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第683回 豊国神社散策~正面通東から西~その4

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第681回ブログから2回分を使って京都国立博物館を散策し、
正門を出たところで西を向いています。
目の前で、4車線の大和大路が南北に伸びています。
今回は、博物館の北隣にいらっしゃる豊国神社にお邪魔します。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後3時45分。
今シリーズのメイン正面通がやっと登場します。


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京都国立博物館正門の前で、大和大路を南に向いています。
約100m先で、七条通と交差しています。
七条通沿いをたくさんの方々が散策されていますね。


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その辺りの大和大路の向かい(西)側を見ています。
この辺りの大和大路と正面通には百日紅並木が、続きます。
時節柄、百日紅(さるすべり)がちょうど満開ですね。
手前の百日紅が白い花を付けていますが、
紅い花が多いので珍しいですね。


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同じ位置で、さらに北を向きました。
こちらにも、百日紅並木が続いていますね。
右(東)側に石垣が並んでいますが、
こちらは元々大仏殿のために築かれたものです。
この石垣は北半分は豊国神社のものですが、
南側は京都国立博物館のものです。


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京都国立博物館正門から、大和大路を約100m北上しました。
ここで大和大路は、正面通と交差します。


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大和大路から、正面通を東に向いています。
正面通はここが最東端で、この辺りでT字路を形成しています。
そして正面通より東に、豊国神社がいらっしゃいます。
こちらには約9ヵ月ぶりで、このブログ5回目の訪問です。


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前述の写真中央の石段を上り豊国神社一の鳥居をくぐり、
豊国神社境内で東を向いています。
では、この先に見える豊国神社唐門(重要文化財)に向かいます。


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豊国神社唐門に向かう前に、先ほどの写真にも写っていた
手水舎に向かい、自分の手を浄めます。
第149回ブログに掲載した手水舎と様子が違いますね。


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豊国神社手水舎には、こちらの紙が貼られていました。
第149回ブログに写した張り紙といつの間にか入れ替わっています。


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ようやく豊国神社の手水鉢で、自分の手を浄めます。
こちらの周囲は変わりましたが、
手水舎に設置された手水鉢は自分が幼いころと同じですね。


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豊国神社手水舎の前で、東を向きました。
では、こちらから豊国神社唐門に向かいます。


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豊国神社唐門の手前(西側)に、こちらの像がいらっしゃいました。
豊国神社のご祭神豊国大明神と言いますか豊臣秀吉の銅像ですが、
前回訪問した9カ月前には明らかにいらっしゃいませんでした。


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豊国神社唐門の袂に、こちらの木製「千成瓢箪」が飾られています。
豊臣秀吉が戦で勝つたびに飾った馬印ですね。


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豊国神社唐門の真下から、境内を東に向いています。
向こうに拝殿が見えて、さらに約50m先に本殿がいらっしゃいます。
こちらの本殿より東に約100m先に、
安土桃山時代の16世紀末大仏殿が建っていました。
(詳細は、第616回ブログ参照)
さらにそちらより1500m東南東の阿弥陀ヶ峰(日吉ヶ丘)山中に、
豊国廟(豊臣秀吉のお墓)がいらっしゃいます。
ちなみに阿弥陀ヶ峰とは、中世の鳥辺山のことです。

豊国神社は、明治時代に建立されました。
ご祭神は、豊国大明神(豊臣秀吉のこと)です。
16世紀末正面通より北に伸びる渋谷街道から塩小路にかけて、
豊臣秀吉はこの辺り一帯を自分のための一大宗教施設にしました。
この位置は中でも中心施設であった大仏殿境内だったのですが、
17世紀初頭に権力を奪った徳川家康は
京都をさらに開発する過程でこれら施設の解体を図りました。
三十三間堂は独立した寺院となり、(以後、蓮華法院と称します)
周辺地域に新たに智積院などの寺院を建立しました。
この大仏殿周辺は江戸時代を通して完全に放置され、
その間火災などに合いこの辺りは荒廃の一途を辿りました。
それが明治時代に入るとこの辺の再開発が繰り返され、
北から順に天台宗方広寺(この後に立ち寄ります)、
豊国神社、京都国立博物館、三十三間堂と生まれ変わりました。


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豊国神社唐門前から、境内を南に向きました。
手前に豊国神社宝物殿への入り口がありますが、
時間の関係でそちらは割愛させていただきます。
(宝物殿の詳細は、第149回ブログ参照)
さらにその右(西)側には、こちらの社務所があります。
そして社務所とこちらとの間にある砂利が敷き詰められた場所が、
月極の駐車場です。
自分は自動車を所有していませんが、
今は亡き父がここの駐車場を利用していて、
その関係で自分は幼いころこの辺りでよく遊んでいました。


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今度は豊国神社唐門の前で、境内を北を向きました。
次は、そちらに向かいます。
つい約30分前まで豪雨でしたので、(前回ブログ参照)
雨が止んでも石畳の道の周囲の砂利が水浸しですね。


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豊国神社本殿北側に、こちらの神社が隣接しています。
朱い鳥居が並んでいるので、こちらが稲荷社と分かります。
ただ本殿を参拝させて頂くと、「槇村大明神」と書かれていました。
もしかすると、「槇村さん」のお墓の址なのでしょうか?
(小さな稲荷社の大半は、元々お墓か死体発見現場です)


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朱い鳥居の前で、北を向きました。
目の前の車止めを越えて北上すると、
豊国神社から天台宗の方広寺に移り変わります。


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先ほどの位置から北上し、車止めを越えて時点で東を向きました。
ここを東に進むと、方広寺の駐車場の脇を抜ける小径に出ます。
さらにその駐車場を東に抜けると、
先述の大仏殿址公園や馬町に抜ける路地に出ます。
(第616回ブログを参照)


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同じ位置で、方広寺境内で北を向いています。
では、目の前の「国家安康の鐘」の鐘楼に向かいます。


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こちらが、1614年~1615年の大坂の陣の端緒となった
「方広寺鍾銘事件」の原因となった「国家安康の鐘」の現物です。
(コピーなどではありません。当時鋳造された現物です)
現在の方広寺の僧侶が、
こちらの文字に白墨で印を付けられています。
こちらは、臨済宗大徳寺の塔頭総見院の僧侶古渓宗陳作です。
とても長い漢詩が描かれているのですが、
その中に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれていました。
(右下が「国家安康」、左上が「君臣豊楽」)
「国家安康」のうち「家」と「康」を切り離すことで
徳川家康の首を刎ねる呪いをかけたなどと主張して、
方広寺を建立した豊臣氏に対して疑念を持った徳川家康が、
大坂の陣で豊臣氏を滅亡させました。
酷い言い掛かりのようですが、
作者の古渓宗陳が反徳川家康の急先鋒だったことや、
(古渓宗陳はこちらを書いた直後に処刑)
そのような呪いは当時なら日常的に行われていたことから、
あながち冤罪とは言い切れません。


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こちらは、「国家安康の鐘」が安置されている鐘楼の天井部です。
少し擦れていますが、飛天を描いた天井画が見事ですね。


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飛天を描いた天井画を大写しにしました。
自分は幼いころからこの天井画が大好きで、
何やかんや理由を付けてよくこちらを見に来ていました。


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方広寺の「国家安康」の鐘楼から、東を向きました。
この先に、大きな駐車場が見えます。
江戸時代後期、有志の寄付金でここに大仏が再建されていました。
かつてのものよりだいぶ小規模でしたが、
こちらも1973年に漏電が原因で焼失してしまいました。
当時幼稚園児だった自分が、亡き祖父に連れられて
ここまで野次馬で火災の様子を眺めていた記憶があります。


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鐘楼の北側に、天台宗方広寺本殿が建っています。
ご本尊は廬舎那仏ですが、(奈良の大仏と同一です)
大仏殿焼失のため足首より下だけになっておられます。
(尤も、別に廬舎那仏がご本尊としていらっしゃいますが……)

こちらは豊臣秀吉による大仏殿の後継寺院で、
江戸幕府は放置し続けましたが、
京都市街の庶民の信仰は集めており、
そのため公式記録では存在しないものの
こちらの寺院自体は小規模ながら存在し続けました。
ただ、いつから大仏殿から方広寺に名称変更になったかは不明です。


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その場所で、方広寺境内を西に向きました。
この先に、大和大路が見えますね。
この時点で、また雨が降り出しました。
(先程の写真にも、雨粒が写っていましたね)
ここからでも外に出られますが、(第149回ブログと同じルートです)
あくまで「正面通編」ですので、元の位置に戻ります。


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今度は同じ位置で、方広寺境内を北に向きました。
では、方広寺から豊国神社に戻ります。


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方広寺から豊国神社に戻ってきて、南に向いています。
ずっと向こうに、豊国神社の社務所が見えますね。
雨が降り出して僅か数分でしたが、もう止んでいますね。


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豊国神社手水舎脇まで南下して、西を向きました。
目の前に、先程の豊国神社一の鳥居が建っていますね。


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豊国神社一の鳥居の真下で、西を向いています。
こうして見ると、豊国神社から西に
正面通が伸びているのが分かりますね。


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豊国神社一の鳥居の真下から石段を下りて、
大和大路から正面通を西に向いています。
つまり、この位置が正面通の最東端です。
では、ここからようやく正面通を西に進むのですが
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、この地点から正面通を西に進む、予定です~

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サウナの梅湯~サンクロレラの湯とコラボ企画~

「桜の名所」木屋町通沿いの銭湯
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高瀬川沿いの木屋町通は、京都市街地の中でも
特に「桜の名所」として有名ですが、
情報誌などでよく知られている五条通以北よりも
個人的には五条通以南の桜並木の方がお気に入りです。
五条通以南は七条通に至るまで、北から順に
六軒橋、上ノ口橋、正面小橋、昭和橋と小路の橋が
桜の絶景ポイントとなりこの辺りの風物詩となっています。

そのうち、五条通より約400m南の上ノ口橋の袂に
老舗銭湯の「サウナの梅湯」が建っています。
こちらも、京都市街地屈指の「桜の名所」です。
現在こちらは2Fが開放されているので、
毎年春になると花見がてら休憩できます。


深夜まで開いている老舗の銭湯
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筆者である現在50代の自分が生まれる前には、
「サウナの梅湯」はこの地で銭湯を経営していました。
おそらく、少なくとも1950年にはこの地に建っていました。

1975年この辺りで最古のサウナ風呂を導入した銭湯で、
それ以来こちらの屋号も「サウナの梅湯」と変わりました。
さらに2015年にこちらの経営者が現在の方に代わられて以降、
こちらは深夜2時までの営業となり、
自分のような近隣住民のみならず
近所の「ゲストハウス」に宿泊される方々も多く利用されています。


京都から発信されるサンクロレラサンクロレラ-1
株式会社サンクロレラは2019年12月で創業50年を迎える
京都市下京区五条烏丸に本社がある企業です。
健康食品の「サンクロレラA」を初め、
多くの健康用品を創業以来販売してきました。
さらに、入浴剤として「サンクロレラの湯」も販売しており、
京都市内でも薬湯として使用されている銭湯もあります。


サウナの梅湯とサンクロレラがコラボ企画サンクロレラ-3
「京都市内の銭湯文化と健康文化を継承する」という考えの下、
サウナの梅湯・株式会社サンクロレラがコラボ企画を行います。
こちらの記事にもあるように、京都市内の4ヵ所の銭湯が
順次「サンクロレラの湯」を開催いたします。
このうち「サウナの梅湯」は4番目の
2019年12月9日月曜日~2019年12月15日日曜日に開催されます。
(ただし、2019年12月12日木曜日は定休日です)


当日は、梅湯全体が「サンクロレラの湯」にサンクロレラ-4
株式会社サンクロレラのサイト上によると、
各銭湯で「サンクロレラの湯」に入浴可能になる以外に、
様々な企画が動く模様です。
例えば、風呂桶以外にも上記写真のような場所にも
「サンクロレラの湯」のロゴが入ります。
さらに、抽選で限定品の「サンクロレラの湯」ロゴ入り
タオルが当たるチャンスもあるそうです。

興味がありましたら、またご近所の方々は
「サウナの梅湯」にお越しください。サンクロレラ-6

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第684回 正面通の百日紅~正面通東から西~その5

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前回ブログで参拝した豊国神社を背にして、
大和大路から正面通を西に向いています。
こちらが、正面通最東端です。
今回はここから正面通を西に進み、鴨川を目指します。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後4時15分。
豪雨直後の分厚い曇り空が広がります。


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横断歩道を渡り、正面通を西に進みました。
「正面大和大路」交差点南西角に、「耳塚公園」があります。
遊具付近は撮影できませんので、周囲だけ撮影します。
(小学生児童が数人、遊んでいらっしゃいました)


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先ほどの地点から約5m北上して、正面通を西に向いています。
耳塚公園内の白い花は、百日紅(さるすべり)です。
百日紅は通常紅い花を咲かせますが、
この辺りは約半分が白い百日紅です。
右(北)側に見える正面通の中央分離帯に、
百日紅並木が続いています。
毎年7月~9月になると、
この辺りは百日紅の紅白の花が咲き乱れますね。


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先ほどの位置から、正面通を西に約20m進みました。
ちょうど耳塚公園の中間点ですので、この辺りからでも入れます。
目の前の樹木は薄紫の花を付けていますが、
あちらは槿(むくげ)でしょうか?芙蓉(ふよう)でしょうか?
その陰に藤棚があって、その下の遊具で
たくさんの児童が遊んでいらっしゃいます。


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その辺りで、正面通を北に向きました。
百日紅の咲く中央分離帯の向こうに、町家が建っています。
こちらは、甘春堂東店です。
第150回ブログ葛切りを注文したのと、
第615回ブログ抹茶と茶菓子を注文しました。
今回は、諸事情で素通りします。


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さらに正面通を約10m西に進みました。
あちらの出入り口の先で、耳塚公園の最西端となります。
右(北)側の週央分離帯には、相変わらず百日紅並木が続きます。


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耳塚公園の北西端に、こちらの石碑が立っています。
実は、耳塚公園の歴史が文語体で書かれています。
明治時代初期、まだ明治天皇が京都に住まわれていた頃です。
明治天皇とこの辺りまで馬車で来られた昭憲皇太后が
「疲れたので、休憩したい」
そうおっしゃられたので、この場所で休憩されました。
その後このご休憩跡地に小学校が建てられたりしたのですが、
その小学校移転後にこちらは児童公園になりました。
(意外なことに、「耳塚」とは直接関係ありませんでした)


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耳塚公園の西隣に、耳塚が建っています。
こちらは、この辺りが大仏殿関連施設だった名残です。
(大仏殿については、前回ブログ参照)
文禄の役の際、日本の武将の中には朝鮮軍兵士の死体から
耳や鼻をそぎ落として持ち帰った者がいました。
その数を自分の手柄として、褒章を求めたからです。
そういう耳や鼻(塩漬けにしてあります)を豊臣秀吉は
こちらに埋葬してお墓を建てました。
それが、こちらの耳塚です。
日本側にとって耳塚は戦勝記念碑ですが、
韓国側にとっては耳塚は戦没者への慰霊碑であり、お墓です。
ですから金大中氏など訪日された韓国大統領には、
こちらに参拝された方もいます。


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耳塚の前で、正面通の北側に向きました。
満開の百日紅越しに京町家が建っていますが、
軽トラックが邪魔ではっきり見えません。
こちらは扇屋さんの老舗ですが、今回は素通りします。


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耳塚の前で、正面通を西に向いています。
目の前で、正面通は大黒町通と交差しています。


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正面通から、大黒町通を南に向いています。
耳塚の形に蛇行しているのが、面白いですね。


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今度は正面通から、大黒町通を北に向きました。
五条通付近は東山郵便局の西側の道なのですが、
そのまま北上すると、日蓮宗壽延寺沿いの道となります。
(壽延寺には大黒天がいらっしゃり、それがこの道の由来です。
詳細は、第153回ブログを参照)


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「正面大黒町」交差点北西角に、
浄土宗西山壇林派専定寺(烏寺)が建っています。
天台宗方広寺とは宗派が異なりますが、近くに位置するため
「大仏殿」(方広寺)関連寺院と考えられています。
もっとも、「烏寺」の由来は鎌倉時代の話です。
ご本尊は阿弥陀如来像ですが、
それ以外にもこちらには蕎麦喰い地蔵がいらして、
こちらが江戸時代の「大仏殿7不思議」の
一つに数えられています。
(詳細は、第149回ブログ参照)


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大黒町通から、正面通を西に向いています。
この辺りは、緩やかな下り坂ですね。
この辺の百日紅並木は、特に高い木が多いですね。


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その辺りの正面通に、こちらに地図がありました。
こちらは正面通の南側歩道に貼られていますが、
実は左右真逆に描かれています。
(北側歩道だと、問題ないのですが……)
実際の正面通の進行方向は左から右ですが、
地図上は右から左に移動することになります。


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その地図の前で、正面通を西に向いています。
向こうで、正面通は本町通と交差します。
その本町通で百日紅並木が終わり、
正面通は道幅が半分くらいになります。


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正面通から、本町通を南に向いています。
本町通はとても長い道ですが、
七条通以北は京町家が多くなります。
(第149回ブログを参照)


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今度は正面通から、本町通を北に向きました。
ここをまっすぐ北上すると、第150回ブログ後半のルートです)


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本町通から、正面通を西に向いています。
ここから西の正面通には歩道が無くなり、道幅も半分になります。


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本町通から、正面通を約10m西に進みました。
こちらに川魚屋さんがあるのですが……
この日(2019年8月27日)は火曜日ですが、
シャッターが閉められています。
定休日なのでしょうか?


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川魚屋さんの前で、正面通を西に向いています。
この辺りは「正面通商店街」に属しており、
たくさんの商店舖が並んでいます。
全盛期の8割くらいに商店舗も減っていますが、
京都市街地の商店街でも元気な方に属しています。


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本町通から、正面通を西に約50m進みました。
ここで正面通は、鞘町通と交差します。


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「正面鞘町」の辻の南東角に、道楽という料亭があります。
ポツンとあるお店ですが、結構な老舗です。
鴨川が近いこともあって、川魚中心のお店です。
(ウナギとか、アユとか、コイとか)


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正面通から、鞘町通を南に向いています。
左(東)側は先程の料亭「道楽」で、
右(西)側はかつての京都市立貞教小学校で、
現在の京都芸術工芸大学です。


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その「道楽」の壁に、小さな祠がいらっしゃいます。
よく見ると、全て稲荷社ですね。
こちらは、さすがに「商売繁盛」の意味合いでしょうね。


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今度は正面通から、鞘町通を北に向きました。
こちら側は、両脇とも小店舗を閉じられています。
特に右(東)側のタバコ屋さんだったところは、完全に廃墟ですね。


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鞘町通から、正面通を西に向いています。
右(北)側に見える「正面湯」という銭湯は、
2010年ごろに閉められてしまいました。
実は、かつて自分が常連だった銭湯でした。
まるで今も開いているように見えるのは、
今も中に人が住まわれているからでしょうか?


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とは言え、「正面湯」の西隣の家電の店は開店していました。
自分の印象では、結構流行っています。
(ウチもお世話になっています)
さらに西隣は一見工場ですが、自転車のお店です。
しかも、自転車を部品単位で売ってくれます。
自分も、自転車の籠やベル、ハンドル、
さらにペダルを単品で買ったこともあります。
(しかも頼めば、その部品を取り付けてもらえます)
また店頭には、50円硬貨1枚で3分自転車のタイヤに
空気を入れられるチューブが置かれています。
(自動的に空気が出るので、とても楽です)
ちなみに、さらに西隣のオレンジ色のテントも
この自転車屋さんの一部です。


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その家電屋さんと自転車屋さんの向かい(南)に、
手作りパン屋さんの「チロル」があります。
ウチの母が取りあえずの食事を食べるときは、
相当お世話になっています。
個人的には、魚のフライが入ったサンドイッチが好物です。


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その「チロル」の前で、正面通を西に向いています。
すぐ前に、右(北)に伸びる道が見えますね。
ここで正面通は問屋町通とT字路を形成します。


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正面通から、問屋町通を北に向いています。
この位置が、問屋町通最南端です。


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正面通から、問屋町通を約10m北上しました。
こちらの地域スーパーはだいぶ前に閉店したのですが、
こちらの掲示板は近隣住民がよく見に来ます。
この掲示板から問屋町通を約400m北上すれば、
半兵衛麩本店が建っています。


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問屋町通から、正面通を西に向いています。
「正面川端」交差点の信号機が、そろそろはっきり見えてきました。


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問屋町通から、正面通を約30m西に進みました。
「正面川端」交差点南東角に、
和菓子屋さんの甘春堂本店が建っていますね。
この先の鴨川に架かる正面大橋からでも、よく見えます。


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甘春堂本店は、先程の東店と異なり茶店がありません。
ですから、店頭でお菓子を買って持って帰る専門のお店です。
自分は、ここでは必ずこちらの有平糖を買っています。
こちらは帰宅後、普洱茶(プーアル茶)とともに頂きました。


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こちらが、有平糖です。
安土桃山時代に、南蛮から渡来した砂糖菓子です。
通常は茶会などで、抹茶と共に戴きます。
優しい甘さと季節ごとの精緻な細工が、特徴ですね。


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甘春堂本店の入り口から、そのまま北向いています。
目の前に小路が伸びているように見えますが、こちらも川端通です。
と言いますか、1990年くらいまでは
4車線の川端通が琵琶湖疎水の川面で
この小路のみを川端通と呼んでいました。
(今の琵琶湖疎水は暗渠化しています)
左(西)側には、その1990年ごろまで「正面公設市場」がありました。
(1990年ごろとは、バブル景気を指します)


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今度は同じ位置で、川端通で南を向きました。
こちらの歩道の幅が広くなっていますが、
歩道部分が昔からの川端通で、車道がかつての琵琶湖疎水でした。
左(東)側に、京都芸術工芸大学が見えます。


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正面通から、川端通の車道を北に向いています。
(かつての琵琶湖疎水跡です)
約450m先で五条通と交差するので時折渋滞しますが、
今は自動車が全然見えません。


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では横断歩道を渡り、川端通から正面通を西に進みます。
ただ、今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、これ以降は次回とします。

今回は、ここまでです。

~次回は、木屋町通の正面児童公園付近を散策します~

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第685回 高瀬川沿いの商店街~正面通東から西~その6

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川端通を背に、正面通を西に向いています。
こちらは、鴨川に架かる正面大橋の東詰めです。
今回はこちらを渡って、下京区側の正面通を西に進みます。
撮影日は、2019年8月27日火曜日午後4時半。
ここに来て、また雨が降り出しました。


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正面大橋を西に渡りながら、南を向いています。
東西両岸に見える繁みは、全て桜並木です。
ですから毎年春になると、この辺は絶景ですね。
ずっと向こうに、七条大橋が見えます。
(第614回ブログの冒頭と第647回ブログの最後に出てきました)


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今度は、正面大橋で鴨川を北に向きました。
こちら側から見ても、桜並木が続いています。
ずっと向こうに、五条大橋が見えますね。(第155回ブログを参照)


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その辺りで、正面大橋を振り返り東側を見ています。
右(南)側に、前回ブログに出てきた甘春堂本店が見えますね。
第114回ブログではこの橋から清水寺多宝塔が見えたのですが、
これだけ曇って雨まで降ると全然見えません……


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今度は鴨川に架かる正面大橋の上で、西を向きました。
ではこちらの橋を西に渡り切り、
「京都市東山区」から「京都市下京区」に移ります。


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正面大橋を渡り、橋の西詰まで来ました。
その位置で、正面通から北を向いています。
ここから約5m先で、2019年の大文字を眺めました。


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こちらは、2019年9月8日日曜日に撮った写真です。
(晴れの日に再訪しました)
先程の位置から約5m北上し、鴨川を眺めています。
いちばん左(北)の山が比叡山で、その右(南)隣が大文字山です。


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大文字山を大写しにしました。
北に向けての「大」の文字の一部が、見えますね。
全ての大文字を制覇するなら出町柳に行くべきですが、
1文字だけでいいなら京都市街地の川や大通り沿いなら
どれかが見えてきます。
(自分は、こんな感じで大文字を眺めています)
2019年9月8日の写真は、ここまでです。


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ここから、2019年8月27日分の写真に戻ります。
正面橋西詰から、正面通を西に向いています。
ここから京都市下京区ですが、
東山区側とは別に商店街を形成しています。
こちらは全盛期の半分くらいの商店舗しか残っていませんが、
左(南)側の仏具店とあられ屋さんはこの瞬間も開店しています。
また、その奥(西)の看板が見える時計屋さんと洋品店も開店中です。
右(北)側も美容院が開いています。
(電柱で隠れて、この写真には写っていません)


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正面大橋西詰から、正面通を西に約30m進みました。
先程触れた美容院から左(南)に、二ノ宮通が伸びています。
二ノ宮通は正面通をさらに西に約5m進むと、
筋違いで正面通から北にも伸びています。


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正面通から、二ノ宮通を南に向ています。
約50m先の庇が広い部分は、1990年ごろまで銭湯でした。
その北隣には、当時理髪店がありました。
どちらも、正面通の商店街に属していたはずです。
ですから、この辺は当時は結構賑やかな場所でした。


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「正面二ノ宮」の辻北西角に、こちらの大きな洋館があります。
南北に細長い建物で、二ノ宮通はこの洋館北端で突き当たります。


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その大きな洋館の入り口を撮りました。
こちらに、ブロンズ製の看板が付いています。
「トランプ・かるた・山内任天堂」は、
ファミコンを初めTVゲーム最大手のニンテンドーと同一企業です。
ですから、この地がそのニンテンドーの発祥地ではあるのですが、
こちらではカードゲームのみ製造されています。
元々任天堂はカードゲームのみ製造していた会社で、
1960年頃からゲームセンター用の筐体製作に参画してきました。
1985年頃にファミコンを開発して、家庭用ゲーム機を世界中に販売し
やがて世界一のTVゲーム会社となりました。
ちなみに、ウチのトランプはもちろん花札小倉百人一首は、
自分が幼少時より任天堂のものを使っていましたし、
中学生時にゲームセンターに行ったときも
筐体の約半分が任天堂のものでした。


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山内任天堂の前で、正面通を西に向いています。
1975年頃は、この辺に商店街が立てた「大売出し」の
朱い幟がたくさん並んでいたのですが、
今は(2019年)ほとんどありませんね。
ちょっと雨足が強くなってきて、
カメラのレンズに雨粒が付いてきました。


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山内任天堂の向かい(南)に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
祠の下に、お賽銭の投入口があるのが面白いですね。
では、こちらにお賽銭を収めてお参りします。


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そのお地蔵さんの西隣の洋品店の向かい(北)側と言いますか、
山内任天堂の西隣に、眼科・外科医療器具歴史博物館があります。
こちらは元々「奥澤眼科」だった場所で、
江戸時代からこの位置で開業されていました。
自分も幼稚園児だったころから、こちらで治療してもらいました。
おそらく受付とか待合室とか治療室とかは、当時のままでしょうね。
「奥澤眼科」は現在代替わりされて、
京都市東山区本町七条下るで開業されています。
(第145回ブログを参照)


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眼科・外科・医療器具歴史博物館の前で、
正面通を西に向いています。
ここで正面通は、三ノ宮通と交差します。


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正面通から、三ノ宮通を南に向いています。
左(東)側に、京都米浜郵便局が見えますね。
三ノ宮通は約230m南下すると七条通と交差し、
そこより南は須原通と名称が変わります。


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今度は、正面通から三ノ宮通を北に向きました。
眼科・外科医療器具歴史博物館の西側の塀が見えますね。
実は、この道がウチからサウナの梅湯に向かう近道です。


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三ノ宮通から、正面通を西に向いています。
左(南)側の青いテントの下はシャッターが閉まっていますが、
文房具店と言いますか、紙屋さんがこの瞬間も開いています。
右(北)側に赤い自動販売機がありますが、
その辺りにあった米屋さんは現在は閉められています。
三ノ宮通から約30m西に高瀬川が流れており、
その川沿いに木屋町通が伸びています。


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正面通から、木屋町通を南に向いています。
約230m先の七条通まで、この周囲には桜を中心に
さまざまな樹木が植えられており、なかなかの絶景になります。


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今度は、正面通から木屋町通を北に向きました。
雨のせいで、高瀬川の流れが速いですね。
約150m先に、サウナの梅湯があります。


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高瀬川を渡り、正面通から西木屋町通を南に向きました。
こちらに「mur mur coffee」があります。
ウチのブログでも何度か紹介しています。
今回もここにお邪魔したかったのですが、
こちらは午後5時で閉店なのでこちらには入れませんでした……
ちなみに第614回ブログでは、蜂蜜のトーストを頼みました。


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高瀬川に架かる正面小橋の上で、正面通を北西に向きました。
この先に、正面児童公園が見えますね。
この辺りは、高瀬川沿いでも屈指の桜の名所です。
(第647回ブログを参照)


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正面通から、西木屋町通を北に向いています。
正面児童公園と高瀬川の間の道ですね。
この辺りの道幅が広いのは、かつての定期市の名残です。
1980年ごろまで、正面児童公園の周囲と西木屋町通、土手町通に
毎月5日と10日と26日に定期市が開かれていました。
確かこの公園の前でたこ焼きが売られていて、
それがとても美味しくて定期市のたびに買っていました。


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2019年9月8日日曜日晴れの日に、
この辺りの西木屋町通を撮りました。
正面児童公園の北側の高瀬川沿いの百日紅がきれいですね。


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こちらが、正面児童公園です。
こちらは京都市街地でも屈指の桜の名所ですが、
8月ともなればその桜も青葉の木で、
しかも結構強い雨足なので誰もいませんでした。


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こちらも、2019年9月8日日曜日の写真です。
正面児童公園を晴れの日に撮り直しました。
夕方だったのですが、誰もいらっしゃいません。
普段は結構賑やかなので、たまたまでしょうか?


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ここから、2019年8月27日火曜日の写真に戻ります。
正面児童公園の南側の正面通沿いに、
公衆電話と赤い郵便ポストが立っています。
先ほど出てきた京都米浜郵便局は、
元々正面児童公園の南向かいの正面通沿いに建っていました。
おそらくこのポストは、その名残です。


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正面児童公園の南側から、正面通を西に向いています。
約70m先で、正面通突き当たっているのが分かりますね。


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正面児童公園の前から、正面通を西に約40m進みました。
ここで正面通は、土手町通と交差します。
左(南)側の薬局は1990年ごろ閉じられて、
以来ずっとシャッターは開きません。


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「正面土手町」の辻に、こちらの石が置かれています。
この「車石」はまだ自動車が普及していなかった昭和時代初期に、
荷車の方向転換のために使われていました。
こちらの石に荷車の車輪を押し当て、
「てこ」の応用で荷車を回転させます。
自動車が今のように普及した後はほとんどが撤去されましたので、
こちらのもの以外は京都市街地にはあと数個しか残っていません。


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正面通から、土手町通を南に向いています。
約230m先の七条通で、この道は突き当たります。
自分が生まれたころは京町家が建ち並んでいましたが、
現在も残っている京町家はわずかに数軒のみしか残っていません。
豊臣秀吉の都市計画では河原町通上に御土居が伸びており、
その東側の土手町通には高瀬川が流れていました。
(五条通以南の当時の高瀬川は、現在よりも西に流れていました)


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今度は正面通から、土手町通を北に見きました。
こちら側も土手町通は、約100m先の上ノ口通で突き当たります。
突き当りの洋館は自分の生まれたころより建っていますが、
中身はだいぶ違います。
1990年ごろまでこちらは熱帯魚屋さんでしたが、
現在は飲食店に変わっています。


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さらに、土手町通から正面通を西に向いています。
約30m先で、正面通は渉成園の塀で突き当たります。


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土手町通から、正面通を西に約30m進みました。
正面通は、ここで渉成園の塀で突き当たります。
ただ、ここが正面通最西端という訳ではありません。
渉成園の西側から、さらに西に正面通が伸びています。
とは言え、今回もだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回がここまでです。

~次回は渉成園の西側に回り込み、途中文子天満宮に立ち寄ります~

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第686回 文子天満宮に寄り道~正面通東から西~その7

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正面通を背に、河原町通から西に向いています。
前回ブログで正面通の突き当りまで進みましたが、
目の前にある渉成園の塀を回り込めば、正面通はまだまだ続きます。
今回は渉成園の塀の西側に回り込み、西側の所正面通を目指します。
途中、文子天満宮にも立ち寄りました。
撮影日は、2019年9月19日木曜日午後3時。
快晴だったので、変更してこの日に撮影しました。


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正面通から、河原町通を南に向いています。
右(西)側に渉成園の塀が約130m続いていますね。
さらに約100m南下すると、七条通と交差します。


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今度は、正面通から河原町通を北に向きました。
では、ここを北上していきます。


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正面通から、河原町通を約50m北上しました。
ここで河原町通は、上珠数屋町通と交差します。
よく見ると上珠数屋町通以北の河原町通は、
北北東に曲がっています。
ですから、その辺りのマンションがショートケーキ状ですね。
(南側が尖った三角形の建物ですね)


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河原町通から、上珠数屋町通を西に向いています。
上珠数屋町通は、渉成園北端の道でもあります。
続いて、横断歩道を渡って上珠数屋町通を西に進みます。


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横断歩道を渡り、河原町通から上珠数屋町通を西に向いています。
4車線の広い道幅なのは、約120年前一時的に
この辺りに路面電車が通っていた名残です。
では、こちらを西に進んでいきます。


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河原町通から、上珠数屋町通を西に約70m進みました。
ここで上珠数屋町通は、富小路と交差します。


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渉成園の塀を背に、上珠数屋町通から富小路を北に向いています。
約80m先が、花屋町通最東端地点です。
(第110回ブログを参照)


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富小路から、上珠数屋町通を西に向いています。
左(南)側は相変わらず渉成園の塀ですが、
右(北)側は工事中の鉄板が張り巡らされています。


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その鉄板の隙間にカメラを向けています。
こちらは数年前まで京都市立六条院小学校で、
それ以前は京都市立雅松小学校でした。
確か手前のスペースは、元々プールでした。
この辺りの小学校は京都市立渉成園小学校に統廃合されたので、
どうやら取り壊されるみたいですね。


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富小路から、上珠数屋町通を西に約50m進みました。
ここで、上珠数屋町通は高倉通と交差します。
よく見ると、この高倉通で工事中の鉄板が終わります。


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上珠数屋町通から、高倉通を北に向いています。
このまま進めば、第404回ブログ後半のルートを辿ります。
高倉通は渉成園で突き当たりますが、
渉成園より南は十条通まで伸びています。
(第401回ブログを参照)


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高倉通から、上珠数屋町通を西に向いています。
この少し先で、渉成園の塀が途切れます。
約50m先で、上珠数屋町通は間之町通と交差します。


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上珠数屋町通から、間之町通を南に向いています。
約100m先に渉成園入口と正面通が見えますが、
ちょっと寄り道するので別の方角に向きます。


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間之町通から、上珠数屋町通を西に向いています。
この辺りは、昔ながらの京町家が建ち並びます。
こちらの約150m先に、烏丸通が伸びています。


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そして上珠数屋町通から、間之町通を北に向きました。
すぐ先に、「文子天満宮」の看板が見えますね。
では渉成園に向かう前に、先にこちらに向かいます。


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「上珠数屋町間之町」交差点北西角に、
浄土真宗大谷派光久寺が建っています。
距離の関係で、この辺りには東本願寺の塔頭寺院が多いですね。


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光久寺の北斜め向かいに、浄土真宗大谷派西宗寺が建っています。
こちらも、東本願寺の塔頭寺院でしょうね。
ただ、この辺りの寺院の多くは非公開です。


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西宗寺の向かい(西)側に、文子天満宮が建っています。
では、こちらに向かって参拝します。


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文子天満宮の境内に、入ってきました。
入り口脇の右(南)側に、こちらの手水舎があります。
壁面に、菅原道真の家紋「梅鉢」が付いていますね。


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手水舎を背に、文子天満宮境内で北を向きました。
こちらは、末社の白瀧稲荷社です。
脇には、小賀玉の木が伸びています。
1円硬貨に描かれた木ですね。


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白瀧稲荷社の左(西)側に、さらにこちらの祠がいらっしゃいます。
左から順に、文子像、老松社、福部社、白太夫社です。
どちらも、菅原道真の家臣が神格化されたものです。
では、こちらを順にお参りします。


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文子天満宮の入り口正面(西側)に、本殿がいらっしゃいます。
ご祭神は、菅原道真です。
こちらの沿革は、第110回ブログを参照してください。
では、こちらにお参りします。


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こちらは、文子天満宮境内南西角です。
左(南)側が社務所で、右(西)側が文子殿です。
こちらは、多治比文子(たじひのあやこ)がご祭神です。

さて、その多治比文子とは誰でしょう?
多くの資料では菅原道真の乳母と書かれていますが、
中にはここに居住していたものの生前の菅原道真とは全くの他人で、
10歳くらいの頃菅原道真の亡霊から神託を受けて
この地に祠を建てた巫女と書かれたものもあります。
乳母説が今のところ有力ですが、
巫女説もあながち否定できないようです。


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これで一通り文子天満宮境内を回りました。
ではこちらを出て、間之町通に戻ります。
……日差しが強いので、撮影中細かいところが分かりません。
ですから、写真がちょっと傾いてしまいました……


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文子天満宮を出て、間之町通を南を向いています。
では、こちらを約50m南下して上珠数屋町通に戻ります。


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間之町通から、上珠数屋町通を東に向いています。
こちらが、今回ブログ前半のルートです。


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上珠数屋町通から、間之町通を南に向きました。
では、こちらを南下して渉成園や正面通を目指します。


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上珠数屋町通から、約100m南下しました。
左(東)側に渉成園の入り口が見えますが、
右(西)側からまた正面通が伸びています。


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正面通を背に、間之町通から東を向いています。
目の前に、東本願寺庭園である渉成園が見えます。
正面通を西に進む前に渉成園を散策しますが……
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、こちらの渉成園を散策します~

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第687回 渉成園は修復済み~正面通東から西~その8

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正面通を背に(東に)、東本願寺庭園の渉成園入口に向きました。
今回は、こちらの渉成園を散策します。
撮影日は、2019年9月19日木曜日午後3時半。
そう言えば、約1年ぶりの渉成園です。


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渉成園の入り口をくぐり、受付で500円納めました。
その後受付に背を向け、北を向きました。
ちょっと先に、休憩所が見えます。
先ずは、そちらに向かいます。


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先程の位置から、渉成園境内を約10m北上しました。
こちらが、休憩所です。
紅い敷布に包まれた縁台と、自動販売機が並んでいます。


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こちらが、渉成園の自動販売機です。
「東本願寺のお茶」が、売られています。
実際に東本願寺の僧侶が日常的に飲まれているお茶を
ペットボトルに詰めたものです。


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縁台に座って、「東本願寺のお茶」を頂きました。
お味は……まぁお茶ですね。
この後東本願寺に参拝しますので、
自動販売機で何か購入する必要がありました。
(その釣り銭をお賽銭にします)


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渉成園の休憩所から、南を向きました。
お茶を飲み終えて、受付の前に戻ります。


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渉成園受付の前で、東を向きました。
こちらが、渉成園の象徴とも言える枝垂桜です。
満開時は相当絶景になりますが、
園内の他の桜の木よりも遅咲きになります。


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枝垂桜周辺の生け垣は、全て枳殻(カラタチ)の木です。
枳殻は、音読みでキコクと読みます。
渉成園の周囲はこの枳殻に囲まれているので、
渉成園自体を地元民は枳殻邸(きこくてい)と呼んでいます。
渉成園周辺の旅館や飲食店に「キコク」という屋号が多いのは、
こういう事情があるからです。


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枝垂桜と枳殻の生け垣との間の道で、北を向きました。
では、こちらを進み渉成園の内部に入っていきます。


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先程の道を約50m北上して、東に向きました。
次はこの棕櫚(しゅろ)の木と大桜の木の脇を通り過ぎ、
渉成園の庭内に入っていきます。


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先程の位置から、渉成園内を左(北)に進みました。
すると、すぐに渉成園北西端の臨池亭(りんちてい)が建っています。
第349回ブログではこの茶室で抹茶と茶菓子を戴きましたが、
通常はこのように閉鎖されています。


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臨池亭から、渉成園北西部を東に向かっています。
目の前の小川は、左(北)の臨池亭前の池から
右(南)側の大きな印月池へと流れています。
また、渉成園北西部は桜並木が続いていきます。


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渉成園内の先程の小川を渡り、進路を南に切りました。
この辺りは、印月池の手前まで桜並木が続きます。


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印月池畔まで南下して、東を向きました。
印月池畔は、一転してカエデ並木が続きます。
こちらは、あと2カ月すれば紅葉に染まります。


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暫く印月池畔を東に歩いて行きますと、
カエデ並木の間に小川が流れています。
この小川は石橋の下を通って、印月地に流れます。


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その先に、こちらの句碑が並んでいます。
左(西)から、高浜虚子・さらには大谷句碑(東本願寺元管主)
川東碧梧桐の句ですね。


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印月池ほぼ東端に、こちらの橋が架かっています。
この回棹廊(かいとうろう)は、昨年(2018年)に来襲した台風により
大きな被害を受けました。(第612回ブログを参照)
それが、約1年経って修復が完了しています。


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修復された回棹廊を南に渡り、東に向きました。
すぐ先に塀があって、その向こうが河原町通です。
(ちょうど前回ブログの最初の写真の位置です)
その手前の藤棚も、昨年の台風の被害を受けました。


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渉成園内の印月池に架かる回棹廊を南下しています。
回棹廊を渡ると、印月地の南岸に出ます。
こちらは、印月地に浮かぶ小島ですね。


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印月地に浮かぶ4つの島のうち人が入れるのは、
こちらの築島だけです。
こちらの築島の頂上には茶室がありますが、普段は非公開です。
その下にある穴は井戸です。(現在は、ほぼ涸れています)
こちらで水を汲み、上の茶室で頂きます。


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その井戸の前で、南を向きました。
昼下がりなので、少しずつ日が右(西)に傾くのが分かります。
正面に、京都タワーが見えますね。


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先程の井戸から、渉成園内を約10m南下しました。
右(西)側に印月地に架かる侵雪橋が架かっていますが、
そちらに向かわずもう少し南下します。


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さらにその小島を南下して、少し左(東)に折れました。
すると、この先にある小島の突き当りに行き当たります。


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この小島の最南端から、印月池を南に向いています。
すぐ右(西)側に別の小島が見えますが、
そちらはこの小島より小さくて人は渡れません。
その先(南)に、さらに小さな小島が浮かんでいますね。
池に浮かぶのは、蓮(はす)の葉です。
よく見ると池水に波紋が全くなく、まるで鏡のようですね。


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では、小島を北上して印月池に架かる侵雪橋の袂まで戻ります。
今度は、左(西)側のこの侵雪橋を渡ります。


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印月池に架かる侵雪橋を西に渡り、南を向きました。
印月池の遙か向こう(南西)に、ビル群と京都タワーが見えますね。
「都会の中の閑静な日本庭園」が、渉成園の特徴ですね。


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侵雪橋を西に渡り切りました。
では、こちらからさらに渉成園内を西に進みます。


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侵雪橋から、さらに小径を西に進んでいます。
目の前に、先程も渡った臨池亭脇の池から流れ出た小川が見えます。
こちらはその池から南進し、先程の印月池に流れ込みます。
ではこちらの小川を渡り、さらに西に進みます。


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小川を渡り、さらに渉成園内の小径を西に進みます。
夕方に真西に進んでいるので、ちょっとまぶしいですね。
この先に、渉成園最大の建物である閬風亭と広場があります。


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さらにさらに渉成園内のこの小径を西に進むと、
芝生が敷き詰められた広場に出ます。
さらに西に、閬風亭(ろうふうてい)の縁側があります。


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その閬風亭の縁側の前で、東に振り返りました。
芝生が敷き詰められた広場の先に印月地が見えますが、
そちらに浮かぶ小島がよく見えますね。
第613回ブログ取材時の2018年11月23日には、
この広場で野点が行われていました。

印月池に浮かぶ小島は、全てかつての御土居の跡です。
豊臣秀吉の都市計画では寺町通が京都市街地再東端で、
現在の河原町通には代わりに御土居が伸びていて、
その東側に伸びる現在の土手町通に高瀬川が流れていました。
(第685回ブログを参照)
それを今の形の京都市街地に変えたのが、徳川家康です。
御土居を撤去して河原町通を造営した徳川家康は、
寺町通以東に一大繁華街を形成させました。
それが「四条河原町」であり、「祇園」です。


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印月池の水面に、1羽の白鷺が浮かんでいます。
池の水が澄んでいるので、白鷺が水面に写っていますね。


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閬風亭縁側の前で少し休憩したのですが、
また南に向いて歩きだします。
芝生が敷き詰められた広場の南側に、小径が続きます。


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先程の小径を南下すると、渉成園の南東端に出ます。
その位置で、西を向きました。
ではこちらの門をくぐり、さらに西に進みます。


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先程の門を西にくぐり、すぐ左(南)に向きました。
こちらは厩舎で、150年以上昔は馬で渉成園に来られた方々は
こちらに自分の馬を繋げたのでしょうね。
この裏(南)の塀の向こうは、下珠数屋町通です。
(第401回ブログを参照)


687-36.jpg
その厩舎の向かい(北)側に、閬風亭の入り口があります。
普段は閉鎖されていますが、
第349回ブログではこちらから特別に内部に入れました。
実は厩舎の脇にも下珠数屋町通から入れる門があって、
1990年頃まではそちらが正門でした。
(第401回ブログを参照)


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閬風亭の西隣に、小さな建物があります。
普段は閉鎖されていますが、
桜や紅葉の観光シーズンにはこちらに売店が開きます。
(第613回ブログを参照)


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その建物の西側で、順路が北に曲がります。
では、こちらを北上します。


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先程の地点から、こちらを北上しています。
すぐ先に、枳殻の生け垣が見えますね。
これで、渉成園を1周しました。


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枳殻の生け垣の前で、西を向きました。
枝垂桜も、こちらの門も、先程通り過ぎた場所です。
あちらの門から渉成園を出て正面通をさらに西に進ますが、
今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、ここまでとします。

~次回は正面通を西に進み、東本願寺を参拝します~

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第688回 夕方の東本願寺~正面通東から西~その9

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前回ブログで散策した渉成園を背に、
間之町通から正面通を西に向いています。
(前回ブログ最初の写真の位置で、反対を向いています)
今回はこの正面通をまた西に突き当たり、東本願寺に参拝します。
撮影日は、2019年9月19日木曜日午後4時半。
そろそろ夕方近くになってきました。


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正面通から、間之町通を北に向いています。
第686回ブログでは、あちらからこちらに南下してきました。


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今度は、正面通から間之町通を南に向きました。
こちらから約130m先で七条通と交差しますが、
その辺りに京都市立渉成園小学校が建っています。
先程の写真に小学生の後ろ姿が写っていたのは、それが原因ですね。


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間之町通から、正面通を西に歩いています。
左(南)側に東本願寺職員(全員僧侶)の集合住宅があって、
右(北)側には各仏具店が並んでいます。
完全に東本願寺の門前町を形成していますね。


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間之町通から、正面通を約50m西に進みました。
ここで正面通は、東洞院通と交差します。


688-6.jpg
正面通から、東洞院通を南を向いています。
すっと先の約300m南に、京都駅の駅舎が見えますね。


688-7.jpg
東洞院通から、正面通を西に向いています。
左(南)側の法蔵館は、仏教書専門の本屋さんです。
右(北)側には、様々な仏具店が並んでいます。


688-8.jpg
東洞院通から、正面通を西に約50m進みました。
ここで正面通は、東本願寺御影門前と言いますか、
烏丸通で再び突き当たります。


688-9.jpg
「正面烏丸」交差点南東角にある仏具店の2Fに、
こちらにブリキ製の看板が貼ってあります。
ただこちらには、「下京区正面通不明門東入ル」と書かれています。
不明門通(あけずどおり)は烏丸通とは別の道です。
(烏丸通より1本東の通りです)
実はこの辺りの烏丸通は道路拡張されており、
上珠数屋町通~下珠数屋町通間は(約300mあります)
不明門通の位置まで烏丸通が東に広がっています。


688-10.jpg
その位置から、烏丸通を南に向きました。
目の前に、横断歩道があります。
次は、こちらを渡っていきます。


688-11.jpg
先程の横断歩道を渡り、「正面烏丸」交差点で西を向きました。
西日が眩しくてよく見えませんが、正面通の突き当りに
浄土真宗大谷派本山東本願寺の御影門が聳え立っています。
正面通は豊国神社の正面であると同時に(第683回ブログ参照)
渉成園(前回ブログを参照)や東本願寺の正面でもあります。
他にもあるのですが、それが第680回ブログ表題の理由です。
では、こちらの横断歩道を渡って西に進みます。


688-12.jpg
先程の横断歩道を西に渡って、
烏丸通上の中央分離帯まで辿り着き南を向きました。
こちらは、1977年に廃止された京都市電烏丸線の停留所でした。
(烏丸線は、市電完全廃止の1年前に先行して廃止されました)
かつて東本願寺に日本全国から毎日相当数の門徒が参拝されて、
あまりの人数に停留所から人が溢れてとても危険な状態でした。
そのため烏丸通を1本東の不明門通まで道幅を拡張し、
この大きな停留所を作りました。
ちなみに京都駅周辺に旅館が多いのは元々観光客目当てではなく、
東本願寺へ参拝された方々のために作られた宿泊施設の名残です。
(そういう施設を「御坊」とか「宿坊」とか呼んでいました)
市電廃止後、こちらは公園となりました。
結構多くの方々が、こちらに散策に来られています。
目の前の噴水は、市電の停留所だったころからあります。


688-13.jpg
その中央分離帯で西を向き、東本願寺御影門を眺めています。
こちら側の烏丸通は観光バスやタクシーの駐車場と化しているので、
交通量はそれ程多くはありません。
では、こちらの横断歩道も渡ります。


688-14.jpg
その横断歩道を西に渡りながら、南に向きました。
個人的には、この辺りが京都タワー撮影のベストポイントです。
左(東)側の中央分離帯は現在桜並木が名物で、
春にはこの辺りが絶景に変わります。
(自分がたまに紹介している「東本願寺の桜並木」のことです)


688-15.jpg
横断歩道を西に渡り切り、烏丸通西側歩道に移ってきました。
では、こちらの東本願寺御影門から東本願寺境内に入ります。


688-16.jpg
東本願寺御影門をくぐり、東本願寺境内に入ってきました。
こちらは、その北側を見ています。
約100m向こうに、参拝接待所が見えますね。
その左(西)側に、泰山木の樹木が2本立っています。
毎年6月ごろに、直径約1mの巨大な花を咲かせます。


688-17.jpg
東本願寺境内の砂利道を約100m北上し、
参拝接待所まで上がってきました。
もう午後4時を回っていますので、中には入れません。
(通常なら、ちょっと休憩ができます)
それでもここで靴を脱ぎ、周囲の廊下を西に進みます。
自分は、こちらから東本願寺のお堂を巡るようにしています。


688-18.jpg
東本願寺参拝接待所の西の端まで廊下を歩き、北を向きました。
「本日は終了しました。こちらは、午後4時に閉まります」
正面口に、そう書かれた立札が立っています。
(現在午後4時半過ぎです)
次は、ここから左(西)に伸びる渡り廊下に移動します。


688-19.jpg
参拝接待所を背に、渡り廊下を西に向いています。
廊下の左(南)側が先程の泰山木並木で、
右(北)側に視聴覚ホールへの入り口が見えます。


688-20.jpg
こちらが、視聴覚ホールへの入り口です。
ただし午後4時を回っているので、現時点では入れません。


688-21.jpg
東本願寺の視聴覚ホールの前で、渡り廊下を西に向いています。
では、こちらの曲がり角に進みます。


688-22.jpg
その渡り廊下の曲がり角で、南に向きました。
この辺りから、渡り廊下がスロープ状の上り坂となります。
ですからこの辺りは車いすでも移動可能なのですが、
天井部に書かれた通り見た目以上に天井が低くなります。
では、こちらを次の曲がり角まで進みます。


688-23.jpg
今度は、その曲がり角で西を向きました。
この渡り廊下のスロープは、ここからさらに急になります。
向こうの突き当りで、普通の建物の2Fくらいの高さに変わります。
また渡り廊下の右(北)側に、
浄土真宗大谷派門徒による書画が飾られています。
結構高名な僧侶の作品もあれば、幼稚園児の作品も飾られています。


688-24.jpg
先程の渡り廊下を突き当りまで進み、南に向きました。
さすがにもう上には上らないので、ここから先は平坦ですね。
向こうに御影堂が見えますが、堂内は撮影禁止です。


688-25.jpg
渡り廊下を南下して、東本願寺御影堂に入って東に向きました。
では、御影堂の周囲に伸びるこの廊下を東に進みます。
本当はもっと明るいのですが、夕方は日陰が暗く写りますね。


688-26.jpg
東本願寺御影堂の廊下を東端まで進み、南を向きました。
では、こちから右(西)側の御影堂の中に入っていきます。
東本願寺御影堂は撮影禁止なので、写真はありません。

東本願寺御影堂は、開祖親鸞の像がいらっしゃいます。
ただしこの時点で午後4時を回っているので、
御簾が掛かっていて像を直接見ることはできません。
また親鸞の大師号である「見真」と書かれた巨大な扁額が、
親鸞像の真上に掲げられています。


688-27.jpg
東本願寺御影堂の参拝を終え、障子を開けて東を向きました。
砂利道の先に、東本願寺御影門が見えます。
つまり、御影門から直接こちらに来られます。
……と言いますか、通常はこの砂利道を進みます。


688-28.jpg
先程の写真と同じ位置で、南を向きました。
では、東本願寺御影堂の廊下を南端まで歩きます。


688-29.jpg
東本願寺御影堂南東端の廊下から、さらに南を見ています。
東本願寺阿弥陀堂越しに、京都タワーが見えますね。
結構絶景なので、撮影しました。


688-30.jpg
東本願寺御影堂南東端から、西を向いています。
約30m先に、左(南)の阿弥陀堂と繋がっている渡り廊下があります。
次は、そちらに向かいます。


688-31.jpg
こちらが、その東本願寺阿弥陀堂に通じる渡り廊下です。
この辺りに何人かの方々が立ち止まっているのは、
1895年に東本願寺が再建された際の資料が並んでいるからです。


688-32.jpg
1864年のどんどん焼けは京都市街地を焼け野原にし、
この東本願寺をも全焼させました。
そのため、こちらは1895年に再建されたものです。
(さらに、2014年頃修復されました)
1895年の再建の際にたくさんの木材が日本全国から運ばれましたが、
その際現在の愛知県で雪崩事故に巻き込まれて
たくさんの方々がお亡くなりになったそうです。
そのことを悼んで、こちらの模型が作られたようです。


688-33.jpg
その模型の脇に、こちらも展示されていました。
こちらは、木材を運搬する際に使われたそりです。
この他、この周囲には縄なども展示されていました。


688-34.jpg
渡り廊下を南に渡り切り、東本願寺阿弥陀堂で東を向きました。
では、阿弥陀堂の北東端に移ります。


688-35.jpg
東本願寺阿弥陀堂北東端で、南を向きました。
では、右(西)側の扉から阿弥陀堂内部に入ります。
東本願寺阿弥陀堂には、ご本尊の阿弥陀如来がいらっしゃいます。
考えようによっては、浄土真宗の各本山は本堂は二つあります。
午後4時を回りましたので、ご本尊の前には御簾が掛っていました。
(こちらも、堂内撮影は禁止です)


688-36.jpg
東本願寺阿弥陀堂でも参拝を終え、お堂を出てきました。
これ以上南には進みませんので、
こちらから砂利道の方に移動します。
ここまで靴袋に入れた靴を持ち運んでいたのですが、
ここで靴袋を収納口に入れて靴を履きます。


688-37.jpg
東本願寺阿弥陀堂の前で、北東を向きました。
手水舎越しに、東本願寺御影門が見えます。
東本願寺へは、この門から入ってきました。


688-38.jpg
今度は東本願寺阿弥陀堂の前で、東を向きました。
砂利道の先に、東本願寺阿弥陀門が見えます。
東本願寺御影堂の正面に東本願寺御影門があって、
東本願寺阿弥陀堂の正面に東本願寺阿弥陀門があります。
では、こちらの門から東本願寺を出ます。


688-39.jpg
東本願寺阿弥陀門を出て、烏丸通から東を向いています。
中央分離帯の桜並木の向こう(東)に、
前回ブログで出てきた渉成園の最南端下珠数屋町通が伸びています。
ここから烏丸通を北上し東本願寺最北端の花屋町通を西に進んだ後、
新町通を南下してまた正面通を西に進みますが、
それはまた次回ブログとします。

今回は、ここまでです。

~次回は、東本願寺最北端の花屋町通を西に進みます~

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
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「祇園祭の歩き方」
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こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
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実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
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路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

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京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
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こちらも、
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「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
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これから京都観光を
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ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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