fc2ブログ

第853回 伯牙山と月鉾~祇園祭前祭宵山散策~その9

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

852-24.jpg
前回ブログで訪れた船鉾を背に、新町通を北に向いています。
今回はこのまま新町通を北上した後四条通を西に進み、
伯牙山と月鉾にお邪魔します。
撮影日は2022年7月14日午後5時半。
これで前祭に立つ四条通以北の山鉾は、すべて訪れました。


852-27.jpg
船鉾から、新町通を約50m北上しています。
左(西)側にワイン専門の飲食店が、露店を出していました。
2022年祇園祭前祭宵山では、自分の取材日の翌日
2022年7月15日から露天商の屋台が出ていましたが、
この日(2022年7月14日)は飲食店の屋台が目立ちました。
その北側で、新町通は綾小路と交差します。


852-28.jpg
新町通から、綾小路を西に向いています。
では、向こうに見える山へ向かいます。


852-29.jpg
新町通から、綾小路を約50m西に進みました。
こちらに、伯牙山が立っています。


852-30.jpg
伯牙山の右(北)側に京町家が建ち並んでいるように見えますが、
実は大きな1軒の京町家です。
伯牙山の会所は、重要文化財の杉本家邸宅です。


853-1.jpg
伯牙山と杉本家住宅の間で、綾小路を西に向きました。
約100m先に、第850回ブログの芦刈山が立っています。




853-2.jpg
こちらが、伯牙山の会所重要文化財の杉本家邸宅です。
かつて「奈良屋」という呉服問屋でした。
では緑色の垂れ幕をくぐり、伯牙山会所に入っていきます。


853-3.jpg
杉本家住宅の一部を使用して、伯牙山会所になっています。
伯牙山は、謡曲「伯牙」から、取材されています。

大昔の中国に、伯牙という箏の名人がいました。
伯牙には同じ箏奏者の親友がいて、
いつも一緒に箏を演奏して楽しんでいました。
ところが伯牙も年を取り、やがて親友も亡くなってしまいました。
親友の死に悲しんだ伯牙は、
遂に愛用の箏を斧で叩き割り、二度と演奏しなくなりました。
……と言う物語です。
今の日本人には馴染みありませんが、
室町時代の京都人なら誰でも知っている有名な物語でした。

また中国人の伯牙をモチーフにしているので、
伯牙山の装飾品は中国風のもので統一されています。


853-4.jpg
こちらが、ご神体の伯牙の神像です。
斧で箏を叩き割る寸前の苦悶の表情をしているのですが……
撮影に失敗して、こんな写真になりました。


853-5.jpg
こちらが、伯牙愛用の箏です。
伯牙山は、この箏の前で伯牙が斧を構える姿を描いています。


853-6.jpg
伯牙山の装飾品を見ています。
上部の水引が、新調されていますね。
ただし、テーマの関係上中国の子供を描いています。


853-7.jpg
そして、伯牙山の会所にも檜扇(ひおうぎ)です。
祇園祭を象徴する花ですね。
杉本家邸宅の奥にも、檜扇が飾ってあるはずです。


853-8.jpg
伯牙山会所を出て、綾小路を東を向いています。
毎年祇園祭中は伯牙山会所の東側から杉本家邸宅に入れるのですが、
2022年7月14日は門が閉まっていては入れませんでした。
どうやら、2022年は7月15日から公開のようです。


580-28.jpg
こちらは、ほぼ同じ構図の2018年7月15日の写真です。
この年は1,000円支払って、杉本家邸宅内を拝観しました。
(第580回ブログ参照)


580-29.jpg
重要文化財である杉本家邸宅は、屋内撮影禁止です。
ただし施設内で売られているはがきは、
ブログなどに掲載が許されています。
(毎年杉本家の方に確認しています)
こちらは、2018年に自分が購入したはがきを載せました。
2018年でいちばん印象に残ったのは、
この菊花の金屏風とその脇に生けられた棕櫚の木でした。
(棕櫚の木が、生け花みたいに生けられていました)
また、杉本家邸宅にはエアコンが付いていません。
(まぁ、重要文化財ですから……)
ですから氷柱に扇風機をかけて、涼を摂ります。
その氷柱は小さくなると、もっと小さく砕かれて
拝観者に振舞われます。
(甲子園の「かち割氷」みたいでした)
2018年7月15日の写真は、ここまでです。




853-9.jpg
ここから、2022年7月14日の写真に戻ります。
伯牙山から、綾小路を東に向いています。
では、こちらを新町通まで戻ります。


853-10.jpg
伯牙山から、綾小路を約50m東に進みました。
ここで綾小路は、新町通と交差します。
約50m先に綾傘鉾(綾小路傘鉾)が立っていますが、
そちらには、次回ブログで立ち寄ります。


853-11.jpg
綾小路から、新町通を北に向いています。
ここから大船鉾が立つ下京区四条町なのですが、
こちらに山鉾が立っていません。
大船鉾は後祭に立つ鉾なので、2022年7月14日は平常運転です。


853-12.jpg
綾小路から、新町通を北上しています。
大船鉾は立っていないのですが、大船鉾の会所は開いていました。
こちらで、大船鉾の粽(ちまき)や手拭いが売られています。


853-13.jpg
綾小路から、新町通を約100m北上しました。
ここで新町通は、四条通と交差します。
約50m先に、第848回ブログで訪れた放下鉾が見えます。
第849回ブログでは目の前の「四条新町」交差点から西に移動して、
郭巨山などを回りました。
つまり、これで新町通以西の前祭の山鉾はすべて見ました。


853-14.jpg
新町通から、四条通を東に向いています。
目の前に、月鉾が立っています。


853-15.jpg
同じ位置で見上げて、月鉾の「鉾」を写しました。
「月」鉾だけに、鉾先は「三日月」型です。
ちなみに、月鉾が祇園祭最大の山鉾です。


853-16.jpg
新町通から、四条通を東に進んでいます。
目の前に、月鉾が迫ってきました。


853-17.jpg
月鉾の手前に、白いテントが立っています。
こちらで、月鉾の粽(ちまき)や手拭いが売られています。


853-18.jpg
さらに、四条通を東に進みました。
右(南)側が、月鉾の会所です。
ここから先に入ると月鉾の上に登れるのですが、
こちらは拝観料を払わない代わりに、
月鉾の粽や手拭いなどを買わなければいけません。


580-7.jpg
2018年7月15日に、月鉾でこの手拭いを買いました。
確か、1,000円だったと思います。
こちらを購入したので、この後月鉾の上に登りました。
ただ月鉾の上は、写真撮影が禁止です。
そのため、月鉾の上の写真はありません。

何しろ祇園祭最大の山鉾ですから、
他の山鉾よりも高いところまで登りました。
その割には、鉾上部は狭かった印象がありました。
とても高かったので、高所恐怖症の自分には厳しかったです。
天井画など装飾品がとても立派だったのですが、
写真がないのでその辺は上手く説明できません。
(第850回ブログ参照)


853-19.jpg
月鉾の会所から、四条通を東に向いています。
こちらの白いテントでも、粽や手拭いが売られています。


853-20.jpg
月鉾から、四条通を東に進んでいます。
目の前に、第846回ブログでお邪魔した函谷鉾が見えますね。


853-21.jpg
月鉾から、四条通を東に約50m進みました。
ここで四条通は、室町通と交差します。
これで四条通以北の山鉾は、すべて回りました。
あとは室町通近くの3基の山鉾と、保昌山が残っています。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回は、ここまでです。

~次回は、鶏鉾と綾傘鉾を散策します~

続きを読む

スポンサーサイト



テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第854回 綾傘鉾の大原神社~祇園祭前祭宵山散策~その10

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

853-21.jpg
前回ブログで月鉾を散策し、そのまま四条通を東に約50m進みました。
ここで四条通は、室町通と交差しています。
この先に、第846回ブログで訪れた函谷鉾が見えます。
今回はこの室町通を南下して、鶏鉾、綾傘鉾に向かいます。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後5時45分。
だんだん人が増えてきました。


854-2.jpg
四条通から、室町通を北に向いています。
この先に、第846回ブログで訪れた菊水鉾が見えます。


854-3.jpg
「四条室町」交差点から見える函谷鉾を大写ししました。
さらに東に第845回ブログで訪れた長刀鉾も見えるのですが、
市バスが邪魔で写真には写りませんでした。
2022年は7月14日段階では、四条通も烏丸通も
歩行者天国にはなりませんでした。
2022年の7月15日と7月16日の午後5時以降に、
四条通と烏丸通の車道も参拝者が歩けるようになっていました。


854-4.jpg
さらに四条通から、室町通を南に向きました。
この先に、鶏鉾が見えますね。
前回ブログの月鉾を含めて、この「四条室町」交差点からは
月鉾、菊水鉾、函谷鉾、鶏鉾の4基が見えます。
(歩行者天国になれば、長刀鉾も見えます)
実は、この「四条室町」交差点が結構な絶景ポイントです。
左(東)側には、近年京都経済センタービルが新築されました。
1Fに、飲食店などのテナントが入っています。
祇園祭期間中ということもあって、どちらも満員でした。


854-5.jpg
四条通から、室町通を約100m南下しました。
綾小路の手前に、鶏鉾が立っています。
結構大きな鉾ですね。


854-6.jpg
鶏鉾の鉾先を写しました。
三角形の矛先は結構あるのですが、この形状は変わっています。


854-7.jpg
鶏鉾に、近づいてきました。
午後5時を回りだんだん人が増えてきたので、
かなり歩道が狭く感じます。


854-8.jpg
こちらが、鶏鉾の会所です。
当初はこちらに上がって鶏鉾に登るつもりでしたが、
午後6時近くになったので2022年に登るのは諦めました。
(日没が近づくと、写真撮影がうまくいかないことがあります)


854-9.jpg
そして、こちらが鶏鉾です。
実は、自分は鶏鉾のモチーフをよく知りません。
ただこれは鶏鉾が出自不明の「謎の鉾」と言う訳ではなく、
単に自分が勉強不足なだけです。
「古事記」に由来しているらしいのですが……

鶏鉾の装飾品は、雨除けのビニールシートで覆われています。
そのシートが光ってよく見えませんが、
胴掛の1枚が18世紀のベルギー産タペストリーと分かっています。
元はかなり大きかったもので、それを箟(のみ)で切り取りました。
後祭に巡行する鯉山の見送りと、元は同じ1枚でした。
(鯉山の詳細は、第416回ブログ参照)


854-10.jpg
鶏鉾から、室町通を南に向いています。
鶏鉾は、「綾小路室町」交差点北西角に立ちます。
そして、その綾小路以南の室町通はこの道幅になります。


854-11.jpg
今度は室町通から、綾小路を東に向きました。
左(北)側の京都経済センタービルの地下は、京都市バスの車庫です。
そのため、周囲の綾小路と室町通は大通りです。


854-12.jpg
さらに室町通から、綾小路を西に向いています。
綾小路も、室町通以西はこの道幅です。
左(南)側の白いテントはよく分かりませんでしたが、
もしかすると遊技場かもしれません。
もしそうなら、翌7月15日には開いていたのでしょうね。
第579回ブログでは、自分はこちらでスマートボールを楽しみました。


854-13.jpg
室町通から、綾小路を西に約30m進みました。
こちらに、「京はやし 四条店」が開いていました。
近鉄「東寺」駅前の本店は、京都屈指の人気店です。
こちらも、ビールの露店が出ていました。


854-14.jpg
「京はやし 四条店」の前で、綾小路を西に向いています。
目の前に、綾傘鉾(綾小路傘鉾)が立っています。


854-15.jpg
綾傘鉾の南側にビルの駐車場があって、
そこにこちらの仮設舞台がありました。
どうやら、こちらで「棒振りはやし」の演じられていたようです。
「棒振りはやし」の詳細は、後述します。


854-16.jpg
そのビルの脇に、こちらが立っていました。
約200年前に、このビル周辺で本居宣長が国学を学んでいました。


854-17.jpg
こちらが、綾傘鉾です。つまり、綾小路沿いに立つ傘鉾です。
(傘鉾は、他に第849回ブログの四条傘鉾もあります)
2基の「傘鉾」は、むしろ平安時代の様相を残した山鉾です。
このように傘が立つ車輪のついた鉾の形式が、特徴です。
四条傘鉾同様に、取材された物語もなく
室町時代以降に完成した山鉾とは一線を画します。
(祇園祭は平安時代の863年から始まりましたが、
現在のように山鉾が立つのは室町時代の15世紀以降です)
それほど有名ではありませんが、祇園祭には山鉾巡行以外に
平安時代の様相を残した花笠巡行があります。
(毎年、7月24日に開催。後祭還幸祭と、日程が被ります)
「傘鉾」は、その花笠に近い形状ですね。


854-18.jpg
綾傘鉾から、綾小路を西に向いています。
この先に、綾傘鉾の会所がありますね。


854-19.jpg
こちらが綾傘鉾の会所ですが……
「大原神社」という表札が立ちます。
こちらは、京都府福知山市の大原神社が勧請された神社です。
ご祭神は伊弉諾尊で、安産のご利益があります。


854-20.jpg
綾傘鉾の会所である大原神社に入ってきました。
まずは、こちらの手水舎に向かいます。
ただ、こちらのお水は現在は使用できません。


854-21.jpg
大原神社の北側に、大原神社本殿がらっしゃいます。
先述の通り、ご祭神は伊弉冉命です。
また、この日(2022年7月14日)は大原神社の巫女さんに
綾傘鉾の会所(大原神社)参拝者全員を対象で
厄や疫病を払って戴きました。


854-22.jpg
さらに大原神社社務所に向かうと、こちらの張り紙がありました。
背後に置かれたアルコールジェルで手指消毒して、
大原神社社務所に陳列された展示物を見に行きます。


854-23.jpg
まずは、こちらの掛け軸です。
こちらに、かつての綾傘鉾が描かれています。
どうやら当時は綾傘鉾も巨大で、辻回しも行われていたようです。


854-24.jpg
さらに、こちらはかつての綾傘鉾の模型です。
つまり現在の綾傘鉾は、この鉾の先端部部分です。
以前元の形状に戻すつもりか、こちらの方に尋ねたことがありました。
「そのようなことはありません。最大の理由は費用がないからです」
そう答えて戴きました。


854-25.jpg
その左(南)側に、こちらの掛け軸が祀ってありました。
祇園祭の山鉾町では、この「牛頭天王」が今でも信仰されています。
(牛頭天王は、かつての八坂神社のご祭神です。
明治時代以降は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)に変更されました)


854-26.jpg
牛頭天王の掛け軸の前に、こちらの仮面が置かれています。
こちらは、棒振りはやしの踊り手が被ります。
ただし、現在使用されているものは新しく復元されたもので、
こちらは「牛頭天王の掛け軸」前に陳列したままです。


854-28.jpg
その脇に、棒振りはやしの写真が展示されていました。
パネルのガラスが光ってよく見えませんが、
仮面は顔に着けるのではなく、頭上に着けます。
ですから、踊り手の素顔は丸見えです。
この棒振りはやしは祇園祭でも結構人気があって、
7月17日の山鉾巡行では名物の一つです。


854-27.jpg
「牛頭天王の掛け軸」と仮面の脇に、
こちらの絵巻が陳列されていました。
かなり昔の祇園祭山鉾巡行を描いており、
綾傘鉾の部分を撮影しました。
こちらも、かなり大きな綾傘鉾です。
多分ですが、1864年のどんどん焼けまで
辻回しができる形状だったのでしょうね。


854-29.jpg
では一通り拝観しましたので、綾傘鉾会所でもある
大原神社から綾小路に出ます。
この日の日没は午後7時過ぎでしたが、
写真撮影が可能な明るさが徐々に確保できにくくなってきました。


854-30.jpg
大原神社から、綾小路を東に向いています。
日没が徐々に近づき、綾傘鉾の提灯が明るく燈ります。


854-31.jpg
綾傘鉾から、綾小路を東に約50m進みました。
ここで綾小路は、室町通と交差します。
つまり、「綾小路室町」交差点に戻ってきました。
あとは室町通を南下して、白楽天山と保昌山で
祇園祭前祭山鉾を全制覇です。
ただだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は白楽天山と保昌山を回って、帰宅します~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第855回 保昌山で上がり~祇園祭前祭宵山散策~その11

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

854-31.jpg
前回ブログでお邪魔した綾傘鉾から、綾小路を約50m東に進みました。
ここで綾小路は、室町通と交差します。
今回はこの室町通を南下し白楽天山と保昌山にお邪魔して、
京都市営地下鉄烏丸線「四条」駅から帰宅します。
撮影日は、2022年7月14日木曜日午後6時。
今回で、2022年祇園祭前祭宵山散策は終了です。


855-2.jpg
綾小路から、室町通を南に向いています。
まずは、この白楽天山に向かいます。


855-3.jpg
綾小路から、室町通を約50m南下しました。
目の前に、白楽天山が立っています。
先程まで雨が降っていたので、装飾品は付いていません。


855-4.jpg
白楽天山の南側に、白楽天山の会所があります。
では、こちらにも立ち寄ります。


855-5.jpg
白楽天の会所の正面に、ご神体の白楽天
道林の神像が安置されています。
白楽天は中国3大詩人の一人ですが、
後世では術師として有名で、
(生前にそのような事実はないのですが)
冥界へ自由に行き来できたと考えられています。
日本の小野篁と同じ立ち位置です。
まぁそうは言っても、この山は
道林が白楽天に論戦で勝つ話を取材しています。
ですから、むしろ「道林山」の方が良い気がします。


855-6.jpg
白楽天山の前で、室町通を南に向いています。
この先で、室町通は仏光寺通と交差します。


855-7.jpg
「仏光寺室町」の辻に、こちらの看板が立っていました。
確かにここを左折すれば保昌山に向かえますが、
今回ブログではこのまま室町通を南下します。


855-8.jpg
さらに「仏光寺室町」の辻南東角に、日吉神社がいらっしゃいます。
滋賀県の日吉大社を勧請した神社です。
午後5時を回ったので、もう閉まっています。
(日吉神社の詳細は、第237回ブログ参照)


855-9.jpg
仏光寺通から、室町通を約100m南下しました。
ここで室町通は、高辻通と交差します。


855-10.jpg
室町通から、高辻通を西に向いています。
約100m先が第852回ブログの「高辻新町」交差点です。


855-11.jpg
室町通から、高辻通を西に約30m進みました。
高辻通沿いに、繁盛神社がいらっしゃます。
毎年祇園祭宵山散策で訪れているので、
2022年もこちらに参拝します。


855-12.jpg
こちらが、その繁盛神社です。
では高辻通から、こちらに入っていきます。


855-13.jpg
第578回ブログでは境内が相当賑わっていましたが、
この日(2022年7月14日木曜日)は自分一人でした。
後述の通り、こちらも祇園祭では特別仕様になります。
手水舎が花手水に仕立てられて、
周囲も檜扇を初めとする花で飾られています。


855-14.jpg
こちらが、繁盛神社の本殿です。
では、こちらに参拝します。

繁盛神社のご祭神は市杵嶋比売で、商売繁盛のご利益があります。
……とは言え、神仏分離令以前は別の神様が信仰されていたようです。
それが弁財天という説もありますが、
神社の名前からも頗梨采女がご祭神だったのでしょう。
八坂神社のかつてのご祭神と考えられていた牛頭天王の妻ですね。
そう考えると、祇園祭自体にも縁がある神社と言えます。


855-15.jpg
繁盛神社本殿に背を向け、境内を南に向いています。
では繁盛神社を出て、高辻通に戻ります。


855-16.jpg
繁盛神社の前で、高辻通を東に向いています。
では、いったん室町通に戻ります。


855-17.jpg
繁盛神社から、高辻通を東に約30m進みました。
ここで高辻通は、また室町通と交差します。
次は、このまま高辻通を東に進み続けます。


855-18.jpg
室町通から、高辻通を東に進んでいます。
こちらの中華料理店は、創業30年のこの辺りの名物店です。
2020年や2021年はよく閉められていましたが、
この日(2022年7月14日)は結構賑やかでした。


855-19.jpg
室町通から、高辻通を約100m東に進みました。
ここで高辻通は、烏丸通と交差します。


855-20.jpg
横断歩道を渡って烏丸通東側歩道に移り、
高辻通を東に向いています。
ここから、まだまだ高辻通を東に進みます。


855-21.jpg
「高辻烏丸」交差点の周囲を京都銀行本店が囲んでいますが、
「高辻烏丸」交差点北東角の建物に、
こちらの匂天神社がいらっしゃいます。
では、こちらに参拝して高辻通をさらに東に進みます。


855-22.jpg
烏丸通から、高辻通を約100m東に進みました。
ここで高辻通は、東洞院通と交差します。
このまま高辻通を東に進むと、浄土真宗佛光寺派本山佛光寺です。


855-23.jpg
高辻通から、東洞院通を北に向いています。
東洞院通を約400m北上すると、
第845回ブログの長刀鉾が立っています。


855-24.jpg
今度は高辻通から、東洞院通を南に向きました。
こちらに、保昌山が立っています。


855-25.jpg
高辻通から、東洞院通を南下しました。
こちらが、保昌山です。
だいぶ暗くなってきて、提灯に灯がy昌山の会所を撮りました。
会所の2Fに、ご神体の平井保昌がいらっしゃいます。
第847回ブログの山伏山会所と同じ構造ですね。


855-27.jpg
そして、こちらが平井保昌の神像です。
……と言いたいところですが、顔の部分が提灯で見えません。
実は、自分が撮影中撮った映像の細かいところが分かりません。
結構大雑把に撮っているので、こういうミスが多いです。

保昌山は、平井保昌の恋愛譚を描いた山です。
歌人で絶世の美人であった和泉式部に求婚した保昌は、
「天領(天皇の所有物)の梅の木を折ってきたら、
結婚を考えてもよい」との和泉式部の言葉を信じて
天領の梅の木を折りに行きます。
すると天領の警備隊に見つかった平井保昌は、
刀で切られた傷だらけで背中に矢が刺さったままで
和泉式部に梅の枝を差し出しました。
和泉式部は結婚を断るつもりで無理難題を言ったのですが、
命を懸けて約束を守った平井保昌の求婚を断れなくなりました。
(ちなみに天皇もこの一件を知り、さらに求婚を断れなくなります)
そうして、平井保昌は和泉式部と結婚しました。
ですから、保昌山は恋愛成就のご利益があります。


855-28.jpg
こちらは、保昌山を囲む格子です。
恋愛成就のご利益がある保昌山は、
毎年こちらに絵馬がたくさん飾られていました。
(その当時の様子は、こちらを参照)
2022年7月14日は絵馬が、全然ありません。
まぁ、翌日の2022年7月15日は分かりませんが……


855-29.jpg
保昌山から、東洞院通を北に向いています。
では、ここから東洞院通を北上します。


855-30.jpg
保昌山の北側に、こちらの京町家が建っています。
内装から見て、こちらは手作りパン屋さんですね。
本当は立ち寄りたかったのですが、
日没前に撮影を終えなければなりません。
そのため、泣く泣く先を急ぎました。


855-31.jpg
京町家のパン屋さんの前で、東洞院通を北に向きました。
ここから高辻通まで、東洞院通を北上します。


855-32.jpg
東洞院通を北上して、高辻通まで戻ってきました。
東洞院通から、高辻通を西に向いています。
ここからは、東洞院通から高辻通を西に進みます。


855-33.jpg
東洞院通から匂天神社を通り過ぎ、
高辻通や約100m西に進みました。
ここで高辻通は、烏丸通と交差します。


855-34.jpg
高辻通から、烏丸通を北に向いています。
ここからは、この烏丸通を北上します。


855-35.jpg
高辻通から、烏丸通を北上しています。
烏丸通の左(西)側に、下京警察署が建っています。
この辺一帯が管轄なので、祇園祭の宵山や山鉾巡行を管理します。
(神輿巡行は、第820回ブログに出てきた川端署の管轄)
下京警察署が大きくて、写真に入り切りません。


855-36.jpg
下京警察署の前で、烏丸通を北に向いています。
この先に、笹が立て掛けられている場所があります。


855-37.jpg
こちらが、その笹が立て掛けてある場所です。
八坂神社境外施設の大政所ですね。
祇園祭の3基のお御輿は先ずは四条通を西に進み、
こちらにやって来られます。
その後、各お御輿は各氏子地域に向かいます。

ただ今年(2022年)は、コロナ禍の関係で
こちらまでお御輿は来られませんでした。
2022年の神輿巡行は、
八坂神社~「四条寺町」交差点の「お旅所」間を移動しただけです。


855-38.jpg
八坂神社大政所の前で、烏丸通を北に向いています。
この先で烏丸通は、仏光寺通と交差します。


855-39.jpg
その「仏光寺烏丸」交差点に、
地下鉄烏丸線「四条」駅に通じる地下への階段が見えます。
(ファミリーレストラン「サイゼリア」の脇です)
では、ここから地下道に潜って地下鉄で帰宅しました。
……と言う設定で、本当はここから第864回ブログに出てきた
孟宗山の会所に向かいました。
いずれにしても、この後地下鉄に乗って帰宅しました。
これで、2022年の祇園祭前祭宵山散策編は終了です。

~次回から、祇園祭前祭山鉾巡行の連載です~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第856回 長刀鉾の注連縄切り~祇園祭前祭山鉾巡行~その1

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

前回ブログで11回続いた祇園祭前祭宵山散策も終えましたが、
2022年は祇園祭の他の行事も掲載予定です。
そこで今回から、2022年祇園祭前祭山鉾巡行の模様を連載します。


856-1.jpg
京都駅から市営地下鉄烏丸線に乗って、2駅。
「四条」駅で降りて、そのまま地下道を約100m北上します。
そして「四条烏丸」交差点地下の「烏丸」駅から、
阪急電車を1駅だけ乗りました。
こちらは、阪急電車京都線の終点「河原町」駅です。
今回はこのまま地上に上がり、四条通沿いで山鉾巡行を見物します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前8時半。
自分の2代目デジタルカメラが、写り込んでいますね。


856-2.jpg
阪急電車の特急から降りて、「河原町」駅のホームに出ました。
日曜日の朝にしては乗降者が多いのですが、
たぶん自分と同じ目的なのでしょうね。


856-3.jpg
先程のエスカレーターに乗って、
阪急電車「河原町」駅のコンコース階に上がってきました。
では、目の前の改札口から阪急電車「河原町」駅を出ます。


856-4.jpg
阪急電車「河原町」駅を出て、地下道を南に向いています。
5番出口は、「四条河原町」交差点南西角に建つ京都高島屋
地下でつながっています。
開店まで1時間以上ありますので、
まだそこまで賑やかではありません。


856-5.jpg
京都高島屋の前で、地下道を西に向いています。
この地下道は、四条通の地下を約1㎞先の室町通まで続きます。


856-6.jpg
京都高島屋から、四条通の地下を50m西に進みました。
目の前に、「6番出口」の看板があります。


856-7.jpg
先程の位置で、地下道を北に向きました。
では、こちらの階段から地上を目指します。


856-8.jpg
先程の階段を上って、地上に上がってきました。
地上に出ると、京都随一の繁華街「四条河原町」交差点の西側です。
普段なら、人と自動車でかなり賑やかになるのですが……


856-9.jpg
四条通はすでに車両通行止めで、自動車は1台も通っていません。
また京都を挙げての祭事ですから、車道に垂れ幕が張られます。


856-10.jpg
6番出口から、四条通を東に向いています。
約100m先が、京都随一の繁華街「四条河原町」交差点です。
普段はとても賑やかな場所ですが、この瞬間はとても静かでした。
(普段の「四条河原町」交差点は、第600回ブログ参照)


856-11.jpg
今度は6番出口から、四条通を西に向きました。
今回は、こちらを進みます。


856-12.jpg
6番出口から、約20m四条通を西に進みました。
四条通の南側に、八坂神社のお旅所がいらっしゃいます。
山鉾巡行の後八坂神社のご神体がお神輿に乗り、
こちらの社まで来られます。
山鉾巡行中は、各山鉾町の氏子衆が参拝に来られます。


856-13.jpg
この脇の「四条寺町」交差点の信号が、撤去されていました。
……と言いましても、信号を支える鉄柱を
アーケードの上に曲げるだけです。
実は四条通の信号は、元々そのように曲がる仕様です。


856-14.jpg
その時プロペラ音がしたので、四条通から空を見上げました。
ヘリコプターが、1台飛んでいました。
地元民放局のKBS京都が山鉾巡行を生放送していますし、
それをBS11などが全国に流していました。


856-15.jpg
八坂神社お旅所前から約20m西に移動し、
「四条寺町」交差点上にいます。
今回の山鉾巡行はお旅所前で取材する予定ですが、
今から始まる祭事がその位置から視えませんので、
もう少し四条通を西に移動します。


856-16.jpg
「四条寺町」交差点から西に約50m移動し、
「四条御幸町」交差点から四条通を西に向いています。
今回ブログでは、この位置から神事を取材します。


856-17.jpg
では今回ブログでは「四条御幸町」交差点から四条通を西に向き、
「四条麩屋町」交差点付近を撮ります。
「四条麩屋町」交差点の少し東側に、
これから始まる神事のための注連縄が張られました。



856-18.jpg
さらに注連縄が、高い位置に張られていきます。
そうこうしているうちに、だんだんと長刀鉾が近づいてきます。
2022年7月17日日曜日午前9時。
いよいよ祇園祭前祭山鉾巡行が始まります。


856-19.jpg
前祭も後祭も、祇園祭山鉾巡行の先頭は警察車両です。
こちらのパトロールカーが東に進み、
自分が立つ御幸町通を通り過ぎていきます。


856-20.jpg
長刀鉾が、だんだん「四条麩屋町」交差点に近づいてきます。
すると自分の前にいらした方々が突然脚立を立てて、
何人かがその上に乗り出されました。
自分にとっては大きな障壁が急に立ちはだかったのですが、
今更ここから移動することはできません。


856-21.jpg
そこで自分はカメラを構える角度を上げて、ズームします。
上手くいけば、目の前の方々の頭の隙間から撮れます。
まぁ10年以上祇園祭の取材をしていれば、
こういうことにも慣れてきますので……


856-22.jpg
長刀鉾は、「四条麩屋町」交差点上で停止されます。
すると注連縄が、長刀鉾の前に掛かります。


856-23.jpg
長刀鉾の上には、囃子方(祇園囃子の演奏者)約30人と
生稚児3人が同乗されています。
長刀鉾による祇園囃子の演奏が続く中、
中央の生稚児さんが立ち上がられました。


856-24.jpg
そして、いったん生稚児さんが長刀鉾の奥に引き籠られます。
すると、長刀鉾の氏子衆がこれから始まる神事に準備を始められます。


856-25.jpg
長刀鉾の上にまな板が置かれ、生稚児さんが再登場されます。
ここから、長刀鉾による「注連縄切り」神事が始まります。


856-26.jpg
……と思ったら、まだ準備が残っていたようです。
注連縄とまな板の間に、氏子衆が半紙を挟まれました。


856-27.jpg
生稚児さんがまたまた登場されて、今度こそ神事が始まります。
ここからは生稚児さんの後ろに氏子衆の一人が立たれ、
浄瑠璃人形のように生稚児さんが操られる程を取られます。


856-28.jpg
まずは、生稚児さんが日本刀を頭上に翳されます。
サイズが子供用ではありますが、立派に反りあがった刀ですね。


856-29.jpg
そして生稚児さんが、刀の束を右手に鞘を左手に持たれます。
氏子衆が操る程ですが、あくまで生稚児さん自身が動かれています。


856-30.jpg
そのまま生稚児さんは左手を動かして、刀から鞘を引き抜かれます。
腰に帯刀されていませんので、鞘から刀を抜かれていません。


856-31.jpg
自分はこのまま注連縄を切られると思っていたのですが、
実はここから抜身の刀を持ち、そのまま舞を舞われます。


856-32.jpg
つまり祇園囃子に合わせて、生稚児さんの身体が左右に揺れます。
ゆっくりですが、これも剣舞ですね。


856-33.jpg
そして生稚児さんが右手に日本刀を持ち、大きく構えられました。
さらに、ここで軽く見栄を切られました。


856-34.jpg
生稚児さんが、日本刀を両手で持たれます。
そして、日本刀を振り下ろされました。


856-35.jpg
「トン」と音を立てて、注連縄が切られました。
すると、切れた注連縄が両端に落ちていきます。
厳密にはこの「注連縄切り」の神事で、
祇園祭前祭山鉾巡行が始まります。


856-36.jpg
すると、氏子衆が背後から刀の鞘を手渡されます。
生稚児さんは抜身の刀身を鞘に宛がわれます。


856-37.jpg
そして生稚児さんが、日本刀の刀身を鞘に戻されました。
さらに、また軽く見栄を切られました。


856-38.jpg
これで、長刀鉾の「注連縄切り」の神事が終わりました。
長刀鉾は、再び東に向けて動き出します。
そして長刀鉾に続き、様々な山鉾が順番にやって来ます。


856-39.jpg
「四条御幸町」交差点で、四条通を東に向いています。
長刀鉾が通るので、車道にいらっしゃる方々は
この後すぐに歩道に上がらなければなりません。


856-40.jpg
「四条御幸町」交差点から、四条通を東に約70m戻りました。
要するに、八坂神社お旅所の前ですね。
ここからは、この位置から山鉾巡行を見物します。
とは言えだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は長刀鉾が八坂神社お旅所の前を再び通り過ぎ、
その後次々山鉾が巡行していきます~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

 第857回 山1番は孟宗山~祇園祭前祭山鉾巡行~その2

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

856-40.jpg
前回ブログで長刀鉾の「注連縄切り」の神事も終わり、
祇園祭前祭山鉾巡行もゆっくり四条通を東に進みます。
今回はここ「四条寺町」交差点東の八坂神社お旅所前で、
その山鉾巡行を見物します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前9時15分。
この日は、なかなかの炎天下でした。


857-1.jpg
先程と同じ位置で、四条通沿いを見ています。
「祇園会」と書かれた幟が、四条通を東に進みます。
祇園祭山鉾巡行など京都市街地を練り歩く祭事の場合、
最初に先導のパトロールカーが通り過ぎ、
(パトロールカーはー、前回ブログで通過)
次に祭事名を書いた幟が通過するのが通常です。


857-2.jpg
「祇園会」と書かれた幟に続いて、今度は手荷物が通過します。
こちらの中身は想像できますが、実際のところは分かりません。


857-3.jpg
八坂神社お旅所の前で、四条通を西に向いています。
だんだん長刀鉾が、「四条寺町」交差点に近づいてきました。
写真の枚数はそこそこ費やしたのですが、
前回ブログの注連縄切り神事からまだ1分くらいしか経っていません。
「四条御幸町」交差点から小走りで約50m移動して、
長刀鉾を追い抜いて撮影しています。
(通常山鉾は、人が歩く速さで移動します)


857-4.jpg
……という訳で、前回ブログに引き続き長刀鉾の再登場です。
注連縄切り神事の関係もあって、
長刀鉾は必ず前祭山鉾巡行の先頭を進みます。


857-5.jpg
長刀鉾が八坂神社お旅所の前を通過する間、
長刀鉾に随行される鉾町の町衆が、お旅所に参拝されます。
その中心に、伊吹文明前衆議院議長がいらっしゃいます。
衆議院議員引退後は、長刀鉾保存会に属しておられるようです。


857-6.jpg
長刀鉾に随行される町衆が、八坂神社お旅所の前に立つ
テントの前で拝礼されています。
テントの中には八坂神社の宮司さんがいらして、
町衆に紙垂を振るっておられます。
巡行する山鉾は、八坂神社お旅所で厄払いして
この後河原町通経由で御池通まで進みます。


857-7.jpg
そうこうしているうちに、長刀鉾がお旅所前に到着しました。
よく考えたら、前回ブログでは長刀鉾全体をあまり撮っていません。


857-8.jpg
そして、こちらが長刀鉾の全体像です。
生稚児さんは、巡行する間
氏子衆に操られるように舞い踊っています。


857-9.jpg
長刀鉾が、再び近づいてきます。
音頭取りの扇子が前に振られているので、
長刀鉾はゆっくり前進し続けます。


857-10.jpg
今度は、長刀鉾の左側が見えます。
鉾には、生稚児さんと祇園囃子を演奏される囃子方が同乗されます。
胴掛の辺りで揺れているのは、楽器の小型の銅鑼です。
祇園囃子は、横笛と太鼓と小型の銅鑼で構成されます。


857-11.jpg
長刀鉾が、ゆっくりと八坂神社お旅所前を通過します。
鉾の後部には細長い見送りがかかるので、中の様子は見えません。


857-12.jpg
そこで四条通を西に振り返ると、
「四条寺町」交差点に孟宗山がやって来ました。
ここからはくじ引きで決められた順番で登場するので、
2022年度の「山1番」は孟宗山です。


857-13.jpg
孟宗山に随行される町衆が、八坂神社お旅所前に整列されました。
そして八坂神社の宮司さんが、こちらにもお祓いされます。


857-14.jpg
孟宗山が、八坂神社お旅所前までやって来ました。
孟宗山は担ぎ山なので、鉾頭の代わりに真松が立ちます。


857-15.jpg
孟宗山の上部は、このようになっています。
雪が降り積もる真冬の竹林で、病に臥せる母親のために
孟宗がタケノコを探す姿を模っています。
孟宗は「三国志演義」にも出てくる呉の名将ですが、
日本でも親孝行の代名詞ですね。


857-16.jpg
孟宗山の左側を見ています。
由来と装飾品を合わせている山鉾もありますが、
孟宗山はその由来とあまり関係がありません。


857-17.jpg
こちらが、孟宗山の胴掛です。
日本人画家の平山郁夫のが、「砂漠を進むラクダ」を描いています。
個人的には孟宗山と言えば、「平山郁夫」です。


857-18.jpg
孟宗山が八坂神社お旅所を通り過ぎ、後姿を見ています。
孟宗山の見送りは、竹内栖鳳による竹林図です。
たぶん、孟宗竹を描いているのでしょうね。


857-19.jpg
続いて2022年前祭山鉾巡行の「山2番」は、保昌山です。
2022年の前祭宵山散策で、最後に回った山ですね。


857-20.jpg
2022年「山2番」保昌山が、八坂神社お旅所前にやって来ました。
ご神体の平井保昌像が、梅の造花を掲げています。
歌人で絶世の美女と言われた和泉式部と結ばれた物語から、
恋愛成就のご利益があるとされる山ですね。


857-21.jpg
保昌山の町衆も、お旅所でお祓いを受けます。
八坂神社宮司さんの前で、全員拝礼されていますね。


857-22.jpg
保昌山も、お旅所の前を通過します。
こちらの見送りは、比較的新しいものですね。


857-23.jpg
さらに2022年度「山3番」は、郭巨山です。
ここ10年で、3回「山1番」を引いた縁起の山ですね。


857-24.jpg
郭巨山が、だんだん近づいてきました。
郭巨が一獲千金を手に入れた物語を取材した山ですね。
その黄金が釜に入っていたので、「釜掘り山」とも言います。


857-25.jpg
郭巨山のご神体は、郭巨親子の神像です。
厳密には金塊を見つけたのは郭巨の息子で、
その息子が郭巨に金塊を在り処を教えました。


849-41.jpg
こちらが、ウチに吊るされた2022年度の郭巨山の粽です。
ウチは、10年ほどこちらの粽を吊るしています。
祇園祭の粽(ちまき)は通常袋を取るのですが、
郭巨山の粽には紙製大判が付きます。
袋を取るとこの大判が付かないので、
ウチは袋に入れたままにして吊るしています。


857-26.jpg
郭巨山に随行される町衆が、八坂神社お旅所前に集結されました。
やはり八坂神社の宮司さんから、お祓いを受けていました。


857-27.jpg
郭巨山が通過する際、鈴の音が聞こえてきました。
よく見ると、担ぎ山の真木に鈴が取り付けられています。


857-28.jpg
郭巨山が八坂神社お旅所の前を通り、左側を見せています。
こちらは、日本画家の上村松篁による胴掛です。
前掛けと合わせて、冬春秋を表す雪や花が描かれています。


857-29.jpg
そして、郭巨山が四条通を東へ通過していきます。
郭巨山の見送りは、約200年前のビロードを修復しています。


857-30.jpg
郭巨山に続いて、「鉾2番」の函谷鉾が登場です。
長刀鉾同様、こちらもくじ引きをせずに順番が固定されています。


857-31.jpg
函谷鉾に随行される町衆が、八坂神社お旅所の前に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


857-32.jpg
そのうち、函谷鉾が「四条寺町」交差点に入ってきました。
函谷鉾の「函谷」とは、中国の長安と洛陽の間の函谷関のことです。
そこ函谷関を鶏の鳴き真似で突破した「史記」のエピソードから、
函谷鉾が取材されています。


857-33.jpg
函谷鉾の上部を大写ししました。
祇園囃子を演奏される囃子方に混じって、
「嘉多丸」という稚児が同乗しています。
長刀鉾と異なり、函谷鉾の稚児は人間ではありません。
ただ祇園祭の稚児は名前の付いた人形が通常で、
生きた人間が同乗する長刀鉾はむしろ例外に属します。


857-34.jpg
函谷鉾が、八坂神社お旅所に近づいてきました。
囃子方が、祇園祭をゆっくり演奏されています。
16世紀にヨーロッパで製作されたタペストリーから、
この前掛が仕立てられています。
こちらは復元新調されたものですが、元の前掛は重要文化財です。



857-35.jpg
函谷鉾が近づいてきて、函谷鉾の左側を見ています。
胴掛は、李氏朝鮮、ムガル帝国(インド)、清(中国)製の絨毯を
約200年前の大工さんが上手く繋ぎ合わせたものです。


857-36.jpg
函谷鉾が、お旅所を通過して四条通を東に進みます。
……と思ったら、函谷鉾が突然停止しました。


857-37.jpg
突然函谷鉾が停止したので、函谷鉾の町衆も手持無沙汰です。
実はこの先にある「四条河原町」交差点で、
長刀鉾の辻回しが不調でした。
例年よりも、ずっと長い時間を掛けておられます。
そのため、山鉾巡行が渋滞してしまいました。


857-38.jpg
この時点で、2022年7月17日日曜日午前9時45分くらいです。
もう15分近く、この状態が続いています。
函谷鉾の町衆も、見物客も手持ち無沙汰ですね。


857-39.jpg
とうとう函谷鉾の祇園囃子が、中断されてしまいました。
函谷鉾の囃子方は、暫く座って待機されます。


857-40.jpg
すると函谷鉾の岡持ちから、町衆がペットボトルに入った
ミネラルウォーターや塩飴を
函谷鉾の引手の皆さんに配布されました。
この日は結構な炎天下で、熱中症がだいぶ気になっていました。
函谷鉾は停止から約30分で動き出しましたが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
ここからは次回ブログに掲載します。

~次回は、四条傘鉾の棒振り踊り中心に取材します~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第858回 四条傘鉾棒振踊り~祇園祭前祭山鉾巡行~その3

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

858-1.jpg
前回ブログから、「四条寺町」交差点の東側にいらっしゃる
八坂神社御旅所の前で、祇園祭山鉾巡行を見物しています。
取り敢えず「鉾2番」函谷鉾まで通り過ぎましたが、
「四条河原町」交差点での長刀鉾の辻回しの時間が掛かり、
山鉾巡行が渋滞しています。
今回は、山鉾巡行中に八坂神社御旅所へ奉納された
四条傘鉾の棒振り踊りを中心に掲載します。
撮影日は、2022年7月17日午前9時45分。
ようやく函谷鉾が、動き出しました。


858-2.jpg
八坂神社御旅所の前で、四条通を東に向いています。
実は、つい先ほどまで少しずつ北に進路を変える長刀鉾が
「四条河原町」交差点から見えていました。
ようやく長刀鉾の「辻回し」が終わり、
前回ブログで登場した各山鉾が「四条河原町」交差点へ向かいます。


858-3.jpg
函谷鉾が「四条河原町」交差点に向かうと、
後続の山鉾が次々と八坂神社御旅所の前にやって来ます。
まずは2022年度「山4番」の白楽天山ですね。


858-4.jpg
白楽天山が、近づいてきました。
白楽天山には、唐の3大詩人白楽天道林禅師の神像が並びます。
こちらは、白楽天と道林禅師による仏教教義への論戦を描いています。
結局この論戦は道林禅師が勝利したので、
個人的には「道林山」と呼んだ方がいいような気がしています。


858-5.jpg
白楽天山が八坂神社御旅所の前を通過する際、
山の左側を見せています。
白楽天山の胴掛と水引は、1978年購入のフランス製絨毯です。
確か古代ギリシャのトロイ戦争を描いています。


858-6.jpg
白楽天山に随行する町衆が、お旅所前に集結しています。
そして、こちらで八坂神社の宮司さんにお祓いをしてもらいます。


858-7.jpg
そして、こちらが白楽天山の見送りです。
中国は北京の万寿山を描いていますが、
日本人画家山鹿精華の作品です。


858-8.jpg
続いて、「傘鉾1番」の四条傘鉾の登場です。
傘鉾は他の鉾と形状が異なるので、別枠で数えます。


858-9.jpg
四条傘鉾に随行される町衆が、八坂神社御旅所に集結されます。
やはり、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


858-10.jpg
四条傘鉾はその形状の関係で、囃子方は歩いて随行されます。
さらに四条傘鉾には、他に踊り手が随行します。
踊り手は、八坂神社御旅所に棒振り踊りを奉納されます。
つまりここから、四条傘鉾による棒振り踊りが始まります。
2022年度にこの位置で取材するのは、
この踊りを撮影するのも目的の一つです。


858-11.jpg
四条通車道の北側に囃子方が並ばれて、
八坂神社御旅所の前には踊り手が整列されます。
目の前の囃子方が太鼓を叩かれると、
四条傘鉾による棒振り踊りの奉納が始まります。


858-12.jpg
囃子方が太鼓を叩かれると、続いて横笛が奏でられます。
すると先頭の踊り手がそれぞれの棒を交差させて、
そのまま棒を回転させながら東へ進まれます。
後続の踊り手は田楽装束で腰太鼓を叩きながら東へ進みます。
なお四条傘鉾の踊り手は、全員小学生男子で構成されます。


858-13.jpg
囃子方の祇園囃子が続く中で、
踊り手がさらに河原町通方面(東)へ進まれます。
もちろんただ歩行されるのではなく、
先頭は棒を回しながら、後続は太鼓を叩きながら
リズムを取って踊っています。


858-14.jpg
八坂神社御旅所の前を通り過ぎると、
四条傘鉾の踊り手は今度は西へと方向転換されます。
四条傘鉾の囃子方には、小型の銅鑼がありません。
ですから、他の祇園囃子と比べても牧歌的な曲調です。
つまり踊りのための楽曲であっても、テンポは遅いです。


858-15.jpg
四条傘鉾の踊り手は停止している四条傘鉾の前まで進むと、
また八坂神社御旅所の前を東に進まれます。
ここまでは、同じテンポで同じ振りが続きます。


858-16.jpg
先頭の踊り手が八坂神社御旅所の前に来られると、
背中合わせに並ばれました。
すると、囃子方が演奏される曲調が変わりました。


858-17.jpg
囃子方の曲調がだんだん速くなる中、
先頭の踊り手が持っていた棒を振り回されます。
この部分だけ、次々回ブログに出てくる
綾傘鉾の棒振り囃子に似ています。


858-18.jpg
続いて先頭の踊り手が西側に、後続の踊り手が東側に位置されます。
そして先頭の踊り手が棒を振り回される中、
後続の田楽装束の踊り手がその場でステップを踏まれます。


858-19.jpg
さらに先頭の踊り手が、八坂神社御旅所の中央に移動されました。
後続の踊り手は、同じ場所でステップを踏み続けます。
このステップの踏み方、太鼓を叩く動きは、「田楽」と似ています。
もしかすると、こちらの原型は田楽なのかもしれません。


858-20.jpg
先頭の踊り手が東へ移動して、八坂神社御旅所の東端で棒を振ります。
後続の踊り手は、その間も同じ場所でステップを踏まれます。


858-21.jpg
さらに後続の踊り手のステップが、激しくなります。
あちこちの方角に回転されていますが、
立ち位置は変わっていません。


858-22.jpg
囃子方の笛が響き終わると、祇園囃子が終了しました。
これで四条傘鉾による棒振り踊りは、奉納終了です。


858-23.jpg
棒振り踊りが終了すると、踊り手は四条通を東に進まれます。
すると四条傘鉾自体も、八坂神社御旅所前を通過します。


858-24.jpg
その後に、四条傘鉾の手荷物が続きます。
多分ですが、熱中症対策の飲み物などが入っています。
この日は昼頃雨が降りましたが、
午前中はかなりの炎天下でした。


858-25.jpg
四条傘鉾の棒振り踊りを見ているうちに、
次の「山5番」油天神山が「四条寺町」交差点に入ってきました。
下京区油小路綾小路下るにいらっしゃる火尊天満宮の社が、
そのまま「山」に祀られています。


858-26.jpg
油天神山に随行される町衆が、御旅所前に集結されました。
こちらも八坂神社の宮司さんが、お祓いをされます。


858-27.jpg
油天神山が八坂神社御旅所の前を通過し、
山の左側を見せています。
こちらの胴掛の紅梅図は、前田青頓が描いたものを
約20年前に修理復元したものです。


858-29.jpg
油天神山が、八坂神社御旅所の前を通過していきます。
油天神山の見送りは、梅原龍三郎の「朝陽図」です。
祇園祭の山鉾町で生まれ育った日本画家ですね。


858-30.jpg
続いて、「鉾3番」の月鉾が登場します。
こちらも、くじ引きを引かない順番が固定された鉾です。
そして、この月鉾までが前祭山鉾巡行の前半です。


858-31.jpg
月鉾に随行されていた町衆が、八坂神社御旅所の前に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けています。


858-32.jpg
こちらは、月鉾の上部を大写ししています。
屋根正面の破風は、左甚五郎の作品です。
月鉾は、祇園祭でも特に有名な山鉾です。
ですから、こちらは装飾品は特に豪華ですね。


858-33.jpg
先程の函谷鉾の「辻回し」の関係で、再び山鉾巡行が渋滞しています。
約15分の停止後、音頭方の扇子が前に差し出されました。
これで月鉾も、動き始めます。


858-34.jpg
再び、月鉾の上部を大写しします。
月鉾の稚児も、人形です。
こちらは、於菟麿(おとまろ)という名前です。
於菟麿と同乗するのは、約30人の囃子方です。


858-35.jpg
月鉾が、八坂神社御旅所の前にやって来ました。
月鉾の前掛、胴掛は、約300年前に
インドやトルコから輸入された絨毯を日本で仕立て直したものです。
ただ古くなって傷んだので、2000年~2011年に修理されました。


858-36.jpg
月鉾が八坂神社御旅所の前を通過して、左側を見せます。
胴掛のトルコ製絨毯の上に、円山応震による水引が伸びています。


858-37.jpg
また渋滞が起きていて、月鉾が停止しました。
約10分後に、音頭方が扇子を掲げて月鉾が前進します。


858-38.jpg
月鉾が、四条通を東に進みます。
月鉾の見送りは、染色家で画家の皆川月華の作品です。


858-39.jpg
月鉾に続いて、月鉾の手荷物が付いていきます。
この中には、やはり熱中症対策の飲み物が入っています。
渋滞で停止した間、月鉾の曳き手に飲み物が配布されました。


858-40.jpg
月鉾が通り過ぎた直後に、八坂神社御旅所の前から
四条通を西に向いています。
月鉾の通過で、山鉾巡行の前半が終了しました。
ここから、今までとほぼ同じ数の山鉾が巡行されます。
……ちょっと渋滞を起こしているので、
四条通の西側も巡行予定の山鉾が列を為しています。
ここから残り半分の山鉾巡行が続くのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、蟷螂山のからくりが動きます~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第859回 蟷螂山のからくり~祇園祭前祭山鉾巡行~その4

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

858-40.jpg
前回ブログの月鉾が通過した時点で、
2022年の祇園祭前祭山鉾巡行も、前半が終了しました。
ここから後半をブログ3回分使って連載します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前10時半。
3年前より、巡行に時間がかかっています。


859-1.jpg
ここで、「山6番」蟷螂山の登場です。
山の上部に牛車が乗っていて、さらにその上にかまきりが乗ります。
祇園祭前祭の中でも、特に人気のある山ですね。


859-2.jpg
蟷螂山の「蟷螂」を訓読みすると、「かまきり」です。
蟷螂山は、四条隆資の戦死後25年目(1376年)に
御所車にかまきりの人形を載せて市中を練り歩いたことが始まりです。
故事や物語でもなく、歴史的事件が由来なのは珍しいですね。


859-3.jpg
八坂神社御旅所の前に、蟷螂山が来ました。
するとかまきりが、八坂神社御旅所の方に向きました。
蟷螂山のかまきりはからくり人形で、
山の脇で町衆の一人が操っています。


859-4.jpg
突然、自分の脇にいらした50歳前後の女性が声を上げました。
「かまきりさ~ん、こっち向いて!」
かまきりの頭部がこちらを向いて、その女性に前足を振りました。
先述の通りかまきりを操る町衆が横にいらっしゃるので、
沿道の方々の呼び声に応えて、かまきりが動きます。


859-5.jpg
蟷螂山に随行されていた町衆が、御旅所前に集結されます。
八坂神社の宮司さんから、お祓いを受けています。


859-6.jpg
蟷螂山が、八坂神社御旅所の前まで来ました。
蟷螂山の前掛と胴掛は、羽田登喜の作品です。


859-7.jpg
蟷螂山が御旅所の前を通過する際、
かまきりの頭部と前足がずっと動いていました。
写真ではわかりにくいですが……


859-8.jpg
蟷螂山が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
すると、かまきりの背中の羽が広がりました。
かまきりのからくりは、頭と前足、羽が動きます。


859-9.jpg
そのとき「四条寺町」交差点に、山伏山が登場しました。
こちらは、2022年の「山7番」です。


859-10.jpg
……と思ったら、ここでまた渋滞です。
山伏山の町衆も、ちょっと休憩ですね。


859-11.jpg
山伏山に随行されている町衆が、御旅所に集結されます。
ここでも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けています。


859-12.jpg
山伏山が、八坂神社御旅所前に近づいてきました。
山伏山は、八坂の塔を念力で直した
浄蔵貴所という名の山伏をご神体とします。


859-13.jpg
御旅所の前に近づいた山伏山が、左側を見せています。
古くから山伏山の前掛、胴掛は、絹織物に刺繍したものを使用します。


859-14.jpg
山伏山が、八坂神社御旅所の前を通り過ぎました。
山伏山も、「四条河原町」交差点へと向かいます。


859-15.jpg
さらに「四条寺町」交差点を振り返ると、
2022年「山8番」霰天神山(あられてじんやま)の登場です。
霰天神山は、中京区錦小路室町西入天神町にいらっしゃる
霰天神の小さな社をそのまま上に載せた山です。
(霰天神の様子は、第848回ブログ参照)
前回ブログの油天神山など、そういう山が祇園祭には多いですね。


859-16.jpg
霰天神山が、八坂神社御旅所にやって来ました。
霰天神は古くからいらした町内の神社でしたが、
宝永の大火天明の大火だったと思うのですが、
近所まで火の手が迫ったとき
突然あられが降り出して鎮火したため
こちらの神社一帯は火災を免れました。
それ以来こちらは「霰天神」と改名されて、
天神社でありながら火災除けのご利益も追加されました。


848-37.jpg
こちらは、ウチのガスコンロ脇の壁です。
通常京都の台所の壁には愛宕神社のお札を貼るのですが、
ウチはここ数年霰天神のお札を貼り付けます。
こちらは、祇園祭前祭宵山中に霰天神山会所で手に入ります。


859-17.jpg
霰天神山に随行されていた町衆が、御旅所前に集結されます。
やはり八坂神社の宮司さんに、お祓いを受けます。


859-18.jpg
霰天神山が、自分の前を通過して山の左側を見せています。
こちらの胴掛は、上村松篁上村淳之親子の作品です。



859-19.jpg
霰天神山が御旅所を通過して、「四条河原町」交差点に向かいます。
霰天神山は前掛け胴掛も見事なのですが、
個人的には見送りの龍神図のイメージが強いですね。


859-20.jpg
続いては、「鉾5番」の鶏鉾です。
今までの鉾はくじを取らずに順番が初めから決まっていましたが、
この鶏鉾と菊水鉾は順番が決まっていないので、
毎年くじを引いています。


859-21.jpg
鶏鉾に随行される町衆が、御旅所の前に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


859-22.jpg
たくさんの曳き手を伴い、鶏鉾が近づいてきました。
実は、鶏鉾の由来を自分は知りません。
「古事記」に取材したという資料も多いのですが、
古代中国の故事に取材した説もあって、はっきりしません。


859-23.jpg
鶏鉾が、近づいてきました。
鉾の上がる稚児の人形には必ず名前があるのですが、
自分は鶏鉾の稚児の名前を知りません。
実は鶏鉾は、自分がいちばん詳しくない鉾です。


859-24.jpg
鶏鉾が、御旅所の前を通過します。
こちらの前掛、胴掛は近年新調されたものなので、
自分はどういったものかよく知りません。


859-25.jpg
鶏鉾が東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
鶏鉾の見送りは、17世紀のベルギー製タペストリーです。
元は、鯉山の見送りと同一のタペストリーでした。
ちなみに、どちらも重要文化財です。


859-26.jpg
八坂神社御旅所の前で、四条通を西に向いています。
続いて、2022年の「山9番」木賊山(とくさやま)の登場です。


859-27.jpg
八坂神社御旅所の前に、木賊山がやって来ました
……のですが、他の担ぎ山と比べて木賊山は位置が高い気がします。


859-28.jpg
こちらは、木賊山の上部です。
謡曲「木賊」を題材にしたご神体の翁ですね。
薬草でもある木賊を刈る翁が、さらわれた息子を探し続ける話です。
周囲には、本物の木賊が植えてありますね。
木賊は一見アスパラガスですが、シダ類の植物です。
古来から漢方薬の原料ですが、最近は観葉植物としてよく見ます。


859-29.jpg
木賊山の下部を見ています。
こちらは、木賊が模様になっていますね。


859-30.jpg
木賊山に随行されていた町衆が、御旅所前に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けます。


859-31.jpg
そこで「四条寺町」交差点に目を転じると、
もう次の山鉾がやって来ています。
こちらは、「傘鉾2番」の綾傘鉾ですね。
「綾小路沿いに立つ傘鉾」という意味です。
ここから綾傘鉾の「棒振り囃子」が始まりますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、綾笠鉾の「棒振り囃子」を取材します~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第860回 綾傘鉾の棒振囃子~祇園祭前祭山鉾巡行~その5

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

859-31.jpg
「四条寺町」交差点に、「傘鉾2番」綾傘鉾がやって来ました。
「四条」傘鉾に対して、綾小路沿いに立つ傘鉾ですね。
今回はこちらの棒振囃子が、
八坂神社御旅所に奉納されたのを取材します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前11時。
この時間帯は、炎天下の猛暑日でした。


860-2.jpg
綾笠鉾に随行されていた町衆が、御旅所前に来られました。
よく見ると、何人か小学生が連れられていますね。


860-3.jpg
綾傘鉾の町衆が、八坂神社御旅所で
八坂神社の宮司さんにお祓いを受けています。
町衆の皆さんが、拝礼されていますね。


860-4.jpg
「傘鉾」の形状の関係で、綾傘鉾の囃子手は歩いて移動されます。
綾笠鉾の囃子手さんは、小型の銅鑼、横笛、
太鼓と踊り手で構成されています。
では、ここから綾傘鉾による「棒振り囃子」が始まります。
祇園祭山鉾巡行中に八坂神社御旅所へ奉納するための踊りですが、
京都府福知山市にいらっしゃる大原神社に出張されるなど、
あちこちで公演されるほどの人気のある舞踏です。


860-5.jpg
綾傘鉾の囃子手さんたちが、八坂神社御旅所に登場されました。
そして、棒振囃子を始めるために配置に就かれます。


860-6.jpg
綾笠鉾の囃子手さんが、配置に就かれました。
頭の天頂部に仮面を着けられた方が、
2人1組で太鼓を叩かれます。
この太鼓で、棒振囃子が始まります。


860-7.jpg
棒振囃子演奏中に、八坂神社御旅所東側を撮りました。
こちらに、小型の銅鑼を演奏する囃子手さんが並ばれます。
写真はありませんが、西側には
横笛を演奏する囃子手さんが並ばれます。
後述しますが、この棒振囃子はかなり激しい踊りです。
ですから、綾傘鉾の祇園囃子は
通常の祇園囃子よりも速いテンポで、激しい踊りを支えています。


860-8.jpg
だんだんと踊り手さんが、長い棒を手で回し始められます。
仮面を着けられた2人組は、
太鼓を上下に振りながら太鼓を叩かれます。
こちらは、囃子手さんというより踊り手さんです。


860-9.jpg
写真では止まっていてそう見えますが、
棒を持つ踊り手さんが激しく棒を振り回されます。
仮面を着けた踊り手さんが頭の上に太鼓を固定されて、
速いテンポでバチを叩きつけておられます。
ちなみに、手前の踊り手さんは参加されておられません。
こちらは激しい踊りですので、
この後場所を移されて御池通で棒振囃子を再演されるとき、
棒を持つ踊り手さんが交代されます。


860-10.jpg
今度は太鼓を下に置かれて、激しく演奏されています。
棒を持つ踊り手さんが、見栄を切られていますね。


860-11.jpg
棒を持つ踊り手さんが、再び長い棒を振り回し始めます。
棒振囃子では、この棒回しがいちばん特徴的です。


860-12.jpg
先程の踊り手さんが、さらに激しく棒を振り回されています。
ただ、手前の太鼓を叩かれる2人組も激しく踊ります。
そのため、棒を持つ踊り手さんがだんだん写真に写らなくなりました。


860-13.jpg
とは言え、すぐに2人組の太鼓奏者が座られます。
すると、棒を持つ踊り手さんをまた写せるようになりました。
その棒を持つ踊り手さんは、こちらを向いて棒を振り回されます。


860-14.jpg
さらに棒振囃子は、激しくなります。
太鼓を叩かれる2人組は、太鼓を上下に振りながら演奏を続けます。
棒を待つ踊り手さんも、棒を振り回す速度をさらに上げられます。


860-15.jpg
そして、突然祇園囃子が鳴り止みました。
太鼓を叩かれていた2人組も、棒を持つ踊り手さんも、
急に動きを止められました。
これで、綾傘鉾の棒振囃子は終了です。
この直後囃子手さんたちと踊り手さんは、
「四条河原町」交差点へと歩いていかれました。


860-16.jpg
すると、綾傘鉾も東に進みます。
綾傘鉾は、祇園祭初期(約1000年前)の状態を残す鉾です。
祇園祭に本格的に山鉾が参加するのは室町時代以降で、
それ以前は鷺の装束の踊り手や花笠を手に持つ踊り手が主力でした。
さらに、このような大きな傘が市街地を練り歩かれました。
大きな傘自体が「傘鉾」の全体で、こちらを曳き手さんが曳かれます。
ちなみに綾傘鉾が2基並ぶのは、
こちらを再興した際に寄付金が多く集まったのが理由です。


860-17.jpg
その時点で「四条寺町」交差点を見ると、
2022年の「山10番」占出山がやって来ました。
こちらも、人気の山ですね。


860-18.jpg
こちらが、占出山の上部です。
ご神体の神功皇后像の左脇には、三条宗近作の小太刀を差します。
三条宗近は平安時代の刀鍛冶で、時代が古い分作品が残っていません。
ですから、この小太刀は国宝です。


860-19.jpg
占出山は朝鮮半島にあった新羅との戦争前に、
神功皇后がアユ釣りで戦争を占った故事にちなんで「山」にしました。
ですから、「鮎」と「神功皇后」がこの山の象徴です。
この山の水引には三十六歌仙が描かれており、
前掛と胴掛には日本三景が描かれています。
前掛が宮島、左の胴掛が松島ですね。


860-20.jpg
占出山に随行される町衆が、八坂神社お旅所前に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんにお祓いを受けます。


860-21.jpg
占出山が、御旅所から「四条河原町」交差点へ向かいます。
占出山の見送りは近年修復新調されたものなので、
結構新しいですね。


860-22.jpg
その時点で「四条寺町」交差点へと向くと、
2022年の「鉾5番」菊水鉾が現れました。
鉾の大半はくじ引きを引かない固定した順番ですが、
前祭では前回ブログに登場した鶏鉾と
この菊水鉾は順番を決めるくじを引きます。


860-23.jpg
菊水鉾に随行されていた町衆が、御旅所に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


860-24.jpg
菊水鉾が、自分の目の前で急に停止しました。
また渋滞が起きているようです。
今回は、約10分停止していました。


860-25.jpg
先程の写真から、約10分経ちました。
ここで、菊水鉾が動き始めます。

かつて中京区室町通四条上がる菊水鉾町に、
「菊水井」と呼ばれた井戸がありました。
今はもう涸れているのですが、
この「菊水井」をモチーフにこの菊水鉾が作られました。
ただこの井戸は1864年のどんどん焼けで焼失したのですが、
1952年に再興されました。
とは言え、祇園祭の山鉾はどんどん焼けで焼失して
その後再興されたものが多いですね。
ですから装飾品は江戸時代以前のものが多いですが、
それ以外は明治時代以降に再建されたものが多いです。


860-26.jpg
菊水鉾が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点を目指します。
菊水鉾の装飾品は、大半が1955年~1975年に新調されたものです。
ですから、比較的新しいものが多いですね。


860-27.jpg
続いて、2022年の「山11番」芦刈山の登場です。
一度離縁した夫婦が年老いてから再婚する
一種の恋愛譚から取材しています。
ちなみに、主人公の老人が芦刈を職業にしていました。


860-28.jpg
こちらが、芦刈山です。
ご神体の老人の周囲に、芦の造花が差されています。
自分の芦刈山へのイメージは、
山口華陽が描いた獅子の前掛けです。


860-29.jpg
芦刈山が、自分の目の前に現れて左側を見せています。
芦刈山の胴掛は、尾形光琳の燕子花図を原画にしています。


860-30.jpg
芦刈山がさらに東に向かい、去っていきます。
芦刈山の見送りの「鶴図」も、山口華陽の作品です。


860-31.jpg
芦刈山に随行された町衆が、八坂神社御旅所に集結されました。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


860-32.jpg
続いて、2022年「山12番」伯牙山の登場です。
重要文化財杉本家邸宅が、この伯牙山の会所です。
(杉本家邸宅の詳細は、第853回ブログ参照)


860-33.jpg
伯牙山が、八坂神社御旅所前にやって来ました。
伯牙山の装飾品は国産が多いのですが、
すべて中国をイメージしたものに統一されています。
(中には中国製のものもあります)


860-34.jpg
伯牙山が、自分の目の前にやって来ました。
伯牙山は、古代中国の箏の名手伯牙が
親友の死を悲しみ愛用の箏を斧で叩き割る話
歌謡の「伯牙」から取材されています。
苦悶の表情を浮かべた伯牙が、
愛用の箏を前に斧を持つ姿で山の上に立っています。


860-35.jpg
伯牙山が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かわれます。
ご神体の伯牙像を写すのに気を取られて、
伯牙山に随行される町衆を撮れませんでした。
ですから、参拝されている姿はブログには載りません。


860-36.jpg
すると、その直後に2022年「山13番」太子山が登場しました。
この太子山が、祇園祭前祭山鉾巡行で最後尾の担ぎ山です。


860-37.jpg
太子山に随行されていた町衆が、八坂神社御旅所に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


860-38.jpg
……と、ここでまた渋滞による山鉾の停止です。
今回も、約10分立ち止まっておられました。
こちらは、太子山の荷茶屋(にないちゃや)です。
この角度なら、荷茶屋の中が見えますね。
ちなみに、この瞬間祇園祭のボランティアが
各山鉾の町衆や曳き手に冷水と塩飴を配布されていました。
この時点で、地面の影が色濃くなってきました。
気温、日差しとも、だんだん厳しくなっています。


860-39.jpg
太子山が、御旅所の前を通過します。
こちらは、少年時代の聖徳太子を取材した山です。
元々こちらの装飾品はインド製の絨毯を使用されていましたが、
2018年にベトナムに特注してこちらの装飾品を新調しました。
(太子山の詳細は、第582回ブログ参照)


860-40.jpg
太子山が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
これで残るは、くじを取らない順番が固定された山鉾が3基です。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回で、2022年祇園祭前祭山鉾巡行の連載が終了です~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第861回 そして、船鉾巡行~祇園祭前祭山鉾巡行~その6

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

861-1.jpg
第856回ブログから続いた2022年祇園祭前祭山鉾巡行も、
残すはくじを取らない順番固定の3基のみです。
今回はこの3基を見物した後、帰宅します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午前11時半。
この日は、この時間帯がいちばん猛暑でした。


861-2.jpg
今回ブログ最初の山鉾は、「鉾6番」の放下鉾です。
くじを取らない順番固定の鉾で、この形状の鉾の最後尾です。
稚児人形の三光丸が派手に踊っていますが、
こちらは芸事全般のご利益がある鉾です。


861-3.jpg
放下鉾が、「四条寺町」交差点に近づいてきました。
放下鉾自体は曳き始めてすぐなのですが、
曳き手の皆さんがだいぶお疲れのようです。
2022年7月17日の京都市街地は、
この時点で35度を超えていました。
(最高気温は、人間の体温を超えました)
御池通経由で鉾町まで曳く上に、
放下鉾はあと3回辻回しがあります。
曳き手の皆さんは、本当に大変です。


861-4.jpg
放下鉾が、八坂神社御旅所前にやって来ました。
放下鉾の「放下」とは、大道芸の一種です。
鎌倉時代以降は、この放下を主に旅の僧侶が行いました。
そちらを「放下僧」というのですが、
放下鉾のご神体は、その放下僧の神像です。


861-5.jpg
……と思ったら、ここでまたまた山鉾の渋滞です。
放下鉾はいったん停止しますが、
約5分後音頭方の扇子が前進を指し示しました。


861-6.jpg
放下鉾が、八坂神社御旅所の前を通過します。
こちらの胴掛は、ペルシャ絨毯ですね。


861-7.jpg
放下鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点を目指します。
放下鉾の見送りは、イスラム寺院と白いフクロウですね。
ある意味、こちらが放下鉾の象徴です。

……と暢気に書いていたら、放下鉾の町衆が
八坂神社御旅所に参拝された写真を撮り忘れたことに、
たった今気づきました。


861-8.jpg
続いては、岩戸山の登場です。
くじを取らない順番固定の山で、
祇園祭前祭山鉾巡行唯一の曳山です。


861-9.jpg
岩戸山に随行された町衆が、八坂神社御旅所の前に集結されます。
八坂神社の宮司さんから、お祓いを受けていますね。


861-10.jpg
先述の通り、岩戸山は祇園祭前祭唯一の曳山です。
槍の一種である鉾が天頂部に付かず、
「山」であることを表す松の神木が立ちますが、
車輪がついており「辻回し」をすることが可能です。


861-11.jpg
岩戸山は、古事記や日本書紀の「天岩戸」伝説に取材した山です。
素戔嗚尊の暴虐に耐えかねた天照大神が、
天岩戸に逃れて隠れられたお話です。
結局他の神々の説得で天岩戸から外に出た天照大神は、
素戔嗚尊を高天原から追放しました。
素戔嗚尊は、この「天岩戸」伝説までは死神で疫病神です。
(この直後から、一転英雄となるのですが……)
疫病をばら撒く疫病神に勝利する伝説に取材したこの山を
山鉾巡行のこの位置に置いたことは、呪術的意味があると思います。


861-12.jpg
岩戸山が、八坂神社御旅所の前を通過します。
こちらの胴掛は、インド産の絨毯です。
この角度なら、今尾景年が描いた庇の絵もよく見えます。


409-34.jpg
この時点で、岩戸山の見送りを撮ってないことに気付きました。
そこで、2016年7月17日の写真を貼り付けます。
この時は御池通で撮影していたので、西へ進んでいます。
岩戸山の見送りは他にイタリアのベネチア市街を描いたものがあり、
そちらと交互に取り付けられます。
2022年は、たぶんこちらの方だったと思います。
(2016年前祭山鉾巡行の詳細は、第409回ブログ参照)


861-13.jpg
そして2022年祇園祭前祭山鉾巡行の殿(しんがり)は、
くじ引きを引かない順番固定の船鉾です。
独特の形状なので、「船鉾」という種類に分類されます。


861-14.jpg
船鉾に随行された町衆が、八坂神社御旅所に集結されます。
こちらも、八坂神社の宮司さんからお祓いを受けます。


861-15.jpg
船鉾が、「四条寺町」交差点から、四条通を東に向かいます。
船鉾というだけに、完全に船の形をした鉾ですね。


861-16.jpg
船鉾が、八坂神社御旅所にやって来ました。
舳先(完全に船形ですので、そう呼びます)の鷁が、勇壮ですね。
鷁(げき)とは、中国にいるとされた空想上の水鳥です。


861-17.jpg
さらにまた山鉾巡行が渋滞して、船鉾が自分の目の前で停止しました。
そこで、船鉾の左側を撮影しました。

船鉾は、神功皇后が朝鮮半島に攻め込んだ船を模りました。
さらにこの船自体も神格化されて、天鳥船とも呼ばれています。
「疫病退散」を象徴する岩戸山に続いて、
「勝利」を象徴する船鉾で前祭山鉾巡行を終わらせるのは、
疫病に打ち克つ願いが込められているからでしょうね。


861-18.jpg
今回の渋滞も、約5分で解消されました。
船鉾の音頭方が扇子を前に差し出すと、船鉾が再び前進しました。


861-19.jpg
船鉾が前進したので、後半分を撮影しました。
横縞の胴掛、黒漆塗りの舵が、船鉾の象徴ですね。
黒漆塗りの舵の真上に祠がありますが、
そちらにご神体の神功皇后の神像がいらっしゃいます。


861-20.jpg
船鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
これで、祇園祭前祭のすべての山鉾が自分の前を通過しました。


861-21.jpg
……と言いたいところでしたが、ここで何度目かの渋滞です。
祇園祭前祭山鉾巡行の最後の3基は、すべて辻回しを行います。
この辻回しは、どんなに急いでも約20分は掛かります。
しかもこの日は数年ぶりの辻回しのせいか、
どの鉾も平均で30分くらい掛かってしまいました。
この時点で放下鉾が辻回しをしていますが、
ここから河原町通を北上するまで約20分掛かりました。


861-22.jpg
「四条寺町」交差点付近に、八坂神社の神職さんと
制服姿の警察官が集まってます。
この時点から、四条通に一般車両が通れるように準備が始まります。


861-23.jpg
とは言え「四条河原町」交差点ではまだ放下鉾の辻回しが続いており、
岩戸山と船鉾はその様子を見物している段階です。
それでも、「四条寺町」交差点以西の四条通と
八坂神社御旅所は後片付けを始めます。


861-24.jpg
まずは、この紅白の横断幕を八坂神社の神職さんが取り外されます。
手際よく、素早く作業されていました。


861-25.jpg
その脇を警察車両と祇園祭の関係者を載せた自動車が通過します。
その後ろは、交通警察の車両です。


861-26.jpg
警察車両が八坂神社御旅所の前を通過するころには、
紅白の横断幕は片付けられていました。
次の段階のテントの撤去に入っておられますね。
なみにその横断幕を支えてたポールですが、
すべて簡単に四条通の歩道に収納できる仕組みです。


861-27.jpg
四条通のアーケードの上に収納された信号機を
交通警察の車両が元の位置に戻しています。
四条通の信号機はもともとこういう仕様なので、
信号機1基にかかる時間は5分未満です。
通常なら毎年祇園祭の山鉾巡行が行われるので、
四条通には準備と後片付けを簡素化できるよう
様々な仕掛けがあります。


861-28.jpg
では、そろそろ自分も八坂神社御旅所前を移動します。
取り敢えずは、四条通を東に進みます。
この時点でも放下鉾の辻回しの途中で、
岩戸山と船鉾が停止しています。


861-29.jpg
八坂神社御旅所前から、四条通を約50m東に進みました。
この時点で、2022年7月17日日曜日午前11時53分です。
多分ですが、通常より約1時間遅れています。
ではこちらの6番口から阪急電車に乗って、
地下鉄に乗り換えて帰宅します。

……と言う設定で、本当は四条通南側歩道沿いの
モスバーガーで昼食を摂ってから帰宅しました。
自分がモスバーガーを出た時点で、
まだ船鉾は「四条河原町」交差点に入れませんでした。
いずれにしても、これで2022年祇園祭前祭山鉾巡行編は終了です。

~次回から、祇園祭前祭神輿巡行編が始まります~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第862回 「祇園」交差点で~2022祇園祭神輿巡行~その1

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。


前回ブログで、2022年祇園祭前祭山鉾巡行の
連載記事が一段落しました。
ところが、祇園祭前祭はまだまだ続きます。
山鉾巡行で厄払いを終えた京都市街地に、
今度は八坂神社のご神体が神輿に載られて巡行されます。
山鉾巡行よりも観光客が少なかった神輿巡行でしたが、
最近はこちらにも観光客が集まるようになりました。


862-1.jpg
京都駅北側市バスターミナルから、七条通→東大路経由で約25分。
正直渋滞を覚悟していたのですが、結構早く着きました。
こちらは、北行きの「祇園」バス停です。
前回ブログから帰宅後約1時間デジタルカメラに充電して、
急いでこちらに来ました。
自分が乗っていた市バスからたくさんの方々が降車されますが、
全員目的は同じでしょう。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午後3時半。
少し前に雨が降ったので、先程よりは気温が下がっています。


862-2.jpg
こちらが、自分が乗ってきた86系市バスです。
梅小路公園→京都駅→祇園→岡崎公園→四条京阪という
かなり変わった路線を進む市バスです。
観光地が多いので、需要はありそうですが……


862-3.jpg
北行きの「祇園」バス停前に、吉本祇園花月が建ちます。
吉本興業所有の寄席ですが、元々は祇園会館でした。
ですから、現在も北部祇園の歌舞練場でもあります。


862-4.jpg
ほかの方同様、自分も北行き「祇園」バス停から東大路を南下します。
第840回ブログと同じコースですが、周囲の人の数が違います。


862-5.jpg
北行き「祇園」バス停から、東大路を約100m南下しました。
ここで、東大路から西に四条通が伸びています。
こちらが、今回ブログのメイン「祇園」交差点です。
(通称「祇園石段下」です)


862-6.jpg
「祇園」交差点北西角から、南に向いています。
横断歩道前にたくさんの方々がいらっしゃいますが、
ほとんどの方が横断歩道を渡られません。
実は、皆さんこの交差点自体が目的地だからです。
ちなみに八坂神社境内(舞殿付近)では、
この段階で祇園祭の神事が行われております。
第410回ブログ第411回ブログに詳しく載せましたが、
そちらの取材を終えて「祇園」交差点に向かっても、
人が多すぎてこちらに立ち入ることができませんでした。
ですから、今回は「祇園」交差点のみの取材です。


862-7.jpg
「祇園」交差点北西角をうろうろしています。
おそらく東大路沿いよりも四条通沿いの方がいい写真が撮れるので、
あちらに見える横断歩道の前まで移動します。


862-8.jpg
こちらが、2022年7月17日日曜日午後3時半段階での
八坂神社西楼門付近の様子です。
本当はあの石段辺りが最高の特等席なのですが、
もうすでに満席です。
あちらに座るには前回ブログ終了後、
その足で四条通を東に進まないと間に合いません。
それが、ちょっと辛かったもので……


862-9.jpg
先程の横断歩道の前に着き、四条通を西に向いています。
東大路も四条通も、この段階では交通規制が掛かっていません。


862-10.jpg
先程の写真を撮った位置で、今度は四条通を東に向きました。
これが、ここからのブログ取材の拠点です。

交通規制はまだなのですが、車道を歩く歩行者がいらっしゃいます。
法被の紋章が、横3本線の三角形です。
JR嵯峨野線「二条」駅付近の三条会商店街付近を拠点とする
「三若会」に属された方のようです。
お一人だけですので、大半の方々は到着済みでしょう。
「三若会」は祇園祭発祥以来神輿を担がれた方々の子孫で、
約300年前に江戸府の許可を得て
「三若会」と名乗られました。
現在は八坂神社ご祭神の素戔嗚尊のご神体を載せる
中御座という神輿を専門に担がれています。


862-11.jpg
続いて、四条通の真ん中をリアカーが東へと進んでいきます。
「三若会」とは別の紋章が付いた法被を着こんでいらっしゃいますね。


862-12.jpg
その方々を大写しにしました。
横四本線を背景に「若」の紋章が、法被についています。
こちらは、「四若会」の方々ですね。


862-13.jpg
リアカーに載る籐籠にも、「四若組」と書かれています。
「四若組」と「四若会」は、同一団体です。


862-14.jpg
四若会の方々が曳いておられるリアカーは、
他の自動車を一緒に「祇園」交差点を右折され、
東大路を南下されました。


862-15.jpg
そこから、少し時間が経ちました。
この時点で、2022年7月17日日曜日午後4時です。
四若会の方が「祇園」交差点の中央に立たれて、
交通整理を始められました。
まだ信号機は機能しているのですが、これには事情があります。


862-16.jpg
四条通を西から東へ、法被を着た大集団がやって来ました。
四若会が、大挙しての登場です。
(三若会は、自分が到着する前にここを通過されました)


862-17.jpg
翻る紫紺の旗には、「東御座 四若神輿會」と書かれています。
四若会は、東山区祇園地区最北端三条通以南の住民で
組織された団体です。
(第70回ブログの大将軍神社付近の住民です)
八坂神社のご祭神の一柱奇稲田姫のご神体を載せた神輿
東御座の担ぎ手を務められる方々ですね。


862-18.jpg
旗頭の方に続いて、四若会の方々が近づいて来られました。
襷(たすき)を掛けられておられるのは、四若会幹部の方々です。
ちなみに、四若会はこれで全員ではありません。
東御座を担がれる方は、100名以上いらっしゃいます。
祇園祭のお御輿は相当重量で、一度に約30名で担ぎます。
しかも約50mで、担ぎ手が替わります。
これを何㎞も継続するわけですから、
相当数の交代要員が必要です。


862-19.jpg
四若会の大集団が、「祇園」交差点を通過されます。
この間、自動車は物理的に通れません。
先程の交通整理は、この辺の事情からのものです。


862-20.jpg
四若会の皆さんが「祇園」交差点を右折し、東大路を南下されます。
「あれ?石段から、八坂神社に入らないの?」
周囲にそうおっしゃる方もいらっしゃいましたが、
八坂神社の正門は目の前の西楼門ではありません。
そもそもガードレールが邪魔で、そちらには進めません。


862-21.jpg
四若会の大集団が、「祇園」交差点から東大路を南下されています。
この写真をよく見ると、餃子の王将 祇園八坂店の南側に
東へ進む急な上り坂があります。
四若会の大集団はその道を東に進み、
八坂神社南楼門から境内に入られました。


862-22.jpg
さらに時間が経ち、2022年7月17日日曜日午後4時20分です。
さらに、別の法被を着ておられる方々が登場されました。
その法被には、「西御座 錦市場」と書かれています。


862-23.jpg
さらに、「錦」と書かれた提灯が続きます。
こちらは、錦神輿会の皆さんです。
文字通り錦市場の各店主による団体で、
八坂神社のご祭神の一柱八柱御子神のご神体を載せる神輿
西御座を担がれます。
八柱御子神とは、素戔嗚尊の8柱の子の総称です。
お気づきの方も多いでしょうが、
神輿巡行は山鉾町と全然違う地域の氏子が取り仕切ります。


862-24.jpg
錦神輿会の皆さんは車道ではなく歩道に上がられると、
そのまま雑踏の中に紛れて進まれました。
そのまま横断歩道を渡って、西楼門から八坂神社に向かわれました。
錦神輿会の皆さんは大集団を形成されない代わりに、
ここから約90分にわたって徐々に八坂神社に入っていかれました。


862-25.jpg
ここで、少し時計を回します。
その間錦神輿会に限らず、三若会、四若会の方々も
5人前後の集団を作り八坂神社に入っていかれました。

この時点で、2022年7月17日日曜日午後5時20分です。
四条通を西から東へ進む集団が、登場します。


862-26.jpg
先頭の幟には、「豊園泉正寺榊」と書かれています。
「豊園」とは、浄土真宗佛光寺派本山佛光寺に近い
京都市立洛央小学校(旧京都市立豊園小学校)の学区を指します。
泉正寺はその学区内にあった寺院で、今は廃寺となりました。


862-27.jpg
たくさんの方々が随行されて運ばれているのが、この榊です。
こちらは、祇園祭のお御輿のうち中御座に奉納されます。
元々はお御輿3基すべてにそれぞれ奉納される榊が存在したのですが、
だんだん廃れていって現在はこの1基のみとなりました。


862-28.jpg
豊園泉正寺榊が、だんだん近づいてまいりました。
こちらは毎年7月16日に組み立てられ、
翌7月17日の夕方にここまで運ばれます。


862--29.jpg
豊園泉正寺榊を大写しにしました。
元々は泉正寺境内で組み立てられていたのですが、
泉正寺廃寺後は京都市立洛央小学校の校内で組み立てられます。
また近年学区内の人口減少に伴い、
京都市立洛央小学校の学区外の方々の協力も仰いでおられます。


862-30.jpg
豊園泉正寺榊が、「祇園」交差点に入ってきました。
「祇園」交差点には、たくさんの制服警官が立っておられます。
この時点(2022年7月17日日曜日午後5時20分)から、
「祇園」交差点で一般車両が徐々に交通規制を受けました。
(自転車なども、制服警官に制止されていました)


862-31.jpg
豊園泉正寺榊が「祇園」交差点を右折して、
東大路を南下されています。
豊園泉正寺榊はお御輿ではありませんが、
この後の神輿巡行では3基のお御輿より前に立ち、
そのまま一緒に巡行されます。
もう少ししたらお目当ての神輿巡行が始まるのですが、
だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回から、八坂神社のお御輿が登場します~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第863回 宮本組神宝奉持行列~祇園祭前祭神輿巡行~その2

「京の店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

863-2.jpg
前回ブログ最後の写真から、約10分経ちました。
三若会の方々が樽を肩に載せ、車道に飛び出されます。
今回は、間もなく始まる八坂神社神幸祭巡行の先頭部分を紹介します。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午後5時半。
取材ポイントが多すぎて、今回は中御座まで辿り着けませんでした。


863-3.jpg
樽を運ばれた三若会の方々は、四条通南側歩道に移られました。
ちょうど漢字ミュージアムの辺りですね。


863-4.jpg
三若会の方々が、その樽をテーブルの上に載せられました。
……のですが、実は今回の取材でこの樽はもう出てきません。
ですから、結局この樽の使い途は分かりませんでした。


863-5.jpg
その瞬間、東大路から四条通を西に向きました。
もう自動車が、1台も通過していません。
これで、四条通は鴨川も越えて烏丸通まで
約1500mに渡って通行止めです。


863-6.jpg
今度は東を向いて、「祇園」交差点を見ています。
東大路も、自動車が1台も通っていません。
これで、ここをお御輿が通過する準備が整いました。


863-7.jpg
さらに、約20分経ちました。
この時点で、2022年7月17日日曜日午後5時50分です。
「祇園」交差点に、各新聞社の報道カメラマンが集結されます。
山鉾巡行と異なり、神輿巡行にはTV中継はありません。


863-8.jpg
そして、2022年7月17日日曜日午後5時55分。
「祇園」交差点に、大きな太鼓の音色が響きました。
八坂神社神幸祭の境内での神事が終わり、八坂神社南楼門を出て
餃子の王将 祇園八坂店の前で東大路を北上して、
こちらの太鼓が「祇園」交差点まで到達しました。
この音色で、「祇園」交差点での八坂神社神幸祭が始まります。
つまり、ここからが祇園祭前祭神輿巡行です。


863-9.jpg
その大太鼓を大写しにしました。
ここからが見えにくいですが、太鼓の裏に男性がいらして
この方が太鼓を鳴らしておられます。


863-10.jpg
続いて、白地の幟が行進します。
こちらには、「清々講社 宮本組」と書かれていました。

清々講社とは、山鉾やお御輿には直接関わらず
八坂神社や祇園祭の様々な神事に携わる方々です。
江戸時代以前は寄町制度があって、
そちらが同じ仕事をしていたのですが、
明治時代に入り寄町制度が廃止され清々講社が誕生しました。

その清々講社の筆頭格が、宮本組です。
「宮」の「本」、つまり八坂神社周辺住民による組織で、
その多くが先祖代々八坂神社に仕えて来られた方々です。


863-11.jpg
東大路を北上していた大太鼓が、「祇園」交差点に入ってきました。
そして八坂神社西楼門の前で、進路を西に変えました。


863-12.jpg
今度は大太鼓が、四条通を西に進みます。
この角度なら、太鼓を叩かれる方もよく写ります。


863-13.jpg
ところが大太鼓の次に四条通を西に進むのは、
白ではなく紫紺の幟です。
こちらの一団が、清々講社宮本組より先行します。


863-14.jpg
紫紺の幟には、「豊園泉正寺榊」と書かれています。
前回ブログに出てきた榊の山車が、ここで登場です。


863-15.jpg
「豊園」とは、下京区の豊園地区のことです。
地下鉄「四条」駅に近い、浄土真宗佛光寺派本山佛光寺脇の
京都市立洛央小学校の建つ場所です。
この行列も、その豊園地区の住民が参加されています。


863-16.jpg
「祇園」交差点から、豊園泉正寺榊が四条通を西に進みます。
こちらは、先頭を進むお御輿「中御座」に奉納された榊です。
中御座に先行して、八坂神社から約1㎞西にいらっしゃる
八坂神社御旅所まで巡行して、その後そちらに捧げられます。
要するに、自分が2022年祇園祭前祭山鉾巡行を
ずっと眺めていた場所です。


863-17.jpg
豊園泉正寺榊を大写ししました。
こちらは元々豊園地区内の泉正寺で作られていましたが、
その泉正寺廃寺後は京都市立洛央小学校内で
下京区豊園地区の住民によって作られています。


863-18.jpg
そして、いよいよ清々講社 宮本組の白い幟が続きます。
その後続の方々も、清々講社宮本組に属されています。
つまり、ここからが清々講社宮本組による神宝奉持行列です。
八坂神社の神宝が、八坂神社御旅所まで約1㎞移動します。


863-19.jpg
白い幟の次は、「宮本組」書かれた提灯が続きます。
八坂神社の神宝は、普段から維持管理されている宮本組しか
触れることが許されていません。
そのため祭事で神宝を持ち出すなら、
必ず清々講社宮本組が神宝を抱えて行列を組みます。


863-20.jpg
ただ、その先頭は円融天皇による勅板です。
つまり、円融天皇からの勅令が書かれた板ですね。
869年に祇園御霊会が発祥しましたが、
これを毎年の恒例行事としたのは970年の円融天皇の勅令からです。
この紅い袋の中に、勅令が書かれた石板が入っています。
(実は毎年、右京区宇多野福王子町に鎮座される
円融天皇陵から宮本組が持ち出されています)


863-21.jpg
勅板の後続は、武具型の神宝が行進されます。
武具型の神宝は、3つで1組です。
手前が矛で、後列が菊花紋の楯です。
日本の武士は通常楯を使用しませんが、
古代になると日本人の武人も楯を使っていました。


863-22.jpg
さらに、弓も3本続きます。
背後の黒い神宝は、矢束だと思います。
これらの神宝を宮本組の誰が持つかは、
毎年くじで決めているそうです。


863-23.jpg
……と、ここでちょっと停止です。
先頭より後続が速いので、渋滞のようです。
ちなみに矢束の後に続く神宝は、剣のようですね。


863-24.jpg
そして、大きな箏が一艘続きます。
確かに箏は1艘のみですが、神宝でも最大で最重量です。
ですから、こちらの運搬される交代要員が他の神宝より多いですね。


863-25.jpg
そして、こちらが神宝奉持行列の最後尾です?
こちらは……何でしょうね。
いろいろ調べたのですが、よく分かりません。
形状から、ご神体をお運びする際に使われる神具ですが……


863-26.jpg
そして、このリアカーで清々講社宮本組の神宝奉持行列が終わります。
ただ、神輿巡行行列はまだまだ続きます。
そもそもお御輿は、この後から登場します。


863-27.jpg
リアカーの背後に、新たな紫紺の幟が立ちます。
角度的に分かりにくいですが、「国中神社」と書かれています。
久世綾戸国中神社は、京都市南区久世地区にいらっしゃいます。


863-28.jpg
その幟の後ろから、1頭の白馬が追従します。
こちらは、久世綾戸国中神社から来られた久世駒形稚児です。


863-29.jpg
久世駒形稚児は、中御座の先触れとして中御座を先導します。
……のはずですが、馬上にそのお稚児さんがいらっしゃいません。
代わりに、鞍の上に稚児の冠だけが置かれています。
2022年はコロナ禍の「第7波」の途中ということで、
祇園祭のこまごまとした行事のいくつかが中止になったり、
簡略化されたりしています。
(そもそも、この神輿巡行も結団式が中止になりましたし)


863-30.jpg
久世駒形稚児が「祇園」交差点を通過した直後、
東大路を南側から、こちらの旗が北上してきました。
「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
大きな鈴の音が鳴り響きます。
旗の文字から、こちらが三若会の大集団であることが分かります。
つまり、八坂神社の主神素戔嗚尊のご神体を載せたお御輿
中御座が「祇園」交差点に登場します。

ですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
今回ブログは、ここまでです。

~次回は、中御座、東御座、西御座の順で、
八坂神社のお御輿が「祇園」交差点に登場します。
飛んだり、跳ねたり、回ったり、まぁ忙しかったです~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第864回 中御座 東御座~祇園祭前祭神輿巡行~その3

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

863-30.jpg
前回ブログで先導行列を紹介して、
いよいよ中御座三若神輿会の登場です。
「三若」と書かれた紫紺の旗が翻り、
その後ろを日の丸の付いた扇子を手に、
「ほいっと ほいっと」と叫ぶ法被姿の方々が途切れません。
今回は、3基のお御輿のうち
中御座と東御座が「祇園」交差点に入ってきた模様を載せます。
撮影日は、2022年7月17日日曜日午後6時15分。
結団式は中止ですが、そこはそれです。


864-1.jpg
すると、「三若」と書かれた対の提灯が紫紺の旗を追い抜きます。
「祇園」交差点には、この提灯が先行します。


864-2.jpg
その直後三若会の方々に囲まれて、大きなお御輿が登場します。
こちらは、八坂神社の主神素戔嗚尊のご神体を載せた中御座です。
すると「祇園」交差点周辺の歩道にいらした方々が、
「ほいっと ほいっと」との声を担ぎ手と一緒に唱和します。

ちなみに京都ではお神輿を担ぐとき、
「ほいっと ほいっと」と声を上げます。
松尾祭でも、同じですね。


864-3.jpg
「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
中御座が東大路を北上しています。
中御座は八坂神社西楼門の前まで来ると、その場で停止されました。


864-4.jpg
すると三若会の担ぎ手さんは、中御座を頭上に持ち上げられました。
沿道の観衆からは、拍手と歓声が上がります。


864-5.jpg
そこで「ほいっと ほいっと」の掛け声が、
「まわ~せ まわ~せ」に替わります。
すると、中御座が時計回りに回転し始めました。


864-6.jpg
中御座が、90度回転しました。
これで中御座は、西に進むことができます。


864-7.jpg
そして三若会の担ぎ手さんは、中御座を自分の肩に載せます。
ここから中御座は、四条通を西に進みます。


864-8.jpg
「三若」と書かれた紫紺の旗が、四条通を西に進みます。
中御座は、その後をついていきます。


864-9.jpg
中御座が四条通を西に進み、自分に近づいてきました。
中御座の周囲には、担ぎ手さん以外にも
三若会の方々が集結されています。


864-10.jpg
中御座のお御輿が、自分の前を通過します。
お御輿には大きな鈴が幾つか付いていて、
その鈴が鳴るように担ぎ手さんが上下にお御輿を揺らします。


864-11.jpg
三若会の集団を見ていると、いくつかの役割に分かれています。
中心に、担ぎ手さんが常時30人前後いらっしゃいます。
(写真で見えない反対側にも、こちらと同人数いらっしゃいます)
いちばん外側にいらっしゃる方々が、
お御輿と沿道の方々の間に入り壁として立ちはだかっておられます。
これは宗教上の意味というより、安全面を考えてのことでしょう。
そして、この集団の外側から中心に向かって来られる方が
相当数いらっしゃいます。
こちらの方々は、そのまま担ぎ手さんに加わります。
祇園祭のお御輿は相当重量ですので、
担ぎ手さんの負担も相当なものです。
ですから、少しずつ担ぎ手さんは交代しています。


864-12.jpg
さっきまで担ぎ手だった方は、いったん集団から抜けられます。
そして少し休憩して、また担ぎ手さんに加わられます。
写真中央の方は、だいぶお疲れのようです。


864-13.jpg
ただ若手の担ぎ手さんは、まだまだ元気なようです。
写真中央の方は、交代後雄叫びを上げておられました。


864-14.jpg
中御座が、四条通を西に進んでいきます。
例年なら中御座はこのまま四条通を延々西に進み、
三若会の氏子地域である三条会商店街まで進みます。
(約5㎞の行程です)
ただ2022年はコロナウィルス感染者急増(第7波)に伴い、
祇園祭の様々な行事が簡略化されています。
この神幸祭も、「祇園」交差点前の結団式が中止となり、
神輿巡行コースも、八坂神社~八坂神社御旅所と
かなり短縮されています。


864-15.jpg
ちなみに、中御座は花見小路を超えた辺りで停止されました。
すると今度は「四若」と書かれた紫紺の旗が、
東大路を北上して「祇園」交差点に入ってきました。
ここで、東御座四若神輿会の登場です。


864-16.jpg
そして、その直後に大きなお御輿の登場です。
「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
東御座が東大路を北上しています。
八坂神社のご祭神奇稲田姫のご神体を載せたお御輿ですね。


864-17.jpg
すると、その脇をすり抜けていかれる小集団がありました。
清々講社の方々に引率されて、烏帽子と束帯姿の神官が通過されます。
八坂神社御旅所に向かわれてられるのでしょうか?


864-18.jpg
東御座が、東大路を北上されています。
取り敢えずの目標は、八坂神社西楼門前です。


864-19.jpg
東御座も沿道から「ほいっと ほいっと」の掛け声を受け、
八坂神社西楼門前まで北上しました。
そして、ここでいったん停止されます。



864-20.jpg
そこで東御座の担ぎ手さんも、お御輿を頭上に持ち上げられます。
2022年はこの「祇園」交差点前での結団式が中止のせいか、
どのお御輿も「祇園」交差点前のパフォーマンスが派手ですね。


864-21.jpg
そしてここでも、掛け声が「ほいっと ほいっと」から
「まわ~せ まわ~せ」に替わります。
すると、やはり東御座が時計回りに回転し始めました。


864-22.jpg
東御座が、90度回転しました。
ところが、「まわ~せ まわ~せ」の掛け声が中断されません。
さらに「まわ~せ まわ~せ」の掛け声が継続されます。


864-23.jpg
案の定、東御座の回転は止まりません。
「まわ~せ まわ~せ」の掛け声が続く中、東御座は回り続けます。
沿道の観衆は、拍手と歓声でこれに応えます。


864-24.jpg
東御座が、八坂神社西楼門前で180度回転しました。
けれど、「まわ~せ まわ~せ」の掛け声は止まる気配がありません。


864-25.jpg
さらに東度座は回り続け、これで270度回転しました。
東御座はさらに勢いを増し、回転し続けます。


864-26.jpg
合計270度を超えても、東御座は回り続けます。
見ている観衆は大歓声ですが、担ぎ手さんは大変です。
肘を伸ばしたまま腕を伸ばして、
お御輿を頭上に持ち上げ続けています。
その状態で「祇園」交差点で回り続けているのですから、
体力消費は相当でしょうね。
しかも、途中交代できませんし……


864-27.jpg
遂に、東御座が360度回転しました。
ところが、1周回転しても東御座は止まりません。
もはや沿道の観衆も、「まわ~せ まわ~せ」の大合唱です。


864-28.jpg
東御座の回転が、2周目に入ります。
さすがに、ここから90度回転して時点で東御座は回転をやめました。
360度からさらに90度回転したので、計450度回転しました。


864-29.jpg
四若会の皆さんが、頭上に掲げていた東御座を
自分たちの肩の上に載せられました。
ここからは、東御座は四条通を西に進みます。


864-30.jpg
「四若」と書かれた紫紺の旗と提灯が、四条通を西に進みます。
東御座も、これらに続いて四条通を西に進みます。


864-31.jpg
東御座が、四条通を西に進みます。
三若会同様、四若会の皆さんもお御輿の周囲を取り囲みます。


864-32.jpg
四若会の担ぎ手さんの先頭部分を大写ししました。
東御座の担ぎ棒の先端に金具が取り付けてあり、
先頭の担ぎ手さんはそちらを持って上下に揺らしながら進まれます。
金具には小さな玉が取り付けてあり、
その球が上下すると鈴のような音がします。
また東御座自体にも鈴が付いており、
先頭の担ぎ手さんが上下に揺れると振動で鈴が鳴ります。
そのため、先頭の担ぎ手さんは常に飛び跳ねながら進まれています。


864-33.jpg
東御座が四条通を西に進み、自分の前を通過します。
第411回ブログでも思ったのですが、
お御輿は近くで見ると迫力があります。


864-34.jpg
この写真ではわかりにくいのですが、四若会の何人かが
集団の外からやって来て担ぎ手に加われました。
450度回転の直後ですから、ここで一気に担ぎ手交代です。


864-35.jpg
交代で退かれる担ぎ手さんは、多くが疲労困憊です。
まぁあれだけのことをしたのですから……


864-36.jpg
東御座の担ぎ手さんの最後尾も、大写ししました。
こちらにも、先頭と同じ金具が取り付けてあります。
ですから、こちらの担ぎ手さんも常に飛び跳ねていらっしゃます。


864-37.jpg
東御座が、四条通を西に進みます。
通年でしたら、東御座は八坂神社政所経由で氏子地域に進みます。
四若会の氏子地域は、東山区祇園地区の北端
地下鉄「三条京阪」駅と言いますか京阪電鉄「三条」駅周辺です。
厳密には、駅近くの大将軍神社周辺です。
とは言え先述の通り、2022年は神輿巡行が簡略化されています。
2022年は、八坂神社~八坂神社御旅所の約1500mの行程です。


864-38.jpg
また、この時点で中御座はまだ花見小路の西側で停止しています。
東御座も、花見小路の手前で停止しました。
次回ブログに書きますが、この後西御座も交えて
3基のお御輿が四条通でちょっとしたパフォーマンスをします。
そのため、ここで西御座を待っている模様です。


864-39.jpg
そこで「祇園」交差点の方を向くと、新たに紫紺の旗の登場です。
旗には、「西御座 錦神輿会」と書かれています。
3基あるお御輿のうち、最後尾の1基西御座の登場です。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、ちょっとだけ違う記事を掲載します~

続きを読む

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

第865回 「京の道 今日の道」11周年

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。


2022年7月半ばから約2か月間祇園祭の連載を続けていますが、
今回はちょっと違う記事を掲載します。

2022年8月31日水曜日を以って
「京の道 今日の道」は11周年を迎えました


自分はここ何10年も、7月末~8月が忙しく
そのあと少し暇になります。
そこで買ったばかりのデジタルカメラを持って、
近所の東福寺に出かけたのが2011年8月31日でした。
数枚の写真と記事を書いてブログを公開しようと思ったら、
最初にこのブログの紹介記事を書く必要を感じて、
そこから約1時間で書いたのが、第1回ブログでした。
(東福寺の記事は第2回ブログとして、翌日更新しました)
それから、もう11年経ちました。

ウチは、基本「道ブログ」です。
祇園祭などの祭事や季節の桜や紅葉の散策はあるものの、
1本の道にこだわりその道の端から端まで取材するのが、
あくまで基本スタイルです。

ところが、ここ数年の出来事から
最近はちょっと違うことをメインに書いています。
実は長い長い「道ブログ」は、2019年8月~11月の
正面通編以来書いていません。
(短いものは、2022年5月~6月に連載した
哲学の道編があります)

転機は、2020年以降の「コロナ禍」です。
のんきに「道ブログ」を書いている場合ではなくなったので、
当初からは異なる「お店紹介」をこのブログのメインにしています。
それが、京のお店 今日のお品です。
現在は祇園祭の連載ですが、祇園祭前祭と祇園祭後祭の記事の間に
テイクアウトの「京のお店 今日のお品」の特集を組むつもりです。
まぁウチのブログは閲覧者100人未満で直接の影響力はないのですが、
ウチのブログを見た方の中で自分の記事に共感を得て、
その方が各地方で「お店紹介」ブログを始められて、
インフルエンサーになって戴ける可能性とかもあって、
こういうお店紹介を拡散できればと思っております。
確かに現在はコロナウィルスに関する規制がほぼなくて、
一見するともうすぐ2019年以前に戻れそうなのですが、
様々な要因が重なってそう楽観視できない状況にあります。
多分資本力の差で、「テイクアウト」などの面でサービスの差ができ、
個人経営のお店が苦しくなる可能性があります。
その辺もあって、「京のお店 今日のお品」はもう少し続けます。

ですから、これから暫くは「京のお店 今日のお品」と
祇園祭などの時節を扱った記事を並行させます。
現在の予定は次の記事で祇園祭前祭の連載を終えて、
祇園祭後祭は2022年10月半ばまで続けます。
その後1カ月少々「京のお店 今日のお品」を続けて、
2022年11月末日から紅葉散策を始めます。
2022年は太秦~下嵯峨~嵐山へ行く予定です。
ちょっと距離があるので、嵐電を利用します。

テーマ : 京都道案内
ジャンル : 地域情報

検索フォーム
プロフィール

ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
☆リンク
「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
サイトやブログのリンク
シリーズごと読むなら、こちらから
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
ブログの訪問者数
 
現在の訪問者数
現在の閲覧者数:
カレンダー
07 | 2022/08 | 09
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
RSSリンクの表示
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ランキング参加バナー
ブログ村ポイント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: