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第810回 豊国神社に参拝~大黒町通南から北~その2

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前回ブログで、七条通から大黒町通を約200m北上しました。
目の前の耳塚を通り過ぎると、大黒町通は正面通と交差します。
今回は正面通を東に進み、豊国神社に参拝します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日午後3時15分。
この日は、ずっと快晴でした。


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正面通から、大黒町通を北に向いています。
この辺りの正面通は、中央分離帯のある4車線の道幅です。
一方正面通以北の大黒町通は、むしろ道幅が狭くなります。
交差点の北西角に建つ浄土宗西山檀林派熊谷山専定寺は、
次回ブログで取材します。


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今度は大黒町通から、正面通を西に向きました。
正面通は約50m先の本町通で、道幅が狭くなります。
本町通から正面通をさらに西に進むと、
川魚店の大国甘春堂本店に辿り着けます。


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さらに大黒町通から、正面通を東に向いています。
今回ブログはこちらを進み、正面通東端の豊国神社にお邪魔します。


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大黒町通から、正面通を東に進んでいます。
こちらが、正面から見た耳塚です。
ここ東山区鴨東地区には、安土桃山時代に豊臣秀吉によって
大仏殿や豊国廟(豊臣秀吉のお墓)を中心に、
一大宗教施設群が建造されました。
この耳塚もその宗教施設群の一部で、
1592年・1597年の文禄・慶長の役での韓国人戦死者の耳を
こちらに葬った一種のお墓です。
豊臣秀吉がこちらを建立した理由は不明ですが、
考えようによってはこちらは韓国人戦死者の戦没碑でもあります。
ですから、現在は日本・韓国両国政府がこちらを整備しています。


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耳塚から、正面通を東に向いています。
ここから、正面通の突き当りに向かいます。


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耳塚の東隣に、こちらの耳塚児童公園があります。
午後3時半を回り近くの小学生で溢れていたので、
この石碑周辺しか写せません。

こちらは明治時代初期には空き地だったようで、
明治天皇夫妻がこちらまで行幸された際、
昭憲皇后がお疲れになったので休憩された跡です。
その後こちらは京都市立第27区尋常小学校となり、
大正時代になって児童公園となりました。


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耳塚児童公園の前で、正面通の向かい(北)側を見ています。
この辺りの正面通には中央分離帯があって、
そこに百日紅(さるすべり)並木が続いています。
ですから、この辺りは毎年8月になると絶景になります。
(第149回ブログ参照)
そのさらに北側に、甘春堂 東店が建っています。
こちらには、次回ブログで立ち寄ります。


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大黒町通から、正面通を約50m東に進みました。
ここで、正面通は大和大路で突き当たります。


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正面通から、大和大路を北に向いています。
4車線の道ですが、約100m先で1車線一方通行の道になります。
(詳しくは、第224回ブログ参照)


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今度は正面通から、大和大路を南に向きました。
約200m先に、前回ブログの「七条大和大路」交差点があります。
この辺の詳細は、第223回ブログ参照)


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さらに、大和大路から正面通を東に向きました。
横断歩道の先に、豊国神社がいらっしゃいます。


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先程の横断歩道を渡り、東を向いています。
では目の前の石段を上り、豊国神社境内に入ります。


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先程の石段を上り豊国神社一の鳥居をくぐり、
豊国神社境内を東に向いています。
ここから、ゆっくり目の前の本殿に向かいます。


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一の鳥居前から、豊国神社境内を東に進んでいます。
先ずは、こちらの手水舎に向かいます。


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その手水舎を大写しします。
コロナ禍のご時世から、柄杓は取り除かれてます。
金色の瓢箪から出る水で、直接手を清めるようになっています。


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豊国神社手水舎の前で、境内を東に向いています。
ここからは、あちらの豊国神社本殿に向かいます。


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こちらが、豊国神社本殿です。
ご祭神は、豊国大明神つまり豊臣秀吉です。
東山区鴨東地区は平安時代末期は法住寺殿でしたが、
(後白河上皇の院政が取り仕切られた場所です)
安土桃山時代は「大仏殿」・豊国廟を中心とした
豊臣秀吉による一大宗教施設群でした。
そしてこの豊国神社本殿の位置に、その大仏殿の本堂がありました。
(厳密には、本殿東隣の緑地公園付近)
この神社は、明治時代に「大仏殿」跡に建立された神社です。
ただし、安土桃山時代からその「大仏殿」の鎮守社として
豊国神社という神社はこの辺りにいらっしゃいました。
(ただし江戸時代は、ほぼ廃社状態でした)


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その豊国神社本殿の袂に、こちらがいらっしゃいます。
「招福白虎」と書かれていましたが、この近所の
京都芸術工芸大学の学生さんの作品のようです。


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豊国神社本殿前から、境内を南に向いています。
駐車場の奥(南側)に、こちらの社務所があります。
左(東)側が宝物殿の入り口ですが、
今回は時間の都合で宝物殿には立ち寄りません。
(宝物殿の詳細は、第149回ブログ参照)


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今度は豊国神社本殿前で、境内を北に向きました。
今回は、こちらの方に向かいます。


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豊国神社本殿前から、境内を北上しています。
すると、そちらに稲荷社の朱い鳥居が見えてきました。


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こちらが、その末社の稲荷社です。
赤い鳥居が続く様子は、稲荷社にはよくある形式ですね。
ただ、社には「槙島大明神」と書かれていました。


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その稲荷社の前で、北を向きました。
ただ目の前の車止めを越えると、
豊国神社を出て天台宗方広寺境内に入ります。


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先程の車止めを越えて、すぐに右(東)に向いています。
左(北)側は方広寺の鐘楼で、右(南)側が先程の稲荷社です。
このまま東に進むとそのまま路地となって、住宅街に辿り着けます。
そして、その辺りに「大仏殿址緑地公園」があります。
(詳しくは、第616回ブログ参照)


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その路地の北側には、方広寺が経営する駐車場があります。
ただ、こちらには江戸時代中期に造営された
廬舎那仏がいらっしゃいました。
それが、1973年に失火により焼失しました。
(自分も野次馬のの一人だったので、よく覚えています)


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その駐車場の西側に、天台宗方広寺の本堂があります。
安土桃山時代に豊臣秀吉がこの辺りに建立した大仏殿の後継寺院です。
大仏と言えば奈良市の華厳宗東大寺にいらっしゃる大仏が有名ですが、
安土桃山時代に織田信長によって東大寺は焼失していました。
(その後江戸時代初期に、東大寺は再建)
そのため、豊臣秀吉が京都に廬舎那仏(大仏)を再建しました。
それがこの東山区鴨東地区に広がる一大宗教施設群なのですが、
権力者が変わった江戸時代になると、暫くこの辺りは放置されました。
そのうち肝心の大仏も様々な理由で焼失しました。
その後大仏殿の後継寺院として、
江戸時代半ばにこの方広寺が再建されました。
江戸時代にこの辺りの住民が何度か大仏を再建したのですが、
何度も焼失して現在方広寺に大仏は現存しません。
ですから本殿には決して大きくない廬舎那仏がご本尊としていらして、
さらに焼失した初代の大仏の足の甲だけ残っています。


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方広寺本殿の南側に、重要文化財の鐘楼があります。
次は、こちらに向かいます。


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こちらが、方広寺鐘楼の鐘です。
現在のご住職が、鐘の一部を白墨で強調されています。
そちらには、「国家安康」「君臣豊楽」と書かれています。
「徳川家康の首を刎ねようと呪いをかけた」と徳川家康が主張し、
それが1614年~1615年の大坂の陣の一因となりました。
(豊臣氏が滅亡した一因ですね)
この鐘は江戸時代はその辺に放置されていましたが、
明治時代に入って豊国神社境内からこちらに置かれました。


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方広寺鐘楼の天井部分を撮りました。
天井の板には、このように飛天が描かれています。


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さらに、方広寺鐘楼天井に描かれた飛天を写しました。
豊国神社や方広寺境内は、自分が子供のころの遊び場でした。
自分が小学生低学年のころまでは、方広寺の鐘は
50円(子供のお小遣いの金額)を支払えば誰でも鐘を衝けました。
どうもいたずらで鐘が壊れそうな衝き方をした大人がいたようで、
それ以降鐘楼内は立ち入り禁止になっています。
(ここの僧侶ではなく、子供のころ近所の小父さんに聞きました)


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方広寺鐘楼を背に、方広寺境内で西を向いています。
では、こちらの石段を下ります。


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方広寺本堂前で、境内で西を向きました。
では、こちらの坂道から方広寺を出ます。
目の前は、大和大路ですね。


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方広寺の前で、大和大路を北に向いています。
この先で、急に道幅が狭くなっていますね。
右(東)側の石垣は、安土桃山時代のものをそのまま使用されています。
この石垣は、現在京都市指定文化財に指定されています。


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今度は、方広寺の前で大和大路を南に向きました。
今回は、このままこちらを南下します。


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方広寺の前から大和大路を約100m南下して、
豊国神社を背に西に向きました。
では、ここからは正面通の北側歩道を西に進みます。


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大和大路を西に渡り、その位置で正面通北側歩道を西に向きました。
では、ここから大黒町通を目指して西に進みます。


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大和大路から、正面通北側歩道を約50m西に進みました。
こちらに、甘春堂東店が建ってあります。
大黒町通に戻る前にこちらに寄り道しましたが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は甘春堂東店で休憩した後、大黒町通を北上します~

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第811回 甘春堂で栗ぜんざい~大黒町通南から北~その3

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前回ブログで豊国神社に参拝し、正面通を西に進みました。
こちらは、甘春堂 東店です。
今回はこちらに立ち寄った後、大黒町通を北上します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日の午後3時半。
この日は、一日快晴でした。


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甘春堂東店に入店し、ブログ取材の許可を取りました。
こちらは第809回ブログで取材した七條甘春堂とは、
経営者が異なる別企業です。
(たぶん元々は同じお店だったものが、暖簾分けしています)

この日(2022年2月26日)は1Fにはお客が自分ひとりでしたが、
2Fからたくさんの方々の話し声がしました。
どうやら、「和菓子教室」が開講中でした。


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1Fは自分一人なので、遠慮なくいつもの坪庭前の席に就きました。
よく来るお店なので、「勝手知ったる他人の家」状態です。
店員さんに注文をして、ここで暫し待ちます。


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注文してから、約10分経ちました。
すると、こちらがやって来ました。


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お椀の蓋を取りました。
撮影日が早春ということもあり、温かいぜんざいを頼みました。


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そのぜんざいを大写ししました。
これだけ煮込んでも小豆の粒が潰れていないのは、
このお店の職人の為せる業です。
白玉粉で作られたお餅以外にも、
色の付いた最中の皮が入っています。
小豆か何かを挟むためのものかもしれませんが、
自分はそのまま戴きました。


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最中の皮だけ戴いた後、再びぜんざいを撮りました。
すると、ぜんざいの中に栗が入っていました。
つまり、こちらは栗ぜんざいです。
生の状態のときに、栗の皮と渋皮を包丁で向いていますね。
和菓子に限らず、和食や中華料理の調理時の下ごしらえです。
確か、フランス料理でも同様の下ごしらえをします。
生の栗を小豆同様時間をかけて煮込んでいるので、
ホクホクして甘い栗に仕上がっています。


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栗ぜんざいを戴き、甘春堂 東店を出ました。
その甘春堂 東店の前で、正面通を西に向いています。
ここからは、このまま西に進みます。


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甘春堂 東店から、正面通を西に約50m進みました。
ここで正面通は、大黒町通と交差します。
このまま正面通を東に進むと、
炭火焼うなぎ 川魚 大国甘春堂 本店があります。
(詳しくは、第684回ブログ参照)


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今度は正面通から、大黒町通を南に向きました。
目の前に、耳塚が立っています。
第809回ブログでは、七条通から正面通まで北上しました。


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そして正面通から、大黒町通を北に向きました。
北西角に、浄土宗西山檀林寺派熊谷山専定寺(烏寺)が建っています。
平安時代後期の建立ですから、豊臣秀吉関連寺院ではなく
後白河上皇関連寺院なのですが、
「方広寺七不思議」として結構有名な寺院です。
ご本尊は阿弥陀如来ですが、非公開寺院です。

平安時代後期に専定という僧侶がいらして、
知人の熊谷漣生坊の見舞いに向かう途中、ここを通過しました。
そのとき2羽の烏が現れて、
「熊谷漣生坊が、たった今亡くなられました」
そう専定に知らせました。
慌てて専定が熊谷漣生坊宅を訪れたところ、
ちょうどその時刻に熊谷漣生坊が病死されていたそうです。
そこで専定がこの位置に寺院を建立したのが、
この専定寺の沿革です。


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さらに正面通から、大黒町通を北に向いています。
左(西)側が、先程の専定寺ですね。
ここからは、この大黒町通を北上します。


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正面通から、大黒町通を約50m北上しました。
専定寺の北東角に、お地蔵さんがいらっしゃました。
ではこちらにお参りして、先に進みます。


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そのお地蔵さんの前で、大黒町通を北を向いています。
ここからは、さらに大黒町通を北上します。


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先程の位置から、大黒町通を約100m北上しました。
この辺りから、また古い家屋が建ち並びます。
左(西)側のカメラ店は、だいぶ前に閉店されています。


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そのカメラ店の北側に、路地が西へと続きます。
ここからでも、その先に小さな京町家が並んでいることが分かります。


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その路地の前で、大黒町通を北に向いています。
約30m先で、大黒町通が突き当たっているように見えますが……


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その「突き当り」まで、近づいてみました。
すると、この大黒町通が東に筋違いになっていることが分かります。


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その筋違いで大黒町通を東にずれ、北を向いています。
ここからは、このまま大黒町通を北上します。


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先程の筋違いから、大黒町通を約10m北上しました。
すると、右(東)側にまたお地蔵さんがいらっしゃいます。
大黒町通も、ほかの道同様お地蔵さんがたくさんいらっしゃいます。
ではこちらのお地蔵さんにもお参りして、先に進みます。


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そのお地蔵さんの向かい側(西側)に、天台宗の稍名寺が建っています。
ここからは、こちらの寺院に訪問します。


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門をくぐり、浄土宗稍名寺境内に入ってきました。
稍名寺の境内は、「うなぎの寝床」上に西に伸びています。
では、このまま西に進みます。


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稍名寺境内最西端に、こちらの方丈が建っています。
その手前に、きれいな花が咲いていました。
こちらは……白梅ですね。
撮影日(2022年2月26日)は、白梅の盛りでした。


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稍名寺境内に咲く白梅の西側に、お地蔵さんがいらっしゃいました。
先ずは、こちらにお参りします。


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方丈とお地蔵さんの間に、稍名寺の鐘楼があります。
ただ……日が傾いたため、写真は暗くなってしまいました。


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稍名寺方丈を正面から撮りました。
ブザーや郵便受けがあることから、
こちらの僧侶の生活スペースであることが分かります。


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稍名寺方丈の右(北)側でお地蔵さんの向かいに、
浄土宗稍名寺の本堂があります。
ご本尊は、たぶん阿弥陀如来像です。

こちらは江戸時代初期の建立で、もとは天台宗寺院でもありました。
開基の誠誉白竜は浄土宗の僧侶ですが、
元々この寺院を建立しようとしたのは天台宗妙法院の座主でした。


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本堂脇に、こちらの立て札が立っています。
「弁慶石」は、源義経が武蔵坊弁慶と主従の盃を交わしたとされる
場所にあった石らしいです。(あくまで、伝説です)


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こちらが、その「弁慶石」の実物です。
元々は鞍馬寺にあったそうですが、あちこち変遷を繰り返し
最終的にこの稍名寺にやって来ました。


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その「弁慶石」の前で、稍名寺境内を東に向きました。
では、ここを進み稍名寺を出ます。


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浄土宗稍名寺の前で、大黒町通を北に向いています。
だんだん五条通が視界に入ってきましたが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、大黒町通を五条通まで進みます~

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第812回 ラーメン藤で唐揚げ~大黒町通南から北~その4

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ブログ3回分を使い、大黒町通を北上しました。
この段階で、浄土宗稍名寺の前で大黒町通を北に向いています。
今回は、ここから五条通まで北上します。
撮影日は、2022年2月26日土曜日午後4時。
この日の取材は、今回までです。


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浄土宗稍名寺の前で、大黒町通から東を向きました。
こちらの路地の奥に、小さな祠がいらっしゃいます。
先ずは、そちらに向かいます。


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こちらが、その小さな祠です。形状から、稲荷社でしょう。
では、こちらにお参りします。
ただ、祠の背後(東側)の大きな石が気になります。
一瞬石碑とも思ったのですが、文字がよく読めません。
……と言いますか、写真で改めて見返すとお墓のような気がします。
稲荷神がどちらかは諸説ありますが、
(宇迦御霊神陀枳尼尊天、菊姫大神など)
どちらもお墓や古墳を神格化する際に祀られることが多いです。
こちらも、その例かどうかは分かりませんが……


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小さな稲荷社を背後に、西を向いています。
では、大黒町通に戻ります。


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稲荷社がいらっしゃる路地から、大黒町通を北に向きました。
ここからは、また大黒町通を北上します。


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稲荷社がいらっしゃる路地から、大黒町通を約50m北上しました。
ここで大黒町通は、渋谷街道と交差します。


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大黒町通から、渋谷街道を西に向いています。
渋谷街道は、約100m先の本町通で突き当たります。


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今度は大黒町通から、渋谷街道を東に向きました。
渋谷街道は京都盆地から山科に抜ける街道で、
平安時代から結構盛んに使われていました。
(現在の国道1号線と、東山山中で混ざります)
ですから、約70m先の大和大路との交差点や
東大路と交差する「馬町」交差点で、商店街を形成します。


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渋谷街道から、大黒町通を北に向いています。
さらに、ここを北上します。


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渋谷街道から、大黒町通を約50m北上しました。
こちらは、浄土真宗大谷派常徳寺です。
非公開寺院で、自分も沿革をよく知りません。


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浄土真宗大谷派常徳寺の前で、大黒町通を北に向いています。
あと約50mで、大黒町通は五条通と交差します。


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浄土真宗大谷派常徳寺の北隣に、こちらの洋菓子店がありました。
こちらのお店は自分は立ち寄ったことがないのですが、
近日中に「京のお店 今日のお品」に掲載予定です。

~2022年6月8日水曜日追記~
こちらは、Famille de Tchie Hariseです。
お店紹介の記事も既に書き上げ、
京のお店 今日のお品へのリンクも終えています。
詳しくは、ここをクリックしてください。


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その洋菓子店の前で、大黒町通を北に向きました。
洋菓子店の北隣は老舗料亭の「はり清」で、
その向かい(東)側は京都東山郵便局ですね。
京都市東山区の郵便物を統括しています。


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先程の洋菓子店から、大黒町通を約30m北上しました。
ここで大黒町通は、五条通と交差します。


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大黒町通から、五条通を西に向いています。
五条通は京都市街地屈指のオフィスビル街ですが、
この辺りは清水寺への参道ということもあって、
特に北側歩道沿いには飲食店が多いですね。


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今度は大黒町通から、五条通を東に向きました。
右(南)側の京都東山郵便局は、京都中央郵便局並みに大きいですね。
大黒町通には五条通を渡る横断歩道がありませんので、
ここからはこちらを進みます。


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大黒町通から、五条通を約70m東に進みました。
京都東山郵便局へは、ここから入ります。
そして、ここで五条通は大和大路と交差します。


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大和大路から、五条通を東に向いています。
約700m先で五条通は東大路と交差して、
その東側に大谷本廟があって、
そのまま東山に登ると清水寺に辿り着きます。


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五条通から、大和大路を北に向いています。
この五条通を境に、南側が東山区鴨東地区で
北側が東山区六波羅(六原)地区です。
では横断歩道を渡り、大和大路を北上します。


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大和大路を北上している途中で、五条通の横断歩道で西を向きました。
五条通は、京都市街地屈指の幅が広い大路です。
6車線の中央に公園にできるくらいの幅の中央分離帯があります。


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では大和大路を北上し、五条通の横断歩道を渡り切ります。
これで東山区鴨東地区から、東山区六波羅地区に移ります。


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大和大路から、五条通を西に向いています。
では、取り敢えず大黒町通を目指します。


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大和大路から、五条通を約70m西に進みました。
ここで五条通は、大黒町通と交差します。


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「五条大黒町」交差点北西角に、五健ういろ本店があります。
こちらには、次回ブログでお邪魔します。


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五建ういろ本社から、五条通を西に3軒進みました。
こちらに、ラーメン藤五条店があります。
今回は、こちらに寄り道をします。


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ラーメン藤五条店に、学生時代以来久しぶりに入店しました。
ただ、今回は学生時代に注文していたものと同じものを注文しました。
先ずは、この唐揚げです。
外見はらーめんの坊歩のものと似ていますが、
味付けが全然違います。
こちらは鶏肉にショウガ、ニンニク、醤油で味付けて、
片栗粉だけ付けて油で揚げています。
味噌などは入っていませんが、その分醤油に長時間漬け込んでいます。


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そして、このラーメンも戴きました。
叉焼麺でなくても葱と叉焼の量が多くて、
結構ボリュームがありました。
また見た目以上に、スープが濃いですね。
ですから、これで満腹になってこれ以上の取材が厳しくなりました。
ですから、このお店を以って
この日(2022年2月26日)の取材を終えました。
今回は、ここまでです。

~次回は、日蓮宗寿延寺にお邪魔します~

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第813回 五建ういろの喫茶室~大黒町通南から北~その5

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先ずは京都駅からJR奈良線を1駅乗って、「東福寺」駅で降ります。
そこから京阪電鉄に乗り換えて2駅。
こちらは、京阪電鉄「清水五条」駅です。
今回はここから五条通を西に進み、大黒町通で北上します。
撮影日は、2022年3月3日桃の節句の木曜日午後2時。
予定の日蓮宗寿延寺には、今回ブログでは辿り着けませんでした。


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京阪電鉄「清水五条」駅改札前で、南を向きました。
京阪電鉄は、「七条」駅以北が地下鉄です。
こちらを進むと、「五条川端」交差点の南側に出ます。


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今度は京阪電鉄「清水五条」駅改札口で、北を向きました。
切符売り場の先に、長い地下道が伸びています。
こちらを北上すると、花街宮川町ゑびす神社へ辿り着けます。


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さらに京阪電鉄「清水五条」駅改札口で、東を向いています。
目の前に、4番出口がありますね。
今回は、こちらから地上に上がります。


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京阪電鉄「清水五条」駅改札口から、階段を上っています。
では、この4番出口から地上に出ます。


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京阪電鉄「清水五条」駅4番出口から地上に出て、
五条通を西に向いています。
目の前が「五条川端」交差点で、さらに西に鴨川が流れています。
その鴨川が、東山区と下京区との区境です。
(詳しくは、第155回ブログ参照)


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京阪電鉄「清水五条」駅4番出口から、五条通を東を向きました。
京都市街地でいちばん道幅が広い五条通は
元々オフィスビル街なのですが、
京阪電鉄「清水五条」駅4番出口以東は清水寺への参道です。
ですから、ここから先の五条通北側歩道は
飲食店や小売店舗が建ち並びます。
目の前に、海鮮魚店の近幸が建っています。
ブログ取材当時は中断されていたイートインが、
この日(2022年3月3日)は再開されていました。
その東隣は、鳥さく京都清水五条店ですね。
唐揚げ・親子丼など鶏肉や鶏卵を使ったお店ですが、
イートインだけでなくテイクアウトも人気があります。
さらに東に、問屋町通が南北に伸びています。


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五条通から、問屋町通を南に向いています。
こちらを南下すると、すぐに半兵衛麩本店に辿り着きます。


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今度は、問屋町通から五条通を東に向いています。
ここからは、こちらを東に進みます。
この辺りを散策するのは、第238回ブログ以来ですね。


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問屋町通から、五条通を約50m東に進みました。
ここで五条通は、鞘町通と交差します。
鞘町通は、五条通より北を宮川町筋と呼びます。
つまり、花街の宮川町を貫く小路です。


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五条通から、宮川町筋を北に向いています。
ここを北上すると、千代とうふ店和菓子匠 名月堂に辿り着きます。
いずれも、花街宮川町内のお店ですね。


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宮川町筋から、約50m東に進みました。
ここで、五条通は本町通と交差します。
本町通は、五条通以北を「森下通」と呼びます。
(本町通の詳細は、第150回ブログ参照)


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五条通から、森下通を北に向いています。
森下通は、約200m先で六波羅裏門通で突き当たります。


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本町通(森下通)から、五条通を東に向いています。
では、さらに五条通を東に進みます。


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本町通(森下通)から、五条通を約100m東に進みました。
フレームから切れていますが、赤いテントの左(西)隣に
前回ブログでお邪魔したラーメン藤五条店があります。
そこよりさらに20m東で、五条通は大黒町通と交差します。


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「五条大黒町」交差点北西角に、五建ういろ本店ビルが建っています。
今回は、こちらに立ち寄ります。


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五建ういろ本店に、入店しました。
1Fは和菓子を売る店舗なのですが、
店員さんを写せないために写真はありません。
2Fは喫茶室で、コーヒーや紅茶も頼めます。
さらに、カレーライスなどの軽食も注文可能です。
ただ、せっかく和菓子匠に来たわけですから
ここは抹茶と外郎(ういろう)を頼みました。
そもそも五建ういろは、外郎専門店なので……

抹茶は、注文したらこちらで点てて貰えます。
少々苦いですが、しっかり甘みも感じます。
茶菓子の方は一見「水無月」ですが、
戴いてみると完全に外郎の味でした。
外郎の方が、水無月よりも甘みを感じます。
また水無月には砕いた餅米の食感が少しだけ残るのですが、
こちらの外郎にはそのようなものはありませんでした。


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2Fの喫茶室で暫く移ろいだ後、1Fでこちらを購入しました。
得用の外郎セットですね。真空パックに入っています。


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その得用外郎を盛りつけました。
包丁で切ったわけではなく、
こちらは最初からこのようにカットされていました。
自分は水無月戸の味の違いを楽しんでいましたが、
ウチの母は「以前名古屋土産で戴いたものと違う」
そう主張していました。
もしかすると、この店オリジナルの製法なのかもしれません。


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五建ういろ本店を出て、五条通から大黒町通を南に向きました。
京都東山郵便局の右(西)に、大黒町通が伸びています。
第809回ブログから前回ブログまでかけて、
七条通から五条通まで大黒町通を北上しました。


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五条通から、大黒町通を北に向いています。
ここからは、この大黒町通を北上します。


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五条通から、大黒町通を北上しています。
オフィスビルやマンション・普通の住宅が建ち並ぶ中、
京町家がまだまだ残っているのが、京都市街地の他の道と同じです。


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五条通から、大黒町通を約150m北上しました。
古い黒檀の京町家の北隣に、新築の京町家が建っています。


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その新築の京町家を中心に撮りました。
中央の路地の先に、また何軒か京町家が建っているようです。
大黒町通は路地が多く、その先に小さな京町家が建ち並びます。


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その京町家の前で、大黒町通を北に向いています。
では、またここから北上します。


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五条通から、大黒町通を約200m北上しました。
右(西)側の時計屋さんの北側で、
大黒町通は六波羅裏門通(柿町通)と交差します。
あと約100mで大黒町通最北端なのですが、
だいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回こそ、日蓮宗寿延寺に参拝します~

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第814回 寿延寺に参拝~大黒町通南から北~その6

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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第809回ブログから大黒町通をずっと北上して、
六波羅裏門通(柿町通)との交差点まで来ました。
この辺りは、東山区六波羅(六原)地区です。
今回は、さらに北上して大黒町通最北端に達します。
撮影日は、2022年3月3日木曜日午後3時。
この日も、一日快晴でした。


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大黒町通から、六波羅裏門通を東に向いています。
こちら側はすぐに東南東に蛇行して、
約200m先に六波羅蜜寺が建っています。
(詳細は、第151回ブログ参照)


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今度は大黒町通から、六波羅裏門通を西に見きました。
六波羅裏門通は、約20m先の川端通で突き当たります。
この道はYAHOOの地図には「六波羅裏門通」と表記され、
GOOGLEマップには「柿町通」と表記されています。
ちなみに川端通より西は琵琶湖疎水と鴨川が流れていて、
さらに西で万寿寺通へとつながります。
実は万寿寺通には江戸時代半ばまで鴨川に橋が架かっていて、
この道もその万寿寺通の一部でした。
それが天明の大火によって焼失した後は橋が再建されず、
その後鴨川を境に別々の道となりました。


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さらに六波羅裏門通から、大黒町通を北に向いています。
目の前に、公衆浴場が開いていますね。


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こちらが、その公衆浴場です。
京のお店 今日のお品にウチの近所の大黒湯が掲載されていますが、
表題に「七条通」と添えてあるのは、ここと区別するためです。
こちらは七条通の「大黒湯」よりも大きくて、
肢体不自由者の介護入浴のボランティア活動も盛んです。
(以前サウナの梅湯でボランティア募集の広告を出されていました)
そのうち、こちらも「京のお店 今日のお品」に載せるつもりです。


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その大黒湯の北側に、大黒町通から西に伸びる路地があります。
路地がまだだいぶ残っているのが大黒町通の特徴ですが、
六波羅裏門通以北は特に路地が多いです。
そして、この辺りの路地には1本ずつ名前があります。
こちらは、「あじき路地」ですね。
若手の芸術家さんたちが多く暮らしていらして、
その方々の工房やお店がこの奥に建ち並んでします。
実は、近年観光地として割と知られています。
(詳しくは、ここをクリックしてください)


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あじき路地から、大黒町通を北に向いています。
この辺りから、大黒町通は北北東に進路を変えます。
では、ここを進みます。


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あじき路地から、大黒町通を北北東に進んでいます。
左(西)側の家屋は、京町家の看板建築ですね。
屋根や窓の形状からの推察ですが……
その北側に「茶」と書かれた看板がありますが、
こちらはお茶を販売されているというより、
お茶を提供される飲食店のようです。
ただ、自分が来るときはいつも閉まっています。


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その京町家の看板建築の南側に、また路地があります。
やはり、この路地の奥に小さな京町家が建ち並びます。
ちなみに、こちらの路地は「やましろの路地」と呼ばれています。


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「やましろの路地」で、大黒町通を北北東に向きました。
この辺りは、京町家の割合がさらに増えますね。


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「やましろの路地」から、大黒町通を北北東に約50m進みました。
右(東)側に建つ酒屋さんは、だいぶ昔からあります。


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その酒屋さんから、大黒町通を北北東に約30m進みました。
この先にあるお好み焼き屋さんは、閉まっていました。
さらにその先に、「山田家具」と書かれたお店があります。


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その「山田家具」の前で、大黒町通を北北東に向いています。
向こうの突き当りが、大黒町通の最北端です。
その前に、左(西)側の停まっている小型トラックの前に進みます。


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その小型トラックの前で、大黒町通の西側に向きました。
こちらに、小さな寺院が建っています。


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その寺院の門には、なぜか鉄製の表札が付いています。
では、ここから日蓮宗寿延寺にお邪魔します。
今回ブログのメインですね。


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日蓮宗寿延寺の門をくぐり、境内を西に向いています。
手前が狭く、奥が広い「うなぎの寝床」状の寺院ですね。


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寿延寺境内の最東端に、こちらの祠がいらっしゃいます。
一見お地蔵さんですが、こちらは大黒天が祀られています。


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その祠の前で、寿延寺境内を西に向いています。
この先の屋根のある部分が洗心殿で、
そちらに洗い地蔵と蛇型弁才天が祀られています。


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洗心殿の手前(東側)に、お墓と石碑が立っています。
多分こちらの歴代住職のお墓と思います。


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洗心殿から、寿延寺境内を西に向いています。
こちらの本堂は、この奥(西側)にあります。


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本堂の右(北側)には、妙見大菩薩が祀られています。
妙見宮は、日蓮宗寺院に多く祀られていますね。


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寿延寺境内の南西端に、ご住職のプライベートスペースがあります。
(寿延寺は、一般の方は建物の中に入れません)


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そして、日蓮宗寿延寺本堂と左右の諸堂です。
左(南)側のお堂には、鬼子母神が祀られています。
右(北)側のお堂には、開運大黒天が祀られています。
最澄がこの大黒天を掘られたと伝わっており、
おそらくこちらが「大黒町通」の由来でしょう。
そして中央の本堂に、ご本尊の釈迦如来と多聞如来が祀られています。

日蓮宗寿延寺は、1616年に建立されました。
ただし、もともとは富小路高辻にいらして
1655年にこちらに移転されました。
(いずれも、江戸時代です)
今の大阪府高槻市の商人興福院寿延の出資で、
日柔上人のために建てられました。


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日蓮宗寿延寺本堂に背を向け、境内を東に向きました。
では、洗心殿の方に戻ります。


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洗心殿から寿延寺境内を東に進み、門前まで戻りました。
ではここをくぐり、日蓮宗寿延寺を出ます。


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日蓮宗寿延寺の前で、大黒町通を北北東に向きました。
目の前の松原通で、大黒町通は突き当たります。
つまりこれで大黒町通を踏破したのですが、
「大黒町通編」はもう少し続きます。
自分の「道ブログ」は、最寄りのバス停か駅まで続けます。
ですから、ここから松原通を東に進みます。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、東山区六原地区の観光名所を回ります~

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中村軒 ふたたび

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……という訳で、約18カ月ぶりの中村軒です。
お盆やお彼岸のたびに、お供え物を買う和菓子匠です。
(ウチ墓の中間点にあります)
前回訪問した際は飲食スペースに入れませんでしたが、
今回はお邪魔できました。
撮影日は、2022年3月20日日曜日午後2時。
本当は第815回ブログの追記に入れるはずでしたが、
だいぶ写真を撮りましたので独立させて
第815回ブログより先に更新します。


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京都駅北側市バスターミナルから、京都交通のバスに乗って約30分。
「桂離宮前」バス停から、八条通りを東に徒歩約1分。
桂川西詰に、老舗和菓子匠「中村軒」があります。
2021年3月に改装して以来、自分は初めての訪問です。
和菓子が売られているカウンターの奥に受付があって、
そこで飲食を申し出れば手指消毒の後、さらに奥に入れます。
写真のような座敷席はあるのですが、
大半が土足でのイス席に変わっていました。


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とは言え、土足のスペースでも壁際はそのままです。
つまり、床の間が残っています。
毎年3月は、桃の節句(雛祭り)絡みの装飾ですね。


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さらに、雛壇も飾られておりました。
上から、お内裏様とお雛様、三人官女、五人囃子、
嫁入り道具の数々ですね。
こちらも、毎年飾られています。


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雛壇の脇に、こちらの人形が飾られていました。
京都ではお嫁さんが実家からひな人形を持参した際、
お婿さんはその対として市松人形を用意する習慣があります。
(第546回ブログ参照)


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自分が入店時には、そこそこ空席がありました。
そこで、こちらの床の間の隣に座りました。
目の前に、こちらのお店の岡持ちが並びます。


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岡持ちの上の違い棚には、こちらが並びます。
ちょっと小さいサイズのお雛様ですね。
これはこれで、可愛らしいですね。


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こちらで注文を頼んで、約10分経ちました。
すると、こちらの「にゅう麺セット」が来ました。
うなぎ茶漬けとこちらを自分は、交互に頼んでいます。
中村軒は和菓子匠ですが、このような軽食がこちらの名物です。


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先ずは、こちらの「おこわ」(赤飯)です。
しっかりゴマ塩を振りかけてあります。
お供には、昆布の佃煮が付きます。


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さらに、メインのにゅう麺です。温かい素麺ですね。
ちなみに、4月~10月は素麺に変わります。
中には合わせ出汁に浮かぶ素麺と、
出汁で煮込んだシイタケ・温泉卵・湯葉に三つ葉が入っています。
そうそう、紅葉麩も忘れてはいけません。


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約15分かけて、「にゅう麺セット」を戴きました。
ちょっと空腹だったので、急いで食べました。


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「にゅう麺セット」を戴いても、まだ帰りません。
次の品物が出てくるまで、ちょっと休憩です。


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さらに約10分経って、こちらがやって来ました。
中村家の代名詞「麦代餅」(むぎてもち)です。


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麦代餅を大写しにしました。
と言え、ほかの商品と比べて麦代餅は倍近い大きさです。
ですから、相当腹持ちしますね。


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切り口が汚いですが、こちらが麦代餅の断面図です。
小豆餡に、餅が巻かれています。
(求肥ではありません。あくまで、もち米を搗いたものです)
小豆餡には、黄な粉が合いますね。


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約5分かけて、麦代餅を戴きました。
では、会計を済ませてここを出ます。


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中村軒を出て、京都霊園で亡父のお墓参りをしました。
お参りが終わって、また休憩所です。
冷蔵庫には、またお茶が冷えています。


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冷蔵庫からお茶を取り出し、こちらを戴きます。
今回は「おけそくさん」(小餅)ではなく、
小豆餡と黄な粉の「おはぎ」を供えました。


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こちらが、その「おはぎ」です。
小豆餡が甘くておいしいですが、
最近は黄な粉の方もおいしく感じてきました。

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第815回 西福寺と六波羅蜜寺~大黒町通南から北~その7

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進みたい方は、ここをクリックしてください。

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第814回ブログで、大黒町通最北端に到達しました。
これで大黒町通を踏破したわけですが、
今回からは目の前で大黒町通と交差する松原通を東に進み、
「清水道」バス停まで連載します。
要するに、東山区六波羅地区(六原地区)をあちこち巡ります。
撮影日は、2022年3月3日木曜日午後3時半。
この辺りは、観光地に囲まれていますね。


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大黒町通から、松原通を西に向いています。
目の前に川魚店の「のと正」がありますが、
松原通を約100m西に進むと花街の宮川町で
精肉店や豆腐屋さんなど高級食材店がここに建ち並びます。


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今度は大黒町通から、松原通を東に向きました。
すると、目の前で大和大路と交差しています。
第814回ブログの途中から大黒町通が北北東に曲がったため、
大黒町通と大和大路の距離が縮んでいます。
ここからは、このまま松原通を東に進みます。


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松原通から、大和大路を南に向いています。
約500m先に豊国神社がいらっしゃいます。
第224回ブログでは、豊国神社からここまで大和大路を北上しました。


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今度は松原通から、大和大路を北に向きました。
約80m先から、右(東)に八坂通が伸びています。
(詳細は、第102回ブログ参照)
ちなみに、その八坂通以北が東山区祇園地区です。


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そして大和大路から、松原通を東に向いています。
この辺りは小売店舗と有名な神社仏閣が混在し、
観光客と地元民が入り混じる地域です。
では、松原通をさらに東に進みます。


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大和大路から松原通を東に進むと、少しずつ東南東に進路を変えます。
左(北)側に松原交番が見えますが、
もともとは東山区祇園地区を所轄に持つ松原警察署でした。
確か、現在は堀川警察署の所轄ですね。
第20回ブログでは松原署の脇にあった
千歳湯という公衆浴場が更地になっています。


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ただ、千歳湯の東隣の京町家はまだ残っています。
とは言え売り家になっているので、暫くしたらここも更地でしょうね。


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千歳湯跡の前で、松原通を東南東に向いています。
この辺りの住宅は、京町家の看板建築が建ち並んでいます。
では、ここを進みます。


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大和大路から松原通を東北東に約100m進み、北を向きました。
こちらの路地周辺が、愛宕念仏寺跡です。
愛宕念仏寺は奈良時代にここに建立されたのですが、
平安時代に鴨川の氾濫で流されて、いったん廃寺になりました。
そして、鎌倉時代に現在の位置に移転しました。

「愛宕」を「あたご」と読むと京都盆地の北西部を指しますが、
「おたぎ」と読むと現在の京都市東半分と宇治市などを指します。


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愛宕念仏寺跡の向かい(南)側に、こちらの路地が伸びています。
どうやら、「弓矢薬師路地」と言うらしいです。
そういえば、大和大路との交差点からこの辺りは「弓矢町」ですね。
この奥にお地蔵さんがいらっしゃるのですが、
軽トラックもいらっしゃるのでちょっと中には入れません。


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「弓矢薬師路地」の前で、松原通を東北東に向きました。
東山区六原地区の観光名所は、この先に集中します。


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「弓矢薬師路地」の前から、松原通を東北東に約50m進みました。
ここで、松原通は「六道の辻」と言う交差点に出ます。


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さらに松原通を東北東に進み、「六道の辻」に到達しました。
清水寺の西側に広がる鳥辺野地区は、古代からの埋葬地でした。
そして、さらに西側のこの辺りまで埋葬地が広がりました。
「六道の辻」とはこの世とあの世の境目で、
鳥辺野や六原で埋葬する際はこの「六道の辻」で
野辺送り(要するに、お葬式)をしてその後埋葬されたようです。
ちなみに、「六道の辻」は六道珍皇寺境内にもあります。
そちらには、次回ブログで立ち寄ります。


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「六道の辻」南西角に、浄土宗桂光山西福寺があります。
埋葬地としての「六道の辻」関連寺院ですね。
では、こちらにお邪魔します。


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西福寺境内に入ってきました。
境内左(東)側にお地蔵さんや石仏が並び、
右(西)側に西福寺本堂があります。



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続いて、西福寺境内東側の末広不動尊にお参りました。
こちらには、お地蔵さんや石仏が多く祀られています。


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末広不動尊の北側に、子育て地蔵が祀られています。
空海が製作されたと伝わるお地蔵さんですね
その周囲に、お地蔵さんや石仏が数多く並びます。
ちなみに、石仏は大昔のお墓です。
先述の通りこの辺りは古代から中世の埋葬地で、
このような石仏が今でもたくさん残っています。


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こちらが、浄土宗桂光山西福寺本堂です。
ご本尊は、浄土宗ですから阿弥陀如来です。
ただ平安時代初期から、この位置には
空海が制作された子育て地蔵の祠がいらっしゃいました。
そのお地蔵さんを壇林皇后が熱心に信仰されたこともあって、
祠しかなかったのが次第に大きな寺院へと変わりました。
それが、こちらの沿革です。
元々この辺に捨て置かれたご遺体が多く、
空海がそれを悼んで子育て地蔵を制作されました。
ですから、こちらの寺院は
死後の世界に通じる「六道の辻」近くにあります。
そのため、毎年お盆には「六道参り」が盛大に行われます。


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浄土宗桂光山西福寺を出て、「六道の辻」を東に向きました。
西福寺の左(北)側は子育て飴本舗で、
東側は中華料理店の六波羅飯店です。
どちらも自分の馴染みのお店ですが、次回ブログで立ち寄ります。


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「六道の辻」で、松原通から南を向きました。
ここからは、こちらの道を南下します。


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浄土宗桂光山西福寺の東側に回り込んで、撮影しました。
ちょうど紅梅が、見ごろでした。


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その辺りの塀に、こちらの表札が掛かっていました。
今まで知らなかったのですが、「六原本通」と言うらしいです。
ですから、これ以降この道をそう呼びます。


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再び松原通から、六原本通を南に向いています。
西福寺の南隣に、長い間建設中だった建物が完成していました。


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それが、こちらの京都市立開晴小学校六原分校です。
その開晴小学校自体は、約100m南下した場所にあります。
もともとこちらは、京都市立六原小学校でした。


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京都市立開晴小学校六原分校の南隣は、真言宗智山派六波羅蜜寺です。
本山は、ウチの近所の智積院です。
次は、そちらに向かいます。


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六原本通をさらに約50m南下しました。
では、ここから真言宗智山派六波羅蜜寺に入ります。


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六波羅蜜寺と言えば、宝物館の木像群が素晴らしいですね。
慶派の仏師らによる空也上人像平清盛像など、
学校の教科書に載る木像が数多く展示されていました。
ただ2022年のGW明け(2022年5月8日日曜日)まで、
東京国立博物館でこちらの木像が展示されています。
つまり、この日(2022年3月3日)はここにいらっしゃいません。
さらに再び展示される予定の2022年5月22日日曜日まで、
その宝物殿の新装工事がこちらで行われています。
ですから六波羅蜜寺境内のあちこちが、現在立ち入り禁止です。

六波羅蜜寺の門をくぐり、右(北)側を向きました。
では、目の前のマニ車を回して奥に進みます。


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六波羅蜜寺境内に、こちらの石碑が立っていました。
「この付近六波羅第跡 六波羅探題跡」と書かれています。
六波羅第とは平清盛が政治を取り仕切る場所のことで、
平氏一門の邸宅がこちらに集中していました。
以前も書きましたが、後白河上皇法住寺殿の北隣に
平清盛が政務の中心を造営したのは意図的なのでしょうね。
またこの付近に鎌倉時代の六波羅探題が設置されたのも、
平氏がいなくなった六波羅第を利用してのことでした。


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六波羅蜜寺境内最北端に、水掛不動尊の祠があります。
さすがに仏像そのものは撮影禁止ですので、この辺りから撮影します。


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その位置で、六波羅蜜寺境内を西を向きました。
こちらに、真言宗智山派六波羅蜜寺本堂が建っています。
ご本尊は、十一面観音(国宝)です。
六波羅蜜寺は、平安時代前半の951年空也上人が建立しました。
空也上人は浄土教布教に尽力して、
平安時代中期に浄土教は国風文化で花開きました。
1567年~1577年の応仁の乱で六波羅蜜寺は焼失しましたが、
こちらの僧侶らが持ち運んだため木像の大半は無事でした。
ただ、その際もこの本堂だけは焼失を免れています。


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六波羅蜜寺を出て、六原本通を南に向いています。
約30m先で、六原本通は六波羅裏門通と交差しています。
(六波羅裏門通の詳細は、第814回ブログ参照)
さらに南に、京都市立開晴小学校が建っていますね。


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真言宗智山派六波羅蜜寺の門前で、六原本通を北に向きました。
ここから松原通に戻ってさらに松原通を東に進みますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、六道珍皇寺にお邪魔します~

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第816回 六道珍皇寺~大黒町通南から北~その8

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前回ブログで参拝した真言宗智山派六波羅蜜寺の門前で、
六原本通を北に向きました。
今回はこの六原本通を松原通まで北上し、
そこから松原通を東に進み、「清水道」バス停から帰宅します。
撮影日は、2022年3月3日午後4時。
今回で、「大黒町通編」が終了です。


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真言宗智山派六波羅蜜寺の前から、六原本通を約80m北上しました。
ここで六原本通は、松原通で突き当たります。
こちらが、前回ブログで出てきた「六道の辻」という交差点です。
左(西)側に、前回ブログでお邪魔した浄土宗桂光山西福寺が見えます。
かつての霊場「六原」の中心地ですね。
六原本通の突き当りに、「子育て飴本舗」という
日本茶販売店があります。


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「子育て飴本舗」は日本茶を売るお店ですが、
この東山区六原地区名物「幽霊子育て飴」を販売されています。
1袋500円ですね。
こちらは、霊場「六原」独特の伝説があります。

安土桃山時代のころなのですが、
近くの埋葬地から女性のご遺体の脇で、乳児が発見されたそうです。
発見時乳児は全く弱っておらず、この飴をずっと口に含んでいました。
実は、その数日前から何回か
こちらの飴を買いに通われた女性がおられたそうです。
そこで、女性の幽霊が自分の子供を育てるために
こちらの飴を買い求めたという伝説が生まれました。
……と言うことは、こちらのお店は遅くとも
安土桃山時代には存在したということになります。
(京都では、特別古いお店という訳ではないのですが……)


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こちらの不定形の飴が、幽霊子育て飴です。
実は人工甘味料どころか砂糖も入っていません。
100%麦芽糖でできてます。
要するに、日本に砂糖が伝来する以前の飴の製法を
現在でも守っています。
ですから、優しい甘さで様々な栄養が含まれています。


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「六道の辻」の南東角に、六波羅飯店と言う町中華があります。
自分は、学生時代からの常連です。次は、こちらに立ち寄ります。


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六波羅飯店に、入店しました。
ウチのブログでも何回目かの登場ですが、
今回は「六原丼」と餃子を頼みました。
ご飯の上に、ほぼ古老肉(酢豚)が載っています。
お味は……完全に古老肉(酢豚)です。
ここの古老肉(酢豚)は絶品なので、結構お得な料理です。


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六波羅飯店を出て、「六道の辻」を東南東に向いています。
ここから松原通を東に進む前に、左(北)へ伸びる道に向きます。
六原本通が、筋違いで北にさらに伸びているようです。


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松原通から、六原本通を北に向きました。
六原本通は、北に約150m先で八坂通で突き当たります。
その辺りが、臨済宗建仁寺派本山建仁寺の門前です。
第103回ブログの最初の場面ですね。


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「六道の辻」から、松原通を東南東に約150m進みました。
この辺りで、松原通は路地と交差します。


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松原通から、その路地を北に向いています。
こちらは、約150m先で八坂通で突き当たります。
臨済宗建仁寺派霊源寺の近くですね。
(第643回ブログの冒頭ですね)


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今度は松原通から、その路地を南に向きました。
左(東)側は地域スーパーのハッピー六原で、
右(南)側には様々な小売店舗が並びます。
この辺りは、ハッピー六原と周辺の店舗で商店街を形成しています。


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その商店街の中に、こちらの稲荷社がいらっしゃいます。
とは言え、こちらは1960年代にこの商店街ができた直後に
商売繁盛を願って商店街の方々が祀られました。


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その稲荷社の前で、路地をさらに南に向きました。
右(西)側は、さらに商店が続いていますね。
この路地は、約100m先の六波羅裏門通で突き当たります。
(第151回ブログの後半参照)


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そして稲荷社の向かい(東)側から、ハッピー六原に入れます。
今回は、ここから店内にお邪魔しました。


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ハッピー六原では、こちらを買い求めました。
スプラウト(98円)は、この時期によく買います。
ゴマメ(294円)と金平糖(300円)は、自分の好物です。
残りは……ツバスの刺身(480円)含めて同じ料理の材料です。


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……という訳で、この日(2022年3月3日)の晩御飯は
ツバスがメインのピビンバです。
お刺身にはワサビ・コチュジャン・卵黄で味付けています。


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ハッピー六原の店頭で、路地を北に向きました。
ここからはこの路地を北上して、松原通に戻ります。


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ハッピー六原のある路地から、松原通を東南東に向きました。
この辺りは観光地ではありますが、地元民のお店も混在します。
約50m先で、松原通は東南東から真東に進路が変わります。


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ハッピー六原のある路地から、松原通を東南東に進んでいます。
その途中に、こちらの立ち飲み屋さんがありました。
ここ数年、この辺りに飲食店が急増しています。


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その立ち飲み屋さんのほぼ向かい(南)側に、
ギャラリーとして使用されている京町家が建っています。
その脇には、路地が伸びていますね。


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ハッピー六原のある路地から、松原通を東南東に約50m進みました。
この辺りで、松原通の進路が真東に変わります。
T字路の手前に、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺が建っています。


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こちらが、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺の門前です。
写真が斜めなのは、それだけ急な斜面だからです。
(実は、今まで急な上り坂を進んでいました)
左(西)側に「六道の辻」と書かれた石碑がありますが、
先述の「松原六原本通」交差点も
「六道の辻」と呼ばれています。
実は、「六道の辻」は松原通に2ヶ所あります。
どちらも、大昔は衆生と冥界との境目と考えられていました。
ですから、毎年お盆の「六道まいり」は両方で開催されます。


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門をくぐり、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺境内に入りました。
こちらの境内も、南北に長い形状ですね。


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六道珍皇寺境内の西側に、お岩大明神と水子祠堂が並びます。
お岩大明神は「四谷怪談」のお岩稲荷関連だと思うのですが、
様々な方々に尋ねても詳細は分かりません。


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水子祠堂の北隣に、お地蔵さんや石仏が並びます。
前回ブログでも書きましたが、東山区六原地区は大昔は埋葬地でした。
当時は一人一人にお墓を作るのは金銭的に難しく、
置いてある石仏の下にご遺体を埋めたり、
その費用すら無い方々は事実上の風葬でした。
こちらの石仏群は室町時代以前のものすが、
元々の位置からは移動しています。
ですから、その下には誰のご遺体も埋まっていません。

ちなみに、京都市街地周辺にはそのような石仏群が
あちこちにいらっしゃいます。
蓮台野西向寺化野念仏寺などが有名ですね。


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お地蔵さんや石仏群の向かい(東)側は、諸堂が並びます。
手前のお堂には、伝最澄作の薬師如来像がいらっしゃいます。
その奥のお堂には小野篁作の閻魔像と小野篁像がいらっしゃいます。
さらに奥は鐘楼で、珍しく引いて撞く「迎えの鐘」があります。
ただ、こちらは通常は非公開です。

この六道珍皇寺は、江戸時代に流行った「地獄信仰」の中心地です。
「悪いことをすると、地獄に落ちる」という考えを広め、
一種の道徳観念をこちらの僧侶が形成していきました。


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六道珍皇寺境内の北側に、こちらの石柱が立っています。
こちらが、「三界供養の塔」です。
毎年お盆に開催される六道珍皇寺の「六道まいり」は、
この石柱の周辺で行われます。
(西福寺の「六道まいり」は、六原本通の六道の辻で行われます)
その奥(北側)が、臨済宗建仁寺派六道珍皇寺本堂です。
ただ、この奥は通常非公開です。
(公開時の詳細は、第152回ブログ参照)

六道珍皇寺の建立は、記録の焼失などでよくわかっていません。
ただ、この位置に平安時代に愛宕寺(おたぎでら)と言う寺院があって
そちらがこの寺院の前身でした。
当時は天台宗寺院で、最澄作と伝えられる薬師如来像は
その関係でこちらに残っています。
小野篁伝説で有名な寺院で、小野篁が地獄へと毎夜通っていたとされる
「冥途通いの井戸」がよく知られています。
鎌倉時代の絵画に、こちらの「六道まいり」の様子が描かれています。
ただ応仁の乱で焼失後は、いったん廃寺になります。
江戸時代に入り近隣の建仁寺の僧侶が再興したことから、
現在は臨済宗建仁寺派の塔頭寺院となりました。


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臨済宗建仁寺派六道珍皇寺の前で、松原通を東に向いています。
目の前で、松原通はT字路で交差します。


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そのT字路で、南を向きました。
この道は約150m先で六波羅裏門通と交差します。
第151回ブログでは、この道を北上して松原通に辿り着きました。


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さらにそのT字路で、松原通を東に向いています。
では、この坂道を上って東に進みます。


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先程のT字路から、松原通を東に進んでいます。
こちらは、力餅食堂ですね。
京都市街地にも、結構あちこちにあります。


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先程のT字路から、約50m東に進みました。
ここで、松原通は東大路と交差します。


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東大路から、松原通を東に向いています。
こちらは、松原通が東大路と交差する「清水道」交差点です。
このまま松原通を東に進むと、そのまま清水寺への参道となります。
第18回ブログでは、清水寺からこの交差点まで進みました。


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「清水道」交差点で東大路の横断歩道を渡り、
松原通から東大路を北に向きました。
ここからは、この東大路の歩道を進みます。


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松原通から、東大路を約30m北上しました。
こちらは、「清水道」バス停です。
では、こちらから206系市バスに乗って帰宅します。

~これで、「大黒町通編」が終了です~

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七條甘春堂 本店

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店名:七条甘春堂 本店   業種:和菓子匠&甘味処
営業時間:午前10時~午後6時(ラストオーダー:午後5時半)
定休日:なし         座席数:32
オンラインショップ:あり(詳細は、ここをクリックしてください)
住所:東山区七条通大和大路西入西ノ門町551
(地図で確認されたい方は、ここをクリックしてください)


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京都駅北側市バスターミナルから、206系や208系など
七条通を東に進む市バスに乗って、約12分。
こちらは、「博物館・三十三間堂」バス停です。
今回はここから七条通を西に進み、老舗和菓子匠を訪れます。


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「博物館・三十三間堂」バス停から、七条通を西に向いています。
七条通より左(南)側に三十三間堂のが見えて、
右(北)側に京都国立博物館のレンガ塀が見えます。
(赤レンガの塀は、重要文化財です)
ここから、七条通を西に進みます。


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「博物館・三十三間堂」バス停の前から、
七条通の急な下り坂を約100m西に進みました。
ここで七条通は、大和大路と交差します。


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七条通から、大和大路を北に向いています。
大和大路は、三十三間堂と京都国立博物館の最西端です。
大和大路より西は、飲食店の多い住宅街に変わります。
ここを約200m北上すると、豊国神社ですね。


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今度は大和大路から、七条通を西に向きました。
次は、目の前の横断歩道を渡ります。


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大和大路西側歩道に渡り、七条通をさらに西に向いています。
この辺りは鴨川の東側なので、東山区鴨東(おうとう)地区ですね。
平安時代末期に、後白河上皇がこの辺りで院政を行っておられました。
また豊臣秀吉も、この辺りに一大宗教施設を設けました。


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「七条大和大路」交差点北西角に、古い京町家が建っています。
そちらが、和菓子匠「七條甘春堂」の本店ですね。
正面通沿いの甘春堂とは、経営者の異なる別のお店です。
では、この「七條甘春堂本店」に入店します。


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「七條甘春堂本店」に、入店しました。
先ずはブログ撮影の許可を戴き、
なるべく店員さんを写さないように店内を撮影しています。
こちらは、約200m東に建つ智積院のご用達です。


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それでは、七条甘春堂の本店のショウウィンドウを撮影します。
こちらの名物は、こちらの茶器を模った和菓子です。
つまり、こちらの茶器は食べられます。
正面通の甘春堂も食べられる茶器を販売されていましたが、
おそらくは元は同じお店だったのでしょうね。


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そして、こちらは紅白の上用まんじゅうです。
お祝い事の必須アイテムですが、
個人的にはこの上用まんじゅうこそ京菓子の基本と思っています。
まんじゅうを語るのに小豆餡が中心であることが多いですが、
上用まんじゅうの要は外側の皮の部分のきめ細かさです。
手触りがつるつるしていて、
銀紙をめくっても底が破れないのがポイントです。


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とは言え、京菓子を語るうえで小豆餡も重要です。
七条通沿いも正面通沿いも、小豆餡を前面に出す和菓子で勝負します。
このような変わり種の羊羹も、技術がしっかりされているからこそ
おいしく作られています。


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こちらで高級な和菓子が売られている一方で、
地元民が買いに来るような安価な和菓子も売られています。
桜餅やうぐいす餅・各種生菓子がこの棚で並んでいます。


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こちらの撮影日は、2022年2月26日木曜日でした。
要するに、桃の節句(ひな祭り)直前でした。
ですから、こちらの棚には雛祭り用の和菓子も売られていました。


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七條甘春堂から、帰宅しました。
そちらで、この紙袋の中身を買いました。


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紙袋を開けると、こちらの和菓子が出てきます。
左から「竹の子」(216円)と「桜はんなり」(194円)です。


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「竹の子」の箱と「桜はんなり」の袋から中身を出し、
こちらの抹茶を点てました。
では、ウチの母とこちらを戴きます。


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先ずは、「桜はんなり」です。
中の白餡には、おそらく卵黄が混ぜられています。
ただウチの母が戴いたので、正確にどんな味かは分かりません。


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さらに、こちらが「竹の子」です。
白餡を白餡で包んでいますが、外の白餡は焼かれているので
練り切りとは異なる和菓子です。
上部が黄色いのは、焼く前に卵黄が塗られているからです。


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少し崩れましたが、こちらが「竹の子」の断面図です。
白餡の中に、湯搔いた筍のみじん切りが入っています。
ですから、見た目だけではなく
実際に食べると口の中に筍の食感が広がります。
まぁかなり甘く作られているので、食感は筍でも
お味は完全に和菓子でした。


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七條甘春堂本店には、先程の店舗の西側にも入り口があります。
七條甘春堂本店で店内飲食をされる方は、こちらから入店します。
日を改めて、2020年3月下旬にこちらにやって来ました。


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先程の門をくぐると、こちらの前庭に出ます。
この家屋は先程の店舗と同じ京町家なのですが、入り口は別です。


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そして、その前庭にテーブル席が並びます。
さらに京町家の壁際にも縁台が並び、
そちらも座れるようになっています。
そうやらこの辺りの席に就いてお食事できるようなのですが、
撮影日は桜の開花前の3月下旬です。
こちらで戴くのはちょっと寒いので、屋内に入ります。


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そういう訳で、今回は屋内で戴きます。
実は、この日のお客さんは全員屋内で戴いておられました。


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先程の入り口から、京町家の中に入って来ました。
この玄関で口を脱ぎ、アルコールジェルで手指消毒して
店員さんの案内で座敷に向かいます。
こちらに書かれている「且座喫茶」は、この茶店の店名です。
この言葉は元々は禅宗の用語で、
お茶を気軽にもてなす際に発するものだそうです。


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先程の玄関から、店員さんにお座敷に通されました。
この床の間の周囲に、座椅子とテーブルが並びます。
ただ周辺にたくさんのお客さんがいらっしゃるので、
そちらの方は撮影しません。


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床の間の北側に、坪庭があります。
中央には、井戸が掘られていました。
おそらく、右(東)側から便所に行けます。
(もしそうなら、典型的な京町家の間取りです)


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席に就いてから、約10分経ちました。
すると、こちらの菓子膳(1400円)がやって来ました。
様々な甘味が、一つのお膳に載っていますね。


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では、実際に戴いた順に紹介します。
こちらは一見「ところ天」に見えますが、「葛切り」という菓子です。
ところ天は寒天で作られますが、
葛切りは葛を固めたものを包丁で薄く切ったものです。
ところ天と葛切りは味も食感も違うのですが、
黒砂糖で作った黒蜜に漬けるのが、いちばんの違いです。
ちなみに京都では、ところ天を食べる習慣がありません。


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そして、こちらは「亀山」です。
要するに、水分がほとんどない「ぜんざい」です。
小豆の粒が潰れていないのは、こちらの技術の高さを表します。
そちらにはお餅ではなく、白玉が載っています。


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そして、こちらは練り切りです。
中身も皮も、小豆餡でできている和菓子です。
青(緑)赤黄の三色が、春を表していますね。
ちなみに、こちらの銘は「春うらら」だそうです。


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少し汚く切れましたが、こちらが「春うらら」の断面図です。
小豆餡で形成された皮の中に、黒い小豆餡が入っています。


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さらに、こちらの抹茶です。
しっかり泡立てて淹れてあるので、苦みがない分旨味があります。


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約30分かけて、菓子膳を戴きました。
いつもはすぐ帰るのですが、今回はちょっと休憩してから帰りました。


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暫く本を読みながらぐずぐずしていると、
こちらのお茶が出てきました。
それであわてて帰ったのですが、急須が見事でしたので
ちょっと撮影してしまいました。

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ラーメン藤 五条店

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店名:ラーメン藤 五条店         業種:ラーメン店
営業時間:午前11時~翌深夜午前0時   定休日:月曜日
デリバリー:なし         テイクアウト:あり
住所:東山区五条通大黒町通西入ル五条大橋2丁目15-1
(地図で確認されたい方は、ここをクリックしてください)


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京都駅からJR奈良線に乗って、1駅。
「東福寺」駅で京阪電鉄に乗り換え、さらに2駅。
こちらは、京阪電鉄「清水五条」駅です。
「七条」駅以北の京阪電鉄の駅は、地下にあります。
今回は、自分が学生時代からよく通っているラーメン店に向かいます。


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京阪電鉄「清水五条」駅4番出口の階段を上っています。
では、この4番出口から地上に上がります。


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京阪電鉄「清水五条」駅4番出口から、五条通を東に向いています。
目の前に、海鮮魚店の近幸が建っています。
お店紹介の際に中断していたイートインも再開されていました。
その東隣は、鳥さく 京都清水五条店ですね。
さらに、その東側で五条通は問屋町通と交差します。


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五条通から、問屋町通を南に向いています。
ここを南下すると、すぐに半兵衛麩 本店ですね。


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今度は問屋町通から、五条通を東に向きました。
ここからは、このまま東に進みます。


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問屋町通から、五条通を約100m東に進みました。
ここで五条通は、宮川町筋(鞘町通)と交差します。
宮川町筋を約200m北上すると、
千代とうふ店和菓子匠 名月堂のある花街宮川町です。


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宮川町筋(鞘町通)から、五条通を約100m東に進みました。
大黒町通に至る前に、今回ブログのメイン
「ラーメン藤 五条店」があります。


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「ラーメン藤 五条店」に、入店しました。
写真撮影の許可を取ったものの、
他のお客さんを撮れないのでカウンターは撮影しません。
「ラーメン藤 五条店」は、カウンター席ばかり14席あります。
入り口のアルコールジェルで手指消毒した後、
ほぼ中央のカウンター席に向かいます。


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とりあえず、こちらの席に就きました。
では、この席で注文したものを待ちます。
実はここでの自分の注文は、学生時代から変わっていません。


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まずはラーメン(750円)が、やって来ました。
こちらを自分が就いたカウンター席に置きます。


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ラーメン藤のラーメンを大写ししました。
醤油豚骨のスープは、京都に古くからよくあるタイプですね。
葱の多さがこちらの特徴ですが、
自分は葱をスープに漬けず、なるべく生で戴きます。


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箸で、葱をよけてみました。
刻み葱の下には、もやしが載っていてその下に焼き豚があります。
焼き豚は、第一旭 本店並みに9枚載ります。
そして麺には、スープがよく絡まっていますね。


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そうこうしているうちに、唐揚げ(550円)も出来上がりました。
こちらも、自分の席に置きます。


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その唐揚げも、大写しします。
外見がラーメンの坊歩の唐揚げに似ていますが、味が全然違います。
ラーメンの坊歩の唐揚げは味噌に付け込んだもので、
唐辛子入りのものは特に辛いのですが、
こちらの唐揚げは醤油に付け込んだためにこの色です。
ですから、口に入れると最初に醤油の香りと味を感じられます。


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約30分かけて、こちらを戴きました。
では会計を済ませ、帰宅します。


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「ラーメン藤 五条店」から、帰宅しました。
その際、こちらを持ち帰りました。
「ラーメン藤 五条店」は、全メニューを持ち帰れます。
(ただし、ラーメンは生麺の状態でのお持ち帰りです)


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先程の袋を開けると、こちらが出てきます。
「ラーメン藤 五条店」の持ち帰りは、こちらの紙箱に入ります。


fujigojou-9.jpg
紙箱の中は、唐揚げです。
お店で戴いたときと同じ550円でした。
キャベツの上に載っている銀紙を開けると、
唐揚げに漬けるための塩胡椒が入っていました。
箱に入ると小さく見えますが、お店のものと同じ大きさで
この分量でこの日の晩御飯のおかず
ウチの母との2人分でした。
(この日の晩御飯は、これと餃子でした。
餃子は、スーパーで買ったものです)

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プロフィール

ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
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こちらも
許可をいただいて
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「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
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「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
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こちらも、
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「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
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不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
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「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
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「京都散歩
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こちらも許可をいただいて
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「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
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布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
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宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
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「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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