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第866回 そして西御座~祇園祭前祭神輿巡行~その4

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八坂神社神幸祭も、だいぶ進行してきました。
八坂神社のお御輿のうち、第864回ブログで
中御座と東御座が「祇園」交差点を通過しました。
最後に登場するのは、「西御座 錦神輿会」です。
文字通り錦市場を氏子地域としていて、西御座を担ぎます。
今回はこの西御座の様子を追いかけて、
祇園祭前祭のすべての記事を終えます。
(まぁまだ祇園祭後祭の記事が残っていますが……)
撮影日は、2022年7月17日日曜日午後6時45分。
この日の日没は、午後7時半ごろでした。


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東大路を北上して、大きなお御輿が「祇園」交差点に入ってきました。
八坂神社のご祭神八柱御子神のご神体を載せた西御座です。
「錦」の背中に書かれた法被を身に着けられた錦神輿会の方々が、
この西御座を囲んでおられます。


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「ほいっと ほいっと」の掛け声の中、
西御座が八坂神社西楼門の前まで来ました。
すると、西御座がこの位置で停止しました。


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やはり錦神輿会の方々も、ここで西御座を頭上に持ち上げられます。
微妙に傾いているのは、この時点で西御座が揺れているからです。
故意に西御座を揺らすことで、鈴や金具から大きな音色がします。


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その場面で、少しカメラを引きました。
西御座は他のお御輿より自分がいる位置に近い場所で停止したので、
かなり大きく写ります。
その分沿道の方々も、写り込んでしまいますが……

こうしてみると、西御座が揺れている様子がよく分かります。
先頭と最後尾の担ぎ手さんが、飛び跳ねておられますね。


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そして西御座の「揺れ」が治まると、
「ほいっと ほいっと」の掛け声が、
「まわ~せ まわ~せ」に替わります。
すると西御座も、時計回りに回転し始めました。


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西御座が90度回転しても、
「まわ~せ まわ~せ」の掛け声が止まりません。
西御座も、90度を超えて回転し続けます。


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西御座が、時計回りに180度回転しました。
ただ、ここでは「まわ~せ まわ~せ」の掛け声が止まりません。


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西御座が、180度を超えてさらに回転しています。
沿道からも、拍手と歓声が起こりました。


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さらにさらに、西御座が時計回りに回転しています。
これで、270度以上回りました。


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「まわ~せ まわ~せ」の掛け声は、さらに続きます。
遂に、西御座は360度回転しました。
これで、回転前の状態に戻ります。


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ところが、ここで西御座の回転が小休止です。
ただし、ここから違う動きが始まります。


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突然西御座が、上下に激しく揺れました。
錦神輿会の担ぎ手さんが、西御座を激しく揺すっておられます。


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西御座錦神輿会の担ぎ手さんの先端部分を大写ししました。
激しくお御輿を揺すっておられるので、
だいぶ写真がブレてしまいました。


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そして、ここで錦神輿会の皆さんは西御座を肩の上に載せられます。
これから、さらに西御座を回転させられました。


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さらに、西御座が90度回転されます。
これで、西御座も四条通を西に向かえるようになりました。


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ここで「錦」と大きく書かれた紫紺の旗と対の提灯が、
「祇園」交差点から四条通を西に進まれます。


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「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
西御座が「祇園」交差点から四条通を西に進みます。
だんだんと自分の前に、西御座が近づいてきました。


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西御座が、四条通を西に進んでいます。
やはりこのタイミングで、
西御座を担いでおられる方々が交代されています。


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こちらは、西御座の担ぎ手さんの先頭です。
金具部分を持たれて、それを上下に揺らしておられます。
そのことで、金具に付いた玉が揺れて大きな音がします。
それを意図的に、大きく鳴らしておられます。


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今度は、西御座の担ぎ手さんの最後尾です。
こちらも金具を上下に揺らして、玉を鳴らしておられます。


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西御座が、四条通を西に進んでおります。
交代した担ぎ手さんが、少しずつ錦神輿会の輪から外れておられます。
皆さん、だいぶお疲れですね。


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先述の通り西御座錦神輿会の氏子地域は、錦市場です。
例年なら、八坂神社政所経由で錦市場へと向かいます。
ただ2022年はコロナ禍の関係で、
このまま八坂神社御旅所に向かいます。
……のはずですが、西御座がこの位置で停止しました。


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西御座の背後から、こちらの軽トラックがやって来ました。
こちらが、祇園祭前祭神輿巡行行列の最後尾です。
ただ、この軽トラックも
「祇園」交差点を西に進んだ地点で停車されました。


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辺りが止まっているので、車道に1歩飛び出して
「祇園」交差点から四条通を西に向いています。
目の前に西御座が止まっていますが、
さらに約50m西に東御座が停止しています。
実は西御座が「祇園」交差点で回転していた間、
東御座はずっとこの位置にいらっしゃいました。
さらにさらに、花見小路の交差点付近に中御座がいらっしゃいます。


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「祇園」交差点から、デジタルカメラをズームしました。
突然中御座が動き出し、「三若」の紫紺の旗が翻ります。
さらに、「まわ~せ まわ~せ」の掛け声が掛かりました。
(大声なので、「祇園」交差点まで聞こえます)
すると、中御座がその場で円を描きます。


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ただ、この段階で西御座は動きません。
その代わり、中間地点の東御座は動き出しました。
……と言うことで、自分も四条通を西に移動します。


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そこで、慌てて東御座を大写しします。
フレームから外れていますが、「四若」と書かれた紫紺の旗が翻る中
東御座が激しく上下に揺れています。
東御座四若神輿会からは、
「ほいっと ほいっと」の掛け声が聞こえます。


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第864回ブログの後、停止していた中御座と東御座が動き出しました。
そして、四条通を西へと移動しています。
この時点で、東御座が一力亭の赤壁の前を通過して
「四条花見小路」交差点をさらに西に向かっていますね。


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一方、西御座はこの時点で漢検ミュージアム前で停止されています。
ただ、こちらもそろそろ動き出します。


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錦神輿会の皆さんが、一斉に西御座を担ぎ直されます。
そして、このまま四条通を西へ進んでいかれました。


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「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
西御座が四条通を西に進みます。
西御座は、このまま休まずに鴨川を越えていきます。


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西御座が漢検ミュージアムを通過して、
西隣のアパホテル前に差し掛かります。
よく見ると、自分以外の沿道の観衆も西御座を追いかけています。


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アパホテル前を通過した西御座が、四条通を西に進みます。
では他の沿道の観衆同様、自分も西御座を追いかけます。


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「祇園」交差点から、西御座が約100m四条通を西に進みました。
西御座も一力亭の赤壁の前を通過しました。


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一力亭の赤壁前を通過して、
西御座が「四条花見小路」交差点を西に進みます。
この時点で四条通の歩道は観衆で溢れかえり、
もう何人かが車道まではみ出ていらっしゃいます。


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さらに西御座が、花見小路から四条通を西に約100m進みました。
ここで西御座は、「四条大和大路」交差点を西に進みます。
このブログでは、約2週間ぶりの「祇園の呑み屋街」ですね。


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大和大路から、さらに西御座が四条通を西に進みます。
ただし鴨川を渡る直前に、ここでいったん停止させられていました。
実は鴨川東岸の川端通が、この日交通規制を受けていません。
そのため、西御座もここでは信号待ちしています。


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ですから、南座の前では観衆が車道まで溢れていました。
錦神輿会の方々も、ちょっとだけ休憩ですね。


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さらに、総本家 松葉のお客さんも西御座の巡行を眺めておられます。
この日から2週間前は総本家 松葉も閉まっていましたが、
祇園祭期間中は普通に開店させておられました。
しかもこの直後に立ち寄ろうとしても、
超満員で入店できませんでした……


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信号が替わり、西御座が四条通を西に進みます。
とは言え、そろそろ日没が近くなり
ウチのカメラでの撮影が厳しくなりました。
そのため、これ以上の撮影はしません。
この後、西御座は約400m先の八坂神社御旅所に向かいます。
そして、そのままお旅所に1週間他のお御輿とともに安置されます。
八坂神社の3基のお御輿は、後祭で八坂神社に戻ります。

ちょっと中途半端になりましたが、
これで「祇園祭前祭神輿巡行編」は、終了です。
……ということは、これで祇園祭前祭の取材は終了です。
まだ祇園祭の取材は後祭が残っていますが、
それはまた後日掲載ということで……

~次回は、1回だけ「京のお店 今日のお品」の記事に戻ります~

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テイクアウトしてみました

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このブログの更新日2022年9月4日日曜日段階では、
祇園祭前祭の記事はすべて掲載しているものの、
祇園祭後祭の記事をまだ掲載していない状態です。
前祭と後祭の連載記事の分量が倍ほど違うのですが、
(後祭は前祭の記事の半分)まぁここを中間点と考えて、
今回は久しぶりに祇園祭ではない記事を掲載します。
……と申しましても、2022年8月は仕事が立て込んでいたことと
生活費が厳しいことがあってどこにも取材に行っていません。
その分この時期は「京のお店 今日のお品」で紹介したお店から
いろいろテイクアウトしてきましたので、
今回はその一部を掲載します。


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2022年8月4日木曜日は、ウチの母が妹宅に行きました。
そこで食事も摂ってくるそうなので、
自分一人の食事を作るのが面倒になりました。
そこで会社からの帰り道、京都駅からウチに帰る途中で
お好み焼き店の山本まんぼに立ち寄りました。


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先程のレジ袋の中には、こちらが入っていました。
新聞紙で包んであるのを見て、情緒を感じています。


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そして新聞紙を開けると、発泡スチロール製の容器が出てきます。
こういう容器は、お好み焼き屋さんや縁日の露店でよく見掛けますね。


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容器を開けると、まんぼ焼の全部載せ(1,100円)です。
元来のべた焼きには生肉やシーフードが入っていないのですが、
牛肉・豚肉・イカが入っている特別仕様です。
とは言え、撮影時期が「8月」なので
生卵はテイクアウトに使われません。
またお好み焼きではありませんので、
生の九条ネギのみじん切りが大量トッピングされています。


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まんぼ焼を戴く前に、横から撮りました。
そば玉入りのお好み焼きを「まんぼ焼」と呼ぶことも多いですが、
山本まんぼのまんぼ焼はホルモンやさいぼしの味が強いので、
通常のお好み焼きとはだいぶ味が違います。
味の濃い肉類が、粉やそば玉に浸みこんでいるのが美味しいですね。


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2022年8月13日土曜日には、らーめんの坊歩に立ち寄りました。
ただ、この日はラーメンを戴かずこちらを持ち帰りました。


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レジ袋の中は、唐揚げ(1人前650円)です。
お店で戴くときはハーフサイズの350円を戴いていますが、
今回はウチの母の分を含めた晩御飯のおかずです。


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こちらが、その日の晩御飯です。
唐揚げ以外は、並河商店の冷奴と「バラ寿司」です。
「バラ寿司」は、ウチの母お手製です。
「バラ寿司」とは「ちらしずし」のことですが、
内陸部の京都のことですから湯葉・干椎茸・高野豆腐など、
乾物中心のお寿司です。
魚介類は、縮緬雑魚(ちりめんじゃこ)だけ入っています。
他は、ニンジンとキュウリですね。


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そして、こちらがラーメンの坊歩の唐揚げです。
各店舗で唐揚げの味は異なりますが、
ラーメンの坊歩は長時間味噌に漬け込むのが特徴です。
そうすることで、鶏肉の奥深くまで味が浸みこみます。
骨付きの唐揚げの中には味噌味のお店がありますが、
こちらもその中の1軒です。
ラーメンのサイドメニューとしても戴けますが、
味が濃いのでこのように晩御飯のおかずとしても戴けます。


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2022年8月14日日曜日は、亡き父へのお墓参りでした。
阪急電車「桂」駅からバスに乗って京都霊園へ行く途中、
「松原河原町」交差点の幸福堂老舗に立ち寄りました。
そちらで、お供え物を購入しました。


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レジ袋の中には、こちらの包装紙が入っています。
お盆の時期ですから、京都の和菓子匠は
お供え物の販売で賑わっていました。


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亡き父へは、「おけそくさん」をお供えました。
要するに、小餅(一つ90円)3個です。
こちらを塔のように重ねて、墓前にお供えしました。
ところが2022年8月14日日曜日は結構大雨で、
小餅を包んでいた包装紙はすぐにボロボロになり、
おけそくさんを塔のように積み上げた直後に
突風で地面を転げて泥まみれになりました。
こちらは泥を取ってウチに持ち帰り、
墓前と同じ状態に重ねて撮影しました。
だいぶ丁寧に泥を取ったつもりでしたが、
まだあちこち砂粒が付いていますね。


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おけそくさん用の小餅は搗きたてなので、
お下がりのおけそくさんは、通常生で戴きます。
ただ今回は一度泥まみれになりましたから、
短時間だけ焼いてみました。


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そして、こちらは海苔を巻いて磯部巻きにしました。
京都の茶店では、よくある「お品」ですね。
個人的には醤油を漬けずに、このまま戴くのが好きです。
その方が、もち米本来の甘味を感じられます。


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さらに、「お迎え団子」(5個475円)も、幸福堂で買い求めました。
こちらは、ウチの仏壇へのお供え用です。


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仏壇に一日お供えした後、
翌2022年8月15日月曜日にお迎え団子を戴きました。
お餅ではなく団子(団子粉を水で溶いて蒸したもの)なので、
舌に団子粉が纏わりつく感覚が自分は好きです。
またお餅ではなく団子ですから、
こちら自身にも砂糖(水飴?)の甘味が付いています


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さらに、こちらは京都霊園の休憩所です。
2022年8月14日日曜日の亡き父への墓参りの帰り途です。
阪急電車「桂」駅前でパン屋さんのOAK FOODに立ち寄り、
こちらを購入していました。
ちなみにペットボトルのお茶は、
京都霊園の休憩所内の冷蔵庫に入れてあります。


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この日のOAK FOODでは、「台湾フェア」を開催していました。
こちらは、胡麻餅(290円)です。
購入時は胡麻団子の一種と思っていたのですが……


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胡麻餅を割ってみると、中から豚肉の細切れが出てきました。
(自分は中身は小豆餡と思っていました)
墓前でお肉を戴くのは相当良くないのですが、
そのままこちらで戴きました。
パン生地を揚げていますが、食感は完全に肉まんです。


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さらに、OAK FOODからこちらを持ち帰りました。
OAK FOODはカフェと菓子パンというイメージがありますが、
西京区随一の食パンのお店でもあります。
直方体の食パンだけでなく、山型食パンもあって
このブドウパン(1/2斤で290円)も結構売れています。


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2022年8月16日火曜日に、アフタヌーンティー風にしました。
山型食パン(1金400円)もOAK FOODで購入しましたが、
カバンの中で潰れてしまって写真撮影はしませんでした。
一番奥のパウンドケーキは、
ホームベーカリーを使って自分で焼きました。


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まずは、こちらのサンドイッチです。
OAK FOODの山型食パンに、ハムとレタスを挟みました。
OAK FOODの食パンはもちもちしているので、
サンドイッチに向いています。
ウチの母との2人前なので、小さく切りました。


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そして、こちらがブドウパンです。
軽くトーストして、バターを塗りました。
こうすると、生で戴くより甘味を感じます。


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さらに、2022年8月14日日曜日は
PORTA KTCHENにも立ち寄りました。
そちらのobento KYKで、こちらを買い求めました。


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先ほどのレジ袋を開けると、こちらが出てきます。
こちらのトンカツソースは、お店で戴いたものと同じ味でした。


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先程の紙製容器の中は、ローストンカツ(1枚690円)です。
一見すると1枚ですが、実は油紙の裏にもう1枚あります。
(2枚で、1,380円でした)


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このローストンカツで、カツカレーを作りました。
ところがご飯の上にトンカツを載せて、
その上にカレーを掛けたらトンカツが写真に写らなくなりました。
飲食店ではなくウチでカツカレーを作ったら、
見た目を考えない盛り付けにしてしまいました。
(う~ん、おいしそうに見えないですね)
KYKのトンカツはお肉の質もいいのですが、
おそらく生パン粉を使っていて、しっとりとした仕上がりです。


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ちょっとボケましたが、こちらはサウナの梅湯の缶バッジです。
サウナの梅湯では、2022年も
地コーラ・地サイダーを販売しています。
そしてを通算で3本以上飲むと、
この缶バッジがもらえます。
自分は石川県産の「スイカ姫」が大好物ですが、
今年(2022年)から販売されている
宮崎県産の「マンゴーサイダー」もかなり美味しいですね。


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一方、七条通の大黒湯ではこちらを配られていました。
入浴中に籠の中に入れておくマスクカバーですね。
こちらは、全国公衆浴場協同組合連合会のロゴが入っています。

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第867回最初は橋弁慶山~2022祇園祭後祭宵山散策~その1

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第866回ブログで、祇園祭前祭の全日程を掲載しました。
ただ、祇園祭は前祭に続いて後祭があります。
京都に限らず神社のお祭りは、通常神幸祭と還幸祭とに分かれます。
祇園祭も同じで、前後半に分かれて数日空けてお祭りを繰り返します。
「京の道 今日の道」では、祇園祭は1年ごとに前祭と後祭を
交互に取材していたのですが、
2022年はその両方を取材しました。
ですから、今回から2022年祇園祭後祭を掲載していきます。
先ずは宵山散策の模様を連載します。


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京都駅から市営地下鉄烏丸線に乗って、2駅。
こちらは、地下鉄「四条」駅です。
今回は地上に出て烏丸通を北上し、
蛸薬師通以北の後祭山鉾町に向かいます。
撮影日は、2022年7月22日金曜日午後3時。
1日中快晴でした。


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地下鉄を降りる前に、扉の広告に注目します。
こちらは……コロナワクチンのPRの広告です。
そちらに、ピーター=ウタカ選手がモデルに起用されています!
京都サンガのエースストライカーで、
J1リーグの得点王争いをしている京都の英雄です。
地域限定ですが、「ご当地スター」と言える存在ですね。


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地下鉄の中刷り広告に、京都サンガの日程が書いてありました。
取材日から約1か月半が経ち、このすべての試合が終わっています。
1勝1分け2敗とあまり良い結果ではありませんでした。
J2リーグ降格の芽が、日々大きくなっています。


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こちらが、その京都サンガ関連の広告が多かった地下鉄です。
前祭と比べて、この日この駅で
降りられる方は多くありませんでした。


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自分を乗せていた地下鉄車両が、出発しました。
こちらは、「烏丸御池」駅を経由して
最終的に宝ヶ池の国際会館に向かっています。


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地下鉄烏丸線「四条」駅ホームを南下しています。
取り敢えず、近くの階段を探しています。


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地下鉄「四条」駅ホームから、北側へ通じる上り階段を見ています。
次は、こちらを上っていきます。


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先程の階段を上り切り、地下鉄「四条」駅コンコース階に出ました。
ではこのまま北上して、改札口から地下鉄「四条」駅を出ます。


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地下鉄「四条」駅北側改札口を背に、地下道を北に向いています。
この真上に、烏丸通が南北に通っています。
京都市街地屈指の繁華街「四条烏丸」交差点が近いので、
地下鉄「四条」駅周辺には様々なテナントが並びます。
これは、ちょっとした地下街ですね。
では、その地下街を北上します。


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地下鉄「四条」駅北側改札口から、地下道を約100m北上しました。
目の前の階段を上りきると、「四条烏丸」交差点の真下です。


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その階段を上ると、周囲の風景が一変します。
これまでの部分は、1980年に京都市営地下鉄が
開業した際に建設された地下道です。
こちら側は、1963年に阪急電車が
地下に潜った際に建設された地下道です。


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「四条烏丸」交差点の地下から、東に向いています。
こちらは四条通の地下で、約1㎞先の木屋町通まで続きます。
第845回ブログでは、こちらのルートを進みました。


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「四条烏丸」交差点の真下に、阪急電車「烏丸」駅があります。
その「烏丸」駅の切符売り場と改札口の間に、
さらに北側に地下道が伸びています。
今回ブログでは、そちらに進みます。


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「四条烏丸」交差点の地下から、約50m北上しました。
ただ、この位置で地下道は突き当たります。


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その突き当りで、右(東)を向いています。
この先は、かつて三井銀行京都支店だったテナントビルです。
そのビルの脇に、21番出口があります。


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そのテナントビルの手前まで来て、北に向きました。
こちらの方に、地上に上がれる上り階段があります。
では、この21番出口から地上に出ます。


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21番出口の階段を上り、地上に上がりました。
目の前に、烏丸通が伸びています。
車道の先に向えるビルは、LAQUE四条烏丸です。


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21番出口から、烏丸通を南に向きました。
約50m先が、京都市街地屈指の繁華街「四条烏丸」交差点です。
この日(2022年7月22日)は祇園祭後祭の宵山でしたが、
「四条烏丸」交差点付近は祇園祭前祭の山鉾町です。
ですから、この辺は完全に通常モードですね。
(祇園祭前祭の様子は、第846回ブログ参照)


867-19.jpg
今度は21番出口から、烏丸通を北に向きました。
祇園祭後祭の山鉾町は、祇園祭前祭の山鉾町の北側です。
ですから、ここからはこの烏丸通を北上します。


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21番出口から、烏丸通を約50m北上しました。
ここで烏丸通は、錦小路と交差します。
右(東)側に、京菓子處 鼓月四条烏丸店が建っています。
第845回ブログでは祇園祭の散策されてる方々を対象に
いろいろ露店販売されていましたが、
この日は何もありませんでした。
(店内は、通常営業されています)


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烏丸通から、錦小路を西に向いています。
祇園祭前祭ではこの先に占出山が立ちましたが、
この日は通常モードですね。
(占出山の詳細は、第847回ブログ参照)


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今度は四条通から、錦小路を東に向きました。
約100m先に、錦市場が立ちます。
錦市場には山鉾が立ちませんが、神輿巡行では
八柱御子神を載せた西御座というお御輿を担ぎます。
(西御座の詳細は、第866回ブログ参照)


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「錦烏丸」交差点から約50m東に進むと、
紅茶専門店 烏丸錦店が建っています。
この日は錦小路を進みませんでしたが、
2022年7月14日はこちらで買い物をしました。


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その時は、こちらでウバ茶を買いました。
ウバ茶はスリランカ産の紅茶で、ミルクティーにむいています。
と言うことは、チャイにも使えますね。


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錦小路から、烏丸通を北に向いています。
今回ブログでは錦小路を進まずに、
このまま烏丸通を北上します。


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この辺りの烏丸通の街路樹は、百日紅(さるすべり)です。
今回ブログの撮影日2022年7月22日金曜日では、
満開に近い8分咲きでした。
(百日紅の満開は、8月中旬です)


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錦小路から、烏丸通を約50m北上しました。
「四条烏丸」バス停の北側に、提灯が並ぶ場所があります。


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こちらは、御手洗井という井戸です。
豊臣秀吉など多くの方が、この井戸水を好みました。
現在も涸れていないのですが通常は閉鎖されていて、
祇園祭期間中のみこちらに入れます。
(通常の御手洗井は、第208回ブログ参照)


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こちらが、御手洗井そのものです。
ちょろちょろと、井戸水が上がってきていますね。
この奥の祠にお祈りされるだけの方が多いようですが、
自分はこちらを毎年汲み上げています。


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そういう訳で、こちらのペットボトルを持参していました。
こちらに御手洗井の水を汲んで、ウチに持ち帰ります。


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その御手洗井を沸かして、先程のウバ茶を淹れました。
ペットボトルに1ℓ持ち帰ったのですが、
2日ですべて飲んでしまいました。


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御手洗井の前で、烏丸通を北に向いています。
では、さらに烏丸通を北上します。


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御手洗井から、烏丸通を約50m北上しました。
ここで烏丸通は、蛸薬師通と交差します。


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烏丸通から、蛸薬師通を西に向いています。
この先に、祇園祭の山鉾が立っているのが見えますね。
南観音山と大船鉾の例外がありますが、
祇園祭の前祭と後祭の境界が、この蛸薬師通です。
ですから祇園祭後祭になると、
この蛸薬師通以北が賑やかになります。


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先程の烏丸通の横断歩道を渡り、
烏丸通西側歩道から蛸薬師通を西に向きました。
この先に立つのは、橋弁慶山ですね。
祇園祭後祭山鉾巡行では、
くじ引き取らずの順番固定の「山1番」です。
つまり2022年の祇園祭宵山散策では、
前祭散策も後祭散策も山鉾巡行の先頭の山鉾から散策します。
(祇園祭前祭宵山散策は、第845回ブログ参照)


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橋弁慶山に近づく前に、先にこの京町屋に寄ります。
こちらは、前田珈琲 本店です。
ちょっと立ち寄りたかったのですが、
橋弁慶山の前という立地ですから満員で入れませんでした。


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前田珈琲 本店から2軒西隣に、橋弁慶山の会所があります。
2F建ての京町屋は、前祭の山伏山会所や保昌山会所と同じ構造です。
(山伏山会所は、第847回ブログ参照です。
保昌山会所は、第855回ブログ参照です)


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橋弁慶山会所の2F部分を撮りました。
左のご神体が武蔵坊弁慶像で、
右のご神体が牛若丸(後の源義経)像です。
橋弁慶山は、謡曲の橋弁慶に取材しています。
この山は、二人の五条大橋での決闘を表しています。
ですから、会所でもこれから戦うようなポージングです。


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こちらは、橋弁慶山会所の1F部分です。
黒漆塗りの五条大橋が、とても立派です。
ちなみに少年剣士牛若丸に負けた武蔵坊弁慶は、
この戦いの後牛若丸の郎党(家臣)になりました。
この後命を懸けて牛若丸を守り続けた武蔵坊弁慶は、
昔の日本では「忠義」の象徴でした。


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橋弁慶山会所から、蛸薬師通を西に向いています。
この先に、橋弁慶山が立っていますね。


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こちらが、橋弁慶山です。
ただ、宵山の段階でも装飾品が一切付いていません。
前祭と異なり、2022年後祭はずっと快晴でした。
それでもこの状態ということは、
元々山鉾巡行までこのままの予定なのでしょうね。

ここからは室町通まで進み北上する予定でしたが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、室町通沿いの後祭宵山を散策します。
鯉山・浄妙山・黒主山辺りを散策します~

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第868回 鯉山 黒主山~祇園祭後祭宵山散策~その2

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方はここをクリックしてください。

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前回ブログで市営地下鉄烏丸線「四条」駅から烏丸通を北上し、
四条通と三条通との中間点である蛸薬師通を西に約30m進みました。
祇園祭後祭山鉾巡行のくじ引き取らずで順番固定の「山1番」
橋弁慶山を背に、蛸薬師通を西に向いています。
今回は、烏丸通の西側に伸びる室町通を中心に散策します。
撮影日は、2022年7月22日金曜日午後3時15分。
猛暑日でしたが、よく晴れた快い一日でした。


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そのあたりの蛸薬師通に、こちらのお店がありました。
烏丸通より西の蛸薬師通沿いには、京町屋と商業ビルが混在します。
その多くが飲食店なのですが、
こちらの京町屋は西陣織専門の雑貨店です。
着物に使える絹織物で、様々な雑貨を販売しています。
毎年祇園祭後祭期間中は賑わうのですが、
今年(2022年)も店内は満員でした。


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その雑貨屋さんの前で、蛸薬師通を西に向いています。
では、このまま蛸薬師通を西に進みます。


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橋弁慶山から、蛸薬師通を約70m西に進みました。
ここで蛸薬師通は、室町通と交差します。
ちなみに、蛸薬師通沿いには橋弁慶山しか立ちません。
一時期布袋山を復活させる動きがあったのですが、
現在はそちらは中断されています。


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蛸薬師通から、室町通を南に向いています。
祇園祭前祭期間中は、約50m先に山伏山が立っていました。
(山伏山の様子は、第847回ブログ参照)
祇園祭後祭期間中は、そちらは通常モードに変わります。


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今度は蛸薬師通から、室町通を北に向きました。
今回ブログでは、ここからこの室町通を北上します。


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蛸薬師通から、室町通を北上しています。
祇園祭前祭の宵山とは異なり、
祇園祭後祭の宵山には路上に露天商による屋台が立ちません。
その代わり、沿道の様々なお店が露店を出します。
左(西)側の「永楽屋」という和菓子匠は、
縁台を出してオープンカフェ状態になっています。
その北隣は和装雑貨製造販売の山本仁商店ですが、
この日は店内で神蔵という日本酒をコップ酒で販売されていました。
(酒瓶での購入も可能です)
どちらも、コロナ禍以前から露店を出しています。
自分は毎年ここで神蔵を戴いていましたが、
脳卒中を患って以降は戴いていません。
(自分が神蔵を飲んでいる様子は、第416回ブログ参照)


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山本仁商店の前で、室町通を北に向いています。
目の前に、鯉山が立っていますね。


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こちらが、鯉山です。
とは言え鯉山の装飾品は会所内に展示されていますので、
こちらには骨組みと松の木が1本立っているだけです。
ただよく見ると、こちらに神蔵の酒樽が奉納されていますね。


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鯉山の右(東)側に、こちらの京町屋が並びます。
飲食店に挟まれて、鯉山の会所がありますね。


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鯉山会所は、「ウナギの寝床」と呼ばれる通路の奥です。
2022年は会所の前にガードマンがいらして、
そちらで拝観者に検温とアルコール消毒をされていました。


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検温とアルコール消毒を済ませて、通路を進みます。
「通路」と言っても屋内で、この奥に会所があります。
京町屋の「ウナギの寝床」という状態ですね。
祇園祭前祭の「霰天神山」の会所と、同じ構造ですね。
(霰天神山会所の様子は、第848回ブログ参照)


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「通路」を約10m東に進むと、細長い坪庭に辿り着きます。
その向かい(北)側が、鯉山会所です。


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その細長い坪庭に、こちらの瓦が置かれていました。
「鯉」と書かれていますが、魔除けの鬼瓦なのでしょうね。


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「通路」のいちばん奥に、こちらが置かれていました。
30円納めれば、灯明を立てられます。
ここは、もちろん30円納めます。


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30円納めると、こちらに灯明を立てられます。
中央一番上が、自分が立てた灯明です。


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鯉山会所には、ご神体の滝を上る鯉の像が安置されています。
こちらは左甚五郎の代表作で、重要文化財です。
また鯉山の装飾品は、ヨーロッパの絵画が中心です。


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鯉山の装飾品の前に、檜扇が活けてありました。
檜扇(ひおうぎ)は7月が旬の花で、
祇園祭の山鉾町でこの時期飾られる花でもあります。


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こちらが、鯉山の前掛けと胴掛です。
上の部分には、水引きも付いていますね。
これらは、元は18世紀に購入されたベルギー産のタペストリーです。
1枚のタペストリーを切り取り、この装飾品ができています。
ちなみに、タペストリーの残りは前祭の鶏鉾などに使われました。
(鶏鉾の様子は、第854回ブログ参照)


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ベルギー産タペストリーを元にした鯉山の装飾品は、
元の絵の見事さとそれを山鉾の装飾品に使ったアイデアが評価され、
鯉山の前掛け、胴掛、水引き、見送りが重要文化財です。
なお先年ベルギー人学芸員が鑑定を行い、
元はイーリアスを題材にしたタペストリーと判明しました。


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2015年7月22日に、鯉山会所でこちらを買いました。
「登龍門」と書かれた鯉山の手拭いです。
昔から中国に、鯉が滝を上ると竜になるとの故事があります。
この「登龍門」はその故事のことで、「立身出世」を表しています。
鯉山は、この登竜門を取材した山です。
(鯉山で手拭いを購入した様子は、第329回ブログ参照)


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では鯉山会所を一通り見て回りましたので、
この通路を抜けて室町通に出ます。
重要文化財に彩られた鯉山は、
祇園祭後祭宵山では特に多くの方々が訪れます。


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鯉山会所の前で、室町通を北に向いています。
鯉山会所の北隣でも、鯉山の粽(ちまき)や手拭いが売られています。
さらに北隣は更地になっていて、今は駐車場です。


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その駐車場では、フリーマーケットが開かれていました。
こちらの扇子は、よく売れていました。
祇園祭の宵山では、和服や和装小物のフリーマーケットが
結構あちこちで開催されています。
実は祇園祭宵山へは、買い物目的の方も結構多いです。


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その駐車場の前で、室町通を北に向いています。
この少し先で、室町通は六角通と交差します。


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室町通から、六角通を東に向いています。
室町通を北上する前に、先にこちらに進みます。


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近年はビルも増えましたが、六角通にも京町家が建ち並びます。
やはりこの辺りも飲食店が多いですが、
こちらは帯屋さんと和装小物の雑貨店ですね。
西陣織の問屋街である室町通の近くには、
このようなお店が建ち並びます。
そして西陣織の問屋街こそが、
祇園祭の山鉾町を形成しており、
祇園祭を資金面で支えています。


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室町通から、六角通を東に進んでいます。
周囲の京町家は、西陣織販売店と飲食店が混在しています。
室町通から六角通を東に約50m進むと、
浄妙山が立っていました。
(さらに東に約50m進むと、烏丸通と交差します)


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こちらが、浄妙山です。
後述の理由で、前掛、胴掛、水引きが付いた状態です。
浄妙山の「浄妙」は平安時代末期の僧兵で、
源義経に就いて戦っていました。
宇治川の戦いでは「一番乗り」を果たそうとしましたが、
(当時は最初に戦いを挑んだ者は、特別に褒美がもらえました)
一来法師に頭を飛び越えられて褒賞を逃しました。
この浄妙山では、その頭を飛び越えられた瞬間を描いています。
ちなみに一来法師は飛び越えた直後に、
敵将に斬り殺されて褒賞を貰えなかったそうです。


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浄妙山から、六角通を西に向いています。
左(南)側のマンションの1Fが浄妙山会所なのですが、
この日は閉鎖されていました。
実はコロナウィルス感染の「第7波」の影響で、
2022年祇園祭宵山ではいくつかの会所が閉鎖されていました。
(祇園祭前祭では、太子山が閉鎖されていました。
詳細は、第850回ブログ参照)


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浄妙山から、六角通を約50m西に進みました。
ここで六角通は、室町通と交差します。
ちなみに、六角通には浄妙山以外の山鉾は立ちません。


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今度は六角通から、室町通を北に向きました。
ここからは、こちらを進みます。


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六角通から、室町通を約50m北上しました。
こちらに、黒主山が立っています。


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こちらが、黒主山です。
何しろ「黒」主山ですから、前掛や胴掛が黒いですね。
何でも黒くするのが、黒主山の特徴です。
それと対照的なのが、桜の造花です。
この桜も、黒主山の象徴ですね。


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黒主山の前で、右(東)を向きました。
黒いテントを超えると、黒主山の会所です。


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黒主山会所では、粽(ちまき)以外はどれも黒いです。
手拭いも、団扇も、黒一色です。
また辺りで徘徊される町衆の方々も、黒装束で統一されます。


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2015年7月22日にには、黒主山の会所でこちらを買いました。
2015年限定商品で、黒い生八つ橋です。
(当時の様子は、第329回ブログ参照)


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こちらは、ウチに帰ってから抹茶で戴きました。
黒胡麻の香りと味か濃いのですが、
それが好きな者には堪りません。
結構自分は好きなのですが、2022年は販売されていませんでした。


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黒主山会所の奥には、桜の花の造花と大友黒主像が並びます。
こちらも、多くの方々が参拝されていました。


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黒主山会所の奥にも、桜の造花が飾ってあります。
黒主山は、大友黒主が満開の桜を見上げる姿を描いています。


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こちらが、ご神体の大友黒主像です。六歌仙の一人です。
代表歌「春雨の 降るは涙か 桜花
散るを惜しなむ 人しなければ」を描いて、
満開の桜を見上げる大友黒主を表しています。


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黒主山から、室町通を北に向いています。
ここから三条通以北の山鉾に向かいますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、最北端の山鉾である鈴鹿山に向かいます~

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第869回 鈴鹿山 役行者山~祇園祭後祭宵山散策~その3

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前回ブログで拝観した黒主山の前で、室町通を北に向いています。
今回は、この室町通以東の山鉾を散策します。
撮影日は、2022年7月22日金曜日午後3時半。
今回で、祇園祭後祭宵山散策の半分を回りました。


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黒主山の前から、室町通を約30m北上しました。
こちらは、帯問屋の譽田屋源兵衛です。
創業270周年の2008年以降、
木村英輝画伯による上り鯉のタペストリーを展示されています。
こちらは、毎年1匹ずつ書き足されています。


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譽田屋源兵衛の前で、室町通を北に向いています。
祇園祭後祭は、コロナ禍以前から露天商による屋台が立ちません。
その代わり、各店舗が露店を出したり
駐車場などを利用してフリーマーケットが立ったりします。
さらに、呉服問屋がバーゲンセールをしたりもします。
この先の駐車場にも、フリーマーケットが立っていますね。


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黒主山の前から、室町通を約50m北上しました。
ここで室町通は、三条通と交差します。


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室町通から、三条通を西に向いています。
約50m先に、祇園町最大の曳山の鷹山が立ちます。
約200年前に洪水で汚損して以来、2022年から復活しました。
ただ鷹山には、次回ブログで訪れます。


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今度は三条通から、室町通を北に向きました。
この先に役行者山が立ちますが、先に別の山に向かいます。
(役行者山へは、今回ブログ後半で回ります)


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さらに室町通から、三条通を東に向いています。
今回ブログでは、こちらに進んでいきます。


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室町通から、三条通を約100m東に進みました。
ここで三条通は、烏丸通と交差します。
この写真に、赤レンガの建造物が幾つか建っています。
「三条烏丸」交差点付近には、
明治時代の建造物が数多く残っています。
ですから、この辺は「歴史的建造物保存地区」です。
(この辺りの詳細は、第66回ブログ参照)


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今度は三条通から、烏丸通を北に向いています。
では、今回ブログはこのまま烏丸通を北上します。


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三条通から、烏丸通を約50m北上しました。
こちらに、京都市営地下鉄「烏丸御池」駅6番出口があります。
駅名に含まれていませんが、「三条烏丸」交差点の最寄り駅ですね。
今までの祇園祭後祭宵山散策は、この出口から始めていました。


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地下鉄「烏丸御池」駅6番出口から、烏丸通を約100m北上しました。
こちらに、自分が知らない間にマクドナルドができていました。
結構小さいお店ですが、この日は超満員でした。
実は自分はこの辺りでトイレに行きたくなって、
こちらに入ったのですが、そちらも満員でした……


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そのマクドナルドから、烏丸通を北に向いています。
約50m先で烏丸通は姉小路と交差しますが、
その手前(南)に鈴鹿山が立ちます。


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こちらが、その鈴鹿山です。戦女神の鈴鹿権現を祀ります。
結構目立つ位置に立つので、多くの方々が拝観に来られます。


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鈴鹿山の北側が、「三条姉小路」交差点です。
その交差点の南西角に、鈴鹿山会所があります。
では、そちらに向かいます。


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こちらが、鈴鹿山の会所内部です。
粽(ちまき)や手拭いなどは、こちらで買い求めます。
額には、「瀬織津姫」と書かれています。
おそらく、鈴鹿権現と同一視されています。
掛け軸の「祇園牛頭天王」は、八坂神社の主神です。
現在の八坂神社ご祭神は素戔嗚尊ですが、
明治時代初期の神仏分離令以前の主神は牛頭天王でした。
疫病をまき散らす疫神であると同時に、
疫病を平癒する神様でもありました。


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鈴鹿山会所最西端に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにお参りして、そのまま北を向きました。


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そのお地蔵さんの前で、鈴鹿山会所内を北に向きました。
お地蔵さんの北隣は土蔵なのですが、
その中にご神体の鈴鹿権現像がいらっしゃいます。
前祭の占出山や船鉾もそうなのですが、
女神様の神像はどうも撮影しにくいものがあります。
ですから、鈴鹿権現を直接撮影しませんでした。
続いて、土蔵の前を通り過ぎ鈴鹿山を出ます。
こちらから出ると、姉小路の路上です。


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鈴鹿山会所を出て、姉小路を東に向いています。
目の前で烏丸通と交差しますが、
約200m先で高倉通と交差します。
(高倉通付近の姉小路は、第431回ブログ参照)


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鈴鹿山会所の前で、姉小路を西に向きました。
元々この辺りは喫茶店が多く、その多くが昼時には
「御池烏丸」交差点まで出掛けて弁当を販売されていました。
(その様子は、第205回ブログ参照)
コロナ禍の影響か、その喫茶店の大半がもう辞められています。


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鈴鹿山会所から、姉小路を約50m西に進みました。
ここで姉小路は、両替町通と交差します。
両替町通は、三条通~丸太町通間の約750mの短い道です。
ですから、「京の道 今日の道」では
この両替町通をほとんど紹介していません。
この写真をよく見ると、「姉小路両替町」の辻
南西角に喫茶店が開いています。
こちらのお店は、頑張って開業されています。


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尾籠な話ですが……実はこの時点でトイレの我慢が限界でした。
先程の喫茶店に入ることも考えたのですが、
「姉小路両替町」の辻北西角のこのお店もおいしそうです。
お酒を出すのが前提のお店ですが、焼きそば専門店です。
そこで慌ててこちらに入り、トイレを借りました。


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トイレに入って一息ついて、
「やきそばスタンドバイミー」店内のカウンターに就きました。
マヨネーズや各種ソースが設置してあることからも、
ここが焼きそば専門店であることを伺わせます。
ただ、自分はこの日は「ピビン冷麺」を注文しました。
こちらは2022年7月限定メニューですから、
現在は販売されていません。
通常のピビン冷麺は唐辛子中心のかなり辛い冷麺ですが、
こちらの冷麺に唐辛子はあまり入っておらず、
そこまで辛くありませんでした。


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やきそばスタンドバイミーを出て、姉小路を西に向いています。
姉小路は、約50m先で室町通と交差します。
そのあたりに注連縄が見えますが、そちらに役行者山が立ちます。


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やきそばスタンドバイミーから姉小路を約50m西に進み、
室町通から姉小路をさらに西に向いています。
姉小路が祇園祭の山鉾町最北端ですので、
祇園祭後祭宵山散策ではこれ以上北には進みません。
ちなみに姉小路をこのまま約200m西に進むと、
釜座通編で出てきた高松新明神社がいらっしゃいます。


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姉小路から、室町通を南に向いています。
目の前に、役行者山が立っていますね。


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こちらが、役行者山です。
ご神体がいらっしゃらないだけで、装飾品のすべてが着いています。


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役行者山の東側に、茅の輪が設置されています。
こちらをくぐると、役行者山会所に入れます。
コロナ禍で閉められている間に、役行者山会所が改築されていました。


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役行者山会所へは、屋内の通路を西に通過します。
壁沿いのショウケースに、役行者山の装飾品が展示されています。
多分ですがこちらは古いもので、ここで保存されているのでしょう。


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室町通から屋内の通路を約30m西に進むと、
役行者山会所があります。
粽(ちまき)や手拭いなどを買い求めることができますが、
ご神体もこちらにいらっしゃいます。


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こちらの土蔵に、役行者山のご神体がいらっしゃいます。
葛城神像と役行者像、一言主像がいらっしゃいます。
役行者山は、現在の奈良県の葛城山で役行者が
一言主を調伏する話から取材しています。


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役行者山会所の奥に、こちらの石が置かれています。
こちらに、役行者が座ったことがあるそうです。


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役行者の腰掛石の前で、西を向きました。
約10m先に、会所からの出口があります。
では、こちらから役行者会所を出て姉小路に戻ります。


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役行者山会所を出ると、焼きそばスタンドバイミーの店頭でした。
ではその位置から姉小路を西に進み、室町通に戻ります。


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先程の位置から姉小路を西に約50m進み、
姉小路から室町通を南に向ています。
こちらに役行者山が立っているのですが、
さっきから同じところをぐるぐる回っています。


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さすがに、2回も役行者山には行きません。
役行者山の前から、室町通を南に向いています。
この日は2022年7月22日金曜日ですが、
毎年7月23日の午後2時に聖護院から修験者が訪れます。
そして、この位置で護摩焚きがわれます。
聖護院修験者による護摩焚きの様子は、
第138回ブログ第139回ブログを参照してください。


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姉小路から、室町通を約50m南下しました。
こちらに、細辻伊兵衛美術館が建っています。
元々こちらには手拭い屋の老舗永楽屋があったのですが、
細辻伊兵衛さんはその永楽屋の関係者です。
永楽屋本店時代から手拭いを美術品として展示されていたので、
こちらの中は大きくは変わっていないのでしょうね。
永楽屋本店当時の様子は、第414回ブログ参照)


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細辻伊兵衛美術館から、室町通を約100m南下しました。
ここで室町通は、三条通と交差します。
この先に黒主山が立っていますが、
そちらへは前回ブログでお邪魔しました。


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室町通から、三条通を西に向いています。
約100m先に鷹山が立っていますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、「京のお店 今日のお品」に戻ります~

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老松堂

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店名:老松堂         業種:和菓子匠
営業時間:午前9時~午後6時半   定休日:月曜日
デリバリー:なし     飲食スペース:なし
住所:東山区古川町通三条上る分木町67
(地図で確認されたい方は、ここをクリックしてください)


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京都駅北側市バスターミナルから、七条通を東に進み
東大路を北上する路線に乗って、約25分。
こちらは、「東山三条」バス停です。
地下鉄東西線「東山」駅の最寄りバス停でもあります。
今回は、この地域の和菓子匠に向かいます。


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自分が今まで乗っていた86系市バスが、東大路を北上します。
この先の藪は、第71回ブログで訪れた満足稲荷神社です。
その北側で東西に伸びる仁王門通以北に、岡崎公園が広がります。


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「東山」三条」バス停で、東大路を南に向いています。
目の前の孫橋通を右(西)に向かえば、
第464回ブログで辿ったコースを進みます。
今回は、このまま三条通まで約50m南下します。


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「東山三条」バス停から東大路を約50m南下して、
東大路から三条通を西に向いています。
こちらを約400m進めば、地下鉄東西線「三条京阪」駅です。
(その「三条京阪」駅は、第817回ブログの冒頭に登場します)
また、その近くに京阪電鉄「三条」駅もあります。
第70回ブログでは、京阪電鉄「三条」駅付近から
この「東山三条」交差点まで散策しました。


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今度は東大路から、三条通を東に向いています。
この「東山」三条」交差点は東山区祇園地区と
東山区粟田口地区とに隣接しており、
昔ながらの古い店舗が建ち並ぶ独特な繁華街です。


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「東山三条」交差点北東角から南西角に渡り、
東大路から三条通を東に向いています。
この辺りの三条通は、江戸時代の東海道です。
このまま三条通を東に進み続けると、
だんだん山道に入り東山区蹴上地区に入ります。
(そのあたりの様子は、第73回ブログ参照)


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東大路から、三条通を約50m東に進みました。
ここで三条通は、古川町通と交差します。


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三条通から、古川町通を南に向いています。
三条通以南の古川町通は、急に狭くなります。
自動車が1台も通れない道幅ですが、
ここから知恩院の前まで古川町商店街が続きます。
結構面白い場所ですが、今回はそちらに進みません。


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今度は三条通から、古川町通を北に向きました。
この辺りは京都文教学園の通学路なのですが、
時間帯(この時点で午前10時)の関係で
中学生や高校生は誰も通りません。


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三条通から、古川町通を約20m北上しました。
右(東)側の電柱の陰に、今回ブログのメイン
和菓子匠の老松堂が建っています。
お客さんと女将さんを撮らないようにするために、
この角度で撮っています。


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女将さんの許可を取って、老松堂店内を撮影しています。
この奥で、店主が和菓子を製造されていました。
こちらに並んでいるのはおこわ(赤飯)なのですが、
開店から1時間で1パックしか残っていません。
(あとは、すべて売れました)
ちなみに京都では、通常和菓子匠はおこわを販売します。
しかも、そのおこわが主力商品だったりします。
その奥には、見えにくいですが小餅が並びます。
こちらも、京都の和菓子匠では主力商品です。


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老松堂の壁に、こちらが貼られていました。
お彼岸が近づくと、白餅(おけそくさん)とおはぎがよく売れます。
どちらも、墓前へのお供え用ですね。


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そして、老松堂の店頭を撮りました。
こちらは、典型的な「町の和菓子屋さん」です。
あられや羊羹なども売られていますが、
餅や団子をベースにした商品が多いですね。
とは言え、この日(2022年9月10日)は中秋の名月です。
ですから最も売れていたのは、月見団子です。


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老松堂から、帰宅しました。
そして、こちらを持ち帰りました。


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包装紙を開けると、パックの中に月見団子が入っています。
1つ170円で、4つで680円です。
よく見ないと分かりりにくいですが、
粒餡と漉し餡に分かれます。
ちなみに、京都では月見団子はこの形状です。
……と言いますか、自分は小さなころから
この形状の月見団子以外戴いたことがありません。


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この日の晩に、お供えから下げた月見団子です。
宇治茶と共に、こちらを戴きます。


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こちらが、自分の分の月見団子です。
わかりにくいですが、左が粒餡で右が漉し餡です。
かつて日本では中秋の名月を「芋名月」と呼んでいて、
里芋を供えていたそうです。
その名残で、この形状だという説があります。


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月見団子の角度を変えてみました。
月見団子を正面から見ると、「月に叢雲」のように見えます。
団子は、団子粉を水で溶いてから蒸したものです。
団子粉も米粒を臼で挽いて作ったものですので、
舌に団子粉の食感が残ります。
それを楽しみながら、こちらを戴きました。

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第870回 新町通屏風祭~祇園祭後祭宵山散策~その4

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祇園祭後祭宵山散策も、今回から後半です。
新町通沿いの山鉾町には古い商家が多く、
その多くが自分たちが持っている美術品を
祇園祭期間中に展示する風習が古くからあります。
そのため祇園祭宵山期間中の新町通沿いは、
「屏風祭」と呼ばれるくらい屏風の展示が並びます。

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第869回ブログで鈴鹿山と役行者山を回って、
室町通から三条通を西に向いています。
この先に、祇園祭後祭最大の山鉾である鷹山が見えますね。
今回はその鷹山を眺めた後、新町通を南下していきます。
撮影日は、2022年7月22日金曜日午後4時。
祇園祭後祭宵山散策も、残り5基ですね。


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室町通から、三条通を西に約10m進みました。
こちらに、眼鏡屋さんの大学堂が建っています。
そして、この大学堂こそが鷹山の会所の一つです。


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大学堂にはたくさんの方々がいらして、店内には入れませんでした。
そのため、三条通の路上から店内を撮影しました。
こちらに、鷹山のご神体がいらっしゃいます。
鷹匠と犬飼、樽負いの3体が、いらっしゃいます。
こちらは、在原行平が鷹狩をした様子から取材しています。


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眼鏡屋さんの大学堂から、三条通を西に向いています。
この先に、鷹山が立っていますね。


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眼鏡屋さんの大学堂から、三条通を西に約50m進みました。
鷹山は「山」なので、中央に真松が立ち「鉾」は立ちません。
ただ大きいので担ぐのではなく、曳くための車輪が付きます。
こういう形式を「曳山」というのですが、
この鷹山はその曳山で最大の大きさを誇ります。


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鷹山の北側に、老舗企業の山音株式会社が建っています。
その駐車場も鷹山の会所で、
白いテントの下で粽(ちまき)や手拭いなどが売られています。
鷹山は2022年度から復活した山なので、
かなり人気がありました。


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さらに、鷹山を撮っています。
鷹山は今年(2022年)から復活した山ですので、木材が新しいですね。
元々は比較的古くからあった山だったのですが、
1829年に大雨により装飾品が汚損して、
それ以来山鉾巡行には参加していませんでした。
(眼鏡屋さんの大学堂内で、ご神体のみ参加されていました)


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鷹山から、三条通を西に向いています。
300円納めると鷹山の上に登れるのですが、
こちらを見ると順番待ちの方々が長蛇の列を作っています。
本当は楽しみにしていたのですが、
2022年は鷹山に登るのを諦めます……


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鷹山から、三条通を約30m西に進みました。
ここで三条通は、新町通と交差します。


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「三条新町」交差点北東角に、トゥレ・ドゥーが建っています。
個人的には、こちらが京都随一の洋菓子店です。
2012年の宵山散策では、ここで洋菓子を買って帰りました。
(詳細は、第60回ブログ参照)
いつも祇園祭限定メニューを販売しているのですが、
2022年は限定パフェがあったようです。
(現在は、販売終了しています)


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新町通から、三条通を西に向いています。
約500m先で三条通は堀川通と交差するのですが、
そこより西が、三条会商店街です。
祇園祭のお御輿「中御座」を担ぐ三若会が、
その商店街周辺の住民で構成されています。


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今度は三条通から、新町通を南に向きました。
では、ここからはずっと新町通を南下します。
ちなみに、残りの山鉾はすべて新町通沿いです。


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三条通から、新町通を約30m南下しました。
たくさんの方々が、こちらの商家の中を覗いておられます。


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こちらが、その商家の室内です。
青い御座の上に箏が置かれて、檜扇が活けられています。
檜扇(ひおうぎ)はこの時期に咲く花で、祇園祭の象徴的存在です。
さらに、その周囲を屏風が覆います。
元々祇園祭では、このように各商家が自家所蔵の美術品を
宵山散策しておられる方々に見せる風習がありました。
ところがバブル崩壊以降そのような商家が少しずつ減少して、
現在は後祭の新町通沿いにのみ残った風習となりました。
ですからその風習が残った新町通沿いに限定して、
祇園祭を「屏風祭」と呼ぶようになりました。


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こちらは、その向かい(西側)の商家です。
2016年はこちらも屏風祭に参加していましたが、
今年(2022年)は参加されていませんでした。
ちなみに、「つがいの鳩」は八幡神の神使です。
ですから、八幡山の町衆はこの「つがいの鳩」を掲げます。
(2016年の様子は、第415回ブログ参照)


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その商家の前で、新町通を南に向いています。
この先に、八幡山が立っています。


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こちらが、八幡山です。
鷹山と比べてだいぶ小さいですが、
こちらは数名の担ぎ手によって持ち運ばれる「担ぎ山」です。
ご神体はいらっしゃいませんが、
装飾品は既に大半が取り付けてあります。


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八幡山の東側に狭い通路が伸びていて、
その先が八幡山の会所です。
京町家にブリキ製の表札が付いています。
「中京区新町通三条下がる 三条町」と書かれています。
つまり、八幡山が立つ山鉾町が「三条町」です。


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先程の「ウナギの寝床」状の通路を東に進むと、
約20m先に八幡山の会所があります。
では、こちらを見て回ります。


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こちらには、装飾品の一部と
古くて取り付けられなくなった装飾品が展示されています。
こちらは、左甚五郎作の「つがいの鳩」です。
左甚五郎の作品は、祇園祭山鉾の装飾品に多いですね。


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八幡山会所の向かい(北側)に、八幡社の祠がいらっしゃいます。
要するに、ここは小さな八幡神社です。
そしてこの八幡社の祠そのものを掲げた山が、八幡山です。
町の小さな神社を掲げた山は前祭に多く、
霰天神山や油天神山がその例です。
(霰天神山は第848回ブログ参照で、油天神山は第850回ブログ参照)


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八幡社の祠の前から、通路を西に向きました。
では、この通路を西に戻ります。


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……と思ったら、八幡山会所でこちらが売られていました。
陶器製の鳩笛です。大きさも、いろいろあります。
「つがいの鳩」が八幡山の象徴だからでしょうね。


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鷹山の会所から、通路を西に進みました。
では、新町通に戻り南下を続けます。


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八幡山会所から、新町通を南に向いています。
この辺りは、室町時代から西陣織など繊維関係の問屋が並びます。
そちらが祇園祭を資金面で支えていますが、
その多くが祇園祭期間中に自家の商品を売り出します。
祇園祭を散策される方々の中には、
その大売り出しを目当てにされる方も結構いらっしゃいます。


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大売り出しをされていた呉服問屋さんの向かい(西側)にも、
こちらのビルに多くの方々がやって来られていました。
毎年祇園祭期間中には、こちらも金屏風を展示されます。
新町通沿いのビルの多くが、もともとは古い商家です。
ですから、このようなビルでも美術品を展示されることが多いです。


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祇園祭後祭期間中は、こちらのビルはお休みです。
ただ、こちらの金屏風を毎年展示されています。
こちらは、尾形光琳の代表作のレプリカです。
ただし同じレプリカでも、作成者が円山応挙となれば話が変わります。
青年時代の円山応挙が、練習のために作成されたそうです。


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金屏風の立つビルの前で、新町通を南に向いています。
この先で新町通は、六角通と交差します。


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新町通から、六角通を東に向いています。
ずっと先に、小さく浄妙山が見えますね。
第415回ブログではこちらを進み黒主山と浄妙山へ進みましたが、
2022年はそちらは先に回っています。
(詳細は、第868回ブログ参照)


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今度は六角通から、新町通を南に向きました。
今回ブログではこのまま新町通を南下します。


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六角通から、新町通を約50m南下しました。
こちらに、曳山1番北観音山の北観音山が立ちます。
ちなみに、祇園祭後祭の曳山は、すべて順番が決まっています。


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こちらが、北観音山です。
真松が立つ「山」ですが、大きな車輪が付いた曳山です。
ですから、山鉾巡行の際には「辻回し」が行われます。
楊柳観音を祀る山なので、この名前が付きました。
ですから、山鉾巡行の際には柳の枝が取り付けられます。


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北観音山から、新町通を南に向いています。
この辺りのビルや京町家も、古からの商家です。
ですから、「新町通の屏風祭」もまだまだ続きます。
まずは、右(西)側に見える京町家を覗きます。


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こちらが、その店内の様子です。
インド製絨毯の上に檜扇が活けられ、その周囲に金屏風が並びます。
実は背後の坪庭も立派なのですが、うまく撮れませんでした。


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その京町家から、新町通を南に向いています。
こちらにも、たくさんの方々がいらっしゃいますね。
実は、こちらは先程の京町家と同じ家屋の窓です。


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その窓から、屋内を覗きました。
中央に高さ1mほどの北観音山の模型が置かれ、
その奥に檜扇が活けられています。
そして、その周囲に見事な屏風がずっと奥まで並びます。


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先程の呉服問屋から、新町通を約50m南下しました。
ここで新町通は、蛸薬師通と交差します。
蛸薬師通は、祇園祭前祭と後祭の境界線ですね。


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新町通から、蛸薬師通を東に向いています。
約200m先に、第867回の橋弁慶山が立ってます。
この手前の京町家はもともと布袋山の会所でした。
ただ布袋山は一時期復活の話が合ったのですが、
現在はその活動が停止されています。


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今度は、蛸薬師通から新町通を南に向きました。
蛸薬師通を境界線で祇園祭の山鉾町は前祭と後祭に分かれますが、
北観音山と親交の深い南観音山と、
祇園祭後祭山鉾巡行の最期を務める大船鉾は、
蛸薬師通以南でも祇園祭後祭に立ちます。
ただかなり写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、さらに新町通を南下します~

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第871回 南観音山屏風祭~祇園祭後祭宵山散策~その5

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前回ブログから新町通の屏風祭を南下して、
蛸薬師通から新町通を南に向いています。
今回は、新町通をこのまま南下して四条通に進みます。
撮影日は、2022年7月22日金曜日午後4時半。
祇園祭後祭宵山散策編は、あと2回続きます。
 

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蛸薬師通から新町通を南下すると、こちらのお店があります。
和装雑貨店のくろちくですね。
ただし、こちらは本店ではありません。
くろちくは、この近辺に数店舗持っていて
こちらはそのうちの1軒です。


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そのくろちくの南隣にも和装雑貨店がありますが、
こちらは「あざらし堂」という別のお店です。
2012年には、ウチの母がこちらで暖簾を買っていました。
ちなみに、その暖簾は現役でウチで使っています。


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その「あざらし堂」の向かい(東)側に、
本門仏立宗の瑞漣寺が建っています。
本門仏立宗は一見馴染みのない宗派ですが、元は日蓮宗です。
日蓮宗は特に民主的な宗派である性質上、論争が盛んです。
その結果、日蓮宗から数多くの分派が生まれました。
本門仏立宗は、その中でも特に京都に多くの寺院を持つ宗派です。
中でも、宥清寺が代表的寺院ですね。


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こちらは瑞漣寺の向かい(西)側で、「あざらし堂」の南隣です。
こちらが、和装雑貨店「くろちく」の本店です。


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「くろちく」の店頭には、祇園祭山鉾の模型が並んでいました。
よく見ると、2022年の巡行順にきちんと並んでいました。
(この写真は見切れていて、写っているのはほんの一部です)


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こちらが、「くろちく」本店内の様子です。
元々新町通には西陣織の呉服問屋が多いのですが、
一方で和装小物のお店も結構建ち並んでいます。
そして、その中の1軒がこちらの「くろちく」です。


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「くろちく」本店の前で、新町通を南に向いています。
約50m先に、南観音山が立っています。


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南観音山の東側に、「別格」というパン屋さんがあります。
クロワッサンを中心に、何種類かのパンを売っています。
こちらは2022年に入って、
PORTA Kitchenにテナントを出しています。


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こちらが、南観音山です。(南側から北を見ています)
こちらのご神体も、楊柳観音です。
前回ブログの北観音山と同じですね。
実は北観音山と南観音山の町衆は、とても仲良しです。
南観音山は蛸薬師通以南に立ちますので、
元来は祇園祭前祭に参加すべき山です。
それが祇園祭後祭に参加するのは、
先述の北観音山との関係性からです。
毎年7月24日午前0時に、
楊柳観音像が北観音山と南観音山を行き来する
「暴れ観音」という独自の神事もあります。


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南観音山の前で、新町通を南に向いています。
新町通の右(西)側に、ショウケースが並びますね。


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ショウケースのガラスにいろいろ写っていて分かりにくいですが、
こちらのケースには様々な屏風が入っています。
見事な絵画が並ぶのですが、写真には写りません……


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ショウケースの最南端には、団扇が入っています。
原色の花々が描いてあって、なかなか見事ですね。


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南観音山から、新町通を約50m南下しました。
ここで新町通は、錦小路と交差します。


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新町通から、錦小路を西に向いています。
新町通より西の錦小路には、祇園祭の山鉾は立ちません。
平日のこの辺りは、第606回ブログ参照です。


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今度は新町通から、錦小路を東に向きました。
祇園祭前祭宵山では、約50m先に霰天神山が立っていました。
ただ祇園祭後祭宵山では、山鉾は一切立っていません。
前祭期間中は、霰天神山西隣の中華料理店膳處漢ぽっちゃり
名物の浸みだれ肉まんを売っていましたが、
祇園祭後祭期間中はそちらも売られていません。
(祇園祭前祭宵山期間中の様子は、第848回ブログ参照)


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さらに錦小路から、新町通を南に向いています。
祇園祭前祭宵山期間中はこちらに放下鉾が立ちましたが、
祇園祭後祭期間中には何も立たず、通常運転です。
では、新町通をさらに南下します。


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錦小路から、新町通を約50m南下しました。
祇園祭前祭期間中に放下鉾が立っていた位置の右(西)側に、
割烹料理店の「いち」が露店を出しています。
こちらは祇園祭前祭期間中だけでなく、
祇園祭後祭期間中にも露店が出ていて、結構賑わっています。
ビールなど飲み物も売られていましたが、
こちらには祇園祭期間中の名物があります。


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こちらは、露店に並んでいたイスです。
食事中は、こちらに座らせて戴きました。


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割烹料理店「いち」の名物が、ハモカツバーガーです。
(600円です)
ハモのフライを梅肉入りのタルタルソースに絡めて、
トマトとレタスをトッピングして戴きます。
「ハモ落とし」などハモ料理はよく梅干しで戴きますが、
そちらがタルタルソースに混合されていて、
通常よりかなり酸っぱいソースに仕上がっています。
自分は毎年戴くことにしていましたが、
ここ数年は祇園祭自体が中止でお預けでした。
今気づいたのですが、
こちらが2022年の自分の「初ハモ」でした。


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そのハモカツバーガーを戴きながら、こちらを眺めていました。
こちらの京町家は、放下鉾の会所です。
通常は、このように閉まっています。


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割烹料理店「いち」の前で、新町通を南に向いています。
では、このまま新町通を南下します。


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割烹料理店「いち」の前から、新町通を約50m南下しました。
ここで新町通は、四条通と交差します。


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新町通から、四条通を西に向いています。
祇園祭前祭宵山期間中なら、この先に郭巨山が立っていました。
ただ、祇園祭後祭期間中は完全に通常モードです。
(祇園祭前祭宵山の様子は、第849回ブログ参照)


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今度は新町通から、四条通を東に向きました。
こちらにも祇園祭前祭宵山期間中は
月鉾や函谷鉾が立ちましたが、
祇園祭後祭期間中には山鉾が一切立ちません。
(月鉾が立っている様子は第853回ブログ参照で、
函谷鉾が立っている様子は、第846回ブログ参照)


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さらに四条通から、新町通を南に向いています。
祇園祭後祭期間中の四条通沿いは完全に通常モードでしたが、
四条通以南でも新町通沿いには大船鉾が立ちます。
祇園祭後祭唯一の「鉾」ですね。
あとはあちらに行けば祇園祭後祭を完遂なのですが、
ちょうど切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は大船鉾を回り、祇園祭後祭宵山散策を終えます~

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第872回 大船鉾で上がり~祇園祭後祭宵山散策~その6

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第870回ブログ前回ブログと新町通を南下し、
四条通から、新町通を南に向いています。
この先に、大船鉾が見えます。
祇園祭後祭山鉾巡行で最後尾の山鉾が、
宵山散策での最後の山鉾です。
今回はこの大船鉾を眺めてから、帰宅します。
撮影日は、2022年7月22日金曜日の午後5時。
今回で、祇園祭後祭宵山散策が終わります。


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横断歩道を渡り、四条通から新町通を南に向きました。
この先に、大船鉾が立ってます。
大船鉾は祇園祭後祭の山鉾の中でも人気があるので、
周囲はとても賑やかです。
(重要文化財に囲まれた鯉山や
2022年に復活した鷹山と同等の人気ですね)


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またこの辺りは写真撮影する方で混み合いますので、
歩行者は「左側通行」のようです。
ちなみに、大船鉾が立つこの辺りが
「下京区新町通四条下る 四条町」です。


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四条通から、新町通を約50m南下しました。
この辺りから立ち止まる方々が多いので、
自動車が通らなくても、人人人で渋滞します。


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こちらが、人々が混み合う原因です。
こちらが、大船鉾のベストポジションです。
この角度の写真を撮りたくて、多くの方がここで立ち止まられます。
2022年の舳(へさき)は、龍神像ですね。
こちらは、瀧尾神社龍神像を作成された方の子孫が作成されました。
また、こちらの舳は紙垂型と1年おきに交代します。

大船鉾は、前祭の船鉾と同じ天鳥船を模った鉾です。
「鉾」と言っても天頂部に鉾はなく、「船鉾」という特殊形態です。
神功皇后が朝鮮半島諸国に勝利した凱旋を表しています。
その「勝利」の象徴である大船鉾は、
山鉾巡行では後祭の最後尾を毎回努めます。


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大船鉾後ろ半分を撮りました。
「大」船鉾という名前ですが、実は船鉾より一回り小さな鉾です。
さらに胴掛が縦縞なことと、赤漆塗りの舵(かじ)が大船鉾の特徴です。
山鉾巡行中は、ご神体の神功皇后像が舵の上の祠に鎮座されます。


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大船鉾の南側に、長蛇の列ができています。
こちらの列に一緒に並ぶと、大船鉾の上に上れます。


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ここから先は、2016年7月23日土曜日の写真です。
大船鉾復活から1年経ったこの年に、
この行列に並んで鉾の上に上りました。
並びだしてから約30分後、こちらの京町家に入りました。
こちらが、大船鉾の会所です。
(当時の様子は、第418回ブログ参照)


418-8.jpg
大船鉾の会所に入ってすぐに、「たたき」で靴を脱ぎます。
そして、この箱階段から2Fに上がります。
大船鉾の会所は、典型的な京町家の構造ですね。


418-12.jpg
大船鉾会所の2Fに上がってきました。
2016年はコロナ禍以前なので、
皆さんマスク無して「蜜」に集結しています。
この部屋の左(北)側で順番待ちの方が待機していて、
周囲の大船鉾の装飾品を眺めています。


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その部屋の周囲の床の間に、
こちらの掛け軸が掛かっていました。
「八大王子 祇園牛頭天王 水将弁天王」と書かれています。
祇園牛頭天王は、神仏分離令以前は八坂神社の主神でした。
(現在は、素戔嗚尊です)
水将(水晶)弁天王は、おそらく玻璃采女のことでしょうね。


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いよいよ自分に大船鉾の上に上る順番が来ました。
先程の部屋の大きな窓に通路が組み上げられていて、
そちらを通って大船鉾の上に向かいます。


418-14.jpg
その通路から、新町通を北に向きました。
まぁコロナ禍以前(2016年)ですから、相当の人出です。
右(東)側の集団は、この大船鉾の上がる順番待ちの方々です。


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さらにその通路上で、大船鉾の舳に向いています。
当時(2016年)は、龍神像に金箔がまだ貼られていませんでした。


418-16.jpg
遂に大船鉾に入ってきました。
大船鉾は船鉾と比べて小さいのですが、
1回に20人くらいが詰め込まれていました。


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こちらは、大船鉾の床部分です。
復活して2年目の2016年ではまだまだ材木が露出していますが、
2022年ともなると様々な装飾が施されているようです。


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さらに、大船鉾の天井部分です。
丁寧に金箔が貼られていますが、
6年経った2022年はさらに凝った装飾に変わっています。


418-20.jpg
大船鉾最南端に、こちらの祠があります。
山鉾巡行の際は、この中に神功皇后像が入られます。


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そろそろ次の方々と交代する時間が来ました。
では、こちらの通路から大船鉾会所の2Fの窓に戻ります。


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大船鉾会所に戻ると、先程とは別の箱階段から地上階に降ります。
そして、このまま靴を履いて新町通に戻りました。
2016年7月23日土曜日の写真は、ここまでです。


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この写真から、2022年7月22日金曜日に午後5時に戻ります。
大船鉾会所の南隣も、大船鉾会所です。
こちらの会所には、神功皇后のご神体がいらっしゃいます。
ただ祇園祭の神功皇后像は、通常写真撮影禁止です。
ですから、こちらではこれ以上中で撮影できません。


872-8.jpg
大船鉾会所から、新町通を南に向いています。
この先の白いテントの下で、京都の土産物を売っています。
実は、これは2015年に大船鉾が復活して以来ここにある売店です。
ちなみに大船鉾の粽(ちまき)や手拭いは、
先程の会所内で売られています。


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その白いテントで、ウィンドウショッピングします。
白いテントの北西端で、日本酒が売られていました。
京都市南部の伏見区で醸造された日本酒が有名ですが、
こちらは京都市北部の上京区や中京区など
京都市街地の中心部で醸造されたお酒ですね。


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先程と同じ白いテントの北東端には、
大安の京漬物が売られていました。
よく見ると、祇園祭後祭のために作られた特別な商品です。


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白いテントの北東端から、少しずつ南下しています。
大安の売店の南隣は、佃煮を売っていました。


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白いテントの南東端には、和菓子が売られていました。
こちらは、若菜屋の売店です。
大船鉾の焼き印が入った和菓子のようですね。


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2015年7月22日水曜日に、大船鉾脇のテントでこちらを買いました。
大船鉾のイラストの入った紙箱ですね。
(当時の様子は、第322回ブログ参照)


332-5.jpg
若菜屋の和菓子に、一保堂の抹茶を添えてみました。
(抹茶の銘柄は、忘れてしまいました……)
形状は違いますが、こちらは三笠饅頭と食感と味が同じでした。
ただし中は小豆餡ではなく、シナモン入りの求肥でした。
戴くと、シナモンの香りと味が前面に出ていました。


872-13.jpg
また、2022年7月22日金曜日の写真に戻ります。
大船鉾脇の白いテントの南端で、新町通を南に向いています。
これで、祇園祭後祭の山鉾をすべて見物しました。
取り敢えず、新町通を南下し続けます。


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大船鉾から、新町通を南下し続けています。
京都市街地屈指の繁華街「四条烏丸」交差点に近いせいか、
新町通沿いにはたくさんの飲食店が並びます。


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大船鉾から、新町通を約50m南下しました。
ここで新町通は、綾小路と交差します。


872-16.jpg
綾小路から、新町通を南に向いています。
飲食店も建ち並ぶものの、この辺りは西陣織の問屋街です。
(前祭、後祭にかかわらす、祇園祭の山鉾が立つ地域は
すべて西陣織の問屋街です)
そしてこの西陣織の問屋が、祇園祭を資金面で支えてきました。
(つまり国家や地方の予算は、ほぼ使っていません)

2022年7月22日金曜日はこの辺りは通常運転ですが、
祇園祭前祭では、綾小路から約50m南に船鉾が
約150m南に岩戸山が立ちました。
(祇園祭前祭の様子は、第852回ブログ参照)


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今度は新町通から、綾小路を東に向きました。
今回は、ここから東に向かいます。


872-18.jpg
新町通から、綾小路を約50m東に進みました。
またこちらに、飲食店が建っています。
看板が二つあるのでどちらが屋号か分かりませんが、
いずれにしても豚肉メインの焼肉屋さんと分かります。
(「ttaeji」(テジ)とは、韓国語で「豚肉」という意味です)


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その焼肉屋さんの東隣が、大原神社です。
元々は、京都府福知山市の大原神社が勧請されたものです。
祇園祭前祭では、この大原神社が綾傘鉾の会所です。
綾傘鉾は前祭に立つ鉾ですが、
後祭期間中でも大原神社は開いています。
(ちなみに、祇園祭が終わると大原神社は門を閉じてしまいます)


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取り敢えず、大原神社境内に入ってきました。
2015年も、2016年も祇園祭後祭宵山期間中は、
大原神社社務所で綾傘鉾の粽(ちまき)と手拭いを売っていましたが、
今年(2022年)の大原神社境内は無人でした。
せっかくここまで入ったので、この先に見える本殿にお参りしました。


872-21.jpg
大原神社境内で、本殿を背に南に向いています。
では大原神社を出て、綾小路に戻ります。


872-22.jpg
大原神社の前で、綾小路を東に向いています。
では、このまま東に進みます。


872-23.jpg
大原神社から、綾小路を東に進んでいます。
こちらに、「焼肉 京はやし」が建っています。
近鉄電車「東寺」駅前の本店は、
自分が個人的に選ぶ「京都3大焼き肉店」の1軒です。
(残りは、京都市南区の水月亭と京都市下京区の大香園です)


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大原神社から、綾小路を約50m東に進みました。
ここで綾小路は、室町通と交差します。


872-25.jpg
綾小路から、室町通を北に向いています。
右(東)側に、京都経済センタービルが建っています。
1Fと2Fに、テナントの飲食店が入っています。
祇園祭前祭宵山期間中ではこの先に鶏鉾が立っていましたが、
後祭のこの日(2022年7月22日)には何も立っていません。
(鶏鉾の様子は、第854回ブログ参照)


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今度は綾小路から、室町通を南に向きました。
祇園祭前祭宵山期間中はこちらに白楽天山が立ちましたが、
祇園祭後祭宵山期間中は、何も立ちません。
(白楽天山の様子は、第855回ブログ参照)


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さらに室町通から、綾小路を東に向いています。
左(北)側に見える京都経済センタービルの地階に、
京都市バスの大きな車庫があります。
そのためこの辺りの交通量が多く、道幅もかなり広くなります。
では、このまま東に進みます。


872-28.jpg
室町通から、綾小路を約100m東に進みました。
ここで綾小路は、烏丸通と交差します。


872-29.jpg
「綾小路烏丸」交差点で烏丸通東側歩道へ渡ると、
目の前のビルに地下へ通じる階段が見えます。
ではここからその階段で地下に降りて、
そのまま地下鉄「四条」駅から地下鉄烏丸線に乗って、帰宅しました。

~「2022年祇園祭後祭宵山散策編」は、これで終了です~

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第873回橋弁慶山巡行~2022年祇園祭後祭山鉾巡行~その1

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前回ブログで、祇園祭後祭宵山の連載が終了しました。
ただ祇園祭後祭の本番は、7月24日の巡行にあります。
午前中の山鉾巡行と夕方の神輿巡行ですね。
先ずは、ここから祇園祭後祭山鉾巡行を連載します。


873-1.jpg
京都駅から国際会館行きの京都市営地下鉄に乗って、2駅。
「四条」駅から約100m北上して、阪急電車「烏丸」駅に移動します。
さらに「烏丸」駅から、阪急電車を1駅だけ乗りました。
こちらは、阪急電車京都線の終点「河原町」駅です。
今回はここから「四条河原町」交差点に進み、
祇園祭後祭山鉾巡行を見物します。
撮影日は2022年7月24日日曜日午前9時50分。
日差しの強い猛暑日でした。


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1駅だけですが、今まで乗っていた特急電車を降ります。
「河原町」駅ホームは、休日の午前中としては結構な人出でした。


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阪急電車「河原町」駅ホームを南下すると、
すぐにこちらのエスカレーターに辿り着きました。
では、ここから阪急電車「河原町」駅コンコース階に上がります。


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先程のエスカレーターに乗り、
阪急電車「河原町」駅コンコース階に上がってきました。
では、目の前の改札口から阪急電車「河原町」駅を出ます。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口を出て、
地下道を南に向いています。
目の前に5番出口があります。
こちらを進むと、京都高島屋地階の脇を通って
京都市街地随一の繁華街「四条河原町」交差点に出ます。
そのあたりが今回ブログの目的地なのですが、
ちょっと寄りたいところがあるので、ここを進みません。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口を出て、地下道を西に向いています。
この地下道は、1963年に阪急電車京都線が
地下鉄化した際に造られました。
高瀬川~室町通間の約1㎞伸びる長い地下道です。


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阪急電車「河原町」駅中央改札口から地下道を約50m西に進み、
北を向いています。
では、こちらの6番出口から地上に出ます。


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その6番出口の階段を上がっています。
こちらを上がると、目の前に四条通が東西に伸びています。


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6番出口を上がり、四条通に出て南に向いています。
京都高島屋の最西端部分は、現在工事中ですね。
目の前のモスバーガーは、第861回ブログに出てきました。


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6番出口から、四条通を西に向いています。
祇園祭山鉾巡行は御池通で始まっていますが、
この辺りに来るまで1時間以上かかるようです。
ですから、まだ車両は通行可能でした。
2022年7月24日日曜日は、1日中快晴でした。


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6番出口から、四条通を西に約50m進みました。
「四条寺町」交差点の手前に、八坂神社御旅所があります。
2022年祇園祭前祭山鉾巡行を眺めていたのが、この辺りです。
(祇園祭前祭山鉾巡行の様子は、第857回ブログ参照)


873-12.jpg
では「四条寺町」交差点の北東角から、横断歩道を南に渡ります。
この先が、八坂神社御旅所です。


873-13.jpg
ここから、八坂神社御旅所を西から順に参拝します。
(八坂神社御旅所は、「四条寺町」交差点から
四条通沿いに東へ社や祠が並びます)
御旅所最西端は、冠者殿社です。
ご祭神は、素戔嗚尊の荒魂です。
創建はかなり古くてはっきりしませんが、
京都市街地をあちこち移転し続けて、
約150年前にこの地に鎮座されました。
その左(東)側は、八坂神社御旅所西御殿です。
こちらも八坂神社ですから、ご祭神は素戔嗚尊です。


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八坂神社御旅所西御殿の左(東)側は、
普段は土産物屋さんが建ち並ぶスペースです。
ただ八坂神社神幸祭と八坂神社還幸祭との間は、
このように八坂神社のお御輿が安置されています。
(要するに、7月17日~7月24日ですね)
お御輿は左から、八柱御子神を載せる西御座、
素戔嗚尊を載せる中御座、奇稲田姫を載せる東御座です。


873-15.jpg
お御輿の東隣は、八坂神社御旅所西御殿です。
こちらのご祭神も、素戔嗚尊です。八坂神社の主神ですね。
こちらも参拝して、先に進みます。


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八坂神社御旅所から、四条通を東に向いています。
では、ここから四条通を東に進みます。


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八坂神社御旅所から、四条通を約100m東に進みました。
右(南)側にGUCCI(グッチ)のお店が見えますが、
その辺りから百貨店の京都高島屋です。


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その京都高島屋のショウウィンドウに、
洛中洛外図屏風が飾られています。
しかも、画題が一番多く描かれた祇園祭山鉾巡行の様子ですね。
「四条河原町」交差点付近には山鉾が立ちませんが、
この辺りも祇園祭山鉾町に相当します。
ですから老舗百貨店の高島屋も、このように屏風を展示します。
(もともと高島屋は、祇園祭山鉾町の呉服問屋でした)


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洛中洛外図屏風の祇園祭山鉾巡行の最後尾に、
白鷺の扮装をした方々が描かれています。
祇園祭で山鉾巡行が行われるようになったのは室町時代以降で、
平安時代の祇園祭ではこのような扮装をした方々が巡行されました。


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その京都高島屋は、「四条河原町」交差点北西角に建っています。
この辺りが、京都市街地でいちばん賑やかな場所です。
では京都高島屋に沿って、四条通から河原町通に進みます。


873-21.jpg
四条通から、河原町通を南に向いています。
自分がうろうろ歩いているうちに、
河原町通は車両通行止めになってました。
ですから、ここから車道上に侵入できます。
……ということで、この辺りで山鉾巡行を撮影します。


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先程の写真から、約30分経ちました。
この時点で、2022年7月24日日曜日午前10時半です。
実は約30分間、京都高島屋店内で涼んでいました。
この日(2022年7月24日日曜日)は、朝から猛暑でした。
……ということで、ここから河原町通の車道に移ります。


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河原町通の車道から、「四条河原町」交差点を北に向いています。
ではこの位置で、祇園祭後祭山鉾巡行を待ちます。


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さらに10分後の2022年7月24日日曜日午前10時40分。
パトロールカーが河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に近づいてきました。
こちらは、祇園祭後祭山鉾巡行を先導しています。
つまり、ここから祇園祭後祭山鉾巡行が始まります。


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先導のパトロールカーが、「四条河原町」交差点に入ってきました。
葵祭など京都市街地を巡行するお祭り行列の先頭は、
警察車両が先導します。


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河原町通を南下していたパトロールカーが、
右折して四条通を西へ進んでいきます。
その直後から、幟を持つ方が河原町通を南下しておられます。


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パトロールカーが「四条河原町」交差点を去った後、
「四条河原町」交差点に侵入された方がいらっしゃいました。
その方が、「四条河原町」交差点上に水が入った桶を置かれました。


873-28.jpg
そうこうしているうちに、幟を持った方が
「四条河原町」交差点に来られました。
ちなみに、祇園祭は厳密には「祇園会」と言います。
その後ろに、榊を持たれた方も近づいて来られました。


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幟を持たれた方と榊を持たれた方が、
他の方々共々「四条河原町」交差点を東に向かれています。
そちらの方(四条通最東端)に八坂神社がいらして、
こちらの方々は八坂神社に拝礼されています。


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その後幟を持たれた方は、この左(西)で待機されています。
そして榊を持たれた方が、桶の水に榊を浸されます。
さらに、水に漬かった榊を翳されました。


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榊を持たれた方が、「四条河原町」交差点を西に向かれました。
そして、また榊を桶の水に浸されます。


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そのまま榊を翳されて、西へ榊に付いた水を飛ばされます。
こうして山鉾巡行を先導して、通りを清められて行かれます。
……のですが、写真がブレておかしな角度で撮れてしまいました。


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榊を持たれた方が四条通を西へ去られた後、
清められた「四条河原町」交差点に祇園祭の山鉾が入ってきます。
先ずは、くじ取らず順番固定の「担ぎ山1番」橋弁慶山ですね。


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橋弁慶山が、「四条河原町」交差点の中央に入ってきました。
橋弁慶山は、謡曲の橋弁慶を題材にしています。
少年時代の源義経武蔵坊弁慶が、五条大橋で決闘したお話ですね。
この後負けた武蔵坊弁慶は、源義経の忠実な家臣となりました。
ですから、こちらは忠義を描いた山でもあります。


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「四条河原町」交差点の中央まで来ると、
橋弁慶山の担ぎ手の皆さんが力を溜め始められました。


873-36.jpg
そして、そのまま橋弁慶山を担ぎ上げられました。
この時点まで、橋弁慶山は下に付いた小さな車輪で動いていました。


873-37.jpg
橋弁慶山の担ぎ手の皆さんは
橋弁慶山を南向きから西向きに方向転換をされると、
そのまま橋弁慶山を下ろされました。
この角度だと、少年時代の源義経と武蔵坊弁慶がよく見えます。


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すると、橋弁慶山の担ぎ手の皆さんが
橋弁慶山を西へと押していかれました。
担ぎ山の下部には写真が付いていて、そのまま押すことができます。


873-39.jpg
橋弁慶山が四条通を西へ去った後、
くじ取らず順番固定の「曳山1番」北観音山の登場です。
曳山は担ぎ山より大きく、担ぐことができないので大人数で曳きます。
ここから北観音山の「辻回し」が始まりますが、
だいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、この北観音山の辻回しを掲載します~

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第874回 北観音山辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その2

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873-39.jpg
前回ブログで四条通を西に去った橋弁慶山の町衆が、
「四条河原町」交差点を東に向かれて、
約900m先の八坂神社へ拝礼されています。
その直後から、くじ取らず順番固定の「曳山1番」北観音山が
河原町通を南下しています。
今回は、北観音山の辻回しを中心に掲載します。
撮影日は、2022年7月24日日曜日午前10時45分。
前祭同様、後祭も2022年の山鉾巡行は快晴の猛暑です。


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前回ブログに登場した橋弁慶山は数人で担げる大きさでしたが、
「鉾」と同じ大きさの北観音山は30人ほど囃子手さんが同乗します。
つまり北観音山が近づくにつれ、祇園囃子の音色が近づいてきます。
ですから「鉾」同様30人ほどの曳手さんによって曳かれますが、
あくまで「山」ですから天頂部は鉾ではなく松の木が立ちます。
このような形式を「曳山」と言います。


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「北観音山」と書かれた幟を掲げられる方が、
「四条河原町」交差点を左(西)に進まれます。
一方「四条河原町」交差点中央に数人の方々が集まり、
乾竹(竹を縦に割いて、細長い棒状にしたもの)が並べられています。
ここから、北観音山「辻回し」の準備が始まります。


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北観音山が「四条河原町」交差点の中央に達する前に、
乾竹がきれいに並べられていきます。
このから竹の上に北観音山の前輪を載せて、
曳き手さんたちの力で強引に北観音山を方向転換します。
この行為を「辻回し」と言います。
ちなみにこの日(2022年7月24日)のように乾燥していれば、
乾竹の上に水をかけて前輪を滑りやすくします。


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北観音山が、「四条河原町」交差点の中央にやって来ました。
すると北観音山の曳手さんたちが、自分たちの目の前に来られました。


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北観音山の曳手さんたちは自分たちの間の前から、
四条通の西の方に移動されました。
今から「辻回し」によって、南向きの北観音山を西向きに変えます。


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曳き手さんたちの準備が整うと、
北観音山中央下にいらっしゃる音頭取りの方々が
手に持たれた扇子を振りかざされます。


874-6.jpg
「えいやらや~」という音頭取りの方々による掛け声で、
四条通にいらっしゃる曳手さんたちが一斉に山を曳かれます。
すると、北観音山が約40°西へと曲がりました。


874-7.jpg
これで、北観音山の1度目の辻回しが終わりました。
北観音山は大きいので、大きな角度を回ると転倒します。
そのため、3度~4度これを繰り返します。
この段階では乾竹を追加されて、
北観音山がさらにこの先も曲がれるようにされています。
桶の中の水を乾竹にかけて、滑りやすくされています。


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その作業の様子を大写ししました。
手慣れた様子で、乾竹を並べておられますね。
両端の音頭取りの方々が、
前輪を固定されておられる様子も見て取れます。


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乾竹を並べ直されて、再び音頭取りの方々が扇子を振りかぶられます。
そして、音頭取りの方々が「えいやらや~」と声を掛けられます。


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すると、北観音山がさらに30°曲がりました。
これで、合計70°曲がりました。
次の辻回しで、90°曲がるでしょうね。


874-11.jpg
また、乾竹を並び直される様子を大写ししました。
北観音山の囃子手さんたちは、この間も演奏を続けておられます。
「辻回し」の際には、リズムの早い激しい曲を演奏されていました。


874-12.jpg
乾竹を並べる作業が、まだ続いています。
この時点で辻回しが始まって、10分以上経ちました。
いろいろ意見があるでしょうが、
これは結構早いペースで作業をされていると思います。


874-13.jpg
乾竹を並べ終えて、最後の辻回しです。
音頭取りの方々が、「えいやらや~」と掛け声をかけられました。


874-14.jpg
すると、北観音山がさらに20°回転しました。
これで、北観音山が90°曲がりました。
これで、北観音山の辻回しが無事終わりました。
この間、北観音山の辻回しは約15分かかっていました。


874-15.jpg
とは言え、まだまだ後片付けが残っています。
北観音山で使われた乾竹は、北観音山の底に収納されます。
ちなみに北観音山には、楊柳観音が安置されています。
そのため、北観音山後部には柳の枝が付きます。


874-16.jpg
乾竹を収納し終えると、北観音山の辻回しが完全に終わりました。
すると音頭取りの方々が扇子を前に振りかざし、
「えいやらや~」と掛け声を揚げられます。


874-17.jpg
すると、北観音山が四条通を西に進まれます。
これで北観音山は、八坂神社御旅所方面に去って行かれました。


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北観音山が「四条河原町」交差点を去った後は、
2022年「担ぎ山2番」浄妙山が登場しました。
平安時代末期の宇治川の戦いを描いた山ですね。


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浄妙山の幟を持たれた方が、四条通を西に向いていかれます。
一方、浄妙山の町衆は「四条河原町」交差点を東に向いておられます。


874-20.jpg
浄妙山の町衆が、「四条河原町」交差点で東へ一礼されました。
これは、約900m先の八坂神社に拝礼されています。


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浄妙山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
すると浄妙山の担ぎ手さんたちが、力を溜められます。


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そして担ぎ手さんたちは、浄妙山を持ち上げられました。
担ぎ山は大きな車輪も付いていないので、こうして方向転換します。


874-23.jpg
浄妙山が、四条通を西に向いています。
曳山よりも小さな担ぎ山も小さな車輪がついているので、
ここからは担ぎ手さんたちが浄妙山を押していかれます。
浄妙山は宇治川の戦いで源義経側に立って戦った僧兵の
浄妙を表した山です。
浄妙が一番名乗り(戦で、最初に名乗ること。褒章が出ます)を
狙って味方の先頭に出た瞬間、
後方にいた僧兵の一来法師に頭上を飛び越されて、
一番名乗りを逃した物語を題材にしています。
「一生懸命頑張ったけれど、残念な結果で終わった」
そういうことを経験した人を讃えるちょっと変わった山です。


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浄妙山が、四条通を西に進みます。
浄妙山は、飛び越える一来法師を頭に載せた変わった山です。
ちなみに、史実の一来法師はこの直後に切り殺されました。


874-25.jpg
浄妙山が四条通をに西に去った後、こちらの荷車が通り過ぎました。
この中には、熱中症対策の水などが入っておるのでしょうね。


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浄妙山の後は、鯉山、鈴鹿山と続きます。
ただこの辺りが切りがよいので、今回はここまでです。

~次回は、南観音山の辻回し中心に掲載します~

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第875回 鯉山 南観音山~祇園祭後祭山鉾巡行~その3

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前回ブログで辻回しをされた北観音山に続き、
2022年祇園祭後祭の「担ぎ山3番」鯉山が
「四条河原町」交差点に登場です。
今回は鯉山に続いて、鈴鹿山と南観音山の巡行を掲載します。
撮影日は、2022年7月24日午前11時15分。
炎天下の中、山鉾巡行が続きます。


875-1.jpg
「鯉山」の幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点に入って来られました。
その方は、そのまま四条通を西へと進まれます。
そして、その後ろから、鯉山が
「四条河原町」交差点に入ってきました。


875-2.jpg
その鯉山を正面から見ています。
左甚五郎が製作した重要文化財のご神体の鯉像が、よく見えます。

「登龍門」という言葉があります。
自力で滝を遡れた鯉は、龍に変化する言われています。
ちょっと古いですが、コイキングがギャラドスになるわけです。
それが立身出世の象徴で、鯉山はその立身出世のご利益があります。


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鯉山が、「四条河原町」交差点中央に入ってきました。
すると担ぎ手の皆さんが、力を溜められます。


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担ぎ手の皆さんが、鯉山を持ち上げられました。
そして、四条通を西に方向転換されました。


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ところが、鯉山はまだまだ回ります。
180°回転して、鯉山の見送りが見えますね。
こちらの見送りは、17世紀のベルギー製タペストリーです。
元々はホメロスの叙事詩イーリアスの一部を描いたものですが、
大きなタペストリーを切り刻んで使用されています。
こちらも、重要文化財です。


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鯉山が270°回転しました。すると右側の胴掛も見えます。
こちらにも、「イーリアス」のタペストリーの一部がありますね。
もちろん、この胴掛も重要文化財です。
このタペストリーは、鯉山以外にも鶏鉾にも使われています。
(鶏鉾巡行の様子は、第859回ブログ参照)


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鯉山がさらに180°回転しました。これで計450°回転しました。
すると担ぎ手の皆さんが、鯉山を下ろされました。


875-8.jpg
そして鯉山の担ぎ手さんたちが、四条通を西に進まれます。
鯉山のような「担ぎ山」には小さな車輪がついていて、
直進する際は担ぎ手さんたちは鯉山を押しています。


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鯉山が「四条河原町」交差点を去った後、
鯉山の荷車が後に続いていました。
写真をよく見ると、後続の鈴鹿山が迫っていますね。


875-10.jpg
鯉山に続いて、2022年「担ぎ山4番」鈴鹿山の登場です。
戦いの女神鈴鹿権現を祀る山です。


875-11.jpg
「鈴鹿山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
その背後から、鈴鹿山も「四条河原町」交差点に入ってきました。


875-12.jpg
そして鈴鹿山の担ぎ手さんたちも、鈴鹿山を持ち上げられました。
……のですが、ちょっと変な角度で撮れてしまいました。


875-13.jpg
鈴鹿山が、四条通を西に向いています。
この状態で、担ぎ手さんたちが鈴鹿山を下ろされました。
この角度だと、ご神体の鈴鹿権現のお姿がよく見えますね。


875-14.jpg
鈴鹿山が「四条河原町」交差点を去った後、
鈴鹿山の荷車が通過しました。
この後は、暫くどの山も「四条河原町」交差点に来ませんでした。


875-15.jpg
鈴鹿山が「四条河原町」交差点を去ってから、約5分経ちました。
蛸薬師通の辺りから、くじ取らず順番固定の「曳山2番」
南観音山が河原町通を南下しています。
鯉山や鈴鹿山と比べて巨大な南観音山には大きな車輪が付いていて、
約30人で山を曳いています。
「担ぎ山」に対して、このような形式を「曳山」と言います。
曳山は前祭の「鉾」同様、「辻回し」を行います。


875-16.jpg
南観音山が、「四条河原町」交差点に近づいてきました。
すると南観音山の町衆の方々が、
「四条河原町」交差点に乾竹片手に入って来られました。
ここから、南観音山の辻回しの準備が始まります。


875-17.jpg
「南観音山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
山の上に載られた囃子手さんたちによる祇園囃子が
「四条河原町」交差点に響いています。
一方で、辻回しに使う乾竹がきれいに並べられていきます。


875-18.jpg
南観音山の曳手の皆さんが、「四条河原町」交差点に入ってきました。
南観音山は、「四条河原町」交差点に並べられた乾竹へと進みます。


875-19.jpg
南観音山の曳手の皆さんは「四条河原町」交差点から、
河原町通を南下されて自分の目の前まで来られました。
南観音山が「四条河原町」交差点中央に入ったことで、
曳き手の皆さんは四条通に移動されます。


875-20.jpg
その直後の南観音山を大写ししました。
車輪が滑りやすいように、乾竹を並べられています。
さらに乾竹が滑りやすくなるように、
桶の中の水が乾竹に掛けられてます。
南観音山も北観音山同様、楊柳観音が祀られています。
そのため、南観音山も見送りの代わりに柳の木が付けられます。


875-21.jpg
まだ乾竹は並べられてる途中ですが、
そろそろ南観音山の曳手さんたちが四条通に整列されました。
間もなく、南観音山の辻回しが行われます。


875-22.jpg
乾竹が並べられたようで、南観音山の音頭取りの皆さんが
扇子を振りかざし掛け声をかけられます。
「えいやらや~」
すると、曳手さんたちが南観音山を西から引っ張られます。


875-23.jpg
そして、南観音山が西に約40°滑りました。
これで、1度目の辻回しは成功です。
大きな鉾や曳山は、一気に曲げると転倒します。
そのため、この辻回しは通常3回行われて90°曲がります。


875-24.jpg
南観音山を再び大写ししました。
町衆の方々が、乾竹を並び直されています。
そして音頭取りの皆さんが、前輪を固定されて
動かないようにされています。


875-25.jpg
どうやら乾竹を並び直されて、辻回しの準備が整ったようです。
南観音山の音頭取りの皆さんが、再び掛け声をかけられます。


875-26.jpg
「えいやらや~」の掛け声とともに、南観音山が約30°動きます。
これで、南観音山は計70°回転しました。


875-27.jpg
そして、南観音山を大写しします。
乾竹を結構ハイペースで、並び直されています。
辻回しは下手をすると30分以上かかるのですが、
今回は15分くらいで終えそうですね。


875-28.jpg
ほどなくして、乾竹が並び直されました。
今度は、南観音山による最後の辻回しでしょうね。


875-29.jpg
準備が整い、南観音山の音頭取りの皆さんが扇子を振り翳されます。
「えいやらや~」と音頭取りの皆さんに声を掛けられ、
南観音山が西に引っ張られます。


875-30.jpg
南観音山が、さらに約20°西に滑っていきます。
これで南観音山は、計90°西に曲がりました。
あとは、南観音山は四条通を西に進むだけですね。


875-31.jpg
……とはいえ、南観音山はすぐには動きません。
今まで辺りに並べていた乾竹を底部に収納しないといけません。
この乾竹は、「四条新町」交差点での辻回しでも再使用されます。


875-32.jpg
乾竹を収納し終えると、南観音山の音頭取りの皆さんが
扇子を前方(西側)に扇子を翳して、掛け声を発せられます。
「えいやらや~」


875-33.jpg
音頭取りの皆さんによる掛け声で、南観音山は西に進みます。
辻回しの間は祇園囃子はハイテンポの激しい曲が流れるのですが、
この時点で再び穏やかな曲を演奏され始められました。


875-34.jpg
南観音山が、四条通を西に去っていかれます。
すると、後続の担ぎ山が「四条河原町」交差点に入ってきます。


875-35.jpg
2022年の「担ぎ山5番」は、役行者山です。
聖護院門跡の修験者を伴う大集団での登場ですね。
ただ、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、役行者山、黒主山、八幡山と続きます~

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第876回 役行者山 黒主山~祇園祭後祭山鉾巡行~その4

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875-35.jpg
前回ブログで「曳山2番」南観音山が通り過ぎ、
2022年「担ぎ山5番」役行者山が登場しました。
今回はこの役行者山の後、黒主山、八幡山が続きます。
いずれも、「担ぎ山」ですね。
撮影日は、2022年7月24日日曜日午前11時45分。
お昼近くになって、さらに気温が上がります。


876-2.jpg
役行者山の行列の中から、法螺貝の音色が響きました。
役行者山の行列の中に、聖護院門跡の修験者が参加されています。
こちらの修験者さんたちは、前日の7月23日宵山に
役行者山の会所前で護摩焚きを行われます。
(その様子は、第138回ブログを参照してください)


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聖護院門跡の修験者さんたちを伴い、
役行者山の大集団が、河原町通を南下しています。
「役行者山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点で四条通を西に進まれました。


876-4.jpg
続いて聖護院門跡の修験者さんたちも、
「四条河原町」交差点から四条通を西に進まれます。
一方同行されていた町衆の皆さんは、四条通を東に向かわれました。


876-5.jpg
「四条河原町」交差点から約900m東が、八坂神社です。
役行者山の町衆さんたちは、そちらに向けて拝礼されました。



876-6.jpg
役行者山が、だんだん「四条河原町」交差点に近づいています。
役行者山のご祭神は、修験道の開祖役小角(役行者)です。
こちらのご神体は、役小角像、葛城神像、一言主像です。
こちらは、役行者が一言主を調伏する様子を描いています。


876-7.jpg
役行者山が、「四条河原町」交差点の中央に来ました。
役行者山の担ぎ手さんたちが、力を溜めておられます。


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そこから、担ぎ手さんたちが役行者山を持ち上げられました。
ここから、四条通を西に進むため方向転換をされます。


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役行者山を担ぎ手さんたちが持ち上げて、四条通を西に向けました。
ところが、これには続きがありました。


876-10.jpg
四条通を西に向いても、役行者山は方向転換を続けます。
役行者山は、とうとう180°回転しました。
見送りの龍図が、よく見えますね。


876-11.jpg
さらに役行者山が、90°回転しました。
これで、270°回ったことになります。


876-12.jpg
役行者山が、南に向いています。
つまりこれで、360°回転しました。
もちろん役行者山は、まだまだ回り続けます。


876-13.jpg
さらにさらに、役行者山が90°回転しました。
これで、合計450°回り続けました。
ようやく担ぎ手さんたちが、役行者山を地面に下ろされます。


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役行者山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に進みます。
その後を役行者山の荷車が続きます。


876-15.jpg
役行者山が「四条河原町」交差点で回転されていた間、
こちらの担ぎ山はずっと待機されていました。
そして2022年の「担ぎ山6番」黒主山が、ようやく登場です。


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黒主山町衆の皆さんが、「四条河原町」交差点を東に向かれています。
先述の通り、こちらには祇園祭のご祭神八坂神社がいらっしゃいます。
町衆の皆さんは、そちらに拝礼されています。


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黒主山の町衆の皆さんが、四条通を西に進まれます。
すると黒主山が河原町通を南下して、
「四条河原町」交差点に入ってきました。
町衆の皆さんが黒い笠を持っておられますが、
「黒」主山を「黒」が象徴しています。
一方で黒主山で一番目立つのは桜の造花です。
この二色のコントラストが、鮮やかですね。


876-18.jpg
「黒主山」と書かれた幟を持たれた方が、四条通を西に進まれます。
一方で、黒主山が「四条河原町」交差点に入ってきました。


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黒主山が「四条河原町」交差点中央に入ってくると、
担ぎ手さんたちは黒主山を持ち上げられました。
そして、交差点内で方向転換されます。


876-20.jpg
持ち上げられた黒主山が、右回りで回転しています。
桜の造花で分かりにくいですが、
山の中央にご神体の大友黒主像がいらっしゃいます。
黒主山は、歌人の大友黒主が桜の木を見上げる様子を描いています。
謡曲「志賀」の一節ですね。


876-21.jpg
黒主山は90°回転しても、まだ回り続けます。
見送りの牡丹鳳凰文様が、見事ですね。


876-22.jpg
黒主山は、合計270°回転し続けました。
この角度なら、ご神体の大友黒主像がよく見えますね。


876-23.jpg
前回ブログで紹介した鯉山も、先程の役行者山も、
合計450°回転して担ぎ手さんたちは地面に下ろされました。
ところが黒主山はまだまだ回り続けて、2周目に入られます。


876-24.jpg
さらに回転し続けて、黒主山はさらに360°回転しました。
これで黒主山は、2回転したわけですが……


876-25.jpg
さらにさらに、黒主山は回転し続けます。
とうとう黒主山は、3周目に突入です。


876-26.jpg
この日(2022年7月24日日曜日)いちばん回り続ける黒主山に、
沿道の方々は拍手喝采を挙げます。
見ていて面白いのですが、次の八幡山はその間じっと待機しています。


876-27.jpg
黒主山が、2周と270°回転しました。
河原町通をよく見ると、「曳山3番」鷹山が南下してきています。


876-28.jpg
黒主山が、遂に3回転しました。
ちょっと回転されるペースが落ちて来られたので、
そろそろこのパフォーマンスも終了です。


876-29.jpg
案の定黒主山は3周回転すると、
担ぎ手さんたちはさすがに黒主山を地面に下ろされました。
だいぶ担ぎ手さんたちもお疲れのようですが、
そちらに向かって沿道からまた拍手が起こりました。


876-30.jpg
地面に下ろされた黒主山が、四条通を西に進まれます。
「担ぎ山」にも下部に小さな車輪が付いていて、
交差点以外では担ぎ手さんたちは「担ぎ山」を押しています。


876-31.jpg
黒主山の後を荷車が続きます。
ほとんど見切れていますが、フレームの端に
河原町通を南下する鷹山が写っています。


876-32.jpg
その鷹山に先行して、2022年の「担ぎ山7番」
八幡山が河原町通を南下しています。
2022年は、この八幡山が「担ぎ山」の最後尾です。


876-32.jpg
八幡山が、「四条河原町」交差点に入ってきました。
八幡山は、中京区新町通三条下る三条町にいらっしゃる
小さな八幡社がご神体です。
祇園祭前祭でも霰天神山と油天神山があって、
町の小さな神社がそのまま担ぎ山になっています。
(霰天神山は第848回ブログを参照してください。
油天神山は第850回ブログを参照してください)


876-33.jpg
「八幡山」と書かれた幟を持った方が、四条通を西に進まれます。
その後を八幡山が続いていきます。


876-34.jpg
八幡山が、「四条河原町」交差点中央に入ってきました。
すると担ぎ手さんたちが、その位置で力を溜められました。


876-35.jpg
担ぎ手さんたちが、八幡山を持ち上げられます。
この位置だと、小さな八幡社がよく見えますね。


876-36.jpg
八幡山が四条通を西に向いた時点で、
担ぎ手さんたちが八幡山を下ろされました。
辻回しをする「曳山」や「鉾」の直前に巡行する「担ぎ山」は、
回転しないのがマナーのようです。
(保存会に確かめた訳ではありませんが、
そのような法則で山鉾巡行が毎年行われています)


876-37.jpg
八幡山が、地面に下ろされました。
今度は担ぎ手さんたちは八幡山を押して、四条通を西に進まれます。


876-38.jpg
八幡山の後を八幡山の町衆が、付いていかれます。
八幡山の町衆の皆さんは、笠を振って沿道の人々に応えられています。


876-39.jpg
さらにその後を八幡山の荷車が続きます。
ちなみに、「つがいの鳩」は八幡社の神使です。


876-40.jpg
八幡山に続いて、くじ取らず順番固定の「曳山3番」鷹山の登場です。
こちらも、「曳山」の最後尾ですね。
なお、鷹山は2022年度に復活した山鉾です。
つまり、こちらが「四条河原町」交差点で辻回しするのは史上初です。
(1963年まで、祇園祭山鉾巡行は河原町通を通りませんでした)
ただだいぶ写真を貼り付けたので、今回はここまでです。

~次回は、史上初である鷹山の辻回しを掲載します~

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第877回 鷹山初めての辻回し~祇園祭後祭山鉾巡行~その5

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876-40.jpg
前回ブログで、2022年祇園祭後祭に巡行した担ぎ山は
すべてこの「四条河原町」交差点を通過しました。
残るは「曳山」最後尾の鷹山と巡行最後尾の大船鉾です。
今回ブログでは、このうち鷹山の辻回しを掲載します。
今年(2022年)に復活した曳山ですね。
撮影日は、2022年7月24日日曜日正午。
実は、鷹山が河原町通を通過するのは史上初です。


877-1.jpg
「鷹山」と書かれた幟を持たれた方が、
「四条河原町」交差点に入って来られました。
その後に、鷹山の町衆の方々が続きます。


877-2.jpg
「鷹山」と書かれた幟を持たれた方が、四条通を西に進まれます。
その後ろで、鷹山の町衆の方々が沿道に手を振られていますね。


877-3.jpg
そして、満を持して鷹山が河原町通を南下しています。
この時点で気付いたのですが、
他の山鉾と比べて曳き手の方々が多いですね。
通常は30人ほどで曳かれるのですが、
その倍くらいいらっしゃいます。


877-4.jpg
河原町通を南下して、鷹山が「四条河原町」交差点に入ってきます。
……のですが、ほかの曳山と比べてかなり大きいですね。
実は鷹山の高さは通常の曳山と同じくらいなのですが、
横幅が他の曳山より極端に広いです。
この鷹山は、祇園祭の曳山では前祭後祭通じて最大です。
(山鉾の最大は、前祭の月鉾です)


877-5.jpg
鷹山が、「四条河原町」交差点中央まで入ってきました。
こうして見ると、やはり曳手の方々が多いですね。
ただ、この時点でまだ交差点内に乾竹を並べられていません。
北観音山など、通常は曳山が交差点に入る前に乾竹を並べられます。
まぁ細かい手順は山鉾単位で違いますので、
これが鷹山町衆の流儀なのかもしれませんが、
もしかすると単なる「うっかり」かもしれません。
何しろ、鷹山の山鉾巡行は約200年ぶりのことです。
鷹山自体はほぼ最古の曳山なのですが、
1826年の大雨で装飾品が汚損してしまいました。
それ以降、昨年(2021年)まで宵山だけの参加となりました。
それが骨組みの木材と装飾品を新調して、
今年(2022年)約200年ぶりに鷹山が巡行に復活しました。


877-6.jpg
その時点で、鷹山の前輪近くを大写ししました。
前輪を車止めで、固定されていますね。
その前輪を滑らす乾竹が、まだ設置されていません。
ここから、慌てて鷹山の辻回しの準備が始まります。


877-7.jpg
鷹山の町衆の皆さんが辻回しの準備をされている間、
鷹山の真木の一部を大写ししました。
松の木の枝に、木造の鷹が留まっています。
鷹山は、在原行平鷹狩をする様子を描いています。

~2022年10月6日木曜日訂正~
今回ブログのコメント欄にある通り、
どうやらこちらの木造は鷹ではなく、雉のようです。
お詫びして、訂正します。


877-8.jpg
さて、だいぶ乾竹が敷き詰められてきました。
鷹山の町衆は乾竹を敷き詰める作業が、
他の曳山や鉾より早い気がします。

鷹山の上に数十人の囃子手さんたちが同乗されています。
こちらの方々が祇園囃子を演奏されているのですが、
ここまでゆっくりした曲調だったのが、
この辺りから早いテンポの激しい曲調に変わりました。


877-9.jpg
交差点に乾竹が敷き詰められる間、
曳手の皆さんはちょっと手持無沙汰です。

よく考えたら、鷹山が河原町通を南下したのは史上初です。
1962年まで祇園祭山鉾巡行は河原町通ではなく、
寺町通を通っていました。
ですから、今回(2022年)「四条河原町」交差点で
鷹山が辻回しを行うのは、史上初です。


877-10.jpg
どうやら、乾竹を敷き詰め終わったようです。
鷹山の曳手の皆さんが、河原町通から四条通に移動されました。


877-11.jpg
四条通に移動された鷹山の曳手の皆さんが、
「四条河原町」交差点の西側に回られました。
この位置から曳くことで、鷹山を南向きから
西向きに方向転換されます。
このことを「辻回し」と言います。


877-12.jpg
鷹山の手前に乗る音頭取りの方々が、掛け声を挙げられます。
「えいやらや~」
すると声に合わせて、曳点の皆さんが左(西)側から鷹山を曳きます。


877-13.jpg
そして、鷹山が西に40°曲がりました。
これで、1回目の鷹山の辻回しが終了しました。
辻回しを急激に行うと、曳山は転倒してしまいます。
そこで通常辻回しは、3回にわたって行います。


877-14.jpg
1回目の辻回しが終わった直後に、鷹山正面を大写ししました。
再び辻回しを行うために、乾竹が敷き詰め直されています。
さらにその乾竹を滑りやすくするために、
その乾竹に水を撒いておられます。
今度は音頭取りの方々が、鷹山の前輪を固定されていますね。


877-15.jpg
鷹山前輪の周囲で、乾竹が敷き詰め直されました。
間もなく、2回目の辻回しが始まります。


877-16.jpg
そして鷹山の音頭取りの方々が、扇子を振り翳し声を掛けられます。
「えいやらや~」
すると曳手の皆さんが右(西)側から鷹山を曳かれ、
さらに鷹山が西に傾きます。


877-17.jpg
すると、鷹山がさらに20°西に曲がりました。
これで鷹山は、合計70°西に曲がりました。
「四条河原町」交差点での鷹山の辻回しは、あと1回です。


877-18.jpg
鷹山の町衆の皆さんは乾竹を並べるのが早くて、
今度は自分が大写しする前に乾竹を並べ終えられたようです。
この時点で、もう音頭取りの方々が扇子を振り被っておられます。


877-19.jpg
「えいやらや~」
音頭取りの掛け声で、曳手の皆さんが
一斉に鷹山を交差点の右(西)側から曳かれます。
すると、鷹山は20°西に傾きました。
これで鷹山は合計90°西に曲がり、完全に西に向きました。
これで、鷹山の「四条河原町」交差点での辻回しは終わりです。
初め手間取られましたが、乾竹を並べる作業が早いため
結局ほかの曳山と同じ約15分で辻回しを終えられました。


877-20.jpg
とは言え、このまま鷹山がすぐに
「四条河原町」交差点を去ることはできません。
今まで敷き詰めていた乾竹を放置できませんし、
「四条新町」交差点でまた辻回しをしなければなりません。
ですから、今まで使っていた乾竹を鷹山下部にある
収納スペースに収めます。


877-21.jpg
それから数分後、乾竹を鷹山下部に収納し終えました。
ここで、町衆の皆さんが「四条新町」交差点から
四条通を西に移動されていきます。


877-22.jpg
鷹山の後片付けも、終わりました。
この辺りから、祇園囃子がテンポの速い曲調から
通常のゆっくりとした曲調に変わりました。
あとは、四条通を西に進むだけですね。


877-23.jpg
「えいやらや~」
鷹山の音頭取りの方々が、その掛け声とともに
扇子を前方に差し出されました。
すると、鷹山は四条通を西に進みました。


877-24.jpg
鷹山が、「四条河原町」交差点から四条通を西に去っていきます。
一方、河原町通の北側から祇園祭後祭山鉾巡行の最後尾
大船鉾が姿を現します。


877-25.jpg
2022年祇園祭後祭山鉾巡行の最後を飾るのは、大船鉾です。
こちらも、くじ取らすの順番固定です。
ただこの辺りで切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、大船鉾辻回しを掲載します。
次回で、2022年祇園祭山鉾巡行の掲載が終わります~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
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こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
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実際に回るときの
参考にしてください。

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系統(「5系」とか)別に
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各系統の停留するバス停や
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貼り付けてあります。
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今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
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そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
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「アマランサス☆
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連載されています。
こちらも、
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「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
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こちらも許可をいただいて
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「京都に夢中!
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お祭りナビ」
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京都のお祭りや
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こちらからお願いして、
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「春夏秋冬 京のくらし」
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うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
地蔵院や鈴虫寺、
松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

「京都駅前散策」
京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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