第962回 島原商店街~花屋町通東から西~その14
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大宮通から、花屋町通を西に向いています。
前回ブログまで花屋町通は東本願寺や西本願寺の最北端の道でしたが、
大宮通以西の花屋町通は元花街島原のメインストリートです。
厳密には元花街島原は大門通~千本通間の花屋町通沿いですが、
大宮通~大門通間の花屋町通は「島原商店街」です。
今回は、その島原商店街を東から西へ通り抜けます。
撮影日は、2023年6月26日月曜日午後2時半。
この日も、雨が降ったり止んだりでした。

花屋町通から、大宮通を南に向いています。
約50m先に、「島原口」バス停が見えますね。
京都駅北側市バスターミナルからは、
206系市バスに乗って約10分です。

その辺りで、信号が変わりました。
では横断歩道を渡って、大宮通西側歩道に移ります。

横断歩道を渡って、花屋町通から大宮通西側歩道を北に向いています。
右(東)側の時計が付いているビルが、かつての下京区図書館です。
現在は移転して、下京区図書館は新町通松原下がるにあります。

大宮通西側歩道から、花屋町通を西に向いています。
ここから花屋町通は、島原商店街です。
近年徐々に閉めるお店が増えてきていましたが、
コロナ禍を経過してさらにお店が閉まっていました。

島原商店街の最東端に、「かなまる」という飲食店がありました。
以前自分が訪れた第594回ブログ(2018年)には、存在しませんでした。
「からあげ」という幟もありますが、
テイクアウトに特化したお好み焼き屋さんのようです。
ただ別のお好み焼き屋さんに立ち寄るので、今回は素通りです。

「かなまる」の店頭から、花屋町通を西に向いています。
島原商店街は元花街島原に近い西の方が飲食店が多く、
西に進むほど賑やかになる半面、
東に進むほどだんだんシャッター商店街になります。
つまり、この辺りの大半のお店はもう閉められてしまっています。

大宮通から、花屋町通を約50m西に進みました。
左(南)側に呉服屋さんの看板がありますが、
もうだいぶ前に閉じられています。
その脇で花屋町通は、下松屋町通と交差します。

花屋町通から、下松屋町通を南を向いています。
下松屋町通は正面通で突き当たりますが、
その辺りが龍谷大学平安中高のグラウンドです。

下松屋町通から、花屋町通を西に向いています。
この辺りも大半のお店が閉まっていますが、
実はこの辺りから徐々にまだ開いているお店も増えていきます。
とは言え、この商店街の多くは毎週月曜日が定休日です。
要するに、撮影日はこの商店街の多くが定休日でした。
ですから、この写真ではシャッター商店街に見えます。

下松屋町通から、花屋町通を西に進んでいます。
こちらは、八百屋さんです。
店頭に並ぶ段ボールの中に、野菜や果実が入っています。

下松屋町通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、櫛笥通(くしげどおり)と交差します。
左(南)側の食堂は、この瞬間も営業中でした。
実は自分も時折立ち寄るお店ですが、
ブログ掲載不可のお店なので、
このブログでは触れたことがありません。
右(北)側ののお店もシャッターが閉まっていますが、
店内で近江牛のホルモンを購入することができます。
ただホルモンでも近江牛ですので、結構価格も高級です。

花屋町通から、櫛笥通を南に向いています。
約100m先の正面通付近に諏訪大社分社がいらっしゃいます。
長野県の諏訪大社が、京都に勧請された神社です。
この神社の詳細は、第693回ブログを参照してください。

今度は櫛笥通から、花屋町通を西に向きました。
こうしてみると完全にシャッター商店街ですが、
実はこの並びはすべて月曜日が定休日でした。

同じアングルの写真を2023年6月29日木曜日に撮りました。
すべてのお店が開いているわけではありませんが、
この辺りから半分以上のお店が開いていました。

2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
櫛笥通から花屋町通を約10m西に進むと、
老舗和菓子匠の伊藤軒老舗が建っています。
シャッターが固く閉じられていますが、
こちらは毎週月曜日(つまり、撮影日)が定休日です。

2023年6月29日木曜日に、伊藤軒老舗に再訪しました。
近隣の方々にかなり支持されているお店ですから、
実は順番待ちで買い物をしました。
また店内に、テーブル1台とイスが4脚が復活しています。
かき氷を中心に、茶店としても利用できます。

この写真は2023年6月29日木曜日の帰宅後に撮りました。
今回は、伊藤軒老舗でこちらを買いました。

この日は、水無月(1個180円)を買いました。
外郎(ういろう)に似た形状ですが、米粉で作るので
水無月と外郎は実は原材料が異なります。
(外郎は、小麦粉が原材料)
これで1つに見えますが、水無月は直角に等辺三角形です。
つまり、これで2つです。
水無月は6月30日の夏越の払いで戴く京菓子ですが、
京都では夏の間ならずっと戴けます。
伊藤軒老舗では7月末までは製造されるようです。
(その後は、専用の小豆がなくなるまで製造されるそうです)

そして2023年6月30日金曜日に、水無月を戴いました。
水無月は氷塊を模した夏の京菓子ですから、冷たい麦茶が合います。

ここから、また2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
和菓子匠の伊藤軒老舗から、花屋町通を西に向いています。
写真は撮っていませんが、右(北)側の畳屋さんも
2023年6月29日木曜日は営業されていました。

櫛笥通から、花屋町通沿いの島原商店街を西に歩いています。
こちらのお地蔵さんの脇に、皇紀2600年を祝う席にが立っています。
皇紀2600年とは西暦の1940年のことです。
「日本が建国されて2600年目が1940年だ」
と考えられていたので、1940年は国を挙げて祝祭が催されました。
こちらの石碑は、1940年に日本中で作られていきました。

そのお地蔵さんから、花屋町通を西に向いています。
左(南)側に美容院があるのですが、
月曜日ですから美容院は定休日でした。

その美容院の約10m西に、海鮮魚店の魚正があります。
生の魚ももちろん売られていますが、
調理済みの魚もたくさん売られています。
要するに、京料理のお総菜屋さんです。

こちらは、2023年6月29日木曜日の写真です。
帰宅後の夕食前に撮りました。
魚正で売られていた総菜のうち、今回はこちらを買いました。

今回は、こちらを購入しました。
マナガツオとナスの炊き合わせ(350円)ですね。
魚の乾物とナスの炊き合わせが、京都の夏の定番です。
(京料理の基本は、魚の乾物と京野菜の炊き合わせです)
通常ナスは身欠きニシンで炊き合わせますが、
今回は刺身としても使えるマナガツオの切り身との炊き合わせです。

マナガツオとナスの炊き合わせを盛りつけました。
これが2023年6月29日木曜日の夕飯のおかずの1品です。
ウチの母は特にマナガツオがおいしかったらしいのですが、
自分は出汁の取り方が気に入りました。
出汁を取った縮緬雑魚の香りと味がしますが、
この中には縮緬雑魚の姿は残っていません。
どうやらかなり丁寧に作られています。

また2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
櫛笥通から、花屋町通を約100m西に進みました。
この先で、花屋町通は壬生川通と交差します。
手前の洋品店のシャッターが閉じていますが、
こちらも月曜日が定休日でした。

こちらも、2023年6月29日木曜日に撮影しました。
洋品店の営業中は、こんな感じです。

またまた2023年6月26日月曜日に戻ります。
洋品店の向かいのお酒を提供する飲食店は、営業中でした。
京都市内の花街周辺部は「呑み屋街」を形成することが多いのですが、
それは元花街の島原も同じです。
「花屋町壬生川」交差点を中心に、「呑み屋街」が形成されます。

こちらが、花屋町通と壬生川通が交差する
「花屋町壬生川」交差点です。
右(北西角)には、お酒を提供する飲食店が3軒並びます。

花屋町通から、壬生川通を北に向いています。
目の前の児童公園以北は住宅街ですが、
五条通が近づくとまた小さな繁華街を形成します。

今度は花屋町通から、壬生川通を南に向きました。
今回ブログでは、こちらを南下します。

花屋町通から、壬生川通を約50m南下しました。
こちらに、「やすい」というお好み焼き屋さんがあります。
臨時休業だったために、第693回ブログでは入れなかったお店です。
今回は営業中でしたので、こちらに入店します。

お好み焼き屋さんの「やすい」に入店しました。
こちらは、鉄板が置かれたカウンター席が10ありますね。
さらに店内奥に8人分の座敷席もあります。
30年以上前に、自分はこのお店の常連でした。
当時はビール片手に鉄板焼きをよく注文していました。

現在は経済的にも身体的にも、自分はだいぶおとなしくなりました。
ですから、今回はそば玉入り豚玉のお好み焼きです。
確か950円くらいでした。

こちらのソースは、自分の好みで付けていきます。
左が甘口ソースで、右が辛口ソースです。
ただこのお店のソースはそこまで濃くないので、
普段辛口ソースを使わない方も
少量でも辛口ソースを使うことをお勧めます。

こちらが、そば玉入り豚玉のお好み焼きです。
ウチの近所では、「豚玉モダン」と呼んでいます。
お好み焼きに入る卵は別に焼いて、途中で合わせます。
これは、まだ卵が高級品だったころの名残です。

さて、こちらで小さな小手と小皿の登場です。
では、こちらを使って戴きます。

ところが、自分は小皿と箸を使いません。
小さな小手でお好み焼きを切った後、
その小手でスプーンのように掬って口の中に運びます。
以前同席したヨーロッパ系男性に
「barbarian」(野蛮人)と呼ばれた食べ方ですが、
小さなころから自分はこうして戴いていました。

約30分かけて、自分は豚玉モダンを戴きました。
勘定を払う際にブログ取材の許可を取り、
お好み焼き屋の「やすい」を出ました。
そして、その「やすい」の店頭で壬生川通を南に向いています。
約100m先で壬生川通は正面通と交差していて、
第693回ブログでは正面通からこちらに訪れました。

今度はお好み焼き屋さんの「やすい」の店頭で、
壬生川通を北に向きました。
よく見ると、「やすい」の店頭から右(東)へ路地が伸びています。

壬生川通から、その路地を東に向いています。
少し先に駐車場が見えますが、あの位置がかつて公衆浴場でした。
確か「島原湯」という屋号で、元花街の銭湯らしく
浴槽の脇に大きな水槽のあるちょっと変わったつくりでした。
多分、現存していたら相当流行ったでしょうね。
約30年以上前に自分はその公衆浴場に入った後、
帰り道にお好み焼き屋さんの「やすい」に立ち寄っていました。

今度はその路地から、壬生川通を北に向きました。
ここから約50m先の花屋町通に戻りまた西に進むわけですが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。
~次回は大門をくぐり、元花街島原を散策します~