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第962回 島原商店街~花屋町通東から西~その14

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大宮通から、花屋町通を西に向いています。
前回ブログまで花屋町通は東本願寺や西本願寺の最北端の道でしたが、
大宮通以西の花屋町通は元花街島原のメインストリートです。
厳密には元花街島原は大門通~千本通間の花屋町通沿いですが、
大宮通~大門通間の花屋町通は「島原商店街」です。
今回は、その島原商店街を東から西へ通り抜けます。
撮影日は、2023年6月26日月曜日午後2時半。
この日も、雨が降ったり止んだりでした。


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花屋町通から、大宮通を南に向いています。
約50m先に、「島原口」バス停が見えますね。
京都駅北側市バスターミナルからは、
206系市バスに乗って約10分です。


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その辺りで、信号が変わりました。
では横断歩道を渡って、大宮通西側歩道に移ります。


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横断歩道を渡って、花屋町通から大宮通西側歩道を北に向いています。
右(東)側の時計が付いているビルが、かつての下京区図書館です。
現在は移転して、下京区図書館は新町通松原下がるにあります。


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大宮通西側歩道から、花屋町通を西に向いています。
ここから花屋町通は、島原商店街です。
近年徐々に閉めるお店が増えてきていましたが、
コロナ禍を経過してさらにお店が閉まっていました。


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島原商店街の最東端に、「かなまる」という飲食店がありました。
以前自分が訪れた第594回ブログ(2018年)には、存在しませんでした。
「からあげ」という幟もありますが、
テイクアウトに特化したお好み焼き屋さんのようです。
ただ別のお好み焼き屋さんに立ち寄るので、今回は素通りです。


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「かなまる」の店頭から、花屋町通を西に向いています。
島原商店街は元花街島原に近い西の方が飲食店が多く、
西に進むほど賑やかになる半面、
東に進むほどだんだんシャッター商店街になります。
つまり、この辺りの大半のお店はもう閉められてしまっています。


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大宮通から、花屋町通を約50m西に進みました。
左(南)側に呉服屋さんの看板がありますが、
もうだいぶ前に閉じられています。
その脇で花屋町通は、下松屋町通と交差します。


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花屋町通から、下松屋町通を南を向いています。
下松屋町通は正面通で突き当たりますが、
その辺りが龍谷大学平安中高のグラウンドです。


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下松屋町通から、花屋町通を西に向いています。
この辺りも大半のお店が閉まっていますが、
実はこの辺りから徐々にまだ開いているお店も増えていきます。
とは言え、この商店街の多くは毎週月曜日が定休日です。
要するに、撮影日はこの商店街の多くが定休日でした。
ですから、この写真ではシャッター商店街に見えます。


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下松屋町通から、花屋町通を西に進んでいます。
こちらは、八百屋さんです。
店頭に並ぶ段ボールの中に、野菜や果実が入っています。


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下松屋町通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、櫛笥通(くしげどおり)と交差します。
左(南)側の食堂は、この瞬間も営業中でした。
実は自分も時折立ち寄るお店ですが、
ブログ掲載不可のお店なので、
このブログでは触れたことがありません。
右(北)側ののお店もシャッターが閉まっていますが、
店内で近江牛のホルモンを購入することができます。
ただホルモンでも近江牛ですので、結構価格も高級です。


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花屋町通から、櫛笥通を南に向いています。
約100m先の正面通付近に諏訪大社分社がいらっしゃいます。
長野県の諏訪大社が、京都に勧請された神社です。
この神社の詳細は、第693回ブログを参照してください。


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今度は櫛笥通から、花屋町通を西に向きました。
こうしてみると完全にシャッター商店街ですが、
実はこの並びはすべて月曜日が定休日でした。


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同じアングルの写真を2023年6月29日木曜日に撮りました。
すべてのお店が開いているわけではありませんが、
この辺りから半分以上のお店が開いていました。


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2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
櫛笥通から花屋町通を約10m西に進むと、
老舗和菓子匠の伊藤軒老舗が建っています。
シャッターが固く閉じられていますが、
こちらは毎週月曜日(つまり、撮影日)が定休日です。


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2023年6月29日木曜日に、伊藤軒老舗に再訪しました。
近隣の方々にかなり支持されているお店ですから、
実は順番待ちで買い物をしました。
また店内に、テーブル1台とイスが4脚が復活しています。
かき氷を中心に、茶店としても利用できます。


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この写真は2023年6月29日木曜日の帰宅後に撮りました。
今回は、伊藤軒老舗でこちらを買いました。


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この日は、水無月(1個180円)を買いました。
外郎(ういろう)に似た形状ですが、米粉で作るので
水無月と外郎は実は原材料が異なります。
(外郎は、小麦粉が原材料)
これで1つに見えますが、水無月は直角に等辺三角形です。
つまり、これで2つです。
水無月は6月30日の夏越の払いで戴く京菓子ですが、
京都では夏の間ならずっと戴けます。
伊藤軒老舗では7月末までは製造されるようです。
(その後は、専用の小豆がなくなるまで製造されるそうです)


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そして2023年6月30日金曜日に、水無月を戴いました。
水無月は氷塊を模した夏の京菓子ですから、冷たい麦茶が合います。


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ここから、また2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
和菓子匠の伊藤軒老舗から、花屋町通を西に向いています。
写真は撮っていませんが、右(北)側の畳屋さんも
2023年6月29日木曜日は営業されていました。


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櫛笥通から、花屋町通沿いの島原商店街を西に歩いています。
こちらのお地蔵さんの脇に、皇紀2600年を祝う席にが立っています。
皇紀2600年とは西暦の1940年のことです。
「日本が建国されて2600年目が1940年だ」
と考えられていたので、1940年は国を挙げて祝祭が催されました。
こちらの石碑は、1940年に日本中で作られていきました。


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そのお地蔵さんから、花屋町通を西に向いています。
左(南)側に美容院があるのですが、
月曜日ですから美容院は定休日でした。


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その美容院の約10m西に、海鮮魚店の魚正があります。
生の魚ももちろん売られていますが、
調理済みの魚もたくさん売られています。
要するに、京料理のお総菜屋さんです。


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こちらは、2023年6月29日木曜日の写真です。
帰宅後の夕食前に撮りました。
魚正で売られていた総菜のうち、今回はこちらを買いました。


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今回は、こちらを購入しました。
マナガツオとナスの炊き合わせ(350円)ですね。
魚の乾物とナスの炊き合わせが、京都の夏の定番です。
(京料理の基本は、魚の乾物と京野菜の炊き合わせです)
通常ナスは身欠きニシンで炊き合わせますが、
今回は刺身としても使えるマナガツオの切り身との炊き合わせです。


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マナガツオとナスの炊き合わせを盛りつけました。
これが2023年6月29日木曜日の夕飯のおかずの1品です。
ウチの母は特にマナガツオがおいしかったらしいのですが、
自分は出汁の取り方が気に入りました。
出汁を取った縮緬雑魚の香りと味がしますが、
この中には縮緬雑魚の姿は残っていません。
どうやらかなり丁寧に作られています。


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また2023年6月26日月曜日の写真に戻ります。
櫛笥通から、花屋町通を約100m西に進みました。
この先で、花屋町通は壬生川通と交差します。
手前の洋品店のシャッターが閉じていますが、
こちらも月曜日が定休日でした。


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こちらも、2023年6月29日木曜日に撮影しました。
洋品店の営業中は、こんな感じです。


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またまた2023年6月26日月曜日に戻ります。
洋品店の向かいのお酒を提供する飲食店は、営業中でした。
京都市内の花街周辺部は「呑み屋街」を形成することが多いのですが、
それは元花街の島原も同じです。
「花屋町壬生川」交差点を中心に、「呑み屋街」が形成されます。


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こちらが、花屋町通と壬生川通が交差する
「花屋町壬生川」交差点です。
右(北西角)には、お酒を提供する飲食店が3軒並びます。


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花屋町通から、壬生川通を北に向いています。
目の前の児童公園以北は住宅街ですが、
五条通が近づくとまた小さな繁華街を形成します。


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今度は花屋町通から、壬生川通を南に向きました。
今回ブログでは、こちらを南下します。


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花屋町通から、壬生川通を約50m南下しました。
こちらに、「やすい」というお好み焼き屋さんがあります。
臨時休業だったために、第693回ブログでは入れなかったお店です。
今回は営業中でしたので、こちらに入店します。


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お好み焼き屋さんの「やすい」に入店しました。
こちらは、鉄板が置かれたカウンター席が10ありますね。
さらに店内奥に8人分の座敷席もあります。
30年以上前に、自分はこのお店の常連でした。
当時はビール片手に鉄板焼きをよく注文していました。


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現在は経済的にも身体的にも、自分はだいぶおとなしくなりました。
ですから、今回はそば玉入り豚玉のお好み焼きです。
確か950円くらいでした。


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こちらのソースは、自分の好みで付けていきます。
左が甘口ソースで、右が辛口ソースです。
ただこのお店のソースはそこまで濃くないので、
普段辛口ソースを使わない方も
少量でも辛口ソースを使うことをお勧めます。


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こちらが、そば玉入り豚玉のお好み焼きです。
ウチの近所では、「豚玉モダン」と呼んでいます。
お好み焼きに入る卵は別に焼いて、途中で合わせます。
これは、まだ卵が高級品だったころの名残です。


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さて、こちらで小さな小手と小皿の登場です。
では、こちらを使って戴きます。


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ところが、自分は小皿と箸を使いません。
小さな小手でお好み焼きを切った後、
その小手でスプーンのように掬って口の中に運びます。
以前同席したヨーロッパ系男性に
「barbarian」(野蛮人)と呼ばれた食べ方ですが、
小さなころから自分はこうして戴いていました。


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約30分かけて、自分は豚玉モダンを戴きました。
勘定を払う際にブログ取材の許可を取り、
お好み焼き屋の「やすい」を出ました。
そして、その「やすい」の店頭で壬生川通を南に向いています。
約100m先で壬生川通は正面通と交差していて、
第693回ブログでは正面通からこちらに訪れました。


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今度はお好み焼き屋さんの「やすい」の店頭で、
壬生川通を北に向きました。
よく見ると、「やすい」の店頭から右(東)へ路地が伸びています。


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壬生川通から、その路地を東に向いています。
少し先に駐車場が見えますが、あの位置がかつて公衆浴場でした。
確か「島原湯」という屋号で、元花街の銭湯らしく
浴槽の脇に大きな水槽のあるちょっと変わったつくりでした。
多分、現存していたら相当流行ったでしょうね。
約30年以上前に自分はその公衆浴場に入った後、
帰り道にお好み焼き屋さんの「やすい」に立ち寄っていました。


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今度はその路地から、壬生川通を北に向きました。
ここから約50m先の花屋町通に戻りまた西に進むわけですが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は大門をくぐり、元花街島原を散策します~

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第963回 島原大門でかき氷~花屋町通東から西~その15

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前回ブログで昼食を摂ったお好み焼き屋さんの「やすい」の前で、
壬生川通を北に向いています。
今回は花屋町通を西に進み、元花街の島原に入っていきます。
撮影日は、2023年6月26日午後3時。
今回は、島原大門脇のかき氷屋さんにも立ち寄ります。


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お好み焼き屋さんの「やすい」から、壬生川通を約50m北上しました。
ここで壬生川通は、花屋町通と交差します。


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花屋町通から、壬生川通を北に向いています。
小坂児童公園の向かい(東)側に、たこ松という居酒屋があります。
文字通り「赤提灯」の呑み屋さんですね。
「花屋町壬生川」交差点は、元花街島原の延長線上で
小さいながらも「呑み屋街」を形成しています。
思えば前回ブログで昼食を摂ったお好み焼き屋さんの「やすい」も、
この「呑み屋街」の一部です。


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今度は壬生川通から、花屋町通を西に向いています。
右(北)側に見えるお店は焼き鳥屋さんで、
さらに右(北)隣がお寿司屋さんです。
どちらも、お酒を提供する飲食店ですね。
ちなみに焼き鳥屋さんの上に「誠」と書かれていますが、
こちらは元花街島原の中にある旅館松栄内にある
「誠の湯」というスーパー銭湯の看板です。
では、ここからは花屋町通を西に進みます。


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横断歩道を渡り、壬生川通から花屋町通を西に向きました。
約50m先の花屋町通の突き当りまで、島原商店街が続きます。
右(北)側の酒屋さんは、営業中でした。
入り口付近に太夫のイラストが貼られていたのですが、
お店の方を一緒に写しそうだったので、写真はありません。
島原の大夫は、歴史上遊女ではありませんでした。
感覚としては、ほかの花街の「芸妓さん」に近いです。
後述しますが、現在も島原には太夫さんが複数名いらっしゃいます。


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お酒屋さんの向かい(南)側は、島原乙文という仕出し屋さんです。
「仕出し屋さん」とは宅配専門の飲食店で、
京都では昔から馴染みのあるお店です。
第954回ブログに出てきた泉仙本店も、同業種です。
京都の花街では元々料亭では調理せずに、
この仕出し屋さんの料理を提供していました。
こちらの写真は、その島原乙文の西隣のお店です。
見た目通りのあられ屋さんですが、創業は100年以上前です。
つまり、こちらも京都府知事に認定された「老舗」です。
そうは言っても、元々こちらは庶民的なお店です。
ですから売られているあられは、そこまで高い商品ではありません。


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壬生川通から、花屋町通を約50m西に進みました。
こちらに、老舗の和菓子匠があります。
前回ブログ伊藤軒老舗で水無月を買いましたが、
よく考えればこちらで買ってもよかったですね。
こちらも、店内飲食ができるようになりました。


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その和菓子匠の前で、花屋町通を西に向いています。
ここで花屋町通は、大門通と交差します。
一見すると、大門通で突き当たっているように見えますが……


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花屋町通から、大門通を南西に向いています。
約10m先に京都市指定文化財の島原大門があって、
その門から西に花屋町通が続いています。


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こちらは島原大門の向かい側、大門通の東側です。
この塀の向こう(東)側は、駐車場です。


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先ほどの位置から大門通を約10m南下して、
島原大門前から大門通を南に向いています。
約300m先で大門通は七条通と交差していて、
その辺りに高級精肉店のイマムラ総業があります。


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同じ位置で、大門通から花屋町通を西に向いています。
こちらが、京都市指定文化財の島原大門です。
17世紀前半(江戸時代初期)に花街の島原が創建されて以来、
この位置にこの大門が立っています。
当時の島原は塀で囲まれており、島原からの出入りはこの大門と
花屋町通沿いの西門の2か所からしかできませんでした。
島原西門はすでに取り壊されていますが、
こちらの島原大門は現在も保存されています。


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大門通から、花屋町通に立つ島原大門を覗いています。
この門より西側が、元花街の島原です。
この門を自動車が通ることに規制はありませんが、
そこまで大きな門ではありませんので、
通常サイズの乗用車しか通行はできません。
(ワンボックスカーでも、厳しいです)
ですから、島原大門から西の花屋町通は
壬生川通~千本通間の抜け道としては利用できません。


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島原大門を西へとくぐり、すぐに南へ向きました。
こちらに、かき氷専門店の「鹿の子」があります。
第914回ブログを取材した半年前には無かったお店です。
では、ちょっとこのお店に寄り道します。


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実は、ここから先の写真は2023年6月29日木曜日午後2時に
元花街島原に再訪した際のものです。
この日は快晴で、かなり暑い日でした。
正直熱中症も覚悟したほどで、
涼んで冷たいものを戴こうと思い、ここに立ち寄りました。
元花街島原への観光は夏場がお勧めなので、
このお店もここから結構流行るでしょうね。


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こちらが、かき氷専門店「鹿の子」のレジです。
こちらは、先に会計を済ませてからかき氷を戴くシステムです。
レジの真下に、果物が入った限定メニューが並びます。
予算的には、1,000円~2,000円ですね。
また左側の柱には、通常メニューが並びます。
こちらは、1,000円前後の商品です。


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こちらは、レジの向かい側です。
給水機があって、真下にある紙コップでお水を戴きます。
要するに、セルフサービスですね。
かき氷を戴くと口の中がどうしてもキンキンになります。
それを鎮めるためにも、こういう真水が必要です。
ちなみに、同じ給水機から白湯も出ます。


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カウンター席の入り口付近に別のお客さんがいらしたので、
いろいろ迷って一番奥の席に就きました。
先ほどの写真にアルコールジェルが写っていましたが、
1席ごとにパーテーションで区切られています。


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注文してから、約10分経ちました。
こちらが、この日頼んだ「柚子茶氷」です。
これで小サイズですので、850円です。


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「柚子茶氷」を大写ししました。
かき氷が膨らんでいて、下皿が写りません。
第957回ブログで戴いた柚子茶をかき氷にかけています。
氷内部の顆粒とトッピングが同じもので、
柚子茶の主成分の柚子の皮のマーマレードです。
ですから感覚としては、氷状の柚子茶を戴いているようです。


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ちょっと迷ったのですが、戴いている途中のかき氷を写しました。
柚子茶氷の中心に、クロテッドクリームが入っています。
クロテッドクリームとは硬めに泡立てたホイップクリームで、
スコーンに付けてよく戴きます。
さらにその下は、紅茶のかき氷です。
その紅茶にも、シロップが少々かかっていました。
ですから甘いことは甘いのですが、
シロップがそこまで多くないので、
甘味よりも紅茶の香りを強く感じられます。


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約30分かけて、柚子茶氷を戴きました。
つみき同様こちらのかき氷も
フワフワに仕上げているので結構一気に戴けますが、
それでも多少は口の中がキンキンになります。
そういう時は真水を飲めば、口の中はかなり鎮まります。
会計は先に済ませているので、
店主にぼログ掲載の許可を取り、「鹿の子」を出ました。


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こちらから、2023年6月24日月曜日午後3時半に戻ります。
かき氷専門店の「鹿の子」の店頭で、花屋町通を西に向きました。
この背後(東側)が、京都市指定文化財の島原大門です。
島原大門から西の花屋町通が、元花街島原のメインストリートです。
「元」花街島原ではお茶屋さんが現在営業されておらす、
住宅地に転換しつつあります。
とは言え江戸時代から続く様々な施設がいくつかは残っており、
現在営業中の置き屋さんも存在しており、
現役の大夫さんも何名もいらっしゃいます。
さらに京町屋が数多く残っていることから、
だんだんと飲食店も増加してきています。
(先ほどのかき氷専門店「鹿の子」も、その一例です)


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島原大門から、花屋町通を約30m西に進みました。
ここで花屋町通は、坊城通と交差します。


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花屋町通から、坊城通を南に向いています。
第914回ブログではこの坊城通を北上して、元花街島原に来ました。
約100m先に正面通が東西に伸びていて、
その正面通以北が元花街島原です。
ちなみに花屋町通から約150m南下すると、
豆之子稲荷がいらっしゃいます。


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今度は花屋町通から、坊城通を北に向きました。
花屋町以北の坊城通沿いが、
元花街島原で京町屋がいちばん残っている場所です。
ここからは、この坊城通を北上します。


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花屋町通から、坊城通を約30m北上しました。
この京町屋が、京都指定文化財の輪違屋(わちがいや)です。
ただこちらは単なる文化財ではなく、
現在も営業されている元花街島原で唯一の置き屋さんです。
また現在元花街島原に営業中のお茶屋さんが無いので、
輪違屋の店内にお客さんを入れて食事したり、
大夫さんの妓芸を見たりすることもできます。
まぁ考えようによっては、島原におられる
大夫さんの所属事務所であるとともに住居でもあります。
ですから、こちらには主人とその家族とともに
数名の大夫さんも現時点で暮らしておられます。
その方々のプライベートスペースが屋内の大半を占めるため、
原則輪違屋は非公開施設です。
とは言え、数年に一度こちらは公開されています。
その時の様子は、第595回ブログを参照してください。


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置き屋さんの「輪違屋」の前で、坊城通を北に向いています。
コンクリート製の住宅もありますが、
この辺りには京町屋もだいぶ残っています。


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置き屋さんの「輪違屋」の前から、坊城通を北上しています。
この辺りの京町屋は、元々は島原の置き屋さんやお茶屋さんでした。
この北側に、かつての島原の歌舞練場がありました。
ただ、そちらへは次回ブログで訪れます。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、元花街島原の町家カフェhyggeにお邪魔します~

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第964回 町家カフェhygge~花屋町通東から西~その16

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元花街島原の置き屋さん「輪違屋」(わちがいや)の前で、
坊城通を北に向いています。
「置き屋さん」とは太夫さんや芸妓さん舞妓さんなど
花街で妓芸を披露される方々の所属事務所で、
通常は大夫さんなども屋内で生活されています。
(島原には大夫さん、ほかの花街には芸妓さん
舞妓さんがいらっしゃいます)
そのため京都市指定文化財でも、輪違屋は非公開です。
ただ数年に一度の割合で、輪違屋の屋内が公開されます。
(その様子は、第595回ブログ参照)
また近年輪違屋はお客さんが屋内で食事したり、
大夫さんの妓芸を眺めたりするお茶屋さんとしても機能しています。
今回は輪違屋より約50m北に建つ法華寺を参拝した後、
輪違屋より西側にある町家カフェまで進みます。
撮影日は、2023年6月24日月曜日午後3時40分。
町家カフェhyggeは、内装を模様替えされていました。


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輪違屋さんから、坊城通をを約50m北上しました。
こちらに、日蓮宗成就山法華寺が建っています。
では、こちらの境内に入っていきます。


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法華寺の門をくぐり、すぐに北を向きました。
こちらは、妙見宮ですね。
こちらの本尊は、妙見菩薩です。
妙見菩薩は、京都の日蓮宗寺院には特に多くいらっしゃいます。


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その妙見宮の前に、こちらが置かれていました。
過去のブログを改めて閲覧すると同じ位置に置いてあるのですが、
こちらは何でしょうね。
一見すると手水鉢ですが、よく分かりません。


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境内の西側に、日蓮宗成就山法華寺の本堂があります。
ご本尊は、釈迦如来です。
創建は平安時代初期の813年ですが、
もともとは東寺境内に建っていました。
要するに、元々は東寺の塔頭寺院でした。
ですから、初めは真言宗の寺院でした。
鎌倉時代の1381年に当時の住職真広法印が日蓮に帰依したため、
こちらが日蓮宗に改宗されました。
その後はたびたび焼失しながらも存続し続けたのですが、
1963年に東寺の北側つまり法華寺境内に
東海道新幹線の線路が敷設されることになり、
この位置に移転されました。


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この時期に法華寺に参拝したことがなかったので
自分は今まで気づきませんでしたが、
法華寺境内のあちこちに紫陽花が群生していました。
この日(2023年6月26日)がちょうど満開で、
暫く法華寺境内をあちこち散策していました。


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法華寺本堂を背後に、境内を東に向いています。
一通り参拝しましたので、日蓮宗成就山法華寺を出ます。


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日蓮宗成就山法華寺の前で、坊城通を北に向いています。
元花街島原は、あと約20m先まで続きます。
ちなみに、元花街島原以北の坊城通の様子は
第915回ブログを参照してください。


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日蓮宗成就山法華寺の向かい(東)側が、
元花街島原の北東端でした。
こちらに島原歌舞練場がありましたが、
島原が花街を名乗らなくなる過程で、
島原歌舞練場は取り壊されました。
現在こちらは、京都市島原老人デイサービスセンターです。


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京都島原老人デイサービスセンターと日蓮宗成就山法華寺の前から、
坊城通を南に向いています。
では、ここからは坊城通を南下します。


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日蓮宗成就山法華寺から、坊城通を約50m南下しました。
この写真の左側に、先ほどの置き屋さんの輪違屋が見えます。
写真の右側に煙突が見えますが、近くに公衆浴場があります。


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置き屋さんの輪違屋の前で、坊城通を南に向いています。
約30m先で、坊城通は花屋町通と交差します。


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坊城通から、花屋町通を西に向いています。
この写真を一見するとこの辺りは住宅街ですが、
ゆっくり散策するとこの先にいろいろあります。


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坊城通から花屋町通を約30m西に進み、南を向きました。
こちらに、湯の宿「松栄」の正面口があります。
修学旅行生が多く泊まる旅館ですが、
こちらの風呂場を「誠の湯」という
スーパー銭湯として開放されています。
また2Fに上がると、食堂といいますか飲食店もあります。
つい最近まで元花街島原には飲食店が少なかったのですが、
コロナ禍が明けたあたりから、この辺りに飲食店が増えてきています。
(そういえば、前回ブログ掲載のかき氷専門店「鹿の子」も
ここ半年でできたお店です)
まぁこちらがスーパー銭湯として開放されているのは、
30年以上前からですが……


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坊城通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、東側通と交差します。
右(北)側に見える京町家は骨董屋さんですが、
つい最近こちらもカフェを始められたようです。
今回の目的地も町家カフェですが、
元花街島原は上手く運営すれば
町家カフェが建ち並ぶ地域になる可能性が高いです。


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花屋町通から、東側通を北に向いています。
この東側通沿いに、今回ブログのメインの町家カフェがあります。


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花屋町通から、東側通を約20m北上しました。
左(西)側に、今回ブログのメインhyggeが建っています。
後でこちらに入りますが、先に東側通をもう少し散策します。


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町家カフェのhyggeの前で、東側通を北に向いています。
この辺りには京町屋が多いのですが、
その大半が元々は置き屋さんかお茶屋さんでした。
要するに、かつて花街を形成したお店でした。


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hyggeの前から、東側通を約20m北上しました。
こちらに公衆浴場の「島原温泉」があるのですが、
お客さんの気配がありません。


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島原温泉の入り口に、こちらが貼られていました。
今年(2023年)の1月に訪れたときと、同じ紙ですね。
(第914回ブログ参照)
約半年続いているわけですから、かなりの長期休業ですね。
何とか再開してほしいのですが……


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東側通を南下して、町家カフェhyggeに入店しました。
第914回ブログでは入店していないので気づきませんでしたが、
土間が完全に塗り直されています。
さらに照明が増えて、以前よりちょっと明るい店内です。


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ただ入り口付近を取ると、逆光で暗い写真になります。
さらに周囲を見渡すと、多くの備品が撤去されて
すっきりした印象です。


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店主に話をお聞きしたところ、
昨年(2022年)に日数をかけて改装されたそうです。
とは言え、店の間取りや天井部分は以前のままです。
まぁそこを改装すれば、「町家カフェ」ではなくなるので……
また、メニューも以前のままです。


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hyggeの土間の西側に、座敷部屋があります。
こちらは、改装前と同じですね。
hyggeでは輪違屋に所属されている桜木大夫が、
舞踊や茶会などのイベントを時折催されています。
おそらく桜木大夫の舞踊は、この座敷で行われているのでしょうね。
普段は、こちらの座敷も客席として利用されます。


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その座敷部屋のさらに西側に、坪庭があります。
京町屋には、畳部屋の奥に1坪の面積の庭があります。
これを「坪庭」といいます。
そして、その坪庭の脇にトイレがあります。
これも、京町屋にはよくある形式ですね。


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店主に一言言ってトイレを借りて、土間に戻ってきました。
自分はいつも、この壁際の席に就きます。


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自分が入店してから、約10分経ちました。
あちこち撮影を始める前に注文をしていたので、
こちらが自分の席に運ばれてきました。
京のお店 今日のお品では自分はカレーライスを注文しましたが、
通常は自分はここで凍頂烏龍茶を頼んでいます。
最近は、烏龍茶が飲めるカフェが減りましたね。


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茶船から、湯呑に凍頂烏龍茶を注ぎました。
こちらの中に茶葉が入っていませんから、
こちらは急須というより茶船ですね。
茶船には、湯呑に4杯分入っています。


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湯呑に入った凍頂烏龍茶を大写ししました。
こういうお茶は最初に湯気の香りを楽しみ、
続いて茶の色を眺めます。
その後、ゆっくりと飲みます。
店主の煎れ方が上手なので、
旨味が前面に出て苦くありません。
むしろほんの僅かですが、甘みもあります。
いつもは島原温泉からの帰り道にこちらに寄って、
凍頂烏龍茶を飲みながら読書するのですが、
今回はずっと店主と雑談してしまいました。
その店主が自分が帰る直前に、こうおっしゃいました。
「激しい雨が降ってきましたが、大丈夫ですか?」


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hyggeを出て、東側通を南に向いています。
2023年6月26日月曜日は午後4時半を回り、
夕立レベルの激しい雨が降っていました。
「雨傘を持ってきているので、大丈夫です」
そう店主に告げると、自分は会計を済ませhyggeを出ました。
雨傘を持っているので濡れることはありませんが、
こうも雨が激しいとあまりあちこち移動できませんし、
次の目的地のお茶屋さんの「角屋」ももう閉まっています。
ですから、2023年6月26日はこれ以上取材しません。
ここから先は、日を改めて取材します。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、角屋おもてなしの文化美術館にお邪魔します~

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第965回 角屋屋内を観覧~花屋町通東から西~その17

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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前回ブログで訪れた町家カフェhyggeの前で、
東側通を南に向いています。
目の前で、東側通は花屋町通と交差します。
その先に、湯の宿「松栄」という旅館も見えます。
前回ブログでは最後は大雨が降っていましたが、
3日後の今回ブログでは強い日差しの中の撮影です。
今回は、角屋おもてなしの文化美術館を観覧します。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後2時。
やはり島原は、青空が似合います。


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東側通から、花屋町通を西に向いています。
こうも日差しが強いと熱中症になりそうですが、
その分空の青が鮮やかですね。
花屋町通の左(南)側がきんせ旅館で、
右(北)側には製本所があります。


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こちらが、きんせ旅館です。
島原が花街だったころは、こちらはお茶屋さんでした。
お茶屋さんはお客さんが食事と摂られる飲食店ですが、
料理は仕出し屋に注文してお店自身は調理をしません。
まぁ島原の大夫さんに会うのが、主目的のお店です。
こちらはいったんお茶屋さんを廃業された後、
現店主が旅館として再開されました。
お茶屋さんだった当時の部屋をそのまま利用しており、
結構人気のある旅館ですから予約などは必須です。
このブログ取材時の2015年5月21日では
宿泊施設は2F部分で1Fはバーでした。
さらに1Fのバーは、昼間はカフェにもなりました。
当時は、洋酒を浸したシフォンケーキと紅茶を戴きました。
確証はないですが、おそらく現在もバーとカフェは開店しています。


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きんせ旅館から、花屋町通を西に向いています。
この辺りから西に進むほど、京町屋の割合が増えます。


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その京町屋の1軒に、こちらが貼り付けてありました。
「下京区西新屋敷中堂寺町」とありますが、
行政的には現在「島原」という地名は使っておらず、
この辺りは「下京区西新屋敷地区」と呼ばれています。


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東側通から、花屋町通を約50m西に進みました。
ここで花屋町通は、西側通と交差します。
後述の角屋おもてなしの文化美術館の方々は、
西側通を「揚屋通」(あげやどおり)と呼んでいらっしゃいました。
このブログでは、便宜上西側通と呼びます。


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西側通から、花屋町通を西に向いています。
約50m先で花屋町通は突き当たっているように見えますが、
その辺りから花屋町通は蛇行し始めます。
木製の塀がある一帯がかつての揚屋角屋ですが、
塀の上に見える白いコンクリート製の建造物は、
JR嵯峨野線の高架です。
角に立つ道標にも、花屋町通の先に
JR嵯峨野線「丹波口」駅があることを示しています。
さらにその左(南)側に石碑が立っていて、
久坂玄瑞がこの角屋で密会を繰り返してことを書いています。


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花屋町通から、西側通を北に向いています。
約200m先で西側通が突き当たっていますが、
その辺りが元花街島原の最北端です。


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さらに花屋町通から、西側通を南に向きました。
右(西)側にに見える京町屋が、かつての揚屋の角屋です。
今回ブログの目的地ですね。
では、ここから西側通を南下します。


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花屋町通から、西側通を南下しています。
右(西)側は、ずっと角屋の敷地が続きます。
幕末の角屋は、島原随一の高級揚屋でした。
その分価格も高く、新撰組隊士個人が
日常的に通える場所ではありませんでした。


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花屋町通から、西側通を約50m南下しました。
こちらに、角屋の入り口があります。
ただこちらは角屋の勝手口で、
約20m北にある正面口は通常は閉鎖されています。
また現在角屋は揚屋を廃業していて、
「角屋おもてなし文化の美術館」として再生しています。


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勝手口から、角屋おもてなし文化美術館に入ってきました。
現在の角屋は、かつて揚屋だった当時に残されていた
屋内の施設や美術品を当時のままの状態で拝観できます。
ここからこの先にある建物の中に入り角屋の内部を拝観しますが、
ここから暫く写真撮影禁止区域に入ります。


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その手前に、周辺地図が掛かっていました。
置き屋さんの輪違屋は書いてありますが、
元花街島原の他の施設はこの角屋以外は載っていません。

先ほどの建物に入ると、先に拝観料を納めます。
1F部分だけを拝観するならその際に1,000円納めます。
さらに2F部分も拝観するなら追加で800円納めます。
せっかく角屋に来たのですから、
1,800円納めて1Fと2F両方を拝観することにしました。
またこちらの拝観には、学芸員さんが随行されます。
そのため自分のタイミングで出発できず、
決まった時間で出発します。
自分も、屋内で約30分待ちました。
この建物の内部で、呉春を中心に四条派の展覧会が催されていました。
時間まで、そちらを拝観していました。

平日の角屋おもてなし文化美術館では、
最初に2Fを拝観して、そのあとで1Fを拝観します。
また1Fは大半が写真撮影可能ですが、
2Fはすべての場所で撮影が禁止です。


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2023年6月29日木曜日午後2時半ごろから
角屋おもてなし文化美術館の2Fを拝観し始めて、約30分経ちました。
つまり、この時点で2023年6月29日木曜日午後3時です。
角屋の2Fから箱階段を降りると、一番奥の部屋に出ました。
こちらからは1Fなので、写真撮影が可能です。
角屋最大の部屋で、「松の間」といいます。
ここまで大きいと、通常は宴会場として利用されていました。
左(北)側が床の間で、主賓の席ですね。


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こちらも、先ほどと同じ「松の間」です。
この部屋で芹沢鴨が主賓で新撰組が宴会を開き、
その日の深夜に芹沢鴨が暗殺されました。
後述しますが芹沢鴨はこの島原でたびたび暴力事件を起こしていて、
この角屋でも何度か問題を起こしています。


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松の間で床の間を背後に、角屋の庭園を眺めています。
この下がり松が角屋の象徴で、この部屋の名前の由来です。
床の間から眺めると、このような景色になります。
下がり松の背後に茶室が立っているのは、
こちらが創建された当時の流行りの建築様式です。
現在は下がり松の上にJR嵯峨野線の高架が見えますが、
新撰組が活躍していたころはここより西は田畑でした。
ですから、角度によっては嵐山が小さく見えたそうです。
またこの庭の縁側や脇の畳の上で、
大夫さんが日本舞踊をよく舞っておられたようです。
床の間か見ると、太夫さんの舞踏が
下がり松を背景に見物できます。


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松の間から南へ、廊下が続いています。
この先に、また別の部屋があります。
角屋には合わせて10部屋ほどあって、
当時は毎晩これらの部屋で宴会が饗されていました。


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その廊下の突き当りに、こちらの部屋があります。
中庭があるこの部屋は、2018年8月19日にも訪れました。


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こちらが、この部屋の床の間です。
先ほどの部屋はなかなか華やかでしたが、
こちらの部屋は落ち着いた感じですね。


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床の間の向かい側には、長谷川等伯の襖絵です。
ただ残念ながら、こちらは煤で黒ずんでいます。
揚屋だった角屋は、毎晩宴会が催されていました。
その際ずっとロウソクを灯し続けていて、
そのうち角屋の屋内中煤で黒ずんできたそうです。
この角屋が重要文化財に指定された際煤は掃除されましたが、
こういう絵画は煤が付いたまま保存されています。


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今度はその廊下から、南に廊下が伸びています。
その先が玄関で、角屋に来られたお客さんはこの廊下を通ります。
つまりこちらの部屋は、玄関先から見えます。


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角屋の玄関から、南を向いています。
この突き当りを左(東)に曲がると、角屋の正面口です。
ですから、この位置でお客さんは奉公人に歓待されます。


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角屋に来られたお客さんは商人もいらっしゃいましたが、
その多くが武士でした。
もちろん部屋の中に刀を持ち込むことは、禁止されています。
ですからこの玄関先で奉公人が刀を預かり、
この棚に並べられていました。


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とは言え、身分の高い武士の場合には刀自体が高級で
下手をすると盗難の危険性も発生します。
そういう場合は、奉公人がこちらで管理されておられたようです。


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角屋の玄関の脇に、帳場があります。
江戸時代は、ここを「台所」と呼んでいました。
1863年に水戸藩士が「新撰組は乱暴者だ」と
京都市街地に広めたことがありました。
それを抗議した芹沢鴨をなだめるため、
水戸藩士がこの角屋で芹沢鴨を主賓に宴会を開きました。
その際酒に酔った芹沢鴨はこの帳場で
角屋の店主に殴りかかり大怪我をさせました。
新撰組を管理する会津藩主松平容保は
その事件を聞き芹沢鴨に対し叱責しましたが、
芹沢鴨は松平容保に対して無礼な態度を取りました。
そのことに怒った松平容保が命じて、
芹沢鴨が殺されたという説が、近年有力になっているそうです。


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先ほどの帳場より南は、奉公人が働く場所です。
半分が畳で、半分が土間です。
要するにこの辺りは、厨房(今で言う台所)です。
薩摩藩主に従い角屋に来た西郷隆盛の労をねぎらうために、
角屋の奉公人がこのたらいに水をためて、
西郷隆盛の足をたらいに漬けて疲れを取ったそうです。
1938年の国家総動員法でこの角屋の取り壊しが決まったのですが、
その通達に来た当時の役人がこのたらいを発見し、
「維新の英雄である西郷隆盛の遺品がある店は、取り壊せない」
と言い出して、現在も角屋の家屋は残ったそうです。


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土間のいちばん奥に、井戸があります。
開業当時は、こちらの水で調理をしていたようです。


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土間には、竈(かまど)が並んでます。
こちらではご飯を炊くだけでなく、様々な煮物もできます。


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そして勝手口の近くに大きな竈がありましたが、
こちらは象徴的なものなのでしょうか、
釜の上に榊が飾ってあって、壁には愛宕神社の札が貼ってあります。
京都では、火災除けによく愛宕神社のお札を貼り付けます。


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先ほどの竈の北側で東を向くと、角屋さんの正門です。
この日は勝手口だけ開いており、こちらは閉まっています。
門の裏側に様々なお札が貼られていますが、
京都の古い飲食店では、このように門のあちこちに
様々なお札をよく貼り付けています。


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角屋正門から、南を向いています。
この先が厨房で、自分はこちらからここに来ました。


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今度は角屋正門から、北を向きました。
こちらはお客さんが進む道です。
この先に玄関があって、その先に先ほどの庭園が見えます。


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そして角屋正門脇に、冷蔵所があります。
用途は現在の冷蔵庫の同じですが、
別に電気で冷やしているわけではありません。
深く穴が掘られており、その穴が高い位置より気温が低い訳です。


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その冷蔵所の脇に、駕籠が置かれていました。
宴会中に酔いつぶれて帰れなくなる人は結構いらしたようで、
その方々のために、初めから駕籠が置かれていたそうです。


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これで、角屋おもてなし文化美術館を一通り拝観しました。
では、こちらから角屋おもてなし文化美術館を出ます。
ここから花屋町通をさらに市に進み、元花街島原を出ます。
その間に、あちこちの神社に参拝します。
ただちょうど切りがよいので、今回はここまでです。

~次回は、島原住吉神社に参拝します~

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第966回 島原住吉神社~花屋町通東から西~その18

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前回ブログでお邪魔した角屋おもてなし文化美術館の中から、
東側通に向いています。
今回も北側に伸びる花屋町通を西に進み、
千本通を北上してJR嵯峨野線「丹波口」駅まで進みます。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後3時半。
元花街島原への取材は今回までですが、
「花屋町通編」は今後さらに西へと続きます。


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角屋おもてなし文化美術館を出ると、
目の前に町内の掲示板がありました。
ここの町名が、「下京区西新屋敷揚屋町」と書かれていました。
現在行政的には京都市内に「花街島原」の地名は存在せず、
代わりに「下京区西新屋敷地区」と呼んでいます。
また揚屋さんの角屋があった住所が、まるまる揚屋町です。


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角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を南に向いています。
約100m先で、東側通は正面通と交差します。
その辺りが、元花街島原の最南端です。
(詳細は、第694回ブログ参照)


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今度は角屋おもてなし文化美術館の前で、東側通を北に向きました。
今回は、ここから東側通を北上します。


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角屋おもてなし文化美術館の前から、東側通を約50m北上しました。
ここで東側通は、花屋町通と交差します。


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東側通から、花屋町通を東に向いています。
約200m先の島原大門より西が、元花街島原です。
……と言いますか、花屋町通を約200m進むのに
ブログ3回も使っています。


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今度は東側通から、花屋町通を西に向きました。
左(南)側の塀は、すべて角屋の敷地です。
約50m先で花屋町通は突き当たりますが、
花屋町通はここから蛇行し始めます。


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東側通から花屋町通を約50m西に進むと、
この花屋町通が突き当たります。
その辺りに、こちらの石碑が立っています。
平安時代、この辺りは東鴻臚館でした。
「鴻臚館」とは、現在の大使館に当たります。
とは言え、当時の中国である唐は鎖国していて
外交は一切しておりませんでした。
また当時の韓国である新羅とも、
663年の白村江の戦以来国交を断絶していました。
(新羅滅亡後、建国された高麗とは友好国でした)
このころ日本と国交が結ばれていたのは、唯一渤海だけでした。
ですから、当時の東鴻臚館は事実上渤海大使館でした。


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東鴻臚館跡の石碑の前で、北を向いています。
ここから約50m花屋町通は北に伸びています。
ここからは、50mだけ花屋町通を「北上」します。


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東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約30m北上して東を向きました。
こちらに、海鮮料理に特化した飲食店魚河岸宮武があります。
後述しますが、この辺りは京都中央卸売市場の近隣です。
ですから、海鮮料理のお店がこの辺りに点在しています。
ランチタイムには行列ができる人気店ですが、
午後4時前ですので、この時点では閉店しています。


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東鴻臚館跡の石碑から、花屋町通を約50m北上しました。
花屋町通は、ここから西に伸びています。


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花屋町通を北に突き当たった住宅の西隣に、
今回ブログのメイン島原住吉神社がいらっしゃいます。
その脇の石碑は、その位置に島原西門があったことを書いています。


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こちらが、島原住吉神社です。
元々は、江戸時代の豪商住吉太郎兵衛宅の鎮守社でした。
その住吉太郎兵衛自身が資材を投じて、
この地にこの神社を創建しました。
槇村正直第2代京都府知事は
京都府の財政再建に尽力されましたが、
宗教関係にとても厳しい方で、この島原住吉神社を初め
多くの小さな神社を次々廃絶させました。
(ほかに「大文字焼」をいったん廃止しました。
ただ槇村府政の多くは、槇村知事退任後元に戻されました)
島原住吉神社もいったん廃絶させられたのですが、
その後復興に成功しました。


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島原住吉神社の鳥居をくぐり、境内に入ってきました。
鳥居の脇に、手水舎がありました。
こちらで手を清め、先へ進みます。


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島原住吉神社境内に入ってすぐが拝殿なのですが、
先に境内の北西に回り込みます。
島原住吉神社境内の北西端に、末社がいらっしゃいます。


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拝殿の北側に島原住吉神社本殿がいらして、
その西側に末社の幸天満宮がいらっしゃいます。
もともと島原住吉神社は、この2倍以上の境内がありました。
復興後も同じ場所に鎮座されていますが、
敷地面積は半減しています。


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こちらが、島原住吉神社の末社幸天満宮です。
元々は島原歌舞練場にいらした鎮守社でした。
島原住吉神社の廃絶と同時にこちらも廃絶させられましたが、
島原住吉神社復興とともにこちらも復興できました。


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幸天満宮を背後に、島原住吉神社境内を南に向いています。
拝殿と本殿の隙間がとても狭いので、拝殿前に戻ります。


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こちらが、島原住吉神社拝殿越しの本殿です。
ご祭神は、おそらく住吉三神です。
では、こちらにお参りして先へ進みます。


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島原住吉神社拝殿を背後に、境内を南に向いています。
では島原住吉神社を出て、花屋町通に戻ります。


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島原住吉神社の前で、花屋町通を西に向いています。
江戸時代には、目の前に島原西門がありました。
(現在は、取り壊されています)
約10m先で、花屋町通は千本通で突き当たります。
その辺りで道路が石畳からアスファルトに変わっているのは、
そこを境に元花街島原ではなくなるからです。
さらにその西側は、JR嵯峨野線の高架と京都中央卸売市場です。
花屋町通は、それらのさらに西側で復活します。


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花屋町通から、千本通を南に向いています。
約100m先で正面通と交差しますが、
約300m先では七条通と交差します。


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今度は花屋町通から、千本通を北に向きました。
右(東)側に、島原住吉神社の境内が見えます。
今回ブログでは、五条通まで千本通を北上します。


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花屋町通から、千本通を約50m北上しました。
ここで千本通から東へ伸びる道があります。
ただ自分は、この道の名前を知りません……


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千本通から、その道を東に向いています。
ちなみに、この道が元花街島原の北端です。
目の前に大きな銀杏の木が立っていますが、
かつて島原住吉神社境内は、この道までありました。
ですからこの木が島原住吉神社の象徴だったのですが、
現在はその島原住吉神社と切り離されてします。


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その大銀杏の許まで、近づいてみました。
大銀杏の許に、弁財天が祭られています。
ただ周囲を鉄パイプ囲われて、
境内に入れなくなっています。


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駐車場から、先ほどの弁財天社の正面に回り込みました。
島原住吉神社が廃絶させられた時期でも、
末社であるこちらは存続してきました。
ですから、今となっては島原住吉神社から独立した
別の神社として存在しています。


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弁財天社の正面から、北西を向いています。
ではこちらから、千本通に戻ります。


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先ほどの位置に戻って、千本通を北に向いています。
この辺りはJR嵯峨野線の高架下や
千本通の右(東)側も、京都中央卸売市場です。


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その辺りに、この標識が立っていました。
この周囲は、大半が青果市場です。
つまり、野菜や果物を取り扱う卸売市場です。


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その辺りで、千本通を左(西)に向いています。
JR嵯峨野線の高架を越えて
千本通の約100m先の新千本通まで、
この辺りはずっと京都中央卸売市場です。
ただこの辺りは関係者立ち入り禁止なので、
この中には入れません。


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その位置から、千本通を北に向いています。
この辺りは、千本通の両側が京都中央卸売市場です。


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先ほどの弁財天社の前から、千本通を約200m北上しました。
ここで千本通は、中堂寺通と交差します。


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千本通から、中堂寺通を東に向いています。
木々で分かりにくいですが、このすぐ先から
中堂寺児童公園が東西に伸びています。
東西に細長い児童公園で、東端は約200先の坊城通です。
その辺の様子は、第915回ブログを参照してください。


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今度は中堂寺通から、千本通を北に向いています。
この辺りで、「下京区西新屋敷地区」から
「下京区中堂寺地区」に移ります。


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中堂寺通から、千本通を約100m北上しました。
ここで千本通は、五条通と交差します。


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千本通から、五条通を東に向いています。
この周囲は近年人口が急増していて、
飲食店をはじめ様々な店舗が増えています。
第915回ブログでは、この辺りが大雪でした。


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今度は千本通から、五条通を西に向きました。
JR嵯峨野線の高架下に、「丹波口」駅の改札があります。
では、ここからJR嵯峨野線に乗って帰宅します……
という設定ですが、本当はこのまま五条通を西に進み
花屋町通まで南下して、さらに花屋町通を西に進みました。
取り敢えず、今回はここまでです。

~次回は、京都中央卸売市場より西側を散策します~

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第967回 中央卸売市場の西側~花屋町通東から西~その19

「京のお店 今日のお品」カテゴリートップに
進みたい方は、ここをクリックしてください。

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京都駅からJR嵯峨野線に乗って、2駅。
こちらは、「丹波口」駅です。
元花街島原と、京都中央卸売市場の最寄り駅です。
今回は「丹波口」駅から西に進み、花屋町通を目指します。
撮影日は、2023年6月29日木曜日午後1時。
この辺りは、第965回ブログより先に撮っています。


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自分が乗っていた亀岡行きの普通電車が、出発しました。
3駅先に花園駅、さらに2駅先に嵯峨嵐山駅があります。
どちらも、観光客で賑わいますね。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅は、高架の上にあります。
ですから、こちらのホームから階段を下ります。
ゆっくり写真撮影していたら、反対側ホームに電車が入ってきました。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅ホームから階段を降りると、
中2階の広いスペースがあります。
多くの方が、こちらに留まっておられます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅中2階には、
イスが並べられて自動販売機が置かれています。
こちらは、休憩所として機能しています。
この駅は観光客以外にも、京都中央卸売市場の関係者や
京都産業大学付属中高の生徒も多く利用します。
さらに、この周囲は京都市内でも屈指の人口増加地帯です。
「丹波口」駅のホームは狭いので、
電車が来るまで多くの方々がここで休憩されます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅の休憩所に、
京都サンガのポスターが貼ってありました。
JR嵯峨野線「亀岡」駅前にサンガスタジアムが建っているため、
JR嵯峨野線各駅では京都サンガの宣伝が強調されます。
京都サンガのポスターの左(北)側に、階段があります。
次は、そちらに進みます。


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その階段を降りると、地上階に到達します。
では改札を通り抜け、JR嵯峨野線「丹波口」駅を出ます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅の改札を出て、北を向いています。
こちらにも休憩所があり、イスや自動販売機が並びます。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅を北に出ると、
左右(東西)に五条通が伸びています。
JR嵯峨野線の高架下に横断歩道が伸びているのは、
この右(東)側で五条通が千本通と交差しているからです。
ちなみにこのまま千本通を北上するのは、
第316回ブログを参照してください。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅を出て、五条通を左(東)に向いています。
目の前で五条通は千本通と交差しているので、
この辺りは「五条千本」交差点です。
ちなみに、前回ブログではこちらの方からやって来ました。


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今度JR嵯峨野線「丹波口」駅から、五条通を西に向きました。
目の前の横断歩道には、「新千本五条」と書かれた看板があります。
新千本通は千本通の約100m西に伸びる道で、
約1,200年前(平安時代初期)に
当時の朱雀大路は千本通~新千本通間の約100mの道幅でした。
(その辺の詳細は、第313回ブログを参照してください)

なお、この写真から撮影日が
2023年6月29日木曜日午後4時に変わります。
つまり、写真1枚で約3時間経過しました。
その間第962回ブログ以降の再取材と
前回ブログまでの取材をしています。
島原商店街で水無月や総菜を買って、かき氷を戴き
角屋おもてなし文化美術館を観覧していました。


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JR嵯峨野線「丹波口」駅から、五条通を約100m西に進みました。
ここで五条通は、先ほど説明した新千本通と交差します。


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五条通から、新千本通を北に向いています。
新千本通は、約300m先の松原通で突き当たります。
新千本通の右(東)側は2012年ごろは倉庫街だったのですが、
現在はすべて取り壊されて駐車場です。
(その辺の詳細は、第29回ブログを参照してください)


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今度は五条通から、新千本通を南に向きました。
千本通~新千本通は、JR嵯峨野線の高架下を含めて
京都中央卸売市場です。
精肉や魚介類、青果が実際に競りにかけられ、
各小売店舗がそれらを仕入れていく場所です。
当初は新千本通を南下して花屋町通をを目指す予定でしたが……
いやぁこの先にいらした警備員さんにこっぴどく叱られました。
五条通以南の新千本通は京都中央卸売市場の施設内で、
無許可の立ち入りや写真撮影は禁止されているそうです。
自分はそのことを知らず、写真撮影をしながら歩いていました。
(その分の写真は、全廃棄しました)
結局その警備員さんに道案内されて、
もう1本西の通りから南下して花屋町通を目指すことにしました。


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再び新千本通から、五条通を西に向いています。
この辺の五条通は閑散としたイメージでしたが、
近年は飲食店や新しい小店舗が増えて、
徐々に繁華街化されてきています。
やはり、この辺の人口が急増しているせいでしょう。


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新千本通から五条通を約50mほど西に進むと、
こちらのバス停があります。
京都市バスの路線のサイトが次々廃止されていて図説できませんが、
五条通沿いは大通りの割には市バス路線が少ないです。
こちらのバス停には「京都リサーチパーク前」と書かれています。
「京都リサーチパーク」とは何かは、後述します。


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「京都リサーチパーク前」バス停の前で、五条通を西に向いています。
ラーメン屋さんの角に、五条通から南に折れる道があります。
こちらが、先ほどの警備員さんに教えて戴いた道です。


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その通りから、五条通を西に向いています。
約150m先で、五条通は七本松通と交差しています。
その「五条七本松」交差点付近が、徐々に繁華街化しています。


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先ほどのラーメン店の前で、五条通からその通りを南に向きました。
左(東)側は京都中央卸売市場ですが、右(西)側はマンションです。
もしかすると名称があるかもしれませんが、
自分にはこの道の名称が分かりません。
千本通以西の京都市街地には、名称がない道が急増します。
取り敢えず、この道を五条通から南下します。


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五条通から、その道を約50m南下しました。
この位置で、この道から西に道が伸びています。


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五条通から南下してきた道から、西に伸びる道を見ています。
左(南)側が、京都リサーチパークのうちの1棟です。
京都リサーチパークは、「五条七本松」交差点を中心に
建てられた広大なビル群です。
その多くが、オフィスビルを目的に建造されています。
同時に商業施設も入っていて、それがこの辺りの繁華街化の一因です。


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今度は西に伸びる道から、南北に伸びる道を南に向きました。
京都リサーチパーク最東端に、駐輪場が広がります。
また左(東)側には、京都中央卸売市場の駐車場が広がります。
ただ今回はこのまま南下して、花屋町通へと急ぎます。


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先ほどの位置から、そのまま南下しています。
左(東)側は住宅街に見えますが、
大半の建造物に食べ物に関連する企業が入っています。
京都中央卸売市場に隣接しているのが、その理由です。
右(西)側は、京都リサーチパークがずっと続いています。


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京都リサーチパーク最東端に、アジサイが群生していました。
この日(2023年6月29日)は大半がつぼみでしたから、
今回ブログ更新日くらいで満開でしょうね。


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そのアジサイの群生地から、南を向いています。
これで、五条通から約250m南下しました。
向こうに見える壁の位置からは、京都リサーチパークではありません。
つまりこの位置が、京都リサーチパーク南東端です。


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こちらが、京都リサーチパーク南西端にいらっしゃるお地蔵さんです。
こちらにお参りして、先に進みます。


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そのお地蔵さんの前で、南を向いています。
ここからこの道は、蛇行しながらも南下を続けます。


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とは言え、その蛇行も約50mで終えます。
この辺りから、左(東)側は京都中央卸売市場です。
フォークリフトでは荷物を運ぶ木製の土台が、
道端にいくつも積んでありました。
よく見ると、フォークリフト自身も路上駐車してあります。


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蛇行し終えた位置から、さらに約50m南下してきました。
この辺りから、右(西)側も京都中央卸売市場の敷地です。


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その辺りにも、お地蔵さんがいらっしゃいます。
こちらにもお参りして、先を進みます。


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これで五条通から、新千本通1本西の通りを約350m南下しました。
ここでこの道が突き当たっているように見えますが、
実は筋違いで七条通まで続いています。
ただこの突き当りに見える位置が、花屋町通です。
ここからはこの道を南下せずに、
花屋町通を突き当りの阪急電車「西京極」駅まで進みます。
ただだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、石ヶ坪の行者さんにお参りします~

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第968回 石ヶ坪の行者さん~花屋町通東から西~その20

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前回ブログでJR嵯峨野線「丹波口」駅から五条通を西に進み、
新千本通の1本西の通りを五条通から約350m南下しました。
この通りは目の前で突き当たっているように見えますが、
筋違いでさらに南下しています。
ただ目の前で花屋町通と交差しており、
今回はこの花屋町通を西大路まで西に進みます。
撮影日は2023年6月29日木曜日午後4時半。
梅雨の合間の炎天下の一日でした。


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先ほどの通りから、花屋町通を東に向いています。
約50m先が、京都中央卸売市場です。
京都中央卸売市場はJR嵯峨野線高架下まで続き、
その東が元花街島原です。
(第966回ブログの周辺です)


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今度はその道から、花屋町通を西に向いています。
この辺りの花屋町通は、6車線とかなり広い道幅です。
京都中卸売市場を出入りする大型トラックは、
この辺りの花屋町通を通ります。
今回は、このまま花屋町通を西に進みます。


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先ほどの道から、花屋町通を約150m西に進みました。
ここで花屋町通は、七本松通と交差します。


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花屋町通から、七本松通を南に向いています。
一見すると閑散としていますが、実は七条通までの約400mに
様々な飲食店が建ち並んでいます。


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そのうち信号が変わりましたので、
七本松通の横断歩道を西へ渡ります。
松原通以南の七本松通は4車線の大通りで、
松原通以北は1車線の一方通行の道です。
花屋町通から約5㎞北上すると、七本松通は花街の上七軒に至ります。


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その横断歩道を渡って、花屋町通から七本松通を北を向いています。
約350先の「五条七本松」交差点には、前回ブログに出てきた
京都リサーチパークが広がり、繁華街化しています。


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今度は七本松通から、花屋町通を西に向いています。
京都中央卸売市場を出入りする大型トラックは、
花屋町通から七本松通を北上して五条通に向かいます。
そのため七本松通以西の花屋町通は、歩道付き2車線の道幅で
最西端の阪急電車「西京極」駅まで伸びています。
では、七本松通から花屋町通を西に進みます。


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七本松通から、花屋町通を西に進んでいます。
北を向くと、五条通のあたりに大きなガスタンクが並んでいます。
かつて「五条七本松」交差点は、都市ガスの集積所でした。
今もこの2基だけガスタンクが残っていますが、
取り壊されたガスタンクの空きスペースが、
先述の京都リサーチパークに変わりました。


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その辺りで、花屋町通を眺めています。
この辺りは、完全な住宅街ですね。
マンションと個人宅が多いですが、よく見るとほかの建物もあります。


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一方、北を向くとガスタンクの周囲にビジネスビルが見えます。
約350m北の京都リサーチパーク周辺とは、だいぶ雰囲気が違います。


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さらに花屋町通を西に進んでいます。
左(南)側の建物はすべてマンションですが、
右(北)側の建物は時折工場が混じります。


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こちらが、その工場のうちの1軒です。
午後5時が近く、この瞬間は稼働されていませんでした。


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その工場の前から、花屋町通を西に向いています。
この辺りに約30年前自分が通っていた公衆浴場があったのですが、
かなり建物が様変わりしていて、最早どこだったか分かりません。


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七本丸通から、花屋町通を約250m西に進みました。
ここで花屋町通は、御前通と交差します。


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花屋町通から、御前通を南に向いています。
約400m先の七条通付近が、松尾祭ではお神輿が集結して
お祭りの「メイン会場」になります。
松尾祭の詳細は、第306回ブログを参照してください。


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そうこうしているうちに、信号が変わりました。
そこで、目の前の横断歩道を西に渡ります。


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今度は花屋町通から、御前通を北に向きました。
角にあるラーメン店は、約30年前によく通っていました。


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さらに御前通から、花屋町通を西に向いています。
では、こちらの道を進みます。


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御前通から、花屋町通を西に約150m進みました。
ここで花屋町通は、西土居通と交差します。


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花屋町通から、西土居通を南に向いています。
自分の西土居通のイメージは、飲食店と公衆浴場です。
先ほどの写真に飲食店が建っていますが、
約400m先に伸びる七条通の手前に公衆浴場があります。


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今度は花屋町通から、西土居通を北に向きました。
西土居通は、その名の通りお土居があった位置に伸びる道です。
かつての京都市街地の端にあったせいか、
様々な神社仏閣が並びその周囲に様々なお店がある通りです。
その中でも、平野神社がいちばん有名です。


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さらに西土居通から、花屋町通を西に向いています。
ここを西に進むと、この写真では分かりにくいですが
小さな神社のような場所があります。


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西土居通から花屋町通を約10m西に進み、南を向きました。
こちらは「石ヶ坪の行者さん」と呼ばれる場所です。
ご本尊の石仏がいらっしゃるので寺院と言えますが、
形式は完全に神社です。
こういうのを神仏習合と言います。


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花屋町通から境内を南下すると、すぐに手水舎があります。
まずは、こちらで手を清めます。


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手水舎から、境内を南西に向いています。
次は、こちらの方に進みます。


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そちらには、水神を祀った祭壇があります。
「水神」ということは、蛭子神か弁財天でしょうね。
その奥には、お地蔵さんが数体いらっしゃいます。
そしてその手前に霊石が安置されていて、
そこから霊水が湧いています。


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その東側に、不動明王の石像がいらっしゃいます。
こちらは江戸時代末期に安置されたもので、
もともとの信仰の対象は境内の南側にある霊石だったそうです。
(そのことを知ったのは、帰宅後でした)
その霊石から水が湧き出ていて、
多くの方々が霊石から湧き出る霊水を求められました。
と言うのも、昔から大峯山の修験者さんの影響下にありました。
ですから、この辺りを昔から「行者さん」と呼んでいました。


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不動明王の石造の前で、境内を北に向きました。
では境内を出て、花屋町通に戻ります。


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石ヶ坪の行者さんの前で、花屋町通を西に向いています。
では、ここから花屋町通を西に進みます。


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石ヶ坪の行者さんから花屋町通を約20m西に進み、北を向きました。
目の前に、花屋町派出所があります。
「花屋町」とはこの道のことであって、町名ではありません。
ちなみに、この位置は「下京区西七条石ヶ坪町」です。


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花屋町派出所の西隣が、京都市立七条第三小学校です。
もう午後4時半ですから、完全下校が近づいています。
保護者に連れられた児童が校門から出て行かれるので、
一瞬の隙を狙って敢えて誰もいない瞬間に撮影しました。
さすがに小学生児童を撮るのは、よくないので……


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西土居通から、花屋町通を約200m西に進みました。
ここで花屋町通は、西大路と交差します。


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花屋町通から、西大路を北に向いています。
「花屋町西大路」交差点の周辺には、
小さいながらもおいしい飲食店が数多く建ち並びます。
実はこの周囲には工場が多く、
そこの労働者が近くの飲食店に訪れます。
そのためこの辺りには飲食店が濫立しているのですが、
徐々に「自然淘汰」されて、
おいしい店ばかりが建ち並ぶようになりました。
実は京都屈指の名店が、この辺りにも多いです。


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今度は花屋町通から、西大路を南に向きました。
今回は、こちらを南下します。


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花屋町通から、西大路を約50m南下しました。
こちらに、「西大路花屋町」バス停が立っています。
もう夕方ですので、今回はこちらから
205系市バスに乗って京都駅へ向かい、その後帰宅しました。
今回は、ここまでです。

~次回から、しばらく「花屋町通編」」を休載します。
次回は、「2023年祇園祭先祭山鉾巡行」を掲載予定です~

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第969回 八坂神社お旅所へ~祇園祭前祭山鉾巡行~その1

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2023年も、祇園祭の連載を開始します。
ただし、個人的な仕事の都合上
自分は宵山には行けませんでした。
(おそらく、後祭の方も宵山散策は難しいです)
そこで、2023年は山鉾巡行や神輿巡行をメインに
「京の道 今日の道」での連載を書いていきます。


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通常は京都駅から阪急電車に乗り換えるのですが、
2023年は少し寝坊してしまいました。
そこでウチから京都駅へあると遅刻しそうなので、
ウチの目の前にある京阪電鉄「七条」駅から、
2駅先の「祇園四条」駅で降りました。
実は、これで約30分短縮できました。
(ちなみに京都駅からなら「東福寺」駅で、
JR奈良線から京阪電鉄に乗り換えます)
今回は、取り敢えず八坂神社お旅所に向かいます。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前8時。
なかなかの炎天下の一日でした。


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今まで乗っていた京阪電鉄特急が、「三条」駅に向かいます。
京阪電鉄特急は、「日本で屈指の美しい車両」
と呼ばれることもあるデザインです。


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京阪電鉄「祇園四条」駅ホームの中央に、こちらの階段があります。
ではこちらを上り、コンコース階に向かいます。


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先ほどの階段をのぼり、
京阪電鉄「祇園四条」駅コンコース階に進みました。
次は、このコンコース階を北上します。


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そのコンコース階の最北端に、
京阪電鉄「祇園四条」駅の改札があります。
では、この改札から京阪電鉄「祇園四条」駅を出ます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅を出て、地下道で北を向いています。
こちらは、「四条川端」交差点の真下です。
周囲にテナントの店舗が多く入っていて、
ちょっとした地下街が形成されています。


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同じ位置で、地下道を東に向いています。
八坂神社など東山区祇園地区へは、こちらへ進みます。


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この辺りの地下道には柱にTVが内蔵されていますが、
山箱巡行の通過点にある大丸京都店
祇園祭関連の催しものがあるようです。


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京阪電鉄「祇園四条」駅前の地下道を北西に進みました。
そして、こちらの階段から地上へ進みます。


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ただこの階段は、途中で分岐します。
その際、4番出口へ向かう階段を進みました。


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階段を上り切り、地上に上がってきました。
京阪電鉄「祇園四条」駅4番出口を出ると、
「四条川端」交差点の北西角に出ます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅4番出口で、
四条通から川端通を南に向いています。
川端通の右(西)側に、鴨川が流れています。
そしてこの鴨川が、「東山区祇園地区」と
「中京区先斗町地区」との境目です。


969-13.jpg
今度は京阪電鉄「祇園四条」駅4番出口で、
川端通から四条通を西に向きました。
ここからは、鴨川に架かる四条大橋を西に渡ります。


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四条大橋を西に進みながら、北を向いています。
ずっと先に、三条大橋が見えますね。


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さらに四条大橋を渡りながら、鴨川西岸を見ています。
この辺りは先斗町の川床が有名ですが、
さすがに午前中は何も建っていません。


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鴨川に架かる四条大橋を渡りながら、
四条通を西に進んでいます。
この先に、京都市指定文化財の東華菜館が建っています。


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約100mの幅がある鴨川を渡りました。
ここからは、「中京区先斗町地区」です。


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四条大橋を渡り切り、四条通を約10m西に進んで北を向きました。
こちらに書いてある通り、こちらが花街の先斗町です。
この道の両脇に飲食店などが並び、
芸妓さんや舞妓さんを呼ぶこともできます。
厳密には先斗町はこの道の名前で、
右(東)側のお店は、鴨川にも面しています。
ですから、そちらのお店が川床を出しています。


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先斗町から、四条通を西に向いています。
では、さらに四条通を西に進みます。


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先斗町から、四条通を約30m西に進みました。
ここで四条通は、木屋町通と交差します。


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信号が変わりましたので、
木屋町通を西に渡り高瀬川も渡ります。
とは言え、木屋町通より西の四条通は
車止めによって自動車が通行できなくなっています。


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木屋町通から、さらに四条通を西に進んでいます。
河原町通の手前に、カメラを持つ方々が集まっておられます。
「四条河原町」交差点で山鉾巡行の「辻回し」を撮るなら、
ここがベストポジションです。
(自分は敢えてお旅所前で撮影します)


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さらに四条通を西に進み、「四条河原町」交差点に到達しました。
午前8時段階では、河原町通はまだ自動車が通行していました。


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ただ木屋町通以西の四条通は、すでに自動車は通れません。
たくさんの交通警官が出動しておられ、
交通整理も本格化しています。


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「四条河原町」交差点には多くの方々がいらっしゃいましたが、
「通行」されるのは僅かの方々です。
大半の方々は、祇園祭前祭山鉾巡行が目的のようです。


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四条通から、河原町通を北に向いています。
祇園祭前祭の山鉾巡行は、この河原町通を通ります。
この時点で、片側車線はすでに通行止めです。


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今度は四条通から、河原町通を南に向きました。
交通警官が多数いらして、交通整理をされています。
この日(毎年7月17日)は、一日中
京都市街の中心地は交通規制を受けます。


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河原町通から、四条通を西に向いています。
この時点(2023年7月17日月曜日午前8時)で、
河原町通~烏丸通間の四条通は完全に車両通行止めです。


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河原町通から四条通を約10m西に進み、北を向きました。
ここから、通称「裏寺町通」が北に伸びています。
お酒を提供する飲食店を中心に、様々なお店建ち並んでいます。


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裏寺町通から、四条通を西に向いています。
この辺りが京都市内最大の繁華街ですが、
この時期は祇園祭モードで、いつもと様子が違います。


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裏寺町通から、四条通を約30m西に進みました。
こちらに、コンビニエンスストアが見えます。


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そのコンビニエンスストアでは、こちらを買いました。
まぁこの日は結構炎天下でしたから、
こういうものは必須でした。


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そのコンビニエンスストアの2軒西に、
阪急電車「河原町」駅6番出口があります。
もし京都駅から来たなら、ここから地上に上がります。


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その阪急電車「河原町」駅6番出口から地上に出ると、
最初にこの風景が見えます。
昨年(20222年)より早い時間にここに来ましたので、
まだこちらに横断幕は張られていません。


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阪急電車「河原町」駅6番出口から、四条通を西に向いています。
自分が山鉾巡行を観覧する場所は、もう少し西の方です。


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阪急電車「河原町」駅6番出口から、四条通を西に約20m進みました。
四条通の向かい(南)側歩道に、八坂神社お旅所が建っています。
夕方の祇園祭神輿巡行で、最終的にこちらに向かって
3基のお神輿が京都市街地を練り歩きます。
2023年の祇園祭前祭神輿巡行の模様は、
すでに取材をし終えていますので、
山鉾巡行の連載が終了次第このブログで連載をします。
ただ午前中の山鉾巡行では、
その八坂神社お旅所の前に横断幕が張られます。
2023年は、こちらに有料観覧席が設けられます。
(話題になった40万円の観覧席は、
「御池河原町」交差点にあります。
こちらは、もっと安い席です)


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八坂神社お旅所前の四条通から、新京極通が伸びてます。
京都市内最大の繁華街を「京極」と言いますが、
狭い意味ではこの新京極通と西隣の寺町京極を差します。
通常は人で人でごった返していますが、
まだ朝早い段階では閑散としています。
(コロナ禍中の新京極は、ここをクリックしてください)


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新京極通から、四条通を西に向いています。
約20m先で、四条通は寺町通と交差します。
四条通以北の寺町通は、「寺町京極」です。
こちらも、京都市最大の繁華街ですね。


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四条通から、寺町通を北に向いています。
こちらが、先ほどの「寺町京極」です。
「新京極」とこの「寺町京極」を合わせて、
京都市最大の繁華街「京極」です。
一見すると「シャッター商店街」ですが、
もう2時間もすればこれらのお店がすべて開店します。
(「寺町京極」の様子は、第158回ブログを参照してください)


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寺町通から、四条通を西に向いています。
2023年祇園祭前祭山鉾巡行でも、
新京極通と寺町通の間の四条通北側歩道で取材しますが、
最初の方だけ寺町通より西に伸びる御幸町通との角で取材します。
2023年は昨年(2022年)より上手く撮ってやろうとしたのですが、
逆になかなかない大失敗をしました。
まぁもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
詳細は次回に掲載します。
今回は、ここまでです。

~次回から、やっと祇園祭の山鉾が動きます~

続きを読む

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第970回 長刀鉾注連縄切りで~祇園祭前祭山鉾巡行~その2

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前回ブログで京阪電鉄「祇園四条」駅から四条通を西に進み、
寺町通から四条通を西に向いています。
寺町通の約50m西で、四条通は
御幸町通(ごこまちどおり)と交差します。
今回は、「四条御幸町」交差点の西側で行われる
長刀鉾の注連縄切神事を取材します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前8時30分。
人混みの多さで、上手く写真が撮れませんでした。


970-1.jpg
寺町通から四条通を約50m西に進み、
御幸町通との交差点に辿り着きました。
車道を覗き込み、四条通を西に向いています。
約400m先に、長刀鉾が立っています。
ただその手前に様々な車両が並んでいて、
この位置からでは長刀鉾が見えません。


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御幸町通の約50m西に、麩屋町通が伸びています。
こちらは、御幸町通と麩屋町通の中間の四条通です。
2023年は、ここで長刀鉾を撮影します。
昨年(2022年)の際は前列の方々が手を挙げられたため、
(多くの方々がカメラを高く構えられたため)
生き稚児さんが刀を振り下ろす瞬間を撮れませんでした。
その対策で、カメラを構える方々と少し距離を置いたのですが……
後述しますが、あまり意味はありませんでした。


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すると、長刀鉾の手前に並んでいた車両がこちらに来ました。
どちらも、人が乗れるクレーンが付いています。


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停車したクレーン車が「四条麩屋町」交差点で停車して、
人を乗せたクレーンが信号機へと伸びていきます。
祇園祭の曳山や鉾は信号機より高いので、
通行の妨げにならないように、一時的に信号機を撤去します。


970-5.jpg
とは言え、別に信号機を持ち去るわけではありません。
クレーン車に乗った方が信号機を後ろから押すと、
どんどん歩道側に曲がっていきます。
実はもともと四条通沿いの信号機は、
こうなるように作られています。


970-6.jpg
さらに、信号機が曲がります。
これらの信号機は、アーケードの上に収納できるようになっています。


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信号機を曲げると、作業されている方が信号機を固定されます。
1つの交差点に4つの信号機がありますから、
4台のクレーン車で同時に処理されていかれます。


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そして、すぐに「四条御幸町」交差点の信号機も処理されます。
1か所の交差点で、大体3分くらいで作業を終えておられます。


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「四条御幸町」交差点の信号機を収納されたクレーン車が、
さらに東の「四条寺町」交差点に向かわれます。
午前8時40分には、「四条河原町」交差点まで
信号機をアーケード上に収納されました。
そこからは、河原町通の信号機を同じように処理されていきます。


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すると、車道上にいらした交通警官の皆さんが動き始められます。
規制線を張って、横断できないようにされています。
この時点から午前中いっぱい四条通は歩行者横断禁止です。
(どうしても渡りたいときは、地下道を利用できます)


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2023年7月17日月曜日午前8時40分になって、
御幸町通から四条通を西に向いています。
四条通の車道上に、カメラマンの集団が控えておられます。
こちらTV局は報道関係者の皆さんで、
この位置で長刀鉾を撮影されます。


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こちらは、「四条麩屋町」交差点のアーケード上です。
町衆が一人おられて、注連縄を引き上げておられます。


970-13.jpg
その時、自分の周囲を撮りました。
先ほどのスペースに、たくさんの方々がおられます。
まぁ路上は自分のものではないので、
故意に空けていれば割り込まれますよね。
結局たくさんの方々の後ろから、撮影することになりました。


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その間も、「四条麩屋町」交差点の注連縄が引き上げられ続けます。
2023年7月17日月曜日午前8時50分時点で、
注連縄がこの高さまできました。


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そして、2023年7月17日月曜日午前9時。
会所がある位置から、長刀鉾が動き出しました。
長刀鉾は、くじ取らずの鉾1番です。
つまり、必ず先頭を進む山鉾です。


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長刀鉾会所は、御幸町通よりから約400m西にある
「四条東洞院」交差点付近に建っています。
注連縄が張られている「四条麩屋町」交差点までに、
長刀鉾が約5分で到着されました。


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「四条麩屋町」交差点に、長刀鉾が停止されています。
祇園祭の鉾には、祇園馬橋を演奏される囃子方以外にも
生き稚児さんや鉾内を仕切られる町衆などがいらっしゃいます。
町衆さんのお一人が竹の棒を持たれて、
長刀鉾の先頭に来られました。


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長刀鉾内の竹棒を持たれた方が、
棒の先の鉤で注連縄を持ち上げられました。
こうして注連縄切神事の準備が、粛々と進められます。


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長刀鉾注連縄切神事の準備が完了しました。
すると、生き稚児さんが日本刀を持ち上げられました。
通常長刀鉾の生き稚児さんは、
背後に立たれる町衆さんの指示通り、
まるで浄瑠璃人形のような動きをされます。
この時も背後の町衆さんに合わせて、
生き稚児さんが日本刀を振り回されます。


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鞘から刀身を抜き、大きく振りかぶられました。
祇園囃が演奏される中、生き稚児さんの動きは踊りのようです。


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生き稚児さんが、日本刀を優雅に振り回されます。
そして、日本刀を真上に振り上げられます。


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すると、周囲の方々も一斉に腕を振り上げられました。
スマートフォンや腕に遮られて、生き稚児さんを写せません。
ただこの時「トン」という音がして、
注連縄が長刀鉾の左右に落ちました。
長刀鉾の注連縄切神事は無事終了しましたが、
2023年はこんな写真になってしまいました。
次の機会には、もう少し対策を考えようと思います。


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数秒後同じ場所で、拡大せずに撮影しました。
注連縄切神事直後には、これだけの方々がいらっしゃいました。


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その場で振り返り、御幸町通から四条通を東に向きました。
ここから祇園祭前祭の山鉾が順々にやって来ますが、
それはもっと東で撮影します。
そのため、御幸町通から四条通を東に移動します。


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御幸町通から、四条通を約50m東に移動しました。
ここで四条通は、寺町通と交差します。
この人混みで走ると危険なので、早歩きで移動しています。
山鉾はそこまで速くないので、これで十分間に合います。


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寺町通から四条通を約30m東に移動して、南を向きました。
八坂神社お旅所の前に横断幕が張られて、
さらにその前に観覧席が設けられます。
その観覧席の向かい(北)側で、ここから撮影します。


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京都市内のお祭りで巡行される際、
警察車両が必ず先導します。
祇園祭前祭山鉾巡行でも同じなのですが、
長刀鉾の注連縄切神事の後片付けの関係で、
いったん停車されて後続を待っておられます。


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先ほどの時間から約3分後、警察車両が出発されました。
続いて、「祇園会」(ぎおんえ)と書かれた幟が行進します。
こちらも、例年通りの巡行です。


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さらに、この長持が続きます。
多分熱中症対策の飲料水などが入っているのでしょう。


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続いて、長刀鉾の幟の登場です。
ここから祇園祭前祭の山鉾が順々に登場しますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回から、祇園祭前祭の山鉾が順々に登場します~

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第971回 長刀鉾の後は山伏山~祇園祭前祭山鉾巡行~その3

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前回ブログで長刀鉾の注連縄切神事も終え、
いよいよ順々に祇園祭前祭の山鉾が登場します。
今回は先頭の長刀鉾、山1番の山伏山、白楽天山、芦刈山に続き、
鉾2番の函谷鉾までを掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前9時15分。
2年連続で、炎天下の山鉾巡行です。


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長刀鉾の幟の後は、長刀鉾町の町衆の皆さんが行進されます。
祇園祭は氏子地域の各町内の住民が、運営しておられます。
祇園祭は「観光イベント」ではないので、
山鉾の装飾品はすべて町衆の自己負担で、
曳き手以外の山鉾の操作や祇園囃の演奏も町衆によるものです。
長刀鉾町の町衆さんの中心に、
伊吹文明前衆議院議長がいらっしゃいます。


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麩屋町通で注連縄切神事を行った長刀鉾が、
東へ進み寺町通までやって来ました。
鉾や曳山は、30人ほどの曳手が人力で曳くことで
人が歩くほどの速さで移動します。


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さらに、長刀鉾が近づいてきました。
鉾の先頭で扇を掲げられているのが、音頭方のお二人です。
この扇の振り方で鉾が前進したり、停止したりします。
このように扇を前に突き出すのは、「前進」を表します。
その上に、生き稚児さんや町衆の皆さんがいらっしゃいます。


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すると、長刀鉾は八坂神社お旅所の前で停止しました。
理由は、よくわかりません。
祇園囃の演奏も中断されて、町衆の皆さんも休憩されます。


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それから約5分後、長刀鉾がまた前進されるようです。
音頭方のお二人が、扇を振り上げて掛け声を発されます。
「えいやらや~」


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そして音頭方のお二人が、扇を前に掲げられます。
すると、長刀鉾が前進しました。


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長刀鉾が、自分の前を通り過ぎていきます。
長刀鉾の側面が、よく見えますね。
長刀鉾の側面に、祇園囃子を演奏される囃子方がいらっしゃいます。
その下の布は、「胴掛」と呼ばれています。
元々は中国やインドから輸入するなどして手に入れた絨毯です。


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長刀鉾を背後から見ています。
鉾の背後には、「見送り」と呼ばれる大きな布が掛かります。
長刀鉾の見送りは雲龍波濤文様綴織ですが、
2005年に復元新調されました。


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長刀鉾が、八坂神社お旅所前を通過しました。
長刀鉾の背後から、こちらの長持が通過しました。
長刀鉾の町衆の方々や曳手の方々が使用される
様々なものが入っています。
こんな気候ですから、水や塩飴も入っているかもしれません。


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続いて、2023年の「山1番」山伏山が
「四条寺町」交差点に入ってきました。
ここから暫く担ぎ手さんたちが担ぎ上げる形式の
「担ぎ山」が登場します。
ここからの順番は、毎年7月2日に
京都市議会議場で行われる「くじ引き」で決めます。


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山伏山の上部を大写ししました。
「担ぎ山」は、室町時代の京都人なら誰でも知っている
当時は有名な物語を題材にして作られています。
こちらの人形は、平安時代に実在した山伏の
浄蔵貴所を模しています。
東山区祇園地区の八坂通沿いの「八坂の塔」が傾いたとき、
浄蔵貴所の祈祷で元に戻したという伝説があります。


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山伏山の前掛けと胴掛を写しています。
前掛けや胴掛の上に、細長い水引が巻かれています。


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山伏山を初め担ぎ山の背後にも、見送りが付きます。
形状や大きさは違いますが、
鉾も担ぎ山も装飾品の形式は同じです。


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続いて、山2番の登場です。
2023年の山2番は、白楽天山です。
山の名前が書いてある幟の後に、町衆の集団が並ばれます。


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こちらが、白楽天山の前掛けと胴掛、水引です。
胴掛に西洋の方々が描かれていますが、
古代ギリシャのトロイ陥落を描いています。
おそらく元々はヨーロッパ製のタペストリーが
この形状に仕立て直されたものと考えられます。
祇園祭の山鉾の装飾品は、
当時の京都の商人が私財を投じて製作されました。


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白楽天山の上部を大写ししました。
左側は、中国を代表する詩人白楽天を表しています。
右側は、同時代の中国の僧侶道林禅師を表しています。
この山は、二人の禅問答を描いています。
結局道林禅師が白楽天に打ち勝って、
白楽天が道林禅師を称賛する物語です。


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白楽天山が、八坂神社お旅所前を通過します。
白楽天山の見送りは、山鹿精華によるものです。


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そして、白楽天山も長持が続きます。
2023年は、どの山鉾も荷物が多いですね。


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続いて、山3番は芦刈山です。
実は、自分のお気に入りの山のうちの1基です。


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芦刈山が、近づいてきました。
芦刈山の前掛けは、山口華楊作「凝視」です。
獅子がこちらを睨みつける日本画ですね。


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芦刈山の上部を大写ししました。
こちらは、湖の浅瀬や沼地に生えている芦を刈る老人の物語です。
この老人は若いころ、貧しくて養うことができない妻と離縁しました。
ただそのことをこの老人は日々後悔していて、
妻のことを思いながら芦を刈っています。
この山は、そういう老人を描いています。
この直後に、この老人は年老いた妻と再会します。
そしてお互い話し合い、また結婚して夫婦となります。
ちなみに、この老人像は元々は康運の作品でした。


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芦刈山が、自分がいる八坂神社お旅所の前に来ました。
芦刈山の胴掛は、尾形光琳の燕子花屏風図の模写です。


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芦刈山が、八坂神社お旅所を通り過ぎます。
芦刈山の見送りは、先ほどの山口華楊の「鶴図」です。


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続いては、「鉾2番」函谷鉾の登場です。
こちらも、「くじ取らず」です。
要するに順番が固定されていて、くじを引きません。


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ところが、肝心の函谷鉾がなかなかやって来ません。
「四条寺町」交差点に来る直前で、停止されています。
2023年は結構早い段階で各山鉾が立ち止まってました。


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こちらは、函谷鉾の天頂部です。
鉾とは、要するに槍のような形状の細長い武器です。
厳密にはこの天頂部分が武器になっているので、
こういう山車を祇園祭では「鉾」と呼んでいます。
この鉾は空間に漂う悪いもの、良くないものを切り裂き、
この空間を清浄化しています。
これは、夕方の神輿渡御に必要なことです。


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函谷鉾の上部を大写ししました。
こちらにもお稚児さんがいらっしゃいますが、
人間ではなく人形です。
人間のお稚児さんが同乗するのは、長刀鉾だけです。

函谷鉾は、中国の函谷関を描いています。
長安と洛陽の間にある関所のことですね。
こちらは、鶏鳴狗盗の故事を表しています。
孟嘗君が函谷関を抜け出して、生き延びるお話です。


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函谷鉾の音頭取りの方々が、手前に扇を突き出しています。
すると、函谷鉾がゆっくり前進します。


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函谷鉾が、八坂神社お旅所を通過します。
函谷鉾の胴掛は、李氏朝鮮やインドの絨毯を貼り付けています。
水引は、山鹿精華の日本画です。


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函谷鉾が東に進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
函谷鉾の見送りは、皆川泰三の「エジプト天空図」です。


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函谷鉾の後に、函谷鉾の長持が続きます。
各山鉾の荷物が例年になく多いのは、
熱中症対策の水や塩飴のためでしょうね。

この後も祇園祭前祭山鉾巡行は続きますが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、郭巨山以降の山鉾巡行を掲載します~

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第972回 郭巨山 四条傘鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その4

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前回ブログで取材した函谷鉾が八坂神社お旅所をを通過してから、
約10分が経ちました。
函谷鉾は、まだ京都高島屋百貨店の店頭で停止しています。
「四条河原町」交差点での辻回しの準備すら、まだできていません。
その手前の芦刈山も、まだ四条通にいらっしゃるからです。
どうやら、かなり渋滞しているようです。
祇園祭山鉾巡行の渋滞は
大半が辻回しに時間がかかっているのが原因ですが、
今回はどうも違うようです。
今回ブログで紹介する山は、この渋滞の解消後に登場します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時。
山鉾巡行の序盤は、例年になく遅いペースでした。


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先ほどの写真から、さらに約10分経ちました。
現時点で、2023年7月17日月曜日午前10時10分です。
ようやく2023年の山4番郭巨山の登場です。


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たぶん郭巨山の方々は覚えていらっしゃらないと思うのですが、
2012年に郭巨山の会所にお邪魔した際とても親切にしていただいて、
その時粽を買わせて戴きました。
それ以来、毎年郭巨山の粽を買っています。
通常粽を玄関先に吊るすときは粽のみを吊るしますが、
この郭巨山の粽は紙製の小判が付くので、
袋ごと吊るしています。
こちらは会社を早めに退社して、
(この日はそういうシフトで働いていました)
2023年7月14日に郭巨山で買い求めました。


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郭巨山が、八坂神社お旅所の前に辿り着きました。
郭巨山の上部には、鍬を持つ男性と子供の人形が立っています。
こちらは、室町時代にあった謡曲(物語)が元になっています。
郭巨という中国人男性が子供と山奥に向かった際、
その子供の指示通り郭巨が鍬で穴を掘ると、
金塊が入った釜が出てきたという物語です。
一攫千金のストーリーですから、
郭巨山には金運上昇のご利益があります。
また、郭巨山の前掛けが新調されています。
ただこれがどのようなものかは、自分は知りません。


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郭巨山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
郭巨山の胴掛は、上村松篁による日本画です。


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郭巨山が、四条通を東に向かいます。
郭巨山の見送りが新調されていますが、文字だけの刺繍です。
こちらも、自分はよくわかっていません。
2023年の祇園祭前祭宵山は郭巨山の粽だけ買って即帰ったので、
会所を見学しませんでした。
ですから、来年(2024年)は会所をしっかり見学します。


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続いて、傘鉾1番の四条傘鉾が登場します。
「傘鉾」は平安時代からの形状を残す山鉾で、
(他の山鉾は、室町時代以降に成立しました)
他の「山」や「鉾」と別にカウントします。


972-9.jpg
四条傘鉾の幟の後に、町内の町衆が行進されます。
すべての山鉾の直後には各町内の町衆が行進されますが、
ここまでは町衆を上手く撮れませんでした。


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町衆が行進された後に、浴衣姿の町衆と小学生児童が続きます。
平安時代の祇園祭には各山鉾に舞手が随行されましたが、
現在は各傘鉾のみに舞手が随行されます。


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四条傘鉾が、「四条寺町」交差点で停止されます。
すると八坂神社お旅所の前に、浴衣姿の町衆が並びます。
小学生児童は、八坂神社お旅所の前の西側に待機されます。


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浴衣姿の町衆は、笛や太鼓などの楽器を持たれています。
ですから浴衣姿の町衆の皆さんは、四条傘鉾の囃子手です。
八坂神社お旅所の西側で控えておられる小学生児童が、
四条傘鉾の舞手ということになります。


972-13.jpg
八坂神社お旅所の前に、四条傘鉾の舞手が立たれます。
先頭の男子児童が、長い棒を交差されています。
ここから、四条傘鉾の棒振り踊りが始まります。


972-14.jpg
四条傘鉾の囃子手さんが、演奏を始められます。
先頭の男子児童は棒を交差させたままゆっくり棒を振り回し、
そのままの格好で東へ前進されます。
後続の年少の児童はステップを踏みながら太鼓を鳴らして、
男子児童の後に続きます。


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舞手の集団が、八坂神社お旅所の東端に達しました。
そこで、四条傘鉾の舞手は今度は西へと反転されます。
四条傘鉾の舞手の集団は、同じふりで踊り続けます。


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四条傘鉾の舞手の皆さんが八坂神社お旅所の西端に達されると、
また東に振り返られます。
そして、また同じ振りの踊りが続きます。
舞手さんの衣装から、この踊りは元々は田楽だったのでしょうね。
田楽とは、田植えの際の歌や踊りです。
田植えは単純作業なのですが、続けていくとミスが起こります。
それを防ぐために、その脇で歌や踊りを行うことで
作業する農民のリズムが良くなり、ミスが減ります。
元々は歌や踊りが上手な農民が行いましたが、
やがてそれを専門の職業にする者が現れました。
それが、日本の芸能の起こりです。


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四条傘鉾の舞手の男子児童が、交差させた棒を回転させて
また八坂神社お旅所前を西に進まれます。
この際囃子手が演奏される楽器はほかの山鉾と同じものですが、
祇園囃子よりテンポが速い反面牧歌的な曲です。
こういうところも、田楽を想像させますね。


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後続の年少の小学生児童も、
リズムよく太鼓を叩きながら西に進まれます。
ステップを踏みながら、一歩ずつ前進されます。


972-20.jpg
すると年少の小学生児童が、太鼓をたたきながら立ち止まります。
一方その脇を男子児童が、棒を振り回しながら東に進まれます。


972-21.jpg
棒を回転させたまま男子児童が、
八坂神社お旅所最西端に辿り着かれました。
そして、そのまま年少の小学生児童の先頭に立たれます。


972-22.jpg
すると、年少の小学生児童が太鼓を叩きながら回り始めました。
その間も、囃子手が演奏される曲調は変化しません。


972-23.jpg
男子児童は、八坂神社お旅所の西側で棒を交差させて踊っています。
そして男子児童は、八坂神社お旅所の西端まで進まれます。


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八坂神社お旅所の西端まで達した男子児童は、
棒を振り上げて今度は東へ走っていかれます。
その間、年少の小学生児童は男子児童の後をついていかれます。


972-26.jpg
もう一度先頭の男子児童が棒を交差させながら回転させ、
八坂神社お旅所前を西に進まれます。
年少の小学生児童は、男子児童の後をついていかれます。


972-27.jpg
そして八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は東に向けて進まれます。
男子児童が棒を交差させて回転させ、
年少の小学生児童がステップを踏んで太鼓を叩きながら進むのは、
基本的には変わりません。


972-28.jpg
ところが、ここから踊りの振りが変わります。
年少の小学生児童がその場で立ち止まり、その場でステップを踏まれます。


972-29.jpg
すると先頭だった男子児童が棒を肩に背負い、
年少の小学生児童の背後を西へ進まれます。


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そして男子児童が八坂神社お旅所最西端まで進まれると、
今度は棒を掲げられます。


972-31.jpg
年少の小学生児童も、八坂神社お旅所最西端まで進まれます。
そして、その位置からまた隊列を組み直されます。


972-32.jpg
そして、また男子児童が棒を交差させて回転させます。
その後ろを年少の小学生児童が、
ステップを踏んで太鼓を叩きながら前進されます。
要するに、最初の振りに戻りました。


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自分の目の前を四条傘鉾の舞手が東に進まれます。
また初めから繰り返しのようにも見えますが、
この直後に囃子手の皆さんは演奏を終了させました。
要するに、四条傘鉾の棒振り踊りが終了しました。
所要時間は、約20分でしょうか。


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演奏終了直後は、囃子手さんは
笛太鼓をそのままの格好で停止されます。
舞手さんは男子児童も年少の小学生児童も、
八坂神社お旅所最東端まで進まれると、
そのまま「四条河原町」交差点へ進まれました。


972-35.jpg
すると、囃子手さんたちも「四条河原町」交差点に向かわれます。
四条傘鉾の棒振り踊りは、八坂神社お旅所前と
京都市役所前の2か所で行われます。
どちらも、有料の観覧席が設けられていますね。


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四条傘鉾の囃子手さんは、相当数いらっしゃいます。
囃子手さんが一斉に「四条河原町」交差点に向かわれた直後、
四条傘鉾が八坂神社お旅所前に登場します。


972-37.jpg
こちらが、四条傘鉾です。
だいぶ大きめですが、平安時代の傘と同じ形状です。
元々平安時代の祇園祭では、こういう形状の山鉾が主流でした。
そしてその周囲で囃子手さんと舞手さんが
演奏されたり踊られたりしたのが、元々の祇園祭の形式でした。
祇園祭が現在のような形式になったのは、室町時代のことです。


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四条傘鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
四条傘鉾は通常の山鉾とは異なるため、
前掛け、胴掛、水引、見送りといった装飾品の区分がありません。


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四条傘鉾が、「四条河原町」交差点へ向かわれます。
よく考えれば、四条傘鉾の町衆は結構な大人数でした。


972-40.jpg
四条傘鉾に続いて、山5番の「木賊山」(とくさやま)の登場です。
ちょっと物悲しい謡曲を題材にした山ですね。
ただ今回も、だいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、木賊山、鶏鉾、油天神山と続いていきます~

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第973回 山鉾が順々に巡行~祇園祭前祭山鉾巡行~その5

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972-40.jpg
前回ブログで四条傘鉾の棒振り踊りを取材しましたが、
その直後に2023年祇園祭前祭山鉾巡行山5番木賊山の登場です。
木賊(とくさ)とはシダ類の植物で、
かつて漢方薬の原料として採取されていました。
今回はこの木賊山以降も含む後続の山鉾を順々に掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前10時半。
なかなかの炎天下でした。


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木賊山の幟に続き、町衆さんたちが行進されます。
その後から、木賊山がゆっくり八坂神社お旅所に登場です。
木賊山は「山」なので、通常の神輿サイズで杉の木が1本立ちます。
そして、室町時代の人々が慣れ親しんだ物語でもある
謡曲から取材した一場面を題材に作られています。

木賊山は、木賊の採取で生計を立てる老人が題材です。
この老人が若いころ、息子が誘拐されて数十年会っていません。
この場面では、息子のことを思いながら
木賊を採取する老人を描いています。
確かこの老人は、息子に会わないまま一生を終えます。


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木賊山が、八坂神社お旅所を通過します。
木賊山の前掛け、胴掛、見送りは
むかしの中国の風景を描いたものが多いですが、
これは西暦2000年ごろに新調されています。
以前は、むかしの西アジアの風景を描いたものでした。


973-4.jpg
木賊山に続いて、鉾3番鶏鉾の登場です。
長刀鉾や函谷鉾は最初から順番が決まっているので、
順番を決めるくじを引きません。
ところが、鶏鉾は鉾としては数少ない順番が決まっていない鉾です。
菊水鉾とくじを引いて、順番を決めます。


973-5.jpg
鶏鉾が「四条寺町」交差点を通過して、八坂神社お旅所前に登場です。
第971回ブログ終了時点で、撮影されていた多くの方々が
この場を離れていかれました。
おかげで自分は、割と前の方で撮影が可能になっています。
ただ四条通を散策されていた多くの外国人が
この山鉾巡行に気づき、またこちらに集まってこられました。
後述しますが、鶏鉾の装飾は山鉾の中でも特に美しいですからね。


973-6.jpg
ところがその直後に、鶏鉾が「四条寺町」交差点上で停止しました。
どうやら、また先を進む山鉾が渋滞しているようです。
写真には写っていませんが、
鶏鉾の曳手の皆さんはここで休憩です。
水を飲んだり、塩飴を舐めたりされていました。


973-7.jpg
その渋滞も、約5分後に解消です。
「えいやらや~」という音頭取りの皆さんの掛け声で、
鶏鉾が動き出します。
鶏鉾は古事記から取材されているといわれていますが、
正直はっきりと確定してはいません。
前掛けや胴掛の上に巻かれている水引が、
四条派による江戸時代の作品です。


973-8.jpg
鶏鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
鉾の上には囃手の皆さんがいらっしゃって、
祇園囃子を演奏されています。
見送りは立派な洋画ですが、17世紀にベルギーから輸入した
イーリアスを描いたタペストリーです。
元は後祭の鯉山の胴掛や見送りと合わせて、
1枚のタペストリーでした。
そして鶏鉾の見送りと鯉山の前掛けと胴掛は、
重油文化財に指定されています。


973-9.jpg
続いて2023年の山6番は、油天神山です。
油小路沿いにいらっしゃる天満宮が、「山」に載られています。
謡曲や物語から取材せず、町内の小さな神社の社を
そのままご神体として載せられた「山」が、数基存在します。
こちらも、そのうちの1基です。


973-10.jpg
油天神山の幟の後に、油天神山の町衆の皆さんが行進されます。
この油天神山の町衆の皆さんには、2017年にお世話になりました。
ウチの母と宵山散策していたとき、突然夕立に会いました。
どうしようもなくなって路上で呆然としていたのですが、
油天神山の町衆の皆さんが雨傘を配っておられて、
自分と母にもそれぞれ雨傘を貸して戴きました。
ちょうど先代のデジタルカメラが壊れた瞬間で、
結構落ち込んでいた自分はそのことで慰められました。
その辺りの詳細は、第499回ブログを参照してください。


973-11.jpg
こちらが、油天神山です。
小さな鳥居の先の社内に、油天神のご神体がいらっしゃいます。
油天神山の装飾品は近年新調されたものも多く、
真新しいイメージがあります。
油天神山の胴掛は、前田青邨による「紅白梅図」です。


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油天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
油天神山の見送りは、立派な赤富士です。


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そして、その後から2023年の山7番妄想山の登場です。
「妄想山」と書かれた幟の後、町衆の皆さんが行進されます。


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町衆の皆さんが通過された後、孟宗山が登場します。
孟宗山の上部には孟宗(もうそう)像がいらして、
その脇の杉の木には雪に見立てた綿が置かれています。

孟宗は、三国志演義に登場される呉の文官です。
孟宗は、親孝行で有名な人物です。
まだ雪が残る時期に、孟宗の母が重い病気に罹りました。
どんどん弱っていく孟宗の母は、「タケノコを食べたい」と
うわごとを繰り返すようになりました。
そこで孟宗は夜中の雪山に飛び出し、タケノコを探しました。
そして苦労の末、タケノコを発見して自分の母親に食べさせました。
すると短期間とはいえ、孟宗の母は回復したそうです。
その時孟宗が発見したタケノコの品種を
のちの人々は「孟宗竹」(もうそうだけ)と呼びました。
この「山」は、タケノコを探す孟宗を描いています。
ちなみに、この数か月後に孟宗の母は病死しました。
その時孟宗は主君の孫権の命令に逆らい、
母親の喪に服して戦場に赴きませんでした。
それを「敵前逃亡」と考えた孫権は孟宗に死罪を言い渡しましたが、
陸遜に助命されて孫権は孟宗の処刑を中止しました。
晩年の孟宗は、滅亡寸前の呉を救った名宰相となりました。


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孟宗山が、八坂神社お旅所前を通過します。
孟宗山の胴掛は、平山郁夫による「砂漠を進むラクダ」です。


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孟宗山が四条通を東へ進み、「四条河原町」交差点に向かいます。
孟宗山の見送りは、竹内栖鳳による水墨画の孟宗竹です。


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続いて、孟宗山の手荷物が通過します。
2023年は、例年になく大きいですね。
おそらくですが、こちらには真水や塩飴など
熱中症対策がメインなのでしょうね。


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さらに2023年の山8番霰天神山(あられてんじんやま)の登場です。
先ほどに続いて、町内の小さな神社をそのまま載せた山です。


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霰天神山が、「四条寺町」交差点から東に進みます。
こちらも天満宮なのですが、火災除けのご利益があります。
室町時代後期の1520年ごろ町内で火災が起きたのですが、
突然空から霰が降って、その火災が鎮火したそうです。
宵山には、こちらの会所で火災除けのお札を買い求められます。


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霰天神山が、八坂神社お旅所前を通過します。
霰天神山の胴掛は、上村松篁上村淳史父子による原画を基にした
花鳥褸織を使用しています。


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霰天神山が、四条通を東へと進みます。
霰天神山の見送りは、数年前に復元新調された龍図です。


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霰天神山に続いて、長持が行進します。
霰天神山も、例年になく大荷物ですね。


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その後から、鉾4番菊水鉾の登場です。
幟の後から、町衆の皆さんが四条通を行進されます。
町衆の皆さんの中に、山田啓二京都府前知事
いらっしゃるような気がするのですが……


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約30人の曳手の皆さんによって、菊水鉾の登場です。
中京区菊水鉾町の町内にある「菊水の井」という井戸を祀る鉾です。
「四条室町」交差点脇の鉾ですから、
宵山の際にはかなりの観光客に囲まれます。


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菊水鉾の上部を大写ししました。
長刀鉾以外の鉾には、人形の稚児が置かれます。
人形の周囲には囃子手さんたちがいらして、
鉾の縁側に腰かけて祇園囃子を演奏されています。


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菊水鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
菊水鉾の胴掛は、皆川月華の唐獅子図です。


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菊水鉾が、四条通を東に進みます。
ちょっと変な角度になりましたが、
菊水鉾の見送りも皆川月華の作品です。


973-29.jpg
菊水鉾の後から、岡持ちを持った方が続きます。
通常の山鉾巡行ではこれくらいの手荷物を運んでいますが、
他の山鉾は2023年限定でこの数倍の荷物を運びます。


973-30.jpg
続いて、山9番役昌山の登場です。
恋愛運の上昇のご利益がある山ですね。
ただもうだいぶ写真を貼り付けましたので、
今回はここまでです。

~次回は、保昌山から綾傘鉾へと続きます~

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第974回 保昌山綾傘鉾太子山~祇園祭前祭山鉾巡行~その6

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第971回ブログ以来ブログ3回分の山鉾が、
八坂神社お旅所前を通過しました。
今回は、目の前の保昌山と綾傘鉾を掲載します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前11時。
綾傘鉾には、舞手と囃子手による棒振囃子があります。


974-2.jpg
保昌山と書かれた幟の後から、町衆の方々が続きます。
さらにその後方から、保昌山が姿を現します。


974-3.jpg
保昌山の上部を大写ししました。
平井保昌の像が、梅の枝を捧げています。
平氏保昌が梅の枝を捧げる相手は、
当時の絶世の美女で歌人でもある和泉式部です。
「紫宸殿の梅園から梅を取ってきたら結婚してあげる」
和泉式部の平井保昌への言葉は、
平井保昌からの求婚を断るために発せられたものでした。
ところが平井保昌は本当に紫宸殿に侵入して、
一条天皇がお気に入りの梅の枝を折って、
天皇の衛兵である侍たちと斬りあいながら、
和泉式部の邸宅を訪れました。
翌日一条天皇は平井保昌と和泉式部を召喚して、
事情を問いただした上、二人が結婚するように命じました。
望みの薄い恋愛でも、頑張れば叶うこともあるという逸話です。
ですから、こちらの保昌山は恋愛運上昇のご利益があります。
宵山の際には、会所に絵馬を奉納することができます。


974-4.jpg
保昌山が、八坂神社お旅所前を通過します。
保昌山の胴掛は、円山応挙の絵画を基にしています。
(もともとの絵画は、屏風になりました)


974-5.jpg
保昌山が「四条河原町」交差点に向かい、東に進みます。
福禄寿と弁財天、唐子(中国人の子供)が描かれた見送りも、
円山応挙の下絵を基にしています。


974-6.jpg
続いて、傘鉾2番綾傘鉾の幟が「四条寺町」交差点に入ってきました。
平安時代の形式を残す「傘鉾」は、現在2基現存します。
(もう1基は、第972回ブログ登場の四条傘鉾です)


974-7.jpg
綾傘鉾の幟の後は、町衆の集団が行進します。
四条傘鉾同様、「傘鉾」は町衆が多いですね。


974-8.jpg
羽織袴姿の町衆の皆さんが通り過ぎると、
浴衣姿の楽器を持たれた囃子手の皆さんと、
頭上に仮面を付けた舞手の皆さんが姿を見せます。
四条傘鉾同様、平安時代の形式を残す各「傘鉾」には
楽曲と踊りが伝わっています。
綾傘鉾の舞踊は、「棒振囃子」と呼ばれています。


974-9.jpg
綾傘鉾の舞手は、4人いらっしゃいます。
ただ、ここで踊られるのは3人です。
棒を持たれた舞手の踊りはかなり激しいので、交代で演じられます。
四条傘鉾の棒振り踊り同様、綾傘鉾の棒振囃子も
八坂神社お旅所前と京都市役所前の2カ所で演じられます。
(どちらも、有料観覧席がある場所ですね)


974-10.jpg
綾傘鉾の囃子手さんたちが、
自分たちがいる四条通北側歩道に並ばれます。
棒を持たれた舞手さんは、寺町通南側歩道を向かれます。
(観覧席のあるあちら側が、正面です)
その中間に太鼓を叩かれる舞手さんたちが並ばれます。
これで、棒振囃子の配置が完了しました。


974-11.jpg
寺町通北側歩道前に並ばれた囃子手さんたちが、
横笛や銅鑼を鳴らして、演奏が始まります。
舞手さんの太鼓を含めて、
綾傘鉾の楽器は通常の祇園囃子と同じものです。
綾傘鉾の棒振囃子は四条傘鉾の棒振り踊り以上に激しい踊りですので、
通常の祇園囃子とはまったく異なる曲調です。


974-12.jpg
曲が始まると、すぐに太鼓を持たれた舞手さんが飛び跳ねました。
そして太鼓を持たれた舞手さんが着地すると、
バチを持たれた舞手さんが太鼓を叩かれます。
太鼓を演奏しているというよりは、
完全に舞踊を舞っていますね。


974-13.jpg
今度は太鼓を持たれた舞手さんが、立ち上がられます。
すると、この格好で太鼓を叩かれました。
だんだんリズムが速くなって、横笛の曲調も激しくなります。


974-15.jpg
太鼓のリズムが、さらに速くなります。
すると、太鼓を持たれた舞手さんがその場に座り込まれます。
たぶんこの格好が、いちばん太鼓を叩きやすいのでしょうね。


974-16.jpg
一方棒を持たれた舞手さんは、初めはゆっくりと棒を回転させます。
綾傘鉾は、この棒を持たれた舞手さんがメインになります。
ですから観覧席から見て、一番目立つ位置に立たれます。


974-17.jpg
棒を持たれた舞手さんは、片手で持たれた棒を振り回されています。
太鼓を叩くリズムが速くなるうちに、回転する棒の速さを変わります。


974-18.jpg
遂に舞手さんの棒が、高速回転し始めます。
すると、観覧席から大きな拍手が起きました。
綾傘鉾の会所は、京都府福知山市にいらっしゃる
大原神社が勧請された場所です。
そのご縁で、京都府福知山市の大原神社にも
この棒振囃子が奉納されたこともあります。


974-19.jpg
綾傘鉾の棒振囃子はそこまで移動しないため、
八坂神社お旅所の東側に
銅鑼を持たれた囃子手さんたちが並ばれます。
銅鑼や太鼓のテンポが速くなるにつれ、
囃子手さんの横笛や舞手さんが持たれる棒も速くなります。


974-20.jpg
すると太鼓を持たれた舞手さんが立ち上がり、
さらに速いテンポで太鼓を叩かれます。
数秒ごとに太鼓を持たれた舞手さんが座ったり立ったりして、
踊り自体もだんだん激しくなります。


974-21.jpg
棒を持たれた舞手さんも、棒を回転させる速さが数倍になります。
とは言え、写真では舞手さんが静止しておられるように見ます。


974-22.jpg
棒を持たれた舞手さんは、腰をひねりさらに大きく棒を回転させます。
その動きもだんだん速くなり、棒が大きく高速回転します。
観覧席からも、再び拍手喝采が起きました。


974-23.jpg
太鼓を持たれた舞手さんは、
立ち上がったまま太鼓を叩き続けられます。
だんだん棒振囃子の終わりが近づいて、
舞手さんたちの動きも激しさが増します。


974-24.jpg
だんだん囃子手さんの演奏が速くなると、
棒を持たれた舞手さんもさらに速く棒を回転させます。
そしてこのまま囃子手さんの演奏が終わり、
綾傘鉾の棒振囃子が終わりました。


974-25.jpg
囃子手さんたちの演奏が終わると、
棒を持たれた舞手さんはこの格好で静止されます。
そしてすぐに上半身はこのままにして、
四条通を東へ走り去られました。


974-26.jpg
棒を持たれた舞手さんが四条通を東に走り去られると、
綾傘鉾の囃子手さんたち初め町衆の皆さんも、
四条通を東に立ち去れました。
四条傘鉾同様、綾傘鉾の町衆さんたちも大集団です。


974-27.jpg
そして、綾傘鉾の登場です。
平安時代以来の形状を残す綾傘鉾には、
通常の山鉾のような前掛けと胴掛、見送りなどの区別はありません。
一時期この部分の下に「鉾」の部分があったこともありましたが、
ここ数百年はこの形状です。


974-28.jpg
綾傘鉾の後に、もう一つの綾傘鉾が八坂神社お旅所前を通過します。
祇園祭の山鉾は1864年のどんどん焼けでほぼ全滅しますが、
100年以上かけて徐々に復活していきました。
綾傘鉾もそのような過程があったのですが、
その際寄付金が望外に多く集まり、
結局綾傘鉾は2基作られました。


974-29.jpg
綾傘鉾に続いて、2023年の山10番太子山の登場です。
「学問の神様」としての側面のある聖徳太子を祀る山ですね。
会所脇には、受験の合格祈願の絵馬が多く貼り付けられています。


974-30.jpg
太子山の上部が大写ししました。
まだ少年の聖徳太子が大阪に四天王寺を建てるため、
日本各地を旅をした故事に則っています。
また通常祇園祭の「山」は松の木を立てるのですが、
こちらはその故事に則り杉の木を立てます。


974-31.jpg
太子山が、八坂神社お旅所前を通過します。
太子山の胴掛は極彩色の織物で、水引がレース状です。
こちらは、ベトナム製の絨毯を使用しています。


974-32.jpg
太子山が、四条通を東に進んでいきます。
太子山の見送りも結構極彩色ですが、
こちらも、元はベトナム製の絨毯です。
2018年に太子山の装飾は新調され、
その際太子山全体の装飾がベトナム製の絨毯に変わりました。
その詳細は、第582回ブログを参照してください。


974-33.jpg
太子山の後から、岡持ちを持たれた方が続きます。
写真の角度から、少しだけ中が見えます。
岡持ちの中身を数年気にしていたのですが、
これで判明しました。

このつぎは祇園祭山鉾最大の月鉾の登場ですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、月鉾、伯牙山、蟷螂山、占出山と続きます~

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ぴのぴな

Author:ぴのぴな
ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
そんな気分を
味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
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「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
いただきました。

「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

☆カテゴリ
これまでの記事を
テーマ別に分けました。
記事は順番通り
並んでいますので、
観光コースをそのまま
追いかけられます。

「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
コロナ騒動下でも
頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
紹介して宣伝します。

「未分類」
京都を書いては
いるのですが、
他の「道ブログ」とは
趣旨が違うものが
入ります。

「ここって、
何のブログなの?」
このブログの説明です。
記念すべき第1回です。

「限定公開」
パスワードがないと、
閲覧できません。
うちの家族の
個人情報満載なので、
こうなりました。
京都サンガの応援に、
東京に行った記事です。
(国立競技場と明治神宮)

「京都」
どのカテゴリにも
入らない記事です。

「京都サンガ」
Jリーグクラブの
京都サンガの 試合観戦や
イベントの様子を
記事にしました

「東福寺と泉涌寺」
ウチの近所なので、
一番よく行きます。

「伏見稲荷大社」
ウチの氏神様です。
初詣など
こちらも多くなります。

「ゑびす神社」
毎年参拝しているので、
独立させました。

「清水寺から平安神宮」
京都の東山周辺です。
京都観光の
一番有名なコースです。
これから京都観光を
考えておられる方は、
ここをご覧ください。

「京都紅葉散策」
紅葉の季節にあちこち
散策してきました。
毎年11月23日に行く
紅葉散策は含まれません。
そういうものに含まれない
短いものを集めました。

「京都桜案内」
桜の季節にあちこち
花見に行きました。
毎年少しずつ増えます。

「祇園散策」
花見小路の花街や
八坂神社・建仁寺など
祇園各地の散策です。

「祇園祭宵山散策」
祇園祭宵山を
毎年更新した記録です。
ゆっくり回ったので、
次に祇園祭に来られた時の
参考にしてください。

「節分」
毎年少しずつ増えます。

「京都のお祭り」
春から初夏を中心に
京都市内各地のお祭りを
記録したものです。

「松尾散策」
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松尾大社や法輪寺など
松尾を散策します。

「嵯峨野嵐山」
嵯峨野嵐山周辺散策です。

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京都駅から
五条通にかけて
あちこち回りました。

「蹴上・鹿ヶ谷散策」
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哲学の道がある鹿ケ谷を
散策しています。

「太秦散策」
蚕ノ社や広隆寺、
映画村など太秦周辺を
散策しました。

「花園散策」
JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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