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第975回 月鉾から放下鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その7

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前回ブログで棒振囃子を取材した綾傘鉾に続いて、
くじ取らずの鉾5番月鉾の幟が「四条寺町」交差点に登場です。
月鉾は祇園祭最大の山鉾で、形状も美しいですね。
今回は月鉾の後、伯牙山、蟷螂山、占出山、放下鉾と続きます。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午前11時半。
この辺りから、山鉾巡行のペースが上がります。


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月鉾の最先端を撮りました。
そもそも「鉾」とは槍の一種ですが、
それぞれの鉾には長い棒の先端に金属製の刃先が付きます。
これら鉾は、巡行することで
周囲に蔓延る悪いもの・良くないものを切り裂きます。
祇園祭では山鉾巡行で周囲を清浄化した後、
八坂神社のご神体がお神輿に乗って、
東山区祇園地区などの氏子地域を巡ります。
つまりこの山鉾巡行は、夕方からの神輿渡御の準備です。


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月鉾が、「四条寺町」交差点に登場しました。
祇園祭の鉾は、約30人の曳手が人力で
人が歩く速さで移動させています。


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月鉾の上部を大写ししました。
長刀鉾以外の鉾には、人形の稚児が同乗します。
(長刀鉾には、人間の稚児が同乗します)
月鉾には、月を司る月読命が祀られています。


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ところが、月鉾はこの地点で停止しました。
また、山鉾が渋滞しています。


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月鉾の停止は、約5分でした。
だんだん渋滞の間隔と回数が減ってきました。
渋滞が終わると、月鉾の音頭取りが合図を送ります。


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「えいやらや~」音頭取りの掛け声とともに、
月鉾が前進します。
暫く休憩されていた曳手の皆さんが、
月鉾を四条通を東へと曳いています。


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月鉾が、八坂神社お旅所前を通過します。
月鉾の脇では、囃子手さんたちが祇園囃子を演奏されています。
月鉾の胴掛はインド製の絨毯ですが、
その上に巻かれている水引は円山応挙の日本画です。


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月鉾が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点を目指します。
月鉾の見送りは近年新調されていますが、
詳細を自分は知りません。


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月鉾の後は、2023年の山11番伯牙山が登場します。
重要文化財の杉本家邸宅が、会所として使われています。


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こちらが、伯牙山です。
古代中国の物語を基にしていますので、
装飾品はほとんどが中国製です。


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伯牙山が、八坂神社お旅所前を通過します。
伯牙は、周(約3000年前の中国)に実在した箏の名手です。
ところが親友で同じく箏の名手であった鍾期子が死亡すると、
その悲しみのあまり愛用の箏を斧で叩き割り、
二度と箏を弾かなくなりました。
この山では、年老いた伯牙が
斧で箏を叩き割る瞬間を表現しています。


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山鉾巡行中の伯牙像を大写ししました。
その表情が、親友の死で悲しみに歪んでいます。


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伯牙山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点へ移動します。
先述の通り、この見送りも数百年前の中国製です。


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続いては、2023年の山12番蟷螂山です。
蟷螂(とうろう)とは、カマキリのことです。
祇園祭の山鉾の中でも、特に人気のある山です。


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こちらが、蟷螂山です。
御所車の上に、カマキリが乗っています。
こちらは、南北朝時代の1352年に戦死した四条隆資の戦い方が
カマキリが前足を振りまわる様子に似ていました。
その後四条隆資を偲んで、四条家の御所車にカマキリを乗せたことが
この山の由来です。


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蟷螂山のカマキリを大写ししました。
先ほどの写真とカマキリの姿が異なるのをお気づきでしょうか?
こちらのカマキリは、羽根を広げています。
このカマキリはからくり人形で、頭・前足の鎌・羽根が動きます。


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蟷螂山が、八坂神社お旅所前に登場しました。
人気のある山だけに、観覧席からも歓声が上がります。
すると蟷螂山のカマキリの頭や前足、羽根が激しく動き始めました。


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蟷螂山が、八坂神社お旅所前を通過します。
御所車の上のカマキリ像は、体調1mくらいでしょうか。


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蟷螂山の胴掛を大写ししました。
祇園祭の山鉾の大半は1864年のどんどん焼けで焼失しましたが、
その後徐々に復活しました。
蟷螂山は1982年に復活したのですが、
比較的最近に復活した山ですから、
装飾品がどれも真新しいですね。


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蟷螂山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点に移動します。
観覧席から去っていく蟷螂山のカマキリ像が、
前足の鎌を振って、別れを告げています。


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そして2023年の山13番は、占出山です。
この後はくじ取らずの山鉾ばかりで、曳山か鉾しか残っていません。
ですから、占出山が2023年の担ぎ山の最後尾です。
ここ10年で3回「山1番」を引いていた山が、
最後尾なのは「くじの妙」ですね。


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占出山が、八坂神社お旅所前に登場しました。
占出山は、神功皇后が新羅との戦争直前に
アユを釣り戦争の結果を占う場面を山にしています。
ですから神功皇后像は、釣竿を持っています。


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占出山の神功皇后像を大写ししています。
よく見ないと分かりにくいですが、
神功皇后像は左脇に太刀を帯びています。
この刀は平安時代の刀匠三条宗近によるものです。
今から1,000年以上前の方なので、
三条宗近が製作した刀はほとんど現存していません。
ですから、現存する三条宗近の刀はすべて国宝です。
ということは、この太刀も国宝ということになります。


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占出山が、八坂神社お旅所前を通過します。
この角度の方が、神功皇后が帯びる国宝の太刀がよく見えます。
占出山の胴掛は、日本三景を描いています。
こちらは、天橋立を描いていますね。
その上部には、三十六歌仙を描いた水引を巻いています。


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占出山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点へ移動します。
占出山の見送りは花鳥龍文様の綴織ですが、
こちらは近年復元新調されたものです。


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以上で2023年の担ぎ山は、すべて八坂神社お旅所前を通過しました。
続いては、くじ取らずの鉾6番の放下鉾です。
こちらは、通常形態の鉾の最後尾でもあります。
(残りの2基は、かなり特殊な山が登場します)


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約30人の曳手に曳かれて、放下鉾の登場です。
もう担ぎ山はすべて通過しているので、
残りの山鉾はどちらも曳手に曳かれています。


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放下鉾の「放下」とは、放下僧を差します。
「僧」ではあるのですが、大道芸をしながら旅をする人々のことです。
外からは見えませんが、鉾の中心に放下僧の像が置かれていて
そのことからこの名前が付きました。


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放下鉾を大写ししました。
放下鉾の稚児人形は「三光丸」と名付けられていて、
町衆さんが操ることで人間のような動きをします。


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八坂神社お旅所の手前で、放下鉾が停止しました。
また山鉾が渋滞しています。
ただ、今回はすぐに動き出しました。
放下鉾の音頭取りが、扇子を振り始めます。


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「えいやらや~」
掛け声とともに、音頭取りが扇子を前に突き出します。
すると、放下鉾が再び前進しました。


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放下鉾が八坂神社お旅所の前を通過します。
放下鉾も「鉾」なので両脇に囃子方が乗り込んでいて、
祇園囃子を演奏されています。
放下鉾の胴掛は、おそらくインド製の絨毯です。
江戸時代の祇園祭の町衆は、京都でも有力な商人でした。
ですから豊富な資金を背景に、
世界中の絨毯やタペストリーを買い求めて、
それを山鉾に貼り付けています。


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放下鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点に移動します。
見送りのモスクの前をフクロウが飛ぶ図案は、
ここ最近(2010年)新調されたものです。


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……と、ここでまた渋滞から放下鉾が停止しました。
すると、放下鉾の長持から水と塩飴が曳手の皆さんに配布されました。
炎天下のこの日、油断をすると簡単に熱中症になってしまいます。


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放下鉾に続いて、曳山の岩戸山が登場します。
ただ岩戸山はこれまでの担ぎ山と形状も構成も異なるので、
これまでの山とは別枠でカウントします。
岩戸山の後は最後尾の船鉾で前祭山鉾巡行が終わります。
残り2基ですが、だいぶ写真を貼り付けましたので
今回はここまでです。

~次回は岩戸山と船鉾を観覧した後、帰宅します~

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第976回 岩戸山 船鉾~祇園祭前祭山鉾巡行~その8

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第971回ブログ以来次々と山鉾を掲載してきましたが、
残るは特殊な山鉾2基となりました。
どちらも特殊な形状で、くじ取らずで順番が固定されます。
先ずは曳山の岩戸山ですね。
撮影日は、2023年7月17日月曜日正午。
2023年の祇園祭前祭山鉾巡行の連載は、今回で終了します。


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先述の通り、岩戸山は曳山です。
曳山は「山」と「鉾」の中間で、
祇園祭前祭にはこの岩戸山しかありません。
(祇園祭後祭には、3基あります)
「山」なので天頂に松の木が立ちますが、
「鉾」並みの大きさなので
約30人の曳手が人の歩く速さで山を曳きます。

岩戸山の「岩戸」とは、天岩戸のことです。
八坂神社の主神でもある素戔嗚尊は
疫病をばらまく「死神」としての側面もあります。
(「日本書紀」では、「根の国の神」と表記)
その素戔嗚尊が悪行の限りを尽くして、
天照大神を岩戸の内部に追い込んだ神話です。


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岩戸山の屋根の上に、何名かが乗られています。
他の「鉾」にも何名かが乗られていますが、
岩戸山にはさらに田力男の像がおられます。
田力男(あめのたぢからお)が力づくで天岩戸をこじ開け、
天照大神を外に出して、
その後素戔嗚尊を高天原から追放することで、
天照大神は高天原の治世を取り戻しました。
そもそも祇園祭は、天然痘など疫病除けのお祭りです。
疫病をばらまく側面のある素戔嗚尊を追放する岩戸山を
特別の位置で山鉾巡行させることは、
疫病を避ける呪術的な意味が想起されます。


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岩戸山が、八坂神社お旅所の前を通過します。
曳山は「鉾」と同じ大きさですから、
脇に囃子手さんたちが乗っておられて、
祇園囃子を演奏されています。
岩戸山の胴掛は、インド製の絨毯を使用しています。


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今度は岩戸山の底の部分を撮りました。
竹竿が並んでいますが、こちらは辻回しの際に使われます。
つまり岩戸山はこの大きさですから、
交差点ではこの竹竿を前輪の下に置いて、
竹竿の上で前輪を滑られることで回転します。


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岩戸山が四条通を東に向かい、「四条河原町」交差点に移動します。
岩戸山の見送りは「日月龍唐子喜遊図」ですが、
1年おきに皆川泰蔵による「ヴェネツィア図」に交換されます。


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そして船鉾の幟が、「四条寺町」交差点に登場です。
こちらが、祇園祭前祭山鉾巡行の最後尾です。



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町衆の皆さんを引き連れて、、「四条寺町」交差点に船鉾が登場です。
船の形をした特殊な「鉾」ですが、
よく見ると天頂の刃先が付いた鉾がないこと以外は、
通常の「鉾」と同じ部位に分かれます。


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船鉾の舳先に、黄金の鳥が付いています。
こちらは、鷁(げき)という中国の伝説上の水鳥です。


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船鉾が、八坂神社お旅所の前を通過します。
船鉾は「鉾」なので、上部で囃子手さんたちが
祇園囃子を演奏されています。
船鉾の胴掛は、横縞なのが特徴です。
祇園祭後祭山鉾巡行の最後尾は
「大船鉾」と言う似た形状の鉾です。
ただ、大船鉾は胴掛の模様と舵の色が大きく異なります。
(大船鉾の詳細は、第878回ブログを参照してください)


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船鉾は、神功皇后新羅に船で攻め込む様子を表しています。
現代なら覇権主義の象徴という説もあり得ますが、
当時の日本は貿易もそれほど積極的ではなく、
日本人も外国に目が向いていませんでした。
そんな当時の日本が侵略を賛美しても、無意味です。
おそらくですが、こちらは「勝利」の象徴だったのでしょうね。
手前の岩戸山が疫病神との戦いを表し、
この船鉾が「勝利」を象徴するとなると、
「疫病に勝利する」という当時の人々の願いが見えてきます。


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船鉾が四条通を東に進み、「四条河原町」交差点へと向かいます。
船鉾の最後尾に神棚があり、
そちらに神功皇后像がいらっしゃいます。
その下の舵が黒漆塗りなのが、船鉾の特徴です。
(大船鉾の場合は、赤漆塗りの舵です)


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船鉾が通り過ぎて、祇園祭前祭の山鉾がすべて通過しました。
すると、船鉾の後から警察車両が続きます。
京都市内のお祭り巡行には
必ず最初と最後に警察車両が同行します。
おそらく道路交通法の関係ですが、
そうなると他の地域のお祭りでも
同じことになっているのでしょうか?


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警察車両に続いて、ワゴン車とトラックが登場です。
祇園祭の関係者と荷物を積んでいます。


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さらに、その後から交通警察のクレーン車が登場します。
クレーン車は、一斉に「四条寺町」交差点の信号機に向かいます。


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「四条寺町」交差点の4つの信号機に、クレーン車が向かいます。
四条通を西から東へ、
交差点ごとに付いた信号機を元に戻していきます。
「四条麩屋町」交差点など、「四条寺町」交差点以西の信号機は
すでに通常モードに戻っています。


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信号機に、交通警察官が近づかれます。
よく見ると信号機だけでなく、道路標識にも触れておられます。


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信号機や道路標識は可動式で、
手で触れただけで簡単に元の位置に戻せます。
交通警察官が近づかれてから、
10秒ほどで信号機や道路標識は元に戻りました。


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クレーン車が元の高さに戻り、そのまま移動します。
とは言え、船鉾はまだ「四条河原町」交差点に近付いていません。
ですから船鉾の後続で、クレーン車は待機されます。


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この時点で八坂神社お旅所の前では、
横断幕と観覧席は撤去され始めています。
夕方からの神輿渡御が終わると、
こちらに祇園祭のお神輿が納められます。


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八坂神社お旅所の前から、四条通を東に向いています。
四条通は、約400m先の八坂神社で突き当たります。
「四条河原町」交差点を見ると、
前回ブログの放下鉾は辻回しを終えましたが、
船鉾どころか岩戸山もまだ辻回しを終えていません。
船鉾が「四条河原町」交差点の辻回しを終えるのは、
この時点から約30分以上経ってからでした。


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八坂神社お旅所の前で北を向くと、
四条通から北に新京極通が伸びています。
第969回ブログではほぼ無人だった新京極も、正午を回り超満員です。
ではその脇にある地下へ通じる階段を下りて、
阪急電車京都線「河原町」駅から帰宅します。
これで、2023年祇園祭前祭山鉾巡行の連載は終了です。

~次回は、写真のない短い記事を掲載します。
その記事の次に、この日の午後に催された神幸祭を連載します~

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脳出血から4年経ちました

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2019年7月21日日曜日午後6時ごろ、
このブログの運営者であるぴのぴなが、
前頭葉から出血して、そのまま入院しました。
脳出血と言いますか脳卒中は日本人の死因の上位なのですが、
自分の場合は手術台の上に寝転がって、
数時間じっとしていたら6時間後に血管がくっつきました。
そこから2019年8月6日まで、
京都駅前の武田病院に入院していました。
入院中は、ベッドの上にじっとしていました。
(病名が病名ですので、動き回れません)
入院した翌日から左半身が動かなくなって、
時折リハビリを繰り返すと約1週間で立って歩けるようになり、
さらに1週間経つとkm単位でジョギングできるようになりました。
その時点での退院でした。
とは言えその時点での職場復帰は難しく、
2019年8月いっぱいはリハビリの日々でした。
何しろスイカを食べようとして、
自分の頬を齧ってしまうような状態でした。
実は4年経った今も、左喉の奥の筋肉は上手く動かせられません。
ですから、現在も口から一部の音が出ません。
とは言え、それ以外はほぼ健康体です。
血圧は毎日計測していますが、ここのところはやや低めです。
(血圧を下げるかなりきついお薬を常飲していますが)
だんだん脳出血は過去のことになってきていますが、
まだ武田病院には通っています。
とにかく今は、脳卒中が再発しないように努力しています。

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第977回 「祇園」交差点へ~祇園祭神幸祭 2023~その1

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第976回ブログまで祇園祭前祭山鉾巡行の連載をしていましたが、
午前中の山鉾巡行が終わった数時間後、
夕方に八坂神社から神輿渡御が始まります。
……と言いますか祇園「祭」なのですから、
やはりメインは八坂神社のご神体をお神輿に乗せて、
氏子地域を散策します。
祇園祭では山鉾巡行と神輿渡御は合わせてセットなのですが、
「祇園祭のメインは、山鉾巡行」
他地域ではそう思っていらっしゃる方が多いですね。
祇園祭の山鉾は「四条烏丸」交差点付近で催されますが、
神輿渡御の場合は八坂神社から京都市街地に繰り出します。
三条会商店街、錦市場の商店主がお神輿を担ぐだけでなく、
京都府下の様々な住民が参加します。
中には八坂神社周辺住民で構成される「宮本組」のように、
敢えて雑務のみを行うことを誇りにしている人々もいらっしゃいます。


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祇園祭の山鉾巡行を取材した後、
取り敢えず2023年7月17日午後1時に帰宅し、
2時間ウチで休憩した後、午後3時からまた外出しました。
午前中に京都駅まで行かなかったこともあり、
今回も手抜きでウチから直接京阪電鉄に乗って、
「祇園四条」駅で降りました、
今回は、祇園祭神幸祭の結団式のメイン会場
「祇園」交差点まで進みます。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後3時半。
2022年とは異なり、2023年は完全に通常モードです。


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「祇園四条」駅まで乗ってきた京阪電鉄の特急電車が、出発しました。
この電車は、約2分後に「三条」駅に到着します。


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京阪電鉄「祇園四条」駅ホームには、幾つか上り階段があります。
どちらの階段からでも、コンコース階に進めます。


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「京阪電鉄「祇園四条」駅ホームから階段を上ると、
そのままコンコース階に到達します。
どの位置のコンコース階に出ても、そのまま北上します。
(「← 出口」の方に向かいます)


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京阪電鉄「祇園四条」駅コンコース階の最北端まで来ました。
こちらに、京阪電鉄「祇園四条」駅改札口があります。
次はこの改札口から、京阪電鉄「祇園四条」駅を出ます。


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改札口から京阪電鉄「祇園四条」駅を出て、
地下道をそのまま北を向いています。
この位置が、ちょうど「四条川端」交差点の真下です。
京阪電鉄「祇園四条」駅前の地下道には、
様々な店舗が建ち並び、ちょっとした地下街を形成しています。
第969回ブログでは左(西)側に見える4番出口に進みましたが、
今回はこの駅から四条通を東に進みます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅改札口から、地下道を東に向きました。
こちらの先もちょっとした地下街となっています。
よく見ると、白い法被姿の集団が歩いておられます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅改札口から、約50m東に進みました。
突き当りにstarbucks祇園四条店があり、
その左右に地上へ上る階段があります。
通常は右(南)側の8番出口から地上に出ますが、
今回はこの白い法被の集団についていきます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅7番出口の階段を上り、四条通に出ました。
白い法被には、三つに割れた三角形の門が入っています。
こちらは、三若会の紋章ですね。
三若会とは、祇園祭のお神輿の1基中御座を担ぐ人々です。
祇園祭発祥の地でもある三条会商店街周辺に、会所があります。
(三若会会所の詳細は、第57回ブログ参照)


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京阪電鉄「祇園四条」駅7番出口を出て、
そのまま四条通を南に向いています。
つまり京阪電鉄「祇園四条」駅7番出口の向かい側に、
歌舞伎などが催される南座が建っています。
南座の右(西)側にテナントビルが建っていますが、
そちらに和菓子匠祇園饅頭や蕎麦屋の総本家 松葉があります。


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京阪電鉄「祇園四条」駅7番出口から、四条通を西に向いています。
目の前に、レストランの菊水が建っています。
この辺には、東山区祇園地区を代表する名店が建ち並びます。
このまま四条通を西に進むと第969回ブログのルートですが、
今回は四条通を東へと進みます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅7番出口から、四条通を東に向きました。
今回は、このまま四条通を東に進みます。


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京阪電鉄「祇園四条」駅7番出口から、
四条通を約100m東に進みました。
ここ四条通は、大和大路と交差します。


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四条通を東に進み、大和大路の横断歩道を渡ります。
左(北)側には、べた焼の一種である一銭洋食が健在です。
ただ時間が無いので、そちらには立ち寄りません。


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今度は四条通から、大和大路を南に向きました。
四条通~団栗通間の大和大路にはお酒を出す飲食店が多く、
「祇園の呑み屋街」を形成しています。
新しいお店がだいぶ増えてきましたが、
コロナ禍では最も経済的にダメージを受けた地域の一つです。
(2022年7月のこの辺りは、第844回ブログ参照)


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大和大路から、四条通を東に向いています。
自分があちこち撮影している間に、
三若会の方々はだいぶ先に進まれたようです。
では、自分はゆっくり四条通を東に進みます。


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大和大路から、四条通を約100m東に進みました。
この辺りから北に、「切り通し」と呼ばれる道が伸びています。


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四条通から、切り通しを北に向いています。
この辺りから、花街祇園の雰囲気が漂いますね。
東山区祇園地区は広大ですが、四条通を境に分かれます。
四条通以南の祇園を「祇園甲部」と呼び、
四条通以北の祇園を「北部祇園」と呼びます。
実は歌舞練場も別々で、事実上別の花街です。


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切り通しから、四条通を東に向いています。
八坂神社は四条通の突き当りにいらっしゃるのですが、
だいぶ近づいてきています。
今回ブログの目的地「祇園」交差点は、八坂神社前のことです。


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切り通しから、四条通を東に進んでいます。
この辺りには観光客がだいぶいらっしゃいますが、
もうすぐ祇園祭神輿渡御があることを
大半の方々はご存じないようです。


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切り通しから、四条通を約50m東に進みました。
ここで四条通は、花見小路と交差します。
花見小路は、東山区祇園地区のメインストリートです。


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四条通から、花見小路を南に向いています。
多くの方々がイメージする花街祇園は、
四条通以南の花見小路沿いを指しています。
今回の連載の最終回では、この花見小路を
祇園祭のお神輿の1基西御座が練り歩きます。
(錦市場の店主の皆さんが担がれるお神輿です)


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花見小路から、四条通を東に向いています。
ここからは突き当りの「祇園」交差点まで、
四条通を東に進みます。


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花見小路から、四条通を東に進んでいます。
だんだん観光客の人口密度が上がりますが、
やはり祇園祭神輿渡御とは関係のない動きをされています。


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花見小路から、四条通を約150m東に進みました。
ここで四条通は突き当たり、東大路と交差します。
こちらが、今回ブログの目的地「祇園」交差点です。


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「祇園」交差点まで辿り着きましたが、
この横断歩道の右(西)側で立ち止まります。
自分がここで祇園祭のお神輿を撮影するときは、
このガードレール越しで撮影してきました。
ただ2023年は、この位置から約5m離れた場所で撮影しました。


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そのガードレール越しに、八坂神社西楼門を撮影しました。
石段に多くの方々がいらっしゃるのは、皆自分と同じ目的です。
ただ、祇園祭神幸祭の結団式はこの2時間後です。
この時点で交差点内には撮影者が20名前後で、
石段下には50名ほどがいらっしゃいました。
ちなみに祇園祭のお神輿は、西楼門を通りません。
そもそもガードレールが邪魔で、
お神輿は通過できません。


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「祇園」交差点南東角に、警察官が待機されています。
まだまだ2時間ありますが、徐々に祇園祭神幸祭の準備が始まります。
そのため、この時間から「祇園」交差点上は交通整理が必要です。


977-29.jpg
警察官の皆さんが、横断歩道を渡って、
「祇園」交差点南西角に移動されました。
フレームから外れていますが、この位置に派出所があります。
その2Fに警察官の上官がいらして、
こちらの警察官へ指示を送られていたようです。


977-30.jpg
この時点で、2023年7月17日月曜日午後4時です。
「祇園」交差点の中央に、交通警官が立たれました。
まだまだ車両通行止めまで時間がありますが、
その間神幸祭関係者がこちらを通過されるので、
この時点から交通整理が始まりました。
この辺りから「祇園」交差点の様子を取材していくのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けましたので、今回はここまでです。

~次回は、「祇園」交差点から祇園祭神幸祭関係者が
八坂神社に向かわれる様子を掲載します~

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第978回 八坂神社へ集結~祇園祭神幸祭 2023~その2

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977-30.jpg
前回ブログで京阪電鉄「祇園四条」駅から、
四条通を東に進み「祇園」交差点まで進みました。
祇園祭神幸祭結団式は、約2時間後の午後6時開催予定です。
今回は、八坂神社前の「祇園」交差点で
八坂神社へ向かわれる方々を取材します。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後4時。
「祇園」交差点の交通整理は、既に始まっています。


978-1.jpg
2023年7月17日月曜日午後4時を回ったところです。
四条通を東に進み、「祇園」交差点に
綾戸国中神社の方々が来られました。
綾戸国中神社は南区久世地区にいらっしゃる神社で、
祇園祭では神輿渡御の先導を務める駒形稚児を担います。


978-2.jpg
「綾戸国中神社」と書かれた幟の後から、
「国中」と書かれた提灯を持たれた方が付いていきます。
綾戸国中神社がいらっしゃる南区久世地区は、
京都市の南西隣の京都府乙訓郡の一部でした。
祇園祭は東山区祇園地区や中京区や下京区の山鉾町以外にも、
山城国(京都府南部)の様々な地区が協力しながら運営されます。


978-3.jpg
その提灯の背後から、小学生男子が乗られた馬が
「祇園」交差点にやって来ました。
こちらが、先述の綾戸国中神社駒形稚児です。
第410回ブログで「長刀鉾の生き稚児さん」と表記された方は、
綾戸国中神社の駒形稚児のことです。
その時は、誤表記してしまいました。


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こちらが、綾戸国中神社の駒形稚児です。
祇園祭ではお神輿の先頭に立って、先導します。
昨年(2022年)は生き稚児さんは騎乗せず、
馬のみの巡行でした。


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綾戸国中神社の駒形稚児さんの後から、
羽織袴姿の男性が数名行進されました。
こちらは、綾戸国中神社の氏子さんか神職さんでしょうね。


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綾戸国中神社の駒形稚児隊列は、
自分がいた位置から四条通を東に進み、
そのまま「祇園」交差点に入っていかれました。
この時点で交差点に交通規制が掛かっていませんでしたが、
川端署の警察官による交通整理で、
駒形稚児隊列は滞りなく車道を進まれます。


978-7.jpg
前回ブログでも書きましたが、「祇園」交差点の石段を上って
祇園祭神幸祭の隊列が進むことはありません。
お神輿や馬が石段を移動するのは不可能ですし、
何より八坂神社の石段下にあるガードレールが遮ります。
ですから綾戸国中神社の駒形稚児隊列は、
「祇園」交差点から東大路を南下します。
そして約100m先の交差点から東に進み、
南楼門から八坂神社境内に入っていきます。


978-8.jpg
この時点で、2023年7月17日月曜日午後4時10分です。
自分が今まで立っていた位置に、
川端署の警察官が規制線を張られました。
ここで、「祇園」交差点にいたカメラを持つ人々が集結しました。
もちろん、自分も集結した一人です。
その中の一人が、このようなことを警察官に告げられたそうです。
① 「祇園」交差点の歩道での写真撮影は、禁止
② 通行人のスペース確保のため、交差点内で立ち止まるのは禁止
③ 自分たちがいる歩道の目の前の車道に観覧スペースを作り、
 そこだけ写真撮影を許可するということ
この位置で写真撮影できないなら、移動しないといけません。
ただ八坂神社の石段には、既に多くの方がいらっしゃます。
下手をすると、祇園祭神幸祭結団式の
写真撮影ができないかもしれません。
それで10分ほど何名かの人々で議論していたのですが、
肝心なところがはっきりしていないことに皆が気付きました。
そこで川端署の警察官に、直接質問しに行きました。
こちらの質問に、その警察官は以下のように答えられました。
① 歩行者と撮影者を分けるのが目的なので、
 祇園祭神幸祭の結団式の撮影自体を禁じてはいない
② 観覧スペースは、自分たち撮影者のために確保している
③ 撮影者が2時間この場に立ち止まると通行人の邪魔なので、
 いったん別の場所に行ってほしい
要するに、自分たちが写真撮影する場所は確保されています。
ただこの2時間も取材したいので、
通行人の邪魔にならないようにお互い距離を取る約束をして、
移動せずにここにい続けました。


978-9.jpg
そうこうしているうちに、2023年7月17日月曜日午後4時25分です。
錦神輿会の皆さんが四条通の歩道を東に進み、
「祇園」交差点にやって来られました。
錦神輿会は錦市場の店主の集まりで、
祇園祭神輿渡御の1基西御座を担がれます。
提灯と紫紺の旗は、お神輿の先頭に立ちます。
こちらは大集団ではないので、
普通の通行人同様信号待ちしながら歩道を進まれます。
(錦神輿会の皆さんは、例年小集団に分かれて集結されます)


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2023年7月17日午後4時半を少し回りました。
百名近い大集団が、四条通の車道を東に進まれてきました。
こちらは、祇園祭神輿渡御の東御座を担がれる四若会の大集団です。
お神輿を先導される紫紺の旗と提灯が先頭ですね。
「東若御座」は、東御座の周囲を進まれる子供神輿のことです。


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白い法被姿の四若会の皆さんが、
「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに四条通を東に進まれます。
ちなみに京都のお祭りでは、お神輿を担ぐとき
「わっしょい わっしょい」とは言いません。
松尾祭など京都のお祭りでは「ほいっと ほいっと」と
大声とともにお神輿を担ぎます。
それは、祇園祭でも同様です。


978-12.jpg
四若会の皆さんによる行列が、ずっと続いています。
四若会は、東山区祇園地区北端が氏子地域です。
要するに、京阪電鉄&地下鉄東西線「三条」駅周辺ですね。
東山区祇園地区は、おおよそ四条通を境に
「祇園北部」と「祇園甲部」に分かれますが、
東御座は「祇園北部」を中心に巡行されます。


978-13.jpg
よく見ると、四若会の大集団には
小中学生とその保護者もいらっしゃいます。
先述の通り四若会には「子供神輿」もあって、
そちらを担ぐ小中学生も四若会の大集団にいらっしゃいます。


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四若会の大集団の最後尾は、このリヤカーです。
この日の午前中に催された山鉾巡行では
熱中症対策の水や塩飴が入っていましたが、
夕方~夜間がメインの祇園祭神幸祭では
何が入っているのでしょうか?
自分が撮影している位置からは、よく分かりませんでした。


978-15.jpg
川端署の警察官に誘導されて、
四若会の大集団が「祇園」交差点で四条通を突き当り、
東大路を南下されていきます。
この大集団も約100m南で左折して東に折れ、
南楼門から八坂神社境内に入っていかれます。


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2023年7月17日月曜日午後5時を回りました。
まだ車道には自動車が、通行しています。
ただ八坂神社南楼門から「祇園」交差点へ
御簾が付いた輿がやって来ました。
こちらは、宮本組が担がれています。
八坂神社(宮)の近く(本)おられる住民で組織された集団で、
山鉾巡行や神輿渡御には直接参加せず、
敢えて雑務に従事されることを誇りにされている方々です。
とは言え祇園祭の神具によっては
宮本組の方々以外に触れてはいけないものも多くあって、
(八坂神社の神職さんや神主さんも、触れません)
明らかに特別の扱いを受けた方々です。


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宮本組の皆さんの行列は、約50m続きました。
昨年(2022年)にはこの行列が無かったので、
こちらが何を目的にしたものか、自分は分かっていません。


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2023年7月17日月曜日午後5時10分ごろになりました。
ここで「豊園泉正寺榊」が四条通を東に進み、
「祇園」交差点に登場です。



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下京区豊園地区とは烏丸通から仏光寺通を東に移動した場所で、
浄土真宗佛光寺派本山佛光寺周辺を指します。
その近くに泉正寺という寺院があったのですが、
現在は存在していません。
ただ現在はこの泉正寺跡の近くに京都市立洛央小学校があって、
その小学校の周辺住民が
祇園祭神輿渡御のために榊を元に作った神具を奉納し、
そちらを銀祭神輿渡御のお神輿の1基
中御座の先頭に立たせます。
元々は各お神輿に榊の神具が付いていたのですが、
この豊園泉正寺榊のみが現存じます。


978-20.jpg
こちらが、豊園泉正寺榊です。
こちらは、毎年4月ごろから下京区豊園地区の住民が製作します。


978-21.jpg
豊園泉正寺榊隊列の最後尾を撮りました。
神職さんの姿をされておられるのは、
おそらく下京区豊園地区の皆さんです。


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豊園泉正寺榊隊列の後方に、こちらの集団がおられました。
ただ、こちらがどのような方々かよく分かっていません。
もしかすると豊園泉正寺榊隊列の一部かもしれませんが、
それすら分かっていません。


978-23.jpg
豊園泉正寺榊隊列が、「祇園」交差点経由で東大路を南下します。
先述の宮本組の方々も、八坂神社南楼門へ向かっておられます。


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豊園泉正寺榊隊列と宮本組の皆さんが、
「祇園」交差点を経由して東大路を南下されています。
気づくと、「祇園」交差点の車両が激減しています。
午後5時半を回り、少しずつ交通規制が始まっています。


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その辺りから、「祇園」交差点の四条通の北側車道に
川端署交通警察の皆さんがコーンを立て始められました。
交通量を減らした上で、四条通の車線を減らされました。
自分たち撮影者のために、観覧スペースを用意していただきました。


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そして2023年7月17日月曜日午後5時40分ごろ、
「写真撮影を希望される方は、撮影用スペースへどうぞ」
交通警察官の一言で、カメラを持った人々が一斉に動きました。
ここからは、「祇園」交差点西側の四条通車道上で撮影します。
ただこの際カメラを持つ人々が一斉に動きましたので、
人数によってはガードレールを飛び越えるのに失敗する人がいたり、
転倒して人身雪崩が起こったりする可能性もあったので、
それはちょっと危険かなとも思いました。


978-27.jpg
「祇園」交差点南東角を撮りました。
自分たちがいる位置とは、四条通の反対側の歩道です。
この辺りから自動車が通行止めになったので、
規制線で横断歩道も閉鎖されます。
祇園祭神幸祭を知らない観光客も多く、
「祇園」交差点がだいぶ混乱してきました。


978-28.jpg
改めて四条通車道上から、「祇園」交差点を撮影しています。
最前列ではないものの、結構いい位置取りができました。
自分がさっきまでいたところには、また別の観覧者が居座りました。
川端署の交通警官が場所移動を促しますが、
無視されて留まり続ける方もいらっしゃいました。
というのも、その大半が外国人で日本語が通じていないようでした。


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2023年7月17日月曜日午後5時50分となりました。
八坂神社南楼門から東大路に抜け、
「祇園」交差点へ北上された方々がいらっしゃいます。
いよいよここから、祇園祭神幸祭が「祇園」交差点に移動します。
(ここまでの祇園祭神幸祭は、八坂神社境内で催されました。
第410回ブログを参照にしてください。
ただし、こちらは2016年の模様です)
ただちょうど区切りがよいので、今回はここまでです。

~次回から、祇園祭神幸祭の様子を掲載します~

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第979回宮本組神宝奉持行列~祇園祭神幸祭 2023~その3

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八坂神社西楼門前の「祇園」交差点に自分がやってきてから、
約2時間が経ちました。
八坂神社西楼門には大きな石段があって、
歩道と車道の間にガードレールもあります。
ですから八坂神社の境内から「祇園」交差点へ出て行くには、
八坂神社南楼門から西に進み、東大路で折れて北上する、
つまりこの写真では右(南側)から登場する形になります。
この時点で八坂神社境内での祭事はおおよそ終わって、
(八坂神社境内の祭事の様子は、第410回ブログ参照)
ここから順々に「祇園」交差点に姿を現されます。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後5時50分。
今回は、お神輿が出現する直前まで掲載します。


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最初に「祇園」交差点に登場されたのは、白い幟です。
その白い幟には、「清々講社 宮本組」と書かれています。
「清々講社」は祇園祭では山鉾巡行や神輿渡御には参加せず、
雑務を中心に従事されることに誇りを持たれる方々です。
その中でも「宮本組」が、その「清々講社」の中心です。
「宮」とは神社のことですが、この場合は八坂神社を指します。
さらに「本」とは近所のことですから、
八坂神社周辺住民の集団が、「宮本組」を組織します。


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宮本組の白い幟の後からは、騎乗された鎧武者が続きます。
まだコロナ禍の影響下であった昨年(2022年)は
騎乗される方がいらっしゃいませんでしたが、
今年(2023年)はこの辺も通常通りです。


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騎乗される鎧武者は、さらに2騎続きます。
騎乗される鎧武者は東大路から四条通を西に進み、
その脇で待機されます。


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続いて、「祇園」交差点に豊園泉正寺榊が登場です。
豊園泉正寺榊は、前回ブログにも登場しましたね。


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豊園泉正寺榊の前をこちらの長持が進みます。
昨年(2022年)には参加していなくて、
こちらに何が入っているかは自分は知りません。
山鉾巡行で山鉾の後ろに存在するなら雑多な荷物でしょうが、
榊自体よりも前に立つとなると話が違います。
この位置に来るのは、神社のご神体か寺院のご本尊です。
おそらくですが、かつて下京区豊園地区に存在した
泉正寺のご本尊か何かと推察します。


979-5.jpg
厳密には、こちらが豊園泉正寺榊です。
浄土真宗佛光寺派本山佛光寺周辺が下京区豊園地区ですが、
その辺りにかつて泉正寺という寺院がありました。
その泉正寺では、祇園祭のお神輿の1基「中御座」に
榊を立てた山車を奉納されていました。
泉正寺自体は今から100年以上昔に廃寺となったため、
下京区豊園地区を学区に含む
京都市立洛央小学校で豊園地区の住民によって製作されています。


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豊園泉正寺榊が通り過ぎても、豊園泉正寺榊隊列は続きます。
「豊園」と書かれた提灯に続き、白装束の集団が通過します。
泉正寺はもう廃寺になっていますので、
おそらく下京区豊園地区の方々と思われます。


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豊園泉正寺榊隊列に続いて、
また清々講社宮本組の白い幟が「祇園」交差点で北上してきました。
こちらは今回ブログのメイン神宝奉持行列です。


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宮本組の白い幟が、「祇園」交差点で四条通を西に折れます。
ここから宮本組と書かれた提灯、神宝を持たれた方々が続きます。


979-9.jpg
清々講社宮本組の白い幟や提灯に続いて、
八坂神社の様々な神宝を持たれた行列が続きます。
ここから今回ブログのメイン神宝奉持行列が、
「祇園」交差点を行進します。
八坂神社に納められた神宝が宮本組の方々の手によって、
祇園祭のお神輿より前に行進します。
これらの神宝は宮本組の方々だけが触れることが許されていて、
八坂神社の神職でもこれらに触れることを許されてはいません。


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宮本組による神宝奉持行列の先頭は、円融天皇が書かれた勅板です。
勅板とは、天皇の命令(勅命)が書かれた石板のことです。
こちらは八坂神社に奉納されておらず、
京都市右京区宇多野福王子町におられる
円融天皇陵から毎年持ち出されています。
大流行した天然痘の平癒を目指して
869年に祇園御霊会が発祥しましたが、
以降祇園御霊会は疫病が流行した際に
場所も一定せずに催されていました。
すると970年に円融天皇が、八坂神社で毎年催すよう
勅命を発せられました。
それが、毎年八坂神社で祇園祭が催される根拠です。


979-11.jpg
続いて、こちらが「祇園」交差点に登場です。
もしかすると、こちらの方が円融天皇の勅板かもしれません。
いろいろ不勉強で、すみません……


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円融天皇の勅板に続いて、これらが行進します。
ここから続く八坂神社の神宝は、武具や楽器です。
先ずこちらは、槍のようですね。


979-13.jpg
続いてこちらが「祇園」交差点に登場です。
こちらは……何でしょうか?
不勉強で、ときどき分からないものがあります。


979-14.jpg
続いては、弓を持たれています。
弦を張らない状態で、袋に入っています。


979-15.jpg
弓を持たれた方の背後に、矢束を持たれた方が続きます。
そしてその後からまた矢を持たれた方、
矢束を持たれた方が続きます。


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続いては、箏を持たれての行進です。
こちらは大きいので、何人か交代で運ばれます。


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さらに、こちらが続います……
ただこちらが何か昨年(2022年)から調べているのですが、
実はまだ分かっていません。
このような形式は、通常ご神体を運ぶときのものですが……


979-18.jpg
……と言いますか、こちらの方が本当に分かりません。
何かの神具には、見えるのですが……


979-19.jpg
そして、こちらが神宝奉持行列の最後尾です。
先ほどと同じ形式のものが、姿を見せました。
やはりこちらが何か、分かりません。


979-20.jpg
宮本組による神宝奉持行列に続き、
綾戸国中神社の隊列が続きます。
綾戸国中神社は、南区久世地区にいらっしゃいます。
京都市の南西端ですね。


979-21.jpg
綾戸国中神社の駒形稚児が、「祇園」交差点に登場です。
こちらは、後続のお神輿を先導しておられます。


979-22.jpg
綾戸国中神社の駒形稚児が、「祇園」交差点から
四条通を西に進み、自分たちの前に近付いてこられました。
山鉾巡行の長刀鉾に乗られる生き稚児同様、
駒形稚児も毎年京都市内の10歳くらいの少年から選ばれます。
ただ昨年(2022年)は、コロナ禍の影響で誰も騎乗されませんでした。


979-23.jpg
こちらは、宮本組による神宝奉持行列の一部でしょうか。
笛や太鼓、銅鑼など比較的小型の楽器を持たれた方々が、
「祇園」交差点に留まっておられます。
そして「祇園」交差点内で、雅楽を演奏され始めました。

~2023年8月19日訂正~
この写真を解説したこの真上の記事が、
事実とだいぶ異なります。
この時点で雅楽が演奏されだしたのは事実ですが、
この太鼓はそれとは無関係です。
実は今回ブログの最初の部分で
この太鼓が単独で「祇園」交差点を行進されました。
自分がこの太鼓を撮影しようとした際、
川端署の警察官がこの太鼓の前に入る構図となったので、
撮影を諦めた背景があります。


979-24.jpg
そして5分ほど雅楽を演奏されると、四条通を西に進まれました。
これでお神輿より前を進む隊列は、「祇園」交差点を通過しました。
後は、お神輿だけですね。


979-25.jpg
この時点で、2023年7月17日月曜日午後6時15分です。
東大路の南側から、男性の声で「ほいっと ほいっと」と
大勢による歓声が聞こえてきました。
ちなみに京都ではお神輿を担ぐとき、
「わっしょい わっしょい」とは言いません。


979-26.jpg
こちらは、祇園祭のお神輿の1基である
中御座を担がれる三若会の方々です。
三若会は、中京区の三条会商店街の近くに会所を持っています。
(三条会商店街内にいらっしゃる八坂神社供養社で、
869年に祇園祭が始まりました。
八坂神社 供養社周辺の様子は、第58回ブログを参照してください)
中御座には、八坂神社の主神素戔嗚尊が乗っておられます。
いよいよここから祇園祭の3基のお神輿が、
「祇園」交差点に登場します。
ただこの辺がちょうど切りがいいので、今回はここまでです。

~次回は、「祇園」交差点で3基のお神輿が
派手なパフォ-マンスを繰り広げます~

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第980回 祇園祭のお神輿~祇園祭神幸祭 2023~その4

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979-26.jpg
前回ブログで豊園泉正寺榊隊列や宮本組による神宝奉持行列、
綾戸国中神社の駒形稚児といった先導される行列が巡行されて、
いよいよ祇園祭の3基のお神輿が「祇園」交差点に登場です。
先ずは三若会による中御座が、東大路を北上してきました。
ここから中御座・東御座・西御座という3基のお神輿が、
「祇園」交差点に勢ぞろいします。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後6時15分。
だいぶ日が傾きましたが、あと1時間日没まで時間があります。


979-27.jpg
中御座が東大路を北上し、徐々に「祇園」交差点に近付いています。
この瞬間担がれておられる三若会の方は30名ほどですが、
その何倍もの方々が中御座を取り囲んでおられます。
重たいお神輿を担ぐのは、大変な重労働です。
ですから、数mごとに担ぎ手が入れ替わっています。
周囲におられるのはこれから担ぎ手と交代される方と、
今までお神輿を担がれていて交代された方です。
尤も交代された方も、少し休憩された後
再び中御座を担がれます。


979-28.jpg
三若会に担がれた中御座が東大路を北上し、
「祇園」交差点に入ってきました。
祇園祭のお神輿3基のうち「中御座」には、
八坂神社の主神素戔嗚尊のご神体が乗られています。
ただ廃仏毀釈以前は、こちらには牛頭天王が乗っておられました。


979-29.jpg
中御座が、八坂神社西楼門の石段前にやって来ました。
三若会の皆さんによる「ほいっと ほいっと」の掛け声も、
だんだん大きくなってきました。


979-30.jpg
そこまで東大路を北上してきた中御座が、
八坂神社西楼門前の石段下で停止されました。
その左(北)側では「三若」と書かれた深紅の旗と
同じく「三若」と書かれた提灯が掲げられています。


980-1.jpg
まだまだ「ほいっと ほいっと」の掛け声が続きましたが、
ちょっとカメラのズームを引いてみました。
「祇園」交差点一面に、三若会の皆さんがおられます。


980-2.jpg
その直後に、三条会の皆さんが中御座を頭上に掲げられました。
そして、その状態で三条会の皆さんが飛び跳ねられます。
中御座の担ぎ棒に付いた鈴が、大きな音色を響かせます。


980-3.jpg
中御座が、三若会の方々の頭上で揺れています。
「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
「三若」と書かれた紫紺の旗も揺れています。


980-4.jpg
三若会の皆さんが頭上に掲げられた中御座が、
方の高さに下ろされています。
上手く写真に撮れませんでしたが、
下ろされる直前に、中御座は約90°回転してします。
つまり現在こちらを向いているのが、中御座の正面です。


980-5.jpg
この瞬間から中御座の周囲におられる三若会の皆さんが、
四条通の西側に移動してこられました。
つまり、自分たち撮影者の方にやって来られました。


980-6.jpg
三若会の真紅の旗と提灯は同じ位置に留まっていますが、
中御座を担がれた三若会の担ぎ手さんたちが、
「祇園」交差点から四条通を西に向かってこられました。
つまり自分たち撮影者の方に、中御座が近づいてきました。


980-7.jpg
三若会の皆さんが担がれる中御座が、
自分たちの目の前に来ました。
中御座の周囲を三若会の方々が包囲されます。
これは拝観者がお神輿に近付きすぎて、
事故が起きる可能性を防いでいる側面もあります。


980-8.jpg
すると中御座が、自分たち撮影者の目の前で停止されました。
中御座は設置された台の上に置かれて、
三若会の方々は中御座から離れられました。


980-9.jpg
中御座から離れられた三若会の皆さんが、
「祇園」交差点で路上に腰を下ろされました。
ここで三若会の皆さんは、他のお神輿が来るまで待機されます。


980-10.jpg
その時、新たに「ほいっと ほいっと」の掛け声が聞こえてきました。
「祇園」交差点の右(南)側に目を転ずると、
第978回ブログにも「祇園」交差点に登場した
四若会の皆さんが「祇園」交差点に登場です。


980-11.jpg
「四若」と書かれた深紅の旗と提灯に続いて、
祇園祭のお神輿の1基東御座が「祇園」交差点に登場です。
こちらには素戔嗚尊の妻奇稲田比売が乗られます。
ちなみに廃仏毀釈以前は素戔嗚尊の子の総称「八王子」が、
東御座には載っておられました。


980-12.jpg
東大路を北上し、東御座が「祇園」交差点に入ってきます。
東御座を担ぐ四若会の皆さんの邪魔にならないように、
中御座を担がれていた三若会の皆さんは
「祇園」交差点の南側で待機されています。
(つまり、自分たち撮影者の近くにおられます)


980-13.jpg
東大路を「祇園」交差点まで北上された東御座は、
八坂神社西楼門の石段前で一旦停止されました。
ただ、「ほいっと ほいっと」の掛け声は止まりません。
その直後に四若会の皆さんは、担がれていた東御座を
頭上近くに持ち上げられました。


980-14.jpg
そして、四若会の皆さんが東御座を頭上に持ち上げられたまま
その場で飛び跳ねられました。
「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
「四若」と書かれた紫紺の旗も翻ります。
高い音を立てて、東御座に取り付けられた鈴も揺れます。


980-15.jpg
四若会の皆さんが、東御座を担いだまま飛び跳ね続けておられます。
既に中御座を担ぎ終えて寛がれる三若会の皆さんとの
対比がとても面白いですね。


980-16.jpg
東御座を頭上高くに持ち上げられていた四若会の皆さんは、
東御座を肩の高さに持ち直されるとさらに北上されました。
次のお神輿のために、四若会の皆さんは場所を空けます。
東御座を担がれる四若会は、東山区祇園地区北端に会所があります。
ですから結団式の後、東御座は祇園北部を中心に巡行されます。


980-17.jpg
その直後に「祇園」交差点の南側市視線を向けました。
「錦」と書かれた紫紺の旗が翻っていますが、
その脇に宮本組の皆さんが待機されていて、
「祇園」交差点がかなり混沌としてきました。


980-18.jpg
「錦」と書かれた紫紺の旗とともに、同じく「錦」と書かれた提灯も
「祇園」交差点へ東大路を北上されます。
紫紺の旗と提灯に続いて、「錦神輿会」の皆さんが登場です。
こちらは錦市場の店主さんの集まりで、
祇園祭のお神輿の1基「西御座」を担がれます。
西御座には、素戔嗚尊の子の総称である八柱御子神が乗られます。
ちなみに廃仏毀釈以前は、
西御座には牛頭天王の妻頗梨采女が乗られていました。


980-19.jpg
錦神輿会の皆さんに担がれて、西御座が東大路を北上します。
「ほいっと ほいっと」の掛け声とともに、
西御座は「祇園」交差点に向かいます。


980-20.jpg
とは言え、西御座は八坂神社西楼門の石段前までは進みません。
要するに、そこまで進む場所がないからです。
西御座を担がれる錦神輿会の皆さんは、
「祇園」交差点の南側まで北上されると、
その位置で停止されて西御座を頭上高くに持ち上げられました。


980-21.jpg
西御座を頭上まで持ち上げられた錦神輿会の皆さんは、
その場で飛び跳ねられました。
すると、西御座が上下に大きく揺れます。
写真には写っていませんが、「錦」と書かれた紫紺の旗も
激しく翻っていました。


980-22.jpg
錦神輿会の皆さんが担がれる西御座が、激しく揺れています。
その一方で既にお神輿を担ぎ終えた三若会、四若会の皆さんは、
「祇園」交差点の路上でゆっくり寛がれています。


980-23.jpg
さらに、西御座が激しく揺れています。
西御座の担ぎ棒に取り付けられた鈴も、大きな音を立てています。


980-24.jpg
そして西御座を頭上まで持ち上げておられた錦神輿会の皆さんが、
肩の高さまで西御座を下ろされました。
ちなみに、この位置がそのまま西御座の待機場所になります。


980-25.jpg
西御座を担がれておられた錦神輿会の皆さんが、
「祇園」交差点路上に置かれた台の上に設置されました。
その段階で西神輿会の皆さんは、
西御座から離れてその周囲に集まり出されました。


980-26.jpg
「錦」と書かれた法被姿の男性が集まっておられますが、
その手前(西)側に「三若」と書かれた紫紺の旗と提灯が並びます。
「祇園」交差点の南東側に錦神輿会の皆さんが集結されていますが、
西(自分たちに近い)側に三若会の皆さんが集結されています。


980-27.jpg
そして四若会の皆さんは、「祇園」交差点の北東部に集結されます。
さらに「祇園」交差点の東側にいらっしゃる方から順に、
各組ごとに座り直されておられます。
先に座られた三若会の皆さんが少し東の方におられて、
その修正に時間がかかっていました。


980-28.jpg
この時点で、中御座は「祇園」交差点より
四条通を西に移動した位置にあります。
三若会の皆さんは、自分たち撮影者の真横まで戻って来られました。
ですから、自分たちは三若会の皆さんのそばで
祇園祭神幸祭の結団式に参加できそうです。


980-29.jpg
……と思いきや、三若会の方々が中御座を少し東に移動されました。
結局この距離感で、祇園祭神幸祭の結団式に参加しました。


980-30.jpg
祇園祭のお神輿を担がれる方々が「祇園」交差点上に座られると、
清々講社の方々や八坂神社の神職さんたちの位置が決まってきます。
清々講社や八坂神社の神職さんが、この時点で移動されます。


980-31.jpg
すると、八坂神社西楼門の石段に、様々な方々が登場されました。
中には、京都府知事や京都市長の姿も見えます。
この時点で、2023年7月17日月曜日午後6時半です。
ここから、祇園祭神幸祭の結団式が始まります。
ここから様々な方の演説が続いて、その後お神輿が出発しますが、
ちょうど切りがいいので今回はここまでです。

~次回は祇園祭神幸祭結団式を取材します~

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第981回祇園祭神幸祭結団式~祇園祭神幸祭 2023~その5

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980-31.jpg
前回ブログで3基のお神輿が、「祇園」交差点に集結しました。
お神輿の担ぎ手である三若会・四若会・錦神輿の方々が、
「祇園」交差点で東を向かれています。
ここから、祇園祭神幸祭結団式が始まります。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後6時半。
今回は、各お神輿が「祇園」交差点を出発するまでを掲載します。


981-2.jpg
八坂神社西楼門前の石段に多くの方がいらっしゃいますが、
担ぎ手の皆さんの座る位置がなかなか決まりません。
目の前では東御座を担がれる四若会の皆さんが、
何度も座り直されています。
とは言え、それも数分で解決します。
そこで予定通りの時間で、結団式が始まります。


981-3.jpg
祇園祭神幸祭結団式では、様々な方が演説をされます。
先ずは、八坂神社の宮司さんが登壇されました。
八坂神社の最高責任者は神主ではなく、宮司です。
初めにコロナ禍の間できなかった
結団式ができたことに喜びの言葉を述べられて、
続いてコロナウィルスを初め疫病の平癒を祈願されて、
(そもそも祇園祭は、「疫病平癒」を願うお祭りです)
最後に神輿渡御が事故無く終わることを祈願されました。


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続いて京都市を代表して、門川大作京都市長が登壇されました。
先ずは今年(2023年)は結団式ができたことに祝辞を述べられ、
続いて「疫病平癒」や「世界平和」を祈願されました。


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さらに京都府を代表して、西脇隆俊京都府知事が登壇されました。
西脇知事も結団式への祝辞を述べられた後
疫病平癒・世界平和を祈願されましたが、
まぁこのような演説にオリジナリティとか
面白さとかは求められてはいません。
ですから門川京都市長と演説内容が被るのは、当然のことです。
……ところで、西脇知事は三若会の法被をお召しです。
もしかして、西脇知事も中御座を担がれたのでしょうか?


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今度は八坂神社の神職さんが、榊を片手に登壇されました。
ここから、八坂神社のお神輿を榊で清められます。


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八坂神社の神職さんは、榊をお神輿の前で横に振られます。
要するに、紙垂で清められるときになされる動作ですね。


981-8.jpg
榊を振り終えられた八坂神社の神職さんは、
一礼されると後ろの石段に退かれました。
この写真では東御座だけに榊を振られたように見えますが、
特定のお神輿ではなく石段の中央で榊を振られていました。


981-9.jpg
ここでお神輿の担ぎ手の団体である
三若会・四若会・錦神輿会の代表者が、
八坂神社西楼門前の石段に順番に登壇されました。
ところが、自分の撮影場所からでは上手く写りません。
よく見ると三若会の代表者が写真中央にいらっしゃいますが、
まったく分かりませんね。
とても重いお神輿は、うっかりすると大きな事故を起こします。
指揮者の指示が的確で、担ぎ手全員が指示通り動かないと、
最悪の場合死者すら出ることもあり得ます。
3団体の代表者さんは、何より神輿渡御での安全を強調されました。


981-10.jpg
ここで、八坂神社西楼門前の石段での結団式が終わりました。
ただ八坂神社神幸祭の神輿渡御は、ここからが本番です。
お神輿のうちの1基東御座を担がれる四若会の皆さんが、
鉢巻きを締めなおし「祇園」交差点北側にいらっしゃる
東御座へと足を運ばれました。


981-11.jpg
四若会の皆さんが、東御座の許に集結されます。
ここから3基のお神輿は「祇園」交差点を出発されて、
それぞれの氏子地域へと向かわれますが、
その前に「祇園」交差点で、
3基のお神輿による一大パフォーマンスが繰り広げられます。


981-12.jpg
こちらの写真の中央に、中御座が写っています。
その奥には、西御座が鎮座しています。
中御座には三若会の皆さんが、
西御座には錦神輿会の皆さんが、集結されます。


981-13.jpg
ただ三若会の皆さんが中御座を担がれると、
自分の角度からは西御座が見えなくなりました。
なお次回ブログは、ほぼ西御座の記事で終始します。


981-14.jpg
三若会の皆さんが中御座を担がれる前に、
「三若」と書かれた紫紺の旗と提灯が、
自分たち撮影者の近くに移動されました。
中御座はこの後「祇園」交差点から四条通を西に移動されますので、
自分たち撮影者の近くが進行方向になります。


981-15.jpg
「祇園」交差点北側で、「ほいっと ほいっと」の掛け声がしました。
四若会の皆さんが東御座を担ぎあげられて、
その直後に頭上まで持ち上げられました。


981-16.jpg
その直後に四若会の掛け声が、
「まわ~せ まわ~せ」に変わります。
「四若」と書かれた紫紺の旗が翻る中、
四若会の皆さんが担がれる東御座が、回転し始めました。


981-17.jpg
一方「祇園」交差点西側では、三若会の皆さんが中御座を担がれます。
こちらも、「ほいっと ほいっと」の掛け声がします。
そしてすぐに、三若会の皆さんが中御座を頭上に持ち上げられました。
この写真でははっきり見えませんが、「祇園」交差点南側では
錦神輿会の皆さんも西御座を担がれて頭上に持ち上げられました。


981-18.jpg
そして、三若会が担がれる中御座の掛け声も変わります。
「まわ~せ まわ~せ」と声がかかると、中御座も回転し始めました。


981-19.jpg
カメラの拡大をやめて、引いた構図で写真を撮りました。
三若会が担がれる中御座と四若会が担がれる東御座が、
同時に回転しています。


981-20.jpg
三若会の皆さんが、中御座を回転させておられます。
中御座の周囲にも三若会の方々がおられて、
扇子を掲げて「まわ~せ まわーせ」と声を上げられます。


981-21.jpg
三若会の方々が担がれる中御座が、まだ回り続けます。
この写真をよく見ると、この先(南)で
錦神輿会の皆さんが担がれる西御座も回転されています。


981-22.jpg
さらに、中御座を写しています。
写真ではだいぶ枚数が経っていますが、
時間的には数分しか経っていません。


981-23.jpg
三若会の皆さんは、頭上に中御座を持ち上げ続けておられます。
そうは言っても、そこそこの時間持ち上げ続けるのには
相当の力が必要でしょうね。


980-24.jpg
その時回転する中御座が上手くズレて戴いたので、
「祇園」交差点南側にいらっしゃる西御座を写せました。
西御座を担がれる神輿神輿会の皆さんは、
肩の高さに西御座を戻されて、
その場で西御座を上下に揺らしておられます。


981-25.jpg
一方三若会の皆さんが担がれている中御座は、
まだ頭上の高さで回転し続けています。
先述しましたが、相当長い時間この状態を維持されています。
よく見ると錦神輿会の皆さんもまた西御座を頭上に持ち上げて、
さらに回転を始められました。


981-26.jpg
こちらは三若会の皆さんが担がれる中御座です。
まだまだ頭上に掲げられたまま三若会の皆さんは、
中御座を回し続けられます。


981-27.jpg
ここでようやく、三若会の皆さんは中御座を肩の高さで担がれます。
そして、今度は上下に中御座を揺らしておられます。


981-29.jpg
そして、ここでまた三若会の皆さんは中御座を頭上に掲げられます。
たぶんですが、ここで担ぎ手が交代されたのだと思います。


981-30.jpg
ただ、ここからは中御座を担がれる三若会の皆さんは回転されず、
その場で中御座を上下に揺らし始められました。


981-31.jpg
三若会の皆さんが担がれる中御座が、激しく揺れています。
中御座の周囲にいらっしゃる方々も、「まわ~せ まわ~せ」から
「ほいっと ほいっと」に掛け声が変わります。


981-32.jpg
すると三社若会の皆さんが担がれる中御座が、
「祇園」交差点から少しずつ四条通を西へと移動しました。
三若会の皆さんは、まだ頭上に中御座を持ち上げておられます。


981-33.jpg
「祇園」交差点から中御座が四条通をに似へ移動するということは、
自分たち撮影者の目の前に中御座が近づいてくるということです。
この時点で自分たち撮影者と三若会の皆さんは、
肩と肩がぶつかる距離です。
とは言え中御座と自分たち撮影者の間に
お神輿を担がれていない三若会の皆さんがいらっしゃるので、
そちらの方々が緩衝材になることで
事故などは起こらないようになっています。


981-34.jpg
先ほどの写真を少し引いて撮り直すと、
このくらいの距離感があります。
まぁ自分が撮影者の中でも一番歩道側にいますので、
自分自身は三若会の方々と少し遠いです。


981-36.jpg
一方、こちらは「祇園」交差点北側の東御座です。
四若会の皆さんが東御座を肩の高さに下ろされたので、
こちらも掛け声が「ほいっと ほいっと」に戻りました。


981-37.jpg
そして四若会の皆さんが担がれる東御座は、
そのまま「祇園」交差点から東大路を北上しました。
ここから東御座は祇園北部を進んだ後、
烏丸通の政所まで移動してから
「四条寺町」交差点東側の八坂神社お旅所へ向かいます。
つまり、東御座はこれを以って「祇園」交差点から去ります。
自分たち撮影者の中には東御座にこだわっておられる方も多く、
かなりの数の撮影者が自分たちがいたスペースから立ち去り、
東大路を北上されて東御座を追いかけられました。


981-35.jpg
その時点で中御座を担がれる三若会の皆さんも、
肩の高さまでお神輿を下ろされました。
そして整列し直されると、四条通を西に進まれました。


981-38.jpg
三若会の皆さんが担がれる中御座も「祇園」交差点から立ち去り、
四条通を西へ進まれます。
この後中御座は紆余曲折あるものの、
基本的には約5㎞先の堀川通まで西に進みます。
そこから三条通の三条会商店街へ向かいます。
三若会の会所はその三条会商店街の近くにあって、
三若会の氏子地域も三条会商店街周辺です。
ですから中御座もそちらに向かうのですが、
最終的には「四条寺町」交差点の八坂神社お旅所まで戻られるので、
三若会の皆さんはお神輿をかなりの長距離担がれます。
撮影者のうち多くの方々が、この後中御座を追いかけられます。
ただ自分がこだわって撮り続けるお神輿は、中御座でもありません。
中御座を追いかけられる撮影者の皆さんとも、ここでお別れです。


981-39.jpg
という訳でこの時点で「祇園」交差点におられるのは、
西御座を担がれる錦神輿会の方々だけになりました。
錦神輿会の皆さんが担がれる西御座は四条通を西に進み、
約200m中御座と巡行コースが重なります。
ですから中御座が四条通を西に進まれる間、
西御座は数分間待機されます。


981-40.jpg
数分経って、錦神輿会の皆さんが西御座へと向かわれます。
錦神輿会の会所は錦市場にあって、氏子地域もその錦市場周辺です。
「祇園」交差点からは約500mの距離ですが、
西御座はそちらまで直視されずに、うろうろ巡行されます。
それが面白いので、自分はこの西御座にこだわっています。
ですから自分はこの西御座を追いかけますが、
もうかなり写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、西御座が祇園甲部を巡行します~

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第982回 西御座祇園巡行~祇園祭神幸祭 2023~その6

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981-40.jpg
前回ブログで祇園祭神幸祭の結団式を終え、
祇園祭のお神輿のうち東御座と中御座は「祇園」交差点を去りました。
この時点で「祇園」交差点に残っているお神輿は、西御座だけです。
今回は、この西御座を追いかけていきます。
ただ自分のカメラは、夜間撮影ができません。
ちなみにこの日の日没は午後7時半でした。
撮影日は、2023年7月17日月曜日午後7時。
あと30分で、今回の連載は終了します。


982-1.jpg
西御座を担がれる錦神輿会の皆さんが、
「祇園」交差点で数分間待機されます。
四若会が担がれる東御座は「祇園」交差点から
東大路を北上されましたが、
三若会が担がれる中御座は「祇園」交差点から
四条通を西に進まれます。
中御座と目の前の西御座は、
初めの約200mを同じコースで進みます。
そのため中御座がその約200mを進むまで、
西御座は「祇園」交差点で休憩です。


982-2.jpg
とは言っても、中御座が「祇園」交差点から約200m西に移動するのに
そこまで時間はかかりません。
中御座と十分に距離を取ったことを確認して、
錦神輿会の皆さんが西御座を担ぎ上げられます。


982-3.jpg
錦神輿会の皆さんが担ぎ上げられる西御座が、
「祇園」交差点から四条通を西に進み、
自分たち撮影者がいる場所の目の前まで来られました。
錦神輿会は、文字通り錦市場の店主さんの団体です。
ですから、この西御座は錦市場の店主さんたちが担がれてます。
西御座の氏子地域も錦市場ですので、
これから西御座は錦市場を経由して
「四条寺町」交差点の八坂神社お旅所まで行進します。
自分が、祇園祭前祭山鉾巡行を取材した場所ですね。
他のお神輿と比べて氏子地域が近いので、
西御座は四条通から途中で蛇行します。


982-4.jpg
西御座が、自分たちがいる場所より四条通を西に進みます。
では自分も四条通北側歩道に戻り、西御座を追いかけます。


982-5.jpg
錦神輿会の方々はに重たい西御座を担がれておられるので、
西御座はそんなに速く移動できません。
自分が早歩きすれば、「祇園」交差点から約50mで追いつきました。


982-6.jpg
四条通で、西御座を大写ししました。
とは言え、祇園祭のお神輿はすべて同じ形状です。
なぜか天頂部に九条ネギを取り付けるのも、同じですね。


982-7.jpg
同じ位置で、少しカメラを引いてみました。
四条通北側歩道の手前に、たくさんの方々がいらっしゃいます。
実は撮影者のスペースは、「祇園」交差点から
四条通を西に約100m伸びています。
この辺りからなら、前回ブログでは東御座が見えなかったでしょうね。


982-8.jpg
そうこうしているうちに、西御座が「祇園」交差点から
四条通を約200m移動しました。
四条通南側歩道は、赤い壁が続きます。
こちらは、祇園甲部随一の料亭「一力亭」の壁面です。


982-9.jpg
「祇園」交差点から約200m西に進むと、
四条通は花見小路と交差します。
四条通以南の花見小路は、花街の祇園甲部のメインストリートです。
「一力亭」は、「四条花見小路」交差点南東角にあります。


982-10.jpg
ここで、西御座は左折します。
つまり、四条通から花見小路を南下します。


982-11.jpg
西御座を担がれる錦神輿会の隊列の後から、
清々講社の方々が続いています。
清々講社は山鉾巡行や神輿渡御に直接関わらず、
祇園祭の様々な補助をする団体です。
清々講社の皆さんも、四条通から花見小路を南下されます。


982-12.jpg
さらに、その後続は「西御座」と書かれた軽トラックです。
こちらには錦神輿会に必要な雑多なものが、積まれています。


982-13.jpg
その軽トラックも、四条通から花見小路を南下しました。
自分も四条通から花見小路を南下したかったのですが、
この時点で四条通は歩行者の横断ができませんでした。
要するに、祇園祭神幸祭の交通規制が終わっていません。


982-14.jpg
その時花見小路の北側から、
「ほいっと ほいっと」の掛け声が聞こえてきました。
そちらを振り向くと、東御座を担がれる四若会の皆さんが
花見小路を南下されていました。
四若会は氏子地域が祇園北部の北の方にあるため、
祇園北部中心にお神輿を巡行されています。


982-15.jpg
ところが東御座は、自分がいる四条通沿いまでは
花見小路を南下されません。
四条通の手前で真北に進路を変えて、
花見小路を北上されました。


982-16.jpg
東御座を見送っていると、
「四条花見小路」交差点の信号が灯りました。
これは横断歩道が渡れるようになったということです。
ですから、急いで四条通南側歩道に移動します。


982-17.jpg
四条通から、花見小路を南に向いています。
「四条花見小路」交差点には5分くらいいましたが、
西御座の軽トラックは約10m先です。
要するに、西御座はそれほど移動されていません。
急げば、すぐに追いつけそうですね。


982-18.jpg
四条通から、花見小路を約10m南下しました。
左(東)を向くと一力亭の入り口ですが、
右(西)を向くと一力亭の駐車場です。
こちらに一力亭の方々がいらっしゃったのですが、
どうやらこの辺りで一力亭がお酒を振舞っておられたようです。
日本酒はお祭りで、お神輿の担ぎ手さんにはよく差し出されます。


982-19.jpg
一力亭の駐車場の前で、花見小路を南を向いています。
西御座の軽トラックが、目の前にありました。
人間が歩行する速度より遅い走行ですね。
要するに、少し徐行しては停車されています。


982-20.jpg
ですから少し早歩きをすれば、軽トラックを追い越せました。
こちらは、軽トラックの先(南側)の様子です。
清々講社の方々が、花見小路を南に向いて
立ち止まっておられます。
ここも早歩きをして、清々講社の方々を追い抜きます。


982-21.jpg
ですから、すぐに清々講社隊列に紛れることができました。
この先で、西御座がゆっくりと花見小路を南下されています。
では行けるところまで、花見小路を南下していきます。


982-22.jpg
清々講社隊列の先頭には、
騎乗された束帯姿の方がいらっしゃいます。
ここからだんだん錦神輿会の方々に紛れるような形になりましたが、
この時点で花見小路には、祇園祭神幸祭に関係ない
多くの方々が散策されていました。
四条通以南の花見小路は京都随一の花街の中心地ですし、
先ほどの一力亭にもお客さんが来られていましたし、
それ以外の料亭などの飲食店もお客さんで混み合っていました。
ですから、この先は錦神輿会の方々と歩行者が混在する状態でした。


982-23.jpg
西御座を担がれる錦神輿会の方々と一緒に、
花見小路を南下しています。
意図的にではなく、気づけば自分は錦神輿会の方々に紛れていました。
ここまで近づいてもいいものかどうか、
少し思案しながらの花見小路南下でした。


982-24.jpg
錦神輿会の方々が担がれる西御座は、
ギオンコーナー(祇園甲部歌舞練場)の前で停止されました。
錦神輿会の皆さんは西御座を路上において、
西御座から少し離れた位置に移動されました。


982-25.jpg
ギオンコーナーと言いますか祇園甲部歌舞練場の向かい(西)側に
料亭が何軒か建っているのですが、
その中の1軒の前にテーブルが出されています。
そのテーブル上にはお皿が置かれていて、
そちらにおにぎりが並んでいました。
またその脇に紙コップが並び、そちらにはお水が入っていました。
こちらはその料亭だけが提供されておられるのではなく、
祇園甲部全体が協力して提供されておられるようです。


982-26.jpg
そちらのおにぎりと日本酒を錦神輿会の皆さんが、戴いています。
自分が随行するのは日没までですが、
祇園祭神幸祭は深夜まで続きます。
(中御座に至っては、1時とか2時とかに終わります)
ですから、このような休憩が時折あります。


982-27.jpg
テーブル一面におにぎりと紙コップが並んでいましたが、
すぐにすべてなくなりました。
一人一人がたくさん戴いたというよりも、
それだけ錦神輿会が大人数ということのようです。


982-28.jpg
食事を終えた錦神輿会の皆さんは、再び西御座を担がれます。
そして、また花見小路を南下されました。


982-29.jpg
テーブルが出された料亭の約20m南から、
右(西)に団栗通が伸びています。
団栗通以南の花見小路はすぐに建仁寺北門で突き当たります。
ですから、ここで西御座は花見小路を右折して
団栗通を西に進みます。
この写真では西御座はすでに右折しているので、
西御座は写っていません。


982-30.jpg
少し遅れて、自分も団栗通との辻に来ました。
では、自分も花見小路から団栗通へ右折します。


982-31.jpg
花見小路から、団栗通を西に向いています。
この先で西御座が団栗通を西に進んでいますが、
ちょっと距離があって写っていません。
ただ、この時錦神輿会の方がこうおっしゃいました。
「馬の真後ろは危険だから、移動しなさい」
確かに馬の蹄に叩かれたら、大怪我をします。
その方の指示通り少し位置を変えてから、
その錦神輿会の方とお話ができました。
「自分のような撮影者が錦神輿会のメンバーと随行するのは、
本当のところどうなんですか?」
自分の質問にこう答えられました。
「本当は、ダメ。
ただ一般の方と錦神輿会が混在することを規制することは、
現実的ではない。
西御座にぶつかるなどの事故が無いように、
ある程度の距離を保ち、安全に考慮して随行してほしい」
その方の答えを要約すると、こうなります。


982-32.jpg
西入神輿会の方の言葉を受けて、さらに西御座と距離を取ります。
ところがこの時くらいで、日没です。
だんだん写真がはっきり写らなくなりました。


982-33.jpg
その辺りで、西御座を大写ししました。
写真中央に西御座が写っていますが、最早何やら分かりません。
この時点で西御座は団栗通を花見小路から約150m西に進み、
大和大路上で団栗通をさらに西に向かっています。
この後西御座は川端通(鴨川東岸)まで団栗通を西に進み、
川端通経由で四条大橋を西へと渡ります。
そこから錦市場を徘徊して
最終的に「四条寺町」交差点の八坂神社お旅所に至ります。
ただもう自分のカメラでの撮影はできないので、
自分は大和大路を南下してそのまま帰宅しました。
(この辺りは、ウチの徒歩圏内です)
これで、2023年の祇園祭神幸祭の連載は終了です。

~次回から、祇園祭後祭山鉾巡行を連載します~

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第983回「四条河原町」交差点~祇園祭後祭山鉾巡行~その1

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祇園祭前祭から、1週間経ちました。
今度は、祇園祭後祭が始まります。

7月21日~7月23日の間が宵山で、
7月24日が山鉾巡行と還幸祭です。
2023年は自分が遅刻して取材できなかった還幸祭は書けませんが、
山鉾巡行は丁寧に書いていきたいと思っています。

983-1.jpg
京都駅からJR奈良線に乗って、1駅。
「東福寺」駅から京阪電鉄出町柳行きに乗り換え、3駅。
こちらは、京阪電鉄「祇園四条」駅です。
……という設定ですが、本当はウチの最寄りの
京阪電鉄「七条」駅から出町柳行きに乗って、2駅でした。
1週間前とは違い、寝坊ではなく単なる手抜きです。
今回は、こちらから祇園祭後祭山鉾巡行の撮影ポイントである
「四条河原町」交差点を目指します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時。
撮影ポイントが山鉾巡行の終わりの方なので、
かなりゆっくりの行動です。


983-2.jpg
自分が乗っていた京阪電車の特急車両が、
「三条」駅に向けて出発しました。
ちなみに、京都市内では「七条」駅以北に
京阪電鉄の特急停車駅が多いです。


983-3.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅ホームには、何カ所か上り階段があります。
次はそのうちの一つから、上の階に上がります。


983-4.jpg
先ほどの上り階段で、京阪電鉄「祇園四条」駅ホームから
コンコース階に移動しました。
こちらからは、取り敢えずこの階を北上します。


983-5.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅コンコース階最北端に、
この駅の改札口があります。
京阪電鉄「祇園四条」駅は結構大きい駅ですが、
改札口はここしかありません。
では、このまま改札口から
京阪電鉄「祇園四条」駅を出ます。


983-7.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅を出て、
そのままの位置で北を向いています。
この場所の真上が、「四条川端」交差点です。
また切符売り場や観光案内所の周囲に、
様々なお店がテナントで入っています。
ですから、この辺りはちょっとした地下街です。


983-6.jpg
同じ位置で、東に向いています。
こちらを進めば、東山区祇園地区の中心街に出ます。
第977回ブログでは、こちらを進みました。


983-8.jpg
今度は同じ位置で、北西を向きました。
この先に、「四条河原町」交差点北西角に出る階段があります。
第969回ブログでは、こちらを進みました。


983-9.jpg
さらに同じ位置で、西に向いています。
この先に、上り階段があります。
今回ブログでは、こちらを進みます。


983-10.jpg
先ほどの階段を上っていくと、南北に分岐します。
今回ブログでは、北行きの2番出口を目指します。
あと数mで、地上です。


983-11.jpg
京阪電鉄「祇園四条」駅番出口を出て、
四条通から川端通を南に向いています。
川端通と言いますか鴨川東岸に桜並木が続き、
春には「祇園の桜並木」として多くの人々が訪れます。
(川端通の桜並木は、第780回ブログを参照してください)


983-12.jpg
今度は京阪電鉄「祇園四条」駅2番出口を出た位置から、
川端通から四条通を東に向きました。
川端通の向かい(東)側に、芝居小屋の南座が見えます。
その角に「にしんそば」という看板が見えますが、
その位置が松葉というお蕎麦屋さんです。


983-13.jpg
さらに京阪電鉄「祇園四条」駅2番出口を出た位置で、
川端通から四条通を西に向いています。
鴨川に架かる四条大橋を渡ると、
東山区祇園地区から下京区先斗町地区に移動します。


983-14.jpg
鴨川に架かる四条大橋を西に渡って、南を向きました。
左(東)側が東山区祇園地区で、右(西)側が下京区先斗町地区です。
約150m先に、団栗橋が伸びていますね。
団栗橋以南の左(東)側が、東山区宮川町地区です。


983-15.jpg
四条大橋を渡り、鴨川西岸に移動しました。
下京区先斗町地区には、川岸に飲食店が川床を出しています。
こちらは中華料理店の東華菜館です。
建築家で近江兄弟社の設立者ヴォーリーズの設計による建物です。
鴨川の川床の中でも、代表的なお店です。


983-16.jpg
四条大橋を渡り、四条通を西に向いています。
東華菜館の先で、四条通は先斗町通と交差します。


983-17.jpg
四条通から、先斗町通を北に向いています。
鴨川以西の四条通は、中京区と下京区の境目です。
つまり花街の一つ先斗町は、区跨りで存在します。


983-18.jpg
先斗町通から、四条通を西に向いています。
約50m先で、四条通は木屋町通と交差します。


983-19.jpg
四条通から、木屋町通を南に向いています。
高瀬川沿いの伸びる木屋町通も、桜の名所として有名です。
こちらの様子は、第645回ブログを参照してください。


983-20.jpg
木屋町通から、四条通を西に向いています。
この辺りから、四条通は車両通行止めでした。


983-21.jpg
木屋町通から、四条通を約50m西に進みました。
ここで四条通は、河原町通と交差します。
京都随一の繁華街「四条河原町」交差点ですね。
「四条河原町」交差点は、結構な人出で混み合っていました。
これくらいの人人出は普段通りなのですが、
平日の午前中としてはかなりの人混みです。
こちらの皆さんは、ほぼ全員自分と同じ目的です。


983-22.jpg
「四条河原町」交差点北西角を大写ししました。
繁華街のアーケード上に、
交通警察官が信号を収納されています。
これは巡行中の山鉾が信号機に当たらないようにする措置で、
この辺の信号機は、すべて
このように簡単に収納できるようになっています。


983-23.jpg
四条通から、河原町通を南に向いています。
昨年(2022年)は河原町通の車道上で撮影可能でしたが、
今年(2023年)は車道上には進めません。


983-24.jpg
となると現在いる「四条河原町」交差点南東角は、
山鉾巡行のベストポジションではありません。
2023年現在「四条河原町」交差点南東角には、
家電量販店の「エディオン」が入っているのですが、
そこから地下道に続く階段があります。


983-25.jpg
こちらが、その階段です。
ここから地下道経由で、「四条河原町」交差点南西角に移動します。


983-26.jpg
地下道経由で、「四条河原町」交差点北西角に移動しました。
この辺りには、百貨店の京都高島屋が建っています。


983-27.jpg
こちらは、「四条河原町」交差点南西角です。
京都高島屋の店頭でもあります。
こちらの方が、人手が多いですね。


983-28.jpg
「四条河原町」交差点北西角には撮影スペースがあって、
そこに入って撮影をすることになります。
今回はだいぶ遅くに来たため、だいぶ後ろの方で撮影します。
うっかりすると、カメラを撮影することになります。


983-29.jpg
それでも撮影者の腕と腕の間から撮ると、
結構上手く撮れます。
そうこうしているうちに、「祇園祭」と書かれた幟が行進します。
ただこちらは、祇園祭後祭山鉾巡行のものではありません。
そもそも行進される方向が違います。
その説明が必要ですが、もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

その説明は、次回ブログでします。

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第984回 祇園祭花笠巡行~祇園祭後祭山鉾巡行~その2

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山鉾や大きなお神輿が出てこない祇園祭があります
1963年~2013年の間、祇園祭後祭は
神輿渡御以外廃止されていました。
そのため毎年7月24日の午前中に、
1963年以降新たな巡行行列が始まりました。
それが、祇園祭花笠巡行です。
とは言え、2014年以降祇園祭後祭が復活しました。
そのため祇園祭後祭山鉾巡行とコースが重ならないようにしつつ、
花笠巡行は山鉾巡行と同時に行われています。


983-29.jpg
前回ブログで、京阪電鉄「祇園四条」駅から、
「四条河原町」交差点南西角に移動しました。
2023年は、こちらから祇園祭後祭山鉾巡行を撮ります。
ただその山鉾巡行の直前に、別の巡行行列がやって来ました。
後祭山鉾巡行は目の前の河原町通を南下してくるので、
明らかに違う方向からの巡行です。
今回は、四条通を西から東に進む祇園祭花笠巡行を取材します。
撮影日は、2023年7月24日月曜日午前10時15分。
自分は、祇園祭笠巡行を生まれて初めて見ます。


984-1.jpg
「祇園祭」と書かれた幟の直後に、
小中学生に担がれた小さなお神輿が登場しました。
この子供神輿は、東御座の脇を巡行する子供神輿と
同じものかどうかはよくわかりません。


984-2.jpg
子供神輿が、河原町通から四条通を東に向かいます。
祇園祭花傘巡行はこのまま四条通を進み、
最終的には八坂神社に向かっています。


984-3.jpg
ここで暫く、祇園祭花傘巡行が途切れます。
「四条河原町」交差点北西角を見ると、
たくさんの桶が並び、その桶を管理される方々がいらっしゃいます。
こちらの桶は、次回ブログ以降の山鉾巡行で辻回しに使用します。


984-4.jpg
その直後に、花笠を被った女性隊列が
「四条河原町」交差点に現れました。
「花笠巡行」の名称の元になった隊列です。


984-5.jpg
花笠を被った女性隊列が、「四条河原町」交差点を東に向かいます。
ただこちの女性がどのような集まりなのか、
自分はよくわかっていません。


984-6.jpg
花笠を被った女性隊列が、河原町通から四条通を東に進みます。
こちらの隊列も、八坂神社に向かいます。


984-7.jpg
花笠を被った女性隊列が通過した後、こちらの隊列が続きます。
様々な方々が混じり合った状態なのですが、
こちらがどういう隊列なのかは分かりません。


984-8.jpg
その隊列の中に、こちらが混じっておりました。
装飾された荷車の上に駕籠が置かれ、
その駕籠の中に様々な花々が飾っていました。


984-9.jpg
花車の周囲にも様々な方々が行進されており、
その中でも様々なものが運ばれていました。
こちらの隊列は、かなり長かったですね。


984-10.jpg
その隊列の中に、獅子舞が混じっておられます。
その後も、赤い衣装の方々が続きます。


984-11.jpg
続いて、小学生児童が騎乗する馬が続きます。
こちらが、おそらく馬長稚児(うまおさちご)でしょうね。
こちらも、河原町通から四条通を東に進みます。


984-12.jpg
馬長稚児に続いて、さらに騎乗された方々が行進します。
こちらは、もう少し年長者が騎乗されていますね。


984-13.jpg
続いて、この幟が河原町通から四条通を東に進みます。
幟の文字を読もうとすると風で幟が翻り、
はっきり読めませんでした。


984-14.jpg
その後をこの男性陣が続くのですが、
先ほどの幟が読めなかったため、どんな方々かよくわかりません。
ぱっと見は、祇園祭の雑務をこなされる清々講社の方々ですね。


984-15.jpg
その男性隊列は、割と長く続きました。
青い笠を被られておられるんですが、
やはりどんな方が行進されておられるのか、
よくわかっていません。


984-16.jpg
さらに後続に、こちらの幟が東に進みます。
その後から、山車のようなものも続きます。


984-17.jpg
幟には、「久世六歳念仏」と書かれています。
おそらく南区久世地区の蔵王堂光福寺で催される
六歳念仏のことだと思います。
ということは、後続の山車や花傘は蔵王堂興福寺のものでしょうか?


984-18.jpg
さらに赤い幟とともに、別の隊列が続きます。
祇園祭花笠巡行は様々な遍歴を持つ巡行行列で、
様々な団体が協力しています。
その分自分が把握していない団体も多く、
目の前を巡行されていても、
何の隊列かよくわからないことが多いです。


984-19.jpg
その後も、様々な隊列が続きます。
和服姿の女性が、かなり長い隊列を組まれております。
たぶん八坂神社関係者が内々で結成された団体の隊列と思います。


984-20.jpg
続いては、祇園祭の「山」と同じ形式の山車が登場です。
担ぎ手さんが曳き、前掛け、胴掛、水引、見送りで装飾ですが、
上に乗っておられるのが生きた人間ということだけが違います。
こちらに若い女性が乗られていましたが、
花街の舞妓さんや芸妓さんなら所属地区が山車に書かれるはずです。
(祇園甲部とか、祇園北部とか)


984-21.jpg
さらに、こちらの花傘と若い女性を乗せた屋台が続きます。
若い女性は、装束から花街の舞妓さんと分かりますね。


984-22.jpg
舞妓さんが乗られた屋台には、提灯が下がっています。
そちらに、「祇園東」と書かれています。
「祇園東」とは、今から約50年前に祇園甲部から独立した地域です。
ですから、こちらは祇園東地区に所属される舞妓さんです。


984-23.jpg
さらに、花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
こちらの提灯には、「先斗町」(ぽんとちょう)と書かれています。
「先斗町」は鴨川西岸一帯を示す地区で、
「東山区祇園地区」と同様に、芸妓さんと舞妓さんを擁します。
前回ブログで、通過した地域ですね)


984-24.jpg
先斗町の舞妓さんを乗せた屋台が、
花傘とともに河原町通から四条通を東に進みます。
舞妓さんを乗せた屋台は、いずれも日本舞踊が踊れそうな
小唄がスピーカー越しに流れていました。


984-25.jpg
さらに花傘と舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
他の屋台と比べて、舞妓さんの人数が多いようです。


984-26.jpg
こちらの提灯には、「祇園甲部」と書かれていました。
「祇園甲部」は、四条通以南の花見小路沿いの地区です。
(第982回ブログで取材した地域です)
ですから、こちらは「祇園甲部」に所属される舞妓さんの屋台です。


984-27.jpg
続いてまた花笠と、舞妓さんを乗せた屋台が続きます。
東山区祇園地区の舞妓さんだけでなく、
その祇園周辺の花街の舞妓さんも屋台に乗られるので、
このような屋台がいくつも続きます。
(花街祇園は広大ですので、幾つかの地区に分かれますし)


984-28.jpg
こちらの提灯には、「宮川町」と書かれていますね。
東山区宮川町地区は、東山区祇園地区の最南端団栗通から
五条通間に伸びる宮川町筋という道沿いに広がる花街です。
(周辺の様子は、第717回ブログ参照)


984-29.jpg
続いては、こちらの幟が現れました。
幟には、「祇園万灯会」と書かれています。


984-30.jpg
幟に続いて、花傘が行進します。
こちらの提灯にも、「祇園万灯会」と書かれています。


984-31.jpg
幟の後には、笠を被った男性が続きます。
こちらは、おそらく「祇園万灯会」の関係者でしょうね。


984-33.jpg
そして、この花傘が続きます。
こちらは山車には乗らず、人間が運んでいます。


984-34.jpg
そして、こちらの方々が花笠巡行のほぼ最後尾です。
束帯姿の方々は、雅楽の演奏家です。
まぁ雅楽を演奏しながらの行進ですから、わかりやすいです。
こちらは、第979回ブログでも巡行行列に加わっておられました。


984-35.jpg
その後は、こちらの自動車が続きます。
おそらくこちらには、巡行行列の関係者が乗っておられます。


984-36.jpg
そして最後尾は、このトラックです。
こちらで、祇園祭花笠巡行は終了です。
実は祇園祭後祭山鉾巡行の先頭は、
既にこの「四条河原町」交差点の間近に迫っています。
……と言いますか、山鉾巡行の先頭が
祇園祭花笠巡行が終わるのを待っていらしたようです。

ですから次の写真から山鉾巡行行列が見えてくるのですが、
もうだいぶ写真を貼り付けました。
ですから、今回はここまでです。

~次回は、橋弁慶山から山鉾巡行が続きます~

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ぴのぴな

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ぴのぴなと申します。
生まれたときから50数年
ずっと京都住まいです。
中2のころから
自宅近くを中心に
寺社巡りをしてきました。
このブログで,
本当に京都に来たような
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味わってください。

リンク・カテゴリの説明
いい加減複雑になったので、
サイドバーの説明をします。
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「京の天気」
京都市内の今の天気と
天気予報が分かります。

「京都桜100景」
ブログ用に
今まで撮った写真に
新たに撮ったものを加え
独断と偏見で桜の名所を
100選びました。
少しずつ更新して
ゆっくり完成させます。

「祇園祭の歩き方」
YAHOO知恵ノートを
こちらも利用して、
祇園祭宵山で回る
ポイントを書きました。
実際に回るときの
参考にしてください。

「京都市バス路線図」
京都市交通局発行の
京都市バスと市営地下鉄の
路線図を貼り付けました。
バス停や駅の位置以外に、
各観光地の位置関係も
これで分かります。

「京都市バス検索」
系統(「5系」とか)別に
市バスを検索できます。
各系統の停留するバス停や
バス停別時刻表が
貼り付けてあります。
京都観光に来られる前に、
今一度確認してください。

「嵐電(京福電気鉄道)」
京福電車(嵐電)のサイトを
そのまま貼り付けました。
電車の情報もありますが、
嵯峨野嵐山など
沿線の観光情報が
詳しく書いてあります。

「きょうもいろいろ」
ここと同じ
京都観光のブログです。
許可をいただいたので、
リンクさせて
いただきました。

「ひまわりパパの
ときたま日記」
ご家族のことを書かれた
ブログです。
こちらも
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「アマランサス☆
だいあり~」
いろいろなことを
書かれたブログです。
こちらも、
許可をいただいて
リンクさせて
いただきました。

「写真缶」
京都周辺の写真と
短いコメントの
写真ブログです。
こちらも、
許可をいただいて、
リンクさせて
いただきました。

「子連れ京都旅行」
ウチと同じ京都の
観光ブログです。
「幼児連れで
便利な店と
不便な点」を
詳しく
書かれています。
こちらは、
自分がお願いして
リンクさせて
いただきました。

「京都パワースポット
体験」
京都の様々な情報を
連載されています。
こちらも、
許可を頂いて
リンクをしました。

「京都散歩
日々の出来事と
三毛猫ブログ」
飼い猫と京都観光地の
様子を書かれた
ブログです。
こちらも許可をいただいて
リンクしました。

「京都に夢中!
古都・京都
お祭りナビ」
これから始まる
京都のお祭りや
イベントの
情報が載っています。
こちらも許可をいただいて
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布袋山保存会
祇園祭前祭の布袋山の
サイトです。
宵山でここに訪れて、
ここの方と親しくなって、
そのまま相互リンク
することにしました。

One-Shot Photo Blog
北関東と東京の下町の
写真ブログです。
自分の大ファンの
写真家さんが
運営されています。
こちらからお願いして、
リンクさせて
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「春夏秋冬 京のくらし」
京都の季節の様子や
ご自身が経営されている
カフェの様子を
書かれたブログです。
この度、相互リンクさせて
いただきました。

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これまでの記事を
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記事は順番通り
並んでいますので、
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「京のお店 今日のお品」
緊急事態宣言後の
京都市街地で
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頑張っておられる
さまざまなお店と
その商品を
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他の「道ブログ」とは
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JR「花園」駅から
北側の衣笠山手前の
「きぬかけの路」に
かけて散策しました。
妙心寺や等持院など
並んでいます。

「松原通東から西」
清水寺~西小路間の
松原通を東から西へと
写真で追いかけます。
京都盆地を輪切りにして、
地域ごとの違いを
楽しんでください。

「松原通東から西」EX
松原通が終わる西小路から
京都盆地の西の端の
松尾までを書いています。
松原通の記事と
併せて読むと、
京都盆地の東西の様子が
よく分かります。

「三条通西から東」
嵐山から始まり、
名神高速道路
京都東インターまでの
三条通を西から東に
書いていきます。

「本町通北から南」
京都盆地の東側を通る
本町通を南から北に
進みます。

「寺町通南から北」
河原町通の1本西
寺町通を
五条通から北大路通まで
散策します。
[六原」経由で、
「本町通編」と
つながっています。

「烏丸通北から南」
「寺町通編」の最終回
今宮通から南に
十条通まで続きます。

「大和大路南から北」
本町通より1本東にある
大和大路を北上します。

「鞍馬口通東から西」
室町時代に
京都最北端の道だった
鞍馬口通を下鴨神社から
金閣寺まで進みます。

「きぬかけの路散策」
その金閣寺から西に
龍安寺や仁和寺経由で
北嵯峨まで進みます。

「塩小路東から西」
京都駅前の北側を
東西に貫く塩小路を
東端の智積院から
西端の梅小路公園まで
進みました。
そのあと、
七本松~佐井西通間の
{西塩小路編」も
続きます。

「千本通南から北」
平安時代の中心
旧朱雀大路である
千本通を
七条通から、
鷹峯まで進みます。

「高倉通南から北」
京都中心街を縦断する
烏丸通と河原町通の
中間を貫く高倉通を
北上していきます。
神社仏閣よりも、
飲食店の取材が中心に
なってしまいました。

「上立売通東から西」
今出川通の北側に伸びる
東西の道を散策します。
京都市街地屈指の
桜がきれいな通りです。

「若宮通南から北」
西本願寺と東本願寺の
中間点を通る小路を
北上しました。
京町家と古い商店街の
京都らしい町並みです。

「若宮通南から北」EX
「若宮通編」の最後から
三条通まで
若宮通の真北の通りを
北上していきます。

「釜座通南から北」
若宮通を真北に
延長した先の釜座通で
三条通~京都府庁間を
北上しました。
途中、二条城に
立ち寄りました。

「錦小路東から西」
四条通の1本北に伸びる
錦小路を東から西に
進みます。
錦市場から祇園祭鉾町へ
最終的に住宅街に
移動していきます。

「五辻通東から西」
上立売通と今出川通の
中間に伸びる五辻通を
東から西へと進みます。

「正面通東から西」
脳卒中のリハリビがてら、
比較的ウチに近い
正面通を
東から西に進みます。
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