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第914回 元花街「島原」 前編~坊城通南から北~その3

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前回ブログで参拝した豆之子稲荷から坊城通を約50m北上して、
少し東にズレて、坊城通を北に向いています。
目の前で坊城通は正面通と交差していて、
正面通以北のこの辺りが元花街の「島原」です。
歌舞練場を廃業させて名目上は花街ではないのですが、
置き屋やお茶屋などは現在も機能していて、
置き屋さんには現役の大夫さんが活躍しておられます。
今回は、この島原の南西部中心に散策します。
撮影日は、2023年1月26日木曜日午後3時45分。
路上のあちこちに、まだまだ雪が残っていました。


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先程の位置から坊城通を北上して、「正面坊城」交差点に来ました。
交差点の南東角で、両方の道が表示されています。


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坊城通から、正面通を西に向いています。
約100m先に、西新屋敷児童公園があります。
元花街島原は、行政的には下京区西新屋敷地区と呼びます。
第694回ブログではこの児童公園の前から北上して、
元花街島原を散策しています。


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今度は坊城通から、正面通を東に向いています。
約200m先に、諏訪神社が勧請されています。
(詳しくは、第693回ブログ参照)


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さらに正面通から、坊城通を北に向いています。
正面通以北の坊城通は、石畳の道に変わります。
それが、元は花街だった島原の名残です。
現在の島原は大半が住宅街ですが、
置き屋さんやお茶屋さんも何軒か残っており、
花街としての機能も年々元に戻っています。
また花屋町通中心に、小売店や飲食店も点在します。
では今回は坊城通を北上して、元花街島原を散策します。


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正面通から、坊城通を約10m北上しました。
こちらに、小さな店舗があります。
看板に、「A kitchen」と書いてあります。
おそらく、そちらが店名でしょう。
店内には、様々な野菜が並んでいました。
おそらく、八百屋さんなのでしょうね。


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その八百屋さんから、坊城通を約30m北上しました。
こちらに、湯の宿 松栄と言う旅館が建っています。
(google mapでは、「誠の湯」と表示)
ただし、こちら側は裏口です。
コロナ禍以前は、修学旅行生がたくさん宿泊されていました。
こちらの自慢はお風呂で、日帰りの方用に
「誠の湯」と言うスーパー銭湯としてそのお風呂を開放されています。
2Fの食堂も、飲食店として島原を散策される方に開放されています。
実は島原には観光地があちこち点在していて、
そこを散策される方は結構いらっしゃいます。


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正面通から、坊城通を約100m北上しました。
ここで坊城通は、花屋町通と交差します。
花屋町通は、元花街島原のメインストリートです。


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坊城通から、花屋町通を東に向いています。
約30m先に、島原大門が聳えます。
こちらは、京都市指定文化財です。
江戸時代の「島原」は、四方を塀で囲っていました。
そして、花屋町通に立つ2つの門からしか
この「島原」に入れませんでした。
ちなみに西門は現存せず、
その脇の島原住吉神社のみ現存します。
(島原住吉神社の様子は、第597回ブログ参照)


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今度は坊城通から、花屋町通を西に向きました。
ご覧の通り、島原の現状はマンションなどが建つ住宅街です。
ただ京町家がも結構現存しており、
そちらに様々なお店が増えてきています。
ここからは、この花屋町通を少しだけ西に進みます。


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坊城通から、花屋町通を約30m西に進みました。
カメラのフレームから外れていますが、
この左(南)側に先程の旅館「松栄」の正面口があります。
また右(北)側の京町家は、陶磁器のお店が営業中です。
元花街「島原」は一見するとただの住宅街ですが、
実は結構様々なお店が点在します。
その京町家の西側で、花屋町通は東側通と交差します。


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花屋町通から、東側通を南に向いています。
左(東)側の駐車場は、この先の旅館「松栄」(誠の湯)のものです。
コロナ禍以前は、この駐車場に観光バスがよく停まっていました。
右(西)側の大きな京町家は、きんせ旅館です。
元々は「島原」のお茶屋でしたが、改装されて
現在は旅館とバーを30歳くらいの男性が経営されています。
お独りで経営されているので、旅館に泊まれるのは15人ほどです。
1Fがバーで、ここで様々なお酒が飲めます。
また、こちらのバーは昼間はカフェとして営業されています。
ただバーとして経営されている場所なので、
カフェにしてはちょっと照明が暗いです。
とは言えバーに改装されたのは大正時代で、
当時の雰囲気を残したなかなか味のある場所です。
自分は、昼間に訪れたときはシフォンケーキと紅茶を頼みました。
元がバーだけに、シフォンケーキには洋酒がいっぱい掛っていました。
(詳細は、第315回ブログ参照)


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今度は東側通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側が先述の「きんせ旅館」で、こちら側から入れます。
その「きんせ旅館」の西側で、花屋町通は西側通と交差しています。
花屋町通から西側通を南下すると、元お茶屋の角屋が建っています。
さらに花屋町通を西に進むと、花屋町通は蛇行して
(その辺りに、かつて東鴻臚館が建っていました)
島原住吉神社の辺りで千本通に突き当たります。
(千本通が、元花街「島原」の最西端です)


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さらに、花屋町通から東側通を北に向きました。
ここから、東側通をちょっと北上します。


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花屋町通から、東側通を約10m北上しました。
こちらに、町家カフェのhyuggeが建っています。
自分もこちらの常連なのですが、
よく考えたらこの日(2023年1月26日木曜日)は定休日でした。
元花街にある町家カフェと言うことで、
こちらの座敷でときどき大夫さんがイベントを行っています。
自分はいつも中国茶を頼んでいますが、
こちらの名物はスパゲティーとカレーライスです。


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hyuggeの前で、東側通を北に向いています。
では、この東側通をもう10mだけ北上します。


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hyuggeから、東側通を約10m北上しました。
こちらは、公衆浴場の島原温泉です。
「温泉」と書いていますが、関西では
時折公衆浴場をこのように表示します。
こちらの定休日は毎週金曜日なので
開いていると思ったのですが、閉まっていました。


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「島原温泉」の入り口に、この紙が貼られていました。
どうやら、臨時休業のようですね。
……と言う訳で、こちらにも入れませんでした。


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島原温泉の前で、東側通を北に向いています。
向こうに見える東側通の突き当りが、
元花街「島原」の最北端です。


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今度は島原温泉の前で、東側通を南に向きました。
ではここから南下して、花屋町通に戻ります。


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島原温泉の前から、東側通を約20m南下しました。
ここで東側通は、花屋町通と交差します。
ここからは花屋町通を西に進み坊城通をまた北上しますが、
この辺りが切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は坊城通の島原を散策して、五条通まで北上します~

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第915回 元花街「島原」 後編~坊城通南から北~その4

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前回ブログで坊城通を花屋町通まで北上して、
そこから元花街「島原」を散策しました。
現時点では公衆浴場の島原温泉から東側通を約20m南下して、
目の前で東側通が花屋町通と交差した場所にいます。
今回は花屋町通を東に進み、そこから坊城通を五条通まで北上します。
途中置き屋さんの輪違屋など、島原関連施設に立ち寄ります。
撮影日は、2023年1月26日木曜日午後4時。
あちこちに、雪が残っていました。


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東側通から、花屋町通を東に向いています。
本当は花屋町通を逆に西に進んだ方が
角屋島原住吉神社など観光地が多いのですが、
坊城通をメインにしている今回はそちらに向かいません。
では、このまま花屋町通を東に進みます。


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東側通から、花屋町通を約20m東に進みました。
こちらに、湯の宿 松栄の正面玄関があります。
修学旅行生も泊める大きな旅館ですが、
お風呂場をスーパー銭湯として開放しています。
また2Fの食堂も普通の飲食店として
宿泊客以外の方々でも利用ができます。


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「湯の宿 松栄」の正面玄関前で、花屋町通を東に向いています。
この先に、京都市指定文化財の島原大門が見えます。
では、こちらを進んでいきます。


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東側通から、花屋町通を約50m東に進みました。
島原大門が、さらに近付いてきました。
ちなみに島原大門より東は、島原商店街が続きます。
そして、ここで花屋町通は坊城通と交差します。


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今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
ここからは、このまま坊城通を北上します。


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花屋町通から、坊城通を約30m北上しました。
坊城通の左(西)側に、輪違屋(わちがいや)が建っています。
こちらの建物は京都市指定文化財で
屋内には貴重な文化財が多数保存されていますが、
現役で機能している置き屋さんでもあります。
置き屋さんとは舞妓さんや芸妓さん(島原なら大夫さん)の
詰め所で、住居でもあります。
もし舞妓さんや芸妓さん、大夫さんを料亭で指名したいなら、
この置き屋さんに申し込むことになります。
置き屋さんの主人は、舞妓さんや芸妓さん、大夫さんの
スケジュール管理もされます。
ただ近年お茶屋さん(花街で食事するところ)が島原で減少して、
大夫さんとお客さんの接点が減ってきたため、
この輪違屋はお茶屋さんも兼ねるようになりました。
ちなみに通常は観光目的に拝観はできませんが、
(大夫さんの住居でもありますので、プライバシーの問題があります)
ときどき特別拝観があります。
輪違屋屋内の様子は、第595回ブログ参照)


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輪違屋の前で、坊城通を北に向いています。
ここからは、坊城通を北上します。


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輪違屋の北隣は更地ですが、そちらを眺めています。
この先(西側)に煙突が見えますが、
その辺りが、前回ブログで出てきた島原温泉です。


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同じ位置で、坊城通を北に向いています。
右(東)側の京町家の大屋根に、雪が残っています。
ただだいぶ溶けてきて、それが大屋根から石畳に落ちてきます。
油断すると飛び散った雪や泥水が掛かりそうなので、
ちょっと警戒しつつ北上します。


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輪違屋さんから、坊城通を約50m北上しました。
坊城通の左(西)側に、日蓮宗成就山法華寺が建っています。
では、こちらの境内に入っていきます。


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日蓮宗成就山法華寺境内に入ると、するに妙見宮が建っています。
堂内には、妙見菩薩がいらっしゃいます。
三十番神とともに、妙見菩薩は日蓮宗寺院によく祀られています。


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そして、こちらが日蓮宗成就山法華寺の本堂です。
ご本尊は、釈迦如来です。
813年に東寺の北側に建立された法華寺は、
創建当初は当時と同じ真言宗寺院でしたが、
鎌倉時代の1281年当時の住職真広法印が日蓮の弟子となって、
この寺院も日蓮宗に改宗されました。
室町時代に入ると、京都の日蓮宗寺院は
どこも延暦寺の僧兵に焼き討ちにあったのですが、
この寺院も例外にもれず、たびたび焼失を繰り返したそうです。
それでも東寺の北側にこちらの寺院は存在し続けましたが、
1963年に東海道新幹線の線路建設により、
こちらの位置に移転してきました。
では、こちらにお参りして先へと進みます。


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日蓮宗成就山法華寺本堂に背を向け、東に向きました。
では法華寺を出て、坊城通に戻ります。


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日蓮宗成就山法華寺の向かい(東)側に、
京都市島原老人デイサービスセンターが建っています。
高齢者介護サービスを行う施設のようです。


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京都市島原老人デイサービスセンターの門前に、
こちらの石碑が立っていました。
こちらに、もともと島原歌舞練場が建っていました。
歌舞練場とは各花街に明治維新以降建てられた施設で、
舞妓さんや大夫さんの養成所ですが、
中等教育レベルの授業も行われていたようです。
(現在の歌舞練場では、学校教育は行われていません)
祇園宮川町など、京都五花街には必ずある施設ですが、
島原はこの歌舞練場を廃止して、「花街」を名乗らなくなりました。
とは言え、先述の輪違屋のように置き屋さんは島原に現存して、
現役の大夫さんも何人もいらっしゃいます。
ですから、歌舞練場がないものの島原も花街として機能しています。


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京都島原老人デイサービスセンターから、坊城通を北に向いています。
目の前で石畳の地面が、アスファルトに変わります。
ここが、元花街島原(行政的には下京区西新屋敷地区)最北端です。


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坊城通がアスファルトの地面に変わった地点で、西を向きました。
左(南)側が元花街島原で、右(北)側が下京区中堂寺地区です。
右側の建物は京都中央卸売市場の一部ですので、
この道には深夜になると食材を運ぶ大型自動車が出入りします。
ちなみに、この道に名前はありません。
約100m先の千本通で突き当たります。
ただ約80m先の西側通沿いに大銀杏の木が立っていて、
そちらの根元に弁財天を祀る祠があります。
(そちらの様子は、第597回ブログ参照)


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その道から、坊城通を北に向いています。
左(西)側の塀の向こうは、京都中央卸売市場です。
この辺りは、確か青果市場だったと思います。
では、このまま坊城通を北上します。


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その京都中央卸売市場を背後に、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにもお参りして、坊城通を北上し続けます。


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そのお地蔵さんの前で、坊城通を北に向いています。
では、ここから坊城通をさらに北上します。


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そのお地蔵さんの前から、坊城通を約100m北上しました。
ここで坊城通は、中堂寺通と交差します。


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坊城通から、中堂寺通を西に向いています。
交差点部分を撮影していませんが、
実はそちらに小学生低学年の児童数名と保護者が数名が、
ずっと立ち話をされていました。
そちらをフレームから外すため、このアングルで撮っています。
右(北)側は中堂寺児童公園なのですが、
いつも小学生が複数いらっしゃいます。
ただこの日(2023年1月26日)はまだまだ雪が残っていて、
児童の数はだいぶ少なめでした。


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今度は坊城通から、中堂寺通を東に向きました。
約800m先(大宮通の手前)に、住吉神社がいらっしゃいます。
実は例祭が結構派手で、自分は何回かお参りに行ったことがあります。


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さらに中堂寺通から、坊城通を北に向いています。
だいぶ五条通に近付きましたので、
この坊城通をさらに北上していきます。


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中堂寺通から、坊城通を北上しています。
右(東)側に、古い京町家が建っています。
以前よりはだいぶ減りましたが、
坊城通沿いはまだだいぶ京町家が残っていますね。


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中堂寺通から、坊城通を約100m北上しました。
ここで坊城通は、五条通と交差します。


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五条通から、坊城通を北に向いています。
坊城通は、約100m先で京都産業大学付属高校で突き当たっています。
まぁ坊城通はあちこち突き当たっては筋違いで復活するのですが、
今度もその例に漏れません。
とは言え、坊城通上に五条通を渡津横断歩道がありません。
別の道経由で北側に進みますが、
それは次回ブログ以降です。


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坊城通から、五条通を東に向いています。
この日(2023年1月26日)の五条通南側歩道は、完全に雪道です。
五条通北側歩道や車道、中分離帯の雪は溶けていましたが、
ビルの陰になる五条通南側歩道は全然雪が溶けていませんでした。
……そうそう、目の前で焼肉屋さんの「五徳」が営業されていました。
自分の大学生時代の常連のお店です。
お年を召されたご夫婦が経営されていましたが、お元気でしょうか?
今度京のお店 今日のお品の記事で紹介します。


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「五条坊城」交差点南西角に、中堂寺坊城郵便局が建っています。
この時点で午後4時半前でしたから、営業中でした。


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さらに坊城通から、五条通を西に向いています。
自転車通行用の道に立っているは、
歩道を歩くと足が滑って転倒するからです。
郵便局の前や飲食店の前は雪かきをされて通れますが、
そうでないところはとても危ないですね。
今回ブログは、このまま五条通を西に進みます。


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坊城通から、五条通を約100m西に進みました。
自転車用の道がないところは歩道を歩きましたが、よく滑ります。
自分の周囲でも、たくさんの方々が転倒されていました。
ここで五条通は、千本通と交差します。


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「五条千本」交差点南西角に、「丹波口」駅があります。
ではここからJR嵯峨野線に乗って、京都駅経由で帰宅します。
今回は、ここまでです。

~次回は、節分の壬生寺を目指します~

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第916回 壬生寺へ~坊城通南から北~その5

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2023年も節分になりました
1877年(明治10年)までは、この節分が大晦日でした。
そのため京都の神社仏閣では大晦日の行事の一部が、
この節分に行われます。
まぁ京都の多くの神社仏閣でも豆まきは行われますが、
壬生寺では代わりに狂言や護摩焚きが催されます。
今回は壬生寺の最寄り駅から坊城通を通って、
壬生寺まで進みます。


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京都駅ホームの北西端から、JR嵯峨野線に乗って2駅。
こちらは、JR嵯峨野線「丹波口」駅です。
今回はここから坊城通まで回り込んで、壬生寺を目指します。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後1時15分。
雪はほぼ溶けましたが、曇り空の一日でした。


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今まで自分が乗っていたJR嵯峨野線の
亀岡行き普通電車が出発します。
この「丹波口」駅には、新快速電車は停まりません。


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JR嵯峨野線の亀岡行きの普通電車が、
「丹波口」駅ホームを離れていきます。
次は、「二条」駅に停まります。
では「丹波口」駅ホームから、階段を下ります。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅ホームから階段を下りて、
中2Fにやって来ました。
こちらは、「丹波口」駅の休憩所です。
椅子に腰かけられている方が、結構いらっしゃいますね。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅中2Fの休憩所に、
こちらのポスターが貼ってありました。
実は、今シーズン(2023年)から
京都サンガのユニフォームが一新されます。
JR嵯峨野線沿線の「亀岡」駅前に、
京都サンガのホームサンガスタジアムが建っています。
ですから、JR嵯峨野線各駅に
京都サンガのポスターが貼られています。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅中2Fから、さらに階段を下りました。
1Fに、JR嵯峨野線「丹波口」駅改札口があります。
では、こちらからJR嵯峨野線「丹波口」駅を出ます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅改札を出て、北を向いています。
目の前の角を曲がれば、すぐに切符売り場です。
次は、この先の扉から屋外に出ます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅から東側の出口を出て、南に向きました。
「丹波口」駅と言うよりJR嵯峨野線の高架が、千本通沿いです。
この辺り一帯が、京都中央卸売市場です。
JR嵯峨野線「丹波口」駅から約350m南下すると、
前回ブログで訪れた元花街島原の西大門跡です。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅から北側の出口を出て、
五条通を西に向いています。
千本通から約100m先の新千本通にかけて、
五条通より南が京都中央卸売市場です。
この辺りは、大型の輸送車が多く通ります。


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今度はJR嵯峨野線「丹波口」駅から北側の出口を出て、
五条通からそのまま北を向きました。
「五条千本」交差点の横断歩道が、
JR嵯峨野線の高架下に伸びています。
ここからはこの横断歩道を渡り、五条通北側歩道に移ります。


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五条通北側歩道に渡りました。
五条通以北のJR嵯峨野線高架下は、駐輪場です。
結構北の方まで駐輪場なので、たくさん停められます。


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その横断歩道から、五条通を東に向いています。
目の前で、五条通は千本通と交差しています。


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五条通から、千本通を北に向いています。
普通に壬生寺に向かうならこの千本通を北上すべきですが、
今回は「坊城通編」として散策しているので、
ここからは千本通を北上しません。
(五条通から千本通を北上するなら、
第316回ブログ以降のルートを参照してください)


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今度は千本通から、五条通を東に向きました。
ここからは、五条通を東に進みます。


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千本通から、五条通を約100m東に進みました。
ここで五条通は、今回ブログのメイン坊城通と交差します。


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五条通から、坊城通を南に向いています。
前回ブログでは、花屋町通から坊城通を五条通まで北上しました。


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今度は坊城通から、五条通を東に向きました。
坊城通から五条通を約300m東に進むと、
五条通は大宮通と交差します。


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五条通から、坊城通を北に向いています。
ここからは、この坊城通を北上します。


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五条通から、坊城通を約50m北上しました。
左(西)側に、京都市立光徳小学校の校門が見えてきました。
この辺は学校が多くて、生徒が通行しない時間に取材しています。


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京都市立光徳小学校の校門脇に、
こちらのお地蔵さんがいらっしゃいました。
またお参りして、坊城通を北上します。


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五条通から、坊城通を約100m北上しました。
坊城通は、いったん万寿寺通で突き当たります。
正面に見えるのは、京都産業大学附属中学校・高校です。


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坊城通から、万寿寺通を西に向いています。
右(北)側に、京都産業大学附属中学校・高校が見えます。
ここからは、いったん万寿寺通を西に進みます。


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坊城通から、万寿寺通を西に約50m進みました。
左(南)側に地域スーパーのマツモト 五条店が建っています。
魚介類が新鮮なイメージがありますが、お惣菜も人気ですね。
正面には、光徳公園の入り口が見えます。
そして光徳公園の東側で、坊城通がまた復活します。


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万寿寺通から、坊城通を北に向いています。
左(西)側が先述の光徳公園で、
右(西)側が京都産業大学附属中学校・高校です。
ここからは、また坊城通を北上します。


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万寿寺通から、坊城通を約50m北上しました。
ここで左(西)側を向くと、光徳公園の入り口がまた見えます。
この先に公園中央の舞台と桜並木が見えます。


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光徳公園の入り口の前で、坊城通を北に向いています。
では、坊城通の北上を再開します。


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万寿寺通から、坊城通を約100m北上しました。
坊城通は、松原通でまたまた突き当たります。


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坊城通から、松原通を西に向いています。
左(南)側が下京区中堂寺地区ですが、
右(北)側は中京区壬生地区です。
つまり、ここから壬生に入っていきます。
新撰組の最初の拠点ですね。
光徳公園北端を西を眺めて、千本通付近まで進むと、
飲食店やスーパー銭湯が建ち並び賑やかになります。
その辺りのルートは、第29回ブログを参照してください。


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今度は坊城通から、松原通を東に向きました。
約50m先に、また北に伸びる道があります。
そちらが、何度目かに復活した坊城通です。


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松原通から、坊城通を北に向いています。
第913回ブログから何回も筋違いを繰り返した坊城通ですが、
松原通以北の坊城通は筋違いを起こしません。
では、ここを北上します。


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松原通から、坊城通を北上しています。
坊城通の左(西)側に、こちらのお店があります。
浅葱色の羽織が、店頭に並んでいます。
おそらく、こちらは新撰組関連グッズを売っています。
この辺りからもう壬生ですから、新撰組関連のお店が増えてきます。


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新撰組関連グッズのお店の前で、坊城通を北に向いています。
この辺りはマンションが立ち並び、京都市内有数の人口密集地帯です。
松原通から坊城通を約100m北上すると、
坊城通は高辻通と交差します。


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坊城通から、高辻通を西に向いています。
坊城通からJR嵯峨野線の高架まで、飲食店が建ち並びます。


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今度は坊城通から、高辻通を東に向きました。
約300m先で、高辻通は大宮通と交差します。
その近くに「四条大宮」交差点があるので、
その付近は結構繁華街です。


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さらに高辻通から、坊城通を北に向いています。
もうだいぶ壬生寺に近付いたので、通行人が増えてきました。


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高辻通から、坊城通を北上しています。
左(西)側に、路地が伸びています。


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その路地の奥を覗いてみました。
呑み屋さんや公衆浴場が、建ち並んでいます。
この時点は昼過ぎでしたが、
もっと遅い時間にこの路地は賑やかになるのでしょうね。


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その公衆浴場「壬生湯」に近付いてみました。
どうやらこの日(2023年2月2日木曜日)も営業予定でしたが、
開業されるのはあと2時間後のようです。


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その路地から、坊城通を北に向いています。
この先で坊城通は仏光寺通と交差しますが、
その辺りに警察官が立っておられます。
どうもその辺りは、車両通行止めだそうです。


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坊城通と仏光寺通との辻に、こちらが立っていました。
この先が、壬生寺の敷地です。
ここから節分の壬生寺参拝なのですが……
この辺りで法螺貝の音色が聞こえてきました。
どうやら聖護院の修験者さんによる祈祷が、もう始まっています。
ここからその修験者さんを取材しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、壬生寺の護摩焚き祈祷を掲載します~

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第917回 壬生寺の護摩焚き 前編~坊城通南から北~その6

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前回ブログでJR嵯峨野線「丹波口」駅から坊城通を北上し、
仏光寺通の手前までやって来ました。
今回はこの先の壬生寺にお邪魔して、節分の行事に参加します。
撮影日は、2023年2月2日木曜日節分前日午後1時半。
壬生寺に着いたら、既に行事が始まっていました。


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坊城通から、仏光寺通を西に向いています。
約100m先にJR嵯峨野線の高架が伸びていますが、
この位置からは見えません。
右(北)側の土塀は、壬生寺のものです。


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今度は仏光寺通から、坊城通を北に向きました。
左(西)側の土塀が壬生寺で、右(東)側の土塀が旧神先家です。
仏光寺通以北の坊城通は、住宅街から風景が一変されます。
この辺りが中京区壬生地区の中心で、
新撰組が闊歩したのが大体この辺りです。


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仏光寺通から坊城通を約30m北上して、右(東)を向いています。
こちらが、旧神先家邸宅です。
武家造の京町家では最古の邸宅で、
京都でいちばん保存状態の良い武士の邸宅でもあります。
こちらは、現在根付の博物館として機能しています。
(こちらの詳細は、第319回ブログ参照。
根付の博物館のサイトは、ここをクリックしてください。


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旧神先家邸宅の前で、坊城通を北に向いています。
約20m先から、律宗壬生寺に入れます。
壬生寺の節分会は神社の例祭並みに賑やかになりますので、
壬生寺の周囲には何基も屋台が立ち並びます。


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旧神先家邸宅から坊城通を約20m北上して、西を向きました。
こちらが、律宗壬生寺の山門です。
本当ならここから壬生寺をゆっくり散策したいのですが、
ちょっと先に巡りたい場所があって急いで門をくぐります。


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壬生寺山門をくぐり、境内に入ってきました。
その山門に入ってすぐに、壬生寺境内を北に向きました。
こちらに壬生寺の末社一夜天神がいらっしゃるのですが、
その前に聖護院の修験者さんたちがいらっしゃいます。
実は今回ブログの冒頭時点で法螺貝の音色が聞こえており、
この数分前から一夜天神さんの前で祈祷が始まっていました。


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聖護院の修験者さんたちの祈祷は、さらに数分続きました。
修験者さんたちが発せられる文言を聞いていると、
どうやら般若心経の経文のようです。
般若心経は最短のお経ですぐ唱え終わるのですが、
修験者さんたちはそれを何度も繰り返されていました。


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聖護院の修験者さんたちの中に、
「壬生寺」と書かれた法被を身に着けられた方々がいらっしゃいます。
こちらは後で分かったのですが、
壬生寺の法被を身に着けられた方は壬生寺の僧侶ではなく、
壬生寺の檀家の方のようです。
(護摩焚き祈祷の際に、紹介されていました)


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さらに数分経って、聖護院の修験者さんたちの祈祷が終わりました。
すると修験者さんの一人が、幟を手に先頭を歩かれました。


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続いて錫杖を持たれた修験者さん、朱い幟を持たれた修験者さん、
法螺貝を演奏されていた修験者さんが後をついて行かれます。
修験者さんたちは、本堂方面(境内西側)に進まれます。


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壬生寺山門の真下で、境内を西に向いています。
法螺貝を吹きながら、こちらの修験者さんも西に進まれます。
そちらには壬生寺本堂があって、
目的地は本堂の北東前です。


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法螺貝を演奏される修験者さんたちの後続は、
紅い傘を持たれた修験者さんと
その傘の陰にいらっしゃる修験者さんです。
たぶん、こちらが聖護院の修験者のうち代表される方でしょう。


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そして「壬生寺」の法被を身に着けられた方々が、
修験者さんの行列の最後尾です。
行列参加者全員が、壬生寺本堂がある西へ向かって歩かれます。
行列の周囲には塔頭寺院や露店が並ぶのですが、
先に修験者さんが催される加持祈祷を優先します。
(節分の壬生寺の模様は、護摩焚き祈祷を取材した後に
いったん外に出て、再び壬生寺を訪問して取材します)


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律宗壬生寺山門から、境内を約50m西に進みました。
この先に、壬生寺本堂が建っています。
ただ聖護院の修験者さんたちは、本堂には向かわれません。
本堂の右(北)側の広場に向かわれました。


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その広場には、縄で結界が敷かれています。
その結界の南西角に門があって、
そこから修験者さんたちは結界内に入っていかれました。


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次々と修験者さんたちが、結界内に入っていかれます。
……ところが、修験者さん数名が結界外に留まられます。


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すると結界内にいらした方が、
外にいらっしゃる修験者さんと問答を始められました。
形式上はこちらの方々が本物の聖護院の修験者かの審査なのですが、
実際はその問答を通して「修験道とは何か」ということを
壬生寺の参拝者に説法されるのが目的のようです。
「修験道の発祥は?」「修験道とは?」「修験者の装備の謂れは?」
などが質問され、それにすべて答えられると
「汝は本物の修験者のようだ。ここを通って良し」
と返事が返ってきて、全員が結界内に入っていかれました。
(ここ壬生寺以外にも、祇園祭などでも同様の問答があります)


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結界の東側に回り込み、壬生寺境内を西に向いています。
結界内中央に、護摩壇が用意されています。
こちらが、護摩壇の正面です。


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聖護院の修験者さんたちの後続の数名も、
この結界内に入って来られました。
ここから、修験者の皆さんが護摩焚きの準備に入られます。


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結界内で修験者さんたちが、再び法螺貝を演奏されます。
その曲(?)に合わせて、修験者さんたちが所定の位置に移動されます。


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そして修験者の代表者は、護摩壇の正面に腰を下ろされます。
これで修験者の皆さんは、全員所定の位置に就かれました。


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すると、修験者さんのうちの一人が弓を片手に登場されます。
ここから、護摩壇と周囲を破魔矢で清められます。


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その修験者さんの背後を撮影しました。
矢筒に、色取り取りの破魔矢が刺さっています。
こちらの色にはすべて謂れがあるのですが、
それはこの後で順に紹介します。


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先ずは、修験者さんがこちら(東)側を向かれます。
右手には、青(緑)の矢がつがえられます。
青(緑)は東の守護獣「青龍」を表します。
こちらを放つことで、東方を清められます。
……とはいえ、そのまま発射すれば大惨事です。
実は弓は緩く結んであり、そこまで矢は速度が出ません。
それを上空に打たれます。


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続いて、修験者さんは左(南)に向かわれました。
こちらには、朱い破魔矢を射られます。
朱は南の守護獣「朱雀」を表します。
こちらを放つことで、南方を清められました。
とは言え、破魔矢は真上にゆっくり上がった後地面に落ちてきました。
落下した破魔矢は、参拝者の取り合いになります。
破魔矢に限らず、使用済みの護摩焚き祈祷の諸道具は
すべて参拝者が持ち帰ることができます。
それらはすべて、縁起物として参拝者に重宝されます。


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さらに、修験者さんは向こう(西)側に向かわれました。
そちらには、白い矢を射られます。
白は、西の守護獣「白虎」を表します。
こちらを放つことで、西方が清められました。


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そして、修験者さんは北側に向かわれました。
そちらには、黒い矢を打たれます。
玄(黒)は、北の守護獣「玄武」を表します。
こちらを放つことで、北方が清められました。


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これで、結界外の四方が清められました。
続いて、修験者さんは護摩壇に向けて黄色い矢を放たれました。
黄は、修験道のご本尊不動明王を象徴しています。
つまり、破魔矢で護摩壇が清められます。


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そして、修験者さんは艮(うしとら)の方に向かわれました。
艮とは北東のことで、要するに鬼門です。
修験者さんは最後に青(緑)と玄(黒)の破魔矢を放つことで、
鬼門封じを行われました。


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ここで、修験者さんが一礼をされました。
これで、破魔矢による儀式は終わりです。


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続いて、別の修験者さんが護摩壇前に登場されました。
実は、こちらの修験者さんは上手く撮れませんでした。
この時点で修験者さんは小刀を抜いておられます。
そして、その小刀を使って九字を切られました。


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修験者さんが、小刀で中空に格子状に九字を切られます。
「臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前」と唱えられて、
小刀を仕舞われました。


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さらに、別の修験者さんが護摩壇前に登場です。
こちらは、小さな斧を持って来られました。


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その修験者さんは、護摩壇の正面に向かわれました。
そして、短い祈祷を奉げられました。


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短い祈祷を終えられた修験者さんは、手にした斧を振り上げられます。
そして、そのまま3回にわたって斧を振り下ろされました。


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さらに、その修験者さんは艮(北東)の方角に回り込まれました。
そして、鬼門から3回斧を振り下ろされました。


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これで、一通り護摩壇と周囲が清められました。
ここから、いよいよ護摩焚きが始まります。
するとさらに別の修験者さんが護摩壇正面に回り込まれ、
そのまま竹製の松明を持ち去られました。


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実は、護摩壇前に現れた修験者さんはもう一人いらっしゃいます。
二人の修験者さんは護摩壇の向こう(西)側の祭壇前に移動し、
祭壇のロウソクを使って、松明に点火されました。


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松明に点火すると、二人の修験者さんが松明を掲げられます。
この松明が、護摩焚きの種火となります。


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点火した松明が、護摩壇正面に戻されます。
ここから、この火を使って護摩壇に着火します。
ただその前にも儀式があって、
その後から護摩焚き祈祷が始まります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、壬生寺の護摩焚きを掲載します~

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第918回 壬生寺の護摩焚き 後編~坊城通南から北~その7

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前回ブログで壬生寺の護摩焚き前の様々な儀式が終わり、
いよいよ松明に点火されました。
後は壬生寺住職による短い祈祷の後、
本格的に護摩壇に点火されます。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後1時45分。
今年の節分も煙まみれ、煤まみれになりました。


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聖護院の修験者さんが点火した松明を交差させ、
護摩壇前で待機されています。
すると壬生寺のご住職が姿を見せられ、
護摩壇正面で護摩焚き前に短い祈祷をされました。
般若心経などのお経ではなく、日本語で
当世のご時世やこの壬生寺で節分会を行うことを述べられ、
最後に世界中の人々に平和と健勝を祈願されました。
その間、聖護院の修験者さんたちは全員起立して傾聴されていました。


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短い祈祷が終わると、壬生寺のご住職は
修験者の代表者の脇に腰かけられました。
(お2人には、イスが用意されています)
すると、修験者さんが護摩壇に松明を突き刺されました。


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やがて、護摩壇から白い煙が経ちました。
護摩壇の中には松葉が敷き詰められていて、
それに火が点いた模様です。


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続いて、松明で護摩壇に点火された修験者さんが、
バケツ片手に着火した護摩壇に水を掛けられます。
護摩壇に水を掛けることで、
火や煙の大きさや位置を調整されています。
こうしないと、すぐに辺りは煙まみれになります。


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すると修験者さんの代表者が立ち上がり、
護摩壇に杖を振り下ろされました。
代表者さんはそれを角度を変え、1周繰り返されました。
そしてこの頃から、周囲の修験者さんが祈祷を開始されます。
太鼓の音色に合わせて、「世界平和」から「家内安全」まで
様々なことを唱えられています。
さらに、時折「南無神変大菩薩」とも唱えられます。
神変大菩薩とは、修験道の開祖役小角の菩薩行を表します。


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ところが、数分後に辺りが真っ白になりました。
写真では修験者の代表者さんが写っていますが、
実際にここにいたときは、何も見えませんでした。


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さらに、数分が経ちました。
比較的距離が近い結界の縄や参拝者の姿は、確認できます。
法住寺の護摩焚きでもそうですが、
護摩焚きの初めは必ず煙まみれになります。
毎年節分に参拝する自分は、もう慣れましたが……


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とは言え、すぐに煙まみれの状態は鎮まります。
先程から修験者さんが護摩壇に水を掛けられ、
火と煙の勢いと位置を調整されます。
そのことによって、煙は真上にだけ上がります。


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周囲が煙まみれになっている間にも、
修験者の代表者さんは護摩壇に杖を振り下ろされていました。
この際に使われる杖は必ずY字型なのですが、
こちらがだんだん焦げていきます。


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そして修験者の代表者さんはY字型の杖を手許に置き、
護摩木を他の修験者さんから受け取られました。
さらに、右手に小刀を持たれました。


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修験者の代表者さんは小刀で護摩木の封を切られると、
そのまま護摩木を護摩壇に投じられました。
こうして、護摩焚きは粛々と続けられます。


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実は修験者の代表者さんはその後扇で護摩壇を仰がれたのですが、
そこも上手く写真が撮れませんでした。
その後は、他の方々が護摩木を護摩壇に投じられます。


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先ずは、この壬生寺のご住職が護摩木を投じられます。
修験者の代表者さんと同様に封を小刀で切られて、
護摩壇に護摩木を投じられました。


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続いて、壬生寺の檀家さんが護摩木を投じられます。
修験者さんがマイクを持ち込んでMCまでされていらしたのですが、
そこで結構大店の旦那さんと紹介されていました。
(すいません、社名は忘れました)


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さらに、先程の大店の若旦那さんも護摩木を投じられます。
たぶんですが、先程護摩木を投じられた旦那さんのご子息です。


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そこからは、修験者の代表者さんは護摩壇正面のイスに座られました。
そしておそらく般若心経を唱えられていると思うのですが、
距離的には近いのですが、自分にはよく聞こえませんでした。
それに対して、他の修験者さんたちが「バケツリレー」の要領で
次々と護摩木を護摩壇に投じられました。
実は法住寺の節分会よりも参拝者から寄せられた護摩木が多く、
その分護摩壇内の松葉を少なくされています。
ですから、護摩壇で燃えているのは護摩木です。
要するに護摩木の材料である材木がよく燃えていて、
そのため法住寺よりも舞い上がる煤の量が倍以上に多いです。
目の前の紅い傘にも、参拝者の頭にも煤がだんだん降り注ぎます。


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護摩壇に、護摩木が次々と投じられます。
結界内に置かれた護摩木も多かったのですが、
壬生寺の本堂の方に収められた護摩木の束も、
次々結界内に持ち込まれていきます。
ですから、ここから結構長い間修験者の皆さんが
護摩木の「バケツリレー」を延々繰り返されました。


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護摩木が焚かれて減っていくと、さらに護摩木が足されます。
ですから護摩木の量は、暫くこのままでした。


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護摩壇の左右から護摩木の「バケツリレー」が続くのは、
見ていて壮観でした。
先述の通り他の護摩焚きより護摩木(材木)が燃える量が多いので、
黒い煙も登ってきています。
また他の護摩焚きよりも、火の勢いが強いですね。


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とは言え約10分も護摩焚きを続けていると、
右(北)側の台の上にあった護摩木が底を尽きました。
後は左(南)側の台の分と、本堂近くに仕舞われている分です。


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と言う訳で、右(北)側にいらした修験者さんも
左(南)側に回られて、こちら側の修験者さんを手伝います。
すると大量の護摩木が、かなりハイペースで護摩壇に投じられました。


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もちろん護摩木の「バケツリレー」中も、
修験者さんたちの祈祷は延々続きました。
「世界平和」「家内安全」などを唱えられている一方で、
「南無神変大菩薩」も唱えられていました。
そちらに合わせて、こちらの太鼓が打ち鳴らされていました。
こうして聞くと、まるで音楽ですね。


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そうしているうちに、こちら側の台の上の護摩木も尽きてきました。
本堂側から運ばれる護摩木は、もう終わりのようです。


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遂に、左(南)側の台に置かれた護摩木も底を尽きました。
ただ、まだもう少し護摩焚きは続きます。


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修験者の代表者さんが立ち上がり、
Y字型の杖を護摩壇に振り下ろされます。
祈祷自体はまだ終わっていませんでしたし、
護摩壇内の護摩木もしっかり燃やさないといけません。


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実は、まだ少しだけ護摩木が残っています。
そちらは、護摩壇正面脇に敢えて残しておいた護摩木です。
修験者の代表者さんが、そちらの封を小刀で切られました。


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そして、残った護摩木を護摩壇に投じられます。
まだ残しておいた護摩木は数本あるので、
修験者の代表者さんはこの動作を繰り返されました。


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その後、修験者の代表者さんはイスに戻られました。
そのとき、護摩壇の松葉が崩れました。
護摩壇が燃えてきたためですが、
その上の松葉は水を掛け続けられたため燃え残っていました。
護摩壇に水を掛けられていた修験者さんが、
その松葉を拾い集められました。


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その間も、祈祷が続いていきます。
こちらの修験者による太鼓の演奏も、より激しくなります。


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一方、護摩壇の松葉はさらに崩れました。
もうほとんど護摩壇の組み木が、むき出しですね。
修験者さんたちが、竹竿で松葉を回収されています。


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護摩壇の内部は、炎で真っ赤です。
護摩木が、激しく燃えているのが分かりますね。


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すると結界の左(南)側にいらした修験者さんたちが、
一斉に法螺貝を吹かれました。
これが、護摩焚き祈祷が終わる合図です。


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最後に修験者の代表者さんが閉じた扇を掲げられ、
そのまま九字を切られました。
それで、2023年度の壬生寺護摩焚き祈祷が終了です。


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修験者さんたちは燃え上がる護摩壇をそのままに、
結界内から外に出て行かれます。
もちろん後片付けしなければならないのですが、
いったん結界内から出て行くのが祈祷の手順のようです。


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修験者さんたちに続いて、壬生寺のご住職と檀家さんも退出されます。
壬生寺境内にあった結界内は、いったん誰もいなくなります。


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壬生寺のご住職が結界を出られると、
聖護院の修験者さんたちがご住職に拝礼されました。
こちらは単なる挨拶ではなく、儀式の一部のようです。


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その直後に修験者さんたちが戻って来られて、後片付けが始まります。
先ずは、結界を区切っていた縄が取り外されます。
すると参拝者は一斉に結界内に押し寄せ、
結界にくくられていた折り紙などを持って帰ります。
さすがに前回ブログで登場した弓や斧はダメですが、
護摩焚きで消費されたものはほぼ何でも持って帰れます。
折り紙以外にも、座布団代わりの松葉や燃え残った松葉なども
持ち帰ることができる対象です。
これらは、お札やお守りと同様のご利益があります。
基本早い者勝ちですので、参拝者同士で取り合いになります。
腕力に劣る方は「取り合い」に参加できませんが、
修験者さんが上手い具合にそれらを先に取って、
お婆さんやお爺さんに配っておられました。


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聖護院の修験者さんたちが、どんどん後片付けされます。
護摩壇はまだ燃え盛っているので、暫くは放置です。
とは言え、護摩木もだいぶ燃えて灰になってきました。


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護摩壇周囲ににあった結界も解かれ、イスや台も撤去されました。
露店を経営されている方以外は、
参拝者の大半も、本堂など壬生寺境内の他の場所移動されました。
自分ももう少ししたらここを移動しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は壬生寺本堂に参拝しますが、
それと同時に露店巡りしながら昼食を摂ります~

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第919回 節分の壬生寺~坊城通南から北~その8

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前回ブログで壬生寺節分会の護摩焚き祈祷が終わり、
聖護院の修験者さんたちが後片付けを続けておられます。
修験者さんは鉤棒を持って、護摩壇を解体していかれます。
今回はいったん仏光寺通に出て、
坊城通から再入場して壬生寺本堂に参拝します。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後2時半。
ここから、護摩焚き祈祷以外の壬生寺節分会を散策します。


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護摩壇が、どんどん解体されていきます。
炭化した護摩壇の木組はまだまだ熱いので、
壬生寺境内の地面に並べられます。


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護摩壇内部にあった護摩木は、燃え尽きるまで放置されます。
護摩壇の周囲の松葉は、これ以上燃えないように取り除かれます。


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壬生寺の檀家の方が、後片付けに参加されています。
その方は、護摩壇の木組に水を掛けていかれます。
木組の内部はよく燃えており、それを消火されていました。


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護摩壇で燃えていた護摩木は放置されていましたが、
護摩壇の組み木など周囲で燃えていたものは取り除かれ、
とうとう護摩木の炎から、可燃物が引き離されます。
この炎も徐々に勢いが弱まり、だんだんと鎮火に向かいます。


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壬生寺の檀家さんが、護摩壇の組み木に
バケツから水を掛けておられます。
組み木はだいぶ水気を含んで、もう素手でも触れます。


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壬生寺の護摩焚き祈祷の後片付けはさらに進みますが、
そろそろ自分がここにいるのが邪魔になりそうです。
ですから、ここから壬生寺境内を移動します。
先ずは、壬生寺境内にあった護摩壇の位置から南に向きました。
自分がいる位置の西側に本堂が建っているのですが、
その南隣に千体地蔵がいらっしゃいます。
京都市街地で行き場を失ったお地蔵さんを
パゴタ状の塔に安置されたものです。


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先程の位置から、壬生寺境内を約10m南下しました。
フレーム右(西)側の外に、千体地蔵がいらっしゃいます。
このままずっと壬生寺境内を南下すると、壬生寺南門ですね。


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先程の位置から、壬生寺境内をさらに約5m南下しました。
左(東)側のたい焼きの屋台に結構人気があって、
自分はお客さんをすり抜けてきました。
では目の前の壬生寺南門から、いったん壬生寺を出ます。


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壬生寺南門を出て、そのまま南を向いています。
目の前で、仏光寺通が東西に伸びています。
この先に土蔵が見えて、旧宅が建っています。
あちらも八木邸で、現在も八木家の方々がご在宅です。
ただ新撰組の屯所だった八木邸は、壬生寺の北隣です。
八木家はもともと壬生寺近辺の大地主ですから、
新撰組屯所以外にも邸宅を所有されてます。


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壬生寺南門の前から、仏光寺通を西に向いています。
節分会の間は、壬生寺の周辺にも露店が立ちます。
取り敢えず、いったん仏光寺通を西に進みます。


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壬生寺南門から、仏光寺通を約50m西に進みました。
こちらが、食堂の「丸福」です。
第321回ブログではこちらで冷麺を戴きました。
このお店を京のお店 今日のお品では紹介していませんでしたので、
昼食を摂りながらこちらのお店を取材しようと思っていたのですが、
どうやら閉まっています。
たぶん定休日ではないので、もしかしたら檀家の一員として
壬生寺の節分会に参加されているかもしれません。
まさかもう閉められているのではないとは思うのですが……


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食堂の「丸福」の前で、仏光寺通を東に向いています。
お目当てのお店が閉まっているので、
ここからは仏光寺通を東に進んで壬生寺境内に戻ります。
……これで自分の昼食は、壬生寺境内の露店になります。


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食堂の「丸福」から、仏光寺通を東に約50m進みました。
壬生寺南門まで、戻ってきました。
ただ今回は、ここから壬生寺には入りません。
立ち寄る露店に見当を付けていて、
そちらが坊城通沿いにあるからです。


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壬生寺南門の前で、仏光寺通を東に向いています。
ここからは、暫く仏光寺通を東に進みます。


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壬生寺南門から、仏光寺通を約50m東に進みました。
こちらの京町家が、苔玉屋です。苔玉の販売専門店です。
京都市街地の苔玉専門店は最近は何軒かできましたが、
たぶんここが最古です。
(苔玉屋には、第320回ブログにも訪れています)


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苔玉屋から、仏光寺通を約30m東に進みました。
ここで仏光寺通は、坊城通と交差します。
目の前に警察官がいらっしゃるのは、壬生寺節分会の都合で
仏光寺通以北の坊城通が車両通行止めのためです。


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今度は仏光寺通から、坊城通を北に向いています。
左(西)側の土塀は壬生寺ですが、右(東)側の土塀は旧神先家邸宅です。
旧神先家邸宅の前には、第917回ブログでも通過しました。


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旧神先家邸宅前から、坊城通を北に向いています。
目の前から、壬生寺に入れますね。


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旧神先家邸宅から坊城通を約30m北上して、左(西)に向きました。
では、こちらから壬生寺に再入場します。
……その前に、右(北)側のたこ焼きの露店にお邪魔します。
先述の「お目当ての屋台」とは、ここのことです。
実は、こちらには第635回ブログでもお邪魔しています。
こちらは5個300円ととても安いのですが、
1個1個にタコが1片入っていて、お得感があります。


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たこ焼きの露店の奥に、飲食スペースがあります。
では、こちらのイスに座ってたこ焼きを戴きます。
飲食スペースの一部が写っていませんが、
そちらには自分の先客がいらっしゃいます。


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飲食スーペースに座って、このたこ焼きを戴きました。
外がカリカリですが中はトロトロですので、
舌が火傷するのを注意しないといけません。
そして、中には大振りのタコが入っていました。


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たこ焼きを戴いて、再び壬生寺山門前に立ち西を向いています。
では、ここから壬生寺に再入場します。


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壬生寺山門をくぐり、すぐに北を向きました。
こちらに、壬生寺の末社一夜天神がいらっしゃいます。
第917回ブログでは、聖護院の修験者さんたちが
こちらで祈祷されていました。
夜泣き封じのご利益がありますが、自分にはあまり関係がありません。
とは言え、せっかく来たので先ずはお参りです。


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壬生寺山門から、境内を西に向いています。
ここをまっすぐ西に進めば、壬生寺本堂です。
ただこの日(2023年2月2日木曜日)の壬生寺は、節分会です。
境内や周辺には、あちこち露店が立っていました。


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壬生寺の末社一夜天神の向かい(南)側に、
壬生寺が経営する老人ホームがあります。
ただ、節分会の期間中はこの場所で炮烙焼きが売りに出されます。
炮烙焼きは直径約50㎝の円形の焼き物で、
こちらに願い事を書いて再び壬生寺に納めます。
壬生寺が参拝者から集めた炮烙焼きは、
壬生狂言の際に舞台から落とされます。
そして炮烙が割れたとき、参拝者の願いが叶うと考えられています。


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その老人ホームの前で、壬生寺境内を西に向いています。
ここより西にも、様々な塔頭寺院やお堂が並びます。


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一夜天神の西隣に、阿弥陀堂が建っています。
文字通り、堂内に阿弥陀如来像がいらっしゃいます。
また阿弥陀堂を通り抜けた北側に、壬生塚があります。
壬生塚が、壬生寺内の新撰組関連施設です。


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阿弥陀堂の向かい(南)側に、壬生寺中院が建っています。
こちらも壬生寺の塔頭寺院で、ご本尊は十一面観音です。
そして、こちらでも炮烙焼きが売られていました。


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中院の西隣に、「歯薬師」がいらっしゃいます。
要するに薬師如来がいらして、京都十二薬師の御1体です。
このブログでは、他に因幡薬師第307回ブログの水薬師・
第346回ブログの福勝寺・第347回ブログ追記に掲載した地福寺・
第117回ブログの雙林寺・第573回ブログの薬師院・
第158回ブログの蛸薬師に訪れています。


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「歯薬師」の前で、壬生寺境内を西に向いています。
次はここから西に進み、壬生寺本堂前に進みます。
……と言いますか、今回ブログの冒頭の位置に戻ります。


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今回ブログの冒頭護摩壇があった場所に戻ってきました。
護摩壇を組まれていた木材は鎮火済みで、
小型車両によって外に運び込まれてます。
ただ、護摩壇の炎は小さくなっても燃えています。

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そうは言っても、護摩壇の炎はかなり小さくなっています。
他の可燃物からは遠く離されているので、
約1時間もしたら鎮火するでしょうね。


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……と言う訳で壬生寺境内をさらに西に進み、
壬生寺本堂に向かいます。
ただその前に、目の前の小屋に向かいます。


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小屋の中には、女性が一人いらっしゃいました。
その方にお金を納めると、線香が戴けます。
なお、線香に決まった金額はありません。
自分は、取り敢えず50円納めて線香1本もらいました。


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先程の小屋の西側に、こちらが並んでいます。
中には液状の蝋が入っており、それが燃えています。
こちらの中に線香を差し入れて、着火させました。


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そして、さらに西側にあるこちらに線香を立てました。
ちなみに中央のいちばん長いのが、自分が立てた線香です。
立てた直後なので、いちばん長いですね。


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その香炉の西側に、律宗壬生寺本堂が建っています。
律宗と言えば奈良県の唐招提寺が総本山ですが、
この壬生寺も本山の扱いです。ご本尊は、大地蔵菩薩です。
こちらは、平安時代の941年に快賢によって創建されました。
一時期衰退しましたが、鎌倉時代の1300年に円覚が再興して
この時期から大念仏会や壬生狂言が行われるようになりました。
また天明の大火などでたびたび焼失していましたが、
現在のご本尊は1967年に唐招提寺から譲り受けており、
重要文化財に指定されています。
では、こちらに参拝します。


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壬生寺本堂の南側には節分用の寺務所があり、
そちらでお札やお守り、炮烙焼きが売られていました。
その奥(西側)が、先述の千体地蔵です。


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壬生寺本堂前から、南に向きました。
こちらの南門から、先程仏光寺通に向かっています。


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今度は、壬生寺本堂から境内を北に向きました。
護摩壇があった場所より北側には、屋台村が形成されています。
ここからはその屋台村初め壬生寺境内を散策しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、壬生寺境内の屋台村を散策します~

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第920回 壬生寺屋台巡り~坊城通南から北~その9

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前回ブログで壬生寺本堂に参拝し、本堂前で北を向きました。
第918回ブログまで続いた護摩焚き祈祷の名残で、まだ煙たいです。
今回は、今まで進んでいなかった壬生寺境内の北側を散策します。
節分会の壬生寺では、その辺りに屋台村が形成されています。
撮影日は、2023年2月2日午後3時。
壬生寺の節分会の様子は、まだまだ続きます。


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壬生寺本堂から約50m北上して、
第919回ブログに護摩壇があった場所から北を向いています。
ここからは、壬生寺境内北側に広がる屋台村に進みます。


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その屋台村最南端に、「うどん」の暖簾が掛かる露店がありました。
店内で飲食もできますが、この位置で注文して食べ歩きもできます。
2つの大きな鍋には、おでんが入っていました。
左(北)側の鍋には大根や煮卵、コンニャクが、
右(南)側の鍋には、かまぼこやちくわなど、練り物が入っていました。
前回ブログでたこ焼きは戴いたものの、「丸福」には入り損ねました。
おでんに、ちょっと(本音はだいぶ)惹かれます。


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誘惑に勝てず、屋台村を少し逆戻りします。
ここから、この暖簾をくぐり店内に入ります。
(以後は、この露店の許可を戴いて撮影しました)


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店内に入ると、店員さんにこちらに案内されました。
店内は自分以外に数名のお客さんがいらっしゃいました。
この席に就いて、暫く待ちます。


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この席に就いてから、約5分が経ちました。
メニューにあった「土手焼き」や「うどん」も惹かれましたが、
初志貫徹でおでん4品(700円)と缶ビール(500円)を頼みました。
おでん4品はお店のお任せで、お客さんは選べません。


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「おでん4品」を大写ししました。
手前左から大根と平天、奥も左から煮卵とこんにゃくです。
個人的にはかまぼこに惹かれていましたが、これはこれで絶品でした。
平天以外の3品は、いずれも出汁が浸みこみやすい品物です。
特に、大根は明らかに色が変わっています。
これは焦げている訳ではなく、単に出汁が浸みこんでいるだけです。
そして、この大根が最高傑作でした。
かなりよく煮込まれているので、歯に触れただけで崩れてしまいます。
口の中で噛んでいると、この大根から出汁が染み出てきます。
おそらくですが、こちらは長年継ぎ足されて煮込み継がれた出汁です。
その深みと旨味が底知れず、この出汁が大根を絶品に変えています。


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こちらのおでんとビールを戴きました。
おでんはお婆さんが一人で煮込んでおられましたので、
ここを出る間際にこう言っておきました。
「今まで食べた大根の中で、いちばんおいしかったです」
そのお婆さんは、少し照れながらお礼をおっしゃりました。
ただこれはお世辞ではなく、単なる事実です。


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その露店から、壬生寺境内を北に向いています。
こちら側にも、露店がまだまだ続きます。


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おでんを戴いた屋台から約10m北上して、
壬生寺境内を西に向いています。
こちらに、壬生寺の寺務所が建っています。
中を覗くと、護摩焚き祈祷を終えた聖護院の修験者さんが
ゆっくり寛がれていました。


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壬生寺寺務所の前で、境内を北に向いています。
ここから、もう少しだけ壬生寺境内を北上します。


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壬生寺寺務所の前から、境内を約5m北上しました。
ここから北には、露店がかなり少なめです。


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先程の位置からもう5mだけ北上して、北を向きました。
この先の北門を出ると、綾小路に出ます。
つまり、この辺が壬生寺の北端です。


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壬生寺北門から約10m南下して、寺務所前に戻ってきました。
その位置で左(東)を向くと、露店が続いていました。
ここからは、こちらを進みます。


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屋台村の左(北)側の建物は、壬生寺の舞台です。
こちらで、年に数回壬生狂言が催されます。
毎年節分には、武士の新妻が忍び込んだ鬼を退治する「節分」と
参拝者から集めた炮烙焼きを舞台で叩き割る「炮烙割り」が、
交互に演じられます。
ただ、2023年節分は午後5時以降にしか開催されません。
日没後ウチのカメラは機能しませんし、
帰宅後自分の母の分も食事を作らないといけないので、
今回(2023年)も壬生狂言観劇を諦めます……


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壬生寺の舞台の南側に、さらに東へと屋台村が続きます。
ここからは、露店が立ち並ぶ通りに壬生寺境内を東に進みます。


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先程の位置から、壬生寺境内を約10m東に進みました。
ここから屋台村は、南に伸びています。
この辺りは、射的場など遊戯施設が立ち並んでいました。


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先程の角から、壬生寺境内を南に向いています。
左(東)側にお面の露店があり、右(西)側に「くじ」の露店があります。
この辺は、食べ物以外の露店が多いですね。


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先程の角から、壬生寺境内を約50m南下しました。
この辺りに、第918回ブログまで護摩壇がありました。
だいぶ片付いていますが、護摩木はまだ燃えていました。


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その東側には、こちらの屋台が立ち並びます。
第917回ブログ以降護摩焚き祈祷を自分が眺めていたのは、
だいたいこの位置からでした。


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先程の位置から壬生寺境内を約10m南下して、左(東)を向きました。
この参道の先に、壬生寺の山門があります。
第917回ブログ前回ブログで、壬生寺に入ってきた門ですね。
さて、この辺りに壬生寺の塔頭が立ち並びます。
「歯薬師」には前回ブログで参拝しましたので、
ここからは「水掛地蔵」と「弁財天」に参拝します。


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先程の位置から、壬生寺境内を約5m東に進みました。
左(北)側の小屋で、線香とロウソクが売られていました。
ロウソクは1本50円でしたが、線香の価格は決まっていません。
合わせて100円納めたら、小屋にいらした方が
線香を3本自分に手渡されました。
どうやら、それが「相場」らしいです。
そう言えば、修験者さんたちが聖護院に帰られる姿に遭遇しました。


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こちらが、自分が買い求めたロウソクと線香です。
こちらを水掛地蔵さんと弁財天さんに奉げます。


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水掛地蔵さんの脇に、燭台が置かれていました。
先ずは、こちらに自分のロウソクを並べます。


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こちらが、水掛地蔵さんです。
お堂の手前に香炉があって、そちらに線香を1本捧げます。
それから、お地蔵さんに柄杓で水を掛けます。
まぁ、「水掛」地蔵さんですから……


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そして、水掛地蔵さんと弁財天さんの間にも香炉があります。
こちらにも、線香を1本捧げました。


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水掛地蔵さんの東隣に、弁財天さんのお堂が建っています。
こちらにも、線香を1本捧げました。


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こちらが、弁財天さんのお堂です。
では、こちらにもお参りします。
こちらの弁財天さんは、この時点(節分会期間中)で御開帳中でした。
実はもっと近くで撮れば弁財天さんのお姿も分かるのですが、
さすがにそれは止めておきました。
確か、こちらは重要文化財だったはずです。


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弁財天さんのお堂の東隣に、阿弥陀堂が建っています。
もちろん、こちらには阿弥陀如来がいらっしゃいます。
そして、この阿弥陀堂の北側に壬生塚があります。
そちらが、壬生寺境内の新撰組関連施設です。
ここからそちらに向かいますが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、壬生の新撰組関連施設を散策します~

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第921回 壬生の新撰組~坊城通南から北~その10

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前回ブログで節分会の壬生寺をほぼ散策し終え、
後は壬生塚を残すだけになりました。
「壬生塚」とは壬生寺の池に浮かぶ小島で、
壬生寺歴代管主や新選組隊士のお墓が立っています。
今回は壬生塚に訪れた後、
中京区壬生地区に残る新撰組の足跡を巡ります。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後3時半。
今回は、壬生寺より北に向かいます。


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壬生寺阿弥陀堂内は撮影不可なので、写真はありません。
壬生寺の阿弥陀堂には、文字通り阿弥陀如来像がいらっしゃいます。
もちろんその阿弥陀如来像にはお参りしますが、
この阿弥陀堂が北側の壬生塚に向かえる唯一のルートです。
阿弥陀堂内に設置された料金所で300円を納めて、
阿弥陀堂の北側に広がる壬生塚に向かいます。


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阿弥陀堂を北に抜けると、こちらの橋に辿り着きます。
この橋の先が、壬生塚です。


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阿弥陀堂から壬生寺境内を北上して
橋を渡っている途中で、左(西)に向きました。
金鍍金の龍の像が、池に浮かんでいますね。


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先程の橋を渡って、壬生塚に辿り着きました。
壬生塚の奥(東)の方に新撰組隊士のお墓が立っていますが、
手前のこの辺りには壬生寺歴代管主のお墓が立ち並びます。


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同じ位置で、壬生塚を東に向いています。
右(南)側の道を進むと、新撰組隊士のお墓が立ち並びます。


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壬生塚で東に進む途中に、こちらの人丸塚が立っています。
柿本人麻呂のお墓と伝わっていますが、
どの歴史上の資料を読み比べてみても、
京都に柿本人麻呂のお墓がある可能性は皆無です。
おそらく後世の歌人のお墓でしょうね。
ちなみに「人丸(ひとまる)」→「火止まる」の語呂合わせから、
こちらには火災除けのご利益があります。


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壬生塚の最東端まで来ました。
こちらの近藤勇の胸像は、映画関係者が壬生寺に寄贈されたものです。
ちなみに、壬生塚に近藤勇のお墓はありません。


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壬生塚最東端から、壬生寺境内を北を向いています。
壬生塚のいちばん奥に、新撰組隊士のお墓が立ち並びます。


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先ずは、こちらに志納金を納めます。
この辺りは、この寄付により成り立っています。


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この辺りから、壬生塚に並ぶ新撰組の隊士のお墓が並びます。
左(北)側のお墓は、新撰組勘定方河合耆三郎のものです。
新撰組の相当数が規律違反で切腹していますが、
河合耆三郎もその一人です。
親許がお金を納めれば切腹を許されることになっていたのですが、
肝心のお金を集めることに時間がかかり、結局切腹した方です。
切腹の期限延長を認めなかった新撰組の幹部に
腹を立てた河合耆三郎の父は、抗議の意味も込めて
この壬生寺に新撰組隊士としては破格に大きな墓を立てました。
それが、こちらです。
右(南)側は、新撰組隊士の共用のお墓です。
たくさんの方の遺骨を納めるのは不可能ですので、
こちらは墓碑だけで遺骨はこの下に埋まっていません。


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そして壬生塚のいちばん奥に、こちらのお墓が立ってます。
右(東)側のお墓は、新撰組隊士共用のお墓です。
墓碑銘に、野口健司と書かれていますね。
他の隊士は、自分のよく知らない方々です。
ただ、このお墓の下には遺骨は入っていません。
野口健司のご遺体は、後述の光縁寺の北側
嵐電の線路の下に眠っておられます。


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そしてその右(西)側が、芹沢鴨平山五郎のお墓です。
どちらも、後述の八木邸で暗殺された人物です。
ただ、ご遺体はこちらには埋められていません。
仏光寺通の南側に広がる壬生寺墓地の中に、
現在もご遺体が眠っておられます。


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その芹沢鴨と平山五郎のお墓の裏(北)側は堀に見えますが、
先程の池と繋がっていて、この壬生塚が池に浮かぶ小島と分かります。
その「堀」に、こちらが飛来してきました。
魚を探すように暫く水面に嘴を漬けていましたが、
やがて遠くに去っていきました。


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近藤勇の胸像前まで戻り、壬生塚を西に向いています。
あちらから、何人か参拝者が来られます。
壬生塚は「壬生地区の新撰組関連施設」ではいちばん有名ですし……
では、自分はそろそろ壬生塚をこのまま西に進みます。


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壬生塚最西端から、南を向いています。
では、この橋を渡り壬生寺阿弥陀堂内に入っていきます。


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壬生塚から壬生寺阿弥陀堂内に入り、
さらに南下してその阿弥陀堂を南に出ました。
こちらは、壬生寺境内ですね。
目の前(南側)に、壬生寺中院が建っています。


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壬生寺阿弥陀堂を出て、壬生寺境内を東に向いています。
この日(2023年2月2日木曜日)は、
壬生寺では節分会が催されています。
第917回ブログから壬生寺境内を散策してきましたが、
そろそろこの先の山門に向かいます。


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先程の位置から、壬生寺境内を約20m東に進みました。
では目の前の山門から律宗壬生寺を出て、坊城通沿いに出ます。


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壬生寺山門から東側に出て、坊城通を北に向いています。
では、ここから坊城通を北上しています。


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確か数年前まで壬生寺山門の北側は小さな駐車場だったはずですが、
いつの間にかカフェが開店していました。
「だんだらカフェ」と書かれていますが、
クッキーとかお菓子がおいしそうなお店ですね。


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壬生寺山門から、坊城通を約30m北上しました。
坊城通の東側は、臨済宗永源寺派鳳翔山新徳寺(新徳禅寺)です。
江戸時代半ばの1739年、天巌文聰によって建立されました。
1863年清河八郎が江戸で結成した浪士組が京都に訪れたとき、
この新徳寺で宿泊しました。
清河八郎が京都に来た名目上の目的は
江戸幕府14代将軍徳川家茂の護衛だったのですが、
この新徳寺の本堂で江戸幕府を打倒する必要性を説きました。
その際江戸幕府側に立とうとした近藤勇芹沢鴨らが、
浪士組を脱退してその浪士組が江戸に帰った後も京都に残りました。
これが、新撰組の始まりです。
つまり、ここが新撰組発祥の地です。


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その新徳寺では御朱印を発行されているはずなのですが、
本堂や境内には入れません。
代わりに、先程の門より北側に露店が立っていました。
この露店では、各種甘納豆が売られていました。


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こちらが、その甘納豆です。
こちらは、中京区壬生地区の和菓子店が製造しています。
と言いましても、阪急電車「西院」駅の近くですが……
こちらで普段から販売されているわけではなく、
節分会のこの時期限定でこちらで売られています。


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こちらは、この袋に入っていたリストです。
茶福豆や小豆が一般的ですが、
このお店は様々な甘納豆を製造しています。
この中にはありませんが、カカオ豆の甘納豆も売られていました。


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こちらは、後日昼過ぎに戴きました。
最近は、ウチではそば茶が好まれています。


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その甘納豆を大写ししました。
1種類だけではなく、様々な豆類が並びます。
それぞれが、素材本来の甘味を出しています。


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新徳寺の門前から、坊城通を北に向いています。
節分会の時期は、四条通以南の坊城通に露店が並びます。


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新徳寺から、坊城通をさらに北上しています。
壬生寺の北隣に、「鶴屋」という和菓子匠が建っています。
まんじゅうや羊羹など様々な和菓子が売られていますが、
近年は茶席が設けられており、そこで和菓子を戴けます。


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鶴屋の茶席の前に、こちらが置かれておりました。
まんじゅうや羊羹などお持ち帰り用の和菓子以外にも、
このようなものも茶席で戴けます。


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その「鶴家」の茶席から、さらに奥(西側)に向いています。
赤地に「誠」と書かれた旗が示すように、
和菓子匠の鶴屋の店主は、八木家の子孫です。
八木家はこの壬生一帯の地主だった一族で、
この八木家邸宅に新撰組隊士が居住していました。
つまり、この奥が新選組の壬生屯所です。


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新撰組壬生屯所だった八木邸は撮影不可ですが、
有料で屋内を拝観できます。
拝観料は1000円ですが、学芸員の解説と
帰途に抹茶と和菓子を先程の茶席で戴けるサービス付きです。
邸内にいらした学芸員さんは何度か自分もお目に掛かった方でした。
数年ぶりにお話を聞くと、以前より詳しい話をされていました。
様々な参考文献を提示しつつ、いろいろ話されていました。
八木邸で話されるのは、先述の芹沢鴨平山五郎暗殺事件です。
学芸員さんが解説された部屋で起きた事件ですね。
当初は新撰組と対立する長州藩士の犯行と考えられていましたが、
会津藩主で新撰組を管轄する松平容保が、
近藤勇に命じて殺させたのが真相のようです。
ただ、一緒に部屋にいた吉栄さんも殺されたと解説されていました。
八木邸内の仏壇に芹沢鴨と平山五郎、お梅さんの位牌がありますが、
吉栄さんの位牌はありません。
さらに作家の子母澤寛が取材した八木為三郎氏の発言でも、
吉栄さんは事件後も生きています。
(当時子供だった為三郎氏と、吉栄さんが一緒に食事をしています)
そうすると吉栄さんは事件に巻き込まれていないことになりますが、
こちらの学芸員さんは終始一貫して
「吉栄さんは暗殺された」と主張されています。
たぶん調査された結果、この事件で
吉江さんが殺された証拠をつかまれたのでしょうね。


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学芸員さんのお話は、30分近く続きました。
そちらを聞き終えて、鶴屋の茶席に向かいました。
この日(2023年2月2日)は結構寒かったので、
茶席には小さな火鉢が置かれていました。


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最初に戴いた半券を提示すると、
店員さんがこちらを持って来られました。
抹茶とこちらで売られている和菓子ですね。


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店員さんが持って来られたのは、抹茶と屯所餅でした。
こちらを戴きながら、ちょっと休憩します。


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屯所餅は、求肥のの中に小豆餡が入った餅です。
そちらを抹茶とともに堪能していると、午後4時20分を回りました。
そろそろ西日が傾いてきています。
ちょっと慌てて、先を進みます。


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茶席を後にして、鶴屋店内を東に向いています。
では鶴屋を出て、坊城通に戻ります。


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和菓子匠の鶴屋の前で、坊城通を北に向いています。
では、ここからは坊城通を北上します。


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鶴屋の前から、坊城通を約20m北上しました。
ここで坊城通は、綾小路と交差します。


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坊城通から、綾小路を東に向いています。
右(南)側に、旧前川邸が見えますね。


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坊城通から、綾小路を約10m東に進みました。
こちらから、旧前川邸に入れます。
結成後だんだんと入隊者が増えていった新撰組は、
程なく八木邸が手狭になってきました。
そこで、新撰組は八木邸の東隣のこの前川邸も
屯所として使うようになりました。
新撰組隊士と一緒に生活していた八木家の方々に対して、
前川家の方々は新撰組が現れると、
すぐにこの屋敷を捨てて別の土地に引っ越されました。
そのため、こちらを「旧」前川邸と呼びます。
この旧前川邸は新撰組隊士の居住スペースだったのですが、
古高俊太郎を拷問したり、山南敬助野口健司など、
多くの新撰組隊士が規律違反により切腹させられたりした場所です。
こちらは週末限定で公開されるのですが、
この日(2023年2月2日)は木曜日でしたので、
屋内には入れませんでした。


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旧前川邸門前から、綾小路を東に向いています。
では、ここからはこの綾小路を東に進みます。


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坊城通から、綾小路を約150m東に進みました。
ここで綾小路は、壬生川通と交差します。


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壬生川通から、綾小路を東に向いています。
横断歩道を渡って、壬生川通から綾小路をさらに東進します。


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壬生川通から、綾小路を東に向いています。
壬生川通以東の綾小路沿いに、小さなお寺がたくさん並びます。


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壬生川通から、綾小路を約100m東に進みました。
こちらに、浄土宗上宮院聖徳寺が建っています。
ご本尊の阿弥陀如来像が、聖徳太子作と伝えられています。


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上宮院聖徳寺から、綾小路を約30m東に進みました。
こちらに、浄土宗知恩院派満月山普照院光縁寺が建っています。
江戸時代末期の住職が山南敬助と友人であったため、
その山南敬助のお墓が立てられました。
以来新撰組隊士のご遺体が次々埋葬され、
墓地の北端に新撰組隊士共用のお墓が立っています。
そのため、多くの方がお参りに来られます。
ただこの日はあちこち回るのに時間がかかり、
この時点で午後4時半を回っていました。
そのため、光縁寺の門は閉ざされていました。
残念ながら中に入れませんので、ここから坊城通に戻ります。
ただもうだいぶ写真を貼り付けたので、
今回はここまでです。

~次回は、元祇園梛神社の節分会に向かいます~

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第922回 元祇園梛神社の節分会~坊城通南から北~その11

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こちらは、壬生川通と大宮通の中間の綾小路沿いです。
北側に、浄土宗知恩院派普照院光縁寺が建っています。
山南敬助初め、多くの新撰組隊士のお墓がある寺院です。
ただ前回ブログでは、時間が遅いため中には入れませんでした。
今回は光縁寺から綾小路を坊城通まで西に進み、
坊城通を北上して元祇園梛神社に向かいます。
こちらも、盛大に節分会を催されます。
撮影日は、2023年2月2日木曜日午後4時半。
「壬生の節分会」の連載は今回までですが、
「坊城通編」は次回ブログ以降も続きます。


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浄土宗知恩院派満月山普照院光縁寺の門前から、
綾小路を西に向いています。
右(北)側に、光縁寺の塀が見えます。
約30m先に、浄土宗上宮院聖徳寺の塀が見えますね。
では、ここから綾小路を西に進みます。


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浄土宗知恩院派満月山普照院光縁寺から、
綾小路を約130m西に進みました。
ここで綾小路は、壬生川通と交差します。


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その位置で、壬生川通に移動する前に綾小路を南に向きました。
こちらに、お地蔵さんがいらっしゃいます。
先ずはお参りして、先に進みます。


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壬生川通は、4車線の比較的広い道路です。
その壬生川通以西の綾小路が、車両通行止めでした。
2023年2月2日~2023年2月4日は、この辺一帯が節分会です。
露店などが道沿いに建ち並ぶので、
この期間中は自動車が一切通行できません。


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壬生川通から、綾小路を西に向いています。
左(南)側に見えるお酒屋さんは、
「近藤勇」「土方歳三」「沖田聡司」というビールを売っています。
では、さらに綾小路を西に進みます。


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壬生川通から、綾小路を約100m西に進みました。
あと約50mで綾小路が突き当たっているように見えますが、
約10m南下するとさらに西に綾小路は続きます。


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先程の位置から、綾小路を約50m西に進みました。
左(南)側に見える旧前川邸には、前回ブログで訪れました。
こちらは、新撰組屯所の一つです。
そのさらに西の坊城通で、綾小路は突き当たっています。
そこを左(南)に進むと、もう一つの新撰組屯所八木邸や
節分会が催されている壬生寺が建ち並びます。(前回ブログ参照)
また目の前の坊城通沿いに、きんつば専門店の「幸福堂」があります。
第188回ブログでは、このお店できんつばを買いました。


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その幸福堂の前で、坊城通を北に向きました。
この右(東)側が、先程まで歩いていた綾小路です。
ここからは、この坊城通を北上します。


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綾小路から、坊城通を北上しています。
仏光寺通~四条通間の坊城通には、節分期間中は露店が立ちます。


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さらに坊城通を北上しようとしたのですが、急に嵐電が横切りました。
そう言えば、ここ最近嵐電の車両は広告をラッピングしていませんね。


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綾小路から坊城通を北上していると、
左(西)側にこちらの露店が立っていました。
こちらの「丸干し」は、ウルメイワシで出来ています。
もともと節分には、イワシを戴く風習があります。
実はこの日の晩御飯も、イワシの予定でした。
帰りにどこかのスーパーでも寄っていこうとも思っていたのですが、
ちょうどいいのでここでウルメイワシの丸干しを買って、
そのままこの日の晩御飯にします。


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その露店では、丸干しをこのレジ袋に入れて戴きました。
全部で、500円だったと思います。


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こちらが、レジ袋の中身です。
ウルメイワシの丸干しが、全部で5尾入っていました。


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輪ゴムを外して、容器を開けました。
こちらは、オーブンでしっかり焼きます。
イワシは最近安いので、だんだんウチの定番になりつつあります。
節分の期間中は、いつも以上にたくさん戴きました。


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これが、2023年2月3日金曜日に戴いた分のイワシです。
これだけでは寂しいので、肉ニラ炒めも一緒に戴きました。
(肉ニラ炒めは、写真撮影していません)


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では、2023年2月2日木曜日に戻ります。
嵐電が坊城通を通過したので、踏切を渡ります。


922-16.jpg
嵐電の踏切を渡っている途中で、西を向きました。
嵐電はこのまま西にへと伸びていて、西大路の手前で北に曲がります。
そして三条通の車道に乗り上げてそのまま西に進み、
市営地下鉄東西線「太秦天神川」駅前に至ります。
(その辺の様子は、第885回ブログ参照)



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その嵐電の踏切から、坊城通を北に向いています。
節分期間中の坊城通は、四条通まで露店が並びますね。
では、ここからさらに北上します。


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先程の踏切から、坊城通を北上しています。
もともと坊城通は京都市街地でも狭い道なのですが、
そこに露店が建ち並び参拝者がだんだん増えてくるので、
人口密度がさらに高くなってきました。


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綾小路から、坊城通を約100m北上しました。
目の前で、坊城通は四条通と交差します。
ただその前に、左(西)側にに向きます。


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その場で西を向くと、石製鳥居が立っていました。
こちらが、今回ブログのメイン元祇園梛神社です。
同じ境内で、隼神社と合祀されています。
では、この鳥居をくぐります。


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先程の鳥居をくぐり、元祇園梛神社境内に入ってきました。
いつもは静かな場所なのですが、
この日は多くの参拝者がいらして、とても賑やかでした。
壬生寺同様、こちらも盛大に節分会を催されます。


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元祇園梛神社の社務所の前に、臨時の社務所が作られています。
そちらには数名の巫女さんが常駐されていて、
時折神楽を舞っておられました。
実は聖護院の修験者さんたちによる祈祷も、
壬生寺のより先にこちらで行われておりました。


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元祇園梛神社の臨時社務所前から、境内を北に向いています。
この先に、元祇園梛神社の末社がいらっしゃいます。
毎年この時期、この辺りで
旧年のお守りやお札が焼かれていたのですが、
まだコロナ禍が完結していないため、2023年は中止されています。


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では、先に末社にお参りしていきます。
先ずこちらは、稲荷社です。
こちらに、しっかりお参りします。


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続いて、こちらの末社にもお参りします。
こちらは、田中社ですね。


922-26.jpg
田中社の前で、境内を西に向いています。
こちらには、本殿が並んでいます。
こちらは元祇園梛神社であるとともに、隼神社でもあります。
ですから、本殿が2棟並んでいます。


922-27.jpg
では、先に右(北)側の本殿から参拝します。
こちらは、隼神社の本殿です。
ご祭神は、建甕鎚神(タケミカヅチ)です。
794年の平安京遷都の頃の創建です。
実は、「従四位」と言う割と格上の神社です。
元は約200m北にいらっしゃいましたが、
約100年前にこちらに移ってこられました。
そのため毎年11月17日の例祭では、
その位置までこちらからご神体が神輿巡行されます。
(なぜか新撰組の扮装をされた氏子が、随行されます)


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隼神社本殿の左(南)側に、元祇園梛神社本殿がいらっしゃいます。
ご祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。
「元祇園」とあるように、こちらは八坂神社の前身です。
もともと三条黒門という神泉苑の南端で、祇園祭が催されていました。
その後八坂神社はあちこち変遷を繰り返し、
現在の位置に移動されました。
まぁ元祇園梛神社も、ここではない別の場所から移転してきています。

現在の元祇園梛神社は、5月の例祭よりも
この節分会と夏越の払いで賑やかになります。


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元祇園梛神社本殿前で、境内を北に向いています。
目の前の鳥居をくぐると、四条通沿いです。
その脇に、「壬生寺道」バス停があります。


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今度は元祇園梛神社本殿前で、境内を東に向きました。
今回はここから鳥居をくぐり、坊城通に戻ります。


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元祇園梛神社を出て、坊城通を北に向いています。
次はここから坊城通を北上して、四条通に向かいます。


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坊城通から、四条通を西に向いています。
坊城通から約150m先の千本通まで、飲食店が建ち並んでいます。
(その辺りの千本通の様子は、第322回ブログ参照)


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今度は坊城通から、四条通を東に向きました。
約300m先が、京都市街地屈指の繁華街「四条大宮」交差点です。
それはそうと東向きの「壬生寺道」バス停に、
26系市バスが停まっています。
自分が乗りたい市バスですが、信号から考えて
この市バスには間に合いませんね。


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信号が変わったので、四条通を北側に渡りました。
この時点で、先程の市バスは既に出発しています。


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四条通を横断歩道を北側に渡ってから、
坊城通から四条通を東に向いています。
目の前に、東行きの「壬生寺道」バス停が立っています。
取り敢えずこのバス停で、次の26系市バスが来るまで待ちました。
約10分後26系市バスが来たので、
そちらに乗って京都駅まで戻り、そのまま帰宅しました。

~次は、節分以降の「坊城通編」です。
元祇園梛神社に再訪して、坊城通をさらに北上します~

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第923回 平日の元祇園梛神社~坊城通南から北~その12

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京都駅北側市バスターミナルから26系市バスに乗って、約30分。
こちらは、前回ブログで市バスに乗った「壬生寺道」バス停です。
今回は節分でも訪れた元祇園梛神社と隼神社再びを参拝して、
坊城通を四条通から北上します。
撮影日は、2023年2月16日木曜日午後1時。
数日ぶりに、肌寒い日でした。


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「壬生寺道」バス停から、26系市バスが四条通を西に進みます。
26系市バスは西大路まで四条通を西に進んだ後北上し、
右京区花園地区を縦断して、最終的に右京区山越地区に向かいます。


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再び「壬生寺道」バス停から、四条通を西に向いています。
約150m先の千本通まで、飲食店が建ち並びます。
(千本通の様子は、第322回ブログ参照)
さらに約100m西に進むと、JR嵯峨野線の高架と交差します。


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今度は「壬生寺道」バス停から、四条通を西に向きました。
坊城通の手前に、石製鳥居が見えますね。


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本当はもっと後から撮影したのですが、
四条通北側歩道に回ってその石製鳥居を撮りました。
鳥居の左(東)側に「元祇園梛神社」と書かれていますが、
右(西)側には「式台隼神社」と書かれています。


923-6.jpg
要するに、こちらは元祇園梛神社と隼神社が合祀されています。
前回ブログでは、こちらの節分会を取材しました。
今回は、平日の境内を取材します。


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先程の鳥居をくぐり、境内に入ってきました。
節分会が終わると、社務所は通常閉じられています。
ただ近所の方中心に、常に数名の参拝者がいらっしゃいます。


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境内の北東を向いています。
こちらに、こちらの末社が並んでいます。


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先ずは、こちらの田中社にお参りします。
左京区の田中神社が勧請されたものと思っていたのですが、
どうやら地主神社(土地神様)のようです。


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さらに、稲荷社にもお参りします。
こちらのご祭神は、上川稲荷大神のようです。


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その稲荷社の前で、境内を西に向いています。
あちらに、隼神社と梛神社の本殿がいらっしゃいます。


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先ずは、式台隼神社本殿にお参りします。
ご祭神は、建甕鎚神(たけみかづち)です。
皮膚病の平癒と言うご利益があります。
「式台」と言うことは、平安時代での社格が高かったことを表します。
延喜式にも、この神社の記述があります。
ただ、もともとこの神社は約200m北にいらっしゃました。
そちらには、次回ブログで訪れます。


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続いて、元祇園梛神社にお参りします。
節分会の装飾が取り外され、通常モードですね。
ご祭神は、素戔嗚尊です。
祇園祭は平安時代当時の神泉苑最南端(現在の三条会商店街)で、
平安時代初期の863年に開催された祇園御霊会が始まりです。
祇園祭を催す神社はそこからあちこち変遷して、
平安時代半ばには現在の八坂神社に落ち着きました。
こちらの神社は、その間祇園祭を催した神社の一つです。
中世(鎌倉時代・室町時代)は別の位置にいらした祠でしたが、
明治時代初めに現在の位置に移られ、
昭和初期に現在の規模の神社になりました。


923-14.jpg
元祇園梛神社本殿に背を向け、境内を東に向きました。
ではあちらの鳥居をくぐり
この神社を出て、坊城通に向かいます。


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先程の鳥居をくぐり、坊城通を南に向いています。
約20m先に、律宗壬生寺が建っています。
第917回ブログ以来の壬生の節分会も終わり、
露店などは完全に姿を消しています。


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今度はその鳥居の前で、坊城通を北に向きました。
目の前で、坊城通は四条通と交差しています。
今回は、こちらを北上します。


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鳥居前から坊城通を約10m北上して、四条通にやって来ました。
ここからは、この横断歩道を渡って四条通北側歩道に移ります。


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横断歩道を渡って四条通北側歩道に渡り、
坊城通から四条通を東に向いています。
目の前に、京都駅行きの「壬生寺道」バス停が立っています。
前回ブログでは、このバス停から帰宅しました。
ちなみに四条通を約300m東に進むと、
京都市街地屈指の繁華街「四条大宮」交差点です。


923-19.jpg
四条通から、坊城通を北に向いています。
今回ブログは、このまま坊城通を北上します。


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四条通から、坊城通を北上しています。
現在は商店舖が点在するものの、基本的には住宅街です。
ただ市電が京都市街地を走り、JR嵯峨野線が地上を走っていた
1980年ごろまでは三条会商店街以南の坊城通が
壬生寺へと続く参道でした。
その頃は結構な繁華街でしたが、今はその面影も薄いです。


923-21.jpg
その辺りの坊城通沿いで、右(東)に向いています。
こちらは、材木屋さんですね。
北山(京都市街地より北にそびえる山々)から切り出された木材は、
(主に北山杉を指しています)
1980年以前はいったんこの辺りに集積され、
JR「二条」駅から貨物列車で日本全国に売られていきました。
ですから当時は約150m西の千本通を中心に、
この辺りには大小の材木商が何軒も建ち並んでいました。
ところが1990年以降は北山杉が輸入材に圧されて、
集材所が縮小してJR嵯峨野線が高架に替わると、
バブル経済が崩壊したこととこの辺りが再開発されたことも加わり、
だんだんこの辺りが住宅街へと変わり、
材木商もどんどん数を減らしていきました。
(その辺の詳細は、第323回ブログ参照)


923-22.jpg
その材木商の前から、坊城通を北に向いています。
時折飲食店の看板を目にしますが、
その大半がもう閉められています。
こういうところが、「元繁華街」の名残ですね。


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四条通から、坊城通を約100m北上しました。
ここから、左(西)へ錦小路が伸びています。


923-24.jpg
坊城通と錦小路の角に、錦坊城児童公園が広がります。
公衆トイレの手前に京都市の掲示板があり、
その手前が町内のゴミ捨て場です。
おそらくですが、この公園は町内の避難所であり
年に1回地蔵盆が開催れる場所です。
要するに、この公園は町内の集会所としても機能しています。
ちなみに目の前の鳥居は、立小便除けのまじないです。


923-25.jpg
坊城通から、錦小路を西に向いています。
このブログ掲載の「錦小路編」は、
約150m東の壬生川通までしか掲載していません。
(第609回ブログ参照)
ただ、この錦小路は千本通を越えて
ここから約300m先のJR嵯峨野線の高架で突き当たります。
あまりにも短いので、ここまで掲載を控えていました。


923-26.jpg
坊城通から錦小路を約10m西に進み、北を向きました。
では、ここから錦坊城児童公園に入ります。


923-27.jpg
錦坊城児童公園に入ってきました。
そういえば、坊城通は児童公園が多いですね。
午後1時過ぎですから、まだ小学校は終わっていません。
小学生がいないので、児童公園が撮り放題です。
(自分は児童公園の撮影が好きなのですが、
通常は小学生が写り込むのが良くないので、遠慮しています)
遊具はこの奥(西側)だけなので、広い印象があります。


923-28.jpg
錦坊城児童公園で、東を向いています。
向こう(東側)に見える出口は、坊城通沿いです。
ですから、あちらから児童公園を出ます。


923-29.jpg
錦坊城児童公園の東側で、坊城通から北を向いています。
この先に式台隼神社の跡地がありますが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、式台隼神社の跡地に向かいます~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
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祇園祭宵山で回る
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実際に回るときの
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バス停や駅の位置以外に、
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系統(「5系」とか)別に
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各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
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だいあり~」
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こちらも、
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「写真缶」
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こちらも、
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「幼児連れで
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こちらは、
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「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
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日々の出来事と
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古都・京都
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これから始まる
京都のお祭りや
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「春夏秋冬 京のくらし」
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他の「道ブログ」とは
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毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
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花見に行きました。
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「祇園散策」
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八坂神社・建仁寺など
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祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

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松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

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五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
南禅寺のある蹴上や
哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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