「丸太町河原町」交差点に入ってきました。
斎王代が載っておられる輿の周囲を
小学校高学年くらいの方々が取り囲まれています。


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丸太町通を東進されてきた斎王代を載せた輿が、
この交差点で河原町通を北上されていきます。
輿を担がれておられる方々は、そのまま方向転換されます。
祇園祭のように、交差点で輿を持ち上げて
クルクル回転されることはありません。
(第408回ブログを参照)
まぁそんなことをされては、斎王代が目を回されてしまいますが……


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斎王代を載せた輿が、河原町通を北上していきます。
こちらの輿は祇園祭の「山」より小さいので、
担がれる人数も少なめです。


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斎王代を載せた輿の後から、こちらが続かれます。
多分小学校低学年のお稚児さんです。


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斎王代を載せた輿の後は、こちらの女房(女官)が徒歩で来られます。
こちらの女房は、先程よりも采女装束の色合いが派手ですね。


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まだ少し徒歩の女房が続かれます。
その中心に、白拍子姿の方々が2名いらっしゃいます。


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さらに、その後ろを騎乗姿の采女装束の方々が通過されます。
馬に乗った采女衣裳はかなり映えるのですが、
2014年のように大雨が降ると目も当てられないことになります……
(総額数千万円分もの衣裳が、全廃棄になりました)


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騎乗の女房の脇を岡持ちを担いだ白丁が随行されます。
槍を持った白丁もいらっしゃいますが、
それも騎乗の女房のものという設定でしょうか?
(巴御前のような女性の侍は、当時は例外中の例外です)


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その後を徒歩の女房が、通過されます。
写真中央の槍は、前を歩く検非違使のものという設定なのでしょう。


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采女衣裳の女房が、集団で
「丸太町河原町」交差点に徒歩で入ってきました。
その集団の中心に、白拍子がいらっしゃいます。
……ただ、これで女性の隊列は終了です。
斎王代列もあと少しですが、残りは全員男性で占められています。


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先程の白拍子装束の女性の後から、
臙脂色の束帯姿の男性の集団が通過します。
彼らは、皆手に楽器を持っております。
多分下鴨神社や上賀茂神社で、雅楽を演奏されるのでしょうね。


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さらに、臙脂色の束帯装束を身に付けた方々が通過されます。
手にされているのは……分かりにくいですがでしょうか?


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臙脂色の束帯姿の集団の最後尾に、大きな太鼓があります。
この後ろの牛車が、葵祭巡行行列の最後尾です。


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いよいよ斎王代列最後尾、と言いますか
葵祭巡行行列最後尾の牛車が「丸太町河原町交差点」に現れました。


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「丸太町河原町」交差点で、牛車が方向転換しています。
前回ブログ同様、藤の造花がきれいですね。
また、牛の轡はお稚児さんが引かれているところも同じですね。


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牛車の後を、また別の牛が通過します。
こちらは、先程の牛が疲れたときの予備の牛です。


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さらに、その後を束帯姿の検非違使が追いかけます。
これで葵祭巡行行列が、一通り終わりました。
その後を様々な自動車が続きます。


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自動車の先頭は、こちらの軽トラックです。
路上でたれ流された牛や馬の糞をスコップで掬い、
それを荷台の袋に詰めます。
やはり、糞の放置はいけません。


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軽トラックの後は、こちらの2台が通過しました。
葵祭の氏子衆の役員やお祭り関係者が乗る自動車と
信号などを管理する消防署の自動車ですね。


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その後の青い自動車は、京都市役所の広報のものです。
「Do you Kyoto? 」は、京都市観光局PRのためのコピーです。


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最後に、警察のパトロールカーが通過します。
こちらが通過した直後、この交差点は徐々に通常に戻っていきます。


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徐々にコーンなどが取り除かれますが、すぐには通常に戻れません。
河原町通北行き車道も直進できるのですが、
つい先ほどまで直進禁止だったこともあり、右折車両ばかりです。


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「丸太町河原町」交差点で、東を向きました。
では、自分もそろそろ帰宅します。


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「丸太町河原町」交差点から、丸太町通を約50m東に進みました。
いつもはもっと交差点寄りの市バスバス停です。
葵祭関係で、多少遅れています。ただ、バスの中は満員ですね。
葵祭巡行行列を1日追いかけられる方も、相当いらっしゃいます。


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バス停の前で、丸太町通を東に向いています。
右(南)側の洋館は、地域スーパーのフレスコですね。
では、ここを東に進みます。


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「丸太町河原町」交差点から、丸太町通を東に約150m進みました。
こちらから、鴨川を渡ります。
この辺りから、「京都市上京区」から「京都市左京区」に移ります。


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鴨川に架かる丸太町橋を東に渡っています。
すると、丸太町橋の中央にテラスが見えます。
おそらく、観光客が鴨川を眺めるためのものでしょう。


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そのテラスの先端に立ちました。鴨川の上流側を見ています。
毎年8月16日の晩に、ここから「大」と「妙法」の文字が見えます。


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もうすぐ鴨川に架かる丸太町橋を渡り切ます。
その先に、京阪電鉄「神宮丸太町」駅に続く
地下道への入り口が見えます。
ではそちらから京阪電鉄に乗り、帰宅します。

これで、2019年の葵祭巡行行列の観覧を終了します。

~次回から、また別の道の連載を始めます~

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第659回 北野天満宮に続く道~五辻通東から西~その1

今回は9カ月ぶりの写真のない回です。
こういうときは新連載の第1回で、
その道について詳しく紹介することにしています。

今回から連載するのは、五辻通です。

「五辻通」と書いて、「いつつじどおり」と読みます。
自分が連載してきた道は三条通千本通のように
極端に長いものが多いのですが、
今回の五辻通は2㎞に満たないとても短い道です。

まぁこのブログで連載した一番短い道は八坂通で、
そちらは今回のような「道の紹介」回が無くて3回です。
それよりは、長い連載にはなります。

上立売通と今出川通との間の道
五辻通は、今出川通の約100m北の通りです。
そして、五辻通の約150m北に
2017年にこのブログで連載した上立売通が東西に伸びています。
ですから、自分が「上立売通編」を連載中に何度も通った道です。
最西端は北野天満宮ですが、東は一応大宮通で突き当たります。
ただ、大宮通~烏丸通間も何度か途切れながら続いています。
ですから、次回連載は烏丸通から始めて
進めるようなら路地を西進していきます。

後鳥羽上皇が五辻殿に住まう
五辻通は、794年に桓武天皇が平安京を造営して以来
ずっと現在と同じ位置にありました。
ただ、「五辻通」と言う名称になったのは平安時代の末期です。
当時の天皇は後鳥羽天皇で、(のちの後鳥羽上皇)
その後鳥羽天皇が一時期居住したのが、
現在の「五辻千本」交差点付近にあった五辻殿です。
この五辻通は、その五辻殿が名称の由来と言われています。
(ただ、「五辻通」の名称の由来は
「近所に井戸が5ヶ所あったから」
というのも、結構有力な説です)
なお五辻殿跡の位置は、地図で確認してください。
(詳しくは、こちらを確認してください。)

烏丸通から途切れ途切れ
地図上は五辻通の範囲が大宮通~御前通なのですが、
このブログでは烏丸通から始めます。
地下鉄烏丸線「今出川」駅前から西に進み、
とりあえず行けるところまで行きます。
先ずは烏丸通沿いの大聖寺に立ち寄って、そこから西に進みます。
時には狭い路地を通りますが、
予定通りなら三時知恩寺白峯神宮にお参りします。

さらに狭い路地から大宮通へ
堀川通からは、上立売通より約50m南から再開します。
この辺りはもはや「五辻通」と呼べないような路地なのですが、
何とか西に進んでみます。
この辺りは結構渋い京町家と新しい住宅が混在しています。
そこを約300m西に進むと、大宮通に出ます。
この辺りの大宮通はそこまで大通りではありませんが、
商店街に囲まれた結構賑やかな場所です。

本隆寺と首途八幡宮
大宮通から約150m西に智恵光院通が伸びています。
その智恵光院通から西に五辻通の北側は本隆寺
南側は首途八幡宮が建っています。
どちらも参拝してさらに西にへ進むと、
千本通までに先程の五辻殿跡を示す表札が立っています。
さらに千本通沿いに五辻昆布本店があります。
第648回ブログでも立ち寄りましたが、今回もお邪魔します。

千本釈迦堂と上七軒
千本通より西は、このブログでよく通る道です。
千本釈迦堂は、2016年以降このブログで年2回くらい通っています。
完全に葉桜でしょうが、紫陽花はきれいかもしれません。
さらに七本松通より西は、花街上七軒の最北端です。
とは言え,この辺りにお茶屋さんや料亭・置屋さんはありませんので
舞妓さんや芸妓さんはこの辺りには来られません。

北野天満宮で突き当たり
五辻通の最西端で、上七軒の北野天満宮東参道と合流します。
そこが北野天満宮東門で、どちらの道もここで突き当たります。
6月25日に上手く北野天満宮に行ければ、
こちらで「天神さん」の定期市も取材できます。
さて、上手くいくでしょうか?
(その頃は、サッカーの大きな国際大会が二つもありますし……)

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第660回 かつての花の御所址~五辻通東から西~その2

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京都駅から市営地下鉄烏丸線に乗り、「今出川」駅で降りました。
自分にとっては、4ヵ月ぶりの降車です。
今回は、今出川通より約100m北の道を西に向かいます。
そちらが、元々は「五辻通」と考えられます。
撮影日は、2019年5月24日金曜日午後2時。
初夏とは思えない真夏日でした。


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今まで自分が乗っていた車両が、「鞍馬口」駅方面に去ります。
いつもと違い車両が赤茶色なのは、
地下鉄烏丸線に乗りあげている近鉄のものだからです。


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では、地下鉄「今出川」駅ホームからエスカレーターを上ります。
この上には、「今出川」駅のコンコース階があります。


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「今出川」駅ホームからエスカレーターに乗り、
コンコース階に上がりました。
では、こちらの「今出川」駅北改札口から
地下鉄烏丸線「今出川」駅を出ます。
こちら側の改札口を利用されるのは大半が同志社大学生なので、
北側の改札口脇(いわゆる「エキナカ」)にのみ
コンビニエンスストアが併設されています。


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そのコンビニエンスストアに背を向け、改札口の西側に立ちました。
そして、その位置で南を向いています。
次は、この地下通路を南下します。


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先程の位置から、「今出川」駅北改札口脇の地下通路を
約30m南下しました。
では、目の前の階段で地上を目指します。


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先ほどの階段を利用し、「今出川」駅2番出口を目指します。
こちらの階段はクネクネ蛇行して、最終的に東を向いています。


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地下鉄烏丸線「今出川」駅2番出口を出て、南を向きました。
目の前は烏丸通で、左(東)側歩道沿いに
同志社大学今出川キャンパスが見えます。
(赤レンガが、同志社大学の象徴です)
はるか(今出川通より)向こうの藪は、京都御苑のものです。


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今度は地下鉄「今出川」駅2番出口の前で、北を向きました。
烏丸通の周囲に、赤いレンガの同志社大学の校舎が並びます。
目の前に、烏丸通から西に伸びる道が見えます。
この道は地図上は名称がありませんが、
今出川通との位置関係や距離感から、
このブログでは「五辻通」と表記します。


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「五辻烏丸」交差点北西角に、こちらの寺院があります。
第195回ブログでもお邪魔した臨済宗大聖寺です。
元々烏丸通~室町通間のこの辺りに、
かつて室町幕府の中心地「花の御所」がありました。
こちらはその「花の御所」内に建立された尼寺でしたが、
いろいろな変遷があって江戸時代にこちらに戻ってきました。

こちらの境内に入って撮影許可を取ろうとしたのですが、
(前回は不在で、許可は叶いませんでした)
ご住職が「境内のお堂などは撮影不可」とおっしゃったので、
ここから先の写真はありません。
まぁ建物以外なら、樹木などの撮影許可はもらったのですが……
また外壁とこちらの門の撮影も、OKもらいました。


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烏丸通から、「五辻通」を西に向きました。
左(南)側にCocoイチの支店がありますが、
こちらは自分が学生時代にだいぶお世話になりました。
……と書くと自分の出身大学が同志社大学のようですが、
実は別の大学です。
右(北)側には、先程の大聖寺の外壁が見えますね。
では、こちらを進んでいきます。


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「五辻通」を烏丸通から、西に歩いています。
大聖寺の外壁の脇に、こちらのお地蔵さんが2体いらっしゃいます。
こちらにお参りして、先に進みます。


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そのお地蔵さんの前で、「五辻通」を西に向いています。
左(南)側には民家が並び、右(北)側は大聖寺の外壁が続きます。


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お地蔵さんから「五辻通」を約10m西に進み、南を向きました。
民家の間に、同志社大学の自転車置き場があります。
自分の知人が同志社大学生で、
その方が所属していたサークルの部室棟を訪れたときに
よくこの場所を利用しました。
中のシステムは変わったようですが、位置は変わりません。


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自転車置き場の前で、「五辻通」を西に向いています。
この辺りから、道の両側に民家が並びます。
約50m先に突き当りが見えますが、その辺りが室町通です。


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「五辻通」を西に歩いていると、こちらの本屋さんがありました。
同志社大学の先生ごとにまとめられた授業ノートが売られています。
そう言えば、自分の学生時代も
自分が通っていた大学の近くに似た本屋がありました。


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烏丸通から、「五辻通」を西に約100m進みました。
「五辻通」は目の前のお店で、いったん突き当たります。


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こちらが、その「五辻通」突き当りのお店です。
どうやらタバコ屋さんが、開店中のようです。
このタバコ屋さんは、南北に伸びる室町通に面します。


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「五辻通」から、室町通を南に向いています。
先程のタバコ屋さんは、この右手(西)にあります。
室町通は、約150m先で今出川通と接します。


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同じ場所で、室町通を北に向きました。
右(東)側に食堂が見えますが、
この辺は学生目当ての飲食店が数多く見られます。


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タバコ屋さんから室町通を約10m北上し、西を向きました。
この道が、筋違いの「五辻通」と考えられます。
向こうに歩かれている方がいらっしゃいますが、
この辺りは同志社大学の今出川キャンパスと
新町キャンパスとの間です。
ですから、この辺りには移動目的の学生さんが多く
交通整理のために特定の箇所に警備員さんが立っています。


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室町通から「五辻通」を西に歩いている途中で北を向きました。
こちらから、路地が伸びています。
「五辻通」もこのやがてはくらいの道幅になりますが、
それはまだまだ先のことです。


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さらに「五辻通」を西に歩いています。
自分は撮影のためにゆっくり歩いているのですが、
同志社大学の学生らしき20歳前後の男女に何回も追い抜かれました。
この辺りの「五辻通」はあまり道幅が広くないですが、
相当人通りが多い賑やかな場所ですね。


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この辺りの「五辻通」は、少しずつ北西に折れていきます。
室町通から「五辻通」を約70m西に進むと、
そこに宿泊施設として利用されている民家があって、
「五辻通」はいったんここで突き当たります。
またその宿泊施設前で、衣棚通が南北に伸びています。


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「五辻通」から、衣棚通を北に向きました。
衣棚通は5m先で突き当たりますが、
100m北の上立売通で復活しまた北に伸びていきます。
そして、ここから5m北の場所からまた西に道が伸びています。


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先程の場所から衣棚通を5m北上し、西を向きました。
こちらの西に伸びる道を「五辻通」の続きと考えて、
またこちらを進んでいきます。


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その辺りにアパートらしき建物が、建っていました。
植え込みにツツジがびっしり並んでいて、時期的に満開でした。


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衣棚通から、「五辻通」を約50m西に進みました。
ここで「五辻通」は新町通と交差し、急に道幅が広くなります。


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新町通から、「五辻通」を西に向いています。
こちらが、同志社大学新町キャンパスです。
先程の学生は、こちらに向かっておられました。


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「五辻通」から、新町通を南に向いています。
新町通は、蛇行しながら約150m南で今出川通と交差します。

そう言えば、自分が小中学生のころ(約40年前)
この左(東)に「ヴォークス」というプラモデル店がありました。
多分「塩小路西大路」交差点の
ヴォークス ホビーショップと同じ店です。
あちらのお店が、元々こちらにあったのでしょう。
(第307回ブログを参照)


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「五辻通」から、新町通を北に向いています。
新町通は、約300m北の寺之内通までこの道幅が続きます。
左(西)側は同志社大学今出川キャンパスで、
右(東)側の白壁は三時知恩寺のものです。


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こちらの三門が、浄土宗の門跡寺院三時知恩寺です。
……ただ、この時点で2019年5月24日午後2時半です。
すぐに帰らないと、勤務先に間に合いません。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、「五辻通」をさらに西に進みます~

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第661回オアフでシュークリーム~五辻通東から西~その3

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上立売通と「五辻通」との間の新町通沿いに、
浄土宗の門跡寺院である三時知恩寺が建っています。
2017年にこちらにお邪魔したときは境内を散策できたのですが、
今回はこちらの門が固く閉ざされていました。
そのため、今回の三時知恩寺の写真はこれ1枚のみとします。

三時知恩寺は、14世紀末の南北朝時代末期に建立されました。
北朝の第3代崇高天皇の邸宅「入江殿」を
北朝第4代後光厳天皇の皇女である見子内親王が
自分の住居兼寺院に改築したのが、ここの始まりです。
元々は一条西洞院にに建っていましたが、
正親町天皇の御代にこの地に移転しました。
(16世紀末の安土桃山時代半ばです)

今回はこちらから西に進み、白峯神宮を通り抜け
「堀川通今出川上る」のオワフでシュークリームを戴きます。
撮影日は、2019年5月26日日曜日午後3時半。
5月なのに、最高気温35℃です……


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三時知恩寺の門前で、新町通を北に向いています。
約50m先で、上立売通が交差していますね。
左(西)側は同志社大学新町キャンパスで、
右(東)側が先程の三時知恩寺の白壁です。
この三時知恩寺の北隣に惣菜店があって、
以前ここに来たときは、だし巻きとえび天を買いました。


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今度は三時知恩寺門前から、新町通を南を向きました。
左(東)側は、三時知恩寺の白壁が続きます。


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三時知恩寺門前から、新町通を約50m南下しました。
前回ブログでは、目の前の「五辻通」の左(東)から来ました。
ではこの横断歩道を渡り、さらに「五辻通」を右(西)に進みます。


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新町通から、「五辻通」を西に向きました。
横断歩道の先に同志社大学新町キャンパスの門があります。


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横断歩道を渡り、新町通から「五辻通」を西に向いています。
右(北)側は同志社大学新町キャンパスです。
では、こちらを進んでいきます。


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同志社大学新町キャンパスの南壁に、こんなレリーフがありました。
こちらには、明治時代(19世紀)に日本電池の工場がありました。
そして、こちらが日本で最初の電池の工場でした。
こちらは、そのことを記念して立てられました。


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そのレリーフの前で、「五辻通」を西を向きました。
左(南)側は住宅街で、右(北)側は同志社大学新町キャンパスです。


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新町通から、「五辻通」を西に約50m歩きました。
この辺りは、左(南)側も同志社大学の施設が並びます。


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新町通から、「五辻通」を約100m西に進みました。
ここ西洞院通で、「五辻通」がまた突き当たります。


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「五辻通」から、西洞院通を北に向いています。
左(西)側は住宅街で、右(東)側は同志社大学新町キャンパスです。
取りあえずこの西側に進む道を探して、西洞院通を北上します。


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「五辻通」から、西洞院通を約70m北上しました。
こちらで、西洞院通が突き当たっています。
西洞院通はとても長い道ですが、最北端はこんな感じです。


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西洞院通最北端から、さらに西に続く道が伸びています。
また、そちらから第476回ブログにお邪魔した
「小川児童公園」へ入ることができます。


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西洞院通最北端から、西を向きました。
……と言いたいところですが、実際はもう10m西から撮りました。
その場で高齢者の方とその介護士の方が楽しそうにお話されていて、
そちらを邪魔しないように移動したためです。
こちらは、「小川児童公園」最南端の道です。


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「小川児童公園」の中の様子を1枚撮りました。
遊技が充実したとても大きな公園ですね。
本当は小学生が10名以上とその保護者がいらっしゃるのですが、
その方々がちょっと脇に行かれた隙に、こちらを撮りました。


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西洞院通から、「小川児童公園」最南端の道を約50m西進しました。
ここでこの道は、小川通で突き当たります。


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「小川児童公園」最南端の道から、小川通を北に向いています。
左(西)側は住宅街ですが、右(東)側は「小川児童公園」が続きます。
小川通は、約50m北の上立売通でいったん突き当たります。
(筋違いで復活しますが……)
ちなみに、上立売通より北が駐車場で
見た目ではその駐車場の関係で上立売通より北にも
小川通が続いているように見えますね。


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同じ場所で、小川通を南に向きました。
では、こちらを南下していきます。
そう言えば、約150m先の今出川通には市バスが見えますね。


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「小川児童公園」最南端の道から、小川通を約70m南下しました。
ここで小川通は、再び「五辻通」と交差します。


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小川通から、「五辻通」を西に向いています。
もう完全に住宅街の中ですね。では、こちらを進んでいきます。


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小川通から、「五辻通」を西に約50m進みました。
ここで、「五辻通」は油小路と交差します。
小川通も油小路も約100mの上立売通で突き当たり、
上立売通以北は1本の道が
小川通と呼ばれたり油小路と呼ばれたりします。


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「五辻通」から、油小路を南に向きました。
右(西)側に見える薮は、白峯神宮の鎮守の森です。


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「五辻通」から、油小路を約50m南下しました。
碑文によると、ここに本阿弥光悦の住居があったようです。
まぁ本阿弥光悦は1615年に鷹峯を拝領してそこを拠点としたので、
おそらくはそれ以前こちらに住んでいたのでしょうね。


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その碑文の前で、油小路を南に向きました。
では右(西)側にある門から、白峯神宮に入ります。


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白峯神宮の門をくぐり、南を向いています。
こちらは、白峯神宮本殿東側の境内です。
この左(東)側に白峯神宮の末社が並んでおられますが、
そちらは次回に紹介します。
今回白峯神宮は、ただ通り抜けるだけにします。


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先程の位置よりさらに南下して、白峯神宮拝殿の脇にいます。
白峯神宮参拝は次回ブログとしますが、
この1枚くらいは今回ブログに載せます。
白峯神宮拝殿脇は、桜並木が続いています。
この時期は葉桜ですが、この白峯神宮は桜の名所としても有名です。


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白峯神宮拝殿の東側から、西側を1枚撮りました。
この日(2019年5月26日)は日曜日だったので、
この白峯神宮にはたくさんの参拝者がいらっしゃいました。
特に時期的に修学旅行生が多く、境内に結構賑わっていました。
また多分何かの神事だと思うのですが、
このように神社の神職さんたちが蹴鞠に興じておられました。
この白峯神宮は御所で蹴鞠指南をされていた飛鳥井氏邸宅跡なので、
白峯神宮は「蹴鞠の神様」と考えられています。
それが転じて「サッカーの神様」とも考えられ、
さらに転じて「スポーツ全般の神様」と信仰を集めています。


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白峯神宮拝殿から、白峯神宮境内を見ています。
では、こちらの門からいったん今出川通に出ます。
(先述の通り、白峯神宮参拝は次回ブログで行います)


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白峯神宮の門から、今出川通を西に向いています。
目の前に「今出川堀川」バス停があって、
たくさんの方々が市バスを待たれています。


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「今出川堀川」バス停の前で、今出川通を西に向きました。
約50m先で、今出川通は堀川通と交差します。


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今出川通から、堀川通を約50m北上しました。
こちらが、シュークリーム専門店のオワフ本店です。
第478回ブログでも、こちらを紹介しました。
また取材許可が下りましたので、こちらに立ち寄ります。


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注文と取材許可を取って、約5分後。
フレッシュクリームシューと紅茶が、テーブルに届きました。
サービスで、新製品の「餅シュー抹茶味」¼個も付いています。
抹茶が掛かったモチモチした食感のシュー皮の中に
抹茶味のクリームが入っていました。


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こちらが、お目当てのフレッシュクリームシューです。
シュー皮上部にクリームを載せて食べるのが、自分の好みです。
ウチの母がこれを「おいしそう」と言っていたので、
来年2020年の桜散策中に、ここに立ち寄ろうとも思っています。

またこの日(2019年5月26日)は5月とは思えないほどの猛暑で、
(最高気温はほぼ35℃で、雲一つない快晴でした)
当初の予想通りこの辺りで暑気当たり気味でした。
(体温が高くなって、頭がぼ~っとして)
そのため、エアコンの効いたこの店で暫く休憩します。
ですから、今回はここまでです。

~次回こそ、白峯神宮に参拝します~

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第662回 白峯神宮に参拝~五辻通東から西~その4

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前回ブログでお邪魔したシュークリーム専門店オワフ本店の前で、
堀川通を南に向きました。
今回はいったん今出川通に出て白峯神宮に参拝して、
「五辻通」からまた堀川通に戻ります。
この辺を1周回るような感じですね。
撮影日は、2019年5月26日日曜日午後4時。
休憩明けで元気いっぱいですが、また気温35℃近い中に戻ります。


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オワフ本店前から、堀川通を約100m南下しました。
ちょうど「今出川堀川」交差点に出ました。
今出川通以南の堀川通沿いには桜並木が続いており、
一条戻り橋経由で二条城付近までが「桜の名所」です。


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堀川通から、今出川通を東に向いています。
次は、こちらを進みます。


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堀川通から今出川通を約50m東に進み、北を向きました。
白峯神宮の木製の鳥居と、門が見えますね。
ではこちらをくぐり、境内を参拝します。


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先程の木製鳥居と門をくぐり、白峯神宮境内に入ってきました。
この日(2019年5月26日)は日曜日なので、
本当にたくさんの参拝者がいらっしゃいます。
目の前の拝殿の右(東)側に大きな桜の木がありますが、
この白峯神宮も京都屈指の「桜の名所」です。
(この辺は、あちこちに「桜の名所」があります)


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先程と同じ位置で、左(西)を向きました。
こちらの奥に、白峯神宮の社務所があります。
先程の拝殿同様、こちらにも青いタペストリーが掛かっています。
白峯神宮はスポーツの神様(特にサッカーの神様)で、
男女のサッカー日本代表関係者が重要な試合前に、
よくこちらに祈願されに来ます。


662-7.jpg
さらに、同じ位置で右(東)に向きました。
こちらの手水舎は「西陣の名水」の一つ飛鳥井という井戸の水です。
また背後の木は小賀玉の木(おがたまのき)で、
日本の財務省が発行する1円硬貨に描かれています。


662-8.jpg
白峯神宮境内の東側を北上して、拝殿より北側に回ってきました。
拝殿北側に含笑花(がんしょうげ)の木が植えてあるのですが、
第478回ブログの訪問時以上に、こちらはバナナの香りがしました。
(サイトには「含笑花の花はバナナの香りがする」とあります)


662-9.jpg
白峯神宮拝殿の北側に、こちらの本殿がいらっしゃいます。
修学旅行生と観光ガイドのタクシーの運転手が動かないので、
全員が後ろを向かれた瞬間に撮りました。

白峯神宮のご祭神は、崇徳天皇を初め保元の乱で敗れた方々です。
上田秋成の代表作「雨月物語」初めの作品「白峯」
西行と怨霊となった崇徳上皇との話し合いが描かれています。
「白峯」は今の香川県にある山の名前で、
そこに流罪となった崇徳上皇を暗に指しています。
「崇徳天皇は平清盛を恨んで怨霊となった」のが前提ですが、
鎌倉時代から崇徳上皇は日本で最もよく知られた怨霊でした。

明治天皇の父孝明天皇は、「崇徳天皇が気の毒だ」と
よく息子の明治天皇に漏されておりました。
それを耳にされ続けた明治天皇は、孝明天皇崩御後
明治時代以降東京に移住された公家の飛鳥井氏邸宅を譲り受けられ、
そちらを神社に建て替えられ、
香川県にいらした崇徳天皇のご遺灰をこちらに運ばれました。
それが、この白峯神宮の由来です。


662-10.jpg
こちらは、先程の写真にも写っていた白峯神宮本殿の脇です。
先述の通り、こちらは元々飛鳥井氏の邸宅でした。
飛鳥井氏は宮中で蹴鞠の指南役で
(現在も、その役割を果たされています)
この神社のご祭神の崇徳上皇もこの蹴鞠が得意でしたので、
白峯神宮は「蹴鞠の神様」として信仰を集めておりました。
さらに近年、蹴鞠から「サッカーの神様」との信仰も集めています。
そのため、世界中の様々な方々がこの神社に
タオルマフラーを奉納されています。

ちなみにタオルマフラーとはタオル地のマフラーのことで、
寒いときはマフラーになって暑いときは汗を拭くタオルになります。
各サッカーチームごとにデザインが異なり、
サポーター(各サッカーチームのファン)は
チームごとに異なるタオルマフラーを所持しています。
(自分も、京都サンガの紫のタオルマフラーを持っています)

写真の左側を見ると、左端は各大学のサッカー部のものが多いです。
国士舘大学・東海大学・立命館大学・京都産業大学が確認できます。
その右側にはプロチームのものが並びますが、
大半がドイツのもので日本のJリーグクラブはありませんでした。
大迫選手が所属するベルダーブレーメンと
本田選手所属されていたオランダのVVVフェンロと
長谷部選手の個人名が書かれたもの以外は
日本人選手が所属したことのないドイツのクラブのものです。
おそらく、こちらに来られたドイツ人が奉納されたのでしょう。

最近はサッカー以外にも「スポーツ全般の神様」として
信仰を集めておられ、
その関係で様々な競技のボールが写真の右側に奉納されています。


662-11.jpg
白峯神宮本殿前から、境内を東を向いています。
含笑花の木の向こうにこちらの末社が並んでいます。
次は、こちらを参拝していきます。


662-12.jpg
では、白峯神宮境内東端に並ぶ末社を南から参拝します。
こちらは、地主神社ですね。
ご祭神は、精大明神・柊大明神・今宮大明神・白峯大明神です。
「スポーツ全般の神様」でもあるので、
様々な競技のボールが奉納されています。


662-13.jpg
先程の地主神社の北側に、こちらの歌碑がありました。
この歌の作者は崇徳天皇で、小倉百人一首にも載っています。
崇徳天皇は、屈指の歌人としても有名です。


662-14.jpg
歌碑の北側には、伴緒社がいらっしゃいます。
ご祭神は、源為朝・源為義父子です。
先述の保元の乱に敗れた武士で源為朝は処刑、
源為義は流罪となりました。


662-15.jpg
さらにこの北側に、潜龍社がいらっしゃいます。
ご祭神は潜龍大神という龍神で、
元々こちらにあった井戸がご神体です。


662-16.jpg
さらに北側に、白峯神宮東門があります。
では、こちらから白峯神宮を出て油小路に向かいます。


662-17.jpg
白峯神宮東門を出て、油小路を北向いています。
目の前の表札の辺りに、かつて本阿弥光悦の住居がありました。
(前回ブログ参照)


662-18.jpg
白峯神宮東門から、油小路を約50m北上しました。
ここで油小路は、「五辻通」と交差します。
油小路は約100m北の上立売通で突き当たりますが、
さらに約600m北の鞍馬口通でまた復活します。


662-19.jpg
油小路から、「五辻通」を西に向きました。
……と言いますか、やっとメインの道に戻ってきました。
では、こちらを進みます。


662-20.jpg
油小路から、「五辻通」を西に進んでいます。
この辺りはもう「西陣」ですが、織機の音はここには響きません。
もう100m北の上立売通以北では「西陣織」の生産がさかんです。
目の前の角を北に折れると、鳴虎報恩寺に至ります。
(第477回ブログを参照)


662-21.jpg
油小路から、「五辻通」を約100m西に進みました。
ここで「五辻通」は、堀川通と交差します。
……また「五辻通」が突き当たりました。
こちらからあちこち蛇行して大宮通まで進みますが、
それは次回とします。
今回は、ここまでです。

~次回は、堀川通から大宮通まで蛇行します~

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「京都のお祭り」
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「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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