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第719回 厄払い行列巡行~法住寺節分会2020~その1

いよいよ2020年の節分の季節になりました。
そもそも節分は旧暦の大晦日のことで、
1877年以降は日本ではいくつかの大晦日の行事が
12月31日に移行しましたが、
京都では今なお「旧暦の大晦日」として
各神社仏閣で盛大にお祭りします。
ウチのブログでは上千本壬生祇園など取材しましたが、
2020年はこの日に夜から仕事が入りまして、
個人的な事情でウチの近所を取材しました。


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取りあえずお金がなかったので、
取材前に「七条本町」交差点のコンビニエンスストアで
銀行預金の一部を下ろしました。
今月前半の生活費を手にコンビニエンスストアを出て、
本町通から七条通を東に向いています。
銅鑼と法螺貝の音色によく見ると、
七条通北側歩道を東にもう法住寺の厄払い行列が
どんどん歩いて行かれます。
そこで、急いでこの巡行に付いていきます。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前10時半。
巡行行列は、約30分後だと思っていました。


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「七条本町」交差点から、大写しで写真を撮っています。
法住寺の厄払い巡行行列がココ一番屋の前を通り過ぎ、
大黒通の最南端も通り過ぎていかれます。
天狗と鬼の扮装をした方々とご住職・修験者の行列ですね。


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巡行行列は、大黒通の東七条通沿いのわらじやで立ち止まります。
この辺でいちばん老舗の飲食店ですね。
すると、わらじやの店内から店主や従業員らしき方々が
七条通沿いに出て来られました。


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ところが、ここで法住寺の方々が暫し手持ち無沙汰になられます。
背広姿の世話役の方が、青(緑)鬼の着ぐるみに手を掛けられます。
「鬼のパンツ」どころか青鬼の着ぐるみがずり落ちそうになり、
慌てて世話役の方が着ぐるみを摺り上げておられます。


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まぁいろいろありましたが、厄払いの準備が整いました。
やがて法住寺ご住職が、わらじやの方々に一礼をされました。
いよいよ法住寺の方々による厄払いが始まります。


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黒鬼・青(緑)鬼・赤鬼が腰を振って、一舞い踊られます。
それに合わせて、修験者が銅鑼と法螺貝を演奏されます。


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続いて、ご住職と天狗に扮する方が店主の前に立たれます。
ご住職の御祈りが、自分がいる位置まで聞こえてきます。


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わらじやの店主の前にいらして天狗の扮装をされた方が、
突然錫杖を振り回されます。
すると錫杖に付いた金具から、鈴のような音が響きます。


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さらに天狗姿の方が、わらじやの店先をあちこち移動されます。
錫杖に付いた金具や飾りが風にたなびき、とてもきれいですね。


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やがて天狗姿の方は、錫杖を手許に収められました。
これで、わらじやへの厄払いが終了です。


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次に法住寺のご住職が一礼されると、
鬼や天狗の扮装をされた方々も一礼されます。
すると、また銅鑼と法螺貝の演奏が再開されます。


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法住寺厄払いの方々が、次の目的に移動されます。
取りあえず、七条通をさらに東に進まれます。


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そして、法住寺の厄払い行列はわらじ家の東隣に向かいます。
こちらの七条甘春堂は、正面通の甘春堂とは別の和菓子屋さんです。
(甘春堂については、第684回ブログ参照)


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七条甘春堂からも店主と従業員が出て来られると、
すぐに鬼たちの舞いが始まります。


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鬼たちが腰を振って踊られた後、斧や小槌を振り下ろされます。
ただ上手く振り下ろされた場面が撮れず、
はっきりしない写真になりました。


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鬼たちの斧や槌を振り下ろされる動作が終わると、
鬼たちの舞いが一段落されたようです。
ここで、ちょっとだけ次の動作まで静止されています。


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すると背広姿の世話役が、やはり青鬼に取り付かれます。
また青鬼の着ぐるみが、ずり落ちたようです。


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青鬼の方が落ち着かれると、次の舞いが始まります。
また天狗が、店主の前で錫杖を掲げられます。


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法住寺のご住職がお祈りを奉げられる中、
天狗の舞いはだんだん大きくなります。
振り上げられた錫杖から鈴の音が響き、
金具や飾りも大きくたなびきます。


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やがて法住寺のご住職の御祈りが終わると、
天狗に扮された方の舞いも終わります。
そして一礼の後、厄払い巡行行列はさらに東に移動されます。


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着ぐるみを気にされてか、青鬼の方がゆっくり歩かれています。
法住寺のご住職は順番待ちのため、暫し待たれています。


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そうこうしているうちに、法住寺の厄払い巡行行列が
大和大路の横断歩道を東に渡られました。
この辺りの赤レンガは、京都国立博物館のものです。


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法住寺の厄払い巡行行列が、京都国立博物館南側を東に進みます。
この辺の塀は京都国立博物館開業当初のものですが、
赤レンガの塀と西側の正門が重要文化財に指定されています。


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法住寺の厄払い巡行行列が大和大路から七条通を約100m東に進み、
「三十三間堂前」交差点に差し掛かりました。
第681回ブログの冒頭ですね。


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法住寺の厄払い巡行行列が、
「三十三間堂前」交差点で待機されています。
要するに、信号待ちですね。


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信号が、変わりました。
法住寺の厄払い巡行行列が、七条通の南側歩道
つまり、自分が今いる方に渡って来られました。


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法住寺の厄払い巡行行列の後ろ半分も、横断歩道を渡られました。
そして、巡行行列は東を向いきました。


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法住寺の厄払い巡行行列は、三十三間堂廻りを東に進まれます。
七条通から南に伸びる三十三間堂廻りという道を南下すると、
三十三間堂や法住寺があるのですが、
巡行行列はそちらには進まれません。


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法住寺の厄払い巡行行列が、
三十三間堂廻りからさらに七条通を東に進みます。
巡行行列はこの先のハイアットリージェンシーホテルに進み、
そこでも厄払いが行われます。
そういえば、突き当りの「東山七条」交差点に
智積院の勅使門が見えますね。
その後「東山七条」交差点を南下して、
塩小路経由で法住寺に戻られます。
ただ自分はそちらには向かわずに、
この周辺の寺院を参拝した後法住寺に向かいます。
とは言えだいぶ写真を貼り付けましたので、
今夏はここまでです。

~次回は、三十三間堂に寄り道します~

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第720回 三十三間堂参拝~法住寺節分会2020~その2

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前回ブログで法住寺節分会の厄払い巡行行列が、
「三十三間堂前」交差点から七条通を東に去っていかれました。
その交差点に、法住寺節分会の看板が毎年立て掛けてあります。
この後は「三十三間堂廻り」という道を南下して、
節分会が開催される法住寺に向かうわけですが、
厄払い巡行行列が法住寺に戻るまで、まだ何時間かあります。
そこで今回ブログと次回ブログに、周辺寺院を参拝します。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前11時。
まだまだ時間があると、この時点では思っていたのですが……


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七条通から、三十三間堂廻りを南に向いています。
三十三間堂廻りは三十三間堂の東側を貫く七条通~塩小路間の道で、
元々は豊臣秀吉が建立した大仏殿(現在の方広寺)の一部でしたが、
現在は東大路と川端通の間の幹線道路です。
(方広寺大仏殿は、第616回ブログ参照)
向こうに大桜の木が見えますが、春には早いので枯れ枝ですね。
東七条(鴨川以東の七条通~塩小路間)は、
京都市街地でも屈指の桜の名所です。


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先程の大桜の木の前で、三十三間堂廻りを西に向きました。
2018年は、この位置で法住寺の厄払い巡行行列を見ました。
ではここを進み、三十三間堂境内に入っていきます。


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三十三間堂境内に入ってきました。
境内の北側は観光バスが何台も停まれる大きな駐車場で、
(「七条大和大路」交差点から、バスは駐車場に入れます)
その南側に切符売場と入り口があります。
ではここで600円支払い、中に入ります。


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こちらが、三十三間堂の入り口です。
ここから先が、有料の地域です。


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先程の通路を南下して西を向くと、参進殿があります。
ここに入ってさらに南下すると、
三十三間堂の仏像が安置される場所に出ます。
ただウチのブログでは中を撮影できませんので、
先に三十三間堂の庭園を回ってからこちらに入ります。


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先程の写真と同じ場所で、三十三間堂境内を東に向きました。
では、こちらを時計回りに1周します。


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三十三間堂東側庭園には、車いす用の石畳の道が設けられています。
では、この石畳の道沿いに三十三間堂東側庭園を南下します。


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三十三間堂東側庭園を南下しています。
左(東)側の枯れ枝並木は、約2カ月後に桜並木に変わります。
(三十三間堂の桜並木は、第300回ブログ参照)
右(西)側に三十三間堂本堂が見えますが、その長さは約120mです。


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同じ位置で、三十三間堂東庭園を東に向きました。
池と築島のある見ごたえのある眺めが広がりますが、
この三十三間堂東側庭園を特に「法住寺殿」と呼びます。
といいますのも、この三十三間堂は元々法住寺の一部です。
(この後、節分会の行事のために訪れる寺院です)
元々法住寺の境内は、鴨川より東の東七条地区一帯でした。
そもそも法住寺は、院政を極めた後白河上皇の住居でした。
その後この辺りは豊臣秀吉によって大仏殿の一部となり、
その際三十三間堂と法住寺は分離されました。
そして江戸時代になって大仏殿関連施設群が分解されても
三十三間堂は法住寺に戻ることはなく、
そのまま蓮華法院として独立した寺院となりました。
(現在は智積院北側の妙法院の塔頭寺院です)
ですから、ここは元々法住寺の庭園でした。


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さらにその位置から、法住寺殿を南に向いています。
この辺の枯れ枝は全て桜ですので、
もう2カ月もすればここは絶景です。


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もう少し法住寺殿を南下して、東を向きました。
左(北)側の大きな塔は、古いお経を収めた納経塔です。
右(南)側の小さな塔は、法然が後白河上皇の葬式の際に
こちらで念仏を唱えたことを表す供養塔です。


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その供養塔の前で、法住寺殿を南に向いています。
この先に、三十三間堂の手水舎が見えます。


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三十三間堂の勅使門の前(本堂の正門の前)に、
こちらの手水舎があります。
脇のお地蔵さんには、手を合わせます。


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手水舎の脇に、こちらの立て札が立っています。
手水舎は「夜泣泉」の名の通り、
夜泣きに対してご利益がある井戸ですね。


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その位置で、三十三間堂境内を西に向きました。
この背後(東)に三十三間堂勅使門があって、
この位置が三十三間堂本堂の正面です。
こちらの障子の向こう(西)に、この度国宝になられた
湛慶の最高傑作「千手観音」像がいらっしゃいます。
(Wikiでは妙法院蔵と書かれていますが、
実際にはその塔頭寺院である三十三間堂にいらっしゃいます)
そういえば、修学旅行生はこの位置で写真をよく撮られていますね。


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さらに同じ位置で、法住寺殿を南に向いています。
ここからも、さらに南下する石畳の道が伸びています。
よく見ると、三十三間堂南半分に修復中のシートが掛かっています。


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先程の位置から、法住寺殿を南下しています。
あと70mほどで、法住寺殿は突き当たりますね。


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その辺りで、法住寺殿を東に向いています。
池の周囲は枯れ枝並木ですが、
毎年春になるとここは絶景に変わります。


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法住寺殿の石畳の道は、蛇行しながら南下していきます。
このちょっと先に、三十三間堂の鐘楼が建っています。


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こちらが、三十三間堂の鐘楼です。
結構真新しいのは、最近改築されたからです。


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三十三間堂の鐘楼の前で、法住寺殿を南を向きました。
この辺りが、法住寺殿の最南端です。
塀越しに、三十三間堂南大門が見えますね。
そして南大門周辺の塀が、他の部分より飛びぬけて古いですね。


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その塀の前まで来ました。
こちらは重要文化財の「太閤塀」です。
元々は豊臣秀吉が建てた大仏殿の塀でした。
そして、こちらは現存する日本最古の土塀です。


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三十三間堂境内の太閤塀から、西を向いています。
「法住寺殿」は三十三間堂東側庭園のことですから、
ここから先はもう「法住寺殿」ではありません。


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三十三間堂境内の南側を西に進み、北を向きました。
三十三間堂では毎年1月に「通し矢」という
遠距離の矢を射る行事が行われます。
それが、この位置から三十三間堂の北端に向けて行われます。
(約120mの距離です)


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三十三間堂境内の南端から、西に進んでいます。
こちらはこちらで観光客がたくさんいらっしゃいますね。


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三十三間堂境内の南西端に、こちらの神社がいらっしゃいます。
では、こちらの稲荷社にお参りします。


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稲荷社の石製鳥居の許に、木賊(とくさ)が映えています。
その向こうには桜並木が続きますが、冬なので枯れ枝並木です。


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その稲荷社の前で、三十三間堂西側庭園を北に向きました。
では、こちらをこのまま北上します。


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この辺りの桜並木の枝を大写ししました。
少しずつつぼみが膨らんでいるのが、分かりますね。
ただ2020年2月10日月曜日に南禅寺を訪れたのですが、
そちらはまだまだつぼみが固かったですね。


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稲荷社から、三十三間堂西側庭園を約120m北上しました。
目の前の比較的新しい建物は、三十三間堂参進殿の一部です。
三十三間堂に入って最初に見た建物ですね。


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こちらは、三十三間堂参進殿西側入り口です。
では、こちらから三十三間堂本殿に入っていきます。


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三十三間堂参進殿に入って、南を向きました。
こちらの下駄箱の前で靴を脱ぎ、
参進殿経由で三十三間堂本殿に入っていきます。
ですから、この地点が三十三間堂の施設内で撮影可能な限界です。


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三十三間堂本堂の写真撮影が禁止されているので、
パンフレットで代用します。
こちらは1001体の観音様で有名ですが、
ご本尊の千手観音像を含めて大半が湛慶の作品です。
三十三間堂は法住寺が建立された平安時代から存在して、
後白河上皇が居住した平安時代末期に栄えましたが、
戦火などで破損された観音像を修復したのが、湛慶でした。
ですから、こちらの寺院の仏像の多くが鎌倉時代の作です。
観音像の手前に二十八分衆と呼ばれる様々な仏像が並びますが、
それらも鎌倉時代以降による慶派の作品が大半です。
そういえば、そのいくつかが千手観音像近くにいらっしゃいました。
なぜでしょうか。


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三十三間堂参進殿経由で本堂を参拝し、ご本尊の千手観音像や
1001体の観音像・二十八分衆を拝観しました。
では、こちらの通路から三十三間堂を出ます。


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通路を抜けて、三十三間堂境内北側の駐車場前に戻ってきました。
さらにこちらから、三十三間堂の門を出ます。


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三十三間堂の門の前から、三十三間堂廻りを南に向いています。
法住寺ご本尊の身代わり地蔵の幟が立っている通り、
この先に節分会が行われる法住寺が建っています。
ではこちらから法住寺に向かいますが、
その前にさらにもう1寺回ります。
ただ今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、ここまでとします。

~次回は、養源院に寄り道します~

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第721回 節分の養源院~法住寺節分会2020~その3

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前回ブログで参拝した三十三間堂参拝入口の前から、
三十三間堂廻りという道を南に向いています。
(七条通から、約50m南下した地点です)
このまま目的地の法住寺の節分会に行けば良いのですが、
2020年はまだちょっと時間がありましたので、
その中間地点の養源院にも立ち寄ろうと思います。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午前11時45分。
この時点では、法住寺節分会に余裕で間に合うと思っていました。


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三十三間堂参拝入口から、三十三間堂廻りを約100m南下しました。
先程の写真の右(西)側に一見すると土塀が見えますが、
あちらがこの辺で唯一の公衆トイレです。
養源院と法住寺にはトイレがないので、
知っておかないと後々困ります。
では左(東)側に見える養源院の前まで、
さらに三十三間堂廻りを南下します。


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先程の位置より、三十三間堂廻りを約30m南下しました。
この位置なら、養源院の南隣に法住寺が建っているのが分かります。
では、このまま養源院の門前に向かいます。


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三十三間堂を背に三十三間堂廻りで東を向くと、
浄土真宗遣迎院派養源院の門があります。
ちなみに浄土真宗遣迎院派は鷹峯遣迎院が本山なのですが、
いずれも元々天台宗から分派した寺院です。


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養源院の門をくぐり、すぐに南に向きました。
こちらは、養源院の末社白衣弁財天社がいらっしゃいます。
末社の背後が池なのですが、
水神でもある弁財天はよく池の周りにいらっしゃいます。


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白衣弁財天の向かい(北)側には、毘沙門天社がいらっしゃいます。
北の守護神毘沙門天ですから、この方角も納得です。


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同じ位置で、養源院境内を東に向きました。
養源院本堂は、この坂道の先にあります。
では、こちらを進んでいきます。


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養源院境内をそのまま東に進んでいます。
養源院本堂は境内のほぼ東端に位置しますが、
境内の中央にはこの大桜が1本立っています。
東七条でいちばん大きな桜の木ですから、
毎年春には絶景になります。(第299回ブログ参照)


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養源院境内の石畳の道の東の上り坂を進んでいます。
この辺りは日吉ヶ丘(阿弥陀ヶ峰)のふもとで、
東に行くほど高くなります。
では、養源院境内をさらに東に進みます。


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養源院境内の石畳の道の東端に、養源院本堂があります。
この塀を越えると、また風景が一変します。


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先程の塀の中に入り、すぐに南に向きました。
こちらは手水舎というよりも、かつての井戸ですね。
様子から、今は使われていないようですね。


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その井戸の北側を撮っています。
この先にもう一つの門があるのですが、現在は修復中のようです。
目の前の鳥居は、大木に掲げられている祠のものです。
この周囲には枝垂桜並木があるのですが、
こちらの春になると絶景になります。


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養源院本堂の縁側に、こちらがいらっしゃいました。
おそらく養源院の飼い猫ですね。
思わず目と目があった瞬間に、写真を撮りました。


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さらに、こちらのネコを撮り続けています。
だんだん目を合わせるのが辛くなったらしく、
ちょっと目を逸らすようになりました。


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そのうち、完全に横を向いてしまいました。
ただこの後は全く動かず、やがてすやすや眠ってしまいました。


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いろいろありましたが、こちらから養源院本堂に入っていきます。
徳川家を表す三つ葉葵の家紋が掲げられていますが、
こちらは最終的に徳川秀忠の継室江が建てました。


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養源院本堂内は一切撮影禁止なので、写真はこちらで代用します。
左の絵はがきは俵屋宗達筆の杉戸絵で、
こちらに保存されている絵画の過半数が彼の作品です。
(余談ですが、この寺院は俵屋宗達の作品展示数日本一です)

浄土真宗遣迎院派養源院は、1945年ごろまで天台宗寺院でした。
前回ブログでも紹介した通り、安土桃山時代は東七条一帯が
豊臣秀吉が建立した大仏殿とその関連宗教施設でした。
「養源院」という名称は、もともと浅井長政の戒名です。
浅井長政の娘淀殿が豊臣秀吉にお願いして、
浅井長政の21回忌(1594年)にこの寺院を建立しました。
ただ豊臣秀吉の死後淀殿も1615年に自害されたので、
淀殿の妹で徳川秀忠の継室江の方がその事業を引き継ぎました。
ですから、こちらは豊臣家と徳川家の両方が建立に関わっています。
またこちらを徳川家が建てる際、
伏見城の戦いの戦場であった
伏見城の廊下を天井に使用しています。
そこは鳥居忠元らが切腹した場所だったので、
30名ほどの返り血や彼らの死体の跡が完全に残っています。
これを「血天井」と呼び、こちらの説明が結構長いです。

こちらの文化財などの説明は
カセットデッキに録音された音声で行われます。
つまりその場で内容を変更できませんので、
テープのつなぎ目までは多少は時間待ちとなります。
この日(2020年2月3日)はタイミングが悪くて、
約15分待ってからそのカセットテープを聞きました。
法住寺の節分会の餅つきは午後0時半からですが、
そのテープの流れる時間は約30分で、今回ブログの最初から
法住寺節分会の餅つきまで約45分ありました。
余裕で間に合うの思っていたのですが、
どうも雲行きが怪しくなってきました。
午後0時20分を回ったころから、
自分の周囲にいらした参拝者が徐々に立ち上がり、
途中退席されました。
(どうやら、法住寺節分会が目的の方々です)
自分は最後まで聞いていたのですが、
そのうち南隣の寺院(要するに、法住寺)から
「よいしょ、よいしょ」と声が聞こえてきました。
これで、2020年法住寺節分会には遅刻確定です。


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養源院本堂を出ました。
では目の前の石畳の道を西に向かい、法住寺へ急ぎます。


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養源院境内の石畳の道を西に急いでいます。
南側から「よいしょ、よいしょ」の声とともに、
杵が餅を搗く音も聞こえます。
では、この先から浄土真宗遣迎院派養源院を出ます。


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養源院の門前で、三十三間堂廻りを南に向いています。
では、南隣の法住寺に急ぎます。


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既に遅刻なので実際にはここからすぐに法住寺に向かいましたが、
ブログ上では、先に養源院と法住寺の間にいらっしゃる
後白河天皇陵にお参りします。
ただちょうど区切りが良いので、今回はここまでです。

~次回は、法住寺の餅つきを掲載します~

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第722回 法住寺のお汁粉~法住寺節分会2020~その4

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前回ブログで訪れた養源院と今回ブログで訪れる法住寺の間に、
こちらの細長い小径が東に伸びています。
本当は遅刻しているので養源院から即法住寺に向かったのですが、
今回ブログはちょっと考えがありまして、
こちらを先に紹介いたします。
その後、法住寺の餅つき以降の行事を掲載します。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午後0時半。
本当はお汁粉を食べた後に、こちらに立ち寄りました。


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三十三間堂廻りという道から、先程の小径を約50m東に進みました。
その位置で、南を向いています。
こちらの小径は、約20m先で突き当たります。


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先程の位置から南下する途中に、こちらの手水舎がありました。
法住寺の銘が、入っていますね。
この小径の先は現在宮内庁の管理ですが、
神仏分離令以前は法住寺の管理でした。


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その小径を約20m南下しました。
小径の突き当りが、ちょっとした広場になっています。


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その広場で、東を向きました。
この辺りは、法住寺境内のちょうど裏(東)側に位置します。
こちらが、後白河天皇の法住寺陵です。
もともと後白河上皇は鴨川以東の東七条一帯に広がっていた
法住寺殿に居住し、院政を行っていました。
そして白河上皇の死後この地に後白河天皇陵が造営されて、
明治初期の神仏分離令まで法住寺がこの御陵を管理していました。
(現在は、宮内庁が管理しています)


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後白河天皇法住寺陵を背に、西を向きました。
この塀の向こうは、今回ブログの目的地法住寺です。
手前に桜の木が立っていますが、
この辺りも桜並木が、ここを絶景に変えます。


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さらに後白河天皇法住寺陵の前で、北を向きました。
では、こちらの小径を北上します。


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後白河天皇法住寺陵から小径を約20m北上して、西に向きました。
左(南)側がこれから訪れる天台宗法住寺で、
右(北)側が前回ブログに訪れた浄土真宗遣迎院派養源院です。
では、こちらを西進して約50m先の三十三間堂廻りに向かいます。


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先程の地点から約50m西に進み、三十三間堂廻りを南に向きました。
左(東)側が三十三間堂廻り最南端の天台宗法住寺で、
右(西)側が第720回ブログで参拝した三十三間堂です。
また約100m先に、三十三間堂南大門が見えます。
では、こちらから法住寺境内へ急ぎます。


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先程の位置から三十三間堂廻りを約10m南下し、東に向きました。
こちらに、天台宗法住寺の法住寺門(正門)があります。
天台宗法住寺は、988年当時の太政大臣藤原為光が建立しました。
ただ、こちらの全盛期は後白河上皇の院政期です。
ここを中心とした「法住寺殿」つまりここで院政が行われましたが、
平安時代末期の法住寺合戦で法住寺殿は焼失しました。
こちらは、その後鎌倉時代に再建されたものです。
左脇(北側)に、節分会の看板が出ていますね。
では、こちらの門から法住寺境内に入っていきます。


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法住寺門をくぐり、法住寺境内最南端を向いています。
門前にはこの日(2020年2月3日節分)限定で臨時寺務所が設けられ、
東側の本来の寺務所はさまざまな行事に使われます。
北側には、陀枳尼尊天弁財天が合祀された祠が祀られています。


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その祠の前で、法住寺境内を南に向いています。
右(西)側に長いテーブルが並び、さらに西に竈が並びます。
法住寺は、こちらで調理されたものを参拝者に振る舞っています。


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そのテーブルの前で、節分会開催中は甘酒が振る舞われます。
京都の甘酒ですから酒粕由来のものではなく、
米麹由来のノンアルコール飲料です。
こちらの中に入っている米麹を食べながら飲んでいます。
料金は志納制なのですが、相場としては100円です。
自分は小銭を持っておらず、
法住寺の方と相談してお釣りを頂きました。


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法住寺境内の中央に、この寺院の象徴でもある枝垂桜があります。
その木越しに、境内の北側に建っている法住寺本堂に向きました。
法住寺の本堂と枝垂桜の間に砂場があるのですが、
この日(毎年節分)はその砂場の上に護摩壇が置かれています。
節分会最後の行事である護摩焚きのためですね。
そして法住寺本堂前に石臼が置かれており、その周囲に
法住寺節分会世話役の男女がいらっしゃいいます。
男性の方が杵を持ち上げ、女性の方がもち米を濡らしておられます。
1回目の餅つきは既に終わっており、
この餅つきは、もう2度目に入っておられます。
(要するに、自分は餅つきに遅刻しています)


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法住寺節分会世話役の女性の左(東)側に、
和服姿の女性がお二人いらっしゃいます。
2018年同様先斗町の舞妓さんが
また餅を千切って丸めるために来られています。


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先斗町の舞妓さんを大写しにしています。
この時点で、また搗きたてのお餅を丸められています。
2020年は2018年より手慣れておられて、
あっという間に丸め終わられました。
周囲の方々はスマートフォンを掲げられるのに一生懸命で、
ここは臨時の舞妓さん撮影会と化しています。
近年舞妓さんに過剰に近づかれて強引に撮影されるのが
京都市内で割と大きな問題になっていますが、
ここならそういうことを気にせず何枚も撮影が可能です。
実はこの撮影を目的に来られている方も多く、
中には明らかにプロのカメラマンがいらっしゃいました。


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先斗町の舞妓さんのさらに左(東)側に、
舞妓さんより明らかに年少の方々がいらっしゃいます。
おそらくこちらは、舞妓さんの見習いでしょうね。
こちらの方々も、お餅を丸められています。


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レンズの倍率を変えて、法住寺本堂の全体を写しています。
さらに左(東)に、ご住職がマイク片手にいらっしゃいます。
2020年のご住職はいわゆるMCもされていて、
餅つきの様子を実況されるだけでなく、
全体の指揮や礼儀知らずのカメラマンへの注意など、
本当に多岐にわたって活躍されていました。


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そろそろ法住寺本堂の西側に、人が並びだしています。
ご住職のMCによれば餅入りのお汁粉がだんだん出来上がっており、
その順番待ちの方々が並んでおられます。


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法住寺本殿の西側に回り込んできました。
2018年はご住職のお知らせから10分後に並んだのですが、
2020年はお知らせ直後に並んだのに、
自分より前にほぼ同じ人数が順番待ちされています。


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並びだして、約2分経ちました。
2018年より、列が動くスピードがだいぶ早いですね。
2020年は結局2018年の2倍の方々が並ばれましたが、
舞妓さんの餅を丸めるスピードが速いのと
搗かれる餅の量も2018年の2倍以上ということで、
十分に対応される体制を取られているようですね。


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先程の位置から、さらに2分経ちました。
もう福寿観音様の祠の前に来ました。
2018年より速いスピードで、列がさばけています。


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こちらが、福寿観音様の石像です。
列に並びながら、こちらにお参りしました。


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その福寿観音様の前で、法住寺境内を北に向いています。
その北側に、法住寺のもう一つの門である竜宮門があります。


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さらにお汁粉待ちの行列が、どんどんさばけています。
お汁粉を温めている竈まで、あと数分です。


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その行列に並んでいる途中で、法住寺本堂前を撮りました。
ご住職が本堂前に来られていますが、
餅つきと舞妓さんらの餅を丸められる作業は、延々続きます。


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法住寺境内中央の枝垂桜も通り過ぎ、
お汁粉の竈まですぐそこです。
列の周囲では、先に並ばれておられた方々が
お汁粉を堪能されています。


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いよいよお汁粉の行列も、自分の番となりました。
目の前の高坏に志納金を収めて、
お汁粉の入ったお椀を頂きます。
こちらのお汁粉も、志納金は100円が相場です。


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こちらが、先斗町の舞妓さんらが丸められた餅入りのお汁粉です。
2015年に来たときは今より参拝者が少なかったので、
実は2度並んで2杯頂きました。
2018年に来たときは参拝者数が急増していて、
並ばれた方の約半数の方々しか頂けませんでした。
(まぁ、それでも自分はしっかり頂きましたが……)
2020年に並ばれた参拝者数は2018年の約2倍ですが、
用意された餅も2倍以上ですので全員頂けました。
ただ、さすがに2杯目は不可能でした。


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お汁粉のお餅を浮かばせて、もう一度撮影しました。
餅自体はとても小さいのですが、
小豆がしっかり入っていて、これで十分満腹になります。
まぁこちらがこの日の自分の昼食です。


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餅を丸める作業が一段落して、
先斗町の舞妓さんと見習いさんが談笑されています。
実は餅を丸める作業はまだ続くのですが、
もう山は越えられているので、時折手すきになられるようです。


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自分はお汁粉を食べ終わりましたが、
境内の中央ではまだまだたくさんの方々が
お汁粉を立ち食いされています。
(イスがないので、自分も立ち食いでした)
写真の右(西)側に行列がまだ続きますが、
この直後に全員がお汁粉を頂きました。


722-33.jpg
お汁粉の行列は、2020年2月3日午後2時10分に途切れました。
次の行事まで、あと約20分あります。
ここで、法住寺本堂にいらっしゃる
ご本尊の代受不動明王に参拝するために本堂に向かいました。
(本堂内は撮影不可なので、写真はありません)
さらにちょっとこの隙にお手洗いにも行って、
今回ブログ最初の後白河天皇陵へお参りしました。

この後の行事は、午後2時半から始まりました。
ただ今回はもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
続きは次回とします。

~次回から、法住寺の護摩焚きが少しずつ始まります~

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第723回 一気に豆まきまで~法住寺節分会2020~その5

722-33.jpg
前回ブログで、昼食として法住寺でお汁粉を頂きました。
まだまだお汁粉の振る舞いは続いていますが、
お汁粉を食べ終わった自分は本堂のご本尊にお参りして、
三十三間堂横の公衆トイレと後白河天皇陵に行きました。
今回は、この後の行事節分の豆まきを取材しました。
撮影日は、2020年2月3日節分の月曜日午後1時。
ある意味、今回がメインイベントですね。


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前回ブログ以来、指定席にしている護摩壇前に戻ってきました。
お餅を丸める作業を終えた先斗町の舞妓さんが、
席を立たれる用意をされていました。


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とは言え、舞妓さんは振り袖姿です。
そうそう簡単に立つことはできません。
先ずは振り袖の袖を抑えながら、ゆっくりと立たれました。


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舞妓さんたちはお互いに立ち上がったことを確認すると、
そのまま演壇を下りられて、こちらの方に歩いてこられました。


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自分が陣取った護摩壇前から、北側に見える竈の前を撮りました。
舞妓さん2名は、そちらに移動されていかれました。
目的は……前回ブログに出て来たお汁粉です。
考えてみれば舞妓さんもここまで働き詰めですから、
ようやく昼食にありつけたわけですね。
ここでも舞妓さんの撮影会が始まりましたが、
その辺の方々と舞妓さんたちは歓談しながら、
お汁粉を堪能されていました。


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さらに時間が経過して、2020年2月3日節分の月曜日
午後1時半を過ぎました。
寺院の奥から、ご住職がゆっくりと現れました。
いよいよ次の行事が始まります。


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ちょっと時間は立って、後ろ(北側)を見ました。
いったん三十三間堂廻りに出た厄払い行列のご一行が、
法住寺の正門から法住寺境内に入って来られました。
青い法被姿の世話役を先頭に、自分たちの許に南下してこられます。


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世話役の方に続いて、修験者さんたちが更新されます。
こちらの法螺貝の音色に合わせて、行列が南下しています。


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修験者さんに続いては、ご住職の登場です。
その後に、錫杖片手の天狗が並ばれています。


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錫杖片手の天狗に続いて、赤鬼と青鬼が現れました。
第719回ブログの巡行行列と同じ順番ですね。


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赤鬼・青鬼の後ろから、黒鬼の登場です。
まさに、厄払い巡行行列の順に登場されます。


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黒鬼の後ろは、さらに修験者さんの列となります。
これで、厄払い巡行行列一行が法住寺境内にそろい踏みです。


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ご住職が、護摩壇の北側の本堂前におられます。
厄払い巡行行列は、護摩壇の左(西)側を南下されました。


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ご住職が、法住寺本堂に入っていかれました。
続いて天狗や鬼の皆さんが、本堂に入っていかれます。
ここから本堂内で、ご住職への読経が始まりました。
こちらの行事は非公開なので、写真はありません。


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ご住職の読経が終わると、
先斗町の舞妓さんが本堂前にいらっしゃいました。
だんだん豆まきの準備が整ってきます。


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護摩壇の右(西)側に、修験者が現れました。
黙壇の結界内に入る前に、九字祈祷を唱えられました。


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その九字祈祷を終えられた後、
この後の行事に参加される修験者の皆さんが、
次々と護摩壇前に入って来られました。


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その修験者の皆さんの中に、ご住職もいらっしゃいました。
その後ろには、天狗が控えておられます。


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そして修験者の皆さんとご住職が、所定の位置に就かれました。
いよいよ豆まき行事の始まりです。


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修験者の皆さんによる銅鑼と法螺貝の演奏が始まると、
天狗が護摩壇前に登場しました。
錫杖を振りかざし、護摩壇の前で踊りだされていました。


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天狗が、護摩壇の周囲を時計回りに踊られます。
ちょっといろいろ写っていますが、右上に天狗がいらっしゃいます。


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天狗の踊りが、2周目に入られました。
すると、後ろから赤鬼も登場しました。
赤鬼は左手に松明、右手に剣を持たれています。


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続いて、青鬼の登場です。青鬼は、両手の斧を
銅鑼と法螺貝の音に合わせて振り上げておられます。


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さらに、黒鬼が槌を持たれての登場です。
天狗を含めて4者が護摩壇の前で踊られて、
この周囲を浄められておられます。


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黒鬼が護摩壇を1周されて、護摩壇の結界から出て行かれます。
天狗・赤鬼・青鬼は、先に結界の外におられます。


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そして、ご住職が本堂前に立たれます。
先斗町の舞妓さんも、その両側に立たれます。
そちらも、手に豆の入った桝を持たれています。
いよいよ、法住寺の豆まきが始まります。


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すると、そちらの方へ赤鬼、青鬼・黒鬼が迫ります。
これは、2018年に行われなかったことです。


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「鬼は外」
鬼たちが本堂前の方々の至近距離に近づいたとき、
その掛け声とともにご住職と舞妓さんが豆を撒かれます。


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豆を投げつけられた鬼たちが、慌てて逃げだしました。
要するに、豆を撒かれて鬼たちが退散します。


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ところが、鬼たちが再度臨戦態勢です。
どうやら、もう一度本堂前に迫るようです。


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するとやはり「鬼は外」の掛け声とともに、
ご住職と舞妓さんが豆を撒かれます。
その豆に再び鬼たちが退散します。


723-32.jpg
豆を撒かれた鬼たちが、護摩壇前から退散されます。
自分は一度幼児の前で鬼の仮面(紙製です)を付けて
同じようなことをした経験があるのですが、
煎った大豆って、投げつけられると相当痛いですね。
鬼の皆さんは、大丈夫なのでしょうか?


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続いては、豆の入った紙製の袋の入れた木箱の登場です。
これからご住職や舞妓さんだけでなく、
修験者の皆さんも加えた皆さんで、自分たちに豆を撒かれます。


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こちらは、護摩壇の左(東)側です。
修験者のウチの数名と舞妓さんのウチのお一人が、
こちらにはいらっしゃいます。


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「鬼は外 福は内」
掛け声とともに、豆の入った紙製袋が撒かれます。
参拝者が両手を差し出し、その袋を取り合われます。


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修験者のお一人が、こちら(正面)側に来られました。
そして、木箱片手に、豆を撒かれています。
背後では、舞妓さんが周囲に豆の入った袋を撒かれています。


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さらに世話役の方々も参加されて、豆まきが続きます。
木箱には「七条大橋東詰 みささ菓舗」と書かれています。
1990年前後のバブル期まで
「七条須原」交差点で経営されていた和菓子屋さんで、
自分の小学校の卒業式でこちらの紅白まんじゅうを頂きました。


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そして世話役の方が、自分の目の前に来られました。
この方は豆まきをされず、こう叫ばれておりました。
「子供、おるか? 小さい子、おるか?」
どうやら取り合いになったために、
豆の入った袋が手に入らなかった参拝者たちに
その袋を配ろうとされているようです。


723-39.jpg
まぁこの日(2020年2月3日節分)は平日(月曜日)なので、
学齢期の子供はほとんどいらっしゃいません。
すぐに対象者に豆を配り終えると、
今度は高齢者に豆の入った袋を配られ始めました。
この方の配布が終わると、法住寺の豆まきが終わりました。


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豆まきを一通り終えると、先斗町の舞妓さんが一礼されました。
これで、鬼たちと先斗町の舞妓さんはお役御免です。
ただ2020年は舞妓さんはすぐには帰られず、
この後の護摩焚き行事は参拝者として、
護摩壇脇にずっと立っておられました。

この後は節分会最後の行事の護摩焚きですが、
今回もだいぶ写真を貼り付けましたので、ここまでとします。

~次回は、法住寺の護摩焚きを取材します~

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第724回 最後は護摩焚き~法住寺の節分会2020~その6

724-1.jpg
前回ブログで、法住寺節分会のメイン豆まきが終わりました。
その直後、護摩壇の周囲に
修験者の皆さんが所定の位置に就かれました。
そして、その修験者の代表と思しき方が、正面に座られます。
今回は、法住寺節分会の最後の行事護摩焚きを取材します。
撮影日は、2020年3月3日節分の月曜日午後2時半。
今回は、40枚以上の写真を貼り付けます。


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その代表者の右(西)脇に、ご住職が座られます。
その後、修験者が本格的に護摩焚きの手順が始まります。


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周囲の修験者の方々が、九字を切られました。
また、こちらの法螺貝で護摩焚き法要が始まります。


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すると、修験者のうち2名が祭壇の前に立たれました。
そして、その祭壇に一礼されます。


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その2名が、こちらに来られました。
そして、修験者の代表者とご住職に一礼されました。
2名の方々は、それぞれ弓と矢筒を持たれています。


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そのうち弓を持たれていた修験者が、文言を唱えられます。
古文ではありますが、日本語を唱えられていました。
ですから経文ではなく、祝詞の類でしょうね。


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その様子を、先斗町の舞妓さんがご覧になっています。
2018年は護摩焚きまで残られなかったはずですが、
2020年は護摩焚きの最後までいらっしゃいました。


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そして弓を持たれた修験者が、東に青緑の鏃の矢を射ます。
こちらの色は、東を守護する四神獣青龍を表します。


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次は護摩壇に向かって、朱い鏃の矢を放たれます。
こちらの色も、南を守護する四神獣朱雀を表します。
こちらの弓を強く射ると、もちろん大惨事が起こります。
そのため弦は相当緩く、矢もふわりと浮かんですぐに落ちます。
それを参拝者が、取り合ってもらい受けます。


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さらに西に向かって、白い鏃の矢を飛ばされます。
こちらの色も、西を守護する四神獣白虎を表します。


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そして自分たちがいる北に向かって、紫紺の家を打たれます。
紫紺は黒の代用で、北を守護する四神獣玄武を表します。


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その後、黄色い矢を祭壇に向けられています。
黄色は、四神獣に対して中央を表しています。
2018年に修験者のお一人が、こうおっしゃっていました。
「黄色は、ご本尊の不動明王を表しています」


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最後に北西(鬼門?)へ、四神獣すべての色の矢を飛ばされます。
これで、全ての矢を放たれました。


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続いてまた別の修験者が2名出て来られて、
火の点いていない松明を交差させています。
すると、ご住職が立ち上がられました。


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そして、ご住職が祝詞を唱えられました。
その後のご住職はこちらを発たれて、護摩壇の隅に移動されます。


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世話役のお一人が、祭壇から護摩壇前へ蝋燭を持ってこられました。
こちらを使って、修験者2名の松明に火を点けられます。


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修験者2名が、火の点いた松明を護摩壇前に持ってこられます。
いよいよ護摩壇に、火がくべられます。


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次に、修験者2名が松明を護摩壇に突き刺されます。
こうして、護摩壇が点火されました。


724-19.jpg
ようやく護摩壇に火が点き、護摩焚きが本格的に始まります。
すると、その2名の修験者が護摩壇に水をかけられます。
そうやって、護摩壇の火(煙)を管理します。


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すると代表の修験者が、お経を唱えだされました。
文言から、般若心経でしょうか?


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その直後、護摩壇の煙が急に倍増しました。
辺りが、煙一色となりました。
とは言え、これは異常事態ではありません。
護摩焚きはいったん煙が充満して、
その後水撒きによって落ち着いてきます。


724-22.jpg
例年通り、数分で護摩壇の火が落ち着いてきました。
すると代表の修験者が左手に護摩木を右手に小刀を持ち、
般若心経とは別のものを唱えだされました。


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この小刀は、模造刀ではありません。
自分は真後ろにいるので小刀を振り回されると正直怖いのですが、
その辺はこちらの方が後ろを見ながら振り回されておられるので、
それ程危険はありませんでした。
代表の修験者は、手順通り護摩木の封を小刀で切られています。


724-24.jpg
封を切られてばらけた護摩木を
代表の修験者が、護摩壇の火の中へ放り込まれます。
護摩木には、参拝者の願いが書かれています。
この一連の動作が、厳密な意味での「護摩焚き」です。


724-25.jpg
その間、他の修験者の皆さんはこちらに詰めておられます。
厳密には楽器の一種である独鈷鈴を振りながら、
時折おりんも楽器として鳴らされています。
六根清浄と唱えながら時折般若心経も織り交ぜておられます。


724-26.jpg
こちらの修験者2名が、ずっと水を護摩壇にかけておられます。
そのことで段々煙が落ち着いてはきたのですが、
その代わり煙に煤が混じりだしました。


724-27.jpg
こちらは、先程矢を射られた修験者です。
護摩焚きの進行を管理されているようです。
こちらの法衣や髪にも、煤が付き始めています。
よく見ると机の上にも煤が溜まりだし、
お経や段取り表が煤まみれですね。


724-28.jpg
煤まみれの煙越しにおられる先斗町の舞妓さんです。
平然としておられますが、そちらの方には煙はやって来ません。
代わりに、自分は結構な煤まみれになりました……


724-29.jpg
一通り護摩木を掘り込まれると、
代表の修験者はこちらの棒状の法具を持たれて、
目の前の石を叩かれています。
こちらも、祈祷の過程のようです。


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そして、その工程の後は九字祈祷を唱えられます。
ここまでが、代表の修験者が祈祷される護摩焚きでの所作です。


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そして、また護摩木を護摩壇に放り込まれます。
この所作から、九字祈祷までを何度も繰り返されていました。


724-32.jpg
護摩焚きも半ばが過ぎ、いったん護摩壇への水かけが中断されます。
そして護摩壇に水を掛けておられた修験者が、
周囲に置かれていた残りの護摩木を一気に護摩壇にくべられます。


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右(西)側に続いて、左(東)側の護摩木も次々放り込まれます。
すると、護摩木がみるみる減っていきます。


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護摩木が、護摩壇に次々放り込まれています。
慌てて放り込まれるので、修験者の一人の裾に
火が燃え移っていましたが、落ち着いて消火されていました。
(特に火傷など、されていない様子でした)


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左(東)側の護摩木が全て護摩壇に放り込まれましたので、
そちらにいらした修験者も右(西)側に回り込んでこられました。
すると、こちらの護摩木もすぐになくなりました。


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すると、今度は本堂脇の紙袋に手を付けられます。
こちらには、昨年使われて2020年にこちらに納められた
破魔矢やお守りが入っています。


724-37.jpg
そして、その紙袋を護摩壇に放り込まれます。
これで火にくべるべきものは、全て放り込まれています。


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そして、修験者の一人がマイク片手に一言おっしゃいました。
「これで、護摩焚きは終了です。2020年の節分会は以上です」


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すると長い間座っておられた代表の修験者が、立ち上がられました。
これで、2020年の法住寺の護摩焚きが終了しました。


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その後、他の修験者が一斉に立ち上がられてました。
ここから、こちらの後片付けが始まります。


724-41.jpg
すると代表の修験者さんが、自分にこちらを手渡されました。
護摩壇に付けられていた、黄色い護符です。
「普通は燃えるのだけれど、残るのは珍しい」
そうおっしゃっていました。
ちなみに、こちらは現在自分の財布に入っています。


724-42.jpg
その直後に、護摩壇周囲の結界が取り払われました。
さらに、机と椅子が撤去されます。


724-43.jpg
そうこうしているうちに、
消防署員の方々が護摩壇周囲に入って来られました。
この段階ではまだ護摩壇は燃え盛っていますが、
この直後に消防署員の手で消火されました。


724-44.jpg
同じ位置で、北を向きました。
甘酒お汁粉を提供されていた竈も、徐々に片付けられています。
ただ2020年法住寺節分会の行事は、まだ残っています。


724-45.jpg
法壽寺境内の北側に、寺務所があります。
そちらで、天狗が笹の幹を持たれています。


724-46.jpg
天狗が、参拝者の朱塗りの盃に日本酒を注いでいます。
こちらは、健康長寿祈願の酒です。


724-47.jpg
自分も、そのお酒を頂きました。
自分は半年前に脳卒中を患いそもそもこの後出勤ですが、
まぁこの分量なら大丈夫でしょう。


724-48.jpg
では、こちらから法住寺を出ます。
この後は目の前の通りである三十三間堂廻りを約50m南下し、
三十三間堂南大門を抜けて塩小路に達し、
そこから延々西へ約20分歩いて京都駅から出勤しました。
(この日は夜勤で、午後5時半に勤務先に着く予定です)

これで、2020年の法住寺節分会を終了します。

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プロフィール

ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

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サイドバーの説明をします。
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「京都桜100景」
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今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
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100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

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祇園祭宵山で回る
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実際に回るときの
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京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
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バス停や駅の位置以外に、
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系統(「5系」とか)別に
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貼り付けてあります。
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そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
サイトやブログのリンク
シリーズごと読むなら、こちらから
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