第719回 厄払い行列巡行~法住寺節分会2020~その1
いよいよ2020年の節分の季節になりました。
そもそも節分は旧暦の大晦日のことで、
1877年以降は日本ではいくつかの大晦日の行事が
12月31日に移行しましたが、
京都では今なお「旧暦の大晦日」として
各神社仏閣で盛大にお祭りします。
ウチのブログでは上千本・壬生・祇園など取材しましたが、
2020年はこの日に夜から仕事が入りまして、
個人的な事情でウチの近所を取材しました。

取りあえずお金がなかったので、
取材前に「七条本町」交差点のコンビニエンスストアで
銀行預金の一部を下ろしました。
今月前半の生活費を手にコンビニエンスストアを出て、
本町通から七条通を東に向いています。
銅鑼と法螺貝の音色によく見ると、
七条通北側歩道を東にもう法住寺の厄払い行列が
どんどん歩いて行かれます。
そこで、急いでこの巡行に付いていきます。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前10時半。
巡行行列は、約30分後だと思っていました。

「七条本町」交差点から、大写しで写真を撮っています。
法住寺の厄払い巡行行列がココ一番屋の前を通り過ぎ、
大黒通の最南端も通り過ぎていかれます。
天狗と鬼の扮装をした方々とご住職・修験者の行列ですね。

巡行行列は、大黒通の東七条通沿いのわらじやで立ち止まります。
この辺でいちばん老舗の飲食店ですね。
すると、わらじやの店内から店主や従業員らしき方々が
七条通沿いに出て来られました。

ところが、ここで法住寺の方々が暫し手持ち無沙汰になられます。
背広姿の世話役の方が、青(緑)鬼の着ぐるみに手を掛けられます。
「鬼のパンツ」どころか青鬼の着ぐるみがずり落ちそうになり、
慌てて世話役の方が着ぐるみを摺り上げておられます。

まぁいろいろありましたが、厄払いの準備が整いました。
やがて法住寺ご住職が、わらじやの方々に一礼をされました。
いよいよ法住寺の方々による厄払いが始まります。

黒鬼・青(緑)鬼・赤鬼が腰を振って、一舞い踊られます。
それに合わせて、修験者が銅鑼と法螺貝を演奏されます。

続いて、ご住職と天狗に扮する方が店主の前に立たれます。
ご住職の御祈りが、自分がいる位置まで聞こえてきます。

わらじやの店主の前にいらして天狗の扮装をされた方が、
突然錫杖を振り回されます。
すると錫杖に付いた金具から、鈴のような音が響きます。

さらに天狗姿の方が、わらじやの店先をあちこち移動されます。
錫杖に付いた金具や飾りが風にたなびき、とてもきれいですね。

やがて天狗姿の方は、錫杖を手許に収められました。
これで、わらじやへの厄払いが終了です。

次に法住寺のご住職が一礼されると、
鬼や天狗の扮装をされた方々も一礼されます。
すると、また銅鑼と法螺貝の演奏が再開されます。

法住寺厄払いの方々が、次の目的に移動されます。
取りあえず、七条通をさらに東に進まれます。

そして、法住寺の厄払い行列はわらじ家の東隣に向かいます。
こちらの七条甘春堂は、正面通の甘春堂とは別の和菓子屋さんです。
(甘春堂については、第684回ブログ参照)

七条甘春堂からも店主と従業員が出て来られると、
すぐに鬼たちの舞いが始まります。

鬼たちが腰を振って踊られた後、斧や小槌を振り下ろされます。
ただ上手く振り下ろされた場面が撮れず、
はっきりしない写真になりました。

鬼たちの斧や槌を振り下ろされる動作が終わると、
鬼たちの舞いが一段落されたようです。
ここで、ちょっとだけ次の動作まで静止されています。

すると背広姿の世話役が、やはり青鬼に取り付かれます。
また青鬼の着ぐるみが、ずり落ちたようです。

青鬼の方が落ち着かれると、次の舞いが始まります。
また天狗が、店主の前で錫杖を掲げられます。

法住寺のご住職がお祈りを奉げられる中、
天狗の舞いはだんだん大きくなります。
振り上げられた錫杖から鈴の音が響き、
金具や飾りも大きくたなびきます。

やがて法住寺のご住職の御祈りが終わると、
天狗に扮された方の舞いも終わります。
そして一礼の後、厄払い巡行行列はさらに東に移動されます。

着ぐるみを気にされてか、青鬼の方がゆっくり歩かれています。
法住寺のご住職は順番待ちのため、暫し待たれています。

そうこうしているうちに、法住寺の厄払い巡行行列が
大和大路の横断歩道を東に渡られました。
この辺りの赤レンガは、京都国立博物館のものです。

法住寺の厄払い巡行行列が、京都国立博物館南側を東に進みます。
この辺の塀は京都国立博物館開業当初のものですが、
赤レンガの塀と西側の正門が重要文化財に指定されています。

法住寺の厄払い巡行行列が大和大路から七条通を約100m東に進み、
「三十三間堂前」交差点に差し掛かりました。
第681回ブログの冒頭ですね。

法住寺の厄払い巡行行列が、
「三十三間堂前」交差点で待機されています。
要するに、信号待ちですね。

信号が、変わりました。
法住寺の厄払い巡行行列が、七条通の南側歩道
つまり、自分が今いる方に渡って来られました。

法住寺の厄払い巡行行列の後ろ半分も、横断歩道を渡られました。
そして、巡行行列は東を向いきました。

法住寺の厄払い巡行行列は、三十三間堂廻りを東に進まれます。
七条通から南に伸びる三十三間堂廻りという道を南下すると、
三十三間堂や法住寺があるのですが、
巡行行列はそちらには進まれません。

法住寺の厄払い巡行行列が、
三十三間堂廻りからさらに七条通を東に進みます。
巡行行列はこの先のハイアットリージェンシーホテルに進み、
そこでも厄払いが行われます。
そういえば、突き当りの「東山七条」交差点に
智積院の勅使門が見えますね。
その後「東山七条」交差点を南下して、
塩小路経由で法住寺に戻られます。
ただ自分はそちらには向かわずに、
この周辺の寺院を参拝した後法住寺に向かいます。
とは言えだいぶ写真を貼り付けましたので、
今夏はここまでです。
~次回は、三十三間堂に寄り道します~
そもそも節分は旧暦の大晦日のことで、
1877年以降は日本ではいくつかの大晦日の行事が
12月31日に移行しましたが、
京都では今なお「旧暦の大晦日」として
各神社仏閣で盛大にお祭りします。
ウチのブログでは上千本・壬生・祇園など取材しましたが、
2020年はこの日に夜から仕事が入りまして、
個人的な事情でウチの近所を取材しました。

取りあえずお金がなかったので、
取材前に「七条本町」交差点のコンビニエンスストアで
銀行預金の一部を下ろしました。
今月前半の生活費を手にコンビニエンスストアを出て、
本町通から七条通を東に向いています。
銅鑼と法螺貝の音色によく見ると、
七条通北側歩道を東にもう法住寺の厄払い行列が
どんどん歩いて行かれます。
そこで、急いでこの巡行に付いていきます。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前10時半。
巡行行列は、約30分後だと思っていました。

「七条本町」交差点から、大写しで写真を撮っています。
法住寺の厄払い巡行行列がココ一番屋の前を通り過ぎ、
大黒通の最南端も通り過ぎていかれます。
天狗と鬼の扮装をした方々とご住職・修験者の行列ですね。

巡行行列は、大黒通の東七条通沿いのわらじやで立ち止まります。
この辺でいちばん老舗の飲食店ですね。
すると、わらじやの店内から店主や従業員らしき方々が
七条通沿いに出て来られました。

ところが、ここで法住寺の方々が暫し手持ち無沙汰になられます。
背広姿の世話役の方が、青(緑)鬼の着ぐるみに手を掛けられます。
「鬼のパンツ」どころか青鬼の着ぐるみがずり落ちそうになり、
慌てて世話役の方が着ぐるみを摺り上げておられます。

まぁいろいろありましたが、厄払いの準備が整いました。
やがて法住寺ご住職が、わらじやの方々に一礼をされました。
いよいよ法住寺の方々による厄払いが始まります。

黒鬼・青(緑)鬼・赤鬼が腰を振って、一舞い踊られます。
それに合わせて、修験者が銅鑼と法螺貝を演奏されます。

続いて、ご住職と天狗に扮する方が店主の前に立たれます。
ご住職の御祈りが、自分がいる位置まで聞こえてきます。

わらじやの店主の前にいらして天狗の扮装をされた方が、
突然錫杖を振り回されます。
すると錫杖に付いた金具から、鈴のような音が響きます。

さらに天狗姿の方が、わらじやの店先をあちこち移動されます。
錫杖に付いた金具や飾りが風にたなびき、とてもきれいですね。

やがて天狗姿の方は、錫杖を手許に収められました。
これで、わらじやへの厄払いが終了です。

次に法住寺のご住職が一礼されると、
鬼や天狗の扮装をされた方々も一礼されます。
すると、また銅鑼と法螺貝の演奏が再開されます。

法住寺厄払いの方々が、次の目的に移動されます。
取りあえず、七条通をさらに東に進まれます。

そして、法住寺の厄払い行列はわらじ家の東隣に向かいます。
こちらの七条甘春堂は、正面通の甘春堂とは別の和菓子屋さんです。
(甘春堂については、第684回ブログ参照)

七条甘春堂からも店主と従業員が出て来られると、
すぐに鬼たちの舞いが始まります。

鬼たちが腰を振って踊られた後、斧や小槌を振り下ろされます。
ただ上手く振り下ろされた場面が撮れず、
はっきりしない写真になりました。

鬼たちの斧や槌を振り下ろされる動作が終わると、
鬼たちの舞いが一段落されたようです。
ここで、ちょっとだけ次の動作まで静止されています。

すると背広姿の世話役が、やはり青鬼に取り付かれます。
また青鬼の着ぐるみが、ずり落ちたようです。

青鬼の方が落ち着かれると、次の舞いが始まります。
また天狗が、店主の前で錫杖を掲げられます。

法住寺のご住職がお祈りを奉げられる中、
天狗の舞いはだんだん大きくなります。
振り上げられた錫杖から鈴の音が響き、
金具や飾りも大きくたなびきます。

やがて法住寺のご住職の御祈りが終わると、
天狗に扮された方の舞いも終わります。
そして一礼の後、厄払い巡行行列はさらに東に移動されます。

着ぐるみを気にされてか、青鬼の方がゆっくり歩かれています。
法住寺のご住職は順番待ちのため、暫し待たれています。

そうこうしているうちに、法住寺の厄払い巡行行列が
大和大路の横断歩道を東に渡られました。
この辺りの赤レンガは、京都国立博物館のものです。

法住寺の厄払い巡行行列が、京都国立博物館南側を東に進みます。
この辺の塀は京都国立博物館開業当初のものですが、
赤レンガの塀と西側の正門が重要文化財に指定されています。

法住寺の厄払い巡行行列が大和大路から七条通を約100m東に進み、
「三十三間堂前」交差点に差し掛かりました。
第681回ブログの冒頭ですね。

法住寺の厄払い巡行行列が、
「三十三間堂前」交差点で待機されています。
要するに、信号待ちですね。

信号が、変わりました。
法住寺の厄払い巡行行列が、七条通の南側歩道
つまり、自分が今いる方に渡って来られました。

法住寺の厄払い巡行行列の後ろ半分も、横断歩道を渡られました。
そして、巡行行列は東を向いきました。

法住寺の厄払い巡行行列は、三十三間堂廻りを東に進まれます。
七条通から南に伸びる三十三間堂廻りという道を南下すると、
三十三間堂や法住寺があるのですが、
巡行行列はそちらには進まれません。

法住寺の厄払い巡行行列が、
三十三間堂廻りからさらに七条通を東に進みます。
巡行行列はこの先のハイアットリージェンシーホテルに進み、
そこでも厄払いが行われます。
そういえば、突き当りの「東山七条」交差点に
智積院の勅使門が見えますね。
その後「東山七条」交差点を南下して、
塩小路経由で法住寺に戻られます。
ただ自分はそちらには向かわずに、
この周辺の寺院を参拝した後法住寺に向かいます。
とは言えだいぶ写真を貼り付けましたので、
今夏はここまでです。
~次回は、三十三間堂に寄り道します~
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