
こちらは、七条通北側歩道の「博物館 三十三間堂前」バス停です。
はっきり言ってウチの近所ですが、京都駅北側市バスターミナルから
わざわざ208系市バスに乗ってここまで来ました。
今回は、京都国立博物館内を散策します。
博物館内の催し物は取材できないので、その分周囲の散策をします。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後1時45分。
結構豪雨で、傘があって助かりました。

「博物館 三十三間堂前」バス停前で、七条通を東に向きました。
写真の中央に、先程まで乗っていた208系市バスが見えます。
この少し先で七条通が突き当たりますが、
左折して北上し清水寺や祇園に向かうのが206系市バスで、
右折して南下し今熊野神社や東福寺に向かうのが208系市バスです。

その辺りで南を向くと、七条通から三十三間堂廻りを
南に向いたことになります。
安土桃山時代(16世紀末)のこの辺り一帯は、
豊臣秀吉が建立した大仏殿とその関連神社仏閣でした。
この目の前に建っている三十三間堂は平安時代の建物ですが、
安土桃山時代当時はその関連神社仏閣として存在していました。
ですから現在の三十三間堂廻り南端の三十三間堂南大門は、
元々大仏殿や豊国廟(豊臣秀吉のお墓)の南大門でした。

同じ位置で、七条通を東に向きました。
七条通の突き当りは、真言宗智山派本山智積院です。
こちらは元々
豊臣鶴松の菩提寺臨済宗妙心寺派祥雲寺でしたが、
豊臣氏滅亡後
徳川家康が廃寺にして智積院を建立しました。
(徳川家康によって、豊臣秀吉の影響力がない場所になっています)

さらに同じ場所で、北を向きました。
この辺りは七条通より北側に、京都国立博物館が建っています。
安土桃山時代に(16世紀末)、先述の大仏殿はこちらにありました。
徳川家康は豊臣秀吉が建てた建造物を破壊したりしませんでしたが、
大仏殿は放置されてやがて落雷などが原因で焼失しました。
大仏殿の焼け跡は江戸時代を通じて放置され続けましたが、
明治時代に入って大仏殿址の再開発が進み、
北半分が豊国神社に、南半分が京都国立博物館になりました。

七条通側にある京都国立博物館入り口の西隣に、
こちらのグッズショップが建っています。
こちらは、2014年に改装されたときに建設されました。

同じ位置で、東を向きました。
こちらに、チケット売り場があります。
取りあえず520円支払って、この先に進みます。

こちらが、そのチケットです。
現在、京都国立博物館は平成知新館のみ公開で
旧館の明治古都館は修復中のため入れません。
まぁ今回ブログのメインはその周辺の散策ですので、
目的は果たせそうです。

本当はチケット売り場の西側にある受付に向かうのですが、
今回はその場で東を向きました。
トイレの先に、
前田珈琲の支店があります。
では、先にこちらに立ち寄ります。

中は、そこそこ混んでいました。
暫く待ってから、こちらの席に座りました。
さらに約5分後、こちらがテーブルにやって来ました。

前田珈琲はその名の通りコーヒー屋さんなので、
いろいろ考えてエスプレッソを頼みました。
その名の通り、こちらはすぐ来ました。
昼食代わりに頼んだので、この日は砂糖を入れて頂きます。

そして、こちらはオレンジタルトです。
ピール付きのオレンジの薄切りがトッピングされていて、
多分その下にもオレンジの果汁が入っています。
タルト生地が、とてもクリスピーでした。

前田珈琲を出て、西を向いています。
では、こちらから京都国立博物館に入ります。

京都国立博物館入り口を通過すると、進路は北に変わります。
この瞬間小雨が降っていたのですが、
雨傘を差す差さないは人それぞれですね。

京都国立博物館入り口から、約50m北上しました。
ここで、東西の小径が伸びていますね。
その脇の石板に、京都国立博物館の周辺地図がありました。

先ほどの地図の前から、約50m北上しました。
目の前の東西の小径辺りが、この広場の中央です。
あと約100m北上すると、先述の平成知新館に入れます。
しかし先に周辺散策をしたいので、今はそちらに向かいません。
(平成知新館には、次回ブログでお邪魔します)

その広場中央の小径上で、東を向きました。
こちらは、京都国立博物館の明治古都館です。
2014年の改装以前は、こちらが本館でした。
(現在は修復中で、閉鎖されています)
ちなみに、こちらの建物自体が重要文化財です。
ですから、今の平成知新館よりもこちらの方が
京都市民には京都国立博物館のイメージがあります。
こちらが建立されたのは明治時代の1897年ですが、
確かこのような形式の建物になったのは、
フランスのパリの
ルーブル美術館を意識したものだと聞いています。

明治古都館正面口の前で、南を向きました。
約100m先に、先述の前田珈琲が建っています。
オープンカフェテラスもあるのですが、
この雨の中ではそちらは本日休止のようです。
では、あの辺りまで南下します。

その前田珈琲京博支店の脇で、東を向きました。
では、明治古都館の南側の道を東に進んでいきます。

先ほどの位置から、明治古都館の南側を約50m東に進みました。
その辺りに、こちらの自動販売機があります。
2014年以前は、明治古都館に入り切れず長い行列がよくできました。
それが先程の広場を越えて、この自動販売機まで伸びていました。
この日(2019年8月27日)は雨が降っていましたが、
GWなどは快晴が多く、熱中症の予防でこの自動販売機で
ジュースを買って、頭を冷やしてから中身を飲んでいました。

その自動販売機の前で、東を向いています。
ここで道が分岐していますが、目的地には右側が最適です。
今回ブログの後半はこの右側を進み、
1周回ってこの左側からこの場所に帰ってきます。

先ほどの写真に写る右側の小径をさらに東に進んでいます。
左(北)側は松や桜並木ですが、右(南)側は博物館の駐車場ですね。
ちょっと雨足が強くなってきましたので、雨傘を差します。
(写真に写り込んでしまいました)

先ほどの小径をさらに東に進んでいます。
ここまでも十分に上り坂でしたが、
この辺りでさらに急な上り坂に変わります。

その小径の左(北)側に、こちらが建っています。
多分こちらの職員の方々の仕事場です。
明治古都館は重要文化財でしたが、
こちらは文化庁指定の有形登録文化財です。
(
第251回ブログの船岡温泉と同じですね)

上り坂を約50m、上りの石段を約50m東に進みました。
こちらで、ようやく上りが終わります。

石段の上に、このような石造が何基も並んでいました。
こちらの石像は、
李氏朝鮮王国の墳墓に安置されていたものですが、
様々な縁により日本人の手に渡り
その方の子孫の手によってこちらに寄贈されたものです。

同じ位置で、南東を向きました。
奥の紅い花は、百日紅(さるすべり)です。
その脇に藤棚があって、手前は桜並木です。
近くにベンチがあるので晴れていれば休憩したいのですが、
雨足が先ほどから徐々に強くなってきました。
またこの藤棚の辺りが京都国理知博物館南東端で、
藤棚の裏にある鉄柵の向こうは
「東山七条」交差点です。
さらに同じ位置で、北を向きました。
では、向こうの柵のある位置まで進みます。

先ほどの位置から、約50m北上しました。
ではこの道標の通り、もう少し北上します。

先ほどの位置から、約10m北上しました。
ここから、京都国立博物館の茶室堪庵(たんあん)に入ります。
ただこの辺りから雨が強くなって、遂に雨粒が写り込んできました。

門をくぐり、堪庵の玄関に入ってきました。
堪庵は公開中なのですが、室内に上がるのは禁止されています。

ですから、堪庵の裏手に回り込みました。
こちらから、躙り口や手水鉢が見えます。
ただ雨足が強くなってきましたので、こちらの縁側で休憩しました。

堪庵の室内に上がるのは禁止なので、縁側に腰掛けて雨宿りです。
その間、こちらを見ていました。
苔生した庭に、カエデの木が並んでいますね。
あまり観に来る人はいませんが、丁寧に整備された庭です。

雨足はますます強くなりますが、もう10分以上こちらにいます。
ですから、こちらを出て先を進みます。

堪庵を出て、南を向きました。
ではこちらを進み、先ほどの道を戻ります。

堪庵の出口から、約50m南下しました。
先ほどの小径を戻る途中で、西を向きました。
その位置に、下りの石段がありますね。
先ほどの小径から逸れますが、こちら側を進みます。

先ほどの位置から西に進み石段を下ると、こちらの下り坂に出ます。
この道の先に、先程の明治古都館が見えますね。
さらにこの先に、北に下りる石段が見えます。
では、こちらを下りていきます。

その石段を下り切って、西を向きました。
こちらは、明治古都館の南側の道です。
ずっと向こうに、先程の自動販売機が見えますね。
では、こちらを進んでいきます。

明治古都館の南側の道を、西に約50m進みました。
自動販売機の手前で、先程の小径と合流していますね。
では、この先の自動販売機の辺りまで戻ります。

先ほどの小径と合流し、自動販売機の前で西を向きました。
ずっと先(西)に、前田珈琲の支店が見えていますね。
さらに先(西)に、京都国立博物館の七条通側の入り口があります。
(今回ブログの冒頭に近い部分ですね)
ではこの博物館の入り口付近に戻って、
今度は京都国立博物館の南半分に向かいます。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。
~次回は、京都国立博物館の南半分を散策します~
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