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「京の道 今日の道」再開間近!

約2週間ぶりのブログ再開です。
今までも第9回ブログ第10回ブログのように
約1カ月空いたこともあるのですが、
ここ5年間では相当期間が空きました。

これには理由がありまして……
「京の道 今日の道」の管理者ぴのぴなが、
2019年7月21日に脳卒中で救急搬送されました。

武田病院という京都駅西側の塩小路沿いに建っている病院に入院し、
(第291回ブログを参照)
2019年8月6日に、退院しました。
と言いますのも左顔面以外の運動機能がほぼ戻ったため、
入院から自宅通院に切り替えることに許可が下りたからです。
(まだまだリハリビが必要です)

ただ、ウチのノートPCは無線機能がありません。
ウチの2FでもPCを作動できません。
ですからこの間自分(ぴのぴな)は、一切PCに触れませんでした。
(つまり、このブログは約2週間放置されていました)
そのため、この「京の道 今日の道」は
祇園祭山鉾巡行の途中で中断しています。
取りあえず近日中にブログを再開する予定ですが、
ある意味緊急事態だったため、今後の予定を大幅に変更します。
変更する内容は、以下の通りです。

次回ブログ以降は、
祇園祭山鉾巡行の連載を再開します


祇園祭後祭宵山散策の連載は2019年は中止
2020年に祇園祭後祭宵山散策を連載します


祇園祭後祭期間中は、ずっと病院のベッドの上でした。
まぁ、後祭の山鉾巡行もTV見物でした。
取りあえず、近日中に祇園祭山鉾巡行の記事を再開します。
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テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第674回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その2

674-1.jpg
京都市中京区にある「河原町御池」交差点で、
祇園祭前祭山鉾巡行を見物しています。
前回ブログでは山2番芦刈山まで取材しました。
今回ブログは、こちらの山3番木賊山以降を掲載します。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午前10時半。
例年よりも、ずっと早いペースで進みます。


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木賊山は、天然の木賊(とくさ)を刈り
生計を立てる老人を描いています。
(謡曲「木賊」が元になっています)
ちなみに木賊はシダ科の植物で、漢方薬の材料です。

木賊山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
担ぎ手の皆さんが、力を合わせて木賊山を持ち上げられました。


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持ち上げられた木賊山が、西を向きました。
こちらの山は約90°回転した後、そのまま着地しました。
クルクル回るなどの即興は、無しです。
そして、そのまま「河原町御池」交差点を去ります。
その理由は、後述します。


674-5.jpg
続いて、くじ取らず(順番固定)の鉾2番函谷鉾の登場です。
「函谷」とは古代中国の洛陽長安との間にあった関所のことです。
……と書くと三国志が元と思われがちですが、史記が元ネタです。


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函谷鉾が、河原町通を北上しています。
鉾1番の長刀鉾同様、鉾が交差点に入る前から竹を並べています。
つまり、交差点に鉾が入る前から辻回しの準備に入ります。
ですから手前の担ぎ山は、「空気を読んで」
派手なパフォーマンスを行いません。
それが、先程の木賊山が淡々と辻回しを行った理由です。


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函谷鉾の正面を大写しにしました。
鉾なのでお稚児さんが乗っていらっしゃいますが、
こちらは「嘉多丸」という名の人形です。
函谷鉾は天明の大火でいったん焼失しましたが、
1833年に再興した際、それまでの生稚児(生身の人間)から
人形にお稚児さんを変更しました。
ちなみに、モデルは明治天皇皇后の兄一条実良の幼少時です。
お稚児さんを人形にしたのはこの函谷鉾が最初でしたが、
今では長刀鉾以外のお稚児さんは全て人形です。


674-8.jpg
函谷鉾が、「河原町御池」交差点中央に入ってきました。
「函」の紋が入った法被を着られた曳き手の方々が、
河原町通から御池通に移動されます。
いよいよ函谷鉾の辻回しの始まりです。


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曳き手の皆さんが御池通に移動されたら、
鉾の前にいらっしゃる「音頭取り」の方々が掛け声を発せられます。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
そして、その「音頭取り」の方々が扇子を左に振り下ろされます。
すると曳き手の方々が、御池通から西側から函谷鉾を曳きます。


674-10.jpg
その結果、函谷鉾は約30°左折しました。
すると、さらに竹の位置を修正して先程と同じ作業を繰り返します。
辻回しではこれを何度も繰り返し、約90度まで左折させていきます。
わずか2分後、音頭取りの方々がまた掛け声を発せられます。


674-11.jpg
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々がまた扇を左に振ると、
曳き手の方々が御池通側から鉾を引っ張ります。
曳き手の方々は、「綱引き」をされているみたいです。


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函谷鉾が、さらに約30°左折しました。
もう1回辻回しが、必要ですね。


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辻回し用の竹は、約2分で敷き詰められました。
ここ10年、町衆の方々は手際がよくなられている気がします。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々はそう掛け声を掛けられて、扇を左に振られます。


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その掛け声とともに曳き手の皆さんが、御池通側から曳かれます。
さらに30°、これで合わせて90°函谷鉾が左折しました。
この函谷鉾の辻回しも、長刀鉾同様約10分で終了しました。
以前の辻回しは、下手したら約30分掛かっておられたので、
全体的に辻回しの手際がよくなられているのでしょうか?


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辻回しの使用される竹をすべて鉾の下層部に収納して、
音頭取りの方々の「エイヤラヤ~」の掛け声がかかり、
函谷鉾が御池通を西に進みます。


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そして、函谷鉾が「河原町御池」交差点を去ります。
毎年自分はこの函谷鉾の辻回し中に、
「寺町御池」交差点へ移動して撮影していたのですが、
(「寺町御池」交差点の方が、山鉾がよく見えます)
2019年は辻回しに拘るので「河原町御池」交差点から移動しません。


674-17.jpg
函谷鉾の後は、山4番の郭巨山です。
2012年と2013年の山1番ですね。
自分が毎年粽を求めている山でもあります。

「郭巨」とは昔ばなしに出てくる中国の農民のことで、
謡曲「郭巨」の主人公です。
息子と山奥へ向かった郭巨は、黄金入りの釜を地中から堀出します。
ですから、別名「釜堀山」(かまほりやま)です。
息子の機転で黄金を郭巨が見つけたので、
親孝行・金運・商売繁盛を司る山です。
その関係で、毎年ウチの母の店先にこちらの粽を吊るしています。


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郭巨山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
ご神体の郭巨と息子の人形が、しっかり見えますね。
いよいよ郭巨山の担ぎ手の皆さんが、山を持ち上げられました。


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郭巨山も約90°左折して、そのまま地面に下ろされます。
実はもう次の鉾が「河原町御池」交差点に迫っておりまして、
この渋滞では派手なパフォーマンスも難しいですね。
2019年前祭の山鉾巡行は、例年になく急いでおります。


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続いて、傘鉾1番の綾傘鉾の登場です。
2つある傘鉾のうち、綾小路沿いの大原神社を会所とする方ですね。
(大原神社の詳細は、第579回ブログ参照)
傘鉾はどちらも曳き手をあまり必要としないのですが、
その分随行者の数が相当多いのが特徴ですね。


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綾傘鉾の随行者の方々が御池通に去られて後、
束帯姿に仮面を付けた男性が、
「河原町御池」交差点中央に進み出られました。


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その男性の片手には、長い木の棒があります。
こちらの方が、その棒を振り回されました。
背後に囃手の方々がいらして、
祇園囃の曲調に合わせてこちらの方が棒を振り回されます。
こちらは「棒振り踊り」と言われるもので、
毎年山鉾巡行の際に各交差点で1曲踊られます。

四条傘鉾も棒振り踊りは存在するのですが、
棒の形や踊りの振り付けが綾傘鉾と全く違います。


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1曲終わるとこのポーズのまま、
こちらの仮面の方が御池通に去っていかれました。
すると、囃手の方々も御池通に去っていかれました。


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綾傘鉾には踊り手と同じ扮装をされている方がいらっしゃいますが、
こちらはそのまま「河原町御池」交差点を左折されます。
相当ハードな踊りなので、交差点ごとに交互に踊られるのでしょう。


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さて、綾傘鉾の辻回しですが……
傘鉾の下には多少大きめのタイやが付いていまして、
担ぎ手の皆さんが担ぐ必要すらありません。
綾傘鉾を押したまま、御池通に去っていかれます。


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ただ綾傘鉾は約35年前に復活された際に、2基製作されました。
ですから1基目が御池通に去った後、
もう1基が御池通に去っていかれます。

当初はもっと長く続けようと思っていたのですが、
諸事情で短めの記事を何回かに分けて連載することにしました。
よって、今回はここまでです。

~次回は、山5番伯牙山以降を記事にします~

続きを読む

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第675回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その3

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「河原町御池」交差点に、山5番伯牙山が入ってきました。
古代中国で箏の名人だった伯牙が、
彼の箏のいちばんの理解者だった友人の死に際し、
その悲しみから愛用の箏を斧で叩き割った故事に取材しています。
別名が、「箏挽き山」です。
また、会所が重要文化財の杉本家です。
今回は、この伯牙山以降の山鉾巡行を取材しました。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午前10時45分。
そろそろ熱中症が、気になりだします。


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伯牙山の担ぎの皆さんが、伯牙山を持ち上げられます。
友人の死による悲しみを表しているので、
ご神体の伯牙像の表情が苦悶で歪んでいますね。


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伯牙山も約90度左折した時点で、地面に下ろされました。
そして、伯牙山は御池通に消えていきます。
そう言えば、第673回ブログの芦刈山以来
派手なパフォーマンスをする担ぎ山はありません。


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そして、鉾4番菊水鉾が「河原町御池」交差点に入ってきます。
京都市中京区室町通四条上がるこちらが立ちますが、
元々この地にあった井戸「菊水の井」が、名称の由来です。
中国の故事や日本の昔ばなしからの取材ではありません。


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「河原町御池」交差点に、菊水鉾に先行して竹が並べられます。
そう言えば、菊水鉾の音頭取りは扇ではなく
独特の形状の団扇を持たれていますね。


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菊水鉾の曳き手の皆さんが、自分たちの目の前まで来られました。
菊水鉾が交差点の中央まで来ましたので、
曳き手の皆さんは御池通に回られます。
背中の「菊水」の文字が、粋ですね。


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曳き手の皆さんが御池通に移動されて、すぐに辻回しが始まります。
音頭取りの扇に合わせて、曳き手の皆さんが菊水鉾を引っ張ります。

この角度なら菊水鉾の中がよく見えますが、
前には少年で不老不死となった菊慈童の人形がいらっしゃいます。


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菊水鉾の1回目の辻回しが終わり、
町衆の皆さんがまた竹を地面に敷き詰め直されています。


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「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
菊水鉾の2回目の辻回しが始まります。
その掛け声に合わせて、曳き手の皆さんも力が入ります。


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辻回しで、菊水鉾がさらに約30°左折しました。
早速、町衆の皆さんが竹の並べ直されています。
あと1回で、菊水鉾の辻回しも完了するでしょうね。


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竹を並べるのに、約2分で完成しました。
すると、音頭取りの方々が扇を振ります。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
曳き手の皆さんが菊水鉾を引っ張ります。


675-12.jpg
すると、菊水鉾がさらに約30°左折しました。
これで、菊水鉾が約90°の左折が完了しました。
地面の上に並べられた竹が、鉾の下層に収納されます。


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菊水鉾の竹の収納が、終了しました。
すると、音頭取りの皆さんが先程の異なる掛け声をされます。


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「エイヤラヤ~」の音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
菊水鉾が御池通を西に進み始めました。
やがて、菊水鉾は「河原町御池」交差点から姿を消しました。


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続いては、山6番の油天神山の登場です。
油小路沿いの風早町にいらっしゃる火尊天満宮が、ご神体です。
祇園祭の山鉾の中には、町内にいらっしゃる小さな神社を
ご神体とするケースがいくつか見受けられます。
こちらも、そのケースのうちの1体です。


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油天神山が、「河原町御池」交差点中央に差し掛かります。
すると、担ぎ手の皆さんが油天神山を持ち上げられます。


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約90°左折して、担ぎ手の皆さんが油天神山を下ろされます。
そして油天神山は御池通を西に進み、交差点から立ち去ります。


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さらに、山7番太子山がやって来ました。
「太子」とは聖徳太子のことで、こちらのご神体も聖徳太子像です。
「学力向上」のご利益があるとされる山なので、
受験祈願の絵馬が会所にたくさん飾られます。
祇園祭の「山」には通常松の木が使用されますが、
太子山のみ杉の木が使われています。


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「河原町御池」交差点に、太子山が入って来ました。
すると、担ぎ手の皆さんが太子山を持ち上げられて
そのまま交差点を左折されます。


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太子山の後から、荷茶屋(にないじゃや)が続きます。
いつも太子山の会所の前に、二つ並べて置かれていますね。
(第582回ブログを参照)
太子山が巡行する際に必要なものが、中に入っています。


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続いて、山8番保昌山の登場です。
激しい求婚の末、絶世の美女と呼ばれた和泉式部と結婚した
平安時代の武将平井保昌がご神体です。
そのため、恋愛成就のご利益があるとされています。


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保昌山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
すると担ぎ手の皆さんが、保昌山を持ち上げられました。


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約90°左折されて、保昌山が地面に下ろされました。
保昌山も御池通を西進して、「河原町御池」交差点を立ち去ります。


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続いては、鉾5番鶏鉾が「河原町御池」交差点に登場しました。
祇園祭山鉾の中で、自分が唯一由来を知らない鉾です。
確か沿革は諸説あって、定説はありません。


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鶏鉾の前部を大写しにしました。
鶏鉾にも稚児人形がいらっしゃいますが、
こちらには特に名前が無いようです。
ただ、口許が笑っているのが印象的ですね。


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鶏鉾が、「河原町御池」交差点中央まで入ってきました。
「鶏」の法被を着こなされている曳き手の皆さんが、
西側の御池通の方に移動されます。


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その直後に、鶏鉾の竹が交差点の地面に敷き詰められました。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、鶏鉾の辻回しが始まります。


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鶏鉾の曳き手の皆さんが御池通から引っ張ると、
鶏鉾が約30°左折しました。
2019年の辻回しは、どの鉾も上手に回されます。


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鶏鉾の竹は地面に敷き詰める作業はとても早くて、
自分がカメラを下ろしてすぐに2回目の辻回しが始まります。
音頭取りの方々が、掛け声とともに扇を振られます。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」


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2回目の辻回しで鶏鉾が約90°左折したように見えますが、
本当はこの写真は3回目の辻回し終了直後のものです。
結構辻回しの間隔が短いので、撮り損ねてしまいました……


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そして、「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、鶏鉾が西進します。
これで鶏鉾まで辻回しが終了してしまいましたが、
まだまだ辻回しを終えていない山鉾がたくさんあります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、山9番白楽天山以降の辻回しの様子を載せます。
祇園祭の辻回しは、あと何回か掲載します~

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第676回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その4

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相変わらず「河原町御池」交差点から、
祇園祭前祭山鉾巡行の様子を撮り続けています。
山鉾巡行も、ようやく後半に入ってきました。
鉾5番鶏鉾の後ろに、山9番白楽天山が控えております。
今回は、この白楽天山以降の山鉾巡行を掲載します。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午前11時45分。
強い日差しの中、熱中症になりそうです。


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こちらが、山9番の白楽天山です。
「白楽天」とは、中国3大詩人の一人白居易のことです。
代表作「長怨歌」は漢詩としても見事ですが、
死後の楊貴妃を表記した面もあるので、
小野篁のように「死後の世界に自由に行けた」との伝説もあります。
こちらの山は、その白居易と道林との禅問答を表しています。


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白楽天山が、担ぎ手の皆さんによって持ち上げられました。
そして約90°左折した後、白楽天山が地面に下ろされる……
……こともなく、そのまま回転し続けます。
実はこの白楽天山の辻回しは、毎年必ずクルクル回ります。
私見ですが、白楽天山はとてもお茶目です。
まぁこの後の放下鉾以降がだいぶ遅れ気味だそうで、
ちょっと時間に余裕があるそうなのですが……


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白楽天山が、ほぼ360°回転しました。
この角度なら、ご神体の白楽天像と道林像がはっきり見えますね。


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白楽天山がさらに約90°回転しました。
御池通を西に向いたのですが……白楽天山の回転は止まりません。
白楽天山の回転は、2周目に入ります。


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白楽天山が、さらに約180°回転しました。
毎年のようにこういうことをされているせいか、
白楽天山の担ぎ手の皆さんの足腰はまだしっかりされています。


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そのこともあってか、白楽天山は2周目が終わっても回り続けます。
白楽天山の回転は、いよいよ3周目に入ります。


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そしてさらに1周回ったところで、白楽天山の担ぎ手の皆さんは
この白楽天山を地面に下ろされました。
2019年の白楽天山は、合計3周しました。
実は、白楽天山は毎年この交差点で3周回られます。


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続いては、傘鉾2番四条傘鉾の登場です。
「四条」の名の通り、会所は四条通西洞院西入にあります。


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第674回ブログ同様多くの随行者が去られた後、
囃手の皆さんが祇園囃を演奏されています。
囃手さんの真後ろから2人組の棒を持たれた方々が、
2本の棒を交差させて絡ませながら踊られています。
四条傘鉾の棒振り踊りは、いったんは廃れました。
そこで「四条傘鉾の棒振り踊りを元にしている」と伝えられていた
滋賀県甲賀市土山にいらっしゃる神社に残された踊りを参考に
近年(約40年前?)復興されたそうです。


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綾傘鉾同様に、四条傘鉾の辻回しも一瞬で終わります。
車輪と言いますか、タイヤが付いてますので
むしろ持ち上げて辻回しをする必要がありません。


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さらに、山10番孟宗山です。
孟宗三国志にも登場する呉末期の文官ですが、
母親思いの「孝行息子」として日本・中国・韓国で有名ですね。
孟宗が母のために深雪の中で筍を採りに行く故事を元にしています。


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孟宗山が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが孟宗山を持ち上げられます。


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孟宗山は約90°左折して、そのまま地面に下ろされます。
平山郁夫画伯による「月夜の砂漠とラクダ」を描いた胴掛が
鮮やかで見事でありますね。


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そして、鉾6番月鉾の登場です。
月を司る月読命を祀る鉾で、祇園祭の山鉾としては最大です。


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こちらは、月鉾の先端部分月型です。
見事な三日月を模っていますね。


676-17.jpg
月鉾が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
鉾の中央に、於兎麿(おとまろ)と言う名の人形が
お稚児さんとして乗っておられますね。


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月鉾が、「河原町御池」交差点の中央で停止しました。
すると、月鉾の曳き手の皆さんが御池通に移動されます。


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曳き手の皆さんが御池通に向かわれた直後に、
月鉾の辻回しが始まります。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
の音頭取りの方々の掛け声の後、
御池通側から、曳き手の皆さんが月鉾を引っ張られます。


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月鉾の初めの辻回しの際、ちょっと嫌な音がしました。
多分竹の何本かが、裂けたり折れたりしました。
まぁ鉾が転倒したわけではないですし、
竹を入れ替えてこの直後に2回目の辻回しが始まります。


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月鉾の2回目3回目の辻回しはとても早く、
自分が写真撮影の準備をしている間に終わってしまいました……
(その分の写真がありません)
やがて辻回しを終えた月鉾は「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
音頭取りの方々の合図で御池通を西に進みます。


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続いては、山11番山伏山の登場です。
平安時代前期の山伏浄蔵貴所をモデルにした山です。
八坂の塔の傾きを念力で直したという伝説がある方ですね。


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山伏山が、「河原町御池」交差点の中央に入ってきました。
すると担ぎ手の皆さんが、山伏山を持ち上げられました。


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山伏が、約90°左折しました。
……ところが、山伏山はさらに回り続けます。
山9番白楽天山に続いて、山伏山もクルクル回転し始めました。


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山伏山がクルクル回転しております。
こういうパフォーマンスはただ派手なだけでなく、
胴掛や見送りなどが見えますし、ご神体の全体像もよく見えます。


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山伏山は御池通を西に向くと、地面に下ろされ御池通を進みました。
さすがに、2周目には入られませんでした。


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さらに、山11番占出山がやって来ました。
2014年と2015年の山1番ですね。
神功皇后新羅に攻め込む際、鮎釣で戦勝祈願と占いを行いました。
日本ではアユを釣って戦争の結果を占ったので、
「鮎」と書いて「アユ」を意味します。
ちなみに、中国語では鮎は「ナマズ」を差します。
ですから、妙心寺塔頭の退蔵院所蔵「瓢鮎図」とは
「ヒョウタンナマズ」を描いた絵のことです。


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「河原町御池の」交差点の中央に、占出山が入ってきました。
すると、担ぎ手の皆さんが占出山を持ち上げられました。
神功皇后をご神体とするのは次回ブログに出てくる船鉾と
後祭の大船鉾がありますが、
外から神功皇后のお姿を拝見できるのは占出山のみです。


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占出山は約90°左折すると、そのまま地面に下ろされました。
そして、そのまま御池通を西進されました。


676-30.jpg
そして、山12番霰天神山の登場です。
こちらが、2019年前祭山鉾巡行の担ぎ山の最後尾です。
こちらも油天神山同様町内の小さな神社がご神体ですが、
天明の大火の際、突然降った霰(あられ)のせいで
神社周辺のみ焼け残ったことから、火事除けのご利益があります。
京都の町家では「火事除け」に愛宕神社のお札を台所に貼りますが、
ウチの台所のように霰天神山のお札を貼る町家もあります。


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霰天神山も交差点中央で担ぎ手の皆さんが持ち上げられると、
約90°左折して地面に下ろされました。
直後に、「遅れ気味」と言われた放下鉾が続いていますね。
ちなみに後続の山鉾は、放下鉾も合わせて残り3基です。
しかも、全て「くじ引き取らず」(順番が固定)です。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回で、2019年前祭山鉾巡行取材を終えます~

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第677回 2019祇園祭前祭山鉾巡行は辻回し中心~その5

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「河原町御池」交差点からの祇園祭前祭山鉾巡行取材も、
もう5回目の記事となりました。
山12番霰天神山の後は、残り3基ですね。
どれも「くじ引き取らず」(順番固定)の大型の鉾と曳山ばかりです。
今回残りの3基の取材をして、2019年山鉾巡行の連載を終えます。
撮影日は、2019年7月17日水曜日午後0時15分。
もうだいぶ暑くなってきました。


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霰天神山の直後は、鉾6番「くじ引き取らず」の放下鉾です。
「放下」とは大道芸をしながら全国行脚した放下僧のことで、
こちらはそちらをモデルにした鉾です。


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放下鉾が、「河原町御池」交差点に入ってきました。
曳き手の皆さんが、交差点北側にいる
自分の目の前に迫って来られました。


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放下鉾の前面を大写しにしました。
こちらのお稚児さんも人形で、「三光丸」という名前です。
三光丸は浄瑠璃の人形のように、数人の方々に支えられています。



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後ろで支える方々の手によって、三光丸はずっと動かされています。
三光丸は絶えず舞い続ける稚児人形で、
ある意味稚児人形の中ではもっともよく知られています。


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「河原町御池」交差点上に竹が敷き詰められ、
曳き手の皆さんも、御池通に移動されました。
すると、音頭取りの皆さんが掛け声を掛けられます。


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「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々の掛け声と同時に、放下鉾が約30°左折しました。
1度目の辻回しが終わると、すぐに竹の位置が直されます。
そして、程なく2回目の辻回しが始まります。


677-8.jpg
2回目の辻回しで、放下鉾はさらに約30°左折しました。
すると、竹が敷き詰められ直して3回目の辻回しが始まります。
交差点の地面が水浸しですが、辻回しの際
滑りをよくするために竹の上に大量の水が掛けられます。
乾いた空気の中ある程度は蒸発していますが、
その水の残りが地面を濡らしています。


677-9.jpg
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの皆さんの掛け声とともに、
放下鉾はさらに約30°左折しました。
これで合わせて、放下鉾は約90°左折しました。


677-10.jpg
こちらは、放下鉾の下層部です。
袋状になっていて、こちらに辻回しに使用された竹を収納します。


677-11.jpg
「エイヤラヤ~」との音頭取りの方々の掛け声とともに、
放下鉾が西に進みます。
そして、その直後に曳山の岩戸山が見えますね。


677-12.jpg
祇園祭前祭唯一の曳山で、くじ引き取らず(順番固定)の
岩戸山が「河原町御池」交差点に入ってきました。
「曳山」なので「担ぎ山」より大きくて辻回しが必要ですが、
あくまで「山」なので尖塔部分が鉾ではなく松の木です。

岩戸山は、天岩戸伝説を元にしています。
祇園祭を主催する八坂神社の主神は素戔嗚尊であったり、
牛頭天王であったりします。
(素戔嗚尊が八坂神社のご祭神になったのは、明治時代以降)
どちらも厄病神で、疫病をまき散らし多くの人を殺す神様です。
天岩戸伝説は結局のところ、悪行の限りを尽くした素戔嗚尊を
高天原から追放する話です。
平安時代初期に流行した天然痘を鎮める目的で始まった祇園祭で、
厄病神を追放する神話を取材した岩戸山を
最後から2番目に順番を固定して巡行させるのは、
毎年見ていて何か呪術的な意味を想像します。


677-13.jpg
岩戸山の上部を写しています。
屋根方の方々と一緒に、天手力男像がいらっしゃいます。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れられた天岩戸を
強引にこじ開けた力自慢の神様ですね。


677-14.jpg
「河原町御池」交差点の地面に、竹が敷き詰められました。
岩戸山の曳き手の皆さんも、御池通に移動されました。
すると、音頭取りの皆さんの掛け声とともに
岩戸山の辻回しが始まります。


677-15.jpg
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」の掛け声の後、
御池通にらっしゃる曳き手の皆さんが、岩戸山を引っ張ります。
すると、岩戸山が約30°左折しました。
これが、1回目の岩戸山の辻回しです。


677-16.jpg
敷き詰められた竹の位置を直して、
すぐに岩戸山の2回目の辻回しが始まります。
音頭取りの皆さんが扇を振り回し、掛け声を掛けられます。
「よ~いよ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」


677-17.jpg
2回目の辻回しで、岩戸山はさらに約30°左折しました。
岩戸山は、もう1回辻回しが必要ですね。


677-18.jpg
「河原間御池」交差点上の竹が、再び敷き詰められ直しました。
音頭取りの皆さんが扇を振り上げられ、三度辻回しが始まります。


677-19.jpg
岩戸山が3度目の辻回しを行い、さらに約30°左折しました。
これで、合わせて約90°岩戸山が左折したことになります。


677-20.jpg
こちらは、岩戸山の下部です。
袋状になっていて、こちらに辻回しで使われた竹を収納します。


677-21.jpg
岩戸山の町衆の皆さんが、交差点に残る竹を回収しました。
音頭取りの皆さんの「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
岩戸山が御池通を西に去っていきました。
そして、祇園祭前祭山鉾巡行最後尾の船鉾が登場です。
(もちろんくじ引き取らずの順番固定です)


677-22.jpg
船鉾がまだ「河原町御池」交差点に入る前から、
辻回しのための竹が並べられていきます。
2019年の辻回しは、どちらも手際がいいですね。


677-23.jpg
船鉾が「河原町御池」交差点中央に来ると、
音頭取りの方々の合図で停止ました。
そして、曳き手の皆さんが御池通に移動されます。

船鉾は、神功皇后新羅に攻め込んだ際、
乗っていた船天鳥船神を表しています。
(ちなみに新羅に向かう船が「船鉾」で、
新羅から帰還した船が後祭の「大船鉾」です)
ですから船の形の鉾なのですが、きちんと鉾の形式も残しています。
舳(船の先頭部分)には、鷁(げき)という
架空の水鳥を付けています。


677-24.jpg
準備が良かったこともあって、「河原町御池」交差点の竹は
数分もしないうちにきちんと並べられました。
そして、音頭取りの方々の扇が振り上げられます。


677-25.jpg
「よ~いよ~いとなっ、よ~いとせっ」
音頭取りの方々の掛け声とともに、
御池通に回られた曳き手の皆さんが一斉に船鉾を引っ張ります。
すると、竹の上を滑った船鉾は約30°左折しました。


677-26.jpg
船鉾の1回目の辻回しが終わり、すぐに竹が並べ直されます。
その際手前に見える桶を使って大量の水が運ばれますが、
その水は「河原町御池」交差点南東角の
改築工事中の京都信用金庫河原町支店から運ばれます。


677-27.jpg
そして、その直後に竹が敷き詰め直されました。
2回目の船鉾辻回しが始まります。


677-28.jpg
2回目の船鉾の辻回しでも、約30°左折しました。
さらにすぐに交差点上の竹が並び直され、
3回目の船鉾の辻回しが始まります。


677-29.jpg
3回の辻回しを経て、船鉾は約90°左折しました。
これで辻回しが終了したので、
船鉾下層部に、今まで使っていた竹を収納します。

……この角度なら、横縞の船鉾胴掛が見えますね。
(後祭の大船鉾なら、縦縞の胴掛)
さらに大船鉾と異なるのは、舵が黒漆で塗られていることです。
(大船鉾は、赤漆で塗られています)
ちなみ、船尾の部分にご神体の神功皇后像がいらっしゃいます。


677-30.jpg
音頭取りの方々の「エイヤラヤ~」の掛け声とともに、
船鉾が御池通を西に進みます。


677-31.jpg
祇園祭前祭の全ての山鉾巡行が、これで終了しました。
最後にもう1枚船鉾を撮ろうとしたら、
手前にいらしたおそらくプロのカメラマンが
突然自分たち後方の人々をかき分けて帰られたので、
こんな1枚しか撮れませんでした。
取りあえず、船鉾が「河原町御池」交差点から去っていきます。


677-32.jpg
船鉾が「河原町御池」交差点を去った後、
1台の警察車両が通り過ぎます。
船鉾の後方から、交通整理を行っています。


677-33.jpg
その直後、河原町通の車道に引かれた規制線が解除されます。
この瞬間、自分たちは車道から歩道へ移動を強いられました。
(もうすぐここに、普通車両やバスが通過します)


677-34.jpg
そして、祇園祭前祭山鉾巡行の最後尾が通過します。
こちらの特殊車両は信号機の位置を直したり、
信号機を点灯させたりするためのものです。
事実この車両の直後から、交通規制が解除されました。


677-35.jpg
「河原町御池」交差点の信号機が再点灯されて、
交差点が通常運転に戻りました。
……と思ったのですが、
船鉾はまだまだ寺町通付近でうろうろされています。
とは言え、自分は横断歩道を渡って自転車置き場に戻り
そこから自転車で帰宅しました。

これで、2019年祇園祭前祭山鉾巡行の連載を終えます。

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第678回 御所南散策 前編

前回ブログで2019年祇園祭の記事が終わりました。
自分が脳出血で入院したのが2019年7月21日日曜日ですから、
入院する以前の写真を全て貼り付け終わったことになります。
自分が退院したのが2019年8月6日火曜日で、
それなら3日後の2019年8月9日金曜日に
五条坂の陶器祭まで行けると思っていたのですが、
いざ当日になってみると目的地までの移動距離も考慮したら
絶対無理と分かりました。(約3km以上あります)
……と言いますか、長い間ベッドで寝ていましたから
長距離歩行に自信がありませんでした。
(退院当日は、病院から自宅まで徒歩で帰宅しているのですが……)
そこで、今回はその日の午前に行かなければならなかった
御所南にあるリハリビセンターに通う道を取材することにしました。
まぁ実際にブログ取材して、どこまでできるか試します。


678-1.jpg
京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅です。
結構久しぶりに、こちらで降ります。
今回は、この駅から御所南のリハリビセンターまで行きます。
撮影日は、2019年8月9日金曜日午前9時45分。
気温が体温越えの炎天下でした。


678-2.jpg
自分が京都駅から乗っていた国際会館行きの地下鉄が、
「丸太町」駅から出発します。
そう言えば、最近京都サンガの車内広告が少なくなっていますね。


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地下鉄「丸太町」駅のホームを北上します。
今から丸太町通以南の御所南に向かいますが、
南側コンコースだと目的地より南の夷川通まで行ってしまいます。


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地下鉄「丸太町」駅ホームからエスカレーターに乗って、
地下鉄「丸太町」駅北側コンコースに上がってきました。
では、こちらから「丸太町」駅北側改札を抜けます。


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地下鉄「丸太町」駅北側コンコースを西に約3m移動して、
地下道で南に向きました。
この左(東)側が、地下鉄「丸太町」駅北側改札です。
葵祭見物では北側の1番出口や3番出口を目指しますが、
今回は御所南へ行くのでこの地下道を南下します。


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先程の位置から、地下道を約50m南下し、東を向きました。
では、こちらの階段を上り地上に向かいます。


678-7.jpg
そのまま階段を上り、地上に上がりました。
次に、地下鉄「丸太町」駅3番出口から烏丸通に出ます。


678-8.jpg
地下鉄「丸太町」駅3番出口から烏丸通に出て、北を向きました。
約50m先に、「丸太町烏丸」交差点南東角が見えますね。


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今度は地下鉄「丸太町」駅3番出口から、南を向いています。
約50m先に、竹屋町通との交差点が見えます。


678-10.jpg
先程の位置で約50m南下し、烏丸通から竹屋町通を東に向きました。
今回ブログのメインが、この竹屋町通散策です。


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烏丸通から、竹屋町通を約30m東に進みました。
ここで竹屋町通は、車屋町通と交差します。


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竹屋町通から、車屋町通を北に向いています。
車屋町通は、烏丸通より1本東の通りです。
ただ烏丸通がよく東に広がりますので、
車屋町通はよく烏丸通に吸収されます。

車屋町通は、約100m先の丸太町通沿いの京都御苑で途切れます。
よく見ると、その丸太町通沿いに
地下鉄「丸太町」駅1番出口が見えますね。


678-13.jpg
車屋町通から、竹屋町通を東に向いています。
この辺りは古い京町家が少なく、
代わりに飲食店などのお店があちこち見えます。


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車屋町通から、竹屋町通を東に約50m進みました。
ここで竹屋町通は、東洞院通と交差します。


678-15.jpg
竹屋町通から、東洞院通を南に向いています。
東洞院通以東の竹屋町通沿いに大きな児童公園があり、
たくさんの小学生が遊んでいます。
まぁ、この日(2019年8月9日)は夏休み真っ盛りですね。
さらに児童公園の南に、大きな施設も見えます。


678-16.jpg
東洞院通から竹屋町通を東に進み、児童公園の正面に来ました。
こちらは、京都市中京区が管理する竹間公園です。
本当は遊具周辺で相当数の小学生が遊んでいますが、
そちら一帯は撮影できません。(小学生の顔を撮ってしまいます)
竹間公園より南に進むと大きな施設がありますが、
こちらは京都市が管理するこどもみらい館です。
そちらには、親子連れが多くやって来ます。


678-17.jpg
竹間公園正面の西側に、こちらのお地蔵さんがいらっしゃいます。
取りあえずお参りしましたが、座って撮影して
立ち上がったときに立ち眩みを起こしました。
近影を写すときはなるべく低い視点から撮るのですが、
今回は以降全て立ったまま撮影します。


678-18.jpg
そのお地蔵さんの前で、竹屋町通を東に向きました。
目の前で、竹屋町通は間之町通(あいのまちどおり)と交差します。
間之町通は、竹間公園とこどもみらい館の最東端でもあります。


678-19.jpg
竹屋町通から、間之町通を北に向いています。
間之町通は、約100m北の京都御苑で(丸太町通で)突き当たります。
その辺りに京都御苑の間之口門(まのくちもん)が見えるはずですが、
ここ「竹屋町間之町」の辻からは見えませんね。
ちなみに、間之口門が間之町通の名称の由来です。


678-20.jpg
間之町通から、竹屋町通を東に向きました。
では、こちらを東に進んでいきます。


678-21.jpg
間之町通から、竹屋町通を約50m東に進みました。
左(北)側に、「京都竹屋町高倉郵便局」が見えます。
(第434回ブログにも載っていますね)
ここで竹屋町通は、高倉通と交差します。


678-22.jpg
耐えや町通から、高倉通を北に向いています。
ここから北は、第434回ブログ後半のルートと同じですね。


678-23.jpg
高倉通から、竹屋町通を東に向きました。
だんだん京都地方裁判所が近づいて、
弁護士や司法書士の事務所が増えてきます。


678-24.jpg
高倉通から、竹屋町通を東に約50m進みました。
ここで竹屋町通は、堺町通と交差します。


678-25.jpg
竹屋町通から、堺町通を北に向いています。
丸太町通を通行中のトラックが邪魔でよく見えませんが、
堺町通の突き当りに京都御苑の堺町御門が見えます。
京都御苑はどちらが正門かはっきりしないのですが、
歴史的ポジションからこちらが京都御苑の正門なのでしょう。
ちなみに、どんどん焼けの火元はこの堺町御門が有力です。


678-26.jpg
堺町通から、竹屋町通を東に向きました。
では、こちらを進んでいきます。


678-27.jpg
堺町通から、竹屋町通を東に約50m進みました。
ここで竹屋町通は、柳馬場通と交差します。
……ここより東は、桜並木に囲まれていますね。


678-28.jpg
竹屋町通から、柳馬場通を北に向いています。
右(東)側に大きな建物がありますが、こちらが京都地方裁判所です。
京都地方裁判所は周囲に枝垂桜が植えてあり、
それが京都市街地の隠れた「桜の名所」の一つです。


678-29.jpg
柳馬場通から、竹屋町通を東に向きました。
左(北)側には京都地方裁判所の枝垂桜並木が、
右(南)側には京都市立御所南小学校の大桜並木が続きます。
京都裁判所の枝垂桜並木は、竹屋町通沿いがいちばんきれいですね。


678-30.jpg
柳馬場通から、竹屋町通の桜並木を約100m東に進みました。
ここで竹屋町通は、富小路と交差します。


678-31.jpg
竹屋町通から、富小路を北に向いています。
左(西)側に京都地方裁判所の枝垂桜並木が見えますが、
右(東)側に御所南のリハリビセンターが見えます。
ただ今、2019年8月9日金曜日午前10時55分。
血圧を測ってからでないと受付できませんので、
相当ギリギリですね。(午前11時に呼び出されています)
では、ここからリハリビセンターまで向かいます。

今回は、ここまでです。

~次回は丸太町通を通って、地下鉄「丸太町」駅を目指します~

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第679回 御所南散策 後編

679-1.jpg
御所南のリハリビセンターを出て、富小路を北を向いています。
左(西)は京都地方裁判所、
右(東)は御所南のリハリビセンターが見えます。
リハリビセンターでいろいろ訓練を終えた後、
市営地下鉄「丸太町」駅まで帰りたいと思います。
今回は、丸太町通沿いを西に進みます。
撮影日は、2019年8月9日金曜日午後1時。
この日は、この時間帯から体温越えの猛暑となりました。


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御所南のリハリビセンターから、富小路を約100m北上しました。
富小路は、京都御苑南端の丸太町通で突き当たります。


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富小路から、丸太町通を東を向いています。
先述の通り丸太町通は京都御苑最南端の道で、
烏丸通~寺町通間は全てこの丸太町通でいったん突き当たります。
目の前にあるホルモン鍋屋さんが気になりますが、
最近塩気のないものばかり食べていると、
ちょっとずつ好みも変わりまして、
だんだんこういう味の濃いものを以前ほど食べたくなくなりました。


679-4.jpg
同じ位置で北東を向きました。こちらは京都御苑の富小路門です。
富小路の真北にはありませんので、
リハリビセンターからは直接見えません。
この門の真北の京都御苑内に富小路公園がありまして、
こちらが京都市街地内で数少ない野球やサッカーができる場所です。
最近は観光客も増えましたが、
京都市民にとっての京都御苑は「球技も遊べる広い公園」です。
自分も小学生の頃はこの富小路公園で球技をしました。


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さらに同じ位置で、富小路から丸太町通を西を向きました。
左(南)側は京都地方裁判所の枝垂桜並木が、
右(北)側は京都御苑が見えますね。
では、ここを進みます。


679-6.jpg
丸太町通沿いも京都地方裁判所の周囲に枝垂桜並木が広がりますが、
こちらが裁判所の正面ということもありまして、
警備員がたくさんいらして周囲を警戒されています。
まぁテロ行為とかあってはいけないのでそうなるのでしょうが、
その辺りはゆっくり写真を撮る余裕はありません。
ですから京都地方裁判所の最西端まで、写真はありません。
(京都地方裁判所正門などを撮りませんでした)

富小路から、丸太町通を約80m西に進みました。
京都地方裁判所正門の近くに、「裁判所前」バス停が立っています。


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「裁判所前」バス停から、約20m西に進みました。
こちらの「丸太町柳馬場」交差点に、横断歩道が敷いてあります。
交差点近くに、京都地方裁判所や
京都御苑の堺町御門がある関係でしょうね。


679-8.jpg
柳馬場通から、丸太町通を西に向いています。
この30mほど先に公衆電話がありますが、
そちらからリハリビが終わったことをウチに報告します。
(自分はスマホはもちろん携帯電話を持っていませんし、
ウチの母がいつごろリハリビが終わるか気にしていたので……)
右(北)側に京都御苑の堺町御門があります。


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こちらが、堺町御門です。
葵祭では、この門から京都市街地に巡行行列が出て行きます。
この門をくぐると建礼門大通が北に伸びており、
その約1㎞先の建礼門から京都御所(かつての皇居)に入れます。
1864年にその建礼門から京都御所に入ろうとした長州藩と
それを阻止しようとした江戸幕府軍が争ったのが禁門の変で、
敗走する長州藩士に追い打ちをかけるため、
この堺町御門周辺に幕府軍が火を放ったことで
京都市街地が焼け野原になったのがどんどん焼けです。
(祇園祭の山鉾の大半が、これで焼失しました)
禁門の変の詳細は、第437回ブログに記載されています。


679-10.jpg
先ほど話題に出ていた公衆電話ボックスの西側で、
丸太町通を西に向きました。
こちらで堺町通が突き当たっていて、その北側が堺町御門です。
では、こちらを進みます。


679-12.jpg
堺町通から、丸太町通を西に歩いています。
丸太町通より北は京都御苑最北端の今出川通まで車道がないので、
この辺りの丸太町通は自動車の交通量がとても多くなります。
歩道側は民家が並びますが、京町家はあまり多くありません。
と言いますのも、こちら側の丸太町通は戦後拡張された場所で
この辺りの家屋は古くても築70年も経っていません。


679-13.jpg
堺町通から、丸太町通を約50m西に進みました。
この辺りで丸太町通は、高倉通と交差します。
ここからは、第434回ブログ後半と似たルートを辿ります。
(同じルートではありません)


679-14.jpg
高倉通から、丸太町通を西に約50m進みました。
ここで丸太町通は、間之町通(あいのまちどおり)と交差します。
「丸太町間之町」交差点の西側に横断歩道が設置されていて、
そこからさらに西側に京都御苑の門が見えます。
こちらが「間之口門」(まのくちもん)で、
間之町通という名称の由来なのですが、
その間之口門は間之町通よりこのくらい西にズレているので、
竹屋町通から間之町通を北に向いても、全く見えません。
(前回ブログを参照)


679-15.jpg
「丸太町間之町」交差点で、北西に向きました。
横断歩道の先に、京都御苑の「間之口門」が見えますね。
北上すれば、京都御苑内の旧閑院宮邸や宗像神社に行けます。
(第201回ブログを参照)


679-16.jpg
少し西に移動して、間之口門の正面に回ってきました。
丸太町通南側歩道から、間之口門を大写ししました。
門前中央の百日紅(さるすべり)が、満開の花を咲かせています。
8月~9月に京都市街地に咲く花と言えば、百日紅ですね。


679-17.jpg
間之町通から、丸太町通を西に約50m進みました。
ここで丸太町通は、東洞院通と交差します。
だんだん烏丸通との交差点が近づいてきて、
歩道沿いの民家に飲食店の割合が増えてきました。


679-18.jpg
東洞院通から、丸太町通を西に向いています。
さらに「丸太町烏丸」交差点が近づいて、
確実に辺りが賑やかになってきました。
約80m先に、車屋町通と交差しています。


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丸太町通を西に進み、車屋町通からさらに西に向いています。
目の前に、「丸太町烏丸」交差点が見えますね。


679-20.jpg
こちらが、「丸太町烏丸」交差点南東角です。
北西角にマクドナルドが見えますが、
その北隣に地下鉄「丸太町」駅2番口があります。
(第397回ブログで利用しました)


679-21.jpg
丸太町通から、烏丸通を南に向いています。
約50m先に、地下鉄「丸太町」駅3番口が見えます。
前回ブログでは、こちらから地上に出ました。
つまり、これで御所南周辺を1周回ったことになります。
ではこちらから、地下鉄に乗って帰宅します。

~次回から、新しい道を新連載します~

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第680回 さて、どこの正面?~正面通東から西~その1

今回は本編に写真はありません。(その分「追記」に写真があります)
前回ブログで自分のリハリビの取材を終えました。
ですから、今回からようやく新しい道を進んでいきます。
今回から、正面通を紹介します。
敢えてこの道を選んだ理由は、いくつかあります。

1.ウチの近所の道のため

2.とても短い道のため

3.狭い道の割に、観光名所が多いため

理由の1と2は、自分が患った脳出血が原因です。
いま自分で運転する乗り物をお医者さんより禁止されているので、
(自転車や自動車など、自分で判断して運転する乗り物は厳禁です)
徒歩しか移動手段はありません。
(電車やバスなどの移動は可能ですが、
どの道も公共の交通機関から外れてしまう箇所があります)
その点、正面通はウチの近所で
端から端までウチからは徒歩圏内です。
もちろん他の道でその条件に当てはまるものもあるのですが、
その中でもこの正面通は極端に観光地に恵まれています。
しかも商店街も何ヵ所かあり、なかなか変化に富んだ道です。

大通りの中間点
正面通は、京都市東山区から京都市下京区にかけての道です。
6車線の五条通と4車線の七条通の中間に位置するため、
南北の道を進む市バスの停留所の目安になっています。
(「河原町正面」バス停など)
ちなみに正面通の約100m北に六条通も存在しますが、
そちらはとても短いので、正面通の方が基準の道になります。

豊臣秀吉による大仏殿の正面
正面通は、豊臣秀吉による京都再区画の際に誕生した道です。
つまり794年の平安京遷都の際には、存在しなかった道です。
1467年の応仁の乱で京都市街地はいったん荒廃しました。
その後京都市街地は豊臣秀吉の再開発を経て
その後徳川家康によって京都市街地東部がさらに開発されました。
(河原町通や五条通以南の木屋町通、祇園は、その際できました)
それが、現在の京都市街地の原型です。
(要するに、数百年京都市街地は大きくは変わっていません)
豊臣秀吉は戦国時代に焼け落ちた奈良の東大寺に代わる
新しい大仏殿を京都に建てようとしました。
そしてその大仏殿と豊国廟(豊臣秀吉のお墓)の正門の正面に、
1本の参道を新たに敷設しました。
それが、現在の正面通の原型です。

豊国神社の正面
豊臣秀吉が建設した大仏殿は南は現在の三十三間堂、
北は現在の方広寺ととても広いものでした。
そして当時の正門から真西に伸びた道が、正面通です。
この正門の位置に、現在の豊国神社の鳥居が立っています。
ですから、正面通は豊国神社の正面から西に伸びた道です。
その周辺は正面通沿いに百日紅(さるすべり)並木が続き、
「耳塚」や専定寺など豊国神社に関わる施設が建っています。
正面通は初め4車線ですが、本町通以西は商店街が続き
道幅も自動車がやっと1台通れる道幅に変わります。

高瀬川周辺は桜の名所
やがて鴨川に架かる正面橋を越えると、
京都市東山区から京都下京区に移ります。
そこからも小規模な商店街が続きますが、
高瀬川に架かる正面小橋周辺が京都市街地屈指の桜の名所です。
(第647回ブログなどウチのブログでも何度も紹介しました)
特に、正面児童公園の大桜が素晴らしいですね。
正面通は、正面児童公園より約50m西の河原町通で
いったん突き当たります。

渉成園と東本願寺正面の道
河原町通で正面通が突き当たるのは、渉成園の塀があるためです。
渉成園の西側に回り込みますと、
その渉成園の正門の正面から、また正面通が西に伸びています。
その辺りの正面通は東本願寺の門前町を形成していて、
東本願寺の御影門前で再び正面通は突き当たります。

ご縁まちと西本願寺
東本願寺でまた突き当たった正面通は、
東本願寺の西端より少し西の新町通でさらに西に伸びています。
その辺りからの正面通は元々は西本願寺の寺領(寺院の領地)で、
仏具店が多い門前町を形成しています。
こちらを特に「ご縁まち」と呼んでいます。
要するに、仏具店が多く並ぶ商店街ですね。
さらに正面通は、西本願寺御影門で突き当たります。


そして、島原へ
西本願寺の西側の大宮通沿いで、
正面通はまたまた復活します。
そこからは、元花街の島原を通ります。
このブログでは何度も島原を紹介したのですが、
いづれも花屋町通沿いでした。
正面通は島原の最南端に位置し、
この正面通より北の道に島原地区を表す石畳が敷かれます。
そして、そのまま西に進んだ後千本通で最終的に突き当たります。

では、次回から正面通近くを取材していきます。

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第681回京都国立博物館 前編~正面通東から西~その2

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こちらは、七条通北側歩道の「博物館 三十三間堂前」バス停です。
はっきり言ってウチの近所ですが、京都駅北側市バスターミナルから
わざわざ208系市バスに乗ってここまで来ました。
今回は、京都国立博物館内を散策します。
博物館内の催し物は取材できないので、その分周囲の散策をします。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後1時45分。
結構豪雨で、傘があって助かりました。


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「博物館 三十三間堂前」バス停前で、七条通を東に向きました。
写真の中央に、先程まで乗っていた208系市バスが見えます。
この少し先で七条通が突き当たりますが、
左折して北上し清水寺や祇園に向かうのが206系市バスで、
右折して南下し今熊野神社や東福寺に向かうのが208系市バスです。


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その辺りで南を向くと、七条通から三十三間堂廻りを
南に向いたことになります。
安土桃山時代(16世紀末)のこの辺り一帯は、
豊臣秀吉が建立した大仏殿とその関連神社仏閣でした。
この目の前に建っている三十三間堂は平安時代の建物ですが、
安土桃山時代当時はその関連神社仏閣として存在していました。
ですから現在の三十三間堂廻り南端の三十三間堂南大門は、
元々大仏殿や豊国廟(豊臣秀吉のお墓)の南大門でした。


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同じ位置で、七条通を東に向きました。
七条通の突き当りは、真言宗智山派本山智積院です。
こちらは元々豊臣鶴松の菩提寺臨済宗妙心寺派祥雲寺でしたが、
豊臣氏滅亡後徳川家康が廃寺にして智積院を建立しました。
(徳川家康によって、豊臣秀吉の影響力がない場所になっています)


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さらに同じ場所で、北を向きました。
この辺りは七条通より北側に、京都国立博物館が建っています。
安土桃山時代に(16世紀末)、先述の大仏殿はこちらにありました。
徳川家康は豊臣秀吉が建てた建造物を破壊したりしませんでしたが、
大仏殿は放置されてやがて落雷などが原因で焼失しました。
大仏殿の焼け跡は江戸時代を通じて放置され続けましたが、
明治時代に入って大仏殿址の再開発が進み、
北半分が豊国神社に、南半分が京都国立博物館になりました。


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七条通側にある京都国立博物館入り口の西隣に、
こちらのグッズショップが建っています。
こちらは、2014年に改装されたときに建設されました。


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同じ位置で、東を向きました。
こちらに、チケット売り場があります。
取りあえず520円支払って、この先に進みます。


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こちらが、そのチケットです。
現在、京都国立博物館は平成知新館のみ公開で
旧館の明治古都館は修復中のため入れません。
まぁ今回ブログのメインはその周辺の散策ですので、
目的は果たせそうです。


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本当はチケット売り場の西側にある受付に向かうのですが、
今回はその場で東を向きました。
トイレの先に、前田珈琲の支店があります。
では、先にこちらに立ち寄ります。


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中は、そこそこ混んでいました。
暫く待ってから、こちらの席に座りました。
さらに約5分後、こちらがテーブルにやって来ました。


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前田珈琲はその名の通りコーヒー屋さんなので、
いろいろ考えてエスプレッソを頼みました。
その名の通り、こちらはすぐ来ました。
昼食代わりに頼んだので、この日は砂糖を入れて頂きます。


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そして、こちらはオレンジタルトです。
ピール付きのオレンジの薄切りがトッピングされていて、
多分その下にもオレンジの果汁が入っています。
タルト生地が、とてもクリスピーでした。


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前田珈琲を出て、西を向いています。
では、こちらから京都国立博物館に入ります。


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京都国立博物館入り口を通過すると、進路は北に変わります。
この瞬間小雨が降っていたのですが、
雨傘を差す差さないは人それぞれですね。


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京都国立博物館入り口から、約50m北上しました。
ここで、東西の小径が伸びていますね。
その脇の石板に、京都国立博物館の周辺地図がありました。


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先ほどの地図の前から、約50m北上しました。
目の前の東西の小径辺りが、この広場の中央です。
あと約100m北上すると、先述の平成知新館に入れます。
しかし先に周辺散策をしたいので、今はそちらに向かいません。
(平成知新館には、次回ブログでお邪魔します)


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その広場中央の小径上で、東を向きました。
こちらは、京都国立博物館の明治古都館です。
2014年の改装以前は、こちらが本館でした。
(現在は修復中で、閉鎖されています)
ちなみに、こちらの建物自体が重要文化財です。
ですから、今の平成知新館よりもこちらの方が
京都市民には京都国立博物館のイメージがあります。
こちらが建立されたのは明治時代の1897年ですが、
確かこのような形式の建物になったのは、
フランスのパリのルーブル美術館を意識したものだと聞いています。


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明治古都館正面口の前で、南を向きました。
約100m先に、先述の前田珈琲が建っています。
オープンカフェテラスもあるのですが、
この雨の中ではそちらは本日休止のようです。
では、あの辺りまで南下します。


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その前田珈琲京博支店の脇で、東を向きました。
では、明治古都館の南側の道を東に進んでいきます。


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先ほどの位置から、明治古都館の南側を約50m東に進みました。
その辺りに、こちらの自動販売機があります。
2014年以前は、明治古都館に入り切れず長い行列がよくできました。
それが先程の広場を越えて、この自動販売機まで伸びていました。
この日(2019年8月27日)は雨が降っていましたが、
GWなどは快晴が多く、熱中症の予防でこの自動販売機で
ジュースを買って、頭を冷やしてから中身を飲んでいました。


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その自動販売機の前で、東を向いています。
ここで道が分岐していますが、目的地には右側が最適です。
今回ブログの後半はこの右側を進み、
1周回ってこの左側からこの場所に帰ってきます。


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先ほどの写真に写る右側の小径をさらに東に進んでいます。
左(北)側は松や桜並木ですが、右(南)側は博物館の駐車場ですね。
ちょっと雨足が強くなってきましたので、雨傘を差します。
(写真に写り込んでしまいました)


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先ほどの小径をさらに東に進んでいます。
ここまでも十分に上り坂でしたが、
この辺りでさらに急な上り坂に変わります。


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その小径の左(北)側に、こちらが建っています。
多分こちらの職員の方々の仕事場です。
明治古都館は重要文化財でしたが、
こちらは文化庁指定の有形登録文化財です。
(第251回ブログの船岡温泉と同じですね)


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上り坂を約50m、上りの石段を約50m東に進みました。
こちらで、ようやく上りが終わります。


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石段の上に、このような石造が何基も並んでいました。
こちらの石像は、李氏朝鮮王国の墳墓に安置されていたものですが、
様々な縁により日本人の手に渡り
その方の子孫の手によってこちらに寄贈されたものです。


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同じ位置で、南東を向きました。
奥の紅い花は、百日紅(さるすべり)です。
その脇に藤棚があって、手前は桜並木です。
近くにベンチがあるので晴れていれば休憩したいのですが、
雨足が先ほどから徐々に強くなってきました。

またこの藤棚の辺りが京都国理知博物館南東端で、
藤棚の裏にある鉄柵の向こうは「東山七条」交差点です。


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さらに同じ位置で、北を向きました。
では、向こうの柵のある位置まで進みます。


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先ほどの位置から、約50m北上しました。
ではこの道標の通り、もう少し北上します。


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先ほどの位置から、約10m北上しました。
ここから、京都国立博物館の茶室堪庵(たんあん)に入ります。
ただこの辺りから雨が強くなって、遂に雨粒が写り込んできました。


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門をくぐり、堪庵の玄関に入ってきました。
堪庵は公開中なのですが、室内に上がるのは禁止されています。


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ですから、堪庵の裏手に回り込みました。
こちらから、躙り口や手水鉢が見えます。
ただ雨足が強くなってきましたので、こちらの縁側で休憩しました。


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堪庵の室内に上がるのは禁止なので、縁側に腰掛けて雨宿りです。
その間、こちらを見ていました。
苔生した庭に、カエデの木が並んでいますね。
あまり観に来る人はいませんが、丁寧に整備された庭です。


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雨足はますます強くなりますが、もう10分以上こちらにいます。
ですから、こちらを出て先を進みます。


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堪庵を出て、南を向きました。
ではこちらを進み、先ほどの道を戻ります。


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堪庵の出口から、約50m南下しました。
先ほどの小径を戻る途中で、西を向きました。
その位置に、下りの石段がありますね。
先ほどの小径から逸れますが、こちら側を進みます。


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先ほどの位置から西に進み石段を下ると、こちらの下り坂に出ます。
この道の先に、先程の明治古都館が見えますね。
さらにこの先に、北に下りる石段が見えます。
では、こちらを下りていきます。


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その石段を下り切って、西を向きました。
こちらは、明治古都館の南側の道です。
ずっと向こうに、先程の自動販売機が見えますね。
では、こちらを進んでいきます。


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明治古都館の南側の道を、西に約50m進みました。
自動販売機の手前で、先程の小径と合流していますね。
では、この先の自動販売機の辺りまで戻ります。


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先ほどの小径と合流し、自動販売機の前で西を向きました。
ずっと先(西)に、前田珈琲の支店が見えていますね。
さらに先(西)に、京都国立博物館の七条通側の入り口があります。
(今回ブログの冒頭に近い部分ですね)
ではこの博物館の入り口付近に戻って、
今度は京都国立博物館の南半分に向かいます。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、京都国立博物館の南半分を散策します~

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第682回 京都国立博物館 後編~正面通東から西~その3

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前回ブログで、京都国立博物館の北半分を散策し、
最終的に入り口付近に戻ってきて北を向いています。
今回は目の前の平成知新館(現本館)に立ち寄った後、
京都国立博物館の南半分を散策します。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後2時半。
豪雨が続きますが、この日は最後まで警報が出ませんでした。


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七条通側の京都国立博物館入り口から、約50m北上しました。
ではさらに約50m北上し、目の前の平成知新館に入ります。


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この日(2019年8月27日)は大雨でしたので、床が雨粒でぬれていて
それを気にされた博物館の職員の方々が多くいらっしゃいました。
……で、その中の一人に写真撮影の限界をお聞きしました。
以外にも、館内の一部が撮影可能でした。
基本的に撮影可能なのは1Fの一部だけで、展示物が無い場所です。


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先ほどの位置から、平成知新館内部を西に向きました。
はっきり言って何もないスペースなので、撮影可能です。
ですが、こちらは意外と休憩に最適です。
広いスペースにベンチがあるだけですので、
とても静かで落ち着くことができます。


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今度は、同じ場所で東を向きました。
手前はグッズショップなのですが、奥はレストランです。
だんだん雨足が強くなっていく中で、
多くの方々がこちらに集まっています。


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先ほどの部屋の北隣は、東西に伸びる長い廊下です。
その位置で、東を向いています。
手前からトイレ、視聴覚室、イベントホールが並んでいます。


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その廊下を約50m東に進み、南を向きました。
この辺りはガラス張りなので、外の様子がよく見えます。
先ほどのレストランにオープンカフェが設置されているのですが、
この大雨の中ではそちらには誰もいません。
この位置ですと、明治古都館の全景がよく見えますね。


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一方、こちらの西側は長い廊下がない代わりに展示会場があって
そこから先が撮影不可の場所となります。
順路としては最初に目の前に行くのではなく、
手前の左(南)側にエレベーターがあって、
そちらから3Fに移動します。
そして、3Fから徐々に下りっていって
最終的に目の前の場所から出て行きます。
(こちらは、どの催し物でも同じ順路です)


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この日(2019年8月27日)は、こちらでは
この催し物が行われていました。
2019年9月1日から9月7日まで、
ICOM(国際博物館会議)の京都大会が行われます。
そのことを受けて、こちらの京都国立博物館や京都文化博物館
海外の方々に日本文化を紹介する催し物が開かれています。

こちらに書かれている「寄託」とは、
各箇所の所有権はそのままにして
現物の文化財を保存するために京都国立博物館などの
公共施設に保管してもらうことです。
臨済宗建仁寺派本山建仁寺などが典型例ですね。

今回の催し物では3Fは小物類(土器や金属製の道具)、
2Fは掛け軸や屏風、障壁画などの絵画、
1Fは仏像や書簡、衣類・織物が展示されていました。
その多くが国宝・重要文化財で、
日本人が見ていても迫力があるのですが、
海外から来られた方々に日本文化を誇るような
そんな目的があるような気がしました。
個人的には3Fの金属製の経箱(お経を入れる箱)が
素晴らしいと思いましたが、
閲覧されていた方々の多くは2Fの建仁寺所蔵の
「風神雷神図屏風」(俵屋宗達作)「雲竜図」(海北友松作)に
特に注目されていました。
まぁ建仁寺常時展示のものはコピーですが、
こちらのものは本物ですから、迫力が違います。


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こちらの催し物は約30分くらいで回ろうと思っていましたが、
特に3Fで時間がかかってしまい1時間くらい眺めていました。
現時点で、2019年8月27日火曜日午後3時半。
ようやく1F催し物会場から出て、元の位置に戻ってきました。


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催し物会場で、南を向きました。
ではこちらを移動し、京都国立博物館の平成知新館を出ます。


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平成知新館を出て、京都国立博物館の敷地内にいます。
傘立ての都合で、真南を向くことが出しません。
南東に向くと、この位置から明治古都館がよく見えますね。
そう言えば、自分が平成知新館を閲覧している間に
豪雨がすっかり止んでました。


682-13.jpg
同じ位置で、真西を向きました。
こちら側の池と噴水は、屋内から見ると結構きれいに見えます。
池の水面を見ると、噴水によるもの以外に波紋がありません。
そう言うことからも、雨が止んだことが分かりますね。


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平成知新館の前で、京都国立博物館の広場を南に向いています。
目の前の小径を約100m進むと、七条通側入り口に辿り着きます。
取りあえず、こちらを約50m南下します。


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平成知新館から京都国立博物館の広場を約50m南下し、
東を向きました。
こちらは、重要文化財の明治古都館(旧本館)です。
現在は修復中のため、中には入れません。
前回ブログでは全体を写したので、
今回は入り口付近をアップにしました。


682-16.jpg
同じ位置で、今度は西に向きました。
ずっと奥に見えるのは、大和大路側の京都国立博物館正門です。
その手前に大きな噴水があって、
さらに手前に大きな彫刻の背中とお尻が見えます。


682-17.jpg
その大きな彫刻の正面に回り込んできました。
土台と男性像合わせて、約4mといったところでしょうか?
こちらは「考える人」(ロダン作)です。
コピーではなく本物ではありますが、
ロダンは自分でいくつも同じ作品を作っています。
こちらは、そのうちの1品であります。


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その「考える人」の前で、西を向きました。
ここから、噴水と正門がよく見えます。
時間的に、ちょうど噴水が吹き上がるタイミングでした。


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噴水の周囲を時計回りに移動しています。
実は、京都国立博物館広場の南側にも散策ルートがあります。


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噴水の周囲を時計回りにほぼ半周して、西を向いています。
京都国立博物館正門脇に、左(南)に進む小径が伸びています。


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噴水と正門の間で、南を向きました。
では、この桜並木が続く小径を南へ移動します。


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その小径を南下しつつ、西を向きました。
こちらに石灯籠が、並んでいますね。


682-23.jpg
この辺りが、京都国立博物館の南西端です。
小径が、ゆっくりと左(東)へ曲がっていきます。
この辺りの比較的高い木々は桜ですが、
低木はツツジが多いですね。
どちらも開花時期になりますと、なかなかの絶景になります。


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小径は曲がり角から、蛇行しながら東に進みます。
目の前の百日紅(さるすべり)が、満開ですね。
雨上がりなので、花の香りが強くなります。


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小径を東に移動し続けると、こちらに出ます。
手前に雨除け付きのベンチがあり、その奥が公衆トイレです。
この左(東)側に、七条通側の入り口があります。
(今回ブログの冒頭場面ですね)


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公衆トイレの前で、小径を北に向きました。
左(西)側に金属製燈籠があっていますが、
こちらは元々奈良市内の東大寺にありました。
右(東)側のベンチでゆっくり眺められます。


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金属製燈籠の前で、小径を北に向きました。
ずっと向こう(北側)に、先程の平成知新館が見えますね。
よく見ると、突き当りの植え込みの先に
先述の「考える人」が立っています。


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京都国立博物館南西側の散策用小径を抜け、西を向いています。
次は、噴水の西端まで歩いて行きます。


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京都国立博物館の噴水西端から、さらに西を向いています。
すぐ先に、京都国立博物館正門が見えます。
こちらも、重要文化財に指定されています。
では、こちらから京都国立博物館を出ます。


682-30.jpg
正門から京都国立博物館を出て、東に振り返りました。
正門から噴水越しに明治古都館(旧本館)を見るこの構図が、
京都国立博物館のベストショットです。
ただし正門とは言え周囲でチケット販売が行われていませんので、
こちらは出口専用です。(つまり、ここから博物館には入れません)

京都国立博物館正門は、1897年この博物館創業以来ここにあります。
明治古都館同様、片山東熊による設計でともに重要文化財です。
この赤レンガ製フランス式建造物は、
ルーブル美術館を意識したものと聞いたことがあります。


682-31.jpg
京都国立博物館正門を背にして、西を向いています。
この先の大和大路に続く百日紅並木が、ちょうど満開です。
ここから北上して正面通を目指すのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、北隣の豊国神社にお邪魔します~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
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こちらからお願いして、
リンクさせて
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「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
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書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
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これまでの記事を
テーマ別に分けました。
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他の「道ブログ」とは
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「ここって、
何のブログなの?」
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個人情報満載なので、
こうなりました。
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「京都」
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「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
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松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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